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PKD と出生前診断

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PKD と出生前診断
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『PKD と出生前診断』
溝口 満子 日本赤十字秋田看護大学
PKD の会が発足したのは 1996 年でしたので 20 年弱の時を経たことになります。
その当時と比べますと、治療に関する研究や当事者の方たちの様々な経験を通しての療養生活上
の工夫が蓄積されており、生活の質もより豊になってきたことを実感しております。
それと同時にこれまで余り問題にならなかったことが話題に上るようになりました。「出生前診断」や
「生殖医療」がその例としてあげられます。
PKD を持つ若い方々の中には出生前診断の一つである着床前診断に対するニーズも少なからず
あるとのことで、理事より基礎知識解説のご依頼がありました。そこで PKD と出生前診断としての遺
伝学的検査の概要と、現状及び課題を述べたいと思います。
尚、本稿では PKD を常染色体優性遺伝多発性囊胞腎の略称として用います。
1.出生前診断の概要
赤ちゃんが出生時に何らかの病気や障害(形態異常、精神発達障害、遺伝性疾患など)を持
って生まれる頻度は、新生児の概ね 3~4%、そのうち出生前診断の対象となる可能性のある染
色体異常は全新生児の 0.7% 程度、単一遺伝病は 0.3%程度と言われています。ちなみに PKD
は単一遺伝病です。
「出生前診断」とは赤ちゃんがこうした病気や障害をもっていないかどうかを、生まれる前に診断を
することをいいます。
診断のための検査の種類はいろいろあります。現在行われている主なものを表にまとめました。
それぞれの検査の特徴により、次のように分類されます。
1)着床前/着床後:検査を受精卵が子宮内に宿る前か後で行う。着床前診断では体外受精が前
提となります。受精した卵が分割した胚細胞の状態の時に行い、異常が見つからなかった胚細胞の
みを子宮内に着床させるというものです。PKD の場合は、この方法により診断が可能ですが、日本で
は実施されておりません。その理由については後で述べます。
種類
検査試料
検査時期
診断できること
侵襲性
確定的
非侵襲性
非確定的
体外受精時着床前
遺伝子、スクリーニング実
(4~8 胞期)
施時は染色体異数性
絨毛細胞
10~13 週
遺伝子・染色体
羊水検査
羊水
15 週以降
遺伝子・染色体
新型出生前診断(NIPT)
血液
10~22 週
染色体異数性など
母体血清マーカー検査
血液
15 週前後
染色体異数性・神経管
着床前診断
胚細胞
絨毛検査
全時期
超音波検査
胎児画像
NT 測定:11~13
週
内臓・骨格等の形態及び
機能
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2)確定的/非確定的:確定的とは検査結果がそのまま染色体や、遺伝子の状態をみているので、
結果はその通りです。非確定的とは健常である又は健常でない可能性を予測するものです。従って
陰性という結果を得ても陽性である場合や、逆に陽性という結果の中にも陰性の場合が含まれてい
ます。
3)侵襲性/非侵襲性:侵襲性とは検査に伴う流産の危険を伴うような検査を意味し、確定的診断
のための検査は侵襲を伴います。
4)遺伝子/染色体/形態学的:図を参照ください。
「遺伝子」は私たちの体を作る司令塔の働きをします。それは染色体の中に圧縮状態で詰まって
います。PKD の遺伝子 2 種類は、16 番目と 4 番目の染色体上にありますが、他の遺伝性疾患も同
様に何れかの染色体上にあります。
これらの遺伝子は DNA の並び方に
よって特徴づけられます。この
DNA の並び方を調べるのが遺伝子
検査です。最近では‘次世代シー
クエンサー’という最新機器が出
てきて、人のゲノム全体(30 億個
の DNA)を解析するのに以前は数
ヶ月要していたところ 2 日間で行
ってしまいます(米国 Illumina
遺伝子
社の場合)。
但し、出生前診断の目的で実施
する遺伝子検査は、親又は血縁者
の遺伝子診断がなされており、遺
伝子異常が明らかな場合のみ適用
になります。しかし、日本では重症な遺伝性疾患以外は倫理審査委員会の承認を得るのは大変困
難で、通常は実施されません。
*遺伝子の配列異常は遺伝的に受け継がれるものと、突然に変化するもの(突然変異)があります。
しかし一旦変化した遺伝子を持つと次の世代に引き継ぐ可能性があります。血縁者に引き継が
れるもの全般を遺伝性疾患といいます。
「染色体」は、DNA の莫大な塊と思ってください。染色体の数が 1 本多かったり、少なかったり、ある
いは一部が欠けているとか逆に多くあるとか、また一部分が染色体間で置き換わったりなどの状態
を調べる検査です。
*染色体異常は、一部は遺伝的に受け継ぐものもありますが、大抵のものは受精段階で細胞分離
がうまくゆかないために生じます。その結果生じた病気や障害を遺伝性疾患と区別して、先天性
異常症といいます。
「形態学的」な検査は、体の器官・組織の状態を超音波で調べる検査です。
*超音波による画像診断の技術は飛躍的に進歩しており、遺伝学的検査になり得ます。
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2.出生前診断の目的は「赤ちゃんの健康向上と適切な養育環境の提供」
検査を受けたいと希望して相談に来られる大方は、受ける理由をダウン症候群をはじめとする「障
害のある赤ちゃんを育てる自信がない」、あるいは「親(自分)が死んだ後どうやって生きていくのかを
思うと・・・」とおっしゃいます。中には(決して多くはありませんが)、「事前に障害がわかれば準備がで
きるから」と妊娠の継続を前提に受けられる方もおられます。
日本産婦人科学会の見解(出生前に行われる遺伝学的検査及び診断に関する見解,2013 年 6
月)によれば、妊娠中に胎児が何らかの疾患に罹患していると思われる場合に、その正確な病態を
知る目的で検査を実施し、診断を行うことにより、妊娠・分娩の安全と児の健康の向上や、適切な
養育環境を提供することという産科医療の目的を達成することとあります。つまり、検査の目的は妊
娠継続の可否ではなく、お母さんと赤ちゃんの健康状態をよくするため妊娠経過の予測と管理方針
の確立と分娩方式の決定を行うということです。もし、何か問題があれば何らかの対応をして、健康
の向上と養育環境を整える支援をすることが前提になければなりません。日本には、胎児に問題が
あるからという理由で妊娠中絶をすることは法律上許されておりません。そのような意味では最近の
胎児医療(お腹の中の赤ちゃんの直接手術などによる治療)への期待は大きいと言えます。
3.出生前診断に潜む問題
現実には、ご夫婦やご夫婦をとりまく様々な心理的社会的要因によって、あるいは日本は障害を
もった人が生きることを支えるシステムが不十分な社会であることから、障害があるとわかれば妊娠
継続をあきらめることを前提に出生前診断を受けているという現状があります。
以下に、出生前診断に伴う問題についてまとめてみました。
1)“いのちの選択”
妊娠がわかったときには、嬉しさの反面、五体満足な赤ちゃんを産むことができるだろうかと誰しも
が不安に思います。まして家族(血縁者)に何らかの病気や障害を持つ人がいる場合や高年齢出産
の場合はなおさらです。そこで出生前診断を受けて確かめたい気持ちがわくのは当然と言えます。
検査を受けようと考えた経験者の話によりますと、はじめは軽い気持ちでいたのが、いざ検査を受け
る段になって改めてお腹の赤ちゃんの存在に意識が向けられ、はっとしたといいます。これは私の問
題ではなく、赤ちゃんの“いのち”の問題だと気づかされ悩みましたと。出生前診断でわかることは先
天異常のうち、詳細な染色体検査でもわずか 5-15%です。出生後に分かることが大部分です。そ
れでもと検査を受けた結果、大丈夫とわかってホッとしてその後の妊娠を継続される方が殆どです。
一方で検査を受けた事への罪悪感に悩む人も少なくありません。
検査の結果、染色体異常であった場合の問題点として、その多くは障害の程度や予後についての
正確な情報がないために、妊娠継続か否かの判断基準が不明瞭であることや、妊娠 22 週になる
前に流産の処置を受けるという“いのちの選択”の期限が迫っており、悩み苦しみは想像を超えて深
いものになります。
*正解はありません。当事者の方が悩み意思決定する過程で、“いのち“の問題に真剣に向き合う
ことこそが意味あることと思います。私ども遺伝相談に携わるものは、当事者の方の意思決定プロセ
スに寄り添い、決定された意思を尊重して関わらせていただいております。
2)侵襲的検査に伴う流産の危険性
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血清マーカー検査や新型出生前検査(NIPT)あるいは超音波検査でダウン症候群(21 トリソミー)
や 13 トリソミー、18 トリソミーなどの染色体異常の可能性が高いという結果が出た場合、確定診断
の目的で羊水検査が行われます。羊水検査は、お母さんのお腹の上から針を刺して赤ちゃんのい
る羊水腔から羊水を吸引して採取します。実施には注意深く安全性を確かめながら進めますが、や
はり人為的に刺激を加えるわけですから子宮収縮や出血、破水といった危険な副作用がないとは
限りません。これまでの経験から 200~300 回に 1 回こういったことが起こる可能性があるとされて
います。
こうした検査によるリスクを十分に理解した上で、検査を受けるかどうかの意思決定をします。
3)検査結果陽性でうばわれる“いのち”
非確定的診断である血清マーカー検査、新型出生前検査(NIPT)あるいは超音波検査では陽性
結果の中には陰性の場合があります。‘確率’、‘疑い’は、そうであるかもしれないし、そうでないかも
しれないことを意味しています。新型出生前検査(NIPT)は 99%の確実な検査ということですが、こ
の表現は、「ダウン症候群の赤ちゃんと確定診断された方の 99%が陽性結果であった」のであって、
検査を受けた人全体の検査精度を言い表しているのではありません。陽性といわれた人の陽性的
中率は幅が広く、50-98%となっています。これは 100 人の陽性結果のうち 2-50 人が陰性の可能
性があるということになります。
それですから、陽性と出た場合は羊水検査による確定診断を受ける必要があります。その説明が
十分でなかったのか、羊水検査を受けないままに人工妊娠中絶をしてしまった 2 件の報道が先日 6
月 12 日付け新聞各紙に報道されていました。実際に調べてみれば更に多いかもしれません。
不確実ではあっても異常の可能性が高いといわれれば、障害のある子供だと思いこむことはあると
思います。そして赤ちゃんに危険のある羊水検査を受けなければならない、しかも費用も安くない
(10~20 万円)となればあきらめるという判断に傾くことも十分に考えられることです。こうした事態を
招かないためにも、事前に十分な説明を受け、事実を理解した上で検査を受けることが重要です。
NIPT についていえば、NIPT コンソーシアム(http://www.nipt.jp/botai_04.html)という組織があり、
検査を実施できる機関を認定したり、説明と同意の文書や、夫婦への心理的支援を行うことなど医
療機関に対して情報を提供しています。
4)出生前診断は自費
胎児異常を調べる検査はすべて自費となります。
医療機関によって異なりますが、概ね以下の費用がかかります。
超音波検査(NT マーカー) 1~2 万円
血清マーカーテスト
2~3 万円(4 種類の場合)
新型出生前検査(NIPT)
羊水検査
21 万円
10~20 万円
4.PKD と出生前診断
1)日本では適用されていない
これまで出生前診断の一般的な説明をしましたが、PKD を持つ方に適用される出生前診断は現
在日本ではありません。すなわち、一般の方と同じということです。平成 15 年に遺伝関連学会が作
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成した「遺伝学的検査に関するガイドライン」では出生前検査の実施要件を以下の通りとしていま
す。
① 夫婦のいずれかが、染色体異常の保因者である場合
② 染色体異常に罹患した児を妊娠,分娩した既往を有する場合
③ 高齢妊娠の場合
④ 妊婦が新生児期もしくは小児期に発症する重篤なX連鎖遺伝病のヘテロ接合体の場合
⑤ 夫婦の両者が,新生児期もしくは小児期に発症する重篤な常染色体劣性遺伝病のヘテロ
接合体の場合
⑥ 夫婦の一方もしくは両者が、新生児期もしくは小児期に発症する重篤な常染色体優性遺伝
病のヘテロ接合体の場合
⑦その他,胎児が重篤な疾患に罹患する可能性のある場合
PKD は、染色体異常ではないので、胎児の細胞を遺伝子レベルで直接調べることが必要となりま
す。先に説明した出生前診断のうち適用の可能性としては、着床前診断があります。しかし、ガイドラ
インには、「治療法または予防法が確立されていない成人期以後に発症する遺伝性疾患について、
小児期に遺伝学的検査を行うことは、基本的に避けるべきである」と記されています。PKD は治療
法や予防法が現段階では確立されておりません。また、すぐに生命にかかわるような重篤な遺伝性
疾患ともいえない病気です。PKD は人により症状が異なり、赤ちゃんに PKD 遺伝子変異が見つかっ
たとしても、症状は予測できませんし、軽症の方では寿命をまっとうされる方は大勢おられます。
また PKD の診断は遺伝子診断でなくても臨床的に診断がつけられます。遺伝子診断により PKD
の診断が確定した場合、本人だけでなく血縁者の発症の可能性を示唆することとなり、発症してい
ない人たちが社会生活上の不利益を被らないとも限りません。
勿論ガイドラインは法的強制力を持つものではありませんが、医療機関ではこのガイドラインを遵守
しており、日本では PKD において出生前診断や、本人または家族の遺伝子診断は行われていない
のが実情です。
2)海外では
遺伝性疾患について最新の研究結果を踏まえてまとめてある Gene Review というサイト
(http://www.ncbi.nlm.nih.gov)があります。このサイトで ADPKD(常染色体優性遺伝多発性囊胞
腎)の頁を見ますと、遺伝子解析は出生前診断に有用であるとしながらも、一般的には行われてい
ないようです。妊娠初期で既に腎腫大があるような重症例の場合で、親の遺伝子変異が明らかな
場合に羊水検査で遺伝子解析が行われたという報告と、家系内連鎖解析という間接的な手法を
用いて行われた着床前診断の報告が掲載されています。
やはり米国の遺伝子検査に関するウェブサイトで医療関係者や研究者がよく利用する Gene
Tests(http://www.genetests.org/)には、PKD の遺伝子診断が可能な研究機関や検査機関が掲
載されています。ヨーロッパが多く、ドイツ、英国、イタリア、ポルトガル、キプロス、スペインなど、それ
に米国などにあります。着床前診断をするところもあるようです。ドイツの Centogene という希少疾患
の遺伝子検査を行う会社の HP には、PKD1遺伝子全体の DNA 配列を検査した場合、所用日数 15
日間で 1,910 ユーロ(約 25~26 万円)とありました。これは個人でお願いできるものではなく、研究と
して依頼する場合は倫理委委員会により承認された研究計画書に基づいていなければなりません
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し、医療の目的であれば専門医の責任において多くは所属機関の臨床倫理委員会の承認を経て
いなければなりません。
英国には HFEA(Human fertilization and embryology authority 人の受精及び胚研究機関
http://www.hfea.gov.uk/)という機関があります。不妊治療や研究における配偶子および胚の使
用を管理監督する国の機関です。この機関が着床前診断を認める遺伝性疾患として PKD をリストに
あげています。希望する人は、自分の家庭医を通して HFEA が承認する不妊治療を行う医療機関
へ紹介してもらい、そこで十分なカウンセリングを受けた後に体外受精及び着床前診断が実施され
ます。出生前診断は希望すれば自己負担なく受けられますが、着床前診断は自己負担です。外
国人であっても正規の手続きによって体外受精を行い、親が PKD と診断されていれば検査を受け
ることは可能とのことです。費用は正確にはわかりませんが、ロンドン市内のある病院の例では
1000-1200 ポンド(180~200 万円)、それに渡航費・滞在費が必要になりますから相当な額にな
るようです。
英国の場合、公費で出生前検査が受けられる背景には、福祉予算を抑制する狙いがあることは
事実ですが、検査により産む・産まないを決めるのは当事者の自由意思により決めること、産むと決
めた場合にはその後の養育を物心両面で国が支えるシステムがあります。このことを検査前にしっ
かりと説明をし、また実際に支援が実行されている点が、日本にはないサポート体制です。
米国にある PKD 研究財団(PKRF)のホームページには、遺伝子検査をすべきかという会のメンバ
ーからの質問に対する答えとして次のように書かれていました。PKD の場合、早期診断のメリットが
現在はなく、むしろ雇用や保険加入の面で不利益を受けることの方が問題である。研究が進み治療
法があれば早期診断のメリットはあるので考慮されるだろうとありました。(勿論ホームページの最新
情報の欄には、大塚製薬の治験の記事が掲載されていました!)
その他の国の事情はよくわかりませんが、非合法的に検査を行ってくれる国はありそうな気がしま
す。但し検査の精度や費用などについては保証の限りではありませんので、大変危険なことで決して
奨められません。
おわりに
以上述べましたとおり、PKD の出生前診断に関しては、倫理的課題が大きいために超えなければ
ならないハードルがいくつもありそうです。
ただ、今後研究が進み、新薬の開発をはじめとする確実な治療法が開発されれば出生前診断を
受ける必要がなくなるかもしれません。そういう時代がそう遠くはない将来に来ることを期していま
す。
謝辞
本稿をまとめるに当たり、独立行政法人国立病院機構四国こどもとおとなの医療センター 近藤
朱音先生(産婦人科/遺伝医療センター医師・臨床遺伝専門医)に、ご助言を頂き心より感謝申し
上げます。
2014 年 6 月 30 日
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