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基礎調査(PDF形式:6.10MB)

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基礎調査(PDF形式:6.10MB)
平成25年度
「歴史と伝承が息づく東北
“みちのくに発掘プロジェクト”」
基礎調査事業に関する業務
業 務 報 告 書
平成 26 年 3 月
特定非営利活動法人 東北みち会議
目
1
目的
2
事業内容
3
2-1
調査方法
2-2
実施体制
2-3
スケジュール
次
調査結果
資料:調査結果
(1)地域資源及びそれらに係るキーパーソンのリスト化
(a) 歴史
(b) 文化
(c) 郷土・文学
(d) 伝説・伝承・民話等
(e) 食文化
(f) 地場産品
(g) 自然
(h) 景観・生活様式等
(i) 映画・アニメの舞台
(2)歴史・伝承を切り口にした地域資源の大括り化
・ストーリー化
(3)地域資源を絡めた域内回遊プログラムのモデル提唱
-1-
1
目的
東北地域には美しい自然や豊かな農林水産物、情緒豊かな街並みや賑やかなお祭りなど歴史と
伝統に育まれた多種多様な「地域資源」が存在し、それぞれの地域資源は四季折々を通じて各地
で活用されているが、一部を除き魅力あるこれらの資源を地域活性化の観点から十分に有効活用
しきれていない現状にある。
この調査では、東北地域に潜在する多種多様な地域資源を発掘するとともに、点在する地域資
源に共通項を見出し、ジャンルや地域にとらわれない広範な連携を模索することなどを通じて、
地域資源の歴史的価値を再認識しつつ、それらのストーリー性も含めた地域資源の新たな付加価
値を創造すること(新規創業・起業、地域ブランド化、新商品開発・新販路開拓等)を目的に調
査を実施した。
2
事業内容
2-1
調査方法
(1)地域資源及びそれらに係るキーパーソンのリスト化について
ⅰ)リストの記載内容
カテゴリー(仕様書に沿った 9 カテゴリー)
、県、市町村、地域資源名、資源の概要、
歴史的価値・ストーリー、所在地、情報源・取材元、地域のキーパーソン
ⅱ)件数
1 カテゴリーにつき各県 20 件
20 件×6 県×9 カテゴリー=1,080 件以上を目標に調査を実施
ⅲ)調査方法等
①当法人所有の調査データ、県・市町村図書館、郷土資料館等の資料を集約。
②各カテゴリー、調査対象項目を洗い出し、リスト化作業を実施した。
資料不足項目は必要に応じて現地調査、インターネット等を活用し補足を行った。
③キーパーソン・連絡先は、各地の観光協会や教育委員会等、広域的な情報をもつ団体を先
にリストアップし、追加情報のある場合は現地団体等を追記した。
(2)歴史・伝承を切り口にした地域資源の大括り化・ストーリー化について
ⅰ)調査方法等
① 各地域で(1)調査を実施した担当者から、ストーリー提案を集める。
② 本部(統括リーダー、事務局)で精査し、選定を行った。
③ 各調査担当者が原稿の執筆、写真選定を実施した。
-2-
(3)地域資源を絡めた域内回遊プログラムのモデル提唱について
上記(2)で作成したストーリーに、立ち寄りポイント(史跡・文化財、自然景観・街並
み等の見どころ、食文化等)を加え、域内を回遊するプログラムを作成する。
(4)報告書作成
2-2
実施体制
2-3
スケジュール
作業項目
大分類
中分類
( 1) 地域資源リスト化
調査準備
地域資源調査
小分類
担当
(責任者)
調査方針決定
鐙・安藤
調査チーム打合せ
田中ほか
資料収集・資源選定
田中・安藤
リスト化作業
田中・安藤
キーパーソン
リストアップ・選定
田中・安藤
取りまとめ
報告書作成
安藤
ストーリー案選定
安藤
作成・ブラッシュアップ
鐙・田中
報告書作成
安藤
H25.11
18 25
◆
取りまとめ
取りまとめ
ストーリー選定
安藤
プログラム作成
鐙・田中
報告書作成
安藤
H25.12
16 23 30
6
H26.1
13 20 27
3
H26.2
10 17 24
H26.3
3 10
◆
(補足)
( 3) 域内回遊プログラムのモ デル作成
プログラム作成
9
◆
( 2) ストーリー化
ストーリー作成
2
-3-
3
調査結果
(1)地域資源及びそれらに係るキーパーソンのリスト化について
調査結果・・・別紙資料の通り
調査カテゴリー
件数
(a)歴史
409 件
(b)文化
193 件
(c)郷土・文学
120 件
(d)伝説・伝承・民話等
63 件
(e)食文化
226 件
(f)地場産品・伝統技術等
195 件
(g)自然
283 件
(h)景観・生活様式等
601 件
(i)映画・アニメ等の舞台
255 件
計
主な地域資源
史跡、文化財、交通・運輸(街道、舟運)、歴史上
の人物と一族、旅人たちの足跡
祭事、伝統的行事、民俗芸能等、信仰
郷土文学者(明治以降、東北出身または東北にゆ
かりのある人物、東北を舞台にした作品の作者)
東北各地が舞台となった伝説、伝承、民話
郷土料理、伝統料理、特産品(新作・創造の B 級
グルメ等は除く)
漆器、陶器、木工、民芸品、工芸品、郷土の手仕
事
山岳、湖沼、滝、海岸、鍾乳洞、渓谷、温泉
歴史的街並み、宿場、歴史的建造物、近代化遺産・
産業遺産、土木遺産、農山漁村集落・生活様式
映画、アニメ、ドラマ(大河、朝ドラなど。単発
の 2 時間ドラマ等は除く)
2,345 件
■調査項目
県、市町村、地域資源名、資源の概要、歴史的価値・ストーリー、所在地、情報源・取材元、
地域のキーパーソン・連絡先等
-4-
(2)歴史・伝承を切り口にした地域資源の大括り化・ストーリー化について
調査結果・・・別紙資料の通り
下記6つのテーマに対し、ストーリーを取りまとめた。
ストーリー
関連する地域
(1)北前船
新潟・山形・秋田・青森
(2)奥州街道
福島・宮城・岩手・青森
(3)羽州街道
福島・宮城・山形・秋田・青森
(4)出羽三山参詣の道
福島・山形、宮城・山形、秋田・山形、岩手・山形
(5)イザベラバードの道
新潟・山形・秋田・青森
(6)義経北行伝説
山形・宮城・岩手・青森
(3)地域資源を絡めた域内回遊プログラムのモデル提唱について
調査結果・・・別紙資料の通り
上記(2)のストーリーにする域内回遊コースの概要、立ち寄りポイントを解説。
(例)
-5-
(1)地域資源調査リスト 【(a)歴史】
地域資源名
県
市町村
1
(a)歴史
青森県
東北町
長者久保遺跡
<史跡>無土器文化とも推定される旧石器 縄文草創期への過渡期に位置し、縄文文 上北郡東北町字横
時代終末期(B.C1万3千~4千年)の遺跡。 化の起源を探る上で重要。出土品は野辺 沢
県重宝。
地町立歴史民俗資料館に展示。
2
(a)歴史
青森県
弘前市
大森勝山遺跡
<史跡>旧石器~縄文前期~晩期の遺跡。 直径13m超の大型住居跡や長径約50m 弘前市大森字勝山
国史跡。
の環状列石(ストーンサークル)。大森地区
の近くには砂沢遺跡(日本最北の水田跡)
も。
『日本の古代遺跡 29 青森』 (企 弘前市教育委員会文化財保護
画/森浩一。著 / 鈴木克彦。発行 課・TEL017-722-1111
/ 保育社 )
『新版 青森県の歴史散歩』 (編
著/青森県高等学校地方史研究
会。発行 /山川出版社)
3
(a)歴史
青森県
青森市
三内丸山遺跡
<史跡>縄文中期を中心とする大規模集落 大規模列柱跡やクルミ栽培の形跡などが 青森市三内丸山
等の遺跡。国史跡。
確認され、クニ(国)の萌芽を指摘する説
も。「縄文時代」のイメージを一変させた。
『遙かなる縄文の声』(著/岡田康 青森県教育庁文化課三内丸山遺
博。発行/日本放送協会)
跡保存活用推進室・TEL017734-9924
4
(a)歴史
青森県
つがる市
亀ケ岡遺跡
<史跡>縄文前期~晩期~弥生~中世に
到る複合遺跡群。国史跡。
5
(a)歴史
青森県
八戸市
是川遺跡
<史跡>縄文前期~晩期の複合遺跡。国史 高度な漆塗り土器・木器・監胎漆器で有 八戸市是川宇中居
跡。
名。「亀ケ岡文化」を代表する縄文遺跡の
一つ。出土品は八戸市埋蔵文化財セン
ター(是川縄文館)に収蔵。
『日本の古代遺跡 29 青森』 (企 八戸市立是川縄文館・TEL0178画/森浩一。著 / 鈴木克彦。発行 38-9511
/ 保育社 )
『新版 青森県の歴史散歩』 (編
著/青森県高等学校地方史研究
会。発行 /山川出版社)
6
(a)歴史
青森県
田舎館村
垂柳遺跡
<史跡>弥生中期の水田遺跡。砂沢遺跡
(弘前市)で水田跡が確認されるまでは日
本最北。
弥生時代に東北北部でも稲作が行なわれ 南津軽郡田舎館村
ていたととを初めて確認できた画期的遺 垂柳
跡。炭化米・畦や水路跡・弥生人の足跡な
ども発見
日本の古代遺跡 29 青森』 (企 田舎館村歴史民俗資料館(出土
画/森浩一。著 / 鈴木克彦。発行 品・関係資料も展示)・TEL 017258-4663
/ 保育社 )
『新版 青森県の歴史散歩』 (編
著/青森県高等学校地方史研究
会。発行 /山川出版社)
7
(a)歴史
青森県
弘前市
砂沢遺跡
<史跡>弥生前期の水田遺跡。日本最北
最後の縄文式とも最初の弥生式ともされ 弘前市北部の三和
る精巧な「砂沢式土器」の標識遺跡。籾痕 (みわ)集落
のついた土器や碧玉製管玉も出土
『日本の古代遺跡 29 青森』 (企 弘前市教育委員会文化財保護
画/森浩一。著 / 鈴木克彦。発行 課・TEL017-2 82-1642
/ 保育社 )
『新版 青森県の歴史散歩』 (編
著/青森県高等学校地方史研究
会。発行 /山川出版社。)
8
(a)歴史
青森県
八戸市
鹿島沢古墳群
<史跡>本州最北の古墳群(円墳の群集
格式を窺わせる玉類や金銅製の馬具・装 八戸市大字根城字
墳)。発見当初は約10基確認。今は3基の 飾品類や鉄万などが出土し、被葬者の人 大久保~沢里字鹿
み。
物像と古代大和朝廷との関わりに諸説
島沢
9
(a)歴史
青森県
外ヶ浜町
観瀾山館跡
10
(a)歴史
青森県
青森市
<史跡>アイヌのチャシ(砦・見張り場・館)跡 陸奥湾を一望する景勝地。公園として整 外ヶ浜町(1日・蟹田 『新版 青森県の歴史散歩』(編/
と伝えられる。築造年代不明。江戸時代に 備され、頂上付近の展望台や太宰治文学 町小国字東小国山) 青森県高等学校 地方史研究会。
は弘前藩が蟹田御台場(砲台)を築いた。 碑も
発行/山川出版社)『奥州街道』(
著/伊藤孝博。編集発行 /無明舎
出版)
<史跡>外ヶ浜(津軽半島東岸)の代表的な 船載品を含む膨大な古銭や陶磁器、鉄製 青森市後潟字後潟 『新版 青森県の歴史散歩』(編著
中世館跡。日本海海運で名を馳せた安藤 品、石製品などが出土。青森県立郷土館 山~六枚橋字六枚 /青森県高等学校地方史研究
(安東)氏関連の山城と見る説が有力。
で保管・展示。
橋山
会。発行 /山川出版社)
尻八館跡
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
日本の古代遺跡 29 青森』 (企 野辺地町立歴史民俗資料館・
画/森浩一。著 / 鈴木克彦。発行 TEL0175-64-9494
/ 保育社 )
『新版 青森県の歴史散歩』 (編
著/青森県高等学校地方史研究
会。発行 /山川出版社)
カテゴリー
情報源・取材元
遮光器土偶や高度に洗練された漆彩色土 つがる市木造町 亀 『日本の古代遺跡 29 青森』 (企 野辺地町立歴史民俗資料館・
器等が出土し、「亀ヶ岡文化」と呼ばれる。 ケ岡字亀山・近江野 画/森浩一。著 / 鈴木克彦。発行 TEL0175-64-9494
縄文晩期を代表する指標遺跡。
沢・館岡字沢根
/ 保育社 )『新版 青森県の歴史
散歩』 (編著/青森県高等学校地
方史研究会。発行 /山川出版社)
『日本の古代遺跡 29 青森』 (企 八戸市博物館・TEL0178-44画/森浩一。著 / 鈴木克彦。発行 8111
/ 保育社 )
『新版 青森県の歴史散歩』 (編
著/青森県高等学校地方史研究
会。発行 /山川出版社。)
外ヶ浜町教育委員会・TEL017431-1233
青森県立郷土館・TEL017-7771585
【a 歴史】 1/188
地域資源名
県
市町村
11
(a)歴史
青森県
蓬田町
12
(a)歴史
青森県 五所川原市 福島城跡
13
(a)歴史
青森県
藤崎町
藤崎城跡
14
(a)歴史
青森県
八戸市
根城跡
15
(a)歴史
青森県
青森市
浪岡城(浪岡御所)跡
16
(a)歴史
青森県
平川市
大光寺城跡
17
(a)歴史
青森県 五所川原市 十三湊野遺跡
18
(a)歴史
青森県
三戸町
三戸城跡
19
(a)歴史
青森県
三戸町
三戸大神宮
<史跡>三戸城下の中心的神社(祭神・天
照皇大神)。文政9年(1826)の神輿が現
存。
20
(a)歴史
青森県
南部町
三光寺
<史跡>建長6年(1254)、南部氏2代の南部 伝・実光墓(塚)や南部信直(南部藩祖)夫 三戸郡南部町小向
実光が開基したと伝えられる南部氏ゆか 妻墓(五輪塔)、南部利康霊屋(国重文)、南 字正寿寺60
りの古刹。
部利直霊屋(県重宝)などがある。
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 三光寺
著/青森県高等学校地方史研究
会。発行 /山川出版社)
21
(a)歴史
青森県
南部町
聖寿寺館(本三戸城)跡
<史跡>戦国期、三戸南部氏が本拠とした 天文年間(1532~55)に炎上し、本拠を三 三戸郡南部町
居城跡。三光寺の南隣。堀割跡などが現 戸城に移城。後の盛岡藩へとつながった。
存。
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 南部町教育委員会・TEL0178著/青森県高等学校地方史研究 84-2111
会。発行 /山川出版社)
22
(a)歴史
青森県
鰺ヶ沢町
種里城跡
<史跡>津軽氏祖・大浦光信が本拠とした
中世山城跡。津軽藩発祥の地とされる。
西津軽郡鯵ケ沢町
種里
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 鰺ヶ沢町教育委員会・TEL0173著/青森県高等学校地方史研究 72-2111
会。発行 /山川出版社)
23
(a)歴史
青森県
南部町
法光寺
<史跡>曹洞宗の奥羽三大本山の一つに
数えられる名刹。曹洞宗開祖・道元禅師
の遺骨と仏舎利を納めた三重塔も。
三戸郡南部町大字
法光寺字法光寺20
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 南部 町教育委員会・TEL0178著/青森県高等学校地方史研究 84-2111 法光寺
会。発行 /山川出版社)
24
(a)歴史
青森県
八戸市
八戸城跡
<史跡>江戸初期に盛岡南部藩から分離
独立した八戸南部藩2万石の本拠。
25
(a)歴史
青森県
八戸市
長者山新羅神社
<史跡>南部氏の遠祖である甲斐源氏の
新羅三郎義光(源義光)などを祭る。
蓬田館跡
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
<史跡>尻八館と同様、安藤氏系豪族の居 戦国時代には南部氏系の居城となった
館だったとされる中世の平城跡(別名・蓬 が、天正13年(1585)、大浦為信(津軽氏祖)
田城)
によって落城。今は旧村社の八幡宮があ
る。
<史跡>十三湖の北東岸丘陵にある壮大な 丘陵の一角には長身人骨出土で注目され
中世山城跡。十三湊安藤氏との関連説が た縄文期のオセドウ貝塚。周辺には山王
坊跡(日吉神社)や唐川城跡、禅林寺跡な
有力。
ど十三湊安藤氏関連の中世遺跡。
所在地
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 青森県立郷土館・TEL017-777著/青森県高等学校地方史研究 1585
会。発行 /山川出版社)
カテゴリー
東津軽郡蓬田町蓬
田字汐越
情報源・取材元
五所川原市(旧・市
浦村相内)
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 青森県教育委員会文化財保護
著/青森県高等学校地方史研究 課・TEL017-722-1111
会。発行 /山川出版社)
<史跡>古代末期、前九年の役で滅んだ安
倍貞任の遺児「高星(たかあき)丸」が密か
に落ち延びて成長し、その子が築いたと伝
承される。
<史跡>建武新政(1334~)以来、約260年
にわたり根城南部氏の拠点だった広大な
中世城郭跡。国史跡。
一族は安藤(安東)氏を名乗り、岩木川を 南津軽郡藤崎町藤
下って十三湊に進出したとも伝え、中世安 崎
藤氏“発祥の地”の一つとなっている。
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 藤崎町教育委員会・TEL0172著/青森県高等学校地方史研究 69-5010
会。発行 /山川出版社)
陸奥国司兼鎮守府将軍・北畠顕家の国代 八戸市大字根城字
として派遣された南部師行が築城。城跡 根城
の東側に隣接して八戸市博物館。
『新版 青森県の歴史散歩』(編著 八戸市博物館・TEL0178-44/青森県高等学校地方史研究
8111
会。発行 /山川出版社)
<史跡>南北朝時代に南朝方の忠臣だった
北畠親房の子孫が、この付近を拠点とし
たとされる。現在地への築城は室町期の
「応仁の乱」の頃と推定。
<史跡>中世から戦国末期にかけ、曽我
氏、南部氏、津軽氏らが攻防を繰り広げた
津軽争奪戦の舞台。
天正6年(1578)、津軽為信により落城し、
北畠一族は四散した。城跡は史跡公園と
して整備。出土品は青森市中世の館で展
示。
最後は津軽氏系の城となったが江戸初期
に廃城。城門や石材は弘前城築城に使
用。
青森市(旧・浪岡町
浪岡町字五所〉
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 青森市中世の館・TEL 017-262著/青森県高等学校地方史研究 6339
会。発行 /山川出版社)
平川市(旧・平賀町
大光寺)
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 平 川市教育委員会・TEL0172著/青森県高等学校地方史研究 44-1111
会。発行 /山川出版社)
<史跡>日本の代表的良港「三津七湊」の 初期の「町人町」、後の「武家エリア」、大
一つに数えられた中世「十三湊」跡。国史 規模な港湾施設などの跡が確認された、
跡に指定。
全国でも類を見ない中世日本海海運の港
湾都市遺跡。
<史跡>戦国時代から豊臣時代にかけての 三戸城主・南部信直は本拠を九戸城(福岡
一時期、南部氏宗家の本拠だった堅牢な 城)に移し、やがて盛岡城を本拠とする盛
山城跡。
岡藩に発展。三戸城跡は公園として整備
され三戸城温故館がある。
五所川原市(旧・市
浦村十三)
『東北ふしぎ探訪――歴史・民俗 青森県教育委員会文化財保護
のミステリーを歩く』(著/伊藤孝 課・TEL017-722-1111
博。発行/無明舎出版)
三戸郡三戸町梅内
字城ノ下
『奥州街道』(著/伊藤孝博。編集 三戸町立歴史民俗資料館(三戸
発行/無明舎出版)
城温故館)・TEL0179-22-2739
戊辰戦争の後、斗南藩(旧会津藩)の人々 三戸郡三戸町大字
は下北だけでなく三戸にも移住した。関連 同心町字諏訪内43
の石碑やエピソードが残る。
大浦氏はその後、大浦城を本拠とし、大浦
為信の時に南部氏から離れて津軽を統
一。津軽氏を名乗った。種里城跡には光
信の墓がある。
名峰・名久井岳の中腹にあり、北条時頼
廻国伝承が残る(時頼が開基し弘安3年に
草創との寺伝)
本丸跡に建つ三八城(みやぎ)神社は新羅 八戸市内丸
三郎義光(八幡太郎義家の弟。南部氏遠
祖)、南部光行(南部氏始祖)、直房(八戸南
部務初代)を祀る。
八戸三社大祭の中日、江戸時代から続く 八戸市長者一丁目
騎馬打毬(県民俗)が境内の旧馬場で行な 6-10
われる。
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 三戸大神宮
著/青森県高等学校地方史研究
会。発行 /山川出版社)
および直接取材
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 八戸市博物館・TEL0178-44著/青森県高等学校地方史研究 8111
会。発行 /山川出版社)
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 新羅神社
著/青森県高等学校地方史研究
会。発行 /山川出版社)
【a 歴史】 2/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
26
(a)歴史
青森県
八戸市
八戸南部家墓所(南宗寺)
<史跡>八戸南部藩創設以来の歴代藩主 南宗寺は八戸南部藩の菩提所。初代藩
と家族の墓所(県史跡)。南宗寺裏手の長 主・直房が開基。寺名は父・利直(盛岡藩
者山麓。
初代藩主)の院号「南宗院」に由来。
27
(a)歴史
青森県
弘前市
弘前城跡
28
(a)歴史
青森県
弘前市
弘前八幡宮
<史跡>弘前藩(近世津軽氏)の本拠だった 城域がほぼ往時の規模で維持されている 弘前市下白銀町
広大な平山城跡。東北屈指の桜の名所と 極めて貴重な遺構。本丸は破却された
して知られる。国史跡。
が、城門や櫓の多くが現存し、ほとんどが
国重文に指定されている。
<史跡>弘前藩2代藩主の津軽信政が弘 江戸後期は蝦夷地(北海道)警備に赴く藩 弘前市八幡町1丁目
前城守護のため現在地に勧請。それ以前 士の渡海安全祈祷や守札配布を担った。 1-1
は大浦城の鬼門守護神。旧県社。
江戸初期建立の本殿と唐門は国重文。
29
(a)歴史
青森県
弘前市
30
(a)歴史
青森県
七戸町
31
(a)歴史
青森県
青森市
32
(a)歴史
青森県
七戸町
33
(a)歴史
青森県
弘前市
長勝寺構と禅林三十三カ寺 <史跡>長勝寺を中心に配置された曹洞宗 長勝寺は大浦氏以来の菩提寺。津軽氏の 弘前市西茂森1-13寺院群の総称(弘前城跡の一部として国 移動に伴って移転し、他の寺々とともに現 8
史跡)
在地に。国重文・県重宝多数。津軽家霊
屋も。
七戸城跡
<史跡>鎌倉時代の築造。南北朝時代以 江戸初期、七戸城主・南部重信が南部宗 上北郡七戸町七戸
降、南部氏により整備されたと見られる壮 家を継いで盛岡藩主となり、七戸城には
大な城跡。奥州北部の南朝勢力の拠点の 代官所が置かれた。城跡は史跡公園(柏
一つ。国史跡。
葉公園)に。
善知鳥神社
<史跡>宗像女三神(海の女神)を祭る古
烏頭中納言安方の創祀、阿倍比羅夫の勧 青森市安方2丁目7
社。江戸初期、弘前津軽藩の青森町奉行 請、坂上田村麻呂の再建など伝承豊富。
が藩命により再建。藩の祈願所に一つ
参道入口付近に青森市道路元標。
に。旧県社。
千曳神社
<史跡>八衢彦(やちまたひこ)と八衢姫(交 奥州街道上道と下道(本道)の聞に位置。 上北郡七戸町字菩
通の要衝を司る神)を祭る謎に包まれた古 坂上田村麻呂創建伝承を持ち、「壺碑」(つ 提木56
社。江戸期には藩主も参詣。幕府巡見使 ぼのいしぶみ)伝説の舞台の一つ。
も代参派遣。
岩木山神社
<史跡>古代以来、津軽の山岳信仰の中心 三女神伝説、龍女伝説、田村麻呂伝説ほ 弘前市大字百沢字
的舞台の一つ。江戸期は歴代の津軽藩主 か豊富な由来譚。桜門、拝殿、奥門、瑞垣 寺沢27
が崇敬し社殿を建立整備。旧国幣小社。 は国重文。「奥の日光」とも呼ばれる。
34
(a)歴史
青森県
弘前市
鬼神社
35
(a)歴史
青森県
弘前市
厳鬼山神社
36
(a)歴史
青森県
弘前市
久度寺
37
(a)歴史
青森県
むつ市
恐山
38
(a)歴史
青森県
深浦町
円覚寺
39
(a)歴史
青森県
今別町
本覚寺
40
(a)歴史
青森県
青森市
西光院
41
(a)歴史
青森県
野辺地町
津軽南部藩境塚
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
八戸市長者1丁目
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 南宗寺。八戸市教育委員会・
著/青森県高等学校地方史研究 TEL0178-43-2111
会。発行 /山川出版社)
情報源・取材元
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 弘前城史料館 ・TEL017-235著/青森県高等学校地方史研究 1111
会。発行 /山川出版社)
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 弘前八幡宮
著/青森県高等学校地方史研究
会。発行 /山川出版社)
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 弘前市教育委 員会文 化財保護
著/青森県高等学校地方史研究 課・TEL017-722-1111
会。発行 /山川出版社)
『奥州街道』(著/伊藤孝博。編集 七戸町教育委員会・ TEL0176発行/無明舎出版)
68-2111
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 善知鳥神社 青森市教育委員
著/青森県高等学校地方史研究 会・TEL0172-35-1111
会。発行 /山川出版社)
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 七戸町教育委員会・TEL0176著/青森県高等学校地方史研究 68-2111
会。発行 /山川出版社)
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 弘前市教育委員会文化 財保護
著/青森県高等学校地方史研究 課・TEL017-722-1111
会。発行 /山川出版社)
地元・鬼沢集落では今も、節分に豆をまか
ず、端午の節句に菖蒲を屋根に刺さない
という。明治の改称前は赤倉山鬼神大権
現。
岩木山信仰は元々、今の岩木山神社があ
る岩木山南麓でなく、今の鬼神社や巌鬼
神社がある北麓が中心だったと考えられ
ている。
<史跡>「津軽真言五山」の一つに定めら 寺宝の伝・円山応挙筆「幽霊の図」は御開
れた霊場。毎年5月の「おしら講」で有名。 帳すると雨が降るとされ、雨乞いに使われ
たという。
弘前市鬼沢字菖蒲
沢151
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 弘前市教育委員会文化 財保護
著/青森県高等学校地方史研究 課・TEL017-722-1111
会。発行 /山川出版社)
弘前市大字十腰内
字猿沢78-7
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 弘前市教育委員会文化 財保護
著/青森県高等学校地方史研究 課・TEL017-722-1111
会。発行 /山川出版社)
弘前市坂元山元1
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 弘前市教育委員会文化 財保護
著/青森県高等学校地方史研究 課・TEL017-722-1111
会。発行 /山川出版社)
<史跡>日本三大霊場の一つとされ、本州 天台系の山岳修験、別当・円通寺(曹洞
最北の慈覚大師円仁開基伝承をもっ。死 宗)の宗派にとらわれない「おやままいり」
者の霊との再会の場として有名。
などが混在する。夏の大祭には「イタコ」
も。
<史跡>深浦港を控える澗口観音堂・金比 平泉の藤原基衡が寄進したと伝えられる
羅堂・薬師堂の総称。田村麻呂ほか9世紀 厨子(国重文)など寺宝・寺伝多数。貴重な
に遡る開基伝承。津軽氏の祈祷所として 北前船関連奉納絵馬群も。
藩主が修理再建。
<史跡>10世紀に遡る寺伝をもち、江戸時 中興の祖・5世貞伝上人は漁業振興・昆布
代、湯殿山(山形県)派遣の修験が再建し 養殖など逸話多数。竜神を祀る多聞天堂
たとも伝える古刹(今は浄土宗)
や本堂は江戸中期のもの。庫裏は元・鰊
御殿。
<史跡>法然上人の高弟・金光上人ゆかり 津軽氏による津軽統一後、西光寺は弘前
の開基伝承をもつ古刹。もとは西光寺。近 に移って庵寺だけが残ったが、幕末に再
くに金光上人を記る金光塚も。
建が許され西光院となった。
むつ市田名部
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 円通寺
著/青森県高等学校地方史研究
会。発行 /山川出版社)
西津軽郡深浦町大
字深浦字浜町275
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 円覚寺 深浦町歴史民俗資料
著/青森県高等学校地方史研究 館・TEL0173-74-3882
会。発行 /山川出版社)
東津軽郡今別町今
別119
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 今別町教育委員会・TEL0174著/青森県高等学校地方史研究 35-2001
会。発行 /山川出版社)
<史跡>水不足に悩む村人の田に、岩木山
の鬼神が水を引いてやったとの由来譚を
伝える。一方で田村麻呂勧請伝承も。創
建年代不詳。旧郷社。
<史跡>岩木山神社(明治初期までは百沢
寺)の本来の旧地。大山祗神(山の神)を祭
る。旧村社。
<史跡>奥州街道筋の津軽と南部の国境を
示す塚(県史跡)。藩境の二本又川を挟ん
で4つあり、通称「四つ森」とも「四つ塚」と
も。
青森市浪岡大字北 『新版 青森県の歴史散歩』 (編 弘前市教育委員会文化 財保護
中野字天王21-2 著/青森県高等学校地方史研究 課・TEL017-722-1111
会。発行 /山川出版社)
川の南に「従是東南盛岡領」、北に「従是 上北郡野辺地町の
西北津軽本次郎領分」の石碑あり。こうし 旧馬門村~狩場沢
た大規模で明瞭な藩境塚は奥州街道全 村
体でも珍しい。
『奥州街道』(著/伊藤孝博。編集 野辺地町教育委員会・TEL0175発行/無明舎出版)
64-2111
【a 歴史】 3/188
カテゴリー
県
市町村
42
(a)歴史
青森県
深浦町
43
(a)歴史
44
(a)歴史
45
(a)歴史
46
(a)歴史
47
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
折曽関跡
所在地
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 深浦町教育委員会・TEL0173著/青森県高等学校地方史研究 74-2111
会。発行 /山川出版社)
情報源・取材元
<史跡>蒙古襲来(元寇)とならんで鎌倉幕 津軽大乱は14世紀前半、幕府を巻き込ん
府滅亡への要因になったとされる「津軽大 だ津軽安藤氏の内乱。折曾関の痕跡はな
乱の古戦場の一つ、「西浜折曾関」跡。
いが、古地名などから関集落付近に比定
されている。
青森県 青森市・平川 津軽三関跡(野内・碇ヶ関・ <史跡>盛岡南部藩に対する弘前津軽藩と それぞれ奥州街道口、大間越街道口、羽
市・深浦町 大間越の三関跡)
黒石津軽藩の野内番所、秋田藩に対する 州街道口を固め、役人が配置されてい
弘前津軽藩の大間越番所と碇ヶ関番所の た。津軽藩と盛岡・秋田両藩との緊張関係
総称。
を物語る。
青森県
青森市
北畠氏累代墓
<史跡>南朝方の忠臣だった浪岡御所系の 標石の「北畠累代墓」の字は三条実美(さ
北畠氏一族の墓と伝えられる五輪塔。風 ねとみ)が揮亳。南朝びいきが窺える200m
化が激しく原形はとどめない。
ほど南には北畠守親の墓と伝えられる五
輪塔も。
青森県 十和田市 太素塚
<史跡>三本木原開拓の祖とされる新渡戸 開拓に従事した孫・七郎や開拓協力者の
伝(にとべつとう)の墓。左右に息子・十次 位牌堂も。境内の十和田市立新渡戸記念
郎と孫・稲造(いなぞう)の墓も。
館では関連資料や遺品を展示。新渡戸稲
造の蔵書も。
青森県 つがる市・八 亀ケ岡文化の国指定文化財 <文化財>亀ヶ岡遺跡、是川遺跡などをは 亀ヶ岡出土品は遮光器土偶(国重文)ほか
戸市ほか
じめとする縄文晩期の「亀ケ岡文化」の出 優品が多いが各地に分散している。是川
土品類。
出土品は土器・土偶・木器・玉類など633
点が国重文。
西津軽郡深浦町関
(a)歴史
青森県
青森市
青森市
『遙かなる縄文の声』(著/岡田康 青森県教育庁文化課三内丸山遺
博。発行/日本放送協会)
跡活用推進室・TEL017-7349924
48
(a)歴史
青森県
弘前市
弘前市中別所字葛
野
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 弘前市教育委員会・TEL0172著/青森県高等学校地方史研究 35-1111
会。発行 /山川出版社)
49
(a)歴史
青森県
東北町
50
(a)歴史
青森県
深浦町
51
(a)歴史
青森県
三戸町
52
(a)歴史
青森県
大鰐町
53
(a)歴史
青森県
蓬田村
54
(a)歴史
青森県
外ヶ浜町
義経寺の円空仏
<文化財>義経寺の秘仏とされる観世音菩
薩坐像。県重宝。円空が刻んで祀った竜
馬山観音堂が義経寺の始まりと伝える(円
空間基伝承)
明治の廃仏毀釈に遭った観音堂は今別本 外ヶ浜町(旧・東津軽 『新版 青森県の歴史散歩』 (編 義経寺
覚寺の末寺として生き残り(真言宗から浄 郡三厩村本町)
著/青森県高等学校地方史研究
土宗へ)、義経渡海伝説にちなんで義経寺
会。発行 /山川出版社)
に改称。
&『義経北行伝説』(著/伊藤孝博。
編集発行/無明舎出版)
55
(a)歴史
青森県
田舎館村
胸肩神社の円空仏
<文化財>宗像(むなかた)三神(海の女神
三柱)を祀る胸肩神社の十一面観音像。
県重宝。
近くの生魂(いくたま)神社(旧・大日如来堂) 南津軽郡田舎館村
には田村麻呂創建伝承。集落の北には津 田舎館
軽為信に滅ぼされた田舎館城の侍たちの
供養碑も。
三内丸山遺跡の国指定文化 <文化財>青森県内の年間出土量の40年 様々な食用植物・動物の遺物。新潟のヒ
財
分に当たる膨大な遺物(土器・石器・土偶 スイ、岩手のコハク、秋田のアスファルト、
など)。巨大列柱穴のクリの巨木(径1m) 北海道の黒曜石なども。
などを出土。
中別所の板碑群と正応元年 <文化財>中別所地区の俗称「公卿塚(くげ 特に「石仏」の中の正応元年(1288)の板碑
板碑
づか)」に14基、俗称「石仏(いしぼとけ)」に は建立者や建立趣意が分かり、他にも歴
35基、計49基もの鎌倉時代末期の板碑が 史的に興味深い解読が。
林立。
日本中央碑
<文化財>伝説の古碑「壺碑(つぼのいしぶ 古代東北史の謎の中でも異色の雰囲気を
み)や「千曳石」との関連説も出され研究者 漂わせている「壺碑」。「石文地区(現・東
に注目された謎の石碑。
北町)に来た坂上田村麻呂が弓筈で『日本
中央』と刻んだ」旨の伝承も。
関の古墳群
<文化財>推定樹齢1000年の「関の杉」(県
天然)の下に近傍から移設した、五輪塔を
含む42基の中世古碑群。ほとんどが板
碑。県史跡。
唐馬碑
<文化財>徳川吉宗(8代将軍)が南部藩に
下賜したペルシア馬の供養碑。「から花の
陸奥(みちのく)に散る春砂哉(かな)」などの
碑文。
大円寺の丈六木造阿弥陀如 <文化財>大円寺(真言宗)の大日堂の本
来座像
尊。国重文。文化財指定では阿弥陀知来
だが、寺伝では大日如来像だという。
正法院の円空がはまお仏
青森市野内字菊川・
平川市(旧・碇ヶ関村
碇ヶ関)・深浦町(旧・
岩崎村大間越)
青森市(旧・浪岡町
北中野)
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 各教育委員会
著/青森県高等学校地方史研究
会。発行 /山川出版社)
十和田市東三番町
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 十和田市立新渡戸記念館。TEL
著/青森県高等学校地方史研究 0176-23-4430
会。発行 /山川出版社)
つがる市木造町亀ヶ 『日本の古代遺跡 29青森』 (企 是川遺跡の文化財:是川縄文館・
岡字亀山・近江野
画/森浩一。著 / 鈴木克彦。発行 TEL0178-38-9511
沢・館岡字沢根
/ 保育社 )
亀ヶ岡遺跡の文化財:縄文館・青
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 森県立郷土館・東京大学・慶応大
著/青森県高等学校地方史研究 学・東北大学ほか
会。発行 /山川出版社)
上北郡東北町「日本 『東北ふしぎ探訪――歴史・民俗 東北町教育委員会・TEL0176中央の碑保存館」
のミステリーを歩く』(著/伊藤孝 56-3111
博。発行/無明舎)
『奥州街道』(著/伊藤孝博。編集
発行 / 無明舎出版 )
「安倍」の名や14世紀前半~後半の北朝 西津軽郡深浦町関
年号が確認され、貴重な史料。十三湊安 字栃沢
藤(安東)氏関連のものと見られている。
「から花」は「唐花」で外国、「春砂」(はる
しゃ)は「ペルシア」のこと。三戸は古代以
来、駿馬の産地の一つ。
大円寺(旧・高伯寺)は津軽藩主にも庇護さ
れた。境内には中世の板碑や江戸時代の
石
灯籠2基、同じく庚申塔なども。
<文化財>正法院(しようぼういん。曹洞宗) 一木・素木造り、総高49㎝、像高34.5㎝。
の寺宝となっている観世音菩薩坐像(寺の 円空の初期の作で、義経寺(三厩村)の円
本尊は釈迦知来)。県重宝。
空仏(観世音菩薩坐像)とほとんど同じ。
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 青森市中世の館・TEL 017-262著/青森県高等学校地方史研究 6339
会。発行 /山川出版社)
『新版 青森県の歴史散歩』(編著 深浦町教育委員会 ・TEL0173/青森県高等学校地方史研究
74-2111
会。発行 /山川出版社)
三戸郡三戸町川守
田字下比良
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 三戸町教育委員会・TEL0179著/青森県高等学校地方史研究 20-1111
会。発行 /山川出版社)
南津軽郡大鰐町。
JR大鰐駅の北側。
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 大鰐町教育委員会・TEL0172著/青森県高等学校地方史研究 48-2111 大円寺
会。発行 /山川出版社)
東津軽郡蓬田村阿
弥陀川字汐干
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 蓬田村教育委員会・TEL0174著/青森県高等学校地方史研究 27-2111 正法院
会。発行 /山川出版社)
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 田舎館村教育委員会・TEL0172著/青森県高等学校地方史研究 58-2111
会。発行 /山川出版社)
【a 歴史】 4/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
56
(a)歴史
青森県
今別町
57
(a)歴史
青森県
青森市
58
(a)歴史
青森県
鰺ヶ沢町
59
(a)歴史
青森県
鰺ヶ沢町
60
(a)歴史
青森県
61
(a)歴史
青森県
62
(a)歴史
青森県
63
(a)歴史
青森県
64
(a)歴史
青森県
65
(a)歴史
青森県
66
(a)歴史
岩手県
67
(a)歴史
岩手県
一関市
金森遺跡
68
(a)歴史
岩手県
一戸町
御所野遺跡
69
(a)歴史
岩手県
北上市
樺山遺跡
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
本覚寺の青銅塔婆(貞伝上 <文化財>5世貞伝が出羽新庄の鋳物師に 正面に南無阿弥陀仏の名号、裏面に地蔵
人墓)
造らせ、自ら塔婆下の墓穴に入って入滅 尊の浮彫、側面と余白に貞伝の事歴を刻
したという高さ3m以上もある笠形青銅塔 む。規模・鋳造技術・歴史的価値も合わせ
婆。県重宝。
異色の塔婆。
金光塚(金光上人を祀る)
<文化財>法然上人(浄土宗開祖)の高弟・ 念仏布教のため奥州入りした金光は蓬田
金光上人を祀った墓碑。西に約1㎞の西 村の川で阿弥陀像を発見。浪岡に草庵を
光院は金光上人ゆかりの寺。
結び、これが曲折を経て今の西光院に
なったと伝える。
延寿院の円空仏
<文化財>延寿院(曹洞宗)本尊の木造菩薩 江戸時代初期、鰺ヶ沢沖で漁網にかかっ
坐像。寺伝では薬師知来像。青森県の西 たと伝え、海上安全と大漁を祈る漁民の
海岸地方唯一の円空仏。県重宝。
信仰を集めた。別名「海上漂流黒本尊」。
所在地
東津軽郡今別町今
別字今別
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 本覚寺
今別町教育委員会・
著/青森県高等学校地方史研究 TEL0174-35-2001
会。発行 /山川出版社)
情報源・取材元
青森市(旧・南津軽
郡浪岡町北中野)
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 弘前市教育委員会文化財保護
著/青森県高等学校地方史研究 課・TEL017-2 82-1642
会。発行 /山川出版社)
西津軽郡鰺ヶ沢町
富根町
『新版 青森県の歴史散歩』(編著 鰺ヶ沢町教育委員会・TEL0173/青森県高等学校地方史研究
72-2111
会。発行 /山川出版社)
明和大地震犠牲者供養塔
<文化財>明和大地震(明和3年=1766年)で 詳しい調査は進んでいないが、東北の日 西津軽郡鰺ヶ沢町
犠牲となった人々の供養塔。延寿院境
本海側で江戸期の地震関連碑は余り知ら 富根町
内。
れていない。石材は御影石で、北前船で
運ばれて来た可能性がある。
深浦町
円覚寺奉納海上信仰資料 <文化財>深浦の円覚寺に奉納された江戸 北国船や北前船の様子、西廻り航路の船 西津軽郡深浦町深
時代の船絵馬70点、髷額(まげがく)28点な 主・船頭たちの信仰ぶりを示す重要な海 浦字浜町
ど106点。国民俗。
運史料。これほどまとまっているのは全国
でも稀少。
八戸市
櫛引八幡宮の国指定文化財 <文化財>赤糸緘鎧兜大袖付と白糸緘鎧 国宝の2点はそれぞれ長慶天皇と後村上 八戸市八幡字八幡
類
兜大袖付(ともに国宝)のほか、国重文の 天皇のものだったと伝え、根城南部氏と南
兜などが3点。県重宝の鰐口や舞楽面9
朝との深い結びつきを物語る。
面、日本刀なども。
七戸町
七戸の絵馬群
<文化財>「絵馬の里」と呼ばれる七戸の中 古代以来の馬産地・七戸らしい民俗。源 上北郡七戸町後川
世~江戸期の奉納小絵馬群。小田子不動 平合戦宇治川先陣争いの名馬「いけづき」 原&見町
堂に96枚、見町観音堂に172枚(ともに県 は七戸産、「するすみ」は三戸産と伝えら
れる。
民俗)など。
西目屋村、 岩木川舟運の遺産
<交通・運輸>岩木川舟運は藤崎や板柳な 十三湊を要に日本海海運とアクセスした 青森県
弘前市、藤
どの川港と河口の十三湊を結び、津軽平 ため、海上安全を祈る神社なども。板柳の
崎町、鶴田
野の新田地帯の米を上方に運んだ。川筋 海童神社はその一つ(後に岩木川の守護
町、五所川
にはその名残が。
神に)
原市、つがる
市、中泊町
五所川原市 十三湊と中世日本海海運
<交通・運輸>「日之本将軍」安藤氏の本 安藤氏が南部氏によって津軽から駆逐さ 五所川原市(旧北津
拠・十三湊は中世日本海海運で栄え、西 れた15世紀後半、十三湊は急速に衰退。 軽郡市浦村十三)
国の拠点港・博多に対し、北方交易の中 江戸期には岩木川流域の米集荷も鰺ヶ沢
枢基地だった。
港が中心に。
津軽全域 津軽為信
<歴史上の人物と一族>大浦為信。津軽藩 大浦城を築いたのは種里城主・南部光信 青森県
祖。大浦城を本拠に津軽を統一して南部 の子の南部(大浦)盛信。為信の子の津軽
氏から独立。豊臣秀吉により承認され近 信枚は江戸初期に弘前城を築き津軽氏の
世大名・津軽氏に。
本拠藩とした。
西和賀町 大野台遺跡
<史跡>岩手県の後期旧石器時代を代表 地元の小学生が発見した大遺跡。縄文早 西和賀町(旧和賀郡
する基準遺跡。5期の文化層から多様な 期~晩期の土器・石器も含まれる。火葬 湯田町)の国道107
石器群など1万2000点が出土。
蔵骨器は県内最古のもの。
号線沿い(秋田県境
付近の舌状段丘上)
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 鰺ヶ沢町教育委員会。TEL0173著/青森県高等学校地方史研究 72-2111
会。発行 /山川出版社)
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 円覚寺奉納海上信仰収蔵庫
著/青森県高等学校地方史研究
会。発行 /山川出版社)
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 櫛引八幡宮宝物殿
著/青森県高等学校地方史研究
会。発行 /山川出版社)
『奥州街道』(編集発行/無明舎出 七戸 町立「鷹山 宇一記念美術
版。著/伊藤孝博)
館絵馬館」(道の駅しちのへ 七戸
文化村)
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 青森県教育庁文化財保護課・
著/青森県高等学校地方史研究 TEL017-722-1111
会。発行 /山川出版社)
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 青森県教育庁文化財保護課・
著/青森県高等学校地方史研究 TEL017-722-1111
会。発行 /山川出版社)
『新版 青森県の歴史散歩』 (編 弘前市博物館・TEL017-235著/青森県高等学校地方史研究 0700
会。発行 /山川出版社)
『日本の古代遺跡 51 岩手』(著
/高橋信雄 。発行/保育社)。『新
版 岩手県の歴史散歩』(編著/岩
手県高等学校教育研究会社会部
会日本史部会 。発行/山川出版
社)
<史跡>野牛、オオツノシカ、ヘラジカ、ナウ 往時の環境や狩猟方法を知る上で日本有 一関市(旧・西磐井 『日本の古代遺跡 51 岩手』(著
マンゾウなど、旧石器時代に絶滅した大型 数の遺跡。発掘された野牛は地名と発見 郡花泉町花泉金森) /高橋信雄 。発行/保育社)。『新
版 岩手県の歴史散歩』(編/岩手
哺乳動物類の化石・植物化石が大量に出 者の名の一字を採りハナイズミモリウシと
県高等学校教育研究会社会部会
命名。
土。
日本史部会 。発行/山川出版社)
<史跡>縄文中期の代表的な大集落遺跡。
東西500m・南北120mにわたり500~600
棟と推定される住居跡。国史跡。
<史跡>縄文中期の配石遺構35基と竪穴
住居跡、甕棺遺構などが発見された「ム
ラ」の跡。国史跡。大量の各種石器類や土
器・土製品も出土。
配石遺構と大型住居跡のある祭祀場を中
心とした、縄文時代の典型的な「ムラ」と判
明。史跡公園として整備。
多くの配石遺構と住居跡が一遺跡で見つ
かるのは稀なケース。埋め戻し保存された
遺跡上に、ガイダンス施設のある史跡公
園が。
二戸郡一戸町。JR
一戸駅南東2㎞の馬
淵川右岸段丘上
北上市稲瀬町字大
谷地
湯田町歴史民俗資料館・
TEL0197-82-2045
一関市教育委員会・TEL019121-2111
『日本の古代遺跡 51 岩手』(著 御所野縄文博物館・TEL0195/高橋信雄 。発行/保育社)
32-2652
『日本の古代遺跡 51 岩手』(著 北上市教育委員会・TEL0197/高橋信雄 。発行/保育社)。『新 64-2111
版 岩手県の歴史散歩』(編著/岩
手県高等学校教育研究会社会部
会日本史部会 。発行/山川出版
社)
【a 歴史】 5/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
70
(a)歴史
岩手県
北上市
八天遺跡
71
(a)歴史
岩手県
北上市
江釣子古墳
72
(a)歴史
岩手県
奥州市
角塚古墳
73
(a)歴史
岩手県
奥州市
胆沢城跡
74
(a)歴史
岩手県
奥州市
巣伏古戦場跡
75
(a)歴史
岩手県
盛岡市
志波城跡
76
(a)歴史
岩手県
矢巾町
徳丹城跡
77
(a)歴史
岩手県
北上市
極楽寺跡
78
(a)歴史
岩手県
岩手町
御堂観音
79
(a)歴史
岩手県
盛岡市
厨川柵跡
80
(a)歴史
岩手県
金ヶ崎町
鳥海柵跡
81
(a)歴史
岩手県
奥州市
豊田館跡
82
(a)歴史
岩手県
平泉町
柳之御所遺跡
83
(a)歴史
岩手県
紫波町
陣ケ岡
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
<史跡>縄文中期~後期の大集落跡。径 墓壙を含む500基以上の土壌も。土製仮 北上市更木町
『日本の古代遺跡 51 岩手』(著 北上市立博物館・TEL0197-6417mX13.5mの大型円形建物跡や土製仮 面は祭祀道具、大型建物は一般住居でな
/高橋信雄 。発行/保育社)。『新 1756
面の部品(国重文)なども出土。国史跡。 く「神殿」のようなものと推定。
版 岩手県の歴史散歩』(編著/岩
手県高等学校教育研究会社会部
会日本史部会 。発行/山川出版
社)
<史跡>旧・和賀郡江釣子村と和賀村にま 計120基のうち猫谷地古墳群(16基)の1号 北上市(旧・和賀郡 『日本の古代遺跡 51 岩手』(著 江釣子史跡センター・TEL0197たがる田園地帯の、5つの群集古墳群の 墳は代表的墳墓として発掘整備され、石 江釣子村江釣子ほ /高橋信雄 。発行/保育社)。『新 77-2136
総称。7世紀後半~8世紀前半と推定。国 積みの全貌が見える。族長一族の墳墓
か)
版 岩手県の歴史散歩』(編著/岩
史跡。
説。
手県高等学校教育研究会社会部
会日本史部会 。発行/山川出版
社)
<史跡>日本最北の前方後円墳。主軸全長 被葬者は不明。伝説では「掃部(かもん)長 奥州市(旧・胆沢郡 『日本の古代遺跡 51 岩手』(著 奥州市教育委員会・TEL0197約45m。5世紀末~6世紀初頭と推定。東 者の塚」とも。円筒埴輪や人物・動物・家 胆沢町南都田字塚 /高橋信雄 。発行/保育社)。『新 24-2111
形などの形象埴輪も出土。埴輪列としても 田。通称「一本杉」) 版 岩手県の歴史散歩』(編著/岩
北北部の前方後円墳としては最大で最
北限。
古。国史跡。
手県高等学校教育研究会社会部
会日本史部会 。発行/山川出版
社)
<史跡>延暦21年(802)、坂上田村麻呂が アテルイの本拠地に造営された胆沢城に 奥州市(旧水沢市佐 『日本の古代遺跡 51 岩手』(著 奥州市埋蔵文化財調査センター
築いた大城柵・官衛の跡。約670m四方を より、朝廷の勢力圏は一気に北進。翌年 倉河字宇佐ほか)
/高橋信雄 。発行/保育社)。『新 (胆沢城跡に隣接)・TEL0197-22基底幅3mの築地塀が囲んでいた。国史 には鎮守府(東北征服の軍事司令部)も多
版 岩手県の歴史散歩』(編著/岩 4400
跡。
賀城から移転。
手県高等学校教育研究会社会部
会日本史部会 。発行/山川出版
社)
<史跡>延暦8年(789)、アテルイ率いる「蝦 朝廷軍は征東大将軍・紀古佐美をリー
奥州市水沢区佐倉 『東北ふしぎ探訪――歴史・民俗 奥州市教育委員会・TEL0197夷(えみし)」(東北先住民)軍が大和朝廷軍 ダーに総勢5万2000余の大軍。アテルイ軍 河四丑~江刺区愛 のミステリーを歩く』(著/伊藤孝 24-2111
を撃破した古戦場跡。
の巧みな作戦と頑強な抵抗により壊滅的 宕
博。発行/無明舎出版)
被害を出し撤退。
<史跡>古代大和朝廷勢力による最北の 南北約840m.東西約930m。内郭(政庁)は 盛岡市太田方八丁 『奥 州街道』(著/伊藤孝博。編集 盛岡市教育委員会・TEL019城柵跡。延暦22年(803)、坂上田村麻呂が 多賀城を上回る150m四方。水害等のため
発行/無明舎出版)
651-4111
造営。多賀城(陸奥国府)に匹敵する巨大 か8年で歴史から姿を消す。史跡公園とし
さ。国史跡。
て整備。
<史跡>志波城が放棄された直後、古代大 9世紀半ば頃には衰退したと見られ、朝廷 紫波郡矢巾町西徳 『奥 州街道』(著/伊藤孝博。編集 矢巾町歴史民俗資料館(徳丹城
和朝廷が東北支配のため築いた最後の 勢力が「蝦夷」によって南に押し戻された 田ほか
発行/無明舎出版)
跡に隣接)・TEL019-697 -3704
城柵。規模は約350m四方に縮小。国史 との推測も。跡地の一部は史跡公園とし
跡。
て整備。
<史跡>平泉文化以前の一大山岳寺院跡。 上田村麻呂が勧請し慈覚大師が大伽藍を 北上市稲瀬町内門 『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 北上市教育委員会・TEL0197多くの僧坊跡や土師器・須恵器、金属製 整えたと伝える。現在の極楽寺に往時の 岡ほか
岩手県高等学校教育研究会社会 64-2111
品、軒丸瓦などを発掘。別称・国見山廃寺 銅製龍頭と錫杖頭が現存(ともに国重文)
部会日本史部会 。発行/山川出
跡。県史跡。
版社)
<史跡>北上山新通法寺正覚院(天台宗)の 坂上田村麻呂の祈願所として始まり、源 岩手郡岩手町御堂 『奥 州街道』(著/伊藤孝博。編集 岩手 町教育委員会・TEL0195通称。境内の「弓弭(ゆはず)の泉」は古
義家(八幡太郎)が再建したと伝える。門前 第3地割9正覚院
発行/無明舎出版)
62-2111
来、北上川の源泉と信じられた。社殿脇に の道が奥州街道。奥州三十三観音第32番
北上山水神も。
札所。
<史跡>前九年の役(11世紀)で安倍貞任の 源頼義・清原武則連合軍により厨川柵は 盛岡市天昌寺町
『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 盛岡市教育委員会・TEL019最後の拠点となった柵(古代の城砦)跡。堀 落城。「蝦夷」の血を引く陸奥の大豪族・安
岩手県高等学校教育研究会社会 651-4111
跡の一部や関連地名が現存。
倍氏は滅んだ。東北古代史の一大転換点
部会日本史部会 。発行/山川出
の一つ。
版社)
<史跡>安倍宗任(鳥海三郎。安倍貞任の 宗任も前九年の役で死んだとされるが、落 胆沢郡金ヶ崎町西 『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 金ヶ崎町教育委員会・TEL0197弟)の柵跡(擬定地)。前九年の役で安倍氏 ち延びて九州に逃れ西国安倍氏の祖と
根字原添下
岩手県高等学校教育研究会社会 42-2111
の総帥・安倍頼時(貞任・宗任らの父)が戦 なったとの伝承も。安倍晋三首相はその
部会日本史部会 。発行/山川出
死した地。
流れの由。
版社)。及び自己取材。
<史跡>平泉藤原氏初代となった清原清衡 父が前九年の役で殺された後、清衡は勝 奥州市(旧江刺市岩 『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 奥州市教育委員会・TEL0197(藤原清衡)が、平泉を本拠とする前に住ん 者・清原氏の元で育ち清原氏を名乗った。 谷堂下苗代沢字持 岩手県高等学校教育研究会社会 24-2111
だ居館跡とされる。館は清衡の父・藤原経 後三年の役で清原氏が滅亡。清衡は旧 田)
部会日本史部会 。発行/山川出
清が築城。
姓・藤原に。
版社)
<史跡>平泉藤原氏全盛期だった3代・秀 中国産白磁を含む陶磁器、漆器、鉄器、 西磐井郡平泉町平 『日本の古代遺跡 51 岩手』(著 (財)岩手県文化振興事業団埋蔵
衡の政庁跡と推定。最大長750m、最大幅 金銅製品、土器など膨大な出土遺物も(土 泉
/高橋信雄 。発行/保育社)
文化財センタ一・TEL019-638220mの広大な敷地に建物・塀・堀・庭など 器だけで20トン)。史跡公園として整備。
9001
の遺構。国史跡。
<史跡>志波城築城の坂上田村麻呂軍と 古代から中世にかけ(9世紀~16世紀)、東 紫波郡紫波町宮手 『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 紫波町教育委員会・TEL019人夫、前九年の役の源頼義・義家軍、奥 北史に残る大戦乱で4回も大軍が集結し 字陣ケ岡ほか
岩手県高等学校教育研究会社会 672-2111
州合戦の源頼朝軍、斯波氏攻撃の南部信 たという、地勢的に極めて特異な野営地。
部会日本史部会 。発行/山川出
直軍が駐屯した陣営跡。
版社)
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
【a 歴史】 6/188
カテゴリー
県
市町村
84
(a)歴史
岩手県
紫波町
85
(a)歴史
岩手県
奥州市
86
(a)歴史
岩手県
二戸市
87
(a)歴史
岩手県
平泉町
88
(a)歴史
岩手県
平泉町
89
(a)歴史
岩手県
奥州市
90
(a)歴史
岩手県
盛岡市
91
(a)歴史
岩手県
盛岡市
92
(a)歴史
岩手県
盛岡市
93
(a)歴史
岩手県
紫波町
94
(a)歴史
岩手県
花巻市
95
(a)歴史
岩手県
奥州市
96
(a)歴史
岩手県
遠野市
97
(a)歴史
岩手県
遠野市
98
(a)歴史
岩手県
一関市
99
(a)歴史
岩手県
一関市
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
高水寺城跡
<史跡>紫波郡の領主・斯波氏(奥州総奉 戦国末期、南部信直が攻め取って郡山城 紫波郡紫波町二日 『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 紫波町教育委員会・TEL019行・足利家氏が祖)の居城跡。南北朝時代 と改名。盛岡城築城の間、藩主・南部利直 町字古館
岩手県高等学校教育研究会社会 672-2111
は北奥の北朝勢力の拠点。
が十数年にわたり居城。城山公園として
部会日本史部会 。発行/山川出
整備。
版社)
岩屋堂城跡
<史跡>鎌倉末期に江刺氏(奥州総奉行・ 江刺氏は宗家・葛西氏が秀吉に滅ぼされ 奥州市(旧江刺市岩 『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 奥州市教育委員会・TEL0197葛西清重の子孫)が築いたとされる中世山 た後、稗貫郡に移封され、まもなく断絶。 谷堂字館下)
岩手県高等学校教育研究会社会 24-2111
城跡。本丸跡は八幡神社、二の丸跡は岩 江戸期は岩城氏(伊達政宗の子孫)が岩谷
部会日本史部会 。発行/山川出
谷堂高校敷地。
堂城主に。
版社)
九戸城跡
<史跡>九戸戦争(九戸政実の乱)の中心舞 豊臣秀吉軍(東北の有力大名の大半を含 二戸市福岡城ノ内 『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 二戸市教育委員会・TEL0195台となった壮大堅固な山城跡。規模は宗 む)により落城した九戸城には南部信直が 字城ノ内ほか
岩手県高等学校教育研究会社会 23-3111
家・三戸南部氏の拠点を凌ぐ威容。国史 入り福岡城と改名。盛岡に移るまで南部
部会日本史部会 。発行/山川出
跡。
氏の本拠に。
版社)
中尊寺
<史跡>平泉藤原氏初代の清衡が前九年・ 「寺塔四十余、僧坊三百余」のうち往時の 西磐井郡平泉町平 『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 中尊寺讃衡蔵・TEL0191-46後三年の役の死者供養と奥羽の安寧を 建物で現存するのは金色堂と経蔵だけだ 泉衣関202
岩手県高等学校教育研究会社会 2211 。平泉文化史館・TEL0191願って建立。天台宗東北大本山。山号「関 が、国宝や国重文など多数。東北の平安
部会日本史部会 。発行/山川出 46-2011
山」。国史跡。
文化の宝庫。
版社)
毛越寺
<史跡>平泉藤原氏2代の基衡が鳥羽天皇 「吾朝無双の精舎」と讃えられた往時の建 平泉町平泉大沢58 『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 毛越寺事務局・TEL0191-46の勅願で建立し3代秀衡が造営を継承。 物は現存しないが、毛越寺庭園(国特別名
岩手県高等学校教育研究会社会 2331
「堂塔四十余、僧坊五百余」の大伽藍跡。 勝)が面影を残す。毛越寺は一山の寺々
部会日本史部会 。発行/山川出
国史跡。
の総称。
版社)
長者原廃寺跡(伝・金売吉次 <史跡>平泉藤原氏時代かそれ以前のも 金売吉次屋敷跡との古伝も。一帯は衣川 奥州市(旧・胆沢郡 『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 衣川収蔵庫・懐徳館・TEL0197屋敷跡)
のと見られる古代寺院跡。約100m四方の 柵に隣接し、平泉時代以前は安倍氏の本 衣川村下衣川)
岩手県高等学校教育研究会社会 52-3311
土塁や南門、本堂、西塔跡が判明。県史 拠地。前九年の役の激戦地の一つ。
部会日本史部会 。発行/山川出
跡。
版社)
盛岡城跡
<史跡>南部信直(盛岡藩祖)の命により息 築城は水害のため難航し、利直が盛岡に 盛岡市内丸
『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 盛岡市教育委員会・TEL019子・利直(初代藩主)が築城。旧・三戸城下 落ち着くことはなかった。藩が盛岡城を正
岩手県高等学校教育研究会社会 651-4111
から領民を移し、盛岡藩の本拠に。国史 式な本拠としたのは、信直の孫・重直の時
部会日本史部会 。発行/山川出
代。
版社)
跡。
三ツ石神社
<史跡>「岩手」や「不来方」(盛岡の旧名)の 神様に捕らえられた鬼が「二度と荒らしに 盛岡市名須川町2 『奥州街道』(著/伊藤孝博。編集 盛岡市教育委員会・TEL019地名由来伝承を持つ古社。高さ3mほどの 来ない」(不来方)とこの岩に手形を押して -1
発行/無明舎出版)
651-4111
巨大な三つの花崗岩が御神体。
誓った(岩手)と伝える。さんさ踊りの起源
語も。
報恩寺
<史跡>藩政時代、盛岡五山の一つに数え 五百羅漢は江戸中期に京都の仏師により 盛岡市内丸12-2
『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 報恩寺・TEL019-651-4415
られた曹洞宗の名刹。禅道場であるととも 造られたもの。胡人服の像が2体含まれ、
岩手県高等学校教育研究会社会
マルコ・ポーロとフビライだと伝える。
に、羅漢堂の五百羅漢でも有名。
部会日本史部会 。発行/山川出
版社)
志賀理和気神社
<史跡>古代の全国最北の国幣社(国司が 忘れられていたが江戸期になって復興。 紫波郡紫波町桜町 『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 紫波町教育委員会・TEL019御幣を奉じる社)。延喜式内社。地元先住 御神体は赤石。「志賀理和気神」の「しか 字本町川原1
岩手県高等学校教育研究会社会 672-2111
民(「蝦夷」)の神を取り込み格付けしたも り」にはアイヌ語説やマタギの頭領説など
部会日本史部会 。発行/山川出
の。
も。
版社)
花巻城跡
<史跡>中世は稗貫氏の鳥谷ケ崎城。九戸 円城寺門(城の搦手門)と時鐘堂が現存(復 花巻市城内
『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 花巻市教育委員会・TEL0198の乱の後、南部信直が城代を置き、花巻 元)。時鐘は盛岡城のものだったが、城下
岩手県高等学校教育研究会社会 24-2111
城と改名。盛岡藩の和賀・稗貫2郡統治の まで音が届かず花巻に移したと伝える。
部会日本史部会 。発行/山川出
本拠に。
版社)
寿庵館跡
<史跡>伊達政宗の家臣で水沢に入部した 寿庵は近世東北キリシタンの代表的人物 奥州市水沢区福原 『東北ふしぎ探訪――歴史・民俗 奥州市教 育委員会・TEL0197キリシタン領主、後藤寿庵の居館跡。岩手 の一人。迫害に遭って館を去った後の消
のミステリーを歩く』(著/伊藤孝 24-2111
県南のキリスト教布教の拠点。跡地には 息は謎に包まれている。潜行ルートや墓を
博。発行無明舎出版)
寿庵記念廟堂。
含め諸説。
鍋倉城跡
<史跡>盛岡藩の重鎮・遠野南部氏の居城 来内川と物見山に守られた天然の要害。 遠野市遠野町鍋倉 『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 遠野市教育委員会・TEL0198跡。戦国末期、阿曽沼氏が築いた横田城 本丸・二の丸・空堀・搦手門などの遺構が
岩手県高等学校教育研究会社会 62-2111
を改名し修築。明治まで遠野統治の中心 現存。三の丸は公園として整備。
部会日本史部会 。発行/山川出
に。
版社)
南部神社
<史跡>遠野南部氏の祖「勤王五世(きんの 遠野南部氏は寛永4年(1627)、八戸南部 遠野市東舘町3-6 『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 遠野市教育委員会・TEL0198うごせい)」を祀る。後醍醐天皇や南朝に忠 氏の南部直義が遠野1万2000石の領主と
岩手県高等学校教育研究会社会 62-2111
誠を尽くした八戸南部氏の南部師行と以 して移封されたのに始まる。南部神社は
部会日本史部会 。発行/山川出
後4代の当主。
鍋倉城の一角。
版社)
一関城跡
<史跡>古代、安倍家任(磐井五郎)が築き 留守氏や伊達氏が居城したかは不明。最 一関市釣山
『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 一 関市教育委員会・TEL0191安倍氏勢力圏の南の関門にしたと伝え
後は一関藩3万石の田村氏が領したが、
岩手県高等学校教育研究会社会 21-2111
る。中世以降、葛西~留守(伊達一門)~ 幕府に城構えを許されず城跡北側に居
部会日本史部会 。発行/山川出
伊達氏が領有。
住。
版社)
舞草神社
<史跡>平安時代中期、日本万を生み出し 古代日本の万剣を代表する蕨手刀(奈良 一関市舞川大平5
『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 一関市教育委員会・TEL0191たとされる舞草鍛冶(もくさかじ)集団の守り ~平安初期)は全国の6割以上が北上川と
岩手県高等学校教育研究会社会 21-2111
神となった古社。延喜式内社。
馬淵川流域で出土。その伝統の中から日
部会日本史部会 。発行/山川出
本刀が誕生。
版社)
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
【a 歴史】 7/188
カテゴリー
県
市町村
100
(a)歴史
岩手県
花巻市
101
(a)歴史
岩手県
奥州市
102
(a)歴史
岩手県
奥州市
103
(a)歴史
岩手県
奥州市
104
(a)歴史
岩手県
花巻市
105
(a)歴史
岩手県
宮古市
106
(a)歴史
岩手県
宮古市
107
(a)歴史
岩手県
花巻市
108
(a)歴史
岩手県
滝沢村
109
(a)歴史
岩手県
北上市
110
(a)歴史
岩手県
北上市
111
(a)歴史
岩手県
遠野市
112
(a)歴史
岩手県
大槌町
113
(a)歴史
岩手県
一関市
114
(a)歴史
岩手県
奥州市
115
(a)歴史
岩手県
田野畑村
地域資源名
清水寺
資源の概要
<史跡>日本三清水の一つに数えられる天
台宗の名刹。坂上田村麻呂が兜の十一面
観音に祈願し当地に堂宇を建てたのが始
まりと伝える。
黒石寺
<史跡>天平3年(730)に行基菩薩が開山、
嘉祥2年(849)に慈覚大師が中興と伝える
天台宗の古刹。日本最古の胎内銘を持つ
仏像も。
正法寺
<史跡>陸奥国で最初の曹洞宗の拠点。通
称「奥の正法寺」。江戸時代以前は日本曹
洞宗三本山の一つ(永平寺・総持寺・正法
寺)。奥羽二国の本山。
駒形神社
<史跡>胆沢郡の延喜式内七社の一つ。奥
宮は駒ヶ岳(1130m)山頂。江戸期は盛岡
藩と仙台藩がそれぞれの領内に里宮を設
置。
光林寺
<史跡>一遍上人ゆかりの時宗の名刹。弘
安2年(1279)、寺林館主・河野通重の子の
通次(一遍の従兄弟)が開創した念仏道場
が始まり。
横山八幡宮
<史跡>白鳳2年(680)創建伝承の古社。和
銅年間(708~715)、この地に流された歌
人・猿丸太夫が里人の頼みで禰宜になっ
たと伝える。
黒森神社
<史跡>坂上田村麻呂創建と伝える修験霊
場。祭神スサノヲ。樹齢千年を超す境内の
巨木は海上からの目印となり、三陸漁民
の信仰も。
早池峰神社
<史跡>北上山地の最高峰・早池峰山
(1914m)が御神体。本宮は山頂。江戸時
代は岩手山・姫神山とともに盛岡藩領の
三鎮山。
岩手山神社
<史跡>岩手の最高峰・岩手山(2014m)が
御神体。坂上田村麻呂が神山として祀っ
たのが始まりとも伝える。中世は厨川工藤
氏が祭祀。
南部伊達領境塚
<史跡>駒ヶ岳山頂から唐丹湾まで約130
㎞の盛岡藩と仙台藩の境界に築かれた境
塚。全国でも例のない境塚。分布の密な
約11㎞が国史跡。
聖塚(河野通信墳墓)
<史跡>河野水軍を率い壇の浦合戦などで
活躍した伊予(愛媛)の豪族・河野通信(み
ちのぶ)の墓。11.5m四方の上円下方塚。
県史跡。
清信尼の墓
<史跡>八戸南部氏20代・南部直政夫人の
墓。実子がないまま29歳で未亡人となり、
南部直義を養子とするまでの間、政務を
担った。
吉里吉里(前川)前兵衛の墓 <史跡>江戸初期から百石船による俵物交
易で財を為した豪商・前川善兵衛と一族
の墓。江戸中期の3代~4代目当時が全盛
期。
大籠の隠れキリシタン史跡 <史跡>江戸初期の奥羽キリシタンの主要
エリアの一つだった大籠一帯に残る、信仰
と大迫害の跡。磔や打ち首、鉄砲などで
300余人が殉教。
高野長英の墓
<史跡>江戸後期から幕末近くにかけての
思想家・経論家・教育者、高野長英(水沢
出身)の墓。幕府の弾圧に遭い、最後は江
戸で自刃。
佐々木弥五衛の墓
<史跡>「百姓が勝った大一揆」として民衆
運動史に名高い、江戸後期の三閉伊通一
揆の指導者の墓。
歴史的価値・ストーリー
所在地
本堂に十一面観音像を安置。東国三十三 花巻市太田第21-10
観音第一番札所。関流和算の大算額(千
葉胤則銘)が奉納され寺宝に。
旧正月7日(2月)夜の蘇民祭(厄除け・五穀
豊饒祈願)も謎の奇祭として有名。裸の男
たちによる蘇民袋争奪戦がクライマック
ス。
貞和4年(1348)、総持寺(能登)2世峨山の
高弟・無底が開山。江戸幕府の宗教政策
により衰退したが修行道場として現役。寺
宝多数。
駒形神は山岳信仰や馬神、農業神などが
ミックスされたものらしく、駒ヶ岳の雪形で
農事の時期を占うならわしも。
奥州市水沢区黒石
町山内17
京都在勤中の通次は、貴賎男女の別ない
一遍の布教ぶりを見て発心。帰郷した息
子の熱意に打たれ父母も仏門に。寺宝や
縁起伝承多数。
寛弘3年(1006)、一条天皇と横山八幡宮
禰宜との、和歌のやりとりを通じた「宮古」
地名由来譚も残る。御神木の大銀杏もこ
れに関連。
北は普代村から南は吉里吉里まで1年お
きに廻ったという「黒森神楽」(県民俗)でも
有名。中世を含む獅子頭16頭は県文化
財。
大同2年(807)、遠野郷の猟師らが山頂に
瀬織津姫を勧請したのが始まりと伝える。
早池峰神楽は国民俗、本殿は県文化財。
花巻市石鳥谷町中
寺林第12地割54
近世は盛岡領総鎮守の巌鷲山(がんしゅう
ざん)大権現として祀られ、各登山口に新
山堂があった。これが岩手山神社の前
身。
50年余も藩境争いが続き、江戸初期に幕
府の裁定で確定したのを機に築いたも
の。国史跡区間だけで大小210基以上の
塚が現存。
通信は承久の乱に敗れて江刺郡に流され
貞応2年(1223)没。時宗開祖・一遍の祖父
に当たり、塚は「一遍上人絵伝」(国宝)にも
登場。
直義は遠野に移封され遠野南部氏初代
に。普段は盛岡に住み、遠野の実際の領
国経営は清心尼が担った。封建時代では
異例の「女殿様」。
江戸や下田などと取引きし遠野と山田に
支店。江戸後期の5代目の時、日光東照
宮修理など莫大な御用金賦課や宝暦飢
饉などで衰退。
多くの刑場跡や墓、首塚、供養碑などが
点在。一角にローマ法王庁が関与して大
籠教会堂が建てられ、大籠キリシタン殉教
公園も整備。
学術的にも歴史的にも業績が多く、潜伏
逃亡中、全国各地に足跡を残した。水沢
の長英旧宅は国史跡。著書や関係資料58
点が国重文。
一揆は弘化年間と嘉永年間の二次にわた
り、弥五兵衛は弘化一揆の頭取(最高指
導者)。人々から「小本の祖父(おど)」と呼
ばれた。
岩手郡滝沢村・岩手
山頂上
奥州市水沢区黒石
町字正法寺129
奥州市水沢区中上
野町1-83
宮古市宮町2丁目5
-1
宮古市山口4字田ノ
神前132番
花巻市大迫町内川
目1-1
北上市黒沢尻町・相
去町ほか。
北上市稲瀬町字水
越
遠野市松崎町光興
寺金沢
上閉伊郡大槌町吉
里吉里
一関市(旧・東磐井
郡藤沢町大籠)
奥州市水沢区東町
の大安寺
田野畑村
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 清水寺
岩手県高等学校教育研究会社会
部会日本史部会 。発行/山川出
版社)
『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 黒石寺
岩手県高等学校教育研究会社会
部会日本史部会 。発行/山川出
版社)
『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 正法寺
岩手県高等学校教育研究会社会
部会日本史部会 。発行/山川出
版社)
『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 駒形神社
岩手県高等学校教育研究会社会
部会日本史部会 。発行/山川出
版社)
『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 光林寺
岩手県高等学校教育研究会社会
部会日本史部会 。発行/山川出
版社)
『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 横山八幡宮
岩手県高等学校教育研究会社会
部会日本史部会 。発行/山川出
版社)
『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 宮古市立図書館(獅子頭16頭保
岩手県高等学校教育研究会社会 管)・TEL0193-62-2414
部会日本史部会 。発行/山川出
版社)
『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 花巻市教育委員会・TEL0198岩手県高等学校教育研究会社会 24-2111
部会日本史部会 。発行/山川出
版社)
『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 岩手県教育委員会・TEL019岩手県高等学校教育研究会社会 651-3111
部会日本史部会 。発行/山川出
版社)
『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 北上市立博物館・TEL0197-64岩手県高等学校教育研究会社会 1756
部会日本史部会 。発行/山川出
版社)
『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 北上市教育委員会・TEL0197岩手県高等学校教育研究会社会 64-2111
部会日本史部会 。発行/山川出
版社)
『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 遠野市教育委員会・TEL0198岩手県高等学校教育研究会社会 62-2111
部会日本史部会 。発行/山川出
版社)
『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 大槌町教育委員会・TEL0193岩手県高等学校教育研究会社会 42-2111
部会日本史部会 。発行/山川出
版社)
『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 一関市教育委員会・TEL0191岩手県高等学校教育研究会社会 21-2111 大籠教会堂
部会日本史部会 。発行/山川出
版社)
『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 高野長英記念館・TEL0197-23岩手県高等学校教育研究会社会 6034
部会日本史部会 。発行/山川出
版社)
『東北ふしぎ探訪――歴史・民俗 田野畑村民俗資料館・TEL0194のミステリーを歩く』(著/伊藤孝 34-2210
博。発行無明舎出版)
情報源・取材元
【a 歴史】 8/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
116
(a)歴史
岩手県
盛岡市
畠山多助の墓
117
(a)歴史
岩手県
一関市
建長の碑
118
(a)歴史
岩手県 陸前高田市 玉山碑(玉山金山の史碑)
119
(a)歴史
岩手県
花巻市
天保義民の碑
120
(a)歴史
岩手県
盛岡市
羅漢公園の十六羅漢石像
(餓死者供養)
121
(a)歴史
岩手県
釜石市
星座石
122
(a)歴史
岩手県
奥州市
黒石寺の国指定文化財
123
(a)歴史
岩手県
平泉町
平泉の国指定文化財群
124
(a)歴史
岩手県
花巻市
勝行院の阿弥陀如来座像
125
(a)歴史
岩手県
花巻市
旧「チベット蔵脩館」収蔵品
126
(a)歴史
岩手県
花巻市
127
(a)歴史
岩手県
花巻市
128
(a)歴史
岩手県
北上市
129
(a)歴史
岩手県
北上市
130
(a)歴史
岩手県
奥州市
資源の概要
所在地
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
『東北ふしぎ探訪――歴史・民俗 盛岡市教育委員会・TEL019のミステリーを歩く』(著/伊藤孝 651-4111
博。発行無明舎出版)
情報源・取材元
<史跡>三閉伊一揆のうち、佐々木弥五兵 一揆は大勝利で終わったが、太助は明治 盛岡市北山の本誓
衛を継ぐ形で嘉永一揆の中心的指導者を の地租改正反対一揆を指導して逮捕さ
寺
務めた畠山太助の墓。
れ、一ヵ月も拷問を受けた後、首を吊って
死んだ。
<文化財>岩手県最古の板碑(県文化)。建 碑は最明寺の山門左手。最明寺(天台宗) 一関市(旧・東磐井 『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 一関市教育委員会・TEL0191長8年(1256)。2基の双式碑で両親を追善 は養老年間(714~724)に鎮守府将軍・大 郡川崎村門崎字石 岩手県高等学校教育研究会社会 21-2111
供養したもの。
野東人が創建、慈覚大師中興と伝える古 蔵。最明寺境内)
部会日本史部会 。発行/山川出
刹。
版社)
<文化財><文化財>江戸初期まで仙台藩 「玉山千軒」と呼ばれ多くの神社仏閣まで 陸前高田市竹駒町字新版 岩手の歴史散歩』(編著/岩 陸前高田市教育委員会・
領の代表的な産金地だった玉山金山の繁 あったと伝える。同金山には、奈良大仏、
手県高等学校教育研究会社会部 TEL0192-54-2111
栄ぶりなどを刻んだ史碑。宝麿10年(1760) 平重盛、平泉藤原氏と金売吉次などに関
会日本史部会 。発行/山川出版
建立。
わる伝承も。
社)
<文化財>天保7年(1836)、大飢僅の中で 同地方最大規模だったが穀改反対・御用 花巻市(旧・稗貫郡 『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 花巻市教育委員会・TEL0198大迫通り農民が決起した一揆指導者の顕 金免除などの要求は受け入れられず、2人 大迫町亀ケ森字木 岩手県高等学校教育研究会社会 24-2111
彰供養碑。切牛の覚十郎と小簗の喜太
は処刑された。墓はそれぞれ到岸寺と桂 戸ケ沢)
部会日本史部会 。発行/山川出
郎。
林寺に。
版社)
<文化財>天保飢饉餓死者供養のため建 領内の5万8000人から喜捨を得て天保8年 盛岡市茶畑2丁目1 『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 盛岡市教育委員会・TEL019てられたともいわれる21体の巨大な石像 (1837)に着工。10人の石工により嘉永2年 (らかん児童公園)
岩手県高等学校教育研究会社会 651-4111
群(五智知来と十六羅漢)
(1849)に完成したと伝える。
部会日本史部会 。発行/山川出
版社)
<文化財>伊能忠敬の沿岸測量に協力した 全国測量中の忠敬は享和元年(1801)、唐 釜石市唐丹町字大 『新版 岩手の歴史散歩』(編著/岩釜石市教育委員会・TEL0193葛西昌丕(まさひろ)が忠敬の星座図を写 丹村も訪れ葛西家に宿泊。星座石の傍に 曽根
22-2111
し、後に石に刻んだもの。県文化財。
は昌
丕が碑文を記した陸奥州気仙郡唐丹村測
量之碑も。
<文化財>木造薬師如来坐像(本尊)と木造 薬師像は貞観4年(862)の作で、胎内銘の 奥州市水沢区黒石 『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 黒石寺・TEL 0197-26-4168
僧形坐像と木造四天王立像(4体)の3点が ある仏像としては日本最古。僧形像は永 町字山内
岩手県高等学校教育研究会社会
国重文。他にも十二神将像などがある。 承2年(1047)の作で慈覚大師像と伝えられ
部会日本史部会 。発行/山川出
る。
版社)
<文化財>国宝が中尊寺金色堂など7つ。 ほかに毛越寺の延年が国指定重要無形 西磐井郡平泉町
『国宝・重要文化財大全』(監修 / 平泉町教育委員会・TEL0191国宝以外の国重文が27。有形文化財だけ 民俗文化財、国特別史跡3ヵ所、国史跡
文化庁。毎日新聞社刊)。『新版 46-2111
で計34もの国指定。圧倒的な東北平安文 2ヵ所、国特別名勝1ヵ所。とても個別に挙
岩手の歴史散歩』(編著/岩手県
化の宝庫。
げきれない。
高等学校教育研究会社会部会日
本史部会 。発行/山川出版社)
<文化財>勝行院(浄土宗)の本尊となって 元禄年間(1688~1704)に京都の名工が修 花巻市鍛冶町
いる木造仏。鎌倉時代の作で、総高340㎝ 理し、芝増上寺(将軍家菩提寺)大僧正に
の寄木造り。
より開眼したと伝える。
<文化財>大正時代にチベット仏教の法王
ダライラマの内政顧問を務めた多田等観
師が持ち帰った収集品の数々。
南部杜氏酒造用具
<文化財>江戸初期から全国に知られた南
部杜氏(とじ)の酒造用具1788点が国重
文。往時の酒造文化を伝えるため石鳥谷
町が収集したもの。
成島毘沙門堂の兜跋毘沙門 <文化財>毘沙門天像は4.2mの迫力ある
天像と木造伝吉祥天像
木造立像。吉祥天像は平安初期の作で翻
波式の衣文が特徴。ともに国重文。
極楽寺の銅製龍頭と錫杖
歴史的価値・ストーリー
<文化財>銅製龍頭(法要の時に立てる巾
幡笠の頭部)は平安前期の作で4頭、銅製
錫杖頭は平安中期の作で1柄。いずれも
国重文。
立花毘沙門堂の木造毘沙門 <文化財>毘沙門天立像は高さ102㎝一木
天像と木造二天王像
造、二天王(持国天と増長天)立像は各
160.5㎝と154.5㎝の寄木造。ともに平安後
期。国重文。
愛宕神社の兜跋毘沙門天像 <文化財>高さ1.82mの鉈彫一木造立像。1
1世紀頃に地元で作られたと推定。国重
文。ほかに毘沙門天三像や十一面観音立
像(県文化)も。
帰国時に法王から贈られたインド伝来の 花巻市
金銅降魔釈迦牟尼仏や仏典・仏画などを
含む貴重なコレクション。
稗貫郡や紫波郡は盛岡藩領でも酒造りが 花巻市(旧・稗貫郡
盛んだったという。機械化の中でも杜氏の 石鳥谷町中寺林)
役割は欠かせず、今も各地で活躍。
毘沙門堂自体も国重文。江戸中期に補修
した木造阿弥陀如来立像(県文化)もある。
境内西側の熊野神社は1歳児の「泣き相
撲」で有名。
極楽寺は平泉中尊寺より2世紀も前の一
大山岳寺院。極楽寺跡(国見山廃寺跡。県
史跡)からは多くの伽藍跡。様々な遺物も
出土。
極楽寺跡の南方に国見山神社(式内社)
があり、立花毘沙門堂(万福寺)は北方の
国見山北谷に位置。いずれも古代極楽寺
の文化園。
大同3年(808)創建とされる智福毘沙門堂
が愛宕神社の前身(境内内)。仏像は収蔵
庫にあり祭礼日に特別開帳するという。
花巻市(旧・和賀郡
東和町北成島)
北上市稲瀬町内門
岡ほか
北上市黒沢尻町立
花
奥州市江刺区藤里
字智福
『新版 岩手の歴史散歩』(編著/
岩手県高等学校教育研究会社会
部会日本史部会 。発行/山川出
版社)
『奥 州街道』(著/伊藤孝博。編集
発行/無明舎出版)
花巻市教育委員会・TEL019824-2111
『新版 岩手の歴史散歩』(編著/
岩手県高等学校教育研究会社会
部会日本史部会 。発行/山川出
版社)
『新版 岩手の歴史散歩』(編著/
岩手県高等学校教育研究会社会
部会日本史部会 。発行/山川出
版社)
『新版 岩手の歴史散歩』(編著/
岩手県高等学校教育研究会社会
部会日本史部会 。発行/山川出
版社)
『新版 岩手の歴史散歩』(編著/
岩手県高等学校教育研究会社会
部会日本史部会 。発行/山川出
版社)
『新版 岩手の歴史散歩』(編著/
岩手県高等学校教育研究会社会
部会日本史部会 。発行/山川出
版社)
石鳥谷歴史民俗資料館・
TEL0198-45-4513
花巻歴史民俗資料館・TEL019828-4190
花巻市教育委員会・TEL019824-2111
北上市教育委員会・TEL019764-2111
北上市立博物館・TEL0197-641756
奥州市教育委員会・TEL019724-2111
【a 歴史】 9/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
131
(a)歴史
岩手県
遠野市
132
(a)歴史
岩手県
133
(a)歴史
岩手県
134
(a)歴史
岩手県
135
(a)歴史
岩手県
136
(a)歴史
岩手県
137
(a)歴史
宮城県
138
(a)歴史
宮城県
大崎市
座散乱木遺跡
139
(a)歴史
宮城県
仙台市
富沢遺跡
140
(a)歴史
宮城県
東松島市
里浜貝塚
141
(a)歴史
宮城県
七ヶ浜町
大木囲貝塚
142
(a)歴史
宮城県
松島町
西の浜貝塚
資源の概要
新里の五百羅漢像(飢饉供 <文化財>天明飢饉餓死者供養のため大
養遺構)
慈寺(遠野南部氏菩提寺)19世義山が花崗
岩の自然石に線刻した五百羅漢。約380
体が現存。
西和賀町 碧祥寺博物館の「積雪期の <文化財>豪雪地でマタギの里でもあった
生活用具」「狩猟用具」「丸木 沢内の積雪期の生活用具1792点と狩猟
舟」
用具486点、丸木舟1隻が国指定重要民
俗文化財。
盛岡市、紫 遠野・宮古・久慈野田街道 <交通・運輸>奥州縦貫の幹線道路・奥州
波町、花巻
街道と三陸地方を結んだ横断ルートのう
市、遠野市、
ち、今の岩手県内で最も代表的な3街道。
宮古市、久
慈市、野田
村、洋野町、
葛巻町、岩
奥州市及び アテルイ
<歴史上の人物と一族>8世紀末~9世紀
その周辺
初頭、古代大和朝廷による東北侵攻に立
ち向かった「蝦夷」(東北先住民)のリー
ダー。
盛岡市
南部利直
<歴史上の人物と一族>盛岡藩初代藩主。
父・南部信直が九戸戦争により南部氏宗
家の立場を磐石にした後、盛岡藩の基礎
を築く。
二戸市、九 九戸政実
<歴史上の人物と一族>天下人・豊臣秀吉
戸村
に公然と立ち向かった最後の大戦争「九
戸の乱」の主役。南部氏の三大勢力の一
つ。
大崎市
馬場壇A遺跡
<史跡>3万年以上前の前期旧石器時代の
ものとされる層状遺跡。宮城県では最古
級の遺跡の一つ。国史跡。
歴史的価値・ストーリー
所在地
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 遠野市教育委員会・TEL0198岩手県高等学校教育研究会社会 62-2111
部会日本史部会 。発行/山川出
版社)
『新版 岩手の歴史散歩』(編著/ 碧祥寺博物館・TEL0197-85岩手県高等学校教育研究会社会 3330
部会日本史部会 。発行/山川出
版社)
『東北の街道』(監修/渡辺信夫。 各市町村教育委員会
企画・発行/東北建設協会。著/ 盛岡市、紫波町、花巻市、遠野市
渡辺信夫ほか)
(遠野街道)
盛岡市、宮古市(宮古街道)
久慈市、野田村、洋野町、葛巻
町、岩手町(久慈野田街道)
情報源・取材元
農民の苦悩を伝える貴重な遺構。南部藩
はしばしば飢饉に襲われ、宝暦飢饉では
遠野の人口が約4分の1に減ったといわれ
る。
ほかに民間信仰資料や衣食住用具、農具
など1万数千点を収蔵展示。全国でも異色
の博物館。国指定の丸木舟は、川舟とし
ては唯一。
遠野街道は盛岡~遠野~釜石、宮古街道
は盛岡~宮古、久慈野田街道は沼宮内~
久慈方面を結び、物流面でも政治的にも
大きな役割。
遠野市綾織町新里
当時は各地で抵抗戦が展開され、胆沢江
刺地方を本拠とするアテルイはその“代表
格"。最後は河内国(現・大阪府)で斬首さ
れた。
利直は盛岡城築城に着手し旧三戸城下
の領民を移住させたが、築城は長期化。
信直も利直も盛岡に腰を据えることはな
かった。
南部宗家継承をめぐり信直と対立。総勢
10万ともいわれる大軍(徳川・蒲生・浅野
や東北の有力大名と信直軍)と戦い九戸
城の悲劇に。
発見者のF氏(石器文化談話会)は数10万
年前と主張したが、他の石器とすり替えた
偽装と判明。どこまで真実なのか不詳。
岩手県
『東北ふしぎ探訪――歴史・民俗 奥州市教育委員会・TEL0197のミステリーを歩く』(著/伊藤孝 24-2111
博。発行無明舎出版)
岩手県
『奥州街道』(著/伊藤孝博。編集 岩手県教育委員会・TEL019発行/無明舎出版)
651-3111
岩手県
『奥州街道』(著/伊藤孝博。編集 二戸市教育委員会・TEL0195発行/無明舎出版)
23-3111
大崎市(旧・古川市
清水三丁目北馬場
壇)
『日本の古代遺跡 15 宮城』(企 東北歴史博物館・TEL022-368画/森浩一・著/工藤雅樹。発行/ 0106
保育社)
<史跡>前期旧石器時代から縄文初頭まで 馬場壇A遺跡と同様、これもF氏が関与。
とされる層状遺跡。宮城県で最初に本格 出土遺物は多数あるが、どこまでが本物
調査された旧石器遺跡。国史跡。
なのか不明。
西和賀町(旧・和賀
郡沢内村太田)
岩手県
大崎市(旧・玉造郡
岩出山町下野目字
座散乱木)
『日本の古代遺跡 15 宮城』(企
画/森浩一・著/工藤雅樹。発行/
保育社)
『新版 宮城県の歴史散歩』(編著
/宮城県高等学校社会科教育研
究会歴史部会。発行/山川出版)
<史跡>約2万年前の後期旧石器時代の森 宮城県で初めて弥生期の水田跡が確認さ 仙台市太白区長町 『日本の古代遺跡 15 宮城』(企
林跡(埋没林)やキャンプ跡が姿を現わし れた遺跡でもある。森林跡を覆う形で博物 (JR長町駅の南西約 画/森浩一・著/工藤雅樹。発行/
世界的に注目された遺跡。
館を建設、「地底の森ミュージアム」として 1.5㎞)
保育社)
公開。
『新版 宮城県の歴史散歩』(編著
/宮城県高等学校社会科教育研
究会歴史部会。発行/山川出版)
<史跡>縄文前期・晩期・弥生・奈良・平安 質量ともに豊富な骨角器や縄文後期以降 東松島市(旧・桃生 『日本の古代遺跡 15 宮城』(企
にわたる日本最大の貝塚遺跡。東西
の製塩土器も。出土品は奥松島縄文村資 郡鳴瀬町宮戸字里。 画/森浩一・著/工藤雅樹。発行/
800m、南北200m。土器編年型式の標識 料館に収蔵展示。
保育社)
宮戸島の里地区)
遺跡。国史跡。
『新版 宮城県の歴史散歩』(編著
/宮城県高等学校社会科教育研
究会歴史部会。発行/山川出版)
<史跡>縄文時代各期にわたる遺物が出 特に、東北地方南部の縄文前期と中期の 宮城郡七ケ浜町東 『日本の古代遺跡 15 宮城』(企
土した東西260m、南北125mの大貝塚。土 土器編年の基準となる「大木(だいぎ)式」 宮浜字大木
画/森浩一・著/工藤雅樹。発行/
型式分類(Ⅰ式~10式)で有名。
器編年の標識遺跡。国史跡。
保育社)
『新版 宮城県の歴史散歩』(編著
/宮城県高等学校社会科教育研
究会歴史部会。発行/山川出版)
<史跡>縄文前期から奈良・平安時代にま 奈良時代の製塩土器と製塩遺構が東北で 宮城郡松島町磯崎 『日本の古代遺跡 15 宮城』(企
でおよぶ約90mX70mの貝塚遺跡。縄文後 最初に発見され、弥生期の製塩遺構も確 字西の浜
画/森浩一・著/工藤雅樹。発行/
期の編年研究で有名。国史跡。
認。史跡公園として整備保存。
保育社)
『新版 宮城県の歴史散歩』(編著
/宮城県高等学校社会科教育研
究会歴史部会。発行/山川出版)
宮城県教育委員会・TEL022211-3614
地底の森ミュージアム(仙台市富
沢遺跡保存館)・TEL022-2469153
東北歴史博物館・TEL022-3680106
奥松島縄文村歴史資料館・
TEL0225-88-3927
七ヶ浜町歴史資料館・TEL022365-5567
松島町教育委員会・TEL022354-5701
【a 歴史】 10/188
カテゴリー
県
市町村
143
(a)歴史
宮城県
栗原市
144
(a)歴史
宮城県
145
(a)歴史
146
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
山王囲遺跡
<史跡>縄文晩期から弥生初期にかけての
集落遺跡。土器・石器・土偶類のほか有機
質素材の遺物を多数出土。国史跡。一帯
は史跡公園化。
特に籃胎漆器・朱漆塗櫛・編布(あみぎぬ)
で有名。縄文期の編布出土は全国初。ク
ルミやドングリ、鹿や猪の骨も大量に出
土。
美里町
小牛田の複合遺跡群
<史跡>山前遺跡(縄文~古墳~平安~鎌
倉~南北朝。国史跡)をはじめ、貝塚や円
墳、前方後円墳、中世館跡や板碑などが
点在。
場所はJR小牛駅西側の丘陵地帯。一つ
のエリアに縄文時代から中世までの歴史
の痕跡が勢揃い。山前遺跡の一部は史跡
公園。
宮城県
古川市
玉造柵跡
<史跡>陸奥玉造郡に存在したと8世紀の 中世・大崎氏の名生城跡として知られた
記録にある古代朝廷の城柵。名生館(みょ が、発掘の結果、多賀城より古い7世紀末
に遡る官衙的遺構を確認。
うだて)遺跡が有力な擬定地。国史跡。
(a)歴史
宮城県
多賀城市
陸奥国府跡(多賀城跡)
<史跡>代陸奥国の軍事と行政統治の中
心拠点だった大城柵跡。1辺約1㎞の不整
方形。約74万㎡。神亀元年(724)創建。国
特別史跡。
147
(a)歴史
宮城県
仙台市
陸奥国分寺跡
<史跡>国分寺・国分尼寺は聖武帝の勅に 源頼朝が平泉藤原氏を滅ぼした奥州合戦
より一国に寺建立。陸奥田分寺は全国で で焼失。講堂跡に伊達政宗が薬師堂建立
も武蔵国分寺に次ぐ規模。約242m四方。 (国重文)。跡地の一部は史跡公園化。
国史跡。
148
(a)歴史
宮城県
大崎市
宮沢遺跡
<史跡>東西1400m・南北850m。多賀城や
払田柵の約1.5倍、秋田城の4倍と、東北
最大規模の古代城柵跡。8~9世紀と推
定。国史跡。
正史に登場しない謎の城柵。覚鰲城(8世
紀末、胆沢蝦夷の反抗を防ぐため宮城県
北~岩手県南に築かれた城)跡に比定す
る説も。
149
(a)歴史
宮城県
栗原市
伊治城跡
アザマロは陸奥田按察使(行政長官)紀広
純を殺害して伊治城を奪い、多賀城も焼き
討ち。蝦夷たちの長い抵抗戦の端緒に。
150
(a)歴史
宮城県
栗原市
鳥矢崎古墳群
<史跡>神護景雲元年(767)、大和朝廷によ
る北方支配の最前線拠点として築かれた
古代城柵跡。「アザマロの乱」の主舞台の
一つ。
<史跡>8世紀半ばから9世紀初頭にかけて
築かれたとされる33基の終末期古墳群。
青銅帯金具や蕨手刀などを出土。県史
跡。
151
(a)歴史
宮城県
石巻市
152
(a)歴史
宮城県
涌谷町
153
(a)歴史
宮城県
登米市
鎮守府(軍総司令部)を胆沢城に移したこと
もあったが、東北で最も重要な出先機関と
して10世紀まで存続。跡地の一部は史跡
公園。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
栗原市(旧・栗原郡 『日本の古代遺跡 15 宮城』(企 山王考古館(史跡公園の一角)・
一迫町真坂宇山王) 画/森浩一・著/工藤雅樹。発行/ TEL0228-57-6012
保育社)
『新版 宮城県の歴史散歩』(編著
/宮城県高等学校社会科教育研
究会歴史部会。発行/山川出版)
美里町(旧・遠田郡 『日本の古代遺跡 15 宮城』(企 美里町教育委員会・TEL0229小牛田町北浦字山 画/森浩一・著/工藤雅樹。発行/ 33-2111
前ほか)
保育社)
『新版 宮城県の歴史散歩』(編著
/宮城県高等学校社会科教育研
究会歴史部会。発行/山川出版)
大崎市(旧・古川市 『日本の古代遺跡 15 宮城』(企 大崎市教育委員会・TEL0229大崎)
画/森浩一・著/工藤雅樹。発行/ 23-2111
保育社)
『新版 宮城県の歴史散歩』(編著
/宮城県高等学校社会科教育研
究会歴史部会。発行/山川出版)
多賀城市市川ほか 『日本の古代遺跡 15 宮城』(企 東北歴史博物館・TEL022-368画/森浩一・著/工藤雅樹。発行/ 0106
保育社)
『新版 宮城県の歴史散歩』(編著
/宮城県高等学校社会科教育研
究会歴史部会。発行/山川出版)
仙台市若林区木ノ 『日本の古代遺跡 15 宮城』(企 東北歴史博物館・TEL022-368下(薬師堂境内ほか) 画/森浩一・著/工藤雅樹。発行/ 0106。仙台市教育委員会・
保育社)
TEL022-261-1111
『新版 宮城県の歴史散歩』(編著
/宮城県高等学校社会科教育研
究会歴史部会。発行/山川出版)
大崎市(旧・古川市 『日本の古代遺跡 15 宮城』(企 大崎市教育委員会・TEL0229宮沢・長岡・川熊)
画/森浩一・著/工藤雅樹。発行/ 23-2111
保育社)
『新版 宮城県の歴史散歩』(編著
/宮城県高等学校社会科教育研
究会歴史部会。発行/山川出版)
栗原市(旧・栗原郡 『東北の街道』(監修/渡辺信夫。 栗原市築館出土文化財管理セン
築館町城生野)
発行/無明舎出版)
ター(伊治城跡の一角)・TEL022822-8355
所在地
地元の有力な同族墓群といわれ、郡の大 栗原市(旧・栗原郡
領(郡司長官)だったアザマロ(伊治公呰麻 栗駒町猿飛来鳥矢
呂)一族を想定する説も。
崎)
情報源・取材元
『日本の古代遺跡 15 宮城』(企
画/森浩一・著/工藤雅樹。発行/
保育社)
『新版 宮城県の歴史散歩』(編著
/宮城県高等学校社会科教育研
究会歴史部会。発行/山川出版)
桃生城跡
<史跡>天平宝字3年(759)に完成したと見 朝廷の最大権力者・恵美押勝(藤原仲麻 石巻市(旧・桃生郡 『日本の古代遺跡 15 宮城』(企
られる古代城柵跡。東西650m・南北
呂)の下で息子・恵美朝獦(あさかり)が造 河北町飯野ほか)
画/森浩一・著/工藤雅樹。発行/
700m。出羽の雄勝城とセットで造営された 営を指揮し2階級特進との記録。
保育社)
戦略的拠点。
『新版 宮城県の歴史散歩』(編著
/宮城県高等学校社会科教育研
究会歴史部会。発行/山川出版)
天平産金遺跡(黄金山神社 <史跡>天平21年(749)、日本で初めて金を 陸奥産金を記念した六角堂跡と思われる 遠田郡涌谷町涌谷 『日本の古代遺跡 15 宮城』(企
一帯)
産出し朝廷に貢納、と記録されている「陸 礎石や「天平」銘の瓦類などが出土。陸奥 黄金山(黄金山神社 画/森浩一・著/工藤雅樹。発行/
奥国産金」比定地。黄金山産金遺跡として の黄金は奈良大仏を金色に輝かせた。
境内と周辺)
保育社)
国史跡。
『新版 宮城県の歴史散歩』(編著
/宮城県高等学校社会科教育研
究会歴史部会。発行/山川出版)
柳津虚空蔵尊
<史跡>福島県の柳津、茨城県の村松とと 尊像だけでなく宝性院を「柳津虚空蔵尊」 登米市(旧・本吉郡 『新版 宮城県の歴史散歩』(編著
もに日本三大虚空蔵尊の一つ。宝性院(真 と通称。脇侍の大黒天と毘沙門天は伝・ 津山町柳津字大柳 /宮城県高等学校社会科教育研
言宗)の本尊。神亀3年(726)、行基の作と 弘法大師作。宝性院には七不思議伝説 津)
究会歴史部会。発行/山川出版)
伝える。
も。
栗原市教育委員会・TEL022822-1122
石巻市教育委員会・TEL022595-1111
天平ろまん館・TEL0229-43-2100
登米市教育委員会・TEL022022-2111
【a 歴史】 11/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
154
(a)歴史
岩手県
花巻市
東和の隠れキリシタン史跡
155
(a)歴史
宮城県
塩釜市
塩竈神社
156
(a)歴史
宮城県
松島町
瑞巌寺
157
(a)歴史
宮城県
名取市
雷神山古墳
158
(a)歴史
宮城県
仙台市
仙台城跡
159
(a)歴史
宮城県
仙台市
瑞鳳殿(伊達政宗廟)
160
(a)歴史
宮城県
仙台市
大崎八幡神社
161
(a)歴史
宮城県
仙台市
輪王寺と伊達五山
162
(a)歴史
宮城県
仙台市
仙台東照宮
163
(a)歴史
宮城県
白石市
白石城跡
164
(a)歴史
宮城県
白石市
片倉小十郎歴代廟
165
(a)歴史
宮城県
亘理町
亘理城跡
166
(a)歴史
宮城県
亘理町
伊達成実霊屋
167
(a)歴史
宮城県
大崎市
岩出山城跡
168
(a)歴史
宮城県
涌谷町
涌谷城跡と見龍廟
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
<史跡>謎のキリシタン領主・後藤寿庵の 寿庵の晩年や没した地については諸説唱 登米市(旧・東和町
碑や墓とされる墓碑などが残り、寿庵の末 えられてきたが、推定説の一つがこの地。 米川)
裔を称する家も。
県境付近のこの一帯はキリシタン信仰の
主要エリア。
<史跡>陸奥田「一の宮」的古社。主祭神 古代~中世~近世と時の権力者が崇敬。 塩竈市一森山1-1
は塩土老翁神・武甕槌神・経津主神。志波 仙台藩伊達氏造営の拝殿(県文化)、藩主
彦、多賀、鼻節の式内三社も統べ、陸奥 奉納の太万(国重文2振・県文化35振)など
総社的存在。
が現存。
<史跡>天長5年(828)、慈覚大師が勅命に 伊達政宗が再興、東北を代表する禅宗寺 宮城郡松島町松島
より建立した松島寺(天台宗)が始まり。鎌 院となった。国宝の本堂や庫裏などを含 町内91
倉期、執権・北条時頼が宗徒を滅ぼし臨 め重要文化財多数。
済宗寺院に。
<史跡>東北最大の前方後円墳。全長168 北東の丘陵には前方後円墳5基と方墳2 名取市植松
m。4世紀末~5世紀前半の古墳時代前 基の飯野坂古墳群(国史跡)。他にも全長
期。「地方国家の大首長」的存在の墓と推 90mの大塚山古墳など。古代名取地方発
定。国史跡。
展の痕跡多数。
<史跡>仙台藩の中心となった名城跡。中
世国分氏の千代城を伊達政宗が仙台城と
改め、新たに築城。日本で最後に築かれ
た最大級の山城。
<史跡>仙台藩祖・伊達政宗(貞山政宗)の
廟所。絢爛華麗な桃山風建物は国宝だっ
たが、仙台空襲で焼失。昭和54年(1979)
に再建。
<史跡>伊達政宗が仙台城下鎮護のため
造営。仙台藩領の八幡神12社の代表格。
社殿は国宝、長床は国重文。
<史跡>輪王寺は梁川(福島県)に伊達政宗
(儀山)の夫人(足利将軍義光の叔母)が開
基。伊達五山は伊達氏ゆかりの臨済宗5
寺の総称。
<史跡>仙台藩2代藩主・伊達忠宗が幕府
からの多額の融資に感謝して建立(祭神・
徳川家康)。領内では塩竈神社に次ぐ待
遇。
<史跡>関ケ原合戦後、伊達政宗の重鎮・
片倉小十郎の本拠に。一国一城制下でも
仙台城以外に「城」として幕府から公認さ
れた唯一の例。
<史跡>初代・片倉小十郎景綱から10代ま
での白石城主と7代城主夫人(仙台藩主伊
達吉村の娘)の廟所。野天に並ぶ阿弥陀
知来像群が異色。
<史跡>伊達一門の重鎮・伊達成実に始ま
る亘理伊達氏の本拠。戦国末期、亘理氏
(源頼朝の地頭・千葉氏の子孫)が築城。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
『東北ふしぎ探訪――歴史・民俗 登米市教育委員会・TEL0220のミステリーを歩く』(著/伊藤孝 22-2111
博。発行無明舎出版)
情報源・取材元
『新版 宮城県の歴史散歩』(編著 塩竃神社博物館・TEL022-367/宮城県高等学校社会科教育研 1611
究会歴史部会。発行/山川出版)
新版 宮城県の歴史散歩』(編著/ 瑞巌寺 宝物館・TEL022-354 宮城県高等学校社会科教育研究 2023。松島観瀾亭博物館・(松島
会歴史部会。発行/山川出版)
町産業観光課)TEL022-3545708
『日本の古代遺跡 15 宮城』(企 名取市教育部文化振興課・
画/森浩一・著/工藤雅樹。発行/ TEL022-384-2111
保育社)
『新版 宮城県の歴史散歩』(編著
/宮城県高等学校社会科教育研
究会歴史部会。発行/山川出版)
『新版 宮城県の歴史散歩』(編著 仙台市博物館(仙台城三の丸
/宮城県高等学校社会科教育研 跡)・TEL022-225-3074※国宝を
究会歴史部会。発行/山川出版) 含む慶長遣欧使節関係資料も。
広瀬川や竜ノ口渓谷をひかえる天然の要
害。日本一といわれた大手門も5000余畳
の二の丸御殿も仙台空襲で焼失。隅櫓の
み再現。
再建工事に先立つ墓室調査で、独眼竜と
いわれた政宗の遺体や甲宵などの副葬品
を確認。黒々とした頭髪も残り話題に。
仙台市青葉区青葉
山
仙台市青葉区霊屋
下23-5
『新版 宮城県の歴史散歩』(編著 仙台市博物館・TEL022-225/宮城県高等学校社会科教育研 3074
究会歴史部会。発行/山川出版)
天喜5年(1057)、八幡太郎源義家が遠田
郡に創建。中世大崎氏が崇敬。政宗によ
り岩出山を経て仙台へ。故郷・米沢の成島
八幡も合祀。
輪王寺(曹桐宗)は東北の曹桐宗僧尼の元
締。伊達氏とともに6回も移転(輪王寺の六
遷)。五山の多くも米沢や岩出山を経て仙
台へ。
葛西大崎一揆鎮圧の帰途、政宗(貞山)の
案内で家康が宿陣した地でもある。石鳥
居・唐門・透塀・随神門・本殿などが国重
文。
古代刈田氏以来、伊達氏系や蒲生氏、上
杉氏が領したが最後は伊達領。仙台藩の
南の関門。戊辰戦争時、奥羽越列藩同盟
への舞台に。
小十郎景綱は秀吉や家康が家臣に欲し
がったほどの人物。伊達の家臣でありな
がら白石城が「城」と公認されたのはこの
ためとも。
江戸期は「御館」や「要害」。戊辰戦争での
仙台藩の降伏式は亘理御館が舞台。当主
と家臣団は北海道開拓移住。北海道伊達
市の開基に。
成実霊屋のある大雄寺(亘理伊達氏菩提
寺)南の高台には、歴代当主の墓や5代当
主の霊屋、成実の父・実元の位牌堂も。
仙台市青葉区八幡
4-6-1
『新版 宮城県の歴史散歩』(編著 仙台市博物館・TEL022-225/宮城県高等学校社会科教育研 3074
究会歴史部会。発行/山川出版)
仙台市青葉区北山
1-14-1
『新版 宮城県の歴史散歩』(編著 仙台市教育委員会・TEL022/宮城県高等学校社会科教育研 261-1111
究会歴史部会。発行/山川出版)
仙台市青葉区東照
宮1-6-1
『新版 宮城県の歴史散歩』(編著 仙台市教育委員会・TEL022/宮城県高等学校社会科教育研 261-1111
究会歴史部会。発行/山川出版)
白石市字益岡
『新版 宮城県の歴史散歩』(編著 白石城・歴史探訪ミュージアム・
/宮城県高等学校社会科教育研 TEL0224-24-3030
究会歴史部会。発行/山川出版)
<史跡>亘理伊達氏初代成実の霊廟(県文
化)。松島円通院の三慧殿(2代藩主忠宗
の子の霊廟。国重文)とならび県内最古の
現存霊廟建築
史跡>天正19年(1591)、米沢から移封され 元々は大崎氏系や木村氏系が居城した
た伊達政宗が、仙台に移るまでの10年余 岩手沢域。政宗のために城を修築したの
り居城した山城跡。その後は岩出山伊達 が徳川家康。本丸跡は公園として整備。
氏の要害に。
白石市の愛宕山(市 『奥州街道』(著/伊藤孝博。発行 白石城歴史探訪ミュージアム
街地西部郊外)
/無明舎出版)
亘理郡亘理町
『新版 宮城県の歴史散歩』(編著 『新版 宮城県の歴史散歩』(編著
/宮城県高等学校社会科教育研 /宮城県高等学校社会科教育研
究会歴史部会。発行/山川出版) 究会歴史部会。発行/山川出版)
亘理郡亘理町字泉
ケ入
『新版 宮城県の歴史散歩』(編著 亘理町教育委員会TEL0223-34/宮城県高等学校社会科教育研 1111
究会歴史部会。発行/山川出版)
大崎市(旧・玉造郡
岩出山町字城山)
『新版 宮城県の歴史散歩』(編
著/宮城県高等学校社会科教育
研究会歴史部会。発行/山川出
版)
有備館。 ℡ 0229-72-1344
※有備館は岩出山伊達氏の学問
所(仙台藩校・養賢堂より 45年も
前の開設)。現存する郷学遺構と
しては全国最古。国史跡・名勝。
(現在は東日本大震災からの復
旧工事中。非公開)
<史跡>伊達一門・涌谷伊達氏の居館(涌 伊達安芸は仙台藩と幕府を揺るがした
遠田郡涌谷町字下 『新版 宮城県の歴史散歩』(編著 涌谷町立史料館(涌谷城山公
谷要害)跡と同氏第4代・伊達安芸宗重(法 「伊達騒動」(仙台藩寛文事件)の主要人物 町(涌谷城跡)。涌谷 /宮城県高等学校社会科教育研 園)・TEL0229-42-3327
号・見龍院)の霊屋(県文化)。居館跡は公 の一人となった藩の重鎮。
町字龍淵寺(見龍
究会歴史部会。発行/山川出版)
園に。
廟)。
【a 歴史】 12/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
169
(a)歴史
宮城県
大崎市
石雲寺と茂庭氏霊屋
170
(a)歴史
宮城県
南三陸町
171
(a)歴史
宮城県
石巻市
172
(a)歴史
宮城県
気仙沼市
173
(a)歴史
宮城県
角田市
高蔵寺阿弥陀堂
174
(a)歴史
宮城県
名取市
名取熊野三社
175
(a)歴史
宮城県
岩沼市
竹駒神社
176
(a)歴史
宮城県
栗原市
尿前の関跡
177
(a)歴史
宮城県
花山町
花山御番所跡
178
(a)歴史
宮城県
仙台市
横綱谷風の墓
179
(a)歴史
宮城県
栗原市
細倉鉱山跡
180
(a)歴史
宮城県
気仙沼市
波路上塩田跡
181
(a)歴史
宮城県
東松島市
奥田多十郎の墓
182
(a)歴史
宮城県
仙台市
183
(a)歴史
宮城県
多賀城市
184
(a)歴史
宮城県
登米市
旭館跡
黄金山神社(金華山)
大島神社
林子平の墓
多賀城碑
白地横穴群出土装身具
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
<史跡>伊達氏の重臣・茂庭氏の菩提寺と 霊屋内部には各代当主夫妻ら8体の彩色 大崎市(旧・志田郡 『新版 宮城県の歴史散歩』(編著 大崎市教育委員会・TEL0229霊廟(県文化)。霊屋は初代から3代までの 木造坐像や、藩主・伊達氏と茂庭氏代々 松山町千石字大欅) /宮城県高等学校社会科教育研 23-2111
墓の上に建てられたもの。背後には4代以 の位牌も安置。境内には樹齢500年の高
究会歴史部会。発行/山川出版)
降の墓所。
野槙(県天然)。
<史跡>平安末期、藤原秀衡の4男・高衡 本吉郡志津川には摂関家・藤原頼長の荘 南三陸町(旧・本吉 『新版 宮城県の歴史散歩』(編著 南三陸町教育委員会・TEL0226が築いたとされる館跡。平泉滅亡後、葛西 園があり、平泉藤原氏が管理経営。黄金 郡志津川町下保巴 /宮城県高等学校社会科教育研 46-2600
究会歴史部会。発行/山川出版)
毛)
氏~千葉氏(本吉氏)が入り本吉地方の主 や馬を貢納した旨の記録も。
城に。
<史跡>もとは弁財天(海上安全と財福の女 藤原秀衡や葛西清重、歴代の伊達氏に保 石巻市(旧・牡鹿郡 『新版 宮城県の歴史散歩』(編著 石巻市教育委員会・0225-95神)を安置した修験系の金花山大金寺。東 護されたが、明治2年、神仏分離により黄 牡鹿町金華山)
/宮城県高等学校社会科教育研 1111
北各地に広がった金華山信仰の中心。
金山神社に(祭神は金山毘古神・金山毘
究会歴史部会。発行/山川出版)
売神)。
<史跡>桃生六座(どれも式内社)中の名神 古くは「計仙麻大島神」として記録に。人心 気仙沼市字亀山1
『新版 宮城県の歴史散歩』(編著 気仙沼市教育委員会・TEL0226大社だったとされる古社。御神体は亀山 帰服のため朝廷が祀ったとの説。近世は
/宮城県高等学校社会科教育研 22-6600
(235m)山上の巨石。社殿は亀山中腹。
神仏混淆。大島神社となったのは明治初
究会歴史部会。発行/山川出版)
期。
<史跡>弘仁2年(819)、南都(奈良)の高僧・ 阿弥陀堂は県内最古の木造建築(国重
角田市高倉字寺前 『新版 宮城県の歴史散歩』(編 角田市教育委員会・TEL0224徳一が開基と伝える古刹。嵯峨天皇(大同 文)。藤原秀衡の妻らが建立と記録に。本 49
著/宮城県高等学校社会科教育 63-2111
4~弘仁13)による「高蔵寺」の勅額が現
尊の丈六木造阿弥陀如来坐像も同時代
研究会歴史部会。発行/山川出
存。
のもので国重文。
版)
<史跡>東北地方に勧請された代表的な熊 平安末期、篤信の老女により創建との「名 名取市高舘熊野堂 『新版 宮城県の歴史散歩』(編著 名取市教育部文化振興課・
野三社。熊野新宮社(熊野神社)・熊野本 取老女」伝説が残る。国重文などの文化 字五反田34
/宮城県高等学校社会科教育研 TEL022-884-2111/東北歴史博
宮社・熊野那智神社の総称。
財や逸話多数。三社を含む「東街道」めぐ
究会歴史部会。発行/山川出版) 物館(国重文の 一切経を保管)・
りも見もの。
TEL022-368-0101
<史跡>陸奥国守・小野篁が山城国の稲荷 旧暦2月の初午大祭が有名。江戸期には 岩沼市稲荷町1
『新版 宮城県の歴史散歩』(編 岩沼市教育委員会・TEL0223明神を勧請したと伝える古社。食物豊饒 馬市が立ち幕府や南部藩からも参加。伊
著/宮城県高等学校社会科教育 22-1111/竹駒神社馬事博物館・
の三神を祀る。今も農業神として多くの参 達吉村造営の社殿は放火で焼失したが平
研究会歴史部会。発行/山川出 TEL0223-22-2101
成5年に再建。
版)
詣。日本三稲荷。
<史跡>羽前街道(中山越出羽道。吉岡~ 義経主従が平泉に落ち延びる際に通った 大崎市(旧・玉造郡 『新版 宮城県の歴史散歩』(編著 大崎市教育委員会・TEL0229岩出山~堺田~新庄)の国境近くに仙台 と伝え、鳴子地名由来譚の一つ。『奥の細 鳴子町字尿前)
/宮城県高等学校社会科教育研 23-2111
藩が設置した境目番所跡。古代「岩手の 道』の百蕉が関守に怪しまれたことでも有
究会歴史部会。発行/山川出版)
関」の地とも推定。
名。
<史跡>小安街道(花山越え)に置かれた仙 花山越えは栗駒山峡を経て秋田の皆瀬村 栗原市(旧・栗原郡 『新版 宮城県の歴史散歩』(編著 栗原市花山教育センター・
台藩花山村寒湯御番所(通称・花山御番 ~小安へ抜ける間道。現存する遺構は幕 花山村字本沢温湯 /宮城県高等学校社会科教育研 TEL0228-56-2331
究会歴史部会。発行/山川出版)
口)
所)の跡。現存する口留番所遺構は稀少。 末のもの。四脚門や役宅、板倉など。
国史跡。
<史跡>古今無双の名横綱といわれた第2 谷風は第4代横綱とされるが、事実上は小 仙台市若林区霞目 『新版 宮城県の歴史散歩』(編著 仙台市教育委員会・TEL022代・谷風梶之助(霞日村出身)の墓。南鍛 野川とともに初代横綱との説も。本場所総
/宮城県高等学校社会科教育研 261-1111
治町の東漸寺に記念碑、県庁前の勾当台 取組308戦で黒星13。63連勝。多くの逸話
究会歴史部会。発行/山川出版)
公園に銅像。
が残る。
<史跡>伝説では9世紀に遡り、近世は仙 昭和の最盛期は神岡鉱山(岐阜)に次いで 栗原市(旧・栗原郡 『新版 宮城県の歴史散歩』(編著 細倉マインパーク・TEL0228-55台藩直営、明治以降は民営化され、昭和 全国2位の鉛産出量。跡地に鉱山資料館 鷲沢町南郷荒町)
/宮城県高等学校社会科教育研 3215
62年(1987)まで宮城県内最後の鉛鉱山と や体験型施設「細倉マインパーク」開設。
究会歴史部会。発行/山川出版)
して存続。
<史跡>仙台藩主用の塩を生産した入浜式 民営だが藩が資金援助。燃料の薪も藩直 気仙沼市波路上(は 『新版 宮城県の歴史散歩』(編著 気仙沼市教育委員会・TEL0226塩田跡。播州赤穂の先進的製塩法を学 営の御塩木山(おんしおきやま)が供給さ じかみ)瀬向
/宮城県高等学校社会科教育研 22-6600
び、技術者も招聘。江戸前期開設。 ※津 れるなど、特別の保護を受けた。
究会歴史部会。発行/山川出版)
波被害未確認
<史跡>石巻を出航した船がロシアまで流 大黒屋光太夫や中浜万次郎などで知られ 東松島市(旧・桃生 『新版 宮城県の歴史散歩』(編著 東松島市教育委員会・TEL0225され、12年かかって世界一周。文化2年
る江戸期の漂流譚の典型的一例。墓の1 郡鳴瀬町宮戸字室 /宮城県高等学校社会科教育研 82-1111
(1805)に帰国した奥田多十郎の墓。
㎞ほど南には江戸初期に設置された大浜 浜。宮戸島の東岸) 究会歴史部会。発行/山川出版)
唐船番所の跡も。
<史跡>江戸中期、『三国通覧図説』や『海 子平の主張は異説として幕府に弾圧さ
仙台市青葉区子平 『新版 宮城県の歴史散歩』(編著 仙台市教育委員会・TEL022国兵談』などを著し海防の重要性を説いた れ、失意困窮の内に病死。「六無斎」と称 町(龍雲院)
/宮城県高等学校社会科教育研 261-1111
林子平の墓。国史跡。
した。寛政三奇人の一人とされる。
究会歴史部会。発行/山川出版)
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
<文化財>神亀元年(724)に大野東人が多 多賀城と主要因との聞の里程も刻まれて 多賀城市市川
賀城を築造し天平宝字6年(762)に藤原朝 いる。国特別史跡・多賀城跡敷地内。江戸
獦)が修理したことなどを刻んだ古碑。
時代の一時期、伝説の「壷碑」と混同され
たことも。
<文化財>宮城県北中央部の古墳時代終 銙帯(かたい)金具のほか、勾玉・ガラス
登米市(旧・中田町。
末期の横穴群の一つ、白地(はくじ)横穴群 玉・切子玉・トンボ玉などの見事な玉類。 白維山丘陵の南)
(5基)から出土した大量の装身具類。
東北歴史博物館に収蔵。
情報源・取材元
『新版 宮城県の歴史散歩』(編著 東北歴史博物館・TEL022-368/宮城県高等学校社会科教育研 0101
究会歴史部会。発行/山川出版)
『日本の古代遺跡 21 山形』(企 東北歴史博物館・TEL022-368画/森浩一・著/川崎利夫。発行/ 0101
保育社)
【a 歴史】 13/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
185
(a)歴史
宮城県
仙台市
蒙古の碑
186
(a)歴史
宮城県
登米市
中田の板碑群
187
(a)歴史
宮城県
松島町
松島の国指定文化財群
188
(a)歴史
宮城県
築館町
双林寺と国指定文化財
189
(a)歴史
宮城県
石巻市
190
(a)歴史
宮城県
191
(a)歴史
宮城県
192
(a)歴史
宮城県
193
(a)歴史
宮城県
194
(a)歴史
秋田県
195
(a)歴史
秋田県
196
(a)歴史
秋田県
秋田市
秋田城跡
<史跡>天平5年(733)、今の山形県にあっ
た出羽柵が移され、出羽国の中枢となっ
た古代城柵跡。秋田城と呼ばれたのは
760年頃。国史跡。
197
(a)歴史
秋田県
大仙市
払田柵跡
<史跡>史書に名前も存在も登場しない謎 陸奥の胆沢域と出羽の秋田城の中間に 大仙市(旧・仙北郡
の古代大規模城柵官衛跡。払田柵は地名 位置するとされた雄勝城(場所不明)と見る 仙北町払田ほか)
を採った仮名。秋田県の国史跡第一号。 説など諸説あるが、今も真相は不明。
198
(a)歴史
秋田県
羽後町
足田柵跡(擬・雄勝城跡)
<史跡>足田(たらだ)柵も地名から採った名 城柵の一端が判明。一帯に同時代の柏原 雄勝郡羽後町足田
称。天平宝字3年(759)、大和朝廷が出羽 古墳群や「郡山」地名もあることなどから、 雲雀野
北部内陸に造営したとされる雄勝城跡の 雄勝城跡の有力候補とされるが不確定。
擬定地。
<文化財>弘安5年(1282)、帰化僧・無学祖
元が弟子たちに命じて「弘安の役」で漂没
した元(蒙古)軍兵士を追善供養したとされ
る古碑。
<文化財>弥勅寺の周辺などに集中する板
碑群。岩手県境に近い北上川流域は板碑
が多く、登米郡だけで330基以上。
歴史的価値・ストーリー
碑のある善応寺(臨済宗)は仙台藩3代藩 仙台市宮城野区燕
主伊達綱宗の位牌所。碑は江戸中期、別 沢(善応寺)
の寺院跡で見つかり、善応寺に移設。
弥勒寺は役小角開山、弥勤菩薩坐像(県
文化)は弘法大師が安置、脇仏は運慶・堪
慶作と伝える。同寺の板碑は正応3年
(1290)建立。
<文化財>瑞巌寺の本堂(元方丈)と庫裏・ 円通院の三慧殿、雄島南端にある頼賢の
廊下が国宝、御成門や五大堂(松島五大 碑も国重文。他にも、観瀾亭や日吉山王
堂)、本堂障壁画など16件が国重文。
神社(瑞巌寺護法神)を含め県文化多数。
<文化財>木造薬師如来坐像(伝・伝教大
師最澄作)と木造二天王立像(持国天と増
長天)が国重文。地蔵菩薩と阿弥陀知来
の立像が県文化。
所在地
登米市(旧・登米郡
中田町上沼の弥勒
寺とその周辺)
『新版 宮城県の歴史散歩』(編著 登米市教育委員会・0220-22/宮城県高等学校社会科教育研 2111
究会歴史部会。発行/山川出版)
宮城郡松島町
『国宝・重要文化財大全』(編/毎 宮城県教育委員会・TEL022日新聞社。発行/毎日新聞社)
211-2111
同寺は比叡山延暦寺末寺の医王山興福 栗原市築館薬師台
寺が前身。戦国末期、双林寺として再興。 1-1
通称・杉薬師。平安期の東北仏教文化を
伝える仏像群。
鳥屋神社奉納絵馬「奥州石 <文化財>式内社・鳥屋(とや)神社にある奉 石巻は古来、水陸交通の要衝。一時廃れ
ノ巻図」
納絵馬。北上川舟運と太平洋航路の基地 たが江戸初期に川村孫兵衛が北上川河
として栄えた江戸末期の石巻の様子を伝 口や河道を改修整備。仙台・盛岡・八戸藩
える。県文化。
の物流拠点に。
石巻市
月の浦と太平洋横断
<交通・運輸>伊達政宗による慶長遺欧使 航海船サン・ファン・バウチスタ号(政宗が
節団(支倉常長一行)が出帆したとされる 建造させた大型帆船)は復元。使節団関連
地。日本の外洋航海・海運史上に特筆さ 資料(国宝や国重文)は仙台市博物館に。
れる大事業。
二戸市
アザマロ
<歴史上の人物と一族>伊治公呰麻呂(こ 宝亀11年(780)、陸奥国按察使の紀広純を
れはるのきみのあざまろ)。大和朝廷に帰 殺して伊治城を奪い多賀城も焼き討ちし
順した蝦夷の首長で伊治郡(現・栗原郡) た「アザマロの乱」の主役。アテルイの戦
の郡司長官。
いの前景。
白石市
片倉小十郎
<歴史上の人物と一族>白石の片倉氏初 景綱は秀吉や家康が家臣にしたがったほ
代となった片倉小十郎景綱。伊達政宗(貞 どの人物といわれ、一国一城制下でも白
山)を支えた重鎮。以後の当主も小十郎を 石城は仙台城とともに「城」と認められた。
襲名。
仙台市、石 支倉常長
<歴史上の人物と一族>慶長18年(1613)、 仙台藩との交易を求めスペイン国王と謁
巻市、川崎
伊達政宗の命でメキシコ~スペイン本国 見。ローマ法王の歓待も受けたが、目的を
町
~ローマに派遣された仙台藩士。慶長遣 果たせず元和6年(1620)に失意の帰国。
欧使節の正使。
湯沢市
岩井堂洞窟遺跡
<史跡>縄文早期前半・前期・後期・晩期・ 秋田県エリアの早期縄文土器研究上、不
弥生時代の洞穴遺跡。12層にわたり各時 可欠の遺跡。4つの洞穴のうち2つには
代の遺物が多数出土。秋田県内最古の石 祠。付近の人々の信仰対象という。
匙も。国史跡。
鹿角市
大湯環状列石
<史跡>日本の代表的な大規模配石遺構。 長年の調査研究で多くの説が出された
縄文後期。径約46mの万座遺跡と径40m が、寒冷化で分散したムラの人々の「祭り
の野中堂遺跡がセット。国特別史跡。
と祈りの場」説が近年は有力。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
『新版 宮城県の歴史散歩』(編著 善応寺・TEL022-251-0393
/宮城県高等学校社会科教育研
究会歴史部会。発行/山川出版)
情報源・取材元
『新版 宮城県の歴史散歩』(編著 双林寺・TEL0228-22-5028
/宮城県高等学校社会科教育研
究会歴史部会。発行/山川出版)
。『国宝・重要文化財大全』(編/
毎日新聞社。発行/毎日新聞社)
石巻市(日和山の北 『新版 宮城県の歴史散歩』(編著 石巻市教育委員会・TEL0225隣の羽黒山)
/宮城県高等学校社会科教育研 95-1111
究会歴史部会。発行/山川出版)
石巻市(旧・牡鹿部
牡鹿町月浦)
『新版 宮城県の歴史散歩』(編著 宮城県慶長使節ミュージアム(サ
/宮城県高等学校社会科教育研 ン・ファン館)・TEL0225-24-2210
究会歴史部会。発行/山川出版)
宮城県
『新版 宮城県の歴史散歩』(編著 宮城県教育委員会・TEL022/宮城県高等学校社会科教育研 211-2111
究会歴史部会。発行/山川出版)
宮城県
『奥州街道』(著/伊藤孝博。発行 白石市教育委員会・TEL0224/無明舎出版)
22-1343
宮城県
『新版 宮城県の歴史散歩』(編著 仙台市博物館・TEL022-225/宮城県高等学校社会科教育研 3074
究会歴史部会。発行/山川出版)
湯沢市(旧・雄勝郡
雄勝町上院内字岩
井堂)
『日本の古代遺跡 24 秋田』(著 湯沢市教育委員会・TEL0183/富樫泰時・企画/森浩一。発行/ 73-2111
保育社)
鹿角市十和田大湯
宇野中堂字万座
『東北ふしぎ探訪――歴史・民俗
のミステリーを歩く』(著/伊藤孝
博。発行無明舎出版)「大湯ストー
ンサークル館」 作成資料(大湯ス
トーンサークル館)
城地は一辺550mの不正多角形で中央に 秋田市寺内ほか(高 『東北ふしぎ探訪――歴史・民俗
のミステリーを歩く』(著/伊藤孝
政庁。多くの建物跡と出土遺物。「元慶の 清水丘陵)
博。発行無明舎出版)
乱」(878年)の舞台の一つ。
『新版 秋田県の歴史散歩』(編/
秋田県の歴史散歩編集委員会。
山川出版社刊)。
『日本の古代遺跡 24 秋田』(著
/富樫泰時・企画/森浩一。発行/
保育社)
『新版 秋田県の歴史散歩』(編/
秋田県の歴史散歩編集委員会。
山川出版社刊)。
『日本の古代遺跡 24 秋田』(著
/富樫泰時・企画/森浩一。発行/
保育社)
大湯ストーンサークル館・
TEL0186-37-3822
秋田城跡調査事務所・018-8451837
秋田県教育委員会文化財保護
室・TEL018-860-1111
秋田県埋蔵文化財センター(払田
柵跡に隣接)・TEL0187-69-3331
払田柵跡調査事務所・TEL 018769-2442
秋田県埋蔵文化財センター(払田
柵跡に隣接)・TEL0187-69-3331
羽後町教育委員会・TEL018362-2111
【a 歴史】 14/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
199
(a)歴史
秋田県
北秋田市
200
(a)歴史
秋田県 由利本荘市 高城山城跡(天鷺城蹟)
<史跡>由利十二頭の一人・赤尾津氏が構
えた中世山城跡。古代、坂上田村麻呂に
抵抗した天鷺速男の本拠との伝承も。
201
(a)歴史
秋田県
横手市
後三年役古戦場
202
(a)歴史
秋田県
横手市
金沢柵跡
203
(a)歴史
秋田県
能代市
檜山城跡
204
(a)歴史
秋田県
秋田市
湊城跡
205
(a)歴史
秋田県
男鹿市
脇本城跡
<史跡>平泉藤原氏登場につながった古代
東北の大戦乱「後三年の役」の古戦場。金
沢柵や沼柵など今の横手市エリアが主な
舞台。
<史跡>「後三年の役」最大最後の決戦
場。清原家衡勢が籠城し清原清衡と源義
家らの連合軍が攻撃した要害堅固な山
城。
<史跡>檜山安東(安藤)氏が本拠とした壮
大堅固な蝦夷館式馬蹄形の中世山城。近
世大名・秋田氏誕生につながる湊合戦の
主舞台。国史跡。
<史跡>湊合戦で勝利した檜山の安東実季
(後の秋田実季)が本拠とした平城跡。関ヶ
原合戦後、秋田に移封された佐竹氏が一
時居城。
<史跡>土豪(土着の豪族)脇本五郎や安東
愛季(実季の父)らが本拠とした中世山城
跡。男鹿は秋田湊と檜山を結ぶ要衝。
206
(a)歴史
秋田県
本荘市
本荘城跡
207
(a)歴史
秋田県
秋田市
久保田城跡
208
(a)歴史
秋田県
秋田市
天徳寺と佐竹家廟所
209
(a)歴史
秋田県
横手市
横手城跡
210
(a)歴史
秋田県
湯沢市
湯沢城跡
211
(a)歴史
秋田県
大仙市
唐松神社と天日宮
212
(a)歴史
秋田県
秋田市
太平山三吉神社
213
(a)歴史
秋田県
羽後町
三輪神社
胡桃館遺跡
資源の概要
<史跡>古代の建物が洪水などで埋没し往
時の場所で発見された「埋没家屋」遺跡。
全国的にも極めて異例。平安中期。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
「埋没家屋」は米代川流域に7ヵ所確認。 北秋田市(旧・北秋 『新版 秋田県の歴史散歩』(編著 北秋田市教育委員会 ・TEL0186江戸期から知られたものも。胡桃館遺跡 田郡鷹巣町綴子字 /秋田県の歴史散歩編集委員
62-1111
は官衙的施設の建物と推定。建築遺材も 胡桃館)
会。発行/山川出版社)。
出土。
『日本の古代遺跡 24 秋田』(著
/富樫泰時・企画/森浩一。発行/
保育社)
江戸初期に入部した岩城氏は高城山の裾 由利本荘市(旧・由 『新版 秋田県の歴史散歩』(編著 由利本荘市教育委員会 ・
に亀田陣屋を築いて本拠に。今の「天鷺 利郡岩城町下蛇田) /秋田県の歴史散歩編集委員
TEL0184-24-3321
城」は資料館。高城山城跡は跳望絶景の
会。発行/山川出版社)
公園。
安倍氏滅亡後、奥羽最大勢力となった清 横手市(旧・平鹿郡 『新版 秋田県の歴史散歩』(編著 横手市教育委員会・TEL0182原氏の内紛に源氏(八幡太郎義家ら)が絡 雄物川町や大雄村、 /秋田県の歴史散歩編集委員
35-2111
んだ戦い。最大の勝者が清原清衡(後の 仙北郡仙南村などを 会。発行/山川出版社)
藤原清衡)。
含む)
連合軍は攻めあぐねたが、兵糧攻めの
横手市金沢
『新版 秋田県の歴史散歩』(編著 横手市教育委員会・TEL0182末、寛治元年(1087)11月に落城。城跡や
/秋田県の歴史散歩編集委員
35-2111
付近の古戦場(旧・横手市~仙南村)は公
会。発行/山川出版社)
園として整備。
『新版 秋田県の歴史散歩』(編著 能代市教育委員会・TEL0185江戸時代初期、秋田藩主となった佐竹義 能代市檜山
52-2111
/秋田県の歴史散歩編集委員
宣の弟・多賀谷宣家(檜山1万石)が居城し
会。発行/山川出版社)
たが、幕命により破却。
歴史的価値・ストーリー
所在地
佐竹氏は内陸部に久保田城を築いて移り 秋田市土崎港
住み、湊城は廃城。跡地に土崎湊町の鎮
守として土崎神明社を創建。
男鹿の愛季は檜山安東氏と湊安東氏を統 男鹿市協本
一。没後、12歳の実季が家督を継ぐと再
び分裂し、湊合戦へ。檜山城に籠城した
実季側が勝利。
<史跡>江戸初期、由利郡を領した最上氏 慶応4年(1868)の戊辰戦争で城の大半を 本荘市出戸町
の臣・楯岡氏が築城し本拠とした山城跡 焼失。本丸跡(本荘公園)に本荘神社など、
(本城城)。最上氏改易後、六郷氏の本拠 三の丸跡に市役所や消防署など
に(本荘城)
<史跡>慶長九年(1604)以降、秋田藩佐竹 常陸から移封され湊城に入った佐竹氏
秋田市千秋公園
氏の本拠だった半山城跡。秋田城とも云う は、湊城が手狭なことや戦略的理由から、
が、一般に秋田城は古代秋田城(高清水 やや内陸部に久保田城を築城。城跡は千
岡)を指す。
秋公園に。
<史跡>天徳寺(曹洞宗)は佐竹氏菩提寺。 天徳寺には累代藩主肖像(県文化)や初代 秋田市泉字三獄根
佐竹氏とともに常陸から移動。藩内最高 義宣の陣羽織などが伝わる。五庵山頂上 10-1
の寺格。寺の背後の五庵山に歴代藩主の は平和記念公園。秋田市を一望。
廟所。
<史跡>戦国末期に小野寺氏が築城した山 幕末まで秋田県南地方の統治の中心。戊 横手市城山町
城跡。関ヶ原合戦後、小野寺氏は改易。 辰戦争で奥羽越列藩同盟軍(仙台・庄内
佐竹氏が支城として整備し横手城代を配 藩)の攻撃により落城。城跡は横手公園
置。
に。
<史跡>鎌倉時代、小野寺氏が築城したの 佐竹南家の佐竹義種が城代となり城を整 湯沢市古館山
に始まる山城跡。戦国期、最上氏の臣・楯 備拡張。秋田藩の南の固めと雄勝地方の
岡氏が攻略し居城。関ケ原後、佐竹氏の 民政統治を担った。城跡は公園として整
支城に。
備。
<史跡>神功皇后などを祀る古社。社家は 唐松神社奥殿(県文化)は伝・源義家再
大仙市協和境下台
古代大和の大豪族・物部氏の末流と伝
建。秋田藩3代藩主が現在地に移転。室 84
え、氏神社天日宮は極めて特異な自然石 町末期とされる県内最古の獅子頭(県文
剥面神明造様式。
化)も。
<史跡>役小角の開基、坂上田村麻呂が堂
宇建立と伝える古社。大己貴神(大国主)・
少彦名神と三吉霊神を祀る。全国三吉神
社の総本山。
<史跡>日本最古とされる奈良の大神(おお
みわ)神社に由来する古社。祭神・大物主
神。所在地不明の古代城柵・雄勝城との
関わり説も。
本来は太平山(1171m)が神体の山岳信仰
で山頂に奥宮。山を一望する市街地の赤
沼に里宮(旧・遥拝所。元・佐竹氏の雪見
御殿の地)
源義家が武具奉納、平泉藤原氏・小野寺
氏・佐竹氏が崇敬との記録。三輪神社本
殿と境内社の須賀神社本殿は国重文。
秋田市広面赤沼3
-2
雄勝郡羽後町杉宮
字宮林1番
情報源・取材元
『新版 秋田県の歴史散歩』(編著 秋田市教育委員会文化振興室・
/秋田県の歴史散歩編集委員
TEL018-866-2246
会。発行/山川出版社
『新版 秋田県の歴史散歩』(編著 男鹿市教育委員会
/秋田県の歴史散歩編集委員
会。発行/山川出版社)
『新版 秋田県の歴史散歩』(編著 由利本荘市教育委員会・
/秋田県の歴史散歩編集委員
TEL0184-24-3321
会。発行/山川出版社)
『新版 秋田県の歴史散歩』(編著 佐竹史料館(千秋公園内)・
/秋田県の歴史散歩編集委員
TEL018-832-7892
会。発行/山川出版社)
『新版 秋田県の歴史散歩』(編著 佐竹史料館・TEL018-832-7892
/秋田県の歴史散歩編集委員
会。発行/山川出版社)
『新版 秋田県の歴史散歩』(編著 横手市教育委員会・TEL0182/秋田県の歴史散歩編集委員
35-2111
会。発行/山川出版社)
『新版 秋田県の歴史散歩』(編著 湯沢市教育委員会・TEL0183/秋田県の歴史散歩編集委員
73-2111
会。発行/山川出版社)
『新版 秋田県の歴史散歩』(編著 大仙市教育委員会.TEL0187-63/秋田県の歴史散歩編集委員
1111
会。発行/山川出版社)。 および
『東北ふしぎ探訪――歴史・民俗
のミステリーを歩く』(著/伊藤孝
博。発行無明舎出版)
『新版 秋田県の歴史散歩』(編著 太平山三吉神社
/秋田県の歴史散歩編集委員
会。発行/山川出版社)
『新版 秋田県の歴史散歩』(編著 羽後町教育委員会・TEL0183/秋田県の歴史散歩編集委員
62-2111
会。発行/山川出版社)
【a 歴史】 15/188
地域資源名
県
市町村
214
(a)歴史
秋田県
横手市
215
(a)歴史
秋田県
大仙市
216
(a)歴史
秋田県
男鹿市
217
(a)歴史
秋田県
秋田市
秋田古四王神社
218
(a)歴史
秋田県
潟上市
東湖八坂神社
<史跡>江戸期までは天王または牛頭天王 7月の例祭に向け、正月から毎月のように 潟上市天王天王24 『東北ふしぎ探訪――歴史・民俗 潟上市教育委員会・TEL083-73社。祭神スサノヲ。「牛乗り」神事や「蜘昧 準備の神事が。同社と八郎潟と「八郎太 潟上市
のミステリーを歩く』(著/伊藤孝 2111
舞」(一種の軽業)神事などの例祭で有名。 郎」伝説との関連を推測する説も。
博。発行/無明舎出版)
219
(a)歴史
秋田県
湯沢市
院内銀山跡
220
(a)歴史
秋田県
北秋田市
阿仁銅山跡
221
(a)歴史
秋田県
鹿角市
尾去沢鉱山跡
222
(a)歴史
秋田県
大館市
安藤昌益の墓
223
(a)歴史
秋田県
秋田市
平田篤胤の墓
<史跡>秋田藩領を代表する大銀山の跡。
江戸初期に本格採掘が始まり、幕末と明
治中期~後期(古河鉱業時代)には産出量
日本一。
<史跡>秋田藩領を代表する大銅山の一
つ。金銀山だったが江戸初期に銅山とな
り、江戸中期には大坂廻銅が別子銅山を
しのぎ日本一。
<史跡>秋田藩領を代表する大銅山の一
つ。江戸時代後期以降、別子(愛媛)、阿仁
(秋田)とともに日本三大銅山に数えられ
た。
<史跡>江戸時代の卓抜な思想家・安藤昌
益(二井田出身)の墓。門弟たちの建てた
遺徳顕彰碑は宗教紛争で破壊されたが、
昭和53年に再建。
<史跡>江戸時代の高名な国学者・平田篤
胤(久保田出身)の墓。国史跡。幕府により
江戸から追放され、久保田で病没。
224
(a)歴史
秋田県
北秋田市
225
(a)歴史
秋田県
井川町
井川の板碑群
226
(a)歴史
秋田県
湯沢市
熊野神社磨崖碑
227
(a)歴史
秋田県
美郷町
六郷の寺院と板碑群
<文化財>江戸初期に佐竹義家が東方防
備も兼ねて配置したものなど27の寺院と、
中世の板碑29基。
228
(a)歴史
秋田県
横手市
猩々碑
<文化財>羽州街道と浅舞・増田街道の交
差点「十文字」に建っていた道標石。文化
8年(1811)建立。
229
(a)歴史
秋田県
横手市
正伝寺の聖観音立像
<文化財>正伝寺の開基由来とされる金銅 室町時代、長谷寺(京都)の三十三観音の 横手市栄
正観音立像。白鳳時代の作で、東北最古 うちの一体を請い受け、観音堂を建立して
祀ったのが正伝寺の始まりと伝える。
の金銅仏といわれる。県文化。
波宇志別神社
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
山を神体とする山岳信仰。天平宝字元年
(757)に蔵王権現を勧請と伝える。横手・秋
田・亀田・矢島の4登拝口。霜月神楽は国
無形。
神宮寺八幡神社
<史跡>伝・坂上田村麻呂勧請、源義家と 「神宮寺」の地名は、出羽国最北の延喜式
源頼朝の再建棟札が残る古社。15世紀に 内社だった副川神社の別当・神宮寺華蔵
も社殿造営の棟札(県文化)
院に由来(副川神社は後に八郎潟町に移
転)
真山神社と赤神神社五社堂 <史跡>男鹿三山(真山・本山・毛無山)の山 真山神社は中世安東氏、近世佐竹氏の祈
岳信仰の起点(終点)となる古社と男鹿の 願所。五社堂(県文化)の厨子は国重文。
ナマハゲ(国無形)発祥伝説の地。
真山神社も五社堂も文化財や伝承豊富。
延慶碑
<史跡>古代・中世・近世と出羽一円に及
んだ保呂羽山(ほろわさん)信仰の中心。
延喜式内社。山頂(438m)に社殿。
所在地
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
『新版 秋田県の歴史散歩』(編著 横手市教育委員会・TEL0182/秋田県の歴史散歩編集委員
35-2111
会。発行/山川出版社)
カテゴリー
横手市大森町八沢
木字木ノ根坂200
大仙市神宮寺神宮
寺33
真山神社:男鹿市北
浦上真山。赤神神社
五社堂:男鹿市船川
港門前
<史跡>四道将軍の一人・大彦命が神代の 越後五十公野の古四王神社、会津喜多方 秋田市寺内字児桜
武神・武甕槌(タケミカヅチ)命を祀ったと伝 の腰王神社とともに三古四王の一つ。古 81
える古社。坂上田村麻呂再興伝承も。
代先住民の「齶田浦の神」との関連説も。
<文化財>延慶2年(309)に建立された秋田
県内最古の板碑。「松石殿」の追善供養
碑。伝承にも記録にも登場しない謎の人
物。
<文化財>八郎潟沿岸部の新屋敷墓地や
今戸地区に30基以上の板碑が現存。県内
では最も板碑の密度が高いエリアの一
つ。
<文化財>社殿背後の崖岩に阿弥陀三尊
の種字と願文を刻む。元享2年。(1322)鎌
倉期の磨崖碑は秋田県内唯一(県史跡)
江戸時代の最盛期には鉱山町の人口が
藩都・久保田を超えたとの説も。昭和29
年、最終閉山。坑道跡や墓地、金山神社
などが残る。
]明治以降は県営~官営~民営。昭和45
年、最終閉山。異人館(夷人館。県文化)
が、外国人技師たちを招いた時代の名残
を伝える。
明治以降は官営などを経て民営化(三
菱)。昭和53年、完全閉山。廃坑跡などを
利用して鉱山体験博物館「マインランド尾
去沢」に。
昌益は万人平等に田畑を耕すのが自然
にかなった道と説き、身分制度と、これを
支える寺社や俗信を否定した。
“神かがり的"ともいえる篤胤の激烈な尊
皇主義は幕府に嫌われたが、倒幕運動や
明治以降の日本に大きく影響したとされ
る。
土に埋もれていたのを地元の人々が小橋
に使おうとしたが微動だにせず、安置する
ために運ぼうとすると自ら立ち上がったと
の逸話も。
年代が判明する17基の全てが、北朝年
号。南北朝時代のこの地方が北朝方(足
利氏系)の影響下にあったことを示す史
料。
古代、多賀城と秋田城を結んだ「出羽山
道駅路」(加美~尾花沢~金山~有屋峠
~寺沢~雄勝)の道沿い。古道の一部が
残存。
名水の里として知られる六郷だが、「寺と
板碑の町」でもある。六郷の板碑は、自然
石にそのまま梵字・種字を記したのが特
徴。
謡曲の酒仙「猩々」像を刻んだ異色のも
の。今は新しい猩々碑が建っている。実物
は地元の幸福会館に保存されている。
情報源・取材元
『新版 秋田県の歴史散歩』(編著 大仙市教育委員会・TEL018763-1111
/秋田県の歴史散歩編集委員
会。発行/山川出版社)
『新版 秋田県の歴史散歩』(編著 男鹿市教育委員会・TEL0185/秋田県の歴史散歩編集委員
23-2111
会。発行/山川出版社)
『東北ふしぎ探訪――歴史・民俗 秋田市教育委員会・TEL018のミステリーを歩く』(著/伊藤孝 866-2246
博。発行/無明舎出版)
湯沢市(旧・雄勝郡 『新版 秋田県の歴史散歩 』(編 湯沢市教育委員会・TEL0183雄勝町院内銀山町) 著/秋田県の歴史散歩編集会編 73-2111
。発行/山川出版)
北秋田市(旧・北秋 『新版 秋田県の歴史散歩 』(編 北秋田市教育委員会・TEL0186田郡阿仁町阿仁合) 著/秋田県の歴史散歩編集会編 62-1111
。発行/山川出版)
鹿角市尾去沢字獅
子沢
『新版 秋田県の歴史散歩 』(編 鹿角市鉱山歴史館 TEL0186著/秋田県の歴史散歩編集会編 22-0123
。発行/山川出版)
大館市二井田字贄
の里(温泉寺)
『新版 秋田県の歴史散歩 』(編 大館市教育委員会・TEL0186著/秋田県の歴史散歩編集会編 49-3111
。発行/山川出版)
秋田市手形大沢
『新版 秋田県の歴史散歩 』(編 秋田市教育委員会・TEL0183著/秋田県の歴史散歩編集会編 73-2111
。発行/山川出版)
北秋田市(旧・北秋 『新版 秋田県の歴史散歩 』(編 北秋田市教育委員会・TEL0186田郡合川町川井)
著/秋田県の歴史散歩編集会編 62-1111
。発行/山川出版)
南秋田郡井川町
『新版 秋田県の歴史散歩 』(編 井川町教育委員会・018-874著/秋田県の歴史散歩編集会編 4411
。発行/山川出版)
湯沢市(旧・雄勝郡
雄勝町横堀)
『新版 秋田県の歴史散歩 』(編 湯沢市教育委員会・TEL0183著/秋田県の歴史散歩編集会編 73-2111
。発行/山川出版)
美郷町(旧・仙北郡
六郷町)
『新版 秋田県の歴史散歩 』(編 美郷町教育委員会・TEL0187著/秋田県の歴史散歩編集会編 84-1111
。発行/山川出版)
横手市(旧・平鹿郡
十文字町十文字)
『新版 秋田県の歴史散歩 』(編 横手市教育委員会・TEL0185著/秋田県の歴史散歩編集会編 35-2111
。発行/山川出版)
『各駅停車 全国歴史散歩 秋田 横手市教育委員会・TEL0185県』(編/秋田魁新報社。発行/河 35-2111
出書房新社)
【a 歴史】 16/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
230
(a)歴史
秋田県
潟上市
231
(a)歴史
232
(a)歴史
233
(a)歴史
秋田県
北秋田市
正法院の丈六地蔵
234
(a)歴史
秋田県
北秋田市
内館文庫
235
(a)歴史
秋田県
羽後町
236
(a)歴史
秋田県 秋田市ほか 菅江真澄遊覧記
237
(a)歴史
秋田県
238
(a)歴史
秋田県
239
(a)歴史
秋田県
240
(a)歴史
秋田県
241
(a)歴史
242
(a)歴史
243
244
(a)歴史 秋田県 能代市、男 秋田安藤氏
青森県 鹿市、青森
県浪岡町、
鰺ヶ沢町、中
(a)歴史 山形県
南陽市
稲荷森古墳
245
(a)歴史
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
情報源・取材元
<文化財>ボラ塚は塩口地区に数基、ハタ 魚の供養碑は漁の盛んな各地に見られる
ハタ供養碑は出戸浜と江川浜。文字通り、 が、旧天王町は魚を含めて供養碑や八大
大量に漁獲した魚を供養したもの。
竜王碑、観音碑、地蔵などの石碑石仏が
多い。
秋田県
大仙市
水神社の線刻千手観音等鏡 <文化財>10世紀後半(平安中期)頃の作と 延宝5年(1677)、水路を掘った際に地中か
像
見られる白銅製八稜鏡。秋田県内で唯一 ら出てきたもの。埋まっていた経緯は不
の国宝。製作者や奉納者(京の藤原氏系 明。水(すい)神社社殿に祀られている。
の女性)銘も。
秋田県 由利本荘市 赤田の大仏
<文化財>総高10m、杉寄木造・金箔張の 江戸後期に完成したが明治になって焼
由利本荘市赤田字 『新版 秋田県の歴史散歩 』(編 由利本荘市教育委員
十一面観世音菩薩。名僧と慕われた「赤 失。今の大仏と大仏殿(大観音堂。高さ
上田表(長谷寺境内) 著/秋田県の歴史散歩編集会編 会.TEL0184-24-3321
田の閑居さん」こと是山泰覚の発願。
21m余)は明治中期に復元されたもの。
。発行/山川出版)
潟上市
ボラ塚とハタハタ供養碑
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
潟上市(旧・南秋田 『各駅停車 全国歴史散歩 秋田 潟上市教育委員会・018-878郡天王町塩口金木 県』(編/秋田魁新報社。発行/河 2211
鼻。同町江川浜山ほ 出書房新社)
か)
大仙市(旧。仙北郡 『新版 秋田県の歴史散歩 』(編 大仙市教育委員会・TEL0187中仙町大字豊川字 著/秋田県の歴史散歩編集会編 63-1111
。発行/山川出版)
観音堂)
所在地
佐藤信淵文庫
八郎潟漁労用具
由利本荘 本荘街道
市、横手市、
湯沢市
湯沢市、横 雄物川舟運の遺産
手市、大仙
市、秋田市
大館市、北 米代川舟運の遺産
秋田市、藤
里町、能代
市
秋田県 由利本荘市 子吉川舟運の遺産
秋田県 仙北市、横 小野寺氏
山形県 手市、山形
県新庄市
山形県
飯豊町
上谷地遺跡
<文化財>高さー丈六尺(約5m)の延命地蔵
菩薩坐像。鎌沢地区にあるので鎌沢大仏
とも通称。木彫り坐像仏では全国5指に入
るとも。
<文化財>始まりは古代に遡るといわれる
“図書館"。江戸初期、綴子神社付属の私
塾「内館塾」創設。江戸中期、藩許塾に。
江戸後期、地蔵の首を背に全国修業中の
京の仏師が鎌沢に着く頃、首が重くなって
動けなくなったため、像を完成させたと伝
える。
宮野尹賢(いんけん)や般若院英泉が教授
となり村人を教育。明治期には後身の綴
子小学校に内藤湖南が赴任したことも。
<文化財>江戸三大農学者の一人に数えら
れた佐藤信淵(しんえん。西馬音内出身)
の関連資料などを収蔵する文庫。
<文化財>民俗学の先覚者とも評される江
戸後期の卓抜な“フィールドワーカー"、菅
江真澄の著作類のうち89冊が国重文。
信淵は農学・経済学・兵学・鉱山・地理・蘭 雄勝郡羽後町西馬
学・国学などを学び、後世の農本主義思 音内川原田
想にも影響を与えた。
遊覧記」は真澄の旅日記や地誌類などの 秋田市ほか
総称。ほかに46点が「菅江真澄著作集」と
して県文化財。秋田市寺内に墓がある。
『新版 秋田県の歴史散歩 』(編
著/秋田県の歴史散歩編集会編
。発行/山川出版)
『菅江真澄と秋田』(著/伊藤孝
博。発行/無明舎出版)
<文化財>日本第二の大湖だった八郎潟
の、往時の漁業の姿を伝える潟船や漁具
類。八郎潟漁撈用具収蔵庫で保存・展
示。国重文。
<交通・運輸>出羽の二大縦貫道だった羽
州街道の湯沢と北国街道の本荘を結んだ
重要な内陸横断道。
収蔵庫に隣接する旧・昭和町歴史民俗資 潟上市(旧・南秋田
料館は、国が埋もれた民俗資料収集のた 郡昭和町大久保)
め打ち出した補助制度による全国3館の
一つ。
本荘藩主・亀田藩主の参勤交代路や幕府 秋田県
巡見使の順路であるとともに、日本海と秋
田藩領内陸南部を結ぶ物流の幹線。
『新版 秋田県の歴史散歩 』(編 潟上市教育委員会・TEL018著/秋田県の歴史散歩編集会編 878-2211
。発行/山川出版)
<交通・運輸>県南内陸部と土崎港を結ん
だ物流の動脈。大曲や神宮寺浜などの川
湊を経て久保田城下に至り、土崎で日本
海海運とアクセス。
<交通・運輸>秋田県北内陸部と日本海の
能代を結んだ物流の動脈。大館の沢尻舟
場を起点に、鷹巣や二ツ井、鶴形などの
川港が栄えた。
<交通・運輸>県南の由利郡内陸部と本荘
城下の古雪(ふるゆき)港を結んだ物流の
動脈。本荘・亀田両藩の米や物産の集荷
で繁栄。
<歴史上の人物と一族>下野国の豪族だっ
たが源頼朝に出羽国雄勝郡の地頭職を
与えられ、やがて雄勝・平鹿・仙北3郡を領
する戦国大名に。
<歴史上の人物と一族>古代陸奥の大豪
族・安倍氏の末裔と伝え、中世は日本海
交易に名を馳せ、戦国末期には出羽北部
随一の大名に。
<史跡>日本海側で最北、山形県内で最大
の前方後円古墳。5世紀前半から中期頃
と推定。全長96m。東北第6位の規模。
下りは米などを運び、帰り荷は日本海航 秋田県
路による文物も。流域内陸部の各地に、
上方方面からの影響を示す文化や風俗
が。
米をはじめとする物流一般に加え、阿仁 秋田県
銅山や尾去沢銅山、秋田杉の主産地など
を流域に抱えたのも米代川舟運の大きな
特色。
江戸初期までは河口付近の両岸に古雪 秋田県
港があり、河口一帯を“ふるき"と総称して
いたのでは、との説も。
『新版 秋田県の歴史散歩 』(編 秋田県教育委員会・TEL018著/秋田県の歴史散歩編集委員 860-1111
会編 。発行/山川出版)
小野寺宗家は稲庭城を皮切りに沼館城、
横手城、大森城などを築いて勢力拡大。
最後は関ケ原合戦で西軍についたため改
易。
秋田氏を名乗って土崎湊城を本拠とした
が、近世は常陸を経て三春に転封。明治
の廃藩置県まで大名として存続した稀有
の一族。
置賜盆地(米沢盆地)北部に位置。岡盆地
には天神森古墳(75m)や戸塚山古墳(54m)
なども。前方後円墳の分布研究に貴重な
史料。
<史跡>約3万年前の旧石器類が出土した 羽越水害後の被害調査で偶然発見したの
山形県内最古の遺跡。東北で初めて中期 が端緒。学術調査で 200点以上の石器が
旧石器文化の存在の可能性を告げた遺 出土。中期旧石器の技法に類似した加工
跡。
法を確認し脚光。
北秋田市(旧・北秋
田郡合川町鎌沢)
『各駅停車 全国歴史散歩 秋田 北秋田市教育委員会・0186-62県』(編/秋田魁新報社。発行/河 1111
出書房新社)
北秋田市綴子(旧・
北秋田郡鷹巣町綴
子)
『新版 秋田県の歴史散歩 』(編 北秋田市教育委員会・TEL0186著/秋田県の歴史散歩編集会編 62-1111
。発行/山川出版)
羽後町教育委員会・TEL018362-2111
菅江真澄資料センター(秋田県立
博物館内)・TEL018-873-4121
『東北の街道』(監修/渡辺信夫。 秋田県教育委員会
発行/無明舎出版)
『米代川読本』(著/伊藤孝博。発 秋田県教育委員会・TEL018行/無明舎出版)
860-1111
『新版 秋田県の歴史散歩 』(編 由利本荘市教育委員会・0184著/秋田県の歴史散歩編集会編 24-3321
。発行/山川出版)
秋田県
『新版 秋田県の歴史散歩 』(編 横手市教育委員会・0185-35著/秋田県の歴史散歩編集会編 2111
。発行/山川出版)
秋田県
『東北ふしぎ探訪――歴史・民俗 秋田県教育委員会・TEL018のミステリーを歩く』(著/伊藤孝 860-1111/三春町歴史民俗資料
博。発行/無明舎出版)
館(福島県)・TEL0247-62-5263
南陽市大字長岡字
稲荷森
『日本の古代遺跡 21 山形』(企 南陽市教育委員会・TEL0238画/森浩一・著/川崎利夫。発行/ 40-3211
保育社)
西置賜郡飯豊町上
屋地
『日本の古代遺跡 21 山形』(企 山形県立博物館・TEL023-645画/森浩一・著/川崎利夫。発行/ 1111
保育社)
【a 歴史】 17/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
246
(a)歴史
山形県
山形市
嶋遺跡
<史跡>古墳時代前期から後期にかけての 出羽田設置前後の古代東北農村を伝える 山形市江俣
集落遺跡。7世紀が全盛期と推定。住居跡 貴重な遺跡。農具などの木製品遺物も多
や高床式倉庫跡などを発掘。国史跡。
数出土。エリアの一部は史跡公園化。
247
(a)歴史
山形県
酒田市
出羽国府跡(城輪柵跡)
<史跡>大和朝廷の出先機関が秋田城か 外郭は約720m四方。内部に250m四方の 酒田市域輪
ら後退した後、9~11世紀頃にかけて出羽 政庁域と見られる多くの建物跡を確認。一
国府が置かれたとされる国衙跡。国史跡。 部を再現し史跡公園として整備。
248
(a)歴史
山形県
新庄市
新庄城跡
249
(a)歴史
山形県
山形市
山形城跡
250
(a)歴史
山形県
山形市
長谷堂城跡
251
(a)歴史
山形県
山形市
光禅寺(最上義光の墓)
252
(a)歴史
山形県
天童市
若松寺
253
(a)歴史
山形県
米沢市
米沢城址
<史跡>新庄藩・戸沢氏が本拠とした平城 城は最上氏の臣・日野氏のものだったが、
跡(新庄沼田城とも)。最上郡全域と村山地 最上氏改易後、戸沢氏が居城。戊辰戦争
方の一部などの経営の中心。
で市街地の大半とともに焼失。今は公園
に。
<史跡>14世紀、出羽按察使・斯波兼頼が 最上氏57万石は元和8年(622)に改易(取
基礎を築き、最上義光(兼頼の子孫)が戦 潰し)。以後の山形城主は老中クラスの譜
国末期に修築して本拠とした大規模な平 代大名が13氏も交替。城跡の中心部は霞
城跡。
城公園に。
<史跡>上杉景勝の将・直江兼続軍の山形 長谷堂城を落とせぬまま関ケ原での西軍
城攻略を食い止めた「長谷堂合戦」で知ら 敗北の報を受けた直江軍は米沢に撤退。
れる山城跡。山形城の支域。
伊達氏も絡んだ一連の戦いを東北の関ケ
原合戦とも呼ぶ。
<史跡>最上義光の菩提寺(曹洞宗)。義
光禅寺は義光が建立。最上氏改易に伴っ
光・家親・義俊3代の墓や、義光に殉死し て入部した鳥居氏の時、旧地から現在地
た家臣らの墓、永和3年(1376)の板碑(市 に移転。庭園は江戸初期の遠州流名園
文化)。
(市名勝)。
<史跡>通称「若松観音」。行基の開基、慈 『めでためでたの若松さまよ』と花笠音頭
覚大師が山頂から移設と伝える古刹。本 にも歌われる縁結びの寺として有名。最
堂と金銅聖観音像懸仏など3件が国重
上三十三観音第一番札所。
文。
<史跡>米沢藩上杉氏の本拠だった平城 上杉氏ゆかりの膨大な宝物類が上杉神社
跡。鎌倉期の大江氏(長井氏)、戦国末期 稽照殿と上杉博物館(外郭跡の一角)に。
の伊達氏も本拠とした地。本丸跡に上杉 国宝1件・国重文17件2000点以上。
神社や松岬公園。
254
(a)歴史
山形県
米沢市
上杉家廟所
255
(a)歴史
山形県
米沢市
林泉寺
256
(a)歴史
山形県
米沢市
成島八幡神社
257
(a)歴史
山形県
高畠町
亀岡文殊
新庄市(最上公園)
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
『日本の古代遺跡 21 山形』(企 山形県立博物館・TEL023-645画/森浩一・著/川崎利夫。発行/ 1111
保育社)、『山形県の歴史散歩』
(編/山形県の歴史散歩編集委員
会。発行/山川出版)
情報源・取材元
『日本の古代遺跡 21 山形』(企
画/森浩一・著/川崎利夫。発行/
保育社)
『山形県の歴史散歩』(編/山形県
の歴史散歩編集委員会。発行/
山川出版)
『山形県の歴史散歩』(編/山形県
の歴史散歩編集委員会。発行/
山川出版)
酒田市教育委員会・TEL023422-5111
新庄市教育委員会・TEL023322-2111
山形市霞城町(また 『山形県の歴史散歩』(編/山形県 最上義光歴史館・TEL023-625は香澄町)
の歴史散歩編集委員会。発行/ 7101
山川出版)
山形市長谷堂
『六十里越街道』(著/伊藤孝博。 最上義光歴史館・TEL023-625発行/無明舎出版)
7101
山形市鉄砲町2-5-7 『山形県の歴史散歩』(編/山形県 最上義光歴史館・TEL023-625の歴史散歩編集委員会。発行/ 7101
山川出版)
天童市大字山元
2205-1
『山形県の歴史散歩』(編/山形県 天童市教育委員会・TEL023の歴史散歩編集委員会。発行/ 654-1111
山川出版)
米沢市丸の内
『山形県の歴史散歩』(編/山形県
の歴史散歩編集委員会。発行/
山川出版)、『国宝・重要文化財大
全』(編/毎日新聞社。発行/毎日
新聞社)
『山形県の歴史散歩』(編/山形県
の歴史散歩編集委員会。発行/
山川出版)
米沢市上杉博物館・0238-268001
<史跡>上杉謙信廟を中央に2代景勝(米沢
藩初代)から12代斉定まで上杉家歴代当
主の廟が並ぶ。境内は南北約180m・東西
約109m。
<史跡>元は越後高田にあった長尾家(上
杉謙信の祖)の菩提寺。米沢に移転し、上
杉家当主の夫人と子女、上杉家の重臣た
ちの廟所に。
<史跡>宝亀8年(777)、朝廷軍の将・大友
河麿が宇佐八幡を勧請したと伝える古
社。鎌倉期に長井氏が社殿造営。伊達氏
や上杉氏も崇敬。
謙信は米沢城本丸内に祀られていたが明 米沢市御廟
治初期に移設。8代目までは高野山に納
骨し、米沢では遺灰や冠服を納め位牌を
祀っていた。
直江兼続夫妻、武田信清(信玄の6男)、上 米沢市林泉寺1丁
杉景勝夫人菊姫(信玄の娘)、上杉綱勝夫 目2-3
人媛姫(保科正之の娘)などの墓も。
米沢市教育委員会・TEL023822-5111
今の拝殿は伊達宗遠(14世紀)、本殿は上 米沢市広幡町成島
杉綱勝(17世紀)が造営。伊達政宗は仙台 1058-5
に大崎八幡造営の際、故郷の成島八幡を
勧請合祀。
『山形県の歴史散歩』(編/山形県 米沢市教育委員会・TEL0238の歴史散歩編集委員会。発行/ 22-5111
山川出版)
『各駅停車 全国歴史散歩 山形
県』(編/山形新聞社。発行/河出
書房新社)
『奥州街道』(著・伊藤孝博。発行・
無明舎出版)
<史跡>大聖寺(真言宗)亀岡文殊堂。大同
2年(807)、慈覚大師開山と伝える霊場。大
和の安倍、丹後の切戸とともに日本三文
殊の一つ。
文殊講や合格祈願の参詣所で知られるが 東置賜郡高畠町亀
霊場としての逸話も残る。「亀岡百首」は 岡
上杉氏の重鎮・直江兼続らが歌会を催し
た時のもの。
『山形県の歴史散歩』(編/山形県 高畠町教育委員会・TEL0238の歴史散歩編集委員会。発行/ 52-1111
山川出版)
『各駅停車 全国歴史散歩 山形
県』(編/山形新聞社。発行/河出
書房新社)
『山形県の歴史散歩』(編/山形県 米沢市教育委員会・TEL0238の歴史散歩編集委員会。発行/ 22-5111
山川出版)
【a 歴史】 18/188
地域資源名
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
<史跡>源義家(八幡太郎)が前九年・後三 今の建物は江戸中期に上杉氏が建立。本 東置賜郡高畠町安 『山形県の歴史散歩』(編/山形県 高畠町教育委員会・TEL0238年の役の戦勝を感謝し鎌倉鶴岡八幡を勧 殿、舞楽殿、三重塔(置賜地方唯一の木造 久津2043-2
の歴史散歩編集委員会。発行/ 52-1111
請したと伝える古社。通称「東(あずま)八 層塔建築)は県文化財。
山川出版)
幡宮」。
『各駅停車 全国歴史散歩 山形
県』(編/山形新聞社。発行/河出
書房新社)
<史跡>貞観2年(860)、慈覚大師が勅許を 比叡山から分けた不滅の法燈が灯る。叡 山形市大字山寺
『山形県の歴史散歩』(編/山形県 山形市教育委員会・TEL023得て開山と伝える。東北を代表する名刹。 山の法燈が信長により途絶えた際は山寺 4456-1
の歴史散歩編集委員会。発行/ 641-1212。
宝珠山立石寺を中心とする全山が国史
の燈を移した。文化財多数。「奥の細道」
山川出版)
立石寺文化財収蔵庫秘宝館
跡・国名勝。
でも有名。
『各駅停車 全国歴史散歩 山形
県』(編/山形新聞社。発行/河出
書房新社)
<史跡>“東北の伊勢"とも熊野大社とも呼 近世は上杉氏の祈祷所となり社殿再建。 南陽市宮内3476-1 『山形県の歴史散歩』(編/山形県 南陽市教育委員会・0238-40ばれる古社。大同元年(806)、平城天皇の 八幡太郎義家の臣・鎌倉権五郎手植えと
の歴史散歩編集委員会。発行/ 3211
伝える大銀杏がある。出羽田分寺跡説を
勅により創建と伝えるが実態は不詳。
山川出版)
唱える人も。
『各駅停車 全国歴史散歩 山形
県』(編/山形新聞社。発行/河出
書房新社)
<史跡>寒河江庄の総鎮守とされた古社。 八幡原(最上川沿い)には源頼義・義家親 寒河江市八幡町(長 『山形県の歴史散歩』(編/山形県 寒河江市教育委員会・TEL0237建久2年(1191)、大江広元が八幡原に鶴 子が八幡を祀ったとも。僧形八幡像は県 岡山の南端)
の歴史散歩編集委員会。発行/ 86-2111
岡八幡宮(鎌倉)を分霊勧請。大江氏入部 文化。作試し神事の流鏑馬が伝わる(9月
山川出版)
後、現在地に。
の例祭)。
『各駅停車 全国歴史散歩 山形
県』(編/山形新聞社。発行/河出
書房新社)
<史跡>神亀元年(724)、聖武天皇の勅によ 中世は大江氏や最上氏が保護。江戸期に 寒河江市大字慈思 『山形県の歴史散歩』(編/山形県 寒河江市教育委員会・TEL0237り行基が開山、天平18年(746)、婆羅門僧 は幕府が寺領2800石余を与え、東北最大 寺地籍31
の歴史散歩編集委員会。発行/ 86-2111
正が開基と伝える古刹。興福寺や高野山 の巨刹に。学頭・宝蔵院は本道寺や大日
山川出版)
も関与。
寺の本寺。
『各駅停車 全国歴史散歩 山形
県』(編/山形新聞社。発行/河出
書房新社)
『六十里越街道』(著/伊藤孝博。
発行/無明舎出版)
カテゴリー
県
市町村
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
258
(a)歴史
山形県
高畠町
安久津八幡宮
259
(a)歴史
山形県
山形市
立石寺(山寺)
260
(a)歴史
山形県
南陽市
宮内熊野神社
261
(a)歴史
山形県
寒河江市
寒河江八幡宮
262
(a)歴史
山形県
寒河江市
慈恩寺
263
(a)歴史
山形県 鶴岡市ほか 湯殿山真言四カ寺と岩根沢 <史跡>湯殿山への主要な登拝口で別当を 4寺は注連寺、大日坊、本道寺、大日寺。
日月寺
務めた真言宗4寺と岩根沢口(月山道。羽 出羽三山には八方七口があり、天台宗の
黒系)の別当寺。羽黒側と合わせ出羽三 羽黒山系と真言宗の湯殿山系に分かれて
山信仰の拠点。
いた。
『六十里越街道』(著/伊藤孝博。 鶴岡市教育委員会。西川町教育
発行/無明舎出版)
委員会
264
(a)歴史
山形県
鶴岡市
気比神社
『山形県の歴史散歩』(編/山形 鶴岡市教育委員会・TEL0235県の歴史散歩編集委員会。発行 25-2111
/山川出版)
『別冊歴史読本 諸国一宮と謎の
神々』(新人物往来社)
『東北ふしぎ探訪――歴史・民俗
のミステリーを歩く』(著/伊藤孝
博。発行/無明舎出版)
265
(a)歴史
山形県
遊佐町
鳥海山大物忌神社
<史跡>出羽国一宮。鳥海山を神とし(大物 噴火を繰り返す鳥海山は東北平定を目指 飽海郡遊佐町大字 『山形県の歴史散歩』(編/山形県 遊佐町教育委員会・TEL0234忌神)、山頂に本殿、吹浦と蕨岡に口ノ宮 す古代朝廷にとって大脅威。9世紀には
吹浦字布倉1番地・ の歴史散歩編集委員会。発行/ 72-3311
(里宮)。欽明天皇25年(564)創建と伝える。 次々と昇進し、東北では異例の正二位に 蕨岡・鳥海山頂
山川出版)
(月山と同時)
『別冊歴史読本 諸国一宮と謎の
神々』(新人物往来社)
『東北ふしぎ探訪――歴史・民俗
のミステリーを歩く』(著/伊藤孝
博。発行/無明舎出版)
266
(a)歴史
山形県
鶴岡市
念珠関(鼠ヶ関)跡
<史跡>白河関・勿来関とともに奥羽三古
関といわれた古代関所の跡。本来は県境
海岸の鼠喰岩(みずみかじりいわ)付近に
あったとされる。
鶴岡市大網七五三
掛・鶴岡市大網上
村・西川町本道寺・
西川町大井沢・西川
町岩根沢
<史跡>霊亀2年(716)、丹波(京都府)の真 敦賀気比神社は越前国一宮で正一位勲 鶴岡市三瀬字宮ノ
名井から移住した人々が敦賀(福井県)気 一等。応神天皇即位にも関わったとされる 前1番
比(けひ)神社の分霊を祀ったとされる古
最高神格。同社の分布と古四王の関連を
社。
指摘する説も。
平泉に落ち延びる義経一行は安宅関を通 鶴岡市(旧・西田川
らず船で念珠関に上陸したとの説も。「史 郡温海町鼠ヶ関)
蹟念関趾」碑があるのは江戸期に移設さ
れた関跡。
情報源・取材元
『山形県の歴史散歩』(編/山形県 鶴岡市教育委員会・TEL0235の歴史散歩編集委員会。発行/ 25-2111
山川出版)
『各駅停車 全国歴史散歩 山形
県』(編/山形新聞社。発行/河出
書房新社)
『六十里越街道』(著/伊藤孝博。
発行/無明舎出版)
【a 歴史】 19/188
カテゴリー
県
市町村
267
(a)歴史
山形県
尾花沢市
268
(a)歴史
山形県
269
(a)歴史
270
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
『山形県の歴史散歩』(編/山形県 尾花沢市教育委員会・TEL0237の歴史散歩編集委員会。発行/ 22-1111
山川出版)
『各駅停車 全国歴史散歩 山形
県』(編/山形新聞社。発行/河出
書房新社)
『六十里越街道』(著/伊藤孝博。
発行/無明舎出版)
情報源・取材元
延沢(野辺沢)銀山跡
<史跡>江戸初期、延沢(野辺沢)氏が経
全盛だった寛永期の様子を示す文書や絵 尾花沢市大字銀山
営、山形藩・鳥居氏の時代を経て寛永11 図が現存(市文化)。銀山温泉近くの「おも 新畑
年(1634)に幕府直営となった大銀山の跡。 かげ公園」では大坑道跡(市史跡)を見学
できる。
鶴岡市
加藤清正墓碑
<史跡>猛将として知られた肥後熊本52万
石の大名・加藤清正の墓碑。戒名を刻ん
だ五輪塔。弓野焼(熊本)の無蓋の瓶も発
見。県史跡。
清正の子・忠広は流罪となって庄内藩な
預けられ、当地に居館。墓石と伝えられて
いた別の鉾型石の下からは清正着用の兜
も出土。
鶴岡市(旧・東田川
郡櫛引町丸岡)丸岡
城跡(県史跡)北隣の
天沢寺(曹洞宗)
『山形県の歴史散歩』(編/山形県 鶴岡市教育委員会・TEL0235の歴史散歩編集委員会。発行/ 25-2111
山川出版)
『各駅停車 全国歴史散歩 山形
県』(編/山形新聞社。発行/河出
書房新社)
『六十里越街道』(著/伊藤孝博。
発行/無明舎出版)
山形県
寒河江市
白岩義民の墓
<史跡>寛永10年(1633)、領主の暴政を農
民が幕府に直訴。領主への軽い処分を不
満とし再決起をはかつて処刑された義民
38名の供養碑。
処刑から33回忌にあたる寛文10年
(1670)、縄目のついた墓碑も別の所に建
立。白岩郷では寛永年間にも直訴事件で
代表が獄死。
寒河江市白岩の誓
願寺。“縄目"墓碑は
西川町間沢の東泉
寺。
『山形県の歴史散歩』(編/山形県 寒河江市教育委員会・TEL0237の歴史散歩編集委員会。発行/ 86-2111
山川出版)
『各駅停車 全国歴史散歩 山形
県』(編/山形新聞社。発行/河出
書房新社)
『六十里越街道』(著/伊藤孝博。
発行/無明舎出版)
(a)歴史
山形県
山形市
竜山の石造明神鳥居
竜山に向かって建てられた石造明神鳥
居。元木地区と成沢地区。島木と笠木の
反りがほとんど無い平安後期の様式。とも
に国重文。
竜山は通称“西蔵王"。古くから修験の霊
山。成沢の鳥居は八幡神社前に移設され
たもので、本来は竜山に向かっていたと伝
える。
山形市大字小立(元
木)と山形市蔵王成
沢(成沢八幡神社入
口)
『山形県の歴史散歩』(編/山形県 山形市教育委員会・023-641の歴史散歩編集委員会。発行/ 1212
山川出版)
『各駅停車 全国歴史散歩 山形
県』(編/山形新聞社。発行/河出
書房新社)
『国宝・重要文化財大全』(編/毎
日新聞社。発行/毎日新聞社)
271
(a)歴史
山形県
東根市
与次郎稲荷の石鳥居
<文化財>平安後期様式の石造明神鳥居。
かつては「最上三鳥居」のーつとされ国の
重要美術品(他の2基は山形市元木と天童
市荒谷原)
移設されたもので損傷が激しい。与次郎 東根市蟹沢
稲荷は秋田藩佐竹氏の飛脚・那珂与次郎
(大狐)と六回宿をめぐる伝説の舞台として
有名。
272
(a)歴史
山形県
遊佐町
三崎山の青銅刀
273
(a)歴史
山形県 鶴岡市・遊佐 雨後石鏃
町
<文化財>縄文後期~晩期の三崎山遺跡
から出土した全長26㎝の青銅製刀子(ナイ
フ)。古代中国の殷・周時代の青銅刀子と
極めて類似。
<文化財>承和6年(839)や仁和元年(885)、
長雨の後に色とりどりの夥しい石鏃が砂
浜に忽然と出現したと正史にある比定地。
274
(a)歴史
山形県
舟形町
縄文の女神像
<文化財>西ノ前遺跡(縄文中期の大集落
跡)から出土した日本最大の土偶(45㎝)。
“八頭身"の造形が異色の女性像。国宝。
275
(a)歴史
山形県
南陽市
正元元年大日板碑
<文化財>正元元年(1259)銘の板碑(県文
化)。高さ2.57m。山形県内最古。同じ地区
に嘉暦2年(1327)の大日板碑(県文化)も。
276
(a)歴史
山形県
酒田市
生石板碑群
<文化財>生石地区に残る40余基の板碑
群。年号銘が判明する24基が県文化財。
正和3年(1314)から応安5年(1372)まで。
後世持ち込まれたものではなく地下2.5m
の岩石の隙間から出土。沿海州や中国北
部と亀ケ岡縄文文化圏の関わりを示唆す
るとの説も。
人々は鬼神が天から降らせたと認識。朝
廷は凶事の前兆として神仏への祈祷を命
令。古代秋田城でも同様の「雨後石鏃」現
象が記録に。
かつて「縄文のヴィーナス」と呼ばれたが、
今は一般に「縄文の女神」と通称。舟形町
立歴史民俗資料館収蔵(貸し出しで“留守
"も)。
嘉暦2年板碑も高さ2.6mの巨大なもの。典
型的な置賜型板碑とされる。鎌倉期の同
地方は大江広元ら大江氏の勢力下にあっ
た。
庄内平野と出羽丘陵が接するエリアの約2
㎞区問。南朝年号(14基)と北朝年号(8基)
が混在し、往時の情勢を窺う貴重な史料。
飽海郡遊佐町三崎
山
『山形県の歴史散歩』(編/山形県
の歴史散歩編集委員会。発行/
山川出版)
『各駅停車 全国歴史散歩 山形
県』(編/山形新聞社。発行/河出
書房新社)
『日本の古代遺跡 21 山形』(企
画/森浩一・著/川崎利夫。発行/
保育社)
東根市教育委員会・0237-421111
遊佐町教育委員会・TEL023472-3311
飽海郡遊佐町藤崎
の神矢道遺跡・同町
北目の神矢田遺跡
ほか
最上郡舟形町の猿
羽根山街道沿い
『日本の古代遺跡 21 山形』(企 遊佐町教育委員会・TEL0234画/森浩一・著/川崎利夫。発行/ 72-3311
保育社)
南陽市梨郷竹原
『各駅停車 全国歴史散歩 山形 南陽市教育委員会 ・TEL0238県』(編/山形新聞社。発行/河出 40-3211
書房新社)
『山形ウォーキングガイド』(著/伊 舟形町歴史民俗資料館
藤孝博。発行/無明舎出版)
酒田市大字生石(お 『山形県の歴史散歩』(編/山形県 酒田市教育委員会・TEL0234いし)
の歴史散歩編集委員会。発行/ 22-5111
山川出版)
『各駅停車 全国歴史散歩 山形
県』(編/山形新聞社。発行/河出
書房新社)
【a 歴史】 20/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
277
(a)歴史
山形県
高畠町
酬恩碑(義民顕彰碑)
278
(a)歴史
山形県
米沢市
田沢の草木塔
279
(a)歴史
山形県
鶴岡市
大山の石敢当
280
(a)歴史
山形県
山形市
281
(a)歴史
山形県
282
(a)歴史
283
歴史的価値・ストーリー
<文化財>寛文6年(1666)、農民の窮状など
を幕府に直訴して処刑されたと伝えられる
屋代郷義民・高梨利右衛門の報恩顕彰
碑。
<文化財>草木の霊を鎮魂供養したり感謝
を捧げたとみられる異色の石塔群。江戸
期の10基は全て市文化財(米沢全体では
17基)。
<文化財>石敢当(いしがんとう)は旅の安
全を祈って建てた中国伝来の石塔。九州
等に多いが東北では稀。分布の北限とし
て県文化財。
直訴がもとで屋代郷は米沢藩領から天領
になったとの説も。碑は幕府に破却された
り明治政府に倒されたが、その度に地元
民が再建。
江戸中期に田沢地区で発祥したとされ置
賜地方各地に伝播。自然との共生精神の
シンボルとして全国や海外にも「現代の草
木塔」が。
明治初期、道路改修を指揮した県令・三
島通庸が、この石敢当を憚りルート変更し
たとの逸話も。「石敢当」は古代中国の武
人の名。
山寺(立石寺)の文化財
<文化財>全山が国史跡・国名勝。立石寺
根本中堂が国宝(に昇格?)。三重小塔、木
造薬師如来坐像、天養元年如法経所碑が
国重文。
納経堂(県文化)や慈覚大師廟(開山堂)・ 山形市大字山寺
釈迦堂・五大堂などの建物以外でも、木造
釈迦如来立像や伝教大師坐像ほか寺宝
多数。
『山形県の歴史散歩』(編/山形県 立石寺文化財収蔵庫秘宝館
の歴史散歩編集委員会。発行/
山川出版)
『各駅停車 全国歴史散歩 山形
県』(編/山形新聞社。発行/河出
書房新社)
『国宝・重要文化財大全』(編/毎
日新聞社。発行/毎日新聞社)
寒河江市
慈恩寺の国指定文化財群
<文化財>本堂、木造阿弥陀如来坐像、木
造騎獅文殊菩薩と脇侍像、木造騎像普賢
菩薩と十羅利女像、木造弥勒菩薩と諸尊
像などが国重文。
木造十二神将立像、木造薬師知来と両脇 寒河江市大字慈恩
侍像も国重文。東北の仏像文化の一大宝 寺
庫。同寺と谷地八幡宮で舞われる林家舞
楽は県民俗。
『山形県の歴史散歩』(編/山形県 寒河江市教育委員会・0237-86の歴史散歩編集委員会。発行/ 2111
山川出版)
『各駅停車 全国歴史散歩 山形
県』(編/山形新聞社。発行/河出
書房新社)
『国宝・重要文化財大全』(編/毎
日新聞社。発行/毎日新聞社)
山形県
鶴岡市
羽黒山の国指定文化財群
<文化財>羽黒山五重塔が国宝、三神合祭 岩根沢の旧・日月寺本堂(月山神社出羽
殿と鐘楼、黄金堂(正善院)、銅鏡(190面)、 神社湯殿山神社摂社月山出羽湯殿山三
銅燈籠竿、梵鐘が国重文。
神社社殿)も国重文。旧羽黒系が三山神
社化されたもの。
(a)歴史
山形県
山形市
千手堂吉祥院の千手観音像 <文化財>室町期様式の観音堂に安置さ ほかにも平安~室町期の多くの諸仏。最 山形市大字千手堂
れた平安初期の木造観世音菩薩立像。像 上義光奉納の御詠歌額も。往時は千手堂
高約175㎝。一木造翻波式衣文の名残り。 が最上三十三観音の第一番札所と推定。
国重文。
284
(a)歴史
山形県
285
(a)歴史
山形県 酒田市ほか 最上川舟運の遺産
鶴岡市、西 六十里越街道
川町、山形
市
所在地
情報源・取材元
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
高畠町教育委員会・TEL023852-1111
資源の概要
東置賜郡高畠町二
井宿
『屋代郷義民高梨利右衛門』(高
梨利右衛門三百年祭実行委員
会)
米沢市口田沢・神
原・入田沢
『草木塔の里 田沢』(おいたま草 米沢市田沢コミュニティーセン
木塔の会)
ター。 ℡ 0238-31-2111
鶴岡市大山(酒造資 『山形県の歴史散歩』(編/山形県 鶴岡市教育委員会・TEL0235料館の隣)
の歴史散歩編集委員会。発行/ 25-2111
山川出版)
『各駅停車 全国歴史散歩 山形
県』(編/山形新聞社。発行/河出
書房新社)
鶴岡市(旧・東田川
郡羽黒町手向ほか)
と西村山郡西川町
大字岩根沢
『山形県の歴史散歩』(編/山形県 立石寺文化財収蔵庫秘宝館
の歴史散歩編集委員会。発行/
山川出版)
『各駅停車 全国歴史散歩 山形
県』(編/山形新聞社。発行/河出
書房新社)
『国宝・重要文化財大全』(編/毎
日新聞社。発行/毎日新聞社)
『山形県の歴史散歩』(編/山形県 山形市教育委員会・TEL023の歴史散歩編集委員会。発行/ 641-1212
山川出版)
『各駅停車 全国歴史散歩 山形
県』(編/山形新聞社。発行/河出
書房新社)
<交通・運輸>山形城下の羽州街道から月
山山系中腹を経て鶴岡城下を結んだ最短
の横断陸路。湯殿山参詣へのメインルー
ト。
内陸勢力と海岸勢力の中世以来のドラ
山形県
マ、山岳修験が培った歴史を刻む。山道
区間の古道ルートの多くが現存。整備・活
用の取り組みも。
『六十里越街道』(著/伊藤孝博。 鶴岡市教育委員会・TEL0235発行/無明舎出版)
25-2111。西川町教育委員会・
TEL0237-74-2111
矢野光男(「 山形県歴史の道『六
十里越街道』を記録する会」代表)
<交通・運輸>山形県内陸部と酒田(最上川
河口)を結んだ物流の大動脈。最上氏が
庄内も領した戦国末期から山形~酒田を
一貫通船。
江戸期には上流部の難所が改修され米 山形県
沢藩領まで通船可能に。船町(山形城下)
や大石田(最大の川港)、谷地などが重要
拠点。
『六十里越街道』(著/伊藤孝博。 山形県教育委員会・023-645発行/無明舎出版)
1111
【a 歴史】 21/188
カテゴリー
県
市町村
286
(a)歴史
山形県
米沢市
大江氏(長井氏)
<歴史上の人物と一族>文治5年(1189)の
奥州合戦で平泉藤原氏が滅びた後、源頼
朝から長井庄(米沢置賜地方)の地頭職を
与えられた。
長井氏は大江時広が初代。14世紀、伊達 山形県
氏により滅亡。同族の大江親広は寒河江
庄地頭となったが、戦国末期、最上氏の
配下に。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
『山形県の歴史散歩』(編/山形県 米沢市教育委員会・TEL0238の歴史散歩編集委員会。発行/ 22-5111
山川出版)
『各駅停車 全国歴史散歩 山形
県』(編/山形新聞社。発行/河出
書房新社)
287
(a)歴史
山形県
鶴岡市
酒井氏
最上氏改易後の山形城主は目まぐるしく 山形県
交替したが、庄内藩は一貫して酒井家が
治め続け、戊辰戦争~明治を迎えた。
『六十里越街道』(著/伊藤孝博。 鶴岡市教育委員会・TEL0235発行/無明舎出版)
25-2111。致道博物館(元・酒井家
御用屋敷)
288
(a)歴史
山形県
米沢市
上杉鷹山
(a)歴史
山形県
山形市
最上義光
質素倹約・殖産興業だけでなく、「大帝フレ 山形県
デリックと並び18世紀開明君主の到達点
に立っていた世界史的存在」(新渡戸稲造)
とも。
祖先は足利氏と同族の斯波氏。最上氏は 山形県
上杉氏や伊達氏など群雄割拠の中で勢
力を固めたが、元和8年(1622)に改易(取り
潰し)。
『米沢市史』(米沢市)ほか
289
<歴史上の人物と一族>元和8年(1622)の
最上氏改易の後、庄内を領した譜代大
名。庄内藩初代は酒井忠勝(酒井家3代
目)
<歴史上の人物と一族>米沢藩9代藩主・
治憲(はるのり)の隠居後の号。謙信からだ
と10代目当主。財政再建を断行した米沢
藩中興の祖。
<歴史上の人物と一族>出羽南部を代表す
る有力な戦国大名の一人。関ケ原合戦
後、庄内を含む57万石の雄藩に。山形発
展の礎を築く。
290
(a)歴史
山形・秋 遊佐町・にか 有耶無耶関跡
田県
ほ市
<史跡>鳥海山の手長足長なる毒蛇が出 伝説的「歌枕」の関。出羽国司の物資輸送 山形県遊佐町と秋
没し、出る時は「うや」、不在の時は「むや」 を妨害から守る関所との説も。「有耶無耶 田県にかほ市(旧・
と霊鳥が旅人に知らせたという関所跡。 関」跡は宮城・山形県境の笹谷峠旧道な 象潟町)の間の三崎
どにもある。
峠旧道
遊佐町教育委員会・TEL023472-3311。にかほ市教育委員会
291
(a)歴史
福島県
<史跡>縄文後期~晩期の貝塚。福島県で 新地貝塚は手長明神なる巨人の遺物、と
の遺跡学術調査の先駆け。土器編年標識 の伝説が残る。近くに手長明神社跡(国史
遺跡(新地式土器)。国史跡。
跡)。北西丘陵に手長明神を合祀した二羽
渡神社も。
新地町教育委員会・TEL024463-2111
292
(a)歴史
福島県 会津坂下町 亀ケ森古墳
<史跡>古墳時代前期(4世紀)の前方後円
墳。全長127m。宮城の雷神山古墳に次ぎ
東北第2位。平地築造では東北最大。国
史跡。
293
(a)歴史
福島県
<史跡>東北に存在しないとされていた古 三角縁神獣鏡や環頭太刀、玉類や鉄器類
墳時代前期(4世紀)の文化を初めて実証し などが次々と出土(18件370点余が国重
文)。古代東北史を書き替える発見として
た前方後円墳。全長114m。国史跡。
脚光。
294
(a)歴史
福島県
いわき市
中田横穴古墳
<史跡>6世紀末の横穴式装飾古墳。後室
に赤い三角文の装飾壁画。装身具385点・
武器や武具169点など膨大な遺物を出
土。国史跡。
同じエリアの神谷作古墳で男子胡坐像・
女子像・跪坐像(どれも国重文)の埴輪が
出土しており、文様と埴輪文化の関連説
も。
295
(a)歴史
福島県
南相馬市
真野古墳群
<史跡>東北最大規模の群集墳。東西1.3
㎞、南北700mほどの台地に約120基(前方
後円古墳2基と小円墳)。6~7世紀。国史
跡。
時期による葬法の変化が窺え、日本の古
墳文化を考える上で全国的にも貴重な遺
跡。開発などにより、今は49基を残すの
み。
新地町
地域資源名
新地貝塚
会津若松市 会津大塚山古墳
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
通称「大亀甲」。隣りに「小亀甲」と呼ばれ
る鎮守森古墳(珍しい前方後方墳。国史
跡)。大和政権と会津の古くからの関わり
を示唆。
所在地
情報源・取材元
米沢市上杉博物館・TEL023826-8001
『山形県の歴史散歩』(編/山形県 最上義光記念館・TEL023-625の歴史散歩編集委員会。発行/ 7101
山川出版)
『各駅停車 全国歴史散歩 山形
県』(編/山形新聞社。発行/河出
書房新社)
『歌枕とうほく紀行』(編/田口昌樹
+無明舎出版)。
『各駅停車 全国歴史散歩 山形
県』(編/山形新聞社。発行/河出
書房新)
相馬郡新地町小川 『新版 福島県の歴史散歩』(編/
字貝塚西ほか
福島県高等学校地理歴史・公民
科(社会科)研究会。発行/山川
出版社)
『日本の古代遺跡 45 福島』(企
画/森浩一・編著/穴澤咊光・馬目
順一。発行/保育社)
河沼郡会津坂下町 『新版 福島県の歴史散歩』(編/
青津字館の越
福島県高等学校地理歴史・公民
科(社会科)研究会。発行/山川
出版社)
『日本の古代遺跡 45 福島』(企
画/森浩一・編著/穴澤咊光・馬目
順一。発行/保育社)
会津若松市一箕町 『新版 福島県の歴史散歩』(編/
八幡字北滝沢
福島県高等学校地理歴史・公民
科(社会科)研究会。発行/山川
出版社)
『日本の古代遺跡 45 福島』(企
画/森浩一・編著/穴澤咊光・馬目
順一。発行/保育社)
いわき市平沼ノ内
『新版 福島県の歴史散歩』(編/
福島県高等学校地理歴史・公民
科(社会科)研究会。発行/山川
出版社)
『日本の古代遺跡 45 福島』(企
画/森浩一・編著/穴澤咊光・馬目
順一。発行/保育社)
南相馬市(旧・相馬 『新版 福島県の歴史散歩』(編/
郡鹿島町寺内字大 福島県高等学校地理歴史・公民
谷地、字仏方、字八 科(社会科)研究会。発行/山川
幡林、同町小池字長 出版社)
沼)
『日本の古代遺跡 45 福島』(企
画/森浩一・編著/穴澤咊光・馬目
順一。発行/保育社)
会津坂下町教育委員会
会津若松市教育委員会・
TEL0242-39-1111
いわき市教育委員会・TEL024622-1111
南相馬市教育委員会・TEL024422-2111。福島県立博物館(出土
品のうち県文化財の金銅製双魚
袋金具を収蔵)
【a 歴史】 22/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
296
(a)歴史
福島県
泉崎村
泉崎横穴装飾古墳
<史跡>7世紀前半頃の横穴古墳。玄室の 馬に乗り弓を持って鹿を追う男性1人、踊 西白河郡泉崎村字
天井に天空の星を表わすと見られる渦巻 る男性4人と壺を捧げ持つ女性3人。被葬 白石山
文と円文、奥壁に狩猟などをテーマとした 者の生涯の一こまと葬儀場面とも推定。
壁画。国史跡。
297
(a)歴史
福島県
双葉町
清戸迫装飾古墳
<史跡>清戸迫(きよとさく)横穴群(200基以
上の分布確認。6世紀末~7世紀)の1基。
古代豪族の狩猟風景らしい壁画。国史
跡。
玄室奥壁に反時計回り7重の渦巻文、冠 双葉郡双葉町新山
帽人物像2体、騎馬像1体、射手像1体、鹿 字清戸迫
や犬などと見られる動物5匹を朱彩で描
写。
298
(a)歴史
福島県
南相馬市
羽山横穴装飾古墳
<史跡>7世紀初期(古墳時代末期)の横穴
古墳。人物や馬などの動物たち、蛇行文、
謎の渦巻文1対(2個)、星々状の円文な
ど。国史跡。
赤斑をもつ白鹿も印象的。これらの壁画 南相馬市(旧・原町
(294~)は孰れも何らかの「説話」を描いた 市中太田字天狗回、
と見られているが、図象学的意味は未解 字西畑)
明。
299
(a)歴史
福島県
棚倉町
棚倉城跡
棚倉も戊辰戦争の舞台の一つ。今は大手 東白川郡棚倉町字
口(県天然の欅あり)と、内堀・土塁に固ま 城跡(じょうせき)
れた本丸跡と石垣の一部が残る。
300
(a)歴史
福島県
棚倉町
都都古別神社
<史跡>寛永元年(1624)、丹羽長秀が築
城。以後、8家・17代にわたる棚倉藩5万石
の本拠。丹羽氏(外様大名)以外は全て譜
代大名。
<史跡>八槻都々古別(やつきつつこわけ)
神社とも。宮城の塩竈神社と並び陸奥田
一宮とされた古社。延喜式の名神大社。
301
(a)歴史
福島県
三春町
三春城跡
302
(a)歴史
福島県
本宮市
人取橋古戦場跡
<史跡>戦国期、田村氏(坂上田村麻呂の
末裔)が居城した山城。伊達・蒲生・上杉・
加藤・松下氏領や天領を経て三春秋田藩
の本拠に。
<史跡>天正13年(1585)、伊達政宗が佐
竹・蘆名・相馬・二階堂氏など南東北の主
要勢力の連合軍と戦った古戦場跡。
三春秋田氏は元・秋田安藤(安東)氏。正
保2年(1645)に常陸宍戸から三春に移動。
伊達政宗(貞山)夫人・愛姫は三春田村氏
の娘。
連合軍約3万に対し政宗軍7000。政宗に
とって生涯最大の苦戦とも。跡地の一角
に、討ち死にした伊達の老将・茂庭(鬼庭)
左月の墓。
303
(a)歴史
福島県
二本松市
二本松城跡
<史跡>二本松藩・丹羽氏が本拠とした壮
大堅固な名城の跡。中世畠山氏の築城が
始まり。伊達氏支配を経て丹羽氏が大改
修。
素晴らしい眺望の本丸跡(山頂)や庭園も 二本松市郭内
見もの。戊辰戦争で落城。二本松少年隊
の悲劇でも知られる。霞ケ城公園として整
備。
304
(a)歴史
福島県
二本松市
大隣寺
<史跡>二本松藩丹羽氏の菩提寺(曹洞
二本松少年隊は城下南の大壇口で奮戦。 二本松市成田町1
宗)。累代当主の墓や内室陰墓、二本松少 戦場跡には隊士供養碑や彼らを援護し戦 丁目532
年隊士の墓と戊辰殉難者群霊塔も。
死した2名を供養する「二勇士の碑」など
がある。
305
(a)歴史
福島県
福島市
福島城跡
306
(a)歴史
福島県
福島市
文知摺観音
307
(a)歴史
福島県
福島市
医王寺と大鳥城跡
<史跡>中世は伊達氏配下の大仏城。文禄
元年(1592)頃、蒲生氏の将・木村氏が改
修し福島城と改名。江戸中期からは板倉
氏3万石の本拠。
<史跡>信夫文知摺(もぢずり)や河原左大
臣・源融(とおる)と虎女の伝説などで名高
い名勝。陸奥を代表する歌枕の地の一
つ。
<史跡>医王寺(真言宗)は天長3年(826)弘
法大師の開基と伝え、信夫庄司・佐藤一
族の菩提寺。大鳥城は佐藤氏が本拠とし
た古代山城。
主祭神は味耜高彦根(あじすきたかひこ
東白川郡棚倉町八
ね)命。日本武尊がこの地で祀ったのに始 槻字大宮66
まると伝える。御田植神事と七座神楽は
県民俗。
古代末期は佐藤基治(信夫庄司)一族の杉
妻太郎の杉妻城。木村氏の後は上杉氏が
城代を置き、本多氏や堀田氏が城主に
なったことも。
文知摺は石に藍を摺りつける染め物とさ
れ、古代陸奥の特産品。「みちのくのしの
ぶもぢずり誰ゆえに~」(源融)の歌は百人
一首にも。
信夫庄は平泉藤原氏の荘園で、佐藤庄司
基治は藤原氏の軍師格だったとも。医王
寺には義経関連の遺品。大鳥城跡は史跡
公園。
田村郡三春町城清
水・南町ほか
本宮市(旧・安達郡
本宮町青田字戸ノ
内ほか)
福島市杉妻(すぎの
め)町(福島県庁の地
が城跡の中心部)
福島市山口字寺前
福島市平野字寺前
(医王寺)・福島市飯
坂町字館(大鳥城跡)
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 泉崎村教育委員会・TEL0248福島県高等学校地理歴史・公民 53-2111
科(社会科)研究会。発行/山川
出版社)
『日本の古代遺跡 45 福島』(企
画/森浩一・編著/穴澤咊光・馬目
順一。発行/保育社)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 福島県教育委員会・TEL024福島県高等学校地理歴史・公民 521-1111
科(社会科)研究会。発行/山川
出版社)
『日本の古代遺跡 45 福島』(企
画/森浩一・編著/穴澤咊光・馬目
順一。発行/保育社)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 南相馬市教育委員会・TEL0244福島県高等学校地理歴史・公民 22-2111
科(社会科)研究会。発行/山川
出版社)
『日本の古代遺跡 45 福島』(企
画/森浩一・編著/穴澤咊光・馬目
順一。発行/保育社)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 棚倉町教育委員会・TEL0247福島県高等学校地理歴史・公民 33-0111
科(社会科)研究会。発行/山川
出版社)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 棚倉町教育委員会・TEL0247福島県高等学校地理歴史・公民 33-0111
科(社会科)研究会。発行/山川
出版社)『別冊歴史読本 諸国一
宮と謎の神々』(発行・新人物往
来社)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 三春町教育委員会・TEL0247福島県高等学校地理歴史・公民 62-2111
科(社会科)研究会。発行/山川
出版社)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 本宮市教育委員会・TEL0243福島県高等学校地理歴史・公民 33-1111
科(社会科)研究会。発行/山川
出版社)『奥州街道』(著/伊藤孝
博。発行/無明舎出版)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 二本松市教育委員会。TEL0243福島県高等学校地理歴史・公民 23-1111
科(社会科)研究会。発行/山川
出版社) 。『奥州街道』(著/伊藤
孝博。発行/無明舎出版)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 二本松市教育委員会。TEL0243福島県高等学校地理歴史・公民 23-1111
科(社会科)研究会。発行/山川
出版社)『奥州街道』(著/伊藤孝
博。発行/無明舎出版)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 福島市教育委員会・TEL024福島県高等学校地理歴史・公民 535-1111
科(社会科)研究会。発行/山川
出版社)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 福島市教育委員会・TEL024福島県高等学校地理歴史・公民 535-1111
科(社会科)研究会。発行/山川
出版社)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 福島市教育委員会・TEL024福島県高等学校地理歴史・公民 535-1111
科(社会科)研究会。発行/山川
出版社)
情報源・取材元
【a 歴史】 23/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
308
(a)歴史
福島県
桑折町
西山城跡
309
(a)歴史
福島県
伊達市
梁川城跡
310
(a)歴史
福島県
伊達市
霊山
311
(a)歴史
福島県
川俣町
機織神社
312
(a)歴史
福島県
猪苗代町
<史跡>天文元年(1532)から同17年(1548)
頃まで伊達氏の本拠だった広大堅固な中
世山城の跡。伊達氏が大勢力になる飛躍
の地。国史跡。
<史跡>15世紀前半から約1世紀(桑折西
山城に移るまで)伊達氏が本拠とした平城
跡。天正19年(1591)以降、蒲生氏や上杉
氏の城に。
<史跡>貞観元年(859)、慈覚大師が清和
天皇の勅により霊山寺を創建と伝える山
岳修験の大霊場跡。僧坊3600と称され
た。国史跡・国名勝。
<史跡>蘇我馬子に暗殺された崇峻天皇(6
世紀末)の妻・小手姫を祭神とする古社。
創建年代不詳。機織りの女神として崇敬。
伊達晴宗(独眼竜政宗の祖父)は父・稙宗
(たねむね)との戦い(天文の乱)に勝利した
後、西山城を廃城とし本拠を米沢城に移し
た。
江戸初期に上杉氏が伊達郡を失なった後
(領地半減)、尾張徳川家領となり松平梁
川藩が成立。一時期、松前藩が移封され
たことも。
南北朝時代、北畠顕家が南奥羽の南朝の
拠点として霊山城を築城。一時期、陸奥田
府を称したことも。寺も城も北朝勢により
焼失。
姫は奥州に落ち延びて同地に土着し養蚕
製絹技術をもたらしたと伝える。小手郷(川
俣)は古来、「絹の里」として有名。
伊達郡桑折町本丸
ほか
<史跡>鎌倉初期に佐原氏が築城(城主の
子孫は猪苗代氏)、戦国末期は蘆名氏と
伊達氏の攻防の舞台となった平山城の
跡。
土津神社と保科正之之墓所 <史跡>土津(はにつ)神社は会津松平藩
祖・保科正之を祀る。奥日光廟といわれた
壮麗な社殿は戊辰戦争で焼失。近くの高
台に墓所
磐椅神社
<史跡>そもそもは磐梯山(磐の梯。天に届
く岩の梯子)を神と祀ったもの。祭神・大山
祇命と埴山姫命。延喜式内社。
江戸期は会津藩が猪苗代地方の要として
城代を配置。戊辰戦争・母成峠の戦いで
敗れた際、城代は城を焼き払って退却。今
は公園に。
正之は徳川3代将軍家光の異母弟。4代将
軍を補佐し幕閣に大きな影響力。藩政で
も会津藩の基礎を築いた。同神社には社
宝多数。
平安初期までは会津を代表する神だった
が、やがて慧日寺の守護神的存在に。延
喜式では会津の首位の座を伊佐須美神
社に譲っている。
源平合戦で平氏に味方。信濃で敗北し衰
退へ。戦国末期、伊達・蘆名の合戦による
兵火で堂塔伽藍の大半を焼失。近くに今
の恵日寺。
蒲生氏移封後、加藤氏を経て寛永20年
(1643)に保科正之が入部(保科氏は元禄9
年から松平姓)。戊辰戦争の悲劇の舞台。
耶麻郡猪苗代町字
古城跡
313
(a)歴史
福島県
猪苗代町
314
(a)歴史
福島県
猪苗代町
315
(a)歴史
福島県
磐梯町
316
(a)歴史
福島県 会津若松市 若松城跡
317
(a)歴史
福島県 会津若松市 蘆名家廟所と松平家墓所
318
(a)歴史
福島県 会津若松市 飯盛山と白虎隊士の墓
319
(a)歴史
福島県 会津若松市 蒲生氏郷墓
320
(a)歴史
福島県
喜多方市
喜多方熊野神社
321
(a)歴史
福島県
喜多方市
喜多方古四王神社
322
(a)歴史
福島県 会津坂下町 恵隆寺
猪苗代城跡
慧日寺
<史跡>法相宗の高僧・徳ーが平安初期に
開いた大寺院跡。国史跡。平安後期には
子院3800坊、多くの僧兵を擁し、東北最大
級の勢力圏に。
<史跡>中世蘆名氏が居館、天正18年
(1590)、蒲生氏郷(うじさと)が本格築城した
大規模な平城の跡。国史跡。別名・鶴ケ
城。
<史跡>蘆名家廟所には16代盛氏(もりうじ)
の墓など3基。松平家墓所(国史跡)には初
代・保科正之を除く2代~9代の歴代藩主
らの墓。
<史跡>飯盛山は市街地を眺望できる古く
からの景勝地。戊辰戦争で命を落とした
白虎隊士の墓や藩主・松平容保の歌碑、
供養碑などがある。
<史跡>天正18年(1590)、豊臣秀吉により
会津に移封され、若松城の大改修や城下
整備を進めた蒲生氏郷(うじさと)の墓。
<史跡>天喜5年(1057)、前九年役で訪れた
源義家が紀伊の熊野三社を会津に勧請
(河沼郡熊野堂村)。うち一社を移したとさ
れる古社。
<史跡>越後国五十公野(いじみの)、出羽
国秋田とともに三古四王とされる古社。
「会津」地名発祥伝説に関連との説も。
所在地
伊達市(旧・伊達郡
梁川町字桜ケ岡、鶴
ケ岡)
伊達市(旧・伊達郡
霊山町大石字霊
山)・相馬市玉野
伊達郡川俣町字舘
58番
耶麻郡猪苗代町見
祢(みね)山
耶麻郡猪苗代町西
峰6199
耶麻郡磐梯町磐梯
寺西38(磐梯山慧日
寺資料館)
会津若松市追手(お
おて)町ほか
小田山北麓一帯が中世会津領主・蘆名氏
の墓域。近世会津藩最後の藩主・容保(か
たもり)の後の当主は松平家墓所の奥に
別途納骨。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 桑折町教育委員会・TEL024福島県高等学校地理歴史・公民 582-2111
科(社会科)研究会。発行/山川
出版社)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 伊達市教育委員会・TEL024福島県高等学校地理歴史・公民 575-1111
科(社会科)研究会。発行/山川
出版社)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 伊達市教育委員会・TEL024福島県高等学校地理歴史・公民 575-1111
科(社会科)研究会。発行/山川
出版社)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ かわまたおりもの展示館・
福島県高等学校地理歴史・公民 TEL024-565-4889
科(社会科)研究会。発行/山川
出版社) 『東北ふしぎ探訪――歴
史・民俗のミステリーを歩く』(著/
伊藤孝博。発行/無明舎出版)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 猪苗代町教育委員会・TEL0242福島県高等学校地理歴史・公民 62-2111
科(社会科)研究会。発行/山川
出版社)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 猪苗代町教育委員会・0242-62福島県高等学校地理歴史・公民 2111
科(社会科)研究会。発行/山川
出版社)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 猪苗代町教育委員会・0242-62福島県高等学校地理歴史・公民 2111
科(社会科)研究会。発行/山川
出版社)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 磐梯町教育委員会・TEL0242福島県高等学校地理歴史・公民 74-1221
科(社会科)研究会。発行/山川
出版社)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 会津若松市教育委員会・0242福島県高等学校地理歴史・公民 39-1111
科(社会科)研究会。発行/山川
出版社)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 会津若松市教育委員会・
福島県高等学校地理歴史・公民 TEL0242-39-1111
科(社会科)研究会。発行/山川
出版社)
情報源・取材元
会津若松市花見ケ
丘(蘆名家廟所)。会
津若松市東山町石
山字墓山甲(会津藩
主松平家墓所)
この地で自刃した20名のうち、唯一蘇生し 会津若松市一箕町 『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 白虎隊記念館・TEL0242-24た飯沼貞吉を除く19名の墓が正面に、戦 八幡字弁天下
福島県高等学校地理歴史・公民 9170
死した31名の墓が右手に並ぶ。
科(社会科)研究会。発行/山川
出版社)
興徳寺(臨済宗)境内の五輪塔。墓前に辞 会津若松市栄町
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 会津若松市教育委員会・
世の歌碑。旧・興徳寺は天正18年、会津
福島県高等学校地理歴史・公民 TEL0242-39-1111
入りした秀吉が「奥羽仕置」を行なった場
科(社会科)研究会。発行/山川
所。
出版社)
後三年役で再び訪れた義家が、本宮・新 喜多方市慶徳町新 『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 喜多方市教育委員会・TEL0241宮・那智のうち新宮を当地に移したと伝え 宮2258
福島県高等学校地理歴史・公民 24-3821
る。国重文の巨大な長床(拝殿)は壮観。
科(社会科)研究会。発行/山川
文化財多数。
出版社)
古四王(越王)神の多くは北面して祀られて 喜多方市慶徳町松 『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 喜多方市教育委員会・TEL0241いるのが特色。喜多方の社殿は北向きの 舞家字丑ノ尾3940 福島県高等学校地理歴史公民科 24-3821
(社会科)研究会。発行/山川出
宝形造りで、本来の特徴をとどめる。
版)。『東北ふしぎ探訪』(著/伊藤
孝博。発行/無明舎出版)
<史跡>5世紀中頃(仏教公式伝来より約1 今の恵隆寺は真言宗。弘法大師が立木に 河沼郡会津坂下町
世紀も前)に梁(中国)の僧・青岩が開基と 彫ったという高さ8.5mの「立木観音」(木造 塔寺字松原
伝える古刹。平安初期、徳一大師再建説 千手観音立像)と観音堂は国重文
も。
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 会津坂 下 町教育委員会・
福島県高等学校地理歴史公民科 TEL0242-84-1503
(社会科)研究会。発行/山川出
版)
【a 歴史】 24/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
<史跡>天喜3年(1055)、源義家(八幡太郎)
が京の石清水八幡を勧請と伝える古社。
河沼郡の総鎮守。通称「塔寺八幡」。社宝
多数。
<史跡>茨城の村松、宮城の柳津とともに
日本三大虚空蔵。歴代会津藩主、幕府巡
見使も参詣。「十三参り」や「七日堂裸参
り」で有名。
<史跡>別名・岩崎城跡。永禄4年(1561)、
会津領主の蘆名盛氏が築城を開始し隠居
した壮大な城の跡。福島県を代表する戦
国期の山城。
<史跡>嘉祥元年(848)に慈覚大師開基と
伝える天台宗の古刹。江戸幕府で権勢を
ふるった天海僧正が修行・得度した寺。
南北朝時代から江戸初期までの克明な日
記「塔寺八幡宮長帳」は極めて貴重な中
世史料。会津最大の銅製鰐口とともに国
重文。
今の円蔵寺は臨済宗だが徳一(法相宗)開
基と伝え、本尊は伝・弘法大師(真言宗)作
の虚空蔵菩薩像。奥之院弁天堂は国重
文。
盛氏は天正2年(1574)再び黒川城(後の若
松城)に復帰。岩崎城は短命だったが、曲
輪や土塁・空堀などの遺構が良好な状態
で現存。
平泉藤原氏時代から200年以上にわたり
多くの貴族と庶民が写経を続けたという同
寺所蔵の「一字蓮台法華経」9巻は国宝。
<史跡>塩竈神社と都々古別神社に次ぐ奥
州二宮。会津の総鎮守。式内社。祭神は
イザナギ・イザナミ両神と大毘古命・建沼
河別命。
<史跡>飯豊山(福島・山形・新潟)を神とす
る山岳信仰の社。白雉3年(652)開山と伝
え、山頂に本殿、麓に遥拝殿。
四道将軍と「会津」地名発祥に関わる創建 大沼郡会津美里町
伝説も。蘆名氏寄進と伝える朱漆金銅装 字宮林4377
神輿は国重文。田植神事は県民俗。
耶麻郡西会津町野
沢字大久保
323
(a)歴史
福島県 会津坂下町 心清水八幡宮(塔寺八幡)
324
(a)歴史
福島県
325
(a)歴史
福島県 会津美里町 向羽黒山城跡
326
(a)歴史
福島県 会津美里町 龍興寺
327
(a)歴史
福島県 会津美里町 伊佐須美神社
328
(a)歴史
福島県
喜多方市
飯豊山神社
329
(a)歴史
福島県
西会津町
野沢の大山祀神社
<史跡>西会津を代表する山の神・安産の
神。宝亀9年(778)勧請と伝え、祭神は大山
祀命・磐長比売命・木花咲耶比売命。
330
(a)歴史
福島県
南会津町
鴫山城
331
(a)歴史
福島県
いわき市
白水阿弥陀堂
332
(a)歴史
福島県
いわき市
飯野平城
<史跡>南北朝時代末期以後、長沼氏が居
城した山城の跡。中世城館から近世城郭
への移行形態を含む桝形や空堀・土塁な
どが残る。県史跡。
<史跡>正式名・願成寺阿弥陀堂。永暦元
年(1160)、領主岩城氏の後室徳尼(藤原清
衡の娘)が亡夫の冥福を祈り建立と伝え
る。国宝。
<史跡>文明15年(1483)に岩城氏が築城し
た中世平城(ひらじろ)の跡。戦国大名に成
長した同氏の本拠地。
333
(a)歴史
福島県
南相馬市
小高城
334
(a)歴史
福島県
相馬市
335
(a)歴史
福島県
白河市
336
(a)歴史
福島県
いわき市
337
(a)歴史
福島県
国見町
柳津町
円蔵寺(柳津虚空蔵尊)
<史跡>建武3年(1336)から慶長16年(1611)
まで奥州相馬氏の本拠だった平山城の
跡。県史跡。本丸跡に相馬小高神社(妙見
神社)。
中村城跡と相馬神社と相馬 <史跡>慶長16年(1611)から明治まで奥州
中村神社
相馬氏(相馬中村藩6万石)の本拠だった
平城の跡(県史跡)と相馬氏ゆかりの2社。
白河関跡
<史跡>勿来関とともに古代陸奥国の二大
関門だった関所跡。白河藩主・松平定信
が建立した古関蹟碑や白河神社がある。
国史跡。
勿来関跡
<史跡>古名は菊多関。古代東山道の白河
関に対し古代東海道の常陸・陸奥(設置当
時は石城国)国境近くに配された重要関
門。
阿津賀志(厚樫)山の大防塁 <史跡>奥州合戦で奥州軍(平泉藤原氏勢)
跡
最大の防御線だった防塁の跡。厚樫山中
腹から阿武隈川まで数キロにわたる2重空
堀。国史跡。
蒲生氏が登拝道を整備してから一般にも
広がり、五穀豊穣と成人儀礼信仰の山
に。米沢への間道抜けを禁じた江戸期の
制札場跡は県史跡。
麓の遥拝殿前は旅館や土産物屋などが
鳥居前町を形成。春の「大山祭」や秋の例
祭で賑わう。山の中腹に本殿、更に奥に
奥之院。
長沼氏は中世の南山地方(西会津郡東部
ほか)の領主。同氏が牛頭天王祭として始
めさせた田島袛園祭(国民俗)は800年の
伝統を持つ。
平泉仏教文化が波及した代表例として有
名。堂内には木造阿弥陀如来と両脇侍、
持国天、多聞天の立像(全て国重文)。庭
園は国史跡。
平(たいら)の地名は「飯野平」に由来。関ヶ
原合戦後、岩城氏は秋田の由利郡に移
封。平には鳥居氏が入り平城(たいらじよ
う)築城。
相馬野馬追祭の「野馬掛」神事の舞台。奥
州相馬氏は平将門の血を引く下総国の千
葉氏の末裔。奥州合戦後、浜通り地方を
領有。
中世の城を拡張改修して小高城から移
動。相馬神社は奥州相馬氏祖・相馬師常
らが祭神。相馬中村神社は将門以来の
「妙見神」が源流。
所在地
河沼郡会津坂下町
大字塔寺字松原
2908
柳津町柳津寺家町
甲176
会津美里町(旧・大
沼郡本郷町。白鳳山
公園)
会津美里町(旧・大
沼郡会津高田町龍
興寺北)
喜多方市山都町一
ノ木字飯豊山乙
4841番
南会津町(旧・南会
津郡田島町田島字
愛宕山ほか)
いわき市内郷白水
町広畑219
いわき市平(飯野平
城と近世・磐城平藩
の平城は別)
南相馬市(旧・相馬
郡小高町小高)
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 会津坂 下 町教育委員会・
福島県高等学校地理歴史公民科 TEL0242-84-1503
(社会科)研究会。発行/山川出
版)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 柳津町教育委員会・TEL0241福島県高等学校地理歴史公民科 42-2112
(社会科)研究会。発行/山川出
版)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 会津美里町教育委員会・
福島県高等学校地理歴史公民科 TEL0242-55-1122
(社会科)研究会。発行/山川出
版)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 会津美里町教育委員会・
福島県高等学校地理歴史公民科 TEL0242-55-1122
(社会科)研究会。発行/山川出
版)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 会津美里町教育委員会・
福島県高等学校地理歴史公民科 TEL0242-55-1122
(社会科)研究会。発行/山川出
版)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 喜多方市教育委員会・TEL0241福島県高等学校地理歴史公民科 24-3821
(社会科)研究会。発行/山川出
版)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 西会津町教育委員会・TEL0241福島県高等学校地理歴史公民科 45-2211
(社会科)研究会。発行/山川出
版)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 南会津町教育委員会・TEL0241福島県高等学校地理歴史公民科 62-6100
(社会科)研究会。発行/山川出
版)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ いわき市教育委員会・TEL0246福島県高等学校地理歴史公民科 22-1111
(社会科)研究会。発行/山川出
版)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ いわき市教育委員会・TEL0246福島県高等学校地理歴史公民科 22-1111
(社会科)研究会。発行/山川出
版)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 南相馬市教育委員会・TEL0244福島県高等学校地理歴史公民科 22-2111
(社会科)研究会。発行/山川出
版)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 相馬市教育委員会・TEL0244福島県高等学校地理歴史公民科 37-2183
(社会科)研究会。発行/山川出
版)
情報源・取材元
相馬市中村字北町
140
(両神社とも城跡の
一角。相馬中村神社
社殿は国重文)
白河関跡の比定地は諸説あるが、発掘調 白河市旗宿字関の 『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 白河市教育委員会・TEL0248査の結果、重要な境界施設の存在は確実 森
福島県高等学校地理歴史公民科 22-1111
視された。白河神社には多くの歌碑や義
(社会科)研究会。発行/山川出
経伝説も。
版)
白河関も菊多関も古代末までには役割を いわき市勿来町関 『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 勿来関文学歴史館。TEL0246終了。菊多関は古歌の「なこそ関」に重ね 団長沢(比定地は他 福島県高等学校地理歴史公民科 65-6166
られ、近世「勿来」を当て字。比定地に多く にも諸説)
(社会科)研究会。発行/山川出
の歌碑。
版)
元寇防塁(福岡市)・水城防塁(大宰府市)と 伊達郡国見町大木 『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 国見町教育委員会・TEL024ともに日本三大防塁。奥州合戦は日本史 戸・西大枝ほか
福島県高等学校地理歴史公民科 585-2111
が古代から中世に転換する大きな節目。
(社会科)研究会。発行/山川出
版)。『奥州街道』(著・伊藤孝博。
発行・無明舎出版)
【a 歴史】 25/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
338
(a)歴史
福島県
桑折町
339
(a)歴史
福島県
南相馬市
340
(a)歴史
341
(a)歴史
342
(a)歴史
343
(a)歴史
344
(a)歴史
福島県
福島市
弘安八年板碑
345
(a)歴史
福島県
福島市
巖谷観音磨崖仏群
346
(a)歴史
福島県
伊達市
寛延三義民顕彰碑
347
(a)歴史
福島県
南会津町
南山義民碑
348
(a)歴史
福島県
いわき市
天明飢饉救荒報恩碑
349
(a)歴史
福島県
広野町
350
(a)歴史
福島県
福島市
351
(a)歴史
福島県
二本松市
352
(a)歴史
福島県
西会津町
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
半田銀山跡と早田伝之助屋 <史跡>江戸期、松平桑折藩や幕府が経営 最盛期は佐渡相川・但馬生野・石見大森 伊達郡桑折町北半
敷
した大銀山の跡と、採鉱を請け負っていた と並ぶ全国有数規模。昭和26年(1951)閉 田
地元の名主・早田伝之助家の豪邸。
山。早田邸には五代友厚の息子が住んだ
ことも。
大悲山の磨崖仏
<文化財>東北最大の磨崖仏群。薬師堂石
仏(釈迦如来など7体)、阿弥陀堂石仏(1
体)、観音堂石仏(千手観音ほか)。どれも
国史跡。
福島県 会津美里町 大光寺石造供養塔
<文化財>延応2年(1240)の板碑。種字は
阿弥陀如来。三角丁部・二条切込線・顎部
様式。銘のある板碑としては東北地方最
古。県文化。
福島県
国見町
蒙古の碑
<文化財>正式には石母田(いしもだ)供養
石塔。碑文は、元寇の際に勧降使として
来日した一山一寧が徳治3年(1308)に揮
毫。国史跡。
福島県
福島市
正嘉二年の石造供養塔
<文化財>正嘉2年(1258)の板碑。平氏の
娘が母を供養した旨の銘も。阿弥陀如来
などの姿を見事に浮彫りした異色のもの。
国史跡。
福島県
いわき市 神谷作古墳の埴輪男子胡座 <文化財>神谷作古墳群(高久古墳群の一
像
部)の1基から出土した人物埴輪。6世紀の
東国を代表する逸品。国重文。
大同年間(806~810)、徳一大師の作と伝
えるが、様式から平安後期と推定。中世は
相馬氏一族の大悲山(だいひさ)氏のエリ
ア。
同様式の東北各県と北関東の板碑の祖
型とされる。平泉藤原氏3代・藤原秀衡の
娘と関連付ける伝承も。
南相馬市(旧・相馬
郡小高町泉沢字薬
師前ほか。大悲山の
杉森の中)
会津美里町(旧・大
沼郡会津高田町富
川字藤田)
中世の同地区は伊達氏の守護代・石母国 伊達郡国見町石母
氏が統治。石塔の名もこれに由来。近くに 国字中ノ内
石母田館跡(堀と土塁の遺構)。
源平合戦での平家滅亡や奥州合戦での 福島市下鳥渡(とり
平泉藤原氏滅亡に関連か。場所は陽泉寺 わた)字寺東
北側の丘陵。中世の板碑多数。
同古墳群からは女子像と跪坐像の埴輪も いわき市平神谷作
(ともに国重文)。一帯は古代・石城軍団が (かみやさく)
置かれた比定地に近いエリア。
<文化財>弘安8年(1285)の板碑。信夫山 信夫三山と称し羽黒・月山・湯殿山神社を
の薬王寺(天台宗)参道に移設。信夫山は 配置。羽山廃堂跡からは平安中期~室町
信達盆地の山岳信仰の中心。
期の古鏡や武具出土(県文化)。伝説も豊
富。
<文化財>夫山の東麓の岩崖に刻まれた 岩谷観音から400m余り東には五十辺館
約60体の供養仏群。宝永年間(1704~
跡。古代末期、佐藤基治(信夫庄司)の叔
1711)のもの。
父・伊賀良目(いがらめ)高重が居館。土塁
や空堀。
<文化財>寛延2年(1749)、桑折代官(幕府) 同一揆は明治末の新聞小説『天狗廻状』
の苛政に抵抗した寛延大一揆の指導者3 で有名になり、大正7年(1918)に碑を建
人の供養碑。
立。寛延一揆は中通りと会津の各地でも。
江戸期最大。
<文化財>享保5年(1720)から3年に及んだ 同一揆は天領で起きた最初の強訴運動。
会津最大の農民一揆「南山御蔵入騒動」 幕府に深刻な打撃。碑は昭和3年(1928)建
で処刑された6名の供養碑。
立。傍らに土井晩翠の歌碑も。
福島市御山
福島市御山字岩谷
ほか
伊達市(旧・伊達郡
伊達町字田町。薬師
堂境内)
南会津町(旧・南会
津郡田島町田島字
丸山甲
<文化財>天明大飢饉の際、小名浜代官 碑のある常慶寺(真言律宗)には白井遠平 いわき市小川町上
(幕府)の救荒策に感謝して地元民が建て (自由民権運動家・実業家・衆議院議員)や 小川字植ノ内
た顕彰報恩碑。天明6年(1786)建立。
櫛田民蔵(マルクス研究者)の墓も。
北迫地蔵と島田帯刀尊公塔 <文化財>天明大飢饉の餓死者を供養す 同地方の代官だった島田帯万(たてわき)
る北迫(きたば)地蔵と、天保大飢饉の際の は窮民救済のため独断で年貢収納を延期
幕府代宮の善政を讃える顕彰碑。
し、救助米を供出。島田を讃える碑は十数
基現存。
享保義民の碑
<文化財>享保14年(1729)、幕府代官の圧 場所は県営あづま運動公園の北角。公園
政に苦しむ農民を救うため福島藩に越
近くの慈徳寺には伊達輝宗(政宗の父)の
訴、江戸の目安箱にも直訴して処刑され 首塚とされる五輪塔の一部が残る。
た義民の供養碑。
戒石銘碑
<文化財>寛延2年(1749)、二本松藩7代藩 巨大な自然石に北宋黄庭堅の戒石銘を
主・丹羽高寛が藩士を戒めるため造らせ 刻文。藩士の俸給は領民の汗と脂による
た碑。二本松城大手口近くの一角。国史 ものゆえ、民を虐げではならない、との趣
跡。
旨。
杉木之覚碑
<文化財>江戸後期、野沢代官所が野沢組 天保2年(1831)建立。碑文を裏付ける文書
42ヵ村に約33万本もの杉苗を配って植林 「不時囲杉木組定御請」2点も現存(県文
を奨励、不時の災難に備えるよう布告した 化)。近世林政史の貴重な史料。
碑(県文化)。
双葉郡広野町下北
迫
福島市佐原
二本松市郭内
耶麻郡西会津町野
沢字如法寺。如法寺
観音堂(鳥追観音・こ
ろり観音。県文化)手
前の雷山公園内(本
来は野沢本陣前。現
在地に移転)
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 桑折町教育委員会・TEL024福島県高等学校地理歴史公民科 582-2111
(社会科)研究会。発行/山川出
版)。『奥州街道』(著・伊藤孝博。
発行・無明舎出版)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 南相馬市教育委員会・TEL0244福島県高等学校地理歴史公民科 22-2111
(社会科)研究会。発行/山川出
版)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 会津美里町教育委員会・
福島県高等学校地理歴史公民科 TEL0242-55-1122
(社会科)研究会。発行/山川出
版)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 国見町教育委員会・TEL024福島県高等学校地理歴史公民科 585-2111
(社会科)研究会。発行/山川出
版)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 福島市教育委員会・TEL024福島県高等学校地理歴史公民科 535-1111
(社会科)研究会。発行/山川出
版)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ いわき市教育委員会・TEL0246福島県高等学校地理歴史公民科 22-1111
(社会科)研究会。発行/山川出
版)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 福島市教育委員会・TEL024福島県高等学校地理歴史公民科 535-1111
(社会科)研究会。発行/山川出
版)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 福島市教育委員会・TEL024福島県高等学校地理歴史公民科 535-1111
(社会科)研究会。発行/山川出
版)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 伊達市教育委員会・TEL024福島県高等学校地理歴史公民科 575-1111
(社会科)研究会。発行/山川出
版)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 奥会津地方歴史民俗資料館・
福島県高等学校地理歴史公民科 TEL0241-66-3077
(社会科)研究会。発行/山川出
版)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ いわき市教育委員会・TEL0246福島県高等学校地理歴史公民科 22-1111
(社会科)研究会。発行/山川出
版)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 広野町教育委員会・TEL0240福島県高等学校地理歴史公民科 27-2111
(社会科)研究会。発行/山川出
版)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 福島市教育委員会・TEL024福島県高等学校地理歴史公民科 535-1111
(社会科)研究会。発行/山川出
版)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 二本松市教育委員会・TEL0243福島県高等学校地理歴史公民科 23-1111
(社会科)研究会。発行/山川出
版)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 西会津町教育委員会・TEL0241福島県高等学校地理歴史公民科 45-2211
(社会科)研究会。発行/山川出
版)
情報源・取材元
【a 歴史】 26/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
353
(a)歴史
福島県
伊達市
管野八郎自彫の碑
354
(a)歴史
福島県
湯川村
勝常寺の国指定文化財群
355
(a)歴史
福島県 会津美里町 法用寺の国指定文化財群
356
(a)歴史
福島県
いわき市
357
(a)歴史
福島県
郡山市
358
(a)歴史
福島県
福島市
359
(a)歴史
福島県
喜多方市
360
(a)歴史
福島県
伊達市
361
(a)歴史
福島県
362
(a)歴史
福島県
阿賀野川舟運の遺産
363
(a)歴史
福島県
蘆名氏
364
(a)歴史
福島県
相馬氏
365
(a)歴史
福島県
結城氏
366
(a)歴史
福島県
岩城氏
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
<文化財>安政6年(1859)、幕政を批判し頼
三樹三郎らとともに八丈島送りとなった菅
野八郎が、安政4年に故郷の岩に刻文し
た碑。
<文化財>木造薬師如来と両脇侍像が国
宝、木造十一面観音立像・地蔵菩薩立像・
四天王立像・天部立像が国重文。薬師堂
の建物も国重文。
八郎は元治元年(1864)に赦免。慶応2年
(1866)に信達騒動の首謀者として逮捕さ
れたが無罪。「世直し大明神」と崇められ
た人物。
勝常寺(真言宗)は徳一(法相宗)開基と伝
え、会津盆地中央にあるため「中央薬師」
とも通称。会津の仏教文化の一大宝庫。
伊達市(旧・伊達郡
保原町金原田字中
屋敷)
同寺(天台宗)は養老4年(720)得道が創
建、大同3年(808)徳一が再興と伝える。十
一面観音立像2体や三重塔、銅鐘は県文
化。
同寺(真言宗)は伝・徳一創建の八茎嶽薬
師の別当寺。大伽藍だったが戊辰戦争で
多くを焼失。刺繍阿弥陀三尊種字懸幅は
県文化。
同寺(真言宗)は大同2年(807)虎丸長者が
平城天皇下賜の馬頭観音を祀ったのが開
基とも伝える。戊辰戦争で多くを焼失。
会津美里町(旧・大
沼郡会津高田町雀
林字三番山下)
<文化財>木造金剛力士立像(仁王像)2体
と本堂厨子と仏壇が国重文。仁王のうち
阿形像は鶴ヶ城(会津若松市)天守閣に展
示。
薬王寺の国指定文化財と板 <文化財>木造文殊菩薩騎獅像と厨子入
碑群
金銅宝篋印舎利塔が国重文。弘安8年
(1258)から永和4年(1378)までの板碑が58
基も現存。
如宝寺の国指定文化財
<文化財>承元2年(1208)の曼陀羅石造供
養塔(通称・笠塔婆)と建治2年(1276)の板
石塔婆が国重文。江戸期のキリシタン墓
碑もある。
医王寺の文化財と石造供養 <文化財>伝・弁慶の笈(県文化)、義経の
塔群
太刀、佐藤継信と忠信兄弟の遺品類、同
兄弟の墓(板碑)、石造供養塔群(県史跡)
など。
喜多方熊野神社の文化財 <文化財>長床(拝殿)と銅鉢が国重文、本
殿と鎌倉初期の木造文殊菩薩騎獅子像、
県内最古の銅鐘、14世紀の牛王板木と銅
製鰐口が県文化
中村佐兵治家の養蚕関連資 <文化財>江戸期以来の蚕種紙製造業者
料(奥州本場蚕種)
だった中村家に伝わる貴重な養蚕関連資
料。梁川は旧・伊達町伏黒地区とともに
「奥州蚕種」の本場。
岩城街道
<交通・運輸>奥州街道の本宮宿や郡山宿
や須賀川宿などから三春城下を経て磐城
平(いわきたいら)城下に至った脇街道。
<交通・運輸>会津地方中央部や喜多方地
方から大川・阿賀川水系で越後に入り、阿
賀野川で新潟の白山堀などと結んだ物流
の大動脈。
<歴史上の人物と一族>奥州合戦後、関東
から会津に入った三浦・佐原氏系一族(鎌
倉武士団の一部)。会津の大半を領する戦
国大名に成長。
<歴史上の人物と一族>奥州合戦の戦功
により頼朝から陸奥国行方郡を与えられ、
近世・相馬中村藩にまで発展した一族。奥
州相馬氏とも。
<歴史上の人物と一族>奥州合戦後、頼朝
により白河地方に配された一族。結城白
川氏とも。約400年にわたって中世白河を
支配。
<歴史上の人物と一族>奥州合戦後、好嶋
(よしま)庄(現いわき市の一部)の地頭と
なった一族。南北朝~室町と勢力拡大し
戦国大名に。
所在地
河沼郡湯川村勝常
字代舞
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 伊達市教育委員会・TEL024福島県高等学校地理歴史公民科 575-1111
(社会科)研究会。発行/山川出
版)
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 勝常寺重要文化財収蔵庫(本尊
福島県高等学校地理歴史公民科 の薬師如来のほかは収蔵庫に)
(社会科)研究会。発行/山川出
版)。『国宝・重要文化財大全』(編
/毎日新聞社。発行/毎日新聞社)
情報源・取材元
『新版 福島県の歴史散歩』(編/
福島県高等学校地理歴史公民科
(社会科)研究会。発行/山川出
版)
いわき市四倉町玉 新版 福島県の歴史散歩』(編/
山
福島県高等学校地理歴史公民科
(社会科)研究会。発行/山川出
版)
郡山市堂前町
『新版 福島県の歴史散歩』(編/
福島県高等学校地理歴史公民科
(社会科)研究会。発行/山川出
版)
同寺(真言宗)は天長3年(826)、弘法大師 福島市平野字寺前 『新版 福島県の歴史散歩』(編/
開基と伝える。信夫庄司・佐藤氏菩提寺。
福島県高等学校地理歴史公民科
佐藤基治夫妻の墓も。義経ゆかりのス
(社会科)研究会。発行/山川出
版)
ポット。
同社は源義家が紀伊の熊野三社から勧 喜多方市慶徳町新 『新版 福島県の歴史散歩』(編/
請したうちの新宮社が始まりと伝える。神 宮字熊野
福島県高等学校地理歴史公民科
像6体(県文化)ほか文化財多数。
(社会科)研究会。発行/山川出
版)
中村善右衛門創製の蚕当計(さんとうけ
伊達市(旧・伊達郡
『新版 福島県の歴史散歩』(編/
い)と『蚕当計秘訣』の版木、寛政4年
梁川町。市街地中心 福島県高等学校地理歴史公民科
(1792)以来の繭の標本が現存。
部の国道349号線沿 (社会科)研究会。発行/山川出
い)
版)
仙道地方と浜通りの江戸浜街道を結んだ 福島県
『東北の街道』(監修/渡辺信夫。
重要な横断道。一部は三春藩主の参勤交
発行/無明舎出版)
代や会津藩の廻米路。五十集(いさば)道
としても活躍。
若松城下や塩川宿などに集荷した廻米を 福島県・新潟県
『イザベラ・バード紀行』(著/伊藤
最大の中継拠点・津川(新潟県。明治初期
孝博。発行/無明舎出版)ほか
までは福島県)に輸送。日本海航路につな
いだ。
門田荘の黒川(今の会津若松)を本拠にほ 福島県
『新版 福島県の歴史散歩』(編/
ぼ会津全域を支配したが、戦国末期、伊
福島県高等学校地理歴史公民科
達政宗との戦いに敗れ滅亡。各地に史
(社会科)研究会。発行/山川出
跡・戦跡多数。
版)
中世~戦国期~藩政時代と同じ地方で存 福島県
『東北ふしぎ探訪』(著/伊藤孝
続した全国でも珍しい一族。その誇りは、
博。発行/無明舎出版)
始祖・平将門以来の伝統を受け継ぐ相馬
野馬追祭にも。
白川城が本拠(城跡は県史跡)。小峰城(近 福島県
『新版 福島県の歴史散歩』(編/
世白河城)も元は結城一族が築いた城館。
福島県高等学校地理歴史公民科
江戸初期、丹羽氏の白河藩が成立し大改
(社会科)研究会。発行/山川出
修。
版)
戦国末期は佐竹氏や伊達氏と離合を繰り 福島県・秋田県
『新版 福島県の歴史散歩』(編/
返し、関ヶ原合戦では佐竹氏に接近して
福島県高等学校地理歴史公民科
参戦しなかったため出羽国亀田(秋田県)
(社会科)研究会。発行/山川出
に転封。
版)
会津美里町教育委員会・
TEL0242-55-1122
いわき市教育委員会・TEL024622-1111
郡山市教育委員会・TEL024924-2491
医王寺宝物館・TEL024-5423797
福島市教育委員会・TEL024535-1111
喜多方市教育委員会・TEL024124-3821
伊達市教育委員会・TEL024575-1111
福島県教育委員会・TEL024521-1111
福島県教育委員会・TEL024521-1111
福島県教育委員会・TEL024521-1111
福島県教育委員会・TEL024521-1111
福島県教育委員会・TEL024521-1111
福島県教育委員会・TEL024521-1111
秋田県教育委員会・TEL018860-1111
【a 歴史】 27/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
367
(a)歴史
岩手・宮
城県
北上川舟運の遺産
<交通・運輸>江戸初期に川村孫兵衛が河
道を付け替え整備。八戸藩・盛岡藩・仙台
藩の江戸廻米などを石巻に運んだ物流の
大動脈。
368
(a)歴史
宮城・福
島県
江戸浜街道
<交通・運輸>江戸から水戸を経て浜通り
に入り、岩沼で奥州街道と合流した幹線
街道。古代・中世は東海道の呼称も。
369
(a)歴史
宮城・福
島県
阿武隈川舟運の遺産
370
(a)歴史
山形・宮
城県
笹谷・二口・関山街道
371
(a)歴史
山形・宮
城県
最上・出羽街道
372
(a)歴史
山形・秋
田県
373
(a)歴史
山形・福
島県
374
(a)歴史
375
歴史的価値・ストーリー
盛岡城下の新山河岸、中継拠点の郡山
(紫波)・黒沢尻(北上)・薄衣(川崎)・黄海
(藤沢)などの河岸を経て太平洋航路にア
クセス。
所在地
岩手・宮城県
勿来関を経由し、陸奥南部と中部にとって 福島・宮城県
は古来、内陸の東山道とともに重要な縦
貫道。道筋の豊富な遺跡・史跡が長い歴
史を物語る。
<交通・運輸>信達地方と河口の荒浜湊を 江戸前期、河村瑞賢が開いた東廻り航路 福島・宮城県
結んだ物流の大動脈。主な河岸は福島城 と接続(松島湾の寒風沢でアクセス)。
下や瀬上、桑折、水沢(丸森)、玉崎(岩沼) 仙台藩・米沢藩・福島藩の廻米や御城米
輸送に活躍。
など。
<交通・運輸>連携・補完し合いながら仙台 笹谷街道は笹谷峠越えで古代以来の道。 宮城・山形県
城下(奥州街道)と山形城下(羽州街道)を 二口街道は山伏峠か清水峠を越える最短
コース。関山街道は馬も越せない関山峠
結んだ3筋の横断ルート。
越えの嶺渡り。
<交通・運輸>奥州街道・吉岡宿から奥羽
山脈を越え出羽に通じた2筋の道「軽井沢
越最上街道」と「中山越出羽街道」(呼称は
様々)。
羽州浜街道
<交通・運輸>羽州街道の秋田から沼田~
鼠ヶ関を経て越後村上へ通じた日本海側
の幹線縦貫道。多くの文人墨客が足跡。
砂と岩の難所も。
会津五街道(白河・二本松・ <交通・運輸>会津藩の中心・会津若松か
下野・米沢・越後街道)
ら領外の主要地に通じた5筋の幹線街道。
江戸期に会津藩が整備。
軽井沢越は古代は軍道。延沢銀山(尾花 宮城・山形県
沢)の時代は銀輸送も。芭蕉は軽井沢越を
「難所」として避け中山越(尿前関ルート)で
出羽へ。
古代末の奥州合戦、戦国期の上杉氏系と 秋田・山形県
最上氏系の攻防、幕末の戊辰戦争と、軍
道としての歴史も数々。
秋田・岩
手県
平和街道
(a)歴史
秋田・岩
手県
秋田街道
376
(a)歴史
秋田・岩
手県
鹿角街道
古名は南部道や岩崎街道や沢内街道な 秋田・岩手県
ど。大名の参勤交代路ではなかったが、
秋田・盛岡両藩の庶民レベルでの交流・
交易に活躍。
「秋田街道」名が定着するのは明治期に 岩手・秋田県
仙岩峠が聞かれて以降。古代から軍略の
道。近世になり両藩の交易・交流の動脈
の一つに。
古来の軍道。江戸期は尾去沢の銅を運ぶ 岩手・秋田県
重要幹線。尾去沢銅の輪送は野辺地湊経
由のほか、米代川や北上川の舟運を利用
した時期も。
377
(a)歴史
秋田・宮
城県
小安街道
378
(a)歴史
青森・岩
手・宮城
県
三陸浜街道
379
(a)歴史
青森・岩
手・宮城
県
東廻航路の遺産
<交通・運輸>出羽国平鹿郡の横手と陸奥
国和賀郡の北上を結んだ脇街道。名称は
明治の開削改修工事の後、郡名の一字を
採って命名。
<交通・運輸>盛岡城下から雫石~国見峠
越を経て生保内に下り角館方面と結んだ
道。古名は秋田往来や生保内街道、南部
街道ほか様々。
<交通・運輸>盛岡城下と鹿角(秋田県。往
時は盛岡藩領)を結び、鹿角からは三戸
(青森県)や大館(秋田県)方面にアクセスし
た街道。
奥州街道に出る白河街道と二本松街道、 福島・山形県
今市を経て日光や江戸に至る下野街道、
米沢城下への米沢街道、新発田城下への
越後街道。
<交通・運輸>奥州街道の築館宿から花山 仙台藩にとっては伊達一門や宿老らの
宮城・秋田県
峠~小安温泉~稲庭などを経て十文字で 「在所」を結んだ道。秋田藩にとっては福
羽州街道に合流した物流の道。
島の伊達地方から稲庭に桑苗や蚕種を導
入した道。
<交通・運輸>八戸と気仙沼の間の三陸沿 宮古以北は隆起海岸の坂越え、以南はリ 青森・岩手・宮城県
岸を結んだ“地域間交流"に不可欠の道。 アス式海岸の谷越えの難関続き。険路に
「浜街道」は明治以降の名。古くは「海辺 強い牛が活躍。三閉伊通百姓一揆の舞台
道」
にも。
<交通・運輸>江戸時代前期、河村瑞賢が 北上川河口の石巻や阿武隈川河口の荒 青森・岩手・宮城県
東廻り航路(太平洋側を往来する航路)を 浜、松島湾の寒風沢などは諸藩の江戸廻
開拓。主要河川の舟運と接続し江戸との 米や御城米(天領米)輸送で繁栄。多くの
直行ルートに。
遺跡・史跡も。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
『新版 岩手県の歴史散歩』(編/ 岩手県教育委員会 ・TEL019岩手県高等学校教育研究会地 651-3111
歴・公民部会歴史部会日本史部 宮城県教育委員会・TEL022会。発行/山川出版)
211-3614
『新版 宮城県の歴史散歩』(編/
宮城県高等学校社会科(地理歴
史科・公民科)教育研究会。発行
/山川出版)
『東北の街道』(監修/渡辺信
福島県教育委員会・TEL024夫。発行/無明舎出版)
521-1111
宮城県教育委員会・TEL022211-3614
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 福島県教育委員会・TEL024福島県高等学校地理歴史公民科 521-1111
(社会科)研究会。発行/山川出 宮城県教育委員会・TEL022版)
211-3614
『新版 宮城県の歴史散歩』(編/
宮城県高等学校社会科(地理歴
史科・公民科)教育研究会。発行
/山川出版)
『東北の街道』(監修/渡辺信夫。 関山街道フォーラム協議会
発行/無明舎出版)
(問合せ:広瀬市民センター・TEL
022-392-8405)
http://sekiyamaforum.web.fc2.co
m/
『東北の街道』(監修/渡辺信夫。 最上海道研究会(加美町) 藤井
発行/無明舎出版)
慶吾氏
軽井沢越大室研究会(村山市)
平山繁氏
『東北の街道』(監修/渡辺信夫。 秋田県教育委員会 ・TEL018発行/無明舎出版)
860-1111
山形県教育委員会・TEL023645-1111
『東北の街道』(監修/渡辺信夫。 福島県教育委員会 ・TEL024発行/無明舎出版)
521-1111
山形県教育委員会・TEL023645-1111
情報源・取材元
『東北の街道』(監修/渡辺信夫。 秋田県教育委員会・TEL018発行/無明舎出版)
860-1111
岩手県教育委員会・TEL019651-3111
『東北の街道』(監修/渡辺信
岩手県教育委員会・TEL019夫。発行/無明舎出版)
651-3111
秋田県教育委員会・TEL018860-1111
『東北の街道』(監修/渡辺信夫。 鹿角街道まちづくり実行委員会・
発行/無明舎出版)
TEL 0195-77-2024
八幡平市鹿角街道WEBサイト
http://www.hachimantaishibunka.net/whats
『東北の街道』(監修/渡辺信夫。 宮城県教育委員会 ・TEL022発行/無明舎出版)
211-3614
秋田県教育委員会・TEL018860-1111
『東北の街道』(監修/渡辺信夫。 各県教育委員会
発行/無明舎出版)
『新版 宮城県の歴史散歩』(編/ 各県教育委員会
宮城県高等学校社会科(地理歴
史科・公民科)教育研究会。発行
/山川出版)ほか
【a 歴史】 28/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
380
(a)歴史
青森・秋
田・山形
県
北前船の遺産
381
(a)歴史
青森・秋
田県
大間越街道
382
(a)歴史
奥州街道
383
(a)歴史
福島・宮
城・岩
手・青森
県
福島・山
形・秋
田・青森
県
384
(a)歴史
東北6県
橘南谿
385
(a)歴史
東北6県
古川古松軒
386
(a)歴史
東北6県
伊能忠敬
387
(a)歴史
東北6県
吉田松陰
388
(a)歴史
富本繁太夫
389
(a)歴史
宮城・岩
手・秋
田・山形
県
宮城・秋
田県
390
(a)歴史
菅江真澄
391
(a)歴史
山形・秋
田・宮
城・青森
県
山形・秋
田・青森
県
392
(a)歴史
秋田・山
形・福島
県
今野於以登
393
(a)歴史
松尾芭蕉
394
(a)歴史
福島・宮
城・岩
手・山形
県
福島・宮
城・山
形・秋田
県
羽州街道
熊谷新右衛門
イザベラ・バード
中山高陽
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
<交通・運輸>江戸時代前期、河村瑞賢が 大坂廻米や大坂廻銅の輸送だけでなく、 青森・秋田・山形県 『北前船 寄港地と交易の物語』 各県教育委員会
西廻り航路(日本海側を往来して瀬戸内海 本州各地と蝦夷地の交易で繁栄。大商人
(文/加藤貞仁。写真/鐙啓記。無
~上方を結ぶ航路)を開拓したのを機に北 たちが育ち文化文物交流に寄与。随所に
明舎出版刊)
前船が活躍
史跡・遺跡多数。
『東北の街道』(監修/渡辺信
青森県教育委員会 ・TEL017<交通・運輸>弘前城下から鰺ヶ沢~大関 江戸初期までは津軽藩主の参勤交代路。 青森・秋田県
夫。発行/無明舎出版)
722-1111
越を経て秋田領に入り、能代を通って金光 以後も鰺ヶ沢港への藩米や物資輸送路と
秋田県教育委員会・TEL018寺で羽州街道と合流した道。名称は明治 して活躍。鯵ヶ沢以南は生活路に。
860-1111
期の命名。
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
<交通・運輸>江戸日本橋を起点とする近
世「五街道」の一つ。陸奥の主要城下を経
て津軽半島・三厩に至った日本最長の街
道。
<交通・運輸>奥州街道・桑折宿のはずれ
で分岐し、山形~秋田を経て油川宿(青
森)で奥州街道に合流。東北の二大縦貫
幹線。
正式には幕府管轄の白河までが奥州道
中(五街道の一つ)。奥州街道は全体の総
称。多くの脇街道が分岐する陸路の大動
脈。
奥州街道とともに、参勤交代の諸大名や
幕府巡見使が利用。物流と人の往来でも
出羽で最も重要な大動脈。
<旅人たちの足跡>江戸中期の医者。伊勢
国久居(三重県津市)出身。漢詩や随筆の
得意な文人として有名。『東西遊記』はベ
ストセラーに。
<旅人たちの足跡>江戸中期の医者。備中
国新本村(岡山県総社市)出身。全国各地
を巡り『西遊雑記』や『東遊雑記』などを著
述。
<旅人たちの足跡>江戸中期の商人。上総
国小関村(千葉県九十九里町)出身。隠居
後に地理や天文・測量術などを学び、17
年で全国測量。
<旅人たちの足跡>幕末の志士。軍学者・
経論家。長門国松本村(山口県萩市)出
身。嘉永4年(1851)から翌年にかけ、東北
各地を見開
<旅人たちの足跡>江戸後期の富本節(浄
瑠璃の一派)の芸人。少なくとも文政11年
(1828)から天保7年(1836)までの間は各地
を点々。
<旅人たちの足跡>江戸後期の大工の棟
梁。気仙沼出身。天保8年(1837)、飢饉が
続く仙台藩の命令で秋田の矢島藩に米の
買い付けに。
<旅人たちの足跡>日本の民俗学の先覚と
も評される江戸中期の紀行家・地誌学者。
三河国渥美郡(愛知県豊橋市近辺)出身と
推定。
<旅人たちの足跡>19世紀最大の女性旅
行家と評される紀行作家・探検家・ジャー
ナリスト。イギリス・ヨークシャー出身。
天明6年(1786)、東日本一帯を旅して『東 東北全県
遊記』著述。先に巡った西日本各地の記
録『西遊記』と合わせたのが『東西遊記』。
『江戸「東北旅日記」案内』(著/伊 各県教育委員会
藤孝博。発行/無明舎出版)
天明8年(1788)、幕府巡見使に随行して出 東北全県
羽~陸奥~松前~蝦夷地を見聞した記録
が『東遊雑記』。歴史資料としても貴重。
『江戸「東北旅日記」案内』(著/伊 各県教育委員会
藤孝博。発行/無明舎出版)
「伊能図」(大日本沿海輿地全図)は近代的 東北全県
日本地図の基礎に。測量旅行の膨大なメ
モ28冊が国重文(通称「沿海日記」)。
『江戸「東北旅日記」案内』(著/伊 県教育委員会
藤孝博。発行/無明舎出版)
行記が『東北遊日記』。安政大獄により刑 東北全県
死したが松下村塾などを通して伝えた思
想と志は倒幕~明治維新に大きな影響。
『江戸「東北旅日記」案内』(著/伊 各県教育委員会
藤孝博。発行/無明舎出版)
<旅人たちの足跡>幕末の出羽国本庄(秋
田県由利本荘市)の商家の娘と推定。女
性二人と“家来"の御供だけで諸国宮参り
を敢行。
<旅人たちの足跡>江戸時代前期の俳人。
伊賀国上野(三重県伊賀市)出身。蕉風と
呼ばれる新境地を聞き、「俳聖」として有
名。
<旅人たちの足跡>江戸時代中期の画家・
文人。土佐国高知城下(高知市)出身。明
和九年(1772。安永元年)、東北地方を取
材旅行。
『筆満可勢』(ふでまかせ)なる旅日記風書
物に著者兼「主人公」として登場。旅人の
確かな息づかいと江戸文化の厚みが伝わ
る記録。
買い付け関連事項だけでなく、仙台領とは
打って変わって陽気な秋田側の空気や風
俗、祭り、食事などの様子を綴ったのが
『秋田日記』。
天明3年(1783)以降、長い旅人生に入り秋
田藩領で没。この間、越後と奥羽諸国、蝦
夷島を巡り膨大な記録を著述(多くが国重
文)。
南米を除く全大陸に足跡。明治11年
(1878)に初来日し北日本・北海道・関西を
巡った記録が『日本奥地紀行』(他にも諸
訳)
文久2年(1862)から翌年にかけ、伊勢神宮
を含む各地の寺社・名所を一巡り。出費や
関所の様子をメモしたのが『参宮道中諸
用記』。
代表的な紀行句集が『奥の細道』。元禄2
年(1689)、江戸を出て奥州・羽州を巡り美
濃大垣までの旅を作品化。後世に大きな
影響。
旅の様子を記した紀行文が『奥游日録』
(おうゆうにちろく)。他に、塩竈湾や金色
堂、鳥海山と象潟などを題材に多くの書画
を制作。
所在地
情報源・取材元
福島・宮城・岩手・青 『奥州街道』(著/伊藤孝博。発行/ 各県教育委員会
森県
無明舎出版)
福島・山形・秋田・青 『東北の街道』(監修/渡辺信夫。 各県教育委員会
森県
発行/無明舎出版)
羽州街道交流会・TEL023-6749933
http://ushukaido.com/
宮城・岩手・秋田・山 『江戸「東北旅日記」案内』(著/伊 各県教育委員会
形県
藤孝博。発行/無明舎出版)
宮城・秋田県
『江戸「東北旅日記」案内』(著/伊 宮城県教育委員会・TEL022藤孝博。発行/無明舎出版)
211-3614
秋田県教育委員会・TEL018860-1111
山形・秋田・宮城・青 『江戸「東北旅日記」案内』(著/伊 菅江真澄と巡るあきたの道
森県
藤孝博。発行/無明舎出版)
http://www.thr.mlit.go.jp/akita/et
c/masumi/index2.html
福島・山形・秋田・青 『江戸「東北旅日記」案内』(著/伊 各県教育委員会
森県
藤孝博。発行/無明舎出版)
秋田・山形・福島県 『関所抜け 江戸の女たちの冒
各県教育委員会・由利本荘市教
険』(著/金森敦子。発行/晶文社) 育委員会・TEL0184-24-3321
福島・宮城・岩手・山 『江戸「東北旅日記」案内』(著/伊 各県教育委員会
形県
藤孝博。発行/無明舎出版)
福島・宮城・山形・秋 『江戸「東北旅日記」案内』(著/伊 各県教育委員会
田県
藤孝博。発行/無明舎出版)
【a 歴史】 29/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
395
(a)歴史
野田泉光院
396
(a)歴史
福島・宮
城・山
形・秋田
県
福島・宮
城県
397
(a)歴史
東北6県
平泉藤原氏
398
(a)歴史
岩手・宮
城・青森
県
安倍氏
399
(a)歴史
山形・宮
城・岩手
県
源義経
400
(a)歴史
山形・秋
田・宮城
県
戸沢氏
401
(a)歴史
伊達政宗
402
(a)歴史
山形・福
島・宮
城・岩手
県
山形・福
島県
403
(a)歴史
清原氏
404
(a)歴史
秋田・宮
城・岩
手・青森
県
青森・岩
手県
405
(a)歴史
源頼義・義家(八幡太郎)
406
(a)歴史
福島・宮
城・岩
手・山
形・秋田
福島・宮
城・岩手
県
407
(a)歴史
福島・宮
城・岩手
県
坂上田村麻呂
408
(a)歴史
福島・山
形県
上杉景勝
409
(a)歴史
福島・山
形県
直江兼続
諸九尼
保科正之と会津松平氏
南部信直
源頼朝
資源の概要
<旅人たちの足跡>江戸中期の武士で修
験者。日向国佐土原(宮崎県佐土原町)出
身。日向の山伏を束ねた最高位の大先
達。
<旅人たちの足跡>江戸中期の女宗匠(俳
句の師匠)。筑紫国唐島(福岡県久留米市)
出身。明和8年(1771)、「みちのく」を旅行。
<歴史上の人物と一族>泉を本拠に平安時
代末期の奥州と羽州を統べた一族。都の
藤原摂関家と区別し平泉藤原氏とも奥州
藤原氏とも。
<歴史上の人物と一族>衣川を本拠に奥六
郡(北上川流域)を支配し平安中期まで陸
奥最大の豪族だった一族。初代は蝦夷の
酋長と伝える。
<歴史上の人物と一族>幼名・牛若。源平
合戦で源氏勝利の立役者。源頼朝の異母
弟。兄の不興を買って追討され平泉へ(義
経東下り)。
<歴史上の人物と一族>鎌倉初期まで、雫
石(岩手)を本拠とした豪族一族。秋田の仙
北郡を転々とし、15世紀から角館を本拠に
勢力拡大。
<歴史上の人物と一族>伊達氏17世。戦国
末期、産名・二階堂・畠山氏などを滅ぼし
南奥州の覇者に。米沢から岩出山を経て
仙台城築城。
<歴史上の人物と一族>会津松平藩祖。寛
永20年(1643)、山形藩から移封で会津入
り。3代正容(まさかた)の時から松平氏を
名乗る。
<歴史上の人物と一族>横手を本拠に仙北
地方を支配し平安中期まで出羽最大の豪
族だった一族。前九年役で源氏を支援し
安倍氏を打倒。
<歴史上の人物と一族>戦国末期に南部
宗家を継ぎ、九戸戦争などに勝利して近
世南部氏の基礎を築いた有力大名。盛岡
藩祖。
<歴史上の人物と一族>後三年役では義
家が頭領。どちらの戦いでも源氏は勝った
が、朝廷に警戒され奥州獲得には失敗。
父子とも伝説を含めて各地に足跡。
<歴史上の人物と一族>鎌倉幕府を聞き日
本史上初めて本格的な武家政権を樹立し
た武人・政治家。古代から中世への転換
点に位置。
<歴史上の人物と一族>平安時代初期、征
夷副将軍や征夷大将軍として桓武朝廷の
東北地方平定事業を担った代表的な武
人。
<歴史上の人物と一族>上杉家第2代当主
(初代・謙信)。越後から会津に移り120万
石を領有した大大名(米沢・庄内・信達など
を含む)。
<歴史上の人物と一族>上杉景勝の重臣
120万石時代は米沢城将として30万石を
領有・統治。家康の天下取りを阻止しよう
とした智将。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
文化九年(1812)、隠居して全国各地の主 福島・宮城・山形・秋 『江戸「東北旅日記」案内』(著/伊 各県教育委員会
な霊山を廻国の6年余りの旅へ。その様子 田県
藤孝博。発行/無明舎出版)
を克明に記したのが『日本九峯修行日
記』。
『奥の細道』へのあこがれがあったとも。京 福島・宮城県
『江戸「東北旅日記」案内』(著/伊 宮城県教育委員会 ・TEL022都を出て江戸~奥州を巡り、近江に戻る
藤孝博。発行/無明舎出版)
211-3614
までの様子を綴った旅日記が『秋風の
福島県教育委員会・TEL024記』。
521-1111
後三年役を勝ち抜いた清衡から基衡・秀 東北全県
『奥州街道』(著・伊藤孝博。発行 各県教育委員会
衡・泰衡と続いたが源頼朝により4代約
/無明舎出版)ほか
100年で滅亡。黄金の平泉時代は古代東
北史の一大画期。
前九年役(11世紀中葉)で源氏と清原氏(出 岩手・宮城・青森県 『奥州街道』(著・伊藤孝博。発行 各県教育委員会
羽最大の豪族)の連合軍に敗れ滅亡した
/無明舎出版)ほか
が、血脈は遺児を通じて平泉藤原氏や津
軽安東氏へ。
藤原秀衡に庇護されたが秀衡没後、頼朝 山形・宮城・岩手県 『義経北行伝説の旅』(著/伊藤孝 各県教育委員会
の圧力を受けた泰衡により殺された(脱出
博。無明舎出版刊)
北行伝説も)。同年、平泉も頼朝軍により
滅亡。
関ヶ原合戦後、佐竹氏の秋田入りとともに 岩手・秋田・山形県 『新版 秋田県の歴史散歩』(編/ 各県教育委員会
常陸松岡に移封。最上氏改易後、真室川
秋田県の歴史散歩編集委員会。
を経て新庄に本拠を移し、明治維新まで
発行/山川出版)。『新版 山形県
新庄藩を統治。
の歴史散歩』(編/山形県の歴史
散歩編集委員会。発行/山川出
版)
仙台藩62万石の藩祖。伊達氏9世に名将 山形・福島・宮城・岩 『新版 宮城県の歴史散歩』(編/ 各県教育委員会
といわれた政宗(号・儀山)がいるため、17 手県
宮城県高等学校社会科(地理歴
世は独眼龍政宗とも貞山政宗とも呼ばれ
史科・公民科)教育研究会。発行
る。
/山川出版)ほか
正之は徳川3代将軍家光の異母弟。4代将 山形・福島県
『新版 福島県の歴史散歩』(編/ 各県教育委員会
軍を補佐し幕開にも大きな影響力。会津
福島県高等学校地理歴史公民科
藩最後の藩主は京都守護職・松平容保
(社会科)研究会。発行/山川出
(かたもり)。
版)ほか
安倍氏なきあと奥羽最大勢力となったが 秋田・宮城・岩手・青 各県の『歴史散歩』シリーズ(発行 各県教育委員会
後三年役で滅亡。勝ち抜いた清衡(母は安 森県
/山川出版)ほか
倍氏。清原氏のもとで成長)が平泉藤原氏
に。
南部氏は奥州合戦後に頼朝から糠部5郡 青森・岩手県
各県の『歴史散歩』シリーズ(発行 各県教育委員会
を与えられた光行が始祖。南北朝時代、
/山川出版)ほか
甲斐源氏の南部師行が入部し、後の南部
氏系へと成長。
後三年役では義家が頭領。どちらの戦い 福島・宮城・岩手・山 各県の『歴史散歩』シリーズ(発行 各県教育委員会
でも源氏は勝ったが、朝廷に警戒され奥 形・秋田県
/山川出版)ほか
州獲得には失敗。父子とも伝説を含めて
各地に足跡。
東北の中世史は、奥州合戦で平泉藤原氏 東北全県
各県の『歴史散歩』シリーズ(発行 各県教育委員会
が滅びた後、頼朝によって奥羽各地に所
/山川出版)ほか
領を与えられた家人や豪族たちのドラマを
軸に展開。
アテルイらを降伏させ今の盛岡付近まで 福島・宮城・岩手県 各県の『歴史散歩』シリーズ(発行 各県教育委員会
北進したのは史実とされる。それ以外にも
/山川出版)。『東北ふしぎ探訪』
東北各地に夥しい足跡伝説が附会され軍
(著/伊藤孝博。発行/無明舎出
神化。
版)
徳川家康が上杉攻撃に大軍を発したのが 福島・山形県
各県の『歴史散歩』シリーズ(発行 福島県教育委員会・TEL024関ケ原合戦の序章。戦後、家康により米
/山川出版)ほか
521-1111
沢30万石に減封。上杉氏米沢藩の藩祖
山形県教育委員会・TEL023に。
645-1111
城下の町割や治水(直江堤)など近世米沢 福島・山形県
各県の『歴史散歩』シリーズ(発行 福島県教育委員会・TEL024の基礎を築いた。学問にも造詣。関ケ原
/山川出版)ほか
521-1111
合戦時は最上氏攻略に出陣(西軍敗北の
山形県教育委員会・TEL023報で撤退)。
645-1111
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
【a 歴史】 30/188
(1)地域資源調査リスト 【(b)文学】
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
1 (b)文化
青森県
藤崎町
常磐の裸参り
2 (b)文化
青森県
東通村
下北の能舞
3 (b)文化
青森県
東通村
餅つき踊り
4 (b)文化
青森県
弘前市
鬼沢のハダカ参り
5 (b)文化
青森県
弘前市
6 (b)文化
青森県
八戸市
7 (b)文化
青森県 五戸町ほか 南部駒踊り
8 (b)文化
青森県
十和田市
9 (b)文化
青森県
弘前市
弘前城雪灯籠まつり
10 (b)文化
青森県
弘前市
久渡寺のオシラ講
11 (b)文化
青森県
つがる市
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
1月1日/ 元旦に裸の若者たちが重さ
奉納するしめ縄は「年縄(としな)」といい、 藤崎町常盤 常盤八 ・「弘前観光コンベンション協会
・常盤コミュニティーセンター:
400キロの大しめ縄や供え物を常盤八幡 正式名称は「常盤八幡宮年縄奉納裸参
幡宮
HP」
0172-65-2959 宮に奉納する。豊作を祈る年頭の行事。 り」。藩政時代から続く旧常盤村を代表す
http://www.hirosaki・藤崎町企画財政課:0172-75る伝統行事。
kanko.or.jp/web/details.html?id= 3111(代)
API00300000325
・『祭礼行事・青森県』(桜楓社)
1月1~2日、1月15日/古くから下北半 15世紀末、山伏修験者がもたらしたといわ 東通村の各集落
・『祭礼行事・青森県』(桜楓社) ・東通村郷土芸能保存連合会
島の各地で行われてきた山伏神楽のひと れる。中世芸能の特徴を色濃く残し、権現
・「東通村商工会HP」
・東通村教育委員会:0175-27つ。現在は元日から数日間かけて東通村 舞、武士舞など十八番二十四幕が伝わ
http://www.aomorishokoren.or.jp 2111(代)
内の各集落で演じられる。
る。国指定重要無形民俗文化財。
/higashidoori/index.html
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
1月15日~16日/婦人たちがカラフルな
着物で着飾り、その年の豊作を祈って田
植えと餅つきの所作をしながら門付け祝
いをして回る。
旧暦1月1日/弘前市鬼沢地区にある鬼
神社(きじんじゃ)から出発した裸の男衆
が、大小のしめ縄を地区内の神社や祠に
奉納する。
藩政時代に京都から伝来したと伝わる小 東通村の各集落
正月行事。踊り手は餅つき道具をかたどっ
た杵と臼を持ち、華やかに舞踊る。県指定
無形民俗文化財。
350年以上の歴史がある旧正月の伝統 弘前市鬼沢 鬼神社
行事。元旦に新しい年縄(としな)を奉納す
ることで、その年の五穀豊穣・家内安全を
祈願する。
沢田ろうそくまつり
旧暦1月15日/旧相馬村沢田地区の神
明宮にある岩屋堂という洞穴で、地区の
人たちがろうそくを灯し、五穀豊穣を祈願
する。
翌朝のろうそくのロウの垂れ具合を稲穂に 弘前市沢田 沢田神 ・『祭礼行事・青森県』(桜楓社)
見立て、豊凶を占う。平家の落人伝説が 明宮
・「青森県観光情報サイトHP」
伝わる沢田地区で、平家の霊を弔うため
http://www.aptinet.jp/Detail_displ
にはじめられたともいう。
ay_00004021.html
八戸のえんぶり
2月17~20日/八戸市内一円で行われ
る豊作祈願の予祝(前もって祝う)芸能。
各地区からえんぶり組が数十組出て、神
社に参拝したあと田植舞を舞いながら市
内を練り歩く。
南部氏の祖・南部光行が奥州に下向した 八戸市 新羅神社ほ ・「八戸市観光コンベンション協会 ・八戸観光コンベンション協会:
鎌倉時代から始まったとされる。舞は農作 か市内各所
HP」http://www.hachinohe-cb.jp/ 0178-41-1661
業の動作を表現したもので、えんぶりとは
・「八戸市HP/八戸えんぶり」
・八戸市観光課:0178-46-4040
田をならす「朳(えぶり)」に由来する。国指
http://www.city.hachinohe.aomori
定重要無形民俗文化財。
.jp/index.cfm/27,0,91,474,html
南部洞内神楽
水虎様の祭り
・『祭礼行事・青森県』(桜楓社) ・東通村教育委員会:0175-27・「東通村HP」
2111(代表)
http://www.vill.higashidoori.lg.jp/
・『祭礼行事・青森県』(桜楓社)
・「弘前観光コンベンション協会
HP」
http://www.hirosakikanko.or.jp/web/index.html
不定期/木製の馬(駒形)を腰につけ、
藩政時代の牧場の野馬捕りの様子を舞踊 十和田市洞内、八戸
笛、太鼓、鉦の囃子に合わせて勇壮に踊 化したもので、先祖代々から伝わる古態を 市高舘、
る。南部地方の伝統的な民俗芸能。
そのまま継承している。主なものは県指定 三沢市浜三沢、五戸
無形民俗文化財。
町石沢ほか
・「祭礼行事・青森県」(桜楓社)
・「青森県HP/あおもりの文化
財」
http://www.pref.aomori.lg.jp/bunk
a/education/kenmukei_index_1.ht
ml
4月15日、9月15日十和田市洞内(ほら 4月と9月の八幡宮の例祭に奉納される 十和田市洞内 豊良 ・「祭礼行事・青森県」(桜楓社)
・「十和田市南部洞内神楽」
ない)地区にある豊良八幡宮の信仰に付 ほか、1月14日に行われる「おこもり」でも 八幡宮
http://www.city.towada.lg.jp/docs
随して伝えられている勇壮華麗な神事芸 演じられる。演目として「権現舞」など21
/2012070900010/files/29.pdf
番が伝えられている。
能。
2月7~11日/弘前公園内に、大小様々
な雪燈籠や雪像を配置。灯りがともされた
雪像は弘前城とあいまって幽玄の世界へ
誘う。
5月15~16日/久渡寺は津軽地方のオ
シラ様信仰の中心。大祭のオシラ講には
大勢の人がオシラ様を持ち寄り参拝に訪
れる。
長くて辛い北国の冬を楽しく演出しようと、 弘前市弘前公園
1977年にスタートした弘前市民手作りの
雪祭り。
東北五大雪まつりのひとつ。
オシラ様は生産の神で、桑の木で作った 弘前市坂元 久渡寺
男女一対の木像が御神体。オシラ講では
きらびやかな衣装で着飾らせ、冠をつける
などして遊ばせる。
7月20日/旧木造町の木造千年にある 水虎様は、子供を水難から守る神様で、 つがる市木造千年
水虎様の祠は、毎年7月20日が宵宮祭り 多くは河童の形をしているのが特徴。「水 ほか
で、燈籠流しが行われる。
虎大明神」の守り札を身に着けると河童に
さらわれないという。
・「弘前観光コンベンション協会
HP」
http://www.hirosakikanko.or.jp/web/index.html
・「祭礼行事・青森県」(桜楓社)
・「文化庁 国指定文化財等データ
ベース」
http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys
/maindetails.asp
・鬼沢公民館:0172-98-2448
・弘前市観光政策課:0172-351128
・弘前市相馬総合支所 :017284-2111
・弘前市観光政策課:0172-351128
・青森県教育委員会文化財保護
課:017-734-9919 ・五戸町企画振興課:0178-622111(代)
・十和田市教育委員会:0176-235111(代)
・弘前市立観光館:0172-375501
・青森県文化財保護課:017-7349919 ・久遠寺:0172-88-1555
・「祭礼行事・青森県」(桜楓社)
【b 文化】 31/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
情報源・取材元
12 (b)文化
青森県 五所川原市 川倉賽の河原地蔵尊例大祭 旧暦6月23~24日/地蔵信仰が盛んな
津軽地方で、最も盛大に行われている地
蔵祭り。縁日には県内外から多くの参詣
者が集まり、賑わう。
五所川原市金木町
川倉
・「祭礼行事・青森県」(桜楓社)
・「五所川原市HP」
http://www.city.goshogawara.lg.jp
/16_kanko/keisyo.html#9
13 (b)文化
青森県
深浦町
岩崎の鹿島流し
深浦町松神、大間
越、黒崎
14 (b)文化
青森県
新郷村
キリスト祭
・「祭礼行事・青森県」(桜楓社) ・「青森県HP/あおもりの文化
財」
http://www.pref.aomori.lg.jp/bunk
a/education/culture.html
・『祭礼行事・青森県』(桜楓社)
・「青森県観光情報サイトHP」
http://www.aptinet.jp/Detail_displ
ay_00002682.html
15 (b)文化
青森県
十和田市
16 (b)文化
青森県
田子町
田子の虫追い
17 (b)文化
青森県
大鰐町
大鰐の丑湯まつり
18 (b)文化
青森県
むつ市
19 (b)文化
青森県
20 (b)文化
板ノ沢の人形結い
恐山とともにイタコの口寄せで知られる霊
場で、旧金木町の地蔵堂には約2000体
の地蔵尊が安置されている。大祭の参詣
者は堂内や賽の河原のお地蔵様に供え
物をし、亡き子供の供養をする。
5月下旬~7月上旬/ミニチュアの舟に人 秋田県の「鹿島流し」と同系の民俗行事
形を据え、笛・太鼓の囃子で集落を巡行。 で、旧岩崎村の松神、大間越、黒崎の3地
最後に舟を海に流し、地区の安泰、五穀 域で日取りを別々に行われている。県指
豊穣を祈る。
定無形民俗文化財。
所在地
6月第1日曜日/「キリストの墓」とされる
塚の前で行われる慰霊祭。形態は神道形
式で、神官が祝詞を唱え、婦人たちがこの
地域の盆踊り「ナニャドヤラ」を踊る。
ゴルゴダの丘で処刑されたはずのキリスト 新郷村戸来
が、実は密かに日本に渡り、戸来(へら
い)で106歳の天寿を全うしたというキリス
ト渡来伝説をもとに、1964年から行われて
いる。
7月20日/集落住民が高さ約3メートルの 江戸時代に天明大飢饉に見舞われた住 十和田市深持板ノ
男女一対のカヤ人形を作り、「御瀧大龍 民たちが、死者の供養と災厄の侵入を防 沢
神」(板ノ沢神社)の入り口に据え、無病息 ぐため始めたと伝わる。男女2体の大人形
災や五穀豊穣を祈る。
のほか、安産祈願、子孫繁栄などの願い
を込めた小型人形もつくられる。
・青森県教育委員会文化財保護
課:017-734-9919
・キリストの里伝承館:0178-783741
・新郷村観光協会:0178-782025
・『祭礼行事・青森県』(桜楓社) ・十和田市教育委員会生涯学習
・「十和田市広報/ とわだの文化 課:0176-72-2313
財」
http://www.city.towada.lg.jp/docs
/2012080100035/files/p12.pdf
旧暦6月24日/田子町細野地区、飯豊
地区で江戸時代から続く伝統行事。男女
一対のワラ人形を作って練り歩き、五穀豊
穣や害虫防除、家内安全などを祈念す
る。
7月下旬/大鰐温泉の共同浴場「大湯会
館」では、毎年土用の丑の日に牛にのっ
たご神体を湯に浮かべ、無病息災を祈願
する。
ワラ人形とともに「悪虫退散、五穀豊穣」な
どと書いた幡を持ち、太鼓・笛・鉦を囃しな
がら村を回り、最後に村はずれに人形を
送り出す。田子町のほか、七戸町、南部
町、五戸町などでも行われている。
祭りは東国行脚の円智上人が霊夢によっ
て大鰐温泉を発見したという故事に由来
する。 現在は大鰐温泉サマーフェース
ティバルの一環として開催。
恐山大祭
7月20~24日/人の死後、霊魂が集ま
ると信じられてきた霊場・恐山。春、夏、秋
の3回の祭典のうち夏の大祭が最も賑わ
い、県内外から多数の参詣者が訪れる。
夏の大祭は死者の供養を目的としてい
むつ市田名部宇曽
る。期間中は、僧侶たちによる古式ゆかし 利山
い「上山式(じょうざんしき)」のほか、イタコ
の口寄せが行われ、今は亡き人の声に涙
する光景が見られる。
八戸市
八戸三社大祭
8月1~3日おがみ神社、新羅神社、神明
宮の三社合同の祭礼。三社の神輿に従う
各町内の豪華絢爛な山車が出て、市内の
目抜き通りを巡行する。
青森県
平川市
国上寺の火柱三昧
21 (b)文化
青森県
青森市
青森ねぶた祭
旧暦7月27日/古懸山不動院国上寺の
4年に1度の大祭では、火柱三昧(かしょう
ざんまい)という火渡りなどの荒行が行わ
れる。
8月2~7日/20数台に及ぶ極彩色の人
形灯籠が繰り出し、その前後に花笠をか
ぶったハネトと呼ばれる踊り手たちが囃子
に合わせて練りまわる。津軽の短い夏を
彩る勇壮な祭り。
およそ290年前、おがみ神社で豊作加護 八戸市 新羅神社ほ ・「八戸観光コンベンション協会公
と報恩の願いを込めて氏子たちが祭礼を か市内各所
式観光情報サイト/ 八戸三社大
行ったのが始まりとされる。青森県南部地
祭」
方を代表する夏祭り。国指定重要無形民
http://www.hachinohe俗文化財。
cb.jp/festival02.html
・「八戸市HP/八戸三社大祭」
http://www.city.hachinohe.aomori
.jp/kanko/festival/sansya/index.
html
津軽三不動尊のひとつに数えられる本尊 平川市碇ヶ関古懸 ・『祭礼行事・青森県』(桜楓社)
の不動明王は、座っている姿から「ねまり 国上寺
不動」と呼ばれ、酉年生まれの一代守り本
尊として信仰を集めている。
・「青森ねぶた祭りオフィシャルサ
ねぶたの起源は諸説あるが、夏の睡魔を 青森市街地各所
イト」http://www.nebuta.or.jp/
流してやる「眠り流し」に由来するともい
・「青森市HP/青森ねぶた祭」
う。青森県内各地で行われているが、東北
http://www.city.aomori.aomori.jp/
四大夏祭りのひとつ青森のねぶたが最も
info.rbz?ik=1&nd=139
有名。国指定重要無形民俗文化財。
22 (b)文化
青森県
弘前市
弘前ねぷたまつり
8月1~7日/弘前ねぷたは表に武者絵、
裏に美人画などが描かれた扇形が特徴。
大小約70台がヤーヤドーの勇ましい掛け
声やお囃子と共に市中を練り歩く。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
・賽の河原地蔵尊事務所: 017353-3282
田子町細野、田子町 ・『祭礼行事・青森県』(桜楓社) ・田子町教育委員会:0179-20飯豊
・「田子町HP/県指定文化財」
7070
http://www.town.takko.aomori.jp/
000000ky203000102.pdf
大鰐町蔵館 大湯会 ・『祭礼行事・青森県』(桜楓社)
館
・「大鰐町HP」
http://www.town.owani.lg.jp/gyou
ji.html
勝利を祝う凱旋型の青森の「ねぶた」と違 弘前市街地各所
い、弘前の「ねぷた」は出陣型といわれ、
華麗幽玄なのが特色。「金魚ねぷた」など
小型のかわいらしいものもある。国指定重
要無形民俗文化財。
・大鰐温泉サマーフェスティバル
実行委員会
(大鰐町役場企画観光課内):
0172-48-2111(代)
・「ぐるりん下北」
・恐山寺務所:0175−22−3825 http://www.shimokita・むつ市商工観光課:0175-22kanko.com/?p=408
1111(代)
・「下北ナビ」
http://simokita.org/sight/osore/t
aisai.html
・「弘前市HP 弘前ねぷたまつり」
http://www.city.hirosaki.aomori.jp
/kanko/matsuri/neputa.html
・「青森県観光情報サイト」
http://www.aptinet.jp/Detail_displ
ay_00000026.html
・八戸観光コンベンション協会:
0178-41-1661
・八戸市観光課:0178-46-4040
・古懸山不動院国上寺:0172-452446
・平川市観光協会:0172-441111(代)
・青森ねぶた祭実行委員会事務
局
ゆうそう(青森観光コンベンショ
ン協会):017-723-7211
・青森市観光課:017-734-5175
・弘前市観光政策課:0172-351128
・弘前観光コンベンション協会:
0172-35-3131
【b 文化】 32/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
・「五所川原青年会議所HP」
・奥津軽虫と火まつり実行委員会
http://goshojc.sakura.ne.jp/
(五所川原青年会議所):017335-4049
・五所川原市教育委員会:017335-2111(代)
・「黒石観光協会HP」
・黒石観光協会:0172-52-3488
http://kuroishi.or.jp/event/summ ・黒石市商工観光課:0172-52er/kuroishiyosare
2111(代)
・「黒石市HP/黒石よされ」
http://www.city.kuroishi.aomori.jp
/Sight_Seeing/Sig_Yosare.html
情報源・取材元
23 (b)文化
青森県 五所川原市 奥津軽虫と火まつり
6月第3土曜日/龍蛇体状の「虫」を虫送
り運行のあと岩木川の河川敷で「五穀豊
穣」、「悪疫退散」の願いを込め、火を放
つ。
稲を病害虫から守ることを目的とした伝統 五所川原市大町通
行事「虫送り」に、地域の伝統芸能や火ま ~岩木川河川敷
つりを加えた新しい祭りで、五所川原の初
夏の風物詩となっている。
24 (b)文化
青森県
黒石市
黒石よされ
8月14~16日/黒石よされの調べに
のって、揃いの浴衣、花笠の踊り手が「イ
チャホー、イチャホー」の掛け声で流しな
がら踊り歩く。
「よされ」はもともと盆踊りの恋の掛け合い 黒石市市街地各所
唄であったといわれ、廻り踊り、組踊り、流
し踊りの三種から構成される。日本三大流
し踊りのひとつ。
25 (b)文化
青森県
階上町
平内鶏舞
8月13~15日/鶏頭烏帽子をかぶった
舞い手が、墓地で念仏を唱えながら囃子
にあわせ踊る。先祖を供養する盆の恒例
行事。
幕末のころ気仙沼方面から伝えられたと 階上町平内
いう念仏踊り系統の芸能。踊ることを「ハ
ネル」といい、躍動感のある所作が特徴。
県指定無形民俗文化財。
26 (b)文化
青森県 五所川原市 五所川原立佞武多
8月4~8日/高さ約22m、重さ約19トン 明治時代から大正時代に盛んだった「立
の巨大な立佞武多(たちねぷた)3台のほ 佞武多」を1998年に復活。現在では東北
か、中型、小型のねぷたが、市街地を練り でも有数の夏祭りへと発展した。
歩く。
27 (b)文化
青森県
鰺ヶ沢町
白八幡宮大祭
8月14~17日/大祭は4年に1度。古式
ゆかしい神輿の渡御行列と、それに供奉
する華麗な山車が祇園囃子を奏で練り歩
く。
北前船交易による上方文化の影響から
鰺ヶ沢町中心街
か、京都の祇園祭りに似ていて、「津軽の 白幡八幡宮~鰺ヶ
京祭り」とも称される。港町ならではの御 沢港
神輿海上渡御も行われる。
・『祭礼行事・青森県』(桜楓社) ・白八幡宮大祭本部事務局(山村
・「鰺ヶ沢町観光ポータルサイト 開発センター内)
白幡八幡宮大祭」
:0173-72-2111(代)
http://www.town.ajigasawa.lg.jp/t
aisai/index.html
28 (b)文化
青森県
黒石市
大川原の火流し
8月16日/アシガヤで編んだ3隻の舟に
火をつけ、若者が引きながら川を下る。舟
は早生・中生・晩生の稲に見たてたもの
で、燃え方でその年の豊凶を占い、人々
の無病息災を祈る。
送り盆の夕刻、集落を流れる中野川で行 黒石市大川原
う伝統行事。南北朝時代、大川原に流れ
着いた南朝側の子孫が、死者の慰霊のた
めに始めた精霊流しが起源とされる。県指
定無形民俗文化財。
・「黒石観光協会HP」
・黒石観光協会:0172-52-3488
http://kuroishi.or.jp/event/summ ・黒石市商工観光課:0172-52er/hinagashi
2111(代)
・「黒石市HP/大川原の火流し」
http://www.city.kuroishi.aomori.jp
/100sen/Rep_2001_08.html
29 (b)文化
青森県
むつ市
田名部まつり
8月18~20日/田名部まつりは田名部
神社の例大祭で、下北半島最大の夏祭
り。雅やかな祇園囃子とともに華麗に飾り
付けられた5台の山車が市内を練り歩く。
まつり期間中は神社境内で神楽や能舞が むつ市田名部市街 ・「むつ市HP/市内観光情報」
・むつ市商工観光課:0175-22http://www.city.mutsu.lg.jp/index. 1111(代)
奉納され、「おしまこ流し踊り」が彩りを添 田名部神社
える。最終日深夜に5台の山車が一堂に
・むつ市観光協会:0175-23-1311
cfm/16,0,32,html
会する「五車別れ」がクライマックス。国指
・「むつ商工会議所HP/むつ市
定重要無形民俗文化財。
観光情報」
http://www.mutsucci.or.jp/kanko
/kankotop.htm
30 (b)文化
青森県
弘前市
岩木山お山参詣
旧暦8月1日/岩木山神社の大祭に、村
ごとに集団を組んで詣でた後、岩木山に
登ってご来光を仰ぎ、五穀豊穣、家内安
全を祈願する。津軽地方最大の年中行
事。
31 (b)文化
青森県
平川市
猿賀神社十五夜大祭
32 (b)文化
青森県
弘前市
小栗山神社例大祭
五所川原市街地各
所
・『祭礼行事・青森県』(桜楓社) 階上町教育課:0178-88-2698
・「青森県HP あおもりの文化財」
http://www.pref.aomori.lg.jp/bunk
a/education/kiroku_mumin5.html
・「五所川原観光情報局/立佞武
多」http://www.gokankou.jp/matsuri_event/tachine
puta.html
・「立佞武多の館HP」 http://www.tachineputa.jp/festiv
al/index.html
揃いの白衣の半纏と鉢巻き姿の人たち
弘前市百沢寺沢 岩 ・『祭礼行事・青森県』(桜楓社)
が、御幣と幟をかつぎ、登山囃子に合わ 木山神社
・「岩木山観光協会HP/お山参
せて「サイギサイギ」と唱えながら進む。津
詣」
軽の象徴、岩木山への集団登拝儀礼の行
http://www.iwakisan.com/oyama
事。国指定重要無形民俗文化財。
/
・「岩木山登山ばやし保存会HP」
http://www.tozanbayashi.com/in
dex.html
旧暦8月14~16日/津軽神楽(県無形 旧尾上町の猿賀神社は、津軽地方の人々 平川市猿賀石林 猿 ・『祭礼行事・青森県』(桜楓社)
民俗文化財)の神前奉奏、獅子踊の競
に「さるかさま」と親しまれている古社。十 賀神社
・「平川市ふるさとセンターさるか
演、登山ばやし奉納などの祭事や神賑行 五夜大祭のほか、七日堂大祭、御田植
荘HP/猿賀神社」
事が3日間にわたって行われ、多くの参拝 祭、刈穂祭などの祭事が1年を通して行わ
http://www.sarukasou.jp/article.p
hp?id=17
者で賑わう。
れる。
資料不足により情報不確定
・五所川原市観光協会: 017338-1515
・立佞武多の館:0173-38-3232
(代)
・岩木山神社お山参詣実行委員
会:0172-83-2135
・岩木山観光協会:0172-833000
・弘前市観光政策課:0172-351128
・猿賀神社社務所:0172-572016
・平川市商工観光課:0172-441111(代)
【b 文化】 33/188
カテゴリー
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
・『祭礼行事・青森県』(桜楓社) ・野辺地町観光協会 ☎ 0175・「野辺地町観光協会HP/のへじ 64-9555
祇園まつり」
http://www.nohejikankou.gr.jp/topic-p.htm
県
市町村
33 (b)文化
青森県
野辺地町
のへじ祇園まつり
8月15~18日/野辺地八幡宮の例祭に
合わせ、大注連縄奉納、山車の合同運
行、神輿の海上渡御、花火大会などが行
われる。
34 (b)文化
青森県
三戸町
さんのへ秋まつり
9月下旬/三戸大神宮例大祭での神輿渡 もとは三戸大神宮の祭礼に、町内にある2 三戸町中心街 三戸
りを起源を持つ秋祭り。武者絵巻を題材と つの熊野神社の祭礼を加えた三社祭り
大神宮
した豪華絢爛な人形山車が町の目抜き通 で、三戸三社大祭といわれていた。
りを練り歩く。
35 (b)文化
青森県
佐井村
箭根森八幡宮大祭
9月14~15日/佐井村本村地区におけ
る最大の秋祭り。渡御の行列は神楽を先
頭に神輿2基と山車4台で行列を組み、村
内を練り歩く。
元禄9年(1969年)に始まったといい、当 佐井村村内 箭根森 ・『祭礼行事・青森県』(桜楓社) ・佐井村観光協会 ☎ 0175-384515
・「箭根森八幡宮HP」
時の佐井湊に入港した北前船の影響か 八幡宮
http://www8.plala.or.jp/yanonem
ら、祭りの形式は京都祇園祭の系統をひ
ori/
く。
36 (b)文化
岩手県
盛岡市
盛岡の裸参り
1月中旬~下旬/素足にわらじを履き、さ
らしを巻いてしめ縄を背負った裸の男衆
が、社寺にお参りして一年の無病息災を
祈願する。盛岡八幡宮の年越し祭に行わ
れるのが有名。
盛岡市の各所で藩政時代から伝えられて 盛岡市内
きた伝統行事。盛岡八幡宮(1月15日)の 盛岡八幡宮、教条
ほか、盛岡北山の教浄寺(14日)、桜山 寺、桜山神社
神社(26日)などでも行われている。
・「盛岡観光コンベンション協会
HP/盛岡観光情報」
http://www.odette.or.jp/?p=1166
・「盛岡八幡宮HP」
http://www.morioka8man.jp/main
/saiji_1.html
・盛岡観光コンベンション協会:
019-604-3300
・盛岡八幡宮:019-652-5211
・教浄寺:019-622-7706
・桜山神社:019-622-2061
37 (b)文化
岩手県
大船渡市
吉浜のスネカ
1月15日/奇怪な面をかぶり、藁蓑など
を身に着けスネカに扮したた男たちが、吉
浜地区内の家々を訪れて、怠け者や泣く
子を戒める。来訪神の行事。
スネカとは、囲炉裏のそばで怠けている者 大船渡市三陸町吉
の脛にできる火班を剥ぐスネカワタグリに 浜
由来するといい、その年の五穀豊穣や豊
漁を地域にもたらす存在とも考えられてい
る。国指定重要無形民俗文化財。
・「文化庁/国指定文化財等デー
タベース」
http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys
/maindetails.asp
・「岩手県立博物館/吉浜のスネ
カ」
http://plaza.rakuten.co.jp/machi0
3iwate/diary/201401170001/
・大船渡市教育委員会:0192-273111(代)
・大船渡市吉浜地域振興出張所
:192-45-2001
38 (b)文化
岩手県
平泉町
毛越寺二十日夜祭
1月20日/毛越寺常行堂に祭られる作物
の神「摩多羅神」の祭儀で、厄年の老若男
女による献膳行列など、無病息災を祈願
する。
39 (b)文化
岩手県
水沢市
黒石寺蘇民祭
40 (b)文化
岩手県
二戸市
41 (b)文化
岩手県
一関市
京都祇園まつりの流れをくむ華やかな祭り 野辺地町中心街
で、野辺地が南部藩有数の商港として栄 野辺地八幡宮~野
えた江戸時代に、北前船に乗ってもたらさ 辺地港
れたいわれる。
情報源・取材元
・「三戸町HP/三戸町の四季の
まつり」
http://www.town.sannohe.aomori.
jp/kanko/kanko-matsuri/kankomatsuri.htm#akimatsuri
・三戸町観光協会:0179-220777
・三戸町総務課まちづくり推進室:
0179-20-1117
法要の後、最後に常行堂内で奉納される 平泉町平泉 毛越寺 ・「平泉町観光協会HP」
「延年の舞」(国指定重要無形民俗文化
http://hiraizumi.or.jp/index.html
財)は、王朝時代の古式の舞をそのまま
・「毛越寺HP/毛越寺二十日夜
の姿で今に伝えている。
祭」
http://www.motsuji.or.jp/matsuri
/data01.html
旧暦1月7~8日/旧正月7日夜半から翌 当日の行事は、裸参り-火焚き登り-別 奥州市水沢区黒石 ・『祭礼行事・岩手県』(桜楓社)
未明にかけて、下帯だけの裸の男たちが 当登り-鬼子登り-蘇民袋の争奪の順で 黒石寺
・「妙見山黒石寺HP」
繰り広げる勇壮な裸祭り。古式にのっとっ 行われる。最後に厄除けの護符・小間木
http://kokusekiji.e-tera.jp/
て厳寒の中で行われ、奇祭として知られ の入った蘇民袋を奪った者の住む地が、
・「奥州市観光情報サイト/黒石
る。
五穀豊穣を約束されるという。
寺蘇民祭」
http://www.city.oshu.iwate.jp/ka
nko/view.rbz?cd=1599
・毛越寺事務局:0191-46-2331
・平泉町観光協会:0191-462110 似鳥八幡神社のサイトギ
旧暦1月6日/似鳥(にたどり)神社の例
大祭に合わせ、燃やしたサイトギの木から
舞い上がる火の粉の流れ具合により、そ
の年の天候や作柄を占う。吉凶占いの伝
統行事。
夕方より神前で似鳥神楽を奉奏した後、 二戸市似鳥林ノ下 ・「文化庁/国指定文化財等デー
下帯姿の男衆が火の周りを取り囲み、数 似鳥八幡神社
タベース」
mの長さのテコで火を揺さぶる。火の粉が
http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys
石段の方向に舞うと良作、神社側に舞うと
/maindetails.asp
不作という。
・「二戸市観光協会HP」
http://ninohekanko.com/index.php?itemid=752
・二戸市観光協会:0195-233641
・二戸市商工観光課:0195-237210
大原水かけまつり
2月11日/沿道で待ち構えた人達から容
赦のない冷水を浴びせかけられながら、
厳寒の中、裸の男衆が勇ましく走り抜ける
奇祭。
明暦3年(1657)の江戸振袖火事の日を 一関市大東町大原
厄日と定め、火防祈願として始まったもの 大原商店街~大原
ともいう。無病息災と大願成就を祈願し、 八幡神社
市外からの参加者も多い。
・一関市大東支所産業経済課:
0191-72-2111
・大東大原水かけ祭り保存会(大
原公民館内) :0191-72-2282
・『祭礼行事・岩手県』(桜楓社)
・「一関市HP/大東大原水かけ
まつり」
http://www.city.ichinoseki.iwate.j
p/index.cfm/6,44810,107,html
・妙見山黒石寺0197-26-4168
・奥州市商業観光課:0197-242111
・黒石寺蘇民祭保存協力会(黒石
公民館内)
:0197-26-3819
【b 文化】 34/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
42 (b)文化
岩手県
雫石町
岩手雪まつり
43 (b)文化
岩手県
水沢市
日高火防祭
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
2月上旬/小岩井農場のまきば園で行わ 2014年で47回目を数える。大小の雪像 雫石町 小岩井農場 ・「いわて雪まつりHP」
・岩手雪まつり実行委員会事務
http://www.iwateyukimatsuri.com 局:019-692-4321
れる雪祭り。約10日間の開催期間中、多 や氷像がライトアップされる夜は昼とは
まきば園
彩なイベントが繰り広げられ、多くの観光 違った趣で楽しめ、冬の夜空を彩る花火
・しずくいし観光協会:019-692/
客で賑わう。
大会も見どころのひとつ。
・「しずくいし観光協会HP/いわ 5138 て雪まつり」
http://shizukuishikanko.gr.jp/topics.php?itemid=883
資源の概要
4月28~29日/火の神を祀る日高神社
の火防祈願の祭り。江戸のいろは組にな
らっ水沢6町から、町印を先頭に打ち囃
子、囃子屋台が街を練り歩く。
歴史的価値・ストーリー
所在地
明暦3年(1657)の振袖火事を体験した水 奥州市水沢区市街
沢城主が、城下に民間消防隊を組織、日 地 日高神社
高神社に火防を祈願したのが始まりとい
う。祭りで奏でられる日高囃子は県指定無
形民俗文化財。
情報源・取材元
・『祭礼行事・岩手県』(桜楓社)
・「奥州市観光情報サイト/日高
火防祭」
http://www.city.oshu.iwate.jp/ka
nko/view.rbz?nd=393&ik=1&pnp=
392&pnp=393&cd=1497
・奥州市商工観光部商業観光課:
0197-24-2111
・日高火防祭実行委員会(水沢市
商工労働課内)
:0197-24-2111
44 (b)文化
岩手県
花巻市
大沢温泉金勢まつり
45 (b)文化
岩手県
平泉町
春の藤原まつり
46 (b)文化
岩手県
二戸市
天台寺春の例大祭
5月5日/古くから「おやまさかり」として親
しまれてきた天台寺のお祭り。呼び物の
「みこし渡御」は長慶天皇の葬列を模した
ものという。
八葉山天台寺は、奈良時代に聖武天皇の 二戸市浄法寺町御
勅命を受けた行基が開山したと伝えられ 山 天台寺
る古刹。大祭は年2回、春のほか10月上
旬の秋にも行われる。
・『祭礼行事・岩手県』(桜楓社)
・「二戸市HP/天台寺例大祭」
http://www.city.ninohe.iwate.jp/k
anko/joboji/reitaisai.html
八葉山天台寺:0195-38-2500
二戸市観光協会:0195-23-3641
二戸市浄法寺総合支所:0195-
38-2211(代)
47 (b)文化
岩手県
盛岡市
チャグチャグ馬コ
6月15日/農耕馬に感謝する伝統行事。
色鮮やかな装束で着飾った馬と馬主が、
滝沢市鬼越蒼前神社に参拝し、盛岡八幡
宮まで約14キロの道のりを5時間近くか
けて行進する。
農作業で苦労を共にする馬たちに飾られ 滝沢市鵜飼
たたくさんの鈴が、歩くたびにチャグチャグ 鬼越蒼前神社~~
と鳴るのが名称の由来といわれ、その音 盛岡市 盛岡八幡宮
(ね)が環境省の「日本の音風景100選」に
選定されている。
・『祭礼行事・岩手県』(桜楓社)
・「滝沢市HP/チャグチャグ馬コ」
http://www.city.takizawa.iwate.jp
/01chag
・滝沢市観光協会:019-6842111(代)
・チャグチャグ馬コ保存会事務局
(盛岡市観光課内)
:019-651-4111(代)
48 (b)文化
岩手県
遠野市
遠野早池峰神社例大祭
岩手県
花巻市
早池峰神社例大祭
日本神話の世界をそのままに受け継ぐ優
美な7拍子の神楽。早池峯妙泉寺の開基
後(852年~856年)、間もなくして京都から
伝えられたといわれる。
宵宮で6時間にわたって奉納される岳神楽
と大償神楽は中世芸能の面影を今に残
し、「早池峰神楽」として国指定重要無形
民俗文化財。またユネスコの無形文化遺
産に登録されている。
・「祭礼行事・岩手県」(桜楓社)
49 (b)文化
7月17日/宵宮では、神門と本殿の間に
ある「くぐり拝殿」 に板を渡した舞台で、1
000年の伝統を持つ大出早池峰神楽が
奉納される。
7月31日~8月1日/霊峰早池峰の山岳
信仰の中心、早池峰神社の祭り。神輿の
渡御、山伏たちによる権現様のお通り、童
子らによる神楽の披露などの行列が沿道
を練り歩く。
50 (b)文化
岩手県
盛岡市
盛岡さんさ踊り
51 (b)文化
岩手県 陸前高田市 海上七夕
4月29日/金勢神社の御神体「金勢様」 金勢様は重さ150kg、長さ1.4mのケヤ
を、半纏姿の女性たちが露天風呂で洗い キづくりの男根。冬期間だけ温泉内の仮
清め、縁結び、子宝、安産を願う。
宮に安置されており、まつりが終わると大
久保山の本宮に戻る。
5月1日~5日/5日間のまつり期間中、 まつりの中心となるのは、平泉に着いた義
稚児行列・延年の舞・弁慶力餅競技大会 経を藤原秀衡が出迎えた情景を再現した
など藤原氏の栄華をしのぶさまざまな行 「源義経公東下り行列」。義経役には人気
の芸能人が扮する。
事が行われる。
花巻市湯口大沢 大 ・『祭礼行事・岩手県』(桜楓社)
沢温泉
・「大沢温泉HP」
http://www.oosawaonsen.com/
・大沢温泉:0198-25-2021
・花巻市観光課:0198-24-2111
(代)
・『祭礼行事・岩手県』(桜楓社) ・平泉観光協会:0191-46-2110
平泉町平泉
平泉駅前、毛越寺、 ・「平泉観光協会HP/春の藤原
まつり」
中尊寺
http://hiraizumi.or.jp/event/haru
_fujiwara/
遠野市附馬牛町上
附馬牛 早池峰神社
花巻市大迫町内川
目 早池峰神社
・遠野市観光協会:0198-621333 ・遠野市教育委員会:0198-624412
・「花巻市HP/早池峰神楽」
・花巻市大迫総合支所:0198-48http://www.city.hanamaki.iwate.jp 2111(代)
/sightseeing/kanko/1205732549 ・早池峰神社:0198-48-5877
992.html
・「岩手県観光協会HP/早池峰
神楽」
http://www.iwatetabi.jp/page/sp
ecial/kagura/index.html
8月1~4日/約2万人の踊り手と1万数千 さんさ踊りは藩政時代から受け継がれて 盛岡市中心街 市役 ・「盛岡さんさ踊りHP」
個の太鼓が盛岡のメインストリートを群舞 きた盆踊りで、「岩手」の由来とされる三ツ 所~中央通
http://www.sansaodori.jp/
する。東北を代表する夏祭りのひとつ。
石伝説が起源とされる。地域ごとに伝わっ
・「盛岡商工会議所HP/盛岡さん
ていた振付けを統一し、昭和53年に新た
さ踊り」
に始められた。
http://www.ccimorioka.or.jp/sans
a/parade.html
・盛岡市観光課:019-626-7539
・盛岡観光コンベンション協会:
019-604-3300 ・盛岡さんさ踊り実行委員会(盛
岡商工会議所内)
:019-624-5880
8月第1日曜日/東日本大震災の影響に 日本唯一といわれる海上七夕。海原にそ 陸前高田市小友町 ・「祭礼行事・岩手県」(桜楓社)
より現在は休止中。今年の実施は不明。 びえ立つ火柱を思わせる20mのみごとな 両替漁港
短冊やボンボリ、吹き流しなどで飾った漁
船団が囃子にのって広田湾内をパレード
する。
陸前高田市観光協会:0192-545011
【b 文化】 35/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
8月7日/山から切り出した太い藤づる
東日本大震災で4台あった山車のうち3台 陸前高田市気仙町 ・「陸前高田市観光物産協会HP ・陸前高田市観光物産協会:
で、樹齢50年以上の杉の丸太(舵棒とよ が津波で流され、存続が危ぶまれたが、 荒町・上八日町・下 /けんか七夕」
0192-54-5011
ばれる)を山車にくくりつけ、相手の山車と 2012年には2台の山車がぶつかり合うけ 八日町・鉄砲町
http://www.3riku.jp/kanko/new/k ・気仙町けんか七夕祭り保存連
ぶつかりあう勇壮な祭り。
んか七夕が実現し、本来の姿に戻りつつ
合会(菅野)
enka-tanabata/kenkaある。
:090-5184-5534
tanabata_2012.html
・「祭礼行事・岩手県」(桜楓社)
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
52 (b)文化
岩手県 陸前高田市 けんか七夕
53 (b)文化
岩手県
花巻市
大迫あんどんまつり
8月14日、16日/武者絵や歌舞伎の題
材のほか、先祖供養の仏画などが描かれ
た4台の「あんどん山車」が操り出し、町内
を練り歩く。
54 (b)文化
岩手県
盛岡市
永井の大念仏剣舞
不定期/旧都南村永井に伝承されている 念仏歌の独特のリズムと情緒のなかに、 盛岡市永井
供養念仏の一種とされる剣舞。大笠を頭 人間の煩悩を払い弥陀の御来迎に歓喜
上にのせて踊る「笠振」は圧巻。
するという古信仰に支えられた踊り。国指
定重要無形民俗文化財。
55 (b)文化
岩手県
北上市
北上みちのく芸能まつり
8月上旬/3日間にわたって、北上市街の
あちこちで100組を越える団体の民俗芸
能が披露される。なかでも「鬼剣舞大群
舞」は圧巻。
民俗芸能の宝庫北上市で、昭和37年に 北上市内各所
開催された「第1回みちのく郷土芸能まつ 北上駅前大通り、北
り」が始まり。北上河畔での花火大会とト 上川河畔
ロッコ流しも見逃せない。
56 (b)文化
岩手県
盛岡市
盛岡舟ッコ流し
8月16日/提灯や盆の供物で飾った舟に
火を放ち、川に流して祖先の霊を送り、無
病息災を祈る。送り盆の精霊舟流しの行
事。
南部藩主・南部行信の娘が水灯の大法事 盛岡市 北上川明治 ・『祭礼行事・岩手県』(桜楓社)
を行ったのが始まりで、その後、川で溺死 橋上流付近
・「盛岡舟っこ流しHP」
した遊女の霊を慰めるため行われるよう
ttp://moriokafunekkonagashi.com
になったという。
/
57 (b)文化
岩手県
二戸市
福田の人形送り
58 (b)文化
岩手県
花巻市
花巻まつり
8月16日/男女2体のわら人形を作り、
神社を出発してから地区内を廻ったのち、
橋の上から川に流す。悪疫退散の人形送
りの行事。
9月第2金・土・日曜日/風流山車、樽神
輿のパレードが練り歩き、神楽権現舞や
鹿踊などの郷土芸能も披露される花巻の
一大イベント。
体の悪い所をなでたせんべいを家族の人
数分だけ持ち寄り、最後に人形と一緒に
流す。人形は人の災厄を受けとめてくれる
形代と考えられている。
江戸時代初めころ、花巻城主・北松斎を敬
慕して山車をつくり、町に繰り出したのが
始まりという。山車に従う花巻囃子は京都
の祇園囃子の流れをくむ。
59 (b)文化
岩手県
盛岡市
盛岡八幡宮例大祭
60 (b)文化
岩手県
遠野市
日本のふるさと遠野まつり
9月第3土・日曜日/郷土芸能を披露しな
がら市街地を巡る郷土芸能パレード、約
50団体が一堂に会す郷土芸能共演会な
どが行われる。
61 (b)文化
岩手県
一関市
室根神社特別大祭
旧暦閏年の翌年の旧暦9月17~19日/
大祭は3日間にわたって行われる。神輿
の先着争いなど勇壮な祭事が特徴で、東
北の荒祭りとして知られる。
62 (b)文化
岩手県
花巻市
三熊野神社の泣き相撲
天保の大飢饉の餓死者の霊を弔うため始 花巻市大迫町中心
まったといわれる。山車は14日の運行後 街
は作り替えられて中日は休み、16日には
別の出し物が登場する。
二戸市福田
高清水稲荷神社~
沢口橋
・『祭礼行事・岩手県』(桜楓社)
・「花巻観光協会HP/あんどんま
つり」
http://www.kankohanamaki.ne.jp/event/event_detai
l.php?id=45
・花巻市大迫総合支所:0198-482111(代)
・花巻市観光課:0198-24-2111
(代)
・『祭礼行事・岩手県』(桜楓社)
・「文化庁HP/国指定文化財等
データベース」
http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys
/maindetails.asp
・盛岡市無形民俗文化財保存連
絡協議会
(盛岡市教育委員会歴史文化課
内)
:019-639-9067
・「みちのく芸能まつりHP」
http://www.kitakami.org/maturi/
・「北上観光コンベンション協会
HP」
http://www.kitakamikanko.jp/minzoku.php?catid=383
・北上市商業観光課:0197-728240-8241
・北上みちのく芸能まつり実行委
員会
(北上観光コンベンション協会):
0197-65-0300
・『祭礼行事・岩手県』(桜楓社)
花巻市街地 鳥谷崎 ・『祭礼行事・岩手県』(桜楓社)
神社
・「花巻観光協会HP/花巻まつ
り」
http://www.kankohanamaki.ne.jp/event/event_detai
l.php?id=48
・「盛岡八幡宮HP」
9月13~16日/4日間の祭りの期間中、 宝永6年(1709)、南部藩20万石の城下 盛岡市街地
宵宮祭の神輿渡御にはじまり、山車の巡 町23町が完成したおり、各町から1台ず 盛岡八幡宮~盛岡 http://www.morioka8man.jp/
・「盛岡観光コンベンション協会
行、例大祭の神事、最終日の神事流鏑馬 つ山車を出して祝ったことに始まるという。 城跡公園
HP/盛岡観光情報」
山車には南部独特の音頭あげがつき、太
(やぶさめ)と続く。盛岡を代表する秋祭
http://www.odette.or.jp/?p=829
鼓を打ち鳴らしながら練り歩く。
り。
鹿踊り、神楽、南部囃子などの郷土芸能 遠野市街地
を実りの秋への感謝として披露する。もと 遠野郷八幡宮、遠野
もとは遠野郷八幡宮の例大祭に合わせて 駅周辺
行われていた。
大祭2日目は荒馬先陣や袰(ほろ)まつり
の馬場巡り、町内行進などの祭典行列が
繰り広げられる。最終日は室根山8合目
の室根神社から本宮、新宮の両神輿が祭
り場の仮宮を目指して下る。
9月19日/9月の例大祭に奉納される十 「ヨォヨォ」の掛け声で3度双方の抱く幼児
二番角力(すもう)式は、ユニークな角力 の顔を合わせ、先に泣き出した側を負けと
神事で、地元の幼児による「泣き相撲」とし する。本来は作占(豊凶占い)の神事であ
る。
て知られる。
一関市室根町折壁
室根山
室根神社
花巻市東和町北成
島 三熊野神社
・『祭礼行事・岩手県』(桜楓社)
・「遠野市HP/お祭りイベント情
報」
http://www.city.tono.iwate.jp/ind
ex.cfm/25,0,124,html
・『祭礼行事・岩手県』(桜楓社)
・「いちのせき観光ナビ!」
http://www.ichitabi.jp/
・盛岡観光コンベンション協会:
019-604-3305
・仙北地区活動センター:019635-9356
・舟っこ流し協賛会:019-6361764
・二戸市観光協会:0195-233641
・二戸市教育委員会:0195-233111(代)
・花巻観光協会:0198-29-4522
・花巻まつり実行委員会(花巻市
商工観光部観光課)
:0198-24-2111(代)
・盛岡観光コンベンション協会:
019-604-3305
・盛岡八幡宮社務所:019-6525211 ・遠野市観光協会:0198-621333
・遠野市商工観光課:0198-622111
・室根大祭協賛会:0191-643806
・室根支所地域振興課:0191-643801(代)
・一関市役所商業観光課:0191・『祭礼行事・岩手県』(桜楓社) ・三熊野神社:0198-42-2110
・「花巻市HP/花巻の観光情報」 ・毘沙門まつり実行委員会(花巻
http://www.city.hanamaki.iwate.jp 市東和総合支所内)
/sightseeing/kanko/bishamon.ht :0198-42-2110(代)
ml
【b 文化】 36/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
63 (b)文化
岩手県
平泉町
秋の藤原まつり
64 (b)文化
宮城県
仙台市
大崎八幡宮のどんと祭
65 (b)文化
宮城県
加美町
柳沢の焼け八幡
1月14日/火の燃え具合や煙の方向で
その年の豊凶を占い、火難除け、五穀豊
穣、家内安全を祈願する小正月の行事。
勇壮な男たちの祭りとして長い伝統を持
つ。
66 (b)文化
宮城県
涌谷町
箟岳白山祭
1月25日/箟岳(ののだけ)白山祭は、
1000余年の伝統を持つといわれる山岳信
仰の祭礼。豊作を願う予祝行事と「作だめ
し」の神事が執り行われる。
67 (b)文化
宮城県
石巻市
名振のおめつき
68 (b)文化
宮城県
登米市
米川の水かぶり
69 (b)文化
宮城県
岩沼市
竹駒神社初午祭
70 (b)文化
宮城県
塩竈市
塩竈神社帆手祭
71 (b)文化
宮城県
栗原市
小迫の延年
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
11月1~3日/藤原まつりは毎年5月と11
月に開催される。秋のまつりでは、稚児や
僧衆たちが本堂から金色堂まで練り歩き、
奥州藤原氏の栄華をしのぶ。
期間中は藤原四代の公追善法要のほか、
中尊寺能楽堂で能・狂言の奉納、毛越寺
では浄土庭園で国指定重要無形文化財
の「延年の舞」が披露され、中尊寺菊まつ
りも同時開催される。
1月14日/毎年1月14日、宮城県各地 神社の境内で正月飾りを焼き、御神火に
の神社でどんと祭が行われる。その中で あたることで心身が清められ、1年の無病
最も規模が大きいのが大崎八幡宮で、多 息災・家内安全を祈願する正月送りの祭
い時は10万人もの参詣客で賑わう。
事。大崎八幡宮では、正式には「松焚祭
(まつたきまつり)」という。
情報源・取材元
平泉町平泉
・『祭礼行事・岩手県』(桜楓社)
平泉駅前、毛越寺、 ・「中尊寺HP/秋の藤原まつり」
中尊寺
http://www.chusonji.or.jp/guide/
event/event_aki_fujiwara.html
仙台市青葉区八幡 ・「大崎八幡宮HP」
大崎八幡宮
http://www.oosakihachiman.or.jp/
・「仙台観光コンベンション協会
HP」http://www.sentabi.jp/
八幡神社の前で12束のわらを束ねて作ら 加美町宮崎柳沢 柳 ・『祭礼行事・宮城県』(桜楓社)
れた灯篭に火をつけてその年の月々の天 沢八幡神社
・「宮城県HP/宮城県の指定文
候を占い、翌朝には笹竹とわらで作った
化財」
「お小屋」を勢いよく燃やして作柄を占う。
http://www.pref.miyagi.jp/site/sit
県指定無形民俗文化財。
ei/07yanagi.html
箟峯寺(こんぽうじ)境内の白山堂で行わ
れる御弓神事では、稚児2人が6本ずつ計
12本の矢を射り、矢の当り方で12か月の
天候と豊凶を占う。県指定無形民俗文化
財。
1月24日/火伏神事の後、地元の男衆 天明元年(1781)に名振で大火があり、
がユーモラスな寸劇を披露する。「おめつ この惨禍を繰り返さないよう地区の東と西
き」=「思いつき」で、祭りの名は即興の寸 に「秋葉大権現」の碑を建立し、火伏せ祈
劇をやることから付けられた。
願をしたのが祭りの起源とされる。県指定
無形民俗文化財。
2月初午/藁で作った腰みのやかぶり物
を身につけ、顔に煤(すす)を塗った男たち
が、家々の戸口に用意された桶の水を屋
根にかけながら町を走り抜ける。火伏の伝
統行事。
所在地
涌谷町箟岳神楽岡 ・『祭礼行事・宮城県』(桜楓社)
箟岳山箟峯寺
・「涌谷町HP/箟岳白山祭」
http://www.town.wakuya.miyagi.jp
/sangyo/kanko/event/hakusan.h
tml
石巻市雄勝名振
・「宮城県HP/宮城県の指定文
秋葉神社~名振コ 化財」
ミュニティセンターほ http://www.pref.miyagi.jp/site/sit
か
ei/01naburi.html
・「石巻市HP/おめつき」
http://www.city.ishinomaki.lg.jp/c
ont/10452000b/kanko/0030/20130225192332.ht
ml
・大崎八幡宮:022-234-3606
・宮城県観光連盟:022-2112822
・仙台観光コンベンション協会:
022-268-6251
・加美町商工観光課 0229-636000 ・宮城県文化財保護課:022-2113683
・涌谷町まちづくり推進課:022943-2119 ・箟岳山箟峯寺:0229-45-2251
・雄勝公民館:0225-57-3052
・石巻市商工観光課:0225-951111(代)
・「登米市HP/米川の水かぶり」
http://www.city.tome.miyagi.jp/o
shirase/towa/mizukaburi.html?m
ode=preview
・「米川地域振興会HP/米川の
水かぶり
http://miyagiyonekawa.com/event/mizukaburi
/
2月初午/2月の初午の日を初日として7 日本三大稲荷のひとつともいわれる竹駒 岩沼市稲荷町 竹駒 ・「岩沼市HP/観光情報」
日間にわたる祭り期間中、神輿渡御のほ 神社は奥州藤原氏や歴代仙台藩主の庇 神社
http://www.city.iwanuma.miyagi.j
か、竹駒奴による奴振りや稚児行列が町 護を受けた古社。祭りは商売繁盛、五穀
p/kakuka/030200/030201
中を練り歩く。
豊穣を願って執り行われる。
/takekomajinnjya.html
・登米市東和総合支所市民課:
0220-53-4112
・登米市商工観光課:0220-342734 ・米川地域振興会(米川公民館):
0220-53-4155
3月10日/重さ250貫(約1t)の神輿を
氏子16人が担ぎ、鹽竈神社の参道・表坂
を一気に下り、さらに市内を勢いよく御神
幸する勇壮な祭り。
・鹽竈神社社務所:022-3671611 ・塩竈市観光交流課:022-3641165
・塩竈市観光物産協会:022-3641165
4月第1日曜日/三迫総鎮守の社として
崇拝されている白山神社の例大祭で、古
式ゆかしい「小迫(おばさま)の延年」の舞
が社前「野舞台」で奉納される。
一行が通りかかると町内の人々は争って 登米市東和町米川
装束の藁を引き抜き、自宅の屋根に上げ 五日町
て火伏のお守りにする。 地区以外の人が
参加すると火災が起こるという言い伝えが
ある。国指定重要無形民俗文化財。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
・平泉観光協会:0191-46-2110
・中尊寺:0191-46-2211
奥州一宮の鹽竈神社における早春の神 宮城県塩竈市一森
事で、元々は天和2年(1682)に火伏祭 山 鹽竈神社
として町内の厄除けと繁栄を祈願して始ま
り、港町塩竈で行われることにちなんで、
帆手(ほて)祭と呼ぶようになった。
・『祭礼行事・宮城県』(桜楓社)
・「鹽竈神社HP」
http://www.shiogamajinja.jp/topic
s/90.shtml
・「塩竈市観光物産協会HP/塩
竈歳時記」
http://kankoubussan.shiogama.mi
yagi.jp/modules/tinyd0/?id=2
竹駒神社社務所:0233-22-2101
岩沼市商工観光課:0223-221111(代) 延年とは、平安から室町にかけて、僧侶 栗原市金成小迫 白 ・「栗原市HP/小迫の延年」
・栗原市教育委員会文化財保護
や稚児たちが寺院で行っていた寺院演
山神社
http://www.kuriharacity.jp/index. 課:0228-42-3515 能。「小迫の延年」は古来の形式をそのま
cfm/12,5401,80,html
・栗原市金成総合支所産業建設
ま今に伝える貴重なもの。国指定重要無
・「文化庁/国指定文化財等デー 課:0228-42-1114 形民俗文化財。
タベース」
http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys
/maindetails.asp
【b 文化】 37/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
72 (b)文化
宮城県
加美町
熊野神社春季例祭
73 (b)文化
宮城県
塩竈市
塩竈神社の花まつり
74 (b)文化
宮城県
仙台市
75 (b)文化
宮城県
76 (b)文化
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
旧暦3月15日/旧宮崎町の熊野神社か 大崎一の宮として玉造、志田、遠田、栗
加美町宮崎麓 熊 ・「祭礼行事・宮城県」(桜楓社) ・加美町宮崎支所教育委員会:
らご神体を入れた神輿を担ぎ、獅子舞 を 原、加美5郡の総鎮守とされる熊野神社 野神社
0229-69-5113 ‎
先頭に悪魔を祓いながら町内を練り歩く。 に、室町時代から続くと伝えられる。
・加美町商工観光課:0229‐63‐
6000 4月第4日曜日/鹽竈神社境内に咲く約3 氏子三祭とは、神輿が渡御(市内巡行)す 宮城県塩竈市一森 ・「鹽竈神社HP」
・鹽竈神社社務所:022-36700本の桜が満開となるころに行われる。 る3つの祭典(帆手祭・花まつり・みなと祭 山 鹽竈神社
http://www.shiogamajinja.jp/inde 1611 神輿渡御には稚児行列が従い、市内を巡 り)をいう。もとは「弥生祭」と呼ばれていた
x.shtml
・塩竈市観光交流課:022-364行する。
が、新暦で桜の季節にあたることから「花
・「塩竈市観光物産協会/花まつ 1165
まつり」と称するようになった。
り」
・塩竈市観光物産協会:022-364http://kankoubussan.shiogama.mi 1165
yagi.jp/modules/piCal/
index.php?com_mode=thread&co
m_order=1&event_id=700
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
秋保大滝不動尊大祭
4月28~29日/秋保大滝不動尊の春の
大祭。29日に「秋保の田植踊り(馬場の田
植踊り)」「野口の鹿踊り」「滝原の顕拝(け
んばい)」などの民俗芸能が披露される。
秋保不動尊は不動明王を本尊とする真言
宗智山派の寺で、正式名は西光寺。田植
踊り(国指定重要無形民俗文化財)は、8
~15歳の少女が1から10までの数え唄を
歌いながら舞う可憐な踊り。
加美町
初午まつり 火伏せの虎舞
4月29日/お囃子にのって人間が扮した
虎が舞いながら、色鮮やかな山車とともに
町内を練り歩く。地区の防災と家内安全を
祈願する火伏せの伝統行事。
虎の威を借りて火事をおこす風を鎮め、火 加美町中新田町内 ・『祭礼行事・宮城県』(桜楓社) ・初午まつり実行委員会事務局
伏せを祈願したのが起源とされる。虎舞を 花楽小路
・「加美町HP/火伏の虎舞」
(加美町商工観光課)
演じるのは地元の中学生たちで、祭典本
http://www.town.kami.miyagi.jp/s :0229-63-6000
部前では数匹の虎が高屋根に上がり、勇
ection001/syoukoukankou/
壮な舞を披露する。
kankoubussann/ibento.jsp
宮城県
名取市
熊野堂神楽・舞楽
4月29日/名取の熊野神社(新宮社)に
は、神楽と舞楽が継承されており、神楽は
春と秋の例祭で、舞楽は春のみ披露され
る。
舞楽は神楽殿での神楽奉納が終わってか 名取市高舘熊野堂 ・「名取市HP/名取市指定文化
ら、拝殿正面の池の中に臨時に設けられ 熊野神社
財」
た水上舞台で舞われる。県指定無形民俗
http://www.city.natori.miyagi.jp/
文化財。
・「宮城県HP/宮城県の指定文
化財」
http://www.pref.miyagi.jp/site/sit
ei/20kumano.html
77 (b)文化
宮城県
大和町
船形山神社の梵天ばやい
5月1日/船形山神社の御神体(金銅菩
薩立像)御開帳の祭典時に行われる豊作
祈願の伝統行事。御神体の湿り具合を見
てその年の作凶を占う。
御神体が開帳されると社殿に奉納されて 大和町吉田升沢 船 ・『祭礼行事・宮城県』(桜楓社) 大和町産業振興課:022-345いた梵天が参拝者の中に投げ入れられ、 形山神社
・「宮城県HP/宮城県の指定文 1184
これを激しく奪い合う。勝ち取った梵天を
化財」
苗代の水口に立てると豊作に恵まれると
http://www.pref.miyagi.jp/site/sit
いう。県指定無形民俗文化財。
ei/06funagata.html
78 (b)文化
宮城県
栗原市
花山鉄砲まつり
5月5日/宮城県内唯一の火縄銃の祭
り。見どころは古式火縄銃の発砲。陣羽織
を身にまとった鉄砲組が、一斉に火縄銃を
轟かせる。
発砲に先立って御嶽神社から花山中学校 栗原市花山
まで、鉄砲組を先頭に子供鉄砲組・稚児行 御嶽神社~旧花山
列・お囃子・手踊りが練り歩き、祭りを盛り 中学校校庭
上げる。
・『祭礼行事・岩手県』(桜楓社)
・「宮城県観光連盟HP/宮城まる
ごと探訪」
http://www.miyagikankou.or.jp/wom/o-1447
79 (b)文化
宮城県
加美町
薬莱山のお山登り
資料不足により情報不確定
栗原市花山総合支所:0228-562114 栗原市田園観光課(くりはら研究
所):0228-22-1151 栗原観光物産協会:0228-254166
80 (b)文化
宮城県
石巻市
金華山黄金山神社初巳大祭 5月初巳~7日間/ 弁財天の使者である
蛇にちみ、巳月の初巳の日から、7日間に
わたり開催される金華山黄金山神社の最
大の祭儀。
大祭期間中の日曜日には、神輿が桟橋の 石巻市鮎川浜金華
御旅所に降りて海水による海潮祓いの特 山
殊神事を斎行し、本殿まで戻る神輿渡御 金華山黄金山神社
が行われる。
・「金華山黄金山神社HP」
http://kinkasan.jp/
・「石巻市HP/イベント観光情報」
http://www.city.ishinomaki.lg.jp/d
0040/index.html
・金華山黄金山神社社務所:
0225-45-2301
・石巻市商工観光課:0225-951111(代)
81 (b)文化
宮城県
栗原市
くりこま山車まつり
江戸時代に農民を慰安し五穀豊穣を祈願 栗原市栗駒岩ケ崎
した「新田の早苗振り」が起源という。郷土 馬場通り~六日町
芸能やお囃子の競演会、東北輓馬競技大 通り
会のイベントもある。
・「宮城県観光連盟HP/宮城まる
ごと探訪」
http://miyagikankou.or.jp/wom/o-4172
・栗原市栗駒総合支所産業建設
係:0228-45-2114 ・栗駒市商工観光課:0228-456060
7月最終土・日曜日/祭りは宵祭、本祭の
2日間に渡る。栗駒岩ヶ崎の9地区で製作
された豪奢で華麗な山車の巡行が見どこ
ろ。
所在地
仙台市太白区秋保
町馬場 秋保大滝不動尊
情報源・取材元
・『祭礼行事・宮城県』(桜楓社)
・「宮城県観光連盟HP/宮城まる
ごと探訪」
http://www.miyagikankou.or.jp/wom/o-7925
・西光寺:022-399-2127 ・宮城県観光連盟:022-2112822
・仙台市観光交流課022-2148259
熊野神社(宮司宅):022 -3862952
名取市文化振興課:022-3842111(代)
【b 文化】 38/188
カテゴリー
地域資源名
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
7月31~8月1日/東北地方最大の大
北上川を開削した「川村孫兵衛重吉」の報 石巻市街地
・「川開き祭りHP」
・石巻川開祭実行委員会(石巻商
河・北上川を舞台に、2日間にわたって繰 恩感謝と街の繁栄を願って、また海難・水 北上川中瀬、内海橋 http://www.ishinomakikawabiraki. 工会議所内)
り広げられる川祭り。川施餓鬼供養の灯 難者を慰霊をする祭りとして、1916年に第 下流河畔ほか
jp/
:0225-22-0145 籠流し、神輿パレード、小学生鼓笛隊パ 1回が開催された。東日本大震災以降は
・「宮城県観光連盟HP/宮城まる ・石巻市商工観光課:0225-95レード、花火大会など、さまざまなイベント 復興の祈りをこめ、地震で亡くなった人の
ごと探訪」
1111(代)
が催される。
霊を弔い、例年の供養・神事に併せて供
http://www.miyagi養祭が行われている。
kankou.or.jp/wom/o-4099
・「石巻市HP/イベント観光情報」
http://www.city.ishinomaki.lg.jp/d
0040/index.html
県
市町村
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
82 (b)文化
宮城県
石巻市
石巻川開き祭り
83 (b)文化
宮城県
塩竈市
塩竈みなと祭
7月第3月曜日/祭り最大の見どころは
「神輿海上渡御」。志波彦神社と鹽竈神社
の神輿をのせた2隻の御座船が、約100隻
に及ぶ大小の供奉船を従えて松島湾内を
巡幸する。
終戦直後の1948年、港町塩竈の活気を 塩竈市街地 鹽竈 ・「塩竈市観光物産協会HP/塩
取り戻そうと始められた。鹽竈神社の祭儀 神社、塩竈港
竈みなと祭り」
のほか、前夜祭の花火大会や「よしこの」
http://kankoubussan.shiogama.mi
のコンテストなど、全国有数の規模を誇る
yagi.jp/?page_id=580
海の祭典となっている。
・「志波彦神社・鹽竈神社HP」
http://www.shiogamajinja.jp/annu
alevent/01.shtml
84 (b)文化
宮城県
気仙沼市
気仙沼みなとまつり
8月第1土、日曜日/航海の安全と大漁を
祝う祭り。山車の巡行、はまらいんや踊
り、打ち囃子の競演、海上花火などが2日
間にわたって盛大に繰り広げられる。
・気仙沼みなとまつり実行委員会
1951年に第1回を開催以後、気仙沼地 気仙沼市街地 魚町 ・「気仙沼みなとまつりHP」
http://www.kesennuma.or.jp/min (気仙沼商工会議所内):0226方最大の祭りに発展。東日本大震災で壊 ~港町
22-4600
atomatsuri/
滅的な被害を受け2011年は中止となっ
・「気仙沼観光コンベンションン協 ・気仙沼観光コンベンション協会:
たが、翌年には再開され、鎮魂と復興の
0226-22-4560
会HP」http://www.k願いをこめた花火が夜空を彩った。
・気仙沼市観光課:0226-22macs.ne.jp/~k-kanko/
6600
・「気仙沼市HP」 http://www.city.kesennuma.lg.jp
85 (b)文化
宮城県
角田市
金津七夕
8月6日/藩政時代から続いている古式
ゆかしい七夕祭り。竹の棒に提灯を数個
付けた竿灯を手に持ち、和歌をうたいなが
ら行列を組み、町を練り歩く。
「星祭り」的な行事ではなく、盆前に災厄を 角田市尾山金津
祓い豊作を祈願するという日本の伝統的
な七夕行事の意味合いが強い。子どもた
ちが主体となって行われているのも大きな
特徴。県指定無形民俗文化財。
86 (b)文化
宮城県
仙台市
仙台七夕
8月6~8日/仙台駅前から続くアーケー
ド街をはじめ、市内の全域が工夫を凝らし
た七夕飾り一色に染まる。東北3大まつり
のひとつで、毎年200万人以上の人が繰り
出す大イベント。
七夕まつりの伝統は古く、旧仙台藩内各
地で行われてきたが、仙台七夕まつりが
特に有名。元々は旧暦7月6日夜の行事
で、翌朝には竹飾りを広瀬川に流すのが
習わしであった。
87 (b)文化
宮城県
松島町
松島灯篭流し花火大会
88 (b)文化
宮城県
大崎市
政宗公祭り
89 (b)文化
宮城県
登米市
登米の秋まつり
・塩竈みなと祭協賛会:022-3617506
・塩竈市観光物産協会:022-3641165 ・塩竈市観光交流課:022-3641165
・「宮城県HP/宮城県の指定文 角田市教育委員会生涯学習課:
化財」
0224-63-2221
http://www.pref.miyagi.jp/site/sit
ei/09kanatu.html
・「角田市HP」
http://www.city.kakuda.miyagi.jp/
syogai/page00054.shtml
・『祭礼行事・宮城県』(桜楓社)
・「仙台七夕まつり協賛会HP」
http://www.sendaitanabata.com/
・「宮城県観光連盟HP/宮城まる
ごと探訪」
http://miyagikankou.or.jp/wom/o-4097
・仙台七夕まつり協賛会(仙台商
工会議所内)
:022-265-8185 ・仙台観光コンベンション協会:
022-268-6251
8月15~16日/東日本大震災の影響で 15日は瑞巌寺大施餓鬼会を奉賛する前 松島町松島 瑞巌
会場、内容など大幅に縮小変更されてい 夜祭行事で、打ち上げ花火や水中スター 寺、松島湾
る。今年の実施は不明。
マインなど7000発の花火が打ち上げら
れる。16日は海上に108の灯籠と全国か
ら寄せられた供養灯籠が浮かぶ。
9月第2日曜/伊達政宗が京都に上洛し 岩出町は伊達政宗が青年期を過ごしたこ 大崎市岩出山 南町
た時の伊達武者行列を再現。ほら貝を吹 とで知られる。祭りは政宗の遺徳と業績を 商店街通ほか
き鳴らし、騎馬武者隊・甲冑武者隊が行進 称え、1964年、青葉城跡に鎮座していた
する戦国絵巻が見もの。
「政宗公平和像」が岩出山城山公園に移
されたことを契機に始められた。
・「松島観光協会HP」
http://www.matsushimakanko.com/
・松島観光協会:022-354-2618
・「政宗公まつり協賛会HP」
http://masamunekoumaturi.com/
・「大崎市HP/大崎市観光案内」
http://www.city.osaki.miyagi.jp/g
uest/kanko/index.html
・政宗公まつり実行委員会事務
局:0229-72-1215
(大崎市岩出山総合支所地域
振興課内)
・大崎市観光交流課:0229-237097 9月第3土・日曜日/登米神社の例祭。各
町内から繰り出す山車屋台が登米囃子と
呼ばれる古調ゆかしい調べにのって練り
歩く。
・『祭礼行事・宮城県』(桜楓社)
・「登米市HP/登米観光情報」
http://www.city.tome.miyagi.jp/k
ankou/spot/eventautumn.html#e
01
・登米総合支所市民課:0220-525051 (登米秋まつ
り協賛会事務局) ・登米市観光物産協会:0220-524648
仙台市街地
仙台駅前~周辺商
店街
宵祭りでは登米薪能が奉納される。山車 登米市登米町寺池
は神々の物語や歌舞伎の名場面をなぞら 伝統芸能伝承館(薪
え、廃絶した仙台祭りの名残をとどめる。 能会場)
県指定無形民俗文化財。
【b 文化】 39/188
カテゴリー
地域資源名
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
11月3日/平安時代の平泉藤原氏の薬 国の重要文化財に指定されている杉薬師 栗原市築館
・「栗原市HP/薬師堂」
・つきだて薬師まつり実行委員
師参りをもとにした雅やかな祭り。御所車 双林寺の薬師如来の由来を伝える祭礼。 駅前商店街通り、杉 http://www.kuriharacity.jp/index. 会:0228-22-1114
を中心に官女・武士・僧侶に扮した行列が 藤原秀衡の妻が難病を薬師如来に祈って 薬師瑠璃殿
cfm/12,5400,80,html
(築館総合支所市民サービス課
練り歩く。
加護され、そのお礼参りに平泉から訪れ
・「宮城県観光連盟HP/宮城まる 内) たという行列を再現したもの。
ごと探訪」
http://www.miyagi・双林寺:0228-22-5028
kankou.or.jp/wom/o-3417
県
市町村
資源の概要
90 (b)文化
宮城県
築館町
薬師まつり
91 (b)文化
宮城県
南三陸町
入谷打囃子
92 (b)文化
宮城県
石巻市
金華山黄金山神社神鹿角切 10月第1、2日曜日/太平洋に浮かぶ
り行事祭
島、金華山に棲息する鹿を神鹿として保
護し、その角を切り落とす行事。
伸びた角で人に危害を加えないよう、196 石巻市鮎川浜金華
3年から牡鹿が発情期を迎える秋に実
山
施。日本では奈良の春日大社と金華山で 金華山黄金山神社
しか見ることができない。
・「金華山黄金山神社HP」
http://kinkasan.jp/
・「石巻市HP/イベント観光情報」
http://www.city.ishinomaki.lg.jp/d
0040/index.html
93 (b)文化
秋田県
鹿角市
大日堂舞楽
1月2日/およそ1300年の伝統を持つ秋
田県内最古の舞楽。小豆沢地区にある大
日霊貴神社(大日堂)で、毎年正月2日に
奉納される。
神社が再建された養老2年(718)の祭礼 鹿角市八幡平小豆
の舞楽が起源といわれる。大里、小豆沢、 沢
長嶺、谷内の4地区から能衆が集い、堂 大日霊貴神社
内の二間四方の舞台で舞を奉納する。国
指定重要無形民俗文化財。
・『祭礼行事・秋田県』(桜楓社)
・「大日堂舞楽HP」
http://dainichido.p1.bindsite.jp/b
ugaku/
・鹿角市観光交流課:0186-300248
・十和田八幡平観光物産協会:
0186-23-019
94 (b)文化
秋田県 由利本荘市 新山神社裸まいり
1月第3日曜日/寒中の早朝、水垢離をと
り、身を清めた男衆が、東山山頂にある新
山神社を目指して103段の石段の参道を
一気に駆け上がり、五穀豊穣、家内安全
などを祈願する。
裸まいりは天保年間の頃に始まったともい 由利本荘市石脇東
いわれるが定かではない。男衆は白腹巻 山 新山神社
きに注連を巻き、白足袋に草鞋掛けという
いでたちで、ジャヤサ、ジョヤサの掛け声
とともに神社を目指す。
・「由利本荘市観光協会HP」
http://www.yurihonjo-kanko.jp/
・「秋田県観光連盟HP/新山神
社裸参り」
http://www.akitafan.com/sightse
eing/detail.html?data_id=1139
・由利本荘市観光協会:0184-246376
・由利本荘市観光文化振興課:
0184-24-6376
95 (b)文化
秋田県
秋田市
三吉梵天祭
1月17日/ほら貝を吹き、三吉節を唄い
ながら威勢よく梵天をかざし、参道の石段
で神社奉納の先陣争いを繰り広げる勇壮
な祭り。
梵天(ぼんでん)と呼ばれる依代を神社に 秋田市広面赤沼
奉納し、五穀豊穣や家内安全・産業発展 太平山三吉神社総
などを祈願する伝統行事。太平山三吉神 本宮
社の梵伝はその荒々しさから「けんか梵
天」の異名をもつ。
・『祭礼行事・秋田県』(桜楓社)
・「太平山三吉神社総本宮HP」
http://www.miyoshi.or.jp/index.ht
ml
・太平山三吉神社総本宮:018834-3443
・秋田市観光物産課 TEL018866-2112 96 (b)文化
秋田県
大曲市
刈和野の大綱引き
2月10日/刈和野の上町と下町とに分か
れ、太さ約2.2mの雄綱と雌綱を引き合う。
500年の伝統を誇る日本最大級の大綱
引き行事。
室町時代に市を開設する権利を得るため 大仙市刈和野大町
の、「市神」の祭事として始められた。現在 通り
は上町が勝てば米の値段が上がり、下町
が勝てば豊作とされる。
・「大曲市HP」
http://www.city.daisen.akita.jp/
・「秋田県HP/美しき水の郷あき
た」
http://www.pref.akita.jp/fpd/bun
ka/ootunahiki.htm
・大仙市西仙北支所市民サービ
ス課:0187-75-1111
・大綱引き保存会事務局(西仙北
中央公民館内)
:0187-75-1115
97 (b)文化
秋田県
にかほ市
掛魚祭り
2月4日/金浦漁港に水揚げされた寒鱈
を、各船主が海上安全と大漁祈願を祈願
して、金浦山神社に奉納する。別名「タラ
祭り」。
掛魚(かけよ)とは、漁から帰った漁師が
氏神様や恵比寿様にお供えする魚のこ
と。勢至公園では金浦神楽が披露され、
大鍋でタラ汁がふるまわれる。
・『祭礼行事・秋田県』(桜楓社)
・「にかほ市観光協会HP/にか
ほ市観光案内」
http://www.nikahokanko.jp/event.html
・にかほ市観光協会:0184-436608 ・にかほ市観光課:0184-38-4305
98 (b)文化
秋田県
大館市
アメッコ市
2月第2土・日曜日/大館のハチ公通りに
飴を売る屋台が連なり、縁起物の飴を買う
大勢の人で賑わう。この日飴を食べると風
邪をひかないといわれている。
ミズキの枝にアメをつけ神前に供える農家 大館市大町 おお ・「大館市HP/アメッコ市」
・大館アメッコ市実行委員会:
の小正月行事が始まりといわれ、1972年 まちハチ公通り
http://www.city.odate.akita.jp/dci 0186-42-4360
から現在のように大通りで開催されるよう
ty/sitemanager.nsf/doc/amekkoi ・大館駅観光案内所(JR大館駅
になった。白髭大神巡行、秋田犬パレード
chi.html
内):0186-57-8120
などのイベントも行われる。
・「大館市観光協会HP」
・大館市観光課:0186-43-7072
http://www.dodasuka.com/
旧暦8月15日に近い日曜日/京都の祇
園囃子の流れを持つ華麗な郷土芸能「打
囃子」と神輿が地区内を練り歩き、八幡神
社に奉納する。
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
打囃子は入谷地区にある4つの集落がそ 南三陸町入谷 入谷 「南三陸町HP/VIRTUAL
れぞれに「講」をつくり、順番に奉納する。 八幡神社
MUSEUM」
東日本大震災で津波の被害を受けた20
http://www.town.minamisanriku.
11年は中止となったが、翌年に復活し、
miyagi.jp/museum/index.html
五穀豊穣と復興を祈願した。
・「宮城県HP/宮城県の指定文
化財」
http://www.pref.miyagi.jp/site/sit
ei/02iriya.html
にかほ市金浦
金浦山神社 、勢至
公園
・南三陸町教育委員会:0226-462600(代)
・南三陸町観光振興係:0226-461378
【b 文化】 40/188
カテゴリー
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
2月第2金・土・日曜日/祭りのクライマック 大晦日に家々を回る民俗行事「なまはげ」 男鹿市北浦真山 ・「男鹿市HP/観光情報」
・男鹿市観光課:0185-23-2111
http://www.city.oga.akita.jp/index ・男鹿市観光協会:0185-24スは、松明をかざした15匹のなまはげの と、真山神社で1月3日に行われる神事 真山神社
下山。幻想的で勇壮な、男鹿を代表する 「紫灯祭」を組み合わせて、観光行事化し
4700
.cfm/14,html
冬祭り。
たもの。
・「秋田県農村振興課HP/美しき ・真山神社:0185-33-3033
水の郷あきた」
http://www.pref.akita.jp/fpd/bun
ka/namahage-2.htm
県
市町村
地域資源名
99 (b)文化
秋田県
男鹿市
なまはげ紫灯まつり
100 (b)文化
秋田県
仙北市
火振りかまくら
2月13~14日/角館の冬を彩る小正月
の火祭り。炭俵や米俵に火をつけて円形
を描くように振り回し、無病息災や家内安
全を祈願する。
宮中行事の左義長の名残を伝える行事 仙北市角館町
で、神聖な火で自分の身体を清め、田ん 桧木内河川敷、町内
ぼの厄や穢れを祓う意味が込められてい 各所
る。
・「仙北市HP/観光情報」
・仙北市観光情報センター:0187http://www.city.semboku.akita.jp 52-1170
/sightseeing/index.html」
・仙北市観光課:0187-43-3352
・「角館町観光協会/伝統行事」
http://kakunodatekanko.jp/traditional_evetns/
101 (b)文化
秋田県
美郷町
六郷のカマクラ(竹うち)
2月12~15日/4日間にわたって行わ
れる小正月行事。15日の竹うちはこの行
事のハイライトで、3~4mの青竹を持った
若者たちが南北に分かれて激しく打ち合
い豊作を祈願する。
六郷のカマクラとは、12日の天筆書初め 美郷町六郷
に始まり、鳥追い小屋造り、天筆焼き、竹 町内各所、カマクラ
うち、鳥追いと続く一連の行事のことをい 畑(竹うち会場)
い、左義長の吉書焼きの遺風と小正月行
事本来の姿を今に残す。国指定重要無形
民俗文化財。
・『祭礼行事・秋田県』(桜楓社)
・「美郷町観光協会HP」
http://www.rokugomizu.net/index.htm
・「美郷町HP/観光」
http://www.town.misato.akita.jp/
misatochoukankou/kankotop.asp
・美郷町観光協会:0187-840110
・美郷町商工観光交流課:018784-1111(代) ・美郷町公民館 TEL0187-842311
102 (b)文化
秋田県
横手市
横手のかまくら
2月15~16日/小正月に行う雪国の詩
情豊かな民俗行事。期間中は約100基の
大きなかまくらと無数のミニかまくらに灯が
ともり、雪のまちを彩る。
かまくらの中では、子供たちが「はいって 横手市街地
たんせ」「おがんでたんせ」といいながら、 二葉町、羽黒町、横
甘酒や餅をふるまう。どんど焼きの雪室と 手公園ほか
水神様を祭る行事が一緒になり、明治以
降に現在の形になったものという。
・「横手観光協会HP」
http://www.yokotekamakura.com
/
・「横手市観光連盟HP」
http://www.yokotekankou.jp/?category_name=c02
・横手市観光協会:0182-337111
・横手市観光連盟:0182-388652
・横手市観光物産課:0182-322119
103 (b)文化
秋田県
横手市
旭岡山神社のぼんでん奉納 2月16~17日/掛け声勇ましく男衆がぼ
んでん(梵天)をかつぎ、激しくもみ合いな
がら先陣を競って旭岡山神社に奉納す
る。かまくらの「静」に対して勇壮な「動」の
祭り。
ぼんでんとは、神霊が降臨する依代、神 横手市大沢 旭岡 ・「横手観光協会HP」
・横手市観光協会:0182-33座と しての「ホデ」に由来するといわれる。 山神社
http://www.yokotekamakura.com 7111
横手のぼんでんは他に例をみないほど大
/
・横手市観光連盟:0182-38型で、豪華なことが特徴。奉納前日に頭飾
・「横手市観光連盟HP」
8652
りを競うコンクールが催される。
http://www.yokote・横手市観光物産課:0182-32kankou.jp/?category_name=c02 2119
104 (b)文化
秋田県
大仙市
川を渡るぼんでん
2月17日/ぼんでん(梵天)を川舟に乗
せて雄物川を渡り、対岸にある標高約
207mの伊豆山神社に奉納する。
雪山をバックに川船で川を渡る色彩豊か 大仙市大曲花館
なぼんでんの姿は、一面の銀世界とのコ 町内各所~雄物川
ントラストとあいまって、見るものを幻想的 ~伊豆山神社
な世界に誘う。
105 (b)文化
秋田県
湯沢市
犬っこまつり
2月第3土、日曜日/駅前広場や商店街
につくられた雪のお堂に、夕暮れとともに
ロウソクが灯され、シンコ細工の犬っこを
祀る。
悪党などが来ないようにと、米の粉で犬っ 湯沢市街地 湯沢 ・『祭礼行事・秋田県』(桜楓社)
・「湯沢市HP/湯沢の祭り」
こや鶴亀を作り、旧小正月の晩に家の入 駅前広場ほか
http://aios.city口や窓々にお供えして祈念したのが始ま
yuzawa.jp/kanko/event-top.htm
りといわれる。
・湯沢市観光物産協会:0183-730415
・湯沢市まるごと売る課:018373-2111(代)
106 (b)文化
秋田県 北秋田市ほか 万灯火
3月彼岸の中日/小阿仁川流域に伝わる
祖先供養の行事。日が暮れると子どもた
ちが中心となり、各集落で万灯火(まとび)
に火をともす。
墓場や川の土手、山の上などで、古い布 上小阿仁村各集落
を丸めて作る「だま」に油を付けて燃やす
と、先祖の霊がその火を道しるべとして
家々に舞い戻り、子孫のもてなしを受ける
とされる。
・『祭礼行事・秋田県』(桜楓社)
・「美の国秋田・桃源郷をゆく/上
小阿仁村 万灯火」
http://www.akitagt.org/study/bunka/matobi.html
・上小阿仁村産業建設課:018677-2221
・上小阿仁村商工会:0186-773109
107 (b)文化
秋田県
5月1日/杉丸太に福俵を飾ったぼんで
んを担いだ男衆が弁財天沼に入り、沼の
中央にぼんでんを突き立て、五穀豊穣・家
内安全・水の恵みなどを祈願する。
祭りに参加するのはその年の厄年や祝い 平鹿町醍醐荒処
事のあった若者たち。文政年間(1818厳島神社、弁財天沼
29)にはすでに行われていた記録があり、
秋田県内の梵天行事の原形ともいわれ
る。県指定無形民俗文化財。
・「横手市HP/観光・文化」
http://www.city.yokote.lg.jp/sub0
3/index.html
・「横手市観光連盟HP」
http://www.yokotekankou.jp/?category_name=c02
・横手市平鹿地域局産業建設課:
0182-24-1118
・横手市観光協会:0182-337111
横手市
沼入りぼんでん
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
・『祭礼行事・秋田県』(桜楓社)
・「大曲市HP」
http://www.city.daisen.akita.jp/b
unya/event/
•川を渡るぼんでん実行委員会
(花館公民館)
:0187-62-3012
•大仙市商工観光課:187-63-
1111(代)
【b 文化】 41/188
カテゴリー
地域資源名
資源の概要
市町村
108 (b)文化
秋田県
にかほ市
109 (b)文化
秋田県
湯沢市
110 (b)文化
秋田県 潟上市・男鹿市東湖八坂神社の統人行事
(牛乗り、蜘蛛舞)
111 (b)文化
秋田県
北秋田市
綴子大太鼓
7月14~15日/約700年前に雨乞い祈
願で始められたと伝えられる伝統行事。綴
子神社の例大祭に、上町と下町の2つの
集落が一年交代で大太鼓を奉納する。
112 (b)文化
秋田県
秋田市
土崎港まつり
7月20~21日/土崎神明社の例祭に奉 北前船寄港地として栄えた土崎港の夏祭 秋田市土崎
・「土崎港曳山まつりHP」
・土崎港曳山まつり実行委員会:
納される曳山(ひきやま)が、港囃子に
りで、「みなと祭り」の愛称で呼ばれる。
町内各所、土崎神明 http://hikiyama.akitalink.com/
018-845-2264
のって車輪をきしませながら練り歩く。
「土崎神明社祭の曳山行事」として国指定 社
・「土崎神明社HP」
・土崎神明社:018-845-1441
重要無形民俗文化財。
http://tsuchizakishinnmeisha.or.j
p/
113 (b)文化
秋田県
八峰町
白瀑神社例祭(みこしの滝浴 8月1日/白装束の男たちが神輿を担い
び)
で町内を練り歩いた後、白瀑神社裏手に
ある滝壺に、神輿もろとも飛び込む涼味満
点の奇祭。
・八峰町産業振興課:0185-70慈覚大師の創建と伝えられる白瀑神社の 八峰町八森館 白瀑 ・「八峰町HP」
http://www.town.happou.akita.jp/ 4605
例大祭。戦前、担ぎ手があまりの暑さに耐 神社
・八峰町観光協会:0185-76index.php
えかね、白瀑の滝つぼに入ったのが始ま
4100(代) ・「八峰町観光協会HP」
りといわれる。
http://www.shirakami.or.jp/~hkanko/index.html
114 (b)文化
秋田県
能代市
能代七夕
8月6~7日/田楽、横笛、太鼓のお囃子
とともに城郭型の大若燈籠を引いて各町
内を運行し、翌日に灯篭上部にあるシャチ
に火をつけて米代川に流す。
旧能代港町の五丁組による輪番制により 能代市街地
執り行われる。青森市のねぶたや秋田市 町内各所~能代大
の竿燈と同じく藩政時代から続く「眠り流 橋
し」系統の行事で、「役七夕」、「能代ねぶ
ながし」とも呼ばれる。 115 (b)文化
秋田県
湯沢市
七夕絵どうろうまつり
8月4~5日/浮世絵風の美人画が描か 京都から湯沢の佐竹南家に嫁いだ姫が、 湯沢市街地、柳町ほ
れた大小数百の絵燈籠が目抜き通りに吊 五色の短冊を青竹に飾りつけた京風の絵 か
灯籠を町方にも作らせ、故郷をしのんだの
るされ、夕やみの街を艶やかに彩る。
が始まりといわれる。
小滝のチョークライロ舞
6月第2土曜日/1200年の歴史を持つ
民俗芸能。小滝の金峰神社祭礼に奉納さ
れる延年の舞で、境内のチョウクライロ山
という土舞台で演じられる。
小町まつり
6月第2日曜日/湯沢市内から選ばれた
7人の小町娘が市女姿で小野小町の歌を
献詠し、小町の霊を慰める。観客を平安絵
巻の世界に誘う典雅な祭り。
歴史的価値・ストーリー
所在地
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
・『祭礼行事・秋田県』(桜楓社) にかほ市教育委員会文化財保護
・「秋田県農村振興課HP/美しき 課 水の郷あきた」
(象潟郷土資料館内):0184-43http://www.pref.akita.jp/fpd/bun 2005
ka/ukura.htm
にかほ市観光協会:0184-43・「あきた民俗芸能アーカイブス 6608
HP」http://www.akita-minzokugeino.jp/?p=578
県
鳥海山に住んでいた悪魔を、慈覚大師が にかほ市象潟町小
法力で退治。その時、神恩に感謝して舞っ 滝 金峰神社
たのが始まりという。チョウクライロは長く
久しく生きる姿、の意味がある。国指定重
要無形民俗文化財。
小野小町伝説は全国各地にあり、旧雄勝
町小町もそのひとつ。毎年6月1日に前年
からその年の小町娘へバトンタッチする小
町改めの儀があり、その後小町塚(小町
堂)で本祭が行われる。
7月7日/東湖八坂神社の統人行事最大 統人とは各種祭事を中心になって行う人
の祭事は7月7日で、潟上市天王側はス のことをいう。7月8日の新統人お竹受けに
サノオノミコトに扮した「牛乗り」、男鹿市船 始まり、翌年7月8日の注連納めまで、年
越側は「蜘蛛舞」が登場し、「八岐の大蛇 間を通じて豊かな諸行事が神社の氏子さ
退治」の故事が再現される。
んたちによって長い間継承されてきた。国
指定重要無形民俗文化財。
情報源・取材元
湯沢市小野 小町堂 ・「湯沢市HP/湯沢の祭り」
http://aios.cityyuzawa.jp/kanko/event-top.htm
・湯沢市まるごと売る課:018373-2111(代)
・湯沢市雄勝観光協会:0183-522200
潟上市天王本郷 ・『祭礼行事・秋田県』(桜楓社)
東湖八坂神社
・「潟上市HP/東湖八坂神社祭
男鹿市船越
典」 http://www.city.katagami.lg.jp/ind
ex.cfm/8,0,36,144,html
・「男鹿市HP/国指定文化財」
http://www.city.oga.akita.jp/index
.cfm/14,0,52,141,html
・潟上市産業課:018-855-5120
・男鹿市教育委員会:0185-464110
・男鹿市観光協会:0185-244700
昭和のはじめに上町と下町で奉納の先陣 北秋田市綴子 綴子 ・「綴子神社HP」
争いが激しくなったため、以降一年交代に 神社
http://www.tsudurekojinja.or.jp/
なり、太鼓の大きさも競うようになった。2
・「北秋田市HP/綴子神社例大
番目に大きい直径3.71mのものはギネ
祭」
スブックで世界一の認定を受けた。
http://www.city.kitaakita.akita.jp/
kankou/event/index.html
・綴子神社:0186-62-0471
・大太鼓の館 TEL: 0186-630111
・北秋田市商工観光課:0186-725243
・『祭礼行事・秋田県』(桜楓社)
・「能代観光協会HP/ねぶなが
し」
http://welcomenoshiro.com/?pag
e_id=454
・「能代市HP/観光テーマ」
http://www.city.noshiro.akita.jp/g
.html?seq=599
能代市観光振興課:0185-892179
能代観光協会:0185-88-8802
能代七夕「天空の不夜城」協議会
事務局 :0185-526344
・『祭礼行事・秋田県』(桜楓社)
・「湯沢市HP/七夕絵どうろうま
つり」
http://aios.cityyuzawa.jp/kanko/event01.htm
・湯沢市まるごと売る課0183-732111(代)
・湯沢市観光物産協会:0183-730415
【b 文化】 42/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
116 (b)文化
秋田県
秋田市
秋田竿燈まつり
117 (b)文化
秋田県
横手市
送り盆まつり
118 (b)文化
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
8月3~6日/竹を組んで提灯を吊るした 真夏の病魔や邪気を祓うための「眠り流 秋田市街地、竿燈大 ・『祭礼行事・秋田県』(桜楓社) ・秋田市竿燈まつり実行委員会
竿燈を、バランスをとりながら手から肩、腰 し」が原型といわれる。最も大きな「大若」 通り
・「秋田竿燈まつりHP」
事務局
へと動かしていく妙技を競う。光の稲穂が は9段の横竹に計46個の提灯が吊るさ
http://www.kantou.gr.jp/index.ht (秋田市観光物産課内): 018夏の夜空を彩る秋田を代表する夏祭り。 れ、高さ約12m、重さ約50kgにもなる。国
m
866-2112
指定重要無形民俗文化財。
・「秋田市HP/秋田竿燈まつり」 ・秋田観光コンベンション協会:
http://www.city.akita.akita.jp/Cit 018-824-1211
y/in/cm/kanto/default.htm
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
8月15~16日/男衆に担がれた屋形舟
が「サイサイ囃子」にのって横手川の蛇の
崎橋に向かい、花火をバックに迫力ある
ぶつかり合いを繰り広げる。
江戸時代に大飢饉で亡くなった人々の供 横手市中央町 蛇の ・「横手市観光協会/祭り・イベン
養のために、わらで作った舟を川原で流し 崎川原
ト」
たのが始まりといわれる。6日には、子供
http://www.yokotekamakura.com
たちが小型の屋形舟を曳いて町を練り歩
/01_event/index.html
く「ねむり流し」がある。
・「秋田ふるさと村HP/横手送り
盆まつり」
http://www.akitafurusatomura.co.
jp/7kanko/yokote-bon.html
・横手市観光協会:0182-337111
・横手市観光物産課:0182-322118 秋田県 代市、仙北市ほささら
8月13~15日/「ささら」とは舞い手が鳴
らす楽器の名で、お盆に祖先の霊を慰
め、豊作を祈って踊る。演目は大名行列、
獅子舞、奴舞、棒術など数種ある。
初代藩主・佐竹義宣が秋田に国替えをし
た際、随行の人々によって伝授されたもの
という。秋田県内では北秋田、仙北地方な
どに数多く残り、県指定無形民俗文化財
のものだけでも12件を数える。
能代市二ツ井町切
石
仙北市角館町白岩
ほか
・『祭礼行事・秋田県』(桜楓社)
・「能代市HP/文化財」
http://www.city.noshiro.akita.jp/g
.html?seq=650
・「角館観光協会HP/伝統行事」
http://kakunodatekanko.jp/traditional_evetns/
・能代市二ツ井地域局教育委員
会
:0185-73-3085(切石作々楽)
・仙北市観光課:0187-43-3352 (白岩ささら)
119 (b)文化
秋田県
8月14日/平家の落人の里と伝えられる
根子(ねっこ)地区に伝わる古式豊かな
舞。露払いに始まり、勇壮活発な武士舞
の鞍馬、曾我兄弟など9演目が伝承され
ている。
番楽とは、かつて修験道の山伏によって 北秋田市阿仁根子
行われていた山伏神楽の一種。秋田県内 阿仁公民館根子分
では根子など北秋田地方のほか、由利地 館
方の鳥海山麓でも濃厚に伝承されてい
る。国指定重要無形民俗文化財。
・『祭礼行事・秋田県』(桜楓社)
・「北秋田市HP/根子番楽」
http://www.city.kitaakita.akita.jp/
kankou/event/summer/anibangaku.html
・「北秋田市観光協会HP」
http://www.kitaakitakankou.jp/details/017.html
・北秋田市観光案内所「四季美
館」
:0186-75-3188
・北秋田市商工観光課:0186-725243
120 (b)文化
秋田県 横手市ほか 鹿島流し
資料不足により情報不確定
121 (b)文化
秋田県
八郎潟町
一日市盆踊り
テンポの早い「でんでんづく踊り」と「きたさ 八郎潟町一日市 上 ・「八郎潟町HP/観光情報」
・八郎潟町観光協会(八郎潟町産
8月18~20日/浴衣姿のほか、様々な か踊り」、優雅な「三勝踊り」が伝承されて 町大通り
http://www.town.hachirogata.akit 業課内)
姿に仮装した踊り手が楕円形状の輪にな いる。秋田県三大盆踊りのひとつ。県指定
a.jp/g.html?seq=39
:018-875-5803
り、大太鼓と笛の音に合わせ、賑やかに 無形民俗文化財。
・「秋田県HP/一日市盆踊り」
歌い踊る。
http://www.pref.akita.lg.jp/www/
contents/1141712716074/
122 (b)文化
秋田県
羽後町
西馬音内盆踊り
8月16~18日/細長い通りにかがり火を
囲んだ輪をつくり、鳥追い笠と黒い覆面
(彦三頭巾)で顔を隠し、あでやかな端縫
い衣装を着た踊り子たちが、流れるように
優雅に踊る。
亡者の姿を表現するという彦三頭巾をか 羽後町西馬音内 ・『祭礼行事・秋田県』(桜楓社)
・「羽後町観光物産協会HP」
ぶった踊り子の表情がまったく見えず、幻 本町通り
http://ugo.main.jp/bonodori/
想的な雰囲気をかもす。反して囃子は即
・「羽後町HP/観光情報」
興詞で踊りを盛り上げ、その対象にも趣が
http://www.town.ugo.lg.jp/sightse
ある。全国的に有名な東北を代表する盆
eing/index.html
踊り。国指定重要無形民俗文化財。
8月19~20日/花輪の産土神、幸稲荷
神社の祭典で奉納される祭礼囃子。10町
内から繰り出された屋台が、笛、太鼓、三
味線、鉦による激しい調子の囃子とともに
練り歩く。
平安末期に笛による曲ができ、後に他の 鹿角市花輪
楽器が加わったとされる。欅や桂材で作ら 市街地各所、花輪駅
れ、本漆塗り、純金箔を施した鬼板や懸魚 前
の彫刻を配した豪華絢爛な屋台も見も
の。国指定重要無形民俗文化財。
北秋田市
根子番楽
123 (b)文化
秋田県
鹿角市
毛馬内盆踊り
124 (b)文化
秋田県
鹿角市
花輪ばやし
・羽後町企画商工課:0183-622111
・羽後町観光物産協会:0183-622111 ・西馬音内盆踊り会館:0183-784187
8月21~23日手ぬぐいで頬被りをし、路 大の坂踊りは京都の念仏踊りの流れをく 鹿角市毛馬内 本 ・『祭礼行事・秋田県』(桜楓社) 鹿角市観光交流課:0186-30上に焚いたかがり火を細長く囲んで踊る むとされ、甚句踊りは南部領だった400年 町通り
・「毛馬内盆踊りHP」
0248
以上前、戦から帰った将兵をねぎらい舞っ
優雅で風情ある盆踊り。「大の坂」、「甚
http://www.ink.or.jp/~kemanai09/ 十和田八幡平観光物産協
たのが始まりとされる。国指定重要無形民
句」、「じょんから」の3演目がある。
会:0186-23-2019
・「鹿角市HP/毛馬内の盆踊」
俗文化財。
http://www.city.kazuno.akita.jp/ 毛馬内盆踊り振興会:0186-303939
mukeiminzoku/789.html
・「花輪ばやしHP」
http://hanawabayashi.jp/
・「鹿角市HP/伝統の祭り」
http://www.city.kazuno.akita.jp/d
ento/index.html
・鹿角市観光交流課:0186-300248
・十和田八幡平観光物産協会:
0186-23-2019
・花輪ばやし祭典委員会:0186-
30-0500
【b 文化】 43/188
カテゴリー
地域資源名
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
9月7~9日/角館の鎮守である神明社と 飾山の通行の優先権を巡り、狭い路上で 仙北市角館
・「仙北市HP/観光情報」
仙北市観光情報センター「角館駅
成就院薬師堂の祭礼。華やかな飾山(お 「交渉」が持たれる。決裂すると「やまぶっ 神明社、薬師堂、町 http://www.city.semboku.akita.jp 前蔵」
やま)が町を練り歩き、お囃子に合わせて つけ」と呼ばれる激突がはじまり、祭りは 内各所
/sightseeing/index.html
:0187-54-2700
踊り手の秋田おばこが艶やかに舞う。
最高潮に達する。「角館祭りのやま行事」
・「文化庁/国指定文化財等デー 仙北市観光課:0187-43-3352 として国指定重要無形民俗文化財。
タベース」
http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys
/maindetails.asp
県
市町村
125 (b)文化
秋田県
仙北市
角館のお祭り(飾山囃子)
126 (b)文化
秋田県
大館市
大館神明社例祭
9月10~11日/大小の神輿と曳山車が
市内を巡行し、大館囃子で踊りを競う。最
後は「ぶっかけ神輿」で盛り上がる大館最
大の秋祭り。
大館囃子は祭典のお囃子の総称で、京都 大館市中神明町
の祇園囃子の流れをくむものという。寄せ 大館神明社、市街地
囃子、大館祇園囃子、剣囃子、還り山の4 各所
曲が伝承されている。
・「大館神明社例祭HP」
大館神明社:0186-42-0846
http://yp.mic.ne.jp/maturi/
大館神明社例祭実行委員会:
・「秋田民俗芸能アーカイブスHP 0186-42-9933
/大館囃子」 大館市観光協会:0186-42-4360
http://www.akita-minzokugeino.jp/?p=3088
127 (b)文化
秋田県
横手市
保呂羽山の霜月神楽
11月7日/神に今年の収穫を感謝し、来
る年へ五穀豊穣を祈る湯立神楽。霜月
(今は新暦の11月)7日夕より翌朝にかけ
て、波宇志別神社里宮で夜を徹して行わ
れる。
湯立神楽とは、釜に沸かした湯を振りかけ
清める「湯立」に神楽が加わった芸能神
事。波宇志別神社のものは1200年の歴
史を持つとされ、古式の原型を純粋に保
つ。国指定重要無形民俗文化財。
・「横手市HP/四季の民俗行事」
http://www.city.yokote.lg.jp/sub0
3/cat100301.html
・「秋田民俗芸能アーカイブスHP
/保呂羽山の霜月神楽」
http://www.akita-minzokugeino.jp/?p=6224
128 (b)文化
秋田県
男鹿市
なまはげ
12月31日大晦日の晩、それぞれの集落
の青年たちがなまはげに扮し、「泣く子は
いねがー」「怠け者はいねがー」などと大
声で叫びながら家々を巡る男鹿半島の伝
統行事。
なまはげは年の節目にやって来て無病息 男鹿市全域、潟上市 ・『祭礼行事・秋田県』(桜楓社)
災、五穀豊穣をもたらす来訪神で、囲炉裏 の一部
・「男鹿のナマハゲHP」
にあたっているとできるナモミを剥いで怠
http://www.namahageけ者を懲らしめる「ナモミ剥ぎ」が名前の由
oga.akita.jp/index.html
来。国指定重要無形民俗文化財。
・「男鹿市観光協会HP」
http://www.ogakk.or.jp/
129 (b)文化
山形県
遊佐町
アマハゲ
1月1日、3日、6日/遊佐町吹浦地区の
滝ノ浦、女鹿、鳥崎に伝わる民俗行事。鬼
の面とケンダンという蓑を身にまとった男
衆が、怠惰を戒めて集落の家々をまわる。
秋田県男鹿半島に伝わる「なまはげ」と同 遊佐町吹浦 滝ノ ・「遊佐鳥海観光協会HP/遊佐 ・遊佐町教育委員会教育課:
系統の、年の節目に現れる来訪神の行
浦、女鹿、島崎
の祭り」
0234-72-5892
事。正月に行われる「鳥追い」「ホンデ焼
http://www.yuzachokai.jp/view/ ・遊佐町企画課:0234-72-4524
き」などと合わせ、「遊佐の小正月行事」と
maturi
して国指定重要無形民俗文化財。
・「遊佐町HP/アマハゲ」
http://www.town.yuza.yamagata.j
p/ou/kyoiku/bunka/8207.html
130 (b)文化
山形県
庄内町
やや祭り
1月15日に近い日曜日/厳寒の1月中
旬、藁で作った腰蓑をつけただけの裸少
年たちが、次々と冷水を浴び、安産と健康
を祈願する。
祭りの名は、安産の神様を祭る千河原八 庄内町千河原 千河 ・『祭礼行事・山形県』(桜楓社)
幡神社の歳越祭の異称。村の若者が神社 原八幡神社
・「庄内町観光協会HP/庄内町 ・庄内町観光協会(庄内町商工観
でみそぎをし、お百度を踏んで子孫繁栄を
観光情報」
光課内)
祈ったのが起源とされる。
http://www.navishonai.jp/kanko/ :0234-42-2922 miryoku_maturi.html
131 (b)文化
山形県
高畠町
亀岡文殊星まつり
132 (b)文化
山形県
寒河江市
1月25日/知恵の仏様・文殊菩薩の御利
益があるように、参拝者が無病息災や開
運出世を祈願して護摩の炎にお札を投げ
込む。
旧暦1月15日/男性のシンボルの形をし
た御神体を奪い合う奇祭。手に入れた人
には、福が訪れるといわれている。
元来は黒星を祓う厄除けの密教行事。亀
岡文殊堂は、切戸文殊(京都府)、安倍文
殊院(奈良県)と並ぶ日本三大文殊のひと
つとされる。
松の木を彫り上げた男根形の御神体を、
神社参道の女性をかたどった「お塞神」に
供えた後、集まった群衆に撒く。除災招福
の行事。
133 (b)文化
山形県
鶴岡市
2月1~2日/王祇祭は黒川地区の鎮守・
春日神社最大の例祭。伝承500年、能の
古来の姿をそのままに伝える黒川能が奉
納される。
未明に春日神社からご神体の「王祇様」を 鶴岡市黒川宮の下 ・「鶴岡市観光連盟/祭り・イベン
上座と下座それぞれの当屋に移した後、 春日神社ほか
ト」
夕刻から黒川能が始まる。式三番、能5
http://www.tsuruokakanko.com/e
番、狂言4番が夜を徹して演じられる。国
vent/index.html
指定重要無形民俗文化財。
・「鶴岡市櫛引庁舎HP/くしびき
の伝統」
http://www.city.tsuruoka.lg.jp/ku
shibiki/dento/index.htm
御塞神まつり
王祇祭(黒川能)
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
横手市大森町八沢
木
保呂羽山波宇志別
神社里宮
情報源・取材元
・保呂羽山波宇志別神社里宮:
0182-26-6317
・横手市教育委員会文化財保護
課:0182-24-3480
・横手市大森地域局産業建設課:
0182-26-2116
・男鹿市教育委員会生涯学習課:
0185-46-4110
・男鹿市観光協会:0185-244700
・なまはげ館:0185-22-5050
高畠町亀岡
亀岡文殊堂
・『祭礼行事・山形県』(桜楓社)
・「高畠町観光協会HP」
http://takahata.info/
・高畠町観光協会:0238-573844
寒河江市平塩
平塩熊野神社
・「寒河江市観光協会HP」
http://www.sagaekanko.com/info/old_news6.html
・「ふるさと塾アーカイブスHP」
http://www.yamagatafurusatojuku.jp/
・寒河江市観光協会(寒河江市情
報観光課内)
:0237-86-8866
・平塩熊野神社:0237-86-0155
・鶴岡市櫛引庁舎産業課:023557-2111(代) ・王祇会館:0235-57-5310 ・鶴岡市観光連盟 (鶴岡市観光
物産課内)
:0235-25-2111(代)
【b 文化】 44/188
カテゴリー
地域資源名
市町村
134 (b)文化
山形県
上山市
カセ鳥
2月11日/ケンダイと呼ばれる蓑をかぶ
り町中を練り歩く若者たち(カセ鳥)に、市
民が手桶から祝いの水をかけ、商売繁盛
と火伏せを祈願する奇習。
庄内町の「やや祭り」などと同じく、遠い土 上山市街地
地から訪れる歳神様が一年の豊かさをも 上山城門前広場~
たらすいう来訪神の民俗行事。明治時代 温泉街
にいったん途絶えたが、1959年に復活し
た。
135 (b)文化
山形県
酒田市
黒森歌舞伎
2月15日、17日/江戸中期より黒森地
区の「妻堂連中」によって継承されてきた
農民歌舞伎。日枝神社の祭礼に境内の舞
台で奉納される。
客席が野外にあり、時に降りしきる雪の下 酒田市黒森村中
で演じるため、雪中芝居、寒中芝居などと 黒森日枝神社
呼ばれ、親しまれている。その年の上演演
目は前年3月の「太夫振舞」の神事で決定
される。
136 (b)文化
山形県
河北町
谷地のひなまつり
4月2~3日/雛人形や節句用の食品、
日用品を売る「おひな市」が立つ。民家で
は、代々受け継がれてきた格調高い時代
雛が一般公開され、多くの見物客が訪れ
る。
江戸時代に盛んだった紅花交易によりも 河北町谷地 ひな市 ・『祭礼行事・山形県』(桜楓社)
たらされた京文化のひとつが、今も町内の 通り、秋葉神社
・「河北町観光協会HP」
旧家にのこる雛人形の数々。秋葉神社境
http://www.benibananosato.jp/
内の「ひな塚」の前では、「ひな供養」の神
・「河北町HP/谷地ひなまつり」
事も行われる。
http://www.town.kahoku.yamagat
a.jp/1824.html
137 (b)文化
山形県
東根市
長瀞猪子踊り
138 (b)文化
山形県
寒河江市
4月上旬/長瀞日枝神社例祭で奉納され 踊りは長瀞村開削の祖とされる慈覚大使 東根市長瀞北方 日
る伝統の獅子踊り。山形県内最多の11頭 への感謝を込めて、山寺に奉納したのが 枝神社
の猪子(しし)が踊る。
始まりと伝えられる。一時中断していたも
のを1968年に地区住民が復活、12の演
目を継承している。
4月3日/熊野神社の春の例大祭で奉納 京舞楽の流れを汲むといわれる舞は、古 寒河江市平塩 平塩
される古式豊かな舞楽。古来より伝わる い作法が村人の手によってそのまま受け 熊野神社
舞は、十番(太平楽は閏年のみ上演)を数 継がれ、鄙舞楽、農民舞楽とも称される。
県指定無形民俗文化財。
える。
139 (b)文化
山形県
天童市
天童桜まつり
140 (b)文化
山形県
米沢市
141 (b)文化
山形県
142 (b)文化
山形県
熊野神社の平塩舞楽
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
・『祭礼行事・山形県』(桜楓社) ・上山市観光物産協会:023-672・「カセ鳥保存会HP」
0839 FAX023
http://www.uinet.or.jp/~danny/ka ・上山市観光課:023-672se.html
1111(代)
・「上山市観光物産協会HP」
http://kaminoyama-spa.com/
県
情報源・取材元
・「酒田市HP/黒森歌舞伎」
http://www.city.sakata.lg.jp/ou/k
yoiku/shakaikyoiku/bunkazai/180
613.html
・「庄内文化遺産探訪HP」
http://shonai-bunka.jp/
・「酒田観光物産協会HP」
http://www.sakata-kankou.com/
・『祭礼行事・山形県』(桜楓社)
・「東根市HP」
http://www.city.higashine.yamaga
ta.jp/4623.html
・酒田市教育委員会社会教育課:
0234-24-2994
・酒田観光物産協会:0234-242233
・谷地ひなまつり実行委員会(河
北町観光協会内)
:0237-72-3787
・河北町商工観光課:0237-732111(代)
・東根市長瀞公民館:0237-420301
・東根市商工観光課0237-421111(代)
・『祭礼行事・山形県』(桜楓社)
・「寒河江市観光協会/寒河江の
お祭り情報」
http://www.sagaekanko.com/sightseeing/event.ht
ml
4月下旬/桜の名所として知られる天童 期間中のメインイベントは「人間将棋」。甲 天童市
・「天童市HP/観光・イベント情
公園で開催。花駒おどり、子供将棋会、将 冑や着物姿に身を包んだ武者や腰元たち 天童公園(舞鶴山山 報」
棋女王コンテストなど多彩なイベントが催 を将棋の駒に見立てて、有名プロ同士が 頂広場)
https://www.city.tendo.yamagata.
される。
対局するというもの。
jp/tourism/kanko/
・「天童観光物産協会HP」
http://www.bussan-tendo.gr.jp/
・寒河江市商工観光課:0237-862111(代)
・平塩熊野神社 :0237-86-0165
米沢上杉まつり
4月29日~5月3日/米沢の街に春本番
を告げる一大行事。神輿渡御のほか、5
日間にわたり様々な催しが盛大に行なわ
れる。
まつりは上杉神社と松岬神社の春の例大 米沢市街地
祭に合わせたもの。見どころは甲冑姿の 松が岬公園、松川河
武士が練り歩く「上杉行列」と松川河川敷 川敷ほか
で上杉・武田両軍の激突が再現される「川
中島合戦」。
・「上杉まつりHP」
http://uesugi.yonezawa.info/
・「米沢観光物産協会HP」
http://www8.ocn.ne.jp/~yozan/
・「米沢市HP」
http://www.city.yonezawa.yamag
ata.jp/1.htm
・米沢観光物産協会:0238-216226
・米沢市商工観光課:0238-225111
・米沢コンベンション協議会事務
局:0238-21-5111 酒田市
新山延年舞
8月15日/修験の山・新山に伝承される
中世の香り豊かな延年の舞。演目数が7
つと豊富で、他には見られない舞曲もあ
る。
延年舞は長寿延命を願い、平安末期から 酒田市楢橋新山 室町時代にかけて行われた寺院芸能。新 新山神社
山延年舞は、伴奏で打ち鳴らされる太鼓
の音色からか地元では「デッコデン舞」と
呼ばれる。県指定無形民俗文化財。
・『祭礼行事・山形県』(桜楓社)
・「酒田観光物産協会HP」
http://sakatakankou.com/event/83
・平田総合支所建設産業課:
0234-52-3914
・酒田市平田中央公民館:023452-3912
鶴岡市
山戸能・山五十川歌舞伎
5月3日、11月23日/山五十川地区の
氏神、河内神社の奉納能、奉納芝居とし
て代々受けつがれてきた能と歌舞伎。毎
年、春と秋に神社境内で同日上演される。
山五十川集落には、「山戸能」と「山五十 鶴岡市山五十川
川歌舞伎」が伝わっており、ひとつの集落 河内神社(山五十川
でふたつの民俗芸能を一体として守り続 古典芸能伝承館)
けているのは、全国的にも珍しい。県指定
無形民俗文化財。
・「鶴岡市観光連盟/鶴岡の祭
り・イベント」
http://www.tsuruokakanko.com/e
vent/index.html
・「山五十川HP」
http://www.yamairagawa.com/
・山五十川自治公民館:0235-452949
・あつみ観光協会:0235-43-3547
・鶴岡市温海庁舎産業課:023543-4616
・天童桜まつり実行委員会(天童
市観光物産協会内)
:023-653-1680
・天童市商工観光課:023-6541111(代)
【b 文化】 45/188
カテゴリー
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
・『祭礼行事・山形県』(桜楓社) ・遊佐町教育委員会教育課:
・「遊佐鳥海観光協会/遊佐のま 0234-72-5892
つり」
http://www.yuzachokai.jp/view/ ・遊佐鳥海観光協会:0234-72maturi
5666
・「鳥海山大物忌神社HP」
・大物忌神社吹浦口ノ宮:0234http://www9.plala.or.jp/thoukai/ 77-2301
県
市町村
143 (b)文化
山形県
遊佐町
吹浦田楽(花笠舞)
5月7~8日/鳥海山大物忌神社吹浦口
ノ宮の例大祭に奉納される神事芸能。頭
に直径1mほどの大きな花笠を頂き優雅
に舞う。
舞人は舞が終わると花笠をはずし、舞台
の上から花や紙幣を投げる。観客は争っ
て花を奪い合い、無病息災のお守りにす
る。県指定無形民俗文化財。
144 (b)文化
山形県
鶴岡市
高寺八講
5月8日/高寺の雷電神社の例祭日に、
華やかな「花笠舞」をはじめ、「大小舞」
「薙刀(なぎなた)舞」「稚児舞」の4つの舞
が披露される。
寺院芸能である延年の舞を、古式にのっ 鶴岡市羽黒町高寺 ・『祭礼行事・山形県』(桜楓社)
とり今に伝える。かつては8つの演目が
雷電神社
・「鶴岡市観光連盟/祭り・イベン
あったというが、現在は4演目のみ上演。
ト情報」
県指定無形民俗文化財。
http://www.tsuruokakanko.com/e
vent/index.html
145 (b)文化
山形県
山形市
薬師祭植木市
5月8~10日/国分寺薬師堂の春の祭 祭り期間の3日間で約40万人の人出があ 山形市薬師町
・「山形市観光協会HP/イベント
礼に合わせ、周辺の通りに名物の植木市 るという東北最大の植木市。山形城主・最 国分寺薬師堂、薬師 情報」
が開かれ、多くの参詣人で賑わう。
上義光が大火で焼失した城下に緑を取り 公園、薬師町通り、 http://www.kankou.yamagata.yam
戻そうと、住民に呼びかけたのが始まりと 新築西通り
agata.jp/event/
伝えられている。
・「山形県HP/山形の旬だより」
http://www.pref.yamagata.jp/ou/
somu/020020/03/mailmag/serie
s/season/
・薬師祭植木市実行委員会(山形
商工会議所)
:023-622-4666
・山形市観光協会:023-6472266 146 (b)文化
山形県
酒田市
酒田まつり
5月19~21日/約50台の山車が目抜き
通りを練り歩く酒田最大の祭り。2008年に
復活した高さ20mの立て山鉾も見どころの
ひとつ
上・下日枝神社の例大祭「山王祭」として、
1609年(慶長14年)から1度も休むことなく
続いている。酒田大火復興記念となった
1979年から「酒田まつり」の名称となった。
・酒田市観光物産課:0234-265759
・酒田観光物産協会:0234-242233
147 (b)文化
山形県
鶴岡市
鶴岡天神祭(化けものまつ
り)
5月25日/通称「化けものまつり」と呼ば
れる鶴岡天満宮の例祭。神輿渡御、天狗
舞の奉納、手踊りや仮装行列が市内を練
り歩く。
「化けもの」とは、派手な長襦袢に手ぬぐ 鶴岡市街地
いと編み笠で顔を隠し、祭りの行列に付随 鶴岡天満宮、鶴岡公
して道行く人に無言で酒を振る舞う人たち 園ほか
のこと。この姿で3年間誰にも知られずお
参りができると、念願が叶うという。
148 (b)文化
山形県
鶴岡市
大山犬祭り
149 (b)文化
山形県
鶴岡市
羽黒山花祭り
150 (b)文化
山形県
南陽市
宮内熊野大社例大祭
遊佐町吹浦布倉
鳥海山大物忌神社
吹浦口ノ宮
酒田市街地 中町ほ
か
上日枝神社、下日枝
神社
情報源・取材元
・「酒田市HP/酒田まつり」
http://www.city.sakata.lg.jp/ou/s
hoko/kanko/bussan/7006.html
・「酒田観光物産協会HP/祭りイ
ベント情報」
http://www.sakatakankou.com/event/
・鶴岡市羽黒庁舎観光商工室:
0235-62-2111 ・羽黒町観光協会(いでは文化記
念館内)
:0235-62-4727
・『祭礼行事・山形県』(桜楓社)
・「鶴岡市観光連盟HP」
http://www.tsuruokakanko.com/e
vent/index.html
・「鶴岡天満宮HP」
http://www.libertyit.net/turuoka/
6月5日/酒造の町大山の鎮守、椙尾(す 犬祭りの名は、その昔、椙尾神社の裏山 鶴岡市大山
・「鶴岡市観光連盟HP」
ぎのお)神社の例大祭。豪華な「からぐり に棲む化け物(ムジナ)を退治し、町を救っ 椙尾神社、羽前大山 http://www.tsuruokakanko.com/e
山車」が繰り出すことで有名。
たメッケ犬伝説に由来する。メッケ犬をか 駅~市街地
vent/index.html
たどった犬みこしや、化け物に捧げたとい
・「大山観光協会HP」
う仮女房を乗せた行列が練り歩く。
http://ooyamakankou.jp/index.php?FrontPage
・天神祭実行委員会(鶴岡市観光
物産課内)
:0235-25-2111
・鶴岡天満宮:0235-22-3952
7月15日/月山、出羽、湯殿山の三神を
合わせ祭る出羽三山神社の例祭のひと
つ。稲の開花期にあたる季節に、悪疫消
除、五穀豊穣を祈願する。
・羽黒町観光協会(いでは文化記
念館内)
: 0235-62-4727
・出羽三山神社:0235-62-2355
稲の花をかたどった造花の梵天には大き 鶴岡市羽黒町手向 ・「羽黒山観光協会HP」
な霊験があるといわれ、御輿とともに境内 出羽三山神社
http://hagurokanko.jp/
の鏡池を一周した後に参拝客が奪い合
・「出羽三山神社HP」
う。花を手にした者は神の恩恵が厚く、良
http://www.dewasanzan.jp/
き実りが与えられるという。
・「鶴岡市観光連盟HP/羽黒山」
http://www.tsuruokakanko.com/h
aguro/midokoro/haguro.html#dew
a
7月23~26日/日本三熊野のひとつ、 熊野大社は元々は天台仏教で栄えた神 南陽市宮内 熊野 ・「熊野大社HP」http://kumano宮内熊野大社の祭礼。4日間にわたる祭 仏混淆の霊地。東北の伊勢神宮ともいわ 大社
taisha.or.jp/index.html
り期間中、稚児舞、獅子ばよい、梵天ばよ れる。重さ400㎏の大神輿巡行は、行衣
・「南陽市観光協会HP」
い、神輿下りなど様々な行事が行われる。 (ぎょうい=参加を許された行者の服装)
http://www3.omn.ne.jp/~sightsee
を着た地元の男衆によって奉仕される。
/kanko/index.html
・「南陽市HP」
http://www.city.nanyo.yamagata.j
p/index.html
・おおやま観光協会:0235-332117
・鶴岡市観光連盟(鶴岡市観光物
産課内)
:0235-25-2111
・椙尾神社:0235-33-0044
・南陽市観光協会:0238-435230 ・南陽市商工観光ブランド課:
0238-40-3211
・熊野大社:0238-47-7777
【b 文化】 46/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
151 (b)文化
山形県
山形市
山形花笠まつり
8月5~7日/スゲ笠に赤い花飾りをつけ
た花笠を手にした踊り子が、「花笠音頭」
にあわせて群舞を繰り広げる。山形の真
夏の夜をこがす東北四大まつりのひとつ。
152 (b)文化
山形県
山形市
山寺磐司祭り
8月6~7日/開山の功労者、磐司磐三 獅子踊りは死者と向き合う鎮魂供養芸能 山形市山寺 立石
郎に感謝を捧げる山寺の祭礼。各地から であるが、山寺では開山伝承と結びつき、 寺
集結した獅子踊りの奉納が見どころ。
磐司祭で踊りが奉納されてきた。近年に
なって、全国の獅子踊りを集めたフェス
ティバルに発展している。
153 (b)文化
山形県
遊佐町
杉沢比山
「花笠まつり」は山形県内数か所で開催さ 山形市街地
れているが、山形市が最も有名。各地で 十日町、本町、七日
踊られていた花笠音頭を統一し、1963年 町通り、文翔館
夏に第1回を開催、2年後には現在のよう
な集団のパレード形式となった。
情報源・取材元
・「山形花笠まつりHP」
http://www.hanagasa.jp/
・「東北の夏祭りHP」
http://www.tohokumatsuri.jp/
・「山形市観光協会HP」
http://www.kankou.yamagata.yam
agata.jp/db/
・『祭礼行事・山形県』(桜楓社)
・「山寺観光協会HP」
http://www.yamaderakankou.com
/
・「山形市観光協会HP」
http://www.kankou.yamagata.yam
agata.jp/db/
8月6日、15日、20日/熊野神社が鳥海 毎年、8月6日「仕組」、8月15日「本舞」、 遊佐町杉沢 熊野 ・「遊佐町HP/杉沢比山」
山で修行する山伏の宿坊として繁栄した 8月20日「神送り」の3晩、神社境内で演 神社
http://www.town.yuza.yamagata.j
鎌倉時代より、地域住民によって受け継 じられる。曲目はもともと24曲あったが、
p/ou/kyoiku/bunka/8206.html
がれてきた山伏神楽。比山番楽と称され 現在はそのうち14曲を伝承している。国
・「遊佐鳥海観光協会HP/イベン
る。
指定重要無形民俗文化財。
ト」
http://www.yuzachokai.jp/event/
1272.html
8月15~16日/夕刻から各戸1~2本の もともとは安久津八幡神社の秋の例祭
高畠町高畠
・『祭礼行事・山形県』(桜楓社)
青竹提灯をつけ立て、沿道を飾る。「たか で、御仮屋となる高畠巌島神社に神輿が まほろば通り商店
・「高畠町観光協会/青竹ちょう
はた夏まつり」として踊りパレードなども催 下る際、家々で青竹に提灯をともして迎え 街、昭和縁結び通り ちんまつり」
される。
たのが始まりといわれる。
商店街ほか
http://takahata.info/detail/?no=3
122&year=2013&month=8
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
・山形県花笠協議会事務局(山形
商工会議所)
:023-642-8753
・山形市観光協会:023-6472266 ・山寺観光協会:023-695-2816
・山形市観光協会:023-6472266
・遊佐町教育委員会教育課:
0234-72-5892
・遊佐町観光協会:0234-725666
154 (b)文化
山形県
高畠町
青竹ちょうちんまつり
155 (b)文化
山形県
新庄市
新庄まつり
8月24~26日/見どころは豪華絢爛な
20台の山車行列。歴史絵巻を再現した山
車が、新庄囃子を奏でながら市中を練り
歩く。
江戸中期のころ、凶作に打ちひしがれた 新庄市街地
領民を時の藩主が希望を持たせようと祭 最上公園、新庄駅前
典を行ったのが起源といわれる。「新庄ま ほか
つりの山車行事」として国指定重要無形民
俗文化財。
・「新庄まつりHP」
http://www.sjcci.or.jp/iinkai/mat
uri_top.htm
・「新庄市HP」
http://www.city.shinjo.yamagata.j
p/kanko.html
・新庄まつり委員会(新庄商工会
議所内)
:0233-22-6855
・新庄市商工観光課:0233-222111(代)
156 (b)文化
山形県
尾花沢市
おばなざわ花笠まつり
8月27~28日/27日は神輿や囃子屋
台の行列、28日は花笠踊り大パレードを
開催。街中が花笠一色に染まり、山形県
内の夏祭りのフィナーレを飾る。
尾花沢市街地
尾花沢市は花笠踊りの発祥地といわれ
る。大正8年、灌漑用水の徳良湖を築堤 麓町T字路~新町十
字路ほか
する際に唄われたのが現在の「花笠音
頭」の元歌で、工夫がかぶっていたスゲ笠
で振りを付けたのが花笠踊りという。
・「おばなざわ四大まつり/HP」
http://www.obanazawa.net/4festi
val/index.html
・「尾花沢市観光物産協会HP」
http://www.obane-kankou.jp/
・尾花沢市四大まつり実行委員
会
(尾花沢市観光物産協会):
0237-23-4567 ・尾花沢市商工観光課:0237-221111(代) 157 (b)文化
山形県
東根市
若宮八幡神社 風まつり
8月最終日曜日/二百十日の風を鎮め、
豊作祈願を込めて、太々神楽(だいだいか
ぐら)を奉納。境内では相撲大会も開かれ
る。
天保年間(1830年-1844年)に始まったと 東根市東根 若宮 ・『祭礼行事・山形県』(桜楓社)
・「東根市管区物産協会HP/東
される神楽舞は、「鉾舞」、「剣舞」、「千歳 八幡神社
根観光名所」
舞」、「鬼やらい」など7演目が伝承されて
http://www.higashine.com/kanko
いる。
meisho
・東根市観光物産協会:0237-411200
・東根市教育委員会:0237-431176
・東根公民館:0237-42-0107
158 (b)文化
山形県
寒河江市
寒河江まつり
9月14~15日/寒河江八幡宮例祭に、
奴町巡り、神輿の祭典などのイベントが合
体した秋祭り。八幡宮に伝わる流鏑馬(や
ぶさめ)が見どころのひとつ。
寒河江八幡宮の流鏑馬には、走る馬の上
から3つの的に向けて矢を放つ「古式流鏑
馬」と、三頭の馬を走らせて着順で翌年の
稲の豊凶を占う「作試し流鏑馬」がある。
県指定無形民俗文化財。
・寒河江市さくらんぼ観光課:
0237-86-2111(代)
・寒河江市観光協会:0237-868866
・寒河江八幡宮:0237-86-6258
159 (b)文化
山形県
河北町
谷地どんがまつり
寒河江市街地
寒河江八幡宮、みこ
し公園、寒河江駅前
ほか
・「寒河江観光協会HP」
http://www.sagaekanko.com/sightseeing/event.ht
ml#event10
・「寒河江八幡宮流鏑馬保存会
HP」
http://www.yabusame.org/index.
html
9月14~17日/谷地八幡宮の例大祭
祭りの名称「どんが」とは、舞楽の笛・太鼓 河北町谷地
・『祭礼行事・山形県』(桜楓社)
で、かつて山形の三大祭と称せられてい の「オヒヤラドンガ」からきているといわれ 谷地八幡宮、町内各 ・「河北町観光協会HP」
た歴史ある祭り。神輿渡御、舞楽、谷地
る。境内の石舞台で上演される「谷地の舞 所
http://www.benibananosato.jp/
奴、囃子屋台など郷土色豊かな伝統行事 楽」(国指定重要無形民俗文化財)は、八
・「河北町HP/祭り・イベント」
が繰り広げられる。
幡宮の神職をつとめる林家が伝承し、大
http://www.town.kahoku.yamagat
阪四天王寺系の舞楽として古代の様式を
a.jp/1812.html
今に伝えている。
・「谷地八幡宮HP」
http://www.yachi-hachiman.jp/
・高畠町観光協会:0238-573844 ・高畠町産業経済課:0238-524482
・谷地どんがまつり実行委員会
(河北町観光協会内)
:0237-72-3787
・河北町商工観光課:0237-735162
・谷地八幡宮:0237-72-2149
【b 文化】 47/188
カテゴリー
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
市町村
地域資源名
160 (b)文化
山形県
米沢市
保呂羽堂の年越し祭
12月4日/千眼寺境内で下帯姿の男衆
が餅つきをし、参詣者に餅料理を振る舞う
年越し行事。天井に餅をつけ、多く煤(す
す)がついた餅ほどご利益があるという。
161 (b)文化
山形県
鶴岡市
羽黒山松例祭
162 (b)文化
福島県
三春町
西方の水かけ祭り
鶴岡市羽黒町手向 ・「羽黒山観光協会HP」
出羽三山神社
http://hagurokanko.jp/
・「出羽三山神社HP」
http://www.dewasanzan.jp/
・「鶴岡市観光連盟HP」
http://www.tsuruokakanko.com/h
aguro/midokoro/haguro.html#dew
a
1月1日/裸の若者たちがバケツで激しく 水をかけあうのは「みそぎ」の意味を持
三春町西方 塩釜神 ・「三春町観光協会HP/」
水をかけ合い、五穀豊穣、無病息災、子 つ。かける水がなくなると、泥のかけあい 社
http://www.miharukoma.com/miz
孫繁栄を祈願する。
が始まることから「泥かけ祭り」とも呼ばれ
ukake/index.htm
る。
・「三春町HP/西方水かけまつ
り」
http://www.town.miharu.fukushim
a.jp/soshiki/12/mizukake.html
163 (b)文化
福島県
柳津町
柳津七日堂裸参り
1月7日/下帯姿の男衆たちが圓藏寺菊
光堂の麻縄をよじ登り、大鰐口を目指して
競い合い、一年の幸福と無病息災を祈願
する。
祭りの起源は、只見川にすむ竜神から「宝 柳津町柳津寺家町 ・「柳津町HP/柳津の祭り」
・柳津観光協会:0241-42-2346
照の玉」を手に入れ疫病の難を逃れた村 圓蔵寺
http://www.town.yanaizu.fukushi ・柳津町役場地域振興課:0241人たちが、玉を取り返しにくる竜神を追い
ma.jp/s_matsuri.php
42-2114
払うために圓藏寺に集まった-との伝説
・「柳津町観光協会HP」
にちなむ。
http://aizu-yanaizu.com/
・「祭礼行事・福島県」(桜楓社)
164 (b)文化
福島県 会津坂下町 坂下初市大俵引き
1月14日/雪の中で下帯姿の男衆が東
西に分かれ、長さ4m、高さ2.5m、重さ5
tの大俵を勇ましく引き合う。会津の冬の風
物詩。
会津地方では、初市にはその年の米の出 会津坂下町市中 会 ・「会津坂下町HP」
来や相場を占う「俵引き」がつきものであっ 津坂下町役場前
http://www.town.aizubange.fukus ・会津坂下町観光物産協会:
た。上町(東方)が勝つとその年の米の値
hima.jp/Members/syoukoukankou 0242-83-2111
段があがり、下町(西方)が勝つと豊作に
・会津坂下町役場:0242-84-1503
/contents なるといわれている。
(代)
/guide/NEWwelcome_p2.htm
・「祭礼行事・福島県」(桜楓社)
165 (b)文化
福島県
本宮市
岩角山大梵天祭
1月3日/護摩供養のあと12本の梵天が
1本ずつ参拝者に投じられると、勇ましい
争奪戦が繰り広げられる。岩角山岩角寺
(いわつのさんがんかくじ)の奇祭。
奪いとった梵天の一部を身に着けると、1 本宮市和田東屋口 ・「岩角山観光協会HP」
・岩角山観光協会:0243-44年の無病息災、家内安全のご利益がある 岩角山岩角寺
http://www.iwatsunosan.jp/index. 3354
と伝えられ、参拝者はお守りとして幣束の
・本宮市白沢総合支所:0243-44html
紙や竹の小さいかけらを持ち帰る。
・「本宮市HP/岩角山大梵天祭」 2111(代)
http://www.city.motomiya.lg.jp/s
oshiki/19/240.html
166 (b)文化
福島県
棚倉町
八槻都々古別神社の御田植 旧暦1月6日/豊作を祈って神楽を奉納
祭
する神事芸能。八槻都々古別(やつきつ
つこわけ)神社拝殿で、一連の稲作風景
が、ユーモラスな舞と掛け合いにより演じ
られる。
「水取り」「代かき」「畔ぬり」「種播き」「鳥 棚倉町八槻大宮 八 ・「棚倉町HP/ 八槻都々古別神
社御田植祭」
追い」「田植え触れ」など能狂言風な所作 槻都々古別神社
http://www.town.tanagura.fukushi
による田遊びの舞のあと、最後に「中飯」
ma.jp/view.rbz?cd=305
といって楽人全員で切り餅を参列者へ投
・「棚倉町観光協会HP」
げ配る。国指定重要無形民俗文化財。
http://www.fun.ne.jp/muni/tanag
ura/index.html
・「祭礼行事・福島県」(桜楓社)
・棚倉町観光協会(棚倉町商工農
林課内)
: 0247-33-7886
・八槻都々古別神社:0247-333505
167 (b)文化
福島県
伊達市
保原のつつこ引き祭り
大つつこは、直径約1.5m、長さ約1.8 伊達市保原町弥生
m、重さ約800kgの大俵。最後に厳島神社 町 厳島神社周辺
境内で解体され、中のお餅(もち米)が配
られる。この餅を食べると一年健康で過ご
せるといわれる。
・つつこ引き祭り実行委員会(厳
島神社)
:024-576-4062
・伊達市保原総合支所:024-5752111(代)
江戸時代の初め、窪田地方に病害虫が発
生したとき、保呂羽堂の縁の下の砂をまい
たところ、虫が退散。村人が感謝をこめて
収穫した米で餅をつき、保呂羽堂に供え
たのが始まりと伝えられる。
12月31日~1月1日/大晦日から元旦 本来は羽黒修験の四季の峰のひとつ「冬
にかけて行われる羽黒山の代表的な祭 の峰」の満願の行事で、「歳夜祭」ともい
事。100日間参籠し「松聖(まつひじり)と う。「験競べ」のほか、藁でつくったツツガ
なった2人の山伏が、修行で得た験(げん) ムシの大松明を焼く「火の打ち替え神事」
の力を比べ合う「験競べ」を中心に展開す など様々な行事が夜を徹して行われる。
る。
3月第1日曜日/身を清めた下帯姿の男
衆が三組に分かれて大つつこ(大俵)を引
き合い、商売繁盛・五穀豊穣・無病息災を
祈願する。
所在地
情報源・取材元
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
・米沢観光物産協会:0238-216226
・米沢市商工観光課:0238-225111
・千眼寺:0238-37-3708
・羽黒町観光協会(いでは文化記
念館内)
: 0235-62-4727
・出羽三山神社:0235-62-2355
県
米沢市窪田町窪田 ・『祭礼行事・山形県』(桜楓社)
千眼寺
・「米沢観光物産協会HP」
http://yonezawa.info/
・「伊達市観光物産協会HP」
http://www.dateshi.jp/cat47/hobara/post441.html
・「伊達市HP/つつこ引き祭り」
http://www.city.date.fukushima.jp
/soshiki/31/938.html
・三春町観光協会:0247-623690
・三春町歴史民俗資料館:024762-5263
【b 文化】 48/188
カテゴリー
地域資源名
市町村
168 (b)文化
福島県
福島市
信夫三山暁参り
2月10日~11日/福島市信夫山(しの
ぶやま)の羽黒神社の祭礼。神社に大わ
らじを奉納した後、未明にかけてお参り
し、健脚と無病息災を祈願する。
169 (b)文化
福島県
浪江町
安波祭り
170 (b)文化
福島県
磐梯町
磐梯神社の舟引き祭り
2月第3日曜日/東日本大震災の影響に 「くさの神社」の例祭。御輿が海に入り、神 浪江町請戸 町内
より現在は中止されている。
楽、田植え踊りが奉納される。約300年
およびくさの神社
前、くさの小島で潮水を献じ、水の濁り具
合や泡立ちなどからその年の漁獲を占っ
たのが始まりとされる。
3月21日/飯舟と呼ばれる木舟に米俵を 舟引きはその年の作柄を占う神事で、判 磐梯町磐梯八幡 3俵重ね、舟の両端に2本の綱をつけ、氏 定を「磐梯明神」が直接姿を現し行うのが 磐梯神社
子が東西に引き合う。3回勝負で東が勝て 珍しいとされる。同じ日に少女たちによっ
ば「豊作」、西が勝てば「米の値段が上が て舞われる「巫女舞」とともに県指定重要
る」という。
無形民俗文化財。
171 (b)文化
福島県
須賀川市
172 (b)文化
福島県
会津若松市 会津の彼岸獅子
173 (b)文化
福島県
楢葉町ほか 大滝神社の浜下り神事
174 (b)文化
福島県
玉川村
南須釜の念仏踊り
175 (b)文化
福島県
伊達市
霊山神社春季例大祭
176 (b)文化
福島県
桧枝岐村
桧枝岐歌舞伎
177 (b)文化
福島県
二本松市
小浜長折の三匹獅子舞
古寺山自奉楽
資源の概要
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
大わらじは長さ12m、幅1.4m、重さ2tある。 福島市駒山 羽黒 ・「福島市観光コンベンション協会 ・信夫三山奉賛会事務局(福島市
境内にあった仁王門の片足に合わせたわ 神社
HP/信夫三山暁まいり」
商業労政課内)
らじを作り、奉納したのが始まりといいう。
http://www.f-kankou.jp/cgi :024-525-3720
3年連続で暁参りをすると恋愛が成就する
bin/f・福島市観光コンベンション協会
という言い伝えがある。
kankou/asobu/page.cgi?id=70
(福島駅東口案内所)
・「福島市HP/福島市の祭り」
:024-522-3265
http://www.city.fukushima.fukush
ima.jp/soshiki/16/matsuri.html
県
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
・「浪江町HP/安波祭」
浪江町産業・賠償対策課(農業委
http://www.town.namie.fukushim 員会)
a.jp/soshiki/7/319.html
:0243-62-0167
・「磐梯町HP」
http://www1.town.bandai.fukushi
ma.jp/kanko/event/fune_miko.ht
m
・「祭礼行事・福島県」(桜楓社)
旧暦1月2日/古寺山(こでらさん)白山寺 「自奉楽」は「寺法楽」のことで、1752年 須賀川市上小山田 ・「須賀川市HP/須賀川市の歴
に奉納される少年少女による踊り。平鍬踊 (宝暦2年)、当時の住職が荒廃した寺の 白山寺
史」
再建を志し、村の子供を集めて踊りを仕立
り、田植え踊り、獅子舞の3部からなる。
http://www.city.sukagawa.fukushi
て、浄財を集めたのが始まりといわれる。
ma.jp/rekisi/bunkazai-3.html
県指定重要無形民俗文化財。
・「文化庁HP/国指定重要文化
財等データベース」
http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys
/maindetails.asp
・「会津若松観光物産協会HP/
会津若松市
3月20~21日/3体の獅子が古式ゆか 獅子舞は全国的には春と秋に踊られる
しい舞を披露しながら市内をまわる。豊作 が、会津では春彼岸に踊ることから、彼岸 鶴ヶ城、阿弥陀寺ほ 季節のイベント情報」
http://www.aizukanko.com/event
と家内安全を祈り、春の訪れを喜び合う会 獅子の名がある。獅子は1人立ちで、大夫 か市内各所
/
獅子、雄獅子、雌獅子の3人1組で演じら
津の伝統行事。
・「祭礼行事・福島県」(桜楓社)
れる。
4月第2日曜日を中心に5日間/現在は 浜下りとは、春先に神輿が海浜に下って 楢葉町上小塙芝坂 ・「楢葉町HP」
東日本大震災の影響で、大滝神社本殿前 潮水を浴する「お潮垢離(しおごり)のこと 大滝神社
http://www.town.naraha.lg.jp/
での神事のみを執り行っている。
で、浜通り地方で広く行われている神事。
・「祭礼行事・福島県」(桜楓社)
大滝神社のものは5日間に及び、県の重
要無形文化財に指定されている。
・磐梯町観光協会(磐梯町商工観
光課内)
:0242-74-1214
・磐梯山慧日寺資料館:0242-733000
・須賀川市教育委員会生涯学習
課
:0248-88-9171
・会津若松観光物産協会(イン
フォメーション・サポートセン
ター):0242-36-5043
・楢葉町役場:0240-25-2111
(代)
・楢葉町歴史資料館:0240-252492
4月3日、8月14日/亡くなった親族の御
霊を供養するために踊られる念仏踊り。ま
だあどけなさの残る少女たちによって演じ
られる。
4月3日の大寺薬師祭には東福寺境内で、
8月14日には新盆にあたる各家を巡って
踊る。踊り子は7~12歳位までの少女約20
名ほどで構成される。県指定重要無形文
化財。
4月22日/霊山(りょうぜん)神社の春の 濫觴の舞は、少年たちが太刀を天空にか
例大祭では、濫觴(らんじょう)の舞、子供 ざして進む古式ゆかしい舞い。北畠顕家
たちによる獅子舞、霊山太鼓や古武道が (あきいえ)が多賀城から霊山神社に入城
した際、地元民が歓迎と武運長久の願い
奉納される。
をこめて舞った剣舞が起源とされる。
玉山村南須釜 東 ・「玉川村HP/たまかわの見どこ ・玉川村企画産業課:0247-57福寺
ろ」
4629
http://www.vill.tamakawa.fukushi ・玉川村須釜支所:0247-57ma.jp/outline/seeing02.php
2061
・「祭礼行事・福島県」(桜楓社)
伊達市霊山町大石 ・「伊達市HP/霊山神社春季例 ・霊山神社:024-587-1326
・伊達市役所霊山総合支所:024古屋 霊山神社
大祭」
http://www.city.date.fukushima.jp 586-3401
/soshiki/32/939.html
・「祭礼行事・福島県」(桜楓社)
5月12日、8月18日/夕闇深まるなか、
神社の舞台で演じられる農民芸能。歌舞
伎の演者はもちろん、裏方もすべて村人
が担う。
檜枝岐村居平 鎮
守神社
・「尾瀬桧枝岐温泉観光協会HP
/桧枝岐歌舞伎」
http://www.oze-info.jp/kabuki/
・「祭礼行事・福島県」(桜楓社)
・桧枝岐温泉観光協会:0241-752342
・桧枝岐村教育委員会:0241-752342
二本松市下長折移
川 諏訪神社
・「二本松市HP/小浜長折の三
匹獅子舞」
http://www.city.nihonmatsu.lg.jp/
soshiki/54/289.html
・「文化庁HP/国指定文化財等
データベース
http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys
/maindetails.asp
・二本松市文化課:0243-555154
・二本松観光協会(二本松市観光
課内)
:0243-55-5122
・岩代観光協会:0243-55-2111
5月12日の愛宕神社祭礼と8月18日の鎮
守神社祭礼に、鎮守神社境内にある舞台
(舞殿)で村の神に奉納する形で上演され
る。歌舞伎は県指定重要無形文化財、舞
台は国指定重要有形文化財。
5月5日/諏訪神社の春の例祭に境内で 上長折の滝洞(たきぼら)、下長折の東方
演じられる三匹獅子舞。厳格なしきたりの (ひがしかた)と中洞(なかぼら)の三集落
もと、長男の少年らが五穀豊穣・悪霊退散 に伝承され、それぞれに伝承する曲目、
を祈願し、勇壮に踊る。
舞い方に多少の違いがある。県指定無形
民俗文化財。
【b 文化】 49/188
カテゴリー
県
市町村
178 (b)文化
福島県
下郷町
179 (b)文化
地域資源名
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
・大内宿観光協会:0241-683611
・下郷町観光協会:0241-691144
7月2日/江戸時代の宿場町の雰囲気を
今に残す大内宿で行われる高倉神社の祭
礼。氏子たちが色鮮やかな時代装束に身
を包み練り歩く。
都落ちした後白河天皇の第2皇子・高倉以 下郷町大内 大内 ・「大内宿観光協会HP/宿場大
仁王(もちひとおう)が越後に向かう途中、 宿
内宿」
大内宿に立ち寄った際の様子を再現した
http://ouchiもの。7月2日の半夏生の日に行われるの
juku.com/index.php?FrontPage
でその名がある。
・「下郷町観光協会HP」
http://shimogo.jp/
福島県 会津高田町 御田植祭り
7月12日/会津の総鎮守、伊佐須美神
社最大の祭り。伊勢神宮の朝田植、熱田
神宮の夕田植と共に、「日本三田植」のひ
とつと称される。
小・中学生の童子による獅子追いや、デコ 会津美里町宮林 伊 ・「会津美里町観光協会HP」
サマと称する田植人形・催馬楽などによる 佐須美神社
http://misatono.jp/
神輿渡御行列は古い時代の祭事の様子
・「会津六詣HP」http://www.aizuを残す。農家の長男が女装して踊る「早乙
reichi.gr.jp/index.html
女踊りも奉納される。
・「祭礼行事・福島県」(桜楓社)
180 (b)文化
福島県
南会津町
会津田島祇園祭
7月19~21日/日本三大祇園祭のひと
つ。呼び物は23日早朝から行われる「七
行器(ななほかい)行列」。「花嫁行列」とも
呼ばれ、花嫁姿の女性が歩いて神社に向
かう。
南会津町田島市街 ・「会津祇園祭HP」
田出宇賀神社、熊野 http://www.minamiaizu.org/gion/
神社ほか
・「会津田島祇園会館HP」
http://gionkaikan.biz-web.jp/
・「祭礼行事・福島県」(桜楓社)
・南会津町観光協会田島観光セ
ンター
:0241-62-3000
・南会津町商工観光課:0241-626200
181 (b)文化
福島県
いわき市
御宝殿熊野神社例祭
・「いわき市観光情報サイトHP/
御宝殿熊野神社例祭」
http://www.kankouiwaki.or.jp/modules/d3blog/detail
s.php?bid=217
182 (b)文化
福島県 南相馬市ほか 相馬野馬追
183 (b)文化
福島県
郡山市
郡山うねめまつり
・いわき市総合観光案内所:
0246-23-0122
・いわき観光まちづくりビュー
ロー:0246-44-6545
・御宝殿熊野神社社務所:024662-2207
・相馬野馬追執行委員会(南相馬
市観光交流課内)
:0244-22-3064/0244-245263
・相馬市商工観光課:0244-372155
・相馬市観光協会:0244-353300
・郡山市観光協会:024-9242621 .
・郡山うねめまつり実行委員会
(郡山商工会議所 開
発業部内):024-921-2610
184 (b)文化
福島県
福島市
福島わらじ祭り
185 (b)文化
福島県
いわき市
大内宿半夏まつり
資源の概要
じゃんがら念仏踊り
七行器行列は、シャンギリ囃子が流れる
中、氏子らが七つの行器(ほかい)に入れ
た供物を神前に捧げるための神聖な行
列。ほかに「大屋台運行」、「神輿渡御」、
「子供歌舞伎」などが3日間にわたって盛
大に行われる。国指定重要無形民俗文化
財。
7月31~8月1日/神社例祭に合わせ、 田楽は8人のうち2人が露払い、6人が「ざ
地域の子どもが田楽童子に扮して田楽を らっこ」と呼ばれる古曲楽器を鳴らし演ず
奉納する。稚児による田楽は全国的にも る。ほかに4種類からなる風流獅子舞があ
り、「御宝殿の稚児田楽・風流」の名称で
珍しい。
国指定重要無形民俗文化財。
いわき市錦町御宝
殿
御宝殿熊野神社
7月最終の土、日、月曜日/戦国絵巻の
ような武者行列、合戦さながらの迫力の神
旗争奪戦、絵馬の元になった馬を素手で
捕まえ奉納する野馬懸。400騎余りの騎馬
武者が集まり、馬を走らせ競い合う勇壮な
祭り。
福島県北東部の相馬3社(中村神社、太田 南相馬市原町区牛
神社、小高神社)の合同例祭に合わせて 来出口
行われる。起源は千年以上も前、相馬氏 雲雀ヶ原祭場地
の祖とされる平将門が、野馬を敵に見立
てて軍事演習を行ったことに始まるとい
う。国指定重要無形民俗文化財。
・「相馬野馬追HP」
http://www6.ocn.ne.jp/~nomaoi/
・「南相馬市HP/相馬野馬追」
http://www.city.minamisoma.lg.jp
/index.cfm/9,0,77,html
・「相馬観光協会HP」
http://www.somacci.com/~kanko
u/
8月第1木曜~土曜日/奈良時代の宮中 1965年(昭和40年)に安積郡9カ町村が 郡山市街地
・「郡山うねめまつりHP」
女官・采女(うねめ)にちなんだ郡山最大 郡山と合併した際、市民が一体となれるま 駅前大通り、駅西口 http://www.koの祭り。5000人を超える流し踊りや、趣 つりを起こそうという気運が高まり、郷土 広場、采女神社ほか cci.or.jp/event/maturi/uneme.ht
向を凝らした多彩なイベントで賑わう。
の伝説である釆女物語を主題として誕生
ml
した祭り。
・「郡山市HP」
http://www.city.koriyama.fukushi
ma.jp/index.html
8月第1金、土曜日/長さ12m、重さ2tの
日本一の大わらじが奉納され、2日間にわ
たって「わらじおどり」、「わらじ競走」、「ダ
ンシングそーだナイト」が開催される。
2月に行われる「信夫三山暁まいり」を参 福島市街地
考に、1970年(昭和45年)に福島市と福島 信夫通り(本町1丁
商工会議所が始めた夏祭り。2月の暁ま 目周辺)
いりで片方の大わらじ、8月のこの祭りでも
う片方の大わらじを奉納する。
・「福島わらじまつりHP」
http://www.fmcnet.co.jp/waraji/
・「福島市観光コンベンション協会
HP/わらじまつり」
http://www.f-kankou.jp/cgibin/fkankou/asobu/page.cgi?id=74
8月1~15日/鉦、太鼓を打ち鳴らしなが
ら新盆(初盆)を迎えた家を供養してまわ
る、踊念仏の一種。いわき地方のお盆の
風物詩。
踊念仏の特徴は、災厄退散・亡魂鎮送を いわき市内一円
目的としていること、その鎮送のために念
仏の唱言と踊りをすること、楽器として太
鼓・鉦を用いることなどである。いわき市内
には約90の伝承団体がある。
・「いわき観光まちづくりビュー
ローHP/じゃんがら念仏踊」
http://www.kankouiwaki.or.jp/modules/gnavi/index.p
hp?lid=645
・「祭礼行事・福島県」(桜楓社)
・伊佐須美神社社務所0242-545050
・会津美里町観光協会:0242-564882
・福島わらじまつり実行委員会事
務局
(福島商工会議所内):024-5365511 ・福島市観光コンベンション協会
福島駅東口案内所:024-5223265
・いわき観光まちづくりビューロー
(「いわき市石炭・化石館」内):
0246-44-6545
・いわき市総合観光案内所:
0246-23-0122
・いわき市教育委員会:0246-227544
【b 文化】 50/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
186 (b)文化
福島県
白河市
187 (b)文化
福島県
いわき市
188 (b)文化
福島県 会津若松市 会津秋まつり
189 (b)文化
福島県
福島市
190 (b)文化
福島県
二本松市
二本松の提灯祭り
191 (b)文化
福島県
二本松市
針道のあばれ山車
192 (b)文化
福島県
須賀川市
193 (b)文化
福島県
二本松市
白河提灯まつり
飯野八幡宮の流鏑馬神事
飯坂けんか祭り
資源の概要
9月12~14日(1年おき)/白河地方の
総鎮守、鹿嶋神社の例祭。白河市内23町
が参加する数千の提灯行列、阿武隈川を
神輿が渡る「渡河(とか)」が見どころ。
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
神輿の町内渡御、提灯行列、屋台の引き 白河市中心市街地
回しなどが行われる現在の祭りの形態
は、およそ400年前、白河藩主・本多能登
守忠義(のとのかみただよし)が神輿を寄
進したことに始まるといわれる。
・「白河提灯まつり(鹿嶋神社氏
子壮者会)HP」
http://www.sousyakai.net/
・「白河鹿嶋神社HP」
http://www.kashimajinja.jp/
・「白河観光物産協会HP」
http://shirakawa315.com/index.h
tml
9月第2土曜、日曜日/流鏑馬で騎士が 1346年(貞和2年)の放生会において行 いわき市平八幡 ・「飯野八幡宮HP」
馬上から放った生姜や扇子は縁起物とさ われたとの記録が残る由緒ある神事。騎 飯野八幡宮
http://www.noteplan.net/8man/
れることから、別名「生姜祭り」ともいう。 士が狩衣に身を包み、馬場で空駆け、生
・「いわき市観光情報サイト/飯
姜撒き、扇子撒き、的矢の順で行われる。
野八幡宮流鏑馬神事」
県指定重要無形民俗文化財。
http://www.kankouiwaki.or.jp/news/14140
9月22~24日/最大の呼び物は幕末の
時代絵巻を再現した「会津藩公行列」。総
勢600名が隊列を組み、武者姿で練り歩
く。
祭りが初めて開催されたのは、1953年 会津若松市街地
(昭和28年)。戊辰戦争で落命した会津藩 鶴ヶ城本丸、神明通
士などの霊を慰め、先人に感謝するという り・中央通りほか
意味も込めて行われる。
10月4~6日/二本松神社の例大祭。一
番の見どころは7台の太鼓台が揃う4日の
宵祭り。御神火で一斉に火を灯された紅
提灯が、秋の夜を彩る。
金箔漆塗りの太鼓台1台つき約350個の 二本松市街地
提灯をつける。最上部の三角型の提灯を 二本松神社、二本松
「すぎなり」といい、頂点までの高さは10m 駅前ほか
を超える。県指定重要無形民俗文化財。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
・白河鹿嶋神社:0248-23-3079 ・白河観光物産協会:0248-221147
・飯野八幡宮:0246-21-2444
・いわき観光まちづくりビューロー
(いわき市石炭・化石館」内):
0246-44-6545
・いわき市総合観光案内所:
0246-23-0122
・「会津若松観光物産協会HP/
会津若松観光ナビ」
http://www.aizukanko.com/event
/
・「祭礼行事・福島県」(桜楓社)
・会津若松観光物産協会(イン
フォメーション・
サポートセンター):0242-365043
・会津若松市観光課:0242-391251
10月第1土曜日を中心とした3日間/飯坂 大阪・岸和田の「地車祭り、秋田・角館の 福島市飯坂町八幡 ・「八幡神社HP」
・飯坂八幡神社社務所:024-542八幡神社の例大祭。若者たちに担がれた 「飾山ばやし」とともに「日本三大けんか祭 八幡神社、町内各所 http://hachimanjinja.info/
2560
6台の太鼓屋台が神輿の宮入りはばみ、 り」といわれる。「下がり半」「三切り」「流し」
・「福島市観光コンベンション協会 ・飯坂温泉観光協会:024-542激しくぶつかり合うことから、「けんか祭り」 「宮入り」の4種類の打法がある太鼓の調
HP/飯坂けんか祭り」
4241
と呼ばれる。
べは京都祇園囃子の流れを汲む。
http://www.f-kankou.jp/cgibin/fkankou/asobu/page.cgi?id=65
・「飯坂温泉観光協会HP」
http://www.iizaka.com/
・「二本松市HP/二本松の提灯
祭り」
http://www.city.nihonmatsu.lg.jp/
site/kankou/458.html
・「二本松観光協会HP」
http://www.nihonmatsukanko.jp/matsuri.html
体育の日前日の日曜日/諏訪神社の祭 1758年(宝暦8年)年にこの付近一帯が 二本松市針道
・「二本松市HP/針道のあばれ
礼行事。豪快な太鼓の音が鳴り響くなか、 凶作続きや疫病の流行にあった際、人形 諏訪神社、針道商店 山車」
趣向を凝らした張子を載せた7台の山車が を飾った山車や神楽囃子を奉納し、疫病 街目抜き通り
http://www.city.nihonmatsu.lg.jp/
若連の勇ましい掛け声とともにぶつかり合 退散、五穀豊穣を祈願した記録が残って
site/kankou/467.html
う勇壮な祭り。
いる。
・「二本松観光協会HP」
http://www.nihonmatsukanko.jp/index.html
・二本松提灯祭実行委員会・二本
松観光協会
(二本松市観光課):0243-555122
・二本松神社社務所:0243-221066
須賀川の松明あかし
11月第2土曜日/日本三大火祭りのひと
つ。長さ10m、重さ3tもある大松明など約
30本もの本松明の炎が晩秋の夜空を焦が
す。
1589年(天正17年)、それまで須賀川地 須賀川市
方一帯を治めていた二階堂氏が、伊達正 松明通り、五老山
宗に攻め滅ぼされた際の犠牲者を弔うた (翠ヶ丘公園内)
めに始めたといわれる。
・「須賀川松明あかしHP」
http://www.city.sukagawa.fukushi
ma.jp/taimatsu/
・「祭礼行事・福島県」(桜楓社)
・須賀川市松明あかし実行委員
会
(須賀川観光協会):0248-889144
木幡の幡祭り
12月第1日曜日/白幡を先達に、五色に
彩られた百数十本の五反幡を押し立て、
法螺貝を響かせ木幡山をめざす。色とりど
りの旗が冬の大空に舞う華麗な祭り。
祭りは「前九年の役」(1051年~1062
年)で、木幡山に降り積もった雪を源義家
側の白旗と見違った安倍の軍勢が、戦わ
ずに敗走したという故事に由来する。国指
定重要無形民俗文化財。
・「二本松市HP/木幡の幡祭り」
http://www.city.nihonmatsu.lg.jp/
site/kankou/538.html
・「二本松観光協会HP」
http://www.nihonmatsukanko.jp/nhmkanko-kohataflagfes.html
・二本松市東和支所地域振興課:
0243-66-2490
・二本松観光協会(二本松市観光
課内)
: 0243-55-5122 ・木幡山隠津島神社:0243-462869
二本松市木幡叺内
旧木幡第一小学校
グラウンド~隠津島
神社
・東和観光協会(東和支所地域振
興課内)
:0243-66-2490
・二本松観光協会(二本松市観光
課内)
:0243-55-5122
【b 文化】 51/188
(1)地域資源調査リスト 【(c)郷土文学】
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
1 郷土文学 青森県 五所川原市 太宰治
小説家,「斜陽」「人間失格」など
2 郷土文学 青森県
弘前市
葛西善蔵
小説家(奇蹟派),「哀しき父」
3 郷土文学 青森県
弘前市
石坂洋次郎
小説家,「青い山脈」「若い人」
4 郷土文学 青森県
黒石市
秋田雨雀
劇作家・詩人,
5 郷土文学 青森県
青森市
北畠八穂
詩人・児童文学(深田久弥の元妻),
6 郷土文学 青森県
青森市
高木恭三
方言詩人,
7 郷土文学 青森県
青森市
高木彬光
推理作家,
8 郷土文学 青森県
三沢市
寺山修司
詩人・歌人,
寺山修司記念館 三沢市大字三沢 TEL 0176‐59‐3434
9 郷土文学 青森県
八戸市
三浦哲郎
小説家,「忍ぶ川」芥川賞
八戸市立図書館・三浦哲郎文学コー
ナー TEL 0178‐22‐0266
10 郷土文学 青森県
弘前市
長部日出雄
小説家,「津軽世去れ節」直木賞
11 郷土文学 青森県
十和田市
大町桂月
12 郷土文学 青森県
弘前市
福士幸次郎
詩人・歌人(高知県、十和田湖蔦温泉に居
住),
詩人(佐藤紅緑の友人),
13 郷土文学 青森県
和歌山県
佐藤春夫
詩人・作家,「奥入瀬渓谷の賦」詩碑
青森県近代文学館(青森県立図書館
2
F)http://www.plib.pref.aomori.lg.jp/top
/museum/
奥入瀬渓流館(大町桂月ほか)十和田
市大字奥入瀬
青森県近代文学館(青森県立図書館
2
F)http://www.plib.pref.aomori.lg.jp/top
/museum/
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
14 郷土文学 青森県
弘前市
佐藤紅緑
作家・俳人(サトウハチローの父),
15 郷土文学 青森県
八戸市
北村小松
劇作家・脚本家・小説家,「人間のいる街の
風景」
16 郷土文学 青森県
弘前市
今 官一
小説家,「壁の花」直木賞
17 郷土文学 青森県
八戸市
室井祐月
小説家・タレント(高橋源一郎は元夫),
18 郷土文学 青森県
十和田市
川上健一
小説家,「翼はいつまでも」
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
・太宰治記念館「斜陽館」五所川原市
金木町 TEL 0173-53-2020
・青森県近代文学館(青森県立図書館
2
F)http://www.plib.pref.aomori.lg.jp/top
/museum/
青森県近代文学館(青森県立図書館
2
F)http://www.plib.pref.aomori.lg.jp/top
/museum/
青森県近代文学館(青森県立図書館
2
F)http://www.plib.pref.aomori.lg.jp/top
/museum/(青森県立図書館2F)
秋田雨雀記念館 黒石市中町 津軽こ
みせ駅2階
青森県近代文学館(青森県立図書館
2
F)http://www.plib.pref.aomori.lg.jp/top
/museum/
青森県近代文学館(青森県立図書館
2
F)http://www.plib.pref.aomori.lg.jp/top
/museum/
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
青森県近代文学館(青森県立図書館
2
F)http://www.plib.pref.aomori.lg.jp/top
/museum/
青森県近代文学館(青森県立図書館
2
F)http://www.plib.pref.aomori.lg.jp/top
/museum/
青森県近代文学館(青森県立図書館
2
F)http://www.plib.pref.aomori.lg.jp/top
/museum/
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
【c 郷土文学】 52/188
カテゴリー
県
市町村
19 郷土文学 青森県
地域資源名
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
小説家(長野県、妻は藤原てい),「八甲田
山死の彷徨」
エッセイスト,
新潮社著者一覧 www.shinchosha.co.jp
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
21 郷土文学 岩手県 盛岡市玉山 石川啄木
歌人,「一握の砂」
石川啄木記念館 盛岡市玉山区渋民 TEL 019‐683‐2315
22 郷土文学 岩手県
盛岡市
金田一京助
言語学者,
盛岡市先人記念館【金田一京助記念
室) TEL 019-659-3338
23 郷土文学 岩手県
花巻市
宮沢賢治
詩人・童話作家,
宮沢賢治記念館 花巻市矢沢 TEL
0198-31-2319
24 郷土文学 岩手県
紫波町
野村胡堂
小説家,「銭形平次捕物控」
25 郷土文学 岩手県
盛岡市
森 荘己池(そういち)
小説家,「山畠」「蛾と笹舟」直木賞
野村胡堂・あらえびす記念館 紫波町
彦部 TEL 019‐676‐6896
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
26 郷土文学 岩手県
紫波町
巽 聖歌
詩人・童謡作家・歌人,唱歌「たきび」の作
者
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
27 郷土文学 岩手県
北上市
サトウハチロー
詩人(妻生家が北上市),サトウハチロー記
念館
サトウハチロウ記念館 北上市立花 TEL 0197‐65‐5401
28 郷土文学 岩手県
花巻市
高村光太郎
詩人・彫刻家,「智恵子抄」
高村山荘・記念館 花巻市太田 TEL 0198-28-3012
29 郷土文学 岩手県
奥州市
三好京三
小説家,「子育てごっこ」直木賞
三好京三記念室 奥州市衣川区 ふる
さと自然館 TEL 0197‐52‐6180
30 郷土文学 岩手県
西和賀町
高橋喜平
エッセイスト・雪崩学者,「雪と人生」
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
31 郷土文学 岩手県
釜石市
高橋克彦
小説家,「写楽殺人事件」ほか
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
32 郷土文学 岩手県
一関市
中津文彦
小説家,「黄金流砂」江戸川乱歩賞
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
33 郷土文学 岩手県
一関市
及川和男
小説家(一関市に疎開),「村長ありき」
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
34 郷土文学 岩手県
盛岡市
山口青邨
俳人,馬酔木同人
日本現代詩歌文学館 北上市本石町 TEL 0197‐65‐1728
35 郷土文学 岩手県
遠野市
柳田國男
民俗学者,「遠野物語」
遠野市立博物館 遠野市東館町 TEL
0198‐62‐2340
36 郷土文学 岩手県
盛岡市
澤口たまみ
エッセイスト・絵本作家,「虫のつぶやき聞
こえたよ」
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
37 郷土文学 岩手県
盛岡市
鈴木彦次郎
小説家(盛岡市に疎開),「文芸時代」創刊
メンバー
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
38 郷土文学 岩手県
遠野市
佐々木喜善
民俗学研究者,
遠野伝承館 佐々木喜善記念館 遠野
市土淵町 TEL 0198-62-8655
39 郷土文学 岩手県 二戸市浄法寺 瀬戸内寂聴
小説家,
瀬戸内寂聴記念館 二戸市浄法寺町 TEL 0195-38-2211
40 郷土文学 宮城県
詩人・英文学者,「天地有情」「荒城の月」
晩翠草堂 仙台市青葉区大町 TEL
022‐224‐3543
20 郷土文学 青森県
新田次郎
資源の概要
弘前市
仙台市
根深誠
土井晩翠
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
【c 郷土文学】 53/188
カテゴリー
県
41 郷土文学 宮城県
市町村
大和町
地域資源名
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
女流歌人,
原阿佐緒記念館 大和町宮床 TEL
022‐346‐2923
42 郷土文学 宮城県 東北大(医) 魯迅
小説家,
43 郷土文学 宮城県 東北学院教師 島崎藤村
詩人・小説家,「若菜集」
44 郷土文学 宮城県
石巻市
志賀直哉
小説家(白樺派),「暗夜行路」
魯迅記念展示室 仙台市青葉区 東北
大学資料館
仙台文学館 仙台市青葉区北根 TEL
022-271-3020
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
45 郷土文学 宮城県
仙台市
佐伯一麦
小説家,「ノルゲ」
46 郷土文学 宮城県
仙台市
常盤新平
小説家,「遠いアメリカ」直木賞
47 郷土文学 宮城県
亘理町
山本周五郎
小説家(妻が亘理町),「樅の木は残った」
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
48 郷土文学 宮城県 宮城第3女子高小池真理子
恋愛小説家,「恋」「欲望」直木賞作家
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
49 郷土文学 宮城県
石巻市
辺見庸
小説家・ジャーナリスト,「自動起床装置」芥
川賞
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
50 郷土文学 宮城県
登米市
石ノ森章太郎
漫画家・特撮原作者,「サイボーグ009」
仙台文学館(仙台市青葉区北根 TEL
022-271-3020)
51 郷土文学 宮城県
仙台市
熊谷達也
小説家,「邂逅の森」直木賞
仙台文学館(仙台市青葉区北根 TEL
022-271-3021)
52 郷土文学 宮城県
大河原町
尾形亀之助
詩人,「障子のある家」ほか
仙台文学館(仙台市青葉区北根 TEL
022-271-3022)
53 郷土文学 宮城県
仙台市
石川善助
詩人,「詩集・亜寒帯」
仙台文学館(仙台市青葉区北根 TEL
022-271-3023)
54 郷土文学 宮城県 東北大(法) 伊坂幸太郎
小説家,「ゴールデンスランバー」
仙台文学館(仙台市青葉区北根 TEL
022-271-3024)
55 郷土文学 宮城県
小説家・ファンタジー小説,
仙台文学館(仙台市青葉区北根 TEL
022-271-3025)
56 郷土文学 宮城県 東北大(医) 北 杜夫
小説、随筆家,「どくとるマンボウ航海記」
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
57 郷土文学 宮城県 東北大大学院 瀬名秀明
ホラー作家,「パラサイトイヴ」
58 郷土文学 宮城県
仙台市
真山青果
小説家,「元禄忠臣蔵」
仙台文学館 仙台市青葉区北根 TEL
022-271-3025
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
59 郷土文学 宮城県
仙台市
とよたかずひこ
絵本作家,
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
60 郷土文学 秋田県 秋田市雄和 石井露月
俳人,
石井露月資料室 秋田市雄和図書館
内 TEL 018‐886‐2853
61 郷土文学 秋田県
横手市
石川達三
小説家,「蒼氓」第1回芥川賞
石川達三記念室 秋田市千秋明徳町 秋田市立中央図書館内
62 郷土文学 秋田県
秋田市
伊藤永之介
小説家(農民文学),
63 郷土文学 秋田県
秋田市
今野賢三
プロレタリア作家,
伊藤永之介文学碑 秋田市高清水公
園内
秋田市土崎図書館内
仙台市
原 阿佐緒
資源の概要
恩田 陸(熊谷奈苗)
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
仙台文学館 仙台市青葉区北根 TEL
022-271-3020
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
【c 郷土文学】 54/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
64 郷土文学 秋田県
秋田市
内舘牧子
脚本家,
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
65 郷土文学 秋田県
秋田市
金子洋文
プロレタリア作家,「種蒔く人」創刊者
「種蒔く人』資料室 秋田市土崎図書
館内 TEL 018‐845‐0572
66 郷土文学 秋田県
美郷町
小杉天外
小説家,「魔風恋風」
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
67 郷土文学 秋田県 大仙市払田 後藤宙外
小説家(硯友社),「ありのすさび」
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
68 郷土文学 秋田県
大館市
小林多喜二
プロレタリア作家,「蟹工船」
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
69 郷土文学 秋田県
秋田市
小牧近江
フランス文学者,
秋田市土崎図書館(「種蒔く人」資料室
70 郷土文学 秋田県 仙北市角館 田口掬丁
小説家,高井有一の祖父
新潮社記念文学館 角館町田町上丁 TEL 0187-43-3333
71 郷土文学 秋田県 仙北市田沢湖 千葉治平
小説家,「虜愁記」直木賞
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
72 郷土文学 秋田県 仙北市角館 佐藤義亮
出版人,「新潮社」の創立者
新潮社記念文学館 仙北市角館田町 TEL 0187-43-3333
73 郷土文学 秋田県 大仙市協和 松田解子
小説家,「おりん口伝」
松田解子文学記念館 大仙市荒川・
大盛館 TEL 018‐881‐8035
74 郷土文学 秋田県
小説家,
矢田津世子文学記念室 五城目町五
城館 TEL 018‐852‐5300
75 郷土文学 秋田県 由利本荘市 山田順子(ゆきこ)
小説家(竹久夢二の愛人),
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
76 郷土文学 秋田県
仙北市
渡辺喜恵子
小説家,「馬淵川」直木賞
みちのく子供風土記館(記念館)北秋
田市材木町
77 郷土文学 秋田県
仙北市
西木正明
小説家,「凍れる瞳」直木賞
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
78 郷土文学 秋田県
北海道
阿部牧郎
作家(両親が大館市),
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
79 郷土文学 秋田県
秋田市
蓮見圭一
小説家,「悪魔を憐れむ歌」
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
80 郷土文学 秋田県
秋田市
滝田樗陰
編集者,中央公論編集者
81 郷土文学 秋田県
横手市
福岡易之助
出版人,「白水社」の創立者
滝田樗陰顕彰碑 秋田市八橋 全良
寺
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
82 郷土文学 山形県
上山市
斎藤茂吉
歌人(短歌・随筆),アララギ同人 「赤光」
斎藤茂吉記念館 上山市北町字弁天 TEL 023‐672‐7227
83 郷土文学 山形県
上山市
北 杜夫
小説家(茂吉次男),「どくとるマンボウ航海
記」
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
84 郷土文学 山形県
鶴岡市
藤沢周平
小説家,時代小説
85 郷土文学 山形県
高畠町
浜田広助
童話作家,「泣いた赤鬼」
鶴岡市立藤沢周平記念館 鶴岡市馬
場町 TEL 0235-29-1880
浜田広介記念館 高畠町まほろば童
話の里 TEL 0238‐52‐3838
五城目町
矢田津世子
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
【c 郷土文学】 55/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
86 郷土文学 山形県
鶴岡市
田沢稲舟
小説家(23歳で夭折),「峰の残月」
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)鶴岡
市五日町生家前に文学碑と胸像
87 郷土文学 山形県
鶴岡市
丸谷才一
小説・評論・随筆,
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
88 郷土文学 山形県
松山町
阿部次郎
作家・小説家,「三太郎の日記」
酒田市阿部記念館 酒田市山寺 TEL
0234-62-2925
89 郷土文学 山形県
米沢市
吉本隆明
詩人・評論家,米沢高等工業学校出身
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行) 吉
本ばななは二女
90 郷土文学 山形県
山形市
真壁 仁
詩人,「みちのく山河行」
91 郷土文学 山形県
鶴岡市
高山樗牛
小説家・文芸評論家,日本主義・ロマン主
義
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)真壁
仁記念館 上山市大門TEL 023-6742226
大宝館(高山樗牛、横光利一ほか)鶴
岡市馬場町TEL 0235-24-3266
92 郷土文学 山形県
川西町
井上ひさし
小説家・劇作家,直木賞ほか多数受賞
遅筆堂文庫山形館 山形市蔵王松ヶ
丘 TEL 023‐689‐1166 93 郷土文学 山形県
酒田市
森 万紀子
小説家,「雪女」で泉鏡花文学賞
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)(酒田
東高校で岸洋子と同級生)
94 郷土文学 山形県
三川町
奥泉 光
小説家,「石の来歴」で芥川賞
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
95 郷土文学 山形県
酒田市
吉野 弘
詩人,吉野弘全詩集
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
96 郷土文学 山形県
酒田市
成田 三樹夫
俳優,遺構句集「鯨の目」
『鯨の目・俳句遺稿集』(無明舎出版)
97 郷土文学 山形県
酒田市
森敦
小説家(妻が酒田市),「月山」で芥川賞
文学資料館、森敦文庫 鶴岡市大網
(注蓮寺)TEL 0235-54-6536
98 郷土文学 山形県
西川町
丸山 薫
詩人(岩根沢に疎開),(丸山薫記念館)
丸山薫記念館 西川町岩根沢 TEL
0237‐74‐2965
99 郷土文学 山形県
遊佐町
深田久弥
作家・登山家,「日本百名山」(鳥海山等)
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
100 郷土文学 福島県 会津若松市 若松賤子
小説家・翻訳家,「小公子」翻訳。巌本善治
の妻。
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
101 郷土文学 福島県
須賀川市
水野仙子
小説家,
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
102 郷土文学 福島県
白河市
中山義秀
小説家・芥川賞作家,
中山義秀記念文学館 白河市大信町
屋 TEL 0248-46-3614
103 郷土文学 福島県
いわき市
吉野セイ
小説家 ,「洟をたらした神」
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
104 郷土文学 福島県
郡山市
宮本百合子
プロレタリア作家(本籍が福島県郡山市),
宮本顕治と結婚。
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
105 郷土文学 福島県
いわき市
草野心平
詩人,
草野心平記念文学館(生家) いわき
市小川町 TEL 0246‐83‐0005
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
【c 郷土文学】 56/188
カテゴリー
県
市町村
106 郷土文学 福島県
須賀川市
107 郷土文学 福島県
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
風野真知雄
小説家,「黒牛と妖怪」
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
三春町
玄侑宗久
小説家,「中陰の花」芥川賞
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
108 郷土文学 福島県
福島市
冲方丁(うぶかたとう)
小説家,「天地明察」
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
109 郷土文学 福島県
郡山市
古川日出男
小説家,「LOVE」三島由紀夫賞
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
110 郷土文学 福島県
福島市
長田弘
詩人,「森の絵本」など
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
111 郷土文学 福島県
郡山市
浜尾まさひろ
絵本作家,手づくり絵本作家
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
112 郷土文学 福島県
福島市
田中冬二
詩人,「青い夜道の詩人」
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
早乙女貢
歴史作家,「会津士魂」など
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
114 郷土文学 福島県 会津若松市 横光利一
小説家,「日輪」「旅愁」など
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
115 郷土文学 福島県
小野町
小泉武夫
文筆家,発酵学、醸造学。いわき文化セン
ター入口に詩碑あり。
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
116 郷土文学 福島県
二本松市
東野部薫
小説家,「和紙」芥川賞
安達ケ原ふるさと村先人館 二本松市
安達ケ原 TEL 0243-22-7474
117 郷土文学 福島県 会津坂下町 永岡慶之助
小説家,「紅葉山」など
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
118 郷土文学 福島県
下郷町
室井光広
小説家,「おどるでく」芥川賞
『東北近代文学事典』(日本近代文学
会東北支部編/勉誠出版発行)
119 郷土文学 福島県
須賀川市
円谷英二
特撮映画監督,円谷特撮プロダクション
こおりやま文学の森資料館 郡山市豊
田町 TEL 024‐991‐7610
120 郷土文学 福島県
二本松市
長沼(高村)智恵子
画家,
二本松市智恵子記念館 二本松市油
井 TEL 0234‐22‐6151
113 郷土文学 福島県
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
【c 郷土文学】 57/188
(1)地域資源調査リスト 【(d)伝説・伝承・民話】
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
東北町教育委員会・TEL017656-3111
1 (d)伝説・
伝承・民
話等
青森県
壺碑(つぼのいしぶみ)伝説 平安後期から古歌に登場し、古代末期に 歌枕だけでなく東北古代史に関わる大き
は「坂上田村麻呂蝦夷遠征」と「日本中
な謎として、中世~近世~近代まで多くの
央」伝承もまとっていた異色の古碑伝説。 歌人・文人・武士や政治家が関心を寄せ
た。
千曳神社(青森県上 『東北ふしぎ探訪』(著/伊藤孝
北郡七戸町天間林) 博。発行/無明舎出版)
「日本中央の碑保存
館」(青森県上北郡
東北町)
2 (d)伝説・
伝承・民
話等
青森県
安寿と厨子王物語
岩木山(青森県)
『日本の伝説1北海道東北』(監修 青森県教育委員会・TEL017/日本伝説拾遺会。編集・発行/ 722-1111
教育図書出版山田書院)
3 (d)伝説・
伝承・民
話等
青森県
青森県東北町(旧・
上北郡上北町小川
原下招崎ほか)
『日本の伝説1北海道東北』(監修 東北町教育委員会・TEL0176/日本伝説拾遺会。編集・発行/ 56-3111
教育図書出版山田書院)
4 (d)伝説・
伝承・民
話等
青森県
青森県弘前市小栗
山(小栗山神社)
『新版 青森県の歴史散歩』(編著 弘前市教育委員会・TEL0172/青森県高等学校地方史研究
35-1111
会。発行/山川出版)
5 (d)伝説・
伝承・民
話等
岩手県
6 (d)伝説・
伝承・民
話等
岩手県
7 (d)伝説・
伝承・民
話等
岩手県
8 (d)伝説・
伝承・民
話等
岩手県
9 (d)伝説・
伝承・民
話等
岩手県
10 (d)伝説・
伝承・民
話等
岩手県
11 (d)伝説・
伝承・民
話等
岩手県
12 (d)伝説・
伝承・民
話等
宮城県
原田甲斐首塚伝承
13 (d)伝説・
伝承・民
話等
宮城県
牛飼長者譚
岩城判官の娘・安寿姫が弟の厨子王を人 姫の霊は岩木山に飛来して神に成ったと
買いの手から逃し、自分は丹後(京都)で 伝える 。経緯は不明。江戸時代、丹後人
死んだという「山椒太夫」物語の後日語。 が津軽に入ると岩木山が怒り異変を起こ
すとの俗信も。
玉代姫と勝代姫伝説
衆生救済のため入水して湖沼の主となっ 父娘三人の入水は沼崎観音・姉戸大明
た立花中納言道忠と娘の玉代姫・勝代姫 神・広沼大明神の縁起として語られる。自
姉妹の物語。姉戸沼と小川原湖誕生譚。 ら大蛇となって先住の鰐鮫と戦う八郎太郎
型の要素も。
岩木山と三女伝説
三人姉妹の女神のうち、末の妹が岩木山 姉神は岩木山が見えない小栗山を選んだ
の神に、次の妹が大坊(だいぼう。旧平賀 と地元では伝える。小栗山の人は岩木山
町)の神に、長姉が小栗山の神になったと 参詣をしないとも。末子相続の痕跡か。
の伝説。
正法寺の七不思議
曹洞宗が陸奥で初めて根付いたとされる 無底は幽霊が産んだ子とされ、伝承に関
水沢の名刹正法寺に伝わる奇譚。開祖・ わる「ホヤノの扇」や「黒い石」などが寺宝
無底禅師の出生や、後に同寺を大鼠から として残る。猫の墓印という「逆さ竹」も
守った猫の物語など。
早池峰の山姥伝説
早池峯山の山姥が降らせた七日七晩の 約50年後に開創された妙泉寺(早池峯神
大雨と北上川の白髭水(大洪水)をめぐる 社本地寺)と水底観音(本尊)、天正年間の
物語。宝治元年(1247)大洪水を「白髭水由 大洪水と戦国領主たちの合戦や大蛇伝説
来」譚として語る。
も。
マヨヒガ(迷い家)伝説
何かに誘われるように山深く迷い込んだ 座敷童子や河童や山姥などとともに『遠野
里人の目に、謎めいた雰囲気の古い屋敷 物語』に登場する代表的な伝承説 話。『物
が現われる。入って見ると、そこには不思 語』そのものもマヨヒガか。
議な別世界が……。
天人児(てんにんこう・天女) 遠野の猿ガ石川で水浴する天女の羽衣を 隙を見て羽衣を取り返した天女は、六角
の羽衣譚
猟師が盗み、領主に献上 。天女は蓮糸で 牛山の彼方に飛び去った。光明寺の曼荼
曼荼羅を織り、領主に献上して城内に召し 羅(織物)由来譚として語られる。
抱えられたが …。
チャグチャグ馬っこ伝承(駒 盛岡の強欲な長者が多くの飼馬を酷使す 哀れんだ村人たちが馬を葬り祀ったのが
形神社由来譚)
るのを見て、神が馬となり様子を探りに長 蒼前神社。命日ごとに着飾った馬に鈴を
者宅へ。虐待に耐えきれず逃げ出したが、 付け参詣するようになったのが“チャグ
途中で息絶えた。
チャグ馬っ子"。
座敷わらし譚
童子や童女姿で旧家に現われる福の神 遠野物語の代表的キャラクターの一つ。
の物語。家人以外の人の目には姿が見え 土淵など各地で語られる。少し設定を変え
ず、座敷わらしが住み着けば家は栄え、 て二戸の金田一温泉にも。
退散すると衰退の前兆。
小夜姫伝説
慈悲深い掃部(かもん)長者と、冷酷で強欲 或る年、郡司の娘が生贄籤当たったが神
な女房。女房は大蛇と化して沼に棲み、毎 仏の働きで肥前松浦の小夜姫が身代わり
年、美しい娘を人身御供に差し出すよう里 に。最後は法華経の功徳で女房も姫も救
人に求める。
われる物語。
江戸時代前期、仙台藩と幕閣を揺るがし
た「伊達騒動」(仙台藩寛文事件)で最大の
悪役の一人とされる原田甲斐をめぐる伝
承。
牛飼村に住む百姓の家の前に、ある日托
鉢僧が現れた。一室を与え食事を提供し
経文を教えてくれるよう頼んだが、一向に
教えてくれない。
岩手県奥州市(旧水 『日本の伝説2東北 I』(著/鈴木
沢市黒石字正法寺) 勤。発行/世界文化社)
奥州市教育委員会・TEL019724-2111。正法寺
岩手県(早池峯山と 『日本の伝説2東北 I』(著/鈴木
北上川水系流域)
勤。発行/世界文化社)
岩手県教育委員会・TEL019651-3111
遠野市
遠野市立博物館・TEL0198-622340
『遠野物語』
光明寺(遠野市綾織 『日本の伝説1北海道東北』(監修 光明寺
町上綾織)
/日本伝説拾遺会。発行/教育図
書出版山田書院)
駒形神社(旧・蒼前
神社)。岩手県岩手
郡滝沢村大字鵜飼
『日本の伝説1北海道東北』(監修 滝沢市教育委員会・TEL019/日本伝説拾遺会。発行/教育図 684-2111
書出版山田書院)
岩手県遠野市・ 二
戸市金田一
『日本の伝説2東北 I』(著/鈴木
勤。発行/世界文化社)
奥州市の郡司屋敷
跡(旧水沢市姉体町
古谷の千葉家邸宅
内)、掃部長者の守
り本尊(旧水沢市西
高山の掃部家蔵)、
角塚(旧胆沢郡胆沢
町南都田。大蛇の角
の埋葬地)
登米市東和町米谷
の東陽寺
『日本の伝説1北海道東北』(監修 奥州市教育委員会・TEL0197/日本伝説拾遺会。編集・発行/ 24-2111
教育図書出版山田書院)
甲斐の遺体は江戸の芝増上寺境内に葬
られたとされる。甲斐と斬り合って死んだ
柴田外記の所領に、何故か伝・甲斐の首
塚が。
ある日部屋を覗くと、僧は罰が当たり牛に 遠田郡小牛田町
なっていた。牛の力によって田畑の開墾は
進み収穫量も増え、牛飼村一番の長者に
なったと云われる。
『東北ふしぎ探訪』(著/伊藤孝
博。発行/無明舎出版)
岩手県教育委員会・TEL019651-3111
登米市教育委員会・TEL022022-2111
『宮城縣史 民俗3』(著/宮城縣。 宮城県教育委員会・TEL022発行/財団法人宮城県史刊行会) 211-3614
【d 伝説・伝承・民話】 58/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
象潟蚶満寺(伝慈覚大師創建)や唐松神社 前者は皇后が応神を出産した地を筑紫で にかほ市(旧・由利 『日本の伝説1北海道東北』(監修 秋田県教育委員会・TEL018に伝わる神功皇后足跡伝承。蚶満寺は皇 なく象潟だったとし、後者は皇后が男鹿に 郡象潟町字北象潟 /日本伝説拾遺会。編集・発行/ 860-1111
后と応神天皇などの像を安置、唐松神社 上陸し雄物川を経て神社の地に至った旨 島。皇宮山蚶満寺) 教育図書出版山田書院)。『東北
は別伝を伝える。
の伝承。
と大仙市(旧・仙北郡 ふしぎ探訪』(著/伊藤孝博。発行
協和町境字下台。唐 /無明舎出版)
鹿角で狭布を織る娘と錦木を商う若者の 狭布は白鳥の毛を混ぜて織った幅の狭い 鹿角市十和田字錦 『新版 秋田県の歴史散歩』(編/ 鹿角市教育委員会・TEL0186悲恋物語。亡くなった二人を、娘の父親が 魔除け布。錦木は五種五彩の木を切って 木
秋田県の歴史散歩編集委員会。 30-0203
千束の錦木とともに葬ったと伝えるのが錦 束ね、求婚に使ったもの。錦木塚は古代
発行/山川出版)
木塚。
以来有名な歌枕。
『歌枕とうほく紀行』(編/田口昌樹
+無明舎出版。発行/無明舎出版)
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
14 (d)伝説・
伝承・民
話等
秋田県
神功皇后伝説
15 (d)伝説・
伝承・民
話等
秋田県
錦木塚伝承
16 (d)伝説・
伝承・民
話等
秋田県
鳥海弥三郎伝説
鳥海山の山名由来に関連付けられる「鳥 前九年役の安倍宗任(鳥海三郎)と家任(弥 にかほ市(旧・由利 『東北ふしぎ探訪』(著/伊藤孝
海弥三郎」をめぐる様々な伝承。古代安倍 三郎)、鎌倉初期に奈曽川流域を領した鳥 郡象潟町小滝)ほか 博。発行/無明舎出版)
氏の末裔や平家落人伝説の痕跡も。
海弥三郎など、虚実混在の伝承諸説群。
にかほ市教育委員会・TEL018443-3200
17 (d)伝説・
伝承・民
話等
秋田県
ナマハゲ由来伝承
18 (d)伝説・
伝承・民
話等
秋田県
ニギハヤヒと物部氏伝承
19 (d)伝説・
伝承・民
話等
山形県
機織(夕鶴)伝説
男鹿のナマハゲ発祥に関する不思議な伝
承。本山赤神神社五社堂(国重文)の縁起
譚。漢の武帝に仕えた五鬼たちに由来と
伝える。
イワレピコ(神武天皇)以前に大和入りした
と古事記が記すニギハヤヒ(物部氏の祖
神)の、記紀にない消息伝承。唐松神社由
来譚の一部。
広く知られた民話「鶴の恩返し」の原型と
もいわれる、若者と鶴との不思議な物語
「鶴女房」。鶴布山珍蔵寺縁起として語ら
れる。
20 (d)伝説・
伝承・民
話等
山形県
ハンコタンナ由来譚
21 (d)伝説・
伝承・民
話等
山形県
犬の宮とムジナ伝説
22 (d)伝説・
伝承・民
話等
山形県
大杉伝説
23 (d)伝説・
伝承・民
話等
福島県
泉長者譚
24 (d)伝説・
伝承・民
話等
福島県
信達どろ湖伝説
25 (d)伝説・
伝承・民
話等
福島県
26 (d)伝説・
伝承・民
話等
福島県
27 (d)伝説・
伝承・民
話等
福島県
28 (d)伝説・
伝承・民
話等
福島県
似仁王(もちひとおう)潜行伝 治承4年(1180)、平家打倒の旗を上げ敗死 奥会津各地に足跡や逸話伝承。以仁王が
説
した高倉宮以仁王(後白河法王の皇子)
発した令旨は王の死後も“一人歩き"し、
が、生きていて奥会津に潜行し越後に逃 後の 源平合戦・平家滅亡に繋がる。
れたとの伝説。
源融と虎女伝説
貞観年間 (859~877)、陸奥国巡行中の河 有名な「みちのくの信夫もぢずり誰ゆえに
原左大臣・源融と山口の長者の娘・虎女 ~」の古歌は源融が都から虎女に送った
が恋に落ち再会を約束して別れたのだが とされ、信夫文知摺起源譚とともに語られ
…。
る。
安積采女物語
愛しい夫がいながら地元のため余儀なく 安積采女は樹霊婚姻語にも関わり、私語
宮廷に召し出された美女・安積采女(女官) 橋(ささやきばし。囁き橋)や音無川などの
の悲劇。多くのモチーフを含む物語。
物語に登場。采女型説話は東北各地に分
布。
佐世姫伝説
父(安積領主)と母を殺された菖蒲姫が安 あとは水沢の小夜姫型と共通。大和壺坂
積沼の大蛇に変身し下手人に復讐。恨み の松浦長者の娘・佐世姫が身代わりに立
は鎮まらず、里人たちに娘を人身御供に ち、法華経の功徳で大団円。蛇骨地蔵由
差し出すよう求める。
来譚として語る。
武帝が鬼たちを従え男鹿に飛来。里人は
鬼たちを欺いて賭けに勝ったが、崇らない
よう年に一度だけ里に迎え接待することに
したとも。
蘇我氏に滅ぼされ歴史の表舞台から消え
た物部氏の遺児が北に逃げ延び、秋田物
部氏につながったと伝える。
男鹿市船川港門前
『東北ふしぎ探訪』(著/伊藤孝
博。発行/無明舎出版)
男鹿市教育委員会・TEL018523-2111
大仙市(旧・仙北郡
協和町境字下台の
唐松神社)
『東北ふしぎ探訪』(著/伊藤孝
博。発行/無明舎出版)
大仙市教育委員会・TEL018763-1111
珍蔵寺には縁起に関わる幾つかの事物 南陽市漆山織機(お 『山形ウォーキングガイド』(著/伊 南陽市教育委員会・TEL0238藤孝博。無明舎出版刊)
が寺宝に。山号も寺名も縁起に由来。「夕 りはた)
40-3211
鶴の里資料館」で語り部による口演も。
夕鶴の里資料館・TEL0238-475800
山形県庄内地方や秋田県由利地方や新 目と口元のほかは長い黒布を巻いて顔を
潟県北で見られる独特の女性衣装(覆面) 全て覆ってしまう野良着。美人を見れば城
風俗、ハンコタンナ(ハナフクベ)の由来譚。 に連れ去る好色の殿様への対抗策だった
との伝も。
古代、領主に化けて里人を苦しめた大ム 「犬の宮」の近くには、やはり里人を救って
ジナを甲斐国産の 2 匹の犬が退治した
死んだ猫を祀るという「猫の宮」も。同地区
が、犬も大怪我を負って絶命。祀られたの は戸川幸夫の小説で有名になった高安犬
が「犬の宮」と伝える。
の里。
置賜盆地の半分を日陰で覆うほどの大
大杉を守ろうとする仲間の木々と、敵に寝
杉。邪魔になるとして伐採しようとするが、 返り秘密を漏らすミゾハギ。先住狩猟民と
切りつけた斧跡が夜の聞に元に戻り、な 水田農耕勢力の攻防をも思わせる巨樹伐
かなか倒せない。
採語。
紀州熊野から相馬の浜に上陸、発見した 福島県浜通りでの新文化移入または開発
霊泉が酒に変じ、商って長者になったとい の先駆けを伝えるとされる足跡語。地名由
う泉長者をめぐる伝承群。
来や伝・長者の墓、長者屋敷跡も。
山形・秋田県
高畠町高安地区
『各駅停車 全国歴史散歩 秋田 鶴岡市教育委員会・TEL0235県』(編/秋田魁新報。発行/河出 25-2111
書房新社)
にかほ市教育委員会・TEL018443-3200
『各駅停車 全国歴史散歩 山形 高畠町教育委員会・TEL0238県』(編/山形新聞。発行/河出書 52-1111
房新社)
西置賜郡小国町・飯 『日本伝説大系 3巻』(著/野村
豊町など
純一ほか。発行/みずうみ書房)
相馬郡新地町今泉
の薬師堂境内など
の昔、信達盆地(福島盆地)は大きな湖で、 時代設定や登場するキャラクターを変え 福島市とその周辺
信夫山は湖に浮かぶ島だった。湖の主と て、幾つもの興味深い説話が語られる。信
戦ったヤマトタケルが水口を開くと……。 夫三山信仰由来譚の要素も。
『日本の伝説2東北 I』(著/鈴木
勤。発行/世界文化社)
小国町教育委員会・TEL023862-2111
飯豊町教育委員会・TEL023872-2111
新地町教育委員会・TEL024462-2111
『日本伝説大系 3巻』(著/野村
純一ほか。発行/みずうみ書房)
福島市教育委員会・TEL024535-1111
槍枝岐村、南会津町 『東北ふしぎ探訪』(著/伊藤孝
(旧・舘岩村など)、下 博。発行/無明舎出版)
郷町ほか
福島県教育委員会・TEL024521-1111
福島市山口の文知
摺観音
福島市教育委員会・TEL024535-1111
郡山市日和田町ほ
か
郡山市日和田町
『新版 福島県の歴史散歩』(編/
福島県高等学校地理歴史公民科
(社会科)研究会。発行/山川出
版)
『日本伝説大系 3巻』(著/野村
純一ほか。発行/みずうみ書房)
ほか
郡山市教育委員会・TEL024924-2491
『奥州街道』(著/伊藤孝博。発行/ 郡山市教育委員会・TEL024無明舎出版)
924-2491
【d 伝説・伝承・民話】 59/188
カテゴリー
29 (d)伝説・
伝承・民
話等
県
福島県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
白河市教育委員会・TEL024822-1111
安珍清姫伝承譚
美貌の修行僧・安珍に恋こがれた清姫。
戯れに色よい返事をして後悔し逃げる安
珍。逃げ場に窮して道成寺の釣鐘に隠れ
るが……。
蛇身と化した清姫は鐘に巻き付き、恨み 白河市根回(安珍の 『日本の伝説2東北 I』(著/鈴木
の炎で安珍を焼き殺す。歌舞伎「娘道成 墓や安珍堂)
勤。発行/世界文化社)
寺」でも知られる奇語の原像が、安珍の故
『奥州街道』(著/伊藤孝博。発行/
郷に伝わる。
無明舎出版)
30 (d)伝説・ 山形・秋
伝承・民 田・宮城
話等
県ほか
役行者伝説
全国に足跡を伝えるが、東北各地の霊場 秋田・山形・宮城県 各県の『歴史散歩』シリーズ(発
にも幾つかの縁起・足跡・開山伝承。金峰
行/山川出版)ほか
神社、月山、中田弥勒寺など。
各県教育委員会
31 (d)伝説・ 福島・山
伝承・民 形・秋
話等
田・宮
城・青森
32 (d)伝説・ 山形・秋
伝承・民 田・青
話等
森・宮城
県
33 (d)伝説・ 山形・福
伝承・民 島・宮
話等
城・岩手
県
34 (d)伝説・ 福島・宮
伝承・民 城・岩
話等
手・青
森・秋田
35 (d)伝説・ 岩手・秋
伝承・民 田・青森
県
話等
平家落人伝説
役行者は名を役小角(えんのおづぬ)とい
い、7世紀末から8世紀初期頃の人。山岳
修験の祖の一人とされる伝説的スーパー
ヒーロー。
源平合戦で敗れた平家の落武者や一族
が逃れて土着したという足跡伝承や祖先
伝承。全国に分布し、東北各地にも。
奥会津、米沢街道・綱木集落、仙台の定
義如来、秋田由利郡の平家山、南郷村の
重盛山小松寺(高松寺)、苫米地の島守虚
空蔵ほか。
五大堂、気仙沼観音堂、箟峯寺、岩蔵寺、
亀岡文殊、立石寺、秋保大滝不動、紺満
寺、 金峰神社、恐山などに足跡や開基・
中興伝承。
平泉、衣川の吉次屋敷跡、金成の藤太夫
妻の墓と吉次三兄弟館跡、山形の唐松観
音堂、白河の金売吉次兄弟の墓などに伝
承。
霊現堂、千曳神社、善知鳥神社、生魂神
社、梵珠山、五大堂、箟峯寺、達谷窟
(たっこくのいわや)、達谷窟(たやのくつ)ほ
か多数。
奥会津や秋田県の西木戸神社(泰衡夫妻
関連)、酒田三十六騎など。大河兼任の乱
(平泉藤原氏の仇討ち合戦)を含めれば全
県に痕跡。
3つの湖そのもののほか、十和田神社、斗
賀神社霊現堂、米代川、八竜神社、東湖
八坂神社ほか関連地多数。
各県の『歴史散歩』シリーズ(発
行/山川出版)ほか
各県教育委員会
宮城・山形・秋田・青 各県の『歴史散歩』シリーズ(発
森県
行/山川出版)ほか
各県教育委員会
岩手・宮城・山形・福 各県の『歴史散歩』シリーズ(発
島県
行/山川出版)ほか
各県教育委員会
青森・秋田・岩手・宮 各県の『歴史散歩』シリーズ(発
城・福島県
行/山川出版)ほか
各県教育委員会
岩手・青森・秋田・山 各県の『歴史散歩』シリーズ(発
形県
行/山川出版)ほか
各県教育委員会
秋田・青森・岩手県 『東北ふしぎ探訪』(著/伊藤孝
博。発行/無明舎出版)
各県教育委員会
慈覚大師伝説
炭焼藤太と金売吉次伝説
坂上田村麻呂伝説
平泉藤原氏伝承
慈覚大師円仁(えんにん)は日本天台宗の
二祖(布教拡大の祖)。広く足跡を残す。史
実の部分と附会伝説が混在し、境界は暖
昧な面も。
産金地に住みながら価値を知らなかった
藤太が都の姫を妻として黄金の価値を知
り長者に。息子たちも都との交易で大長者
に、との伝説。
史実に基づく可能性のある伝承と、大和
朝廷の英雄に附会したと思われる足跡譚
が混在。境界は暖昧だが、密度と広がり
は圧倒的。
奥州合戦で滅ぼされた後、落武者や一族
関係者が逃げ延びたという伝承。記録は
ないが史実の可能性があるものも。
福島 ・山形・宮城・
秋田・青森県
36 (d)伝説・ 秋田・岩
伝承・民 手・青森
話等
県
八郎太郎と三湖伝説
37 (d)伝説・ 福島・宮
伝承・民 城・山形
県
話等
日本武尊伝説
38 (d)伝説・ 福島・宮
伝承・民 城・山形
話等
県
囁き橋と阿古耶姫伝説(樹霊 巨木を伐り倒して作った橋が囁いたり、都 先住勢力と進出勢力の軋轢を孕む巨樹伐 福島・宮城・山形県 『歌枕とうほく紀行』(編/田口昌樹 各県教育委員会
婚姻譚)
から下向した姫が地元の若者と慕い合い 採譚や樹霊婚姻譚、老木墓標譚。安積采
+無明舎出版。発行/無明舎出版)
契ったところ相手が樹木の霊だったという 女と耳語橋、杉妻、笹谷峠、千歳山万松
『日本伝説大系 1巻』(著/宮田
伝説体系。
寺ほか。
登ほか。発行/みずうみ書房)
『日本伝説大系 2巻』(著/木崎
和弘ほか。発行/みずうみ書房)
『日本伝説大系 3巻』(著/野村
純一ほか。発行/みずうみ書房)
39 (d)伝説・ 福島・山
伝承・民 形・秋田
話等
県
平将門伝説
40 (d)伝説・ 青森・秋
伝承・民 田・宮城
話等
県
41 (d)伝説・ 岩手・宮
伝承・民 城・秋田
県
話等
42 (d)伝説・ 秋田・岩
伝承・民
手県
話等
十和田湖と田沢湖と八郎潟の生成譚を軸
に、八郎太郎と南祖坊との宗教圏争いや
水田農耕文化の拡大などを語る壮大な龍
神・蛇神伝説
景行天皇の命令により東国(後の関東地
方)まで遠征したとされる神話上の存在ヤ
マトタケルが、東北にも足跡を印したという
伝説。
古代東国(関東)独立の旗を上げて戦い非
業の最期を遂げた将門と子孫たちの伝
説。生前に関する伝説、怨霊伝説、子孫
の足跡伝承など。
北条時頼(西明寺入道)廻国 13世紀中葉、鎌倉幕府執権(最高権力者)
伝説
の北条時頼が僧形で諸国を旅し、寺社を
聞いたり領地を授ける下し状を残したとの
足跡伝承。
後藤寿庵潜行伝承
伊達政宗の家臣で水沢領主だった寿庵
は、当時の奥州のキリシタンを代表する人
物。迫害の手が迫る直前に姿を消し、晩
年は伝承の彼方。
ダンブリ長者伝説
夢のお告げで米代川を遡った娘が若者と
出会って夫婦になり、更に上流へ移住して
長者となり、夫婦の娘は天皇に仕えた、と
いう物語。
桙衝神社、笠島道祖神、ビッキ石など。関 福島・宮城・山形・秋 各県の『歴史散歩』シリーズ(発 各県教育委員会
行/山川出版)ほか
連伝説は湯殿山旧大日坊の皇壇杉や男 田県
『六十里越街道』(著・伊藤孝博。
鹿赤神神社。タケルを祀るのは刈田嶺神
発行/無明舎出版)
社や仙人堂など。
東北では如蔵尼(将門の娘)墓、羽黒山五 福島・山形・秋田県 『東北ふしぎ探訪』(著/伊藤孝
重塔(伝・将門創建)、滝夜叉姫(如蔵尼の
博。発行/無明舎出版)
別名)や将門の遺臣が聞いた村など。
各県教育委員会
名川の法光寺、藤崎の唐糸塚、鯵ケ沢の 青森・秋田・宮城県 各県の『歴史散歩』シリーズ(発
白八幡宮、西木村西明寺の大国主神社、
行/山川出版)ほか
松島の瑞巌寺などに開山・開基 ・再建伝
承や愛妾伝説。
秋田仙北郡、宮城の東和町米川(「天齢延 岩手・宮城・秋田県 『東北ふしぎ探訪』(著/伊藤孝
寿庵主」墓碑)、岩手の岩崎の蝦夷塚(頂
博。発行/無明舎出版)
上付近の併葬墓からの出土品)などが関
連地。
川名由来譚の深層に仏教流入譚や酒造 秋田・岩手県
『米代川読本』(著/伊藤孝博。発
技術発見譚、鹿角地方と二戸地方の交流
行/無明舎出版)
譚などを伝える。関連地は独鈷大日堂や
大日霊貴神社ほか。
各県教育委員会
各県教育委員会
秋田県教育委員会・TEL018860-1111
岩手県教育委員会・TEL019651-3111
【d 伝説・伝承・民話】 60/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
平安六歌仙の一人で絶世の美女とうたわ
れた小町をめぐる伝説。出生地に関する
ものと、宮廷女官を辞した後の足跡伝承
などが各地に。
平安中期、左近中将から陸奥守に左遷さ
れて陸奥田府に向かった藤原実方朝臣
の、足跡や挿話を含む伝説。
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
雄勝の小町堂や芍薬塚、米沢の小野川温 秋田・山形・宮城県 各県の『歴史散歩』シリーズ(発
泉、松島の「かさぷた小町」譚と小町腰掛
行/山川出版)ほか
け石などに関連伝承。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
各県教育委員会
43 (d)伝説・ 山形・秋
伝承・民 田・宮城
話等
県
小野小町伝説
44 (d)伝説・ 福島・宮
城県
伝承・民
話等
藤原中将実方伝説
45 (d)伝説・ 福島・山
伝承・民
形県
話等
風の三郎伝承
46 (d)伝説・ 秋田・青
伝承・民
森県
話等
長慶天皇伝説
47 (d)伝説・ 秋田・青
伝承・民
森県
話等
藤原藤房伝説
48 (d)伝説・ 山形・宮
伝承・民
城県
話等
朝日長者譚
49 (d)伝説・ 秋田・岩
手県
伝承・民
話等
マタギ定六と忠犬シロ伝承
50 (d)伝説・ 山形・岩
伝承・民
手県
話等
雪女房(雪女)伝説
吹雪の夜、雪深い山里の貧しい男の家に
女が現われ、宿を請う。女はそのまま居着
いて女房となり、よく働いて幸せに暮らす
が、その顛末は…。
パターンは様々だが、山形県置賜地方(小 山形・岩手県ほか。 『日本伝説大系 2巻』(著/木崎
国町や米沢市)や岩手県遠野地方などに
和広ほか。発行/みずうみ書房)
伝わる。ヴァリエーションを変えて他の各
『日本伝説大系 3巻』(著/野村
地にも。
純一ほか。発行/みずうみ書房)
各県教育委員会
51 (d)伝説・ 秋田・山
伝承・民
形県
話等
与次郎稲荷伝承
52 (d)伝説・ 秋田・青
伝承・民
森県
話等
徐福伝説
江戸初期、常陸から秋田に移封された佐
竹義宣の隠密特急飛脚として江戸と往き
来し、羽州街道の六田宿で殺された大狐・
与次郎をめぐる伝承。
秦始皇帝が不老不死の仙薬を求めて方
士(仙人)徐福の大船団を東の海に派遣。
徐福は蓬莱島に辿りついたが戻らなかっ
たとの徐福伝説。
史実の存在を窺わせる興味深い物語を伝 秋田市千秋公園(久 『東北ふしぎ探訪』(著/伊藤孝
える。幕府による近世街道システム整備 保田城跡)や山形県 博。発行/無明舎出版)
の裏事情や政治的陰謀が絡む可能性も。 東根市などの与次
郎稲荷
蓬莱島は日本列島のことで漂着地は紀伊 青森・秋田県
各県の『歴史散歩』シリーズ(発
半島との伝もあるが、小泊の尾崎神社(青
行/山川出版)
森県)や男鹿半島(秋田県)にも足跡伝承が
『東北ふしぎ探訪』(著/伊藤孝
残る。
博。発行/無明舎出版)ほか
秋田県教育委員会・TEL018860-1111
山形県教育委員会・TEL023645-1111
青森県教育委員会・TEL017722-1111
秋田県教育委員会・TEL018860-1111
53 (d)伝説・ 秋田・青
伝承・民
森県
話等
阿倍比羅夫伝説
54 (d)伝説・ 秋田・福
島県
伝承・民
話等
手長足長伝説
斉明天皇の4年(658)、180艘の水軍を率い
て遠征し、蝦夷を帰順させたり饗応したと
書記に記される越国主・阿倍比羅夫関連
の伝説群。
先住勢力の「手長足長」が朝廷側の神仏
(宗教勢力)により退治されたり追放された
とする伝説。貝塚の主や歌枕の主の例
も。
善知鳥神社、十三湊、チゴキ崎、岩館神 青森・秋田県
明社、野代営、綴子神社、七座神社、東湖
八坂神社、秋田古田王神社など伝承多
数。
手長足長は「鬼」や「大蛇」や「巨人」など 秋田・福島県
に重ねられる。鳥海山と有耶無耶関(秋
田・山形)、新地員塚(福島県)などに足跡。
55 (d)伝説・ 山形・秋
伝承・民
田県
話等
磐司磐三郎とマタギ伝説
猟師の磐司磐三郎が慈覚大師に殺生を
戒められて縄張りの山々を譲ったとの伝
説(その山が山寺立石寺)。他にも諸伝。
56 (d)伝説・ 山形・福
伝承・民
島県
話等
蜂子皇子伝説
崇峻天皇( 6 世紀)の息子・蜂子皇子が大
和を脱出し、日本海を北上して由良海岸
に上陸。羽黒山修験の開祖となったとする
伝説。
各県の『歴史散歩』シリーズ(発
行/山川出版)ほか
『東北ふしぎ探訪』(著/伊藤孝
博。発行/無明舎出版)
福島県教育委員会・TEL024521-1111
宮城県教育委員会・TEL022261-3614
福島・山形県
『東北ふしぎ探訪』(著/伊藤孝
博。発行/無明舎出版)
秋田・青森県
各県の『歴史散歩』シリーズ(発
行/山川出版)ほか
秋田・青森県
各県の『歴史散歩』シリーズ(発
行/山川出版)ほか
福島県教育委員会・TEL024521-1111
山形県教育委員会・TEL023645-1111
秋田県教育委員会・TEL018860-1111
青森県教育委員会・TEL017722-1111
秋田県教育委員会・TEL018860-1111
青森県教育委員会・TEL017722-1111
各県教育委員会
実方は二十六歌仙の一人。白河関、二本 福島・宮城県
松の七夜坂、名取の笠島道祖神と実方中
将の墓などが主な関連地。
越後の弥彦山を磁場の中心にして主に越
後や甲斐に分布する風神信仰の伝承群。
古代大和朝廷と地元勢力の攻防と文化転
換のドラマの影も。
長慶天皇は南北朝時代の南朝第3代天
皇。永徳2年(1382) に後亀山(南朝最後の
天皇)に譲位。都の動乱を避け東北に潜行
したとの伝説。
藤原藤房は建武新政(親政)で知られる後
醍醐天皇(南朝初代)の近臣。本人の隠
遁・足跡伝説や子孫伝承が北東北西部に
残る。
黄金と交易、都と地方の関わり、熊野信仰
などのモチーフを窺わせ、登場人物に「朝
日」や「夕日」の名が冠された長者譚。
風神の息吹は季節風や越後上杉氏の移
動とともに東北にも及び、会津喜多方の熱
塩加納、羽州米沢と置賜地方各地に痕
跡。
田代岳の長慶金山(開発伝説)、中津軽郡
相馬村の上皇宮(祭神・長慶上皇)、近くの
天狗平山(旧 ・陵墓参考地)などが関連
地。
秋田の補陀寺と伝・藤房の墓、大館の矢
立廃寺跡、五所川原の飯詰高館跡などが
関連地。長慶伝説ともども南朝系の勢力
圏だったエリア。
パターンは様々だが、金成(現栗原市)の
姉歯の松、米沢の熊野神社、衣川の朝日
長者屋敷(別伝・金売吉次屋敷)跡などが
関連地。
天下御免の狩猟免状を家に置き忘れたま シロは数10kmの道を駆け戻って免状を
ま雪山での狩猟に出たマタギが国境を越 持ってきたが時既に遅し。放浪の末にシ
えてしまい、逮捕されて処刑の危機。主人 口が死んでいた山中に老犬神社が建つ。
忠犬説話の原型。
を救うため愛犬が…。
山形・宮城・岩手県 自己取材
秋田県大館市(葛原 各県の『歴史散歩』シリーズ(発 田県教育委員会・TEL018-860の老犬神社)・青森 行/山川出版)
1111
県三戸町
および『各駅停車 全国歴史散歩 青森県教育委員会・TEL017秋田県』(編/秋田魁新報社。発行 722-1111
/河出書房新社)
青森県教育委員会・TEL017282-1642
秋田県教育委員会・TEL018860-1111
各県の『歴史散歩』シリーズ(発 福島県教育委員会・TEL024行/山川出版)ほか
521-1111
『歌枕とうほく紀行』(編/田口昌樹 秋田県教育委員会・TEL018+無明舎出版。発行/無明舎出 860-1111
版)
阿仁方面に移りマタギの祖になったとの一 山形・宮城・秋田県 『日本伝説大系 2巻』(著/木崎 各県教育委員会
伝も。立石寺( 山形市)のほか磐三郎が棲
和弘ほか。発行/みずうみ書房)
んだという磐司岩(仙台市。国名勝)も関連
『日本伝説大系 3巻』(著/野村
地。
純一ほか。発行/みずうみ書房)
開祖伝承のある能除仙を蜂子皇子に重ね
たとの説も。皇子の母・小手子姫は 川俣
絹織物の祖として足跡(川俣側では小手
姫)
各県の『歴史散歩』シリーズ(発
行/山川出版)ほか
羽黒山神社(山形県 『東北ふしぎ探訪』(著/伊藤孝
鶴岡市)・機織神社 博。発行/無明舎出版)
(福島県旧伊達郡川
俣町)
山形県教育委員会・TEL023645-1111
福島県教育委員会・TEL024521-1111
【d 伝説・伝承・民話】 61/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
57 (d)伝説・ 福島・青
伝承・民
森県
話等
安達原の鬼婆伝説
58 (d)伝説・ 東北6県
伝承・民
話等
古四王伝説
59 (d)伝説・ 東北6県
伝承・民
話等
弘法大師伝説
60 (d)伝説・ 東北6県
伝承・民
話等
古代安倍氏伝承
61 (d)伝説・ 東北6県
伝承・民
話等
62 (d)伝説・ 東北6県
伝承・民
話等
63 (d)伝説・ 東北6県
伝承・民
話等
資源の概要
生れつき口のきけない都の姫の病を癒す
ため、妊婦の生き肝が良薬と聞いた乳母
が奥州に旅立ち、安達ケ原の岩屋に住み
着く。歳月は流れ…。
表記は様々だが「こしおう」と呼ばれ、古代
「越(越前・越中・越後)の王」に関わるとさ
れる謎の神にまつわる伝説・伝承。
全国にあるが東北の寺や霊場にも夥しい
開山・開基・創建伝承が分布。民話化され
た伝説・説話も多数。
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
運命的悲劇と鬼気迫る惨劇。古歌や謡曲 黒塚の岩屋(福島県 『東北ふしぎ探訪』(著/伊藤孝
などで伝えられた合意に富んだ物語。設 二本松市。観世寺境 博。発行/無明舎出版)
定を変えて五戸版「安達婆」もある。
内)・高山峠(青森県
三戸郡五戸町)
古型の古四王は日本の神々では異例の 山形・秋田・福島・宮 『東北ふしぎ探訪』(著/伊藤孝
北面神。越後五十公野、会津喜多方 、羽 城・岩手県
博。発行/無明舎出版)
後秋田が三古四王。それぞれに異なる伝
承が。
ほんの一例として湯殿山、会津慧日寺、 東北全県
各県の『歴史散歩』シリーズ(発
中田弥勒寺、百宅集落跡 、大師山など。
行/山川出版)ほか
説話では「杖で叩くと水が湧いた」などの
パターン。
伝承地の例として隠津島神社の木幡山幡 岩手・青森・宮城・福 各県の『歴史散歩』シリーズ(発
祭り(福島県)や藤崎城跡(青森県)など。平 島県
行/山川出版)ほか
泉初代・清衡の母が安倍氏系なのは史
実。
家の事績には史実もあるが、本人の足跡 東北全県
各県の『歴史散歩』シリーズ(発
が疑問な地域にも伝説が分布。秋田市の
行/山川出版)ほか
藤倉神社創建伝承などはその一例。
前九年役で滅びた古代豪族・安倍氏にま
つわる伝承。戦記物語に登場する地だけ
でなく、安倍氏の足跡が疑わしいエリアで
も語られる。
八幡太郎(源義家)伝説
前九年・後三年役での源氏側のヒーロー
とされ、八幡太郎の名も相俟って八幡神
社をはじめ多くの寺社縁起に語られる。安
倍氏伝承との重複も。
義経伝説
兄・頼朝に追討され京都から平泉に落ち 前者は基本的に史実だが移動コースや逸 東北全県
延びた「東下り」と、平泉から更に逃げたと 話をめぐって伝説・伝承が混在。平泉で死
いう「北行伝説」に大別される。
んだはずの義経が逃げ延びていたとの後
者は伝説。
オシラサマ伝承譚(オクナイ オシラサマは東北地方に特徴的な起源不 祭りは一家の主婦や巫女が司り家族また 東北全県
サマ型を含む)
詳の屋内神。祭文語りなどを通じて馬姫 は一族・地域の女性が参加。生業や家の
婚姻譚や馬神信仰や蚕神との関わりが伝 守護神の性格も。
えられる。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
福島県教育委員会・TEL024521-1111
青森県教育委員会・TEL017722-1111
各県教育委員会
各県教育委員会
各県教育委員会
各県教育委員会
『義経北行伝説の旅』(著/伊藤孝 各県教育委員会
博。発行/無明舎出版)
各県の『歴史散歩』シリーズ(発
行/山川出版)ほか
各県教育委員会
【d 伝説・伝承・民話】 62/188
(1)地域資源調査リスト 【(e)食文化】
カテゴリー
県
1 (e)食文化 青森県
2 (e)食文化 青森県
3 (e)食文化 青森県
市町村
津軽地方
県全域
弘前市
地域資源名
タラのじゃっぱ汁
けの汁
いがめんち
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
鱈を頭、内臓、身に分け、大根、白菜、コ 鱈が大漁の時、浜で待つ女たちがお祝い
ンニャク、豆腐などと煮、味噌で味付けし に作っていた。浜で鱈をさばき、納屋で自
た汁。「じゃっぱ」とは「ざっぱ」と同意語
家製の味噌で料理する。
で、魚肉を除いた魚の部位のことをさす方
言。
日本の食生活全書『聞き書き 青
森の食事』編集委員会編・農文協
発行
小正月(1月15日・女の正月)に作る精進
料理の一つ。ダイコン、ニンジン、ゴボウ、
焼き豆腐、ササゲのほか、塩蔵のフキ、ワ
ラビを塩抜きしを1センチくらいのさいの目
に切る。大鍋に昆布だしをとり、すましも少
し入れ煮込む。
イカのげそ(足)とニンジン、タマネギをみ
じん切りにし、さらにタマゴ、小麦粉、塩、
こしょうを加えて練り合わせ、フライパンで
焼くか油で揚げる。
小正月期間中、この鍋料理が食卓の中心
となる。女性たちが台所に立つことを少な
くする、家事からの解放の知恵である。
『聞き書き 青森の食事』
むかしから弘前地方で食べられてきた家
庭料理。最近は提供する食堂やレストラン
が増えてきて人気が高くなっている。
青森県農林水産部総合販売戦略 弘前いがめんちを食べる会
課WEBサイト
http://ameblo.jp/ika-d/
http://www.umaiaomori.jp/eatarea/4.phtml
青森県商工会WEBサイト
http://www.aomorishokoren.or.jp
/kanko/cooking/tsugaru.html
青森県商工会WEBサイト
http://www.aomorishokoren.or.jp
/kanko/cooking/tsugaru.html#3
4 (e)食文化 青森県 津軽・下北地 いかのすし
方
湯通ししたイカの腹に、酢と塩で味付けし イカは年中手に入るので、保存のきくイカ
たもち米、キャベツなど野菜とイカの足詰 のすしを作っておいて、忙しい時期の日常
めた飯鮨。
のおかずにしていた。最近はもち米を入れ
ないで作るものが多くなっている。
『聞き書 青森の食事』
青森県農林水産部総合販売戦略
青森県農林水産部総合販売戦略 課
課WEBサイト
http://www.umaiaomori.jp/cook/kyodoryori/densy
o/91.phtml
5 (e)食文化 青森県
津軽地方
農作業の時の弁当のおかずだった。独特
うま味をもった発酵食品で、日本海沿岸で
広く食べられている。
『聞き書き 青森の食事』
6 (e)食文化 青森県
県全域
三平汁
温まる鍋料理なので冬によく食べられる。
味を濃くするため塩辛を入れる家もある。
北海道から伝わったという説もあるが確認
できない。
『聞き書き 青森の食事』
7 (e)食文化 青森県
津軽地方
豆もち
こびる(昼食)に食べるがいたみやすいの
で暖かくなる前が時期。5月の田植えのこ
ろはもうつくらない。
『聞き書き 青森の食事』
8 (e)食文化 青森県
下北地方
べこもち
内臓と頭、尾を取り、よく洗って干す。樽の
底に塩を敷き、魚をきっちり並べる。その
上に糠と塩を混ぜたものをかける。これを
繰り返して虫がわかないようにして漬け
る。
サケ、イワシ、サバ、アイナメなどの魚が
材料。魚を2枚におろして切り分け、軽く塩
を振っておく。昆布だしにダイコン合わせ、
魚を入れて塩で味を調え、ネギを話して食
する。
もち米と一緒に大豆を蒸し、薄い塩味をつ
けて臼で搗く。大豆は茶豆、黒豆、青豆な
どを使う。形はかまぼこ型に整えて切って
食べる。
うるち米ともち米に砂糖と塩を混ぜ、熱湯
を加えて練る。それに赤や緑、黄色などに
着色した餅と普通の白い餅を<組み合わ
せ、金太郎飴のようにして切り分けると模
様のついた餅が出来上がる。
芋の粉に熱湯を加えて練り、板状にのば
して三角形に切る。鍋にたっぷりのお湯を
沸かし、かっけを茹でてニンニク味噌やネ
ギ味噌をつけて食べたりする。
黄色の食用菊の阿房宮は南部地方の特
産品で、干し菊を水でもどしてちらし寿司、
漬け物の青菜菊巻き、ホウレンソウなどの
おひたし、酢の物などに使う。
もとは「くじら餅」と言い、白と黒砂糖で茶
色に着色した餅で作っていたが、だんだん
こった模様が作られるようになってきた。
「くじら餅」は北海道に伝わっている。
『聞き書き 青森の食事』
ニシンやイワシの糠漬け
9 (e)食文化 青森県 下北・上北地 いもかっけ(つつけ)
方
10 (e)食文化 青森県 南部町周辺 干し菊料理
11 (e)食文化 青森県 八戸市周辺 せんべいかやぎ
芋で作るかっけは最近あまり食べられなく
なった。現在はそばや麦のかっけが主流
である。「つつけ」や岩手県や宮城県で言
う「はっと」同様のものである。
阿房宮は南部藩主が京都の九条家から 南部町
貰い受け、南部町の相内地区で育てられ
たという。古くから延命長寿の花として、風
邪、頭痛、解毒などに効果があるとされ
た。秋の刈入れ時期、この地方の畑は黄
色の菊の花で埋まる。
以前はサバの水煮缶詰を使う鍋料理だっ 現在は「八戸せんべい汁」が一般的。藩政
た。南部小麦を材料とした南部せんべい 時代より八戸周辺の南部藩領で食べられ
を、肉や魚、いろいろな野菜で作られた鍋 ていた家庭料理。平成15年より全国に向
に割入れ、柔らかくして食べる鍋料理。汁 けてPRし、B級グルメのB-1グランプリで有
名になった。
用のせんべいが売られている。
漫画『美味しんぼ 第100巻青森
県』雁屋哲原作 小学館
『聞き書き 青森の食事』
『サライ 極上食材図鑑』陸田幸
枝著・小学館
『聞き書き 青森の食事』
青森県農林水産部総合販売戦略
課WEBサイト
http://www.umaiaomori.jp/eatarea/7.phtml
八戸せんべい汁研究所
http://www.senbei-jiru.com/
食べられる店一覧
http://www.umaiaomori.jp/eatarea/map.php5?ec=
12
【e 食文化】 63/188
カテゴリー
県
12 (e)食文化 青森県
市町村
南部地方
地域資源名
そばの串もち
13 (e)食文化 青森県・ 両県の旧南 串もち
岩手県
部藩領
14 (e)食文化 青森県
南部地方
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
串もちには茹でるものと、茹でてから囲炉
裏であぶるものがある。軽く練って3寸くら
いの丸く平らな餅にしお湯で茹で、それに
味噌やニンニク味噌をつけて食べる。また
は串に刺しじゅね(エゴマ)味噌を付け、囲
炉裏であぶって食べる。
青森県南部地方は冷涼な気候のため、米
栽培に適していなかったため雑穀(あわ、
ひえ、そばなど)が穀物の中心だった。中
でも蕎麦は育てやすいのと、土地がやせ
てても育ちが良いため、各所で蕎麦料理
が作られてきた。
『聞き書 青森県の食事』
青森県農林水産部総合販売戦略
課WEBサイト
http://www.umaiaomori.jp/cook/kyodoryori/densy
o/33-2.phtml
小麦粉や米粉を練って、平らにして串にさ 家族で食べる家庭の食べ物だが、最近で
す。味噌をつけて焼く。茹でて焼くものもあ は道の駅や直売所、祭りやイベント会場で
る。
よく見る、青森のファストフードとなってい
る。
『聞き書 青森県の食事』
北のコナモン情報サイト
http://www.ukipal.jp/kitakona/list
/kusi.html
情報源・取材元
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
浜で食べた料理で、鍋に海水と真水を入
れ、大きくささがきした大根とイワシ、味噌
を入れ、斜め切りしたネギを入れる。鍋に
箸を突っ込んで皆で食べるので「千本突っ
つき」と言う。
15 (e)食文化 青森県・ 県全域と岩 へちょこだんご(餅)、うきうき 「へちょこ」とはへそのこと。へそのように
岩手県 手県二戸市 団子
真ん中をへこました一口団子を小豆餡に
周辺
入れたお汁粉状のもの。
食べさせる店はないだろうが、海岸で仲間
と楽しむ人もいる。
『聞き書 青森県の食事』
「なべこだんご」とも言い、岩手県二戸地方
にもある。小豆さえあれば簡単に作れるの
で、家族の祝いごと、人寄せなどの時によ
くつくる。
『聞き書 青森県の食事』
安藤直美(岩手県二戸市)
農林省選定 郷土料理百選
http://www.rdpc.or.jp/kyoudoryo
uri100/ryouri/02.html
16 (e)食文化 青森県 下北地方(ば ばおりもち・きんか餅
おり)
三戸地方(き
んか)
そば粉の餅にみそと黒砂糖の餡を入れ
る。半月形の形に整えるが冷めるとぼそ
ぼそしておいしくなくなるので、熱いうちに
食べる。
芋の粉を「材料にしたものが「ばおり餅」
で、小麦と餅米を材料にしたものが「きん
か餅」である。名前の由来は農作業時に
被る「ばおり」に形が似ているため。三戸
周辺では「きんか餅」を食べる。
『聞き書 青森県の食事』
きんか堂
青森県農林水産部総合販売戦略 三戸郡三戸町大字二日町70-1
課WEBサイト
0179-22-2740
http://www.umaiaomori.jp/movie/201001/movie.phtml
17 (e)食文化 青森県
塩辛の一種で、3枚におろしたニシンやサ 北海道でもよく食べられるが、青森から伝
ケを細長く切り、麹と塩で漬けた保存食。 わったと言われている。酒のつまみとして
好みで乾燥した唐辛子を入れる。
喜ばれる。
県全域
イワシの千本つっつき
所在地
ニシンの切り込み
18 (e)食文化 青森県 下北半島・津 イワシの焼き干し
軽半島
獲れたてのカタクチイワシの頭と内臓、尾
を取り、水洗いした後天日干しする。10匹
くらいを並べて串にさして干し、炭火で焼き
あげ、再度天日干しする。極上の出汁が
取れる高級食材となる。
下北半島の脇野沢、津軽半島の平舘が中
心生産地。大変な手間がかかるため、販
売価格は高い。青森市の焼き干しラーメン
やそば、味噌汁、鍋料理の出汁を取る。
19 (e)食文化 青森県
津軽地方
津軽そば
そば粉につなぎとして生大豆粉を入れて 米があまり取れない津軽地方で育った、
練り、一晩おいて熟成させてからそばを打 独特の蕎麦の食べ方。普通の蕎麦に比べ
ち、ゆでる。
柔らかく、優しい触感となっている。
20 (e)食文化 青森県
津軽地方
なんばんの一升漬け
青なんばん(唐辛子)1升、米こうじ1升、
醤油1升をよく混ぜ合わせる。3カ月ほど
寝かせるち味がよくなじむ。
炊き立てごはんのおかずや酒の肴にな
る。地域によって麹なんばん、3升漬けと
も言う。
『聞き書 青森県の食事』
『東北の食と農漁の文化辞典』 西東秋男 編・筑波書房
『サライ 極上食材図鑑』陸田幸
枝 著・小学館
まるごと青森WEBサイト
三忠食堂(弘前市)
http://marugoto.exblog.jp/27623 http://www.komakino.jp/santyu/
25/
『美味しんぼ 第100巻青森県』雁
屋哲原作
青森県商工会連合会サイト
http://www.aomorishokoren.or.jp
/dishes/tsugaru/tugaru_nanba.ht
ml
『聞き書 青森の食事』
21 (e)食文化 青森県
津軽地方
22 (e)食文化 青森県
県全域
タラの子あえ
マダラのたまごと凍み豆腐、ダイコン、こん 冬の青森を代表する家庭のごちそう料
にゃく、ニンジン、醤油、酒で味を調え鍋を 理。家々で作るがスーパーや商店などで
火にかけ熱を加えながらにあえる。
惣菜としても売っている。
青森県農林水産部総合販売課
WEBサイト http://www.umaiaomori.jp/cook/kyodoryori/densy
o/84-3.phtml
干しカスベ(ペ)の甘辛煮
カスペとはエイ(ガンギエイ)を干したもの。
三日ほど水に浸けて戻し、鍋に水、昆布、
酒、醤油、砂糖、を加えて半日ほど煮込
む。
『聞き書 青森の食事』
青森では生のカスペも獲れるが、干しカス
ペは独特のうま味を持っている。生産地は
北海道の稚内地方が多い。北前船で青
森、秋田、山形の港に運ばれた。
漫画『美味しんぼ 第100巻青森
県』雁屋哲原作
【e 食文化】 64/188
カテゴリー
県
23 (e)食文化 青森県
市町村
津軽地方
地域資源名
ホタテかやぎ味噌
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
ホタテガイの殻を使った一人鍋料理。だし 津軽では貝焼き(かやき)味噌、下北では
汁に味噌と卵をとき、ホタテガイやシラウ 味噌貝焼きという。病気の時や出産後の
オ、ネギなと一緒に煮込む。
栄養補給食に位置付けだったが、最近は
酒の肴などに好まれている。
『聞き書 青森の食事』
(財)農村開発企画委員会WEBサ
イト青森県の郷土料理 http://www.rdpc.or.jp/kyoudoryo
uri100/ryouri/02.html
24 (e)食文化 青森県・ 青森県下北・ けいらん
岩手県・ 南部地方、
秋田県 岩手県北部・
遠野市、秋
田県鹿角市
餅を卵の形に丸めた中にクルミ入りの小
豆のこし餡を入れ、シイタケや昆布だしで
とった汁に入れ、三つ葉を乗せる。あんこ
の甘さとだし汁が調和し、男性にも人気が
ある。
旧南部藩領の各所に伝わる上品な料理。
最近では慶弔時の御膳に出されることが
多い。名前の由来は形が鶏の卵に似てい
るため。
『聞き書 青森の食事』
(財)農村開発企画委員会WEBサ
イト青森県の郷土料理
http://www.rdpc.or.jp/kyoudoryo
uri100/ryouri/02.html
25 (e)食文化 青森県
南部地方
ジョミジュース
26 (e)食文化 青森県
津軽半島
若生おにぎり
「ジョミ」とは秋に小さく真っ赤な実が付くガ 青森県以外にはない果汁ジュース。独特
マズミこと。ちょっと渋みと酸っぱさがある の風味は好みが分かれるが、病み付きに
果汁をジュースにしたもの。
なる人も多い。赤ワインようにポリフェノー
ルが多いということで、健康志向の人に人
気がある。
津軽半島沿岸に育つ、薄くて柔らかい一 津軽半島の東部で取れる細目昆布は、北
年物の昆布を若生昆布という。その昆布 海道の日本海側が種生産地である。ふつ
うは一年で流失する。細長く柔らかい特徴
でおにぎりを巻いたもの。
がある。
青森県庁職員ブログ「まるごと青
森」
http://marugoto.exblog.jp/tags/%
E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%9F
/
まるごと青森WEBサイト
http://marugoto.exblog.jp/29826
23/
津軽料理遺産WEBサイト
http://www.tsugaruryouriisan.com/blog/archives/55
3/index.php
馬肉に長ネギ、ゴボウ、キャベツ、ニンニ
ク、豆腐、糸こんにゃくなどを味噌仕立て
にした鍋。。
この地域は昔からの馬産地として発展し
てきた。農耕場の産地で馬肉を食べるよう
になったのは大正時代から。最近は食用
馬の飼育も行われている。馬肉鍋は寒い
時期の栄養バランスがいいごちそうであ
る。。
数の子(ニシンの魚卵)の薄皮を丁寧に取 北海道の「松前漬け」と同様のもの。
り除き、スルメ、細かく刻んだ昆布と一緒
に醤油で漬け込んだもの。ねぶた漬けは
これにダイコンとキュウリを漬けこむ。
味処たなか
青森県商工会連合会
http://www.aomorishokoren.or.jp 上北郡東北町字上笹橋3-35
/kanko/cooking/nanbu2.html#1 TEL0175632639
マダラの切り身と白子(精巣)の醤油味
「たず」とは「たつ」のことでマダラの白子を
鍋。他に豆腐、糸コンニャク、長ネギ、シュ 言う。
ンギク、ナラタケなどを入れる。
日本の食文化と暦WEBサイト
http://www.ja-cul.net/97017.html
27 (e)食文化 青森県 三戸・上北地 馬肉かやき
方
28 (e)食文化 青森県
津軽地方
津軽漬け・ねぶた漬け
29 (e)食文化 青森県 県沿岸全域 タラのたず鍋
30 (e)食文化 青森県
野辺地町
茶粥
この地域で飲まれている、野草のカワラケ このお茶は利尿・整腸作用があり肝臓や
ツメイを干したお茶で炊いた米粥。。
胃腸に効くと愛飲されている。茶がゆは、
正月のごちそうで疲れた胃腸をいたわる
健康食として正月明けに食べる。
31 (e)食文化 青森県
青森市
生姜味噌おでん
十和田市
十和田バラ焼き
角こんにゃく、ダイコン、さつま揚げ、根曲
り竹、殻付きツブ貝などあるが、具は店に
よって違う。軟らかく煮たおでんに生姜を
混ぜた味噌を塗って出す。
甘辛い醤油だれで下味をつけた牛バラ肉
とタマネギを、鉄板で焼いて食べる。
32 (e)食文化 青森県
33 (e)食文化 青森県 津軽半島沿 サメの飯鮨
岸
普通の煮込みおでんに、太平洋戦争後、
青森駅前の古川闇市で、青函連絡船の客
が体が温まるようにと、おでんに味噌生姜
を混ぜて販売するようになった。
B級グランプリ参加料理。十和田市内の60
店舗ほどで提供している。発祥は太平洋
戦争後の三沢市と言われる。米軍から払
下げられる脂身の多いバラ肉を工夫して
食べたのが始まり。十和田市を中心に、
上北、南部一帯に広がっている。
サメは三枚に下ろし、身を適当な大きさに 寿司作りは正月前の11月にはどこの家で
切り、水に1週間さらす。サメとご飯に酒と も準備をし、漬けたもの。サメの飯ずしを
塩、調味料でそれぞれ味付けをし、交互に 作る光景で迎春を感じ、村の出身者にとっ
ては懐かしい正月の味になっている。
樽に漬け込み1ヶ月ほど寝かせる。
まるごと青森WEBサイト
http://marugoto.exblog.jp/tags/%
E3%81%A4%E3%81%8C%E3%82%8B
%E6%BC%AC/
『津軽の惣菜』 高橋みちよ著 津
軽書房刊
青森県商工会連合会
http://www.aomorishokoren.or.jp
/kanko/cooking/nanbu2.html#1
東奥日報あおもりの食WEBサイト あおもりおでんの会
http://www.toonippo.co.jp/kanko http://www.acci.or.jp/oden/
/aomori/oden.html
ジャパンWEBマガジン
十和田バラ焼きゼミナール
http://japan-webhttp://www.barayaki.com/
magazine.com/japanese/food/to
wada-barayaki/index.html
『聞き書き 青森の食事』
【e 食文化】 65/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
34 (e)食文化 青森県
むつ市
品川汁
豆腐と味噌をベースに、昆布と小アジの焼
き干しでとった出汁を加え、よくすりおろし
て鍋に濾し入れナラタケを入れて軽く煮た
料理。
むつ市川内にあった安部城銅鉱山に来
た、東京の品川さんという人が好んだため
名づけられたとも、品川の漁師が難破した
川内の船乗りを救い、この料理を与えたた
めとも言われている。
35 (e)食文化 青森県
県全域
枝豆の塩漬け
36 (e)食文化 青森県
南部地方
37 (e)食文化 青森県
大鰐町
固ゆでした毛マメの水分を取り、さっとしを
を振って重しを知る。その時、ひたる程度
に水を差す。
大豆に餅米とうるち米を半々に混ぜてや
や硬めに煮て臼でつき、断面が小判型に
なるように形を整える。青大豆や黒豆を使
うことによって、黄緑や灰色の豆しとぎが
できる。現在は、市販品も出回っていて、
気軽に味わうことができる。
大鰐温泉に伝わる固有のもやし。育てる
のは冬期間だけで、温泉水しか使わな
い。長さが40~60センチもあり、しゃき
しゃきした歯ざわりは独特のものがある。
毛マメは青森県内で古くから栽培されてき
た在来種。名前のとおり、さやに茶色の毛
が無数に生えている。
下北半島では半農半漁の家が多く、自家
製味噌を作るので大豆の作付は多い。12
月9日の「えびす様の日」には豆しとぎが
作られる。まず神様に供え、一年の感謝
と、健康と豊作を祈り、その後蒸したり焼
いたりして食べる。
350年以上の歴史を持ち、代々の津軽藩
主の献上されたという。町の特産品にする
ため、東京に出荷するなど、さまざまな取
り組みが始まっている。
38 (e)食文化 岩手県・
宮城県
沿岸地域
ダイコン、ゴボウ、ジャガイモ、ニンジン、
ハクサイなどの野菜と、肝とぶつ切りにし
たどんこを鍋に入れ、火が通ったら豆腐と
長ネギを入れる。岩手を代表する冬の鍋
である。
田野畑村の正月料理。新鮮などんこの内
臓を除き焼いて身をほぐし、肝臓も焼いて
味付けし、水気を切った大根おろし とま
ぜ、酢で味をととのえる。
「どんこ」とは「エゾイソアイナメ」というタラ
の仲間の地方名。東北地方の太平洋側沿
岸で取れる。焼き魚、鍋、たたき、味噌汁
などで食べられる。白身の淡白な味で、大
きな肝はアンコウと比較される。
もちを食べる時には酢の物を食べる習慣
があることから、この地方では欠かせない
風習がある。
豆しとぎ
大鰐もやし
どんこ汁(鍋)
39 (e)食文化 岩手県 田野畑村周 どんこなます
辺
所在地
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
青森県農林水産部総合販売促進 むつ市川内
課WEBサイト
山田浪子
http://www.umaiaomori.jp/cook/kyodoryori/densy
o/49.phtml
情報源・取材元
まるごと青森
http://marugoto.exblog.jp/61381
40/
青森県商工会連合会
http://www.aomorishokoren.or.jp
/kanko/cooking/nanbu2.html#1
『津軽の惣菜 完』高橋みちよ著 大鰐町地域交流センター鰐Come
津軽書房刊
0172-49-1126
まるごと青森WEBサイト
http://marugoto.exblog.jp/21906
22
(財)農村開発企画委員会
http://www.rdpc.or.jp/kyoudoryo
uri100/ryouri/03.html
『聞書き 岩手の食事』
(財)農村開発企画委員会HP
http://www.rdpc.or.jp/kyoudoryo
uri100/ryouri/03.html
40 (e)食文化 青森県・ 青森県南部 南部せんべい
岩手県 地方、岩手
県
小麦粉を水で溶いて丸い型に入れて固く 旧南部藩領北部で生産されてきたせんべ
焼いたせんべい。黒ゴマ、落花生などをい い。もとは飢饉時の救荒食だったが、いま
れるものが多い。
では岩手県を代表する菓子となった。醤油
仕立ての鍋に入れた「せんべい汁」の材
料となる。
(財)農村開発企画委員会HP
http://www.rdpc.or.jp/kyoudoryo
uri100/ryouri/03.html
41 (e)食文化 岩手県
一口大に小分けしたそばを、たれを入れ
たお椀になげいれるようにして食べる。そ
の数を競う大会もある。観光客に人気の
そばである。
岩手の文化情報大辞典
http://www.bunka.pref.iwate.jp/s
eikatsu/ryouri/index.html
盛岡市、花 わんこそば
巻市周辺
42 (e)食文化 岩手県
大迫町
43 (e)食文化 岩手県
沿岸部
44 (e)食文化 岩手県
45 (e)食文化 岩手県
南部藩領主の南部家27代当主、南部直
利にまつわる由来説と、慶弔時の多くの客
にそばをふるまうため、小分けにしたそば
を考えだしたという2説がある。主に盛岡と
花巻に提供する店が多い。
はらこそば
「はらこ」とはサケの魚卵(いくら)のこと。 三陸海岸随一のサケが遡上する津軽石
大粒のはらこを軽く塩処理し、一粒一粒パ 川。この川や大迫川河口一帯で食する。
ラパラにする。熱いかけそばの上に刻み
ネギをかけ、さらにその上にはらこを乗せ
る。はらこが少し白くなってきた頃が食べ
ごろ。
ひゅうず(ひゅうじ・みみもち・ 半月形をした南部小麦粉だんごの中に、 忙しい農作業のこびる(昼食)に食べる菓
かますもち)
味噌、黒砂糖、クルミを入れしっかり閉じ 子だった。朝作ってお茶と一緒に田んぼや
る。これをゆでて作る。
畑に持っていき、家族や仲間と楽しみなが
ら食べた。
県中央部、 ぬっぺい汁(のっぺい汁、八 味噌のすまし汁に干しシイタケを入れて出
沿岸中央部 杯豆腐)
汁を作り、細長く切った豆腐と大根の下ろ
し汁で豆腐汁をつくりお椀に盛る。すった
長いもを2本の箸にからめて、豆腐汁に入
れて食べる。
江刺周辺 きんこん漬け
ニンジン、ゴボウ、赤唐辛子を昆布で巻
き、中をくりぬいたウリの中に詰め塩で漬
ける。最後にみそに漬けて出来上がる。
『岩手のそば』熊谷印刷出版部
岩手県流通課WEBサイト
http://www2.pref.iwate.jp/~hp050
5/communication/junjoutushin/n
o-023/005.html
のっぺい汁と昔から言っていたが、あんま
りおいしく8杯も食べるということから「八杯
豆腐」とも言うようになった。
『聞書き 岩手の食事』
江刺周辺の漬物。漬かるほどにおいしい
ことから「金婚漬け」という説もあるが、ほ
かに切り口が「きんこ(なまこ)」に似ている
から、「きんか(まくわうり)」説などある。
『聞書き 岩手の食事』
川井村道の駅・やまびこ館で伝統
食を製造販売している『川井やま
ばと会』澤口ミエさん http://kawaimura.com/yamabiko.
html
『ごちそうさま おふくろの味』刊
行委員会 熊谷印刷出版部
『ごちそうさま おふくろの味』刊
行委員会 熊谷印刷出版部
【e 食文化】 66/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
46 (e)食文化 岩手県
盛岡市
盛岡冷麺
47 (e)食文化 岩手県
盛岡市
盛岡じゃじゃ麵
48 (e)食文化 岩手県・
宮城県
県全域
ばっとう
49 (e)食文化 岩手県
50 (e)食文化 岩手県
北部地方
柳ばっと
北上川、ほ カニばっと
か河川流域
51 (e)食文化 岩手県・ 県南部、宮 がんずき
宮城県
城県全域
52 (e)食文化 岩手県
53 (e)食文化 岩手県
県中央部
野田村
きりせんしょ
しだみ団子
54 (e)食文化 岩手県 久慈市・九戸 まめぶ汁
郡
55 (e)食文化 岩手県 一関市室根 矢越かぶ料理
町
56 (e)食文化 岩手県 奥羽山脈沿 ばっけの酢味噌和え
い
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
小麦粉、でんぷんを原料として練り、辛み
のある独特の冷たいスープにキムチ、カク
テキ、季節の果物(スイカ、リンゴ、ナシな
ど)、牛すね肉、ゆでたまごなどと合わせ
る。
ゆでた平うどんに「じゃじゃみそ」という特
製の肉みそやキュウリ、おろしショウガ、酢
やラー油などをからめて食べる。麺を食べ
たあとの器に生卵をとき、麺のゆで汁を注
ぎ、塩やコショウで味を調えた「チータン」
で締めにする。
一般的なばっとうはニンジンやシイタケ、
鶏肉などを醤油味で食べる。そのほか「小
豆ばっとう」、枝豆をすりつぶした「じんだ
ばっとう」「くるみばっとう」「ごまばっとう」な
どがある。
冷麺の朝鮮半島では「でんぷん」「小麦
粉」に「そば粉」が加わる。北朝鮮生まれ
の青木輝人氏が、昭和29年に盛岡に開店
した「食道園」で、日本人の口に合うよう工
夫したのが始まり。
盛岡冷麺、わんこそばと合わせ「盛岡三大
麺」とされる。中国東北部から高階貫勝氏
が盛岡に持ち込み、日本人に合う独特の
風味にくふうした。今では市内に10軒以
上の店がある。
所在地
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
岩手県流通課WEB]サイト
食道園
http://www2.pref.iwate.jp/~hp050 019-651-4590
5/communication/junjoutushin/n
o-003/001.html
ぴょんぴょん舎盛岡駅前店
019-606-1067
農林水産省選定郷土料理百選 盛岡じゃじゃ麺ファンクラブ
WEBサイト
http://memeplex.net/jaja/
http://www.rdpc.or.jp/kyoudoryo
uri100/recipe/recipe/030139
情報源・取材元
地域などによっていくつかのパターンがあ
る。材料は県南部が小麦粉、県北部は小
麦粉とそば粉のあわせたものが多い。県
北には三角形のものも、中央部には四角
形、県南部はひもかわ状の柳ばっとうとな
る。
きのこや野菜、鶏肉、豆腐にそば粉を練っ 江戸時代、南部藩により、農民がソバを食
てのばし細長いヤナギ型に作っって入れ すことを禁止されていた時期があった。領
る汁料理。
民は「これはソバではない、柳ばっと」だ
と、そば粉で柳の形の団子を作って食べ
続けたという。「ばっと」は、「法度」説もあ
る。
『聞書き 岩手の食事』
北上川流域や各地の河川では川ガニ(モ
クズガニ)を使った汁物などの料理が好ま
れている。小麦粉を練りちぎって鍋に入れ
る「ばっと」に川ガニを使うと、いい味の出
汁がでる。
蒸しパンの一種。小麦粉や卵などを練った
生地を蒸して、しっとり、もちもちっとした食
感に仕上げる。黒砂糖やしょう油など、地
域により味つけは様々。
昔から川ガニは流域に住む人たちのごち
そうだった。しかし平成になってからあまり
取れなくなり、川崎村では養殖に取り組み
始めた。。
岩手県政策地域部NPO・文化国 道の駅・かわさき
際課HP 岩手の文化情報大辞典 http://www.kawanoakari.com/ite
http://www.bunka.pref.iwate.jp/s mlist1.html
eikatsu/ryouri/index.html
こびる(農作業の合間のおおやつ)のおや
つ、冠婚葬祭の引き出物やお茶請けとし
て、昔から親しまれてきた庶民の味。最近
では道の駅などの直売所でも人気。
『ごちそうさま おふくろの味』刊
行委員会 熊谷印刷出版部
米粉だけで作る地方と、3割ほど餅米を加 「切りさんしょう」とも言い、ひな祭りや仏様
える地方もある。クルミと黒砂糖を一緒に に供える。かつてはサンショウを刻んで浸
こねた餅で、小判形などの木型にいれて した汁で粉を練ったことが由来である。
型をつくる。
『ごちそうさま おふくろの味』刊
行委員会 熊谷印刷出版部
「しだみ」とはこの地方の方言で「どんぐり」 「どんぐり」は救荒食だった。最近の自然
のこと。どんぐりの粉を入れた餡を小麦粉 食ブームや伝統食ブームで脚光を浴びて
の団子を作り餡を入れ、蒸してつくる。
いる。岩手県沿岸北部の岩泉や野田村で
は「どんぐり」を入れたさまざまな料理や菓
子を作っている。
汁物だが具だくさんな小麦だんごと焼き豆 久慈市では「まめぶ」を郷土食にする取り
腐入りの野菜のうま煮。小麦粉で作った 組みを行っていたが、NHKテレビ「あまちゃ
「まめぶ」の中に黒砂糖とクルミが入って ん」で一躍有名になった。もともとは久慈
いる。
市と合併した山形村や、隣接する大野村
(洋野町)の料理。
「かぶ蒸かし」とも言う。一関市室根町でし 戦後、食料が豊富になった時代に作られ
か栽培されていない「矢越しかぶ」が材料 なくなり絶滅したと思われていた「矢越か
となるおこわ料理。
ぶ」を復活させた。食物繊維の含有量が
抜群に高く、甘さがあり、ビタミンCやミネラ
ル類が豊富。
「ばっけ」とは「ふきのとう」のこと。アクを 冬季間の保存野菜が切れるころ、「ばっ
取った「ばっけ」、いちょう切りのニンジン、 け」の香りは、春を思わせるありがたい食
酢、味噌、砂糖、かつお節と混ぜ合わせ べ物。
る。独特の香りと苦みを楽しむ料理。
岩手県政策地域部NPO・文化国
際課HP 岩手の文化大辞典
http://www.bunka.pref.iwate.jp/s
eikatsu/ryouri/shousai/ryouri_11
0.html
岩手県農林水産部流通課HP
http://www2.pref.iwate.jp/~hp050
5/communication/junjoutushin/n
o-024/005.html
『ごちそうさま おふくろの味』刊
行委員会 熊谷印刷出版部
(財)農村開発企画委員会HP
http://www.rdpc.or.jp/kyoudoryo
uri100/ryouri/03.html
岩手県政策地域部NPO・文化国
際課HP
http://www.bunka.pref.iwate.jp/s
eikatsu/ryouri/index.html
『聞書き 岩手の食事』
道の駅・のだ
http://nodaeki.com/sanchoku/
まめぶの家 駅前店
http://www.kouryu.or.jp/okasan1
00/intro/detail/jdr02800000c8xr
k.html
0194-72-2839
岩手県農林水産部流通課HP
ふれあい室根旬菜館
http://www.iwate0191-64-2877
syokuzaiclub.com/shokuzai/data. 一関市室根町矢越字山古沢92-1
php?n=113
『聞書き 岩手の食事』
『ごちそうさま おふくろの味』刊
行委員会 熊谷印刷出版部
【e 食文化】 67/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
57 (e)食文化 岩手県 県内各地の カジカの甘露煮
山間部地
「カジカ」とは川底の石の間を住処とする カジカは小魚だが濃厚なうま味を持ってい
小魚。ハゼと似ている。内臓をとった「カジ る。特に冬期間のカジカを焼き干しにする
カ」の甘露煮で、油で揚げないで煮ること。 と、極上の出汁が取れる。甘露煮にしたも
のも、独特の風味が自慢だ。
58 (e)食文化 岩手県
冠婚葬祭時や季節の年中行事にもてなし
料理として出される。本膳に小豆もち、雑
煮もち、クルミもち、なます、なかうち(漬
物)を配膳したもの。
岩手県南部から宮城県北部は、昔からも
ち文化が盛んだった。いまでも300種以
上のもち料理があり、日本一のもち地域と
言われている。
暮れや小正月についた餅を角形の流し箱
か、のし板で1センチくらいの暑さにのし、
一日置いて10センチ×5センチ程度に切
る。わらやビニールひもで10個ほどづつ編
み、氷点下になる外で干す。。
鍋に少量の水と塩を少々入れ、殻からとっ
たウニを入れて煮る。沸騰したら長ネギと
アワビを加え、ひと煮立ちしたら火からお
ろす。今は缶詰があるので楽に使える。
干し餅は携帯と保存がきき消化も良い。好
みで大豆やクルミ、ゴマを入れるなどバリ
エーションを付けることもできる。
『聞書き 岩手の食事』
八戸地方から岩手県沿岸北部の料理。ウ
ニの煮た様子が木いちご(もみじいちご)
に似ているため。昔は結婚式などの料理
であり、漁師が浜で食べる料理だった。
『ごちそうさま おふくろの味』刊
行委員会 熊谷印刷出版部
岩手県政策地域部NPO・文化国
際課HP 岩手の文化情報大辞典
http://www.bunka.pref.iwate.jp/s
eikatsu/ryouri/shousai/ryouri_06
1.html
岩手県政策地域部NPO・文化国
際課HP 岩手の文化情報大辞典
http://www.bunka.pref.iwate.jp/s
eikatsu/ryouri/shousai/ryouri_07
0.html
岩手県政策地域部NPO・文化国
際課HP 岩手の文化情報大辞典
http://www.bunka.pref.iwate.jp/s
eikatsu/ryouri/shousai/ryouri_10
9.html
『聞書き 岩手の食事』
59 (e)食文化 岩手県
県南部
餅の本膳料理
二戸市、遠 干し餅(凍み餅)
野市周辺
60 (e)食文化 岩手県・ 三陸沿岸部 いちご煮
青森県
61 (e)食文化 岩手県
二戸市
きゃば餅
「きゃば」とは岩手の方言でカシワのこと。
小麦粉に黒砂糖、くるみ、重曹を混ぜ、耳
たぶくらいの柔らかにこねてきゃばで包み
焼いて作る。
昔からこびるとして愛されてきたきゃばも
ちは、今でもおやつとして家庭で作られた
り、小学校の調理実習で作られたりと、世
代を越えて愛されている。
62 (e)食文化 岩手県
県全域
すあま
甘い米粉菓子。餅米ではなく質の良いうる
ち米だけ使用して作る。石臼と杵でつく
が、手水をほとんど使わないので、こしの
強さが普通の餅と違います。
色素を入れてピンク色や黄色にする。県
中央部では桃の節句に欠かせない菓子で
ある。矢巾町では「得田すあま」として伝統
菓子となっている。
63 (e)食文化 岩手県 田野畑村周 いもだんす
辺
ジャガイモを寒に凍らせ、乾燥粉と小麦粉 田野畑村は三陸海岸沿岸の村。平地が少
を混ぜ、小豆汁にいれたもの。
なく、ヤマセに悩まされた地域だが、独特
の魅力的な食文化が残る地域である。
64 (e)食文化 岩手県
そば粉か小麦粉をきらず(おから)の水分 煮しめをたくさん作る行事では豆腐を多く
でこね餅。そばは冷めると固くなるが、きら 作るので、きらずも大量に出る。そのため
ずと練り合わせた餅は固くならない。
「きらずもち」も行事の際に同時に作ること
が多い。
小麦粉と重曹、黒砂糖、くるみ、味噌と水 岩手県南部から宮城県北部伝わる郷土料
を混ぜたものを、みょうがの葉にはさん
理。七夕まつりやお盆のお供え物として作
で、鉄板で焼いたもの。みょうがの葉があ ら
る6月から11月までの、みょうがの葉の香 れていた郷土のお菓子。
りがとてもよいおやつ。
たかきびとうるち米の粉を合わせて味を付 たかきびとは一般的には「こうりゃん」と呼
けてこね、蒸して作る赤いお餅。「へっちょ ばれる雑穀。他に「もろこし」とも言う。一時
こだんご」もたかきび粉で作る。
はほとんど栽培されなくなったが、食の多
様化、健康食人気で栽培面積が増えてい
る。
ウグイ、サバ、ドンコなどの魚を焼き干しに 三陸の豊かな海の幸を入れた個性的な雑
したもので出汁を取った雑煮。具はダイコ 煮。贅沢で手間のかかる雑煮だが、年の
ン、ニンジンのせん切り、ゴボウ、セリ、凍 初めの祝いの一品である。
み豆腐、イクラなどを入れ、小鉢に入れた
クルミだれをかけて食べる。
普代村
きらずだんす
65 (e)食文化 岩手県・ 岩手県一関 みょうがの葉焼き
宮城県 市、宮城県
栗原市
66 (e)食文化 岩手県
県北部、一 たかきび餅
関市
67 (e)食文化 岩手県
宮古市、下 くるみ雑煮
閉伊郡
68 (e)食文化 岩手県
宮古市、山 としるの塩辛
田町
アワビの肝の塩辛。「としる」とはアワビの
肝のことで、肝だけを集めて3カ月ほど塩
に漬けて作る。珍味中の珍味で日本酒や
ワインの肴としても珍重される。
アワビが好きな人には、歯ごたえのある身
と同様に珍重される逸品。としるはアワビ
の餌であるコンブやワカメなどの海藻類の
かたまりで、成分のほとんどはグリコーゲ
ン。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
岩手県政策地域部NPO・文化国
際課HP 岩手の文化情報大辞典
http://www.bunka.pref.iwate.jp/s
eikatsu/ryouri/shousai/ryouri_00
2.html
『聞き書き 岩手の食事』
もち食レストラン・ぺったんくん(道
の駅・厳美渓内)
岩手県一関市厳美町字沖野々
岩手県農林水産部流通課HP
http://www2.pref.iwate.jp/~hp050 220-1 TEL.0191-29-2000
5/communication/junjoutushin/n
o-025/005.html
『ごちそうさま おふくろの味』刊
行委員会 熊谷印刷出版部
『東北の食と農漁の文化』西東秋
男 編 筑波書房
キッチンガーデン
二戸市駒ヶ嶺字海上前田6-13
http://www11.ocn.ne.jp/~kgarden/
田中舘節子さん
矢巾町大字北郡山7-56
019-697-3297
あけど土曜市
田野畑村商工会
0194-34-2304
鈴木哲子
(財)農村開発企画委員会
http://www.rdpc.or.jp/kyoudoryo 一関市藤沢町藤沢字柳平31
0191-63-2467
uri100/ryouri/03.html
岩手食文化研究会HP
http://www.iwatesyokubunka.com/foods/01.html
『聞書き 岩手の食事』
農林水産省 全国お雑煮ガイドH
P
http://www.maff.go.jp/j/pr/aff/1
101/spe2 02.html
岩手県流通課HP
http://www2.pref.iwate.jp/~hp050
5/communication/junjoutushin/n
o-013/001.html
木村商店
0193-83-5510
山田町豊間根7-30 新田工業団
地
【e 食文化】 68/188
カテゴリー
県
69 (e)食文化 岩手県
市町村
地域資源名
北上山地、 凍み大根
奥羽山脈周
辺
70 (e)食文化 宮城県 気仙沼地方 あざら
71 (e)食文化 宮城県 登米市周辺 油麩料理
72 (e)食文化 宮城県
73 (e)食文化 宮城県
74 (e)食文化 宮城県
75 (e)食文化 宮城県
大崎市
かりんとう
岩手県、宮 いのはなご飯(こうたけ飯)
城県、福島
県内陸部
白石市
松島周辺
おくずかけ
カキ飯(カキご飯)
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
輪切りや拍子切にしたダイコンを、寒風の
中で凍らせ、水分を抜いたもの。干し方
は、丸いダイコンの真ん中に穴を開けひも
に通したり、長いダイコンをひもでくくって
干したり、地方によって形が違う。
白菜やダイコンの古漬けを、魚のメヌケの
アラと煮込んだ粕汁。古くなって少し酸っ
ぱくなったハクサイの漬物を美味しく食べ
る、郷土の知恵である。
岩手県は本州で一番気温が低くなる県の
ため、各地で凍み大根を作っている。煮物
を中心に、その料理も多彩である。
西和賀町役場HP
http://www.town.nishiwaga.lg.jp/i
ndex.cfm/13,12391,120,html
大きな鉄鍋で炊いて、仲間が集まって食
べる習慣があった。冷めても美味しく、翌
日に煮返すとさらに味が良くなる。
『ごっつぉうさん』みやぎの食を伝
える会編著・河北新報出版セン
ター刊
油麩とは油で揚げた麩のことで、登米市
登米の特産品。この油麩を使った料理は
いろいろ考案されているが、もともとはうど
んや味噌汁、夏野菜の煮物などの食べ方
が主体だった。
イースト菌は使用せず、小麦粉のほか自
家米を入れてより食感を追求した。岩出山
の一斗缶入りかりんとうが人気。
明治時代に登米町で作られ始め、精進料
理の食材としてお盆に必ず食べられた。
最近は油麩丼などの新メニューが開発さ
れ、B級グルメの一つとなって人気だ。
岩出山は昔から「かりんとう」の生産が盛
んで、現在も5店がそれぞれの個性で生
産販売している。
『ごっつぉうさん』みやぎの食を伝
える会編著・河北新報出版セン
ター刊
NHKエデュケーショナルみんなの今
日の料理HP
http://www.kyounoryouri.jp/recip
e/5011_%E3%81%8B%E3%82%89%E
3%81%97%E5%B7%BB%E3%81%8D.h
tml
からしをシソの葉で巻いたもの。からし巻
きは、生漬け大根またはたくあんを拍子切
りにし、溶きからしをまぶし、しそで巻いた
漬物。鼻から抜けるツーンとした辛さと、1
本ずつ丁寧に巻かれたしそがおいしさの
秘訣。
77 (e)食文化 宮城県
栗原市
ごろんべ鍋
熱した鍋にドジョウとみりん、水を入れる。 どじょう鍋。「ごろんべ」とは大崎・栗原地
角切りしたサトイモ、ダイコン、ゴボウ、ニ 域の方言で「ドジョウ」のこと。この地方で
ンジン、凍み豆腐を入れことこと煮る。醤 は一年中食べる、地域の食である。
油か味噌で味付けし、汁がドロッとしたら
た長ネギを入れ完成。
白石温麺
大崎市HP(おおさきの味)
岩出山のかりんとう店サイト
http://www.city.osaki.miyagi.jp/g http://www.shokokai.or.jp/04/04
uest/kanko/bussan/01.html
48110016/index.htm
南三陸沿岸で養殖されているマガキだけ 最近はカキを使った料理のバリエーション
を具にした、贅沢な炊き込みご飯。彩とし が増えているが、この料理もその一つで、
て三つ葉を散らす。
カキは熱を通すと固くなるため、上手に炊
けるようになるにはコツをつかまなければ
ならない。
からしまき
江戸時代から続く白石の特産品。乾麺で
切り揃えた長さが8センチと短く、一般の
そうめんより細いので茹でやすく食べやす
い。
旧河南町の名物。昔は各家庭で作ってい
たが、手間がかかるため最近はあまり作
られなくなった。毎年10月下旬~2月頃ま
での期間限定で大手量販店やJAの直売
所で「深谷からしまき」の商品名で販売も
されている。
製法で油を使わないため、食感がさっぱり
している。東北では秋田の「稲庭うどん」と
並ぶ有名乾麺で、郷土料理の「おくずか
け」に欠かせない麺である。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
宮城県庁「食材王国みやぎ」HP
https://www.foodkingdommiyagi.jp/shokubunka/tokusan18.
html
『ごっつぉうさん』みやぎの食を伝 油麩丼の会
える会編著・河北新報出版セン http://www.aburafudon.com/
ター刊
『ごっつぉうさん』みやぎの食を伝
える会編著・河北新報出版セン
ター刊
石巻市
白石市
情報源・取材元
キノコのコウタケ(シシタケ)の炊き込みご 祭りや行事のごちそう食材として干して保
飯。コウタケは乾燥すると真っ黒い色にな 存した。多くは取れないキノコなので、価
る、薫り高いキノコである。。
格は高い。最近では薬用として珍重されて
いる。
たっぷりの野菜ととうふ、油揚げをシイタケ 宮城県の代表的な郷土料理のひとつ。県
のだし汁で煮込み、温麺を『加えて片栗粉 南部では、彼岸やお盆に必ず作っていた
精進料理である。最近では普段の家庭料
でとろみをつけた精進料理。
理であり、学校給食にも出るようになっ
た。
76 (e)食文化 宮城県
78 (e)食文化 宮城県
所在地
『私の作る郷土料理』ふるさとご
飯会編 マガジンハウス刊
(財)農村開発企画委員会HP
http://www.rdpc.or.jp/kyoudoryo
uri100/ryouri/04.html
(財)農村開発企画委員会HP
http://www.rdpc.or.jp/kyoudoryo
uri100/ryouri/04.html
JAいしのまき河南即貧加工部会
http://www.jaishinomaki.or.jp/seisanbukai/120
123_01.html
『ごっつぉうさん』みやぎの食を伝
える会編著・河北新報出版セン
ター刊
漫画『美味しんぼ 第75巻宮城
県編』雁屋哲原作 小学館
『ごっつぉうさん』みやぎの食を伝
える会編著・河北新報出版セン
ター刊
(一社)うどんミュージアムHP
http://udon.mu/shiraishi-hotnoodles
白石観光協会「食べる・うーめん
一覧」HP
http://shiroishi.ne.jp/food/umen.
html
【e 食文化】 69/188
カテゴリー
県
79 (e)食文化 宮城県
80 (e)食文化 宮城県
市町村
白石市
栗原市
地域資源名
400年以上の歴史を誇る温麺。その歴史
は多様な温麺メニューを育んできた。先人
の知恵を生かした食文化に、新しい食の
歴史が加わろうとしている。
ゆり根ぶかし
ユリ根(球根)を餅米に混ぜて蒸かしたお
こわ。ユリはオニユリ、ヒメユリ、コオニユ
リ、ヨシノユリなどが苦みがなく、食用に向
いている。
宮城県伝統野菜の一つ、仙台長なすの塩
の漬物。仙台長茄子は、栽培期間が短く
ても、収穫可能な極早生。やや小ぶり、皮
がやわらか、肉がしまっているのが特徴。
栗原地方の行事「七日盆」で食べる料理
のひとつ。「七日盆」ではごちそうを7回食
べ、「水浴び」を7回する習わしがある。
夏野菜の代表ナスと、枝豆をすりつぶした
「ずんだ」で和えた料理。丁寧にすり鉢で
すった「ずんだ」の味は格別で、ふわっと
広がる豆の香りと油っこいコクがなんとも
言えない。
海と山の幸をふんだんに盛り込んだ雑
煮。大きな焼きハゼ、紅白の板かまぼこ、
はらこ(サケの仔)、ダイコン、ニンジン、ゴ
ボウの引き菜、ズイキ、凍み豆腐、干しシ
シタケ、セリなど。出汁はハゼの焼き干し
からとる。
ホッキ貝を細切りにした炊き込みご飯。
ホッキ貝の獲れる時期は12月中旬から4
月下旬。
ホヤを出汁と具に使った珍しい雑煮。具の
豪華さ、引き菜はじめその共通な材料、醤
油の味付けは仙台雑煮と似ている。ホヤ
の用い方、雑煮の作り方は、地域や家庭
により異なる。
栗原は餅料理の種類が多いことで知られ
ているが、「ずんだ」料理も多彩である。「く
りはら食ツーリズム研究会」という団体を
作り、活動を行っている。
82 (e)食文化 宮城県
栗原市
ナスのずんだあえ
83 (e)食文化 宮城県
仙台市
仙台雑煮
84 (e)食文化 宮城県
亘理町、山 ほっき飯
元町
85 (e)食文化 宮城県
志津川、石 ホヤ雑煮
巻周辺
87 (e)食文化 宮城県
石巻周辺
歴史的価値・ストーリー
けんちん温麺、ごまだれ温麺 白石特産の温麺を使った料理。お盆は「ご
まだれ」。すり鉢であたったゴマに味噌を
加え麺つゆとみりん、水でのばす。「けん
ちん」は冬が出番。具と汁と麺を別々に
作っておき、鍋で一緒にする。暖かい汁が
冷えた体にうれしい。
81 (e)食文化 宮城県 仙台市周辺 仙台長なす漬け
86 (e)食文化 宮城県
資源の概要
松葉汁
大根葉とサンマのすり身、味噌仕立ての
汁。サンマは包丁の峰でたたき、おろし
ショウガと片栗粉を混ぜ合わしたすり身に
する。千切りダイコンを水煮にし、すり身と
石巻、牡鹿 マンボウの酢味噌和え、とも マンボウの身は柔らかく水分が多い。生の
半島
和え
白身を酢味噌で食べたり、肝臓ととも和え
にしたりする。
伊達正宗の時代に栽培が始まったと伝え
られている。明治時代に漬物用としてすで
に、優良種子の供給が行われ、産地化が
進んでいた」とされる。
仙台雑煮が豪華なのは伊達の殿様雑煮と
関連が言われるが、共通する食材はダイ
コン、ゴボウ、凍み豆腐だけである。仙台
湾で獲れる大型ハゼは、仙台の冬の風物
詩。
このあたりは日本を代表するホッキ貝の
産地。東日本大震災で大きな被害を受け
たが、漁獲は徐々に回復して来た。
正月に石巻や南三陸町の志津川で食べ
る。また雑煮以外に、そばやうどんの出汁
をホヤでとる所もある。スパイスであり薬
草であるサフランのような香りと苦みが少
しあり、慣れると癖になるような味がでる。
所在地
情報源・取材元
『私の作る郷土料理』ふるさとご
はん会・編 マガジンハウス 発
行
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
白石観光協会「食べる・うーめん
一覧」HP
http://shiroishi.ne.jp/food/umen.
html
『ごっつぉうさん』みやぎの食を伝
える会編著・河北新報出版セン
ター刊
『東北・北海道の郷土料理』乙坂
ひで編著 ナカニシヤ出版
『ごっつぉうさん』みやぎの食を伝
える会編著・河北新報出版セン
ター刊
仙台商工会議所「せんだい・杜の
都親善大使」HP
http://sendaishinzentaishi.com/node/2890
くりはらツーリズムハンドブック
『地元食の本』栗原食ツーリズム
研究会 発行
伊達美味(だてうま)HP
http://dateuma.jp/menu/naganas
u/index.html
くりはら食ツーリズム研究会
http://kftl.webcrow.jp/
『ごっつぉうさん』みやぎの食を伝
える会編著・河北新報出版セン
ター刊
『東北・北海道の郷土料理』乙坂
ひで編著 ナカニシヤ出版
『東北・北海道の郷土料理』乙坂 亘理町観光協会HP
ひで編著 ナカニシヤ出版
http://www.datenawatari.jp/index
.php?id=6
『聞書き 宮城の食事』
(財)農村開発企画委員会
http://www.rdpc.or.jp/kyoudoryo
uri100/ryouri/04.html
日本有数のサンマの産地ならではのさん
まのすり身汁である。ダイコンの千切りを
松葉に見立てたもの。
『東北・北海道の郷土料理』乙坂
ひで編著 ナカニシヤ出版
大きさが3~4メートルにもなるマンボウ
は、三陸海岸の定置網にときどきかかった
り、突き棒で捕獲されたりする。
『ごっつぉうさん』みやぎの食を伝
える会編著・河北新報出版セン
ター刊
宮城県観光連盟HP
http://www.miyagikankou.or.jp/wom/o-1091
88 (e)食文化 宮城県 県内陸北部 はっとう
89 (e)食文化 宮城県
仙台市
仙台牛タン
はっとうは宮城県北から岩手県まで、旧仙
台藩領で、また福島県会津地方で食べら
れていた。内陸部小豆、つゆ、カボチャ、
ずんだ、小豆粥、カボチャ、ゴマ、じゅうね
んなど、さまざまなはっとう(ばっとう)があ
る。
仙台名物料理の代表格。仙台市内に数十
件の専門店がある。塩とコショウで味付け
し一晩寝かせ炭火で焼き、牛テールスー
プを付けるというのが定番。
名前の由来はさまざまある。ご法度説、小
麦粉を練ってのばしたものを餺飥(はくた
く)と言い音読みでは「ほうとう」となる。こ
れが「はっとう」「はっと」となり、うどんの元
祖と言われている。
『ごっつぉうさん』みやぎの食を伝
える会編著・河北新報出版セン
ター刊
仙台牛タンの始まりは昭和23年。生みの
親は「太助」の初代店主・佐野啓四郎氏
(故)と言われている。洋食料理店のタン
シューに惚れ込んで開発したが、素材の
確保には苦労し、宮城・山形の畜産農家
を回って入手した。
仙台牛タウンHP
http://www.gyutown.com/
『聞書き 宮城の食事』
牛タンの太助
022‐225‐4641
http://www.ajitasuke.co.jp/greeting.php?PHPSE
SSID=7rhts1rcjrfgugn3ulu1k23f93
【e 食文化】 70/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
90 (e)食文化 宮城県 気仙沼地方 クジラ料理
91 (e)食文化 宮城県
92 (e)食文化 宮城県
93 (e)食文化 宮城県
大崎市、丸 へそ大根
森町
県北部
餅料理
仙台市、沿 笹かまぼこ
岸地方
94 (e)食文化 宮城県
気仙沼
ふかひれ料理
95 (e)食文化 宮城県
仙台市
仙台駄菓子
96 (e)食文化 宮城県
仙台市
三角定義あぶらあげ
97 (e)食文化 宮城県
白石市
小原の寒葛
98 (e)食文化 宮城県 県内陸北部 豆ねっけ(豆ねっけ)
99 (e)食文化 宮城県
100 (e)食文化 宮城県
七ヶ宿町
山菜鍋
亘理町、山 シャコめし
元町
所在地
情報源・取材元
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
刺身、干し肉、竜田揚げ、味噌焼きなど多
様な料理が生み出さてきた。クジラの味噌
焼きもその一つで、鯨肉に薄く塩をふり、1
日程度干してjから醤油、酒などを入れ、と
ろみをつけた味噌に1~2日漬けた後、あ
み焼きにする。
皮をむいて厚さ2.5センチに輪切りにし、
大釜でにて竹串に通す。乾燥は半月ほ
ど。串から外してなお縁側で1週間乾し、
最後はシイタケ乾燥機に入れて仕上げ
る。
かつて、牡鹿町(現石巻市)鮎川港は捕鯨
基地として栄えてきた。捕鯨に制限が掛け
られてからは、調査捕鯨基地としてミンク
クジラを捕獲してきた。東日本大震災で壊
滅的な被害を受けたが、徐々に回復して
きた。
福島県との坂に位置する丸森町筆甫地
区。冬の天気はいいが、夜はかなり冷えこ
む。夜は凍り、昼に融けるを繰り返し、ダイ
コンは柔らかくなる。重さが20分の1まで干
からび、完成となる。
(財)農村開発企画委員会
http://www.rdpc.or.jp/kyoudoryo
uri100/ryouri/04.html
ふすべ餅、えび餅、雑煮餅、ぼた餅、あん
こ餅、草餅、ずんだ餅、ごまもち、くるみ
餅、じゅうね餅、しょうが餅、納豆餅。これ
らは多彩な餅料理の一部です。その種類
は60種以上ある。
三陸沖でとれる白身魚を原料に、すり身に
して手の平でたたき、笹の葉の形に焼い
たもの。宮城県沿岸地域や仙台市内では
複数の店舗で生産されている。
東日本大震災大震災前は国内生産の
95%が気仙沼だった。すべての会社が津
波で流され、生産がゼロになったが、徐々
に回復し始めている。
隣接する岩手県一関市から県北部、特に
栗原は餅の料理が多い地域である。冠婚
葬祭から日常の食まで、餅が支えた食文
化は、今でもしっかり残っている。
くりはらツーリズムハンドブック
くりはら食ツーリズム研究会
『地元食の本』栗原食ツーリズム http://kftl.webcrow.jp/
研究会 発行
笹かまぼこは明治の初め、ひらめの大量
が続いた際にその利用と保存のため作ら
れたのが発祥と言われている。
宮城県蒲鉾組合連合会
http://sasakama.biz/
『長寿の国 日本の伝統食』サラ 木村一男さん 宮城県伊具郡丸
イムック 睦田幸枝著 小学館
森町筆甫字平松前35 Tel.022476-2167
農林水産省HP
http://www.maff.go.jp/j/pr/aff/0
901/memory_03.html
江戸時代から作られてきたが、国内消費
より中国への輸出がほとんどだった。干し
ナマコ、干しアワビ、フカヒレが長崎俵物と
して中国に輸出され、中華料理の高級材
料となった。。
マコロン、ねじり棒、兎玉、より南京、きな 元禄8年(1695)創業の熊谷屋、明治18年
こくし、味噌パンなど多くの種類がある。 の石橋屋、太平洋戦争後の創業となる中
「駄菓子」とは言え、懐かしくも品のある菓 鉢屋、日立屋などの店がある。江戸時代
子の名作が揃う。
からあった菓子だが、元は子供の駄菓子
屋神仏への供え物だった。
明治23年創業の豆腐店「定義とうふ店」の 定義如来西方寺の門前に立つ豆腐店の
名物油揚げ。三角形の大きく厚い油揚げ 名物。この油揚げの揚げたてを買い食い
に醤油と唐辛子をかけて、その場で立ち するため、わざわざ仙台から来る人も少な
食いする人が多い。
くない。
気仙沼市HP フカヒレ物語
気仙沼ふかひれブランドを守る会
http://www.city.kesennuma.lg.jp/ HP
www/contents/1236142075151/i http://gogo.kesennuma.com/
ndex.html
葛の根からとったでんぷんを生成したもの 「白石三白」のひとつ。かつて小原地区の
が葛粉となる。本物のくずまんじゅうやくず 特産品だったが、地中深くにある葛根の掘
餅の材料として欠かせない。
り出しが大変で、平成に入ったころ途絶え
た。平成8年に生産組合を設立し復活を
試み、さらに栽培に着手。採取までは10
年以上かかるので、その生育が期待され
ている。
「ねっけ」n由来は「練る」と言われている。 昔から田植えの時のこびるやお茶うけ、子
青大豆を煮ている鍋に、米粉をふるい入 供のおやつに食べられてきた郷土料理。
れてかき混ぜ、だまにならないように注意 二番粉や三番粉などくず米を無駄なく食
する。固めの糊状になるまで続ける。
べるために工夫されてきた。
河北新報ふらっとブログ
http://flat.kahoku.co.jp/u/mingei
/b1g7tAMdwjB8m3iNETHW/
七ヶ宿は山菜とキノコの宝庫である。春の ミズ、フキ、タケノコ、ワラビ、モミジ
山菜の盛り、5月中旬頃、取れたての山菜 ガ...。山菜という名の野草を大量に入
を大量に煮込んだ鍋を食べる。
れた鍋をほうばる幸せ。七ヶ宿の人たちは
この幸せをあたりまえだと思っている。運
の良い旅人は旅館や直売所でその幸せを
分けていただくことができる。
寿司ネタとしても珍重されている、亘理近 下に敷かれたご飯がよく見えないほど並
海で揚がるシャコは、春から夏が旬。活き ぶシャコ。亘理町荒浜漁港はシャコの本
の良さも自慢で、そのシャコをふんだんに 場。獲れたてを生きた茹でて口に運ぶ。大
ご飯の上に並べたもの。
震災の影響で漁獲量は多くないが、回復
に向かっている。
オールアバウトHP仙台駄菓子
石橋屋HP
http://allabout.co.jp/gm/gc/4045 http://www.ishibashiya.co.jp/
25/
仙台観光コンベンション協会HP
「仙台旅日和」
http://www.sentabi.jp/guidebook
/destinations/view/135
くりはらツーリズムハンドブック
くりはら食ツーリズム研究会
『地元食の本』栗原食ツーリズム http://kftl.webcrow.jp/
研究会 発行
『ごっつぉうさん』みやぎの食を伝
える会編著・河北新報出版セン
ター刊
全国地域観光情報センターHP
http://www.nihonkankou.or.jp/soudan/ctrl?evt=Sh
owBukken&ID=04302ba22101394
34
亘理町観光協会
http://www.datenawatari.jp/index
.php?id=6
【e 食文化】 71/188
カテゴリー
県
市町村
歴史的価値・ストーリー
きしゃずは豆腐のおからのこと。おから炒
り、卯の花炒りと同様の料理。栗原では
「きしゃずいれ」という。ニンジン、ゴボウ、
ネギ、糸コンなどを油で炒り、おからを入
れる。
生産量のレンコンを使い様々な料理が食
べられてきた。若柳のハス料理名人石川
いわ子さんはレパートリー50種を超える。
農家民宿「たかまった」でも「若柳蓮根栽
培組合」のレンコンを使った料理を堪能で
きる。
大きな青シソの葉に砂糖を加えたみそを
包み、焼いたり油で揚げた家庭の味。家ご
とに作り方や味が異なる「おふくろの味」。
味噌の中にゴマやクルミを加える人もい
る。
むかし豆腐は自家製だったり、自家栽培
の大豆を持参して豆腐を作ってもらった。
その時、多くのおからをもらってので、この
料理を作った。
104 (e)食文化 秋田県 県全域(特に きりたんぽ鍋
県北地方)
炊いたご飯をスリコギでつぶしてこね、串
に巻き付け、表面がほんのりキツネ色に
なるまで焼く。比内地鶏ガラのダシに鶏
肉、ゴボウ、マイタケを入れ、醤油で味をと
とのえる。3つ切りにしたきりたんぽやネ
ギ、セリなどを加える。
秋田の誇る郷土料理きりたんぽは、古くは
猟師やきこりが山中で残飯で串にさして焼
き、味噌をつけて食べたのがはじまりとい
われる。
105 (e)食文化 秋田県 県全域(特に しょっつる鍋
男鹿半島)
初冬に大量にとれるハタハタを使って、豆 昔は、各家庭で作られていたしょっつるだ
腐、セリ、糸コンなどをショツルで味付けし が、現在は加工品として流通している物を
たもの。
使用してのしょつる鍋となっている。
『いなかの食卓』秋田だより 著者 相場栄
106 (e)食文化 秋田県 県中央部か だまこ鍋
ら北部
だまこというのはお手玉のことで、新米の
ご飯をつぶし、ピンポン玉サイズくらいの
団子状に丸めて、野菜と共に煮込むところ
からこの名がある。キリタンポとほとんど
同じ材料を用いて作る。
秋田では里芋を「いものこ」と言う。県内産
のいものこでも、粘りと柔らかさが特徴で
人気が高い山内地区のいものこ。
9月19日は、秋の節句のうち「中の節句」と
呼ばれ、この日にはだまこ餅を作って食べ
る習慣があった。最近は、残りご飯で手軽
に作れると人気のメニューとなっている。
『味のふるさと秋田の味』 監
修=樋口清之・田辺聖子・渡辺文
雄 角川書店
地域の皆さんは、収穫期の秋に、いものこ
汁を屋外で食べる、「なべっこ」で楽しむ。
秋田県観光総合ガイドHP http://www.akitafan.com/special
/eat/yokote/sannaiimonoko.html
白神山地からそそぐ清らかな水のある三
種町が、生産量日本一でもある。秋田で
は収穫時期の夏でもじゅんさい鍋を食べ
る。
秋田の夏の味覚として親しまれてきた。夏
バテなどで疲れた身体の回復にも良いと
いわれている。
地元で取れた山菜や野菜をふんだんに入 納豆汁は大曲・仙北のソウルフード!伝
れた納豆汁。
統的な家庭料理であり、全国に誇る郷土
の食文化です。
三種町商工会HP
http://shoko.skrakita.or.jp/yamamoto/junsai/inde
x.html
『阿仁川流域の郷土料理』 無明
舎出版
秋田では、タラの白子を「だだみ」と呼ぶ。
タラは活力の強い魚で、古く武家の間で珍
重されていた。
日本の食生活全集5 『聞き書 秋田の食事』 代表 藤田秀司
『あきた郷味風土記』 秋田県農
山漁村生活研究グループ協議会 発行
『味のふるさと 秋田の味』 監修
=樋口清之・田辺聖子・渡辺文雄 角川書店
食欲の出ない暑い夏に、昼ごはんなどで、
食事を食べやすくするために工夫された、
冷たい味噌汁。
秋田県農山漁村生活研究グルー
プ協議会 発行 あきた郷味風土
記
内陸北部
102 (e)食文化 宮城県
栗原市
きしゃずの野菜煎り
レンコン料理
103 (e)食文化 宮城、山 各県ほぼ全 シソ巻
形、福島
域
県
宮城県の蓮根生産量は全国第2位。栗原
市若柳地区は北限の生産地である。
口に運べばパリッと揚がった青しその歯触
りと香味、そして口中に甘く豊かな味噌の
味が広がる。宮城県では“認証食品”とい
う制度を設けて、県内で生産された主原料
を使い、地域文化や技術のこだわりをもっ
て作られた特産品を認証している。
107 (e)食文化 秋田県
県南部
いものこ鍋
108 (e)食文化 秋田県
山本郡
じゅんさい鍋
109 (e)食文化 秋田県
県全域
くじらかやき
110 (e)食文化 秋田県
県南部
納豆汁
111 (e)食文化 秋田県
男鹿半島
あんぷら餅
ジャガイモのすり身を使った鍋や黒砂糖、 男鹿半島の周辺では、じゃがいものことを
醤油の実の餅。
「あんぷら」という。ご飯の代わりに食べる
ために工夫された男鹿地域だけに伝わる
独特の料理。
112 (e)食文化 秋田県
県沿岸部
だだみ鍋
タラの白子鍋。タラのあらでダシをとり、タ
ラの身、ごぼう、にんじん、ねぎ、しいた
け、豆腐などを煮込む。味付けは醤油や
しょっつる。だだみは最後に入れる。
暑い夏の料理。きゅうり、ナス、ミョウガな
どを薄切りにしだし汁に入れる。
113 (e)食文化 秋田県 県沿岸南部 きゅうりの冷やし汁
比内地鶏でだしをとったスープに醤油で味
付けし、だまこもち、キノコ、ネギ、しらた
き、セリ、ニンジンなどを入れて煮込み、最
後にじゅんさいを入れる。
クジラの脂身に、山菜のミズかナスを入れ
た鍋。
所在地
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
くりはらツーリズムハンドブック
くりはら食ツーリズム研究会
『地元食の本』栗原食ツーリズム http://kftl.webcrow.jp/
研究会 発行
資源の概要
101 (e)食文化 宮城県
地域資源名
情報源・取材元
『宮城を『食べに行く』
カルダイ社 発行
石川いわ子さん
http://www.miyagikankou.or.jp/wom/o-3736
農家民宿たかまった 千葉静子さ
ん
0228-32-5857
『ごっつぉうさん』みやぎの食を伝 七福(ひまわり、菜種のシソ巻き)
える会編著・河北新報出版セン 大崎市三本木字西沢18-10
ター刊
0229-52-3205
内藤千鶴子(米粉入り手作りしそ
巻)
日清オイリオHP
遠田郡美里町北浦字浅野栄治前
http://www.nisshinoillio.com/report/kikou/vol20.sht 91
ml
0229-34-3059
料亭 秋北くらぶ(大館市) 018
『味のふるさと秋田の味』
監修=樋口清之・田辺聖子・渡辺 6-42-2033
文雄 角川書店
料亭 濱の屋(秋田市) 018-
秋田県観光総合ガイド あきた
862-6611
ファンドッとコムHP http://www.akitafan.com/sightse
eing/detail.html?data_id=3035
秋田県公式Webサイト 美の国
あきたネット http://www.pref.akita.lg.jp/www/
contents/1313451993815/
【e 食文化】 72/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
114 (e)食文化 秋田県
県沿岸部
イカのごろ汁
115 (e)食文化 秋田県
県中央部
ガニのたたき汁
116 (e)食文化 秋田県
県南部
いぶりがっこ
117 (e)食文化 秋田県
県南部
ナスの蒸かし漬け
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
イカのおいしい時期に作られる素朴で簡
単にできる料理。
秋田県観光総合ガイドHP
http://www.akitafan.com/cooking
/31.html
秋田県観光総合ガイドHP http://www.akitafan.com/cooking
/36.html
ハタハタの飯ずしで、ハタハタ、ニンジン、
赤唐辛子、家によっては麩のりや生姜を
入れ、3週間以上漬けて完成。
もち米をやや固めに炊き、器の中ですりつ
ぶして作る。おはぎのようなもの。
短い接岸時期のため保存食として作られ
た。短期間で漬けこむための切りずしと、
長期で食べる一匹ずしがある。
なべ底ですりつぶして作り、隣の家に知ら
れずに作れるので「隣知らず」とも言われ
た。
手延べ製法の干しうどんで、やや薄めで 元文元年(1736年)、同地の五代目佐藤
平べったい麺が特徴。農林水産省の「農 善左衛門が、由利本荘で干しうどんを作る
山漁村の郷土料理百選」にも選ばれた。 製法ならって帰った。これが稲庭うどんの
始まりだと、菅江真澄は「雪の出羽路」に
書いている。
ゆでキャベツ、たくあん、きゅうりの漬物、 能代市や山本郡では、法事などで「南蛮
きのこ、食用菊などを細切りにし、味噌、 べっちょ」という精進料理がよく登場する。
塩、トウガラシとあえる。
「南蛮べっちょ」の呼び名は、南蛮(唐辛
子)を使い、べっちょをかく(泣いてしまう)
ほどに辛いことから付けられたと伝えられ
ている。
豆腐をしぼり水分を切った状態で砂糖、タ 県南地域では、昔からお茶うけとして愛さ
マゴなどを混ぜて焼き上げたお菓子。
れている郷土料理。
秋田県農山漁村生活研究グルー
プ協議会 発行 『あきた郷味風
土記』
『餅』 民俗選書Vol.1 藤田秀司
著
秋田県観光総合ガイド あきた
ファンドッとコムHP http://www.akitafan.com/cooking
/17.html
秋田県のがんばる農山漁村集落
応援サイト
http://common.pref.akita.lg.jp/ge
nkimura/village/detail.html?cid=9
&vid=2&id=815
県南部
なた漬け
119 (e)食文化 秋田県
県北部
味噌つけたんぽ
120 (e)食文化 秋田県
県沿岸部
121 (e)食文化 秋田県
県南部
なべすり餅
122 (e)食文化 秋田県
湯沢市
稲庭うどん
123 (e)食文化 秋田県
県北部
なんばんべっちょ
124 (e)食文化 秋田県
県南部
豆腐かすてら
125 (e)食文化 秋田県
県全域
麦まき
小麦粉に玉子を混ぜて巻くことから麦巻き 昔は、玉子は貴重品であり、麦巻きは、ひ
という。
な祭りや重箱に詰めて運動会に持って
いった。
126 (e)食文化 秋田県
県全域
カスベ煮
カスベとは、エイの干物のこと。カスベを水
で戻し、醤油や砂糖で甘辛く煮つけたも
の。コトコト煮込むことにより身が柔らか
く、煮汁もゼリー状になる。
127 (e)食文化 秋田県 旧八郎潟周 いしゃじゃの塩辛
辺
128 (e)食文化 秋田県 大館・鹿角地 とんぶりの和え物
方
情報源・取材元
イカを余すところなく使ったみそ汁である。
いかのごろとは。いかの腹わたのことであ
る。
甲羅を利用して作られるカニ味噌は、酒の 秋になると産卵のために山から川にカニ
肴として大変おいしいものである。ガニは がくだってくると言われている。秋の農作
カニの方言。
業の出来上がり頃になると、よく食べられ
ている。
大根を燻し、洗った後、米糠、塩などの
「がっこ」とは漬物のこと。晩秋に各家庭で
入った調味液に漬け込む。各家庭で漬け 古くから作られた保存食。横手市山内地
込む駅の配合や時間が違い、味が異な
区が、いぶりがっこが盛ん。
る。にんじんなどでも作られる。
米をふかして完全に冷ました後、塩と麹を 仙北地域を中心につけられている米と麹
混ぜる。小さな桶にふかした飯を敷き、焼 を多く使ったナス漬。ナスの紺色が鮮やか
きミョウバンをまぶしたナスを並べ、一本 で皮の中は真っ白でふんわりしているの
の生唐辛子を裂いてまく。その手順を繰り が特徴。仙北系の丸ナスが良く合う。
返す。
大根を使い古しの刃こぼれした「なた」で 元来のなた漬は、砂糖を入れない物であ
乱切りし、塩をふる。1週間ほど下漬けして る。重し加減が難しく、重しの上手、下手で
辛みをとる。唐辛子、聞く、柔らかく蒸した 味にさが出てくる、豪快な漬け物である。
麹を混ぜあわせ、大根を入れて漬け直
す。
たんぽ用に甘味などを加えてとろとろにゆ 大事なお客様のごちそうとして、また祝儀
るめた味噌に、焼いたきりたんぽをくぐら や法事、そのあとひき(家族や手伝い人の
せる。
ねぎらいの宴)に食べるもてなし料理。
118 (e)食文化 秋田県
はたはたずし
所在地
いしゃじゃ(アミ・小エビ)の塩辛。
「カスベ」は、冷蔵庫が普及していない時
代に保存のきく海産物として重宝された。
土崎の港祭りは「カスベ祭り」とも呼ぶほ
ど、カスベが深くかかわった祭りである。
「いしゃじゃ」とは、八郎潟などの淡水で取
れる「あみ」のことで、新鮮なうちに塩で漬
けこんで塩辛にする。
とんぶりとはほうき草の実。くるみあえ、ご 昔から仏さまの供え膳や、法事の膳料理
まあえ、豆腐和えなどを味噌だまりか、醤 には必ず作られた。
油をかけて食べる。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
秋田たべもの民俗誌 太田雄治
著
『聞き書 秋田の食事』 秋田県農山漁村生活研究グルー
プ協議会 発行 『あきた郷味風
土記』
『いなかの食卓』秋田だより 相場栄 著 『秋田たべもの民族誌』 太田雄
治 秋田魁新報社
日本の食生活全集5 『聞き書 秋田の食事』 代表 藤田秀司
秋田たべもの民俗誌 太田雄治
著
秋田県企画振興部地域活力創造
課活力ある農村集落づくり支援
室HP http://common.pref.akita.lg.jp/ge
nkimura/village/detail.html?cid=1
4&vid=2&id=867
秋田県観光総合ガイド あきた
ファンドッとコムHP http://www.akitafan.com/sightse
eing/detail.html?data_id=3035
秋田県農山漁村生活研究グルー
プ協議会 発行 『あきた郷味風
土記』
日本の食生活全集5 『聞き書 秋田の食事』 代表 藤田秀司
【e 食文化】 73/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
129 (e)食文化 秋田県
県北部
かまぶく
130 (e)食文化 秋田県
由利地方
松皮餅
131 (e)食文化 秋田県
県南部
132 (e)食文化 秋田県
県沿岸部
しょっつる
133 (e)食文化 秋田県
県沿岸部
エゴ
134 (e)食文化 秋田県
県沿岸部
ギバサ
135 (e)食文化 秋田県
東成瀬村
小豆でっち
136 (e)食文化 秋田県
県全域
あさ漬け
137 (e)食文化 秋田県
男鹿半島
石焼料理
138 (e)食文化 秋田県
県南部
ひろっことカドかやき
139 (e)食文化 秋田県
県全域
140 (e)食文化 秋田県
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
米粉(うるち米粉、もち米粉)とジャガイモ、 県北地方では、米の粉で作った口取り菓
小豆、砂糖などををまぜ合わせて作る餅 子の巻物のことをかまぼこに見立てて「か
状の巻物。
まぶく」という。祭りや不祝儀などの一品と
して作られる。
赤松の薄皮を餅に加えたもの。
常盤の松は慶事の象徴、赤は厄をよける
とされる祝儀の色。五穀豊穣を願う雪国の
ハレの日のご馳走だ。
大根と黒豆でつくる汁物。
県南地方の焼畑地帯には豆料理が多い。
冬は保存がきくので、たくさん煮ておき、い
つでも食べれる。
小アジ、ハタハタ、イワシ、カニなどに塩を 魚に塩と麹を入れて漬け込み、十分発酵
加えて作る魚醤。
させ、骨の形もなくなってどろどろになった
ら火を通し、こして瓶に蓄える。調味料とし
て使う。
海藻のエゴクサでつくる寒天状のもの。
精進料理として、法事、お盆などにはなく
てはならない料理で、祝い膳の刺身に相
当するものだった。
海藻のアカモクを熱湯をかけて刻んだも 男鹿半島は昔からの海藻食文化が盛んな
の。日本海側の新潟、山形、秋田で好ん 所だが、「エゴ」と「ギバサ」はその代表
で食べている。
格。
秋田県農山漁村生活研究グルー
プ協議会 発行 『あきた郷味風
土記』
煮た小豆と砂糖を半殺しにして固めた菓
子。
東成瀬地区の代表的なお菓子で、かつて
はお祝い事や農繁期の後などに作られて
いた。今でもお茶うけとして作られる米菓
子。
米粉を使った夏の酢の物。
祝儀、不祝儀の取り回し料理としても使わ
れてきましたが、女性たちの集まりの一品
料理としても人気がある。
焼いた石で作る料理。真っ赤に焼けた石 男鹿の漁師の暮らしから生まれた磯の香
を新鮮な魚介類の入った桶に入れ、瞬時 り漂う郷土料理。今では、旅館やホテル、
に煮てしまう豪快な料理。
料理屋などで食べる高級料理となってし
まった。
ひろっこ(アサツキ)塩とカド(ニシンの塩漬 雄勝ちほうでは、早春のまだ雪深い中、雪
け)のたまり(ない場合は味噌又は醤油) を掘ってひろっこを収穫します。良いだしも
仕立て鍋。
出るため、汁物に良く使われる。
秋田県農山漁村生活研究グルー
プ協議会 発行 『あきた郷味風
土記』
やつめかやき
味噌仕立てのヤツメ鍋。
日本海へ注ぐ川で多く獲れるヤツメウナギ
は、寒のものが特においしい。
県南部
ぜんまいかやき
干しぜんまいでつくる鍋。
141 (e)食文化 秋田県
県北部
こはぜすし
夏はぜの実、餅米、塩、砂糖を混ぜ合わ
せる。
「かやき」とは、「貝焼き」がなまったもの
で、もともと一人鍋のことを言いうが、鍋物
を総称して「かやき」という。
夏はぜの実をこはぜと呼ぶ。お盆や法要
などの仏事の料理に良く使われる。
142 (e)食文化 秋田県
東成瀬村
平良カブ漬け
平良地区で取れるカブの麹付。
『味のふるさと秋田の味』 監修=樋口清之・田辺聖子・渡辺
文雄 角川書店
県職員ブログ「秋田で元気に!」 http://akitapref.exblog.jp/106174
37/
秋田県農山漁村生活研究グルー
プ協議会 発行 『あきた郷味風
土記』
秋田県東成瀬村観光サイト http://kanko.higashinaruse.com/
article.php?story=04_003
143 (e)食文化 秋田県
由利地方
カナカブ漬け
カナカブと呼ばれる小カブの麹漬け。辛み 江戸時代から伝わるという幻の漬け物。
と歯ごたえのある食感が特徴。
灰汁を肥料として自然の力で育て上げる
という焼畑農法で作られたカブを使用。
にかほ市観光協会HP
http://kirakirauetsutabi.net/data
/buy/000062.html
144 (e)食文化 秋田県
県全域
ほおの葉まま
ほおの木の葉でくるんだきな粉ごはん。
昔の田植え作業のおやつとして出したも
の。重労働だったため少しでも楽しく、また
栄養補給する知恵でもあった。
秋田県農山漁村生活研究グルー
プ協議会 発行 『あきた郷味風
土記』
サメの頭や内臓をゆでて味噌とすり鉢で
あえたもの。
貴重な魚のあらを無駄にしないために、作
られてきた料理。「のたや」とは、味噌を
使っているので「ぬた」からきたものと思わ
れる。
秋田県農山漁村生活研究グルー
プ協議会 発行 『あきた郷味風
土記』
あじゃら大根
145 (e)食文化 秋田県 由利地方内 のたや
陸部
この村だけで育つ伝統野菜。東成瀬村の
平良地区にだけ産出する珍しいカブで、種
を他に蒔いても、同じように育たない。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
サライ もうひとつの旬 長寿の
国日本の伝統食 陸田幸枝著
日本の食生活全集5 『聞き書 秋田の食事』 代表 藤田秀司
日本の食生活全集5 『聞き書 秋田の食事』 代表 藤田秀司
秋田県農山漁村生活研究グルー
プ協議会 発行 『あきた郷味風
土記』
秋田県観光総合ガイド・あきた
ファンドッとコムHP
http://www.akitafan.com/special
/detail.html?special_id=132
秋田県農山漁村生活研究グルー
プ協議会 発行 『あきた郷味風
土記』
男鹿市観光協会HP
秋田男鹿温泉郷 元湯雄山閣 http://www.ogakk.or.jp/food/?pid http://www.yuuzankaku.co.jp/
=001
秋田県農山漁村生活研究グルー
プ協議会 発行 『あきた郷味風
土記』
【e 食文化】 74/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
146 (e)食文化 秋田県 旧八郎潟周 カモかやき
辺
マガモの鍋。
147 (e)食文化 秋田県
県全域
どぶろく
麹、米、上白米などを材料にして作る自家
用酒。
148 (e)食文化 秋田県
横手盆地
ナスのほど焼き
一時期大量にとれるハタハタの頭と内臓
を取り除き、風通しの良い所で乾燥させて
から甘辛く佃煮にする。
149 (e)食文化 秋田県
角館
くるみ漬け
夏前の若いクルミの実を味噌漬けにする。
クルミの殻に包丁が入るくらい、柔らかい
うちに食べる漬け物である。
150 (e)食文化 秋田県
仙北地方
ねばなもち
わらび根からとるでんぷんを材料にした
餅。
151 (e)食文化 秋田県
152 (e)食文化 秋田県
153
秋田県
県中央から きゃのっこ汁
県北地方
県北部
県中央部
きのこなっつ
ミルク焼き
154 (e)食文化 秋田県 県南部地方 なすの花ずし
155 (e)食文化 山形県
県内陸部
156 (e)食文化 山形県
置賜地方
157 (e)食文化 山形県
県全域
158 (e)食文化 山形県
159 (e)食文化 山形県
荘内地方
村山地方
だし
冷や汁、冷やし汁
芋煮
どんがら汁
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
稲刈り頃は羽替えになって飛べないところ
を捕まえる。モミを十分に食べてから脂肪
がのり最高においしい。1月から2月にかけ
て旬。
酒の酛たてには①もろみ酛②さけばな③
板粕仕込み④腐れ元⑤淡酛の、大きく分
けて五つある。
男鹿半島沿岸では、昔から家庭料理とし
て普通に食べられていたが、近年、若い
主婦たちが好んで作る傾向が見られ人気
だ。
全国的に見ても非常に珍しい漬物で、当
地域以外では確認できなかった。多様な
漬け物が存在する角館ならではの漬け物
である。
冷害や凶作の多かった東北では、稲の稔
実の悪い時にの大切な食糧となった。
『秋田たべもの民族誌』 太田雄
治 秋田魁新報社
旬に塩蔵しておいた山菜(フキ、ワラビ、ゼ
ンマイ,ウドなど)、根菜類・キノコ類などを
食べやすい大きさに切り、大きな鍋にたっ
ぷりと水を入れ、結びコンブ、焼き干しを入
れ沸騰させ材料を入れて煮込む。味噌味
の汁。
キノコや魚に塩と麹、ご飯を混ぜ合わせ、
自然発酵させたもの。
県北・比内地方の農家には、旧正月に
きゃのっこ汁を作って神仏に供え、新年の
五穀豊穣・家内安全を祈る風習が残って
いる。
『阿仁川流域の郷土料理』 無明
舎出版
交通不便な山間地では、生鮮食品が途絶
えることもあり、食べ物を保存しようとした
昔の人の知恵が、このような発酵食品を
生んだ。
秋田県観光総合ガイド あきた
ファンドッとコムHP http://www.akitafan.com/sightse
eing/detail.html?data_id=3035
白い薄皮の中に、あまり甘くないあんこが
ぎっしり詰まったおやき。
ナスに塩と麹、キクの花を重ねて作る花ず
しは県南地域伝統の漬け物。
二世代にわたって親しまれている秋田の
懐かしいおやつ。
長期保存のため、本来は強い塩で漬けら
れるが、最近は低塩の即席漬けといわれ
る花ずしが作られる。
ミョウガ、キュウリ、ナス、ショウガ、シソ、
ネギ、青南蛮の7種に醤油とカツオ節、刻
み昆布で味を調える。猛暑の山形に欠か
せない料理で、ご飯にかけたり、酒の肴に
される。
米沢・置賜では「冷や汁・ひやしる」、最上
や庄内では「冷やし汁・ひやしじる」という。
冷や汁はホタテの干し貝柱、干しシイタケ
などで出汁を取りくきたち、ホウレンソウ、
キャベツなど。冷やし汁は冷たい味噌汁に
キュウか山菜のミズだけ。
内陸は醤油味にサトイモ、牛肉、コンニャ
ク、長ネギ。庄内は味噌味にサトイモ、豚
肉、厚揚げ、長ネギ。山形を代表する鍋と
して定着している。。
夏野菜の出盛りに堪能する畑の恵み。冷
蔵庫で冷やして食べるのコツ。本来は忙し
いときの急ごしらえの料理だったが、その
美味しさから、旅館や居酒屋のメニューに
も登場。
米沢の冷し汁は干し貝柱を使うなど海の
幸も使うなど手間をかけた豪華な行事食
であり、最上の冷や汁は出汁などとらな
い、冷たいみそ汁と夏野菜を味わうだけ
の、手短なシンプル料理。
マダラの身から内臓、頭、骨に豆腐を鍋に
入れて煮込んだ鍋。最後に長ネギを入
れ、椀に盛ってから岩のりを入れる。海岸
近い地域のものだが、山に近づくにつれ、
野菜の種類が多くなる。
ひっぱりうどん(ひきずりうど 各自が碗に花かつお節、納豆、生卵、長
ん)
ネギに麺つゆをいれ、茹でたうどが入った
うどんをテーブルの中央に置き、思い思い
にうどんを椀に引きずるようにして入れ
る。
もともとは「いもこ汁」「いものこ汁」と言っ
た。山形の秋の風物詩が野外で芋煮鍋を
囲む風景で、300年前から行われていた
という。かつては棒ダラ(干しダラ)を使っ
ていたが、大正のころから山形産の牛肉
を使うようになった。
冬の庄内地方を代表する鍋料理。内臓、
特に肝臓と白子から出るうま味が鍋の味
をさらに引き立てる。内陸の人たちは庄内
から「どんがら汁」へも招待を、心待ちにし
ている。
発祥の地は村山市戸沢地区という。ここは
炭焼きを稼業にする人が多く、窯を炊いて
いるときには離れにくいため、簡単でおい
しいと人気が広まった。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
日本の食生活全集5 『聞き書 秋田の食事』 代表 藤田秀司
子育てカフェにこりーふ
代表 小玉由紀 聞き取り
サライ もうひとつの旬 長寿の
国日本の伝統食 陸田幸枝著
料亭東海林 0187-54-2022
『餅』 -民俗選書 藤田秀司著
日本の食生活全集5 『聞き書 秋田の食事』 代表 藤田秀司 秋田県農山漁村生活研究グ
ループ協議会 発行 『あきた郷
味風土記』
『聞書き 山形の食事』農文教
『やまがた郷土料理探訪』山形グ
リーンツーリズム推進協議会 編
『聞書き 山形の食事』農文教
山形グリーンツーリズム協議会H
P
『やまがた郷土料理探訪』山形グ 「冷し汁」の食べられる店
リーンツーリズム推進協議会 編 http://gtyamagata.com/recipe/tenpo/hiya
jiru.html
『聞書き 山形の食事』農文教
『やまがた郷土料理探訪』山形グ
リーンツーリズム推進協議会 編
『聞書き 山形の食事』農文教
『やまがた郷土料理探訪』山形グ
リーンツーリズム推進協議会 編
ひっぱりうどん研究所 TEL:
山形県HP
http://www.pref.yamagata.jp/ou/ 0237-56-2111(村山市戸沢地区
somu/020020/03/mailmag/serie 市民センター内)
s/pride/hippari.html
【e 食文化】 75/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
「麦切り」と呼ぶのは鶴岡の独特もので、
善宝寺がある大山地区が元祖と言われて
いる。大麦粉でつくる麺で、麺の歴史の中
でも古い方になる。麺つゆはそばつゆと同
じ場合が多い。
山がちな山形は、昔からそば栽培が盛ん
だった。そばは肥料分が少ない山沿いの
荒れ地でも育つためだ。今ではそばどころ
山形の名は広がり、各地からそばを堪能
しに人が訪れている。
酒田の観光葬祭や祭りに欠かせない料
理。かける「あん」の多さを競う。庄内には
「あん」をかける料理が多いが、京都や上
方の食文化を伝えた北前船文化説があ
る。
160 (e)食文化 山形県
荘内地方
麦切
「麦きり」は「うどん」と同じように小麦粉を
材料にした手打ちの生麺で、ゆでて洗っ
て、冷たいままつゆをつけて食べる。乾麺
ではない。
161 (e)食文化 山形県
内陸部
蕎麦
山形は日本有数のそば所。地域地域、店
店による個性を誇っています。村山には
「そば街道」があり、西川には「山菜そば」
があり多彩。
162 (e)食文化 岩手県・ 岩手県奥州 あんかけうどん
山形県
市江刺、
山形県荘内
地方
163 (e)食文化 山形県
河北町
にく蕎麦
164 (e)食文化 山形県
山形市
冷たいラーメン
165 (e)食文化 山形県
新庄市
鶏モツラーメン
166 (e)食文化 山形県
東根市
麩料理
167 (e)食文化 山形県
置賜地方
168 (e)食文化 山形県
県全域
169 (e)食文化 山形県
荘内地方
孟宗汁
170 (e)食文化 山形県
荘内地方
むきそば
シソごはん
玉こんにゃく、こんやく料理
酒田ではお祝いの時、うどんに鱒か鮭の
切り身とスライスしたゆで卵をのせ、甘め
の葛あんをかけ、おろし生姜をのせる。不
祝儀の精進料理にはごま豆腐か百合根
又は枝豆のすりつぶしたものが使われる
。岩手県江刺では魚は入れない
。
コシの強い田舎そばに、鶏肉からダシを
とった甘じょっぱいタレをかけ、親鶏の
チャーシューと小口に刻んだネギを載せ
る。町内およそ20店舗で肉そばを出してい
る。日本経済新聞「食べに行きたいランキ
ング」10位となった。
冷たいスープでも油がかたまらないように
改良し、昭和27年に「元祖 山形名物冷し
らーめん」が完成した。今では山形市内を
中心に多くの店で提供している。たれや具
など、各店により個性がある。
戦前のこと、居酒屋で客が残った馬肉の
煮込みをそばにかけたらうまかったという
説がある。戦争により馬が手に入りづらく
なり、鶏にとって代わり、のびにくくコシを
保てるよう、スープを冷やして食べるスタイ
ルが定着した。
2年前まで夏の暑さ日本一だった山形市
で、昭和26年のこと、客から「夏に冷たい
蕎麦を食べるんだから、ラーメンも冷たい
のが食べてみたい」の一言にヒントを得て
生まれた。栄屋本店でのこと。
あっさり目のスープに、醤油で煮込んだ鶏 山形県には米沢、上山、酒田、山形市、新
モツを入れた個性あふれるラーメン。新庄 庄などご当地ラーメンが多い。その中で煮
市周辺を合わせ20軒近くに増えている。 込み鶏モツのラーメンは、まだ10年程度
の歴史だ。居酒屋で酒のつまみの鶏モツ
をラーメンに入れて食べたのが始まりとい
う説がある。
「六田の麩」と言えば、麩好きにとって憧れ 羽州街道の宿場だった六田麩作りは、江
の地となっている。もともと車麩が特産
戸時代末期から続く。当時から小麦の生
だったが、最近は焼き麩だけでなく、生麩 産が盛んで、技術は大阪から来た職人が
や麩菓子、惣菜まで生産している。「麩饅 伝えた。強力粉とグルテンを独自の配合
頭」人気だ。特に麩懐石の人気が高い。 で練り上げ、さまざまな麩を生産している。
現在の営業は8店。
もち米に塩漬けした青じその葉をみじん切 変わりごはんの一種。仏事につくられるこ
りしたものと混ぜて蒸したごはん。しその とが多いが、日常食。お盆の16日には必
葉を摘んで塩漬けにしておいたものを利 ず炊いて仏前に供えるところもある。
用。
山形市は一家庭あたりのこんにゃく消費
量日本一。その勢いはさまざまなところで
こんにゃく料理に表れている。山寺をはじ
め観光地では玉こんにゃくが売られ、ま
た、こんにゃく専門店が何軒もある。
楢下は羽州街道の宿場だった所。こん
にゃく番所を経営する丹野の本家は楢下
宿の脇本陣を務めた滝沢屋。この地方で
は昔からこんにゃく芋の栽培が盛んだっ
た。番所ではこんにゃくの懐石料理を堪能
しようと行列ができる。
庄内の「孟宗筍」の料理は独特だ。取れた 庄内は孟宗竹のタケノコ消費量認トップク
ての筍を柔らかくなるまでゆっくり煮て、味 ラス。孟宗竹の北限でもある。庄内の初夏
噌と酒粕を合わせた汁に、油揚げを入れ の訪れは「孟宗汁」から始まる。「もうそうじ
る食ったか」があいさつ代わりだ。京都の
て食する。
食文化が北前船で伝わったと言われる。
そばどころ山形ならではの料理。粉にひか
ないで実のまま皮をむき、ゆでてから汁に
入れる。出汁は干しシイタケ、醤油が基
本。そばのむき身に汁をかけ、長ネギ、ノ
リなどをのせる。
所在地
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
日本麺類業団体連合会HP
寝覚屋半兵衛
http://www.nichimen.or.jp/zatsug 山形県鶴岡市大字馬町字枇杷川
aku/17_01.html
原74
0235-33-2257
情報源・取材元
『聞書き 山形の食事』農文教
おくのほそ道最上川そば三街道
協議会
『やまがた郷土料理探訪』山形グ https://www.pref.yamagata.jp/ou
リーンツーリズム推進協議会 編 /shokokanko/110010/selection2
2/kankousoba.html
(株)農村開発企画委員会HP
http://www.rdpc.or.jp/kyoudoryo
uri100/ryouri/06.html
伊達な広域観光圏HP
http://www.datena.org/topics/vi
ew/168
河北町商工会HP
http://www.kahokushokokai.jp/sightseeing/nikusoba.
html
河北町商工会HP
http://www.kahokushokokai.jp/sightseeing/nikusoba.
html
山形市観光協会HP
冷やしラーメン元祖 栄屋本店
http://www.kankou.yamagata.yam http://www.sakaeyahonten.com/
agata.jp/db/cgibin/search/search.cgi?panel=det
ail&d01=1137&c=20
新庄市商工観光課HP
最上広域交流センターゆめりあH
http://www.city.shinjo.yamagata.j P
p/2676.html
http://www.ecopolis.or.jp/syoku/
ramen-new1.html
東根市観光物産協会
文四郎麩
http://www.higashine.com/mupo 山形県観光物産協会HP
8kl46-47/
http://www.yamagatabussan.com
/hpgen/HPB/entries/124.html
(財)農村開発企画委員会
http://www.rdpc.or.jp/kyoudoryo
uri100/ryouri/06.html 『東北・北海道の郷土料理』 乙
坂ひでℂ 編著 ナカニシヤ出版 発行
山形県HP
丹野こんにゃく店
https://www.pref.yamagata.jp/bu http://www.tannokonnyaku.co.jp/
nkyo/bunka/about/803best1.htm
l
庄内日報社HP
http://www.shonainippo.co.jp/square/feature/food/
nf55.html
月刊 『スプーン』HP 「光子さん
のごっつお歳時記」
http://www.spoonnet.jp/backnum
ber/gottsosaijiki/200506.html
そばを粉にひかない分、途中の手間は省
けるが、そばの実を家庭で向くのは難しい
ので、むき身にしたそばの実を使ったほう
が楽である。扱っている蕎麦屋は少ない
ので注意が必要。
【e 食文化】 76/188
カテゴリー
県
171 (e)食文化 山形県
市町村
庄内黒川
地域資源名
黒川能の豆腐焼き
172 (e)食文化 山形県
米沢市
鯉のうま煮
173 (e)食文化 山形県
庄内地方
庄内のあく巻
174 (e)食文化 山形県
月山周辺
山菜蕎麦鍋
歴史的価値・ストーリー
黒川能に欠かせない豆腐焼き。能の10日
ほど前から、当屋と呼ぶ当番の家が中心
となり、4メートルの大きさの囲炉裏で1万
本あまりの焼き豆腐を、2日がかりで作
り、凍らせ、サンショウ味の汁に漬けこん
で食べるごちそう。
500年の歴史を持つ黒川能。地域挙げて
の伝統行事で、準備は4~5年前から始ま
る。食とのかかわりも多く、その最たるもの
がこの豆腐焼きである。参加しないと食べ
れないが、同じような味付けのものが産直
で売っている。
米沢がある置賜盆地は質の良い湧水に
恵まれているため、鯉が泥臭くない。この
地方ではいろいろある鯉料理のうち、「うま
煮」が一番人気だ。料理屋、鯉専門店、土
産屋で鯉料理やパック詰めの「鯉のうま
煮」が楽しめる。
庄内の笹巻きはナラなど広葉樹の灰汁で
煮る。バケツの上に灰を入れたざるを置
き、熱湯をかけ、その上澄み液で笹まきを
煮る。できた笹まきは薄い鼈甲色になり、
保存性が高まる。
ワラビ、ミズなど多くの山菜を煮た鍋に、そ
ば粉を練ったかいもちを入れた鍋。
山深い内陸部では蛋白源確保のため、鯉
の養殖が盛んにおこなわれていた。その
習慣が現在の特産につながったのが米沢
である。上杉鷹山公が養殖を推奨し、農家
の台所口に池を作り、鯉を飼ってきた。
『やまがた郷土料理探訪』山形グ 鯉の六十里
リーンツーリズム推進協議会 編 http://www.yonezawakoi.co.jp/html/indexframe.html
灰汁を使った笹まきは奄美大島、鹿児島、
宮崎にもあり、北前船が伝えた食文化説
もあるが根拠はない。あく巻には黒蜜とき
な粉をからめて食べるのが一番。
『やまがた郷土料理探訪』山形グ 道の駅・庄内みかわ
リーンツーリズム推進協議会 編
山形の過酷な自然が山菜の宝庫となって
いる。また信仰の山・出羽三山には多くの
宿坊が発達し、山菜料理の歴史が始まっ
たと言われている。
平安時代の弘仁11年(821年)、弘法大
師が温海に立ち寄った際に授けたと言い
伝えが残る。現在も焼畑製法が残ってい
る。
古くから冬の保存食として漬物にされてい
る。山形のふるさとの味として、家庭により
秘伝の味で受け継がれている。
『出羽屋の山菜料理』 佐藤邦治 著 求龍堂 発行
おみ漬は、江戸時代に近江商人が青菜、
大根葉、かぶの葉を細かく刻んで、合わせ
て塩漬けにしたのが始まりとされる。 近江
漬(おうみづけ)がなまっておみ漬となった。
カラ芋を入れると歯ごたえがあっておいし
い。
大根やにんじん、なす、れんこんなど、何 『むやみやたら、めったやたら』にいろいろ
種類もの野菜を刻みしょうゆに漬け込んだ な野菜を漬け込んだことからそう呼ばれ、
もの。ごはん、雑炊やチャーハン、カレー その名が受け継がれた。越冬の保存食と
などの付け合わせにぴったり。
して、山形の食卓には欠かすことのできな
いものだった。
精選された餅米、うるち米を材料とし、砂 新庄市を中心にした作られ300年の歴史
糖、クルミなどを練り合わせて蒸しあげた を持つと言う。語源は保存食として久しく
菓子。色は茶色と白色の2色ある。
持ち歩く良い餅(久持良餅)、クルミを乗せ
て蒸しあげた格好が塩クジラを切った形に
似ているとか言う。青森県鰺ヶ沢町と青森
市浅虫にもある。
山形名物・クジラ餅と同様に醤油味や味 初夏、笹の葉が大きくなる頃、主として置
噌味で味をつけた餅粉菓子を笹で包んで 賜地方に伝わる“おやつ風の食べ物”。笹
で包んでで蒸してあるため、日持ちする。
まいたもの。
山形市役所WEBサイト
http://www.city.yamagatayamagata.lg.jp/kosodatekyoiku/s
ub6/shokuiku/2e0d0kyoudo_aut_0
8.html
野草のスベリヒユの煮つけ。
『味のふるさと22 山形の味』 角
川書店 発行
175 (e)食文化 山形県 鶴岡市温海 温海カブ漬け
焼畑製法で作られた温海かぶを、酢と砂
糖と塩で漬ける。カブの赤い色が特徴。
176 (e)食文化 山形県
青菜は高菜の一種。秋に漬けられる。
県内陸部
青菜漬け
177 (e)食文化 山形県 山形市周辺 おみ漬け
178 (e)食文化 山形県 山形市周辺 やたら漬け
179 (e)食文化 山形県・ 新庄・尾花沢 くじら餅
青森県
周辺
青森県鰺ヶ
沢町、青森
市浅虫
180 (e)食文化 山形県 米沢市周辺 つの巻き
181 (e)食文化 山形県
県内陸部
ひょう干しの煮つけ
182 (e)食文化 山形県
置賜地方
うこぎ飯
美しい緑色と、独特の辛味、香り豊かな
味わいがある。
山形の内陸部では、このヒョウ干しを煮物
にして正月料理に添える習慣がある。
「『ひょっと』すると今年はよいこがあるか
も」と、ヒョウ干しにかけて縁起をかついだ
もののようだ。
ウコギの新芽を摘んで干し、ご飯にいれた うこぎは中国から渡来した植物。江戸時
り、おひたし、油で炒って食べる。
代、米沢藩・上杉治憲が、救荒対策とし
て、領内各戸にうこぎの生け垣を作らせた
といわれている。
所在地
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
『庄内の祭りと年中行事』永井登 黒川能の焼き豆腐は「産直あぐ
志樹・長南里香 著・無明舎出版 り」で一般向けに販売
刊
http://www.santyokuagri.jp/
資源の概要
情報源・取材元
鶴岡食文化都市推進協議会HP
http://www.creativetsuruoka.jp/index.php?d=project&
c=museum&p=tumugu009.html&p
ageu_code=2124&idx=2
『庄内のんめもの図鑑』 SPOO
N編集部 編集 佐藤茂枝 発行
『つるおかおうち御膳』 鶴岡市 鶴岡市食育・地産地消推進協議
会 鶴岡市食生活改善推進協議
会 編集 山形県鶴岡市 発行
丸八やたら漬WEBページ http://www.yatarazuke.com/
丸八やたら漬本店 〒990-0047 山形県山形市旅篭町2丁目1−5 023-634-4108
郷土料理百選®|財団法人農村
開発企画委員 http://www.rdpc.or.jp/kyoudoryo
uri100/
『東北・北海道の郷土料理』 乙
坂ひでℂ 編著 ナカニシヤ出版 発行
【e 食文化】 77/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
183 (e)食文化 山形県
県内陸部
五目ふかし
山菜をふんだんに入れたおこわ。
正月や祝い事、法事などでお客をもてなす
料理。また春の山菜の採れる時期に作
る。
184 (e)食文化 山形県
県内陸部
山ウドのどんころ煮
山ウドと身欠きにしんの煮つけ。
「どんころ」とは丸太のこと。田植えの頃の
ごちそう。
185 (e)食文化 山形県
庄内地方
民田茄子からし漬け
茄子とからしと、酒蔵の酒粕でつくる。
186 (e)食文化 山形県
庄内地方
とち餅
187 (e)食文化 山形県
月山周辺
月山筍味噌汁
188 (e)食文化 山形県
全県
189 (e)食文化 山形県
所在地
情報源・取材元
『聞き書 山形の食事』「日本の食
生活全集 山形」編集委員会 編
集 農山漁村文化協会 発行 『味のふるさと22 山形の
味』 角川書店 発行
山形県WEBページ http://www.pref.yamagata.jp/ou/
sogoshicho/mogami/314003/tiiki
sigen/kyoutuu/ryourikyo.html#ud
onodonkoroni
江戸時代の初期から民田という集落でつく
られているという親指の頭ほどの民田茄
子を使用。元禄2年(1689)旧暦6月10
日、奥の細道行脚の途中、松尾芭蕉も「め
づらしや山を出羽の初茄子」と詠んでい
る。
アク抜きた栃の実を、もち米といっしょに丁 栃の実拾いは、秋の彼岸すぎに行われ
寧につきあげたもの。
る。昔の農村では、不作時の食糧不足に
対する備えが大切だった。木の実や笹の
実なども「糧物(かてもの)」として米に混
ぜて食べることもあったようだ。
皮をむいて一本まま使う。そのままで味が 昔、田植えの頃は「ゆい」(集落で互いに作
良いので下茹でせずに、味噌汁にしてい 業を手伝いあうこと)や手間賃稼ぎに歩く。
ただく。
食事は、沢山の手伝いが来るので、特別
に腕をふるってごちそうする。
『サライ ムック もうひとつの旬 極上食材図鑑第2集』 小学館 発行
いなごの佃煮
イナゴを炒めた後、砂糖醤油で味付けす
る。
『つるおかおうち御膳』 発行 山
形県鶴岡市
庄内地方
枝豆の味噌汁
枝豆をさやごと煮込んだ味噌汁。
190 (e)食文化 福島県
中通北部
いかにんじん
細切りのニンジンとスルメイカを醤油、酒
などで漬け込んだもの。松前漬けの元祖
との説もある。
191 (e)食文化 福島県
会津地方
こづゆ
乾しホタテの貝柱でだしを取り、さいの目
に切った大根、人参、里芋、キクラゲ、糸こ
んなどを煮込んだ汁物。
中通北部、 ざくざく
会津地方
さいの目切りにした大根、里芋、ニンジン、
凍み豆腐など種類入れた、汁物と煮物の
中間のような料理。
昔から貴重なタンパク源として、農作業中
のおやつやごはんのおかずなど、大変貴
重とされていました。
殿様が毎日、毎日、枝豆を持ち寄らせて
は「今日はどこの“だだちゃ”の枝豆か?」と
尋ねたそうです。「だだちゃ」とは庄内地方
の方言で「お父さん」のことを言う。枝豆好
きの殿様の逸話から、「だだちゃ豆」と呼ば
れるようになった。
江戸時代末期からの歴史。晩秋から冬に
作る保存食。県北部地域の一般家庭では
広く食べられており、特にお正月にはかか
せない一品。
江戸時代後半から明治時代初期に、会津
藩の武家料理や庶民のごちそうとして広
まった。正月や祭、冠婚葬祭で食べられ
た。
大晦日やお祭り、節句などに食べられる。
室町時代より前から歴史がある。言い伝
えでは、ある高貴な方が地方を訪れ逗留
していたところ、急に出立することになり、
準備していおいた多くの材料を一緒に煮
込んでごちそうしたとされている。
いわき市江名の漁業史によると、藩政時
代は「がぜ(うに)の塩辛」が将軍家へ献上
されていたという。庶民には販売されてい
なかった。貝焼きの始まりは江戸末期頃
だと書かれているが、定かではない。
南会津や大沼地方では「年とりおひら」と
呼ばれ、大晦日に食べられている。家族
の食べる分だけではなく沢山つくり、年始
客へのもてなしとして利用される。
『嫁ぐ娘に会津の郷土食―伝え
たいおふくろの味―』星孝光 著 株式会社 丸八・企画ぱる 製作
192 (e)食文化 福島県
193 (e)食文化 福島県
194 (e)食文化 福島県
海岸部
ウニの貝焼き
只見などの お平
奥会津地方
ホッキガイの殻にムラサキウニを並べて焼
いたもの。
平椀の一番下に土のものとしてゴボウや
山芋、その上に山のものとしてマイタケな
どキノコ、手前に川のものとして赤腹(ウグ
イ)、一番上に山のものとしてマイタケなど
のキノコを並べる。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
『やまがた郷土料理探訪』 山形
県グリーン・ツーリズム推進協議
会 大風印刷 発行
郷土料理百選®|財団法人農村
開発企画委員 http://www.rdpc.or.jp/kyoudoryo
uri100/ryouri/06.html
『聞き書 山形の食事』「日本の食
生活全集 山形」編集委員会 編
集 農山漁村文化協会 発行
山形県HP http://www.pref.yamagata.jp/ou/
somu/020020/03/mailmag/speci
al/vegetable/syounai2.html
『郷土食とうほく読本』読売新聞
東京本社 編 無明舎
『郷土食とうほく読本』読売新聞
東京本社 編 無明舎
渋川問屋 0242-28-4000
『嫁ぐ娘に会津の郷土食―伝え
たいおふくろの味―』星孝光 著 株式会社 丸八・企画ぱる 製作
サライ もうひとつの旬 長寿の
国日本の伝統食 陸田幸枝著
江名採鮑組合柳内保之 0246-55-7095
【e 食文化】 78/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
195 (e)食文化 福島県
会津地方
つと豆腐
196 (e)食文化 福島県
会津地方
ニシンの山椒漬け
197 (e)食文化 福島県
会津地方
しんごろう
198 (e)食文化 福島県
会津地方
棒タラ煮
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
豆腐を細長く切って藁で包み、塩が効いた 祭や冠婚葬祭に必ずつくられてきた。昔、
お湯で煮て日持ちを良くしたもの。
柔らかい豆腐を持ち運びするときに、「つ
と(苞)」が利用されてきた。たまたま苞に
入れたまま煮たにがきっかけとなって「つ
と豆腐」が生まれたという。
身欠きにしんを山椒の葉と醤油で漬け込 ニシンは北前船にのせられて会津に多く
んだ。
運ばれてきた。山椒漬は初夏から夏にか
けて祭や田植え料理としてよくつかわれて
きた。
うるち米をやや硬めに炊き、鍋の中でその 収穫を終えた初冬の頃、豊作の喜びと感
まま棒で半つきにして卵大に握る。それを 謝、そして労をねぎらうために作られてい
串に刺し、じゅうねん味噌を塗り、囲炉裏 る。また、古事記に新米の味をみるとうい
でこんがりと焼いて食べる。
う意味の「しんころあいをみる」という記述
があり、これがなまり「しんごろう」になった
という話がある。
所在地
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
『嫁ぐ娘に会津の郷土食―伝え 南会津農林事務所
たいおふくろの味―』星孝光 著 0241-62-5252
株式会社 丸八・企画ぱる 製作
情報源・取材元
『嫁ぐ娘に会津の郷土食―伝え 『二丸屋武蔵亭』 福島県会津若
たいおふくろの味―』星孝光 著 松市材木町2-8-18 株式会社 丸八・企画ぱる 製作 0242-28-1208
『嫁ぐ娘に会津の郷土食―伝え
たいおふくろの味―』星孝光 著 株式会社 丸八・企画ぱる 製作
『21世紀に残すふくしまの味』福
島民報社事業局出版部 編 乾したマダラを水で戻し、砂糖と醤油で煮 古く正月や祭のごちそうとしてつくられてい
つけたもの。
た。比較的裕福な家ではいとつくることが
できなかった。それは砂糖や水飴を多量
に用いてつくるため大変贅沢な食べ物で
あった。
蕎麦をだし汁の代わりに湧き水に浸して 山都のそばは会津の中でも特においしい
食べる。
とされている。標高が高く、昼夜の寒暖差
が大きいことや、清流沿いにそばが作られ
ているためである。
ホッキガイの炊き込みご飯。
松川浦をはじめ近在する海岸で獲られ相
馬地方を代表する食材。多くのほっき貝料
理が6月~11月まで食べられている。
『嫁ぐ娘に会津の郷土食―伝え
たいおふくろの味―』星孝光 著 株式会社 丸八・企画ぱる 製作
栗の粉をまぶした餅。
栗のうまみを引き出すため裏ごしは念入り
に行う。
郷土料理百選®|財団法人農村
開発企画委員
http://www.rdpc.or.jp/kyoudoryo
uri100/ryouri/07.html
202 (e)食文化 福島県 阿武隈山地 けんちんうどん
一帯
うどんに根野菜をふんだんに入れた料
理。
一説では鎌倉の建長寺でお坊さん達に作
られた所からけんちょう汁からけんちん汁
になったとも言われている。
福島スローフード連絡協議会 http://www.fukushimasf.com/data/kenchinudon.html
203 (e)食文化 福島県
会津地方
高遠そば
『嫁ぐ娘に会津の郷土食―伝え 「大内宿三澤屋」
たいおふくろの味―』星孝光 著 南会津郡下郷町大内山本26-1
株式会社 丸八・企画ぱる 製作 0241-68-2927
204 (e)食文化 福島県
会津地方
田楽ニシン
205 (e)食文化 福島県
中通北部
ひき菜煎り
冷たいそばに辛味大根、かつ節をかけて 寛永20年(1643)、徳川三代将軍・家光
食べる。
の弟君である保科正行侯が、信州高遠か
ら会津の城主となった。この時、高遠町で
食していたそばの打ち方と食べ方を地域
に教え、進めたという。
身欠きにしんに味噌をぬって焼く。
山に囲まれた会津は海から遠く、海の幸
は干し物や塩漬けが多い。特に身欠きに
しんをつかった料理が多い。今でもにしん
の消費量が多く、「にしんの相場は会津で
決まる」とも言われている。
大根とにんじんを炒め、砂糖と醤油、みり 「ひきな」とは大根やにんじんの千切りのこ
んで味付けしたもの。
とで、名前の由来と言われている。甘辛い
味付け。一般的に生の大根をつかうが、
切り干し大根を使用することもある。
206 (e)食文化 福島県
会津地方
納豆ひしお
納豆に甘酒、もろみ醤油を入れてよく混
ぜ、瓶などで数か月寝かせておく。
『会津の年中行事と食べ物』平出
美穂子 著 歴史春秋社 発行
207 (e)食文化 福島県
会津地方
ひしまき
三角形をしたちまき。
199 (e)食文化 福島県 喜多方市山 山都の水そば
都
200 (e)食文化 福島県 相馬地方海 ほっき飯
岸部
201 (e)食文化 福島県
会津地方
栗粉餅
北会津村は畑が多く、大豆の収穫量は会
津地方の中で最も多い。ほとんどの会津
地方全域で保存食として冬の間につくら
れ、田植えなどの忙しい時期にたんぱく源
として有効な食料品だった。
会津藩が文化4年(1807)に作成した会
津風俗帳の中に、ひしまきのことを「笹の
葉で包んだ形が菱形に似ているから菱巻
(ひしまき)の名がついた」と記されてい
る。
喜多方市|旧山都町HP
「そば資料館」 福島県喜多方市
http://www.town.yamato.fukushi 山都町字沢田3077-1
ma.jp/buckwheat/soba_infm.html 0241-38-3000
『浜通りの年中行事と食べ物』平 「旅館いさみや」0244-38-8216
出美穂子 著 歴史春秋出版 発
行
会津若松観光物産協会HP 「会津満田屋」
http://www.aizukanko.com/kk/ai 会津若松市大町1丁目1-25
base/01shirou/mikaku/mikaku_m 0242-27-1345
eibutsu.htm
公益財団法人 学校給食研究改
善協会HP http://www.gakkyu.or.jp/recipe/r
ecipe.php?id=559
『嫁ぐ娘に会津の郷土食―伝え 猪苗代観光協会 0242-62-2048
たいおふくろの味―』星孝光 著 株式会社 丸八・企画ぱる 製作
【e 食文化】 79/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
208 (e)食文化 福島県 会津美里町 つめっこ焼き
209 (e)食文化 福島県 会津地方北 ソースかつ丼
部
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
蕎麦団子にキノコ、納豆、野菜、小豆など 「そば焼きもち」が原形。平成15年に県道
をいれて囲炉裏の灰の中で焼いて食べ
下郷会津本郷線・氷玉峠の開通を機に、
る。
下郷町と会津本郷町(現会津美里町)の
両商工会が地域おこしの一環として開発
した。会津の郷土食と愛情を詰め込んで
作ることから「つめっこやき」と命名した。
原発事故の風評で3年近く販売を中止して
いたが、2013年復活した。
かつ丼をソースだれに浸けてご飯に乗せ ソースカツ丼とは戦後、洋食屋さんから広
たり、ソースだれを掛けた丼。
く作られるようになったと言われているが、
定かではない。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
福島民報WEBサイト2013/11/10 つめっこやき本舗
記事 大沼郡会津美里町字川原町
http://www.minpo.jp/pub/topics/ 1823-1
jishin2011/2013/11/post_8575.ht TEL:0242-56-2594
ml
情報源・取材元
伝統会津ソースカツ丼の会公式
Webサイト http://aizukatudon.com/index.html
伝統会津ソースカツ丼の会公式
Webサイト http://aizukatudon.com/index.html
210 (e)食文化 福島県
会津地方
ニシンやイカの天ぷら
水で戻した身欠きにしんやスルメの天ぷ
ら。
211 (e)食文化 福島県
会津地方
はっとう
萱屋根の葺き替えや収穫最終日に振る舞 月の1日と15日、屋根替えの時の行事食、
う、蕎麦団子に砂糖を沢山入れた小豆
祝食。「はっと」ともいうが、由来としてはあ
餅。
まりおいしく食べ過ぎないよう御法度(ご
はっと)という言い伝えがある。
餡の入った饅頭の天ぷら。
江戸時代、「まんじゅうふ」というまんじゅう
の形をした「ふ」があり、それを天ぷらとし
て食べていたという。昭和初期から砂糖が
庶民の間で食べられるようになり、「まん
じゅう」を揚げて食べるようになったという。
お盆や彼岸に食べられることが多い。
『東北・北海道の郷土料理』 乙
坂ひでℂ 編 ナカニシヤ出版 発
行
日清オイリオ 生活科学研究室
WEBサイト
http://www.nisshinoillio.com/report/kikou/vol7.shtm
l
『会津の年中行事と食べ物』平出
美穂子 著 歴史春秋社 発行
強清水元祖 清水屋 福
島県会津若松市河東町八田沢目
406-1 024294-2008
強清水の饅頭、身欠きニシ
ン、スルメの天ぷら
餡の入った饅頭の天ぷら。強清水という峠
にある清水の脇に建つ茶屋の名物菓子。
饅頭のほかに身欠きニシン、スルメの天
ぷらがある。ニシンとスルメの天ぷらはそ
ばにのせて食べる。
日清オイリオ 生活科学研究室
WEBサイト
http://www.nisshinoillio.com/report/kikou/vol7.shtm
l
『会津の年中行事と食べ物』平出
美穂子 著 歴史春秋社 発行
強清水元祖 清水屋 福
島県会津若松市河東町八田沢目
406-1 024294-2008
ぼうぼう焼き
サンマの身を包丁でたたき、ネギや生姜、 元来、漁師が舟の上で食べるもので、まな
味噌をこねあわせ、ハンバーグ上にして焼 板にさんまのミンチをのせ、上から真っ赤
いた料理。
な炭をのせると、さんまの脂で炎が「ぽう
ぽう」と燃え上がることからこの名がつい
た。
喜多方ラーメン
戦後間もなく作られ始めたラーメンで、ご
当地ラーメンの走りの一つ。
212 (e)食文化 福島県
中通、会津 饅頭の天ぷら
地方
213 (e)食文化 福島県
会津地方
214 (e)食文化 福島県
沿岸部
215 (e)食文化 福島県
喜多方市
216 (e)食文化 福島県
浜通り中央 サガンボの煮つけ
部
217 (e)食文化 福島県 相馬地方沿 たこいも
岸部
218 (e)食文化 福島県
奥会津
アユのすし漬け
サメ(アブラツノザメ)の煮つけ。
江戸時代後期、北海道からの北前船と阿
武隈川の舟によって会津藩へ身欠きニシ
ンやスルメなどの干物が運ばれていた。ま
た会津では強清水といった清らかな湧水
によって干物をもどし調理した。湧水の温
度も天ぷらを作るのに適しているという。
所在地
強清水茶屋があるのは会津若松と白河を
つないでいた白河街道の途中にある峠
で、湧き出す清水で乾物の身欠きニシンと
スルメを戻して天ぷらにする。
昭和初期に、市内のあるラーメン店が「支
那そば」を打ち、屋台を引きながら売り歩
いたものが発祥。良質の水と伝統に支え
られた味噌、醤油の醸造技術がラーメン
のおいしさを生み出している。
サガンボは太平洋側では千葉県より以北
に生息。サガンボはしっとりとしてクセがな
く上品。青森や宮城などの地域で食べら
れている。
マダコこのぶつ切り、里芋、大根を入れて 秋はほっき漁が終わり、刺し網がおもな漁
煮る。食べる直前にネギ、豆腐を入れた味 業となる。また秋野菜の収穫時期ともな
噌仕立ての煮込み料理。
る。秋にはタコや大根がとれるので、たこ
いもとして食べる。
アユの飯ずし。アユを米、野菜を加え、発 春から秋にかけては、はや、あゆのような
酵させた食品。
川魚がたくさん獲れる。冬の食べ物として
すし漬けにしておく。
日清オイリオ 生活科学研究室 会津若松観光物産協会
WEBサイト
TEL / 0242-24-3000
http://www.nisshinoillio.com/report/kikou/vol7.shtm
l
『会津の年中行事と食べ物』平出
美穂子 著 歴史春秋社 発行
『浜通りの年中行事と食べ物』 馳走 久に定 (9月~11月) 平出美穂子 編 歴史春秋社 発 いわき市小名浜本町66
行
福島スローフード連絡協議会 http://www.fukushimasf.com/data/sanmapoupou.html
『東北の食と農漁の文化辞典』西
東秋男 編 筑波書房 発行 喜多方観光協会HP http://www.kitakatakanko.jp/meal/ramen.php
『地域食材大百科第5巻 魚介
類、海藻』藤原昌高 著 農山漁
村文化協会 発行
『聞き書 福島の食事』 「日本の
食生活全集福島」編集委員会 編集 農山漁村文化協会 発行
『日本の食生活全集⑦ 聞き書福
島の食事』 発行所 社団法人 農山漁村文化協会
【e 食文化】 80/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
219 (e)食文化 福島県
中通北部
もち甘酒
220 (e)食文化 福島県
中通北部
がにたたき汁
221 (e)食文化 福島県 阿武隈山地 芋がらの煮つけ
222 (e)食文化 福島県 阿武隈山地 干し柿の天ぷら
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
搗きたての餅と同じくらいの麹を混ぜ込ん
で臼で搗く。とろとろにして瓶に入れ、蔵に
しまっておく。とても甘くておいしい晴れの
日のどぶろくとなる。
川がにをナタでたたいてつぶし、しり鉢で
すりながら味噌を入れ、味噌汁などの汁も
のに入れて食べる。
芋がらは里芋の茎を干したもの。ずいきと
も言う。芋がらを水で戻し、煮付けや刻ん
で汁物にして食べる。
寒い時に体を温めたり、風邪をひかないよ
うにと昔から伝わっている飲み物。
『21世紀に残すふくしまの味』 発行者 花田 勗
7月から8月に川ガニを小川からとってきて
食べる。がには夏を越すと食べない。
『日本の食生活全集⑦ 聞き書福
島の食事』 発行所 社団法人 農山漁村文化協会
福島スローフード連絡協議会HP http://www.fukushimasf.com/data/imogarajiru.html
芋がらは、11月の寒くなってくる時期に畑
から刈り取、皮をむく。芋がらの細い方を
結んで竹竿にかけ、軒先に干していた。保
存食として冬場によく食べられた。
アンポ柿になったやわらかい物を選んで 寒い地方なので渋柿が多く、どこの家でも
種をとり、細かに切る。水で溶いた小麦粉 干し柿を作り、甘い菓子の代わりとしてい
た。特に、珍しい美味のもので、祭やお
を付けて、油で揚げた物。
祝、仏事のときなどによく作られていた。
所在地
情報源・取材元
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
『日本の食生活全集⑦ 聞き書福
島の食事』 発行所 社団法人 農山漁村文化協会
『21世紀に残すふくしまの味』 発
行者 花田 勗
223 (e)食文化 福島県
いわき地方 あんこう鍋
あんこう、白菜、春菊、ネギ、大根を使った 約350年前、磐城平藩・藩主内藤忠興がア
味噌味の鍋。すり潰したアンコウのキモを ンコウを将軍に献上したという言い伝えが
炒ったものを入れ、コクのある汁にするの ある。
が特徴。「どぶ汁」ともいう。
『21世紀に残すふくしまの味』発 小名浜旅館ホテル組合 0246行者 花田 勗
54-4220
『郷土食とうほく読本』読売新聞
東京本社 編 無明舎
224 (e)食文化 福島県
いわき地方 サンマの糠漬け
糠と塩を半々くらいに混ぜた糠床に、サン
マを漬け込み、糠を洗い流し焼いて食べ
る。糠に漬け込むことで臭みを消し、うま
みが引き出される。
『聞き書 福島の食事』 「日本の
食生活全集福島」編集委員会 編集 農山漁村文化協会 発行
225 (e)食文化 福島県
会津地方
わっぱ飯
226 (e)食文化 福島県
会津地方
三五八漬け
太平洋に面した、浜通り地方では秋にはさ
んまが水揚げされる。さんまは頭と腹わた
をとり、一晩水につけてから水を切る。木
箱に漬けたさんまは漬け水がたまらない
ため腐らないとも言われている。
ヒノキのわっぱ(薄い板材で作る曲げわっ 料理屋・田季野の店主が昭和30年夏「曲
ぱと同様の容器)に、山菜やキノコなどい げわっぱ」に出逢い、この器を用い、会津
ろいろな食材を入れて炊いた飯。
の食材を生かした料理を盛り込んだ「輪箱
飯」を創製。
塩、麹、米を3:5:8の割合で漬け床を作 暑い夏にも食欲を誘い、夏負けを防ぐす
り、ナスやキュウリ、カブ、身欠きニシンな ばらしい健康食である。このため、最近見
どを漬けこむ。
直され、各家庭で作られるようになった。
『元祖輪箱飯 田季野』HP http://www.takino.jp/frame.html
『元祖輪箱飯 田季野』
会津若松市栄町5-31 (鐘つき堂
小路) 0242-25-0808
『嫁ぐ娘に会津の郷土食―伝え
たいおふくろの味―』星孝光 著 株式会社 丸八・企画ぱる 製作
【e 食文化】 81/188
(1)地域資源調査リスト 【(f)地場産品・伝統技術】
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
1 (f)地場産 青森県
品・伝統
技術等
弘前市
津軽塗
2 (f)地場産 青森県
品・伝統
技術等
弘前市
津軽焼
3 (f)地場産 青森県
品・伝統
技術等
弘前市
下川原焼土人形
4 (f)地場産 青森県
品・伝統
技術等
弘前市
あけび蔓細工
5 (f)地場産 青森県 弘前市ほか 弘前こけし
品・伝統
技術等
6 (f)地場産 青森県
品・伝統
技術等
弘前市
津軽凧絵
7 (f)地場産 青森県 弘前市・つが 津軽びいどろ
品・伝統
る市
技術等
8 (f)地場産 青森県
品・伝統
技術等
弘前市
津軽打刃物
9 (f)地場産 青森県
品・伝統
技術等
弘前市
津軽桐下駄
10 (f)地場産 青森県
品・伝統
技術等
弘前市
ブナコ
11 (f)地場産 青森県
品・伝統
技術等
八戸市
八戸焼
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
堅牢で実用性に富み、同時に美しく優美
な外見を持つ。これは、幾重にも塗り重ね
た漆を平滑に研ぎ出す「研ぎ出し変わり塗
り」という技法から生まれる。茶筒、盆、
箸、ぐい呑み、お椀などの日用雑器が多
い。弘前市とその周辺の津軽地方と青森
市で生産されている漆器。
いろいろな研究の末に、鉄釉の黒に白の
かけ流しのパターンが生み出された。白釉
の色は雑木、リンゴの木の枝を焼いた木
灰を主としたもので、それにワラ灰などを
混ぜ、微妙な色調の変化を出している。
元禄期(1688-1703)に塗師頭の池田源兵
衛が、江戸で「変塗(かわりぬり)技法」を
習得して帰藩し、以後主にこの技法で漆
器を塗るようになったのが始まり。一時、
衰退するかに見えたが、戦後盛りかえし
現在も重要な産業となっている。
所在地
情報源・取材元
・青森県漆器協同組合連合会
http://www.tsugarunuri.org/
・『青森県百科事典』(東奥日報社
編)
元禄4年(1691)に平清水三右衛門らに
よって築窯され、以後二十数年にわたり藩
の用度品を焼いた。それが津軽焼の始ま
りであるが、一時廃絶し、現在の津軽焼は
昭和11年(1936)に県の指導、助成によっ
て再興されたものである。
人形は小型のものが多く、天神様、子守、 文化年間(1804-1814)に9代藩主が津軽
ネコなどが300種以上、人形笛が200種以 の地に玩具が少ないと嘆いて、下川原に
上、それにいろいろな遊び道具もつくられ あった藩窯の陶師につくらせたのが始ま
た。現在も、およそ200種の型が残されて り。ほぼ同時に焼かれた下川原焼は廃絶
いて、手づくりでつくられている。
したが、土人形は今日に続いている。
青森県庁ホームページ
http://www.pref.aomori.lg.jp/ 『青森県百科事典』(東奥日報社
編)
津軽の山野に自生するアケビのつるを利
用し編みこんでつくるかごや盆はデザイン
が素朴で堅牢で美しい生活用品として親
しまれ、観光客のおみやげ品としても喜ば
れている。
こけしには、頭を胴体にはめ込む「はめ込
み式」と一本の木からつくる「つくり付け
式」がある。津軽系はつくり付け式で、頭
部はオカッパ頭が多く、胴には津軽藩家紋
の牡丹模様やねぶた絵などが描かれるの
が特徴。
弘前だこは人物と人物、人物と動物の組
み合合わせなどの「対の絵」が多い。黒石
市の本郷だこの絵は「金鵄勲章」と「だる
ま」に限られていたという。青森だこは青
森ねぶたと関係が深く、歌舞伎の図柄が
多いのが特徴。
津軽半島・七里長浜の砂が原料。これを
1500度の高温で溶解し、,紀元前1世紀ご
ろから受け継いできたという「宙吹き」とい
う技法でうみだされる工芸品は、美しさと
実用性の姿をみせる。
伝統的な工法である火造り「泥塗り」など
の焼き入れ技術により、優れた切れ味と
耐久性に富み、折れず、曲がらず欠けな
い刃物が誕生する。
桐は下駄の材料としてはぴったり。軽い、
柔らかい、反動が少ない、温度変化が少
ないなどの特質があるからだ。
青森県庁ホームページ
http://www.pref.aomori.lg.jp/ 『青森県百科事典』(東奥日報社
編)
江戸末期の天保年間(1830-1843)に津軽
の人が旅の修験者からアケビのつるを編
みこんだかごづくりを教わり、それをつくっ
て温泉湯治客のみやげ品として販売した
のが始まり。
東北地方に生まれたこけしは、形態、描彩
などから10系統に分類され、そのうちの一
つが津軽系。津軽こけしというのは、黒石
市、大鰐町、弘前市でつくられるこけしの
総称で、津軽系はさらに温湯(ぬるゆ)系
と大鰐系に分かれる。
弘前市を中心とする津軽の凧絵は葛飾北
斎の影響を受けたり、ねぶた絵との深い
関係が感じられる。奉公人の内職として描
かれたものだったり、歌舞伎の看板絵師
が指導したのもあったという。
津軽びいどろは陸奥湾の周辺でつくられ
ていた漁業用の浮き玉の製法を応用して
つくるガラス工芸品。地元の砂をはるか昔
の技能で透明感あふれる工芸品に変え
る。
藩政時代に農具や武器を製造していた鍛
冶職人の技能が蘇る。
江戸時代に広く流行し、津軽においても隆
盛をきわめたのが桐下駄。時代とともに洋
風化が進む中でも技術は伝えられてい
る。
1956年、青森県工業試験場長らの共同研
究により考案され、1963年ブナコ漆器製造
株式会社設立。1966には北日本中小企業
振興展において通産大臣賞を受賞。
青森県のブナの木を有効利用するために
開発された製法で、ブナの原木をテープ状
にカットにしたものを巻き重ね、押し出して
成型。デザイン性に加え木材を無駄なく使
用するエコ製法としても注目されている。
八戸市内で採取された粘土に工夫を加
江戸時代末期まで八戸山中で焼かれてい
え、百数十年前につくられていた陶器が蘇 た焼き物が八戸焼。現在は昭山窯一つだ
る。
けだが、伝統的な八戸焼がつくられてい
る。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
青森県漆器協同組合連合会
http://www.tsugarunuri.org/
青森県庁ホームページ
http://www.pref.aomori.lg.jp/ 『青森県百科事典』(東奥日報社
編)
弘前市役所ホームページ
http://www.pref.aomori.lg.jp/ 『青森県百科事典』(東奥日報社
編)
青森県庁ホームページ
http://www.pref.aomori.lg.jp/ 『青森県百科事典』(東奥日報社
編)
青森県庁ホームページ
http://www.pref.aomori.lg.jp/ 『青森県百科事典』(東奥日報社
編)
青森県庁ホームページ
http://www.pref.aomori.lg.jp/ 『青森県百科事典』(東奥日報社
編)
青森県庁ホームページ
http://www.pref.aomori.lg.jp/ 『青森県百科事典』(東奥日報社
編)
ブナコ漆器製造株式会社設立
ブナコ漆器製造株式会社
http://www.bunaco.co.jp/
http://www.bunaco.co.jp/
青森県庁ホームページ
http://www.pref.aomori.lg.jp/ 『青森県百科事典』(東奥日報社
編)
【f 地場産品・伝統技術】 82/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
12 (f)地場産 青森県 八戸市・七戸 南部菱刺し
品・伝統
町・五戸町
技術等
13 (f)地場産 青森県
品・伝統
技術等
八戸市
八幡馬
14 (f)地場産 青森県
品・伝統
技術等
八戸市
南部姫鞠
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
刺し子の一種で、旧南部藩領の青森県三
戸・上北地方一円に分布していた。その発
生は明らかでないが、現存するもっとも古
いものは、安政3年(1856)につくられたも
のだという。菱形に刺したところから、この
名がついた。
仙台の木下駒、三春の三春駒とともに八
幡馬は日本三駒の一つに数えられる。八
戸市櫛引八幡宮では、旧暦の8月14・15日
に流鏑馬が奉納されていた。その日は市
が開かれ、八幡駒もここで売られた。現在
はただ一人大久保直次郎さんが、その伝
統技術(「鉈彫})を受け継いで、八幡駒を
つくっている。
綿、ワラビ、モミ類、ソバ殻などを乾燥させ
てつくった芯を綿でくるみ、糸で巻く。その
上に色彩豊かな刺繍模様を施している。
刺し子は保温、補強のために麻布を刺し
たもの。菱刺しは布目を2筋、4筋、6筋と
すくうので、菱形模様になる。菱刺しの基
本模様の数は梅の花など、およそ14種あ
るという。
青森県庁ホームページ
http://www.pref.aomori.lg.jp/ 『岩手百科事典』(岩手放送編)
カツラやヒバの角材から、馬の形を切り出
し、そのあとは、ほとんど鉈一本で削り、た
てがみと尾をつけ、色を塗って完成。一番
難しいのは、胸のふくらみを出すところで、
機械では出せない丸みを出す大久保さん
の技はお見事。
青森県庁ホームページ
http://www.pref.aomori.lg.jp/ 『青森県百科事典』(東奥日報社
編)
古くは平安時代から人々に親しまれてきた
毬。八戸地方にも、紙や布切れを丸めて
つくった「くまけり」といわれる毬が明治の
ころからあった。現在は八戸市の老人会
の方々がつくっているようだ。
元禄8年(1685)の記録に「古布こきん」と
出ているのが、もっとも古い記録とされて
いる。江戸時代に木綿の着物を着ることを
許されなかった農民の知恵から生み出さ
れたもので、今でも岩木川周辺で刺されて
いる。
「ぼろ織り」ともいわれ、たて糸に麻または
木綿糸、よこ糸には着古しの木綿着物い
わゆるボロを細かく引き裂いた細布を織り
こんだもの。農民や漁民の仕事着や日常
着として用いられた。保温、補強に優れ、
たいへん重宝された。
寒冷な気候のため、綿を生産できなかっ
た雪国で貴重な面を綿を無駄にすること
なく、裂いて織り込んだ。一時は衰退した
が、現在の趣味と実益を兼ねた伝統工芸
品として復活した。
木地職人だった盛秀太郎に始まる。明治・
大正時代、試行錯誤の末、盛は美しい形
と独特の色彩のこけしをつくる。それを温
湯(ぬるゆ)温泉に来る湯治客におみやげ
品として売ったのである。「津軽こけし館」
には、盛のこけしを始め全国のこけし3000
本が集められている。
昭和時代中ごろから八戸周辺で桐箪笥の
製作が始まったと見られる。しかし、現在、
南部桐の箪笥づくりを続けているのは1軒
のみ。
まるごと青森
http://marugoto.exblog.jp/ 『青
森県百科事典』(東奥日報社編)
15 (f)地場産 青森県 青森市・弘前 こぎん刺し
市
品・伝統
技術等
藍染めの紺の麻布に白い木綿糸で刺す。
布目に沿って、1筋、3筋、5筋と奇数律で
拾っていくため幾何学的な形になる。こう
して刺したものは美しさだけでなく、保温、
補強の面でも優れている。
16 (f)地場産 青森県 青森市・弘前 津軽裂織
品・伝統
市・つがる市
技術等
江戸中期以降、津軽の海岸地域でも布を
裂いて織る「サクリ(裂織)」がされるように
なった。かつては日常着だけだったが、今
ではコートやバッグなどもつくられるように
なった。
17 (f)地場産 青森県
品・伝統
技術等
十和田市
南部裂織
18 (f)地場産 青森県
品・伝統
技術等
黒石市
温湯こけし
古い布を裂いて、経糸に麻を張り、緯(横
糸)にこの裂いた布を織り込んだもの。炬
燵がけ、夜着、仕事着、帯、前掛けなどに
利用されたが、復活した現在はテーブルク
ロスなど様々に利用される。
アイヌ文様を模したといわれる模様や胴体
の下の部分にだるまや牡丹の花などが描
かれているのが温湯こけしの特徴。また、
胴体がくびれているのも大きな特徴。
19 (f)地場産 青森県
品・伝統
技術等
三戸町
南部総桐箪笥
20 (f)地場産 青森県
品・伝統
技術等
大鰐町
大鰐こけし
21 (f)地場産 岩手県 盛岡市・奥州 南部鉄瓶
市
品・伝統
技術等
22 (f)地場産 岩手県 盛岡市・花巻 秀衡塗
市・奥州市・
品・伝統
一関市・平泉
技術等
町
所在地
情報源・取材元
弘前こぎん研究所
青森県庁ホームページ
弘前市在府町61/TEL 0172-32http://www.pref.aomori.lg.jp/ 『青森県百科事典』(東奥日報社 0595
編)
青森県庁ホームページ
http://www.pref.aomori.lg.jp/ 『青森県百科事典』(東奥日報社
編)
南部裂織保存会ホームページ
http://www.sakiori.jp/
南部裂織保存会
http://www.sakiori.jp/
青森県庁ホームページ
http://www.pref.aomori.lg.jp/ 『青森県百科事典』(東奥日報社
編)
南部総桐箪笥は金具のほかはすべて木
材を使用してつくられる。桐は木目が美し
く堅くて弾力性に富むなど材料としては
うってつけ。ここから丹念な作業によって
気品さえ感じさせる製品ができあがる。
あどけない表情を浮かべる大鰐こけしの 津軽こけしの発祥地・温湯(温泉から大鰐
特徴は張りぎみの肩からまっすぐ伸びる 温泉に移り住んだこけし職人たちが、大正
胴体と、その胴に描かれたあやめ模様。 時代になって、こけしをつくり始めたのが
最初。
鋳型に約1400度のどろどろに溶けた鉄(湯 鉄瓶を中心として発達した盛岡「南部」と、
と呼ばれる)を流し込む。鋳型から中空(な 水沢の日用品を中心に発達した「田茂山」
かご)を取り出す。それをいったん冷ました の二つの流れが「南部鉄器」の名の下に
後、錆を防ぐ漆を焼きつけ、お歯黒の液で 一つになったの部は、昭和34年(1959)。
着色して完成。良質の鋳物砂、豊富な石 盛岡「南部鉄器」の源流は、南部利直
(1576-1632)の盛岡城築城に始まる。
炭と鉄鉱石が、この鉄器を育んできた。
津軽こけし館
http://tsugarukokeshi.com/ 『青
森県百科事典』(東奥日報社編)
平泉で栄華をきわめた奥州藤原氏に起源
を発し、江戸時代後期からは衣川村(現・
奥州市)に産地が形成された。昭和30年
(1955)以降は、岩手県の南部地域にも産
地が広がっている。
いわての文化情報大事典
http://www.bunka.pref.iwate.jp/ 『岩手百科事典』(岩手放送編)
トチ、ケヤキなどの素材を乾燥させ生漆で
固めた下地をつくる。それに下塗りを3回
重ね、その上に雲形の模様を描く。文様に
金箔を張り雲の外側に上絵をつけて完
成。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
津軽こけし館
http://tsugarukokeshi.com/ 『青
森県百科事典』(東奥日報社編)
『岩手百科事典』((岩手放送編)
『日本の職人』(神山典士・著)
【f 地場産品・伝統技術】 83/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
13キロほどの道のりを着飾った100頭ほど
の馬が行進する祭り「チャグチャグ馬コ」。
その馬をかたどった玩具。昭和22~23年
ごろからみやげ品として売られるようにな
り、これまででは昭和40~50年が生産の
ピークだった。
盛岡藩の木地師・安保家の家系の子ども
のおしゃぶり用のおもちゃが、キナキナ
ボッコとして伝えられたのである。そこか
ら、いろいろな弟子に受け継がれて、現在
のような彩色された盛岡こけしになってく
るのである。
スコットランド育ちのホームスパンが岩手
に根づいたのは、明治14年(1881)ごろ、
一戸郡に居住していたイギリスの宣教師
が製職法を指導したことによるらしい。今
でも岩手県のホームスパンの生産は全国
の約8割を占めるという。
寛永年間(1624-1643)盛岡藩主が京都か
ら染師を招き、型を使い、藍を染料として
袴などの着衣を染めさせたことが始まり。
現在は祖先がお抱え染師だったという家
(吉野家)の工房で染めがされている。
いわての文化情報大事典
http://www.bunka.pref.iwate.jp/ 『岩手百科事典』(岩手放送編)
起源は明らかでないが、寛政年間(17891801)には幕府の献上品になり、その名は
世に知られるようになっていた。江戸時代
末期ごろまでは南部藩の特産品であっ
た。現在は盛岡市の藤田家が、その伝統
を受け継いでいる。
(財)民俗衣装文化協会
http://www.kimono.or.jp/ 『岩手百科事典』(岩手放送編)
江戸時代、岩屋城主が米だけの経済から
の脱却を目ざして木工品の開発に取り組
んだのが始まり。戦後盛んになり、近年は
民芸調ブームに支えられて生産は伸びて
いる。
地元でとれる粘土を陶土にして、それに山 文政年間(1818-1829)に盛岡藩の焼物師
砂を加え、ロクロで形成したものを登り窯 が窯を築いたのが始まりといわれている。
で焼いたもの。
現在の鍛冶丁焼は、昭和22年(1947)阿
部勝義が窯を築いて復興させたもの。
いわての文化情報大事典
http://www.bunka.pref.iwate.jp/ 『岩手百科事典』(岩手放送編)
明治44年(1911)杉村三兄弟によって台焼
が完成し、それから現在まで杉村家によっ
て受け継がれているのは、堅牢で優雅な
民芸調の白磁器である。
粘土でつくる泥人形の一種で、節句人形
を中心に節句雛、宝船、恵比寿、大黒など
の縁起物が多い。
いわての文化情報大事典
http://www.bunka.pref.iwate.jp/ 『岩手百科事典』(岩手放送編)
23 (f)地場産 岩手県
品・伝統
技術等
盛岡市
チャグチャグ馬コ
祭りで行進する馬は、良質の麻の手編み
の馬衣類やたくさんの鈴などで豪華に飾
られる。その様を木彫りにし、彩色仕あげ
をし、さらにその上を装束で飾りつける。こ
こまでするのは珍しい。
24 (f)地場産 岩手県
品・伝統
技術等
盛岡市
盛岡のこけし
主な材料としてミズキを使ってつくるこけし
だが、頭がはめ込み式で、首うがうごくよう
になっているもので、無地のキナキナボッ
コと呼ばれるこけしが、盛岡こけしの源で
ある。
25 (f)地場産 岩手県 盛岡市・花巻 ホームスパン
市
品・伝統
技術等
羊毛を毛のまま染めし、手紡ぎした太い糸
を使い、手織り機で織った岩手県独特の
毛織物。手紡ぎのホームスパンは弾力に
富んで、しわになりにくく、重さを感じさせ
ない特性がある。
26 (f)地場産 岩手県
品・伝統
技術等
盛岡市
南部古代型染
27 (f)地場産 岩手県
品・伝統
技術等
盛岡市
南部紫根染
近世以降の紙型を使う型染めのことで、鎌
倉時代の遺品には、紙型を使って藍を浸
し染めした資料が「麻裂(あさぎれ)」として
残されているという。素材は絹、麻、木綿
などで、それを古代から伝わる染めの型
で染める。染めの型は130種にも及ぶとい
う。
紫根染はムラサキの根にニシゴリの灰汁
を混ぜた染料で染めてつくる。ムラサキは
紫色の貴重な古代染料として古くから用
いられているもの。柄は昔からのものに加
え、独自に考案したものも含め800種にも
なる。温かみのある独特の美しさが魅力。
28 (f)地場産 岩手県
品・伝統
技術等
奥州市
岩谷堂箪笥
29 (f)地場産 岩手県
品・伝統
技術等
花巻市
鍛冶丁焼
30 (f)地場産 岩手県
品・伝統
技術等
花巻市
台焼
31 (f)地場産 岩手県
品・伝統
技術等
花巻市
花巻人形
32 (f)地場産 岩手県
品・伝統
技術等
花巻市
忍び駒
33 (f)地場産 岩手県
品・伝統
技術等
花巻市
南部系こけし
34 (f)地場産 岩手県
品・伝統
技術等
花巻市
張子の金のベコッコ
キリ、ケヤキ、クリなどを主材としている。
美しい木目、味わい深く重厚な朱塗りによ
る光沢、華麗で豪快な手彫り金具の堅労
さなどをあわせもつ箪笥。
明治の中ごろ、花巻温泉に誕生した台
焼。創始者杉村勘兵衛は、堅牢で雅致の
ある製品をつくりだすため、陶土を温泉の
万寿山に求めた。
享保年間(1716-1735)に花巻鍛冶町の太
田善郎がつくり始めたのが始まりとされ、
その起源は仙台の堤人形まで行くという。
稲ワラを材料にして、それに美しい布や鈴 花巻地方で古くから縁結びや子孫繁栄、
などを飾り付けた素朴な馬人形で、花巻 五穀豊穣などの使い駒として伝えられて
地方独特のもの。
いる。今でも縁起のいい郷土玩具として愛
されている。
木肌が白く堅いコサンバラ(アオハダ)でつ 初めは花巻を中心に描彩のないキナキナ
くられる。頭がはめ込み式で、くらくらと動く 形式でつくられることが多かったが、鳴子
キナキナと呼ばれるこけしは南部系だけ 系、遠刈田系の工人が描彩を施すように
である。
なり、現在に至っている。
手漉き和紙を木型に幾重にも張り合わ
佐渡とともに古来から産金国として有名な
せ、金粉塗料で仕あげた首振り玩具。幸 南部。その南部で繁栄を子孫に伝えようと
運と商売繁盛のマスコットとして愛用され 砂金で牛の形にした黄金牛がつくられ、そ
ている。
れをかたどったもの。
所在地
情報源・取材元
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
いわての文化情報大事典
http://www.bunka.pref.iwate.jp/ 『岩手百科事典』(岩手放送編)
日本ホームスパン
いわての文化情報大事典
http://www.bunka.pref.iwate.jp/ http://www.homespun.co.jp/
『岩手百科事典』(岩手放送編)
いわての文化情報大事典
http://www.bunka.pref.iwate.jp/ 『岩手百科事典』(岩手放送編)
いわての文化情報大事典
http://www.bunka.pref.iwate.jp/ 『岩手百科事典』(岩手放送編)
いわての文化情報大事典
http://www.bunka.pref.iwate.jp/
いわての文化情報大事典
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【f 地場産品・伝統技術】 84/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
いわての文化情報大事典
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35 (f)地場産 岩手県
品・伝統
技術等
花巻市
成島和紙
クワ科の落葉低木のコウゾの皮を原料と
してつくられる成島和紙は、寒中に漉きあ
げられることもあって、独特の紙質にな
る。
36 (f)地場産 岩手県
品・伝統
技術等
花巻市
花巻傘
岩手県内の真竹と和紙は美濃鳥山和紙。
これらを材料に全工程を一貫作業で花巻
傘はつくられる。
37 (f)地場産 岩手県
品・伝統
技術等
花巻市
南部型染
藍(ダテ科の一年草)の染料で藍色に染め
る技法が藍染。江戸時代全国に普及した
染め方で、<木灰汁の中で発酵させて染
める方法>が現在に受け継がれている。
東和町(現・花巻市)成島では寛文年間
(1661-1672)以前に和紙製造が始まって
いたとされる。今はただ一人が成島和紙
の技法を受け継いで和紙をつくっているの
み。
享和年間(1801-1804)のころの花巻での
傘の製造が起源といわれている。岩手県
唯一の製造販売所・滝田工芸の創業は大
正元年(1912)である。
藍染の最盛期は明治初期であった。その
後はほとんど化学染料にとって代わられ
る時代になるのだが、そんな中でも伝統的
技法が今に受け継がれている。
38 (f)地場産 岩手県
品・伝統
技術等
北上市
南部系覚平こけし
北上市
南部裂き織
40 (f)地場産 岩手県
品・伝統
技術等
一関市
紫雲石硯
41 (f)地場産 岩手県
品・伝統
技術等
一関市
東山和紙
覚平こけしは80年の伝統を誇り、現当主
は9代目で初代以来の技法を今に受け継
いでいる。昭和初期衰退したものの、戦後
は民芸品として定着した。
南部裂き織の最初の織元になったのは、
昭和40年(1965)ごろの地元の玩具作家
で面師でもあった先代の沢藤隆助。平太
房と号した。
鎌倉時代、旅の僧が、この地の川から見
つけた石で硯をつくったのが紫雲石硯の
始まりという。今は水墨画や鑑賞用にも用
いられるようになった。
平泉・藤原文化として平安時代末期から
つくられていた東山和紙。昭和30年
(1955)ごろは町内に100以上の紙漉き業
者がいたというが、今は2軒だけ。
いわての文化情報大事典
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39 (f)地場産 岩手県
品・伝統
技術等
頭がはめ込み式で、その頭がくらくら動く
のが特徴の南部こけしは51種類ある。そ
の中の一つが覚平こけしで、ミズキ、イタ
ヤ、サクラなどを木地としてつくる。
古布を裂いてよこ糸にして織るのが裂き
織。この裂き織でできる厚い木綿と麻の織
物は素朴な風合いで保温性、吸湿性に富
んでいる。
古代4億万年以上前に形成されたと考えら
れる紫雲石は剥離しにくいのが特色。この
石でつくられた硯は石色がよく、気品のよ
い発墨をするとされている。
コウゾを原料にして、主に冬の寒い時期に
漉いてできる東山和紙。柔らかで、それで
いて強靭な紙質をいかした書道用紙、賞
状用紙、色紙など幅広くつくられている。
42 (f)地場産 岩手県
品・伝統
技術等
一関市
南部紬
いわての文化情報大事典
http://www.bunka.pref.iwate.jp/
43 (f)地場産 岩手県
品・伝統
技術等
一関市
南部千厩紬
江戸時代、盛岡藩の振興策として盛んに
織られた。戦後は県の産業として再興が
はかられ、現在はその技法を継承した製
品がつくられている。
素材の精選から染色、手織りと一貫した 南部千厩紬の源流は平泉文化に遡るとい
作業を古来からの技法にしたがって絹織 われる。その古い伝統と技術が復興した
物をつくってきた。近年は当地産の天然糸 のは、昭和51年(1976)のことである。
を使った手織りの製品もつくっている。
44 (f)地場産 岩手県
品・伝統
技術等
遠野市
遠野附馬牛人形
遠野の土と和紙を混ぜ合わせて型取り
し、彩色して仕あげるこの人形は、すべて
手づくりで仕あげる。縁起物が多く、贈り物
として人気を得ている。
いわての文化情報大事典
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45 (f)地場産 岩手県
品・伝統
技術等
久慈市
小久慈焼
46 (f)地場産 岩手県
品・伝統
技術等
久慈市
久慈砂鉄鍋
47 (f)地場産 岩手県
品・伝統
技術等
久慈市
久慈琥珀
48 (f)地場産 岩手県
品・伝統
技術等
大船渡市
地元の粘土を陶土に、ワラ灰を使ってつ 文化10年(1813)相馬の陶工が小久慈の
くった白釉、砂鉄を使った飴釉をかけて焼 甚六の助けを借りて三日町に築窯したの
いた日常食器が主。
が始まりとされる。その後、甚六家で技法
は代々引き継がれた。昭和32年(1957)か
らは、小久慈に築かれた窯で生産が続け
られている。
豊富な砂鉄を原料としてつくる鍋は約1セ 久慈地方は砂鉄の豊富な産地として知ら
ンチと肉厚で、一度温まるとほぼ一定の温 れていた。古くから、この砂鉄を原料として
度を保つ特徴がある。
「たたら吹き」の方法で鉄をつくり、関東、
関西方面へと移出していた。
太古の植物のヤニが化石化してできたの 古来より採取されており、古墳時代のもの
が琥珀。久慈地方は産出量、品質ともに も出土している。平安時代にすでに琥珀
優れた、国内唯一の産地として知られて 工房というのがあった。江戸時代には特に
いる。
盛んに掘られていた。
紫雲石硯の特徴は、石の持つ優美さ、滑 正法寺付近でとれるので正法寺石ともい
らかさに加えて鋒鋩(ほうぼう・石の表面 われる紫雲石を原石とした硯は、古く平
の凹凸)が緻密で、墨下りがよいことにあ 泉・藤原のころからつくられてきていたらし
る。
い。現在は個人でつくられている。
紫雲石硯(東方紫雲)
草木などの食物を染料の原料としている
ため、素朴で野趣に富み、ふっくらしてス
ベリのないのが特徴となっている。
江戸初期の嘉永年間(1848-1854)に始ま
り、明治の初めごろまでつくられていた。そ
の後、途絶えたが、昭和60年(1985)に
なって、およそ120年ぶりに復活した。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
いわての文化情報大事典
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いわての文化情報大事典
http://www.bunka.pref.iwate.jp/ 『岩手百科事典』(岩手放送編)
いわての文化情報大事典
http://www.bunka.pref.iwate.jp/
いわての文化情報大事典
http://www.bunka.pref.iwate.jp/
いわての文化情報大事典
http://www.bunka.pref.iwate.jp/
いわての文化情報大事典
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いわての文化情報大事典
http://www.bunka.pref.iwate.jp/ 『岩手百科事典』(岩手放送編)
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【f 地場産品・伝統技術】 85/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
49 (f)地場産 岩手県
品・伝統
技術等
二戸市
浄法寺塗
50 (f)地場産 岩手県
品・伝統
技術等
八幡平市
地熱染め
51 (f)地場産 岩手県
品・伝統
技術等
雫石町
52 (f)地場産 岩手県
品・伝統
技術等
西和賀町
遠刈田系湯田こけし
53 (f)地場産 岩手県
品・伝統
技術等
西和賀町
あけびづる細工
54 (f)地場産 岩手県
品・伝統
技術等
一戸町
鳥越竹細工
55 (f)地場産 宮城県
品・伝統
技術等
仙台市
作並こけし
56 (f)地場産 宮城県
品・伝統
技術等
仙台市
堤焼
57 (f)地場産 宮城県
品・伝統
技術等
仙台市
埋木細工
58 (f)地場産 宮城県
品・伝統
技術等
仙台市
堤人形
59 (f)地場産 宮城県
品・伝統
技術等
仙台市
仙台張子・松川だるま
60 (f)地場産 宮城県
品・伝統
技術等
仙台市
仙台平
61 (f)地場産 宮城県
品・伝統
技術等
仙台市
仙台御筆
亀甲織
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
原料は地元でとれる浄法寺塗を使用。庶 浄法寺の天台寺で僧侶が寺の什器をつ
民の器として実用性を重視したシンプルな くったのが始まりとされ、江戸時代には重
デザインになっている。
要な産業となったが、明治になると衰退し
た。しかし、近年、復興を遂げた。
270年以上の歴史を持つ松川温泉の地熱 日本で初めての地熱蒸気による発電が成
蒸気を利用し、独特の染色をした染物。独 功し、松尾村(現 八幡平市)の特産として
自の手絞りによるもので、蒸気により染料 試作された。昭和56年に岩手県工業技術
が滲み美しいグラデーションが出るように センター木工特産部の指導のもと商品化
に成功。
考えられている。
栽培からつくった麻糸で、たて糸をよこ糸
にからませながら織り、六角形の亀甲模
様を浮かびあがらせる織り。
もともとは南部藩への献上のための織物
だったが、庶民は汗はじきのために野良
着の下につけていた。現在は地元の婦人
たちが、昔ながらの技を受け継いで製作
にあたっている。
イタヤカエデ、ミズキ、サクラなどを原木と 大正8年(1919)遠刈田の工人佐藤丑蔵を
してつくる、このこけしは胴の太さに比して 講師として湯本に小林工場が開かれた。
頭の大きいことが特徴になっている。遠刈 その後、佐藤丑蔵から小林善作、小林定
田は鳴子、土湯と並び日本三代こけし発 雄へと受け継がれて行く。
祥の地とされている。
葉がほとんど枯れ落ちた11月に入ってか 冬の長い沢内村(現・西和賀町)では冬季
の手仕事としてアケビつるによる手かごや
ら、アケビつるを採取し、それの地面に
這っている部分を丸ごと使って手かごなど 丸かごづくりが昔から盛んであった。最近
は技術を伝えることのできる人が少なく
に編みこむのである。
なっているのが悩み。
一般的な竹にくらべて、細く弾力に富む
歴史は慈覚大使と結びつく言い伝えがあ
「すず竹」を材料にして生活用具を編んで るほどで、平安時代初期にまで遡るとされ
きた。つくられるのは、ざる、弁当箱、手提 る。近年は伝統的な生活用具としての価
げなど多様。
値が見直されている。
頭部と胴部が「はめこみ式」。頭が大きく胴 秋保温泉と並び、仙台の奥座敷とされる
は細い直胴か、太めの胴で下部がくびれ 寛政8年(1796)開湯の作並温泉で生まれ
て裾広がりのものもある。蟹状の菊花、牡 たこけし。誕生は、明治の初めごろと考え
丹状の花模様が特徴。
られている。今は、この温泉のほかには、
宮城県の芋沢、山形市内で主につくられ
ている。
仙台古来の焼き物の伝統を受け継ぐ風合 開窯は元禄7年(1694)といわれる。大正
い。鉄釉になまこの色が流れだしたような に入って一時衰退をみたが、現在は、明
釉薬。東北の緑と雪の中から生まれたよう 治3年(1870)に堤焼乾馬窯を開いた針生
な独特の色合いの辰砂釉、緑釉、桐火釉 家の4代目が息子とともに作陶に励んで
に特徴がある。
いる。
全国に類のない工芸資材・埋木(500万年 文政5年(1822)青葉山で仙台藩の下級武
前のもの)を使った埋木細工。埋木の美し 士が埋木を発見。持ち帰って種々工夫を
い木目と拭い漆を施した光沢などで重量 し、「掻敷(かいしき・食物を盛る器)」をつ
感にあふれる。
くったのが始まりとされる。
西の伏見、東の堤は郷土玩具の双璧とさ 元禄年間初期(1688-1704)、堤焼改良の
れる。当初は「おひなっこ」と呼ばれたこの ため招かれた江戸の陶工・上村万右衛門
人形の持つ造形の美と色彩の妙味はいま の創作といわれる。明治末、人形屋は1軒
だ衰えず。
になったが、復元に力を入れ、みごとに
蘇った。
仙台張子玩具の代表格が松川だるま。顔 仙台藩士・松川豊之進が創始したとの言
の周囲は群青色で彩色し、腹部には宝
い伝えがある。現在の松川だるまの原型
船、福の神、松竹梅などをにぎやかに描 は、明治初期、高橋徳太郎によってつくら
いて華麗なもの。このだるまには最初から れた。
目が入っていて珍しい。
糸づくりから始まり、およそ30の工程を経 仙台平は当時の仙台藩主が自分が身に
てできあがる仙台平は、見た目の美しさ、 つけるための織物をつくらせたことが始ま
はき心地の良さに加え、丈夫でしわになら りとされる。現在は伝統を受け継ぐ人間国
ないのが特徴。仙台平の袴は能楽や歌舞 宝の甲田綏郎(こうだよしろう)さんが代表
伎の著名人のファンも多い。
をつとめる会社でのみつくられている。
「萩筆」(藩政時代から伝わる筆で宮城野
ハギを軸にしている)と「五色筆」(明治初
期に考案された筆で、ハギ、マツ、スス
キ、ヨシ、タデを軸として、5種一組)が、こ
れまでつくられた中の絶品。
仙台御筆は伊達政宗公が慶長19年
(1614)に学問と勧業を目的に大坂の筆職
人を御用筆師として召し抱えたことが始ま
り。
所在地
情報源・取材元
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
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・八幡平市ホームページ
地熱染色研究所
http://www.city.hachimantai.lg.jp http://www.geo-color.com/
/cat51/cat59/cat515/post_285.p
hp
・いわての生活文化
http://www.bunka.pref.iwate.jp/s
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http://www.bunka.pref.iwate.jp/ 『野山で生まれた暮らしの道具』 (かくまつとむ 撮影・大檇弘)
いわての文化情報大事典
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宮城県中小企業団体中央会
http://www.chuokai-miyagi.or.jp/
『宮城県百科事典』(河北新報社
編)
仙台市役所ホームページ
http://www.sity.sendai.jp/
『宮城県百科事典』(河北新報社
編)
仙台市役所ホームページ
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『宮城県百科事典』(河北新報社
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『宮城県百科事典』(河北新報社
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『宮城県百科事典』(河北新報社
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仙台平ホームページ
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手とてとテ tetoteote-senndai.jp
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【f 地場産品・伝統技術】 86/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
62 (f)地場産 宮城県
品・伝統
技術等
仙台市
玉虫塗
63 (f)地場産 宮城県
品・伝統
技術等
仙台市
仙台箪笥
64 (f)地場産 宮城県
品・伝統
技術等
仙台市
仙台堆朱
65 (f)地場産 宮城県
品・伝統
技術等
石巻市
雄勝硯
66 (f)地場産 宮城県
品・伝統
技術等
石巻市
鯨歯工芸品
67 (f)地場産 宮城県
品・伝統
技術等
白石市
弥治郎こけし
68 (f)地場産 宮城県
品・伝統
技術等
白石市
69 (f)地場産 宮城県
品・伝統
技術等
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
下地塗りを施した木地の全面に銀粉を蒔
き、最後に特殊な漆(玉虫漆)を塗ることで
玉虫の羽のような色調と光沢を持った製
品ができる。
所在地
情報源・取材元
昭和7年(1932)仙台にあった商工省国立
東北工業所で創意工夫し特許を得たのが
始まり。その後は、(有)東北工芸製作所が
実施権を得て、今日まで製作を続けてい
る。
仙台箪笥の原型は4尺箪笥で、木地はケ 江戸時代末期から始まったとされる仙台
ヤキを主体とする。塗りの木地呂塗(飴色 箪笥は、明治・大正時代の時期に現在の
の透明な漆・木地呂漆を何度も塗り重ね ような仙台箪笥のスタイルに定着したとい
る)は仙台箪笥の伝統的塗り。それに、牡 われている。
丹や唐獅子などの文様がついている手打
ち金具を打ちつけて仕あげる。
堆朱は漆を塗り重ねた後に彫刻するのが 明治末期に仙台刑務所に招かれた新潟
普通だが、仙台堆朱は村上堆朱が伝わっ 県村上堆朱の工人が村上堆朱の技法を
たものなので順序が逆。木地に模様を施 伝え、仙台堆朱の基礎が確立された。
し(型押し法)、塗りを重ねて硯箱、文箱な
どをつくる。
硯にとってもっとも大事なのは鋒鋩(ほう 文献には室町応永年間(1394-1428)より
ぼう・これで墨がすれる)。この鋒鋩となる 雄勝で産出する硯石を使った雄勝硯がつ
原石の粒が細かく、硬度が適当で硯に適 くられていたことが見える。現在も地区で
しているというのである。
採石される硯石は、国内産出量のおよそ9
割を占める。
当初はパイプ、印材、指輪など。次には茶 かつて全国有数の捕鯨基地として栄えた
托、菓子皿、靴ベラなどになり、現在はブ 牡鹿地区のみやげ品として欠くことのでき
ローチ、ペンダント、ストラップ、タイピンな ないもの。昭和初期に、捕鯨船の乗組員
どが主力製品になった。
が仕事の合間に、パイプなどをつくったの
が始まりとされる。
頭が大きく上部にベレー帽風のロクロ模様 白石市の弥治郎集落の鎌先温泉近くに住
がある。また、多くは胴の中間がくびれて む木地師がつくり、温泉に来る湯治客のお
いるのが弥治郎こけしの特徴。その胴部 みやげに販売したのが始まり。今も集落に
にロクロ模様が見られるのもある。
は工房があり「弥治郎こけし村」では、こけ
しの実演、販売も行われている。
仙台市役所ホームページ
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『宮城県百科事典』(河北新報社
編)
白石和紙
漉いた紙を版木にのせて模様を打ち出し
たり、柿渋をつかうなど、さまざまな工夫を
こらして和紙ができる。それを加工して、札
入れ、ハンドバッグなどをつくっている。
白石市役所ホームページ
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大崎市
鳴子こけし
70 (f)地場産 宮城県
品・伝統
技術等
大崎市
鳴子漆器
肩が張り、ゆるく内側にそった胴は安定感
がある。つくりは「はめ込み式」で、首を回
すとキイキイ音を出す。模様は「重ね菊」
(横から見た菊を重ねて描いた)、「菱菊」
(上から見た菊を胴の下部に描く)が代表
的。また、他の系統にくらべて写実的であ
る。
鳴子漆器の特徴は、木挽木地に対する塗
り立て技術にある。その代表的技術は次
の二つ。木地の木目の美しさをいかす「木
地呂塗」、7色の塗りと金、銀を組み合わ
せて墨流し風の龍門模様をつくりあげる
「龍門塗」である。
71 (f)地場産 宮城県
品・伝統
技術等
大崎市
岩出山しの竹細工
72 (f)地場産 宮城県
品・伝統
技術等
登米市
松笠風鈴
73 (f)地場産 宮城県
品・伝統
技術等
栗原市
若柳地織
この竹細工は材料に弾力性のある「しの
竹」の皮の部分だけを使っているのがt特
徴。滑らかな表皮を内側にして編んだざる
やかごは弾力、耐久性に富む。
松笠のような飾りの下の鋳物でできた風
鈴の表面には虫食いのあとのようなあと
がたくさんついて、ざらざらしている。手づ
くりのこの風鈴の出す音はひとつ、ひとつ
違う。
綿織物独特の風合いを持つ、この織り物
を加工して、室内着、のれん、ネクタイ、札
入れなど多様な製品がつくられている。
伊達政宗公が、平安時代から評判になっ
ていた「東北の紙」の紙漉きを奨励したこ
とによって、原料と水質に恵まれた白石・
刈田地方で良質の紙が生産されるように
なった。
こけしの日本三大発祥地の一つに数えら
れる鳴子温泉で誕生したこけし。古文書に
は「こふけし」があったという。木地業の盛
んな鳴子で、こけしがつくられ始めたの
は、江戸後期のこととされている。今も鳴
子温泉の「こけし通り」には、こけし店が軒
をつらねる。
鳴子漆器は寛永年間(1624-1644)には、
すでに創始されたと伝えられている。文
化・文政年間(1804-1830)には鳴子温泉
の湯治客のおみやげ品としてだけでなく、
外からの相当量の注文にも応じられるよう
になっていたという。現在も市の重要な産
業の一つである。
岩出山第4代城主・伊達村泰公が奨励し
生産されるようになったといわれている。
今も50人ほどが伝統を受け継いだ竹細工
づくりをしている。
天明年間(1781-1789)仙台藩主に音色の
良い風鈴を望まれた、江田家10代庄衛門
がつくり献上したのが始まりという。一子
相伝の秘技として江田家に今日まで伝え
られている。
明治から大正にかけて、旧・若柳町を中心
に盛んにつくられた綿織物。農作業着が
主だった。現在も製造しているのは1社。
仙台市役所ホームページ
http://www.sity.sendai.jp/
『宮城県百科事典』(河北新報社
編)
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
(有)東北工芸製作所
http://www.tohokukogei.com/
仙台箪笥協同組合
http://www.sendai-tansu.com/
(仙台箪笥歴史工芸館 仙台市
青葉区本町2-7-3)
仙台市役所ホームページ
http://www.sity.sendai.jp/
『宮城県百科事典』(河北新報社
編)
仙台市役所ホームページ
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石巻市役所ホームページ
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『宮城県百科事典』(河北新報社
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白石市役所ホームページ
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宮城県庁ホームページ
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『宮城県百科事典』(河北新報社
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『宮城県百科事典』(河北新報社
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大崎竹工芸館
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大崎市岩出山字ニノ構115番地
『宮城県百科事典』(河北新報社 TEL0229-73-1850
編)
宮城県庁ホームページ
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【f 地場産品・伝統技術】 87/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
74 (f)地場産 宮城県
品・伝統
技術等
蔵王町
遠刈田こけし
75 (f)地場産 宮城県
品・伝統
技術等
加美町
中新田打刃物
76 (f)地場産 宮城県
品・伝統
技術等
加美町
77 (f)地場産 秋田県
品・伝統
技術等
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
こけしの構造は、頭と銅をはめ込む「さし
込み式」と一本木からつくる「つくり付け
式」の二通りあるが、遠刈田こけしの場合
はどちらもある。
所在地
情報源・取材元
蔵王町遠刈田温泉に誕生したこけし。遠
刈田は鳴子、土湯と並ぶこけしの日本三
大発祥地。やはり、ここのこけしも温泉の
湯治客の子どもへのおみやげ用につくら
れたもののようだ。
刀と同様、空打ちで鋼を鍛え焼き入れする 江戸の寛文年間(1661-1673)に仙台藩の
伝統技術でつくられる。これでできる鎌、 刀匠・舟野五郎兵衛によって創始されたと
包丁、鉈、ナイフなどは切れ味鋭く、使い 伝えられる。その技術は今も生かされてい
やすいと評判。
る。
仙台市役所ホームページ
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『宮城県百科事典』(河北新報社
編)
切込焼
製品は染め付け(白磁に藍色で文様を描
く)が主体。いろいろつくられている器物の
中でも、「らっきょう徳利」他にはあまり見
ない独特の形式である。
仙台市役所ホームページ
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『宮城県百科事典』(河北新報社
編)
秋田市
秋田銀線細工
秋田は昔から銀の豊富な産出地で、細工
も盛んだった。そこに、長崎の平戸から技
法が導入され、明治末期、竹谷本店初代・
竹谷金之助の指導により、銀線細工は一
大発展を遂げて現在に至る。
78 (f)地場産 秋田県
品・伝統
技術等
秋田市
八橋人形
79 (f)地場産 秋田県
品・伝統
技術等
秋田市
秋田八丈
およそ200年前、石川滝右衛門が伝える
伊達式(福島保原)の織法と蓼沼甚平の
伝える上州式(桐生)の染織が組み合わ
さって生まれた絹織物。ただ、現在織るの
は1軒のみ。
『秋田の民芸』(秋田魁新報編)
『秋田大百科』(秋田魁新報編)
80 (f)地場産 秋田県
品・伝統
技術等
秋田市
秋田蕗摺
発祥については定かでないが、文久年間
(1861-1864)に秋田市の僧が北阿仁から
転住してきた宮腰家の初代清次郎に教え
伝えたのだという。秋田市の宮腰家に一
子相伝の秘技として代々伝えられてきた。
『秋田の民芸』(秋田魁新報編)
『秋田大百科』(秋田魁新報編)
81 (f)地場産 秋田県
品・伝統
技術等
大館市
曲げわっぱ
元禄12年(1699)ごろ、杣夫が曲げ物の器
物をつくるのを大館城代が知り下級武士
の内職として曲げわっぱづくりを奨励した
のが始まりとされる。昭和40年代にかけて
の民芸ブームなどで量産態勢が確立され
た。
『秋田の民芸』(秋田魁新報編)
『秋田大百科』(秋田魁新報編)
82 (f)地場産 秋田県
品・伝統
技術等
鹿角市
紫根染(鹿角茜染)
粘土の合わせ型で素焼きに丹念に絵付け
した土人形、いかにも素朴で土くさい親し
みが魅力になっている。工程は、下ごしら
え→型どり→乾燥→窯焼き→絵づけとな
る。
染めの原料はすべて植物。特色は茶色と
黄色を主調色とする色調にある。茶色ハ
ハマナスの根皮から。黄色はレンゲツツジ
の葉から。ちなみに黒色はロックウッドか
ら。赤色は蘇芳から。すべて植物染料を用
いた糸染め。
葉脈の堅い秋田蕗を用いて、緑色の染料
や顔料と併用して、蕗の茎から葉の末端
までの筋、葉脈を布や紙、衣料などに鮮
明に摺りあげるのが秋田蕗摺。どんな具
合にするのかは、五代目・力さんが知るの
み。
工程は①木目の整った秋田杉を割る。あ
るいは製材で薄く剥ぎ乾燥させる ②熱湯
に入れて柔らかくし円筒形の型に沿って曲
げる ③曲げた両端をハサミで固定し乾燥
させる ④ハサミをはずし、サクラの樹皮
で両端を縫いあげ、底を入れ漆塗りして完
成。
鹿角地方に自生する紫根と茜根の染料と
ニシコホリと称されるサワフタギの灰汁で
染めるもの。絹には50回ぐらい、木綿布
の場合は130回ぐらいの先媒染(染める前
に媒染を行う)が必要とされる。
江戸時代から明治時代初期に焼かれた。
その創始をめぐっては定説がない。ただ、
東北ではもっとも古いものの一つに数えら
れる。明治に入って間もなく廃絶し再興も
成功していない。
純銀の直径0.2ミリくらいの細い線を、より
合わせて、ローラーでつぶし、デザインに
合わせて所定の長さに切り渦巻状に巻く。
それを太めの銀線でつくった枠組の中に
はめ込んで銀ロウで接着する。根気と細
かな神経が必要。
伝承によれば、安永・天明期(1772-1788)
ごろ、京都伏見からきた人形師が川尻に
窯を開き、陶器や人形を焼いたのが始ま
りとされる。
この千数百年の昔から伝えられる古代染
色技法を受け継いだ栗山文治郎さんは昭
和28年(1953)、国の無形文化財の指定
を受けた。長男・文一郎さんと奥さんは昭
和53年(1978)に、秋田県無形文化財の指
定を受けた。
『秋田の民芸』(秋田魁新報編)
『秋田大百科』(秋田魁新報編)
83 (f)地場産 秋田県
品・伝統
技術等
湯沢市
川連漆器
『秋田の民芸』(秋田魁新報編)
『秋田大百科』(秋田魁新報編)
84 (f)地場産 秋田県
品・伝統
技術等
湯沢市
湯沢まなぐ凧
稲庭に居城した小野寺氏が家臣に豊富な
材木と漆で武具を塗らせ内職をさせたの
が始まりと伝えられている。建久4年
(1190)ごろのことだから、800年以上の歴
史がある。昭和51年に国の伝統的工芸
品の指定を受けた。
横1に対して縦1・8という安定した比率の 元禄年間(1688-1704)から伝えられてい
細長い形で縦骨と横骨だけで枠骨のない る。禁裏御(京都御所)の警護のために上
構造で、揚がってからの動きが活発だとさ 洛した藩士が京都で見た武者絵を模写し
れる。凧絵は武者絵など30種ほどあるが、 て湯沢に持ち帰ったのが始まりとされてい
何といっても墨一色で描かれた「まなぐ
る。
(目)凧」が一番人気。
乾燥した椀や膳の木地に、11にも及ぶ工
程の地塗りを施す。さらに、中塗り、上塗り
を重ね、本塗りで塗りの工程は終わり。毛
塗り沈金か蒔絵の加飾を施し、美しい製
品に仕あげる。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
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『宮城県百科事典』(河北新報
社編)
『秋田の民芸』(秋田魁新報編)
『秋田大百科』(秋田魁新報編)
『秋田の民芸』(秋田魁新報編)
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川連漆器組合
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『秋田の民芸』(秋田魁新報編)
『秋田大百科』(秋田魁新報編)
【f 地場産品・伝統技術】 88/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
85 (f)地場産 秋田県
品・伝統
技術等
湯沢市
木地山こけし
こけしの描彩の図柄は義兄から与えられ
たのを基本として、小椋久太郎自身が考
えたものだ。前垂れに梅花をあしらったこ
けしは、胴周りがだんだん太くなり、健康
美そのものの娘姿へと変化していった。
明治37・38年(1904-1905)ごろ、木地山で
最初にこけしをつくった小椋久太郎の一族
は文化6年(1860)仙台藩から木地山に移
住してきた。その一族の長は小椋徳右衛
門。徳右衛門の4男が久四郎で、久四郎
の二男が久太郎ということになる。
『秋田の民芸』(秋田魁新報編)
『秋田大百科』(秋田魁新報編)
86 (f)地場産 秋田県
品・伝統
技術等
湯沢市
川連こけし
木地山こけしと並ぶ秋田県内の代表的伝
統こけしで、頭部と胴部が一体型のつくり
つけ式で、胴には前垂れ模様、頭部には
大きな前髪、後頭部にはつん毛が描かれ
ているのが特徴。
『秋田の民芸』(秋田魁新報編)
『秋田大百科』(秋田魁新報編)
87 (f)地場産 秋田県
品・伝統
技術等
湯沢市
秋田仏壇
88 (f)地場産 秋田県
品・伝統
技術等
能代市
能代春慶
原木はアカマツ、ホオ、ヒバなどで、平板
にして1年以上天日乾燥する。その平板に
下地塗り、中塗り、上塗りを施し蒔絵、金
箔押しなどをする。こうして、伝統の川連
塗の技術を生かした秋田仏壇、別名・川
連仏壇が完成する。
特色は植物根からとる「うこん粉」という黄
色染料に漆と糊を入れたのを木地に塗
り、後に塗り重ねる漆のすい込みを止める
ことにある。入念な工程でつくられる漆器
は使いこむとますます素地が透けて木目
が美しくなることから広く用いられている。
89 (f)地場産 秋田県
品・伝統
技術等
能代市
能代凧
凧絵は武者絵、歌舞伎絵など20種ほどあ
るが、何といっても、舌を出したベラボウ絵
が有名。ゆえに「ベラボウ凧」といわれる。
骨組みが縦2本だけというのも珍しい。
90 (f)地場産 秋田県
品・伝統
技術等
横手市
浅舞絞り
浅舞絞りの模様は200種以上といわれて
いる。小袖の全面に模様を置く、総模様の
絞りになると超高級品で、簡単に手の出る
着物ではなかったようだ。西馬音内盆踊り
の衣装にも、この技法が見られる。
91 (f)地場産 秋田県
品・伝統
技術等
横手市
中山人形
石膏の型に粘土を詰めて型抜きをし、合
わせ目を削って成形。乾燥させて釜で焼
いて色づけを重ねて完成させる。十二支
の干支が大人気。
92 (f)地場産 秋田県
品・伝統
技術等
北秋田市
阿仁焼
秋田の焼き物は褐色に青色のなまこ釉を
かけたのが多いが、阿仁焼は全体に黒っ
ぽく、白や青の釉薬模様が入っている。
93 (f)地場産 秋田県 由利本荘市 本荘塗
品・伝統
技術等
本荘塗を代表する技法は「菊花模様」。毛
彫りといって、細い線を浅く引いて模様を
彫る、いわゆる沈金技法のことだ。沈金と
異なるのは、金粉ではなく、顔料の色粉を
蒔くこと。
木地山に入った一族のうち、木地山に残っ
てこけしをつくると主張する久四郎の家族
以外は稲川に移り住んだ。その中で、小
椋米吉、小椋泰一郎らがこけしをつくり始
める。久太郎が木地山でこけしをつくり始
めるよりわずか前のことだった。
昭和35年(1960)ごろ、川面漆器の販売員
が県外で仏壇づくりを見る機会があった。
「これなら川面塗の技術をいかして仏壇づ
くりができる」。こう考えた販売員が故郷に
帰って、仲間と試行錯誤を繰り返し、つい
に仏壇づくりに成功する。
始まりについては、殿様が慶長7年
(1602)、水戸から久保田に移る際、水戸
から連れてきた春慶の工人に能代春慶を
開かせたのだという説が有力である。その
後、藩の保護のもと改良を重ね、寛政5年
(1794)には「御用春慶」の称を賜るに至る
のである。
風の強い能代では昔から凧揚げが盛ん
だったといわれている。明暦年間(16551658)には街中で競いあっていたと言い伝
えられている。ただ、現在は能代凧を製造
販売しているのは、「北萬」さん、ただ一
軒。
江戸時代後期に平鹿・浅舞地方で発達し
た絞り染め。なかなか高価なものが多く、
米1俵が1円のころ、浅舞絞りの単衣着が
2円50銭であったという。今はわずかに、
昭和57年(1982)に結成された「保存会」
技術の保存と伝承の活動をしているの
み。
明治初期、平鹿地域(旧・平鹿町吉田)の
中山集落で誕生。樋渡ヨシさんが中山人
形づくりを開始する。昭和32年(1957)には
横手市内に仕事場を移し、子息とともに、
郷土に根ざした中山人形の製作に打ち込
み、干支土鈴をつくって人気を呼んだ。現
在中山人形店は5代目の樋渡徹さんが継
いで、伝統の技を繰り出している。
安永3年(1744)ごろ阿仁銅山を訪れた平
賀源内が良質の陶土を発見したことから
始まったのが阿仁焼。灰窯して久しかった
阿仁窯が復活したのは、昭和47年
(1972)だった。
本荘の地に本格的な漆器業を創業したの
は北島三郎であった。川連や金沢、輪島
などで修業を積み、本荘の近くや鳥海山
麓の矢島などには、漆が多く産出し、漆器
の木地も豊富であったことに着眼してのこ
とだった。会社を興し地域に貢献した。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
湯沢市役所ホームページ
http://www.city-yuzawa.jp/
『秋田の民芸』(秋田魁新報編)
『秋田大百科』(秋田魁新報編)
『秋田の民芸』(秋田魁新報編)
『秋田大百科』(秋田魁新報編)
『秋田の民芸』(秋田魁新報編)
『秋田大百科』(秋田魁新報編)
浅舞絞り保存会
横手市教育委員会文化財保護課
〒013-0023 秋田県横手市中央
町8番12号 かまくら館5階
TEL 0182-32-2403 , FAX 018232-4034
『秋田の民芸』(秋田魁新報編)
『秋田大百科』(秋田魁新報編)
あきたファンドッとコム
http://www.akitafan.com/
『秋田の民芸』(秋田魁新報編)
『秋田大百科』(秋田魁新報編)
【f 地場産品・伝統技術】 89/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
94 (f)地場産 秋田県 由利本荘市 御殿まり
品・伝統
技術等
まりの中心に、モミ殻を入れたビニール袋
を入れ、木綿糸でグルグル巻きにし、針と
糸で4等分、8等分、16等分し、その上に
金糸、銀糸で複雑な刺繍を施して完成。ま
りの三方に白い房が下げられているのも
特徴。
あきたファンドッとコム
http://www.akitafan.com/ 『秋田の民芸』(秋田魁新報編)
95 (f)地場産 秋田県 由利本荘市 亀田ぜんまい織り
品・伝統
技術等
ぜんまい綿毛は防湿性と保温性に富み、
羊毛に似た性能があるといわれる。山野
に自生するぜんまいをつみとり、干す、蒸
す、乾燥させたぜんまい綿を混紡させ糸を
紡ぐ。それをたて糸として織り込んでつくる
のである。
長さ1メートル、直径10センチほどのイタヤ
カエデを割り、幅3~5ミリ、厚さ1ミリほどに
裂いて包丁と指で仕あげをかける。できた
ものを交互に編みこんでかごや箕、ざるな
どにする。イタヤオモチャは割って削るだ
け。
白岩焼では青白色なまこ釉で皿、茶碗、
かめ、鉢など日用雑器を中心に焼かれて
きた。現在も伝統的ななまこ釉の特徴をい
かした陶器づくりがなされている。
慶長17年(1613)本荘城に移封されてき
てから御殿女中がつくって楽しんでいた。
女中が町衆に手ほどきして、少女たちの
遊び道具となっていったようだ。その後一
時途絶えたかに見えたが、戦後に復活し、
今では観光みやげの民芸品としてなくて
はならないものとなっている。
木綿にぜんまいの綿毛を混紡して編むぜ
んまい織りを創織したのは、亀田の佐藤
雄次郎だった。しかし、ぜんまい織りは昭
和初期で姿が消えてしまった。今はテーマ
パーク「天鷺村」で織られるのみである。
かつては農閑期の副業として秋田県内の
各地でつくられていた。藩政時代には箕づ
くりの家が100軒もあったというが、今は仙
北市の佐藤定雄さん夫妻と姪の本庄あづ
ささんが励んでいる。
『秋田の民芸』(秋田魁新報編) 『秋田
大百科』(秋田魁新報編) 『日本
の手仕事』(著・陸田幸枝 写真・
大橋弘)
明和8年(1771)相馬の陶工・松本運七が
角館白岩に開窯したのが始まり。全盛期
の江戸時代は白岩は相馬、会津本郷と並
んで東北三代産地と称された。しかし、明
治33年(1900)廃窯した。それから70年。
昭和51年(1976)、陶芸家・浜田庄司の指
導と進めを受けて復興して、現在に至って
いる。
天明年間(1781-1788)に角館藩士・藤村
彦六が県北に伝わっている秘法を習得し
角館に持ち帰ったことから始まるという。
それ以後、次第に知られる存在となり、武
士の内職だった樺細工は生業へと発展す
る。さらに時を経て、戦後は飛躍的に伸び
て現在に至る。
文久3年(1863)秋田市寺内から工人を招
いて窯が創設されたが、明治40年(1907)
ころまでで廃窯してしまう。それから50年、
昭和35年(1960)に小松幸一郎が登り窯を
構築し、復興させた。現在は息子・哲郎さ
んが後を受けている。
『秋田の民芸』(秋田魁新報編)
『秋田大百科』(秋田魁新報編)
天保年間(1830-1843)に創生期がつくり
あげられ、明治年間に最盛期を迎えた。し
かし、昭和に入って衰退し、現在は6つの
窯元が残るのみになった。
加美町観光協会
http://www.town.kami.miyagi.jp
『宮城県百科事典』(河北新報社
編)
300年以上前から山形県では漆器がつくら
れてきた。大正期の職人町には、数十人
の漆工がいたというが、現在は「本家 長
門屋」が受け継ぐのみ。
山形県庁ホームページ
http://www.pref.yamagata.jp/
『山形県大百科事典』(山形放送
編)
江戸時代の初め、山形藩主の最上義光が
山形城下に職人町を設け、職人を優遇し
て、この指物の発展につなげた。
山形県庁ホームページ
http://www.pref.yamagata.jp/
『山形県大百科事典』(山形放送
編)
明治から昭和にかけてさまざまな建具商
組合が山形県内に設立されてきた。その
後山形の気候風土や生活様式に合う伝統
的な建具の産地が形成されるようになって
きた。
山形県庁ホームページ
http://www.pref.yamagata.jp/
『山形県大百科事典』(山形放送
編)
96 (f)地場産 秋田県
品・伝統
技術等
仙北市
イタヤ細工
97 (f)地場産 秋田県
品・伝統
技術等
仙北市
白岩焼
98 (f)地場産 秋田県
品・伝統
技術等
仙北市
樺細工
樺細工は桜の樹皮で器物をつくるので桜
皮細工とも呼ばれる。桜の皮を剥ぎ、包丁
で皮を削る。それを木地に張り合わせ、文
様を刻んで、最後に入念に研ぎを入れて
完成。使い込むほどに輝きを増す器の誕
生だ。
99 (f)地場産 秋田県
品・伝統
技術等
大仙市
楢岡焼
100 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
山形市
平清水焼
101 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
山形市
山形漆器
102 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
山形市
山形指物
楢岡焼の特色は白岩焼に似た独特のなま
こ釉にある。焼き肌の上にかけられた青白
い、時には漆黒のなまこ釉の調合は一子
相伝という。日常雑器をたくさんつくってき
たが、これからは新しい感覚を取り込んだ
現代陶器にも意欲をもやして取り組んでい
る。
平清水焼を代表する製品は「青龍窯」の
丹羽龍之介の焼いた数々の製品。鉄分の
多い平清水の陶土をいかした「梨青瓷」と
呼ばれる製品を開発、平清水焼を代表す
る製品にした。
山形塗を代表する一つが「権之助塗」。木
地に紅模様の手彫りを施し、本漆で下地
塗りから上塗り、さらにベンガラの顔料を
蒔き仕あげる。これが、現13代・長門屋権
之助が考案した塗りである。
指物は釘を使わず木を組み合わせるだけ
でつくる家具のこと。受け継いだ伝統的な
技術で、木に切り込みを入れ、さし合わせ
て民芸箪笥や茶箪笥をつくる。
103 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
山形市
山形建具
スギやヒノキ、ホウノキなどを使い、カンナ
で仕あげる伝説的な手法は今も変わらず
に受け継がれている。また、多様化する生
活スタイルに合わせた製品も数多くつくら
れるようになった。
所在地
情報源・取材元
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
『秋田の民芸』(秋田魁新報編)
『秋田大百科』(秋田魁新報編)
『秋田の民芸』(秋田魁新報編) 『秋田
大百科』(秋田魁新報編) 『野山
で生まれた暮らしの道具』 (かく
まつとむ 撮影大橋弘)
『秋田の民芸』(秋田魁新報編)
『秋田大百科』(秋田魁新報編)
【f 地場産品・伝統技術】 90/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
山形では昔から良質な桐材が豊富にとれ
たので木工品が盛んにつくられてきた。現
在も5軒でつくる。桐紙は水野という桐紙
職人が関西方面から山形に移住してきた
明治中期から始まったらしい。現在、桐紙
をつくるのは2軒。
籐工芸品が生活用品として暮らしのなか
に普及したのは明治期に入ってから。現
在、山形では明治40年(1907)年創業の商
店が中心になって籐工芸製品をつくってい
る。
臼づくりが始まったのは、およそ150年前。
臼づくりに適した木が多くあり販路にも恵
まれていたためだ。最盛期には40~50人
の職人がいたが、今は4人。
山形県庁ホームページ
http://www.pref.yamagata.jp/
『山形県大百科事典』(山形放送
編)
平安初期に鋳物職人が馬見ヶ崎川の砂
が鋳物づくりに適することを発見したのが
始まりとされる。江戸初期には領主の保護
政策で産業として発展。現在は美術工芸
鋳物に引き継がれている。
最上氏の始祖である斯波兼頼が南北朝
時代、鍛冶師を連れて山形に入部したの
が始まりといわれている。江戸時代には藩
主が鍛冶師を保護したことで発展につな
がった。
仏師・渋江長四郎が安正年間(18541859)、出羽三山参りに訪れ、和紙の産地
(鈴川・双円地区)に住みついたのが始ま
りとされる。
山形のこけしは、6系統に分類される。そ
のうち山形市に伝わるのが山形作並系こ
けしと銀山温泉の蔵王高湯系こけしであ
る。こけしづくりは、温泉の湯治の定着とリ
ンクしてきた。
山形県庁ホームページ
http://www.pref.yamagata.jp/
『山形県大百科事典』(山形放送
編)
享保年間(1724-1777)江戸浅草で技術を
学んだ星野吉兵衛によってもたらされたと
いわれている。良質な漆や木材が豊富に
とれたことが仏壇製作に貢献している。
山形県庁ホームページ
http://www.pref.yamagata.jp/
『山形県大百科事典』(山形放送
編)
寛政元年(1789)矢田清太郎がつくり始め
たと伝えられている。その後、下級武士に
傘づくりが奨励され、出羽三山参りの行者
から好評を得て、最盛期には100軒を超え
る業者がいたが、今は1軒。
ルーツは米沢藩の財政立て直しとして上
杉鷹山公が興した「成島焼」。天明3年
(1781)米沢成島に窯が開かれたが大正
期に廃窯。昭和50年(1975)になって復興
なったが、その折り「米沢焼」とした。
起源は地区内にある笹野観音信仰と関わ
りが深いとされ、千数百年前からつくられ
ているのだという。また、上杉鷹山公が冬
の副業として奨励したことで盛んになった
ものといわれている。
江戸時代後期、箪笥づくりが全国各地に
広がった。その一つが、この米沢箪笥だ
が、現在その技を受け継ぐのは大正元年
(1912)創業の家具店1店のみ。
山形県庁ホームページ
http://www.pref.yamagata.jp/
104 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
山形市
桐紙・桐箱
桐紙は桐の柾目の部分を厚さ0・05ミリま
で削り出してつくる。桐箱はやはり桐から
木取りした素材を削り、組み合わせてつく
る。
105 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
山形市
籐工芸
籐はヤシ科の植物で軽くて堅牢で弾力に
富む。その籐の皮を手挽きし、昔ながらの
技術で、曲げ、編み、巻いて製品をつくっ
ている。
106 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
山形市
切畑の臼
厳選したケヤキやアズサの原木を1年半
ほど乾燥させ、臼の大きさに切り、それか
らまた、1年半以上乾かす。その上でてい
ねいに内側をくりぬいて完成させる。
107 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
山形市
山形鋳物
108 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
山形市
山形打刃物
砂鋳型と呼ばれる「型挽き」、砂鋳型にヘ
ラで文様をつくる「文様押し」、細やかな肌
をつける「肌打ち」などの伝統技術によっ
て「薄手で繊細、美しい肌」という山形鋳物
の魅力がつくり上げられる。
軟らかい鉄と硬い鋼を火造で接合し丹念
に叩いて粘りと張りを引き出す、昔ながら
の技法である「自由鍛錬」で、新しい商品
もつくっている。
109 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
山形市
山形張子
110 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
山形市
山形こけし
111 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
山形市
山形仏壇
112 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
山形市
番傘
113 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
米沢市
米沢焼
114 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
米沢市
笹野一刀彫
115 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
米沢市
米沢箪笥
木型に和紙を水張りし、上質和紙をふのり
で張り重ねて天日乾燥。その上に切り込
みを入れ、粉を塗り重ね、絵付けをして完
成。「おかめ」の面など多彩。
山形作並系こけしは、もともと子どものお
もちゃとしてつくられたため、子どもが持ち
やすさを考慮したつくりになっている。子ど
もが持ちやすいよう胴体が細い棒状に
なっている。蔵王高湯系は、山形系より銅
が太く短く頭が大木のが特徴だ。
ケヤキ材を使ったほぞ組みによる頑丈な
つくり。精密な彫刻。黒金具の落ち着いた
輝き。温かな木目調の漆塗り。こうした特
徴を受け継ぐ金仏壇は国の伝統工芸品に
指定されている。
竹で骨組みをつくり和紙を張り、油をひい
て仕あげる。「番傘」は骨の数が52本で直
径110センチ。「蛇の目傘」は2段階の開閉
で、いずれも雨や風に対応するようになっ
ている。
黒、白、青色の釉薬をかけて焼き、どっし
りとした深い風合いの器ができるのが特
徴。地元成島の材料のみを使った作陶を
続けている。
材料は付近でとれるコシアブラ(ウコギ科
の落葉高木)。サルキリという刃物一本で
頭部、翼部、尾部を成形し彩色して仕上げ
る。代表的には、商売繁盛の願いをこめる
「お鷹ぽっぽ」。
十分に乾燥させたケヤキや桐などを製材
して製造する。漆を塗り金具をとりつけて
仕あげる。一番多い形は「衣装箪笥」(背
景には米沢が織物の一大産地ということ
があるか)。他に”幸せを呼ぶ箪笥”とされ
る「階段箪笥」がある。
所在地
情報源・取材元
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
山形県庁ホームページ
http://www.pref.yamagata.jp/
山形県庁ホームページ
http://www.pref.yamagata.jp/
山形県庁ホームページ
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『山形県大百科事典』(山形放送
編)
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『山形県大百科事典』(山形放送
編)
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『山形県大百科事典』(山形放送
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【f 地場産品・伝統技術】 91/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
116 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
米沢市
相良人形
117 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
鶴岡市
羽越しな布
118 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
鶴岡市
竹塗漆器
119 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
鶴岡市
庄内竿
120 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
鶴岡市
庄内姉様
121 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
鶴岡市
いづめこ人形
122 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
鶴岡市
御殿まり
123 (f)地場産 山形県 鶴岡市・酒田 絵ろうそく
品・伝統
市
技術等
124 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
酒田市
庄内刺し子
125 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
酒田市
磯草塗
126 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
酒田市
酒田船箪笥
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
前後2枚の土型に粘土をつけて張り合わ
せ、型から抜いたら形を整え、乾燥させて
焼成。その後、胡粉(ごふん)で真っ白に
塗り、彩色して完成。
所在地
情報源・取材元
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
創始は米沢藩の相良清佐衛門。寛政2年
(1790)ごろから人形づくりを始め、その後
も相良家代々で製作を続けてきた。戦中
に中断したが、昭和42年(1967)復興し
た。
梅雨の時期にしな(科・シナノキ)の皮を剥 起源は定かではないが、温海地区の関川
ぎ、夏~秋に繊維を取り出す。雪が降り始 集落では、古くからどの家庭でもしな織り
めたら糸をつくり、春までにしな布を織って が行われてきたという。沖縄の芭蕉布など
座布団やバッグにする。
ともに「日本三大古代織」に数えられ、国
の伝統的工芸品にも指定されている。
山形県庁ホームページ
http://www.pref.yamagata.jp/
『山形県大百科事典』(山形放送
編)
漆を塗り重ねて竹の風情を表現するこの
工芸のポイントは、漆を丹念に盛り上げて
「竹の節」をつくるところにある。色漆を何
度もぼかしながら塗り「枯れ竹」をイメージ
させることにある。
遊佐方面で採取、厳選した苦竹を4~5年
陰干しする。さらに竹の曲がりを矯正す
る”のし作業”に3~4年かけて釣り竿をつ
くる。竹そのものを竿とし、蝋で仕上げるの
は全国的にも珍しい。
新聞紙からつくる髪は膠で固めて黒い艶
を出していること。面長な顔にかわいらし
い鼻がついていることなどが特徴。髪形6
種類。これも特徴。島田、結綿、丸髷、勝
山、ちょんまげ(男人形)、桃割れ。
シチドという草とワラでつくった「いづめこ」
に、人形を入れ、はんてんや布団に見立
てた布をかぶせ、両手をつけ、最後に「御
殿まり」や「でんでん太鼓」を組み上げる。
竹塗漆器は庄内藩の武具塗装職人が明
治期になって生み出したものだ。その後、
弟子たちが大切に継承してきて、現在は
佐藤良一氏と鈴木勇氏に受け継がれてい
る。
現在の主流は、昭和の名人・山内善作が
完成させた「螺旋継ぎ竿」と呼ばれるもの
だが、庄内地方で製造・販売しているのは
トキワ釣り具店のみ。
山形県庁ホームページ
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『山形県大百科事典』(山形放送
編)
紙びなとも呼ばれる庄内姉様人形は江戸
末期から庄内藩の婦女子たちの間で手遊
びの一つとしてつくられたのが始まり。男
人形もある。
山形県庁ホームページ
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かつて農村では「いづめこ」と呼ばれるか
ごに赤ん坊を入れて農作業していた。そ
の姿をかたどったいづめこ人形を最初に
つくったのは、太使用初期の大滝武寛だと
いう。
モミ殻を袋に入れ、木綿やナイロンの白糸 350年あまりの歴史と伝統がある。明治以
で半日以上かけて巻きあげる。これに模 降は一部の旧藩士の家に伝承されるだけ
様の目印となる地割を施し、絹糸で巻いた になっていたが、昭和35年ごろ上野富美
り、退色しにくい堅牢染めのリリアンを刺し さんが復活、現在は孫娘が後を継いで御
て多様な模様にする。
殿まりづくりをしている。
山形県庁ホームページ
http://www.pref.yamagata.jp/
花紋燭ともいい、御所車や蓮華、四季の
花模様などが描かれるのが特徴。しかし、
行事用からおみやげ用にと用途が変化し
てきていて、丸形で水に浮かぶ絵ろうそく
が形のかわいいのと模様の美しさで人気
を得るようになっているという。
刺し子の目的は被服の保温、強化だっ
た。特徴は文様が独自。「米刺し」「柿のは
な」「ウニ刺し」「そろばん刺し」など、基本
形だけでも40種もあること。これらのパ
ターンを今に受け継ぎ、バッグ、帽子、の
れん、テーブルクロスなどに刺している。
海藻を散らしたような模様を研ぎ出したも
の。「地の粉塗り」「サビ付け」「ヒボ立て」
などの塗りを施して磯草塗の特徴である
文様の下地をつくる。その上から紅殻、
黄、緑漆を混ぜた彩漆を塗り重ね、乾燥さ
せてから丹念に研いで完成。
船内で携行できるくらいの小型のもので、
外側はケヤキ材、鉄金具で装飾した堅牢
なつくりである。内部は桐材を使い、漏水
を防ぐつくりになっている。金庫として使う
もの、衣装入れにつかうものなどがある。
享保年間(1716-1735)皆川重兵衛によっ
てつくられたとされる絵ろうそくは、江戸幕
府への献上品として声価を高めた。現在、
庄内で手描きで絵ろうそくを製造している
のは数軒になった。
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青森のこぎん刺し、岩手の菱刺しと並んで
「日本三大刺し子」とされる。庄内地方の
農家では、昭和40年ごろまで、この指し子
が日常的につくられていた。現在は伝統を
継承する品々がつくられている。
平田町さしこの会
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http://www.ydn.or.jp/caravan/to
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新潟県で考案された磯草塗がいつのころ
か山形にも伝えられた。初めに温海の横
堀家へ伝えられ、そこから鶴岡の土佐内
家へと伝承され、現在は土佐内家から酒
田の斎藤家の婿養子となった4代目八十
八氏が伝統を受け継いでいる。
江戸ー大正時代に廻船の船乗りが持って
いた貴重品入れなどのこと。日本海側の
北前船の寄港地で製造が盛んだった。酒
田では明治以降、地元の船乗りの受注生
産を中心に多くつくられた。
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関川しな織センター
羽越しな布振興協議会
山形県鶴岡市関川字向222内
電話 0235-47-2502
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上野御殿まり教室
鶴岡市本町一丁目5-36
電話:0235-22-8140
代表 市川由喜
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【f 地場産品・伝統技術】 92/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
127 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
酒田市
酒田光丘彫
128 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
酒田市
鵜渡川原人形
129 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
酒田市
酒田凧
130 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
酒田市
傘福
131 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
新庄市
新庄亀綾織
132 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
新庄市
新庄東山焼
133 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
新庄市
隠明寺凧
134 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
尾花沢市
上の畑焼
135 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
尾花沢市
銀山こけし
136 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
寒河江市
寒河江出世鯉のぼり
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
クロマツをお盆などに加工し、文様彫刻し 光丘とは酒田の本間家の3代目・本間光
た工芸品・光丘彫の特徴は、荒削りにも見 丘のこと。その名を冠した彫物は江戸時
える野趣あふれる彫刻文様にある。
代から続いてきた。昭和に入って衰退した
が、平成になって今野正治氏と菊地秀雄
氏によって再興なった。菊地氏は平成19
年、昔ながらの彫刻文様を復興させた。
粘土を型に詰めて人形の形をつくったら乾 北前船で京都から伝わった伏見人形が原
燥させ、その後素焼きにする。それに膠で 型とされる土人形。江戸末期に大石助右
溶いた胡粉(ごふん)を数回塗って下地を 衛門がつくり始め、代々大石家に伝統と技
整え、顔料で彩色して仕あげる。型の種類 術が伝えられてきた。現在は大石さんを中
は200を超える。
心に伝承と保存活動が続いている。
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鵜渡川原人形伝承の会
TEL:0234-31-2008
代表者 高瀬 靖
事務局長 本間 光枝
酒田は風が強いため、つくりは丈夫になっ
ている。色つけした和紙に、削った竹を1本
ずつ組み込んで枠をつくると完成。凧絵の
種類は豊富で、亀凧、だるま凧、人凧など
100種ほどあるが、人凧は人の全身を描い
た珍しいものだ。
江戸時代から酒田に伝わるつるし飾りの
一つ。傘に天蓋がついているのが特徴。
製作は古布を集めることから始まり、すべ
て手づくり。「なす」は大願を成す、「さるっ
こ」は災いが去るようになど、それぞれに
意味がある。
「斜文織り」という独特の織り方から生まれ
る、きめ細やかで多彩な地紋がこの織り
物の一番の特徴。もう一つ。織ったものを
煮て不純物を洗い落とす「精練」という作
業によって、しなやかな手触りと気品ある
光沢が生みだされる。
「出羽の雪のかげりの色」と例えられる、
澄んだ青味のなまこ釉が特色。かつてつく
られた土鍋は民芸研究家の柳宗悦(やな
ぎむねよし)に「土鍋としては日本中のも
ので最も美しいでせうか」と言わしめたと
いう。
丈夫さが特徴の地元の長沢和紙を使い、
障子張りという骨組みを用いて、ひじょうに
頑丈なつくりになっている。絵柄は30数種
あるが、特に有名なのは「般若」。
その昔、左官職人の冬の手仕事としてつく
られたの始まり。凧絵は北前船で大坂か
ら運ばれて伝えられたものらしい。昭和50
年(1975)ごろ江戸時代の凧の下絵が発
見されたのを機に「保存会」が結成され、
伝承・普及につとめている。
子孫繁栄や子の幸を願って地元の神社・
仏閣に奉納する風習が残っている。酒田
商工会議所女性会が、近年失われつつ
あった傘福に光をあて、文化の継承と町
おこしへとつなげた。
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酒田凧保存会
酒田市東栄町6-20
電話&FAX: 0234-23-0868
お問い合わせ 松田正美
江戸時代後期、第9代藩主・戸沢正胤が
藩財政立て直しのため、武家の婦女子に
織り物づくりを奨励したことに始まる。戊辰
戦争後に衰退したが、昭和末年近くに結
成された「保存会」によって、復興が実現し
た。
東山焼の開祖・涌井弥兵衛は越後出身の
陶工で、東山の陶土に惚れ込み天保12年
(1841)新庄戸沢藩御用窯として開窯し
た。現在は6代目正和氏が伝統を受け継
いでいる。
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明治初期、新庄藩士だった隠明寺勇象が
父からもらった江戸凧を思い出してつくっ
たのが始まり。その後、息子・常太郎が受
け継ぐも凧づくりは封印される。昭和43年
(1968)になって常太郎の三男・憲夫氏が
初代の版木を発見して「保存会」を結成、
復興へと結びつけた。
白地に藍色の文様が特徴の上の畑焼を 江戸末期に東根の長瀞藩が大坂から陶
代表する絵付けが三多紋。桃、柘榴、仏 工を招いて開いた窯。しかし、財政難のた
手柑(ぶしゅかん)を描いたもの。この三つ め10年ほどで廃窯。これを現代に復興し
の模様には、「多福」「多寿」「子孫繁栄」の たのは、幼少期を尾花沢で過ごした伊藤
願いが込められているのだという。
瓢堂氏。
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伊豆こけし(銀山こけし)で有名なのが、生
まれた赤ちゃんと同じ体重、身長でつくる
「誕生こけし」と、ドラマに登場した「おしん
こけし」。誕生こけしは、イタヤカエデを使
い、重量のある硬質のこけしになってい
る。
鯉のぼりのサイズに裁断した木綿の布地
に線描し、刷毛で染める。天日で乾燥さ
せ、裁断や縫製後、口輪をとりつけて完
成。渋谷家初代から変わらぬ伝統技法で
つくる。
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大正14年(1915)県から派遣された木地職
人によって技術が伝授され、銀山温泉で
玩具としてつくられるようになった。伊豆家
の一子相伝で、そのため、別名「伊豆こけ
し」。現在の唯一のつくり手は伊豆家3代
目。
寒河江市の柴橋地区で手染めの鯉のぼり
づくりを始めたのが、代々着物染物業を営
んでいた渋谷家。昭和の初めに小学校か
ら鯉のぼりの注文を受けて、鯉のぼりづく
りをするようになったのだという。3代目が
本業にし、4代目・良春氏が継いでいる。
新庄亀綾織伝承協会
山形県新庄市沖の町10-8
電話 0233−22−0025
隠明寺凧保存会
山形県新庄市掘端町4-74
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【f 地場産品・伝統技術】 93/188
カテゴリー
県
市町村
137 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
寒河江市
138 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
長井市
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
豊国草履
豊穣な稲作地帯の稲ワラを使った草履づ
くり。「豊国」は昔から草履表に最適といわ
れてきた幻の品種。それを栽培し、そのワ
ラを使った草履づくりが近年進められてい
るのである。
長井刺し子
布の上に5ミリから1センチの方眼を引き、
それに沿って縫っていく独特の手法でつく
られる。下絵を描かないで縫い刺しする技
法で、個性的な製品ができあがる。
江戸末期、冬の副業にと田宮家8代の五
郎衛門が農民に教えたのが始まりとされ
る。明治20年(1897)ごろには12代目の五
郎が普及させ、昭和の初めには全国一の
草履表産地になったこともあるのだが、以
降は衰退が続いていた。
使い古した布を重ね合わせて糸を刺す刺
し子。長井刺し子は、昭和53年(1978)ご
ろ、鈴木みゑさんが、地域の旧家に残され
ていた雑巾を集めて独自の方法で刺した
のが始まり。
長井紬の琉球調の紬(米琉)が、盛んに織
られていたのは江戸末期。明治に入って、
長井紬と改称した。白鷹お召しは、白鷹地
方で伝統的に織られていた米琉絣をもと
に、昭和4年(1929)に小松米茂氏が完成
させたといわれている。手織り高級絹織物
である。
長井市今泉地区に良質な陶土が出ること
を伝え聞いた和久井利蔵が昭和12年
(1937)に土管、瓦製造を始めた。その後、
次男の富士夫氏が窯を開いて長井焼を開
始した。また、昭和50年(1975)ごろには、
復興を依頼されていた旧・米沢藩の「成島
焼」をこの地で復活させた。
宮地区にある總宮神社で黒獅子舞が始
まった室町末期から、獅子頭がつくられる
ようになったと伝えられている。要請が
あったときに、彫師と塗師が獅子頭をつ
くってきた。現在、この獅子頭を彫っている
のは渋谷正斗氏で、漆塗りは江口忠博氏
が手がけている。
青苧織は直江兼続が越後から米沢に来て
から本格的な生産が始まった。しかし、後
年は絹織物にとって代わられ衰退した。そ
れを、昭和63年(1988)復活させたのは川
合ひさ子さん。地元に自生している青苧を
探し当て、研究を重ねて、この古代織を完
成させた。
江戸時代末期、天童織田藩が財政立て直
し策の一つとして「書き駒」づくりを奨励し
たのが始まり。明治・大正と分業、大量生
産体制が確立し、日本一の駒の生産地に
なった。現在も全国の将棋駒の生産の大
部分を占める。
天保年間(1830-1843)に畳業を営んでい
た阿部華泉が考案した凧。昭和52年
(1977)に4代目阿部太彦氏が製作道具一
式を発見し、家伝の花泉凧復活につなげ
た。現在、その4代目は天童市の古民家
で凧づくりに励んでいる。
山辺町のじゅうたんづくりは、昭和10年
(1935)中国から7人の緞通技術者を招い
たことから始まった。そして、昭和21年
(1946)にオリエンタルカーペットが設立さ
れたことで、産地形成されるところとなっ
た。
小国町は町の9割が森林に覆われつる細
工は生活に欠かせない冬の仕事として継
承されてきた。近年は町の代表的な産品
の一つとして大切に継承して行こうと力が
注がれている。
139 (f)地場産 山形県 長井市・白鷹 置賜紬
品・伝統
町
技術等
長井紬の代表製品は「米琉絣」。染色は
「板締」(板でできた木型で締めつける)。
模様は大柄のものが多く、独自の風合い
が特徴となっている。白鷹紬は「白糸お召
し」。たて糸に生糸、よこ糸にお召し糸を用
い、柄はやはり「板締」の技法で染める。
比較的小柄の模様である。
どっしりとした黒釉やなまこ釉の深い味わ
いのある風合いに特徴がある。その特徴
をいかした製品、さらに美術的価値を高め
た茶陶器や現代陶器などもつくられてい
る。
140 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
長井市
成島焼
141 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
長井市
黒獅子頭
神社の例祭日に開催される獅子舞でつけ
る獅子頭。この長井の獅子頭はインパクト
が強烈。顔を覆う長いたてがみ、鼻穴から
伸びる髭、飛び出た目やむき出しの歯な
どが特徴。
142 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
南陽市
青苧織
青苧の茎の皮からとった繊維は強靭な糸
になるので、古くから繊維の材料とされて
きた。青苧織は、汗を吸収して発散させる
という機能性や涼感が得られる織り物だっ
た。
143 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
天童市
天童将棋駒
かつては手彫りであったが、現在は機械
による彫り駒が主流。その中で、名工の手
技から生まれる「書き駒」「彫り駒」「彫り埋
め駒」「盛り上げ駒」は国の伝統的工芸品
指定を受けている。
144 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
天童市
花泉凧
145 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
山辺町
山辺のじゅうたん
絵柄は「花泉の赤」といわれる鮮やかな赤
が特徴。それほど強くない内陸の風に合
わせた骨のつくりで、形状から、角凧、こま
凧、くらげ凧などがある。人気の絵柄は、
武者絵、福助、大黒、うさぎ、虎王丸など
がある。
ここのじゅうたんづくりの工程の中で特筆
されるのは、「マーセライズ」(化学洗濯艶
出し)という加工技術を使っていること。こ
れは織りあがった製品を薬液に浸け、機
械で磨き絹のように滑らかに仕上げるも
の。
つる細工の材料は近隣に自生するアケビ
のつるやマタタビ、ブドウ、クルミの樹皮な
どだ。適切な時期に、これらの材料を採取
し、乾燥や水に浸すなどの工程を経たつ
るを編み込んでつくる。
146 (f)地場産 山形県 西川町・小国 つる細工
品・伝統
町
技術等
所在地
情報源・取材元
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
山形県庁ホームページ
http://www.pref.yamagata.jp/
山形県庁ホームページ
http://www.pref.yamagata.jp/
『山形県大百科事典』(山形放送
編)
山形県庁ホームページ
http://www.pref.yamagata.jp/
『山形県大百科事典』(山形放送
編)
山形県庁ホームページ
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編)
南陽市古代織の伝統を守る会
関連ブログ
http://oshosina.blog.sonet.ne.jp/2013-07-04
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山形県将棋駒協同組合
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http://www.tendocci.com/koma/
『山形県大百科事典』(山形放送
編)
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【f 地場産品・伝統技術】 94/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
147 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
西川町
月山和紙
148 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
西川町
菊摩呂こけし
149 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
白鷹町
深山和紙
150 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
真室川町
151 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
河北町
紅花染
152 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
遊佐町
遊佐刺し子
153 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
大蔵村
肘折こけし
154 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
大石田町
鏝絵
155 (f)地場産 山形県
品・伝統
技術等
大石田町
箕
156 (f)地場産 福島県
品・伝統
技術等
福島市
土湯伝統こけし
157 (f)地場産 福島県
品・伝統
技術等
福島市
福島だるま
真室川漆器
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
国産コウゾだけを使い、薬品漂泊はせず、
ソーダ灰による煮沸という製法と原料にこ
だわった手漉き和紙。昔ながらの月山判
は地元コウゾ100パーセントの板干し、自
然乾燥でつくる。その他、紅殻や大井沢の
ブナ、ヤマブドウなどを使った和紙も漉い
ている。
菊摩呂こけしには二通りの型がある。一つ
は「大正型」といわれるもので、「はめ込み
式中央胴菊くずし胴模様」で細胴の目元
は二重。もう一つが「菊摩呂型」で太胴で、
開き菊や重ね菊が描かれている。
この地の和紙は江戸時代から西川和紙の
名で漉き継がれてきた。明治時代には200
戸以上で漉かれたが、高度成長期に激
減。飯野博雄氏が月山和紙と名を変えて
平成7年まで、その技術を守り、現在は大
井沢で三浦一之氏が継承している。
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大井沢で木地業を盛んにしたのは志田五
郎八。その五郎八に18歳で弟子入りした
菊摩呂は、72歳になると、こけしづくりに傾
注して、独自のこけしをつくった。大正7年
(1918)につくった大正こけしが特に有名。
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『山形県大百科事典』(山形放送
編)
深山地区では、自らの手でコウゾを栽培
し、収穫から加工、漉きと一貫して行なっ
ている。紙質が柔軟性、耐久性、通気性に
優れているため、江戸時代から通信記
録、保存用文書用に重宝されてきた。今
はブローチ、人形などにも加工されてい
お椀やお箸など、天然木の素地に漆のみ
を何度も塗り重ねて仕上げた製品は、使
い込むほど自然の光沢が出てくると人気。
地元の主婦と大学生が開発に参加してつ
くった「えっぺ椀」も注目されている。
復興なった紅花染は、自分で栽培した紅
花と自然水や果物の酸などを用いて、化
学的なものを一切使わない技法で染めて
いる。最近は鳥海山の伏流水を使用する
ことで、より鮮やかな紅色の発色を実現し
た。
印をつけず1回ずつ刺す「横刺し」の技法
でつくられる独自の文様と、その種類が多
いことなどに特徴がある。この技法で刺さ
れた代表的仕事着は、昭和のなかごろま
で続いた山から木を切り下ろす作業の時
に着た「橇曳き法被」がある。
型は鳴子系、描彩は遠刈田系が色濃く
も、パッと目を引くこの表情が肘折こけしを
象徴している。三日月形の目元、輪郭を描
いたくちびる。もともとは、おもちゃとしてつ
くられたもので、はめ込み式で音が出る仕
組みになっている。
民家や土蔵の壁などの漆喰を塗った上
に、鏝で風景や人物などの絵を描くのが
鏝絵。漆喰そのものの白色と漆喰に顔料
を入れた赤、青、黄、黒などの鮮やかな色
で、数十種の鏝を使って描かれる。
発祥は室町時代とされ、上杉鷹山公が藩
の施策として原材料のコウゾの植栽を奨
励したのを受けて発展した。最盛期には
地内の戸数の半数の50戸が和紙づくりを
していた。
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昭和56年(1981)、町は漆による産業振興
に着手し、平成2年には漆の植栽から製
品の販売まで一貫して行う「真室川町うる
しセンター」を開設して漆器の販路開拓な
どに力を注いでいる。
江戸中期には、最上川舟運の発展で山形
は国内一の紅花の生産地になった。しか
し、明治以降は衰退。平成になって、「べ
にばな国体」(平成4年)に向けて河北町
から復興を依頼された鈴木孝男さんが独
自の紅花染を確立した。
遊佐刺し子の文化の伝承と町おこしをめ
ざして「研究会」が平成18年に設立され
た。その後、「LLP刺し子ギルド」「遊佐刺し
子スクール」を設立して商品開発や販売
活動をしている。
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『山形県大百科事典』(山形放送
編)
鳴子で木地業を学んだ柿崎伝蔵。その弟
子で遠刈田で修業した井上藤五郎。この
二つの流れを汲んだのが肘折こけし。現
在、地元で継承する工人は鈴木征一氏た
だ一人。100年前の原型が忠実に受け継
がれている。
鏝絵を確立したのは江戸後期の左官職
人・伊豆の長八。大石田で鏝絵が描かれ
るようになったのは、明治に入ってから
で、左官業の後藤家が広めた。現在は後
藤秀次郎氏と伊豆富夫氏が技を支えてい
る。
箕づくりが次年子で始まったのは500年ほ
ど前。秋田から来たお里という女性が技法
を教えたという言い伝えが残っている。現
在は次年子産業協同組合で二人が伝統
の箕づくりを続けている。
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『山形県大百科事典』(山形放送
編)
土湯は、こけしの日本三大発祥地のひと
つとされる。およそ300年前、土湯温泉と、
その周辺の温泉の木地師によって生み出
された。現在も県内には、土湯系こけしの
工人がたくさんいて、製作が続いている。
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『福島大百科事典』(福島民報社
編)
江戸時代後期からおよそ150年にわたって
つくられてきた。開運の縁起物として喜ば
れている、このだるまは最初から目が入っ
ている。
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『福島大百科事典』(福島民報社
編)
大石田町次年子でつくられる箕の材料は
山野に自生するカエデやサワグルミの樹
皮、フジのつるなどである。カエデを使うの
は次年子だけのつくり方。サワグルミを縦
軸にして、カエデなどを1センチ幅に割りそ
ろえた「ヘネ」と呼ばれるものを横に組んで
編みあげる。
比較的頭が小さく頭頂には蛇の目の模
様、胴にはロクロ線を主とした簡素な模様
が描かれ、クジラ目に垂れ鼻、おちょぼ口
と明るい表情が特徴。頭を胴にはめる「は
め込み式」でキイキイと音をたてる。
鶴で眉、亀で髭が描かれ、顔の両脇には
花火を意味する唐草模様が描かれてい
る。やや長身で顔の彫りの深いのが特
徴。
所在地
情報源・取材元
地域のキーパーソン・連絡先等
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『山形県大百科事典』(山形放送
編)
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遊佐刺し子とその歴史研究会
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電話0234-72-2238
『山形県大百科事典』(山形放送 問い合わせ 土門
編)
山形県庁ホームページ
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『山形県大百科事典』(山形放送
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【f 地場産品・伝統技術】 95/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
158 (f)地場産 福島県 会津若松市 会津塗
品・伝統
技術等
量産ができ安価。その上堅牢であること
で、高く評価されている会津塗。「会津絵」
「花塗」「消金蒔絵」「錦絵」「朱磨き」など、
独特な製作技術や文様で生みだされる製
品は、今も人々をとらえて離さない。
本格的な生産は天正8年(1590)蒲生氏郷
が会津に入って以降である。文禄元年
(1590)日野から連れてきた塗師らに「塗り
大屋敷」という伝習所を与えた。これをきっ
かけに、以後代々の藩主の保護で大いに
発展。会津の基幹産業となっている。
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『福島大百科事典』(福島民報社
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159 (f)地場産 福島県 会津若松市 会津絵蝋燭
品・伝統
技術等
菊や牡丹、梅などの艶やかな絵が描かれ
ている絵ろうそくは、今でも1本1本手づく
りで生みだされ、主に神仏用のお灯明とし
て実用性も高い。今は漆ではなくハゼの
実からロウをとる。
会津のろうそくづくりが始まったのは天正
年間(1573-1592)芦名盛信が漆の栽培を
奨励し、その漆の実からとったロウを使っ
てろうそくをつくった時からという。その後、
蒲生氏郷が招いた技術者が絵ろうそくを
生みだしたのだという。
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160 (f)地場産 福島県 会津若松市 会津木綿
品・伝統
技術等
素朴なたて縞模様がすっきりと美しい会津
木綿は厚地で丈夫なことから主に日常着
として着られてきた。現在は手織りの風合
いが人気を呼ぶところとなっている。
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『福島大百科事典』(福島民報社
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161 (f)地場産 福島県 会津若松市 会津桐製品
品・伝統
技術等
会津桐の特徴。①材質が緻密 ②材に粘
りと光沢がある ③材色が銀色で重く充実
している ④杢目に「ちじれ」がある ⑤年
輪が明瞭で薄くても割れにくい ⑥成長が
早くかつ寿命が長い。こうした会津桐の良
さをいかした製品が、すべて手づくりでつく
られている。 会津藩主・加藤嘉明が寛永4年(1627)ご
ろ、前領地の伊予松山から招いた織師に
よって技術が伝えられたのが始まりとされ
る。機織りは農民だけでなく藩士の婦女子
の内職としても行なわれた。
会津の只見川および阿賀川沿いに植栽さ
れた桐は、土壌や気象条件の作用もあっ
て木目が美しく、堅くて弾力性に富み、最
高の材質を誇っている。このような桐材を
使って、会津では昔から家具(特にタン
ス)、下駄などがつくられてきた。
162 (f)地場産 福島県 会津若松市 初音
品・伝統
技術等
この地方では、元日の朝早く、笛を吹きな
がらものを売り歩くことが、昭和の初めご
ろまで行われていた。正月に鶯の初音を
聞くと福が授かるという縁起から喜ばれ
た。
初音は長さ5センチくらいで竹でつくった一
種の鳥笛。かつては冬場に職のない左官
屋が関東産の竹を用いて内職につくって
いたという。吹くと鶯の鳴き声がするという
ので、おみやげ品としても人気がある。
『ふくしまの行事』(山本明著) 『福島大百科事典』(福島民報社
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163 (f)地場産 福島県 会津若松市 起き上がり小法師
品・伝統
技術等
粘土と張り子の組み合わせで、胴が粘
土、頭部が張り子でつくられたもので「七
転び八起きで健康に働けるように」と神棚
にあげる。買う時は、家族の数より1個多く
買う習わしがある。
8本の細い竹で1センチほどのカゴをつく
り、端に紙の羽をつけ、これを豆で竹の柄
に止めて風車のできあがり。豆で止めるの
は「一年中マメで働けますように」との願い
がこめられているのだという。
和紙でできた、赤く長い首をゆらゆら揺ら
す張り子の玩具赤ベコ。今でも厄除けの
お守り、病気の見舞い品やおみやげ品と
して重宝され喜ばれている。郷土玩具に
赤く塗ったものが多いのは、赤には強い呪
術力があり、悪い病気を退散させるという
民間信仰があったかららしい。
下部が全体の半分を占めているのが唐人
凧の特徴。図柄には「ベロ出し」「えんま」
「武者絵」などがあるが、代表的なのが「ベ
ロくん出し」と呼ばれるもの。大きな口から
長いベロ(舌)を出した図柄である。しか
も、その舌だけで全体の図柄の半分を占
めているという具合である。
学問の神様として信仰される菅原道真公
を祀ったのが天神様。それをかたどった人
形が伝統玩具として各地に伝わっている。
その中でもこの会津天神は、顔つきの温
和さと品の良さが屈指と人気が高い。顔
は桐の粉を固めたもので体は張り子。
会津藩主の蒲生氏郷が下級武士の内職
として民芸品をつくらせたのが始まりとさ
れている。正月十日、会津若松の十日市
で売られる一番人気の縁起物。
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『福島大百科事典』(福島民報社
編)
こちらも起き上がり小法師と同じ、およそ
400年以上前から伝わる縁起物。正月十
日の市に、色とりどりの風車がずらりと並
ぶ様は、冬の風物詩になっている。
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『福島大百科事典』(福島民報社
編)
天正年間(1573-1592)蒲生氏郷が殖産振
興のために招いた技術者が伝えたのが始
まりとされる。
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『福島大百科事典』(福島民報社
編)
唐人凧がどこから、どのようにして会津に
もたらされたかははっきりしない。ただ、戊
辰戦争の際、官軍に包囲された鶴ヶ城の
中から、唐人凧が舞いあがったというエピ
ソードが伝えられている。最近は、毎年
「会津唐人凧揚げ大会」が開催されてい
る。
今からおよそ400年前。会津藩主蒲生氏
郷がわざわざ京都から職人を呼んでつくら
せたのが最初とされる。今でも昔ながらの
製法で一つひとつていねいにつくられ、変
わりない愛らしさを伝えている。
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編)
164 (f)地場産 福島県 会津若松市 風車
品・伝統
技術等
165 (f)地場産 福島県 会津若松市・ 赤ベコ (会津張り子)
品・伝統
西会津町 技術等
ほか
166 (f)地場産 福島県 会津若松市 会津唐人凧
品・伝統
技術等
167 (f)地場産 福島県 会津若松市 会津天神
品・伝統
技術等
所在地
情報源・取材元
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
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【f 地場産品・伝統技術】 96/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
168 (f)地場産 福島県 会津若松市 会津慶山焼
品・伝統
技術等
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
昔ながらのロクロ、手びねり、そして灰釉
を用いる伝統を受け継ぎ、天然素材によ
る釉薬で仕上げられた器には、素朴で独
特の風合いがあり、土の香りもうするよう
だ。
豆汁で溶いた15種類の顔料を使って木綿
地に鮮やかに絵柄を描く。描かれる絵柄も
武者絵や大黒など15種類である。丹念な
手描きであふれんばかりの力強さを漂わ
せている。
近くの山野でとれるクワ科のコウゾを原料
に一枚一枚ていねいに紙を漉いていく。一
人伝統を受け継ぐ瀬谷さんは伝統の技術
にあきたらず、押し花をしたり草木染めを
するなど、工夫をこらした和紙づくりをして
いる。
「保存会会員」が栽培した原料(コウゾ・ニ
レ)と昔ながらの道具を使い、昔ながらの
技法でつくりあげる伝統和紙。時の経つほ
ど白さを増してくるのはすばらしい。
文禄元年(1592)ごろ、蒲生氏郷が黒川城
(現在の鶴ヶ城)の屋根瓦を肥前の唐津か
ら呼び寄せた陶工に焼かせたのが始まり
とされている。現在は窯元「香山」で焼くの
み。
端午の節句や男の子の成長を祝う縁起物
として、江戸時代から伝えられてきた。贈
り物として人気が高く、また民芸愛好家の
間の評価も高い。
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起源は永禄年間(1558-1570)に遡るとい
われている。江戸時代には棚倉藩の保護
奨励を受け、明治になると、およそ600戸
の農家が和紙づくりをしたという。しかし、
現在は瀬谷安雄さんのみ。
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『福島大百科事典』(福島民報社
編)
明暦4年(1658)ごろ和紙漉きが始まった
と伝えられ、江戸末期~明治の最盛期に
は地区の全戸数で紙漉きがされたという。
昭和63年(1988)にいったん途絶えたが、
平成10年に「保存会」が結成され、復興
なった。
会津桐は粘りと光沢がある材で、素直な 藩の奨励により植栽が始められた会津
柾目、大きな比重、明瞭な年輪、割れにく 桐。会津特有の風雪に耐え、厳しい環境
いなどの特徴がある。この会津桐ならでは に育つので、木目が美しく堅くて弾力性に
の良さがいかされた下駄は、柾目の光沢 富む品質を誇る。
が美しく評価が高い。
根まがり竹をナタ一丁で加工、細工して編 雄国地区の人々は江戸時代初期から雄
みあげ、ざるやかごなどの日常用具をつく 国山に自生する根まがり竹を編んで収入
る。独特のナタで竹を割る、表面の黒ずみ を得ていた。戦後一時期、竹細工づくりは
を削るなどの作業は熟練を要する。
途絶えそうになったが持ちこたえ、現在は
「保存会」が中心になって、伝承、普及に
取り組んでいる。
別名「白河鶴亀松竹梅」と呼ばれる。字の 今からおよそ300年前、松平定信が当地
ごとく、眉が鶴、口髭は亀、髯(ほおひげ) の南画家・谷文晁にだるまの原画を描か
は松竹梅、鬚(あごひげ)は竹で描かれて せ、職人を京都に修業に行かせたのに始
いる。商売繁盛、家内円満、合格祈願など まるという。毎年2月11日に「白河だるま
の願いを託す縁起物として人気が高い。 市」が開かれ15万人もの人でにぎわう。
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『福島大百科事典』(福島民報社
編)
福島県庁ホームページ
http://www.pref.fukushima.jp/ 『ザ・福島』(河北新報社福島総局
編)
169 (f)地場産 福島県
品・伝統
技術等
いわき市
いわき絵のぼり
170 (f)地場産 福島県
品・伝統
技術等
いわき市
いわき和紙
171 (f)地場産 福島県
品・伝統
技術等
郡山市
172 (f)地場産 福島県
品・伝統
技術等
喜多方市
会津桐下駄
173 (f)地場産 福島県
品・伝統
技術等
喜多方市
雄国の根まがり竹細工
174 (f)地場産 福島県
品・伝統
技術等
白河市
175 (f)地場産 福島県
品・伝統
技術等
須賀川市
須賀川絵のぼり
この絵のぼりには、手描きによる独特な力
強い線の動き、風雪にさらされても華やか
な色彩は変色しないなどの特長がある。
吉野家の6代目青峰氏は伝統絵柄のほ
かに、新しい感覚の作にも挑戦している。
176 (f)地場産 福島県
品・伝統
技術等
須賀川市
江戸小紋
177 (f)地場産 福島県
品・伝統
技術等
須賀川市
牡丹こけし
178 (f)地場産 福島県
品・伝統
技術等
二本松市
二本松万古焼
昔ながらの型を使った型ほりと型つけで職
人の手で鮮やかに染め上げられる。独自
の繊細さとおしゃれな雰囲気を合わせ持
ち、現代生活にも調和する多彩なデザイン
が人気を呼んでいる。
牡丹こけしの素材はミズキとサクラ。色鮮
やかに描かれた満開の牡丹の花が大きな
特徴で、上品な黒牡丹と愛嬌のある赤牡
丹の2種類のこけしがある。表情豊かな目
もかわいらしい。
初期にはタタミ型手びねり成形で四角や
五角の急須をつくっていたが、やがて茶い
い人好みの丸型手びねりの急須になっ
た。現在は、地元産の粘土を使い独自の
「手びねり型くずし製法」で製作している。
海老根伝統手漉和紙
白河だるま
今からおよそ230年前。当地の画家・亜欧
堂田善が男子の成長を祝って端午の節句
に和紙や布地に鐘馗を描き庭先に立てた
のが、この絵のぼりの始まりという。吉野
家初代が田善の弟子から継承し、地場産
品として発展させたが、現在はこの吉野家
1軒が残る。
江戸期に完成された小紋を染める手法を
江戸小紋という。江戸時代、裃の定め文
様を着物にうつしたことに始まる。江戸小
紋が須賀川でつくられ始めたのはおよそ
100年前。
須賀川の牡丹は全国的に有名。この牡丹
を描いた牡丹こけしがつくられ始めたの
は、今からおよそ100年前という。当初は
須賀川牡丹園のおみやげ品としてつくら
れたものという。
始まりは嘉永6年(1626)山下春吉の開窯
からだったと伝えられる。その後、二本松
城主・丹羽氏が京都から陶工を呼び寄せ
て下級武士に教えさせ、産業の発展につ
なげたという。現在は、井上窯1軒が残
る。
所在地
情報源・取材元
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
福島県庁ホームページ
http://www.pref.fukushima.jp/ 『ザ・福島』(河北新報社福島総局
編)
海老根伝統手漉き和紙保存会
〒963-0712郡山市中田町海老根
字北向38
TEL 024-943-4264
福島県庁ホームページ
http://www.pref.fukushima.jp/
『福島大百科事典』(福島民報社
編)
福島県庁ホームページ
http://www.pref.fukushima.jp/
『会津大事典』(会津事典編纂会
編)
福島県庁ホームページ
http://www.pref.fukushima.jp/
『福島大百科事典』(福島民報社
編)
福島県庁ホームページ
http://www.pref.fukushima.jp/
『福島大百科事典』(福島民報社
編)
福島県庁ホームページ
http://www.pref.fukushima.jp/
『福島大百科事典』(福島民報社
編)
福島県庁ホームページ
http://www.pref.fukushima.jp/
『福島大百科事典』(福島民報社
編)
【f 地場産品・伝統技術】 97/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
179 (f)地場産 福島県
品・伝統
技術等
二本松市
上川崎和紙
180 (f)地場産 福島県
品・伝統
技術等
二本松市
仏壇
181 (f)地場産 福島県
品・伝統
技術等
二本松市
獅子頭
182 (f)地場産 福島県
品・伝統
技術等
相馬市
相馬駒焼
183 (f)地場産 福島県
品・伝統
技術等
相馬市
日本甲冑
184 (f)地場産 福島県
品・伝統
技術等
浪江町
大堀相馬焼
185 (f)地場産 福島県
品・伝統
技術等
浅川町
魔除花火
186 (f)地場産 福島県
品・伝統
技術等
三春町
三春駒
187 (f)地場産 福島県
品・伝統
技術等
三春町
三春張り子
188 (f)地場産 福島県
品・伝統
技術等
猪苗代町
中ノ沢こけし
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
原料となるコウゾ、トロロアオイの栽培から
紙漉きまで、一貫して昔ながらの技法を受
け継ぎながら、すべて手作業で行なってい
る。冬が紙漉きの季節なので、冷たい水
の作業は大変だが、ここから生まれる上
川崎和紙は堅牢で、揉んでも滅多に破れ
ないことで高い評価を得ている。
この金仏壇づくりの全工程に関わるのは
一人。一人で木地師、木彫師、塗師、箔押
師の四役をこなす。この工程では200個近
い部品を組み立て、仏壇一基つくるのに3
カ月ほどかかるという。
二本松の獅子頭は、一本の木から彫る「く
り抜き」という技法でつくられる。素材は桐
の木。彫りの工程の中では「荒彫り」が
もっとも難しいとされる。また、左右対称均
整のとれた顔をつくるのには熟練の技が
いるという。
製品には茶器、花器、酒器などがある。登
り窯の古い形式を今に伝えている窯から
生み出される焼き物は、貫入(陶磁器の表
面に現れる細かいヒビ)のある青磁と走り
駒の絵が特徴とされている。
起源は1000年以上遡るといわれている。
平安時代、東北の紙は「みちのくの紙」と
称号され、公の贈答の包み紙に用いられ
るなど、貴族社会で重宝されていた。その
連綿と続く歴史と技術は「二本松和紙伝承
館」に伝えられている。
金、銀、胴、鉄などを材料にした甲冑1領
分の部品は1万個を優に超えるという。こ
れを一人で組み上げ、頑丈さを美しさで包
み込んだ甲冑1領を完成させるには、新作
だと3年はかかるという。
この焼き物の特徴は、①器全体に細かい
ひび(あおひび)が入り、それがはからず
も、模様になっている ②お湯などが冷め
にくい「二重焼き」の構造になっている な
どがある。原料は地元1カ所にのみ産する
砥山石で、茶器や酒器などの日用雑器を
主につくられている。
神社のお札を張り合わせて、花火の殻を
つくっていた。悪疫退散、無病息災の魔除
けにしていたなどをヒントに商品化。今の
殻には浅川町に伝わる古文書の写しを短
冊状にしたものが何枚も張り重ねられてい
る。
黒駒と白駒がある。基本は胸を張っていな
なく姿。胸や胴は直線的につくり出されて
いる。黒(白)地に赤い隅どりで単純な模様
が描かれ、たてがみと尾にはシュロをさし
こんでいる。古くからの馬産地にふさわし
い、かわいい玩具。
一般に張り子人形は安定感を第一として
いるので、造形的に単純化されているが、
三春人形はのびのびと細かい動作まで美
しく表現されているのが特徴。人形の木型
は500に及び、そこからつくり出される人形
は、全国の張り子人形の中でも上位に数
えられてきた。
土湯系の分流とされるが独創性のあるこ
けしだ。頭と胴がはめ込み式で、ギョロ目
に大きな鼻、目の周りが赤く、大きな頭に
は黒い蛇の目文様が描かれるなどの特徴
がある。
所在地
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
福島県庁ホームページ
上川崎和紙伝承館
http://www.pref.fukushima.jp/
http://www.michinoeki『福島大百科事典』(福島民報社 adachi.jp/washi/
編)
情報源・取材元
二本松で仏壇づくりが始まったのは、1000
年前といわれている。そして、今でも昔な
がらの技法で塗り仏壇がつくられているの
だが、受け継ぐ職人はたった一人。
福島県庁ホームページ
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『福島大百科事典』(福島民報社
編)
師子踊りの主役になるのが獅子頭だ。二
本松に代々伝わる獅子頭は、丈夫で長持
ちすることで知られる。現在は獅子頭づく
りの後継者が修業先から戻って、伝統の
技を受け継いでいる。
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『福島大百科事典』(福島民報社
編)
相馬焼(大堀相馬焼)とは区別される。そ
の創始時期は、寛永年間(1624-1644)と
も慶安年間(1648-1652)ともいわれるが、
始祖は田村源五衛門。田村窯は東北では
もっとも古い創業といわれ、東北各地の諸
窯に影響を与えたとされる。
年に一度、相馬・双葉地方の甲冑が一堂
に参集する。「相馬野馬追い祭り」が、そ
の舞台だ。全国的にも甲冑づくりの工人は
少ないが、ここ相馬では、橘斌さんが甲冑
づくりに身を捧げている。
始まりはおよそ300年前。相馬藩士・半谷
休閑の下僕であった左馬という人物が創
始したとされている。江戸末期には窯元が
100戸を超えたが、明治には衰退。だが、
現在、27軒も残る。
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編)
浅川町の花火大会の歴史は300年以上前
に遡る。浅川氏が佐竹氏に攻め滅ぼされ
た際、戦死した武士の霊を慰めようと打ち
上げられたのが始まりとされる。魔除け花
火は昭和6年(1986)に考案された。
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編)
文明年間(1469-1487)に起源をもち、製
作の由来は坂上田村麻呂の故事によると
される。三春藩は産馬を藩の収入源にし
ていた。神社に奉納したり、子どものおも
ちゃとする木馬づくりは、高柴村を中心に
発達した。今も同じ地で昔ながらの駒づく
りが続けられている。
三春藩第7代藩主・秋田倩季(よしすえ)
は風流人で、三春人形に歌舞伎の所作や
浮世絵風俗を採用させたと伝えられてい
る。そして、文化・文政年間(1804-1830)
が、三春人形のもっとも盛んにつくられた
時期だった。
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『福島大百科事典』(福島民報社
編)
福島県内には土湯(こけしの日本三大発
祥地)系と弥治郎系の二系列のこけしが
あり、中ノ沢こけしは土湯系の分流とされ
る。大正末期よりつくられてきた。
『福島大百科事典』(福島民報社
編)
『ふくしまの玩具』(小林金次郎
著)
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編)
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【f 地場産品・伝統技術】 98/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
からむし織
通気性、吸湿性、速乾性などに優れ、防
虫の効果もあることから、高温多湿な日本
の風土に適した織物とされる。また、水を
通すほど風合いがよくなり、耐久性も増す
特性がある。
曲輪
ヒノキ、スギなどの木材から薄く柾目材を
剥ぎとる。それを円形、長円形に曲げ端を
止める。合わせ目をサクラのひも状にした
もので縫い合わせ、底をつけて出来上が
り。
からむし(別名・青苧、苧麻)を昭和村で
は、およそ600年前から、主に越後上布の
原料などとして栽培してきたが、近年は栽
培だけでなく、織りまでの一貫工程で製品
をつくり販売するようになった。平成6年度
からは「織り姫制度」で、織り手の養成を
はかるなどしている。
原料が豊富な桧枝岐では、曲げ物づくり
が江戸時代から唯一の産業だった。技術
は江戸時代、信州から職人を招いて習得
したといわれ、明治時代が最盛期であっ
た。現在は観光用民芸品として生産され
ている。
奥会津地方の山間部で採取されるヒロコ、
ヤマブドウなどの皮やマタタビつるなどの
植物を素材とする編み組細工。現在の主
な産地は三島町で、「奥会津編組品振興
協議会」を結成し、生産、普及に取りくんで
いる。
189 (f)地場産 福島県
品・伝統
技術等
昭和村
190 (f)地場産 福島県
品・伝統
技術等
檜枝岐村
191 (f)地場産 福島県
品・伝統
技術等
三島町
奥会津編み組細工
[ヒロコ(ミヤマカンスゲ)細工]丈夫で水に
強いヒロコを縄状にない、シナノキの薄皮
を編み糸にして編みあげる [ヤマブドウ細
工]梅雨時にヤマブドウの皮を採取し、陰
干ししてから木型を使って編みあげる [マ
タタビ細工]自生しているマタタビの皮を剥
いだものを幾何学模様に編みあげる。
192 (f)地場産 福島県
品・伝統
技術等
三島町
総桐箪笥
193 (f)地場産 福島県
品・伝統
技術等
南会津町
会津桐は粘りと光沢があり、特に柾目の
美しさには定評がある。その桐材を使って
仕上げる総桐箪笥は湿気も呼ばず、虫も
つきにくく燃えにくいなどの特徴がある。
全国でも珍しい、古来の手美ねりでつくら
れる焼き物。蓋や側面にカエルやサイコロ
などの縁起物が施され、土の色をいかし
た素朴で荒削りな姿に、力強さとほのぼの
としたぬくもりが感じられる。
田島万古焼
194 (f)地場産 福島県 会津美里町 会津本郷焼
品・伝統
技術等
この焼き物には二つの流れがある。陶器
系(工物系)と有田焼の流れを汲む磁器系
の二つである。主な材料は陶土、木炭で、
ロクロ成型のあと多種多様な釉薬で仕上
げる。
195 (f)地場産 福島県
品・伝統
技術等
自生するマタタビやアケビのつるを編み込
んでつくるつる細工は、つるの採取から仕
上げまで一人の職人の手によって、一つ
ひとつ手づくりでつくられる。素材のもつ素
朴さから、野山のぬくもりが伝わってくるよ
うだ。
只見町
つる細工
南会津地方は会津桐の産地として350年
の植栽歴がある。その会津桐を100パーセ
ント使用してつくるのが会津総桐箪笥であ
る。
引化2年(1845)に田島である陶工が手び
ねりでつくり「鴫山万古」(しぎやまばんこ)
と名付けたのが最初。その後いろいろあっ
て、太平洋戦争中に製陶は中断した。復
興がなったのは昭和49年(1974)5月で、
23年ぶりのことだった。この時から「田島
万古焼」と改称した。
正保2年(1645)保科正之が瀬戸の陶工を
招いて日用品の類の陶器を焼かせたのが
始まり。江戸時代に多彩な技法が完成し、
白磁もつくられるようになった。現在は窯
元は17軒となったが、伝統は受け継がれ
ている。
只見町では地域に自生する樹木でのつる
細工が、昔から行われ、生活用品がつくら
れてきた。今では、実用品としてはもちろ
ん、民芸品、インテリアとしても活用されて
いる。
所在地
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
福島県庁ホームページ
昭和村からむし織の里
http://www.pref.fukushima.jp/
織姫交流館
『ザ・福島』(河北新報社福島総局 TEL0241-58-1655
編)
Mail : [email protected]
情報源・取材元
福島県庁ホームページ
http://www.pref.fukushima.jp/
『会津大事典』(会津事典編纂会
編)
福島県庁ホームページ
http://www.pref.fukushima.jp/
『福島大百科事典』(福島民報社
編)
福島県庁ホームページ
http://www.pref.fukushima.jp/
『福島大百科事典』(福島民報社
編)
福島県庁ホームページ
http://www.pref.fukushima.jp/
『福島大百科事典』(福島民報社
編)
福島県庁ホームページ
http://www.pref.fukushima.jp/
『福島大百科事典』(福島民報社
編)
福島県庁ホームページ
http://www.pref.fukushima.jp/
『会津大事典』(会津事典編纂会
編)
【f 地場産品・伝統技術】 99/188
(1)地域資源調査リスト 【(g)自然】
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
1
(g)自然
青森県 弘前市・鰺ヶ 岩木山(津軽富士)
沢町
巌鬼山の別名もあり、津軽富士として親し 日本百名山の一座で登山は易しい
まれている。旧暦8月1日に山麓の岩木山
神社からお山参詣が行われる。
弘前市百沢
2
(g)自然
青森県
深浦町
白神岳
白神山地の主峰として登山者に人気があ 民間信仰のおしら様を祀る白神ともいわ
る。JR五能線陸奥黒崎駅が起点
れる
深浦町黒崎、十二湖 深浦町観光協会
http://www.fukaura.jp/
3
(g)自然
青森県
青森市
八甲田山
明治30年代、雪中行軍の大量遭難で有名 八甲田ロープウエーが利用できる行楽地 青森市荒川字寒水
になったが、今は四季折々、登山者であ となった
沢
ふれる人気の山である
八甲田ロープウェー株式会社
八甲田ロープウエーTEL:017http://www.hakkoda-ropeway.jp/ 738-0343
4
(g)自然
青森県
十和田市
田代平湿原
八甲田山の東麓にあり、貴重な湿原植物 駒込付近一帯が雪中行軍の遭難現場とも 青森市駒込
の群落が鑑賞できる
なった
5
(g)自然
青森県
むつ市
恐山・宇曽利湖
6
(g)自然
青森県
十和田市
下北半島の霊場で、温泉などもあり行楽
者で賑わっている。
日本を代表する国立公園で、奥入瀬渓谷
と共に、特に紅葉の時期に観光客が多い
7
(g)自然
青森県 三沢市・東北 小川原湖
町・六ヶ所村
MAPPLE 山と高原地図: 登山・ハ
イキング情報
http://yamachizu.mapple.net/
むつ下北観光案内
http://www.mutsu-kanko.jp
MAPPLE 山と高原地図: 登山・ハ
イキング情報
http://yamachizu.mapple.net/
東北町役場
http://www.town.tohoku.lg.jp/
8
(g)自然
青森県 五所川原市 十三湖
9
(g)自然
青森県
深浦町
10
(g)自然
青森県
11
(g)自然
12
十和田湖・奥入瀬渓流
慈覚大師の開基とされ、イタコの口寄せで むつ市恐山
知られる
大町桂月など文人画人の来訪地として有 十和田湖、奥入瀬
名である
ワカサギ日本一、しじみ、糸状マリモ、オ 東北自然歩道などで湖畔を周遊できる
オセッカが生息するなど貴重な汽水湖で
ある
しじみ漁と十三湊遺跡などで知られ、北 太宰治の『津軽』でも知られ、文学碑もあ
日本の海上交通の拠点湊であった
る
十二湖
白神山地バッファゾーンの景勝地は最奥
の「青池」に特に人気がある
西目屋村
暗門ノ滝
青森県
鰺ヶ沢町
(g)自然
青森県
13
(g)自然
14
東北町小川原湖
岩木山観光協会
http://www.iwakisan.com
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
岩木山観光協会 TEL:0172-833000
五所川原市十三(旧 五所川原市観光協会
市浦村)
http://www.go-kankou.jp/
昭文社・山と高原地図(八甲田
山・岩木山)
むつ市観光協会 TEL:0175-231311
昭文社・山と高原地図(十和田湖
の部)
東北町商工観光課TEL:017656-4148
五所川原市観光協会TEL:017338-1515
深浦町観光協会TEL:0173-743320
白神山地、青森県側で最も人気度が高い 「菅江真澄遊覧記」にも見られる秘境であ 西目屋村川原平
景勝地で、滝めぐりやブナ林散策ができる る
深浦町観光協会 http://www.fukaura.jp/
白神山地ビジターセンター
http://www.shirakami-visitor.jp/
くろくまの滝
赤石川支流、滝ノ沢にある名瀑で白神山 日本の滝百選。高さ85m、幅15m
地探訪の一コースとなっている
鰺ヶ沢町観光協会
http://ajigasawa.info/
鰺ヶ沢町商工観光課TEL:017372-2111
十和田市
松見ノ滝
十和田市
http://www.city.towada.lg.jp/
十和田市十和田湖支所TEL:
0176-23-5111
青森県
三沢市
淋代海岸
奥入瀬川支流、黄瀬川の源流にあり、徒 奥入瀬に注ぐ黄瀬川の源流、探検的秘境 十和田市黄瀬川
渉など探検的な秘境。それだけに素晴らし
い滝鑑賞ができる
日本の 白砂青松百選の海岸で、太平洋 太平洋横断飛行成功の記念碑(1931年) 三沢市淋代
横断の最短距離となっている
がある
三沢市観光協会
http ://kite-misawa.com/
三沢市観光協会TEL:0176-592311
(g)自然
青森県
大間町
大間崎
(g)自然
青森県
深浦町
千畳敷海岸
MAPPLE観光ガイド
http://www.mapple.net/
MAPPLE観光ガイド
http://www.mapple.net/
MAPPLE観光ガイド
15
本州最北端の岬で、大間のマグロは有名 本州最北端の碑やマグロのオブジェがあ 大間町大間崎
な特産物である。
る
西津軽海岸随一の景勝地で、名の通りの 200年前の地震で隆起した岩礁海岸
深浦町北金ヶ沢榊
広々とした岩礁地帯に遊べる
原
16
(g)自然
青森県
外ヶ浜町
17
(g)自然
青森県
八戸市
種差海岸
津軽半島最北端 の三厩は、青函トンネ
ルの津軽側入口である
海岸の天然芝生や白浜海水浴場などが
あり、八戸きっての海岸景勝地である
松陰碑、太宰治文学碑、義経伝説の義経 外ヶ浜町三厩
寺もある
八戸市種差
外ヶ浜町公式HP
外ヶ浜町三厩支所TEL:0174-37http://www.town.sotogahama.lg.jp 20001
八戸市(代表)TEL:0178-432111
18
(g)自然
青森県
佐井村
仏ヶ浦
19
(g)自然
青森県
深浦町
椿山
20
(g)自然
青森県
十和田市
蔦沼
巨岩奇岩の断崖はかの大町桂月も来訪し 佐井村仏ヶ浦
ている
ウエスパ椿山は西津軽の新しいリゾート 深浦町艫作鍋石
地である
蔦温泉ゆかりの大町桂月の墓所もある
十和田市蔦
佐井村観光協会
http:// saikanko.sakura.ne.jp/
MAPPLE観光ガイド
http://www.mapple.net/
十和田市
http://www.city.towada.lg.jp/
21
(g)自然
青森県
黒石市
平館海峡に面した海蝕崖は、まさに仏の
宇陀といわれる
ヤブツバキの群落と夕日海岸が絶景ポイ
ントとなっている
蔦温泉散策コースは、蔦温泉から始まる
森の沼めぐりは静かな名所で、桂月を偲
ぶ道である
英国人イザベラ・バードも訪れたもみじの
名所は、温湯など黒石温泉郷とセットで楽
しめる
竜飛岬(竜飛崎)
中野もみじ山
宝永元年(1704)の地震でできた湖沼群で 深浦町松神山国有
ある
林
深浦町観光協会 TEL:0173-743320
鰺ヶ沢町滝ノ沢
黒石城下町のこみせなどで旅情満点であ 黒石市南中野、中野 黒石観光協会
る
神社
http://kuroishi.or.jp/
白神山地ビジターセンターTEL:
0172-85-2810
深浦町役場TEL:0173-74-2111
佐井村観光協会TEL:0175-384515
MAPPLE観光ガイド
十和田市十和田湖支所TEL:
0176-23-5111
黒石市商工観光課TEL:017252-2111
【g 自然】 100/188
平川市碇ヶ関湯ノ沢 平川市
http://www.city.hirakawa.lg.jp/
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
平川市商工観光課TEL:017244-1111
八甲田山東麓にあり、田代湿原などの足 ワタスゲ咲く田代湿原散策は魅力的だ
どまりとなる。ホテル遊仙がある
青森市駒込字深沢
遊仙TEL:017-738-8288
谷地温泉
八甲田山中の秘湯で日本三大秘湯のひと
つといわれる。昔ながらの湯治場の風情
がある
十和田市八甲田山
中
十和田市
猿倉温泉
奥入瀬渓谷散策の拠点として人気がある
十和田市奥瀬猿倉
青森県
十和田市
蔦温泉
(g)自然
青森県
弘前市
嶽温泉
嶽温泉は百沢村の杣夫が発見したとの伝 弘前市常盤野字湯
承をもっている
の沢
弘前 岩木山 嶽温泉旅館組合
http://www.dake-onsen.com/
嶽温泉組合TEL:0172-83-2329
(山のホテル)
28
(g)自然
青森県
弘前市
百沢温泉
岩木山神社(国重文)史跡めぐりの温泉郷 弘前市大字百沢
岩木山観光協会
http://www.iwakisan.com/
岩木山観光協会TEL:0172-833000
29
(g)自然
青森県
平川市
南田温泉
リンゴ風呂が有名である
平川市町居南田
(g)自然
青森県
平川市
碇ヶ関温泉
道の駅いかりがせき(津軽関の庄)
平川市碇ヶ関碇石
31
(g)自然
青森県
平川市
湯川温泉(温湯山荘)
浅瀬石川上流、八甲田山中にたたずむ山 吉川英治ゆかりの湯
の秘湯に隠れファンが多い
平川市切明津根川
森
32
(g)自然
青森県
大鰐町
大鰐温泉
津軽の奥座敷として津軽藩主も愛した歴
史的名湯である
八百年の歴史をもつ歴史的温泉場 「湯
魂石薬師堂」が温泉街にある
大鰐町字大鰐
33
(g)自然
青森県
黒石市
温湯温泉
浅瀬石川沿いに長寿、温湯、落合、板留
の各温泉がある
7月下旬に丑湯まつりがあり、温湯こけし
の里としても知られ、「津軽こけし館」や
『津軽伝承工芸館」などがある
黒石市温湯
青森県観光情報アプティネット
http://www.aptinet.jp/
道の駅いかりがせき「津軽関の
庄」
http://www.hirakawakankou.com/asobu/ikarigaseki/4
6-2010-11-05-12-35-19.html
温川温泉 一般社団法人 黒石
観光協会
http://kuroishi.or.jp/stay_onsen/
aoni_nurukawaonsen/nurukawasa
nsou
大鰐温泉旅館協同組合公式サイ
ト
http://www.aomoricolony.com/~o
wanionsen/pege/syokai1.html
黒石市HP
http://www.city.kuroishi.aomori.jp
/
南田温泉TEL:0172-44-3711
30
新緑や紅葉の季節、人気度ナンバーワン
の歴史の湯は大町桂月の居住地としても
知られる
岩木山スカイライン入口近くにある古くか
らの温泉地。竹の子寿司や嶽きみが名物
となっている
岩木山神社とリンゴ畑の周辺に幾つかの
温泉宿があり、百沢スキー場から岩木山
へ登山道もある
津軽平野のど真ん中にアップルランド南
田温泉がある
津軽藩関所があった街道の宿場町。近く
に古懸不動尊(寺院)や道の駅がある
ぬぐだまりの里 秘湯 八甲田温
泉
http://www.hakkouda谷地温泉|青森観光情報アプ
ティネット
http://www.aptinet.jp/Detail_displ
ay 00000134.html
元湯 猿倉温泉
http://sarukuraonsen.jimdo.com
蔦温泉
http://tsutaonsen.com/
34
(g)自然
青森県
黒石市
青荷温泉
南八甲田山麓の秘湯はランプの宿であ
る。
遠方からの温泉客に人気がある
黒石市沖浦靑荷沢
滝ノ上
ランプの宿青荷温泉
http://www.yo.rim.or.jp/~aoni/
靑荷温泉TEL:0172-54-8588
35
(g)自然
青森県
青森市
浅虫温泉
夏泊半島、陸奥湾に面し、北の熱海と呼
ばれる古くからの温泉街である
名の由来は、土地の人たちが温泉で麻を 青森市浅虫
蒸したことによるという
浅虫温泉公式HP
http://www.asamushi.com/
浅虫観光協会TEL:017-7523250
36
(g)自然
青森県
青森市
寒水沢温泉
八甲田山ロープウエー山麓駅すぐそばの
リゾートホテル
青森市大字荒川寒
水沢
八甲田リゾートホテル
http://www.hakkouda-resort.jp/
八甲田リゾートホテルTEL:017738-2233
37
(g)自然
青森県
風間浦町
下風呂温泉
下北半島の北端と北海道にも近く、井上
靖『海峡』の舞台ともなった
風間浦村下風呂
青森県下北半島 下風呂温泉 風間浦村-下風呂温泉郷
http://www.shimohuro.com/
風間浦村青年商工会TEL:017535-2010
38
(g)自然
青森県
むつ市大畑 薬研温泉
下北半島国定公園内にあり、名のように
薬湯として知られるカッパの湯などがある
むつ市大畑
大畑庁舎産業振興課TEL:017534-2111
39
(g)自然
青森県 むつ市田名部 恐山温泉
日本三大霊場、恐山にある温泉は多くの
信者で賑わう
むつ市田名部
むつ市役所大畑庁舎
http://www.city.mutsu.lg.jp/index.
cfm/18,3478,37,249,html
むつ市観光協会
http://www.mutsu-kanko.jp/
40
(g)自然
青森県
野辺地町
馬門温泉
別称「鶴の湯」といわれ、野辺地港の西山 奥州街道(陸羽街道)、馬門の藩境がある 野辺地町馬門
中にある。「ほたて料理」が名物である
野辺地観光協会
http://www.noheji-kankou.gr.jp/
野辺地町観光協会TEL:017564-9555
41
(g)自然
青森県
外ヶ浜町
平舘不老不死温泉
松前街道。3百年の歴史をもつ平舘の名
湯である
平舘不老ふ死温泉
http://www.furoufushi.jp/
平舘不老不死温泉TEL:017425-2624
カテゴリー
県
市町村
22
(g)自然
青森県
平川市
23
(g)自然
青森県
24
(g)自然
25
地域資源名
資源の概要
矢立峠旧街道
津軽と秋田の藩境となる旧くからの難所
の峠。数多くの旅人が足跡を残している
十和田市
八甲田温泉
青森県
十和田市
(g)自然
青森県
26
(g)自然
27
歴史的価値・ストーリー
伊能忠敬や吉田松陰などの史跡がある
ブナの森に囲まれた千年の秘湯
津軽半島、平舘海峡を望み、徐福伝説も
残されている
所在地
十和田市奥瀬字蔦
野湯
平舘村大字根岸字
湯ノ沢
情報源・取材元
谷地温泉TEL:0176-74-1181
元湯猿倉温泉TEL:0176-232030
蔦温泉 TEL:0176-74-2311
津軽関の庄TEL:0172-49-5020
温湯山荘TEL:0172-55-2314
大鰐温泉旅館協同組合TEL:
0172-48-3231
黒石市役所TEL:0172-52-2111
むつ市観光協会TEL:0175-231311
【g 自然】 101/188
地域資源名
県
市町村
42
(g)自然
青森県
鰺ヶ沢町
43
(g)自然
青森県
深浦町
黄金崎不老不死温泉
44
(g)自然
青森県
深浦町
みちのく温泉
45
(g)自然
青森県
深浦町
ウエスパ椿山温泉
46
(g)自然
岩手県
八幡平市
47
(g)自然
48
(g)自然
岩手県
49
(g)自然
岩手県 花巻市・遠野 早池峰山
市
50
(g)自然
岩手県
盛岡市
姫神山
51
(g)自然
岩手県
久慈市
小袖海岸(つりがね洞)
北三陸の奇岩海岸景勝地で、朝ドラ「あま 久慈市東端の三崎半島の北にある
ちゃん」のロケ地として有名になった
久慈市小袖海岸
52
(g)自然
岩手県
田野畑村
北山崎・鵜の巣断崖
三陸海岸屈指の景勝地北山崎の断崖海 田野畑村の二大名所
岸と鵜の巣断崖。自然歩道もあり、三陸復
興国立公園の価値が再確認できる
田野畑村北山崎
田野畑村HP
田野畑村役場TEL :0194-34http://www.vill.tanohata.iwate.jp/ 2111
53
(g)自然
(g)自然
55
(g)自然
岩手県
大船渡市
56
(g)自然
岩手県
岩泉町
安家洞
宮古湾の代表的景勝地。漁船の さっぱ船 三陸ジオパークのジオサイト
遊覧が今、人気である
三陸大津波に襲われた景勝地、高田松原 三陸復興国立公園
の奇蹟の一本松が復興のシンボルとなっ
た
末崎半島の南突端にある海岸はまるで
碁石を並べたようなところに浜の名の由来
がある
総延長2・4キロ㎞という日本最長の鍾乳 三陸ジオパークジオサイト
洞
宮古市浄土ヶ浜
54
岩手県 宮古市(陸中 浄土ヶ浜・青の洞窟
海岸)
岩手県 陸前高田市 高田松原
宮古市HP
http://www.city.miyako.iwate.jp/
陸前高田市観光物産協会
http://www.3riku.jp/kanko/kanko
-guide/kanko-guide.html
大船渡市観光物産協会
http://www.sanrikuofunato.gr.jp/
岩泉町HP
http://www.town.iwaizumi.iwate.j
p/
57
(g)自然
岩手県
一関市
幽玄洞
名勝猊鼻渓の近くにある幽玄洞は圧巻の 日本最古の鍾乳洞とも伝えられる
洞穴である
一関市東山町長坂
幽玄洞観光
自然洞窟博物館TEL:0191-47http://www6.ocn.ne.jp/~yuugen/ 3303
58
(g)自然
岩手県
岩泉町
龍泉洞
日本三大鍾乳洞といわれ、3カ所の地底
湖はまるで別の宇宙の感じである
岩泉町岩泉字金成
1-1
59
(g)自然
岩手県
住田町
滝観洞
落差29mの地底滝(天の岩戸の滝) は日 日本一の洞内滝(29m)
本一の洞内滝である。JR釜石線のトンネ
ルの合間にある上有住駅からすぐだ
住田町上有住
岩泉町役場
龍泉洞TEL:0194-22-2566
http://www.town.iwaizumi.iwate.j
p/eventguide/626-21325.html
滝観洞
滝観洞観光センターTEL:0192http://rokando.sumita48-2756
gayagaya.com/access.html
60
(g)自然
岩手県
一関市
猊鼻渓
ダイナミックな自然の造形美。砂鉄川、水 宮沢賢治が働いていた旧東北砕石工場も 一関市東山町長坂
墨画の世界を舟で巡る楽しみがある
近い
字町
けいび観光グループ
http://www.geibikei.co.jp/
げいび観光センターTEL:019147-2341
61
(g)自然
岩手県
一関市
厳美渓
磐井川の花崗岩が浸食されてできた甌
穴、滝、深淵の景勝地。
いちのせき 観光ガイド
http://ichinosekikankou.jp/event/sp.html
一関市商工観光課TEL:019121-8413
鰺ヶ沢温泉
資源の概要
岩木山の北西麓にあり、日本海産の魚介
市場が有名である。
JR五能線沿い、日本海の夕日を眺める海
の露天風呂が有名
JR五能線舮作駅の北にある一軒宿の温
泉。
歴史的価値・ストーリー
所在地
北前船航行以来、湊の出湯として知られ 鰺ヶ沢町
た
津軽国定公園、白神山地の立ち寄り湯と 深浦町舮作字下清
なる
滝
深浦町舮作鍋石
日本海と椿山を展望する現代的リゾートス 洋風コテージやガラス工房などもある
パ
青森県観光情報アプティネット
http://www.aptinet.jp/
平舘不老ふ死温泉
http://www.furoufushi.jp/
青森県陸奥津軽観光サイト
http://www.okutsugaru.com/shic
houbetu/fukaura/00newFukaura
Shukuhakuichiran.ht
深浦町舮作鍋石
ウェスパ椿山
ウエスパ椿山TEL:0173-75-2261
http://www.wespa.jp/company.ht
ml
八幡平市松尾 八幡 八幡平市観光協会
八幡平市観光協会TEL:0195平
http://www.hachimantai.or.jp/
78-3500
八幡平山頂周遊 八幡沼な 十和田八幡平国立公園にあり、アスピー 八幡太郎義家に命名の由来をもつ
ど
テライン山頂ターミナルから容易な雲上散
策が魅力である
岩手県 雫石町・滝沢 岩手山
南部富士と呼ばれる盛岡地方のシンボル 中腹の焼走り溶岩流など火山活動が激し 八幡平市西根
村・八幡平市
で、古来、岩手山は何かにつけふるさとの い山だ
名峰に位置づけられる
奥州市
焼石岳
碁石海岸
花の百名山、奥羽の名峰として人気があ
る。岩手県、秋田県双方から登山道があ
る
北上山地の高峰で長い頂稜をもつ。エー
デルワイスに近似のハヤチネウスユキソ
ウ群落の山として知られる
北上川をはさんで岩手山と向き合う女神
山はふるさとの山と啄木も詠んだ
情報源・取材元
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
青森県観光局TEL:017-7349834
不老不死温泉TEL:0173-743500
みちのく温泉TEL:0173-75-2011
カテゴリー
6月から8月までが山の花の見ごろである 奥州市胆沢区尿前
山麓、岳の早池峰神社で神楽舞が奉納さ 遠野市
れる
盛岡市玉山区渋民に「石川啄木記念館」
がある
名物郭公だんごがロープで運ばれる
盛岡市玉山区
陸前高田町高田
大船渡市末崎町字
大浜
岩泉町安家
一関市厳美町滝ノ
上
八幡平市観光協会
http://www.hachimantai.or.jp/
八幡平市観光協会TEL:019578-3500
登山情報サイトヤマケイオンライ ヤマケイオンライン
ン
http://www.yamakei-online.com/
遠野市観光協会
遠野市観光協会TEL:0198-62http://www.tonojikan.jp/
1333
施設案内 玉山総合事務所
http://www.city.morioka.iwate.jp/
shisetsu/shikanren/shiyakusho/0
08156.html
久慈市観光物産協会
http://kuji-kankou.com/
盛岡市玉山総合事務所TEL:
019-683-2116
久慈市観光物産協会TEL:019466-9200
宮古市TEL:0193-62-2111
陸前高田市観光物産協会TEL:
0192-54-5011
大船渡市観光物産協会TEL:
0192-21-1922
岩泉町TEL:0194-22-2111
【g 自然】 102/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
62
(g)自然
岩手県
雫石町
玄武洞(葛根田川渓谷)
葛根田川渓谷にある玄武岩の柱状節理 川をさかのぼると滝ノ上温泉がある
は雫石十景のひとつである
雫石町葛根田川溪
谷
63
(g)自然
岩手県
二戸市
馬仙峡
大淵大明神や渡辺喜恵子歌碑が遊歩道
沿いにある
二戸市
64
(g)自然
岩手県
住田町
種山が原
65
(g)自然
岩手県
八幡平市
安比高原の白い森
66
(g)自然
岩手県
八幡平市
蓬莱峡
67
(g)自然
岩手県
花巻市
花巻温泉
二戸市の南、 馬淵川渓谷は岩手北部の
名勝地。男神女神の岩峰はかつての石切
所の名残か
北上山地は隆起準平原で最高所の物見
山(種山)には花崗岩の残丘を見ることが
できる
安比グランドタワーの奥に中の牧場、岩畑
山があり、ブナとダケカンバの白い森の散
策ができる
八幡平、藤七温泉の近くにある蓬莱境は
アオモリトドマツやコメツガの原生林に囲
まれた自然庭園である
歴史の名湯と新リゾートが共存する花巻
温泉郷は宮沢賢治のいうイーハトーブで
ある
68
(g)自然
岩手県
花巻市
台温泉
花巻一の古湯、台温泉は台川上流にあ
る。
南北朝期以前の開湯とも伝えられ、ひな
びた温泉街の風情がただよう
69
(g)自然
岩手県
花巻市
鉛温泉
豊沢川沿いの秘湯、鉛温泉は「藤三旅館」 田宮虎彦の『銀心中』の舞台となった山峡 花巻市
の白猿の湯が有名。自炊部にも人気があ の出湯
る
70
(g)自然
岩手県
花巻市
志戸平温泉
豊沢川沿い、花巻南温泉郷の閑静な湯治
場の雰囲気がある。
71
(g)自然
岩手県
花巻市
花巻新湯本温泉
花巻温泉郷の奥にある新湯本温泉
バラ園と釜淵ノ滝の景勝地に近い「美翆
館」は一軒宿
72
(g)自然
岩手県
花巻市
大沢温泉
5月、温泉の神である金精様の祭りが盛大 花巻市湯口字大沢
に行われる
73
(g)自然
岩手県
八幡平市
安比高原温泉郷
山水閣と自炊部があり、渓流に面した自
炊部の大浴場(混浴)の解放感がたまらな
い
安比、安比豊畑、小屋の沢温泉。安比ス
キー場などリゾート地
74
(g)自然
岩手県
八幡平市
松川温泉
75
(g)自然
岩手県
八幡平市
藤七温泉
76
(g)自然
岩手県
八幡平市
新安比温泉
77
(g)自然
岩手県
二戸市
金田一温泉
78
(g)自然
岩手県
盛岡市
つなぎ温泉
79
(g)自然
岩手県
北上市
80
(g)自然
岩手県
81
(g)自然
岩手県
情報源・取材元
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
雫石町役場TEL:019-692-2111
雫石町役場
http://www.town.shizukuishi.iwat
e.jp/
二戸観光協会
二戸市観光協会TEL:0195-23http://ninohe-kanko.com/
3641
道の駅「種山が原」から種山が原散策。宮 住田町姥石峠
沢賢治がこよなく愛した高原としても知ら
れる
安比スキー場、八幡平登山などアウトドア 八幡平市
派向き
住田町役場
住田町役場TEL:0192-462111
http://www.town.sumita.iwate.jp/
八幡平市観光協会
http://www.hachimantai.or.jp/
八幡平市観光協会TEL:019578-3500
奇岩怪石は八幡平火山の置き土産である 八幡平市
八幡平市観光協会
http://www.hachimantai.or.jp/
八幡平市観光協会TEL:019578-3500
花巻観光協会
http://www.kankohanamaki.ne.jp/sightseeing/flowe
r/
花巻観光協会
http://www.kankohanamaki.ne.jp/sightseeing/flowe
r/
花巻観光協会
http://www.kankohanamaki.ne.jp/sightseeing/flowe
r/
花巻観光協会
http://www.kankohanamaki.ne.jp/sightseeing/flowe
r/
花巻観光協会
http://www.kankohanamaki.ne.jp/sightseeing/flowe
r/
大沢温泉
http://www.oosawaonsen.com/
花巻観光協会TEL:0198-294522
花巻市
花巻市
花巻市
花巻市
花巻観光協会TEL:0198-294523
花巻観光協会TEL:0198-294524
花巻観光協会TEL:0198-294525
花巻観光協会TEL:0198-294526
大沢温泉TEL:0198-25-2021
細野地区に「あずみの湯」安比高原に「岩 八幡平市細野・安比 高原の宿 安代林業センター
畑の湯」などがある
高原
http://www.appiyado.net/~iwahata/
十和田八幡平国立公園に属し、樹海ライ 松川に面して数軒の温泉宿がある
八幡平市松尾松川 八幡平市観光協会
ン、松川渓谷、地熱発電所、岩手山、三ツ
http://www.hachimantai.or.jp/
石山などへの起点となる
東日本一高所の温泉として知られ。彩雲 八幡平、裏岩手連峰縦走の拠点となるり、 八幡平市松尾寄木 藤七温泉「彩雲荘」
荘(一軒宿)の雲上の露天風呂は岩手山 まわりには高山植物の花が咲き乱れる
http://www.toshichi.com/
の眺望が素晴らしい
旧安代町叺田にある皮膚疾患に効能があ 安比高原や浄法寺天台寺にも近い
八幡平市(安代)叺 八幡平市観光協会
るという天然薬湯である
田
http://www.hachimantai.or.jp/
安代林業センター岩畑の湯TEL:
0195-73-5321
馬淵川ほとりにある金田一温泉は座敷わ 三浦哲郎「文学散歩」
二戸市金田一
らし伝説があり、金田一京助ゆかりの地で
もある
盛岡市郊外の御所湖のほとりにある盛岡 源義家(前九年の役)ゆかり伝承をもつ温 盛岡市繋字湯の舘
の奥座敷といわれる温泉郷
泉
二戸観光協会
http://ninohe-kanko.com/
二戸市観光協会TEL:0195-233641
つなぎ観光協会
http://www.tsunagionsen.com/
つなぎ温泉観光協会TEL:019689-2109
夏油温泉
駒ヶ岳山麓にある夏油川上流の湯宿。焼 千年の歴史を持つ山奥の湯治場。天然記 北上市和賀町岩崎
石岳や牛形山の登山拠点となる。
念物石灰ドームも見どころのひとつ
新田
夏油温泉
元湯夏油TEL:090-5834-5151
http://mizuki.sakura.ne.jp/~geto/
北上市
瀬美温泉
雫石町
雫石高倉温泉
夏油川沿いの一軒宿。「桐の花・山吹の
花」
乳頭山に連なる高倉山の東麓にある雫石
高原リゾートの温泉は岩手山の大眺望が
売りである
瀬美温泉
http://www.semi-onsen.co.jp/
雫石観光協会
http://shizukuishi-kanko.gr.jp/
北上市和賀町岩崎
新田
雫石町高倉
八幡平市観光協会TEL:019578-3500
彩雲荘TEL:090-1495-0950
八幡平市観光協会TEL:019578-3500
瀬美温泉TEL:0197-73-7294
雫石町観光協会TEL:019-6925138
【g 自然】 103/188
地域資源名
県
市町村
82
(g)自然
岩手県
雫石町
休暇村岩手網張温泉
岩手の西山麓。12の温泉が点在し1300年
の歴史を有する
83
(g)自然
岩手県
雫石町
鴬宿温泉
84
(g)自然
岩手県
西和賀町
湯田温泉郷
85
(g)自然
岩手県
西和賀町
沢内高原温泉
86
(g)自然
岩手県
西和賀町
湯川温泉
87
(g)自然
岩手県
西和賀町
岩手湯本温泉
鴬宿川の渓流沿い。名湯さんぽの湯めぐ
りが売りとなる
錦秋湖の自然に育てられた山の温泉。JR
北上線ほっとゆだ駅は温泉のある駅舎と
して知られる
和賀川源流の沢内通り川舟地区にある新
西和賀町川舟
リゾート地。銀河高原地ビールで知られる
ようになった
温泉のあるほっとゆだ駅が起点。出途の
西和賀町湯川
湯、中の湯、奥の湯は錦秋湖の南、湯川
の上流にある
湯田温泉郷の一部となり、秋田から山越 旧沢内街道は無娘およねの出所として有 西和賀町湯本
えした正岡子規の足跡が残る古湯である 名
88
(g)自然
岩手県
平泉町
奥州平泉温泉
89
(g)自然
岩手県
一関市
矢びつ温泉
90
(g)自然
岩手県
一関市
須川高原温泉
91
(g)自然
岩手県
一関市
祭畤温泉
92
(g)自然
宮城県
栗原市
栗駒山
93
(g)自然
宮城県
蔵王町
蔵王連峰(熊野岳・刈田岳) 蔵王は熊野岳を中心とした北蔵王と不忘 蔵王の樹氷は世界的に有名
山のある南蔵王に分かれる。 五色岳の火
山湖は有名な御釜である
94
(g)自然
宮城県 白石市・七ヶ 不忘山(南蔵王)
宿町
歌枕の山として知られる不忘山は今の刈
田岳ではないかとされる
95
(g)自然
宮城県
色麻町
船形山(御所山)
県立自然公園「船形連峰」の主峰がであ
る
96
(g)自然
宮城県
仙台市
大東岳
秋保の二口渓谷から登山。二口山塊の
最高峰である
仙台市太白区秋保
町
97
(g)自然
宮城県 栗原市・登米 伊豆沼
市
4万平方㎞の低地湖沼。渡り鳥の越冬地
でラムサール条約に登録されている
栗原市若柳
98
(g)自然
宮城県
仙台市
五色沼
青葉山公園にある五色沼は フィギュアス 桜の小径 魯迅記念碑もある
ケート発祥の地である
仙台市青葉区
99
(g)自然
宮城県
七ヶ宿町
長老湖
不忘山の裾野にある標高500mにある森
のオアシス
七ヶ宿町
100
(g)自然
宮城県
仙台市
二口峡谷(磊々峡・秋保大
滝)
101
(g)自然
宮城県
七ヶ宿町
磐司岩や磊々峡、秋保大滝のある自然 猟師の祖、磐司磐三郎の伝説は山寺と関 仙台市秋保
景勝地。磊々峡は独文学者、小宮豊隆の 係
命名
羽州街道(七ヶ宿街道)滑津宿にある 七ヶ宿町滑津
102
(g)自然
宮城県
大崎市
滑津大滝
鳴子峡
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
雫石町網張温泉
休暇村岩手網張温泉
休暇村網張温泉TEL:019-693http://www.qkamura.or.jp/gassyu 2211
ku/iwate/
雫石町鴬宿
雫石観光協会
雫石町観光協会TEL:019-692http://shizukuishi-kanko.gr.jp/
5138
西和賀町(川尻、湯 西和賀町観光協会
西和賀町観光協会TEL:0197川、沢内)
http://www.yamanoideyu.com/ 81-1135
カテゴリー
世界歴史遺産となった平泉の中尊寺や毛 悠久の湯、平泉温泉 大沢温泉旅館
越寺拝観の拠点となる。平成13年に開湯
した
厳美渓に近い山王山麓にある。中尊寺別 栗駒山麓の天然温泉
当連光ゆかりの湯で、ここは中尊寺領の
骨寺村といわれた
栗駒山への登山口がある須川峠の温泉。 栗駒山、中央火口丘剣岳の北麓
標高1126mの高所にあり冬季は休業す
る
神々の隠し湯といわれた「かみくら温泉」R
342栗駒山への途中にある山の湯
昔から栗原地方では農事の指標(季節
暦)となっていた栗駒山
宮城県側はいわかがみ平から登山が一
般的
所在地
西和賀町観光協会
http://www.yamanoideyu.com/
西和賀町観光協会TEL:019781-1135
西和賀町観光協会
http://www.yamanoideyu.com/
西和賀町観光協会TEL:019781-1135
西和賀町観光協会
http://www.yamanoideyu.com/
西和賀町観光協会TEL:019781-1135
平泉町大沢
平泉町観光協会
http://hiraizumi.or.jp/
平泉町観光協会TEL:0191-462110
一関市厳美町字下
り松
矢びつ温泉瑞泉閣
http://www.zuisenkaku.com/
瑞泉閣TEL:0191-39-2031
一関市厳美町須川
高原
須川高原温泉
http://www.sukawaonsen.jp/
須川高原温泉TEL:0191-239337(冬季以外)
一関市厳美町
祭時温泉かみくら(まつるべ温
泉)
http://www.m-kamikura.com/
栗原市田園観光課
http://www.kuriharacity.jp/sectio
ns/index.cfm?footer=37
蔵王町
http://www.town.zao.miyagi.jp/
かみくらTEL:0191-39-2877
栗原市
蔵王町
白石市・七ヶ宿町
色麻大滝、船形神社(権現様)がある
長老湖伝説(村の娘に片思いしたある僧
の伝説)
錦模様の渓谷美が見事な鳴子峡は豊か 尿前関と芭蕉 峡谷散策1時間半
な自然と歴史散策が楽しめる
情報源・取材元
色麻町
大崎市鳴子
栗原市田園観光課TEL:022822-1151
蔵王町観光協会TEL:0224-342725
ヤマケイオンライン
ヤマケイオンライン
http://www.yamakei-online.com/ TEL:03-6744-1900(㈱山と渓谷
社)
色麻町
色麻町総合振興課TEL:0229http://www.town.shikama.miyagi.j 65-2111
p/
ヤマケイオンライン
ヤマケイオンライン
http://www.yamakei-online.com/ TEL:03-6744-1900(㈱山と渓谷
社)
宮城県
宮城県自然保護課TEL:022http://www.pref.miyagi.jp/
211-2671
青葉山公園
http://www.city.sendai.jp/kenset
su/ryokka/midori100/guide/015/
015.html
七ヶ宿町
http://www.town.shichikashuku.m
iyagi.jp/
『仙台周辺のあるきかた』(ゼンリ
ン)
青葉山公園TEL:022-261-1111
七ヶ宿町TEL:0224-37-2111
仙台市観光課TEL:022-2148259
七ヶ宿町
七ヶ宿町TEL:0224-37-2111
http://www.town.shichikashuku.m
iyagi.jp/
『仙台周辺のあるきかた』(ゼンリ 鳴子温泉郷観光協会TEL:0229ン)
82-2102
【g 自然】 104/188
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
白石市
白石市商工観光課TEL:0224http://www.city.shiroishi.miyagi.jp 22-1321
/
カテゴリー
県
市町村
103
(g)自然
宮城県
白石市
碧玉渓(白石川、小原)
「碧玉渓」の碧は白、石、王からなるという 「碧」は白、石、王からなる
徳富蘇峰の命名である
白石市小原
104
(g)自然
宮城県
仙台市
鳳鳴四十八滝
作並街道の景勝地
仙台市青葉区作並
仙台市
http://www.city.sendai.jp/
105
(g)自然
宮城県
松島町
松島
瑞巌寺、観欄亭、五大堂、島巡り遊覧船
松島町
『仙台周辺のあるきかた』(ゼンリ 松島町産業観光課TEL:022ン)
354-5708
106
(g)自然
宮城県
唐桑町
三陸海岸 唐桑半島
巨釜、折石の奇岩 カキの森 鯨塚など
気仙沼市、唐桑町
107
(g)自然
宮城県
鳴瀬町
奥松島
唐桑町観光協会
http://www.karakuwa.com/
『仙台周辺のあるきかた』(ゼンリ
ン)
唐桑町観光協会TEL:0226-323029
鳴瀬町商工観光課TEL:022587-3111
108
(g)自然
宮城県
仙台市
泉ヶ岳
(g)自然
宮城県
白石市
材木岩
仙台市泉区福岡字
岳山
白石市小原
仙台市
https://www.city.sendai.jp/
『宮城の自然を訪ねて』(築地書
館)
仙台市TEL:022-261-1111
109
作並温泉から約6㎞下流の広瀬川にかか
る大小の滝。滝の音が鳳凰の鳴く声に似
ている
俗に八百八島とも呼ばれる松島は日本三
景の一つ。複雑な海岸線と島々の景観が
松島
気仙沼市の三陸復興国立公園の美しい
海岸美
野蒜、嵯峨渓、大高森など奥松島離島の
風情があり、トレッキングの島として知られ
る
1172m。仙台市民、手軽な山歩きができる
山
高さ約70mの柱状節理の岩壁は国の天
然記念物「。新第三紀後期頃の溶岩
110
(g)自然
宮城県
大崎市
川渡(かわたび)温泉
「脚気可波多比」と呼ばれた湯、川渡は鳴 平安時代から「玉造湯」として知られてい
子温泉郷の東、江合川南畔にある
た
大崎市鳴子
鳴子温泉郷観光協会
http://www.naruko.gr.jp/
鳴子温泉郷観光協会TEL:022982-2102
111
(g)自然
宮城県
大崎市
東鳴子温泉
荒尾川沿いに点在する田中、新田中、赤 伊達氏ゆかりの御殿湯で御殿湯駅がある 大崎市
湯、新赤湯を東鳴子温泉と呼ぶ。鳴子御
殿駅が玄関口。江戸中期開湯
東鳴子温泉観光協会
鳴子観光・旅館案内センター
http://higasinaruko.michikusa.jp/i TEL:0229-83-3441
ndex.html
112
(g)自然
宮城県
大崎市
中山平温泉
113
(g)自然
宮城県
大崎市
鬼首温泉郷
114
(g)自然
宮城県
栗原市
新湯
115
(g)自然
宮城県
栗原市
花山温泉
116
(g)自然
宮城県
栗原市
湯浜温泉
大谷川沿い、鳴子温泉の西端。豊富な湯
量が魅力
神滝、轟、宮沢、吹上、鬼首温泉。間欠泉
と地獄谷 のどかな温泉郷の中で、スキー
やテニス、パラグライダーなど様々なス
ポーツが楽しめる
くりこま温泉郷の一つ、栗駒山登山口の新
湯(硫黄泉)は元和年間開湯の駒の湯が
源泉。
羽後(小安)街道の寒湯御番所跡となりに
温湯山荘がある
羽後岐街道にあるランプの一軒宿(冬期
休業)。花山峠への道中にある
117
(g)自然
宮城県
仙台市
作並温泉
118
(g)自然
宮城県
仙台市
119
(g)自然
宮城県
仙台市
120
(g)自然
宮城県
気仙沼市
121
(g)自然
宮城県
松島町
122
(g)自然
宮城県
123
(g)自然
124
(g)自然
鳴瀬町宮古島
春、ミズバショウ群生地に人気がある
羽州街道と検断屋敷が公園内にある
情報源・取材元
仙台市役所TEL:022-261-1111
出羽街道中山越えは芭蕉の奥の細道で
知られる
禿岳、荒雄岳山ろく、荒雄川沿いの自然
湯
大崎市鳴子温泉字
星宮
大崎市鬼首
中山平温泉
http://www.nakayamadaira.com/
鳴子温泉郷観光協会
http://www.naruko.gr.jp/
鳴子観光・旅館案内センター
TEL:0229-83-3441
鳴子温泉郷観光協会TEL:022982-2102
栗駒山登山者の立ち寄り湯でもある
栗原市栗駒沼倉耕
英東
栗原市観光物産協会
http://kurihara-kb.net/
栗原市観光物産協会TEL:022825-4166
栗原市花山温湯
栗原市観光物産協会
http://kurihara-kb.net/
栗原市観光物産協会
http://kurihara-kb.net/
栗原市観光物産協会TEL:022825-4167
栗原市観光物産協会TEL:022825-4168
仙台の奥座敷といわれ広瀬川畔にある正 寛政8年(1796)開湯 仙台藩主の隠し湯 仙台市作並温泉元
岡子規、土井晩翠ら文人ゆかりの湯
湯
作並温泉旅館組合
http://www.sakunami-spa.com/
作並温泉旅館組合TEL:022395-2211
秋保温泉
名取川、仙台藩主湯浴み御殿。磊々峡・
二口街道、磐司岩などの景勝地がある
仙台市秋保
秋保・里センター
http://akiusato.jp/index.aspx
秋保・里センターTEL:022-3049151
茂庭温泉
旧伊達家邸宅「鐘景閣が有名な温泉ス
ポット。茂庭荘がある
陸中海岸国立公園の南入口にあり、気仙
沼湾を眺望できる港町の新しい温泉地
仙台市太白区茂庭
仙台市
https://www.city.sendai.jp/
昭文社マップルネット
http://www.mapple.net/
仙台市TEL:022-261-1111
松島温泉
松島の絶景と太古天泉という2008年開
湯の新しい温泉。
松島町
松島観光協会TEL:022-3542618
石巻市
追分温泉
宮城県
川崎町
笹谷温泉
北上川河口と登米市を結ぶ翁蔵山の峠沿
いにある「峠の湯」
湯元「一乃湯」。奇蹟の薬湯(芒硝鉄泉)
宝の湯といわれる湯元「一乃湯」
石巻市北上町女川
字大峰
川崎町大字今宿
松島観光協会
http://www.matsushimakanko.com/
石巻観光協会
http://www.i-kanko.com/
笹谷温泉一乃湯
http://www.ichinoyu.net/
宮城県
川崎町
青根温泉
遠刈田温泉の北西、標高600mの山間に
ある雲上の名湯は伊達藩の湯治場であっ
た
川崎町前川
気仙沼温泉
栗駒山湯浜コースの起点
名取の御湯は日本三御湯の一とされる
栗原市湯浜
気仙沼市柏崎
昭文社(本社)
TEL:0570-002060
石巻観光協会TEL:0225-936448
笹谷温泉一乃湯TEL:0224-845626
昭文社『エアリアガイド』
【g 自然】 105/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
125
(g)自然
宮城県
川崎町
峩々温泉
蔵王連峰から続く険しい山に囲まれた秘
湯は胃腸病に薬効があるという。
126
(g)自然
宮城県
蔵王町
遠刈田温泉
127
(g)自然
宮城県
白石市
小原温泉
128
(g)自然
宮城県
白石市
鎌先温泉
129
(g)自然
宮城県
白石市
白石湯沢温泉・やくせん
130
(g)自然
宮城県
大崎市
鳴子温泉郷
131
(g)自然
秋田県 由利本荘市 鳥海山
132
(g)自然
秋田県
鹿角市
133
(g)自然
秋田県
北秋田市
134
(g)自然
秋田県
仙北市
135
(g)自然
136
歴史的価値・ストーリー
日本秘湯を守る会
所在地
情報源・取材元
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
峩々温泉TEL:0224-87-2021
川崎町大字前川字
峩々
峩々温泉
http://www.gagaonsen.com/
蔵王連峰に抱かれた高原の湯は蔵王エ 温泉とこけし工人の里
コーラインの入口にある温泉とこけし工人
の里
白石川沿いに数件の温泉宿がある。昔か 碧玉渓の景勝地がある
ら「目に小原」の薬湯とされた
蔵王町遠刈田温泉
蔵王町観光協会
http://www.zao-machi.com/
白石市小原
不忘山山麓の谷間。「傷に鎌先」で知られ 弥次郎こけし
る。昔、里人が鎌の先で掘り当てたという
伝承がある
昔の宿場町に天然自噴したという石膏芒 羽州街道の下戸沢宿にある
硝泉
374の源泉がある東北屈指の温泉郷。鳴
子こけしの里は伝統ある湯の町。江合川
沿いの歴史ある温泉街
石積みや木道のない登山道はここだけ。 鳥海山信仰の道は矢島や吹浦などもある
百宅コースでは鳥海山古来の道がある
白石市福岡蔵本
白石市商工観光課ホームページ 白石市商工観光課TEL:0224http://www.city.shiroishi.miyagi.jp 22-1321
/section/shoukan/
同上
同上
蔵王町観光協会TEL:0224-342725
白石市小原字下戸
沢湯沢山
大崎市鳴子
旅館やくせん
http://www.yakusen.jp/
鳴子温泉郷観光協会
http://www.naruko.gr.jp/
由利本荘市鳥海町
由利本荘市観光協会
由利本荘市観光協会TEL:0184http://www.city.yurihonjo.akita.jp 24-6349
/www/contents/1269564943871
/index.html
十和田八幡平観光物産協会
鹿角市役所TEL:0186-30-1111
http://www.ink.or.jp/~kankou18/
八幡平・後生掛温泉・ふけの 大沼自然歩道や後生掛自然研究路など アスピーテラインの周辺に多くの温泉があ 鹿角市八幡平
湯
山麓の自然周遊ができる
る
やくせん TEL:0224-29-2620
鳴子温泉郷観光協会TEL:022982-2102
森吉山
秋田県内陸の独立峰はブナ原生林にクマ モロビ(アオモリトドマツ)の山は農民信仰 北秋田市森吉、阿仁 北秋田市
北秋田市商工観光課TEL:0186ゲラが生息するなど自然度が格段に高い の山である
http://www.city.kitaakita.akita.jp/ 72-5243
秋田駒ヶ岳・乳頭山
秋田県 東成瀬村・湯 栗駒山・秣岳
沢市
花の名山で知られ 乳頭温泉郷や水沢温
泉郷が足溜まりとなる
宮城、岩手、秋田3県境。お花畑や温泉、
湿原など山歩きも易しい
秋田駒ヶ岳の高山植物群落は国天然記 仙北市田沢湖町
念物である
駒ヶ岳
昭和湖生成など火山活動が今なお続いて 東成瀬村仁郷沢
いる
田沢湖観光協会TEL:0187-580063
東成瀬村総務課TEL:0182-473401
(g)自然
秋田県 秋田市・五城 太平山
目町
秋田市の霊山で三吉信仰が残されてい
る。県内外の登山愛好者に人気の山
古くは修験道の山として栄えた山である
「秋田県の山」(山と溪谷・県別ガ
イド)
137
(g)自然
秋田県
男鹿市
田沢湖観光協会
http://www.tazawako.org/
東成瀬村役場
http://www.higashinaruse.com/in
dex_5.html
秋田市仁別、五城目 秋田県の山
町馬場目
http://homepage3.nifty.com/sho
whey/akitakennai/akita.html
男鹿市全域
男鹿市観光協会
http://www.ogakk.or.jp/
138
(g)自然
秋田県
にかほ市
にかほ市象潟小砂
川
にかほ市観光協会
https://www.nikaho-kanko.jp/
にかほ市観光協会TEL:018443-6608
139
(g)自然
秋田県
八峰町
八峰町八森、岩舘
八峰町HP
八峰町役場TEL:0185-76-2111
http://www.town.happou.akita.jp/
140
(g)自然
秋田県 湯沢市皆瀬 小安峡
谷底から豊富な湯が吹き出す大噴湯が有 不動の滝、小安御番所など歴史スポットも 湯沢市皆瀬小安
名 。紅葉と温泉の名所である
ある
141
(g)自然
秋田県
仙北市
抱返り溪谷
東北の耶馬溪と称される渓谷の名所。コ 延長7,2㎞の渓谷沿いに遊歩道が完備さ 仙北市田沢湖町抱
バルトブルーの流れと紅葉に多くの観光 れている
返り
客が押し寄せる
仙北市観光課TEL:0187-433352
142
(g)自然
秋田県
鹿角市
湯瀬渓谷
旧鹿角街道の難所として知られるが、また
有名な渓谷沿いの温泉郷でもある
鹿角市役所TEL:0186-30-1111
143
(g)自然
秋田県
北秋田市
小又川(桃洞滝、赤水沢溪
谷)
奥森吉高原にある渓谷とブナの原生林の
トレッキングが盛んである
144
(g)自然
秋田県 北秋田市阿 安ノ滝・幸兵衛ノ滝
仁
145
(g)自然
秋田県
にかほ市
男鹿半島(北磯、西海岸・南 半島まるごと博物館といえる地質、植物、 男鹿のナマハゲは全国的に有名である
磯
古くからの生活文化の宝庫で「日本ジオ
パーク」に登録された
三崎山旧街道
芭蕉が旅した象潟へ最後の山越えの道が うやむやの関とも呼ばれ歌枕の地であっ
「奥の細道」として保存されている
た
八森・岩館海岸
県立自然公園に属し海岸地形などから 日 名物ハタハタの漁場 海水浴場
本ジオパークに登録された
日本百名滝にも数えられる安ノ滝、さらに
スケールの大きな幸兵衛ノ滝など秘境性
満点である
獅子ヶ鼻湿原・元滝・奈曽ノ 鳥海山麓の湿原や伏流水、名瀑をめぐる
白滝
コースに人気が高まっている
湯沢市観光物産協会
http://www.oyasukyo.jp/
仙北市
http://www.city.semboku.akita.jp
/sightseeing/spot/05_dakigaeri.ht
ml
旧南部藩領、花輪代官所の支配地であっ 鹿角市湯瀬
湯瀬渓谷
た
http://www.k2.dion.ne.jp/~yuzespa/walking.html
森吉山野生鳥獣センターが散策の拠点で 北秋田市森吉ノロ川 小又川
ある
http://touhokutarou.dee.cc/33komatagawa-00.htm
北秋田市阿仁打当 秋田県観光総合ガイド
http://www.akitafan.com/sightse
eing/detail.html?data_id=2247
獅子ヶ鼻湿原の「鳥海マリモ」は希少植物 にかほ市象潟
にかほ市観光案内
のコケ
https://www.nikaho-kanko.jp/
男鹿市観光協会TEL:0185-244770
湯沢市観光物産協会TEL:018347-5080
北秋田市商工観光課TEL:018672-5243
北秋田市商工観光課TEL:018672-5243
にかほ市観光協会TEL:018443-6608
【g 自然】 106/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
146
(g)自然
秋田県
小坂町
七滝
147
(g)自然
秋田県
小坂町
十和田湖西湖岸
148
(g)自然
149
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
小坂町TEL:0186-29-3901
十和田湖への樹海ライン入口にある。日
小坂町七滝
本の滝百選にも選ばれ、向かいには滝の
茶屋「孫左衛門」もある
和井内、大川岱など西湖岸は十和田湖の ヒメマス孵化に挑んだ和井内貞行夫妻の 小坂町和井内、大川
静寂スポット。登録有形文化財の「十和田 神社もある
岱
ホテル」は一見の価値がある
小坂町役場
http://www.town.kosaka.akita.jp/
秋田県 仙北市田沢 田沢湖
湖
日本最深の湖で、辰子姫伝説の湖。2010
年には幻の魚クニマスが発見された。
田沢湖観光協会
http://www.tazawako.org/
田沢湖観光協会TEL:0187-580063
(g)自然
秋田県
東成瀬村
須川湖
(g)自然
秋田県
秋田市
筑紫森
151
(g)自然
秋田県 由利本荘市 甑峠・名勝沼
東成瀬村役場
http://www.higashinaruse.com/in
dex_5.html
河辺市民サービスセンター
http://www.city.akita.akita.jp/Cit
y/kawabe/default.htm
由利本荘市観光協会
http://www.yurihonjo-kanko.jp/
東成瀬村総務課TEL:0182-473401
150
152
(g)自然
秋田県
藤里町
田苗代湿原
栗駒山山麓、朱沼とも呼ばれた山の湖は
秣岳の麓にある。また近くにシラタマノキ
湿原の泥炭層がある
流紋岩の柱状節理岩脈が国天然記念物
である。秋田市周辺からのハイキングコー
ス
甑峠は矢島街道で、矢島藩主生駒氏の参
勤路ともなった。今は手頃な歴史探訪の
山道となっている
白神山地、藤里駒ケ岳の麓にある湿原帯
は初夏のニッコウキスゲ群落が見事
藤里町商工観光課TEL:018579-2115
153
(g)自然
秋田県
能代市
風の松原
154
(g)自然
藤里町商工観光課
http://www.town.fujisato.akita.jp/
g.html?seq=63
能代市観光振興課
http://www.city.noshiro.akita.jp/g
.html?seq=40
にかほ市観光協会
https://www.nikaho-kanko.jp/
155
仙北市田沢湖春山
南部(岩手)や仙台領と接する国境にほど 東成瀬村椿川仁郷
近い
国有林
太平山信仰に関連してお山参詣も盛ん
だった
秋田市河辺三内
双耳峰、男甑山、女甑山がそびえる
由利本荘市鳥海町
笹子
ブナ岱、田苗代湿原は白神山地の探訪
コース
藤里町
能代海岸にある日本最大規模の松林(砂
防林)は市民いこいの森
能代浜海岸
秋田県 にかほ市象 象潟九十九島
潟
芭蕉が訪れた象潟の絶景。鳥海山麓の景 芭蕉ゆかりの島々、蚶満寺など見どころ
勝地、能因島などがあった
が多い
にかほ市象潟
(g)自然
秋田県
156
(g)自然
秋田県
八峰町
手這坂
桜やもみじの名所。明治天皇が東北巡幸
の折、皇后からの手紙を受け取った所で
ある
江戸期の旅人 菅江真澄が桃源郷と記録
した美しい山里である
157
(g)自然
秋田県
鹿角市
八幡平中腹の温泉群
158
(g)自然
秋田県
鹿角市
八幡平山麓の温泉
159
(g)自然
秋田県
鹿角市
湯瀬温泉
160
(g)自然
秋田県
鹿角市
161
(g)自然
秋田県
162
(g)自然
163
能代市二ツ きみまち阪
井
小坂町役場
小坂町HPTEL:0186-29-3902
http://www.town.kosaka.akita.jp/
秋田市河辺市民センターTEL:
018-882-5221
由利本荘市観光協会
TEL:0184-24-6376
能代市観光振興課TEL:018589-2179
にかほ市観光協会TEL:018443-6608
近年、恋文コンテスト発祥の地として知ら 能代市二ツ井きみま 能代市二ツ井地域局
れる
ち坂
http://www.city.noshiro.akita.jp/g
.html?seq=21
白神山地の周縁部、水沢川上流にある集 八峰町峰浜水沢字 NPO Shirakami NET
落跡
手這坂
http://www.shirakami.or.jp/index.
html
八幡平山麓に点在する昔からの温泉群。 昔は湯治が盛んで、オンドル式がよく知ら 鹿角市八幡平
鹿角市
大深、蒸の湯、後生掛、大沼など各温泉 れる
http://www.city.kazuno.akita.jp/
がある
トロコ、銭川、志張、東トロコ。昔ながらの 昔は八幡平登山の入口となっていた
鹿角市八幡平
鹿角市
山の湯治場
http://www.city.kazuno.akita.jp/
旧鹿角街道、米代川沿いにある湯瀬渓谷
鹿角市八幡平湯瀬 鹿角市
は風光明媚な温泉郷。啄木ゆかりの地
http://www.city.kazuno.akita.jp/
能代市二ツ井地域局TEL:018573-4500
十和田大湯温泉
共同湯の伝統が息づく十和田湖観光の玄 藩政期は南部盛岡藩の温泉保養地であっ 鹿角市大湯
関口。南部領五湯の一とされる
た
鹿角市
http://www.city.kazuno.akita.jp/
鹿角市役所TEL:0186-30-1111
大館市
日景温泉
どだすか大館
http://www.dodasuka.com/
大館市観光協会TEL:0186-578120
秋田県
大館市
矢立温泉
矢立峠に近い山あいの秘湯。明治期開湯
大館市矢立
の歴史的に有名な温泉は隠れた桜の名
所でもある
羽州街道矢立峠の入口。天然杉の美林に 伊能忠敬、吉田松陰、イザベラ・バードの 大館市長走字赤湯
囲まれ、赤湯(単純鉄泉)として知られる 道
沢
どだすか大館
http://www.dodasuka.com/
大館市観光協会TEL:0186-578120
(g)自然
秋田県
大館市
雪沢温泉
小坂街道に沿った長木川渓谷の湯。周辺
は天然秋田杉の宝庫である
大館市雪沢
どだすか大館
http://www.dodasuka.com/
大館市観光協会TEL:0186-578120
164
(g)自然
秋田県
大館市
大滝温泉
大館の奥座敷として昔から有名な温泉
地。温泉療養にも利用される
菅江真澄は遊覧記「すすきのいでゆ」に著 大館市大滝
した
どだすか大館
http://www.dodasuka.com/
大館市観光協会TEL:0186-578120
165
(g)自然
秋田県
大館市
たしろ温泉
田代岳への拠点となるホテルゆっぷら。ス
ポーツ公園、福祉施設ゾーン。
大館市岩瀬字上岩
瀬塚の岱
たしろ温泉ユップラTEL:018654-2626
166
(g)自然
秋田県
北秋田市
杣温泉(湯ノ沢)
奥森吉、湯ノ沢の秘湯、登山や渓流釣り
の常連が多い。日本秘湯を守る会の宿
北秋田市森吉字湯
ノ沢
たしろ温泉ユップラ
http://www.yuppura.jp/onsen.ht
m
杣温泉旅館
http://www.somaonsen.com/
167
(g)自然
秋田県
北秋田市
湯ノ沢温泉・森吉山荘
国民宿舎で登山客が多く利用、森吉山周
辺の拠点である。
北秋田市森吉湯の
岱
森吉山荘
http://moriyoshizan.jp/
森吉山荘TEL:0186-76-2334
八峰町観光協会TEL:0185-764100
鹿角市役所TEL:0186-30-1111
鹿角市役所TEL:0186-30-1111
鹿角市役所TEL:0186-30-1111
杣温泉TEL:0186-76-2311
【g 自然】 107/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
168
(g)自然
秋田県
北秋田市
169
(g)自然
秋田県
藤里町
藤里・湯ノ沢温泉
170
(g)自然
秋田県
八峰町
いさりび温泉(ハタハタ館)
171
(g)自然
秋田県
男鹿市
男鹿温泉郷
172
(g)自然
秋田県
秋田市
173
(g)自然
秋田県
174
(g)自然
175
打当温泉
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
マタギの湯TEL:0186-84-2612
マタギの湯はマタギ資料館が併設される
温泉宿。秋田内陸線阿仁マタギ駅が最寄
駅
白神山地世界遺産センターに近接するホ 隠れ滝「銚子の滝」は真澄も訪れている
テルゆとりあ藤里や湯元和みの湯(元藤
駒荘)などがある
白神山地拠点となる日本海眺望の絶景温
泉。魚介類直売所(「ぶりこ」)も併設され
ている
男鹿温泉郷は北浦地区にあり、ほかに西 男鹿三山(新山・本山・毛無山のお山がけ
海岸桜島「きららか」数か所の温泉があ
や奇習ナマハゲの柴灯まつりなどがある
る。ナマハゲの奇習、男鹿三山めぐり
北秋田市阿仁打当
字仙北渡道
打当温泉 マタギの湯
http://www.mataginosato.com/
藤里町藤琴湯ノ沢
秋田白神山地まるごとガイド
http://www.shirakamifujisato.com/
ハタハタ館
http://www.hatahatakan.jp/
(株)藤里開発公社TEL:018579-1070
男鹿市観光協会
http://www.ogakk.or.jp/
男鹿市観光協会TEL:0185-244770
秋田温泉
秋田市の奥座敷で周辺の観光拠点とな
る。郊外の旅館さとみ他がある
秋田市添川境内川
原
大仙市
協和温泉からまつ山荘
淀川上流、出羽山地の山の湯で、子宝安 子宝安産の唐松神社から名づけられた
産、美肌の湯と宣伝している
大仙市協和船岡
からまつ山荘&温泉
http://karamatsu.com/
からまつ山荘TEL:018-893-2211
秋田県
大仙市
強首温泉
雄物川流域、石油発掘で湧出。樅峰苑、
強首ホテル、おも観荘、3軒の宿がある
強首 樅峰苑
http://www.syohoen.net/
樅峰苑TEL:0187-77-2116
(g)自然
秋田県
大仙市
川口温泉 奥羽山荘モリボ
の里
奥羽山脈真木真昼自然公園の保養地。周
辺の観光や登山基地となっている
大仙市太田町太田
奥羽山荘 モリボの里
http://www.ouu-moribo.jp/
奥羽山荘TEL:0187-88-1717
176
(g)自然
秋田県
美郷町
六郷温泉 あったか山
美郷町六郷東根字
下馬転
177
(g)自然
秋田県
横手市
上畑温泉 さわらび
美郷ネット
美郷町総務課
http://www.town.misato.akita.jp/i TEL:0187-84-1111
ndex.asp
上畑温泉さわらび
さわらびTEL:0182-55-5050
http://www.sawarabinoyu.com/
178
(g)自然
秋田県
横手市
南郷温泉 共林荘
保養館、コテージ、直売所などがある美郷
の湯のほかに千畑温泉、湯とぴあ雁の里
温泉がある。
狙半内、釣りキチ三平の里。蔵とリンゴの
里、増田町の温泉
横手川上流南郷の温泉。薬草園散策や南
郷岳ハイキングができる
179
(g)自然
秋田県
横手市
あいのの温泉
横手市山内土淵字
鶴ヶ池
鶴ヶ池荘
http://www.tsurugaikesou.com/
鶴ヶ池荘TEL:0182-53-2131
180
(g)自然
秋田県
湯沢市
小安峡温泉
JR北上線相野々駅から、または道の駅さ
んないからも近い鶴ヶ池荘。山内杜氏の
里、山内いものこ、いぶりがっこの里で知
られる
皆瀬川上流、小安街道に開けた温泉街。 2種類のお湯と山菜料理が自慢
小安峡の景勝地で知られる
湯沢市皆瀬小安峡
湯沢市観光情報Web
http://aios.cityyuzawa.jp/kanko/index.htm
湯沢市まるごと売る課観光物産
班
TEL:0183-73-2111
181
(g)自然
秋田県
湯沢市
秋の宮温泉郷
鬼首道路(国道108号)、稲住、鷹の湯、 元禄15年(1702)開湯、秋田県最古の温
秋の宮山荘ほか。虎毛山登山口、川原の 泉地
湯っこ(鷹ノ湯露天風呂)がある
湯沢市雄勝秋の宮
秋の宮温泉郷
湯沢市まるごと売る課観光物産
http://www.akinomiyaonsen.jp/in 班
dex.html
TEL:0183-73-2111
182
(g)自然
秋田県
湯沢市
泥湯温泉・奥山旅館
木地山こけしの里から川原毛地獄への途 小安岳、高松岳、川原毛地獄の拠点
中にある。泥湯といっても泥ではない
湯沢市高松字泥湯
沢
奥山旅館TEL:0183-79-3021
183
(g)自然
秋田県
湯沢市
湯ノ沢温泉
雄勝峠に近い山あいの一軒宿、日勝館。 日露戦争に勝った記念に「日勝館」と命名 湯沢市雄勝下院内
効能ある温泉水を販売、冬季休業
された
湯の尻山
184
(g)自然
秋田県 由利本荘市 猿倉温泉郷
185
(g)自然
秋田県 由利本荘市 かすみ温泉
186
(g)自然
秋田県
仙北市
187
(g)自然
山形県
真室川町
188
(g)自然
山形県 新庄市・湯沢 神室山
市(秋田)
乳頭温泉郷
加無山・甑山・丁岳
雄大な鳥海山を眺めながらの露天風呂が
魅力となる山奥の温泉
樹齢4百年のかすみ桜が咲き誇る山里の
一軒宿
乳頭山麓、人気の秘湯が多数ある温泉
郷。秋田藩主の湯めぐり(湯の道紀行)温
泉
丁山地は加無山県立自然公園。石英安山
岩の柱状節理が発達、山はいずれも急峻
である
1365m。みちのくの小アルプスといわれ、
登山者憧れの山として知られる
八峰町八森御所の
台
男鹿市北浦ほか
豪農小山田家「樅峰苑」は登録有形文化 大仙市強首字上野
財
台
横手市増田町狙半
内
横手市山内
由利本荘市鳥海町
猿倉
由利本荘市大内町
葛岡
鶴ノ湯、蟹場、孫六、黒湯、妙ノ湯、大釜、 仙北市田沢湖町田
休暇村の乳頭山麓7湯。登山とトレッキン 沢字先達沢
グの基地となる
真室川町・鳥海町
ハタハタ館TEL:0185-77-2770
「秋田の温泉」(無明舎出版)
日勝館TEL:0183-52-4129
由利本荘市観光協会
http://www.yurihonjo-kanko.jp/
由利本荘市観光協会
http://www.yurihonjo-kanko.jp/
田沢湖観光協会
http://www.tazawako.org/
由利本荘市観光協会TEL:018424-6376
由利本荘市観光協会TEL:018424-6376
田沢湖観光協会TEL:0187-580063
ヤマケイオンライン
ヤマケイオンライン
http://www.yamakei-online.com/ TEL:03-6744-1900(㈱山と渓谷
社)
最上修験の山・グリーンバレイ神室(金山 新庄市、金山町・湯 金山町
金山町 TEL:0233-52-2111
町)がある
沢市
http://www.town.kaneyama.yama
gata.jp/
【g 自然】 108/188
カテゴリー
189
(g)自然
190
(g)自然
191
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
山形県 遊佐町・酒田 鳥海山
市
山形県 鶴岡市・庄内 出羽三山(月山・羽黒山・湯
町・西川町 殿山)
東北第2の高峰は古くからの信仰の歴史 山形庄内、秋田由利にまたがる
的名山である
山岳信仰の本拠地で山伏修行の地、羽黒 三山参詣の行列が絶えることがなかった
山奥の院の湯殿山、主峰月山からなる
という
(g)自然
山形県 村山市・寒河 葉山
江市・大蔵村
192
(g)自然
山形県
1462m。山岳信仰 修験道と大円院 葉山
村山市・寒河江市
は寒河江市の慈恩寺の奥の院ではない
かともいわれる
船形山は山形側では御所山と呼ばれ、尾 順徳天皇隠棲説から御所山と呼ばれたと 尾花沢市
花沢から登山コースがある
もいう
193
(g)自然
山形県 朝日町・西川 朝日岳(朝日連峰)
町・鶴岡市
日本百名山の一座で、飯豊と並んで東北 米沢藩が拓いた朝日軍道(米沢から庄
を代表する有名山岳である
内)があった
194
(g)自然
山形県
鶴岡市
大鳥池(朝日連峰)
幻の魚タキタロウという大イワナが生息す 泡滝ダムから大鳥池、以東岳登山は容易 鶴岡市朝日大鳥
るという。 ヒメサユリの群落が見られる
である
鶴岡市
http://www.city.tsuruoka.lg.jp/
鶴岡市朝日庁舎産業課TEL:
0235-53-2111
195
(g)自然
山形県
戸沢村
最上峡と白糸の滝
戸沢村古口
最上川芭蕉ライン観光
http://www.blf.co.jp/
最上川芭蕉ライン観光TEL:
0233-72-2001
196
(g)自然
山形県
米沢市
滑川大滝と秘湯滑川温泉
最上川舟運の大河は今、舟下りが有名。 戸沢藩船番所 最上川舟唄
芭蕉「奥の細道」でも知られ白糸の滝があ
る
板谷峠の奥にある秘湯。滑川大滝(落差1
00m)、一軒宿福島屋がある
米沢市大沢
福島屋旅館
http://www.atamispa.jp/
福島屋旅館TEL:0238-34-2250
197
(g)自然
山形県 鶴岡市田麦 七ツ滝
俣
六十里越街道、田麦俣の奥にある名瀑は 磐梯朝日国立公園
日本の滝百選でもある
鶴岡市田麦俣
鶴岡市
http://www.city.tsuruoka.lg.jp/
鶴岡市朝日庁舎産業課
TEL:0235-53-2111
198
(g)自然
山形県
遊女の白龍伝説がある湖
南陽市
199
(g)自然
山形県 遊佐町・にか 三崎公園
ほ市
200
(g)自然
山形県
酒田市
201
(g)自然
山形県
真室川町
202
(g)自然
山形県
東根市
日本一の大ケヤキ
203
(g)自然
山形県
酒田市
十二滝
204
(g)自然
山形県
米沢市
天元台高原
205
(g)自然
山形県
小国町
赤芝峡
荒川の景勝地でヤマモミジの名所である。 荒川、R113号沿い
日本の赤壁ともいわれる
小国町大字小渡
206
(g)自然
山形県
尾花沢市
山刀伐峠
芭蕉がたどった出羽街道の峠が「奥の細 出羽の古道 芭蕉の道
道」に書かれている
尾花沢市
207
(g)自然
山形県
尾花沢市
銀山温泉
大正ロマン漂う情緒豊かな湯の街は木造 江戸後期の公儀山、延沢銀山が背景にあ 尾花沢市銀山新畑
多層の温泉宿が目立つ。
る
銀山温泉
http://www.ginzanonsen.jp/
尾花沢市商工観光課
TEL:0237-22-1111
208
(g)自然
山形県
大蔵村
肘折温泉
肘折いでゆ館
http://hijiori.jp/
肘折いでゆ館TEL:0233-346106
209
(g)自然
山形県
最上町
赤倉温泉
開湯1200年の歴史をもつ銅山川沿い、 冬季スキー大会など恒例イベントがさかん 大蔵村肘折温泉
山深いひなびた温泉街。東北屈指の名物
朝市が息づく
慈覚大師ゆかりの歴史を刻む小国川沿い
最上町
の古湯。「アカ」は閼伽で水の意味とされ
る
赤倉温泉観光協会
http://akakura-spa.com/
赤倉温泉観光協会TEL:0801660-4083
尾花沢市
南陽市
御所山(船形山)
白竜湖
飛島
女甑の大カツラ
旧羽州浜街道にある公園。芭蕉の「奥の
細道」の三崎街道は戊辰戦争の激戦地と
もなった
佐渡、粟島と並ぶ日本海の孤島
トビシマカンゾウ、ウミネコ、タブノキの自
生
日本の巨樹百選(幹周り13,4m)の大カツ 甑山山中 、ブナの二次林も見事だ
ラがあり、及位マタギの御神木とされてい
る
国特別天然記念物の大ケヤキは東根小 高さ28m、根回り24m 樹齢1000年(?)
学校校庭にそびえたっている
庄内の名瀑で、経ヶ蔵山ハイキング登山
口となっている
吾妻山の入口にあたり西吾妻ロープウ
エー、スキー場などがある
遊佐町・由利本荘市 遊佐町
http://www.yuzachokai.jp/
鶴岡市・庄内町・西 鶴岡市羽黒町観光協会
川町
http://hagurokanko.jp/
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
遊佐鳥海観光協会TEL:023472-5666
鶴岡市羽黒町観光協会
TEL:0235-62-4727
鶴岡市観光連盟
鶴岡市観光連盟TEL:0235-25http://www.tsuruokakanko.com/ 2111
尾花沢市
http://www.city.obanazawa.yama
gata.jp/
朝日町・西川町・鶴 朝日町観光協会
岡市
http://asahimachi-kanko.jp/
尾花沢市商工観光課TEL:023722-1111
朝日町観光協会TEL:0237-672134
南陽市観光協会
http://www3.omn.ne.jp/~sightsee
/
遊佐町・にかほ市象 遊佐町
潟
http://www.yuzachokai.jp/
南陽市観光協会TEL:0238-435230
酒田市飛島
酒田市
http://www.city.sakata.lg.jp/
真室川町
http://www.yume-net.org/
酒田市観光物産課TEL:023426-5759
真室川町
東根市
http://www.city.higashine.yamaga
ta.jp/
酒田市
http://www.city.sakata.lg.jp/
米沢市
http://www.city.yonezawa.yamag
ata.jp/
小国町
http://www.town.oguni.yamagata.j
p/
東根市TEL:0237-42-1111
真室川町
東根市東根
大小12の滝からなる
酒田市北俣
白布温泉から吾妻山(日本百名山)への
登山に人気
米沢市白布天元台
遊佐鳥海観光協会TEL:023472-5666
酒田市観光物産課TEL:023426-5759
米沢市商工観光課TEL:023822-5111
小国町産業振興課TEL:023862-2416
おくのほそ道山刀伐峠保全整備 尾花沢市商工観光課
協議会
TEL:0237-22-1111
http://www.obanazawa.net/natag
iri/
【g 自然】 109/188
最上町
最上町観光協会
http://mogami-kanko.info/
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
最上町観光協会TEL:0233-432233
神室連峰の麓、小国盆地が一望できる最 おらだずの宿りんどう
上西スポーツ公園内
最上町
最上町観光協会
http://mogami-kanko.info/
最上町交流促進課TEL:023343-2262
まむろ川温泉(梅里苑)
真室川町唯一の温泉。月山、葉山のロ
ケーション良好。梅里苑体験交流の森が
ある
真室川町
真室川町企画課
真室川町企画課TEL:0233-62http://www.yume2111
net.org/modules/bulletin2/index.
php?storytopic=0&storynum=10
鮭川村
羽根沢温泉
羽根沢から与蔵峠を越えて庄内に通じる 伝説の与蔵沼はハイキングコース
山の道がある。石油試掘で湧出した県内
唯一の間欠泉。
鮭川村羽根沢
鮭川村
鮭川村TEL:0233-55-2111
http://www.vill.sakegawa.yamagat
a.jp/
山形県
戸沢村
草薙温泉
三島通庸道路開削(現国道47号)で湧
出。仙人堂は日本武尊を祀る
戸沢村大字古口
(g)自然
山形県
村山市
湯舟沢温泉
村山市大字土生田
216
(g)自然
山形県
東根市
東根温泉
217
(g)自然
山形県
天童市
天童温泉
218
(g)自然
山形県
山形市
蔵王温泉
村山市山あいの一軒宿。文政2年開湯の
鉱泉水
のどかな田園地帯のさくらんぼ東根温泉。 明治43年、一人の農民が井戸を掘って湧
月山、葉山、朝日岳を遠望 20泉以上の 出
温泉地
将棋駒生産高日本一 ラ・フランス等フ
「花の山形、もみじの天童」と唄われる若
ルーツ王国
松寺がある
県内随一の豊富な湯量、樹氷とスキー場 福島の信夫(吾妻)、山形の白布高湯と三
強酸性硫黄泉。開湯1900年の名湯
高湯といわれる
戸沢村
戸沢村TEL:0233-72-2111
http://www.vill.tozawa.yamagata.j
p/
湯舟沢温泉旅館TEL:0237-582439
東根温泉協同組合
東根温泉協同組合TEL:0237http://www.higashineonsen.com/ 42-7100
219
(g)自然
山形県
南陽市
赤湯温泉
奥州街道の宿場町にある歴史の湯治場。 5か所の共同温泉浴場がある
フルーツランドのはしご湯が楽しめる
南陽市赤湯
220
(g)自然
山形県
上山市
かみのやま温泉
別名鶴脛の湯。上山城下町・羽州街道筋 歴史的な温泉地は上山城下町や武家屋
にあり、古くは会津の東山温泉、庄内の湯 敷散策、朝市などが楽しめる
野浜温泉と奥州三楽郷といわれた
上山市
221
(g)自然
山形県
米沢市
白布温泉
シラブとは霧氷のできる場所の意味。奥州 西吾妻山登山口 天元台ロープウエー
三高湯のひとつで天元台スキー場がある
米沢市白布天元台
222
(g)自然
山形県
米沢市
小野川温泉
223
(g)自然
山形県
米沢市
姥湯温泉
224
(g)自然
山形県
米沢市
五色温泉
小野小町伝説が残され、伊達政宗、上杉 大樽川沿いの温泉街 甲子大黒天本山が 米沢市小野川町
氏ゆかりの湯で知られる。ホタルの里、米 ある
沢牛
吾妻山中三名湯の一。旅館枡形屋(峠駅
米沢市吾妻山中
より送迎)吾妻山、一切経山への登り口と
なる
標高900mにある宗川旅館。直江兼続や 日本秘湯を守る会の一軒宿
米沢市板谷
上杉家ゆかりの湯
225
(g)自然
山形県
米沢市
大平温泉
226
(g)自然
山形県
米沢市
新高湯温泉
227
(g)自然
山形県
小国町
228
(g)自然
山形県
229
(g)自然
230
(g)自然
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
210
(g)自然
山形県
最上町
瀬見温泉
小国川沿い。義経、弁慶の伝説が色濃
い。亀若丸誕生の地
211
(g)自然
山形県
最上町
大堀温泉
212
(g)自然
山形県
真室川町
213
(g)自然
山形県
214
(g)自然
215
歴史的価値・ストーリー
JR陸羽東線瀬見温泉駅が起点
所在地
東根市東根
天童市
山形市蔵王
西吾妻山麓の隠れ宿的秘湯で、滝見屋旅 火焔ノ滝が見どころ
館の一軒宿がある。最上川の最源流であ
る
西吾妻山中、天元台ロープウエーの上部
にある。吾妻屋旅館一軒である
米沢市大平
泡の湯温泉
小玉川長者原から東南にある炭酸温泉、 玉川マタギと岩魚の里
三好荘。飯豊連峰の秘湯
小国町小玉川
小国町
飯豊温泉
飯豊連峰登山口、温身平(ぬくみだいら)
にある飯豊山荘の湯。
小国町小玉川
山形県
鶴岡市
湯野浜温泉
山形県
鶴岡市
湯田川温泉
日本海海浜温泉郷。日本海眺望自慢のホ
テルが立ち並び夕陽百選にも選ばれてい
る。
『白鷹の湯」と呼ばれた庄内の名湯は鶴
岡の奥座敷。梅林公園・由豆佐売神社な
どが散策できる
米沢市
古来、亀の湯と呼ばれ、日本最古の波乗 鶴岡市湯野浜
り発祥地である
藤沢周平の生地で知られ、多くの文人墨
客が愛した湯である
鶴岡市湯田川
情報源・取材元
天童温泉協同組合
http://www.tendoonsen.or.jp/
蔵王温泉観光協会
http://www.zao-spa.or.jp/
天童温泉協同組合TEL:023653-6146
蔵王温泉観光協会TEL:023694-9328
南陽市観光協会
南陽市観光協会TEL:
http://www3.omn.ne.jp/~sightsee
/
上山温泉観光物産協会
上山温泉観光物産協会
http://kaminoyama-spa.com/
TEL:023-672-0839
米沢市商工観光課
http://www.city.yonezawa.yamag
ata.jp/
米沢市商工観光課
http://www.city.yonezawa.yamag
ata.jp/
米沢市商工観光課
http://www.city.yonezawa.yamag
ata.jp/
米沢市商工観光課
http://www.city.yonezawa.yamag
ata.jp/
米沢市商工観光課
http://www.city.yonezawa.yamag
ata.jp/
米沢市商工観光課
http://www.city.yonezawa.yamag
ata.jp/
小国町観光協会
http://www.ogunikankou.jp/
米沢市商工観光課TEL:023822-5111
小国町観光協会
http://www.ogunikankou.jp/
小国町観光協会TEL:0238-622417
湯野浜温泉観光協会
http://www.yunohamaonsen.com
/
湯田川温泉観光協会
http://www.yutagawaonsen.com/
湯野浜温泉観光協会TEL:023575-2258
米沢市商工観光課TEL:023822-5112
米沢市商工観光課TEL:023822-5113
米沢市商工観光課TEL:023822-5114
米沢市商工観光課TEL:023822-5116
米沢市商工観光課TEL:023822-5117
小国町観光協会TEL:0238-622416
湯田川温泉観光協会TEL:0235‐
35-4,111
【g 自然】 110/188
カテゴリー
県
市町村
231
(g)自然
山形県
鶴岡市
由良温泉
新潟県境に近い羽州浜街道沿いにある由 八乙女温泉ホテルがある
良は日本の渚百選に選定された
鶴岡市由良
ホテル八乙女
http://www.yaotome.co.jp/
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
ホテル八乙女TEL:0120-233831
232
(g)自然
山形県
西川町
月山志津温泉
西川町志津
月山朝日観光協会
http://www.gassan-info.com/
月山朝日観光協会TEL:023774-4119
233
(g)自然
山形県
遊佐町
鳥海温泉(湯楽里)
出羽三山参詣、六十里越え街道の宿坊や 六十里越え街道の宿場 温泉宿数軒
宿場で栄えた。月山夏スキーや登山の起
点としても利用者が多い
鳥海山里宮の大物忌神社や十六羅漢が 夏は西浜海水浴場が賑わう
ある吹浦地区の保養温泉
遊佐町吹浦字西浜
遊佐鳥海観光協会
http://www.yuzachokai.jp/
遊佐鳥海観光協会TEL:023472-5666
234
(g)自然
福島県 猪苗代町・北 磐梯山(会津富士)
塩原村
235
(g)自然
福島県
福島市
吾妻小富士(擂鉢山)
236
(g)自然
福島県
福島市
信夫山
237
(g)自然
福島県 伊達市・相馬 霊山(りょうぜん)
市
238
(g)自然
福島県
喜多方市
飯豊山
239
(g)自然
福島県
檜枝岐村
240
(g)自然
福島県
二本松市
241
(g)自然
福島県
西郷村
242
(g)自然
福島県
北塩原村
243
(g)自然
福島県
金山町
244
(g)自然
福島県
北塩原村
245
(g)自然
福島県
福島市
土湯の男沼、女沼
246
(g)自然
福島県
福島市
阿武隈峡
247
(g)自然
福島県
下郷町
248
(g)自然
福島県
須賀川市
249
(g)自然
福島県
250
(g)自然
福島県
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
1816m。「会津磐梯山は宝の山よ」と唄わ
れる会津の名峰。昔は、天に通じる「石
(磐)の梯(いわのはし)」にたとえられ、音
読みで磐梯山になった
1707m。吾妻の雪うさぎの雪形が有名で、
浄土平や吾妻小富士周遊のハイキングに
人気がある
福島市(信夫郷)のシンボル的存在。大わ
らじ奉納まつりがあり、熊野、羽黒。羽山
三山は御山と呼ばれ、それぞれ神社があ
る
825m。阿武隈高地にある山岳信仰の山。
比叡山延暦寺の僧、円仁開山の伝承をも
つ
2105m。山形、福島、新潟3県に境し、会
津側では「いいとよさん」と呼んでいる
会津の高僧徳一や戊辰戦争にも関わりが 猪苗代町・磐梯町・
深い
北塩原村
猪苗代町観光協会
http://www.bandaisan.or.jp/
猪苗代町観光協会TEL:024262-2048
浄土平湿原 吾妻小富士周遊
福島市
浄土平ビジターセンター
http://www.bes.or.jp/joudo/vc/
浄土平ビジターセンター
TEL:0242-64-2105
福島市
福島市観光コンベンション協会
http://www.f-kankou.jp/
福島市観光コンベンション協会
TEL:024-531-6432
伊達市・相馬市
伊達市観光物産協会
http://www.date-shi.jp/
伊達市観光物産協会TEL:024529-7779
喜多方市観光協会山都支部
TEL:0241-38-3830
燧ケ岳
2356m。尾瀬国立公園 に属する日本百
名山の一座で、東北の最高峰であるが、
「日本百名山」には入っていない
至仏山と並ぶ尾瀬の名峰である
喜多方市観光協会山都支部
http://www.town.yamato.fukushi
ma.jp/
尾瀬檜枝岐温泉観光協会
http://www.oze-info.jp/hiuchi/
安達太良山(乳首山)
「智恵子抄」では阿多多羅山(あだたらや
ま)としており、山頂の突起は乳首と呼ば
れる。連峰の最高峰は箕輪山(1728m)で
ある
那須連峰の北端にある南会津の古峠は
白河と会津を結ぶ重要な道であった
中腹のくろがね小屋は公共の名湯で知ら 二本松市
れている
二本松観光協会
http://www.nihonmatsukanko.jp/
二本松観光協会TEL:0234-555122
甲子温泉から衣紋ノ滝を見て甲子峠まで 西郷村
行ける
『東北の峠歩き』(無明舎出版)
磐梯山の噴火、大崩壊で形成された山の
湖沼群。五色沼周辺や檜原湖、小野川湖
などがある
5000年以上の昔にできた二重カルデラ湖
で、今はすぐれたアウトドア基地となって
いる
湿原植物の群落(ニッコウキスゲ、レンゲ
ツツジなど)はマニアに好まれるが自然が
危うくなっている面もある
会津落城後の武士と姫の悲恋伝説がある
沼の周辺は手ごろなハイキングコースと
なっている
福島市から二本松市にかけて松川、立子
山にまたがる阿武隈川の渓谷
五色沼湖沼群と裏磐梯湖沼群(檜原湖ほ 北塩原村
か)
裏磐梯観光協会
http://www.urabandai-inf.com/
裏磐梯観光協会TEL:0241-323333
金山町商工観光課
http://www.town.kaneyama.fukus
hima.jp/
喜多方観光協会
http://www.kitakata-kanko.jp/
金山町商工観光課TEL:024154-5327
土湯温泉観光協会
http://www.tcy.jp/
土湯温泉観光協会TEL:024595-2217
福島市観光協会TEL:024-5253722
塔のへつり
大川羽鳥県立自然公園に属し、大川ライ
ンの景勝地となっている
河岸の浸食地形が国の天然記念物になっ 下郷町
ている
福島県観光課温泉地振興係
http://www.city.fukushima.fukush
ima.jp/soshiki/6.html
下郷町観光協会
http://shimogo.jp/
乙字ヶ滝(日本の滝百選)
幅広い滝は小ナイヤガラと称されるが、こ 乙字ヶ滝遺跡が周辺にある
こは 阿武隈川舟運、最大の難所であった
須賀川市
須賀川市TEL:0248-75-1111
郡山市
銚子ヶ滝
郡山市熱海町石筵
福島市
野地温泉
日本の滝百選にも選ばれた高さ48mの銚
子形の名瀑
鬼面山中腹の秘湯一軒宿。檜造りの自噴 鬼面山中腹、標高1200m
泉「千寿の湯」ほか野地温泉ホテルがある
須賀川市
http://www.city.sukagawa.fukushi
ma.jp/
郡山市観光協会
http://www.kanko福島市観光コンベンション協会
http://www.f-kankou.jp/
甲子峠
裏磐梯湖沼群
沼沢湖
雄国沼の湿原植物群落
比叡山延暦寺の円仁開山
福島県側からは山都町、川入コースがあ 喜多方市山都町
る
檜枝岐村尾瀬
金山町
カルデラ湖
北塩原村
福島市
鮎滝渡船場跡、蓬莱岩史跡など史跡もあ 福島市
る
福島市土湯温泉町
字野地
尾瀬檜枝岐温泉観光協会
TEL:0241-75-2432
喜多方観光協会TEL:0241-245200
下郷町商工観光係TEL:024169-1141
郡山市観光協会TEL:024-9242621
福島市観光コンベンション協会
TEL:024-531-6432
【g 自然】 111/188
カテゴリー
県
市町村
251
(g)自然
福島県
福島市
鷲倉温泉
標高1230mの高原の秘湯は夏もさわや 日本秘湯を守る会
か、磐梯吾妻スカイライン手前にある
福島市土湯温泉町
字鷲倉山
日本秘湯を守る会
http://www.hitou.or.jp/
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
日本秘湯を守る会TEL:03-68589815
252
(g)自然
福島県
福島市
幕川温泉
吾妻山中腹、県内一の高所の湯で、巨大
檜の風呂(水戸屋旅館)が自慢
福島市土湯温泉町
字鷲倉山
土湯温泉観光協会
http://www.tcy.jp/
土湯温泉観光協会TEL:024595-2217
253
(g)自然
福島県
福島市
土湯、奥土湯温泉
荒川渓流沿い昔からのの温泉街は土湯こ 聖徳太子の由来伝承をもち、聖徳太子堂 福島市土湯温泉町
けしの里としても知られる。
もある
土湯温泉観光協会
http://www.tcy.jp/
土湯温泉観光協会TEL:024595-2217
254
(g)自然
福島県
福島市
高湯温泉
三百年前湧出の東北屈指の薬湯といわ
れ東北の草津の異名をもつ 福島市庭坂字高湯
高湯温泉観光協会
高湯温泉観光協会TEL:024http://www.naf.co.jp/azumatakay 542-4211
u/
255
(g)自然
福島県
福島市
飯坂温泉
福島市飯坂町湯沢
飯坂温泉観光協会
http://www.iizaka.com/
飯坂温泉観光協会TEL:024542-4241
256
(g)自然
福島県
福島市
もにわの湯
福島屈指の古湯は摺上川沿いにある。
松尾芭蕉「おくの細道」十綱橋
「鯖湖湯」など共同浴場めぐりが楽しい。ラ
ジウム温泉卵が名物
弱アルカリ性、美人の湯
福島市茂庭字清水
川原
福島市TEL:024-535-1111
257
(g)自然
福島県
福島市
穴原温泉
飯坂温泉から上流2㎞の渓流沿い。川の 摺上川渓谷
女神「かむろみの里」天王寺温泉もある
福島市飯坂町湯野
新湯
258
(g)自然
福島県
桑折町
こおり温泉
奥州(羽州)街道追分 半田銀山
桑折町南半田
259
(g)自然
福島県
二本松市
岳温泉
半田山の麓、産ヶ沢川に面したうぶかの
郷はカジカガエル、ホタルの里として売り
出し中
安達太良山麓の珍しい酸性泉の湯治温
泉、「岳の湯」の共同風呂もある
福島市
http://www.city.fukushima.fukush
ima.jp/
福島市
http://www.city.fukushima.fukush
ima.jp/
桑折町振興公社
http://www.koorishinkoukousha.info/
岳温泉観光協会
http://www.dakeonsen.or.jp/
260
(g)自然
福島県
二本松市
塩沢温泉
安達太良山東麓、湯川渓流沿いにあり、
農民温泉として親しまれている
安達太良山登山口、塩沢スキー場に至近 二本松市塩沢
塩沢温泉観光協会
http://shiozawa-k.jp/
塩沢温泉観光協会TEL:0243‐24
‐2245
261
(g)自然
福島県
大玉村
安達太良温泉
岳街道、県民の森。遠藤ヶ池遊歩道があ
り、文覚上人ゆかりの遠藤ヶ淵も見どころ
大玉村玉井字前ヶ
岳
262
(g)自然
福島県
郡山市
磐梯熱海温泉
越後街道、五百川沿いに温泉街がある。 鎌倉御家人の某がこの地を領し、熱海と
南北朝期、京の公家、萩姫伝説をもつ
なった
郡山市熱海町熱海
263
(g)自然
福島県
三春町
馬場の湯温泉
三春の滝桜やデコ屋敷で有名な三春町の
温泉
三春町
三春町観光協会
http://www.miharukoma.com/
264
(g)自然
福島県
天栄村
二岐温泉
下郷村境に近い二岐川渓谷にある二岐温 平安中期開湯(伝) 日本秘湯を護る宿
泉は渓流の甌穴に自噴する温泉
天栄村大字湯本
265
(g)自然
福島県
西郷村
甲子温泉
幻の国道といわれた国道289号(甲子道路 白河藩主松平定信が愛した 阿武隈川源 西郷村大字真船
トンネル)が通ったことで甲子は最奥の温 流の大岩風呂
泉ではなくなったが、阿武隈川源流の秘
湯に変わりはない。甲子峠へ古道ハイク
できる 二岐温泉大丸あすなろ荘
二岐温泉大丸あすなろ荘
http://www.daimaruasunarosou.c TEL:0248-84-2311
om/
元湯大黒屋
元湯大黒屋TEL:0248-36-2301
http://www.kashionsen.jp/
266
(g)自然
福島県
猪苗代町
中ノ沢温泉
日本硫黄沼尻鉱山の湯治場で栄え軽便
鉄道で鉱石が運ばれた
藩政期、会津、二本松両藩の鉱区争いが 猪苗代町
あった
猪苗代町観光協会
http://www.bandaisan.or.jp/
猪苗代町観光協会TEL:024262-2048
267
(g)自然
福島県 会津若松市 東山温泉
奈良朝、僧行基発見(伝)とされ、竹久夢
二、与謝野晶子ら文人墨客がら逗留
(g)自然
福島県 会津若松市 芦ノ牧温泉
東山温泉観光協会
http://www.aizuhigashiyama.com/
芦ノ牧温泉観光協会
http://www.aizu-ashinomaki.jp/
東山温泉観光協会TEL:024227-7051
268
結ったり静かな時間が流れる会津の奥座
敷もかつては湯野浜、上山と並ぶ奥州三
楽郷とされた
阿賀川を見下ろす高台に温泉街を形成。
行基菩薩開湯の伝説がある古湯
269
(g)自然
福島県
柳津町
西山温泉
会津柳津の秘湯。只見川支流滝谷川沿い 柳津福満虚空蔵菩薩圓蔵寺(赤べこ発
の温泉郷
祥)
柳津町
柳津町観光商工班
http://www.aizu-yanaizu.com/
柳津町観光商工班TEL:024242-2114
270
(g)自然
福島県
金山町
大塩温泉
奥会津、只見川を望む素朴な湯。秘湯ファ 弘法大師開湯伝説の大塩、湯倉、八町、
ンに人気がある。JR只見線大塩駅から。 玉梨(共同浴場)
天然炭酸水「aQaizu」が町の特産品
金山町
金山町商工観光班TEL:0241金山町商工観光班
http://www.town.kaneyama.fukus 54-5327
hima.jp/
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
白布、蔵王と並ぶ奥州三高湯の一つ
所在地
二本松市岳温泉
会津若松市
僧行基の開湯伝説がある。会津鉄道芦ノ 会津若松市大戸町
牧駅が起点
芦ノ牧
情報源・取材元
福島市TEL:024-535-1111
桑折町振興公社TEL:024-5824500
岳温泉観光協会TEL:0243-242310
大玉村
大玉村TEL:0243-48-3131
http://www.vill.otama.fukushima.j
p/
磐梯熱海温泉協同組合
磐梯熱海温泉協同組合
http://www.bandaiatami.or.jp/
TEL:024-984-2182
三春町観光協会TEL:0247-3690
芦ノ牧温泉観光協会TEL:024292-2336
【g 自然】 112/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
271
(g)自然
福島県
下郷町
272
(g)自然
福島県
南会津町
山口温泉
273
(g)自然
福島県
只見町
深沢温泉
274
(g)自然
福島県
南会津町
木賊(とくさ)温泉
275
(g)自然
福島県
檜枝岐村
尾瀬檜枝岐温泉
276
(g)自然
福島県
いわき市
いわき湯本温泉
277
(g)自然
福島県
いわき市
三崎温泉
278
(g)自然
福島県
いわき市
279
(g)自然
福島県
280
(g)自然
281
(g)自然
湯野上温泉
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
名物「湯野上温泉共同露天風呂」や茅葺 湯野上の猿湯伝説
屋根の駅舎が自慢。大内宿への入口にあ
会津の南口、田島町からR289号を通り駒 共同浴場 高清水自然公園ヒメサユリ群
止峠を越える。道の駅きらら289がある沼 生地
田街道。
豪雪の只見町にある公営の温泉付きコン 伊南川沿いにある
ベンションホテルが季の里湯ら里は施設
が充実している
せせらぎの音、野趣たっぷりの川沿いの 「しゃくなげ荘」の熊鍋
湯小屋は南会津舘岩、西根川渓谷にある 日帰り、共同浴場
尾瀬国立公園入口となる檜枝岐にある露 3ヶ所の露天風呂付き公衆浴場
天風呂付き公衆浴場、燧、駒の湯の公衆
風呂がある
日本三古泉(道後、有馬)の一つという常 湯本温泉のシンボル「三箱(さはこ)の御
磐きっての湯どころ、いわき湯本は奈良時 湯」が有名
代の開湯という
小名浜漁港に近いオーシャンビューの温
泉。三崎公園がある
下郷町湯野上
新舞子温泉
新鮮海の幸と太平洋眺望。
いわき市平下高久
字南谷地
喜多方市
熱塩温泉
示現寺和尚が発見、名のとおり熱くて塩分
が強い、その分薬効があるという
福島県
喜多方市
日中温泉
福島県
北塩原村
大塩温泉
情報源・取材元
湯野上温泉観光協会
http://www.yunokami.com/
南会津町南郷
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
湯野上温泉観光協会TEL:024168-2817
南会津町南郷総合支所(町民課
総務係)
TEL:0241-72-2111
季の里・湯ら里TEL:0241-842888
只見町
季の里・湯ら里
http://www.yurari.co.jp/
南会津町宮里
南会津町
http://www.minamiaizu.org/
南会津町TEL:0241-62-6100
檜枝岐村
尾瀬檜枝岐温泉観光協会
http://www.oze-info.jp/spa/
尾瀬檜枝岐温泉観光協会
TEL:0241-75-2432
いわき市常磐湯本
町
いわき湯本温泉旅館協同組合
http://www.iwakiyumoto.or.jp/
いわき湯本温泉旅館協同組合
TEL:0246-43-3017
いわき市小名浜下
神白
いわき市TEL:0246-22-1111
喜多方市熱塩加納
町熱塩
いわき市
https://www.city.iwaki.fukushima.
jp/
いわき市
https://www.city.iwaki.fukushima.
jp/
喜多方市観光協会
http://www.kitakata-kanko.jp/
文化年間に鉱泉を発見、大峠道路の日中 日中の山間、一軒宿
ダム建設で休業後、再開した
喜多方市熱塩加納
町字大畑
喜多方市観光協会
http://www.kitakata-kanko.jp/
喜多方市観光協会TEL:024124-5200
裏磐梯の米沢街道、桧原峠への道中、大 薬湯として名高い
塩峠を越えた所にある。弘法大師開湯伝
説をもつ
北塩原村字大塩
北塩原村
北塩原村TEL:0241-23-3111
http://www.vill.kitashiobara.fukus
hima.jp/
いわき市TEL:0246-22-1111
喜多方市観光協会TEL:024124-5200
【g 自然】 113/188
(1)地域資源調査リスト 【(h)景観・生活様式等】
カテゴリー
県
市町村
1 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
青森市
2 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
青森市
3 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
青森市
4 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
青森市
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
青函連絡船メモリアルシップ 青函連絡船を、ほぼ就航当時の状態に係 1988年(昭和63年)まで80年間にわた 青森市柳川1丁目1 青森県港湾文化交流施設ホーム
八甲田丸
留保存した施設。青森駅から連絡通路で り、青森港と函館港を結び、1億6千万人 12番15地先
ページ
直結。レストラン、有料展示コーナーあり。 の乗客と2億5千万トンの貨物を運んだ。
http://www7.ocn.ne.jp/~hakkouda
/hakkoudamarutop.html
旧坪田家住宅
農家と商家の住居形態を併せ持つ青森県 坪田家は江戸時代初めに近江から津軽 青森市浪岡大字浪 青森市公式サイト
を代表する古民家。「青森市中世の館」の へ移り住み、茶屋を営む旁ら、農業をはじ 岡字岡田43
http://www.city.aomori.aomori.jp/
施設として解放されている。青森県の県重 め、幕末には富豪となった。
view.rbz?nd=860&ik=1&pnp=137&
宝。
pnp=140&pnp=860&cd=1041
旧青森営林局庁舎本館 明治41年に青森大林区署庁舎として落成 日本三大美林に数えられる青森ヒバは明 青森市柳川2丁目4 青森市公式サイト
http://www.city.aomori.aomori.jp/
(青森市森林博物館)
したルネッサンス風の建築様式を持つ二 治後期に国策で本格的な開発が始められ 番37
contents/bunkazai/inisie/bunkaz
階建木造建築物。現在は青森市森林博物 た。開発の拠点となる青森大林区署庁舎
ai/shi/shi11.html
館として林業に関する様々な展示を行っ は。津軽・下北両半島の国有林から精選
された青森ヒバ材で建造された。
ている。青森市の指定有形文化財。
旧青森銀行本店 (青森県立郷土館)
5 (h)景観・ 青森県 青森市・中泊 津軽森林鉄道跡
生活様式
町ほか
等
昭和6年に第五十九銀行青森支店として
建設された。細部装飾を廃したモダニズム
建築として、本県を代表するものとされる。
現在は青森県立郷土館として活用。国の
登録有形文化財。
鉄筋コンクリート造2階建の銀行建築で、
吹抜の営業室には8本の円柱を建てギャ
ラリーを廻す。古典主義建築の骨格を保
持しつつ細部装飾を省略したモダニズム
建築。設計は弘前藩御用大工の家柄を持
つ堀江幸治。
明治43年に日本初の森林鉄道として津軽 津軽森林鉄道は明治43年に青森市を起
半島に誕生した津軽森林鉄道の遺構は、 点に津軽半島西側まで本線67kmが開通
現在も各地に痕跡を留めるが、青森市森 し、昭和42年の廃止まで多数の支線ととも
林博物館や中泊町博物館で当時の資料 に半島一帯から青森ヒバなどの林産物を
や車両に触れる事が出来る。「津軽の林 全国の市場へ運び出す役割を担った。
業用具」として青森県の登録有形民俗文
化財に指定されている。
最勝院に建つ五重塔は、国の文化財指定 津軽藩の永世祈願所である最勝院の寺
に際して「東北地方第一ノ美塔ナリ」と表さ 伝によれば、津軽藩祖為信の津軽統一
れた、寛文4年(1664年)頃の建築物。総 (天正16年(1588年))の過程で戦死した敵
高31.2メートル。東北を代表する五重塔の 味方の供養のために建立したとされてい
ひとつである。国指定重要文化財。
る。
青森市本町2丁目8 青森県公式サイト
番14
http://www.pref.aomori.lg.jp/bunk
a/culture/touroku-bunkazai.html
6 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
弘前市
最勝院五重塔
7 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
弘前市
岩木山神社拝殿・楼門
山岳信仰の拠点となった密教寺院の本堂
の雰囲気を今に伝える、外壁全面丹塗り、
江戸時代初期完成の壮大な五間堂。国指
定重要文化財。
8 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
弘前市
弘前八幡宮本殿・唐門
9 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
弘前市
長勝寺本堂
10 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
弘前市
津軽家霊屋
慶長17年(1612年)に完成したものと伝え
られており、青森県最古の神社建築として
貴重。本殿の彫刻には桃山時代の特徴が
みられる。国指定重要文化財。
慶長15年(1610年)造営の本堂は、曹洞
宗本堂として全国的にも最古に属するも
のである。本堂のほか、庫裏、三門、御影
堂が国指定文化財指定。
津軽家藩主代々の霊屋5基が南北一線に
並ぶ。いずれも江戸時代前期から中期に
属し、年代の明らかな近世の霊屋群として
貴重。国指定重要文化財。
11 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
弘前市
弘前城天守
天守は三重三階櫓の近世城郭建築で、江
戸時代後期天守の典型の一つとして、東
北地方に残る唯一の遺構である。国指定
重要文化財。
12 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
弘前市
誓願寺山門
全体に彩色され、上層の壁に十二支の動
物の絵が描かれている。懸魚を鶴と亀の
形に作る極めて珍しい形式で俗に鶴亀門
ともよばれ、特異な門建築の一つである。
国指定重要文化財。
山岳信仰に始まる古社で、拝殿は元来、
岩木山神社の別当寺・百沢寺の大堂(本
堂)として建てられた。天正17年(1589年)
の岩木山噴火によって焼失した後、藩祖
為信が再興をはじめ、三代藩主信義の寛
永17年(1640年)に完成。
弘前城の北東1.5kmに位置する八幡宮
は、二代藩主信枚が弘前城の鬼門の押え
として、慶長年間に附近の村から現在地
へ遷座したものといわれる。
長勝寺は、津軽氏の祖である大浦光信の
菩提を弔うため享禄元年(1528年)に種里
(鰺ヶ沢町)に創建され、弘前城の築城に
伴って現在地へ移転した。
環月臺(初代藩主為信室霊屋)・碧巌臺
(二代藩主信枚霊屋)・明鏡臺(二代藩主
信枚室霊屋)・白雲臺(三代藩主信義霊
屋)・凌雲臺(六代藩主信著霊屋)からな
る。
二代藩主津軽信枚が最初に築いた五重
の天守は寛永4年(1627年)に落雷により
焼失したと伝えられ、現在の天守は九代
寧親が、櫓造営の名目で幕府の許可を得
て文化7年(1810年)に完成した。
青森市~五所川原
市
太宰ミュージアム
http://dazai.or.jp/modules/conte
nts/okutsugaru/hiba_railway.html
弘前市大字銅屋町
弘前市公式サイト
http://www.city.hirosaki.aomori.jp
/gaiyo/bunkazai/kuni/kuni1.html
弘前市大字百沢字
寺沢
弘前市公式サイト
http://www.city.hirosaki.aomori.jp
/gaiyo/bunkazai/kuni/kuni2.html
弘前市大字八幡町
一丁目
弘前市公式サイト
http://www.city.hirosaki.aomori.jp
/gaiyo/bunkazai/kuni/kuni4.html
弘前市大字西茂森
一丁目
弘前市公式サイト
http://www.city.hirosaki.aomori.jp
/gaiyo/bunkazai/kuni/kuni5.html
弘前市大字西茂森
一丁目
弘前市公式サイト
http://www.city.hirosaki.aomori.jp
/gaiyo/bunkazai/kuni/kuni8.html
弘前市大字下白銀
町
弘前市公式サイト
http://www.city.hirosaki.aomori.jp
/gaiyo/bunkazai/kuni/kuni9.html
寺伝によれば、誓願寺は慶長元年(1596 弘前市大字新町
年)に創立、弘前城築城に際し現在地に
移されたという。山門は形式から江戸時代
中期と推定されるが、下層の蟇股などに
室町期の手法もみられる。
弘前市公式サイト
http://www.city.hirosaki.aomori.jp
/gaiyo/bunkazai/kuni/kuni12.htm
l
【h 景観・生活様式】 114/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
13 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
弘前市
革秀寺本堂・津軽為信霊屋 津軽藩祖為信の菩提寺で、江戸時代初期
に造立された本堂と、藩祖を神格化して
祀った華美な霊屋がある。いずれも国指
定重要文化財。
14 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
弘前市
旧第五十九銀行本店本館
15 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
弘前市
旧弘前偕行社
16 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
弘前市
弘前市仲町の町並み
17 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
弘前市
旧第八師団長官舎 (弘前市長公舎)
玄関に切妻破風を造り外壁はモルタル塗
り。大正時代の洋風高級住宅を偲ばせる
貴重な建物。国指定重要文化財。
18 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
弘前市
旧藤田家別邸
(藤田記念庭園)
19 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
八戸市
清水寺観音堂
弘前市出身で日本商工会議所会頭を務
めた実業家藤田謙一の邸宅で、城の近く
であることを意識した風格ある門構えや、
尖塔を持つ洋館などが変化に富む景観を
形作る。藤田記念庭園として公開。国指定
重要文化財。
天正9年(1581年)に建立された、県内最
古の木造建築物で、禅宗様の中世的仏堂
としても貴重な遺構。国指定重要文化財。
20 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
八戸市
長者山新羅神社本殿
21 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
八戸市
南宗寺山門
22 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
八戸市
23 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
八戸市
24 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
八戸市
明治37年に完成した明治銀行建築物で、
外観はルネサンス風の意匠を基調としつ
つ、内部天井に和紙の一種を用いるなど、
和洋折衷の優れた明治建築である。国指
定重要文化財。
旧陸軍将校らの親睦施設として明治40年
に完成した洋風建築物。ルネサンス風を
基調とした平屋建ての落ち着いた建物で。
玄関に第八師団を示す「蜂」の鉄製飾りが
ある。国指定重要文化財。
弘前城北側に築かれた武家屋敷地で、近
世に建てられた屋敷や門が数棟残る。敷
地境にサワラの生垣や板塀を回し外敵に
備え、薬医門を構える所もあり、敷地内に
は豊富な植生を維持する。重要伝統的建
造物群保存地区。
歴史的価値・ストーリー
革秀寺は藩祖為信を開基として、慶長13
年(1608年)二代藩主信枚により現在地に
創建されたと伝えられる。革秀寺の周囲に
は池や土塁が築かれ、藩祖を神聖化して
いた。
明治30年設立の第五十九銀行の本店とし
て明治37年に完成した。設計及び施工
は、弘前藩御用大工を祖父に持つ堀江佐
吉で、彼は息子たちと共に数多くの優れた
洋風建築を県内に残している。
明治29年に弘前市に設置された陸軍第八
師団将校らの親睦・厚生施設として明治
40年に完成した。工事請負は堀江佐吉だ
が、工事中に病没したため彼の遺作と
なった。
弘前の城下町は寛永年間(1624~45年)
に弘前藩2代藩主信枚により整えられた。
主な建造物としては、石場家住宅(江戸時
代中期の弘前藩御用商人の屋敷)、旧岩
田家住宅 、旧伊東家住宅(江戸時代末期
の藩医の屋敷)、旧梅田家住宅(嘉永5年
(1852年)建築)などがある。
大正6年に建造され、第八師団長官舎とし
て使用されていたが、昭和34年に三分の
二が解体されて、残りを現在の位置に移
設した。
洋館(大正10年建築、木造二階建)・和館
(昭和12年建築、昭和36年移築、木造平
屋建)・倉庫(考古館)(大正10年建築、煉
瓦造地上二階地下一階建)、冠木門およ
び両袖番屋(大正11年建築)などからな
る。
鎌倉時代にわが国に伝わった禅宗様とい
う中国の建築様式で作られている。またこ
の地域は産馬が盛んで、産馬育成の祈願
を込めた多くの絵馬が奉納されている。
所在地
情報源・取材元
弘前市大字藤代一
丁目
弘前市公式サイト
http://www.city.hirosaki.aomori.jp
/gaiyo/bunkazai/kuni/kuni13.htm
l
弘前市大字元長町
弘前市公式サイト
http://www.city.hirosaki.aomori.jp
/gaiyo/bunkazai/kuni/kuni16.htm
l
弘前市大字御幸町
弘前市公式サイト
http://www.city.hirosaki.aomori.jp
/gaiyo/bunkazai/kuni/kuni19.htm
l
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
弘前市小人町・馬喰 文化庁公式サイト
町・若党町
http://www.bunka.go.jp/1hogo%5
Cshoukai/main.asp%7B0fl=show&i
d=1000001048&clc=1000000153&
cmc=1000000177&cli=100000024
5&cmi=1000001039%7B9.html
弘前市大字上白銀
町
弘前市大字上白銀
町
八戸市是川字中居
弘前市公式サイト
http://www.city.hirosaki.aomori.jp
/gaiyo/bunkazai/kuni/kunitouroku1.html
弘前市公式サイト
http://www.city.hirosaki.aomori.jp
/gaiyo/bunkazai/kuni/kunitouroku3.html
八戸市公式サイト
http://www.city.hachinohe.aomori
.jp/shiryo/guidebook/kannondou.
html
本殿は入母屋造りで随所に華麗な彩色模
様が施され、本殿・拝殿とも細部の彫刻な
どに江戸時代の特徴が良く表現されてい
る。国指定重要文化財。
創建は延宝6年(1678)で、八戸藩二代藩 八戸市長者1丁目6 八戸市公式サイト
http://www.city.hachinohe.aomori
主の南部直政が領内平穏を願う祈願所と −10
して社を建てた。現在の社殿は文政10年
.jp/shiryo/guidebook/sinra.html
(1827年)に建立されたものである。
構造は四脚門の切妻屋根で、太く良質な
柱が力強さを感じさせる。また南宗寺境内
には史跡・八戸南部家墓所がある。国指
定重要文化財。
八戸城角御殿表門
寛政年間(1789~1800年)に八戸藩の角
御殿であった場所に残されている表門。
全国的に見ても最大規模の棟門で、八戸
城下の名残をとどめる唯一の遺構。現在
は南部会館の表門として使用。青森県の
県重宝。
八戸の朝市
八戸市内では現在も7ヶ所で朝市が開催さ
れている。中でも陸奥湊駅前の朝市は、
日の出前から「イサバのカッチャ」と呼ば
れる魚商のお母さんたちの威勢のいい掛
け声が響き渡る。また、館鼻岸壁の朝市
は出店数400店、来場者数3万人で日本最
大規模。
櫛引八幡宮 本殿・南門 ほ 本殿は三間社流造の社殿で、屋根の流れ
か
の曲線の美しさは特筆に値する。江戸時
代前期の造立ながら桃山時代の遺風が
察せられる名建築である。本殿・南門など
が国指定重要文化財。
南宗寺は八戸藩初代南部直房が父・利直 八戸市長者1丁目7 八戸市公式サイト
の菩提を弔うため寛文6年(1666年)に創 −57
http://www.city.hachinohe.aomori
建し、寛文11年現在地に移築された。
.jp/shiryo/guidebook/nansyuji.html
八戸藩政時代、後に当時の藩の武官最高 八戸市内丸3丁目3‐ 青森県公式サイト
位の御番頭となる煙山冶部右衛門が寛政 6
http://www.pref.aomori.lg.jp/bunk
9年(1797)に上棟した棟門。当時この屋敷
a/education/juho_kenzoubutu_7.h
は城の大手御門に近く、藩主一族や重臣
tml
の屋敷地になっていた。
八戸の中心街の地名には三日町や八日 八戸市
町といった市日のついた名称が多く見られ
る。終戦直後の昭和28年から始まった陸
奥湊駅前朝市が現代八戸の朝市の原点
とされる。
八戸市公式サイト
http://www.city.hachinohe.aomori
.jp/index.cfm/27,61508,html
櫛引八幡宮は鎌倉時代より南部藩の総鎮 八戸市八幡字八幡
守として多くの人々に尊崇されてた。現在 丁3
の本殿は盛岡藩の直営で正保2年(1645
年)から慶安元年(1648)にかけて再建され
たもの。
青森県公式サイト
http://www.pref.aomori.lg.jp/bunk
a/education/jubun_kenzoubutu_2
5.html
【h 景観・生活様式】 115/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
25 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
八戸市
旧旭商会
26 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
つがる市
旧高谷銀行本店
(盛農薬商会倉庫)
27 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
つがる市
増田家住宅母屋
28 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
つがる市
旧尾野家住宅
(稲穂いこいの里)
29 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
つがる市
清藤氏書院庭園
30 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
平川市
猿賀神社本殿
31 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
平川市
盛美園と盛美館
32 (h)景観・ 青森県
生活様式
33 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
平川市
金谷「土蔵のまち」
むつ市
旧大湊水源地水道施設
34 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
むつ市
旧海軍大湊要港部水交社
(北洋館)
35 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
むつ市
下北交通線大畑駅
36 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
十和田市
旧笠石家住宅
37 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
十和田市
三本木原開拓施設群
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
大正時代の銀行建築で、当時官庁建築や
銀行建築に流行したルネッサンス風の特
徴をもつ。中心市街地に位置し街の景観
に彩りを添える。現在は食堂として活用さ
れている。国の登録有形文化財
大正初期に銀行として建てられた、独創
的な意匠を持った二階建小型木造洋風建
築。現在は倉庫として利用されている。国
の登録有形文化財
武家屋敷の格式を取り入れた明治中頃の
古民家。内部公開されている。つがる市指
定有形文化財。
大正6年頃に八戸商業銀行小中野支店と 青森県八戸市小中
して建てられたものであり、昭和24年から 野8-78-2
平成元年まで燃料販売会社旭商会が事
務所として使用していた。
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=150105&isHighlig
ht=true&pageId=45
この地方の大地主だった高谷一族が高谷
銀行本店して大正初期に建てた。建築は
青森県に多く名建築を残した堀江佐吉ら
の堀江組である。
増田家は森田村や木造の開拓地主で
代々村長や県会議員をした家柄。建築は
明治中頃だが、釘を使用していない。
つがる市木造千代
町34-2
青森県公式サイト
http://www.pref.aomori.lg.jp/bunk
a/education/torokuyukei_22.html
つがる市森田町床
舞稚桜4-1
青森県観光情報アプティネット
http://www.aptinet.jp/Detail_displ
ay_00000556.html
明治25年(1892年)に建設された津軽地
方を代表する茅葺き民家で、内外とも当時
の姿をとどめている。現在は移設され「稲
穂いこいの里」で公開されている。
津軽地方で流行した大石武学流の源流と
される江戸時代末期の観賞式枯山水庭
で、東南隅に枯滝石組を組んで水落ちを
二筋にわけて落す。母屋とともに国名勝に
指定されている。
本殿は文政9年(1826年)の建立。素木造
の簡素な社殿であるが、その規模は大き
く、梁間3間の流造という形で、形式的にも
極めて珍しい。県重宝に指定。
津軽で盛んであった武学流の造園を代表
する庭園。庭園を眺めるために明治40年
に建てられた盛美館は、1階が和洋で2階
が洋風というわが国には他に例を見ない
珍しい建造物。盛美園として公開中。国指
定名勝。
資料不足により情報収集不可
本来の建設地である稲垣村は、弘前藩の つがる市稲垣町豊
新田政策で積極的に開拓された地域であ 川宮川145-1
る。
つがる市公式サイト
http://www.city.tsugaru.aomori.jp
/sisetu/017/017002.html
東北地方で最初に建設された近代水道施
設史上価値が高い水道施設で、石造の各
施設はそれぞれ特徴的で非常に細かい造
りであり、明治後期における石造河川構
造物の技術水準の高さを示す。国の重要
文化財。
大正5年に建築された海軍の社交場で、
恐山で採石された石材を用いた重厚な洋
風建築。現在は「北方の海上防衛」をテー
マと展示場北洋館として活用されている。
大湊水雷団(明治35年開庁)の艦船補給 むつ市宇田町、桜木 青森県公式サイト
http://www.pref.aomori.lg.jp/bunk
用水の確保が主な目的で、計画設計は横 町
a/education/jubun_kenzoubutu_3
須賀鎮守府経理部建築科による。明治34
1.html
年着工、翌35年大湊水雷団の開庁にあわ
せて竣工。
水交社は大正5年に海軍大湊要港部で働 むつ市大湊町4-1
く海軍士官の社交場として建てられた。
えきねっと
http://tabidoki.jrnets.co.jp/e07/s
pot/16230.html
昭和14年に国鉄大畑線の執着駅として開
業した大畑駅の駅舎で、鉄道廃止後も下
北交通のバス案内所として活用されてい
るほか、駅構内は機関庫を含めて保存さ
れており、年に数回、当時の車両キハ85
を使った動態保存運転が行われている。
18世紀半ばころに建てられたといわれる
萱葺き住居。北側の「まや」が全体の3分
の1を占めるのが目立ち、馬産が重要視さ
れたものといえる。国の重要文化財。
大畑線は、津軽海峡防衛の目的から大湊
線の下北駅と、下北半島北端の大間崎を
結ぶ鉄道として計画された大間線の先行
開業区間として、昭和14年に開業。昭和
60年に下北交通大畑線となり、平成13年
に廃止された。
「まや」の梁組が居住部分とは異なってお
り、「まや」が別棟であった時期の痕跡が
あることから、南部曲がり屋の成立過程の
建物とされる。
むつ市大字関根字
北川代
大畑線キハ85動態保存会
http://home.t00.itscom.net/kiha2
2/
十和田市奥瀬字栃
久保80
青森県公式サイト
https://www.pref.aomori.lg.jp/bun
ka/education/jubun_kenzoubutu_
18.html
鎌倉時代、北条時頼の側室である唐糸御
前に随従して来た清藤家の先祖が、唐糸
御前の霊を弔うため欅の木を植えたのが
始まりとされ、江戸末期に野本洞園が作
庭したと伝えられる。
猿賀神社は坂上田村麻呂の創建と伝わ
り、藩政時代には津軽家の祈願所として
定められた。農漁業、交通、眼の守護神と
して信仰されている。
郷土の農家でもあり資産家でもあった清
藤盛美が、明治34年から9年間で完成させ
た。武学流庭園の最高峰ともいわれる。ま
た盛美館は建築家西谷市助によって明治
40年に建てられた。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
平川市猿賀石林1-6 平川市観光協会サイト
https://www.hirakawakankou.com/miru/onoe/1472011-03-16-01-01-53.html
平川市猿賀石林175 青森県公式サイト
http://www.pref.aomori.lg.jp/bunk
a/education/juho_kenzoubutu_27.
html
青森県平川市猿賀 盛美園公式サイト
字石林1
http://www.seibien.jp/
三本木原の開拓を行うために江戸時代末 近代日本を代表する農学者新渡戸稲造 十和田市
期に建設された鞍出山穴堰と天狗山穴堰 の祖父にあたる にあたる南部藩士新渡戸
という2本のトンネルを中心とする農業用 傳が生涯の目標とした大事業。
水路と関係施設郡。青森を代表する農業
遺産。土木学会推奨土木遺産。
青森県 近世以前の土木遺産
【h 景観・生活様式】 116/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
38 (h)景観・ 青森県 五所川原市 旧平山家住宅
生活様式
等
39 (h)景観・ 青森県 五所川原市 旧西沢家住宅
生活様式
等
40 (h)景観・ 青森県 五所川原市・ 津軽鉄道のストーブ列車
生活様式
中泊町
等
41 (h)景観・ 青森県 五所川原市 斜陽館 (旧津島家住宅)
生活様式
等
42 (h)景観・ 青森県 五所川原市 飯詰八幡宮本殿
生活様式
等
43 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
黒石市
中町こみせ通り
44 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
黒石市
高橋家住宅
45 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
黒石市
金平成園 (澤成園)
46 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
黒石市
法眼寺本堂
47 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
今別町
松陰くぐり
48 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
外ヶ浜町
階段国道
49 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
外ヶ浜町
龍飛埼灯台
資源の概要
江戸時代中期に建てられた上層農家住宅
で、津軽地方を代表する古民家である。地
震の後に再建した建物のため、梁などに
耐震性を高める工夫が見られる。内部も
公開中。国指定重要文化財。
昭和初期に建築され、旅館として近年まで
使われていた大規模木造家屋。良材を吟
味した近代和風の佳品とされる。外見の
み公開。国登録有形文化財(建築物)。
歴史的価値・ストーリー
平山家は代々湊村の肝入役を務め、津軽
藩の広田組代官所の手代もつとめた家
柄。主屋の建築は明和6年(1769年)で、
表門は藩主から特に許されて天保元年
(1830年)に建てられたもの。
西沢家は旧小泊村に居住していた頃に北
海道礼文島に鰊漁場を有し、財を得たと
いわれる。大正時代に旧金木町へ転入
し、戦前まで漁業と農業を営んでいた。住
宅の完成は昭和11年である。
五所川原駅と津軽中里駅を結ぶ全町
ストーブ列車は昭和5年の津軽鉄道開業
20.7kmのローカル鉄道で、主に冬期間に 当初から運行されている。
運行される客車内の暖房に石炭焚きのダ
ルマストーブを用いる「ストーブ列車」は、
地域の風物詩として人気が高い。
津軽地方有数の大地主であった津島家の 県議会議員であった津島家6代目の源右
本邸で、主屋は木造二階建。伝統的町屋 衛門が邸宅として建設したも。太宰治(津
の形式を踏襲しつつ、店舗、階段室、応接 島修治)は明治42年6月19日にこの家で誕
室などは洋風の意匠・工法を導入。現在 生し、幼年期を過ごした家でもある。建築
は太宰治記念館「斜陽館」として公開さ
は堀江佐吉の4男斉藤伊三郎による。
れ、年間約10万人が訪れる。国指定重要
文化財。
江戸時代中期に再建された本殿は、小規 創建は弘治元年(1555年)で、その後荒廃
模かつ素朴な造りながら各所の彫刻をは するも承応元年(1652年)に再建され、宝
じめ優れた手法が示されている。県重宝 永2年(1705年)現在地へ移転。さらに宝
に指定。
暦元年(1751年)に再建されたものが現在
の本殿である。
中町周辺には規模の大きな町家が多く残 黒石市街地の形成は、明暦2年(1656
り、前面に連続して庇を張り出した「こみ 年)、津軽信英が弘前藩より黒石津軽家
せ」と呼ばれる通路を設ける。冬はこみせ の創立を許され、陣屋をおいたことに始ま
の柱の間に板戸や障子戸を落とし込み雪 る。陣屋の北側に武家地を、その東側の
や風の吹き込みを避ける。こみせが連続 浜街道沿いに中町等の商家町を配した。
して並ぶ町並みは東北地方北部の他地域
ではすでに失われ、極めて貴重である。重
要伝統的建造物群保存地区。
黒石を代表する古商家建築で、屋根が低 高橋家住宅は、代々理右衛門を名乗る黒
いため「与次郎組」という工法が用いられ 石藩御用達の商家で、主に米穀を扱った
ている。他にも吊り上げ式大戸、吹き抜け ことから屋号を「米屋」という。米穀のほか
天井、出格子窓など、津軽地方の典型的 に味噌や醤油、塩などの製造や販売など
大型商家の造りを持つ。現在も住居として してた。建材の建物は宝暦13年(1763年)
利用されている。国指定重要文化財。
頃と推定される。
幕末から近代にかけて、津軽地方を風靡 明治15年に高橋亭山が作庭に着手した
した大石武学流の独特の作風を良好に伝 が、亭山は完成を待たずに死去したため、
える優秀な庭園であるが、現在は未公
小幡亭樹を中心とした弟子が後を継ぎ明
開。国の史跡名勝天然記念物。
治35年に完成した。
方丈型本堂の古い形式が残されている、 黄檗宗の寺院であり、延宝7年(1679)年の
簡素な造りながら豪壮な構えの本堂。明 開基。 現在の本堂は明和3年(1766)正月
和3年(1766年)の建造物。青森県の県重 の大地震で破壊された後に、仮本堂として
宝に指定されている。
再建されたものである。
海岸の岩場に作られた海蝕洞を利用した 吉田松陰は嘉永4年(1851年)から翌年に
トンネル。かつて松前街道の難所で、嘉永 かけて北日本遊歴の旅をしている。広く各
4年(1851年)に吉田松陰が通ったことから 地の志士と交歓し、民情を視察し、特に津
この名前で呼ばれる。
軽半島に出没する外国船に対する防備の
有様を見る事を目的としていた。
龍飛崎を通る国道339号は、岬下から灯
台までが362段の階段になっている。この
区間が階段国道と呼ばれ、日本唯一の国
道風景として近年人気が出ている。
昭和7年に運転を開始した白亜円形の大
型様式灯台。津軽半島先端の竜飛崎に立
ち、対岸の北海道を見る事も出来る。日本
の灯台50選選定。
所在地
情報源・取材元
五所川原市湊字千
鳥144-1
五所川原市公式サイト
http://www.city.goshogawara.lg.jp
/21_kyoiku/syakyo/bunkazai/go/
hirayamake.html
五所川原市金木町
朝日山411-5
五所川原市公式サイト
http://www.city.goshogawara.lg.jp
/21_kyoiku/syakyo/bunkazai/nisi
zawake.html
五所川原市~中泊
町
津軽鉄道公式サイト
http://tsutetsu.com/
五所川原市金木町
朝日山412-1
五所川原市公式サイト
http://www.city.goshogawara.lg.jp
/21_kyoiku/syakyo/bunkazai/kan
agi/tusimake.html
五所川原市飯詰字
福泉148-1
五所川原市公式サイト
http://www.city.goshogawara.lg.jp
/21_kyoiku/syakyo/bunkazai/go/
hatimangu.html
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
黒石市中町・浦町二 青森県公式サイト
丁目・甲徳兵衛町・ http://www.pref.aomori.lg.jp/bunk
a/education/denken_02.html
横町
黒石市中町38
黒石市公式サイト
http://www.city.kuroishi.aomori.jp
/Culture/Cul_10_bunkazai_kuni.ht
ml
黒石市大字内町・上 黒石市公式サイト
町
http://www.city.kuroishi.aomori.jp
/Culture/Cul_10_bunkazai_kuni.ht
ml
黒石市山形町82
青森県公式サイト
https://www.pref.aomori.lg.jp/bun
ka/education/juho_kenzoubutu_1
9.html
今別町大字大泊
今別町公式サイト
http://www.town.imabetsu.lg.jp/si
ghtseeing/scenic/shoin.html
昭和50年に国道が指定される以前からの 外ヶ浜町三厩龍浜
道で、現在は附近に車が迂回出来る道路
が別に開通したものの、国道は階段であ
り続けている。
昭和7年初点灯。無線標識業務や船舶気 外ヶ浜町字三厩龍
象通報業務も担い、国際航路である津軽 浜
海峡の海の安全を担ってきた。平成18年
無人化。
外ヶ浜町公式サイト
http://www.town.sotogahama.lg.jp
/k_spot.html
外ヶ浜町公式サイト
http://www.town.sotogahama.lg.jp
/k_spot.html
【h 景観・生活様式】 117/188
カテゴリー
県
市町村
50 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
深浦町
51 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
深浦町
52 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
深浦町
53 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
西目屋村
54 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
鶴田町
55 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
野辺地町
56 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
野辺地町
57 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
野辺地町
58 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
七戸町
59 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
七戸町
60 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
七戸町
61 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
六ヶ所村
地域資源名
猿神鼻岩洞門
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
明治中頃に開通した道路トンネルで、岩場
に掘られた短い3本のトンネルからなる。
日本海中部地震で崩壊したが、公園とし
て再整備され、現在も徒歩で通行出来る。
情報源・取材元
猿神鼻岩は猿の横顔に似ていることから 深浦町大字深浦
名づけられた大岩で、近世から深浦湊の
象徴として信仰の対象とされてきた。洞門
は明治25年から明治39年にかけて行われ
た能代道改修工事の際に開通。
円覚寺薬師堂内 厨子
構造形式や技法および意匠から室町時代 円覚寺は、大同2年(807年)に坂上田村麻 西津軽郡深浦町深
前期の建造と見られる厨子で、青森県で 呂がこの地に観音堂を建立したことに始 浦字浜町275
は最も古い建造物である。県指定重要文 まるといわれる。
化財。
旧秋田屋旅館
秋田街道に面して建てられた旧秋田屋旅 秋田屋旅館に太宰治は2回宿泊している。 深浦町大字深浦字
(太宰の宿ふかうら文学館)) 館は現在改築され、「太宰の宿ふかうら文 1度目は「津軽」執筆時。2度目は生家へ 浜町134
学館」として、かつてこの宿に宿泊した太 疎開する移動中に家族で宿泊。
宰をはじめ、深浦ゆかりの文人たちを紹介
する施設として活用されている。
広泰寺・不識塔
広泰寺は全国的にも類例が少ない煉瓦造 広泰寺は、明治44年に西目屋村の実業家 西目屋村川原平字
り、洋風窓を持つ寺社建築である。その近 斎藤主が、米沢市の上杉謙信ゆかりの広 大川添89-3 他
くに建つ不識塔は、明治45年に完成した 泰寺を当地へ移して再建した。明治45年
高さ20.8mの煉瓦の塔で、こちらも日本で に完成した不識塔も斎藤主の手による物
は類例のない不思議な外見をしている。 で、開拓記念と自身の埋葬地として建て
村指定有形文化財。
た。
旧水元小学校校舎 昭和11年に建築された旧水元小学校の総 明治9年創立、昭和11年に現在の校舎が 鶴田町大字廻堰下
(鶴田町歴史文化伝承館) ヒバ造り木造2階建て校舎で、現在は鶴田 建築された。平成16年閉校。NHK大河ドラ 桂井6-3
町歴史文化伝承館として活用されている。 マ「いのち」のロケ地にも使われた。
町指定文化財。
旧野村家住宅離れ
明治期に再建された切妻造鉄板葺の木造 旧野村家住宅離れは、明治9年に明治天 野辺地町字野辺地
平屋建で、内部には田の字型に4室を配 皇の行幸があるとの噂を耳にした豪商野 123-1
し、庭に面した座敷には書院と地袋・天袋 村治三郎が建築し、同年と14年の2度の
付き床脇のついた床の間がある。室境に 東北御巡幸で行在所として使用された。
は近江八景の彫刻欄間を飾る良質な近代 明治23年の野辺地大火で消失し、直後に
和風建築である。 国指定重要文化財。
ほぼ昔のまま再建したと伝えられる。
国土交通省サイト
http://www.mlit.go.jp/sogoseisak
u/region/hurusato/part9/sub02.
htm
野辺地八幡宮本殿・末社金 八幡宮本殿は、慶長年間あるいは慶長3
刀比羅宮本殿
年(1598年)に勧請されたと伝えられる一
間社の流れ造り。非公開。末社本殿は向
拝柱の龍の彫刻をはじめ、各部の彫刻が
優れている。公開されている。青森県の県
重宝。
野辺地鉄道防雪林
明治26年に東北本線の線路沿いに造成さ
れた、わが国初の鉄道防雪林である。野
辺地~小湊間に38ヶ所が造成されたが、
野辺地駅周辺にあるものが代表的。東北
地方では数少ない鉄道記念物に指定され
ている。
旧南部縦貫鉄道七戸駅跡と 野辺地と七戸を結んでいた南部縦貫鉄道
レールバス「キハ10」保存車 は平成14年に廃止されたが、現役時代は
レールバスと呼ばれる気動車キハ10が運
行され、鉄道ファンによく知られた存在で
あった。現在も旧七戸駅構内で年二回の
動態保存運転会が催されている。
青岩寺山門
山門は明治6年に旧七戸城の城門を移し
たもので、門の両側には新館八幡宮から
移した仁王像が安置されている。七戸城
の現存する唯一の構造物である。町指定
文化財。
見町観音堂
江戸時代初期に建造された三間堂で、室
町後期の建築様式を部分的に留めてい
る。青森県の県重宝。
末社金刀比羅宮本殿は、文政5年(1822 野辺地町字笹館12
年)に、野辺地湊役所支配頭の熊谷秀平
と廻船問屋の仙台屋安田彦兵衛らが、海
上安全を祈願して勧請寄進した。
青森県公式サイト
https://www.pref.aomori.lg.jp/bun
ka/education/juho_kenzoubutu_3
0.html
明治24年9月に日本鉄道(現東北本線)が 野辺地町字上小中
全通した。当時、国内鉄道の最北端にあ 野
たる当地方の冬季の列車運行は雪害の
ため困難であったが、林学者・本多静六博
士の提唱により、明治26年から日本初の
鉄道防雪林の造成が開始された。
東北本線から離れていて交通不便であっ 七戸町字笊田
た七戸周辺の開発を目的に会社が設立さ
れ、昭和37年に千曳~七戸間開業。昭和
43年に野辺地まで延伸。平成9年に休止さ
れ、平成14年に廃止となった。
野辺地町公式サイト
http://www.town.noheji.aomori.jp
/category/173/173.html?section
=9
七戸城は中世の平山城で、城としては天 七戸町字町7
正20年(1592年)に廃城となったが、近世
は南部藩の直轄地として代官所が置かれ
た。国の史跡で、柏葉公園として整備され
ている。
応永3年(1396年)の創建で、現在の建物 七戸町字見町37-2
は延宝4年(1676年)に再建されたものと
いわれる。七戸地方の観音信仰の中心
地。
小川原湖とマテ小屋の景観 汽水湖である小川原湖の海への出入口で マテ漁はこの地方に伝わる古くからの漁 六ヶ所村大字倉内
ある高瀬川に沿って立つ漁業用の小屋
法で、菅江真澄も「尾駮のマテ小屋」を描
で、水中に大きな袋網を張り巡らして杭と いた。現在は廃れて行われていない。現
杭との間に柴などを刺して魚を網に誘い 存する小屋は平成15年に景観保存のた
入れるマテ漁のための施設である。
め修復されたもの。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
青森県公式サイト
https://www.pref.aomori.lg.jp/bun
ka/education/jubun_kenzoubutu_
9.html
深浦町公式サイト
http://www.town.fukaura.lg.jp/sp
ot/309.html
青森県観光情報サイト
http://www.aptinet.jp/PostDetail_
display_00000029.html
鶴田町観光ウェブマガジン
http://www.medetaitsuruta.jp/web_magazine/legend/
historymuseum.html
青森県公式サイト
http://www.pref.aomori.lg.jp/bunk
a/education/torokuyukei_78.html
南部縦貫鉄道思い出のレールバ
ス
http://www.ogaemon.com/rbus/r-bus-top.html
七戸町商工会公式サイト
http://www.aomorishokoren.or.jp
/shichinohe/kanko/menu/0200_r
ekisi_aoiwa.html
七戸町商工会公式サイト
http://www.aomorishokoren.or.jp
/shichinohe/kanko/menu/0100_
mimati.html
六ヶ所村公式サイト
http://www.rokkasho.jp/index.cf
m/6,294,50,1,html
【h 景観・生活様式】 118/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
62 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
風間浦村
63 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
東通村
64 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
東通村
65 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
佐井村
66 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
田子町
67 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
三戸町
68 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
三戸町
69 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
三戸町
奉納された棟札から明和4年(1767年)以
前に建築されたと見られる本殿は一間社
流れ造り。覆屋の中にあるため保存状態
が良い。青森県の県重宝。
旧三戸城表門および搦手門 龍川寺の山門は三戸城の表門の1つと言
われる薬医門形式の門である。また法泉
寺の山門は三戸城の搦手門の移設とい
われる棟門形式の門である。町指定文化
財。
70 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
三戸町
旧三戸代官所門
観福寺の山門は、江戸時代中期に三戸代
官所から移されたものといわれる、総ケヤ
キ作り薬医門形式の門である。町指定文
化財。
71 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
五戸町
江渡家住宅
天明年間(1781~1788)の建築といわれる
大規模な寄せ棟造りのかやぶき屋根。現
在も民家として使用されている(内部非公
開)。国指定重要文化財。
72 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
五戸町
旧圓子家住宅
73 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
五戸町
寶福寺本堂
江戸時代末期に建築された武家の住宅
で、玄関・式台・塀重門の関係を残してい
る武士住宅は県内ではここのみ。青森県
の県重宝。
安政6年(1859年)に再建された本堂は、
江戸末期の特徴をよく表し、天井は寄棟
造型化粧屋根裏という、珍しい構成であ
る。青森県の県重宝。
歴史的価値・ストーリー
大間線跡と下風呂アーチ橋 戦時中に建設され完成せずに放棄された 国鉄大畑線に続いて、昭和14年頃より大
(大間鉄道アーチ橋メモリア 国鉄大間線を象徴する大型の連続コンク 畑~大間崎を目指した鉄道工事が行わ
ルロード)
リートアーチ橋梁で、平成15年に大間鉄道 れ、下風呂温泉付近までほぼ完成した
アーチ橋メモリアルロードとして270mが整 が、昭和18年に戦況悪化のため工事中止
備され、下風呂温泉郷の施設として蘇っ となった。現在も数多くの橋やトンネルが
た。
残っている。
尻屋崎灯台
明治9年に東北地方初の洋式灯台として 尻屋崎は昔から難破岬と呼ばれ、遭難船
完成した。緑の草原に白亜の灯台が際立 の多い所として恐れられていた。明治に入
つ。煉瓦造りの灯台としては日本一の高さ り世界相手の貿易を行うため、イギリス人
を誇る。
の設計により、尻屋崎で焼いたレンガを用
いて建てられた。
寒立馬越冬放牧地の景観 下北の厳しい風雪に耐えて育った馬は寒 かつては野放馬という名前で藩政期から
立馬と呼ばれ、強靱な農耕馬として昔から 育てられていた。寒立馬は昭和45年から
評価が高い。尻屋崎付近は寒立馬の夏季 の呼称。平成7年には9頭まで減少してい
放牧地となっている。そして冬期は「アタ たが、現在は40頭ほどに回復している。
カ」と呼ばれる越冬放牧地に移される。青
森県の天然記念物。
福浦歌舞伎の里
福浦地区の「福浦の歌舞伎」は県無形民 福浦歌舞伎は上方の歌舞伎役者であった
俗文化財に指定されており、昭和63年頃 中村菊五郎が福浦に訪れた際、地元の
から「歌舞伎の里」づくりが進められてい 人々に歌舞伎を教えたのが始まりとされ
る。地区内の施設「歌舞伎の館」には300 ており、漁師によって100年以上受け継が
人収容の観劇スペースや、これまで伝承 れてきた、全国的にも珍しい漁村歌舞伎
されてきた貴重な道具等の展示コーナー である。
がある。
新田の水車とそばのむらお 新田地区では明治時代に作られた水車 新田地区の水車は江戸時代からあったと
こし
で、転作されたソバ粉をひき、「新そば祭 され、何度となく修理し使ってきた。平成11
り」でむらおこしを行っている。
年から、減反対策で栽培したそばと地域
のシンボルとしての水車を活用して「水車
そばまつり」を開催している。
佐瀧別邸
佐瀧別邸は大正14年に落成した、木造モ 佐瀧家は明治19年に雑貨屋として佐瀧本
ルタル2階建て望楼3階建ての洋風建築 店を開業した。地元銀行の頭取も務める
で、当時流行したドイツの住宅スタイルを 三戸の名士であった。
基にしている。国の登録有形文化財。
斗内稲荷神社本殿
所在地
情報源・取材元
風間浦村下風呂地
内
地域活性化センター公式サイト
http://www.chiiki-dukurihyakka.or.jp/1_all/jirei/2010_tiikisi
gen/honpen/2.htm
東通村尻屋字尻屋
崎1-1
青森県観光情報サイト
http://www.aptinet.jp/Detail_displ
ay_00000045.html
東通村尻屋 ‎
下北ナビ
http://simokita.org/sight/siriya/
佐井村大字長後字
福浦川目70-1
佐井村観光協会公式サイト
http://saikanko.sakura.ne.jp/hist
ory/kabuki.html
田子町遠瀬新田向
あおもり産品情報サイト
http://www.umaiaomori.jp/ranking/200612/recommend2.phtml
三戸町八日町49
青森県観光情報サイト
http://www.aptinet.jp/Detail_displ
ay_00003192.html
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
社地は三戸御給人栗谷川氏の屋敷跡で、 三戸町斗内字田屋
もとは栗谷川氏が祀ったものとされる。後 ノ下58
に田屋集落の氏神として大切にされる。
青森県公式サイト
https://www.pref.aomori.lg.jp/bun
ka/education/juho_kenzoubutu_1
0.html
南部藩28代南部重直が寛永10年(1633) 三戸町川守田・三戸 三戸町公式サイト
に盛岡城を正式に居城と定め、それまで 町川守田横道
http://www.town.sannohe.aomori.
の居城であった三戸城は「御古城」と呼ば
jp/sannohe-history/machiれるようになった。貞亨年間(1684~84
bunkazai/machi-bunkazai年)には城代が廃止され、三戸代官所が
pic.htm
代わりに置かれた。
延享4年(1747年)に三戸代官所が新築さ 三戸町同心町字熊 三戸町公式サイト
れた記録があり、このときに旧代官所の門 野林
http://www.town.sannohe.aomori.
が観福寺へ移築されたと考えられている。
jp/sannohe-history/machibunkazai/machi-bunkazaipic.htm
建設当時、江渡家は八戸藩五戸代官所下 五戸町荒町17-1
青森県公式サイト
役の給人であったと伝えられ、町の中心に
http://www.pref.aomori.lg.jp/bunk
営農を兼ねた広大な屋敷を構えたもので
a/education/jubun_kenzoubutu_1
ある。
9.html
圓子氏は「九戸の乱」(1591年)の後に当
地に居を構え、南部藩直命の山奉行と
なったと伝えられている。
五戸町大字倉石中
市字中市62-7
五戸町公式サイト
http://www.town.gonohe.aomori.j
p/kankou/annai/010.html
寶福寺は明応元年(1492年)に禅寺として 五戸町浅水浅水42 五戸町公式サイト
現在地に再開山された。嘉永2年(1849
http://www.town.gonohe.aomori.j
年)に火災にあい、安政6年(1859年)に再
p/info/bunkazai.html
建されたのが現在の本堂である。
【h 景観・生活様式】 119/188
カテゴリー
県
市町村
74 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
五戸町
75 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
南部町
76 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
五戸町消防団第一分団屯所 大正11年に再建された、赤いドーム屋根
付の望楼を持った二階建の洋風建築で、
県南地方における消防屯所の代表的なデ
ザイン。現在も五戸町消防団第一分団屯
所として使用されている。 青森県の県重
宝。
南部利康霊屋
南部利直が1632年(寛永9)年に四男利康
の死を悼んで創建した霊屋。江戸時代初
期の豪華絢爛なる桃山建築の様式がそ
のままに取り入れられ、華麗なること東北
随一と賞される。国指定重要文化財。
大正2年の大火で焼失した屯所と同じデザ 五戸町字野月2
インで、大正11年に建て直された。昭和15
年に購入した消防自動車を納めるため、
表側が増築され現在の形となった。
青森県公式サイト
http://www.pref.aomori.lg.jp/bunk
a/education/juho_kenzoubutu_36.
html
建築には全て最高級の木曾産の檜を用い 南部町大字小向字
ている。これは当時領内の鹿角郡に金山 正寿寺62-1
が発見され、南部家の財力が最も豊かな
時であったことを示している。
南部町観光情報サイト
http://www.nanbukanko.com/history/history01.htm
l
南部町
南部利直霊屋
南部町大字小向字
南部家当主27代南部利直は、寛永9年
(1632年)に江戸桜田邸で逝去し、三戸聖 正寿寺60
寿寺(現三光寺境内)に葬られた。
南部町観光情報サイト
http://www.nanbukanko.com/history/history06.htm
l
77 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
南部町
田中家住宅
田中家は、戦前は軍用馬を100頭以上育 南部町福田字間ノ
てていた山持ちの豪農であった。
原5-1
78 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
南部町
村井家住宅
南部町観光情報サイト
http://www.nanbukanko.com/history/history04.htm
l
南部町公式サイト
http://www.town.aomorinanbu.lg.jp/sight/00000004/0000
0186.html
79 (h)景観・ 青森県
生活様式
等
新郷村
木村家住宅 主屋
80 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
盛岡市
旧中村家住宅
(盛岡市中央公民館)
81 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
盛岡市
82 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
盛岡市
83 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
盛岡市
84 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
盛岡市
85 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
盛岡市
寛永9年(1632年)に江戸桜田邸で逝去し
た南部利直の霊屋で、室町時代末期の面
影を残す江戸時代初期様式による典型的
なものとされる。宝形造り。青森県の県重
宝。
明治23年に建築された洋風の望楼を持つ
住宅で、造り酒屋と洋風の消防屯所のイ
メージが融合した、和洋折衷の近代和風
建築。国の登録有形文化財。
三戸駅の駅前通りに面して建つ、大正12
年に完成した木造2階建モルタル仕上げ
の家屋。大正モダニズム時代の和洋折衷
の優れた住宅。外見のみ見学可能。国の
登録有形文化財。
江戸時代末期に建築された農家住宅で、
伝統的な意匠を残し、山村景観を形成す
るものとして貴重。外見のみ公開。国の登
録有形文化財。
現在の母屋は文久元年(1861年)に造られ
たもので、江戸時代末期の特徴がよく残さ
れている。増改築の多い商家が建築当初
の形をとどめている例は珍しい。昭和49年
に移築されて現在は公民館として利用。
国指定重要文化財。
岩手大学農学部旧本館
大正初年に完成した旧本館は木造2階建
(岩手大学農学部農業教育 て。入口にある門番所は明治35年の開校
資料館)
時の建造物とみられる。旧本館、門番とも
改造が少なく、わが国の学校建築の歴史
を知る上で重要な建物。国指定重要文化
財。
岩手銀行旧本店本館
東京駅などを設計した辰野金吾の設計に
(岩手銀行中ノ橋支店)
よる、煉瓦組地上3階の東北地方を代表
する辰野式ルネサンス洋式銀行建築。現
在も岩手銀行中ノ橋支店として利用。国指
定重要文化財。
旧第九十銀行本店本館
日本の洋風建築遺構には数少ないロマネ
(もりおか啄木・賢治青春館) スク風の外観持つ煉瓦組地上2階の銀行
建築。現在は市の「もりおか啄木・賢治青
春館」として利用されている。国指定重要
文化財。
岩手県公会堂
昭和2年に竣工したコンクリート近代建築
の初期の作例で、アール・デコ様式の意
匠が随所に見られる。現在も会議室を主
体とした施設として一般に利用されてい
る。国指定重要文化財。
木津屋池野籐兵衛家住宅 天保5年(1834年)に建築された土蔵造り
の商家店舗兼住宅で、防盗・防火・避難に
注意が払った構造が随所に見られるのが
特徴。当時の商家の面影を残す数少ない
町家である。外見のみ公開。岩手県指定
文化財。
村井家住宅は、東京の遠藤氏により設計
されたと伝えられ、大正12年秋に竣工し
た。関東大震災直後のため建材の入手に
苦労し、アメリカから船で運んだ建材も使
用している。
本住宅がある西越集落の民家は、平入り
の直屋に茅葺きの寄棟造り屋根をかけ、
棟を草で押さえた芝棟とするのが一般的
で、特徴的な農村景観を保持している。
南部町大向字泉山
道
新郷村大字西越字
日向
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
青森県公式サイト
http://www.pref.aomori.lg.jp/bunk
a/education/torokuyukei_76.html
中村家は、「糸屋」または「糸治」とよばれ 盛岡市愛宕町14-1 盛岡市公式サイト
た城下町盛岡でも指折りの大きな商家
http://www.city.morioka.iwate.jp/
で、呉服・古着などを主に商っていた。そ
kokyoshisetsu/kominkan/chuo/0
の後、盛岡藩の特産である紫根染を一手
03892.html
に商うなどして繁盛した。
岩手大学農学部(旧盛岡高等農林学校)旧 盛岡市上田三丁目
本館は大正元年の竣工。設計は谷口鼎。 18-8
明治期に設置された国立の専門学校の中
心施設のうち、現存する数少ない遺構の
ひとつ。
盛岡市公式サイト
http://www.city.morioka.iwate.jp/
moriokagaido/rekishi/bunkazai/k
uni_shitei/003363.html
明治洋風建築界の雄、辰野金吾博士と盛 盛岡市中ノ橋通一
岡出身の葛西萬司氏によって主宰された 丁目2番20号
辰野・葛西建築事務所の設計。旧岩手銀
行の本店として明治44年に完成。
盛岡市公式サイト
http://www.city.morioka.iwate.jp/
moriokagaido/rekishi/kenzobutsu
/003400.html
当時若き司法省技師であった盛岡出身の 盛岡市中ノ橋通一
横浜勉の設計で、第九十銀行本店本館と 丁目1番25号
して、明治43年に竣工。
盛岡市公式サイト
http://www.city.morioka.iwate.jp/
moriokagaido/rekishi/kenzobutsu
/003401.html
公会堂は昭和天皇の御成婚を記念して建 盛岡市内丸11-2
設が計画され、昭和2年に竣工した。設計
は東京の日比谷公会堂や早稲田大学大
隈講堂の設計で知られる佐藤功一博士。
盛岡市公式サイト
http://www.city.morioka.iwate.jp/
moriokagaido/rekishi/bunkazai/k
uni_shitei/003369.html
この付近は惣門といわれ、江戸時代は城 盛岡市南大通2丁目 盛岡市公式サイト
下町の南の玄関口として、奥州街道沿い 3-20
http://www.city.morioka.iwate.jp/
に盛岡の代表的な商人が店を構え、蔵が
moriokagaido/rekishi/bunkazai/k
建ち並んでいた。
en_shitei/003371.html
【h 景観・生活様式】 120/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
旧渋民尋常小学校は1884年(明治17年)に
旧渋民村に建設され、大正2年に渋民小
学校松内分校として移転。その後昭和38
年に廃校となった。昭和43年にさらに移設
復元されて石川啄木記念館の施設として
利用されている。
盛岡城は慶長2年(1597年)に起工したと
伝えられ、翌3年に豊臣秀吉の許可を得て
本格的築城が始められた。不来方城とも
呼ばれる。彦御蔵は場内施設のひとつと
して建造された。
盛合家は、 津軽石川の鮭漁等で栄え、廻
船業や酒造、質屋などを兼業し、盛岡藩
の給人ともなった豪商である。
86 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
盛岡市
旧渋民尋常小学校
(石川啄木記念館)
石川啄木が少年期に学び、後に「日本一
の代用教員」を目指して教壇に立った学び
舎。2度の移転により変化はしているが、
明治の木造校舎であり、県内最古の小学
校建築とされる。盛岡市指定文化財。
87 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
盛岡市
彦御蔵
88 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
宮古市
盛合家主屋
木造二階建ての豪壮な土蔵で江戸時代
後期の建造とみられる。盛岡城の建造物
として城内に残っている唯一の建造物で
ある。一帯は岩手公園として整備されてい
る。盛岡市指定文化財。
江戸時代初期に建設されたと見られる豪
商の居宅。木造平屋一部2階建。陸中沿
岸に残る良質な住宅建築である。 東日本
大震災で浸水し復旧が進められている。
国の登録有形文化財。
89 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
大船渡市
長安寺山門
90 (h)景観・ 岩手県
生活様式
91 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
大船渡市
旧日頃市駅
花巻市
92 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
所在地
情報源・取材元
盛岡市玉山区渋民
字渋民9
盛岡市公式サイト
http://www.city.morioka.iwate.jp/
moriokagaido/rekishi/bunkazai/s
hi_shitei/003379.html
盛岡市内丸
盛岡市公式サイト
http://www.city.morioka.iwate.jp/
moriokagaido/rekishi/bunkazai/s
hi_shitei/003380.html
宮古市大字津軽石
第4地割字大森18
文化庁国指定文化財等データ
ベース
http://www.weblio.jp/content/%E
7%9B%9B%E5%90%88%E5%AE%B6%
E4%BD%8F%E5%AE%85%E4%B8%B
B%E5%B1%8B
大船渡市公式サイト
http://www.city.ofunato.iwate.jp/
www/contents/1305964207018/i
ndex.html
江戸中期につくられた山門は総ケヤキ造
りで高さ20mもあり、東北有数の規模を誇
る。気仙匠と呼ばれた大工集団の技術を
窺わせる建造物。
資料不足により情報収集不可
山門(楼門)は寛政8年(1798年)竣工であ 大船渡市日頃市町
るが、藩主伊達公との軋轢によって工事 字長安寺
中止の命を受けた未完成の建造物である
(現地案内板より)。
旧小原家住宅
岩手県の代表的な「曲り屋」のひとつ。江
戸時代中期の建造とみられることから、
「曲り屋」発生の経緯を知るために貴重な
建物とされる。国指定重要文化財。
花巻市東和町谷内
花巻市
伊藤家住宅
「曲が屋」と「直屋」が混在する藩境の集落
に残る当時の「直屋」、岩手県南地域の農
家としては古い建物の一つ。国指定重要
文化財。
93 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
花巻市
毘沙門堂
方三間、宝形造の寺社建築で、室町時代
の特徴が見られる。岩手県内では数少な
い中世の建物とみられる。国指定重要文
化財。
94 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
花巻市
花巻電鉄デハ3保存車 (材木町公園)
花巻市材木町
とうほく廃線紀行(無明舎出版
編)
95 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
花巻市
早池峰神社本殿
花巻駅に近い材木木町公園に静態保存さ
れている「デハ3」は、大正から昭和47年ま
で運転されていた花巻電鉄の唯一の保存
車輌で、併用軌道で車とすれ違う必要が
あるため幅1.6mという極端に細い車体を
持つことから、「馬面電車」の名前で親しま
れていた。
江戸時代初期に盛岡藩の祈願所として建
てられた本殿は、石敷きの土間を持つ珍
しい形式。仏教のお堂の形式の影響とい
われている。県指定重要文化財。
建て方からみて馬屋(厩)の部分が小さい
ことから、曲り屋としては古いタイプである
と考えられており、建設は江戸時代中期
の宝暦年間(1751~1764年)ころと推測さ
れている。
所在地の田瀬地区は江戸時代の旧盛岡
藩領の最南端にあたり、直屋(すごや)と曲
り屋が両方建てられていた地域である。18
世紀前半(1701~1750年)の建築と見られ
る。
毘沙門堂は多くの貴重な仏像を奉るため
に建てられたお堂で、古くから地域の人々
の信仰を集めている。建造年は不明だ
が、延宝元年(1673年)に修理された記録
が残る
花巻電鉄は、花巻市街地と花巻温泉を結
ぶ電車路線として大正初期に開業し、そ
の後支線網を広げ花巻地区の地方鉄道と
して地域の発展を支えた。戦後はバスと
の競合から路線を次第に縮小し、昭和47
年に全廃された。
花巻市大迫町内川
目
96 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
花巻市
熊野神社本殿
早池峰神社は平安時代の創起といわれ、
江戸時代に盛岡藩が鎮山・祈願所として
保護。本殿は藩主南部利直の命により慶
長15年(1610年)から17年(1612年)まで3
年間をかけて造営されたもの。
坂上田村麻呂の蝦夷討伐成功に際して建 熊野神社は「南部領寺社修験本末支配
立されたと伝わる古社。本殿の建造年は 記」に坂上田村麻呂が建てたと記録され
不明だが、随所に室町時代の建物の特徴 ている。十二番角力式(泣き相撲)と言わ
れる奇祭が伝わっている。
を表す。花巻市指定文化財。
花巻市公式サイト
http://www.city.hanamaki.iwate.jp
/bunkaka/bunkazai/ca/ca-2p110-040-o_hayachinejinjahonden.htm
花巻市観光協会サイト
http://www.kankohanamaki.ne.jp/marugoto/detail.p
hp?p=115
97 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
北上市
旧菅野家住宅 (みちのく民俗村)
享保13年(1728年)建築の「直屋」形式の
古民家。岩手県内における建築年代の明
らかな古民家では最も古い。現在は「みち
のく民俗村」内に移築復元・公開されてい
る。国指定重要文化財。
花巻市東和町田瀬
花巻市東和町北成
島
花巻市東和町北成
島5-1
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
花巻市公式サイト
http://www.city.hanamaki.iwate.jp
/bunkaka/bunkazai/ca/ca-1n110-010-t_kyuu-obarakejuutaku.htm
花巻市公式サイト
http://www.city.hanamaki.iwate.jp
/bunkaka/bunkazai/ca/ca-1n110-020-t_kyuu-itoukejuutaku.htm
花巻市公式サイト
http://www.city.hanamaki.iwate.jp
/bunkaka/bunkazai/ca/ca-1n110-030-t_bisyamondou.htm
移設前の所在地は南部藩と境を接する口 北上市立花14地割 北上観光コンベンション協会サイ
内町長洞で、伊達藩領内の典型的な直屋
ト
形式の民家である。菅野家は村役人の大
http://www.kitakami胆煎を勤めたと伝わる。
kanko.jp/kanko.php?itemid=192&c
atid=74
【h 景観・生活様式】 121/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
98 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
北上市
多聞院伊澤家住宅
寄棟造、茅葺で、内部に道場と称する仏 多聞院伊澤家は里に住みついた修験で、 北上市和賀町岩沢9
堂風の部屋を持っている。里修験の数少 江戸時代中期以降この地域で勢力をもっ 地割48番地
ない遺構で、その活動の拠点となった仙 ていた。
人権現(現在は久那斗神社)も現存してい
て貴重である。 国指定重要文化財。
99 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
北上市
黒沢尻高等女学校旧校舎
(みちのく民俗村民俗資料
館)
100 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
北上市
珊瑚橋
101 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
久慈市
諏訪神社本殿・拝殿
昭和初期の木造2階建、切妻屋根のドイ
ツ風学校建築。構造は洋風の大正建築の
名残をとどめ、旧女学校の数少ない現存
校舎として貴重。
北上市街地と展勝地を結ぶ北上川に架か
る、昭和8年に架設されたゲルバートラス
形式の優美な鉄橋。名橋といわれる東京
の両国橋や大阪の天満橋などと同じ構造
で、夜間のライトアップも行われている。橋
長253m。
諏訪神社は九戸地方で最古級の木造建
築物で、優れた彫刻がみられる。また、江
戸時代の「志度之海女図
(しどのあまず)」など、この地方の歴史を
明かす一級資料が収められている。
102 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
久慈市
山根六郷「塩の道」の里
渓流沿いに板壁や萱葺きの民家が残る景 山根六郷はかつて沿岸部と内陸部を結ん 久慈市山根町端神
観を活かし、伝統の暮らしや行事を伝承 でいた「塩の道」にあたり、伝統的な暮らし
する活動や、粟など雑穀栽培が住民主体 が営まれていた。
で進められており、「桂の水車広場」では
名産の野菜や郷土料理が振る舞われる。
にほんの里100選
http://www.sato100.com/?page_i
d=29
103 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
遠野市
旧菊池家住宅 (伝承園)
江戸時代中期建築で最古級に属する南部
曲がり屋。遠野地方のかつての農家の生
活様式を再現し展示している伝承園に移
設されて公開中。国指定重要文化財。
104 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
遠野市
105 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
遠野市
106 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
遠野市
107 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
遠野市
108 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
遠野市
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
北上観光コンベンション協会サイ
ト
http://www.kitakamikanko.jp/kanko.php?itemid=208
1927年(昭和2年)に建築された黒沢尻高 北上市立花14地割 北上観光コンベンション協会サイ
等女学校旧校舎を1978年(昭和53年)に 52
ト
現在地へ移築した。
http://www.kitakamikanko.jp/kanko.php?itemid=208
珊瑚橋は明治41年に立花村の高舘徳次 北上市立花
東北の観光情報ポータルサイト
郎が私財を投じて造った有料橋にはじま
http://www.tohokukanko.jp/iwate
り、昭和8年に初めての永久橋として現在
/14463/
の橋が架設された。現在も国道107号とし
て活躍している。
建築の年代は拝殿が寛政3年(1791年)、 久慈市長内町35-98 きてきて久慈市
本殿が安政3年(1856年)である。東回り航
http://kujicity.com/a.kujicity.29s
路の安全を祈願した多くの絵馬が奉納さ
wajinzya.htm
れている。
建築当初は直屋で、築後早い時期に土間
を拡張し、その手前に馬屋を突出させて
増築、曲屋形式に変えたことが判明してい
る。曲がり屋の発生過程を知る上で貴重
な建築である。
千葉家住宅 (南部曲り家千 江戸時代後期に建てられた、日本を代表 斜面地に築かれた石垣上の平地に建つ
葉家)
する南部曲り屋。163坪もある豪華なもの 大型の住居で、多い時には25名の人と20
で現在も生活が営まれている。一部公開 頭の馬がこの一軒の家で生活していた。
中。国指定重要文化財。
遠野ふるさと村
遠野の昔ながらの山里を再現した大規模 村内にある「こびるの家」は、上郷町の旧
な施設で、市内から移設された江戸中期 菊池善右エ門家を移築したもので、宝暦
から明治中期にかけて造られた茅葺屋根 12年(1762年)の建築である。直屋形式
の曲り家、直屋をはじめ、小川に回る水車 で、当時この地方の直屋は、苗字帯刀を
や、田畑、炭焼き小屋などが点在。映画や 許された人の家であったという。現在は手
テレビの撮影にも多く利用されている。
作りの食の店として利用。
遠野市土淵町土淵
6地割5番地1
重文民家
http://www.jminka.gr.jp/blocphot
/htoh/iwphot/iwkikuti.htm
遠野市綾織町上綾
織1-14
遠野市公式サイト
http://www.city.tono.iwate.jp/ind
ex.cfm/25,10386,122,144,html
遠野市附馬牛町上
附馬牛5-89-1
遠野ふるさと村公式サイト
http://www.tono-furusato.jp/
達曽部川橋梁・宮守川橋梁 昭和18年に架設された国鉄釜石線の2本
(めがね橋)
のコンクリートアーチ橋で、宮沢賢治が作
品「銀河鉄道の夜」のモデルにしたといわ
れる岩手軽便鉄道を継承していることや、
山河に架された優雅な姿から、地域のシ
ンボルとして愛されている。夜はライトアッ
プも行われる。現役の橋である。土木学会
の選奨土木遺産。
山口の水車小屋
土淵町山口集落にある茅葺の水車小屋
で、遠野の農村イメージを象徴する建物と
して観光地になっている。建築年代は不
明。現在も使用している。
荒神神社
青笹町の田んぼの中に立つ小さな茅葺き
屋根のお堂で、権現様が祀られている。
稲穂の成長を静かに見守る風景は遠野の
シンボルの一つとなっている。
岩手県遠野市宮守
町
土木学会公式サイト
http://committees.jsce.or.jp/heri
tage/node/212
遠野市土淵町山口
遠野市公式サイト
http://www.city.tono.iwate.jp/ind
ex.cfm/35,13258,162,379,html
遠野市青笹町中沢
遠野市公式サイト
http://www.city.tono.iwate.jp/ind
ex.cfm/35,13258,162,379,html
達曽部川橋梁は、大正4年に架せられた
岩手軽便鉄道の橋をそのままコンクリート
で包み込む形でアーチ橋に仕立てるとい
う、戦時中ならではの強引な形で建築して
いる点に特徴がある。橋長98m。宮守川
橋梁は新規に建築された橋で、隣に岩手
軽便鉄道時代の石造橋脚が残る。橋長
107m。
現在も付近の人々の脱穀や製粉に利用さ
れている。遠野遺産として市が認定してい
る99ヶ所(平成22年時点)の施設のひと
つ。
権現様が隣の地区にある権現様とケンカ
して、片耳をかじり取ったという言い伝え
がある。遠野遺産として市が認定している
施設のひとつ。
【h 景観・生活様式】 122/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
109 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
遠野市
早池峯神社
110 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
遠野市
遠野 荒川高原牧場・土淵
山口集落
111 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
一関市
世嬉の一酒造場
(酒の民俗文化博物館)
112 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
一関市
横屋酒造造り蔵・佐藤家住
宅主屋(酒のくら交流施設)
113 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
一関市
長者滝橋
114 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
一関市
115 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
一関市
日本基督教団 一関教会
116 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
一関市
宝持院 山門
117 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
一関市
摺沢八幡神社 本殿
118 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
一関市
一関本寺の農村景観
119 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
一関市
山吹の棚田風景
資源の概要
遠野を見守る遠野三山の神霊を祀る神社
で、萱葺きのお堂など境内の多くの建物
が市指定文化財である。また、周囲には
古くからの信仰を物語る傾いた木の鳥居
(古参道)などがあり、旅情を誘う風景と
なっている。
柳田國男の「遠野物語」の舞台となった遠
野の居住の在り方を表す景観地の代表例
として、文化庁により重要文化的景観に指
定されている。
歴史的価値・ストーリー
所在地
早池峯神社は、遠野三山の神霊が祀られ 遠野市附馬牛町上
ており、大同元年(806年)山頂に普賢坊 附馬牛19地割82
が一宮を建立したのが始まりと伝えられて
いる。神輿洗いの神事が有名。
情報源・取材元
いわての旅
http://www.iwatetabi.jp/spot/det
ail/03208/28.html
荒川高原牧場は、「遠野物語」の原点を成 遠野市
す「馬」・「馬産」に関する代表的な景勝地
である。また土淵山口集落は「遠野物語」
の題材となる説話を柳田國男に語り伝え
た佐々木喜善の生家や、居住地周辺の霊
地など、説話の舞台となった場所が良好
な環境のもとに継承されている。
大正7年の建築で日本古来の土蔵建築に 世嬉の一酒造場の仕込み蔵として大正7 一関市田村町14
西洋式トラス組(クイーンズポスト)の梁を 年に建造された。昭和22・23年には2度の
入れたので、 土蔵としては東北有数の規 大水害に冠水したが流失せず、現在も旧
模を誇る。 酒の民俗文化博物館として利 態を良く保っている。
用・公開中。国の登録有形文化財。
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=163258
明治期に建造された豪壮な蔵と家屋。現
在は「一関市千厩酒のくら交流施設」とし
て利用されている。国の登録有形文化
財。
一関市千厩町千厩
字北方134-1
千厩まちづくりサイト
http://www.sakenokura.com/sak
enokura.html
一関市厳美町滝ノ
上地内
一関市公式サイト
http://www.city.ichinoseki.iwate.j
p/index.cfm/18,13144,87,230,htm
l
一関市千厩町千厩
字北方129-1
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=181116
厳美渓の上流部に架かるコンクリートアー
チ橋で、全国でも確認されているものが極
めて少ない「竹筋コンクリート橋」である。
現在も車道として利用。国の登録有形文
化財。
旧専売局千厩葉煙草専売所 標準設計に基づき明治中期に建設され
た、残存例が少ない煙草専売所の事務所
建築。千厩の近代基幹産業の関連遺構で
ある。国の登録有形文化財。
昭和初期に建造された木造平屋建の教会
建築で、聖堂正面右側に尖塔が建つ。街
の景観に彩りを与える気品のある建築
物。国の登録有形文化財。
岩手県内最古級に属する山門。古くから
石巻街道と気仙沼街道の分岐点である金
沢宿のシンボルタワーとして、往来の旅人
を見守ってきた。県指定文化財。
摺沢地区の鎮守で集落を見下ろせる高台
に鎮座する摺沢八幡神社の本殿は貞享3
年(1686)に建造された。江戸初期から中
期に至る堅実な様式的手法の見られる遺
構。県指定有形文化財。
本寺地区は、中世平泉の荘園遺跡の諸要
素が良好に遺存するとともに、近世・近代
を通じて継続的に営まれてきた稲作、近
代に始まった炭焼きなどの農林業を通じ
て岩手県南地方の農村の文化的景観を
示す区域として、文化庁により重要文化的
景観に指定されている。
大東町山吹地区の棚田は、標高400mほ
どの山地に点在し、春になると至る所にヤ
マブキの黄色い花が咲き誇る。平成11年
に農林水産省が指定した「日本の棚田百
選」に日本最北端の指定地として指定され
た。
佐藤家住宅主屋は明治34年、酒造蔵は明
治35年に造られ、地酒「玉の春」を世に売
り出した。その後、西洋館、文庫蔵、酒造
蔵などが昭和初期までに完成して現在の
姿となった。
昭和14年の架設。当時、欠乏しつつあっ
た鉄にかわり、同じく引っ張り強度の高い
竹を代用する研究が行われており、その
実例として架設された。戦争の記憶を留め
た史跡でもある。
日本政府は明治31年から葉タバコの専売
を開始し、その担当部署として前年4月に
大蔵省が管轄する葉煙草専売所を全国に
61箇所設置した。この建物は明治30年の
建設。
建設は昭和4年で、設計者は宮古教会の
羽生義三郎牧師である。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=136998
一関市田村町2-14 文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=182036
宝持院は明応4年(1393年)開山の古刹。 花泉町金沢字大柳
山門は江戸中期の宝永8(1711年)に完成
したもので、楼門様式の山門としては県内
で最も古い例とされる。
一関市公式サイト
http://www.city.ichinoseki.iwate.j
p/index.cfm/6,4316,111,77,html
創建は前九年合戦の際、源頼義が八幡菩 一関市大東町摺沢
薩に戦勝を祈願して勝利を収め、社殿を 字八幡前
建立したのが始まりとされとされる。
一関市公式サイト
http://www.city.ichinoseki.iwate.j
p/index.cfm/18,29837,162,447,ht
ml
自然地形に沿って湾曲した水路や、北西 一関市厳美町本寺
より吹き付ける強い季節風から家屋を護
るためにイグネと呼ぶ屋敷林が巡らされて
いることなど、本寺地区には散村的な農村
景観が良好に保存されている。
文化庁公式サイト
http://www.bunka.go.jp/bunkazai
/shoukai/keikan/bukken.html#02
山吹地区は大住山の山腹に位置し、南に 一関市大東町大原
砂鉄川や今泉街道がある大原の中心部を 山吹
見下ろす。この地域は古くから砂鉄を産
し、近世には稲作の期間を避けて採取を
行う事が申し合わされていた。
社団法人農村環境整備センター
http://www.acres.or.jp/Acres200
30602/tanada/100selectmap/iwa
te.html
【h 景観・生活様式】 123/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
120 (h)景観・ 岩手県 陸前高田市 吉田家住宅
生活様式
等
住民に「大庄屋」として親しまれてきた吉
田家の住宅は、土蔵、味噌蔵、納屋と共
に県の文化財に指定されていたが、東日
本大震災の津波で流失。その後、梁など
部材の大半が回収保管されている。
吉田家は気仙郡24カ村をまとめ、郡の行 陸前高田市気仙町
政を担った大肝入で、吉田家住宅主屋は
享和2(1802年)、大肝入の執務場所として
建てられ、幕府巡見使や仙台藩主の宿泊
場所にもなった。
岩手日報電子版2011,12,24記事
http://www.iwatenp.co.jp/311shinsai/sh201112/sh
1112144.html
121 (h)景観・ 岩手県 陸前高田市 普門寺 三重塔
生活様式
等
三重塔は、文化6年(1809年)の建立と棟
札から創建時期が明確で、本県に於ける
塔婆建築としては他に実例がない唯一の
遺構。高さ12.5m。県指定文化財。
普門寺は、鎌倉時代の仁治2年(1241年) 陸前高田市米崎町
に開山され、室町時代後期の永正元年
字地竹沢
(1504年)に浜田城主千葉中務太輔宗綱
の再興と伝える古刹。
いわての文化情報大事典
http://www.bunka.pref.iwate.jp/ci
ss/bunkazai/detail/id/46
122 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
釜石市
釜石鉱山 橋野高炉跡
橋野高炉は、近代製鉄の父といわれる大 釜石市橋野町第2地 明治日本の産業革命遺産
http://www.kyuyama.jp/kyushuya
島高任の技術指導により、安政6年(1859 割15
年)に完成した洋式高炉で、南部藩が経
maguchi/ky_iwate_01.html
営した。釜石地域では、明治初期までに7
か所13基の高炉が建設され、橋野は当時
国内最大の鉄鉱山であった。
123 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
釜石市
旧釜石鉱山事務所
124 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
釜石市
釜石鉄道跡 小川レンガ橋
梁
幕末に完成したわが国最古の洋式高炉
跡。三基の高炉跡のほか、水車場跡や長
屋跡、山神社跡なども確認されている。国
の史跡であるとともに、経済産業省により
近代化産業遺産「釜石市・遠野市の製鉄
関連遺産」に認定されており、世界遺産登
録を目指している。
釜石鉱山株式会社の旧事務所で、コンク
リート造り2階建て。坑内作業員らが出入
りした30mもある受付のカウンターなど、機
能性を重視した造りと、玄関テラスなどの
端正なモダニズムが同居する。東日本大
震災により破損し公開停止中。国の有形
登録文化財。
明治13年に開業した釜石鉄道の小川支線
の跡に残る2本の煉瓦アーチ橋。現存する
ものではわが国最古級の鉄道橋である。
市指定文化財であるとともに、経済産業省
により近代化産業遺産「釜石市・遠野市の
製鉄関連遺産」に認定されている。
明治維新、官営によって近代化が進めら 釜石市甲子町第14
れた釜石鉱山では、釜石港と鉱山を結ぶ 地割・第15地割
釜石鉄道を明治9年に着工し、同13年に
完成した。これはわが国の鉄道史上にお
いて、着工が2番目、開業でも3番目に古
い。
釜石市公式サイト
http://www.city.kamaishi.iwate.jp
/kyoudo/column/columntanbou2.html
125 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
二戸市
天台寺 本堂・仁王門
天台寺は、聖武天皇の勅願により行基が 二戸市浄法寺町御
開創したと伝えられる古刹。古くから東北 山字御山久保
地方の代表的な観音霊場として栄え、「桂
清水観音」の名で知られる。この地方を治
めた南部氏は、中世、近世を通じて篤く信
奉した。
いわての文化情報大事典
http://www.bunka.pref.iwate.jp/ci
ss/bunkazai/detail/id/50
126 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
二戸市
黒沢治助商店
本堂と仁王門は、盛岡藩主南部重直に
よって万治元年(1658年)に造営された。
本堂は入母屋造の壮大な五間堂で、江戸
時代前期の本格的な密教仏堂として、仁
王門とともに、盛岡藩大工の技術水準を
知る上でも貴重とされる。国指定重要文化
財。
大正期に建築された木材商の大規模な店
舗で、約3060平方メートルの敷地に町家
形式の店舗と洋風意匠の倉庫が並び、後
方に漆喰仕上げで力強い外観の主屋や
蔵などが建つ。国の登録有形文化財。
127 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
二戸市
槻陰舎と稲荷文庫
槻陰舎は、吉田松陰の友人小倉健作と地
元有志がつくった学問を学ぶ結社「会輔
社」の教場となった茶室。稲荷文庫は文久
3年(1863年)に設立された市内最古の図
書館。いずれも呑香稲荷神社にある。市
指定文化財。
昭和10年に架設された馬淵川に架かる県
境の橋で、道路橋としては極めて珍しいト
レッスル橋脚を有する。東北の大動脈国
道4号として長く活躍し、現在も歩道として
通行可。橋長189m。土木学会の選奨土木
遺産。
浄屋は、「講」といわれる信仰的な行事や
寄り合いで集まる建物のこと。以前はこの
地方の多くの集落にあったが、今はほとん
どが失われた。市指定文化財。
幕末、吉田松陰の後継者と目されていた
小倉鯤堂が当地に身を寄せ、士族の青年
をあつめて会輔社をつくった。2千余冊の
蔵書を備えた稲荷文庫と相まって青森、
秋田方面からも多くの志ある若者が集い、
当地は東北の鹿児島と称された。
陸羽街道には明治18年に最初の青岩橋
が架けられたが流失。永久橋として設計さ
れた本橋は昭和10年に架設され国道4号
となった。昭和45年旧道化。現在、日本最
長のトレッスル橋である。
128 (h)景観・ 岩手県 二戸市・青森 青岩橋
県三戸町
生活様式
等
129 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
八幡平市
土沢の浄屋
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
日鉄鉱業株式会社が昭和26年に釜石鉱 釜石市甲子町第1地 文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
業所の事務所として建設。その後、子会 割90番地2
社として引き継いだ釜石鉱山株式会社が
il.do?heritageId=284579‎
平成19年まで使用した。現在は釜石市に
寄贈されている。
黒沢家は大正から昭和にかけて木材商と 二戸市福岡字中町6 文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
して栄えた。貴重な銘木を利用した住宅で 他
あり、かつ大正期の建物が保存状態を
il.do?heritageId=143588
保ったまま、まとまっていることが評価され
ている。
二戸市福岡五日町
29
二戸市商工会公式サイト
http://www.shokokai.com/ninohe
/kankou/kunohejyou/rekisi.html
岩手県二戸市~青
森県三戸町
土木学会公式サイト
http://committees.jsce.or.jp/heri
tage/node/422
岩手山の「お山かけ」は男性の行事で、出 西根寺田土沢地区
発する1週間前から女性の入らない風呂 内
で身を清め、白装束を着て浄屋にこもる。
帰ってから再び浄屋に入り最後の禊をし
て解散した。
八幡平市鹿角街道WEB
http://www.hachimantaishibunka.net/archives/338
【h 景観・生活様式】 124/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
130 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
八幡平市
131 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
奥州市
徳水園の円筒分水
132 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
奥州市
胆沢平野の散居集落風景
133 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
奥州市
旧後藤家住宅
134 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
奥州市
太田家住宅 (太幸邸)
135 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
奥州市
正法寺 本堂・庫裏・惣門
136 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
奥州市
日高神社 本殿
137 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
奥州市
旧高橋家住宅
138 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
奥州市
瑞山神社 (祖霊社)
139 (h)景観・ 岩手県
生活様式
140 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
奥州市
奥州市
松尾鉱山 松が丘アパート
跡
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
昭和30年頃には約1.3万人が暮らした、コ
ンクリートの社宅群「松が丘アパート」を中
心とする鉱山都市が、閉山後標高1000m
の八幡平高原に廃墟となって残った。産
業遺産であると同時に、廃墟ファンの心も
掴み、全国から多くの観光客が訪れるよう
になった。
胆沢平野の重要な農業用水路である二つ
の堰に一定の水を分水するため、昭和32
年に建築された円筒分水。周辺は両用水
路開削の先覚者を顕彰する公園「徳水
園」として整備されている。農業土木の遺
産である。
広大な胆沢扇状地には典型的な散居集
落が展開しており、離れて建つ各屋敷の
周囲に「エグネ」と呼ばれる防風林や、エ
グネの下に薪を高く積み上げた「キズマ」
など、独特の景観を有する。富山県の砺
波平野、島根県の出雲平野と並んで、日
本三大散居集落とされる。
元禄年間(1688~73年)の建築と推定され
る直屋形式の農家建築。屋内は薄暗く、
多くの柱が立ち並ぶなど、古い形態を留め
ている。現在地に移設のうえ展示されてい
る。国指定重要文化財。
明治1600坪の広大な敷地に、主屋と炊き
場、前座敷、土蔵、門、塀、庭園が配さ
れ、明治期富裕層の屋敷構成をよく残す。
現住の家屋である。県指定有形文化財。
松尾鉱山は、大正3年に本格操業を開始。 八幡平市緑ヶ丘
最盛期の昭和30年頃には硫黄採掘量年
間100万トンを誇る東洋一の大規模鉱山
になった。約1.3万人が暮らす「雲上の楽
園」と言われるほどの都市を形成したが、
硫黄価格暴落により昭和47年閉山。
いわての文化情報大事典
http://www.bunka.pref.iwate.jp/re
kishi/kouzan/
茂井羅堰と寿安堰は、同じ胆沢川から取 奥州市胆沢区若柳
水しており、近接しているため、受益農民 字上土橋
は400年もの間、血を流すほどの水争いを
繰り返してきた。これを解決するために、
円筒分水が建設された。
奥州市観光情報公式サイト
http://www.city.oshu.iwate.jp/ka
nko/view.rbz?nd=400&ik=1&pnp=
397&pnp=400&cd=1586
散居は、たんぼや畑のなかに家屋がポツ 奥州市胆沢区
ンポツンと離れて建つ集落で、日本の農
村の原風景と考えられている。胆沢扇状
地の場合、水が得られる場所や、火災の
類を防ぐ社会的要因から散居の景観を示
すものと考えられている。
奥州市観光情報公式サイト
http://www.city.oshu.iwate.jp/ka
nko/view.rbz?nd=400&ik=1&pnp=
397&pnp=400&cd=1584
後藤家はこの地方の豪農であった。岩手 奥州市江刺区岩谷
県では曲家形式が一般的だが、当時この 堂字向山
江刺地方は伊達藩に属していた為、その
影響で直屋になったと考えられている。
いわての旅
http://www.iwatetabi.jp/spot/det
ail/03215/117.html
この住宅は明治43年、県内有数の資産家 奥州市前沢町字七
であった太田幸五郎によって、凶作などに 日町
より疲弊した地域の救済事業(いわゆる
「お助け普請」)として建築されたとされる。
奥州市観光情報公式サイト
http://www.city.oshu.iwate.jp/ka
nko/view.rbz?nd=401&ik=1&pnp=
397&pnp=401&cd=1566
本堂は、仙台藩により江戸時代後期に再
建されたもので、入母屋造、茅葺き。茅葺
屋根は棟高約26メートル、勾配49度、面
積は720坪で日本一とされる。庫裏は江戸
時代後期の再建。惣門は寛文5年(1665
年)建立の四脚門で、これらは国指定重要
文化財。
本殿は、寛永9年(1632年)に伊達氏の家
臣で水沢館主であった留守宗利によって
建立されたと伝えられる。三間社流造。岩
手県下では江戸前期まで遡ることのでき
る数少ない神社本殿である。国指定重要
文化財。
明治期の素封家の豪華な屋敷で、明治21
年に建てられた主屋は、当時の上流階級
や文人たちに流行した「煎茶道」を主とす
る中国風の造りが特徴。高い装飾性と造
形美が目を引く。国指定重要文化財。
正法寺は、中世において曹洞宗第三の本 奥州市水沢区黒石
山として東北地方における曹洞宗の中心 町字正法寺129
的存在であったが、近世初期に幕府の政
策により寺格を失った。その後火災にも見
舞われたが、仙台藩の庇護により徐々に
再建された。
奥州市観光情報公式サイト
http://www.city.oshu.iwate.jp/ka
nko/view.rbz?nd=401&ik=1&pnp=
397&pnp=401&cd=1558
日高神社は、大同元年(806年)創建と伝
える古社で、北斗星の本地、妙見菩薩を
祀る宮として信仰を集め、古来「日高妙
見」の名で親しまれた。
奥州市水沢区日高
小路
いわての文化情報大事典
http://www.bunka.pref.iwate.jp/ci
ss/bunkazai/detail/id/33
高橋家は、第3代高橋萬右エ門が金融業 奥州市水沢区字大
などで財をなし、これを元に屋敷の建設に 畑小路6番地
着手。総工費は現在の価値に換算すると
約9億4300万円に上るという。
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=161424
瑞山神社は留守氏代々の祖霊社である。 奥州市水沢区日高
元々は留守氏が高森に城を構えていた
小路
時、初代からの霊を祀り保栄堂と称してい
たが、寛永6年(1629年)に水沢を所領す
る事になり、現在地に遷座した。
鎮守府八幡宮 本殿・拝殿
奥州市水沢区佐倉
河宮ノ内11
後藤新平旧宅 (武家住宅) 江戸中期の武家住宅で、寄棟、茅葺きで 後藤新平は安政4年(1857年)にこの家で 奥州市水沢区吉小
江戸中期頃の下級武士の住宅の姿を今 生まれ、関東大震災後には内務大臣や帝 路8-1
に残す。留守家の奥小姓であった後藤新 都復興院総裁として都市復興計画を立案
平の旧宅であり、現在の間取りは新平が したほか、鉄道院総裁や満鉄総裁などの
晩年になって改修したもの。県指定有形 要職についた。
文化財。
いわての文化情報大事典
http://www.bunka.pref.iwate.jp/ci
ss/bunkazai/detail/id/35
日高神社境内にある瑞山神社祖霊舎は、
寛永15年(1638年)に建造された留守伊
達宗利の霊廟。入母屋造、こけら葺、妻入
りの華麗な建築で、覆屋の中にある。県指
定有形文化財。
資料不足により情報収集不可
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
いわての旅
http://www.iwatetabi.jp/spot/det
ail/03215/191.html
【h 景観・生活様式】 125/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
141 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
奥州市
武家屋敷資料館
142 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
奥州市
旧岩谷堂共立病院
(明治記念館)
143 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
雫石町
小岩井農場
144 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
雫石町
橋場駅跡
145 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
岩手町
御堂観音
146 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
岩手町
秋浦浄屋
147 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
紫波町
平井邸
148 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
紫波町
武田家住宅
149 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
紫波町
旧紫波郡役所
150 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
西和賀町
151 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
金ヶ崎町
資源の概要
水沢の代表的な武家屋敷で、屋敷の間口
は16間、奥行は30間あり、東西をひば垣、
正面の板塀とするなど、武家屋敷らしく
凛々しいたたずまいを持つ。隣接して武家
住宅資料センターがあり、地域の資料を
展示。
明治7年に完成した擬洋風建築で、擬洋
風建築の代表的なものに数えられる。木
造4階建てで上部の楼閣と八角形の塔屋
が特徴。現在は明治記念館として、主に
医療や教育関係の資料を展示。県指定有
形文化財。
小岩井農場には明治末期から昭和初期
に建造された建築物が多くあり、現役で利
用されているものも少なくない。明治36年
建造の本部事務所や大正5年建造の四階
倉庫、昭和9年建造の一号牛舎など、9棟
が国の登録有形文化財に指定されてい
る。
昭和19年以来、一度も列車が来ていない
休止駅。既に線路も撤去されているが、
ホームやホームに登るための通路などが
現存しており、哀愁を漂わせている。観光
地ではなく駐車場もない。
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
慶応2年(1866年)に記された「水沢家中 奥州市水沢区吉小
家並覚牒」によると、この屋敷は、大番役・ 路43
内田勘之丞のもので、禄高は96石2升で
家中代2位であった。
奥州市観光情報公式サイト
https://www.city.oshu.iwate.jp/ka
nko/view.rbz?nd=402&ik=1&pnp=
397&pnp=402&cd=1548
明治7年の完成当初は岩谷堂共立病院で 奥州市江刺区岩谷
あったが、明治21年以降は裁判所、小学 堂字向山
校、女学校、農業試験場、町役場、市役所
など様々な公共施設として利用された。
いわての文化情報大事典
http://www.bunka.pref.iwate.jp/ci
ss/bunkazai/detail/id/3
小岩井農場は明治24年に創業された。西 岩手県岩手郡雫石
洋の大規模農場に範を取った近代農場と 町丸谷地36-1 ほ
して、事務所、倉庫、牛舎、サイロなどは か
西洋風の構造を採用している。中でも明
治40年に建造された1号サイロは煉瓦製
で、現存する日本最古のサイロである。
小岩井農場公式サイト
http://www.koiwai.co.jp/eco/arc
hives/culture/
橋場駅は大正11年に国鉄橋場線の終点 雫石町橋場
駅として開業。昭和19年に不要不急路線
として休止となる。戦後、橋場線は秋田県
へ向け建設再開となるが、その際は橋場
駅を通らないルートとなり、駅は休止のま
まとなる。現在の田沢湖線である。
新通法寺正覚院が正式名だが、俗に「御 境内には北上川の源泉である「弓弭の泉」 岩手町御堂第3地
堂観音」と呼ばれ地元に定着している。奥 が沸いており、源頼義、義家父子の伝説 割9
州街道に面して建ち、街道風景に情感を が伝えられている。清澄な泉である。
加える。町指定文化財。
古くから使われてきた浄屋で、幅三間、奥 浄屋に集まっての講中は150年ほど前か 岩手町川口秋浦
行き二間半、茅葺屋根の平屋。中央に炉 ら続けられ、毎月8日は8日精進といってお
が切られていて自炊、就寝するようになっ 篭りを行なった。また5月と11月の23日に
ている。現在も旧正月などに集まり、家内 は、23夜講を、年末には年越しを浄屋で
安全や豊作祈願が行なわれる。町指定文 行っていた。
化財。
大正時代に建築された町屋建築で、原敬 平井邸は、大正12年に衆議院議員を務め 紫波町日詰郡山駅
ゆかりの邸宅として知られる。原敬をもて ていた平井六右衛門が、当時の首相原敬 246
なした44畳の大広間など、贅を尽くした造 を接待するために建てた邸宅である。
り。毎月第3土曜日に一般公開。
廃線跡の記録(三才ムック
VOL.287)
明和3年(1766年)に建てられた上層農家
建築で、典型的な南部曲がり屋の一つ。
現住の家屋である。東日本大震災で土壁
が破損したが、「土壁プロジェクト」により
大勢の人の協力で修復された。町指定文
化財。
明治32年に建てられた洋風官衙建築。木
造2階で寄棟の建物。岩手県では数少な
い現存する郡役所である。
武田家は藩政時代に山守、用水の管理、 紫波町上松本境89
代々肝煎りを勤めた。母屋は明和3年
(1766年)、厩は翌年に建築された。座敷
の上手に立派な庭園を有し、家格の高い
家構えを示す。
盛岡タイムス
http://www.moriokatimes.com/news/2012/1206/25/
12062501.htm
旧紫波郡役所は明治32年に建てられ、大 紫波町日詰字西裏
正15年まで郡役所として使用されていた。 23-1
岩手県の町並みと歴史建築
http://www.iwatabi.net/morioka/
siwa/yakusyo.html
鷲之巣金山跡
平泉藤原氏の黄金文化を支えた鉱山群
の一つと伝えられる金山跡で、古代の金
山の多くで坑口が隠されている中、岩盤に
蜂の巣状に空けられた「たぬき掘」と呼ば
れる坑口跡を容易に見ることが出来る。
金色堂に代表される平泉の黄金文化を。 西和賀町鷲之巣
約100年もの間支えたおびただしい量の金
は、西和賀町内各地でも採掘され、秀衡
街道を通じて平泉へと運ばれていたとされ
る。
元気な西和賀どっとこむ
http://genkinishiwaga.com/archives/934
金ヶ崎町城内諏訪小路
金ヶ崎要害の武家町で、小路は鉤形や桝
形、弓形など城下町特有の形態を示す。
各屋敷はサワラヒバの生垣で区画され、
内側にはエグネと呼ぶスギの屋敷林が植
えられている。生垣と屋敷林の合間から武
家屋敷の大きな屋根が見える景観は、当
地方の武家地の典型的な姿を良く伝え
る。重要伝統的建造物群保存地区。
近世初期、伊達氏の家臣大町氏が居した 金ヶ崎町
金ケ崎要害を取り囲むように、金ヶ崎の町
割が行われた。北上川にそって武家地、
南北に走る奥州街道の南北両端に足軽
屋敷、中央部に町人地が形成された。
金ヶ崎町公式サイト
http://www.town.kanegasaki.iwat
e.jp/01town/04denken/frame.ht
ml
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
岩手町公式サイト
http://town.iwate.iwate.jp/acces
smap/midokannon/
岩手町公式サイト
http://town.iwate.iwate.jp/townin
fo/shiteibunkazai/
岩手日報
http://www.47news.jp/localnews
/iwate/2010/06/post_201006201
34636.html
【h 景観・生活様式】 126/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
152 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
平泉町
中尊寺
153 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
平泉町
白山神社 能舞台
154 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
平泉町
毛越寺・浄土庭園
155 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
住田町
世田米の倉並風景
156 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
住田町
栗木鉄山跡
157 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
住田町
満蔵寺
158 (h)景観・ 岩手県
生活様式
159 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
岩泉町
雄鹿戸隧道
田野畑村
机浜番屋群の景観
160 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
軽米町
玉川鉄山跡
161 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
一戸町
旧朴舘家住宅
162 (h)景観・ 岩手県
生活様式
等
一戸町
西方寺毘沙門堂 本堂
163 (h)景観・ 宮城県 仙台市青葉 大崎八幡宮 本殿・長床
生活様式
区
等
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
世界文化遺産にも登録されている中尊寺
には、数多くの文化財が所在および収蔵
されている。建造物としては国宝である金
色堂が第一である。これは奥州藤原氏初
代藤原清衡が天治元年(1124年)に建立
したもので、平等院鳳凰堂と共に平安時
代の浄土教建築の代表例とされる。国指
定重要文化財は金色堂覆堂、中尊寺経堂
などがある。
嘉永6年(1853年)に再建された現在の能
舞台は、東西に長い入母屋造、茅葺で、
西半を舞台、東半を楽屋とする。正統的か
つ本格的な規模と形式の舞台をはじめ、
橋掛、鏡の間、楽屋からなり、完備した構
成の近世能舞台遺構として東日本唯一。
国指定重要文化財。
毛越寺の庭園は、平安時代を代表する国
内有数の浄土式庭園で、平安時代に書か
れた日本最古の庭園書である作庭記に基
づいて作られた学術的にも貴重な庭園で
ある。境内は国の特別史跡、庭園は特別
名勝に指定されている。
古くからの宿場町で人の往来が多く、たび
たび火災に見舞われてきた世田米には、
財産を守るために建てられた土蔵群が町
の裏手に点在している。
江戸時代から明治期に建造された建設時
期の異なる複数の高炉や、製鉄関連施
設、製鉄に基盤を置く小集落の遺構が、
発掘調査などにより確認されている。県指
定史跡。
石門、楼門、山門が一直線に建っている
のが特徴で、中でも気仙大工が腕をふ
るって造った豪壮な山門が目をひく。本堂
は江戸末期の様式を有する。
資料不足により情報収集不可
中尊寺は、天台宗東北大本山の寺院で、 平泉町平泉衣関20 中尊寺公式サイト
寺伝では円仁の開山とされるが、12世紀 2
http://www.chusonji.or.jp/guide/
初頭に藤原清衡が建立した「多宝寺」が実
culturalassets/
質的な開基と考えられる。奥州藤原氏三
代ゆかりの寺として著名であり、平安時代
の美術、工芸、建築の粋を集めた金色堂
を始め、多くの文化財を有する。
番屋は、漁具の収納やワカメの乾燥作業
などに使われた小型の木像倉庫で、海岸
線に多くが立ち並ぶ景観は地域のシンボ
ルであった。平成18 年水産庁の「未来に
残したい漁業漁村歴史文化財百選」選
出。東日本大震災の津波で流失し、復活
プロジェクトが進行中。
遺跡は極めて大規模なものであり、その
全貌は明らかにはなっていないが、高殿
の製鉄炉跡(基部のみ遺存)、フイゴ座、
湯溜跡等が発見されている。本県の製鉄
発展を伺い知る貴重な遺跡。県指定史
跡。
奥州街道沿いの山間部に所在する江戸
時代末期に建てられた大型民家で、接客
空間が充実するなど南部藩領における上
層民家の特徴をよく示す。寄棟造り萱葺
き。国指定重要文化財。
江戸時代初期に建造された本堂は3間堂
で、県北部では天台寺につぐ古い建物とし
て知られる。県指定有形文化財。
田野畑の沿岸は魚類やアワビなどの好漁 田野畑村机
場で、机浜番屋群は昭和8年の三陸大津
波の後に建てられた25棟で構成されてい
た震災の津波で全棟が流失してしまった
ため、番屋22棟を再建する計画である。
田野畑村公式サイト
http://www.vill.tanohata.iwate.jp/
banya/
玉川鉄山は江戸時代後期に「大野六カ鉄
山」として知られる八戸藩の鉄山の一つ。
昭和60年からの発掘調査によって、たたら
の高殿(吹屋)等が検出され、製鉄の遺構
が初めて明らかにされ、ここが史実の玉川
鉄山であることが確認された。
朴舘家の由来や歴史は定かではないが、
大正頃までは山林500町歩、田畑20町歩
もある大名主であったといわれ、常時10人
前後の人が働き、大家族制に対応した大
型住宅であった。
西方寺毘沙門堂は、大同2年(807年)坂
上田村麻呂の建立と伝えられる。現在の
お堂は寛文3年(1663年)に建立された。
軽米町小軽米町
いわての文化情報大事典
http://www.bunka.pref.iwate.jp/ci
ss/bunkazai/detail/id/189
一戸町小鳥谷字朴
舘20番地1
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=241383
一戸町西法寺字西
法寺
本殿は権現造り、桃山様式の建築物で、
総漆塗り、極彩色、飾金具など、極めて豪
華な意匠が良く残されており、国宝に指定
されている。また、長床は貞享3年(1686)
以前の建築で国指定重要文化財である。
大崎八幡宮は慶長12年(1607年)に伊達 仙台市青葉区八幡
政宗によって造営された。現在まで存続し 4−6−1
ている本殿は、国内でも有数の格式と古
式を持つものである。
一戸町公式サイト
http://www.town.ichinohe.iwate.j
p/goshono/siteiitiran/saihoji/sai
houji.htm
大崎八幡宮公式サイト
http://www.oosakihachiman.or.jp/
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
白山神社は中尊寺鎮守のひとつで、境内 平泉町平泉衣関17 文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
の北方にある。白山神社の神事能は、中 3
尊寺一山の僧侶が伝習して今日まで連綿
il.do?heritageId=186086
と行われている。現存する能舞台は、嘉永
2年(1849年)の焼失後、同6年に竣工した
もの。
毛越寺は「吾妻鏡」によると、慈覚大師円 平泉町平泉大沢58 毛越寺公式サイト
仁が開山し、主に藤原氏二代基衡、三代
http://www.motsuji.or.jp/
秀衡が再興した。なお、同寺は中尊寺とと
もに、「平泉・仏国土(浄土)を表す建築・
庭園及び考古学的遺跡群」の一部として
世界文化遺産に登録されている。
伊達藩120余の宿場町の中でも、世田米 住田町世田米
住田町公式サイト
は盛街道の主要な駅として大変賑わっ
http://www.town.sumita.iwate.jp/
た。
kanko/shiseki/siseki02.html#NO1
4
江戸時代末期の慶応3年(1867年)、伊達 住田町世田米字子 住田町商工会公式サイト
藩士の三浦乾也は藩の命により洋式高炉 飼沢
http://www.sumitaを築いた。明治時代は官営となって、南部
sci.com/guide-kuriki.html
鉄器の原料を水沢、羽田に運んだ。大正
11年閉山。
住田町は気仙大工の発祥の地といわれ 住田町世田米本町 住田町商工会公式サイト
る。山門は元治元年(1864年)に気仙大区 29
http://www.sumitaの松田大五郎が棟梁で建てた三間一戸
sci.com/guide-manzouji.html
の楼門である。
【h 景観・生活様式】 127/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
164 (h)景観・ 宮城県 仙台市青葉 東照宮 鳥居・随身門・本
生活様式
区
殿・唐門 ほか
等
165 (h)景観・ 宮城県 仙台市青葉 三居沢発電所
生活様式
区
等
166 (h)景観・ 宮城県 仙台市青葉 旧仙台城門 区
(宮城県知事公館正門)
生活様式
等
資源の概要
本殿は入母屋造銅瓦葺きで、工芸の粋を
結集した極めて華麗な建造物である。また
石鳥居は伊達忠宗公が承応3年(1654年)
に奉納したものである。これらに加え、随
身門、唐門と透塀などが、国指定重要文
化財。
明治41年に竣工した水車発電機室は木造
平屋建、下見板貼の建屋で、寄棟屋根の
中央部を一段高く上げた切妻屋根と平の
面の全面明り取り窓が特徴。国内有数の
歴史を誇る発電所建築。国の登録有形文
化財。
宮城県知事公館の正門は、仙台城の寅の
門を大正時代にに旧日本陸軍第二師団
長官舎の正門として移築したものといわれ
る。切妻造本瓦葺の四脚門である。県指
定文化財。
大願寺山門は、江戸時代前期に建築され
た、一間一戸、本瓦葺の向唐門である。
仙台市指定文化財。
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
伊達忠宗の願い出により、慶安2年(1649 仙台市青葉区東照
年)8月から工事をはじめ、承応3年(1654 宮一丁目6-1
年)に完成した。以来、伊達家の守護神と
して祀られ、仙台藩の手厚い保護を受け
た。
宮城の旅
http://miyagitabi.com/aobaku/to
ushouguu/
明治21年、三居沢にあった宮城紡績会社 仙台市荒巻字三居
が、日本で最初の水力発電による電灯の 沢16
灯りを点した。その後公営の電力事業に
移り、現在は東北電力のもとで最大出力
1000kWの運転を続けている。
産業技術遺産探訪
http://www.gijyutu.com/ooki/tan
ken/tanken2003/sankyozawa/sa
nkyozawa.htm
仙台城は青葉城とも呼ばれ、慶長6年
(1601年)に伊達政宗が築造してから、明
治3年の廃城まで約270年に渡り伊達氏
代々の居城であり、仙台藩の政庁であっ
た。国の史跡。
167 (h)景観・ 宮城県 仙台市青葉 旧万寿院殿霊屋門 (大願
もとは仙台藩四代伊達綱村夫人・仙姫こと
生活様式
区
寺山門)
萬寿院の廟の霊屋門として、宝永6年
等
(1706年)頃までに建てられたと考えらてい
る。
168 (h)景観・ 宮城県 仙台市青葉 庄子屋醤油店 店舗及び住 昭和前期に建てられた店舗住宅で、木造 庄子屋醤油店は仙台味噌醸造元で、昭和
生活様式
区
宅
2階建、切妻造の店舗の背後に、平屋建、 11年に現在の店舗を建築した。
等
寄棟造の住居部が付く。仙台旧市街でも
多くみられたセガイ造りの商家建築の型
式である。国の登録有形文化財。
169 (h)景観・ 宮城県 仙台市青葉 旧石垣家住宅
19世紀初期に建てられたと推定されてい 石垣家は幕末期には村肝入を、明治には
生活様式
区
る農家建築で、萱葺の直屋造り。屋根上 郷六・愛子地域の初代戸長をした名家の
等
部に煙り出しが付いているのが特徴。大 家柄。
倉ふるさとセンターに移築保存されてい
る。市指定文化財。
170 (h)景観・ 宮城県 仙台市青葉 瑞鳳殿 (経ヶ峯伊達家墓
経ケ峯にある伊達家の霊廟で、瑞鳳殿
仙台藩初代藩主・伊達政宗は、生前に自
生活様式
区
所)
(藩祖政宗廟)、感仙殿(二代忠宗廟)、善 らの遺骸を仙台城下町南西縁にある経ケ
等
応殿(三代綱宗廟)などからなる。国宝で 峯に葬ることを遺言し、1636年(寛永13
あった瑞鳳殿をはじめ昭和20年の仙台空 年)に没した。2代藩主忠宗は遺言に従
襲で焼失したが、廟墓としての姿はなおよ い、翌年、経ケ峯の東の峰に正面が仙台
く保持されており、石段、石垣、土塁など 城本丸を向くように霊屋を建立して「瑞鳳
優れた土木技術が見られる。仙台市指定 殿」と命名した。
史跡。
171 (h)景観・ 宮城県 仙台市青葉 霊屋橋
昭和10年に完成した、わが国では最初期 明治初年に最初の木橋(有料)がかけら
生活様式
区
に属する鉄筋コンクリート造りアーチ橋。 れた。以来数度架け替えがあり、大正4年
等
瑞鳳殿そばの広瀬川に架かる。橋長65.2 に越路橋から霊屋橋と名を改めた。現在
m。現在も車道として使われている。
の橋は昭和10年に初の永久橋として架設
された。
仙台城下建設とともに慶長6年(1601年)、
昭和13年に完成した鉄筋コンクリートの
172 (h)景観・ 宮城県 仙台市青葉 大橋 (仙台橋)
区
アーチ橋で、仙台城下と仙台城を結ぶ位 大手門と城下を結ぶ仙台橋(大橋)が架け
生活様式
られた。この橋は元和3年(1617年)に流出
置に架かる。近世以前から大橋と呼ば
等
れ、何度も架け替えられたがこの名は受 するが、大正時代に下流で発掘され、仙
け継がれてきた。仙台市を代表する橋で 台市指定文化財として保存されている。
ある。
仙台市青葉区広瀬
町5-43
仙台市公式サイト
http://www.city.sendai.jp/kyouiku
/bunkazai/database/c000000003
9.html
仙台市青葉区新坂
町7-1
仙台市公式サイト
http://www.city.sendai.jp/kyouiku
/bunkazai/database/c000000007
5.html
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=181903
仙台市青葉区八幡
町4-222
仙台市青葉区大倉
字若林14-2
大倉ふるさとセンター
http://www.greenlife.or.jp/equipm
ent/index.html
仙台市青葉区霊屋
下135 ほか
仙台市公式サイト
http://www.city.sendai.jp/kyouiku
/bunkazai/database/k000000016
1.html
仙台市青葉区霊屋
下
新・仙台の魅力発見12の散策
コース
http://www.stcb.or.jp/sansaku/c
ourse04/page01.htm
仙台市青葉区桜ケ
岡公園
土木学会橋梁史年表
http://library.jsce.or.jp/cgihbr/namazu.cgi?reference=off&id
xname=h_bridge&max=20&sort=fi
eld%3Asubject%3Aascending&que
ry=%C2%E7%B6%B6+and+%B9%AD
%C0%A5%C0%EE
宮城県公式サイト
http://www.pref.miyagi.jp/site/sit
ei/20itagura.html
173 (h)景観・ 宮城県 仙台市宮城 旧仙台城板倉
野区
生活様式
等
もとは仙台城内にあった板倉を移築したも
ので、江戸時代後期を降らない建築。仙
台城関係の数少ない遺構の一つとして貴
重である。未公開。県指定有形文化財。
明治初年に大宮家が払下げを受けて自邸 仙台市宮城野区岩
に移築したものを、昭和3年に日野氏がこ 切
れを買受け、現在地に再移築して穀倉とし
て利用してきた。
174 (h)景観・ 宮城県 仙台市宮城 旧第四連隊兵舎
生活様式
野区
(仙台市歴史民俗資料館)
等
明治7年に建築された、宮城県内に現存
する最古の洋風建築。木造2階建て、寄
棟、瓦葺で外壁は白漆喰の大壁。和洋折
衷。仙台市歴史民俗資料館として活用。
市指定有形文化財。
明治7年に帝国陸軍第四連隊兵舎として 仙台市宮城野区五
建築され、戦後は米軍の駐留地、東北管 輪1丁目3−7
区警察学校と変遷し、昭和52年に建築当
初の姿に復元して現在地に移築した。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
仙台市公式サイト
http://www.city.sendai.jp/kyouiku
/bunkazai/database/c000000006
8.html
【h 景観・生活様式】 128/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
所在地
情報源・取材元
175 (h)景観・ 宮城県 仙台市若林 陸奥国分寺 薬師堂
生活様式
区
等
陸奥国分寺は、聖武天皇の発願によって 仙台市若林区木ノ
建立された全国の国分寺の一つで、奈良 下3丁目8−1
時代の740年代頃に創建。室町時代には
衰微したが、伊達政宗により再興された。
薬師堂は、政宗が泉州の工匠・駿河守宗
次等を招いて再建したもの。
宮城県公式サイト
http://www.pref.miyagi.jp/site/sit
ei/08kokubunji.html
176
白山神社は陸奥国分寺創建時に守護神 仙台市若林区木ノ
として祀られたと伝える神社である。後に 下3丁目9-1
国分氏の氏神として再興され、さらに伊達
家に引き続き深く尊崇された。
宮城県公式サイト
http://www.pref.miyagi.jp/site/sit
ei/03hakusan.html
仙台藩藩校養賢堂は元文元年(1736年) 仙台市若林区南鍛
に5代藩主・伊達吉村が藩の子弟を教育 冶町100
するために開設。幕末には額兵隊の宿舎
としても使用された。また明治新政府に接
収され、宮城県庁として使われたこともあ
る。
仙台市公式サイト
http://www.city.sendai.jp/kyouiku
/bunkazai/database/c000000007
6.html
門間箪笥店は明治4年に仙台藩の御用職 仙台市若林区南鍛
人であった門間民三郎によって創業され 冶町143
た、仙台箪笥の老舗である。
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=187310
177
178
179
慶長12年(1607年)に完成した方5間の薬
師堂は、簡潔・雄勁な構成美がみられる。
内部には宮殿形の厨子が安置され、厨子
は巧緻で豊かな装飾により燦然たる光彩
を放つ。大崎八幡宮社殿とともに、仙台市
における桃山建築の双璧である。県指定
重要文化財。
(h)景観・ 宮城県 仙台市若林 白山神社 本殿
寛永17年(1640年)に2代藩主伊達忠宗が
生活様式
区
再建した、一間社流造、こけら葺の本殿
等
は、破風板の流麗な曲線や古雅な懸魚の
美しさに江戸時代初期の優れた手法が見
られる。県指定有形文化財。
(h)景観・ 宮城県 仙台市若林 泰心院 山門 泰心院の山門は、もと仙台藩藩校養賢堂
区
(旧仙台藩藩校養賢堂正門) の正門であったものを、現在地に移築した
生活様式
等
ものである。文化14年(1817年)建造、一
間一戸、棧瓦葺、切妻造の四脚門であ
る。講堂などは昭和20年の戦災で焼失し
たため、この門が養賢堂の唯一の遺構で
ある。市指定文化財。
(h)景観・ 宮城県 仙台市若林 門間箪笥店 指物工房・塗り 門間箪笥店は仙台市街にある老舗箪笥
区
工房・板倉
生活様式
店で、昭和初期に建造された木造の指物
等
工房や塗り工房をはじめ、店舗、板倉など
が、街の古い景観を保つものとして、国の
登録有形文化財。
(h)景観・ 宮城県 仙台市太白 落合観音堂
寛永4年(1627年)に完成した本殿は、素
生活様式
区
木造で屋根は入母屋造、茅葺。江戸時代
等
初期の建築様式を良く残している。県指定
文化財。
歴史的価値・ストーリー
仙台市太白区四郎
丸字落合60
仙台市公式サイト
http://www.city.sendai.jp/kyouiku
/bunkazai/database/c000000003
6.html
仙台市太白区秋保
町馬場字駅
仙台市公式サイト
http://www.city.sendai.jp/kyouiku
/bunkazai/database/c000000007
9.html
181 (h)景観・ 宮城県 仙台市泉区 賀茂神社本殿
生活様式
等
賀茂神社本殿は、仙台藩4代藩主綱村が 仙台市泉区古内字
塩竃神社を改築する際に、境内にあった 糺1
糾の宮を現在地に移したものとされる。
182 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
石巻市
近代における東北三大地主として知られ 石巻市前谷地黒沢
る齋藤氏の第9代当主善右衛門有成によ 73
り、明治後期につくられた庭園である。
仙台市公式サイト
http://www.city.sendai.jp/kyouiku
/bunkazai/database/c000000003
5.html
宮城県公式サイト
http://www.pref.miyagi.jp/site/sit
ei/saitousiteien.html
183 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
石巻市
184 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
石巻市
185 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
石巻市
180 (h)景観・ 宮城県 仙台市太白 小滝沢橋
生活様式
区
等
落合観音堂は、はじめ太白区袋原にあっ
たが、寛永4年(1627年)に伊達政宗が落
合に移し、さらに昭和26年に現在地に移
転した。本尊は観世音菩薩で慈覚大師の
作といわれる。
昭和14年に建造された橋長20.8m、幅4. 材料には、近くから採掘された秋保地方
5mの石造アーチ橋。谷川に架かるアーチ の優良な凝灰岩が使用されている。 設計
は四季折々の風景にとても映え、旧道と 者は地元の佐藤清一で、地域が一丸と
なった現在も多くの人が訪れている。眼鏡 なって建設したエピソードが伝わってい
橋とも呼ばれている。市指定文化財。
る。
隣り合う下賀茂神社と上加茂神社の2棟
からなる。元禄9年(1696年)に建築された
本殿はいずれも一間社流造り。朱塗りで
ある。県指定文化財。
齊藤氏庭園 近代の庭園で、丘陵を背に建物を中心に
(宝ヶ峯縄文記念館)
置き周囲に平庭、園池を配す。斜面には
岩窟があり、ここから生じる湧泉を水源と
して使うなど、近代の庭園のうちでも特色
あるものとして価値が高い。宝ヶ峯縄文記
念館として公開されている。県指定名勝お
よび県指定文化財。
旧相川診療所
昭和36年に建造された木造平屋一部2階
建の診療所で、同型の休憩所をL字に接
続する。病院のへき地出張所としての形
態を伝える。現在は「みなし仮設住宅」とし
て利用。国の登録有形文化財。
旧石巻ハリストス正教会教 ギリシャ正教会の教会堂として明治13年
会堂
に建設されたビザンチン風の教会建築。
(聖使徒イオアン聖堂)
現存する木造教会堂建築としては日本最
古級とされる。東日本大震災の津波で2階
まで浸水し、流失は免れたが現在復旧作
業中。
慶長使節船サン・ファン・バ 伊達政宗が江戸時代初頭に建造した日本
ウティスタ復元船
初の日本製西洋型軍船を、当時の寸法図
(宮城県慶長使節船ミュージ をもとに平成4年に復元したもの。現在は
アム)
テーマパーク「宮城県慶長使節船ミュージ
アム」に係留・展示されている。
人口減少に伴う患者の減少などで平成20 石巻市石巻市北上
年に診療所の役目を終えた。東日本大震 町十三152-3
災の津波被害を免れ、住宅用に改装され
民間の「みなし仮設住宅」として活用され
ている。
明治13年に石巻市千石町に「聖使徒イオ 石巻市中瀬3番18号
アン聖堂」として建設された。昭和53年に
宮城県沖地震に被災し、現在地に移築復
元された。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=277790
仙台宮城観光キャンペーン推進
協議会
http://www.sendaimiyagidc.jp/sig
ht_pps/d_tourist.php?id=00000002
36
サン・ファン・バウティスタ号は、伊達政宗 石巻市渡波大森30 宮城県慶長使節船ミュージアム
が江戸時代初頭に建造したガレオン船
−2
http://www.santjuan.or.jp/
で、仙台領内に滞在していたスペイン人提
督セバスティアン・ビスカイノに協力させて
建造した。支倉常長ら慶長遣欧使節が使
用した。
【h 景観・生活様式】 129/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
186 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
石巻市
石井閘門
187 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
気仙沼市
煙雲館庭園
188 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
気仙沼市
角星店舗
189 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
気仙沼市
190 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
気仙沼市
191 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
気仙沼市
192 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
気仙沼市
193 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
白石市
194 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
白石市
195 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
白石市
196 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
白石市
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
北上川と野蒜築港を結ぶ北上運河の入り
口に設けられた、日本最古の単純合掌扉
を持つ煉瓦・石造り閘門。明治13年完成。
現在も北上運河の閘門として使用されて
いる。国指定重要文化財。
江戸時代初期の寛文年間(1661~73年)
に仙台藩茶道頭石州流二代目清水動閑
が作庭したとされる回遊式池泉庭園で、岩
井崎と大島を借景とし、岩出山の有備館
庭園と並び称される。市指定文化財。
明治11年起工、13年完成。閘門名は当時 石巻市水押三丁目6 貞山運河事典
http://www.teizanunga.com/Page
の土木局長石井省一郎にちなむ。明治初
期の国家的土木事業であった野蒜築港計
s/spot.aspx
画の重要なマイルストーンであったが、築
港自体はその後失敗した。
仙台藩伊達家御一家筆頭鮎貝家の庭園。 気仙沼市松崎片浜 気仙沼市公式サイト
鮎貝家は明治の国文学者で歌人の落合 197
http://www.city.kesennuma.lg.jp/
直文、実弟で朝鮮民俗学者でもある鮎貝
www/contents/1174018189670/
房之進(槐園)の生家である。
昭和5年に建築された酒造店の蔵店舗で
あったが、東日本大震災で店舗は流失し
た。背後の旧酒造工場は流失を免れてい
る。国の登録有形文化財。
小野寺家住宅 主屋・小家・ 主屋は明治38年頃に建築された木造平屋
板倉
建一部2階の農家住宅で、主要な各部屋
ともに広く天井が高く、全般的に大空間を
構成しているところに特徴がある。付属す
る小家、板倉とともに、国の登録有形文化
財。
旧月立小学校 校舎
大正11年に建造された横一文字型の木造
2階建校舎で、県内でも数少ない木造校
舎建築のひとつである。現在はコミュニ
ティセンターやボランティアの宿泊所として
活用。国の登録有形文化財。
補陀寺 六角堂
珍しい六角錐体の屋根を持つ堂で、内外
部朱塗で板天井に墨絵をえがく。宝暦12
年(1762)に気仙大工が建築したものとい
う。彼らの高度な技術を今に伝える。県指
定重要文化財。
宝鏡寺 楼門
江戸時代中期に建築された楼門は、8脚2
層で三間一戸の形式である。規模におい
ては県下随一の大楼門で、東北では弘前
の長勝寺山門に匹敵するといわれる。市
指定文化財。
片倉家中武家屋敷 旧小関 享保15年(1730)に建築された白石城下
家
の中流武家屋敷で、主屋は桁行7.5間、梁
行4.0間の直家で、土台のない石場建。屋
根は寄棟造、茅葺で裏手に櫛形の煙出し
破風を付ける。宮城県指定文化財。
昭和4年の気仙沼大火の後、市内に相次 気仙沼市魚町2-1-9 文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
いで建築された町屋建築のひとつで、気
仙大工の優れた技術によるものであった。
il.do?heritageId=179266
小野寺家は気仙沼市下八瀬に所在する
農家である。
気仙沼市字下八瀬
209
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=141548
大正11年に建築され、昭和16年に増築さ 気仙沼市塚沢72
れた。近年まで校舎として使われていた。
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=118897
六角堂は、平安末期に名取老女が奥州を 気仙沼市古町2丁
巡礼して創建した33箇所の観音堂の一つ 目2−51
という謂われがある。
宮城県公式サイト
http://www.pref.miyagi.jp/site/sit
ei/14hodaji.html
宝鏡寺の記録に、宝暦年間(1751~64年) 気仙沼市川原崎31 気仙沼市公式サイト
に十八世貴峰聖胤和尚の頃の建物と伝え
http://www.city.kesennuma.lg.jp/
る。
www/contents/1174005767058/
白石城下の武家屋敷地である後小路は、 白石市西益岡町6
白石城北、三の丸外堀にあたる沢端川に -52
面した町並みで、現在も静かな住宅地と
なっている。屋敷は平成3年に創建当時の
姿に復原されている。
旧上戸沢検断屋敷 木村家 上戸沢に所在した旧検断屋敷木村家の主 上戸沢は江戸時代の山中七ヶ宿通(羽州
住宅
屋で、江戸時代には上戸沢宿の中心的な 街道)の宿場で、奥羽13名の大名が往来
機能を果たしていた。江戸中期頃の建築 した。木村家は代々、上戸沢宿の検断役
と推測される。現在は移設されて当初の を勤めた家である。本陣に準ずる宿泊、休
形に復元、公開されている。県指定有形 憩所としての役割のほか、伝馬問屋の仕
文化財。
事も兼ねた。
旧刈田病院 本館
明治15年に建築されたルネサンス風の木 明治15年に宮城病院白石分院本館として
造建築。洋式建築の病院本館としては県 建築された。昭和29年からは中央公民
内最古である。市有形
館、図書館として活用された。
文化財だが、解体のうえ保存されており、
見学出来ない。
壽丸屋敷
明治中期に建てられた豪商の町屋建築 壽丸屋敷は店蔵が明治中期ごろ、母屋・
で、店蔵は煉瓦2階建て切妻平入り。内部 金庫蔵が大正12年、門が明治の終わり、
の居住区も良く保存されてる。また、敷地 もしくは大正初期につくられ、のちに修復
内に洋風の文庫蔵を建てるなど洋風の要 された。江戸東京文化圏に属する豪商に
素を積極的に取り入れている。現在はイベ 見られる典型的な建物とされる。
ント会場などまちづくりの拠点の1つとして
活用。
白石市公式サイト
http://www.city.shiroishi.miyagi.jp
/section/conedu/bunkazai/bukeyashiki.html
白石市小原上台地
内
白石市公式サイト
http://www.city.shiroishi.miyagi.jp
/welcome/guide/015.html
白石市亘理町
白石市公式サイト
http://www.city.shiroishi.miyagi.jp
/section/conedu/bunkazai/kattabyouin.html
白石市中町48-53
仙台宮城観光キャンペーン推進
協議会
http://www.sendaimiyagidc.jp/sig
ht_pps/d_tourist.php?id=00000006
28
【h 景観・生活様式】 130/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
197 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
名取市
旧中澤家住宅
198 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
名取市
洞口家住宅
199 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
名取市
熊野神社 本殿
200 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
名取市
耕龍寺 山門
201 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
角田市
高蔵寺 阿弥陀堂
202 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
角田市
旧佐藤家住宅
203 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
多賀城市
山王・南宮の板倉がある景
観
204 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
東松島市
野蒜築港跡
205 (h)景観・ 宮城県 岩沼市・仙台 貞山運河 (貞山堀)
生活様式
市・塩竃市 等
ほか
206 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
岩沼市
八島本陣の櫓門
資源の概要
18世紀中頃に建築されたとみられる中型
の農家家屋。田の字型の四部屋と土間か
らなる間取りで、この型は名取市とその周
辺に多い。土間には太い丸太状の柱が立
ち、旧仙台藩領の民家の特色を示してい
る。県指定重要文化財。
宝暦年間(1751~64年)の祈祷札の存在か
らして江戸時代中期以前の建築と考えら
れる大型の農家建築である。屋敷林と堀
に囲まれた広大な屋敷で、環濠集落の典
型的な遺例とされる。県指定重要文化財。
歴史的価値・ストーリー
所在地
中沢家は愛島塩手に近世初頭より移り住 名取市手倉田字山
んだ旧家と伝えられるが、由緒は明らかで 216番地93
ない。建築年代は18世紀中頃のものと推
測されている。昭和51年に移築された。
名取平野の水田地帯にあって、宅地面積
1500坪、周囲は幅3mの堀と、いぐね(防
風林)に囲まれ、「館屋敷」と呼ばれる旧家
である。一帯は屋敷林の地割が残され、
近世農村社会の環濠集落の姿を留めてい
る。
本殿は、拝殿の北側に南面して建つ3棟 保安4年(1123年)、紀州の熊野神社を模
の建物で、中央に証誠殿、右側に那智飛 して勧請した名取熊野三社の一つで、熊
龍権現社、左側に十二社権現社がある。 野新宮社として創建。以来、東北地方にお
いずれも江戸時代初期に建築されたとい ける熊野信仰の中心地として隆盛を誇っ
われ、当地における熊野信仰の有り様を た。
知る上でも貴重な建造物である。県指定
有形文化財。
山門は伊達藩家老片倉家の居城であった 耕龍寺の創建は応仁元年(1467年)、伊
白石城の門の一つを明治の初め頃に移 達家11代持宗が開基したと伝えられ、寺
築したもので、移築の際に両妻を一間切 の墓地の片隅に持宗公とその夫人の供養
詰めたと伝えられる。総ケヤキの素木造 塔といわれる小さな2基の五輪塔がひっそ
で、県内に残る城門のうち最も広壮なもの りと並んでいる。
とされる。市指定有形文化財。
情報源・取材元
宮城県公式サイト
http://www.pref.miyagi.jp/site/sit
ei/15nakazawa.html
名取市大曲字中小
路26番地
宮城県公式サイト
http://www.pref.miyagi.jp/site/sit
ei/12horaguti.html
名取市高舘熊野堂
字岩口上51
名取市公式サイト
http://www.city.natori.miyagi.jp/s
oshiki/kyouiku/bunka/annai/nod
e_1784/node_1461/node_1647
名取市増田字北谷
157
名取市公式サイト
http://www.city.natori.miyagi.jp/s
oshiki/kyouiku/bunka/annai/nod
e_1784/node_1461/node_1665
阿弥陀堂は治承元年(1177年)の建立と伝
えられ、全国で26か所(東北では3ヶ所)し
か残っていない平安時代の建造物の1つ
である。平泉建築の流れを組む。国指定重
要文化財。
18世紀中~後半の建設と推定される農家
家屋。直屋で屋根は寄棟造、茅葺である。
仙台領内中農家(本百姓)の家屋の典型
とされる。国指定重要文化財。
高蔵寺は弘仁10年(819年)に徳一上人が 角田市高倉字寺前
創建したと伝えられる。阿弥陀堂は治承元 49番
年(1177年)に飛騨工の手で造立された。
角田市公式サイト
http://www.city.kakuda.miyagi.jp/
syoko/page00110.shtml
天井は煙出しのためと藩の禁止令のため 角田市高倉字寺前
に設けられず、太い荒けずりの柱は「鳥居 50番
建」という古式の構造で、木材の曲りを巧
妙に利用した柱や梁からなっている。
宮城県公式サイト
http://www.pref.miyagi.jp/soshiki
/oksgsin-e/cultural-asset-0202.html
多賀城市西部にある山王・南宮地区の塩
釜街道沿いの集落には、江戸時代から昭
和の初めごろに建てられた板倉が数多く
立ち並んでおり、その佇まいは歴史的風
景を醸し出しており貴重な文化遺産となっ
ている。
明治11年から17年にかけて、鳴瀬川、吉
田川河口に建設が進められた大規模港湾
の跡地。外港を作り、河口に市街地を造
成、北上川と松島湾を運河で結ぶという壮
大な計画であった。明治17年に中止され
たが、煉瓦造りの護岸や水門の跡など多
くの遺構が残る。野蒜築港資料室で様々
な資料を展示している。
仙台藩が江戸時代初期に仙台米を水上
輸送するために仙台湾沿いに阿武隈川河
口の荒浜から、松島湾の塩釜まで建設し
た、全長31.5kmの運河。日本有数の近代
運河であり、これは明治の野蒜築港計画
で再利用された。
この板倉は、繁柱板倉と呼ばれるもので、 多賀城市山王・南宮 多賀城市観光協会サイト
http://www.tagakan.jp/category/
断熱性、機密性に富んでいるのが特徴で
detail.php?id=46
ある。
明治政府が内務卿・大久保利通のもとに 東松島市野蒜字下
立案した土木7大プロジェクトは東日本の 沼1
開発を主眼としており、中核に東北の国際
港となる野蒜築港があった。明治11年か
らオランダ人技師ファン・ドールンの手で
設計・着工されたが、明治17年の台風で
外港が破壊され計画は中止された。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
東松島タウンガイド
http://www.higamatu.miyagifsci.or.jp/sts/nobiru_tiko.html
工事は初代藩主政宗の1597年から始ま 岩沼市・仙台市・塩 名取市公式サイト
り、4代藩主綱村の1661年までの64年間 竃市 ほか
http://www.city.natori.miyagi.jp/s
にわたって続けられた。また、最終的な完
oshiki/kyouiku/bunka/annai/nod
成は明治22年である。当初は木曳堀と呼
e_1793/node_1794/node_1919
ばれたが、明治時代に政宗の追号・貞山
にちなみ貞山堀と呼ばれるようになった。
奥州街道岩沼宿の本陣と南町検断屋敷を 南町検断屋敷は北町、中町と同様に藩の 岩沼市中央2丁目
兼ねていた八島家の櫓門である。江戸時 費用で設置されたもので、治安、交通運
代中期頃の建物といわれる。市指定文化 搬、鉄砲鑑札等を担っていた。
財。
岩沼市公式サイト
http://www.city.iwanuma.miyagi.j
p/kakuka/030200/030201/tyuusi
nsigaiti.html
【h 景観・生活様式】 131/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
207 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
岩沼市
竹駒神社 楼門(随身門) ・ 随身門は彫刻・意匠等に優れた重厚な二
向唐門
階門で、文化9 年(1812年)の建築であ
る。 向唐門は、向唐門として県下最大級
で、天保13年(1842年)の建築である。 市
指定文化財。
承和9年(842年)に小倉百人一首で有名 岩沼市稲荷町1-1
な後の参議小野篁卿が陸奥守として着任
した際に、奥州鎮護を祈願して創建した。
古くは平泉藤原三代、藩政期には伊達家
歴代の手厚い庇護を受けた。日本三稲荷
のひとつに数えられる。
旧登米高等尋常小学校 校 明治21年に建築された学校建築。木造2 ウィーン万国博覧会(1873年)に参加し日 登米市登米町寺池
舎
階建、素木造、瓦葺屋根造り。正面校舎 本館を建設した山添喜三郎建築技師の設 桜小路6
(教育資料館)
中央1階にはギリシャ風のペディメントをつ 計による。100年を経た今日まで寸分の
けた擬洋風建築で、随所に明治の学校建 狂いも生じないため、建築界の話題となっ
築の特色を残す。現在は教育資料館とし た。
て利用されている。国指定重要文化財。
覚乗寺高台院霊屋 江戸時代初期に建造された桃山式の霊屋 登米伊達家四代宗倫仙台二代藩主忠宗 登米市登米町寺池
(天山公廟)
で、松島の円通院にある三慧殿とともに秀 の五男)の廟所で、寛文12年(1672年)に 上町35番地
建立された。
作といわれる。県指定重要文化財。
208 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
登米市
209 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
登米市
210 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
登米市
華足寺 客殿・山門
客殿は桁行8間・梁間5間、単層入母屋造
り桟瓦葺である。山門は正面3間・側面4
間、重層、入母屋造本瓦葺で屋根に蟠龍
をのせる。いずれも江戸時代中期の上等
な建造物である。県指定有形文化財。
華足寺は征夷代将軍坂上田村麻呂が大 登米市東和町米川
同2年(807)に敵、味方の戦争犠牲者の迷 小山下2
魂を鎮撫するために建立したとされる。ま
た、馬の霊場としては日本最古と伝えられ
る。
211 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
登米市
旧登米警察署庁舎
(警察資料館)
212 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
登米市
旧水沢県庁舎 (水沢県庁記念館)
213 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
登米市
旧鈴木家住宅
(春蘭亭)
214 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
登米市
六角堂
215 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
登米市
不老仙館
216 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
登米市
香林寺 山門
登米市中心部の登米町には、警察資料館
のほかに水沢県庁記念館や教育資料館
など、明治期の建築物が多く残されてお
り、「みやぎの明治村」のキャッチフレーズ
で活用している。
明治4年に宮城県の北部を管轄する地域
を登米県と称し登米に県庁舎を建設した
が、実際には岩手県南部を所管する水沢
県の県庁舎として明治8年まで使用され
た。その後は小学校や裁判所などとしても
使われている。
登米伊達藩初代藩主の相模宗直が慶長9
年(1604年)に水沢城から登米に移る際、
共に移住した鈴木家の屋敷である。現在
の屋敷は天保10年以降(1839年)に建て
られたとされる。
奥州三十三観音の一つである興福寺の一
画にあり、興福寺の観音堂が再建される
のに先立ち、明治17年に建築された仏堂
である。
もとは狼河原村にあった豪農畠山家の邸
宅で、嘉永5年(1852年)には伊達家13代
慶邦が宿泊したという。明治39年に現在
地へ移設され別荘として使われていたが、
昭和56年に民俗資料館として公開され
た。
香林寺は、戦国大名葛西氏の支館の一つ
である月輪館を治めていた月輪六郎・七
郎兄弟の菩提寺として天正12年(1584年)
に建築された。
217 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
栗原市
仙台藩花山村寒湯番所跡
明治22年から昭和43年まで登米警察署と
して使われていた擬洋風の木造2階建て
建築で、現在は明治の警察署を再現し、
様々な装備を展示する警察資料館として
利用されている。
明治8年に建築され県庁として使われた和
洋折衷平屋建ての建築物で、県内の官公
所建築として最古に属する。現在は水沢
県庁記念館として、当時の行政や裁判所
の風景を再現している。市指定重要文化
財。
近世の武家屋敷であるが、「直ご家形式」
と呼ばれる珍しい構造を特徴とする。現在
は囲炉裏を囲んで喫茶を楽しめる施設
「春欄茶」として活用されている。市指定文
化財。
明治17年に建築された木造2階建で六角
柱形の仏堂で、2階にベランダがあるなど
洋風を加味している点が珍しい。市指定
文化財。
江戸末期に建築された木造二階建ての書
院造り家屋で、内部には武者隠しの部屋
が残されており、茶室や句碑がある庭園
が風情を誘う。現在は民俗資料館「不老
仙館」として利用されている。市指定文化
財。
山門は、室町時代後期の天文9年(1540
年)に月輪館の東門として建築されたもの
である。山門の裏側には月輪氏の家紋で
ある二つ葉柏の彫刻を見る事が出来る。
県内でも有数の古建築。県指定重要文化
財。
近世に秋田へと通じていた子安街道の関
所跡で、役宅と門が現存する。現在の四
脚門は安政頃(1854~1860年)に改築さ
れたもので、伊達家の紋が揚げられてい
る。役宅では民俗資料などを展示。国の
史跡。
情報源・取材元
岩沼市公式サイト
http://www.city.iwanuma.miyagi.j
p/kakuka/050300/050302/siteiitiran.html
宮城の旅
http://miyagitabi.com/tome/kyou
iku/
登米市公式サイト
http://www.city.tome.miyagi.jp/h
urusatolib/aruki/toyoma/toyoma
02.html
宮城県公式サイト
http://www.pref.miyagi.jp/soshiki
/bunkazai/31kesokuji.html
登米市登米町寺池
中町3番地
宮城の旅
http://miyagitabi.com/tome/tom
ekeisatusyo/
登米市登米町寺池
桜小路1番地の5
宮城の旅
http://miyagitabi.com/tome/mizu
sawakenntyou/
登米市登米町寺池
桜小路79
登米市公式サイト
http://www.city.tome.miyagi.jp/h
urusatolib/aruki/toyoma/toyoma
04.html
登米市南方町本郷
大嶽18番地
登米市公式サイト
http://www.city.tome.miyagi.jp/h
urusatolib/aruki/minamikata/min
amikata04.html
登米市公式サイト
http://www.city.tome.miyagi.jp/h
urusatolib/aruki/towa/towa04.ht
ml
登米市東和町米谷
字秈荷65番地
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
登米市豊里町杢沢
87番地
登米市公式サイト
http://www.city.tome.miyagi.jp/h
urusatolib/aruki/toyosato/toyosa
to04.html
番所の起源は永禄9年(1566年)といわれ 栗原市花山字本沢
ている。慶長13年(1608年)にこの地が仙 北ノ前77番地
台領になってから、木戸門・役宅などが建
てられて、御境目番所となった。
宮城の旅
http://miyagitabi.com/kurihara/h
anayamaban/
【h 景観・生活様式】 132/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
218 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
栗原市
旧佐藤家住宅
(孤雲屋敷)
219 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
栗原市
金成ハリストス正教会
(聖使徒イオアン聖堂)
220 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
栗原市
旧有壁宿本陣
221 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
栗原市
細倉鉱山関連施設
222 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
栗原市
貨物駅プラットフォーム跡
(くりはら田園鉄道跡)
223 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
栗原市
西山の棚田風景
224 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
大崎市
旧有備館及び庭園
225 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
大崎市
石雲寺 茂庭家霊屋
226 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
大崎市
須江家住宅
227 (h)景観・ 宮城県
生活様式
228 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
大崎市
祇劫寺 本堂
資料不足により情報収集不可
大崎市
古川八百屋市
古川町割以来の歴史を誇る市で、三日
町、七日町、十日町の地名が町内に残
る。現在も3と7の日に町内前田町の熊野
神社境内で盛大に開市される。
大崎市
桃源院 山門
資料不足により情報収集不可
229 (h)景観・ 宮城県
生活様式
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
江戸時代中期の建築と見られる大型上層
民家で、木造平屋建ての片入母屋造り。
幕末の剣豪千葉周作にゆかりがあり、現
在は移設のうえ「孤雲屋敷」として剣豪ゆ
かりの品々を展示している。市指定有形
文化財。
昭和9年に完成したビザンチン式教会で、
高さ17mの鐘楼がシンボル。この地方の
キリスト教信仰の歴史を記録したものであ
り貴重である。冬期間のライトアップも人
気。市指定有形文化財。
孤雲屋敷は花山村字草木沢小田に所在 栗原市花山字草木
した旧佐藤家住宅を移築したもので、7代 沢箕ノ口
目当主の重太郎は、後に幕末の剣豪とし
て知られる事になる千葉周作の剣士とし
ての天分を認めた人といわれる。
延享元年(1744年)に改築された奥州街道
有壁宿の本陣建物。入口には上客のみが
通行出来る御成門。建物は東北地方では
極めて例が少ない書院造りである。邸内
には多くの歴史資料も残されている。国の
史跡。東日本大震災の復旧工事で現在は
観覧出来ない。
1200年の歴史をもつといわれる細倉鉱山
は、主に鉛と亜鉛を産出した。昭和62年に
閉山し、一部の坑道が細倉マインパーク
(観光坑道)として公開されているほか、近
世から現代までの様々な鉱業施設が残
る。
昭和17年に建設されたくりはら田園鉄道
(当時の栗原電鉄)の終着駅で、鉱石や製
品、コークスなどが積みおろされた。現在
も線路の一部が残り、プラットフォームは
倉庫として使用されている。
栗駒山のふもとにある西山地区では、北
上川の支流の二迫川、三迫川の美しい水
が流れ、美しい景観・多様な動植物の生
息空間である棚田を積極的に維持・保全
していることから、日本棚田百選に認定さ
れている。
元禄5年(1692年)に藩の学問所として建
築された平屋建て茅葺き寄棟造の建物
で、日本最古の学校建築といわれる。庭
園は正徳5年(1715年)に仙台の茶人・清
水道竿が造った池泉回遊式の庭園で、東
北地方では数少ない本格的な大名庭園。
国の史跡および名勝。
伊達家の重臣であった茂庭家の廟で、素
木造方3間、屋根は宝形造茅葺、白壁と床
のウグイス張りが特徴。年2回ご開帳。県
指定有形文化財。
仙台藩士須江家の武家住宅で、主屋は石
場建の木造平屋建。創建年代は18世紀後
半以前とみられる。県指定有形文化財。
仙台藩主伊達政宗が元和5年(1619年)に 栗原市金成有壁本
奥州街道の有壁宿に設けた本陣で、奥州 町31
街道を通行する多くの藩の参勤交代や領
内巡視の宿泊所となった。現在の建物は
江戸中期に再建されたもの。
栗原市公式サイト
http://www.kuriharacity.jp/index.
cfm/12,669,80,html
細倉鉱山とくりはら田園鉄道は、どちらも 栗原市鶯沢南郷柳
栗原地方の産業、経済、文化の発展を支 沢
えてきた歴史遺産であり、「細倉鉱山関連
遺産」として、近代化産業遺産に認定され
ている。
栗原市公式サイト
http://www.kuriharacity.jp/index.
cfm/12,0,63,193,html
くりはら田園鉄道は、大正7年の設立以
栗原市鶯沢南郷柳
来、主に細倉鉱山の鉱石・製品等や乗客 沢
を輸送し、鉱山と関連の深い産業鉄道とし
て発展した。平成19年廃止。
栗原市公式サイト
http://www.kuriharacity.jp/index.
cfm/12,373,63,193,html
明治から昭和20年頃までに開発された、
おおよそ30枚の棚田が耕作されている。
社団法人農村環境整備センター
http://www.acres.or.jp/Acres200
30602/tanada/100selectmap/miy
agi.html
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
栗原市公式サイト
http://www.kuriharacity.jp/index.
cfm/12,5405,80,html
慶応4年(1868年)に金成の医師酒井篤礼 栗原市金成上町30 宮城の旅
が土佐の藩士澤辺琢磨らと共に函館で聖
http://miyagitabi.com/kurihara/k
ニコライから洗礼を受け、明治8年に仮会
annarikyoukai/
堂を建てたのが始まりといわれる。現聖堂
は昭和9年の建立である。
栗原市栗駒松倉西
山
元禄4年(1691年)に岩出山伊達家3代敏 大崎市岩出山上川
親が武士の子弟を教育するための学問所 原町6
「春学館」を開設し、翌年今の場所へ移築
されて有備館と改められた。
宮城の旅
http://miyagitabi.com/oosaki/yu
ubikan/
石雲寺は伊達家の重臣であった茂庭家の 大崎市松山千石字
菩提寺で、廟は宝永5年(1708年)に完成 大欅91
したものと推測されている。
大崎市公式サイト
http://www.city.osaki.miyagi.jp/g
uest/kanko/shiseki/02.html
現存するものが少ない在郷藩士住宅の存 大崎市岩出山上野
在は貴重である。
目
宮城県公式サイト
http://www.pref.miyagi.jp/site/sit
ei/38sueke.html
戦国時代末期、伊達政宗に古川城を任さ 大崎市古川前田町
れた鈴木和泉元信は、戦乱で疲れきった
住民に安住の地を与えるため古川の町割
を行い、慶長9年(1604年)から経済の安
定のため市を許可した。
大崎市公式サイト
http://www.city.osaki.miyagi.jp/d
ay/201104/v-event01.html
【h 景観・生活様式】 133/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
230 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
大崎市
旧千葉家住宅 (凛菜上の
家)
明治21年に建築された上層農家の家屋
で、現在は囲炉裏を囲んで手作りのお膳
を楽しめる農家レストラン「四季の里 凛
菜・上の家」として活用されている。
旧千葉家は江戸時代には肝煎に次ぐ有
力農家で、当時は後方の一段高い所に
建っていたので「上の家」と呼ばれてい
た。
大崎市岩出山下野
目字山際32
大崎市公式サイト
http://www.city.osaki.miyagi.jp/g
uest/kanko/bussan/04.html
231 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
大崎市
松山人車軌道 復元車両
大正から昭和初期に松山の街を走ってい
た人車軌道の車両が、大崎市松山ふるさ
と歴史館と大崎市松山酒ミュージアムに1
両ずつ展示されている。鉄道の原点ともい
える貴重な遺産である。市指定文化財。
松山人車軌道は、松山町(現大崎市)に
あった人車軌道(人を動力とする軌道)
で、大正11年から昭和3年まで金谷~千
石間2.5kmで軌道営業を行っていた。
大崎市松山千石
大崎市公式サイト
http://www.city.osaki.miyagi.jp/p
eople/kurashi/manabu/manabu0
2/03.html
232 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
蔵王町
我妻家住宅 板蔵・前蔵・主 宝暦3年(1753年)に建てられた肝煎りの
屋・文庫蔵
住宅で、主屋を中心に敷地内の蔵や門な
どの一式が現存しており貴重である。国の
登録有形文化財。東日本大震災に被災
し、平成26年4月まで公開停止。
我妻家は鎌倉時代から代々続く旧家で、 蔵王町曲竹字薬師
江戸時代には肝入も勤めた。また戦国末 前4
期から江戸初期にかけて刈田嶺神社の神
職を兼ねたことから、「ねぎ屋敷」とも言わ
れている。
蔵王町観光協会サイト
http://www.zao-machi.com/490
233 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
蔵王町
刈田嶺神社 本殿・拝殿・随
身門
刈田嶺神社は白石城主片倉家の祈願神 蔵王町宮字馬場1
社として信仰されるとともに、刈田郡総鎮
守として人々の崇敬を集めた。仙南一帯
に広まる白鳥信仰の中心地でもあり、本
殿裏は白鳥を葬る墓域とされる。
蔵王町の歴史と文化財公式サイ
ト
http://www.dokitan.com/course/
02/02.html
234 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
蔵王町
疣岩円形分水工
地元民の事前協議のもと、水争いを未然 蔵王町円田字棚村
に防いだ円形分水工は、人々の知恵が生
んだ貴重な土木遺産とされる。
水土里ネットみやぎ
http://www.mlw.or.jp/features/di
verted_water/
235 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
七ヶ宿町
安藤家本陣
安藤家は、天保期(1829~48年)以降に本 七ヶ宿町滑津
陣をつとめ、諸大名、幕府及び藩役人が
宿泊・休息し、また、当時の肝入検断・問
屋も兼ねた家柄。
七ヶ宿町公式サイト
http://www.town.shichikashuku.m
iyagi.jp/sightseeing/view/andouk
e.html
236 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
七ヶ宿町
東光寺 山門
本殿は享保3年(1718年)に白石城主片倉
家が、拝殿・随身門は文政12年(1827年)
に宮宿の商人がそれぞれ寄進したもの。
本殿は江戸時代中期の建築的特徴を有
し、県指定文化財。拝殿、随身門は町指
定文化財。
昭和6年に建造された、2つの灌漑用水に
水を一定分配するための施設。コンクリー
ト製の円形分水工であり、円周の長さが
3:7 になるように仕切りを取り付けられて
いる。現役の施設である。選奨土木遺産
指定。
羽州街道(七ヶ宿街道)滑津宿の本陣建
物で、切妻破風の玄関と重量感のある茅
葺き屋根を持つ。屋根軒上に置かれた「く
らけ」はこの地域の特徴とされる。内部非
公開。
萱葺き屋根、切妻造の山門は、薬医門形
式で、江戸時代中期の建築とされる。町指
定文化財。
東光寺は、室町時代の開山と伝えられ、
伊達家9代政宗夫妻の位牌を安置してお
り、仙台藩から庇護を受けた。
七ヶ宿町字壇前2
237 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
七ヶ宿町
浪花講・真誠講の看板
(水と歴史の館)
238 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
村田町
願勝寺 山門
村田城は、中世から築かれた平山城で、
本丸は城趾公園として整備されている。
村田町大字村田字
東102
239 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
村田町
旧田山家住宅
山門は村田城の大手門で、芝田文乃丞常
春が貞享年間(1684~87年)に建てたもの
とされる。明治維新後に移築された。薬医
門形式。町指定文化財。
江戸時代後期に建てられた武家屋敷で、
主屋は木造平屋建て、寄棟、鉄板葺き。
町指定文化財。
村田城下に残る唯一の武家屋敷とされ
る。
村田町大字村田字
西66
240 (h)景観・ 宮城県
生活様式
241 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
村田町
旧八巻家住宅
資料不足により情報収集不可
村田町
姥ヶ懐民話の里
江戸時代に建築された茅葺き屋根の農家
建築で、現在は「姥ヶ懐民話の里」に移設
され、民話伝承館として活用されている。
町指定文化財。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
七ヶ宿町公式サイト
http://www.town.shichikashuku.m
iyagi.jp/sightseeing/view/toukoji.
html
宿場の営みをしていた当時、宿屋「米沢 浪花講は文化元年(1804年)大坂の商人 七ケ宿町字上野8-1 七ヶ宿町公式サイト
http://www.town.shichikashuku.m
屋」を営み、浪花講・真誠講に加入してい 松屋甚四郎の提唱した制度で、加入すれ
た鈴木家にあった看板。この看板は講に ば優良宿屋の証しと見られた。真誠講は、
iyagi.jp/sightseeing/culture/nani
加入していることを旅人に知らせるために 明治4年に内国通運会社が設立された当
wakou.html
軒下に掲げられていた。町指定有形民俗 時、貨物継立所の無い地域で旅館がこれ
文化財。
を兼務した事を示す看板である。
姥ヶ懐民話の里は道の駅を併設し、直径8 村田町大字小泉字
mと3.5mの夫婦水車がある。民話伝承館 肬石2
で民話を聞き、水車で挽いたそば粉で手
打ちそばを味わうことができる。
村田町公式サイト
http://www.town.murata.miyagi.jp
/sangyoshinko/kankoannai/kanko
shisetsu/ganshoji.html
村田町公式サイト
http://www.town.murata.miyagi.jp
/miraikan/bunkazai/bunkazai.htm
l
宮城県公式サイト
http://www.pref.miyagi.jp/soshiki
/noenkan/cyokubaijyo-nminnwanosato.html
【h 景観・生活様式】 134/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
麹屋は原田家・柴田家・伊達家に仕えた 柴田町船岡西1丁
御用商人で、大正時代まで醸造業を営ん 目3-2
でいた。山本周五郎の小説「樅ノ木は残っ
た」に登場する麹屋又左ェ門の家のモ
チーフである。
情報源・取材元
242 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
柴田町
麹屋コレクション
仙台藩内の典型的な町屋建築。黒板塀に
囲まれた敷地の中央にある店蔵は土蔵2
階建て。現在は「麹屋コレクション」として
内部公開し、江戸時代の古美術品や仙台
藩に伝わる関係資料などを展示。
243 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
川崎町
青根御殿 (不忘閣)
青根温泉の不忘閣は、伊達藩唯一の御殿 青根温泉は享禄元年(1528年)に伊達家
湯で青根御殿と呼ばれていた。5代藩主吉 の保養所として開湯されたという。
村以降の詳しい入浴日記が残る。御殿は
明治期の火災で焼失するが、昭和7年に
復元。現在は資料館となっている。
244 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
丸森町
齋理屋敷 (蔵の郷土館)
245 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
丸森町
沢尻の棚田風景
齋理屋敷は近世以来の豪商である齋藤
家の屋敷を改装した博物館で、往時の居
宅と蔵、石造りの浴室などが立ち並ぶ。店
蔵は嘉永元年(1848年)に建てられた屋敷
内で最古の建物である。国の登録有形文
化財。
阿武隈川に面した急斜面に開墾された水
田であり、水田の持つ保水機能により大き
な被害を未然に防止している。石垣等の
人工美が周辺の山々にとけ込み、優雅な
景観をなしている。日本の棚田百選。
246 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
亘理町
老松永田醸造 店舗
亘理町中心部にある醸造業の老舗で、明 永田家は文化12年(1815年)より味噌・醤 亘理町字上町31
治20年代に建築された通りに面する店舗 油、醸造業を始め、その他、酒の醸造業
は2階建、切妻造、瓦葺き。全体に重厚な や呉服業等を営む老舗である。
つくりである。国の登録有形文化財。
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=167892
247 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
亘理町
大雄寺 伊達成実公霊屋
亘理町観光協会公式サイト
http://www.datenawatari.jp/index
.php?id=7
松島町
瑞巌寺
伊達成実は伊達政宗の重臣で、仙台藩一
門第二席・亘理伊達氏の初代当主であ
る。正保3年(1646年)に死去し、大雄寺の
霊屋に葬られた。
瑞巌寺の創建は天長5年(828年)に慈覚大
師の開山とされ、当初は延福寺と呼ばれ
た。中世は奥州藤原氏の庇護をうけ、近
世には伊達家の菩提寺として奥羽屈指の
大寺院となった。松島の歴史景観を代表
する寺院である。
亘理郡亘理町泉ケ
入88
248 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
松島町松島字町内
91
瑞巌寺公式サイト
http://www.zuiganji.or.jp/html/en
kaku.html
249 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
松島町
五大堂
大雄寺は亘理伊達家の菩提寺で、境内に
は藩祖伊達成実の霊屋(県指定重要文化
財)をはじめ、亘理伊達家13代の領主・夫
人の墓所がある。
瑞巌寺は伊達家の菩提寺であり、伊達政
宗が慶長9年(1604年)から14年にかけ
て、諸国から130人以上の名工を集めて桃
山建築の粋を尽くした建築をした。本堂と
庫裏は国宝。御成門、太鼓塀、中門は国
指定重要文化財。総門は宮城県指定重要
文化財である。
透橋と呼ばれる隙間のある木橋で海を
渡った小島にある堂宇で、慶長9年(1604
年)に伊達政宗が再築した。方三間、単
層、屋根宝形造・本瓦葺きで、松島の代表
的景観を構成する。国指定重要文化財。
大同2年(807年)に坂上田村麻呂が松島 松島町松島字町内
の海の美しさに魅せられ、一小堂を置いた 111
といわれる。その後、延福寺(現瑞巌寺)
の開基にともない、五大明王像が安置さ
れて五大堂となった。
宮城の旅
http://miyagitabi.com/matusima/
godaidou/
250 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
松島町
観瀾亭
こけら葺きの京間18畳2室からなる近世の
秀麗な宿泊施設で、伊達家側室等の松島
遊覧、幕府巡見使等の巡視の際の宿泊、
接待用の施設「御仮屋」として利用されて
いた。県指定有形文化財。
観瀾亭は、もともと豊臣秀吉の伏見桃山 松島町松島字町内
城にあった茶室を政宗がもらい受けて江 56
戸の藩邸に移築していたものを。二代藩
主忠宗が1本1石も変えぬようにと命じ、海
路ここに移したと伝えられる。
松島観光協会公式サイト
http://www.matsushimakanko.com/miru/detail.php?id=14
4
251 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
松島町
日吉山王神社 本殿
252 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
松島町
陽徳院 霊屋
宝永8年(1711)に完成した社殿は三間社 延福寺(瑞巌寺)創建のとき、慈覚大師が 松島町松島
流造。素木造で舟肘木など簡素な和様風 近江の山王社の分霊をまつったものとい
の秀作とされる。県指定重要文化財。
われる。寛永17年(1640年)に現在の地に
移された。
伊達政宗側室愛姫を祀る霊廟で、万治3 陽徳院は、慶安2年(1649年)、伊達政宗 松島町松島
年(1660年)の建立。外部は黒漆塗とし、 の正室愛姫の菩提寺として、伊達忠宗が
軒まわりの要所を極彩色で引締める。大 瑞巌寺の住職雲居を招き開山した。
名家の霊廟として典型的かつ代表的な建
築物である。国指定重要文化財。
柴田郡川崎町青根
温泉
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
柴田町観光物産協会公式サイト
http://www.skbk.or.jp/spot/view
/kojiya.html
川崎町公式サイト
http://www.town.kawasaki.miyagi.
jp/18,604,64.html
齋藤理助が事業を始めたのは文化元年 丸森町字町西25
(1804年)で、呉服太物商を皮切りに養蚕
へと事業を広め、生糸の相場で財を成し
た。明治以降は醸造業や金融業を展開し
て、発電所も建設している。
丸森町公式サイト
http://www.town.marumori.miyagi
.jp/sightseeing/watching/sairi.ht
ml
戦国~江戸時代に開墾された土地で、昭 丸森町沢尻
和30年頃に再整備して耕作している。
社団法人農村環境整備センター
http://www.acres.or.jp/Acres200
30602/tanada/100selectmap/miy
agi.html
宮城県公式サイト
http://www.pref.miyagi.jp/site/sit
ei/16hiyosi.html
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=185497
【h 景観・生活様式】 135/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
253 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
松島町
水主衆民家
254 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
松島町
品井沼干拓関連施設
255 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
松島町
根廻トンネル
256 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
富谷町
内ケ崎酒造店
257 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
富谷町
258 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
加美町
259 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
加美町
260 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
涌谷町
261 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
涌谷町
262 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
涌谷町
西光寺 薬医門
263 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
女川町
江島の景観
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
仙台藩主などが松島遊覧の際に御座船を
操った水主衆の民家で、彼らの住居は藩
の定めにより、茅葺、寄棟造、表通りに面
して出格子と蔀戸を設け、冠木門等を構え
天井は上げなかった。現在は移設され、
甘味処「どんじき茶屋」として利用されてい
る。町指定文化財。
近世から明治、大正、昭和初期まで、連綿
と品井沼の干拓事業が行われ、現在は宮
城県を代表する美田となっている。中心的
施設である元禄潜穴、明治潜穴、吉田川
サイフォン、鳴瀬川吉田川背割堤などが、
「品井沼干拓関連施設」として土木学会選
奨土木遺産に指定されている。
水主町は瑞巌寺の東に隣接する一画で、 松島町松島字町内
仙台藩主などが松島遊覧の際の御座船を 89
操った水主衆が暮らしていた。往時には
48軒にものぼったが、
昭和51年に最後まで残った水主宮田金幸
の家屋を移築復元した。
松島町公式サイト
http://www.town.miyagimatsushima.lg.jp/index.cfm/9,184
8,55,143,html
松島湾の北側にかつて品井沼があり、元 松島町
禄6年(1693年)に伊達藩が干拓を始め
た。松島湾に通じる地下水路(元禄潜穴)
はこの時に建築された。さらに明治22年か
ら地元住民の手で3本の地下水路(明治
潜穴)が開削され、昭和初期までに一帯は
水害の危険の無い広大な美田となった。
土木学会公式サイト
http://committees.jsce.or.jp/heri
tage/node/63
明治23年に日本鉄道(東北本線)の鉄道ト
ンネルとして開削された全長168mの煉瓦
トンネルで、現在は道路として使われてい
る。明治初期の鉄道トンネルを直に触れる
事が出来る貴重な場所である。
東北鉄道は昭和31年に、路線の勾配を緩 松島町根廻字蒜沢
和して輸送力を増強するため、根廻トンネ
ル経由の「山線」から、海岸線を通る現在
の「海線」へ切り替えられた。
日本の近代土木遺産
http://www.jsce.or.jp/committee
/hsce/2800/list_whole%20%28280
0%29/05_miyagi.htm
奥州街道の富谷宿の老舗酒造店で、本陣
跡。門には造り酒屋のシンボルである杉
玉(酒林)が飾られ、土壁の蔵など、伝統
的景観が残る。
ふるさと物産奥州道中 冨谷 明治末期に呉服店として建築された土蔵
宿
で、現在は改築されて、まちの資料館・地
場産品販売所「冨谷宿」として利用されて
いる。
松本家住宅
江戸時代中期以前の侍屋敷で、主屋と土
間の二棟からなる。宮城県中部から北部
に分布する主屋と土間が分かれた家屋の
代表例である。国指定重要文化財。
創業は寛文元年(1661年)。内ヶ崎家の初
代・織部は宿場の発祥と発展に尽力した
人物で、酒造店は宿場の本陣跡としても
知られる。
天保14年(1843年)、富谷宿に創業。「冨
谷宿」の「冨」という字は、お店に伝わる資
料をもとに、宿場町時代の字を使用してい
る。
松本家は、仙台藩に属した奥山家の家老
を務めた家柄で、宝暦年間(1751~1764
年)、吉岡(現大和町)からこの地に転封さ
れたが、当時すでにこの住宅は建ってい
たといわれる。
旧高野家住宅 主屋 (農家 明治23年に建築された農家建築で、2階 旧高野家はもと福島県境に近い角田市高
民宿おりざの森)
建て、右面切妻造、左面寄棟造である。全 倉にあった農家で、近年移築され、民宿と
体に立ちが高く、養蚕農家の特徴を備え して使われている。
る。現在は農家民宿として活用されてい
る。国の登録有形文化財。
佐々木家住宅
近世の上級武士の住宅で、棟門、主屋、 佐々木家は涌谷伊達家の家中で、騎馬御
別棟の書院座敷、庭園、板蔵、厩舎から 免の家柄。3貫961文の知行をもつ上級家
なり、上級家中武士の屋敷構を良好に今 中であった。
日に伝えていて貴重である。町指定文有
形化財。
見龍院 霊屋 (見龍廟)
涌谷伊達家墓所で、中央正面に4代伊達 見龍寺は臨済宗の禅寺で、天正19年
安芸宗重公及び夫人の霊屋、後方に5代 (1591年)亘理重宗の再興。見龍廟は伊
以降歴代館主の墓が整然と並ぶ。寛文13 達安芸宗重公など歴代涌谷伊達家の墓
年(1673年)の古建築で、門前の石塔五重 所である。
塔、水盤、盟石とともに県重要文化財。
富谷町富谷町27
富谷町公式サイト
http://www.town.tomiya.miyagi.jp
/html/shuyu/index1.html
富谷町富谷字町34
富谷町公式サイト
http://www.town.tomiya.miyagi.jp
/html/shuyu/index1.html
加美町南小路11
宮城の旅
http://miyagitabi.com/kami/mats
umotoke/
加美町字中嶋南田
一番16-1・18-2
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=178806
涌谷町涌谷字黄金
迫
宮城県公式サイト
http://www.pref.miyagi.jp/soshiki
/nh-sgsin-e/wt-wakuya.html
涌谷町涌谷字竜渕
寺
宮城県公式サイト
http://www.pref.miyagi.jp/soshiki
/nh-sgsin-e/wt-wakuya.html
江戸時代中期の薬医門で、屋根は箱棟、 西光寺は、元禄12年(1699年)伊達騒動 涌谷町小里不動5
切妻破風造、萱葺きで規模が大きく、良材 (寛文事件)の後始末である小里谷地塚
を使用している。町指定文化財。
改正の時、仙台藩の関係役人たちの会議
所となったところ。
牡鹿半島東方の太平洋上に浮かぶ約5平 島には奥州藤原の家臣であった日詰五郎 女川町江島
方kmの孤島で、漁港背後の急斜面に民 が落ち延びたという伝承がある。江戸時代
家が密集し迷路のような歩道が巡る。ホタ は重罪人が流される流刑地であった。近
テ、ウニ、アワビなど豊かな漁業資源を支 年まで、頭に大きな荷物を載せた「陸前の
えに、島民約90人が結束して生きる。
大原女」が島の狭い坂道を行き交う風景
が見られた。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
涌谷町公式サイト
http://www.town.wakuya.miyagi.jp
/sangyo/kanko/mesho.html
日本の里100選
http://www.sato100.com/?page_i
d=97
【h 景観・生活様式】 136/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
264 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
南三陸町
松笠屋敷母屋
(ひころの里)
江戸後期の文化・文政期に建設された郷
士の住宅で、在郷武士住宅と農民住宅が
ひとつにまとまっている点で、建築史上貴
重な遺産である。現在は隣接する別宅とと
もに交流施設「ひろこの里」として利用され
ている。町指定有形文化財。
系譜によると、須藤家は平将門に代わっ 南三陸町入谷桜沢
て勢力を伸ばした平安中期の武将、藤原 442
秀郷を遠祖とし、中世にこの地方を治めた
葛西家の旧臣である。
南三陸町公式サイト
http://www.town.minamisanriku.
miyagi.jp/museum/future/article.
php?p=627
265 (h)景観・ 宮城県
生活様式
等
南三陸町
大雄寺 山門・鐘楼
鐘楼を含む山門は、宝暦元年(1751年)に
入谷の山内甚之丞によって寄進された。
鎌倉期の流れをくむ町内最古の建造物と
して町指定文化財であったが、東日本大
震災の津波で流失した。
大雄寺は平泉藤原秀衡の四男、本吉四郎 南三陸町志津川田
冠者高衡によって開基され、中世葛西時 尻畑
代にこの地を領した元良氏の菩提寺とし
て再興されたと伝えられる。
南三陸町公式サイト
http://www.town.minamisanriku.
miyagi.jp/museum/future/article.
php?p=626
266 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
秋田市
267 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
秋田市
268 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
秋田市
269 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
秋田市
270 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
秋田市
271 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
秋田市
272 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
秋田市
273 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
秋田市
274 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
秋田市
275 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
秋田市
旧秋田藩主佐竹氏別邸(如 秋田藩の迎賓館的役割を果たした大規模 如斯亭は、秋田藩3代藩主義処が下賜し
斯亭)庭園
な日本庭園で、旧秋田藩主佐竹氏のもの た土地に家臣が整備した別荘を起源とし、
として現存する唯一の庭園である。東北地 9代藩主義和の時代(1775~1815年)にほ
方の大名庭園や庭園文化を知る上で学術 ぼ現在の姿に庭園を整備し、当初は得月
上・芸術上の価値が高い。史跡名勝天然 亭と称された名を如斯亭と改めた。
記念物。
三浦家住宅 主屋 ほか
本住宅主屋は、東北地方最大規模の両中 三浦家は秋田安東氏の家臣の家柄で、藩
門造民家である。また幕末から昭和初期 政期には代々黒川村の肝煎を務めた。明
にかけて建築された米蔵や文庫蔵などの 治期には県内屈指の豪農として知られて
附属建物もよく残りる。国指定重要文化 いた。
財。
旧奈良家住宅 主屋 ほか 江戸時代中期の宝暦年間(1751~1763) この屋敷を建てた棟梁は土崎の間杉五郎
に建てられた典型的な両中門造りの農家 八で、3年の歳月と銀70貫(現在の約6000
建築の建物。秋田県立博物館分館として 万円)を費やしたと言われる。
公開されている。国の重要文化財指定。
旧黒沢家住宅 主屋 ほか
旧黒澤家住宅は、今から約300前に現在
の秋田市中通三丁目に建てられた上級武
家屋敷住宅。昭和63年に一つ森公園内に
移設されたが、ほぼ完全な形で残る。国
指定重要文化財。
本堂は規模が大きな茅葺の堂で、曹洞宗
本堂の特徴をもっている。また、山門は細
部に常陸地方の中世社寺建築の特徴が
見られる。国指定重要文化財。
藩政期の中通地区は三廓(さんのくるわ)
と呼ばれ、上級、一部中級の武家住宅を
配置し、久保田城の正面の守りとされてい
た。黒澤家は文政12年(1829年)から住居
した。
天徳寺 本堂・山門 ほか
天徳寺は秋田藩主佐竹氏の菩提寺で、曹
洞宗に属し、常陸佐竹氏の秋田転封にと
もなって、この地に移転した。境内の書院
は上段の間や茶室などを備え、藩主墓参
の際には休息所となった。
旧秋田銀行本店
明治45年に旧秋田銀行本店本館として建 秋田銀行の前身である第四十八銀行時
(秋田市立赤れんが郷土館) てられた煉瓦造2階建ての洋風建築物で、 代の本店として明治45年に建設され、昭
ルネサンス様式を基調とし、内装はバロッ 和46年まで銀行店舗として使われた。
ク様式を取り入れている。現在は「秋田市
立赤れんが郷土館」として利用されてい
る。国指定重要文化財。
藤倉ダム (藤倉水源地)
明治44年に完成した、東北地方では最も 明治44年完成、昭和48年取水停止。平成
古い上水道専用ダム。堤高16m余りの石 5年に、土木近代化遺産としては全国で初
造重力式コンクリートダム。約70年間秋田 めて国の重要文化財に指定された。大分
市民の水瓶として活躍した。国指定重要 県の白水ダム、愛知県の長篠堰堤ととも
文化財。
に、日本三大美堰堤と評される。
彌高神社 本殿・拝殿
久保田城内から移設された社殿は、秋田 本殿はもと久保田場内にあった正八幡社
藩の造営した数少ない神社建築として貴 で、文政2年(1819年)建造である。明治14
重なもの。千秋公園内にあるが、本殿は 年に秋田出身の国学者・平田篤胤を祀る
神域のため拝殿のみ見学可能。県指定有 彌高神社創建の際にその本殿となった。
形文化財。
旧大島商会店舗
明治34年に完成した秋田市最初期の煉瓦 高級雑貨等を販売した県内最初の百貨店
造建築。1階正面中央のアーチ型の広い として建設された、格式の高い建物。
出入口に特色がある。 国の登録有形文
化財。
旧秋田県販売購買組合連合 昭和9年に雄物川河口附近に完成した8棟 倉庫群は、旧秋田県販売購買組合連合会
会倉庫 (美術工芸短期大学 の大型木造平屋建倉庫群。現在は秋田公 (現秋田経済連)が昭和初期に建設。同14
立美術工芸短期大学の施設として活用さ 年に国立新屋倉庫となり、平成2年まで米
実習棟)
の需給倉庫として用いられていた。
れている。国の登録有形文化財
秋田市旭川南町
秋田県公式サイト
http://www.pref.akita.lg.jp/www/
contents/1170747238685/
秋田市金足黒川字
黒川178番
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=188206
秋田市金足小泉字
上前8
秋田県公式サイト
http://www.akitafan.com/sightse
eing/detail.html?data_id=1612
秋田市楢山字石塚
谷地297番地99
秋田市公式サイト
http://www.city.akita.akita.jp/Cit
y/ed/st/kurlosawa/default.htm
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
秋田市泉三嶽根10 文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
−1
il.do?heritageId=187993
秋田市大町三丁目3 文化遺産オンライン
番21号
http://bunka.nii.ac.jp/MuseumDe
tail.do?id=11881
秋田市山内
ダム便覧
http://damnet.or.jp/cgibin/binranA/SAll.cgi?db3=510
秋田市千秋公園
秋田県総合観光ガイド
http://www.akitafan.com/sightse
eing/detail.html?data_id=1474
秋田市大町6-5-7
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=181743
秋田市新屋大川町
12-3
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=114704
【h 景観・生活様式】 137/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
276 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
秋田市
森林鉄道保存車 (仁別森林博物館)
太平山麓の仁別国有林にある仁別森林
博物館は国内有数の林業に関する博物
館で、特にかつて秋田県に数多く存在した
森林鉄道に関係する資料が充実してい
る。館内外に森林鉄道で利用されたディー
ゼル機関車や蒸気機関車、客車、運材車
などが展示されている。
明治42年以降秋田駅東側の貯木場を起 秋田市仁別字務沢
点に旭川沿いの森林鉄道が開設され、日 国有林
本三大美林に数えられる秋田杉を仁別国
有林一帯から運び出した。山間の集落を
結ぶ貴重な交通手段としても活躍したが、
昭和40年代に廃止となり、仁別国有林内
「国民の森」に森林博物館が設立された。
仁別森林博物館公式サイト
http://www.rinya.maff.go.jp/tohok
u/introduction/gaiyou_kyoku/nib
etu/
277 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
能代市
浄明寺 山門
江戸時代初期の寛永11年(1634年)に建
造された山門は、薬医門として東北で2番
目に古いとされる。秋田県の指定有形文
化財。
能代市桧山字桧山
町40
秋田県総合観光ガイド
http://www.akitafan.com/sightse
eing/detail.html?data_id=1435
278 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
能代市
多宝院 本堂・鐘楼・山門
能代市檜山小間木
52
能代のあんない
http://www.city.noshiro.akita.jp/u
pload/download/102010download
.pdf
279 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
能代市
料亭金勇
全体的に江戸時代後期の曹洞宗寺院の
特色を良く残し、明和9年(1772年)建造の
本堂の他、山門や鐘楼が秋田県指定の重
要文化財となっている。また、庭園は京都
銀閣寺を模したといわれ、枝垂れさくらの
名所としても知られる。
昭和12年に完成した県内屈指の老舗料亭
金勇(かねゆう)の大規模和風建築。110
畳大の2階大広間はじめ、秋田杉の本場
能代を象徴する建物として広く知られてい
る。 国の登録有形文化財
浄明寺は安東氏ゆかりの寺で、永正年間
(1504~20年)に創建したとされる。以前
山門は桧山城の門を移設した物と伝えら
れていたため、「城下がりの門」とも呼ばれ
ていた。
多宝院は秋田藩主佐竹氏の一族で檜山
の「所預り」となった多賀谷氏の菩提寺。
寺は下総国下妻に延徳元年(1489)に創
建され、多賀谷氏と供に檜山へ移ってき
た。
280 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
能代市
喜久水酒造地下貯蔵研究所 明治33年に完成した秋田県最初期の鉄道
(トンネル貯蔵庫)
用煉瓦トンネル。明治鉄道トンネルの典型
的な坑門装飾を有する。洞内は年間を通
じて一定の温度であることから、現在は日
本酒の貯蔵庫として活用されている。見学
可(要予約)。国登録有形文化財。
281 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
能代市
能代市役所第一庁舎
市中心地に建つ鉄筋コンクリート造3階建 完成は昭和24年。設計およびデザイン
能代市上町1-3
の市役所庁舎。ラーメン構造を外観に現 は、建築構造力学の権威であった武藤清
す明快な立面構成で、寄棟屋根を架け
で、この点からも貴重とされる。
る、戦後復興期の庁舎建築の好例。
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=118694
282 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
能代市
風の松原
横手市
羽黒町武家屋敷通り
17世紀終わり頃に海岸林の植樹が提唱さ 能代市(海岸部一
れ、18世紀から延々と続けられてきた。
帯)
「虹の松原」「天橋立」「三保の松原」「気比
の松原」などと並び、日本五大松原の一つ
に数えられている。
横手城から見て横手川の内側が内町とし 横手市羽黒町
て武家町と町割りされ、羽黒町には上級
武士が配置されていた。しかし戊辰の役で
城と共に炎上し、内町は過半が焼失した。
能代市公式サイト
http://www.city.noshiro.akita.jp/c
.html?seq=1103
283 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
284 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
横手市
増田の内蔵のある町並み
皆瀬川と成瀬川が合流するところにある 横手市増田町増田
増田は、佐竹氏入部後の江戸時代以降に
河川交通の物資集散地として、商業活動
が盛んになった。現在の中町、七日町商
店街通りがその中心で、地域の要所を結
ぶ街道上に立地している。
横手市公式サイト
http://www.city.yokote.lg.jp/toku
setsu/masuda/
285 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
横手市
旧日新館
日本海の強風、飛砂、津波から能代の街
を守るクロマツの海岸砂防林。幅1km、総
延長14km、面積約760haに広がる700万
本もの松林は、日本一大きい松原とされ
る。
横手城下の武家屋敷街。黒塀や植栽など
のデザインが統一されており、武家屋敷街
としての趣きが出ている。特に秋の紅葉時
の彩りは格別で、横手の冬の代表的な行
事である「かまくら」の会場にもなってい
る。
増田の中心部にある中七日町通には、明
治前期から大正時代に建てられた140棟
あまりの町屋や土蔵(内蔵)が残る。内蔵
はこの地域の独特のもので、建物の中に
設けられた蔵。これは防犯や防雪に対す
る生活の知恵であった。重要伝統的建造
物群保存地区。
旧制横手中学校(現横手高校)の英語教
師として赴任してきたアメリカ人チャール
ス・C・チャンプリンの住居として、明治35
年に建てられた、素朴な木の味わいが美
しい木製の洋館。秋田県指定有形文化
財。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
能代市柳町13番8 文化遺産オンライン
金勇(かねゆう)は、初代金谷勇助氏に
よって明治23年に創業された老舗料亭。 号
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
現在の建物は2代目金谷勇助氏によって
il.do?heritageId=185540
昭和12年に建て替えられたものである。
明治33年に奥羽北線の鶴形駅・富根駅間 能代市字鳥屋場
に完成した第一鶴形隧道(全長93m)で、
線路変更後に残されたトンネルが、平成8
年から古酒貯蔵庫として活用されている。
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=114874
横手市公式サイト
http://www.city.yokote.lg.jp/kank
o/page300058.html
旧横手中学校嘱託英語教師として赴任し 横手市城南町7−1 横手市公式サイト
た米人宣教師は多数おり、マルチン・M・ス
http://www.city.yokote.lg.jp/kank
マイザ―は大正3年から昭和30年に亡くな
o/page300080.html
るまで住み続け、地域の人々に親しまれ
た。
【h 景観・生活様式】 138/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
286 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
横手市
287 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
横手市
288 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
横手市
289 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
横手市
290 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
横手市
291 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
大館市
292 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
大館市
293 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
大館市
294 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
大館市
295 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
大館市
296 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
男鹿市
赤神神社五社堂
297 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
男鹿市
真山神社五社殿
298 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
男鹿市
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
保呂羽山波宇志別神社神楽 神楽殿は本殿がある保呂羽山の東方4km 波宇志別神社神楽殿は天平宝字元年
殿
の位置にあり、太い円柱・舟肘木などの形 (757年)に保呂羽山の現在地に勧請され
式から室町時代後期の建築とされる。母 たといわれ、秋田県内にある式内社3社の
屋の前後に庇を延ばす両流造りは東北唯 ひとつ。現在も神楽殿では巫女舞の神事
一の貴重な建築物である。国の重要文化 が奉納されている。
財。
浅舞の御役屋門
江戸時代中期に改築された浅舞の郡奉行 寛政7年(1795年)秋田六郡に郡方を置
所(御役宅)の門。木造平屋、トタン葺きの き、その庁舎を御役屋と称した。浅舞の御
四脚門。昭和49年に現在地へ移転。横手 役屋には今泉三右衛門が郡奉行として着
市の指定文化財。
任し、寛政11年(1799年)に御役屋を改築
した。
十文字の旦那門
文化3年(1806年)に完成した薬医門形式 所有者の家系は在郷給人として士分格を
の壮大な門。1本のケヤキの木からすべて もつ「旦那」と呼ばれた家柄であり、人びと
の材料をとったという伝承がある。
は敬意をこめてこの門を「旦那門」と呼ん
でいる。
赤レンガ蔵 (赤川家住宅蔵) 明治18年に完成した、土蔵造2階建鉄板 県内のレンガ造りの建築物として有名な
葺の煉瓦作り住宅蔵。現在は多目的ホー 旧秋田銀行本店と同時期の建設物。明治
ル・ギャラリーなどを設置し、様々な催事 18年の建築で、明治後期に改造している。
が開催されている。
日の丸醸造本社
街道に面して建つ老舗酒造の店舗、住
「日の丸」は沓澤甚兵衛が元禄2年(1689
居、酒蔵などで、増田の伝統的商家の一 年)に創業した。大正2年(1913)年の日英
角を成す重要な景観を形成している。国 大博覧会で1等金牌を受賞。
登録有形文化財。
長走風穴 (風穴倉庫)
標高は160~180mほどだが、吹き出す冷 崩落した土砂が堆積して出来た天然の空
気のため周囲に高山植物が生育してい
洞に地中の冷気が滞留し、外部との僅か
る。長走風穴高山植物群落として国の天 な接点から冷気が流れ出ている。
然記念物に指定されている。かつては近
隣住民の冷蔵庫代わりに利用されてい
た。
北鹿ハリストス正教会聖堂 天井のドームに特徴がある、ビザンチン様 明治25年に建てられ、地域では曲田福音
式の小型木造教会建築。明治初期にキリ 聖堂として親しまれた。内部にある山下り
スト教の布教が既に地方へ波及していた んによる聖像画(イコン)も美術的評価が
ことを証明する文化的価値も高く評されて 高い。
いる。秋田県指定重要文化財。
長岐邸 武家門
明治期に建造された、総ケヤキ造りの大 明治の中期に扇田の地主として勢力を
規模な薬医門。正面扉は幅2間両開き、左 持っていた長岐家が造った門。秋田市の
右に3尺のくぐり戸を持つ。大館市指定文 旧佐竹侯別邸の門を模して建造したもの
化財。
とされる。
大館八幡神社
桃山式の遺風を有する彩色に特徴があ 大館初代城主小場義成は、宗家佐竹義宣
る、秋田県では数少ない17世紀に遡る数 の秋田転封の際随伴し、慶長15年に大館
少ない神社建築。かつては大館城内に祀 城に入った。八幡神社はその際城中に祀
られていた。国指定重要文化財。
られ、以後、城中及び大館16町の鎮守総
社として崇敬を受けてきた。
桜櫓館 (旧櫻場家住宅)
洋室を備えた木造2階建て和風住宅で、塔 大館町長を勤めた櫻場文蔵が昭和8年に
屋を持ち複雑な屋根をかけた特異な外観 建てたものである。
をもつ。国の登録有形文化財。
江戸時代中期に建造された五社堂で、同
形式の五棟の堂が並び建つ景観は壮観
である。各堂とも要所に精緻な彫刻を有す
る。国指定重要文化財。
江戸時代後期の建築と推定される入母屋
造の社殿。建物の内壁や柱には文化元年
(1804年)を最古とする多くの落書があり、
当時の信仰を知るうえで貴重な資料となっ
ている。国の有形文化財(建造物)。
男鹿半島の西端の本山は、赤神権現を信
仰する修験道場として開かれた。赤神神
社はこの一画をしめ、秋田藩主佐竹氏の
厚い保護を受けてきた。
かつては五社堂とも呼ばれ五つの社が
あったが、火災ですべて焼けてしまったた
め一つの社にしたと伝えられる。真山神社
はナマハゲゆかりの地としても知られる。
所在地
情報源・取材元
横手市大森町八沢
木字保呂羽山 1-1
横手市公式サイト
http://www.city.yokote.lg.jp/kank
o/page300079.html
横手市平鹿町浅舞
字浅舞
横手市公式サイト
http://www.city.yokote.lg.jp/kank
o/page300087.html
横手市十文字町鼎
字能平喜15番地
横手市公式サイト
http://www.city.yokote.lg.jp/kank
o/page300096.html
横手市大森町字大
森176
横手市公式サイト
http://www.city.yokote.lg.jp/kank
o/page300078.html
横手市増田町七日
町114-2
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=182503
大館市長走
大館市公式サイト
http://www.city.odate.akita.jp/dci
ty/sitemanager.nsf/doc/c02.html
大館市曲田80
秋田県総合観光ガイド
http://www.akitafan.com/sightse
eing/detail.html?data_id=1450
大館市比内町扇田
字上扇田79
大館市公式サイト
http://www.city.odate.akita.jp/dci
ty/sitemanager.nsf/doc/bukemo
n.html
大館市公式サイト
http://www.city.odate.akita.jp/dci
ty/sitemanager.nsf/doc/c01.html
大館市字八幡1番
地
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
大館市字中城12-2・ 文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
13-3・22-4
il.do?heritageId=166472
男鹿市船川港本山
門前
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=199089
北浦真山字水喰沢
97
男鹿市公式サイト
https://www.city.oga.akita.jp/inde
x.cfm/14,1433,52,165,html
増川八幡神社 内陣木造宮 神社内の宮殿は一間社で、全体の様式は 菅江真澄はその著書で、増川八幡神社に 船川港増川字宮ノ
殿
和様を基調としているが、細かい部分に禅 ついて、享徳4年(1455年)に安東氏によっ 下20
宗様をとり入れており、その特徴から室町 て建立されたと記している。
時代後期の建造と推定されている。県指
定有形文化財。
男鹿市公式サイト
http://www.city.oga.akita.jp/index
.cfm/14,1408,52,142,html
【h 景観・生活様式】 139/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
299 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
男鹿市
300 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
男鹿市
301 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
男鹿市
302 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
男鹿市
303 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
湯沢市
304 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
湯沢市
旧雄勝郡会議事堂
305 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
湯沢市
院内銀山跡
306 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
湯沢市
金山神社
307 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
湯沢市
山内家住宅
308 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
湯沢市
両関酒造 本館・蔵
309 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
湯沢市
310 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
311 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
旧男鹿市立加茂青砂小学校 昭和初期に建設された木造校舎。現在は
廃校となっているが、集落の歴史的景観
の核であり、ふるさと学習施設として活用
されている。国登録文化財。
加茂青砂小学校は、男鹿半島西岸の周辺
から隔絶した集落に明治9年開校し、現在
ある校舎は昭和3年に完成した。隣接する
屋内体操場は昭和26年の竣工である。平
成13年に廃校。
旧目黒家住宅 (男鹿真山 明治40年に完成した中門造の古民家。現 もとは近郊の目黒家住宅主屋として、明
伝承館)
在は移設のうえ「男鹿真山伝承館」とな
治40年に建築された。
り、公開活用されている。国の登録有形文
化財。
森長旅館 本館・離れ・土蔵 昭和9年に完成した木造2階建ての本館に 立地している船川港は古くからの海港とし
加え、離れや土蔵などが、市街地の景観 て栄えた場所で、その賑わいを今に伝え
を形成する建築物として国登録文化財に る建物である。
指定されている。現在も旅館として営業
中。
船川港第一船入場・第二船 間知石積み工法による、大正・昭和初期 船川港が外国貿易港へと踏み出す機能
入場防波堤
の技術の面影を留める防波堤。土木学会 強化の中で施工されたもので、大正3年に
推奨土木遺産。
完成した。主要な石材は近隣の寒風山か
ら切り出された。
岩崎八幡神社 本殿
本殿は18世紀末に造立された権現造りの 岩崎八幡神社は寛治元年(1087年)に源
一間社。力士像など、精緻な彫刻が随所 義家が創建したと伝えらる。本殿は寛政2
年(1790年)の建造。
に見られる。湯沢市の指定文化財。
所在地
情報源・取材元
男鹿市戸賀加茂青
砂字山道添38
男鹿市公式サイト
http://www.city.oga.akita.jp/index
.cfm/14,1463,52,166,html
男鹿市北浦真山字
水喰沢80
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=193349
男鹿市船川港船川
字栄町82
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=117374
男鹿市船川
土木学会公式サイト
http://committees.jsce.or.jp/heri
tage/node/678
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
湯沢市岩崎千年283 秋田県名所旧跡見所ナビ
http://www.kensoudan.com/firuminami-y/iwasaki/hatiman.html
明治24年に議事堂として完成した2階建て
の洋風建築。秋田県内に残る代表的な洋
風官衙建築物とされる。秋田県指定有形
文化財。雄勝郡会議事堂記念館として解
放されている。
近世から明治にかけて栄えた銀山。明治
14年の明治天皇行幸では坑道内を視察さ
れ、その坑道は「御幸坑」と呼ばれる。秋
田県指定史跡だが坑道内は立入禁止。院
内銀山の史料を公開する「院内銀山異人
館」が院内駅に設けられている。
江戸時代末期に建築された本殿は、総
欅・総うるし塗りの精巧なものである。毎
年9月には銀山の栄えた往時を偲ぶ院内
銀山まつりが行われる。
雄勝郡会議事堂として明治24年に竣工。 湯沢市北荒町
設計担当はドイツ人であった。町役場、市
役所、公民館、図書館などと時代ごとに多
様な用途に使われてきた。
湯沢市公式サイト
http://aios.cityyuzawa.jp/kanko/kanko0104.htm
慶長11年(1606年)の開山で、昭和29年休 湯沢市院内銀山町
山。江戸時代後半の全盛期には久保田 字下タ町地内
(秋田市)を凌ぐ1万5000人の人口を抱え
る巨大鉱山都市として成長したが、現在は
無人の山林となっている。
湯沢市公式サイト
http://aios.cityyuzawa.jp/kanko/kanko0502.htm
金山神社は院内銀山発見当初の創建で、 湯沢市院内銀山町
現在の堂宇は文政13年(1830年)に建築さ 字上本町40番
れた。歴代藩主から金灯篭、書画などが
奉納され、境内には狛犬、石灯篭などが
多数ある。
湯沢市公式サイト
http://www.cityyuzawa.jp/telephone/contents/p
ublic/template/phone_freepage.ht
m?dspId=2005102418244931879
&time=20110509063126
市中心部から旧羽州街道沿いにある大型
の町屋建築で、町屋としては新しい昭和
10年の竣功。そのため軒の高さが高い特
徴がある。国の登録有形文化財。
明治7年に建築された町屋建築で、秋田
県内では最大級の規模。両関酒造の本館
で、酒所湯沢を象徴する建築物として市
民に愛されている。本館と4つの蔵は国の
登録有形文化財。蔵の見学イベントあり。
山内家は文化初年(1804年)から昭和に
かけて呉服商を営み栄えた。本住宅の建
材はケヤキの良材が中心で、3代をかけ
て集めたという。
両関酒造は明治7年の創業で、現在の建
物は大正12年に建てられた。
樺山水力発電所
明治33年に完成した切り妻屋根、石造の
発電所建築で、現存する発電所建築の中
で2番目に古く、石造の発電所では最古と
言われる貴重な産業遺産である。現在も
東北電力の現役発電所として稼動。
樺山発電所は、明治33年に院内発電所と 湯沢市秋の宮
称して完成したもので、院内銀山に電力を
供給していた。建材となっている石材は坑
道から切り出されたもの。
鹿角市
大湯の朝市
鹿角市
旧鹿角郡公会堂
大湯温泉で開催される朝市は江戸時代初 古くから鉱山が隆盛した鹿角地方には、
期からの長い歴史を有し、現在も毎月4、 江戸時代の初期から朝市が形成され、現
9、14、19、24、29日に開催されている。
在も花輪、毛馬内、大湯、尾去沢の4つの
朝市が残る。
大正5年に建築された木造平屋の洋風建 大正天皇の即位を記念して建てられた。
築で、白壁と赤い屋根のアクセントがヨー 内部は広く、300人収容のステージ付き
ロッパ風の景観を形作る。現在は民俗資 ホールのほか3室があり、郡内文化の殿
料の収蔵庫・資料室として使用。市指定有 堂として各種の行事や催し物が繰り広げ
形文化財。
られた。
湯沢市吹張2丁目1 秋田県公式サイト
-4
http://www.pref.akita.lg.jp/www/
contents/1223526982671/index.
html
湯沢市前森4丁目3 秋田県総合観光ガイド
-18
http://www.akitafan.com/sightse
eing/detail.html?data_id=1780
湯沢市ジオパーク推進協議会
http://yuzawageopark.blog.fc2.co
m/blog-entry-248.html
鹿角市十和田大湯
字中田
秋田県総合観光ガイド
http://www.akitafan.com/sightse
eing/detail.html?data_id=3191
鹿角市花輪字中花
輪114-2
鹿角市公式サイト
http://www.city.kazuno.akita.jp/k
enzo/738.html
【h 景観・生活様式】 140/188
カテゴリー
県
312 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
市町村
鹿角市
地域資源名
月山神社 本殿
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
江戸時代中期に再建された本殿は、組物
が多用され、蟇股、木鼻などに華麗な文
様、丸彫が施されている。長年風触に耐え
てきたため木目が美しく浮き出ている。市
指定有形文化財。
明治時代に再建された木造平屋一部2階
建の町屋建築で、庇を長くし雪国のアー
ケードとした「こもせ(こみせ)」が設けられ
ている。国の登録有形文化財。
月山神社は、坂上田村麻呂が蝦夷平定を
祈願したと伝えられる古社で、歴代藩主の
信仰も深かった。享保20年(1735年)まで4
度の山火事に遭い、現存する本殿は、元
文5年(1740年)の再建。
313 (h)景観・ 秋田県
鹿角市
旧関善酒造
関善酒店は安政3年(1856年)創業で、現
生活様式
在の主屋は明治38年の大火で全焼し同
等
年再建されたもの。花輪朝市会場の向か
いにあり、市が開く日にはこもせにも地域
の特産品などが並べられる。
314 (h)景観・ 秋田県
鹿角市
渡辺家住宅 主屋・土蔵・門 明治時代に建築された上層家屋で、主
渡部家は、花輪代官所の役人を勤めた在
生活様式
(渡部家史料館)
屋、土蔵に加えて、江戸時代末期建築の 郷武士の家系をひく旧家である。現在の
等
薬医門形式の門が、国の登録有形文化 主屋は明治24年に建造された。
財。現在は同家に伝わる骨董品などを展
示する渡部家史料館として利用されてい
る。
315 (h)景観・ 秋田県
鹿角市
尾去沢鉱山施設群
近代東北の代表的銅山である尾去沢鉱 尾去沢鉱山は飛鳥時代(708年)の発見と
生活様式
(史跡尾去沢鉱山)
山には、選鉱場、製錬所、煙突(高さ60m) 伝えられ、金山、後に銅山として栄えた。
等
など、様々な大規模コンクリート建造物が 江戸時代は南部藩の手で、明治以降は主
廃墟状態で現存しており、木学会選奨土 に三菱系列の企業によって開発され、昭
木遺産となっている。また、一部の坑道は 和10年頃の最盛期には従業員だけで
観光坑道「史跡尾去沢鉱山」として公開さ 4500人もいたが、昭和53年閉山。
れている。
316 (h)景観・ 秋田県 由利本荘市 旧鮎川小学校 校舎・屋内 昭和29年に建築された木造校舎で、白と 昭和29年に旧鮎川中学校として建築。昭
生活様式
運動場
黒のコントラストを特徴とする調和のとれ 和45年から旧鮎川小学校として利用。平
等
た美しい姿が特徴。建設当初の姿が保存 成16年閉校。
されており、全国的にも稀少である。国の
登録有形文化財。
317 (h)景観・ 秋田県 由利本荘市 森子大物忌神社 拝殿・幣 鳥海山修験の中心地で、現在の拝殿と幣 森子大物忌神社の創建は養老年中(717
殿
生活様式
殿は安政3年(1856年)に再建された。細 ~723年)といわれ、鳥海山滝沢修験の中
等
部に力士像や鳳凰、龍、獅子など精緻な 心であった。戦国時代には本荘藩主六郷
彫刻が施されてる。また本殿は大正時代 氏の崇敬社となった。
に建築。これらは国の登録有形文化財で
ある。
318 (h)景観・ 秋田県 由利本荘市 土田家住宅
家伝によると延宝6年(1678年)以前の建 土田家の祖は木曽義仲の四天王の一人、
生活様式
築とされる、秋田県最古級の武家住宅で、 根井小弥太行親の末裔と伝えられ、豊臣
等
中門造りの源流であると同時に、中世武 秀吉から朱印状が与えられた。現在の土
家住宅の主殿造りの要素を併せ持つ。見 地には江戸時代の初頭から居住。
学可。国指定重要文化財。
319 (h)景観・ 秋田県 由利本荘市 佐々木家住宅 主屋・文庫 前郷の街中でひときわ目立つ望楼風の3 主屋は大正3年、別荘の養老閣は大正10
生活様式
蔵・小便所 ほか
階建て木造和風家屋である養老閣を中心 年、文庫蔵は明治33年、小便所は大正3
等
に、主屋や文庫蔵などが立ち並ぶ。細部 年頃の建築で、これらは国の登録有形文
に洋風の要素。国の登録有形文化財。
化財。
矢島の町の中心部にある豪商の屋敷で、
主体部は南北棟の寄棟造。西側に座敷と
納戸、東側通り土間沿いに見世、仏間、帳
場を並べ、北西に表玄関、北面東寄りに
通用玄関を設ける。国の登録有形文化
財。
情報源・取材元
鹿角市十和田毛馬
内字毛馬内沢32
鹿角市公式サイト
http://www.city.kazuno.akita.jp/k
enzo/737.html
鹿角市花輪上花輪
85
秋田県総合観光ガイド
http://www.akitafan.com/topics/
detail.html?topics_id=1080
鹿角市八幡平字石
鳥谷63
渡部家史料館公式サイト
http://www2u.biglobe.ne.jp/~gln/
88/8891/8891onko/watanabe/w
atanabe.htm
鹿角市尾去沢
土木学会公式サイト
http://committees.jsce.or.jp/heri
tage/node/364
由利本荘市町村鳴
瀬台65‎
秋田の魅力データベース
http://common.pref.akita.lg.jp/aki
tanomiryoku/detail.html?cid=8&id
=292
由利本荘市森子字
八乙女下99-1
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=224566
由利本荘市矢島町
元町相庭舘9
由利本荘市公式サイト
http://www.city.yurihonjo.akita.jp
/yashima/kinenkan/tutidake01.ht
m
由利本荘市前郷字
前郷207
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=138358
由利本荘市石脇字
石脇53
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=185340
由利本荘市給人町
44
由利本荘市観光協会公式サイト
http://www.yurihonjokanko.jp/modules/gnavi/index.ph
p?lid=84
大井家住宅は江戸時代から続く豪商の家 由利本荘市矢島町
柄で、現在の建物は大正5年に建てられた 舘町59
店舗兼屋敷。同家に伝わる江戸時代のひ
な人形は、矢島地域のイベント「町中ひな
めぐり」にも登場。
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=195309
320 (h)景観・ 秋田県 由利本荘市 斎彌酒造店 門・文庫蔵・中 和風を基調としつつも一部に洋風の要素 斎彌酒造店は明治35年の創業。高低差約
倉 ほか
生活様式
を取り入れた明治後期の町屋建築であ
6mの傾斜地に建てられた酒蔵は、通称
等
る。旧米蔵はギャラリーとして公開されて 「のぼり蔵」と呼ばれ、風通しの良さを考慮
いる。国の登録有形文化財。
した工夫である。
321 (h)景観・ 秋田県 由利本荘市 永泉寺 山門
慶応元年(1865年)に建築された山門は楼 永泉寺は、本荘藩主六郷家の菩提寺。現
生活様式
門形式、入母屋造り。千鳥破風が付いた 在の山門は、最後の藩主六郷政鑑の代、
等
山門は江戸時代末期の建築美術の見本 慶応元年(1865年)に完成した。その後本
とされる。県有形文化財。
堂は焼失したが、山門は現存。
322 (h)景観・ 秋田県 由利本荘市 大井家住宅
生活様式
等
所在地
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
【h 景観・生活様式】 141/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
豊川油田跡
石油王国と呼ばれた秋田を代表する油田
の一つで、現在もわずかながら稼働してい
る。隣接して展示室があり、盛時の風景や
歴史を知る事が出来る。「新潟など関東甲
信越地域で始まった我が国近代石油産業
の歩みを物語る近代化産業遺産群」の構
成遺産として、近代化産業遺産に認定さ
れている。
神明社 観音堂
観音堂は享保19年(1734年)の建立で、総
ケヤキの入母屋造。唐破風を付けた一間
社流造で、随所にみごとな彫刻が施され、
鎌倉時代の建築様式を伝える。国指定重
要文化財。
小玉家住宅 車庫・米蔵・主 主屋は木造平屋建、文庫蔵は土蔵造3階
屋 ほか
建、米蔵は木骨煉瓦造3階建、車庫は煉
瓦造で、これらの建物は大正12年に建て
られた。国の登録有形文化財。
旧池田氏庭園
明治末に築かれた池泉廻遊式庭園で、苑
内には高さ4m、笠の直径4mという国内
最大級の雪見灯篭や、県内最古の鉄筋コ
ンクリート造の白亜の洋館があり、庭園の
シンボルとなっている。国指定名勝。
歴史的価値・ストーリー
323 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
潟上市
324 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
潟上市
325 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
潟上市
326 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
大仙市
327 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
大仙市
古四王神社 本殿
328 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
大仙市
329 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
大仙市
330 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
大仙市
331 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
大仙市
332 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
大仙市
333 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
北秋田市
旧伊藤家住宅 明治33年に建築された曲がり屋形式の農 もとは旧田沢湖町にあったが、農業科学
(秋田県立農業科学館曲屋) 家住宅。厩のとり方や出入口の位置に地 館展示用として寄贈、移設され、その際に
域性が認められ、秋田県と岩手県の両方 当初の形式に復原された。
の特徴を持った農家住宅として貴重とされ
る。国の登録有形文化財。
旧小山田家住宅 (樅峰苑) 大正3年の強首大地震の後に建てられた 小山田家は代々強首地区の肝煎りを勤め
住宅で、耐震性を確保するために宮大工 た豪農で、矢島領との境界を守る役人や
を京都に派遣して耐震技術を学ばせたと 藩主が領内巡視をする際の本陣としての
いう。中央柱が脱着可能など、独特の技 役割を有していた。現在の建物は大正6年
術が認められる希少な住宅。国の登録有 の竣功。
形文化財。
唐松神社 奥殿
拝殿の中にある奥殿は室町時代のものと 唐松神社の創建は不明だが、古代からの
され、県指定有形文化財である。また、本 歴史を綴った「物部文書」が伝わる。社殿
殿に通じる参道の杉並木は、佐竹家が寄 が街道よりも下がった場所にあるのが珍し
進したものとされ、見事である。
い。安産に特に御利益があるとされ、近世
には唐松講が組織された。
常泉寺 本堂
江戸時代中期に建築された本堂は、建築 常泉寺は文明年間(1460~87年)に、楢岡
当初の茅葺き屋根を現在まで残している。 氏の菩提寺として楢岡城内に建立され
市指定文化財。また、山門は昭和28年の た。現在の本堂は安永5年(1776年)の建
再建だが、秋田県内では珍しい茅葺き屋 立である。
根の鐘楼門である。
恙虫病研究所
かつて風土病として恐れられた恙虫病の 恙虫病はかつて雄物川流域の風土病とさ
研究施設で。木造2階建て。土地の医師で れ、恐れられてきた。土地の医師である寺
ある寺邑家が代々ここで研究を重ね、病 邑家は3代三折(1832年・天保3年没)から
理解明への一役を担った。内部は未公
恙虫病の解明に取り組んだ。
開。大仙市指定史跡。
旧阿仁鉱山外国人官舎
明治15年に建築されたコロニアル様式の 明治15年、当時は政府直営であった阿仁
(阿仁異人館)
煉瓦建造物。阿仁異人館として公開され 鉱山の外国人宿舎として、ドイツ人鉱山技
ているほか、隣接する伝承館に、かつて産 師アドルフメッケル等によって建設され
銅日本一を記録した阿仁鉱山の資料が展 た。
示されている。国重要文化財指定。
334 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
北秋田市
専念寺 山門
所在地
豊川油田は、明治15年から石油開発の探 潟上市昭和豊川字
査が進められ、大正2年に油田の出油に 真形尻
成功した。最盛期には年間8万キロリット
ル以上を産油し、石油王国と呼ばれた秋
田においても有数の油田だった。
潟上市公式サイト
http://www.city.katagami.lg.jp/ind
ex.cfm/8,0,35,139,html
神明社は、元禄2年(1689年)に八郎潟沖
合の水底より発見した千手観音を祀った
ことに始まる。秋田県における近世初頭か
ら中期にかけての建築技術の系統を探る
うえで貴重な建物とされる。
小玉家は醸造会社の創業家、現在の建物
は大正12年に建てられた。
潟上市飯田川飯塚
字中山16
秋田県総合観光ガイド
http://www.akitafan.com/sightse
eing/detail.html?data_id=1708
潟上市飯田川飯塚
字飯塚68
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=158775
池田氏は東北三大地主といわれる豪農で 大仙市高梨大嶋1
あった。その庭園は、明治時代の末期か
ら大正時代に秋田市千秋公園を設計した
長岡安平によって築かれた池泉廻遊式庭
園である。
元亀元年(1570年)に飛騨の名工甚兵衛 古四王神社は、室町時代末期にこの地方 大仙市大曲字古四
が建築したとされる本殿は、様式にとらわ の領主であった戸沢氏が国の平穏を願っ 王際30
れない豪快な組み合わせ建築と、優雅な て建立したとされる。
彫刻が特徴の室町時代の代表的な建築
物とされる。国指定重要文化財。
江戸時代中期に再建された山門は、朱に
塗られた一間一戸の鐘楼門で、もとは京
都知恩院の山門を模したものといわれる。
市指定文化財。
情報源・取材元
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
秋田県総合観光ガイド
http://www.akitafan.com/events
/detail.html?event_id=8491
大仙市公式サイト
http://www.city.daisen.akita.jp/d
ocs/2013110600112/
大仙市内小友字中
沢171-4
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=145625
大仙市強首字強首
268
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=114204
大仙市協和境下台
84
秋田県観光総合ガイド
http://www.akitafan.com/sightse
eing/detail.html?data_id=1530
大仙市南外揚土13 大仙市公式サイト
9
http://www.city.daisen.akita.jp/d
ocs/2013102700097/files/28.pdf
大仙市内小友荒町
55
大仙市公式サイト
http://www.city.daisen.akita.jp/d
ocs/2013102700097/files/1.pdf
北秋田市阿仁銀山
字下新町41-23
秋田県観光総合ガイド
http://www.akitafan.com/sightse
eing/detail.html?data_id=1592
専念寺は、延慶2年(1309年)に金山が発 北秋田市阿仁銀山
見されて以来、奈良の大仏にも産出の銅 下新町4
が使われたほど栄えた阿仁鉱山の菩提寺
である。
まるまる秋田
http://akitasekaicamera.com/area/north/kit
aakita/3605.html
【h 景観・生活様式】 142/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
335 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
北秋田市
金家住宅 洋館・和館 ほか 昭和3年に建築された大地主の邸宅で、
好対照をなす和洋両館が極めて良好に保
存されており、東北地方ては数少ない大
型の和洋並立住宅として貴重である。現
住の邸宅である。国の登録有形文化財。
金家は阿仁地方の三大旦那と呼ばれた 北秋田市本城字館
大地主で、現在の和館と洋館は昭和3年 ノ下192番地
に建設された。終戦直後には大野岱女子
農業学校(現米内沢高校)の女子寮として
洋館を提供した。
北秋田市公式サイト
http://www.city.kitaakita.akita.jp/
news/2008/10/1020/KonShitei/Kon-Shitei.htm
336 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
北秋田市
阿仁根子マタギの里
根子集落は源平の落人が渡来して開拓を 北秋田市根子
したという伝承がある。また阿仁マタギ発
祥の地として知られ、人々は独特の風習
と信仰を持つマタギの狩猟文化を守ってき
た。
秋田県のがんばる農山漁村集落
応援サイト
http://common.pref.akita.lg.jp/ge
nkimura/area/detail.html?cid=7&i
d=3
337 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
にかほ市
院内油田跡
にかほ市
上郷温水路群
院内油田は、明治11年に地質学博士ベン にかほ市巾山
ジャミン・ライマンによって発見され、大正
12年に採油開始。全盛期の昭和20年には
年産11万キロリットルに達した。平成7年
閉山。
大正15年、上郷の住民は米の収穫量を増 にかほ市象潟町上
やすため、冷たくて農業用水には適さない 郷
鳥海山の雪解け水の水温を上げるために
温水路を建設した。その構築も住民自ら
行った。
にかほ市観光案内公式サイト
http://www.nikahokanko.jp/nature/history.html
338 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
339 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
にかほ市
由利海岸波除石垣
根子は、四方を山に囲まれたすり鉢状の
山村で、源平落人伝説が残る隠れ里の雰
囲気をよく今に伝えている。阿仁マタギの
発祥の地ともいわれ、山菜やキノコ採りな
ど森に密着した生活様式や、能楽の一種
「根子番楽」などの伝統を活かしたむらづく
りを進めている。
かつて油田王国といわれた秋田の大規模
油田のひとつで、閉山した現在も採取した
櫓やポンピングパワーなどの装置が当時
のまま残されており、貴重な産業遺産と
なっている。
温水路は、従来よりも水路の幅を広げ、水
深を浅くし、落差(約700mに70段)を造り、
流れをゆるやかにして太陽熱で水を温め
るというしくみで、日本初のものである。貴
重な農業近代化遺産で、県指定有形文化
財。
江戸時代に建築された波除石垣は、芹田
から金浦の飛までの海岸線に点在する小
岡が石堤により結ばれている。全国的にも
貴重な近世土木遺産である。国指定史
跡。また、農林水産省の「未来に残したい
漁業漁村の歴史文化財産百選」選定。
波浪から海岸を守り、塩害から農地・農作 にかほ市芹田・飛
物を守るために本荘藩が18世紀に造営し
た。19世紀前半の作とみられる『由利南部
海岸図』にはこの石垣が描かれている。建
造以来しばしば修理されている。
秋田県観光総合ガイド
http://www.akitafan.com/sightse
eing/detail.html?data_id=317
340 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
にかほ市
蚶満寺 山門
山門は江戸時代の建造で、中に矢島藩主
生駒氏の寄進による仁王像が安置されて
いる。また山門の瓦には蚶満寺が閑院宮
家の御祈願所となっていることから、菊の
紋章が用いられている。市指定有形文化
財。 蚶満寺は、寺伝によると平安前期の853年 にかほ市象潟町象
に慈覚大師によって開創。鎌倉中期(1257 潟島2
年)時の執権北条時頼が、北国巡遊で訪
れたとき寺領を寄進し再興したと伝えられ
る。松尾芭蕉の「奥の細道」でも知られる。
にかほ市観光案内公式サイト
http://www.nikahokanko.jp/nature/history.html
341 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
にかほ市
陽山寺 山門
山門は瓦葺きの楼門で、仁王像が安置さ
れ、別名「桜門」と呼ばれる紅白の壮麗な
門。背景の緑とのコンストラストがすばらし
い。市指定有形文化財。
陽山寺は平安末期(1250年頃)の創建。 にかほ市小国南野1 にかほ市観光案内公式サイト
庭園には樹齢350年以上とされる紅白5種
http://www.nikaho類のツツジがあり、毎年5月中旬見頃を迎
kanko.jp/nature/history.html
える。
342 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
仙北市
角館武家屋敷の町並み
慶長8年(1603年)に角館に入部した蘆名 仙北市角館町
氏は、元和6年(1620年)に古城山の南麓
へ城下町を移転させ、現在残る武家町の
町割を築いた。明歴2年(1656年)に蘆名
氏は断絶し、佐竹北家の佐竹義隣が角館
に入ると、以後、角館には多くの京文化が
移入された。
文化庁公式サイト
http://www.bunka.go.jp/1hogo%5
Cshoukai/main.asp%7B0fl=show&i
d=1000001049&clc=1000000153&
cmc=1000000177&cli=100000024
5&cmi=1000001039%7B9.html
343 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
仙北市
草彅家住宅 土間・主屋
角館の城下町で、旧武家町の中央にある
上中級武士の武家屋敷地が良く旧状を留
める。広い通り沿いに板塀が連続し、塀に
沿ってシダレザクラやモミの木が深い木立
を形成する。藩政期末期の屋敷割を踏襲
し、屋敷は茅葺の主屋や門・蔵で構成され
る。「みちのくの小京都」とも呼ばれる。重
要伝統的建造物群保存地区。
母屋は天保2年(1832年)、土間部分は明
治時代の建築。仙北地域の典型とされる
農家建築で、秋田県と岩手県の中間的形
態をとる。国指定重要文化財。
草彅家は土地の上層農家であった。
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=192830
344 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
仙北市
大国主神社 本殿・山門
明和年間(1764~72年)の建立といわれる
本殿は、秋田県唯一の阿弥陀堂建築とし
て希少である。また山門は三間一戸で両
側に力士像が配置されている。これらは
県指定重要文化財である。
明治の神仏分離以前は仏式の寺院で、本 仙北市西木町西明
堂や山門の各所に改変の痕跡を留める。 寺字堂村92
山門の力士像も本来は仁王像で、これは
運慶作といわれる。
仙北市田沢湖生保
内字下堂田18
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
にかほ市観光案内公式サイト
http://www.nikahokanko.jp/nature/history.html
秋田県観光総合ガイド
http://www.akitafan.com/sightse
eing/detail.html?data_id=1534
【h 景観・生活様式】 143/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
345 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
仙北市
雲厳寺 山門
346 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
仙北市
347 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
仙北市
348 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
仙北市
349 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
小坂町
350 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
小坂町
351 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
小坂町
旧工藤家住宅
352 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
小坂町
十和田ホテル本館
353 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
三種町
大山家住宅
354 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
五城目町
355 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
五城目町
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
山門は安永7年(1778年)の建築で、4体
の力士が楼をに支えるユニークなデザイ
ン。その表情は1体1体異なる。県指定重
要文化財。
雲厳寺は、土地の支配者白岩氏が、宝徳
2年(1450)に創建したといわれる。、総門
をくぐると山門(楼門)が見えてきます。平
成4年に秋田県重要文化財に指定されて
います。
旧角館製糸工場
明治末に建築された木造の製糸工場で、 明治45年に角館製糸工場として建築。大
採光と換気のために越し屋根や壁面上部 正7年の創業停止後は米の倉庫となり、現
に開口部を設ける点が特徴である。角館 在も倉庫として利用されている。
の製糸産業の歴史を今に伝える建物。国
の登録有形文化財。
鶴の湯温泉本陣
茅葺き屋根の本陣は、二代目秋田藩主佐 鶴の湯温泉は寛永15年(1638年)に二代
竹義隆が湯治に訪れた際に警護の者が 目秋田藩主佐竹義隆が湯治訪れたといわ
詰めた建物といわれる。東西43mの細長 れる古い温泉で、元禄時代(1688~1704
い建物で、風趣に富む湯治場の雰囲気を 年)から湯宿として里人をいやしてきた記
よく伝える。国の登録有形文化財。
録がある。
神の岩橋・生保内林用軌道 大正15年に架設された森林軌道用の吊り 橋が架かっている位置は抱返渓谷の入口
跡
橋で、当時は実現不可能と思われていた にあたる。橋とその先の軌道跡は、渓谷を
鉄道用の吊り橋を、秋田営林局の惟信を 巡る遊歩道として活用されている。
かけて建造した。橋長78m。
旧小坂鉱山事務所
明治38年に鉱山事務所として建てられた 明治38年に合名会社藤田組小坂鉱山の
モダンな洋風建築で、木造三階建。本邦 本部事務所として建てられた。当時の技
を代表する近代鉱山の建築物とされる。 術の粋を結集して造られたもので、ルネッ
現在は移築のうえ観光施設「小坂鉱山事 サンス風の外観と意匠をもつ芸術的価値
務所」として公開されている。国指定重要 も高く評価されている。
文化財。
康楽館
明治43年に建築された国内最古級の木造 明治43年に小坂鉱山の厚生施設として完
芝居小屋。地上2階、一部地下1階。外観 成。杮落としは大阪歌舞伎の尾上松鶴一
は洋館風、内装は典型的な和風芝居小屋 座の公演であった。昭和45年に休止され
という和洋折衷の造りが特徴で、現在も公 るが、昭和61年に再開館されて現在に至
演が行われてる。国指定十分家財。
る。
所在地
情報源・取材元
仙北市角館町白岩
前郷33
仙北市公式サイト
http://www.city.semboku.akita.jp
/sightseeing/spot/05_ungan.html
仙北市角館町字下
丁14-3
秋建時報
http://www.akenkyo.or.jp/shuken/0707/top.ht
ml
仙北市田沢湖田沢
字湯ノ岱2番地先先
達沢国有林生保内
事業区50林班ハ小
班
仙北市田沢湖卒田・
角館町広久内
文化遺産オンライン
http://bunka3.nii.ac.jp/SearchDe
tail.do?heritageId=174405
小坂町小坂鉱山古
館48−2
小坂町公式サイト
http://www.town.kosaka.akita.jp/
kuni/kouzan.html
小坂町小坂鉱山字
松ノ下2
秋田県観光総合ガイド
http://www.akitafan.com/sightse
eing/detail.html?data_id=1580
明治18年に建てられた地主の邸宅で、1
階と2階を合わせて約124坪と大規模であ
る。武家住宅の面影を伝える地主屋敷と
して貴重。現在はまちづくりの拠点施設
「中小路の館」として活用。県指定有形文
化財。
木造3階建て和洋折衷の大型建築で、内
外の全体に秋田杉の良材を用いる。玄関
ホール吹抜けの構造、繊細な組子欄間、
杉皮の船底天井が、まさに「秋田杉の館」
とよぶにふさわしい空間を作り出す。現在
もホテルとして営業中。国の登録有形文
化財。
江戸時代末期に建てられた上層農家建
築。上級階層の住宅にしか許されなかっ
た船枻(せがい)という桁から軒先まで腕木
を伸ばし屋根を支える工法をとっているほ
か、町屋建築で見られる出格子などを採
用。見学は要予約。国指定重要文化財。
工藤氏は江戸時代には武士の家系で、小 小坂町小坂字中小
坂村の地主。大正・昭和初期には当時の 坂62-1
当主茂太郎が小坂町長をつとめた家柄で
ある。「中小路」は工藤家の屋号。
小坂町公式サイト
http://www.town.kosaka.akita.jp/
34/276.html
十和田ホテルは、昭和11年に十和田湖が 小坂町十和田湖字
国立公園に指定されたのを機に秋田県に 鉛山
より建設が計画され、昭和14年に開館し
た。北東北3県から宮大工80名を集め、腕
を競わせたとも伝えられる。皇族や各界の
著名人も多く泊まった。
小坂町公式サイト
http://www.town.kosaka.akita.jp/
yukei/towadahotel.html
大山家は代々村役の家柄だった。
三種町鵜川字飯塚
三種町公式サイト
http://www.town.mitane.akita.jp/
sightseeing/detail.html?category_i
d=4&article_id=12
菊地家住宅 文庫蔵・離れ・ 昭和初期に建築された造り酒屋の屋敷
座敷
で、座敷は上質なつくりの書院造、離れは
凝った造作が見られる和風建築で、ともに
平屋建。文庫蔵は高度な左官技法になる
2階建土蔵造で、以上は国の登録有形文
化財。
野田郷倉
切妻造、板倉壁の郷倉で、現在も備荒倉
として機能している。集落の農家は毎年一
定量の籾を収穫後に叺に入れに納める。
町指定文化財。
五城目町字鵜ノ木
菊地家は五城目の老舗である造り酒屋
88-2
で、文化財指定を受けている各建築物
は、いずれも昭和初期に建築されたもの。
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=117177
野田神社には江戸時代から備荒用の郷 五城目町野田
倉がおかれ、現在の建物は昭和10に再建
されたもの。
五城目町公式サイト
http://www.cs.town.gojome.akita.j
p/bunkazai/tangible/detail_071.ht
ml
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
秋田県観光総合ガイド
http://www.akitafan.com/sightse
eing/detail.html?data_id=9
【h 景観・生活様式】 144/188
カテゴリー
県
市町村
356 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
五城目町
357 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
八郎潟町
358 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
大潟村
359 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
美郷町
360 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
羽後町
361 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
地域資源名
資源の概要
五城目朝市
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
下タ町通り商店街で開かれる朝市は明応
4年(1495年)以来の長い歴史を持つとい
われ、「2」「5」「7」「0」がつく日は道の両側
には四季の産物や包丁や桶、ざる、衣類
などの生活用品まで並び、歳の市では正
月用品の買い出しで賑わう。
八郎潟とうたせ舟
湖面の青と帆の白のコントラストが目に眩
(八郎潟展示館「うたせ館」) しい「うたせ舟」は、干拓前の八郎潟でワ
カサギやシラウオをとる底引き網漁に使わ
れていた。現在は八郎湖畔にある八郎潟
展示館で2/3サイズの模型を見る事が出
来る。
大潟村の田園風景
国内最大級の干拓地に立地する大潟村
(大潟村干拓博物館)
には、日本ではあまり見る事の出来ない
大型農業機械を利用した大規模農業が行
われているほか、生活エリアには防災林
に囲まれた整然とした街並みが展開す
る。大潟村干拓博物館で同地に関する
様々な資料を展示。
六郷清水の里
六郷は、古来から百清水とも言われてき
た豊かな清水の里で、緑の木々の下にコ
ンコンと湧き出す清水や、その住人である
「イバラトミヨ(ハリザッコ)」の姿が涼を誘
う。環境省の「名水百選」にも選ばれた。そ
してこれらの清水を利用したまちおこしが
進められている。
鈴木家住宅
中門造り、茅葺き屋根を残す、秋田の伝
統的かつ代表的な民家で、17世紀後半の
建築と推定される。秋田県では最古の民
家とされる。国指定重要文化財。
五城目の朝市は、明応4年(1495年)に地 五城目町下町通り
頭の命で町村に「市神」をまつらせ、市を
開いたのが始まりと伝えられる。江戸時代
には久保田(秋田)と能代や阿仁鉱山へ
の物資輸送の中継点として、市は大いに
賑わった。
大正から昭和にかけて約100隻のうたせ 八郎潟町字川口
舟が八郎潟を往来していたが、八郎潟の
干拓工事が始まった昭和32年頃を境に
次々と姿を消した。
五城目町公式サイト
http://www.cs.town.gojome.akita.j
p/kanko_m_as.htm
昭和39年、かつて国内第2の広さの湖だっ 大潟村西5丁目2
た八郎潟の湖水を抜いて干拓した地に秋
田県大潟村が誕生した。耕地面積は約1
万2千ヘクタールで、東京山手線内側面積
の約1.8倍に相当。国内平均農家の10倍
以上の面積の農地で大規模な機械化農
業をする国家プロジェクトであった。
御台所清水、座頭清水、藤清水等の代表 美里町六郷
的清水は現在も生活用水として利用され
ているほか、町内の銘水を利用した日本
酒や「ニテコサイダー」などの特産品があ
る。
大潟村干拓博物館公式サイト
http://ac.ogata.or.jp/museum/
羽後町
三輪神社 本殿
三輪神社は、養老年間(717~24年)に大 羽後町杉宮字宮林1 羽後町公式サイト
和の大神神社を勧請して創始したと伝え
http://www.town.ugo.lg.jp/sightse
られる。歴代の藩主・武将の信仰が篤く、
eing/detail.html?id=373
御神輿は佐竹2代藩主義隆夫人光聚院が
奉納したもの
362 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
羽後町
須賀神社 本殿
本殿は永禄5年(1562年)の火災をまぬが
れたという記録や形式技法などから、室町
時代後期の建立と考えられる。滋賀県内
の室町時代遺構に多く見られるなど、地域
的に限定される形式で、関東・東北では三
輪神社本殿が唯一の遺構である。国指定
重要文化財。
三輪神社の境内社で、正保4年(1647年)
に建立された本殿は、桃山時代の建築様
式の名残が見受けられ、屋根が勾配の強
い入母屋で妻入りになっており、唐破風部
分も重厚である。国指定重要文化財。
須賀神社は権現社ともよばれ、島根県雲 羽後町杉宮字宮林
南市の須我神社を大元にするといわれ
1
る。須佐之男命を祀る。
まるまる秋田
http://akitasekaicamera.com/area/south/ug
o/3212.html
363 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
羽後町
鈴木家住宅
鈴木家は、源義経の家来鈴木三郎重家の 羽後町飯沢字先達
子孫の血筋で、文治5年(1189年)に奥州 沢52
平泉から落ち延びてここに土着したといわ
れる。
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=120984
364 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
羽後町
阿部家住宅
江戸時代中期のものとされる厩中門造り
の農家。母屋部分が寄棟、厩部分が入母
屋となっており、秋田県では最も古い部類
に属する民家といわれる。国指定重要文
化財。
明治期に建築された中門造りの農家で、
中世城館である尼沢館跡の山裾に位置
し、周囲の伝統的な農村景観とよく調和す
る。主屋と蔵が国の登録有形文化財。
阿部家は大地主の家柄であった。
羽後町田代字尼沢
140
国指定文化財等データベース
http://www.weblio.jp/content/%E
9%98%BF%E9%83%A8%E5%AE%B6%
E4%BD%8F%E5%AE%85%E4%B8%B
B%E5%B1%8B
365 (h)景観・ 秋田県
生活様式
等
羽後町
黒沢家住宅
古くから交易の街として栄えた西馬音内の 西馬音内は内陸の雄勝郡と日本海沿岸 羽後町西馬音内字
商家建築で、屋根が切妻で妻入りといった の由利郡を結ぶ交通路にあたり、中世に 本町124
秋田県内では多く見られる典型的な形式 は城下町が発達した。
を示す。県指定重要文化財。
秋田県名所、旧跡見所ナビ
http://www.kensoudan.com/firuminamiy/nisimonai/kurosawa.html
366 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
山形市
千歳館 主屋・客室つる
老舗料亭の木造建築で、料亭建築の好例
であるとともに和洋の意匠を併せ持つ特
異な建物である。現在も料亭として営業
中。国の登録有形文化財。
鈴木家は源義経の家臣の末裔とされ、頼 羽後町飯沢字先達
朝の奥州征伐の際に奥州平泉から文治5 沢52 ‎
年(1189年)に山深い現在地に落ちのび、
以来定住したという。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
八郎潟町公式サイト
http://www.town.hachirogata.akit
a.jp/c.html?seq=48
美郷町公式サイト
http://www.town.misato.akita.jp/
misatochoukankou/sisetumeisho
/yuusui/yuusui-top.asp
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=120984
千歳館は大正4年に現在地で創業した老 山形市七日町4-9-2 文化遺産オンライン
舗料亭である。離れの客室つるは、昭和2
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
年に山形市で開催された全国産業博覧会
il.do?heritageId=115817
の舞台を移築したとも伝えられる。
【h 景観・生活様式】 145/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
所在地
山形市
旧済生館 本館
(山形市郷土館)
368 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
山形市
山形市立第一小学校 旧校 明治初期の技術の粋を集めた鉄筋コンク 第一尋常小学校の新校舎として、山形県 山形市本町1丁目5- 山形県公式サイト
舎 (山形まなび館)
リートの小学校校舎で、当時のわが国の で初めて鉄筋コンクリート造3階建ての校 19
http://www.pref.yamagata.jp/ou/
最先端技術を伝える。現在は「山形まなび 舎が昭和2年7月に完成した。同年9月に
shokokanko/110001/him/him_16.
館」として市民に広く利用されている。国登 「全国産業博覧会」が山形市内で開催さ
html
録有形文化財。
れたが、その主会場としても使用。
369 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
山形市
立石寺中堂(根本中堂)
370 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
山形市
371 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
山形市
山形県旧県庁舎及び県会議 旧県庁舎は、大正5年に完成した壮麗な3 旧県庁舎の設計は東京都出身の田原新 山形市旅篭町3丁目 山形県公式サイト
http://www.pref.yamagata.jp/ou/
事堂 (山形県郷土館文翔
階建て煉瓦造りの官衙建築。ルネッサン 之助が担当し、米沢市出身の中條精一郎 4-51
shokokanko/110001/him/him_24.
館)
ス様式。旧県会議事堂は、レンガ造り2階 が顧問を勤めた。付属の時計塔は、札幌
html
建で、当時は来賓室や議員控室などに使 の時計台に次いで2番目に古い。昭和50
用された。いずれも国指定重要文化財。 年まで県庁舎として利用されていた。
現在は山形県郷土館(文翔館)として利用
されている。
鳥海月山両所宮
本殿は江戸中期享保期の建立。山門は天 源頼義と義家によって康平6年(1063年)に 山形市宮町3-8-41 山形市観光協会公式サイト
明3年(1783年)建立の高荘な楼門で現在 創建されたと言われる。古くから「お宮様」
http://www.kankou.yamagata.yam
は随神門と称される。境内の城輪神社は と称され、北の総鎮守として尊崇されてき
agata.jp/db/cgi桃山時代の建物とされる。いずれも山形 た。本殿は寛永年中に焼失し、享保年中
bin/search/search.cgi?panel=det
に再建されたものという。
市の指定文化財。
ail&d01=883
372 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
山形市
旧山形師範学校 本館・講
堂(山形北高講堂)
373 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
山形市
清風荘
374 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
山形市
明善寺 本堂
昭和9年に完成した伊東忠太設計の本堂
建築。全体的に伊東の作風が良く表れて
いる。 国の登録有形文化財。
375 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
山形市
旧松應寺観音堂
(松尾山観音堂)
観音堂は方三間の宝形造で、屋根は茅
葺。一部改変の部分がみられるものの、
室町時代後期頃の地方的特色がみられ、
この時代の山形地方の建築技法を知る上
に重要な建物である。国指定重要文化
財。
栗子山隧道は奥羽山脈山中の標高900m
の高所にある全長約900mの道路用トンネ
ルで、明治14年に開通した初代と、昭和初
期に改築された2代目の隧道が並ぶ。現
在はともに廃道。現在の国道13号の旧道
にあたり、明治から昭和40年までの長きに
わたって山形県の玄関口として活躍した。
土木学会の選奨土木遺産。
根本中堂は古刹立石寺の中でも最古の
遺構で、正平年間(1346~1370年)の建物
を基礎とする入母屋の巨大な堂宇であ
る。密教寺院堂の特徴を示す。 国指定重
要文化財。
明治34年に完成した、木造二階建て洋風
の学校建築。ルネッサンス様式を基調と
する。現在も県立山形北高等学校の校舎
として利用されている。山形県指定重要文
化財。
池泉回遊式の古庭園として有名な「もみじ
公園」にある和室で、現在まで公民館とし
て利用されている。
明治11年に県令三島通庸の開明政策の 山形市霞城町1-1
元山形県立病院として建設された。「済生
館」の名前は当時の太政大臣・三条実美
の命名による。東北地方で最も早く西洋医
学を取り入れ、オーストリア人医師ローレ
ツを金沢医学校から招聘した。
情報源・取材元
367 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
376 (h)景観・ 山形県 米沢市・福島 栗子山隧道(万世大路)
生活様式
県福島市
等
明治初期に病院として建設された壮大な
洋風建築である。中庭を囲んで病室を円
形に配置し、正面の塔屋は三層構造を持
つ独特の形態。現在は「山形市郷土館」と
して当時の姿を伝える歴史資料館になっ
ている。国指定重要文化財。
歴史的価値・ストーリー
立石寺は貞観2年(860)年慈覚大師円仁が 山形市大字山寺
開いた、東北を代表する天台宗の寺院。こ
の中堂は正平年間(1346~1370年)の再
建以来、大小の修理を数度うけているが、
現在は慶長13年(1608年)の大修理当時
の形式に復原された。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
山形県公式サイト
http://www.pref.yamagata.jp/ou/
shokokanko/110001/him/him_15.
html
山形市観光協会公式サイト
http://www.kankou.yamagata.yam
agata.jp/db/cgibin/search/search.cgi?panel=det
ail&d01=10086382911950&c=10
旧山形師範学校は明治11年に開校、のち 山形市緑町二丁目2 文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
現在地へ移され、昭和38年以降は県立山 番7号
形北高等学校が利用している。
il.do?heritageId=192840
清風荘の建物は、明治維新以前は宝幢寺 山形市東原町二丁
という真言宗の寺院であり大書院であっ 目16番7号
た。
山形市公式サイト
https://www.city.yamagatayamagata.lg.jp/shisetsu/kankou/
kankou/57ed6seihuusou.html
設計者の伊東忠太は米沢市出身の建築 山形市七日町5-9-3 文化遺産オンライン
家で、日本建築を本格的に見直した第一
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
人者である。彼は法隆寺が日本最古の寺
il.do?heritageId=138508
院建築であることを学問的に示し、それま
での「造家」という言葉を「建築」に改め
た。
旧松應寺観音堂は蔵王山の西麓に位置 山形市蔵王半郷2
山形市観光協会公式サイト
http://www.kankou.yamagata.yam
し、最上三十三観音の札所として庶民の
信仰を集める。松應寺は和銅年間(708~
agata.jp/db/cgi715年)の草創と伝えられる。
bin/search/search.cgi?panel=det
ail&d01=95959291120939&c=20
明治9年に初代の山形県令となった三島 山形県米沢市~福
通庸は、周囲を山に囲まれた山形の発展 島県福島市
には中央と連絡する道が必要であるとし
て、奥羽山脈を貫く馬車道の建設を押し進
めた。明治14年に全線が開通し、東北巡
幸中の明治天皇が開通式に臨席してこれ
を万世大路と名付けた。昭和40年廃止。
山形県公式サイト
http://www.pref.yamagata.jp/ou/
shokokanko/110001/him/him_13.
html
【h 景観・生活様式】 146/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
377 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
米沢市
旧米沢高等工業学校 本館 ルネッサンス様式を基調とする木造2階
(山形大学 工学部)
建、建築面積1305.8平方メートルに及ぶ大
規模な学校建築。明治後半に建設された
一連の高等工業高校の遺構として、学校
建築史上でも貴重なものである。現在は
山形大学工学部として利用されている。
国の重要文化財。
米沢高等工業学校は明治43年に開設さ 山形県米沢市城南4 山形県公式サイト
れた全国7番目の高等工業学校である。 丁目3-16
http://www.pref.yamagata.jp/ou/
昭和19年に米沢工業専門学校と改称さ
shokokanko/110001/him/him_04.
れ、さらに同24年に山形大学工学部に改
html
組された。
378 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
米沢市
笹野観音堂
笹野観音堂は坂上田村磨呂の開基と伝 米沢市笹野5686-5 米沢市公式サイト
わる古刹で、伊達氏・上杉氏と歴代領主
http://www.city.yonezawa.yamag
の信仰も厚かった。天保4年に火災に遭
ata.jp/1116.htm
い、同14年(1843年)に再建されたのが現
在のお堂である。
379 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
米沢市
ホテル音羽屋 本館
380 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
米沢市
上杉伯爵邸
(米沢市上杉記念館)
381 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
米沢市
舞鶴橋 (石アーチ橋)
382 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
米沢市
上杉神社 稽照殿
江戸時代末期に建設された萱葺き屋根の
壮大な寺院。竜や鳳凰の彫物もすばらし
く、庄内の彫物師後藤藤吉・政吉の作と伝
えられる。またあじさいの名所で、「あじさ
い寺」とも呼ばれている。米沢市指定文化
財。
江戸時代末期に建設された萱葺き屋根の
壮大な寺院。竜や鳳凰の彫物もすばらし
く、庄内の彫物師後藤藤吉・政吉の作と伝
えられる。またあじさいの名所で、「あじさ
い寺」とも呼ばれている。米沢市指定文化
財。
明治29年に建設された総ヒノキ入母屋造
りの壮大な建物で、かつては皇族の宿泊
所ともなっていた。現在は上杉記念館とし
て、上杉家に関わる様々な展示をしてい
る。国指定重要文化財。国の登録有形文
化財(建築物)。
米沢市丸の内の上杉神社を囲むお堀の
東側に架設されている長さ5m、幅7mの
アーチ石橋で、明治19年の完成。国の登
録有形文化財。
大正12年に完成した上杉家の様々な遺品
1000点以上を収蔵展示するための施設。
直江兼続の有名な「愛」の鎧も展示されて
いる。国の登録有形文化財(建築物)。
383 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
米沢市
直江兼続治水利水施設群
慶長年間(1596~1615年)に米沢藩主直
江兼続が米沢盆地に建設した治水・利水
施設群で、谷地河原堤防(直江石堤)、蛇
堤(蛇土手)、御入水堰、などの8件の近世
河川施設が選奨土木遺産の指定を受け
ている。
慶長6年(1601年)に米沢へ減封となった 米沢市内各所
直江兼続は、米沢盆地の安定経営を図る
ため、松川の氾濫を防ぐ直江石提をはじ
めとする治水・利水施設を次々完成させ
た。城下町米沢を形成する骨格となり、一
部は現在もインフラとして使われている。
土木学会公式サイト
http://committees.jsce.or.jp/heri
tage/node/86
384 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
米沢市
峠駅
峠駅は、明治32年の奥羽南線(奥羽本
米沢市大字大沢字
線)の福島~米沢間開業に伴い設置され 峠
た。平成2年の山形新幹線開業に伴いス
イッチバックが廃止された。峠駅の名物は
「峠の力餅」で、現在も売られている。
山形県公式サイト
http://www.pref.yamagata.jp/ou/
shokokanko/110001/him/him_09.
html
385 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
鶴岡市
旧鶴岡警察署庁舎
(致道博物館)
奥羽本線の福島~米沢間は奥羽山脈板
谷峠越えの難所で、この区間に設置され
た赤岩、板谷、峠の3駅は、いずれもスイッ
チバック方式であった。後にこれらのス
イッチバックは廃止されているが、現在も
旧ホームなどの遺構があり、多くの鉄道
ファンが訪れている。
明治17年に竣工した木造2階建て桟瓦葺
の擬洋風建築物。明治新政府の警察署と
しての威厳を表す堂々とした白亜の建築
物である。現在は致道博物館の敷地に移
設されている。県指定重要文化財。
386 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
鶴岡市
酒井氏庭園 (致道博物館)
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
音羽屋は明治30年に創業し、現在の建物 米沢市駅前2-1-40 文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
は昭和12年に建てられたもの。
il.do?heritageId=184850
上杉伯爵邸は明治29年、元米沢城二の丸 米沢市松が岬
跡に上杉家14代茂憲伯爵邸として建てら
れたが、大正8年の米沢大火で焼失し、大
正14年に復元されたのが現在の建物。設
計者は中條精一郎、施工は名棟梁江部栄
蔵。
舞鶴橋の名称は米沢城の別称舞鶴城に 米沢市丸の内1丁目
由来する。杉神社正面につながる橋で、
毎年大勢の観光客らが通行している。
米沢市公式サイト
http://www.city.yonezawa.yamag
ata.jp/1137.htm
置賜文化フォーラム
http://okibun.jp/okitamanoisibasi
/
大正12年、上杉神社再建にあたって建て 米沢市丸の内1-4- 米沢市観光情報サイト
られた。設計者は米沢市出身の建築家・ 13
http://www.yonezawa伊東忠太。
naoe.com/connection/keisyoude
n.html
初代山形県令三島通庸が、明治新政府の 鶴岡市家中新町10- 山形県公式サイト
指導の下で庄内の近代化を進める象徴的 18
http://www.pref.yamagata.jp/ou/
な施設として市街地に建築した。昭和31年
shokokanko/110001/him/him_02.
に警察署としての使用を終え、翌年に現
html
在地へ移設保存された。
庄内藩主酒井家の御隠殿北面に築かれ 正確な作庭年代、作者などは不明とされ 鶴岡市家中新町10- 山形県鶴岡市観光連盟サイト
た古庭園で、すぐれた古庭園が少ない東 るが、この地には酒井氏入国前の最上家 18
http://tsuruokakanko.com/cate/
北地方では稀に見る典型的な書院庭園と 時代から高級武士の屋敷があった。
p0298.html
して貴重とされる。国の名勝。
【h 景観・生活様式】 147/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
明治14年に建築された、木造2階建ての
ルネッサンス様式擬洋風官衙建築。中央
にそびえる高さ20mの塔屋が一際目を引
く。国指定重要文化財。現在は致道博物
館の施設のひとつとして展示が行われて
いる。
松ヶ岡開墾場は明治初期に旧庄内藩士
の大規模な授産施設として整備された。
現在も中心施設であった松ヶ岡本陣や当
時の屋敷が残され、開墾記念館、ギャラ
リー、庄内農具館などとして活用公開され
ている。国指定史跡。
江戸時代後期に建築された庄内藩の藩校
で、表御門、聖廟、講堂、御入間などが残
る。藩校建築としては東北で唯一の現存
例。国指定史跡。
明治36年に建てられたロマネスク様式教
会建築で、赤い塔屋がひときわ目を引く。
独自の技法でつくられた「窓絵」や、世界
的にも珍しい「黒い聖母マリア像」がある。
国指定重要文化財。
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
387 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
鶴岡市
旧西田川郡役所
(致道博物館)
388 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
鶴岡市
松ヶ岡開墾場
389 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
鶴岡市
庄内藩校 致道館
390 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
鶴岡市
鶴岡カトリック教会 天主堂
391 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
鶴岡市
風間家旧宅 丙申堂
明治29年に風間家の住居と営業の拠点と 風間家は、鶴岡城下で庄内藩の御用商人 鶴岡市馬場町1-17 山形県鶴岡市観光連盟サイト
http://www.tsuruokakanko.com/c
して建てられた丙申堂は、薬医門のある として発展し、後に鶴岡一の豪商となり産
商家として当時の繁栄ぶりをよく残してい 業の振興に力を注いだ。
ate/p0012.html
る。約4万個の石が置かれた石置屋根が
特徴。国指定重要文化財。
392 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
鶴岡市
金峯神社 本殿
鶴岡の街並みを見下ろす金峯山の山頂に
ある本殿は、江戸時代初期の慶長13年
(1608年)に建立された一間社入母屋造り
の建物。国重要文化財。
山名を蓮華峯と称し、第38代天智天皇10 鶴岡市青龍寺字金
年(672年)に役の小角の開基とされる。奥 峯1
州藤原氏や酒井氏など、歴代領主の崇敬
も篤かった。 禁酒の祈祷でも有名。
山形県鶴岡市観光連盟サイト
http://www.tsuruokakanko.com/c
ate/p0288.html
393 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
鶴岡市
羽黒山 三神合祭殿・鐘楼
羽黒山は、月山、湯殿山とともに出羽三山 鶴岡市羽黒町大字
と呼ばれ、古来より山岳修験の霊場とされ 手向
てきた。三神合祭殿は近世初期以来の特
異な形式を伝える類例の数少ない修験関
係の建築として貴重とされる。
394 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
鶴岡市
旧遠藤家住宅 (田麦俣の多層民家)
国指定文化財等データベース
http://www.weblio.jp/content/%E
7%BE%BD%E9%BB%92%E5%B1%B1
%E4%B8%89%E7%A5%9E%E5%90%8
8%E7%A5%AD%E6%AE%BF%E5%8F
%8A%E3%81%B3%E9%90%98%E6%A
5%BC
山形県鶴岡市観光連盟サイト
http://www.tsuruokakanko.com/c
ate/p0136.html
395 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
鶴岡市
旧善法寺駅と「モハ3」
三神合祭殿は、山岳修験の霊場である羽
黒山の中心となる堂宇で、後方にある本
殿と前面の拝殿が一体となった複合建
築。文政元年(1818年)の再建とされる。ま
た鐘楼は最上家信によって元和4年(1618
年)に建てられた近世初期の貴重な遺物。
国指定重要文化財。
月山の山中にある田麦俣には、全国的に
も珍しい四層構造の多層民家が数多く残
り、多層民家の里として知られる。旧遠藤
家は江戸時代後期の建築で、兜造り多層
民家の代表的な建築物とされる。山形県
指定有形文化財。
昭和4年に開業した庄内交通湯野浜線の
善法寺駅で、近隣にある名刹善宝寺をモ
デルとしたコンクリート造りのモダンな建築
であった。隣接するホームも現存してお
り、客車モハ3形が静態保存されている。
396 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
酒田市
旧鐙屋住宅
397 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
酒田市
山居倉庫
(酒田夢の倶楽)
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
初代山形県令三島通庸の庄内近代化の 鶴岡市家中新町10- 山形県鶴岡市観光連盟サイト
http://www.tsuruokakanko.com/c
一環として建築された郡役所のひとつ。明 18
治14年の明治天皇東北御巡幸では鶴岡
ate/p0300.html
の行在所ともなった。和47年に現在地へ
移設。
明治5年に、旧庄内藩家老菅実秀の指導 鶴岡市羽黒町松ヶ
のもと、旧藩士3000人が松ヶ岡に入植して 岡29
桑畑などを開墾。鶴岡における製糸業や
絹織物業を牽引した。
山形県公式サイト
http://www.pref.yamagata.jp/ou/
shokokanko/110001/him/him_03.
html
文化2年(1805年)に酒井家9代目藩主・忠 鶴岡市馬場町11-45 山形県鶴岡市観光連盟サイト
徳公が創設した藩校。徂徠学を教学とし、
http://www.tsuruokakanko.com/c
自主性を重んじた教育方針であったとい
ate/p0010.html
う。
フランス人ダリベル神父の全財産と寄付 鶴岡市馬場町7-19 山形県鶴岡市観光連盟サイト
http://www.tsuruokakanko.com/c
により明治36年、庄内藩家老屋敷跡に建
設された。バジリカ型三廊式とよばれる造
ate/p0011.html
りで、設計は日本でも多くの名教会建築を
手がけたパピノ神父による。
田麦俣部落は六十里越街道の要所で、湯 鶴岡市田麦俣字七
殿山信仰が盛んになるにつれて宿場的性 ツ滝139
格を帯びた。当初は寄せ棟造りであった
が、明治に入って養蚕のために屋根の改
造が行なわれ、多層化が進んだと推定さ
れている。
昭和4年開業、昭和50年に廃止。廃止後 鶴岡市下川
は善法寺鉄道記念館として使われたが、
後に閉館した。
酒田を代表する廻船問屋であった鐙屋の
屋敷で、典型的な町家造りを留める。交易
で栄えた酒田の繁栄を今に伝える豪壮な
和風家屋である。国指定史跡。
鐙屋は酒田を代表する廻船問屋で、江戸 酒田市中町1-14-20 酒田市観光情報サイト
時代を通じて繁栄し、日本海海運に大きな
http://www.sakata役割を果たした。また酒田三十六人衆の
kankou.com/course/37#course_s
筆頭格として町年寄役を勤め、町政にも
pot_165
重要な役割を果たした。
明治26年に旧庄内藩主酒井家によって建 明治26年に酒田米穀取引所の倉庫として 酒田市山居町1-1- 酒田市観光情報サイト
てられた米保管倉庫。白壁、土蔵づくり9 建てられた。米処酒田の繁栄を支えてき 20
http://www.sakata棟からなる大型倉庫で、現在も倉庫として た建造物である。また建物の後にあるケ
kankou.com/course/37#course_s
使われているほか、一部を改築のうえ観 ヤキ並木は、暑さや風などから倉庫を守
pot_165
光物産館「酒田夢の倶楽」として公開され る役目をしている。
ている。
【h 景観・生活様式】 148/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
398 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
酒田市
山王くらぶ
明治28年に建築された老舗料亭の木造2
階建て店舗。現在も料亭として営業されて
いるほか、展示体験施設として活用されて
いる。国指定重要文化財。
明治28年に建築の料亭「山王くらぶ」とし 酒田市日吉町二丁
て建築された。老舗料亭にふさわしく、内 目2-25
部の組子建具や床の間などに銘木をふん
だんに用いている。
399 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
酒田市
本間家旧本邸
幕府巡見使の宿舎として明和5年(1768
年)に建築された書院造りの武家住宅。周
囲に高い土塀を巡らし、東西とそれぞれ長
屋門と薬医門があるなど、最高級の格式
を有する。県指定重要文化財。
はじめは酒井家家臣の本間家が、幕府巡 酒田市二番町12-13 酒田市公式サイト
見使用宿舎として建造したが、その後拝
http://www.city.sakata.lg.jp/ou/s
領し、代々本間家の本邸として使用され
hoko/kanko/bussan/7204.html
た。
400 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
酒田市
光丘文庫
大正14年に本間家の蔵書を中心に地方 酒田を訪れる皇族をはじめ、学者、軍人、 酒田市日吉町二丁
有志家による数万点の貴重な蔵書を集め 芸術家も多く来館した。また、市立図書館 目
て完成した文庫館で、酒田初の鉄筋コンク として、市民にも愛用された。
リート建造物でユニークな外観を持つ。
401 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
酒田市
松山城大手門 (松山歴史公園)
寛政4(1792)年に建築された松山城の大
手門で、県内に現存する唯一の城郭建築
である。城跡一帯は松山歴史公園として
整備されている。県指定文化財。
402 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
酒田市
旧阿部家住宅
403 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
新庄市
旧農林省蚕糸試験場
404 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
新庄市
鳥越八幡神社 本殿
405 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
新庄市
旧矢作家住宅
406 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
寒河江市
慈恩寺 本堂・三重塔
407 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
寒河江市
旧西村山郡役所および郡会 旧西村山郡役所は明治11年に建築された 初代山形県令三島通庸により県内近代化 寒河江市大字寒河
議事堂 (寒河江市郷土館) 木造2階建ての洋風建築である。郡会議 の一環として建築された洋風官衙。西村 江字長岡丙2707
事堂は明治19年に隣に建設された木造2 山郡役所と郡会議事堂は、郡制廃止後に
階建ての洋風建築で、現存する郡会議事 それぞれ別の場所に移設されたが、現在
堂としては最古である。寒河江市郷土館と は再び寒河江公園内にセットで建ってい
して利用されている。県指定重要文化財。 る。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
酒田市公式サイト
http://www.city.sakata.lg.jp/ou/s
hoko/kanko/bussan/7208.html
酒田市公式サイト
http://www.city.sakata.lg.jp/ou/s
hoko/kanko/bussan/7205.html
松山城は松山藩の居城であり、鶴ヶ岡城 酒田市新屋敷37-2 酒田市観光物産協会サイト
の支城として天明8年(1788年)に完成。大
http://www.sakata手門は間もなく落雷で消失したが、後に酒
kankou.com/spot/417
田の大富豪本間重利の寄進により再建さ
れた。明治元年廃城。
元禄3年(1690年)の建築といわれる古民 阿部家は代々坂本新田村で村役(肝煎) 酒田市山元字千刈 酒田市公式サイト
家で、当時の特徴である片中門造りを有 をつとめた家柄。市指定文化財。
田27
http://www.city.sakata.lg.jp/cultu
する。一向宗信仰の仏間も貴重である。市
re/heritage/5fbe4180606.html
指定文化財。
広大な敷地の正面に庁舎を構え、左右に 旧農林省蚕糸試験場新庄支場は、昭和9 新庄市十日町600 新庄市公式サイト
蚕種検査及び催青発蛾促進室と蚕種冷 年に蚕業試験場福島支場新庄出張所とし 1番地の1
http://www.city.shinjo.yamagata.j
蔵室及び蚕種保護室を配し、庁舎の後方 て発足した。蚕種の研究や桑の栽培等、
p/9635.html
に4棟の蚕室を並べ、各棟を渡廊下で連 戦中から戦後にかけて一貫して蚕糸業の
結する。わが国の蚕糸業の繁栄を支えた 発展に寄与し、市民から「原蚕種」の名称
一連の建築物として貴重である。国の登 で親しまれてきた。平成12年閉所。
録有形文化財。
寛永15年(1638年)に造営された本殿は 現在の本殿は新庄藩祖戸沢政盛の養子・ 新庄市鳥越1224
新庄市公式サイト
大型の一間社流造りで、華麗な彫刻や色 定盛が寛永15年(1638年)に造営。また、
http://www.city.shinjo.yamagata.j
彩に富む江戸時代初期の特色を有する。 拝殿は少し遅れて元禄4年(1691年)、2代
p/2563.html
この地方では最古の建築物である。国指 藩主正盛によって建立された。
定重要文化財。
建物の規模から一般農家と見られる片中 旧矢作家住宅については史料がなく、住 新庄市泉田往還東 新庄市公式サイト
門造りの民家で、構造手法などから江戸 宅の建立年代など明らかではない。
460
http://www.city.shinjo.yamagata.j
時代中期の建立と推定される。国指定重
p/2570.html
要文化財。
本堂は元和4年(1618年)山形城主最上義 慈恩寺は、天平18年(746年)、聖武天皇の 寒河江市慈恩寺31 寒河江市観光協会
俊の時に完成したもので、桃山建築の様 勅命によってバラモン僧正が開いたと伝
http://www.sagae式を残す。また三重塔は文政13年(1830 わる古い歴史をもつ。江戸時代には幕府
kanko.com/sightseeing/midokoro.
年)に再建されたもので、山形盆地唯一の から2812石余の御朱印を受け、東北有数
html
ものである。国指定重要文化財。
の巨刹として栄えた。
山形県公式サイト
http://www.pref.yamagata.jp/ou/
shokokanko/110001/him/him_22.
html
408 (h)景観・ 山形県 寒河江市・大 旧最上橋
生活様式
江町
等
昭和15年に架けられた97.6mのコンクリー
トアーチ橋で、3連からなる美しいリブアー
チ橋の姿と、調和のとれたバルコニーと高
欄が気品と風格を醸し出す。選奨土木遺
産。
日本三大急流に数えられる最上川のこの 寒河江市・大江町
地点には、明治15年に初代の木橋が架け (最上川河川上)
られた。そして昭和15年に東北振興土木
事業によって永久橋の旧最上橋が誕生。
平成15年には新しい最上橋が開通した。
土木学会公式サイト
http://committees.jsce.or.jp/heri
tage/node/262
409 (h)景観・ 山形県 寒河江市・白 最上川橋梁
生活様式
鷹町
等
明治20年に英国で作成されたダブルワー
レントラスの鉄道用橋梁で、東海道線から
現在地へ移転を経ながら1世紀以上の長
きにわたり利用されている貴重な土木遺
産である。
最上川橋梁は、明治20年に東海道線に架 寒河江市・白鷹町
設された橋梁の一部を、大正12年に改造 (最上川河川上)
して当時建設が進められていた国鉄長井
線(現山形鉄道フラワー長井線)へ移設し
たものである。
山形県公式サイト
http://www.pref.yamagata.jp/ou/
shokokanko/110001/him/him_07.
html
【h 景観・生活様式】 149/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
410 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
上山市
堅磐橋・新橋・覗橋・中山橋 上山市の旧街道(羽州街道、米沢街道)沿
(石アーチ橋)
いにかかるこれらの橋は、全て明治10年
代に架設された石アーチ橋で、東北地方
にありながら九州の石橋技術の流れをく
む貴重な土木遺産である。
初代山形県令となった三島通庸は、山深 上山市内各所
い山形の県土の発展には道路の開発が
急務であると県内各地に馬車道を建設し
た。その要所に架せられたこれらの橋は、
三島の故郷である九州から招聘された石
工達の手によるものが多い。
411 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
上山市
上山藩武家屋敷群
上山城(月岡城)は武衛義忠が天文4年
(1535年)に築城し、その西・北部一帯が
武家屋敷となった。仲丁通りには藩の要
職にあった家臣が居住していた。
412 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
上山市
滝沢屋 (旧丹野家住宅)
413 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
村山市
石鳥居
414 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
長井市
桑島記念館
昭和2年に完成した医院建築で、ゴシック 眼科医桑島五郎が昭和2年に長井市で初 長井市本町1-8-12 長井市観光協会公式サイト
建築を取り入れている。現在は移転のうえ めて個人の資金による洋館2階建ての病
http://www.kankou桑島記念館と名を変え、講演会、イベント 院を建築した。
nagai.jp/spot.html
などに利用される。市指定文化財。
415 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
長井市
旧小池医院
416 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
長井市
山一醤油店
417 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
長井市
齋藤家住宅
418 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
長井市
やませ蔵美術館
419 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
長井市
長井小学校第一校舎
昭和6年に完成した木造2階建ての医院建
築で、建築様式はロンドン郊外に多いエリ
ザベス朝(或いはハーフティンバー様式)
という日本では珍しいもの。外見のみ公
開。
老舗醤油醸造店の店舗および醸造蔵そ
のた付属する多くの建物からなり、大正時
代の再建だが、江戸時代の様式を良く留
めている。
江戸時代後期に建築されたとみられる木
造2階建ての町屋で、通りに面して伝統的
な外観を良く残している。土蔵とともに、国
の登録有形文化財。
江戸時代から続いていた紬問屋「山清」の
敷地にある、明治時代に建てられた5つの
蔵が、代々の当主が集めた美術コレクショ
ンを中心に、長井紬に関する資料等を展
示している。
昭和8年に完成した木造総2階建の学校建
築。切妻造妻入の正面玄関を中心とする
左右対称の外観とし、階段など内部の造
作もよく残す。国の登録有形文化財。
420 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
長井市
旧西置賜郡役所 (小桜館) 明治11年に建てられた木造二階建ての洋 明治初期に山形県内に建築された郡役所 長井市高野町2丁
風官衙建築で、現在は小桜館として様々 は11棟あり、そのうち6棟が現存する。これ 目7−28
な展示やイベントなどに利用されている。 は全国的に見ても高い水準である。
市指定有形文化財。
421 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
長井市
長沼合名会社
上山藩の城下町に残る武家屋敷は、森本
家・三輪家・ 山田家・旧曽我部家などがあ
り、いずれも茅葺屋根、鉤形の曲がり屋
で、武家中門造りの建築様式を持つ。市
指定有形文化財。
江戸時代に羽州街道の要衝として栄えた
楢下宿の脇本陣。江戸時代中期の建築と
推測される曲がり屋で、
観音開きの大戸は大名や上級武士等の
出入りにのみ使用された。現在は移築復
元のうえ資料館として公開されている。市
指定有形文化財。
推定600年前に造られたと言われる石の
鳥居。一般的な鳥居と比べると高さが低く
柱が太い。山形県の石造文化を代表する
ひとつである。 県指定有形文化財。
山形県公式サイト
http://www.pref.yamagata.jp/ou/
shokokanko/110001/him/him_mai
ncat2.html
上山市鶴脛町1丁目 かみのやま温泉公式サイト
http://kaminoyamaspa.com/tourism/data/000063.ph
p
滝沢屋は庄屋を務めた由緒ある家柄で、 上山市楢下乗馬場
参勤交代の折には大名や上級武士の宿 1759−1
泊・休息に利用された。
かみのやま温泉公式サイト
http://kaminoyamaspa.com/tourism/data/000066.ph
p
最上義守または鳥居左京亮忠政が寄進し 村山市楯岡笛田
たとされる。山形県にはこうした石造文化
による石鳥居が 数十ヶ所知られている
が、中でも最古級に属する。
村山市公式サイト
http://www.city.murayama.lg.jp/k
anko/bunka/bunkazai/city_bunka
zai.html
医者小池力が昭和6年に建設した。
長井市本町
創業は寛政元年(1789年)という当地の老 長井市あら町6-57
舗で、現在の店舗は大正9年に完成した。
主屋は江戸末期の建築を大正後期に移
築。土蔵は、明治前期の建築である。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
山形県観光情報ポータルサイト
http://yamagatakanko.com/spotd
etail/?data_id=1850
長井市観光協会公式サイト
http://www.kankounagai.jp/spot.html
長井市館町北639-1 文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=197979
紬問屋「山清」は江戸時代から続く紬問屋 長井市あら町6-61
である。
長井市公式サイト
http://www.city.nagai.yamagata.jp
/kenzoubutsu/644.html
昭和8年に長井町立尋常高等小学校とし
て開校した。昭和22年に長井小学校と改
称。当時は第一校舎と同じ第二、第三校
舎が並んでいたが、これらは後にコンク
リートで改築されて現存しない。
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=120517
長井市ままの上
1764他
1000坪以上の敷地の中に、江戸後期から 生業の醸造業は大正5年から始まり、現在 長井市十日町1652-1 他
昭和初期に建築された主屋・作業場・前 も営まれている。
蔵・中蔵・内蔵・仕込み蔵・新蔵・付属倉
庫・稲荷社が建ち、敷地内に水路がある。
国の登録有形文化財。
長井市観光ポータルサイト
http://yamagata.kankounagai.jp/log/?l=324644
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=120057
【h 景観・生活様式】 150/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
422 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
天童市
若松寺観音堂
観音堂は様式手法からみて室町時代末
のものと考えられるが、慶長16年(1611
年)に大改修が行われた。5間四方で周囲
に縁をめぐらし、内陣には厨子が安置され
ている。国指定重要文化財。
423 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
天童市
旧仲野家住宅 (出羽桜美術館)
旧羽州街道西側の敷地に建つ寄棟造平 明治45年に出羽桜酒造株式会社社長邸 天童市一日町1入桟瓦葺で、老舗商家にふさわしい大きく 宅として建設され、後に数度の増築を経て 315-1
風格ある佇まい。現在は出羽桜美術館と いる。
して仲野家が収蔵する様々な美術品を展
示する。国の登録有形文化財。
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=186643
424 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
天童市
清池の石鳥居
平安時代後期に建設されたとみられる石 山形市の成沢と元木にある石鳥居ととも
鳥居で、全国的にも古い石鳥居である。市 に、「最上の三鳥居」ともいわれる。
指定文化財。
天童市観光ガイド
http://www.ikechang.com/navi51.
htm
425 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
天童市
旧東村山郡役所
(旧東村山郡役所資料館)
明治11年に完成した、3階に塔屋をもつ瓦
葺漆喰白壁の洋風建築である。明治32年
に2階建てに改築されたが、昭和60年に元
の姿に復された。現在は旧東村山郡役所
資料館として活用。県指定有形文化財。
旧東村山郡役所は明治11年に郡制が布 天童市五日町2-4-8 山形県公式サイト
かれたことに伴い、東村山郡の郡役所とし
http://www.pref.yamagata.jp/ou/
て創建された。明治14年の明治天皇東北
shokokanko/110001/him/him_21.
巡幸の際には昼食の行在所として使用さ
html
れた。
426 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
天童市
格知学舎
明治3年に完成した私塾の木造学舎で、
木造2階建ての主屋のほか、附属屋として
食堂・炊事場・物置があった。県指定史
跡。
儒学者で浄土真宗の僧侶でもあった本沢 天童市大字貫津字
竹雲によって明治2年に設立された私塾で 上貫津72
ある。儒教的な道徳主義・徳育を骨子とし
て漢学を教えた。昭和21年廃止。
427 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
尾花沢市
延沢銀山遺跡
康正2年(1456年)に発見されたといわれ、 尾花沢市大字銀山 尾花沢市公式サイト
その後栄えたが、元禄2年(1689年)に大崩 新畑・大字六沢・大 http://www.city.obanazawa.yama
落が起きて廃山となった。その後、一帯は 字延沢
gata.jp/1985.html
銀山温泉とよばれる温泉湯治場として脚
光をあびるようになった。
428 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
尾花沢市
能登屋旅館 本館
429 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
南陽市
二宮神社 社殿 および 土社神社 社殿
近世初期に栄えた銀山で、最盛期には島
根の石見、兵庫の生野とともに三大銀山
と呼ばれ、2万5千人の人々が暮らした。観
光坑道である銀鉱洞は銀山温泉のそば
で、浴衣姿で坑内を一巡できる。国指定史
跡。
大正14年頃に完成した木造3階建塔屋付
の大型の旅館建築で、和風を基調としな
がら正面にバルコニー付きの玄関を持つ
など洒落た外観意匠は広く親しまれてい
る。現在も旅館として営業。国の登録有形
文化財。
一間社流造の社殿は室町時代末期の建
築と推定される。蟇股に施されているウズ
ラとオモダカの葉は美術的な評価が高い。
隣接する土社神社社殿(同年代同型の堂
宇)とともに県指定有形文化財。
430 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
南陽市
熊野神社 拝殿
天明7年(1787年)に再建された拝殿は、
桁行7間、梁行3間、入母屋造り茅葺きの
全国的にも珍しい大型の拝殿で、再建当
初の形式が良好に残る。県指定有形文化
財。
社伝によれば大同元年(806年)に平城天 南陽市宮内3476-1 山形県公式サイト
http://www.pref.yamagata.jp/ou/
皇の勅命により紀伊国熊野権現の勧請を
kyoiku/700015/bunkazai/bunkaz
受けて再興されたとされ、それより古い由
ainews/publicfolder20060529773
緒を持つとされる。歴代の領主である伊達
1499986/kenkenzoubutu/kumano
氏・最上氏・上杉氏の崇敬を受け、日本三
jinja.html
熊野の一つとされる。
431 (h)景観・ 山形県
生活様式
432 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
南陽市
羽州街道橋梁
資料不足により情報収集不可
山辺町
旧吉田家住宅
宝永(1710年頃)以前に建築されていた木
造平屋建て寄棟造、茅葺の大規模上層農
家である。住宅建築史上でも貴重な遺構
とされる。県指定有形文化財。
山辺町
大蕨の棚田風景
433 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
若松寺は、和銅元年(708年)行基の開基 天童市山元2205− 天童市公式サイト
と伝えられ、江戸時代には山形城主最上 1
http://www.city.tendo.yamagata.j
家の庇護を受けた。後縁結びの寺として
p/tourism/kanko/kuni著名。最上三十三観音の第一番札所であ
bunkazai.html
る。
天童市大字清池
銀山川と背後の急傾斜地に挟まれた狭隘 尾花沢市大字銀山
な場所に立置する秘湯の里銀山温泉街に 新畑446
ある老舗の温泉旅館。
天童市公式サイト
http://www.city.tendo.yamagata.j
p/m/kanko/kakutigakusya.html
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=137391
二宮神社は熊野大社の末社の1つで別名 南陽市宮内3476-1 南陽市公式サイト
「若王子」と呼ばれる。
http://www.city.nanyo.yamagata.j
p/bunkasiseki/341.html
吉田家は宝永7年(1710年)以来、何回か 山辺町大字畑谷字
の幕府巡検使の常宿として使われた記録 前田17
があり、当時すでに上座敷・下座敷からな
る客座敷を備えた、大規模の上層農家で
あった。
山辺町の代表的な景観で、特に秋の収穫 明治から昭和20年頃までに開発された棚 山辺町大蕨
後のハサ掛けは見事なほどに整列してお 田である。
り、見る人を圧倒させる。日本の棚田百
選。
山形の宝
http://www.pref.yamagata.jp/cgibin/yamagatatakara/?m=detail&id=1205
一般社団法人地域環境資源セン
ター
http://www.acres.or.jp/Acres200
30602/tanada/100selectmap/ya
magata.html
【h 景観・生活様式】 151/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
434 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
中山町
柏倉九左エ門家住宅
山形盆地を一望に見渡せる旧豊田村岡地 柏倉九左エ門は江戸時代に山形城下の
区に建つ大庄屋の大邸宅。約4,000坪の 大庄屋を勤めた家柄である。
敷地に360坪の豪壮な屋敷のほか、小堀
遠州流の築山庭園がある。季節によって
享保雛や古今雛が展示されるほか、昔語
りやお香などさまざまなイベントが開催さ
れる。県指定文化財。
435 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
河北町
溝延八幡神社 本殿
本殿は寛文7年(1667年)の建立で、一間
社流造り。寒河江荘の三八幡とされた溝
延・谷地・寒河江八幡の中でも最も古い建
造物である。県指定有形文化財。
436 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
河北町
堀米四郎兵衛屋敷跡 御朱 御朱印蔵は朱印状の収蔵庫として文久3
印蔵・長屋門・武者蔵 年(1863年)に建立された入母屋造の土
(紅花資料館)
蔵。武者蔵は嘉永6年(1853)に建てられ
たもので、幕府の命によって組織された農
兵隊の武器蔵として利用された。長屋門
は江戸末期に建てられたもので名主と武
士待遇を受けている者だけが通る事が出
来た。これらを含めた屋敷跡は紅花資料
館として展示、活用されている。
堀米四郎兵衛は文化年間(1804~1818 河北町谷地戊1143 河北町公式サイト
年)から紅花を本格的に取扱い、一帯でも
http://www.town.kahoku.yamagat
指折りの豪商へと成長した。大名貸しも
a.jp/1833.html
行っていたと考えられ、伊達藩白石城主
や庄内藩酒井公の拝領品が保存されてい
る。
437 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
西川町
旧日月寺本堂
旧日月寺は、嘉慶元年(1387年)後小松 西川町岩根沢
天皇の時代に創建され、その後繰り返し
火災に遭っているが、天保12年(1841年)
に再建された。
山形の宝
http://www.pref.yamagata.jp/cgibin/yamagatatakara/?m=detail&id=1028
438 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
西川町
旧八聖山不動尊本堂 (金
山神社本殿)
山形の宝
http://www.mmdb.net/yamagatanet/usr/nishikawa1/bunkazai/pa
ge/A0024.html
439 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
西川町
山形交通三山線保存車「モ
ハ103」 (月山の酒蔵資料
館)
金山神社は、もと八聖山不動尊と称し、中
世以降、出羽三山神社の道中祈願所とし
て栄えた。また、江戸時代以降は鉱山従
事者の信仰を集め、全国唯一の鉱山の神
としても篤く信仰された。
山形交通三山線は、大正末期に創業し、
左沢線の羽前高松から、月山山麓の間沢
まで11.4kmを走っていた私鉄で、出羽三
山参詣客輸送や地域開発を担ったが、昭
和49年に廃止された。
440 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
朝日町
旧西五百川小学校三中分校 明治15年に建築された、木造2階一部3階
建ての校舎建築。壁は和風の土蔵造りで
内外ともに漆喰仕上げの白壁だが、三階
部の丸窓などに西洋建築への指向もうか
がえる。国の登録有形文化財。
明治15年に三餘学校の校舎として建築さ 朝日町大字三中字
れ、明治20年に三中尋常小学校、同25年 八ツ沼甲232番
に西五百川尋常小学校分校となる。戦後
は町立西五百川小学校三中分校として使
われ、平成7年に閉校。
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=268166&imageNu
m=7
441 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
朝日町
佐竹家住宅
元文5年(1740年)に建築された上層農家
の家屋で、最上川舟運の繁栄の歴史とと
もに歩んだ。現住の家屋だが定期的に見
学会あり。国指定重要文化財。
村の大庄屋を務めた佐竹長右衛門家は、 朝日町夏草
米沢藩に最上川での通船差配役を任命さ
れた家柄で、安全な通船を図る仕事をして
いた。
朝日町エコミュージアム公式サイ
ト
http://www12.ocn.ne.jp/~aecom/index.htm
442 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
朝日町
水口十一面観音堂
最上川舟運の通船差配役であった大庄屋 かつて栄えた朝日岳信仰の第一遥拝所と 朝日町大字常盤に
が中心となって建築した、江戸中期の典 して、 宝暦5年(1755年)に当時の大庄屋 634
型的な三間堂。朝日町指定有形文化財。 佐竹長右衛門が中心となって再建した。
写真町指定有形文化財。
朝日町エコミュージアム公式サイ
ト
http://www12.ocn.ne.jp/~aecom/index.htm
443 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
朝日町
椚平の棚田風景
最上川の河岸段丘の高台に位置する棚
田で、周辺の山々や集落と良く調和し、地
元住民と町が一体となって整備した里山
の山頂公園からは町の中心部や最上川も
遠望でき、保全された美しい景観を保って
いる。
一般社団法人地域環境資源セン
ター
http://www.acres.or.jp/Acres200
30602/tanada/100selectmap/ya
magata.html
現在の本堂はかつて仏殿であったもの
で、桁行35間5尺、梁間12間2尺という大
規模な堂宇である。また細部の彫刻は名
工として名高い高山文五郎が彫り込んだ
ものとされる。国指定重要文化財。
出羽三山への道中祈願所として、また鉱
山の神を祀る神社として古くから信仰され
た旧八聖山不動尊で、鬱蒼とした森の奥
に極彩色の荘厳な社殿が鎮座する。
月山の酒蔵資料館には、大正15年の開業
当初から昭和49年の廃止まで山形交通三
山線で使われていた木造客車「モハ103」
が静態保存されている。また、施設には三
山線の資料も展示されている。
中山町大字岡8
情報源・取材元
縁起によると天慶年間(938~947年)の創 河北町大字溝延字
建とされるが、現在の社地は大江氏が南 八幡小路5864
北朝時代に溝延城を築いたときのものと
考えられている。
西川町大字水沢字
沢63
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
中山町公式サイト
http://www.town.nakayama.yama
gata.jp/kankoukyoukai/miru/kasi
wagura.html
i山形
http://www.iyamagata.jp/tourism/2055/
西川町睦合丙674− 鉄道ホビダス
http://rail.hobidas.com/blog/nato
2
ri/archives/2011/08/post_185.ht
ml
戦後に開発された棚田である。棚田も含 朝日町椹平
めた集落の営農、水路等の管理について
は、農業者のみならず集落全体で行って
おり、今後も耕作の継続が期待できるとさ
れる。
【h 景観・生活様式】 152/188
カテゴリー
県
市町村
444 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
大江町
445 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
大江町
446 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
地域資源名
資源の概要
最上川舟運と左沢の景観
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
左沢は、置賜盆地と村山盆地とをつなぐ
峡谷部に位置し、近世に米沢藩の船屋敷
が設置されるなど河岸が所在したことによ
り、山間部で産出された青苧などの取引を
中心とする最上川舟運によって町場が発
達した。「最上川の流通・往来及び左沢町
場の景観」として国の重要文化的景観に
選定されている。
旧斎藤半助家住宅
江戸時代に京や大阪とも取引きを行った
(大江町立歴史民俗資料館) 大問屋の母屋と土蔵が、移設のうえ大江
町立歴史民俗資料館として利用されてい
る。町指定文化財。
文化財指定の構成要素は主に次の3点で 大江町大字左沢字
ある。中世に左沢楯山城が築かれ、現
元屋敷・楯山・裏山
在、楯山公園(日本一公園)が所在する楯 地内
山地区。最上川舟運の航路であった最上
川地区。小漆川城の城下町であり、最上
川舟運河岸とともに繁栄した左沢町場地
区。
大江町
巨海院 山門
左沢藩主の酒井直次により築かれた小漆
川城の門と伝えられる。建築年代は元和8
年(1622年)から寛永の初め頃、巨海院へ
の移設は慶安元年(1648年)頃と推定され
る。町指定文化財。
元和8年(1622年)に左沢藩が成立し、藩
主酒井直次のもとに左沢の町が作られ
た。だが同藩は寛永8年(1631年)に直次
の死とともに廃止され、大手門のみが菩
提寺である巨海院に移築された。
447 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
金山町
大堰
羽州街道の宿場であった町の中心部をめ
ぐる用水路。春から秋にかけて鯉250匹が
放流される。金山町のシンボルとして愛さ
れている。
大堰は、戦国時代末期に開削された、農 金山町金山330
業用水兼宿場の生活用水。河川の美化に
対する啓蒙のため、昭和48年から錦鯉が
放流されている。
疎水名鑑公式サイト
http://inakajin.or.jp/sosui_old/ya
magata/a/26/index.html
448 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
金山町
長屋門
茅葺き屋根の長屋門は、江戸時代の初期
に取り壊された金山城の大手門を移築し
たものと伝えられる。金山最古の建築物と
される。
金山城は、天正9年(1581年)に最上義光 金山町大字金山
の家臣丹与惣左衛門によって金山の街と
ともに作られた。元和8年(1622年)の最上
家改易により廃城。
山形県公式サイト
http://www.pref.yamagata.jp/ou/
sogoshicho/mogami/314003/tiiki
sigen/kaneyama/sisekika.html
449 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
金山町
歴史の門
金山小学校にある「歴史の門」と名付けら 金山城廃城に伴い、裏門は町内の宝円寺 金山町金山108−2 山形県公式サイト
れた門は、元和8年(1622年)に廃止された の山門として移築され、明治7年に宝円寺
http://www.pref.yamagata.jp/ou/
金山城の裏門を移設したものとされる。
に金山小学校が開設してからは校門とし
sogoshicho/mogami/314003/tiiki
ても親しまれた。
sigen/kaneyama/sisekika.html
450 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
金山町
日輪舎
(カムロファーム倶楽部)
独特の円柱形に円錐のとんがり屋根を乗
せた木造建築物で、戦時中日本各地に作
られた、日輪兵舎と呼ばれる満州移民開
拓のシンボル的な建造物である。現存す
るものは数が少なく貴重とされる。
戦時中に建築され、戦後は神室農場の葉 最上郡金山町有屋
たばこ乾燥施設などとして利用された。平 1247-2
成10年に神室農場は自然と触れ合うため
のレクリエーション施設カムロファーム倶
楽部となった。
歴史を語る建物たち
http://www.eyamagata.com/history/nichirinns
ya/
451 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
金山町
谷口銀山跡
江戸時代初期に栄えた銀山跡で、いくつ
かの坑口や坑道が保存されている。保存
会のガイド付きで探検ツアーが開催されて
いる。
谷口銀山は室町時代に金売吉治が発見 最上郡金山町大字
したといわれる。江戸時代初期の寛永か 飛森501
ら慶安にかけてが全盛期で、当時は数万
人が暮らしたという。
山形県公式サイト
http://www.pref.yamagata.jp/ou/
sogoshicho/mogami/314003/tiiki
sigen/kaneyama/sisekika.html
452 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
最上町
最上町堺田59−3
453 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
最上町
旧有路家住宅 (封人の家) 藩境警備を行う封人と呼ばれる役人の家
で、松尾芭蕉ゆかりの宿としても知られ
る。寄棟造、南面切妻破風付、茅葺の大
型住居で、江戸時代中期の建築とされる。
国指定重要文化財。
明神川橋梁 (大森山森林 公的情報源からの情報収集不可(歩道と
鉄道跡)
して健在。東北地方に現存するものでは、
最大の森林鉄道用橋梁と推測される。)
454 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
真室川町
森林鉄道保存運転 (梅里
園)
真室川町平岡894-2 山形県公式サイト
http://www.pref.yamagata.jp/ou/
shokokanko/110001/him/him_23.
html
455 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
真室川町
正源寺 山門
大江町公式サイト
http://www.town.oe.yamagata.jp/
modules/sightsee/index.php?con
tent_id=43#c02
斎藤家は、一帯の地主として寛文年間
大江町本郷丁373- 大江町公式サイト
(1600年頃)から知られる旧家で、小清村 1
http://www.town.oe.yamagata.jp/
の名主であり、青荢・漆ロウ・養蚕などで
modules/sightsee/index.php?con
栄えた商家でもあった。
tent_id=37#b7
有路家は代々、仙台領と境を接する新庄
領堺田村の庄屋で、国境を守る封人で
あった。元禄2年(1689年)松尾芭蕉が大
雨のため2泊3日滞在し、「奥の細道」にそ
の事を書いている。
昭和37年まで大森山森林鉄道として使わ
れていた7連の上路プレートガーダー橋。
現在も歩行者専用の橋として維持されて
いて、住民が通行。
「まむろ川温泉梅里苑」の敷地には、かつ 真室川森林鉄道は、奥羽本線釜淵駅を起
て町内に存在した真室川森林鉄道をモ
点に大沢川入に至る全長28kmの森林鉄
チーフとした一周約1kmの線路が敷か
道。昭和13年から37年まで使われてい
れ、森林鉄道の保存機関車が牽引するト た。当時の貴重な資料が、真室川町立歴
ロッコ列車に体験乗車が出来る。
史民族資料館に展示されている。
江戸時代後期に建築された山門は、もと
湯殿山大日坊総門であったもので、高さ
13m、間口9.7m、奥行6.1m、12脚の堂々た
る楼門である。踏切の前に立つ姿が特徴
的。町指定重要文化財。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
大江町本郷己7
大江町公式サイト
http://www.town.oe.yamagata.jp/
modules/sightsee/index.php?con
tent_id=37#b9
最上町公式サイト
http://mogami.tv/info/shisetsu/
houjin/
最上町富沢 (明神
川河川上)
正源寺は、天文5年(1536年)に小野寺氏 真室川町新町22-13 真室川町公式サイト
http://www.yume家臣の鮭延城主佐々木典膳貞綱の開基
net.org/modules/xfsection/articl
とされる。昭和36年に朝日村大網の湯殿
e.php?articleid=97
山大日坊の総門が移築された。
【h 景観・生活様式】 153/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
月山・葉山山麓に展開する棚田で、シラス
土壌地帯であり、火山地帯特有の地形形
状と水田の景観が見事である。また、本地
域は地すべりの危険が大きいが、地元農
家は日頃より災害等の未然防止を念頭に
日常の営農活動の一環として地域内を見
回っている。
大蔵村と寒河江市を結ぶ十部一峠は、国
道458号でありながら、現在も一部に砂利
道の区間が残っており、日本唯一の「ダー
ト国道」「酷道」として人気がある。
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
456 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
大蔵村
四ケ村の棚田風景
457 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
大蔵村
砂利道の国道風景 (十部
一峠)
458 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
高畠町
旧高畠駅舎と保存車「ED1」 昭和9年に建築されたモダンな石造りの駅 高畠鉄道は、高畠地域から農工業生産物 高畠町高畠1566-13 置賜文化フォーラム
http://okibun.jp/takahatasen/
「モハ1」
舎は、昭和49年に廃止された山形交通高 を奥羽本線へ輸送する鉄道として、大正
畠線の中心駅であった。駅へ続く廃線跡 11年に糠野目~高畠間が開業。大正13年
は「まほろばの緑道」として整備され、「ED に二井宿まで延長され全線10.5kmとなっ
1」「モハ1」などの保存車を展示している。 た。昭和49年廃止。
459 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
高畠町
安久津八幡神社 本殿・三
重塔・舞楽殿
三重塔は寛政9年(1797年)に再建された
もので、置賜地方唯一の層塔。舞楽殿
は、室町末期のものといわれる。本殿は、
宝暦5年(1755)に上杉重定が再建したも
のである。これらは県指定文化財。
安久津八幡神社は、貞観2年(860年)、慈 高畠町安久津201 高畠町公式サイト
覚大師の開基といわれ、後に源義家が戦 1
http://www.town.takahata.yamag
勝を祈願して、鎌倉鶴岡八幡を勧請したと
ata.jp/014/akutsuhachiman.html
伝える。平安時代から舞楽が伝わってい
る。
460 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
川西町
樽平酒造と掬粋巧芸館
江戸中期に創業した樽平酒造の主屋と6
棟の蔵群および、隣接する昭和7年開館
の掬粋巧芸館本館と日本館という9棟の
建物は、国の登録有形文化財。
461 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
川西町
玉庭の中門造り民家群
川西町南部の玉庭地区には、幕末から明
治、大正期に中門造りの家屋が数多く建
てられ、現在も住み継がれている。
462 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
川西町
牛谷家の門
樽平酒造は、江戸元禄期(1688~1704
年)創業の老舗。隣接する掬粋巧芸館は、
昭和7年開館という日本最古の登録博物
館のひとつで、日本を代表する中国陶磁
器の美術館。
川西町南部の玉庭地区は、冬期には数
メートルの雪が降り積もる豪雪地帯であ
る。田園風景に点在する茅葺き屋根の民
家群は、日本の代表的な農村景観を形
成。
牛谷氏は、上杉藩時代を通じて土豪として
権勢を誇った。大塚城は、伊達家家臣大
塚氏の居城であったが、天正19年(1591
年)の伊達氏岩出山移封に従い廃城と
なった。
463 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
小国町
464 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
小国町
465 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
白鷹町
466 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
飯豊町
牛谷家の門は、大塚城の大手門であった
ものを牛谷氏が貞享3年(1686年)に移し
たものとされる。かつて門の内部で武術の
稽古が行われていたが、現在は民具の展
示場として活用されている。町指定文化
財。
片洞門と綱取橋 (石アーチ 明治19年に完成した小国新道は、桜川渓
橋)
谷の崖を「コ」の字状に刳り抜いた姿が
「片洞門」と呼ばれた。また、この区間には
渓谷を渡る巨大な石アーチ橋が存在し、
綱取橋と呼ばれる。(現在は廃道で立入
禁止)
小玉川マタギの里
飯豊山地の麓にある小玉川地区には、昭
和初期までマタギで暮らした文化が残存し
ており、クマの生態調査を今も続けてい
る。豊かなブナ林に抱かれた山里で、「森
林セラピー基地」としてむらおこしを進めて
いる。
観音寺 観音堂
観音堂は方3間の萱葺き、阿弥陀堂式建
築で、太い柱などに平安末期頃の特徴が
見られる。山形県内最古の建造物と見ら
れている。国指定重要文化財。
飯豊町の田園散居集落景観 飯豊町には、全国的にも数少ない屋敷林
に囲まれた田園散居集落が点在する。伝
統的景観を展望出来る展望台が整備され
ている。
平地の少ない土地であり、地元では特段 大蔵村四ケ村
棚田ということを意識していないという。明
治から昭和初期にかけて開拓された棚田
である。
一般社団法人地域環境資源セン
ター
http://www.acres.or.jp/Acres200
30602/tanada/100selectmap/ya
magata.html
標高874mの十部一峠の近くにはかつて松 大蔵村~寒河江市
永鉱山があり、鉱石が峠を越えて寒河江
へ運ばれた。また、月山や葉山への登拝
路としても使われた・
酷道をゆく (イカロス出版)
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
川西町中小松288 川西町公式サイト
6
http://www.town.kawanishi.yama
gata.jp/kyouikubunka/taruhei.htm
l
川西町玉庭
川西町公式サイト
http://www.town.kawanishi.yama
gata.jp/kyouikubunka/tamaniwa.h
tml
川西町大塚
川西町公式サイト
http://www.town.kawanishi.yama
gata.jp/kyouikubunka/usiyake.ht
ml
山形県令三島通庸が計画した小国新道 小国町大字綱木箱
は、越後街道を川沿いの平坦な車道に変 の口字子子見
更するもので、明治19年に完成した。最大
の難所であった片洞門や綱取橋には、明
治の土木技術が結集している。
山形県公式サイト
https://www.pref.yamagata.jp/ou
/shokokanko/110001/him/him_1
4.html
小国町小玉川は、全国でも有数のマタギ 小国町小玉川
の里として古くからマタギ文化を伝承して
いる。地区内には「マタギの郷交流館」が
あり、マタギ文化の展示、継承が行われて
いる。
にほんの里100選
http://www.sato100.com/?page_i
d=105
観音寺は置賜三十三観音第八番札所とし 白鷹町深山3072
て、古くから多くの参拝者が訪れている。
観音堂の建立年は定かではない。
i山形
http://www.iyamagata.jp/tourism/1784/
屋敷林は冬期間まともに受ける北西の風 飯豊町豊町椿2888 やまがたへの旅
から防風、防雪に備えて植えられている。
http://yamagatakanko.com/spotd
平成5年度に農林水産主催「第1回美しい
etail/?data_id=2735
日本のむら景観コンテスト」で最高賞の農
林水産大臣賞を賞した。
【h 景観・生活様式】 154/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
467 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
遊佐町
鳥海山大物忌神社
鳥海山大物忌神社の里宮である吹浦口
之宮は、拝殿の背後に大物忌神と月山神
の両神を祀る本殿が2棟並ぶ。これらはい
ずれも国の登録有形文化財。また、もう一
つの里宮である蕨岡口之宮も、本殿や随
身門などが国の登録有形文化財である。
創建は古く、鳥海山の噴火などの異変が 遊佐町吹浦布倉1
起こると朝廷から奉幣があり鎮祭が行わ
れた。式内社。本社は山頂に鎮座し、遊佐
町吹浦にある吹浦口之宮と蕨岡の蕨岡口
之宮は里宮である。歴代天皇の崇敬篤く、
日本有数の格式を誇る。
遊佐鳥海観光協会公式サイト
http://www.yuzachokai.jp/view/c
hokaisanomonoimijinja-2
468 (h)景観・ 山形県
生活様式
等
遊佐町
旧青山本邸
漁業で成功をおさめた青山留吉の本邸
遊佐町比子字青塚
で、彼の生涯や当時の青山家の繁栄を物 155番地
語る多くの文化遺産が展示されている。お
ひな様の展示でも知られる。
遊佐鳥海観光協会公式サイト
http://www.yuzachokai.jp/view/k
yuaoyamahontei
469 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
福島市
旧広瀬座
北海道のニシン漁などで財をなし明治の
漁業王となった遊佐町出身の青山留吉
が、明治23年に完成させた和風住宅で、
内外に当時の贅を尽くした施工をしてい
る。国指定重要文化財。
伊達郡梁川町の広瀬川川岸に明治20年
頃完成した木造一部二階建ての芝居小
屋。当時の芝居小屋は全国的にも珍し
い。現在は福島市民家園内に復元のうえ
利用されている。国指定重要文化財。
明治20年に旧地に完成し地域唯一の大型 福島市上名倉字大
娯楽施設として賑わった。昭和24年には 石前地内
映画館へ改装。テレビの登場で次第に廃
れ、昭和61年に取り壊されることが一旦決
まったが、全国的にも貴重な芝居小屋で
あるため、民家園に移設された。
福島市民家園サイト
http://minkaen.com/shisetu/06hiroseza.html
470 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
福島市
安洞院多宝塔
文化9年(1812年)建立と伝えられる高さ
15mの堂塔。多宝塔遺構は関東以北には
少なく、東北にはこの一塔しか現存しな
い。県指定重要文化財。
福島市山口字文知
摺70番地
福島市公式サイト
http://www.city.fukushima.fukush
ima.jp/soshiki/43/1489.html
471 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
福島市
旧奈良輪家住宅
福島市上名倉字大
石前地内
福島市民家園サイト
http://minkaen.com/shisetu/12narawa.html
472 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
福島市
旧祓川橋
江戸時代中期の建築と推定される上層農
民の民家。現在は他の古民家とともに福
島古民家園内に移設のうえ展示されてい
る。県指定重要文化財。
安政(1855~60年)に建造された石造アー
チ橋。橋の側面には鶴と亀の彫刻が施さ
れ、当時の石工技術の高さが伺える。現
在は駒山公園内に移設され園路として利
用されている。福島市指定文化財。
安洞院は源融(みなもとのとおる)と虎女
(とらめ)の「悲恋物語」で有名な文知摺
(もちずり)石で知られる。松尾芭蕉が訪れ
て「早苗とる手もとや昔しのぶ摺」と詠んだ
ことでも有名。
旧奈良輪家は福島市街の南郊に建ってい
た上層農民の住居と思われる。開口部が
閉鎖的であることなど、古い民家の要素を
持つ。
元は羽黒山参拝路の入口の祓川に架け
られていた。参拝者は祓川で身を清め、そ
れから橋を渡って羽黒山へ登ったという。
福島市駒山地内池
中島
福島市公式サイト
http://www.city.fukushima.fukush
ima.jp/soshiki/60/bunka157.html
473 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
福島市
福島市飯坂町字八
幡6
福島市公式サイト
http://www.city.fukushima.fukush
ima.jp/soshiki/60/bunka99.html
474 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
福島市
475 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
福島市
飯坂八幡神社 本殿・拝殿・ 江戸時代中期に建造された社殿(本殿・拝 飯坂八幡神社は、社伝によると天喜四年
幣殿
殿・幣殿)は当時の建築様式を良く伝え
(1056年)に源義家が勧請したという。宝永
る。福島市指定文化財。
7年(1710年)に現在地へ再建。秋の例大
祭は「けんか祭り」の異名をとり、勇壮な飯
坂太鼓で知られる。
旧日本銀行支店長役宅 木造平屋建て瓦葺きの建物で、阿武隈川 明治32年、東北初の日本銀行出張所(福
(御倉邸)
を借景にした日本庭園も美しい。戦前の日 島支店の前身)が開設され、昭和2年に純
本銀行の役宅として現存するのは福島と 和風建築の旧日本銀行福島支店長役宅
新潟の2箇所のみ。現在は御倉町地区公 が建てられた。
園として環境整備のうえ公開中。福島市
市指定文化財。
旧佐久間邸
江戸時代中期の建築と推定される広大な 母屋の大黒柱には慶応2年(1866年)の信
庄屋屋敷。屋敷の周りは堀に囲まれ、見 達世直し一揆で打ち壊しを受けた際の傷
事な石垣が見られる。現在は内部も公開 跡が残る。
されている。福島市指定文化財。
476 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
福島市
旧堀切邸
477 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
福島市
ノートルダム修道院
(現存しない)
478 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
福島市
福島教会
(現存しない)
1775(安永4)年建築に建造された県内最
大最古の土蔵「十間蔵」や、近代和風住宅
の主屋など、歴史的価値の高い建物が現
存する。現在は飯坂温泉の観光交流拠点
として活用されている。福島市指定文化
財。
昭和初期に建造された修道院で、ステンド
グラスや洋風の内部設計など、細部にも
意匠を凝らした名建築であったが、東日本
大震災で大きく破損し解体された。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
福島市御倉町1番78 福島市公式サイト
号
http://www.city.fukushima.fukush
ima.jp/soshiki/46/1825.html
福島市佐倉下字加
藤7-6
福島市公式サイト
http://www.f-kankou.jp/cgibin/fkankou/asobu/page.cgi?id=78
旧堀切邸は江戸時代から続いていた豪 福島市飯坂町字東
農・豪商の旧家で、飢饉時には農民の救 滝ノ町16番地
済を行うなど、地域の経済に大きく貢献し
たという。
福島市公式サイト
http://www.city.fukushima.fukush
ima.jp/soshiki/17/914.html
昭和10年建築。修道院としての役目は平 福島県福島市花園
成12年に終えたが、その後も結婚式場や 町7−7
記念写真の撮影スポットとして街の象徴で
あり続けた。
福島建設工業新聞
http://www.senmonshi.com/archi
ve/02/028A9Oxk01U79O.asp
明治42年に建てられた煉瓦造りの教会建 設計は教会建築を数多く手掛けたウィリア 福島市宮下町1−6 福島民報
築。福島県内で現存する最古の教会建築 ム・メレル・ヴォーリズで、彼が携わった初
http://www.minpo.jp/pub/topics/
であったが、東日本大震災で大きく破損し 期の作品としても貴重。
jishin2011/2011/03/post_217.ht
解体された。
ml
【h 景観・生活様式】 155/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
479 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
福島市
十綱橋
大正4年に完成した、現存する鋼アーチ橋 飯坂温泉の中心部にあり、古くからシンボ 島市飯坂町地区~
として日本最古の橋。全長51.7m。土木学 ルとして愛されてきた。現在はライトアップ 湯野地区
会選奨土木遺産。
も行われ、「ふくしま市景観100選」にも選
ばれている。
福島県公式サイト
http://wwwcms.pref.fukushima.jp
/pcp_portal/PortalServlet;jsessio
nid=AB1CD4590E0D61FA9E3AA
B4B8D66CA66?DISPLAY_ID=DIR
ECT&NEXT_DISPLAY_ID=U00000
4&CONTENTS_ID=34848
480 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
福島市
松川橋(めがね橋)
明治18年に水原川に架けられた長さ15.4
メートルの石アーチ橋。現在も県道に指定
されており、自動車が通行する橋としては
全国最古級であろう。
福島市松川町八丁
目
福島市公式サイト
http://www.city.fukushima.fukush
ima.jp/soshiki/43/1447.html
会津若松市一箕町
大字八幡弁天下
1404-2
会津若松市公式サイト
http://www.city.aizuwakamatsu.f
ukushima.jp/docs/201211090001
7/
会津若松市東山町
大字石山字院内1
AECHITECTURAL MAP
http://www.archhiroshima.net/amap/fukushima/nakahata.html
会津若松市北青木
13-32
福島県公式サイト
http://www.pref.fukushima.jp/aiz
u/kensetsu/kairou/shousai/kenti
ku/w-11.html
歴史回廊あいづ
http://www.aizukanko.com/spot/
139/
481 (h)景観・ 福島県 会津若松市 旧正宗寺三匝堂 生活様式
(通称:さざえ堂)
等
482 (h)景観・ 福島県 会津若松市 旧中畑陣屋 主屋 (会津武家屋敷)
生活様式
等
483 (h)景観・ 福島県 会津若松市 善龍寺 山門
生活様式
等
484 (h)景観・ 福島県 会津若松市 旧滝沢本陣
生活様式
等
485 (h)景観・ 福島県 会津若松市 会津松平氏庭園(御薬園)
生活様式
等
486 (h)景観・ 福島県 会津若松市 八葉寺 阿弥陀堂
生活様式
等
487 (h)景観・ 福島県 会津若松市 末廣酒造 嘉永蔵
生活様式
等
488 (h)景観・ 福島県 会津若松市 旧會陽医院
生活様式
等
489 (h)景観・ 福島県 会津若松市 白木屋漆器店
生活様式
等
橋が架かっている辺りは、江戸時代の奥
州街道「八丁目宿」として賑わった。現在
の橋は明治期の福島県令三島通庸によっ
て、陸羽街道(国道4号の前身)整備の一
環として建設されたもの。
寛政8年(1796年)に建立された高さ16.5 飯盛山の正宗寺住職であった僧郁堂(いく
m、六角三層のお堂。独特な2重螺旋の どう)が考案した建物。2重螺旋のスロー
スロープに沿って塔内を一周出来るとい プに沿って西国三十三観音像が安置され
う、建築史上特異な構造を持っている。国 ている。また、一方通行の構造により、たく
指定重要文化財。
さんの参拝者がすれ違うこと無くお参りが
出来る。
江戸時代天保年間(1831~45年)に建て 矢吹町中畑にあった江戸時代の代官陣屋
られた代官の屋敷で、武家屋敷としては で、明治以降は住宅として使用された後、
一般的な書院造りで茅葺き、玄関は唐破 「会津武家屋敷」の敷地内に移築復元さ
風が付いている。「会津武家屋敷」の敷地 れた。
に移設され公開されている。国指定重要
文化財。
寛政9年(1797年)の建立とされる、龍宮城 善龍寺は旧会津藩菩提寺で、会津藩家老
を連想させる珍しい造りの山門。会津地方 西郷頼母、その一族二十一人の墓、妻千
では他に例をみない唐風山門である。会 恵子の辞世を刻んだ「なよたけの碑」があ
津若松市指定文化財。
る。
江戸時代の本陣の建物。茅葺きの屋根の 会津若松と白河城を結ぶ白河街道の滝沢
書院づくりで御入御門、御座の間、御次の 宿本陣で、戊辰戦争の際には本営となり、
間などが当時の姿のまま残されているほ 白虎隊もここで命をうけて戸ノ口原戦場へ
か、歴代会津藩主の愛用した身回り品、 出陣した。建物のあちらこちらには弾痕や
参勤交代の道具類、古文書なども保管さ 刀傷があり、当時の戦いの痕跡をとどめ
れている。国指定史跡・国指定重要文化 る。
財。
旧会津藩主松平氏の別荘にある庭園で、 室町時代に葦名盛久が、霊泉の湧きだし
江戸時代中期の作庭手法をよく伝える。 たこの地に別荘を建てたのがはじまりと言
各種薬草を栽培する薬草園を付属。東北 われる。その後、歴代の藩主もここを愛し
地方では数少ない本格的な大名庭園とさ た。
れる。国の名勝。
文禄(1593~96年)年間に建造された入 八葉寺は古来より会津高野山と称され、
母屋造り、単層の茅葺屋根を持つ三間四 阿弥陀堂は康保元年(964年)に高僧空也
面の堂阿弥陀堂である。
上人により建立されたと伝えられる。天正
木製の五輪塔に亡くなった人の遺髪や遺 17年(1589)の戦火で焼け、文禄(1593~
骨などを入れて供養する風習は、全国で 96年)年間に再建されたとされる。
この八葉寺だけに残る。国指定重要文化
財。
大正時代に建てられた木造3階建ての酒 創業は嘉永3年(1850年)だが、明治38年
造店舗や酒蔵で、現在は気軽に酒造文化 頃の大火(通称:新城大火)により新蔵(座
に親しめるカフェも併設している。
敷蔵)を除き全焼し、現在の建物は大正時
代に再建された。
明治17年に建築された2階建ての家屋
旧會陽医院は、アメリカで最新の医療技
で、幼い野口英世はここで火傷の手術を 術を身につけた渡部鼎により開業され、幼
受けたことで医学の世界を志すようになっ 少の頃に左手の火傷を負った野口英世
た。現在1階は喫茶店、2階は資料館「野 は、先生の執刀で手術を受けた。そして後
口英世青春館」として利用。会津若松市歴 に書生として入門している。
史的景観指定建造物。
3階建ての店舗建築で、土蔵作りに近い技 白木屋漆器店は慶安年間(1648~52年)
法で建造されているが、縦長の窓やドー に創業し、享保年間から現在地で漆器業
マ、棟飾りなど洋風建築の要素を取り入 を営む老舗で、現在の建物は大正3年に
れている。現在も創業当時の生業を続け 建てられた。
ている。会津若松市の歴史的景観指定建
造物。
会津若松市一箕町
滝沢122
会津若松市花春町
8-1
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
会津若松観光ナビ
http://www.aizukanko.com/spot/
136/
会津若松市河東町 歴史回廊あいづ
大字広野字権現塚4 http://www.pref.fukushima.jp/aiz
u/kensetsu/kairou/shousai/kenti
ku/w-1.html
会津若松市日新町
12-38
里地ネットワーク
http://www.mizumidori.jp/minka/
010.htm
会津若松市中町4‐
18
会津若松市公式サイト
http://www.aizukanko.com/about
/2/
会津若松市大町12-10
会津若松市公式サイト
http://www.aizukanko.com/souve
nior/10/
【h 景観・生活様式】 156/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
490 (h)景観・ 福島県 会津若松市 福西本店
生活様式
等
491 (h)景観・ 福島県 会津若松市 鈴木屋利兵衛
生活様式
等
492 (h)景観・ 福島県 会津若松市 旧郡山商業銀行若松支店
生活様式
等
資源の概要
大正3年建築の土蔵商店住宅で、建築当
時の景観を良く保っている。店内では今で
はめずらしい座売りのスタイルで様々な民
芸品や会津漆器を販売。会津若松市の歴
史的景観指定建造物。
江戸時代末期に建造された土蔵商店住宅
で、店内では伝統の会津漆器をはじめ民
芸品も販売している。また奥座敷は会津
民芸館「漆乃舎」として、漆器の古い資料
を展示。会津若松市の歴史的景観指定建
造物。
大正10年に建築された鉄筋コンクリート造
2階建て地下1階の洋風銀行建築。現在は
喫茶店として利用されている。会津若松市
の歴史的景観指定建造物。
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
もとは福西伊兵衛商店という屋号の綿問 会津若松市中町4屋で、現在13代目。250年以上の歴史ある 16
老舗である。
会津若松市公式サイト
http://www.aizukanko.com/souve
nior/474/
鈴木屋利兵衛は安永年間(1772~81年) 会津若松市大町1の創業で、城下の四ツ辻に立地する。一 9-3
帯は戊辰の役の激戦地となり、現在も大
黒柱に刀傷が残されている。
会津若松市公式サイト
http://www.aizukanko.com/souve
nior/230/
大町四つ角のランドマークとして親しまれ 会津若松市大町一
てきた洋風建築で、建築当時の先端様式 丁目9-8
であったアールデコが取り入れられてい
る。
会津若松市公式サイト
http://www.city.aizuwakamatsu.f
ukushima.jp/docs/200902020023
8/
493 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
郡山市
旧福島県尋常中学校 本館 明治22年に竣工した木造2階建の本格的 明治22年に福島尋常中学校の本校舎とし 郡山市開成五丁目
(安積歴史博物館)
洋風建築で、正面に設けられた2階建ての て新築された、現存する県内最古の旧制 25‐63
玄関ポーチやベランダ、上げ下げするバラ 中学校校舎。鹿鳴館的な洋風技術をとり
ンス窓などに、その時代の尋常中学校建 入れた木造総2階の校舎は、「桑野御殿」
築の特徴がよく表している。安積歴史博物 と呼ばれて親しまれた。
館として利用。国指定重要文化財。
郡山市公式サイト
http://www.city.koriyama.fukushi
ma.jp/pcp_portal/PortalServlet;js
essionid=D186974E11A3BB52BE
4C3AC4222638A5?DISPLAY_ID=
DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U00
0004&CONTENTS_ID=12063
494 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
郡山市
郡山市公会堂
大正13年に建造された鉄筋コンクリート2 郡山市の市制施行を記念して建てられ
郡山市麓山1-8‐4
階塔屋付きの公会堂。熟練した洋風建築 た。外見はオランダ・ハーグの平和宮と大
の技法が随所に見て取れる名建築物。国 阪市中央公会堂がモデルとされる。
の登録有形文化財。
AECHITECTURAL MAP
http://www.archhiroshima.net/amap/fukushima/k_kokaido.html
495 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
郡山市
開成館
明治7年に区会所として建築され、後に安
積開拓の中核的施設となった擬洋風の木
造3階建ての建築物。現在周辺は「郡山市
開成館」として、安積疎水の歴史を伝える
総合的施設として整備されている。県指定
重要文化財。
496 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
郡山市
安積開拓官舎
(旧立岩一郎邸)
開成館と同時期に建設されたと見られる、 明治12年に郡山に赴任し、後に開拓出張 郡山市開成三丁目3‐郡山市公式サイト
木造一部2階建ての家屋。「福島県開拓 所長となった立岩一郎が使用し、払い下
http://www.city.koriyama.fukushi
掛」職員用官舎の一番官舎として利用さ げを受けたもの。
ma.jp/pcp_portal/PortalServlet;js
れた。「郡山市開成館」の敷地にて公開
essionid=D186974E11A3BB52BE
中。郡山市指定文化財。
4C3AC4222638A5?DISPLAY_ID=
DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U00
0004&CONTENTS_ID=12063
497 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
郡山市
安積開拓入植者住宅
(旧小山家)
安積開拓により明治15年に牛庭原へ移住
した人々が暮らした萱葺き平屋建ての入
植者住宅。「郡山市開成館」の敷地にて公
開中。郡山市指定文化財。
498 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
郡山市
田村神社 本殿・脇社々殿・ 本殿に安置されている厨子は、安土桃山 田村神社は、坂上田村麻呂が建立した鎮 郡山市阿久津町字
厨子
時代に建築されたと考えられる。県指定重 守山泰平寺が始まりと伝えられる。
続195
要文化財。江戸時代初期の建設と見られ
る本殿と、寛文年間(1661~73年)に建設
された脇社社殿は、共に郡山市指定文化
財。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
安積開拓の核である「福島県開拓掛」の 郡山市開成三丁目3 郡山市公式サイト
事務所が置かれた擬洋風建築(西洋風に ‐7
http://www.city.koriyama.fukushi
似せた建物)で、明治天皇の二度にわた
ma.jp/pcp_portal/PortalServlet;js
る東北行幸に際して、行在所(宿泊所)や
essionid=D186974E11A3BB52BE
昼食会場に使用された。
4C3AC4222638A5?DISPLAY_ID=
DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U00
0004&CONTENTS_ID=12063
明治政府による士族授産の国営事業とし 郡山市開成三丁目3‐郡山市公式サイト
て決定された安積開拓により、明治15年、
http://www.city.koriyama.fukushi
松山から牛庭原へ移住した「愛媛松山開
ma.jp/pcp_portal/PortalServlet;js
墾」の18戸の中の1戸。
essionid=D186974E11A3BB52BE
4C3AC4222638A5?DISPLAY_ID=
DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U00
0004&CONTENTS_ID=12063
郡山市公式サイト
http://www.city.koriyama.fukushi
ma.jp/pcp_portal/PortalServlet?D
ISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISP
LAY_ID=U000004&CONTENTS_ID
=12060
【h 景観・生活様式】 157/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
499 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
郡山市
安積国造神社
旧県社格を持つ神社で、大正15年に再建
された壮麗な本殿や、文化7年(1810年)
建造の拝殿、明治43年建立の御神楽殿な
ど、境内には貴重な建造物が多くある。
成務天皇5年(135年)の創建と伝えられ 郡山市清水台1丁
る。坂上田村麻呂が旗と弓矢を寄贈したこ 目6−23
とから「八幡様」とも呼ばれる。境内にはこ
の神社の神官の子として生まれ、儒学者
として名高い安積艮斉の記念館もある。
安積国造神社公式サイト
http://www.asakakunituko.jp/
500 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
郡山市
旧郡山市役所 (福島県郡山合同庁舎)
昭和5年に旧郡山郡役所として建設され
た、鉄筋コンクリート造2階建て塔屋付きの
典型的な庁舎建築。現在も県の郡山合同
庁舎として利用されている。
完成当時はあまりの規模の大きさに、県 郡山市麓山1-1-1
庁が移転してくると思った市民が沢山いた
と伝えられる。昭和43年まで郡山市役所と
して利用されていた。
郡山観光情報サイト
http://www.mazasse.com/?p=14
00
501 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
いわき市
願成寺阿弥陀堂 (白水阿弥陀堂)
平安時代末期の永暦元年(1160年)に、岩 いわき市内郷白水
城則道(当地を治めていた戦国大名)の妻 町広畑219
が夫の供養のために建立したとされる。後
に後鳥羽上皇により勅願寺とされ、江戸
時代には徳川将軍家から寺領10石を与え
られるなどの篤い庇護を受けた。
いわき市観光情報サイト
http://www.kankouiwaki.or.jp/modules/gnavi/index.p
hp?lid=288
502 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
いわき市
飯野八幡宮
平安後期の代表的な阿弥陀堂建築で、美
しい曲線を描く屋根と浄土式庭園が調和
した優美な姿を見せる。全国に26ヶ所しか
残っていない平安時代の建造物の1つ。福
島県では建造物として唯一の国宝であり、
周辺の浄土庭園は国の史跡となってい
る。
飯野八幡宮には、元和2年(1616年)建造
の本殿や、万治元年(1658年)建造の随
身門、元禄16年(1703年)の唐門など、多
くの国指定重要文化財がある。
いわき市平字八幡
小路84
いわき市観光情報サイト
http://www.kankouiwaki.or.jp/modules/gnavi/index.p
hp?lid=222
503 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
いわき市
専称寺 本堂・庫裏・総門
いわき市平山崎字
梅福山5
いわき市観光情報サイト
http://www.kankouiwaki.or.jp/modules/gnavi/index.p
hp?lid=216
504 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
いわき市
満照寺不動堂 (黒田不動
堂)
平安時代の康平6年(1063年)に源頼義が
石清水八幡をこの地に勧請して戦勝を祈
願したのが始まると伝わる。後に岩城平
藩主となった鳥居氏が平城を築城する
時、現在地へ遷宮した。
専称寺は応永2年(1395年)の開山で、江
戸時代には幕府より奥羽の浄土宗を束ね
る立場(総録所)を認められた。境内には
約500本の梅があり、梅のお寺としても知
られている。
不動堂は中世の修験寺院であったと伝え
られており、現在の堂は元禄14年(1701
年)の完成と伝わる。
いわき市田人町黒
田別当50
あぶくま里山王国
http://www.abukumashinkou.org/dtl.cgi?KNO2=36
505 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
いわき市
住吉神社 本殿
506 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
いわき市
高蔵寺 三重塔
507 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
いわき市
旧樋口家住宅 (いわき市暮らしの伝承館)
508 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
いわき市
常磐炭田跡
509 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
白河市
白河ハリストス正教会聖堂
510 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
白河市
松風亭蘿月庵
寛文11年(1671年)の再建とされる木造平
屋建て入母屋の巨大な本堂や、同年代の
庫裏、総門などが、国指定重要文化財と
なっているが、東日本大震災で被災し、修
理が進められている。
元禄期の華やかな建築様式が覗える、総
欅造り萱葺き屋根の三間四面堂。県指定
重要文化財。
全国住吉七社の一社にも数えられている
古社で、寛永18年(1642年)再建による桃
山様式三間社流作りの本殿は、県指定文
化財。
江戸時代中期に建設された、浜通り地方
では唯一の三重塔。県指定重要文化財。
建内宿禰(たけのうちのすくね)が創立し、 いわき市小名浜住
祈願したとの古伝がある、東北でも最も古 吉字住吉一番地
い由緒を伝える神社の一つ。式内社。
高蔵寺は大同2年(807年)徳一大師の開祖
といわれる。明治25年、火災により本堂を
焼失。三重塔は安永3年(1774年)に再建
された。
19世紀前半の建設と口伝される兼業農家 樋口家は当地方特産の磐城延紙の生産
の家屋。現在は「暮らしの伝承館」に移設 をしていた兼業農家であった。
のうえ、他数棟の古民家と共に公開されて
いる。市指定文化財。
常磐炭田は、近代初頭から第2次大戦後 常磐炭田は明治初期に発見され、その後
を最盛期とする国内最大級の炭田であ
大規模な開発が進められた。戦後は石炭
る。最終的な閉山は昭和60年。現在も福 の需要減少に伴い急激に衰退するが、常
島県富岡町から茨城県日立市までの広い 磐湯本温泉では坑道から湧出する膨大な
区域に様々な遺構が残るが、直接的に観 温泉排水を利用して常磐ハワイアンセン
光化・公開されている施設はない。
ター(源スパリゾートハワイアンズ)をオー
プンさせるなど、現在もその繁栄の跡は残
る。
大正4年に建立された全国でも希なビザン 白河ハリストス正教会には全部で48点の
チン様式によるギリシャ正教会系の教会。 イコンがあり、その中には日本最初のイコ
建物と建物内部の聖像画作品(イコン)等 ン画家として知られる山下りんの作品が7
が県の重要文化財に指定されている。内 点(うち5点は県指定重要文化財)ある。
部の見学は事前予約が必要。
寛政年間(1795年頃)に建設された茶室
で、茶人としても知られる白河藩主松平定
信公も愛用した。定信公の遺品を収蔵す
る。東北では数少ない近世茶室である。県
指定重要文化財。
いわき市高倉町鶴
巻50
いわき市鹿島町下
矢田字散野14-16
いわき市周辺地域
白河市愛宕町50
この茶室ははじめ白河藩士三輪権右衛門 白河市菅生舘2
の別邸に建てられたが、その後二度移設
されている。現在の南湖公園の敷地に建
てられたのは大正12年である。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
いわき市観光情報サイト
http://www.kankouiwaki.or.jp/modules/gnavi/index.p
hp?lid=225
いわき市観光情報サイト
http://www.kankouiwaki.or.jp/modules/gnavi/index.p
hp?lid=218
歴史回廊いわき
http://www.pref.fukushima.jp/iwa
ki/kensetsu/rekishi/data/20269.
htm
いわきヘリテージツーリズム協議
会
http://www.iheritage.com/heritage.html
白河観光物産協会ホームページ
http://shirakawa315.com/sightse
eing/post_284.html
白河観光物産協会ホームページ
http://shirakawa315.com/sightse
eing/post_268.html
【h 景観・生活様式】 158/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
511 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
白河市
丹羽長重廟
初代白河藩主丹羽長重の霊廟と墓。霊廟
の前面には廟所と接続する形で拝殿が設
けられている。この拝殿は天保7年(1836
年)の再建で、市指定重要文化財。
初代白河藩主丹羽長重は小峰城の改築、 白河市円明寺
町割りの改良整備など、現在の白河の町
並みの基礎を築き寛永14年(1637年)に没
した。
白河観光物産協会ホームページ
http://shirakawa315.com/sightse
eing/post_270.html
512 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
白河市
旧小峰城太鼓櫓
太鼓櫓は旧小峰城の二之丸入口付近の
太鼓門西側に建てられていたもので、明
治7年に荒井家が譲り受けて移設した。現
在まで残る旧小峰城の唯一の建造物であ
る。市指定重要文化財。
旧小峰城は白河藩初代藩主丹羽長重が 白河市郭内
寛永9年(1632年)に完成させた梯郭式の
平山城で、戊辰戦争で落城。現在は跡地
に一部施設の復元が行われ、国指定史跡
となっている。
白河市公式サイト
http://www.city.shirakawa.fukushi
ma.jp/view.rbz?cd=794
513 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
514 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
白河市
鈴木家住居
515 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
須賀川市
516 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
須賀川市
江戸時代中期の建造と推定される、当地
方の典型的な農家住居。市指定重要文化
財。
白河藩主松平定信が南湖の開鑿終了後
の享和年間(1801~03年)に、もっとも眺
めのよい鏡山中腹に建てた茶亭。市指定
重要文化財。
本殿は慶安元年(1648年)に白河藩主榊
原忠次の命によって建立されたもので、切
妻の流造木羽葺の三間社である。県指定
重要文化財。
本堂は享保年間(1716~36年)の建立とさ
れ、寺宝である不動尊画像とともに須賀川
市指定重要文化財である。
517 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
須賀川市
518 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
喜多方市
519 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
喜多方市
520 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
喜多方市
新宮熊野神社 長床
長床は平安時代の建設と考えられる寝殿
造りの建物で、直径1尺5寸の円柱44本等
間隔に5列並んでおり、全部吹き抜けに
なっている。東北地方では極めて貴重な
遺構である。国の重要文化財。
新宮熊野神社は天喜3年(1055年)源頼義 喜多方市慶徳町新
の勧請とされる古社。併設されている熊野 宮字熊野2258
神社宝物殿には、銅鉢をはじめ、多くの
国、県指定文化財が保存されており、拝
観することができる。
喜多方市公式サイト
http://www.kitakatakanko.jp/tour/temple.php
521 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
喜多方市
蔵のまち喜多方
喜多方市
旧一ノ戸村制札場
防火、防犯に秀でた蔵は、喜多方におい
て男たちの夢の結晶として「四十代で蔵を
建てられないのは、男の恥」とまでいわれ
た。見学可能な代表的な蔵としては、「蔵
座敷あづまさ」、「大和川酒蔵北方風土
館」、「喜多方蔵の里」、「若喜商店縞柿の
蔵座敷」などがある。
旧一ノ戸村は飯豊山の登山口であり、米
沢への間道にあたる。制札場は田中家の
屋敷前にあるが、田中家は肝煎で番所の
性格をかねた。
喜多方市公式サイト
http://www.kitakatakanko.jp/tour/kura.php
522 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
523 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
喜多方市
一の戸川橋梁
喜多方には路地裏や郊外の集落にまで蔵
があり、現在も人が住み、或いは使われて
いる蔵は2600棟余といわれる。喜多方の
蔵の種類は多彩で、粗壁・白亜・黒漆喰・
レンガ造りの蔵などがある。用途も多岐に
わたり、酒蔵・漆器蔵・味噌蔵・店蔵・座敷
蔵などに使用されている。
江戸時代の旧一ノ戸村の制札場で、間口
3.7m、高さ3.6mで木造二間の主柱に6本
の支柱を添えた建物である。かつて会津
藩には24箇所の制札場があったが、現存
するのはここのみ。
明治43年に完成した当時は東洋一と称さ
れた鉄道用の大型橋梁。中央部はボルチ
モアトラスという、現存例が少ない貴重な
形式である。橋の全長445m。SLが運転さ
れる日には特に多くの鉄道ファンが訪れ
る。また、夜間のライトアップも行われてい
る。
白河市
本来は表郷金山地区にあったが、鈴木家
から市に寄贈されて表郷公民館敷地内に
移築されている。
共楽亭
室内は2間あるが鴨居や敷居で仕切られ
ていない。これは茶室では身分の上下なく
平等に付き合うという考えによるものと伝
えられている。
桙衝神社 本殿
桙衝神社は日本武尊が御東征の折に草
創したのを初めと伝える延喜式内の古社
である。岩瀬郡の総鎮守として代々領主
の信仰もあつかった。
護真寺 本堂
護真寺は観応2年(1351年)の開山と伝わ
る。シダレザクラの県下有数の巨樹があ
り、毎年春には素晴らしい花の名所とな
る。
渡辺家住宅
江戸時代中期に建造された庄屋屋敷。寄 渡辺家は代々旧成田村の庄屋を勤めた。
棟造、鉄板葺、平屋建で、内部の座敷を 市内にある花の名所の大桑原つつじ園
中心に当初の形式を良く残し規模も大き は、300年前に渡辺家が自分の屋敷に観
い。現在も住居として使われている。国の 賞用としてつづじを植えたのが始まりとさ
登録有形文化財。
れる。
甲斐本家 蔵座敷・みせ蔵・ 甲斐本家の蔵は大正6年から12年に完成 甲斐家は製糸業や味噌、醤油の醸造など
醤油蔵
されたもので、蔵の街喜多方を代表する で財をなした。
景観とされる。中でも座敷蔵は土蔵建築と
木工技術の粋を尽くしたものと評される。
国の登録有形文化財。
勝福寺 観音堂
寄棟の茅葺き屋根を持つ素朴な観音堂 勝福寺の開基は定かではないが、天文年
で、永禄元年(1558年)の建造とされる。国 間に火災に遭い、永禄元年(1558年)に再
指定重要文化財。
建したという記録がある。
白河市表郷番沢字
桜下
白河市南湖
須賀川市桙衝字亀
居97-1
須賀川市桙衝字宮
本172
須賀川市梅田字岩
瀬85
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
白河市公式サイト
http://www.city.shirakawa.fukushi
ma.jp/view.rbz?cd=974
白河市公式サイト
http://www.city.shirakawa.fukushi
ma.jp/view.rbz?cd=795
郡山情報館
http://koriyama.welcomefukushima.com/sp/co/hokotsukiji
nja
福島県の街並みと歴史建築
http://www.fukutabi.net/fuku/su
kagawa/gosin.html
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=151515
喜多方市字1丁目4 福島の旅
611
http://www.tif.ne.jp/jp/ati/ati_dis
p.php?id=13383
喜多方市関柴町三
津井字堂ノ前
喜多方市
会津の里寺
http://i2sato.net/garan/shofuku.
html
喜多方市山都町一 福島の旅
ノ木字本村乙1982 http://www.tif.ne.jp/jp/spot/spot
番地
_disp.php?id=820
磐越西線の喜多方~山都間にあり、この 喜多方市山都町 一 福島民友
http://www.minyu区間の開業は明治43年。以来、今日まで ノ戸川河川上
net.com/isan/0209/isan31.html
現役で使われ続けている。
【h 景観・生活様式】 159/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
大正時代に築窯された十連房からなる大 三津谷登り窯は明治23年の創業。煉瓦製 喜多方市岩月町宮
型の登り窯。ここで作られた瓦や煉瓦は、 造を再現する「三津谷煉瓦窯再生プロジェ 津字火付沢3567
独特の色調と風合いをもち、数多の喜多 クト」も実施されている。
方の蔵や建築に使用されて来た。「喜多
方市煉瓦館」を併設。見学可能。
情報源・取材元
524 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
喜多方市
三津谷登り窯
525 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
喜多方市
旧熱塩駅舎 (日中線記念
館)
526 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
相馬市
527 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
相馬市
528 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
相馬市
529 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
相馬市
正西寺 山門
山門は明治維新期に廃城となった旧中村
城の城門を移転した物で、旧中村城の貴
重な遺構となっている。市指定有形文化
財(建造物)。
530 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
相馬市
相馬中村城跡
相馬中村城は戦国時代から江戸時代に
かけて相馬中村氏が居住した城で、馬陵
城とも呼ばれた。梯郭式の平山城であっ
た。現在は跡地が馬陵公園として整備さ
れ、大手門、石垣、土塁、塀などが現存す
る。
531 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
相馬市
御仕法造り住宅
この家は文久3年(1863年)の建築といわ 相馬市小泉字根岸
れ、内部の造作は単純で、東西に3つの部 337
屋が並んでおり、建坪は約25坪ほど。一
間が5尺7寸(約172cm)と標準(約180cm)
より狭い特徴がある。
相馬デジタルミュージアム
http://www.city.soma.fukushima.j
p/digital/assets/49.asp
532 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
相馬市
松川浦の浦口
二本松市
木幡山隠津島神社 拝殿・
本殿
松川浦は相馬藩の歴代藩主の憩いの場 相馬市
であり、
で舟遊びなどをしたという。浦の佳景を愛
で、広く世に知らしめたのが五代藩主相馬
昌胤であった。また、浦は「御留浦」と呼ば
れ、魚や貝などを勝手に獲ることは許され
なかった。
木幡山隠津島神社は大同年間(806年)の 二本松市木幡字治
創建で、天正13年(1585年)伊達政宗の兵 家49-1
火により消失。現在の本殿・拝殿は二本
松藩主丹羽長貴公の命により寛政年間
(1789~1801年)に造営された。
全国漁港漁場協会公式サイト
http://www.gyokou.or.jp/
533 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
藩復興の施策である御仕法(二宮尊徳が
創始した興国安民法)によって、精勤者に
藩から支給された住宅で、昭和30年ころま
では各地に見られたが、現在ではこの1軒
だけが残る。市指定有形文化財(建造
物)。
小松島とも呼ばれる美しい景観を持つ汽
水湖の松川浦一帯は、潮干狩りや磯釣り
のメッカ。周囲には原釜漁港や磯部漁港
などの漁港が控え、海苔の養殖の無数の
竹竿が独特な景観を生んでいる。「未来に
残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」
に選ばれている。
二本松藩主丹羽長貴により再建された拝
殿は寛政6年(1794年)、同じく本殿は寛政
12年(1800年)に完成した。当時の神社建
築の特徴を良く留めている。市指定有形
文化財。
534 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
二本松市
岩蔵寺 薬師堂・厨子
薬師堂は江戸時代中期のもので、瓦葺で
彫刻などに当時の優雅な技法が垣間見れ
る貴重な建物である。厨子とともに市指定
有形文化財。
岩蔵寺は阿武隈峡の島山、稚児舞台など 二本松市太田字岩
の名勝を見下ろす阿武隈川東岸の中腹に 前78
ある。境内の薬師堂は、二本松藩主四代
秀延公(1701~1728年)が創建した。
二本松市公式サイト
http://www.city.nihonmatsu.lg.jp/
soshiki/54/370.html
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
福島の近代化産業遺産
http://www.pref.fukushima.jp/bun
ka/kindai/page_08.html
昭和59年に廃止された国鉄日中線の終着
駅だった熱塩駅の木造駅舎。現在は日中
線記念館として当時の資料を展示するほ
か、使用されていた客車なども一部静態
保存されている。
相馬中村神社 本殿・幣殿・ 寛永年間(1624~45年)に建立された本
拝殿
殿は一間社流造で、当時の指標的な姿を
留める貴重な存在である。本殿および幣
殿、拝殿が国指定重要文化財。
日中線は、昭和13年に野岩羽鉄道構想の 喜多方市熱塩加納
一部として、喜多方~熱塩間全長11.6km 町熱塩
が開業。しかしその後米沢方面へ延伸さ
れることは無く、赤字路線であったため昭
和59年に廃止された。
相馬中村神社は代々相馬中村藩主の信 相馬市中村字北町
仰厚く、中村城内に鎮護としておかれてい
た。相馬の野馬追いの祭事で有名な相馬
三妙見社のひとつ。
福島の近代化産業遺産
http://www.pref.fukushima.jp/bun
ka/kindai/page_02.html
涼ケ岡八幡神社 本殿・随身 元禄8年(1695年)造営の本殿をはじめ、
門 ほか
幣殿、拝殿は全国に普及した神社建築の
系譜を引きながら、独特な特徴を備え、こ
の地方の江戸中期の神社建築を代表す
るものとして価値が高い。国指定重要文
化財。
都玉神社 本殿
相馬中村藩5代藩主相馬昌胤を祀る神社
で、社殿は吉田神道系神社の典型的な建
物といわれる。市指定有形文化財(建造
物)。
涼ケ岡(すずみがおか)八幡神社は、代々 相馬市坪田
相馬中村藩の鎮守社として崇敬された。
現在の社殿は、相馬家により元禄8年
(1695年)に造営された。
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=209691
都玉神社享保3年(1718年)に相馬中村藩
5代藩主相馬昌胤が、5歳で亡くなった子
の都胤を祭神として祀った神社である。吉
田神道を崇敬していた昌胤自身も死後こ
こに祀られた。
正西寺の創建は天明飢饉後、疲弊した農
村を立て直す為、越中・越後から多くの農
民を移住させ、彼らの信仰だった浄土真
宗の寺院が必要となった事が始まりとされ
る。
歴史は古く、平安時代初期の延暦年間
(800年頃)に坂上田村麻呂が最初に築い
たといわれる。江戸時代には相馬中村藩6
万石の城となり、近世城郭へ改修。幕末ま
で存続したが、戊辰戦争で政府軍の攻撃
を受けて陥落、明治4年に廃城。
相馬市坪田字高松
19
相馬デジタルミュージアム
http://www.city.soma.fukushima.j
p/digital/assets/39.asp
相馬市中野字北反
町145
相馬デジタルミュージアム
http://www.city.soma.fukushima.j
p/digital/assets/48.asp
相馬市中村北町
相馬市公式サイト
http://www.city.soma.fukushima.j
p/rekisi/nakamura/
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=199139
二本松市公式サイト
http://www.city.nihonmatsu.lg.jp/
soshiki/54/373.html
【h 景観・生活様式】 160/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
535 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
二本松市
竹中の長屋門
江戸時代の名主邸宅の長屋門で、石垣の 江戸期の旧内木幡村名主紺野邸の長屋
上に白壁の長屋が作られ、中央の門の部 門で、通称「竹中の長屋門」といわれる。
分は総けやき造り。市指定有形文化財。
536 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
二本松市
智恵子の生家
537 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
田村市
堂山王子神社 本殿
538 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
田村市
旧大越娯楽場
539 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
田村市
宇佐神社 本殿
540 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
南相馬市
541 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
伊達市
旧亀岡家住宅
(保原歴史文化資料館)
542 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
伊達市
旧掛田駅 駅舎
543 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
伊達市
三乗院 山門
万延元年(1860年)建立の山門は、総欅 三乗院は天文元年(1532年)に掛田川尻 伊達市霊山町掛田
造りの切妻式四脚門である。市指定文化 内佐藤宗家の初祖、瀬成田城主佐藤越中 字西裏
財。
守信種公が開基した禅寺。
福島の旅
http://www.tif.ne.jp/jp/spot/spot
_disp.php?id=2225
544 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
伊達市
長谷寺 山門 (旧保原陣屋 山門はかつて保原陣屋にあった門で、明 保原陣屋は寛保2年(1742)に松平白河藩 伊達市保原町五丁
正門)
治18年に移築して山門としたもの。間口6 の飛び地17ヶ村2万石の役所として、廃城 目30
間半・奥行き2間半の長屋門で、陣屋内の となっていた保原城西側に建設された。
建物が残っているのは極めて稀。
伊達市公式サイト
http://www.city.date.fukushima.jp
/soshiki/34/792.html
545 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
桑折町
旧伊達郡役所
桑折町公式サイト
http://www.town.koori.fukushima.
jp/site/kankou/gunyakusho.html
旧武山家住宅
二本松市木幡字竹
中12
二本松市公式サイト
http://www.city.nihonmatsu.lg.jp/
soshiki/54/371.html
明治から大正にかけて活躍した女流洋画
家高村智恵子の生家で、明治初期に造り
酒屋として建造された建物。「智恵子の生
家」として公開されており、裏庭には彼女
の作品や愛用品などを展示する「智恵子
記念館」を併設。
本殿は一重寄棟造で、解体修理時に発見
された順札納札に明応7年(1498年)の記
があることと、建物の様式上からも、室町
時代中期、明応以前の建立と考えられて
いる。国指定重要文化財。
明治初期に建設された造り酒屋で、屋号 二本松市油井字漆
は「米屋」、酒銘「花霞」。建物は高村智恵 原町36
子が愛してやまなかった「ふるさと安達」の
街並みを象徴するノスタルジックな景観を
留める。
二本松市公式サイト
http://www.city.nihonmatsu.lg.jp/
site/kankou/453.html
堂山王子神社は坂上田村麻呂創建と伝
わる古社。
田村市船引町門沢
字堂山
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/db/Search
Detail.do?heritageId=145431
大正15年に建造された木造2階建ての娯
楽施設。正面を入母屋形式として両側に
塔屋を持つ芝居小屋風の外見。東北地方
でも数が少ない大正期の娯楽場である。
国の登録有形文化財。
田村市大越町上大
越字町1
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=186193
田村市滝根町広瀬
字宮ノ前
うつくしま電子事典
http://www.gimu.fks.ed.jp/shidou
/jiten/cgibin/index.cgi?sheet=detail&name
=%A4%A6%A4%B5%A4%B8%A4%F3
%A4%B8%A4%E3%A4%C8%A4%B7%
A4%F3%A4%DC%A4%AF&area=%C
5%C4%C2%BC%BB%D4&hen=bk
武山家は相馬中村藩に仕えた在郷給人 南相馬市原町区北
で、当時16石を給されていた。かつては約 原字大塚
4000平方mの広大な敷地に主屋・馬屋・納
屋・土蔵が配置されていたが、現在は主
屋を残すのみである。
南相馬市公式サイト
http://www.city.minamisoma.lg.jp
/index.cfm/9,523,78,html
郡会議員などを務めた伊達崎村(現桑折 伊達市保原町大泉
町)の亀岡正元の屋敷として明治30年頃 字宮脇265
に建設された。平成7年に現在地に移設
復元された。
伊達市公式サイト
http://www.city.date.fukushima.jp
/site/datehistory/4493.html
信達軌道は、東北本線から取り残された 伊達市掛田町
梁川・保原地区の住民が中心となって整
備を進めた全長57kmの軽便鉄道網で、掛
田駅は掛田線の終着駅として大正4年に
開業。昭和2年に廃止された後はバスター
ミナルとして利用されている。
伊達市公式サイト
http://www.city.date.fukushima.jp
/soshiki/34/142.html
建築学者今和次郎の設計で大正15年に
建てられた。当時は主に繭やたばこの共
同集出荷場として使用され、農閑期には
映画や講談、演劇などが上映されて村民
の憩いの場となった。現在は剣道の練習
場として使用されている。
本殿は一間社の華麗な流造りで、建築は 宇佐神社は明応元年(1492年)にこの地に
棟札から享保6年(1721年)と判明してい
再建されたと伝わる。境内に樹齢700年を
る。市指定有形文化財。
越す杉の神木があり、この木に住むアオ
ダイショウやムササビは神の使いされてい
る。
江戸時代中期の建築様式を備えた在郷
給人(農村部に住んだ武士)の典型的住
宅。当時の一般的な農家より大きく、簡素
ながら格式を備えた構造となっている。曜
日を限って公開されている。国指定重要
文化財。
明治18年に建てられた木造2階の洋館建
築だが、瓦葺きの屋根周りや内部の大部
分が和室で構成するなど、当時の擬洋風
建築の特徴が見られる。保原歴史文化資
料館として公開されている。県指定重要文
化財。
大正4年に開業した信達軌道掛田線の掛
田駅駅舎で、昭和12年に鉄道は廃止され
ているが、現在もバスターミナルとして町
の中心部で活躍している。信達軌道の廃
線跡に唯一残る当時の駅舎である。
明治16年に完成した洋風建築の郡役所
で、玄関ポーチの張り出しや、その上のベ
ランダ、上層にある塔屋など、当時の役所
建築の上質な典型例とされる。東日本大
震災の被害により現在閉館中。国指定重
要文化財。
三島通庸福島県令の時代に郡役所として 桑折町字陣屋12
建設された。大正15年の郡制廃止まで役
所として使われた。なお、塔屋は振動が多
いという理由で明治20年に撤去されてい
たが、昭和54年に復元されている。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
【h 景観・生活様式】 161/188
カテゴリー
県
546 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
市町村
桑折町
地域資源名
桑折寺 山門
547 (h)景観・ 福島県 桑折町・国見 半田銀山跡
生活様式
町
等
資源の概要
山門は桑折西山城内にあった門を移築し
たといわれ、間口2.73m、奥行1.48m。切妻
の唐破風を前後に見せ、いわゆる向唐門
で、中世の貴重な遺構である。福島県指
定有形文化財。
生野銀山や石見銀山と共に日本三大銀
山とされる江戸時代から明治期にかけて
大隆盛した鉱山。嘉永7年(1854年)に幕府
によって排水用に開坑された二階平坑口
跡などが残るが、坑道内は通常未公開。
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
桑折寺は伊達氏の分家である桑折氏の 桑折町新町32
菩提寺で、伊達氏が天文17年(1548年)に
西山城から米沢城に移る際、城門の1つ
を移築したと伝えられる。
桑折町公式サイト
http://www.town.koori.fukushima.
jp/site/kankou/koorinji.html
半田銀山は慶長3年(1598年)頃米沢藩上
杉景勝の代に本格採鉱が始まり、江戸~
明治期に隆盛を極めた。幕府直営の御直
山として佐渡金山と同組織で経営された。
昭和25年閉山。
桑折町公式サイト
http://www.town.koori.fukushima.
jp/site/kankou/handaginzan.html
春日神社 拝殿・本殿・摂社 社殿は三間社の流れ造りで、入母屋に千 春日神社は、嘉祥3年(850年)伊達家の
鳥破風、唐破風を配した堂々たる建物。拝 祖である山蔭中納言藤原政朝郷により奈
殿、本殿、摂社など町指定有形文化財。 良の春日大社より勧請されたと伝えられ
る。一帯の惣社として古くから信仰され
た。
大内宿
下野街道(会津西街道)に設けられた山間 大内宿は寛永20年(1643年)頃に会津藩
部の宿場。茅葺・寄棟造の主屋が妻面を により開かれ、南北に走る街道に沿って整
街道に向け、一定間隔をもって規則的に 然とした屋敷割の街並みが形作られた。
建ち並び、この地方の宿場の典型的な形 江戸時代を通じて宿場として利用された
態をよく残している。かつて中央にあった が、明治以降は三島通庸による街道の付
水路は、今もなお街道両側を豊かな水量 替によって衰退。だが、それゆえに貴重な
で流れている。重要伝統的建造物群保存 宿場風景が現代まで保存されることになっ
地区。
た。
中の沢観音堂
観音堂は三間四方、寄棟造りで、様式工 中ノ沢観音堂は、大同2年(807年)徳一上
法からみて室町時代初期に建てられたも 人の開山と伝わる。御堂の基礎や仏像に
のと考えられている。国指定重要文化財。 火事の痕跡があるため、平安時代に建て
られた御堂が室町時代初期に火災で焼失
し、再建されたと推定される。
小野観音堂
観音堂は唐禅宗様の寄棟造。擬宝珠高欄 小野観音堂の創建は文化10年(1813年)
回縁がめぐる重厚な堂宇。町指定文化
といわれ、御蔵入三十三観音霊場の第十
財。
番札所として多くの参詣者が訪れた。
国見町泉田字二階
平地内
(二階平坑口跡の
位置)
548 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
川俣町
549 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
下郷町
550 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
下郷町
551 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
下郷町
552 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
檜枝岐村
セイロウ作り板倉
最も古い形の板倉といわれ、柱や釘を使
わず厚さ10cm板をセイロウのように組み
合わせたもの。建築様式としては奈良の
正倉院と同じで、建築史上重要な文化財
である。村指定重要文化財。
建築の年代は定かではないが、火事に備 檜枝岐村字下ノ原
えて家から離れた畑の中に建てられた穀
物倉庫である。
福島県公式サイト
http://www.pref.fukushima.jp/bun
ka/kairou/si/45hinoemata.html
553 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
檜枝岐村
檜枝岐の舞台(舞殿)
檜枝岐の舞台は江戸時代に建設されたが 檜枝岐村居平
明治26年に焼失し、現在の舞台は明治中
頃の再建。檜枝岐歌舞伎は250年以上の
歴史を持つ。
福島県公式サイト
http://www.pref.fukushima.jp/bun
ka/kairou/si/45hinoemata.html
554 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
只見町
旧五十嵐家住宅
明治時代に再建された舞台で、ここで奉
納される古典芸能歌舞伎「檜枝岐歌舞伎」
は国指定重要有形民俗文化財を受けてい
る。農村歌舞伎の舞台建築として古く貴重
なものである。
江戸時代中期の寛保3年(1743年)に建設
された中層農民の住居で、現在は中門造
であるが最初は直屋であったとされる。裏
日本に多く見られる木割の太い民家の典
型例である。国指定重要文化財。
五十嵐家は地域の中型層に位置する本
百姓であった。
只見町大字叶津字
居平437番地
文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
il.do?heritageId=188053
555 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
只見町
成法寺 観音堂
只見町大字梁取字
御東1747
奥会津歳時記の郷
http://www.okuaizu.net/religion/j
youhoujikannondou.php
556 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
只見町
旧長谷部家住宅 (叶津番
所跡)
只見町叶津字居平
456
ふくしまの文化財をみる
http://www.mahoron.fks.ed.jp/bu
nkazai/440.htm
観音堂は桃山時代初期の建立と言われ、
萱葺き、寄せ棟造りで、廻り縁のある構造
で、和唐折衷の作りが見られる。国指定重
要文化財。
成法寺は平安時代初期に徳一上人の開
基と伝わる。御蔵入三十三観音の一番札
所であると同時に、寺の裏には奇岩怪石
が並ぶ仏地山がそびえ、古くから信仰の
対象となっていた。
大規模な曲り家で江戸時代後期のものと 長谷部家は旧叶津村の肝煎をつとめた。
される。また、会津と越後を結ぶ交通路と また番所を兼ね、門前には制札所があっ
して栄えた八十里越の番所も兼ねた。県 た。
指定重要文化財。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
川俣町字宮前37番 川俣町公式サイト
地
http://www.town.kawamata.lg.jp/
soshiki/9/bunkazai-kakasuga.html
下郷町大字大内
大内宿観光協会公式サイト
http://ouchi-juku.com/
下郷町大字中妻字
観音前
南会津建設事務所サイト
http://www.pref.fukushima.jp/min
amiaizu/kensetsu/furusato/html/rek
ishi/rekishi01.html
福島の旅
http://www.tif.ne.jp/jp/spot/spot
_disp.php?id=1203
下郷町大字湯野上
【h 景観・生活様式】 162/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
557 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
南会津町
旧南会津郡役所
558 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
南会津町
前沢の中門造り集落
559 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
南会津町
560 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
明治18年に南会津郡役所として新築され
た木造2階建の洋風建築。同時期に新改
築された県内10余ヶ所の郡役所のうちで
は、北会津郡役所に次いで規模が大きく
保存状態も良好。南会津郡の歴史に関す
る様々な展示が行われている。県指定重
要文化財。
前沢地区には人と馬が一つ屋根に暮らし
た茅葺きの中門造りの民家(曲がり屋、直
屋)が点在し、雪深い奥会津のかつての
暮らしぶりを見る事が出来る。一帯は前沢
ふるさと公園として整備され、住民による
共同直売所の運営や、空き家を利活用し
た囲炉裏空間でのおもてなしが行われて
いる。重要伝統的建造物群保存地区。
旧南会津郡役所は明治18年に落成した。 南会津町田島字丸
この前年に三島通庸福島県令による会津 山甲4681-1
三方道路が開通しており、郡の近代化が
一気に進んだ時期の開明的な建築物であ
る。
南会津郡役所公式サイト
http://www.gunyakusho.ecnet.jp/
index2.html
前沢村は近世初期には成立していたとさ 南会津町前沢
れ、江戸時代には南山御蔵入地と呼ばれ
る天領に属していた。明治40年に大火が
あり、その再建が一挙に行われた事から
統一的な景観美を生んだ。
文化庁l公式サイト
http://www.bunka.go.jp/publish/b
unkachou_geppou/2013_01/serie
s_06/series_06.html
南泉寺 鐘楼門
茅葺き屋根の鐘楼門は、寛政6年(1794
年)に御蔵入領の農民が寄付金を出し
合って建てたもので、当時の農民の信仰
心を垣間見る事が出来る。県指定重要文
化財。
南泉寺の創建は嘉承2年(1107年)に村人 南会津町静川西ノ
が聖徳太子を勧請したのが始まりとされ 沢口乙14
る。鐘楼門のそばには樹齢約110年のしだ
れ桜や樹齢約500年の五葉松があり、景
観に彩りを添えている。
南会津町観光物産協会公式サイ
ト
http://www.kankoaizu.com/01/detail-1-9-0-0155.html
南会津町
旧猪股家住宅 (奥会津博
物館)
江戸時代中期に建設されたとみられる大 この住宅はもと町内塩江字根岸にあった。 南会津町糸沢西沢
型の農家で、萱葺き屋根の直屋。屋内は
山3692−20
ほとんどが土間で、当時の農家の住宅が
作業場として重視されていたことが分か
る。奥会津博物館に移設展示されている。
県指定重要有形民俗文化財。
南会津町公式サイト
http://www.minamiaizu.org/kyoui
ku/cat/000011.php
561 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
南会津町
旧大竹家住宅 (奥会津博
物館)
南会津町公式サイト
http://www.minamiaizu.org/kyoui
ku/cat/000011.php
南会津町
旧山王茶屋 (奥会津博物
館)
近世の下野街道(会津西街道)には、数頭
の馬に自身の商いの荷などを付け、仕入
地から目的地まで駅継ぎをせずに運ぶ
「仲付駑者(なかづけどじゃ)」と呼ばれる
行商人が大勢いた。
山王茶屋は下野街道の山王峠を越えて旅
をする人々が休んだり、宿泊の便を図る
目的で建築された茶屋本陣と呼ばれる建
物で、後に現在地へ移設された。
南会津町糸沢西沢
山3692−20
562 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
南会津町糸沢西沢
山3692−20
南会津町公式サイト
http://www.minamiaizu.org/kyoui
ku/cat/000011.php
563 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
西会津町
鳥追観音如法寺 観音堂
享保元年(1801年)に建築された民家で、
当時は下野街道を馬と共に行き交う行商
人「仲付駑者」専用の宿であった。奥会津
博物館に移設展示されている。県指定重
要有形民俗文化財。
かつて山王峠の入口にあった宿を兼ねる
大型の茶屋。正面の入り口は「乗っ込み」
と呼ばれ、参勤交代の藩主など上客だけ
が出入りを許された。現在は古民家レスト
ラン「山王茶屋」として奥会津博物館の敷
地内で営業。町指定重要有形民俗文化
財。
観音堂は、東西向拝口と三方開きで、我
が国唯一の構造。これは西方極楽浄土へ
導く意味をあらわすという。仁王門ととも
に、県指定重要文化財。
如法寺は大同2年(807年)に徳一上人によ 西会津町野沢字如
る創建とされる。会津ころり三観音のひと 法寺乙3533
つで、本尊に祈願し、なで仏をなでると病
魔が取り除かれるという。
会津全集
http://www.miru.co.jp/aizuzensyu/aizuzensyu/20053/0503-01.html
564 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
西会津町
円満寺 観音堂
観音堂は室町末期の建立と考えられる方
三間、総檜材、茅葺の入母屋造りの堂宇
で、会津地方に数多く見られる唐様仏堂
の中でも代表的とされる。国指定重要文
化財。
565 (h)景観・ 福島県 西会津町・会 束松新道と洞門
束松新道は、明治27年に越後街道の束松
津坂下町
生活様式
峠に開通した車道で、頂上には全長230m
等
の素掘のトンネル束松洞門が設けられ
た。現在、洞門内は崩壊のため立ち入れ
ないが、入口までは歩道として整備されて
いる。
566 (h)景観・ 福島県 猪苗代町 旧高松宮翁島別邸(天鏡閣) 木造平屋建の高級住宅で、江戸時代の上
生活様式
(福島県迎賓館)
層貴族住宅や上層武士住宅を規範とし
等
た、妃殿下の御安息所にふさわしい典雅
にして格調高いものとなっている。現在は
福島県迎賓館として利用されており、期間
を限って公開される場合がある。国指定重
要文化財。
円満寺は建武3年(1336年)に蘆名盛員の
後室が戦死した盛員公と嫡男の霊を弔う
ために創建。 天正7年(1579年)に観音堂
が建築された。「子守り観音」としても信仰
をあつめている。
明治16年に越後街道は束松峠から会津
三方道路として開通した藤峠へ移された
ため、旧街道沿いの集落は生活に困窮。
再び街道の賑わいを取り戻すべく、住民
達が独力で10年近くかけて洞門を貫通さ
せた。
別邸は、有栖川宮威仁親王の妃慰子殿下
の保養のために大正11年建設された。天
鏡閣とも呼ばれる。昭和27年に皇室から
福島県に下賜となり、福島県迎賓館として
今日に至る。
西会津町観光協会サイト
http://www.town-nishiaizukankou.com/enman.html
西会津町下谷字宮
ノ後内431
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
西会津町~会津坂
下町 束松峠
猪苗代町大字翁沢
字畑田1072-4
福島県迎賓館公式サイト
http://www.tif.ne.jp/soumu/geihi
nkan.htm
【h 景観・生活様式】 163/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
567 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
猪苗代町
土津神社 亀跌碑
568 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
猪苗代町
旧馬場家住宅 (会津民俗館)
569 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
猪苗代町
旧佐々木家住宅 (会津民俗館)
江戸時代中期に建築された名主階級の住 佐々木家は建久2年(1191年)から37代続 猪苗代町大字三ツ 会津全集
宅。会津民俗館に移設復元のうえ公開さ いた地元の名家で、この家屋は安永2年 和字前田33番地の1 http://www.miru.co.jp/aizuれている。県指定重要文化財。
(1773年)に建てられた。
zensyu/aizuzensyu/20041/04haru-04.html
570 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
猪苗代町
沼尻鉱山と沼尻軽便鉄道 保存車輌「DC121」
昭和28年から鉄道が廃止になる昭和44年
まで沼尻軽便鉄道で使われていた機関車
と客車2両が、国鉄から移設された旧翁島
駅の駅舎とともに、緑の村管理センターに
展示されている。
大正初期に安積疎水建設の一環として架
けられた橋で、猪苗代湖へ流入する水量
を調整する戸ノ口水門を兼ねる。橋の西
側には安積疎水の設計者であるファン・
ドールンの銅像が建つ。
571
572
573
574
575
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
亀跌碑は、亀に似た伝説上の動物「亀跌
(きふ)」の像に石碑を建てたもので、会津
藩祖保科正之公の履歴を刻んだ土津神
社の亀跌碑は日本最大のものである。
会津藩祖保科正之の死後に正之公を祀っ 猪苗代町字見祢山1 猪苗代町公式サイト
た神社で、戊辰戦争の時に焼失したが、
http://www.bandaisan.or.jp/enjoy
明治13年に再建された。境内にある亀跌
/shrine/
碑は日本最大のもので高さ7.3m、重量30t
もある。
江戸時代中期に建築された中門造りの曲 もとは伊南村小塩にあった。馬場家は中 猪苗代町大字三ツ 会津全集
がり屋で、中門造り家屋の初期的な遺例 層以下の百姓家であった。
和字前田33番地の1 http://www.miru.co.jp/aizuとされる。会津民俗館に移設復元のうえ公
zensyu/aizuzensyu/2004開されている。国指定重要文化財。
1/04haru-04.html
沼尻軽便鉄道は、大正2年から昭和44年
まで磐越西線の川桁駅と、沼尻硫黄鉱山
に隣接する沼尻駅までの15.6kmを結んで
いた。鉱山鉄道の性格が強い路線であっ
た。
(h)景観・ 福島県 猪苗代町 十六橋
十六橋の歴史は古く、空海が流れの中に
生活様式
塚を築き、丸太を架けて16連の橋を架け
等
たのが初めてとされる。後の天明6年
(1786年)には材木石を用いた23連の石
橋となったが、これは大正時代の十六橋
建設により失われた。
(h)景観・ 福島県 猪苗代町 野口英世生家 茅葺屋根の平屋建で、猪苗代地方の典型 野口英世は明治9年11月9日にこの家で生
生活様式
(野口英世記念館)
的な貧農の家屋だが、野口英世が1歳の まれ、明治26年に会津若松の会陽医院に
等
時に大火傷を負った囲炉裏や、上京の際 住み込みで働きに出るまで暮らした。
に文を刻んだ床柱などが、当時のまま
残っている。現在は野口英世記念館として
公開。
(h)景観・ 福島県 会津坂下町 恵隆寺 観音堂 (立木観音 観音堂は方五間で、寄棟茅葺の屋根には 立木観音堂は建久年間(1190年~1199
生活様式
堂)
会津地方独特の棟飾り(グシ)が見られ
年)の創建といわれ、慶長16年(1611年)
等
る。鎌倉時代の遺構を残す和様の古建築 の会津大地震で被災した後に再建され
で貴重。国指定重要文化財。
た。会津地方で最も古い由緒を持つとい
われる恵隆寺は、会津仏教の一大中心地
として栄えた。
(h)景観・ 福島県 会津坂下町 旧五十嵐家住宅
江戸時代中期の享保14年(1729年)に建 解体移設工事中に「享保十四年」の墨書
生活様式
築されたと見られる中堅層農家(本百姓) が屋根の梁上で見つかった事で建築年代
等
の家屋。どの部屋にも天井がないなど古 が明らかになった。
い様式が残っている。現在は移設され、昔
の農具や民芸品などを展示。国指定重要
文化財。
湯川村
勝常寺 薬師堂
薬師堂は桁行五間、梁間五間、木造単層 勝常寺は大同2年(807年)徳一上人によっ
(h)景観・ 福島県
寄棟造の大堂宇で、和唐折衷の装飾を持 て開かれた古刹。盛時には十二の坊舎と
生活様式
つ。室町時代初期の再建といわれ貴重で 百余の子院を有する一大寺院であったと
等
伝えられるが、現在残る建物は薬師堂以
ある。国指定重要文化財。
外、近世以降のものである。
猪苗代町長田字東
中丸3447−4
猪苗代町公式サイト
http://www.town.inawashiro.fuku
shima.jp/taiken/file/iwahashiouk
oku.pdf
猪苗代町翁沢・竹ヶ 猪苗代町公式サイト
袋
http://www.town.inawashiro.fuku
shima.jp/taiken/file/iwahashiouk
oku.pdf
猪苗代町三城潟字
前田
野口英世記念会サイト
http://www.noguchihideyo.or.jp/
会津坂下町大字塔
寺字松原
会津坂下町公式サイト
http://www.town.aizubange.fukus
hima.jp/Members/bunkashinkou/
contents/list/bunkazai01.html
会津坂下町大字塔
寺字大門
会津坂下町公式サイト
http://www.town.aizubange.fukus
hima.jp/Members/bunkashinkou/
contents/list/bunkazai06.html
湯川村大字勝常字
代舞1737
湯川村公式サイト
http://www.vill.yugawa.fukushima.
jp/kyouikuiinkai/bunkazai_01_ken
chiku.html
576 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
柳津町
奥之院 弁天堂 (円蔵寺)
弁天堂は室町期の典型的な禅宗様式を
伝える萱葺きの方三間の単層堂。殊に極
彩色の内部の絵模様は優れている(未公
開)。国指定重要文化財。
円蔵寺は、村松山虚空蔵堂(茨城県東海 柳津町大字柳津字
村)、金剛證寺(三重県伊勢市)などと共に 門前町甲898
日本三虚空蔵のひとつに数えられる。「福
満虚空蔵」とも称される。弁天堂は円蔵寺
の奥の院である。
歴史回廊あいづ
http://www.pref.fukushima.jp/aiz
u/kensetsu/kairou/shousai/kenti
ku/ya_3.html
577 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
金山町
旧五十島家住宅
江戸時代中期に建てられた平屋中門造り
の民家で、当時の標準的な百姓家屋であ
る。もとは沼沢集落にあったものを昭和54
年に移設した。県指定重要文化財。
平屋中門造りは秋田地方を源流とする、
日本海側東北地方一帯に広がる多雪対
応型の住宅で、中門にウマヤと便所を設
け、その前面に入口がある。
金山町公式サイト
http://www.town.kaneyama.fukus
hima.jp/soshiki/32/2012072402.html
金山町大字中川字
上居平949番地1
【h 景観・生活様式】 164/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
578 (h)景観・ 福島県 会津美里町 常福院 薬師堂
生活様式
等
薬師堂は室町時代の中期に建設されたも
のといわれる禅宗様の小型の仏堂で、急
傾斜の屋根に特徴がある。国指定重要文
化財。
579 (h)景観・ 福島県 会津美里町 法用寺 三重塔
生活様式
等
三重塔は安永9年(1780年)に完成したも 法用寺は養老4年(702年)の徳道上人に 会津美里町雀林3番 会津の里寺
ので、高さ20mを超える、会津で唯一残存 よる創建で、その後火災で衰退するが、徳 山下3554
http://i2sato.net/garan/hoyo.ht
する三重塔である。県指定重要文化財。 一大師によって再建された。
ml
580 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
西郷村
子安観世音
延久3年(1071年)年の創建と伝えられ子 西郷村豊作東7
安観音として多くの参詣者があった。また
白河藩主や家臣の信仰も厚かった。
西郷村公式サイト
http://www.vill.nishigo.fukushima.j
p/view.rbz?cd=350
581 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
西郷村
勝花亭
白河藩主松平定信はたびたび甲子温泉 西郷村真船字寺平
への遊覧を試み、「白河へ至りて甲子山を 2
見ざらんは、孔子の門を過ぎて堂に入らざ
るが如し。」と詠んでいる。
西郷村公式サイト
http://www.vill.nishigo.fukushima.j
p/view.rbz?cd=483
582 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
泉崎村
烏峠稲荷神社 本殿
寛保元年(1741年)の建築とされる本堂は
三間四方で回廊が巡る。屋根は入母屋破
風。格天井には八十余枚の奉納絵馬があ
る。村指定文化財。
江戸時代に甲子温泉へ遊覧へ訪れた白
河藩主松平定信がたびたび休泊した宿
で、現在も元湯甲子温泉旅館 大黒屋とし
て営業しており、宿泊する事が出来る。村
指定文化財。
本殿は江戸時代につくられたもので、至る
所に七福神や中国の思想を表現した見事
な彫刻を見る事が出来る。村指定有形文
化財。
烏峠稲荷神社は泉崎村の最高峰である 泉崎村泉崎字烏峠
烏峠の山頂にあり、1200年以上の歴史を 1
持つといわれる。代々白河地方を納めた
盟主の信仰もあつかった。
泉崎村公式サイト
http://www.vill.izumizaki.fukushim
a.jp/siryou/bunkazai16_karasutou
geinarijinjyahonden.html
583 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
棚倉町
蓮家寺 山門
安永6年(1777年)に冠木門・黒門・山門
(楼門)の三門が建立され、これを総称し
て蓮家寺三門と呼ばれたが、明治2年の
火災で山門だけが残った。
浄土宗公式サイト
http://jodo.jp/08-074/
584 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
塙町
安永6年(1777年)に建立された山門(楼
門)で、建立当時は赤く紅殻(べんがら)塗
られていたため「城下の景観なり」とうたわ
れた。規模の大きな二層の楼門である。
町指定重要文化財。
江戸時代中期に建築された本堂は素木造
りで、禅宗様式を加味した、この地方には
珍しい壮大な造りとされる。回廊と天井は
未完成で、内部から茅葺きが見える。町指
定有形文化財。
江戸時代中期、八溝山をとりまく地域に米 塙町大字台宿字大
山薬師信仰が高まり、多くの信徒達の寄 久保53
進によって寛政2年(1790年)に建立され
たと伝えられている。境内に大イチョウが
あることでも知られる。
福島の旅
http://www.tif.ne.jp/jp/spot/spot
_disp.php?id=1453
585 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
石川町
福満虚空蔵堂
江戸時代末期に再建されたとされる虚空
蔵堂で三間四方の方形造り。全体的に簡
素だが向拝正面の欄間などに高度な彫刻
が見られる。町指定文化財。
虚空蔵堂は天正年間(1573~91年)に、石 石川町大字北山形
川城主石川昭光の姉・浄仙尼が虚空蔵尊 龍ノ口11-3
を安置して「権現の本地奥の院」と称した
のがはじまりとされる。丑寅生まれの人た
ちの守り本尊といわれる。
石川町の文化財
http://is2.sss.fukushimau.ac.jp/fksdb/txt/10024.102.ishikawa/html/
00008.html
586 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
石川町
薬王寺 薬師堂
江戸時代中期の建築とされる薬師堂は、 薬王寺は平安時代の高僧徳一上人の創
方三間、方形造で瓦葺きの建物。もとは平 建と伝わる。
安時代の様式であったが後に改変された
と伝えられる。町指定文化財。
587 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
石川町
添田家住宅 醤油蔵・文庫
蔵・主屋・西の蔵
588 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
玉川村
川辺八幡神社 本殿
589 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
古殿町
古殿八幡神社
590 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
三春町
中山家住宅
台宿薬王寺 薬師堂
薬師堂は、建久8年(1197年)、当時この地 会津美里町新屋敷
に勢力を誇っていた田子道宥という長者 字山王塚甲99
が飛騨の内匠に命じて造らせたのが最初
といわれる。通称、田子薬師堂。
情報源・取材元
棚倉町大字棚倉字
新町129番地
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
歴史回廊あいづ
http://www.pref.fukushima.jp/aiz
u/kensetsu/kairou/shousai/kenti
ku/ms_1.html
石川町字大室563 石川町の文化財
http://is2.sss.fukushimau.ac.jp/fksdb/txt/10024.102.ishikawa/html/
00007.html
昭和初期に建てられた添田家の和風大型 添田家は醤油製造、販売や養蚕で財をな 石川町大字北山字 文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
木造家屋で、主屋、醤油蔵、文庫蔵、西の した名家である。
羽貫田67
蔵がそれぞれ国の登録有形文化財に指
il.do?heritageId=184118
定されている。
本殿は太い木割りを用いた豪壮な江戸初 川辺八幡神社は、永くこの地を治めていた 石川郡玉川村大字 玉川村公式サイト
期の一間社流造りで、寛文・享保などの改 石川氏の氏神として、広く信仰を集めてき 川辺字宮ノ前
http://www.vill.tamakawa.fukushi
造を経ていることが棟札から伺えることか た。
ma.jp/outline/seeing02.php
ら、慶長年間(1596~1615年)の建立と考
えられている。県指定重要文化財。
本殿は寛永8年(1631年)に建てられたも
ので一間社流造り、木羽葺き。桃山建築
の流れをくむ貴重なもの。
古殿八幡神社の創建は康平7年(1064年) 古殿町山上古殿38 古殿町公式サイト
に源頼義、義家父子によるとされる。竹貫
http://www.town.furudono.fukush
郷13ヶ村の総鎮守として近隣からの信仰
ima.jp/kanko-dentouが篤く、歴代領主の崇敬社となった。
bunka/see/bunnkazai/hatimannji
nnjya/168
江戸時代中期に建造された浜通り地方の 広間型三間取は全国各地に見られる農家 三春町大字富沢字 文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDeta
典型的な広間型三間取の百姓家屋である の古い間取りで、土間が広く、住宅を農作 山中44番地
が、広間に棟持柱や上屋柱が立つなど構 業の場としても捉えていた時代の遺例で
il.do?heritageId=192890
造に特色がある。国指定重要文化財。
ある。
【h 景観・生活様式】 165/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
591 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
三春町
藩講所明徳堂 表門
592 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
三春町
田村大元神社 表門
593 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
小野町
諏訪神社 本殿
594 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
広野町
595 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
596 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
資源の概要
三春藩の藩校明徳堂の表門で、寛永年間
(1624~45年)の建築。三春藩主秋田倩
季の筆による明徳堂の扁額を掲げている
ことから「明徳門」とも呼ばれる。戦後に移
設されて三春小学校の校門として使用さ
れている。
表門は江戸時代後半に建てられたもの
で、三春藩主秋田家の家紋「檜扇に違い
鷲羽」が付けられている。町指定文化財。
歴史的価値・ストーリー
所在地
三春藩の藩校明徳堂は、七代藩主秋田倩 三春町字大町
季によって天明期(1781~89年)に創設さ
れ、武家子弟の学問武芸の教授にあたっ
た。また明治初期には自由民権運動家を
育成する舞台ともなった。
情報源・取材元
三春町公式サイト
http://www.town.miharu.fukushim
a.jp/soshiki/7/010301shiseki.html
田村大元神社は田村義顕による三春築城 三春町字山中
が行われた永正元年(1504年)の創建とい
われ、江戸時代も三春藩領内総鎮守の格
式を誇った。
本殿は元禄14年(西暦1701年)宮大工・伊 小野神社のシンボルは樹齢1200年を誇る 小野町上羽出庭字
藤久賀之助の作といわれ、本殿の両面を 「翁スギ媼スギ」という寄り添うように天高 辻ノ内
はじめ随所に細美な彫刻をほどこした優 く聳え立つスギの巨樹で、国指定天然記
美な建物。町指定重要文化財。
念物。
三春町公式サイト
http://www.town.miharu.fukushim
a.jp/soshiki/12/11ishibashi.html
折木観音堂
観音堂は享禄2年(1530年)の墨書銘が残
る千手観音像を祀り、明治10年に再建。
梁の組み方などの構造から、名のある宮
大工が手掛けたものといわれる。
広野町公式サイト
http://www.town.hirono.fukushim
a.jp/sangyo/orikikannondo.html
楢葉町
木戸八幡神社 本殿
本殿は寛文5年(1665年)の建築物。町指 木戸八幡神社は領主楢葉氏が郡内鎮護
定文化財。
を祈願して奉じた。
楢葉町
立石不動尊堂
江戸時代中後期の建築と見られる本堂
本堂建築の記録は定かではないが、天明 楢葉町井出字立石
は、当地方の不動信仰の推移を残す郡内 2年(1782年)改修の棟札が確認されてい
随一の仏堂とされる。町指定文化財。
る。
福島県
川内村
諏訪神社 本殿
資料不足により情報収集不可
福島県
双葉町
初発神社 本殿
資料不足により情報収集不可
福島県
浪江町
仲禅寺 本堂
資料不足により情報収集不可
福島県
新地町
観海堂 校舎
明治初期にこの地方で最も古い学校とし
て利用された古民家で、修理時に梁から
明和6年(1769年)の墨書が発見されてい
る。県指定史跡であったが、東日本大震
災の津波により流失した。
観海堂は学制公布前の明治5年に作られ 新地町谷地小屋字
た学校で、仙台藩校の養賢堂で先生をし 桝形
ていた氏家晋が教壇に立った。卒業生に
は初代台湾高等法院長の高野孟矩など
がいる。
601 (h)景観・ 福島県
生活様式
等
新地町
くるめがすりの家 (旧小塩
完次邸)
新地町出身の建築家遠藤新が昭和6年に
建築した民家で、廊下がなく、居間を中心
としてどの部屋へも簡単に行ける造りに
なっており、有機的建築と呼ばれる。現在
は震災の影響で見学は出来ない。
洗えば洗うほど良くなる久留米絣(かすり) 新地町大字福田字
のような家をつくろうと、新地町出身の建 中里
築家遠藤新が昭和6年に東京都に小塩完
次邸として建てた家を新地町に移築した。
597 (h)景観・
生活様式
598 (h)景観・
生活様式
599 (h)景観・
生活様式
600 (h)景観・
生活様式
等
16世紀初頭に旧菊田・磐前・磐城・楢葉の 広野町折木字脇内
四郡で磐城三十三所観音霊場が形成さ
れ、折木観音はその第31番札所として多く
の参詣者が訪れた。
楢葉町大字上小塙
字宮平1
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
小野町公式サイト
http://www.town.ono.fukushima.j
p/soshiki/13/historybunkazai.html
福島の旅
http://www.tif.ne.jp/jp/spot/spot
_disp.php?id=2043
楢葉町の文化財
http://is2.sss.fukushimau.ac.jp/fksdb//txt/10088.003/html/00107.h
tml
うつくしま電子事典
http://www.gimu.fks.ed.jp/shidou
/jiten/cgibin/index.cgi?sheet=detail&name
=%A4%AB%A4%F3%A4%AB%A4%A4
%A4%C9%A4%A6&area=%BF%B7%C
3%CF%C4%AE&hen=bk
新地町公式サイト
http://www.shinchitown.jp/shiseki/263.html
【h 景観・生活様式】 166/188
(1)地域資源調査リスト 【(i)映画・アニメ】
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
1 (i)映画・
アニメ
青森県
十和田市
2 (i)映画・
アニメ
青森県
3 (i)映画・
アニメ
青森県
4 (i)映画・
アニメ
青森県 むつ市、大間 飢餓海峡
町
5 (i)映画・
アニメ
青森県
6 (i)映画・
アニメ
われ幻の魚を見たり
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
古来、1匹の魚もいなかった十和田湖でヒ 1950年(映画公開年)
メマスの養殖を成功させた和井内貞行を
モデルとする一代記。
当時の大映社長、永田雅一の持馬でダー 1955年(映画公開年)
ビーを制しながら病いに倒れた名馬トキノ
ミノルがモデル。
当時弱冠16歳の吉永小百合主演による 1961年(映画公開年)
石坂洋次郎の原作の青春映画。津軽の農
村を舞台に、純朴な若者たちの恋物語を
描く。
資料不足によりロケ地特定は不可。
強盗連続殺人の犯人と彼を追う執念の老 1965年(映画公開年)
刑事の人間模様を、終戦直後の飢餓状況
の中で描ききった内田吐夢監督の名作。
原作は水上勉。
新妻の夫を交通事故で死なせてしまった 1967年(映画公開年)
男が、次第にその妻を愛するようになるメ
ロドラマ。名匠成瀬巳喜男監督の遺作。
犯人が潜む温泉が下北半島の湯野川
温泉(むつ市)。撮影に使われた共同
浴場は昭和54年に建て替えられて、今
はない。
男が東京から転勤するのが青森市で、
映画のラストシーンが十和田湖。蔦温
泉(十和田市奥瀬)西本館の一室が撮
影に使用された。
青森県 鰺ヶ沢町、弘 男はつらいよ 奮闘編
前市
青森から出てきた少女から「あんたのお嫁 1971年(映画公開年)
になりたい」と言われて真剣に悩む寅次
郎。寅さんと純真な少女の心のふれあい
を綴った「男はつらいよ」シリーズ第7作。
妹さくらが寅さんを探して訪ねて来るの
が津軽の西海岸。,鰺ヶ沢町が主なロ
ケ地となった。
ロケ地特定は不可。
7 (i)映画・
アニメ
青森県
8 (i)映画・
アニメ
青森県
むつ市
田園に死す
主なロケ地は五所川原市市浦地区、
十三湖周辺。全編を通して津軽の荒涼
とした風景が描写される。ロケ地の特
定は不可。
映画の重要なシーンは恐山(むつ市)
で撮影された。
9 (i)映画・
アニメ
青森県
青森市
トラック野郎・御意見無用
10 (i)映画・
アニメ
青森県
11 (i)映画・
アニメ
青森県
八戸市
故郷津軽を嫌って都会へ出た女が、愛人
の殺傷事件により再び津軽へ戻って来
る。だが、その男は土着的な津軽の風土
に次第に惹かれていく。
映画監督である現在の“私”は自分の少
年時代の思い出を元に映画を作ろうとす
るが…。詩人・劇作家の寺山修司が自ら
の同名歌集をもとに映画化した自伝的要
素の強い作品。
日本全国を縦断する長距離トラックの運
転手・星桃次郎が、相棒のやもめのジョナ
サンと東北を突っ走る。「トラック野郎」シ
リーズ第1作。
日露戦争前夜、八甲田山の雪中行軍に挑
んだ弘前第31連隊と青森第5連隊だが、
第5連隊は吹雪の中を彷徨し遭難する。
実話をもとにした新田次郎「八甲田山死の
彷徨」を映画化した大作。
看護婦の激務をこなす妻、その妻を支え
る職業安定所勤めの夫と娘2人の家族愛
をユーモアを交えて描く。
12 (i)映画・
アニメ
青森県
外ヶ浜町
13 (i)映画・
アニメ
青森県 大間町、むつ 魚影の群れ
市
14 (i)映画・
アニメ
青森県
八戸市、十 幻の馬
和田市
弘前市
草を刈る娘
青森市、十 乱れ雲
和田市
五所川原 津軽じょんがら節
市、中泊町
青森市、十 八甲田山
和田市
弘前市
看護婦のオヤジがんばる
海峡
刑事物語2りんごの詩
1973年(映画公開年)
1974年(映画公開年)
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
ロケ地:八戸線の種差駅(現・種差海
岸駅)、廃線になった南部縦貫鉄道
ロケ地となった岩木山麓の岩木山総合 ・「弘前市HP/文学の景」
・弘前観光コンベンション協会:
公園(弘前市百沢)に、「草を刈る娘」 https://www.city.hirosaki.aomori.j 0172-35-3131
の石坂洋次郎文学碑がある。
p/
kanko/bungaku/bungaku1.html
1975年(映画公開年)
青森ねぶた祭りを舞台に物語が展開さ
れる。
1977年(映画公開年)
実際に極寒の八甲田で長期ロケを敢
行した。八甲田山中に、実際に遭難し
仮死状態で発見された後藤房之助伍
長の銅像がある。
1980年(映画公開年)
八戸市在住の版画家藤田健次の原
作。約1年間にわたリ八戸長期ロケを
敢行。ロケ地の特定は資料不足により
不確定。
外ヶ浜町竜飛崎がメインロケ地。
岩川隆の同名原作小説を映画化。青函連 1982年(映画公開年)
絡船洞爺丸事故から約30年にわたり、青
函トンネルの工事に執念を燃やす男たち
の物語。
マグロ漁に生命をかけてきた漁師の娘が 1983年(映画公開年)
結婚したいと言い出し、相手の青年を連れ
てくるが…。過酷なマグロ漁の男たちの姿
を描いた骨太な作品。
現金輸送車襲撃事件の手掛かりであるり 1983年(映画公開年)
んごの種を調べるため、試験場に種の栽
培を依頼した弘前署の刑事・片山は、所
員の忍と恋に落ちる。
情報源・取材元
・下北観光協議会:0175-221111(代)
・青森市観光交流情報センター:
017-723-4670
・八甲田山雪中行軍遭難資料館:
017-728-7063
・青函トンネル記念館:0174-382301
下北半島、大間漁港が舞台。本場のマ
グロ漁を撮影した。ロケ地の特定は不
可。
弘前を舞台に物語が進行する。ロケ地
の特定は資料不足により不可。
【i 映画・アニメ】 167/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
15 (i)映画・
アニメ
青森県 つがる市、弘 青い山脈’88
前市、大鰐
町
16 (i)映画・
アニメ
青森県
17 (i)映画・
アニメ
青森県
18 (i)映画・
アニメ
青森県
19 (i)映画・
アニメ
青森県
20 (i)映画・
アニメ
青森県
21 (i)映画・
アニメ
青森県
22 (i)映画・
アニメ
青森県
23 (i)映画・
アニメ
青森県
24 (i)映画・
アニメ
青森県 五所川原市 銀河鉄道の夜
25 (i)映画・
アニメ
青森県 五所川原市 五重塔
26 (i)映画・
アニメ
青森県
27 (i)映画・
アニメ
青森県
十和田市
三本木農業高校、馬術部
28 (i)映画・
アニメ
青森県
六ヶ所村
へばの
弘前市
資源の概要
青森県の女子高を舞台に教師と生徒、大 1988年(映画公開年)
人と子供の関り合いを描く。石坂洋次郎の
同名小説の5回目の映画化。
夢の祭り
弘前出身の作家、長部日出雄の監督作
品。津軽三味線の魅力にとり憑かれた若
者が修行の旅の末、三味線大会でライバ
ルと対決するまでの物語。
弘前市、十 満月Mr.Moonlight
現代の札幌にタイムスリップしてしまった
和田市
江戸時代の武士・小弥太と、ひょんなこと
で彼と出会った高校教師・まりとの恋と冒
険を描いたファンタジー。
南部町
傷だらけの天使
死に際のヤクザに息子を母親の元へ送り
届けるよう頼まれた探偵とその弟分が、子
連れで東北を旅するコミカルなロードムー
ビー。
深浦町、鰺ヶ 夜の哀しみ
三浦哲郎の同名小説を映画化。古い因習
沢町
の残る青森の港町を舞台に、性的に満た
されない人妻が辿る悲劇を描いた人間ド
ラマ。
青森市
ちえみちゃんとこっくんぱっ 青森で歯科技工士として働くのり子の父
ちょ
親が、東京から自分より若い女性を連れ
帰ってきたところから物語が始まる。青森
市出身の映画作家、横浜聡子のイン
ディーズ作品。
むつ市
青い詩~のど自慢青春編~ むつ市の中学を卒業し、それぞれの道を
歩み始めた4人の少年たち。1年後、再会
した彼らがのど自慢に挑戦する。 若者の
成長と青春を描いた群像劇。
七戸町、三 アオグラ
沢市、十和
田市
青森市
素敵な夜、ボクにください
八戸市、五 伊藤の話
所川原市
歴史的価値・ストーリー
60年代末の青森県南部地方を舞台に、高
校を卒業し社会に巣立つ直前の若者たち
の1日を描いた青春群像劇。原作は十和
田市出身の作家、川上健一の「4月にな
れば彼女は」。
カーリングを題材にしたラブコメディ。売れ
ない女優の木村いづみは来日中の韓流ス
ターと一夜を共にする。しかし、彼は別人
のカーリング選手だった…。
宮沢賢治の名作を谷村美月主演で映画
化したファンタジー。過去にいじめを受け
た少年が、自分を守ってくれた旧友と夢の
銀河鉄道で再会するさまを描く。
大量の「五重塔」の陶器制作を依頼された
陶芸家が、トラブルに見舞われながらも、
日本中から集めた陶芸家たちを動かして
プロジェクトを成功させていく。
小泉八雲原作の「伊藤則資の話」を基に、
赴任先の大学で美しい助手と妖精の間で
揺れ動く大学教授の姿を映し出す幻想ラ
ブストーリー。
十和田市に実在する青森県立三本木農
業高等学校の馬術部を舞台に、目の見え
ない盲目の馬「タカラコスモス」と女子高生
の馬術部員との愛の実話を基にした物
語。
六ヶ所村を舞台に、核燃料再処理工場で
の被曝事故によって、人生の岐路に立た
される男女の姿を描いた恋愛映画。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
ロケ地:岩木川河川敷(つがる市)、弘 ・「DOSA!navi/青い山脈‘88ロ ・つがる市フィルムコミッション:
前高校、蓬菜橋 (弘前市)など。詳細 ケ地」
0173-42-2449
はロケ地HPを参照。
http://www.dosanavi.jp/php/fc_a (青森県つがる市木造若宮16-4)
oi88.php
所在地
情報源・取材元
1989年(映画公開年)
ロケ地は弘前市を中心にした津軽地
方。ロケ地の特定は資料不足により不
可。
1991年(映画公開年)
ロケ地は弘前城周辺、蔦温泉(十和田
市)など。
1997年(映画公開年)
ロケ地:八戸市~青森市に至る国道四
号線沿い、さくらいドライブイン(南部町
相内)、新むつ旅館(青森市小中野)な
ど。
映画の舞台は津軽の西海岸。主要な
シーンのほとんどが深浦町で撮影され
た。ロケ地の特定は資料不足により不
可。
映画の舞台は青森市。オール青森ロ ・「青森フィルムコミッションHP」
ケで撮影された。ロケ地の特定は資料 http://www.film不足により不可。
commission.com/index.html
2001年(映画公開年)
2005年(映画公開年)
・青森フィルムコミッション推進協
議会
(青森市経済部観光課内):017761-4467
2006年(映画公開年)
下北フィルムコミッションの第1回作品 ・「下北フィルムコミッションHP」
として、むつ市の全面的な協力の下で http://www.shimokita撮影。ロケ地の特定は資料不足により fc.jp/about/
不可。。
・下北フィルムコミッション (むつ青年
会議所内):0175-22-4360
2006年(映画公開年)
原作の舞台は十和田市と三沢市だ
・「七戸フィルムコミッションHP」
http://www.town.shichinohe.lg.jp/
が、七戸町をメインに撮影が行われ
た。ロケ地の特定は資料不足により不 fc/index.html
確定。
・七戸フィルムコミッション事務局
(七戸町商工観光課内):017662-9703 2006年(映画公開年)
映画の舞台は青森市。1か月近くにわ ・「青森フィルムコミッションHP」
たり市内で撮影が行われた。ロケ地の http://www.film特定は資料不足により不可。
commission.com/index.html
・青森フィルムコミッション推進協
議会
(青森市経済部観光課内):017761-4467
2006年(映画公開年)
資料不足によりロケ地特定は不可。
2007年(映画公開年)
資料不足によりロケ地特定は不可。
2008年(映画公開年)
主人公の教授の赴任先が八戸大学
で、実際の八戸大学で撮影された。
2008年(映画公開年)
ロケ地は三本木農業高校、荒谷牧場 ・「七戸フィルムコミッションHP」 ・七戸フィルムコミッション事務局
(十和田市)ほか。「四季の移り変わり http://www.town.shichinohe.lg.jp/ (七戸町商工観光課内):0176を撮りたい」という監督の意向のもと、 fc/index.html
62-9703
約1年間にわたる長期ロケが敢行され
た。
資料不足によりロケ地特定は不可。
2009年(映画公開年)
【i 映画・アニメ】 168/188
カテゴリー
県
市町村
29 (i)映画・
アニメ
青森県
30 (i)映画・
アニメ
青森県
鰺ヶ沢町
31 (i)映画・
アニメ
青森県
32 (i)映画・
アニメ
地域資源名
蓬田村、五 ウルトラミラクルラブストー
所川原市 リー
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
青森を舞台に、農業をしながら暮らす子供 2009年(映画公開年)
みたいな純粋な青年が、初めての恋に向
かって猛アタックする姿を描いたラブ・ス
トーリー。青森市出身の新進女性監督、横
浜聡子による商業映画デビュー作品。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
五所川原市を中心とした津軽地方で全 ・「青森フィルムコミッションHP/ ・青森フィルムコミッション推進協
編ロケを敢行。ロケ地の特定は資料不 ウルトラミラクルラブストーリー 議会
足により不確定。
ロケ地マップ」
(青森市経済部観光課内):017http://www.film761-4467
commission.com/miratizu/mira20
09.html
所在地
情報源・取材元
・「弘前フィルムコミッションHP」
http://www.hirosakikanko.or.jp/web/edit.html?id=fc
・「青森県観光連盟HP/映画わ
さおロケ地看板」
http://www.aptinet.jp/Detail_displ
ay_00003891.html
・弘前観光コンベンション協会
(弘前フィルムコミッション):017235-3131
・鯵ヶ沢町観光協会:0173-725004
・弘前観光コンベンション協会
(弘明フィルムコミッション):017235-3131
わさお
鯵ヶ沢町のイカ焼き店に実在する秋田犬 2011年(映画公開年)
「わさお」が、元の飼い主と再会するまでを
描いたハートフルドラマ。「わさお」が本人
(犬)役で出演。
鯵ヶ沢町の全面協力により、町内や白
神山地でのオールロケが行われた。ロ
ケ地数か所に看板が設置されている。
詳細はHPを参照。
弘前市
星守る犬
資料不足によりロケ地特定は不可。
青森県
弘前市
津軽百年食堂
何もかも失った中年男が、最後に残った 2011年(映画公開年)
愛犬ハッピーと共に東京から福島、宮城、
岩手、青森、北海道へと旅を続けるロード
ムービー。村上たかしの大ヒット漫画を映
画化。
東京に暮らす青年が様々な葛藤を乗り越 2011年(映画公開年)
え、津軽で百年の歴史を持つ食堂の四代
目になるまでの姿を、初代の人生とともに
描くヒューマン・ドラマ。
映画のモデルとなった実際に百年続い
ている「三忠食堂本店」で撮影。弘前市
内のほか、黒石市、八戸市など全編青
森県でロケが行われた。詳細はロケ地
マップHPを参照。
・「津軽百年食堂公式サイト」
http://www.tsugaru100movie.com/
・「津軽百年食堂ロケ地マップ」
http://www.tsugaru100movie.com/note/map.pdf
33 (i)映画・
アニメ
青森県
鰺ヶ沢町
明日にかける愛
東京、青森、北京を舞台に、中国残留日 2012年(映画公開年)
本人孤児だった祖母とその孫娘、中国か
らやって来た青年らの交流を通して展開
する感動作。日中友好40周年を記念して
製作された。
つがる市のJR五能線木造駅、弘前市
のりんご公園、弘前城、旧弘前市立図
書館、鰺ヶ沢町の菜の畑花、鶴田町の
鶴の舞橋など津軽地方全域で撮影が
行われた。
・「まるごと青森/明日にかける ・つがる市フィルムコミッション:
0173-42-2449
愛」
http://marugoto.exblog.jp/15628
・弘前観光コンベンション協会
920/
(弘前フィルムコミッション):017235-3131
34 (i)映画・
アニメ
青森県
弘前市
奇跡のリンゴ
対に不可能と言われた無農薬リンゴの栽 2013年(映画公開年)
培に成功し、“奇跡のリンゴ”として大きな
話題を集めた青森のリンゴ農家・木村秋
則の実話の映画化。
映画の舞台弘前市でオールロケを敢
行。ロケ地:岩木山麓、岩木川河川敷、
藤田記念公園、居酒屋わらじ屋、小山
古書店、独狐の森公園など。詳細はロ
ケ地マップHPを参照。
・「奇跡のリンゴ 弘前ロケ地マッ ・弘前観光コンベンション協会
(弘前フィルムコミッション):0172プ」
http://www.kisekinoringo.com/lo 35-3131
cation/
・「弘前フィルムコミッションHP」
http://www.hirosakikanko.or.jp/web/edit.html?id=fc
35 (i)映画・
アニメ
青森県
1971年4月から1年間にわたり放送された NHK連続テレビ小説 NHK連続テレビ小説の第11作。ヒロイン・ 1971年
繭子が「幸せ」を求めて生きていく様子を、
ドラマチックに描いた。
繭子の生まれ故郷という設定の三戸
町を中心に八戸市などでロケ。ロケ地
の特定は資料不足により不可。
36 (i)映画・
アニメ
青森県
大間町
私の青空
ヒロイン北山なずなが未婚の母となって下 NHK連続テレビ小説 北半島の大間から上京。息子とともに困 2000年
難をのりこえていく。NHK「連続テレビ小
説」で2000年4月から半年間放送された。
主人公の生まれ故郷で家族が住むの
が大間町の設定。ロケ地:大間港、大
間稲荷神社ほか。詳細はロケ地ガイド
HP(私設サイト)を参照。
37 (i)映画・
アニメ
青森県
弘前市
世界のどこにもいない優しい 韓国のTVドラマ。一途に愛した女性に裏
男
切られ、別の女性を利用して復讐を試み
るというラブストーリー。
三沢市、八 繭子ひとり
戸市
韓国KBS制作TVドラマ 2012年8月に弘前公園、藤田記念公
2012年
園、ねぷたまつりなど弘前市内各所で
ロケを行った。詳細はロケ地マップHP
を参照。
・「大間町観光協会HP」
http://oma-wide.net/oomamovie.html
・「私の青空ロケ地ガイド(私設サ
イト)」
http://loca.ash.jp/show/2000/a2
000_aozora.htm
・大間町観光協会(大間町商工会
内)
:0175-37-2233
・大間おあぞら組:0175-37-5073
「私の青空」をきっかけに設立し
た地域おこし集団
・「弘前フィルムコミッションHP」 ・弘前観光コンベンション協会
http://www.hirosaki(弘前フィルムコミッション):0172kanko.or.jp/web/edit.html?id=fc 35-3131
・「世界のどこにもいない優しい男
ロケ地マップ」
http://www.aptinet.jp/contentsad
min/uploadimage/00004511_1.pdf
【i 映画・アニメ】 169/188
カテゴリー
38 (i)映画・
アニメ
39 (i)映画・
アニメ
40 (i)映画・
アニメ
41 (i)映画・
アニメ
42 (i)映画・
アニメ
43 (i)映画・
アニメ
44 (i)映画・
アニメ
45 (i)映画・
アニメ
46 (i)映画・
アニメ
47 (i)映画・
アニメ
県
市町村
地域資源名
資源の概要
青森県 青森県(舞台 機甲戦記土ラグナー第22話 1987年2月7日から1988年1月30日まで名
設定)
- ギガノス要塞破壊 古屋テレビ・テレビ朝日系で全48話が放送
命令-
されたロボットアニメ。西暦2087年の青森
が舞台設定。
青森県 青森市(舞台 センチメンタルジャーニー第 1998年4月から同年7月までテレビ東京で
設定)
十一話~ほろにがトライアン 全12話が放送されたTVアニメのうちの第
グル~
11話。青森市に住む少女漫画が大好き
な女子高生の恋愛物語。
青森県 青森市(舞台 雲のむこう、約束の場所
日本が津軽海峡を挟んで南北に分割占領
設定)
された、別の戦後の世界が舞台のアニメ
映画。青森市に住む中学3年生の2人の
少年が主人公。
青森県 むつ市(舞台 シャーマンキング
「週刊少年ジャンプ」に連載された武井宏
設定)
之作の漫画。シャーマンのヒロイン、恐山
アンナは、恐山(むつ市)に捨てられてい
た孤児という設定。
青森県 青森市(舞台 ザ・ワールド・イズ・マイン
「週刊ヤングサンデー」に連載された新井
設定)
英樹作の漫画。正体不明の2人組が青森
市で成り行きから連続爆破、警察署襲撃、
殺人代行といった日本全土を震撼させる
無差別殺戮を開始する。
岩手県
奥州市
風の又三郎
宮沢賢治の不朽の名作を最初に映画化し
た島耕二監督作品。山村の自然、又三郎
のファンタスティックな世界を丹念に描き、
この作品が原作の雰囲気を最も良く映像
化していると評されている。
岩手県 盛岡市、雫 馬
東北の片田舎に生きる農家の娘(高峰秀
石町
子)が仔馬をひたむきな愛情で育て、立派
な軍馬として世に送り出していく様を描い
た写実的作品。
岩手県
花巻市
銀心中
田宮虎彦の小説を新藤兼人が脚色、監
督した人間ドラマ。夫と理髪店を経営する
女性の運命が、戦争によって翻弄される
末路までを描く。
岩手県
盛岡市
花くれないに
東北地方の高校に赴任して来た新人教師
が、町の有力者と対立する騒動を描いた
学園もの。NHK連続放送劇を映画化した
作品。
岩手県
北上市
大怪獣バラン
北上川の上流にある秘境で、婆羅蛇魏山
神(バラダギサンジン)として神格化されて
いる中生代の怪獣が発見された。ゴジラ
の戦闘力とラドンの飛翔能力を併せ持っ
たバランとの闘いを描く怪獣映画。
48 (i)映画・
アニメ
岩手県
盛岡市
49 (i)映画・
アニメ
岩手県
50 (i)映画・
アニメ
岩手県
51 (i)映画・
アニメ
岩手県
歴史的価値・ストーリー
所在地
TVアニメ TV朝日系 1987-1988年
資料不足により情報不確定
TVアニメ TV東京 1998年
資料不足により情報不確定
アニメーション映画 2004年
資料不足により情報不確定
漫画 1998-2004年
資料不足により情報不確定
漫画 1997-2001年
資料不足により情報不確定
1940年(映画公開年)
資料不足によりロケ地特定は不可。
1941年(映画公開年)
盛岡市の小田島旅館に拠点を置き、
松尾町旧馬検場、現在の小岩井農場
周辺、田沢湖線大釜駅などで長期ロケ
が行われた。
撮影は当時の花巻電鉄鉛線(現在は
廃線)で行われ、鉄道ファンの間で有
名な「馬づら電車」、小説のモデルと
なった鉛温泉、大沢温泉が登場する。
本編ロケのほとんどが盛岡市で行わ ・「盛岡フィルムコミッションHP」
れた。 ロケ地:上の橋、中の橋、盛岡 http://www.morioka駅、盛岡一高校舎、あさ開酒造、岩手 fc.com/mfc/kako/index.html
公園など。
資料不足によりロケ地特定は不可。
1956年(映画公開年)
1957年(映画公開年)
1958年(映画公開年)
大いなる旅路
盛岡を中心とした岩手県を舞台に、若き日 1960年(映画公開年)
から戦中戦後を経て定年で退職するま
で、国鉄の機関士とその一家の30年にわ
たる物語。
1944年に山田線で起こった転覆事故を
モチーフに、映画では同じ山田線浅岸
駅で蒸気機関車を実際に脱線転覆さ
せて撮影を行った。
八幡平市
草を刈る娘(思春の泉)
石坂洋次郎の小説「草を刈る娘」の映画 1961年(映画公開年)
化。東北の農村を舞台に、純朴な若者た
ちの恋模様を描く。撮影途中で興行的な
理由から「思春の泉」に改題したが、後に
もとに戻した。
原作の舞台は津軽だが、映画は八幡
平大沼など、当時の田頭村(後に西根
町、現八幡平市)一帯で撮影。後に
(1961年)岩木山麓ロケでリメイクされ
た(青森県リスト参照)。
盛岡市
北上夜曲 北上川の初恋
盛岡の北上川の岸辺を舞台に、純朴な乙 1961年(映画公開年)
女と高校生の純愛を綴る歌謡メロドラマ。
資料不足によりロケ地特定は不可。
当時大きな社会問題となっていたポリオ禍 1964年(映画公開年)
問題を題材に、松山善三監督がドキュメン
タリー手法を駆使して映画化。
ロケ地: 小岩井農場など
雫石町、滝 われ一粒の麦なれど
沢村
情報源・取材元
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
松尾村歴史民俗資料館:019578-2598
【i 映画・アニメ】 170/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
八幡平市、 同胞
盛岡市
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
情報源・取材元
52 (i)映画・
アニメ
岩手県
53 (i)映画・
アニメ
岩手県
54 (i)映画・
アニメ
岩手県
55 (i)映画・
アニメ
岩手県
56 (i)映画・
アニメ
岩手県
57 (i)映画・
アニメ
岩手県
58 (i)映画・
アニメ
岩手県
盛岡市、北 男はつらいよ 夜霧にむせ
上市
ぶ寅次郎
59 (i)映画・
アニメ
岩手県
奥州市、花 風の又三郎 ガラスのマント
巻市
60 (i)映画・
アニメ
岩手県
釜石市、遠 釣りバカ日誌6
野市
61 (i)映画・
アニメ
岩手県
盛岡市
口紅
62 (i)映画・
アニメ
岩手県
盛岡市
(ハル)
パソコン通信を通じて知り合った男女が、 1996年(映画公開年)
メールのやり取りをするうちに愛を育んで
いく模様を描いた、森田芳光監督による新
感覚の恋愛ドラマ。まだメールという言葉
が一般的でなかった1995年の製作。
63 (i)映画・
アニメ
岩手県
奥州市
風のかたみ
「今昔物語」を題材にした福永武彦の同名 1996年(映画公開年)
小説の映画化で、女陰陽師と出会い数奇
な運命を歩むことになる若者の情熱的な
恋を描く歴史ドラマ。
ロケ地: えさし藤原の郷、北上川、種
山高原など。
64 (i)映画・
アニメ
岩手県
奥州市
五条霊戦記
平家が支配する平安末期の京都を舞台 1999年(映画公開年)
に、弁慶と“遮那王”こと源義経の姿を新
解釈で描いたサイバーアクション時代劇。
65 (i)映画・
アニメ
岩手県
盛岡市
私の骨
盛岡市在住の直木賞作家・高橋克彦のホ 2000年(映画公開年)
ラー短編を、盛岡の静寂な美景をバックに
映像化。床下から発見された“骨”をめぐ
る、恐怖の物語が展開する。
ロケ地:えさし藤原の郷、人首城址、胆 ・「みちのくフィルムコミッション 奥
沢川原など。
州市ロケ推進室HP」
http://www.oshufc.jp/resultsdb/cat3/kazenokata
mi.html
盛岡市で真冬のオールロケを敢行。
・「盛岡フィルムコミッションHP」
ロケ地: 十六羅漢、一ノ倉邸、岩手
http://www.morioka川、盛岡八幡宮ほか。
fc.com/mfc/kako/index.html
住田町
八つ墓村
盛岡市、葛 イーハトーブの赤い屋根
巻町
盛岡市
トラック野郎 一番星北へ帰
る
盛岡市、奥 子育てごっこ
州市
盛岡市
時代屋の女房
岩手県の過疎の村で青年会が劇団公演 1975年(映画公開年)
を計画し成功させるまでを、実話をもとに
描く。モデルとなった劇団「統一劇場」が公
演シーンを演じている。
かつて惨殺事件が起きた村で再び殺人が 1977年(映画公開年)
発生し、名探偵金田一耕助が謎解きに挑
む。横溝正史の原作を渥美清主演で映画
化したサスペンス。
岩手県北部の山村にある生徒数21名の 1978年(映画公開年)
分校を舞台に、教師夫婦と生徒たちの心
のふれ合いを描く。直木賞作家、三好京
三の「分校日記」の映画化。
所在地
クライマックスの鍾乳洞での迫力ある
恐怖描写は、住田町の滝観洞(ろうか
んどう)で撮影された。
ロケ地: 盛岡市内デパート、開運橋、
葛巻町
「トラック野郎」シリーズ第8弾。美しい未亡 1978年(映画公開年)
人に一目ぼれをした長距離運転手の桃次
郎は、彼女のいる“みちのく”に通い詰める
ようになる。
主人公の出身地は岩手県という設定
で、国道4号沿線、花巻市、宮古市な
どでロケが行われた。ロケ地特定は資
料不足により不可。
老放浪作家に育てられ学校教育も受けて
いない少女を引き取って育てる分校教師
夫婦の姿を描く。三好京三の同名小説の
映画化。
骨董屋を経営する中年男と、その店に転
がり込んできた娘の関係を中心に、近所
に住む人々の生活を人情味豊かに描く。
原作は村松友視の同名小説。
霧深い北海道の釧路で出会った美容師・
風子と意気投合した寅次郎は、サーカス
のオートバイ乗りをしているという彼女の
恋人から引き離そうと孤軍奮闘する。「男
はつらいよ」シリーズの33作目。
風の又三郎と子供たちとの交流を描く宮
沢賢治の名作3度目の映画化。原作には
ない少女を登場させ、彼女の視点から語
るという構成になっていいる。
「釣りバカ日誌」シリーズ6作目。講演会で
岩手県釜石にやってきた浜ちゃんが、社
長に間違われ、珍騒動が持ち上がるとい
うドタバタコメディ。
地方都市で平和に暮らしていた女性が、
玄関で見慣れぬ口紅を拾ったことから悪
意の世界に陥るさまを描くミステリー。
原作者の三好京三が分校の教師をし
ていた衣川村(現奥州市)でロケが行
われた。ロケ地特定は資料不足により
不可
全編にわたり盛岡市でロケが行われ
た。
ロケ地: 木津屋本店、平野商店、岩手
公園、厨川駅、上ノ橋 など
ロケ地: 盛岡市上ノ橋界隈、岩手公園
1979年(映画公開年)
1983年(映画公開年)
1984年(映画公開年)
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
・「盛岡フィルムコミッションHP」
http://www.moriokafc.com/mfc/kako/index.html
・「盛岡フィルムコミッションHP」
http://www.moriokafc.com/mfc/kako/index.html
・「盛岡フィルムコミッションHP」
http://www.moriokafc.com/mfc/kako/index.html
1989年(映画公開年)
ロケ地:種山高原(奥州市)、豊沢川
(花巻市)など。豊沢川の「さいかち淵」
に映画ロケ地跡の看板が立つ。
1993年(映画公開年)
ロケ地:釜石湾、釜石市民文化会館な
ど。
1995年(映画公開年)
全編にわたり盛岡市でロケが行われ ・「盛岡フィルムコミッションHP」
た。
http://www.moriokaロケ地: 中津川、岩手公園、石井県令 fc.com/mfc/kako/index.html
邸、川徳前、ホテル東日本、盛岡駅裏
メール交換をする一方の女性が盛岡
に住むという設定。ロケ地:盛岡駅、中
三デパート、旭橋界隈など。
・「みちのくフィルムコミッション 奥 ・奥州市ロケ推進室:0197-352111(内212)
州市ロケ推進室HP」
http://www.oshufc.jp/resultsdb/cat3/kazenokata
mi.html
・奥州市ロケ推進室:0197-352111(内212)
・盛岡観光コンベンション協会
(盛岡フィルムコミッション):019604-3300 【i 映画・アニメ】 171/188
カテゴリー
県
市町村
66 (i)映画・
アニメ
岩手県
67 (i)映画・
アニメ
岩手県
68 (i)映画・
アニメ
岩手県
69 (i)映画・
アニメ
岩手県
一戸町
70 (i)映画・
アニメ
岩手県
71 (i)映画・
アニメ
地域資源名
雫石町、盛 壬生義士伝
岡市
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
浅田次郎の同名小説を映画化した時代 2003年(映画公開年)
劇。混迷する幕末を舞台に、愚直なまでに
愛する者のために生き抜いた新撰組隊士
の波瀾の運命を描く。
夢枕獏の時代幻想小説を映画化し大ヒッ 2003年(映画公開年)
トを記録した「陰陽師」の続編。平安の都
を守る陰陽師、安倍晴明の活躍を、CGを
駆使した派手な映像で描く。
ロケ地: 小岩井農場一本桜(雫石町)、
上の橋(盛岡市)ほか。
山田風太郎の時代小説「甲賀忍法帖」を、 2004年(映画公開年)
最新鋭のVFX技術により映像化。戦うため
に生まれついた忍(しのび)たちの悲恋物
語を、ドラマチックな時代絵巻として描く。
ロケ地:猊鼻渓(東山町)、えさし藤原
の郷(奥州市)
待合室
IGRいわて銀河鉄道小繋駅に置かれてい 2005年(映画公開年)
る「命のノート」の実話をもとにしたヒュー
マン・ドラマ。見知らぬ旅人たちに返事を
書き、生きる事の素晴らしさを伝え続けて
いる女性の半生を描く。
八幡平市
オペレッタ狸御殿
岩手県
八幡平市
孕み-白い恐怖
狸と人間が繰り広げる恋の行方をユーモ 2005年(映画公開年)
ラスに描いた往年の人気シリーズ「狸御
殿」を、鈴木清順監督が独自の美学で甦
らせたミュージカル時代劇。
妊娠した17歳の少女が出産のために訪れ 2005年(映画公開年)
た雪深い山奥のペンションで、恐ろしい殺
戮の悲劇に巻き込まれる和製ホラー。
一戸町を中心に四季を通して長期ロケ ・「待合室公式サイト」
が行われた。ロケ地:小繋駅、小繋小 http://www.machiaishitsu.com/in
学校など。
dex.html
・「待合室応援サイト(私設サイ
ト)」
http://www.geocities.jp/cinema_
matiaisitu/
ロケ地:八幡平市(旧玉山村)の「為内
の一本桜」
72 (i)映画・
アニメ
岩手県
宮古市
73 (i)映画・
アニメ
岩手県
金ケ崎町
74 (i)映画・
アニメ
岩手県
75 (i)映画・
アニメ
岩手県
遠野市
やじきた道中てれすこ
ご存知“弥次喜多コンビ”と売れっ子花魁 2007年(映画公開年)
がナゾの生物“てれすこ”を巡って繰り広
げる笑いと涙の時代劇コメディー。
76 (i)映画・
アニメ
岩手県
久慈市
伊藤の話
77 (i)映画・
アニメ
岩手県
一関市
SILK(シルク)
78 (i)映画・
アニメ
岩手県
西和賀町
いのちの作法
79 (i)映画・
アニメ
岩手県
小泉八雲原作の「伊藤則資の話」を基に、
赴任先の大学で美しい助手と妖精の間で
揺れ動く大学教授の姿を映し出す幻想ラ
ブストーリー。
国際プロジェクトによる豪華キャスト競演
の純愛ドラマ。美しき妻と日本で運命的に
出会った少女との間で揺れ動く男の姿を
静謐かつ幻想的な映像で綴る。
昭和30年代、全国に先駆けて高齢者医療
費無料化などを実践した岩手県沢内村
(現西和賀町)の行政の軌跡をたどるド
キュメンタリー。
岩手県水沢出身のミュージシャン、松本哲
也の自伝「空白」をもとに、音楽を志す青
年とその母親の波乱に満ちた半生を映画
化した人間ドラマ。
奥州市
陰陽師Ⅱ
東山町、奥 忍-shinobi
州市
あの夏タイムマシーンにのっ 25年前に父親が埋めたタイムカプセルを、 2005年(映画公開年)
て
その当時の父親と同じ年になった息子が
掘り起こしに行くというハートフルストー
リー。250名を超える宮古市民参加による
自主制作映画!
ゲルマニウムの夜
教会の教護院に舞い戻ってきた青年がゲ 2005年(映画公開年)
ルマニウムラジオから流れてくる“神の囁
き”を聴き、欲望のままに冒涜の限りを尽く
す。花村萬月の芥川賞小説を映画化。
釜石市、北 日本の自転車泥棒
上市
奥州市、北 しあわせカモン
上市
ケガで引退した元競輪選手の男が、何台 2006年(映画公開年)
も自転車を盗みながらひたすら走り続ける
異色のロードムービー。
ロケ地:えさし藤原の郷
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
・「みちのくフィルムコミッション 奥 ・奥州市ロケ推進室:0197-35州市ロケ推進室HP」
2111(内212)
http://www.oshufc.jp/resultsdb/cat3/kazenokata
mi.html
全編に渡り冬の岩手山麓でロケを敢
行。八幡平市にある「アルペンローゼ」
という実在のペンションを中心に撮影
が行われた。
全編宮古の街と人々が主役のような映 ・「あの夏、タイムマシーンにのっ ・陸中宮古青年会議所:0193-62画。 市内各所で撮影が行われたが、 て 公式サイト
8458
ロケ地特定は資料不足により不可。
http://plaza.rakuten.co.jp/timema
chine2005/
ロケ地:岩手県立農業大学校ほか
・「北上フィルムコーディネーショ
ンHP」
http://spatchka.web.fc2.com/sub
05.htm
主人公が釜石の製鉄所の工員という
設定。冒頭のシーンで釜石港→大渡
橋→洞泉→大橋と自転車で走り抜け
る。ほかに北上市の北上駅前、諏訪神
社などでロケ。
資料不足によりロケ地特定は不可。
・「北上フィルムコーディネーショ
ンHP」
http://spatchka.web.fc2.com/sub
05.htm
2007年(映画公開年)
ロケ地:久慈市の小袖海岸、久慈琥珀
博物館など。
2007年(映画公開年)
ロケ地:猊鼻渓(一関市)
・「シルク 公式サイト」
http://www.silk-movie.com/
2008年(映画公開年)
記録映画なので、全編旧沢内村を中
心とする西和賀町で実写ロケが行わ
れた。
・「いのちの作法 公式サイト」
http://inochi-film.main.jp/
2009年(映画公開年)
主人公が旧水沢市(現奥州市水沢区) ・「しあわせカモン 公式サイト」
出身なので、水沢とその周辺で撮影さ http://shiawase-comeon.jp/
れた。 ロケ地特定は資料不足
により不可。
【i 映画・アニメ】 172/188
カテゴリー
県
市町村
80 (i)映画・
アニメ
岩手県
奥州市
81 (i)映画・
アニメ
岩手県
82 (i)映画・
アニメ
岩手県
花巻市
83 (i)映画・
アニメ
岩手県
気仙沼市
84 (i)映画・
アニメ
岩手県
奥州市
炎立つ
85 (i)映画・
アニメ
岩手県
奥州市
義経
・「義経ロケ地ガイド(私設サイ
2005年1月から12月まで放送された44作 NHK大河ドラマ 2005年
ロケ地:えさし藤原の郷、毛越寺ほか。 ト)」
目のNHK大河ドラマ。平氏から源氏へと時
詳細はロケ地ガイドHP(私設サイト)を http://loca.ash.jp/show/2005/t2
代が移り行く時代、悲劇の英雄として伝え
005_yositune.htm
参照。
られる源義経の生涯を描く。
86 (i)映画・
アニメ
岩手県
盛岡市
どんど晴れ
87 (i)映画・
アニメ
岩手県
久慈市
あまちゃん
2007年4月から9月まで放送されたNHK連
続テレビ小説。 横浜育ちでパティシエ修
業中のヒロインが、婚約者が突然盛岡の
老舗旅館を継ぐと宣言したことから、旅館
女将の道への決断を迫られる。
2013年度上半期に放送されたNHK連続
テレビ小説。岩手県三陸海岸沿いにある
架空の町・北三陸市に住む主人公の海女
アキ(能年玲奈)が、アイドルを目指すス
トーリー。脚本は宮藤官九郎。
88 (i)映画・
アニメ
岩手県 遠野市(舞台 河童のクゥと夏休み
設定)
89 (i)映画・
アニメ
岩手県 花巻市(舞台 イーハトーブ幻想~KENJIの テレビ岩手の製作により日本テレビ系列
設定)
春
で放送されたテレビアニメ。詩人宮沢賢治
の半生を丹念に追った宮沢賢治生誕百周
年記念作品。
岩手県 北上市(舞台 六三四の剣
「週刊少年サンデー」で連載された村上も
設定)
とかの漫画を原作としたテレビアニメ。北
上市を舞台に、少年剣士の成長をライバ
ルとの関係を軸に描く。
90 (i)映画・
アニメ
91 (i)映画・
アニメ
地域資源名
禅ZEN
盛岡市、遠 HOME 愛しの座敷わらし
野市
よだかのほし
希望の国
岩手県 盛岡市(舞台 ふしぎ遊戯
設定)
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
曹洞宗を開き禅の教えを説いた鎌倉時代 2009年(映画公開年)
の僧、道元禅師の生涯を描く歴史ロマン。
原作は大谷哲夫の小説「永平の風 道元
の生涯」。
2012年(映画公開年)
京から岩手の古民家へ引っ越すことに
なった一家が、その家に宿る座敷わらしに
導かれ、家族のきずなを取り戻していくさ
まを描く、家族の再生物語。
道元が桜吹雪の中を歩くシーンは奥州
市にある水沢競馬場で撮影された。
700mもの長さの桜並木がある。
沢賢治の童話「よだかの星」を基にした
2012年(映画公開年)
ヒューマン・ドラマ。故郷である岩手県花巻
市への思いを断ち切るように生きてきた女
性が、10年ぶりに帰郷したのを契機に、自
分自身を見つめ直していく。
衝撃的な作品を次々と世に送り出す園子 2012年(映画公開年)
温監督が、大地震の被害を受けた家族の
姿を描くヒューマン・ドラマ。震災の影響で
散り散りになりながらも、6人の男女が貫
いたそれぞれの愛をつづる。
1993年7月から1994年3月まで放送された NHK大河ドラマ 1993年
第32作目のNHK大河ドラマ。平安時代前
期の朝廷と東北地方の関わりから、鎌倉
時代に奥州藤原氏が源頼朝によって滅ぼ
されるまでを描く。
9月の花巻まつりを中心に、宮沢賢治
ゆかりの地で撮影が行われた。ロケ地
の特定は資料不足により不可。
ロケ地:遠野市-遠野ふるさと村、カッ
パ淵、伝承園、綾織駅ほか、盛岡市-
盛岡城跡公園ほか。詳細はロケ地紹
介HPを参照。
資料不足によりロケ地特定は不可。
情報源・取材元
・「HOME愛しの座敷わらしロケ地 ・盛岡観光コンベンション協会
(盛岡フィルムコミッション):019紹介」
http://www.iwatetabi.jp/page/sp 604-3300 ecial/home/index.html
・「HOME愛しの座敷わらし 公式
サイト」
http://www.warashi.jp/
・「希望の国 公式サイト」
http://www.kibounokuni.jp/
註:このドラマのために建てられたオー
プンセットは、歴史公園「えさし藤原の
郷」として維持され、テーマパーク兼撮
影所として現在も多くのドラマや映画の
撮影に利用されている。
NHK連続テレビ小説
2007年
ロケ地:盛岡駅、開運橋ほか。詳細は ・「どんと晴れロケ地ガイド(私設
ロケ地ガイドHP(私設サイト)を参照。 サイト)」
http://loca.ash.jp/show/2007/a2
007_dondo.htm
NHK連続テレビ小説
2013年
物語の随所に久慈市周辺を題材とした ・「あまちゃんロケ地ガイド」
舞台設定がちりばめられ、当地でロケ http://loca.ash.jp/show/2013/a2
が行われた。ロケ地:小袖海岸、三陸 013_amachan.htm
鉄道久慈駅ほか。詳細はロケ地ガイド
HP(私設サイト)を参照。
小学5年生の男の子・康一と現代に蘇った アニメーション映画
河童・クゥとの友情、それを取り巻く人間模 2007年
様を描く心あたたまるアニメーション映画。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
資料不足により情報不確定
TVアニメ 日本テレビ
1996年
資料不足により情報不確定
TVアニメ テレビ東京
1985年
資料不足により情報不確定
「少女コミック」に連載された渡瀬悠宇の漫 TVアニメ テレビ東京
画を原作としたテレビアニメ。主人公の少 1995年
女が中国の四神にまつわる伝承を書いた
「四神天地書」に吸い込まれることから、
物語は始まる。
資料不足により情報不確定
【i 映画・アニメ】 173/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
所在地
93 (i)映画・
アニメ
岩手県 盛岡市(舞台 いぬかみっ!
設定)
94 (i)映画・
アニメ
岩手県 盛岡市(舞台 リトル・フォレスト
設定)
95 (i)映画・
アニメ
岩手県 大迫町(舞台 ハヤチネ!
設定)
作者福盛田藍子の出身地大迫(花巻市) 漫画 2011年~
を舞台に、大都会から引っ越してきた3人
姉弟とその叔父、外国人の兄妹との同居
生活を描く。スクウェア・エニックスのWeb
マガジン「ガンガンONLINE」にて連載中。
資料不足により情報不確定
・「ガンガンONLINE/ハヤチ
ネ!」
http://www.ganganonline.com/co
mic/hayachine/
96 (i)映画・
アニメ
岩手県 岩手県(舞台 コミックいわて
設定)
漫画を通して岩手県の魅力を発信する「い 漫画 2011年~
わてマンガプロジェクト」の一環として出版
しているオムニバス漫画集。2013年9月に
は「コミックいわてWEB」にてマンガの配信
を開始。単行本は第3巻まで刊行。
資料不足により情報不確定
・「コミックいわてHP」
・岩手県庁政策地域部政策推進
http://comiciwate.jp/
室
・「岩手県HP/岩手マンガプロ :019-629-5508
ジェクト」
http://www.pref.iwate.jp/seisaku
/manga/index.html
97 (i)映画・
アニメ
宮城県
資料不足によりロケ地特定は不可。
98 (i)映画・
アニメ
宮城県
仙台市
新日本珍道中東日本の巻
99 (i)映画・
アニメ
宮城県
仙台市
青葉城の鬼
幕府瓦解後に朝敵の汚名を受けた岩出山 1956年(映画公開年)
藩の侍たちが北海道石狩に追いやられ、
大自然を開拓する苦闘の物語。本庄陸男
の小説「石狩川」の映画化。
「新日本珍道中 (西日本の巻)」の続篇。 1958年(映画公開年)
高島忠夫・宇津井健・久保菜穂子など当
時の新東宝スターが総出演した東北・北
海道の道中もの。
山本周五郎の小説『樅の木は残った』をも 1961年(映画公開年)
とに、伊達家お家騒動の黒幕とされた原
田甲斐の苦悩を描く。長谷川一夫主演。
100 (i)映画・
アニメ
宮城県
101 (i)映画・
アニメ
宮城県
仙台市
赤い殺意
102 (i)映画・
アニメ
宮城県
仙台市
青葉繁れる
103 (i)映画・
アニメ
宮城県
仙台市
名門!多古西応援団
104 (i)映画・
アニメ
宮城県
仙台市
国会へ行こう!
「黒い傷あとのブルース」「北帰行より渡り
鳥北へ帰る」「さすらい」に続く小林旭の
ヒットソングの映画化第4弾。仙台と松島
を舞台にしたアクションもの。
封建的な東北の町を舞台に、古い因習の
重圧に苦しむ小心な女が、ある事件を契
機に強い女へと変わっていくさまを描いた
今村昌平監督の問題作。
井上ひさしが仙台第一高等学校で過ごし
た時代をもとに執筆した同名小説の映画
化。仙台を舞台に、東京から転校してきた
秀才と地元有名校の劣等生らが繰り広げ
る青春群像。
男を鍛えようと応援団に入部した美少年
が、軟派のくせ者ぞろいの団員たちに触
れ、本物の男になっていくまでを描く。月刊
「少年マガジン」に連載された所十三の同
名漫画の映画化。
仙台遷都に絡む汚職事件を発端とする政
治の表と裏をコミカルに描きながら、政治
改革をめざし奮闘する代議士と若い議員
秘書の姿を描く政治コメディ。
資料不足により情報不確定
TVアニメ テレビ東京
2006年
資料不足により情報不確定
漫画 2002-2005年
註:橋本愛主演による映画化が発表さ
れ、奥州市などで2013年7月からロケ
が行われている。夏編・秋編が2014年
8月、冬編・春編は2015年2月に全国で
公開される予定。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
岩手県 遠野市(舞台 魔法遣いに大切なこと
設定)
仙台市、松 惜別の歌
島町
TVアニメ テレビ朝日 2003年
情報源・取材元
92 (i)映画・
アニメ
仙台市、大 大地の侍
崎市
岩手県遠野に住む魔法使いの主人公が
正式な魔法遣いになるべく上京し、研修中
に出会う人々と触れ合うことで成長する姿
を描く。漫画、小説、アニメ、実写映画など
さまざまに作品化されている。
犬神の少女ようこと、犬神使いの啓太が
繰り広げるコメディ。物語の主な舞台とな
る吉日市のモデルは盛岡市。ライトノベル
(電撃文庫)を原作に、テレビアニメ、劇場
版アニメが製作されている。
「月刊アフタヌーン」で2002年12月から
2005年7月まで連載された五十嵐大介作
の漫画。東北の小さな集落で畑仕事をし
ながら暮らす若い女性の自給自足に近い
生活を、日々の料理・食事を中心に描く。
歴史的価値・ストーリー
資料不足によりロケ地特定は不可。
資料不足によりロケ地特定は不可。
1963年(映画公開年)
ロケ地:仙台城跡、仙台駅、青葉通り、
松島湾など。
1964年(映画公開年)
1974年(映画公開年)
1987年(映画公開年)
1993年(映画公開年)
仙台が舞台で、主人公の夫が東北大 ・「仙台メディアテークHP/
学の図書館に勤めているという設定。 スクリーンに描かれた街、仙台」
ロケ地:仙台駅など市内各所。
http://www.smt.jp/ss/sakuhin.ht
ml
ロケ地:仙台城跡、青葉通り、仙台一 ・「仙台メディアテークHP/
高など市内各所。
スクリーンに描かれた街、仙台」
http://www.smt.jp/ss/sakuhin.ht
ml
原作では遠州地方の舞台が映画では
宮城県に、多古多市が白石市に、浜崎
市が仙台市に、それぞれ変更されてい
る。ロケ地特定は資料不足により不
可。
ロケ地:仙台駅前で街頭演説シーンを ・「せんだい・宮城フィルムコミッ
撮影。ほかに仙台駅中央改札口、東五 ションHP/支援実績」
番丁、青葉通りなど。
http://www.sendaimiyagifc.jp/result/before.html
【i 映画・アニメ】 174/188
カテゴリー
県
市町村
105 (i)映画・
アニメ
宮城県
仙台市
106 (i)映画・
アニメ
宮城県
仙台市
107 (i)映画・
アニメ
宮城県
仙台市
108 (i)映画・
アニメ
宮城県
仙台市
109 (i)映画・
アニメ
宮城県
仙台市、松
島町
110 (i)映画・
アニメ
宮城県
仙台市、石
巻市、雄勝
町
111 (i)映画・
アニメ
宮城県
仙台市
112 (i)映画・
アニメ
宮城県
仙台市
113 (i)映画・
アニメ
宮城県
柴田町
114 (i)映画・
アニメ
宮城県
気仙沼市、
仙台市
115 (i)映画・
アニメ
宮城県
栗原市
116 (i)映画・
アニメ
宮城県
117 (i)映画・
アニメ
宮城県
気仙沼市
118 (i)映画・
アニメ
宮城県
蔵王町
地域資源名
ア・ルースボーイ
資源の概要
仙台在住の作家佐伯一麦による同名小説
の映画化。有名校を中退した少年と子ども
を産んだ少女が懸命に生きる姿を描く。配
給会社の事情で未公開。
緑の街
ミュージシャンがある日突然、映画作りを
宣言。周囲と反目しあいながらも作品を作
り上げていく。小田和正が実体験をもとに
自ら脚本・音楽を手がけた第2回監督作
品。
非・バランス
魚住直子の同名児童文学を映画化。“友
だちを作らない”ことを誓った13歳の少女
を主人公に、せつない友情と別れの物語
が展開していく。
半落ち
横山秀夫の同名小説を映画化。殺人犯が
殺害から自首するまでの“空白の2日間”
の謎を巡り、生きるとは何かを問うヒュー
マンドラマ。
千の風になって
地方ラジオ局の名物コーナー<天国への
手紙>をもとに映画化した3話オムニバス
の人生ドラマ。番組を取材する女性記者を
通し、愛する者を亡くした人々のさまざま
な想いをつづる。
ミラーを拭く男
定年間近に起こした交通事故をきっかけ
に、生活が一変してしまった男とその家族
の崩壊と再生をあたたかく描いた人間ドラ
マ。
勇気の3000キロ
末期ガンの落語家が自分の生きる希望を
求めて日本縦断3000キロの徒歩の旅に出
る。落語家の春川小松(雁次郎)の実体験
を映画化。
小春小町
俳優の夢破れ故郷に戻った30歳の主人
公と、登校拒否の15歳の高校生が一緒
に東京へ向け旅をし、途中での出来事を
通じて共に成長する姿を描く。
放郷物語
女子高生2人の話、娘を探す中年男の話、
夫婦生活に疲れきった主婦とホームレス
の話の3つの物語が、クロスオムニバス的
に交差する群像映画。
ええじゃないか・ニッポン宮 考古学に夢中な主人公と、その幼馴染み
城編~ 気仙沼伝説
の考古学者が、伝説のキリシタン財宝を
めぐって気仙沼の港町を縦横に駆け巡る
ラブコメディ。
東京タワー オカンとボクと、 リリー・フランキーが亡き母への思いをつ
時々、オトン
づった同名の自伝小説の映画化。原作者
自らの幼少時代から最愛の母との永遠の
別れまでを、2人を取り巻くさまざまな人々
との温かい触れあいとともに描く。
仙台市、塩 アヒルと鴨のコインロッカー
竃市、白石
市
自虐の詩
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
1997年(映画公開年)
全編を仙台で撮影。ロケ地特定は資料
不足により不可。
1998年(映画公開年)
資料不足によりロケ地特定は不可。
2001年(映画公開年)
仙台市の広瀬川にかかる霊屋橋(おた ・「せんだい・宮城フィルムコミッ
まやばし)が物語中の重要な場所とし ションHP/支援実績」
て登場する。
http://www.sendaimiyagifc.jp/result/before.html
ロケ地:宮城県庁前イチョウ並木。
2003年(映画公開年)
2003年(映画公開年)
ロケ地:一番町四丁目商店街、仙台市 ・「せんだい・宮城フィルムコミッ
博物館、松島湾ほか。
ションHP/支援実績」
http://www.sendaimiyagifc.jp/result/before.html
2004年(映画公開年)
ロケ地:仙台市は国分町、西公園、秋
保温泉など各所。ほかに石巻市、雄勝
町などでロケを行った。
2004年(映画公開年)
ロケ地:仙台城跡隅櫓周辺。
2004年(映画公開年)
ロケ地:仙台城跡、愛宕大橋周辺、仙
台駅構内ほか。
2006年(映画公開年)
資料不足によりロケ地特定は不可。
2006年(映画公開年)
お伊勢浜ほか、気仙沼市、仙台市で一
か月半にわたり撮影が行われた。
2007年(映画公開年)
原作の1960年代の福岡県筑豊地方
の炭坑町は、栗原市にある細倉鉱山
の鉱山住宅を活かしたオープンセット
で再現された。セットは撮影後も保存さ
れているが現在は非公開。
仙台在住の作家伊坂幸太郎による同名小 2007年(映画公開年)
説の映画化。ひとり暮らしをはじめた大学
生が、隣人から“広辞苑を1冊強奪する“と
いう計画をもちかけられたことで始まる青
春ミステリー。
せんだい・宮城フィルムコミッションの
全面協力により撮影された作品として
注目を集めた。ロケ地:仙台駅周辺、
東北学院大学、八木山動物公園など。
詳細はロケ地マップを参照。
業田良家の同名4コマ漫画を、堤幸彦監 2007年(映画公開年)
督が実写映画化。健気な妻と無口な夫が
織りなす風変りな愛を通し、幸も不幸も乗
り越えた人生の真実を描く。
スキヤキウェスタンジャンゴ 三池崇史監督が世界公開を視野に入れ、 2007年(映画公開年)
全編英語で製作した異色の和製西部劇。
豪華キャストが2派に分かれて愛と欲望の
バトルを展開する。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
・栗原市観光物産協会:0228-254166
・「アヒルと鴨のコインロッカー ロ
ケ地マップ」
http://www.sendaimiyagifc.jp/banner/roke.pdf
・「せんだい・宮城フィルムコミッ
ションHP/支援特集」
http://www.sendaimiyagifc.jp/support-work/ahiru-kamo
・せんだい・宮城フィルムコミッショ
ン
(仙台観光コンベンション協会
内):022-268-9603 主人公の幸江が生まれ育ったのが気
仙沼という設定。気仙沼港、五十鈴神
社、旧月立小中学校ほか市内各所で
ロケが行われた。
ロケ地:蔵王の御釜
【i 映画・アニメ】 175/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
119 (i)映画・
アニメ
宮城県
大崎市
120 (i)映画・
アニメ
宮城県
121 (i)映画・
アニメ
宮城県
122 (i)映画・
アニメ
宮城県
123 (i)映画・
アニメ
宮城県
124 (i)映画・
アニメ
宮城県
125 (i)映画・
アニメ
宮城県
仙台市
育子からの手紙
126 (i)映画・
アニメ
宮城県
大崎市
スープオペラ
127 (i)映画・
アニメ
宮城県
仙台市
128 (i)映画・
アニメ
宮城県
129 (i)映画・
アニメ
宮城県
実録・連合赤軍 あさま山荘
への道程
資源の概要
日本中を騒然とさせた、連合赤軍のあさま
山荘の立てこもり事件。革命戦士を志した
若者たちが事件を引き起こすまでの過程
を、若松孝二監督が鮮烈に描き出す。
仙台市
コーラスたい~彼女たちのキ 仙台市内の高校に通う3人の女子高生
セキ
が、部員不足で廃部寸前のコーラス部に
入部し、部員とともにコーラスフェスティバ
ルを目指す学園青春もの。
仙台市
カラスコライダー
プロ野球、東北楽天ゴールデンイーグル
スの非公認マスコット、Mr.カラスコと彼の
主演映画を撮ろうとする映画監督や脚本
家たちのドタバタ劇が展開する。
南三陸町、 パンドラの筺
太宰治の同名青春小説の映画化。戦後の
登米市
日本のとある結核診療所を舞台に、そこ
に入所した少年と彼を取り巻く人々との日
常をユーモアを交えて描く。
仙台市ほか 重力ピエロ
伊坂幸太郎の同名ミステリー小説の映画
化。仙台を舞台に、連続放火事件とその
現場で見つかるグラフィティアートの謎を
を追う兄弟が、やがて家族にまつわる哀し
い過去と向き合っていくさまをエモーショナ
ルに描く。
歴史的価値・ストーリー
2007年(映画公開年)
2007年(映画公開年)
所在地
情報源・取材元
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
大崎市鬼首(旧鳴子町)にある若松孝
二監督の別荘をあさま山荘のロケセッ
トとして使用、解体まで行ってラスト
シーンの撮影が行われた。
仙台市の協力で仙台オールロケで製
作された。ロケ地特定は資料不足によ
り不可。。
2008年(映画公開年)
東北楽天ゴールデンイーグルスの協
力のもと製作され、クリネックススタジ
アム宮城などで撮影が行われた。
2009年(映画公開年)
南三陸町の旧清水小学校で長期ロケ
を敢行。ロケ地はほかに南三陸町の入
谷中学校、登米市の春蘭亭など。
2009年(映画公開年)
せんだい・宮城フィルムコミッション協
力の下、仙台市を中心に松島町、七ヶ
浜町、蔵王町、多賀城市、東松島市で
ロケが行われた。仙台市のロケ地:東
北大学、宮城県立美術館など。詳細は
ロケ地マップを参照。
足が不自由な元漁師の祖父と仕事を失っ 2010年(映画公開年)
た18歳の孫娘が、疎遠だった親族を訪ね
歩く旅に出る。2人の姿を通して生きること
を見つめるヒューマンドラマ。
祖父と孫娘が訪ねる親族が暮らす場
所が気仙沼、仙台、鳴子温泉(大崎
市)の設定。ロケ地特定は資料不足に
より不可。
ガンを患った少女と主婦との友情を描いた 2010年(映画公開年)
ノンフィクションを映画化。病院で共に病魔
と戦い、前向きに生きる2人の姿を通し命
の大切さを問う。
古びた一軒家で暮らす独身女性が、ひょ 2010年(映画公開年)
んなことから風変わりな2人の男と共同生
活を始めることになる…。阿川佐和子の同
名小説を映画化したハートフルなドラマ。
ロケ地:仙台七夕まつり、仙台城跡、仙 ・「育子からの手紙 公式サイト」 ・せんだい・宮城フィルムコミッショ
台市役所、仙台空港、向山など
http://film-crescent.com/ikuko/ ン
(仙台観光コンベンション協会
内):022-268-9603
大崎市(旧古川市)にある閉園した遊
園地、化女沼(けじょぬま)レジャーラン
ドでクライマックスシーンのロケーション
撮影が行われた。
苦い密 消えたレコード
仙台にあるバー「リボルバー」に集まった 2010年(映画公開年)
年代も職業も異なる14人の男女が、1年前
に同じ場所で起きた盗難事件の真相を推
理するミステリー仕立ての密室群像劇。
映画の舞台となるバー「リボルバー」は ・「せんだい・宮城フィルムコミッ
ロケではなく、仙台市内のスタジオ内 ションHP」
に設営したセットで撮影された。
https://www.sendaimiyagifc.jp/?p=297
仙台市
相棒 劇場版Ⅱ
水谷豊主演の人気刑事ドラマの劇場版第 2010年(映画公開年)
2弾。警視庁本部で起きた人質籠城事件
を発端とした警察内部の不穏な動きに、特
命係の相棒コンビが挑む。
ロケ地:宮城県庁内のロビー、廊下な
ど
仙台市
ゴールデンスランバー
伊坂幸太郎の同名小説の映画化。同様に 2010年(映画公開年)
伊坂幸太郎原作・仙台ロケの「アヒルと鴨
のコインロッカー」を監督した中村義洋の
手で、首相暗殺の濡れ衣を着せられた宅
配便の運転手の逃避行を描く。
道路を封鎖しての首相パレードや、雨
水管を逃げる場面など、すべて仙台で
撮影された。
ロケ地:定禅寺通り、勾当台公園、仙
台フォーラスなど。詳細はロケ地マップ
を参照。
気仙沼市、 春との旅
大崎市、仙
台市
・「重力ピエロ公式サイト」
http://jyuryoku-p.com/
・「せんだい・宮城フィルムコミッ
ション/支援作品特集」
http://www.sendaimiyagifc.jp/support-work/jyuryoku-p
・「重力ピエロ ロケ地マップ」
http://www.sendaimiyagifc.jp/pdf/jyuryoku-p_map.pdf
「せんだい・宮城フィルムコミッショ
ンHP/支援作品特集」
http://www.sendaimiyagifc.jp/support-work/goldenslumber
・「ゴールデンスランバー ロケ地
マップ」
http://www.sendaimiyagifc.jp/pdf/map.pdf
・せんだい・宮城フィルムコミッショ
ン
(仙台観光コンベンション協会
内):022-268-9603 ・せんだい・宮城フィルムコミッショ
ン
(仙台観光コンベンション協会
内):022-268-9603
・せんだい・宮城フィルムコミッショ
ン
(仙台観光コンベンション協会
内):022-268-9603
【i 映画・アニメ】 176/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
情報源・取材元
・「エクレールお菓子放浪記 公
式サイト」
http://www.eclair-okashi.com/
・「富谷町HP/エクレールお菓子
放浪記」
http://www.town.tomiya.miyagi.jp
/html/eclair_okashi/
130 (i)映画・
アニメ
宮城県
富谷町、石 エクレール お菓子放浪記
巻市、登米
市、大崎市
西村滋の自伝的作品「お菓子放浪記」を 2011年(映画公開年)
映画化。お菓子への憧れを胸に、孤児の
少年がさまざまな人々との出会いと別れを
繰り返しながら混乱期を懸命に生き抜く姿
を映し出す。
富谷町に戦中・戦後の街並みや焼跡
などのオープンセットを建てたほか、登
米市の教育資料館、旧岩出山町の森
民酒造など昭和を感じさせる建物や街
並みでロケが行われた。
131 (i)映画・
アニメ
宮城県
仙台市、塩 アサシン
竃市
新堂冬樹の同名小説の映画化。非情な暗 2011年(映画公開年)
殺者と少女の逃避行をバイオレンスタッチ
で描く、日本発の本格ノワールアクション。
震災前の2010年11月、仙台市とその ・「アサシン 公式サイト」
周辺でオールロケを敢行した。ロケ地: http://an-assassin.com/
仙台市の国分町、ユアテックスタジア
ム仙台、塩釜市の寒風沢島など。
132 (i)映画・
アニメ
宮城県
133 (i)映画・
アニメ
宮城県
134 (i)映画・
アニメ
宮城県
仙台市
Wake Up Girls!
135 (i)映画・
アニメ
宮城県
松島町
じんじん
136 (i)映画・
アニメ
宮城県
仙台市
独眼竜政宗
1987年1月から12月まで放送されたNHK NHK大河ドラマ 1987年 資料不足によりロケ地特定は不可。
大河ドラマ。主演は渡辺謙。仙台藩62万
石の礎を一代で築いた奥州の戦国武将・
伊達政宗の生涯を描く。
137 (i)映画・
アニメ
宮城県
仙台市
はね駒
NHK連続テレビ小説
1986年
ヒロインが進学するのが仙台の女学校
という設定。ロケ地特定は資料不足に
より不可。
138 (i)映画・
アニメ
宮城県
仙台市
天花
1986年4月から10月まで放送されたNHK
朝の連続テレビ小説第36作。おてんば娘
のりんが新聞記者となり、家庭との両立に
悩みつつも活躍する。モデルは女性記者
の草分け磯村春子。
2004年3月から9月まで放送されたNHK連
続テレビ小説第70作。ヒロインの天花(て
んか)が保育士を目指す姿を、仙台市と東
京武蔵野市を主な舞台に描く。
NHK連続テレビ小説
2004年
ヒロインが生まれ育ったのが仙台とい
う設定。市内各所でロケが行われた。
詳細はロケ地ガイド(私設サイト)を参
照。
139 (i)映画・
アニメ
宮城県 仙台市(舞台 センチメンタルジャーニー第 1998年4月から同年7月までテレビ東京で
設定)
10話 〜はてしない物語〜
全12話が放送されたTVアニメのうちの第
10話。仙台市に住む夢見がちな女の子
の不思議体験物語。
宮城県 宮城県(舞台 戦国BASARA
戦国時代を舞台にしたアクションゲームシ
設定)
リーズだが、テレビアニメ化、アニメ映画
化、舞台化、テレビドラマ化、実写映画化
などさまざまにメディアミックス化されてい
る。
TVアニメ テレビ東京
1998年
資料不足により情報不確定
140 (i)映画・
アニメ
仙台市
ポテチ
白石市、仙 100回泣くこと
台市
伊坂幸太郎の同名中編小説を映画化。伊 2012年(映画公開年)
坂作品でおなじみの仙台を舞台に、同じ
年、同じ日に生まれた2人の青年がたどる
奇妙な運命を描く。
仙台でオールロケを敢行。ロケ地:藤
崎、仙台市民劇場、勾当台公園、仙台
市役所北庁舎ほか。詳細はロケ地マッ
プを参照。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
・富谷町役場経営企画課 :022358-0517
・「せんだい・宮城フィルムコミッ
ションHP/支援作品特集」
http://www.sendaimiyagifc.jp/support-work/potechi
・「ポテチ ロケ地マップ」
http://www.sendaimiyagifc.jp/pdf/potechi_map.pdf
・せんだい・宮城フィルムコミッショ
ン
(仙台観光コンベンション協会
内):022-268-9603
・「100回泣くこと 公式サイト」
http://100kai-movie.com/
・「みやぎ・しろいしフィルムコミッ
ションHP」
http://www.city.shiroishi.miyagi.jp
/section/shoukan/film/
・みやぎ・しろいしフィルムコミッ
ション
(白石市商工観光課内):022422-1321
記憶の一部を失った青年と病魔に侵され 2013年(映画公開年)
た女性との切ない恋愛を描いたラブストー
リー。中村航原作のベストセラー小説を映
画化。
仙台市内のほか、白石市で主人公2人
が生活したアパート(白石市営鷹巣第
二住宅)とバイクを修理にきたガソリン
スタンド(川井石油白石中央SS)のロ
ケーション撮影が行われた。
仙台を舞台に7人の少女がアイドルを目指 TVアニメ(2014年~)
す物語。声優も2000人のオーディションか 2014年(映画公開年)
ら選ばれた。公開初日には一部をニコニコ
生放送にて無料配信するほか、漫画版、
ソーシャルゲーム、CDなどメディアミック
スを展開。
俳優大地康雄が企画と主演をつとめた心 2013年(映画公開年)
温まるヒューマンドラマ。絵本の里として知
られる北海道上川郡剣淵町をメインの舞
台に、人との出会いの素晴らしさや家族の
絆を映し出す。
メインビジュアルは、青葉城公園(仙台 ・「Wake Up Girls! 公式サイト」
城跡地)から見た景色。その他、仙台 http://wakeupgirls.jp/
市内各地が舞台として登場。聖地巡り
を行うファンもいる。
ロケ地:松島町の瑞巌寺周辺、松島海 ・「じんじん 公式サイト」
・松島町産業観光課:022-354岸グリーン広場、松島一の坊など
http://www.jinjin-movie.com/
5708
・「松島町HP/松島ファンクラブ」
http://www.town.matsushima.miy
agi.jp/index.cfm/8,9987,74,html
・「天花ロケ地ガイド(私設サイ
ト)」
http://loca.ash.jp/show/2004/a2
004_tenka.htm
TVアニメ TBS系 2009 註:2009年の宮城県知事選では、広報
年
用ポスターにゲームシリーズに登場す
アニメーション映画
る伊達政宗が使用された。
2011年
【i 映画・アニメ】 177/188
カテゴリー
141 (i)映画・
アニメ
142 (i)映画・
アニメ
143 (i)映画・
アニメ
144 (i)映画・
アニメ
145 (i)映画・
アニメ
146 (i)映画・
アニメ
県
市町村
地域資源名
資源の概要
宮城県 仙台市(舞台 かんなぎ
設定)
「Comic REX」に連載された武梨えり作の
漫画作品。2008年10月よりテレビアニメを
放送。御厨仁が彫った木彫りの像に"ナギ
"と名乗る女神が宿った。外見はかわいい
女の子だが、ハチャメチャなナギに仁の日
常は徐々に浸食されていく…。
宮城県 仙台市(舞台 ダイヤモンドは砕けない(ジョ 荒木飛呂彦作のサスペンス・ホラー漫画。
設定)
ジョの奇妙な冒険Part4)
1999年、舞台は日本国M県S市杜王町。
高校生・東方仗助(ジョジョ)が、弓と矢に
よって生み出されたスタンド使いたちの起
こす事件に立ち向かう。
宮城県 仙台市(舞台 パスポート・ブルー
「週刊少年サンデー」に連載された石渡治
設定)
の漫画。主人公真上直進がH-IIロケットの
打ち上げを見たのを契機に宇宙飛行士を
目指す物語。
宮城県 白石市(舞台 みかん絵日記
「LaLa」に連載された安孫子三和の漫画。
設定)
1992年にはテレビアニメ化された。毛がみ
かん色でことばを話せる草凪家の飼い猫
「みかん」とその周辺のお話。
宮城県 宮城県(舞台 ハイキュー!
「週刊少年ジャンプ」で2012年12号から連
設定)
載開始した古舘春一の漫画作品。宮城県
を舞台に高校バレーボールを題材にした
青春スポーツもの。
宮城県 仙台市(舞台 ボールパークへようこそ
「ビッグコミックスペリオール」に連載された
設定)
高田靖彦の野球漫画。女性オーナーや新
しく加入した選手が、仙台野球園をホーム
グラウンドにする万年下位球団ファルコン
ズを上位へ浮上させようと奮闘する。
歴史的価値・ストーリー
漫画2006~2008年、
2011年~
TVアニメ 2008年
漫画 1992-1995年
漫画 1999-2001年
所在地
註:作者の出身地が宮城県で、アニメ
では仙台周辺を舞台に設定している。
モデルと見なされた七ヶ浜町の鼻節神
社、仙台市では「聖地巡礼」と称したア
ニメファンの姿が見られ、新たに「かん
なぎ神社」も設置された。
資料不足により情報不確定
漫画 1988-1995年 作者は大河原町出身で白石市の高校
TVアニメTBS系1992- を卒業。話は白石市が基本舞台となっ
1993年
ている。
漫画 2012年~
資料不足により情報不確定
漫画 2012年
資料不足により情報不確定
秋田県
横手市
そよかぜ
レビュー劇場の照明係で歌手志望の少女 1945年(映画公開年)
が、楽団員たちに励まされ、やがて歌手と
してデビューするという「スター誕生」の物
語。映画の挿入歌である「リンゴの唄」は
大ヒットとなった。
旧雄物川町(現横手市)出身の佐々木
康監督の縁で旧増田町(現横手市)の
りんご園でロケが行われた。真人公園
内に「リンゴの唄の碑」が建っている。
148 (i)映画・
アニメ
秋田県
湯沢市
女中っこ
149 (i)映画・
アニメ
秋田県
横手市
山と川のある町
由起しげ子の同名小説を映画化。東北地 1955年(映画公開年)
方の寒村から上京し、住み込みの女中と
して働く明るい娘と、ひねくれ小僧の心の
交流を描いた佳作。
石坂洋次郎の同名小説を映画化。東北の 1956年(映画公開年)
小さな町を舞台に、東京から来た誠実な
先生と封建的な風土のなかで自由を求め
る女学生の交流を描く。
主人公の故郷が湯沢市の雪深い村と
いう設定。木地山こけし、ナマハゲが登
場する。ロケ地特定は資料不足により
不確定。
原作のモデルとなった町で、石坂洋次
郎が14年間教員生活を送った横手で
ロケが行われた。ロケ地特定は資料不
足により不確定。
150 (i)映画・
アニメ
秋田県
小坂町
人間の條件
1956年(映画公開年)
ロケ地:小坂鉱山(小坂町)
151 (i)映画・
アニメ
秋田県
秋田市
若い豹のむれ
1959年(映画公開年)
資料不足によりロケ地特定は不可。
152 (i)映画・
アニメ
秋田県
秋田市
男が命を賭ける時
1959年(映画公開年)
資料不足によりロケ地特定は不可。
153 (i)映画・
アニメ
秋田県
1962年(映画公開年)
資料不足によりロケ地特定は不可。
154 (i)映画・
アニメ
秋田県
五味川純平の同名小説を映画化。主人公
を通して戦争における人間性を描く。当時
のスター俳優・女優をキャスティングした
全6部構成の大作映画。
新聞連載小説の原作を、マイトガイ・小林
旭主演、松尾昭典監督で映画化したアク
ションドラマ。
医院を開業するため船を降りた貨物船の
船医が殺人事件に巻き込まれる。石原裕
次郎主演の痛快アクション。
雪に閉された秋田の町に東京クラウンズ
のエース辺見が現われた。町の人々は超
高校級と噂されている地元の英雄、小森
信夫投手の偵察で来たと信じこんでいた
…。
日本映画の鬼才大島渚監督が、実際に発
生した当たり屋一家事件をモデルにし、全
国縦断ロケを敢行したロードムービー。
1969年(映画公開年)
九州から北海道まで縦断ロケを敢行
し、東北では秋田市と山形市で撮影が
行われた。ロケ地特定は資料不足によ
り不可。
秋田市
少年
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
・多賀城・七ヶ浜商工会:022357-3912
主人公が進学する仙台青葉高校は仙
台第二高等学校をモデルにしている。
147 (i)映画・
アニメ
湯沢市 秋 雪の降る町に
田市
情報源・取材元
・「あきた元気ムラ!HP/映画そ ・増田町観光協会:0182-45よかぜのロケ地」
5541
http://common.pref.akita.lg.jp/ge
nkimura/village/detail.html?cid=3
4&vid=1&id=1843
【i 映画・アニメ】 178/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
155 (i)映画・
アニメ
秋田県 由利本荘市 砂の器
156 (i)映画・
アニメ
秋田県
157 (i)映画・
アニメ
秋田県
158 (i)映画・
アニメ
秋田県
159 (i)映画・
アニメ
秋田県
160 (i)映画・
アニメ
秋田県
161 (i)映画・
アニメ
秋田県
162 (i)映画・
アニメ
秋田県
163 (i)映画・
アニメ
秋田県
164 (i)映画・
アニメ
秋田県
165 (i)映画・
アニメ
秋田県
小坂町
アカシアの町
166 (i)映画・
アニメ
秋田県
仙北市
たそがれ清兵衛
167 (i)映画・
アニメ
秋田県
能代市
プリュレ
仙北市
思えば遠くへきたもんだ
北秋田市、 マタギ
仙北市
鹿角市
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
迷官入りと思われた殺人事件を捜査する 1974年(映画公開年)
2人の刑事の執念と、暗い過去を背負う為
に殺人を犯してしまう天才音楽家の宿命
を描く社会派サスペンス。原作は松本清
張の同名小説。
九州から秋田の城下町にやってきた教師 1980年(映画公開年)
と、落ちこぼれ生徒たちとの心のふれあい
を描く。武田鉄矢が教師役で主演。
ロケ地:旧岩城町の羽後亀田駅、道川
海岸
巨大グマを追うマタギの飽くなき執念と、 1982年(映画公開年)
共に行動しつつ、たくましく鍛えられていく
孫息子の成長過程を描いた物語。
旧阿仁町(現北秋田市)でオールロケ
を敢行。実際のマタギが演技指導を
行った。ロケ地:打当、比立内、安の
滝、森吉山など
男はつらいよ 寅次郎恋愛塾 五島列島で知り合った女性と、彼女に恋
する青年の恋の橋渡しをする寅次郎の姿
を描いた「男はつらいよ」シリーズの35作
目。
湯沢市
ひとひらの雪
渡辺淳一のベストセラー小説を映画化。
複数の女性と関係を持つ中年男の姿を通
して、愛・家庭・性を赤裸々に描いた情愛
映画。
仙北市
君は裸足の神を見たか
角館を舞台に、四季の移ろいのなかで揺
れ動く18歳の若者の友情と愛を描く。今村
昌平の日本映画学校の製作による青春映
画。
北秋田市、 イタズ 熊
「マタギ」の後藤俊夫が再度監督したマタ
五城目町
ギ映画。人喰いと化した巨大な母熊を失っ
た仔熊は少年とともに成長を遂げ大自然
に帰っていくが、闘わねばならない運命が
待っていた…。
大館市、秋 ハチ公物語
大館生まれの秋田犬「ハチ」が主人公。飼
田市
い主の上野博士が大学で急逝したことを
知らず、死後も十年近く主人の帰りを待っ
て東京・渋谷駅に通い続けた実話を映画
化した。
北秋田市 オーロラの下で
戸川幸夫原作の同名小説を映画化。シベ
リアの広大な自然を舞台に、日本人マタギ
とオオカミとの交流と友情を描く日本・ソビ
エト連邦合作映画。
能代市
大往生
永六輔の同名エッセイを下地にした、呆け
の特効薬DEM30とそれを取り巻く老若男
女の軽快なコメディ作品
情報源・取材元
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
全編角館(現仙北市)の町内でロケが
行われた。ロケ地:角館駅、角館駅、角
館高校、桧木内川の土手、古城山、武
家屋敷通りなど。
1985年(映画公開年)
ロケ地:陸中花輪駅(現JR鹿角花輪
駅)、酒屋「松風邸」、水晶山スキー
場、夜明島渓谷など。
1985年(映画公開年)
ロケ地:旧雄勝町(現湯沢市)秋の宮
温泉郷にある鷹ノ湯温泉。
1986年(映画公開年)
角館(現仙北市)で全編ロケーション撮
影を敢行。ロケ地特定は資料不足によ
り不確定。
1987年(映画公開年)
1982年の「マタギ」と同じく旧阿仁町が
メーンロケ地だが、マタギが暮らす茅
葺民家は、五城目町北ノ又で撮影され
た。
1987年(映画公開年)
1990年(映画公開年)
ロケ地:大館市獅子ヶ森の大館家具木
工協同組合事務所、大館樹海ドーム
脇の桜並木、旧奈良家住宅(秋田市)
など。
資料不足によりロケ地特定は不可。
1998年(映画公開年)
旧二ツ井町(現能代市)の旧秋田営林
病院に出演者とスタッフが泊まり込み、
オールロケを敢行。ロケ地:旧秋田営
林病院、旧合川営林署天神荘ほか。
脚の怪我でバレリーナになる夢を絶たれ、 2000年(映画公開年)
かつて鉱山の町として栄えた小坂町に帰
郷した女性が、故郷の人々との交流を通
して成長していく姿を描く。
2002年(映画公開年)
藤沢周平の同名の短編小説他2編を原作
に、山田洋次監督が初めて手がけた本格
時代劇。殺伐とした幕末の世、子持ちの寡
男である下級武士の生き様を描く。
ロケ地:小坂町アカシア並木、康楽館、
小坂町役場、 小坂線旧停車場など。
角館(仙北市)の武家屋敷で撮影が行 ・「たそがれ清兵衛 公式サイト」
われた。ロケ地:石橋家(秋田県指定 http://www.shochiku.co.jp/movie
有形文化財)、松本家など。
/seibei/index.html
・「角館町観光協会」
http://kakunodatekanko.jp/bukeyashiki/iwahashike.
html
・かくのだてフィルムコミッション
(仙北市観光課内):0187-433352
・角館町観光協会:0187-542700
別々に暮らしていた一卵性双生児の姉妹 2004年(映画公開年)
が再会し、失われたときを埋めようとする
かのように惹かれ合うさまをつづった人間
ドラマ。
能代市がメーンロケ地となり、市内各 ・「能代フィルムコミッションHP」
所で撮影された。ロケ地:落合浜、小友 http://noshirofc.com/
沼、エーワン・ベーカリー(パン屋)な
ど。
・能代フィルムコミッション
(能代市観光振興課内):018589-2179
【i 映画・アニメ】 179/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
男鹿市、秋 釣りバカ日誌15 ハマちゃん
田市、仙北 に明日はない?
市
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
168 (i)映画・
アニメ
秋田県
169 (i)映画・
アニメ
秋田県
仙北市
隠し剣鬼の爪
170 (i)映画・
アニメ
秋田県
大館市
好きだ、
171 (i)映画・
アニメ
秋田県
男鹿市
デコトラの鷲4 愛と涙の男鹿 全国津々浦々を走り回る長距離デコトラ 2007年(映画公開年)
半島
運転手、飛田鷲一郎(哀川翔)が、男鹿半
島を舞台にまたまたドタバタ騒動を繰り広
げる。シリーズ第4弾。
註:ロケ地の男鹿半島入道崎の夕陽
の中でキスしたカップルは、永遠に結
ばれるという挿話が映画に登場して話
題になり、男鹿市でサンセットキス伝説
のイベントが催された。
172 (i)映画・
アニメ
秋田県
能代市
コドモのコドモ
さそうあきらの同名コミックを映画化。小学 2008年(映画公開年)
5年生の妊娠、出産という衝撃的なテーマ
を通し、命の尊さ、家族や友情、教育など
様々な問いを投げかける。
能代市が廃校となった旧渟城第二小
の校舎をロケ地に提供したほか、上町
大通り、能代公園、中川原、八幡神社
など市内各所で撮影された。
173 (i)映画・
アニメ
秋田県
五城目町、 釣りキチ三平
由利本荘市
ほか
矢口高雄原作の名作漫画「釣りキチ三平」 2009年(映画公開年)
の実写映画化。原作のなかでもファンの
人気が高いエピソード「夜鳴き谷の怪物」
をベースに、三平の成長、家族の絆、幻の
巨大魚の伝説を描く。
全編にわたり秋田県内各地でロケが
行われた。ロケ地:湯沢市の役内川、
五城目町北ノ又の茅葺き集落、ネコバ
リ岩、八峰町のホタルの里、由利本荘
市の法体の滝など。詳細は秋田ロケ情
報(私設サイト)を参照。
174 (i)映画・
アニメ
秋田県
大館市
ハナばあちゃん!!~わたしの 大館市と北秋田地域の地域イメージの発 2011年(映画公開年)
ヤマのカミサマ~
信による活性化を目的に製作された映
画。ハナばあちゃんが切り盛りしていた
「喫茶おおだて」。孫娘・実香は、かつての
にぎわいと取り戻そうと奮闘するが…。
175 (i)映画・
アニメ
秋田県
仙北市
雲のじゅうたん
176 (i)映画・
アニメ
秋田県
横手市
まんさくの花
177 (i)映画・
アニメ
秋田県
横手市
炎立つ
178 (i)映画・
アニメ
秋田県
仙北市、男 IRIS-アイリス
鹿市ほか
平成不況のまっただ中、「社員は家族」を 2004年(映画公開年)
是とする鈴木建設にもリストラの嵐が吹き
荒れる? 西田敏行、三國連太郎主演の
人気シリーズ、秋田を舞台にした通算17
作。
「たそがれ清兵衛」に続く、藤沢周平原
2004年(映画公開年)
作、山田洋次監督の人情時代劇。秘剣
“鬼の爪”を伝授された平侍がたどる予期
せぬ運命と、信念と愛に生きる姿を描き出
す。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
ロケ地:男鹿市-大黒島、男鹿水族
・かくのだてフィルムコミッション
館、秋田市-秋田駅、千秋公園、竿燈
(仙北市観光課内):0187-43まつり、角館町(現仙北市)-武家屋敷
3352
通り、桧木内川、田沢湖町(現・仙北
・角館町観光協会:0187-54市)-田沢湖ほか。
2700
ロケ地:角館武家屋敷の青柳家
・「かくのだてフィルムコミッション ・かくのだてフィルムコミッション
HP」
(仙北市観光課内):0187-43http://kakunodate-fc.jp/
3352
・「角館町観光協会」
・角館町観光協会:0187-54http://kakunodate2700
kanko.jp/bukeyashiki/iwahashike.
html
映画の前半(17歳編)部分は大館市内
各所で撮影された。ロケ地:大館鳳鳴
高校、米代川土手、長木川河川敷、古
川町船場など。
所在地
川辺でいつも同じ部分をギターで弾くヨー 2006年(映画公開年)
スケとその同級生で密かに想いを寄せる
ユウ、1組の男女の17年間に渡る恋を2部
構成で描いた恋愛映画。
1976年4月から10月までに放送されたNHK
連続テレビ小説第17作。角館出身のヒロ
イン真琴が、大正・昭和時代に飛行家(操
縦士)という夢に向かって奮闘する姿を伸
びやかに描く。
1981年4月から10月まで放送されたNHK
連続テレビ小説第27作。横手市に住む父
と三人の娘の生き方を通して、現代の家
族のあり方を見つめた作品。
・男鹿市観光協会:0185-355300
・「能代フィルムコミッション/コド ・能代フィルムコミッション
モのコドモ」
(能代市観光振興課内):0185http://noshirofc.com/?page_id=1 89-2179
5
・「山釣り紀行/釣キチ三平秋田 五城目町商工振興課:018-852ロケ情報(私設サイト)」
5222 (釣りキチ三平
http://tokuzo.fc2web.com/2008/ ロケ地案内人)
sanpei-2/sanpei-2.html
・「月刊アンドナウ/釣キチ三平
秋田ロケ情報」
http://www.andnowj.com/modules/html/index.php?id
=12
全編大館とその周辺でロケが行われ ・「おおだて映像計画HP」
た。ロケ地:大館市街、鳥潟会館、松峰 http://odate-movie.jp/
神社、秋田内陸縦貫鉄道、大館能代
空港ほか。
NHK連続テレビ小説
1976年
資料不足によりロケ地特定は不可。
NHK連続テレビ小説
1981年
資料不足によりロケ地特定は不可。
1993年7月から1994年3月まで放送された NHK大河ドラマ 1993年
第32作目のNHK大河ドラマ。平安時代前
期の朝廷と東北地方の関わりから、鎌倉
時代に奥州藤原氏が源頼朝によって滅ぼ
されるまでを描く。
韓国KBSで放送されたスパイアクションの 韓国KBS制作TVドラマ
TVドラマ。日本では2010年にTBS系列で 2009年
放送された。秋田県が重要な舞台の1つと
して登場し、ロケ地巡りをする観光客が韓
国から訪れ話題になった。
情報源・取材元
資料不足によりロケ地特定は不可。
2009年3月に男鹿市、秋田市、仙北
・「秋田県観光連盟HP/アイリス ・秋田県観光連盟:018-860市、北秋田市、横手市の約20か所でロ ロケ地を巡る旅マップ」
2267
ケが行われた。詳細は県観光連盟の http://www.akitafan.com/iris/
ロケ地マップを参照。
【i 映画・アニメ】 180/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
所在地
179 (i)映画・
アニメ
秋田県 秋田市(舞台 雪の峠
設定)
2001年「雪の峠・剣の舞」として刊行され 漫画 2001年
た岩明均の歴史漫画。関ヶ原戦後の1602
年、常陸から出羽国秋田へ転封になった
佐竹氏のお家騒動を題材にしている。
資料不足により情報不確定
180 (i)映画・
アニメ
秋田県 大館市・秋田 ザ・ワールド・イズ・マイン
市(舞台設
定)
2人組が青森から南下した大館市で謎
の巨大生物ヒグマドンと遭遇。その後
秋田市内で警察と銃撃戦を繰り広げる
などして物語が展開していく。
181 (i)映画・
アニメ
秋田県 井川町(舞台 D-LIVE!!
設定)
182 (i)映画・
アニメ
山形県
「週刊ヤングサンデー」に連載された新井 漫画 1997-2001年
英樹のバイオレンス漫画。正体不明の2
人組が青森市で成り行きから連続爆破、
警察署襲撃、殺人代行といった日本全土
を震撼させる無差別殺戮を開始する。
「週刊少年サンデー」に連載された皆川亮 漫画 2002-2006年
二のアクション漫画。国際的人材派遣会
社「ASE(エース)」に所属するマルチドライ
バー・斑鳩悟が、あらゆる乗り物を使いこ
なして任務を遂行する様子を描く。
銭湯の主人(伴淳三郎)が欲を出して議員 1958年(映画公開年)
に立候補したばかりに起る騒動記。結末
にドンデン返しの用意された中村登監督
の人情諷刺喜劇。
183 (i)映画・
アニメ
山形県
184 (i)映画・
アニメ
山形県 寒河江市ほ 男はつらいよ 葛飾立志編
か
1975年(映画公開年)
185 (i)映画・
アニメ
山形県
1979年(映画公開年)
186 (i)映画・
アニメ
山形県
187 (i)映画・
アニメ
山形県
188 (i)映画・
アニメ
山形県
189 (i)映画・
アニメ
山形県
190 (i)映画・
アニメ
山形県
山形市、米 顔役
沢市
鶴岡市
成熟
「高校生ブルース」「おさな妻」などで人気 1971年(映画公開年)
を呼んだ関根恵子主演の純愛学園もの。
庄内に伝わる祭りや民俗行事を背景に、
明るく健康的な青春を描く。
かつて想いを寄せた人の娘の面倒を見る
うちに学問の大切さが身にしみてきた寅次
郎。心機一転して教養を身につけようとす
るが…。「男はつらいよ」 シリーズ第16作
目。
鶴岡市
月山
学生運動から離脱し放浪していた青年
が、月山山麓の豪雪地帯のある寺で過し
た一冬の生活を描く。森敦の同名芥川賞
受賞作の映画化。
上山市
日本国古屋敷村
戸数わずか8軒の古屋敷村とその住人た
ちによって、ニッポン国の壮大な歴史が語
られる。小川紳介監督とスタッフが、自ら
農業を営みながら作ったドキュメンタリー
映画の傑作。
上山市
1000年刻みの日時計牧野 上山市牧野村に伝わる民話をドラマとして
村物語
再現しながら、稲の成長など自然の成り立
ちをドキュメンタリーとして交錯させて描く。
「ニッポン国・古屋敷村」に続く小川紳介監
督の異色の記録映画。
鶴岡市
湯殿山呪い村
湯殿山麓に眠る幽海上人の即身仏(ミイ
ラ)の謎を解くために、発掘しようとした男
が巻き込まれる連続殺人事件を描く伝奇
ミステリー。山村正夫の同名推理小説の
映画化。
酒田市、遊 花のお江戸の釣りバカ日誌 ハマちゃん・スーさんのコンビによる人情
佐町、鶴岡
喜劇シリーズ第12弾。従来の現代の建設
市
会社を描いたものとは違い、幕末の江戸と
庄内藩を舞台としている。
米沢市
さゞなみ
1982年(映画公開年)
1986年(映画公開年)
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
Episode 09.の「追跡者」では、追跡の
終着点として井川町の井川さくら駅、日
本国花苑が登場する。
山形出身の喜劇役者伴淳三郎がロケ
を誘致したオール山形ロケ映画。ロケ
地:山形市のすずらん街、山形駅、駅
前通り、男山酒造、七日町通り、山寺
ほか。
旧温海町、旧羽黒町を含めた鶴岡市
が舞台。
ロケ地:鼠ヶ関、庄内浜、加茂、致道博
物館、天神祭りなど。
寅さんが墓参りをするため訪れる設定
の寒河江市を中心にロケが行われた。 ロケ地:寒河江市の慈恩
寺、大江町の最上川渡し船、上山市の
上ノ山温泉など
ロケ地:旧朝日村の七五三掛地区、注
連寺、七ツ滝など。
註:映画の舞台となった古屋敷村は一
時観光地化されたが、ほどなく無人と
なった。現在、「古屋敷村の保存を考え
る会」などが地区の保存活動に取り組
んでいる。
註:小川監督とスタッフ(小川プロ)が、
上山市牧野に移り住んで制作した。
1984年(映画公開年)
ロケ地:旧朝日村の七五三掛地区、大
日坊
1998年(映画公開年)
庄内全域でロケが行われた。
ロケ地:酒田市の玉簾の滝、本間美術
館、鶴岡市の羽黒山五重塔、藩校致
道館、加茂海岸、遊佐町の鳥海ブルー
ラインなど。
米沢市内とその周辺でロケが行われ
た。冒頭に秘境の駅として知られる奥
羽線峠駅が登場する。
米沢市の職員として勤務する女性とその 2002年(映画公開年)
母のそれぞれの恋のかたちを、置賜地方
の美しい自然の中に繊細な映像で映し出
す。
情報源・取材元
・「古屋敷村の保存を考える会
・「上山市まちづくりセンター」:
(私設サイト)」
023-673-2020
http://furuyashikimura.blogspot.jp
/
【i 映画・アニメ】 181/188
カテゴリー
地域資源名
市町村
191 (i)映画・
アニメ
山形県
鶴岡市
192 (i)映画・
アニメ
山形県
飯豊町、川 蕨野行
西町、鶴岡
市
60歳になると村を離れ山奥に老人だけで 2003年(映画公開年)
暮らさなければならない掟を持つ農村を舞
台に、老いと死を見つめるドラマ。村田喜
代子の同名小説を恩地日出夫監督が8年
の歳月をかけて映画化した。
メーンロケ地となった飯豊町中津川地
区にロケ隊が滞在し、飯豊町と川西町
で1年を通して撮影された。ロケ地:鶴
岡市田麦俣の多層民家ほか。
193 (i)映画・
アニメ
山形県
鶴岡市、酒 隠し剣鬼の爪
田市
ロケ地:鶴岡市の金峰山、羽黒山、酒 ・「鶴岡観光連盟HP/つるおか映 ・鶴岡市観光連盟 (鶴岡市観光
田市遊摺部の最上川河畔、赤川河川 画ロケ地ガイド」
物産課内)
敷など
http://www.tsuruokakanko.com/ :0235-25-2111(代)
movie/index.html
194 (i)映画・
アニメ
山形県
南陽市、高 おにぎり ARCADIA物語
畠町
「たそがれ清兵衛」に続く、藤沢周平原
2004年(映画公開年)
作、山田洋次監督の人情時代劇。秘剣
“鬼の爪”を伝授された平侍がたどる予期
せぬ運命と、信念と愛に生きる姿を描き出
す。
東洋の「アルカディア」といわれた山形県 2004年(映画公開年)
置賜地方を舞台に、米作りを通してあると
きは厳しく、あるときは楽しく、大自然のメ
ロディにのせて贈る心の叙事詩。
置賜地方の南陽市、高畠町で長期ロ
ケを敢行。ロケ地:南陽市の赤湯温
泉、荻小学校、高畠町の安久津八幡
宮ほか。詳細はロケーションガイドを参
照。
・「おにぎり(ARCADIA物語)公式 山形おきたま観光協議会(置賜
総合支庁観光振興室)
サイト」
:0238-26-6046
http://www.lpcreate.net/onigiri/introduction.ht
ml
・「おきたまロケーションガイド」
http://fc.okitama.jp/okitama_location_map.pdf
195 (i)映画・
アニメ
山形県
高畠町
スウィングガールズ
山形県置賜地方の高校を舞台に、ひょん 2004年(映画公開年)
なことからビッグバンドを組んでスウィン
グ・ジャズの演奏にハマっていく女子高生
たちを描いた青春音楽ドラマ。バンドのメ
ンバー全員が4ヵ月にわたる猛特訓の末
に、劇中で演奏される楽曲すべてを吹替
えなしでこなした。
置賜地方全域で夏と冬に分けて撮影
が行われた。列車シーンは山形鉄道
の協力による。高畠高校の校舎を利用
して撮影が行われたが、その後の新校
舎建設・移転に伴い、撮影時の校舎は
現存しない。詳細はロケーションガイド
を参照。
・「山形おきたまフィルムコミッショ 山形おきたま観光協議会(置賜
ンHP」
総合支庁観光振興室)
http://fc.oki-tama.jp/
:0238-26-6046
・「おきたまロケーションガイド」
http://fc.okitama.jp/okitama_location_map.pdf
・「山形県ロケ地ガイド(私設サイ
ト)」
http://loca.ash.jp/show/addr/thy
t.htm
196 (i)映画・
アニメ
山形県
鮭川村
透光の樹
最上地方の鮭川村小杉にある大杉(通
称トトロの木)が、映画で重要な役割を
担う六郎杉として登場する。
197 (i)映画・
アニメ
山形県
鶴岡市
蝉しぐれ
25年ぶりに再会した男女の激しい愛を、大 2004年(映画公開年)
胆なラブシーンを交えて濃密に描き出す。
高樹のぶ子の同名小説を秋吉久美子主
演で映画化したラブロマンス。
藤沢周平作の長編時代小説を市川染五 2005年(映画公開年)
郎主演で映画化した本格時代劇。藩内の
権力闘争に翻弄される男女の切ない悲恋
を、四季折々の美しい映像と共に綴る。
198 (i)映画・
アニメ
山形県
/
武士の一分
/
註:キャンペーンのみで、実際にロケは
行われなかった。
199 (i)映画・
アニメ
山形県
山形市
ユビサキから世界を
行定勲監督が中高生に人気のロックバン 2006年(映画公開年)
ド、アンダーグラフの同名曲からインスピ
レーションを得て、現代を生きる女子高生
の姿を描いた青春群像劇。
たそがれ清兵衛
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
鶴岡市内各所でロケが行われた。
・「たそがれ清兵衛 公式サイト」 ・鶴岡市観光連盟 (鶴岡市観光
ロケ地:由豆佐売神社(湯田川温泉)、 http://www.shochiku.co.jp/movie 物産課内)
赤川中洲、松根庵など。
/seibei/index.html ・「鶴岡 :0235-25-2111(代)
観光連盟HP/つるおか映画ロケ
地ガイド」
http://www.tsuruokakanko.com/
movie/index.html
県
藤沢周平の同名の短編小説他2編を原作 2002年(映画公開年)
に、山田洋次監督が初めて手がけた本格
時代劇。殺伐とした幕末の世、子持ちの寡
男である下級武士の生き様を描く。
2006年(映画公開年)
所在地
旧羽黒町の松ヶ岡農場の善意で、1万
坪の広大な土地に海坂藩・普請組長
屋のオープンセットを建設、撮影が行
われた。その後、数多くの映画にも利
用され、現在は庄内映画村となってい
る。
山形市内でロケが行われた。
ロケ地:山本学園高校ほか。
情報源・取材元
・「蕨野行の製作と上映を支援す ・飯豊町総務企画課総合政策室:
る会HP」
0238-72-2111(代)
http://www.catvy.ne.jp/~warabi/
・「飯豊町HP/蕨野行」
https://www.town.iide.yamagata.j
p/001/warabinokou.html
・「蝉しぐれ 公式サイト」
http://www.semishigure.jp/
・「鶴岡観光連盟HP/つるおか映
画ロケ地ガイド」
http://www.tsuruokakanko.com/
movie/index.html
・「庄内映画村HP」http://www.seigamura.jp/index.html
・鶴岡市観光連盟 (鶴岡市観光
物産課内)
:0235-25-2111(代) ・庄内映画村
(株):0235-62-2080 ・「山形フィルムコミッションHP」
・山形フィルムコミッション(山形市
https://www.fc観光物産課内)
yamagata.jp/results/index_2006.h :023-641-1212(代)
tml
【i 映画・アニメ】 182/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
200 (i)映画・
アニメ
山形県
山形市
隠し砦の鉄平君
201 (i)映画・
アニメ
山形県
山形市
キャットボイス
202 (i)映画・
アニメ
山形県
鶴岡市
スキヤキ・ウエスタンジャン
ゴ
203 (i)映画・
アニメ
山形県
酒田市
SILK(シルク)
204 (i)映画・
アニメ
山形県
205 (i)映画・
アニメ
山形県
206 (i)映画・
アニメ
山形県
鶴岡市
207 (i)映画・
アニメ
山形県
高畠町
208 (i)映画・
アニメ
山形県
酒田市
パラレル
209 (i)映画・
アニメ
山形県
鶴岡市
山形スクリーム
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
第1回山形国際ムービーフェスティバルで 2006年(映画公開年)
審査員特別奨励賞を受賞した佐藤広一
(天童市出身)の監督デビュー作。対照的
な二人の少年が、雪降る山形の街で繰り
広げる青春物語。
山形国際ムービーフェスティバルスカラ
2006年(映画公開年)
シップ作品。山形市にある、変人ばかりが
集まる小さなアパートに人の良さそうな男
と 口のきけない女が引っ越して来たとこ
ろから物語は始まる…。
三池崇史監督が世界公開を視野に入れ、 2007年(映画公開年)
全編英語で製作した異色の和製西部劇。
豪華キャストが2派に分かれて愛と欲望の
バトルを展開する。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
オール山形ロケの映画。 ・「山形フィルムコミッションHP」
・山形フィルムコミッション(山形市
ロケ地:山形学院高校ほか。
https://www.fc観光物産課内)
yamagata.jp/results/index_2006.h :023-641-1212(代)
tml
所在地
情報源・取材元
オール山形ロケの映画。ロケ地特定は
資料不足のため不可。
庄内映画村の広大な敷地にオープン
セットを建設して撮影が行われた。
・「鶴岡観光連盟HP/つるおか映
画ロケ地ガイド」
http://www.tsuruokakanko.com/
movie/index.html
・「庄内映画村HP」http://www.seigamura.jp/index.html
・鶴岡市観光連盟 (鶴岡市観光
物産課内)
:0235-25-2111(代) ・庄内映画村
(株):0235-62-2080
国際プロジェクトによる豪華キャスト競演 2008年(映画公開年)
の純愛ドラマ。美しき妻と日本で運命的に
出会った少女との間で揺れ動く男の姿を
静謐かつ幻想的な映像で綴る。
ロケ地:山居倉庫(酒田市)
・「シルク 公式サイト」
http://www.silk-movie.com/
・「酒田ロケーションボックスHP」
http://www.sakata-lb.com/
鶴岡市、遊 ICHI
佐町
日本映画のダークヒーロー座頭市を、大 2008年(映画公開年)
胆なアイデアによって再創造した時代劇ア
クション。綾瀬はるかが盲目の女剣士に扮
し、壮絶な殺陣を熱演。
ロケ地: 庄内映画村のオープンセット、 ・「庄内と遊ぼう/庄内ロケ映画・
大物忌神社吹浦口宮(遊佐町)。
ゆかりの映画一覧」
http://www.4071.net/note/movie
.html
酒田市、遊 おくりびと
佐町、鶴岡
市
ひょんなことから遺体を棺に納める“納棺 2008年(映画公開年)
師”となった男が、仕事を通して触れた人
間模様や上司の影響を受けながら成長し
ていく姿を描く。モントリオール世界映画祭
グランプリ受賞の感動作。
ロケ地:酒田市の旧割烹小幡 日吉町
旧港座、山居倉庫、遊佐町の月光川
河川敷、鶴岡市の鶴乃湯(現在は廃
業)ほか。詳細はロケ地ガイド(私設サ
イト)を参照。
・「酒田観光物産協会HP/おくり ・酒田市観光物産協会:0234-242233
びとの舞台を訪ねて」
http://www.sakatakankou.com/course/32
・「おくりびとロケ地ガイド(私設サ
イト)」
http://loca.ash.jp/show/2008/m
2008_okuribito.htm
山桜
藤沢周平の短編を田中麗奈主演で映画 2008年(映画公開年)
化。江戸時代後期の小藩を舞台に、不幸
な結婚に耐える女性が、かつて自分を
慕った武士と出会い、自分の生き方を見
出す姿を描く。
鶴岡市内で桜の咲く時期にロケが行わ
れた。
ロケ地:行沢地区の山桜(旧朝日村)、
玉川寺、鶴岡公園、致道博物館など
いのち耕す人々
食べ物は人間のいのちを根底から支える 2008年(映画公開年)
かけがいのない贈り物―。30年以上前か
ら有機農業に取り組み、食の安全を実践
してきた高畠町の農家の人びとを追う長
編ドキュメンタリー。
北京パラリンピックの日本選手団主将を 2009年(映画公開年)
務めた車椅子バスケチームの選手、京谷
和幸の実話をもとに、挫折を味わいながら
も、新たな夢へと打ち込む主人公と彼を支
える人々の姿を描く。
歴史研究会の合宿で山形のある村を訪れ 2009年(映画公開年)
た女子高生たちが、落ち武者ゾンビ軍団と
壮絶なバトルを繰りひろげる、竹中直人監
督によるホラー・コメディ。
・「行沢 山桜」
・鶴岡市観光連盟 (鶴岡市観光
http://location物産課内)
shonai.com/library/T00284/index :0235-25-2111(代)
.html
・「庄内空港HP/山桜ロケ地をめ
ぐる」
http://www.shonaiairport.co.jp/tokushu/movie/loca.
html
記録映画なので、全編高畠町で実写ロ
ケが行われた。
映画の中で主人公がリハビリを行う
・「庄内と遊ぼう/庄内ロケ映画・
「浦安本間病院」は、酒田市の本間病 ゆかりの映画一覧」
院で撮影が行われた。
http://www.4071.net/note/movie
.html
旧朝日村を中心にした鶴岡市でロケが
行われた。ロケ地:湯の浜温泉、大泉
鉱山、大平公民館、大鳥自然の家グラ
ウンドなど。
・「山形スクリーム 公式サイト」
・鶴岡市観光連盟 (鶴岡市観光
http://yamagatascream.gaga.ne.j 物産課内)
p/
:0235-25-2111(代)
・「鶴岡観光連盟HP/つるおか映
画ロケ地ガイド」
【i 映画・アニメ】 183/188
カテゴリー
県
市町村
210 (i)映画・
アニメ
山形県
211 (i)映画・
アニメ
山形県
212 (i)映画・
アニメ
山形県
213 (i)映画・
アニメ
山形県
214 (i)映画・
アニメ
山形県
鶴岡市
215 (i)映画・
アニメ
山形県
216 (i)映画・
アニメ
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
鶴岡市、酒 スノープリンス 禁じられた恋 昭和初期の山形県の寒村を舞台に、貧し 2009年(映画公開年)
田市
のメロディ
くとも一生懸命生きる少年が、裕福な家の
少女との初恋などを通して成長していく
ヒューマン・ストーリー。
鶴岡市
花のあと
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
ロケ地:鶴岡市の庄内映画村オープン ・「庄内と遊ぼう/庄内ロケ映画・ ・酒田市観光物産協会:0234-24セット、酒田市の山居倉庫、遊佐町の ゆかりの映画一覧」
2233
旧吹浦小学校、丸池など。
http://www.4071.net/note/movie
.html
所在地
情報源・取材元
藤沢周平の同名短編小説の映画化。江戸 2010年(映画公開年)
時代の東北の小藩を舞台に、ひそかに思
いを寄せていた武士が自害したことを知っ
た女性が、その原因となった相手に敵討
ちを果たそうとする。
鶴岡市内でロケが行われた。
・「庄内と遊ぼう/庄内ロケ映画・ ・鶴岡市観光連盟 (鶴岡市観光
ロケ地: 鶴岡公園、藩校致道館、玉川 ゆかりの映画一覧」
物産課内)
寺、羽黒山斎館など。
http://www.4071.net/note/movie :0235-25-2111(代)
.html
・「鶴岡観光連盟HP/つるおか映
画ロケ地ガイド」
http://www.tsuruokakanko.com/
movie/index.html
鶴岡市、遊 座頭市 THE LAST
佐町
仕込み杖を封印し、普通の男として生きよ 2010年(映画公開年)
うとしたが、非情な運命は彼を手放しはし
なかった…。SMAPの香取慎吾が盲目の
アンチヒーロー、座頭市に扮した時代劇。
ロケ地:鶴岡市の庄内映画村オープン ・「庄内と遊ぼう/庄内ロケ映画・ ・鶴岡市観光連盟 (鶴岡市観光
セット、馬渡(やすらぎ公園)、三瀬海 ゆかりの映画一覧」
物産課内)
岸、遊佐町の直世の竹林など。
http://www.4071.net/note/movie :0235-25-2111(代)
.html
・「庄内映画村HP」http://www.seigamura.jp/index.html
鶴岡市、遊 必殺剣烏刺し
佐町
架空の小藩“海坂藩”を舞台にした藤沢周 2010年(映画公開年)
平の短編時代小説「隠し剣」の一編を原作
とした時代劇。自らの正義を貫こうとする
武士が政治的策謀に翻弄されていく姿を
描く。
ロケ地:鶴岡市の庄内映画村オープン ・「庄内と遊ぼう/庄内ロケ映画・ ・鶴岡市観光連盟 (鶴岡市観光
セット、旧風間家住宅丙申堂、遊佐町 ゆかりの映画一覧」
物産課内)
の野沢十一面観音など。
http://www.4071.net/note/movie :0235-25-2111(代)
.html
・「鶴岡観光連盟HP/つるおか映
画ロケ地ガイド」
http://www.tsuruokakanko.com/
movie/index.html
十三人の刺客
1963年公開の名作「十三人の刺客」を、約 2010年(映画公開年)
半世紀の時を経て現代風に再構築した時
代劇巨編。江戸幕府史上最悪の暴君を暗
殺するため、13人の刺客たちが命を懸け
た一世一代の戦いを挑む。
鶴岡市
デンデラ
山形県
鶴岡市
小川の辺
70歳を迎えると姥捨てする風習が残る山 2011年(映画公開年)
間部で、50人の捨てられた老婆たちが力
を合わせ、再び生きるための戦いに身を
投じていく衝撃の人間ドラマ。
「山桜」の篠原哲雄監督と東山紀之が再 2011年(映画公開年)
び手を組み、藤沢周平の短編小説を映画
化した時代劇。藩命を受け、妹の夫である
親友を斬らねばならなくなった下級武士の
過酷な運命を静謐に描き出す。
ロケ地: 庄内映画村オープンセット、気 ・「庄内と遊ぼう/庄内ロケ映画・
比神社、羽黒山、湯殿山、致道館な
ゆかりの映画一覧」
ど。
http://www.4071.net/note/movie
.html
・「庄内映画村HP」http://www.seigamura.jp/index.html
庄内映画村に老婆たちの村のオープ ・「庄内映画村HP」http://www.sンセットを建設して撮影された。
eigamura.jp/index.html
217 (i)映画・
アニメ
山形県
鶴岡市
赦免花
218 (i)映画・
アニメ
山形県
天童市
いちばん星
219 (i)映画・
アニメ
山形県
酒田市、大 おしん
江町、中山
町
ハリウッドで特殊機械を用いた撮影法を習
得した軽部進一の初監督による時代劇。
江戸末期、無実の罪で八丈島に流刑に
なった女郎と若い侍との悲恋を描く。赦免
花(しゃめんばな)とは蘇鉄の花のこと。
1977年4月から10月まで放送されたNHK
朝の連続テレビ小説第19作。昭和の流行
歌手第1号となった佐藤千夜子(天童市出
身)の半生を、フィクションを交えて描い
た。
1983年4月から翌年3月まで放送された
NHK連続テレビ小説第31作(全297話)。
戦中と戦後の混乱期を逞しく生きた女一
代記で、平均視聴率は52.6%。ビデオリ
サーチの統計史上、TVドラマの最高視聴
率を記録し、社会現象になるほどの大人
気を博した。
山形市をメーンロケ地に、上山市、寒
河江市、西川町、中山町、鶴岡市で撮
影された。
ロケ地:山形市の霞城公園、馬見ヶ崎
河畔、笹谷峠、山寺など。
・「山形フィルムコミッションHP」
・山形フィルムコミッション(山形市
http://www.fc観光物産課内)
yamagata.jp/results/index_2010.h :023-641-1212(代)
tml
2012年(映画公開年)
庄内映画村のオープンセットのほか、
庄内浜で撮影が行われた。
・「庄内映画村HP」http://www.seigamura.jp/index.html
NHK連続テレビ小説
1977年
資料不足によりロケ地特定は不可。
NHK連続テレビ小説
1983年
主なロケ地:中山町おしんの生家撮影
地(建物は解体され、庄内映画村に移
築)、大江町最上川渡し場-いかだに
乗って母親と分かれる場面、酒田市山
居倉庫-おしんの奉公先、銀山温泉
-おしんの母の出稼ぎ先。詳細はロケ
地マップを参照。
・「山形県観光物産協会HP/おし
んロケ地マップ」
http://yamagatakanko.com/log/?
l=334040
・「おしんロケ地情報(私設サイ
ト)」
http://loca.ash.jp/info/1994/a19
83_osin.htm
・山形県観光物産協会:023-6472333
・中山町観光協会:023-6622114
【i 映画・アニメ】 184/188
カテゴリー
220 (i)映画・
アニメ
221 (i)映画・
アニメ
県
市町村
地域資源名
山形県
鶴岡市、酒 おしん(映画版)
田市、山形
市、遊佐町、
大江町、朝
日町、戸沢
山形県
米沢市
独眼竜政宗
222 (i)映画・
アニメ
山形県
米沢市、山 天地人
形市
223 (i)映画・
アニメ
山形県 山形市(舞台 おもひでぽろぽろ
設定)
224 (i)映画・
アニメ
山形県 山形市(舞台 レベルE
設定)
225 (i)映画・
アニメ
226 (i)映画・
アニメ
山形県
227 (i)映画・
アニメ
福島県
228 (i)映画・
アニメ
福島県
229 (i)映画・
アニメ
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
NHK連続テレビ小説で人気となったおしん
映画版。奉公先で苦労しながらも、ひたむ
きに生きる少女時代に焦点を絞った。舞
台設定は明治40年、山形県最上川上流の
寒村。
1987年1月から12月まで放送されたNHK
大河ドラマ。主演は渡辺謙。仙台藩62万
石の礎を一代で築いた奥州の戦国武将・
伊達政宗の生涯を描く。
2009年1月から同年11月まで放送された
NHK大河ドラマ。主人公は米沢藩上杉家
の家老で、ひたすら利のみを求める戦国
時代に、「愛」を重んじ「義」を貫き通した武
将・直江兼続。
岡本蛍作、刀根夕子画による同名コミック
をもとにしたスタジオジブリ制作の劇場ア
ニメーション。監督・脚本は高畑勲。自分
の少女時代を振り返りながら、精神的に自
立してゆく平凡なOLの姿を描く。
「週刊少年ジャンプ」誌上で連載され、テレ
ビ東京系列でアニメ化された冨樫義博に
よるSF漫画。山形市を舞台に、地球に
やって来た宇宙人が起こす悪ふざけを軸
とした物語がオムニバス形式で展開する。
2013年(映画公開年)
明治40年(1907年)早春。山形県最上川
上流の寒村は、まだ根深い雪に覆われて
伊藤永之介の同名小説を森繁久弥主演
で映画化。会津磐梯山麓の小さな町を舞
台に、人情味あふれる警察官とその町に
暮らす人々のエピソードを描く。
昭和30年代に制作された東映が得意にし
ていた国鉄マンもの。郡山機関区で蒸気
機関車の機関士助士(釜たき)をしている
青年が主人公の物語。
会津磐梯山麓の農村を舞台に、黒人ハー
フの姉弟を主人公に、戦後日本の混血児
問題を描く今井正監督の社会派映画。
所在地
NHK大河ドラマ 2009年 資料不足によりロケ地特定は不可。
主人公が滞在する田舎が山形市高瀬
という設定。周辺地区や仙山線高瀬駅
などが、リアリズムをもって緻密に描か
れている。
漫画 1995-1997年
TVアニメテレビ東京
2011年
資料不足により情報不確定。
2013年(映画公開年)
1955年(映画公開年)
2013年2月15日の厳冬期から春の足
音が近づく3月31日
資料不足によりロケ地特定は不可。
1958年(映画公開年)
資料不足によりロケ地特定は不可。
1959年(映画公開年)
撮影の7割が喜多方、若松など会津地
方で
のロケによる。
福島県 会津若松市 惜春鳥
会津若松郊外の東山温泉を舞台に、大人 1959年(映画公開年)
へと成長していく少年たちの友情を抒情的
に描いた木下恵介監督の青春映画。
東山温泉のほか鶴ヶ城、飯盛山の白
虎隊の墓前など、会津若松の各所でロ
ケが行われた。
230 (i)映画・
アニメ
福島県 会津若松市 春の山脈
資料不足によりロケ地特定は不可。
231 (i)映画・
アニメ
福島県
いわき市
232 (i)映画・
アニメ
福島県
本宮市
こころの山脈
磐梯山が遠景に見える会津若松と近郊の 1962年(映画公開年)
東山温泉が舞台。会津若松のタバコ屋の
娘(鰐淵晴子)と東山温泉の芸者の卵(十
朱幸代)の友情物語。
朝日新聞通信部編「地方記者」を脚色。い 1962年(映画公開年)
わき市を舞台に公害問題などで奮闘する
地方記者の仕事を追う。フランキー堺が記
者に扮し熱演。
旧本宮町を舞台に産休補充教員と児童の 1966年(映画公開年)
心温まる交流を描いた社会派ドラマ。子役
は現地の小・中・高の児童・生徒が演じ
た。
233 (i)映画・
アニメ
福島県
いわき市
原子力戦争
福島県
郡山市、猪 警察日記
苗代町、本
宮市
郡山市
裸の太陽
会津若松 キクとイサム
市、喜多方
市
地方記者
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
庄内映画村(中山町から移築されたお ・「おしん公式サイト」
しんの生家)を中心に、県内各所で撮 http://pr.livedoor.com/movie/os
影。詳細はロケ地マップを参照。
hin/
http://pr.livedoor.com/movie/oshin/lo
cation.html
NHK大河ドラマ 1987年 資料不足によりロケ地特定は不可。
アニメーション映画
1991年
おしん
情報源・取材元
田原総一朗の反原発小説を黒木和雄監 1978年(映画公開年)
督がドキュメンタリータッチで映画化。巨大
化したいわき地方の原発利権戦争に都会
から来た一人の男が巻き込まれるという
社会派サスペンス。
資料不足によりロケ地特定は不可。
註:本宮町のお母さんたちを中心とし
た本宮方式映画製作の会が、近代映
画協会の協力を得て製作したもので、
本宮町(現本宮市)が町を挙げて映画
作りに協力した。
資料不足によりロケ地特定は不可。
【i 映画・アニメ】 185/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
234 (i)映画・
アニメ
福島県
いわき市
235 (i)映画・
アニメ
福島県
南相馬市、 戦国自衛隊
飯館村
236 (i)映画・
アニメ
福島県
会津若松 男はつらいよ 柴又より愛をこ 伊豆七島の式根島にたこ社長の娘を探し 1985年(映画公開年)
市、柳津町 めて
に行った寅さんが、そこで出会った女教師
(栗原小巻)に恋をする姿を描く。「男はつ
らいよ」シリーズの第36作。
237 (i)映画・
アニメ
福島県
いわき市
遊びの時間は終わらない
238 (i)映画・
アニメ
福島県
いわき市
釣りバカ日誌8
239 (i)映画・
アニメ
福島県 会津若松市 美しい夜、残酷な朝~日本
編「box」
240 (i)映画・
アニメ
福島県
241 (i)映画・
アニメ
福島県
242 (i)映画・
アニメ
福島県
243 (i)映画・
アニメ
福島県 いわき市、古 フラガール
殿町
244 (i)映画・
アニメ
福島県
トラック野郎 一番星北へ帰
る
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
「トラック野郎」シリーズ第8弾。美しい未亡 1978年(映画公開年)
人に一目ぼれをした長距離運転手の桃次
郎は、彼女のいる“みちのく”に通い詰める
ようになる。
いわき市がロケ地となっている。
ロケ地:常磐ハワイアンセンター
(現スパリゾートハワイアンズ)、湯の
岳パノラマライン、小名浜7号埠頭産業
道路、小名浜港など。
自衛隊一個小隊が演習地に向かう途中奇 1979年(映画公開年)
妙な閃光に包まれる。気がつくとそこは
400年前の関ヶ原だった…。近代兵器を装
備した自衛隊が戦国時代にタイムスリップ
するという半村良の同名小説を映画化。
メーンロケ地が原町市(現南相馬市原
町区)で、相馬野馬追祭りの神旗争奪
戦のほか、新田川河口、木戸川河口な
どで撮影が行われた。ロケ地は現在、
東日本大震災の避難区域に指定され
ているところもある。
会津若松市、柳津町でロケが行われ
た。ロケ地:只見線会津高田駅(映画
の冒頭、寅さんが夢から醒める場面)、
柳津町円蔵寺など。
郁井邦彦の同名小説を映画化。真面目な 1991年(映画公開年)
警察官が防犯訓練で銀行強盗犯役を演じ
たことから巻き起こる騒動を描くサスペン
スコメディ。
ハマちゃんとスーさんの“釣りバカ”コンビ 1996年(映画公開年)
によるシリーズ通算第9作目。いわき市の
海辺で投げ釣りを楽しむ2人が繰り広げる
珍騒動が描かれる。
日本「box」、韓国「cut」、香港「dumplings」 2004年(映画公開年)
の3つのパートからなる異色オムニバス映
画。日本編は三池崇史監督が担当のホ
ラーサスペンス。
会津若松 デコトラの鷲 会津・喜多方・ 派手なトラックを操るデコトラ運転手を哀 2004年(映画公開年)
市、喜多方 人情街道
川翔が演じる人情コメディのシリーズ第2
市
弾。東京の下町、浅草と福島県を舞台に、
人助けに奔走する姿を描く。
いわき市 容疑者 室井慎次
人気刑事ドラマ「踊る大捜査線」のスピン 2005年(映画公開年)
オフ(派生作品)映画。捜査の責任を取ら
され逮捕された室井警視正の奔走と、警
察庁と警視庁との確執を描く。
いわき市
親父
会津若松 バルトの楽園
市、猪苗代
町
所在地
情報源・取材元
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
映画では舞台を特定の都市にしていな
いが、ロケ地はいわき市で、銀行の外
観はいわき信用金庫が使われた。
資料不足によりロケ地特定は不可。
ロケ地:会津若松市湊地区、市庁舎、 ・「ふくしまフィルムコミッションHP」
駅前公園ほか 。
http://www.pref.fukushima.jp/kan
ko/fc/work.html
資料不足によりロケ地特定は不可。
ロケ地:いわき駅周辺(白銀地区)、南 ・「ふくしまフィルムコミッションHP」
台(工業団地内)など。
http://www.pref.fukushima.jp/kan
ko/fc/work.html
一家の大黒柱である父親を失い、バラバ 2006年(映画公開年)
ラになった家族が再び強いきずなで結ば
れるまでを温かく描き出す。アクションス
ターの千葉真一が監督・主演を務める
ヒューマンドラマ。
炭坑の閉山で活気を失った町の再生を期 2006年(映画公開年)
して計画されたレジャー施設「常磐ハワイ
アンセンター(現スパリゾートハワイアン
ズ)」誕生にまつわる感動秘話を映画化。
国内の映画賞を独占し、興行的にも成功
した話題作となった。
いわき市に建設されたオープンセットで
撮影が行われた。
・いわきフィルムコミッション協議
会
(いわき観光まちづくりビュー
ロー):0246-44-6545
映画のモデルとなったスパリゾートハ
ワイアンズ館内だけでなく、いわき市内
および周辺地域各所で撮影が行われ
た。詳細はWebフラガール特集、ロケ
地情報を参照。
・「フラガール公式ブログ」
http://blog.excite.co.jp/hula-girl/
・「スパリゾートハワイアンズHP/
フラガール特集」
http://www.hawaiians.co.jp/guide
/hulagirl/
・「フラガールロケ地情報(私設サ
イト)」
http://loca.ash.jp/info/2006/m20
06_fulagirl.htm
・いわきフィルムコミッション協議
会
(いわき観光まちづくりビュー
ロー):0246-44-6545
・ふくしまロケ支援NET事務局
(福島県観光交流局観光交流課
内):024-521-7287 ・スパリゾートハワイアンズ:
0246-43-3191(代表)
第一次世界大戦中、徳島県鳴門市の俘虜 2006年(映画公開年)
収容所で日本で初めて「交響曲第九番 歓喜の歌」が演奏されたという実話を基
に、ドイツ人捕虜たちと収容所員や地元民
たちとの心の交流を描いた感動ドラマ。
主人公の収容所所長・松平豊寿は会
津若松市出身で、後に第9代若松市長
も務めたことから、会津でもロケが行わ
れた。ロケ地:会津若松市の戸草平、
猪苗代町の天神浜、天鏡閣、猪苗代
町営牧場など。
・「会津若松フィルムコミッション
HP」
http://www.fc.a-vst.jp/
・「極上の会津プロジェクト協議会
HP]
http://gokujo-aizu.com/
・ふくしまロケ支援NET事務局
(福島県観光交流局観光交流課
内):024-521-7287 ・会津若松
フィルムコミッション事務局
(会津若松市観光課内):024239-1251
【i 映画・アニメ】 186/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
歴史的価値・ストーリー
245 (i)映画・
アニメ
福島県 会津若松市 日本沈没
小松左京の同名ベストセラー小説を映画 2006年(映画公開年)
化した1973年の「日本沈没」をリメイク。防
衛庁や東京消防庁の全面的な撮影協力
を得て、日本を代表する特撮スタッフが生
み出した本格的スペクタクル映画。
246 (i)映画・
アニメ
福島県
平均的な会社員が妻の行方を探すうち、 2007年(映画公開年)
底なし沼のような迷宮に迷い混む。日本在
住の英国人監督ジョン・ウィリアムズが、
怪事件に巻き込まれた男の運命を描くミス
テリー映画。
247 (i)映画・
アニメ
福島県 会津若松市 アルゼンチンババア
よしもとばななの同名小説を映画化。妻に 2007年(映画公開年)
先立たれたことで心の支えを失った男とそ
の娘が、風変りな女性との交流を通じ家
族のきずなを取り戻してゆく姿を温かな
タッチで綴る。
248 (i)映画・
アニメ
福島県
249 (i)映画・
アニメ
福島県
日本国憲法誕生のいきさつを、戦前・戦後 2007年(映画公開年)
を生き抜いた憲法学者・鈴木安蔵の物語
を軸に描いた作品。自主上映のみで公開
されている。
田舎の高校に転校してきた主人公あいを 2007年(映画公開年)
中心に、4人の高校生が合気道を通じて友
情に目覚め成長していく姿を描いた青春ド
ラマ。
250 (i)映画・
アニメ
福島県
251 (i)映画・
アニメ
福島県
昭和村
ハーメルン
奥会津の廃校となった学校で一人静かに 2012年(映画公開年)
暮らす元校長と、時の流れが止まったよう
な過疎の村で生きる人々の胸に宿る記憶
を描写する。西島秀俊主演のヒューマンド
ラマ。
252 (i)映画・
アニメ
福島県
南相馬市
希望の国
253 (i)映画・
アニメ
福島県 福島県全域 トテチータ・チキチータ
衝撃的な作品を次々と世に送り出す園子 2012年(映画公開年)
温監督が、大地震の被害を受けた家族の
姿を描くヒューマン・ドラマ。震災の影響で
散り散りになりながらも、6人の男女が貫
いたそれぞれの愛をつづる。
東日本大震災後の福島を舞台に、太平洋 2012年(映画公開年)
戦争で引き裂かれた家族の生まれ変わり
が現世で再会し、再び人生に希望を見出
していく姿を描くファンタジードラマ。
会津若松 スターフィッシュホテル
市、磐梯町
南相馬市、 日本の青空
相馬市
二本松市
あいのこころ
国見町、三 アブラクサスの祭
春町
現役僧侶で芥川賞受賞作家の玄侑宗久 2010年(映画公開年)
の同名小説を映画化。うつ病に苦しみな
がらも、音楽に向き合うことで懸命に生き
ようとする僧侶と、彼を温かく見守る周囲
の人々の姿を描く。
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
・「ふくしまフィルムコミッションHP ・会津若松フィルムコミッション事
主役の潜水艇操縦士は会津の造り酒 /ロケ地紹介」
務局
屋の息子という設定で、会津若松市の http://www.pref.fukushima.jp/kan (会津若松市観光課内):0242高橋庄作酒造店(「会津娘」の蔵元)で ko/fc/work.html
39-1251
ロケが行われた。
・高橋庄作酒造店:0242-270108
所在地
物語に似合う古い建物が残る町という
ことで、会津若松がロケ地に選択され
たという。
ロケ地:白木屋漆器店、市庁舎、鶴ケ
城、田中稲荷神社、磐梯町の磐梯町
駅ほか。
情報源・取材元
・「会津若松フィルムコミッション
HP」
http://www.fc.a-vst.jp/
・「ふくしまフィルムコミッションHP
/ロケ地紹介」
http://www.pref.fukushima.jp/kan
ko/fc/work.html
・「会津若松フィルムコミッション
原作に登場するうなぎ屋は、会津若松 HP」
市栄町の天ぷら屋「天一」で撮影され http://www.fc.a-vst.jp/
た。
・「ふくしまフィルムコミッションHP
/ロケ地紹介」
http://www.pref.fukushima.jp/kan
ko/fc/work.html
主人公の鈴木安蔵の出身地が福島県 ・「日本の青空 公式サイト」
小高町(現南相馬市小高区)で、小高 http://www.cinemaの小高神社と相馬市の相馬高校でロ indies.co.jp/aozora/index.php
ケが行われた
二本松市が組織した二本松ロケ支援 ・「日本の青空 公式サイト」
隊の全面協力により、オール二本松ロ http://www.cinemaケで撮影された。ロケ地:本宮高校、二 indies.co.jp/aozora/index.php
本松工業高校、上川崎八幡神社、霞ヶ ・「二本松市観光ガイド/あいの
城公園など。詳細はWeb「あいのこころ こころ二本松ロケ情報」
二本松ロケ情報」を参照。
http://www.city.nihonmatsu.lg.jp/
site/kankou/2779.html
・会津若松フィルムコミッション事
務局
(会津若松市観光課内):024239-1251
・会津若松フィルムコミッション事
務局
(会津若松市観光課内):024239-125 ・てんぷら
天一:0242-24-9077
・二本松ロケ支援隊(二本松フィ
ルムコミッション)
(二本松市観光課内):0243-555122
映画の中では架空の町「春見町」とし
て登場する三春町と国見町を中心に、
オールロケで撮影された。ロケ地:国見
町の龍雲寺、三春町の福聚寺、中の
橋、田村高校など。
・「アブラクサスの祭り 公式サイ ・三春町観光協会:0247-62ト」
3690
http://www.aburakusasu.com/ab
out/index.html
・「三春町観光協会」
http://miharukoma.com/
註:映画の舞台となった昭和村の旧喰 ・「ハーメルン」 公式サイト」
・昭和村役場:0241-57-2111
丸小学校は、撮影開始時で閉校から http://www.hameln-film.jp/ ・
約30年が経ち解体が予定されていた 「ふくラボ!/映画ハーメルンを
が、撮影終了までの校舎保存が決定、 応援しよう」
009年夏から撮影が開始された。撮そ http://www.fukulabo.net/is.shtml
の後映画は撮影が何回か延期され、 /hameln/
ようやく2012年に4年の歳月をかけ完 ・「会津考察/旧喰丸小学校(私
成した。
設サイト)」
http://www.fbanchan.net/aizu/kuimaru/kuima
ru.htm
資料不足によりロケ地特定は不可。
県民の協力を得て東日本大震災後初
の福島全県ロケを敢行し、製作された
映画。資料不足によりロケ地特定は不
可。
【i 映画・アニメ】 187/188
カテゴリー
県
市町村
地域資源名
資源の概要
254 (i)映画・
アニメ
福島県
相馬市
はね駒
255 (i)映画・
アニメ
福島県
福島市
ひまわり
256 (i)映画・
アニメ
福島県 会津若松市 八重の桜
会津出身で、同志社を創設した新島襄の NHK大河ドラマ 2013年 八重の生まれた会津地方から物語が ・「八重のふるさと福島県HP」
妻となった八重の生涯を描いたNHKの大
始まるため、会津若松で大がかりなロ http://www.yae-mottoshiritai.jp/
河ドラマ第52作。2013年1月6日より2013
ケが行われた。ロケ地の詳細はロケ地 ・「八重と会津博/観光コース」
年12月15日まで放送された。
情報(私設サイト)を参照。
http://yae-sakura.jp/course
・「八重の桜ロケ地情報(私設サ
イト)」
http://loca.ash.jp/info/2013/t20
13_yaenosakura.htm
257 (i)映画・
アニメ
福島県 二本松市(舞 黒塚 KUROZUKA
台設定)
258 (i)映画・
アニメ
福島県 猪苗代町(舞 宙のまにまに
台設定)
夢枕獏による伝奇SF小説を後に野口賢が
漫画化。2008年にその漫画を原典とした
テレビアニメが放送された。「黒塚」とは福
島県二本松市の安達ヶ原にある鬼婆伝説
を下敷きにした能の演目のひとつ。
「月刊アフタヌーン」連載された柏原麻実
による学園漫画。2009年にテレビアニメが
放送開始された。高校の天文部を舞台に
したドタバタラブコメディ。
1986年4月から10月まで放送されたNHK
朝の連続テレビ小説。女性ジャーナリスト
の草分けと言われた磯村春子をモデル
に、明治-大正に活躍した女性新聞記者
の半生を描いた。
1996年4月から10月まで放送されたNHK
連続テレビ小説。会社をリストラされた主
人公が、司法試験、司法修習生を経て、
一人前の弁護士に成長していく物語。
歴史的価値・ストーリー
所在地
NHK連続テレビ小説
1986年
主人公のモデルとなった磯村春子は相
馬郡中村町(現相馬市)出身。ロケ地
特定は不可。
NHK連続テレビ小説
1996年
主人公の修習先が福島地方裁判所と
いう設定。ロケ地特定は不可。
漫画 2002-2006年
TVアニメ 2008年
資料不足により情報不確定。
漫画 2005-2011年
TVアニメ 2009年
舞台となる蒼栄高校が所有する合宿
所蒼流荘が、猪苗代湖のほとりに建っ
ていて、部活の夏合宿に使われる。
情報源・取材元
地域のキーパーソン・連絡先等
(自治体・企業・NPO含む)
・会津若松フィルムコミッション事
務局
(会津若松市観光課内):024239-1251
・会津若松観光物産協会:024224-3000
【i 映画・アニメ】 188/188
東
富 文
残し
前船
前船
前船
す
江戸時代
途中
あ
中
瀬戸内や山陰
資や文
塩や砂糖
生活物資 ほ
し
魚肥
前船
荷物
買積船
ま
学肥料や
海
港
立
運びまし
シン
く
代
学繊維
行
寄
来し
各地
和船
多く
物
終わ
流通
着
ま
陶磁器
瓦
海 や東
米
大豆
石造物
大阪 向
昆
塩鮭
木
途中
寄港地
物資
迎えます 理
鉄
蒸気船 電信
魚肥
需要減
急激
出
前船~寄港地 交易 物語~
売
紅花
買いし
運びま
大
利益
し
国産木綿
普及 ほ
産業構造
変
し
(無明舎出版)
交差点・酒
交差点・酒
日本海側
海
航路
川河
発
川中流域
前船
生活物資ま
西回
交差点
江戸 大阪 運ぶ
最
食べ
海 総合商社
地方
最
運
東
麺類
運ぶ
日露戦争
物資 文
小麦
身欠
前船 時代 明治 30
ま
新潟
京・大阪 文
シンやイワシ
地
陸
大阪
しまし
大阪方面
東
明治時代後半ま
戻
広範
し
航路
江戸
向
う
いう有利
位置
あ
まし
酒
最
日本海
川中流部
東回
中
幕府
領
洋 航路整備 進
粧や染物
使う紅花
荷物
雛人形や祭
し
洋側
運ぶ担い手
一大産地
蝦夷
重要
位置
多く
そ
占
米
す
し
着物
す
航路
紅花や米
菓子
着
京都・大阪
京文
秋 藩 支え 物流
秋
地
藩領
秋
杉
米
港
販売
米
状態
大阪
精錬所
運
鉱山主
商人
銀
大阪
銅
大量
米相場
運
掛
まし
まし
最終工程
経
秋
杉
阿仁鉱山
中国や
板
加工し
産出
ルトガル
銅
各
粗銅
オランダ
貿易
使わ まし
藩
大
20 万5千石 し
石高
一部 船 使
利益
し
し
経済
30 万石
内高 実際 石高
交易
秋
支えまし
40 万石
秋
藩
言わ
そ
す
海産物 青森 バ 支え 経済
弘前藩
津軽
運びまし
塩
魚
南部藩
豊富
しアワ
大阪始
し
各地
港
神社仏閣や大商家
欠
せ い大豆
コ
海産物
中国向
引
います
建築資
他
前船 運
います
一
祇園祭
加工品
高級食
ま
青森
し
青森
バ
バ
長崎
前船
運
建築
昆
し
尾去沢鉱山
銅
ます
島祇園祭
高値
味噌・醤油
引
製造
日本海 表日本
前船
運
文
土崎港ま
多数あ
半島佐井
ます
各地
有 や九谷 焼 物
食文
民謡
陶磁器
土産
向
京都
商家
す
物流
京雛
茶
いう面
石造物
港町
一翼
会津
箭根森八幡宮例大祭
残
前船 寄港地周辺
各地
う日本
あ
雛人形
並べ
く
目 す
船絵馬
残
枚挙
栄華
担
祇園祭
前船
前船
今
見せ
酒
祭
秋
影響
祭
祭
盛
行わ
ます
い
伝え
時代
ま
い
前船
います
近代
日本海
表日本
置
2 2 陸奥縦貫 大動
奥 街道
奥 街道
奥
街道
江戸日
津軽半島
厩へ
轄
正式
え
い
え
橋
至
起点
日
奥 道中
宇都宮~白河~福島~仙台~盛岡~青森
最長
街道
宇都宮
白河以南
こ
う
日光道中
<奥
へ
道>
江戸
複
結び
白河
近世 五街道
白河以北
<奥
幕府
管
一
数
道>
い
う
白河以北
仙台道
奥
や
街道
奥
仙台
間
前道
いう
便宜的 総称
街道
呼び方
道
場所や進行方向
仙台~盛岡城
呼び
道沿い
違い
盛岡道
ほ
南部道
盛岡~
呼び名 あ
廐
奥 街道
いえ
運送
設
バトン
ッ
宿
宿駅 数 時代や数え方
東海道 対
や
白河~仙台城
114 次
奥 街道
休憩
便宜
宿駅
53 次
少 変わ
延長 約 900 キロ
あ
そ
言わ
こそ日 一
大街道
奥
街道
白石城
辺地
藩境塚
陸 大動
陸奥 縦貫
幹線
万余石 盛岡藩 20 万石
陸奥 主要 大名 城
出羽 羽 街道
谷街道
多
奥
白河街道 二
八戸街道ほ
東北地方全体
奥 街道 アクセ
街道
白河藩 11 万石 二
奥 街道
参勤交代
使
街道
動
補完
ほ
合い
い
そ
街道 岩城街道 江戸浜街道 米沢街道
主
大名
参勤交代
利用
街道や横断道
い
藩
蝦夷島
北海道
藩 10 万石 秋田藩 20 万 6000 石 庄内藩 14 万石
29 藩 数え
町 結
藩 10 万余石 仙台藩 62
奥 街道
物資輸送
交通
北
旅人
前藩
無石
含
弘前
会津藩 23 万石 米沢藩 15 万石
や阿武隈
往来
主要河
要
役割
果
舟運基地や
陸
大
歌枕
名勝 地
古来
澄
歌詠
始
山
人
人
奥
田 玉
日
島
旅人 あこ
い
変わ
平洋側
東日
向
あ
地
い
能因法師や芭蕉
日
歌枕
都や関東
多
海側
街道
訪 歩
歌
菅江真
信
残
人 招
奥 街道 国道 4 号や東北自動車道 東北新幹線
交通手段
大震災
メ
各段
向
地域資源
大変
地域
魅力
磨
人
い
努力
徐々
回
い
世界遺産
遺跡群 う
世界
北
山 壺 碑 衣
数え
東北
歌枕
街道
景 一
通
復
道
注目
魅力的
登録
平
御所 遺跡
受
機会
行 こ
加え
新
世界遺産候補
内丸山遺跡
多
こ
う
4ケ所 奥 街道
こ
地域
北海道
近
東北観光
北東北
位置
基軸
縄文
東
二大街
羽 街
羽後 国 走 街
羽
街
過
福島県桑折
内峠
い
越え
奥
秋田県
秋田
街
別
宮城県
湯沢
横手
大曲
秋田
通
や八郎潟沿い
海沿い
矢立峠
青森県
500
ロ 宿場 数
弘前
松林
中
過
青森
七ヶ宿
油
58 宿 いう 奥 街
再
次
山形県
雄物
奥
長
山
山形
沿い
日本海側
進
二ツ井
街
流
規模 持
新庄
向
大館
延長
東
代表
大街
街
復
途中
大名
備
努
山形や新庄
13 家 あ
羽
本
城
町
あ
快適 旅
参勤交代
う 各藩
江戸
往
領内 街 整
宮城県七ヶ宿町
楢
宿
石橋
山形県
山市
文人墨客 行 来
街
通
う 残
文人
200 冊以
街
通
ン神父
訳
枚挙 い
紀行
街
人
い
う
間過
秋田
彩色絵図 数
東 遊日記
函館
江戸
3000 枚
菅江真澄
及ぶ膨大
人 魅了
明治
バ ド
記録本
い
細
田松陰 明治5
羽
い
仙 地方 亡
ス 女性旅行家イザベ
多
残
街
歩
芭蕉
通
フ
ンス人 マ
記録
残
文人墨客
あ
街 やほ
場
37
旅日記や絵図
今
古 古松軒
東
多
イ
日本奥地紀行
東遊日記
非常
秋田
本
11
力
9
宿場 管理 力 注い
安藤家
代表格 言え
奥
弘前
少
一里塚 築い
滑津
多
久保田
街
旅
動
比
触
や
々
真澄 残
い
う
羽 街
記録 多い う
日本海側
暮
旅人
200
独特
魅力
前 秋田や津軽
感
う
風景
習俗
祭
や食文
文や絵
残
様子
今 通
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日本庭園
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~温湯温泉~津軽こけ
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~丸山薫記念館~大
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博物館~藤沢修平記念館~荘内
山神社~出羽
山神社歴史博物館
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山形市内~柏倉九
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麦俣 民宿 多層民家~湯殿山神社
大網
大日坊山門
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秋田県や青森 津軽地方 人たち
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街道を使い
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運を利用し 狩
庄内町
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並ぶ手向に向 い旅装を整えました 芭蕉
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庄藩主霊廟~新庄鶏
~白糸 滝~清
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博物館
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郎記念館~手向 黄金堂
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酒蔵見学~本荘う
~本荘城址~
ド AKITA~飛良泉 酒蔵見学~白瀬南極探検隊記念館
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園~
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象潟~芭蕉
漢像~鳥海山大物忌神社~
宅~酒
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良海岸
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立岩~蜂子皇子
気比神社~加茂水族館~湯
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鳥海~ニシン漁
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温泉~善法寺~鶴岡~ 十 越街
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3
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山
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民俗博物館建設や旧家
独特
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民俗行事や手仕事
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園会館~鴫山城跡~奥会津
郷~大内~会津高田
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~中山峠旧道~大内宿
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酒蔵見学
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高倉神社
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大内宿
福島県
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市野集落~伊佐須美神社 会津式内 社 一
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山形コ
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酒蔵見学
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樽平酒造他
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雑穀料理
高畠町 高畠ワイ
~黒沼温泉~道 駅 た
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木材加工
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伊勢堂岱遺跡~綴子神社~
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3 6 義経伝説を巡 旅
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東北
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伝説
鼠ヶ関
山形県
皮切
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地名由来譚
宮
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東
従
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頼朝
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へ馳 参
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弁慶
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源頼朝
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平家打倒
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義経関連 見所 紹
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村
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瀬見温
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~薬研の湯
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町
~弁慶山 真室 町
宮城 尿前 大崎市 ~鳴子 大崎市 ~炭焼き藤
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栗原市
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~判官森 栗原市 ~観音寺 気 沼市
平
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関連伝承 含
東北
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伽羅の御所 秀衡館 跡~柳之御所 平 政
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~種山ケ原 住田町 ~駒形神社 遠野市 ~
続石
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宮 市 黒森神社 宮 市
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岩
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慈市 ~常陸坊海尊の墓所
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田野
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洋野町
北行伝説 青森コ
青森コ ス
八戸
種差海岸~熊野神社~白銀の
嶋神社~
高館山と小田八幡宮 伝 義経奉納の毘沙門 像
~龗神社 義経北行伝説の 原本 といわ
家稲荷大明神縁起 を伝え
城神社の 弁慶石
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~類家稲荷~ 八
八戸城跡
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社~八 郎崎~櫛引八幡宮
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南部町 七戸町 むつ市 風間浦村 大間町
法光寺
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南部町
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むつ市 ~蛇浦の
平内町
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七戸町
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野辺地町
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青森県八戸市
港の雨立
コエ岩 風間浦村 ~大間崎 大間町
所 原市
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森市 ~善知鳥神社 青森市 ~十 湊
夏
半島の椿神社
平内町
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所 原市 ~義経寺 外ヶ浜町 ~厩石 外
ヶ浜町 ~竜飛岬と兜島 外ヶ浜町
北行伝説
青森コ ス
北行伝説
岩手コ ス
東
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