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Autumn 1993 No.3

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Autumn 1993 No.3
September 1993 No.3
パリのカフェ
フランスの電力の73%が原子力発電、電力に占める割合では世界1です。その内の30%、全体の22%がプルト
ニウムによる発電です。フランスは地球に優しいエネルギー自立を目指しています。
CONTENTS
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オピニオン
1995年以降の核不拡散条約−核廃絶に向かって
解説・討論
核不拡散条約に対してわが国はどう取り組むか
取材レポート
プルトニウム燃料製造施設と「もんじゅ」
Special Lecture
旧ソ連の核兵器とプルトニウム 今井 隆吉
冥王星
ちょうちん考 後藤 茂
トピックス
米・英・仏 科学アタッシェとの懇談会
編集後記
Plutonium Autumn 1993 No.3
発行日/1993年9月28日
発行編集人/堀 昌雄
社団法人 原子燃料政策研究会
〒100 東京都千代田区永田町2丁目9番6号
(十全ビル 801号)
TEL 03(3591)2081
FAX 03(3591)2088
会 長
向 坊 隆 元東京大学学長
副会長 (五十音順)
津 島 雄 二 衆議院議員
堀 昌 雄 前衆議院議員
理 事
青 地 哲 男 (財)日本分析センター
技術相談役
今 井 隆 吉 元国連ジュネーブ軍縮会議
日本代表部大使
大 嶌 理 森 衆議院議員
大 畠 章 宏 衆議院議員
後 藤 茂 衆議院議員
鈴 木 篤 之 東京大学工学部教授
田名部 匡 省 衆議院議員
中 谷 元 衆議院議員
山 本 有 二 衆議院議員
吉 田 之 久 参議院議員
特別顧問
竹 下 登 衆議院議員
Feb. 28. 1997. Copyright (C) 1997 Council for Nuclear Fuel Cycle
[email protected]
オピニオン
1995年以降の核不拡散条約−核廃絶に向かって
1991年の7月にSTART条約が締結され、戦略核弾頭をそれぞれ米ソとも6,000発まで減らすという合意ができ
た。その後さらに1993年1月にエリツィン大統領とブッシュ大統領の間で、それぞれ3,000ないし3,500発まで
核軍縮するとの約束がなされた。大変な成果であると言える。この成果の最も大きな要因は、何と言ってもア
メリカ、旧ソ連の経済の悪化による軍事費の削減であった。その意味においては、画期的とも評価できる今回
の核軍縮は、単なる軍事面での支出の合理化に過ぎないとも読める。ここまで核軍拡を行ってきた二大国が、
経済的負担から核軍縮を合意したとしても、人類の平和という観点からすれば核軍縮を行うのは当然であり、
高く評価するほどではないと言う向きもある。
しかしながら、経済的問題を核兵器の削減へと発展させ、実現しようと苦労している関係者に大きな拍手を
送りたい。事実、世界大戦に発展するような大規模な核戦争の危険がかなり遠のいたことは確かである。それ
でも、最近の合意での米露合わせて6,000発の量は、単純な計算で人類一人当たりTNT火薬にして0.7トンに相
当する。まだ人類を地球上から抹殺するのに十分な量である。6,000発から3,000発へ、さらに1,000発、そして
ゼロへ人類の願いを速やかに達成しなくてはならない。これは核兵器を保有してしまった国々の責務であ
る。1994年1月より包括的核実験禁止条約の検討がジュネーブ軍縮会議で開始されるが、早期成立・締結は、
核廃絶への第一歩である。
今年7月に行われた東京サミットの政治宣言において、NPTの無期限延長支持が明確に打ち出されなかった
ことについて、海外のマスコミを中心に、それは日本が核のオプションを手放すことを無条件にコミットすべ
きか迷っており、さらには日本が将来核兵器を必要とするかもしれないという声があるからと報道している。
NPTの無期延長問題に関しては、東京サミットの前の6月30日に、当時の宮・373B首相に宛てて、広島に住
む大学の教授など15人の学識者が次のような「ヒロシマからの訴え」を提出した。
「NPTの無期限延長を認めることは核兵器国5ヵ国の核兵器保有を無期限に認めることにほかならない。わ
が国では今なお34万7千人の被爆者が核兵器の存在に不安を覚えながら生きている。『ノー・モア・ヒロシ
マ』はかけがえのない犠牲をはらって得た人類の教訓であり、誓いではなかったか。日本国憲法の前文は、
『われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認
する』と述べている。この憲法の精神に基づいて、東京サミットの議長国である日本政府は、核廃絶へ向けて
の主導的役割を果たすべきである。それこそが世界で唯一の被爆国である日本に課せられた使命であり、平和
を求める世界の人類共通の願いでもある。21世紀に核兵器の存在を容認する思想を断じて持ち込んではならな
い。」(要約)
わが国では、NPT署名の1970年から6年にもわたる議論を経て、唯一の核不拡散体制であるNPTの意義と重
要性を認識し、それを堅持することが、国民的合意となった。またその議論では、核を保有するという意味で
のNPTの不平等性を追及した初歩的段階を超え、核を持たない平等を達成するための方策を模索する段階に
至った。しかし、わが国において、今回のNPT延長問題に関し、NPT下での核廃絶など、多くの重要な議論が
広くなされないまま、細川総理大臣が国連の演説において、NPT無期限延長支持を表明したことは、日本国民
の一人として残念でならない。
非核兵器国が核を持たないことを担保するため、国際原子力機関(IAEA)による保障措置を受けている。核
を持たない平等を進めるならば、核兵器国も同様に、核軍縮がいかに進展しているかを提示し、それを非核兵
器国が見定める必要がある。そのため、NPTの期限を今後例えば10年に区切り、その都度確認し、核軍縮の前
進を促すことが有効と思われる。
わが国としては、NPTの中に記載されている核兵器国という呼び名を空文化するため、核兵器国の核廃絶を
今以上に働きかけることが必要であり、NPT未加盟国や、核兵器がいまだに国の安全保障の強化、国力の増強
と考えている「核兵器論途上国」に対しても、NPTへの加盟並びに核兵器保有計画の放棄を働きかけるなど、
積極的な役割を率先して果たすことが不可欠である。そのことが今後の国際社会の安定への貢献となると考え
ている。
近い将来には、廃止されたNPTが人類が生き残るために努力した記念の条約として、世界の子供達の教科書
にその経緯と成果が掲載されることを願う。
(編集長)
[No.3目次へ]
Sep. 28. 1993. Copyright (C) 1993 Council for Nuclear Fuel Cycle
[email protected]
解説・討論
核不拡散条約に対してわが国はどう取り組むか
7月の東京サミットにおいて、その政治宣言に核不拡散条約(NPT)の無条件、無期限延長が表明されな
かったことに対して、海外でマスコミを中心に、日本が核保有のオプションを放棄していないのではないかと
の憶測を呼びました。今回の諸外国の批判を振り返ると、わが国の核兵器に対する姿勢が十分に知れ渡ってい
ないことと、1995年以降のNPT問題に対する国内での十分な討論がなされていないことが、浮き彫りになりま
した。このため当研究会では、急遽、政界、行政機関、研究機関などの方々にお集まりいただき、今後のNPT
問題について意見交換を行いました。
初めに今井隆吉元軍縮大使に、NPTの全体像と今後の課題についてお話しいただき、その後、お集まりの
方々に討論していただきましたので、その内容を掲載いたします。
〈解 説〉核不拡散条約(NPT)の全体像と今後の課題
今井 隆吉 元ジュネーブ軍縮会議大使
核不拡散条約(NPT)というものがどういうものか、最初に簡単にご説明を申し上げようと思います。
NPT自体は、かなり読みにくい条約です。例えば核兵器国というのはどこで定義してあるか、私はいつも忘
れてしまって、何条だったか探さないと見つからない、結構変なところに書いてあったりするものですから、
その辺の構造も考えまして、勝手に私がNPTを要約して一つの表にしました。
核不拡散条約(NPT)(要旨)
ジュネーブ18ヵ国軍縮委員会ENDCで作成、国連総会で審議
1968年ワシントン、ロンドン、モスクワで署名(日本の署名は1970年)
1970年発効(日本の批准は1976年、西ドイツは1975年)
第1条
核兵器国(NWS)は、非核兵器国(NNWS)に核兵器、核爆発装置、その技
術、管理などを渡さない。
第2条
NNWSは、これを受け取らない。
第3条
NNWSは、IAEAと協定を結び、核物質について保障措置を受ける協定
の交渉は批准の180日以内に始める。
第4条
平和目的の原子力の研究、生産、利用の「奪い得ない権利」に影響し
ない平和目的に設備、資財、情報を最大限に交換。
第5条
核爆発平和利用の利益の享受
第6条
NWSは、「核軍備競争の早期の停止およびび核軍備の縮小に関する効
果的な措置、厳重かつ効果的な国際管理下の全面的かつ完全な軍備縮
小」の条約につき誠実に交渉する。
第7条
地域的な条約締結の自由。
第8条
条約改正は締約国の過半数(全てのNWSおよびその時点で・・IAEA理事
国を含む)により合意。五年ごとの再検討。
第9条
アメリカ、イギリス、ソ連が寄託国である。1967年1月1日前に、核
兵器その他の核爆発装置を製造し、爆発させた国がNWSである。
第10条
3ヵ月の事前通告による脱退の権利。(全締約国と国連安全保障理事
会)。条約発効の25年後「条約が無期限に効力を有するか追加の一定期
間延長されるか」会議をを開く。締約国の過半数による議決。
第11条
英語、ロシア語、フランス語、スペイン語、中国語が正文。
ENDCは軍縮の名門
NPTは、ジュネーブの18ヵ国軍縮委員会(ENDC)が作成し、国連総会に送付し、国連で審議をし、1968年に
ワシントン、ロンドン、モスクワの3ヵ所で署名されました。そのために、アメリカとイギリスとソ連がこの
条約の寄託国ということになり、この3ヵ国が世話役になっています。
条約自身は、寄託国が3ヵ国あるという以外に、条約運営に係わる機構については何の規定もありませ
ん。25年目の延長会議とか、5年ごとの再検討会議の運営などは、一応各国が言い出して、寄託国が国連と相
談して開催をすることになったものです。
日本が署名したのは1970年。ほとんどの国が1968年に署名しており、ドイツも確か1968年に署名したと思い
ます。日本が署名するのに遅れたのは、署名に当たって幾つか議論があり、これに署名して良いか、悪いかと
いう話が随分あったためのようです。
確か佐藤総理のときだったと思いますが、その当時既にこの条約は不平等な条約であるという問題がありま
したが、実はENDCは、ある意味では日本がNPTに入ることと、ENDCに入れることとを駆け引きにしていまし
た。その時点でENDCの参加国は18ヵ国から26ヵ国になりました。それからだんだん増えて40ヵ国になり、そ
のうちにユーゴスラビアがつぶれてしまったので、現在39ヵ国がジュネーブの軍縮会議に参加していま
す。ENDCというのは、本来からいうと、軍縮に関しては名門で、日本は以前から入りたかったのです。
軍縮については、ENDCよりもっと早い時期に、1950年代に東西の間だけの5ヵ国づつで交渉を行っていた
時期がありました。それが、このNPTを作る前に、核実験禁止条約である部分核実験禁止条約をつくる時点
で、中立国8ヵ国を入れて18ヵ国になり、西側、東側、中立という構成になったわけです。これがENDCで
す。
核兵器国フランスと中国は当初署名せず
日本はNPT署名をきっかけにして軍縮会議に入りました。フランスが軍縮会議に参加するようになったのは
随分後で、1980年代に入ってからだったと思います。フランスの席はすでに設けてあったのですが、「おれは
行かない」といって来ませんでした。NPTは、イギリスはアメリカについていたようなもので、アメリカとソ
連の交渉でできたものですから、フランスと中国は「あれはけしからん」といって署名しなかったのです。
そういういきさつがあって、ジュネーブの軍縮会議自体へもフランスは来なかったし、中国もいるのかいな
いのか分からない、という感じの時期が大分長かったといういきさつがあります。ですから、NPTも、フラン
スと中国が署名、批准したのは昨年でした。それまでそっぽを向いていたというか、非常に敵愾心を持ってい
たわけです。
条約の対象はドイツと日本だった
NPTは1970年に主要国、特にイギリス、アメリカ、ソ連が批准して、1970年に条約が発効しています。ほと
んどの国がその時点で批准して、日本とドイツは批准しませんでした。ドイツの場合は1975年、日本は1976年
に批准をしました。これは国内でそれぞれもめたからです。日本は実は1975年の衆議院の外務委員会で実質的
にNPTは通っていたのですが、その時に社会党が最後に「ちょっと待った」と止めて、土井さんが外務委員で
おられたのですが、1年遅れて1976年になりました。ですから、実質的には1975年の審議で条約批准がほぼ決
まっていたと思います。
条約自身の相手は、何といってもドイツと日本で、そのドイツと日本が条約発効から5年以上批准をしな
かったので、みんな非常にやきもきしました。それなりに、やきもきさせた方の狙いもあったということでは
ないかと思います。
確か署名の時の日本政府声明で、その一つが査察や保障措置が公正、平等なものでなければならないという
ことでした。特に、日本の産業の商業上の不利になるといけないということでした。フランス大使をしている
谷田部氏と、科学技術庁の方、通商産業省の担当者が3人集まって作文して、三つ条件を付けたと記憶してい
ます。三つの条件は、言葉遣いはよく覚えておりませんが、保障措置が一つと、核兵器国の核軍縮が一つ、も
う一つは確か平和利用と平等性であったと思います。この3条件をつけて署名して、3条件が満たされる見通
しになったので批准にしたという手順だったと思います。
条約自身には、延々と色々なことが書いてありますが、第1条は、核兵器国は、非核兵器国に核兵器、また
は核爆発装置そのものを引き渡してはいけない、そのコントロールを渡してはいけない、その技術を渡しては
いけない、というものです。これは後日、変なところでもめごとになりました。ドイツに核兵器を配備してい
るということは分かりきっているようなものですが、当時のランスⅠとか、パーシングⅡがもめごとになるま
では、パーシングⅠがあることをみんな知らなかったのです。パーシングⅡがもめたもので、パーシングⅠも
あることが分かったくらいです。その時に、ドイツに核兵器搭載可能な兵器があって、当然核兵器が付近に置
いてあるわけで、それは条約違反ではないかと問題になり、管理は引き渡していないから良いのだという説明
がありました。
1968年の時点より大分早い時点で、西ヨーロッパには戦術核兵器が7,200発あるということが、何となしに天
下周知の話になっていました。それが西ドイツにかなり置いてある、ということが分かっていたわけですか
ら、第1条は明らかにその辺のことを気にして書いているものです。
第2条は、非核兵器国が、核兵器または核爆発装置、その技術、その管理などを受け取ってはいけないとい
うことです。
IAEA保障措置は施設ではなく核物質に
第3条、これは長い条文で、後に国際原子力機関(IAEA)で保障措置協定をつくるときに非常に困るのです
けれども、第3条を書いた人は原子力のことをよく知らない人が書いたのだと言うのです。「nuclear energy」
の利用に関して、「IAEAと条約を結んで保障措置を受けること」という表現になっています。「nuclear
energy」というのは何だろうということになり、原子力発電所で電気をつくった、あの電気が「nuclear
energy」であるかないかとか色々と論議になり、非常にややこしいことになったわけです。最終的にはその辺
の常識的な解釈に落ちついたわけです。
第3条は、要するにIAEAと協定を結んで、これも後にもめごとになる一つなのですが、核物質に関して保障
措置を受けるということです。IAEAの保障措置は核物質にかかるのであって、施設にかかるのではないという
のが裏の解釈になるわけです。ですから、IAEA保障措置協定を書く時は、あくまでも物質にかかるのであっ
て、施設ではないのだという、随分言葉遣いの上では厄介な話になっています。
もう一つ、IAEAとの保障措置協定の交渉は、条約の発効から、または後日加入する国は、批准から180日以
内に始めなければならないとされています。北朝鮮がこれに違反していたという話になるわけです。180日以内
に交渉を始めていなかったのです。それはだんだん聞いてみると、IAEAが最初に間違ったテキストを送ったと
かいう、ばかな話があります。そのように180日以内に始まらなかったのは、必ずしも北朝鮮のせいではないの
だという説明もあって、その辺は色々なのですが、一応条約上は180日以内に始めないといけないことになって
います。
原子力の平和利用は「奪い得ない権利」
第4条の「奪い得ない権利」というのは、アメリカ憲法にある「inalienable rights」というのをそのまま使っ
ているので、要するに原子力の平和利用は inalienable right であるかどうか。それなりに議論の余地はあるのか
もしれませんが、これは資源問題なんかに出てくる共有財産のようなもので、固有の権利であるという概念で
す。ですから、原子力の平和利用というのは固有の権利であるから、それに悪い影響を与えてはいけないとい
うのが第4条の趣旨です。
「平和目的のための設備、資材、情報の最大限の交換を行う。」は1953年アイゼンハワーが原子力の平和利
用を言い出した時が初めてで、それまでアメリカは原子力法により、設備、資材、情報の対外的な移管を完全
に禁止していました。原子力平和利用のために、それらを外国へ出すということを決めたのは、非常に大きな
出来事だったのです。それに従ってアメリカは、1954年に原子力法を改正して、対外的な協力を可能にしまし
た。
第5条はすでに死文
第5条の核爆発平和利用というのは、アメリカがはやらせたもので、言うならば、余った水爆を地面の下に
埋めて爆発させ、巨大な土木工事を行うというものです。例えば天然ガスのガス田を作るため爆発させて、大
きな洞窟をつくると、そこへガスが集まり、そのガスを引っ張り出す、ガス田になるというガスバギー計画が
あって、私は見に行ったことがあります。実際には実験が遅れてできませんでしたが、油田を掘る穴と同じぐ
らい直径の穴を掘っていました。その穴の大きさから水爆というのはあんなに小さいものなのだと、その時初
めて分かりました。この他、西オーストラリアで港をつくる計画や第2パナマ運河計画がありました。
そういうことがあるので、核爆発装置が手に入らないと、核爆発の平和利用ができない、それは非常に不公
平で困るということになりました。そのため第5条は、核爆発の平和利用の利益の享受に関しては、核爆発装
置を持ってはいけない国にも、その利益は完全に受けられるように、要するに核爆発の平和利用をしたいと
言ってきたら、一番安い値段で爆発をさせますとか、そういう種類のことを約束しているわけです。核爆発の
平和利用というのは、実はその後の核不拡散の過程の中で、それを行うと放射線をまき散らすだけで危ないと
いう話になり、何となしに立ち消えになりました。
そのように、第5条は条約の上では、後々死文になるのですけれども、条約をつくった時には非常にまじめ
な話で、平和利用の利益の享受は全面的に受けるというものでした。これは、条約ができた当座は、核爆発平
和利用の世界財団を作って、どうやって爆弾の技術に触れずに、利益だけを享受することができるかというこ
とをまじめにみんなで考えたということがあったわけです。
第6条は軍縮のうたい文句
第6条、これが今日問題になっている核軍縮の義務にかかわる条項で、正確には「核軍備競争の早期の停止
および核軍備の縮小に関する効果的な措置、厳重かつ効果的な国際管理のもとでの全面的かつ完全な軍備縮
小」とあります。これは実は1960年ぐらいから軍縮のうたい文句の一つになっているもので、核軍備競争を早
くやめて、核軍備を縮小するということです。それは、「total and complete disarmament」という言葉で、今
でもジューネーブの軍縮会議では議題で生きていると思います。
第6条は実は、メキシコなどの軍縮の好きな国が入れた条項で、その条文をそのまま使っています。ですか
ら第6条の義務というのは、そのための条約について誠実に交渉するという義務であって、字句にとらわれれ
ば、交渉を成り立たせる義務を必ずしも負っているわけではないというのが米ソのその都度の言い訳で、確か
に文章の上ではそういうことになっています。
第7条は、地域的な協定締結の自由、これはユーラトム協定などを妨げないということです。
第8条は、条約の改定には過半数の票、ただし、全ての核兵器国と、その時点でIAEAの理事会のメンバー国
を含むとあります。どうしてそういうことになったのか、そのいきさつはよく分かりませんが、とにかく、改
定には単なる過半数でなくて、一応こういう条件が付いています。だから、厳密な意味でいえば、核兵器国が
拒否権を持っているということになるかもしれません。
もう一つ、この第8条では5年ごとの再検討会議というのが入っています。再検討会議では何をするかは何
も書いていません。ただ、5年ごとに再検討会議を開くということが決まっています。
第9条には、さきほど申し上げました、アメリカ、イギリス、ソ連が寄託国であるということが書かれてい
ます。寄託国が実は色々なことをする世話役になるのですが、第9条のおしまいのところに、核兵器国の定義
があります。ここでいう核兵器国というのは1967年1月1日に、あるいはそれ以前に、核兵器、その他の核爆
発装置を作り、かつ爆発させた国であるとあります。作ったというだけではだめで、ちゃんと爆発させていな
いとだめだということです。
1995年の会議は単純過半数で採択
第10条に「3ヵ月の事前通告による脱退の権利」があります。脱退する場合は、全締約国及び国連安全保障
理事会に通告しなければいけません。
もう一つは、これも難しい表現ですが、条約発効の25年後に「条約が無期限に効力を有するか、追加の一定
期間延長されるか」を決める会議を開くことになっています。条約をやめてしまうということのオプションは
ないという議論があります。実質論としては色々言いようはあるのですが、使われている表現はそういう表現
です。
ここで非常に重要なのは、「締約国の過半数によって決める」としか書かれてなく、この過半数には条件が
付いていません。ですから過半数が、仮にの話ですけれども、3ヵ月延長して、それでおしまいにすると決め
てしまえば、条約はおしまいになってしまうということです。
これが色々な意味で重要なのは、5年ごとの再検討会議は、実は全会一致が原則になっており、そのため
に、1980年と1990年は再検討会議の最終宣言が採択できませんでした。全会一致でないといけないので、だれ
かが嫌だと言うと、いくら再検討会議を開いて、最終宣言でしっかりやろうと宣言しても、採用できません。
ところが、今度の1995年の会議は単純過半数で良いということですから、何が起きるか、何が決まるか分か
らないし、だれにもそれをブロックできないというのがこの第10条です。これは後になって、どうして単純過
半数にしてしまったのかとか、どうしてあのような表現になったのかとか、いろんな疑問が出てくるのです
が、条約制定時の当事者は、大体国連関係者でしたから、原子力屋がほとんど入っていなかったということも
あって、そのいきさつはよく分かりません。しかし文章として条約にそう書いてありますから、しようがあり
ません。
もう一つおもしろいのは第11条で、フランスと中国は入っていませんでしたが、国連公用語なので、フラン
ス語も中国語も成文になっています。
条約の中でこの条約を運営する機関というのは何もありません。脱退のときに国連安全保障理事会が腰を上
げるだけです。それ以外には、条約としては条約運営の機関が最初の3ヵ国であるということの外に、何もな
いということです。
条約に関する環境は変わっている
以上、条約を簡単に説明いたしましたが、1968年の時点でNPTを書いた時は、アメリカとソ連が核問題で火
花を散らしていた時で、他の国がうろちょろされては困るというのがこの条約の趣旨だったと思います。現在
のように、アメリカとロシアが、持っている核兵器を取り壊したり、捨ててしまったり、プルトニウムをどう
しようかと相談している時と、条約を作った時点とでは、条約に関する環境が随分違っているということがお
分かりいただけると思います。ですから、現時点でこの条約の今後などを検討するには、色々考えていただか
なければなりませんが、その際にご配慮いただきたいのは、核兵器に関する環境は全くと言って良いほど変
わっているということです。
〈討 論〉NPTの基本的な問題に十分な議論を
堀 それでは今の今井大使のお話をベースにしながら、この間、細川総理は無期限延長を支持すると言われ
たのですが、このNPTの延長問題を含めまして、NPTに対する日本の今後の取り組み方がどうあるべきかとい
うことについて、少し皆さんのご意見を伺いたいと思います。
日本は無期限延長に直ちに応じなくてはならないか
石渡 まず、林審議官に質問をしたいのですが、NPTの
無期限延長の案について、日本側にいつ、どういう形で
支持が求められたのかという点です。細川総理の発言ま
では、ミュンヘンと東京サミットで、「日本は今は直ち
に無期限延長に応ずるわけにいかない」と対応されてい
たと理解していますが。
林 いつ無期限延長の支持を求められたかどうかについ
てですが、つまり再検討会議は5年ごとに開催されてい
るわけで、再検討会議でもG7でも、当然1995年以降の
延長問題をどうするかという話は出ていたと思います。
具体的にそれ以外の場では、実はロンドンサミットのと
きからで、その時のG7でこの不拡散体制をどうするかと
いう問題がらみで、1995年以降のNPTの延長という問題
が取り上げられ、ロンドンサミット、ミュンヘンサミッ
ト、東京サミットへとそれが政治問題の話題になってま
いりました。
堀 昌雄氏
ご承知のように、G7のサミット参加国のうち、日本以
人類の将来のエネルギーのために当研究会を設立。
外の6ヵ国はすでにNPTの無期限延長支持で、NATO
プルトニウム利用に多大の熱意。
やCSCE(欧州安全保障協力会議)の場で個々に明らかに
しているということだったので、求められたというよりも、サミットでつくる政治宣言の文章の中に、無期限
延長支持を書きたいという形での問題提起がありました。
そのときに日本は、NPTの長期間の延長はいいけれど、無期限ということについては、まだ国内的にそこま
での合意ができていないので待ってくれと、簡単にいえばそういうことでした。そのためミュンヘンと東京サ
ミットでは、政治宣言は若干漠然とした表現になり、今回のG7の政治宣言では、明確に無期限の延長支持と
いう形までは書かれなかったというのが状況です。
石渡 そのように国内情勢が熟してないからというようなニュアンスで、まだ無期限延長支持まで明快に言え
ないということになったようですが、その後の経過から見ると、ある日突然細川総理が支持するということに
なった様にも見受けられのですが、そこのギャップはどういうことになるのですか。
林 そこは正直申し上げて、ギャップということでは必ずしもないと思うのです。宮沢総理は、NPTを批准す
る時には外務大臣であられて、当時の国内、あるいは自民党内を含めて、色々な難しさをご承知だったもので
すから、長期間の延長は結構であるが、無期限の延長ということについてはもう少しゆっくり考えてもいい
じゃないか、今すぐそこまでを言う必要はないのではないかというお考えだったと理解してます。
それに対して細川総理は、核兵器国は核軍縮の努力をする、こちらは無期限延長支持でいくということでい
いのではないかとの判断から言われたのだと思うのです。
石渡 なんとなくひっかかっているのは、色々事情でNPTの批准までには6年かかり、色々な議論しました
が、その辺を整理しなくてはならないというようなニュアンスで最近まできたとしますと、いつその辺をきれ
いにしたのかということが気になります。
林 先ほどの今井さんのご説明にあったように、NPTを締結する時点で日本国内の議論に長期間かけたという
状況と、今の状況とは明らかに相当違うと思います。もちろんNPTを締結する時点では原子力の平和利用の問
題もありましたが、いわゆる核のオプションといいますか、核保有国が5ヵ国あるにもかかわらず、日本はほ
ぼ永久にそれを放棄するということでいいのかという議論があったわけです。
当時とは状況が色々変わって、今の時点でNPTの無期限延長問題をどうするかという議論のときに、もちろ
ん一部には核のオプションを持つべきであり、したがって、無期限の延長を支持するのはどうかという議論は
ありますが、それはごく少数と思います。今回は、この条約が五つの国だけに核保有を認めて、保障措置など
についても、それらの国が特権的な地位を持っているということでいいのかという問題、それから核軍縮につ
いては第6条があるけれどなかなか進んでいないのではないかという問題とか、長期間ならともかく無期限延
長というのは、そもそもどうかなという心理的な問題などがあって、過去に長期間かけて議論した問題とは少
し違う形で問題が提起されてきているという気がします。
わが国では核廃絶が民族の悲願
石渡 細川総理が表明された結論のように、最終的には無期限延長となるのだろうと思います。これは個人的
な見解ですけれども。私が気にしているのは、議論が尽くされていないうちに、ある日突然いいと言ったとい
う、そういうプロセスが国際的にどういう評価をされるのだろうかということです。そのようなことだと、あ
る日またひっくり返るのではないかとか、何か非常に奇妙な感じを持たれるのではないかと思います。した
がって、過去こういうことがあったけれど、こういう議論をしてこれはもういいんだよということをどこかで
明快にしておく必要があるのではないか。それでこの無期限延長は賛成だと総理がおっしゃる、そういうプロ
セスが必要だと思います。
それからもう一つ、わが国では核廃絶という声は絶対消えません。その声が夏になると毎年大きくなりま
す。それをどう考えるのかということですが、欠落している議論として、日米安保体制をどう評価するかとい
う問題があります。この問題を度外視して核廃絶ということを言うのは、非常に矛盾している議論のように見
えるわけです。したがって一つの評価として、日米安保体制の有効性を率直に認め、評価する一方で、現実に
被爆した民族の一つの悲願として核廃絶という声があるということを根幹に置くと、その辺で一つの整理がで
きた形になるのかなという気がします。
今井 安全保障関係で日本は西側の一員だということは、日本の国内ではど
うもうまく通用していないけれども、外から見れば明らかに日本は軍事同盟
の一員であって、核で東西が対立している時は、どっち側だと言われたら西
だということです。だから日本という国は非常にうまいのであって、なんと
はなしにもそっとごまかして、核廃絶をと言う。国際的には、私どもは西側
だと言ってきました。軍縮会議で幹事の当番が回ってきた時に、西側を代表
して核兵器についてソ連はけしからんという話をちゃんと言っているのだか
ら、その辺から見れば日本は西側の一員だったことは間違いありません。国
内にだけそれを言わないで、うまくやっていたということが今度のような話
が面倒になる原因の一つであると思います。
NPT批准の論議の時に、当時の与党自民党は参議院で過半数を持っていま
せんでした。自民党参議院の中の一部に核オプション論があって、NPT批准
に断固として反対というので、それを説得しないと衆議院を通してもしょう
がないという時で、核のオプションというのは現実に日本は持てないのだと
いうことを説明して廻りました。
石渡 鷹雄氏
わが国で、プルトニウムを
最も多量に扱っている
原子力研究施設のトップ。
結局は納得してくださったので、批准の時点で日本が核のオプションを持
つという議論は、ほとんど無くなっていたのだと私は思います。今になって
核のオプション論がどこかにあるはずだというけれど、だれもそう言ってい
る人はいないし、どうしてそういう話になったのかよく分かりません。
林 それは現実にわが国が核を持つべきであるという意見ではなく、例えば北朝鮮にあのような疑惑がある時
に、日本に何もなくていいのかという、情緒的な議論なのです。ですから、日本としては持ち得る体制にある
から、それを残しておきたいということではなく、単純に何かのときのためにと、それだけの話ではないかと
思うのです。
石渡 北朝鮮のミサイルが届く届かないの議論のときに、外務省の方が
アメリカの核の傘の下にいるからいいんだと言われました。北朝鮮のミ
サイルは脅威ではないという解釈をしました。それは新聞報道でしか知
りませんが、その発言で終りになっています。ということは、実は核の
傘の恩恵を被っていることをみんなが忘れているのか、知らん顔をして
いるのか。そこでの議論がなされないから話がおかしくなっているんの
ではないかという気がします。
今までのNPTのスキームで安全と平和利用を守ってくれ
るのか
津島 慎重論があるとすれば、私は二つの考えから来ていると思いま
す。一つは、今の石渡さんの話に関連するのですが、東西対立、その核
の均衡を前提とするならば、今まではアメリカのお陰を被ってきた。こ
れは論を待たない。しかし、今ではそうでなくなってきました。片方は
もうアメリカとは対抗しない、やめたと。
林 暘氏
軍縮、原子力など科学技術に関する
外交のわが国の窓口。
NPT問題は一手引き受け。
一方では、核兵器を他の国に売るかもしれないというような国があ
り、北朝鮮などの核の疑いもあるという非常に疑わしい状態で、今まで
の核の均衡というものが、核に対する我々の安全を守ってくれるかどう
かわからない。そのような状態で、今のNPTが引き続き今までのような
スキームで我々の安全を守ってくれるのかどうか、この議論はあると私は思います。これは核のオプション論
ではありません。今、自民党の中で核のオプションなどを言うおかしな人はいません。そうでなくて、要する
に核の均衡の中で守られてきたという思想がもし崩れたら、北朝鮮などのようにごそごそやる国はどうにもな
らないじゃないかという議論に対して、きちっとした答えがないのです。
もう一つは、NPTというのは、核を持っている国をこれ以上拡げないようにしなさい。しかし、平和利用は
させますよということになっています。NPTを無期限に延長して本当に平和利用を保証してもらえるのか。
今、アメリカだけが核超大国になってしまったが、中には変な国が色々出てきて、「こら、こら」と言わなけ
ればならない世界になった時に、あまり「こら、こら」と言わなければならない国が増えると危険なので、日
本の平和利用も少し押えておけということにならないか。つまり当初の平和利用はさせますという申し合わ
せ、これが無期限延長をして保証されるのか。私はこの二つのセクトの議論が出てきたら、例えば我々自民党
の政務調査会の中でも、ちょっと議論してみなければならないと思います。この二つの点について、今日はお
話をお伺いできれば、参考になります。
林 最初のほうの議論は、まさにそれだからこそNPTというのは必要なのではないかという感じがします。今
日本の中の一部には、心理的には核保有国が自分たちの利益のためにNPTを作り、我々は無理に入らされてい
ると考えている向きがあります。我々が入ってやるんだから、そのかわり何か条件を付けたいという議論があ
ります。そうではなくて、まさに今の状況を見てみると、NPTのような形で核拡散を防止することに一番の利
益を感じているのは、核を持たない先進工業国であるわけです。核を持たない開発途上国は必ずしも核を脅威
と思っていません。ですから核の脅威が直接くることはないと思っています。隣国同士の敵対は別として。
そうすると、一番核の拡散に脅威を感じて防がなければいけないと思っているのは、まさに日本とか、ヨー
ロッパの非核保有国であると思います。ですから、そういう意味で、日本はむしろこのNPTを、少くともこの
体制で維持されることに最も利益を感じるべき国ではないかと。その辺に変な核兵器保有国がぽこぽこと、
ちょっと一発というのが出てきては困るわけです。ですから、第1の問題点というのは、まさにその懸念がある
からこそ、これは無期限でも延長しなくてはならないということになると思います。
核を持とうとする国を抑えるのは廃絶しかない
津島 そこは一つのロジックとしては分かるのですが、さらに議論を進めると、要するに核保有国というのを
認めているから変な国が出てくるのではないか、もう東西対立がなくなったのだから、核はもう廃絶するのが
一番いいのではないかというあの議論です。もういらないのだから、やめようではありませんか。もう核は武
器として一切だめと。それしか、ごそごそやるやつを抑える手はないのではないか。
今のNPTの基本的な問題は、オリジナルメンバーは核を持ってもいいよという、そこに問題の核心があるの
ではないかと言われた場合、どう答えるか。
林 そこはまさに五つの核兵器国がある、その時点の現状を追認してこういう条約ができたわけです。という
ことは、あの時点でそれを変えるということは恐らくできなかった。あの時点で核兵器国をそれ以上増やさな
いということが、あの時点での脅威をミニマムにする一番いい方法だということでつくったのだと思います。
今のような状況になって、我々も結局核兵器をなくすほうがいいと思っていますし、核兵器保有国がなくなれ
ばいいのですが、現実にそれができるかというと、東西冷戦が終わった今、やめましょうと言ったらできるか
というと、現実の問題としてはまだ今の状況では難しいと思います。ですから、それは究極的には全部なくす
ことではないかと言われると、それはその通りだと思います。
ただ、今の時点、今というのは、今の瞬間でなくある程度のレンジを持った時点では、やはりそれはなかな
か難しいというのが現実なんです。
無期限を決める前に議論すべきことがある
津島 問題は無期限延長ということです。いずれにしても、廃絶しましょうという条件を延長問題に付けなく
てはいけないなということです。わが国はそういう方向で進めようとしているのだけれども、とりあえず無期
限に現状を認めてしまうというのは、やはり一議論あってしかるべきだと思います。
林 そういうことと思いますが、そこはちょっと反論をさせていただければ、今のNPTの現状を追認したとい
うことについては、NPTがあるから五つの国が核兵器を持つことができるわけではないということです。持っ
ていたのを追認したわけです。言いかえると、このNPTがなくなったら五つの国は核兵器を持たなくなるかと
いうと、そのようなことはないわけです。単に条約がなくなったとしても、彼らは核を持ち続けるわけです。
五つの国から核兵器をなくすようにするためには、そういう情勢、国際
状況に変えないとそうはなりません。NPTがあるなしにかかわらず、そう
いう状況を作り出すことが先決問題であって、それはまさにその努力
と、NPTとはパラレルに進めるべきことであるし、NPTにその廃絶問題を
ひっかけたらそれができるかというと、それはそうでもないという気がし
ます。
後藤 繰り返しになりますけれど、ちょっと意外だったのは、細川総理が
あの段階で無期限延長をパッと発言してしまったということです。さきの
批准当時、5年も6年も議論をしました。委員会の議事録を読んでみて
も、色々な観点から論議をしているわけです。NPTそのものは批准しなく
てはならないけれど、そこに含まれている平等性とか、差別性とか、ある
いは軍縮に対する第6条の担保とか、色々な問題がありました。しか
し、NPTは、これ以上核兵器国を増やさないという面でプラスと考えたわ
けです。
新しい内閣が誕生しましたが、NPTの期限延長を決めるにしても、核廃
絶など検討し、議論がなされる必要があったと思います。それがないまま
津島 雄二氏
野党(自民党)にはなったが、 できているのではないでしょうか。津島先生が言われたように、これから
わが国にとっては重要な政策通。 それを議論をしてみようということになると、必要だから無期限の延長を
認めましょうと、すんなりいくのかどうか。1995年までまだ2年あるわけ
です。時間的に今日、明日ということではないわけですから。
総理が発言されるまでに、無期限延長は大体国民の合意であろうというか、どのように見当をつけたので
しょうか。
核軍縮などNPTの実をあげる手段が先決
今井 NPTには色々な経緯がありますので、無条件、無期限ということばかりこだわっては問題です。本当は
何が大事かというと、北朝鮮もそうですし、イラクもイランも、南アも、イスラエルもそうですし、条約の外
側、あるいは内側で核兵器をつくる国があちこち出てきているのに、有効に対処ができないままでいることの
方が、条約が無期限、有期限であるということよりももっと問題になると思います。それにどうやって対処す
るかということを先に議論すべきであって、無期限、無条件というのは後からついてきてもいいのだと思うの
です。
それからもう一つは、アメリカとソ連が、核兵器をやめるに近い条約を締結しました。解体には10年かかる
のですが、本当に2003年頃までに、戦略核兵器を3,000発に減らすというものです。3,000発でも多過ぎるとい
う話もあるのですが。実は年に1,500から2,500発しか壊せませんので、3,000発に減らすだけで大騒ぎになりま
す。とにかく結構なことで、始めたのだからしっかりやっていただきたく、どこかへ売ったり、持って行った
り、そういうことにならないようにしてほしいわけです。
アメリカもソ連も1968年の当時と違って、今ややはり核兵器というものを持っていても本当にしょうがない
と思うようになったと思うのです。非常に邪魔なもので、どうやってうまく始末するか、それを中国にも納得
させなくてはなりません。中国はまだ納得してないわけだから、中国にも納得させて、とにかく本気で3,000発
まで減らす。ゼロにしろといえば、そうできればその方がいいのでしょうが。
3,000発まで減らす手順を考えていくと、きちんと運んで始末して、壊してバラして、という手順だけで大変
だと思います。その仕事をやるといっているのだから、それじゃそれをしっかりやってくださいとみんなでお
金も援助して、そのようにしてNPTの実を上げる手段を考えていけば、無期限、無条件というのは後からつい
てくる。それに先にこだわると、今指摘されたように色々な議論が起こるのだと思うのです。
津島 そういう議論が必ず出てきそうだなと思います。そう
いう議論をある程度していただかないといけないと思いま
す。
林 私もそれはそれなりに分かりますが、逆に、まさに今井
大使が言われたように、無期限とか、無条件ということに少
しこだわり過ぎているのではないかという気は確かにしま
す。一般に軍縮関係の条約というのは、大体無期限なので
す。部分核実験禁止条約も無期限なのです。全面核実験禁止
でない部分核実験禁止を無期限にしておいたら、地下実験は
正当化されてずうっと続くのかという議論と同じです。部分
核実験禁止は無期限なのですが、全面核実験禁止はできない
かというと、今やろうという話になってきているわけです。
ですから、NPTが無期限になっても、この状態が未来永劫
固定化されて改善されないかという議論は、そうではないと
思うのです。核兵器保有国も全部核廃絶を行うという状況に
なれば、そうなるのであって、無期限だからそうならないと
今井 隆吉氏
いう議論ではないという気がします。言いかえると、あまり 核軍縮、NPT、IAEA保障措置などに広く関与。
無期限とか25年か30年かということにこだわると、そういう 特に核兵器問題についてはわが国の第一人者。
議論になってしまうのですが、このNPT体制がずうっと続く
ことでいいのではないかということです。
津島 ですから、今井大使の話にあったような議論を前段で行わなくてはだめです。後の無期限という話は、
最終的にはそういうものかということになるのだけれど、最初に無期限、無条件となると、「うん?」という
ような話になります。これはどうしても。無期限、無条件の議論を素直にすればするほどそうなります、素人
は。
核軍縮を進めている人々を励ませ
堀 わが国は被爆国で、核兵器のようなものをつくる気は毛頭ないのですが、持っている国からしますと、
持っている核をやめちゃえというのは、持っていない国が色々なことを考えるのと、ちょっと違うという気が
します。それを別に既得権だと彼らは思っているわけではないでしょうが。苦労して開発して核を持つ、持っ
ているけれど使わなければいいのではないかということになります。ところが持たないほうから見ると、やは
りあるということは、ちょっと不平等じゃないかと思うわけです。
ですからこの問題は、条約などの問題の前に、おのおのの国がもうここまできたら、持っている必要もない
なという条件が私は必要と思います。あまりこのような核を持っているというのは、必ずしもプラスではな
い、むだな神経や費用を使って持っていることは、あまり有効でないという考え方が世界的に広がるような条
件をつくることの方が、この問題の解決にはいい。核保有国が核を作りません、もうみなやめました、と言え
るようになれば、この条約のとおりになるのですから。
今井 だんだんそのようになって来始めているのではないかと、私は思います。アメリカも核兵器は本当に金
ばかりかかるし、そんなに持ってもしょうがないと思っています。とにかく減らして、できればないほうがい
いし、ロシアもやめてもらったほうがいいしと思っている人たちにより、今度、全面核実験禁止条約の交渉が
始まることになりました。アメリカは今まで反対していたのですが、とにかく全面的核実験禁止条約の交渉に
同意したというか、反対しなかったのです。反対しなかったというのは、表から見れば当たり前みたいです
が、中で調整している人達の顔を一人一人思い起こしますと、随分苦労して国内関係者を説得して、軍人さん
におじぎしたりして、ようやく交渉だけ始め、条約の交渉へ持っていくまで随分苦労があったと思います。
今アメリカと同様に、ロシアの中でもなんとか核軍縮をしようと苦労している人たちが力を持ち始めている
時に、日本は必要な金も少しは出しており、「うちは前からそう言っているんだから、結構だ。しっかりやっ
てください。手伝うことがあれば協力します。」と分かってやることが大切です。「だめじゃないか」という
だけでは、「何だ」という話になってしまう気がするんです。
繰り返しになりますが、アメリカの軍備管理・軍縮局の中で、今度、全面核実験禁止条約の交渉をする人々
があり、彼らが権限を軍縮委員会に与えるということに彼らがどのくらい苦労したかと考えてみると、大変
だったと思うのです。日本が今行うべきと思うのは、分かってやるという立場に日本が立つことだと思うので
す。
津島
今のような話はみな理解できます。ただ問題は、とにかく無期限、
無条件でこれを通せというのが表に出る前に、周りの色々な事情、例
えばアメリカやロシア自身がそうなりつつあるということも、予めみ
んなに分からしめるということが第一だろうと思います。
それから、平和利用についてはどうなのでしょうか。
石渡 まさにNPTの条文のとおり、「犯すべからざる権利」というこ
となのですが、同時に日本のプルトニウム利用はきちんと管理しま
す、心配かけるようなことは絶対しません、開けっぱなしでやりま
す、ということを世界に向かって透明にしなくてはならないでしょ
う。
津島 この間の江田大臣の答弁は、とうとうプルトニウムのことだけ
を言わなかった。
後藤 茂氏
原子力利用反対の社会党内にあって、
原子力発電、プルトニウム利用など 石田 あの時、核燃料サイクルの確立ということを大臣は発言してい
現実的政策を提唱。
ますので、核燃料サイクルの確立というのは、当然プルトニウムの利
用という概念を含むものであり、プルトニウムという言葉を使うの
に、抵抗感があったということではないと思っています。
北朝鮮問題はNPTの実効性にとって困った問題
後藤 話が横道にそれますが、北朝鮮とアメリカとの協議の中で、北朝鮮はNPT脱退保留になったわけです
か。「保留」という言葉は条文はないのではないですか。どういうように解釈しているのですか。
林 プライアノーティスの時間が過ぎるのをとめているというふうに、取りあえず思っているということなの
ではないですか。
後藤 意思表示をして、時間を止めているというだけ?
林 保留にしても中断にしても、そのようなことは条文上ないわけで、条文では3ヵ月前にその脱退を通知す
るということだけですから。
今井 厳密に言えば安保理に通告しただけで、発効していないのでは。
石田 NPT加盟の全ての国に通告していると言っており、日本にも届いていますが、全部の国が受け取ったか
どうかという問題はあります。しかしそうであっても、実際北朝鮮の脱退意図は明らかであったわけですか
ら、あまり手続論に偏った議論は、いかがなものかということです。
確かに林さんが言われますように、時計が止まっていて、北朝鮮が何か言った瞬間にすぐ時計が動き出すと
いう考えについても、その点をいくら条約から読もうとしてもわからないのです。これはそれほど厳密に考え
るものでもないのではないかと思われます。
林 我々も別に北朝鮮を脱退させたいと思っているわけではないのですから、取りあえず待つということで、
脱退に至らないのであれば、それはそれでいいのだろうと思います。「おかしい、条約上は何も書いてないか
ら、お前はもう脱退だよ」ということを言う必要もないわけですから、そこをあまり厳密に考えなくても良い
のではないですか。向こうが脱退宣言を撤回するなら別です。
今井 北朝鮮が、本当に何をやっているのかよくわからないから困り
ます。爆弾を作っているのかどうかというのは、よく分かりません。
見るからに北朝鮮のあの炉の格好を見れば、コールダーホールです。
装荷した燃料を200MWD/tの燃焼程度で取り出さないと、いいプルトニ
ウムは取れないわけで、それで勘定してみるとプルトニウムの量が7
キロにならないのです。IAEAの査察の結果でも、どう考えても爆弾の
量は取れてないと思うのですが、取れているという話もあります。そ
の辺がわからないのです。どういう根拠かは分かりませんが、アメリ
カは知っているようなのです。このような状態にあるというのは、ど
うもNPTの実効性という意味からいうと非常に困った状態で、もっと
はっきりするようにしないといけないと思います。
非核三原則は国是か
後藤
もう一つお聞きしたいのですが、非核三原則というのは、国会決議
がなされているのですか。
石田 寛人氏
わが国の科学技術政策策定総元締め。
堀 決議はありません。
国内のNPT問題の調整で苦労中。
後藤 決議はない。つまり政府の答弁の中であって、沖縄返還等についての決議の中にその言葉が使われてい
るだけです。非核三原則は、国会決議すべきものなのですか。そのまま今の形にしておいたほうがいいのです
か。
堀 今から非核三原則を国会で決議するというのは難しいと思います。というのは、あの時の国会答弁を私ど
もは非核三原則と認識しているわけです。その認識しているものをまた決議するということは、これまで認識
していたことが間違っていたからというような印象を与えることになります。
後藤 非核三原則というのを国是という言葉を使っているのですね。
石渡 そうです、国是です。
後藤
国是というのはどういうことなのですか。
石渡 私の勉強した範囲では、社会党がこれを法律にしろという意見に対して、当時の佐藤総理は国是として
決めているのだから、法律にする必要はないとの答弁があったということです。しかし、法律にしようが国是
と言おうが、疑いの目を持って見られたら何の意味もない話だということになりかねませんね。
堀 私も実は調べてたのですが、調べてみるとないのです、そういうものは。しかし、国会答弁の中では明確
になっているわけで、そういう認識があるということです。国会の与・野党を通じての認識として、要するに
「作らず、持たず、持ち込ませず」ということです。
以前、アメリカの海軍退役将校が、日本へ寄港するときには核をおろしてないと言って、それが問題になり
ました。そのときの資料を読んでいると、大体こういうことなのです。「作らず、持たず、持ち込ませず」と
ありますが、英語には「イントロダクション」と書いてあるのです。ところが、アメリカの船は日本にある米
軍基地に核兵器を陸揚げしているわけではないので、積んだまま通過しているということになります。通過し
ていることが、非核三原則の中の「イントロダクション」には入らない、これは通過「トランジット」だとい
うわけです。このように認識をすれば、この非核三原則は守られていることになります。(笑)
石渡 通過もしてないという政府見解じゃないんですか。
後藤 そういう解釈をいただくと非常にありがたいんですが。(笑)
津島 アメリカは明らかに「イントロダクション」をそのように理解しているのですが、国会の議論ではそれ
は許してもらえない。領海に入ること自体問題だということですから。わが国はアメリカに対して、核を持ち
込むならば言ってくださいよと、あれだけ言ってあります。しかし何も言ってこないのだから、核はないとい
うことになります。
堀 しかし、それはあまり論理的じゃないと私は思います。(笑)ですから私はよく言うのですが、要するに
「イントロダクション」というのは、日本に門があり、玄関があるが、外の道に核を置いたとしても、それは
門の内ではない。「イントロダクション」というのは、門を開けてそこに入れることだからと。
津島 与党側がそういう解釈を出してくだされば、こっちはそれに文句は言わない。(笑)
堀 それは、与党、野党の問題ではなくて、日米安保条約の問題なのですから、安保条約をやめるかどうかの
話なら、それはまた別の次元の話です。要するに今の原子力潜水艦なり何なりが、核弾頭を持っているか持っ
てないかという話とは、次元が違うと私は思っているんです。だから、今までの野党が今度与党になったので
すから、そこらは少しそのような認識を持つのがいいのではないかと思います。私は社会党だけれど、率先し
てプルトニウム利用を推進しているわけで、これまでの一つの方針を決めていても、日本なり世界の客観情勢
が変わってきたら、それに合わせて党は変わることが筋道だろうと思うのです。
石田 非核三原則の法律化、法制化に関する議論はありましたね。
後藤 法律化するかしないかは別として、いわゆる国是と言っていても、外国から見ると、総理答弁で、政府
がこれを国是としてきちっと守っているし、国会においても一応そのことを認めている、遵守していくという
ことになっているということだけで、理解がされていくのかどうか。国是であっても、核を持つのではないか
という不安、それは日本の勝手な発言だというように受け取られはしないか、そのような見方に対して平和利
用をどう担保するかということが必要になりまう。NPTとのからみにおいて。そのような気がします。
石田 我が国全体の、例えば原子力の活動なり何なりが、あるいはソフトだけではなくてハードのすべての活
動においても、決して我々はそのようなことをする国ではないということを示していくしかないと思います。
国是のほうは、総理がおっしゃっただけかもしれませんが、国会決議でも引用されています。こういう積み重
ねがあり、まさに国是として定着しています。法律では、原子力基本法があって、原子力の活用は平和利用に
限るということをうたっているわけです。その意味では、非核三原則を法律化しない限り、日本の意図を諸外
国に対して、説明、証明できないというものではないと思っております。
堀 非核三原則というのは、はじめはどこかにそういうものが書いてあるかと思っていました。それで例の退
役軍人の発言問題が起きたときに、一度質問してみようと思って調べたのです。それでこれは国会答弁だけに
しかないということがはっきり分かりました。だから、要するにそれを今からどうこうするというのは、もう
ある意味で既成事実として国民の中に定着しているし、成文化したものがなくても、それはもうそれで日本の
常識だということで、私はさわらないほうがいいと思っています。
アメリカは同じ間違えをしない
石渡 別に結論を急ぐわけでもないのですが、平和利用の担保といったようなことを考え合わせると、結論的
には日本も海外諸国の意見に賛成ですよと言う他に道がないと思います。総理のご発言とは別にしまして、む
しろそこに議論を持っていくという手順をとることが大事ではないかなという気がします。そういう意味で、
ちゃんと議論は尽したんだ、以前6年間色々ごたごた討論があったが、このように我々は理解したんだと。
それから、核保有国は今後、今の情勢から見て兵器を減らしていく、究極的には無くなる、そこまではまだ
言っていませんが、そういう方向に向かっているということを我々は理解しているということが何らかの形で
公にされて、その結論として日本も無期限延長に賛成というのが、一番すきっとすると思います。
今井 1977年のカーター政権のとき、東海村の再処理工場についてのアメリカの日本に対する要求は、NPTの
一方的な解釈変えであると、日本から猛烈な抗議をして、最後まで抗議で通してしまったわけです。結局アメ
リカ側のNPTの勝手な解釈の変更であって、日本はとてもそんなことにつき合えないという話について、相手
は同調し、支持してくれた。
今、もう一つここで心配になっているのは、プルトニウム利用に関連して、クリントン政権が何を言い出す
かということです。何を言い出しても断固として頑張ってしまうんだということがはっきりしてないと、やっ
ぱり心配でしょう。
石渡 ええ。そういうことです。すきをつくらないように注意しておかないと。
今井 やはり核認知について態度がはっきりしてないと嫌だということがあるのです。
石渡 経験者ですからね。
今井 それは私が了解している限りでは、アメリカの今の政権は誰が担当者かよくわからないことです。基本
的にはよその国がどういうエネルギー政策をとるかについて文句を言う、イチャモンをつけるつもりはないと
いうことは、私は何度か聞いているのです。それがある限りは、後で日本が何を言われても、ちょっとやそっ
とのことは頑張ってみせるということは、この際はっきりしているのではないですか。
石渡 あの時は結構しんどかったですよ。(笑)
後藤 そうでしょうね。
林 原子力政策にかかわらず、今のアメリカの政権、民主党政権では、カーター政権のときには色々とほかの
国と問題を起こしたことについて、みんな知っていますし、同じことは繰り返さないようにしようということ
を今色々な分野で皆彼らは言っています。そういう意味ではこの分野でも、あの時と同じようなことは言って
こないと思います。
今井 だれが担当者かによるのですが、あのときの間違いをするつもりはないということを私もはっきり聞い
ています。
石渡 そういう観点からちょっと気になりますのは、広島・長崎の問題というか、非常に情緒的におっしゃる
ことです。その範囲ではあまり気にならなかったのですが、どこかの作戦なんでしょうが、核兵器廃絶と原子
力発電、プルトニウム利用とが、くしゃくしゃとなりつつあるのです。そこが非常に気になるところで、これ
は日本にとって非常に弱味になるだろうという気がいたします。
今井 ドイツの反核運動とか、兵器反対が原子力発電反対に向いたという経緯を、よほどよく考えてみない
と、あれはすごかったですね。
堀 しかし、もうここまで電力の中に組みこまれて、原子力発電をやめて代替でやれなどと言っても大変な費
用がかかるし、さらに天然ガスなり、油なり輸入しなければならなくなる。私は一部の反対運動はこれからも
存在するだろうと思いますが、全体の流れとしては、私はもうここまできたら後戻りはできないとこまできて
いるという気持ちはします。
皆さん、長時間どうもありがとうございました。
討論メンバー(敬称略、発言順)
堀 昌雄(進行役) 前衆議院議員(日本社会党)
石渡 鷹雄 動力炉・核燃料開発事業団理事長
林 暘 外務省総合外交政策局・軍備管理・科学審議官
今井 隆吉 元ジュネーブ軍縮会議・日本代表特命全権大使
津島 雄二 衆議院議員(自由民主党)
後藤 茂 衆議院議員(日本社会党)
石田 寛人 科学技術庁原子力局長
[No.3目次へ]
Sep. 28. 1993. Copyright (C) 1993 Council for Nuclear Fuel Cycle
[email protected]
取材レポート
プルトニウム燃料製造施設と「もんじゅ」
本年6月7日、高速増殖炉(FBR)原型炉「もんじゅ」用プルトニウム燃料を製造している動力炉・核燃料
開発事業団東海事業所のプルトニウム燃料第三開発室(第三開発室*)において、連続焼結炉の作動不良故障
が起きました。これにより本年10月に予定していた「もんじゅ」の臨界が遅れることになりました。
第三開発室は、過去20年にわたって自主開発したMOX燃料製造
技術と施設管理・安全管理技術を結集し、遠隔自動化技術を取り入
れた製造工程を持つ施設です。FBR原型炉「もんじゅ」及び新型転
換炉(ATR)実証炉等の燃料製造とその操業を通じて、将来
のMOX燃料製造プラントのための技術実証をすることを目的とし
ています。高速増殖炉用燃料製造工程(5tMOX/年)の本格操業は
昭和63年10月より開始されています。新型転換炉用燃料製造工程
(40tMOX/年)の操業開始は平成9年の予定で、現在準備中です。
連続焼結炉
今回の第三開発室のでのプルトニウム燃料製造の停止は連続焼結
炉(燃料を焼き固める焼結炉:電気炉)の作動不良が原因です。連
続焼結炉から焼結皿の搬出ができなくなり、焼結皿を乗せた一部の
台板が炉内で競り上がり、炉の出口側の上部正面壁に焼結皿があた
り、台板全体の動きが停止したためです。これに伴い加熱用ヒータ
も切断されました。
この作動不良の推測される原因は、焼結皿からペレットが落下し、搬出側の台板と停止センサーの間に挟
まったことに始まります。動力炉・核燃料開発事業団では年2回焼結炉の点検をしていますので、今回のよう
に停止センサーが働かないような位置にペレットがはさまるのはかなりの偶然性を伴うとのことです。
現在、動力炉・核燃料開発事業団ではこれに対処するために、次にのような対策等を実施し、破損ヒータの
交換作業を行なっています。
1) 落下したペレットが停止センサーに挟まれるような状態の発生を防止するため、ペレットの受け皿を停止
センサー近くに設置する。受け皿の中味をのぞき窓から見られるようにする。
2) 台板を押すプッシャー駆動部にトルクメータを設置し、トルクの推移を常時監視し、異常発生の有無を予
測する。
3) 停止センサー(現在は非接触方式)の信頼性を向上させるため、検出方式の異なるセンサー(接触方式)
を取付け、2重化する。
「もんじゅ」の初装荷燃料の85%はすでに製造されており、8月末には全ての燃料の製造を終了する予定で
した。この故障による燃料製造の遅れにより、本年10月に予定されていた「もんじゅ」の臨界は、来年の春に
延期されました。今後、故障した連続燃料焼結炉を11月までに復旧し、10月からは「もんじゅ」への燃料の装
荷を開始し、性能試験を完了するのは12月になる予定です。
「もんじゅ」の臨界予定は、昨年の11月にもプルトニウム燃料製造の立ち上がりの遅れから今年3月から10
月に延期した経緯があります。しかし、この時の延期はペレットの密度を低くする(低密度燃料:軽石のよう
に穴をあけて密度を低くします)ための技術開発上の問題による遅れでした。故障による遅れは今回が初めて
とのことです。
*第一、二開発室について(参考)
プルトニウム燃料第一開発室(第一開発室)は、照射試験用燃料の製造用施設であり、昭和40年11月に米国
からの技術導入により完成しました(技術開発の第1期)。プルトニウム燃料第二開発室(第二開発室)は、
「ふげん」用燃料、プルサーマル用燃料、「常用」用燃料製造用施設であり、昭和47年1月に完成し、燃料製
造を通じて、自動化に向けての機器開発及び高度化を進め、被爆低減をはかっています。(技術開発の第2
期)。プルトニウム燃料第三開発室(第三開発室)は技術の実証段階です(技術開発第3期)。
[No.1 目次へ]
March. 1. 1993. Copyright (C) 1997 Council for Nuclear Fuel Cycle
[email protected]
Special Lecture
旧ソ連の核兵器とプルトニウム
今井 隆吉
元ジュネーブ軍縮会議大使
(社)原子燃料政策研究会 理事
日本では、唯一のしかも2度にわたる原爆被曝の国として、核兵器廃絶の運動が国民の悲願として進められていますが、実際
に核兵器がどの様に作られ、削減され、廃棄されようとしているのかよく分からないのが実状です。そこで、元軍縮大使の今井
氏に特別講演をお願いし、その内容を掲載することにいたしました。ページが多くなりましたが、核兵器についての多くの情報
をお伝えするため、講演内容の全てを掲載いたしました。(編集部)
北朝鮮は兵器級のプルトニウムを作っている?
1993年3月、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が核不拡散条約(NPT)を脱退すると表明しましたが、やはりNPT脱退とい
うのは大変なことだと思います。北朝鮮の場合は、ご承知の方が多いと思うのですが、寧辺に明らかに見るからにコールダー
ホールのような格好をした原子炉があります。国際原子力機関(IAEA)のハンス・ブリックス事務総長たちが北朝鮮に行ったと
きに撮ってきたビデオを見せてもらうと、まさにそれはコールダーホールによく似た感じの原子炉でした。その横に、長さ
が120mの放射化学研究施設を建てています。そんな大きな研究施設で放射化学というと、これは再処理工場に違いないという感
じなのですが、その前に、ハンス・ブリックスがアメリカ議会での証言で、あんなプラントを建てるからには、パイロット・プ
ラントか、ホットラボか、何かあるに違いないと言っておりました。
図1 北朝鮮の核施設
それはあるに違いないのです。というのは、私が日本原子力発電株式会社にいたときに、東海1号を動かし出してすぐに、天
然ウランの燃料照射後試験というので、日本原子力研究所にホットラボをつくっていただいて、切り刻んだり、溶かしたり、
色々な実験をしたことがありますので、当然持っているはずだと思っていました。やはりIAEAの査察の資料の中に、かなりの数
の燃料を、非常に若いバーンアップ(少ししか燃やさない状態)で試験しているのがありました。というのは、プルトニウム
は、天然ウラン炉で若いバーンアップで取り出すほど、核分裂プルトニウム239の比率が大きいわけです。ですから、多分これ
は1チャネル10本ぐらいの燃料棒を積み上げているのだと思いますが、その中からある数の燃料をホットラボで溶かして、プル
トニウムを取ったという話を北朝鮮側は説明をしているようです。新聞を見ると、その辺で、北朝鮮の発表とプルトニウムの組
成が、特にプルトニウム240の含有が違っているということが先般来問題になっているようです。
表1は、アメリカのデータで、ローレンス・リバモアの人から随分昔にいただいたデータですが、いわゆる爆弾に使う兵器級
のプルトニウムと、原子炉級、これは軽水炉で3万メガワット・日・トンぐらい燃やした燃料の比較です。
ご覧のように、兵器級というのは、まさに兵器に使うプルトニウム239が93.5%です。それに対して、原子炉級は58%で、プ
ルトニウム240が原子炉級では非常に多くなります。プルトニウム240は核爆発、すなわち連鎖反応を邪魔するものなわけです。
ですから、今年1月にフランスから持ってかえったプルトニウムは、原子炉から出たプルトニウムですから、まさに原子炉級で
あって、兵器に使うプルトニウムとはまるで質が違うというのが一つのポイントです。
北朝鮮の場合、問題なのは、若いバーンアップ、すなわち少ししか燃やさず、プルトニウム240、242が少ないもので、という
のは200メガワット・日・トンぐらいで溶かしているようなのですが、当然プルトニウム239の多いものです。ただ、量はあまり
ないのだと思います。1炉心全部出しても、何キロ取れるかという程度です。
ですから、フランスから持ってきたプルトニウムについて、あれで核爆弾が100発できるというのは、そんな器用な人がいた
らやってもらいたいと思うのです。細かいことは別にしまして、爆弾にするには非常に具合の悪いプルトニウムです。
アメリカでは一度、この原子炉級プルトニウムで核爆発装置を作って、爆発させたことがあるという話をしておりましたが、
ただ、所要時間がどちらもマイクロセカンド・オーダーなのですが、かなり所要時間が違うようですし、プルトニウム241がこ
れだけありますと、これはすぐ別の物質に変わりますので、武器として、兵器として保存しておくことができないと思います。
当然誰でも兵器を作るならこのプルトニウム239の成分が多いものが欲しいわけで、北朝鮮の問題点は、この種のプルトニウ
ムを取り出す実験をやっていたというのと、あの大きな再処理工場を作ってしまったら、プルトニウムが何キロか、炉が定常状
態に達していれば、かなりのプルトニウムが取れるだろうというのが疑惑の種になっていたわけです。ただ、NPTの脱退という
状態が実質的に続くなら、これからどういうふうにしてやっていくのか、色々なところで考えなければいけないと思います。
図2 イラクの核施設
発電もせずに原子力活動
図2は、ご存じの方が多いと思いますが、イラクの原子力施設が色々書いてあります。ツワイサというのは前からイラクが申
告している原子炉があるところで、イスラエルが1981年にF16とF15により壊してしまったフランス製の原子炉は、このツワイ
サにあったわけです。これだけがIAEAに申告していた設備なものですから、IAEAは年に2回、そこに査察チームを派遣して、
毎回、別に異常はないという報告が出ておりました。
今度の騒ぎで分かって、みんながびっくりしましたのは、問題の施設はツワイサなどではなくて、タルミアとシャルカットだ
と思いますが、この2カ所に電磁式のウラン濃縮施設を建てていました。濃縮ウランが3gあったとか、5gあったとかいう話が
あるのですが、その辺はよくわかりません。
ただ、こういう設備があったのは明らかであって、かつそれは国連安全保障理事会の687号決議に従い、国連の関係者が行っ
て破壊したということになっています。破壊したという話が一方でありながら、いまだにイラクはいつでも爆弾が作れるという
話が出てくるのは非常に不思議ですが、実際問題としては破壊してしまったということのようです。
イラクと北朝鮮の場合で非常に困ったことになったのは、この二つの国は明らかに原子力発電活動をしておらず、かつ、どう
考えても兵器を作るためとしか思えないことをし始めたことです。それを調べる手段が全くなかったというのが非常に困ったと
ころだと思います。IAEAの保障措置協定というのは、建前としては特別査察ができることになっております。この協定を作ると
きに、IAEAが、通常の方法では自分の義務を履行できないと思ったときに、特別査察をして良いというので、無条件に特別査察
ができることになっております。
IAEAと北朝鮮の話は、新聞で見る限り、プルトニウムを取り出している施設に特別査察をするかしないかということが議論に
なっていたようです。IAEAの保障措置として今後非常に大きな問題点は、誰かが問題の施設の存在を教えてくれれば、特別査察
という手がありはしますが、要するに湾岸戦争の前のイラクのようなもので、あそこの施設がおかしいと誰かが言わない限り、
おかしいかどうかが分からないというのが建前です。
おかしいかどうか誰も言わないのに分かる方法としては、従来で申しますと、例えば米ソ間の核軍縮の条約で、ナショナル・
テクニカル・ミーンズ(NTM)、すなわち国に固有な技術手段があり、これはほとんど衛星とスパイなのですが、それらによ
り、あそこが怪しいというのを見つければ、見に行くことができることになっています。衛星とスパイを持っていない国にとっ
ては、どこが怪しいのか、人の家ですから、毎日ズカズカ中へ入るわけにいきません。これは保障措置の今後の問題の一つで
す。
IAEAが米ソの核軍縮条約のようにスパイをしろという話ではありませんで、IAEAの憲章に基づいてできないことなので、別
の手段を考えなければなりません。イラクの場合に国連安全保障理事会が動いたという種類のことが必要になるといわれており
ます。
イラクは兵器輸入国、北朝鮮は輸出国
表2のデータは単に、イラクと北朝鮮とどっちがこわいかという話で、1989年の数字ですが、イラクというのは有数の兵器輸
入国であるということがおわかりになると思います。特に、湾岸戦争の直前はかなりの数の兵器をアメリカはイラクに売ってお
りましたから、この数はもう少し大きいかもしれません。
表2 兵器輸出国
重大なのは、北朝鮮が途上国の中では有数の兵器輸出国であるということです。兵器を輸入している国と兵器を輸出している
国と、どちらが技術的に強いかというのは考えてみるまでもないことです。北朝鮮のケースが非常に色々な意味で心配なのは、
技術のベースが、要するに買ってきた兵器を使っている国ではなく、兵器を売っている国であるということで、かなり違いがあ
るというところから生じていると思います。
プルトニウムは、人の話によると、神様の作った元素の表に入っていないから悪いものなのだという話があり、神様は本当に
何と何を元素として作ったのかという遊びのような議論なのですが、プルトニウムが天然に全くないというのは違うのだそうで
す。プルトニウムの専門の方に伺うと、地球上全部探すと、耳かき1杯分ぐらいあるはずだというお話で、神の意志に反したか
どうかは別に考えていただくよりしょうがありません。
核兵器は定期的メンテナンスが必要
図3はよくあるポンチ絵で、要するに原爆の作り方のような話でして、真ん中にあるのがプルトニウムの金属で、これは金属
プルトニウムですから置いておくとすぐ酸化するので、アルミのようなもので被覆しているようです。中性子源が真ん中にあ
り、そこから先は大変な軍事機密らしくて、誰もそこの説明はいたしません。
プルトニウムの回りにベリリウムの緩衝材があり、その回りに速度の違う火薬を組み合わせてあります。そこにはスイッチの
端末があり、スイッチが入ると爆薬が順番に爆発していって、中心に向けてマイクロセカンド以下だそうですが、プルトニウム
を押しつぶします。それによりこの金属プルトニウムの中の中性子の動きが活発になって、核爆発するという仕掛けだそうで
す。
当然核兵器というのは電池を持っているわけです。核兵器の寿
命は、電池と中性子源の寿命が左右するようです。従って、核兵
器を一度作って置いておけば、未来永劫使えるわけではなくて、
かなりしょっちゅうメンテナンスを行います。アメリカですとテ
キサスにアマリロという工場がありますが、テキサスの工場へ
行ったり来たりして、掃除をしたり、入れかえたりします。また
新しい型にするために、プルトニウムだけ取って別のものにする
とか、最近では、高性能火薬では移動する途中で爆発したりする
といけないので、ピストルの弾を撃ち込んでも爆発しないという
特殊な火薬で置きかえるとか、そういう安全性にかかわる品質改
良を行っていたようです。
次の図4は、ご存じの水爆の絵で、まず原爆を爆発させて、そ
れで生じる高いエネルギーのX線を、このどんがらのようなもの
で反射させて、二重水素と三重水素の集まっているところに焦点
を結ばせると、核融合反応が起きて水爆になるという仕掛けで
す。これは、ある時期までは大変な秘密でして、水爆の想像図と
いうのはあちこちにありましたが、どれもあまりよくなかったよ
うです。
図3 原爆の概念図
事の起こりは、1949年にアメリカが水爆をつくることにした
ときに、一番騒いだのがエドワード・テラーで、これは『テ
ラーズ・ウォー』というおもしろい本が最近出ておりまして、
エドワード・テラーがいかにしてアメリカのエスタブリッシュ
メントと戦って、自分の科学をアメリカに押しつけたかという
議論なのです。そのテラーが最初に設計した水爆はこういう格
好ではなかったようです。単に原爆の隣に二重水素、三重水素
を置いておいて、爆発させると、その勢いで核融合し、破裂す
るだろうと思ったら、幾らやっても爆発しなかったのだそうで
す。ですから、最初のアメリカの水爆の設計は間違いだったわ
けです。
図4 水爆の概念図
クラウス・フックスという有名なスパイで科学者だった人
が、このうまくいかなかった水爆の設計をロシアに渡したのだ
そうです。ロシアでもうまくいかなかったというので、物理学
の法則はアメリカでもロシアでも同じだということなのです。
この設計を考え出したのは、コーネル大学の数学の先生で、ス
タニスラフ・ウルムという人だそうです。これはウルムとテ
ラーの設計ということになっておりまして、やはり世の中に数学者(今井氏も大学では数学を専攻)というのは時々いないとい
けないということの証拠のようなものです。
旧ソ連の核兵器予算はGNPの 1/4
図5は、水爆ができてから、アメリカとソ連が水爆あるいは原爆をどのぐらいの数持っていたかというグラフです。アメリカ
は非常に早い時期に3万発を超す原水爆を持っていました。ソ連でも、ブレジネフの大軍拡というものが、1970年ぐらいから始
まって、1970年代半ばにはTNT換算で180億トンの核兵器に達しました。地球上の人口は50億人ぐらいですから、アメリカでは
1人3トンという大変な爆発力を1960年代の初めに持っていたことになります。その当時はまだソ連はほとんど持っていません
でした。これが、アメリカがヨーロッパ防衛などについて、柔軟戦略など色々な戦略論を展開できた根拠です。ソ連はそれを
知っていたので、70年代にあらゆるものをなげうって、食うものも食わずに、核兵器と戦車とその他の兵器を作りまし
た。SS18とかSS20とかいうロケットなどの開発により、アメリカに追いつき、追い越したわけです。
人によって計算の仕方が違うのですが、ソ連は恐ら
くGNPの4分の1ぐらいを核兵器のために使っていたので
はないかと申しますから、そんなことをすれば破産するの
は当然で、それ以後に起きた様々なことは、ソ連がそれだ
け金を使っていたということを考えてみると、理解ができ
る話だと思います。
1992年の段階で、アメリカがほぼ1万8,000発の核兵器を
持っていたということになっています。それはどうやって
数えたのかもよくわかりませんし、数の細かいことは、後
で申し上げますけれども、あまり確かではありません。
ソ連も同じようにしまして、ICBM、これはSS18、SS19
という、どちらも液体燃料で、直径が4m程度、長さが40
何mというような、恐ろしいロケットですが、これを色々
な地域に配備しております。図6のように、ロシアが一番
多く、カザフスタン、ベラルーシ、ウクライナにもありま
した。これが今問題になっているソ連の核兵器の除去がで
きるか、できないかという話で、ソ連邦の核兵器の義務
は、ロシアが受け継いだことに一応なっているのですが、
実際に核兵器はカザフスタンにもウクライナにもベラルー
シにもあるわけですので、これの除去をどのようにするの
かという話が今非常に色々なところで問題になっておりま
す。
図6 旧ソ連核兵器配置図
(出所) Bulletin of the Atomic Scientists 1991年12月
図5
表3は、1992年の初めぐらい、あるいは1991年の終わりぐらいに、旧ソ連邦に核兵器がどういう配備になっていたかという表
です。「ブルティン・オブ・ザ・アトミック・サイエンティスト」という雑誌が出した表で、それ以後、アメリカ系のものはど
れを見てもこの表しか出ておりませんので、これを使う以外しょうがないので、その割には意見が一致している表なのです。
ごらんになりますと、戦略核というのは、大きなミサイルに積んでいるものと、潜水艦に積んで海の中から発射する、これも
1万キロぐらい飛ぶロケットですが、ものとがあります。これらが1万2,000発あって、ロシア、ウクライナ、カザフスタン、ベ
ラルーシの4共和国に限定して配置されています。
表3 旧ソ連の核兵器
ボストンバックにはいる核兵器
他方、戦術核、地上核というのは、短距離ミサイルで撃つのと大砲で撃つのがあります。世の中で一番小さい核兵器は、アメ
リカ軍が持っている155mm砲の弾というもので、当然155mm砲に入るのですから、直径は155mmより小さいわけです。長さが
約54cm。それで、TNT火薬1キロトン以下という爆発力になっています。
余談ですが、恐ろしい話で、スーツケースに核兵器を入れて、どこかの町へ持ち込んで、脅しをかけるという物語がいっぱい
あるのですが、実際問題として155mmの直径で、長さ54cmの核兵器というのは、ボストンバッグのちょっと大きいものに入れ
たら持って歩けるわけですから、そういうことはあり得ないことではありません。むしろ今後、核軍縮を進めていくに当たっ
て、155ミリ砲の弾が10個ほど紛失して見つからないということになると、大変な騒ぎになり、重大問題だということです。
防空というのは、これは地対空の核ミサイルで、これはごらんになるように、バルト3国も持っていたわけです。
航空機は、要するに戦闘爆撃機。ミグ31とか、スホイ27とか、このようなものが核弾頭を持って歩いている核兵器です。
海軍、これは黒海艦隊ですが、ベラルーシにあったのはどうしてなのか、よくわかりませんが、黒海艦隊が核兵器を持ってい
たのは明らかです。このようにウクライナを初め、あらゆる共和国が持っていた核兵器は、全部ロシアに去年の5月現在で移し
たという話になっているのですが、それが本当かどうかは誰も見た人がないので、よく分かりません。
ロシアといっても広いのであって、我が国などの立場からいうと、ロシアへ持って帰ったから安心だということには、全くな
らない。図6をごらんのように、共和国ですと、極東ロシアにはペトロパブロフスクに30数隻程度の原子力潜水艦がいました。
ウラジオストクにも当然原子力潜水艦がいました。それから、ウラジオストクの空軍基地にはバックファイアという中距離の超
音速の有名な爆撃機が配備されていて、これはアメリカの第7艦隊対策でした。バックファイアは当然、空中発射の核巡航ミサ
イルが主な武器ですから核兵器を持っていたわけで、その70機のバックファイアがどこかへ引っ越したという話はまだ聞いてい
ません。いるからには核兵器はこちら側のサイド、要するに極東ロシアにかなりの数が置かれたままになっているのではないか
ということです。
ロス・アラモスで作った二つ目が広島、三つ目が長崎へ
事のついでですから、核兵器を作る手順についてお話しします。表4はアメリカの施設の表で、1985年のものですから従業員
の数などが古いデータのままですが、設備としては今でも同じで、どうやって今後閉鎖するかという話になっています。
一番上にあるのがロス・アラモス、ローレンス・リバモアという、どちらも核爆弾の設計開発の場所です。ロス・アラモス
は、ご承知だと思いますが、オッペンハイマーが原子爆弾を最初につくったところで、1発目がネバダの砂漠で行ったトリニ
ティ核実験です。2発目が広島に落とした爆弾、3発目が長崎へ落とした爆弾です。
それから、エドワード・テラーが水爆を開発するときに、ロス・アラモスに反発してというか、オッペンハイマーに反発して
というか、新たにカリフォルニアにつくったのがローレンス・リバモアで、この二つが順番に核兵器の設計を行っています。
ワシントン州のハンフォードとサウスカロライナ州のサバンナ・リバーでは、プルトニウム生産炉、アメリカの場合重水炉で
すが、そこでプルトニウムと水爆用のトリチウムを作っていました。
次のコラムの3カ所、オークリッジ、パデューカ、ポーツマスはウラン濃縮工場で、1950年代の初めを目指して、せっせと大
きな工場を作ったら、その前に水爆ができてしまって、いらなくなったという有名な工場で、完成してからフル稼働したことは
ないのではないかといわれております。日本の原子力発電所が使っている濃縮ウランで、アメリカで濃縮された分はこういう工
場で濃縮した分です。
オークリッジには、高濃縮ウランを加工するところがあります。ロッキー・フラッツはプルトニウムを球形に仕上げる工場の
ようで、時々プルトニウムの蒸気が外へ流れ出して、コロラド州の羊がプルトニウムを食べて汚染されているとか、色々なうわ
さのあるところです。
あとは、最終組み立てが、先ほど言いましたテキサス州のアマリロにあるパンテックス・プラントで、ここで最終組み立てを
します。
ネバダの核実験場、これは二つあり、昔は地上実験を行っていましたが、現在では全部地下実験になっています。
表4 アメリカの核兵器関連施設(1985年現在)
当然同じような施設がソ連にもあるわけで(図7)、ソ連にはアルザマス、チェリアビンスク、クラスノヤルスク、トムスク
など、幾つかのいわゆる閉鎖都市があって、郵便番号しかなく、地図には載っていません。しかしどのようにしてこの地図を作
れたのかよく分かりませんが、これはこの地図を作った方たちに会って色々調べたら、どうもこういうところだということのよ
うです。
図7 旧ソ連の主要核兵器施設
この前、読売新聞の科学部の人たちがロシアに行って、クラスノヤルスクの原子炉を見てきた時の話を聞きましたが、非常に
すさまじい話でした。川の水をじかに原子炉に入れて、それをまた川に流しているという聞くだに恐ろしい施設で、そこは郵便
番号だけがある閉鎖都市です。読売の記者の訪問の時には、トムスクとクラスノヤルスクのプラントの所長さんが2人とも来て
いて、色々話を聞くと、町の出入りは制限されていて、自由に出入りはできません。ですから、町の中で暮らして、結婚して、
子供が生まれて、学校へ行って、全部その中で充足するようになっているのだそうです。そのトムスクの所長さんも、「おれは
トムスクで生まれて、ずっといて、外国人と初めて会った」という話をしていましたが、そのくらいの閉鎖都市で、旧ソ連の核
兵器を色々開発していたということになります。
表5のチェリアビンスク70とアルザマス16というのが、アメリカでいうローレンス・リバモアとロス・アラモスに対応するよ
うな核兵器の設計、開発のラボです。ここに総計2,000人の科学者や技術者がいるのだそうで、今般発足した「国際科学技術セン
ター」には、アメリカが2,500万ドル、日本が2,000万ドル、ECが2,500万ドルの資金を出したのですが、その目的は、この2カ所
の閉鎖都市にいる兵器の専門家が失業したからといって、突然イランやリビアに再就職しないように、給料を払ってとりあえず
とどめておくという仕掛けのようです。
表5 旧ソ連主要核兵器施設
核兵器は組み立てた者が解体
実際問題として、核兵器開発に動き出すのはなかなか難しいのだそうですが、それが一つの点です。核兵器というのは先ほど
のポンチ絵のようなもので、絵なら誰でも持っているし、ある種の計算ならできる方はたくさんいると思います。リビアやイラ
ンや、あるいはイラクが核兵器完成に至らないでいるというのは、アメリカの商売人に聞くと、大変なノウハウがどこかに絡
まっていて、作ったことのある人が見れば分かるけれども、作ったことのない人には分からないという話をしておりました。も
し本当にそういうことだとすると、作った経験者何人かが突然どこか第三世界の秘密都市へ移住すると、そこでは兵器が作れて
しまうことになるというので、とりあえず、むやみに人が動かないようにという策を講じたのだと思います。
先般、新聞にも出ておりましたが、ベルリンの空港で北朝鮮行きの技術者二十何人かを止めたという話が出ておりました。ど
ういう技術者だったのか知りませんが。ですからソ連のこういう閉鎖都市にいた人達が、今や全員失業したという感じなもので
すから、その行く先を考えておかないと大変なことになるわけです。
チェリアビンスク65、クラスノヤルスク26、トムスク70の三つの施設は、アメリカのハンフォード、サバンナリバーに相当す
るプルトニウム生産設備です。セミパラチンスクとノバヤゼムリャの2カ所が核実験をする場所です。ノバヤゼムリャというの
は、ブレント海の真ん中にある大きな島が二つつながっているところです。
ただ、ソ連の核実験の場合には、スウェーデンのウプサラ大学がしょっちゅう調べています。スウェーデンという国は、一枚
岩の上に乗っているようなもので、地震があると一番よくわかります。そこでソ連の核実験を、どこで、どのくらいの規模のも
のをいつ行ったということを調べて発表していますが、ソ連の場合には、所定の地域でないところでもかなり核爆発があって、
それが昔言われていた核爆発の平和利用という、核兵器を使って運河を掘ったりする話ですが、それをソ連は最後までやめてい
なかったのではないかと考えられています。というのは、そのウプサラ大学の考えでは、ある程度の爆発力のものを100m以下の
深さに3km並べておいて、一度に爆発させるという実験をやっていたというのです。これは単なる興味でやったのではないとす
れば、運河をつくることを行っていたような話で、その辺は解体後のソ連からも真相は出てこないので、よくわかりません。
スヴェルドヴスク45、ジアトウツ36、ペンザ19が核弾頭の組み立て工場だということになっています。大切なのは、核兵器を
解体する一番良い場所は、核兵器を組み立てた場所なのです。解体するのに一番適した人は、核兵器を組み立てた人です。核兵
器の組み立て能力が、アメリカもソ連もそれぞれ年間約1,500発と言っていますから、逆に壊して解体する能力も1,500発ぐらい
ということになってしまいます。
先ほど申しましたように、アメリカが1万8,000発で、ソ連が2万7,000発という−ソ連の話をアメリカ人に聞くと、ロシアと
いうのはこわいところで、大概の工場はノルマより3%か5%余計に物を作って、裏庭に隠しておく癖があるというのですが−
そういうことを考えると、全部解体するのに20年かかります。ですから、今いろいろな人々が論じている核兵器の廃絶というの
は、スローガンのうちはいいのですが、実際に手をつけようと思うと、20年かかります。ロシアへ旧ソ連の核兵器が全部集まっ
たとすると、ロシアだけで解体された兵器級プルトニウムが120何トンになります。この値はトム・コックランという有名な核
兵器問題の専門家が計算したものです。それから、高濃縮ウランがほぼ500トンになります。それが一度に出てくるのではなく
て、20年にわたってだらだら出てくるというのが、核兵器解体の実際の話になるわけです。
ミサイルは恐ろしい生き物
写真1は、アメリカの核兵器を戦闘機の胴体に積んでいるところです。SRAMという短距離核ミサイルですが、1992年の秋
に、開発を中止するといったのは、これの新型です。飛行機が積んでいる短距離の核兵器で、外見がこのようなものだというだ
けです。
写真2は、すでにご存知でしょうが、原子力潜水艦の背中にこのような蓋が並んでい
て、ここに16発または24発ものミサイルが積載されています。今の一番新しいアメリカ
のオハイオ型が積んでいるのはトライデントC4という型で、D5が一番新しいのです
が、それは開発中止ということになりました。
要するに、これは蓋を開けてみせているので
すが、ふだんは海の中にいて、一度海へ出た
ら、帰ってくるまで浮上しません。潜水艦の原
子炉は17年とか18年とか燃料交換がいらないの
だそうですから、17年間、海を回っていられる
ということです。しかしそんなことをすると人
がまいってしまうのと、食べ物がもたないの
で、大体一つのサイクルが2カ月とか1カ月半 写真1 短距離核ミサイル〔SRAM〕
とかいいます。その間は海に出ていて、これは
当然自分の位置は分かっていて、命令があったら、海中からそのままミサイルを発射で
きます。今のトライデントクラスだとミサイルは1万km飛び、かつ命中精度というか、
誤差100m以内ぐらいのようですから、これが非常に恐ろしい生き物ということです。
色々な小説に出てくる話で、理屈が成り立っていると思うのは、こういうSLBMの原
子力潜水艦の艦長さんは、時々首を出して例の非常に周期の長い波で通信を受けるので
すが、ある時期に祖国からの通信が途絶えて、3日間何も通信がなかったら、核戦争が
起きて祖国は滅びたと思え、だから浮上してあらゆる弾を全部撃て、という命令書が潜
写真2 原子力潜水艦〔POSEIDON〕 水艦の金庫の中にしまってあるといいます。うそか、本当か分かりませんが。潜水艦そ
のものは、潜りっぱなしで2カ月間程度いるわけですから、そういう種類の命令があったとしてもおかしくないのかもしれませ
ん。
写真3は、MXという一番新しいアメリカのミサイルの弾頭で、これは一つのミサイルに10個、弾がついています。
MXよりも型は古いのですが、写真4はミニットマンⅢというICBMで、3発弾を持っています。これがMIRV(多重核弾頭)と
いって、要するに個別に違う目標に当たることができる弾を三つ積んだミサイルで、今度のSTART Ⅱの条約でも残ることにな
りますが、アメリカとしては実働中のものとしては最新のものの一つです。これは、先ほど言いました155mm砲よりは大きいの
ですが、思ったよりは小さなものです。
我々が一番よく見ているのは、広島、長崎へ落としたファットマンとリトルボーイ(写真5)という原爆で、あれは4トンぐ
らいの恐ろしい大きなもので、落下傘をつけて落とした
わけです。今の核兵器は、非常に小型化され、命中精度
が上がっています。これは375キロトンと思います。です
から、広島の30倍ぐらいの爆発力です。
写真6は、パーシン
グIIというアメリカの
陸軍のミサイル
が1987年のINF条約で
もって廃止されました
ので、それについてい
たW85という弾頭を取
り外して、捨ててしま
うのはもったいないか
ら、戦闘機が持って飛
ぶことができるような
爆弾に改装したものだ
写真4 ミニットマンIII
そうです。そういう解
説つきで、あるところにこの写真が出ておりまして、それ
以上の説明はもちろんないのです。これはウラン爆弾で
あって、5∼50キロトン・バリアブル・イールドとい
う、爆発力を調整して落とせる最初の爆弾だそうです。パ
イプのようなものが付いていて、これは何だろうと色々な
人に聞いてみるのですが、みんなわからない。核兵器とい
うのはそういうもので、どこの国でも、聞かれて返事がで
きるほど物を知っている人は返事をしてはいけないに決
まっているわけです。平気で返事をする人は知らない人に
決まっています。ですから、幾ら聞いてもわからないとい
うのは当然なのです。
写真3 MXミサイルの核弾頭
写真5 ファットマン(上)と
リトルボーイ(下)
*(写真出
所:Nuclear Weapons Databook Vol.1)
核弾頭を粉失したら大変
これの部品が1,800個あるといいます。核兵器を解体するのはいかに大変かというこ
とがおわかりいただけると思うのです。爆弾を始末するときには、どうせ最初に電池は
取ってしまうので、核爆発には至らないだろうというのはわかるのですが、しかし、取
り扱いを間違えたら大変なプルトニウム汚染を起こすだろうということも簡単に考えら
れます。
写真6 パーシングII用W-85核弾頭
高濃縮ウラン使用、
5・50キロトン可変式直径31cm、
高さ104cm
それから、かなり小ぶりな核があって、ボストンバッグに入るかもしれないのです。
アメリカとロシアが去年の初めから色々爆弾の後始末の交渉をやっているのですが、そ
の話をしていた人に聞いても、何という形式の何年ものがどこに幾つあったというデー
タが全然出てきません。出てこないのは当然で、この間までそんなことしゃべったら銃
殺に決まっていたという国家機密ですから、世の中が変わったからといって、すぐにしゃべるわけはないのです。
ただ、1,800個も部品があるようなものが2万7,000発以上あって、それを年に1,500発ぐらいずつのオーダーで20年かかって
解体して、そこから出てくるプルトニウムと濃縮ウランを何か有用な目的に使う、これは考えただけでも厄介な話です。よく言
うのですが、日本は核廃絶、非核の外交が原則であるというのは、もちろん世界中が−必ずしも世界中でもないのですが−承知
していることですが、いざ核兵器の解体を実行しようと思うと、どれだけ手間がかかるかというのをあまりだれも考えていませ
んでした。実行する手間を早くから掛けないと、爆弾が少々、4、5個かどこかへ行ってしまったり、爆弾の作り方を知ってい
る人が20人組みになってどこかへ移住したり、そういうことが始まると、まさに核拡散ということを地でいったような話になる
わけです。
北朝鮮がNPTを脱退、となるとなおさらそうですが、そのような国でやっていることはよほど注意して考えないと、考えただ
けでこわいという話だけではなく、日本としてしなければいけないことがたくさん出てくると思います。
核戦争の恐怖はなくなった?
前述の「ブルティン・オブ・ザ・アトミック・サイエンティスト」は、マンハッタン計画に参加した物理屋さんたちがシカゴ
で始めた雑誌なのですが、非常に有名になったものの一つに、この雑誌の表紙があります。この表紙には時計の絵がついてい
て、真夜中の零時、長針と短針が合わさると核戦争により人類が破滅するとして、現在はそれまで何分の猶予しかないかという
のを、その時々の状況判断を編集部が行い表紙に刷っていました。初めのうちは誰も何とも思わなかったのですが、35年も続け
ていると名物になって、この雑誌は今何分前になっているかというのが年中話題になっていました。
その雑誌が1991年の12月号で、過去の主な時計を1ページに刷りまして、「もう時計の表示はやめた」という広告を出しまし
た。核戦争の恐怖はなくなったということです。おもしろいので、私はこの雑誌の編集部よりコピーライトの許可をいただい
て、日本語に訳して、これをあちこちでお目にかけています。
主な動きとしては、1949年にソ連が最初の核実験を行い、アメリカの核独占が4年で破れました。アメリカの水爆開発が1953
年と書いてありますが、1952年、1954年というのが水爆の実験で、その1954年がビキニの実験です。
1963年が、現在でも有効な部分核実験禁止条約の成立、つまり、地下以外の核実験を禁止した条約です。インドはあえて地下
核実験をやりましたけれども、この条約によって、ほとんど新しい核兵器国はできないだろうといわれたものです。イスラエル
は核兵器を持っているというのが今や常識のようになっていますが、1979年頃に南アフリカの沖、南インド洋で核実験と思われ
る閃光をアメリカの「ベラ」という核爆発探査衛星が見て、それがイスラエルの核実験ではないかという議論がありますが、イ
スラエルが核実験をしたかどうかのけりはついていません。核実験をしないと核兵器が作れないかどうかというのは、これまた
議論の大いにあるところですが、とにかく1963年という時点で核実験を、部分的にしろ、禁止する条約が成り立ったということ
です。
その後、1968年ごろ、フランスと中国が水爆の実験を行いました。実験は、中国の方がフランスより早かったのです。
NPTは、1968年にジュネーブの18カ国軍縮委員会で成立して、1970年に発効をしました。日本も1970年に署名をしておりま
す。ただ、日本も西ドイツも、この条約の批准には非常に時間がかかり、西ドイツは1975年、日本が1976年に批准しておりま
す。ですから、この条約は、ある意味でいうと、そう簡単に成り立ったわけではなく、色々国内的にも問題が多かったもので
す。
図8
ソ連代表が席を蹴って会談決裂
1972年には、米ソ間で戦略兵器制限交渉が始まりましたが、1983年が最悪の時期でした。ドン・オバドーファーという、以
前、東京にも駐在していた、ワシントン・ポストの人が書いた『ザ・ターン』というおもしろい本があるのですが、それはが
レーガン大統領がホワイトハウス入りをして以来、どういうプロセスで核軍縮に至ったかということを、新聞記者ですから、見
てきたように事細かに書いてあります。1983年の春には、レーガンは有名な「イーブル・エンパイア」(悪の帝国)という演説
をしました。1983年の3月に、後々「スターウォーズ」といわれるSDI(戦略防衛構想)が始まりました。「スターウォーズ」
と言うとアメリカが怒るから、言ってはいけないとか、原稿に「スターウォーズ」と書くと必ずどこかで直されていたものなの
です。
同年1983年にパーシングⅡが西ドイツへ配備になりました。たまたま私がジュネーブの国連軍縮委員会にいたときなのです
が、軍縮委員会と米ソ間の交渉とは全く別なもので、米ソの交渉は米ソ以外はお呼びでなく、他の国は全然入れてくれないので
す。色々な人と知り合いになると、少しずつ教えてくれるのですが。とにかく1983年にパーシングⅡが西ドイツに配備されたと
きの米ソ交渉では、クビチェンスキーソ連代表が席を蹴って、ポール・ニッチェ・アメリカ代表がびっくりしたというような、
見てきたような話があり、会談は決裂したということです。
パーシングⅡというのは、長・中距離ミサイルの割には、ターミナル・ガイダンスのついたPGM(精密誘導兵器)なのです。
テレビカメラが付いていて、それがソニーだとか色々な話があり、よく分からないのですが、テレビカメラで見て、自分の与え
られた目標へ正確に向かい、当たって壊してしまいます。
ヨーロッパに108発のパーシングⅡを配備しましたが、この108という数字の意味は、配備するときは9の倍数で決まるという
話と、もう一つは、旧ソ連から西へ、東ヨーロッパへ渡るときの、軍事的にいうチョーク・ポイントというのがあります。それ
は橋であったり、物資の集積所であったり、電話局であったり、色々なものなのです。それが108あって、開戦と同時にそれら
が全部破壊されると、ソ連軍は西へ進撃できない。ですから、パーシングⅡ、108発が配備された時点で、ソ連軍による陸上戦
としてのヨーロッパ侵略はあり得なくなったというのが、そのころ言われていた話です。ソ連側はどんなコストを払っても、あ
のパーシングⅡを取り払うよりしょうがなかったのです。そのためには、虎の子のSS20の配備を全部をやめるというような、思
い切った譲歩をせざるを得なかったという話です。
核兵器の本当の数は
核兵器が幾つあるかというのは人によって違い、わからないのですが、1991年7月のSTART条約の覚書とか、先ほどの「ブル
ティン・オブ・ザ・アトミック・サイエンティスト」での数とか、1991年の9月にブッシュとゴルバチョフの間で戦術核を廃止
するやりとりなどで勘定していくと、アメリカ側が1万8,000発、ソ連が2万7,000発というような数になっています。それには
1万kmを30分で飛ぶ大陸間ICBMというものもあるし、海中から撃って、15∼30分程度飛ぶ潜水艦SLBMも含まれます(表
6)。
表6 米ソの核弾頭
アメリカのシャイアンマウンテンの中で、一度コンピュータが故障を起こしてアラームが出たという有名な騒ぎがありま
た。東海岸沿いに、ソ連の潜水艦がいて、ミサイルを2発撃ったのがレーダースクリーンに出たという話なのです。このため全
軍にアラートをかけて、B52を何機か空中へ発進させ、司令部を待機させて、アイダホの地下に納めてあるミニットマンのサイ
ロの蓋を外して、臨戦態勢をとり、後5分で発射するか否かという話になったとき、これはコンピュータのエラーだということ
が分かったという話です。
その話が非常におもしろいのは、要するに持ち時間が15分しかないときに、どういうアクションがとられるかというと、その
途中に大統領に連絡して相談したりするということは全然入っていないわけです。ミサイルを撃ってきたと思ったら、自動的に
反撃するようになっていたのです。話自体がどこまで本当かわからず、本当は大統領に連絡していたのかもしれませんが、その
話しのプロセスの15分の中に、大統領をたたき起こして「大変だ」と言えというメッセージは全然入っていないというのが、読
んでいて非常におもしろいことでした。
それはそれとして、核兵器はその他に、アメリカにはB52とB1、それからソ連ではブラックジャックという大爆撃機があり、
それらが核兵器を持っています。この他、地上核というのは、大砲に入れる分とか、それから核地雷というもので、非常に早い
時期に発達した兵器です。ヨーロッパには随分たくさん置いてあったようです。これもある意味でばかげた話なのですが、西
ヨーロッパには、ある時点で7,200発の戦術核が置いてあったことになっています。何で7,200発なのかというと、7,200発作って
しまったからそれだけ配備したのだという話で、ほとんど戦略らしいものはないわけです。
小型の核兵器というのはほとんど陸軍のもので、これは非常にありそうな話です。空軍は大きなミサイルを持っており、海軍
も潜水艦のミサイルを持っています。陸軍だけが核兵器を持っていないのは不公平ではないかということになります。小型の戦
術核をつくるのはオッペンハイマーが非常に熱心だったのですが、作ってしまったのだから、陸軍が配備したいというのに、や
めろという理由はないから配備したという話があります。こういう話は、今になって考えると、非常にばかげた話のようです
し、事実、ばかげた話なのでしょう。
核軍縮が6,000発からさらに3,500発に
ブレジネフの大軍拡というので、ソ連がGNPの25%を使って、ブラックジャックだの、一番新しい戦車のT80、それからスホ
イ27、最近中国に売りに出し、アブダビの兵器マーケットにも出品していたようですが、そういう恐ろしい兵器を山ほど作り、
配備しました。それは核戦争を行い、戦って勝つのが善であったからでしょう。至上命令のようなものだったと思います。
まだ説明しなかったのですが、1991年の7月にSTART条約ができました。これは戦略核弾頭をそれぞれ米ソとも6,000発まで
減らすというのが主な合意です。START条約というのは、その条約のテキストが厚さが3cmぐらいあって、とても読んでいら
れないぐらい事細かに色々なことが書いてあるのです。この条約で非常に大きな問題は、その条約に署名したのが、ソ連邦を代
表するゴルバチョフ大統領だったわけです。その年の暮れになったらソ連邦はなくなってしまって、ゴルバチョフ大統領もいな
くなった。だれが条約を批准するのかわからなくなったということです。これは非常に困ります。
アメリカが望んでいたのは、ロシアが全部引き継いで始末をするということだったのです。当時、ロシアが始末することにつ
いて、カザフスタンとウクライナは・7738だと言っていましたし、今でもウクライナは・7738だといっていますから、どうなる
か分からないのです。とにかく、その後始末のために1992年の5月にリスボン議定書がつくられ、カザフスタン、ウクライナ、
ベラルーシを仲間に入れて条約の批准をすることにしたのですが、ウクライナは依然として反対しているのでなかなか実際には
うまくいきません。
今年の1月に、エリツィンとブッシュ、2人の大統領が戦略核をさらに6,000発から3,500発まで減らす合意をしました。それ
は非常に結構なのですが、引退前の大統領と国内に強力な旧勢力を抱える大統領の2人が署名した条約に、どれだけ価値がある
のかという議論があります。STARTⅡというのはいいのですが、2003年までに3,500発まで減らすというのは難しいが、随分先
のことだから、そのうちどうにかなるだろうということのようです。
旧ソ連の核の解体手順
核軍縮というのは簡単なようですが、実際にやろうと思うと手続きが大変です。旧ソ連の核兵器を始末しようと思うと、どう
いう手間がかかるかということを考えてみたわけです。そういうことを考えるに至った経緯というのは、アメリカの議会で一昨
年の暮れに軍事委員長のサム・ナン議員とレチャード・ルーガー議員の2人で出した法律で、ナン・ルーガー法というのがあり
ます。アメリカの国防予算の中から、旧ソ連の核兵器の始末のために予算を提供するという法案で、4億ドル、その後追加に
なって8億ドルになりました。その法律が通っています。それに従ってアメリカとロシアは事細かに、どうやって始末をするか
という打ち合わせを始めたのです。
その打合せの中身について、ある程度わかったような想定した話をすると、一番最初に話し合うのが、これはアメリカのハン
フォード、サバンナリバーもそうですが、チェリアビンスクのプルトニウム生産炉の回りの汚れについて、聞くだに恐ろしい話
で、1957年にプルトニウム施設の大爆発が起きた経緯があるようですが、その汚染状況を測って掃除をしてくれないかという話
です。次に、兵器組立工場の汚染についてです。アメリカのロッキーフラッツなどもそうです。
その次に具体的な話は、ベラルーシ、ウクライナ、カザフスタンです。ここには、先ほど絵をお見せしたよう
に、SS18、SS19という、ばかでかい核ミサイルが100基とかいう数があるわけです。これを壊してしまうのにどうしたらいい
かというと、まず誰かが行ってスイッチを切り、ミサイルのカバーを外して、10個あるいはそれ以上乗っている核弾頭の電源を
全部切って、安全装置をかける。起爆の部分を取り外して、揺すっても爆発しないように特殊なブランケット、そのブランケッ
トはアメリカがロシアに全部提供することになっているのですが、それに包んで、どこだかわからない解体工場まで持っていく
ことになります。
その輸送が大変で、ロシアの場合、輸送形態は全部鉄道輸送になるのだそうで、非常にガタガタして危ないという話がありま
す。また、輸送を行っているときに内戦が始まったらどうなるのかというと、それは盗られてしまうに決まっています。内戦で
なくても、テロリストが来て盗っていくかもしれません。それで、核物質防護をきちんと行い、守っていなければなりません。
従来なら赤軍の兵隊が鉄砲と機関銃とかを持って、ヘリコプターもつけて、核弾頭を移動させていたようですが、今や、誰が軍
なのかもわからないというときに、ただ汽車に乗せて運ぶことは危険なことです。
それから、ウクライナから言われていますのは、あの基地では、家族まで入れると、2,000人ぐらい人が雇われているのだそう
です。その基地を閉めることになると失業対策をちゃんと考えてくれないと困ることになります。それから、SS18のロケットの
燃料は、これは当然火をつければ燃えるものだそうですから、誰かが始末してくれないと、困ります。ミサイルのどんがら、こ
れもただそこらに置いていかれては困るので、何か平和利用に使う方策を考える必要があります。そのようなことの目途がつか
ないと、ウクライナとしてはSS18の基地を閉めるということに応じられないと、ウクライナの大統領は言っているのだそうで
す。考えてみると、それもごもっともな部分もあるので、何とかしてやらなければいけないでしょう。
解体後はプルトニウム利用がネック
核弾頭を解体した後、出てくる高濃縮ウランは、多分天然ウランか劣化ウランで薄めれば軽水炉の燃料にはなります。すると
その分だけアメリカなどでは濃縮工場を動かさなくてすみます。電力需給バランスが楽になります。濃縮ウランのほうは良いの
ですが、プルトニウムはどうやって使ったら良いのかわからない状況です。プルトニウムの使い方がわからないと、プルトニウ
ムをどうやって貯蔵しておいたら良いのかわからないということです。
プルトニウム239が93%というのをそのまま置いておけば、誰かが持っていって爆弾をつくりたくなるに決まっているので、
このプルトニウム239を薄めなければなりません。ところが、ウランのように天然プルトニウムというものはないから、薄めよ
うとするとウランにより薄めることになります。そのためにはどのような原子炉のどのような燃料にするかが分かっていない
と、どこまで薄めたら良いか分かりません。次の使い方は高速炉なのでしょうが、燃料設計の目途がついていないと、作って単
に貯めておくということはできないし、貯めておけば、また泥棒が来て盗っていくかもしれないのです。今一番のネックだと言
われているのが、プルトニウムの始末をするやり方、そのロジック、それにかかる金なのです。
核兵器を解体して出てきたプルトニウムは全く価値がないので、捨ててしまうよりしょうがないということをアメリカの一部
で言っています。しかし、ミサイルを解体するための金を、今、経済的に困っているロシアやカザフスタン、ウクライナが出す
わけがないのですから、アメリカやその他の国が出すと、実質的には最後に出てくるプルトニウムに値段をつけてやることにな
るわけです。
核兵器の後始末には日本も対応を
実は、アメリカとロシアが話し合いを始めたときに最初に出てきた案は、日本に頼んであのプルトニウムに値段をつけて引き
取ってもらおうではないかという話でした。これは公になった話ではないし、日本もそのようなことを言われ、持ってこられて
も困るという議論がかなりありました。当然ながら、日本は平和利用に限って利用していますから、いつ核兵器になるかわから
ないものに手を出すわけにはいきません。問題は山ほどあるのです。
ただ、今のところ明らかなのは、そのプルトニウムの始末について日本で考えて
もらいたいという意向が、誰とは特定できませんが、あります。フランスは日本が
さわるのは反対です。ドイツは、「どうかな?」という感じのようです。ロシア
は、「おれのプルトニウムについてとやかく言うな」という感じです。ウクライナ
とカザフスタンの話は、「日本が金を出してくれるそうだから、しっかり頼む」と
いう感じです。これは非常に大ざっぱな印象を私が勝手に申し上げているだけなの
ですが、そういう感じのようです。
今までの色々な話のまとめとしては、兵器用のプルトニウムは、ほうっておけば
使い道があるというものではなく、使い道を誰かが考えてやらないと、まず兵器を
解体することすらできない。解体せずにうろうろしていると、核拡散のまさに典型
的に危ない話になります。NPTから脱退する国まで出てくるご時世なので、これは
相当色々なことを考えなければいけないということになります。
講演中の今井氏
旧ソ連の核兵器の後始末というのは、ちゃんと日本として考えてやらないと、ロ
シアがむちゃくちゃになっても困るというだけでなくて、日本寄りのところに、考えただけでも数千発の核兵器が配備されてい
るわけですから、それがあちこち行方不明になったり、勝手に撃ったりされるとひどく迷惑なわけで、日本として、この種の問
題は何か対応しなければいけないのではないかということです。
[No.3目次へ]
SEP. 28. 1993. Copyright (C) 1993 Council for Nuclear Fuel Cycle
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3
ちょうちん考
後藤 茂
失われつつある江戸、その生活や文化を次代へ継承していくためにと建てられた「江戸東京博物館」の評判
がいい。
初秋の一日、私は、誘われて両国駅を降りた。博物館は国技館と並んですぐ目の前にあった。巨大な吹き抜
け空間に目を見張りながら、木の香も新しい日本橋を渡る。橋の下に、中村座が昔のままに復元され、江戸芝
居のにぎわいを偲ばせてくれた。どの展示室も興味深かったが、足を止めたのは「江戸の暮らし」室であっ
た。行燈や燭台、提灯などは、江戸の“明かりの文化”を考えさせられて、たいへん勉強になった。
「江戸時代の明かりは、電灯と比べてきわめて暗く、行灯(灯芯1本)の場合、その明るさ(光束)は、白
色20ワット蛍光灯に比べて200分の1、実用品としてはもっとも大きい百目蝋燭としても同じく32分の1であっ
た。」(展示室解説文)
芝居小屋は日暮れとともに木戸を閉じ、庶民は暗くなると早々と床についた。
夜のけしき一人に舟をはなれて、
西をはるかに見れば、火気、天に上がり、
雲にうつる粧、初て見る人の是はと驚く事、是皆くるわのともしのうつりなり。
これは宝永元年(1703年)に出された「誰袖海(たがそでのうみ)」に出てくる約三百年前の新吉原の夜景
であるが、勿論この頃の燈火は魚油であった。魚油といい、菜種油といい、たいへん高価で、庶民の手には届
かない。遊廓や旅篭、小料理屋などが行灯に使えたが、寺や武家屋敷でさえも、燈油は貴重品扱いであった。
では、あの提灯は、いつ頃使われるようになったのだろうか。私の好奇心は、博物館を観て歩く間も、頭か
ら離れなかった。
「提灯のことは『箱庭雑考』に考証が書いてありますが、この時分<慶長>には提灯は無い筈です。」とい
うのは江戸研究の第一人者三田村鳶魚の説である。鳶魚によると、提灯を使うようになったのは寛文の頃だと
いうのである。つまり今から四百年昔には提灯はなく、三百余年前の寛文の頃に初めて出てきたことになる。
『江戸生活事典』の中で鳶魚はこう書いている。
「炉路行燈と言って提げて歩く行燈がある。その行燈でさえも、辺鄙な片田舎では、油の供給というものが
容易でない。まして、蝋燭なんていうものになりましては、とても供給される筈はないので、従って提灯など
を容易に持ち歩けたものではないのです。この時分の田舎とすれば、まず松明をつけて歩くのが普通で、家の
中でも油火ではない松のシデを焚いて明かりを取るような有様でしたろう。」
もっとも、鳶魚は『翁草』の記述を引いて「蝋燭の事は文禄中までは日本に無し、天正の頃、堺の町人納屋
助左衛門と言う者小琉球に渡り呂宋に至り文禄3年に日本に帰る時、薬壷50個、傘蝋燭各千挺、秀吉公へ献ず
と或書に見えたり、この献ずるところの蝋燭にならいて、是を製す」と蝋燭の由来を紹介していた。(『市井
の風俗』三田村鳶魚著)
一方、『関八州古戦録』を見ると、永禄5年上杉謙信の騎西攻めのことを書いたくだりに「長竹に提灯を結
び」と描写しているが、この頃の軍書には提灯という文字が散見されるのである。
当時、日本は戦国時代に入っていた。天文五年(1543年)ポルトガル人が種子島に漂着して鉄砲を伝え、永
禄三年(1569年)織田信長がキリスト教の布教を許可するなど、異国の文化が入りはじめた頃なので、高価な
蝋燭も提灯に使われて、合戦に役立てたのだろう。
しかし、江戸の風俗や生活にふれた文献を調べてみても、行灯と提灯の違いは、どうも定かではないのであ
る。
「江戸時代の照明具は、灯油として菜種油を用いた行灯、燭台などが多く用いられたが、次第に油より明る
い蝋燭も用いられ、燭台、提灯が普及した。小田原提灯は伸縮自在の提灯で、道中などに使い、主に携行用で
ある」(『浮世絵大百科辞典』第5巻風俗)。提灯が今の姿になったのは、元禄の頃からではないだろうか。
私は播州に生まれたので、幼い頃から神社に掲げられた赤穂浪士快挙の絵馬をよく見ていた。手にしている
灯火は龕灯(がんどう)であった。『日本百科大辞典(小学館)』を開くと、龕灯は「蝋燭用灯火具の一種。
竹たが、あるいは鉄たがをはめて桶状に作り、底部外側にとってをつけ、内部に組み合わされた二個の鉄輪を
装置し、どのように振り回しても、鉄輪に立てられた蝋燭が、常に垂直の位置を保って灯火が絶対に消えない
ようになっている。赤穂浪士も吉良邸討ち入りにこれを使用したという。」
吉良上野介邸の北隣は三千石の土屋主税の屋敷。その本意を遂げさせんとする同情心より、塀内高張
り提灯をともし連ね、静かに四囲(あたり)を警護して義士等の動静を監視なしいぬ。・・・・
真山青果戯曲の『元禄忠臣蔵』の一節を引いてみたが、「弓張の紋挑燈の発明は、今からせいぜい百五十
年、二百年とは経たない前のことと思われます」というのは民族学者の柳田国男である。柳田国男の『火の
昔』(昭和19年。実業之日本社刊)を読むと、今日みるような提灯には、約百年にわたる工夫の時が刻まれて
いたと知って、驚かされるのである。
「闇を明るくするためには、本当に我々は考えました。たとえば挑燈の口が余り小さいと空気の流通が悪
く、口を大きく開ければよく燃える代わりに、雨風の防ぎには具合が悪いので、上の方に蓋をつけて、遠路を
する時に使ったのが箱挑燈であります。我々の祖先は挑燈一つ造るのにも、多勢の知恵を集めて、色々の改良
を加えているのであります」(前掲書、『火の昔』)と柳田は感慨深く語っている。提灯は「発明」であった
というのである。
貴重な蝋燭にも永い年代の間に非常な改良が加えられた。大きく火が燃え、蝋が早く溶けないように芯の改
良にも変化があった。竹ひごの長さを違えて、輪の大きさを変え、あのまんまるい提灯の形ができるまでに
も、日本人独特の工夫と職人の芸が生きていたのである。
天保の時代に描かれた北斉作と思われる『職人尽』浮世絵シリーズの一つに茅場町の「提灯屋」がある。祭
礼用の大提灯の最後の仕上げをしている図だ。広重の晩年の作(1856∼58年)『名所江戸百景』にも「浅草金
龍山」の大判錦絵がある。仁王門の大提灯下から見る朱の堂塔と雪景色は、とくに私の好きな作品である。
錦絵といえば、ほとんど行灯が描かれているが、提灯が登場してくるのは江戸も末であった。約百年の歳月
を経て完成された美しい提灯が、日本最初のアーク燈(1878年)に席を譲った“明かり”の歴史を、私は走馬
燈を見るような思いでたずねている。
(衆議院議員)
[No.3 目次へ]
Sep. 1. 1993. Copyright (C) 1997 Council for Nuclear Fuel Cycle
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トピックス
米・英・仏 科学アタッシェとの懇談会
日本のプルトニウム平和利用について、国際的な理解を促進すると
共に協力関係をさらに深めるため、原子燃料政策研究会では、各国の
関係者と忌憚のない意見交換を行うことを計画しています。その初め
として、今年春に、ミルトン A. イートン氏(米国大使館)、ピー
ター ウィンター氏(英国大使館)、ロベール キャピィティニ氏
(フランス大使館)の諸氏と、当研究会の役員が意見の交換をし、プ
ルトニウムは国際管理すべきであると意見が一致しました。その時の
意見の概要を紹介いたします。
● 今後のアメリカの原子力利用政策については個人の意見ですが、ワ
シントンでどの様に動くのか不明です。プルトニウムの利用については、天然ガスが石油価格に連動して現在
安いし、埋蔵量も結構あります。アメリカでは、プルトニウムを今利用する必要はないと考えています。
● イギリスでは、以前は原子力発電の導入をがんばっていましたが、北海油田が見つかってからはその建設が
進展していません。政府は10∼20年前からエネルギーは市場経済に委ねています。そのためイギリスでは、原
子力発電を推進するより、北海油田を使うことが経済にとって重要な要素となったからです。
● スーパーフェニックスを再開するためには、細かな点のチェック、テストが必要であり、来年からチェック
を始め、実際の運転開始は来年中ということになります。スーパーフェニックスは、アクチナイドの燃料を燃
やすには向いていませんが、スーパーフェニックスでもアクチナイド燃料が使えるという証に、炉心の準備を
行うことにしています。
● 日本の国民は被爆体験を通して、プルトニウムを軍事利用するとは誰も考えていません。むしろ核廃絶が悲
願となっています。プルトニウムは国際管理にゆだねるべきです。また、世界の各国においてもプルトニウム
が軍事利用されないようにみんなで努力すべきです。
[No.3目次へ]
Sep. 28. 1993. Copyright (C) 1993 Council for Nuclear Fuel Cycle
[email protected]
編集後記
● 前号の発行からわずか3ヶ月の間に、連立政権の誕生や急速な円高など、政治・経済はめまぐるしい程の動
きをみせました。しかし、こうした急激な流れの中でも、エネルギー資源の確保は、長期的に取り組んで行か
なければならない問題です。この機関誌を通して、エネルギー資源のひとつであるプルトニウムについて読者
の皆様と一緒に考えていきたいと思います。
● 今号は特に、NPT及び核兵器に関する内容を取り上げました。細川総理がNPTの無期限延長を支持する旨表
明を行いましたが、この根底にある問題をもう一度議論するため、当研究会で討論を行いました。ページ数が
多くなりましたが、ご参考になれば幸いです。
(編集部一同)
ロゴ・マーク
原子燃料政策研究会のロゴマークを作りました。当研究会の英文名の頭文字(CNFC)を組み合わせ、原子燃料
の「サイクル」と「無限大(∞)」を表現しています。
[No.3目次へ]
Sep. 28. 1993. Copyright (C) 1993 Council for Nuclear Fuel Cycle
[email protected]
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