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発達神経毒性研究 −現状と課題

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発達神経毒性研究 −現状と課題
発達神経毒性研究
住友化学工業㈱ 生物環境科学研究所
−現状と課題 −
Developmental Neurotoxicity Study
- Current and Problems -
吉 岡
孝 文
小 林
久美子
串 田
昌 彦
池 田
真 矢
佐々木
まどか
辻
良 三
Sumitomo Chemical Co., Ltd.
Environmental Health Science Laboratory
Takafumi YOSHIOKA
Kumiko KOBAYASHI
Masahiko KUSHIDA
Maya I KEDA
Madoka SASAKI
Ryozo TSUJI
Developmental neurotoxicity (DNT) is an adverse effect of xenobiotics on morphology and neurobehavioral functions of the developing nervous system before or after birth. In 1991, U.S. Environmental Protection Agency (US EPA) first issued a standard protocol for evaluation of DNT in human
health risk assessment. Organization for Economic Co-operation and Development (OECD) has been
now refining the new guideline for DNT testing. Last decade, there are increasing social concerns
about the effect of environmental chemicals on children health, including the reproductive and neurobehavioral functions. Evaluation of the developmental neurotoxicity of chemicals will be close up
as an important issue for human health risk assessment. It is, however, evident that the developmental
neurotoxicity study is still now immature and growing with progress of neuroscience study. In these
conditions, we make up our test procedures for the guideline study and try to establish more reliable
assessment of chemical effects for children health with a current scientific level of neuroscience.
はじめに
による胎児性アルコール症候群が知られている。胎
盤を通して胎児に到達したエタノールは、脳の神経
発達神経毒性(Developmental Neurotoxicity)
細胞の発達を障害して、生まれてきた子供の行動異
は、重金属や化学物質などの曝露による胎児期ある
常を惹起することがある。米国では、妊娠中の母親
いは生後発達期の神経系の構造および機能に対する有
の麻薬中毒に起因する子供の神経行動の障害が大きな
害作用である。妊娠および授乳期の母体が毒性物質
社会問題として長く注目されつづけている。1997 年
に曝露された場合、胎盤や母乳を介して間接的に胎
のコルボーン博士らの著書「Our Stolen Future」の
児や乳児の神経系、特に脳の発達が影響されること
出版は、化学物質によるヒトの生殖機能を含む次世
がある。脳は、行動や学習、記憶などの神経精神機
代、即ち子供の健康への影響に対する社会的関心を
能の中枢であり、発達期の脳に対する影響は児の成
世界的に高める結果となった 1)。このような社会環境
長とその結果の成人としての存在に重大な影響を及ぼ
の中で、私たちの日常生活で種々多様に用いられて
すことが考えられる。
いる数多くの化学物質のヒト健康影響に関する安全
わが国では、メチル水銀による水俣病が歴史的な
公害問題としてよく知られており、メチル水銀に汚
染された魚介類を摂取した母親から生まれた子供たち
性、特に子供の脳や心の発達に対する影響に関心が
高まっている。
化学物質のヒト健康影響に対する安全性の評価は、
に重篤な神経機能障害(胎児性水俣病)が認められ
農薬、医薬品、一般化学物質などのカテゴリーの中
た。より身近な問題としては、妊娠中の母親の飲酒
で、それぞれ各国の行政当局の様々な規制のもとに
住友化学 2002-I
51
発達神経毒性研究 −現状と課題−
置かれている。化学物質、特に農薬および一般化学
は時間軸において必ずしも同調しているわけではない。
物質の発達神経毒性の評価は、先行してこれを実施
脳の中でも、呼吸や血液循環などの生命機能の基礎
してきた米国に続いて、経済開発協力機構(OECD)
となる自律的な神経機能に関係する脳幹(中脳、橋お
における発達神経毒性試験ガイドラインの制定を目前
よび延髄)は比較的早い時期に発達する。一方、行動
に控えている。子供の健康に対する影響が注目され
や学習・記憶に関係する大脳の各部位や運動の調節機
る社会的情勢の中で、化学物質の発達神経毒性研究
能に関係する小脳はより遅い時期に発達する。このこ
は、当局のより厳格な規制のもとに、より精度の高
とは、ある特定の時期の外的要因が、非常に特異的
い評価を求められている。
な脳部位の構造や機能を障害することに関係している。
私たちは、2000 年度以降、化学物質に関する発達
神経毒性ガイドライン試験法の確立と発達神経毒性評
価の基盤研究に取り組んでいる。本稿では、農薬や
2.子供の生理学的および行動的特性によるポテン
シャル
一般化学物質を中心とした化学物質の発達神経毒性試
「子供は小さな大人ではない」と言われる。子供
験ガイドラインの実際と発達神経毒性研究への私たち
は、体内に入った外来の物質に対して成人とは異な
の取組みについて紹介する。
った代謝や透過性の特性を有しており、成人と比較
して、子供(胎児および乳児を含む)は化学物質など
発達神経毒性のポテンシャル
のある種の外的要因に対して感受性が高く、脳の構
造や機能が障害されやすい場合がある 2)。子供では、
1.脳の発達におけるポテンシャル
脳と同様に、その他の器官についてもその発達が未
脳は、胎児期の初期から出生後にかけて長い期間
成熟である。ある種の神経毒性物質が子供の体内に
を通して形態学的および機能的に発達する。一般に、
摂取された場合、肝臓における化合物の代謝が未熟
胚初期発生の器官形成期に脳原基(神経管)の形成が
であることから、より長期間にわたって神経毒性物
障害されたり、細胞分裂阻害剤などによって神経細
質に曝露される可能性がある。また、成人の脳は、
胞の増殖や移動が障害されると、無脳症、単脳症、
よく発達した血液−脳関門によって、体内を循環す
小頭症などの奇形と呼ばれる外形的な形態異常が生じ
る多くの神経毒性物質から比較的よく隔離・保護され
ることが多く、機能にも重篤な障害を生じ易い。これ
ているのに対して、子供、特に胎児の脳では血液−
に対して、脳発達のより後期の神経細胞の分化・成
脳関門の発達が未熟である 3 )。これらの結果、ある
熟期は、神経細胞が神経伝達情報を送り出す神経軸
種の神経毒性物質は、成人では神経毒性が発現しな
索を伸長させ、一方では樹状突起と呼ばれる神経伝
い量の曝露によって、子供では脳の構造と機能に対
達情報の受け手となる神経突起を大きく発達させてい
する影響が発現する場合がある。
る時期である。これらの神経軸索と樹状突起の間に
また、子供は、屋内外での活動の中で、物や自ら
は神経細胞間の情報伝達の場となるシナプスと呼ばれ
の手を口の中に入れる行動が多いかもしれない。ま
る特殊な構造が形成される。この分化・成熟期には、
た、食生活では、好物などを多量に摂取するなどの
シナプスが著しく増加するとともに、神経伝達を効率
特定の食物に偏重があるかもしれない。このような子
的に行う構造として神経軸索を包む髄鞘(ミエリン
供の特有の行動や嗜好に起因して、成人と比較して
鞘)が神経グリア細胞の 1 つである稀突起膠細によっ
より高いレベルで神経毒性物質に曝露される可能性が
て形成される。このような神経細胞の構造と機能、
指摘されている 2)。
神経回路の発達する時期には、非常に複雑かつ多様
第 1 表は、ヒトおよび実験動物モデルにおいて発達
な細胞の反応や生理が関係しており、脳の発達障害
神経毒性物質として知られている化学物質の例である 4)。
を生じさせる可能性のある多くの作用点が存在するこ
とになる。従って、短期間の特定の障害作用により、
第1表
形態学的な異常は比較的軽微あるいは形態学的には確
認できない程度のものであるにも係わらず、行動や学
ヒトおよび実験動物モデルで発達神経毒
性を引き起こすことが知られている化学
物質例
(WHO, 2001)
習・記憶などのような脳の機能的な障害を生じる場合
化合物の分類
化合物名
アルコール類
メタノール、エタノール
金属類
鉛、メチル水銀、カドミウム
一般化学物質
PCB類、PBB類
性が顕著な器官であり、関連し合う脳部位の神経連
殺虫剤
DDT、クロルデコン(chlordecone)
絡が機能的な発達の重要な要素となっている。脳の
医薬品
バルプロン酸、フェニトイン(抗けいれん剤)
がある。また、それらの影響はその個体が成長したの
ちに初めて顕在化するような場合も生じてくる。
また、脳は、構造と機能に関して非常に部位特異
各部位における神経細胞の増殖・移動と分化・成熟期
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アゾシチジン(azocytidine細胞分裂阻害剤)
住友化学 2002-I
発達神経毒性研究 −現状と課題−
これらの多くの場合において、児の神経学的機能に
フトととして公表された発達神経毒性試験ガイドライ
対する影響は、奇形などのようなその他の発達毒性
ン(TG426)が制定の最終段階にあると言われている。
指標が明らかに発現するより低い用量、あるいは成
日本では、2000 年農薬ガイドラインが見直され、新
体に対する毒性影響を惹起する最低用量以下のレベル
たに神経毒性試験ガイドラインが追加された。
で認められている。
2.米国 EPA の発達神経毒性ガイドライン試験
発達神経毒性ガイドライン試験
(OPPTS870.6300)
上述したように、OECD でもその制定が準備され
1.発達神経毒性評価の規制動向
第 2 表は、神経毒性および発達神経毒性評価に関
する世界の規制動向を示したものである。
ているが、現時点では EPA の発達神経毒性試験ガイ
ドラインが発効されている唯一のものである。私たち
は、まず、当局規制試験ガイドラインのもとに、化
米国は、農薬および一般化学物質などの環境要因
学物質の発達神経毒性評価のための試験法の確立を行
から子供の健康を保護することに最も先進的である。
った。ここでは、EPA の発達神経毒性ガイドライン
米国環境保護局(EPA)は 1985 年の有害物質管理法
試験プロトコールの概要とともに、陽性対照物質を
(T S C A )の神 経 毒 性 試 験 法 の制 定 に引 き続 いて、
用いて実施した私たちの検査手技の検証データを示し
1991 年には連邦殺虫剤殺菌剤殺鼠剤法(FIFRA)に
て、重要な神経行動検査法の事例を解説する。
おいて初めて発達神経毒性試験ガイドラインを制定し
た。こののち、National Research Council の子供の
健康影響に関する研究報告 2)を受けて、1998 年には、
新しい食物安全管理法(Food Quality Protection
( 1 )試験スケジュールと神経毒性検査項目
第 1 図は、EPA の発達神経毒性ガイドライン試験
の試験スケジュールを示したものである。
Act、FQPA)のもとに発達神経毒性試験を含む体系
本試験では、少なくとも投与群 3 群と対照群の 4 群
的な新毒性ガイドラインを発表している。EPA は試
の設定が求められ、動物数で見る試験規模は母動物
験法ガイドラインの制定にとどまらず、1995 年およ
80 匹以上(20 匹以上/群)
、検査対象となる児動物
び 1998 年には神経毒性評価のための指針を発表し、
(生後 4 日目に原則として 1 腹雌雄各 4 匹に間引き)
このリスク評価の方針についても公表している。
は 640 匹とかなり大規模試験となる。被験物質の投
与は、妊娠 6 日から分娩後 10 日までの母動物に対し
て、基本的に経口投与が選択される。第 3 表に児動
第2表
米国
1985
1991
神経毒性および発達神経毒性評価の規制
動向
日の例を第 1 図に表記している。
EPA TSCA神経毒性試験ガイドライン制定
EPA FIFRA神経毒性試験ガイドライン制定
発達神経神経毒性試験ガイドライン制定
1995
物の検査項目を示すとともに、神経毒性検査の実施
第1図
EPA 神経毒性評価ガイドライン
EPA神経毒性ガイドライン試験の試験
スケジュール
(1996) (EPA FoodQuality Protection Act, FQPA)
1998
EPA OPPTS新毒性ガイドライン改定
神経毒性検査の実施時期:詳細な機能観察[FOB(F)]
、自発運
神経毒性ガイドライン試験
動量(M)、聴覚性驚愕反応(S)、学習・記憶(L)、脳重量(B)、
発達神経毒性試験ガイドライン試験
神経病理検査(P)
(OPPTS 870.6300)
1998
OECD 1995
(EU)
日本
妊娠
0 6
EPA 神経毒性評価ガイドライン改定
28日間毒性試験ガイドライン
母動物
分娩
21
投与
(TG407)に神経毒性検査項目追加
1997
亜急性神経毒性試験ガイドライン(TG424)制定
1998
発達神経毒性試験ガイドライン案公表
2000
新農薬ガイドラインに神経毒性試験を追加
化審法28日間毒性試験に神経毒性検査項目を追加予定
離乳
21 day
10
0 4
11 13 17 21
35 45
60 day
児
F
F
B
P
M M
F
M
S
L
F
F
F
M
S
L
B
P
一方、OECD では、1995 年に化学物質の毒性ス
クリーニング的性格の強い 28 日間毒性試験ガイドラ
( 2 )Functional Observation Battery(FOB)
イン(TG407)に詳細な神経毒性検査項目を追加改定
FOB は詳細な行動学的、生理的、神経学的変化を
したのち、1997 年には亜急性神経毒性試験ガイドラ
観察するもので、これらの観察の結果は各項目につ
イン(TG424)を制定している。現在、1998 年にドラ
いて定義づけられたスコアーとして採点される。この
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発達神経毒性研究 −現状と課題−
第3表
児動物の観察および検査
検査項目
検査法
観察頻度あるいは時期
死亡・毒性徴候
−
1日2回以上、週1回詳細な観察
体重
−
出生時、生後4、11、17、21日、離乳後は週1回、その後2週に1回
性成熟
包皮開裂(雄)、膣開口(雌)など
適当な時期
反射
生得反射
FOB(詳細な観察)
ケージ内の観察、手にもっての観察、
離乳前に2回
(毒性徴候の観察として週1回)
アリーナ内での観察
自発運動量測定
自動記録測定装置による測定
生後13、17、21日および60±2日(試験終了時)
聴覚性驚愕反応
自動記録測定装置による測定
離乳時および試験終了時
学習・記憶
E型水迷路、明暗弁別学習
離乳時および試験終了時
観察では、経験を積んだ観察者による盲検的な実施
の強さをピエゾセンサ(圧電素子)を用いて自動的に
が望まれている。これにより、影響として観察される
測定し、10 試行ずつの 5 ブロックに分け、反応の強
毒性徴候は、より客観的にかつ定量的に評価される。
さの程度と経時的な変化を解析する。この検査は、
音刺激に対する反応を指標とした聴覚の簡易的な測定
( 3 )自発運動量測定
この検査は、自動行動記録装置を用いて、一定時
間内における動物の運動性を測定するものである。装
法であるとともに、繰り返しの刺激に対する馴化を
みることにより、最も単純な学習の評価法としても
有用である。
置には近赤外線センサーが一定の高さで一定間隔に組
み込まれており、動物の動きはセンサーを横切ると自
動的にカウントされる仕組みである。1 試行 60 分間
第2図
自発運動量測定
を 10 分間 6 ブロックに分け、その単位時間(ブロッ
生後17日齢の幼若ラットにペモリン(抗うつ薬)あるいはジアゼ
ク)内での水平方向の動物の運動量(Locomotion)や
パム(抗不安薬)を投与した場合の自発運動量の変化。
立ちあがり行動(Rearing)が測定される。この検査
ペモリン
4500
境や事態における動物の慣れ(馴化)や情動性を評価
4000
することができる。神経毒性評価では非常に有効な
エンドポイントの一つとして推奨されている 5)。しか
しながら、運動活性は動物の全ての動きであり、神
経系への影響のみならず、体重減少や全身性の毒性
発現など他の多くの要因によって変化し得るものであ
る。運動量および試行内での変化の様式を判別し、
総合的な観点からの評価が必要である。
運動量(センサー横切り回数)
では、動物の全般的な運動性とともに、置かれた環
3500
3000
2500
2000
1500
ペモリン 100mg/kg
1000
500
0
0−10
第 2 図は生後 17 日齢のラットに抗うつ薬ペモリンあ
Control
10−20
るいは抗不安薬ジアゼパムを投与した場合の自発運動
20−30
30−40
40−50
50−60
時間(分)
量(Locomotion)の変化を示している。対照群に比
較して、ペモリン投与群では、測定した時間内を通
ジアゼパム
250
ていない。一方、ジアゼパム投与群では、自発運動
量が減少していることがわかる。
(4)聴覚性驚愕反応検査
聴覚性驚愕反応とは、視覚的な手掛かりなしに、
突然、動物に大きな音を提示した時のその音に対す
る動物の驚愕反応(Startle reflex)のことである。動
物を防音箱の中の動物収容ホルダーに入れ、一定の
音圧(120dB)の音刺激を 8 秒間隔で 50 試行提示す
る。その時の動物の驚愕反応(驚愕による体の動き)
54
運動量(センサー横切り回数)
して非常に運動性が上昇しており、馴化は認められ
Control
200
ジアゼパム 2mg/kg
150
100
50
0
0−10
10−20
20−30
30−40
40−50
50−60
時間(分)
住友化学 2002-I
発達神経毒性研究 −現状と課題−
第 3 図は、生後 17 日齢および成獣ラットにトリメ
口(ゴール)を設定しておき、動物はE字の中央線か
チルスズを投与したのち、5 日後に聴覚性驚愕反応を
ら泳ぎ始め、左右のどちらかの一端にある逃避口を
測定した結果である。幼若動物(22 日齢)では、音刺
学習する検査である。1 日 5 トライアルを実施し、ゴ
激に対する反応は TMT の用量に相関して低下してい
ールまでの到達時間(Latency)およびエラー回数を
るが、ブロック毎の反応の強さは減弱していることか
測定している。対照群では、到達時間およびエラー
ら、音刺激に対する学習による馴化が認められると
回数ともトライアル毎に減少して学習していることが
判断することができる。一方、成獣ラットの高用量
認められる。一方、スコポラミン投与群では、トライ
投与では、音刺激に対する反応性は顕著に低く、ブ
アル 3 回目以降では到達時間およびエラー回数ともに
ロック毎の変化が認められないことから、むしろ聴覚
減少が見られない。これらは、抗ムスカリン作用の発
障害が強く疑われる。
現に伴った学習障害を示している。
( 6 )神経病理学的検査
聴覚性驚愕反応検査
第3図
生後 11 日齢および試験終了時に各群雌雄 6 匹が神
生後17日齢の幼若ラットおよび成獣ラットにTMTを単回投与し
経病理学的検査に供される。神経病理学的検査は定
5日後における音刺激に対する驚愕反応。
性的な分析とともに、簡易形態計測による脳の特定
幼若動物(生後22日齢)
部位の定量的分析が要求されている。
170
Control
反応の大きさ
150
TMT 3mg/kg
第4図
TMT 6mg/kg
130
E型水迷路を用いた学習・記憶検査
生後21日齢ラットにスコポラミン(抗ムスカリン薬)を投与した
110
場合の1日5試行におけるゴールまでの到達時間(Latency、左)
およびエラーの回数(右)を示している。
90
70
Mean Latency
100
50
1
2
3
4
90
5
試行数(1ブロック:10試行)
500
Control
TMT 3mg/kg
反応の大きさ
Latency
(sec.)
成獣動物(生後60日齢)
400
Control
80
Scoplamine 1mg/kg
70
Scoplamine 3mg/kg
60
50
40
30
TMT 6mg/kg
20
300
10
200
0
0
1
2
4
5
6
4
5
6
Trial(N)
100
0
3
2
1
3
4
Error
5
8
試行数(1ブロック:10試行)
7
6
当所ではE型水迷路および弁別学習を標準とすると
ともに、より高次の空間認知による Morris 型水迷路
についても、学習(習得)と記憶(参照記憶)の検査法
として確立した。
第 4 図は、生後 21 日齢のラットについて、抗ムス
Error(N)
( 5 )学習記憶検査
5
4
3
Control
2
Scoplamine 1mg/kg
1
Scoplamine 3mg/kg
カリン薬であるスコポラミン投与のE型水迷路におけ
る学習を見たものである。これは、水を満たした E 字
型の迷路の一端にプールからあがることのできる逃避
住友化学 2002-I
0
0
1
2
3
Trial(N)
55
発達神経毒性研究 −現状と課題−
定性的分析は、大脳(嗅球、大脳皮質、海馬、大
れ、壊死が生じていた。このような神経細胞の損傷
脳基底核、視床、視床下部)、中脳(中脳蓋、被蓋、
に反応して、神経グリア細胞の一種である星状膠細
大脳脚)
、脳幹および小脳の主要な脳部位の詳細な組
胞が増生していることが、特異的な蛋白質(グリア線
織学的観察である。このような詳細な検査部位の指
維性酸性蛋白、GFAP)の免疫組織化学染色でみるこ
定は、脳の構造と機能の部位特異性が考慮されてい
とができる。このような幼若動物では、迷路学習の
るためである。この観察で高用量群において神経病
成績が低下傾向を示し、器質的な傷害部位である海
理学的変化が認められた場合には、用量相関性を評
馬に関連した記憶や学習の機能障害が示唆された。こ
価する目的で全投与群について盲検的な観察が求めら
の結果は、発達期の特定部位の神経細胞は成体のそ
れている。定量的分析では、少なくとも大脳皮質、
れとは異なる感受性をもつことを示している。
海馬および小脳の主要な部位について、その厚さの
計測が要求されている。当所で開発した病理標本画
像解析装置(IPAP)を用いて、脳の外表および病理組
織切片における形態計測の検討を進めている。
3.OECD 発達神経毒性試験ガイドラインとのハーモ
ナイゼーション
1998 年に OECD 発達神経毒性試験ガイドライン
第 5 図は、成獣ラットおよび生後 17 日齢の幼若ラ
(TG426)第一案が公表されたが、EPA 試験ガイドラ
ットに 6mg/kg のトリメチルスズを単回投与したとき
インのと間でいくつかの重要な試験項目で相違が明ら
の脳の病理組織学的変化(定性的分析)を示したもの
かであった。私達は、OECD 試験ガイドライン案に
である。成獣ラットでは脳に対する器質的な変化は
対するパブリックコメントに対応して 2 つの試験ガイ
ほとんど認められなかったが、幼若動物では脳の特定
ドラインのハーモナイゼーションを強く求めてきた。
部位(大脳の海馬や梨状葉皮質)の神経細胞が傷害さ
2000 年 11 月には OECD および EPA の専門家による
ハーモナイゼーションのための会議が開催された。投
与期間は妊娠 6 日から分娩後 21 日とすること、病理
第5図
神経病理学的検査
組織検査は生後 21 / 22 日齢と試験終了時に実施し、
TMT 6mg/kgを単回投与した場合の大脳海馬の神経細胞に対す
形態計測による定量的分析は第一義には要求されない
る影響。成獣では海馬神経細胞への影響は非常に軽微であるが
などの主要な点については一定の合意が成されるとと
(A)、投与3日後の幼若動物(20日齢)では海馬神経細胞に細胞
もに、発達神経毒性試験は関連を疑わせる毒性情報
死(矢印)が観察され(B)、損傷に反応した星状膠細胞の増生を
示めす特異的な蛋白質(GFAP)の増加が見られる(C)。
や、使用や曝露において影響が認められた場合に要
求されることなどが合意されている。
発達神経毒性試験の方法および評価の課題
1.脳の発達に対する二次的な影響要因
脳の発達は必ずしも自律的で固有なものではない。
試験の環境や操作はそのような脳の発達に影響を及ぼ
A
すことが知られている。環境温度は、神経細胞の蛋
白質合成などの代謝に影響することから、児動物の
低体温は脳の発達を遅延させる可能性がある 6 )。出
生後の児動物を母動物から短時間隔離することでも、
種々のストレスや体温低下を生じさせ、児動物の行
動発達にも影響を及ぼす可能性があることが報告され
ている 7 )。出生時に体温調節能が発達しているヒト
B
新生児と異なり、ラットやマウスの新生児は生後発
達期の体温調節能が未熟であり 8 )、環境温度の影響
を受けやすいと考えられる。このような環境要因によ
る児動物の生理的変化が曝露された化学物質とどのよ
うな相互関係を示すものかは明らかではないが、ラッ
トやマウスを用いた発達神経毒性試験において注意を
要する点である。例えば、被験物質を児動物に経口
C
56
投与することは、母動物から児動物を引き離すこと
になり、ストレスや体温低下を生じさせる可能性が
住友化学 2002-I
発達神経毒性研究 −現状と課題−
考えられる。このような問題点は、試験の方法とと
もに、ヒトのリスク評価への外挿において動物種差
分子生物学的指標を用いた発達神経毒性研究への
取組み
を考慮することが重要であることを示唆している。
また、脳の神経細胞の発達には甲状腺ホルモンが
現時点の発達神経毒性研究は、化学物質のヒト健
重要に関わっている 9 )。一般毒性試験では、種々の
康影響評価のための応用科学の側面とともに、発達
化学物質が肝臓における薬物代謝酵素の誘導によっ
神経生物学の理解のための研究手段としての基礎科学
て、ラットやマウスにおける血液中の甲状腺ホルモン
の色彩が強く表れている 1 2 )。このことは、この研究
レベルを変化させることがよく知られている。母動物
分野が毒性学としては今だ発展途上にあることを示し
あるいは胎盤や母乳を介した胎児や児動物に対するこ
ている。今日の神経科学研究の進歩に伴って、行動、
のような化学物質による二次的な脳の発達障害もまた
学習、記憶などの脳機能の分子生物学的基礎やヒト
留意されるべきである。
固有の高次の神経機能に関する新しい知見が発達神経
毒性の観点から議論される事態が容易に推測でき、神
2.脳発達の動物種差
経化学や分子生物学分野における先進的なエンドポイ
第 6 図は、各種の動物における脳重量の増加率を
ントが提案されることが予想される。また、ラットや
示したものである 10)。脳重量の増加は、個々の神経
マウスにおける神経行動学的検査が、ヒトの神経行
細胞と神経回路の成熟、神経膠細胞の増生、髄鞘形
動やより高次の神経機能に対する影響を適切に評価し
成などによる神経組織の増大を反映している。ヒト
得るかという問題も考えられる。これまでの神経毒性
では、脳重量の増加率は出生時の前後に高く、脳重
学的評価では、知覚や運動機能あるいは学習や記憶
量は胎児期後半から生後 4 ヶ月にかけて急速に増加し、
を中心とした神経行動学的検査について比較的充実し
10
才ではほぼ成人の脳重量に達する 11)。また、大脳
ているが、個体間の相互関係のような社会的行動、
皮質の厚さは胎児期から生後 6 ヵ月齢まで速やかに増
より高度のヒト神経機能の評価は必ずしも十分でない
加したのち、10 才には成人のレベルになる。一方、
ことも指摘されている 1 3 )。今後提案されるであろう
ラットでは、脳重量の急速な増加は出生後から生後 3
新しいエンドポイントについては、それらの毒性学的
週に認められる。脳重量増加のピークはヒトでは出
意義を含めて、ヒトのリスク評価に対する妥当性が
生時、ラットやマウスでは生後 10 日頃にある。この
十分に吟味される必要がある。
時期が brain growth spurt に相当しており、環境要
また、上述した発達神経毒性ガイドライン試験は、
因などに対して特に感受性が高いといわれる。このよ
化学物質の安全性評価において時間とコストの両面で
うな脳の発達の動物種差は、動物試験における評価
多大な経済的負担となるものである。毒性評価の感
をヒトに外挿することを難しくしている。化学物質の
度と精度の高い効率的なスクリーニング系の開発も重
発達神経毒性のリスク評価を実施する上で、曝露時
要な課題の一つである。
期や曝露経路の妥当性が十分に検討されることが重要
このような観点から、私たちは、発達神経毒性ガ
イドライン試験法の確立と並ぶもう一つのテーマとし
である。
て、脳発達の分子生物学的指標を用いた発達神経毒
性評価に取り組んでいる。第 4 表は、生後発達期の
第6図
脳重量増加率の動物種差(Dobbing and
Sands, 1981)
マウス脳を用いて検討した分子生物学的指標としての
調節因子を示している。いずれも神経細胞の成長や
Percent of Adult Weight
神経細胞間の連絡の指標となる蛋白質である。私た
ちは、これまでに主要な脳部位におけるこれらの蛋白
Man
6
質合成の指標となる messenger RNA(mRNA)の発
Monkey
現量の発達挙動を検証してきた。
Rat
Sheep
4
Rabbit
第4表
Pig
2
脳発達の分子生物学的指標
Guinea pig
調節因子
脳由来神経栄養因子(BDNF)
特徴
・神経細胞の分化や可塑性
Growth-associated protein 43(GAP43) ・神経軸索の生長・成熟
−30
−20
−10
+10
Age
Birth
住友化学 2002-I
+20
Age
+30
Synaptophysin
・前シナプスの指標
Postsynaptic density
(PSD)95
・後シナプスの指標(糖蛋白)
c-fos
・遺伝子発現の調節因子
57
発達神経毒性研究 −現状と課題−
第7図
プに立ちあがっていることは、小脳の組織発生が他
の部位より遅くに始まり、生後の比較的短期間に完
BDNF
大脳
1.8
結することを示している。小脳の形態学的発達は化
小脳
1.6
学物質の発達神経毒性評価における鋭敏なターゲット
海馬
1.4
相対値
おける BDNF の mRNA 発現量の変化が生後にシャー
マウス
(雄)
の脳におけるBDNF、c-fos
およびGAP43のmRNA発現の生後発達
になり得ることが示唆されている 1 4 )。BDNF および
1.2
GAP43 と異なり、種々の遺伝子発現に関係する初動
1.0
の調節因子である c-fos の mRNA の発現は、生後 3 週
0.8
をピークとする挙動を示している。このような c-fos
0.6
の mRNA の発現様式が、発達期のどのような遺伝子
0.4
発現を調節しているのかはよく知られていない。これ
0.2
らの調節因子の遺伝子発現が発達神経毒性を評価する
0.0
0
2
4
6
8
10
上で重要な brain growth spurt の時期に鋭敏な変化
を示すことは、これらが神経細胞の発達の異常や遅
週齢
延の有用な指標となり得ることを示している。このよ
c-fos
3.0
うな調節因子の変動が、どのような神経行動学的な
機能の影響に関連するものであるか、また、化学物
2.5
相対値
大脳
質を含むどのような環境因子によって影響されるかを
小脳
2.0
検証することが新しい課題である。
海馬
1.5
おわりに
1.0
はじめにも述べたように、化学物質がヒト、特に子
0.5
供の発達に対して影響を及ぼす可能性に対する社会的
0.0
0
2
4
6
8
10
週齢
において発達神経毒性試験ガイドラインが制定される
ことに伴い、この問題に対する各国当局のより一層
GAP43
1.2
の厳格な規制が予想される。しかしながら、これらの
ガイドライン試験法およびその結果の評価法について
1.0
大脳
相対値
な懸念が強まっている。米国 EPA に続いて、OECD
は、ヒトに対するリスク評価を実施する上で確立し
小脳
0.8
ているとは必ずしも言い難いのが現状である 1 5 )。ま
海馬
た、試験結果の評価およびリスク評価についても、
0.6
各国の国際的なハーモナイゼーションは進んでいない。
0.4
このような情勢の中で、私たちは当所における EPA
および OECD 発達神経毒性ガイドライン試験に基づ
0.2
いた評価法を確立し、世界水準でのリスク評価体制
0.0
0
2
4
6
8
10
週齢
を構築している。また、神経科学研究の進展に伴っ
て、新しい様々な視点からの発達神経毒性評価が求
められることも予想されることから、今日的な神経科
第 7 図は、マウスの大脳皮質、海馬および小脳に
おける BDNF、GAP43 および c-fos の mRNA の発現
学水準でのより精度の高いヒトのリスク評価に有効な
発達神経毒性評価法の開発に取り組んでいる。
量に関する生後発達期の変化を示している。神経細
胞の可塑性に関係して神経突起の成長に関係すると言
引用文献
われる BDNF は、いずれの部位でも生後 3 週まで増
加し、おおよそ成獣レベルに達している。一方、神
経軸索の伸長に関係する GAP43 の mRNA の発現量は
生後 3 週には減少して成獣レベルに達している。マウ
1)Colborn, T et al.: Our Stolen Future.
New
York, Plume(1997)
2)National Research Council : Pesticides in the
スにおける出生後 3 週間は brain growth spurt と呼ば
Diets of Infants and Children.
れる脳の最も活発な発達期に相当している。小脳に
Washington : National Academy Press(1993)
58
住友化学 2002-I
発達神経毒性研究 −現状と課題−
3)Rodier, PM : Environ Health Perspect 103
(suppl 6)
, 73 − 76(1995)
4)WHO : Environmental Health Criteria 223,
World Health Organization, Geneva(2001)
5)MacPhail, RC et al.: J Am Coll Toxicol 8, 117 −
125(1989)
tion of Pediatrics”
, Davis, JA and Dobbing, J
(eds), William Heinemann Medical Books,
London, pp744 − 756(1981)
11)Rabinowicz, Th et al.:“Brain Fetal and Infant,
Current Research on Normal and Abnormal
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6)Lajtha, A and Dinlop, D : Life Science 29,
755 − 767(1981)
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10)Dobbing, J and Sands, J :“Scientific Founda-
15)辻 良三ほか: J Toxicol Sci 23, 63 − 68(1998)
PROFILE
住友化学 2002-I
吉岡 孝文
Takafumi Y OSHIOKA
池田 真矢
Maya I K E D A
住友化学工業株式会社
生物環境科学研究所
主席研究員, 医学博士
住友化学工業株式会社
生物環境科学研究所
小林久美子
Kumiko K OBAYASHI
佐々木まどか
Madoka S ASAKI
住友化学工業株式会社
生物環境科学研究所
住友化学工業株式会社
生物環境科学研究所
主任研究員
串田 昌彦
Masahiko K USHIDA
辻 良三
Ryozo T SUJI
住友化学工業株式会社
生物環境科学研究所
獣医師
住友化学工業株式会社
生物環境科学研究所
主席研究員, 獣医師, 獣医学博士
59
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