...

異文化接触と植民地主義

by user

on
Category: Documents
13

views

Report

Comments

Transcript

異文化接触と植民地主義
『比較社会文化研究』第 34 号(2013)57 ∼ 66
No. 34(2013)
,pp.57 ∼ 66
異文化接触と植民地主義
―Joseph Conrad の
におけるマレー世界―
藤 山 和 久
して描かれるマレー社会の共同体に目を向けつつ、語り
1. はじめに
手 Marlow や Jim の属する白人西欧社会の共同体との関
Joseph Conrad の前期作品
(1900)は、主に
係について言及し、異文化間の接触に関する問題につい
マレー諸島 を舞台とした小説である。本小説の中心
て考察することを主たる目的とする。さらに、植民地と
テーマは、語り手 Marlow の視点から見た Jim の人物像
して表象されるマレー世界を分析することによって、植
であると言え、その解釈をめぐっては、難船し乗客を見
民地主義の社会や文化が、本小説においていかに捉えら
捨てて逃げたことに対する Jim の罪意識とその償いとい
れているのか今一度検証を試みたいと思う。
1
2
う主題で論じられることが多い。 そのため、自己の
英雄的な理想像にとりつかれたイギリス人男性 Jim の主
人公像が、従来行われてきた研究の主眼であると言って
2.Jim の理想主義と Marlow の one of us 言説
も過言ではない。3 しかしながら、一個人のロマンティ
ストとしてのみ Jim を捉えることは、本小説における
生まれ、幼い頃から海の生活に憧れ、堂々とした体躯と
一面的な視座を提示するに過ぎない。本稿では、Jim に
しっかりした頭脳を持っていたため、高級船員養成船で
とって異国の社会集団であるマレー世界との関わりにお
自らの仕事を見事に成し遂げる。Jim の人物像として最
いて、Jim の理想主義や Marlow の語りについて再検討
も特筆すべき点は、理想主義者あるいは夢想家としての
してみたい。
側面である。Jim は、沈みかかっている船から人々を救
Robert Hampson が From his first novel, . . .
う姿や、熱帯の海岸で未開人と遭遇し船員たちの反乱を
Malaysia had an important place in Conrad s fiction. . . .
鎮める姿に我を忘れて、現実世界を直視することがで
Furthermore, in his own writing, Conrad repeatedly
きないでいる(5)。4 自己の理想像に胸をふくらませる
confronts the issue that was to become so important
Jim は、ある意味では、同じくマレー諸島を舞台とする
in twentieth-century anthropology: how to describe
第一作
another culture(1)と指摘するように、Conrad の小説
の姿とも合致する。Almayer は彼にとって厭わしい現
においてマレー世界は重要な場所であり、
「異文化」を
実世界から逃避し、富を得て娘と一緒にヨーロッパに移
いかに表象するかという点は作者が繰り返し直面してき
り住むという夢想世界の中に耽溺している。作者は初期
た大きな問題であると考えられる。さらに、Conrad が
のマレー諸島を舞台とした小説において一貫して、異国
生きた時代、すなわち 19 世紀後半から 20 世紀初頭の時
の東洋の地で孤立し、実現しそうもない夢や理想を抱く
代は、周知のように、西欧列強による植民地支配が絶
人物を創り上げている。さらに語り手 Marlow は、Jim
頂にあり、本小説の舞台であるマレー世界を含め、ア
と対峙した際の彼の夢想家の側面として想像力の豊か
ジア・アフリカ世界はヨーロッパ世界の支配下にあっ
さを見て取ると同時に、彼の性質を With every instant
た。そうした時代における気風・精神が小説の中にも
he was penetrating deeper into the impossible world of
浸透していることは否めないだろう。そのような意味
romantic achievements(60)と看破する。換言すれば、
に お い て も、Christopher GoGwilt が Conrad s fiction
すでにこの時点で語り手は、高い理想を抱く Jim におけ
itself has become an indispensable guide to the history
るロマンティストとしての性質を助長することによっ
of colonialism(137)と述べるように、
て、彼の夢想と現実の行動との大きなズレを暗示する役
もまた、
の主人公 Jim は、エセックスの牧師の家に
(1895)における主人公 Almayer
植民地主義に関する一つの指標を提示する作品として捉
割を担っていると言える。
えることができる。
夢 想 世 界 の 中 に 生 き る Jim は、 一 等 航 海 士 と し て
本稿は、このような点を念頭に置き、周縁的な存在と
Patna 号に乗り組み、そこで現実の試練に立ち向かう
57
藤 山 和 久
こととなる。800 人の巡礼を乗せた Patna 号は航行中
Marlow は、少年のような青い目や若々しい顔、力強
に何かの浮遊物にぶつかり、Jim は沈没の恐怖に襲わ
い肩、ブロンズ色の広い顔といった Jim の容姿に共感を
れ、乗客を見捨てて船長たちとともに救命ボートに跳
誘われ、彼を one of us とみなす。このように Jim を one
び下りる。そうした Jim の現実の行動に対して、語り手
of us と捉える Marlow の表現は本小説において何度も
は Nothing could be more true: he had indeed jumped
反復されていることから、この言い回しは重要な意味を
into an everlasting deep hole. He had tumbled from a
含んでいると言える。例えば、
height he could never scale again(82)と彼自身の見解
の語り手は Between us there was . . . the bond of the
を提示する。Patna 号における Jim の逃避行為は、言う
sea. Besides holding our hearts together through long
までもなく彼の抱く英雄的な理想像とは対極にあり、理
periods of separation, it had the effect of making us
想と現実とが乖離していることを示している。その後、
tolerant of each other s yarns―and even convictions
査問会によって船員免許取り消しとなった Jim は、沖手
(103)と述懐しており、
(1899)
の Marlow もまたある
代としてマレー諸島の様々な港で人気を博するほどの仕
側面において、同じ海に生きる人間として Jim を one of
事をこなすのだが、一つの事実、つまり Patna 号事件で
us と捉えて同一視していると考えることができる。Ian
の Jim の逃避行為が露見すると、突然職を捨てて東の港
Watt もほぼ同様の見解を示し、Marlow と Jim との関係
へと移ってしまう。
について It is true that the friendship of Marlow and
しかしながら語り手 Marlow は、現実の行動に挫折し
Jim grows out of what are perhaps the two strongest
た Jim に一種の同情を抱き、友人の Stein に相談し、Jim
and most universal forms of solidarity which remain
を出張所の代理人としてスマトラの Patusan(架空の地
in modern society: that of the occupational group, and
名)という土地に派遣する。Albert J. Guerard が
that of the hierarchy of generations within it(336)と
is a story of sympathies, projections, empathies
言及している。5
. . . and loyalties. The central relationship is that of
だがここで考えなければならないのは、乗客を見捨て
Marlow and Jim(147)と指摘するように、おそらく
て逃げた Jim の船員としての行動規範の問題である。作
Marlow は、英雄的な行為に憧れつつも実行することが
者は自伝的エッセー
できなかった人間の弱さを Jim の中に見出して強い共感
中で、この世界は「忠誠」という概念に基づいていると
を覚えたのだろう。あるいは、Harold Bloom が Marlow,
いった趣旨を表明し、船員のみならず人間全てに共通す
our narrator, becomes something like a father to Jim
る「忠誠」という倫理的側面の重要性を説いている (xix)。
(4)と述べるように、Marlow は Jim の父親的な代理の
とすれば、Jim が Patna 号でとった現実の行動は「裏切
役目を担う存在として捉えることもできる。いずれにせ
り」あるいは「無責任」であり、
「忠誠」という概念とは相
よ、何故 Marlow は、そこまでして Jim に救いの手を差
反するものである。そのような彼を one of us として、
し伸べようとするのだろうか。その理由の一つとして、
次の引用における Marlow の語りにあるように、Jim を
one of us とみなしているからだと考えられる。
(1912)の序文の
「忠誠」という倫理的規範を前提とする共同体の中に組
み込む Marlow の態度には大きな疑問が残る。
この点に関連して Homi K. Bhabha は、Marlow が好
んで使う one of us という言い方は、西欧列強の植民地
And all the time I had before me these blue,
主義的な意図を孕んでいることを示唆している。
boyish eyes looking straight into mine, this young
58
face, these capable shoulders, the open bronzed
The repetition of He was one of us reveals
forehead with a white line under the roots of
the fragile margins of the concepts of Western
clustering fair hair, this appearance appealing at
civility and cultural community put under
sight to all my sympathies: this frank aspect, the
colonial stress; Jim is reclaimed at the moment
artless smile, the youthful seriousness. He [Jim]
when he is in danger of being cast out, or
was of the right sort; he was one of us. He talked
made outcast, manifestly not one of us. Such
soberly, with a sort of composed unreserve, and
a discursive ambivalence at the very heart of
with a quiet bearing that might have been the
the issue of honour and duty in the colonial
outcome of manly self-control, of impudence, of
service represents the liminality, if not the
callousness, of a colossal unconsciousness, of a
end, of masculinist, heroic ideal(and ideology)
gigantic deception. Who can tell!(56)
of a healthy imperial Englishness―those pink
異文化接触と植民地主義―Joseph Conrad の
におけるマレー世界―
bits on the map that Conrad believed were
が後者よりも優勢であるという優劣の序列化が明確な
genuinely salvaged by being the preserve of
形で行われている。この点はまさに、Edward W. Said
English colonization, which served the larger
が示唆するところの a Western style for dominating,
idea, and ideal, of Western civil society.(250)
restructuring, and having authority over the Orient
(
3)と 合 致 し、 contemporary discourse,
国境を越えたはるか遠くの東洋の植民地において、西欧
which assumes the primacy and even the complete
社会で自明視されていたはずの文化もしくは理念は、多
centrality of the West(
かれ少なかれおそらく通用しないものであったと考えら
Marlow の語りにおいて見出すことができる。
れる。そういう意味において、Marlow が繰り返して使
さらに語り手はまた、
「聴衆の中でただ一人 Marlow
う one of us が「植民地のストレスに晒された西洋の市
の語る物語を最後まで聞くことになる人物」
( only one
民性と文化共同体の概念の脆い限界」を吐露するもので
man of all these listeners who was ever to hear the last
あるとする Bhabha の指摘は、確かに的を射ていると言
word of the story )
(245)を通して、こうした人種的な
えるだろう。
境界設定の言説を巧みに使っている。
22)を
そのような見解に立脚して、さらに別の見方をするな
らば、この one of us を「人種」という概念に敷衍して
You [the listener] had said you knew so well
考えることもできる。端的に言えば、Marlow が Jim に
that kind of thing, its illusory satisfaction, its
対して one of us と語るとき、どうやら人種主義者とし
unavoidable deception. You said also―I call to
ての Marlow の立場が浮かび上がってくるようである。
mind―that giving your life up to them (them
以下の Marlow の語りは、その点を際立たせている。
meaning all of mankind with skins brown,
yellow, or black in colour) was like selling
Jim had been away in the interior for more
your soul to a brute. You contended that
than a week, and it was Dain Waris who had
that kind of thing was only endurable and
directed the first repulse. That brave and
enduring when based on a firm conviction in
intelligent youth( who knew how to fight
the truth of ideas racially our own, in whose
after the manner of white men )wished to
name are established the order, the morality
settle the business off-hand, but his people
of an ethical progress.(246)
were too much for him. He had not Jim s
racial prestige and the reputation of invincible,
引用中
you
supernatural power. He was not the visible,
最後
聞
tangible incarnation of unfailing truth and
of unfailing victory. Beloved, trusted, and
味
読者
企図
while Jim was one of us. Moreover, the white
you . . .
族の戦友であるが、語り手は Jim を one of us とする一
方で、Dain を one of them と規定することによって、
「我々」と「彼ら」の境界を設定している。その基準は、
一人 Marlow
指
対
呼
=褐色
、
。
、読者
黄色、黒
色
読者
同化
)
皮膚
言説
意
一
戦略
、語
手
「彼
人種」
(
、Marlow
Jim
属
聴衆
「我々」
共有
。周
、
小説
保守的
語
、
示
語
知
Dain Waris という人物は、Jim の最も親しいマレー人部
人物
考
invulnerable, while Dain Waris could be killed.
(263)
中
人物」 指
単
admired as he was, he was still one of them,
man, a tower of strength in himself, was
「聴衆
連載
、
読者層
中産階級
帝国主義
賛成
立場
男性
考慮するとより一層興味深い(Knowles and Moore 43 45)
。 6 白人であるか否かという、いわば西欧中心の人種的な
Carola M. Kaplan が Marlow exposes the malignant
優越によるものである。つまり Marlow にとって、西欧
underside of the one of us―one of them distinction,
白人としての Jim は「頼りになる人物で不死身」であり、
which robs a people of their power and their belief in
他方非西欧人としての Dain は「殺される可能性がある」
themselves(144)と指摘するように、語り手 Marlow
といったように、両者の際立った差異化がなされ、前者
は、上掲の引用に見られる人種的な境界設定の言説に
59
藤 山 和 久
よって、ある側面において、Jim を西欧白人男性という
the Dutch authorities(165)や Stein . . . had obtained
枠組みの中に組み込むと同時に、「我々」
ではないマレー
from the Dutch Government a special authorization to
人などのいわゆる非西欧人を「彼ら」として排斥する役
export five hundred kegs of it [gunpowder] to Patusan
割を担っている。西欧世界とマレー世界との接触によっ
(263)のような一節がそうである。これらの引用にお
て、西欧近代が覇権を握る社会システムが構築・強化さ
い て、 権 力 の 中 心 で あ る「オ ラ ン ダ 政 府」
(the Dutch
れると同時に、おそらく両者の境界が揺らぎ崩壊する可
authorities / the Dutch Government)の記述がはっきり
能性も孕んでいたはずであろう。Ania Loomba が One
となされている点は注目に値する。一見すれば何気ない
of the most striking contradictions about colonialism
一節かもしれないが、
「商業活動」そしてさらには「政治
is that it both needs to civilize its others , and to fix
的支配」へと拡大しつつある 19 世紀後半における西欧列
them into perpetual otherness (173)と論じるように、
強の存在を垣間見ることができる重要な場面でもある。
西欧世界は「他者」
(非西欧世界)を「文明化」しつつも、
史実に基づくならば、この時代のマレー世界(特にイン
結局のところ、その「他者性」
は保持しなければならなっ
ドネシア)は概して、商業用農作物確保の現実的必要か
た。その好例が、本小説中に見られるような人種的な差
ら、あるいは土着社会の近代化を目指す理想主義的欲求
異化なのである。そのような意味において、Marlow の
から、村落共同体のレベルにまで西欧国家(オランダや
語りは、Jim を one of us として同化することによって
イギリスなど)の支配の手が及ぶようになったと指摘さ
西欧的なアイデンティティを確立することに寄与してい
れている(永積 247)
。
るのである。
こうした当時の時代趨勢を反映して、本小説における
マレー世界は宗主国オランダに従属的な立場の植民地と
3.植民地としてのマレー世界
して表象されている。いわゆる土着文化が色濃く残る
村落共同体の Patusan は、本小説の後半部分の重要な場
本小説の舞台となっている 19 世紀後半のマレー世界
所であり、植民地主義的な近代化の影響を必然的に受
をはじめとする東南アジアの社会史を繙いてみると、一
けることとなる。また、Patusan は Bugis 族の共同体で
つの大きな変化として「複合社会の形成とそこにおける
オランダの保護下にあって、17 世紀にヨーロッパの貿
白人社会の成長」を挙げることができる。一般に、この
易商人たちが胡椒を求めてこの地に出かけたという描写
時代の東南アジア社会は、言語や文化、宗教、思想、習
が小説中にある(164)
。しかし、胡椒貿易で栄えたこの
慣などにおいてそれぞれ異なる様々なコミュニティーが
地も、胡椒の産出が途絶えてからは深い森林によって外
並存しつつも交わらず、どこでも人種原理によってヒエ
部の世界から隔絶されており、 a native state, perfectly
ラルキー的に編成され、白人が頂点、原住民が底辺を占
defenseless, far from the beaten tracks of the sea and
めて、その間に中国人、アラブ人、インド人などが位置
from the ends of submarine cables(259)と設定されて
したとされている(白石 108)
。このようにして 19 世紀
いる。つまりこのことは、利潤追求のための支配が、い
後半の東南アジアでは、オランダやイギリスなどを中心
わゆる近代文明社会から取り残された村落共同体を打ち
とした植民地世界が形成され、「西欧文明の光によって
壊してしまったことを意味するのである。7
アジアの暗闇を照らす」という文明化のプロジェクトを
Patusan の情勢は、Marlow の語りに見られるように、
通して、植民地的近代化が始まった。だがそうしたプロ
予断を許さない混乱期にあって、秩序のない社会空間と
ジェクトは、Marlow の light(and even electric light)
して描かれ、そのような状況下に置かれた世界の中に、
had been carried into them [the Archipelago] for the
Jim は出張所代理人として足を踏み入れる。
sake of better morality and―and―well―the greater
profit too(158)といった語りが示唆するように、
「文明
The two parties in Patusan were not sure
化の使命」や「進歩」の名目のもとに行われた支配・搾取
which one this partisan most desired to
であったという点もまた、従来から指摘されてきたこと
plunder.
である。
feebly. Some of the Bugis settlers, weary with
The Rajah intrigued with him
に お い て も、 注 意 深 く 読 ん で み る と、 植
endless insecurity, were half inclined to call
民地主義に関する直接的な言説がいくつか見受けられ
him in. The younger spirits amongst them,
る。例えば、 He [Stein] traded in so many, and in some
chaffing, advised to get Sherif Ali with his
districts―as in Patusan, for instance―his firm was
wild men and drive the Rajah Allang out of
the only one to have an agency by special permit from
the country. Doramin restrained them with
60
異文化接触と植民地主義―Joseph Conrad の
におけるマレー世界―
difficulty. He was growing old, and, though
stalwart figure in white apparel, the gleaming
his influence had not diminished, the situation
clusters of his fair hair, seemed to catch all
was getting beyond him. This was the state
the sunshine that trickled through the cracks
of affairs when Jim, bolting from the Rajah s
in the closed shutters of that dim hall, with
stockade, appeared before the chief of the
its walls of mats and a roof of thatch. He
Bugis, produced the ring, and was received,
appeared like a creature not only of another
in a manner of speaking, into the heart of the
kind but of another essence.(166)
community.(187)
Jim とマレー人との身なりの違いは、語り手にとっ
ここで重要な点は、Patusan における深刻な危機的状況
ては、人種の違いのみならず人間の本質の違いまでも
を打開する救世主として、Jim が Doramin の一派を中心
指し示しており、そうであるから Jim は「とても威厳が
としたマレー人部族の共同体に迎え入れられることで
あって、冷静沈着」に見えるというのだ。このような
ある。それによって、Patusan における社会情勢は、前
Marlow の人種主義的な態度に対して、Chinua Achebe
述したように、まさに白人である Jim を頂点とし、現地
の よ う に Joseph Conrad was a thoroughgoing racist
人が底辺を占めるという人種原理によるヒエラルキー
(257)と酷評する批評家がいることも事実である。そ
構造が形成される。ところがその一方において、Rajah
の一方において、Said が論じるように、Conrad は生粋
Allang の 一 派 に 見 ら れ る よ う に、 Were the Dutch
のイギリス人ではなく、 a Polish expatriate (
coming to take the country? Would the white man like
23)であるから、西欧白人と非西欧人
to go back down the river? What was the object of
との人種的差異を助長することによって、後者を支配あ
coming to such a miserable country?(183)などと Jim
るいは抑圧すべきだという立場にあると一概には言え
の Patusan への出現を糾弾する者たちもおり、異質者あ
ず、海外領土拡張といった西欧列強の理念を必ずしも肯
るいは外部者として Jim を排除しようとする動きも同時
定してはいないと Conrad を擁護する見方もある。
に見られる。これは取りも直さず、Jim に対する、ひい
どちらの見解が正しいのか、つまり Conrad が racist
ては植民地主義システムに対する被支配者・被抑圧者と
であったのかどうか、ここで見極めることは難しい。だ
しての抵抗や異議申し立てを意味すると言えるだろう。
が、小説中の Marlow の語りは、明らかに人種主義的な
祖国を捨てて、文明的な秩序のない辺境のいわゆる未開
傾向を示しており、さらに Marlow や Stein などのよう
世界において自らの理想をどうにか具現化しようとする
な西欧白人男性が優位に立つのに対して、マレー人が周
Jim であるが、マレー社会の共同体の視点から見ると、
縁的なもしくは従属的な立場に置かれるという西欧中心
西欧白人男性という人種的な相違あるいは支配・被支配
主義的な構図が提示される。この点に関して、Michael
という関係性における障壁を払拭することができない一
Valdez Moses もまた同様の見解を与えている。
面が、本小説から浮かび上がってくる。
このような異文化間の接触をめぐる対立に関して、次
For all of Conrad s sincerer interest in and
の引用に顕著に見られるように、人種的な偏見に支配さ
deep sympathy for traditional and non-
れた Marlow の語りも注目すべきであろう。語り手は、
Western societies, he tends to present
Patusan の現地人の「灰や泥のしみで汚れたぼろのサロ
the inevitable victory of modernity from
ンを巻いただけで、半分裸」の恰好と、Jim の「白い衣服
a Western perspective. Although Conrad
を着た頑丈な姿とふさふさと輝く金髪」との際立った対
portrays many of the Asian characters of
照性について言及する。
Patusan in a favorable, even heroic light, they
remain in the background, secondary figures
A few youths in gay silks glared from the
in Jim s drama. In
the story of a
distance; the majority, slaves and humble
modern European hero dominates the political
dependants, were half naked, in ragged
tragedy of a non-Western society. ( 104 )
sarongs, dirty with ashes and mud-stains. I
had never seen Jim look so grave, so self-
小説のタイトルが示す通り、自己の英雄的な理想像にと
possessed, in an impenetrable, impressive
りつかれたイギリス人男性としての Jim が物語の主眼に
way. In the midst of these dark-faced men, his
ある一方において、西欧近代の共同体が非西欧社会の政
61
藤 山 和 久
治的な悲劇を生み出した点に注意を向けることは重要で
二人の人間をより親密にするように思われる」という
ある。なぜならば、Jim の物語において、周縁的・従属
Marlow の語りからは、やはりここでも人種主義的な態
的存在であるマレー人たちを前景化することは、彼らの
度が露呈しているが、それと同時に、Jim と Dain におけ
西欧社会に対する抵抗の声を紡ぎ出すだけでなく、相互
る人種を超えた友情によって、異文化に生きる者同士の
の連帯性や協調性に対するパースペクティブを可能にす
協調性や信頼関係が強調されている点は特筆に値する。
るからだ。
結末部において、Gentleman Brown の陰謀によって、
そのような視座に立って考えると、Patusan における
Dain は戦死し Jim は射殺され、二人の友情関係は終焉を
Jim とマレー人、とりわけ Doramin の息子 Dain Waris
迎えるけれども、作者はマレー社会の共同体に生きる人
との関係性については、必ずしも植民地主義的な支配・
物たちを、一種の偏見的な西欧人の眼を通してではある
被支配という枠組みだけで捉えられるようなものではな
が、個性や人格を備えた人間として、時に彼らに対する
い。Jim は Dain と協力して略奪者 Sherif Ali を撃退し、
共感を込めて描き出そうしている。
Patusan の「実質的な統治者」となり、マレー人たちか
以上の議論を踏まえると、Marlow が語る Jim の物語
ら「ジム閣下」と呼ばれるようになる。一つの村落の統
には、次のような二つの側面があると考えられる。そ
治者となり閣下となった Jim は、確かに力関係の上では
の一つが、現実の行動に挫折した Jim に共感し、 one of
優位に立つ存在であるが、Jim と Dain との関係は、ど
us と語るときである。このときの語り手は、人種主義
ちらかと言えばむしろ対等なものとして描かれている。
的な観念をもった西欧植民地主義の代弁者的な役割を
Marlow は、そのような二人の関係を次のように語る。
担っている。そしてもう一つが、ロマンティストとし
ての Jim の姿を、マレー人たちの共感や反発とともに
Dain Waris, the distinguished youth, was the
語るときである。異文化の土地でマレー人たち(とりわ
first to believe in him [Jim]; theirs was one
け Dain)と交わっていく Jim について語る Marlow から、
of those strange, profound, rare friendships
植民地主義的な支配・被支配の枠組みを超えた共生の概
between brown and white, in which the very
念(の可能性)
が見えてくる。要するに Marlow の語りは、
difference of race seems to draw two human
このような両義的なイデオロギーが交錯し合っているの
beings closer by some mystic element of
である。Said は Marlow の語りの技法について、自伝的
sympathy. Of Dain Waris, his own people said
な解釈において分析を行っている。
with pride that he knew how to fight like a
white man. This was true; he had that sort of
Conrad could probably never have used
courage―the courage in the open, I may say
Marlow to present anything other than
―but he had also a European mind. . . . Of
an imperialist world-view, given what was
small stature, but admirably well proportioned,
available for either Conrad or Marlow
Dain Waris had a proud carriage, a polished,
to see of the non-European at the time.
easy bearing, a temperament like a clear
Independence was for whites and Europeans;
flame. His dusky face, with big black eyes, was
the lesser or subject peoples were to be ruled;
in action expressive, and in repose thoughtful.
science, learning, history emanated from the
He was of a silent disposition; a firm glance,
West. . . . But because Conrad also had an
an ironic smile, a courteous deliberation of
extraordinarily persistent residual sense of
manner seemed to hint at great reserves of
his own exilic marginality, he quite carefully
intelligence and power. Such beings open to
. . . qualified Marlow s narrative with the
the Western eye, so often concerned with
provisionality that came from standing at
mere surfaces, the hidden possibilities of races
the very juncture of this world with another,
and lands over which hangs the mystery of
unspecified but different. (
unrecorded ages. He not only trusted Jim, he
24)
understood him, I firmly believe. ( 190 )
この引用は、
「二人の関係は褐色人種と白色人種の間で、まさにそ
の人種の違いこそが何か神秘的な共感の要素によって
62
した部分であるが、
の Marlow について言及
の Marlow についても当て
はまるだろう。確かに、海外領土の拡張に向かって西欧
異文化接触と植民地主義―Joseph Conrad の
諸国が競って力を高めようとしているさなかにあって、
におけるマレー世界―
いるのである。
「劣等のあるいは従属民族は支配される運命にある」こ
とを Conrad 自身も認めざるを得なかったと推察するこ
とができる。8 しかしながら、
「祖国を喪失した周辺者
註
感覚が根深く残る」作者の境遇が投影され、Marlow に
おける語りの「暫定性」によって彼なりの帝国主義的な
1 世界観が構築されている、というのが Said の主張であ
Russel Wallace(1823 - 1913)は マ レ ー 諸 島 を 訪 れ て
9
る。 この語りの「暫定性」とは具体的には、前述の通
Conrad が
フ ィ ー ル ド ワ ー ク を 行 い、1869 年 に 著 書
を 刊 行 し た。Wallace の 著 書 は、Conrad
り、Marlow の人種主義的あるいは植民地主義的な態度
と、そうした枠組みを超越しようとする態度の二面性を
10
指し示していると言ってもよいだろう。 このような
両義的で曖昧な語りこそ、当時のマレー世界における植
が
を執筆する際の参考になっていたとされる
(Sherry 141)。
2 本 小 説 の 主 題 に 関 し て、F. R. Leavis は In
民地主義の社会や文化に対する作者自身の声と重なり合
うのである。
を出版する前に、博物学者 Alfred
Marlow is the means of presenting Jim with the
appropriate externality, seen always through the
question, the doubt, that is the central theme of the
book(209)と 述 べ、Jocelyn Baines は Conrad raises
4.おわりに
the significance of Jim s action to a metaphysical level
and in portrayal of Jim s spiritual Odyssey explores the
高い理想を抱きながらも現実の行動において挫折し
theme of guilt and atonement(242)と言及している。
た Jim は、本国イギリス(宗主国)から遠く離れた文明
3 から隔絶したマレー世界(植民地)において、自らの理
is formed by the three decisions of increasing intensity
想を具現化するための機会を得て、一つの村落の統治
that Jim must make; each decision shows Jim as a
例えば、Frederick R. Karl は The spine of the book
者となり、 Lord Jim と呼ばれるようになる。そのよ
romantic hero who is a failure(121)と論じている。
うな Jim に対するマレー社会の共同体の反応は、一つに
4 そ の よ う な Jim の 姿 に 対 し て、Andrea White は
は、支配者としての Jim あるいは植民地主義への抵抗や
At first, Jim seems familiar to readers of adventure
反感として表れ、もう一つには、人種や文化の相違もし
fiction, a protagonist clad in white― one of us ―whose
くは支配・被支配の枠組みを超えて協調や共感という形
desires have been shaped by fiction that served to
として表れる。しかしながら、マレー世界に属する者た
construct the imperial dream(193)と指摘する。
ちのそのような交錯した声や反応は、Marlow によって
5 語られるのであって、彼ら彼女らが自ら語る場は与えら
of us implies breeding and a sense of belonging to a
れていない。その上、マレー人たちの語りだけでなく、
particular social group: that of the English gentleman
Jim の語りの場もまた与えられることはなく、あくまで
and the genteel classes(140)と見解を示している。
も Marlow の語りが主体となっている。本小説の主人公
6 こ の one of us に つ い て、Linda Dryden は One
が
に掲載された経緯
Jim は、語り手 Marlow あるいは豪商 Stein に依存するこ
については、Stape(113 - 20)参照。
とで現実世界に生きる術を見出しており、皮肉にも彼は
7 Conrad の 第 一 作
および第二作
(1896)における主要な舞台であ
主体性を欠いた存在として映し出される。
本小説におけるマレー世界は、Jim の理想主義を実現
る Sambir(架空の地名)というマレー世界における共
するために与えられた恰好の舞台であるばかりでなく、
同体もまた、文明社会から隔絶した辺境の地であり、
語り手 Marlow にとって、異文化との接触において Jim
Conrad は多くの小説において、そうした周縁的な世界
を one of us と規定することを通して西欧的なアイデン
を好んで舞台として設定している。
ティティを確保するための重要な場所でもある。それと
8 この点に関して Said は、Conrad の悲劇的な限界を
同時に、植民地として表象されるマレー世界において、
As a creature of his time, Conrad could not grant the
Marlow の属する西欧社会の共同体とマレー社会の共同
natives their freedom, despite his severe critique of the
体との支配関係が生み出されている。しかしその一方に
imperialism that enslaved them [natives](
30)と分析している。
おいて、Jim とマレー人たちとの交わりの中には、支配・
被支配の関係を越えた共生の視座の可能性も込められて
9 Kaplanもまた、
uses the conventions of
63
藤 山 和 久
the colonialist adventure tale to question imperialist
Karl, Frederick R.
ideology and cultural hegemony. Calling upon his own
Syracuse: Syracuse UP, 1997 .
experience off marginality and oppression, Conrad
Knowles, Owen and Moore, Gene M
employs the discourse of domination only to reveal its
. 2000 Oxford: Oxford UP,
self-deceptions, its blindnesses, and its tyranny(145)と
作者自身の周縁性との関連において論じている。
10
2006 .
Leavis, F. R.
木下善貞氏は Marlow の語りについて、その語りなし
では Jim は存在せず、Jim の実像に辿り着こうとする「タ
Penguin Books, 1966 .
Loomba, Ania
マネギの皮むき的な語り」が本小説に深い奥行きを与え
ていると指摘する ( 175 )。
1948 . Harmondsworth:
London:
Routledge, 1998 .
Moser, Thomas.
Hamden, Connecticut: Archon Books, 1966 .
Moses, Michael Valdez
Oxford: Oxford UP, 1995 .
【引用・参考文献】
Achebe, Chinua. An Image of Africa: Racism in
Said, Edward W.
Conrad s
1978 . Harmondsworth:
Penguin Books, 1995 .
Ed. Robert Kimbrough. New York: W.
W. Norton & Company, 1988 , 251 - 262 .
1993 . New York: Vintage
Books, 1994 .
Baines, Jocelyn.
Sherry, Norman.
1960 . London: Weidenfeld & Nicolson, 1993 .
Bhabha, Homi, K.
Cambridge:
Cambridge UP, 1966 .
1994 .
London: Routledge, 2004 .
Stape. J. H.
London:
Arrow Books, 2007 .
Bloom, Harold, ed.
New
York: Chelsea House, 1987 .
Conrad, Joseph.
―
Wallace, Alfred Russel.
North Clarendon Periplus, 2000 .
1900 . Oxford: Oxford UP,
2002 .
Watt, Ian
Berkeley:
U of California P, 1981 .
―
Oxford: Oxford
White, Andrea.
Conrad and Imperialism.
UP, 2008 .
Ed. J. H.
―
1912 .
London: J. M. Dent & Sons, 1960 .
1997.
London: Macmillan, 2000 .
白石隆『海の帝国―アジアをどう考えるか』中公新書、
GoGwilt, Christopher. Joseph Conrad as Guide to
Colonial History.
Ed. John G. Peters. Oxford: Oxford UP,
Cambridge,
鳥』開文社出版、2005.
Basingstoke: Palgrave,
2000 .
. London:
Bowes & Bowes, 1975 .
Kaplan, Carola M. Conrad the Pole: Definitively Not
. Ed. Alex S.
Kurczaba, Alex S. Lublin: Maria Curie-Skłodowska
UP, 1996 . 135 - 151 .
本橋哲也『ポストコロニアリズム』岩波新書、2005.
吉田徹夫『ジョウゼフ・コンラッドの世界―翼の折れた
Hampson, Robert.
One of Us.
中野好夫編『20 世紀英米文学案内 3 コンラッド』研究社、
1996.
Mass.: Harvard UP, 1958 .
Hewitt, Douglas.
2000.
永積昭『オランダ東インド会社』講談社学術文庫、2000.
2010 . 137 - 161 .
Guerard, Albert J.
Stape. Cambridge: Cambridge UP, 1998 . 179 - 202 .
木 下 善 貞『英 国 小 説 の「語 り」の 構 造』開 文 社 出 版、
Dryden, Linda.
64
1987 .
異文化接触と植民地主義―Joseph Conrad の
におけるマレー世界―
Cross-Cultural Encounters and Colonialist Ideology:
The Malay World in Joseph Conrad s
Kazuhisa Fujiyama Joseph Conrad s
(1900) is mainly set in the Malay Archipelago. This paper examines
the role and significance of the Malay world, which is a place of another culture for Marlow and Jim,
through an analysis of Jim s idealism, Marlow s narrative and other peripheral characters in Malay
society.
In the first chapter, I discuss the meaning of Jim s dreams of heroism and Marlow s discourse of
one of us. Whereas Jim is frustrated with his own behavior, Marlow adopts a paternal attitude and
is willing to save him, repeatedly referring to Jim as one of us. The concept of one of us serves to
establish a Western identity in opposition to the Malay people, such as when the narrator refers to Dain
Waris as one of them, that is to say others.
In the second chapter, I discuss the representation of the Malay world, concentrating on the
relationship between Jim and the Malay people, especially Dain Waris. Generally, Patusan society
reflects the colonialist ethos of late nineteenth-century Europe. Malay characters remain in the
background, secondary figures ; however, Dain is portrayed as Jim s trusted friend, a relationship that
transgresses racial boundaries.
The colonial sphere of the Malay world in this novel is not only a suitable location for Jim to try
to realize his own dreams of heroism, but also a significant place for Marlow to establish a Western
identity by considering Jim to be one of us and identifying the Malay community as the other. On the
other hand, Marlow s narrative of describing the friendship between Jim and Dain implies the possibility
of cross-cultural cooperation which transcends the colonial power relationship. I argue that this double
perspective creates ambivalent narrative which more or less overlaps with the author s attitude toward
contemporary colonial society of the Malay world.
65
Fly UP