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2009年8月号 (232号)

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2009年8月号 (232号)
【 1】
ま
と
は
ず
みのる法律事務所
弁護士 千田 實
れ
的
的外
外
〒 021-0853
岩手県一関市字相去 57 番地 5
みのる法律事務所便り
TEL:0191-23-8960
FAX:0191-23-8950
 [email protected]
第 2 3 2 号
平成21年8月

患者側は、どこまで、
証明しなければならないか?
たまには裁判の話も(弁護士であることを忘れられないために…)
私が原告患者の訴訟代理人となって、被告医師と被告病院に対し、医療過誤に基づ
たままでした。
(7)
原告は退院後被告病院に、平成19年8月17日、27日、9月10日、1
0月15日の4回通院しました。しかし、原告の前記症状は改善されませんで
した。
(8)
被告医師は原告に対し、S病院宛に紹介状を書いて原告に交付しました。
(9)
原告は、その日のうちにS病院に行き、同病院ペインクリニック科のS医師
の診察を受けました。S医師の診察後の原告に対する説明は、次の通りでし
た。
①
右そけい部末梢神経と右閉鎖神経に傷がついている。
②
被告病院での手術中に傷つけたと考えられる。
③
再手術しても、傷ついた神経は元に戻らないと思う。
④
再手術をしてもしなくても、痛みの状況は変わらないと思う。
(10)
く損害賠償請求裁判を提起しました。
原告は、訴え提起時(平成20年8月1日)においても、現在(平成21年
8月6日)においても症状は改善されず、右足に歩行障害が残ったままとなっ
ています。
事案のアウトラインは、次のような内容です。
**************************************
**************************************
(1)
原告は、平成19年3月頃、右足の付け根部分にしこりが出来ていることに
提訴しました。
気がつきました。
(2)
原告は、しこりを放置していたところ、平成19年7月に入り、しこり部分
に痛みを感じるようになったので、同月3日、被告病院で受診しました。
(3)
私は原告より、医療過誤裁判を提訴するように依頼を受け、平成20年8月1日に
原告を診察した被告医師は、原告に対し 、「右そけいヘルニアである。手術
が必要だ」と説明しました。その際、被告医師は原告に対し 、「手術後2、3
「 被告医師は、原告の右そけいヘルニアに対するヘルニア修復術の際に手技を誤
り、原告の右そけい部末梢神経及び右閉鎖神経を損傷したため、原告は右足に歩行障
害を残し、回復の可能性が無いので、被告医師と被告病院は、その損害を賠償して欲
しい」という訴えの内容です。
日で退院できる」と説明しました。
(4)
原告は、平成19年8月2日、被告病院において、被告医師より、右そけい
ヘルニアに対するヘルニア修復術を受けました。
(5)
原告は手術直後から、それまではなかった右足の付け根から膝にかけての内
これまで、カルテなどの医療記録などの取り調べが終わりました。原告の陳述書も
提出しました。原告の陳述書は、前記事案のアウトラインで書いたこととほぼ同じ内
容です。
側部分に、痛み、しびれ及び突っ張り感を感じるようになりました。
(6)
原告は、平成19年8月10日に被告病院を退院しました。退院時、右足の
被告医師は、「経過報告」と題する書面を作成し、書証として裁判所に提出しまし
付け根から膝にかけての内側部分にあった痛み、しびれ及び突っ張り感は残っ
た。その中に、「難治の痛みが持続しており、手術に際して末梢神経を傷つけた可能
性もある旨を説明して、ペインクリニックの専門の医師に紹介する旨を話し、S病院
い な べ ん
●田舎弁護士・千田實、妻 加代子
宮脇書店 気仙沼
『読まなくてもいい本』など生活習慣病の『黄色い本』シリーズ他、いなべん著『田舎弁護士の大衆法律学』シリーズ、『いなべん物語』シリーズ等のご注文は、宮脇書店気仙沼 までどうぞ。
〒 988-0024
宮城県気仙沼市仲町 1-86
TEL:0226-21-4800 FAX:0226-21-3010 e-mail:[email protected]
【 2】
担当医師のS医師に電話で相談して紹介した」と明記されています。
たから返せ」という側は、100万円を貸した事実を証明しなければなりません。そ
S病院のS医師は、裁判所の書面質問に対し、回答書を提出しています。それに
の事実を証明するためには、 借用証書が効果的です 。「100万円を借りたことは認
は、「この場合、右大腿外側皮神経と右閉鎖神経が障害を受けた可能性があり、その
めるが、その100万円は返した」という側は、返したことを証明しなければなりま
ためしびれ感と疼痛が生じ、歩行障害を来たしていると思われます」及び「ヘルニア
せん。それを証明するためには、領収証書が効果的です。そのためにも、金を貸した
の手術後から明らかに症状が発現しており、断定は出来ませんが、手術が契機になっ
ら借用証書を、金を払ったら領収証書を取っておく必要があります。
た可能性はあります」と明記されています。
貸した方が貸した事実を立証できなければ、貸したとの主張は認められず、貸金返
還訴訟において原告敗訴になります。返したという側において、返した事実を立証で
私は、この被告医師の「経過報告」の内容と、被告医師から紹介されたS病院のS
きなければ、返したとの主張は認められず、「返せ」という判決になります。裁判に
医師の回答書の内容を考え合わせれば、被告医師が原告の右そけいヘルニアに対する
おける立証責任というものは、最もシンプルな形にしますと、そのようなものなので
ヘルニア修復術の際に手技を誤り、原告の右そけい部末梢神経及び右閉鎖神経を損傷
す。
した過失があると認定すべきだと考えています。
原告は、被告医師の原告に対する右そけいヘルニア修復手術後に、それまではなか
った右足の歩行障害が出現しました。その歩行障害という症状は、被告医師のヘルニ
ア修復術の手技上の過誤によるものだと認定すべきだとするのが、私の主張です。
貸金請求のような単純な事件ですと、前記のようにどちらに、どのような立証責任
があるかということはわかりやすいのです。
だが、医療過誤裁判のように、複雑な事件になりますと、どちらにどれだけの立証
責任があるのかが容易にはわからないことがあります。
これに対して、被告医師や被告病院は、「被告医師のヘルニア修復術において、被
この事件の場合も、患者側において 、「①手術後に、手術前に無かった症状が発現
告医師のどのような過失により、原告のどの神経を傷つけたのか。その結果、どのよ
したこと、②手術によって、そのような症状が出た可能性が高いこと」を立証すれば
うな因果関係を辿って歩行障害が発生しているかのメカニズムを明確にしなければな
足りるのか、それとも、患者側で「③手術において医師がどの神経を傷つけたのか、
らない」という趣旨の主張をなし、担当裁判官もほぼ同じような見解を示していま
④神経を傷つけたことによって、どういう経過を辿って歩行障害になったのか」とい
す。
うことまで立証しなければならないのか、ということが問題になります。
私は、患者側が①と②を立証すれば、③と④まで患者側に立証しなければならない
私は、このような被告医師や被告病院及び担当裁判官の考え方に納得がいきませ
ん。
患者側としては 、「①手術後に手術前に無かった症状が発現したこと、②手術によ
ってそのような症状が出た可能性が高いこと」を証明すれば、それで患者側の証明は
という責任を負わせることは患者側には酷過ぎると考えます。
患者側において、①と②を立証すれば、医師側は、「この症状は、手術によるもの
ではなく、他のこういう原因によるものである」ということを立証しなければ、医師
側の責任を認めるべきだと考えています。
足りていると考えます。つまり、患者側が、そこまで立証すれば、一応手術の失敗に
よって症状が発現したと考えるべきだと思います。
被告医師や被告病院側で 、「この症状は手術によるものではなく、他の原因があ
る」ことを立証しない以上は、手術の失敗によるものとして、その責任を負わなけれ
ばならないと考えます。
立証責任 というのは「 公平 」、つまり、どちらにも偏らず平等なことの要請に基づ
くものです。ですから、どちらに、どのような立証責任があるかということを考える
場合も、「公平」であるかどうかを考えなければならないものです。
医療過誤訴訟において、患者側に③、④まで立証しなければ、患者側の敗訴となる
とするのは、公平とは言えないと思います。
裁判においては、 立証責任という考え方があります。例えば、「100万円を貸し
【 3】
1986年9月号 』130頁には 、
「 病気にかかった患者は医療に関し
40年も弁護士として末端事件の処理に係わってきました。法律に対しても、裁判
ては素人であり、従って玄人である医者の技術を信頼し、医者に全裁量権をゆだね、
に対しても、「これはおかしい」とか、「ここは、こうした方がよい」と思うことがた
医者に自分の身体を治してもらわなければならない。……身体をゆだねる側の患者
くさんあります。機会を見つけて、それらの考えをまとめてみたいと思っています。
は、病気という弱い立場にある。これに対して、医学という典型的な専門知識で武装
いつものことですが、この事務所便りでそのデッサンをさせていただきたいと思いま
した医者は、素人である患者に比べて無条件に強い立場にあり、治療はもっぱら医者
すので、ご迷惑でしょうが、お付き合い下さるようお願いいたします。
『 現代思想
の側の判断や決定によって進められてゆく。医者
患者関係は、絶対的な技術を持
った玄人の側からの一方的な働きかけと、素人の側からの一方的な身体供与によって
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
基本的に成立しており、この独特な関係を暗黙の約束事として私たちが共有すること
によって、医者
患者関係が確立され、フィクションとしての医療空間が醸成され
国会議員の先生方へのお願い
るのである」と記されています。
ここには、医者と患者の関係について、次のような的確な指摘がなされています。
イ
○
患者は医療に関して素人であるのに対し、医者は医学という典型的な専門知
識で武装した玄人であること。
ロ
○
8月30日は、衆議院議員の総選挙です。
いつものことですが、どの政党が良いのか、どの候補者が良いのか、選ぶのが難し
くて困っています。どの政党が、どの候補者が、私達の期待に応えてくれるかわから
病気にかかった患者は、医者の技術を信頼し、医者に全裁量権をゆだね、医
ないのです。何か選択の基準がはっきりしていればわかるのですが、どの政党も、ど
者に自分の身体を治してもらわなければならない立場にあること。これに対し、治療
の候補者も、自分の方が良くて、相手方の方は悪いというようなことを言い合うだけ
はもっぱら医者の側の判断や決定によって進められてゆくこと。
で、どっちを選んだらいいのか、誰を選んだらいいのか、決める決定打がありませ
ハ
○
医者
患者関係は、絶対的な技術を持った玄人からの一方的な働きかけと、
素人の側からの一方的な身体供与によって成立していること。
この指摘こそ、公平の理念から生まれている立証責任を考える場合は、重要なポイ
ントであると確信します。
医療に関する素人である患者に対し、玄人である医者が、③、④まで立証せよとい
うのは納得できません。素人である患者が、①、②まで立証すれば、その後は玄人で
ある医者側で、③、④の立証をしなければならないと考えるのが公平だと信じて疑い
ません。
最近、生活習慣病関連の話が多く 、「法律や裁判を忘れたのではないか」などと思
われては困りますので、今回は、いくらか裁判に関する専門的な話を少ししてみまし
た。
ん。
私が今回選びたい政党、選びたい候補者は、次のことをしてくれる党であり、候補
者です。
それは、①診療報酬の改善、②健保(健康保険)の改善をしてくれる党であり、候
補者です。
①の診療報酬の改善点は多岐にわたると思いますが、その中でも食事指導の診療報
酬を大幅に増額してほしいということです。食事療法は、奇跡的とも言える効果があ
ないし
り、食事療法によって救われる生活習慣病患者乃至その予備軍は、数千万人もいるの
です。生活習慣病患者に対する医療費は、膨大なものとなっており、国家の税収総額
に匹敵するほどです。詳しいことは機会を見て発表しますが、食事指導の報酬を大幅
に増額しても、生活習慣病患者を減らすことによって、総体的医療費を減らすことが
できると思います。
【 4】
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
②の健保の改善は、早急にされなければなりません。食事療法は、生活習慣病の進
行レベルによってその内容は異なります。生活習慣病が進めば、治療用食品を使わな
落
ければできません。私のように、 腎不全患者の治療用食品の場合 は、今のままです
と、1食約1,000円、1日約3,000円、1か月約9万0,000円がかかり
ます。
ある管理栄養士の先生 が、「治療用食品が効果があることは承知しています。しか
首
ちゅう
中3に
銀座で食べた
教え込まれた
赤いチャーシュー
人のぬくもり
し、年金生活者にそれを勧めることは、経済的負担を考えるとできないのです」と嘆
平成21年8月24日
いていました。
青空浮世乃捨
治療用食品に健保が使えるようになった場合は、一般的には患者負担は3割ですか
ら、1食300円、1日900円、1か月2万7,000円ですむことになります。
中学3年生の修学旅行は、東京方面でした。上野か、日暮里の旅館に宿泊しまし
健保の負担はそれだけ増えることになりますが、それによって、人工透析に入る時
た。夕食後、3時間ほどの自由時間がありました。自由時間には、兄や姉が東京にい
期を遅らせることができれば、医療費は大幅に軽減されることになります。人工透析
る人は、宿まで迎えに来てもらって一緒に外出しました。私と近所の同級生は、近所
の医療費は、1人当たり月額約50万円といわれております。その医療費のほとんど
は、公的資金が使われています。透析導入の患者数が減れば、公的負担は減ることは
明らかです。
①診療報酬の改善、特に食事療法の診療報酬を大幅に増額すること、②健保の改
の先輩に、夜の銀座を案内してもらいました。どこをどう歩いたか、何を見たかは全
く記憶にありません。だが、確か不二家だった気がしますが、ラーメンをご馳走にな
ったことは忘れることができません。特に、ラーメンの上に乗っていた「赤いチャー
シュー」の印象は鮮烈です。
善、特に治療用食品に健保を適用するということは、政治的解決が必要です。そのた
めには、国会議員の先生方にお願いしなければなりません。
ただ、国会議員の先生方にお願いするだけでなく、国会議員の先生方を選ぶのは国
8月16日に、東京・江東区で、『私達、患者が伝えたい
出浦先生の食事療法の教
え』の東京出版記念講演会が開催されました。
民であり、われわれであることを、当たり前のことですが敢えて申し上げたいので
東京駅すぐ側のホテルから会場に向かうタクシーが、銀座のそばを走っているとき
す。書き出し部分でも申しましたが、8月30日は衆議院議員の総選挙です。国会議
に、その「赤いチャーシュー」が頭に浮かんできました。同乗していた家内や事務局
員の先生方にお願いすることも必要ですが、私達の期待に応えてくれるであろう政党
に、思い出話をしました。
に、議員に、一票を投ずることが何より大事なことだと思います。
午前中は、私が講演をしたのですが、それが終わるとすぐに、一人の紳士が私のと
残念ながら、私の知る限りでは、食事指導の診療報酬の大幅な増額と治療用食品に
ころに歩み寄ってきました 。「 50年ぶりだ 」と言って、手をさしのべてくれまし
健保を適用させるとの政策を明確にしている党や議員は見つかりませんでした。極め
た。すぐ「赤いチャーシューのラーメンをご馳走してくれた先輩」であることがわか
て難しいことですが、そういうことをやってくれそうな党や議員を嗅ぎ分けることが
りました。両手で手を握り返しました。
大事だと思います。
その先輩は、郷里でわが家の数軒隣に住んでいました。私より、6、7歳年長で、
小・中・高と先輩でした。秀才の誉れが高く、野球もエースで、私達後輩の憧れの的
【 5】
でした。その先輩が、わざわざ宿まで訪ねて来てくれて、夜の銀座を案内してくれま
した。舞い上がってしまいました。
「私もあの先輩のようになりたい」、「人には親切にしなければならない」、「人は大
事にしなければならない」と思うようになりました。大学で法律を勉強し、弁護士と
その先輩が、東京出版記念講演会に来てくれたのです。感無量でした。
なって多くのトラブルに関与するようになり、「幸福な人生を全うしたい」という願
いは誰でも同じであり、これを何よりも大事にすることが、人間として最も大切なこ
講演会が終わった8月20日、その先輩からメールが届きました。その中に、「 あ
となんだと思うようになりました。
なたとは何十年ぶりのなつかしい再会でした。長い弁護士としての生活から自然と身
についた品格と重みと、それでいながら親しみ易さの庶民性や、人間にたいする温か
「幸福な人生を全うしたいという権利」を根こそぎ奪うのは、人の命を奪うことで
みを併せ持つ人格のオーラを感じました。あなたの『的外』や諸著作を読んだ印象と
す。ですから、殺人が許されないことは当然のことです。人を殺すつもりがなくと
一致するものでした」とありました。涙が出るほど嬉しくなりました。
も、交通事故で人の命を奪うことも、同じく許されないのです。
特に、「 人間にたいする温かみを併せ持つ人格のオーラを感じました 」というとこ
ろは、もしそれが本当だったら、これほど嬉しいことはありません。
明治憲法下で作られた刑法では、殺す気で殺したか、過失で死に至らしめたかによ
って、罰の上で死刑になったり、罰金で済んだりと大差を設けていますが、「幸福な
人生を全うしたいという権利」を根こそぎ奪うという結果は同じであり、あまり大き
私は、平成18年(2006年)11月に、『田舎弁護士の大衆法律学
憲法の心
な差をつけるのはいかがなものかと思っています。明治憲法では、天皇が究極の価値
~改正権者のあなたに知ってほしい~ 』という本を発刊しました。その中で、「 こ
ですから、「天皇の命令に背くことが最も悪いことだ」という考え方が基本です。「殺
の世の中で、人権が最も大事なものだ」と述べ、「人権」とは、「幸福な人生を全うし
してはならない」という天皇の命令に背いた者は重罰に、間違って人を死に至らしめ
たいという権利」と定義しました。生まれたくて生まれたのではありません。死にた
た者は、天皇の命令に背いた者ではないので軽罰に、という考え方ではないでしょう
くて死んでいくわけでもありません。だが、この世に生まれた以上、「幸福な人生を
か。
全うしたい」と思うのは、当たり前です。そう思い、それを目指して努力するのが人
生です。それは、誰にも邪魔されない権利です。この権利は、私にもありますが、他
の誰にでもあるはずです。それを大事に考えることが、人権の尊重です。
人権の尊重が究極の価値と考える現行憲法下では、不注意であっても人命を奪うこ
とは重く処断されるべきだと思います。
最も許されないのは、戦争です。第二次世界大戦では、地球上で6,200万人、
そのような考え方で、40年間弁護士をさせてもらってきました。その結果とし
日本人だけでも310万人もの人命が奪われています。これほどの悪はありません。
て、「人間にたいする温かみを併せ持つ人格のオーラを感じました」と書いていただ
き、これまでの私の生き方を認めていただいたような気になりました。私にとって
は、これ以上嬉しい言葉はありません。
「幸福な人生を全うしたいという権利」を究極の価値とする考え方からすれば、戦
争が許されるはずはありません。私の憲法に対する考え方、法律に対する考え方は、
全て、「 幸福な人生を全うしたいという権利」を第一に考えているかどうか、という
かも
もし本当に、私が人間に対する温かみを併せ持つ人格のオーラを少しでも醸し出
視点に基づいています。
しているとするなら、それは、親や兄や私を指導してくれた多くの先生方の教えによ
るものです。そして、銀座で食べさせていただいた、赤いチャーシューのぬくもりに
よるものです。
先輩にご馳走になった、 赤いチャーシューの入ったラーメンの味は、「美味しかっ
このような考え方に至ったその出発点は、赤いチャーシューにありました。赤いチ
ャーシューに教えられた人のぬくもりのありがたさと、親、兄弟、妻子、先生方、こ
れまで私を支えて下さった皆様のぬくもりとが合体して、67歳の現在の自分を作っ
たな」と思い出すと共に、「あの時は嬉しかった」、「あの時は、ありがたかった」と
てくれたと感謝しています。『私達、患者が伝えたい
人のぬくもりに対するありがたさを深く印象づけてくれました。
東京出版記念講演会で尊敬する先輩に会えて、改めてその思いが込み上げてきました。
出浦先生の食事療法の教え』の
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