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第1号議案
2012年度運動方針(案)について
はじめに
2011年3月11日、わが国観測史上最大となるマグニチュード9.0の地震が東北・
関東地方を襲った。地震とともに発生した大津波により、死者は15,805人、行方不明
者は4,040人に及ぶ未曾有の大災害となった(9月22日現在)。
この東日本大地震は、被災地が極めて広範囲にわたり、また地震、津波の被害に加え、
原子力発電所の事故が重なり、かつて経験したことのない複合型の災害となった。津波に
よる被害は甚大で、家庭や企業だけでなく社会インフラや公共施設まで壊滅し、行政機能
が失われている地域も多い。復旧・復興には相当の時間と費用がかかると予想される。
地震直後に発生した福島第一原子力発電所の事故では、深刻な放射能漏れや水素爆発を
引きおこし、いまだ終息に至っていない。放射性物質の放出・汚染により周辺住民は集団
避難を余儀なくされ、発電所近くの地域では長期間にわたり人が住むことはできない。
文科省が発表した「福島県内の学校の校舎・校庭等の線量低減について」では、「校庭・
園庭の空間線量率については、児童生徒等の行動パターンを考慮し、毎時1マイクロシー
ベルト未満を目安とします」としている。これは電離放射線障害防止規則に定められてい
る基準、「一般人の立ち入りと18歳未満の労働が禁じられている『放射性管理区域』の数
値は、毎時0.6マイクロシーベルト」より高い。子ども、そして妊婦が安心して福島県内
に住むためには、毎時0.6マイクロシーベルト以下の基準とすべきである。
円高が止まらない。米経済は雇用状況が改善されず金融危機再燃も懸念されている。E
U圏でも各国の債務危機など不安材料を抱えていることから、行き場を探すマネーは逃避
先として円買いに走り、実態とかけはられた円高が続き、ついに対米ドルへの為替レート
が最高値を更新した。
わが国経済は東日本大震災で寸断されたサプライチェーンの復旧で、自動車や電気、機
械などの生産が急ピッチで回復し、また宿泊施設や飲食業にあっても自粛ムードが払しょ
くされ客足が戻りつつある。経済は震災後の最悪期を脱し秋口にかけて景気回復に期待が
高まるが、定期点検中の原発の再開ができず、これから点検に入る原発の再稼働に時間が
かかることになれば、電力の安定供給に不安が出てくる。
電力供給の不安、円高が続けば、製造業は生産拠点の海外移転を加速させてしまう。震
災の影響で景況感が大幅に落ち込んだ自動車、電気、機械などの大企業製造業は、復興需
要への期待感もあって非製造業とともに秋以降先行きはプラスが見込まれているだけに、
先行き不透明感が増加してきている。
4月にスタートした復興構想会議と同検討部会は、6月末に「復興への提言」を取りま
とめ政府に提出した。「復興基本法」も成立し、本格的な復興に向け、復旧だけでなくどの
ような創造的復興につなげ日本経済社会の再浮上のきっかけにするのかが問われている。
1990年代中盤から始まった雇用・労働分野の急激な規制緩和によって、非正規労働
者は1721万人を超え、労働者全体の38.7%を占めている。非正規労働者のうちおよ
そ半数が主たる生計者とみられており、雇用・処遇面からの条件改善が急務となっている。
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正規から非正規雇用へと代替が進行することで企業のコスト低減は進んだが、一方で技
術・技能の集積不足をもたらし、競争力の維持が困難になってきている。社会保障制度が
雇用構造の変化に対応してこなかったため、ワーキングプアの増大など格差が拡大し事態
は深刻化している。雇用保険の適用拡大や求職者支援法などは実現したが、改正派遣法は
継続審議となっており、能力開発などセーフティネットの拡充を急がなければならない。
日本経済は1990年初頭にバブルが崩壊して以降、約20年もの長期にわたり低迷を
続けている。中国など「世界の工場」として大きく成長するアジアの中にあって日本だけ
が低迷する大きな原因は、円レートの高騰や資源制約要因等に加え、新たな産業分野が成
長していないことである。わが国の優れた技能・技術力、現場力によって成長分野を創り
だすとともに、成長が期待される分野や競争力が発揮できる産業を育むことで、ディーセ
ント・ワークとしての雇用機会の創出をはかっていく必要がある。地域の特性を生かした
地域産業の活性化や活力ある中小企業群の育成、付加価値の高い製品・サービスの輸出伸
長と対日投資の促進、農林水産業の6次産業化、医療・介護、観光、環境、エネルギーな
どの成長分野の育成に向けての政労使の議論が急がれる。東北地方の復興・再生とともに
日本経済全体の浮揚につながる成長戦略の実現が求められている。
2008年秋のリーマン・ショックに象徴されるグローバル金融資本主義の破綻は、経
済効率や利益を最優先させてきた市場原理主義や新自由主義的政策が、格差や貧困の拡大
など社会の不条理をもたらしてきたことを世界中に知らしめた。金融資本主義は続いてい
るが、経済の暴走への反省から、世界は新たなパラダイムへの転換に取り組み始めている。
それは公正や安全・安心を社会の基盤とし、人と人との絆を強くしながら支えあう社会へ
の転換である。
G20では、国際労働運動の強力な働きかけを背景に、「グローバル化の社会的側面の強
化」が重要課題と位置付けられ議論が深まりつつある。その議論の根幹をなす考え方がデ
ィーセント・ワーク(働きがいのある人間らしい仕事)の実現である。ILOが提起する
ディーセント・ワークの実現は、労働の尊厳、労働の価値を軽視してきたこれまでの経済
政策や社会政策への反省を促すものであり、「時代の潮流」はパラダイム・シフトに向けて
変化してきている。
2012年は国際協同組合年でもある。ディーセント・ワークの実現を含め、地球温暖
化や資源・エネルギー問題の解決、国際間格差や平和問題への取り組み、地球全体の持続
可能性を担保するための新たな枠組みを国内外で模索する契機とするべきである。
鳩山政権は2009年9月、「国民の生活が、第一」「脱官僚依存」「政治主導の確立」
「ムダな予算の削減」などを掲げ、国民の圧倒的支持を受けて誕生した。「コンクリートか
ら人へ」の政策推進や「事業仕分け」は政権交代を印象付け、自民党政権時代のほころび
やムダを浮き彫りにすることができた。しかし普天間基地移設問題、首相・幹事長の政治
とカネの問題から総辞職し菅政権が発足した。
菅首相は、党内議論も政権公約にもない「消費税増税発言」によって混乱を招き、支持
を失い参議院選挙に大敗した。これにより国会はねじれ状態となり、民主党の掲げる主要
政策は軒並み停滞した。その後も閣僚の発言や外交問題への対応などに批判が続いた。
震災発生に伴い、国民は与野党が一致協力し、国を挙げて復旧・復興に力を尽くすこと
を期待したが、被災地を置き去りにした党利党略の与野党対立が露呈し、震災対応でも支
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持が得られず党内対立も深刻化していった。いずれの政権も、首相の指導力の欠如と思慮
を欠いた発言で国内外の課題で失策を重ね、政策論争がないがしろにされた。政治の混乱
と空白に国民は政治不信を募らせ、政党政治にとどまらず議会制民主主義そのものが危機
にひんする事態を招いてしまった。
政権交代によって、生活保護の母子加算の復活、子ども手当の導入、求職者支援制度の
実現、雇用戦略対話と最低賃金の引き上げなど政策面で成果が上がった。自立的労使関係
制度を措置する国家公務員制度改革関連法案が2011年6月閣議決定され、消防職員団
結権付与についても政府公式見解が示された。成立はしていないが、実現に向け前進した
ことは政権交代の成果である。
一方で、連合が重要法案と位置づけ全力で取り組んできた労働者派遣法改正法案は成立
しておらず、雇用保険の国庫負担回復も再三の協議・要請にもかかわらず実現していない。
「新しい年金制度」も支給開始年齢について連合として容認できるものでなく、高齢者医
療制度改革も進んでいない。また事業仕分けでは、厳しい雇用情勢にもかかわらず労働保
険特別会計の5事業が廃止されるなど、雇用・労働面への配慮が著しく欠如している。
脱官僚支配と政治主導を掲げた民主党政権は事務次官等会議の廃止や政務三役会議の設
置などを進めたが、府省間の調整不足を招き政務三役の統制を欠く発言、官僚との意思疎
通不足、司令塔機能の喪失など混乱を招き政策実現力がそがれ、連合が期待した政策の実
現可能性は著しく低下した。
こうした中、2011年8月29日に民主党代表選が行われ、野田佳彦前財務大臣が決
選投票の末第9代代表に就任、翌30日、国会での首班指名を受け第95代内閣総理大臣
に就任した。野党時代の民主党は(野田さん自身も)、首相が変わるたびに「総選挙で国民
に信を問え」と訴えていたが、今は民主党が総選挙を経ずに首相の首を挿げ替えている。
野田新政権は、党の結束を回復させながら、政治への信頼を取り戻し国難の克服に全力を
尽くしてもらいたい。
連合は第59回中央委員会(2010年12月2日)において、「働くことを軸とする安
心社会」を目指すべき新たな社会像として確認した。この社会像は、従来連合が提唱して
きた「労働を中心とした福祉型社会」をより分かりやすく深化させたものであり、働くこ
とに最も重要な価値を置き、誰もが公正な労働条件の下、多様な働き方を通じて社会に参
加でき、社会的・経済的に自立することを軸として、それを相互に支えあい自己実現に挑
戦できるセーフティネットが組み込まれている活力あふれる参加型の社会である。この考
え方は、5つの政策理念、「連帯」「公正」「規律」「育成」「包摂(インクルージョン)」と
して「政策・制度 要求と提言」に反映されている。
待ったなしの国民的課題である復興・再生の取り組みにあっても、「働くことを軸とする
安心社会」の実現は、その中心に位置する考え方である。
宮崎県は昨年口蹄疫の蔓延により、畜産業や関連産業はもとより経済全体に深刻な影響
を受けた。終息宣言以降、復興に向けての取り組みが強化され、その結果、大型小売店販
売額、乗用車新車登録台数、主要ホテル旅館宿泊者数などの経済指標は回復してきていた
が、年明けに発生した鳥インフルエンザ、新燃岳の噴火そして大震災によって再び下降に
転じた。
7月、宮崎財務事務所の県内経済情勢報告によると、個人消費は弱いながらも下げ止ま
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り、生産活動は緩やかに持ち直し、設備投資は前年度を上回る見通し、雇用情勢は厳しい
状況にあるなか緩やかに持ち直しの動きとなっており、県内経済は厳しい状況にある中緩
やかな持ち直しの動きが続いているが一部に弱さがみられる。先行きについては海外経済
や為替レートの動向及び雇用情勢などに注視していく必要がある、とされた。
連合宮崎発足当時(1990年)、県内の労働組合加入労働者は81,181人、その内
連合組合員は58,108人、推定労働者数は36.7万人。連合宮崎の組合員数は、19
92年の59,248人が最大で、推定の組織率は16.12%である。その後は徐々に組
合員数が減少し、2010年には39,741人、9.16%の組織率まで落ち込んでいる。
この数年間、団塊の世代の大量退職にもかかわらず先行き不透明な状況から退職者の補充
が控えられ、また、補充しても非正規労働者が中心となり、そのことも組合員減少につな
がっている。労働組合も組織化に本気になって取り組む中から、一部ではあるが非正規労
働者の正規への切り替え、非正規労働者の組合員化の取り組みも実現してきている。構成
組織、地域協議会と情報を共有しつつ、働く仲間を増やしていく取り組みに全力を挙げる。
4月に実施された統一自治体選挙の結果、県議会議員選挙では民主党は議席を維持した
ものの社民党は2議席を減らした。市議会・町議会議員選挙では、連合宮崎推薦の無所属
現職1名が議席を守ることができなかった。連合の推薦候補が徐々に減少する中、新たな
連合推薦候補の掘り起こしに力を注がなければならない。
2年後の夏には参議院議員選挙がおこなわれる。衆参同時選挙の可能性もある。自民党
候補に対抗するために、民主党と社民党が共闘し、そのうえで保守陣営の一部を巻き込ん
だ選挙態勢を作り上げなければならない。連合宮崎として、自民党に対抗できる宮崎の政
治軸を作ることの重要性を粘り強く追求していく。
連合の地域協議会再編が終盤を迎えている。連合は2005年、「地方連合会・地域協議
会の具体的実施計画」を確認した。そのなかでは、地方連合会の5つの活動と、地域協議
会が担う10(現在は12)の取り組みが示されている。あわせて、「地域に根ざした顔の
見える運動」を行うため2012年6月までに新地協の設置を推進することとした。
連合宮崎はこれまで、9地域協議会を存続させ、それぞれの地協で「顔合わせ、心合わ
せ、力合わせ」を実践してきた。9つに分けてあるのは、交通の便、地域運動の成り立ち
などから最も適正な範囲、大きさであることは言うまでもない。しかし連合評価委員会の
最終報告に掲げられた「不条理に対して闘う姿勢を持ち、行動することが労働組合の使命
である」との考えに基づく運動を行うためには、本部が提唱する地域協議会の機能強化は
必須であり、そのためには新たな専従役員の配置とそれに伴う財政支援のもとで地域協議
会の活動基盤の強化を果たしたい。
連合宮崎としては、9つの地域協議会が20年間かけて培ってきた運動を継承しつつ、
新たな枠組みのもと示された機能について着実に果たしたいと考え、新地域協議会の設置
に向けてそれぞれの地域協議会と本音の議論を行ってゆく。
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