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「南北問題」再考- 経済格差のグローバル・ヒストリー

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「南北問題」再考- 経済格差のグローバル・ヒストリー
脇村 孝平
(大阪市立大学・大学院経済学研究科)
1
1.
2.
3.
4.
5.
6.
7.
8.
はじめに
南北問題パラダイム-1950年代・1960年代
新国際分業パラダイム-1970年代・1980年代
グローバリズム・パラダイム-1990年代・2000年代
中入り-前半の総括
歴史像の転換(1)-南北から東西へ
歴史像の転換(2)-東西から南北へ?
おわりに-後半の総括
参考文献
2

問題設定-二つの問い
◦ 「南北問題」という用語は、この頃あまり聞かれなくなくなった。かつ
て、先進国と発展途上国の間の経済格差を指す用語として、よく聞
かれる言葉だったが、なぜ今日それほど聞かれなくなったのか?
◦ このような変化は、歴史認識に如何なる影響を与えたのか?

「南北問題」という言葉の含意
◦
◦
◦
◦
北半球と南半球
温帯と熱帯
先進国と発展途上国(後進国、低開発国etc.)
世界経済が工業化の進んだ国々と一次産品に特化した国々とに
南北で分かれている状態。両者の間で工業製品と一次産品が交
易されることが想定されている。(最初の時点での問題設定)
3

二つの問い
◦ 「南北問題」の帰趨を問う。この半世紀強の現代史を通覧し
て、「南北問題」の現在を考える(前半)。
◦ グローバルな経済格差に関する歴史認識に如何なる変遷が
あったのか(後半)。

前半は、いわゆる開発論に関心を絞った現代史(略
史)であり、後半は、グローバル・ヒストリーの限定さ
れた概説であるが、前半は後半の前提として位置づ
けられている。
4
5


「交易条件の悪化」という認識
国連貿易開発会議(The United Nations Conference
on Trade and Development, UNCTAD)
◦ 1964年に第一回会議
◦ プレビッシュ報告(「開発のための新しい貿易政策を求めて」)
1. 低開発国の一次産品および工業品に対して、工業国は一定期間中
の数量的ターゲットを設定すべきである。
2. 低開発国の製品・半製品に対して、工業国は無税輸入を含む一方的
な一般的特恵制を実施すべきである。
3. 一次産品の価格安定をはかるため、最低価格の設定または価格改
善を保証するところの商品協定の拡充、また熱帯産品に対する内国
税の廃止。
4. 過去および将来の交易条件悪化から生じた損失に対する補償融資
制度の設立。
5. ガット規定の改訂と、国連の機関としての新しい貿易機構の設置。
6

プレビッシュ報告の認識
◦ 一次産品輸出の停滞
◦ 一次産品価格の相対的低下(交易条件の悪化)

交易条件(商品交易条件)とは
◦ 「輸出商品と輸入商品の交換比率で,具体的には輸出物価指数と輸
入物価指数の比で表わされる。これは一国の貿易利益つまり貿易に
よる実質所得の上昇を示す指標となる」(ブリタニカ国際大百科事典)

交易条件の悪化は何を意味するのか
◦ 発展途上国にとって、輸入超過を招き、工業化のための資金(外貨)
不足を招く。当時、多くの発展途上国は、輸入代替工業化戦略を採っ
ていたが、そのための資本財輸入が滞ることになる。

古典的な自由貿易主義の否定へ
◦ UNCTADは、自由貿易(比較優位の原理)を唱道するGATT体制に対
して、批判的。世界経済秩序の構造改革と組織化を目指す。
7
ラウル・プレビッシュ
(1901-1986)
ラグナー・ヌルクセ
(1907-1959)
8


初期の開発戦略(1)-理論的背景
輸出ペシミズム(ラグナー・ヌルクセ)
◦ 19世紀の国際貿易
新興地域(カナダ、アルゼンチン、ウルグァイ、南アフリカ、オースト
ラリア、ニュージーランド)の生産する一次産品に対して、ヨーロッパ
の進んだ国々からの需要が強かった。したがって、これらの新興地
域では、一次産品輸出が「成長のエンジン」となって、これらの地域
は経済発展した。その意味で、国際貿易を通じて、経済発展がヨー
ロッパの進んだ国々から新興地域に伝達されたことになる。
◦ 20世紀中期の貿易
非工業諸国の生産する一次産品に対する工業諸国からの需要が
弱まった。国際貿易を通じて、経済発展が工業諸国から非工業諸
国へ伝達されるというメカニズムは消えた。
9

工業化戦略(ラグナー・ヌルクセ)
◦ 一次産品輸出に基づく19世紀型の経済発展が可能でないと
すれば、残る選択肢は、次の二つになろう。すなわち、輸出
市場向けの工業化と国内市場向けの工業化のどちらかであ
る。
◦ 輸出市場向けの工業化
貧しい国が、一次産品ではなく、製造品を輸出するという選択肢。この
選択肢に関しては、悲観的であった。その主たる理由は、先発の工業
諸国との貿易摩擦や保護主義という障壁に阻まれるという点であった。
◦ 国内市場向けの工業化
農業と工業の均衡、および工業内の各産業の均衡の必要性が論じら
れている。国内市場向けの工業化のためには、均衡成長が必要と考え
られていた。
10


初期の開発戦略(2)-実践
独立後インドの経済開発戦略
◦ 混合経済
 産業政策決議-1948年4月
公企業と民間企業とが担当できるそれぞれの産業分野が設定され、
① 軍需産業・鉄道・原子力は国家独占
② 石炭・鉄鋼・航空・造船・通信・石油の六業種では新企業はすべて
国家独占、
③ これら以外は、私企業。
 経済計画
計画委員会の発足-1950年
 1951年の産業(開発・規制)法
民間企業に対して、新工場の設立、既存工場での生産能力の大幅拡
張、既存工場での新製品の製造、立地の変更という四つの領域でのラ
イセンス取得が義務づけられる。
11
◦ 第二次五年計画
 マハラノビス・モデル
重工業優先発展-鉄鋼業への投資を重視
外国(アメリカ、世銀、西ドイツ、イギリス、ソ連)の援助への依存
粗鋼生産
1951年 150万トン→1966年 660万トン
粗投資における機械部分に対する輸入
1950/51年 70%弱 → 1960年代後半 25%程度
◦ 輸入代替工業化
 高い関税障壁
 外資の規制
12


変動相場制と石油ショック
変動相場制への移行
◦ 過剰流動性問題
◦ ニクソン・ショック-1971年 ニクソン、金・ドル交換停止を発表
◦ 固定相場制から変動相場制へ

石油危機
◦ 1973年 アラブ産油国、減産決定
◦ 石油価格の高騰(1バーレル当たりのドル価格)
 1973年 2.70 → 1974年 9.76 → 1975年 10.72 → 1976
年 11.52

スタグフレーション
◦ 先進国における不況とインフレの二重苦
13

累積債務問題
◦ 産油国のドル資金
 産油国のドル資金が、ユーロ・ダラー市場(ヨーロッパにおける米欧
の銀行が有するドル資金)に流れる。
 ユーロ・ダラーが、発展途上国に多額の資金を融資するようになる。
 非産油発展途上国が、債務を累積した。
◦ アメリカの金融政策の変化
 1979年 アメリカ連邦準備制度のポール・ボルカーが金利の引き
上げを断行
 インフレーション対策
 マネタリズムの影響(ケインズ的マクロ経済政策の批判)
 銀行関係者(資金の貸し手)の利害
 金利の引き上げが世界に波及
14
消費者物価指数 (1953年=100)
(出所)参考文献 『近代国際経済要覧』
600
500
400
300
200
100
0
1948
54
57
合衆国
60
フランス
63
66
西独
69
72
イギリス
日本
75
78
15
主要資本主義国の経済成長率(1960~1977年)
(%)
資本主義世界
(平均)
先進国
発展途上国
合衆国
フランス
西独
イギリス
日本
196070
5.2
5.1
5.6
4.3
5.7
4.4
2.9
10.5
197077
3.7
3.2
6.2
2.8
3.7
2.4
2.1
5.1
(年平均)
注:実質国内総生産の対前年成長率
(出所)参考文献 『近代国際経済要覧』
16


新国際分業
輸出志向工業化への道
◦ 累積債務問題の発現
 累積した負債の元利支払いが、困難に
 債務不履行
◦ 輸入代替工業化の終焉
 資本財の輸入のために米欧銀行の融資に頼ったことの帰結
 輸入代替工業化戦略は、もはや持続可能(sustainable)ではない。
◦ 東アジアNIEsによる輸出志向工業化戦略の成功

新国際分業(new international division of labor)

社会主義の揺らぎ
◦ 製造業の発展途上国への移転
◦ 発展途上国への多国籍企業の直接投資
◦ 中国の改革開放路線(1978年)
17

社会主義の終焉

新古典派経済学と新自由主義

ME革命とIT革命
◦ 1980年代における経済の行き詰まりの帰結
◦ 1991年 ソ連崩壊
◦ 市場経済への代替モデルが消滅した。
◦ グローバリズムを支えるイデオロギー
◦ ME革命-製造機械の制御部分にマイクロエレクトロニクスを組み
込むことによって従来は人間により行われていた作業を再現し自
動化する機械体系
◦ IT革命-IT の真価は,機器の物理的制御に止まらず,デジタル化
できる情報の介在する部面すべてに浸透可能な技術である点にあ
る。
◦ キャッチアップ工業化 ⇒ キャッチアップの前倒し
18

金融のグローバル化
◦ 国際的な金融取引の額が飛躍的に増加した。これが、新国
際分業を支えている。
◦ 金融のグローバル化によるリスクも増大した

アジア経済の台頭、中国とインドの復活
◦ 20世紀後半に世界市場から退出していた中国とインドが、世
界市場に復帰した。

世界における貧困削減
◦ 中国(1980年代以降)とインド(1990年代以降)の高成長
は、
◦ 世界の貧困削減に大きく貢献した。
19
1人当たり実質GDPの国際比較 (2005年の米ドル基準) (a)
1990-2000
2000-2010
年平均成長率(%)
年平均成長率(%)
37,092
1.9
0.7
28,889
30,965
0.9
0.7
31,899
39,545
42,079
2.2
0.6
UK
23,348
29,126
32,814
2.2
1.2
フランス
24,267
28,210
29,484
1.5
0.4
東アジア
1,643
3,250
7,020
7.1
8.0
インドネシア
2,008
2,623
3,885
2.7
4.0
中国
1,101
2,667
6,819
9.3
9.8
タイ
3,933
5,497
7,673
3.4
3.4
南アジア
1,199
1,648
2,812
3.2
5.5
バングラデシュ
747
970
1,488
2.6
4.4
パキスタン
1,620
1,845
2,397
1.3
2.7
インド
1,210
1,722
3,073
3.6
6.0
ネパール
712
906
1,083
2.4
1.8
アフリカ(サブサハラ)
1,169
1,163
1,689
-0.1
3.8
エチオピア
545
527
932
-0.3
5.9
ナイジェリア
1,417
1,469
2,137
0.4
3.8
ケニア
1,421
1,283
1,485
-1.0
1.5
南アメリカ
6,933
8,021
11,563
1.5
3.7
ペルー
4,477
5,543
8,555
2.2
4.4
ブラジル
7,175
7,909
10,093
1.0
2.5
アルゼンチン
7,458
10,282
11,647 (b)
3.3
2.1
1990
2000
2010
高所得国
28,628
34,523
日本
26,523
アメリカ
(a) サンプル国のグループの平均値はその年の人口を用いた加重平均。
(b) 2010年のデータがないため、2006年のデータを利用し、2000-2006年の年平均成長率を求め
た。
(出所)参考文献 『なぜ貧しい国はなくならないのか』
20
貧困者比率の国際比較 (a)
1990年前後 (b)
2010年前後 (c)
東アジア
57.4
インドネシア
54.3
(1990)
18.1
(2010)
中国
60.2
(1990)
11.8
(2009)
タイ
11.6
(1990)
0.4
(2010)
南アジア
56.1
バングラデシュ
66.7
(1889)
43.3
(2010)
パキスタン
64.7
(1991)
21.0
(2008)
インド
53.6
(1988)
32.7
(2010)
n.a. (d)
24.8
(2010)
アフリカ(サブサハラ)
58.3
53.5
エチオピア
60.5
(1995)
30.7
(2011)
ナイジェリア
61.9
(1992)
68.0
(2010)
ケニア
38.4
(1992)
43.4
(2005)
南アメリカ
14.1
ペルー
12.9
(1994)
4.9
(2010)
ブラジル
17.2
(1990)
6.1
(2009)
0.6
(1991)
0.9
(2010)
ネパール
アルゼンチン
12.2
32.3
5.2
(a) 貧困線は1日1.25ドル。サンプル国のグループの平均値はその年の人口を用いた加重平均。括弧内はデータの取れた年を示す。
(b) 1990年に最も近いデータのある年。
(出所)参考文献 『なぜ貧しい国はなくならないのか』
(c) 2010年に最も近いデータのある年。 (d) データなし。
21
参考文献 『大脱出』

「南北問題論」から「新興国経済論」へ
◦ かつての、先進国と発展途上国との間の絶対的な経済格差の問
題は、中国やインドなどのいわゆる新興国の台頭によって、むしろ
格差の縮小という傾向が見られる。
 「第三世界は縮小した。これまでの40年間の開発にまつわる課題は、
10億人の豊かな世界と50億人の貧困の世界との関わりだった。2015
年までの開発の進展状況を検証しようという国連のミレニアム開発目標
(MDGs)もこの考えに立っている。しかし開発を概念化するこの方法
は、2015年には明らかに時代遅れになっているだろう。世界人口の
80%に当たる50億人の大部分は、実際は急速に開発が進んでいく国
に暮らしているのである。その一方で底辺にある国のグループは、脱落
しつつあり、時には崩壊している。これが開発の重大な問題点である」
ポール・コリアー『最も貧しい国々のために本当になすべきことは何
か?』日経BP社、2008年。
◦ ただし、コリアーの言う底辺の10億人の貧困問題は深刻。さらに、
新興国経済の内部の格差問題(貧困問題とは区別すべき問題)も
看過できない。
23

グローバル化は、格差(世界規模の格差)を拡げたか?

それでは、「南北問題」は全く解消したとみるべきか?
◦ むしろ、1970年代以降のグローバル化は、市場経済に依拠しつ
つ、技術革新の影響(生産性の上昇)を世界の各地域に広めること
によって、世界の貧困緩和には貢献したと考えるべきではないか。
◦ ただし、いわゆる先進諸国の内部における格差問題を深刻化(中
間層の消滅)したとも言えるのではないか(ここでは、この問題は取
り上げない)。同時に、中国やインドに顕著に見られるように、新興
国の内部での格差問題も深刻化している。
◦ ポール・コリアーの指摘する底辺の10億人の問題は厳然と残って
いる。アフリカ(特に、熱帯アフリカ)の問題は、21世紀の課題。平
野克己が言うところの「アフリカ問題」。
◦ 21世紀において、環境およびエネルギーの問題は、アジアの一部
地域(南アジアおよび東南アジア)およびアフリカにおいて、重く深
刻な課題となるであろう。
24

W・H・マクニールの「世界史」
◦
構成

◦
ユーラシア大文明の誕生とその成立 紀元前500年まで
諸文明間の平衡状態 紀元前500―後1500年
西欧の優勢
地球規模でのコスモポリタニズムのはじまり
特徴




第Ⅰ部
第Ⅱ部
第Ⅲ部
第Ⅳ部
伝播史観
近代化論
ヨーロッパ中心主義
I・ウォーラーステインの「世界システム論」
◦
内容

近代世界システム=資本主義世界経済=ヨーロッパ世界経済




中核(西ヨーロッパ)/周辺(東ヨーロッパ、南アメリカ)/半周辺(地中海ヨーロッパ)

◦
長期の16世紀(1450~1640年):ヨーロッパ世界経済の成立
資本主義世界経済=「極大利潤の実現を目的とする、市場での販売向けの生産である」
資本主義と工業化は同一視すべきではない。16世紀から18世紀のヨーロッパで起こった農業資本主義(agricultural
capitalism)
様々な労働管理の様式:賃労働、奴隷制、再版農奴制、エンコミエンダ制、分益小作制
特徴



ラテン・アメリカの従属理論を継承(or 同盟)
「南北問題」論を反映
裏返しのヨーロッパ中心主義
25


アジア経済史、そしてグローバル・ヒストリー
「アジア間貿易」論(杉原薫)-近代
◦ アジア間貿易とは
 対欧米諸国貿易:アジア諸国側は、一次産品を輸出して、工業品を輸入する国際分
業
 アジア間貿易:アジア内で工業国(インドと日本)が出現して、アジア内で上記の国際
分業
◦ アジア間貿易論のポイント
1.
2.
3.
4.
アジア間貿易の成長は、アジアの対欧米貿易のそれよりも著しかった。
 1883~1913年のアジアの対欧米諸国貿易の成長率 3.72%
 1883~1913年のアジア間貿易の成長率
6.00%
アジア間貿易は、それ自身の動力を有していた。すなわち、19世紀後半以降の
インドと日本の工業化である。インドおよび日本と、東南アジアの間で農工間の
国際分業が成立した。
アジア内の一次産品輸出経済において、欧米諸国向けの一次産品の生産をして
いる農民や労働者の購買力が、アジア製品の輸入を招いた(最終需要連関効
果)。
アジア間貿易は、華僑および印僑の通商網によって担われた。
26
参考文献 『アジア間貿易の形成と構造』
◦ アジア間貿易論が意味するもの
 「ウェスタン・インパクトに対するアジアの対応の自立性と従属性」(杉原薫)を明
示

「大分岐」論(K・ポメランツ)-近世から近代へ
◦ 東西「近世」並行説
• イングランド・低地地方 対 揚子江下流域
• 18世紀まで、二つの世界は、経済発展の程度において差がなかった。
◦ 比較史の基準
 生活水準
 スミス型成長
• 社会的分業の進展=市場の発達(アダム・スミスの『諸国民の富』)
 プロト工業化
• 手工業
28
◦ 「大分岐」とは何か?
 18世紀後半に、両地域において環境制約が強まった。
 ヨーロッパ(イングランドなど)は、石炭の利用(蒸気機関)と新
大陸(アメリカ大陸)の確保という二つの条件によって、資源
制約の壁を突破。
 他方、アジア(中国、インド)は、環境制約の淵に沈む。
 19世紀以降、両世界の経済発展の格差が拡がる。
◦ 大分岐論が意味するもの
 南北ではなく、東西比較
 西欧中心史観の相対化
 近世と近代の連続性と断絶
29

東アジア中心主義の陥穽を如何に避けるのか?
◦ 以下の研究を含めて、中国中心主義、日本中心主義を如何
に回避するのか?




フランクの『リオリエント』
浜下武志の「朝貢(貿易)システム」論
川勝平太の「鎖国」論
堀和生の「東アジア資本主義史論」
◦ 中国中心主義の傾向を有する国際関係論の登場?

世界認識の総体性を如何に確保するのか?
◦ 南アジアやアフリカを視野に入れた世界史認識が必要なの
ではないか?
◦ 「南北問題」論の再興の必要性
30

「複数発展径路」論(杉原薫)
◦ 温帯の二径路
 西洋型発展径路(西ヨーロッパ、アメリカ)
 資本集約的、資源集約的
 資本集約型工業化
 東アジア型発展径路(日本、中国など)
 労働集約的、資源節約的 → 人的資源集約的
 労働集約型工業化
◦ 熱帯の発展径路
 生存基盤確保型発展径路(インドなど)
 水の確保
 疾病
 自然環境の脆弱性
31

「熱帯と世界経済」論(脇村孝平)
◦ 19世紀後半から20世紀前半にかけて温帯と熱帯の間に大分岐が生じた(W・
A・ルイス)。
 要素交易条件(factoral terms of trade)が問題。二つの地域の間における労働者
間の所得(賃金)の格差が、温帯と熱帯の経済発展における大分岐をもたらした。
 「支配的な要素は、イギリスや他の工業国における労働の供給価格に比較した場合の
熱帯労働の供給価格である。19世紀を通して熱帯労働の供給価格は、移民労働にお
ける一日に1シリングを下回り、インドにおける労働の対価である一日に6ペンス程度で
あった。この価格は、食糧を生産する場合のインドの農民の低い限界生産性におそらく
規定されていた。農家の一人あたりの年間の食料生産量は、イギリスにおける農場労
働者の一人あたりの年間の食料生産量の五分の一程度であった。要素交易条件、す
なわちイギリスとインドの所得の比であるが、五対一以下ではなかった」 (Growth
and Fluctuations)
 「約3,000万人のインド人が1850年から1930年にかけて、他の熱帯諸国で働くため
に移民した。数百万人の中国人も同様であった。熱帯諸国の雇用者は、必要な低賃金
労働を手に入れることができたが、温帯の雇用者はこれらの数倍の賃金を支払わねば
ならなかった。このような要素交易条件が、商品交易条件として知られている商品の相
対価格を決定したのである 」 (Growth and Fluctuations)
◦ ルイスの議論を手掛かりにして、温帯地域と熱帯地域の経済格差を解明した
い。
32

「熱帯と世界経済」論(続き)
◦ 「大分岐」は如何にして起こったのか?
 このような要素交易条件の格差が、同じように一次産品を輸出しつつも、一
方における温帯植民地の工業化(ステイプル理論が説く通り、カナダやオー
ストラリア)と、他方における熱帯植民地の一次産品輸出経済化という分極
化が生じた。
 「温帯における植民者は、一人あたりの高い所得を与えられた。この所得か
ら工業製品に対する大規模な需要が生まれ、輸入代替と急激な都市化に
帰結した」 (Growth and Fluctuations)
◦ それでは、なぜ低賃金が恒常化したのか?
 熱帯地域の土地豊富経済における食糧生産の低生産性
 インド、中国からの低賃金労働供給
 「他方で、要素交易条件は、インドと中国における労働の貯水池が枯渇するまで、
熱帯が貧困にとどまる機会をもたらしたのである」 (Growth and Fluctuations)
◦ 国際的な移民に対する人種的な制限は機能していた。
 温帯と熱帯という二つの世界の労働市場は分離したまま!
33

「熱帯と世界経済」論(続き)
◦ 熱帯地域における分岐
 アジア(南アジア、東南アジア)





モンスーン:半乾燥地域に雨をもたらす
ヒマラヤに発する大河川の存在
稲作:人口扶養力
近世以来の海上交易の発展
19世紀に人口成長
 アフリカ(サブサハラ・アフリカ)
 熱帯病の苛烈さ
 半乾燥熱帯における水の確保の困難
 内陸における交通・輸送の困難
◦ 地理的決定論を免れつつ、歴史性のなかでアフリカの発展径路を
位置づける必要があるのではないか。

現在、この作業を継続中。
34



1960年代からの約半世紀の期間に、「南北問題」は、ほぼ後
景に退いた。現在では、むしろ「新興国経済」が関心の的になっ
ている。このような変化は、歴史認識にも影響を及ぼし、問題
関心の焦点は、「南北」関係から「東西」関係に変化した。
しかしながら、「東西」関係は温帯内部の問題であり、依然とし
て、温帯地域と熱帯地域との間のグローバルな格差問題は
残っているのではないか。これが、最も厳しく表れているのは
「アフリカ問題」であろう。同時に、南アジアや東南アジアにおい
ては、一定の経済発展を成し遂げつつも、環境および資源とい
う点で、重い負荷がかかっていることを認識すべきであろう。
本報告は、あくまでも経済という側面に限定した議論に終始し
たが、国際関係論の新地平という清水科研のテーマにも一定
の示唆をもたらすことができれば幸いである。
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