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エトナのおとこ 独創的なアイディアというのは、あまり褒められないもので
エトナのおとこ 独創的なアイディアというのは、あまり褒められないものであることの方が多い。かりに良いアイ ディアもあったとして、長い時間をかけてはじめて成果が得られるもので、最初の試みから良い成果 が上がることなどほとんどない。直感に優れた人は実務にはあまり向いておらず、ユートピアを目指 し常に荒波にさらわれそうになりながらの船出に慣れた人が、凪の海面をきりもなく進み続ける粘り 強さも兼ね備え、一つのプロジェクトを完結させるケースはことさらに難しい。 ここで語りたいのは、自分の夢を他の手本となるレベルで実現させた男の話だ。シチリア人、エト ナ人、栽培醸造コンサルタント、彼の名はサルヴォ・フォーティ。 10 年以上遡るが彼が活動を始めた当時、周囲の環境はブドウ栽培もワイン生産も衰退の一途にあっ た。エトナといえば過去には火山がもたらす独特の自然環境とネレッロ・マスカレーゼやネレッロ・ カップッチョといった土着品種の恩恵によりオリジナリティーを備え優雅なシチリアでも最高のワイ ンを生産する地域だった。 小さく区切られた段々畑にはアルベレッロ仕立てのブドウの木が並び、伝統的に使われていた栗の 木の支柱を根元から寄り添うようにきっちりと立て、畑を仕切るのはこれも伝統である溶岩石を積み 上げるだけで築かれたこれも黒壁だった。重労働が待っているそんな畑を投げ出す者が時とともに増 え、畑は丸裸にされて景観を損なったが、それに止めを刺したのはシチリア産ワインの流行で大手ワ インメーカーらが土地購入を一気に進めたことだった。 彼らは、段々畑をまっ平らに整地し、土着品種に比べ分かりやすく海外で売れやすい国際品種に 次々に植え替えを行い、アルベレッロ仕立ての使用を止め、栗の木の支柱を引き抜くとおぞましいセ メントの支柱を地面に突き刺した。 サルヴォの活動はシンプルかつ革命的なものだ。1435 年から活動していたカターニア地域のワイン 生産組合『イ・ヴィニェーリ』を復活させると(注:中世の時代はギルド的なものだった)、シチリ ア人からのみという制限を堅く守った中で若者を採用し、シチリアの伝統的なワイン生産をブドウ栽 培から環境に悪影響のない道具選びまで、伝統的なワイン生産をまだ体で覚えている残り少ない老人 たちから学ばせた。 このワイン生産技術を使ったわずか数ヘクタールの土地から2つの素晴らしいワインを 生みだすと、 この2つのワインサンプルを名刺代わりに、彼はエトナでのワイン生産へ投資を考えていた人たちに ブドウ栽培から醸造まで一環した生産サービスの提供とワイン醸造コンサルタンティングサービスを セットで提案して回った。それはブドウ栽培はもとより農閑期には畑の修復や保全、あるいは石積み の壁を築いたり、果てはブドウの開花に香りの面から良い影響を生み出そうとハーブ類をブドウ畑で 栽培するということまでに至った。 『あなた方に要求するのは二点のみです。私に全幅の信頼と資金を与えて下さること、 仕事に口を挟 まないで頂くこと。でないと仕事の邪魔になるからです。』 サルヴォ・フォーティはかなり無口な男に見える、口数は少なく、他人に割ける時間はさらに少な い。多くの人が先のような彼の説得に応じたのは何故だろうという疑問がわく。が、それもわずかな 時間で晴れてしまった。 現在、イ・ヴィニェーリには 20 名が働いているが、彼らはシチリアで最も高額な給与を手にできる 農業従事者だ。『僕はエトナで最も高額な給与を約束していて、それは月 1600 ユーロ程度、(訳注: これは手取り額で、税金や保険、年金掛け金などを含めれば給与額は倍にちかい額になる。)他のワ イナリーは働き手がいなくて困っているだろうが、僕は逆の問題を抱えている。僕のところでは収入 があり、仕事を分け合い、尊重もされるから。ブドウの前に人を育てる必要があるんだよ。』 イ・ヴィニェーリのメンバーは彼に忠実で、どんな時間帯でも、どんな犠牲をはらっても情熱をも って惜しみなく働き、今ではシチリアの様々な地域に移動しブドウを栽培をしている、常に同じ精神、 常に働いてものを生み出すことに同じ喜びを感じながら。 が、同時に各地で栽培し生産すること以外に、各地で人も育てている。栽培醸造という仕事は現地 でそれを続けていく人が必要で、無駄にする時間はない。 現在、イタリアのみならず海外でもサルヴォへの評価は高まり、いくつかの賞も贈られた。イ・ヴ ィニェーリによって生産されるワインたちも名品と謳われる。サルヴォはエトナ地域とワイン造りの 伝統に基づく彼のワイン哲学を『La Montagna di Fuoco(火の山)』という一冊の本にまとめた。 様々なエピソードが織り込まれ読みやすいこの本には彼の人となりが深く読み取れる。 ある日、彼はトキワガシの林の奥にのびる道を走り去るネブロディ豚(訳注:ネブロディ地域にい る半ば野生化した豚。捕獲し食用にするネブロディの名物。)を見つけオフロード車で追っているう ちに標高 1400 メートルにある開けた土地に行き着いた。そこには眠るようにしてブドウ畑があった。 そんな標高の高いところにブドウ畑があろうとは彼も思ってもみなかった。 一人で世話をしていた老人は、標高が高くブドウは完熟に達することできずにロゼワインになると いった。粘り強く説得を続けても畑を売ってくれようとしなかった老人だが、高齢のためこれ以上は 仕事ができないと悟った時点で、ラバを使って耕せと言い残し彼に畑を売り渡した。サルヴォ はラバ を飼うことにした。ラバの名はジーノ。イ・ヴィニェーリの有能なメンバーとなり仲間と一緒にシチ リアのブドウ畑を巡って活躍している。 サルヴォ・フォーティの起こした奇跡の中でも真の奇跡は、世の中が外国人労働者を最低の賃金で 雇う、さらに悪質な場合は彼らを酷使して農業経営を続けるケースが増加する時代に シチリア人の若 手労働者を雇用し、高い賃金を払い、土作りから教えこみ、さらに出資者には彼らの提供するサービ スに対し市場平均価格の約 5 倍の代金を支払うことを納得させ、同時に彼らから大きなの信用を得て いることだろう。 個人としての生活とプロとしての責任、狡猾さと透明性、気まぐれと信頼性、ヒエラルキーと親し さそして計画性と即興性、彼はこれらに適切な折り合いをつける能力を常に試される立場にいる。 『自分のワインをブドウから作ろうと思うなら、僕の関心、僕の努力、僕の集中力はブドウ畑に注 がれなくてはいけない。いったい何人のオーナーが自分のワイナリーに訪れる人を畑に連れて行き、 そこで働く人と話をさせようとするだろう。僕はシチリア人のことが良くわかる。例えば、エアコン の効いた黒ガラスのランドローバーに友人を乗せて畑にやってくるオーナーがいる。彼の畑をクワで 耕しているお百姓に手をふるだろう。が、そのお百姓が考えているのはただ一つ、彼らは気にしない こと、少なくともお百姓は彼らになんの注意も関心もはらわない。オーナーがそのお百姓と人として の関係を築いていないから。だがそんなタイプのオーナーたちはこぞって自分のことをかっこよくヴ ィニャイヨーリ(=ヴィニュロン)と呼ばせたがる。 全ての人間関係には責任がともなうだろう。そんな人たちは友人やジャーナリストと自宅に戻って 一緒にワインを飲んだらそこでおしまい、、、ところがいったん人間関係を築きだした相手には、翌 日にもう必要ないから来なくてもいいとは言えない、君はその人を自分の人生に招きいれたからだ。 例えば僕が今日、その日が日曜であれ、復活祭やクリスマスであれ、畑で 30 人である作業を行う必 要があるとして、僕は仲間の誰かに頼み込む必要なんてない 。電話の受話器を手にとって『お前たち、 ここでこういう問題が起きた、、、』といいさえすればいい。 ブドウの苗木を畑に植えることはトマトの苗木を植えるのとはわけが違う、ブドウの苗木は自分の 子供の代のために植えるものだからだ。ブドウの木は尊重されるべきだ、自分たちに仕事を与え、僕 たちの土地への蓄えになる、あした急になくなってしまうものではない。 活動を始めた頃は様々な問題が起きた、時には重大なものも。わかるだろう、僕たちはシチリアと いうとても特殊な環境で暮らし仕事をしているからね。とにかく『その種類の問題』も解決したよ。 僕が自分からある人たちのところに出向いていってこう言ったんだ、僕は人々に仕事を与え、生活の 糧を与えている、それに問題があるならそう言ったらいい、ただし、僕の顔をみて言って欲しいと。 その後、彼らとの間でトラブルが起きたことは一度もない。』 サルヴォ・フォーティ、50 歳。ブルーグレーの瞳で率直に相手を見つめるウ・ドゥットゥーリ(訳 注:シチリア方言でドットーレ(先生)の意)。さあ、何時でも出発できますか?どこにでも、どの 畑にも? 今すぐにでも? ウ・ドゥットゥーリ、あなたは知識と規則を私たちに教えてくれる人です! www.salvofoti.it www.ivigneri.it 文・クラウディオ・ガッリーナ 2011 年 12 月 10 日付『La Provincia di Biella 紙』掲載