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医療人類学入門 - 大阪大学コミュニケーションデザイン・センター

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医療人類学入門 - 大阪大学コミュニケーションデザイン・センター
医療人類学入門
Introduction to Medical Anthropology
〈続・電脳紙芝居・情動問題〉
関西学院大学・社会学部
大阪大学コミュニケーションデザイン・センター
Center for the Study of Communication-Design, CSCD
池 田 光 穂
IKEDA Mitsuho
1
うんこへの陵辱経験とは?
中央アメリカのカリブ海に面した低湿地の村落を旅した時のことである。
慣れない旅においては誰しもが排泄の不調を体験するものだ。3日ほど便通
がなかったが、次の日の朝食を済ますと、便意を催した。村の人に便所はど
こにあるのか?、と聞くと、どこでもいいさ!、という返事。泊まっていた
小屋の裏の人目のつかない草むらに出かけ用を済ました――長い間溜めてい
たときほど、それを成し遂げた気分は爽快である。
さて、立ち上がろうとすると隣の草むらでガサゴソと音がする。
人の野糞を眺める不埒な輩がいるのかと思ってそちらの方を注視すると、
1頭の豚が現れた。シッシッと追いやってもその豚は痩せた躯を左右に振る
ばかり。現場を後にすると、入れ替わりに豚がそこへ飛び込むようにして来
た。脳裏に嫌な思いが走ったが、何事も観察をもって任じる人類学徒の心
得。私は踵を返して、その豚が何をするのかを眺めた。豚は私の動作に一瞬
たじろいだが、私の、それの匂いを嗅ぎ、おもむろに食べ始めたのである
――なんと悍(オゾマ)しい!。
2
Descartes, R. (1664). Treatise of Man. (Translated by T.S. Hall. Harvard University Press. Cambridge
MA. 1972.)
3
情動理解の
文化人類学的基礎
Anthropological Foundations for
Understanding and Studying on human emotion
池田光穂
大阪大学コミュニケーションデザイン・センター
出典:平成21年度生理学研究所研究会「感覚刺激・薬物による快・不快情動生成機構とその
破綻」(代表者:南雅文・北海道大学大学院薬学研究科・教授)2009年10月1日
発表者の目的
1.文化人類学者自身が、脳科学を含む生物学研究の成果を
理解するための、翻訳領域(translational zone)を確立す
る。
2.情動に関する生物学研究がおかれた、文化的ならびに社
会経済的文脈を考慮しつつ、情動に関する学術的理解に対し
て研究者自身がより反省的かつ自覚的になることを通して、
研究上のブレイクスルーのための研究者へのエンパワメント
をめざす。
3.これまでの情動に関する諸現象に関する研究史、哲学思
想などを渉猟、総括し、人類の情動に関する知的営為の遺産
を、生物学研究における情動理解に役立てる。
5
発表者の問題認識
• 文化人類学者が「情動に関する神経生理学」研究
者たちの学術集会に招待された時に、彼/彼女
は、生理学者たちの研究発表にどのようにして耳
を傾け、どのように理解しようと試み、どのよう
にコメントをおこなおうとするのか。またこの種
の「居心地の悪い客」はどのように、その異種
[格闘技的]共存の場を平和裡にやりすごそうと
するのか、ということが本発表者の問題意識であ
る。
6
3つの観点
• (1)人類学者は、自らの専門領域の枠組みの
なかで人間の情動をどのような観点から研究す
るのか?
• (2)人類学者のあつかう「人間の情動」と神
経生理学者のあつかう「それ」とは、いかなる
共通点と相違点をもつのか?
• (3)神経生理学者は、人類学者の言う「御
託」に耳を傾けることで何か役に立つことはあ
るのか?
7
3つの話題(観点)に入
る前に、私が共感するひ
とつの認識論的立場を表
明しておきます。
デカルトのアリストテレス
的陥穽からサールの生物
学的自然主義へ
From Cartesianʼs Aristotelean
Pitfall to John Searleʼs
Biological Naturalism
9
デカルトの心身二元論の結合点
•
「彼(デカルト:引用者)は解剖学を研究し、心と身体の結
合点を探るために、少なくとも一度は死体解剖を観察した、
最終的に彼は、それは松果体にあるにちがいないという仮説
にいたった。……彼は脳内のすべてのものが左右対称に対を
なしていることに気づいた。脳には二つの半球があるため、
その組織は明らかに対で存在する。しかし、心的な出来事は
一体になっておこるのだから、脳には各半球の二つの流れを
一つに統合する地点がなければならない。彼が脳内に見出す
おとができた単体で存在する唯一の器官が松果体だった。だ
から彼は心的なものと身体的なものとの接点は松果体である
にちがいないと仮定した」(サール 2006:53-54)。
10
Diagram from Descartes' Treatise of Man (1664), showing the formation of
inverted retinal images in the eyes, and the transmission of these images, via the
nerves so as to form a single, re-inverted image (an idea) on the surface of the
pineal gland.
11
デカルト的心身二元論
実体(substance)
心(Mind)
身体(Body)
本質
思考(意識)
res cogitance
延長(空間的次元)
res extensa
属性
直接に知る
自由
分割不能
破壊不能
間接に知る
被決定性
無限に分割可能
破壊可能
John R. Searle, Mind: A brief introduction. Oxford Univ. Press, p.11, 2004
12
John R. Searle, Mind: A brief introduction. Oxford Univ. Press, 2004
13
哲学者ジョン・サールの方法
• 生物学的自然主義(Biological naturalism)
• 心身問題の古典的回答(二元論と唯物論)への批
判
• 批判の骨子:古典的回答には、物理的なもの/心
的なものの二分法、という誤った前提があった。
• 心身問題の解決に「因果的還元/存在論的還元」
と「一人称存在論/三人称存在論」を導入せよ。
14
因果的還元/存在論的還元
• 因果的還元:人間の意識や感覚は神経学的な基
礎に根ざしているので、心的なものは物理的な
ものに因果的に還元できるはずである。
• しかし! 意識は特定の誰かによって経験され
ることでしかなりたたない性質をもつ。
• つまり、意識という存在は、あらゆる物質的な
もの還元できるわけではない。それを存在論的
還元と呼ぶ。ではどうすればよいか?(続く)
15
一人称存在論/三人称存在論
• 科学の因果的な説明は、科学者集団の共同研究によ
る。そのため科学の知識は三人称的な性格をそなえて
いる。これを三人称存在論という。
• 他方、意識がもつ一人称的性格は、三人称的な説明で
は明らかにされえない。これは可能不可能の問題では
なく、定義の違いによるもの。
• 自己(self)すなわち意識の一人称的性格を無条件に
設定することで、 経験の継起(=感覚与件)のみに信
頼をおくロック、ヒューム以来の懐疑論を乗り越えよ
うとする。
16
Biological Naturalism
• 意識の一人称的性格(自己)は、存在論的に還元不可能
であるが、このことは意識の因果論的に還元可能である
こととは無関係であり、後者は「自然現象」である限り
探究可能。
• 「なぜ「自然主義」かと言えば、この立場では心的なも
のは自然の一部だからだ。また、なぜ「生物学的」かと
言えば、そのような心的現象を考えるさいに、コン
ピュータ的、行動主義的、あるいは言語的な説明ではな
く、生物学的なやり方を採用しているからだ」(J. Searle,
Mind, Language and Society, 1998)。
17
情動理解のための
文化人類学的基礎
【本編開始】
18
(1)
人類学者は、自らの専門
領域の枠組みのなかで人
間の情動をどのような観
点から研究するのか?
薄い記述=表面的・一義的
人類学における研究対象である異民族は、その表面的
差異という特徴も手伝って、当初は「浅い観察」ある
いは「薄い記述」でも十分仕事ができる時代があっ
た。しかし人類学研究が異文化間の相互理解に与する
可能性が浮上すると、より「深い観察」による「厚い
記述」が求められるようになってくる(Geertz
1973)。
20
厚い記述=複雑・多義的
1980年代「表象の危機」と言われた時期以降、人び
との情動をどのように理解するかの問題は、人類学者
の理解の公準としての〈社会的文脈と解釈者主観の尊
重〉により複雑な過程のなかでのみ可能であると言わ
れるようになる(M・Rosaldo 1989)。情動というテー
マは客観的記述の邪魔になる雑音ではなく、固有の文
化に拘束される人間存在の様式理解の手がかりへと変
化したのである。
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首狩りと情動
・社会関係と首狩り
・M・ロザルドの方法
・首狩りできない悲しみ
・改宗の理由
ブヤとリゲット
・情動としてのリゲット
・生命力としてのリゲット
・知識としてのブヤ
・成熟の証としてのブヤ
首狩りの哲学
・首狩りへの情熱
・怒り・首狩り・カタルシス
・首狩りの社会的分業
・癒しとしての首狩り
・イロンゴット的反戦論
(2)
人類学者のあつかう「人間
の情動」と神経生理学者の
あつかう「それ」とは、い
かなる共通点と相違点をも
つのか?
情動をあつかう人類学内部での最大の論点は、文化的様
式というものがどの程度まで人間の生物学的普遍性に根ざ
すものなのか、それとも文化的修飾によりほとんど無尽蔵
の可塑性をもつのかというということである。
人間の生物学的普遍性に根ざすという、前者の論点の極
北は神経生理学のそれと完全に一致する。
文化的修飾によりほとんど無尽蔵の可塑性をもつと主張
する、後者の極南はすべての情動は文化で説明できるはず
だという極端な文化主義者である̶̶これを「強い文化主
義」と呼ぼう。
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弱い文化主義
多くの人類学者は、人間は生物学的基盤をも
つので、「全ての人間にあてはまる合意
(consensus gentium)」は、人間の普遍性(共
通性)を基盤にして後天的に学びうる文化的
修飾の部分を守備範囲とする立場をとる
(Geertz 1973:38-39; Kluckhohn 1953:516)
̶̶これを「弱い文化主義」と呼んでおこ
う。
28
我らは実証的相対主義者なり
パラダイムならびに方法論の違いにより、文化的修飾をバ
イアスか雑音(よくて変数)とみる傾向をもつ神経生理学
者と、その探求を学問上の使命(imperative mission)
に他ならないとする人類学者の違いがあるが、実のところ
人類学者の多くは折衷主義者に他ならない。なぜ折衷主義
者なのかという理由だが、それは人類学がもともと自然科
学から派生した学問であり、いまだ客観的実証性
(objective positivism)への信仰の痕跡を残している
のだと私は考えている。
29
(3)
神経生理学者は、人類学者
の言う「御託」に耳を傾け
ることで何か役に立つこと
はあるのか?
情動と冷静:01
人類学者が、ある社会の人びとの「情動」について
研究するとは、その社会の人びとがそのように名付
けられた経験を具体的にどのように生きるのかとい
うことについて調べることである。他方、これは心
や意識について自然科学の観点から探究する研究者
にとっては検討に値しないテーマであるようだ。つ
まり日常感覚から導き出されてきた常識すなわち
フォーク・サイコロジーによる説明に他ならないか
らである(サール 2006:105-106; Searle 2004:55-56)。
情動と冷静:02
ところがイロンゴットの首狩りを調査したミッシェ
ルとレナートのロザルド夫妻のように、彼らの〈情
動経験〉は我々とそれと大きく対比をなす。ただし
それは、テープレコーダーにより〈死者の声の再
生〉という偶発的出来事によって発見された。常軌
を逸脱する経験が、情動の人類学研究に新たな光を
投げかけた。もし神経科学者が、自らの常識(=パ
ラダイム)の住民として得られた実験資料をそのま
ま加工している限り、神経科学は限りなくフォーク
サイコロジーに近づく。
情動と冷静:03
人類学者と神経科学者が交錯しない場合、この第三
番目の問いへの答えは「役に立つことはない」とい
うものになる。しかし神経生理学者もまた研究論文
という〈言葉〉を扱う動物である以上、その言語と
概念の使用について、辛辣な人類学者(=同床異夢
の首狩り族)との協働により、思わぬ解釈をもたら
すことなる。実際には bio-prospecting と同様その
多くは徒労に終わるだろうが偶発的な出来事により
「役に立つことも」出てくるだろう。ここで私が言
いたい「深い結論」はこれにつきる。
Bibliography
Geertz, C., 1973. The
Interpretation of Cultures. New
York: Basic Press.
Rosaldo, R. 1989. Culture and
Truth: The Remaking of Social
Analysis. Boston, MA: Beacon
Press.
Searle, John R.,1998. Mind,
Language and Society:
Philosophy In The Real World.
New York: Basic Book.
Kluckhohn, C., 1953. Universal
Categories of Culture. in
"Anthropology Today" A.L..
Krober ed., Pp.507-523,
Chicago: University of Chicago
Press.
Searle, John R. 2004. Mind: A
brief introduction. Oxford:
Oxford University Press.
Rosaldo, Michelle Z., 1980.
Knowledge and Passion.
Cambridge: Cambridge
University Press.
清水展「首狩りの理解から自己の解放
へ」『メイキング文化人類学』浜本
満・太田好信編、Pp.237-260, 京
都:世界思想社.
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Other references & Acknowledgement
情動理解のための文化人類学的基礎
http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/090819emotion.html
痛みの文化人類学
http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/990315pain.html
紛争の文化的パターン
http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/09081wildBerries.html
***
謝辞:
平成21年度生理学研究所研究会「感覚刺激・薬物による快・不快情
動生成機構とその破綻」(世話人代表:南 雅文先生)のメンバーの先
生の方々、参加者の皆様。この度はお招きいただき誠にありがとうござ
います。
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今日はここまでっ!
おわり~♫
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