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Page 1 Page 2 73 南北戦争前におけるニューヨーク金融市場の構造 1
Title Author(s) Citation Issue Date Type 南北戦争前におけるニューヨーク金融市場の構造 大橋, 陽 一橋研究, 24(2): 73-91 1999-07-31 Departmental Bulletin Paper Text Version publisher URL http://doi.org/10.15057/5702 Right Hitotsubashi University Repository 7 3 南北戦争前 におけるニ ュー ヨー ク金融市場 の構造 大 橋 陽 1 問題の所在 と限定 南北戦争以前 におけるアメ リカ資本主義 の際立 った特徴 は, 「北部」 の産業 資本の発達 と, イギ リス資本主義 と結 びついた 「 南部」の 「 奴隷制」プランテー ションの展開であ った。 南北戦争前 に 「 南部」が生産 していた世界商品作物 は綿花 にはかな らない。 1 8 5 0年代の合衆国の輸出は,価格 において,綿花が 5 0 %を 占め, 穀 物, 肉加 0 %,工業製品は 1 2 %ほどである。棉花 は, ニ ュー イ ングラ ン ド 工品などは 2 を中心 とした国内消費分が四分の- ばどで,残 りの大部分が ランカシャー綿工 業向けの輸 出であ った。 綿花輸出と並んで,鉄道建設 は南北戦争前 の目立 った経済活動であ った。 ボ 1 8 2 8年特許)建設以降,鉄道建設 は加速化 し,5 0 ルティモア ・オハイオ鉄道 ( 年代 にはいわゆる四大 「 幹線鉄道 ( Tr un kLi ne s ) 」 が成立 した。4 0年代末 か 0年代 は,合衆国で最初の鉄道建設 ブームの時期であ り,6 0年 には約 3万 ら5 マイルの営業距離を誇 っていた ■。 こうした鉄道建設 は先立つ運河建設 と共 に新 しい地域間通商のパ ター ンを生 み出 した。 エ リー運河完成以来, ニューヨークは五大湖 と連結 された。 その結 果,「 東部」か らは工業製品が移住者 と移民 と共 に 「 西部」 に向か い, 逆 に, 「 西部」か ら東へ食糧品,原料品が送 られた。 また,「西部」か らは, オ- イオ 河, ミシシッピ河を下 って食糧品が 「 南部」へ運ばれた。 そ して 「南部」 の 棉花 はニュー ヨークを経 由 し, イギ リスへ輸 出されたのである。国内の運河 ・ 鉄道等の輸送機関の発達 は,地域間通商の条件を整え.「 東部」 で の内部 開発 競争 に勝利 したニュー ヨークが国内 ・匡l 際商業の中心地 とな ったのであるZ 。 7 4 一橋研究 第2 4 巻 2号 , 鉄道建設 に必要 な資金 は巨額であ り 「 東部」諸都市, もしくはイギ リスに r . その建設 資金 を求 め る ことに な った。 アル フ レ ッ ド ・チ ャ ン ドラ-,J ( Al f r e dD.Cha ndl e r ,Jr . ) は,最初 の近代企業 として鉄道会社 を跡 づ け ると 8 3 0年代か ら 5 0年代 に至 る鉄道金融のパ ター ンを析 出 したo チ ャ ともに3,1 r .によ る と,3 0年 代 に は フ ィ ラデ ル フ ィアの 「ブ ロー ド街 ン ドラー,J ( Br o adSt r e e t ) 」 を通 じたボ ン ド建て債券発行 ,4 0年代 に はボス トンの 「ス S t at eSt r e e t ) 」での普通株発行,5 0年代にはニューヨークの 「ウォー テイ ト街 ( Wal lS t r e e t ) 」での債券発行 とい うパ ター ンが見 出せ る4。 また コ トレ ル街 ( P.L.Cot t r e l ) は, イギ リスの鉄道資材輸 出と,その代金受取 としての米 ル ( 1 8 5 3年 にヨーロッパの対米鉄道証券投資 は 国証券入手 について述べている。「 7 , 0 0 0万 ポ ン ドだ ったが, その半分 はイギ リスの レールの [ 合衆 国 による] 購 8 4 7年 か ら 5 5年 の問 入 とひきかえに入手 された証券であったと推計 され る。1 4%か ら 6 3%は合衆 に, イギ リスの棒鉄, ボル トおよび鉄道用鉄材の輸 出の 2 5 。 国向けであ った」 今述べたよ うに, アメ リカの棉花輸 出及 び鉄道建設 はともに,海外特 にイギ リスと密接 な関わ りを もっていた。 このような経済活動の担い手は,アングロ ・ An gl o Ame r i c a n Me r c hant ア メ リカ ン ・マ ー チ ャ ン ト ・バ ンカ ー ズ ( Ba nke r s ) と呼ばれ, ロン ドンに本店 をお くい くつかの企業集団で あ る。 マー チ ャン ト・バ ンカーに関 しては,貿易金融 について理論的,歴史的に研究が積 bi l lo fl ad i ngs yst e m) , み重ね られている。 これ らは綿密 に委託荷販売制度 ( s ys t e m ofad vanc e sa gai ns tc o ns i gnme nt s )の仕組 みを明 ら 荷為替信用制度 ( かに した研究である6。 しか し,貿易金融がどのようにアメ リカの金融制度 の 中に組み込 まれていたか, どのような役割をアメ リカ資本主義 に対 して果た し たのか といった問題関J 山 も こうした研究では中心的なものになりえなかったC 南北戦争前 のアメ リカ資本主義 に関 しては,一方では, ダグラス ・ノース ら が,世界商品たる綿花の輸出を起点 と し,地域間通商を媒介 とした経済成長 モ デルを構築 し,他方 では,産業資本の成立を南北戦争以後速度 を増す経済発展 の要因 として跡づ ける研究が行われて きたO経済発展の要因 として,前者では 世界市場 との関わ りに,後者では国内的要因に相対的に重点が置かれ る傾向が ある7。南北戦争以前のアメ リカ資本主義の発展を跡づけるとき, 世界市場 と の関連,国内的な要因, この二つのフェイズの絡み合 いを明 らかにす ることは 南北戦争前におけるニューヨーク金融市場の構造 7 5 重要な問題であるといえる。 したが って本稿では,「 南部」の棉花輸出,l 北部」を中心 とす る鉄道建設 に 特徴づけられた 1 8 5 0年代 アメ リカ経済を,金融の側面か ら追究 しようと思 う。 そのとき,中心的な焦点 は,国内外の金融 メカニズムであ る。 だが,1 8 5 0年 代アメ リカの金融構造を包括的に扱 うことは筆者の力量を超える。そこで.そ の金融構造が集約的に表現 されている 「ニューヨーク金融市場」 に注 目するこ とで 1 8 5 0年代アメ リカの金融構造を把握する手掛か りとしたい。「金融市場」 とはここで短期 も長期 も含めた資金貸借の市場 という程度 に緩やかに捉えてお く.その中にわれわれは 3つの局面を兄いだすであろう。それは,第- に州法 銀行制度を基軸 とした銀行制度,第二 に棉花金融を担 った貿易金融の制度,第 三に鉄道金融に関わる資本輸入の制度である。 これ ら三つの個々の制度的枠組 みを先行研究 と資料か ら明 らかに し,ついで個々の制度のつなが りを問 うこと によって,全体 として 「ニュー ヨーク金融市場」とい う制度 が もつ構造 を 「復 元」したいと思 う。 本稿の構成 は以下の通 りである。第 2節において銀行制度を概括 し, プライ ベー ト・バ ンクと州法銀行がどのような ものであ ったかを整理する。第 3節で は,銀行間預金の集中に関 して先行研究を補足するような若干の資料を提示す る。石崎氏,楠井氏の研究 はそれぞれ,バ ランス ・シー トの 「 他行からの預金」 という形でのニューヨーク州への銀行間預金の集中 ( 彼 らの用語では 「インター バ ンク市場」の成立)を論 じていた。 しか し,ニュー ヨークの市中銀行 と地方 銀行の状態を全体 として示 しうる資料 は欠 けている。 したが って, これを示す 資料 に基づ き. ニューヨーク市中銀行への銀行間預金の集中を示 し,「東部」 有力郡市 との比較で,ニュー ヨークの特徴を明 らかに したい。続いて,第 4節 では海外 との関係 に目を向ける.資本輸入 ( 鉄道金融)と棉花金融をニューヨー クへの資金集中 との関係に絞 って取 り上げるO最後 に, ニューヨークへの資金 集中を基礎 としてどのような金融構造を形成 していたかについて見通 しておこ う。 2 合衆国の銀行制度 2 1 プライベー トり 〈ンク 建国以来南北戦争 に至 るまで,合衆国における銀行制度 はきわめて独特のも 7 6 一橋研究 第2 4 巻2 号 のであ った。合衆国で は中央銀行が設立 されず,初発か らは全国的に統一 され た銀行制度が発展 しえなか った。合衆国憲法 によって州 と連邦 の権限が分割 さ れ,銀行の設立 は原則的に州政府 の権限にあると理解 されて きたか らである。 s t at ebank) したが って,南北戦争前 の銀行制度 は,基本的には,州法銀行 ( によるものであった。州法銀行 とは,州議会の法律 に従 って株式銀行 ( i nc o r - po r at e dbank) として設立 された銀行一般の ことを言 う。 しか し, この原則 か ら漏れ る二種類の重要 な銀行が存在 していた。一つは,連邦法 により設立 さ TheFi r s tandSe c ondBankoft he れた株式銀行である第一 ・第二合衆国銀行 ( Uni t e dSt at e s )である。 もう一つ は,州議会 および連邦議会 の定 めた法律 に pr i vat ebank,pr i vat e よって設立 されたのではない プ ライベー ト・バ ンク ( ba nke r )である。本稿では,反銀行思潮のなかで 「中央銀行」 的性格 を もっ た第二合衆国銀行を失 った後 の金融構造が対象 となる。 Fr i t zRe dl i c h) の研究 は, プ ライベー ト・バ ンク フ リッツ ・レ ドリック ( を体系的に扱 っている数少ないものである8 。彼 は, プライベ ー ト・バ ンクを 発券業務 の有無 で 「古 い タイプ ( t heol de rt ype )」 と 「新 しい タイ プ ( t he l at e rt ype ) 」 の 2つ に大別 している。「 古 い タイプ」 の典型 的 な もの は ジェイ コブ ・バ-カー ( Jac obBar ke r )やステ ファン ・ジラー ド ( St e phe nGi r a r d) である。他方, 「 新 しい タイプ」 の典型的な ものは, ベア リング商会 ( Bar i ng ) にオープン ・ク レジッ トを もって いたニ ュー ヨー クの プ ライ Br o,andCo. , ム ・ウォー ド・ア ン ド・キ ング ( Pr i me,War dandKi ng) 「西部」 の革新 的 銀行家 ジョージ ・ス ミス ( Ge or geSmi t h)であ り, ブラウン商会 ( W.andJ. Br ownandCo. ) も含め られ るか もしれない。 「 古 い タイプ」 は,法的な規制を受 けないで営業 し,発券 も行 っていた もの であ り, 業務 と して は後述 の州法銀行 とほ とん ど違 わな い。 しか しこれ は 1 8 1 2年以降規制 の強化 により消えてい って しまう。1 8世紀末か ら 1 9世紀初 め Re s t r ai ni ngAc t ) 」 によって に,各州 によって施行 されたいわゆる 「 制限法 ( uni nc or por at e dbank) の業務 が規 プライベー ト・バ ンクつ まり非株式銀行 ( 制 されてか らは,州法銀行 の特許を得 るもの も多か った。 他方, レ ドリックのい う 「 新 しい タイプ」 のプライベー ト・バ ンクは,1 8 2 0 年代 に商人 もしくは貨幣取扱業者か ら組織 され,1 8 4 0年代並 びに 1 8 5 0年代 に 重要性を持つようにな った ものである。 この銀行 は,銀行 とい う名称 を付 けな 南北戦争前におけるニューヨーク金融市場の構造 7 7 いことが多 く,大抵発券業務を持 っていない。 銀行券発行 は規制 されたので, プライベー ト・バ ンクの業務 は,預金,小切手,為替手形 の取扱であったと推 定 されている。逆説的だが,銀行設立 を厳 しく規制 された場所で, それをかい , 事実上の銀行券 ( def ac t obanknot e s ) 」 を流通 させ るとい うの も彼 くぐり 「 らの仕事であ った。 このプライベー ト・バ ンクは, ロン ドンに本店を もつマー チ ャン ト・バ ンカ-のエイジェン トとして,貿易金融,資本,資本財輸入の役 割を担 うことに もなるO リチ ャー ド・シラ ( Ri c har dSyl l a)の推計 によ ると, 1 8 5 0年代 には,数 において三分 の一以上がプライベ ー ト・バ ンクで あ り, そ の資本金 は全銀行 の合計資本金 の四分 の-以上 に もな っていた 90 2 2 州法銀行制度 州法銀行 と一言で言 って も,地域差を もちなが ら多様 な展開を見せてお り, uni tbankその共通点 は発券業務である。基本的に組織形態 は単店銀行制度 ( i ngs ys t e m)を とっていた。州法銀行 は,設立根拠か ら二つ に大別で きる。一 c har t e r e dbank), もう一 つ は つ は,州の特別法の下で設立 された特許銀行 ( 自由銀行 ( f r e ebank)である。前者 は概 して資産 に基づいて発券 を して いた。 ge ne r albanki ngac t ) にお いて一定 の決 め られた要件 後者 は,一般銀行法 ( を満たす組合 ( as s oc i at i on) もしくは個人 ( i ndi vi dual ) は誰であれ銀行業 に 携われ るとい う準則主義 に基づ くもので,公債 に基づいた統一 一的銀行券 の発行 が特徴的だ った。 プライベー ト・バ ンクが無限責任であ ったのに対 し,州法銀行 は一般 に,初 doubl el i abi 1 めか ら有限責任であった。株主 のいわゆる 「 倍額追 い払 い債務 ( i t y) 」 は,比較的初期 に取 り入れ られている。 また,銀行 に対す る債権者 につ ( l i e nonas s e t s ) を認 いては,預金保有者ではな く銀行券保有者 に先取特権 一 める慣行が一般的である。 もともと 「 銀行の権限 ( banki ngpowe r s ) 」 は明文化 されてお らず, 唆味 な 形で 「 特権」が当然 のことと見なされていたので,制限的,禁止的条項が必要 , とされていた. したが って,例えばニュー ヨーク州では 「 制限法」が 1 8 0 4年, 1 8 1 3年,1 81 6年,1 81 8年 に繰 り返 し制定 されている。 この 「制限法」 によ っ て,州法銀行 に対 して,銀行業 に必要 な業務 を追認す る一方で,証券,商品の 取引が制限 もしくは禁止 された。 そ して同時 に,州法銀行のいわば 「 独占」を 保護す る目的で, プライベー ト・バ ンクに対 して,州法銀行の もつ権限, とり 7 8 一橋研究 第2 4巻 2号 わけ発券業務を禁止す ることとなった。 ニューヨーク州 において,「銀行 の権 8 2 5年 の ことである。 続 いて 限」がは じめて成文法 の形 で列挙 され るのは 1 1 82 9年 に 「安全基金制度 ( S af e t yFundSys t e m) 」 が,1 8 3 8年 に 「自由銀行 制度 ( Fr e eBanki n gS ys t e m)」 が成立 した1 0 。 そ して銀行業 の発達 に伴 い, 1 8 5 4年 6月 6日にニューヨーク手形交換所 ( Ne w Yo r kCl e a r i n gHo us e )が 制度化 されるのであるO 支店銀行制度 ( b r anc hbanki n gs ys t e m)」 を もつ 「西部」 安全基金 は,「 s t at eo wne dbank) の支店 の拠 もしくは 「 南部」の文脈では,州所有銀行 ( 出金 として接 ぎ木 された。 また. ニューヨーク州で極めて成功 した自由銀行 制度 は他の州の銀行制度のモデルとなった。だが他の州では成功 したとはいえ 8 3 7年 にニュー ヨー ク州 に先立 って 自由 ないか もしれない。 ミシガ ン州 は.1 銀行法を通過 させた。その象徴的な経験 は,山猫銀行 ( Wi l d c a tBa nki ng) と いう呼ばれ方 とともに, 自由銀行制度 は不健全であるという固定観念を幅広 く 研究者の間にもた らして きた1 1 。健全通貨主義者たちは, 自由銀行制度が 「自 由」放任の状態にあ ったか らではな く,公債担保の発券に関する 「 規制」が過 大な銀行倒産率の原因 となり,脆弱な銀行制度を作 り出 したと批判 した。だが, 数量的な分析によると, 自由銀行制度 による損失 はそれ ほど大 した ことはな い1 2 0だか らこそ自由銀行法 は南北戦争前 に十八の州で導入 されることとな り, 南北戦争期に導入 された国法銀行制度のモデルとなった, と理解 される。 3 州法銀行制度 の構造 3 1 『財務長官報告書J )に見る州法銀行制度の特徴 , ここで 『財務長官報告書』を利用 しなが ら州法銀行制度 の状態 を三点確認 してお く。 第-の特徴 は,州法銀行の成長 に関 してであるO銀行数 は,1 8 3 4年 に 4 0 6 , 1 8 5 0年 に 6 8 5 ,1 86 0年 に 1 , 3 9 2と増加 しているl I 1 05 0年代 に銀行数 は二倍弱増 加 した。州別の統計 に関 していえば,銀行数 は 「 東部」へ偏 っている。ニュー 2 8, マサチューセ ッツ州 は 1 7 4と突出 している。「 西部」,「南部」 ヨーク州 は 3 では州所有銀行以外の銀行設立が認め られなか ったりして銀行数は少なかった。 払込資本金 は,1 8 3 7年の恐慌後停滞 していたが,5 0年代 には銀行数 の増加 と 歩調を合わせて二倍弱の増加をみせている。 南北戦争前におけるニューヨーク金融市場の構造 7 9 第二の特徴 は銀行の負債である。州法銀行 は発券業務が特徴的であ ったが, 1 8 3 0年代か ら発券業務 に匹敵す る規模の預金業務があ った。「預金」 と 「他行 0年代か ら発券業務を上B]ってお り,5 0年 か らの預金」を加えれば,すでに 3 代には預金業務が優勢 にな っていったことが分かる。 もう一 つ,「他行か らの 預金」 はほぼ一定水準 にとどまっていることが注 目される。 それに対 して 「 預 預金」 はニュー ヨー ク州 に集 中 して 金」 は趨勢的に増加 していた。 とくに,「 4. 6%を占めていて, 他 の ほ とん どの州 で は, 発券 お り,全国の 「 預金」の 4 6. 7 %が ニ ュー ヨー ク州 業務の方が多 いことが分か る。「 他行か らの預金」 も4 に集中 していた。 第三 に, ニューヨーク州の 「 他行か らの預金」 と 「 他行への預金」 を比べ る , 1 0 0万 ドル と 1 , 2 5 0万 ドルであ り, ニュー ヨー ク州 へ は他 の州 と,それぞれ 2 か らも銀行間預金が集 まってきていたことが分か る。 3 2 市中銀行 と地方銀行の州間比較 ニュ- ヨーク州への 「 預金」及 び 「 他行か らの預金」 の集中が分かるが,そ 8 5 4年 の ニ ュー ヨー のニューヨーク州の銀行 の構造を見てみたい。 表 3は,1 ク州の州法銀行の状態 についての資料である。必要 に応 じて他 との比較を しな が らニュー ヨーク市中銀行への資金流入を裏付 けていこう ( 表 2)。 まず資本 : 0. 6 1であ る。 金である。 ニュー ヨーク市中銀行 と地方銀行の資本金の比率 は 1 8 0 一橋研究 第2 4 巻 2号 表 1 州 法銀行 の状 態 1 85 5年 ( 出所)U S.Se na t e ,Exe c ut i v eDo c u me ntNo S2,33dCo ng e r s s2dSe s s i o n, T h eAl l nu aL Re po T lo 〝t h eCo n d L L Z ' 0 〝 o /Ba n k st h r o u g ho u tt h eUT 7 L O n,1855,pp.258-259 8 1 南北戦争前におけるニューヨーク金融市場の構造 表 2 マサ チ ューセ ッツ州 お よびペ ンシル ヴ ァニ ア州 の銀行 の状態 7銀行 合 計 ボストン市中の36銀行 ボストン以外の11 払込資本金 銀行券発行高 純利益 他行からの預金 無利子の預金 利子付き預金 31 ,01 8,61 0 8,773,057 3,791 ,1 99 6,535,632 1 3,288,894 377. 854 23,47 4,050 1 6,0 30.701 2,543,830 39 4, 486 5,49 4,386 1 85. 459 54,492,660 2 4,803,758 6,335,029 6,930,11 8 1 8,783,280 563. 31 3 ( 出所)U S,S e n a t e , Ex e c u t i v eDoc u me n tNo .8 2 ,3 3 dCo n g e r s s2 dSes s i o n ,TheAnmL a/Re por to nt heCo n dE L 7 o n o T 1 ,1 8 5 5 , p p ・ 6l ,1 4 7 1 51 ・ o /Ba n k sL hr o L ・ g ho u El l 7 eUm' マサチ ューセ ッツ州, ペ ンシル ヴ ァニ ア州 で は,市 中銀行 とそれ以外 の銀行 の 1. 32 .1: 0. 8 6とな って い る。 ニ ュー ヨー ク, ボ ス 資本金 の比率 はそれぞれ,1: トン, フ ィラデル フィアの市 中銀行 の数 は地方 の銀行数 よ りも少 な いので,比 較的大規模 な銀行 が各都市 にあ った ことが分 か る。 第二 は,銀行券発行高 であ る。銀行券発行高 につ いて市 中銀行 と地方銀行 の : 2 . 2 1で あ り, マサチ ュー セ ッツ州 で は, ボ ス トン市 比率 はニュー ヨー クで 1 1. 8 3で あ り, ペ ンシル ヴ ァニ ア州 で は, フ ィラ 中銀行 と地方銀行 の比率 は 1: : 2. 2 2で あ る。 各州 の市 中銀 行 の二 デル フ ィア市 中銀行 と地方銀行 の比率 は 1 8 2 一橋研究 第2 4 巻 2号 表 3 ニ ュー ヨーク州の銀行の状態 ■■ 貸 付 及 び F J 引 . 取 締 役 及 t f ブ F 7 カ ー を 除 相投 の 貸 付 取 締 役 の そ の 他 の 鵬 ブ F 2 カ ー 貸 付 i i[ ヨE ] O t N L 及 び 抵当 横式 分け 及 び 利 別 以 外 の 釣 女 手 形 絹 失 及 U 支 t t l 勘 定 オ ー バ ード ラ フト 正k q L t A J E 手 元 の 支 払 可 舵 点 行 # 手 元 の 支 払 不 能 銀 行 券 上 の 押 倒 支 払 可 能 魚 行 の 雫 求 私 班 金 支 払 可 軸行 の 有 期 班 金 支 払 不 能 ■ l 行 ′ 、 の 幸 水 払 現 金 上 の 辞 せ 頼 支 払 不 能 銀 行 へ の 有 期 研 金 上 の 評 価 d ( 出所)U.S.告e r ) a t e,Exe c I I t i v eDoQJmentNo.82.33dC叫 gm 2d S e a B i c n,T J l eAn 〃ML Re po r tont heCon dl Hono fBq〝 k sf h r o z L gJ 1 0u l on,1855 , p p 94-133. l J 7 eUni 倍前後の銀行券発行高を地方銀行 はもっていた。 三点 目は預金である. 要求払預金額 についてニュー ヨー ク市 中銀行 と地方 銀行の比率 は 1: 0. 3 3である。預金 につ いて ボス トン市中銀行 と地方銀行 の比 率 は 1: 0. 41であ り, フィラデル フィア市中銀行 と地方銀行 の比率 は 1: 0. 3 8で . 5倍程度多 くもっ ある。各州 において預金 は,市 中銀行の方が地方銀行よりも2 ていたと言え る。 第四は,上 の二っの点 に関す ることだが,負債構成 における銀行券発行 と預 金の比率である。 ニュー ヨーク州 において銀行券発行高 と要求払預金 の比率 6. 9 7と 1: 1 . 0 3とな る。 その銀行券発行 は,市中銀行 と地方銀行でそれぞれ 1: 高 と預金の比率 は, マサチューセ ッツ州 においては市中銀行で 1 : 1 . 5 1 ,地方銀 行で 1: 0. 3 4であ り, ペ ンシルヴァニア州 においては 市中銀行で 1: 2. 9 4, 地方 銀行で 1: 0. 5 0となる。 これ らの ことか ら,市 中銀行 にお いて は預金業務 に比 重がかか り,地方銀行では銀行券発行 に比重があ った ことが分か る。 , 第五 は 「 銀行か らの要求払預金」である。 ニュー ヨー ク市 中銀行 と地方銀 β3 0万 ドルと 6 3 0万 ドルであ り, その比率 は 1: 0. 3 4と 行の額 はそれぞれ,約 1 南北戦争前におけるニューヨーク金融市場の構造 8 3 なるo これ は地方銀行か ら市中銀行への銀行間預金 の集中を示 しているO 第六 の特徴 は, 資産項 目の中 にニ ュー ヨー ク州 にだ け 「ブローカ ー貸 付 ( br o ke r s 'l oa n) 」が設 け られていることである。 これは,短期証券担保貸付他行か らの預金」 を供給 源 とす る コール ・ロー ンの一部 をなす ものであ り,「 ニュー ヨークに独特の ものであ った。 Oc e anBank) の 第六 の点について少 し敷宿 してお こう。 オーシ ャ ン銀行 ( J.S .Gi bbons ) はコール ・ロー ンにつ いて次 の よ 取締役であったギボ ンズ ( うな証言を している。 ニュー ヨーク市中銀行 は,借 り入れた資金 に対 して 「 利 子を支払 っていた。 それは利子を付 けて再 び貸付 け られ,様 々な人たちに対 し てさらに貸付 け られ るのである。 かれ らは, その資金を, まず間違 いな く株式 c o unt r y 市場の有害 な投機 に投下 して い るO 最初 の借 り手 で あ る地方銀行 ( ba nks )が預金者か ら支払を要求 された としよ う。 その とき,二番 目の借 り手 c i t yba nks ) に支払 を要求す るだろう。 そ して市中銀行 は, である市中銀行 ( 三番 目の借 り手である大 ブローカーに支払を要求す る. さらに大 ブローカーは, 四番 目の借 り手である小 ブローカーに支払 を要求す るのである。 もし,五番 目 の借 り手がいないとすれば,かれは.その資金を種 々の不安定な投資 に分散 さ せていることになる」1 4 0 これがニュー ヨーク市中銀行 の コール ・ローンであり, 1 5であ った。 「 借 り入れた資金 に対す る利子を返済で きる唯一の方法」 3 3 小結 『 財務長官報告書』 についての以上 の検討 を簡単 にまとめてお こ う0 1 8 3 0 年頃か らすでに,預金業務 は,全体 と して見れば,州法銀行 の特徴であ った発 預金」及 券業務 と同等の比重を占めるまでにな っていた。 州別 に見た とき,「 び 「 他行か らの預金」 は,圧倒的にニュー ヨーク州 に集中 している. しか も, それ らはニュ- ヨーク州の銀行の うち,や はり, ニュー ヨーク市 に大半が集中 していたことが新たに資料的に明 らかにされた。市中銀行 と地方銀行を比較す ると,市中銀行では預金業務 に,地方銀行では発券業務 に比重があ り, その点 に関 しては,預金業務 の発達 はニュー ヨーク州 に独 自の ものではない.市中銀 行 と地方銀行 の業務 の比重 の違 いを反映す るもので もあ るl r ' 。 これ は比較 的早 くか ら見 られたとされ る都市部 における小切手利用の慣行 の発展を裏付 けるも のといえよう1 7 。 そ して 「 他行か らの預金」 を供給源 と して ニ ュー ヨー クに独 自なコール ・ロー ンが展開 され ることになる。 最初 に述べたようにニューヨー 8 4 一橋研究 第24巻 2号 クは国内 ・国際商業の中心 とな っていた。1 8 5 0年代 にほぼ全 国的に広 ま った 自由銀行制度 は,原則的に支店設置を認 めなか ったので, コル レス関係 を通 じ てニューヨーク市中銀行 に預金をお くとい う慣行が一般化 していた。 これは銀 行券の償去口 ,取引の決済 という恒常的な動機 と,余剰資金の投資 とい う動機 も 関係 している。州法銀行 と同規模 の銀行間預金がプライベー ト・バ ンクの下 に 集 まっていたと考え られている1 8 。 4 合衆国の資本輸入 と棉花金融 鉄道金融 と綿花金融で,海外 と関わ っていたことは第 1節で述べたが,海外 とくにイギ リスがアメ リカ資本主義 に果た した役割を考えていきたい0 4 1 証券発行高 と鉄道金融 ニュー ヨークに集中 した国内資金および海外か らの資金が どの程度証券 に投 8 5 3年 における合衆 国 の証券発行高 資 されていたかを見てみよ う。表 5は,1 とその外国人保有高を示 している。次 の四点 の特徴を挙 げておこう。 5. 6%を占めて いた。 まず第一 に,全体 として外国人保有高 は証券発行高の 1 0. 7 第二 は証券発行高 の内訳である。証券 を発行者 別 に見 ると鉄道証券 が 4 表 4 ニ ューヨーク州 における自由銀行の発券の基礎 $6 , 718 , 2 4 8 債券及び抵 当 ニューヨーク州債41 /2 % $ 3 9 4 , 6 0 0 ニューヨーク州債5 % 5 , 9 31 , 21 8 ニューヨーク州債51 / 2 %1 , 3 0 2 , 7 0 0 ニューヨーク州債6 9 も 5 , 49 6 , 9 6 4 運河収入証書 6 % 合衆国公債 5 % 合衆 国公債6 % 3 5 1 , 0 0 0 3 , 1 6 7 , 3 0 6 アーカンソー州債 イリノイ州債 ミシガン州債 預託金 ( 出所)U. S . s e n a t e , Ex e c u t i v eDo c u me n tN0 . 8 2 , 3 3 dCo T l g e r S S2 dS e s s i o n ,neAnnz L aLRe po T IO nL J z e Co ndi l L o no fBaT Z kst hr ou gh outE keUni o T 1 .1 8 5 5 , p .1 3 5 . 南北戦争前におけるニューヨーク金融市場の構造 8 5 %,公債 が 2 9 . 0 %,銀行株 が 2 2 . 6 %と続 いて お り, そ の他 の会 社 す な わ ち製 造業 の証券 はほ とん どない。 第三 に,公債 で あ るQ公債発行高 に占め る外 国人保有 高 の比率 は他 の証券 と 8 4 0年代 にい くつ か の州 が デ フ ォル トに陥 っ 比 べて非常 に高 くな って い る。1 たのだが,5 0年代 には信用 が回復 しつつ あ り, 外 国 の投 資 家 に と って民 間 の 会社 よ りも リスクが少 ない もので あ った。 外国人が保有 した証券 の中で公債 は 6 5 . 9 %を 占め, うち州債 が 3 9 . 6 %を 占めて いた ことは, 公債 に対 す る選好 を示 して い る。 公債 につ いて は自由銀行 の発券 の基礎 とな った こと も重要 であ る。例 えば, 1 8 5 5年 のニ ュー ヨー ク州 の銀行券発行高 は約 3 , 1 5 0万 ドル, うち 自由銀行 の発 , 0 0 0万 ドルであ る。銀行券発行 のため に州 の財務 官 に担 券高 は,少 な く見 て 2 保 と して引 き渡 され た証券等 は合計 で 2 , 6 0 0万 ドル余 で あ り, その うち公債 は 1 , 7 7 0万 ドルであ る。 この公債 のなかで, ニ ュー ヨー ク州 債 は 1 , 3 0 0万 ドル ほ どであ り, ニ ュー ヨー クの州債残高 が 2 , 4 0 0万 ドル ほ どで あ った ことを踏 まえ ると1 9 ,発行 され た州債 のお よそ半分 が ニ ュー ヨー ク州 の 自由銀 行 の発 券 の基 礎 とな って いた ことが分 か る ( 表4 ) 0 第 四 に,鉄道証券 につ いてで あ る。鉄道証券 は約 4億 8 0 0 0万 ドル と発 行者 別 に 見 た と き一 番 多 か っ た 。 鉄 道 株 式 と鉄 道 債 券 の 発 行 高 の 比 率 は 0 . 6 4 5: 0 . 3 5 5で あ る。株式 の うち外 国人保有高 は 8 0 0万 ドル余 にす ぎず, 外 国 表 5 証券発行高 とその外 国人保有高 ( 出所)U.S.Sw t e ,Exe c ut i veDoc me u ntNo42,33dCo ng r e s s ,1 s tSe s s I O n,Toar e s ol ut i o no ft heSe nat ec ql l mg heamouEo /Ame n' c ans e c un-Li e she l dz ' nEu r o peandot he rc oz L L ' 7 ' e s ,OT IL he30I h,1 畠5 3より作成。 /ort 8 6 一橋研究 第2 4 巻 2号 人保有高の占める割合 はわずか 2 . 7%にす ぎない。他方,鉄道債券 の うち外国 5. 8%である。 外国人保有 高 につ いて鉄道株式 と鉄 人保有高の占める割合 は 2 . 1 5 8: 0. 8 4 2とな り,外国人 は株式 よ りも リス クの少 な い債券 道債券の比率 は 0 の方を圧倒的に好んでいた。 4 2 鉄道金融の仕組み ところで,1 8 4 0年代末以降,公債 の発行 と鉄道証券の発行 は再開 しつつあっ た。 そ してカルフォルニア金鉱発見, メキシコ戦争での領土割譲 による国土安 定 などは,資本輸入 の条件を整えていた。 アイル ラン ドと ドイツの飢健, イギ リスの穀物法廃止 によ り, ニュー ヨークを介 した 「 西部」. の食料品輸 出は増加 8 4 7年 のイギ リスにおける鉄道建設 ブームの終蔦 とそれ に していた。 また,1 よる不況 によ って, アメ リカは鉄道 レール等 の工業製品の輸入が有利になった。 安価な鉄道 レールや鉄道設備がアメ リカに輸入 され, ペ ンシルヴァニアは打撃 を受 けたが, ニュー ヨークは国際貿易の利潤で潤 い資金が集積 されていったの である。 先述 のよ うに,海外か らの資金調達, そ して鉄道資材輸入 の中心的な役割 は マーチ ャン ト・バ ンカーが担 っていた。 その関わ りは次の 3点 に要約で きるO ' すなわち,罪- に 「 商人」 として ヨーロッパか ら鉄道 レールをは じめ鉄道設備 の輸入を行 うこと,第二 に鉄道会社 に短期信用を供与す ること,第三 に鉄道会 社の証券 を売去口す ることである2 0 。 レールその他の輸入 は, マーチ ャン ト・バ ンカーとニューヨークのプライベー ト・バ ンカーとの共同勘定で行われ ることが績 々あった。 マーチ ャン ト・バ ン カーの役割 はイギ リスで商品を購入 し, それを船積み し,金融を付 けることで あ った。他方, プライベー ト・バ ンカーはアメ リカ側の取引を担当 した.すな わち,注文を取 り,代金を取 り立 て,送金す ることであった。だが,鉄道会社 ごとに設備の仕様が異 な っていたので,鉄道用資材 の輸入 は煩わ しいことが分 か り,次第 に鉄道金融 に特化 してい った。 短期信用の供与 については, レールの売買 に際 して 3つの方法があ った。第 - に, レール売買契約後, マーチ ャン ト・バ ンカーは, イギ リスでの支払を済 ませ, アメ リカの購入者 に対 し, 2カ月か ら 1 8カ月はどの信用 を与 えた。 第 二 に, イギ リスの製鉄会社 の 3カ月か ら6カ月の為替手形を引 き受 け, アメ リ カの鉄道業者が期 日までに送金す るのをまつ ものである。第三 は,鉄道会社が 南北戟争前におけるニューヨーク金融市場の構造 8 7 鉄道 レールの購入 のために生 じた債務 を支払えるよ うに,鉄道会社 の債券を担 0日か ら 1 8カ月程度の約束手形を与 え る ものであ 保 として受 け取 った上で,6 る. マーチャン ト・バ ンカーが手形 の代金を回収 した後,債券 はニュー ヨーク に送 られ, そ こで売却 されたのである。 これ らに加えて,鉄道会社が特別な財 務危機 に陥 ったときに短期の信用を供与す ることがあった。 鉄道会社の証券 は しば しばマーチ ャン ト・バ ンカーを通 じて売却 された。鉄 もしくは レールの輸入 とヨーロッパの長期信用 との関係 は,製造業者への支払 が鉄道証券で支払われた ことによって生 じた。 また, マーチ ャン ト・バ ンカー は,鉄道証券を自己勘定で売買 した り,顧客のために売買 して手数料を得た り していた。 4 3 合衆国の綿花金融 綿花金融 とニュー ヨーク金融市場 との関わ りを述べてお こう。予測による棉 8 3 7年恐慌後揺 らぎ始 めた。 代表的 花売却 の方法であった委託荷販売制度 は 1 なマーチ ャン ト・バ ンカーであるベア リング商会 とブラウン商会 は異な った対 応を した。前者 は船荷証券 を添付 した為替手形,すなわち荷為替手形 の取引を 増加 させていき, また,同商会か らの信用を受 ける者 は受取証書への署名を求 め られた。 その受取証書 はベア リング商会か らの信用 により購入 した財に対 し て,ベア リング商会が請求権を持っ ことを認め るものである。担保 を しっか り 確保す るようにな ったのである。 他方, ブラウン商会 は, その名か ら 「ブラウン方式」 と呼ばれ る荷為替信用 制度を展開 した。 それは,現地買付方式,横地売買に基づ くものであ ったこと l e t t e r so fc r e d i t ) で委託荷販売制度 と異 な っていた。 その特徴 は, 信 用状 ( の発行 に始 まる,大西洋を挟んだ 「 本支店間協業 ( i nt e r b r a n c hc o o p e r a t i o n ) 」 に基づ く為替手形の季節的操作 にある。 それは 5月か ら 1 1月頃 の為替手形 の 売 りの時期 と,晩秋以降の棉花積出の時期 の二つの時期 における為替手形の本 支店間の操作であった2 1 。 5月か ら11月頃まで, ブラウン商会のアメ リカ北部 エー ジェ ン トは. アメ リカの輸入業者 に対 して, イギ リスの本店宛の英貨建為替手形を売却 した。輸 入業者 に対 して信用状が発行 され, リバプールの本店宛の英貨建為替手形を振 り出す ことがで き, .それを送付 して輸入代金の支払 に充てた. この信用状 は輸 5%を証拠金 と して預託 す ること 入業者が北部 エージェン トに信用供与額 の 2 8 8 一橋研究 第2 4 巻 2号 で発行 されたO北部 エージェン トが為替手形 の売 りによって得た貨幣 はニュー ヨーク貨幣市場 に投資 された。 イギ リスの輸 出業者 はアメ リカか ら送付 されて きた為替手形 を本店 に提示 し,本店 は手形を引き受けその支払を した。北部エー ジェン トは本店 に対 して一時的に貸方勘定を もつ ことになるが,それは綿花積 出期 に相殺 され ることとなる。 晩秋以降の綿花積出期 には,北部 エージェントはニューヨーク貨幣市場で徐々 南部」 のエー ジェ ン トを通 に資金を流動化 した。 それが手 に入れた資金 は,「 じて,綿花輸 出商人によ り振 り出された逆為替手形を買い取 るのに使われた0 このよ うに して本店 はアメ リカ北部 エージェン トの貸方勘定を相殺 したのであ る。棉花輸 出期 には大量 に英貨建為替手形が出回るので,アメリカ 「 南部」エー ジェン トは安 く買 い取 ることがで き,英貨建為替手形が比較的不足 した 5月か ら1 1月にそれを売却す るとい う操作を行 ったのである。 「ブラウン方式」 において, アメ リカの輸出入 は最終的にはロン ドンで決済 されていた。合衆国の貿易金融 において, ロン ドンのマーチ ャン ト・バ ンカー から 「 南部」 のプランターに至 る信用連鎖 は不可欠の ものであった。だが, ブ ラウン商会のアメ リカ支店 によるニュー ヨーク金融市場への季節的な余剰資金 投資 は,前に述べた州法銀行のニューヨークへの銀行間預金の集中と共に,ニュー ヨーク金融市場への資金の集中を もた らす一因 とな った といえる。 5 結びに代えて - 「ニ ュー ヨーク金融市場」の構造 第 3節でニュ- ヨーク市への預金,銀行間預金の形での国内資金の集中が示 されたO 預金業務がニュー ヨーク州 において圧倒的に発達 して いたの は確 か だが; これは,都市 において預金業務が早 くか ら発達 していたある程度一般的 な傾向の反映で もあ った ことが新 たに付 け加え られ る事実である。第 4節 にお いては,証券発行および棉花金融の海外 との関わ りを検討 した。綿花金融や証 券の海外への売去口に関 してマーチ ャン ト・バ ンカーが大 きな役割を果た し,特 に貿易金融 においてアメ リカがイギ リスに金融的に依存 していた ことは,先行 研究の教えるとお りである。 しか し,綿花金融において ロン ドンで最終的に決 済が行われていたとはいえ, ブラウン商会の 「 本支店間協業」 に見 られたよう に,季節的な為替操作 はニュー ヨークへの資金集中の一因 とな っていた。 これ は,国内資金の集中を土台 としていた ものと推定 され る。 ニューヨーク市 に預 南北戦争前におけるニューヨーク金融市場の構造 8 9 金,銀行間預金 の形 で銀行 の準備金,余剰資金であ る国内資金が集 中 し, コー ル ・ロー ンを介 してそれが資本市場 において大 きな シェアを持 って いた ことは 5%が国 内 で保 有 され て いた 過小 に評価 され るべ きで はない。証券 の うち約 8 との事実 はこれを裏付 けてい るだ ろ う.南北戦争前 のアメ リカは,一方で イギ リス起点 の信用を不可欠 の要素 と して組 み入れ なが ら,国内銀行制度 や資本市 場 を整備 しつつあ った。 857年 の恐 慌 で これ まで論 じて きた 「ニュー ヨーク金融市場」 の構 造 は, 1 動揺 し,南北戦争期 の金融制度改革 を迎 え る。 この崩壊,再構造化 は紙幅の都 合上十分 に展開で きないので別 の機会 に譲 りた い。 だが, 1 85 7年 の恐 慌 へ の 対応 に関 して,本稿 と関係 す る事実 を最後 に最小限指摘 してお こう。合衆国で はイ ングラン ド銀行 のよ うな中央銀行 が恐慌対策 を講 じることはなか った。 だ が 「中央銀行」機能 を部分 的に代替 す る制度 があ った。第- は財務省の独立国 I nde pe nde ntTr e as ur ySys t e m) であ り,恐慌 に際 し公債 を購 入 し正 庫制度 ( 貨を供給 した。第二 はニュー ヨー ク手形交換所であ り,決済用 にニュー ヨーク 手形交換所貸付証書 ( Ne w Yor kCl e ar i ngHous eLoanCe r t i f i c at e ) を発行 し た。第三 は銀行間の共 同組織 であ る。パ ニ ックの影響 は銀行制度 の地域差 を反 映す るものであ った。恐慌 の引 き金 とな った と考え られ るオ- イオ生命保険信 託会社 ( Ohi oLi f el ns ur anc eandTr us tCompany) の本店 があ った オハ イオ 州や近接 のイ ンデ ィアナ州 で は被害 は少 な く, 自由銀行 が広が った他の 「 西部」 で は大 きか った. オハ イオ, イ ンデ ィアナ州 で は 「 共 同楓 喚銀行 ( c oi ns ur i ng 。 これ はわれわれの言 う安 全基 金, banks )」制度 を取 り入れていたのである北 州所有銀行 に他 な らなか った。 註 (1) Bur e auofSt at i s t l C S,St at i s t i c alAbs t r ac to ft he UnL t e d St at e s ,1 87 8 , Was hi ngt onD. C. ,1 8 7 8,p. 1 5 1 . (2) 鈴木圭介編 『アメリカ経済史』東京大学出版会,1 9 7 2年,3 3 4 3 7 2頁. 1 8 5 6年にお いて,商品と正貨を含めた合衆国の輸入額は 3 1 4, 6 3 9, 9 4 2ドル.輸出額 と再輸出額 の合計は 3 2 6, 9 6 4, 9 0 8ドルであった。港湾別の金街 でニュー ヨークはそれぞれ 1 9 5, 6 4 5, 5 1 5ドル ( 6 2. 1 8%) ,1 0 4, 8 6 1 , 7 9 9ドル ( 3 2. 0 7%) と突出していた。 (3) Al f r e dD. Chandl e r,Jr. ,Sc al eandSc o pe :TheDynami c so fI ndus t r i al Ca pi t al i s m,Har v ar dUni v e r s i t yPr e s s,Mas s. ,1 9 9 0.[ 安部悦生他訳 『スケー 9 9 3年. ] ル ・アンド・スコープ :経営力発展の国際比較』有斐閣,1 9 0 一橋研究 第2 4 巻 2号 (4) Al f r e dD. Chandl e r,Jr. ," Pat t e r nsofAme r i c anRai l r oadFi nanc e ,1 8 3 0 - 1 8 5 0, "Bu s i ne s sHi s t or yRe v i ew,v ol .2 8,1 9 5 4 ,pp.2 4 8 2 6 3. l l ,Br i t i s hov e r s e asI T u J e S t me nti nt heNi ne t e e nt hCe nt z L r ) ′ , (5) P.i.Cot t r e Mac mi l l an,London,1 9 7 5.[ 西村閑也訳 『イギ リスの海外投資』早稲田大学 出版 部 ,1 9 9 2年,2 3貢] (6) Ral phW.Hi dy,TheHous eo fBar i ngi nAme r i c anTr adeandFi nanc e : Engl i s hMe r c hantBanke r satWor k17 6 3 1 8 6 1 ,Ne w Yor k,1 9 4 9; Edwi nJ. Pe r ki ns,Fi nanc i ngAngl oAme r i c anTr ade :TheHous eo fBr own,1 8 0 0 1 1 8 8 0 ,Cambr i dge,1 9 7 5. 邦語では,徳永正二郎 『為替 と信用』新評論,1 9 7 6年 ; 上村能弘 『合衆国の棉花金融史研究」 l風間書房 ,1 9 9 5年. 9 6 2年 .;柄井敏朗 『アメ (7)石崎昭彦 『アメ リカ金融資本の成立』東京大学出版会 ,1 lI・Ⅱ,日本経済評論社,1 9 9 7年. リカ資本主義の発展構造」 (8) Fr i t zRe dl i c h,TheMol di ngo fAT ne 7 ・ i c anBanki ng,Me nandI de as ,Ne w Yor k,1 9 6 8,pp.6 0 8 4. (9) Ri c har dSyl l a," For got t e nMe nofMone y:Pr i v at eBanke r si nEar l yuS. 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( 1 6 ) Banhe T ・ S'Magazi ne ,v ol .4,1 8 5 5,pp.3 0 6 3 0 8. ニューヨ-ク手形交換所はあ ら ゆる銀行間決済を行 ったのに対 し,その代理機関として地方銀行によって提案 され た 「ニューヨーク州手形交換所 ( Ne wYor kSt at eCl e ar i ngHous e )」 は銀行券 償却を主 目的としていた。 ( 1 7 ) J. Van Fe ns t e r make r, The De u e l o pme nlo f Ame r i c an CoT nme 7 ・ C i al Banhi ng:17 : 8 2 1 1 8 37 ,Ohi o,1 9 6 5,pp.3 6 4 1. ( 1 8 ) Mar gar e tG.Mye r s,TheNe w Yor kMone yMar ke t ,u ol .1,Or i gi nsand De u e l o pme nt ,Ne wYor k,1 9 3 1 ,pp.1 1 4 1 2 4. ( 1 9 ) U. S.Se nat e,Exe c ut i v eDoc ume ntN0.4 2,3 3 dCongr e s s,l s tSe s s i on,Toa r e s ol z L t i ono ft heSe nat ec al l l ngfort heaT nOunlo fAme r i c as e c ur i t i e she l di n Eur o peandot he rfo7 ・ e i gnc ount r i e s ,ont heB o t hJune ,1 8 5 3,Was h.D. 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