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人 口 の うご き 世帯数 1, 876 戸 人口 男 3, 518 人 女 3, 918 3月31日現在 発 行 所 計 7, 436 三隅町広報委員 発行者 森 沢 雄会治 編集人 斉藤元宣 て 、町 有 林 の 藪 刈 を決 行 る す 十三 年 より 五 ヶ 年 計 画 を以 っ 幸 に して 役 員 の焚 同 を得 て 四 五百 万 は下 る ま いと 忠い ま す 在 の 金 に換 算 すれ ば優 に弐 千 も の で あ り ま す が、 恐 ら く現 参万 数千 円 の寄 付 金 で 出来 た て の 汗 の 結 晶 で あり ま し た 。 実 に 先 輩 同 窓 生 の 一丸 と なっ 堂は近隣にない立派なもので 五月に新築落成した当時の講 い う こ と で し た。 昭 和 十 二 年 的 な何 か を 残 し て 置 き た い と 舎 と 共 に 、 同 窓 会 と し て 有形 永 遠 に聳 え る で あろ う 鉄 筋 校 と な り まし た。 そ の 時以 来 、 の 気 運 漸 く高 箆り 実 現 の 運 び 昭和四十二年春、母校改築 み み す 昭 和48年 4 月28 日 126号 文 化 財 を大 切 に ﹁ お よ そ人 の 子 の かし こ き 岳 、動 物 、 植 物 、 地 質 鉱物 き に あら ず。 正 し き をも って と な れ ば 、言 語 に て さと す べ いう も 、十 才以 下 の小 児 のこ る 事 なり 。 ・ ・併 し そ の 教 え と た 世 の 親 たち に対 ずる警 鐘 で に 味 う べき こ と ばで あ り 、 ま あり方から考えても、まこと 節である。今日の家庭教育の き も 大て い父 母 の おし え に よ も お ろか な るも 、 よ き も あし 等 ︶ で あり ま して 、 こ れ ら 感 ず るの ほ か あ る べ から ず 。 我 が子 の教 育 に 対 す る 親の 欲 ま れて から 久 し く 、今 日 ほ ど い こ と ば が 私 たち の社 会 に生 ﹁ 教 育 マ マ﹂ と かい う 新 し ど に至 る ま で 、万 事 心 を用 い 母 は 言語 立 居 より た べ も のな 子 ど も の テス ト の 得 点 のよ し こ れ から の 教 育 は 、 全 人 的 うか。 の調 和 の と れ た 人 間 を 育 て る な 視 点 か ら 、知 ・ 情 ・意 ・ 体 ということを目ざすならば、 ﹁ 言 語 に て さ と す べき に あ ら ず 。 正 し き を も っ て 感 ず るの わ が 郷 土 の 未 来 を 背 負 って 記 む つ み学 級 河 野 豊 子 手 芸 学 級 堀 満 子 栄 養料 理 学 級 田 原 信 子 体 力 つく り 副運営委員長小林アキコ 運営委員長 藤村つたえ ・役員 す。 学 級活 動 は 、 左記 のと お り で 昭 和 四 十 八 年 度三 隅町 婦人 婦人 学級 て やるこ とがたい 迴っで すが それとともに、お かあさん と あ し に 強 い 視 点 を あて だ 考 え 赤ちゃんの心を通わせる努力 方 が 、 い ま だ に ど こ かの 家 庭 を することです。それには 、 の な か に あ る の で は な い だ ろ いつも 、やさしいほほえ みを もって赤ちゃんに接すること がたいせっです。 せて やるこ とが、よい性格 づ く りのオ一歩で す。そこで生 理 的な要 求を十分に満足 させ れるかも知わませ ん。とこ ろ が実はそわが直 接、性格 づく り に深 く結 びついて いるので す。おっぱいを飲ませるとき おかあさんのイライラがたび 重 なり ますと、いっ のまにか おこりっ ぽい、よく泣く赤ち ゃん になってしまいます。 赤ちゃんにも心はちゃんと あ るので す。 その心を安定 さ 陰 先 生 ︵ 当 時 二 十 五 才 ︶ が 、 十 分に満 たして やらね ばなり そ の 年 の 暮 十 二 月 三 日 、 獄 中 ま せん 。たとえば、夕お かあ か ら 妹 千 代 にあ て だ 書 簡 の 一 さんのおっ ぱいの飲 ませ方 々 でi 。どんな飲 ませ 方をし て も 、違いはないだろうと思 わ の文化財について、充分調査 昔聖 人 の作 法 に は 、 胎教 と申 保護条例を制定 の 文 化 的 向 上 に 資 ずるこ と と し て 、 その 活 用 を図 り 、国 民 研 究 し て 重 要 なも の を 町 教育 す こ と あり 。子 胎内 に 舎 れ ば 国 に お いて 、文 化 財 を 保 存 、 文化 の 進 歩 に貢 献 す るこ と 委 員 会 が 指 定 し よ う と す るも も あ る。 を 目 的 と し て 、 昭 和 二五 年 に のであります。 り ます。 求 、願 望 の 高 ま って い る時 代 山 徳 和 人︵ 深 川 小 ︶ 藤 川 ユミ 子︵明 倫小 ゛ ほ か あ る べか ら ず﹂ と の 言 を 今 一 度 深 く 味 わ っ て み る必要 子 どもたちの教育で、最 も がある。 大 切 なこ と は、 子 ど も たち の 眼 に写 る父 母 の 姿 そ の も の で 前 田 晃 宏 経 済課 ︵ 総 務 課 ︶ 立 つ子 ど も た ち の た め、 教 育 ある。 磯 野 太 郎 経 済 課︵ 税 務 課︶ は 、 こ の 町 に 住 む す べて の 人 ・必修学級 び との 共 同 責 任 で` のると い う 自 覚をもら、真の家庭教育の 体 力 つ く り 栄 養 料 理 学 級 吉 見 繁 夫 税 務 課︵ 新採 用 ︶ が 満 た され な い こ と で す 。 赤 る原 因 の 才 一 旧 生 理的 な 要 求 て下 さ い 。 た し ま すの で 希 望 名 は受 講 し む つ み 学 級 と併 川 し て開 催 い 花 キ園 芸 学級 、 農 業学 級 は 、 選 沢 学 級 の内 郷 土 史 学 級 、 着 物 教 室 学 級 生 三 九人 ・選択学級 ・ む つ み学 級 学 級 生 一四 八 人 ・ 手 芸 学 級 学 級 生 八 二人 下 地 区 学 級 生 二 九 人 中 地 区 学 級 生 四 三 人 上 地 区 学 級 生 二 一 人 実 践 に取 り 組 み た い も の で あ 中 学 校 長 入 江 康 郎 赤 ち ゃ ん の 心 安定 させ まし よう 中 野 一 夫 民 生 課 ︵ ク ︶ ち ゃ んは 、 ま だ 動 物に 近 い 生 赤 ら や ん の心 を不 安 定に す 正田陽子 保育所保母︵豊原 べる 、 眠 る 、 勁 く 、排 せ つ 、 き もの で すか ら 、 々飲 む 、食 保 温 砂な ど の 生 雌 的 な 要 求 分 ︶ ︵新採川︶ 採用 ︶ 坂本千代子 電話交換手︵新 生課︶ 河村英夫 公民館書記補︵民 木 村 初 子 総 務 課 ︵ 民 生 課 ︶ 士 ︵ 保健 衛 生 課 ︶ 岩本京子 給食センター栄養 センター︶ 島 田 優 子 保 健 衛 生 課︵ 給 食 課︶ 河 内 久 子 保 健 衛 生 課︵ 総 務 ︵公 民館主事︶ 佐 々 木 勝 給 食 セ ン タ ー 主 事 給 食 セン タ ー 係 ︶ 更 に疑う べきに あらず 。是 を 正を以て正しき を感ずと申す なり。まし て生 れ出 て目も見 え、耳 も聞 え、口も物いうに 到り ては、たとえ小児 なれぱ とて 、何とて正し きに 感ぜざ るべき や。さてま た正し きは 人の持前とは申 せども 、人 は 至って さときも のゆえ 、正し から ぬ事に感ずるもまた速か なり 。よくよ く心得べきこと ならずや﹂こ れは安政元年三 月 二十七日、下田 にて米船に よる渡米 の計匿 が発覚し、萩 の野山獄に投ザられた吉田松 人づくりは町づくり 正 し け れ ば 、 自 然 感 ず る こと 念 な が ら そ の願 望 も た だ 単 に 生 る る子 形 体 正 し く器 量 人 に の 対 象 にな るも の は 神 楽 舞 、 勝 る と な り。 ⋮ ゆ え に母 の行 正 し から ぬ 事 な き様 にす れ ば 方 が 任命 さ れ ま し た 。 に 行 っ て頂 きま す 。 そ れ が文 委員長斉藤元宣︵下中小野︶ 化 財 専門 委 員で 、次 の 五 名 の 序 な 自 然 環 境 の 破 壊及 び、 正 副 委 員 長 香月 斌︵ 土 手 ︶ 伊 木 現 今 の よ う に列 島 改 造 や 地 こ の調 査研 究 を 専門 の 方 々 文 化 財 保護 法 が制 定 され て お 写 真 説 明﹁ 右 上下 ﹂明 倫 小学 校 噴 水 庭園 教 職員人事 異動 四八,四,一付 河 畑 加 都 代 ︵ 夕︶ 小 谷村佳子︵菱海中︶ 徳 田 修 ︵ 仙 崎 中 ︶ 明 倫 隅 中 浅 田 小 三 河 野 晴夫 ︵ 々 ︶ . 石 井 卓枝 ︵ 浅田 小 ︶ 崎 小 ︵ 転 出 深 川 小 仙 小 俵 山 小 安 藤 松枝 ︵三 隅 中 ︶ 通 安 森 美 嗣 ︵ 々 ︶ 中 日 置 深 川 中 佐 藤昌 典 ︵ 々 ︶ ︵ ︶ は 旧 任 役場職員 異動 ︵ ︶内 旧 任 齊 藤 元 宣 教 育 委 員 会 、 総 務 田 村 守 公 民 館 長︵ 総 務課 課付︵公 民館長︶ の 小 学 生 さ ん 。母 校 爰 に燃 ゆ 長︶ 長︶ 滝口惣市 総務課長︵経済課 の一 環 の 塲 とし て 立派 な 人 間 宇 野 秀平 経 済 課 長︵ 経 済 課 課長補佐︶ 吉 見 勝 総 務課 付 ︵ 農 業 委 員会事務局長︶ 中 野 博 文 経 済 課 課 長 補 佐 兼 農業委員会事務局 長︵経済課々長補佐︶ 有 馬 清 熈 農 業委 員 会 書 記︵ 経済課兼農業委員 会 書 記︶ 朝枝直人 総務課庶務係長︵ 事故 だす な 辻 野 茂 樹 明 倫 小 学 校同 窓 会 会 長 昭和 四 十 八年 四 月 二 十 日 る も ので あり ま す。 が ら 、 同 窓 会 の 弥 栄 を念願 す せ 人 が吸 に 続 く も の を信 じ な た同 期 生 の言 葉 で は ござ いま 心 に 燃 兄て 大 空 に 散 って 行 っ と な って 下 さい 。戦 眄中 愛 国 く 立派 な 校舎 と 共 に 情 操 教 育 る 先 輩 心意 を 無 に するこ け な 左 長 門 病 院 伝 染 病棟 域 関 発 に 関 連 し て 起 き る無 秩 し く 文 化 財 保 護 の 重要 さ を 理 祝 部 、腰 輪 踊 り 、御 神 幸 、 神 伝 染病 棟 新築 落成 長 門 地 区 広 域 行 政 事 務組 合 ︵長門市、三隅町、日置村、 油 谷 町 ︶ が負 担 金 を 出 し あ い 長 門 病院 の隣 り に新 築し 、四 月 一 日よ り 開 院 し まし た 。 ︵電気冷暖房ゝ 一 、 病 棟 四 四 一平 方 米 一 、 ベッ ド 数 二 二 床 一 、工 事 費 二 二 、譱四九 千円 一、請 負者 長 門 市 中 原 土 建 代 表 者 中 原 憲 一 ︵ 転 入︷ は ない で あろ う 。 し か し 、残 解 し な い た め に 失 わ れ る文 化 孝 夫︵ 中 村 ︶ ︶ 金 子 一雄 ︵ 中 条 例 に 基 づい て指 定 して 、 保 社 、仏 閣 等 が あり ま す が、 各 当 面 保存 の た め の 調 査 研 究 村 ︶ 古 屋正 資 ︵市 ︶ 財 は 相 当 な 数 に 及ひ ま す 。 そ こ で本 町で は 国 、県 の 指 存 し 、活 用 して 、町 の文 化 向 部 落 に古 く か ら 伝 わ る も の が 定 以 外 の も の で 重要 な も の を 九 日 三 隅 町 文 化 財 保護 条例 を 上 の 資 料 に す る た めに 三 月 一 消 火 救 急 業 務 は 長門局 二∼三I I 1番 但し町内の火災災害救急業 へ ご連 絡下 さ い 。 ま ず﹁ 一 一九 番 ﹂ 務 が発 生 し た場 合 は へ 始いたしました。 本 年 の四 月 一 日 か ら 業 務 開 広域消 防の発足 願 いします。 せ 下 さ い ま すよ う 御 協 力 を お あ れ ば町 教 育 委 員 会 え お 知 ら 文 化 財 は 国 の歴 史 、文 化 の 制定しました。 正 し い 理 解 の た め に 欠 くこ と の 出 米な い も の で 、国 民 の財 産 で も あり ま す。 こ の 大 切 な 文化財 とは 一 、 有 形 文 化 財︵ 建 造物 、 絵 画。 。彫 刻 、工 芸 品 、書 跡 、 典 籍 、古 文 書 等 ︶ 工 芸 技 術 等ヽ 二 、 無 形 文化 財 ︵ 演 劇 、 音 楽 三 、民 俗 資 料︵ 衣 食 住 、生 業 信 仰 、年 中 行 事等 ︶ 四 、 記 念物 ︵貝 づか 、古 墳 、 都 城 跡 、 城 跡 、旧 宅 、 庭 園 橋 り よ う 、 峡 谷 、 海 浜 、山 噴 水庭 園 明 倫同 窓会 美 挙みの る の 浄 財 を 集 める こ と が 出 来 ま め感無量 の心 境で あり 、後 輩 す 、 役 員 奮起 、百 八拾 数 万 円 こ と に いた し ま し た 。 数万円 の準備資 金をこれ に当 した。町内の寄付金を載きま 毎 年 八 月 の 炎天 下 、 前玉 井 て 、同年十月 より町外在住同 した同窓生の方へは、本 紙上 斌 校 艮 、現 野 村 真 一 校 長 を 始 窓 生へ、十一月 より町内同窓 をかり厚 く御礼 申し 上げます め 役 員 一 同 愚 痴6 こ ぼさ ず協 生 によ る寄付 金募集運動を展 一 方三原 祥祐先生 が町外 在住 力下 さっ た こ と は 感 謝の 極 み 開 したので あり ます、寄付金 のお心当り の同窓生へ私信を で あり ま ず、 四 十四 年 七 月母 については幾多の問題も あり 下 され、影な がら御援助下 さ いましたこ とに対し深甚の謝 意 を表します。 昭和四 十八年三月二十日、 セメント不 足の折柄、小 林工 校 改 築の 槌 音 が 高 らか に 鳴 り ま し た が、 町 外 在 住 の先 後 輩 業 所の施行により 記念噴水庭 響 き始 め、四 十 七年 七月 、 役 同 窓 生 の 激励 の手 紙 を 数 多 く 園の造園 に看工 、四 月二十日 員 会 に お いて 吋 校 の緑 化 計 画 載 き感涙 に咽 ん だ ので あり ま 完工を見 まし た、役員 の方御 苦労様でした。愛 の噴水を眺 の一 端 に 頁 献 す べく 噴 水 庭 園 の 寄 贈 に決 定 、藪 刈 の 収 入 十 と び出 す な ス ピ ー ド出 す な