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「ラテンアメ リカの人権」 スコ ロ ・ ケサダ著 清水直太郎訳
第 9 号 : 133 一 144, 天理大学人権問題研究室紀要 人権 「ラテンアメリカの フランシスコ・ミロ・ケサダ 著 2006 」 清水 面 太郎訳 Francisco`iro_uesadaSHIMIZU¨aotaro 本稿は,ペル一の哲学者・ 思想家であ るフ おいて,基本的人権が,各国,各地域に 実際 ランシスコ・ミロ・ケサダの 論文「ラテンア 的な効力を発揮するために「人間の メリカの人権 」の翻訳であ る。 この論文は ュ 特殊性及び地域性を 検討し続ける 必要性があ ネヌ、 コが編集,発行した 人権の根本的思想』 る。 こ (1985) の第 4 章「非西洋的視点 : 人権 と義 務 (Perspec荻 ti.vasⅡ ooccidentales:Derechos humanos y deberesⅡの中にあ る論文であ 権 利」の このように,人権 の根本思想において ,「 普 遍性と特殊性 (地域性) 」を研究するにあ た り,前述のユネスコ 編 「人権の根本的思想」 は,地域・国における「特殊性・ 地域性」を る 。 ⑬34 一 349 ぺージ ) 調べる手がかりになる 基本資料であ る。 その 資料意義 「人権の普遍性と特殊性 中 で,本稿の「ラテンアメリカの 人権」は , (地域性) 」の間 題は ,以前から存在していたが , 1993 年 6 月 ラテンアメリカにおける 人権 思想について , 哲学的視点はもとより ,同地域の歴史,政治, 14 日から 25 日までウィーンでおこなわれた 世 社会の視点から 考察がなされており , 界人権会議において 1948 年に承認された 国連 アメリカ世界の 思想的な「人権 の特殊性」を の世界人権 宣言における 普遍性と特殊性 (. ぬ ラテン 把握する意味での 参考資料となるものであ る。 域 , 性) の概念的思想がクローズアップされた。 というのは,中国をはじめとするアジア 諸国 Franc 王 scoM1 『 6 usada@Cantuarias が自分達の人権 の特殊性を強調,その 重要性 を 提議したからであ る。 国連の世界人権 宣言 ㏄918 打 986) の発布以来,人類全体から であ る。 1918 年 12 月 21 回生まれ。 1939 年に 哲 見た人間として 生 紹介 哲学専攻のぺ ル 一の代表的な 知識人の一人 きていくための 権 利において,人種,国籍, 学 博士取得し,教育関係の 仕事に従事。 その 言語,宗教等によ る差別をなくした 天賦主義 に基づく概念が ,「人権の普遍性」として 世 後ユネスコ奨学制度により ,フランス,イタ リア,イギリスにて 留学した。 政治分野にお 界の人権 推進運動発展の 主流となっている。 いては1963 年 一 1964 年文部大臣を 務め,教職 しかしながら ,現実には世界に ,伝統,文化, においては, 歴史,政治機構等の多様性が存在し ,現代に 天理大学非常勤講師 リ マ大学,サンマルコス 大学の 教授として活躍した。 ペルー哲学国際連盟の A@Part ,Time@University@Lecturer 133 「ラテンアメリカの人権 」 Ⅱ さ 19= 万 心 い= 。承 八@@@ = + -- し員 献金 ヱ 貝の も一 l@Ⅰ@ .. 及デ のア 地ロカ れ 哲学一 一 " l ロ"" "@ 口五 ぬか 務ぺ 余年 長はろ 「ラテンアメリカの 人権 守られてきた ,少なくとも 明確で普遍的なも のがあ る。 それは「庇護権 」であ る。 この法はラテンアメリカの 共和制諸国の 独 立当初より存在しており ,法律上,明確に 再 」 確認されていなかった 時代からその 適応が始 法律の輝く伝統 法律上から見れば , 他の国では認めていない 独自の実践を 通して ラテンアメリカにおけ まった。 しかしながら ,今日この法は幾つか る人権は恒常的且つ 組織的に計画され ,擁護 の国の憲法に 組み入れられており ,米州条約 されてきた。 我々の国々が 独立するにつれ , においても承認されている。 人権の尊重を認識する 規範を盛り込まれた ,法 米州間条約は ,人権に関する法律表現の 上 制度が作られてきた。 もちろん,初めの 頃 は で, 2 り重要な面を 持っている。 各国が独立 今日程網羅してはいなかったが 後,第- 回国際会議が 開催され,現在まで 人 ,個人の権利 や社会権 利など今日とそう 大差はなかった。 権 は肯定され保護されてきた。 1825 年と 1826 しかも,例外虹く 全ての憲法においては 思想 年の間,ボリ の自由,表現,所有,居住等の 権 利が調って 史上初の国家間の 協力の試みと 考えられる 会 あ った。 一方では細かく ,他方ではおおざっ 議を パナマで招集した。 この会議は期待して ぱ , ということも 存在したが, ともかく, 人 権 は表記され保障されている。 この事実は別 いたほどの国 (メキシコ, コロンビア,バア に私達の驚きには 値しない。 何故ならラテン えなかったが ,奴隷解放に関する宣言が 可決 アメリカ諸国の 憲法が,アメリカ 合衆国や された。 フ ランス革命での 基本的人権 宣言に着想したも のであ ると言うことは 周知であ るからだ。 と バル は,ラテンアメリカでは テマラ,ペル一のみ ) 歴 が集まらず成功とは 言 1898 年 ,第一回南米会議がモンテビデオで 開催さ # ,アルゼンチン ,ボリビア,ブラジ ル ,パラバアイ ,ペルコウルバアイの 代表 りわけ後者は ,百科全書派のルソー や モンテ スキュ コ ヴォルテール ,ディドロ, ドルバ が 出席し,「庇護権 」が承認された。 1928 年 ック等の思想が 元となっているのであ には第六回米州諸国会議で 調印国が人権 監視 る。 こ れらの人々に ,スペイン人啓蒙思想家,フエ を明言したハバナ 条約が声明された。 igtW3 年, イホーもつけ 加えなければならない。 私達の 同第七回米州諸国会談では 庇護を委ねる 国家 国々の憲法はこのように 歴史が誘導してきた , その時代の思想や 哲学並びに法律の 風潮の反 はそれを査定する 事を規定している。 1939 年, 私的国際権 利の第二回南米会議では 政治的亡 映であ ると言えよう。 命と避難の条約の 有利性が提起された。 歴史の発展に 従って,人権に関する規範は より完成され 制度化されていった。 今日,基 1948 年は重要な年であ る。 というのは, 米 棚機構が創立され ,ボゴタで行われた 米州諸 本的なあ らゆる憲法は 個人権利と社会権 利の 国会議で人の 権 利と義務のアメリカ 宣言が制 申で相違があ り, 又 ,これらの権利を保護す 定されたからであ る。 この宣言は,国連によ る機構,特に「人身保護令状」(HabeasC0 卵us, る世界人権 宣言発布数カ 月前のものであ ヘイビアス・ コ一 パス ) においても相違があ いうことに価値が 見 ぃ だされる。 宣言の序文 る 。 さらに,ラテンアメリカにおける には,「人の権 利の国際的保護は ,発展しつ 134 人権 は , ると Ⅰ青力く つあ る米州の法の 指 斜 たるべきであ と調ってあ る。 この会議において るので」 ながら,ここでは 法制度の分析を 続ける必要 人権 を保障 はないと思われる。 というのは権 利全般に関 するアメリカ 大陸諸国間の 司法機関の設置が してはもう周知だからであ る。 つまり,ラテ 提案された。 これより少し 前,チリのサンチ ンアメリ ヵ は よ り進んだ近代的な 法主義・原 ア ゴア第一回米州諸国社会保障会議が 開催さ 理の採用が特出しているからであ る。 れ ,基本的人権社会権 のアメリカ諸国間憲章 が 可決された。 それには労働権 利と適切な労 働 条件の権 利について規定されている。 権利と歴史の しかし,たとえ 人権の法的分野においてう 1954 年にはヵ ラカスで行われた 第十回米州 テンアメリカでは 著しく発展してきていると 諸国間会議で 庇護の権 利が強調され ,外交的 しても,歴史的に 現実はそうというわけでは 庇護と領域内庇護が 区別された。 ない。 現実は逆で,制定された そして 19f67 年 ,第十一回米州諸国外務大臣特別会議が , 人権 を保護す る規定の全てが 犯されているという 事に特徴 ブエノスアイレスで 開かれ,それまで只顧問 組織であ った米州機構の 機関を人権 委員会に づけされる。 ラテンアメリカ 諸国の憲法は , 政府が民主的であ り民衆によって 採択されて 格上げすることで 合意した " いる事を宣言しているが ,そのようなきれい その時以来,ラテンアメリカや 米州諸国の 事の法律を施行している 全ての国々は ,無意 数々の会議で 人権のあ らゆる保護に 貢献する 味な革命や扇動者の 残忍さで引き 米州機構内での 新しい支援組織が 次々と創立 とになった。 また,独立共和国の 年数より多 された。 1971 年, ヵルタヘナ 協定の締結は , くの大統領が 統治した国も 存在する。 人権に関しての法的な 構造を再度強調し ,そ れ 自体一貫したものになった。 この協定に参 裂かれたこ ラテンアメリカ 諸国で起こってきた 専制政 治は,自由選挙権, 自由思想や表現,宗教の 与の国,ボリビア,コロンビア,エクアドル, 権 利,集会の権 利,人身保護令状 (Hebeas ペルコベネズエラは 政治的な連合を 形成す Corpus), 適切な労働の 権利,完全なる個人 るために,単なる 経済的分野の 連合をも越え 権 利 (様々な機会における 拷問への適用, 全 た, ての国でないが ,多数の国において), 集結 という事は明白であ る。 アンデス諸国一 カルタ ヘナ 協定の調印国でもあ ラグアのサンディニスタ るが一のニカ 革命の劇的な 過程へ 及び政党結成の 権 利,適切な教育授与の 権 利, 健康・衛生の 権 利,ストライキ実施の権 利等 の干渉は ソモサ の辞職を達成する 決着を与え において侵害していた。 一言で言えば ,それ た @O ぞれの憲法において 制定された全ての 人権保 人権がどのようにラテンアメリカ 諸国の法 障と相応の法律システムが 侵犯されていたの 的制度において 保護されているかと 言う例は だった。 このような法律における 目に見えた逆境の まだまだ挙げる 事ができる。 このように, ブ ラジル やぺル 一のような国でその 憲法に「人 申で切れることなく 不可侵で保たれた 唯一の 身保護令状」 (Habeas Corpus) が調ってあ 人権 が庇護の権 利である。 おそらく,政治家 るだけでなく , 運がその高い 地位を担った 時や , 単に野党側 ペイン 国 これよりも広義であ るが, ス (アラゴン ) 起源の避難・ 難民の権 利も保証しているという 事実があ る。 しかし にいるとき,常に 危険が伴うという 事実もこよ って,庇護権は,保持という 本質によっで 守 t35 「ラテンアメリカの 人権 コ られてきた。 権力を持って回る 世の中も回り 政治家達は , スタ政権 も大いに期待できる。 ,いつか自分達も 避難を余儀な くさせられる 状況に陥るだろう , という意識 ラテンアメリカの 政治経緯を性格づける 専 別政治と民主主義の 反復的な傾向は ,その意 は持っていた。 しかし,それだけでなない。 義を考える 時 ,次のような問題を提起できる。 庇護権 を優先させない 事が,政府の犯してい 必然的歴史的動向であ るのか,それを 越える る 人権のひどい侵犯の 一つであ るという民間 事ができるのだろうか ? また,それを 避け の 強い信念があ ったのであ る。 これに関して ること無しにラテンアメリカではそれぞれの オルテガ 国で周期的に 踏みにじられた 人権 を直視する ・ ィ ・ ガセト は「効力」と 呼んだと いうことがあ る。 この効力は非常に・深く , 実 付 されている国においては 執行政治制度から ? この問題 の分析と解決への 意図は,ラテンアメリカに おいて,最も 関心と独自性を 持つ思想活動の 独立している。 しかしながら のをあ きらめねばならないのか ,この例外はさておき ,ラテ ンアメリカの 状況はひどい 有り様であ る。 一つでもあ るのだ。 ・法 的社会 ど現実社会において 越える事のできな 思想史とアメリカであ ることの思想とその 認 い溝があ る。 法制度において ,少なくとも 人 確 に関しては機能していない。 もちろん規範 知の主張 と現実の間の 距離が縮まった 時期はあ るのだ アメリカでその 歴史を理解する 為の思想的展 けれども, もう一方の段階では 恐ろしい種の 開が現れた。 この歴史は我々を 混乱させて, る。 法の支配 理由は理解出来ないが ,民主主義国家として 勢いで溝が広がってきたのであ とその不効力における 混乱は一律ではない。 第二次世界大戦後の 最初の -t-年間, ラテン 組織するための 必須法的機構が 整っていたの あ る時はいく っ かの国では少なくとも 人権 の ぼも関わらず 果たす事は出来なかった。 多くの部分が 守られていたが ,その近隣諸国 の歴史的企て ,独立運動を促し,解放者ボリ においては極悪非道な 形でこの人権 が犯され バ レ の理論的構想において 最大の具現化であ ている。 又 時に,ある国は,民主主義の の模範として認められた - つ 後,闇黒専制政治で 我々 る偉大なる企ては 失敗に終わる。 何故失敗し たのだろうか ? 唯一考えられる 事は概念と 挫折してしまった。 しかし,ニ十世紀につい 現実を結ぶ事を 通しての仕組みを 分析するこ ていい加減に 言及しても,人権が尊ばれた時 とであ る。 なんとなれば ,法的機構は,それ 代でもあ り,人権が無視された 独裁的時代で を下として現れ 始めたラテンアメリカ もあ る, 国を組織しようとし と 言う事ができる。 1920 年代と第二 諸共和 ,概念の領・ 域に属してい 次世界大戦の 間は独裁制が 支配していたが , るが,その領域においては 概念がまだ現実を 戦争後より 50年代の初めまで 民主主義が支配 列っぱり出す 為に使われているからであ し 人権 も重んじられた。 現在,独裁政府支配 時代の後,民主主義政府の 復活が始まってい る 。 それは,ほぼ全てのアンデス 諸国が現在 る。 法的概念は経済的,政治的,哲学的,社会的, 文化的な理念の 反映であ り,実社会の 動力を 導きだす為に 使われている。 故にわが国の 政 民主政治を行い ,ブラジルが限りなく民主主 治 更 において何が 起こったかを 理解するには 義への実現に 努力している 事からも明らかな 概念の歴史を 先ず理解しなければならない。 事実であ る。 ニカラバアにおけるサンディニ 大義においての 概念 史は ,その中でも 思想的 136 清水 概念は他の概念の 性格付けと意義付けを 与え 示しているからであ る。特に政治に関しては 顕著であ 我々の歴史がなにゆえにこう いう 経緯を踏ん る。 上記の企てから 発して,メキシコのレオ ポ る。 そしてこの視野は だかという理解を 提供した。 この理解を得る であ ること」という 意 ルド・ セア は, ヨーロッパから 輸入された 思、 には「ラテンアメリ 想的概俳をどのように 味について熟考する 必要があ ,ラテンアメリカ 諸国 ヵ る。 すなわち「ア の政治の実践に 役立てようか ,という方法の メリ ヵ であ ることの思想」を 作り上げる事で 研究に積極的な 運動の先頭に 立っている。 ウ あ る。何故なら,私達の本質の理解のみこそ ルグアイのアルトゥ ロ ・アルド,アルゼンチ が我々の歴史の 意義を理解させてくれる 事が ンの アルトゥ ロ ・ロイグ, できるからであ る。 こうして,概念史の 自然 グレゴリオ・ウエ インベルバ,ペル 一のアウグスト・サラサー 的な動きの中,アメリカであ ることの思想的 ル ・ボンデイ,ブラジルのジョアン・クルス 展開が現れてくる。 正当化された 概念的支配 の根本的事実から 出発する時,何がラテンア コスタその他は 同様な道を歩み 始めた。 個人 力 であ ることの思想」・と呼ぶに至,った 概念史 の運動が形成されているのであ フ を作り上げているか ,成しているかと いう事についてこの 理解を通して 我々の国の 歴史の理解を 進めてかくのであ る。 る。 概念史の初期段階においての 研究は自由主 義と実証主義についてなされた。 カ メ や グループの努力の 結合により今日「アメリ この理解を得るためには , ラテンアメリカ 自由主義, 地域領土における 西洋支配がどのように 強固 それは,百科全書派主義から 発したものであ されるかの方法を 知らなければならない。 初 り,ラテンアメリカに 独立を促した 先駆者へ 期の支配は植民地における 方法だったがⅠ工 概念的影響を 与え,また,ラテンアメリカで 場や商業地域」だけの 支援としての 侵略勢力 は,実証主義は, この思想的原理がより 深く と考えられる ,例えばアジアやアフリカで 生 政治的意義を 及ぼしている 事実があ るからだ。 じたようなただの 経済的な理由で 裏 付けるの セア は,彼のメキシコやラテンアメリカの ではなくて,キリスト 教主義を通して 見なけ 記主義について 相次ぐ著書において , 実 どのよ ればいけない。 征服者は聖職者を 同行し到着 うに進歩,秩序と 自由がブルジョアジ 一によ した。心の救済を説いたが , る他の階層の 支配を正当化するために 用いら 理を教え込むためには 彼等を従わせる 必要が れるか,またポ ルフィリオ・ディアスのよう あ った。 来信者はまた ,導いてい かなければ に,究極的な表現で言えば ,独裁の正当化に ならない -「等の者であ り,救済教理を 吸収さ ついて提示している。 他の国においては㍉犬 、況 せるための保護 下 に置かれた。 がちぐはぐで , 例えば, アルゼンチンでは , スペインを経由してアメリカに 伝わった , い うほとんど無名のドイツ と 人クラウ セ の概念 の政治的影響が 大きい。 このように,概念 史は ラテンアメリカの 歴 未 信者に真の教 スペインの植民地政策により ,アメリカの 地で形成し団結をした 征服者とスペイン 人の 子孫とによる 統合された集団の 形成から始め られた。 「クリオーリョ」と 呼ばれるこの 集 団は , 徐々に拡大し ,団結力 も増していった。 史において根本的な 視野を拡大させた。 とい スペインやポルトガル 支配が彼らにとってわ うのはこの概念 史が,当時の思想概俳を 通し ずらわしくなりはじめた 時期がおとずれた。 ての支配を正当化し ,発展していった 事を提 なぜなら,都市部で 生を受けた者だけが 重要 137 「ラテンアメリカの人権 」 な役職に付くことができた 時期だからであ る。 いたメスティーソ 集団, との間に衝突が 起こ 権 力との繋がりを 破壊し彼らの 利益に必要な るのであ る。 この動きが,ラテンアメリカ 史 を性格づけている 解放と独裁の 間を揺れ動く 権力を温存させる ,独立運動を正当化するた 有名な運動を 説明してくれる。 新しい勢力は め大変都合のよい 道具であ った。 従って植民 新しい秩序を 要求する。 人権保障を伴った 典 地から共和国へ 移行した 際 , 型的な民主主義はこの 新しい秩序であ る憲法 百科全書主義の 絶対自由主義思想は ,植民地 ラテンアメリ ; 諸国内部事情は 何ら変わっていないのであ る。 を認める。 しかし,海外資本援助を 6 けた支 多くの大地主達は ,その階級つまりスペイン 配属はそれを 容認しない。 海外資本はいずれ 人の子孫としての 特権 を所有し,支配と 搾取 にしても民主主義体制の 確立を不可能にする を続けたのであ る。 ために干渉するのであ る。 この民主主義勢力 nぎ 代が経つにつれ ,西洋社会は産業化して とその反体制の 勢力の対立において ,ある移 い き, ラテンアメリ ヵ の支配集団も 発展して り変わりの傾向が 現れてくる。 イリゴージェ いった。 あ る者はスペイン 人から引き継いだ ン や バトルのようなカリスマ 伝統的な古 い社会構造を残そうとしたが ,他 的印象を持った 今世紀初頭十年における 政治指導者や 後のバ の者は,産業化の 過程を伴う社会経済の 新し ルガス やぺロン は前述の支配属バループの 大 い形態の発展が 制圧的であ ると考え,歴史の きな圧力から 抜け出ようとした。 しかし, 古 波に合わせようとした。 しかしながら 特権集 来の特権 階級の利益とも 両立させながらの 和 団を構築した 事実により,彼らの近代化傾向 解 策 であ った。 この和解の試みは 政治学者に (大衆基盤の政治運 よって「ポピュリズム は彼ら自身の 利益と相反した。 実際に,産業 革命は典型的民主主義によって 生じる活動で あ ることを暗示するからであ る。 そしてラテ 動 ) 」と呼ばれた。 が,ポピュリズムは失敗 に終わる。 なぜなら, この新しい社会勢力の ンアメリカにおける 民主主義の到来は 産業化 出現は抑制できない 力を持っていたからであ をもくるんでいた 彼ら自身の身にも 危険をさ った。 この力 は新しい勢力が 決定的権 力を得 らしたのであ る。 なんとなれば ,この活動は, る 古来の特権 集団を迫 い やる新しい社会勢力を ュリズム動勢が 抑制される時点に 行き着く, 生み出したからだ。 従って,この集団の唯一 その時点というのは ,投資国の策に操られた の解決策は,一つには 秩序,平和と進歩を掲 伝統グループの 操作によって ,構築された全 げての力の政策に 頼り,彼らの利益を守る事 てのものが崩壊し ,旧体制に帰する 時点だっ 傾向を持っていたのだった。 そして,ポピ であ り,もう一つは ,自分達の国に潜り込み, た。 人権において得たものというのは , 軍 独 投資を充分に 守る事を必要とする 外国の大資 裁や軍隊機構の 支持層の市民の 影響で再び失 本にもたれきることであ る。 われた事であ った。 そうして,力の政策に頼り,外国大資本を 代行する特権 集団と,その他の社会集団 :小 この経過によって ,各地域の政府が支持す るところの帝国資本主義はラテンアメリカ 諸 規模な中産階級者,土地出身の 地主,郊覚の 国の内政に干渉し 農民,特にクリオーリョによって ロギーを際だたせた。 このことは我々諸国に 社会的政治 的に受け入れられず ,支配階級に課せられた 固い社会経済文化構造を 打ち破ろうと 争って 138 教化の役割というイデオ おける西欧支配の 第 . 段階であ った。 西洋は 文明や精神の 源泉であ る。 そして,歴史的な ナぎ 力ぐ 使命を持っている : 人類の文明化,つまり 全 世界が文明人の 状態に達するようにする。 の目標が果たされた 時のみが自由であ の市民は人間として 満足の生活が こ り,そ 出来るので あ る。 そして遂に人権 が国家によって 保証さ れる社会に到達し ,世界全ての国家が充実す ることになるだろう。 このように見ていくと ,西洋世界は,経済 への介入を正当化するために 人権 擁護を宣言 果 として我々に 我々の歴史感を 理解させてく れる一つの根本的事実をもたらしてくれた : ラテンアメリカ 人たるために 認知される要求 をする,と言うことであ る。何故なら,人間 の本質であ ることに「けち」をつけられ ,優 れた西洋人が 行える事ができない ,つまり, 能力がなりという 下等のレッテルを 貼られ, 海の向こうの 勢力のあ る国と同等に 自分達の 発展を整えられる 権 利を否定され , 無 教養や している自由主義や 民主正議 の イデオロギー 野蛮と決めつけられ ,見下されてきたからで に根ざしている。 それゆえ彼らの 利益が関係 あ る。 ラテンアメリカ 人は人間としての する時は,西洋人によって 提唱された彼らの されることを 要求しているのであ 概念を独自に 適用しようという 行いをもって 達 が行うべき事を 行える,自由を称えている 干渉するのであ る。 ラテンアメリカ 人は,こ のような状況における 擬西洋的であ ることの 人達と同じような 自由を持って 生活できる, ぉほ 折 感を持っている。 初期にはキリスト 教と ・ いう名の下に 下僕状態になり ,第二段階には 自由,人権,発展という 名の下に専政的な 状 認知 る。 他の人 西洋の知識人によれば ,全ての人間に与え も れなければならない 事について,要求するの であ る。 - 番決定的な我々の 本質,私達自身が世界 況を強いられた。 いずれにせよ ,一つの道理 を見る方法としての 信念は,「認知の 人道主 があ ったのだ 義」と呼ぶことができるであ ろう。 そしてそ : それは西洋がラテンアメリカ を劣等 祝 している ど言 う ことであ る。 キリス れは ラテンアメリカ 思想の台として 人権 の観 ト教化を実施した 時には,西洋はラテンアメ 念を確立する。 人権 は人間条件の 不可侵であ リ ヵ を一人の子供扱いにした。 すなわち, 救 いの手を差し 伸べるべき知識水準の 低い人間 に考えられた。 当然,救世主達の 勧告の一つ ぼは, 自分達イベリアの 宗主国に従えよ , と る価値をただ 認知するという 結果なのであ る 。 認知のための 要式はラテンアメリカ 文化の 一連の様式を 理解させてくれる。 それは,絵 いうものだった。 その後,西洋がラテンアメ 画や文学において 何故激しい先住民運動が 発 リカを啓蒙した 時は, 生したか,ニ十世紀にネル ー ダやバ ジェー ホ ラテンアメリカ 進の人間,平野蛮人だから 人を後 教育すべきであ り 文明人の権 力に従う必要性があ ると考えられ た。 その自由,その文明化というのは 遠い将 のような偉大な 詩人が何故排出したか ,何故 ラテンアメリカは 一 ヨーロッパ や 米国の前に 「劣等感というコンプレックス」 一 ラテンア 来に委ねられる 事になった。 このような状況 メリカも彼らと 同様の創造 能 /Jが有ることを においては,上記に 示したように 示すために文化的飛躍したいというコンプレ ,ラテンア メリカ人は労働しなければならなかったので あ り, 自分達の手で 自分達の運命を 決定する 事・もできなかったのであ る。 アメリカであ ることの思想は , この分析結 ックスーを抱いているのかを 説明してくれる。 こういった事の 興味ある提示の一つには ,ラ テンアメリカ 思想が,それ自体の可能性と 創 造性を持つべき 意義についてかなり 考える 努 139 「ラテンアメリカの 人権 」 力を捌、 ってきた, という事であ る。 幾人かの ラテンアメリ ヵ 思想家達は,西欧の 思想界に な 限り認知を行 う 必要があ る。 しかし逆説現 象が生じている。 現実社会の構造は 大企業力 興味を抱く大きなテーマに 触れて,普遍的思 によってラテンアメリカが 従属しているとい 想に貢献している。 一方,他の思想家達はそ う状況で保たれているのだ。 れとは反対に 我々の現実の 解釈と本質の 明示 外国資本によって 都合が良い,国内への 圧迫 に進まなければならないとしている。 という仕組みを 通して保たれる。 それは外国 リ ヵ 「アメ であ ることの思想」を 確立しなければい この従属状況は , の投資が成功する 多くの保証が 得られるとい けない。 それぞれのグループが ,輸入された うわけであ る。 そして, こんな状況下にお い 考え方の コピ 一ではなく,現に ,思想という ては実際に人権 を守るというのが 不可能なの 名に価する創造性の 貢献というそれ 自身の本 だ。 人 として,十分に 成るために, また哲学 物の思想を表したいと 切望しているのであ る。 的思想によって 宣言された人間主義が 社会を 前述のニ番目のバループの 人達は,西洋恩、 動的に導くために ,社会を改革しなければい 想が,歴史的経緯と mk 況の間題 に呼応するた けない。 そして, もし私たちが 外的や内的圧 めに生まれた , 力から解放され ,多数による搾取・支配や , と 考え , 他の人のための 他の 状況において 作られた課題を 考えるためでは 組織的な人権 侵犯が発生する 状態にピリオド ない, と 言っている。 思想が本物になるため を には地域自体の 問題から発生しなければなら の社会を変革できる 事になるのであ ない。そこから「アメリカであ ることの思想」 想 はこのように ,自由解放への道具立てなの の創出が必要となってくるのであ であ る」。 る。 しかし, 打ち,その圧力を 再組織化する 事こそがそ ラテンアメリカの る。 鴇、 歴史的状況の 意 ともあ れ,双方のバループはどちらも ,西洋 識作りと,正論であ る定理と実践において 恒 におけるその 時々の思想の コピ 一ではない正 久的な解放を 達成する為に 貢献しなければな 真正銘の思想を 作り上げる必要性を 考えてい らないのであ るのであ る。 この本物であ ることの熱意は , た学派や風潮や 異なる形成と 非常に多種多様 作るのではなく ,私達を屈服して 後,経済, な思想的興味という 所から見ても ,一連の知 政治的に支配し ,文化の創造者として 我々を 識者は解放の 思想ということで 一致する。 黙殺した人々に 認知されるという 事に他なら の展開は 197W 年に第三十回アジア・ ない。 カにおける人文科学世界会議 る。 あ らゆる角度から ,異なっ こ 北 アフリ 一 ラテンアメリ カの異なった 国々の思想家運が 彼らの理念を 解放と第三世界主義の 思想 表明一での報告で 頂点に達した。 前述の二つの 思想バループは ,激しい論争 「思想というのは ,つまり,最高の 道理の の後,対立を超えてそれぞれが 相反する立場 学問であ って , 全ての学問の 根本であ り, そ の重要性を認めぬ れは 解・放の道具立てに役立つのであ る」。 ぅ のであ ぶ アメリ ヵ であ ご ラ ることの思想は 発展し続け,避けることの 出 テンアメリ ヵ 思想はラテンアメリ ヵ の本質を 来ない内部の 力 によって「解放の 思想」に至 釈明し,人間主義において 確固たる方向性を り,大きな運動を 構築する よう になる。 もし, 見つけ出した 後に,物質と 文化の分野におい ラテンアメリカ 人の本質というのが ,認知の て西洋支配を弾 劾 できるのであ る。 (141 要求だとすれば ,住んでい る現実社会に 140 可能 ラテンアメリ ヵ 思想はそれ自身で 把握され, 清水 この正当課程の 視点から見ると ,展開してい 外吝ほの秩序を変える 必要があ る " 世界が,支 く歴史的状況のため 配 国と被支配国 とに分裂している 間,またラ ,必然的に西洋の 支配へ の弾 劾 に向かい,その 支配を越える 道を提示 テンアメリカ 諸国が特権 団体の経、 済力によっ する。 階級闘争の単なる 道具としてではなく て統治されている 間は真に人権 を語ることは 自分自身の内部の 力 であ る普遍的人間の 不可能であ 表現 る。 たとえ,周期的な 専制政治に として,それぞれ 歴史の枠の中で ,普遍的価 戻っているという 振り手的な現象を 決定的に 値を持つようになっていくのであ 打破したとしても ,社会秩序が変わらない限 る。 この普 遍性が,抑圧され疎覚された世界の 全ての視 り,人権は個人の権 利としてのきちんとした 野を開くのであ る。 前述した解放の 道は , 全 認知は受けられないだろう。 故に解放の思想 家達はその解決策として 社会主義を提示して ての国家の全ての 人たちの道なのであ る。 思 (j61 想は歴史において 実現する理由の 至上の努 'J いる。 とはいえ,彼らの 思想の根本であ る人 の賜であ り,それ故 ,たとえラテンアメリカ 世界と状況が 細部において 違っていても ,世 道主義の要求の 一貫性をもって ,自由の下で 界中の全ての 地域に適応しなければならない。 や考えではない。 自由を得るために ,不定期 つまり解放の 思想はまた第姉世界主義の 思想 間の間, 自由を排除するといったことの 意味 フ 1151 の社会主義を 求めているのだ。 狭義的な原理 合いではない。 解放の思想はこのように ,物 でもあ るのだ。 事を把握する 新しいモデル ,新しい方法を提 案するのであ 人権 とラテンアメリカの 将来 前述の人権 の視野から考慮するならば ,ラ る : 人権 の一貫性のあ る実現を 求めているのだ。 なぜなら,解放を 得るため テンアメリカではもう 一つ新しい意義が 見い に,妥協無しの 専制政治を制定しなければな だされる。 というのは,私たちの 歴史を解釈 しょうという 意図は決定的結果をもたらすか らないのなら ぱ ,思想・表現の自由権 , 又 自 由に自己地位の 選択権が出来る,等の基本的 らであ る。 つまり現在の 社会経済構造を 人権の侵害を受けざるをえなくなるからであ 維・持 。 解放の思想は 一つの新しい 領域を開くの している間は 人権が十分に保護されないので る あ る。 それは,取り 巻く状況が代表民主主義 であ る。 すなわち,正義と 自由が完壁に 調和 に傾いている時や 法国家が機能できる 時も含 ができる,ひとっの 社会モデルの 探求であ んでいる。 なぜならば, ラテンアメリカで 支 り それは実践観点から 言えば,個人権と社会権 配している 現社会構造においては ,「人身保 護 令状」 (HebeasCorpus), 思考と表現の 自 の人権の保証を可能にすることなのであ 由 ,通信保護,住居定住の保証は可能であ 思想的領域を 越えなければいけないが ,解放 る る。 もちろん, このモデルの 政治的な実現は 単に が ,社会権においては何も 保証されないから の思想によって であ る。 労働権,正当賃金の権 利,そして, 構築できる方法とは , 個人が実際に 自分の人間性のより 良い能力を なければいけないという 具体的な一連の 要素 発揮できるにふさわしい 社会的な地位の 権利 次第なのであ 保証は,極貧,貧困や 搾取で荒廃している 世 覚の強化に役立たなければいけない。 界では不可能なのであ る。 覚は,支配的社会制度の 変革を可能にし 人権の完全なる尊重を 得るためには 内部・ 支えられた新タイプの 社会を 同 レベルの変貌を 遂げ る。 しかしながら ,思想は, 自 その自 ,モ デルの練り上げやその 過程において 継続困難 Ⅰ 41 「ラテンアメ とだ。 ラテンアメリカにおける 人権 問題は, チ 非難を可能にするというこ @ ナ㎎ の危険性に対して このように根本的な 思想的テーマとして ,ラ 的考えの扱いが ,具体的な歴史 テンアメリカ 的状,況から 発して,全人類が限りのない一つ の認知において 包括するという 決定的な普遍 性に達し,最高の思想的理想を 具現化するの だ。 「それは道理が 歴史を導いて い く」とい うことに 他 ならならない。 注 い) 記述の百科全書家の 他に,北米独立には ぺン の影響が強く 見られる。しかし,ペンは 時の人物 であり,彼の考えがフランス 百科全書家の 考えに - 致したのに過ぎない。 (2) フェ ィホ 一の考えとラテンアメリカ 諸国独立 れ ur0Ardao,La における彼の 形饗はついては, A Ⅲ0so 且 a po 騰 mica 由res, 1962 de FeU0 , L0sada, Buenos を 参昭。 ラテンアメリカの 法律上の Leop0rdo p0sitivismo y decadencia Zea, Apogeo en Me 態 c0 , 1944 M6X ミ co, E て Cole 伊 0 de M del さ n1 % (3) 受けている。 Xico, ひ キシコにおける 実証五義の最盛 期と衰運 ;EIp0s Ⅲv smoenM6Xico,Ediciones 五 Studmum, Mexico, 正義) ',Dos 1943 etapas panoamencano. (メキシコにおける 実証 el pensamiento en El Co 騰穿 o de M る hi 田 xxico, Mexico UniversidaddelaRep 丘 甲旭 y, tblica,Montevideo1962, (ウルグアイの合理正義と自由王畿 ), Esp 而も ualims 皿oypositivismo enelUr Cul 施raEconomica,Mexico1950 田畑 y, 「 ondode , (ウルグアイの 観念正義と実証正義 ), 血 turoKoig,"ElEspi aⅡ smoa Ⅰ gentln0enlaSe X Ⅸ》, La 廿Unoam 142 itu「 餌 ndamltaddeIslgl0 はica, N0 4, 1968, (19 世紀の後 キ Ⅰ9 AHao,RacionaIimsmoyLiberalismoenUr nX osⅠ , CO 1949( ヒスパノアメリカ 思想の二つ時 @CW),血 turo てめ血を で,ルソ一の 典型的な・影響を @ ネ v s Ⅰ@ し al e ml @ oll s人。 ecad yー p 百科全菩概念を持った 例は,1823 年のぺルー 憲法 Ⅰ アメリカ), 虹 turo 血 dao, 皿los0 打 aenLen る 丘 ola,Edito ㎡ al 屋ぬ, Montevideo 千刀く 朗a ・ Espa ; モ 1963, (ス 皿 ericana ペイン語における 哲学), La 田os ぬ ㌣ aA Ⅲos0 群 asinm como s,S. ゑ 沿㏍, M る Xico1969, (究 M 極哲学としてのアメリカ 哲学), ド ㎎ncisc0 ミ r6 Quesada, Despe 珪打 y proyect0 deI Ⅲosofar latin0amer ぇ M ろ cano,F0ndodel C ⅢturaEc0ndmica ラテンアメリカの 征服の意義とアジア・アフ リカとの相違は 次の文献を参照7rancisco Quesada, ぺ Mjr6 ミ 町oX 》.,Ⅲ ers MondeN039-T0 アメリカの西欧支配の 論理的な正当性につい ては次を参照:Leopold0 Mundo 七 KAn) rica oha 》 (上喝書) 又, Po ㎏ m cas KⅥeoas エ M X co る M で丘 ayobreg6n, Ⅱ anza 》 Ⅰ ame ろ Xic0 ㎡ cana (上掲 》 denteytaconcie 丁 皿 cia Fondo (アメリカ意識の 弁証法)》, 七 M6Xico oriaA皿 e㎡ cana de CuItura 1976, la 廿 noamericana: p Ⅰ Econ6mica, 0yec 七 oy 吏 と (アメリカ史 978, 又, F Ⅰ ancisco Mi で 6 Quesada, M も Xico KF Ⅱ os0na e目 izaci6n ラテン (l1) 》 Conse り 。 de la Cultura, Cent 耳 o de Es も udi0S Nacional L8%noamerican0s 1970; 《 C億毎喝 詰手 R6mul0 Dia は cticade la conciencia ame ), KF Ⅱ oso Ⅱ adelahistohaA ㎏ voluci6n Ernesto Gallegos, Caracas Vi Ⅱ egas, ぬ㎡rica en Mays Ba Ⅱ 《 en 山a, icana 》 皿 eHcana 》 rmismo y Fe Latina 刀 土も 》 "Hacia (前掲菩), nuevo un (新人道正義ヘル , MinisteHo 2970; "Criticadela de raz6n de U ㎡versidadSim6nBolivar,1974.JorgeM la Ⅲas, masas (集団社会の精神的挑戦 ル, E 由 ci0nesdelaUnivers 田 ad de Chile, San 仮 ag0 SalazarD0ndy, "BaR0lom る 1962. 珪ma l977. Franscico ism0yRevoluc Au 餌 st0 o dela&ominacidn M 廿 6 Quesada, Peru ㎝ a, "Human- ㎡ n (人道主義と革命 @ , InS 廿 tu も。 NacionaldeCultura, Ⅱmal969. 前述の著者はそれぞれ ,傾向や主義が 異なるが, 人道主義の根本概俳に 一致を見いだしている。 そ この根幹は確立する 必要がないという 占において 技術の中に,いくつかの意 である。 この一般的な 味合いが見られる。 Zea はサルトル派と 自己の視 点を発展させるために へ一ゲルの弁証法の 独自の 何を杓てなしている。 MayzVa Ⅱ llenila はハイデッガ 一の考えを使用している。 SalazarBondy はカミ ュの考察に近い立場をとっているし, Millas は アメリカ思想: 構想と実現)》, F0nd0deCultura Econ6mica, 比 ul で ala 妊 noamericana れは,人道主義が 社会思想の新しい 根幹をなし, 953; KDial6cticadeIa Editorial MeXicana, 興loso Ⅱ adelahis @ 想) ぇ ぬ㎡rica (西洋世界とメキシコの 自覚瓶, P0r- ぇ conciencia Elocc 《 hiStoria》 C前 @時 ;彗 ), (バルトロメと 支配㌧,Bibl 廿 。 ㎏ ca 血ろrtcaenlahist0ha )の他に,同署 の de 《 el de ラテンアメリカにおける 西洋支配を正当化す comoconciencia,A A sobre ㎡,Ⅱ mal946. るこの方法については , Le0po 田 oZea,w 書 p Ⅱ oso Ⅱ aycu la en ,@ (前l喝 "El desa Ⅱ o espiritual de la sociedad de como る (新世界の古典的論争 ) Banco C 跨dit0deIPe 0) Zea, 血紅 icaenlahis AlltoneⅡ 0 Berbi, け ica c0 ろ又五 ㏄ c㎡ca (技術的真理の批判) Ed 而ones 五 Nuevo 《 ろで eyIaconcienciadeM Educaci6n,Caracas Jull eト Septembre,1969,pp.487%07. conciencia,A 皿 甦れ, KA huma ㎡smo R る alt る et possib titさ de la Cu 丘 ura Latinoamehcane (9) 毛 (前嶋%ぎ ), Abelardo Xic0 1974. (8) wEIocciden 合理正義の ニュアンスを 持っている。このような (新聞,1980 年発行)。 ラテンアメリカ 思想の根木的な 傾向としての ,彼 人道主義の合理的なシステム 化のもくろみは 人道主義とその 種々の解釈方法については ,次を ら独自の根本概念の 違いには関係がない 立場のネ,ぼ 参照 : 沖ancisc0 Mir6 Quesada, 起 として, HumamismoyRevolucion noamericana: pr0yect0y Ⅰ "FilosoⅡ a lati- eal zaci6n テ (前掲 ), 害ビ に記述され ている。 143 「ラテンアメリカの人権 」 (12) ラテンアメリカ 思想の普遍性と 地域性を王張 しているグループの 論争は Francisco の Despe れ aァ Quesada y 0 元来のテーマにより 寄与しているのは , A 円型 s㎡ nade Mir6 Casalla, del Ⅲosofar proyecto latin0americano. (前掲書)。 (13) 解放思想については , Le0pord0 y pendencia n0amehc liberac 而 n と解放瓶, Cuadernosde Ⅰ 974; 《 en Zea la cultura Ⅰ oaquinMo Au 炉s o 七 l0so Ⅱ a は enues 哲学の存 《 ネモ Salazar 七戸 Bondy, 皿 6hca aA )》, S 王宮 ユ 0 7% 亡 tur0 R0i9, 《 El pensam もで atam 玉 0nto 且 una c01974,pp.39 ミ ろ械 ca de la l0s6%co c№ l berac 6ぬ 王 王 《 M るも 0doparauna ば Ca Xico nac 士う n 968; Dusse@, Francisc0 士 M S 培I0 沿建, く る 第三世界正義 の ,思想論としての 解放の,思想に M "F 睦 n 。i6n a。 七 ual 放ル, Siglo 綴れ, Francisc0 Mir6 americano: は 6) Xico de 憶 る 丘 osdespu "団alectica de la 掻№ so Ⅱ a de lahis oria ameHcana 七 AbelardoV Ⅲegas,"Re 伍 rm ぇ ㎝oso Ⅱ a actual Au 糾 st0S 目 azarBondy,"EXiste ㎡ Quesada, ico1976.Francisc0Mi de lo america 皿 o: treinta a丘 0s 書), "Funci6nactualdela despu ろ s Ⅱa (前掲 Ⅲoso Ⅱ aenA 血るhca La 血 na( 前喝書ル, La 田0so Ⅱ aactuaIenA Ⅰ atina より Ⅲos0 "La 皿るrica (前掲書)。 以上注釈に上げた 作品はラテンアメリカにおけ る解放の哲学の 導入に役立つものであ る。 しかし ながら,この 分野の体系的な 研究には,より 膨大 な文献研究が 要求される。その多くの著者の 中で s (前掲書)礼 田0so Ⅱ a americana; ける思想の現代機能 卜 La mald0 , MeX- ろ ラテンアメリカ 史の目標としての㎜ 政府社会 eI pensamiento エ 田0so 五 a de Io れ血 (ラテンアメリカ @= お より, Edit0rialGr i977. Ⅲres 1973. Xjc0 , Buenos 田0so 且 aenLatin0am6hca en Xico ろ y Iiberaci6n, (真理と解 Quesada, 比 eintaa M 主義については 以下の文献を 参昭o LeoPolodo Zea, る M (ラテンアメリカ 乙 ne0s, Mario Csalla, "Raz6n ラ Se- Quesada, ついては以下の 文献を参照。 Leopoldo Zea, Xic0 Ed 尭 0hal Mir6 A皿dao, 究に喪明されている。 (1% 7, Ⅰ cana Palaz6n, によって調印された 前述の会議に 提出した共同研 KPara la 七 inoame e Ⅲegas, Leopord0Zea? ー第三世界@ , EXtempor ㎡ ca, 。 ㎡a 記述されている 立場は,山田 uro (ラテンアメリカの 考 ろ 五 ゐ taVera,LauraMuesdeSchrenk,Ma wLatin0an 止 ㎡ ca-TercerMundo Latinoam Mar Kush, Rod ㎡ 糾 ez Ma ㎡ a R0sa nto Iatin0amehcan0 "珪l0s0 打 adelalibera- 血 tu,0 曲 d 皿 , K血uza, Aれ uroR0ig,AbelardoV acas 『 Ⅰ (解放の哲学 瓶, Editorial Ed;c0l 血㎡HcaLatina 144 (14) (前喝書). 》 Ⅰ es, LuisaRivaradeTuesta. EX 丘 ste una M6Xico (解放思想のための 方法)", 1977. る 田oSo 五 adelalibera- %eme,Barcelonal974; c㎡ n Margar は Cerutti, Ⅱ odol 面 Soler, Ma Ⅱ a Elena Rosa Enr 咀ue 口5.EnhqueDussel, テンアメリカ 解放の倫理)", 1973; テ 王弓 え とその 想、 想的処理 )", M6X a捷 - (我々のアメリカの 泊㏍, o de la dom Bar0l0m6 ysu Ma 甲 s, Lacu 比 urayelhombredenustrosdias ユ 丘 De- Ⅰ ㎡ z,M (現イ七の文化と 人間)》, Pedag6 色 co, 1975. 《 (ラテンアメリカ 文仙 = おける従属 酊泡 れe Ricau ぬ斑 ega, OsvaldoAH Horacio Ⅱ ues 捷 a (前喝書瓶, smoyrevoluc C前掲% Iatinoamehcano Ⅱ 綺 nen Ⅱ na Ⅲos 五 ade A 、 ひica (前掲瀋瓶, 旺 anscic0 Quesada,"HumanismoyRevoIuc ゎ, M ㎡ ミ ㎡ n (前掲諮 @ 解放の思想研究者達は , 自国とラテンアメリカの 問題を解決する 方法として,だいたいにおいて 佃 政府社会主義を 唱えている,と言うことが出来る。