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300年の時を刻む老舗企業人形の美を追求し、次の100年へ! ー

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300年の時を刻む老舗企業人形の美を追求し、次の100年へ! ー
本 社 東京都台東区浅草橋1-9-14
代表者名 代表取締役社長 山田 德兵衞
資 本 金 1億円
従 業 員 120名
事業内容 人形やぬいぐるみの製造・販売
創 業 正徳元年(1711年)
ホームページ http://www.yoshitoku.co.jp
株式会社吉德(東京都台東区)
箇所を修復し、送り返すという作業
で吉德の8代目德兵衞が、白装束姿
れた。昭和
同社では、太平洋戦争時、戦局が
悪化すると職人の多くを兵隊にとら
を吉德で行なっている。
戸で最古の人形の老舗「吉德」
で政府に陳情し、節句品販売の許可
年には当局によって他
は、 正徳 元 年
( 1 7 1 1 年 )の
代々
「德兵衞」
を襲名する節句人形の老舗
3月3日のひな祭り、5月5日の端午の節句は、いずれも子どもの
健やかな成長を願う日本の伝統行事。
『人形は顔がいのち』の吉德
大光ブランドで知られる節句人形販売大手の株式会社吉德は、今年
創業300年を迎えた。昨年、山田德兵衞を襲名し、吉德12世となっ
た山田社長に、3世紀にわたる同社の歴史と、日本の伝統文化を担
う老舗企業のトップとしての抱負を伺った。
を 賜 り、 以 来 店 主 は「 吉 野 屋 治 郎 兵
創業者の初代治郎兵衞が6代将軍
徳川家宣公から「吉野屋」という屋号
がけ、日本の伝統文化を支えてきた。
創業以来、節句人形の製造・販売を手
した。
開始したりして、人形業界をリード
たり、三越などの百貨店との取引を
は、業界で初めて正札販売を行なっ
を得て危機を救った。その後も吉德
っていってしまった。昭和
戦 後、 統 合 会 社 は 解 体 さ れ る が、
「独立した番頭格の社員が顧客を持
玩具人形株式会社」に統合される。
の人形大手問屋
年に再
社 と と も に「 東 京
衞」を名乗る。6代目のとき「德兵衞」
代
出発したときは、マイナスからのス
23
31
を継承した。現在の社名、吉德は「吉
し、芸術の域にまで高めようとした。
目は、現在の吉德の事業基盤を築い
作 を 監 修 し、 全 米
まと人形」 体の製
る 答 礼 と し て、「 や
い目の人形」
に対す
カから贈られた「青
善のためにアメリ
特 筆 す べ き は、
昭和2年に日米親
った。
ており、6年前の新ITシステム導
そうした取組みに伴い、同社は
数年前から日本公庫の融資を活用し
山田社長は振り返る。
図るなど経営の近代化を進めた」と
だが、全商品のコンピュータ管理を
だった。私が入社したのは平成6年
える化、顧客のセグメント化が必要
幸い日本の高度成長とともに、人
形業界も右肩上がりの時代が続い
田社長)。
た実質的な創業者と言っていい」(山
年 )な ど を 著
各地に送り届けた
入の際や、昨年企画開発を行うため
した文化人でもあ
こ と。 近 年 で は、
の別館を購入した際に制度融資を受
た。「 し か し ム ダ も 多 く、 経 営 の 見
日本に里帰りした
け、経営基盤の強化を図っている。
10
は 大 打 撃 を 受 け る。 そ こ
代表取締役社長 山田 德兵衞(やまだ とくべい)
平成3年立教大学卒業後、6年に入社。19年に代表取締役
社長就任後、22年、家例に従い12世「山田德兵衞」を襲名。
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答 礼 人 形の 傷 ん だ
58
廃 止 さ れ て は、 人 形 業 界
「日本人形研究会」(昭和8年)を設立
10
野屋德兵衞」の名前に由来する。
25
し、『 日 本 人 形 史 』( 同
10
明治になって新政府が、五節句廃
止 の 布 告 を 出 す。 節 句 が
に改名し、以降、代々店主がその名
タートだった。再建にあたった
19
大正9年に 歳の若さで德兵衞を
襲名した 代目は、人形の美を追求
江
創業以来の地に今も本社を構える。
天保年間「江戸名所図会」巻之一、
「十軒店雛市」の図に描かれた吉德の店舗
13
2011.2 JFC 中小企業だより
中小企業事業
14
ー老舗企業に学ぶー
社 名 株式会社吉德
300年の時を刻む老舗企業
人形の美を追求し、次の100年へ!
お 客 さ ま
訪問レポート
節句人形は季節商品、オフシーズンに何を売るか
節 句 人 形 は、 子 ど も が 生 ま れ な
い と 買 う 機 会 が 生 じ な い〝 特 殊 商
り」は、人形業界はもとより、一般
年に売り出した五月人形
平成
「 ダ ー ス・ベ イ ダ ー 鎧 飾 り 」「 同 兜 飾
句人形は
〝季節商品〟であるた
め、 夏 場 に 展 示 会 を や り、 冬
品〟でもある。少子高齢化はマイナ
の 人 々 を あ っ と 言 わ せ た。 映 画『 ス
節
に な っ て 売 り 出 し、 5 月 5 日 に ピ
ス 要 因 だ が、 年 代 の 第 二 次 ベ ビ ー
ブームの時代に 万人生まれていた
たが、現在では、節句人形とともに
「ぬ
などのいろいろな土産物を扱ってき
吉德では、江戸時代から浅草寺の表
参道で人形ばかりでなく団扇、扇子
する」(山田社長)からだ。
は、どこの家庭でもしっかりお祝い
うではないという。「長男長女のとき
り上げも半分になったかというとそ
といって、節句人形の業界全体の売
同社はそれまでもキャラクターと節
句人形を組み合わせた商品をつくって
諾を得た」と山田社長。
が日本びいきということもあって快
だった。版元のルーカスフィルムに
た ま た ま 出 た の が ダ ー ス・ベ イ ダ ー
品 は な ん だ ろ う と 話 し 合 っ た と き、
で、 今 の お 父 さ ん 世 代 に 受 け る 商
ら 生 ま れ た の か。「 前 年 の 企 画 会 議
を五月人形に、という発想はどこか
ター・ウォーズ』の人気キャラクター
タッと終わるというスケジュールが
ある。それが経営を変則的なものに
子どもが現在
いぐるみ」
が商品の一つの柱になって
きた。ダース・ベイダーシリーズは決
万人に半減したから
し、「オフシーズンに何を売るかが永
遠の課題」(山田社長)
となっている。
いる。
かつてはメーカー兼問屋として、
して突発的に生まれた商品ではない。
打診したところ、ルーカス監督自身
ぬいぐるみを百貨店などに卸してい
たが、3年前からはメーカーに専念
して独自の製品開発に力を入れてい
る。「ひな人形はあまり景気に左右され
ないが、ぬいぐるみには業績を大き
めると、単純な「親王飾り」でも 人
の感性を活かし、
わずかな変化の兆し
をつかむために、
たえずアンテナを張
り巡らし、
消費者が求めるものの半歩
房の手を経てつくられる。
「 主 力 に し て い る 節 句 人 形 は、 ひ な
山田社長は、「古いものだけに価値
があるのではない。新しいものとの
先をいく商品開発を進めている。
あったダース・ベイダー兜のような商
吉德の役割は、まず人形のテーマ
を決め、全体をコーディネートしな
祭りや端午の節句といった伝統的な
社以上の工
品が革新の象徴と思われがちだが、す
がらデザインや色合いなどを職人に
習慣があればこその商品。その習慣
比べるとかなり変わってきていると
ロデューサーである。
業界全体の課題だ」と強調する。
のうち5人が女性とのこと。
案で始められた業界イベントだ。
正徳元年 吉德創業
明治6年 新政府の五節句廃止令に対し
節句品の存続を陳情、
許可を得
る。
明治以後、吉野屋德兵衞の
略称
﹁吉德﹂
を正式社名とする
明治 年 正札販売に踏み切る
明治 年頃 当時としては斬新な
ショーウインドを設ける
大正 年 関東大震災で店舗を失う。
再建を機に人形専門店として
新発足
昭和2年 アメリカの
﹁青い目の人形使節﹂
に対し、文部省の委嘱で答礼人
形の製作を監修。
昭和8年 ﹁日本人形研究会﹂
設立。作家
の育成に当たる
昭和 年 東京大空襲により店舗を焼失
昭和 年 浅草橋に店舗を再建、営業を
再開する
形、
ぬいぐるみ等の分野に進出。
昭和 年 業界にさきがけ、植毛のカール人
昭和 年∼ この頃から戦前アメリカに
渡った答礼人形が相次いで修
理のため里帰り
昭和 年 吉德の所蔵品が決め手となり
江戸きめこみ人形が通産省の
伝統工芸品に指定
昭和 年 ﹁吉德ひな祭俳句賞﹂
の一般公
募を開始
平成3年﹃図説日本の人形史﹄
を刊行
平成 年 創業 年を記念して日本橋三
越にて
﹁日本の人形展﹂
を開催
あぐら
今年は 周年の〝記念商品〟の販売
のほか、6月には、ひな人形を洋風
けない」と気負いはない。
をかいてはいけないし、驕ってはい
果ここにいる。誇りに思っても胡坐
私自身も
代にわたる積み重ねの結
歳で名跡を襲名した山田社長だ
が、「 年 は 日 々 の 積 み 重 ね の 結 果。
いて、定期的に公開している。
290
く伸ばす可能性を感じている。今は、
まだノウハウを積み上げている段階。
これからメーカーとしての力量が問
われるだろう」
と山田社長は話す。
田社長は
「伝統とは革新の連続。
以上の職人、あるいは
アンテナを張り巡らし、半歩先を行く
メディアに露出し宣伝効果の
べての商品が変わり続けている。それ
指示し、出来上がったものを仕入れ、
を絶やせば屋台骨が揺らぐ。そうな
山
が積み重なって伝統になる」
と語る。
最終的に商品に仕上げる、いわばプ
いう。また、かつては7段飾りが中
かつては“男の職場”であったが、
現在ではその節句人形の企画に携わ
毎年 月に行なわれる「明治神宮
人 形 感 謝 祭 」、 3 月 に 隅 田 川 で 行 な
バ ラ ン ス が 大 事 」と 話 す。 も ち ろ ん
ひな人形の顔は、1年ごとでは変
化に気付く程ではないが、 年前と
心だったが、いまは住宅事情を反映
る社員の半数以上が女性。また、ぬ
わ れ る「 江 戸 流 し 雛 」は、 同 社 の 発
らないための意識づけ、動機づけが
してぐっとコンパクトになり、人形
いぐるみの企画に携わる7人の社員
自体も小さくなっている。
ひ な 人 形 の 顔、髪、胴、手 足 を つ く
る職人はそれぞれ別で、小道具を含
22 20
31
49
53
60
13
200
同社独自のものでは「吉德これく
し ょ ん 」が あ る。 代 目 が 人 形 研 究
c
○2011
Lucasfilm Ltd. & TM. All rights reserved.
にアレンジした新製品「ブライダル
お ひ な 様 」 を 発 売 す る 予 定 も あ る。
吉德は次の 年に向けて既に新た
なスタートを切っている。
日本の伝統的な「節句」があってこその商売
その習慣を絶やさぬよう努力する
のために収集した資料が多数残って
40 20
12
11
話題となった「ダース・ベイダー兜飾り」
伝統とは革新の連続
変化の積み重ねが伝統になる
3
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2011.2 JFC 中小企業だより
中小企業事業
16
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42
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1
2
「吉德」の名前と家業は先祖からの預かりもの
次代にバトンを渡すことが大事なこと
11代目の発案で、平成元年から実施さ
れている「明治神宮人形感謝祭」の様子
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300
70
100
ひな人形の主な購買層である女性
荒川区町屋にある「流通センター」
では、
すでに来年に向け
たひな人形の製作がスタートしていた。
300
10
写真右:販売されているぬいぐるみの商品群。人気のキャラクターからオリジナルまで多岐にわたる。
写真左:ぬいぐるみ製品の開発は別館のデザイン室で行われている。
吉德が販売している伝統的な市松人形(左)
と現代風に作られ
た市松人形(右)。顔の形や髪型、着物の柄まで大きく異なる。
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老舗企業に学ぶ
ここがポイント
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