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115号 - 長野県神社庁

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115号 - 長野県神社庁
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夢 上棟各
¬ 戎2年 3月 る 国 内宮 上棟祭
写真提供 :神 宮司庁
第 115号
長 野 県 神 社 庁 報
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胤駆
lH(1,
平成24年 8月
平成24年 8月 1日 発行 ,長 野県神社庁 庁報発●,員 会 │十 報編集委員会
帳 野市衛清水161 電話026 232 3355 FAX026 233 2720)
―
―
(l15t,
州
神
(2)
平成24年 8月 l日
H誌抄
日日
井出 行則
2
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平 成 一言
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神社界後継イ問題に ついて 〓稽 ●
神職 の横顔
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信濃 の塔﹂ 慰霊 戦跡巡拝
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7回親 子参富 団
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新
御造営 フォト ニ ュー ス
暑 中 見舞
平成 4年度長野県神社庁歳入歳出予算書
2
4年度災害救助慰霜特別会計歳入歳出予算書 0
平成 2
2
8∼D
本庁表彰 辞令 寄附者顕彰 1
次
推 進会 議 於●矢 段
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(115サ
神
{4)
平成2年 8月 1日
平成4年3月2日 長野県神社庁神凧総会にお
いて ﹁
後継者問題について﹂の題で報告した。本
県で実施した後継者問題を含む実態調査精果は、
本誌次号に概要が報告されることとな っている.
ここでは ﹁
﹁職後継イ問題﹂を考える際の前掟
■の基礎データから知ら
となる、全国神職の数値︱
れる現状の概要を説明して参考に供する。
■ ︶全国の概九l神職に関する基本データから
︵
参照 ■よ1[
1︶現況 ︻
神破基本データ 一■
況 県別〓
2年 ︵
2月時における神社本庁
平成2
三● 一●︶1
也括下神社七八 九人四社における都道府県毎 の
神職データにより知られる要吉〓 神祓数 男女
の別 吉司 兼務社の項について列挙する。
1、全神破数は二 一
t 一八人 最多が東京都の
一
一一 一人、最少が佐賀県の 一人九人である.
なお、全国平均値は1県四六0人。 ︵
神宮 沖
縄県は除く。以下同.
︶
2 神破数における男女別の数値は、最多 最少
県は前記と同じ。また率は 全国平均値で男
“%、女4%である
.
︲
3、宮司について 数は 0、
四九九人 最多は東
京都の四〇八人、最少が福■県の 一一四人 平
均値は1県二 一
五人である。言司〓 ︵
神脱数に
神 社 庁 研 修 所講 師 ・深 志神 社 禰宜 牟職 仁
おける●可数 の割合︶は 最低が東京都 の
“% 最高が佐賀県の“%、平均値墾%であ
′一 .
4、全神社数から官﹁数を差引いた六人、
四人■社
が 業 務社 数 と な る .
一官 l
iの兼 務 社 数 ︵
神 社数
,
割 る 宮 司 教 ︶ は 今 回 平 均 が 7 〓0社 、 最 少 は
大 阪 市 の1 7社 長 多 は 富 山 県 のD社 と な る .
こ れ ら か ら 知 ら れ る よ う に 都 道 府 県 によ る差
異 が き わ め て著 し い。 右 に見 た 数 値 の背 景 に は 各
県 で の都 市 化 過 疎 化 の状 況 が 逆 関 し て いる。
デ ー タ ¨推 移 〓
2︶ 神 職 数 値 の 推 移 ︻
︵
参 照、 日表 2 ︹
神 職基 本
昭 和 ∞年と 平 成 2 年と の “年 間 を 対 比 し て推 移
の概 況 を 見 る 。 な お 、 神 社 数 は 七 九 、〓〓 一
入社 が
ら 七 八 九 人 四社 へ二 四 四 社 減 .
︵
神職 男女︶
へ 約 五 、t O ● 人 増 二 一五 % へと 伝 や か に
。
′わ
3 女性神取の数は二七五人から三 〇 一七人 へ
二 七四二人増 約n倍に著しく増加する.全
4%へと著しく
神職に占める割合も 2%から1
増加する.
︵
宮 司︶
l 全本務‘口数は 一■ 七二四人から 一〇、
四九
九人 へ r〓一
五人減 約&%へ減少する。
︲
2、i司“も約”%から約小% へ 3
ポ
ントも
ィ
︲%から
著しく低下する。非常司率でいうと、2
2%へと著しく増加する。
3、本務●司数の全神社数に対する割合も “%
3 3%へ減少する。
から1
4、男性宮司の数は 一二、
五六七人から九 人六〇
人 へ、二 t〇七人、極やかに減少する.
0
5、女性‘司の数は六五人から六二九人 へ、約1
倍に著しく増加する.
︵
業務鷲 3
1、全国平均値は6 2社から7 5社 へ増加する.
︵
特徴︶
1、第 一に日につくのは‘司数とイの著しい減少
である。その減少数 r■一
五は それまで本
務であ った神社が兼務社にな ったとみなしえ
る。その0神社数における割合は2%強とな
1 全 神 飛 教 は 一人 、C 二九 人 か ら 二 一、t 一八 人
増 加 す る 。 な お こ こ Ю 数 年 来 は ほ ぼ積 ば い
る
。
︵
少 し 上向 き ︶ であ る 。
の立場 役割が 歴史的経緯の如何にFわらず
2、戦前は卸度として存在しなか った女性■■の
数とイとが著しく増加している。その神社界で
2 、 男 性 神 職 の数 は 一五 七 五 四 人 か ら 一人 、t
5年 前 と
九 四七 人 増 加 す る が 1
O 人 へ、 二 、
間われる。
一カ この状況はその原因 理由を
比 す ると 三 六 五 人 減 し て いる . 全 神 職 に占 め る
2 ポ イ ント 減 少 す
割 合 は 、 ゝ % か ら “ % へと 1
)
(l15号
州
神
(5)
平成24■ 8月 1日
の増加 と 結 び つか な いで、逆 に富 司数 率 が著
1、 長 野 県 の﹁ 職 数 の推 移 は 、 明 治 “ 年 四 0 人
霧 移︶
こ れ ら の長 署 界の各 数 値 は 、 ほ ぼ 全 国 の平 均 的
孝‘える と 、 神 社 界 の危 機 の 一端 を 反 映 し て いる
しく 減少 し て いる のはどう し てか そ の 一因 に
,
は都市 部 の、大 中規 模神社 の専 任神 職 数 が増
であ り 過 疎進 行 地 の小 規模 神社 では逆 に減少
2、神 職数 の増 加 は 限 ら れ た神 社 ︵
都 会 地 の︶
る 。 当 面 は こ の傾 向 が 続 く か 。
名 。 そ れ 以 降 、 平 成 2 年 四 二 一名 へと 断 増 す
名 、 昭 和 7年 二 四 二名 、 昭 和 ∞年 三 八 一
状 況 に近 いと いえ よ う 。
と の指 摘 が あ る。
加 した こと があ る。
3 神 職 数 の現 状 は 、 男 性 神 職 の減 少 を 女 性 神 職
ス の男 性 後 継 者
いる 。 内 情 の 一端 と し ては 社 一
し 、兼務 社数 が増え る傾向 が継 続す る。
の増 加 が 補 い、 全 体 と し て微 増 の状 態を 保 って
に よ る継 承 の途 絶 減 少 を 社 一
家 の子 女 配 偶
へ、 ” ポ イ ント 減 。 全 国 平均 推 移 と 同 様 な 傾 向
二 三九 人 へ、 五 0 人 減 、 宮 司 率 は % % か ら “ %
者 が 継 本し て いると いえ よう 。
格 差 ﹂ が前
3、 これら の数値 か らは 、神社 間 の ﹁
提 にあ り 神 職 の数 質 の確保 、構成 、宮 司 減
が 、 少 し 緩 や か に進 ん で いる 。 ︵
富司数、戦前
五 四社 と 約 半 減 し 、 さ ら に
昭 和 7 年 に は 三 、〓一
社 と いう 多 数 が 明 治 末 年 の神 社 合 祀 の結 果 、
3 、 な お 長野 県 の神 社 数 は り ●“年 に六 、八七 八
は 不 明 。︶
2、宮 司 数 は 、 昭和 ∞年 二人九 人 が平成 ”年
は 約 “ 歳 で 、 ∞ 歳 以 上 の和 職 は 約 ” % を 占 め
の課 題 がう かがえ る。
少 、兼 務社 の増加 、地方 神 社 の後 継 者 不足 など
十均 年 齢
4 、 参 考ま で に平 成 B年 に お け る神 職 の一
る 。各 年 代 の割 合 は ∞代 が 最 も 多 く 2 % 、 次
︻
長 野県 神 賊基 本 デー タ ¨推 移︼
含一
︶ 長野 県 の橿 オー 室諮ホ、日 表 l ■ 表 3
7 % Ю代 6 % 、 ∞代 5% 、 Ю代 5% o
に ∞代 1
1
1
1
ま た 各 都 道 府 県 別 の ∞歳 以 上 の高 齢 神 職 の割 合
を み る と 、 岐 阜 県 が “ %と 最 も 高 く 、 岡 山 県
、
︲ 、
5 % 広 島 県 埓 % 沖 縄 県 夕 % 高 知 県 “ % と
戦 後 宗 教 法 人 と な り 神 社 庁 包 括 下 と な った数
現況 ︵
平 成 2 年 2 月 時 ︶ は 、 神 社 数 は 二 、四
全 国計 七 八、
九 八四社 ︼、神 職 数 は 四 二七
四 四社 ︻
これ に は宗 教 法 人 に 登録
九 〇 一社 減 と な る 。 ︵
。︶
さ れ ず に存 続 し て いる 例 が 多 いと 推 測 さ れ る 。
8 日付
な って い る 。 ︵
神 社 新 報 、 平 成 撼年 9月 1
同
人 ︵
全 国 平 均 値 三 九 六γ 女 五 〇 ^
男 三七七 ︵
女 三、
六 四こ ︻
同 二 一、七 一八 ︵
男 一八 t 〇 一
参 考 ま で に官 司 未 任 命 ︵
不在 ︶神社 数 は九 一
輩
一
〇 一t こ 、 言 司数 は 二三 八人 ︵
男 二 iO 女 一
は 昭 和 ∞ 年 に は 二 、四 五 三 社 で 、 昭 和 7 年 比
一
l、 男 性 神 職 数 は 今 後 も 緩 や か に減 少 し 続 け 、
八︶︻
同 ︵
男九 、人六 〇 女 六 三九 こ であ る。
公7後 の 推 移 予 測 ︶
方 、 女 性 神 職 数 の増 加 字 数 は 現 在 ほ ど の著 し
る 。︶
社 4 % 、 全 国 で約 九 〇 〇 社 約 1 1 % であ
付 記 ︶ 神 職 後 継 者 問 題 に 関 す る数 値 は 、 次 号 で
︵
O 男 性 神 職 の 割 合 は 8 3 % ︻全 国 平 均 “
これか ら次 の点 が指 摘 でき る。
さ は 止 ま つ 、 結 果 と し て全 神 骰 数 は 近 年 のらス ´
ち な み に平 成
に減 少 へと 転 じ る と 推 さ れ る 。 ︵
2 年 の前 年 比 は 増 加 数 l。 な お 、 過 去 にも 前 年
比 か ら減 じ た 年 が あ る。︶
難 告 す る 。 こ こ で は 、 平 成 Ю 年 以 降 に実 施 さ れ
参
た 、 7 県 で の後 継 者 有 無 の数 値 の み掲 げ る 。 ︻
3
1 % ︼、 女 性 神 職 の 割 合 は ■ 7 % ︻同 1
後 継 者 有 無 調 査 一各 県 〓
照、日 表 4 [
9 %︼。
な い。
Ω 冨司率 は 5 7% ︻
同 “ 3 %︼.
2、 宮 司 数 卒 の減 少 化 が■ ま る要 素 は 見 いだ せ
〇業 務 社 数 の計 は 二、 一
〇 六社 、
一宮 司兼 務 社 数
3 3 %︼。
︻
同1
O 本務 宮 司 数 の全 神 社 数 に対 す る割 合 は 9 7 %
は 一0 〓 一
社 ︻
同 七 五社 ︼。
右 の予 測 は 、 神 社 界 の状 況 が 現状 のま ま 推 移 す
︵
問題さ
ると 想 定 し て のも の であ る。
1 こ の “年 間 に お け る神 餃 数 の増 加 が 官 司 数
平成2年 8月 1日
神
(6)
州
(115,)
■表 1 1神 職基本データ 1現 況 県別】
rt22年 (2010)12月 末日現在 (拠 :神 社本庁評議員会平成23年 10月 議案
)
神
都道府県
神社数
男
0
1
東
798・
神 奈J
1つ 1
1129
894
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玉
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千
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木
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北海 道
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女
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職
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2万
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平成24午 8月 1日
州
神
(7)
(115,)
■表2【 神職基本データ :推 移 全国】
神社数
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平成2年 ,2010
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神
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■表3【 長野県神職基本データ :推 移】
神
神社数
率
男
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平成22年 12010
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宮
職
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平成23年
対比 I SOI122
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“
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▲
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■表 4後 継者有無調査 :各 県
県
調査実施年月
●
j象
後継者 との関係
後継者の有無
報告書
い ない
い る
そ の他
説子
Ifr■ 貰
ι
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◎
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平 成 15年 4月
◎
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○
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22・ ●
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平 成 18年 7月
◎
750%
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埼玉県
平成18年 10月
◎
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平成19,9月
b
受援単
平 成21年 一 月
官城 県
平成21年 一 月
長野県
平
b
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◎
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▲
◎
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274%
▲
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163● ●
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l■
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D平 均値
(新 瀾県は第 3回 調査 による,
(注 )0「 対象J欄 の (a)(よ
全富司 (b)は 全神職.
3%
14,
0「 執音せJ構 の◎は刊,
63%
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l■ ■
(]15')
州
神
(8,
平成24年 8月 l口
一、 調 査 の 目 的 内 容
県 内 神 職 の奉 職 の状 況 と 意 識 の 実 態 を 把 握 す
る と 共 に 後 継 者 女 子 神 職 問 題 の実 状 を 把 握
し 、 県 内 神 社 界 発 展 のん の方 法 を 検 討 す る 基 礎
と な る資 料 の収 集 。
今 回 実 施 し た 調 査 は 、 左 の三 項 であ る 。
① 神 職 実態 意 識 調 査 ^
全 神 職 対参
0 後 継 者 問 題 実態 調 査 ︵
本↓
笙 冨司 対 象 ︶
0 女 子神 破 意 識調 査 ︵
女 子神 職 対象 ︶
二、 各 調 査 の質 問 票
選 択 式 を 基 本 と し 、 意 見 の記 述 は 補 足 程 度 に
とど めた 。
の
成 二 一年 に 実 施 し た 結 果 を ま と め た ﹁
神職
0﹁職 実態 意 識調査 票 は、滋 賀県神 社 庁 が平
の実 態 及 び 意 識 調 査 考 察 ︵二次 分析 こ
分類 項 目を 参 照 し た。
● 後継者 問 題調査 票 は、埼 玉県神 社庁 が平成
一人 年 に 実 施 し た 本 務 宮 司 対 象 の調 査 票 を
そ のま ま 利 用 し た 。
作 成 した 。
O 女 子 神 賊 意 識 調 査 票 は今 回 、 調 査 委 員 会 で
三、配布 回収 方法
配 布 は 支 部 宛 に 支 部 員 数 を 一括 送 付 し 、 回 収
は各 m 職 よ り 直 接 神 社 庁 へ返 送 す る方 法 と し た 。
神 社 庁 教 化 部 調 査委 員長 井 出 行則
四、調査回答結果
︵
方法︶支部経由配布 回収
回答卒 ①る% 0 % 0末報告
〇山口県 ︵
内容︶神破後継者 ,
︵
対象 回答+︶
O山形県 ︵
内容︶神職後継者 ︵
対象︶全神職
︵
方法︶庁より直接に送付 逗送
回答卒 口%
0滋賀県 ︵
内容︶神職意識実態 ︵
対象︶全神職
︵
回答形式︶今て記述式。
0本務宮司 ”% ②宮司配偶者 ”% 0後
継予笙
た
者“% ︵
方法︶支部経由配布
0埼玉県 ︵
内容 対象 方法︶は山口県と同じ.
回答率 0∞% ②∞% 0“%
女子神職意識調査 ︵
送付数︶五〇 ︵
回答数︶
二九連 ︵
回答率︶五人%
五、中間集計
同答率 お%
七、本調査にあたっての留意点
回答率を高めることに尽きる。このんに他県
0神職実態意識調査 ︵
送付数︶四三二 ︵
口答
数︶二六〇 ︵
回答率︶六〇%
の後継者問題実態調査 ︵
送付教︶二■九 ^
回
答数︶ 一四六 ︵
回答卜︶六 一%
実施した三種の調査各項目結果は集計し、ま
た記述回答もまとめてある。それを踏まえて今
後、検討する運びとなる.
の実施方法を参考にさせていただいた。配布を
支部経由にし、返送は庁 へ直接としたこと 調
査票は選択式を基本としたことなどはその意図
による。
に 調査の結果を分析して次■ の庁報紙上にて
概要を公表する予定である。
中間の集計結果をもとに、各支部また関係す
る団体から候補者を選定して意見交換会を開催
し より具体的に実状と課題を把握するととも
だいた。
人、今後の予定
見は参考になるも のが多く、調査委員会での実
態意識調査設問作成にあた つて活用させていた
なお、滋賀県の記述式 の調査に寄せられた意
六、他の神社庁での調査状況
関係する調査としてこれまでに五県の神社庁
で実施され、報告書が出されている。実施神社
庁、実施時期は左の道り。
Qな僧宗 ①平成九年八月
0平成 一五年四月
0士些 三 年
O山口県 平成 一人年七月
0埼玉県 平成 一八年 一0月
O山形県 平成 一九年九月
0滋賀県 平成二 一年七月
それらの概要を記す。
O新潟県 ︵
内容︶神職後継者 ︵
対象︶全官司
(115=)
(9)
平成24年 8月 1口
せんぐう省園翁
四月七 日に
√ ´
る形 でし
た。水上 の
舞 台 は雅楽
の音 がよく
響 き、我 々
漬奏 者 は緊
え る伝続 を継承
す る精神と 技術を展 示す る施設と し て建 設
がな されました。 そし て、 二十年 に 一度 の
切 さ、遷官 が伝
統 を継承 す る人
上続 いてき た伝
から十 三百年 以
持統 天皇 の御代
宮を 始 めら れた
せ んぐ う 館
は、神宮式年 遷
ま した。
ぐう館 が開館 し
のほとり にせん
官 のま がたま池
く、観 客 の
の石 の舞台
五問 四方
きました。
無事 に終 え
奉 納演奏 を
子 ﹂ により
楽 ﹁長 慶
納 し、 退出
陵 頻﹂を 奉
楽 ﹂を演奏 し 四人 の舞姫 によ る舞楽 ﹁
迦
詞音 取﹂ ﹁
賀 殿急 ﹂ ﹁胡 飲 酒 破 ﹂ ﹁武 徳
をご本社 いたしました。
二十 人 の会 員伶 人 が、管 絃形式 で ﹁
壱越
ま池 の水 上舞台 で ﹁
雅楽と 丼﹂ の本納 演奏
長 野雅楽 会 では、 四月十 日に こ のま がた
大 神様 へお
成果を豊受
加 護を いた
だく 日頃 の
のびと ご
張す る こと
式 年遷官 を迎え る前 の年 に当 たり、 せ んぐ
方 がど の方
宝 珠 が輝 く水 上 の舞 台 で本 祝 の芸能 の奉 納
居け でき たと思 います。
う館 の開館 の運びとなりま した。
開館 の奉 祝行事と し て四月 七 日か ら十 四
向 からも ご
はと ても 広
ダ
一
¨
F
一
“
一
・
ま し た。
た に いた し
感動を あ ら
会 員 一同 は
栄 に浴 し、
を いた だ く
よ り感 謝 状
神宮大宮 司
き 、更 には
桜満 開 の中 、大 勢 の方 々に観賞 を いただ
日 の間 午前 と午後 に 一組ず つの団体 、個
る こと が で
人が、外言神 域 の豊 かな自 然 の中、ま がた
覧 いただ け
も なく のび
●李
れふ OQ お
',
を行う こと になりま した。
●震
::要 ,'「
ま池 に設けら れた朱塗 り の欄 T、金 色 の擬
伊勢 の神官 外
11¬ 喘
職派 遣を依頼 され ており 、地区順番 で県
に際し、長野県遺 族会 より慰霊祭奉仕神
野県神社庁 では沖縄 ﹁
信濃 の塔﹂慰霊祭
年 二月十 三 日から十 六日 に行 われた。長
縄 ﹁
信濃 の塔 ﹂慰 霊巡拝 が、平成 二十 四
財 団 法 人 長 野県 遺 族 会 主 催 に よ る沖
誠 を捧 げ るた め に長 野県 の銘 石を集 め建
の戦没者 五万 五十余 柱 の御 霊 に、慰 霊 の
三十九年 四月 であ る。長 野県出身 の全 て
た時期 は未だ アメリカ軍 の施政 下 の昭和
の地 であ る度 文仁 の丘 であ り 、建 立 され
国内 にあ る。激戦を 極 めた沖縄 戦 の終焉
キ ロほど離 れた南部 糸満市 の平 和記念 公
郷土 より送 られた お供え物 、装束 の搬出
た 荷 物 の整 理を 狭 いホ テ ル室内 で行う 。
はホ テルで長野県神社 庁 か ら送られ てき
県会議 員 三名 が参 列す ると いう 。夕食後
した。 翌日 の慰霊祭 には健康福祉委 員 の
え て慰 霊巡 拝団 の方 と沖 縄料 理 で会食を
初 日 の夜 は長 野県健康福 祉 課 の方を交
長 野支 部 齋 藤
内神職を派遣 し て いる。今 回は長 野支部
手 順 の確 認 、現地準 備 の打 ち合 わせ、 王
より 二十
は、那覇 市
﹁
信濃 の塔 ﹂
た。
を担当 し
慰霊祭奉仕
睦 の四名 が
是 齋藤吉
英之 矢澤
安彦 齋藤
イ ンフラ整備 の規模 の巨大 さを感 じた。
いレ ー ル﹂ の発 着 場 がす ぐ に日 に入り 、
空 港 か ら は沖 縄 県 が誇 る モノ レー ル ﹁ゆ
あ る こと を感 じた 。き れ いに整備 され た
か れた地理的 なも のが、ま さ に最前線 で
に市 国 の熱気を感 じた。 同時 に沖縄 が置
厳 寒 の長野県 より空港 玄 関 に至 ると途 端
自 衛 隊と 共 用す る 那覇 空 港 に到着 し た 。
族会慰 霊巡拝 団 一行 は中部 国際空港 より
二月十 三 日、県内各 地 より集ま った遺
クシーは到着 した。信濃 の塔 の周 辺は清
の広大 な敷地 の中を通 り、信濃 の塔 にタ
た。 四十 分 ほど かけ 国立沖縄 戦没者墓 苑
慮 し て、参 拝 回より 一足早 く ホ テ ルと出
翌日七時半 、神 職 一同 は交 通渋滞 を考
げ た地 であ る。
部 が置 か れ、空前 絶後 の防衛 戦を 繰り広
た首 里 の高台 にあ る。 こ の首 里 には司令
た。宿 泊 した ホ テルは、繁華 街 から離 れ
串 を 調製 、大 汗を かきな がら のも のだ っ
神職 、齋藤
立された。
え
け愛 ﹃
花際 の塔﹄慰窒軟 埓 理拝
(115=)
州
神
(10)
平成24年 8月 1日
)
(115り
州1
l ll(H)
平成ク■ 8月
た。 き れ い
る最 中 だ っ
掃 され て い
た、小池 軍医中佐 の出身 地佐久市 と の交
迫悼 式 には参 列 し て いる方 々であ る。ま
る。そ の中佐 の思 いやり に感謝 し、以 来
が、残 された沖縄 県 民は塗炭 の苦 し みを
の結果 、牛 島中将 を始 め軍 人は自 決 した
武 士道と 天皇 制と 結び ついた皇 民化 教育
れ て いた。展示 の締 めく くり は、本 土 の
味 わ ったと いうも のだ った。
流 は今 に至 るま で続けられ て いる。
迫 悼 式 に引 き 続 き 、 信濃 の塔 の前 に、
に刈り 取ら
れ た 草 のさ
わ れた。参 列者 の中 に積徳高等 女 学校 関
議長 の追悼 の言葉 が捧げ られ、献花 が行
式 が行 わ れた。長野県知事 、 長野県議会
主 催 の連 悼
ま ず 長野 県
ら れ、 入 口
の壕 の跡 はき れ いに コンクリート で回 め
中 高学生 であ ふれかえ って いた。悲 劇
教育 のメ ッカと な って いて、修 学旅行 の
ゆり の塔 に到着 した。 こ の地 は反戦平 和
で後片 付けを 行 い、慰霊 団 に遅れ てひめ
桜 が散 り 、 デイゴ の花を 眺 め る管 理棟
で の壕 の中 で の暮 ら しを ボ ツリポ ツリと
校 生 がお迎え を し てく れた。激戦 のさ中
学 校 の女 学
積徳高等女
る か つて の
八十 を こえ
だ いた 、齢
列 し て いた
続 いて、糸 洲 の壕 へ向 か った。 国道 に
係者 が おられた。 こ の方 々は、沖縄 戦 の
を覗くだ
お話 しを され て いたが 、任 務中 にガ ス攻
神 離 、大真 榊 、し め縄 を舗 設し、神 醍を
最 中 に動 員さ れた学 徒看護 婦 であ る。 こ
け であ っ
撃を受 け た こと 壕 の外 で被弾 した 同級
わ やかな香
の学徒 は、佐久市 野沢出身 の小池 軍医 中
た。展 示内
上 のこと 、小池 軍医中尉 の人柄 、次第 に
ポ ツンとあ る看 板 から未 舗 装 の農 地 に入
佐 が最後 の地と した ﹁
糸 洲 ︵いと す︶ の
容 は、激 戦
話 は熱を 帯び て、投光 器も な い壕 の中を
供 え て慰 霊祭 の執行 であ る。参 列者 は■
壕 ﹂ に いた。 ひめ ゆり の塔 の学 従看護 婦
の中、 いか
案内 された。 こ の場所 に戸板を 並 べ傷 つ
り が立 ち上
の自 決 の悲 劇 と は違 い、小池 年医中化 は
に地上戦 で
いた兵隊 さ んが横 たわ って いた、 サ ンゴ
ガ マ︶ はあ った。慰 霊祭 に参
り そ の壕 ︵
激戦 のさ中 、動員学徒看 護婦 に解散 を言
沖 縄県民 が
質 の土壌 は休む 場所も な か った 、 こち ら
悼式 に引き続き 、主串本質を行 った。
い渡 し、絶対 に死 んではな ら ん、前途 あ
傷 づ いてき
で乏 し い水 を求 めた 。 さら に壕 深く ま で
って いた 。
る若者 が生き 続け ることを説 得 し て、自
たか が綴 ら
十時 より、
ら は 責 任 者 と し て自 決 さ れ た 人 物 であ
︶
り扱われた.
︱
︱ の壕 で の事 実を 記録映 画 に残 す適
糸︱
︱
動を さ れ て いて作 成手全 も され て いる の
決 別文 を 打
を た たえ た
た . こ の
ヽ
2 一と だ っ
さ れ ると い
を お見希 い
軍医中佐 の部 下 の衛生 下■官 の道 族も い
て、 こ のあと に病 床の元学 徒着 護 婦 の方
場所 でお話を 伺 った.慰 千 日 の中 に小池
行 は嘉 手納 来地を ■望 し、普 人間基地 の
れた新 設 の社 務 所を片観 した.続 いて 一
て抱盛だ った 。沖縄 の建築形式 を取 り 入
神 油はす べ ヽ
ホ 納 された
参 拝 した .
沖縄県護 回
く御礼を中
の御 様 に厚
野県 遺 族 会
にな った長
に、 お 世話
ると とも
県 民 の敢 開
な 場 所 であ
一.
・
最終 日 の
四 日は 、見
事 に復 興 さ
れた首 里城 の見学 を し て 全 員無事 に長
方 々と の交
一角 を返 還 Lた美 術館 で滑走 路 の見 学を
し上 げ る次
野 へと帰 ることが でき た。
流 の探 さ を
し、そ の日 の最後 は旧海 年司令 部壕を 見
第 であ る.
と を 折念 す 一
こ の場 を お借り し て御 霊安 らかかな る一
感 した。 ︵
こ
学 した. こ の海 軍司令 都壕 は人 日海 軍中
神社 を正式
の 病 床 の訪
・
´
″
・
〓
・
V
将 が 目決 前 に ﹁
沖縄 県民 かく戦 えり.県
´
を ﹂ と沖 縄
な がら寄付を さ せ て い
電 した 有名
で 我 々神 鳳も
,ユ ンタ
ドキ
た だ いた 。 ︵
メ
リ ー映 画 ﹁ふ
じ
し
学
隊
徒
﹂
と
て
六
公
開
さ
れ
た
月
,
三 日目 に
は、戦災 で
焼 人 の後 昭
和 四十 年 に
ヽ
■
間 は 地 几紙
復 興を し た
ヽ
ヽ
民 に対 し後 世特 別 のご高配を 賜 ら んこと
'1、
に大 き く 取
,“
)
(i15ケ
州│
制
,12,
8'll
平成21年
'
(1157)
神
8,1lH(18'
平成24年
グ″″剛 脅 に つ い イ ´﹂
脚7ザ●
ヽ
親 子参i Π 伊勢 の神 宮参 キ旅
化部主催 一
毎 ■ な の■期 にお こなわれ る﹁社庁 教
も達は古く から
た。 こ の時子ど
せ て頂 き ま し
煮 炊 さ す る こと を 聞き ﹁た い へんだ な ぁ﹂
と清 れな神様 へのお食事 作 り の厳粛 さを感
し て いま した。 こ の後、感 想文を作文 し就
青少年対策推進委員会 副委員長 池内宣お
日 の二日間
行﹂ は 二月 二十 一日ヽ 一十 一
■日日早朝 の内富 御正 宮、別官荒 奈官参
ました。外宮御
ち あ られた 甲で手
拝 は、他 の参 拝者も疎 らな静寂 で神気 が満
たち にと っては神様 を
ヽ
は、全員
■● 一
, い行程 であ ると痛感 し
間工 に感 じら れる良
神官
ま した。そし て今 回初 め て の試 み で 一
深く見 入 って い
が■律■ しく露
i館 ] に て実物 の朴 宝 な
の■物■ ■ 宮徴l
︲
ど拝観 文 化部 職員高橋 氏 のI車 な説明を
受 け な か ら、 一
御 遇官 の度 に これ みんな 作
列 参 拝 を しま し た. ︵
前も ってバ ス内 で学
習を した千本電木 に ついて翌 日参 キす る●
り 替 え る んだ ︱す し いな ぁ﹂、 実 際 の電 木
を 見 て 一こんな に大 き いんだ ︱ 一とκ きを
官と の違 いを キ観す るよう洸 明がな されま
した ● 外 官 神 楽 殿 で の参 拝 では御 神 楽 と
需楽 が奉奏 さ れ 雅楽 の幽玄 な響き に= 妙
な面持ち で見入 って いま した が 長時 間 の
した .
かせ て いた らしくすぐ
した.途 中円 のサ ービ ス エリ アでは カ ツカ
レー の昼食 を頂き ました が 子ども達 は早
せ る街並 みと参 拝客 の賑 わ いの中 子供 た
おかげ積 町 へ移 動 書 のお伊勢参 りを 思わ
も う 一つ の 日 王
名古 屋市科 学館
へ、 こ の旅 行 の
こ の後 一行 は
隠 せ な い で いま
正座 で足を しび らせ て退 出時 には や っと上
朝 の出 発 でお腹 を
ち が引率神職等 と共 に買 い物 や散 策 に楽 し
る椅 子 にか け て
す 。 仰向 け に座
ち■ が る児童 も多 く見 られま した.続 いて
に完 食 を し 、 早 め,の出 発 時 間 と な りま し
た。
いひとときを 過ごしま した.
夕食後 は、広報 室ル員 尾崎氏 によ る熱心
な講話と 人製 具 の説明 神 宮 では毎 日そ の
ム見 学 で あ り ま
は プ ラ ネタ リ ウ
来 、 日毎 朝 夕 大 御 侵 祭 の時 間 にも 間 に合
人製 具を 使 って火を凱 し神 様 へのお食 事を
午 後 一時 には 外 宮 へ到 着 す る こと が出
い 外宮忌火屋段 の近く で 夕御出を奉抒さ
いキユ,.
春分 の日 の翌 日であ る 一日日、早朝 より
県内‘ 地 ︵
北 信 ”名 東 信 ヽ名 中信 墟
1
名 南 信 17名 ︶を1
1発 した総勢 132名
5
児童 “名 付 添 保護 者 “名 引革 神 職 1
︵
名 ︶ 一行 は四台 のバ スで伊勢 路 に向 か いま
事 業 の 一つでありま す。募集案内 広告 に記
前 日は東 日本人震 え により中
さ れた通り 一
、
1
1
︱と なりま したが 本年度 は開催 のこびと
なりま した一 と の事 からも保尊 委員 長始 め
関係 者 にと って感慨深 い旅行 であ ったと思
た。
寝 となりま︱´
呵
かな儀式を 興味
I
毎 日続く おごそ
'F′
´
「
″
じ
実施 されま した。本年 は 十 七 日を数 え る
督
ま でに至 った青少年対策 推進委員会 の二人
-1
)
(l15サ
lli
神
(14)
平成24年 8月 ]日
ては 大変心待
れ参加者 にと っ
ても 丁寧 にや って いて、私も 巫女 舞 などま
ハー モ ニー でした。
一人 の時もあ れば 二人
の時もあ り、声 の強弱 でこんな に美 しく な
見上げ た館内 はま さ に天体 シ ョー です 。季
います。子供 た
るんだ なと 思 いま した。色 々な衣装を 、何
枚 も 重 ね 、 よ く 転 ば な いな あ と 思 いま し
ねを し て頑張 つて いき た いです。琴笛 、手
のひらをた た いた よう な音 、声 がき れ いな
ち にと って神富
の森蔵 な雰囲気
ではな いかと思
忘 れ見入 って いま した。そ れ以外 の館内 展
示場 では者 の伝 わり方 や人体 の構造 、気 象
に触 れ古代 より
た。女 の人は髪 の毛 が、黒 く て長く 、ズ ボ
ン のような衣装 を着 て いま した。 二人 一緒
ち にし て いた の
の変化 、化学 反応 など様 々な展示を 見学体
験し人満足 の内 に■筆凛楼べ 着きました。
何代も の人 々に
節毎 に移り変 わ る星 の位 置 や星座 の種類 の
解 説を聞き なが ら参加著 一同時 のた つのを
こ の度 の長 野県神社 庁親 子参富 団 の事業
は震災 におけ る昨年 一回 の中止 を経 て行 わ
よ って守り伝 え
られ てき た ﹁
長きも の﹂を 直 に感 じた こと
と 名古 屋市科学館 世界 最大 プ ラネ タリウ
ムを見学出 来た こと を合 わせ て良き 思 い出
と し て、 これ からは敬神崇祖 の心を養 つて
はし いと感 した次第 であります。
提出された作文を紹介 しますと
﹁
伊勢 神 宮 にき て思 った こと は自 然 が た
く さ んあり 、鳥 のさえ ずり が聞 こえ、と つ
ても素敵 な場所 だ った こと です 。道 の周り
に生え て いる お祓 いに つかう榊 が美 しく
育 てら れ て いま し た。 ︵
略 ︶外 官 には ﹁
豊
受 人 神 官 ﹂と いう 正 し い名 前 が あ りま す 。
天 照 大 神 様 の食 事 のた め にま つら れま し
た。今 では、私 たち が生き て行 く には欠 か
せ な い ﹁衣 食 住 ﹂ を 大 切 に守 って 下
さ って いま す 。 見 学 し てみ て 一番 心 に残
り 、感 動 したと こ ろは、神 楽殿と いう と こ
ろです 。
一歩 入 ると木 の いいにお いが しま
した。舞 を舞 ったり、
一つ 一つの動き をと
)
(115サ
り
‖
神
{15)
平成2年 8月 1日
略 ︶伊勢
た。
一つ 一つ勉 強 になりました。 ︵
る作 物 や調味
神様 に奉 納す
と がわかりま
した。伊 勢神
守 って いる こ
神 官 は内官 と外官 と いう 二 つの大き な社を
は じめ、
一四 の別宮、百九 の摂社 の 一二五
料 の塩など自
に舞 う 時 は 、鋭 に映 って いた か のよう に、
び っため 一緒 で学 ぶ点 がたく さ んあり ま し
社 により出来 て いる ことを 本当 に初 め て知
︲︲︲︲コ ´
ることは、と
﹁
ても大切なことだと思いました。そうやっ
分達 の手 で作
官 の敷 地 で 、
り驚き ま した。社 には捨 が つかわれ て いる
そう です。火も マ ッチ ヤライ ターを 使わず
し っか り と 伝 統 を受 け 継 ぎ 目然 を 大 切 に
て頑張 って協 力 し て作 った作物 を 三六 五日
雨風 の日も 一日も欠 か さず神様 にお供え し
式年 遷
て いるそう です。 二十年 に 一度 の ﹁
官 ﹂ では神様 の住 ま いを新 しく し い つま で
も瑞 々しく私 たち を守 って下さるよう にと
いう意味 の ﹁
常若 ﹂ の気持 ちを こめ てやる
式年遷
そ う です 。 来 年 は 第 六 十 二回 の ﹁
宮﹂ が行 わ れ るそう です。ち な みに神様 の
お供え物 は 、火を通 したり ふかしたりす る
﹁
檜 ﹂ の板 を こす り合 わ せ火 を皿 しま す神
で世 田谷区分位だそう です。江戸時代は国
そう です 。 そ の火 は ﹁やま び わ ﹂ の芯 と
官 の人 た ち は 火 を 鑽 る と いう そう で す 。
ぐ いん、 ぐ いん﹂ と 、も のす ご い音 を 立
﹁
て てまわり ま した。 や った人が いるけど結
民 の五人 に 一人がお伊勢参り に行 ったこと
があ ったそう です。私達はこの伊勢神宮と
いう 日本人 の心 のふるさとを大切 にし、毎
日裕福 に過ごせることを心 の底 から感謝し
︱
て いく ことが私達 日本人 の︱
︱来ることだと
思 いました。日頃から出来 ることを少しず
世界平和﹂が
つや って いけば天皇 の願う ﹁
構 難 しそう でした。 でもだ んだ ん出来 るよ
方 々は 自 然を大 切 に守 り、神 々 のことを
し っかりと 守 ってく れ て いるんだ な ︱と 思
小五 女子︶
守られると思 います。 ︵
う に な る そう です 。 伊 勢 神 官 に お務 め の
いま した。伊勢神宮 の敷 地は約 二千 五百静
目烈諄ぐ任命 された神磯を紹介 します
新 任 神 磯 の 横 顔
東京 から 戻り 大好き な神社 ︵
御 ■ 石神
社︶を毎朝参拝させて頂 いておりました事
この度、平成 二十 四年 四月 一日付を以 て
御座石神社権禰宜を拝命致しました。
∩ ふ 晰 膨 摯歳
す。
至ら ぬ所 が多 々あり ますが 今後 とも ご
指導 、 ご鞭撻 のだ宜 しくお願 い申 し上げま
神明奉仕 に努 め て いきた いと思 います。
そ のな か で神 職 と し て経 験 を 大 切 にし
て、神 社 の伝 統 歴史 祭 を伝 え て いきヽ
女 の方 々と 関わり、地域 の拠と な れ るよう
な神社 にし て いき た い思 います。
ム ヘルパー や保育 士、幼稚 園教諭等 の資格
を取得 しま した.神 社 に参 年 に来 た老若 男
国子 院大學 を卒 業 の後 、専 円学校 でホー
ま した 。
この度、青木諏訪神社 の欄iを拝命致し
畿
怠 鶉℃十
(115号 )
州I
神
(16)
1'よ 24年 8月 ]口
でご縁を頂き 、ご奉仕 さ せ て頂く事 になり
ま した。神 職と し てはど れをと つても未熟
まだ まだ知 識 や経験 が少 な く 皆 様 には
何 かと ご迷 惑を お掛 けす ることと存 じます
た事 を大変嬉 しく思 います。
した。 しかしなが ら 二人と 同じ立場 にな っ
でありま す。誠 の心 で神 明奉 仕を致 し 日 々
精 進 し て参 ります ので、何 かとご迷惑 を お
が、誠心誠昔 奉仕 に努 め てま いり た いと 思
います。 ご指導 の程宜 しく お願 い中 し上げ
こ の度 、鳩 ヶ嶺 八幡官 の権 欄■ に任命 し
て頂き 身 の引き締ま る思 いで います。
だきました。
て、仁科神社 初宜 、兼 て仁科神 明宮権 禰■
を 拝命 し人 北支 部 の末 席 に加え させ て いた
こ の度 、 平 成 二十 四年 四月 一日付 け に
ます。
私 は、 二年間 の通信教育 に て権正 階 の資
格を 取得 し、神 職と し て 一歩を 踏 み出 した
三十九歳
権禰宣
掛 けす る事 と は存 じます が、御指導 御 鞭撻
の程、宜 しくお願 い中し上げます。
銀野
一
鬱岬
松 井 隼人 一
千歳
仁科神社 禰宜
ば かり です。
まだ 二十歳 、人生経験 も少 なく半 人前 で
未熟 な点も多 々あ ると 思 いま すが、神官 研
飯伊支部
今 の初心を忘 れず 、感 謝 の気持 ちを大 切
にし て神 明本 社 に励 んで いき た いと思 いま
大 北支 部
す。
おります。
と の交流も大 切 にし、色 々な方 から神 職と
し て信 用し て頂け る様 に努 めた いと 思 って
神明奉仕 に励 みなが ら神職 の方 々や氏子
頂けたらと願 っております。
い処 は先輩 神載 の方 々より ご指導 ご鞭撻を
修所 で 二十 問学 んだ事を 無駄 にせず、自 ら
を磨 いて行き た いと思 います。ま た至 らな
一
7 一歳
どう ぞ■ しくお願 い致します。
山越 桃 穂
大同神社 権禰宜
南安曇支部
幼 いころより祖 父、母 の奉職 す る姿を 見
て育 ってきま した。 これま では見 て いるだ
けだ った世界 に 一歩 足を 踏 み入れ、神 職と
し て の責任 の責 さ、厳 しさを実感 いた しま
品薔 誦鱚絣 議
神 職 に成 る べく国學 院大學 で講習会を受
講 し て いた時 には、自 分 の心 の中 の神道 で
あり神社 でした。宮 司と成り神社 は伝続 や
立 てる 一員と な れる様 先輩神職 の皆様 の御
指 導 御 鞭 撻 の程 宜 し く お願 い申 し 上 げ ま
す。
塞
〓熟 量
8
曾
︶
宮司 山田 充春
造営費 五千万円
大正 二年 に建設された旧社務所は約百年
社務所改築
この度、栄村 に御鎮座致します北野神社
の永 い歳 月を経 て老朽化 が著 しく、過去、
何かあればそ の都度補修 工事などを行 って
どう にか維持をしてきましたが、最早改修
薇軍 薇薔由 一
二十 二歳
北野神社 権禰宜
飯水支部
の権禰宜を拝命 し、身 の引き締まる思 いで
あります。昨年 二月十 二日に起きました北
部大震災 では北野神社をはじめ、十四社も
工事 では補えな い程 に建物自体 の耐久力 が
なくな ってしま い、この度、鉄骨 で社務所
地域社会 の心 の要と し て の、重大 さを感 じ
神社が被災しました。神社本庁より義援金
を 賜り、 現在復 興 に向 け 頑張 つており ま
神 道 や神 社 が内包 す る、 日本 人 の魂 や伝統
解決 でき な い問題かも知 れま せ ん。 しかし
現代 の社 会 は様 々な問 題があ り、混迷 を
極 め て います 。 これ らは神道 の力 のみでは
て います。
す。これからも地元氏子 の皆様方と共 に手
人で建設委員会を組織 し、約 二年間に亘り
毎月委員会を開催しては準備をしました。
により光 が見え ると考えます 。 こ のため神
一
T一
・
晟
賛 を し て頂 く
らず 高 額 な奉
時 代 にも 関 わ
の理 解 を お 願
いし 、 不 況 の
く訪 ね 、事 業
の氏 子 を 隈 な
委 員 は六 百 戸
遂行 しようと 、
を携え て、神社 の使命 であ る祭祀 の厳修と
神賑わ いの行事 であ る神楽を中心 に神社複
興 への礎とし ていきた いと思 います。今後
道 の高 揚 神 社 の興 隆 に邁 進 す る覚 悟 で
武 井紀 浩
燿・
ィ
″ 一 .
氏 神 様 の事
は 氏 子 の力 で
滅
―
で
とも皆様方 の暖 か い御指導御鞭撻 の程よ ろ
しくお願 い申し上げます。
を建 て管 える事 にしました。
新旧,
氏子総代と氏子町会 の代表計五十 三
す。
>
禰
宜
ヽ
一
構
岬
螂
蜻
t 部
この度、平成 二十四年 一月 一日付けにて
白髯神社禰宜を拝命致 しました。
四年 間、国學院大学神道文化学部 にて、
神道 や神社 の基礎知識を学 んでま いりまし
たが、まだまだ神職としての教養 や経験が
不足であ ると、日々痛感しております。
未一
熟者 でござ いますが、これからも学 ぶ
気持を忘 れず、
一日も早く神社界 のお役 に
「■‐
(l15')
州I
神
(17)
平成24年 8月 1日
(115,)
州
神
8,11 11(]8)
24`「
1′ 1戊
こと が出来ま した。
上げます。
の“ いだ った鳥 居 の完成を 心より感謝 中 し
名 が晴 れ の栄 に浴 した。
功労者と し て神 職 役員 給代等 二百七十
平 成 二十 三年度 功 績 表 彰
本県 では次 の大名 が栄誉を受けた。
宮司 官 岡普 一
士=呂神社宮司 越志 徳 円
長池水 原神社宮 司 水庫 信弥
七久 ■神社宮司 近藤 政彰
表彰規 程第 二条第 一一
号
穂高訃社宮司 小+ 弘起
表彰規程第 二条第 一号
朽化 が世だ しく積 雪強風 により倒 壊 の恐れ
既存 の鳥 居は建立後 五卜余年 を経 て、老
鳥居改築
造営費 〓
官百弐拾 万円
●瑞穂神社 ︵
上水内部信濃町ナ奮
子平岡鎮座 ︶
本年 二月末 予定述り 功し 四月 一日 に
四月 ニト九 日 の例祭
引き 渡 し式 が行 わ れ ,
に合 わせ竣功報 告祭を斎行 し、投げ 餅行事
など で、集ま った大 勢 の氏 ■ にお祝 いし て
きました。
,
宮司 角 田朝壽
●諏訪神社 会メ
曇野市穂高有明鎮座︶
鳥 居改築
造営費 一
7百弐拾 万円
て建 立 す る こと
があ るた め に、 四月 の析 年 奈 に合 わ せ て、
氏 ■崇 敬者 の募 財 により材質を御影 石 にし
当 神 社 は 氏 十 数 一七 六 戸 の小集 落 です
御息神社役員 浦伴 英 一
健御名方富^
■彦神 別神社役員
表彰規 程第 二条第 二号
た. 十 月 の例 祭
に せ て本 告 祭
を決定しまし
, 鎮 の俵 を 執
と地
が、本 殴r殴神楽 殴社 務所を有 し 建物 は
いず れも 明治大 正 にかけ て建 てら れ老朽 化
が進 ん で いるか 年 々打 々小修 理 に努 め護
上村 カ
の新 嘗 祭 に清 祓
いと 竣 工本 告 祭
り 行 い 十 一月
理 が記録 さ れ て いま す.本製 の為 劣化 が著
しく 建 設委 員会 を 組織 し協 議 し た結 果 、
を致しま した。
神社木 庁表彰人 が
記念館 で行われた.
本 仕 神 社 の施 設 経 営 に尽力 した 功労 者
敬神 の念 が厚く多 年 神社 の経 営 に協力 した
, のも と、東京 の明治
神 社本庁 総裁 が御 臨席
月 二十 三日池 田厚 子
持 し ております。今 回 の鳥居 は明治十 一年
︵一三 三年前 ︶ に建 立 さ れ こ の間 二 日 の修
御 影 石製 と し
一
[さ幅 土^
に これ
︰
︲
ま で の鳥 ︱
,と 同
様 四F x四P と
し 、 社 号 額 は地
元 立 足 区 の普 家
︵中 村 竹 十 氏 ︶
に依 頼 し て、 平
成 二十 三年 十 一
月 に完 成 。 長年
松塩筑
上本内
松 本神社
兼 き 司
福 澤 義則
〓 川 真 雄
小 野 原 明
遠 山 一二
原 溢
福 澤 義則
小 松 宏昌
二 十五
五 十五
一十 一︱三 十
+五
喰
ユ
松塩 筑
借生
諏 訪
取 伊
本務替
辞職
肯 方神 社
輌 鱚 籠尚 絆 ■
亘
兼 宮 司代務者
褥
官司
退職
人幡社
塑E
一
甥 杢
誠訪神 社
四〓 一
十
更 級
上水内
一
五 十四
松井 一
■[ 一■ 三 十
官 川 直 機
北佐久
諏 ,訪
三浦 平 八 一
一一
一一
一
一一■ 那
愴
エ
四〓 一
十
五 +四
二 十四
鈴木 帯昌 一
一二尤
福浬 一
崖 孝
[
杏 曼饉
諏訪神社 ︵
塩尻市︶欅 二本
角 佐市
渡邊 武彦
長 野県拌社庁長 感謝ザ 参拾万円以上寄附
飯伊支部 ]
[
郊戸八幡宮 ︵
飯田市︶
参道改修に多額 の浄財
支部名 神社名
て感謝 の意を表します。 ︵
鎮座地 授与 の理由 氏名︶ 敬称略
各神社から の申詣 により、下記金品 の寄
附者に対し感謝状が授与されました。
赤誠 の真心を奉納 いただ いた皆様 に改 め
人 騰■r■
同量 オ
大 更
仰射 社 春 ス ニ座
兼 宮 司
本 ‘ 司
本 宮 司
原 雄一
龍渥 i
高 習言司
八燿 社 奸 両 社
読壁訪社
廣 =社
八幡言
五社
稲荷社
鋼社
籠神 社
熊 野社
白 山社
浅間塞 最 ■ 年
人置
飯燿 籠両 苺社
熊 野神社
昇任
[2足い 舌 田大 “ 量 富
鳩ヶ櫛人幡官
岡 な柿 社
諏 訪社
理i
権 神宜
星景
1
辞 今 II
●澤 正 廣
大塚 利彦
滝 和人
口円 円 口 日 間 団 門園 日 日 国 円 M 幽
昇鑢一神馨 身分 二級上
官司
言司
諏 訪神 社
八幡社
●下 俊樹
上伊 那
更 級
上 那
,
長 野
新任
自編 ■
権理 ユ
■
御 座 石神 社
番
鳩ヶ嶺人幡富
経
官司
花畑 量彦
四二
上水内
,
高 山 広光
徳
不ロ
■足他命捕社 Л訪社合殴
官司
宮司
2賑 茜ネ
原 澄
遼 山 景 二
小● 宏昌
官川 直武
E
撞
悸貨
若 一王 子 神 社
中山 竜 一
官 澤 悛穂
宮 川 良准
意
和
JL 級
級
査
凛
豊
城
良
治
兼 Ж
来
官 官
司 司
寝
●
チ
昇級 神職身分 二級
世 〓丼 神社
熊野=
人蛭〓
官司
一
押i
番
官司
兼 宮司
省 ´
,
禰宣
■
神亘
〓司
種
級
人幡●
社 官司社
八幡■ ︵
手し
諏 訪社
片倉大伯神社
仁 科 格 ■ ζこ
理社
人幡社 ︵
官県︶
駒 形前 齢 ‘
万 刀 美 神 社,
鳩 ヶ樹人 幡 言
小池 神 社
南方神社
袢 口梓 社
諏 訪神社
治 同神社
北 野神社
更
野 ロ 菅
上
四
四
醤宮司
宮
司
更
幸
諏訪神 社
神社
鳥
安 居
藤
脅
長 飯 木
1ヒ ,ヒ
讐沓
人
上
飯 更
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第 一部
長野県 の神社 /神社 を知 る/神社 の歴史/
神社 ︵
建築︶の見方 /各建 物 施設 ︵
狛や織
など︶
の見方
神社建築 の部分 /日本 の考えと中国思想
m2長 野市柳原 21335
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:
第 二部
田〈
026)244023訓 ● 回 (026)2440210
文 化財 指一
奏 例 に学 ぶ /信 州 の神 社 ^
定︶ /
書籍林
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公
社
ヽ夕はおずき
第 二部
お問い合わせは発行所まで
日 本 へ/ 古 社 寺 巡 り の ヒ ン ト
1946年 山梨県山梨市生まれ.横 浜国立大学卒業後
長野県高等学校教輸.lB当 教科は建築.長 野工業高校
上国千曲高校 中野立志館高校にtL● .2010年 3月
退職。現在は 長野工業高校非常勤講師.
須坂市翅 ヒ財害議委員 千山市翅 ヒ財審議委員 長野
市伝統環境審議会会長.
社寺建築 1罐等に関する著書多数。
蟻
神 紋 の実 例 /白 象 と環 / 奈 長時 代 に犀 は
匠 の知 恵 / 匠 の 技 量 /匠 の 感 性 ︵
セ ン ス ︶/
崚
著者紹介
〒∞l
第 口ぶ
のに の技 と 心
(オ ールカラー)
=ソ 格/A4判 300頁
=規 価 /3,150円
=定 行/ほ おずき書籍欄
=発
書 光 〓本 堂 再 建 量 夫 の 謎 と ロ マ ン / 日 本
フトカバー
!I
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