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115号 - 長野県神社庁
″農 ■ ■ │ ― ― ‐ ‐ ― ― ‐ ‐ ― ″ りつ´′ 引■﹁ ‘ ‘, . あ〓″´ 淳浄it μ力rr ^ ‘´︲. ル“ ■ 井‘子二年︲ 十 、 ′″”3■準・” ‘■′ ・ 4・ ■ 1 よ4 す タ ム´ ″ 碑チ “や1 4プふ “ 4ハ r ●‘1 “, ん滅 , 薇■ サ 農T7■・″ 法︱ キ ″ 之な ‘ がな 生 いr嘔虻“﹂〓 リー ー い︲ ■主午 Lr■桝 ´ メ凛 ●■ ソ し ■■4ハト t i l, な晏■1 2 7 I I ●“ fl子1吹■ふγ場´ 窯 テさる 奮イ 由τ タ ト奨 夢 上棟各 ¬ 戎2年 3月 る 国 内宮 上棟祭 写真提供 :神 宮司庁 第 115号 長 野 県 神 社 庁 報 ‐ t‐ ・ r・ ― 胤駆 lH(1, 平成24年 8月 平成24年 8月 1日 発行 ,長 野県神社庁 庁報発●,員 会 │十 報編集委員会 帳 野市衛清水161 電話026 232 3355 FAX026 233 2720) ― ― (l15t, 州 神 (2) 平成24年 8月 l日 H誌抄 日日 井出 行則 2 4 ヽ 7 8 9 0 2 ︲ ∼ ︲ 3 5 ︲ ヽ ︲ 6 7 ︲ ヽ ︲ ∼ 3 2 日 譲 ↓ 平 成 一言 新■契メ 談 ■ 一I● 連 式 月 年夏 一 仲 ‘人 “ の 略 *教 教 化 部 の略 *大 麻 二七 日 二七 日 1 一十 1 末 ” II 神 社 r ■ 査 研修 会 ■■ 知L , 正 劇●■ 会 ¨ 沖 衣 特 別 神 社 ● ● 会 教 化 ″叫一同 委 員 会 一一 月 六 日 教 ¨ 調査 委 員 会 ^■ 知 県 長 野県迪 族会 議委 員会 沖担 ] ソし t t大 〔I II II∫ 会 議 ■神● 会館 美 ¨〓一 ︶争 神 ■ 人 “ 嬌, 頒布黎 了 , 大 “ 磨 加 布 〓じ十 一 ■ [茶 神 , 一H 十 一日 モ デ ル 文 部 対 策 ● 当 者 十 一日 〓一 月 ‘自由ヽ■本 部 聟 大ホ“停ゼ→¨ 祭 , ,迪 ,け 局 対 策 延 絲 会 議 神政 ■ 理 ■人‘ 神 政延 長 野県 本部 役 員会 神■ 人 麻嬌 領“委 [ ■^ A 一地 区 氏 子 総 代 研 実 ム 市 信 地 区 氏 ■総 代 研修会 北 信 地 区 氏 十総 代 研 修 姿 支 部, 本 ■ 長 野, ■泄の■ T ,一 ■ 一ヽ■ 大︱ ︱ Ч ■ .= ¬ 八 ∼ 九 日 東 海 f県 神 社 庁 教 化 神 政 連 合 同 ^´根 l l l l │ │ ― l l l ' ll ,I 1 二 ‐ ‐ i l i: 神社界後継イ問題に ついて 〓稽 ● 神職 の横顔 7 8 ︲ ∼ ︲ ︲ 2 ll li ll ll ll ll ll l] it t tViツ :: │ ′ 1 11 1[ ll せんぐ う館 開館 沖縄 ﹃ 信濃 の塔﹂ 慰霊 戦跡巡拝 , 7回親 子参富 団 第︲ 新 御造営 フォト ニ ュー ス 暑 中 見舞 平成 4年度長野県神社庁歳入歳出予算書 2 4年度災害救助慰霜特別会計歳入歳出予算書 0 平成 2 2 8∼D 本庁表彰 辞令 寄附者顕彰 1 次 推 進会 議 於●矢 段 一一 一 仲十里″﹂ 一にホ 教 ,〓ホ , ′■対 ■“ ¨ 進 委 員会 4 ■嗣● ^4 人 メ 第 人■ 回 神 社 庁 t 倒 協 議 員会 莞 惚 ‘ ■ 物岐 イ■ ■祭 神 政述 国会 議員ヽ 談i ■泄 東 日本 人氏 交 ,ヽ 市 於 福島 県= i 石巻市 ︶ ︱公 ■ 日和 ︱ ■ ユL ︱ 同一 T●違式 中 信 地 区 氏 ■ 総 代 研修 会 , I′ (115J, (3) 成 2118,い 1′ 枚 一一L ● ■ ^ . ¨ ● ■L 一 一I ■ 計 ¨ え 〓 ´ ■ け ■■ ● 会 =■ ● ti ■ ‘ =一ザ■ 一 ■ 日 一● ■ ︱ ︲■ 一 ¨︱し︱ ‘一 ﹁刊 ︲ ︲ 仲 ■ ● ● ■ Ⅳー ¨ = イ ユ ユ化′ H■ L、 ・ , ●■ 年 た︱ ︲■ , ︱ せ んぐう■ ■ 神, 政 ● 上 野 L 人部 t l証 , ■■■¨ ● ︲ ︱ ■ ︵ ■ 一¨L一︱ ︲■ 一 け ●=“ 午●■一 月 ー ー ー 鬱 ユロ 卜人H げ■姉■●●■ 伝 ■ 代, ︲■ツ 卜 L ︱ ︱ ‘ ︱ ︱ ■ l, ■ ︱ 四 ユ ¨一■ ■ ● , ″ ″ t■ ●■ ユ ﹂●少 年 ■ ● ■ ■ ■一柿L●口会 1 ■■■1 1II■●〓 ■●■ 刊 ● ■ ︱●■ ■●︱ 庁 一日 ﹁ ︱ ︱ 工 八 川 ● ´¨ ■ ′ 員会 l 霰 tl , 圧 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県別〓 2年 ︵ 2月時における神社本庁 平成2 三● 一●︶1 也括下神社七八 九人四社における都道府県毎 の 神職データにより知られる要吉〓 神祓数 男女 の別 吉司 兼務社の項について列挙する。 1、全神破数は二 一 t 一八人 最多が東京都の 一 一一 一人、最少が佐賀県の 一人九人である. なお、全国平均値は1県四六0人。 ︵ 神宮 沖 縄県は除く。以下同. ︶ 2 神破数における男女別の数値は、最多 最少 県は前記と同じ。また率は 全国平均値で男 “%、女4%である . ︲ 3、宮司について 数は 0、 四九九人 最多は東 京都の四〇八人、最少が福■県の 一一四人 平 均値は1県二 一 五人である。言司〓 ︵ 神脱数に 神 社 庁 研 修 所講 師 ・深 志神 社 禰宜 牟職 仁 おける●可数 の割合︶は 最低が東京都 の “% 最高が佐賀県の“%、平均値墾%であ ′一 . 4、全神社数から官﹁数を差引いた六人、 四人■社 が 業 務社 数 と な る . 一官 l iの兼 務 社 数 ︵ 神 社数 , 割 る 宮 司 教 ︶ は 今 回 平 均 が 7 〓0社 、 最 少 は 大 阪 市 の1 7社 長 多 は 富 山 県 のD社 と な る . こ れ ら か ら 知 ら れ る よ う に 都 道 府 県 によ る差 異 が き わ め て著 し い。 右 に見 た 数 値 の背 景 に は 各 県 で の都 市 化 過 疎 化 の状 況 が 逆 関 し て いる。 デ ー タ ¨推 移 〓 2︶ 神 職 数 値 の 推 移 ︻ ︵ 参 照、 日表 2 ︹ 神 職基 本 昭 和 ∞年と 平 成 2 年と の “年 間 を 対 比 し て推 移 の概 況 を 見 る 。 な お 、 神 社 数 は 七 九 、〓〓 一 入社 が ら 七 八 九 人 四社 へ二 四 四 社 減 . ︵ 神職 男女︶ へ 約 五 、t O ● 人 増 二 一五 % へと 伝 や か に 。 ′わ 3 女性神取の数は二七五人から三 〇 一七人 へ 二 七四二人増 約n倍に著しく増加する.全 4%へと著しく 神職に占める割合も 2%から1 増加する. ︵ 宮 司︶ l 全本務‘口数は 一■ 七二四人から 一〇、 四九 九人 へ r〓一 五人減 約&%へ減少する。 ︲ 2、i司“も約”%から約小% へ 3 ポ ントも ィ ︲%から 著しく低下する。非常司率でいうと、2 2%へと著しく増加する。 3、本務●司数の全神社数に対する割合も “% 3 3%へ減少する。 から1 4、男性宮司の数は 一二、 五六七人から九 人六〇 人 へ、二 t〇七人、極やかに減少する. 0 5、女性‘司の数は六五人から六二九人 へ、約1 倍に著しく増加する. ︵ 業務鷲 3 1、全国平均値は6 2社から7 5社 へ増加する. ︵ 特徴︶ 1、第 一に日につくのは‘司数とイの著しい減少 である。その減少数 r■一 五は それまで本 務であ った神社が兼務社にな ったとみなしえ る。その0神社数における割合は2%強とな 1 全 神 飛 教 は 一人 、C 二九 人 か ら 二 一、t 一八 人 増 加 す る 。 な お こ こ Ю 数 年 来 は ほ ぼ積 ば い る 。 ︵ 少 し 上向 き ︶ であ る 。 の立場 役割が 歴史的経緯の如何にFわらず 2、戦前は卸度として存在しなか った女性■■の 数とイとが著しく増加している。その神社界で 2 、 男 性 神 職 の数 は 一五 七 五 四 人 か ら 一人 、t 5年 前 と 九 四七 人 増 加 す る が 1 O 人 へ、 二 、 間われる。 一カ この状況はその原因 理由を 比 す ると 三 六 五 人 減 し て いる . 全 神 職 に占 め る 2 ポ イ ント 減 少 す 割 合 は 、 ゝ % か ら “ % へと 1 ) (l15号 州 神 (5) 平成24■ 8月 1日 の増加 と 結 び つか な いで、逆 に富 司数 率 が著 1、 長 野 県 の﹁ 職 数 の推 移 は 、 明 治 “ 年 四 0 人 霧 移︶ こ れ ら の長 署 界の各 数 値 は 、 ほ ぼ 全 国 の平 均 的 孝‘える と 、 神 社 界 の危 機 の 一端 を 反 映 し て いる しく 減少 し て いる のはどう し てか そ の 一因 に , は都市 部 の、大 中規 模神社 の専 任神 職 数 が増 であ り 過 疎進 行 地 の小 規模 神社 では逆 に減少 2、神 職数 の増 加 は 限 ら れ た神 社 ︵ 都 会 地 の︶ る 。 当 面 は こ の傾 向 が 続 く か 。 名 。 そ れ 以 降 、 平 成 2 年 四 二 一名 へと 断 増 す 名 、 昭 和 7年 二 四 二名 、 昭 和 ∞年 三 八 一 状 況 に近 いと いえ よ う 。 と の指 摘 が あ る。 加 した こと があ る。 3 神 職 数 の現 状 は 、 男 性 神 職 の減 少 を 女 性 神 職 ス の男 性 後 継 者 いる 。 内 情 の 一端 と し ては 社 一 し 、兼務 社数 が増え る傾向 が継 続す る。 の増 加 が 補 い、 全 体 と し て微 増 の状 態を 保 って に よ る継 承 の途 絶 減 少 を 社 一 家 の子 女 配 偶 へ、 ” ポ イ ント 減 。 全 国 平均 推 移 と 同 様 な 傾 向 二 三九 人 へ、 五 0 人 減 、 宮 司 率 は % % か ら “ % 者 が 継 本し て いると いえ よう 。 格 差 ﹂ が前 3、 これら の数値 か らは 、神社 間 の ﹁ 提 にあ り 神 職 の数 質 の確保 、構成 、宮 司 減 が 、 少 し 緩 や か に進 ん で いる 。 ︵ 富司数、戦前 五 四社 と 約 半 減 し 、 さ ら に 昭 和 7 年 に は 三 、〓一 社 と いう 多 数 が 明 治 末 年 の神 社 合 祀 の結 果 、 3 、 な お 長野 県 の神 社 数 は り ●“年 に六 、八七 八 は 不 明 。︶ 2、宮 司 数 は 、 昭和 ∞年 二人九 人 が平成 ”年 は 約 “ 歳 で 、 ∞ 歳 以 上 の和 職 は 約 ” % を 占 め の課 題 がう かがえ る。 少 、兼 務社 の増加 、地方 神 社 の後 継 者 不足 など 十均 年 齢 4 、 参 考ま で に平 成 B年 に お け る神 職 の一 る 。各 年 代 の割 合 は ∞代 が 最 も 多 く 2 % 、 次 ︻ 長 野県 神 賊基 本 デー タ ¨推 移︼ 含一 ︶ 長野 県 の橿 オー 室諮ホ、日 表 l ■ 表 3 7 % Ю代 6 % 、 ∞代 5% 、 Ю代 5% o に ∞代 1 1 1 1 ま た 各 都 道 府 県 別 の ∞歳 以 上 の高 齢 神 職 の割 合 を み る と 、 岐 阜 県 が “ %と 最 も 高 く 、 岡 山 県 、 ︲ 、 5 % 広 島 県 埓 % 沖 縄 県 夕 % 高 知 県 “ % と 戦 後 宗 教 法 人 と な り 神 社 庁 包 括 下 と な った数 現況 ︵ 平 成 2 年 2 月 時 ︶ は 、 神 社 数 は 二 、四 全 国計 七 八、 九 八四社 ︼、神 職 数 は 四 二七 四 四社 ︻ これ に は宗 教 法 人 に 登録 九 〇 一社 減 と な る 。 ︵ 。︶ さ れ ず に存 続 し て いる 例 が 多 いと 推 測 さ れ る 。 8 日付 な って い る 。 ︵ 神 社 新 報 、 平 成 撼年 9月 1 同 人 ︵ 全 国 平 均 値 三 九 六γ 女 五 〇 ^ 男 三七七 ︵ 女 三、 六 四こ ︻ 同 二 一、七 一八 ︵ 男 一八 t 〇 一 参 考 ま で に官 司 未 任 命 ︵ 不在 ︶神社 数 は九 一 輩 一 〇 一t こ 、 言 司数 は 二三 八人 ︵ 男 二 iO 女 一 は 昭 和 ∞ 年 に は 二 、四 五 三 社 で 、 昭 和 7 年 比 一 l、 男 性 神 職 数 は 今 後 も 緩 や か に減 少 し 続 け 、 八︶︻ 同 ︵ 男九 、人六 〇 女 六 三九 こ であ る。 公7後 の 推 移 予 測 ︶ 方 、 女 性 神 職 数 の増 加 字 数 は 現 在 ほ ど の著 し る 。︶ 社 4 % 、 全 国 で約 九 〇 〇 社 約 1 1 % であ 付 記 ︶ 神 職 後 継 者 問 題 に 関 す る数 値 は 、 次 号 で ︵ O 男 性 神 職 の 割 合 は 8 3 % ︻全 国 平 均 “ これか ら次 の点 が指 摘 でき る。 さ は 止 ま つ 、 結 果 と し て全 神 骰 数 は 近 年 のらス ´ ち な み に平 成 に減 少 へと 転 じ る と 推 さ れ る 。 ︵ 2 年 の前 年 比 は 増 加 数 l。 な お 、 過 去 にも 前 年 比 か ら減 じ た 年 が あ る。︶ 難 告 す る 。 こ こ で は 、 平 成 Ю 年 以 降 に実 施 さ れ 参 た 、 7 県 で の後 継 者 有 無 の数 値 の み掲 げ る 。 ︻ 3 1 % ︼、 女 性 神 職 の 割 合 は ■ 7 % ︻同 1 後 継 者 有 無 調 査 一各 県 〓 照、日 表 4 [ 9 %︼。 な い。 Ω 冨司率 は 5 7% ︻ 同 “ 3 %︼. 2、 宮 司 数 卒 の減 少 化 が■ ま る要 素 は 見 いだ せ 〇業 務 社 数 の計 は 二、 一 〇 六社 、 一宮 司兼 務 社 数 3 3 %︼。 ︻ 同1 O 本務 宮 司 数 の全 神 社 数 に対 す る割 合 は 9 7 % は 一0 〓 一 社 ︻ 同 七 五社 ︼。 右 の予 測 は 、 神 社 界 の状 況 が 現状 のま ま 推 移 す ︵ 問題さ ると 想 定 し て のも の であ る。 1 こ の “年 間 に お け る神 餃 数 の増 加 が 官 司 数 平成2年 8月 1日 神 (6) 州 (115,) ■表 1 1神 職基本データ 1現 況 県別】 rt22年 (2010)12月 末日現在 (拠 :神 社本庁評議員会平成23年 10月 議案 ) 神 都道府県 神社数 男 0 1 東 798・ 神 奈J 1つ 1 1129 894 “ 2 る 4 839γ 3 埼 玉 2∞ 1 4● 4 53贅 4 群 馬 llS 2“ 5 千 葉 6 茨 城 3138 2“ 5 7 栃 木 l 8 山 9 北海 道 梨 34 ω6 1烈 7 454● │ 9 27% 1∝ 481● ● 2■ l嬰 mる ・. 28● │ l“ $4● │ 2" 486R・ ll 240 84 103% 121% 171% 74 127ヽ ● ,7% お 414 879% ′ S: 33 20 885● │ る 14 山 形 15 秋 日 16 三 量 17 愛 知 3315 lS 静 同 203 19 崚 阜 長 毀 m6・ . “3 ● 6% S 115% 191% 104% 56 13‐● ● 3a 跳 857% “ 867% 12′ 2 ml・ . 6F 3219 ●●4 “ 919% 4t 野 2“ 37 田 撲 月 4746 “ 5● 1715 184 る 4 25 京 都 26 大 阪 571 27 兵 庫 3β 35 奈 良 1∞ 6 滋 賀 14“ "30 和 歌 山 31 鳥 燕 υ 島 根 34 “ 広 島 2410 35 山 口 7“ 520・ ● 433 212 49Ю l 23% ″ 2 513● ● 273 1“ % 36% 100 1〔 481● 119 436% 5ラ 3の ユ 汲 12 22● ● 314 3, 62 55 425 224 52霜 l[ 421. 22 56% “ , 274 5α 7● . 23 ■0% 5,破 28 379● ● 27 28・│ "7 筋 407γ 86 45■ 21 35● ● 2ω 48Ю γ 05% 42% 31. 257 26% ! 刀 ( %8 9 ●41 876● ● 26 124● ● 817% , 183% 38 l任 m5・ . 7 32% 24% 22% 27 ll掲 % 2● ll[ "1 4m 2% 5 22● ● 91跳 43 82る 523 2∝ 8 6"1 紘 碗 85: 65: 827% 180% 173% 15% 23% 1 25・ ・ 351 l● 451% 42跳 13破 10駅 17破 13( 49謳 ● 3 ① l 157貿 2■ 75% ゛ 5 824● ● “ 21, "36 73 l“ B% 5% 島 ,│ S 愛 媛 138 4 1, 851% 852% 39 高 知 2145 証 mぉ ・. 40 長 1さ l獅 27 ∞ 5% 41 福 岡 33″ 52 ∞ 42 大 分 212〔 250 84霰 佐 賀 1∞ ( 172 91● 44 “ 熊 本 131 45 官 17 4・ "64 &lγ %Bχ 46 鹿児 島 3“ 47 沖 "y 1 18ml "W 0 2“ % l12 l● `% 403% “ 7 396% 38t 1, “ お 12 27■ 212 t,・ ● 14 4Ю % 163 4641● 7% 29贅 144 522る 20る 協 528% 310 51S% ● 47% 攘 62 315 4● 6% 12 1つ 135% 400 1∞ "9 跳 郷 521■ 2椰 l“ 516■ 95% 273 lア 575% OS贅 645 2“ 41霜 27・. 114 603● │ 6 32% lFln 毬 Ю% 7 2Ю ● │ l" 44m 4 m瑯 12協 % 62% 8t鴨 101● ● ∞ 8 201 792% l% a脳 2` 3 2171[ 9&Ю 13% 4“ 45■ 3ク 553・ . 34・│ 雄 555●● 43● ● 144 S3% 14つ l% 44Ъ 11 ` 522% 13: lγ 635% 91 17 ωЮ ・● 77 0つ ● . 2∝ 449% 9 20% 210 4み 4 528% 16れ 54 l 9 29% lQ4" 483・ ● 75 11 7 26% 29● ● 1 495● ● 32 42 4: 629% 472 159% 32 3叡 194● ● 5 6S 26 74 ]4811 l● 8も 34 ,7 57 7〔 η 17 104 ,8● ● 4,0秋 ,0● ● ● 75 50% 37% 91伐 “ 15拠 2● 190 “ 5if% あ 5 F14 150 15 22 3017 543% l ・ “ お 133 114 460● ● 14鴨 2 10〔 “ 7 % 3〔 "窪 55●● ● ` 螂 S毀 12つ ・ m % 4% 502● ● “ 螂 24 3` 絡 “嘔 り 5 36‐ 422% 34つ ● . 163% 幌 6 2f 3跳 “ 2∞ 158● ● ″ 3 520% 519% l" “ 63 田 ′% : η “ l "7 3% 48 &2● ● ,1 “ 徳 1¨ ∞ 3 129% 1●● 香 平均 ,神 = 沖縄県 際く 24● │ 83 “ ● 37 計 2: l 51跳 36 ll・4 21 496● ● 2● 冽 縄 4F11% ● 9 2∞ .33 ●16 幌 4% 33 4η 81% 01 25 510% 5Q`% 6“ 805% “ 103 14腸 133% la9% 90 23% 43% 11" 82 岡 │」 7, 44% % 21% 8 ■% 1“ , 34 “ 9% ■ 森 l● 6 % 131● ● 手 21“ 157b 1つ 485% “ 508% 青 │ "3 物 岩 山 % 級 2破 13 ) 4● 14 12 お 40β 14 441% 8・ 力 2晰 ″ 482% 873% 官 36% " 5“ 287 0 50, 石 32411 180 4α 24 364● ● 17 る 9" “ 2 4∝ 1脳 3: 3つ 3: 丼 23% 10 418 島 " 2` 145% 132% 城 福 339% ω 6% 71 宮 2 ( l● 3 94・ . 45 2, l121 161% 147● ● 866● ● 411 202● ● ′ 神職 数′ =│ η "2 27 姻 ´1職 85 5, 福 171 女 数 "破 あ ll 1 11■ 27 , & ′ イ 1職 数 868% “ 10 , 数/計 業務 社数 司 男 ′イ 1職 城 l 京 言 女 /神 職 ス イ 1 官 職 ① お “ 2万 47 77 28 平成24午 8月 1日 州 神 (7) (115,) ■表2【 神職基本データ :推 移 全国】 神社数 「出匈∞ 年 1 1955 7,3・ . 157初 S 3b l 27● lF贅 16Ю 嘔瑯 0年 l10る 7032 171① %2% 88 43% 17つ 平 ll∝ 午 ,19% 平成2年 ,2010 1 男 致 ■ 女 卒 宮 職 神 男 A 司 │ 女 l107 “ 107m ∞ 3% 208 97% 211■ 78椰 861% a017 139% 2171: 9&Ю 5“ : ▲ 2η 7 1355■ 785% ,3つ % 12734 Ъ 8% “ 1% 16% l1271 62f% 4“ 36% 11 1“ 2つ % 硼 al・ . 104" 483% ` 対比 ISm′ Il″ ▲ 34 2γ 7 l18秘 2742 -122% 122% 109■ 1・ │ ▲ 5,4 -56% 率 05% "跳 “ “● %4● 1計 ′数 1 ■ 12567 7Qη を l,0“ 18 7t l 1 率 S31● ● 551● 225 324● ● -3a5% ■表3【 長野県神職基本データ :推 移】 神 神社数 率 男 119b Q『3 103 昭柳 7年 '192 354 ●42 ,19“ 2453 378 992■ 平成22年 12010 2■ 44 377 883a :mll 2■ 4` 3m IIn治 38年 昭和 宮 職 致 ■ 女 1(Ю Юγ 男 0 4α 0 ● 3 女 事 兼務 社数 司 数 事 事 l〔 08% S お 8 766● ● 42, 22( 515% l 03% Ж 75,お 8: 61% 2: 557ヽ 10〔 23, 5跳 101 "年 平成23年 対比 I SOI122 ▲ 割合 γ 1 51 l 997% 117% 100% 10,% “ l121● ● ▲ 51 17 ▲ l・ ―al% 58% -241■ ■表 4後 継者有無調査 :各 県 県 調査実施年月 ● j象 後継者 との関係 後継者の有無 報告書 い ない い る そ の他 説子 Ifr■ 貰 ι 平 成 9年 8月 ◎ S3% 511% 06・ 祈潟県D 平 成 15年 4月 ◎ 722● ● 275% 03% 新詢県0 │′ 成21年 一 月 ○ 710% 22・ ● 山口県 平 成 18年 7月 ◎ 750% 250“ 埼玉県 平成18年 10月 ◎ 793 19跳 1形 県 平成19,9月 b 受援単 平 成21年 一 月 官城 県 平成21年 一 月 長野県 平 b 7月 ◎ 8% 7つ ● ● 12% “ ▲ ◎ 713% 274% ▲ 837% 163● ● ,4瑯 2■ 27Ю l■ "3年 D平 均値 (新 瀾県は第 3回 調査 による, (注 )0「 対象J欄 の (a)(よ 全富司 (b)は 全神職. 3% 14, 0「 執音せJ構 の◎は刊, 63% 6% 無 回答 31羅 OЮ " “ * * % * * 43% 21供 22χ 88■ ・● 61% 561 OO贅 884% 54● ● 5“ 男性 女性"% 11● b % その他 劃 ― 91■ 2・ │ “ η Ю● ● 乳メ % * * * % 83悩 10い 5Ю ■ 5% 男86・・7 女9′ 男女5% 9Ю ・ ・ 116% 8bB% 71■ 6‐ ・ ▲は未11. 07■ l■ ■ (]15') 州 神 (8, 平成24年 8月 l口 一、 調 査 の 目 的 内 容 県 内 神 職 の奉 職 の状 況 と 意 識 の 実 態 を 把 握 す る と 共 に 後 継 者 女 子 神 職 問 題 の実 状 を 把 握 し 、 県 内 神 社 界 発 展 のん の方 法 を 検 討 す る 基 礎 と な る資 料 の収 集 。 今 回 実 施 し た 調 査 は 、 左 の三 項 であ る 。 ① 神 職 実態 意 識 調 査 ^ 全 神 職 対参 0 後 継 者 問 題 実態 調 査 ︵ 本↓ 笙 冨司 対 象 ︶ 0 女 子神 破 意 識調 査 ︵ 女 子神 職 対象 ︶ 二、 各 調 査 の質 問 票 選 択 式 を 基 本 と し 、 意 見 の記 述 は 補 足 程 度 に とど めた 。 の 成 二 一年 に 実 施 し た 結 果 を ま と め た ﹁ 神職 0﹁職 実態 意 識調査 票 は、滋 賀県神 社 庁 が平 の実 態 及 び 意 識 調 査 考 察 ︵二次 分析 こ 分類 項 目を 参 照 し た。 ● 後継者 問 題調査 票 は、埼 玉県神 社庁 が平成 一人 年 に 実 施 し た 本 務 宮 司 対 象 の調 査 票 を そ のま ま 利 用 し た 。 作 成 した 。 O 女 子 神 賊 意 識 調 査 票 は今 回 、 調 査 委 員 会 で 三、配布 回収 方法 配 布 は 支 部 宛 に 支 部 員 数 を 一括 送 付 し 、 回 収 は各 m 職 よ り 直 接 神 社 庁 へ返 送 す る方 法 と し た 。 神 社 庁 教 化 部 調 査委 員長 井 出 行則 四、調査回答結果 ︵ 方法︶支部経由配布 回収 回答卒 ①る% 0 % 0末報告 〇山口県 ︵ 内容︶神破後継者 , ︵ 対象 回答+︶ O山形県 ︵ 内容︶神職後継者 ︵ 対象︶全神職 ︵ 方法︶庁より直接に送付 逗送 回答卒 口% 0滋賀県 ︵ 内容︶神職意識実態 ︵ 対象︶全神職 ︵ 回答形式︶今て記述式。 0本務宮司 ”% ②宮司配偶者 ”% 0後 継予笙 た 者“% ︵ 方法︶支部経由配布 0埼玉県 ︵ 内容 対象 方法︶は山口県と同じ. 回答率 0∞% ②∞% 0“% 女子神職意識調査 ︵ 送付数︶五〇 ︵ 回答数︶ 二九連 ︵ 回答率︶五人% 五、中間集計 同答率 お% 七、本調査にあたっての留意点 回答率を高めることに尽きる。このんに他県 0神職実態意識調査 ︵ 送付数︶四三二 ︵ 口答 数︶二六〇 ︵ 回答率︶六〇% の後継者問題実態調査 ︵ 送付教︶二■九 ^ 回 答数︶ 一四六 ︵ 回答卜︶六 一% 実施した三種の調査各項目結果は集計し、ま た記述回答もまとめてある。それを踏まえて今 後、検討する運びとなる. の実施方法を参考にさせていただいた。配布を 支部経由にし、返送は庁 へ直接としたこと 調 査票は選択式を基本としたことなどはその意図 による。 に 調査の結果を分析して次■ の庁報紙上にて 概要を公表する予定である。 中間の集計結果をもとに、各支部また関係す る団体から候補者を選定して意見交換会を開催 し より具体的に実状と課題を把握するととも だいた。 人、今後の予定 見は参考になるも のが多く、調査委員会での実 態意識調査設問作成にあた つて活用させていた なお、滋賀県の記述式 の調査に寄せられた意 六、他の神社庁での調査状況 関係する調査としてこれまでに五県の神社庁 で実施され、報告書が出されている。実施神社 庁、実施時期は左の道り。 Qな僧宗 ①平成九年八月 0平成 一五年四月 0士些 三 年 O山口県 平成 一人年七月 0埼玉県 平成 一八年 一0月 O山形県 平成 一九年九月 0滋賀県 平成二 一年七月 それらの概要を記す。 O新潟県 ︵ 内容︶神職後継者 ︵ 対象︶全官司 (115=) (9) 平成24年 8月 1口 せんぐう省園翁 四月七 日に √ ´ る形 でし た。水上 の 舞 台 は雅楽 の音 がよく 響 き、我 々 漬奏 者 は緊 え る伝続 を継承 す る精神と 技術を展 示す る施設と し て建 設 がな されました。 そし て、 二十年 に 一度 の 切 さ、遷官 が伝 統 を継承 す る人 上続 いてき た伝 から十 三百年 以 持統 天皇 の御代 宮を 始 めら れた せ んぐ う 館 は、神宮式年 遷 ま した。 ぐう館 が開館 し のほとり にせん 官 のま がたま池 く、観 客 の の石 の舞台 五問 四方 きました。 無事 に終 え 奉 納演奏 を 子 ﹂ により 楽 ﹁長 慶 納 し、 退出 陵 頻﹂を 奉 楽 ﹂を演奏 し 四人 の舞姫 によ る舞楽 ﹁ 迦 詞音 取﹂ ﹁ 賀 殿急 ﹂ ﹁胡 飲 酒 破 ﹂ ﹁武 徳 をご本社 いたしました。 二十 人 の会 員伶 人 が、管 絃形式 で ﹁ 壱越 ま池 の水 上舞台 で ﹁ 雅楽と 丼﹂ の本納 演奏 長 野雅楽 会 では、 四月十 日に こ のま がた 大 神様 へお 成果を豊受 加 護を いた だく 日頃 の のびと ご 張す る こと 式 年遷官 を迎え る前 の年 に当 たり、 せ んぐ 方 がど の方 宝 珠 が輝 く水 上 の舞 台 で本 祝 の芸能 の奉 納 居け でき たと思 います。 う館 の開館 の運びとなりま した。 開館 の奉 祝行事と し て四月 七 日か ら十 四 向 からも ご はと ても 広 ダ 一 ¨ F 一 “ 一 ・ ま し た。 た に いた し 感動を あ ら 会 員 一同 は 栄 に浴 し、 を いた だ く よ り感 謝 状 神宮大宮 司 き 、更 には 桜満 開 の中 、大 勢 の方 々に観賞 を いただ 日 の間 午前 と午後 に 一組ず つの団体 、個 る こと が で 人が、外言神 域 の豊 かな自 然 の中、ま がた 覧 いただ け も なく のび ●李 れふ OQ お ', を行う こと になりま した。 ●震 ::要 ,'「 ま池 に設けら れた朱塗 り の欄 T、金 色 の擬 伊勢 の神官 外 11¬ 喘 職派 遣を依頼 され ており 、地区順番 で県 に際し、長野県遺 族会 より慰霊祭奉仕神 野県神社庁 では沖縄 ﹁ 信濃 の塔﹂慰霊祭 年 二月十 三 日から十 六日 に行 われた。長 縄 ﹁ 信濃 の塔 ﹂慰 霊巡拝 が、平成 二十 四 財 団 法 人 長 野県 遺 族 会 主 催 に よ る沖 誠 を捧 げ るた め に長 野県 の銘 石を集 め建 の戦没者 五万 五十余 柱 の御 霊 に、慰 霊 の 三十九年 四月 であ る。長 野県出身 の全 て た時期 は未だ アメリカ軍 の施政 下 の昭和 の地 であ る度 文仁 の丘 であ り 、建 立 され 国内 にあ る。激戦を 極 めた沖縄 戦 の終焉 キ ロほど離 れた南部 糸満市 の平 和記念 公 郷土 より送 られた お供え物 、装束 の搬出 た 荷 物 の整 理を 狭 いホ テ ル室内 で行う 。 はホ テルで長野県神社 庁 か ら送られ てき 県会議 員 三名 が参 列す ると いう 。夕食後 した。 翌日 の慰霊祭 には健康福祉委 員 の え て慰 霊巡 拝団 の方 と沖 縄料 理 で会食を 初 日 の夜 は長 野県健康福 祉 課 の方を交 長 野支 部 齋 藤 内神職を派遣 し て いる。今 回は長 野支部 手 順 の確 認 、現地準 備 の打 ち合 わせ、 王 より 二十 は、那覇 市 ﹁ 信濃 の塔 ﹂ た。 を担当 し 慰霊祭奉仕 睦 の四名 が 是 齋藤吉 英之 矢澤 安彦 齋藤 イ ンフラ整備 の規模 の巨大 さを感 じた。 いレ ー ル﹂ の発 着 場 がす ぐ に日 に入り 、 空 港 か ら は沖 縄 県 が誇 る モノ レー ル ﹁ゆ あ る こと を感 じた 。き れ いに整備 され た か れた地理的 なも のが、ま さ に最前線 で に市 国 の熱気を感 じた。 同時 に沖縄 が置 厳 寒 の長野県 より空港 玄 関 に至 ると途 端 自 衛 隊と 共 用す る 那覇 空 港 に到着 し た 。 族会慰 霊巡拝 団 一行 は中部 国際空港 より 二月十 三 日、県内各 地 より集ま った遺 クシーは到着 した。信濃 の塔 の周 辺は清 の広大 な敷地 の中を通 り、信濃 の塔 にタ た。 四十 分 ほど かけ 国立沖縄 戦没者墓 苑 慮 し て、参 拝 回より 一足早 く ホ テ ルと出 翌日七時半 、神 職 一同 は交 通渋滞 を考 げ た地 であ る。 部 が置 か れ、空前 絶後 の防衛 戦を 繰り広 た首 里 の高台 にあ る。 こ の首 里 には司令 た。宿 泊 した ホ テルは、繁華 街 から離 れ 串 を 調製 、大 汗を かきな がら のも のだ っ 神職 、齋藤 立された。 え け愛 ﹃ 花際 の塔﹄慰窒軟 埓 理拝 (115=) 州 神 (10) 平成24年 8月 1日 ) (115り 州1 l ll(H) 平成ク■ 8月 た。 き れ い る最 中 だ っ 掃 され て い た、小池 軍医中佐 の出身 地佐久市 と の交 迫悼 式 には参 列 し て いる方 々であ る。ま る。そ の中佐 の思 いやり に感謝 し、以 来 が、残 された沖縄 県 民は塗炭 の苦 し みを の結果 、牛 島中将 を始 め軍 人は自 決 した 武 士道と 天皇 制と 結び ついた皇 民化 教育 れ て いた。展示 の締 めく くり は、本 土 の 味 わ ったと いうも のだ った。 流 は今 に至 るま で続けられ て いる。 迫 悼 式 に引 き 続 き 、 信濃 の塔 の前 に、 に刈り 取ら れ た 草 のさ わ れた。参 列者 の中 に積徳高等 女 学校 関 議長 の追悼 の言葉 が捧げ られ、献花 が行 式 が行 わ れた。長野県知事 、 長野県議会 主 催 の連 悼 ま ず 長野 県 ら れ、 入 口 の壕 の跡 はき れ いに コンクリート で回 め 中 高学生 であ ふれかえ って いた。悲 劇 教育 のメ ッカと な って いて、修 学旅行 の ゆり の塔 に到着 した。 こ の地 は反戦平 和 で後片 付けを 行 い、慰霊 団 に遅れ てひめ 桜 が散 り 、 デイゴ の花を 眺 め る管 理棟 で の壕 の中 で の暮 ら しを ボ ツリポ ツリと 校 生 がお迎え を し てく れた。激戦 のさ中 学 校 の女 学 積徳高等女 る か つて の 八十 を こえ だ いた 、齢 列 し て いた 続 いて、糸 洲 の壕 へ向 か った。 国道 に 係者 が おられた。 こ の方 々は、沖縄 戦 の を覗くだ お話 しを され て いたが 、任 務中 にガ ス攻 神 離 、大真 榊 、し め縄 を舗 設し、神 醍を 最 中 に動 員さ れた学 徒看護 婦 であ る。 こ け であ っ 撃を受 け た こと 壕 の外 で被弾 した 同級 わ やかな香 の学徒 は、佐久市 野沢出身 の小池 軍医 中 た。展 示内 上 のこと 、小池 軍医中尉 の人柄 、次第 に ポ ツンとあ る看 板 から未 舗 装 の農 地 に入 佐 が最後 の地と した ﹁ 糸 洲 ︵いと す︶ の 容 は、激 戦 話 は熱を 帯び て、投光 器も な い壕 の中を 供 え て慰 霊祭 の執行 であ る。参 列者 は■ 壕 ﹂ に いた。 ひめ ゆり の塔 の学 従看護 婦 の中、 いか 案内 された。 こ の場所 に戸板を 並 べ傷 つ り が立 ち上 の自 決 の悲 劇 と は違 い、小池 年医中化 は に地上戦 で いた兵隊 さ んが横 たわ って いた、 サ ンゴ ガ マ︶ はあ った。慰 霊祭 に参 り そ の壕 ︵ 激戦 のさ中 、動員学徒看 護婦 に解散 を言 沖 縄県民 が 質 の土壌 は休む 場所も な か った 、 こち ら 悼式 に引き続き 、主串本質を行 った。 い渡 し、絶対 に死 んではな ら ん、前途 あ 傷 づ いてき で乏 し い水 を求 めた 。 さら に壕 深く ま で って いた 。 る若者 が生き 続け ることを説 得 し て、自 たか が綴 ら 十時 より、 ら は 責 任 者 と し て自 決 さ れ た 人 物 であ ︶ り扱われた. ︱ ︱ の壕 で の事 実を 記録映 画 に残 す適 糸︱ ︱ 動を さ れ て いて作 成手全 も され て いる の 決 別文 を 打 を た たえ た た . こ の ヽ 2 一と だ っ さ れ ると い を お見希 い 軍医中佐 の部 下 の衛生 下■官 の道 族も い て、 こ のあと に病 床の元学 徒着 護 婦 の方 場所 でお話を 伺 った.慰 千 日 の中 に小池 行 は嘉 手納 来地を ■望 し、普 人間基地 の れた新 設 の社 務 所を片観 した.続 いて 一 て抱盛だ った 。沖縄 の建築形式 を取 り 入 神 油はす べ ヽ ホ 納 された 参 拝 した . 沖縄県護 回 く御礼を中 の御 様 に厚 野県 遺 族 会 にな った長 に、 お 世話 ると とも 県 民 の敢 開 な 場 所 であ 一. ・ 最終 日 の 四 日は 、見 事 に復 興 さ れた首 里城 の見学 を し て 全 員無事 に長 方 々と の交 一角 を返 還 Lた美 術館 で滑走 路 の見 学を し上 げ る次 野 へと帰 ることが でき た。 流 の探 さ を し、そ の日 の最後 は旧海 年司令 部壕を 見 第 であ る. と を 折念 す 一 こ の場 を お借り し て御 霊安 らかかな る一 感 した。 ︵ こ 学 した. こ の海 軍司令 都壕 は人 日海 軍中 神社 を正式 の 病 床 の訪 ・ ´ ″ ・ 〓 ・ V 将 が 目決 前 に ﹁ 沖縄 県民 かく戦 えり.県 ´ を ﹂ と沖 縄 な がら寄付を さ せ て い 電 した 有名 で 我 々神 鳳も ,ユ ンタ ドキ た だ いた 。 ︵ メ リ ー映 画 ﹁ふ じ し 学 隊 徒 ﹂ と て 六 公 開 さ れ た 月 , 三 日目 に は、戦災 で 焼 人 の後 昭 和 四十 年 に ヽ ■ 間 は 地 几紙 復 興を し た ヽ ヽ 民 に対 し後 世特 別 のご高配を 賜 ら んこと '1、 に大 き く 取 ,“ ) (i15ケ 州│ 制 ,12, 8'll 平成21年 ' (1157) 神 8,1lH(18' 平成24年 グ″″剛 脅 に つ い イ ´﹂ 脚7ザ● ヽ 親 子参i Π 伊勢 の神 宮参 キ旅 化部主催 一 毎 ■ な の■期 にお こなわれ る﹁社庁 教 も達は古く から た。 こ の時子ど せ て頂 き ま し 煮 炊 さ す る こと を 聞き ﹁た い へんだ な ぁ﹂ と清 れな神様 へのお食事 作 り の厳粛 さを感 し て いま した。 こ の後、感 想文を作文 し就 青少年対策推進委員会 副委員長 池内宣お 日 の二日間 行﹂ は 二月 二十 一日ヽ 一十 一 ■日日早朝 の内富 御正 宮、別官荒 奈官参 ました。外宮御 ち あ られた 甲で手 拝 は、他 の参 拝者も疎 らな静寂 で神気 が満 たち にと っては神様 を ヽ は、全員 ■● 一 , い行程 であ ると痛感 し 間工 に感 じら れる良 神官 ま した。そし て今 回初 め て の試 み で 一 深く見 入 って い が■律■ しく露 i館 ] に て実物 の朴 宝 な の■物■ ■ 宮徴l ︲ ど拝観 文 化部 職員高橋 氏 のI車 な説明を 受 け な か ら、 一 御 遇官 の度 に これ みんな 作 列 参 拝 を しま し た. ︵ 前も ってバ ス内 で学 習を した千本電木 に ついて翌 日参 キす る● り 替 え る んだ ︱す し いな ぁ﹂、 実 際 の電 木 を 見 て 一こんな に大 き いんだ ︱ 一とκ きを 官と の違 いを キ観す るよう洸 明がな されま した ● 外 官 神 楽 殿 で の参 拝 では御 神 楽 と 需楽 が奉奏 さ れ 雅楽 の幽玄 な響き に= 妙 な面持ち で見入 って いま した が 長時 間 の した . かせ て いた らしくすぐ した.途 中円 のサ ービ ス エリ アでは カ ツカ レー の昼食 を頂き ました が 子ども達 は早 せ る街並 みと参 拝客 の賑 わ いの中 子供 た おかげ積 町 へ移 動 書 のお伊勢参 りを 思わ も う 一つ の 日 王 名古 屋市科 学館 へ、 こ の旅 行 の こ の後 一行 は 隠 せ な い で いま 正座 で足を しび らせ て退 出時 には や っと上 朝 の出 発 でお腹 を ち が引率神職等 と共 に買 い物 や散 策 に楽 し る椅 子 にか け て す 。 仰向 け に座 ち■ が る児童 も多 く見 られま した.続 いて に完 食 を し 、 早 め,の出 発 時 間 と な りま し た。 いひとときを 過ごしま した. 夕食後 は、広報 室ル員 尾崎氏 によ る熱心 な講話と 人製 具 の説明 神 宮 では毎 日そ の ム見 学 で あ り ま は プ ラ ネタ リ ウ 来 、 日毎 朝 夕 大 御 侵 祭 の時 間 にも 間 に合 人製 具を 使 って火を凱 し神 様 へのお食 事を 午 後 一時 には 外 宮 へ到 着 す る こと が出 い 外宮忌火屋段 の近く で 夕御出を奉抒さ いキユ,. 春分 の日 の翌 日であ る 一日日、早朝 より 県内‘ 地 ︵ 北 信 ”名 東 信 ヽ名 中信 墟 1 名 南 信 17名 ︶を1 1発 した総勢 132名 5 児童 “名 付 添 保護 者 “名 引革 神 職 1 ︵ 名 ︶ 一行 は四台 のバ スで伊勢 路 に向 か いま 事 業 の 一つでありま す。募集案内 広告 に記 前 日は東 日本人震 え により中 さ れた通り 一 、 1 1 ︱と なりま したが 本年度 は開催 のこびと なりま した一 と の事 からも保尊 委員 長始 め 関係 者 にと って感慨深 い旅行 であ ったと思 た。 寝 となりま︱´ 呵 かな儀式を 興味 I 毎 日続く おごそ 'F′ ´ 「 ″ じ 実施 されま した。本年 は 十 七 日を数 え る 督 ま でに至 った青少年対策 推進委員会 の二人 -1 ) (l15サ lli 神 (14) 平成24年 8月 ]日 ては 大変心待 れ参加者 にと っ ても 丁寧 にや って いて、私も 巫女 舞 などま ハー モ ニー でした。 一人 の時もあ れば 二人 の時もあ り、声 の強弱 でこんな に美 しく な 見上げ た館内 はま さ に天体 シ ョー です 。季 います。子供 た るんだ なと 思 いま した。色 々な衣装を 、何 枚 も 重 ね 、 よ く 転 ば な いな あ と 思 いま し ねを し て頑張 つて いき た いです。琴笛 、手 のひらをた た いた よう な音 、声 がき れ いな ち にと って神富 の森蔵 な雰囲気 ではな いかと思 忘 れ見入 って いま した。そ れ以外 の館内 展 示場 では者 の伝 わり方 や人体 の構造 、気 象 に触 れ古代 より た。女 の人は髪 の毛 が、黒 く て長く 、ズ ボ ン のような衣装 を着 て いま した。 二人 一緒 ち にし て いた の の変化 、化学 反応 など様 々な展示を 見学体 験し人満足 の内 に■筆凛楼べ 着きました。 何代も の人 々に 節毎 に移り変 わ る星 の位 置 や星座 の種類 の 解 説を聞き なが ら参加著 一同時 のた つのを こ の度 の長 野県神社 庁親 子参富 団 の事業 は震災 におけ る昨年 一回 の中止 を経 て行 わ よ って守り伝 え られ てき た ﹁ 長きも の﹂を 直 に感 じた こと と 名古 屋市科学館 世界 最大 プ ラネ タリウ ムを見学出 来た こと を合 わせ て良き 思 い出 と し て、 これ からは敬神崇祖 の心を養 つて はし いと感 した次第 であります。 提出された作文を紹介 しますと ﹁ 伊勢 神 宮 にき て思 った こと は自 然 が た く さ んあり 、鳥 のさえ ずり が聞 こえ、と つ ても素敵 な場所 だ った こと です 。道 の周り に生え て いる お祓 いに つかう榊 が美 しく 育 てら れ て いま し た。 ︵ 略 ︶外 官 には ﹁ 豊 受 人 神 官 ﹂と いう 正 し い名 前 が あ りま す 。 天 照 大 神 様 の食 事 のた め にま つら れま し た。今 では、私 たち が生き て行 く には欠 か せ な い ﹁衣 食 住 ﹂ を 大 切 に守 って 下 さ って いま す 。 見 学 し てみ て 一番 心 に残 り 、感 動 したと こ ろは、神 楽殿と いう と こ ろです 。 一歩 入 ると木 の いいにお いが しま した。舞 を舞 ったり、 一つ 一つの動き をと ) (115サ り ‖ 神 {15) 平成2年 8月 1日 略 ︶伊勢 た。 一つ 一つ勉 強 になりました。 ︵ る作 物 や調味 神様 に奉 納す と がわかりま した。伊 勢神 守 って いる こ 神 官 は内官 と外官 と いう 二 つの大き な社を は じめ、 一四 の別宮、百九 の摂社 の 一二五 料 の塩など自 に舞 う 時 は 、鋭 に映 って いた か のよう に、 び っため 一緒 で学 ぶ点 がたく さ んあり ま し 社 により出来 て いる ことを 本当 に初 め て知 ︲︲︲︲コ ´ ることは、と ﹁ ても大切なことだと思いました。そうやっ 分達 の手 で作 官 の敷 地 で 、 り驚き ま した。社 には捨 が つかわれ て いる そう です。火も マ ッチ ヤライ ターを 使わず し っか り と 伝 統 を受 け 継 ぎ 目然 を 大 切 に て頑張 って協 力 し て作 った作物 を 三六 五日 雨風 の日も 一日も欠 か さず神様 にお供え し 式年 遷 て いるそう です。 二十年 に 一度 の ﹁ 官 ﹂ では神様 の住 ま いを新 しく し い つま で も瑞 々しく私 たち を守 って下さるよう にと いう意味 の ﹁ 常若 ﹂ の気持 ちを こめ てやる 式年遷 そ う です 。 来 年 は 第 六 十 二回 の ﹁ 宮﹂ が行 わ れ るそう です。ち な みに神様 の お供え物 は 、火を通 したり ふかしたりす る ﹁ 檜 ﹂ の板 を こす り合 わ せ火 を皿 しま す神 で世 田谷区分位だそう です。江戸時代は国 そう です 。 そ の火 は ﹁やま び わ ﹂ の芯 と 官 の人 た ち は 火 を 鑽 る と いう そう で す 。 ぐ いん、 ぐ いん﹂ と 、も のす ご い音 を 立 ﹁ て てまわり ま した。 や った人が いるけど結 民 の五人 に 一人がお伊勢参り に行 ったこと があ ったそう です。私達はこの伊勢神宮と いう 日本人 の心 のふるさとを大切 にし、毎 日裕福 に過ごせることを心 の底 から感謝し ︱ て いく ことが私達 日本人 の︱ ︱来ることだと 思 いました。日頃から出来 ることを少しず 世界平和﹂が つや って いけば天皇 の願う ﹁ 構 難 しそう でした。 でもだ んだ ん出来 るよ 方 々は 自 然を大 切 に守 り、神 々 のことを し っかりと 守 ってく れ て いるんだ な ︱と 思 小五 女子︶ 守られると思 います。 ︵ う に な る そう です 。 伊 勢 神 官 に お務 め の いま した。伊勢神宮 の敷 地は約 二千 五百静 目烈諄ぐ任命 された神磯を紹介 します 新 任 神 磯 の 横 顔 東京 から 戻り 大好き な神社 ︵ 御 ■ 石神 社︶を毎朝参拝させて頂 いておりました事 この度、平成 二十 四年 四月 一日付を以 て 御座石神社権禰宜を拝命致しました。 ∩ ふ 晰 膨 摯歳 す。 至ら ぬ所 が多 々あり ますが 今後 とも ご 指導 、 ご鞭撻 のだ宜 しくお願 い申 し上げま 神明奉仕 に努 め て いきた いと思 います。 そ のな か で神 職 と し て経 験 を 大 切 にし て、神 社 の伝 統 歴史 祭 を伝 え て いきヽ 女 の方 々と 関わり、地域 の拠と な れ るよう な神社 にし て いき た い思 います。 ム ヘルパー や保育 士、幼稚 園教諭等 の資格 を取得 しま した.神 社 に参 年 に来 た老若 男 国子 院大學 を卒 業 の後 、専 円学校 でホー ま した 。 この度、青木諏訪神社 の欄iを拝命致し 畿 怠 鶉℃十 (115号 ) 州I 神 (16) 1'よ 24年 8月 ]口 でご縁を頂き 、ご奉仕 さ せ て頂く事 になり ま した。神 職と し てはど れをと つても未熟 まだ まだ知 識 や経験 が少 な く 皆 様 には 何 かと ご迷 惑を お掛 けす ることと存 じます た事 を大変嬉 しく思 います。 した。 しかしなが ら 二人と 同じ立場 にな っ でありま す。誠 の心 で神 明奉 仕を致 し 日 々 精 進 し て参 ります ので、何 かとご迷惑 を お が、誠心誠昔 奉仕 に努 め てま いり た いと 思 います。 ご指導 の程宜 しく お願 い中 し上げ こ の度 、鳩 ヶ嶺 八幡官 の権 欄■ に任命 し て頂き 身 の引き締ま る思 いで います。 だきました。 て、仁科神社 初宜 、兼 て仁科神 明宮権 禰■ を 拝命 し人 北支 部 の末 席 に加え させ て いた こ の度 、 平 成 二十 四年 四月 一日付 け に ます。 私 は、 二年間 の通信教育 に て権正 階 の資 格を 取得 し、神 職と し て 一歩を 踏 み出 した 三十九歳 権禰宣 掛 けす る事 と は存 じます が、御指導 御 鞭撻 の程、宜 しくお願 い中し上げます。 銀野 一 鬱岬 松 井 隼人 一 千歳 仁科神社 禰宜 ば かり です。 まだ 二十歳 、人生経験 も少 なく半 人前 で 未熟 な点も多 々あ ると 思 いま すが、神官 研 飯伊支部 今 の初心を忘 れず 、感 謝 の気持 ちを大 切 にし て神 明本 社 に励 んで いき た いと思 いま 大 北支 部 す。 おります。 と の交流も大 切 にし、色 々な方 から神 職と し て信 用し て頂け る様 に努 めた いと 思 って 神明奉仕 に励 みなが ら神職 の方 々や氏子 頂けたらと願 っております。 い処 は先輩 神載 の方 々より ご指導 ご鞭撻を 修所 で 二十 問学 んだ事を 無駄 にせず、自 ら を磨 いて行き た いと思 います。ま た至 らな 一 7 一歳 どう ぞ■ しくお願 い致します。 山越 桃 穂 大同神社 権禰宜 南安曇支部 幼 いころより祖 父、母 の奉職 す る姿を 見 て育 ってきま した。 これま では見 て いるだ けだ った世界 に 一歩 足を 踏 み入れ、神 職と し て の責任 の責 さ、厳 しさを実感 いた しま 品薔 誦鱚絣 議 神 職 に成 る べく国學 院大學 で講習会を受 講 し て いた時 には、自 分 の心 の中 の神道 で あり神社 でした。宮 司と成り神社 は伝続 や 立 てる 一員と な れる様 先輩神職 の皆様 の御 指 導 御 鞭 撻 の程 宜 し く お願 い申 し 上 げ ま す。 塞 〓熟 量 8 曾 ︶ 宮司 山田 充春 造営費 五千万円 大正 二年 に建設された旧社務所は約百年 社務所改築 この度、栄村 に御鎮座致します北野神社 の永 い歳 月を経 て老朽化 が著 しく、過去、 何かあればそ の都度補修 工事などを行 って どう にか維持をしてきましたが、最早改修 薇軍 薇薔由 一 二十 二歳 北野神社 権禰宜 飯水支部 の権禰宜を拝命 し、身 の引き締まる思 いで あります。昨年 二月十 二日に起きました北 部大震災 では北野神社をはじめ、十四社も 工事 では補えな い程 に建物自体 の耐久力 が なくな ってしま い、この度、鉄骨 で社務所 地域社会 の心 の要と し て の、重大 さを感 じ 神社が被災しました。神社本庁より義援金 を 賜り、 現在復 興 に向 け 頑張 つており ま 神 道 や神 社 が内包 す る、 日本 人 の魂 や伝統 解決 でき な い問題かも知 れま せ ん。 しかし 現代 の社 会 は様 々な問 題があ り、混迷 を 極 め て います 。 これ らは神道 の力 のみでは て います。 す。これからも地元氏子 の皆様方と共 に手 人で建設委員会を組織 し、約 二年間に亘り 毎月委員会を開催しては準備をしました。 により光 が見え ると考えます 。 こ のため神 一 T一 ・ 晟 賛 を し て頂 く らず 高 額 な奉 時 代 にも 関 わ の理 解 を お 願 いし 、 不 況 の く訪 ね 、事 業 の氏 子 を 隈 な 委 員 は六 百 戸 遂行 しようと 、 を携え て、神社 の使命 であ る祭祀 の厳修と 神賑わ いの行事 であ る神楽を中心 に神社複 興 への礎とし ていきた いと思 います。今後 道 の高 揚 神 社 の興 隆 に邁 進 す る覚 悟 で 武 井紀 浩 燿・ ィ ″ 一 . 氏 神 様 の事 は 氏 子 の力 で 滅 ― で とも皆様方 の暖 か い御指導御鞭撻 の程よ ろ しくお願 い申し上げます。 を建 て管 える事 にしました。 新旧, 氏子総代と氏子町会 の代表計五十 三 す。 > 禰 宜 ヽ 一 構 岬 螂 蜻 t 部 この度、平成 二十四年 一月 一日付けにて 白髯神社禰宜を拝命致 しました。 四年 間、国學院大学神道文化学部 にて、 神道 や神社 の基礎知識を学 んでま いりまし たが、まだまだ神職としての教養 や経験が 不足であ ると、日々痛感しております。 未一 熟者 でござ いますが、これからも学 ぶ 気持を忘 れず、 一日も早く神社界 のお役 に 「■‐ (l15') 州I 神 (17) 平成24年 8月 1日 (115,) 州 神 8,11 11(]8) 24`「 1′ 1戊 こと が出来ま した。 上げます。 の“ いだ った鳥 居 の完成を 心より感謝 中 し 名 が晴 れ の栄 に浴 した。 功労者と し て神 職 役員 給代等 二百七十 平 成 二十 三年度 功 績 表 彰 本県 では次 の大名 が栄誉を受けた。 宮司 官 岡普 一 士=呂神社宮司 越志 徳 円 長池水 原神社宮 司 水庫 信弥 七久 ■神社宮司 近藤 政彰 表彰規 程第 二条第 一一 号 穂高訃社宮司 小+ 弘起 表彰規程第 二条第 一号 朽化 が世だ しく積 雪強風 により倒 壊 の恐れ 既存 の鳥 居は建立後 五卜余年 を経 て、老 鳥居改築 造営費 〓 官百弐拾 万円 ●瑞穂神社 ︵ 上水内部信濃町ナ奮 子平岡鎮座 ︶ 本年 二月末 予定述り 功し 四月 一日 に 四月 ニト九 日 の例祭 引き 渡 し式 が行 わ れ , に合 わせ竣功報 告祭を斎行 し、投げ 餅行事 など で、集ま った大 勢 の氏 ■ にお祝 いし て きました。 , 宮司 角 田朝壽 ●諏訪神社 会メ 曇野市穂高有明鎮座︶ 鳥 居改築 造営費 一 7百弐拾 万円 て建 立 す る こと があ るた め に、 四月 の析 年 奈 に合 わ せ て、 氏 ■崇 敬者 の募 財 により材質を御影 石 にし 当 神 社 は 氏 十 数 一七 六 戸 の小集 落 です 御息神社役員 浦伴 英 一 健御名方富^ ■彦神 別神社役員 表彰規 程第 二条第 二号 た. 十 月 の例 祭 に せ て本 告 祭 を決定しまし , 鎮 の俵 を 執 と地 が、本 殴r殴神楽 殴社 務所を有 し 建物 は いず れも 明治大 正 にかけ て建 てら れ老朽 化 が進 ん で いるか 年 々打 々小修 理 に努 め護 上村 カ の新 嘗 祭 に清 祓 いと 竣 工本 告 祭 り 行 い 十 一月 理 が記録 さ れ て いま す.本製 の為 劣化 が著 しく 建 設委 員会 を 組織 し協 議 し た結 果 、 を致しま した。 神社木 庁表彰人 が 記念館 で行われた. 本 仕 神 社 の施 設 経 営 に尽力 した 功労 者 敬神 の念 が厚く多 年 神社 の経 営 に協力 した , のも と、東京 の明治 神 社本庁 総裁 が御 臨席 月 二十 三日池 田厚 子 持 し ております。今 回 の鳥居 は明治十 一年 ︵一三 三年前 ︶ に建 立 さ れ こ の間 二 日 の修 御 影 石製 と し 一 [さ幅 土^ に これ ︰ ︲ ま で の鳥 ︱ ,と 同 様 四F x四P と し 、 社 号 額 は地 元 立 足 区 の普 家 ︵中 村 竹 十 氏 ︶ に依 頼 し て、 平 成 二十 三年 十 一 月 に完 成 。 長年 松塩筑 上本内 松 本神社 兼 き 司 福 澤 義則 〓 川 真 雄 小 野 原 明 遠 山 一二 原 溢 福 澤 義則 小 松 宏昌 二 十五 五 十五 一十 一︱三 十 +五 喰 ユ 松塩 筑 借生 諏 訪 取 伊 本務替 辞職 肯 方神 社 輌 鱚 籠尚 絆 ■ 亘 兼 宮 司代務者 褥 官司 退職 人幡社 塑E 一 甥 杢 誠訪神 社 四〓 一 十 更 級 上水内 一 五 十四 松井 一 ■[ 一■ 三 十 官 川 直 機 北佐久 諏 ,訪 三浦 平 八 一 一一 一一 一 一一■ 那 愴 エ 四〓 一 十 五 +四 二 十四 鈴木 帯昌 一 一二尤 福浬 一 崖 孝 [ 杏 曼饉 諏訪神社 ︵ 塩尻市︶欅 二本 角 佐市 渡邊 武彦 長 野県拌社庁長 感謝ザ 参拾万円以上寄附 飯伊支部 ] [ 郊戸八幡宮 ︵ 飯田市︶ 参道改修に多額 の浄財 支部名 神社名 て感謝 の意を表します。 ︵ 鎮座地 授与 の理由 氏名︶ 敬称略 各神社から の申詣 により、下記金品 の寄 附者に対し感謝状が授与されました。 赤誠 の真心を奉納 いただ いた皆様 に改 め 人 騰■r■ 同量 オ 大 更 仰射 社 春 ス ニ座 兼 宮 司 本 ‘ 司 本 宮 司 原 雄一 龍渥 i 高 習言司 八燿 社 奸 両 社 読壁訪社 廣 =社 八幡言 五社 稲荷社 鋼社 籠神 社 熊 野社 白 山社 浅間塞 最 ■ 年 人置 飯燿 籠両 苺社 熊 野神社 昇任 [2足い 舌 田大 “ 量 富 鳩ヶ櫛人幡官 岡 な柿 社 諏 訪社 理i 権 神宜 星景 1 辞 今 II ●澤 正 廣 大塚 利彦 滝 和人 口円 円 口 日 間 団 門園 日 日 国 円 M 幽 昇鑢一神馨 身分 二級上 官司 言司 諏 訪神 社 八幡社 ●下 俊樹 上伊 那 更 級 上 那 , 長 野 新任 自編 ■ 権理 ユ ■ 御 座 石神 社 番 鳩ヶ嶺人幡富 経 官司 花畑 量彦 四二 上水内 , 高 山 広光 徳 不ロ ■足他命捕社 Л訪社合殴 官司 宮司 2賑 茜ネ 原 澄 遼 山 景 二 小● 宏昌 官川 直武 E 撞 悸貨 若 一王 子 神 社 中山 竜 一 官 澤 悛穂 宮 川 良准 意 和 JL 級 級 査 凛 豊 城 良 治 兼 Ж 来 官 官 司 司 寝 ● チ 昇級 神職身分 二級 世 〓丼 神社 熊野= 人蛭〓 官司 一 押i 番 官司 兼 宮司 省 ´ , 禰宣 ■ 神亘 〓司 種 級 人幡● 社 官司社 八幡■ ︵ 手し 諏 訪社 片倉大伯神社 仁 科 格 ■ ζこ 理社 人幡社 ︵ 官県︶ 駒 形前 齢 ‘ 万 刀 美 神 社, 鳩 ヶ樹人 幡 言 小池 神 社 南方神社 袢 口梓 社 諏 訪神社 治 同神社 北 野神社 更 野 ロ 菅 上 四 四 醤宮司 宮 司 更 幸 諏訪神 社 神社 鳥 安 居 藤 脅 長 飯 木 1ヒ ,ヒ 讐沓 人 上 飯 更 涯 人 沓 水 級 久 山 武 越 丼 五 ■ 四 四 四 十 十 五 五 四 四 五 五 五 秋 穂 矢 首 諏訪社 津島社 合 殿 , 継 松 井 水 丼 本 蒙 本 = 理 [ 理 木 横 ti F 社 n■ 社 天 満 官 ノ 1● 人 口 ヽ 輌 仁 曽 │し 1と 大 Jヒ │ │ │ │ 大 大 飯 , 笑 広 光 四 四 四 五 Ji 奎 重 松 丼 兼 兼 兼 兼 兼 兼 兼 高 山 官 司 官 権 司 響 結 霜 社 i 慰 燿 茉 諏 諏 山 (115=) 州 神 (19) 平成2年 8月 1口 平成24年 3月 1日 神 (21) 州 (115号 ) 平成24年 度長野県神社庁歳入歳出予算書 歳入の部 款 (単 科 予 日 l 幣 高 性 餞 科 2 交 ● 3 負 4 協 財 算 額 3 αЮ 11年 度予算額 0 知 △ mp" lω 21,α Ю 1025∞ `Ю Ю∞ 718p∞ 担 全 2● QαЮ 330毬 即 0 △ l帖 5∞ 贅 金 0∞ 5鰤 mo 産 収 ユ αЮ 入 l“ 0 補 7 各 種 証 lll 14 10m 2● ● 8 諸 2椰 10" 34",つ0 25∞ 0 , 管 理 贅 収 入 610つ ∞ 6m `Ю olo 10,● 金 助 入 " △ ∞ p" nm 支部負担金 神社長担全 神攪負担金 ,附 金 神社本庁より参事給与補ll全 神職任命 登録料 承認料 各種手数料 証明科 階位授与交付金 0 賽物収入 雑収入 △Юつ∞ 庁舎管理責収入 関係団体管理責1又 入 10 過 年 度 収 入 2Ю Ю∞ 2∞ mo 0 11 繰 越 金 1,212Ю 00 10121い0 う00 計 167mЮ ∞ 1"5∞ ∞0 '0∞ 81① つ00 前年度予算額 比較 増 減 △ 合 ) 財産利 子配 当 金 0 △枷 t:円 明 ■庁交付金 ∞p∞ 特別椰贅金 特別寄贈全 `Ю lamo 6 説 神 社 本 lrよ り 金 60・ ll記 比 較増 減 △ 歳出の部 款 費 予 目 l 神官神徳宣掲費女付金 2 幣 吊 常 瞑 料 3 算 額 l10 7晃 441 `剛 ,獅 Ю00 “82500m 5601α Ю 附 支部を通して各祥社へ △219330 費 務 贅 ψ ■SЮ つ00 l・ ● ¨0 41112(枷 5 負 担 金 4101616 8195%4 △∝ 6 事 贅 211“ β∞ 19167鰤 198● β “30 7 研 8 庁 舎 維 持 費 ll∞ mo l力 0い 9 交 付 金 3■ ∞ ,Ю 0 3■ 10 積 立 金 41ⅨЮ 11 補 助 金 12 予 備 贅 10Ю ■ 384 3● 46016 6549“ 8 計 167“ ∞ mO l"mQα Ю 8100∞ O 所 妻 OX 獅 0 `Ю mmo 1015mO イ1事 費 儀札責 役員剛 , =会 諸給与及び福利厚生費 需要費 8 イ 1社 本庁べ mQα Ю 去 斑I貫 樹 質 11発 1贅 神社,│,茉 1 1員 研ヽ贅 東II県 電合芸質 その他 `訂 0 ll社 “ FT研 修所費 △ 40∞ O 1,繕 費 設備寮 火災彙険費 OQ¨ 4`Ю △昴 団 体X10円 △ ll① 003 役損監事会費 篠議員会賣 正劇,長 会贅 責部長舎贅 姜員会責 事ド担当 賣 そ,t 議 庁 業 明 0 刷豪l"刷 │■ 本お 業務神11 献幣使参向神ll 幣露‖←嵯神t 献常使 籠員掟棄ヽ 4 修 i説 (神 徳責揚費△6■ 0"円 0 11戦 会交● 全 総代 会交付 金 Q卿 災言慰若特 ,1会 計交■ 全 0 饉本全積立奎 役鵜 退畷薇立奎 五県連合絶会薇立金 神埴昴鶴資金摯立金 その他 50α Ю 0 時局対策策 平成24年 度長野県神社庁災害救助慰藉特別会計歳入歳出予算書 (単 位 :Fl) 誠入の部 科 本年度予算額 前年度予算額 比較増減△ 日 1 負 担 全 2 繰 入 金 mαx 3詢 Ю∝ Ю O圃 moЮ ∝ oβ lm lu 附 記 0 支部負担全 0 神社庁 本 け 見 舞 全 4 雑 収 入 繰 越 金 lm2い lttЮ ∞ 0 計 5β 54⑩ ユよヽЮlt lα Ю 本● 3 説 明 ネ 轍 掛今 裕代会 神職推隆 積立金 l⑩ 0 雑収人 1つ ∞ 記 出の部 費 本年度予算籠 前年度予算領 比較増減△ 日 1 災 害 u諸 費 3郷 0¨ 30“ Ю∝ 2 │1聡 掛 全 215Qα Ю 21mっ ∝ 3 本庁災害慰諸費 5aα Ю 4 運 合 営 0 神駐撃1今 慣立金 sux 費 6QαЮ ∞ ,"( 計 5 54α Ю 53800〔 附 ・● 説 明 10Ю 神社災音慰薔費 ネ 111櫨 代慰稽費 神職災吉賊落費 神職掛全支仏金 0 災害対策資金 事務 費 llⅨ Ю 旅費 雑責 魯 高 澁 宮 司 平 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1″ vn″ hoozuki co ip/ : 第 二部 田〈 026)244023訓 ● 回 (026)2440210 文 化財 指一 奏 例 に学 ぶ /信 州 の神 社 ^ 定︶ / 書籍林 ぇ 公 社 ヽ夕はおずき 第 二部 お問い合わせは発行所まで 日 本 へ/ 古 社 寺 巡 り の ヒ ン ト 1946年 山梨県山梨市生まれ.横 浜国立大学卒業後 長野県高等学校教輸.lB当 教科は建築.長 野工業高校 上国千曲高校 中野立志館高校にtL● .2010年 3月 退職。現在は 長野工業高校非常勤講師. 須坂市翅 ヒ財害議委員 千山市翅 ヒ財審議委員 長野 市伝統環境審議会会長. 社寺建築 1罐等に関する著書多数。 蟻 神 紋 の実 例 /白 象 と環 / 奈 長時 代 に犀 は 匠 の知 恵 / 匠 の 技 量 /匠 の 感 性 ︵ セ ン ス ︶/ 崚 著者紹介 〒∞l 第 口ぶ のに の技 と 心 (オ ールカラー) =ソ 格/A4判 300頁 =規 価 /3,150円 =定 行/ほ おずき書籍欄 =発 書 光 〓本 堂 再 建 量 夫 の 謎 と ロ マ ン / 日 本 フトカバー !I