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セッション: クロスボーダートレイル

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セッション: クロスボーダートレイル
セッション: クロスボーダートレイル
ケース 1: アパラチア・トレイル(米国)
アパラチア·トレイル保存委員会(ATC)はボランティアを基盤にした民間非営利団体として、メイン州
からジョージア州まで 24 州にまたがる 25 万エーカーのグリーンウェイ インのアパラチアナショナル景
観探訪路 2,181 マイルの保存に専念しています。以前の名前は、アパラチア·トレイル会議であった ATC
は 80 年の歴史を持つ組織で、そのルーツは、ハイカー、森林管理人と公務員の集まりであった最初のア
パラチア·トレイル「会議」を 1925 年にワシントン DC で開催、組織した Benton MacKaye のビジョンで
す。ATC は今日では、国立公園アパラチア·トレイル事務局、米国森林局、31 のメンテナンスクラブ、複
数の他のパートナーとの協力関係を通じて、一般市民が米国のこの重要な資源保存に参加するようにし
ています。
A.T.のアイデアは、造園建築士であった Benton MacKaye (1879-1973)が考えました。 1921 年、彼の
最初の「地域保全計画プロジェクト」は、アパラチア山脈の作業キャンプと共同体のネットワークを作
り、ニューイングランドの最高峰から南部の最高峰に至るトレイルをすべてつなごうという提案でした。
彼はこれをアパラチア·トレイルと呼びました。 MacKaye は東海岸沿岸の都市化と工業化の速度が人々に
危害を及ぼすだろうと確信していました。そこで彼は、A.T.が計画された荒野のコミュニティが点在す
る一つの道を視覚化し、人々がこのコミュニティで休養できるだろうと考えました。彼の考えのうち、
アパラチア山脈に 2,000 マイルのトレイルを作るというアイデアは、メイン州からジョージア州に至る
までハイカーや自然愛好家たちの想像力に火をつけました。インスピレーションを受けた彼らはトレイ
ルを建設し始めました。
A.T.の最初の時期である 1925 - 1937 年は、トレイルの建設と開拓に焦点を当てていました。 2 期の
1938 - 1949 年には、トレイルのメンテナンスクラブが発足し、ATC の発展、休憩所の建設やトレイルが
通過することになる何百マイルもの私有財産を超えて道を開く作業が継続されました。A.T.の発展の重
要な分岐点は 1949 から 19681 年の間、A. T.が米国初の国立景観探訪路の一つに指定されるように米国
議会を相手に行ったロビー活動でした。
国家トレイルシステム法
議会は 1968 年、国家トレイルシステム法(NTSA)を通過させ、アパラチア·トレイルを米国初の景観探
訪路として公式に指定し、協同的トレイル管理システムの要とされたパートナーシップを奨励しました。
この法律に基づいて、内務省長官は、トレイルの管理および保護に参加する連邦および州の機関を調整
する主務長官になりました。最初の NTSA の意図は、州政府が A.T.トレイルの保護に主導的な役割を果た
すように推奨することでした。多くの州が姉妹「A.T.法案」を採択しましたが、少数の州だけがトレイ
ル隣接地域の購入に積極的な努力をしました。1970 年には、国立公園管理公団、米国森林局と ATC との
間で、1968 年の国家トレイルシステム法に基づく補完協定に従って、公共通路の選定、移転、メンテナ
ンス、開発、土地取得と永続的にトレイルの保護を担当する組織の具体的な所管責任を定めました。公
園管理公団と様々な州間協定も締結され、連邦政府の土地以外の公共の通行路を取得し、保護すること
を推奨しました。
10年間、何の措置も取られませんでしたが、A.T.コミュニティの説得に応じて、議会は1978年に「アパ
ラチア·トレイル法」でNTSAを改正し、NPSに州および国立公園や森林を通らないところでアパラチア·ト
レイル保護のための土地取得プログラムを開始するよう指示しました。当時、2,100マイルのトレイルの
うち600マイル以上が私有地であり、 200マイル以上がハイウェイおよび幹線道路に強制的に編入されま
した。この新しい法律は、隣接地の取得を含むトレイル保護の必要性を強調しており、この目的のため
に$ 9,000万を承認し、レーガン、ブッシュ、クリントン政権を経て、より多くの予算が承認されました。
NPSは1978年以来、永続的なA.T.造成のために10万エーカー以上の土地と地役権の買い入れを計画したト
レイル全長をほぼすべて保護しました。これにより、トレイルの平均幅は約1,000フィートとなり、メイ
ン州からバージニア州に至る75ヶ所以上の他の公有地を共につないでいます。
A.T.のパートナー管理はNTSA7(h)項に明確に推奨されており、条項の一部は次のとおりです。
...長官は連邦政府の管轄区域内外で国家景観探訪路の運用、造成、およびメンテナンスのために州政府
や州の政治的組織、地主、民間企業や個人との協力契約を締結することができる。
2009年3月30日に改正されたNSTAは、NPS国家トレイルシステムのウェブサイトで閲覧することができ
ます。トレイルシステムWebサイト:http://www.nps.gov/ncrc/programs/nts。
州政府の協力契約
連邦政府機関が取得した土地には、トレイル保護および管理に関連した全体的なストーリーはありませ
ん。州政府が重要な役割を果たしており、トレイルクラブ、ATCや地域、州および連邦政府機関との間に
は、地域や州政府レベルの管理役割と責任を明確にするためのいくつかの協約が存在します。
1987年、連邦アパラチア国立景観探訪路諮問会議(別名ANSTAC)で、当事者の代表はトレイル全般に関
する了解覚書(MOU)を締結し、すべての関係者(政府機関、州およびATC)が当時、再発行されたA.T.
総合計画の管理の原則に定義されているトレイルの保護と管理の努力をサポートするようにしました。
特に「ANSTAC協約」は、州政府に対してトレイル管理、訪問者の情報と教育および連携管理システムの
支援に対する州政府の約束を「強化」することを促しました。
ANSTAC協約では、該当州の主なパートナー(トレイルクラブ、協力州機関、ATCとNPS)との間の関係を
追加規定し、該当法律、既存の計画と州政府協約の根拠となる協約を承認し、トレイル問題に関しては、
すべてのパートナーが相互に協議し、これらの州政府所有の土地での管理責任をATCとクラブに委任する
ことを含み、州政府所有のトレイル隣接地区間を保護するための一連の州政府レベルの協約が構想され
ました。これらのプロセスは現在進行中であり、州政府レベルのMOUが14、トレイル関連の州のうち11州
で締結されています。(2013年2月現在)。
国際アパラチア·トレイル
議会が公式に指定したアパラチア国立景観探訪路の一部ではありませんが、国際アパラチア·トレイル
(IAT;フランス語:Sentiers International des Appalaches、SIA)は、メイン州の Mt. Katahdin のア
パラチア·トレイルの北端から New Brunswick を通り、Quebec の Gaspé 半島に達し、その後、橋を渡って
Nova Scotia と Prince Edward Island、次いでフェリー(ferry)に乗って Newfoundland、Belle Isle、
Newfoundland、Labrador のアパラチア山脈の北東端まで続くハイキングトレイルです。追加区間がグレ
ートブリテン内に指定されており、これをヨーロッパと北アフリカに追加拡張しようという案がありま
す。
2008 年、メイン州 Bar Harbour で開かれた第 32 回ニューイングランド知事とカナダ東部の年次首相会議
で、知事と首相は国際アパラチア·トレイルに関する決議 32-6 を可決しました。メイン州、ニューハン
プシャー州、バーモント州、コネチカット州、ロードアイランド州とマサチューセッツ州およびケベッ
ク、New Brunswick、Prince Edward Island、Nova Scotia 州と Newfoundland Labrador は「トレイルが
観光産業に与えるプラスの影響を最大化し、それぞれの管轄地域間に存在する連続性の意識がより一層
促進されるように現在のトレイルを造成し、メンテナンスしている様々な組織との緊密な協力を継続す
る必要がある」と決議案をまとめました。現在、IAT 章典のもと 20 の支部が IAT を広報、サポートして
います。 (参考:http://www.iat-sia.org/index.php?page=chapters)
ケース 2 : トルコ文化コース協会
トルコの新文化コース協会は、トルコの既存の文化コースを持続させ、新しいコース設置を広報し、コ
ース造成に優れた管理基準を設定するために、2012 年 7 月に設立されました。この協会の憲章で定義さ
れているように、文化コースは、歴史的、文化的または自然のテーマを伴う持続可能なコースやコース
の組み合わせです。持続可能性は、私たちのモットーであり、対象コースの対象顧客は、ハイカー、自
転車旅行者や乗馬客です。協会は、都市居住者がますます過去の田舎暮らしから遠ざかっているトルコ
内において、海外の観光客にまだよく知られていないトルコの文化的側面を紹介することで、文化コー
スを文化的理解を深める一つの手段として見なしています。地元の人たちにコース建設に参加してもら
い、コースの利用客にホームステイやペンション宿泊サービスを提供する機会を地元の人に提供するこ
とで、ハイキングコースが通っている地域に恩恵を与えようとしています。
現在、当協会が設立される前に別々に造成された 3 つの国際トレイルを保有しています。すべてハイキ
ングコースですが、長さや複雑さには違いがあります。すべていくつかの国境を通過します。トレイル
の位置と問題点は非常に多様で、トレイル作業グループが従うべき事例がないため、3 つのトレイルを建
設する作業グループの作業方法は異なります。ここでは、トレイル建設アプローチについて 3 つの例を
提示します。
1. スルタンのトレイル
スルタンのトレイルは E8 と Donauweg の一部を利用し、概ね Via Comitis(ローマ人のエルサレ
ムの道)と平行しています。トレイルの全長は約 2100 km です。
現在 Holland にある小規模財団(非営利)が建設、管理しており、寄付者やスポンサーはごく少
数です。トレイルの建設はすべて遠征で行われています。トレイルの建設費用をカバーするため
に、この財団は有料会員をトレイル建設遠征チームに同行させ、これらのトレイルが通る地域を
踏査し、最高のコースを選択します。したがって、トレイルは区間および遠征ごとに建設されて
います。
2. アブラハムの道
AP はアブラハム族長の足跡をたどるため、アブラハムの旅は旧約聖書の始まりであり、今日で
は世界人口の半分以上が共有する精神的、文化的伝統の誕生を意味します。このトレイルは、
(非営利の)富裕な財団が建設、管理しており、多くの寄付者とスポンサーが米国在住です。ト
レイルの建設労働力としては、トレイルが隣接する地域の住民や代理人(有給または一部給料支
給)を利用します。この財団は、英国、ブラジルなど他国に駐在員を置いてトレイル建設スポン
サーの資金を調達しています。
3. Evliya Çelebi は 40 年以上の間、様々な旅行をしたオスマン帝国時代の大旅行家です。彼は旅
行中に見て感じたすべてのことを記録するようにし、放浪生活の記録を 10 巻の大全集である
Seyahatname や旅行記に残しました。このトレイルは現在、トルコにある(非営利)小財団であ
る文化コース協会が建設を始めたばかりで、寄付者とスポンサーはごく少数です。トレイルの建
設労働力はトレイルに隣接して生活しており、トレイルが通る地域に知人がいます。トレイル建
設費に充てるために、この協会は政府や EU の補助金の申請を計画していており、EU はクロスボ
ーダー文化プログラム支援補助金プログラムを実施しています。区間別にトレイルを建設してお
り、現在、トルコの区間は完了し、パンフレットもあります。
欧州会議と拡大部分協約
拡大部分協約は 2010 年デルファイで開かれた会議で、欧州会議の文化および文化自然遺産部が主導した
ため、別名デルファイ協約として知られています。文化コース(特に地中海付近の)を迅速に処理する
ことを望んでいた欧州会議加盟国から会員加入申請が要求されました。
このグループを形成した理由は、文化コース院が主導した欧州会議のコースは 1987 年に最初のコース
(サンティアゴの道)が具体化されて以来、持続可能な観光分野で主導的な役割を果たしていなかった
ためです。欧州会議は、トレイルコースの目的と管理を改善し、社会的便益を拡大(つまり、持続可能
な観光収入の面で)し、地中海地域における各国間の協力を奨励すべきだと考えています。
文化コース協会はすでに文化コース院との関係で非公式にトルコを代表しています。比較選択的なアプ
ローチ方法を勧めはしませんが、貴国に合った作業方法を検討したいと思います。また、貴国がクロス
ボーダートレイルを建設する前の疑問点は何ですか?トレイル建設時に重要な要素は何ですか?
ケース 3: 聖ジェームズの道(サンティアゴの道)
9 世紀に聖ヤコブの墓が確認された結果として始まった聖ジェームズの道は、中世以来のヨーロッパのア
イデンティティを形成する異なる文化の発展において重要な役割を果たしました。
聖ヤコブという人物の信仰心と霊的な信仰の力で始まった聖ジェームズの道は、数世紀の間、それ自体
が西洋の伝統に深く根を下ろした一連の文化的構造を作り出し、今日も霊感や礼賛の源となっています
が、何よりも人間社会の関係を構築する一つの刺激になっています。
長久な歴史を持つ聖ジェームズの道は隆盛した時期もありましたが、巡礼者数が少なかった時もあり
ました。
欧州会議は 1987 年、聖ヤコブの道を最初の文化旅程として宣言しました。この宣言と共に聖ジェーム
ズの道は目覚しく発展し始め、1993 年にユネスコ世界遺産に指定されるなど、一連の世界的な認定を受
けることになりました。サンティアゴ・デ・コンポステーラ市自体も 1985 年にユネスコの世界遺産に指
定されました。これらの認定に続き、2004 年にはコンコード(Concord)に Prince of Asturias 賞が授
与され、1996 年と 2001 年にはサンティアゴ市に Europa Nostra 遺産を称える賞が授与されましたが、こ
れは、旧市街の通りと驚異的な大聖堂の建物の見事ながらも慎重な復旧が認められた結果でした。
聖ジェームズの道は文化観光の分野で世界的に最も優れた例の一つです。このコースは、クリスチャ
ンの使徒ジェームズ長老の遺品が古代ヨーロッパ、世界の西の端であるエルサレムからガリシアに移さ
れたという伝統に由来しています。
ガリシア政府である Xunta de Galicia は聖ジェームズの道を広く知らしめるために強い意志を見せ、
常に 5 つの基礎方針で支えられています。
1 - 物理的なインフラ
2 - 政府と民間社会との関係
3 - 文化
4 - 広報
5 - 聖ジェームズの道をその道が通る地域の社会経済的および社会文化的復活の要素とその支えとして
利用
Xunta de Galicia はガリシア観光庁を通して、文化的な広報実践方針を継続し、聖ジェームズの道を維
持してその価値と文化を拡散させています。
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