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Title Author(s) 『みだれ髪』と宗教的表現 明石, 利代 Editor(s) Citation Issue Date URL 女子大文学. 国文篇. 1984, 35, p.59-77 1984-03-30 http://hdl.handle.net/10466/10567 Rights http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/ ﹃みだれ髪﹄と宗教的表現 与謝野鉄幹の意図により、 ﹁明星﹂の歌風確立となった晶子の処 女歌集﹃みだれ髪﹄中の短歌の表現を一通り見ただけでも、何らか の宗教的用語が多くちりばめられているのに気づく。罪.神.経な どと単純に用いられているそれらの語が、 ﹃みだれ髪﹄を特色づけ 意義づけているものとどのように関わっているかを検討すること は、案外文学意識の問題を含んで重要なのではなかろうか。 開巻二首めに 歌にきけな誰れ野の花に紅き否むおもむきあるかな春罪もつ子 ︵膿脂紫︶ ロ 禾 代 ところで、明治三十四年一月一日付発行の﹁明星﹂第十号に掲げ 五九 ような文句が見出せる。 椿それも梅もさなりき白かりきわが反問はぬ色桃に見る︵全上︶ ︵蓮の花船︶ られた祉友諸人の消息中にある白百合即ち山川登美子の手紙に次の﹁ れ方である。 だが、その意味で直ちに思い浮かぶのは、キリスト無関係での使わ がある。これらに使われている罪の語が恋を意味することは明らか 幸おはせ羽やはらかき鳩とらへ罪だだしたる高き君たち︵全上︶ 罪おほき男こらせと肌きよく黒髪ながくつくられし我れ︵春思︶ へ︵全上︶ そのなさけかけますな君罪の子が狂ひのはてを見むと云ひたま 上︶ むねの清水あふれてつひに濁りけり君も罪の子我も罪の子︵全 ︵はたち妻︶ 痩せにたれかひなもる血ぞ猶わかき罪を泣く子と神よ見ますな 石 入の子にかせしは罪かわがかひな白きは神になどゆつるべき あ とあって、まず目につく罪の語のあるのは、このほかに 明 あはれ罪の子が今ここにおとす涙の一しっく、せめてあつしと ︵略︶ き置くつの、それをそれ小さき声に神よびて、あはれうつくし みおや き星の数はけがせし。.神の罪大きなり、明星の罪大きなり。 ︵略︶罪はとこしへ、ああ何の恨、それともわかぬよわきよわ している一端を挿入の歌に認め得る。 している用語のキリスト教的なものを晶子が汲み取り自らも用語と 的関わりは少ないものの、登美子が自らの心の裡を訴える際に口に く、登美子の内部の苦しみに踏みこんでいないだけに、キリスト教 うか 六〇 御手かし玉ふ君もおはさば。 一方、先にあげた罪の語のある歌の初出は﹁明星﹂の九・十・十 とあるのは、登美子の若狭への帰郷を示す具体性が強いだけではな ︵略︶ 雲は待てり。待てしばし、泣きてもだえむ。 ︵略︶ ている晶子であるのが、同じ処に収められている歌から回せられ との交わりが極めて親密となり、その苦悩をわかちあうまでになっ 一・十二号である。ここに窺える晶子の歌の成立時期には、登美子 しかも、冒頭は﹁イデンの園生に翅ある子の手をとりて花つみたま る。従って、晶子のキリスト教的用語は登美子との交友の深まりが ああ我は罪の子か、わが筆は魔の手なりしか。手をひろげて黒 ふごとき清き君、﹂とあるので、この美文調の手紙の中で登美子の用 内容性をもつようになったのではないのか。もとより、それまでの 晶子にキリスト教的なものへの関心があり、それに暗示を得ての いている罪が、キリスト教での原罪と関わって自身の心の惑いであ るのは、極めて明らかである。そのような登美子の用法を晶子が受 また逢へるやうな逢はれぬやうなプラットホ:ムを、ひとり南 別れ申しき。 ︵略︶ しろ百合の君けふとひ首ひき。あす帰国したまふとなり。いま 晶子の手紙がここにつづけて収められているのに窺える。 更に﹁はたち妻﹂の題下に収められている そのはてにのこるは何と問ふな説くな友よ歌あれ終の十字架 かにキリスト教に由来する語を用いている れ髪﹄中でこの歌と共に﹁春思﹂の題下に収められた、同様に明ら は、既に﹁明星﹂第三号︵三三年六月︶に掲げられている。 ﹃みだ 花にそむきダビデの歌を落せむにはあまりに若き我身とそ思ふ へかへる時の風は寒くおはしき。 何となきただ一ひらの雲に見ぬみちびきさとし聖歌のにほひ けとめていることも、登美子のこの手紙の内容と明らかに関連する 百合の花わざと魔の手にをらせおきてひろひてだかむ神のここ を、先の﹁ダビデの歌﹂と比較すると、キリスト教への理解と共感 聖書だく子人の御親の墓に伏して弥勒の名をば夕に喚びぬ 淵の水になげし聖書を又もひろひ空仰ぎ泣くわれまどひの子 夕ぐれを花にかくるる小狐のにこ毛にひびく北嵯峨の鐘︵はた 語も﹃みだれ髪﹄中に見られるのではないのか。 と、キリスト教から展開して、より直接に聖書からの暗示による用 歌の手に葡萄をぬすむ子の髪のやはらかいかな虹のあさあけ ち妻︶ ﹁明星﹂十一・十三号であるのを考えあわせると、登美子との交友 とを深めての用語となっていると受けとれる。それぞれの初出が そのわかき羊は誰に似たるその瞳の御二野は夕なりし︵はたち ︵全面︶︵初出﹁明星﹂七号、三三年一〇月︶ 水に飢ゑて森にさまよふ小羊のそのまなざしに似たらずや君 脂紫︶︵初出誌不明︶ 春雨にゆふべの宮をまよひ出でし小羊君をのろはしの誤れ︵嚥 から、晶子の ぎごと︶ たいあげていると言える。 に乗せた﹁狐のわざ﹂の構想と表現とに全く負うて二首に分ってう 発となるイメージまた、抑えられてかえって昂ぶる恋心を清娩な韻 歌中に収まるように圧縮した表現と言うべきである。妖艶な官能誘 む子﹂も﹁秋の葡萄の樹の影に/しのびてぬすむつゆのふさ﹂を短 暗示を得たとは一見しただけでも受けとれるが、更に﹁葡萄をぬす にかくるる小狐の/人なきときに夜いでて﹂より想並びに用語上の い。即ち、﹁夕ぐれを花にかくるる小狐の﹂は﹁狐のわざ﹂の﹁庭 ︵春思︶ 妻︶︵初出﹁明星﹂=二号、三四年七月︶ 晶子が早く藤村の﹃若菜集﹄から学ぶ所のあったことは、明治三 が晶子のキリスト教的なものとの関わりを飛躍させたことは疑い得 打ちますにしろがねの鞭うつくしき愚かよ泣くか名にうとき羊 十二年関西青年文学会の堺支会に属し、河井酔茗の選によってその ない。そこで、﹁明星﹂十号掲載の登美子の ︵春思︶︵初出﹁明星﹂一二号、三四年五月︶ 機関誌の﹁よしあし草﹂に載せ始めた新体詩の試みに窺えるが、最 の﹃若菜集﹄中の﹁狐のわざ﹂とのつながりを覚えずにはいられな を、初出を考えあわせてやはり登美子が親しみ口にしているはずの 高学府出身者の文学士による﹁英詩評釈﹂﹁独身評釈﹂を﹁明星﹂に にその適例を認めさせられるが、この二首の場合にはまた島崎藤村 聖書と関わる用語からの刺激によるとみることが出来る。そうなる ⊥公 秋の暮に血の十字架を指すなかれ抱く羊は濫へ帰さじ︵わがね ﹃みだれ髪﹄と宗教的表現 とあるのはまだ表面的だが、次の第八号︵三三年一一月二七日︶の さけにはならひ給ふなと語りし夜よ。 るゲーテの成功を君に祈れど、かしこに出でて後のゲーテーのな 六日、浜寺の松の老木のもとに月を浴びつつ、ワイマルにおけ での会合の一端を綴る晶子の﹁わすれじ﹂との美文中に 第七号︵三三年一〇月一二日︶に載せた、八月の浜寺及び高師の浜 る文学雰囲気への晶子の傾斜陶酔は急速に昂まる。即ち、﹁明星﹂ 三年八月の直接の出会い以後、藤村とも関わる﹁文学界﹂の誘発す 掲げることで自らも泰西の文学を学ぶのに努めていた鉄幹との三十 の中で会得しての藤村の詩への再認識によるイメージの構成という 件の敏の文章を晶子が直接読んだというよりも、﹁明星﹂の雰囲気 をもつに至った時期となってくる。このことの意味するところは、 るようになってきた晶子が﹁明星﹂の社交の中で一段の芸術性充実 と判断される﹁葡萄をぬすむ﹂の歌と共に、鉄幹に全面的に傾倒す であることからは、その熟成度と典拠との関係にほぼ同時期の制作 となっている﹁白虹﹂創刊号に﹁白鶴﹂の題で掲げられた中の一首 が、三十四年六月発行の新詩社胸壁の平塚紫袖・矢橋タ星が編集者 声調﹂中に指摘されている。ところで、﹁花にかくるる小狐﹂の歌 であると、明治二十九年十二月発行の﹁帝国文学﹂の﹁清新の思想 六二 女性のみの﹁素蛾﹂中の晶子の ことである。それは既に、藤村の詩の場合も、キリスト教的なもの とは無関係になってきている点に、﹁明星﹂第十一号︵明治三四年 上田敏の文芸上の主張の彩りで受けいれ、そもそもの素材の拠り所 ージ世界を複雑に構成したものだった。晶子の場合は、それを更に のうたいあげとし、キリスト教的なものを技巧の方法に用いてイメ に材を仰ぎつつ、教義とは全然異なる、抑制しつつ昂あている恋心 ロセッチの詩にのみなれし若き叔母にかたれとせむる舌切雀 になると、十一月九日に帰京する前に鉄幹が晶子・登美子と京都に 一泊したのを契機に成り、﹁文学界﹂に於けるロセッチについての 上田敏の詳細な解説紹介を背景にもつに相違ない。敏の﹁白馬会工 臨﹂がこの号の冒頭にあるのは、この号編集に盛りあがっている鉄 幹の敏への傾倒を裏づけて、また晶子の敏への心酔となっていると 考えられるのである。 いでの刊行によって鉄幹との提携の一層の確立となって﹃みだれ の最も顕著な反映がある。加えて、鉄幹の﹃鉄幹子﹄﹃紫﹄のあいつ 三月二三日︶以来殊に著しくなる﹁明星﹂と敏の文芸理念との関係 受けとめているに違いない敏によって、藤村の﹁狐のわざ﹂が﹃旧 髪﹄刊行が進められつつある状況下で、曽ての登美子との直接の交 さて、鉄幹を介して晶子がその乱れた芸術感覚による批評解説を 約聖書﹄中の﹁雅歌﹂の章句を換骨奪胎して優娩に調べあげたもの に限定されるかのようである。しかし、﹁夜の神の朝のり帰る羊と らへ﹂とか﹁百合ふむ神に乳おほひあへず﹂のような取り合わせに わりの際の登美子の悩みに引かれてのキリスト教への関わりを、新 しい文芸創造の動きからも促されていた晶子の心情が、当然のこと 認められる西洋臭にはギリシャ神話からの幻想がある。そうなる 盤僅の翅あるわらは墜駈くはへ艦麟こぎくるうつくしき川︵春 紫︶ 、 と、晶子はどの程度ギリシャ神話を知り、関心をもっていたか。 わらは いっこまで君は帰るとゆふべ野にわが袖ひきぬ翅ある童︵嚥脂 として恋愛至上への陶酔からキリスト教への関心を無くしていった と言えよう。 そこで、問題となってぐるのが神という語である。﹁白百合﹂中 の﹁魔のわざを神のさだめと眼を閉ぢし友の片手の花あやぶみぬ﹂ は登美子に関連しているだけに、ここでの神をキリスト教での神に へ ﹃みだれ髪﹄中での神の語が、悉く同一の意味内容と言えないこと しての使用のみで採りあげて四十七首にも及ぶ使用となっている 表紙画がキューピッド説話に基づいての青春の情熱認歌を示すもの あるまい。キューピッドとなると、﹃みだれ髪﹄の藤島武二による ヘ ヘ ヘへ に於ける翅ある童がキューピッドのイメ:ジをもつのは言うまでも 思︶ は、一読直ちに受けとれる。それでは、神の含む内容は、キリスト であるのもさることながら、長原止水による、まだ新聞紙型だった 近い意味で晶子が用いているとみて間違いない。しかし、単に語と 教の神に関わるもの以外にどのようなものがあるのか。まず ︵はたち妻︶︵初出﹁明星﹂一一号︶ 恋の神にむくいまつりし今日の歌えにしの神はいつ受けまさむ 花船︶ 恋に病む少女の胸にキュビットのひそかにやどり血やかき乱す 星﹂寄稿者達の間に窺える中に、平忠宣︵神戸︶の詠としての 新の芸術創造に関連して古代ギリシャへの憧憬を含む表現が﹁明 ているのが、キューピッドを思わせる翅ある童である。そして、清 九月一日発行の﹁第三明星﹂としての第三号までの裏表紙画となっ ﹁明星﹂第三・四。五号の表紙画であり、第六号以後から三十五年 とはっきり恋の神としているのがある。これほどの明示ではないも が第六号︵三三年九月一二日︶所収の﹁新詩社詠草﹂門中に見出せ おもざしの似たるにまどひけりたはぶれますよ恋の神々︵蓮の のの、一首の趣意から、一首中の神が恋を司る神と知られるのはか る。ところで、平忠宣は新詩社神戸支部の担い手の一人として、三 ヘ ヘ へ なり多い。それと関連するゐ椿レ分骨の使用ということからは、習 六三 俗的に意識されている神の無雑作な使い方のもとでの恋の意味内容 ﹃みだれ髪﹄と 宗 教 的 表 現 十三年八月の鉄幹の西下を機に、今までの関西青年文学会神戸支会 の一員の関係以上に中山臭庵・晶子らと濃密な文学的交わりを結ぶ に至っている。従って、彼の示している関心は巣庵・晶子らに理解 されたはずである。しかも、﹁明星﹂の傾向を反映している雑誌と しての体裁に直接結びついているから、﹁明星﹂の動きに凡てを賭 けるようになってくる晶子のキューピッド説話への関心の昂まりと なったのに相違ないのを、﹁いっこまで君は帰るとゆふべ野﹂の初 出が第九号︵三三年一二月一二日︶の﹁新詩社詠草﹂欄であるのが 六四 いるのでないのは、更めて言うまでもない。周囲の状況との関係の 中で意識に上るイメージのままに使っているのが、本来の彼女の神 の語と看徹される。従って、登美子と親しく交わっている時には彼 女の神の使用に誘われてキリスト教的な方へ傾斜し、ギリシャ神話 によそえつつイメ⋮ジ展開を図ろうとする傾向が﹁明星﹂中心に社 友達の間で極まってくると、その向きでの内容をもつ神の語の使用 となってくる彼女であるのが、﹁明星﹂掲載の彼女の詠草状況から 辿れるのである。しかも、彼女の意識に於ける本来的の習俗による 神は、最もギリシャ神話の神々に通じるところがら、結局は習俗的 な神の意識を本質として西洋の彩をもたせているのが、その極めて 裏づけている。彼女のにつづく男気雨の詠草中にも せめて君エロスの征矢をうけてみよ倦んぜしこころ力だに得む 多い神の語の使用の実体と言ってよい。 よる恋の子、裸形の子、なにの事はない希臓上代の女神の御姿その について、﹁春の宵を身も心もそぞろに成って、絵の具の香に慕ひ 夜の室に絵具かぎょる懸想の子太古の神に春似たらずや︵春思︶ 至ると、﹁明星﹂十三号初掲で﹃みだれ髪﹄中に収めた たと説いていたが、第十五号︵三四年九月五日︶の﹁歌話︵二︶﹂に いろ変化ある取り合わせとイメージとで歌津に使うのが流行してき の文中でも、晶子・登美子ら諸人の間に十号の頃から神の語をいろ 七月一日︶から始まった﹁鉄幹歌話﹂の解説である。第十三号掲載 このような推測を裏づけているのが、﹁明星﹂第十三号︵三四年 があるだけではなく、第十一号︵三四年三月二三日︶所載の英米短 篇小説紹介の一の深沢亡羊訳の﹁記者の気転︵月下の奇縁︶﹂・甲には ﹁恋の神﹂に﹁キュピド﹂とルビがふられている。そうなると、十 一号初出の﹁恋の神にむくいまつりし﹂の場合、﹁えにしの神﹂と の組み合わせに習俗的意識もありつつギリシャ神話の彩りを以て読 者に享け容れられたに相違なく、それ以後のは全くギリシャ神話の イメージを重ねあわせての恋の神の認識のもとで晶子の使用が享け 容れられるばかりではなく、類するものは、遡っても、晶子自身の 意識を超えてギリシャ神話と結びつけて受けとられたと思える。 尤も、晶子自身も神という語を自らに明確に定義づけて使用して ままである。﹂と、ギリシャ神話と結びつけての連想にもとっくのを つけて虚の世界を構成する意図の一層の昂揚が認められる。しか 連させて引用している神の語使用の歌の場合も、当然ギリシャ神話 と云ふことに表意があるからであらう。﹂としつつ、神と取り合わせ 窪田通治以外の﹁大抵の人の作が厭味に成って居るのは、縁むすび も、それは﹁歌話︵一︶﹂に於て諸人のえにしの神の使い方について ヘ ヘ ヘヘ へ との関わりが鉄幹の意識の裡に在るとは容易に理解できる。初寒誌 明示し、そのように鑑賞されるのを意図している。更に、これと関 不明の ﹁歌話︵三︶﹂では更にそれを強調し、その結びを自身の運動の意図 て裸形をうたい、恋をうたう積極的意義を﹁歌話︵二︶﹂で説き、 みだれごこちまどひごこちぞ頻なる百合ふむ神に乳おほひあへ けとられるのを予期すると言えよう。 持して賜るに、虹の宝冠繊き御手に重く、七色の理路、錘ホとして う。﹁わが恋成りぬ。愛の御神の御贈物を見ずや。銀箭金魚の童神、 ず︵嚥脂紫︶ 次の十六号︵三四年一〇月五日︶の﹁歌話︵三︶﹂でも﹃みだれ 紫の雲に鳴れり。﹂との解説がキューピッドを言いつつ従来の仏像 と在り方との強調とする中で、自身の つ か ひ わ ら は み み て か む なな りいうえうらく 御使の童子の神の御手のたゆげ恋の冠の七色瑳路︵﹁明星﹂十五 髪﹄中の神を詠みこんだ歌を採りあげて、恋の強さを示すための取 のイメージを具体的に連想している点に、鉄幹の意識の動きの実体 が極めて高らかに恋愛認要するものとは説明の必要もない程だが、 り合わせに用いられているのを解説しつつ、初寅誌不明の が充分に読みとれるのである。 号掲載︶ ひとたびは神より更ににほひ高き朝をつつみし練の下襲︵蓮の さて、ここでも明らかなように、自身の恋成就の歓びを高らかに ここで﹁恋﹂を﹁百合ふむ神﹂に喩えたのに対し、﹁夜の室に﹂で 花船︶ 歌の解説に示した鉄幹の﹁鉄幹歌話﹂には極めて個人的な意図が強 を、次のように説くのは、習俗的な神の観念をギリシャの神と結び の場合の神について﹁物置清き朝の世界を命じ給ふ神は、云ふまで く働いているが、その意図として殊に﹃みだれ髪﹄との関わりがあ は﹁春の夜の絵の具﹂に喩えたと記している文脈の・甲で、連想作用. も無く気高い神である﹂と、今までの愛の神・若しくは習俗意識に ろうとは、この﹁歌話﹂の開始がいよいよ﹃みだれ髪﹄が発行され つけることで高い意識に整えようと努めているのを意味していよ よる神と異なる意味づけに、鉄幹の意識にあるギリシャ神話と結び 六五 から﹁みだれごこち﹂の歌もギリシャ神話の世界と重ねあわせて受 ﹃みだれ髪﹄と宗教的表現 る時期となったのを明示し宣伝に努めている﹁明星﹂第十三号に於 をより多くギリシャ神話と結びつけ、ヨーロッパ感覚をもつものと 識を超えて﹃みだれ髪﹄中のかなり雑多な意識を映している神の語 六六 てであるのに容易に溢せられる。その冒頭に、次第に増してきた 鉄幹が進めてきた神の語の意義づけが、﹃みだれ髪﹄批評の一応の て、一応の結びとしているのを抽きだすことができる。このように 今唯一の﹃恋﹄なるを知りぬ。﹂と、恋を西欧的なものへと止揚し 曽て西の詩人に聴けり。われを鞭ちて世に勇ましむるものは、われ りあげ、遂に自身の恋愛成就の歓びの歌の解説に及び、﹁愛の矢は なっているのを説き、以後つづいて神の語を使う彼女の恋の歌を採 文脈になっている。その中で殊に、神の語の使用が社友間の流行に 新な表現と方法とによって他の者の先頭に位置することを明示する それも﹁みだれ髪﹄中に入れているのを予め解説し、彼女の歌が斬 つつ自身の運命に対する思いをうたったものだが、結局は晶子の、 を暗示している。尤も、最初に挙げるのは、篁砕雨の色彩を配列し の用意とを述べ﹂て、自らの運動を進めてゆこうとの決意をもつの か自分等の主張と趣味と、現今の傾向と、創作の上にある騰れ相応 るのを明らかにしているが、そこに自ずと自負も伴うのを認め、﹁柳 上で答えることとしたと、より多くは読者の求めに応じるためであ ると鉄幹が解しているのも明らかである。実際の作品としては﹃み ずに理想を求めつつ漂泊う純な人間のイメージを若い僧に寓せてい である。そして、旅人・美術家との取り合わせから、世俗になじま り、従来の仏教の雰囲気を超えて、若い僧が扱われているとするの に、今までの感覚の働きとの異なりを意味していると思える。つま 旅人・若い美術家に寄せるのと同じ意識で若い僧を扱っている点 にも割合い見出せる。しかし、﹁歌話﹂の示唆するところは、若い 日本の従来の感覚からは必然であり、﹁明星﹂掲載の諸人の詠草中 のことを記している。寺院関係の風情に興趣をそそられることは、 術家などに材を取った歌の多いのは、この作者の一異色だ。﹂と晶子 十五号掲載の﹁歌話︵二︶﹂で鉄幹は、﹁若い旅人、若い僧、若い美 それでは、仏教に関する用語の場合はどうであろうか。﹁明星﹂ しているのに明らかである。 ・恋の勝利のうたいあげに無雑作に罪・神の語を組みあわせて使用 リシャ神話に結びつけ得るものとなっていたことは、官能美の誇示 ト教に関わるものも、晶子及び鉄幹の意識の中では何とはなしにギ されていくのも確かである。ヨーロッパ感覚ということで、キリス 決定版としたはずの文学士なにがし︵上田敏だが︶による﹁みだれ だれ髪﹄中の ﹁明星﹂の短歌への質問の中の有意義なものを一括して﹁明星﹂誌 髪を読む﹂と同じ号に掲げられている次第からは、晶子の実際の意 解説だが、これは鉄幹の理解の深さというよりも、この初巻誌不明 語も穏当である。﹂とほめあげている。惜かにこの通りと受けとれる のも面自いが、一二三の句が尤も修辞の巧みな所だ。そぞろ髪の造 の趣意を解明し、﹁経と云ひ有心者と云うて、僧の字を附けて無い との外に何の希望が有らう。御堂をつつむ春の雲の暖かさ。﹂と、そ そぞろや肩をすべって経の上にゆらぐ黒髪、この少女とこの有心者 を採りあげて、﹁うら若い僧の細やかな肩に碕りそふたよわの人、 船︶ 肩おちて経にゆらぎのそぞろ髪少女有心重言の雲濃き︵蓮の花 あわせると明らかになってくる。 鉄幹と泣董との関係の実際と看徹してよいのが、両者の作品を比べ み、﹁明星﹂による運動の重要な仲間として強く推すというのが、 幹は泣言より学ぶと言うよりも共感しつつ長詩・短歌を作るのに励 在り方への悲憤が形成している詩人的想念でもあった。従って、鉄 しての自負は、また泣董の詩人たる意識・信念と共に時の為政老の るはずである。しかも、もともと鉄幹に在る壮士の気慨と新詩人と して鉄幹の作品に反映し、﹁明星﹂の傾向を形成してゆくものとな 展開のための、このような鉄幹の泣董への親筆傾倒は当然のことと 社結成の時から殊に薄田泣董に働きかけていたが、自らの掲げる運 すると受け取れる。鉄幹が熱い心を寄せる若い詩人と言えば、新詩 この﹁歌話﹂での表現と文脈とから、若い美術家は若い言入を意味 せている心を以て、若い僧を扱う晶子と言えるのである。そして、 の時の鉄幹その人が抱いている芸術観と関連させて若い美術家に寄 からのイメージを展開した故にほかなるまい。観点を変えると、こ 点で作られた歌として、晶子・鉄幹が共有する作歌環境によること ることながら、﹁星﹂と題する泣董の詩篇中の﹁誰れ今自然の力否 得ている。端的に表現の上だけで指摘できるのが、共通する語の使 みけし 用である。有心者・和学・不滅のいのち・御衣等の単語の場合もさ 作晶よりも﹃暮笛集﹄中の詩篇から極めて多くのイメージの根源を と泣董の詩篇との関係は、この時﹁明星﹂等に泣董が掲載している ていると見られる。細かく見ると、﹃みだれ髪﹄中に収めている歌 の作品から自身の情感に訴えるものを抽き出してイメージを展開し 韻とをもつものにしようと努める晶子の場合は、もっと直接に泣董 ところが、鉄幹からの示唆によって自らの歌をより清新の内容と 動の内容を掴むようになっての姿勢を執るに至ってきた﹁明星﹂第 む﹂は明らかに晶子の歌垣の﹁紅き否む﹂という語法を導きだして という事実に配せられる、﹃みだれ髪﹄編集が最終駿階に入った時 八号︵三三年一一月二七日︶の時からは一層明確に泣董との芸術観 いる。晶子の﹁その子二十櫛にながるる黒髪の﹂との表現また、﹃暮 六七 の一致による提携を顕わにしてその作品を掲げる。自らの文学運動 ﹃みだれ髪﹄と宗 教 的 表 現 房さはりて吾胸の 力ある血に気は立ちぬ﹂より得たイメージと語 を手にさぐらせぬ﹂の下の句は、﹃暮笛集﹄中の﹁尼が紅﹂の﹁乳 言うまでもなかろう。﹁春みじかし何に不滅の命ぞとちからある乳 虚構﹄中の﹁髪の毛﹂の﹁黒髪八尺櫛にながる﹂を学んでいるのは 響きよし載するに僧のうらわかき月にくらしの蓮の花船︵駈上︶ 話しろき聖よ見ずやタぐれを民業に立つ春夢見姿︵全上︶ 船︶ 漕ぎかへる夕船おそき僧の君紅蓮や多きしら蓮や多き︵蓮の花 紫︶ 旅のやど水に端居の僧の君をいみじと泣きぬ夏の夜の月︵嚥脂 六八 法と解すべきであるし、﹁春かぜに桜花ちる層塔のゆふべを鳩の羽 ︵はたち妻︶ 経にわかき僧のみこゑの片明り月の長船兄こぎかへる︵上上︶ うらわかき僧よびさます春の窓ふり袖ふれて羨くつれきぬ︵全 に歌そめむ﹂の歌が、﹁燕の賦﹂と題する詩篇中の﹁花散る寺の層 の諸詩篇より学んだと思われる中に、若き旅人・若き詩人への関心 上︶ あまきにがき味うたがひぬ我を見てわかきひじりの流しにし涙 を刺激されたのが窺えるのである。 は、﹃みだれ髪﹄中では客観性の強いものである。それは、彼女の して、とりわけ官能的なイメージと表現とを、晶子が﹃暮喜雨﹄中 ﹁明星﹂等に掲載されつつある泣董の詩篇よりも、﹃暮笛集﹄全 作歌能力の成長を示しているが、彼女の作歌上の飛躍が三十四年に 塔に﹂との表現から展開したイメージに因るのも自明であろう。そ 体が若き旅人・若き詩人そのものとしての泣董自身の思いがうたわ 四年に入ってからであり、﹁明星﹂を中心とする。不明のものも、 入って特に著くなったのは更めて言うまでもない。これらの歌の場 能の動きに自らを賭けてさすらわずにはいられない尼の思いとする それに準じているのは容易に察せられる。そうなると、晶子の若い れていることは、冒頭に﹁詩のなやみ﹂をおき、そこに漂泊の思い ことで、その官能性を一層昂めているが、そこにある性別の相違か 僧への関心は、その作歌上の成長と関連して三十四年に入ってから 合も、現時点で知られる制作年時と初出誌とは後述するように三十 らは、若き僧のイメージとは異なる。それ以外には老僧が点綴され 昂まったと考えられるばかりではなく、﹃紫﹄発行が準備されつつ て乏しい。百五連から成る﹁尼が紅﹂の場合は、電位にかりつつ官 ているにすぎぬ。ところで、若き僧に焦点をあてた晶子の歌として ある事情と関わっていると思える。尤も、﹃紫﹄中に収められた鉄 をも潜ませているのに明らかである。しかし、若き僧の印象は極め の﹃みだれ髪﹄から抽ける先の﹁肩おちて﹂のほかの 中の一首の鉄幹自身の ﹁明星﹂十二号に六号活字による挿入のような体裁で掲げている ないのも明らかである。 若き詩人と通じることの暗示からは、単純に晶子独自とは断言でき 関心は晶子独自に萌したものかと思えるが、先にふれた鉄幹による ずつあるだけである。従って、歌に於ける﹁若き僧﹂そのものへの ︵それも臓を積んだと思わせられる︶とに寄せたのがそれぞれ一首 幹の詠草中に若い僧を詠みこんでいるのは見当らない。老僧と尼 全き虚構の構成に容易になってゆくと思われる。加えて、若き僧と る。単純な讐喩であるだけではなく、それを作品世界に活かしての の関わりから﹁若き僧﹂だけを抽きだしての讐喩の効果を挙げ得 い僧であるのは言わずもがなであろう。それだけに、僧のもつ現実 子になると、本来全くの別世界中の存在として眺めているはずの若 の働きからは虚構化し難い点があったとも察せられるのである。晶 わりをもっところから、厭味になるのは明らかである。彼自身の心 匂わせるものとなってくる。しかし、鉄幹自身が用いると、寺に関 つつ自らの心の裡に描いてゆく幻像に、真実かどうかの判定ぬき いうよりも正しく雛僧であった鉄幹の少年の日の姿を目にしていた で、幻像を描いている時点で知っている鉄幹を結びつけてその過去 詩集手に豆の葉ならす人ふたり紀伊の霞は和泉より濃き うら若い詩人、うら若い女詩人、そして美しい恋人である二人の の姿を喚び起こそうとするのに不思議はない。そこに、﹁若き僧﹂ 可能性のあるのを知るに及んだ晶子であってみれば、実体験を通し 春の旅行。豆の着ならすと云ふ二人の罪のない楽しげな様相が、 が、晶子にとって本来的に別次元の対象として虚像性のものである について、次号から始めたその﹁歌話﹂中に鉄幹は 和泉を経て紀伊の霞へはいったと云ふ、春の暖かな平和な景色と 以上のように辿ってくると、﹁若き僧﹂は﹁若き詩人﹂と全く同 いる所以が看取されるのである。 という二重構造をもちつつ、歌としての作品世界での虚像となって と共に、現在の鉄幹と結びついての過去の像としての虚像でもある 調和して居れば作者は満足である。 と解説し、更に﹁この詩集は藤村君の集でもあらうか。﹂と記して、 ﹁歌話﹂の第一を結んでいる。つまり、彼等は歌に自らを若い詩人 て、﹁歌話﹂でのさりげない示し方で一層確かにしょうと図ったと 今更のように明らかとなり、﹁歌話﹂での鉄幹の解釈説明は最も適 質の晶子の創造意識の現われとして、鉄幹の意識と絡んでいるのが と意味づけて詠みこみ、それを定着させてきているのを、かえっ 考えられるのである。若い詩人に関して、このように考えられる鉄 六九 幹の意図を、同じ扱いである若い僧に及ぼすと、鉄幹のイメージを ﹃みだれ髪﹄と宗教的表現 あまきにがき味うたがひぬ我を見てわかきひじりの流しにし涙 き聖﹂を用いた が﹁明星﹂十二号に掲げられ、﹁若き僧﹂の別の表現としての﹁若 たち妻︶ うらわかき僧よびさます春の窓ふり袖ふれて動くつれきぬ︵は ているものの制作時期を調べてみると、 ﹁若き僧﹂を詠みこんでいる歌として﹃みだれ髪﹄中に収められ れるのである。 創造意識と表現能力との成長経過を探るべき必要があるように思わ されている。だが、それだけではなお不充分と受けとれる、晶子の 虚構化できる晶子の立場にあることも、既に辿ってきたところに示 にして意識されているのは明らかである。その最大の理由が、より いのに対し、﹁若き僧﹂が晶子に限られていることにその機能を異 が鉄幹の歌にも共通していることは﹁歌話﹂の解説を倹つまでもな こととして﹁若き詩人﹂のそれとは異なるはずである。﹁若き詩人﹂ る。従って、﹁若き僧﹂が晶子の歌の中で担っている意義は当然の 用語もまたそれぞれの意味を具えての創造に基づくのを意味してい る。しかし、一首叢々が作品として独立していることは、そこでの 切に晶子の意識を読みとったものにほかならないと言えるのであ わかき子が胸の小琴の音を知るや旅ねの君よたまくらかさむ 鉄幹を対象としているとは容易に受けとれる。 が、その発表の時期と掲載誌との関係から事実的なものに即して、 わが歌に瞳のいろをうるませしその君去りて十日たちにけり 学﹂に掲げたのもある。その中の詩人を暗示している 星﹂に掲げたのがあるだけではなく、三十三年九月発行﹁の関西文 していると見られる。しかし、三十三年十一月・十二月発行の﹁明 れ髪﹄中の歌を見ると、その殆どが﹁若き僧﹂と制作時期を同じに 幹と晶子とが意識していると思える詩人・旅人をとり入れた﹃みだ ﹁歌話﹂での言及の在り方から明らかに﹁若き僧﹂と関連して鉄 ての作歌意識に基づく結果と判断してよい時期に限られている。 れる晶子自身の決意確立後として、鉄幹の﹃紫﹄編集の意図を受け い。しかも、﹃鉄幹子﹄中の﹁小馬食品﹂中の鉄幹との唱和に示さ ている歌はすべて三十四年に入ってからの制作であるのは間違いな 階に近い時点での制作と考えてゆくと、﹁若き僧﹂をイメージとし うな場合は、先に推定したようにやはり﹃みだれ髪﹄編集の最終段 られるまでに何かに掲載公表された形跡はなさそうである。このよ が﹁明星﹂十三号に掲げられている以外には、﹃みだれ髪﹄に収め 額しろき聖よ見ずや夕ぐれを工業に立つ春夢見姿︵蓮の花船︶ が﹁明星﹂十一号に、若きとの言葉の明示はないがそれを匂わせる 七〇 ︵はたち妻︶ も、同じ時期の同じ心の動きからのものとして鉄幹に寄せる思いを の構成の故に、明確に言葉を提示せずに詠みこんでいるのが多いの 人・旅人の場合が何らかの現実との関わりを予想させての歌の世界 のを意味すると受けとれるから、それを探ると、次のように辿るこ ﹁若き僧﹂は、そこに至るまでの彼女の創造意識に変遷推移のある に思える。そこで、﹃みだれ髪﹄中に収められた晶子の歌に於ける 意識がそのような限定使用を求めたのによるのを裏づけているよう と異なり、﹁若き僧﹂を言葉として提示しているのも、晶子自身の うたいあげているのは言うまでもない。こうして、﹃みだれ髪﹄収 載歌中の詩人・旅人をうたうものが、かなり事実関係の中でのとり あげとしてそのよそえ方が直接であるのを含むと知られる。更に検 討を進めてゆくと、数多い詩人・旅人の詠みこみなので、単に鉄幹 をよそえるだけではなく、自身のことを歌い、自身と鉄幹とを意味 しての決意の宣言とみてよいのもある。しかも大体は、三十三年中 られはするが、事実関係の生まなましさを厭わずに歌いあげている 制作と思えるのに、より客観世界中での扱いとなってゆくのが認め 彼女がまだ自身の歌の方向を見定めるには至っていないままに、由 子の﹁うら若き読経の声のきこゆなり一もと桜月にちるいほ﹂は、 三十二年八月発行の﹁よしあし草﹂第十七号に掲げられている晶 とができるのである。 のが後の時期のに存在する。つまり、晶子にとっての詩人は自身を ありげな言葉の浮かびに応じてイメージを作りあげたにすぎず、そ の作歌よりも三十四年も﹃みだれ髪﹄編集の最終段階となった時の も意味して直接に創造意識となっているのであったから、その現実 れているのである。旅人の場合も、旅によって詩嚢を肥やす詩人の 難いのが、ほぼ一年後に﹁よしあし草﹂の後身の﹁関西文学﹂二号 い。言葉としての表現の限りではやはり同様に男女いずれとも定め の形象は空疎だが、その読経の声の主を男性とは限ることが出来な イメージが普遍的に古くからある上に、鉄幹その人の遊説旅行があ 掲載の﹁新星会詠草﹂中の、﹃みだれ髪﹄の﹁蓮の花船﹂に収めた への密着が情熱の昂まりと自覚の明確化とに応じて随時歌に形成さ り、それに伴っての各地の和歌同好者め集いによる歌莚の催しが旅 同じところにあわせ掲げられている故に﹁わかき子の胸の小琴の音 だが、この場合の鮮明な印象集約にこもる感情は、﹁関西文学﹂の をしるや旅ねの君よ手枕かさむ﹂﹁わがうたにひとみの色をうるませ 笛の音に法華経うつす手をとどめひそめし眉よまだうらわかき れに比して、﹁若き僧﹂は、単に言葉の上のみでも、晶子の存在と を意識させているという現実との関わりが、晶子の創造意識の基底 は全く別の対象として極めて明確に限定された意味内容をもつ。詩 七一 にあるのを、歌そのものの世界から明瞭に読みとれるのである。そ ﹃みだれ髪﹂と宗教的表現 中には﹁春思﹂と﹁蓮の花船﹂とに収められたことは、その作歌に いであるのは更めて説くまでもあるまい。この二首も、﹃みだれ髪﹄ しそのきみ去りて十日立ちにけり﹂との若き旅人・詩人に寄せる思 装うたを口ずさみつつ広庭に花束つくる新発意の君 となっているのである。そこにある を意味することになり、方法的に馴れてきた詠み口とて軽やかな調 や した歌ということになる。従って、ここでの君は手紙の宛主の酔茗 七ニ 盛りあがった共通する心の働きが、﹃みだれ髪﹄編集時にもなお晶 の生活とつながっているのとは異なる。つまり、晶子自身から離れ 界をもっている点で、﹁わかき子の﹂﹁わがうたに﹂が晶子自身の心 それにしても、﹁笛の音に法華経うつす﹂は一首としての完結世 換言すると、これの基底には晶子・酔茗に共通する現実体験がある は、﹁新発意の君﹂を酔茗に抵抗なく享け容れさせたに違いない。 りながら、距離を超えて同じ仲間うちの雰囲気の作歌による気違さ 先の歌のように相手に直接贈ったものとは受けとれない。そうであ また同じ創造意識と雰囲気とをもつのは言うまでもないが、これは た客観世界の構成として、イメージの結ばれる原点また晶子の生活 ことにほかならない。それは、堺という町と関わるはずである。 子に意識されている証であるように思える。 では外部に存在すると言えるのである。ところで、これらの歌が 歌稿掲載の際に特にそれぞれが寄せてきた状況を記した酔茗の文章 五日発行の﹁文庫﹂では、同じ﹁星くづ﹂と題する酔茗グループの との関わりを直接的に含んでいるのと同じだが、その後の十二月十 くらむか﹂などは、表現上では既に見てきた﹃みだれ髪﹄中の鉄幹 子のもある。 ﹁うら若き胸あふれ出つる息の香を紅のかをりと君き れ、そこに濃厚に堺の友人との関係が示され、いざや川と名のる晶 井酔茗を中心とする友人関係の詠草が﹁豪くづ﹂と題して掲げら での特殊の場所として晶子に何らかの強い刺激を与えたに違いない されないはずであろう。一方、寺院とのような関係ではないが、堺 のままでは歌の世界に結晶するまでのイメージと感動とが惹き起こ 在しているのを意味する。尤も、あまりにも日常的であるためにそ れ育っている彼等の日常生活の中に極めて自然に寺のある風景が存 多かったかを証するものなのである。このような事実は、堺で生ま の生まれの者があったのは、町の面積と人口との中で如何に寺院が に多い。酔茗・晶子の文学上の友人に河野鉄南・楠丁場といった寺 室町時代以来の都市である堺は、古い町の通性として寺院が非常 中に﹁いさや川の君のは手紙の端に、﹂とあるので、十一月三日号の ものに龍神の遊廓が考えられる。古い堺の町は狭い上に龍神は彼女 ﹁関西文学﹂に掲げられたすぐ後の十一月三日発行の﹁文庫﹂に河 場含も同様と類推できるところがら、晶子の酔茗との交わりで成立 の生家のある甲斐町からは真直ぐ西に行って徒歩十分以内の距離と は、地図を検するだけでも知られる。もとより、彼女の生活とは全 く別世界なのだが、﹃源氏物語﹄の世界にイメージを求めての作歌 たのではなかろうか。三十二年後半から三十三年にかけての﹁よし あし草﹂掲載の彼女の習作的なものにそのような心情の動きを検す ることができる。さて、﹃源氏物語﹄の世界は現実の風土として京 つらかりし高師の浜の松原の暁月夜忘らるべしゃ︵﹁よしあし しき夕﹂と前書しての なってしまった地であるための単に現実に生きるだ・けの卑しさが因 .於て共通する。ただ堺のは、文化的に、そして活力の点でも片隅と は、晶子がその生活の中で受けとめている堺の印象の一端と本質に とより旅人の視点にほかならないが 、寺院と祇園である。これ 都と結びつく。ところで、現実の京都の最も目につく印象は一も 草﹂二四号、三三年三月︶ にまじって﹁松の露やら泪やらと横町を誰やらのうたひゆく声かな 裏町や行方も見えぬ蚊遣火の煙の中に三味の音ぞする︵﹁関西 襲となっているのに対し、京都にあっては千年の王城の地としての 七三 その止揚が三十三年八月の鉄幹との出あいにつづく十一月の京都 ことを証している。 は、晶子に於ける作歌の成長が酔茗との関わりにも負う一面のある なったと思える。これらがいずれも酔茗との関係での作歌であるの し高師の浜﹂や﹁裏町や﹂の歌となり﹁能うたを口ずさみつつ﹂と ージ形成の原点である堺を見る目を養われ、先に挙げた﹁つらかり とする新星会員として作歌を重ねてゆくうちに、晶子は自身のイメ たのも、極めて明らかな事実であろう。それにしても、酔茗を中心 う京都を自らの中に意識するのは、鉄幹との関わりによってであっ のとなっている点で大きな相違がある。尤も、晶子が現実のそうい 環境のもとで洗練に洗練が重ねられハ日本の文化の精粋と関わるも 文学﹂一号、三三年八月︶ があることに、甲斐町とは土居の名残の内川を隔て龍神橋を渡った 処が彼女の意識に捉えられている反映を認めさせられる。但し、堺 の町全体が晶子にとっては身近のなまなましさの故にかえって厭わ しい面があったはずであり、その家の事情・人間関係も絡んで、堺 からの脱皮を図ろうとする心が彼女に萌すのに不思議はないが、殊 にかなり近距離の遊廓の存在に普通の家庭に育った若い女性として の潔癖感・厭悪感が複雑に作用する心情があったに違いない。 .そのような心情が、堺の町の旦那衆の附に当然あった風雅の遊び ・教養と関連しつつ、何らかのエリート意識も働いて、﹁文学界﹂ を中心とする運動によって昂められてきた芸術至上的な考えへの彼 女の共感を誘い、﹃源氏物語﹄の世界に理想境を求めさせるに至っ ﹃みだれ髪﹄と宗教的表現 だけではない、鉄幹と関わっているとはいうものの、晶子の堺での ようになってくると共に、京都もはっきりうたわれるに至る。それ るところである。その結果、彼女の歌が明確な形象の形成を見せる 行で成されたことは、﹁明星﹂八号掲載の晶子の美文及び詠の証す 話﹂中に鉄幹の暗に説くところである。一方、晶子が自ら生活して 心を結びつけてその芸術を成さしめていることは、先にふれた﹁歌 菜集﹄とするのではないが、藤村の詩集が詩人である鉄幹・晶子の かれた想念とイメージとを基底にもつのは疑えない。しかも、﹃若 よって想の展開となっているのは明らかなので、﹃若菜集﹄より導 七四 生活に関係するものが対象化されるに至っているのにあわせて、寺 いる堺の風土での対象としての新発意の認識は、晶子の心の中に少 の因襲が狭い世界に寺と遊廓とを含んでよどんでいる堺の生活が存 反映となっていると言える。晶子自身の現実意識には、古い町ゆえ 晶子に受けとめさせ、その結果の最も素直な晶子自身の現実意識の れを存在せしめている空間としての堺を虚と実との関わりのもとで のも明らかである。観点を変えると、それは時間の流れを含み、そ ところで、この場合は晶子の心の反応に於て堺との結びつきが強い 発意と鉄幹との結びつきは幻にすぎない晶子の認識の実体がある。 ら、晶子自身の体験としては実際の記憶がないはずである点に、新 年の日の鉄幹の姿としても描かれるものであった。そうでありなが 院のある風景がうたわれ、﹁明星﹂十号掲載の﹁舞姫﹂十九首とな っている。このような在りようからは、彼女の作歌の成長が京都を 形象化するに至った意識によって遂げられたが、その本質にある現 実関係は堺での彼女の生活関係であり、そのことを彼女自身も認識 するに至っていると堕せられるのである。その認識の焦点に位置す るのは鉄幹その人にほかならない。しかし、自らの心の中を明確に 対象世界として形象化し得るようになった晶子にとって、自覚以前 の現実関係の中で既に客観対象であった寺及び僧と結びつく鉄幹の 一面は、最も抵抗なく虚構中の対象に作りあげられるものだったに へ 相違ない。そして、人を示している点で、殊に最も鉄幹に仮せられ その上で、平めて﹁若き僧﹂にこもる内容としての具体像に及ぶ くとは容易に評せられる。 で明らかになる、泣董の作詩の方法と表現との摂取の、﹁明星﹂に ことになった芸術についての彼女の自覚が、﹁明星﹂を検すること 方法的変化にみられる晶子の作歌の成長となってきた時に作用する 在するのは言うまでもない。そのような、ある意味での対象把握の と、その前段階でのイメージである﹁あまきにがき味﹂の﹁わかき よる新詩運動の中核となってきているのによっても促されている結 る﹁若き僧﹂が、晶子の歌の世界及び作歌の要の役割を果たしてゆ ひじり﹂が表現から藤村の﹃若菜集﹄中の﹁おった﹂よりの暗示に ﹃みだれ髪﹄中の仏教に縁ある用語の歌の初出は、﹁明星﹂十一 らかなように、晶子の鉄幹と関わる現実体験と思いとの反映の 号が割合多い。それらを検討すると、﹁はたち妻﹂に収めたのに明 果の反映が、用語としての新発意・有心者となっているのでもあ る。そして、自覚は彼女の今までの作歌の在り方への反省を促して の花船﹂︶ まどひなくて経ずする我と見たまふか下品の仏上品の仏︵﹁蓮 を、更に一ひねりして御堂内の仏像を直接の主対象に客観化の 経はにがし春のゆふべを奥の院の二十五菩薩歌うけたまへ 愛感情の表白である、﹁嚥脂紫﹂に収めた し得たのに相違ないもの、仏の教えに反言し芸術認歌にみせての恋 ︵﹁蓮の花船﹂に混む︶としての自らと関係する景の把握から展開 は、﹁道たまたま蓮月が庵のあとに出でぬ梅に相行く西の京の山﹂ は訪はざりし 紅梅にそぞろゆきたる京の山叔︵十一号では伯︶母の即すむ寺 成になっている があるかと思えば、﹁はたち妻﹂に収めつつ、現実を超えた幻想構 聖書だく子人の御親の墓に伏して弥勒の名をば夕に喚びぬ 対象のより客観化を導きだし、用語のそのための昇華を意識するに 至るはずであろう。では、その用語は何か。 それは、﹁若き僧﹂に他ならぬ。そこで、この語には、晶子の作 歌上の成長過程が、自身の存在の原点への自覚と反省とを伴いつ つ、より広汎な文学運動の中での芸術自覚を跳躍台に形成されるに 至った、確かな存在性を有しながら自己の現実を超えた具体像のあ ることが、今更のように確認できるのである。しかも、既にふれた ように詩人。旅人を用いている意識と関連するのであるから、詩入 ・旅人の語が晶子の感情生活と直接結びついてその現実に密着して いるのと異なり、晶子の現実を超えた具体像である点に、詩人・旅 人のもつ本質の昇華でもある意義が認められるのである。従って、 ﹁若き僧﹂を詠みこんでいる歌が、恋愛感情を基底に蔵めて、晶子 の受けとめ生活している堺での現実を含み反映した上での、憧憬と しての虚の造型である故に、艶美の情緒を濃厚な絵画性に止揚して 方法を芸術自覚のもとで模索し試みつつ、﹁若き僧﹂ への昇華に象 とあるのに、複雑に外界に対応する自らの心の動きを歌としてゆく 徴される作歌姿勢の会得を既に含むに至っているのが読みとれるの もつに至っているのでもある。こうして、仏教に縁のある語として の﹁若き僧﹂が、﹃みだれ髪﹄世界の表現の方法上の頂きにあるの 七五 である。換言すると、﹁若き僧﹂ への昇華は、その基盤に働く心の が明らかとなってくると、関連する仏教用語はまた、如何なる意義 を担うのであろうか。 ﹃みだれ髪﹄と 宗 教 的 表 現 動きの種々相の一端を、寺院なり仏像なりの客観化にこめてゆくの を同時に導きだしているのである。従って、﹁明星﹂十二・十三号 に載せて﹃みだれ髪﹄中に収めたそれらが、﹁若き僧﹂の場合と同 様に明確な形象化をもつのにあわせて、艶な情緒を濃厚に漂わせる 中﹂か。 七六 と記しておられる。字句の関係もあわせて槌かに、﹁江南春﹂と題 し﹃唐詩選﹄巻之一に収められているこの七言絶句から得たヒント によっての想の展開に相違ない。しかし更に、それに加えて、彼女 ところで、﹁四十八寺﹂の世界と表現とについて新間進一氏が、 いったのではなかろうか。 と、対象を完全に客観化しつつ更めて自らの心を入れたものとして ︵同上︶ 庫裏の藤に春ゆく宵のものぐるひ御母のいのちうつつをかしき ぬ︵﹁春思﹂︶ わかき子のこがれよりしは墾のにほひ美妙の御避けふ身にしみ ︵﹁嚥脂紫﹂︶ 御酔いとどしたしみやすきなつかしき若葉木立の中の盧遮那仏 となる一方で、 春かぜに桜花ちる層塔のゆふべを鳩の羽に歌そめむ︵同上︶ 花船﹂︶ 四十八寺そのひと寺の鐘なりぬ塗し江の北雨雲ひくき︵﹁蓮の の中に再構成されるに至ったのと全く同じ関係なのである。 の﹃暮笛集﹄が、鉄幹の創造精神を介することによって晶子の創造 髪﹄中の他の歌の検討に際し確認できた、藤村の﹃若菜集﹄・泣董 妥当なのではなかろうか。それは、同時期の制作と思える﹃みだれ 共通の思い出につながって、晶子の作歌に強く作用したとみるのが に潜む意欲とイメージとを、殊に地勢的に堺と関わる場合には両者 な鉄幹の文学教養に﹃唐詩選﹄習得のあるはずのことが、晶子の裡 漢詩文の素養があったかどうかよりも、少年時の漢詩制作に明らか 幹が関わっているとみてよいのではなかろうか。この時期の晶子に る。そして、晶子と杜牧之のこの﹁江南春﹂との出あいにやはり鉄 せて虚としての景の展開と受けとめとなったものと思えるのであ 動きに天候の移りを判断する、そのような自然な慣習を基底に含ま に触れたが、大和川の北にひろがる大阪を望む堺では北の空の雲の な形象となったと言えるのではなかろうか。堺に寺の多いことは既 が生活的に把握している堺そのものの反映でもある故に極めて明確 春秋社版の﹃与謝野晶子選集﹄中の﹁みだれ髪﹄の歌の注に於て、 そうなると、字句と想との関係から﹃若菜集﹄﹃暮笛集﹄中に典 のは当然として、方法の昇華も図られ、 この歌の典拠には、杜牧之の﹁南朝四百八十寺、多少楼台煙雨 対象を景として収め得た沈潜度の深いものである点に、本質的につ 上の印象では、仏教に関わる用語の歌が最も感情の昂ぶりを抑えて 髪﹄のまとめとなっていることでもある。それでいて、単なる表現 に﹂等に於ける方法意識と通じているのも明らかとなる。更に、こ ながっている彼女に於ける堺がその意識に顕在化しないばかりか、 拠と暗示とを得たに相違ない﹁わかき子の﹂﹁庫裏の藤に﹂﹁春かぜ れらの初出等から判断される制作時期の﹃みだれ髪﹄編集の最終時 七七 ︵本学教授︶ 熟考し、大幅に論旨の過程を改めたものである。 付記 本稿は昭和五十七年五月の第一回白虹忌での講演を骨子に のではなかろうか。 も堺に基盤をもつ﹃みだれ髪﹄の本質を意味していると結論できる 方法の昇華の軸となったのであると共に、彼女の生涯の歌集中で最 意識ではかえって心置している反映がある。しかし、その故にこそ 期に近いらしいことが、一層彼女の至り得るようになってきた創造 の在り方を裏づけてもいる。それは、鉄幹その人が﹁明星﹂による 運動の内容充実に努めてきている経過と﹁歌話﹂での解説にこめて いる目標とする新しい歌の具現となっているのを示すものでもあ る。 以上のように辿り検討してくると、聖書・キリスト教に関係する 用語によるもの、神の語を用いたもの、仏教に関連する用語のもの いずれの場合も、そこには晶子の自覚に伴う方法の進展が﹁明星﹂ の内容と伴ってその制作時期に明示されるに至っているが、中で最 も中軸の意義を担って歌入としての晶子の成長を跡づけると共に規 ってきたのである。それはまた、一応三つに分けて採りあげた何ら 制しているのが、仏教的なものとの関わりでもあるのが明らかとな かの宗教性をもつ語の使用は、ある時期急激に昂まった晶子その人 の恋愛感情とそれによる人間関係をなまなましく含みつつ、本源的﹁ には彼女の全存在と関わり、仏教的な用語の中で顕著に昇華されて いった対象の把握と表現とに至る方法が、聖書・キリスト教及び単 に神の語による場合の凡てに及んで相互に関連し、最終の﹃みだれ ﹃みだれ髪﹄と宗教的表現