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田中 洋 NY 日記 2003 年 4 月~12 月 2003.5.15~6.04 NY

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田中 洋 NY 日記 2003 年 4 月~12 月 2003.5.15~6.04 NY
田中 洋 NY 日記 2003 年 4 月~12 月
2003.5.15~6.04 NYマンハッタンの歩き方
マンハッタンは大体碁盤の目のような街のつくりになっているので、コツさえつかめば初心者にも
わかりやすくなっています。大雑把に言えば、タテに走っているのが一番からX版まであるアベニ
ュー、ヨコに走っているのが、Streetです。有名な 5 番街というのは、まあ日本で言えば銀座みた
いな存在に近いのですが、5 番街が基点となって水平に走るストリートに西(左)と東(右)にそれ
ぞれストリートの番号が若い順に始まります。
NY 通を気取りたい場合は、横に走っているストリート=XX 丁目が大体どのあたりかを覚えてお
くと急に NY 通の感じに見えてきます。日本企業が集中しているミッドタウン=マンハッタンの真ん
中あたりで、セントラルパークのすぐ南、が31~59丁目あたりですので、「うちの会社は 50 丁目
あたりですよ」といわれたら「ミッドタウンですね」と切り返すと NY 通に見えます。グリニッジビレッジ
はその南の 10~14 丁目、芸術家のロフトで知られるソーホーやトライベッカはさらにその南でこの
あたりはもう数字の丁目はありません。9.11の WTC があった辺りと金融で知られるウォールスト
リートはマンハッタンの一番南です。
また地下鉄の駅はマンハッタンの中心部では駅が XX 丁目となっています。
逆に私の通うコロンビア大学は116丁目ですので、ずいぶん北ということがわかるでしょう。ハ
ーレムは125丁目あたりで、コロンビアとはすぐ近くになります。ハーレムは先にも書きましたが、
ずいぶんきれいになり、前大統領クリントンがオフィスを構えたのもハーレムです。再開発が NY 市
当局の手で進められています。危険なのはハーレムの東にあるイーストハーレムといわれていま
す。
マンハッタンの会社などを訪ねるときは、事前に地図で大体どのあたりにあるかを調べておきま
す。また先に言ったように碁盤の目になっているので、タテのアベニューと横の丁目を聞いておくと
わかりやすくなります。「40 丁目と 5 番街の角の北東です」と聞いておけば地図のうえですぐにわ
かります。
ただし最近はビルに入るとき、身分証明を求められることが多いので、入り口でガードマンに呼
び止められたとき、うろたえないように用意しておくことが必要です。自分が何階のなんと言うオフ
ィスに行き、誰に会うのか、などを言えるようにしておかないといけません。また写真つき ID(Photo
ID)を求められることも少なくありません。ただしビルによってセキュリティの厳しいところとそうでな
いところとが差があります。厳しいところですと、会う人が一階に迎えに来てもらわないとダメという
ところもあります。ですから日本のように気楽にふらっと知り合いの会社に行くということがしにくい
のです。
ついでにトイレのことを書きます。日本と違って町に行くとトイレに困ることがあります。このため
には、あらかじめ街のどこに使えるトイレがあるかを知っておくと役に立ちます。最近ではスターバ
ックスがあちこちにあるので、コーヒーを飲むかあるいは飲まないでトイレだけ借りることもできなく
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はないですね。ミッドタウンのグランドセントラル駅は荘厳な建物なのですが、なぜかトイレが私の
しっている限りは地下に2箇所しかありません。それを知っていないと駅ならトイレすぐあるだろ
う・・・と考えていると困ることになります。なんせわかりやすくトイレの場所が書いてないですから
ね。ミッドタウンで快適なトイレはグランドセントラル駅の横にあるグランドハイヤットホテルのトイレ
です。
日本の受け止められ方(2003.5.15記)
日本のプレゼンス・・・アメリカ人には日本への関心があるかどうか、といえば、一般的にはあま
りあるとはいえないだろう。しかし別の意味では日本は日常化している。それを挙げるなら、車・
IT/家電製品(もっともこれらは 80 年代からある現象だが、これらに加えて、日本料理(特にスシ)、
オタク文化、だろう。
スシは完全にアメリカ市民のなかに入り込んでいる。箸を使いこなすことなど当たり前で、NY タ
イムスにはどこのスシシェフが優秀かグルメ評論家のコメントが掲載される。
オタク文化といえば、4 月に村上隆のアニメ少女の立像が 50 万ドルでクリスティーズのオークシ
ョン売れたニュースが先ごろあったが、日本文化を代表するものはいまやこのオタク文化であると
いっても過言ではないだろう。NY の日本書店にはオタクを愛するアメリカ人の若者がマンガを座り
読みしている。
コロンビア大学のビジネススクールには日本経済経営研究所があります。日本経営や日本経
済がアメリカで問題にされてきた 1980 年代にできたものですが、ここには日本の金融機関などか
ら派遣された人たちが来ています。しかし日本企業が注目されることはやはり実感としても減って
きていると思います。先日、マーケティンググループの「キャンプ」でコロンビアの先生の一人から
言われたことは、「なぜ日本企業はマーケティング部門を置いていないのか?」という質問でした。
確かに日本企業の多くではまだマーケティングという名称や明確な機能が無いところが多いので
す。マーケティングはそういう企業では営業部門によって担われています。そうした説明をしたの
ですが、その先生には伝わっているかどうか? 日本企業がマーケティングに目覚めるのはまだ
時間がかかるのでしょうか。
いろんな手続き・・・アメリカのサービスの実際(2003.5.15~6.04)
クレジットカードの取得の仕方:こちらのカードはすぐに使うことができなくて、郵便で送ってきた
カードをアクティベーションする(使える状態にする)ために電話して、1)カードのナンバー、2)
SSN を入れて、さらにコールセンターの人と話して、3)「自分の母親の結婚前の名前」を言わされ
ます。それから、4)今アクティベート(使えるように)したいか?と聞かれます。(そのために電話し
てるんだから当たり前ではないか!、と思うのですが)、それから、カードに貼られているスティッカ
ーをはがして、やっと使える状態になるわけです。
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でもこのおかげで、米国でつくったカードが入手できたことになります(米国で作ったカードでな
いと、ネット販売のときなど、断られることがあります。お店では日本のカードでも普通は大丈夫で
すが)。しかもこれは自分の銀行以外のカードですので、NY の自動車免許申請するときに別に一
ポイントになります。また使うことで、アメリカの「クレジットヒストリー」ができます。つまりアメリカ社
会で信用を作ることにつながるわけです。
携帯をこちらで入手するのも一苦労あります。日本のようにどこでもすぐに買えて、ほとんど手
続きらしい手続きもいらない、というのは日本だけの常識のようです。アメリカでは、基本的に前に
書いたソーシャルセキュリティナンバーSSN がないと携帯を売ってくれない。またクレジットカードも
必要になります。
携帯を買ったのですが、何を買ったらいいか、いろいろ事前に聞きました。NTT ドコモの NY の人
に聞いたら、最近出た AT&T の Go Phone が良いのでは、とおっしゃるので、それを早速買いに行
きました。広告をやっているので、すぐに入手できるかと思いきや、地元の店でもミッドタウンの店
でもまだ入荷してない、という話。待ったあげく、ミッドタウンの日本人がやっているで購入できた。
しかし問題はそれから。
自宅に帰ってからやたら開けにくいプラスティックの箱をようやく分解?して中身を取り出す。そ
れからわかったことは、電話をしてアクティベーションの手続きをしないと使えない、ということ。自
分の携帯番号が何番かすぐにはわからないということでもあります。・・・いやな予感がする。電話
すると相手はなかなか出ない。少なくとも 10 分くらい待った後でようやくつながる。あらかじめすぐ
に言えるよう、クレジット番号・SSN・自宅住所・電話・それから携帯に書いてある 2 種類の 20 桁と
15 桁!の番号などの情報を紙に書いておく。(数字を英語で長々言わなくてはならないのは苦痛
ですよね)いくつもの番号や名前を相手に言わされたあと、あちらから携帯の新しい電話番号を口
頭!で教えてくれるので、それを一生懸命メモする。後なんに使うかわからない ID 番号を教えてく
れる。それもメモメモ・・・これで終わりかと思ったら、「今サーバーがダウンしているので、後一時
間くらいしたらこちらから電話する。後、なんとかナンバーがあれば使えるようになるから」という。
やれやれまたか・・・と思い、しばらく待つが案の定電話などかかってくるわけがない。そこでこちら
から電話すると今度は電話に相手が出るまで30分も待たされる。(このころまでにはかなり辛抱
強くなっていて、雑誌でも読みながら平気になっている・・・)ようやく出てきた人に私は「もう後少し
のところでアクティベーションできるところなんだ」、と訴える。(最初からやり直しではたまりません
からね)それからようやくいくつかの番号を確認したうえで、ようやく使えるようになった、と先方が
言う。本当かな?と家電からかけてみるとなんとかかかります。よかった・・・。ここまでに何時間無
駄にしたことか。
これだけ書くと日本のほうがいろんなサービスがきめ細かいことはわかると思います。しかしあ
んまりこれだけ読んでアメリカの悪い面だけ見ないで欲しいのです。この点についてはまた別のと
ころで書くつもりです。
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2003.5.26~メモリアルデーの感想
今日5月26日月曜日はメモリアルデーで休日です。メモリアルデーは戦没将兵慰霊の日という
のが趣旨なので、日本で言えば終戦記念日とお盆みたいなものかもしれません。アーリントン国
立墓地からブッシュ大統領がメモリアルデーのイベントで演説している様子を中継しています。今
日は休みなので、自宅で仕事です。5月にしては肌寒い日が続いており、華氏で70度つまり摂氏
21度を切る日がつづいています。昨晩から雨で、日本で言えば、梅雨寒といったところかもしれま
せん。こちらの人に聞くと異常気候だということです。
出版の約束をいくつかしているので、その約束を果たすべくパソコンに向かって仕事をこの数日
間しているのですが、なかなか進みません。先日、コロンビア大学新聞で procrastination という言
葉を見つけました。皆さんの何人かにも経験があるかもしれませんが、試験前や提出しなくてはい
けない仕事があるとき、テレビを見たり関係ない本を読みたくなったりうだうだして先延ばしにする。
そういう状態です。どこにもそういうことがあるんだなと思いました。
先ほどヤンキースとボストンソックスの試合で松井がチャンスでゴロに終わったところを中継し
ていました。松井が出る前にはテレビで前にサヨナラホームランを打ったシーンや外野で好手をし
たときのシーンを放映して期待していたのですが、残念・・・。テレビでは先ほど東北地方の地震を
報道していました。今のところ亡くなった方がいないのが幸いですが。
NYで暮らすということについて今日は書いてみます。9.11のあと、外国人に対する締め付け
はますます厳しくなっているようです。先日運転免許の筆記試験を受けにダウンタウンに行ったの
ですが、そのときに若い日本人の男の子で、PA(コンサートのときの音のコントロール)を商売に
している人に出会いました。彼はニュージャージーのコンピュータ学校に登録して、実はイリーガ
ルに働いているのだそうです。
このような形で例えば語学学校に登録して不法に働くという例はかなりあるようです。当然当局
も摘発を進めて、そのようなことを許す学校(つまり学校に来ていない学生も授業に出席している
かのように装って不法入国者に協力する学校)はだんだん少なくなってきたのだそうです。このた
め不法に滞在したり働いている人は減少しています。
こちらでは、運転免許を持っていることは非常に重要です。NYのマンハッタンは全米でも珍しい
車が無くても生活できる町なのですが、それでも自分のID=自分が何者か証明するために運転
免許が欠かせません。アメリカには住民登録というような制度がないので、免許がそのかわりをし
ているわけです。
しかしこれを取るためにはNYでは、「点数」が必要になります。点数とは自分の住所を証明する
手段のことです。具体的には、パスポートが3点・ソーシャルセキュリティナンバー(SSN)が2点・
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電気ガスなどの自宅宛の請求書が一点・クレジットカードが一点・・・という具合です。免許を取得
するためには6点が求められます。
つまり、パスポートだけでは免許を取得するために十分ではないのです。そこに住んでいること
を証明するために、自宅あてにきた電気などの請求書もひとつの証明になります。また自分の取
引先の銀行以外のアメリカで発行されたクレジットカードも証明になります。
しかしこれらを取るために先に書いたSSNが求められることが多いのですが、現在このSSNを
取得することが米国で働いている以外の人には困難になっています。NYでは原則的にSSNを働
いていない人(つまり税金を納めていない人)には出しません。それで困っているのは学生や駐在
員の奥さんなどです。
私の場合も普通に申請しても出ないはずなのですが、幸い20年前の留学時代にとっていたS
SNを大事に保存しておいたので、それが今回幸いしました。いずれにしても、NYで生活するため
にはいろんなIDが必要になってきて面倒なことは確かです。クレジットカードも日本で発行された
ものは例えば、インターネットで使えないことがあります。アメリカで発行されたカードをもっていて、そ
れを使ってクレジットヒストリーを積み重ねることもこちらで社会的信用を作るうえで必要なことで
す。短期の旅行者にはあまり関係ないことですが。
アメリカのサービスということについて少し書きます。日本ではアメリカのサービス業は進んでい
るとか、日本のサービス業は生産性が低い、という話はよく耳にします。数字の上ではそのとおり
なのでしょうが、実際こちらのサービスというのは日本に比べればサービスなど無いに等しい。
例えば、銀行のATMは日本のと相当違います。お金を引き出すことは何とかできますが、通帳
などはないので、自分の口座にいくら入っているかは現金を引き出したときにチェックしておかな
いといけません。またお金を預けるときも、すぐに自分のお金にならないのです。チェック(小切
手)を書いて銀行に預けるとそれが自分で使えるようになるためには一週間以上かかります。ま
た現金をATMで預けるときは、封筒に現金を入れて機械のなかに投げ込む。それを処理するの
は機械でなくて人間なのです。ですから銀行も間違いが多いといわれています。
銀行カードを受け取ったらまずそれが本当に使えるかどうかチェックしなさい、といわれていま
す。先に日本でATMが止まったり、数字が間違ったというので大騒ぎになったりしますが、こちら
ではそのようなことはよくあるらしいので、大騒ぎになったりしないようです。
大体、あの小切手という制度が日本人にはなじみにくいものです。小切手(チェック)とは銀行の
当座預金から自分のお金を支払う仕組みです。銀行から送ってきた小切手帳をもち、支払うとき
に金額をあて先を書いてサインする。友人への支払いも小切手を使うこともあります。気分的には
なんだかニセ札を書いているような気分になります。
まあ銀行だけではなく、こちらのサービス業というのは、その企業自体は身軽で、お客に負担を
かける仕組みになっているように思えます。日本のサービス業の生産性があがらないのはもっと
もで、何から何までお客のためにやってくれるのが日本のサービスですから。(日本で営業などや
っている人はこのことを痛切に感じているでしょう)
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よく言えば、こちらでは売る側と買う側とが対等か、売る側が強いということになります。日本で
は買う側が強い・・・ということなんでしょうか。ですから日本でアメリカ流の「顧客満足」概念を振り
回す輩を見るとちょっと軽蔑したくなりますが。もっともこちらに長くいるとこんなものと思ってそれ
が気にもならなくなるようです。
ゼミ生のような若い人にしてみれば、なんでも手に入るコンビニがこちらには無いというのは耐
え難いと思いますよ。セブンイレブンは郊外にはありますが、マンハッタンには無いですし、あった
としても日本のようなきめ細かい品揃えなど期待しても無駄ですから。
コロンビア大学は今夏学期なので、それほど学生もおらずひっそりとしています。先週は雨の中、
卒業式がありました。
ビジネススクールのMBAの授業では新製品開発のコウリ先生(インド人)の授業を聴講してい
るのですが、エキサイティングな授業です。電話帳のようなリーディングマテリアルを渡され、そこ
にはさまざまな企業の新製品開発のケースやあるいは理論が並べられていて興味尽きないもの
があります。
そのリーディングを事前に学生が読んできて、授業ではそれを元に討論が行われます。先生が
発言しているときにも、学生はどしどし疑問を発言したり発言します。また先生が疑問を発すると
どしどし手が上がって発言が続きます。
これとは別に博士課程の学生と教員とが行う、マーケティングのセミナーが毎週開かれており、
教員が交代で最近の研究を発表します。先週はまだ若いAndyという教員が消費者行動における
「エージェント」について発表していました。われわれは自分が知らないことを自分のことをよく知る
友人にアドバイスを求めます。例えば、パソコンは何を買ったらいいか、というようなことです。問
題はこのようなエージェントは本当に私のことをどのくらいわかっているか、ということにあります。
結果を単純に言えば、私がその友人と関係が深い(関与が高い)ほど自分の好みを正しく予想す
るだろう、と自分が考える傾向があることが示されます。しかし実際にはその友人は自分のことを
正確には把握していないことも実証的に示されます。つまり人間は自分が深く関与している人間
には over-confidence を抱くというのがひとつの結論です。
こうしたセミナーでも教員から発表中にどんどん疑問点が出されます。発表者の先生も負けず
にすぐに答えやコメントを出します。このあたりのやり取りはまったく機関銃のようです。日本なら
ば発表が終わるまでじっと待っているところですが、こちらでは遠慮はありません。おかしいところ
があればその場で指摘されてしまいます。雰囲気はカジュアルですが、そこには緊張感もありま
す。これがアメリカのアカデミアなんだなといまさらながら実感させられます。
渡米して一ヶ月経ちました。だんだん生活が軌道に乗ってきているのですが、本当にアメリカの
生活になじむのにはいつまでかかるかわかりません。郊外のハリソンに住んでいるのですが、NY
では日本語だけで済ませようとすれば不動産屋から中古車屋、日本食品屋、日本のビデオ屋さん、
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なんでもあって英語を使わなくても生活ができてしまいます。6月にはマクドナルドに勤めるマネー
ジャーと法政から行かれている福田先生に会うため、シカゴを訪問する予定を立てています。
2003.5.27 カジュアル情報篇
先に書いた NY 日記はかなり真面目?なものだったので、今回は追加としてもう少しカジュアルな
情報を書きます。
食べ物
こちらでは私は自炊が主にしているので、それほど外食をしません。ひとりでレストランで食べる
のは苦手なので、どうしても自炊になってしまいます。こちらの日本レストランでは結構ひとりで食
事しているアメリカ人もいることに気づきます(割とそういうことが平気なんですね)。
日本食はこちらでは完全にアメリカ人の生活に入り込んでいて、私のホストプロフェッサーであ
る、ホルブルック先生も週に寿司を2~3 回食べ、毎日寿司でもいい、といっているほどです。(ち
なみに私が若く見えるのは寿司を食べているせいではないか?とホルブルック先生は言うのです
が、私は日本ではそんなに寿司は食べてません。)日本人よりも寿司を NY の人は食べているよう
に私には思えます。ですから箸を使うのがお上手ですね~なんてお世辞はいまやアメリカ人には
通じません。日本の若い人のほうがよほど箸の使い方は下手なのでは?(私も下手ですが)
コロンビア大学のビジネススクールのカフェテリアでも寿司をパックで売っています(そんなにお
いしくないですけど)。ご承知のようにマクドナルドはこちらでも調子が悪く、健康に悪いというイメ
ージが定着してしまっているようです。それで野菜がたっぷり、というベジバーガーを出しているの
ですが、一度だけ食べてみました。しかし野菜はほんの言い訳程度に入っているだけです。
朝の食べ物でアメリカ人の定番のひとつはコーヒー&ドーナッツです。私の使うハリソン駅の近く
にダンキンドーナッツがあり、ときどきそこでドーナッツを買ってから列車に乗ります。ミスタードー
ナッツは日本では成功して、ダンキンは撤退してしまいましたが、NY ではミスドはほとんど見かけ
ません。駅には別にキオスクなどはないのですが、朝だけ車でおじさんがパンやコーヒーを売って
いて、それを朝に買うのは楽しみのひとつです。
自炊など日本ではしたことがなかったのですが、みようみまねでやれば何とかなるということな
んでしょうか。先日はカレーライスを作りました。なんとか自分で作る食事でサバイバルしていま
す。
交通
列車といえば、私の住むハリソンを走っているのはメトロノースという私鉄会社です。当然鉄道と
いう儲からない事業を支えるためにかなりの税金が費やされているものと思われます。NY はアメ
リカにしては珍しく電車が公共交通として発達しています。もちろん日本の比ではありませんが。
乗車賃はマンハッタンまでこの間上がって今は片道6ドルほどです。ただし Peak と Off-Peak の
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2 種類があり、OFF-Peak のほうが安いのです。しかし Peak といっても、日本のように込み合うな
んてことはなく、必ず座れます。日本人の人でひさしぶりに日本に行った人が関西で列車に乗ろう
として駅であまりに込み合っていたので、一本見送ればつぎに空いたのが来るだろうと思ったら次
も込んでいたので、驚いた、といっていました。
メトロノースの駅はほとんど無人同様です。駅で改札などはなくて(もちろん Suica などはな
い!)、車両のなかに車掌さんが乗っていて、彼らが切符をいちいちチェックして廻ります。切符を
出すと席の前に目印のポストイットみたいなものを貼ってくれてこれが切符を点検したというしるし
になります。なかなか手間のかかることをやっているな~という感じがします。もっとも自動機械を
導入するなんて投資はおそらく考えられないのでしょう。
NY の地下鉄は 80 年代ころまでは危険で汚いことで有名でした。しかし前のジリアーニ市長の改
革以来相当きれいになり、安全になりました。(ちなみにこの間ジリアーニ元市長が入院していた
ときの看護婦さんと結婚<再々婚>したので、ニュース種になってました)ただこの間また値上げ
があり、一回が 2 ドルになりました。それまでは 1 ドル半。NY の地下鉄はどこまで乗っても同じ値
段なのです。
入場するとき今は磁気カードを入り口でカードスロットにすべらせて入る仕組み。ただいろんな
人が乗っていますので、慣れていないと緊張します。地下鉄の中で突然乗客が「私はホームレス
なのだが、寄付をしてくれないか!」と叫びだすことはよくあります。そういうとき、ある人は黙り込
み目を瞑り、ある人は寄付をしてあげます。寄付をする人は意外に多く、ひとつの車両でひとりか
ふたりくらいはいます。そういうことがいいのか悪いのかはわかりませんが、そういうことが社会的
に許容されていることは確かです。
また地下鉄の駅の中では、ストリートミュージシャンが音楽を鳴らしています。もちろんタダでして
いるわけではなく、チップを求めているわけです。どのくらい儲かるのはわかりませんが、いずれも
下手ではありません。クラシックからヒップホップまで音楽の種類もさまざまです。こうしたストリー
トミュージシャンはあらかじめオーディションがあり、そこでパスした人だけが地下鉄で演奏するこ
とを認められるのだそうです。
そのほか
松井は健闘しているのですが、このところの不振でマスコミの扱いはかなり厳しいものがありま
す。監督にインタビューして「マツイはどうか?」と聞かれて「彼はまだ新しいので、われわれは辛
抱強くしなければいけない」ということを言うと、キャスターが「われわれはもうそんなに辛抱強くで
きない」というようなことを言ってました。松井だけとりあげるということはそれだけ期待があるとい
うことでもありますが。もっともヤンキース全体の調子が悪いので、オーナー(ジアンビ氏)の機嫌
が悪いのです。しかし松井も同じ NY でがんばってるんだな~と思うと落ち込んだときはそれが励
みになります。
こちらの学生はそれほど携帯電話をもっていません。正確に統計を取っているわけでないので
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すが、キャンパスでも誰も彼も携帯を使っている、というような風景はありません。もちろん近年か
なり普及していることは間違いないのですが、日本のように親指でメールを送ったり、i モードでネ
ットを見るなんてことはまだまだです。一昔前の分厚い携帯を見ることも珍しくありませんし、着信
音は昔の単音のなつかしい?ものですし、画面もまだモノクロで当たり前です。こちらでは AT&T と
いうアメリカでは第三位の携帯会社(20 年前は NTT のような存在)ではドコモの技術を利用して
m-mode というのを出していますが、ほとんど話題にもなっていません。
2003.6.12 アメリカ社会における日本と日本人であること
前にも書きましたが、日本がどう受け止められているかは日本人にとって気になるところだと思
います。昔は「アメリカ人の度肝を抜いた」と自慢げに語られるような「事件」があったりしました(例
えば、アメリカの大学の卒業式に羽織袴で登場してアメリカ人の度肝を抜いたとか・・・)。しかし今
ではそうした考え方はちょっと馬鹿げて見えます。イチローやマツイはアメリカ人の評判は高いの
ですが、彼らはアメリカに来ればアメリカの選手とみなされています。たまたま日本人ぽいところが
あるし、まだまだ日本人は珍しいですから、日本人という扱いをされることもあるのでしょうが、例
えばキューバ人の優秀な選手がいても彼はキューバ系アメリカ人としかみなされないでしょう。(先
日コルクのバットを使って問題になったソーサなどもアメリカ人としてしか遇されていない)
私のホストプロフェッサーのホルブルック先生は、マツイもイチローも絶賛していました。
もっとも例外としてアジア系アメリカ人という言い方で、先日日本人系の陸軍だったかトップの軍
人が退官しましたが、彼はアジア系としてはもっとも高い地位についた、ということで新聞に書か
れていました。ただしそれは例外的なように思います。
マーケティングの分野でも、研究者としてふたりくらい日系の人がいます。ひとりはバージニア
工科大学の Ken Nakamoto 教授で、先日彼がコロンビア大学のマーケティングキャンプに参加し
ていたので、話す機会がありました。彼は消費者行動論の研究者としては良く知られています。三
世でおじいさんが岡山出身なんだそうです。しかし日系だからということがこうした場所では別に
関係ないので、それ以上のことは話しませんでした。Nakamoto 教授は話し方や研究の発表のあ
り方などはまったくアメリカ人なのですが、面白いことに物静かな日本人の(好ましい)特性を備え
ている人のように見えます。韓国人の研究者に話したら、そう思うといっていました。
一週間前に行われた「マーケティングキャンプ」のことはまた別に書くつもりですが、ここではい
わゆるアングロサクソンはまったくの少数派で、アジア系、中東系、インド系、ヨーロッパ系などが
入り乱れていて、外人であることはまったく何の意味もありません。お互いに個人で研究者という
ことです。これがアメリカなんだということをこのキャンプで実感しました。野球のメジャーリーグも
同じことだと思います。
マーケティングサイエンス系の学者で Kamakura 教授という方も名前だけは知っていますが、会
ったことはありません。彼も良く知られた人です。
ちなみに日本在住のマーケティング学者で知られているのは関西学院大学の中西先生で、彼
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はバークレー(カリフォルニア大学)に80年代の初期まで研究者として活躍していたためです。当
時の Cooper との共著論文は古典的です。消費者情報処理の体系をまとめた Bettman も当時バ
ークレーでした。しかしそのほかの日本人学者は残念ながらほとんど知られていません。そのころ
のバークレーは黄金時代だったとやはり当時そこにいた Capon 教授が言っていました。
マンハッタンのミッドタウン、ロックフェラーセンター(冬になると巨大なツリーが飾られたり、スケ
ート場が開設されるので知られています)には日本の紀伊国屋書店があり、かなり大きいので、色
んな本が入手できます。そこのマンガコーナーにはアメリカ人のマンガオタクが来ていて、見てい
ると太っていてめがねをかけて、日本人のオタクと良く似ていて面白いものがあります。これも日
本文化のひとつの受容の仕方なんでしょう。
では日本の社会などはどう受け止められているか。りそな銀行グループに政府が介入して国有
化するということがありましたが、NY タイムスには corporate socialism だと書いてありました。事実
上の国有化ですから「企業社会主義」と受け止められててもしかたのないところがあります。アメリ
カでも金融企業に国が介入することはありうると思うので、これを社会主義と考えるのが正しいか
どうかわかりませんが、しかしアメリカから見ているとジャーナリズム的にはそう書かれてもしょう
がないのでしょう。
日本の商品はどうでしょうか。こちらで日本の商品でもっとも評価が高いのはもちろん車です。ト
ヨタのカムリなどは特に評価が高いもののひとつです。しかしソニーなどはどうでしょうか。もちろ
ん一般的なレベルではそうでないのでしょうが、実際はソニーはゲームの会社であり、映画の会
社であり、マライア・キャリーを抱える音楽会社でもあるわけで、アメリカ人にはそのように徐々に
受け止められているようです。
しかしともすると日本はガジェット(精巧なおもちゃ)を作るのがうまい、と受け止められる傾向も
あります。雑誌の新製品欄などの扱いを見るとそんな雰囲気があります。アメリカの CM を見てい
ても、車を除くと日本企業の CM はそんなに目立っていません。
ちょっとまとまりませんが、日本がどう受け止められているか、またそれをどう考えたらいいか、
についてはまだ決定的なことはいえません。でもそういう意識~日本はどう受け止められているの
か?と気にする傾向~をとりあえず忘れることが大事なんではないかと今は思っています。先に
書いたように MLB や学会ではどこの出身かということは問題にはされず単に力が問題になるだけ
なのです。
2003.6.19 アメリカのサービス・日本のサービス
同じことを何度も書くようですが、こちらに来るとサービスについてはいろいろ考えさせられること
が多くなります。いくつか忘れないうちにメモしておきます。
先日、K さん(こちらに 35 年も住んでアメリカ人のご主人と結婚され、広告ジャーナリストとして
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知られています)にお会いしました。ひさしぶりにいろいろお話したのですが、彼女に言わせるとこ
ちらの生活はなんでも「交渉」であり「戦い」になってしまうのです。そういう生活に慣れた K さんが
日本に帰ると何かにつけて引っかかってしまう、というのです。「なぜそうなの?」ということを言い
過ぎると相手も「なにこのおばさん?」という反応を示してしまう。こちらでは何でもとにかく自分で
交渉して自分で勝ち取る、ということが求められます。
K さんが言っていらしたことですが、夜中にケーブルテレビのインターネットがつながらなくなった
ことがあったのだそうです。そのとき夜中に電話すると確かにオペレーターみたいな人が一人いて、
対応しているのだが、なんせ一人しかいないので、「ちょっと待ってくれ」といいながら、同時に何人
もの電話に出ているらしいのです。
同じようなことは私が携帯を買ったときにも経験しました。AT&T の GO フォンというのをドコモの
人に進められたので、買ったのですが、つなぐまでに相当電話で長い時間がかかった。延々と待
たされたうえに、SSN や住所、買った携帯に書いてある 20 桁・15 桁などのいろんな番号を何度も
言わされ、そのあげくいまサーバーの調子が悪いので、まだアクティベイトすることができない、と
いわれて、また何時間か後に電話して、ようやくつながるようになったことがありました。(このこと
は先に書いた?)
サービスはいまやお客がする時代になってきているという感じです。昔からガソリンスタンドはセ
ルフサービスがふつうでしたが、それがいろんなところに広がっている感じです。スーパーでもお
客が自分で価格のチェックまでするところがあるそうです。
お金を払うということひとつとっても日本とはかなり違います。こちらの有力な支払い手段はチェ
ックです。つまり日本で言う小切手。自分で銀行からもらった小切手帳を持ち歩いて、支払いのと
きにそれを切る。面倒なことは、相手の会社の名前や 110 ドルというときは、One hundred ten &
00/100 と数字を記入しないといけない。
チェックは毎月の電話・ガス・電気・家具などにも支払いの手段として使われます。ビル(請求書)
がくるとその金額をチェックに書いて、郵便で送るのです。そうすると、毎日毎日、何百万通ものチ
ェックが郵便で送られて、それを誰かがチェックしていることになります。確かによく間違いもあるら
しいのですが、いまだにそういうチェックという形式が行われているところがアメリカらしいです。逆
に日本に来たアメリカ人には日本は現金社会だと写るらしく、それが面倒なようです。(もっとも現
在、アメリカでも銀行振り込み、特にインターネットを使ったバンキングサービスが急速に普及しつ
つあります。)
友人同士の支払いにもチェックを使うときがあります。現に私も電通の奥園君にレストラン代を
割り勘にしたとき、チェックで彼に支払ったのですが、なぜか贋金を切っているような気がしました。
現金同様に自分の振り出したお金が流通するわけですからね!
先日、ヤンキースの松井が「我慢しろ」ということを同僚から教わったと朝日のインタビューで言
っていましたが、まさにこちらの生活では我慢することが大事です。
先日、医者で薬の処方箋をもらったので、調合薬局に行き、処方してもらったのですが、こちらで
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は翌日取りに行くことがふつうらしく、「翌日くるか?」と聞かれたので、「急いでいるので、待つ」と
いうと「では、20 分のちに」という具合です。日本ではそれほど待たされたということがありません。
ある日本人の友人のアメリカ人が日本で暑いので、日本の電気屋さんに扇風機を買いに行った
ということです。この扇風機をください、というとなぜか店員が走っていってしまった。「なにか間違
ったことを言ったんだろうか?」と心配して待っていると、店員が走ってその製品を倉庫に取りに行
って戻ってきた、ということです。「私はほとんど泣かんばかりだった」とそのアメリカ人は言ってい
たということです。
アメリカの電器屋さんでは自分で店頭にある製品をもって支払いのコーナーに並び、支払いを済
ませる。そのあと、商品をもって店を出るとき、店員さんに「領収書を見せろ」とチェックされます。
まるでお客を万引き扱いにしているようですが、これがアメリカ流のセキュリティということになりま
す。まあ今では、空港からビルに入るときまで、なにかにつけて ID が要求されますので、誰何され
ることには、いい加減慣れていますが。
しかし何度も言っていますが、アメリカがサービスという面で表面的に遅れているという印象があ
っても、それはやはり表面的なことです。医者を見ていても、私はたまたま耳の調子が悪くなった
ので、最初に日本語の通じる家庭医に行き、それから専門医に見てもらいました。専門医に行くと
さらに、専門の耳の検査をしてくれる機関を紹介してくれて、そこでちゃんと検査してからその結果
で診断をくだす、という仕組みになっていました。
(ちなみに後から聞いた話です。こちらにいる日本人の医師はもちろん優秀な人が多いのです
が、日本人に知られている有名なクリニックは、対応が悪いとか、ちょっと問題がある医師もいると
いうウワサがありますので、そのあたり注意が要ります)
こちらではいろんなことが専門化されているわけです。医学などではこちらのほうがそういう面で
は進んでいます。知り合いの方がバセドウ氏病にかかったとき、やはりこちらではそれだけの専門
の医者が診て、よくなったのだそうです。
それからなにかにつけてそうなのですが、こちらではどうしろ、ということが明確に表示していな
いことが多い。例えばいまコロンビア大学の 116 丁目の駅では延々と地下鉄の工事をやっていて
Uptown 行きの地下鉄はその手前の駅で降りて歩くか、ひとつ先の駅で戻ってくるかしないといけ
ません。車内のアナウンスでは連絡はもちろんあるのですが、そうした連絡がていねいにポスター
になっていることなどない。ですからわからないときは遠慮なく人に聞くという習慣でないといけな
いわけです。また地下鉄の中の地図も最小限という印象がします。東京の地下鉄は NY よりはる
かに複雑ですが、表示は親切です。
また大学などでも、ビジネススクールでのいろいろなお知らせは基本的にインターネットで知らせ
るということになっているので、余計掲示などは少なくなります。
要するに日本流の考え方とは「思いやり」というやつです。相手の立場になって考えましょう、と
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いうのはかなり日本的で、我々は小学生のころからこうした考え方を植えつけられているせいもあ
り(小学校の学級にそういうスローガンが張り出してありませんでしたか?)、ほかの人のことを思
いやるという「能力」を身に着けていますが、こちらの人は必ずしもそうではありません。
しかしそうした思いやりがまったくないか、というとそれも違うところがあります。少なくとも知的な
人々は下手な日本人よりもはるかに他の人を思いやる気持ちが強いように思います。例えばグラ
ンドセントラル駅で駅に入るときのドアを開けたら(ちなみにこちらではタクシーも含めて自動ドアと
いうのにお目にかかったことが無い!)、後の人が来るときにドアを押さえてあげる、ということは
日本ではあまり見られません。
またコミュニティでは、子供を大事にするという考え方も強いので、アメリカが冷たい社会という
見方は間違っています。アメリカはやはり開拓の国から出発しているんだな~と感じさせられるこ
ともあります。
つまり日本人とアメリカ人とでは、サービスでこうされるのが心地よい、という基準が異なる、とい
うことがあるのだと思います。
マクドナルドに行くと、こちらのファーストフードは主にマイノリティの人たちの職場になっています
から、ヒスパニックの人たちなどが店頭に立っていることも多いのです。(そういう安い給料で働く
人たちがアメリカの経済やビジネスを支えている)日本では大学出の人がマックで働いていますか
らね。こちらでは、ナンバー3をミールにして、ケチャップをどうのこうの、コークのサイズはどうのこ
うの、と細かく注文しないといけません。
ついでですが、「持ち帰りか、ここで食べるか?」というのは英語では”To stay or to go?”と聞か
れます。持ち帰りは take out ではなくて、to go です。テイクアウトでも通じますが。こういう言い方
はあまり習ったことがないので、慣れないうちはどぎまぎします。
日本は「相手のことを考えて」あまり何もいわなくてもよいようになっています。どうもアメリカ人
には自分が細かく注文しないと気持ちが悪いということがあるらしい。
いま、アメリカで成功しているエアラインとして、JetBlue という会社があります。NY から西海岸
など限られた国内線を飛ばして、SouthWest も有名ですが、JetBlue はサービスで好評です。私は
乗ったことがないのですが、先日、CBS のダン・ラザーという有名な司会者が 60 ミニッツで JetBlue
の CEO にインタビューしていました。どうも見ていると日本的な馬鹿丁寧なサービスではなくて、ア
メリカ的な親しみのあるサービス(話し方、空港での対応)があるらしい。たとえば、空港に着くとき
に、パイロットが「このエアラインでは経費を安くするために、皆さんの協力を求めます」というアナ
ウンスをして、乗客にごみを拾わせるということです。日本の航空会社のサービスも丁寧で有名な
のですが、それだけでアメリカ人が満足するかというと別の問題です。
2003.6.22コネティカット訪問記~Kさんのお宅を訪ねて
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6 月 21 日土曜日午後からコネティカット州のリッジフィールドにある K さんのレストランと Inn(旅
館)を訪問してきました。K さんという方はアメリカ人と結婚され、アメリカに 35 年在住。業界では知
られた NY をベースとするジャーナリストです。
いっしょに車で同行していただいたのは、電通アメリカ社長の KB さんご夫妻です。KB さんは昔、
電通の先輩で、ネスレやフィリップモリス、日本リーバなどをごいっしょに仕事したことがあります。
60 年代の若いころにカリフォルニアにわたり、苦労してアメリカで勉強された方です。奥様はとても
きれいな方なのですが、BOAC(いまの BA=英国航空)のステュワーデスをしていらしたということ。
(元スッチー!)編み物の達人でもあります。私の家まで迎えにきていただき、レクサスの最高級
車 LS でリッジフィールドに向かいました。レクサスはまったく快適な車で、ほとんど物音がしないく
らい静かで、安定した走りです。
コネティカット州といってもわからない人も多いかもしれません。ニューヨークのマンハッタンから
右上、北西にあたる方向にあります。
(ちなみに、ニューヨークというのは、いわゆるマンハッタン島だけを指すわけではありません。NY
市のなかに、5つのボロー=Borough=行政区があります。それはマンハッタン、クィーンズ、スタ
テンアイランド、ブロンクス、ブルックリン、です・・・「クィズショー」という映画を見ていたら「クィーン
ズはニューヨークじゃない!」とのセリフを言うニューヨーカーが出てきましたが・・・
また NY は州でもあり、私の住んでいるのは、NY 州のウェストチェスター郡(カウンティ)にあるハリ
ソン町(村)です。このあたりはわたしもまだよくわからないのですが、ひとつの町は同時に Town
であり、Village であることがあるのです。私の街はハリソン町でもあり、ハリソン村とも両方なので
す。また、NY 州というのは広くて、北はナイヤガラの滝があるあたり、カナダとの国境まで含みま
す。NY は結局漏斗のように下が細くなった形をしていて、一番下の細くなったところが大雑把に言
うとマンハッタンなのです。ですから NY に住んでいますといっても、いわゆるマンハッタンでない可
能性もあるわけです)
コネティカット州は NY 州のお隣なのですが、すぐコネティカット州に入ったところにあるグリニッジ
という町には日本人学校があり、日本人も多く住んでいます。またそれだけでなく、全米でもお金
持ちの住んでいる地区としてよく知られています。そのあたりにある Wilton という高校は全米でもト
ップの優秀な高校で、そういう学校に子弟を入学させようとしてお金持ちがそういう地区に殺到す
るため、自然に土地の値段もあがり、お金持ちしか住めないような環境になるわけです。アメリカ
の雑誌には全米の高校ランキングというのが毎年掲載されます。私の住んでいるウェストチェスタ
ー・カウンティにもライやハーツデールなどの優秀な教育水準を誇る地区があります。
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その土曜日は(日本の梅雨のような)雨の降るなか、午後 2 時に KB さんの車で自宅からコネティ
カットに向かいました。KB さんの車にはアメリカの車には珍しくカーナビがついています。最初に
行く場所さえ入力しておけば、英語で方向を指示してくれるので、とても便利です。しかしカーナビ
はアメリカではほとんど普及していません。アメリカでは日本の世田谷のような複雑怪奇な道がな
いせいでしょう。
私の家からは 1 時間かからないうちにリッジフィールド到着。まわりは深い森に囲まれたすばら
しい環境です。そこが K さんのご主人がオーナーとして経営するレストラン兼旅館なのです。いっ
たん旅館(もちろんアメリカ式のロッジ)に荷物を入れて、近所に見物に行きました。
行った先は近くの商店街なのですが、商店街といっても中央線の駅前のような雑なものではな
く、洗練された商店が並んでいる成城という感じの街です。そこで Consignment Shop というところ
に入りました。コンサインメントショップというのは日本的に言えば、委託販売の中古道具屋なので
すが、そのあたりに住んでいる人が自分の家財道具が不要になったとき、その店に委託して家具
などを売るという仕組みです。しかしお金持ちが多いせいか、そこにおいてある家具はどれもすば
らしく、しかも安い価格なのです。古い家具ばかりなのですが、日本では見かけないようなカップボ
ードとか飾り棚などが目に付きます。雨がまた降ってきてぬれながら車に戻り、K さんのレストラン
に戻りました。
K さんのレストランは Stonehenge と言います。もともとゲイのイギリス人が 80 年?以上前に始
めたのがはじまりで、それを K さんのご主人が買い取り、経営を引き受けたというわけです。旦那
さんのダグラスさんはフランス系の母親をもち、もとカーレーサー?だったり、ホテル勤めだったと
いう、男前の方です。車(ベンツ、フェラーリ、ジープを所有)好きでとても気さくで冗談ばかり言って
います。
その日の午後はレストランでユダヤ人の家族が集まり、お子さんのバー・ミツヴァ=「成人式」を
祝っていました。バー・ミツヴァが何かは以下を参照してください。
http://village.infoweb.ne.jp/~fwgj9369/mystery/Jewish(3).htm より引用: (原文は「バル・ミツバ」
であったが、アメリカの発音に合わせて「バー・ミツバ」と表記を直しました。)
ユダヤ教では、男児が一人前の成人として認められる年齢は13歳だ(女児は12歳)。
男児は13歳になるとバー・ミツヴァ(Bar Mitzvah)になる。バーとは「子」を意味するアラム語(ヘブ
ライ語のベンと同じ)で、ミツヴァはユダヤ教の律法上の戒律を意味する。だから、バー・ミツヴァ
は、ユダヤ教の宗教上の義務を負う人、すなわち成人男子という意味となる。
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ユダヤ教のシナゴーグでの礼拝には最低10人の成人男子(ミニヤン minyan) の出席が必要だ
が、バル・ミツヴァとなるとその一人となることができる。また、シナゴーグでのトーラーの朗読や祝
祷の資格も与えられる。トーラーや祝祷はヘブライ語で書かれているので、リナの2人の息子サミ
ーとジェイクのようにアメリカに住む子供にとっては、バル・ミツヴァを迎えるには大変な準備が必
要である。ヘブライ語でトーラーを暗記しなければならないのだ。
バー・ミツヴァとなる少年の家庭では家族上げてお祝いをする。
女児の場合には、バット・ミツヴァ(Bat Mitzvah)の儀式が行われる。バットはヘブライ語で娘の意
味。女児と男児の差別を解消するために出来た比較的新しい制度だが、正統派ユダヤ教徒はシ
ナゴーグでのバット・ミツヴァの儀式は行わない。
ユダヤ人はすべてそうであるわけではありませんが、良く知られているように優秀な家系が多く、
経済的に成功している人も多いわけで、おそらくはそのような家族なのでしょう。きれいに着飾った
子供たちがいました。このあたりにはそのような人たちが多く住んでいるようです。
(なお、私の経験では割とユダヤ人と日本人とは親しくなりやすい傾向があります。ちょっとメラ
ンコリーな性質が似ているせいでしょうか。現に私のアメリカ時代の親しい友人のうち二人はユダ
ヤ系の人たちです。こうした人たちもいろんなユダヤ人がいて、ひとりは戒律に従って豚は食べま
せんので、日本に来ても横浜の中華街に連れて行くことができません。もうひとりは後でイラン人
と結婚したくらいでほとんどユダヤ的な生活習慣をもっていません。
・・・ちなみにクリスマスのときは要注意です。アメリカ人はすべてクリスマスを祝うなどと考えて
は間違いです。ですからクリスマスカードを出すときも、相手のそうした人種的・宗教的立場を考え
て出さないといけません。クリスマスは当然キリスト教の祝い事であり、ユダヤ人はクリスマスを祝
わないからです。ですからアメリカ人にクリスマスの時期にカードを出すときは、Happy Holidays と
いうカードを出すのがセーフです。マーケティング関係の有名な教授はかなりの割合でユダヤ人
であることが多い。デビッド・アーカー教授、フィリップ・コトラー教授はユダヤ系です。亡くなった昔
の女優のオードリー・ヘップバーン<本当はヘバーン>などもそうですね。
ちなみにユダヤ人の習慣として割礼があります。割礼とは、男の子が生まれたときにおちんち
んの皮を切る習慣です。ですからユダヤ人には包茎の悩みは無いことになります。日本では良く
包茎専門の医者の広告が男の子の雑誌に出ていますが・・・こうした割礼は衛生的な意味合いも
あるのですが、もちろん宗教的な意味があります。私の友人のユダヤ人女性は「みんな割礼はす
るものだと思っていた」と言っていました。日本人はもちろんしませんね。
・・・なお、関係ないのですが、日本人はアフリカ系だけでないユダヤ系に対する人種差別にま
だ驚くほど、無頓着です。例えばある高名な日本の企業経営者が昔書いた「ユダヤ商法」<たし
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かカッパブックスで 70 年代にベストセラーになった>というような本などはとても英語には訳せな
い。ユダヤ人がそんな本が書かれていることを知ったら激怒するでしょう。日本の本屋には無造作
に「ユダヤの陰謀」とかいうような本が並んでいますが、そういうセンシティブな問題に対してまっ
たく無神経です。なお、ヨーロッパでは反ユダヤ的な言動は単に社会的な差別ではなくて、法律に
よって犯罪になることすらあります。)
夜 7 時からそのストーンヘンジでの食事が始まりました。フレンチなのですが、まあアメリカのフ
レンチレストランというのはどこもかなりアメリカ化されているものです。いまのシェフはブルーノさ
んといい、フランス人でパリで修行してからアメリカに来た方ということです。ジェネラルマネージャ
ーはジョゼフ・メットルディー氏、もともとユーゴスラビアから移民してきて、ハワイで数年いてこちら
にきた方です。このへんの人の移り変わりがアメリカらしいですね。私はきのこのシチュー(みたい
なもの)とバッファローのビフテキをレアで食べました。バッファローは養殖されていて、脂肪が少
ないので、健康的な食べ物なのです。日本では滅多に食べられないので、トライしてみました。き
のこ料理もおいしく、バッファローもやわらかくてとても上品に仕上がった料理でした。
食事はオーナーのご主人もいっしょです。出された赤ワインもとてもおいしいのです。私は普段
アルコールを飲まないのですが、赤ワインはおいしいことが私にもすぐわかるくらいでした。
こうして書くと K さんたちは順調な成功者のようですが(もちろん彼らはアメリカ社会で成功して
いる方たちなのですが)、途中では大変なご苦労があったようです。もともとのこのストーンヘンジ
はとても古い建物を買ったわけですが、なんと 1988 年に火事で全部燃えてしまったのです。その
とき K さんはモーパッサン(フランスの小説家)の初版本を所有していらしたのですが、それも燃え
てしまったということです。しかも古い建物だったせいもあり、保険が十分かけられなかったので、
レストランを続けるかどうか悩んだというお話でした。火事の後で、レストランの建物を再建され、
経営を軌道に乗せて再び成功された経過には大変なご苦労があったと思われます。また K さんも
数年前に体調を崩され、手術されたという経緯もありました。ご主人ダグラスさんはそのとき、日本
的なのですが、好きなタバコを断って無事を祈ったのだそうです(願をかけるというやつですね・・・
もっとも K さんがよくなられたので、またタバコを吸っているのですが。)。K さんは普段マンハッタン
まで列車で通う生活で、マンハッタンには夜景のすばらしい高層マンションを保有されていて、そこ
はオフィスとして使っておられます。
その晩は食事がおわるとすぐに、上の階のロッジで寝るだけです。とても寝心地のよいベッドで
ゆっくり過ごしました。
朝食を部屋で取って、ロッジのロビーで KB さん夫妻を待っていると片言の日本語で話しかけら
れました。アメリカ人で前に三重県の津にファイバーグラスの工場を立ち上げるために日本に 2 年
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間行っていらしたということです。ご夫妻でこのロッジにこの近所に住む息子さんを訪ねていらした
のです。私の英語がうまいとお褒めいただきましたが、私は出だしの自己紹介の部分だけ英語が
多少スムーズに出るだけで長く話しているとボロが出る英語でしかありません。
この日は朝からまず K さんのお宅にお邪魔しました。そこはレストランの場所から数分なのです
が、さらに森のなかに入って行きます。
6 エーカーの広大な敷地のなかに立っているのは、1920 年代末大恐慌の時期に立てられた築
75 年の住居です。もともとはマンハッタンのお金持ちが建てた別荘だったそうです。それを 1984 年
にご夫妻が購入なさったのです。元はもっと広くて 8 エーカーばかりあったらしいのですが、2 エー
カーを売ったということです。エーカーといわれてもピンとこないと思います。1エーカーは4047平
米、ということは、24282平米=156 メートル×156 メートルの敷地ということになります。ちなみに
私の横浜の家は敷地 100 平米なので、う~んその 243 倍か・・・。
その家はフランスの邸宅を模したもので、入るとまず玄関があり、サンルームのような部屋を通
って右には広いリビングルーム、左には食事をするダイニングと台所。2 階に通じる客間もあるの
ですが、その客間から一階のリビングに通じる「隠し階段」もある面白い設計です。暖炉は一階に
二箇所。どの部屋にもご夫妻が集めた骨董や絵画、飾り物がところ狭しと置いてあります。どれも
とても品が良い品物です。アメリカにはこうしたアンティークを大事にする気風があるのです。
ご主人のダグラスさんが庭を案内してくれました。庭はとてもよく手入れがしてあり日本の木や、
不思議な年に 10 回くらい色の変わる珍しい樹木「カバービーチ」などがあります。
K さんの御宅では毎週 庭師に手入れをしてもらっているということです。しかしこれだけ広いお
庭の手入れはとても大変で、大きな木を何本か切り倒す必要があったのですが、一本大きな木を
切り倒すのに頼む費用は、なんと 3000 ドルもかかるのです。しかもそれは木を切るだけで、その
木を薪にするためにはまた別の業者に頼まなければならないということです。広いお庭をもつのも
大変なことですね。
庭にはプールがあり、ジャグジーもついています。森のなかの夢のような空間です。そのとき、
突然、飼っている犬のコッカースパニエルのボボが鳴きだしました。
庭のかたすみに鹿がいるのです。まだ若いバンビです。なんでも敷地のなかには 4 匹くらいの
鹿が住んでいるということ。ボボの勢いに押されて森のなかに戻っていきました。もと猟犬である
ボボ君にとっては野生の動物を見ると血が騒ぐのでしょう。ほかに 2 匹のきつねや、あるいは狸や
アライグマなども棲んでいるのです。言葉を失いますね。ちなみに私の横浜の家には野良猫が一
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匹住みついていますが・・・。
K さんのおうちに圧倒されながら、アンティークの展示が行われている高校の敷地に向かいまし
た。そこでは広い敷地にテントが並んで、何軒ものアンティークショップが自分の商品を並べてい
るのです。この展示はアンティーク屋さんが買いに来るプロのための展示なのですが、素人も買う
ことができます。ただし掲示してある値段はとても高いのです。数千ドルする机や家具、飾りが並
んでいます。
それからお昼の食事に向かいました。アメリカ風のレストランでサンドウィッチ。サンドウィッチと
いっても日本で食べるやわらかい食パンのサンドウィッチではありません。ハンバーガーもサンド
ウィッチの一種で、バンズなどパンにはさまれたものは何でもサンドウィッチです。
さらに、ウェストポートという街に向かいました。ここの商店街はまた先に書いた商店街のように
とても上品で、お金持ち風の人たちがお客さんです。俳優のポールニューマン、クリントンイースト
ウッドなどもこのあたりに住んでいるらしいです。なお、ここまでに書いてきた地区ではほとんどマ
イノリティの人を見かけることがありません。K さんのご近所では、アフリカ系アメリカ人の人を見る
と振り返ってしまうほど少ないし、またヒスパニックなど Latino の人たちも町ではほとんど見かけま
せん。驚くほど完全に WASP(白人・アングロサクソン・プロテスタント)の世界です。さまざまな人種
が入り混じるマンハッタンに比べるとウソのようです。K さんの近所に投資業で成功したヒスパニッ
クの人が近所の知り合いが引越したあと、唯一最近住むようになったということです。
アメリカではもちろん表立った差別というのはありません。しかし以上のような事実上の
Segregation というのはあるし、また隠然たる差別というのは残っています。これは別の方に聞いた
のですが、NY 州の北の田舎のほうでは、やはり差別があって例えば、運転免許の実地試験では
白人が試験官をしていると、アフリカ系などのマイノリティの人は(差別されて)受からないので、
NY 市に来て受験する人などもいるそうです。われわれのような訪問者は幸い、こうした差別に直
面することはあまり無いのですが、やはりこうした隠れた形でそういう差別があちこちに残っている
ように感じられます。
ウェストポートの町でウィンドウショッピングを楽しみ、帰途に着きました。アメリカのまたひとつ
の断面を見た経験でした。
2003.8.16~NY大停電の顛末
日本でも大きく報道されていると思いますが、NY では 8 月 14 日の夕方 4 時すぎから大停電が起
こりました。私はたまたまその日はオフで自宅にいました。夕方 4 時 20 分くらいに電気が切れまし
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た。ヒューズが飛んだのでは?と思い、チェックしようとしたのですが原因がわかりません。こちら
の電気会社は Con Edison といってガスと電気をひとつの会社で経営しています。そのコンエディソ
ンに電話しようとしたのですが、つながりません。(電気が来ないと電話は使えないと思っている人
がいるかもしれませんが、原則的には電気がなくても電話はつながります。ただし電話器が電気
で動くものはダメです) ふと隣の家の庭を窓から見ると、いつも動いているはずのプールの掃除
用のモーターが止まっています。どうも電気が止まっているのはうちだけではなさそうなのです。
しかしアメリカでは停電自体はそれほど珍しいことではなくて、私もこちらに来てから食料品店にい
たら突然雷と雨に襲われて、そのお店の一帯が停電になり交通信号が止まってしまったのを見た
ことがあります。今度もそのような限られた場所の停電かと最初は思っていました。
そこで日本人の不動産屋にどうしたらよいか聞いたところ、NY 一帯が停電になっているのだという
こと。テレビも写らないので、様子がさっぱりわかりません。電気はないのですが、パソコンの電池
でインターネットは見ることができるため、NY タイムスのサイトを開いたところ、どうも広い地域に
わたって停電していることがわかりました。後、たまたまもっていたラジオで日本の短波放送を聞
いたら、やはりアメリカの東部の広い範囲で停電していることを放送していました。次第に様子が
わかってきます。とりあえずテロではないことも確認しました。
こちらでは夜 8 時ころに暗くなります。そこで早めに食事をして、テレビもないので、ラジオやインタ
ーネットを頼りにして情報を集めます。どうもマンハッタンもそうとう混乱している様子。8 時近くにな
りお隣の第一生命にお勤めの田中さん(同じ苗字)が帰宅されました。いつも夜遅いのですが、こ
の日に限ってはマンハッタンのオフィスから友人の車で家まで送ってもらったらしく、早めに帰宅さ
れたようです。
8 時を過ぎると家の周りは真っ暗です。なぜか近所で子供たちが遊んでいる声が聞こえてきます。
はっきり言って何もできないのが停電です。本や雑誌を読むこともできないし、情報もあまり入って
きません。そのうちに眠くなりうとうとしていました。
夜中 1 時 20 分ごろ突然電気が戻ってきました。これほど電気が点くことがありがたいと感じたこと
はないでしょう。早速ニュースをテレビで見るとまだ電気が戻っていない地域も相当ある模様。ま
たマンハッタンでは家に帰るために道を延々と歩く人たちの様子が映し出されました。
15 日翌朝、また電気が失われるのではないかと心配しながら、テレビをつけると停電のニュース
ばかりです。マンハッタンでは家に帰れず夜を路上で過ごした人のニュースや道を歩き続ける人
のニュースなどが放映されています。たまたま昨日は出かける日ではなくて幸いでした。この日は
20
マンハッタンの地下鉄も動いていないということ。マンハッタンで地下鉄が動かないのは最悪で
す。
15 日金曜日は知り合いの一橋大学の先生が NY にいらしたので本来はお会いする予定だったの
ですが、結局キャンセルにしてしまいました。(この先生が前にアメリカにいらしたときは、9.11だ
った!)
16 日土曜日の朝までに停電は NY 全体でほぼ回復しています。しかし後からわかったのですが、
私の住むハリソンでは比較的早い時間に(停電してから 10 時間後くらいに)停電が回復していた
のですが、他の地域では 15 日の朝まで停電していた地域もあれば、24 時間停電していたブロンク
スのような地域もありました。
15 日の金曜日はしかたないので、買い物に近所の食品スーパーに行きました。平日なので本当
は客が少ないはずなのですが、会社をお休みになった人たちが買い物に来ていてややにぎわっ
ています。NY 市長のブルームバーグはこの日を夏の「大雪の日(snow day)」と考えてできるだけ
休むように呼びかけています。NY では冬に大雪が降ると交通がストップするので、会社が休みに
なります。その習慣にならうというわけです。
マンハッタンの地下鉄は結局 15 日は一日動かず、16 日になってから運転を再開しています。新聞
やテレビでは盛んにこのニュースの続報(Blackout of 2003)を流しています。1965 年、1977 年の
NY 大停電の記憶がまだ残っているなか、なぜ今回の停電が起こったのか、いまだにはっきりとし
た原因はつかめていないようです。NY タイムスによると、中西部で停電の数時間前に起こった送
電の問題が引き金になっていたということなのですが。カナダとアメリカで原因をなすりつけあって
いるのはなんともみっともないですね。
このように大停電の原因はまだ明らかではないようですが、根本的原因は古い送電施設によるよ
うです。電気使用の増加に送電施設が追いついていないのです。送電の技術は 1950 年代のもの
を使っているとのこと。
そういえば、マンハッタンのど真ん中、国連ビルの横のイーストリバー沿いにはコンエディソン社の
火力発電所があります。東京でいえば、隅田川のあたりに発電所があるみたいなものです。知り
合いのアパートがすぐ近くにあり、その発電所の設備がいかにも古そうなのを眺めていたことがあ
りますが、そのことを考えると停電もなんとなく納得できます。
確かにアメリカではコストを節約するため、すぐに必要ではない投資に対しては節約される傾向が
あります。NY の地下鉄なども 100 年前の施設をだましだまし使っています。今回はそうしたツケが
21
廻ってきたということかもしれません。このあたりがアメリカという国の「面白さ」です。つまり世界最
先端の技術と「開発途上国」の技術とが混在しているという国がアメリカなんですね。
20030826NY 日記・運転免許取得の顛末
2003 年 8 月 26 日ニューヨーク州の自動車運転免許について
今日やっと運転免許取得に成功しました。アメリカの運転免許は簡単に取れる、というのが通
念になっていますから、4ヶ月も経って免許を取得したと聞くと「何やってんだ?」と言われてしまう
かもしれません。私の場合、実地試験に 2 回失敗して 3 回目のチャレンジでやっと成功しました。
私は日本で免許を 18 歳のころに取得したまま、30 年くらい運転してませんし(いわゆるペーパード
ライバー・・・これは日本語英語ですが)、運転した経験は 20 年前にイリノイ州のド田舎に留学した
1 年間だけです。運転の経験がほぼゼロであることは確かですが、その点を除いても NY 州の運
転免許取得は他の州に比べて難しいといえると思います。それは:
1.NY では外国の運転免許証をそのまま書き換えては使えないこと。
2.運転免許の取得条件が厳しいこと。
3.実地試験が厳しいこと、などです。
これを順番に以下に詳しく書きます。
まず、NY 州では日本の運転免許は無条件に書き換えられません。日本の運転免許を持ってい
ても書き換えられない州が全米に4つあります。NY,カリフォルニア、イリノイ、テキサス(このテキ
サスはちょっと記憶があやしくてもしかしたらフロリダだったかもしれません)です。NY 州では外国
からの居住者で免許希望者には、居住してから 3 ヶ月以内に免許を取得するよう義務付けていま
す。ということは日本の国際免許は 3 ヶ月しか有効でないことになります(日本の国際免許は 1 年
間有効なはずですが)。
では外国人はどうやって NY で免許を取得するか。現在の NY 州では免許取得申請の条件とし
て、「ポイント制」を導入しています。ポイントとは NY 州の居住者であることを証明するための書類
を複数、しかも十分なアイデンティの証明を要求されることを意味しています。外国のパスポート
は 6 ポイントのうち3ポイントにしかなりません。パスポートは十分な自己証明の手段とはみなされ
ていないことになります。
このほかに、前に書いたことのあるソーシャル・セキュリティ・ナンバー(社会保障番号・SSN)の
証明書は2ポイントにカウントされます。このほかに居住者が確かにその家に住んでいることを証
明するため、銀行から来た預金通知や、電気ガス会社からの請求書、などがその人がその家に
住んでいることの証明として使われます。これらは 1 ポイントとしてカウントされます。アメリカには
日本のような住民登録や戸籍という制度がないため、自分がそこの住民であることの証明はこの
ように公的な機関からの郵便が届いているか、によって証明されることになるわけです。
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このように、NY では運転免許を取得しようとするといろいろな書類を揃えなければならず、面倒
が伴います。私の場合、本来 SSN は取得できないはずなのですが(米国で働いていないため)、
幸い、20 年前に取得した SSN の証明書を手元に保存してあったため、幸いそれが生きることにな
りました。気の毒なのは駐在員の奥さんたちで、彼女たちは働いていないため、車を日常必要と
するにもかかわらず、SSN が取得できなくなってしまったため、免許の申請が困難になってしまっ
たのです。もちろんいろいろな手段でポイントを集めるしかないということになります。
それから三番目の運転免許の実地試験についてです。NY はこれが結構難しい。私もこれで
散々苦労させられました。仮免で運転の練習をするためにはまず以上の面倒な手続きを済ませ
てから、筆記試験をパスする必要があります。NY では幸い、日本語で筆記が受けられます。これ
は 4 択の選択式試験です。さらに、4 時間の自動車免許練習の会社の行う講習を受ける必要があ
ります。私も土曜日の朝早くマンハッタンのダウンタウンにある「安全」という日本人が経営する教
習所に行き、その名物おじさんの漫談のような講習を受けてきました。
仮免を取得したらつぎは運転教習所に頼んで、路上練習をします。NY には日本人が経営する
「安全」のような会社がふたつあります。このほかにも NY にはドライビングスクールが 200 近くある
ようです。私もアメリカには運転教習所などは無いと思い込んでいたので、意外でした。
アメリカの運転試験の勘所は日本と相当違うように思えます。もっとも私が日本で習った運転は
もう 30 年以上前のものなので、正確かどうかはわかりません。アメリカの運転はハンドルの廻し方
だとか S 字カーブのような細かい(どうでもよい)技術よりも、もっと実際的にカーブを正確に曲が
れるか(これが意外と難しい)、日本で言うポケット駐車(車と車の間に駐車する)とき路肩にぶつ
けずに正確に止まれるか、あるいは U ターン(こちらでいう 3 ポイントターン)をするときに左右の確
認をちゃんと行っているか、などです。
実地試験は予約を取って行われます。NY のマンハッタンでは実地試験は現在行われていない
ので、試験を受ける人は私の住んでいるウェストチェスターカウンティまで出てくる必要があります。
またその予約が込み合っているためなかなか予約が取れないのが実際です。どうやって取るかと
いうと、運転教習所に依頼して、キャンセルを狙って予約を押さえてもらいます。これですから、仕
事をもつ人にとっては実地試験を受けるのは、仕事を休んでいかなくてはならないので大変な負
担になります。(もちろんもっと免許取得を簡単にしようと思ったら、このような面倒の無い NY など
に住まずに、コネティカットやニュージャージーに住めばいいのですが)
私が 2 回実地に失敗したのは、ひとつはポケット駐車がうまくできなかったり、安全の確認を怠
ったりしたからです。安全の確認というと簡単なことのように思えますが、U ターンをするとき注意
を払っていないと、どこかの時点で確認のポイントを怠ったりするものなのです。駐車時に歩道の
角にぶつけたり、あるいは、安全確認を怠ったときに運悪く車が来たりすると、その場で即失格と
なります。またスピードが遅いと Too Slow という罰点をつけられたり、ハンドリングが悪いとやは
り罰点になったりします。
では、アメリカ人、特にニューヨーカーはみんなそんな試験をゆうゆう突破しているかというとそ
うでもない。ほとんどのアメリカ人は高校卒業時までに運転を習っており、まとめて高校で運転免
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許を取らしてくれるようになっているらしいのです。ですからこちらでこのような試験を受ける人は
外国人が多いことになります。
もうひとつ免許の取得をむつかしくさせている事情として、試験官によって少しずつ判断に違い
があることがあります。今日私にあたったのはたまたま優しそうなヒスパニックのおじさんで、これ
はラッキーでした。彼も外国人という意識があるのか、また私もプレッシャーを試験官から感じなか
ったこともあり、ほとんど罰点なしにパスすることができました。しかしそれは大変幸運だったので
す。
そのおじさんのすぐ後にいたのは黒人の女性試験官で、彼女は厳しいことで有名な人だったの
です。ある日本人は彼女に当たって、たまたま U ターンで失敗したとき、彼女から口でひどく攻撃さ
れそれがトラウマになってしまい、一年近くも実地試験が受けられない状態になってしまったという
ことです。そういうエキセントリックな試験官もいますので、その意味では私の場合は幸運だったよ
うです。
アメリカでは毎年 5 万人近く交通事故死者が出ています。日本は 1 万人を切るのに対して人口
比(アメリカの人口は日本の倍くらい)ではアメリカの事故がいかに多いかがわかると思います。し
かもアメリカでの事故の多くはドラッグや飲酒によるものが多いということです。
いずれにしても米国では以前よりも運転免許に厳しくなる傾向があるようです。しかし車が日常
の足であることは変わりなく、アメリカにいる以上は何らかの形で車文化と付き合っていくことにな
ります。1930 年ごろにはすでにアメリカの家庭に車が普及していたので、日本の車社会とは歴史
が違います。NY のマンハッタンは地下鉄バスなどの公共交通が発達しており、車なしで生活がで
きる数少ないアメリカの町(このほかにサンフランシスコもそうだといわれています)ですが、それ
でも一歩私の住んでいる郊外に行くと車なしではほとんど生活ができないようになっています。免
許を取得してみてまた見えてくるアメリカ社会があるかもしれません。
20031028NY 日記
2003 年 10 月 28 日火曜日 A day in the life of Hiroshi Tanaka in New York
ひさしく日記を書いていませんでした。こちらに来て半年以上が経ち、次第にこちらの生活に慣
れ、あまり新しい発見がなくなってくるのを感じます。それでも毎日新しいことを発見することがな
い日はない、というのがこちらでの生活ではあります。
こちらで毎日どういう生活を送っているのか?まあどうでもいいことかもしれませんが、昨日
2003 年 10 月 27 日月曜日のことを例にとって書いてみます。
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*ハリソン町の自宅(駅徒歩 15 分、向かって左の部分の一階と二階を借りています)
野球と夏時間の終わり
その前週の土曜日、ヤンキース対マリーンズのワールドシリーズ第6試合があり残念ながらヤ
ンキースは負けてしまいました。せっかく 4 番を任せられた松井でしたが、最後の 2 試合はほとん
ど活躍することができませんでした。多くのニューヨーカーがヤンキースの優勝を期待していただ
けに残念なことでしたが、また来年に期待したいと思います。日本でも同じ時期星野阪神が第 7 戦
で負けてしまったのも残念でしたが。
ところで 10 月 26 日日曜日の午前 2 時、ってどんな時間かわかるでしょうか?夏時間(daylight
saving time)が終わり、通常の時間に戻る時間です。この真夜中の 2 時になると、時間を一時間戻
します。ですから 2 時が 1 時になるわけです。秋に夏時間から通常時間に戻るのはこのように楽で
す。なぜなら朝 7 時に起きる人は、それまでの 7 時に起きるとそれは 6 時になりもう一時間寝てい
られることになるからです。逆にこれが夏時間になる 4 月第一日曜は大変です。朝 7 時に起きたつ
もりが実は 8 時だったりするわけですから、もし時間を調整していなければ、会社や学校を一時間
遅刻してしまうことになります。しかしアメリカ人は慣れているのか、あまり時間の切り替わりでな
にか失敗をしたというエピソードを聞きません。新聞には一応、一面に時間が切り替わるというお
知らせが出ています。
夏時間が終わると、今週の終わり 10 月 31 日はハロウィンです。ハロウィンについては後で書く
と思いますので、今は詳しく書きませんが、もともとは北方ヨーロッパで夏から冬への切り替わりの
時期に発生したケルト人の祭りだったようです。古代の人たちにとって冬は恐ろしい季節でした。
食べ物もなく寒く長い冬は古代人にとって“死”の季節です。10 月末で生と死とが切り替わる時期
と考えられたことがハロウィンでお化けが出てくる理由なのです。ちょうど紅葉が真っ盛りですが、
冬がそろそろ近づいているのを感じます。
大学に出かける
10 月 27 日の日はひさしぶりに朝から雨でした。その前日日曜日はずいぶん暖かかったのです。
前日に夜遅くまで翻訳の仕事をしていたため、朝は 10 時すぎに起きました。いま、『ブランドの失
敗』という本を二人で翻訳しているところです。いつになったら終わるのかわかりませんが、しばら
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く仕事をさぼっていたため、前にもう一人の人に訳してもらった部分のチェックを済ませ、自分の担
当する分の翻訳を仕上げました。
*コロンビア大学のキャンパス・中央図書館前
月曜日はコロンビア大学で MBA の授業の消費者行動論を聴講するためにお昼から出かけまし
た。自宅から駅までは徒歩 15 分。少し肥満気味の私には車を使わず歩くことは良い運動です。
(皆さん、私はやせているのでは、と思ってくれているかもしれませんが、こちらに来てから体重が
増加気味でいま 171 ポンドくらいあります・・・ポンドに0.453をかけるとキロです。体重÷身長÷
身長、という BMI と呼ばれる計算方法があるのですが、私はそれによると数値が24.9で25とい
う肥満ラインのぎりぎりなのです!)
ハリソンの駅から列車に乗って 40 分でグランドセントラル駅、そこから地下鉄を乗り継いで 116
丁目の駅で降りるとコロンビア大学です。
月曜日は私のホスト教授である モリス・ホルブルック教授の消費者行動論の授業があります。
別段私が出席しなければいけない義務はないのですが、生活にリズムを生み出すため、MBA の
授業がどのように行われているかを見るため、また英語の聞き取りに慣れるため(家にいると英
語を使わずに一日が過ぎる!)、さらに知識の反復になるため、などの理屈をつけてできるだけ出
席しています。
授業は午後 3 時 15 分から一時間半続きます。この授業は一時間半の授業を月曜日と水曜日
に二回行います。MBA の授業なので出席者は主にビジネススクールの学生ですが、中にはコロ
ンビアのほかの大学院から来ている学生さんもいます。ひとり日本人の女性がいて、彼女はビジ
ネススクールではなくて公共大学院の学生です。授業ではホルブルック先生があらかじめ学生の
バックグラウンドを学生から聞いていて、例えば映画会社にいた学生に映画の話題を振る、という
ようなことがあります。
MBAの授業
授業に際しては、講義のはじまる 9 月にあらかじめつぎの3つの資料が配布されました。1)授
業の計画書(毎時間取り扱うテーマと課題、関係資料、注意などが書かれている)、2)ハンドアウ
ト(これは授業で教授が使う OHP があらかじめ印刷されている)、3)参照資料(ほとんどが研究論
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文でホルブルック教授がこれまでに発表した論文が多い)。2)と3)とはかなり分厚いものです。こ
のほかに、4)図書館に預けられているリザーブという学生が共同で使う資料・ビデオなど、5)教
科書、があります。
教科書はソロモンの消費者行動のテキストが指定されています。もっとも教科書といっても、ビ
ジネススクールでは教科書を丁寧に教えるということはあまりなく、教科書はいわば「参考書」で事
前・事後に学生が授業の内容を確認がてら使うことが多いようです。ということは、教員は教科書
で取り扱われている以上の知識や蓄積がないとやっていけない(=先生がよほど努力しないとや
ってられない!)ということも意味しています。
確かにホルブルック先生はもう25年以上コロンビアにいらっしゃる大ベテランの先生なので、授
業など楽なものではないか、と思っていたのですが、実際かなり授業は重荷らしいのです。私が
NY のソニーの方から頼まれて社内講演会でホルブルック先生に講演者になっていただくよう頼ん
だところ、「秋と春は授業が大変だから、来年の夏以降にしてくれないか?」といわれてちょっとび
っくりしたことがありました。前にも書いたと思いますが、こちらの先生は学生からの評価が図書館
などで公表されていて、教員の手抜き授業はすぐにわかる仕組みになっています。
授業では OHP を先生が示しながら、そのなかに出てくる主な概念・理論などについて、学生に
質問しながら進められます。その授業のスピードはまったくめまぐるしいものがあります。ホルブル
ック先生の話はかなり早いのですが、彼はもともと中西部(ウィスコンシン州・ミルウォーキー)の
出身のせいか私には割りと聞き取りやすい英語で、逆に私にわかりにくいのは学生の英語です。
この日の講義は「理性的行動」を扱っていました。授業の冒頭でスポットライトを当てられていた
のはオショネシー名誉教授の人間行動学 Praxeology の原理です。オショネシー教授は長くコロン
ビアのビジネススクールでマーケティング論教授を務めていたのですが、在職中はさほど目立つ
といえるような存在ではありませんでした。何冊かの本を著したものの、あまり研究ジャーナルに
研究論文を発表しなかったことが、コロンビアの同僚たちからも高く評価されなかった原因でしょう。
私は以前からオショネシー教授の本(『なぜ人は買うのか』未邦訳)に関心があり、一度ホルブル
ック先生との間で話題にしたことがあります。彼のオショネシー教授への個人的評価は大変高い
ものでした。「彼は本当の学者だ」「簡単にわかるようなものではないが、奥の深い哲学的研究だ
(formidable but esoteric philosophical literature)」と授業中でもオショネシー教授のことをそのよう
に話し「ヒロ(私の呼び名)がニヤニヤして聞いているが彼とはこの間オショネシーについて話した
んだ」と学生にいっていました。
ホルブルックはオショネシーの唱えた「なぜひとは買うのか」に関する彼の考え方を簡単にふた
つのテーゼに要約しています。
ひとつは人間の購買動機というものは、何々が欲しい、というウォンツと、それをすることがこの
ような結果を生む、という信念(belief)のふたつの結合からできているということです。例えば、雨
に濡れないで歩きたい、というウォンツと、傘を差せば雨に濡れないで済む、という信念とが結合
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して、私は傘が欲しい、という動機を構成する。
もうひとつのテーゼは、活動(Action)は意図が伴う、ということです。行動には必ずしも意図を
伴いませんが、活動は意図を伴った活動です。ですからこうした考察を基にしますと、購買という
現象を解明するためには、購買動機と意図というものを見る必要がある、ということになるでしょ
う。・・・なんだ当たり前じゃないか・・・とおっしゃる方もいるかもしれませんが。
ホルブルック先生の授業の最後で 30 分くらい時間を取って、学生のプレゼンがありました。これ
は授業の課題の一部として行われるもので、講義ででてきた概念を使って自分に関心のあるビジ
ネス領域を取り上げてそれを分析するというものです。ひとりの学生は映画でのプレースメント広
告について取り上げていました。007のなかでボンドカーとして BMW がでてくるのですが、これは
BMW がスポンサーになっているプレースメントアドの例です。ビジネス経験のある学生ばかりなの
で、プレゼンもなかなか決まっています。
帰りの出来事
*グランドセントラル駅のなかにあるマーケット
授業が16:45に終わると、私はさっさと帰宅することにしました。雨も降っているし昨晩寝不足
だったこともあります。
帰りの地下鉄のなかでちょっとした出来事に遭遇しました。タイムズスクェア駅からグランドセン
トラル駅までは距離的には 5 分もかからない、シャトルという短い線の地下鉄が走っています。私
が座ったシャトルの車両の向かい側に黒人のひげのお父さんがギターを持って座り、そのまわり
にまだ5~10歳ではないかと思われる子供たちが 5 人くらい座っているのです。地下鉄の中で芸
を披露してお金を稼ぐのは珍しいことではないにせよ、子供たちがこんなに狩り出されているのは
ちょっと珍しいのです。こんなところでやってほしくないな~と思っていたのですが、お父さんが「私
は数週間前に失業して、家族を養わなければいけないし、家賃も払わなくてはならない。私たちの
歌を聴いて施しをしてください。God bless you!!」と言うなり、ビートルズの Nowhereman を歌いだ
しました。子供たちも合唱しています。それは子供たちの訓練が行き届いているらしくなかなか聞
かせるハーモニーでした。私はかわいそうとかは考えずに、財布を取り出して余っている小銭を掴
み出し回ってきた子供に施しをしました。良いことか良くないことかは考える暇もなく・・・
雨の地下鉄ではさまざまな人種と生活が入り混じったニューヨークの香りがいっそう強く感じら
れます。
28
(この項了)
20031031NY 日記アメックス・シュノルト氏講演会
2003.10.30
ケネス・シュノルト氏に会ったこと
コロンビア大学にいてありがたいことのひとつはビジネススクールが売り物にしていることですが、
New York Advantage で有名な企業人が来校して話をしてくれる機会が多いことです。
10 月 30 日木曜日の13:30からコロンビア大学ビジネススクールのリーダーシップグループが
主催するアメリカン・エクスプレス社の CEO、ケネス・シュノルト氏(Kenneth I.. Chenault, Chairman
and Chief Executive Officer of American Express)の講演会に出席しました。
アメリカン・エクスプレス社はクレジットカード企業として知られていますが、銀行業にも進出して、
もともとの出自である旅行関連サービスとファイナンシャルサービスが主なビジネスになっていま
す。クレジットカード事業では古くからプレミアム価値のあるブランドとして知られています。
シュノルト氏はアフリカンアメリカンとしてアメリカの企業のトップにのぼりつめた数少ないマイノ
リティの一人であるということもあり、200 名くらいの人数しか収容できない Uris の301教室は時間
になるとすでに満員状態でした。私の周りには普段ビジネススクールでは特にマイノリティになっ
ているアフリカンアメリカンの学生が目に付きます。
シュノルト氏が来場すると会場は割れんばかりの拍手です。やはり普通の講演会とはスピーカ
ーの格が違うということなのでしょうか。最初に B スクールのディーン(研究科長)が挨拶をして、コ
ロンビアとアメックスとがいかに深い関係にあるかということを強調します。確かにコロンビア B ス
クールからアメックスに行く学生は多数に上るでしょうし、アメックスからも多額の寄付がコロンビア
には来ているはずです。
私はこの日うっかりペンを忘れてしまい、以下シュノルト氏が話した話を記憶でできるだけ正確に
再現することにします。
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アメックスは9.11で大きな被害を受けた企業のひとつでした。マンハッタンのダウンタウン、ワ
ールドトレードセンターのすぐ隣にアメックスの本社があり、9.11では建物が一時使えなくなる打
撃がありました。また社員も 11 名犠牲になったということです。しかもその後でアメックスのファイ
ナンシャルサービスも、特に旅行関連事業も9.11の後で大きな後退をせざるを得ませんでした。
シュノルト氏が CEO に就任したのは 2000 年ですから、この 3 年間シュノルト氏はアメックスのもっ
とも大変な時期にリーダーシップをもって事業を乗り切ってきたわけです。聴講者である学生のほ
うもそのあたりは良く理解しているところですから、なおシュノルト氏の話に静まり返って聞き入っ
ています。
私は自著『企業を高めるブランド戦略』の第6章の扉で9.11の後でシュノルト氏が言った言葉
を引用しています。ビジネスウィークに出ていたものです。彼は建物が壊れてもアメックスというブ
ランドは壊れないし、ブランドとは社員ひとりひとりが体言しているものだ、という趣旨のことを述べ
ていました。それは当時大変印象的に響きました。
彼は計画推進のスピードの重要性について強調します。9.11の後、その前から予定していた
事業計画を 2 年半で行うところを 10 ヶ月で達成したということです。
彼がまた言ったのは企業経営では適切なデータをベースとして考えることが大事だということで
す。
シュノルト氏はこの講演会のテーマであるリーダーシップについて語ります。integrity(正直さ)が
重要で、consistency(一貫性)をもって従業員に接することが大事なのだ。それが信頼を生むと彼
は言います。
CEO は困難な決断をしなければならない、しかしそれを従業員に納得してもらえるように説明す
ることが必要である、と彼は言っています。9.11の後の景気後退期、アメックスは15%の社員
削減に着手しなければなりませんでしたので、彼の言葉には重みがあります。アメックスのような
サービス業にとっては、ことにいかにして社員を引っ張っていくかが重要であることは言うまでもあ
りません。
また彼は企業のもつ価値が大事であることを強調しました。アメックス社は「プレミアム・プロバイ
ダー」である、と彼は言います。つまり優れた価値 superior value を提供することがアメックスの使
命であると彼は言います。最近アメックスから発行されたクレジットカードは年会費が2500ドルと
いうべらぼうに高いカードなのですが、それは細分化された顧客の価値に適合しているのだ、とい
います。
セミナーが終了してからシュノルト氏と個人的に話す機会がありました。私はひとつだけ尋ねまし
た。「プレミアム価値のあるブランドを長期的に維持するのにはどうしたらいいのか?」彼は答えま
した。「セグメントされたターゲットに relevant な価値を提供することだ。」 まさにアメリカン・エクス
プレスこそはそのような戦略を実践してきた企業であり、私にはシュノルト氏はその最良の部分を
代表している人物のような気がしました。
<この項 了>
30
20031129NY 日記・感謝祭前後
感謝祭前後
2003 年 11 月 28 日・記
11 月 26 日木曜日は Thanksgiving Day でした。感謝祭というのはアメリカ特有の習慣です(カナ
ダにもあるらしいけど)。11 月の第四木曜日は感謝祭として国の祝日になっています。この日はも
ともと 1620 年にマサチューセッツにメイフラワー号で到着したピューリタンの一行(ピルグリムファ
ーザーズ=巡礼の始祖たち)のプリマス植民地の経験に由来しています。
当時ヨーロッパから移住したばかりの移民たちにはニューイングランド地方の気候は寒く、何の
備えもなかった彼らには苦難の生活が続いた。そこに助けの手を差し伸べたのはアメリカ原住民
(インディアン=この言葉は差別用語)たちでした。1621 年 12 月 13 日から 3 日間神と原住民に感
謝するために開かれたお祭りが感謝祭の起源になっているということです。
アメリカの公式の祭日となったのはリンカーン大統領が 1863 年に感謝祭の宣言を経て、1941
年に連邦議会で 11 月第四木曜日を祝日と定めてからです。この感謝祭には、アメリカ人の自治、
勤労の精神、共同体への信頼、信仰誠心などの気持ちが込められています。(
http://www.christiananswers.net/q-wall/wal-g007.html による)
この木曜日は祝日ですので会社や学校は休みです。水曜日から学校は休みになっていて、5
日間の連休です。企業は木曜日から休みのところも多く、働く人のなかには火曜日を休んでいち
早く故郷に帰る人もいるそうです。
というのも、この感謝祭の日は遠方に散らばっている家族が集まって七面鳥とパンプキンパイ
を食べるのが慣わしです。家族が集まるというところは日本のお盆やお正月に近いものがありま
す。無論クリスマスまでもう一ヶ月ない日付なのですが家族にとってはクリスマスよりも感謝祭が
家族の集まる日と考えられているようです。学生にとっては休みではありますが、12 月末の期末
試験が迫っていてその準備に追われる人も多いようです。
興味深いのは感謝祭明けの金曜日の小売業です。この日はBlack Fridayと呼ばれ(これは赤字
だったお店でもこの金曜日以降黒字になることからこう呼ばれているらしい)、年末商戦の幕開け
の日とされていて、この金曜日に限って普段にはなく朝早くから小売業が店を開けています。
Kohl’sという安いアパレルの店などは朝の 5 時半から、トイザラスやウォールマートは朝 6 時から、
デパートのシアーズやロード&テイラーは朝 7 時から、という具合です。朝早くまだ暗いうちから
人々が並び始め、開店のときは安売りを求めて店内に殺到する人たちで殴り合いすら起こる始末。
というのも朝の時間限定で安売りの商品が並ぶからです。トイザラスでの人気商品はビデオゲー
ム
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モ
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関
連
商
品
だ
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た
と
い
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こ
と
で
す
。
(http://retailindustry.about.com/library/weekly/aa112699a.htm 参照)
このブラックフライデーは私は知らなかったのでちょっとした発見でした。
31
20031209NY 日記・秋の大雪
2003 年 12 月 9 日水曜日
先週の週末は大雪でした。NY では 18 センチくらい積もったのですが、「秋」の大雪~こちらでは
クリスマスごろまでは「秋」と考えられているらしい~というわけです。あらかじめ雪が降る予想が
立てられていたので、金曜日から近所のスーパーは先に買い物をするお年寄りたちでいっぱいで
した。金曜日は午前中にラーチモン(ふたつ隣の町)に行く用事があったのですが、午前 11 時半こ
ろには雪が舞いまじめました。寒くなったので、早めに家に入ると積もり始めるのが大変早く午後
にはもう道に雪が積もっている状態になっています。零下 5 度くらいの寒さです。金曜日から土曜
日にかけて雪が降り続き、土曜日はブリザード警報も出るくらい風も強くなってきました。
土曜日の夜には風も吹きまくりまさにブリザード。その夕方も家の周りの雪を少しずつ除けてお
きました。近所のアメリカ人が出てきて「日本ではこんなに雪は降らんだろう」とか雑談をします。
人から話を聞いていたので、塩(雑貨屋で snow melter という袋を販売している)をあらかじめ買っ
てありました。塩は凍結温度が低いので、それを撒いておくと雪が早く溶ける仕組みです。しかし
こういうことに経験がない悲しさでいつどの時点で塩を撒くのが良いのかわかりません。
このあたりは町のサービスが良いらしく、家の周りの道路の雪は降り始めから何度も雪かき車が
出て道をクルマが通れるようにしてくれます。驚いたのは夜中 2 時ころに家のガレージの前のドラ
イブウェイの雪を除けてくれたことです。ガレージの前は道に出るまで坂になっているので、雪が
積もるとクルマが出せません。そこは私道なわけですが、そこも雪かき車と人がやってきてご丁寧
に雪を除けてくれます。
この土曜日にかけては結局雪のために飛行機や高速道路は大変な事態になりました。テレビ
では外出は控えるよう呼びかけていました。
翌日曜日は天気が回復しました。家の周りの歩道の雪を一生懸命除けます。なぜなら他人が家
の前で滑ってころんで怪我をすると訴訟騒ぎになるそうなのです。つまり家の前の歩道の雪かき
は市民の義務ということらしいのです。それで訴訟されてはたまらんということで雪かきにおのず
から一生懸命になるわけです。雪かきをするためにショベルが必要なので、これも前日に買いに
行きましたが、すぐに店では売切れてしまっていました。
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