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― 86 ― マンガ教育の国際化に向けて─海外版ワークショップ〈マンガの描き方教室〉の実施報告 マンガ教育の国際化に向けて ――海外版ワークショップ〈マンガの描き方教室〉の実施報告 ―― 小 川 剛 OGAWA Tsuyoshi Ⅰ . はじめに 様々なメディアやマスコミが多く取り上げているように、2000 年前後から、マンガは日本 の新たなポピュラーカルチャーの象徴として注目を集めている。マンガはその後、海外、特に 欧米からの高い評価を受けるようになると、その評価を逆輸入する形で国内でも文化として語 られる機会が多くなった。 そんな中、2006 年 11 月に京都国際マンガミュージアムがオープン、マンガ資料を体系的に 収集保存する役割を担うと共に、 「マンガの魅力を多面的に紹介」することが求められるよう になった。 筆者はマンガミュージアム開館当初よりワークショップ企画担当として業務に従事し、年間 150 回以上、延べ 30,000 人以上に向けてマンガ教室または、ワークショップを実施してきた。 筆者が実施しているワークショップは、マンガの実作を通した体験型学習プログラムである。 マンガを「読む」というインプット活動として活用するだけでなく、アウトプット活動として 「創り、描く」ことによって「学ぶ」ことができるプログラムである。日頃何気なく読んでい るマンガの創作過程を体験することでより深く、多面的に理解することができる。また、マン ガそのものの創作過程のみならず、出版業界や産業も含めた学びを実施することができる。果 たしてこのプログラムは年々広がりをみせ、小中学生課外授業向けプログラムやマンガ家志望 向けの本格的なプログラム、海外来場者向けのプログラムなど年間万単位の受講者を受け入れ る程になっている。 これらの事例は、マンガを学ぶこと、即ち「マンガ教育」という新たな可能性を模索する試 みでもあるといえよう。 本稿では、数あるマンガのワークショッププログラムの中から海外でのマンガ教室の事例を 紹介する。そこに至った経緯は、外務省が所管する行政独立法人、国際交流基金から「日本の マンガ教室」と題した企画が持ち上がり、マンガミュージアムと共催で実施することとなった 京都精華大学紀要 第四十一号 ― 87 ― ことに端を発する。本事業は、 〈マンガを教材として用いた日本語教室〉 〈マンガ文化講演会〉 〈マ ンガの描き方教室〉の3つに分かれており、それぞれの切り口でマンガを通した日本文化の習 得を目的としている。本稿はそのうち、筆者が主に担当したマンガの描き方教室を中心に紹介 する。授業プランはこれまでマンガミュージアムで受け入れた体験型ワークショップの企画や 実施の蓄積や経験をもとに、本事業にアレンジした内容を実施した。日本人向けに実施する場 合は、日々新しいマンガ雑誌や単行本が刊行され、出版業界の4割を越える市場規模であるこ とや、書籍のみならず、アニメや映画などにも広がりを見せている日本のマンガ事情を前提に 授業をスタートすることができる。しかし日本と文化基盤の違う海外の来館者からはその前提 の解説を求められることもあった。こうした経験から、海外において実施するマンガの描き方 教室においても同様の仮説を立て、授業プランの構築に際して考慮した。 本稿で紹介する事例は、マドリード日本文化センター(スペイン) 、パリ日本文化会館(フ ランス) 、ブダペスト日本文化センター(ハンガリー)の 3 ヵ国で実施したマンガの描き方教 室の参加者は 12 歳から 41 歳、延べ 61 名に及んだ。上記仮説のもと、実施国間の相違点、ま た日本との相違点などを明らかにすると共に、その成果を踏まえて、今後のマンガ教育の国際 化への可能性について言及する。 Ⅱ . 事例概要 1 概 要 マンガの描き方教室は、事例①:マドリード日本文化センター(スペイン) 、事例②:パリ 日本文化会館(フランス) 、事例③:ブダペスト日本文化センター(ハンガリー)においてそ れぞれ3日間実施し、マンガの作画技術の習得とマンガをより深くより広く知ることに主眼を 置いた。 1-1 事例①:マドリード日本文化センター(スペイン) 日 程:2011 年 4 月 13 日 ( 水 )、14 日 ( 木 )、15 日 ( 金 ) 主 催:国際交流基金/京都国際マンガミュージアム 講 師:小川 剛 ( 京都国際マンガミュージアム/京都精華大学国際マンガ研究センター )、 アシスタント 久保 直子 ( 京都国際マンガミュージアム ) 通 訳:マルク・ベルナベ氏 ( 翻訳家 ) 現地担当:日本文化センター 上野宏之氏 受講者数:計 30 名 15 歳∼ 28 歳 男 12 名、女 18 名 ― 88 ― マンガ教育の国際化に向けて─海外版ワークショップ〈マンガの描き方教室〉の実施報告 スケジュール: 1-2 事例②:パリ日本文化会館(フランス) 日 程:2011 年 4 月 19 日 ( 火 )、20 日 ( 水 )、21 日 ( 木 ) 主 催:国際交流基金/京都国際マンガミュージアム 講 師:小川 剛 ( 京都国際マンガミュージアム/京都精華大学国際マンガ研究センター )、 アシスタント 久保 直子 ( 京都国際マンガミュージアム ) 通 訳:パトリック・モラン氏 (BD 作家・イラストレーター ) 現地担当:日本文化会館 竹下潤氏 受講者数:計 4 名 12 歳∼ 27 歳 男 2 名、女 2 名 スケジュール: 京都精華大学紀要 第四十一号 ― 89 ― 1-3 事例③:ブダペスト日本文化センター(ハンガリー) 日 程:2012 年 3 月 6 日 ( 火 )、7 日 ( 水 )、8 日 ( 木 ) 主 催:国際交流基金/京都国際マンガミュージアム 講 師:小川 剛 ( 京都国際マンガミュージアム/京都精華大学国際マンガ研究センター )、 アシスタント 久保 直子 ( 京都国際マンガミュージアム ) 通 訳:フォンダビスト・アンナ氏(ハンガリー日本学生友好協会) 現地担当:日本文化センター 田崎恵子氏 受講者数:計 27 名 15 歳∼ 41 歳 男 6 名、女 21 名 スケジュール: これも実はそれほど体系的なものではないが、この時点では、 「文部省視学官」になり社会 ― 90 ― マンガ教育の国際化に向けて─海外版ワークショップ〈マンガの描き方教室〉の実施報告 2 教 材 ・ 「マンガ・ドリル」 〈キャラクターの作り方〉 〈人物の描き方〉 〈顔の描き方〉 〈表情の描き分け〉 〈顔の角度のつ け方〉 〈手の描き方〉 〈等身〉 〈遠近法〉 〈コマ割り〉 〈カケアミ〉 〈ベタ〉 〈効果線〉 〈集中線〉な どの単元に分けられており、多くは描き込み式とし、実作を交えた指導が可能な内容構成のド リルを配布、適宜、実演を交えて指導する。 体の描き方サンプル 顔の描き方ドリル 手の描き方ドリル あらゆる角度の顔の描き方ドリル 京都精華大学紀要 第四十一号 ― 91 ― 3 画 材 プロのマンガ家が使用しているものと同じ画材を日本から持参(特に筆ペンは海外で手に入 れることが難しい) 。 マンガ画材(左上から)…耐水性インク、修正用ホワイト、消し ゴム、定規、ペン先、ペン軸、シャーペン、水色シャーペン、ミ リペン(0.5㎜) 、 筆ペン ※ブダペストではトレース台を追加準備。 会場備品:参加者員数分の机、イス、 OHC(実物投影機) 、プロジェクタ、スクリーン、マイクほか 4 課 題 3 日間のカリキュラムに応じて 1 日 1 課題、計 3 課題を与えた。 実習の中で適宜はめ込んだドリル演習を、より有効に活用できるよう授業の組み立てを工夫 した。 課題① キャラクター設定 キャラクターの全身像と共に、名前、年齢、身 長、職業、性格、生い立ち、好きなもの、嫌い なもの、趣味、癖、などの設定をし、オリジナ ルキャラクターを描く。 ― 92 ― マンガ教育の国際化に向けて─海外版ワークショップ〈マンガの描き方教室〉の実施報告 課題② キャラクター設定 表情編 課題①で作成したキャラクターに表情をつけ る。 左上「喜」 、右上「努」 左下「哀」 、右下「楽」 の順に表情の描き分けをする。 cf. 同一人物に見えるように描く。 課題③ 扉絵、1ページイラスト 課題①で作成したキャラクターをもとに扉絵、 もしくは1ページイラストを完成させる。 cf. ペン入れ、ベタ、カケアミ、スクリーントー ンの使用など授業で習ったことを活かして作画 する。 京都精華大学紀要 第四十一号 ― 93 ― Ⅲ . 事例紹介 Ⅲ -1 マドリード ◎参加者、授業、現地の様子 参加者の多くは美術教育をひと通り受けており、デッサンや遠近法、陰影など作画技法の説 明をスキップして、マンガの専門的内容の授業を始めから行うことができた。30 名の参加で あったが、参加者のレベルが揃っていたことで、授業をスムーズに進めることができた。参加 者の質、熱意はともに高く、ほとんどが日本スタイルのマンガ表現に関心を持つ。マンガ家志 望が多く、技術的指導以外にも出版社の状況、流通のシステム、持ち込み方法など、日本のマ ンガ業界の状況も含めた質問が多く寄せられた。そのため授業では可能な限りディスカッショ ンを持った。中にはグラフィック・ノベルスタイルのコミック作家として絵柄が確立している が日本スタイルの絵柄に直して欲しいと希求する参加者もいた。これらの複雑な要望などにも、 通訳者のマルク・ベルナベ氏(マンガのスペイン語訳の第一人者であり、マンガを用いた日本 語教材の制作にも注力)は専門用語や日本のマンガ業界の実情など把握し、的確に指導内容を 通訳してくれた。 授業風景 左 : 筆者 右:通訳者マルク・ベルナベ氏 ― 94 ― マンガ教育の国際化に向けて─海外版ワークショップ〈マンガの描き方教室〉の実施報告 受講者集合写真 ◎マンガ教室に関するサーベイ結果 Q.この授業に何を期待するか? ・マンガの技術習得 ・マンガ家になるための情報収集 ・日本でのマンガ教育環境について Q.将来の希望職種 ・マンガ家/日本でのマンガ家デビュー ・ゲームクリエーター Q.マンガの発表方法 ・同人誌制作 ・ウェブ発表 Q.マンガ雑誌の有無? ・未確認 Q.母国語のマンガ単行本の入手方法、価格 ・一般書店/ amazon など Q.コミックイベントの有無 ・ 「Salón del Manga de Barcelona」は5万人以上の参加者を集める。 [ 特記事項 ] 男性参加者 グラフィック・ノベルスタイルで絵柄を確立している参加者が、私の作品のどこが日本スタ イルではないのか、日本スタイルで描けるようになりたいが、どのように描けば日本スタイル になるのか、日本での漫画家デビューを切望しているので、ぜひ指導して欲しいと要請された。 京都精華大学紀要 第四十一号 ◎マドリード受講者作品:課題①「キャラクター設定」 ― 95 ― ― 96 ― マンガ教育の国際化に向けて─海外版ワークショップ〈マンガの描き方教室〉の実施報告 課題② キャラクター設定 表情編」 喜怒哀楽 表情の描き分け 京都精華大学紀要 第四十一号 「課題③ 扉絵、1ページイラスト」 :ペン、スクリーントーンを使用 ― 97 ― ― 98 ― マンガ教育の国際化に向けて─海外版ワークショップ〈マンガの描き方教室〉の実施報告 Ⅲ -2 パリ ◎参加者、授業、現地の様子 参加者は 4 名。広報期間の短さ、参加費用などの理由から少数での実施になった。一方、ほ ぼマンツーマンで指導できたことでお互いの意思疎通を充分にはかることができた。また、受 講者のレベルにばらつきがあったため、マドリード、ブダペストのような数十名規模での受入 れは厳しかったと思われる。パリでの参加者はマンガ家を志すというよりも、むしろ「マンガ ファン」の範疇に分類できるように思われる。作画技術に特出しているわけでなく、マンガを 趣味とし、交流のツールとして活用しており、講師である我々ともマンガ談義を楽しんでいる 感がある。 一方、フランスは日本、アメリカと並ぶ世界三大マンガ消費国の 1 つであり、世界的にみて もマンガと触れ合う機会が多い国に挙げられる。毎年 7 月には「JAPAN EXPO」が開催され、 10 万人規模の人が集まる一大イベントに成長している。日本でも各地に店舗を構える中古書 籍販売店「BOOK OFF」がパリ市内にあり、日本マンガの日本語版、翻訳版のみならず、バ ンド・デシネを気軽に手に入れて読むことができる。 こうした開かれた環境では、どの表現媒体や文化がそうであるように、今後日本マンガとバ ンド・デシネの相互の浸透は進むだろう。そんな中、マンガ教室では日本の法則や既存のルー ルに縛られることなく、現地の環境にあった柔軟な指導が求められるのではないだろうか。 授業風景 京都精華大学紀要 第四十一号 ― 99 ― 受講者集合写真 右:通訳パトリック・モラン氏 ◎マンガ教室に関するサーベイ結果 Q.この授業に何を期待するか? ・マンガの技術習得 ・マンガを通した交流 ・日本でのマンガ教育環境について ・日本スタイルのマンガを学び、ゲームクリエーターのスキルとして活かしたい Q.将来の希望職種 ・科学者 ・ゲームクリエーター ・特になし Q.マンガの発表方法 ・友人同士で見せ合う程度 Q.マンガ雑誌の有無? ・ 「ANIME LAND」 「Japan Vibes」 「Coyote mag」など多数。価格 6 €程度 Q.母国語のマンガ単行本の入手方法、価格 ・大型量販店「fnac」 、BD コミック、マンガ専門書店「ALBUM」 、amazon など Q.コミックイベントの有無 ・毎年 7 月「JAPAN EXPO」開催。その他にも小さなイベントは多数。 [ 特記事項 ] 女性参加者、21 歳 マンガは趣味。同人活動はしているものの、他者への積極的な発表はしていない。将来は科 学者になるために勉強中。 男性参加者、27 歳 日本マンガが大好き。日本のアニメを原文で見るために、日本語の勉強をしている。将来の 夢は日本へ旅行をして聖地巡礼をしてみたい。 ― 100 ― マンガ教育の国際化に向けて─海外版ワークショップ〈マンガの描き方教室〉の実施報告 ◎受講者作品:課題①「キャラクター設定」 課題②「キャラクター設定 表情編」 京都精華大学紀要 第四十一号 ― 101 ― 課題③「扉絵、1ページイラスト」 Ⅲ -3 ブダペスト ◎参加者、授業の様子 2011 年 4 月にマドリード、パリで実施したマンガ教室の第二弾として実施したもので、授 業内容は前述の通り。特筆すべきは、参加者のクオリティーとモチベーションの高さである。 まず、クオリティーについては、2011 年に実施の際に課題となったレベルのばらつきについ て事前募集の際に 1 年以上のマンガ実作経験を有するという条件をつけた改善を行い、その結 果、80 名余の応募者の中から条件を満たす 27 名が受講。中には、大学の教員や連載原稿を抱 えているプロのマンガ家もいた。モチベーションの高さは、マドリードやパリに比べて東に位 置するハンガリーに、過去において日本からの本格的なマンガ指導員が来ることがなかったこ とや、1989 年まで続いた共産党政権下にあって、西側諸国の情報が伝わりにくい状況のもと、 今回の機会を待ち望んでいたと考えられる。 受講生とのディスカッションによると、ハンガリーでのマンガ人気が加速したのは 2000 年 代前半、世界中でマンガやアニメの人気が台頭したのと呼応している。2007 年に日本のポッ プカルチャー情報誌「MONDO」が発行されて以後、その勢いはますます加速しているという。 しかし、母国語であるハンガリー語によるマンガ本の普及はあまり進んでおらず、メジャーな ― 102 ― マンガ教育の国際化に向けて─海外版ワークショップ〈マンガの描き方教室〉の実施報告 タイトルのみが翻訳されるに留まっている。その要因として、第二外国語である英語を理解で きる若者が多いこと、そのため、現在では英語圏で発行されているマンガ本を読むことができ ること、さらにウェブで閲覧できるコミックサイトの普及があげられる。マンガのみならずア ニメ、テレビドラマなど映像メディアを字幕付で鑑賞しているのだという。 マンガ専用の画材は入手が困難な状況だったので、我々が持参した日本製の画材は本当に貴 重なものとなった。日本製の画材の質の高さと使いやすさに驚きを隠せない参加者がほとんど であった。一方でデジタルツールについては、普及率が高く、ほとんどの受講者がアナログと デジタルの併用で制作をしていることがわかった。これに関しては、作品発表の場がウェブ中 心となっていることからも、容易にうなづける。 授業風景 右:通訳フォンダビスト・アンナ氏 受講者集合写真 京都精華大学紀要 第四十一号 ― 103 ― マンガ教室に関するサーベイ結果 Q.この授業に何を期待するか? ・日本マンガの現状、特にマンガ家としてデビューするための流れ、およびそれに必要なス キル。 cf. 参加者の多くは日本でのマンガ家デビューを目標に創作活動を続けており、前回のマド リード以上にマンガ業界、マンガ教育環境などの事情を質問されることが多かった。 Q.将来の希望職種 ・日本でのマンガ家・アニメーター ・ゲームクリエーター Q.マンガの発表方法 ・多くはウェブにより、イラスト投稿 SNS(ソーシャル・ネット・サービス)サイト、ファ ンサイト、Pixiv などがある。 ・出版や同人誌の発行も行われているが、ウェブの方が身近で、より多くの人への波及・訴 求効果が期待されているようだ。 Q.マンガ雑誌の有無? ・月刊「MONDO」2007 年より発行(1 冊 790 フォリント(ft /約 300 円) ) 。ハンガリーで 唯一のマンガ関連雑誌で、日本のアニメやマンガ、テレビドラマなども紹介する。 Q.母国語のマンガ単行本の入手方法、価格 ・ハンガリー語のマンガ単行本はメジャーなものしかなく、英語版での購読が中心。 ・ウェブでのマンガ閲覧がメインで、アニメファンサイトなどを利用してハンガリー語字幕 で鑑賞する。 ‘mangareader.net’ ‘mangastream.com’ ‘animeseason.com’などがある。 Q.コミックイベントの有無 毎年春、秋に「ANIME CON」開催。地方都市には都度巡回される。 [ 特記事項 ] 女性参加者、17 歳 ほか数名 日本でマンガ家として活躍するためにまずは日本語の習得をめざす。その間もマンガ制作は 続け、日本語の習得と共にマンガ家デビューを果たすことが夢。 男性参加者、41 歳 〈時代に埋もれたハンガリーコミックアーティストを嘆く声〉 ハンガリーのコミックアーティストの画集(自費出版)を見せてくれた。1930 年代から創 ― 104 ― マンガ教育の国際化に向けて─海外版ワークショップ〈マンガの描き方教室〉の実施報告 作活動をしていたその作家の作品はノーマン・ロックウェルのようなタッチで風俗画やポス ターが描かれており、当時のハンガリーの街並みや生活風景が克明に記録されていた。共産党 時代になってからは表現への統制が強く生活風景などを描くことは許されなかったという。そ の他には、コマ割りされたコミックスタイルの絵もあった。ハンガリーコミックのルーツの 1 つともいえるその作品は、歴史の断絶に埋もれてしまい、現在でも陽の目を見ることはないと いう。現在、若者が日本スタイルのマンガをもてはやし、憧れている状況を認識した上で、自 国のコミックの歴史の再発掘・再認識を強く願っているようだった。 ◎受講者作品 課題①「キャラクター設定」 課題②「キャラクター設定 表情編」喜怒哀楽 表情の描き分け 京都精華大学紀要 第四十一号 ― 105 ― 参加者持参作品 ハンガリ−で出版されたコミック ― 106 ― マンガ教育の国際化に向けて─海外版ワークショップ〈マンガの描き方教室〉の実施報告 Ⅳ . 実施結果 前述のように、ヨーロッパの3つの地域でマンガの描き方教室を実施した結果、様々なこと がわかった。個人の差が顕著に出たのは参加者の作画技術の習熟度の違いであった。とくに同 時に大勢を指導する場合においては習熟度別に合わせた授業内容や教授法、進度などについて 考慮する必要がある。マンガの知識については、国や地域によっての浸透度や理解度に大きな 差は見られなかった。これはインターネットの普及による情報伝達力やインターネットによっ てもたらされている情報の均一性によるものと考えられる。また、文化基盤の違いによるマン ガに対する前提の留意点について以下に事例を報告する。 1 通訳の重要性 今回、 3 カ国ともに順調に事業を進めることができた。その影では多くのスタッフや人的フォ ローがあったが、特に通訳の果たした役割の重要性について取り上げる。 マドリード教室の通訳者をつとめたあるマルク・ベルナベ氏は、マンガ研究者で長年日本語 教育の教材開発をマンガで取り組む活動を行うと共に、マンガのスペイン語翻訳も数多く手が けるなど、マンガのスペシャリストである。 フランス教室の通訳をつとめたパトリック・モラン氏はフランス人の父と日本人の母のハー フで、自身がフレンチコミック(バンドデシネ)作家である。マンガとバンドデシネのどちら からも大きな影響を受け、現役作家として活動する彼は、現地の参加者の感覚に寄り添い、文 化基盤を異にする日本のマンガ文化とフランスの文化の間隙を埋める、レベルの高いもので あった。 ブダペスト教室でのフォンダビスト・アンナ氏も日本留学経験が長く、日本のマンガ事情を 理解した上で、ハンガリーにおけるマンガ文化育成の架け橋となってくれた。 本事業においては、当然のことながら、しばしばマンガに関するさまざまな事柄に関するディ スカッションが展開された。技術指導から、画材の特性、専門用語や現在のマンガ事情、日本 におけるマンガ環境等々、日本では前提として当たり前になっている事柄も、日本の前提がな い海外においては、さまざまな場面・部面において的確に解説することが求められる。指導す る側も充分に配慮した上で指導や助言を行うが、教授内容が深まるほどに、基本的・基礎的な 部分が欠落しがちとなる。そのためにも、日本のマンガはもとより文化基盤を熟知し、理解す ると共に、母国の文化との異同を的確に把握しているインタープリターの存在は重要であり、 彼ら/彼女らの果たす役割は大きい。 京都精華大学紀要 第四十一号 ― 107 ― 2 3つのタイプが混在する参加者 参加者には大きく分けて3つのタイプがあった。 A:日本でマンガ家やゲームのクリエーターとしてデビューを望むタイプ B:マンガを趣味として、ファンとして楽しむ姿勢で望むタイプ C:日本マンガと自国のコミック文化との相違点を模索するタイプ である。どのタイプも日本マンガに対して、能動的に取り組んでくれるので、講師としては 非常にやりがいがある。 A と B の差はスキルの面と到達目標の違いにあり、A の場合は将来の人生設計まで相談さ れることが多い。一方、B の場合はマンガを通じた国際交流や同好談義を主とする場合が多い。 A、B のタイプは日本のマンガのみに関心があり、いずれはマンガの国=日本というある種の 幻想と対峙することを余儀なくされると予想される。したがって、彼ら/彼女らの期待を裏切 らないようなマンガ文化(コンテンツ)の育成・発展と共に正確な情報を提供していかねばな らない。 C のタイプは数こそあまり多くないが、彼らは自国における日本のマンガの現状や変遷を客 観的に捉えていると共に、正確な情報を有しており、また、自国のコミック事情や日本のマン ガ事情にも精通し、現地でなければ得られない情報をもたらしてくれる。マンガ比較文化(論) における彼ら/彼女らに期するところは大きい。 3 日本における「マンガ」と海外における「MANGA」の言葉の守備範囲の違い 現在、マンガは「MANGA」と翻訳され、マンガ愛好者の間では共通語として使用されてい る。しかし、現在使用されている「MANGA」という言葉は日本人の感覚にある「マンガ/漫 画」という言葉が持つイメージと少し開きがあることがわかった。 日本で「マンガ/漫画」という言葉を使えば、まずは本の形態を指す。雑誌や単行本に掲載 されている、絵とコマとセリフなどによって構成されている読み物として認識されている。し かし、海外においてマンガ(MANGA)という言葉を使用する際にはもう少し広い意味が付加 されている。それは、アニメや関連商品(文具や玩具など) 、フィギュア、コスプレといった 日本独特のマンガスタイルから派生する周辺領域をも MANGA として捉えられているのであ る。この事実は日本語の「マンガ/漫画」よりも世界に浸透している「MANGA」の方が「マ ンガ文化」そのものを包括する総合的な言葉として使用されていることを裏打ちしている。 ― 108 ― マンガ教育の国際化に向けて─海外版ワークショップ〈マンガの描き方教室〉の実施報告 4 マンガを受容・消費する順序 日本においてマンガは概ね、①雑誌、②単行本、③アニメ、④関連商品、フィギュア、コス プレという順番順序で受容され消費されている。まず毎週、毎月、大量に、①雑誌、②単行本 が発行される。その中からよりすぐりのものが、③アニメ化(映像化)される。そしてさらに メディアミックスが進むと、④関連商品が生み出されるという図式である。 ①②と③④は同じポピュラーカルチャーでとして位置づけられ、関係性はあるものの、物量 や媒体の違いから、マンガとアニメは別のものであると考える人が多い。 一方、海外では、③アニメ、④関連商品、②単行本という順序で受容・消費されている。日 本では筆頭の「雑誌」については、存在は知っているが見たことがないというのが実情のよう である。海外においては、日本マンガはまずはアニメ(映像)として導入されるため、その後 に続く媒体の変化や形式の違いは気にせず、むしろ、 「マンガスタイル=視覚的形式」として 日本マンガを認識していると言えよう。 Ⅴ . 課題と展望 実施報告では、国際的なマンガ教育を実施するにあたって、参加者の習熟度に合わせた授業 内容の重要性と文化基盤の違いによる留意点を〈通訳者などインタープリターの重要性〉 〈参 加者の3タイプ〉 〈マンガ=MANGAが持つ言葉の範囲〉 〈マンガの受容順序〉4 つあげた。 その結果を踏まえ、日本のマンガ教育との相違についてみていきたい。そもそも「マンガ教 育」には「マンガによる教育」と「マンガを教育する」という 2 つの意味を内包しているとい える。前者は国語や社会科で用いられることが多く、既存のマンガを教材として使用し教科書 を補助する副読本のような役割を担う。歴史や社会または、ある専門領域を俯瞰し要約して学 習するために活用される。後者はマンガそのものを教育するともいえ、現在徐々に確立されつ つあるマンガ学へと発展していくものである。マンガ史、マンガ業界、産業、表現論、マンガ 技法や技術習得もこれに分類されるだろう。 今回実施した海外でのマンガ教室は、 「マンガを教育する」点に重点をおいた。なかでも技 術習得がメインであった。前述の習熟度の差については日本においても海外においても同様に 留意すべき事例である。一方で、文化基盤の違いによる留意点については、国際的なマンガ教 育特有の課題といえよう。 海外において「マンガによる教育」はまだできないといってよい。なぜなら教材として適切 なマンガが充実していないからである。マンガによる教育のニーズがないともいえる。日本に おいて「マンガによる教育」が可能な理由は、マンガそのものが広く定着していること、教材 京都精華大学紀要 第四十一号 ― 109 ― としてふさわしいマンガ資料が充実していることが前提になってくる。これは日本のマンガ読 者の成熟とマンガそのものの多様性を示しているともいえる。 今後も海外でのマンガ教育はマンガを教育することが主になるだろう。圧倒的にニーズが高 いからだ。アジアの一部を除く海外においてマンガを学ぶ環境はほとんど整備されていない。 インターネットの普及によって情報を得ることは飛躍的に発展した。しかしながら文化基盤の 違いによるハードルはまだまだないとは言い難い。実際に対面で学習できる機会は全くないと いっていい状況である。それらのハードルを埋めるためのマンガ教育はこれからもますます求 められることになるだろう。 明らかにニーズとして求められているマンガ教育は、日本スタイルのマンガの技術習得がで きる「マンガの描き方教室」である。しかし、それだけを実施し続けることがマンガ教育の国 際化といえるのだろうか。日本を離れた「マンガ= MANGA」はそれぞれの国で、それぞれ に咀嚼され、根付き、新しい発展を遂げることが望ましいのではないか。各国で独自に発展し た新しい MANGA を産み出す素地を作ることを目的にすることこそ、本当の意味での国際的 なマンガ教育といえるのではないか。 事実、日本のマンガは人気がある。各国を席巻している。しかしマンガ教育は一過性の波に 乗ることなく、その土地々々に根付くことができる新しいマンガを生み出すためのマンガ教育 を模索する必要があるだろう。その指針を示してくれるのは、今回通訳を担当してくれたよう なマンガ研究者や日本の事情に詳しい人材、そして前述の参加者 C タイプの人たちである。 彼らのような感覚を持っている人との交流を大切にし、ニュートラルな視点でマンガを見つめ 続けることが重要なのではないだろうか。マンガ教育の国際化を進めていくためにも C タイ プの発掘と育成が重要な鍵になるだろう。 【参考文献・ウェブサイト】 「別冊宝島 EX マンガの読み方」1991 年/宝島社 「マンガの描き方 似顔絵から長編まで」手塚治虫 1996 年/光文社 「美育文化」特集マンガが好き 1999 年/美育文化協会 「ワークショップ」中野民夫 2001 年/岩波新書 「キャラクターメーカー」大塚英志 2008 年/アスキー新書 「をちこち」19 号 マンガから MANGA へ 2007 年/山川出版社 「をちこち」13 号 日本発!アニメの魅力 2006 年/山川出版社 「スペインにおける日本のテレビアニメ・マンガ・映画市場の実態」 2007 年/日本貿易振興基金 「平成 18 年度∼ 22 年度私立大学学術研究高度化推進事業オープン・リサーチ・センター研究成果報告 ― 110 ― マンガ教育の国際化に向けて─海外版ワークショップ〈マンガの描き方教室〉の実施報告 書 京都精華大学国際マンガ研究センターのあゆみ」2011 年/京都精華大学国際マンガ研究センター 【マンガの描き方教室 実施先の情報】 事例① 国際交流基金マドリード日本文化センター @スペイン、マドリード市 The Japan Foundation, Madrid Address: Calle Almagro 5, 4ª planta, 28010 Madrid, Spain TEL: 34-91-310-1538 FAX: 34-91-308-7314 URL:http://www.fundacionjapon.es/ 本事業関連記事(2012 年 4 月 2 日検索) http://www.jpf.go.jp/j/japanese/dispatch/voice/seiou/spain/2011/report01.html 事例② 国際交流基金パリ日本文化会館 @フランス、パリ市 The Japan Cultural Institute in Paris Address: 101 bis, quai Branly, 75740 Paris Cedex 15, France TEL: 33-1-44-37-95-00 FAX: 33-1-44-37-95-15 URL: http://www.mcjp.fr/ (フランス語) URL: http://www.jpf.go.jp/mcjp/ (日本語) 本事業関連記事(2012 年 4 月 2 日検索) http://www.jpf.go.jp/j/japanese/dispatch/voice/seiou/france/2011/report03.html 事例③国際交流基金ブダペスト日本文化センター @ハンガリーブダペスト市 The Japan Foundation, Budapest Address: Oktogon Haz 2F, 1062 Budapest, Aradi utca 8-10, Hungary TEL: 36-1-214-0775/6 FAX: 36-1-214-0778 URL:http://www.japanalapitvany.hu/?setlang=ja(日本語) URL:http://www.japanalapitvany.hu/?setlang=en(英語) URL:http://www.japanalapitvany.hu/?setlang=hu(ハンガリー)