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第 35 回 知的財産マネジメント研究会

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第 35 回 知的財産マネジメント研究会
第 35 回
知的財産マネジメント研究会
『光触媒技術の特許戦略を斬る』
岸
開催日
宣仁氏
:2003年3月15日(土)
開催時刻:15時00分
終了時刻:16時50分
開催場所:東京大学先端科学技術研究センター
4号館2階講堂
隅藏
それでは、全体セッションを始めたいと思います。本日は、『光触媒が日本を救う
日』
(プレジデント社)という本を最近お出しになりました岸宣仁先生にご講演をいただき
ます。光触媒に関する特許戦略ということに関しまして、どういったことが行われてきた
か。それから、それがまた別の技術を考える時にも、非常に参考になるものだと思います
ので、光触媒の特許戦略ということで、きょうは、光触媒の関係者の方も何人もおみえに
なっていると思いますので、またディスカッションの時には、いろいろとご討論いただき
たいと思います。
簡単に、岸宣仁先生のご略歴を紹介させていただきます。現在、経済ジャーナリストと
してご活躍中でございますけれども、埼玉県にお生まれになりまして、73 年に東京外国語
大学卒業後、読売新聞に入社されました。横浜支局を経て、経済部に勤務されまして、大
蔵省、通産省、農水省、経企庁、日銀、証券、経団連機械、重工クラブなどを担当なさい
ました。そして、91 年に読売新聞社を退社なさったあと以降は、フリーランスの経済ジャ
ーナリストとして、知的財産権、研究開発、雇用問題などをテーマに執筆活動を展開なさ
っています。最近の著書としましては、『知的財産会計』(文春新書)が出ておりまして、
こちらをご覧になった方もたくさんおられるかと思います。また、中央公論新書のほうか
ら出ております『特許封鎖』。これは「アメリカが日本に仕掛けた罠」というサブタイトル
がついていますけれども、日本の知財立国、それから、これからの国家戦略ということに
も密接に関わる本だと思います。そのほかに、
『経済白書物語』
(文藝春秋社)、
『異脳流出』
(ダイヤモンド社)、
『税の攻防
算
大蔵官僚四半世紀の戦争』
(文藝春秋社)、
『賢人たちの誤
検証・バブル経済』
(日本経済新聞社)など、たくさんのご著書がございます。岸宣仁
先生に、きょうは特に光触媒の特許戦略に関しまして、ご講演をいただきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
岸
はじめまして、いま、ご紹介いただきました岸と申します。この会合では、やや学術
的、アカデミックな方が多いようですが、私は夜討ち朝駆けの連続の新聞記者を 18 年7ヵ
月もやりまして、その延長線上でいまフリーをやっておりまして、あまり高尚な話はでき
ないので、是非生々しくお話をしたいと思っております。
1つだけ、私のバッググラウンドで冒頭にお話ししておかないと危ないなと思う点があ
りますので、エクスキューズ風にちょっと申し上げます。いま、隅藏先生から、自分の経
歴を紹介していただいたなかで、私は 91 年に読売新聞を辞めまして、その後、8年間ぐら
い大蔵省ばかりを追い掛けていました。大蔵、あるいは日銀。いかに日本の財政金融がだ
めかというのを必死で追っ掛けていまして、本もかなり出したんですが、いまからちょう
ど5年前、大蔵省がパージを受けまして、私が見てきたなかでいちばんできる人たちが片
っ端からパージになりまして、それを見ていて、財政金融への思いというか、これからさ
らに追っ掛けていこうという勇気を失いました。ちょうど 99 年の春頃、フリーで食ってい
くのはどうしようと、大学の先生にでもなろうかなと揺れている時期がありました。その
時、これは私の人生においてかなり衝撃的だったんですが、財政金融を追っ掛けている時、
ある財務局長までやった男がおりまして、彼が「日本の金融はアメリカに比べてだいたい
15 年遅れているから、特に金融技術、ファイナンシャル・テクノロジーは 15 年遅れてい
るから、その遅れぶりの実態を暴いて欲しい。あなたは財政金融をやめるんだったら、そ
の本を1冊書いてやめたらどうか」という話を受けまして、これはおもしろい話だなと。
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特に金融技術の部分がいかに遅れているかを裏側から書いたら、かなりおもしろい本にな
るかなと取材に実は入りましたが、結果として、なかなかそういう本を書けませんでした。
日本長期信用銀行(もう潰れてしまいましたが)がモルガンスタンレーだったか、どこだ
ったか。相当デリバティブで飛ばしをさせられて、いまの体たらくになったんですが、長
銀を舞台に日本の金融技術のだめさ加減を追っ掛けようと取材に入りましたが、結果とし
て、裏がなかなか取れないで、途中であそこの会社は検察のターゲットになって、ある副
頭取が自殺しました。実は、その副頭取は私のいちばんの朋友で、彼からいろいろ裏話を
聞いて書こうと思っていたんですが、結局書けませんでした。
冒頭、話がちょっと長くなるんですが、その時、99 年、忘れもしない5月8日の日経新
聞の夕刊に、僅か3段ぐらいの記事が載ったんです。それはどういう記事かというと、当
時の特許庁長官だった伊佐山建志という方がおりまして、いまは日産の副会長をやってい
て、この間も会ってきたら、ゴーンに絞られてフーフー言っていましたが、彼は日米の最
前線で日米貿易摩擦ばかり追っ掛けていたせいもあるんですが、大変いいセンス、発想を
持っていて、彼がどういう報告書を 99 年5月8日の夕刊に載せたかというと、金融技術、
なかんずくデリバティブの特許が日本でどのくらい取られているかというのを日米で比較
したんです。結論からいうと、当時、アメリカが6つのデリバティブを日本の特許庁で取
っているけれども、日本は0。0どころか、日本の金融技術に関する特許というのは、窓
口でやる時の業務をこういうコンピュータの仕組みで改善しましたというような金融技術
に関する特許ぐらいで、デリバティブにはオプションだとか、いろんな仕組みがあるんで
すが、その特許を取ったのが日本は0。アメリカが6。いまはもっと開いていると思いま
す。それを見た時、はたと気付いたんです。そうか。金融技術を特許で追っ掛けたら、何
か見せられるなと。実は、それがスタートでありまして、最初の取材に入った時に、特許
庁の相田義明さん。一時、ここの先端研にも出向されていたから、ご存じの方もいるかも
しれませんが、シグニチャーのビジネスモデル特許を日本の特許庁で拒絶した本人が相田
義明という方で、この人と親しくなって、ちょうど東大先端研へ来たから、特許庁から外
れたのでかなり気楽になってまして、いろいろしゃべってくれました。そのビジネスモデ
ルやデリバティブの関係を調べ始めて、実は私の知財狂いが始まりまして、いまに至って
はおるわけです。故に、私の知財は3年半ぐらいの歴史しかなくて、
『特許封鎖』とか『知
的財産会計』とか、今度の「光触媒」を書きましたけれども、バックグラウンドはかなり
怪しいとは言わないまでも、それほど深い知識もないまま、浅薄な知識でジャーナリスト
の度胸だけで書いてきた部分がありまして、やや恥ずかしい点がありますが、そういうバ
ックグラウンドをお話ししたうえで、きょうの光触媒の特許戦略のお話に進めたいと思い
ます。
まず、私はいつも最近日本人の特許戦略、その裏にある独創性という点で、この表がい
ちばん生々しく物語っている表なので、いつもこれを最初にお示ししてから話に入るんで
すが、後ろの方は見えますか。数字までわかります?
この表は特許庁の私の友人がくれ
た表で、世の中にいっぱい出回っているのかどうかはわからないんですが、95 年にアメリ
カの商務省が作った表です。
「日本の力」というのは特許庁が勝手に付けたんですが、高度
成長時代にオリジナルの技術がどのくらいあって、それを応用につなげて、それがどれだ
け商品化したかというのを1枚の最もわかりやすいグラフにしたものです。下にも書いて
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ありますように、調査対象品目が 38 品目。自動焦点カメラ、自動車、CDプレイヤー、デ
ジタル時計、半導体メモリ、ロボット、テレビ受像機などですね。それをどこが発明して、
どこが商品化したかというのをアメリカと欧州と日本で比べたものです。これを見ると一
目瞭然ですが、アメリカの発明が 29 に対して、欧州は 11 で、日本が0です。ところが、
商品化となると、日本がグーッと伸びて、ヨーロッパは少ないんだけど、アメリカに対し
て断然多い。こういう数字を実はアメリカの商務省が作っておりまして、もちろんアメリ
カが作ったものですから、かなりアメリカ側のバイアスがかかっていることは事実ですが、
私はこれが日本の戦後の科学技術、基礎から応用、あるいはそれを商品にしていく様を最
も雄弁に物語っているのではないかと思っています。基礎が0というのは、本当かどうか
はちょっと私もよくわかりません。ただ、われわれが考えるのに、自動車は明らかにヘン
リー・フォードあたりだろうし、半導体メモリもショックレーあたりに戻るのかなと。テ
レビ受像機は高柳健次郎さんというのがいるけれども、それ以前は誰かやった人がいるの
かは私もわかりません。液晶も確かアメリカの大学の先生か、RCAあたりに研究者がい
て、最初の原理をやったとか、ビテオテープレコーダーがRCAかな。そういう状況で、
いかに日本に基礎技術がないのかというのは、これからも一目瞭然なんです。
80 年代の前半は、私はアメリカへ何度も日米貿易摩擦の取材に行っていて、いまでも忘
れないのは、83 年にデトロイトへ行った時、UAWというアメリカで最も強硬な自動車労
働組合の幹部に会ったんです。彼はフリードマンという有名な経済学者みたいな名前の調
査部長さんでした。皆さんの記憶にあるのは、80 年がデトロイトで日本の車が打ち壊しに
あって、81 年ぐらいに 168 万台の自主規制をかけられて、私が行ったのは 83 年で、デト
ロイトは廃墟と化している頃でありました。その時、フリードマンという男がインタビュ
ーした時に言った言葉が大変印象的で、日本はとにかく自動車とかエレクトロニクス製品
をアメリカに集中豪雨の如く輸出している。ただ、その輸出できるのは、明らかに安保に
ただ乗りし、つまり、防衛は何もせずに経済だけで稼いでやっていく。しかも、さらに技
術にもただ乗りしている。アメリカの基礎技術を盗んでいって、それを応用につなげて、
コンパクトなものをつくるのがうまいですから、そういうのでひたすら集中豪雨の如くア
メリカに輸出して、われわれはお前らのお陰で貿易赤字が重なり、さらに財政赤字も膨ら
んで、双子の赤字の時代である。レーガン政権の直前、カーターの末期ぐらいがいちばん
最悪の時期でありまして、そういういちばん熾烈なジャパンバッシングの時期にアメリカ
を取材していたので、この感じがよくわかるんです。安保ただ乗り論と技術ただ乗り論。
私はそういう経験があるものですから、知財に入った時に、日本の基礎技術の弱さという
ものを痛感しておりまして、ここで知財を勉強するなら、0といわれているけれども、も
しかして日本にも基礎技術でかなり革新的なもの、シュンペーター流のイノベーションに
つながるような、創造的破壊につながるような技術があるんじゃないかということを一昨
年の秋ぐらいから思い始めていました。
その時、きょうは見えてないんでしょうか。東大TLOの社長の山本貴史さんとそうい
う話をしていたんです。日本人の基礎技術でこれというものはないだろうか。
「いいきっか
けがあったら、取材に入ってみたいんだけど、何かいいヒントはない」ということを山本
さんに聞いたら、彼が真っ先に挙げたのが光触媒の技術だったんです。東大先端研には、
きょうもそちらにいらっしゃいますけれども、渡部俊也さんというTOTOにおられて、
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いま、東大先端研に来て、光触媒技術を、最初の基礎技術もそうだけれども、特許戦略か
らもかなり攻めた方がいて、渡部さんに聞けば、その技術のすべての核心がわかるよとい
うようなことを言われて、
「よし、この光触媒技術を徹底的に洗ってみようか」と。アメリ
カにすべて基礎があって、日本にはないと言われるならなんとか鼻を明かしてやろう。ち
ょうどその頃、白川先生とか、野依先生とか、日本人のノーベル賞も続いていて、ひょっ
として光触媒も将来はノーベル賞になるんじゃないかという思いも込めて、ちょうど一昨
年の秋にそれを感じて、いまでも忘れません。一昨年の 12 月 10 日に初めて渡部先生のと
ころへ取材に行って、1年間かけて、
「プレジデント」で連載してまとめたのがこの本です
が、光触媒という技術に大変感動しました。しかも、その技術を渡部先生を中心に猛烈な
知財戦略で固めました。ただ、結果として、固め過ぎて、このなかで興味がある方はドク
ター論文か何かになるんじゃないかと思いますが、排他的独占権のある意味で光と影みた
いなものを内包している技術でありまして、それは最後にちょっとお話しして、皆さんの
ご意見もお聞きしたいと思います。
まず、光触媒技術ということから、きょうはご専門でない方もおられるようなので、日
本が生んだ基礎技術のなかで、光触媒技術はどういうものかというのをご説明したいと思
います。こういうものを見てもよくわかるかどうかはわからないんですが、どういう方が
どういうことをしたかということからまず話さなければいけないと思います。いま、東大
の工学系大学院の教授をなさっている藤嶋昭先生という方がおられて、この方はこの間3
月4日にちょうど退官記念の講義をされて 60 歳で東大をお辞めになった方ですが、藤嶋先
生が横浜国大の化学科を卒業されて、東大の生産技術研究所に来られていた 1967 年頃に、
助教授が本多健一先生という方ですが、その2人が東大生産研で光化学の研究をされてい
て、ここからはややドラマティックですが、1967 年(昭和 42 年)の春、何日かは覚えてな
いとおっしゃるんですが、容器のなかに水があって、そこに酸化チタン。酸化チタンとい
うのは皆さんがよくご存じのように、おしろいとか、そういうものに使われるごく一般的
な粉末ですが、しかも、ルチル型の酸化チタンを水のなかに置いて、そこに紫外線を浴び
せたら、水が分解したというんです。一方にプラチナ一方に白金を両極に置いておいたら
しいんですが、一方の極から酸素が出て、一方の極から水素が出たんです。ある夜のこと
らしいんですが、あとで調べてみると、ルチル型の酸化チタンは全然減っていないんだそ
うです。だけど、水のなかに酸化チタンを置いて光を当てると、水が酸素と水素に分解さ
れるということを藤嶋先生がある日発見するんです。だけど、水が光で分解されるなんて
ことはあり得ないと。しかも、マイナスの電位でというので、発見当時は目茶滅茶に叩か
れるんです。光電気化学会とか、そういうところへ行くと、
「君、一から勉強し直して来い
よ」と言われて、徹底的に叩かれるらしいんです。ところが、これも日本人の悪い癖とい
うか、この原理がフォトリシスという名前で、1972 年7月の「ネイチャー」に載ると一変
します。わずか2ページぐらいのもので、原理としては大変簡単です。水のなかに酸化チ
タンを入れて光を当てると、水が水素と酸素に分解される。つまり、水の光分解が酸化チ
タンで起きたという、原理としては簡単なものが、日本では叩かれながらも、72 年の「ネ
イチャー」に載るんです。そうすると、だいたい日本人というのは、海外からほめられる
と、これはいいとなるので、だんだんそれは認められます。
ここにまたドラマがあって、私は経済のフィールドで生きてきたから、どうしてもそっ
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ちのほうに興味があるんですが、72 年7月のあと、73 年 10 月が第4次中東紛争です。こ
れが有名な第1次オイルショックにつながりまして、例のトイレットペーパーがなくなっ
たとか、大変な時期だったわけですが、その翌年、74 年1月1日の朝日新聞の元旦号に、
一面トップでドンと載るんです。日本人の発見で、光触媒で水から水素が取れるという記
事になるんです。若い藤嶋昭先生の顔写真などが載った大記事になっているんですが、そ
こから世の中がさらに変わるんです。
「ネイチャー」でまず変わって、日本人が水から酸化
チタンで水素ができる技術を発見した。オイルショックの最中でありますから、日本の技
術で夢のエネルギー、水素といういちばんクリーンなエネルギーができるという技術が生
まれたということで、大々的に宣伝されて、そこから日本に光触媒の技術ありということ
が認められていくんです。ただ、技術開発とはこんなものかというのは、またそこからド
ラマがありました。まさに水素エネルギーが水から取れるということが大課題になって、
それで、石油に代わる代替エネルギーとして、世界的にこんなハッピーなことはないとい
うので、水素を取れの大合唱になります、藤嶋先生は東大の生産技術研究所から神奈川大
学へ行くんですが、大学の屋上に1メートル四方の酸化チタンの水槽を置いて、毎日紫外
線を当てて、水素がどのくらい取れるかを必死でやったらしいんです。ところがどっこい、
丸1日酸化チタンに太陽光を当てて取れた水素の量がなんと7リットルで、1回ボンと燃
やしたら終わりということで、結局、夢の水素エネルギーは光触媒によって得られはした
けれども、まったく実用化に供するような次元ではなかったんです。ここで光触媒の技術
開発は一旦止まってしまうんです。せっかく日本に基礎技術が生まれ、
「ネイチャー」にも
載りながら、世の中をひょっとすると大変革をするようなイノベーションが起きるんじゃ
ないかというんだけど、そこで止まってしまう。藤嶋先生はそこでやや諦めてしまって、
むしろダイヤモンドとか違うほうに興味が移ってしまって、これはもうだめだと終わって
しまうんです。
しかし、ここにまたさらにドラマがあって、私はこの本を書く時、三者三様のおもしろ
い人たちの取材ができたんですが、東大の藤嶋研究室に 89 年に橋本和仁さんという、いま、
この4階におられる先端研の教授が岡崎の分子生物機構(岡崎研)から藤嶋研に助手で呼
ばれてくるんです。まだ若い時代の橋本先生ですが、そこで彼はせっかく藤嶋研に来たら、
やや埋もれてしまった光触媒にもう一度光を当てて、これを応用技術につなげられないか
ということを考えて、彼がユニークな発想をするんです。いま行っても東大4号館のとこ
ろのトイレは汚いんですが、当時、89 年の頃はすごいトイレが汚くて黄ばんでいて臭くて、
光触媒というのは水素と酸素に分かれるということと同時に、強力な酸化還元力があると
いうことがわかっていたんです。酸化分解力を使って、トイレの黄ばみ、臭いみたいのは
取れないかという研究をしようと。89 年に橋本助手はものすごく燃え上がるんです。ここ
もまたドラマがあって、本当ジャーナリストというのは見てきたような嘘を言う、ドラマ
仕立てにしてしまうところもあるんですが、その時に橋本先生が是非共同研究しようとい
って声をかけたのがTOTOの茅ヶ崎の基礎研究所です。そこにおられたのがいまこちら
の右の端の前におられる渡部俊也先生で、彼が研究リーダーみたいなことをされていて、
そこに橋本さんから声がかかって、東大のトイレを光触媒できれいにしようじゃないかと
いうプロジェクトがスタートするんです。黄ばみを取るという最初の橋本先生の発想は、
渡部先生から見ると、そんなものはニーズがないと。たとえばMRSAとか、ああいう菌
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を殺すような抗菌のほうにいけないかとか、いろんな試行錯誤はありますが、89 年から本
格的な研究が始まって、まず、最初は抗菌タイル。特に病院で広く薄く浮遊しているMR
SAとか、ああいう菌を、たとえばタイルに酸化チタンを塗って、それを壁にすると、そ
の酸化チタンの光触媒による酸化還元力で菌が殺せるということで、まず、最初は抗菌性
というアイデアに結びつくんです。実際、茅ヶ崎のTOTOの基礎研と岐阜のタイルセン
ターがタイアップして、最初の抗菌タイルが生まれ、やっとそこに光触媒の最初の応用技
術ができていくんです。あとでこういう知財学会の話だから、ポイントになるかと思いま
すが、藤嶋昭という発見者がいて、そこに橋本和仁という極めてアイデアマンが助手とし
て来て、東大のトイレをきれいにしようとして、さらに渡部俊也先生というTOTOの研
究者がおられて、三者三様の思惑、ドラマ、いろんなものがあって、お人柄も三者三様で、
狐と狸の化かし合いみたいな感じもしないでもないんですが、しかし、3人が人生模様さ
えも織りなすようなドラマがあって、この光触媒という技術が応用につながっていって、
最初の抗菌タイルができるんです。
そのあと、もう1つ大きなブレークスルーがあって、それは渡部先生のところがおやり
になるんだけど、これがいまメインの技術です。抗菌性とか、防汚、あるいは脱臭みたい
な機能と同時に、本当におしろいなどに使われる酸化チタンには、超親水性があるという
ことを渡部先生たちのTOTOの基礎研が発見するんです。超親水性はどういうことかと
いうと、逆から言うとわかりやすいんですが、蓮の葉っぱに水を落とすと、丸く玉になっ
て転がる。あれがまさに超撥水です。ところが、超親水というのは逆で、何か(酸化チタ
ン)の上に水を落とすと、薄く濡れ広がるんです。玉にならない。薄い水の膜といってい
いんでしょうか。そういう原理が酸化チタンにあるということを、95 年2月頃、渡部先生
たちのTOTOの基礎研の人たちが発見するんです。藤嶋先生は最初酸化還元力の1つの
バージョンじゃないかと言われていたんですが、実際、超親水性はまったく違う原理で動
いているということがわかって、95 年2月に発見されたんですが、97 年の「ネイチャー」
にこれも載りまして、まさにフォトカタリシス、光触媒の1つの大原理として、いまはお
墨付きを得ています。一時、水素を取らないといかんということで埋もれていた技術が人
を得たことによって生き返る見本です。私はその3人というのは恐らく、いまのTLOと
か、産学連携といって日本もやっとスタートし始めていますが、89 年に藤嶋・橋本ライン
がTOTO基礎研究所の渡部先生をピックアップ(失礼かもしれませんが)して、本当の
産学連携がここにできたと思います。さっきも言ったように、いろんな思惑があったんだ
ろうけれども、ある意味で表面からみると、極めて産学連携がうまくいって、こういう超
親水性の技術で 97 年の「ネイチャー」に結びつくまでに日本初のオリジナル技術が発展し
てきた。ここにまず1つ、日本に0と言われる基礎技術が生まれ、それが応用につながっ
ていく光触媒の大きな醍醐味があったと思います。それをこの本では冒頭のほうにずっと
書いています。
恐らくきょうはいちばん知財にご関心の高い方たちだと思いますので、光触媒の技術を
いかに特許戦略で固めていったかというあたりのお話に入っていきたいと思います。私は
失礼ながら、TOTOという会社を取材するまでは、TOTOVSINAXで便器屋さんの
戦いみたいにしか見ていなくて、家のトイレはそういえばTOTOだったなぐらいの認識
しかありませんでした。しかも、記者をやっていたから、九州の会社ぐらいは知っていま
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したけれども、あまり経済記者が追っ掛ける企業ではないんですね。電気、自動車、電力
の会社というのが経済記者としてメインに追っ掛けるところですが、失礼だけど、おトイ
レの会社なんていうのはあまり追っ掛けたことがなくて、一度もお話を聞きに行ったこと
がありませんでした。そんな過去はともかく、ここで光触媒技術をいかに特許戦略化する
という点でこの会社が優れていたかということをお話ししたいと思います。きょう、たま
たま前から2番目にみえている原田努さん、いま、ジャステックスというところの社長さ
んですが、彼は川重におられて、LNGの船の建造などの設計者でおられたんですが、87
年にTOTOは彼をスカウトして、TOTOのなかで知財戦略を再編し始めるんです。そ
の頃は知財戦略と言ったとは思いませんけれども、特許戦略の強化ということを考え始め
る。87 年です。最近、知財戦略本部の事務局長になった荒井寿光さんが日本のプロパテン
トを宣言したのは 97 年4月ですから、それよりも 10 年前にTOTOは自社のなかで特許
利用をいかに高めていこうかという戦略を組み始めるんです。まさにシンボリックに呼ば
れたのが原田さんで、TOTOの特許戦略をある種固めていった人です。それと、こちら
の渡部先生とともに連携しながら進めました。TOTOというのはおもしろくて、原田さ
んを呼んだだけではなくて、社内に「パテント夢会議」という組織を作るんです。単にパ
テントを管理するだけではだめだと。
この表だけはお示ししておいたほうがいいかと思いますが、すごく単純な表で、荒井寿
光さんがいつもこの表を使いますが、日本がいかにプロパテントで頑張らなければいけな
いかという表の1つです。創造があって、権利を設定して、それを十分活用して、活用し
た上で、たとえばうまくクロスライセンスを結んだり、ロイヤリティをしっかり取って、
それをまた創造につなげる。まさに知財の知的創造サイクルです。知的財産戦略というの
はこの知的創造サイクルをいかに大きく回すかが日本のプロパテントがいかに強化される
かの1つの要石だということを彼はよく言います。知的創造サイクルをTOTOのなかで
いかに強化していくかということを考え始める。原田さんをスカウトし、パテント夢会議
を作り、そこで知財戦略を練っていくんです。いま、ちょうど社長をなさっている重渕さ
んも専務の頃からかなり知財に燃えている男で、よく彼が使う言葉をそのまま申し上げる
と、
「日本はどうしてもプロダクト・ファーストで、パテント・セカンドになる。それはこ
れからはだめだ」と。多分原田さんをスカウトしたその直後ぐらいかもしれませんが、
「こ
れからはまさにパテント・ファーストで、プロダクト・セカンドで走らなければだめだ」
ということを社内に大声で叱咤激励するんです。彼とインタビューをしていると、口角泡
を飛ばす勢いで、「パテント・ファースト」と言っています。
TOTOのなかでは、87 年以降、そういう流れがかなり醸成されておりまして、そこで
さっき申し上げた 95 年2月に超親水性の原理を渡部先生たちが発見するんですが、TOT
Oの凄さは3月 20 日から基礎技術の特許をどんどん押さえ始めるんです。2月からたぶん
1ヵ月ぐらいだと思います。ここにはちょっとドラマがあって、基礎研におられた渡部先
生がこんな凄い技術を発見したということを原田さんのところへ飛んでいって、一体これ
をどうしようかというので、その頃、パテント夢会議があったかどうかはわからないけれ
ども、そこで本格的な検討が始まって、TOTOの特許戦略が始まるんです。特許を取る
際、特許マップだとか、ツリーマップだとか、いろんな考え方があって、特許庁はよくツ
リー、木の形で、幹に基礎技術があって、それに小枝を伸ばしていくような形で特許を取
7
ろうというので、ツリーマップと言っていますが、TOTOはピラミッドで取ったんです。
これは渡部・原田ラインの1つの結晶かと思いますが、いちばん上に超親水性の基礎技術
を置いて、それに対してだんだん応用を広げていくんです。コーティングのやり方ですと
か、非のうちどころのない特許の取り方をするんです。95 年頃から取り始めて、公開され
るのは1年半後ぐらいですから、ちょうどその頃特許庁長官をやっていた荒井寿光さんが
この特許を見て、日本にもこんな凄まじい特許戦略を持った特許の取り方があったのかと
驚いたという特許の取り方でありました。結果としては、ピラミッドのスタイルで 400 件
ぐらい超親水性技術に関する特許を全部押さえてしまうんです。
ここは渡部先生は言われると嫌なのかもしませんが、この技術をやっているのは、基礎
技術から応用までほとんど日本ですが、1人、テキサス大学オースチン校にアダム・ヘラ
ーという人物がおりまして、私は細かいことはわかりませんが、コーティングの組成物の
あたりでちょっと特許を持っている人がいたんです。ここがTOTOの凄まじいところで、
それも買ってしまうんです。このピラミッドをいかに崩さないか。堅固なお城の如く押さ
えるために、左端の一部だと思いますが、アダム・ヘラーの特許も買収してしまうんです。
金額を言うと怒られるので言いませんが、大変高価な買い物だったと私は聞いています。
しかし、このピラミッドは非のうちどころがない。どこからも崩れることのない堅固なお
城にしてしまう。この特許を日本、アメリカ、ヨーロッパ全部で押さえてしまったのがT
OTOの特許戦略です。
これは私はこの本を書きながらもまだわからない。あるいはTOTOの特許戦略を一か
ら追っただけでもドクター論文になると人に思いますが、渡部先生とか、原田さんとか、
あるいは後ろに橋本先生とか、藤嶋先生がおられるんだけど、これだけの人たちでこれだ
けの発想をしてしまったのかなという思いもあり、ただ、日本人で日本のプロパテント宣
言をしたのは、さっき言ったように、97 年なのに、95 年時点でこんなことをやってしまっ
た人たちがいたというのは私には感動です。あとでもお話ししますが、アメリカのガラス
メーカーのPPGだとか、あるいはフランスのサンゴバンとか、あるいはイギリスのピル
キントンとか、超親水性で汚れないガラス、セルフクリーニングのガラスがかなり主流に
なって、日本の特許で押えているから、彼らも動けないわけです。PPGはTOTOから
ライセンス契約をしてやっているわけで、そのくらい日本で押さえ切った特許というふう
にまずご理解をいただきたいと思います。エジプトでピラミッドをつくったように、TO
TOは光触媒技術でピラミッドをつくって、堅固なお城を築いて、これは私は本当にすご
いことではないかと。しかも、先取りしているということがすごい。
ちなみに、アメリカはさっき申し上げた貿易摩擦が深刻化するのは 70 年代の後半ですが、
いちばん初めに特許が危ないというので目覚めて、ある報告書を書くのがカーター政権の
末期です。79 年に諮問委員会みたいのをつくって、日本から集中豪雨的に応用技術でばん
ばん輸出されて、アメリカは貿易収支が真っ赤っかになっちゃって、こんなことをしたら
アメリカはもたないと最初に気づいたのはカーター政権です。これはアメリカのプロパテ
ント戦略ですが、右の端に 79 年のカーター教書。教書というよりも諮問委員会をつくって、
委員長報告をさせてやったんですが、この時のを読みますと、知財が大事ということをか
なり明記しています。日本が応用でどんどん攻めてくる技術に対して、基礎をどんどん盗
まれてしまっている。それに対しては、アメリカがしっかり知財の網をかけて、日本に盗
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ませないようにしないといけないということ、それがなければアメリカの貿易収支の赤字
は決して減らない。しかも、同時に財政収支も赤字になる。双子の赤字がどんどん増えて
いって、アメリカの国力は弱まるであろう。ヤングレポートはもうちょっとあとですが、
コンペティティブネス、要するにアメリカの産業競争力をいかに高めるかというレポート
が、次々に出るんです。カーター教書もその一環ですが、ここで初めて知財が大事だと出
てくるんです。そのあと、下にも書いてありますが、80 年のバイドール法。それから、82
年のCAFC、連邦巡回控訴裁判所、特許専門の裁判所です。ある意味で強いアメリカを
つくろうというレーガンの旗印のもとに、85 年にヤングレポート。ヒューレッドパッカー
ドのジョン・ヤングが書いたヤングレポートが出て、アメリカのプロパテントはかなり強
固なものになって、今日に伊太るわけです。79 年をとると、日本のプロパテント宣言が 97
年ですから、18 年の差がある。だいたい 20 年の差があると考えていいと思います。その
なかでもTOTOは日本のプロパテントよりも2年早かったというのが、私はかなり脅威
というか、驚愕に近いものを感じました。私は一介のジャーナリストでこの本を1冊書く
程度ですが、誰が何を考えて、日本のなかにプロパテントを根づかせて、さっきのピラミ
ッドみたいな特許を取れたかということを追っ掛けるだけでも、1つのドクター論文ぐら
いになるんじゃないかと私は思っています。
だいたい文章は起承転結がなければいけないので、いよいよ転に入りますが、これだけ
強い特許を押さえてしまうと、どういうことが起きるかということが、実はいまTOTO
の特許戦略のある種光と影の部分に出てきているんです。いま、光触媒の市場は 300 億円
から 400 億円と言われています。三菱総研が一昨年つくったレポートによると、光触媒で
2005 年に1兆円になるというレポートを出したんです。ところが、それからはまだまだ遠
い 300 億から 400 億円ぐらいの市場でしかない。ただ、さっき言った光触媒のコーティン
グがかなりうまくいって、ガラスの世界が広がっていくと、市場がかなり広がると思いま
すが、それにしても、2005 年で1兆円という三菱総研の見通しに比べて、300 億から 400 億
でもたついているのはなんだろうという疑問が消えない。その疑問は私の感じでは、この
強烈な特許の持つ排他的独占権の影の部分ではないかと思っています。
どういう現象が起きたか。きょうは、渡部先生などもおられるのでしゃべりにくいんで
すが、私の取材で聞いたことなのでそのままお話しします。TOTOはこの特許を押さえ
た時、最初ライセンス契約で 96 年7月頃、日経新聞などにバーンと大広告を打って、TO
TOはすごい技術を捕まえました。ゆえに、使いたいところがあったら、お使いください。
それについては、ライセンス契約をしましょうという日経の一面広告を打って、ライセン
スに乗り出すんです。さっき言った知的創造サイクルでいうと、まったくおかしい戦略で
はないんです。超親水性を発見して、特許をピラミッドで取って、権利を設定して、それ
を活用する。それは企業として当然の権利でありますし、その活用で上がったロイヤリテ
ィなどで次の創造につなげようというのは当然です。ただ、ここで私が取材している限り
では、TOTOが取った戦略はパテント・ファーストが強過ぎた?
あえて名前を挙げますが、ライセンス契約の第1号は車の曇らないドアミラーです。そ
の交渉相手の最初のライセンス契約は日産です。私はこの本にはどうしてもうまく書き切
れなかったので載せなかったんですが、日産のドアミラーの光触媒の担当者と3時間ぐら
いインタビューして、結果として、書いてないので、書いていないことをこういうところ
9
で言うのは申し訳ないんですが、日産はTOTOのやり方にかなり不満を持った。1つは
強引過ぎた。うちの排他的独占権は使わなければ損だと高飛車に出た。別に渡部先生がと
いうわけではありません。しかも、ライセンス契約科が異様に高かった。TOTO側から
みると、これだけの技術で、これだけの特許の押さえ方をしているので、マーケットは取
れるという読みだったと思います。私はこれはトヨタとの勝負も考えたと思いますが、取
っておかないと、トヨタに先を越されたら、曇らないミラーができたという売りがトヨタ
にやられてしまうという読みをあったろうし、日産は最後は契約に乗るんですが、ライセ
ンス契約しながら、実はいまTOTOの特許を使っていません。それはあとでお話ししま
す。そういうTOTOの高飛車な戦略がややあとあとまで、TOTOだけでなくて、藤嶋
先生とか橋本先生の裏にいる産学連携の雄たちのある種高飛車というと失礼かもしれない
けれども、その戦略がややボタンの掛け違いになっていっと思います。
どういうことが起きたかというと、この本でもそこはかなり書いています。書いたがゆ
えに、書かれた側からずいぶん批判もいただきましたが、私は取材を3時間も4時間もし
て、事実として感じるとそのまま書く主義なので、一方からはがんがん苦情が来ました。
きょうはおいでになっていないので、欠席裁判になるといけないので、名前は伏せます。
名古屋のほうにある研究機関がありまして、そこの光触媒をやっている方がTOTOと東
大の藤嶋、橋本、渡部さんたちのあまりにも強い排他的独占権のやり方に不満を持って、
向こうで違う協議会を作っちゃうんです。
「光触媒製品技術協議会」というのを旗揚げして
しまう。それはTOTOの特許が強過ぎるから、すり抜けられない。すり抜けるためには
どうしたらいいかという、ある種の戦術を練るための協議会を作ってしまうんです。TO
TOと東大側も「光触媒製品フォーラム」というのを立ち上げます。結果としては、フォ
ーラムのほうが半年ぐらいあとですが、名古屋のほうはそれだけ必死だったと思います。
結局、ここで割れてしまうんです。日本の光触媒技術をいかに広げていくべきかという団
体が2つに分かれて、ややにっちもさっちもいかない状況に迷い込んでいってしまったん
です。それが私は1兆円産業だと三菱総研などにかなり持ち上げられながらも、いまだに
300 億から 400 億で彷徨っている光触媒技術の1つのウィークポイントではないかと思
っています。
ただ、さっき申し上げたように、私も実はわからない。特許というのは限り無く排他的
な独占権でいいと思います。やはり最初にその技術を開発した人が特許を押さえて、それ
は強力な排他的独占権でいい。使う側は相当なお金を払って使って当然です。しかし、排
他的独占権をどこまで持続していっていいのか。ある時点で、ライセンスの契約の問題と
か、世の中に広めるためのある種の交渉術とか、そういうものがどこかでないと、ただ、
うちだけしか使えないという守りの姿勢だけでいくと、一方にアンチテーゼが出てきて、
結局、業界が2つに割れる。光触媒の怖さというのは、インチキ商品がいっぱい出回っち
ゃう点にあります。基本的に酸化チタンのみで成り立っている、極めて原理的には簡単な
技術ですから、まがいものが出てきちゃうんです。関連の業界団体が2つに割れたために
起きている現象の1つは標準化ができないんです。技術というのはあくまで標準化です。
最後、ISOまで持っていて、国際標準を取らないとデファクト、あるいはそういうスタ
ンダードにならないわけです。その前段でTOTOの取られた光触媒の特許はやや揺らい
でしまった。何度も繰り返しになりますが、TOTOが悪いとも言い切れない。かといっ
10
て、TOTOのライセンスの戦術が正しかった、パテント・ファーストでこれだけ走って
正しかったのかと言われても難しい。最後、基礎技術は応用につなげて、市場をいかに獲
得できるか。まして、最後に言う中国がこれだけ後ろから来ているなかで、日本の基礎技
術をどう応用につなげて、市場を確保できるかというのは正念場でありまして、そこのと
ころで業界が割れているのをいかに収め、標準化につなげ、国際標準にし、日本である種
中国に負けない基礎技術の橋頭堡を築くかというのは、恐らく今年から来年にかけてが山
ではないかと私は思っております。このへんはTOTOや藤嶋先生や橋本先生がいまどう
いうお考えをしているか。本を書いてしまったあとで聞いてないんですが、再び聞いてみ
たいなと思っているところであります。
いま、申し上げた中国。どちらかというと、光触媒が使える技術分野というのは抗菌タ
イルとか、ガラスとか、ヘビー・インダストリーに近いところでありまして、10 分の1、
あるいは 20 分の1のコストでものを作ってしまうから、そこの強さというのは中国には勝
てないんです。去年、4月に藤嶋先生にくっついて中国へ行ったんです。藤嶋先生のお弟
子さんが中国でかなり活躍されていて、記者として入って、事前にアポイントを取れるよ
うなところでないところにかなり踏み込ませてもらって、話を聞かせていただきました。
光触媒も明日は中国というぐらいの動きをしているんです。藤嶋先生のお弟子さんで江雷
(こうらい)という人物がおりまして、藤嶋研でかなり勉強して、3年前に中国に帰って、
優秀な男だから、社会科学院の教授で戻ったんですが、大変おもしろい男というか、藤嶋
先生好みで、本人はビジネス・サイエンティストといっていますが、商売人そのものです。
どこがサイエンティストかよくわからない。ビジネスマンそのもので、中国に光触媒工場
をつくっちゃったんです。2年半前でしょうか。北京の郊外にちょっとした工場団地みた
いなところがあって、そこに3階建ての光触媒工場を立ち上げてしまったんです。江雷と
いう人物は本来藤嶋先生の下では光触媒の勉強をしていなくて、まったく違うナノテクの
世界をやっていた男ですが、これは金になるというので、中国に帰って始めちゃったんで
すが、
「なぜそんなことができるか」と江雷にしつこく取材すると、中国というのは産学連
携という概念がないんです。産イコール学、学イコール産なんです。これは北京のJET
ROにいる特許庁から出向している日高賢治という知的財産権室長がおりまして、彼と話
しているとすごくおもしろいです。1ヵ月前に北京大学の先生のところへいろいろ話を聞
きに行って、1ヶ月後にまた行ったら、名刺が変わっていてベンチャーの社長になってい
たとか、日本の産学連携の発想とまったく違って、学者イコールビジネスマン、ビジネス
マンイコール学者みたいな世界でありますから、江雷がビジネス・サイエンティストとい
っても、まったく違和感がなくて、どこで教えているのかはわからないけれども、携帯を
放さず、ホンダのアコードを駆って、北京市内を走り回ってビジネスしていました。
その光触媒工場を見せてもらったんですが、まず、1つ大変おもしろいのがあって、去
年の2月にブッシュが中国を訪れて、江沢民と会談をするんです。江雷の奥さんのお父さ
んが江沢民の主治医かなんかをやっている。中国という国はほとんど人脈で動く国ですか
ら、奥さんのほうの人脈で、江沢民に光触媒のネクタイをプレゼントして、さらにブッシ
ュが来た時、2人にしめさせたというエピソードがあって、いかに宣伝がうまいか。コー
ヒーなんかをこぼしても、まったく汚れないネクタイ。光触媒といっても、あれは撥水で
ありまして、実は違うんだけど、藤嶋先生も「江雷君の光触媒ネクタイはいいね」と言っ
11
て宣伝しているからいけないんだけど、そういうネクタイをつくっている工場とか、橋本
先生が一所懸命やっているテーマのセラミックスフィルターに酸化チタンを塗布して、紫
外線を当てると、残留農薬がみんな消えてしまうというものを、江雷はもう工場で始めて
いるんです。何を狙っているかというと、空気清浄機を狙っているんです。セラミックス
フィルターの空気清浄機。われわれも見せてもらったけれども、そこでつくっているんで
す。横浜に盛和工業という会社があって、日本では栗屋野社長という方が 20 年ぐらいかけ
て、セラミックスフィルターをつくって、空気清浄機なんかにしているんだけど、江雷は
1年ぐらいでそれをやってしまっているんです。しかも、コストが 10 分の1でできる。
「是
非、栗山社長、われわれと組んでやりましょう」と言っていて、もうそこまでいっちゃっ
ているんです。藤嶋先生と回っていて、見学している最後に、江雷が自信ありげに1階に
あったタンクを指さして、「このタンクには 1500 トンの酸化チタンが入っている」と言う
わけです。そこで藤嶋先生が「おい、江雷君、TOTOの特許はどうしているんだ」とい
う話をしたら、江雷がにやにやして答えないという話でありました。4月の取材は中国の
知財戦略も取材してきたんですが、たとえばDVDを中国で 1000 万台つくっていて、300
万台を国内の内需に回して、日本のコストの2割安ぐらいで、700 万台をアメリカに輸出
しているんです。それは全部特許侵害でやっているんです。だいたい北京の知財研室長に
言わせると、DVDだけで2億ドルぐらいロイヤリティが中国から日本に払われていない。
オートバイは 1000 万台のうち、9割ぐらいは特許侵害という国でありますから、江雷が酸
化チタンのタンクを持って、なかに入れてあるんだけど、TOTOの特許を侵害しても関
係ないという顔をしているのが当然の国です。藤嶋先生ももう少し厳しく江雷さんを指導
したらいいのにと思うぐらいですが、いま、中国では、そういうペースで光触媒が始まっ
てしまっているんです。特に、酸化チタンをコーティングしたセラミックスフィルターは
向こうでどんどんつくっていまして、向こうは 10 分の1、20 分の1だから、20 倍のコス
トでつくっても、全然勝負にならないんです。
そういうせめぎ合いが日中間で始まっておりまして、そこのところで、日本では業界団
体が2つに割れていて、しかも、市場がいま一つ広がらないなかで、どうしたらいいのと
いうことがきょうの議論です。ただ、そこにはやや解決の兆しが見え始めたのは、経済産
業省に危機感が生まれて、日本で光触媒の標準化をしようという研究会を去年の 10 月頃や
っと起こすんです。そのトップに藤嶋先生が座り、渡部先生もお入りになっていますが、
やっと標準化していこうと。割れた2つの団体を1つにできないまでも、光触媒技術の標
準化だけは、評価の問題とか、あるいはこういう品質だったら、光触媒と認めて、保証書
みたいのを貼ろうとか、そういう動きになってきました。今週の朝日新聞がかなり大きく
標準化への動きを書いていたのでご覧になった方がいるかもしれませんが、国内のJIS
で標準化して、それをISOに持っていて、国際標準にして、世界的に日本のオリジナル
技術ですということを広めようという動きがどうやら始まったなというところです。
いまがそういう状況でありまして、私はここからはよくわからないんですが、元へ戻ると、
排他的独占権をどう使って市場に広めていくかというものとしては、光触媒技術は極めて
サンプルとしてはおもしろい技術で、これが標準化になった時に、市場は爆発的に広がる
のか。その時、TOTOの特許というのはどういうふうに外にオープンにしていくか。ラ
イセンス契約をもっと緩めていくのかというような1つのターニングポイントに来ていて
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おもしろいところです。
そこで、最後に、これは隅藏先生のご専門でありまして、私も本のなかで先生の著作を
読ませていただいて、かなり引用して使わせていただいたんですが、いわゆる「パテント・
プール」という考え方があります。MPEGという画像の圧縮技術で有名なパテント・プ
ールの仕組みができているから、皆さんは知財のご専門家が多いのでおわかりだと思いま
す。要するに、幾つかのパテントを1つのNPOの団体に(MPEGの場合は、コロンビ
ア大学がメインになりましたが)預けて、そこからうまくロイヤリティの交渉をして広め
ていく。パテントをプールして、オープンにしながら、広めていく。そういうことも考え
ていいんじゃないか。ただ、光触媒みたいな技術はエレクトロニクスとは違って、もう少
し緩やかな方法「パテント・プラットフォーム」という仕組みを隅藏先生などがおっしゃ
っています。パテント・プールというのは1つのNPOにまとめてしまって、そこからラ
イセンス契約をするんだけど、もう少し個別企業同士の、たとえばTOTOと日産なんか
の個別交渉も認めるなかで、パテントを緩やかにプールしていきましょうと、少し柔軟な
パテント・プラットフォームという仕組みも考えていったらどうだということを、隅藏先
生あたりがかなりいろんな著作で書かれています。私もさっき申し上げた藤嶋昭先生が委
員長になられた標準化団体の動きがいま出始めたなかで、もう少しTOTOも柔軟になっ
て、パテント・プラットフォーム的な考えを持って、国内でもっとパテントをオープンに
使えるような仕組みにしていくことを考え始めてもいいのではないかなと思います。やは
り最後は国益といいますが、少なくとも追い上げる中国を間近に見た時に、明日をも知れ
ぬすごい動きなわけです。そういうなかで、日本はもっと身構えるべきだし、日本の国益
はなんだということを考えながら、知財戦略を練り、その知財戦略をかなり固めたあとで、
いかにそれをオープンマインドな感じで、まさにパテント・プラットフォーム的な発想で
日本に広く光触媒の技術を広めていくかということをいまこそ考える時期ではないかなと
いうのが私の最近の思いです。何かご質問あればどうぞ。
質問者
おもしろい話をどうもありがとうございます。細かい質問しかできませんが、日
産が契約はしたんだけれども、ドアミラーにそれを使っていないという理由はなぜですか。
岸
優れてコストの問題だと思います。ロイヤリティの問題とか、技術面もあるのかもし
れないけれども、私はコストだと思います。いま、車産業というのはいかにコストダウン
をして他社と競争するかということで、しかも、日産はゴーン社長になりましたので、猛
烈にコストカッターで切っていて、その一環で切られたというふうに、私は日産に対する
インタビューでは感じました。唯一コストだと思います。
質問者
それはランニング・ロイヤリティをTOTOが取りすぎるから、製品に採用する
と、原価割れしてしまうというか、使えなくなってしまうということですか。
岸
私はそう思います。その後、ロイヤリティの交渉でTOTOさんが下げたかどうかは
ちょっとわかりませんが、かなり初期の段階ではおっしゃったとおりだと私は思っていま
す。
質問者
隅藏
どうもありがとうございます。
ほかに何かございますでしょうか。
質問者
私は化学会社で研究開発部門にずっといた者ですが、いまのお話を聞いていて、
お話としてはおもしろいんですが、さっきここに書かれたTOTOが特許を雁字搦めに固
13
めて、理想的な形だとはおっしゃいますが、私は結果的にうまくいかないそもそもの原因
は、特許だけを議論しますけれども、実際、産業界では、それに伴う実物の流れがあるわ
けです。それは要するに購買であったり、供給であったりするわけです。その時には、T
OTOが自社の製品で、たとえば洗面器なり、便器なりをお客さんに光触媒を使って、そ
の製品に活かして末端に供給している分野であればいいと思います。しかし、それと切り
離して、光触媒という技術だけで、他分野のところまでその権利を及ぼそうとしますと、
自分の製品ではないわけですから、結局、その特許だけを売ると。ライセンスだと。そう
しますと、これは非常に常に問題だと思います。私どもも化学会社ですから、どちらかと
いうと素材会社なので、常にその問題は付き物です。それから、お客さん側から言わせて
も、たとえば自動車会社のような大きな量を使うような会社になりますと、素材メーカー
というよりも、いまのお話のように、バックミラーなり、ドアミラーなりですと、村上開
明堂のような協力会社から購入するわけですから、しかも、1社では心許ないので、2、
3社から購入することになります。大変失礼な話で恐縮ですが、私のように長く会社にい
た人間から見ると、特許の世界だけでは完璧だけれども、実際のものの供給とか、購買と
か、そういう面からみますと、そもそも無理があるんじゃないかという気がします。そう
いう点はいかがお考えでございますか。
岸
私もまったく同感です。ただ、TOTOのために1つだけ申し上げます。流れのなか
で煩雑になるかなと思ったのでご説明しなかったんですが、実はOHPもあります。さっ
き申し上げましたように、TOTOは 95 年3月から猛烈な特許を取り始めますが、96 年
にTOTOフロンティアリサーチという会社をTOTO内につくりまして、これは技術移
転会社なんです。TOTOフロンティアリサーチという技術移転会社が特許の人間だけで
はなくて、購買とか、そういう人間も集めて、いろいろ会社を回って、ライセンス契約に
走っていくんです。この技術移転会社のつくり方に、TOTOのかなり先見の明があると
私は思います。ただ、おっしゃったように、TOTOさんご自身はドアミラーもつくって
いない。トイレタリー、台所用品の会社ですから、自分が持っていない製品群ゆえに、こ
ういうものをつくっても、相手の交渉でなかなかうまく伝わらなかった部分があるんじゃ
ないかと思っています。逆にいうと、こういうものをつくったセンスは何かを考えていた
会社であって、それが結果としてあまりうまく機能しなかったかなという嫌いはあります
が、そこだけはあえてTOTOさんのためにエクスキューズしておきたい点です。ただ、
おっしゃるように、自分のところに光触媒を使うべき製品のフィールドがあまりなかった
というのは、TOTOさんにとってもやや痛し痒しの部分だった。それが一部ネックにな
っているのかなというのは、いまのご意見にまったく私も同感であります。
質問者
くどくなりますが、まったくそうだと思います。私どものような化学会社とか、
鉄鋼会社とか、そういう日本のいままでの大企業はそういうことを考えて、もともと開発
をするわけです。つまり、自分たちが供給するポリエチレンなり、アルミなり、鉄なり、
そういうものを売るための補強的手段として特許を利用するわけです。逆なんです。特許
が先じゃないんです。ものが先です。そして、特許だけを切り離して売る時には、自分た
ちがつくってないものを裸の特許を売るわけですから、大変な苦労が必要だと思います。
これは結局これからの大学の技術の移転という場合にも、常に問題になってくるような問
題だとは思います。
14
岸
まったく同感であります。光触媒の取材をしていて、そこは大きなポイントであり、
課題だと私も思っております。ここでどれだけうまく書けたかはちょっと自信がありませ
んが、次のテーマにテイクノートさせていただきます。
質問者
光触媒のマーケットサイズについての質問です。
2003 年時点で 300 億から 400 億
で、試算によると 2005 年で1兆円。非常にギャップがあると思いますが、このギャップが
標準化できていないという理由以外にほかに何か理由があるんじゃないかと思います。た
とえば三菱総研さんが想定していた技術の使い方に代替技術が使われたとか、もしくは、
三菱総研さんはそもそもオーバーエスティメイトであったとか、ほかの理由はないんでし
ょうか。
岸
仰せのとおりです。光触媒をどこまでとらえるかというのが大変難しい問題でありま
して、三菱総研のいちばんの誤算、差が大きすぎる、取り分けその理由になっているのは、
3年前ぐらいにやった時、三菱総研は、水処理の部分でかなり大きな技術のブレークスル
ーが起きるであろうという前提で計算しているんです。水処理というのはほとんど日本で
光触媒技術が確立しているものはいまのところないんです。ガラスとか、ああいうのでも
っと大きくなっていくとあるのかもしれませんが、三菱総研の試算した人にも会って話を
聞いていますが、最大の誤算というか、読み違えは水処理です。藤嶋先生たちが光触媒の
技術を発見して、その後、
「ネイチャー」にも載り、オイルショックの頃、国際的な光触媒
のフォーラムがかなり開かれるんですが、その冒頭の頃は、この技術は水処理にいちばん
向くんじゃないかと。汚水の処理とか、そういうのに向くんじゃないかと議論されました。
結果として、いまのところうまくいってなくて、おっしゃるように、1兆円とのギャップ
の大きさは、彼らは水処理で 3000 億か 4000 億ぐらいみてしまっていたんです。それでも
まだギャップはあるんだけど、そこの前提のおき方に、三菱総研はかなりの失敗をしたな
というのは、試算した本人が言っていたので間違いないと思います。ただ、それ以外は、
僕は業界団体が2つに割れてしまっていることが大きいように思えてならないです。1000
億円の大台ぐらいにいってもよかったんじゃないかと私は思っています。そんな答えでよ
ろしいでしょうか。
質問者
さきほどの1兆億円とか、実際は 300 億円というギャップの話ですが、試算の仕
方もあると思いますが、光触媒について、もう1つ、あるいはもう2つ、3つぐらいブレ
ークスルーがいるんじゃないのかなというのが私が思うところです。たとえばTOTOさ
んという会社はセラミック系の会社ですね。光触媒というのは酸化分解反応ですから、有
機物を分解しますので、樹脂とか、そういったものに応用できないとか、かなり制約のあ
る技術だなというのが私の感じるところです。もう1つは、やはり光触媒といいますけれ
ども、紫外線が確か必要だったと思います。紫外線がない環境ではだめだし、そういった
技術的なブレークスルーというのも大きなハードルになっているんじゃないんでしょうか。
パテントというのも1つキーワードになっているかもしれませんけれども、もっともっと
ブレークスルーが必要なんじゃないか。ブレークスルーをするために、業界が2つに分か
れるというのは不幸なことかもしれませんけれども、そこらへんのことについて、ご意見
を聞かせてください。
岸
仰せのとおりです。ただ、いま、おっしゃった可視光は豊田中研、エコデバイス、住
友化学工業、この3社がメインになってやっていて、豊田中研は「サイエンス」にも載っ
15
たんですが、可視光でかなりいいものを出し始めていて、いまはちょうど出始めていると
ころです。可視光で脱臭、防汚ができる壁紙みたいなものは、豊田中研をメインに始まっ
ているし、カローラに積んでいる空気清浄機は青色LEDの可視光で酸化チタンが反応す
るように動き始めていますし、可視光がもっと伸びれば、いまおっしゃったように、第1
か第2か知らないけど、次のブレークスルーになると思います。あと、もう1つ、私は大
変期待しているんですが、橋本和仁先生がやっていらっしゃる残留農薬の除去。日本はほ
とんど残留農薬とか、溶液栽培の液を農家はみんな捨てちゃっているんだそうです。JA
なんかに聞くと、目の色を変えて「そんなことはない」と言うんだけど、結局、1個の農
家が種籾を洗ったあとの農薬とか、そういうのを固形にして捨てているなんてことはコス
ト的にあわないから、ほとんど近くの川かなんかに撒いてしまう。そういうことをやって
いるらしいんですが、いま、橋本先生は残留農薬に酸化チタンを塗布したフィルターをお
いて、紫外線を当てて、きれいにしちゃう。実際、平塚でいまやっているんですが、見に
行くと、1日ぐらいで本当に残留農薬の黄色くなった水がきれいになったりして、凄い威
力だなと私は思いました。それをだんだん広げていって、土壌汚染に使おう。彼は酸化チ
タンを塗布した敷物みたいのを置いて、たとえばトリクロロエチレンとか、あのへんあた
りまではできるんじゃないかということをおっしゃっていて、いま、酸化チタンのシーツ
みたいので、土壌汚染を少しでもよくしようと。私は最後光触媒のブレークスルーがあっ
て、市場として大きく広がっていくのは「環境」ではないかと思います。基本的に可視光
までいけば、太陽エネルギーで汚れなり、臭いなり、菌なり、あるいは残留農薬的なもの
が取り除かれていくとすれば、最後は太陽エネルギーというふんだんにあるエネルギーを
いかに使って、自然をきれいにするかという方向に光触媒は伸びていくんじゃないかなと
いう点で、橋本先生のには期待しているし、いまのご質問にお答えするとすれば、環境で
のブレークスルーがこの技術のマーケットを決めるんじゃないかというのが私の感じです。
それはこの本にも後ろの2章でかなり書いていますので、もしお目にとまったら、なるほ
どと思っていただければありがたいです。
質問者
隅藏
質問者
ありがとうございました。
ほかにもたくさんあるとは思いますが、最後の1つの質問にいたします。
貴重なお話をどうもありがとうございます。325 件出願されているというお話で
したが、基本的なものが出てから、だいぶ日日がたっていると思いますが、素晴らしい発
明であればあるほど、特に前例としては、ICカードなども基本的な発明があって、なか
なかブレークスルーすると言われながら、浸透しなくて、権利が切れてから、非常に伸び
たということを考えますと、さきほどのお話で 89 年ぐらいからというと、仮にあと 10 年
あるとすると、2010 年ぐらいがブレークスルーするのかなという気がしますが、そのへん
はどんなふうにお考えでしょうか。
岸
89 年は抗菌、防汚なので、超親水性は 95 年の2月の発見以来、95 年3月から取り始
めたから、優先権は付けているんでしょうか。まだこれは相当あると思います。切れる日
にご関心があるということですか。渡部先生、そのへんはいちばんご存じの方なので、一
言コメントをいただいていいでしょうか。
質問者
素晴らしい技術であればあるほど、権利が切れるのを待っているところが多いの
ではないかなという気がしますが。
16
渡部
光触媒の場合は、さっきの本田・藤嶋エフェクトというのが 60 年代ですよね。酸
化チタンに光触媒活性があるというのがわかったのが 70 年代ですよね。その時にもし基本
特許が出ていたとしたら、20 年たって、ちょうど 90 年ぐらいだから、20 年たってそれ以
降、ようやっと実用化が始まったという形になっています。それはほかのものも、材料系
のもので調べますと、ほとんどそんな感じです。中村修二さんの青色発光なんかも、中村
さんが見つけたのはあくまでツーフローCVDで高輝度発光ができる膜の製造法を見つけ
られたわけで、ミスガタというもので液化カリウムが発光するというのは、20 年以上前に
パンコフという人が見つけているわけです。みんなそういうふうに見られる。カーボンナ
ノシウムもそうですね。台北のカタリシスというところが 20 年近く前に基本特許を出して
いる。そういうふうに見れば、光触媒も結局 70 年から 20 年たってようやっと産業になり
始めてきて、そのなかの1つのアプリケーションの特許とか、薄膜とか、そういうところ
が非常に強く見えるという形になっているので、そういう意味ではあと 20 年ではないんだ
と思います。ただ、位置づけとしては、そんなに原理的なところではないんだろうと思い
ます。ですから、さっき市場の話とかが出ていましたが、95 年当時、市場予測していた数
値というのが超親水性関係だったら数百億でしたから、逆にいうと、それぐらいの経緯は
辿ってきていて、さっきの三菱総研の1兆円とはむしろ何を根拠にしているのかというの
は、また別のカテゴリーの市場だったんじゃないかという気がします。ですから、そうい
う意味では、いまの話で、あと 20 年後で権利を切れるのを待ってというと、その頃には代
替技術ができているから、恐らくそういう戦略は誰も取らないと思います。
もう1つ付け加えれば、光触媒の特許があるがために、市場が増えてないかどうかとい
うことでいえば、村上開明堂さんはTOTOの特許を使わないだけで、それは非常に伸び
ているんです。そういう意味では光触媒の技術の市場はそこでは疎外はされていなくて、
やはり別の要因のような気がします。というような話でよろしいでしょうか。
隅藏 それでは、お時間もまいりましたので、岸先生のお話についてのご質問は終わりと
いたしたいと思います。岸宣仁先生にもう一度拍手をお願いいたします(拍手)。
(終了)
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