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Author(s)
スコットランドのコモンローの諸側面 : イングランドのコモンロ
ーとの対比で
角田, 猛之
Editor(s)
Citation
Issue Date
URL
人間科学. Human Sciences. 1993, 24, p.47-64
1993-12-30
http://hdl.handle.net/10466/11789
Rights
http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/
4ア
スコットランドのコ.モンローの衿当面
一イングランドのコモンローとの対比で一一
田
角
猛
之
はじめに一コモンロー概念の歴史性と多様性
一.スコットランドのコモンローの意味二・コモンロー概念の歴史的把握
二.スコットランドのコモンローとエクイティ
1) エクイティの二つの意味
2) コモンローと一体化したものとしてのエクイティと“初δ〃。(痂’o勉〃z”
3) スコットランドのコモンローにおけるエクイティの位置と高等民事裁判
所の解釈権限
三.スコットランドのコモンローと先例尊重の傾向および先例拘束の原理
1)先例をめぐるスコットランドの歴史的プロセス 16世紀から19世紀に
かけて
2)貴族院判決のスコットランドにおける拘束性をめぐる諸側面
むすびにかえて
はじめに
コモンロー概念の歴史性と多様性
われわれがコモンローという言葉を見聞きする時,多くの場合無意識のうち
(1)
に,いわゆる「イギリス」のコモンローが念頭に置かれていると思われる。そ
(1) 国名としての「イギリス」がポルトガル語のInglesもしくはオランダ語の
Engelschの日本語としてのカタカナ表記であることについては,松浦高嶺「イギ
リス現代史」(世界現代史18)4−7頁参照。またスコットランドとのかかわりで「イ
ギリス」という名称のはらむ2重の問題性については,拙稿「エディンバラ大学法
学部N.マコーミック教授へのインタビュー記録」近代スコットランド法思想研
究・資料{六}の1.中京法学第23巻第2・3・4合併号140−42頁参照。
48
人間科学論集第24巻
してその際この概念はおもに次の二つの対比で把握される。一つはローマ法を
ベースに中世以来理論化・体系化を施されつつ,教会法とも相互関連をもちな
がら徐々にヨーロッパ大陸で形成されたいわゆる大陸法。そしてもう…つは,
“Law and Equity”という図式で把握される,14世紀から15世紀以来正義の
源泉たる国王の権威と大権をバックに,大法官によって歴史的に形成されたエ
クイティ。
しかしこのいずれもが,イングランド固有のコモンロー形成過程を背景とす
る対比で,その意味で特殊イングランド的なコモンロー把握に他ならない。し
たがって,継受や移植を通してのイングランドのコモンロー概念や制度の受容
もしくはおしつけといった事態を除けば,そのような概念を生み出した歴史そ
のものを共有しない限り,かりにコモンローという同一・用語が用いられるとし
ても,上のような対比で把握しえないことは明らかである。
そこで本稿では,まずスコットランドのコモンローという場合の,コモンロ
ーそのものの意味を検討(第一章)したうえで,エクイティとコモンローのか
かわり(第二章)および,コモンローにおける判例尊重と拘束をめぐる諸問題
(第三章)を手がかりに,スコットランドのコモンローの特徴の一端を明らか
にしたい。
一.スコットランドのコモンローの意味一コ口ンロー概念の歴史的把握
冒頭で指摘したコモンローのいわば実体的把握に対して,次のような形式も
しくは存在型態に着目した対比においてもコモンローは理解されうる。一つは
制定法との対比での判例法。そしてもう一つが,地域的慣習に対する文字通り
一国全体に共通する一般的慣習。
ここで結論を先取りして,イングランド法との対比でスコットランド法を歴
史的に一言で特徴づければ,前者の実体に関する対比のいわば対極において,
スコットランド法もしくはスコットランドのコモンローが位置づけられる,と
スコットランドのコモンローの諸側面
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いうことである。ただし後者の形式による対比は,イングランドとスコットラ
ンドに共通するところであり,とりわけ制定法との対比での判例法というコモ
ンロー理解は,現在をも含めたスコットランドの法律家の共通認識である。
しかし本稿では以上のような状況をもふまえて,次のスコットランド法史の
専門家の指摘に含まれたコモンローの用法を採用する。「12世紀から13世紀に
かけてスコットランド王国の統合と……国家的統一をみた。そしてまた明らか
に〔その時期に〕スコットランドに固有といいうるコモンローがあらわれてき
(2)
た。」この指摘に続いて論者は,この意味でのスコットランドのコモンローの
歴史的形成と展開の大筋を跡づけている。つまり12世紀から13世紀以降のケル
ト法やアングロ・ノルマン法そして教会法の影響,さらにスコットランド史上
はじめての中央最高裁判所たる,高等民事裁判所(Court of Session)が設立
された16世紀中葉以降の歴史的なさまざまなファクター,とくにイングランド
との対立と同化,そして大陸諸国との交流を通じて形成されてきたスコットラ
ンド王国一ただし1707年のイングランドとの連合(Union)以降は,連合王
国内における一一つの独立したJurisdictionもしくは1egal Systemとしての
(3)
スコットランド全体に共通する法などである。つまり本稿においてコモンロー
とは,歴史的文脈において“Common law of the realm of Scotland”もし
くは,“Common law of Scotland”として指示されている法の総体として用
いる。
したがってこの概念はスコットランドの法源そのものをさすものとして一
制定法に関しては判例法の生成とからむ複雑な問題をはらんでいるものの一一一
一応一部制定法をも含めて主として判例法と,スコットランド私法の体系書た
(2)D,Sellar, A Historical Perspective,丁加S6ρ漉s乃Lθgo1 T〆04漉。πNθω
Eη1σ7go4 E4舜ゴ。η (1991) p.33.
(3) 以上のスコットランド法の歴史の詳細については,ステア・ソサエティ編,戒
能・平松・角田編訳「スコットランド法史』参照。
50
人間科学論集第24巻
る体系的・権威的著書(institutional writings)からなりたっている。そして
これらの総体がスコットランドのコモンローである所以は,文字通りそれらが
有するスコットランド的ファクターの故である。
まず制定法に関しては,制定法そのものの多様性がコモンローとの歴史的か
かわりを非常に複雑なものとしている。すなわちイングランドとの連合の1707
年を境にして,それ以前にエディンバラのスコットランド議会によって定立
された制定法。そしてそのなかで現在においてもなお効力あるものをScots
Statutesと総称している。この部類の制定法については,コモンロー概念と
の歴史的かかわりが問題になりうる。しかし現行制定法の主流である他の二種
類,.すなわち1707年以降のウェストミンスターの連合王国議会で定立された,
連合王国全体に適用されるいわゆるUK Statutesおよび,スコットランドに
のみ適用されるScotland Actについては,制定法に対比される意味でのコ
モンローという共通認識のもとで,文字通りこれらの近代的な制定法はコモン
(4)
ロー概念から排除される。
そしてコモンロー概念の中心である判例法とは主として,今世紀に関してい
えばSC=Session Caseとして引用される高等民事裁判所の判例,および
SC(HL)=Session Case(House 6f Lords)として引用される,貴族院判決
のうちのいわゆるScottish apPea1に対する判決で,しかもスコットランド
の法律家が特に高い権威を付与するのは,著名なスコットランドの法律貴族
(5)
(Scots Law Lords)が関与した判決である。この意味での最も高い権威を付
(4) これらのさまざまな種類の具体的な制定法の例としては,Gloag and Hend−
erson,1癬α∫〃6’加’o伽L劒げ500’1朋4,(9th ed.1982, ed. by Wilkinson
and Wilson)Table of Statues参照。
(5)Scots Law Lordsのフル・ネームと前職および着任期間についてはD. M.
Walker,0珈74 Co吻傭。η’o L側Appendix I,6. Lords of Appeal in
Ordinary,1976参照。
スコットランドのコモンローの諸側面
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与されている判決の一つの典型例は,「:不法行為に関する英法史上の画期的判決
とされるDonaghue v. Stevenson事件である。このケースはScottish
appealの形で上訴され,しかもマクミラン卿とサンカートン卿の二名のスコ
ットランドの法律貴族と,アトキン卿という一名のイングランドの法律貴族の
三四の多数意見で成立した判決である。
そしてもう一つのファクターの体系的・権威的著書とは,ユスティニアヌス
帝の『法学提要』(1ηs痂厩。もしくは1ηs観〃蜘ηθs)をモデルとする,スコ
ットランド私法(刑法の一部と訴訟法を含む)の体系書である。この中での見
解は,高等民事裁判所のinner houseつまり上訴部における判決とほぼ同等
の拘東力を有すると考えられており,これ自身スコットランドの法伝統の形成
(6)
と存続に極めて大きな影響を与えている。
本稿では大略以上のような意味でスコットランドのコモンローという用語を
(7)
用いたい。そしてこのような歴史的概念としてスコットランドのコモンローを
理解することによってはじめて,それ自身特殊イングランド的な歴史的バック
グラウンドのもとで形成された,イングランドのコモンローとの対比が明確に
なると思われる。
二.スコットランドのコモンローとエクイティ
1) エクイティの二つの意味
(8)
イングランドのコモンローという場合に,ローマ法系の大陸法とならんでエ
(6)体系的・権威的著書については注(3)「スコットランド法史」参照。
(7) この意味では,たとえば田申英夫編「英米法辞典」の“common law”の項目の
第3の意味(165頁)にその存在型二上は近似するものである。そこでは次のよう
な意味があげられている。「Civil law(大陸法)と対比される用法。判例法だけで
はなく制定法も含めた英米法の全体をさす。」
(8) メイトランド著,トラスト60・エクイティ研究会訳『エクイティ」第1講・第2
講エクイティの起源(1}・②参照。
52
人間科学論集第24巻
クイティとの対比が,まずは想起されることは先にみたとうりである。そして
この場合のエクイティとは,メイトランドが強調するように,エクイティ裁判
所という,コモンロー裁判所とはその起源や構造を異にする裁判所で,別個・
(9)
独立の形で形成・展開された法原則の集合を意味している。すなわち現存する
法=コモンローの欠陥や過度の厳格さを是正するための独立した一連の法準則
で,その典型が古代ローマの法務官法であり,またイングランドの大法官のエ
クイティである。
これに対してスコットランドのエクイティは,二つの点で上の意味のエクイ
ティとは異なっている。一つはその内容に関して,イングランドのエクイティ
という場合におもに,実定法上の法準則として把握されるのに対して,スコッ
トランドではより哲学的な意味で,法全体を基礎づける理念・原理もしくは精
神として理解される点。そしてもう一つのより明確な差異は,第一章で限定し
た意味でのスコットランドのコモンローの全体をささえ,またそれピー体化し
た法の理念として,すくなくともイングランドのエクイティのような独立した
存在型態は有していないという点。第二の裁判機構ともかかわるエクイティの
存在型態については次項で概観するとして,まずは第一のエクイティの内容に
ついて若干言及しておきたい。
スコットランドのエクイティが上のような哲学的意味で用いられる,もしく
は観念されるおもな理由として,次の二点を指摘することができる。一つはロ
ーマ法及び教会法の影響。そしてもう一つは,高等民事裁判所の裁判官や体系
的・権威的著者1こよる,哲学的で自然法的な思考とその著作の大きな影響であ
(9) スコットランドのエクイティについて古典的な文献としては,たとえばLord
Kames, P7翔の」65げE¢%’砂,2nd ed.1767がある。また極めて詳細な研究論
文としてはD.M. Walker, Equity in Scots Law, Juridical Review, vol.
LXVI−No.2.があり,:本稿では多くこの論稿に依拠している。さらに簡潔にして
権威ある解説としては,互ηoッ010ρθ4勿げSoo’s加z〃, Sources of Law(Formal)
4。Equity, vo1.22も参照。
スコットランドのコモンローの諸側面
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る。
早い段階からイタリアやフランス,そしてオランダなどの大学でローマ法や
教会法を学び,それをもとに自国の法体系を主として16世紀以降に形成してい
ったスコットランドの法律家にとって,具体的な事例への柔軟な適用が可能で
あり,また法の欠陥を正し欠落を補充するところの,法の原理もしくは理念と
してのエクイティは,スコットランドの法体系形成の要として極めて重要な位
置を有していた。自然法論が全面的に開花した17世紀のオランダのライデン大
学で学び,高等民事裁判所の長官として多くの判決にかかわるとともに,自ら
『スコットランド法提要』(勉s魏漉。ηsげ漉θLoz〃げSoo’1伽4)をあら
わし,体系的・権威的著者の出発点となったステア卿は,エクイティと自然
法,理性法を同漉するなかで,法の理念としてのエクイティを自らの体系のな
(10)
かで最高の位置に置いている。
そして,スコットランド法がローマ法をベースに形成され,その意味で大陸
法的要素を一面において強く有している法体系とはいえ,決してローマ法その
もののストレートな妥当性を認めていない,という点に注意すべきである。す
なわち,ローマ法の具体的法準則が既存のスコットランド法もしくはエクイテ
ィに合致する,あるいはすくなくとも反しない限りにおいて,スコットランド
法として採用されるという態度が,特に体系的・権威的著書以降実務上も理論
上も一貫してとられている。この点においても,スコットランドのコモンロー
におけるエクイティの歴史的重要性が理解できるのである。
2) コモンローと一体化したものとしてのエクイティと“ηoゐ”6の翼。伽勉”
(10) Stair, 2【乃θ 1π3’”鋸ガ。窩 qブ ’ぬθ Lσ” げ 800∫1σηゴ’ エ)θ4z60θ4 .〆ン。〃z ゴ’s
O7げ9ゴ初1s, o忽Co〃認θ4 z〃励蘭θαηゴ1, Cσηoηα忽Fo%吻1五α∼〃s, oη4痂’ゐ
魏6Cμ3’o吻sげNθゴg肋。%7勿g Nσガ。%s,1693(1981 ed.), Book工,1Common
Pninciples of Law cf.
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人間科学論集第24巻
次にイングランドのエクイティとの対比の第二点であるコモンローとの一体
性について。その一体性の理由としてここでも次の二点を指摘することができ
る。一つはスコットランド法そのものの柔軟性であり,もう一つは,エクイテ
ィの担い手である高等民事裁判所の成立の経緯とその歴史的構造である。
まず前者の柔軟性について次の指摘を参照しておく。「高等民事裁判所が運
用する法〔そのもの〕が柔軟であり,エクイティにもとつく〔具体的事例へ
の〕介入が一般的実務として不必要〔であった。〕……そして令状による訴訟
手続から召喚状による手続への転換によって,〔独立した〕エクイティ裁判所
の介入を必要とすることなく,エクイティ上の諸原理を適用する道が開かれ
(11)
た。」すなわちスコットランドは1532年の高等民事裁判所の設立以降,イング
ランド流の令状による厳格なる訴訟方式をほぼ廃棄し,その故に手続そのもの
が柔軟となった。そしてそのような柔軟な手続のなかで,かりに手続法上及び
実体法上の欠陥があれば,高等民事裁判所自らがエクイティを根拠にそれらの
(12)
欠陥を修正していくのである。
そして高等民事裁判所がイングランドのように,コモンロー裁判所とエクイ
ティ裁判所という二元構造をとらずに,コモンローと一体化する形でエクイテ
ィを一元的に運用したことによって,両者の理論上・法実務上の一体性が制度
的に保証されたのである。そしてそのような一元的運用を可能にしたのは,高
等民事裁判所の歴史的成立過程によって規定された,裁判所の構造そのもので
ある。
高等民事裁判所はその設立に先立つ100年間の試行錯誤のなかから徐々に形
成されてきたものとして,さまざまなファクターの融合として成り立ってい
る。おもなものとしては,身分制議会および枢密院の司法委員会,高位聖職者
や教会裁判所,そして大法官などである。これらの種々の機関や構成員は,い
(11)・(12)注(9)引用のWalker, p.123 cf.
スコットランドのコモンローの諸側面
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ずれもそれぞれの職務とのかかわりで多かれすくなかれエクイティを運用して
おり,したがってそれらの一部もしくは全部を吸収する形で成立した高等民事
裁判所そのものに対して,エクイティの運用権限をその構造上必然的にもたら
(13)
したといえる。
そして高等民事裁判所のエクイティ運用とのかかわりでもう一点,「特別な
エクイティ権限」と位置づけられる,“初6〃θの筋6伽〃z”について簡単に言及
しておきたい。
“初∂”θの第。伽吻”は,「通常の手続が救済を与えることができない場合
で,しかも必要にして高度の便宜性が〔実現される場合に用いられる権限であ
る。〕……現在この権限が行使されるおもなカテゴリーとしては,制定法もし
くはその手続……に欠落や欠陥がある場合,もしくは証書や書面における真の
目的……を阻害するような欠落や欠陥がある場合」とされている。しかしなが
ら法実務上においては,「裁判所は現在では〔その行使に関して〕先例もしく
は類似のケースがない限り,めったに行使されることはない」という消極的評
(14)
価がなされている。
3) スコットランドのコモンローにおけるエクイティの位置と高等民事裁判
所の解釈権限
スコットランドのエクイティに関する以上の概観をふまえて,特にイングラ
ンドとの対比でのスコットランドのエクイティ,およびスコットランド法その
ものの特徴の一端を提示しておく。
スコットランドのエクイティはコモンローの歴史的形成過程において,二重
の意味での重要性を有しているといえる。一つは,上の最後で言及した「例外
的」 (extraordinary)な意味でのエクイティたる“ηoう”θ(ソ濯。伽〃z”に対
(13) R.K。 Hannay, TゐθCo11θ9θげノ4sガ06・(The Stair Society 1990)cf・
(14)Walker,0が074 Coη御痂η’〇五伽・P・88$・
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人間科学論集第24巻
する,文字通り日常的な意味でのエクイティという面において。すなわちこの
意味でのエクイティは,コモンローと一体化するなかで,それをささえる要と
なる法理念として,また正義実現のための柔軟な法運用を導びく指導原理とし
て,日常的な法運用のなかでたえず具体的に適用され,自らその内容を実現す
るのである。この意味では,若干比喩的ではあるが,H. L.A.ハートがその
『法の概念』のなかで展開した,法体系の要たるいわゆる「承認のルール」に
もその機能上の一側面において類比しうるものともいえる。
そして第二は,上の例外的で特別のエクィディ上の権限たる“ηoうゴ1θ
の膨‘伽〃〆という面において。この権限は,前項の最:後で言及したように,
近代以降法実務上は,まずは抜かれることのない伝家の宝刃的な,消極的役割
しか有していないものの,すくなくとも理論上は制定法の明白な文言をも修正
しうる強い権限として歴史上理解されてきた,という側面を有するものであ
る。
そしてこのようなエクイティの歴史的重要性は,スコットランド法に対して
種々の特性を付与している。イングランド法との対比でここで特に注目したい
のは,制定法解釈と先例拘束への柔軟な対応ということである。先例拘束につ
いては第三章で若干くわしく検討するとして,制定法解釈について一言だけ言
及しておく。
スコットランドのエクイティを根拠とする制定法への柔軟な対応は,たとえ
ば,伝統的なコモンロイヤーの厳格解釈に対して徹底した挑戦を続けているデ
(15)
ニング卿の一貫した立場に他ならない,といえる。また大局的見地からいえ
ば,このような“π06”6の翼6伽吻”が理論上とはいえ歴史的に承認されてき
たということは,イングランドの高点の基本原理たる議会主権の考えとも抵触
するものであり,その意味で,スコットランド歴史学界の大御所であるドナル
(15) デニング卿,内田力蔵訳「法の修練」1.文書の解釈,2.制定法の解釈参照。
スコットランドのコモンローの諸側面
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ドスン教授の次の指摘は極めて重要である。「スコットランドの国制を理解す
るためには,全能なる議会が不可侵の主権を持つという概念を排除しなければ
(16)
ならない。」
三.スコットランドのコモンローと先例尊重の傾向および先例拘束の原理
1)先例をめぐるスコットランドの歴史的プロセスー16世紀から19世紀に
かけて
多くの論者が指摘するように,イングランドにおいていわゆる先例拘束の原
理が確立するのは,19世紀後半以降である。そしてスコットランドにおいて
も,1707年のイングランドとの連合以降,Scottish appealに対する貴族院判
決,すなわちSC(HL)の1世紀半から2世紀間のつみかさねのなかで,ほぼ
(17)
イングランドと歩調をそろえて,先例拘束の原理が確立していったといえる。
しかし先例拘束を制度化する不可避の条件として,信頼しうる先例集と一元
的な完備された上訴システムを有する裁判制度の存在が必要であることは,す
でに指摘されている通りである。そしてスコットランドに関してこの条件をあ
てはめれば,16世紀半ばにしてようやく,その条件成就の枠組みが整備されは
じめ,19世紀の20∼30年代頃からやっと条件そのものが満たされていったにす
ぎないといえる。
そしてその枠組みとは,1532年設立の高等民事裁判所であり,またそこでの
(16) G.ドナルドスン,飯島啓二訳,「スコットランド絶対王政の展開」282頁。
(17) スコットランドの先例拘束をめぐる種々の問題:については, J,C. Gardner,
‘‘Judicial Decisions as a Source of Scots Law”, (1941)/μ7毎げoo1、配θ露θω,
53,T. B. Smith,:Z’ゐθ1)oo≠7勿θ3げノ〃4ゴ。彪1 P7θ664θη’勿800渉s Lσω,(1952),
R.Cross, P7θoθ4θη”%E%gZゴsゐLoε〃そしてEπoン010ρθ4毎げ500’s Lo勧
Sources of Law, Formal 2. Judicial Precedent, vol.22等参照。
58
人間科学論集第24巻
判決の収集である『先例集成注解』(P706’ゴ0々S)や,高等民事裁判所の裁判官
くゆ
による判決の私的収集の蓄積である。したがって16世紀末から19世紀にいたる
までの間は,上の制度化の条件とはかなりかけはなれた状況であったことは明
らかであるが,先例尊重の傾向は,上述の条件成就の枠組みとその中味の整備
と歩調をあわせる形で,徐々に強められていったことも事実である。
そして先例尊重と拘束の問題に関しても,体系的・権威的著者の見解が決定
的な影響を与えている。彼らは先例をめぐる問題に対して,いわばプラスとマ
イナスの両面の形で,現在をも規定する極めて大きな足跡をスコットランドの
法の歴史に残している。
すなわちプラスの面とは先例尊重の側面である。たとえばステア卿は自ら大
部の先例集一脂溶P・・ゴ・加sげ’乃6五・74sげC・・η・〃・η4S6・・翻,
1661−81.2vols. Folio Edition.一を編纂するとともに,その『スコット
ランド法提要』のなかで,多くの先例を用いてスコットランド法を説明してお
り,それを通じて先例の重要性と権威を高めているのである。
その反面において先例拘束という側面では,彼らの見解は明らかにマイナス
に作用している。たとえばR.クロスが指摘するように,スコットランドの法
面はイ・グ・・ドの法繊よりも,糊1・対して鶏な対応を示してお81’
そのような態度の起源やその後の展開において,体系的・権威的著者の見解が
決定的な影響を与えているのである。すなわち,彼らの先例に対する共通認識
のポイントは,単一判決の拘束性と絶対的自己拘束性の明確な否定である。こ
の意味するところは,1960年代に一部緩和されたものの,19世紀末にイングラ
ンドで確立された,厳格な意味での先例拘束性の原理の,まさに原理的否定に
(18) 「先例集成注解」や判例集についてはStair Society,11η1〃〃α∫躍≠07ッSκ7〃θッ
げ’乃080〃76650π4五露θ70’z〃θq〆800’s五σzo,1936 Stair Soc董ety Publication,
vol.1.
(19)注(17)Cross, p.16. cf.
スコットランドのコモンローの諸側面
59
他ならない。
それにもかかわらず,18世紀末以降の貴族院判決,とくに商事に関する判決
を通じて,先例拘束の考えが徐々にスコットランドに浸透するとともに,ペン
タミズムに歩調をあわせる形での19世紀以降の高等民事裁判所の機構改革,と
りわけ上訴システムの改革と本格的な先例集の編纂すなわち先に言及した,
先例拘束を制度化する条件の成就にともない,先例拘束が原理として確立して
いくのである。
そこで最後に,貴族院判決のスコットランドに対する拘束性をめぐって生ず
る若干の問題点を指摘することによって,連合王国内におけるスコットランド
法の位置づけの一端を提示しておく。
2) 貴族院判決のスコットランドにおける拘束性をめぐる諸側面
連合王国という,独立したJurisdictionもしくはLegal Systemの並存
を認める体制において,先例拘束に関する一般原則としては次のようにいうこ
とができる。つまり同一系列(直系)内の上位裁判所の判決は下位の裁判所を
拘束する(binding)が,傍系については,いわゆる説得力(pursuasive)の
(20)
みである。
ただしこの貴族院判決の拘束力という問題を考える際に,次の二つの歴史的
事実は極めて重要な意味を,現在においても有していると思われる。一つは,
1707年の連合直後に,貴族院へのスコットランドからの上訴そのものの可否
(21)
が,連合条約第19条の解釈をめぐって争われた,という点。そして第二が,現
に刑事事件については,1672年に設立されたスコットランド最高刑事裁判所
(High Court Qf Justiciary)が,スコットランドの最終審として現在も機能
(20)D.M. Walker, Soo”融L69〃Sツs’θ吻, chap・10, II・cf・
(21) この点に関する代表的な批判的見解としては,J. D. B. Mitchel, Coηs’πκ’∫oησJ
L側,1964参照。また・Paterson and Bates,丁舵Lθgβ15ン3’θ〃τげSoo’1β%4,
0αSθSση4ルf諺θ万σ!3も参照。
60
人間科学論集第24巻
しており,したがって刑事事件についてはウェストミンスターの貴族院には上
訴されず,その故に貴族院の刑事事件の判決はスコットランドに対して拘束力
を有しない,という点である。
「このような基本的事実をふまえたうえで,上の一般原則を民事事件に適用す
れば,:貴族院の判決はスコットランドの高等民事裁判所以下の裁判所を拘束す
るが,傍系たるイングランドの控訴院以下の判決は,説得力は有するものの,
拘東力は有しない,といえる。しかし次に,それではすべての貴族院の判決
が,この一般原則にしたがって,スコットランドの裁判所を拘束するか否かが
問題となる。そして結論のみをいえば,すでに言及したScottish appealに対
する判決は当然として拘束力を有するもののEnglish appealについては,
原則として拘束力を有しない,となる。しかしさらに問われるべきは,ここで
いう「原則として」ということの意味である。
この問題に関して重要な意味をもつのは,第一章で言及した制定法そのもの
の多様性である。English appea1において,たとえば1707年以前のスコット
ランド議会で制定された,Scots Statutesの解釈を争点とするケースはまずは
あり得ない。しかしEnglish apPea1でも,連合王国に共通して適用される
UK Statuteの解釈をめぐる判決については,スコットランドにも適用される
制定法の文言解釈として,その出自のいかんにかかわらず拘束力を有するもの
と考えられる。たとえば,制定法ではなく判例法に関してではあるが,先に言
及したDonaghue v. Stevenson事件では,本件にかかわる過失をめぐる法
についてはイングランドとスコットランドは共通であり,したがってそれぞれ
の法の独自性を考慮することなしに判断しうるということが,アトキン卿やマ
(22)
クミラン卿によって明白に表明されている。
(22) たとえばアトキン卿による言及としてはDonaghue v. Stevenson,1932 S. C.
(H.L.)p.43.「本件の問題に・関するスコットランド法上の原則は,イングランド
法と共通であり,したがって〔イングランド法〕に依拠して論ずる」とアトキン卿
は明言している。
スコットランドのコモンローの諸側面
61
しかしこの問題をめぐっても,一応一般原則として,スコットランドとイン
グランドに共通する法的問題についての貴族院の判決は,両者をともに拘束す
るということが認められてはいるものの,さらにその「共通性」をめぐって種
々の争いが存在する。そしてこの問題は,1975年に出された立法に関するいわ
(23)
ゆるRenton Report (The Preparation of Legislation)1こおける,スコッ
トランド側からのUK Statuteに対する心添ともからむ,極めて複雑な問題
を含んでおり,本稿ではさしあたって,⊥のような問題状況の指摘のみにとど
めざるを得ない。
むすびにかえて
以上スコットランドのコモンローについて,イングランド法との対比を念頭
においてその特徴の一端を提示した。
むすびにかえて,ここで再度強調しておきたいのは,スコットランドにおけ
るエクイティと,それを理論的に提示する体系的・権威的著作の歴史的重要性
である。先例拘束に対する柔軟な対応について第三章で概観したが,その基本
には,エクイティにもとつく判例の柔軟な運用という発想がひかえている。そ
してこの基本的発想は,たとえば先に制定法解釈とのかかわりで言及した,デ
ニング卿の厳格な先例拘束原理の批判と軌を一にする発想であり,またエクイ
ティの見地から貴族院の厳格な自己拘束性の緩和を表明した,1966年のいわゆ
(24)
る“Practice Statement”と同一の発想である。
また視点をかえて,スコットランドからのイングランド法への影響がより深
(23) TぬθP76ρθ7〃ガ。πげ・Lθgゴs16z蕗。π, Cmnd. 6053, 1975.
(24) このPractice Statementに対するスコットランドからの1つのコメントとして,
G.Mather,“Scots Law and 1966 Practice Statement”丁乃θε60’s L伽
丁翻63,1981pp.181−85参照。
62
人間科学論集第24巻
く検:討されるべきであろうと思われる。たとえば,先に言及した不法行為法の
展開に対するScots Law Lordsの役割や,エクイティを通じて商事法の確
立に大きく帰与した,スコットランド出身のマンスフィールド卿の存在,さら
に公訴官制度の導入にともなうスコットランドの公的訴追制度の関与如何など
は,わがくにでもよく言及される話題である。
さらに「イギリス法」という名の下で莫然と理解されてきたことがらでも,
意外にスコットランドにその先駆もしくは起源を見い出すこともありうる。た
とえば,メインに端を発するとされる19世紀の「イギリス」歴史法論は,実は
18世紀のスコットランドにその先駆が謡い出しうることは,両者の見体的な影
(25)
響関係如何は別として,P.スタィンがすでに明快に指摘するところである。
上の二点は,スコットランド法に関するわがくにでの本格的な論稿の先駆
である,故内田力蔵教授の「スコットランド法におけるコンシダレーションに
(26)
ついて」のなかでつとに指摘されているところである。しかもその指摘は,こ
の問題を全面的に論じているハムリン・レクチャーにおけるT.B.スミスの
“British Justice−The Scottish Contribution”(1961)に10か年先立つもの
である。
またEC統合とのからみで,ヨーロッパ大陸法とも一定の妥協のもとで調
和せざるをえない今後の「イギリス」法の動向のなかで,すでにそれを歴更的
に体験し,そのなかから自らのLegal Systemつまりスコットランドのコモ
ンローを形成してきた,これまでのスコットランド法の経験のつみかさねは,
文字通りBritish Justiceのみならず, European Justiceの今後の展開にと
(25)p.Stein, Logσ1 Eoo1〃’ゴ。η,1980.(今野他訳「法進化のメタヒストリー」)お
よびその書評たる拙稿,「P.スタイン「法進化のメタヒストリー」」「歴史と社会の
なかの法」,比較法史研究2参照。
(26)内田力蔵「スコットランド法におけるコンシダレーションについて」{一レ(二)法
学新報52巻4,5号),1942。
スコットランドのコモンローの諸側面
63
っても,より重要性をましてくることは明らかである。高等民事裁判所の裁判
官で,British選出の初代EC裁判所裁判官であり,また長官をもつとめたマ
ケンジーステユワートの存在はこのことを象徴しているように思われる。
〔後記〕 本稿は1993年6月5日慶応義塾大学で開催された,日本比較法学会・英米法
部会での報告原稿を若干修正したうえで,注を付してまとめたものである。この論
文の約半分に該当する部分は同学会誌・比較法研究第54巻(1993)に掲載されてい
るが,当日の報告の全体を生かす趣旨で,そこで配布した資料をも注の形で含めて
本稿の全体とした。
またこの場をおかりして当日極めて貴重な御批判・御意見をたまわった諸先生方
に感謝申し上げたい。
本年3月をもって米澤富士雄教授が定年退職された。私自身の本学着任にあたり
大変な御尽力を賜わった。心からお礼申し上げるとともに,今後もますますお元気
で御活躍されんことをお祈り申し上げる次第である。
64 Amarv¥ftkee24ig
Some Aspects of the Scottish Common Law
Comparing with the English Common Law
Taleeshi TSUNODA
Introduction A Historical Aspect of a Concept of Common Law
Chap. L Some Meanings of Common Law
Chap. II. Common Law and Equity in Scotland
1) Two Meanings of Equity
2) Equity as unitied with Common Law and the "Nobile
Qlfficium"
3) A Position of Equity in the Scottish Common Law and a Power
of Interpretation of the Court of Session
Chap. III. The Scottish Common Law and the Doctoline of stare
decisis
1) A Historical Process of the Development of Precedents in
Scotland From the Sixteenth Century to the Nineteenth
Century
2) Binding Force of the House of Lords' Decisions in Scotland
Epilogue
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