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プロセス改善による管理者行動とパフォーマンスの変化

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プロセス改善による管理者行動とパフォーマンスの変化
平成 17 年度 卒業論文
プロセス改善による管理者行動とパフォーマンスの変化
―システムダイナミックスによるビールゲームシミュレーション―
筑波大学
第三学群社会工学類 経営工学主専攻
学籍番号 200100955
大村
担当指導教官
雄一朗
佐藤
亮
平成 18 年 1 月 25 日
教授
目次
1.
はじめに .......................................................................................................................... 3
2.
システムダイナミックス................................................................................................. 4
3.
2.1.
システムダイナミックスとは .................................................................................. 4
2.2.
SD のしくみ............................................................................................................. 4
2.2.1.
システムダイナミックスのしくみ ................................................................... 4
2.2.2.
SD で用いられる主な用語................................................................................ 5
2.2.3.
フィードバック構造 ......................................................................................... 6
2.3.
システム思考............................................................................................................ 6
2.4.
SD の長所と問題点.................................................................................................. 6
ビールゲーム:サプライチェーンマネジメントゲーム ................................................. 7
3.1.
3.1.1.
ビールゲームとは ............................................................................................. 7
3.1.2.
ビールゲーム概観 ............................................................................................. 7
3.1.3.
ビールゲームの意義 ......................................................................................... 8
3.2.
4.
ビールゲーム概要 .................................................................................................... 7
ビールゲーム実験 .................................................................................................... 9
3.2.1.
ビールゲーム実験とは...................................................................................... 9
3.2.2.
実験の結果...................................................................................................... 10
3.2.3.
ビールゲーム実験の意義 ................................................................................ 10
ビールゲームの SD モデル化.........................................................................................11
4.1.
ストック管理の概念................................................................................................11
4.2.
一般的ストック管理モデル.....................................................................................11
(1)ストック取得システム ....................................................................................... 12
(2)注文ヒューリスティック.................................................................................... 13
4.3.
5.
ビールゲームにおけるストック管理 ..................................................................... 15
4.3.1.
受注出荷システム ........................................................................................... 15
4.3.2.
意思決定システム ........................................................................................... 16
4.3.3.
ビールゲームサプライチェーン ..................................................................... 20
ビールゲームシミュレーション.................................................................................... 22
5.1.
シミュレーションの挙動 ....................................................................................... 22
(1)振動 .................................................................................................................... 23
(2)増幅 .................................................................................................................... 23
(3)位相遅れ ............................................................................................................. 23
5.2.
6.
意思決定パラメータの水平効果への影響.............................................................. 24
パフォーマンス向上のための構造分析......................................................................... 26
1
7.
6.1.
レバレッジ ............................................................................................................. 26
6.2.
レバレッジポイントの発見:システム構造の分析 ............................................... 26
構造改善の効果検証...................................................................................................... 30
7.1.
情報共有の効果検証............................................................................................... 30
7.1.1.
情報共有の一般的意義.................................................................................... 30
7.1.2.
情報共有プロセスのデザイン......................................................................... 30
7.1.3.
SD モデル化 ................................................................................................... 32
7.1.4.
ビールゲームでの情報共有効果 ..................................................................... 33
7.1.5.
不安定な需要下での情報共有効果の検証 ...................................................... 37
7.2.
リードタイム短縮効果の検証 ................................................................................ 40
7.2.1.
リードタイム短縮プロセス ............................................................................ 40
7.2.2.
SD モデルの修正 ............................................................................................ 40
7.2.3.
シミュレーション結果と考察......................................................................... 41
8. 結論 ............................................................................................................................... 44
参考文献 ............................................................................................................................... 46
2
1. はじめに
現実社会では、犯罪の増加や少子高齢化などの社会的問題をはじめ、各種の経営問題、
家庭での子供の教育問題など、様々な問題が存在する。問題となる事象を根本的に解決す
るには、その原因を探り当てたうえで効果的な解決策を立て実行する必要がある。しかし
実際には、問題のほとんどは多数の要因が複雑に絡み合い、その原因を発見すること自体
が非常に困難である。このような問題に対して、事象に関わるさまざまな要素とそれらの
間にある因果関係を明らかにすることで、問題を引き起こす原因を探るアプローチの仕方
がシステム思考である。
システム思考とはどういうものかを体験的に学習することができる「ビールゲーム(Beer
Distribution Game)」という模擬的な生産流通在庫システムのマネジメントゲームが存在
する。このゲームのシステムは、現実のサプライチェーンを単純化したものであるが、多
数の行為者、フィードバック、非線形性、時間遅れなどからなっており、実社会のサプラ
イチェーンで起こりうる問題や現象を再現する。
本研究は、ビールゲームのシステム構造をシステム思考アプローチによって明らかにす
ることで、在庫システムの管理者が直面する問題やサプライチェーン構造が引き起こす現
象についての理解を深めるとともに、ダイナミックに変動する現象に対する洞察や複雑な
問題に対する解決力を養うことを目的の一つとしている。また、単純化されたサプライチ
ェーンを対象にしたシステム構造の分析結果から、システムのパフォーマンスを向上させ
るプロセスの改善を設計し、その構造変化が管理者行動とシステムのパフォーマンスへ与
える影響を明らかにしようとするものである。
そこでまずビールゲームのシミュレーションモデルを構築した。モデル化には、システ
ムダイナミックスというシステム思考に基づいたシステムの動特性を明らかにする方法を
用いた。また、ビールゲームプレイヤーの行動のモデル化には、Sterman(1989)の提案した
一般的ストック管理モデルを参考にしている。
次にこのモデルについてシミュレーションを行い、ビールゲームシステムの挙動を確認
した上で、システム構造の分析を行った。構造分析からはビールサプライチェーン全体の
パフォーマンスを向上させるレバレッジ(作用点)が明らかされ、そのレバレッジに基づ
いてシステム構造を改善するプロセスを提案した。最後に、提案されたプロセスについて
再びシミュレーションを行い、その結果からプロセス改善によるプレイヤーの行動とパフ
ォーマンスに与える影響について考察した。
3
2. システムダイナミックス
2.1. システムダイナミックスとは
システムダイナミックス(System Dynamics:SD)は、MIT で Forrester 教授によって
開発されたシミュレーション技法であり、すでに 50 年以上の実績をもつ。自然科学から社
会科学まで幅広い分野で応用されている。SD は複雑な非線形システムの長期的な動的特性
を解析する場合に適した手法であり、次の二つのコンセプトからなっている[1]。
・ フィードバック理論:システム構造を組織化するための一般的なガイドライン
・ コンピュータ・シミュレーション:システム構造から生じる挙動を推定するための方法
ここではシステムダイナミックスを、変動するシステムのシミュレーションモデルによ
ってそのシステムの動特性を明らかにする方法[2]と定義する。
SD の特徴を生かし、1970 年に Forrester が地球全体の生態・経済システムの構造と動的
特性の解析を行うために考案した SD による世界モデルは、その後の世界モデルの基礎とな
っている。その後の発展形である Meadows らによるワールド3を利用した解析結果をまと
めた「The Limits to Growth 成長の限界」は、オイルショックを予測したととらえられ、
大きな反響を呼んだ。
2.2. SD のしくみ
2.2.1. システムダイナミックスのしくみ
SD では実世界の複雑なプロセスを要素間の関係を表したストック・アンド・フローダイ
アグラム(図 1)で表現する。
Inventory
Production
Shipments
Time to Correct
Inventory
Desired Inventory
Inventory Coverage
Order Rate
Time to Change
Expectations
Expected Demand
Change in Expected
Demand
図 1
ストックアンドフローダイアグラム
4
そしてそのモデルをもとにシミュレーションを行うことで、システムの時間経過による
変化や振る舞いを調べることができる。対象とするシステムを、物が流れるパイプとその
流れ(フロー)を調整するバルブ、物の溜まり(ストック)の組み合わせで記述することにより、
連立常微分方程式で表現可能になる(図 2)
。こうして差分法による数値解析により離散的
に解くことで、システムの振る舞いはコンピュータ・シミュレーションで予測できる。
L(t )
RI (t )
RO (t )
レベル(ストック)
レート(フロー)
input
output
量/時間 × 時間
=量
量/時間
量/時間
( RI (t ) - RO(t ) ) L(t ) = L(t 0 ) + ò dt
t
t0
図 2
システムダイナミックスのしくみ
2.2.2. SD で用いられる主な用語
(1) レベル
時間経過に伴いシステムの中に集積される量を SD ではレベル(経済学でいうスト
ック)という。水の流れをイメージすれば、貯水池に貯まっている水量がレベルで
あり、その水量は流入量、流出量によって変化する。他に、在庫量、作業量、預金
残高などがレベルとして挙げられる。
(2) レート
システム内のレベル間を単位期間内に流れる量を SD ではレート(経済学でいうフ
ロー)という。貯水池の例でいえば、流入および流出する量がレートであり、他に、
一ヶ月あたりの入荷量、一日あたりの出荷量などが挙げられる。
(3) 補助変数
意思決定関数をいくつかの部分に分解すると都合がよい場合などに使われ、フロー
を制御したり、中間の計算を実施したりする。
(4) フィードバック
物や情報がある要素から他の要素に流れた後に再びもとの要素に戻ってくることを
フィードバックという。フィードバックには次の 2 種類がある。
1. 正のフィードバック
一方の要素が増加すると、その要素によって影響される要素も増加するとい
う正の関係をなすフィードバックのこと。
5
2. 負のフィードバック
一方の要素が増加すると、その要素によって影響される要素は減少するとい
う負の関係をなすフィードバックのこと。
フィードバックを構成する要素間に、負の関係が奇数個あれば負のフィードバック、
偶数個あれば正のフィードバックになる。
2.2.3. フィードバック構造
SD の特徴として、実社会の多くの諸現象を複数のフィードバック構造を組み合わせ
た多重フィードバック構造のモデルの形にし、時間経過とともに分析するところが挙げ
られる。これにより、システムを構成する要素の因果関係を明確にするとともに、時間
経過によるシステムの振る舞いの原因を特定することが可能となる。特に、遅れを伴う
フィードバック構造はシステムの振る舞いを複雑なものにする。
2.3. システム思考
意志決定(政策決定)や物理現象・化学反応などを理解する際には、その問題や事象(シ
ステム)に関わるさまざまな要素と振る舞い(それらの要素が対象となる問題や事象にど
う関わっているのか)を理解することが必要となる。そのような理解の仕方を「システム
思考」
(System Thinking)と言い、時間経過によって起こるシステムの動き(ダイナミッ
クス)を「システムダイナミックス」(System Dynamics:SD)と呼ぶ。
SD は、こうしたシステム思考の観点から有用性を再び認められ始め、現在では初期の考
えと異なり、特に社会科学の分野では数量的予測よりシステムの性質を調べる方法論とし
ての位置づけが期待されている[3]。
2.4. SD の長所と問題点
①レベル(ストック)とレート(フロー)を明確にする。
②フィードバックループの解析に適する。
長 所
③非線型の式が扱いやすい。
④社会現象のような一過現象を扱うことが容易である。
⑤長期計算に適する。
⑥数式で表しえないグラフ表示の関数を容易に取り扱うことができる。
①SDには根拠になる理論が少ないと言われる。
問題点
②曖昧な関係の利用が多いと言われる。
③モデルの検証が難しい。
「システム・ダイナミックス入門」
6
島田俊郎編 日科技連出版社 より作成
3. ビールゲーム:サプライチェーンマネジメントゲーム
3.1. ビールゲーム概要
3.1.1. ビールゲームとは
ビールゲームは、ビールの生産流通過程を模したゲーム盤上で行われる生産流通システ
ムのロールプレイングシミュレーションである。経済ダイナミックスやコンピュータ・シ
ミュレーションの概念を学生に教えるために MIT で開発された。当初は、
「生産流通シス
テムゲーム(Production Distribution Game)
」と呼ばれていたが、学生に勉強ではないと
思わせるひとつの工夫として、
“ビール”ゲームと命名されたといわれている。
ゲームの参加者は、ひとつの複雑なシステムについての意思決定を分担し、他のメンバ
ーの圧力を相互に感じながら自らの意思決定を遂行する。このゲームのプレイを通して参
加者は、「構造が行動を生む」という SD の大原則とともに、システム思考とはどういうも
のかを体験的に学習することができる。ビールゲームはシステムダイナミックスと同じく
50 年の歴史があり、今日まで何千人とプレイされ、システムダイナミックス学会の共有財
産となっている。
3.1.2. ビールゲーム概観
ここで、ビールゲームの概要を説明する1。ビールゲームはビールの生産流通を模した
ゲーム盤(図 3)上でプレイされる。ゲーム盤には「工場」・
「一次卸」・
「二次卸」
・「小
売店」の役割があり、参加者はチームとなって勝敗を競う。各チームは4~5人で構成
され、1~2名で1つの工程(セクタ)を担当する。ビールの注文票やビールケースを
表すコインを、プレイヤーが毎期ごとに手で動かすことでゲームが進行する。1期はゲ
ーム中では1週間と呼ぶ。
島田俊郎編、
『システムダイナミックス入門』
、日科技連、1994 より
図 3
ビールゲーム盤
1この説明は、島田俊郎編、
『システムダイナミックス入門』
、日科技連、1994
7
に基づいている
ビールゲームに出てくるビジネス・プロセスの構造は、図 4 のようになっている。
システム外
注文票(2)
注文票(2)
注文票(2)
生産指示書(1)
注文票
顧客
小売
二次卸
一次卸
工場
ビール(2)
ビール(2)
:注文処理遅れ、
:配送遅れ、 括弧内は遅れ時間(週)
図 4
ビール(2)
生産遅れ(2)
ビールゲームのプロセス構造
ビールの注文は顧客→小売→二次卸→一次卸→工場と伝えられ、逆にビールは工場から
順に消費者へと配送される。毎週小売店は注文を受けた数のビールを在庫から出荷する。
小売店は二次卸にビールを注文し、二次卸は求められた数のビールを在庫から出荷する。
同様に、二次卸は一次卸にビールを注文してビールを受け取り、一次卸は工場にビールを
注文してビールを受け取る。工場はビールを製造(醸造)する。各段階には配送遅れと注
文処理遅れがある。これらの遅れは、出荷と配送に要する時間、注文の受理処理に要する
時間を表している。出荷後一つ下流のセクタにビールが届くまでに 2 週間の遅延があり、
一つ上流のセクタが受注処理をするのに 2 週間(工場では 1 週間)を要する。
ルールでチーム内のメンバー同士の相談は禁じられている。また、顧客からの注文数は
システムへの外生変数であり、ゲームの参加者には秘密になっている。ゲーム中、小売を
担当しているプレイヤーのみがその期の注文数を知ることができる。実はゲームの途中で
顧客の注文が倍(4 ケース/週→8 ケース/週)に増えることになっている。
ゲームが終わったときに、毎期に計算される在庫費用と受注残費用の総計が最も少なか
ったチームが勝者となる。在庫費用は 0 . 5 ドル/ケース/週で、(品切れ時の)受注残費
用は 1 ドル/ケース/週となっている。各セクタを担当するプレイヤーは、自分の担当す
るセクタの費用だけでなく、全セクタの費用が最小となるよう、意思決定をしなくてはな
らない。
3.1.3. ビールゲームの意義
ビールゲームプレイヤーの多くは、ゲーム半ばで納期遅れが原因で受注残を抱えるよう
になる。そしてその受注残の拡大を抑えようと必要以上に注文を出してしまい、やがてそ
れらの注文分が入荷するころには、逆に過大な在庫を抱えてしまうという経験をする。プ
8
レイヤーはゲーム終了後に自らのパフォーマンス2悪化の原因を外部から生じたもの(需要
変動や他人のミス)だと誤認する。しかし実際は、システムの構造がプレイヤーの行動に
影響を及ぼして問題が引き起こされている。このことをピーター・M・センゲはその著書「最
強組織の法則」[4]の中でビールゲームを取り上げ、ビールゲームの構造を図 5 のようにあ
らわして説明している。
自分の発注
供給元の在庫
顧客からの注文
悪循環
自分の在庫
ビールの出荷
納品の遅れ
ビールの納入
図 5
ビールゲームの構造
プレイヤーは、担当するセクタの立場において合理的な意思決定をする。しかし個々の
局面、つまり担当セクタにおいて合理的であるはずの意思決定が、全体としては思っても
見ない不合理を生じさせることがある。在庫の減少とか受注残の増大とかいった「事象」
は、システムのプロセスからもたらされる行動であり、このような行動はシステムの「構
造」から必然的に引き起こされることを、参加者は体験的に学習する。そして、ゲーム後
のデブリーフィング(省察)を通して、問題を改善するためには、
「事象」よりもその背後
の「構造」の改善の方が重要であることを納得してもらうのである[2]。
3.2. ビールゲーム実験
3.2.1. ビールゲーム実験とは
ここで言う、
「ビールゲーム実験」とは、MIT のスターマンによって 1980 年代前半の 4
年間に渡って行われた、ビールゲームを用いた実験を指す[5]。被験者は、MIT スローン経
営学部の大学生・経営修士・博士、コンピュータ・シミュレーション短期コースに参加し
2「
“ふるまい(performance)
”とは、システムの動きの望ましさを示す特性、すなわち、利潤性、雇用の安定、市場占
有率、製品コスト、会社成長、価格変動、必要な投資、手持ち現金の変化といったシステムの目安をさす。
」(J.W.フォ
レスター著、石田晴久・小林秀雄共訳「インダストリアル・ダイナミックス」、1971 年、紀伊国屋書店、第 13 章注1、
P.174)
9
た経営者、大手コンピュータ企業の上級経営者などで、48 実験(被験者 192 人)の内、重
大なエラーを含む実験を除外した 11 実験(被験者 44 人)を採用した。
3.2.2. 実験の結果
この実験から、個人選択(意思決定)が、模擬的な企業構造、つまりシステム構造と相
互作用し、集計的なダイナミックスを生じさせることが観察された。ゲーム中は、顧客の
注文が 4 ケース/週から 8 ケース/週へと一回のステップ変化にとどまるのに対し、図 6
で示すように、各セクタの注文数および実効在庫はダイナミックに変化している。
Y軸の目盛りは10 ケ-ス
顧客の注文の変化が小
売店から工場へと伝搬す
るに連れて生じる振幅・増
幅・段階遅れに注意
図 6
典型的な 4 実験の結果
3.2.3. ビールゲーム実験の意義
スターマンは研究論文 [5]の中で、被験者の意思決定プロセスを説明するモデルとして、
ストック管理のための投錨と調整型ヒューリスティックを提案している。そして、それを
ビールゲームプレイヤーの行動と仮定し、有意性を実験データで検証した。
黒野は、スターマンの「ビールゲーム実験」およびそれに基づく研究論文「Modeling
Managerial Behavior」を次の 2 点において評価できるとしている[6]。
1. システムダイナミックスという分析手法が、現実の管理者の意思決定を記述しうる手
法であることを検証した。
2. システムダイナミックスという分析手法が、現実の管理者のミクロな意思決定からシ
ステム全体というマクロな挙動を発生させる手法であることを検証した。
10
4. ビールゲームの SD モデル化
ビールゲームの SD モデル化を行うに当たり、本研究ではスターマンによって提案された
一般的ストック管理のモデル[5]を基にする。そこで次節ではまず、ストック管理に関する
概念と一般的ストック管理のモデルついて説明し、その上でモデルのビールゲームへの適
用、SD モデル化へと話を進める。
4.1. ストック管理の概念
ストックの状態やシステムの状態の調整といった行為は日常のいたるところで見られる。
個人レベルでの、風呂の水位・温度の調整や、家庭での金銭のやりくりをはじめ、マクロ
経済レベルでは、貨幣ストックの調整などである。こうしたストックに関する管理調整行
為は、個人もしくは団体による意思決定の中でも最もありふれた行為・業務である。この
ようなストック管理の問題を一般化しモデル化する試みがスターマンによって行われた[5]。
4.2. 一般的ストック管理モデル
スターマンが提案した一般的ストック管理のモデルは次の二つの部分で構成される(図
7)。
(1) ストック取得システム:システムのストックとフローの構造
(2) 注文ヒューリスティック:管理者の用いる意思決定ルール
注1
矩形は、状態変数(レベル)
、太矢
印はフローが流れるパイプ、バル
ブは、フローのレートを示す。
注2
情報フィードバックの極性(正あ
るいは負)は例えば、
X ® +Y Þ (dY / dX ) > 0
のように、独立変数と従属変数と
の相互関係を示している。
図 7
一般的ストック管理のモデル
11
(1)ストック取得システム
ストック取得システム(図 7 上部)は、ストック管理におけるシステムの蓄積であるレ
ベルと、フローを調整するレートで構成されている。ストック管理業務を担う管理者は、
ストックを定められた目標水準あるいは、少なくとも受容範囲内に保持しようとする。こ
の際、ストックは直接的にはコントロールできず、ストックの流出入により変化する。よ
って管理者が、ストックを適切な水準に保持しようとする場合、流出によって減少したス
トックを、流入量を調整することで補充し、ストックを間接的にコントロールする。
ここで、ストック取得システム内の各変数の説明を下記に示す。
① ストック S
取得レート A から損失レート L を差し引いたものの累計である。入荷と出荷の量を差
し引いた累計である在庫に相当する。時刻 t におけるストック S の量を S t とする。同様
に、 Ar , Lr は時刻 r における値である。
St = ò
t
t0
( Ar - Lr ) dr + St
(1)
0
② 損失レート L
ストック S からの流出を調整するレート。ストックからの流出とは例えば、在庫の出
荷、減価償却などによる質的低下などもこのレートで表すことができる。損失レートは
ストック S に依存しており、ストックが減少すればその値は 0 に近づく。これは在庫が
無い場合には出荷できないことをイメージすると分かり易い。損失レートはその他の内
生変数 X や外生変数 U にも依存する。一般に損失は非線形となる。
③ 取得レート A
ストック S への流入を調整するレートで、供給ライン SL と平均取得遅れλとに依存す
る。例えば、商品の入荷量などがこのレートによって決定され、その際の入荷量の決定
には、入荷にかかる時間(取得遅れ)や注文済みだが入荷待ちの量(供給ライン)が影
響するという状態をイメージすると良い。
④ 供給ライン SL
注文レート O から、取得レート A を差し引いた累計、つまり発注済注文から配送済注
文を差し引いたものである。注文はされているが未入荷の単位数の蓄積と考えられる。
SLt = ò
t
t0
( Or - Ar ) dr + SLt
0
(2)
⑤ 注文レート O
注文レートは自らの意思決定によって発注した量に対応する。注文レートは発注量を
表し、供給ラインへの流入を調整する。
ストック取得システムを商品在庫の管理に例えれば、出荷量が損失レートにあたり、出
12
荷によって在庫であるストックが減少する。また、入荷量は取得レートにあたり、入荷に
よって在庫が補充され、在庫レベルは上昇する。入荷は、すでに発注したものが届くこと
であり、その発注量にあたる部分が注文レートである。発注済みでかつ未入荷のものは、
入荷待ちの数量に相当する供給ラインに蓄積される。
(2)注文ヒューリスティック
一般的ストック管理のモデルにおける、注文ヒューリスティック部分は、管理者の意思
決定ルールをモデル化したものである。ストック取得システムにおける、諸変数の状態を
情報として利用し、アウトプットとして発注量を決定する役割を担う。
ストック管理の現実的な状況では、諸変数間のフィードバックの複雑性が、管理者の最
適戦略による決定を不可能にしている。この注文決定モデルでは、管理者は「(注文決定を)
最適化できない代わりに、局部的に合理的3なヒューリスティックでコントロールを行使す
る」と仮定している。また、スターマンによれば、仮定されている意思決定ルールは、
「意
志決定者に局部的に利用可能な情報を活用するものであり、システム構造全体に渡る知識
を管理者が持つものとは想定していない」。
このモデルでは、管理者は次の三つの観点から注文を決定する。
A) 期待損失をストックで補充する
B) 望ましいストックと実際ストックとの差を減少させる。
C) 未入荷の注文品のある供給ラインを十分に維持する。
それぞれの観点で、必要な量を決定し、その単純な和を注文量とする。すなわち、
IOt = Lˆt + AS t + ASLt
(3)
ここで、IO は指示注文(諸変数からの圧力を受け決定された注文量)
、L̂ は A)にあたる「期
*
待損失」
、AS は B)にあたる
「望ましいストック S と実際のストック S との差の調整」
、ASL
*
は C)にあたる「望ましい供給ライン SL と実際の供給ライン SL との差の調整」である。
この指示注文レートは「投錨と調整型ヒューリスティック4」に基づいている。投錨と調
整(anchoring and adjustment)とは、
「普通の戦略で、未知の量を、まず既知の参照値(投
錨値)を思い起こすことによって評価し、続いて取るに足らない効果やはっきりしない諸
要素の効果を調整する」ことである。つまり、期待損失レートを投錨値として参照しなが
ら、ストックや供給ラインの変化に対応して少しずつ次々と注文レートを調整することで
ある。
期待損失 L̂ はさまざまな方法で定式化される。スターマンは一般的な定式化として、静
的な期待値(定数または均衡値)、回帰期待値、適応的期待値、外挿敵期待値などをあげて
3「局部的な合理性」についての議論は、Morecroft(1935,1985),Sterman(1985,1987)を参照のこと
4 Tversky, A. and D.Kahneman, “Judgement Under Uncertainty: Heuristics and Biases”, Science,185(27 Sep
1974),1124-1131
13
いる。
次に、ストック調整 AS は、単純化のため次のような線形をしている。
(
AS t = a S S t* - S t
)
(4)
ストック調整パラメータ a S は、望ましいストック S と実際のストック S の差の乗数であ
*
る。
供給ライン調整 ASL は同様に、以下のように定式化される。
(
ASLt = a SL SL*t - SLt
)
(5)
供給ライン調整パラメータ a SL は、望ましい供給ライン SL と実際の供給ライン SL の差の
*
乗数である。一般的には、望ましい供給ラインは定数ではなく、望ましいスループット f * と
注文から取得までの期待遅れ l̂ の積で表される。
SL*t = l̂t × ft*
(6)
これは、例えば、毎週 100 個の商品を供給者から取得したいと思った際、配送に 4 週間と
すれば、配送に支障なくフローを確保するためには、400 個供給ラインに保持していなけれ
ばならないことを指す。
現実社会では、負の注文はない。もちろん、注文の取消は時に行われるが、注文を出す
際に取消をするのではなく、すでに注文済みのものに対して、取消を行うのが自然だろう。
つまり、注文の取消は負の注文としてではなく、供給ラインからの流出として捉えるほう
が妥当であり、モデル化もそのように行わなければならない。よって、注文レートが非負
となるよう次のように定式化する。
Ot = MAX (0, IOt )
(7)
これによって管理者が過剰な在庫(ストック)を是正するために、注文の取消を行おうと
しても、負の注文はできないので、注文 0 として発注されるのである。
このモデルにはモデル図(図 7)に示したように、二つの負のフィードバック構造が存
在する。ひとつは、ストックとストック調整の間にある負の関係が作り出しているフィー
ドバックループ、もうひとつは、供給ラインと供給ライン調整の間の負の関係によって作
り出されているフィードバックループである。これらのフィードバックループの存在が、
ストック不足の補正に十分な注文品が供給ラインに確保された後になっても注文がなされ
続け過剰や不安定性が引き起こされることを防ぐのである。
14
4.3. ビールゲームにおけるストック管理
ビールゲームにおいて各プレイヤーが担う役割は、ストック管理業務にほかならない。
プレイヤーはそれぞれのセクタで、在庫を一定水準に保つために、在庫の状態や供給ライ
ンの状態を監視し、必要な注文量を決定し発注する。そこで、以下ではビールゲームモデ
ルに一般的ストック管理モデルを適用していく。
4.3.1. 受注出荷システム
一般的ストック管理モデルのストック取得システム(P.11)は、ビールゲームにおける各
セクタ内のものの流れを表すモデルとして適用できる。ストックは在庫、損失レートは出
荷量、取得レートは入荷量、供給ラインは発注済未入荷数量、注文レートは発注量として
捉えることができる。本研究ではストックを実効在庫、損失レートを受注量として、SD モ
デル化している(図 8 参照)
。実効在庫とは、実際の在庫から受注残を差し引いたものであ
る。これは、入荷量から受注量を差し引いたものの累計である。
‘実効在庫’=’初期在庫’ + dt * ’入荷量’ - dt * ’受注量’
ストック部分を実効在庫としてモデル化することにより、在庫と受注残の様子をひとつの
レベルで表現することができる。
初期供給ライン
初期在庫
実効在庫
供給ライン
入荷量
発注量
累積受注量
受注量
累積出荷量
出荷量
図 8
受注出荷システムの SD モデル
出荷量は、入荷量、受注量、実効在庫の情報を基に決定される補助変数として表している。
ゲーム盤上で行われるビールゲームでは、一期間の中で、まずビールが入荷し在庫に入る。
その後で在庫から出荷が行われる際、在庫が十分にあれば、受注した分だけ出荷し、受注
量よりも在庫量が少なければ、在庫にある分だけ出荷する。したがって、出荷量の計算プ
ロセスは以下の通りである。
① 前期の在庫量に入荷量を加算する
② ‘①の量’と受注量を比較し、
A) ① ³ 受注量ならば、
15
出荷量=受注量
B) ① < 受注量ならば、
出荷量=’①の量’
③ ‘①の量’-’②で決められた出荷量’を今期の在庫量とする。
ところが、本研究ではストック部分を実在庫ではなく、実効在庫としているため工夫が必
要である。例えば、実効在庫が負値の時、その値は受注残数を表すから、入荷分はその受
注残の消化に回される。もし入荷した後の実効在庫が、受注残が解消され正となった場合、
その時の出荷量は、
出荷量=受注残数+MIN(’受注量’, ’入荷した後の実効在庫’)
となる。このように、負値を許すことによって、出荷量の計算プロセスはより複雑になる。
本研究で作成した SD モデルでは、補助変数‘出荷量’を以下のプロセスで計算している。
<ストックを実効在庫とした場合の出荷量計算プロセス>
① 実効在庫>=受注数ならば、
出荷量=受注数
② 実効在庫<受注数ならば、
A) 実効在庫>=0 ならば、
出荷量=MIN(実効在庫+入荷量、受注数)
B) 実効在庫<0(→受注残)ならば、
(a) 実効在庫+入荷量<0 ならば、
出荷量=入荷数
(b) 実効在庫+入荷量>=0 ならば、
出荷量=MIN(’入荷量’,’受注量+受注残(-実効在庫)’)
4.3.2. 意思決定システム
次に、ビールゲームのプレイヤーの意思決定ルールを SD モデル化する。スターマンによ
って、投錨と調整型ヒューリスティックがビールゲームプレイヤーの意思決定をよく説明
することが検証されている。そこで、本研究では意思決定システムとして、投錨と調整型
ヒューリスティックに従った注文ヒューリスティック(4.2 参照)を採用する。
注文ヒューリスティックをビールゲームモデルに当てはめるにあたって、まず期待損失
L̂ 、望ましいストック S * 、望ましい供給ライン SL* を明確にする。
ビールゲームでの期待損失は期待受注量、つまりプレイヤーのそれぞれの顧客(ひとつ
下流のプレイヤー)が注文すると、プレイヤーが予測するレートである。スターマンによ
れば、ここでの期待損失は適応的期待を仮定するのが妥当だとしている。適応的期待とは、
経済システムのシミュレーションモデルの構築に広く用いられ、集計における期待の進化
に関する一つの良いモデル(Sterman 1987b, Frankel and Froot 1987)であり、変化する
プロセスに適した期待の内ではもっとも単純な定式化の一つである。
16
*
望ましいストック S は、配送や受注に関する費用関数と期待変量を所与とすると、期待
費用を最小化するために決定されなければならない。本来、安全在庫量などを望ましいス
トックとして設定すべきだが、ビールゲームにおいて、プレイヤーは最適在庫水準の決定
に必要な時間も情報も持っていない。このような状況では、プレイヤーは望ましいストッ
*
ク S として、初期の在庫水準(12 ケース)を投錨すると期待される。実際、スターマンに
よって、望ましいストックは初期水準に投錨されることが実験データから検証されている。
望ましい供給ライン SL は、(6)式で示した通り、望ましいスループット f * と注文から取
*
得までの期待遅れ l̂ の積で表される。一般に、望ましい供給ラインは、受注の際に予測さ
れた遅れに依存して変化する。しかし、プレイヤーは受注時に、遅れを決定する手段を持
たないから、望ましい供給ラインは一定と仮定される。
以上を踏まえると、意思決定ルールは以下のように定式化される。
(
)
Ot = MAX 0, Lˆt + AS t + ASLt ,
(8)
t 期の注文量 Ot は、 t 期の期待損失 L̂t 、ストック調整量 ASt と供給ライン調整量 ASLt の和
から定める。
Lˆ t = qLt -1 + (1 - q )Lˆt -1 ,
0 £q £1
(9)
t 期の期待損失レートは t - 1 期の期待損失レート Lˆt -1 と t - 1 期の実損失 Lt -1 の内分点とする。
(
)
AS t = a S S * - S t ,
(10)
t 期のストック調整量 ASt は、目標ストック量 S * と t 期のストック量 S t との差にストック調
整パラメータ a S を乗じたものとする( S は定数)
。
*
(
ASLt = a SL SL* - SLt
)
(11)
t 期の供給ライン調整量 ASLt は、目標供給ライン量 SL* と t 期の供給ライン量 SLt との差に
供給ライン調整パラメータ a SL を乗じたものとする( SL は定数)。
*
この意思決定モデルを SD モデル化したものを以下に示す。
17
発注量
供給ライン調整ASL
指示注文
期待損失レート
在庫調整AS
期待損失計算
αs
望ましいストック
図 9
αSL
望ましい供給ライン
θ
意思決定システムの SD モデル
期待損失の計算を SD 上で行うには、工夫が必要である。
(9)式には、前期の期待損失レー
トが含まれているので、補助変数のみでこれを表現しようとすると、補助変数の計算仮定
に無限ループができてしまう。このような場合、レベルを補助変数の変わりに用いること
で問題を解決できる。SD では、補助変数の評価のあとにレベルの計算が行われるので、こ
の評価のタイミングのずれを利用することで、時間差のある変数計算をさせることができ
るのである。そこで期待損失レートの計算を、レベルを利用した形に改めるために(9)式
を以下のように変形する。
Lˆt = qLt -1 + (1 - q )Lˆt -1
(
Lˆt = Lˆt -1 + q Lt -1 - Lˆt -1
)
(12)
こうすることで、SD 上でレベルとフローによる表現が可能になる。図 10 の右下にある、
期待損失の計算モデルでは、期待損失レートをレベルで表し、前期と今期の期待損失レー
(
)
トの増分 q Lt -1 - Lˆt -1 が’期待損失計算’によって計算されフローとしてレベルへ加算される
仕組みになっている。
後のシミュレーションのため、(8)~(11)式をパラメータ推定に適した形式へと当てはめる。
b = a SL / a S
S ¢ = S * + b SL*
(13)
(14)
と定義すると、
(
)
Ot = MAX 0, Lˆt + a S (S ¢ - St - bSLt ) ,
18
(15)
ここで、 S , SL , a SL , a S ³ 0 より S ¢ ³ 0 。プレイヤーは在庫自体よりも供給ラインのほう
*
*
を強調するようなことはしそうにない。なぜならば、供給ラインは、費用関数には直接的
には入らないし、在庫ほどには重要でないからである。したがって、
a SL £ a S
(16)
0 £ b £1
(17)
(13)式より、
と考えられる。このβは、供給ライン乗数と解釈できる。β=1 であれば、プレイヤーは供
給ラインを十分に認識している、つまり過去に発注済みで未入荷の数について把握した上
で発注を行うことになるので注文過剰が生じない。逆にβ=0 であれば、注文中の商品を無
視して発注するので、過剰に注文してしまう可能性がある。
下図(図 10)は以上を踏まえ、4つの推定パラメータ( q , a S , S ¢, b )からなる意思決定
ルールを SD モデル化したものである。なお、’在庫調整 AS’や’供給ライン調整 ASL’などの
補助変数は、(15)式の導入に伴い除かれ、補助変数’指示注文’の定義式は(15)に従う。
注文レート
初期期待損失レート
指示注文
期待損失レート
期待損失計算
β
αs
図 10
θ
S’
意思決定システムの SD 改モデル
受注出荷システム(図 8)と意思決定システム(図 10)を統合し、ビールゲームの各セ
クタでのストック管理モデルを完成させる。統合によって、ストック管理モデルは各補助
変数間に多くの情報リンクが結ばれ見づらくなる。そこで意思決定システムなどの諸シス
テムを再利用可能なコンポーネントにまとめる。本研究で利用している PowersimStudio
2005 では、こうしたオブジェクト指向の概念を取り入れたモデル化を行うことができる点
で優れているといえる。
19
配送遅れ
累積入荷量
コスト計算
初期在庫
発注量
供給ライン
累積受注量
実効在庫
入荷量
受注量
累積出荷量
出荷量
意思決定システム
図 11 ビールゲームのストック管理モデル
4.3.3. ビールゲームサプライチェーン
前項では、一人のプレイヤーが管理するセクタのストック管理をモデル化した。次に、
これをつなぎ合わせ、ビールゲーム全体のサプライチェーンを構築する。そのためには、
各セクタ間の情報と物の流れ(やりとり)を表現する必要がある。また、各セクタとも、
ストック管理の構造はほぼ同一であるが、サプライチェーンを構築する際には、遅れ時間
の違いに注意する必要がある。
“遅れ”を伴ったフィードバック構造は、システムの複雑性
を高め、ダイナミズムを生じさせる。
“遅れ”を容易に取り扱うことができるのも SD の特
徴の一つと言える。
各セクタ間でやりとりされる情報は、上流への発注情報である。これは、意思決定シス
テムで決定した発注量から、一つ上流のセクタにおける受注量への情報のリンクで表現で
きる。ただし、図 4 で示したように、各セクタで注文処理に 2 週間(工場では 1 週間)か
かる。この、情報が上流に到達するまでの遅れを SD では「パイプライン遅れ」という関数
を使って表現できる。パイプライン遅れは、入力値を遅れ時間後にそのまま出力する関数
である。Powersim では、この遅れを伴う情報リンクを、二重取消線のついた矢印で表す。
次に、セクタ間の物の流れを表現する。ビールゲームでのものの流れは、
「ビール」であ
る。ビールはストック取得システムの出荷量から、そのセクタの顧客にあたる一つ下流の
セクタにおける入荷量への情報リンクで表すことができる。ここでもパイプライン遅れ関
数を用い配送遅れを表現する。
20
生産量
F_生産遅れ
F_累積入荷量
F_供給ライン
F_コスト計算
F_初期在庫
F_累積受注量
F_実効在庫
F_発注量
F_入荷量
F_受注量
F_累積出荷量
Factory
F_出荷量
F_意思決定システム
D_配送遅れ
D_累積入荷量
D_コスト計算
D_初期在庫
D_発注量
D_供給ライン
D_累積受注量
D_実効在庫
D_入荷量
D_受注量
D_累積出荷量
Distributor
D_出荷量
D_意思決定システム
W_配送遅れ
W_累積入荷量
W_コスト計算
W_初期在庫
W_発注量
W_供給ライン
W_実効在庫
W_入荷量
W_累積受注量
W_受注量
W_累積出荷量
Warehouse
W_出荷量
W_意思決定システム
R_配送遅れ
R_累積入荷量
R_コスト計算
R_初期在庫
R_発注量
R_供給ライン
R_累積受注量
R_実効在庫
R_入荷量
R_受注量
R_累積出荷量
Retailer
R_出荷量
R_意思決定システム
図 12
ビールゲームサプライチェーン
21
5. ビールゲームシミュレーション
この章では4章で作成したビールゲーム SD モデルを用いてビールゲームシミュレーシ
ョンを行う。まず次節ではビールゲーム実験から観察された注文・実効在庫パターンの3
つの規則性について確認する。さらに、5.2 では意思決定パラメータの影響について、シミ
ュレーションで確認された事柄を述べる。
5.1.
シミュレーションの挙動
ゲーム盤上で実際に行われたビールゲームの結果からは、プレイヤーは最適とはほど遠
い行動をしていることが観察される(図 6)。しかし、各プレイヤーの行動には類似性が見
られる。ほとんどの実験結果において、顧客の注文変化が小売店から工場へと伝播するに
連れて、振動・増幅・位相遅れが生じているのである。以下では、この3つの特徴をシミ
ュレーションで確認する。単純化のために、各セクタに同一の意思決定パラメータを設定
し、シミュレーションを行った(図 13)
。意思決定パラメータは、0 £ q , a S , b £ 1, S ¢ ³ 0 の
範囲で任意に設定できる。ここでは、 q , a S , b = 0.5, S ¢ = 20(18) (括弧内は工場の値)
、シ
ミュレーション期間は実際のビールゲームと同様に 36 週間とした。
case/wk
40
30
20
10
0
発注量の様子
Non-commercial use only!
横軸:時間(週)、縦軸:注文数(ケース/週)
case
50
(F) 工場
0
(D) 一次卸
(W) 二次卸
-50
(R) 小売
Non-commercial use only!
実効在庫の様子
横軸:時間(週)、縦軸:実効在庫水準(ケース)
図 13
各セクタの注文と実効在庫の様子
22
顧客注文
(1)振動
ビールゲーム実験で観察されたようにシミュレーションでも不安定な振動が見られる。
4週目までは定常状態が続いているが、顧客(最終消費者)需要が5週目に 4 ケースから
8ケースへ変化すると、発注量と実効在庫に影響が現れる。小売の在庫水準が低下し、続
いて二次卸、一次卸、工場の在庫水準が次々に低下する。在庫水準が低下すると、これを
是正するために発注量の増加が生じる。20 週目付近では実効在庫の値は極端な負値をとり、
受注残が多く存在していることを示している。その後急速に在庫水準は増加するが、初期
水準を大きく超過して今度は在庫過剰な状態となる。それに応じて発注量は急速に減少す
る。このように、最下流の需要が一度だけ変化したのに対して、実効在庫と発注量は、大
きく振動する。
(2)増幅
発注量の様子を見ると、顧客注文から、小売、二次卸、一次卸、工場へと順に増加して
いっている。工場の発注量のピークは 45 ケース/週で、小売の発注量のピーク 12 ケース
/週と比較すると 3 倍以上である。また、在庫の振幅にも同様に増幅が見られる。小売か
ら二次卸、二次卸から一次卸への増幅の程度と比較して、一次卸から工場への増幅度合い
は小さい。これは、他のセクタではビールを取得するまでの遅れは、他セクタからの影響
を受け変化するのに対して、工場ではビールが入荷するまでの期間が短い上に一定である
ことが原因として考えられる。つまり、他セクタよりも在庫の補正を素早く確実に行える
のである。
(3)位相遅れ
それぞれのセクタの発注量のピークに着目すると、顧客から上流へ向かうにつれて遅れ
ながらピークが来る傾向が見られる。これは、注文量の変化は、意思決定や注文処理によ
る遅れを伴いながら上流へ向けて伝播していくことから考えて当然といえよう。
上述した特徴は、各セクタに異なる意思決定パラメータを設定した場合にも見られる現
象である。ビールゲーム実験を基に推定された意思決定パラメータを用い、シミュレーシ
ョンした結果(図 14)を以下に示す。
23
Free Beer 社
Grin & Beer It 社
Grizzly 社
Heineken2 社
工場
一次卸
二次卸
小売店
工場
一次卸
二次卸
小売店
図 14
5.2.
推定パラメータによるシミュレーション結果
意思決定パラメータの水平効果への影響
ビールゲームは水平効果を避けるために 36 週間でゲームを終了するよう設計されている。
水平効果とは、長期間にわたってゲームが続くことで顧客需要の変化によるかく乱効果が
徐々に薄れ、やがて定常状態を取り戻すことを言う。長期間のシミュレーションを実行し
た場合、この水平効果が現れるかどうかをここで検証する。長期間にわたる注文と実効在
庫の挙動を調べるため、5.1 で用いたパラメータと同じ値を設定しシミュレーション(期
間:5 年)を行った(図 15)。
24
case/wk
60
50
40
30
20
10
0
Non-commercial use only!
case
100
50
0
-50
-100
-150
図 15
水平効果の様子
この結果をみると、3 年目からは全セクタで発注量、実効在庫水準ともに定常状態が続いて
いる。
ここで、意思決定パラメータのうち S’の値を下げると、図 16 のように水平効果は現れず、
規則的な振動が生じる。S’は、 S ¢ = S * + b SL* として定義されており、パラメータβを除け
ば目標在庫量 S * と目標供給ライン SL* の合計である。言い換えれば S’とはプレイヤーの目
標とする入荷待ちを含めた所有量である。このシミュレーション結果はこの目標とする所
要量を必要以上に下げると、結果的に在庫量の振動が収束することを阻害してしまう結果
となることを示している。通常、プレイヤーは在庫費用を抑えるため余分な在庫を持ちた
がらない。しかし、必要以上に在庫を抑えようとしてしまうと、逆にパフォーマンスを悪
くする原因になってしまうことをこの結果は示唆している。現実社会の在庫管理というコ
ンテクストでも、在庫の削減は経営の大きな目標課題であるが、行き過ぎた在庫の削減は
危険であり、ある程度の在庫をもつことの必要性が一般的に指摘されている。そのような
主張は、ビールゲームという特殊なサプライチェーンにおいても確認されるのである。
case/wk
60
50
40
30
20
10
0
Non-commercial use only!
case
100
50
0
-50
-100
-150
図 16
S’の値が低い場合の例
25
6. パフォーマンス5向上のための構造分析
本章では、ビールサプライチェーン全体のパフォーマンスの向上を図るために、システ
ム思考の観点からシステムの構造改善について述べる。そこで 6.1 では、システム思考で重
要となるレバレッジ(作用点)の考え方について説明する。さらに 6.2 ではビールゲームの
システム構造をミクロとマクロ両方の観点から分析し、パフォーマンスの向上につながる
システム構造の改善ポイントを探る。
6.1. レバレッジ
システム思考では、問題の原因や解決策をシステムの構造から探るというアプローチを
とる。そこで重要となるのは、レバレッジの原則、つまり構造のどこに働きかけどこを変
えれば、決定的かつ持続的な改善へとつなげるかを把握することである[4]。
ビールゲームプレイヤーの多くは、ゲーム半ばで必要以上の注文を行ってしまう。これは、
構造が行動を左右してしまうことに原因がある。つまり、ビールゲームでのパフォーマン
スの改善を行おうとする場合には、その構造自体を変える必要がある。しかし、そのため
には内部構造のどこに働きかけることでパフォーマンスを改善できるのかを探らねばなら
ない。つまりビールゲームシステムの作用点「レバレッジ」を発見する必要があるのであ
る。
6.2. レバレッジポイントの発見:システム構造の分析
ビールゲームにおけるレバレッジの発見にあたっては、まずビールゲームシステムの構造
を把握しなければならない。ビールゲームシステム全体を把握するために、まずミクロの
視点に立ち、各セクタでの因果関係を明らかにする。
各セクタでは、主に2つの悪循環が生じている。一つ目は、プレイヤーが遅れて納品さ
れるビールの存在を忘れ、必要以上に発注してしまうことである。未入荷数の認識ミス→
必要以上の発注→供給元の在庫減少→納品遅れの長期化→納品遅れの数の把握がより困難
になる、という悪循環である。そして二つ目は入荷の遅れが受注残拡大を生み、そのプレ
ッシャーからさらに多くの注文を行ってしまうことである。ビールの納入に遅れ→在庫水
準の減少→受注残のプレッシャーから発注量増加→供給元の在庫減少→ビールの納入に遅
れ、という悪循環である。この2つの悪循環の原因は、未入荷数の認識ミスと、受注残の
プレッシャーである。しかし、本当の原因は別にある。なぜならば、これら2つのミスを
取り除いたとしても、在庫の変動や発注の振動は起こるからである。2つの悪循環の中に
は共通して納品の遅れが存在する。この納品の遅れがもしなければ、そもそもこれら2つ
5 パフォーマンスとはシステムの動きの望ましさを示す特性であるが、本研究ではサプライチェーン全体のコスト、在
庫水準の変動の 2 つの観点からパフォーマンスを評価する。
26
のミスは起こりえない。顧客らの注文、発注、供給元からの納入、出荷、これらすべてが
同時に起これば、未入荷のビールはなくなり、自分の在庫を持つ必要すらなくなるからで
ある。つまり、この納品の遅れこそがビールゲームのシステムにおけるレバレッジポイン
トなのである。現実にはこのような納品の遅れをゼロにすることはできないが、少なくと
も納品の遅れを短縮できれば一定の効果があると期待される。ただし、納品遅れをゼロに
できない以上、前述した未入荷の認識ミスと受注残のプレッシャーは解消されない。した
がって、よりよいパフォーマンスを求めるならば、納品遅れだけでなく、未入荷の認識ミ
スと受注残のプレッシャーへ効果的に働きかけるポリシーをデザインする必要がある。
自分の発注
顧客からの注文
自分の在庫
供給元の在庫
未入荷のビール
悪循環②
ビールの出荷
ビールの納入
納品の遅れ
悪循環①
図 17
ミクロ(各セクタ)のシステム構造と悪循環
ミクロの構造分析により、
「納品遅れ」というパフォーマンスの改善へとつながるレバレ
ッジポイントを発見した。このレバレッジに働きかけるには以下の3つのポイントを押さ
えたポリシーをデザインする必要がある。
ポイント
ポリシー
1.未入荷のビール
プレイヤーが未入荷数を正しく認識する。つまりこれは供給ライ
ンをきちんと把握することに他ならない。
(SD モデルでいう供給
ライン乗数 a SL の値を高くすること。)
2.自分の在庫
プレイヤーが在庫水準を正しく認識する。つまりこれはストック
水準をきちんと把握することである。
(SD モデルのストック乗数
a S の値を高くすること。)
27
3. 納品遅れ
納品遅れを短縮する。完全に遅れをなくすことはできないが、注
文処理の遅れや配送遅れを短縮することは、納品遅れの短縮につ
ながる。
しかし、ポイント 1、2 のポリシーは、プレイヤーの意思決定に関わる部分であり、構造
的改善となるポリシーとはいえない。構造的な改善を促すのはポイント 3 のポリシーであ
る。
次に、ビールゲームサプライチェーンを考える上では、マクロ的視点でも構造を把握す
る必要がある。ビールゲームでは各セクタが直列に並んでいる(図 18)。この構造では、
情報の流れ(注文)は下流から上流へ、物の流れ(ビール)は上流から下流へとつながっ
ており、向きは逆になっているものの、どちらも直列構造をとっている。
図 18
マクロのシステム構造
したがって、下流のなんらかの動きはかならず上流へ影響する構造になっているし、逆
も同様である。5.1 で見たように、実際に下流の発注量のぶれは上流へ影響する。さらにそ
のぶれは増幅しながら上流へと伝わる(図 19)
。
図 19
ぶれの増幅過程
このぶれが伝播するのは、構造が直列になっていることと、各セクタでぶれを修正するだ
けの戦略や情報を持っていないからである。したがって、マクロ的な観点からも行動の改
28
善を望むならば、この直列構造の影響を修正しうるなんらかの戦略や情報を各セクタに与
えることが必要と考えられる。そこで考えられるのは、下流の受注情報を上流へ提供する
ことである。こうすることで新たな構造が生まれ、情報の流れに関しては単なる直列構造
を修正することができる(図 20)
。
図 20
情報の直列構造を改善する新たな流れ
これまで見てきたように、ビールゲームシステムの構造を分析した結果、パフォーマンス
を向上させる構造の改善を試みるならば、ミクロ的には納品遅れの短縮、そしてマクロ的
には情報共有という2つがレバレッジに働くポリシーとして挙げられることになる。
29
7. 構造改善の効果検証
6 章では、システムの構造分析からレバレッジポイントを導き出し、それらのレバレッ
ジに働きかける2つのポリシーを提案した。そこで本章ではそれらのポリシーをシミュレ
ートしパフォーマンスの向上が確認できるかを検証する。
7.1. 情報共有の効果検証
本節では、ビールゲームにおける情報共有の効果について検証する。次項では一般的な
情報共有の意義について簡単に説明する。
7.1.1. 情報共有の一般的意義
サプライチェーン・マネジメントでは情報共有が一つの鍵となっている。サプライチェ
ーン・マネジメントにおける情報利用の仕方は、限定的なものから本格的なものまで幅広
く存在する。限定的な利用形態であっても、実際に情報共有をおこなうことによりサプラ
イチェーンの連携を強め、売上げを着実に伸ばしている例が小売業を中心に身近なところ
でも増えている[7]。
限定的な情報共有の例
◆販売情報の提供
各店舗からの POS データを集計し、単品毎の売上げ情報をそれぞれ卸に提供する。
◆小売業にとってのメリット
・欠品などによる販売機会の損失を削減
・欠品対策として余分な在庫を保持する必要がなくなる
◆卸にとってのメリット
・日々の売上げデータや在庫数量などが確認できるため、小売業からの注文の妥当性
が確認できる
・これらの情報を活用することにより、適切な発注時期・量が把握できる
・小売業からの緊急な発注が減少し、効率的な配送計画が立て易くなる
◆消費者にとってのメリット
・欠品などが減少し、満足度が向上する
7.1.2. 情報共有プロセスのデザイン
ビールゲームで、新たに共有できる情報としては、顧客需要情報、各セクタの在庫レベ
ル情報などが挙げられる。ここでは、需要情報の共有効果を検討するため、ビールゲーム
における需要情報の共有プロセスをデザインする。
30
ビールゲームにおいて、需要情報の共有を行う場合の全体的なプロセスは以下(図 21)
の通りである。
需要情報
システム外
注文票(2)
注文票(2)
生産指示書(1)
注文票(2)
注文票
顧客
小売
一次卸
二次卸
工場
ビール
ビール(2)
ビール(2)
:処理遅れ、
図 21
ビール(2)
生産遅れ(2)
:配送遅れ、 括弧内は遅れ時間(週)
ビールゲームにおける情報共有プロセス
小売からの需要情報を受け取った二次卸、一次卸、工場は、その情報をどのように利用
するであろうか。本研究で採用している意思決定ルールは、意志決定者に局部的に利用可
能な情報を活用するものであり、システム構造全体に渡る知識を管理者が持つものとは想
定していない。実際にビールゲームのプレイヤーが意思決定のために与えられた時間は限
られている。そのような状況において需要情報を与えられた場合、プレイヤーは限定的な
利用しかできないであろう。つまり、その情報を用いて最適計算をすることは考えにくい。
そこで、ここでは需要情報を与えられたプレイヤーは、その値を単なる参考値としてしか
とらえない、つまり期待損失レートの調整要素として情報を利用すると仮定する。ビール
ゲームにおいて、期待損失レートは期待受注量にあたる。二次卸にとって期待受注量は小
売の発注量の予測値であるが、もし顧客の需要量がわかっているならばその予測値になん
らかの影響を及ぼすだろう。なぜならば顧客の需要は小売の発注を通して、将来的に注文
として自らの受注量に影響するからである。この仮定をモデル化するにあたって、新たな
パラメータγを導入する。γは需要情報の重視度を表し、 0 £ g £ 1 の範囲で任意に設定で
きる。これを用い、自分の予測した期待損失レートと需要情報の参照度合いを(18)式で表現
する。
ˆ
Lˆt = g × LtR + (1 - g ) × Lˆ t
(18)
ˆ
ここで、 Lˆt は需要情報を加味した新たな期待損失レート、 LtR は需要情報(小売の損失レー
ト)である。この式は自分の予測した期待損失レートと小売から得られた需要情報のどち
らをどれだけ信頼するかをγで表しているといえる。
31
顧客の需要量が上流のセクタへ影響を及ぼすまでには、時間がかかる。たとえば二次卸
であれば、顧客の需要量が小売を通して、注文となって自らの受注量に影響を与えるまで
には 2 週間(さらに上流のセクタではそれ以上)を要する。したがって、二次卸が顧客の
需要情報を利用するならば、2 週間前の需要情報をもとに、期待受注量を調整すべきであろ
う。しかし、その一方で上流へ発注してからビールが手元に届くまでには最低でも 4 週間
(工場では 3 週間)はかかる。よって、プレイヤーは早めにその分の発注をしておくこと
で、実際に受注した時に備えようとするかもしれない。こうした議論を踏まえると、プレ
イヤーがその顧客情報を過去にさかのぼって(記憶をもとに)参照し、それを意思決定に
生かすかどうかは定かではない。したがってここでは、今期の需要情報は今期の期待損失
レート(期待受注量)に影響を及ぼすものと仮定するのである。
7.1.3. SD モデル化
(18)式を SD モデル上に反映するために新たな補助変数、’期待損失レート調整’を定義す
る。
‘期待損失レート調整’=γ*’需要情報’+(1-γ)*’期待損失レート’
こうして、定義された補助変数、‘期待損失レート調整’を組み込んだ意思決定システムの SD
モデルを以下(図 22)に示す。
初期期待損失
注文レート
期待損失レート
期待損失計算
指示注文
期待損失レート調整
S’
β
図 22
αs
γ
需要情報
θ
情報共有プロセスを組込んだ意思決定システム
32
7.1.4. ビールゲームでの情報共有効果
このモデルをシミュレーションし、γ値の違いによるシミュレーションの挙動を確認す
る(図 23)
。γ以外のパラメータは単純化のため 5.1 で設定したパラメータを再び用いた。
工場
工場
一次卸
一次卸
二次卸
二次卸
小売店
図 23
小売店
g
g
g
g
g
= 0.00
= 0.25
= 0.50
= 0.75
= 1.00
γ値の違いによるシミュレーションの挙動
γ値の違いによるシミュレーションの挙動を見ると、γの値が 0.00 から 1.00 へと増加す
るに連れて、注文量や実効在庫の振動が各セクタで減少していることがわかる。それぞれ
のセクタでピーク時の注文量(表1)を比較しても明らかで、注文量の振動は全セクタで
低く抑えられている。
表 1
ピーク時の注文量の比較
小売
二次卸
一次卸
工場
γ=0.00
11.95
18.25
28.75
45
γ=0.25
11.75
17
24.51
35.06
γ=0.50
11.75
15.76
20.95
26.7
γ=0.75
11.75
14.51
17.67
21.43
γ=1.00
11.75
13.57
15.59
17.7
さらに、γの値による増幅の度合いを比較するために増幅率を求める。増幅率は、入力変
数の偏位に対する出力変数の偏位として定義する。ここでは、顧客の注文の変化(4ケー
ス/週→8ケース/週)に対する、各セクタのピーク時の注文量の変化(4ケース/週→
ピーク時の注文数)として計算する。すなわち、⊿(各セクタのピーク時の注文)/⊿(顧
33
客の注文)である。各セクタの注文に関する増幅率は(表 2)の通りである。
表 2
γ値の違いと増幅率
小売
二次卸
一次卸
工場
γ=0.00
1.99
3.56
6.19
10.25
γ=0.25
1.94
3.25
5.13
7.77
γ=0.50
1.94
2.94
4.24
5.68
γ=0.75
1.94
2.63
3.42
4.36
γ=1.00
1.94
2.39
2.90
3.43
情報共有しない場合(γ=0)と比較して、完全に需要情報に依存する場合(γ=1)は、工
場の増幅率が約1/3に減少している。他セクタに関しても増幅率は減少している。
また、注文量の振動・増幅の減少に伴って実効在庫の振動・増幅も同様に抑制されてい
る。さらに、振動や増幅が収まることによって各セクタの総費用6も減少する。パラメータ
γと各セクタ総費用・全体コスト7の関係を表 3 に示す。
表 3
全体コスト
パラメータγとコストの関係
小売総費用
二次卸総費用
一次卸総費用
工場総費用
γ=0.00
2936.67
422.59
765.43
962.21
786.45
γ=0.25
2323.70
315.33
599.78
783.06
625.53
γ=0.50
1803.51
225.58
453.70
624.28
499.94
γ=0.75
1395.45
157.84
345.57
487.03
405.01
γ=1.00
1110.56
125.24
266.39
386.00
332.93
γ=1.00 の時の全体コストは、γ=0.00 の時の約1/3である8。つまり、自らの予測した
受注量よりも、顧客の需要量に従って発注したほうがパフォーマンスは改善されるのであ
る。この理由は明らかである。サプライチェーン全体は顧客の需要を満たすために連鎖し
ており、結果的には顧客の需要量分を生産し、流通させれば十分だからである。しかし、
ビールゲームのプレイヤーは顧客の需要情報を知っていたとしても、完全に需要情報に依
存する(γ=1.00)ことはほとんどないであろう。その理由を以下で議論しよう。需要情報
の共有化は小売店の意思決定には何の影響も及ぼさないので、小売の二次卸への発注量は
情報共有の有無に関わらず変動する。二次卸はその変動に対して受注残を避けるために柔
6 ここで総費用とは毎期に各セクタの実効在庫水準から計算される受注残費用と在庫費用の累計である。
総費用=受注残数(ケース)×受注残費用($1 ケース/週)+在庫数(ケース)×在庫費用($0.5 ケース/週)
7 全体コストは各セクタの総費用の合計とする。
8 γ=1.00 時の全体コスト÷γ=0.00 時の全体コスト=1110.56/2936.67=0.378
34
軟に対応することが求められている。したがって、例え受注情報を共有しいたとしても、
小売からの発注に答えるために発注量の調整を行わなければならないのである。さらに、
意思決定に限られた時間しか与えられていないことや遅れを伴う複雑な構造が、受注や発
注に関してのプレイヤーの合理的な意思決定を鈍らせる。
つまり、全体的な構造を把握しきれないがために、プレイヤーが顧客の需要を満たす量
の発注を行えばよいことに気づかないのである。また、その戦略に気づいていたとしても、
たまっていく受注残を目の当たりにして、それよりも良いパフォーマンスを出そうと(受
注残を解消して受注残費用を抑えようと)発注量を調整してしまうのである。この仮説を
検証するためには、スターマンが行ったように、需要情報を共有化したビールゲームの実
験を繰り返し、シミュレーションを使ってγの推定値を求める必要があるだろう。
他のパラメータを所与として、全体コストを最小化するパラメータγの値を求めると、
g W , g D = 1.00, g F = 0.00 となる。ここで g W , g D , g F はそれぞれ二次卸、一次卸、工場のγ
の値である。注目すべきは、 g F が 0 であることだ。こえまでの議論から、 g W , g D , g F とも
に 1.00 であることが予想されるが、 g F の最適値は 0.00 である。工場以外のセクタは上流
への発注の振動を抑えることが、サプライチェーン全体の混乱を鎮める効果を発揮する。
なぜならば、短期的に見て下流の注文に答えられず受注残を生んだとしても、長期的には
過剰な在庫を防ぐ結果となるからである。しかし、工場では上流の影響は受けず発注(生
産指示)した分だけ遅れ時間後に届く。つまり工場にとっては確実に下流の注文に答えて
いくことが、受注残や過剰在庫を抑制することになるのである。下流の注文の変動を抑制
してしまうことは下流の注文に答えられないということであり、下流のプレイヤーにとっ
ては発注したものが届かず逆に混乱を招く結果となる。
次に 5.1 でも利用した、ビールゲーム被験者の推定パラメータを利用したシミュレーショ
ン結果(図 24)をみる。ここでも同様にγの値が高くなるに連れて振動・増幅が減少して
いることがわかる。ここでは、結果は省略するが、各セクタで異なるγ値を設定したシミ
ュレーションでも同様の結果が得られる。つまり、顧客需要の情報を利用することは、他
の意思決定パラメータに関わりなく、また各セクタのγの違いによらず独立して注文量の
振動・増幅を抑える効果があることになる。
35
Free Beer 社
Grin & Beer It 社
Grizzly 社
Heineken2 社
工場
一次卸
二次卸
小売店
工場
一次卸
二次卸
小売店
図 24
g
g
g
g
g
= 0.00
= 0.25
= 0.50
= 0.75
= 1.00
γ値の変化と推定パラメータによるシミュレーションの挙動
この効果は情報の意思決定システムへの組み込み方を考えれば当然かもしれない。なぜな
らば、顧客の需要が不安定な注文を安定させる形で期待受注量を調整しているからである。
顧客の注文はビールゲームでは一度の変化にとどまり、その後は安定している。一方、プ
レイヤーの期待受注量は常に変動している。例えば、γ=0.5 であれば、期待受注量と顧客
需要量の平均値を新たな期待値として利用することになり、不安定な期待受注量の変動を
一定の顧客需要量によって抑えるのである。よってこの情報共有は顧客の需要が一定であ
るために、振動を抑えることができている可能性も否定できない。つまり、ビールゲーム
の、顧客需要の一度のステップ変化という仮想的な設定の場合にのみ、効果が現れるもの
で、需要が変動するようなストック管理の状況には当てはまらない恐れがある。したがっ
て、より一般的に情報共有効果を評価するためには、不安定な需要を与えた場合に、発注
量の振動を抑制することができるかを検証する必要がある。
36
7.1.5. 不安定な需要下での情報共有効果の検証
ビールゲームにおける情報共有効果の一般性を検証するために、不安定な状況下におけ
る、情報共有の有無によるパフォーマンスの違いをシミュレートする。
まず、需要の変動をこれまでの 4 ケース/週から 8 ケース/週へのステップ変化から、8
ケース/週を軸に正規分布(平均値 0 ケース/週、標準偏差3ケース/週)に従ってラン
ダムな変動を設定する(図 25)
。
case/wk
顧客需要
15
10
5
0
図 25
ランダムな顧客需要の例
この需要のもとで情報共有の有無によるサプライチェーン全体のコストを比較する。需要
はランダムで与えられるので、全体コストに有意差があるかを統計的に検討するために、
情報共有あり(全セクタのγ=1.00)の場合と情報共有無し(全セクタのγ=0.00)の場合
でそれぞれ 30 回シミュレートし、2 群×30 の全体コストデータを作成した。なお、ここで
はビールゲーム実験で得られた Grin&Beer it 社の推定パラメータを用いた9。2群が互いに
独立であるので対応のない場合として2標本の差の検定を行う。まず F 検定を行い、等分
散性を確かめる。
表 4
F 検定の結果
γ=0.00
γ=1.00
平均
2814.867
1070.4
分散
275457.8
13574.04
観測数
30
30
自由度
29
29
F値
20.29298
P(F<=f) 片側
1.18E-12
F 境界値 片側
2.423439
9 ここで Grin&Beer it 社の推定パラメータを採用したのは、実験で得られた推定パラメータのうち有意となったパラ
メータ(4×4)が最も多く、かつシミュレーションの挙動が観察された被験者の行動を非常によく表しているからであ
る。
37
この結果より等分散の仮定は有意水準 0.01 で棄却されるので、Welch の t 検定によって差
の検定を行う。この結果は以下の通りである。
表 5
t 検定の結果
自由度
32
t
17.77258
P(T<=t) 片側
1.93E-18
t 境界値 片側
2.448678
P(T<=t) 両側
3.85E-18
t 境界値 両側
2.738481
これによると有意水準 0.01 で帰無仮説は棄却され、2群に差はあることが示される。つま
り、ランダムな需要下においてもプレイヤーは情報共有をすることでパフォーマンスを改
善できることがわかった。
シミュレーションで得られた全体コストの平均値を比較すると、実に約 2.45 倍の改善が
見られる。需要がランダムに変動するにも関わらず、なぜこのようなパフォーマンスの改
善が見られるのだろうか。この理由を検討するために、ランダムな需要下でのシミュレー
ションの挙動の違いを確認する(図 26)
。
case/wk
30
case/wk
30
25
25
20
20
15
15
10
10
5
5
0
case
0
case
50
50
0
0
顧客需要
小売
二次卸
一次卸
-50
-50
情報共有無し(γ=0.00)
図 26
情報共有あり(γ=1.00)
工場
ランダムな需要下での情報共有の有無とシミュレーションの挙動
38
注文量の推移を見ると、情報共有無しの場合は上流のセクタへ行くに従って増幅してい
る。一方情報共有ありの場合は、すべてのセクタが同じ程度の振幅で振動していることが
わかる。つまり、ランダムな需要下においても、情報共有をすることで増幅を抑える効果
が現れていることがわかる。これは、需要情報を与えられることによってプレイヤーは現
実とはかけ離れた発注をすることがなくなるという、直感的な理解に一致する。
これまで見てきたように、ビールサプライチェーン(各セクタが直列に連なった特殊な
サプライチェーン)においては、需要の変動に関わり無く情報共有が注文量や実効在庫の
挙動をコントロールすることが確認された。言い換えれば、情報共有による情報の流れの
構造変化が、プレイヤーの行動に影響を与え、結果的にシステムのパフォーマンスに大き
なインパクトを与えることになるのである。
39
7.2. リードタイム短縮効果の検証
本節では、6 章で提案された2つめのポリシーをシミュレートし、そのパフォーマンスへ
の影響について検証する。
7.2.1. リードタイム短縮プロセス
ビールゲームにおけるリードタイムは、注文(生産指示)処理時間、配送処理時間、生産
時間がある。現実社会は、情報システムの導入などによって注文処理や出荷処理の迅速化
が図られている。そうしたプロセスの効率化をビールサプライチェーンに適用することで、
システムのパフォーマンスにどのような影響与えるのか、そしてどこを効率化する(どの
リードタイムを短縮する)ことが最も効果的なのかを検討する。そこで、ビールゲームの
設定に即した標準型に加え、プロセスの効率箇所の違いによって4つのパターンを用意し
た(表 6)
。
表 6
リードタイム短縮のパターン
パターン
注文処理時間
配送処理時間
リードタイム計
1
ビールゲーム標準型
2
2
4
2
注文処理短縮型
2
1
3
3
配送時間短縮型
1
2
3
4
注文・配送短縮型
1
1
2
5
注文即時・配送短縮型
0
1
1
システム外
注文票
顧客
注文票(2→1)
小売
注文票(2→1)
二次卸
ビール(2→1)
一次卸
ビール(2→1)
:処理遅れ、
図 27
注文票(2→1)
ビール(2→1)
生産指示書(1)
工場
生産遅れ(2)
:配送遅れ、 括弧内は遅れ時間(週)
プロセス効率化の例(パターン4)
7.2.2. SD モデルの修正
この場合の SD モデルの修正は容易である。定義式の中に、処理遅れ、配送遅れがある変
数について、それらの遅れ時間を変更するだけで修正可能である。
40
7.2.3. シミュレーション結果と考察
ビールゲームシミュレーションを使って、遅れ時間の短縮がサプライチェーン全体のパ
フォーマンスにどのような影響を及ぼすかを確認する。7.2.1 で示したリードタイム短縮の
4パターンとビールゲーム標準型の全体コストに有意な差があるかどうかを検証するため
全体コストに関するデータを作成する。そこで情報共有効果の検証の際に設定した
Grin&Beer it 社の推定パラメータを利用し、それぞれ 30 回シミュレートした。さらに、情
報共有を行った場合についても同様にデータを取った。
(1)情報共有がない場合のリードタイム短縮効果
情報共有が無い場合に、それぞれのパターンでの全体コストと標準型の全体コストに有
意な差があるかをt検定で調べた(表 7)。
表 7
遅れ短縮4パターンの全体コストと検定の結果(情報共有なし)
パターン(注文/配送)
平均コスト
分散
F
t
1
ビールゲーム標準型(2/2) 2814
275457
―
2
注文処理短縮型(1/2)
2086
466650
1.694**
4.632**
3
配送時間短縮型(2/1)
2186
211305
1.304**
4.933**
4
注文・配送短縮型(1/1)
1538
231974
1.187**
9.811**
5
注文即時・配送短縮型(0/1)
1525
170048
1.620**
10.583**
**有意水準 1%
この結果からすべてのパターンにおいて 1%水準で有意差があり、リードタイム短縮によっ
てサプライチェーン全体のコストが標準型と比較して削減されることが示された。さらに
平均コストに着目すると、パターン2と3では平均コストに差があまり見られない。いず
れの場合も総リードタイムは3週間であることがその要因として考えられる。しかし分散
には大きな差がある。そこで、これら二つのパターンについて差の検定を再び行った。
表 8
パターン2、3の F 検定結果
パターン 2
パターン 3
平均
2086.372
2186.467
分散
466650.5
211305.8
観測数
30
30
自由度
29
29
F値
2.208413
P(F<=f) 片側
0.018378
F 境界値 片側
2.423439
41
F 検定の結果(表 8)から、5%水準で分散に差があることが認められる。次に、等分散
を仮定しないt検定で差の検定を行う。
表 9
パターン2,3のt検定結果
パターン 2
パターン 3
平均
2086.372
2186.467
分散
466650.5
211305.8
観測数
30
30
自由度
51
t
-0.66584
P(T<=t) 片側
0.254257
t 境界値 片側
2.401718
P(T<=t) 両側
0.508513
t 境界値 両側
2.675722
t検定の結果(表 9)より、帰無仮説は棄却されず、2パターンの全体コストには差が
ないことが示された。
以上を踏まえると、注文処理の短縮、配送時間の短縮によらず、各セクタ内全体のリー
ドタイムに差がない限り、システムのパフォーマンスへの影響はほとんど変わらないこと
が推測される。しかし、パターン 4,5 を比較すると、リードタイムの合計が 2 週間と1週間
で差があるにも関わらず、平均コストに差があまり見られない。この2つに関しても差の
検定を行ったが、有意差は得られなかった。つまり上述した推測を支持するだけの根拠は
得られなかったため、これに関しては今後更なる研究が必要である。
(2)情報共有がある場合のリードタイム短縮効果
最後に情報共有とリードタイム短縮を組み合わせた場合の結果を示す(表 10)
。
表 10
遅れ短縮4パターンの全体コストと検定の結果(情報共有あり)
パターン
平均コスト
分散
F
1
ビールゲーム標準型
1070
13574
―
2
注文処理短縮型
834
1282
10.583**
10.579**
3
配送時間短縮型
1005
5983
2.27*
2.528*
4
注文・配送短縮型
815
1593
8.52**
11.320**
5
注文即時・配送短縮型
809
698
19.43**
11.949**
t
**有意水準 1%
* 有意水準 5%
42
情報共有とリードタイム短縮を組み合わせればかなりの改善が見込めるはずである。表
10 より、実際に平均コストの大幅な減少が見られる。情報共有がなくリードタイム短縮も
行わない場合の平均コストと、両方の構造改善を高度に実現した場合((2)のパターン 5)
の平均コストを比較すると、実に約 3.48 倍の差となっており、構造改善によって大幅にパ
フォーマンスの向上が期待できること示唆している。また、表 10 からは、パターン5で分
散がかなり低い値となっている。つまり、ランダムな需要を与えても、2つの構造改善ポ
リシーを導入することで、安定したコスト削減が実現されると考えられるのである。
43
8. 結論
本研究の目的は、「ビールゲーム(Beer Distribution Game)
」というサプライチェーマ
ネジメントゲームを用いて模擬的な生産流通在庫システムの構造をシステム思考アプロー
チによって明らかにし、在庫システムの管理者が直面する問題やサプライチェーン構造が
引き起こす現象についての理解を深めるとともに、一般的に言われている情報共有やリー
ドタイム短縮などのプロセス改善の効果を明らかにすることにあった。
第2章では、システム思考とシステムダイナミックスの概念を理解するために、システ
ムダイナミックスの定義、用いられる用語、しくみ、利点などをまとめた。
第3章では、ビールゲームの説明と意義およびスターマンによるビールゲーム実験の結
果等についてまとめた。
第4章では、ビールゲームのモデル化にあたって参考にした一般的ストック管理モデル
の概要を説明した上で、そのモデルのビールゲームへの適用を行った。受注出荷システム
と意思決定システムからなるビールゲームストック管理モデルをもとに、ビールゲームの
サプライチェーンを SD モデルで表現した。SD モデル化に際しては、計算のタイミングに
差のあるシステムを表現する場合に生じる問題に対して、レベルとフローによってシステ
ムを表すことで解決を図った。また出荷量の計算プロセスを整理することで、実効在庫を
ひとつのレベルで表現した SD モデルを作成した。
第5章では、ビールゲームの SD モデルについてシミュレーションし、ビールゲーム実験
の被験者の行動とパフォーマンスが再現されることを確認した。さらに、長期シミュレー
ションを行うことで、シミュレーションの挙動において水平効果を確認するとともに、意
思決定パラメータと水平効果の関係について検討した。このシミュレーションからは実社
会で一般に言われている在庫保持の重要性に関する主張を支持する結果が得られた。
第6章では、ビールサプライチェーン全体のパフォーマンスを向上するため、システム
思考の観点からシステムの構造改善について検討した。レバレッジの概念を踏まえ、ビー
ルゲームのシステム構造分析を行った。ミクロの構造分析からはリードタイム、マクロの
分析からは情報と物の直列構造にレバレッジがあることが発見された。さらにそれぞれの
レバレッジをもとに、リードタイム短縮、情報共有化という一般的に言われている2つの
プロセス改善の適用方針(ポリシー)を提案した。
第7章では、提案されたポリシーをビールゲームに適用するためシステム構造のデザイ
ンを行い、シミュレーションによって構造改善の効果を検証した。情報共有の効果検証か
らは、情報共有によって、不安定な状況下においても、ビールサプライチェーン全体のコ
ストが約2/5まで削減されることが確認された。これは、各セクタの発注の振動や増幅
が情報共有によって抑えられることに起因する。リードタイム短縮の効果検証からは、情
報共有の有無に関わらず、リードタイムの短縮によって全体コストを削減することが確認
44
された。さらに、情報共有化とリードタイム短縮の2つのプロセス改善を行うことで、平
均で全体コストを約2/7まで削減でき、かつ安定してパフォーマンスの向上が得られる
ことが示された。2つのプロセス改善の結果から、システムの構造変化はプレイヤーの行
動を左右し、結果的にシステムのパフォーマンスに大きなインパクトを与えることになる
ことが明らかとなった。
本研究では Sterman が研究したビールゲームの SD モデルを再現したうえでリードタイ
ム短縮、情報共有化という二つのプロセス改善の効果をシミュレーションによって検証し
た。結果からは増幅や位相遅れを減少させる効果が明らかとなり、さらに累積コストの比
較ではリードタイム短縮と情報共有化の二つのプロセス改善策を組み合わせることで大幅
なコスト削減効果が得られた。プロセス改善によるシステムの構造変化はプレイヤーの行
動(発注量)を左右し、結果的にシステムのパフォーマンスを向上させることを示し、シ
ステムダイナミックスの大原則「構造が行動を生む」を確認した。さらにプレイヤーが直
面するビールゲームプレイヤーの問題構造をシステム思考アプローチによって明らかにし
たことでプロセス改善の構造的意義を示した。しかし本研究で仮定した情報共有プロセス
のデザインについては実験等により妥当性を検討する必要がある。またプロセス改善の効
果が現実のサプライチェーンにおいても当てはまるかどうかについては更なる研究が必要
である。
45
参考文献
1
松本憲洋、
『簡易マニュアル Powersim Studio 2005』
、Posy Corp.、2005
2
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3
森田道也編著、
『経営システムのモデリング学習』
、牧野書店、1997
4
ピーター・M・センゲ著、守部信之訳、
『最強組織の法則-新時代のチームワークとは何か
-』、徳間書店、1995
Sterman, John D.: "Modeling Managerial Behavior: Misperceptions of Feedback in a
Dynamic Decision Making Experiment, " Management Science, Vol.35, No.3, March
1989.(黒野宏則訳「管理者行動のモデル化」
、システムダイナミックス、No.2、2001)
5
6
黒野宏則、
「構造的動的モデリングによる社会システム論の構築に向けて:
「ビールゲーム」
実験から得られたこと」
、財団法人科学技術融合振興財団研究助成成果報告書・問題解決の
ためのゲーミング システムダイナミックスの研究開発、1998
日本 IBM 株式会社、インターネット・セミナー「サプライチェーン・マネジメント」
http://www-06.ibm.com/jp/servers/eserver/iseries/seminar/scm/
7
46
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