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報告3 - 日本災害情報学会

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報告3 - 日本災害情報学会
デジタル放送研究会'3
第 3 回現地視察調査
佐用町「2009年台風9号災害」
報
告
2009 年 12 月 18 日,20 日
z 「兵庫県庁」ヒアリング要旨・その2 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1
z 佐用町現地視察とまとめ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8
佐用町「2009 年台風 9 号災害」
■「兵庫県庁」ヒアリング要旨・その2
日本災害情報学会デジタル放送研究会’3は、2009 年 12 月 18 日午後、藤吉洋一郎 大妻女
子大学文学部教授(元 NHK 解説委員)
、国崎信江 危機管理教育研究所代表(危機管理アドバイ
ザー)、天野 篤 アジア航測本社営業部担当部長の3人で、兵庫県県土整備部土木局河川整備
課を訪問し、佐用町周辺の 2009 年台風 9 号災害について、30 分あまりお話をお聞きした。
場 所:兵庫県県土整備部土木局河川整備課
出席者:都市河川係 寒川課長補佐 関主査
防災係 高田主査
1.平成 21 年台風 9 号豪雨災害の説明
降雨状況
2009 年8月9日から 10 日にかけて
台風9号による集中豪雨が佐用町周辺
を襲い、気象庁佐用の雨量計で 24 時間
327 ㎜という既往最大の雨量を記録し
た。等雨量線図を見るとわかるように、
佐用町からの隣の宍粟市(しそうし)、
左下から右上にかけてベルト状にたす
きがけのようなかたちで、集中豪雨が
発生した。
今回の雨の特徴として、3時間、6
時間の雨量が非常に多く、過去類を見
ないぐらいの量が降った。24 時間で既
往最大の 327 ㎜は、確率処理すると 600
分の1確率の雨に相当する。600 分の1くらいの雨が降り続いて、軒並み佐用町などに浸水被
害が及び、死者 18 名、行方不明2名、いまだに行方不明の方はわからないという状態だ。
浸水被害状況
県で佐用川(さようがわ)などの水
位変化を記録しているが、実は水位が
上がりすぎて観測局まで浸水し、途中
までしかとれていないのが何カ所もあ
る。例えば佐用の市街地より少し下流
の円光寺、ここが平成 16 年の大災害時
の水位より2mくらい大きい。水位が堤防よりはるかに上で一面浸水している状態だが、水圧
式の水位計なのでおよそ 8.4mの水深が観測できた。
1
佐用町「2009 年台風 9 号災害」
佐用のまちなかも、概略浸水区域図
にあるように、役場から商店街の一帯
すべて1mくらいつかった。これに伴
って、佐用町役場の1階にあった防災
的な機能がすべて沈み、2階に上がっ
て対応していたという状況だ。
およそ過去に類を見ないような雨に
伴い、佐用川から千種川(ちくさがわ)
にかけて軒並み、想像を絶するような
浸水被害が発生した。千種川、佐用川
を中心に、現況流下能力、もともと河
道が有する能力の3倍から6倍くらい
の洪水流量が流下して、背後地の家屋
約 1,500 戸浸水し、うち 1,000 戸が床上
浸水という非常にいたましい被害が発
生した。
河川の復旧計画概要
県として千種川水系をどう治めてい
くか、緊急河道対策と位置付け、今、
進めている。千種川河口から有年(う
ね)地区、東有年くらいまではすでに
改修が完了しており、そこから上流に向かって、さまざまな補助事業で改修をしようとしてい
る。今回の被害を受けて新たに採択された「河川災害復旧助成事業」が千種川。その他「河川
災害関連事業」で、大日山川(おおびやまがわ)、幕山川(まくやまがわ)、江川川(えがわが
わ)という三つの川の上流。上流側の助成関連の改修に伴い、直下流区間の負担が増すので、
「河川災害復旧等関連緊急事業」。それぞれ約 300 億、約 140 億、約 140 億円で、これから本
格着手していく。600 分の 1 で河道改修をするととんでもないことになるので、下流のすでに
改修が終わっている区間見合いの流下能力を持たせるかたちで、上流まで改修する。
今回、緊急河道対策等のハード的な護岸整備と併せて、ソフト対策で水位計、監視カメラの
増設を行い、防災情報を提供していく必要があると考えている。幕山川で、死者8名、氾濫し
た水が農業用水路に流れこむところに、避難途中の方が吸い込まれて死亡する事故が起きた。
今まではどうしても本川を重視して水位計や監視カメラを設置していて、こういう中上流の支
川には設置してない。要は、中上流域もケアしていく必要があるのではないか。今回の多大な
人的被害を受けて、防災、避難方法などに直結したソフト対策を今後図っていけたらと、まさ
に検討している。
今回の平成 21 年台風9号については、ハード的な緊急河道対策、プラス、ソフト対策の二
段構えでケアしていこうというのが、今、兵庫県が考えている施策だ。
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佐用町「2009 年台風 9 号災害」
2.質問に答えて
避難について
・幕山川の団地の避難計画は自分たちでつくっていたとの話も聞いたが、避難径路が水につか
ってしまうような事態を考えると、避難場所の設定の間違いを事前にどうやってチェックする
のかが課題では?
幕山川の本郷地区は、今回の災害が起きる前から非常に防災意識が高いところで、かなり地
域防災力が高い。ただ、地震でも火事でも風水害でも同じ避難場所、川を越えた小学校が避難
場所になっていたので、そこまでの想定をしてなかったのだと思う。やはり、何でもかんでも
そこにしていたのは問題だったのじゃないかと、地元の方も言っている。
・そういうところは多いと思うが?
もともとの集落は避難場所と一体になったところなのでよいが、問題の住宅は幕山小学校か
ら水路を挟んで反対側に新しく建てられた。上流側からずっとある程度の幅をもって水が流れ
ていたのが、公民館の脇の農業用水路でおそらく縮流みたいな現象が生じていて、小学校に避
難するために歩いていた住民が、そこに次々と吸い込まれていった。結果だが、最も危ない時
期に避難したのではないかと言われている。
・なるほど真っ暗だし。
夜で見えない。
・もともと昔は向こう側には集落がなかったのか?
なかった。田んぼを埋め立てている。
・今から考えれば、反対側へ避難場所を考えようということになるのか?
なかなか施設がない。もっと言うと、外に出たのがよかったのかわからない。いろいろな考
察がいろいろな方から出ると思う。
・洪水ハザードマップをもとにした避難計画のガイドラインみたいなものを、やはり示して、
団地ごとにつくっても構わないのだと思う。参考にしてくださいというものがあれば、もう少
しやりやすくなったと思う。洪水氾濫予測図をつくるということはそういうことなのでは?
この辺にはなかったのか?
ここは情報周知河川ではなくて、ハザードマップ等は準備していないエリアだった。
・起きてみないとわからないのか?
わからない。
幕山川は県管理河川だが、流されたのは農業用水路。河川が破堤したのではなくて、たぶん
当時、丘陵構造に挟まれた谷あいを水が一面で流れていた。水位計がなく、痕跡水位もピーク
の水位でしかないので、どんな現象だったのか、まだつかめてない。
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佐用町「2009 年台風 9 号災害」
・こういうケースが全国でこれからだんだん増えてくるのでは?
同じことが起きるのを防ぐことはできない?
手が回らないというか、次
ある程度覚悟しなければならないのか?
本当に小さな二次支川だが、多大な人的被害を呼んでしまった。
佐用川と千種川の合流点に久崎地区というところがあるが、平成 16 年にものすごい浸水被
害を受けた。実はそこの人たちは、そのときの教訓を踏まえ、それをイメージして避難してい
た。今回はそれ以上だと言われているが、久崎はスムーズに避難ができ被害が非常に少なかっ
た。要は防災意識だと思う。
・久崎はすごくひどいのに、当日の犠牲者がなぜゼロだったのか、たしかに不思議に感じるが?
おそらく何度も浸水の経験があった。もともと久崎でふたつの大きい川が合流していて、川
も曲がっている。本来住んではいけないところに住んでいるので、やはり少し雨が降ればみん
な逃げなければいけないと思っているのだろう。高齢者も多いので、地区の役員が声かけに行
っている。本郷地区もしたようだが、やはり平成 16 年の大きな災害を受けて工夫もしている
ので、今回、久崎は被害が少なかったのかと思う。
・どうやって避難に成功したかというような話は、実際、役に立つかもしれないが?
どうしても失敗のほうにばかり着目してしまう。
・避難所だった学校は何階建てか?
2階建てだが、幕山小学校は高台にあるので大丈夫。だから避難場所にしたのだろう。学校
の前は道路面で 70 ㎝くらいの浸水深で、グランドはつかっていなかった。たった 70 ㎝で流さ
れるほどだったのかと思ったりする。
・佐用町に3階以上の高い建物はどのくらいあるのか?
河川周辺に頑丈な2、3階の建物が
あったら?
そういう建物は、佐用の役場付近、商店街付近にしかない。県内でも数えるほど田舎で、木
造家屋の2階建てぐらい。なかなか難しい。
・例えば老人ホームを建てて、普段はケアプラザみたいなものをつくって、そのまま避難して
もらう。なかなか移動させようとすると難しいが、避難が最初から大変だと思う方は、日ごろ
からそういうところに行って、居てもらうようなことができないか?
佐用町は県下でも高齢化率がすごく高い。これからも進むので、避難場所としての老人ホー
ムもあながちない話じゃないと思う。ただ、田舎だから集落が点々としている。かたまってい
るのは佐用のまち中くらいしかない。そこのところにすべてつくっていくのが、たぶん現実的
には難しい。
河川防災情報について
・県民に出している川の情報と、行政の中で共有している情報は、同じか?
水位、雨量、ダム放流についてはほぼイコール。関係機関、警察、消防、各市町に配布して
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佐用町「2009 年台風 9 号災害」
いる「フェニックス防災システム」上で違うのは、県下 12 河川の水位予測システム。気象庁
の降雨予測を用い3時間ごと何メートルになるというのを出している。それは気象業務法に抵
触するので、関係機関内だけに出している。
・このシステムは佐用町にも?
佐用町の防災には入っている。一般の県民の方へも、水位情報は 10 分刻みに同じものを出
している。
・ストックされた情報は見られないのか?
過去に振り返っては無理だが、リアルタイムでは見られる。カメラ動画も。兵庫県では、水
防上でなくではならないシステムになった。
・気象庁と一緒にやる県の洪水予報河川と、この水位予測システムとは別か?
兵庫県では市川(いちかわ)1本だけやっているが、同じシステムで計算している。それは
外に出て行く。
・佐用川や千種川についてもデータがある?
水位はある。
・幕山川などは?
幕山川とか二次支川には水位計がない。千種川であるのは、上郡、久崎、円光寺、佐用だけ。
本川にしかない。
・そういうところを今後どうしていくのか?
まさにそれを今、検討するところだ。ただ、県下全部こういう支川まで水位計やカメラをつ
けるのは大変。カメラはそんなに安くなく、維持管理も当然ある。河川情報系の維持管理費を
どうするかの計画をまとめたところで、また増えていく。こういった小河川にカメラや水位計
を導入するとなると、県下で何百個所もの整備になる。今でも全国的に兵庫県のカメラや水位
計は多く、161 個所についている。雨量計もかなり多いほう。それでも小さな河川はケアでき
ていない状況で、どうするべきか。
兵庫県は面積が広く河川数も多い。河川計画についても言われていて、中流部は全然改修で
きていない。普通、河川は下流からやってくるので、今もこの事業中と書いてあるぐらいしか
やっていない。上はまだ改修できていなかった。今のペースでいったら、何十年も何百年もか
かるのを、ずっと放っておくのか。今回の災害を受けて上を改修したら下に負荷を与える。上
が広くなると、下流にそれだけまた流れて行き影響を与えるので、普通は間を飛ばして上の改
修はできないが、それなりにやり方があるのではないかという検討を、本格的に来年度やる。
それに加えて、カメラも水位計もつけるとなると、何かいい選択の仕方がないかなと思う。
やはり税金を使ってやるわけで、いくらわずかな金でもちりも積もれば大きな金になってくる。
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佐用町「2009 年台風 9 号災害」
たぶん全部つけるのはナンセンスで、いかに効率的にやっていくかが課題。
ちなみに、地元の方はやはりもう少し細かく、水位とか大雨情報を見たいと言われているよ
うだ。佐用町の被害の復興も一段落つきつつある中で、個人の家庭でもそういった声が出てき
ている。ではどうするか。もっと簡単な施設で、簡単なシステムで、簡単なカメラでやるしか
ないだろう。地域の方にウェブカメラみたいなのをつけてもらう、メインテナンスも。その地
域みんなで見てもらうような方法を考えていかないと、いくら金があっても足らない。行政に
も限界があるので、地域で頑張ってもらうしかないと思う。
・ウエザーニュースが、今、モニターでいろいろな情報を集め、予報の精度を上げてフィード
バックするというやり方をしている。県でもそういうやり方があるのでは?
協力者を募るのもあるかもしれない。ウェブカメラなら安く、10 万円もしない。普通どお
り立派なカメラだったらすごく高い。やはり精度も高くないといけないので、回ったり、ズー
ムしたり、雨の日でも見えるように機能発揮するのは、一個所数百万、500 万円くらいする。
メインテナンスのランニングコストも毎年すごくかかる。それを全部つけるのは、やはりナン
センス。
・県のシステムに入っている情報は、外に提供しているのか?
国土交通省とか河川情報セン
ターとか、そういう先でつながっているところはあろうが、直接どこかの放送局などへは?
今のところ出したところはない。特別に線を開設しているのはない。
・ケーブルテレビであれば使い勝手もよく余裕があると思うので、町あたりが主体になってで
きないのか?
河川情報に関心があるなら、そういうチャンネルをつくり、そのチャンネルに替えてもらっ
たらいい。佐用町はケーブルテレビの加入率 95%。豪雨時や台風時は、地域の情報チャンネ
ルで防災情報を流すことができないか。ケーブルテレビであれば、高齢の方でもチャンネルを
合わせて情報を得やすく、そんなのができないかなと思う。被災された方は高齢者が多く、お
そらくインターネットは届いてない。まずインターネットで雨量情報などを見ていない。どう
伝えるのか、ケーブルテレビ、携帯のメールなど、ケアできる方策がないかと考えている。
・佐用町のケーブルテレビの 95%というのは、もともと難視聴対策?
おそらく。たまたま佐用町内は、光ファイバーを引いているので、カメラをつけたらその回
線を利用して引っぱれるメリットがあって、実はそれを使おうとも密かに考えている。都市部
だったら、ワイマックスとか高速無線とかあるだろうが。
・安全安心公共コモンズの実験をされるようだが、川の情報も?
今度やろうとしているのは、すでにインターネットに流れているのを、一つチャンネルを増
やす意味でテレビでも流す。要は、普通にインターネットで流れている水位情報が、例えば地
デジのデータ放送に流れる。データ容量の関係で 100%は無理、30 個所くらいに絞るように言
われている。予測とか画像まではおそらくいけない。
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佐用町「2009 年台風 9 号災害」
・コモンズはとりあえず実験だけか?
それともそのまま続けて?
試験という位置付けでやろうとしている。
・フェニックスは防災情報全般を網羅しているから、河川も入るし、ほかに地震とか、津波と
か、そういったものも入る、そんなイメージか?
そうだ。なかなか地デジとの連携は進んでない。2、3年前から、同じことをずっとやって
いる気がする。地デジは、周波数の関係で届く範囲が限られ、山奥の入り組んだところにまで
全部届くかどうかの問題がある。送れてもたかが知れているし。
・河川の上流域が他府県だったとき、中下流の人たちに異常がすぐに伝わるような情報共有シ
ステム、ほかの府県での異常をどうやって早く察知するかは、もう整備されているのか?
他府県をまたがって来るのは淀川(よどがわ)だけ、京都府へ行く由良川(ゆらがわ)最上
流部が少しあるだけで、それ以外は県内で完結している。淀川水系は国管理なので、国でそう
いう情報システムをしっかりつくられていると思う。
検討会・委員会について
・今回の災害を受けて検討会、委員会は?
検討会は、佐用町主催のと、近畿地方整備局主催のもある。
・みな別々にやっているのか?
別々。近畿地整の被害軽減検討会は、今回の経験を踏まえて被害軽減をどうすればできたか、
座長が神戸大学の道奥先生、藤田先生、京大防災研の矢守先生ら有識者、県の課長も委員に入
ってやっている。
町のはおそらく、今回の避難情報の出し方などを検証する中で、こうあるべきだというのを
検討するのと、防災マップ的なものをつくりたい、地域防災計画にもそういったものを反映さ
せていきたいという趣旨の委員会を立ち上げようとしている。
報告担当:天野 篤
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佐用町「2009 年台風 9 号災害」
■佐用町現地視察とまとめ
危機管理教育研究所
国崎 信江
1.調査の概要
実施日:2009 年 12 月 20 日 (日)
参加者:藤吉 洋一郎・天野 篤・蔡 垂功・国崎 信江
行
程:09:30 頃
新大阪駅発
レンタカーで移動
11:30 頃
中国自動車道佐用 IC 着
16:30 頃
播磨自動車道播磨新宮 IC 発
17:30 頃
姫路駅着
現地視察調査(佐用→平福→本郷→久崎)
2.被害の概要
平成 21 年台風 9 号で発生した豪雨(最大時間雨量 81.5 ㎜、24 時間雨量 326.5 ㎜:気象庁佐用)
により、千種川、佐用川を中心に現況流下能力の 3~6 倍もの洪水流量が流下し、浸水家屋数約
1,500 戸、うち床上浸水家屋数約 1,000 戸、死者 18 名、
行方不明者 2 名の被害が発生した。
3.報告
今回の現地調査では佐用川の平福から久崎間での被
害状況確認や被災住民へのインタビューを実施した。
現地調査の前日には、兵庫県土整備部土木局河川整備
課を訪問して被害の概要や復旧・復興の方針を伺った。
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佐用町「2009 年台風 9 号災害」
調査フィールド①佐用の町なか
佐用町役場に到着した後、佐用の町なかを
歩いて回った。日曜日であったことから、役
場の中には入れなかったが正面入り口近く
には「佐用町災害対策本部」の看板と「がん
ば ろ
う !
佐用」
の の
ぼりが立てかけられていた。また入口内部の掲示板には行
方不明者の情報を求めるビラが貼ってあった。役場の駐車
場には醤油樽が設置されており、復興を願うメッセージが
刻まれていた。この醤油樽は、今回の台風の被害を受けてのれんを
降ろしてしまった醤油屋さ
んが提供してくれたもので
あることが、後の取材でわか
った。雨が過去に類を見ない
ような雨で、町なかが軒並み
浸水したという情報を裏付
けるように、佐用町役場の壁
や住宅のいたるところに浸水の跡が残されていた。浸水の高さは 1
mほどで、役場では設備防災的な機能が一階にあったためにすべて
沈み、二階で災害対応していたという。災害対応で難しい
のは、地震に備えて地下や地上階にサーバーや防災機能を
設置すると水害では浸水してしまう危険があるという問題
が出てくる。これは地方公共団体だけでなく、金融機関や
通信関連など様々な民間事業者の間でも、このような災害
事象ごとの対応に苦慮している。
住宅地では 11 時 30 分という昼食時間ということもあっ
てか、あまり人の姿は見られなかったため、住民に対して
の取材はできなかった。住宅地では今もなお被害を受けた
ままの家屋が点在していた。歩き進めると、ぽつぽつと整
地された空き地があり、いずれも台風の被害に遭った爪痕
を示すものであった。
用水路の脇にはきれいな花が手向けられていた。用水路
で流された犠牲者の死を悼むものであると推測される。
9
佐用町「2009 年台風 9 号災害」
川沿いを歩きながら、今は穏やかなこの川が、突然様相
を変え瞬く間に増水してまちを呑み込んでいく様子は想像
し難いものであった。この川沿いから役場まではほんの数
百メートルであり、川の異常を直接見ながら対応を考える
という面では理想的ではあるが、川の氾濫という危機に対
しては佐用町の防災設備が一階にあったことは対策本部の
機能が失われる状況であったことも否めない。
調査フィールド②平福-1
平福でも住宅被害が甚大で、今もなおブルーシートが
かかっている家屋があった。また手付かずの状態から復
興に時間がかかっている様子がわかる。ちょうど、佐用
川にかかる県道 443 号線の橋の上で住民の男性に被災当
時の話をうかがうことができた。(別紙インタビュー参
照)この男性は町おこし会というグループのメンバーで、
ボランティアでガイドをしている。大河ドラマで宮本武
蔵の出身の村と紹介されてから、全国的に有名になり観
光客が押し寄せている。3 人いるボランティアガイドで
それぞれに説明する内容が異ならないように勉強をし
ながら町を回ってきた、その帰り道であった。
その男性の話では、昼ごろから降り出した雨は夕方あ
たりから激しさを増し、夜 8 時から 12 時までのあいだ
に川の水が見る見るうちに増していった。大きな石が流
れてきて、それが土手に当たり「どおん、どおん」と音
を立てたので逃げないと危ないと思ったという。まず車
を上に逃がそうということになったが、それでもだいぶ
被害に遭ったらしい。
各世帯に防災無線の受信機があり、当日も警戒警報が
放送されたが、個人の判断で浸水を目の当たりにして二
階へ避難する人がいた。こちらの男性は平屋で上の家の
人が声を掛けてくれてその家の二階に避難したという。
おなじ町なかでも床上浸水と床下浸水の被害があり、川
辺にある男性の住宅では畳の上まで水が上がったとい
う。避難場所になっている体育館は上にあったが、水があふれ出していたため通行ができない状
況であったという話や、大雨警報は出ていたという話からあっという間に増水し、避難できる状
況でなかったことが伺える。外に出ることが危険と判断し、二階に避難する行動に出たことが犠
10
佐用町「2009 年台風 9 号災害」
牲者ゼロの結果になったと言える。しかし生活の足であ
る車や流木や石で荒れてしまった田んぼなど生活再建
への被害は甚大である。下から順番に川をきれいにして
いるということで平福にはまだその手が十分に届いて
いない。
県の打ち出した災害対策では、佐用川(佐用町平福か
ら久崎)における河川災害復旧助成事業として川幅を拡
幅することになっており、その影響で川幅を広げるため
にどれだけ土地を削られるのかわからないために家を建て直すことができない住民もいる。
〔寒い中、外でのインタビューに快く応じてくださった男性に心より感謝申し上げます。〕
調査フィールド③平福-2
佐用町平福までに、川沿いに流出された木材がそのままの状態で放置されているところをいく
つも確認した。さきほどのインタビューの男性の話に出てきたように、川沿いの田んぼには多く
の流木、石が流れている様子がわかる。
途中、橋の被害により仮設の橋が設置されている箇所を確認した。この橋がなければ孤立して
しまう住宅があり、まさに橋が生活をつなぐライフラインである。ところで、この仮設橋付近の
ごく一部の川沿いだけ、なぜか補修されたところがある。何を意味するのか不明である。
11
佐用町「2009 年台風 9 号災害」
調査フィールド④平福-3
平福の商店街
を歩いた。ここ
の地域も浸水被
害が大きかった
ひところである。
日曜であるが営
業している店も
いくつかあった。
商店街を歩く観光客の姿はなく、静かに佇んでいた。入
口にボランティア活動への感謝の言葉や「がんばろう
SAYO」の復興メッセージを貼った店もあった。
商店街のなかに「たつ乃屋本店」
(醤油)があり、そこ
で店主の女性に被災当日の話を伺うことができた。蔵も
水に浸かったが醤油樽は無事であったため営業している
が、店内にあったテーブルや商品などが水に浸かり倉庫
内の容器の流出など被害は大きかった。店内の戸を含め
て何もかもを新しくしたという。
店内の壁には当時の浸水の跡がはっきりと残っていた。
(浸水で板が白くなっている)
こちらのお店の前の道を、冷蔵庫やら自動車などの重たいもの
が流れ、道路向かいのお店の被害も甚大であったという。この女
性と家族は窓から自動車が流れていく様子を見て外への避難では
なく二階へ避難した。このすぐ 1 ㎞ほど下の地域では、高いとこ
ろに自動車を避難させようとしていた人が自動車止めにはまり、
亡くなった。地元の方ではなく、道路工事のためにここにいた外
部の人であった。
合併で元役場となった避難所まで避難しようとした住民が、足
を取られて浮きそうになったため、よその家に飛び込んで、全員
12
佐用町「2009 年台風 9 号災害」
助かったという。浸水は午後 8 時半から始まり 12 時くらいまでひどかったが、その晩は停電はな
かった。しかしその後、断水や停電により生活が困難になった。ガスの栓に水がかぶり、ガスが
使えず、お風呂や炊事ができなくなった。そのため毎日弁当が配給されていたという。
醤油屋さんではもろみに水が入ると命取りになる。役場の駐車場でみた醤油樽は、佐用町の醤
油屋さんのひとつであったが、裏手の川が支流の川と合流するところの川べりにあったために浸
水し、大きな桶(こが)に水が入って店を閉めざるを得なくなったという。たつ乃屋本店さんで
は、丸大豆を仕込むのに 3 年かけ、手入れして、火入れしてという製法で醤油を作っている。も
ろみは醤油屋にとってかけがえのないものである。
話を伺い、助かった人の行動として、二階に避難、一旦は外に避難したがこれ以上進むことに
危険を感じ近くの家に飛び込んだという退避行動であったことがわかった。
〔営業中であるにもかかわらず親切な対応をしてくださいました店主に心より感謝申し上げます。〕
調査フィールド⑤幕山川
今回の災害による死者 18 名のうち、死者が 8 名も出てしまった地区である。氾濫した水が農業
用水路に流れ、避難の途中で用水路に吸い込まれて亡くなった。事故が起きた幕山川の本郷地区
は、非常に防災意識が高く、とくに幕山団地における避難計画は、自分たちで作成していたと聞
く。その高い防災意識をもって避難したところ、流されて亡くなってしまった結果に誰もがショ
ックを受けた。
兵庫県では「地震であっても火事であっても、風水害であっても、同じ避難場所つまり、川を
越えたところの幕山小学校が避難場所になっていたというところが一つ問題であったのではない
かと」という見解を示しており、地元でも同様に考えている人もいるとしている。
県の説明では、もともとの集落は学校側にあり、道路と県管理河川と農業用水路を挟んだ反対
側に田んぼを埋め立てて新興住宅ができてきた。洪水に備えて新興住宅地の避難場所を設定すべ
きであったかもしれないが、実際には洪水ハザードマップも作成されていない状況であった。
亡くなった方が流されていく様子を誰も見ておらず、痕跡水位もピークの水位でしかなく、水
位痕跡等も調査していないので、流されたときがどんな現象であったかというのは推測でしかな
いが、この辺り一面に水が流れていたのではないかといわれている。
川の上流側から破堤に近い状態で浸水し、そのままずっとある程度の幅を持って流れていたの
が、公民館近くの農道用水路(流されたといわれている)で、おそらく縮流のような現象が起き、
用水路に吸い込まれるように勢いよく水が流れ、タイミングとしてはそのような現象が起きてい
る最悪な状況のときに、避難のためにそこを渡ろうとして、次々に住民が吸い込まれていったと
思われる。
平福でのインタビューで得た話のなかにも、避難しようとした人が足をすくわれるような危険
を感じていたことから、ここでも相当の水位があったに違いない。そして上流からある程度の幅
をもって流れていた水が用水路に流れ込む縮流によってその一部の水位が増し、激流となってい
たのであろう。記録的な雨量により上流から破堤に近い状態で水が流れ、溢れ出した水が道路を
13
佐用町「2009 年台風 9 号災害」
渡った爪痕がいくつも確認できた。水流が川の形状を無視して道路や田んぼを突き抜け一直線に
下る先には、亡くなった人が吸い込まれていった農業用水路があった。
亡くなった人が住んでいた団地
この用水路に流された(今は柵が設置されている)
(県管理河川)↑
道路向かいの幕山小学校に避難しようとした
団地↑
川の流れ
14
佐用町「2009 年台風 9 号災害」
雨が激しく降り、川の水位が上がってくるなかで、まだこの程度なら避難しても大丈夫と思っ
たのだろうか。避難の決断を後押ししたのは避難指示と暗闇で足元がよく見えず、用水路で発生
している現象を察知できなかったこと、そして避難所(幕山小学校)までの近さがあったのかも
しれない。
団地
幕山小学校
前日に兵庫県の方から説明を受けたときは図面上で
見る限り、団地の裏側の高台に避難していれば救われて
いたかもしれないと思えた。裏側高台には高速道路が走
り、サービスエリアに避難することができたのではない
かと考えた。しかし、実際に歩いてみると新たな事実が
わかった。
団地を囲むように横から裏側に通る用水路がある。裏
団地横を走る用水路↑
団地裏側↓
側にも用水路が走り、おそらく当日も浸水して道路は川
のように上から下に水が流れていたに違いない。
道路が破壊されている写真が示すように、かなりの勢
いをもっていたと思われる。
団地には平屋と二階建てがあり、亡くなった方がどち
らに住んでいたかはわからない。平屋であったならば避
難を考えるのは至極当然で、そのとき裏側の高台を目指
すか、道路向かいの小学校を目指すかの選択を迫られる。
濁流の中を上がって行く危険よりも平坦な小学校ま
での道を選ぶのは仕方のないことであったと思う。残念
なのは、平福のように誰の家でもかまわず入れる関係、
そして二階建てに住む居住者からの避難の誘いが、この
新興住宅にはなかったのかもしれないということであ
る。
見知らぬ家の二階に上がるよりは近くの避難所に行
ったほうが良いという気心もあったのかもしれない。
15
佐用町「2009 年台風 9 号災害」
現地を歩きながら、「二階に避難して
いれば…」そう何度も口惜しく思う。
地域の特性やあっという間に水位が上
がる現象からも、浸水前の早期の自主
避難と浸水後は外に出ず、二階への避
難を周知することが重要であることを
認識した。
用水路の脇には花が供えてあった。
この事故を忘れず、教訓として伝えて
いきたい。
〔亡くなられた方のご冥福を心よりお祈りいたします。〕
調査フィールド⑥久崎
久崎地区は佐用川と千種川の合流点にあり、今回も大
きな被害が出たにも関わらず亡くなった人はいなかっ
た。その背景には付近でふたつ大きい川が合流するとい
う地形から洪水が起きやすいということを住民がよく
知っていることと、平成 16 年に浸水被害を受けた過去
の経験による教訓を踏まえて、避難していたことが功を
奏した。
破堤して住宅を襲い、家屋には大きな被害が出ている。
犠牲者が出なかったことが不思議なほどの甚大な被害
であった。川沿いの家は跡形もなく、町なかでも家屋の
被害が目立ち、復興にはまだ時間がかかるように思われ
た。今回の調査
で、水害では地
域によって川の
様子、水位が異
なり、広域の災
害情報では住民
の生命を守るの
に不十分である
と感じた。その
地域ごとの危険
を住民が認知し
て自己の判断に
16
佐用町「2009 年台風 9 号災害」
よって適切な時期に適切な場所に避難することが重要で
あることがわかった。そして、
「なにが適切であるか」を、
専門知識を持ったものがしっかりと伝えていくことが求
められている。
■別紙
佐 用 町 聞 き 取 り 1
(佐用町平福の佐用川にかかる県道 443 号線の橋の上で)
住
蔡
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蔡
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蔡
国
住
蔡
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国
蔡
天
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蔡
住
天
住
民:
ここはもうすごかったですよ。ここらはもう、きれいにやり直しちゃったけどね。町な
かも水浸したし、私とこも向こうに家があるんやけど、床上まで上がってもうたりね。
: 8 月いっぱいはもう、片付けやった。
民: いや、まだ直しとってない家、何軒かあるでしょう、ここでも。
: はいはい、やってます。
民: それから、下の佐用の町でもね。もう家もだいぶんつぶれた。つぶしちゃったしね。
: 大変でしたね。
崎: 本当に。
民: まあ、ほやけどほかのとこでね、よくあったで、まさかここへとは思わなんだけどね。
あれも、そやね、昼ごろから雨が降り出してね。もう夕方ぐらいからもう、すごい雨だっ
たでね。
: じゃあもうその日、もう昼前ということは半日前からもうずっと雨降ってくるあんばい
ですか。
民: そうですよ。それがだんだん夕方、そして夜になったらね。もう、音立てて、大きな石
なんかも流れてね。石が土手に当たって、どおん、どおん、いいよるような音もしてたし
ね。私らも、これは逃げなあかん。先、車を逃がしてまえいうことで、上へ上げてね、車
がつかって、だいぶパーになりましたわな。
どちらから。
崎: 東京とあと。
: 私は神戸市内のほうなんです。
野: こちらの平福にお住まいなんですか。
民: ええ。あのね、私らもまた町おこし会という、またグループをつくったんで。
: そうですか。
民: ともかく地元の人が、よそから来た人に尋ねられたときに、まあ、ちょっとガイド的に
説明もできるようじゃないといかんじゃないかということでね。今もね、昨日もやし、今
日も、それからまた昼からも。3 人ボランティアガイドの人がおられるんですよ。その人
の、一人一人、また説明が違うんでね。さかいに、まあ聞いて、勉強してくれいうことで
ね。今も 2 時間ほどね、回ったんです。
そしたらね、私らも地元にいながら、知らないことがいっぱいあるんです。平福の町と
いうのは、下から来ても、昔のこの宿場町、まあ昔は城下町が宿場町になって、建屋が切
妻でずらっと並んでいたとかね。それから、屋号が全部あってね、お店もずらっとあった
んでね。そういうようなのをね、まあ、勉強してもらいたいいうことでね。まあ、いろい
ろと。
野: ボランティアで、その案内のガイドさんを。で、観光のお客さんを。
民: うん、そう。まあ、たくさん来られるんです。あれは 3 年前から宮本武蔵でね。大河ド
ラマ、あれで紹介されてから、まあこの奥に、宮本武蔵の出たとこっていう村、あるいう
ことでね。もうすごいほど人がね、まあ来るわけですよ。今もね、やっぱり、町並みも全
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佐用町「2009 年台風 9 号災害」
天
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国的に有名になってね。いろんな本なんかで紹介、テレビなんかで紹介されるで。で、確
かに、グループで来られるんです。まあ、ぶらつきに何人かで来られる人もおるし、ボラ
ンティアガイドをお願いしますいうて来られる方もたくさんいるんでね。で、まあ今もそ
ういうなんを案内できるような後継者をね、まあ育成したいというような意味もありまし
てね、やっているんですけども。
野: ボランティアガイドというのは、あの災害を伝えるのではなくて。今、言っているのは
町の。
民: いやいや、そうじゃない。町並みの歴史を。そういうこってね。まあ、みんなもう、そ
れでもう、地元の者も頑張ってくれいうことでね。どことも、村おこし、町おこしやって
るでしょう。だからまあ、そこらへ研修旅行に行ったりして、勉強しもってね、やってる
んですわ。
崎: 当時、防災無線、防災行政無線は、かなり何度か流されていたんですか。
民: うんあのね、防災、その、あれが遅れたとかいう批判もありますけどね。それでいて、
逃げよって、18 名ほどが亡くなったんですよね。まだ 2 人ほど行方不明。それ、逃げんと
二階に避難して、よかったいう人もおられますしね。
野: ここ、平福では誰もあれですよね。おられないんですよね。
民: いや、ここはいないです。下の佐用とか、久崎とかね。そちらのほうでは亡くなられた
方がおられますけどね。
野: でも、けっこうここも水あふれているじゃないですか。
民: ええ、あふれましたよ。
野: それで、こちらで犠牲のなられた方が誰も出なかったというのは、皆さんうまく避難さ
れたということなんですか。
民: そうですよね。
: 無線は、いわゆるあれみたいに、スピーカーですか。
民: 無線はあるんですよ。全体的に入るんがね。
野: あそこにも見えてるし、さっきも鳴ってましたね、あそこでね。
民: 各家にも全部あります。
野: 戸別受信機があるんですね。
: 戸別に、スピーカーというか、無線付いているんですか。
民: 無線付いているんですわ。
: あ、そうですか。
民: その点はね、いいんですけど。
: そういうのがあったらすぐ。
野: だけど、そのときには、町からの放送はなかった。ここがあふれている時点では、たぶ
んなかったぐらいのタイミング。
民: なかったんじゃない。警戒警報とか、出るんは出たんですよ。
野: なるほど。大雨に注意してくださいみたいな話はあって。
民: けどね、うん、なかなかそれに従うていうことは、やっぱりみんな個人の判断でね。地
震なんかで家が崩れたらね。それは外へ飛び出すとかできますけども、水はどんどんどん
どん増えてくるほうですからね。これは出たら危ないと思ったら、やっぱり二階屋の人は
ね、私とこは向こうで平屋ですからね、上の家がこっち、うち避難しなさい言うて。
野: 隣近所の方が、うちだったら二階あるから、うちのほう来てくれればいいと。
民: ちょっと上にあるでね。私とこ一番川辺にあるから、やっぱり畳の上まで水が来ました
ね。
野: この奥なんですね。お住まいは。
民: この奥では、うん、私とこ一軒だけ被害だったんですけどね。まあこっちはもう、その
町なかの道の向こう側は床下浸水。こちらはもうほとんど床上までつかりましたよね。
野: 床上まで。で、隣近所か、あるいは自分ちの二階に皆さん、逃げられた。
民: そうそうそうそう。
野: 公民館みたいなところにどっか逃げたということはなくて。
民: ここは体育館がこの上にあるんですわ。そこが一応避難場所にはなってるんですけど、
もう水があふれ出したら、そんなもん避難、通れないんです。
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蔡
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: もう余裕ないですもんね、もう。
民: ええ。こちらの人はねえ、行けますけどもね。私らもそういうんで、避難しようと思っ
たら、上のおうちが、まあうち来て避難しとったらいいからということでね。
野: そうやってお隣さん同士で、避難したらいいんじゃないのって、こう、声をかける。そ
の、タイミングというか、きっかけ。それはどういう感じなんですか。周りがやっぱりと
てもすごい雨が降ってるということなんですかね。
民: いや、もうここらはみな二階屋ですからね、そやさかい、もう自分とこで判断して。そ
れはもう外へ出たってもう水が来とるんですからね。
: ああ、そうかそうか。そうですわね。
民: 避難で、外へね、行くわけにいかないですからね。
: 歩くだけでえらい状態ですわね、もう。
民: まあ水ですから、上へ上がっとればね。家がつぶれん限りはね、それは大丈夫ですから。
野: そうすると、危ないかもしれないなと思ったのは、テレビとか、その役場からの呼びか
けで、ちょっと大雨かもしれないと。まあどうなるかわからないけども。
民: それは大雨警報は出てましたけどね。けどもそれがもう、異常な状態で、こう水が増え
て来ますからね。
野: でも逃げられたりしたときには、まだ水があふれる前に、お隣さんとかに。
民: いや、私らもね。車をまず上へ上げなきゃいけないんで、車を上げて、水が増えて来た
んが夜 8 時から 12 時までのあいだ、どんどんどんどん、どんどんどんどん、もう水があ
ふれて来よるのが、もうそこに、わかりますでね。ここまでやったら大丈夫やと思ったん
ですけども、やっぱりこれはやばいっちゅうことでね。それでまあ。
野: それは水が増えてるっていうのは、川、この横の川を見ていて、増えていると。
民: ええ。私とこ、すぐ下にこう、川へ降りる道があるでね。洗いもんとかする。
野: あそこにあるようなのですね。
民: そこを見てたらわかります。
野: それで見てて、これはちょっと水があふれるかもしれないと。
民: 前、その 16 年に、ここは大丈夫だったんですけど、下の佐用は、床下のほうがやられま
したでね。あのときあったんと、今度増えてきたのとではもう全然量が違いましたから。
うん。
: じゃあ今回のほうが、えらかった。
民: そらもうすごいです。まあ 1m以上よけい水が上がって来ましたからね。1mどこじゃな
いですね。
野: だもんで、まずは車を高いとこ上げて。
民: まず車。けど、ここらでもうちょっと、そっちのほうへ逃がしたぐらいじゃ駄目でした。
野: うん。結果的にはね。
民: やっぱりもう、やっぱり高いところへ持っていかんとね。水が入ったらもう駄目になり
ますね。ですからまあ、すごいほど車も駄目になったんじゃないですかね。
: やっぱりこの辺の方は車のほうが便利ですわね。
民: そうです。田舎はね、車がないともう駄目です。特にここらバスも走ってませんしね。
乗るもんいったらこれだけですからね。
: はいはい。
野: 車を退避させて、それで戻って来て、ご自宅に戻るまでは、まだそんなあふれてる状態
ではなくて。
民: いやいや、もうあふれて。これはやばいと思ったから、ということは、もうそこまで水
が来てますから。
: じゃもう、その川、越えるか、越えんぐらいかの量まで来て、それでお隣さんに行かは
って。
民: そうそう。私とこの場合はですよ。町うちのこっちは、もう渡れませんから、そこまで
は見に来たんですけどね。もうここんとこで木が詰まって、水がぼんぼんあふれてたから
ね。で、ここにも大きな木が一本、どおんとこう、横倒しになって、通行止めみたいにね、
なってましたから。
: もうじゃあ、越えるに越えれん状態でしたね、もう。
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佐用町「2009 年台風 9 号災害」
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民:
こっちへ行ってみようと思ったんですけど、そこらも水が、どっとどっと入ってますし
ね。
野: こっち側はまだ歩けるくらいだから、10 ㎝か 20 ㎝かぐらいの、これぐらいまで水が。
民: いや、そこのね、そこのとこに、今、車が出てきたとこ、あのへんまでは水が行ったん
ですわ。
野: じゃあそこらへんだってことは、50 ㎝くらい、もしか深いところだったらあったんです
よね。
民: そうですね。
野: でもご自宅のところは、ちょっと坂の上がったあたりだから、そこではまだ、そんなに
水がついてなくて。
民: そうそう。向こうはね、ちょっと私とこの家がつかっただけで、その上ずっと坂になっ
てるからね。大丈夫だったんです。
野: なるほどね。じゃあ車が走るときには、全然車のところはつかってないところ走ってと。
民: あそこにも、まだほったらかしてあるけど、橋があって、あそこの横にがばっと山にな
っているでしょう。あんなんがまあ、木とともにね、詰まったものだから。それで、やっ
ぱりどことも堰止まってもうて、それでまあ、あれがなかったら私とこの家はつかってな
かったと思うんですよ。
: 流れはもう止まってもうてるが、もうあかなんだいうことですね。
野: 周りにあふれちゃうということですね。
民: 今回は流木がね、もう一杯どことも。だから田んぼの中へも入ってるんもあるし、そん
なことでね。またここもいずれ川広げたりね、もっとここらもきれいに、石らも全部取る
予定になっている。5 年がかりでね。
: やっぱりだいぶ暇かかりますわね。
民: うん。で、ここからね、まだ奥に庵(いおり)部落とかあるんですけど、そこらもう、
田んぼの中に、もう石の大きいのや小さいのいっぱい入ってますわ。もちろん砂や砂利も
入ってるでね、もう当分のあいだ田んぼはできないですね。
: じゃあ今もまだ、入っている状態。
民: ああ、もう、そのまま、まだ手付かずです。まだ下のほうから順番にね。川をきれいに
したり、やってますからね。まだここらは全然手付かずですね。
: 佐用の町全体が、大きくなりましたものね。
民: そうです。
: そういうことにはだいぶ時間かかりますわね。
民: まだ、中でも、大工さんが間に合わないからって、今まだ床やらね張って、畳入れたり
しよる家もだいぶあるけど。まだこの平福の町でも、まだ 2、3 軒そんな家がありますよ
ね。家建てたくても、そのこれが 5 軒で町営住宅になっとんですけどね。そこの上に、木
工所があるんですけどね。そこの家なんかも、もうつぶされたんですけども、まあはや地
鎮祭をしたんですけどね、県からの許可が出んもんだから、家が建てれないってね、困っ
とってるような家もあるんですわ。というのは、川をどんだけ広げるかね。それによって、
土地を削らなんですからね。そういう家も何軒かね、まだ家建てとうても建てれんような
とこもありますわ。まあまあ。町なか見てるんですか。
野: ええ、これからですけどね。
民: まあまあ、見て帰ってください。
野: すいません。ありがとうございました。
崎: ありがとうございました。
民: どうも。
: すんません。ありがとうございます。
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佐用町「2009 年台風 9 号災害」
佐 用 町 聞 き 取 り 2
佐用町平福 683 の「たつ乃屋本店」(醤油)で
蔡
女
蔡
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女
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女
:
性:
:
性:
:
性:
お店の、蔵のほうにも入りました。
入りました。どろどろになりましたけど、しょうゆには影響がなかった。
樽のほうはまったく大丈夫。
大丈夫です。
ああ、そうでしたか。大変でしたね、ほんまに。
えらい目に遭いましたね。大丈夫も、家が横になっとんですが。あの、左官屋やらそれ
から、左官屋や大工さんも年内いっぱいかかります。
: じゃあこのあたりも、やっぱりだいぶ。
性: はい。ひどいこってしてね。
: どれくらいつかりましたか。
性: つかりましたんは、ここに形がありますね。ここにも形がありますけども、現実にはも
う、全部、全部替えました。
: もうじゃあこの辺のものも流れてしもて。
性: そうそう。
: それじゃあこの戸も、もう、さらにしはったんですね。
性: 戸もさらにしたところです。
: ほんまや、やっぱり段になってますわね。
性: 形がついてます。この辺まででしたけど。現実としては、もう、こんなもんも、もう全
部駄目になりましたから、容器置いている倉庫もね。もう、容器が全部使えなくて。
: 下のように置いているものも、全部もう、廃棄してもうたりいうあんばいですか。やっ
ぱり。ああ、大変でしたね、ほんまに。
性: 遠方からみなね、ボランティアに、埼玉のほうからまで。
: ああ、そうですか。
吉: 役場に置いてある大きな樽はおたくのですか。
性: 大きな樽はね、佐用にもう一軒、しょうゆ屋がありまして、それがきれいにやめられた
ので、その樽です。
吉: 水害でやめられた。
性: そうそう。水害でね、やめてしまわれ、やめざるを得なくなったんですね。大きな桶(こ
が)の中に水が入ったとかで。
: でもその佐用町にしょうゆ屋さんが残っているのはたつ乃屋さん一軒いうあんばいです
かもう。
性: まあまあうちは、まあまあ残りましたけど。
: そうでしたか。
性: この前が道、裏が大きな川で、前の道の、この道を、冷蔵庫やら自動車が流れましたか
ら。
: あ、冷蔵庫も流れるような。
性: この道が水があふれてね。この道をどぶどぶ冷蔵庫やら自動車が流れました。
: この辺まで川の水が上がっとったいうことやから。
性: そうそう。
: で、ああいう冷蔵庫とか車みたいな重たいもんでも。
性: 重たいものでも、この道を流れるいうんですから、よっぽどです。
崎: ご自身もご家族も被害はなかったんですか。
性: うん、みんな元気で。まあまあ。家の中がね、わりあい畳の家で、部屋数が多いんです
が、全部畳も床板もないもんですから、下見れば土。土の上に床板を張る、薪が横になっ
て。その辺では寝られません。どうも、二階へ上がるんも大儀なしてね。もう 4 カ月、11
月の終わりまでは、皆この近辺全部、直らんでいて。もう向かいなんかもひどかったんで
す。もう向かいもひどうてね、したんですけどね。
: じゃあもうある程度、落ち着いたんは最近の話ですわね、そしたら。
性: 12 月いっぱいも、今日も左官屋来てます。12 月いっぱい、ぎりぎりまで、まだちょいち
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佐用町「2009 年台風 9 号災害」
蔡
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天
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天
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藤
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藤
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藤
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藤
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ょい年越さにゃ、来てもらえんのじゃ、どっこもですからね。
: この界隈ね、だいぶ被害がありましたものね。
性: そうです。この町もね、上のほうで、下のほうは案外楽だったんです。
: やっぱり上のほうですか。
性: 上のほうでね。大きな橋があるとこへみんな木材が横になって、丸太で。まあ、えらい
目に遭いました。えらい目に遭いました。
: それは大変でしたね。
崎: 避難は、二階に避難されたんですか。
性: うちはね、窓からのぞいて見とったんですけど、自動車が流れたりして。そしたら、近
所の人が、危ないよ、もう何をおるんと。まあ、したんですけど、いいだろうと思ってと、
裏に二階があるで、そこ避難すればうちは大丈夫だったんです。このすぐ 1 ㎞ほど下では、
自動車動かしてた人が、自動車止めにはまって、田んぼの中へ、亡くなりました。
野: それは役場の方ですか。役場の方じゃなくて。
性: 役場でなくてね。それは何か、この道路の工事に、智頭(ちず)とこの辺を結ぶ道路が
上へつく。その工事をする人。
野: そうですか。
: 鳥取の智頭のほうとの道路の工事の。
性: そうそう。高速の道路の、具合のええのがつくらしいですね。
: はい。今、何かやってますわね。
性: そうそう。それをしてる人が、ここの 1 ㎞ほど下の高いとこするために、自動車で走っ
てたんやそうです。それが死んじゃって、そこ、道ばたずっといまだに修理する、土のう
組んでます。
野: ここの土地の人じゃなくて。
性: 地元じゃなくてね。それは地元じゃないんですけど、佐用の町の役場の近辺で、3 人亡
くなりました。それから下のほうで、15、16 人。上月町とかね、佐用町が合併したもんで、
上月とか久崎ね。そこら辺の人。全部で 20 人。行方不明が 2 人ですか。思いがけんえら
いことが起きました。
: ほんまに。
吉: 何かこの、防災行政無線の放送というのが。
性: 放送がやや遅かったから、避難がね。途中で、足取られたいうんがちょっと問題になり
ましたね。
吉: この辺も避難しろって言われたんですか。
性: この辺はね、この下のほうの人が、そこら辺へコンクリーで塀をこしらえてるそこら辺
の人が避難しよう思って、ここが役場が 10mほど上で、避難しよう思って出たけど、これ
は危ないで、よその家飛び込んで、皆、助かってます。
吉: ここの避難場所は役場になっているんですか。
性: 役場で、元の役場、こっから、15m、10m、その曲がり角にね。
野: 公民館のとこ。今、公民館になってるところですね。
性: そうそう。
野: ちょっと高台なんですよね。
性: ちょっと高台。そこへみんな行きかけた人が、足取られて浮きそうになったからいうん
でね。その近くの家、どこへでも飛び込まなしょうがないんで飛び込んだいって、みんな
助かってますね。
吉: 夜中のことですよね。
性: 8 時半ぐらいから水が来ましてね。
吉: もう真っ暗になった。
性: 12 時くらいまでひどかったです。
吉: もう停電にはなってなかった。灯りはついていました。電気はついてましたか。
性: もう電気はその晩はまだ、この辺はちょっと大丈夫でしたけん。みんな電気は切れる、
それこそ水は出なくなる。
吉: 何日もそれ続いたわけですね。
性: もう、毎日、お風呂を沸かそう思ったって、お風呂のガスの栓にね、水がかぶってるか
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佐用町「2009 年台風 9 号災害」
ら、もう駄目で、ガスがつかん。もう炊事場も駄目。お弁当毎日もらってね、生活してま
した。
藤 吉: しょうゆ屋さんが、その仕事を続けられなくなったという、その佐用の場合、何が流さ
れると一番困るんですかね。しょうゆ屋さんが続けられなくなった、佐用のしょうゆ屋さ
ん。
女 性: それはね。大きなここの裏の川が下へ行くにつれて、支流の川と一緒になって、その川
べりに家があったもんで。その川がもう、全部水こもって。
藤 吉: これが流されたらもう駄目という一番大事なものは何ですか。しょうゆ屋さんにとって
は。
女 性: でしたらもろみでしょう。これなんかもう、丸大豆仕込みまして、3 年かかりますんで、
手入れして、火入れして、もろみがなくなったり、まあ容器ぐらいはもう仕入れられます
けど。
藤 吉: もろみも流されてしまったと。そうですか。
〔このあとめいめいしょうゆを買って帰った。
〕
(一部補足:天野 篤)
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