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1562年 / 永禄5年 1582年 / 天正10年 1582年 / 天正10年

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1562年 / 永禄5年 1582年 / 天正10年 1582年 / 天正10年
1562年 / 永禄5年
1582年 / 天正10年
1585年 / 天正13年
加藤清正公誕生
本能寺の変
1588年 / 天正16年
清正公、肥後半国を領す
1591年
1592年
1596年
年
1600年
/
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天正19年
文禄1年
慶長1年
慶長
年
慶長5年
1603年
1605年
1606年
1611年
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/
/
/
慶長8年
慶長10年
慶長11年
慶長16年
文禄の役
慶長の役
関ヶ原の戦、清正公肥後一
国を領す
清正公熊本城にて薨去
1616年 / 元和2年
1634年
1635年
1637年
1653年
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/
寛永11年
寛永12年
寛永14年
承応2年
1681年 / 天和1年
1713年 / 正徳3年
1716年 / 享保1年
1728年 / 享保13年
1735年 / 享保20年
1748年 / 寛延1年
1755年 / 宝暦5年
1760年 / 宝暦10年
1761年 / 宝暦11年
1774年
1776年
1781年
1787年
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/
安永3年
安永5年
天明1年
天明7年
1791年 / 寛政3年
1794年 / 寛政6年
1801年
1802年
1807年
1810年
/
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/
/
享和1年
享和2年
文化4年
文化7年
熊本城を新たに築くにあたり、瑞龍院もとりこわさ
れ、新しいお城の中に一寺が建立されここに大坂
の本妙寺を移転す。
江戸幕府開く
1613年 / 慶長18年
1614年 / 慶長19年
1617年 / 元和3年
1632年 / 寛永9年
清正公、父君追善の為大阪に本妙寺を創建し日真
上人を招ず
清正公肥後入国と共に熊本城内に日真上人を招き
瑞龍院を建立
瑞竜院を熊本城内に移し、本妙寺と改称
加藤家改易、細川忠利公入
部
御陽成天皇勅願寺の綸旨を賜う
永代紫衣を勅許
清正公御廟を御遺言により、中尾山中(現在地)に
造営
頓写会始まる
熊本城内の本妙寺焼失す。ために公の御廟所の
地たる現在地に移す
中尾山中に造営中の本妙寺の工事終り、5月遷佛
会を修す
清正公尊像成り、御廟所に安置す。
幕府上使、五箇条の制札を下し、寺門維持を令す
寺領300石、隠居料100石を拝領
細川忠利公参詣、 寺領の絵図に裏書を賜う
島原の乱
加藤忠広公、出羽庄内に卒
す
法皇閣の丈六釈尊立像彫せし善行院日助師遷化
藩主宣紀公参詣
徳川吉宗、将軍職を嗣ぐ
(享保の改革)
幕命により、所蔵の清正記3巻を呈出す
清正公 125遠忌を修す
肥後数十年来の大風雨、倒
家、倒木多く、俗に「岩起」と
いう。以後宝暦年間にかけ
風災頻発す。
此の頃肥後宝暦の改革
松平定信、老中になる (寛
松平定信
老中になる (寛
政の改革)
藩主重賢公参詣、 翌々年も参詣
清正公 150遠忌を修す、藩主在江戸、物頭代参
連年の風害にて破損せる御廟、法皇閣、山門等諸
堂宇を再興修復せる第16世霊智院日感師遷化
法華宗学頭職を仰せ付けられる。
世子治年公参詣
宗祖500遠忌天童大法要を修す
藩主治年公参詣
大本堂焼失す
大本堂再建費調達の為富講興行を計画、以後文
化年間まで数度興行す。
一塔両尊並諸尊、祖師像を搖台院(治年公室)寄
参詣人便宜の為御廟所両側に掛け出しを造る。
大本堂再建地づき始まり、諸町より我踊り奉納。
朝鮮
禅師筆「
を額
掲
朝鮮国松雲禅師筆「発星山」を額にし、黒門に掲ぐ
御廟所左右に大庇を出す
大本堂落慶、入佛供養、併せて清正公200遠忌奉
1811年 / 文化8年
大坂五毛村神宮寺清正公
尊像安置を藩に出願
常題目堂黄金仏開眼供養
参道筋牧崎村に常夜塔建立
鹿子木量平、藩主斉茲公の病気平癒を清正公に
祈願し、験あり、廟側に大石碑を奉献
庫裡より出火
1817年 / 文化14年
1819年 / 文政2年
1821年 / 文政4年
仙波太郎兵衛、白金御屋敷
内に清正公勧請を出願
鹿 木量
鹿子木量平、八代新地築造に当り、清正公に祈願
代新地築造 当 清
祈
す、竣工に際し、公を勧請す、本妙寺より御神霊を
分祀す、(現 文政加藤社)
濱町様(前藩主斉茲公)新座敷御成の間中庭に番
神堂を寄進
濱町様御先祖位牌奉安につき御位牌所増改築せ
らる
藩主斉護公参詣
1822年
年 / 文政5年
文政 年
1823年 / 文政6年
1825年 / 文政8年
1829年 / 文政12年
1834年 / 天保5年
1850年
1853年
1859年
1868年
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/
/
嘉永3年
嘉永6年
安政6年
明治1年
水野忠邦、老中になる(天
保の改革)
吉田松陰参詣
ぺりー浦賀に来航
明治維新 神仏判然令発布
菊池、加藤両氏祭祀の朝命
菊池 加藤両氏祭祀の朝命
藩に下達
1871年 / 明治4年
1877年 / 明治10年
西南の役
1894年
1904年
1909年
1913年
1917年
1935年
1937年
1941年
1945年
1955年
年
1960年
1974年
日清戦争
日露戦争
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明治27年
明治37年
明治42年
大正2年
大正6年
昭和10年
昭和12年
昭和16年
昭和20年
昭和30年
昭和
年
昭和35年
昭和49年
第一次世界大戦
仁王門、宝物館等成る
清正公325遠忌を修し、公の銅像を建立
日中戦争
太平洋戦争
太平洋戦争敗れる
1979年 / 昭和54年
1985年 / 昭和60年
1989年 / 平成1年
1991年 / 平成3年
1993年 / 平成5年
2001年 / 平成13年
2002年 / 平成14年
清正公 250遠忌取越修法
清正公祭祀につき仏祭を止め神祭たるべき旨示達
あり、よって御廟等破壊され神祭になる。
地方の清正公堂、この時ほとんど加藤社と改称
地方の清正公堂 この時ほとんど加藤社と改称
す。
祭祀佛祭に復し神霊を城内に分祀して錦山神社
(現 加藤神社)を創建す
薩軍の基地になることを慮り、官命により大本堂等
を焼却す
御廟所再建なる、大本堂建柱式
大本堂落慶遷仏会を修す
清正公300遠忌を修す 宝物館開館
清正公300遠忌を修す 宝物館開館
100年に1度の台風、全国
100年に1度の台風
全国
各地で観測史上最大風速
を記録する。県下にも甚大
な被害、通称りんご台風
瓦 シートが不足する 町並
みの屋根が青いシートで覆
清正公銅像供出
本妙寺宝物館 博物館相当施設指定(10月25日)
清正公350遠忌を修し、銅像を再建
御廟、拝殿、中門等を改修、新に経蔵を建立し、開
山発星院日真上人350遠忌を修す
宝物館を現在地(浄池廟)に移転新築落慶す
当山開闢400年、清正公375遠忌を修す
清正公肥後入国400年記念を修す 一字一石宝
塔建立(4月22日)
9月27日の台風19号により拝殿屋根飛散 鐘楼
9月27日の台風19号により拝殿屋根飛散、鐘楼
堂倒壊、倒木、他多数の被害 山内の風景が一変
する。
台風19号災害復興落慶す(拝殿、諸堂修復、鐘楼
堂新築)(4月3日)
浄池廟拝殿焼失す(2月8日)
浄池廟拝殿新築落慶す(4月22日)
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