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Page 1 Page 2 洋務運動時期における中国近代 技術産業の導入と発展
\n Title Author(s) Citation 洋務運動時期における中国近代技術産業の導入と発展の研 究(三) 田, 育誠; TIAN, Yucheng 国際経営論集, 31: 135-168 Date 2006-03-30 Type Departmental Bulletin Paper Rights publisher KANAGAWA University Repository 洋務 運 動 時期 にお け る中国近 代 技 術 産業 の導 入 と発 展 の研 究(三) 育 田 目 誠 次 は じめ に 一 .1874年 か ら1895年 の 間 にお け る中 国 近 代 造 船 事 業 の発 展 1.江 南機器 製造総 局の造船事業 2.福 州 船 政 局 の造 船 事 業 の発 展 (1)1873年 (2)造 以前の蒸気船 の建造状況 船 事 業 の発 展 期(1874年 ∼1895年) ① 継 続 され る造 船 事 業 ② 鉄 製 竜骨 製 造 工場 の新 設 ③ 福 州 船 政 局 の 中国 人 技 師 に よ る近 代 蒸 気 船 の 自国 建 造 開 始 a.「 芸 新 」 号 の 建 造 b.鉄 製 竜 骨 船 の建 造 c.巡 洋 艦 の建 造 d.鉄 甲軍 艦 の建 造 結 び は じめ に 中 国 近 代 造 船 事 業 に と っ て 、x$74年 か ら1895年 の 間 は 極 め て 重 要 な期 間 で 洋務運 動 時期 にお ける中国近代技 術産 業 の導入 と発展 の研 究(三)135 あ る とい え る。 す な わ ち こ の 時期 の 特 徴 を 挙 げ れ ば 、蒸 気 船 の 大 量 建 造 、 世 界 に伍 す 造 船 技 術 水 準 の 向上 、 中国 人 造 船 技 術 者 に よ る蒸 気 船 の 自国建 造 な どが あ る。 江 南 機 器 製 造 総 局 は 、 中 国最 大 の 工 業 都 市 上 海 に 立 地 す る 中国 最 大 の 国 立 企 業 で あ り、1874年 に 「 海 安 」 号 、1875年 に 「 駅 遠 」 号(そ れぞれ 長 さ約100rn、 排 水 量 約3,000ト ン)を 建 造 して い る。 両 船 と も当 時 中国 最 大 の蒸 気 軍 艦 で あ る。 福 州 船 政 局 は こ の 時期 が 最 盛 期 で あ り、 期 間 中 に数 十 隻 の船 舶 が 建 造 され て お り、特 に 後 期 に お い て は フ ラ ン スへ の 全 面 的 依 拠 に よ る船 舶 建 造 方 式 を 改 め 、 中 国 人 技 師 団 に よ る 自 国 建 造 が 着 実 に進 め られ た 上)2)。 一 、X574年 1.江 か ら1895年 の 間 に お け る 中 国 近 代 造 船 事 業 の 発 展 南機器製造総局の造船事業 1872年1月 、曾 国藩 が 逝 去 して 江 南機 器 製 造 総 局 の造 船 事 業 は最 大 の 転機 を 迎 え る こ と とな る。 曾 国藩 は 一貫 して 江 南機 器 製 造総 局 の 造 船 事 業 の 充 実 発 展 を図 っ て きた が 、曾 国藩 の 後 任 とな った 李 鴻 章 は蒸 気 船 の 自国建 造 よ り も外 国製 蒸 気 船 の購i入を強 く主 張 した。 元 来 李 鴻 章 は江 南 機 器 製 造 総 局 設 立 当初 か ら 自国建 造 に つ い て 自信 が 持 てず 、 「自国 で 蒸 気 船 を建 造 す る とい う こ とは極 め て重 大 な こ とで あ る。 そ れ は始 めの ご く僅 か の違 い が 最 後 に は 非 常 に 大 き な違 い を もた らす か らで あ る。 自国 建 造 が よい か悪 い か は ま だ 判 断 で きず 、 今 軽 々 に 造 船 事 業 を 開始 す べ き で は な く、 まず は 一 一、 二隻 の船 を試 作 してみ て 、 わ が 国 の船 舶 建 造 技 術 や 技 師 、 労働 者 た ち の力 を試 して み るべ き で あ る。」 と述 べ て い る3)。 曾 国藩 の 死 が 目前 に迫 った こ とを 知 っ た 清 朝 の 大 臣 た ち は 、 「自国 船 の建 造 は浪 費 で あ る の で しば ら く停 止 す べ き で あ る。」 と江 南 機i器製 造 総 局 に建 議 した。 病 床 の曾 国 藩 は 直 ち に 、 「 い ま 最 も 重 要 な こ とは 、 世 界 水 準 の 蒸 気 軍艦 を建 造 す るた め の技 術 面 、 管 理 面 あ る い は種 々 の 資 金 調 達 方 策 な ど不 十 136国 際経営論集No.312006 分 な も の に つ い て 客 観 的 な 態 度 で 真 摯 に検 討 を お こ な うこ とで あ りま す 。 蒸 気 軍 艦 を 自国 で 建 造 す る とい うこ とが誤 っ た施 策 で あ る と考 え るべ きで は あ りま せ ん。 造 船 に要 す る経 費 につ い て は 可 能 な 限 り節 約 す る と と もに 、 中央 政 府 、 地 方 政 府 、 税 関 、 民 間 な ど多 方 面 か ら資 金 を調 達 す る こ とが 唯 一一最 良 の方 策 で あ り、 自国 建 造 は 多 額 の 経 費 を要 す る とい う理 由 だ けで この 事 業 を 中止 す べ きで はな い と思 量 す る もの で あ ります 。」 と上 奏 した哩 〉 。 こ の よ うに 、 上 奏 文 中 の言 葉 は 娩 曲 だ が 、彼 の 造 船 活 動 を進 展 させ るべ き で あ る とす る姿 勢 は揺 ぐ と こ ろが な い。 上奏 後 、 数 日 して 曾 国藩 は 逝 去 した。 李 鴻 章 も上 述 の 清 朝 の 大 臣 た ちの 意 見 に反 論 は した が 、彼 自身 も造 船 事 業 の膨 大 な経 費 と経 済 効 果 に つ い て は 懐 疑 的 で あ っ た の で 、以 降建 造 す る蒸 気 軍 艦 の規 模 につ い て は 、 「 海 安 」 号(積 さ らに 江 南機 器製 造 総 局(造 船 所)で 載 量2,800ト ン)以 下 とす る こ と と し、 建 造 した 軍 艦 を商 業 用 船 舶 と して貸 し 出 して 、 そ れ らに 要 す る修 理 費 用 と管 理 費 用 を上 海 な どの地 方 政 府 に負 担 さ せ て 中央 政 府 の 支 出 を減 少 させ よ うと した。 因 み に 曾 国 藩 の 死 後 も、 曾 国藩 が 計 画 した 「 海安 」 号、 「 駅 遠 」 号 の 建 造 は継 続 され 、1875年 ま で に 完 成 を 見 て い る。 李 鴻 章 は1874年 ま で に ス ク リュー2基 を 装備 す る小 型 鉄 殻 蒸 気 船(木 造竜 骨 を鉄 板 で 被 っ た 船)「 三 号 」 を建 造 して い る。1876年 に 建 造 され た 小 型 の 鉄 甲軍 艦 「 金 顧 」 号 は 、長 さ35m、 度10ノ ッ ト、 乗 員30∼40名 幅6.7m、 喫 水2.3m、 積 載 量250ト ン、 速 で 、 甲板 上 に昇 降 旋 回 式 の 砲 塔 を備 え 、舷 側 に は 数 門 の 大 砲 を装 備 して い た 。 「 金 甑 」 号 は 、 中 国 の蒸 気 船 が 木 造 か ら鉄 鋼 へ 移 行 す る時 期 の最 初 の船 で 、 そ れ ま で に建 造 され た6隻(「 悟 吉 」、 「 操 江 」、 「 測海 」、 「 威 靖 」、 「 海安 」及 び 「 駅 遠 」 号。 外 輪 式 の 「 悟 吉 」 号 以 外 は 、全 て ス ク リュ ー1基 を装 備 して い る。)と 比 較 して 、 ① 鉄 甲装備 、②2基 のス ク リュー 装 備 、③ 昇 降 旋 回式 砲 塔 配 備 な ど技 術 面 に お い て 数 段 の進 歩 を示 し てい る。 李 鴻 章 はそ の 外 に 、2基 「 二 号 」 と蒸 気 舶板(サ ンバ ン)1隻 の ス ク リュー を装 備 した小 型 鉄 殻 蒸 気 船 を建 造 して い る[図1(a)、(b)]。 洋務運動時期 における中国近代技術産業の導入と発展の研究(三)137 1875年5月 、清 朝 政 府 は 新 た な海 防政 策 展 開 の た め李 鴻 章 に対 して北 洋 海 軍 を 中軸 とす る 「 三 洋 海 軍 」 の創 設 を命 じた 。 こ の とき李 鴻 章 は 、 「 蒸 気軍 艦 を 自国 で建 造 す れ ば 外 国 か ら購 入 す る よ り も倍 以 上 の経 費 を要 す るの で 、 三 洋 海 軍 を 早 急 に創 設 す るた め に は 外 国 に発 注す る こ とが捷 径 で あ る。」 と 述 べ てい る。 こ う して 李 鴻 章 は外 国製 蒸 気 軍 艦 購 入 の道 を突 き進 ん だ。 この ときま で に江 南機 器 製 造 総 局 は既 に 、14隻 の蒸 気 船 を建 造 して い た が 、 そ の 内訳 は 大型 船7隻 、 小 型 船7隻 で あ る。 と こ ろ で、 江 南機 器 製 造 総 局 に お け る蒸 気 船 建 造 は 、 主 に次 の2つ の要 因 か ら約30年 間 実 質 上 の 停 止 を余儀 な く され る こ と とな る。 ひ とつ は 前述 の 李 鴻 章 の 「 軍 艦 貸 し出 し政 策 」 が根 本 的 な財 政 問題 解 決 に 至 らな か っ た こ とに よ る も の で あ り、 も うひ とつ は 、 当時 清 朝 政 府 が 念 軍(清 つ くった 反 乱 軍)対 朝 末 期 に 安徽 省 北 部 と河 南省 一 帯 の農 民 が 蜂 起 して 策 に追 われ て い て 、 江 南 機 器製 造 総 局 に 対 して 大砲 や 弾 薬 の製 造 を最 優 先 で 行 な うよ う命 じた こ とに よ る もの で あ る。 結 果 と して 、 李鴻 章 は江 南 機 器 製 造 総 局創 設 時 の 自分 の 考 え方 、 す な わ ち 「 江 南機 器 製 造 総 局 の事 業 は 大 砲 や 弾 薬 製 造 を 中心 とす べ き で あ る。」 とい う理 念 を達 成 す る こ と とな る。 1874年 か ら1891年 ま で の 間 に 、江 南機 器 製 造 総 局 にお い て6つ の大 砲 工場 と弾薬 製 造 工 場 が建 設 され て い る。 そ の 中 に は 、15ト ンの 製 鋼 炉1基 た 中国 で 最 も早 く建 設 され た 製 鋼 工場 が 含 ま れ る[図2(a)]。 い え ば 、1885年 、 「 保 民 」 号(鋼 一方 、造船で 板 製 。 ス ク リュ ー 式 。 長 さ72m、 積 載 量1,300ト ン 、 速 度11ノ ッ ト、 クル ップ 砲8門 を備 え 装 備)が1隻 幅11.5m、 だ け建 造 さ れ た[図2(b)]。 表1.江 名 南機 ・ 器 製 造 総 局 の 主要 工場 の 状 況(1874年 称 黒色火薬 工場 竣 工年 1874年 ∼1895年) 主 要 業 務 当初 は黒 色 火 薬 の み を製 造 し た が 、規 模 拡 大 に よ り、1892 年 に褐 色 火 薬 工 場 、1893年 に 無煙 火 薬 工場 を増 設 した。 138国 際 経 営 論 集No.312006 総人員 X156 弾丸 工場 1875年 各種弾丸製造 488 砲 弾工場 1879年 各種砲弾製造 294 水雷 工場 1881年 各種水雷製造 74 製鋼 工場 1890年 製 鋼 。15ト 275 ン の マ ル チ ン炉 を 備 え 、1897年 に は 年 間 、2,05 9ト ン を 生 産 し た 。 工芸学堂 化 学 科 及 び 機 械 工 学 科 を有 す 1898年 る4年 制 の高 等 教 育機 関 。 日 本 の 、 大 阪 工 業 学校 の教 育 シ ステ ム に準拠 して創 立 され た。 (注)黒 色 火 薬 工 場 の総 人 員 表2.江 「156」 は 、1874年 の もの で あ る。 南 機 器 製 造 総 局 の 軍 艦 建 造 状 況(1874年 竣工年 船 海 安 号 1874年 駅 遠 号 種 ∼1895年)5) 長 さm 幅m 喫水m 木 造 、暗 輪 96.0 13.4 6.40 1875年 木 造 、暗 輪 96.0 13.4 6.70 金 甑 号 1876年 鉄 甲、 暗輪 35.0 6.7 2.30 保 民 号 1885年 鋼 板 、 暗輪 72.0 11.5 小型船舶 全 て1875 船 名 7隻 年 以 前 に 建 造 され た。 積載量 ト ン 速 度 ノット 仕 事 率Kw 建 造費 万両 大砲数 門 海 安 号 2,800 12 1,341 35.52 巨砲20 駅 遠 号 Z,goo 12 ].,341 31.87 大 砲18 船 名 洋 務運 動時期 にお ける中国近 代技術 産 業の導入 と発 展 の研 究(三)139 金 画 号 250 10 149 6.26 保 民 号 1,300 11 1,416 22.33 小型船舶 クルツプ 砲8 7隻 合 計9.71 7隻 2.福 州 船 政 局 の 造 船 事 業 の 発 展 (1)1873年 以 前 の 蒸 気 船 の 建 造 状 況[図3∼ 図7] 福 州 船 政 局 に お い て 最 初 に 建 造 され た 船 舶 は 用 蒸 気 船 。 木 造 ス ク リ ュ ー 式 。 長 さ79.3m、 度10ノ ッ ト、 仕 事 率432Kw、 8日 に 起 工 し、1869年6.月10日 喫 水4.54m、 「万 年 清 」 号(軍 幅9.3m、 艦、商船 両 排 水 量1,370ト 大 砲6門 装 備)で ン、速 あ る 。1868年1月1 に 進 水 し て い る。 「万 年 清 」 号 の 成 功 が 中 国 の 国 内 外 に 与 え た 影 響 は 大 き な も の が あ っ た と い う こ とが で き る 。 と こ ろ で 、 洋 務 派 は 蒸 気 船 の建 造 後 の 「操 船 問 題 」 に つ い て そ の 重 要 性 を 十 分 に 認 識 し て お り、 夙 に 外 国 蒸 気 船 の 操 船 経 験 の あ る人 材 を集 め て 訓 練 し、 さ らに そ の 中 か ら優 秀 な 人 材 を 選 抜 して 管 理 者 と し て 養 成 し て い た 。 そ の 中 に漁 民 出 身 の 貝 錦 泉 と い う人 物 が い る が 、 左 宗 彙 は 「万 年 清 」 号 の 操 船 部 門 の 責 任 者 に 彼 を 抜 擢 した6)。 1869年9月18日 自身 が 操 船 す る た 。 第2回 、 第1回 目の 試 験 航 行 が お こ な わ れ た が 、 黄 維 燈 は 貝 錦 泉 「万 年 清 」 号 に 乗 船 し、 閲 江 の 閲 安 館 頭 、 壺 江 な ど を航 行 し 目の9月25日 に は 、 船 政 大 臣 沈 藻 槙 と ジ ケ ー ル(中 ら が 乗 船 し 、 閲 江 の 河 口付 近 で あ る 慰 斗 ま で 航 行 し た 。 第3回 に は 、 外 洋(東 海)へ 国 名 日意 格)自 目 の9月28日 乗 り出 し た 。 こ の 時 の 状 況 に つ い て は 、 「こ の 試 験 航 海 の 目 的 は 、 搭 載 す る蒸 気 機 関 が 堅 牢 で あ る か ど うか 、 ま た 乗 組 員 の 操 船 技 量 が ど の 程 度 の レベ ル か を 確 認 す る た め の も の で あ っ た 。」、 「強 風 大 波 の 下 で も航 行 は 安 定 して お り… 」、 「この と き 大 砲 の 試 射 も お こ な わ れ た が 、 装 備 した 大 砲 を 一 斉 に 発 射 して も船 体 に は 何 の 支 障 も な く 、 蒸 気 機 関 の 動 き も正 常 で あ り、 操 船 管 理 者 、 操 舵 手 、 砲 手 、 そ の ほ か の 乗 組 員 は い ず れ も適 切 に 140国 際経 営論集No.312006 行 動 した。」 と記 され て い る7)。そ して この試 験 航 行 で 特 筆 す べ き こ とは 、 ひ と りの外 国人 も実 働 人員 と して参 加 して い な か った とい うこ とで あ り、 こ の こ とは 中 国航 海 史 上 並 び に造 船 史 上 に 光輝 あ る事跡 と して記 され る べ き で あ る と考 え る。 ダ クベ イ ユ(中 国名 徳 克 碑)で さ え もが 、 「中 国 に は優 れ た 人 材 が 多 い 、船 の建 造 に して も操 船 に して も、彼 らに任 せ て お い て 大 丈 夫 だ 。」 と述 べ ざ る を得 な か っ た。 福州 船 政 局 が1860年 代 に この よ うな蒸 気 船 を建 造 す る こ とが で きた こ とは、 福 州 船 政 局 の 技 術 水 準 が 当時 の世 界 の 先 進 造 船 国 家 の 技術 水 準 と比 較 して も ほ とん ど差 が な い こ とを示 して い る。 こ こで19世 紀 中葉 の 世 界 の造 船 状 況 を 概 観 してみ る と、建 造 され る蒸 気 船 の 大 多数 は や は り木 造 船 で あ り、 中葉 以 降 に な っ て初 め て鉄 材 と木 材 とを使 用 した船 舶 が 盛 ん に建 造 され る よ うに な るの で あ る。 蒸 気 機 関 につ い て も初 期 に は シ リン ダー は1基 ∼4気 の み で あ り、3 圧 の 高 圧 蒸 気 機 関 が発 明 され て 初 め て複 式 蒸 気 機 関 が 出現 す る こ と と な る。 日本 に お い て は 、1862年 に排 水 量138ト ン の蒸 気 船 「千 代 田」 丸 が建 造 され て い る。 「万年 清 」 号 の 蒸 気機 関 は 当初 、 イ ギ リス で製 造 され た もの を使 用 して い た が 、 旧式 な 上 、150馬 力 の 直 立 式 で シ リン ダー は1基 で あ っ た。1880年 代 初 頭 に ヨー ロ ッパ か ら帰 国 した 留 学 生 た ち に よ り 「 万 年 清 」 号 は商 船 専 用 に 改 造 され 、海 洋 実 習 船 と して も使 用 され た 。 改 造 の 中心 は蒸 気 機 関 で あ り、 福 州 船 政 局 で 製 造 され た 新 式 の2基 の シ リン ダ ー を有 す る省 エ ネ 型 の150馬 力蒸 気 機 関 に 交 換 され た 。 そ して この こ とは 、 福 州 船 政 局 の造 船 技 術 水 準 の 向上 を示 す も の で あ る。 「 万 年 清 」 号 は 主 に 台 湾 ・福 建 間 の 蒸 気 商 船 と して 使 用 され た が 、1887年 に イ ギ リス船 と衝 突 して沈 没 した 。 福 州 船 政 局 は1870年S月 に2基 の シ リン ダ ー一、往 復 式 の 蒸 気 機 関 の模 造 に 着 手 して 翌 年6月 に 完 成 して い る。 そ の150馬 力 蒸 気 機 関 は砲 艦 「 安瀾」 号 に 装備 され た が 、 こ の こ とは 中国 造 船 史 上 並 び に機 械 製 造 史 上 重 要 な意 義 を有 す る もの で あ る。 す な わ ち設 計 か ら建 造 ま で の 間 、 外 国人 技 術 者 の 指 導 を仰 洋務運動時期における中国近代技術産業の導入と発展の研究(三)141 い で は い る もの の 、最 終 的 には 中 国人 が 自 ら建 造 した蒸 気 船 で あ り、 そ の技 術 水 準 は 外 国 に 劣 る もの で は な く、1870年 代 に福 州 船 政 局 を視 察 した イ ギ リ ス の あ る将 校 は 、 「これ らの 蒸 気 機 関 は福 州 船 政 局 で製 造 され た もの で あ り、 私 の見 た と ころ で はそ の技 術 水 準 と製 品 の仕 上 が り具 合 は イ ギ リスの どの機 械 工場 と比 較 して も な ん らの遜 色 も ない 。」 と感 想 を記 して い る。 福 州 船 政 局 で 建 造 され た6隻 の蒸 気 船(輸 送 船 と砲 艦)の して150馬 力 で あ る。 中 国海 軍 史 に よれ ば 、 「 軍 艦 は(大 よ く、 さ らに)大 蒸 気機 関 は 平均 型 で あ れ ばあ る ほ ど 砲 の 数 が多 く、 ま た 馬 力 が強 けれ ば、 どん な に大波 の 中で 危 険 な状 況 に陥 っ て も安 全 で あ り、海 戦 にお い て勝利 を収 め る こ とが でき る。」 と され るが 、 前 述 の6隻 は馬 力 も弱 く大砲 の 数 も少 ない とい う弱 点 が あ っ た の で 、 福 州 船 政 局 は7隻 目の軍 艦 建 造 か ら、外 国 の 軍 艦 が 装 備 して い る も っ と強 力 な蒸 気 機 関 を搭 載 す べ くそ の建 造 に 全 力 を傾 注 す る こ と と し、福 州 船 政 局 は ジ ケ ー ル を 介 して250馬 力 の蒸 気 機 関 を発 注 した 。 と こ ろ で 、 ジ ケー ル は この とき 、 「150馬力 の 蒸 気 船 で あれ ば 年 間3隻 の建 造 が 可 能 で あ るが 、 も し250馬 力 の 軍艦 を建 造 す る とな る と起 工 か ら進 水 ま で15カ月 を要 す る こ と とな る。」、 「 所 要 の 木材 、 銅 、 鉄 な ど も全 て2倍 の 量 が 必 要 とな る。」8)と 疑問 を投 げ 掛 け て い る。 しか しな が らそ の7隻 目の 軍 艦 の 実 際 の 工 期 をみ てみ る と、1871年7Al2日 に起 工 して 、 翌 年4月23日 に は進 水 した 。 す な わ ち約9カ 月 で 完 成 して お り当初 計 画 よ り も6カ 月 も工 期 が 短 縮 され て い る。 そ の 船 は 「 揚 武 」("揚 中国 造 船 之志 、 武 蒸 気 船 之威"自 国建 造 の 志 を掲 げ 、 この大 型 蒸 気 軍艦 は周 囲 を威 武 す る。)号 と命 名 され た 。 「 揚 武 」 号 は この 時 期 、 中 国 にお い て最 大 の排 水 量 と馬 力 を有 す る巡 洋 艦 で あ り、 外 国 の2等 巡 洋 艦 に相 当 し、 排 水 量 は1,560ト ン 、 竜 骨 には 鉄 材 が 使 用 され 、速 度 は12ノ ッ トで 、装 備 す る大砲 の 口径 、砲 数 と も前 述 の6隻 超 えて い る。 142国 際 経 営 論 集No,312006 を 表3.福 船 州 船 政 局 の 軍 艦 商 船 建 造 状 況(1869年 名 船 竣工年 種 ∼1873年) 幅m 長 さm 喫水m 万年清号 1869年 木 造 、軍艦 商船 76.2 8.9 4.54 淵 雲 号 1870年 木 造 、軍艦 51.S 7.5 3.40 福 星 号 1870年 木 造 、軍艦 51.8 7.5 3.40 伏 波 号 1871年 木 造 、軍艦 69.7 11.2 4.16 安 瀾 号 1871年 木 造 、 軍艦 64.0 ・f 4.16 鎮 海 号 1872年 木 造 、 軍艦 53.1 8.3 3.78 揚 武 号 1872年 木 造 、 軍艦 60.8 11.5 5.70 飛 雲 号 1872年 木 造 、 軍艦 66.6 lo.2 4.16 靖 遠 号 1873年 木 造 、軍 艦 53.1 ・ 3.80 振 威 号 1873年 木 造 、軍 艦 53.1 8.3 3.SO 済 安 号 1873年 木 造 、軍 艦 66.6 10.2 4.16 速 度 ノット 仕 事 率Kw 船 名 排水量 ト ン 万年清号 1,370 淵 雲 号 建造費 万両 大砲数 門 10 432 16.3 6 550 9 238 10.6 3 福 星 号 515 9 238 10.6 3 伏 波 号 1,258 10 432 16.1 5 安 瀾 号 1,25S 10 432 16.5 5 鎮 海 号 572 9 261 10.9 6 揚 武 号 1,560 12 842 25.4 13 飛 雲 号 1,258 9 432 16.3 」 靖 遠 号 572 9 261 11.0 6 振 威 号 572 9 261 11.0 6 済 安 号 1,258 10 432 16.3 5 洋務 運動 時期 にお ける中国近代技 術産 業の導入 と発展 の研 究(三)143 表4.福 名 称 州 船 政 局 の 主 要 工 場 の 状 況(1868年 竣 工年 主 要 業 ∼1873年) 務 総人員 設 計院 iii 船 体 、蒸 気機 関等 の設 計 39 模 工 型 場 iwi 船体等 、船 舶 に関 わ る模 型 47 ボイ ラ ー 工場 1868 蒸気機 製造 等 の製 造 iii 関工場 鍛 鉄 工 場 鋳鉄銅 工 船 舶 用 ボ イ ラー 、 排 煙 機 器 蒸気機 関等 、船 舶用機 器の 製 造 ・組 立 て iii 鍛造 632.06 1,405.50 {160) 117 2,751.32 (350) x20 3,090.40 (360) S7 8,780.43 (386) i・i 鋳造 場 帆布 、 敷地面積 ㎡ 54 2,683.93 Cleo) iii ロー プ 帆 布 、 ロー プ そ の他 の 船 舶 用 索 具 の製 造 40 1,718.65 (70) エ=場 小鍛造 工 船舶用小型鉄部 品の鍛造 i・i 船 舶 用 の経 緯 儀 、 羅 針 盤 、 248.18 場 精密計 器 工場 144国 iii 望遠 鏡 等 の製 造 際 経 営 論 集No.312006 66.92 造 船 ifs 作業場 長 さ90.5mの 石 製 船 台1基 、 長 さ84.1mの 木 製 船 台1基 、 40ト ン ク レ ー ン1基 150 14,537.38 {1,300) を設 置 し て い る。 木 造 船 、 鉄 船 、 鉄 甲船 を 建 造 し 、 排 水 量5,00 0トン級 の 船 舶 も 建 造 可能 で あ る。 原材料 iii 42 銅 、 鉄 、 木 材 、 石 炭 、 各 種 管理セ 部 品 の在 庫 管理 。 大 規 模 な ン ター 貯 木 場 及 び 敷 地 面 積1,405. 5,322.32 (60) 4㎡ の貯 炭 場 を有 す る。 大 砲 保管庫 鉄 2 軍 艦 用 大砲 、砲 弾 、 魚 雷 等 191.48 を 管 理 す る。 製 1871 長 さ98mの 鉄 製 1,608.04 ド ッ ク 。40 馬 力 の 注排 水 用 蒸 気 機 関1 ド ック 基 を 設 置 。1,000ト ン級 以 上 の船 舶 の修 理 が可 能 で あ る。 (注)総 人 員 欄 の()内 は 、 最 盛 期 の 人 員 で あ る。 (2)造 船 事 業 の 発 展 期(1874年 ∼1895年)[図8∼ 図11] ① 継 続 され る造 船 事 業 左 宗 業 が 福 州 船 政 局 創 設 時 に 提 唱 した 蒸 気 船 建 造5ヵ 年 計 画 を 、左 宗 巣 を 引 き継 い だ 沈 藻 槙 は 着 実 に 推 進 した 。 そ の 結 果 、 福 州 船 政 局 は1868年 まで に 設 計 ・建 造 ・進 水 と い う過 程 を シ ス テ ム 的 に 遂 行 で き る体 制 が 整 備 され 、 当 時 東 洋 最 大 規 模 の 造 船 企 業 と な っ た 。 翌 年 の1869年 トン の 「万 年 清 」 号 を建 造 し 、 以 後 毎 年2∼3隻 建 造 した11隻 の 蒸 気 船 は す べ て 排 水 量500ト 量1,200ト に は 早 く も排 水X1,370 の 蒸 気 船 を建 造 して い った 。 ン を 超 え て お り、 う ち6隻 は 排 水 ン を超 え る もの で あ っ た。 1874年7月 、 沈 藻 槙 は 、 「福 州 船 政 局 の 造 船 基 盤iは 一 定 程 度 整 い 、 そ の 運 洋務 運動 時期 における中国近 代技術 産 業の導入 と発 展の研 究(三)145 営 も比 較 的順 調 で あ ります が 、 さ らな る充 実 が必 要 で あ る と思 量 す る もの で あ ります 。 す な わ ち 、 大 型 蒸 気 機 関 の導 入 や 技 術 革 新 、 そ して 技 師 、労 働 者 た ち には設 計 ・建 造 ・管理 な ど様 々 な 面 で 更 な る向上 が求 め られ てお ります 。 ま た有 事 の 際 、 最 新 鋭 の 軍 艦 を 西 洋 か ら購 入 で き る か ど うか は大 い に疑 問 の 存 す る と こ ろで あ り、海 防 上 の観 点 か ら も早 急 に 最 新 鋭 の 大 型 軍 艦 が必 要 で あ る と思 量 す る も の で あ ります 。 これ らの こ と を ご勘 案 の 上 、 福 州 船 政 局 の 造 船 事 業 の推 進 に ご高配 賜 りた い。」 と上 奏 して お り9)、また 別 の上 奏 文 で は 、 「造 船 事 業 を継 続 す る こ とは 困難 で は あ りま す が 、 事 業 を持 続 的 に推 進 す る こ とに よ って の み 、 これ ま で の 人 的 、物 的 、 ま た 技 術 面 で の 成 果 を活 かす こ とが で き るの で あ りま す 。 さ らに 、 わ が 国 にお け る 造 船 事 業 が 停 滞 す れ ば "鵠 巣鳩 居"(カ サ サ ギ の 巣 をハ トが 奪 う 。)を もた ら し、 西 欧 列 強 が そ の歴 史 的野 望 を遂 げ る 日の到 来 も間近 か に な る とい うこ とを述 べ ざ る を得 ませ ん。 蒸 気 船 建 造 の 生 産 体 制 は軌 道 に乗 っ て お り、 これ ま で通 り毎 年 最 低2隻 の蒸 気 船 を建 造 して い く うえ で なん らの 問題 も あ りませ ん 。」 と述 べ て い る。 こ う した沈 藻 槙 の 造 船 事 業 を継 続 す べ きで あ る との粘 り強 い説 得 が 功 を奏 して 、 福 州 船 政 局 は造 船 事 業 の継 続 が 可 能 とな っ た。 沈 藻 禎 は 朝 廷 か らそ の先 見 性 や 強 い責 任 感 に よ り厚 い信 頼 を寄 せ られ る福 州 船 政 局 の 最 高 責 任 者 で あ る ば か りで な く、 局 の 将 来 を展 望 して 自 ら積 極 的 に事 業 展 開 を図 る 「 改 革 者 」 で もあ っ た。 沈 藻 槙 は 造 船 事 業 を継 続 してい く た め に は最 新 の 造 船 技 術 の 研 究 に 全 力 で取 り組 む必 要 が あ る こ とを 明確 に認 識 して い た。 そ こで彼 は将 来 を展 望 した指 示 書 を局 の ス タ ッフ た ち に示 した。 第 一 は、 留 学 生 派 遣 で あ る。 沈 藻 槙 は 、局 内 の 中 国 人 技 師 、 労働 者 た ちは す で に一 定 レベ ル の 技 術 水 準 に達 して い る こ とを認 め て い た が 、 現 状 のま ま で は新 しい 技 術 の 開発 や 世 界 水 準 の船 舶 建 造 は 困難 で あ る と考 えた の で 、 船政 学 堂 の学 生 た ち をイ ギ リス や フ ラ ン ス に派 遣 して 、 最 新 の 造 船 ・操 船 技術 、 及 び最 新 の海 戦 理 論 を学 ばせ る こ と と した。 第 二 は 、 人材 登 用 で あ る。 船 政 学 堂 の優 秀 な学 生 を学 堂 の教 師 に抜 擢 して 、 天 文 、地 理 、 数 学 な どを教 え さ 146国 際経営論集No.312006 せ る こ と と した 。 す なわ ち沈 藻 禎 は 中国 人 の技 術 分 野 の 人材 を養 成 して 重 要 な地 位 に就 け よ うと した の で あ る。 第 三 は 、新 式 設 備 の増 設 と新 式 蒸 気 船 の 建 造 で あ る。 沈 藻 槙 は 、 「 今 早 急 に購 入 した い の は 、掘 削 機 、 鉄 製 竜 骨 そ し て新 式 蒸 気 機 関 で あ る。 竜 骨 に使 用 され る木 材 は 中 国 国 内 に は無 く、 タイ や ミャ ンマ ー な どか ら輸 入 して い るが最 近 は そ の 輸 入 も困難 とな り、西 洋 製 の 鉄 製 の 竜骨 が 使 用 され て い る。 本 局 にお い て も15隻 目ま で は木 製 竜 骨 を使 用 して い た が 、16隻 目か らは鉄 製 竜 骨 を使 用 して い る。 西 洋 にお い て は最 新 の 軍 艦 用 横 式蒸 気 機 関 が 開 発 され て い るが 、横 式 の 利 点 は 敵 の 攻 撃 を受 け難 い とい うこ とで あ る。 ま た 最 新 の 直 立 式 蒸 気 機 関 は商 船 に装 備 され て い る が 、 そ の理 由 は 船 上 に 占 め る面 積 が少 な く、 そ の分 乗 客 や 貨 物 を よ り多 く搭 載 で き る利 点 が あ る とい うこ とで あ る。 これ らの蒸 気機 関 は省 エ ネ 型 で あ る と と も に使 用 が容 易 で あ る とい う利 点 を備 え て い る。」 と述 べ て い る。 こ う した 沈 藻 槙 の姿 勢 は福 州 船 政 局 の 絶 え ざ る造船 技 術 の進 歩 に大 き く貢 献 して お り、 福 州 船 政 局 は沈 藻 禎 の 離 任 後 に木 造 と鉄 製 の蒸 気 船 が建 造 され る新 しい 段 階 を迎 え る こ と とな る が、 そ こに は沈 藻 槙 が 重視 した新 技 術 思 想 との密 接 な 関 連 を窺 うこ とが で き る。 1875年10月29日 、 沈 藻 槙 は 船 政 大 臣 の 職 を離 れ 新 任 地 で あ る上 海 に赴 任 し た が 、 離 任 前 に 後任 の丁 日昌 との 話 し合 い が お こな わ れ 、 福 州 船 政 局 の事 業 推 進 と将 来 構 想 が決 定 され た 。11月5日 、 着 任 した 丁 日昌 は た だ ち に2つ の 主 要 な改 革 案 を提 示 した。 ひ とつ は局 内 の 専 門家 に よ る西 洋 諸 国 視 察 及 び 留 学 生 派 遣 で あ り、 も うひ とつ は大 量 の石 炭 を採 掘 で き る近 代 式 炭 鉱 の 開設 及 び 大型 製 鉄 会 社 の設 立 で あ る。 丁 日昌 は 、 「わ が 国 は これ ま で 西 洋 の産 業 技 術 の導 入 を図 っ て き て い る と ころ で あ ります が 、 彼 我 の 間 に大 き な 格 差 が存 す る の は厳 然 た る事 実 で あ り、 緊 急 か つ 長 期 にわ た る産 業 技 術 の導 入 が求 め られ て い る と こ ろで あ ります 。 現 在 の機 器 類 は約10年 前 に導 入 され た も の で あ り、 従 事 す る技 師 、 労働 者 た ちの 技 術 や 知 識 も陳腐 化 して きて お り、技 術 革 新 さえ 困難 で あ り、 ま して新 式機 械 の発 明 製 作 は 強 い願 望 を有 しな が らも 洋務運動時期における中国近代技術産業の導入と発展の研究(三)147 実 現 で き な い の が 現 状 で あ ります 。 西 洋 の 蒸 気 船 に は10年 前 よ り既 に 、少 な い石 炭 で 速 度 の 出 る"カ ンパ ン式 蒸 気 機 関"が 装 備 され て い る と こ ろで あ りま す が10)、わ が 国 の 江 南製 造T+局 と福 州 船 政 局 にお い て は 旧式 の蒸 気 機 関 を使 用 して い る の が現 状 で あ りま す。 これ は 、 わ が 国 と西 洋 諸 国 との技 術 革 新 へ の取 組 み あ る い は最 新 設 備 導入 に関 す る 姿勢 の 相 違 に 起 因 す る もの と思 量 す る もの で あ ります が 、 財 源 の 面 で は半 分 以 上 不 足 し、 ま た 技 術 面 にお い て も 西 洋 技 術 者 の 水 準 に 至 らな い者 が 半 分 以 上 も存 在 して い る現 状 に あ ります 。」 と上 奏 して い るli)。この よ うに 丁 日昌 は 局 内 ス タ ッ フ及 び 船 政 学 堂 学 生 の技 術 視 察 や 留 学 を強 く主 張 した。 丁 日昌 は 中 国 が 自立 す るた め に は 、近 代 式 炭 鉱 の 開設 及 び 大 型 製 鉄 会 社 の設 立 が 不 可 欠 で あ る こ とを認 識 して いた の で あ る。 さ らに彼 は 同 じ上 奏 文 中 で 、 「と りわ けわ が 国 に お い て は 、新 た に開 設 す る炭 鉱 及 び製 鉄 会 社 の い ず れ もが 水 運 に便 の 良 い 場 所 に設 置 され な けれ ば な らず 、 こ うして こそ長 期 かつ 安 定 的 な原 材 料 の 供 給 の も と、 良好 な生 産 循 環 環 境 の確 立 が 図 られ る も の と思 量 す る もの で あ ります 。 炭 鉱 の開 設 、製 鉄 会 社 の 設 置 を急 が ず 、 わ が 国 の原 材 料 の 自立 が 図 られ な い うち に、 仮 に西 欧 列 強 が石 炭 や 鉄 鋼 の 供 給 を拒 否 した 場合 に は 、 た とえ ば蒸 気 船 の 運航 は不 可 能 に な る な どの事 態 招 来 が懸 念 され る と こ ろで あ り、 そ の際 現 有原 材 料 に よ る 当 面 の 対 応 は 可 能 で は あ るが 、 そ の後 の長 期 に わ た る適 切 な対 応 は極 め て 困難 で あ ります 。 灯 油 が 無 けれ ば 明 か りは 灯 りませ ん し、 根 が無 けれ ば葉 は 茂 らな い の で あ ります 。」 と述 べ て い る12)。この こ とか ら も窺 え る よ うに 、 丁 日昌た ち洋 務 派 官 僚 は 近 代 産 業 技術 発 展 の た め に は 、原 材 料 と燃 料 を生 産 す る体 制 を構 築 す る こ とが 先 決 で あ る とい うこ とを 、江 南 製 造 総 局 と福 州船 政 局 にお け る10年 問 の 実 践 経 験 の 中 でつ い に認 識 す る に至 っ た の で あ る。 そ して そ れ は多 くの 国 立 技 術 企 業 の成 長 発 展 に寄 与 した だ け で な く、本 格 的 な 民 間技 術 企 業 の誕 生 と発 展 に も大 き く寄 与 した とい うこ とが で き よ う。 ②鉄製竜 骨製造工場 の新設 上 述 の 通 り、 福 州 船 政 局 に お い て は 、1874年 に進 水 した15隻 目の 「 大雅」 148国 際経営論集No.312006 号 ま で は木 製 の竜 骨 を使 用 して お り、 竜 骨 に使 用 す る木 材 は 中 国 国 内 に は 無 くす べ て輸 入 に頼 っ て い た が 、原 産 国 に お け る産 出減 に 伴 い そ の輸 入 が 困 難 に な り、 西洋 諸 国 と同 様 に鉄 製 の 竜 骨 へ の転 換 を余 儀 な く され た。 そ して こ の こ とが 客観 的 に は 世 界 水 準 の 造船 技 術 革 新 を もた ら し、 福 州 船 政 局 は 大型 蒸 気 船 建 造 へ 向 か う新 しい 飛 躍 の 時 期 を迎 え る こ と とな る。 1875年12月8日 、鉄 製 竜骨 製 造 工 場 の建 設 が 始 ま り、 翌 年7月 に は 竣 工 し た。1878年 、福 州 船 政 局 は鉄 製 竜 骨 船 建 造 用 の鉄 板 製 造 をお こな うた め既 存 設 備 の 革 新 的 更 新 を 図 り、 鉄 板 圧 延 機iの増 設 もお こな い 、 幅 約70cmの 鉄板 製 造 を 可能 に した。 この よ うに して 、 将 来 の鉄 製 蒸 気 船 建 造 の た め の基 礎 が i整え られ た 。 『船 政 』 は 、 「改 造 に よ り、 鉄 板2,500枚 以 上 の製 造 が 可 能 とな り、 そ の鉄 板 は鉄 製 竜骨 船 の船 底 部 に使 用 され た。 そ の船 底 部 は極 めて 堅 牢 で あ り、 そ の 品 質 は西 欧 諸 国 と肩 を 並べ る こ とが で き る水 準 で あ った 。 以 降 、 鉄 製 竜 骨 船 の建 造 に 要す る鉄 板 はす べ て 国 内製 造 が 可 能 とな り、西 欧 諸 国 か らの 輸 入 が 不 要 とな っ た 。」、 「1879年 、 鉄 製 竜 骨 の ほ か に 幅 約140cmの 鉄板 製 造 も可 能 に な っ た 。」、 「中 国 人 技 師及 び 労働 者 た ち は 鉄 製 竜 骨 、 鉄 板 の ほ か 、銅 板 、銅 筋 な どを 自国 製 造 す る こ とが 可能 で あ り、 また そ の製 品 の 品 質 も極 め て優 れ て い る。」 と記 して い る13)。ま た 福 州 船 政 局 長 張 夢 元 は そ の 在 任 期 間 中の1883年 に 、設 備 増 強 の ほ か 、各 種 の 工作 機 械 を増 設 して い る。 ③ 福 州 船 政 局 の 中 国 人 技 師 に よ る近 代 蒸 気 船 の 自国 建 造 開 始 a.「 芸 新 」 号 の建 造 福 州 船 政 局 学 堂 の 創 設 時 、 福 州 税 関 長 メ ー リ ドン(中 国名 美 理 登)は 、 「 学 生 た ち を養 成 す るに は数10年 の年 月 が 必 要 で あ る。 外 国語 を ま っ た く知 らない 学 生 た ち を5年 間 で 、機 器 を製 造 しあ る い は蒸 気 船 を操 船 で き る段 階 に ま で養 成 す る こ とは不 可 能 で あ り、 そ の 間 に 要す る膨 大 な 経 費 は す べ て無 駄 に な って しま う。」 と述 べ て い る。 しか しな が ら、 事 実 は メー リ ドン の 断 言 とはま っ た く異 な り、 お雇 い外 国人 技 師 た ち が帰 国 して1年 余 りの 後 に は、 船 政 局 学 堂 の 学 生 た ち は 自 らの 設 計 に よ る軍 艦 「 芸 新 」 号 を建 造 して い る。 洋務運動時期における中国近代技術産業の導入と発展の研究(三)149 お 雇 い外 国 人 技 師 が 帰 国 して2年 後 の1875年 、 船 政 局 製 造 学 堂 の学 生 で あ る 呉徳 章 、 羅i榛禄 、 遊 学 詩 、 江喬 年 た ち は 、50馬 力 の蒸 気 船 の設 計 図 を船 政 局 に提 出 して 、試 作 申請 をお こな って い る。1875年6月4日 翌年3月28日 、竜 骨 が 固定 され 、 に は 進 水 し、 わ ず か9カ 月 余 で 完 成 して い る。 こ の船 の蒸 気 機 関 は 江 喬 年 が設 計 し、 船 体 は 呉徳 章 、 羅 揉 禄 、 遊 学 詩 の3人 て い る。 「 芸 新 」 号 は 、木 造 で 、長 さ38.Om、 45ト ン、 速 度9ノ ッ ト、仕 事 率149Kw、 幅5.4m、 が共 同で 設 計 し 喫水2.56m、 排 水 量2 建 造 費5.1万 両 、 乗 員45名 で 、 大 砲3 門 を装 備 して い る。 呉 徳 章 は 、1867年11月 に製 造 学 堂 に入 学 し、 わず か8年 の学 習 と研 究 に よ り近代 蒸気 船 を設 計 ・建 造 で き る レベル に ま で 達 して い る。 この こ とは製 造 学 堂 の人 材 育 成 の成 功 とフ ラ ン ス人 技 師 団 が い な くて も蒸 気 船 の建 造 が 可能 で あ る こ とを証 明 す る もの で あ る。 福 州 船 政 局 は1874年 ま で に17隻 の蒸 気 軍艦 、 商 船 を建 造 して い る。1874年 の 「 海 鏡 」 号 に始 ま る建 造 は確 か に 中 国人 技 師 及 び 労働 者 た ち に よ る も ので は あ るが 西 欧 船 の模 造 で あ り、 呉徳 章 た ち の蒸 気 船 建 造 が 西 欧 の模 造 で ない 中 国人 の独 創 に よ る初 の 近 代 蒸 気 船 建 造 とな る。 沈 藻 槙 は この こ とを"実 華 発 創 之始"(中 1876年6月 国 人 の独 自創 造 に よ る史 上 初 の蒸 気 船 建 造)と 中 評 してい る。 、涯 喬 年 と呉 徳 章 が乗 船 す る 「 芸 新 」 号 は試 験 航 行 で 外 洋(東 海) に出 た が 、船 体 は堅 牢 で あ り、 蒸 気 機 関 もす べ て順 調 に作 動 した。 この 「 芸 新 」 号 の成 功 に よ り福 州 船 政 局 は 、 中 国 人 技 師 に よ る近 代 蒸 気 船 の 全 面 的 な 自国 製 造 時期 に入 る こ と とな る。 b.鉄 製竜 骨船の模造 1875年 か ら1895年 の問 は 、福 州 船 政 局 の 技 師 、 労働 者 が 自立 して 蒸 気 船 の 建 造 に取 り組 ん だ 時期 で あ る。 この 時 期 は世 界 の 造 船 工 業 が 急 速 に発 展 し、 船 政 局 の 造 船 技 術 水 準 が持 続 的 に 向 上 す る な か で 技 術 発 展 及 び 船舶 建 造 が 最 も高 ま りを見 せ た 時 期 で も あ る。 1876年 、 福 州 船 政 局 にお い て は 、 船 体 は 鉄 材 と木 材 、 蒸 気機 関 は カ ンパ ン 式 を使 用 す る新 段 階 に入 り造 船 技 術 は 著 し く進 歩 した。 この 時期 、船 政 局 に 150国 際経営論集No.312006 お い て 建 造 さ れ た 鉄 製 竜 骨 船 は 、1860年 鉄 木 構 造 船 の 模 造 で あ る。1860年 鉄 木 構 造 船 で 、 排 水 量9,680ト さ は約13cmで あ る。 ま た1876年 代 の 西 洋 に お い て 盛 ん に 建 造 され た に 進 水 した イ ギ リス の ン 、5,472馬 力 、 速 度13.6ノ に進 水 した 「ウ ォ リア ー 」 号 は ッ トで 、 鉄 甲 の 厚 「ウペ イ ア ル 」 号 は そ の 当 時 も 依 然 と して 鉄 木 構 造 で あ る 。 こ の こ と か ら も 分 る よ う に船 政 局 に お い て 建 造 さ れ た 鉄 製 竜 骨 船(鉄 建 造 され た 第1隻 木 構造)は 時 代 遅 れ の 旧式 船 で は ない 。 船 政 局 にお い て 目 の 鉄 製 竜 骨 船 は 、1877年 に進 水 した 「 威 遠 」 号 で あ る。 こ の 船 の 竜 骨 は フ ラ ン ス に 発 注 し、 竜 骨 の 納 入 に 際 して は 、 発 注 先 の フ ラ ン ス 人 技 師3名 が 来 局 して 組 み 立 て を 指 導 す る と と も に 、 船 政 局 の 技 師 、 労 働 者 に 対 し て 最 新 の 造 船 関 係 技 術 を 指 導 し、 成 果 を 挙 げ て1年 後 帰 国 し た 。 こ の3名 の フ ラ ン ス 人 技 師 に よ る 最 新 の 技 術 指 導 が 、 そ れ 以 降 の 船 政 局 の 船 舶 自国 建 造 へ 向 け て の 技 術 向 上 に 大 い に 貢 献 して い る こ と を こ こ で 指 摘 して お きた い 。 1876年 か ら1880年 の 間 に、福 州 船 政 局 が 建 造 した鉄 製 竜 骨 船 に は 、 「 威 遠 」、 「超 武 」、 「 康 済 」、 「澄 慶 」 号 な ど が あ る 。 「澄 慶 」 号 は 商 船 と して 建 造 さ れ た が 、 船 政 局 で 製 造 され た 竜 骨 、 蒸 気 機 関 の ボ イ ラ ー な ど を 使 用 して い るlh)。 また 「康 済 」 号(直 喫 水4.50m、 造 費21.1万 立 式 カ ン パ ン 式 蒸 気 機 関 装 備 、 長 さ69.4m、 排 水 量68ト 両)は ン 、 速 度12ノ 、1878年7月12日 ッ ト、 仕 事 率559Kw、 に 起 工 し、 翌 年7月20日 こ の 船 は 軍 艦 か ら商 船 に 改 造 され て 上 海 招 商 局(海 幅10.Om、 大 砲6門 装 備 、 建 に進 水 して い る。 運 会 社)に 引 き 渡 され る 予 定 で あ っ た が 、 招 商 局 の 唐 廷 枢 か らの 異 議 に よ り再 度 改 造 され た 。 改 造 後 船 政 局 の フ ラ ン ス 人 技 師 フ ォ シ ダ オ が 試 験 航 行 を お こ な い 、 適 切 で あ る と評 価 した 。 こ の 船 は 上 海 一 香 港 間 の 商 船 と し て 就 航 して い る 。 c.巡 洋艦 の 建 造 1880年 代 初 期 、福 州 船 政 局 は 船舶 建 造 の新 しい段 階 に入 り、 巡 洋 艦(初 巡 洋 艦)の 建 造 を 開始 した 。 イ ギ リス は1870年 代 初 期 に第1隻 期 目の木 造 の 巡 洋務運動時期における中国近代技術産業の導入 と発展の研 究(三)151 洋艦 「イ ン ク ス タ ン 」 号 を建 造 して い る 。1875年 使 用 した 巡 洋 艦 に 第1隻 に な っ て 初 め て鉄 製 竜 骨 を 「ラ パ イ ア ル 」 号 の 建 造 に 着 手 した 。 ま た フ ラ ン ス は1876年 目の巡 洋 艦 「ク オ ン 」 号(7,460.,,,力)を 建 造 し て い る15)。こ の よ う に福 州 船 政 局 が巡 洋 艦 の建 造 に 向 け て歩 み 始 め た 時期 は 、 世 界 的趨 勢 の 騨 尾 に ふ す も の と い え よ う。 1876年9月 、 李 鴻 章 は 船 政 大 臣 呉iに 対 し て 、 「福 州 船 政 局 は 西 洋 鉄 甲 船 を購 入 す る前 に 計 画 的 に 巡 洋 艦 の 建 造 を 進 め る こ と と し、 ま ず は 巡 洋 艦 を 4隻 建 造 して 、 将 来 の 鉄 甲 船 購 入 に備 え る べ き で あ る。」 と指 示 す る と と も に 、 ジ ケ ー ル に 対 して 、 フ ラ ン ス の 地 中海 造 船 所 か ら巡 洋 艦 の 設 計 図 を 購 入 す る よ う命 じ た 。 そ の 巡 洋 艦 は 、 長 さ84m、 ン 、 速 度15.5ノ ッ トで 、 大 砲10門 幅11m、2,400馬 力 、 排 水 量2,152ト を装 備 し、 そ の鋭 い 船 首 は敵 船 を突 き破 り 沈 没 させ る こ と が で き る 。 欧 州 留 学 か ら帰 国 した 陳 兆1及 び 魏 潮 は 福 州 船 政 局 に 対 し て 、 巡 洋 艦1隻 を 建 造 す る の に は40万 両 の 経 費 を 要 す る と積 算 し、 あ ら か じ め20万 両 の 準 備 費 用 が 必 要 で あ る と報 告 した 。5、6年 日、 中 国 が 自 国 建 造 す る 第1隻 を か け て の 準 備 の 後 、1881年11月9 目の 巡 洋 艦 「開 済 」 号 の 建 造 が 開 始 され た 。 こ の 船 は 、 留 学 生 揚 廉 臣 、 李 寿 田 、 魏 潮 な ど に よ っ て 設 計 か ら建 造 ま で す べ て お こ な わ れ 、1883年1月11日 、 わ ず か1年 こ の 船 は 、 長 さ87m、 排 水 量2,200ト 幅12m、 余 りで 進 水 に こ ぎ つ け て い る。 ン で 、2,400馬 力 の 横 式 カ ンパ ン 式 蒸 気 機 関 を 装 備 し て い る。 『洋 務 運 動 』 に は 、 「李 寿 田 、 揚 廉 臣 な ど が 、 西 洋 の 最 新 情 報 と技 術 に 基 づ い て 建 造 し た 「開 済 」 号 の 技 術 は 最 新 鋭 で 、 過 去 に 建 造 され た い か な る 船 舶 も 到 底 及 ば な い 。」 と記 さ れ て い る 。 確 か に 「芸 新 」 号 を 除 き 、 こ れ ま で の 軍 艦 は す べ て 外 国 人 技 師 、 技 術 労 働 者 の 監 督 指 導 の 下 に 建 造 され た も の で あ る が 、 こ の 「開 済 」 号 は 福 州 船 政 局 の 技 師 、 労 働 者 が 主 体 とな っ て 建 造 に 成 功 した もの で 、 中 国 人 技 術 者 の 創 造 能 力 を 証 明 す る も の で あ る 。 こ こ で 指 摘 し な け れ ば な ら な い こ と は 、 「開 済 」 号 の 建 造 過 程 で 船 政 局 が 逐 次 外 国 産 原 材 料 へ の 依 存 度 を 減 少 させ て い っ た こ と で あ 152国 際経 営論集No.312006 る[図12]。 「開 済 」 号 の 建 造 に 成 功 して か ら南 北 洋 艦 隊 が 重 視 され る よ う に な っ た 。 1882年9月11日 、 両江 総 督 左 宗 業 は 張 樹 声 、 彰 玉 」 麟 な ど と海 防 に つ い て 論 議 し、 大 型 の 蒸 気 軍 艦 と5隻 臣 も福 州 船 政 局 に2隻 の 高 速 軍 艦 の 建 造 を 進 め る よ う上 奏 した 。 北 洋 大 の 高 速 軍 艦 を 建 造 す る よ う要 求 した 。 こ の7隻 の建 造 の た め 船 政 大 臣 は 外 国 か ら原 材 料 を 購 入 す る と と も に 、 船 政 局 の 工 場 を 拡 張 と設 備 の 増 設 を 計 画 し た 。 併 せ て 技 師 、 労 働 者 の 募 集 を お こ な っ た 。 こ の よ う に して 多 く の 蒸 気 機 関 の 製 造 が 可 能 とな り、 ま た2隻 可 能 と な っ た 。 時 を 同 じ く して 、 喫 水 約6mの 計 画 され た 。1883年 の船舶 の同時建造 も 大 型 石 造 ドッ ク1基 の建 設 も 、 高 速 軍 艦 の 設 計 棟 の 新 築 、 船 台 の 増 設 、 各 種 機 器i類 の 増 設 を お こ な っ た 。1884年1月4日 号 の 建 造 が 始 ま り、 同 月12日 され た 。 ま た 鉄 製 竜 骨 船 の5隻 、 南 洋 艦 隊 の2隻 に は3隻 目の 高 速 軍 艦 目の 高 速 軍 艦 「 鏡 清」 「簑 泰 」 号 に 竜 骨 が 設 置 目 の 建 造 過 程 も 半 ば に 達 して い た 。1885年2 月 に は 再 度 技 師 、 労 働 者 を 募 集 す る な ど各 事 業 は 順 調 に 進 展 し 、 福 州 船 政 局 は 未 曾 有 の 盛 況 を 来 た し、24時 間 操 業 を 実 施 す る と い う状 況 と な っ た 。 清 仏 戦 争 の 影 響 に よ り上 述 の2隻 年7月 、 及 び1887年7.月 目及 び3隻 目の 高 速 軍 艦 の 竣 工 は そ れ ぞ れ1886 と遅 延 を 余 儀 な く され た 。 「鏡 清 」 号 は 起 工 か ら進 水 、 試 験 航 行 ま で 約2年 半 を 要 し た 。 こ の 船 は 長 さ85.4m、 10m、 3本 排 水 量2,200ト ン 、 速 度15ノ ッ ト、 仕 事 率1,788Kw、 幅11.5m、 建 造 費36.6万 の シ リ ン ダ ー を 有 す る横 式 カ ン パ ン 式 蒸 気 機 関 と大 砲10門 た 。 「裏 泰 」 号 は1887年8月30日 速15.5ノ 喫 水S. 両で 、 を装備 して い 、馬祖 島沖合 いで試験 航行 をお こない 、時 ッ トを 記 録 し た 。 「開 済 」、 「 鏡 清」及び 「簑 泰 」 号 は い ず れ も福 州 船 政 局 が 養 成 し た 中 国 初 の 造 船 専 門 家 魏 潮 、 李 寿 田 、 陳 兆,.i-、鄭 清 廉 、 呉 徳 章 、 揚 廉 臣 に よ っ て 建 造 され た 。 d.鉄 甲軍 艦 の建 造 沈 藻 禎 は 夙 に 鉄 甲 軍 艦 の 建 造 を 建 議 して い た が 、 清 仏 戦 争 の 結 果 は 彼 の 遠 洋務 運動 時期 にお ける中国近代 技術 産業 の導入と発 展の研 究(三)153 見 卓 識 を証 す る もの で あ っ た。.… 年 、斐 蔭森 は鉄 甲軍 艦 の建 造 を正 式 に 上 奏 した。 そ の 時点 に お い て は 、福 州 船 政 局 の技 術 力 は さ らに強 化 され てお り、 魏 潮 、鄭 清 廉 、 陳 兆,.た ち第1期 欧州 留 学 生 が 建 造 の 主 力 とな っ て い た。 さ らに彼 らの愛 国 の 情 熱 も極 めて 熱 い もの が あ った 。 彼 らは 自己 の名 利 を求 め る気 持 ち は ま っ た く無 く、 ふ た た び清 仏 戦 争 の 轍 を踏 ま な い よ うに との 強 い 決 意 の も と軍 艦 の 建 造 に 取 り組 ん で い た。 斐 蔭 森 の建 議 は 裁 可 され 、 直 ち に福 州 船 政 局 の 技 術 グル ー プ の組 織 変 更 が お こな わ れ た。 魏 渤 、 鄭 清 廉 及 び 呉徳 章 は船 本 体 の 建 造 監 督 者 に任 命 され 、 陳 兆,.i、李 寿 田及 び 揚 廉 臣 は蒸 気 機 関 の製 造 監 督 者 に任 命 され た。 船 体 の設 計 につ い て は 、1885年 当時 フ ラ ン ス が所 有 す る2基 甲軍 艦 の蒸 気機 関 を装 備 した鉄 「 カ シ ダ」、 「シデ ィ ク シ」 及 び 「フ ェイ リー ザ タ ン」 号 を模 倣 した。 1886年 、魏 潮 は外 国 か ら鋼 板 、 蒸 気機 関 な どを次 々 と購i入 した。 同年12月7 日、 竜 骨 の組 み 立 て に着 手 し、1888年1月29日 「 龍 威 」 号 と命 名 され た[図13]。 竜骨 は竣 工 した 。 この軍 艦 は さ らに 以 降 の 鉄 甲軍 艦 建 造 需 要 に応 ず る た め、 当時 中 国 最 大 の石 造 ドッ ク建 設 に着 手 した。1887年11月 、福州船政局 の 青洲 羅 星 塔 に お い て着 工 され1893年 に竣 工 した。 この ドック は長 さ128m、 幅33.5m、 深 さ9.3mで 、 馬 江 に 臨 ん で い る。 この 大 型 ドッ ク が建 設 され る 以 前 は 、 北洋 艦 隊 の最 大 の 鉄 甲軍艦 は毎 年 香 港 に あ る外 国 系 の 造 修 船 会 社 の ドック に送 られ て い た が 、 完 成 以 降 は この青 洲 ドッ ク にお い て 北 洋艦 隊 のす べ て の艦 船 の 受 け入 れ が 完 全 に 可能 とな っ た 。 さ ら に 中 国船 以外 に も、 外 国 の 軍 艦 や 商船 の 修 理 も可 能 に な り、 例 え ば 、1899年 、 ア メ リカ の 「 シー ノン ダ」 号 は船 底 の修 理 さえ 実施 して い る。 また フ ラ ンス の 軍艦 や 商船 も暴風 雨 に よ る損 傷 修 理 の 恩 恵 に浴 して い る16)、[図14]。 154国 際 経 営 論 集No.312006 表5.福 船 州 船 政 局 の 軍 艦 商 船 建 造 状 況(1874年 名 竣 工年 船 種 ∼1895年)'7)1&)197 幅m 長 さm 喫水m 永 保 号 1874年 木 造 、 商船 66.60 10.20 i・ 海 鏡 号 1874年 木 造 、 商船 66.60 10.20 i・ 探 航 号 1874年 木 造 、 商船 66.60 10.za 4.18 大 雅 号 1874年 木 造 、 商船 66.60 10.20 4.18 元 凱 号 1875年 木 造 、軍 艦 65.zo 10.20 4.16 芸 新 号 1876年 木 造 、軍 艦 38.00 5.40 2.56 登濾洲号 1876年 木 造 、軍 艦 65.40 10.70 4.16 泰 安 号 1876年 木 造 、軍 艦 65.40 io.70 4.16 威 運 号 1877年 鉄 木 構造 、 軍艦 69.40 10.00 4.50 超 武 号 1878年 鉄 木 構造 、 軍艦 69.40 10.00 4.50 康 済 号 1879年 鉄 木 構造 、 商船 69.40 ro.00 4.50 澄 慶 号 1880年 鉄 木 構造 、 商船 69.40 10.00 4.50 開 済 号 1883年 鉄 木 構造 、 高速 船 11.50 5.85 横 海 号 1885年 鉄 木 構 造 、 軍艦 69.40 10.00 4.50 鏡 清 号 1886年 鉄 木構 造 、高 速船 85.00 11.54 5.85 簑 泰 号 1887年 鉄 木構 造 、高 速船 85.00 11.50 5.85 広 甲 号 1887年 鉄 木構造 、高 速 船 72.00 11.20 4.70 平 遠 号 1889年 鉄 甲軍艦 62.50 12.60 4.20 広 庚 号 1889年 鉄 木構造 、魚 雷 艇 46.30 6.10 3.00 広 乙 号 1890年 鉄 甲高速魚雷艇 73.30 8.40 3.90 広 丙 号 1891年 鉄鋼高速魚雷艇 73.30 8.40 3.90 福 清 号 1893年 鉄鋼高速魚雷艇 73.34 8.40 3.90 1! 洋務 運動 時期 にお ける中国近代 技術産 業 の導入 と発 展 の研 究(三)155 ・ 船 名 排水 量 ト ン 速 度 ノット 仕 事 率Kw 建造費 万両 大砲数 門 永 保 号 1,353 10 432 16.7 3 海 鏡 号 1,358 10 432 16.5 6 探 航 号 1,358 10 432 16.4 3 大 雅 号 1,358 10 432 16.2 3 元 凱 号 1,250 10 432 16.2 5 9 149 5.1 3 芸 新 号 245 登瀟洲号 1,258 10 432 16.2 5 泰 安 号 1,258 10 432 16.2 10 威 運 号 1,268 12 559 19.5 7 超 武 号 1,268 12 559 20.0 5 康 済 号 1,268 12 559 21.1 6 澄 慶 号 1,268 12 559 Zo.o 6 開 済 号 Z,Zoo 15 38.6 10 横 海 号 1,230 12 20.0 7 鏡 清 号 2,200 15 1,7S8 36.6 10 簑 泰 号 2,200 15 1,788 36.6 ll 広 甲 号 1,300 14 1,192 22.0 11 平 遠 号 2,100 14 1,788 52.4 8 6.0 4 広 庚 号 316 14 1,788 559 328 広 乙 号 1,030 14 1,788 20.0 9 広 丙 号 1,030 13 1,788 Zo.o 11 福 清 号 1,030 13 1,788 20.0 11 (注)上 表 以 外 に1888年 「龍 威 」 号 が 建 造 され て い る 。 こ の 船 は 中 国 初 の 鋼 製 軍 艦 で あ る 。 魏 潮 が 中 心 と な っ て 監 督 建 造 さ れ た こ の 船 は 、 排 水 量2,100 トン 、2,400馬 156国 力 、 喫 水4,37mで 際経 営論集No.312006 あ る。 表6.福 名 州 船 政 局 の 主 要 工 場 の 状 況(1874年 称 竣工年 船体工場 1876年 ∼1895年) 主要業務 総人員 68 竜骨 、梁 な どの鉄 製 品製 造 敷地面積 ㎡ 7,426.24 (700) 水雷工場 1886年 魚 雷工場 1888年 青洲 ドック 1893年 長 さ128m、 27,234.35 幅33.5m。7,0 00ト ン以 上 の 船 舶 の 建 造 修 繕 が可 能。 (注)総 結 人 員 欄 の()内 は 、 最 盛 期 の 人 員 で あ る。 び 1874年 か ら1895年 の 間 は 、 江 南機i器製 造 総 局 に とっ て は次 の段 階 で あ る国 内外 の 大 型 商 船 ・軍 艦 の 大 量 建 造 へ 向 け て の 技 術 力 の 熟 成 、経 験 蓄 積 の た め の 期 間 で あ っ た とい うこ とが で き よ う2。)zt)zz)。 福 州 船 政 局 に とっ て は輝 か し い 時 代 で あ り、 船 舶 自国建 造 の 先 駆 者 と して 福 州 船 政 局 の名 は 中国 造 船 史 上 に永 く記 録 され るべ き で あ る。 ま た 中 国 最 大 の船 舶 建 造 セ ン ター と して 、 天 =津、 広 東 、 旅 順 な ど中 国 各 地 の 船 舶 建 造 修 理 所 に 与 えた 影 響 も無 視 で き な い23)。 参考 図 [図1]鉄 甲軍 艦(a)、(b) [図2]江 南 機 器 製 造 総 局 錬 鋼 所(a)、 [図3]福 州 船 政 局 周 辺 図(1) [図4]福 州 船 政 局 周 辺 図(2) [図5]福 州 船 政 局 全 図(1873年) [図6]福 州 船 政 局 図(1870年) 軍艦 「保 民 」 号(b) 洋務 運動 時期 にお ける中国近代 技術 産業 の導 入と発展 の研 究(三)157 [図7]福 州 船 政 局 外 国 人 技 師 団 事務 所 [図8]福 州船政 局設計院 〔図9]福 州 船 政 局 鍛 鉄 工場 [図10]福 州 船 政 局蒸 気機 関 工 場(外 観) [図11]福 州 船 政 局蒸 気 機 関 工 場(作 [図12]福 州 船 政 局 建 造 の巡 洋 艦 [図13]福 州 船 政 局 建 造 の鉄 甲軍艦 [図14]福 州 船 政 局 建 設 の青 洲 石 造 ドック [図1](a)鉄 業 場) 「 開済」号 「 平遠」 号 甲 軍 艦(b)鉄 甲軍艦 鴫 ヤ 季 ー , . 葱 価 曝噌島 阜誕↑} 石 舶4 ボ灘仙套 ﹂ 喫拠 壷瞬虞号,↑廿 載` 藍阿 や弼$4{竜 ウ掌 寓零 " 慧 +( 郁量 叛冗畢‡眠` 肇 絃 櫨 新,囲 隙騨 醸 r-04tr+r ,(2:_鱒 1880年 代 上 海 の 『点 石 斎 画 報 』 に 掲 載 翻 卿 鞭 燃 清末 、長江 河 口に停 泊す る西洋鉄 甲軍艦 さ れ た 軍 艦 。 積 載 量10,000ト ン、9,500 馬力 [図2](a)1890年 (b)1885年 江 南 機 器 製 造 総 局 で 建 設 され た 建 造 され た鉄 鋼 軍 艦 「保 民 」 号 江 南 機 器 製 造 総 局 錬 鋼 所 、酵 騨 鉢ゑ 峠 、 ..r 聯 158国 際 経 営 論 集No.312006 一. [図3]福 州船 政 局 周 辺 図(1) 一二 鴛vz… ヘ 鑑\ ノ汝 _・ 、 ザ 一 穐 F \ル \ ぺ \ 囎 ご=脳 β劒嘩… 一 識'備 ⑥禰州 讐 簿漁 厳 灘 二灘 蹟 粥船 口 誌" ㊦禰糞 懸 ㈹ 擁1ZO" [図4]福 州 船 政 局 周 辺 図(2) 噂 蜘 畠驚漁 洋 務運 動時期 における中国近 代技術 産業 の導入 と発 展 の研 究(三)159 [図5]福 [図6]福 160国 際 経 営 論 集N。.312006 州 船 政 局 全 図(1873年) 州 船 政 局 図(1870年) [図7]福 州船 政局外国人技 師団事務所 ,、1二,j 、.∴. [図8]福 州 船 政 局 設 計 院(中 央 の建 物) 竃 撫繭 ぐ ,﹂ 卜靹 ・ 噛 1" 痕蝶 錦 ㌔.,一 サ 嵐 奮 劇 、 、 〆 や 講Rd誕.知 ψ"・ [図9】 ぺ ・ ・ 福 州 船 政 局鍛 鉄 工 場(左 上 の建 物) F 洋務 運動 時期 にお ける中国近代 技術 産業の導入 と発展 の研 究(三)161 [図10]福 州 船 政 局 蒸 気 機 関 工 場(外 観) .郵 憂甥a ft< }ご臥6蓬 嚢 毒 ㌧' 灘 ・ 謬嘱 崔 瓢' ' }党 、 織寄 ご 墾難 鍵 穏 繰 戴 羅 ⋮ 臨 傘 串 [図11]福 溝㍗ 》 ・ぎモ 州 船 政 局 蒸 気 機 関 工 場(作 業 場) 舜 》 Y 匙 .和 ド 斐 葺 畔 曲 馨 噸蟻 な 冨 譜 艸㍗ 礎 向一 阜 騨 麓 ぎ 潜 t+ ザ 悼w脚 "{㍉ 畷 七七唱邑腎 魂 糊 』㌦ 1;黛 伍 響 肺 噸 睡齢 煮 た. い ハレ 醜 礁『繍' 嚢r、 罐 、 . 犠 も { 鐘甕 騨 ・ " 璽麿 誓 錘 夢 華 ・ ー へ 盛 7 憾撮 ヤ﹁㌦ 読聯 蝿 艸,周 騨 寵露 ⋮ 晒 .・ 議 隷 鮮 ー.繍 瞬 蚤 塾再} 亙 い 際 経 営 論 集No,312006 臨 瀦∵ へ . 艦 } へ .諜 ∵ぐ 必 盛 蜘'ぢ3ご 轍. 詞 ・ 堵 遍 , 162国 転 ) 識鷲 ダ ・ t 転 騰 巖 欝懲 重 無 - 驚霧㌔ - ー. η 無 ψ 郭 雛 設も 噸 、 ド ㌻ ︾ 織構 サ 襲 . ・ 魯、孟嘗 擁 無 欝愚 衝婁 昏ー 誉塾 、、 じ 〔 十 職 V ] 2 1 [図 } 1 ( 自 巡 洋艦 「開 済 」 写 、 ㌔ 評♂ v ノ 岬崎補 嚇'■罵 十 、w㍉ 岬"A脇' 幽}一り犠詳"吊 ▼`--▼ 一▼岬一 ヤ'酬 薫∼ ヤ'摺 夢 、'}A即 一 幣'月 ㌔ } 2 ( 国 巡洋艦 「開済 」 写 墨婁 ﹂ ' 、 ﹂ ・'・ 七'、' ㌔' ' N、 r 聴 く ヤド 七 、 外' μ 、 ㌧ て' ( ' 、 押 、 「 福 州 船 政 局 にお い て1883年 建 造 され た 中 国 初 の 鉄 木 構 造 高 速 船 洋務運動時期における中国近代技術産業の導入と発展の研究 日 163 [図13] ゑ轟 鉄 甲 軍 艦 「平 遠 」 号G) / \ \ ノ ノ ノ i¥ 〆f 嗜 ノ F 4 4¥ ,/ 、 、 ノ , 冒う い 肇'養 .嚢 識 ,ド ← 又 … 轟. 一 占 μ 霧 鑑 へ 砥 , 塙 縞 蓼 勢^ 鉄 甲 軍 艦 「平 遠 」 号(2) 鉄 甲 軍艦 「平 遠 」 号(3) 幽襲 福 州 船 政 局 に お い て1889年 164国 際 経営論集No.312006 建 造 され た 鉄 甲 軍 艦 [図14]福 州 船 政 局 青 洲 石 造 ドッ ク 5薯 1893年 福 州 船 政 局 青 洲 羅 星 塔 に 建 設 さ れ た 石 造 の ドッ ク 。 長 さ128m、 幅33.5m、 深 さ9.3m。 注 1)王 志 毅 著 『中 国 近 代 造 船 史』 海 洋 出版 社,1986年 2)田 育誠 稿 初版。 「 清 末 中国 にお け る蒸 気 船 試 作 ・建 造 の研 究 」 日本 科 学 史 学 会 洋務運動時期における中国近代技術産業の導入と発展の研究(三)165 第52回 年 会(札 幌 学 院 大 学),2005年6月 3)呉 汝r+『 4)清 代 5)辛 元 欧著 6)清 代 『沈 文 粛 公 政 書 』 巻 四 、 第37頁 。 7)清 代 『沈 文 粛 公 政 書 』 巻 四 、 第38頁 。 8)清 代 『船 政 』 巻 七 、 第6頁 。 9)清 代 『海 防 梢 』 乙 、 「福 州 造 船 所 」(二)第526頁 10)呉 『海 防 木 当』 乙 、 第325頁 光 緒 三 十 四年 金 陵 版 、 第33頁 ∼34頁 。 。 『中 国 近 代 船 舶 工 業 史 』 第119頁 煕敬 主編 ネ(省 の 李 文 公 全 書 』 「奏 稿9」 。 、 上 海 古 籍≡ 出版 社,1999年 初版 。 。 『中 国 近 現 代 技 術 史 』 「1876年 、 船 政 局 は 外 国 か ら新 式 省 エ 石 炭)「 カ ンパ ン 式 蒸 気 機 関 」(Compoundengine)を 購 入 した。 こ 「カ ンパ ン式 蒸 気 機 関 」 は シ リ ン ダ ー が 二 つ 或 い は 三 つ 装 備 され て い て 、 機 器 効 率 は 高 い 。」 科 学 出 版 社,2000年 版。 11)清 代 『海 防 梢 』 乙 、 「福 州 造 船 所 」(二)第626頁 。 12)清 代 『海 防 梢 』 乙 、 「福 州 造 船 所 」(二)第626頁 ∼627頁 。 13)清 代 『船 政 』 巻 十 六 、 第27頁 。 14)清 代 『船 政 』 巻 十 八 、 第9頁 。 15)清 末許 景澄著 16)清 代 17)沈 伝 経 著 『福 州 船 政 局 』 四 川 人 民 出 版 社,1987年 18)林 慶 元 著 『福 建 船 政 局 史 稿 』 福 建 人 民 出 版 社,1986年 19)席 龍飛 等主編 20)上 海 社 会 科 学 院 経 済 研 究 所 編 著 『江 南 造 船 廠 廠 史 』 江 蘇 人 民 出 版 社, 『外 国 師 船 図 表 』 巻 一 、 第19頁,巻 二 、 第11頁 。 『船 政 奏 議 続 編 』 巻 一 、 『船 政 』 巻 五 十 一 。 初版。 第 一版 。 『中 国 科 学 技 術 史 ・交 通 巻 』 科 学 出 版 社,2004年 。 1983年 初 版 。 21)管 光東 等編著 22)田 育誠稿 『世 界 艦 船 発 展 史 』 国 防 工 業 出 版 社,1999年 「日本 幕 末 、 明 治 初 期 に お け る 蒸 気 船 建 造 の 研 究 」 第 二 十 二 世 界 科 学 史 大 会(北 23)田 166国 育誠稿 。 京 国 際 会 議 セ ン タ ー),2005年7.月 。 「日 中 両 国 に お け る 近 代 蒸 気 船 事 業 導 入 の 比 較 研 究 」 第 十 回 国 際経営論 集No.312006 際 中 国 科 学 史 会 議(恰 爾 浜 工 業 大 学),2004年8月 。 参 考 文 献 1.魏 允恭編 『江 南 製 造 局 記 』 江 南 製 造 局 出 版,光 2.奨 百 川 著 『清 末 の 洋 務 新 政 』 上 海 書 店 出 版 社,2003年 3.鄭 剣順著 4.杜 石 然 他 編 著(川 『清 末 史 研 究 』 岳 麓 書 社,2004年 緒 三 十 一年 。 初版。 初版。 原 秀 城 他 訳)『 中 国 科 学 技 術 史 』 東 京 大 学 出 版 会, 1997年 初 版 。 5.趙 令 揚、漏 錦栄編 『ア ジ ア の 科 学 技 術 と文 明 』 香 港 明 報 出 版 社,1995年 初版 。 6.劉 君燦 『科 学 思 想 、 文 化 』 台 湾 南 華 管 理 学 院 出 版,1999年 7.王 相欽主編 8,王 玉倉著 『科 学 技 術 史 』 中 国 人 民 大 学 出 版 社,2004年 9.路 雨祥 著 『百 年 科 学 技 術 創 新 』 湖 北 教 育 出 版 社,2001年 初版。 『中 国 民 族 工 商 業 発 達 史 』 河 北 人 民 出 版 社,1997年 10.董 増 剛編著 11.沈 毅著 12.胡 縄 武他編 。 第二版。 。 『百 年 中 国 社 会 図 譜 』 四 川 人 民 出 版 社,2003年 『中 国 清 代 科 学 技 術 史 』 人 民 出 版 社,1994年 。 初版。 『中 華 文 明 史 ・清 代 後 期 』(第 十 巻)河 北 教 育 出 版 社,1994 年 初版。 13.徐 新 吾 、 黄 漢 民 主編 『上 海 近 代 工 業 史 』 上 海 社 会 科 学 院 出 版 社,1998年 初版。 14.田 育誠稿 『国 際 経 営 論 集 』 「洋 務 運 動 時 期 に お け る 中 国 近 代 技 術 産 業 の 導 入 と発 展 の 研 究(一)」 15.田 育誠稿 育誠稿 。 『国 際 経 営 論 集 』 「清 末 中 国 に お け る科 学 技 術 専 門 家 李 鳳 苞 と 徐 建 寅 の研 究 」 白桃 書 房 出 版,2005年3月 17.田 育誠 稿 。 『国 際 経 営 論 集 』 「中 国 近 代 技 術 産 業 導 入 と外 国 人 」 白桃 書 房 出 版,2004年11月 16.田 白 桃 書 房 出 版,2002年3月 。 『国 際 経 営 論 集 』 「洋 務 運 動 時 期 に お け る 中 国 近 代 技 術 産 業 の 洋務 運動時期 にお ける中国近代 技術産 業の導入 と発 展 の研 究(三)167 導 入 と発 展 の 研 究(二)」 白 桃 書 房 出 版,2005年11月 18.陳 貞寿著 19.杉 浦 昭 典 著 『蒸 気 船 の 世 紀 』NTT出 20.上 野喜一郎箸 21.寺 谷 武 明 著 『日本 近 代 造 船 史 序 説 』 厳 南 堂 書 店,昭 22.伊 東 俊 太 郎 編 著 『日本 の 科 学 と文 明 』 深 高 社,2000年 23.R.ソ 建 教 育 出 版 社,2002年 版 株 式 会 社,1997年 『船 の 世 界 史 』(上 巻 ・中 巻)舵 ン デ ル ス ゾ ー ン 著 ・常 石 敬 一 訳 書 房,1980年 24.道 『図 説 中 国 海 軍 史 』(上 巻 ・中 巻)福 。 。 初版 。 社,1980年 初版。 和 五 十 四年 初 版 。 。 『科 学 と西 洋 の 世 界 制 覇 』 み す ず 版。 家 達 将 ・赤 木 昭 夫 著 『科 学 技 術 の 歴 史 』 放 送 大 学 教 育 振 興 会,1999年 初版。 25.吉 田 忠 ・李 廷 挙 編 著 店,1998年 26,橋 『日 中 文 化 交 流 史 叢 書 』(8巻 科 学 技 術 巻)大 初版 。 本 南都子 稿 『東 海 大 学 紀 要 ・外 国 語 教 育 セ ン タ ー 』 「19世 紀 後 半 の 日 中 両 国 に お け る西 欧 工 業 技 術 書 の 訳 書 ・訳 語 の 成 立 に つ い て 一 の 技 術 導 入 を 巡 っ て 一 」 東 海 大 学 出 版 会,2000年11月 27.杉 本 助 編 ・鄭 彰 年 訳 28.荻 原晋太郎編 著 168国 修舘書 『日本 科 学 史 』 商 務 印 書 館,1999年 『日本 工 業 技 術 史 』 新 泉 社,1994年 際 経 営 論 集No.312006 。 。 初版。 「 蒸 気 機 関」