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Title 創造行為としての現代パズルの意義( Digest_要約 )

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Title 創造行為としての現代パズルの意義( Digest_要約 )
Title
Author(s)
Citation
Issue Date
創造行為としての現代パズルの意義( Digest_要約 )
東田, 大志
Kyoto University (京都大学)
2016-03-23
URL
https://doi.org/10.14989/doctor.k19805
Right
学位規則第9条第2項により要約公開
Type
Thesis or Dissertation
Textversion
none
Kyoto University
論文要約
論文題目
創造行為としての現代パズルの意義
申請者
東田大志
本論文は現代のパズルについて美学や社会学の視点から分析を試みたものである。従来
のパズル観が示していたのは、作り手の意図通りに受け手を動かそうとする一方通行的な
パズルをよしとする傾向であり、またその傾向はパズルの自律的な世界観を反映するもの
でもあった。しかし、IQ 至上主義の崩壊と自律性のゆらぎが、パズルの世界においても影
響を及ぼしているのではないかと考えられる事例が現代ではいくつも存在している。その
ため本論文では、まずパズルとはどのようなものかを明らかにした上で、従来のパズル界
の規範を破るような作品を紹介し、その存在意義について芸術や教育との関係性に着目し
て分析している。
本論文での「パズル」とは、すべて自力で自明でない答えを推論メカニズムによって導
き出すよう我々に挑戦的に迫ってくる作品のことを言う。
「クイズ」と「パズル」は、字義
通りに文面・画像・物体を解釈するだけで解けるかどうかにより漸進的に区別され、また
「パズル」と「ゲーム」は、受け手が自分だけの力でクリアできるかどうかによって漸進
的に区別される。積み木などの「創造的遊具」は感性的に解を導くのに対して、「パズル」
は論理的に解を導くものである。そして「パズル」では「証明」のように解に至るまでの
論理的な道筋が完全に与えられることはなく、受け手は能動的に解を導き出さなければな
らない。それ以外にも、
「いじわる問題」のように「パズル」のパロディとなっているもの
や、「自然発生的な問題」のように作者の意図が不明だがパズルと家族的類似性を持つため
パズルの範疇に入れられるものがある。ここまでの隣接概念は漸進的にしか区別されない
ものであるが、「本質的パラドックス」は「パズル」のようにどこかで解が決まり固定され
ることなく、永久に解を持たないものである。そのため「パズル」とは決定的に区別され
なければならない。
パズルは思考過程をトレースするために使われる媒体の観点からマインドパズル、メカ
ニカルパズル、ペンシル&ペーパーパズル、ボディパズル、コンピュータパズルの 5 種類
に分けられる。マインドパズルは頭の中だけで思考が完結するもの、メカニカルパズルは
物体を用いて物体に思考過程がトレースされるもの、ペンシル&ペーパーパズルは紙の上
に思考過程を書き込むことで解かれていくもの、ボディパズルは身体ごとパズルの一部に
組み込まれるもの、コンピュータパズルはコンピュータ上に思考がトレースされるもので
ある。このようにパズルで用いられる媒体は、数字・物体・言語・身体に至るまであらゆ
る記号形態に及んでいる。また思考の際に使われる推論メカニズムの観点からは演繹的パ
ズル、帰納的パズル、アブダクション的パズルの 3 種類に分けられる。演繹的パズルは所
与のルールを問題に当てはめて三段論法的に答を導き出すもの、帰納的パズルは未知のル
ールに基づき繰り返し現れる関係を元にしてルールを推測するもの、アブダクション的パ
ズルは帰納的パズルのような例示がないにもかかわらずルールを措定して解かなければな
らないパズルである。このように、パズルはパースの提唱したアブダクションを含む3つ
の推論メカニズムをも網羅するのである。
旧来の「美しさ」を求めるパズル観では、解は必ず 1 通りであることが求められてきた。
なぜならば、パズルは科学や数学の影響を受けながら発達してきており、その世界観の中
では現在も「美しさ」が重視され、そこから導かれるものに対する「真の正しさ」という
信念が残っているからである。それゆえ多くのパズルの作り手はパラノイアになるほどに
パズルを洗練させ美しいものとし、真の正しさ=唯一の答えが存在するように問題を作り
込むのである。ここで想定されているのは、作り手の思考過程をなぞりながら解いていく
ことが前提とされている受け手の存在である。典型的な場合、作り手はまるで「解くかの
ように」問題を制作するわけである。
それでも、解が1通りではないようなパズルが時折出てくることもまた事実である。解
なしのパズルの事例には15パズルの13-15-14問題や釘パズルのパロディがある
し、解が複数~無限にある問題もメカニカルパズルやコンピュータパズルの世界を中心に
多数の事例がある。
中でも、意図的にパズル界の「解が唯一でなければならない」という固定観念を破り、
パズルの終わりの枠組みを解体する作品には注目すべきであろう。このような作品が出て
きた背景には、非ユークリッド幾何学の登場やゲーデルの不完全性定理の証明による数学
的真実の絶対性の崩壊があるだろう。このようなパズルは、芸術の概念を借りて「アヴァ
ンギャルドパズル」という名で呼ぶことができる。事実、エーコが『開かれた作品』にお
いて指摘したような第3段階の開かれ~第1段階の開かれに、現代のパズルを対応させて
いくことができる。
また、いじわる問題には、パズル界の規範を相対化し、正しいとされている推論を裏切
る性質がある。実はいじわる問題にはフロイトの言う復讐達成の願望が投影されており、
教育規範から解放されたいと感じている受け手を笑わせる性質を持っているのである。逆
に、このことは旧来のパズルが「知=権力」と結びついて教育規範の立場に立っていると
いうことを示している。アヴァンギャルドパズルは、パズルが隠し持つ権力性を意図的に
排除し、出題者の「知=権力」から逃れ出て一方通行的なコミュニケーションの形を取ら
ないような作品なのである。
このような現代のパズルの「開かれ」にかかわる諸傾向の中で、「ルール」を作品とみな
すような傾向は、芸術界の数少ない事例とともに、受け手を積極的に作り手の側に参入さ
せる試みとして注目されるべきである。近年、パズルの問題のみならずルールにも個性が
見られるという考え方が生まれてきた。ルール自体を作品としてみなす状況は、芸術界で
も「方法芸術」などの例があり、これはパズル界の動向とよく似ていると言ってよいだろ
う。パズルのルールの作り手は、そこから生まれる個々の問題を完全には予想できないは
ずだが、それにもかかわらず「ルール作家」の重要性は増しているのである。
「知=権力」の押し付けという側面から見れば、パズルが教育のためのツールとして使
われるのはきわめて「理にかなって」いる。実際、生徒にパズルを解かせる「パズル塾」
も現代では数多く存在しているし、パズルそのものやパズルの類似問題が中学~大学の入
学試験に使われることがある。さらに、入社試験や法科大学院入学試験、公務員試験など
にもパズルはしばしば見られる。しかし、パズルが教育に用いられることには2つの危険
事項が伴っており、それは指摘されなければならない。1つはパズルが身分社会の再生産
の役割を密かに担っているという点であり、このことはアメリカでの IQ テストにかかわる
一連の議論を見れば一目瞭然である。もう1つは、解を1通りにするパズルが受け手の自
由な発想の余地を奪ってしまっており、作り手の意図と異なる解答に対して間違いだとい
うレッテルを貼り付けてしまう点にある。だが、現代では教育界で取り扱われる事例にも
アヴァンギャルドパズルが見られ、そのような押し付けの暴力性を回避する道が模索され
ている。教育の先にある入社試験にも変化が見られ、特に最先端のIT系の企業ではアヴ
ァンギャルドパズルによって面接試験を行う事例も増えてきている。開かれたパズルには、
今後より積極的な評価がなされるべきであろう。
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