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It`s Milton. Always there.

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It`s Milton. Always there.
関東学院大学文学部 紀要 第110号(2007)
“It’
s Milton. Always there.”
s Advocate(1997)――
―― The Devil’
島 村 宣 男
Abstract :
1997年度公開のアメリカ映画 The Devil’
s Advocate のプロットは、ある清廉
な若手弁護士が幻想のなかで「ジョン・ミルトン」を名乗るサタンとその徒党
によって誘惑されるというものである。その制作の背景には、現代のアメリカ
が病弊とも言える「訴訟社会」と化している現実があるのだろう。しかしなが
ら、Milton 研究および/あるいは文化(史)研究にとって興味深いのは、〈な
ぜ、ジョン・ミルトンなのか?〉という問題である。この名前は、贅言するま
でもなく、イギリスの初期近代は、政教分離のなされていなかった激動の時代
を生きた盲目の詩人思想家のそれに等しい。そこに生まれるのが、
〈Milton とア
メリカの大衆文化〉という比較的新しい問題である。Milton が叙事詩 Paradise
Lost のなかで活写したサタンの強烈なイメジが、宗教的に敬虔なアメリカ人の
精神的深層に根づいて久しいことを想起すれば、当然のことながら、Milton を
読むことはアメリカの理解に不可欠な要件となる。そして、その中核にあるの
が Milton の描いた堕天使像に他ならず、その迫真性が日常的な恐怖感覚をアメ
リカ人に植えつけてきたことも首肯できるのである。本稿は、かかるアメリカ
人の歴史発生的な意識が、映画という現代的な表現形式にどのような影響を及
ぼしているかを、 The Devil ’
s Advocate の映像と長編脚本の台詞を中心に、
Paradise Lost および福音書は Revelation からの引用等をからめて詳細に検証する
試論である。
Key words :
John Milton、Paradise Lost、映画、サタン、誘惑、自由意志
¿
アメリカ人の精神的深層に触れて、
「人類の糾弾者(th’
Accuser of mankind)
としてのサタン(Satan)の跳梁は、それこそ卑近なものであって、人間の
堕落をたえず窺っているという日常感覚もアメリカ人に固有なものである
― ―
5
“It’
s Milton. Always there.”
といってよい」と、私は別のところで述べたこと
がある。そして、その文化的な映像表現の事例
の一つとして、1997年度に公開されたアメリカ
映画 The Devil’
s Advocate(以下 DA と略、邦題
1)
は『ディアボロス』)に言及した。
この映画は Warner Brothers Ltd. の制作にか
かって、Andrew Neiderman の原作小説(1990)
を下敷きに Jonathan Lemkin と Tony Gilroy が脚
本を書き、Taylor Hackford( An Officer and
The Devil’
s Advocate
(宣伝用スティル)
Gentleman)が監督した作品である。2 )人気若手
俳優の Keanu Reeves(Matrix Trilogy)と名優の
Al Pacino(Godfather Trilogy)の共演に、美人
女優の Charlize Theron( Monster )と Connie
Nielsen(Gladiator)が華を添えて、6, 000万ド
ルを超える国内興行収益を挙げている。また、同年度のAcademy of Science
Fiction, Fantasy & Horror Films においては最優秀ホラー作品賞を獲得したほ
か、Pacino が主演男優賞にノミネートされている。さらに、Blockbuster
Entertainment Awards では Theron が助演女優賞に、また MTV Movie
Awards では Pacino の最優秀悪役賞(Best Villain)に加えて、最優秀脚色賞
とメーキャップ賞にそれぞれノミネートされている。
映画は上映時間 2 時間24分の長編、所謂「 R 指定」ながら、富と権力の
虚栄(vanity)に躓く人間のもつ脆さ(frailty)と自己犠牲(self-sacrifice)
をも厭わぬ人間の自由意志(freewill)の靭さをいかにもアメリカ的に描い
3)
たスリラーの佳作と評してよい。
その主題は、悪徳弁護士の蔓延する「訴
訟社会アメリカ」のパロディと読むことができるが、フロリダの良心的な
青年弁護士ケヴィン・ローマックス(Kevin Lomax)が入り込んだ幻想
(dream vision)の迷宮のなかで、ニューヨークの法律事務所(law firm)の
代表者で「ジョン・ミルトン」
(John Milton)を名乗るサタンによって「悪」
の世界へ誘惑されるという、ひねり(twist)を利かした物語のプロットが
私の知的関心を強く引いたのだった。
本稿はもとより映画を題材にしたアメリカ文化論の試みであるから、
Hackford の映像作品と Neiderman の原作小説との比較や、心理的ホラー
(psychological horror)映画の先鞭をつけた Roman Polanski の名作 Rose― ―
6
関東学院大学文学部 紀要 第110号(2007)
mary’
s Baby(1968)以来の「悪魔の子」(the Devil’
s Son)をモチーフにし
た他の映像作品との比較を意図するものではない。
À
このほど刊行された書物に、イギリス・ルネサンス期肖像画の表象研究
で知られるPenn State 大学教授のLaura L. Knoppers が編集に参加し、大御所
Stanley Fish の後書(Afterword)を巻末に据えたユニークな論文集 Milton
and Popular Culture がある。私の注意をとりわけ喚起したのが、第 6 章の
Eric C. Brown,“Popularizing Pandaemonium: Milton and the Horror Film”
および第 8 章のRyan Netzley,“‘Better to Reign in Hell than Serve in
Heaven,’Is That It?”: Ethics, Apocalypticism, and Allusion in The Devil’
s
Advocate”の 2 篇の論文である。4 )Brown は Harvard 大学の客員研究員を経
て、現在は Maine 大学助教授、Milton と定期刊行物の関連をテーマとする
研究者、いっぽう Netzley は Southern Illinois 大学助教授で、Richard
Crashaw, George Herbert, John Foxe を中心に17世紀の宗教詩とエロティシ
ズムの関連をテーマとする研究者である。本論へ入るまえに問題の所在を
明らかにする意味で、この両者の論文の要諦を紹介し、これに私自身の付
言を添えておきたい。
Brown 論文は、そのタイトルが示すように、いわば「総論」であって、
DA 論は全体の一部を形成しているが、そのメイン・タイトルも含めて、本
試論にも密接に関わる興味深い指摘が随所に窺える。例えば、英語の
Pandaemonium(万魔殿)は、OED も指摘するように、Milton の造語であ
って、Paradise Lost(以下、PL と略)における使用例は第 1 巻( l . 756)
と第10巻( l . 424)の 2 箇所にしか見えない稀語である。前者には、句跨り
の同格句“the high capital/ of Satan and his peers”(サタンとその徒党の
最高の府)が付属し、
「重要な会議」
(a solemn council)が開催される場とさ
れている。また後者には、同じく句跨りの同格句“city and proud seat of/
Lucifer”
(ルシファーの都にして高慢の座)が付属している。Brown の議論
は、「現代のホラー映画の怪物たち(monsters)の原型は Milton の描いた
サタンに求められ」、「彼らには独特の存在感があり、独我論的なコード
(solipsistic codes)をもち、彼ら自身の場のみならず、彼ら自身の自己充足
的な世界がある」とする、20年前の James B. Twitchell による言説を引きな
― ―
7
“It’
s Milton. Always there.”
がら、DA の地方都市の弁護士ローマックスがミルトン/サタンに誘われる
大都市ニューヨークを、そしてミルトン/サタンが支配する巨大な法律事
務所を PL で描かれた Pandaemonium(万魔殿)の等価物(equivalent)と
するものである。つまり、ローマックスが幻想のなかに見る退廃したニュ
ーヨークは、愛妻メアリ=アンをじわじわと狂気に導く「魔窟」(demonic
space)の、また件の法律事務所は、Milton の PL は第 1 巻のいう、サタン
以下その数知れぬ堕天使たち、すなわち「悪魔の徒党」
(the Devil’
s party)が
自由に「密議」(secret conclave)を凝らす「地獄の宮廷」(the Court of
Hell)の寓意というわけである。
Brown 論文は、幻想のなかのマンハッタンの超高層ビルの外的なショッ
トに加えて、ミルトン/サタンの法律事務所のインテリアを含めた構造の
内的なショットに、幻暈(vertigo)を誘引する有意味的な表徴を見出して
いる。Milton の PL にそれぞれの対蹠を引けば、以下の詩行が該当するだろ
5)
う。
Anon out of the earth a fabric huge
Rose like an exhalation, with the sound
Of dulcet symphonies and voices sweet,
Built like a temple, where pilasters round
Were set, and Doric pillars overlaid
With golden architrave; nor did there want
Cornice or frieze with bossy sculptures grav’
n;
(PL , I . 710−17)
The roof was fretted gold.
「すぐさま大地より広壮な建造物が
霧のごとく屹立し、甘美な
交響楽の調べと歌声が響いたが、
それはあたかも寺院のごとく、
周囲には柱形やドーリア式の円柱が廻らされ、
黄金の台輪が嵌めこまれていた。膨らみをもった
浮彫りの彫刻を刻んだ蛇腹も小壁も欠けることなく、
その屋根は黄金で葺かれていた」
あるいはまた、
― ―
8
関東学院大学文学部 紀要 第110号(2007)
. . . . . . and straight the doors
Op’
ning their brazen folds discover wide
Within, her ample spaces, o’
er the smooth
And level pavement: from the arched roof
Pendent by subtle magic many a row
Of starry lamps and blazing cressets fed
With naphtha and asphaltus yielded light
(PL , I . 723−30)
As from a sky.
「…すると直ちに扉という扉が
その銅の襞を開いて、広い内部に
その広間が現われ、平らかで滑らかな敷石が
床に拡がった。その弓形の天井から
完全なる魔力により垂れ下がっていたのは、
きら星のごとき灯火と眩いばかりの篝火、
石脳油や瀝青油の勢いをえて、天空からの
光の如く燦然と輝いていた。
」
いっぽう Netzley 論文のメイン・タイトルは、Brown 論文のなかでも言及
されているが、PL , I . 263 からの引用で、地獄に堕ちたサタンの腹心の部
下ベルゼバブ(Beëlzebub)を前にして発する詭弁を代表する詩句の一部で
ある。DA においては、茶目っ気たっぷりな(mischievous)ミルトン/サ
タンが詩的 Milton を引用するという、甚だ穿った仕掛けとなっている。い
ま、これを引けば(以下、DA, p. 135. イタリックは島村)
、
Vanity is definitely my favorite sin. Self-love. It’
s so basic.
What a drug. Cheap, all-natural, and right at your fingerprints.
Pride. That’
s where you’
re strongest. And believe me, I understand.
Work for someone else? . . . . . . Hey, I couldn’
t hack it.‘Better to reign
in Hell than serve in Heaven.’
「虚栄は何と言っても私のお気に入りの罪だ。自己愛さ。原則的な
ものだ。麻薬に近い。容易に手に入り、自然の理に適っていて、
人間の指紋のように動かしがたい。高慢か。それこそ最強のもの。
私はその最高の理解者だ。他人のために働くって?…おいおい、
― ―
9
“It’
s Milton. Always there.”
私にはそれが我慢できないのだ。『天界で奉仕するぐらいなら、
地獄で支配したほうがましだ』と言うではないか。
」
Milton の PL に見える問題の詩句は、サタンの支配欲ないしは権力欲がい
かなるものであるかを如実に物語る。叙事詩人はこれに先立ち、サタンに
こう語らせていたことを想起しよう。
Farewell happy fields
Where joy for ever dwells: hail horrors, hail
Infernal world, and thou profoundest Hell
Receive thy new possessor: one who brings
A mind not to be changed by place or time.
The mind is its own place, and in itself
Can make a Heav’
n of Hell, a Hell of Heav’
n.
What matters where, if I be still the same,
And what I should be, all but less than he
Whom thunder hath made greater? Here at least
(PL , I . 241−59)
We shall be free;
「歓喜の永遠に住む
至福の場よ、さらば。恐怖の場よ、来たれ。
地獄よ、ようこそ。無間の地獄よ、
新たな占有者を、時と場によって不変の
精神の主を受け容れよ。
精神こそは独自の場をもち、そこでは
地獄から天界を、天界から地獄を生成しうるもの。
俺がかつての俺と同じであれば、本来の俺であれば、
雷ゆえに偉大にすぎぬあいつの場に劣るとはいえ、場は問わない。
ここでは少なくとも自由でいられる。」
このように、天界を追われたサタンは「唯心論」
(mentalism)を標榜して、
己の支配の場、権力の場の如何を問うてはいない。上の訳文に注解を加え
n)あるいは「地獄(の如きもの)
」
(a
れば、
「天界(の如きもの)
」
(a Heav’
Hell)としているからである。「天界」にしても、「地獄」にしても単なる
― ―
10
関東学院大学文学部 紀要 第110号(2007)
ことばでしかない、つまり「ものは考え様」というわけである。さらに重
要なのは、「ここでは少なくとも自由でいられる」としている点であろう。
サタンは「神」という名の制約(restraint)――人間を拘束していたもの――
を唾棄して、彼のいう「自由」を選択するのである。
Á
映画 DAに登場する若い弁護士ケヴィンその妻メアリ=アンの「現実」を、
その「清廉」
(innocence)ゆえに、Milton が PL で描いた楽園のアダムとイ
ーヴの「神話」に重ねあわすことは容易であろう。日常的な不安は時に悪
しき幻想を生む。すなわち、
「楽園」
(フロリダ北部の地方都市)にいる「現
代のアダム」は、幻想のなかに「地獄」
(ニューヨークのマンハッタン)を
見ることになる。映画の大部分を専有して、小柄な Pacino の、おそらく意
識的な大きな演技(私はこれを過剰とは評するつもりはない)が圧倒的な
「非現実」な幻想の、Milton の PL における対蹠は、その第11巻、神の命を
受けて地上に降臨する天使ミカエルによってアダムによって示される「大
洪水(the Flood)に至るまでに生起する様々な出来事」の未来幻想である。
純朴な13歳の女子中学生へのセクシャル・ハラスメント事件で、被告の
男性教師の弁護を担当したものの、公判のさなかに、あろうことか、当の
教師の異常な自慰行為(masturbation)を目撃したケヴィンは自己嫌悪に
陥る。一時の休廷を求めたケヴィンは、同じ建物の洗面所(men’
s room)
の鏡に映った自分の「虚像」に見入るうちに幻想の世界へ迷い込むことに
なる(以下、DA, p. 4)。
. . . . . . Kevin standing at the mirror. Frozen there. Identity crisis.
Morality crisis. He takes off his wedding ring. Letting cold water
run in the sink. His eyes never leaving the mirror.
「鏡の前のケヴィン。そのまま立ちすくむ。自分が自分でなくなる
危機。道徳心の危機。彼は結婚指輪を外す。シンクに水を流すケヴィ
ン。その視線は鏡を見たまま動かない。
」
そこへ偶々、報道記者ラリーが小用を足しに入ってくる。彼らがファー
スト・ネームで呼び合う「旧知」の仲であるという現実の設定も有意味的
― ―
11
“It’
s Milton. Always there.”
である(以下、DA, p. 5)
。
REPORTER
Well, hell, there you are. Rumor was
you were out wandering in traffic.
「これは、これは。道に迷ったのではないかって、
みんなが噂をしていますよ。
」
KEVIN
Not now, Larry.
「いや、ラリー。」
REPORTER
What’
s the game plan, Kevin? I got a
four-thirty deadline. I need a quote.
Gimme a quote.
「ケヴィン、この先はどうなります? 締め切りまで
4 時間半。談話が必要でね。頼みますよ。」
KEVIN
Fuck off.
「いいから消えてくれ。」
REPORTER
‘Mr. Lomax had no comment on today’
s events.
Speculation, however, was widespread
that the young lawyer’
s unblemished
string of victorious would come to an end
in this courtroom.’
. . . . . . It was a nice run, Kev.
Had to close out someday. Nobody wins ’
em all.
「『弁護士のローマックス氏によるコメントはなかった。
いっぽう、気鋭の弁護士の連勝記録も本公判で土が
つくという臆測が拡がっている』といったところかな。
……あなた頑張っておられたから。でも、いつか終わりは
来る道理。全部勝てる人などいませんよ。」
脚本のト書きには、ケヴィンが水で顔を冷やした瞬間、「雷鳴が轟く」
(THUNDER EXPLODE.)とある。「法廷に立つのが楽しい」(I enjoy a
court.)はずのケヴィンの自負心をチクリと刺したラリーの放尿の音が、ケ
― ―
12
関東学院大学文学部 紀要 第110号(2007)
ヴィンにこう響いたのである。ラリーはケヴィンにウインクをして洗面所
を出て行く。6 )
われわれ観客も知らぬうちに引きずりこまれる、
「真っ直ぐな道を失った」
青年の、Dante を捩る「地獄行」の始まりである。映画は現実と幻想の境
界を区切ることなく、巧妙にも最後までこれを明かさない。劇的効果はそ
れだけに大きいと言えよう。
Â
幻想のなか、功名のみを求めた巧妙な弁論で原告側を立ち往生させて、
勝訴を被告にもたらしたケヴィンは、ヘッド・ハンターの勧誘を受け、高
額の小切手をちらつかされてニューヨークへの転出を受諾する。後に、メ
アリ=アンにその理由を問われて、ケヴィンは「本能(instinct)だね。
」と
答えている。
「誘惑」の第一である。地方都市の弁護士から、マンハッタン
の有力な法律事務所の一員として迎えられるのである。敬虔な牧師の家に
育った「母親」が抱く不安をよそに、栄えある転出に有頂天のケヴィン。
地元の宗教活動を終えたばかりの母親――その手にはしっかりと聖書が握
られている――との対話を引こう(以下、DA, p. 13−14)。
MRS. LOMAX
Let me tell you about New York.
「ニューヨークというところはね…」
KEVIN
Let me guess.
「想像もつかないな。
」
MRS. LOMAX
‘Fallen, fallen is Babylon the great.
It has become a dwelling place of demons.’
Revelation Eighteen. Wouldn’
t hurt you
to look it over.
「『堕落した、大いなるバビロンは堕落した。そこは
悪魔たちの棲む場所と化した。
』ヨハネの黙示録の
18章よ。眼を通しておいても害にはならないわ。」
― ―
13
“It’
s Milton. Always there.”
KEVIN
Couldn’
t forget it if I tried.
「忘れられるものではないよ。」
MRS. LOMAX
Really. And what happened to Babylon.
「本当? それでバビロンはどうなったの?」
KEVIN
‘Thou mighty city. In one hour hast thou
mighty judgement come.’
「『汝、大いなる都。一日のうちに力強き審判は
汝に下りぬ。
』」
MRS. LOMAX
‘And the light of a single lamp shall shine
in thee no more.’
「『そして、神の栄光が汝に輝くこと、もはやなし。
』」
これに先立つ Revelation 17において、滅びた「大いなる都」バビロンは
「淫婦」(whore)の座す場に喩えられていたことを想起しよう。現代のニ
ューヨークでも、人間のかたちをした「淫婦」はケヴィンを待ち受けてい
る。それにしても、ケヴィンの幻想の結末に見るように、この母親と息子
の対話は予兆的(typological)である。
超高層ビルの最上階にあって、
「地上」
(Earth)に新たな「天界」
(heaven)
を築き上げたかと見える法律事務所の代表者(head honcho)はミルトン、
彼はケヴィンの仕事ぶりを秘かに、注意深く観察している。ミルトンの姦
計が働いていることすら知らず、着任早々のケヴィンは弁護側に不利な難
しい裁判を勝訴に導く。これに続く法廷裁判の描写も、ある程度はアメリ
カの実態を反映しているものと思われるが、観客はそのリアルな展開を緊
張しつつ傍聴できる仕組みになっている。
これらの法廷裁判の描写は、
「公平さとしての正義」
(justice for fairness)
といった理想とは裏腹の、
「勝訴してなんぼ」といった弁護士の世界の矛盾
を諷刺する戯画としての意味をもつかもしれない。同時に私は、Jonathan
Demme の名作 Philadelphia(1993)――邦題は『フィラデルフィア』――
で使われた辛辣なジョークを思い出す。同性愛の果てに AIDS に感染して死
― ―
14
関東学院大学文学部 紀要 第110号(2007)
のベッドに横たわるTom Hank 演じる元弁護士のベケット(Andrew Beckett)
が、自分の不当解雇の訴訟裁判で弁護を依頼し、勝訴によって莫大な賠償
金をもたらしたDenzel Washington 演じるミラー(Joe Miller)に謎掛けをす
る最終場面である。7 )
ANDREW
What do you call a thousand lawyers chained
together at the bottom of the ocean?
「1000人の弁護士を鎖で数珠繋ぎにして、
海の底に沈めてやったら、どうなる?」
JOE
I don’
t know.
「さあ?」
ANDREW
A good start.
「世の中が変わる。」
初出勤の朝、法律事務所の個室のガラス越しに見た同僚クリスタベラの
知的で冷たい美しさ――メアリ=アンとは対極である――にケヴィンは強く
魅かれる。8 )「誘惑」の第二である。後ろめたさの残る勝訴がケヴィンに心
の隙を生む。
メアリ=アンを伴って出席したパーテイの席を抜けて、ケヴィンがテラス
へ出ると、そこにクリスタベラがいる。最初に声を掛けたのは女のほうで
ある(以下、DA, p. 52)
。
CHRISTABELLA
Are you alone?
「お独り?」
KEVIN
You mean, tonight?
「今夜は、という意味かい?」
CHRISTABELLA
Is your wife a jealous woman? . . .
Silly question. We’
re all jealous, aren’
t we?
Oh, dear, I’
m going to scare you away.
「奥様、嫉妬なさる方?…愚問ね。
女は誰でも嫉妬深いわよね?
― ―
15
“It’
s Milton. Always there.”
あら、いやだ。あなたを驚かしてしまったかしら?」
KEVIN
I doubt it.
「どうかな。」
ケヴィンが席を離れたすきに、ミルトンはメアリ=アンに接近して、彼女
の美しさへの甘い追従の言葉を囁く。Milton の PLは第 9 巻、楽園の蛇の体
内に潜んだ「人類の敵」
(the Enemy of mankind)に他ならぬサタンが、ア
ダムと離れて無防備になったイーヴに投げかける「欺瞞の誘惑の言葉」
(his
fraudulent temptation)と重なるシークエンスでもある。
3 番目の厄介な殺人事件の裁判で勝訴はしたものの、証拠の隠滅や捏造
にミルトンが直接に関わった事実を知って、いやましに募る罪悪感にケヴ
ィンは初めてミルトンという大きな存在に疑念を抱く(以下、DA, p. 66)
。
CHRISTABELLA
Enjoying yourself?
「楽しい?」
KEVIN
Sorry. I’
m just . . .
「あいにく。ちょっと、ね…」
CHRISTABELLA
Just what? Looking?
「ちょっと、何なのよ?どうなの?」
KEVIN
Guilty.
「罪悪感かな。」
ミルトンの奸策に満ちた言葉を鵜呑みにして、ヘアスタイルをウエーヴ
豊かな金髪からショートカットの黒髪に染めた妻メアリ=アンとの日常生活
にも大きな亀裂が生じる。高級アパートに構えた自宅の居間でメアリ=アン
と愛し合ううちに、ケヴィンは官能のめくるめく迷宮に踏み込む。いつの
まにか、メアリ=アンがクリスタベラに変わって、ケヴィンは秘かに「姦
淫」の歓びに震える(以下、DA, p. 68-69)。
INT. LOMAX APARTMENT−DAY
Suddenly−she’
s Christabella−right there−in his arms−before
he can react−before he can speak−she finds his mouth and they
― ―
16
関東学院大学文学部 紀要 第110号(2007)
are kissing and−suddenly−she’
s Mary Ann−and he’
s pulling up
her dress and she’
s helping him and his hand is moving over bare thigh
and−
「ローマックスのアパート――白昼
突然――彼女がクリスタベラに変わる――すぐ目の前で――彼の腕の
なかで――彼は抵抗もできない――声も出せない――女は唇をからま
せてきて、二人は唇を奪い合う――すると――突然――彼女はメアリ=
アンに変わる――上着を脱がそうとする彼の行為に彼女は合わせる。
彼の手は彼女の太ももまさぐる。
この「幻想内幻想」
(a vision within a vision)――メアリ=アンからクリスタ
ベラへの転換――は都合 3 回繰り返されて、メアリ=アンの反応によってよ
うやく止まる(以下、DA, p. 69)
。
MARY ANN
Stop…… Where are you?
「やめて…いつものあなたじゃない。」
これを境に、クリスタベラのケヴィンに対する眼差しは、両性愛(bisexual)の嗜好を匂わせつつ、さらに淫靡なものへ変化していく。重要なのは、
ケヴィン自身もそれを意識していて、辛うじて自制を保っていることであ
る。
この物語の設定では、主人公ケヴィンは父の名も知らない母子家庭に育
った青年ということになっている。当然のことながら、彼は自分の出生に
まつわる一種の「トラウマ」を抱えていて、結論を先取りすれば、その潜
在意識がこのような幻想の生みの親であるとも言えるだろう。映画の後半、
故郷から都会に呼び寄せた母親にミルトンを紹介すると、一瞬にして彼女
の顔色が変わる。ミルトンこそケヴィンの父親であり、ケヴィンは母親の
若気の過ちによって生まれた「悪魔の子」なのである。しかし、それをケ
ヴィンはまだ知らない。
いっぽう、快活であったはずのメアリ=アンも、マンハッタンの孤独な都
会生活に心身のバランスを大きく崩していく。愛し育む子どももいない。
日常的な不安を払拭して足りるものがないのである。あるときは、ソーホ
― ―
17
“It’
s Milton. Always there.”
ー地区のブティックの化粧室で、同じ高級アパートの女友だちの表情が妖
怪のごとく醜悪に変化するのを垣間見て、彼女は底知れぬ不安に怯える。
また、あるときはアパートの一室で、幼児が血に塗れた臓物と思しきもの
を食いちぎって遊んでいるのを目撃するという、異様ではあるが、後述す
るように、物語の設定の上から有意味的な幻想に戦慄する。
フロリダから呼び寄せたケヴィンの母親はさすがに彼女の変調を気にか
けて、一刻も早い帰郷を強く促す。錯乱の度を深めて、異常な幻覚が頻繁
に生じるようになったメアリ=アンはやがて精神病院に収容され、ケヴィン
の目の前でガラスの破片で自分の咽喉を突き、痛ましい自殺を遂げる。母
親の告白から、ミルトンが自分の父親であることを知ったケヴィンは次の
。
ように応じる(以下、DA, p. 131)
KEVIN
He’
s〔Milton has〕always been there. I know
that now. Watching. Waiting. He’
s been playing us
like a game. Jerking us round. Destroying Mary Ann . . .
「あいつはいつも僕たちのそばにいた。いまようやく
分かったよ。じっと観察していたのさ。ずっと
待っていたのさ。あいつは僕たちをゲームみたいに
弄んだ。僕たちを振り回してきた。その挙句に
メアリ=アンを殺してしまった…」
MRS. LOMAX
What are you doing?
「おまえ、何をするつもり?」
KEVIN
I gotta go.
「行かなくては。
」
MRS. LOMAX
No…let it alone! Stay with me.
Forget about him! We can leave here.
We can go home! We don’
t ever have to see him again.
「駄目よ…放っておきなさい!行ってはだめ。
彼のことは忘れなさい。ここを離れることもできるわ。
帰るのよ、フロリダに。二度と彼と会う必要もなくなるわ。
」
― ―
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関東学院大学文学部 紀要 第110号(2007)
しかし、ケヴィンは逃げない。怯むことを知らぬケヴィンは、ミルトン
のアパートの一室でミルトンに「最後の対決」を挑む。クリスタベルとと
もに美酒に酔うミルトンに向かってケヴィンは問う(以下、DA, p. 134)
。
KEVIN
Who are you?
「あなたは何者だ?」
MILTON
I have so many names.
「名前はいくつもある。」
KEVIN
Satan.
「サタンだ。」
MILTON
Call me Dad. 「私を父さんと呼んでくれ。
」
ミルトン/サタンは正体を現し、クリスタベラが自分の娘であることを
明かして、ケヴィンに近親相姦(incest)を唆す。ここで想起していいの
は、Milton の PLは第 2 巻、地獄の門でサタンが出会う寓意的な登場人物、
すなわちサタンの頭部から生まれた娘にして愛人の『罪』(Sin)と、二人
の情交によって生まれた忌まわしい『死』(Death)の存在である。Milton
は、「腰までは美しい女、下半身は醜い蛇」
(woman to the waist, fair,/ but
and . . . foul . . . . . . a serpent――II. 650−52)である『罪』を、
「
(輝かしいサ
タンに似て)
、神々しくも美しい」
(shining Heav’
nly fair―― ibid. 757)
、そし
て「魅力的な美しさを備えた」
(with attractive graces―― ibid. 762)と、さ
らに『死』の異常な出産については、
「胎内から出ようと激しくもがき、私
の臓腑を引き裂き、下半身はその恐怖と痛みで歪み、かくも変形し」
(breaking violent way/ Tore through my entrails, that with fear and pain/
Distorted, all my nether shape thus grew/ transformed―― ibid. 782−85)た
と、彼女自身に語らせている。後者のグロテスクなイメジは、AD において
はすでに言及した、メアリ=アンの狂気が生み出した幻想――血まみれの臓
物を口にくわえて玩ぶ幼児――のなかで表現されていた。
ところで、ここでミルトン/サタンがケヴィンに説く「神学」の論理は、
以下の台詞に代表される(以下、DA, p. 137)
。
― ―
19
“It’
s Milton. Always there.”
MILTON
God’
s your prankster, my boy. Think of it.
He gives man instinct. He gives you this
extraordinary gift and then, I swear to you,
――for his own amusement――his own private
cosmic gag reel――he sets the rules in opposition.
It’
s the goof of all time. Look but don’
t touch.
Touch but don’
t taste. Taste but don’
t swallow.
And while you’
re jumping from one foot to the
other he’
s laughing his sick fucking ass off! He’
s
a tight-ass. He’
s sadist. He’
s an absentee landlord!
Worship that? Never.
「息子よ、神はおまえをからかっているのだ。
考えてもみろ。あいつは人に本能を授けた。特別な
贈り物だが、それも自分が楽しむためのもの――
誓ってもいいが、自分だけの宇宙を操るためなのだ。
あいつは規則を右と左の正反対の位置に定める。
とんだお笑い種だ。見てもいいが、触れるな。
触れてもいいが、口に入れるな。口に入れてもいいが、
飲み込むな。そして、人が右往左往するのを見て、
嘲笑っているのだ!ケチな野郎だ。サディストだ。
不在地主のようなものだ。そんなものを崇拝できるか?
まっぴらだ。
」
Milton の PL が描くサタンにも、「神に欺かれた」という思いは強く表明
されている。例えば第 1 巻、サタンは神の隠された武器「雷」(thunder)
の想定外の威力に幾度か言及している。すなわち、サタンによれば、
「あい
つは自分の強さを雷で証明した。それまで、あの凄まじい武器の威力を誰
も知らなかったのだ」
(so much the stronger proved/ he with his thunder:
and till then who knew/ the force of those dire arms?―― I. 92−94)
、あるい
は「あいつが偉いのは、雷という武器を持っていたからにすぎぬ」
(all but
、あるいは
less than he/ whom thunder hath made greater――ibid. 257−58)
「〔あいつは〕常にその力を隠蔽していた」(〔he〕still his strength con― ―
20
関東学院大学文学部 紀要 第110号(2007)
cealed,/ which tempted our attempt―― ibid. 641−42)とされている。
さらに、第 9 巻でイーヴの言う神の「命令」(command)――「この木の果
実に触れることも食べることも許されてはいない」
(of this tree we may not
taste or touch――IX. 651)――について、狡猾なサタンがこう揶揄して、
「人間への熱意と愛情と人間が被っている不当な扱いへの憤慨」(zeal and
love/ to man, and indignation at his wrong―― ibid. 665−66)を装ったこと
を想起したい。
Indeed? Hath God then said that of the fruit
Of all these garden trees ye shall not eat,
Yet lords declared of all in earth or air?
(PL, IX, 655−58)
「本当ですか?すると、神はあなたがたに
この庭の木々の果実を食べてはならぬとしながら、
あなたがたを地と空の全ての支配者としたというのですか?」
ケヴィンとミルトン/サタンとの「闘い」はさらに続く(以下、DA, p.
138−41)。
KEVIN
You want a child.
「欲しいのは子どもか?」
MILTON
I want a family.
「家族だ。」
KEVIN
The Antichrist.
「反キリストを、というわけだ。
」
MILTON
Whatever . . .
「何とでも…」
KEVIN
But I have to volunteer.
「でも、他人にどうこう言われる問題ではないな。」
MILTON
Free will. It’
s a bitch. I need a family.
「自由意志か。茶番だ。私が欲しいのは家族だ。」
(中略)
― ―
21
“It’
s Milton. Always there.”
KEVIN
So what are you offering?
「それで、何を提供してくれる?」
MILTON
Are you negotiating?
「取引をする気かね?」
KEVIN
Always.
「習い性でね。」
MILTON
Yes!
「いいとも!」
KEVIN
What are you offering?
「見返りは?」
MILTON
Everything. Anything. All of it. What am I offering?
I’
m offering bliss. Instant bliss . . . . . . We’
ve got a winner here.
「あらゆるものだ。どんなものでも。全部だ。
見返りねえ?至福を提供しよう。即時の至福だ…
さあ、勝利者のお出ましだ。
」
(中略)
KEVIN
In the Bible you lose. You’
re destined to lose.
「聖書ではあなたは敗者だ。負ける定めにある。」
MILTON
Consider the source.
「そもそもの原因を考えろ。」
CHRISTABELLA
Will you stop talking? You talk too much… Kevin, Look at me.
「お話はおしまいにして。おしゃべりが過ぎるわ。
…ケヴィン、私を見て。
」
MILTON
Oh! She’
s really stunning.
「ああ!ゾクっとくる女だ。」
CHRISTABELLA
Kevin, really, please . . .
「ケヴィン、お願い、来て…」
MILTON
She’
s right, my son. It’
s time to step up and
take what’
s yours.
― ―
22
関東学院大学文学部 紀要 第110号(2007)
「彼女の言うとおりだ、息子よ。遠慮なく
自分の分け前を受け取るがいい。」
惜しげなく晒した美しい裸身を蛇のようにくねらせて、ケヴィンに迫る
「淫婦」クリスタベラ。最後の「誘惑」である。部屋のインテリアを飾る浮
彫りの男女の裸形たちが、官能の陶酔に生き物のように蠢き出す。蝋燭の
明かりのなかで、その肉体を奔放に開くクリスタベラを制して、ケヴィン
はミルトン/サタンに次のように応じる(以下、DA, p. 141)
。
KEVIN
You’
re right. It’
s time.
「あなたの言うとおりだ。いまが潮時だな。」
自分の誤った「選択」
(choice)から愛妻メアリ=アンを失ったケヴィンは、
「自由意志」から拳銃で自分のこめかみを撃ち抜き、サタンの野望を木っ端
微塵に砕く。クリスタベラとの同衾が産むものが「死」に他ならないこと
をケヴィンは自己を犠牲にすることによって証明するのである。脳髄が飛
び散り、ケヴィンはゆっくりと床に倒れる。浮彫りの裸形たちは苦悶にあ
えぐ。地獄の業火に包まれて、クリスタベラは瞬く間に灰燼と化す。自ら
の姦計の決定的な破綻を目の当たりにしたミルトン/サタンは、紅蓮の炎
の洪水のなかで咆哮する(以下、DA, ibid.)
。
Kevin raises the GUN to his temple.― quick and simple ―
SNAP! ―he’
s blown his brains out ―Milton stunned ―
disbelieving for a moment and then an aura of fire and heat
explodes around him.
「ケヴィンは拳銃の先を自分のこめかみに当てる。――素早く、
そのまま――バン!――彼は頭を撃ち抜く―呆然とするミルトン
――一瞬、何が起きたかが信じられない様子、同時に周囲は
灼熱の閃光に包まれる。
MILTON
Nooooooo . . . !
「何ということを…!」
― ―
23
“It’
s Milton. Always there.”
このシークエンスで注目に値するのは、炎に包まれたミルトン/サタンの
顔(Pacino)が最後にケヴィンの顔(Reeves)に変化するという、有意味
的なショットである。幻想におけるミルトン/サタンはケヴィンの邪念の
創造物であり、現実にあって傲慢になりかけていた彼自身に他ならなかっ
たというわけである。
Ã
一瞬の幻想の地獄から脱出したケヴィンは、変質者にすぎない被告を弁
護しようとしていた自分の過誤に想到して良心を回復する。こうして、わ
れわれ観客もまた、物語の「現実」に連れ戻される(以下、DA, p. 143)。
INT. FLORIDA COURTHOUSE ― MEN’
S ROOM ― DAY
The mirror. And Kevin’
s face. As THUNDER ECHOES AWAY
and becomes nothing more than a FLUSHING URINAL.
We’
re back in Florida. Where we started. Kevin touches his face.
His body. He’
s alive. He touches the mirror. He’
s insane. He’
s here.
It’
s now. WATER RUNNING in the sink.
「屋内。フロリダ裁判所―男子洗面所―昼
鏡。そしてケヴィンの顔。雷鳴が遠のくと同時に、小便器の浄水音。
場面はフロリダへ戻る。元の場所である。ケヴィンは自分の顔を
触ってみる。身体を触ってみる。生きている。鏡に触れてみる。
夢ではない。自分はここにいる。いま。洗面台のシンクを流れる水。
」
幻想世界の「火」の猛烈なイメジから、現実世界の「水」の冷静なイメジ
への見事な変換である。幻想は去った。
Milton の PL は第 5 巻の劈頭、楽園の早暁、予兆的な「罪と苦悩の(of
offence and trouble)」不吉な夢に狂おしい一夜を過ごしたかとみえる美し
いイーヴを改めて見出すのはアダムであることを想起しよう。
. . . so much the more
His wonder was to find unwakened Eve
With tresses discomposed, and glowing cheek,
― ―
24
関東学院大学文学部 紀要 第110号(2007)
As though unquiet rest: he on his side
Leaning half-raised, with looks of cordial love
Hung over her enamoured, and beheld
Beauty, which whether waking or sleep,
Shot forth peculiar graces; then with voice
Mild, as when Zephyrus on Flora breathes,
Her hand soft touching, whispered thus. Awake
My fairest, my espoused, my latest found,
Heav’
n’
s last best gift, my ever new delight,
Awake, the morning shines, and the fresh field
(PL, V. 8−21)
Call us; . . . . . .
「…それだけになおさら
彼の驚きは大きかった。イーヴは眼を覚まさぬまま、
あたかも不安な夜を明かしたかの如く髪を乱し、
頬を紅潮させていた。彼は横臥して、
身体を半ば起こし、心からの愛に満ちた表情で
魅了され、彼女の上からその美しさに
見入った。覚めていても眠っていても
そこに放たれているのは特有の美であった。
彼女の手に優しく触れながら、西風が花の精に
息を吹きかけるような穏やかな声で、アダムはこう囁いた。
「眼を覚ませ、愛しき者よ、妻よ、私が最後に見出せし者よ、
神の最後にして最善の賜物よ、私の永久の新たな喜びよ、
眼を覚ませ、朝は輝き、新鮮な野原が
我々を呼んでいる…」
法廷に戻ったケヴィンは、傍聴席の前列に天使のように輝くメアリ=アン
を見出し、彼女をひしと抱きしめる(以下、DA, p. 144)。
Mary Ann
Honey, what are you doing? Are you okay?
「あなた、どうしたの?だいじょうぶ?」
― ―
25
“It’
s Milton. Always there.”
KEVIN
The right thing.
「正しいことをしているのさ。」
破廉恥教師の弁護を降板する旨を判事に堂々と伝えて、ケヴィンは退廷
する。これを Milton の PL の裏返しと解釈すれば、「人間が人間を裁く場」
(裁判所)から去るケヴィンとメアリ=アンは、「神が人間を裁く場」(エデ
ン)から去る「現代のアダムとイーヴ」であるとも理解できよう。彼らは、
自らの「自由意志」――「選択のモラル」と言い換えてもよい――によって、
権力欲とか名誉欲、あるいは淫欲といった人間の世俗的な欲望の、Milton
のいう「あの禁断の果実」
(the fruit/ of that forbidden tree)を再び味わうよ
うな轍を踏むことはないだろう。彼らには「エデンの東」へ追放されるア
ダムとイーヴのように、「自然と溢れ出る涙」(some natural tears)を流す
こともなければ、
「二人だけの寂しい道」
(their solitary way)をさすらうこ
ともない。その遥か前方には「清廉」に生きる世界が開けている。ここに
映像作家 Hackford の面目があることも確かで、彼自身がこの作品を「教訓
9)
話」
(a moral tale)とした所以も首肯できるのである。
しかしながら、この映画にはいかにもアメリカ的な「オチ」がある。町
中の話題となった裁判の意外な展開に報道陣をも巻き込んでの大騒ぎ(chaos)
となった裁判所の玄関ホールで、例の報道記者ラリーがメアリ=アンを伴っ
たケヴィンに声を掛ける(以下、DA, p. 145−46)。
REPORTER
Kevin! ―― Hey! Listen, this story ――
this is the one, pal ―― this is the one
you dream about?
「ケヴィン!――ちょっと! ねえ、これって
――こんな展開あり?―― これが君の描く理想?」
KEVIN
There is no story.
「あることないことデッチ上げたくはないからね。
」
REPORTER
Bullshit. A lawyer with a crisis of conscience?
You gotta be kidding. It’
s huge!
― ―
26
関東学院大学文学部 紀要 第110号(2007)
「またまた。良心の危機を抱えた弁護士?ご冗談を!」
KEVIN
They’
re gonna disbar me, Larry. You can cover that.
「僕の資格は剥奪されるね、ラリー。取材は存分に。
」
MARY ANN
Can they do that?
「そんなことできるの?」
REPORTER
Not when I get through with the story.
You gotta talk, Kevin. You gotta gimme
an exclusive. This is the wire service.
This is
‘Sixty Minutes’
. This is a story
that needs to be told. It’
s you! You’
re a star.
「経緯を明らかにしてもらえれば別ですよ。話さなくちゃ、特ダネにさ
せて下さいよ。こちら通信社。こちら『60分』。いやはや、是非話し
てもらいたいなあ。主役は、ケヴィン、あなたなのだから!有名人っ
てわけですよ。」
KEVIN
Call me tomorrow.
「明日、電話を。」
REPORTER
You got it. First thing.
「了解。明日一番で。」
たがいに手を握りしめて裁判所をあとにするケヴィンとメアリ=アン。二
人を見送る報道記者ラリーがこちらに振り向くや、彼の顔はミルトン/サ
タン(Pacino)の顔に変貌する。脚本のト書きの最後にはこうある(以下、
DA, p. 146)。
It’
s Milton. Always there. And he smiles. And we FREEZE FRAME.
「それはミルトン。永遠の存在なのだ。
そして、彼は笑みを浮かべる。そして、われわれは凍りつく。
」
ことほどさように、遍在的な(ubiquitous)サタンは「清廉」の人に接近
して執拗である。「誘惑」の種は尽きない。そして、Milton が PL において
力強く描いた「サタン」も、現代アメリカ人の精神世界にいかにも根強く、
― ―
27
“It’
s Milton. Always there.”
そして執念深く生きている。
10)
最後に Fish の至言を引いて本稿を閉じよう。
「Miltonは何を意図したか?」(What does Milton mean?)という問題
と「Miltonを読む人々にいかなる意味が生じるか?」
(What meanings
occur to people who are reading Milton?)という問題との間には大きな
隔たりがある。前者には唯一の正解がありうるが、後者にはそれこそ
無数の解答がある。
注
1 )拙著『新しい英語史――シェイクスピアからの眺め』(関東学院大学出版会
s
(2006)pp. 23−24. ところで、OED によれば、つとに成句になっている devil’
advocate の、初出は1760年で、その由来はラテン語の advocatus diabol に帰
着するようである。元来はカトリシズムの教義にかかって、
「列聖、つまり聖
者の列に加えることに異議を唱えて反対意見を主張する人」あるいは「反対
ないしは誤った方向を唱導する人、またはその唱導によって大義を損ねる人」
の意味があるが、これに発して現代英語には「意図的に反対意見を述べて議
論を紛糾させる人」の意味もある。単なる「唱道者、擁護者」を意味する名
詞 advocate も、ローマ法における法律用語に由来する「代言人、弁護士」の
意味があり、また福音書は使徒書簡(1 John 2: 1)に“Advocate”と見える唯
一の使用例は、後続の同格句“Jesus Christ the righteous”
、すなわち「正しき
人イエス」の謂いである。このように、この映画の原題が意味するところは、
多義的であるというより、意図的にも‘misleading’であると言ってよい。
2 )この映画の主要キャストは以下のとおりであるが、当時22歳の Thelon が見せ
た迫真の演技は、6 年後の米国アカデミー賞の獲得(Monster)を予測させて
出色である。
KEVIN LOMAX . . . . . . . . . Keanu Reeves
MARY ANN LOMAX . . . . . . . . . Charlize Thelon
JOHN MILTON/ SATAN . . . . . . . . . Al Pacino
CHRISTABELLA. . . . . . . . . Connie Nielsen
以下、脚本からの引用は http://simplyscript.com 掲載の、1997年 1 月18日の
日付のある撮影台本(改訂版)による。ただし、米国版 DVD の音声から直接
― ―
28
関東学院大学文学部 紀要 第110号(2007)
起こした箇所を含め、やや煩瑣になるので便宜的に省いた台詞がある。
3 )好き嫌いの明確に分かれる作品であってみれば、評論家の意見はまちまちで
あるが、好意的な批評としては、例えば San Francisco Chronicle 誌の Mick
LaSalle は“a sharp, suspenseful and completely satisfying movie”(切れ味鋭
く、サスペンス豊か、完全に満足できる作品)と絶賛して A ランクを付けて
(手際
いる。また New York Times 誌の Janet Maslin は‘cleverly entertaining’
の鮮やかな娯楽作品)であり、
‘the ultimate lawyer joke movie’
(弁護士の世界
を揶揄する究極の映画)として B+の評価を与えている。要するに、「標準以
上」の出来ということである。
4 )Laura Lunger Knoppers & Gregory M.Colon Semenza, eds., Milton and
Popular Culture, Palgrave, 2006, Chapter 6: pp. 85−97; Chapter 8: pp. 113−24.
この論文集には全17篇が収められている。なお、共編者の Semanza(Connecticut 大学教授)も、文学研究とスポーツ・政治などの文化研究の綜合を視野に
入れた研究者の一人である。
5 )以下、Milton, Paradise Lost からの引用は、John Leonard 編の Penguin
Classics 版(2000)を使用する。
6 )この報道記者ラリーとケヴィンの洗面所での出会いは、ケヴィンが幻想から
脱出する場面で再度繰り返されることから、このラリーとの出会いが「現実」
と「幻想」の境なのであろう。脚本作家たちには、弁護士業界のみならず、
情報メディアに対する一種の「呪詛」があるのかもしれない。
7 )引用は、http://simplyscript.com 掲載の、1992年 9 月21日の日付のある Ron
Nyswaner による草稿台本によるものであるが、これにはページ番号は振ら
れていない。
8 )このクリスタベラもミルトンも、電話口の顧客との会話には流暢なスペイン
語を使用している。現代アメリカ社会では、ラテン系市民の増加によって教
育上の問題が深刻化していると言われて久しいが、穿った見方をすれば、法
律上でも同根の問題が多発していることの投影かもしれない。
s Advocate, dir. Taylor Hackford, Warner Bros. Special Edition
9 )The Devil’
DVD, 1998.
10)Knoppers & Semenza, eds. op. cit., p. 240.
― ―
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