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アフガニスタンを知ろう

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アフガニスタンを知ろう
2002 年度第 3 期アジア理解講座「アフガニスタンを知ろう」
アフガニスタンを知ろう
毎週水曜日(1月15日∼3月19日)
◎ コーディネーターからのメッセージ
アフガニスタンといえばターリバーンというほどに、この国は近年、特に 9.11 事件以後、紛争やイスラー
ム・ファンダメンタリズムと同一視されることが多くなりました。反面、この国の長い歴史や豊かな文化、それ
に複雑な民族構成などは、ほとんど知られていません。バーミヤーンの仏教遺跡の魅力とは何なのでしょ
う。突如世界の注目を浴びるようになったパシュトゥーン人とは、一体どのような民族なのでしょう。そしてそ
のパシュトゥーン人は、どうしてアフガニスタンとパキスタンの 2 国に分割されるようになったのでしょうか。
元国王が帰国しましたが、この国にはいつごろ王国ができたのでしょう。現在の複雑な情勢を理解する上
でも、アフガニスタンの知られざる側面を掘り起こすことが必要になってきます。
本講座では、アフガニスタンをよりよく理解するために、文化、歴史、民族、イスラーム教の意味、さらに
は人々の生活や社会の問題点、また現代の紛争や国家作りなどを、それぞれの分野の専門家や現地体
験者などの話しを中心に探ってみたいと思います。そして最終的には戦争で疲弊したアフガニスタンを再
建させるために、日本ができることは何かを考えたいと思います。
(広瀬崇子)
第 1 回 1 月 15 日(水) 国際関係の中のアフガニスタン
広瀬 崇子
アフガニスタンはヨーロッパ、中東、中央アジア、南アジア、中国などを結ぶ交通の要所に位置しています。
そのため、この国の歴史は、外国勢力の侵入と、それに対するアフガン人の抵抗、さらにはアフガン人の
間での部族抗争、といった血なまぐさい戦いの連続でした。本講義ではその長い歴史の最終部分、すな
わち現代のアフガニスタンをめぐる国際関係を紹介します。具体的には 1970 年代以降の王制廃止、ソ連
軍の介入とムジャヒディーンの抗ソ戦、ソ連軍の撤退とアフガン内戦、そしてターリバーンの登場とポスト・タ
ーリバーンという現代にいたる過程を概観します。その中で外国諸勢力がいかにアフガン問題に介入して
きたかを探るのが目的です。
第 2 回 1 月 22 日
(水)アフガニスタンの歴史
水島 司
アフガニスタンを覆う歴史の渦は、時には大きく、時には小さく、その広がりを不断に変えてきただけでは
なく、渦の目自体が常に移動してきたために、その全体像を理解することは容易ではありません。講義で
は、古代から現代に至るアフガニスタンの歴史を、1.東西大文明の交流時代(古代∼7 世紀)、2.イスラム化
とインドへの支配拡張時代(7 世紀∼16 世紀)、3.国家建設と主導権争いの時代(17世紀∼1810 年代)、4.
大国間抗争の中での国家生き残りの時代(1820 年代∼19 世紀末)、5.近代化の挫折と混迷の時代(20 世
紀初頭∼現在)という五つの時代に特徴づけて概観し、それらの渦の歴史的特徴をお話しします。講義の
中心は 19 世紀以降の時期で、現在の世界を成り立たせている国民国家システムが引きずってきた強引さ
と綻びを、アフガニスタンの歴史の中で考えたいと思います。
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2002 年度第 3 期アジア理解講座「アフガニスタンを知ろう」
第 3 回 1 月 29 日
(水)アフガニスタンへの援助と平和への貢献
渡辺 章
1982 年から NGO の一スタッフとして、アフガニスタンの人々と関わりを持ってきた。私が、そこから学んで
知っているアフガニスタンと、一般の日本人が報道を通して理解しているアフガニスタンとの間に隔たりが
あり、戸惑いを感じている。アフガニスタンがイスラム社会であることは知られているものの、あくまでも書物
上でのことであり、多くの隠れた事実は語られないままである。多神教の世界に生きる日本人にとって、こ
の宗教における実際生活を身近に感じ、知ることは大変難しいものと思う。アフガニスタンは、イスラム社会
であると同時に伝統的部族社会である。このことへの不十分な理解がこの国への関わりに歪みを生み出し
ている。彼らの宗教、生活、伝統を真に理解し受けとめていかなければ、援助を効果的に行うことは出来な
いと考える。先ずは、①アフガン人の生活とその精神構造を知り、②援助による功罪の実態を認識し、③
日本人としての特徴を生かした援助とは何かを考えていきたい。
第 4 回 2 月 5 日(水) 現代アフガニスタンの民族問題
遠藤 義雄
多民族・多言語国家のアフガニスタンは歴史的に民族問題をかかえてきたが、この問題が深刻になってき
たのは 1978 年からはじまる長い内戦の結果だった。つまり内戦期間中、一つにアフガン共産党政権がソ
連をモデルにした民族言語保護政策を採ったこと、二つにタリバン政権が反シーア派政策と多数派民族
パシュトーン人優先主義を採ったこと、三つにタリバン政権後の暫定政権が少数派民族タジク人に権力の
中枢が掌握されたことが、民族問題を先鋭化させることになった。先鋭化した民族問題を解消するには、
暫定政権と支援国が推進している「一般選挙」方式が適当なのか、あるいはアフガニスタンの伝統的な「ジ
ルガ」(国民代表会議)方式が適当なのか、今後も論議されていくことになる。
第 5 回 2 月 12 日(水) アフガニスタン文化の歴史を語る
前田 耕作
アフガニスタンの文化は長く深い歴史を有している。この歴史をひとときに語ることはできない。先史につ
いても多くのことが判りつつあるが、今回は紀元前 6 世紀にペルシア帝国の一つの行政区に加えられたと
き、ヘロドトスが『歴史』の中にそれを記録にとどめたときより、今日に至るまでの文化の流れを辿ってみる
ことにする。アレキサンドロス大王が東方遠征に費やした時間の実に 3 分の 1 をアフガニスタンで過ごした
のはなぜであったのだろうか。彼がこの地に遺した文化がその後のアジアの文化に及ぼした影響がどれ
ほど大きいものであったか。仏教がアフガニスタンにもたらされたとき、どんな文化の出会いと葛藤があっ
て独自の花を咲かせるに至ったのであろうか。玄奘三蔵はなぜアフガニスタンを通り、他の僧たちと異なっ
た道を選んだのであろうか。8 世紀、イスラーム教がアフガニスタンに入ったとき、何が生じたのであろうか。
アフガニスタンの文化の魅力はどこにあるのであろうか。つぎつぎにあがる問いに一つ、また一つ答えるこ
とで、その悠揚とした文化の歴史を伝えたい。
第 6 回 2 月 19 日
(水)アフガニスタンのイスラーム
山根 聡
バーミヤーンの仏像を破壊し、歌舞音曲を禁じ、男性に髭を蓄えさせ、女性の行動を制限したターリバー
ンは、「アフガニスタンのイスラーム」という言葉から「頑迷で強硬な」イメージを連想させることとなった。だ
が、ターリバーンが歌舞を禁じ、髭を蓄えさせたことはすなわち、そのような生活をしていない人々がアフ
ガニスタンに存在していたことを示していることに気付かねばならない。また同時に、アフガニスタンには、
ターリバーンを支援しなくとも髭を蓄える男性や、ヴェールを被る女性がいることも忘れてはならない。アフ
ガニスタンには、聖者崇拝を行う人々や、音楽に親しむ人、これらを一切否定する人々など、様々なムスリ
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2002 年度第 3 期アジア理解講座「アフガニスタンを知ろう」
ム(イスラーム教徒)の姿が見られるのである。本講座では、アフガニスタンにおけるイスラームの諸相を歴
史的に概観すると共に、「ジハード(聖戦)」の論理が、アフガニスタンでどのように展開されていったかを探
る。
第 7 回 2 月 26 日(水)アフガニスタン経済再生−自立した経済を目指して−
小田 尚也
インダス河より西側の乾燥した地域に位置し、周囲を陸に囲まれた内陸国であるアフガニスタンは、小麦
の生産や牧畜を中心とした農業国である。現在、長年にわたる内戦により国内の経済・社会基盤は破壊
され、国家経済は機能停止の状態にある。内戦勃発前には、食糧自給を概ね確保し、農産品の一部を
輸出していた農業部門も、内戦そして近年の干魃により大打撃を受けた。食糧需給のバランスは大きく
崩れ、国際機関や NGO からの援助が不可欠であり、周辺国からのアフガン難民の帰還とともに、今後、
更なる食糧不足が深刻化する可能性がある。自立した経済を目指す上で、まずは、食糧供給能力の向
上と雇用の創出が急務となる。アフガニスタン復興に向けた支援が進む中、経済再生のシナリオはどうあ
るべきか。講義では、アフガニスタン経済を短期的視点、長期的視点から見つめ、自立した経済への必
要条件を検討する。
第 8 回 3 月 5 日(水) (アフガニスタンからみた日本)
M. ファルク アーセフィ
第 9 回 3 月 12 日(水) 国際関係からみた現代アフガニスタン情勢
堀本 武功
□講義の狙い ①国際関係史から見たアフガニスタンの地政学的な特殊性、特に 19 世紀から第二次大戦
前までのアフガニスタンをめぐる列強の動きを解明すること。 ②現在、各国がなぜアフガニスタンに関心
を持つのか、いわば、「アフガニスタンをめぐる大国間パワー・ゲーム」を明らかにすること。具体的には、
安全保障、テロ、イスラーム、オイルなどに対する各国の思惑を解明すること。□講義概要Ⅰ.アフガニスタ
ンをめぐる国際関係―歴史的経緯(1.第二次大戦まで 2.第二次大戦後からタリバン台頭まで)、Ⅱ.タリバ
ン政権時代のアフガニスタンをめぐる国際関係、Ⅲ.アフガニスタン新政権誕生とその後の各国の思惑(1.
諸外国の共通関心、2.アメリカの狙い、3.各国の狙い(ロシア、中国、印パ、中央アジア諸国、中東諸国、
日本))、Ⅳ.今後の見通し
第 10 回 3 月 19 日(水)日本の支援・今後の課題
宮田 律
アフガニスタンに対する日本の支援はいかにあるべきかを 2002 年 8 月に国際交流基金の調査団の一員と
してアフガニスタンを訪問した体験などを通じて考えてみたい。移行政権が 2002 年 6 月に成立したとはい
え、その和平の基盤はまだまだ脆弱で、永続的な安定のために何が必要で、日本はどのような分野で貢
献できるかを検討する。2002 年夏の訪問では、国民の間の経済格差、地域間格差などが拡大し、地方の
治安も安定とはほど遠い状態だった。社会・経済基盤の整備への支援はもちろん必要だが、教育・文化活
動に対する支援は復興への人材を供給するという点で特に重要だという印象をもった。アフガニスタンへ
の支援や関心が一過性だと、アフガニスタンは紛争や不安定に逆戻りする危険性を孕んでいる。アフガニ
スタンの紛争が国際的なテロの温床となっていたことを考えると、その安定への寄与は日本の外交パワー
を増すことにもなる。アフガン支援に関する日本の課題や今後の取り組みについて提言を行ってみたい。
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2002 年度第 3 期アジア理解講座「アフガニスタンを知ろう」
講師紹介
広瀬 崇子(ひろせ たかこ)
(講座コーディネーター)大東文化大学国際関係学部教授
津田塾大学卒業、ロンドン大学博士号(Ph. D., 国際関係論)。専攻は南アジア政治・国際関係。主な著書
に、『アフガニスタン:南西アジア情勢を読み解く』(共編 明石書店 2002 年)、『現代南アジア 3 民主主義
へのとりくみ』(共編 東京大学出版会 2002 年 10 月)、『国際情勢ベーシック・シリーズ 東南・南アジア/オ
セアニア』(共著 自由国民社 2001 年)、Two Asian Democracies: A Comparative Study of the Single
Predominant Party Systems of India and Japan(単著 Konark Publishers, New Delhi, 1994)などがある。
水島 司(みずしま つかさ) 東京大学人文社会系研究科教授
18 世紀南インド社会経済史を中心に、古代から現在に至る南アジア・東南アジアの歴史を、文献資料に、
村やプランテーションでの住み込みを含めたフィールドワークを織り交ぜて研究。近年は、歴史地理情報
システム論にも着手。多数の英文著書・論文の他に、『アジア読本 マレーシア』(編著 河出書房新社)、
『世界の歴史 14 ムガル帝国から英領インドへ』(共著 中央公論社)、『現代南アジア6 世界システムとネ
ットワーク』(共編著 東大出版会)など。NHK教育TV『歴史でみる世界』で、「クシャーナ朝とガンダーラ」、
「ユーラシアの東西を結ぶ 海のシルクロード」、「チャンパとアンコール」、「藩王とヴィクトリア女王」、「多民
族国家の国民形成 現代東南アジア」等、毎年数本の番組を制作、出演。東京大学文学部東洋史学科、
同人文系大学院修士課程修了。文学博士
渡辺 章(わたなべ あきら) NGO 燈台現地代表、Nejat Center (麻薬中毒患者更生プロジェ
クトを中心にしている Afghan NGO)アドバイザー東京
1982 年にパキスタン・ペシャワールを訪問。アフガン難民の実状を知り、2 年後、家族と共にペシャワール
に赴き、欧米の難民救援団体(Serving Emergency Relief and Vocational Enterprise)に所属し、1993 年 7 月
まで奉仕する。1991 年、麻薬中毒患者更生施設、ローカル NGO(Nejat Center)の設立に尽くす。帰国後、
1995 年 NGO 燈台の働きに加わり、カブールにあるマラリヤ及びリーシュマニア病の為のクリニックの責任
を持つようになる。パシュトゥン族(アフガン人)と波長が合う。ひとたび現地に着くとアフガン・モードに入っ
てしまい、パシュトウ語での会話がとまらなくなる。
遠藤 義雄(えんどう よしお) 拓殖大学海外事情研究所教授
1948 年福島県生まれ。1971 年拓殖大学政経学部経済学科卒後、1972 年から 1975 年まで欧州・世界一周
遊学。1975 年から 1978 年まで(株)育誠新社に勤務し隔月雑誌『人と国土』編集に従事する。1979 年アフ
ガニスタン国立カーブル大学留学(ペルシャ語)、1980 年から 1983 年までパキスタン国立ペシャワール大
学留学(パキスタン史)。1984 年拓殖大学海外事情研究所非常勤講師、1986 年同研究所専任講師、1991
年同研究所助教授、2001 年より現職。専攻は南西アジア地域研究。主な著書は、『アフガン 25 年戦争』
(平凡社新書 2002 年)、『ポスト・タリバン』(共著 中公新書ラクレ 2001 年)、『21 世紀の民族と国家』(山内
昌之編(共著)日本経済新聞 1993 年)、『宗教と民族』(共著 学研 1996 年版、2001 年版)、主な論文は「ア
フガニスタンのイスラム革命運動」(『報告』拓殖大学海外事情研究所)、「タジキスタンのイスラム運動」(『報
告』拓殖大学海外事情研究所)、「中央アジアのイスラム」(『海外事情』拓殖大学海外事情研究所)、「イン
ドとCTBT」(『海外事情』拓殖大学海外事情研究所)など。
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2002 年度第 3 期アジア理解講座「アフガニスタンを知ろう」
前田 耕作(まえだ こうさく) 和光大学表現学部教授・学部長
1933 年生まれ。名古屋大学文学部卒業。専門はアジア文化史。1964 年名古屋大学アフガニスタン学術調
査団の一員として初めてバーミヤンを訪れて以来、数度にわたり実地調査を行う。2002 年 9 月、25 年ぶり
にバーミヤンを訪れる。景観は変わっていなかったが遺跡の破壊は冷徹にして計画的なものであったこと
を改めて知った。著書、『巨像の風景』(中公新書)、『宗祖ゾロアスター』(筑摩新書)、『ディアナの森』(せ
りか書房)など。訳書、エリアーデ『イメージとシンボル』、バシュラール『火の精神分析』(せりか書房)など。
編書・監修、『デュメジル・コレクション』(全 4 巻 筑摩学芸文庫)、グニョリ『ゾロアスター論考』(平凡社東洋
文庫)など。
山根 聡(やまね そう) 大阪外国語大学外国語学部地域文化学科助教授
1964 年生まれ。大阪外国語大学卒業、同大学院修了。1991 年、パキスタン・パンジャーブ大学オリエンタ
ルカレッジ修士課程修了、1994 年より 96 年まで、在パキスタン日本国大使館専門調査員。ウルドゥー語
学・文学、南アジアのイスラーム文化専攻。著書に『アフガニスタン史』(共著 河出書房新社 2002 年)、
『「対テロ戦争」とイスラム世界』(共著 岩波新書2002 年)、『岐路に立つ世界を語る』(共著 平凡社2002 年)
など。
小田 尚也(おだ ひさや) 日本貿易振興会アジア経済研究所地域研究第一部研究員
バージニア工科大学経済学部博士課程単位修了。経済学修士。専門は、パキスタン経済、経済成長論。
著書・論文に、「IMF 構造調整下のパキスタン財政」(『アジア経済』第 42 巻 12 号 2001 年)、「パキスタン経
済におけるアフガン問題」(広瀬崇子・堀本武功編著『アフガニスタン−南西アジア情勢を読み解く−』明
石出版 2001 年)、「金融部門の発展と経済成長−アジア経済データからの実証研究−」(国宗浩三編『ア
ジア諸国金融改革の論点』アジア経済研究所研究双書 No. 519、2001 年)。(社)土木学会『アフガニスタン
国土復興ビジョン』委員を務め、経済・産業部門を担当(2002 年4月∼12 月)。
M. ファルク アーセフィ(M. Farouq Asefi) 社団法人 日本・アフガニスタン協会理事
1958 年アフガニスタン生まれ。1977 年4月カブール教育大学入学。同年 10 月、留学のため渡日。拓殖大学日
本語別科で半年間日本語を学び、1978 年4月創価大学に入学。 創価大学では法学部で法律学を専攻。さら
に同大学大学院にすすみ、1992 年法学研究 科博士課程を修了。大学院では世界的な普遍性をもつ日本国
憲法の平和理念と人権思 想を研究。卒業後は大学での専門を活かし、法廷通訳や法律関係の翻訳に従事。
仕事のかたわら反タリバン運動を展開し現在に至る。1990 年より日本アフガニスタン協会理事。
堀本 武功(ほりもと たけのり) 国立国会図書館専門調査員
1966 年中央大学法学部卒業。1971 年デリー大学大学院政治学修士修了後、1972 年国立国会図書館入
館。現在、国立国会図書館専門調査員。主な著書□単著 『70 年代以降のカシミール問題』(外務省 1992
年)、『インド現代政治史』(刀水書房 1997 年)。□共編 『アフガニスタン 南西アジア情勢を読み解く』(明
石書店 2002 年)、『叢書現代南アジア第 3 巻 南アジアの政治』(東大出版 2002 年□関連論文 「オサマ・
ビン・ラーデンと米国―2001.9 世界貿易センタービル事件等に関連して−」(『国立国会図書館 ISSUE
BRIEF NUMBER 371 (SEP.13.2001)』)、「南西アジアをめぐる大国間パワー・ゲーム-2001 年 9 月同時多発
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2002 年度第 3 期アジア理解講座「アフガニスタンを知ろう」
テロ事件に至る背景-」(『レファレンス』2001 年 10 月号)、「アメリカとイスラームー同時多発テロ事件から1
年」(『レファレンス』2002 年 8 月号)など
宮田 律(みやた おさむ)
1955 年山梨県甲府市生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科史学専攻修了。カリフォルニア大学ロスア
ンゼルス校(UCLA)大学院歴史学科修士課程修了。現在、静岡県立大学国際関係学部助教授。専攻は、
現代イスラム研究、中東・中央アジアの国際政治「ユーラシア中西部におけるイスラム過激派の台頭構造と
日本外交」の研究にてパキスタン、エジプト、イギリス、米国を訪問(平成 12 年度国際交流基金フェローシ
ップ事業)。主要著書に『物語イランの歴史』(中公新書 2002 年 9 月)、『現代イスラムの潮流と原理主義の
行方』(集英社 2002 年 6 月)、『「イスラム過激派」をどう見るか』(岩波書店 2002 年 2 月)『現代イスラムの潮
流』(集英社新書、2001 年 6 月)など。
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