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東西の系譜

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東西の系譜
西洋の伝統と﹁老いらくの恋﹂
﹁老いらくの恋﹂・東西の系譜︵二︶
第一章
増 田 裕美子
学校通い。さてその次は恋する若者、鉄をも溶かす
炉のように溜息ついて、悲しみこめて吐き出すは
あやしげな誓いの文句並べ立て、豹のような髭はやし、
恋人の顔立ち称える歌。次に演ずるのは軍人、
に召すまま﹄の中のジュイクイズのセリフを、少々長いが最
名誉欲に目の色変え、むやみやたらに喧嘩っ早く、
前号の序論において一部引用したシェイクスピアの﹃お気
初から最後まで引用してみよう。
あぶくのような功名のみ。それに続くは裁判官、
大砲の筒先向けられてもなんのその、求めるのは
賄賂の去勢鶏つめこんで腹はみごとな太鼓腹、
もっともらしい格言やごく月並みな判例さえ
この世はすべてこれ一つの舞台、
□に出せればはたせる役。さて第六幕ともなれば、
目はいかめしい半白限、髭は型どおり八の字髭、
そしてそのあいだに一人一人がさまざまな役を演じる、
見る影もなくやせこけてスリッパはいた間抜けじじい、
それぞれ舞台に登場してはまた退場していく、
年齢によって七幕に分かれているのだ。まず第一幕は
鼻の上には鼻眼鏡、腰にはしっかり腰巾着、
人間は男女を問わずすべてこれ役者にすぎぬ、
次は泣き虫小学生、カバンぶらさげ、輝く朝日を
若い乙ろの長靴下は、大事にとっておいたのに、
赤ん坊、乳母に抱かれて泣いたりもどしたり。
顔に受け、歩く姿ほカタツムリ、いやいやながらの
波乱に富んだ奇々怪々の一代記をしめくくる終幕は﹂
鳴るばかり。いよいよ最後の大詰めは、すなわちこの
かん高い子供の声に逆もどり、ピーピーヒユーヒユー
しなびた脛には大きすぎ、男らしかった大声も
家にこもる時期、法律、学問、研究に携る人々の時期。ひ
戦争と騎士道の時期。ひとりの武装した男。そして最後に
散歩、恋の庭、暦絵の五月の婚礼あるいは狩猟。それから
や宮廷風で騎士道的なスポーツの時期。婚礼、青年男女の
どのようなものであれ、人々の意識の中に深く浸透していた。
このように固定化された人生のイメージは、現実の人生が
に向かってい璽
げを生やし昔風の衣装を着た年老いた学者が炉端で書見台
︵1︶
第二の赤ん坊、闇に閉ざせれたまったくの忘却、
歯もなく、目もなく、味もなく、なにもない。
︵小田島雄志訳︶
︵というより男の︶人生を
シェイクスピアの﹁人生の七幕﹂もほぼこのイメージを踏襲
シェイクスピアはここで人間の
七つの幕に分けて描いてみせているが、これは中世以降ヨー
いる幼年期、少年期、青年期、壮年期、老年期の特徴に合致
しており、第五幕までのそれぞれの幕は、ここで述べられて
︵2︶
ロッパにおいて重要な観念として広く民間に流布していた﹁人
ところでシェイクスピアの場合、老年期はさらに第六幕、
していると言える。
生の諸時期﹂をあらわしたものに他ならない。この観念は暦
絵において十ニケ月と関連づけて表わされるなど、民衆的な
図像における常套的なテーマを成していたが、フィリップ・
に前号の序論において取り上げ、老竃の果ての﹁第二の子供
﹁やせこけてス
第七幕と続いている。最後の幕である第七幕についてはすで
Tこ
であると述べた。それでは、第六幕の
⋮⋮∵旨esi注ぎageshi諾s
第六幕の最初の部分を原文で示してみよう。
リッパはいた間抜けじじい﹂とは一体何なのであろうか。
時代﹂
アリエスによれば、そうした図像が十八世紀まではとんど変
という。すなわち、
わらぬ本質的な特徴を定着させるのは特に十四世紀のことだ
まず最初は玩具で遊んでいる時期。子供たぢは木馬や人形
子たちは読み方を習ったり、本や筆箱を手に持っていたり
lntOthe−eanandslipperedpanta−00n−
や小風車やつながれた鳥と遊んでいる。次に学童期。男の
し、女の子たちは糸の紡ぎ方を習っている。それから恋愛
へ5︶
WitFspectae訂sOn冒Sea已pOu¢FOヨ臥de.
しく黒の長い外衣を身につけ赤い長靴下をはいて登場した。
当然のことながら彼はヴェネツィアのことば、すなわちヴュ
夫だったり父親だったりするが、つねに若い娘に恋をしては
問題の﹁間抜けじじい﹂とはpanta−8nすなわちイタリア ネト方言を話す。彼は欲ふかで好色でまぬけな老人であり、
のコメディア・デ・ラルテの主要な登場人物の一人であるパ
人同様の役割を担う人物がいる。ドットーレ︵DOttOre︶と呼
コメディア・デ︰フルテでは、パンタローネの他にもう一
結局みんなから馬鹿にされ騙される。
﹁恋する老人﹂の典型とも言う
ンタローネ︵Panta−One︶のことであった。そして他ならぬこ
のパンタローネこそ、西洋の
べきものなのである。
格上台本というものが存在しないゆえである。もちろん大ま
パ中に流行したイタリア喜劇ではあるが、即興演劇という性
はわかっていない。十六世紀から十八世紀にかけてヨーロッ
されていた事実と符合する︶。そしてパンタローネと同様に欲
﹁人生の諸時期﹂の観念において学問が老人の仕事として認識
ニャ方言を話す。彼もまた老人である︵これは先に紹介した
ローニャの人である。彼は大学のガウンを身につけ、ボロー
修辞学者、文法家といった博士であり、最古の大学があるボ
ばれる人物がそれである。彼はその名のとおり法律家、医者、
かな筋はあらかじめ決められており、実際そういった筋書き
コメディア・デ︰フルテについては残念ながら詳しいこと
が多く残されているが、役者たちはそれぞれの役どころに従
ふかで好色なドットーレは若い娘を追いかけては最後には騙
パンタローネもドットーレも恋に悩む老人であるが、その
って場当たり的な演技や当意即妙のやりとりを繰り返してい
こうした即興性のゆえに登場人物の定型化はまことに著し
彼,万は愚かで性格的にもあまり好ましい人物とは言えない。
老いらくの恋の運命はどうやら芳しいものではないようだ。
されて皆の笑い者となる。
い。コメディア・デ・ラルテの大きな特色である仮面の使用
た。
ということも登場人物の定型化に大いに与っていた。仮面だ
彼らの恋もその淫らな欲情のあらわれである。彼らが欺かれ
コメディア・デ︰フルテは言語の違いを越えてヨーロッパ
けでなく服装などもー足しており、登場人物の性格は型には
諸国で人気を博し、各国の芸術にも少なからぬ影響を与えた
嘲笑されるのも無理からぬことなのである。
ここで問題となっているパンタローネについて見れば、彼
まったものとなっていた。
は年老いたヴェネツィアの商人であり、ヴェネツィア貴族ら
tb巴e嘗ands−ippered いかにパンタローネ的な﹁恋する老人﹂像が民衆の意識の中
。
pPnta−00nは影響の大きさを物語る一つのささやかな例で にしっかりと根を下ろしているかを覚らないわけにほいかな
︵先に引用したシェイクスピアの
ある︶。この点に関してたとえば、即興演劇であるため﹁型に
さてそこで我々は、ヨーロッパの古い伝統を測り、パンク
ローネの祖先とも言うべき人々について話を始めたいと思う。
はまった表面的なおかしさを追うドタバタ喜劇﹂となって、
﹁役者の動作も大きく、曲芸師的な演技が要求され﹂音楽や踊
についてである。
日本ではあ篭り知られてはいないローマ喜劇の中の老人たち
︵一hこ■
りが取り入れられ﹂たことが、観衆の理解を助けたのである、
二
という説明がなされている。だがそれだけではなく、﹁型に
はまった﹂おかしさや﹁型にはまった﹂登場人物の、その﹁型﹂
が、ヨーロッパ各国の観衆にとって馴じみのある理解しやす
のである。そしてその伝統は古いばかりでなく民衆的な次元
は言い難い。それはむしろ古いヨーロッパの伝統に属するも
という人物造型は十六世紀のイタリアに独自のものであると
のパルリアタ劇にそれ自体の価値がないわけではもちろんな
いことはわからないが、その模倣であるからといってローマ
てはメナンドロスの作品の断片が二、三残存する程度で詳し
たパルリアタ劇の代表作家であった。ギリシア新喜劇につい
スの名が挙げられるだろう。彼らはギ・リシア新喜劇を模倣し
ローマ喜劇と言えばまずプラウトゥスついでテレンティウ
にも深く及ぶものであった。そもそもコメディア・デ・ラル
実際、パンタローネやドットーレに見られる﹁恋する老人﹂
いものであったということもあるのではないだろうか。
テ自体大道芸的な民衆演劇であるが、パンタローネの役柄に
い。後世のヨーロッパの文学・芸術に直接に影響を与えてい
老人の恋をテーマとしていくつかの作品を書いている。その
ここで取りあげるのは専らプラウトゥスの作品だが、彼は
ったように思われる。
piaNい
Nて
aこれまでないがしろにされてきたのはいささか不当であ
る点から見てもローマ喜劇は重要性を持っており、日本にお
関して、
くeccFiOinnamOra汁○巴−s宅ginOd監a
恋する老人は広場の槍的︵すなわち非難・攻撃・嘲笑の的︶
というようなことわざが引き合いに出されてい前のを見れば、
中の一つ、﹃商人︵MercatOr︶﹄を次に紹介してみよう。
この作品はギリシア新喜劇の作家フィレモンの同名の作品
たしかに私もかつて若い頃恋をした、しかしこんなに気の
スで、観客に向かい、自分が放蕩三昧をして父親の財産を使
の口上を第一幕第一場で述べるのはアテナイの若者カリーヌ
づく第二場での、隣に住む友人リユスイマクスとの対話はデ
けだが、そののぼせぶりはまさしく正気の沙汰ではない。つ
息子の恋人にそれとは知らずに父親は恋をしてしまったわ
狂ったためしはな
い果したこと、自分を更生させるため父親が船を用意し商品
、、うォの老いらくの恋狂いを映し出してなかなかに面白い。
を底本としていることが冒頭の口上でも述べられている。そ
を満載して自分をロドス島へ送り出したこと、無事商品も売
棺桶に片足つっこんだ年齢だね。年取っ
私は何歳ぐらいに見えるかね。
デミフォ
り尽してたんまりと金を儲けたがロドス島の友人宅で美しい
奴隷娘が気に入り買い取って一緒に連れ帰ったこと、しかし
リユスイマクス
たよぼよぼのじいさんだ。
見方がゆがんでいるよ。リエスィマクス、私は七歳の
子供だなんて気は確かかい。
子供だよ。
り
本当のことを言ってるんだよ。
デ
父親には知られたくなくて娘を船に残してきたことを語る。
ついで第二場となり、カリーヌスの召使の奴隷アカンティオ
が登場する。娘の見張りを言いつけておいたのに息せききっ
果してアカンティオはカリーヌスの父親が船の上にまでやっ
デ
あんたが何を言おうとしていたか、やっとわかった。
て駆けてきたのでカリーヌスは良くない知らせだと予感する。
て釆て娘を見つけてしまい、﹁誰のものだ﹂と訊くのでカリ
り
び子供に帰るとよく言うからね。
いいやそれどころか私は以前より二倍も元気になった
よ。
デミフォは日もよく見えるようになったと言い、リエスィ
デ
年を取って感覚も頭の働きも駄目になってしまうと、再
ーヌスが母親の女中として買ったのだと言い繕ったことを報
次の第二幕第一場では港から戻ったカリーヌスの父親デミ
告する。
フォが登場、ロドス島から到着したばかりの息子の船を偶然
見つけてその船に行き、そこで見つけた娘に一目惚れしたと
独白で述べる。
マクスが﹁それは良かった﹂と言うと、そうではないんだ、
別の青年に娘を買うよう頼まれているのだと言い張る。結局
に売ると嘘をつく。息子のカリーヌスも真相を打ち明けずに
絶望に打ちひしがれるが、リユスイマクスの息子で親友のエ
デミフォが我意を通して港へと出かけていく。カリーヌスは
と恋の悩みを打け明け始める。
私は今日から学校へ通い始めたんだ。リエスィ
しかし娘はデミフォに頼まれたリエスィマクスが一足先に
デ
三つの文字って何だい。
買い取り家へ連れ帰ってくる。妻が田舎に行って留守の間預
ウテエクスが力を貸そうと申し出て港へ出かけていく。
り
AmO ︵恋している︶
もう三つの文字を覚えたよ。
デ
ることになったのである。デミフォは喜んですぐに娘に会お
の支度をしようと二人一緒に出かけていく。一方カリーヌス
うとするが、リユスイマクスに押しとどめられ、まずは食事
あんたがかい、頭の白いあんたがかい、全くろくでも
頭が白かろうが赤かろうが黒かろうが、私は恋をして
ないじいさんだね。
り
デ
て他国へ旅立とうと決心する。
はエウテエクスから娘が手に入らなかったという報告をうけ
リ
事はそううまくは運ばない。リエスィマクスたちが出かけた
いるんだ。
デミフォは嘘をついていると思うならこの首をはねてみろ、
後に突然リエスィマクスの妻が帰宅して家の中にいる娘を夫
こうしてデミフォの恋はまさに成就せんばかりとなったが、
指でも耳でも鼻でも切ってみろと迫まる。リエスィマクスは
の女だと勘違いし、帰ってきたリエスィマクスをさんざんに
き、家に入って娘がカリーヌスの恋人であることを知る。そ
デミフォ、あんたは私をからかっているんだね。
観客に向かってこう言う。
皆さんが恋する男の絵をご覧になったことがあるなら、こ
してそのことをカリーヌスに知らせて家の中に入らせる。デ
やっつける。エウテユクスは両親が喧嘩をしていることを聞
の男がそれですよ。私が思うに、よぼよぼの葛藤じいさん
ミフォはと言えば、リユスイマクスから妻とのいざこざを聞
スが家から出てきて父親のリユスイマクスに母の機嫌が直っ
かされ誤解を解いてやろうとやって来る。そこへエウテエク
は壁に描かれた絵のようなものなのですから。
デミフォは息子には自分の恋心を隠して件の娘をある老人
6 −
たことを告げ、デミフォには娘は息子のカリーヌスのものだ
﹃カスィーナ︵Casina︶﹄という作品について見れば、アテ
いう趣向になっているからである。
ナイの老人リユスィダームスは、昔家の前に捨てられていた
と知らせる。この最後の場面でエウテエクスはデミフォのこ
とを﹁うぶな恋人︵nO喜∽amatOユ﹂
のを拾われて妻が娘同様に養い育てた女奴隷カスィーナに思
﹁年取った少年︵諾t琵
p莞r︶﹂と呼んでからかい、リエスィマクスもデミフォの恋
ュスィダームスは邪魔な息子を外国へ送り出したあと、カス
を﹁若気の過ち︵d巴ictisadu−2S詔ntiae︶﹂と邦冷する。
いそ
をし
寄せるが、息子も同じくカスィーナに恋をしている。リ
ろう。今後いかなる者も、節度をもって行なわれるならば、
その者は我々が関わっている限り絶対に困窮することとな
を愚か者と判断するだろう。そして財産を浪費するならば
々が以下の法律に従って取り扱うことになろう。我々は彼
であろうと、女遊びをしたことが知られた者は誰でも、我
六十歳になったらば、結婚していようと、また確かに独身
て初夜の床でオリユムピオともども辱められたリユスィダー
ストラータはカリーヌスを花嫁に仕立てて送り込む。そうし
スィーナがオリユムピオと結婚することに決まると、クレオ
ヌスをカスィーナの夫に、と提案する。そしてくじ引きでカ
スィーナを息子のものにしてやるため、息子の盾持ちカリー
ィダームスの妻クレオストラータは事情を承知していて、カ
ピオをカスィーナと結婚させようと画策する。しかしリエス
て最後にエウテエクスは老人が守るべき法律を布告する。
若い息子が恋愛をし、恋人を連れ込むのを妨げないように。
ムスは、妻に許しを乞う羽目となる。舞台には最後まで問題
ィーナを手に入れるため手下の奴隷で農園管理人のオリユム
これを妨げるならば、公然と差し出す場合よりもっと多く
の娘カスィーナもリエスィダームスの息子も出てはこないが、
上で述べられている。
て晴れてリユスィダームスの息子の妻となったことが納め口
後日讃としてカスィーナが自由市民の娘であることが判明し
のものをひそかに失うことになろう。
老人の恋は糾弾され、恋する老人は嘲笑を浴びて、劇は幕
慕して妻に痛めつけられるという詣である。筋や登場人物の
﹃駿馬物語︵Asinaria︶﹄もまた、老人が息子の恋人に横恋
人﹄に限らず、老人の恋をテーマとしているプラウトゥスの
性格に一貫性の欠如が見られるが、一応の筋を述べておくと、
リーヌスの恋仇となっている点に注目したい。というのも﹃商
となるわけだが、ここで、この恋する老人デミフォが息子カ
作品はどれも、老人が一人の女をめぐって息子と張り合うと
後の場面にもよく現れている。そこに出てくる二人の老人は
た老人の好色な側面は﹃二人のバッキス︵BPC註i計s︶﹄の最
﹃墟馬物語﹄のデマエネートゥスとは違って息子たちを娼婦た
に悩むことがなく、全く真剣さに欠けるからである。そうし
を工面してやろうと考えて、奴隷のリバーヌスにその金の工
ちから引き離そうとやって来るのだが、ミイラ取りが、、、イラ
隣家の娼婦に入れ揚げて金を使い果した息子のために老父デ
面を命じる。リバーヌスは相棒のレオニダと組んで、デマエ
になる如く、自分たちもその娼婦たちの虜になってしまう。
マエネートゥスが妻に財布を握られていながらも何とかお金
ネートゥスの下男頭のところに墟馬の代金を持ってきた商人
そこで劇は終わってしまうが、老人たちと息子たちの間に娼
婦たちをめぐって争いが始まるのは目に見えている。実際、
それに一役買い、くすねた金を息子のところに持っていかせ
るが、女を一晩貸すという条件をつける。息子は承諾し、デ
納め口上で作者はこう述べている。
を騙してうまくその代金をくすね取る。デマエネートゥスも
マエネートゥスは娼婦の家で楽しく過ごし始める。しかし、
のをこれまでに見ていなかったならば、このような芝居を
そして我々も遊女屋で父親が息子の恋仇となることがある
息子の恋仇である青年ディアポルスは一足違いで女が自分の
ものにならなかったのを恨み、デマエネートゥスの妻に夫の
作らないでしょう。
浮気を知らせる。駆けつけた妻はデマエ、ネートゥスを引っ立
てて帰る。
﹃駿馬物語﹄では最初老人は息子の恋人に何らの恋心も抱い
それが急に息子と女を取り合うような始末になるので、この
ローマの現実の状況を反映したものであったようだ。確かに
とも言うべき、一人の女をめぐる父親と息子の争いは当時の
ところでこの口上からもわかるように、ローマ喜劇の定石
老人の性格に一貫性がないと評されることにもなるのだが、
パルリアタ劇はギリシア新喜劇の模倣であり、事件の舞台と
ていない。そして息子の恋を積極的に応援しようとさえする。
かえってそこに老人の好色さがはっきりと見てとれるように
そこに描かれる生活や事件はローマ人に全く無縁のものでは
なるのはギリシアで、登場人物もギリシアの人々であるが、
この点は、ローマ喜劇に対する近代的な道徳批判を戒める
なかった。
も思う。というのも、﹃商人﹄や﹃カスィーナ﹄では老人が
てもその恋に真剣なものも感じられてその恋の哀れな結末に
自分の恋の悩みを友人に告白する場面があり、浮気ではあっ
同情する余地がなくもなかったが、﹃駿馬物語﹄の老人は恋
ー8−
処女との自由な交際は、苗代においては、自由人の間では無
概に不真面目なものと受け取るわけにはいかない。﹁青年と
関良三氏は反論を述べている。また遊女との恋愛にしてもー
感ぜられてよかったところの、当時の生活的な現象﹂だと新
ものは﹁日常の生活の中によく見うけられ、そして面白いと
で忌わしい作品であるとの非難に対し、そこに描かれている
意味でも重要なことだろう。たとえば﹃髄馬物語﹄が不道徳
間に相当のギャップがあったことは否めない事実であろう。
意向﹂をローマの理念と読みかえるならば、理念と現実との
わからない。しかし、新関氏の言う﹁ローマの公的な一般的
実際にローマの伝統的な風俗がどの程度頼廃していたかは
した生活の場面をばそのままローマに移して、それをローマ
人自身の生活の描写とす空ことは敢てしなかった。
した卑俗さを見物して、〓樫の面白さに悦びはしたが、そう
ずることはできなかった。人々は、ギリシャの市井人の弛緩
︵9︶
かっし、﹁両親が、その子らがまだ子供であるうちに、
ローマの現実はもはやローマ的理念をそのまま体現するもの
婚約を定めてしまう﹂という一般的な状況から考えれば、む
■〓、
ではなくなっていて、理念そのものを脅かしっつあったに違
いる。
って裏切られつつあったことを芝居そのものが教えてくれて
ーマ的理念の体面を保ったけれども、理念の実体は現実によ
いない。パルリアタ劇はギリシアの衣を身にまとうことでロ
しろ自然な現象と言うべきだからである。
それにしても、ローマのパルリアタ劇は何ゆえあくまでギ
リシアの着物パルリウムを着つづけたのであろうか。
この点について新関良三氏は次のような見解を明らかにし
ている。軽妙で浅く、道徳の堅固さなどを問題としない生活
。
はできなかったであろき﹁
それでも併しまだ、ローマの公
ったならば、それらはローマの観客の興味を呼び集めること
リシャ文化の影響によって相当に弛緩させてしまっていなか
早くも種々の方面からして侵入して釆ていたヘレニズム・ギ
については、﹁そのローマが、従来の厳格で窮窟な風俗をば、
長たる父は子を殺害、遺棄、譲渡できる権利を持っていた。
内での権威、すなわち家長としての権威に基づいている。家
的に大きな権威を持っていた。その権威は結局のところ家庭
では父祖の慣習︵mOSm巴Orum︶が重んじられ、老人が社会
院︵sen監u巴という機構によった老人支配の国であり、そこ
よく教えてくれるものはない。周知のとおり、ローマは元老
殊に今我々が問題としている老人︵seneエほどそのことを
的な一般的意向は生真面目でありすぎて、ギリシャ新喜劇の
この生殺与奪の権利は時代を経るに従って次第に制限されて
観を土台とするギリシア新喜劇の作品がローマに移入される
背景となっておる生活観や、そこに描写される生活慣習に同
一9
はいくが、子はいくつになっても家長の支配権の下にあると
ウィタスは、重厚さ、威厳、品位をあらわす美徳である。
に同情すべき点がないわけではない。﹃商人﹄の老父デミフ
さて件の老人たちはそうした美徳を備えているだろうか。
ォは自分の若い時父親のしめつけが厳しく働かされてばかり
いう基本的事実に変わりはない。とりわけ財産に関して子は
子は父親に服従する他はなかった。すでに見たとおり、﹃カ
いて色恋にうつつを抜かすことなどできなかったし、﹃墟馬
恋に浮き身をやつして妻や息子をないがしろにし、威厳や品
スィーナ﹄の老父は恋仇の息子を有無を言わさず外国へ追い
物語﹄のデマエネートゥスは持参金目当てに結婚した妻に財
位に欠けることは甚しいと言わねばなるまい。もちろん彼ら
遣り、﹃髄馬物語﹄の息子はお金をやる代りに女を一晩貸せ
布のひもを握られていて全然頭が上がらない。彼らが羽目を
多大な権力を背景に老人たる父親は子の上に君臨しており、
という父親の要求を承諾せざるを得ない。﹃商人﹄に凄いて
無能力者とされ、財産はすべて家長に属していた。こうした
も、意中の娘を別人に売ると主張し合う父と息子のうち、結
はずしたくなる気持ちもわからぬではない。だが、彼らがも
彼らが背から愚弄されるのも無理はないのである。
はやロヨマ的美徳を体現する人物でないのは明らかである。
局は息子が父親に言い負かされてしまう。
しかしながら、この父親たちは恋の争奪戦において最後に
ともあれ、彼らの行状は当時の実態を映し出している。老
は息子たちに勝利を譲る羽目となる。彼らは妻や回りの者た
ちの打榔や非難を浴びて身を縮ませる。彼らの権威は地に墜
いの身で色恋にふけるのは﹁けしからぬ事・竃P乳ti仁m︶﹂な
のに次々と老らくのアヴアンチエールを楽しむ老人たち。﹃商
︵15︶
ちているのである。これは一体どうしたことなのだろうか。
父祖の慣習を重んじたローマでは、家長の教育的役割は重
らば、我々の国はどうなるんですか﹂と苦言を呈し、しまい
うに老人たちが老いの身で女遊びをすることが正当なことな
には先に引用したような老人の守るべき法律なるものを布告
人﹄の若者エウテエクスがデミフォに対し﹁もしあなたのよ
って子を従えたのも、家長は子の範たる存在であるという認
するが、もとより一箇の茶番でしかない。それは、現実に少
要な意味を持っていた。家長は父祖伝来の倫理規範を自らの
識があったればこそである。・そうした家長の生き方を支える
なからぬ老人たちが色恋沙汰で日々を過ごしていたことをう
生き方によって子に示したのである。家長が絶大な権力をも
タス︵g璽itas︶の二つをあげてい響ピエタスは、神に対す
かがわせるばかりである。﹃商人﹄の第三幕第二場でデミフ
美徳として、長谷川博隆氏は、ピエタス︵pietas︶とグラウィ
る敬度の念、また国家や家族に対する恭敬の念であり、グラ
10
さて、パルリアタ劇はこのように当時の現実を反映してい
く過ごすんだ。実際この年齢は楽しく過ごすのにはるかに
人生の残りの時ももはや短い。だから快楽と酒と恋で楽し
してその恋人を横取りしようとする横柄な人物である。彼ら
一様に愚かで淫らな老人であり、若い息子の正当な権利を乱
ちは戯画化されざるを得ない。年がいもなく恋をする彼らは
オは次のようにひとりごちる。
適している。若くて血気盛んな時は財産をつくるのに精を
は容赦なく罰せられ皆に笑われ馬鹿にされる。結局のところ
るとは言え、あくまで諷刺的な喜劇作品である以上、老人た
出すべきだ。そしてついに老人になったらば、余暇を楽し
老いらくの恋は滑稽さの種でしかないのである。
ローマ喜劇は恋をする老人=滑稽な老人という一つの類型
三
んで、やれる間ほ恋をするんだ。
このデミフォのことばは妙に説得的な響きを持っている。
をつくり出した。そしてこの頬型がヨーロッパの伝統の中に
デミフォの真情から出たことばであるためであろう。そして
ここに吐露されているような人生観が現実に人々の間に存在
引き継がれていくことになるのだが、この
を裏から支えるような一つの観念が、西洋人の間に苗代より
﹁恋する老人﹂像
の場面で老人エコブールスを誘惑する遊女のことばにも同様
していたからではないだろうか。﹃二人のバッキス﹄の最後
の人生観が表明されている。
生きている間楽しく暮らしたとしても、それは全くそんな
冒頭にマシュー・アーノルドの老年についての陰鬱な詩句を
史家ケネス・クラークは﹃芸術家は年老いる﹄という講演の
れは﹁黄金の老年時代﹂という観念である。イギリスの美術
伝わってきていることをここで述べておかねばならない。そ
に長いものではないし、今日この機会を逃してしまうと、
的老年論が雑誌に発表されるとたちまち多くの老人たちの共
リ1の﹃八十歳からの眺め﹄の序文によれば、最初この自伝
ジに反発して書い﹂と述べている。また、マルカム●カウ
引用して、﹁彼は黄金の老年時代という決まりきったイメー
死んでしまえば二度と機会はないのだということをどうか
考えてちょうだい。
このことばにとうとう二コブールスは説得されて遊女屋へ
と引き込まれるのである。
11
ロの﹃大力トー・老年論﹄によって決定的なものとして形づ
ソフォクレス、プラトンにその淵源をもち、最終的にはキケ
るほど強い普遍性をもっているのだが、この老年の観念は、
年時代﹂という観念は言わば一種の強迫観念にまでなってい
からの手紙も少なくなかったという。かくの如く﹁黄金の老
感を呼び、﹁黄金時代という決まり文句﹂に反感を持つ読者
つき従い服従するということにおいてである﹂と大力ト一に
るのは、最善の導き手である自然に神につき従うのと同様に
ことを最高善とするストア哲学であった。﹁我々が賢者であ
態度を貫くキケロの一つの拠りどころは、自然の法則に従う
地良く楽しいものにさえした﹂と述べる。こうした楽観的な
れが老年のすべての悩みを拭い去ったのみならず、老年を心
ってこの本を書くことは非常に楽しいことであったので、そ
︵17︶
くられたと言える。そこで我々は次にこのキケロの﹃老年論﹄
キケロはまた、プラトンが﹃国家﹄においてケパロス老人
︵18︶
を取りあげようと思う。
マの弁論家は、ローマの理念がすでに実質を失い、国を支え
に語らせた老いについての考えをはとんど文章もそのままに
に書きものとみなすのである。
語らせるキケロは、老いを自然がもたらすものであるがゆえ
てきた元老院の権威、すなわち老人の権威が衰微しっつある
プラウトゥスが死んでから約八十年後に生まれたこのロー
ことを憂えていた。彼は、ローマの伝統を守り、元老院の権
されるとかいった老いの嘆きがしばしばきかれるが、﹁そう
のに快楽がないとか、敬意を表してくれていた人々から軽蔑
彼は、老いてなお嬰錬たる人物であった先人大力トーを登
いう種類の不平はすべて性格に拠るものであり、年齢に拠る
借用している。すなわち、快楽がなければ人生は無に等しい
場させ、二人の若者スキピオとラユリウスを相手に対話をさ
のではないJさらにキケロは、石七歳で死ぬまで研究を続け
威を回復すべく、この老年賛美の著作を公にしたのである。
せるという形式をとる。この形式はそれ自体、老人が若者に
たゴルギアースのことば
いに対して楽観的であったかは、対話の前に置かれた序文か
する四つの非難について順次反駁の議論を展開していくので
こうした基本的立場を明示したうえでキケロは、老いに対
をはめたたえ、﹁実際愚人どもは自らの
﹁私は老年を非難する何らの理
教えを垂れるという点でキケロが考える老年のあるべき姿を
由ももたない﹂
−
提示することになった。こうしてキケロは大力トーの□を通
欠点や過ちを老いのせいにする﹂と説く。
らもうかがえる。当時ローマ人が老年期の始まりと考えてい
ある。第一は仕事ができなくなるということ、第二は体力が
−
して自らの老年観を明らかにしていくのだが、彼がいかに老
た六十歳をこえて六十二歳であったキケロは、﹁実際私にと
12
弱まるということ、第三はすべての快楽が失われるというこ
は回りの人々にとって厭しいものではなく喜ばしいものであ
に何かをなし力を尽くしている﹂ものだとする。そして老年
えによって若者たちほ美徳の研究へと導かれるのであるピ
ると説く。﹁若者たちは老人たちの教えを喜ぶ、そうした教
と、第四は死が遠からずやって来るということである。
まず第一の非難に対し、﹁体力が弱くても精神力で成しと
げるような仕事はどれも老人の仕事ではないというのか﹂と
についても、肉体より精
神を重視するキケロは少しもひるまない。老人には若者を教
−
老人たちの名前をあげる。﹁老人たちは若者たちがすること
え導くだけの力は残っており、﹁学芸の教師はいかなる者も、
第二の非難−1体力の弱まり
はしないで、もっと偉大なもっとりっばなことをする。偉大
問いかけ、執政官として﹁良識と権威によって国を守った﹂
な事柄は身体の力強さや軽快さや敏捷さによってではなく、
ではない﹂という意見を述べる。それに体力の衰えは老いの
せいばかりではなく、﹁放将で不節制な青春﹂がもたらすも
たとえ力が弱く衰えていても、不幸であるとみなされるべき
のを老年は失わないばかりでなく、より豊かに持っているも
のでもあるとし、かく述べたてる大力トー自身を始めとして
良識と権威と判断力によって成しとげられるが、それらのも
のなのだピここには老人と結びつけられたローマ的な美徳−
しも顧慮されていない。キケロは、﹁最も強大な国々が若者
おり、若者に結びつく肉体的な美点は価値あるものとして少
の老将ネストールを武勇を誇ったアイアースと対比して持ち
歯牙にもかけない。彼はホメ一口スの作品に出てくる知恵者
全くのところキケロは若者のもつ体力を羨まないどころか
良識︵cO家臣∈m︶や権威︵a宍tOritas︶−がちりばめられて 頑健な老人の例を引き合いに出す。
たちによって覆され、老人たちによって維持され再建され﹂
ースの如き者を十人はしがっているとはどこにも書いてない
上げる。﹁かのギリシアの総大将︵アガメムノン︶がアイア
が、彼は、ネストールの如き者を十人はしいと願っている。そ
たと語り、﹁明らかに軽率さは血気盛んな年齢のものであり、
若さを定め、逆に老年のもつ価値をいやが上にも高めるので
うなったとしたら、トロイアが程なく陥落してしまうだろう
思慮分別は老年のものである﹂と結論づけることによって、
ある。
ともかくも老人には若者のような体力は必要ない。何の責
ことを彼は疑わないのだ︺
いてなお現役として活躍した人々がいることを述べて、老年
務も果たせないはど体の弱い老人も多いが、若者とても同じ
キケロは政治ばかりでなく学問や農業など様々な分野で老
が﹁活気のない無気力な﹂ものではなく、﹁勤労的で、つね
一13 −
いて経緯と述べる。偉大な先人たちは晩年を農耕の生活の中
ことであり、老年に特有の欠点とは言えない。そして必要な
こう語ったところでプラウトゥスと同様のパルリアタ劇の作
に過ごしていたからである。そうした人々は権威という老年
そして賢者の生活に最も近づくものである農業の楽しみにつ
﹁喜劇の間抜けな老人﹂
らに学問という精神的快楽を何よりも偉大なものだとする。
家であるカエキリウスのことば−
の最高の栄誉をもつ。キケロは青年のもついかなる快楽も権
ことは肉体ともども精神を鍛えておくことである。キケロは
1を引いて、﹁葛藤と呼び習わされている、そのような老
死が近づいているということ1に
威とは比べものにならないと述べて老年を賛美するのである。
−
人の痴愚は軽薄な老人たちのものであり、すべての老人のも
そして第四の非難
ついては、死ほ恐れるものではなく、軽視すべきものである
のではない﹂と語る。
さて第三の非難である、快楽︵肉体的快楽︶が失われると
ことはすべて善いことであり、老人が死ぬことほど自然なこ
とはない。それほ果実が熟すれば自然と落ちるようなもので
と説く。ストア哲学の信奉者であるキケロにとって、自然な
欲の棚﹂から解放されて不平を託つことのない老人もいる、
あり、﹁死に近づくにつれ、言わば陸地が見え、長い航海の
いう点についてだが、すでにキケロはプラトンの﹃国家﹄か
と反論していた。ここでの反論はまず、快楽が﹁青年時代に
ど喜ばしいことなのである。キケロはまた、プラトンやクセ
後にようやく港にたどり着こうとしているように思える﹂ほ
ら借用した文章の中で、快楽がないという嘆きに対し、﹁情
おける最も悪いもの﹂であると主張するところから始まる。
ノボンが論じた魂の不死についても述べて、死が嘆くべきも
快楽から祖国への反逆も生じ、つまるところすべての罪、す
べての悪は快楽から生じる、という。そして人間に与えられ
のではないことを強調する。
以上のようにキケロは﹁老年が穏やかなものであり、煩わ
た最も勝れたものは理知であるとし、快楽ほど理知にとって
美徳の居場所はない、と説く。キケロは快楽を徹底的に攻撃
有害なものはなく、情欲や快楽が支配するところでは節制や
にキケロが描く老年は﹁黄金時代﹂と呼ばれるのにふさわし
しくないばかりか楽しいものである﹂ことを主張した。確か
いものである。そこには叡智と美穂を体現し栄光に包まれた
して、快楽をもたぬようにし.てくれる老年に感謝すべきだと
いう。﹁実際快楽は良識を妨げ、理性を害し、言うなれば精
老人の幸福な姿が大きなシルエットとなって浮かびあがって
いる。
神の目をくらませ、美徳と何の関係ももたないピ
キケロは老年の楽しみとして適度な飲食や会話をあげ、さ
−14 −
しかしこうした老年の理想像はローマ喜劇に描かれた老人
となって、全く正反対の、﹁恋する老人﹂という戯画化され
対する正のイメージをなすのであり、まさにそれと表裏一体
たイメージが負のイメージとして西洋的伝統の中に定着する
たちの生態と真っ向から対立している。喜劇の老人たちは何
らの叡智も美徳も持ち合わせておらず、ただただ快楽を追い
のである。
なければならない。
子=若者の対立の構図をつねに学んでいるという点に注目し
っているが、もう一つの重要な側面として、父親=老人と息
た老人と対極をなすたわけた老人の振る舞いという側面をも
かくの如く西洋における﹁老いらくの恋﹂は、崇高化され
四
求めているだけなのであるから。
︵1g︶
キケロが理想的な老人として語り手に選んだ大力ト一につ
いても、プルタルコスは次のような話を伝えている。
︵カトー︶自身は身体ががっしりと鍛えられて健康と活力に
とし
りに女に接し、次のような口実で齢に似合わぬ結婚をした。
恵まれ、いつまでも衰えなかったから老齢に達してもしき
すなわちカトーは自分の所に若い奴隷女を通わせていたの
はつねに息子と恋仇の関係にある父親であり、恋の勝利者と
先にも述べたとおり、ローマ喜劇における﹁恋する老人﹂
なるのは息子に限られている。老人は失恋する運命にあり、
だが、そのことが息子夫婦の気に入らないのを見てとって、
﹁快楽のためにこの挙に出たにせよ、妾の件で腹を立てて息子
あえてその女と結婚した、というのである。プルタルコスは
﹃商人﹄でエウテエクスはデミフォにこう述べている。
いない。恋愛は若さと分かちがたく結びついているのである。
結局のところ、恋をする正当な権利は老人には与えられて
恋愛に関しては若者の優位が絶対的なものとなっている。
﹃老年論﹄の中で快楽批判を展開しているのであるか
に仕返しするつもりだったにせよ、そのこと自体もその口実
も恥ずべきものであ撃と非難しているが、このカトーがキ
ケロの
ら、何とも皮肉な事柄には違いない。
一年の諸時節同様、人生のそれぞれの時期にはそれぞれふ
によって提示された老年観
はその好ましいイメージによって西洋の人々に受け入れられ
さわしい仕事がある。
ともあれ、キケロの ﹃老年論﹄
た。﹁黄金時代﹂と名づけられるこの老年観は言わば老いに
−15 一
このすぐ後にリユスイマクスがこうつけ加えている。
このような事柄︵女遊び︶に精を出すのは若者と決まって
いますよ
こうした考えがさらに発展して、冒頭で取り上げた﹁人生
の諸時期﹂の観念となることは誰の目にも明らかであろう。
人生の諸時期にはそれぞれ果たすべき役割、演じるべき役柄
があり、恋人役は青年が演じるべきものなのである。
このような観念が一般に流布する中で老いらくの恋はどの
ように描かれているだろうか。その点についてさらに見てい
を参照。
︵6︶
︵5︶
︵4︶
岩倉具忠・清水純一・西本晃二・米川良夫﹃イタリア文学史﹄、
引用はN①宅P昌guinSFak畏p①ar①による。
﹃比較文学・文化論集﹄第三号、昭和六十一年五月、一〇頁。
宅ini守edS∋i旨.叫ぎ巾︵ぎヨヨ喪謎ご敷詰∵き爵ごみ巴∈き
東京大学出版会、昭和六十年、一九七頁。
︵7︶
以下、プラウトゥスの作品からの引用は全て
PesB已−①S
Pr①SS.Ne宅YOrkこ讐N−pp−畠−畠●
ぎ旨註聖㌫官致す・︵討ヨ内且¥tF①CO−6ヨbiaUni題rSit叫
︵8︶
新関良三﹃プラウトゥス・テレンティウス・セネカ﹄、﹃ギ
P監tres版による。
︵9︶
新関良三﹃ローマ演劇史概説﹄、﹃ギリシャーローマ演劇史﹄
同右。
同、三二九頁。
リシャ・ローマ演劇史﹄第六巻、東京堂、昭和三十二年、四五頁。
︵10︶
︵11︶
︵12︶
頁。
︵15︶
︵18︶
三浦一郎・長谷川博隆﹃苗代ギリシア・ローマ﹄、﹃世界子
同、一三二頁。
P−auどs.bPCC已乱認−く.ひ.
舞enn乳FC−ark−叫辞屯雪駄肋mg⊇∈功0註.Ca白bridg2
富a訂0−営CO皇①y.ヨ訂一さ違こざヨご監−P昌明已nB00ks.
以下、キケロからの引用は、宣arcus↓仁−−iusCic寛〇.n訂ざ畠
−諾沌.p.軋ii.
︵17︶
U已諾rSityPressL笥N.p.−.
︵16︶
TitusMaccius
どもの歴史﹄2、第一法規出版、昭和五十九年、一二三−一二四
︵14︶
︵13︶
︵以下次号第
︶五巻、東京堂、昭和三十二年、〓ニ一頁。
小田島雄志訳﹃シェイクスピア全集﹄Ⅳ、白水社、昭和五十
きたいと 思 う 。
註
︵1︶
﹁人生の諸時期﹂については、PE−ippeAri訝.ト釘盈ぎ藍
一年、二八七−二八八頁。
︵2︶
旨註”p.−N.
S筈i−L当㌘pp●か⊥ひ
乳訂乳m甘ヨ町訂已冨0琵岩莞訂⊇知音ぎe.監itiOnSdu
︵3︶
−16 −
トビ莞訂訂盲訂S乱h訂訟巴.Paris、Pes厨e亡茨
Le謀res.
プルクルコス、村川里太郎訳﹁カトー﹂、世界古典文学全集
︼簑−による。
同、二九八頁上。
第二十三巻﹃プルタルコス﹄、筑摩書房、昭和四十一年、二九二
︵19︶
頁下。
︵20︶
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