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平成22年11月01日 - So-net

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平成22年11月01日 - So-net
院外茶話
vol.66
平成 22 年 11 月 1 日
木々のトンネルに覆われた九品仏の参道を
通って、般舟場(はんしゅじょう)と書かれた
山門をくぐれば、低く茂った紅葉の枝が顔を打
つ。これを払いのけて進めば、右手に小さな閻
魔堂が見える。
今でこそ御堂は明るく開け放たれて、カビ
の匂いもなくなったけれど、長らく閉め切られ
た御堂には、蜘蛛の巣がはっていた。
くもったガラス越しに中を覗くと、こちら
を睨みつける閻魔様も怖かったけど、右手に座
ったばばの像が不気味だった。白い衣ははだけ
てあばら骨が浮き出ており、全身は青白くて唇
だけが赤く染まる。
娘が子供の頃、九品仏に連れて行っても決
して閻魔堂に近づかなかったのは、このばばの
せいで、後に葬頭河婆(しょうづかのばば)と
呼ばれていることを知った。
もみじをよけて歩くと閻魔堂があって。
人は死ぬと亡者となって数日間さまよい歩
き、やがて三途の川にたどり着く。この川には
緩急三つの瀬に渡し場があり、川岸には依領樹
閻魔様へ、もし私が
事実と違うことを言っても
それは嘘ではなく間違いです
どうぞ地獄に送らないで
(えりょうじゅ)という大木があって、その横
に葬頭河婆が座っている。
葬頭河婆は別名、剥ぎ取りのばばとも言わ
れ、亡者の衣服を全て剥ぎ取って、依領樹の枝
にかける。すると、生前の罪の重さによって、
枝のしなり具合が変わるのである。
これを見て、罪の重い者は急流、軽い者は
ゆるやかな流れという具合いに、三途の川の渡
し場が決められる。
閻魔様の横の葬頭河婆
急流を渡りたくなければ、亡者は小銭を用
意しておいて、葬頭河婆に渡せばいいので、地
獄の沙汰も金次第。だから、私は例え散歩でも
必ず小銭入れをもって行く。
念のため、三途の川を渡るための小銭は六
文。ところが問題はその先で、剥ぎ取られるの
は衣服ばかりでなく、この世で手に入れたもの
全てである。
生前、大枚を叩いて購入したオープンのス
ポーツカーだとか、苦労して集めたジャズの
CD、隠した場所を忘れてしまったへそくり。
こういうものは、自分が死んだ時点で、たいが
いは妻か子供のものになっているはずだが、仲
良く分け合っているか、取り合って喧嘩をして
いるかわからない。
もしかすると、捨てられているかもしれな
い。いずれにしても、三途の川までもって来る
ものではない。
私の母はどこまでもっていくつもりだった
のか、いくつになっても蓄財に励んで、株の売
り買いをやっていた。しかし、バブルも崩壊し
て、80 才を越えた素人に、まともな判断など
できるはずがない。そんな年寄を言いくるめて、
金を預かる証券会社の姿勢はどうかと思う。
きっと良いことも悪いことも、生涯をかけて行
ってきたことが、今の自分を作ったのだろうか
ら。こうして自分の行く先が決まる。
ところで、閻魔様のような神様は世界各国
にいて、亡者の判定方法も様々である。中でも
日本の閻魔様は禅問答みたいで、結構意地が悪
い裁きのように見える。対策のたてようがない
のだから。
その点、エジプトの神様は大らかで、質問
の内容も端から決まっている。
「生前にどれくらい喜んで暮らせたか」
「生前にどれくらい人を喜ばせることがで
きたか」
人間、何かの目的をもって生まれてきたわ
けでもないし、死んでどこに行くのかもわから
ない。そうだとすれば後先関係なく、限られた
今の時間の生き方が大切。
真打、閻魔様です。
真打、閻魔様です。
そのバブルの崩壊ならば、失われるものは
財産だけで済むけれど、葬頭河婆に剥ぎ取られ
るのは一切合財で、社会的な地位も、仕事の業
績も全てなかったことになる。
私の場合、生前自らの命の危険も顧みず、
海でおぼれかけた少女の命を助けたのが自慢
だったけれど、この記憶も剥ぎ取られることに
なるだろう。
こうして、三途の川のごたごたが終われば、
閻魔様の前に出て、裁きを受けなければならな
い。ひざまずいて両手を合わせて、
私
「初めまして、閻魔様」
閻魔様「お前は何者か」
名前までとられるかどうか、知らないけれ
ど、記憶は奪われているのだから、何と答えた
らいいのだろう。現世で行った悪行は、全てば
れているだろうし、地獄行きを避けたい一心で、
生前の善行を探ってみるけれど、思い出せない。
もしかすると、本当に善行は何もなかったのか。
何とか点数を稼ごうと算段をして、自分の
行動にちょっと脚色を加えて、もしこれを「嘘」
と判定されたら、2 枚しかない舌の 1 枚を抜か
れてしまうだろう。
ここで人生を振り返って見ると、金品はも
ちろん、知識があってもあまり役には立たなか
った。一所懸命に生きた時期もあったけど、大
したことはできなかったし。
それでも閻魔様には何かを答えなければな
らない。そうだとすれば、小賢しい計算はやめ
て、ありのままの自分を見てもらう他はない。
人類の歴史は 200 万年だけど、生命の歴史
は 40 億年。40 億年にわたって、この世の生き
物が延々と続けてきたことが三つある。
環境が劣悪な時には、じっと耐えて生き延
びること。暖かくなって、条件がよくなれば成
長をすること。そして、子孫を残すこと。
何十億年も前の大腸菌と、今の人間を見比
べても、半分以上は目的を同じくして生きてき
たのである。女性の化粧も、男性の目指す出世
も全ては子孫の存続につながっていた。
ここまで同じならば、あとは「どれだけ喜
んだか」という判定基準に私は大賛成。
エジプトの場合、神様の先に二つの扉が見
えていて、返事の内容によって、どちらかの扉
を開けて入ると聞いたけれど、その向こうには
何があるのだろう。
さあ、いまからでも遅くない。喜んで生き
よう。そして、みんなで十分喜んで暮らすこと
ができたら、死ぬ前にエジプトに行こう。
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