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〈現代世界と宗教(3):グロ-バル化・宗教と政治・宗教と教育〉関連資料
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国では2010年時点で65%を占めるとされる白人の割合は,死亡率が出生率を上 回ることによって2030年代から減少し,2000年代半ばには,全人口の54%が現 在のマイノリティ丁によって占められる・高い出生率と移民によってヒスパニッ クが最も増加し,2050年までに1億3,300万人に上ると予測されている.ヒスパ ニックの多くは宗教的に厄ヵトリックの信仰を保持している.2010年時点で 4・5%を占めるアジア系の人口は,2050年には約8%に上るという.移民国家で ありながらも,民族的にはアングロサクソンであり,宗教的にはプロテスタント であるとする文化的宗教的な価値観を核として持つことが重要と考える立場から すれば・これを失ってしまえばもはやその国家はアメリカではなくなってしまう だろう(Sノ、ンテントン). 一方,ヨーロッパではイスラーム系移民の増加が問題視されている.これまで,・ 相対的には人口構成の変化が緩やかであったヨーロッパにおいても,難民や旧植 民地諸国からの労働力として受け入れた移民に出自を持つ非キリスト教徒人口が 増加し,そのことによって多文化主義,あるいは多元化を余儀なくされつつある. フランス共和国における非宗教の原則である←ライシテ」も,多元化によってそ の是非が問われている・社会的に注目を集めているのは「ブルカ禁止法」である. フランスのみならずベルギーにおいても法案が提出され,2010年春に下院を通過 している・こうした問題は領域内において文化闘争の容貌を呈することも考えら れよう・また,こうした状況はイスラーム側にも変化をもたらしている.2001年 の9・11同時多発テロやイラク戦争以降,欧米にはイスラーム恐怖症ともいわれる 状況があり・イスラーム教徒はいわれなき差別や敵意の対象となっている.イス ラーム研究の第一人者であるG・ケベルによれば,各地でイスラーム過激派による テロや過剰な暴力事件が頻発することによって,穏健な大多数のイスラーム教徒 たちの心は,かえってイスラーム主義運動から離れ,いっそう民主主義や世俗国 家という考えを受け入れるようになるという・J・フォックスは,単に国家の体制 や宗教人口の統計だけではなく,政府がどの程度宗教的な事柄に否応なく巻き込 まれているのかを示すGIRという尺度によって,国家と宗教の関係を数値化する ことができるとする研究を発表している. また,流動化し,不安定性を露呈した後期近代社会においては,高度な消費社 会化や情報社会化が世界の再魔術化を促しているとも指摘されている・商品とい ぅ物神を崇拝し,スペクタクルを与える巨大商業施設の中で,消費という陶酔に 酔いしれる日常はすでに実現している.ネットワーク・アクセスの遍在化と情報 端末の装着可能性によって,アニミズム的な世界観が技術的に復権するかもしれ ない.スピリチュアリズムの興隆は独自の産業資本化を促し,ディープ・エコロ ジーやロハスなどの生活スタイルの浸透と拡大は世界観を変更してゆく可能性す らあるだろう. これらすべての脱領域化する力は,領域支配である国家と宗教の関係を変容せ ずにはおかないであろう.宗教と国家の関係性を巡る問いは,宗教の持つ「共同 性」への問いであり,人間に関する根源的な問いでもある・人類が社会的な存在 であり続ける限り,今後も,さらなる研究の深化がのぞまれる研究領域であろう・ [粟津賢太] 爵参考文献 [1〕JonathanFox,A勒YldSmeydReligionandtheState・CambridgeUniversityPress・ [2]HansKohn,乃β肋α〆肋血刀α肋桝‥A S物言稚拙0γな富乃α邦d助海相〟乃d, Macmillan,1945 [3]T.アサド,中村圭志訳『世俗の形成一キリスト教,イスラム・近代』みすず書房・2006 [4]保坂俊司『国家と宗教』光文社,2006 [5]Sノ、ンチンけ,鈴木主税訳『分断されるアメリカーナショナル・アイデンティティの危 機』集英社,2004 [6]G.ケベル,丸岡高弘訳『ジハートイスラム主義の発展と衰退』産業図書,2006 [7]G.し.モツセ,佐藤卓己・佐藤八寿子訳『大衆の国民化−ナチズムに至る政治シンボルと大 衆文化』柏書房,1994 [8]G.リッツア,山本徹夫・坂田恵美訳『消費社会の魔術的体系』明石書店,2009 [9]善家事敏咽家と宗教一政教関係を中心として』成文堂・1993 [10]AFPNews←米国の白人,2042年には少数派に米国勢調査局」2008年08月15日06:50 発信地二ワシントンD・C・/米国http://www・afpbb・COm/article/life−Culture/life/ 2506773/3219621 政教分離 旺『「国家と宗教」p.52,「公共宗教論」p.106,「市民宗教」p.128, 「法・法律」p.250,「世俗化(論)」p.262 政治の領域と宗教の領域を分けること.近代法の枠組みでは,教会と国家の分 離と理解され,しばしば信教の自由の保障と結びついている.政教分離の考え方 は,主に西洋キリスト教の歴史に根差していて,非西洋世界には馴染みにくいと ころもあるが,まったく該当しないわけでもない.逆に西洋社会でも,国教制度 を敷いている国もあるし,日常ないし非日常的な生活の中で政治と宗教が出会う 場面は珍しくない. ●西洋諸国の場合 イエスが述べたとされる「カエサルのものはカエサルに,神 のものは神に」という言葉は,キリスト教の考えでは,政治の領域と宗教の領域 を分けるということを示唆している.ヨーロッパ中世において,王権と教権の間 に協力関係が築かれ,政治と宗教が分かちがたかったときにも,政治的権力と宗 教的権威の区別は可能だった.宗教改革以降,長引く宗教戦争を経験する中で, 政治と法による自律的な公的空間の樹立がめざされる一方,信教の自由を私的な 領域において保証するという動きが出てくる.J.ロックは,「市民政府に関わるこ とと宗教に属すること」を区別し,「一方の権利と他方の権利を別にする正当な境 界を設けること」が,「絶対に必要だ」と主張している. イギリスやスカンジナヴィア諸国では,今日でも国教制度が敷かれているが(た だしスウェーデンでは2000年に国教が廃止された),国教以外の宗教を奉じる者 たちにも広範な宗教的寛容が認められ,実質的な宗教の自由が達成されている. ドイツでは,法的には国家と教会は分離されているが,社会的にはむしろ協力関 係がみられ,公共空間における諸教会の存在感は大きい.長らくカトリックが国 教であったイタリアやスペインでは,20世紀半ばから後半にかけて法的な分離が 達成されたが,教会に公的資金が投入されるなど,協力関係も残っている. フランスでは大革命以降,カトリック教権主義との対決の中で,市民の政治参 加を通じた政治権力の構築がめざされた.諸教会と国家の分離を定めた1905法 は,「ライシテ」(非宗教性・世俗主義)の基本法とされている.ライシテの基本 原理を要素的に示すなら,宗教的権威に対する政治的権力の自律,諸教会と国家 の分離,国家の諸宗教に対する中立性,私的領域における良心の自由と礼拝の自 由の保障の四つがあげられる.ともすると,ライシテとは公的空間における宗教 色の排除であり,特殊フランス的なものだと受け止められがちだが,実際にはフ ランスでも公的空間に宗教色が現れることもあるし(例えば共和国大統領の葬儀 は慣例的にパリのノートル・ダム寺院で行われる),これら四つの要素はフランス の独占物ではない.近年ではライシテの国際比較も行われている. 厳密な政教分離の国としてしばしばフランスと並び称されるのが,アメリカ合 衆国である.実際,合衆国憲法修正1条は,国教樹立を禁じている.ただしアメ リカでは,ユダヤ=キリスト教に基づく文化がかなりの度合いで政治の領域にも現 れてくる.宗教社会学者のR.N.ベラーは,これをさして「アメリカの市民宗教」 とよんでいる.ここには,「国家と教会の分離」と「政治と宗教の分離」の差異が 窺えよう. ●非西洋諸国の場合一日本とイスラーム圏 戦前の日本では,神社神道を宗教 と見なさないという戦略により,建前上は政教分離体制が敷かれ,また明治憲法 28条には信教の自由も規定されていた.だが実質的には,国家神道体制のもと, 神社はいわば国教の地位にあり,信教の自由は大幅に制限されていた.終戦後に 出された神道指令では,神社神道に対する国家の特別な保護を禁じ,神道を含む あらゆる宗教を国家から分離することがめざされた.日本国憲法では,①宗教団 体が国から特権を受けたり政治上の権力を行使したりすること,②国およびその 機関が宗教教育その他の宗教活動をすること,③宗教団体に公金や公の財産を提 供することが禁じられている(それぞれ第20条第1項後段,同条第3項,第89 条).このように,日本の現行の憲法はかなり厳格な政教分離の原則を定めている. だが現実には,政治と宗教は必然的に何らかの接点を持つ.そこで採用されてい るのが「目的効果基準」である(津地鎮祭訴訟以降).すなわち,国家が宗教と関 わりを持つ際,その目的が限度を超えて宗教的な意義を持ち,その効果として宗 教への援助や圧迫がもたらされる場合に政教分離の原則に違反すると判断される (最高裁は,箕面忠魂碑慰霊祭裁判では合憲判決,愛媛玉串料訴訟では違憲判決を 出した). 政教分離の考え方は,イスラームには当てはまらないとよくいわれる.確かに イスラームの理念では政教一致が志向されるが,実際の歴史の中では政治と宗教 の制度的分化が生じている.宗教によって既存の政治体制を正当化したり,政教 一致を唱えたりする潮流のほうが支配的かもしれないが,政教分離を唱えるムス リムの思想家もいることは見落とさないほうがよい.また,ライシテを取り入れ たトルコ共和国の実例を忘れてはならない(もっともトルコのライシテは,ムス リム政党の公正発展党の躍進により現在一つの転機を迎えている). 政教分離を根本から再検討するには,西洋キリスト教モデルの受容ないし拒絶 という図式をふまえつつ,それを超えていく観点も必要であろう.[伊達聖伸] 皿参考文献 [1]大西直樹・千葉眞編『歴史のなかの政教分離』彩流社,2006 [2]R.レモン,工藤庸子・伊達聖伸訳・解説『政教分離を問いなおす−EUとムスリムのはぎまで』 青土社,2010 129 市民宗教 旺碧⊃「政教分離」p.266 当化する手段として利用され,国家の自己偶像化に堕すこともあった.このタイ プでは,神の祝福を受けた国家が神聖化される.R.レーガン大統領の「悪の帝国」, G.H.W.ブッシュ大統領の「十字軍」,G.W.ブッシュ大統領の「悪の枢軸」とい った対外政策におけるレトリックはその事例である.このほかに,大統領をアメ 市民宗教は,公的領域に関わって,建国神話や国民のアイデンティティの形成, 国家への正当性の付与,市民社会の統合といった機能をはたす宗教で,超越的存 在に関する「信仰,儀礼,象徴」によって表される.その意味で歴史的・文化的 個性を持つ概念である.J.カサノヴァのように,公的領域に参与するあらゆる形 態の宗教的営みをさす重層構造の公共宗教が,市民宗教を含むとする見方もある. この概念を最初に提唱したのは,J.−J.ルソーである.16,17世紀の宗教戦争か ら組織宗教の不寛容と好戦性を認識したルソーはそれに代わって全体社会の紐 帯として機能する宗教を求めた.彼の「市民的宗教」は,多様な価値観を持つ国 民が共有できる,神の存在や神聖性,社会契約など簡潔な教義を備えていた.亘.デ ュルケムは,宗教は客観的な社会的事実であり,社会の構成メンバーが共有する 儀礼や聖なるシンボルが醸成する連帯感情により社会統合機能をはたすと主張 し,後の市民宗教論に理論的基礎を与えた. ●アメリカの市民宗教 構造機能主義を唱えた社会学者Tノヾ−ソンズの影響を うけたR.N.ベラーは,1967年に大統領の演説や公文書を分析し,国家に関わる 「精微で高度に制度化された市民宗教」が,聖書的伝統の影響を受けながらも政教 分離原則に支えられ,組織宗教としてのキリスト教から機能分化して存在し,ア メリカ人が自らの「歴史的経験」を「超越的実在」に照らして解釈し,意味づけ る際の枠組みを提供するとした.市民宗教は,アメリカの独立,南北戦争と奴隷 解放,公民権運動などの歴史的試練を経て民主主義の普遍化につとめるアメリカ の精神的支柱として機能してきた.それは儀礼,象徴,信仰として表される.独 立記念日や戦没者追悼記念日などの行事の中で大統領就任式は特に重要な儀礼で ある.就任式の舞台となるワシントンDCには,ワシントン記念塔などの象徴的建 造物が配置され,貨幣には「われら神を信ず」という象徴的フレーズがみられ, 公立小学校での「忠誠の誓い」は国旗という国の象徴に向けられる.市民宗教の 神は個人の魂の救済にではなく,社会の秩序や正義に関わりを持つとされる. M.マーティによれば,市民宗教は「預言者型」と「祭司型」の二つのタイプに 分類される.前者は,国家に対する神の超越性を特徴とし,国家がより高次の倫 理基準のもとにあるという認識に基づいている.このタイプの市民宗教は,南北 戦争を,奴隷制度を擁護する南部とそれを容認してきた北部双方への「天のムチ」 と解釈したリンカーン大統領が信奉したものであり,またキング牧師が指導的役 割をはたした公民権運動の精神的よりどころでもあった.その一方で市民宗教は, 歴史的には「明白なる運命」などと融合し,歪曲され,帝国主義的膨張政策を正 リカ市民宗教の「最高神官」と位置づけ,その統治スタイルを「預言者」「司祭」 「説教師」「牧師」の四タイプに分類することもある.R.ウスノーは,文化戦争に よって「リベラル」な形態と「保守的」な形態に分裂した市民宗教は,近年その 統合機能を弱めたと指摘する. 建国以来アメリカの市民宗教のシンボリズムを形成し,維持してきたのは,ユ ダヤ・キリスト教の聖書的伝統を継承するヨーロッパ系の白人アメリカ人であっ た.2009年に就任したB.オバマ大統領は,アフリカ系アメリカ人として初の大統 領であり,ケニア出身の移民の父と白人アメリカ人を母に持つ,いわゆるメルテ イング・ポットを象徴する人物である.アフリカ系アメリカ人のキリスト教徒に 限らず,移民パターンの変化にともなって増加しつつある仏教徒,ヒンズー教徒, イスラーム教徒などの新移民によって形成される宗教多元主義あるいは無神論 に,アメリカの市民宗教のシンボリズムがどう対応するかが今後の課題である. ●諸外国の市民宗教19世紀フランスでは,共和国と「教会の長女」フランスと いう伝統がともにフランス市民宗教の中核をなしていた.イタリアには民族宗教, カトリシズム,自由主義,活動主義,社会主義といった五つの市民宗教が共存す るとされる.イスラエルの市民宗教は民族宗教であるユダヤ教やその文化的伝統 が基盤となっている.そのほかにオランダやオーストラリアなど多くの国々で市 民宗教の存在が確認されているが,市民宗教の不在や対立もまた報告されている. カナダではアメリカのような市民宗教は発達しなかった.地域主義,二文化主義, カトリシズムとプロテスタンティズムの間の緊張などがカナダ社会に共通する国 民のアイデンティティ形成を阻んだからである.北アイルランドでは,相互に対 立する二つの市民宗教が存在する.緊張関係にあるカトリックとプロテスタント の市民宗教である. [堀内一史] 亀参考文献 [1]R.N.ベラー『社会変革と宗教倫理』未来社,1973 [2]R.N.ベラー,松本滋・中川徹子訳『破られた契約−アメリカ宗教思想の伝統と試練』未来 社,1983 [3]森孝一『宗教から読む「アメリカ」』講談社,1996 [4]J.カサノヴァ,津城寛文訳『近代世界の公共宗教』玉川大学出版会,1997 [5]R.ピラード・R.リンダー,堀内一史他訳『アメリカの市民宗教と大統領』麗澤大学出版会, 2003 こうきょうしゅう こうきようしゆう 公共宗教論 嘩ユ「世俗化(論)」p.262,「政教分離」p.266 現代社会においても,戦争やテロが生じた際に,それらが「神」の名のもとに 批判されたり擁護されることは珍しくないだろう.そして,こうした言葉を口に するのは聖職者・宗教者だけに限られず,しばしば政治家や一般市民である.ま た,政教分離をかかげる近代国家においても,歴史的に優勢であった宗教がそれ 以外の宗教よりも強い影響力を持ち続けているように思われる場合がある. 公共宗教論とは,このような宗教が社会の公的領域・公共生活に及ぼす影響を 考えるための視角である.また,そこで注目される宗教のあり方は特定の組織や 集団が保持する信念・信条だけに限られず,ある種の「空気」や「雰囲気」とし て力を持つものも含めて考えられるのが特徴である.そのため,公共宗教論の対 象範囲は広く,国教のような形で社会全体に影響を及ぼすものから,伝統の一部 として潜在的な力を及ぼすものまで,様々な範囲と深度において論じられている. 公共宗教という概念を最初に提唱したのは,アメリカ建国の父のひとりB.フラ ンクリンであった.建国当時のアメリカはいくつかの植民地の複合体であり,そ こでは様々なキリスト教教派が別個に活動していた.こうした状況を前にして, フランクリンは,できたばかりの共和国の市民を育み,共有されるべき善と倫理 を示し,自分たちが起草した合衆国憲法の精神を裏打ちすることで社会統合をも たらすものとして,特定の教派よりも広く基礎づけられる公共宗教の必要性を説 いたのである. ●市民宗教論と公共宗教論 個別の組織・集団に還元されない宗教の社会学的概 念化に先鞭をつけたのが,アメリカの社会学者R.N.ベラーの市民宗教論である. ベラーは,「アメリカの市民宗教」(1967)と題された論文で,アメリカの政治に おける宗教的次元に注目した.近代的な政教分離の理念に従えば,政治をはじめ とする公的生活は宗教から独立して営まれなければならない.だがベラーは,J.F. ケネディの大統領就任演説をはじめとするアメリカ大統領たちの言説を検討し, それらに特定の宗教組織や個人の信念とは異なる「空虚な表徴」としての漠然と した神への言及を指摘する.こうしてベラーは,近代社会においても政治領域が 宗教的次元をはらむことは否定されないとし,アメリカ人の大多数に共有される 「洗練され高度に制度化された市民宗教」の存在を主張したのである. 市民宗教論は,同年に出版されたT.ルックマンの『見えない宗教』(1967)と ともに,制度や組織のような目に見える形では存在しない宗教(性)を社会科学 の研究対象とする可能性を示唆した点で,公共宗教論の展開に大きく寄与したと いえる.また,市民宗教論を批判的に継承したのがアメリカの歴史学者J.F.ウイ 107 ルソンの『アメリカ文化の中の公共宗教』(1979)である.B.ウイルソンは,市民 宗教概念はプロテスタント的偏向を含んでおり,その出所もフランスの啓蒙思想 家J」.ルソーであるため,アメリカの文脈ではフランクリンが用いた公共宗教の ほうが適しているとする.ウイルソンによれば,アメリカの宗教状況は多元性を 特徴としており,その公共宗教の基盤にはプロテスタントのみならず,カトリッ ク,ユダヤ教,共和主義・自由主義,建国神話なども見出されるのである. フランクリンおよびベラーを淵源に持つ公共宗教論は,ウイルソンの議論に特 徴的なように,主にアメリカの文脈のもとで彫琢されてきた.この傾向は1990年 代に入っても変わらない.この時期に発表された神学者LE.ケディや社会学者 R.ウスノーの著作も,アメリカの著者によるアメリカを事例とした論考であっ た.これらの著作には,西欧と比べると歴史が浅いアメリカの統合のためには「い かなる公共宗教が構築されるべきか」という規範的な問いかけが見出せる.ケデ イの『アメリカの公共生活と宗教』(1993)では,信仰に対する批判的な反省・革 新という神学の本来の役割が強調され,その上で,共通善を示し社会統合をもた らす公共宗教の構築のために,開かれた討議を導く公共神学の必要性が論じられ ている. ウスノーの『聖なるものの生産一公共宗教試論』(1994)では,「文化はつくら れる」という観点から,公共宗教の「生産者(会衆,ヒエラルキー,特定利益集 団,アカデミー,公的儀礼)」が注目される.ウスノーによれば,これら諸機関が, 互いに相克しながらも,公的闘技場において社会的合意をめざすことで,共有可 能な聖なるもの,つまり公共宗教が生み出されるのである.そしてその際,社会 のあらゆる個人や集団が何らかの意味で公共宗教の構築に参加していることが前 提とされており,社会統合のための公共宗教の形成がやはり規範的に説かれてい るのである. ●世俗化論と公共宗教論 アメリカを中心に規範的に公共宗教論が展開された一 方で,現代宗教論のキーワードとしても公共宗教が注目されるようになる.その きっかけが世俗化論をめぐる論争であった.世俗化論とは「近代化とともに,社 会に対しても個人に対しても,宗教の影響力は低下する」という命題で,西欧に おける教会出席率・聖職志願者数などの低下を根拠に,イギリスの社会学者B.ウ ィルソンらが主張した.そして世俗化論から導かれた重要な命題の一つが,「近代 社会で宗教が影響力を持ちうるのは,政治や経済から切り離された私的領域に限 定される」という私事化論であった.つまり,公/私という図式に引きつけていえ ば,世俗化論は「宗教の公的領域から私的領域への撤退」を主張したのである. 世俗化論は1960∼70年代には社会科学的な宗教研究において,パラダイムとも よべる位置を占めた.しかし,1980年代に入ると,イラン革命に代表されるイス ラーム再興や保守的福音派・ペンテコステ派の急成長など,世俗化論の主張とは 108 こうきょうしゆう 真っ向から対立する宗教復興現象が世界規模で観察されるようになる.その結果, 世俗化論は根本的に問い直されることになるのだが,その際,政治領域をはじめ とする公的領域の宗教(性)に光をあてる公共宗教論は,世俗化論批判に有効な 視角として浮上するのである. このように1980年代以降の現代宗教論は世俗化論の批判と再考のもとで展開 した側面が強く,直接的にはキーワードにしていなくても,公共宗教論として理 解することができる論著が少なくない.例えば,アメリカの社会学者P.し.バーガ ーの脱世俗化論や,フランスの政治学者G.ケベルの『宗教の復讐。(1991)であ る・ケベルの著作の「世界の再征服に乗り出すキリスト教徒,ユダヤ教徒,イス ラーム教徒」という副題が示すように,これらの議論においては,イスラーム復 興,西欧キリスト教の政治運動化やカリスマ刷新運動,東欧民主化とキリスト教 の関係,イスラエルの正統派ユダヤ教の再生運動などの宗教的アイデンティティ の再構築・強化運動をトピックとして,宗教の公共空間への(再)進出が論じら れた. そして,世俗化論,特に私事化論の詳しい批判・再考に基づいて提出されたの がアメリカの社会学者J・カサノヴァの公共宗教論である.カサノヴァは,『近代世 界の公共宗教』(1994)で,私事化は近代化に必然的に伴う過程ではないとする. そしてその上で,欧米諸地域の事例が取り上げられ,伝統宗教が近代世界で再活 性化し,公的領域へと進出し政治論争に加わる現象が宗教の「脱私事化」として 論じられる.カサノヴァの議論の特徴は,ベラーが市民宗教を単数で考えていた のに対して,ある社会の公共宗教が国家・政治社会・市民社会という三つの次元 において複数で捉えられる点である.だが他方で,こうした分析的な公共宗教論 を示しつつも,カサノヴァは近代社会で最終的に存立可能なのは市民社会の公共 宗教だけであるとし,その構築を規範的に説いてもいるのである. ●公共宗教論の援用 このように公共宗教論は比較的新しいテーマであり,論者 によって様々な用いられ方をする・その点で,宗教の分析概念として十分に洗練 されているとはいえないが,個別の個人や集団を越えて広がる宗教のあり方を考 える際には有効なキーワードになる.ここでは,アメリカと比べるとより厳格な 政教分離が規定されているフランスの事例について考えてみたい. 2008年,フランスのN・サルコジ大統領は,学校カリキュラム改革案の一つとし て,小学校最終学年の生徒のすべてがホロコーストで犠牲になった子どもの生涯 について詳しく学ぶことを提案した.この案に対しては賛成意見もあったが,現 場の教師・精神科医・教育学者・哲学者・政治家・マイノリティなどからの激し い反論を引き起こし,反対のための署名運動も行われた.また,ユダヤ系の人々 もすべてが賛成したわけではなく,「10歳の子どもにホロコーストの記憶は重す ぎる→といった理由から,多くの反対意見も出た.そして,ほかにも←多くの悲 こうきようしゆう 劇があるにもかかわらず,なぜホロコーストだけが優先されるのか」「歴史的文脈 をわかっていない子どもにとってはトラウマになるかもしれない」といった反論 を招き,この提案は最終的には撒回されたのであった. この出来事は表面的には「歴史教育」をめぐる論争であり,直接的には「宗教」 に関わるものではない.だが公共宗教をキーワードにして考え直すと,また別の 側面が見えてくる.サルコジの提案は,ホロコーストという人類未曾有の悲劇の 伝達とそれに対する追悼をフランス社会で公共化・共有化しようとする試みであ ったと考えられる.この改革案とほぼ同じことはイスラエルでは以前から行われ ており,提案の内容そのものが荒唐無稽だったとはいえないだろう.しかし,フ ランスにはフランス固有の社会歴史的文脈が存在し,そこには当然ユダヤ系以外 の人々の文脈も流れ込んでいる.フランスの公共宗教には,彼らの価値観・信念 も何らかの仕方で反映されていなければならないのである.その意味で,サルコ ジの提案は,ホロコーストをあまりに安直に「聖化」しようとする試みであり, その結果,公的闘技場から排除されたと理解できるのではないだろうか. 津城寛文の『く公共宗教〉の光と影』(2005)では,こうした社会の諸領域にお ける「公共宗教を目指すもの」を考えるために,公共宗教論の枠組の拡大が試み られている.津城は,宗教・政治・文化の三領域間での動員関係と,その動員が 生じる次元(世界,国家,政治社会,市民社会,民俗社会,私的領域)を組み合 わせることで,より細かい公共宗教の類型化を示している.例えば中世の宗教国 家は「国家レベルにおける宗教による政治の動員」として,一方,マルクス主義 思想が強制された旧共産圏やナチス・ドイツなどの擬似宗教国家は「国家レベル における政治による宗教の動員」として区別されるのである. この類型化に従えば,先のフランスの事例は,「政治社会レベルにおける政治に よる文化の動員」として位置づけられる.そのうえで,例えば日本の歴史教育問 題も公共宗教論として位置づけてみることで,現代宗教論として歴史教育を考え る視座を開くことができるかもしれない.そして,こうしたアクチュアルな問題 の中で鍛え続けることで,公共宗教論の射程もさらに明確で確固としたものにな るのである. [岡本亮輔] 仁迅参考文献 [1]J.カサノヴァ,津城寛文訳『近代世界の公共宗教』玉川大学出版部,1997 [2]津城寛文『〈公共宗教〉の光と影』春秋社,2005 [3]藤本寵児『アメリカの公共宗教一多元社会における精神性』NTT出版,2009 282 世俗化(論) 旺『「公共宗教論」p.106,「合理的選択理論」p・116, 「宗教社会学」p.150,「政教分離」p.266 「宗教進化論」p.282 世俗化とは,主に宗教社会学において,1960年代以降,現代の宗教の位置を理 解し,その将来を予測するために用いられてきたパラダイムである.近代社会で は宗教が衰退するというのを基本的視座にしている.世俗化はすでに古典的社会 学理論の一部であった.古くは,A.コントが「三段階の法則」によって,宗教に 代わり科学の進歩が個人の世界観に基礎を与えるだろうと予見した.現代の世俗 化論とその批判は,合理化による脱呪術化を語ったM.ウェーバーや,社会分業論 を説いた亘.デュルケムらを継承しつつ,伝統社会から近代社会への変動の中で, 宗教のあり方と役割がどのように変化しているのかを理論的,実証的に説明しよ うしてきた. ●初期世俗化論とその批判1960年代を中心に発表された初期の世俗化論は,B・ ウイルソンによる「(世俗化とは)宗教的諸制度,宗教的行為および宗教的意識が, 社会的重要性を喪失していく過程」との定義に,その方向がよく表れている.彼 は,世俗化の背景として,特に伝統的な地域共同体が解体されて,国家などのよ り大きな単位に再組織化される過程に着目し,それをソシエタリゼーションとよ んだ.これは,ゲマインシャフトからゲゼルシャフト的様式への移行であり,共 同体にあった忠誠,信用,依存による個人的なつながりが抽象的な専門者のシス テムに代わり,その結果,共同体を基盤としていた宗教が社会に与える影響を喪 失した過程をいう.また,P.し.バーガーは,人々の生活を揺りかごから墓場まで 包んでいた中世キリスト教世界を聖なる天蓋と喩え,近代社会においては,この 天蓋がばらばらに砕け,宗教は人々が選ぶか拒絶する個人的なものになっている とした.世俗化とは,まさに社会全体を覆う天蓋が砕け,それによって「社会と 文化の諸領域が宗教の制度や象徴の支配から離脱するプロセス」であるとした. 事実,現代は社会分化が進み,社会の諸領域は,それぞれ独白の論理に基づき 機能する.しかし,社会の諸分野が宗教的支配から脱出する過程は,果たして宗 教そのものの衰退を意味するのか.T.ルックマンは,それを宗教の私事化と捉え た.彼によれば,世俗化とは,教会宗教によって正当化された一切を統括しよう とする宗教的規範の主張が説得力を失っていく過程であり,そこにおいて個人は, 宗教的規範を世俗制度が末だ支配していない領域に制限しようとする.こうして 宗教は私的な事柄となり,社会的に見えない宗教となるとした.社会における宗 教の公的社機能の喪失と,宗教として分化した領域における私事化とは,硬貨の 表裏として,世俗化論の軸となった.また,宗教の内的性と主観性への転回を説 くこの理論は,後の修正世俗化論の発展を促した. 1980年代以降,欧米圏外でのイスラーム主義の台頭だけでなく,アメリカの宗 教復興などを主な根拠に,世俗化論の再考を唱える意見が活発となる・特に西洋 社会の中でも分化と合理化が著しく進み,最も近代的な社会であるアメリカでは, 教会宗教への参加が最高値を示すなど世俗化論が説明できないデータが提示され た.また,宗教が公的領域に突然噴出したことで,社会的機能の喪失は,必ずし も←私事化」を伴わないことも明らかになってきた・J・カサノヴァは,この宗教 の公的領域への進出を,それまでの世俗化論の射程にはなかった新しい歴史展開 として捉えつつ,宗教の「脱私事化」と呼んだ.これに対しバーガーやD・マーチ ンは,自説の適応範囲をおもにヨーロッパに限定することで,世俗化論の妥当性 を維持しようとした.S.ブルースは,世俗化論とはそもそも世界全体にあてはま るものではなく,世界の中でも多元主義と平等主義の歴史的プロセスを通過した 地域であり,それは一般的に西洋社会であるとした.今日研究者の多くが,世俗 化論の適応範囲を西洋キリスト教社会に限定し,理論を相対化している・ 世俗化論が前提としていた,宗教の社会的影響が衰退する以前の古き宗教的黄 金時代に関しても,M.ダグラスからは,それは単をるノスタルジアであり,中世 の民衆の感情や知性が宗教的な枠に統合されていたことを支持する資料はないと の批判が出された.のちにLR.アイアナコーンは,ヨーロッパの中世はただ宗教 文化が栄えた時期というだけではなく,教会への出席も強制されていたので,信 仰の時代というより宗教的無関心の時代だったと主張している・ ●修正世俗化論 これらの論争をふまえつつ,従来の大きな物語としての世俗化 論を修正し,分析次元を分けて個別に検討を深め,精度を高める試みがなされる ようになった.K.ドベラーレが,世俗化を社会全体,組織,個人の三つの次元に 分けて整理したのはその一例である. 社会全体レベルにおける世俗化は,非聖化の過程,つまり,宗教という聖なる 世界が全体を覆う意味体系としての自己主張を失い,他のサブシステムと並ぶ下 位体系のレベルへと縮小していく過程としてまとめられた・これは,合理化や専 門職化などを伴う機能分化を経て,社会における宗教の位置が変化したことをさ す. 組織レベルの世俗化とは,信仰,倫理,儀礼に関して宗教組織の状態に生じる 変化をいう.し.シャイナ一によれば,すでに初期世俗化論において,人々の関心 が超自然的なものから現世的なものへと移った結果,宗教的信仰と制度は本来の 性格を失って非宗教的概念と社会制度へと変容し,以前は被造物の宗教的制度と みなされていた制度は世俗の人間的制度になる,と考えられていた.また,宗教 組織の世俗化の源は宗教伝統それ自体の中にも見出されるという・R・フェンによ ると,宗教は人間が経験する不確実性を整理して減らすので,自らにおいて非神 秘化しており,それは世俗化の第一段階を構成している・さらに,混沌かつ流動 的で脅威である現実が,神聖なるものの宣言によって制御されるのだから,世俗 化と神聖化は同時に進行することになる.かつてバーガーも,旧約聖書はコスモ スの外側に立つ神を設定し超越化することで,神と人間とを本質的に対極化し, その間に徹底して非聖化された世界を介在せしめたと考えた. 個人レベルの世俗化とは,ドベラーレによれば,個人の宗教集団への規範的統 合の程度の変化をいう.個人の宗教信念の衰退に大きな影響を与えるのは合理化 であろう.ブルースとR.ワリスは,世俗化を促進する要因の一つに合理化をあげ, それは主に人々の考え方とその結果としての行動様式に関わるとした.合理化に 基づく行動様式の最も強力な例は技術発展であり,効率のよい機械と手順は不確 実性を減じ,信仰への依存を減らす結果となった.また,現代社会は合理的な思 考,つまり合理的な科学,合理的な会社組織,合理的な法に価値をおいており, 経済活動にも影響を与える.企業計画は占いではなく合理的会計と市場分析によ って立てられるようになる. ●宗教の多元性と世俗化 世俗化論では,個人の宗教信念の衰退の原因として, 合理化のみならず,宗教の多元性もあげられている.バーガーによると,複数の 真理が人々の関心を争うとき,人々は相対主義になり,全体的な世界観に関わろ うとしなくなる.よって,多元性は世俗化の効力を有している.前近代と異なり, 今日,様々な世界観が共存し,互いに取って代われるものとして競合する結果, 人々は自らの宗教が正しいかどうか自問し,すべての確実性が掘り崩される.ま た,競合する世界観が相対化され,自明性が奪われるという. 宗教の多様化が個人の宗教信念の衰退を導くという視点は,ブルースによって, 国による宗教的寛容の文脈でも説明されている.国が宗教的自由と寛容を提供す るのは,唯一の真理を有すると確信する宗教集団の間での競争の結果である.そ のいずれも社会で圧倒的立場を得られないとき,自由な競争か,国家権力と宗教 指導者とのつながりを弱めることが求められる.宗教的寛容が導入されると,宗 教は公的政治機関から切り離されて私事化につながる.また,法的に押しつけら れた宗教的寛容は,個人の宗教的選択を項末化する傾向があるという.人は法的 制限の中で,自分の宗教のためにのみ戦うという考えに慣れ,そのための方法に も制限がある.こうして宗教信念そのものが生死の問題ではなくなってくるとい う. これに対して,R.フィンケとR.スタークは,宗教経済学の視座から宗教の「供 給サイド」モデルを提示して,宗教的の多様性と競合は世俗化を招くのではなく, 宗教のより大きな活力と動員をもたらすと主張した.彼らによれば,組織化され た宗教が最も繁栄するのは,競争を特徴とする開かれた市場システムにおいてで ある.多様な宗教的選択肢があるほど,「宗教全体」としての消費量があがる.例 えば,長い間比較的自由な宗教市場を有してきたアメリカでは,1776年から1990 年の間に,宗教への忠誠度は17%から60%に増加したという.供給サイドモデ ルに基づくと,世俗化論が描写する宗教の衰退は間違いになる.世俗化論を支え るデータはほとんどなく,世俗化論はもっぱら知識社会学のための概念であると 厳しい批判を行っている. 供給サイド理論を進めたものとして,合理的選択理論の宗教への適応がある. この理論に基づき,スタークとアイアナコーンは宗教を,超自然的なものの想定 をその基盤とする,一般的な代償の提供に携わる人間の組織とみなした.通常, 個人はできるだけ費用をかけずに,報酬が自分に有利になるような解決を求める. 宗教的なものを含めた日々の行動においても,このように合理的に自らの利益を 最大化する.しかし,例えば永遠の命など,報酬は必ず手に入るとは限らないの で,時には報酬lの代償(約束,保証)で満足しなくてはならない.そこで宗教グル ープは,永遠の命の約束を通して代償を提供できる.個人は,報酬が手に入ると きは費用以上のものを求めるが,入手不可能の場合には,最上の代償を与えると ころが最も多くの信者を得るという. 近代社会で主な宗派の信者が減少しているのは,近代化に追いつけなかったか らではなく,近代社会に迎合しすぎて超越的約束の提供者としての魅力を失うか らだという.伝統的宗派が衰退するにつれて,市場はより具体的な保証を提供す る新しい宗教運動に開かれる.教会の衰退が宗教の復興に力を与え革新を促すの である.合理的選択理論の適応は,このように社会における宗教の変化を循環的 あるいは弁証法的過程として描いている. ●世俗化論の限界 近代社会における宗教の衰退を説く世俗化論は,これまで見 てきたように,今日までその反証と理論的批判が絶えない.果たして宗教は衰退 しているのか,もしそうならばどのように,という根本的な疑問が依然として漂 っている.西洋キリスト教社会をモデルにしながら,ヨーロッパとアメリカの間 ではその妥当性に大きく差が出ている.前提となる宗教の実体的定義の制約もあ る.近代社会と宗教の関係を包括的に論じる「大きな物語」としての世俗化論は, 宗教の社会学的研究を大いに刺激しその発展に寄与したことは明確であるとして も,それ自体が歴史の限界を背負う近代西洋の産物であった.一つのパラダイム として,今その使命を終えつつあるのかもしれない. [乗馬場郁生] ¢狙参考文献 [1]山中弘「世俗化論争と教会」竹沢尚一郎編『宗教とモダニティ』世界思想社,pp.15−48, 2006 [2]K.ドベラーレ・J.スインゲド一,石井研士訳『宗教のダイナミックスー世俗化の宗教社会学』 ヨルダン社,1992 [3]S.Bruce,ed.,Relなionand Modemi&,0ⅩfordUniversityPress,1992 グローバリゼーション 旺『「布教・伝導問題」p・254,「民族と宗教」p・560, 「ナショナリズム」p.566,「環境問題」p.576, 「情報化」p.580 現代世界を考えるうえで,グローバリゼーションの進展は無視することのでき ない現実であり,その進展と宗教との関連についての研究はますます必要となっ ている.グローバリゼーションという用語が広く使われ始めたのは,1970年代に 国際金融システムが大幅に自由化し,経済活動や物流が地球規模で急速に進展し た時代であった.80年代以降,それは国際経済の領域にとどまらず,人々の海外 渡航の自由化もうながし,さらに情報科学の飛躍的発展に伴う社会の情報化の急 速な展開などによって,世界の相互依存度や同質性が増大し,従来の国家を単位 とした国際化のレベルを超えた諸次元で,世界が一つのシステムとして緊密に結 合しつつある. ●グローバリゼーション論の諸相 このグローバリゼーションの要因や過程の捉 え方には,しかし,いくつかの立場がある.その一つはⅠ.ウオーラーステインの 世界(経済)システム論である.彼は,資本主義のグローバルな展開によって単 一で近代的な世界システムが形成されたとする.ウォーラーステインによる世界 経済システム論がマルクス主義的な立場からであるのに対し,スタンフォード大 学のJ.マイヤーは,近代に成立した「国民国家群のグローバル・システム」の成 立と,その相対的自律性を重視し,こうした国民国家の存立を正当化する「世界 文化」がグローバルに広がってきたとする議論を展開した.他方,イギリスの社 会学者A.ギデンズは,近代性の重要な要素を「時間と空間の分離」,社会的諸関 係が相互行為の局所的な脈絡から引き離され,無限に広がるグローバルな時空間 の中に再構築される「脱埋め込み」メカニズムの発達,そして近代的知識の「内 省性または再帰性」と捉え,こうした近代性の帰結としてグローバリゼーション を捉える再帰的近代化論を主張した.しかし,これら多くのグローバリゼーショ ン論は,宗教について論じていないか二義的にしか扱っていない. ●複合過程としてのグローバリゼーション R.ロバートソンは,後のグローバリ ゼーション論へと発展する研究に,1965年という早い時期から取り組んでいた社 会学者である.彼によれば,グローバリゼーションとは,世界全体がますます相 互依存的になる全体的かつ複合的な過程であり,その結果,国民国家として構成 された諸社会は存続するものの,「世界社会」と呼ぶことさえできる単一の場が形 成される可能性があるという.ウオーラーステインの世界システム論に通底する 発想である. しかしロバートソンは,ウオーラーステインおよびギデンズに対して批判的で ある.その理由は第一に,両者ともグローバリゼーションを基本的に近代以降の 過程であり,または近代の帰結であると考えている点.第二に,両者とも合理化 され世俗化された近代社会を前提として議論を展開しており,グローバリゼーシ ョンにおける意識や認識の問題,および宗教の役割について十分な注意を払って いない点である. 確かに,経済システムから論じれば世界システムは近代において成立したとみ なし得るが,文化,特に宗教的世界に視点をおいて考察していくと,グローバリ ゼーションは人類史という長いプロセスの中で,かなり古い段階から起こってい る.西洋による大航海時代以前から,仏教やキリスト教,イスラムの世界各地へ の伝播と興隆などは,前近代におけるグローバリゼーションの活力に満ちた諸相 である.したがって,グローバリゼーションは近代化や近代世界の形成それ自体 に先行する過程であるとロバートソンは主張する.グローバリゼーションは近代 性の直接の産物ではなく,むしろ近代化のための条件の一つであり,また多数の 異なるタイプの近代性が存在したと強調するのである. 彼のグローバリゼーション論の特徴は,まず上記のように,その過程は近代以 前からのものであり,近代を生みだす原動力の一つと捉えている点にある. 第二は,グローバリゼーションは構造的にも形式的にもはるかに複雑な複合的 過程であると考える点にある.それを示すため,彼は国民国家としての諸社会, 諸社会が相互に交流する世界システム,多様な諸個人の存在,そして人類として の共通意識,という四要素間の相互作用の場としてのグローバルな領域を示し, グローバリゼーションは上記四要素間の交流および相互依存が緊密になる過程で あり,同時にそれは,各要素間での「相対化」「相対性の認識」が進展する過程で あると捉える. 彼はさらに,グローバリゼーションを世界の同質化や諸国民・民族の個別性の 消滅と捉える単純な立論を否定し,それは「普遍性の個別主義化」と「個別性の 普遍主義化」の双方向的過程がグローバルに進展しているとみなす.したがって, グローバリゼーションとは普遍的な原理が世界的に展開するのではなく,一方で 特定の国家や文化の原理がその圧倒的な影響力を背景にグローバルに展開する過 程であり(いわゆるアメリカ化など),他方で国民的または民族的・地域的な固有 性の再認識と再構成を伴って進展するがゆえに,グローバルなローカル化,「グロ ーカリゼーション」なのであると主張する. ●グローバリゼーションと宗教 ロバートソンの立論の第三の特徴は,グローバ リゼーションを客観的側面(世界の相互依存度の増大,世界の単一性の増大)と 主観的認識的側面とに区分し,個人や国民共同体が「世界」をどのように捉えて いるかという認識の問題でもあるとする点にある.したがって「世界は一つの場 だという意識の増大」がグローバリゼーションの重要な側面であり,この意識を 「グローバルな意識」と呼ぶ.そして,世界は一つの場であるという意識の増大は, 565 それぞれの国家や社会をグローバルな視野の中で相対的に捉える意識を発展させ るとともに,各個人を人類や世界の諸民族との関連の中で相対的に捉えていく, 「相対性の認識」が増大することでもある.その結果,それはセルフ・アイデンテ ィティーおよびナショナル・アイデンティティーの変容と再構築を要請すること になる.その際,新たなアイデンティティーの模索と形成を,いかなる「原理」 を基になすかという,ファンダメンタルズの再探求が始まる.グローバリゼーシ ョンの認識的主観的側面の重要性はここにあり,そこに宗教が認知的準拠枠の重 要な資源として参入すると考えるのである. 伝統文化や伝統宗教を強調する近年の宗教的ナショナリズムや宗教的原理主義 の台頭などは,反グローバリゼーションや反近代の産物なのではなく,むしろグ ローバリゼーションに伴う新たなアイデンティティー形成の「原理」を探求する 動きであることになる.ここにグローバリゼーションと宗教的ナショナリズムの 勃興,地域主義やファンダメンタリズムの台頭との相関関係が示される. ●宗教の応答と変容 以上の所論をもとに,グローバリゼーションまたはグロー カリゼーションの過程において,宗教は具体的に,どのような応答をしているか, また変容しているか,そのいくつかの例や可能態を記す. ①宗教のグローバルな新展開:三大世界宗教と呼ばれるキリスト教,イスラー ム,仏教の例にも明らかなように,宗教は古代から帝国や領土の壁を越えてグロ ーバルに伝播していぐ性質がある.それは宗教が理念や信念,倫理や価値を核心 に有する一種の情報体であることによる.その理念や倫理が人類に普遍的な価値 を有するものであるなら,現代のグローバリゼーションに対応して展開する可能 性がある.ロバートソンも,アジアで誕生した新宗教運動がグローバルに展開し ている事例や,解放の神学,エコロジー神学などをあげている. 他方で,グローバリゼーションの影響は,異なった宗教伝統が出会い,習合す る可能性も高める.近年,グローバルに展開する新宗教には,複数の宗教的伝統 に属する観念や要素を取り込み,また近代科学の成果を積極的に導入する運動も 多くみられる.このような例は「ハイパー宗教」←新シンクレテイズム」などとも 呼ばれているが,ギデンズの言う再帰的近代化の一つの帰結とも解釈できる・ ②宗教的原理主義の展開:20世紀初頭に生まれたアメリカのキリスト教根本 主義は進化論に代表される近代の科学的価値や合理主義を批判する原理主義であ り,中東のイスラム原理主義は,西欧近代によって支配され分断されたイスラー ム共同体(ウンマ・イスラミヤ)を本来の姿に再建しようとする運動である・こ れらの原理主義的運動は,グローバリゼーションに逆行する運動とみ離れる場 合もあるが,多様な新しい価値観が従来の生活空間に流入し,すべてが相対化さ れていく中で,個人や集団のアイデンティティーを再構築するために伝統的な原 理へと回帰していったものとも捉えられる.ローカリゼーションの過程である・ そして,自爆テロなどの原理主義「過激派→の運動も含む,これらの多くは情報 機器の活用や世界規模での展開など,それ自体がグローバルな運動であり,西欧 近代的な世俗的グローバリゼーションに対抗する宗教的グローバリゼーションの 展開なのである. ③宗教的ナショナリズムの展開‥伝統的宗教が特定の国家やその政治と再び強 く結びつき,ナショナリズムの源泉として機能する機会が,東西冷戦体制が崩壊 した1990年代以降に顕著になってきた・M・K・ユルゲンスマイヤーは,これを「宗 教的ナショナリズム」と称した・ソ連邦の崩壊に伴って,東側陣営の諸国家を統 合・統制していた「社会主義」イデオロギーが正当性を失い,ロシアや中東欧諸 国では東方正教という伝統宗教をナショナル・イデオロギーとして再活用しよう としている・この動向は,冷戦構造崩壊後にアメリカを頂点とする一極集中型の グローバリゼーションが急速に進展する中で,各国の政治的文化的な再統合やナ ショナル・アイデンティティーを再構築する必要から生じたものでもある.グロ ーバリゼーションの産物であり,まさにグローカリゼーション現象である. この過程は同時に,特定の宗教が,政治運動化したり,特定の政党や国家体制 と結びつくという「宗教の政治化」や,ある政治運動や政治体制が特定の宗教に 深く依存したり密接な関係を結ぶ「政治の宗教化」という現象を生む場合がある. アメリカのブッシュ大統領が原理主義的な福音主義キリスト教と深い関係を結ん だ例や,日本の小泉首相が靖国参拝を重視した例などがあげられる.しかし,特 定の宗教的伝統と過度に結びついた政治体制は,異なった多様な宗教文化を保持 する人々との摩擦を大きくし,国内の文化的宗教的亀裂を生みだしたり,それぞ れの宗教内での分裂や再編成を促す要因ともなる. グローバリゼーションと宗教との関係は複合的であり,二律背反的でもある. 宗教はグローバリゼーションに対応して新たな展開をしていくとともに,グロー バリゼーションを促進したり,阻害する要因ともなる.また現代におけるグロー バリゼーションの進展は,富の偏在がグローバルなレベルで,しかも急速に進行 している面もあり,貧困と格差がグローバルに展開している過程でもある.この ような状況に,宗教がどのように応えるか,ますます問われている.[中野毅] 喝参考文献 [1]中野毅「グローバリゼーション論の再検討と宗教問題」『ソシオロジカ』Vol.30,No.2, 創価大学社会学会,2003年3月 [2]R・Robertson,Globalization;Socia1771eO7yandGlobalCultu作,SagePublications,1992 (一部邦訳:阿部美哉訳『グローバリゼーション1地球文化の社会理論』東京大学出版会, [3]p・Beyer,RelbtionandGlobalization,London,SagePublications,1994 [4]M・K・ユルゲンスマイト,阿部美哉訳『ナショナリズムの世俗性と宗教性』玉川大学出版 部,1995 587 ナショナリズム 旺室戸「国家と宗教」p.52,「民族と宗教」p.560, 「グローバリゼーション」p.562, 「オリエンタリズム」p.568 民族主義・国家主義・国民主義と訳される多義的概念.民族・国家・国民のい ずれに垂心を置いてネーションを捉えるかにより含意が異なる.国家という一定 範囲の枠組と共同体意識をめぐって,ネーションの一体感(特定の価値を共有す る我々意識)や自立性(独立した統治体としての地位)の創出・維持・強化を主 張する思想・運動.E.ゲルナーは「政治の単位と文化の単位を合致させようとす る政治的原理」と定義.普遍主義的要素と特殊主義的要素を併せ持つ.既存の状 況に対する異議申し立てや危機意識として現出するため,しばしば摩擦や紛争の 要因となる.歴史的にはその思想・運動が広く一般庶民に担われたことを重視し, 近代初期のヨーロッパを中心とした国民国家形成の過程で登場したとされるが, その起源を近代以前に見出せるか否かについては学説上争いがある.愛国主義, あるいは自民族中心主義,排外主義,超国家主義の意味合いで使われる場合もあ る.コスモポリタニズム,インターナショナリズム的視座からは,強い否定的ニ ュアンスを込めて用いられる. ●宗教とナショナリズムの現代 亘.デュルケムが「同じ道徳的共同社会に,これ に帰依するすべてのものを結合させる信念と行事である」と,宗教の社会性を強 調したように,宗教は「我々意識」と本質的に関連している.一方,ナショナリ ズムも「我々意識」を不可欠な要素としており,両者は多様な局面で関わり合う. アフリカ系初のアメリカ大統領となったB.H.オバマは,2009年1月20日の 就任演説において現在のアメリカが危機的状況にあるという認識を前提に,「我々 は,キリスト教徒,イスラム教徒,ユダヤ教徒,ヒンドゥー教徒,そして,神を 信じない人による国家だ.我々は,あらゆる言語や文化で形作られ,地球の各地 から集まってきている」と述べた.すでにオバマは2004年7月27日,民主党党 大会の基調演説で「黒人のアメリカ,白人のアメリカ,ラテン系のアメリカ,ア ジア系のアメリカは存在しない−あるのはアメリカ合衆国だけだ」と述べ,国 民の一体感を強調していた.オバマの言葉には,「国家」の枠内における異質な「民 族」性(下位の我々意識)を止揚して「国民」(上位の我々意識)への同化を志向 するナショナリズムの一側面が現れており,ここでの宗教は同化されるべきエス ニシティと措定されている(シビックナショナリズム).一方,アメリカのナショ ナリズムを高揚させた危機意識も宗教に関連してもたらされている.イスラム原 理主義者によるものとされる2001年9月11日の同時多発テロ事件とそれに続く イスラム諸国などに対する「対テロ戦争」をめぐるアメリカ国内の動揺が危機意 識の主たる要因の一つであった.ここでの宗教は,国家を外部より脅かす存在と してナショナリズムの促進要因である.同時に,冷戦後におけるアメリカナシヨ ナリズムの拡大としてのグローバリズムが世界各地でそれに抗するナショナリズ ムを生み,その潮流の中で同時多発テロ事件を惹起したという相互関係も看取で きる.また,アメリカの「対テロ戦争」の一環であるアフガニスタン侵攻は,内戦 の続く同国の統一を主張するイスラーム主義ナショナリズム運動(タリバン)の政 権に対するものであった.タリバンの政権掌握後,イスラームを信仰する国民の 多くもそのパシュトウン民族特有の原理主義的政策に反発.アメリカの侵攻と呼 応したアフガニスタンの北部同盟(他のイスラーム主義ナショナリズム運動勢力) のクリバン政権攻撃を契機として,タリバンはその支配領域の大半を喪失したが 国内南部の実効支配を続けその後のカルザイ政権に対する反政府活動を継続して いる.ここでは宗教的エスニシティを基軸にして「国家」の自立性獲得を志向す るナショナリズムの一側面と,宗教の「民族」性が既存の「国家」枠組を分化す るナショナリズムの他の側面がそれぞれ現れている(エスニックナショナリズム). ●多義性,多様性,現代性,宗教性 上の例は,ナショナリズムを阻害/促進する 宗教とナショナリズムの両義的な関係と,同化/分化,拡張/防御という逆の指向 性を包摂するナショナリズムの多様性を同時に示し,さらに,その多様性は「民 族」「国家」「国民」がそれぞれ上位の審級にも下位の審級にも位置し得ることに 起因することを示している.また,この現代的事例は,近代フランスのシビック ナショナリズム成立とその対外的拡張への応答であるドイツのエスニックナショ ナリズム勃興,普填戦争普仏戦争へと続く歴史的事例と同質であり,近代の国内 的・国際的秩序形成問題が現代においても再燃し続けていることを表している. シビック/ェスニックというナショナリズムの二分法は,一定領土のもとで法 的・合理的に結合した人々による合理的な西欧型ナショナリズム/血や魂のよう な神秘的な実体の同一性に訴求する非合理的な東欧型ナショナリズムというH. コーンの類型を祖形とする.しかしM.K.ユルゲンスマイヤーが指摘するよう に,政教分離的合理主義によって生み出されたとされるシビックナショナリズム も神秘性と特殊性(「民族」性)を不可避的に帯びる.ナショナリズムの代表的研 究者B.アンダーソンとA.D.スミスもナショナリズム一般の宗教性について言 及している.政教分離国アメリカに「市民宗教」が存在するとしたR.N.ベラーの 指摘や,近代的市民を生み出したフランス革命の啓蒙合理主義が「理性の祭典」 に象徴される「理性の神聖化」を随伴した歴史的事実もこれを示唆する.我々意 識は我々と異なる他者との差異感覚に負うところが大きい.思想が運動となり 我々意識を形成するとき,インターナショナリズムやグローバリズムですらもナ ショナリズム的性向を示すのである. [小島仲之] 鞄参考文献 [1]B.アンダーソン,白石さや・白石隆訳『想像の共同体増補版』NTT出版,1997 [2]E.ゲルナ一,加藤節訳『民族とナショナリズム』岩波書店,2000 [3]M.K.ユルゲンスマイヤー,阿部美哉訳『ナショナリズムの世俗性と宗教性』玉川大学出版 部,1995 588 おりえ オリエンタリズム 569 旺『「民族と宗教」p.560, 「ナショナリズム」p・566 オリエンタリズムとは,もともと欧米における文化的な東洋趣味,あるいは学 問分野としての東洋学をさすものであったが,E.W.サイード(1935−2003)が『ォ リエンタリズム』を1978年に刊行して以降,サイード的な意味での「オリェンタ リズム」の用法が広まった(邦訳は1986).これは,西洋が優越する「自己」に対 して他者を劣った「オリエント/東洋」として区分けし,他者を支配する思考様式 を意味する.この定義によって,東洋学/オリエンタリズムは英仏の植民地支配や 米国の覇権の「共犯者」として捉えられるようになった.この概念を用いて,い わゆるオリエント以外の地域を対象とするオリエンタリズムも研究されるように なり,さらには日本における戦前のアジア認識なども規上にあげられた.またサ イードの著作は,ポストコロニアル・スタディーズの形成にも大きな影響を与え た.『オリエンタリズム』は主として中東・イスラーム世界を対象とする東洋学を 扱っていたから,折からの中東におけるイスラーム復興と呼応して,この間題は 西洋とイスラーム世界の摩擦・対立と結びついて展開することとなった. ●オリエンタリズム論争 サイードはオリエンタリズムを,「東洋(オリエント)」 と「西洋(オクシデント)」を存在論的・認識論的に区別した上で「オリエントを 支配し再構成し威圧するための西洋の様式」であると定義している.『オリエンタ リズム』では,19世紀初頭からのイギリスおよびフランス,第二次世界大戦後の アメリカの研究や言説が批判的に扱われている.この著によって,コロンビア大 学で長らく英文学・比較文学の教鞭を取ったサイードは,文芸評論の新しい地平 を拓く貢献をなし,国際的な影響を与えた.サイードはパレスチナ出身であり, パレスチナ独立をめざす発言と活動も積極的に続けたため,彼のオリエンタリズ ム論は中東側からの西洋批判であると誤解されることもあるが,実際にはそうで はない. ディアスポラ知識人としての強い個性を持つものの,彼の文芸批評は欧米にお けるポストモダンの重要な一翼を担うものであり,西洋の中の西洋的言説をフー コーの権力論などを応用して,内在的な観点から批判したからこそ大きな影響を もった.それまでもイスラーム世界では,欧米の東洋学・イスラーム研究が強い バイアスをもっていること,植民地権力や西洋の覇権と連携していることを長ら く批判してきた.しかし,それらの批判は現地における反植民地主義,ナショナ リズム,イスラーム護教諭などと連動するものであり,非イスラーム圏における 影響はきわめて限定的であった.サイードの登場によって,現代思想におけるノ つのパラダイム転換が生じたといえよう. サイードの提起は大きなインパクトをもち,アメリカ内でも国際的にも大きな 論争を引き起こした.特に,オリエンタリズムの代表というべきBルイスのサイ ード批判,サイードによる反論は,注目を集めた.ほかにも賛否両論が多くなさ れた.サイードに対する批判はおおまかに三つに分けられる.一つは,オリエン タリズムの側からの自己擁護である.特にアメリカでは,オリエンタリズム批判 を反西洋的な論難とみる拒絶感もあり,ルイスのその後の活躍に示されるように, 政治・社会的にはオリエンタリズムは延命している.二番目の批判は,東洋学や イスラーム研究の中の優れた成果を擁護し,サイードの行きすぎた一般化を批判 するものである.三番目は,サイードの議論が言説をめぐる研究であり,分析対 象が文学や芸術に偏っていることから,その限界を批判するものである.サイー ド自身が述べているように,「オリエント」は二項対立的な西洋の言説がつくるも のであり,「本当のオリエント」なるものを求めることに意味はない.しかし,中 東やイスラーム世界の実態的・実証的な研究を重視する立場からは,実際に存在 する社会の動態を把握する必要が主張された. このような批判を受けてもなお,サイード的なオリエンタリズム論はアジア, アフリカを研究する際の基本的な視座として,ゆるぎない地位を獲得するに至っ た.特に日本では,サイードは他国ではみられないほど広範な支持を受け,その 著作の大半が邦訳されている.日本におけるサイード受容をみると,西洋近代の 普遍性・有効性とその世界支配における負の側面(植民地支配や覇権的言説)と いう矛盾が近代日本にとっても大きな問題であり,進歩的・世俗的知識人のサイ ードがその解析に成功したことの重要性が指摘しうる. ●イスラーム復興 オリエンタリズムの中東/イスラーム理解は,19世紀以降の 西欧の啓蒙主義的で世俗的な認識と,第二次世界大戦以降に広まった近代化論の 影響を強く受けている.しかも,オリエント/イスラームを本質主義的に一枚岩で あるかのように捉えるため,歴史的な変容は過小評価され,イスラームそのもの が前近代的で非民主的なものと理解される.サイードの功績は,そのような静態 的な他者理解の問題点を明らかにした.その一方で,『オリエンタリズム』の刊行 と並行して,1970年代後半には,各地でイスラーム復興の現象が顕在化した.特 に,1979年のイラン・イスラーム革命の成功によって親西洋のパフラヴィ一朝が 打倒され,イスラーム法学者が実権を握る「反西洋的」な体制が実現した.さら に同年11月には,テヘランのアメリカ大使館占拠・人質事件が起き,アメリカと イランの関係は決定的に悪化した. 従来のオリエンタリズムの観点からいえば,これは近代化に失敗した(成功し ょうもない)イスラーム世界が,14世紀にわたる西洋との対立に再び復帰したも のと捉えられる.オリエンタリズムを克服しようとする研究者たちにとっては, 特定の政治変動の原因をイスラーム一般に帰することはできないから,イランの 政治・経済・社会からこの現象を理解すべきである.しかし,本来「私人」であ る法学者たちが聖典の教えを根拠に非武装の反王政運動を指揮し,革命に成功し たことは,ナショナリズムや階級闘争によっては解析しえず,しばらく学問的な 混乱が続いた.しかも,80年代には,サウディアラビアやエジプトでの急進派イ スラーム運動の登場,レバノンでのヒズブッラー(神の党)の躍進,アフガニス タンでの反ソ・イスラーム闘争など,「イスラーム復興」として概括される諸現象 が各地で起ったため,それらを包括的に捉える理論的な枠組みをめぐって,模索 が続くことになった. 政治学的な議論でも,かつては中東における君主制は,市民社会の脆弱性が東 洋的な専制を継続させているものとみなされたが,イラン革命の後では,それが 逆転して,社会が強すぎて近代国家が脆弱であるがゆえに非民主的なイスラーム 国家が生まれるという主張が生まれた.いずれにしても,イスラームは民主性や 近代性からほど遠い,という結論が常に導かれるところは,オリエンタリズムを 脱却していない. 80年代には,それまでの近代化・世俗化を前提とする立場から説明のつかない 宗教復興を理解するために,「ファンダメンタリズム」論が勃興した.この語は, もともとは1920年代に北米で生まれた根本主義(聖書根本主義)をさすもので, 啓蒙主義的なキリスト教理解に反対したため,反近代,偏狭,時代錯誤というよ うなイメージが付与された.その語をイスラームにあてはめ,それが日本にも輸 入されて「イスラーム原理主義」として普及した.その後,原理主義の語は,イ スラーム以外の宗教(さらには宗教以外の思想)にも用いられるようになったが, イスラーム自体が原理主義的であるとみなす見方は,オリエンタリズムを継承す るものである. ●文明の衝突論と反テロ戦争 90年代に入って脱冷戦期に入ると,東西対立に代 わる国際関係のあり方が模索されるようになった.特にS.ハンチントンの「文明 の衝突」は,宗教を基軸とする紛争を予見し,西洋に対する脅威としてイスラ} ムと儒教(中国)への警告を発して大きな反響をよんだ.ハンテントン自身は政 治学者であり,イスラームについての知見は,オリエンタリズムの代表格たるル イスに依拠している.ハンテントンの議論が重要なのは,イスラームに限らない 世界的な宗教復興を前提として,宗教を軸とする文明を,新時代の主役に据えた 点にある.これに対して,国際社会のアクターとして「文明」を設定することの 不適切さや衝突論の好戦性などに批判が集中した.1997年にイランで穏健改革派 のハ一夕ト大統領が誕生すると,文明間対話を唱え,2001年が国連文明間対話 年となった. しかし,この年に9・11事件が起きた.イスラーム過激派アルカイダによるニュ ーヨークの世界貿易センター,ワシントンの国防省へのハイジャック機による自 爆攻撃は三千人近くの犠牲者を出し,当時のブッシュ政権は「反テロ戦争」を宣 言した.過激派の指導者ビン・ラーディンはイスラーム世界を代表する著名人と なり,文明の衝突論は,西洋対イスラーム世界の構図を継承しながら,「テロ・反 テロ」の戦いに置き換えられた.アメリカを中心とする多国籍軍は,2001年にア フガニスタン戦争,2003年にイラク戦争を敢行したが,アメリカの軍事主義はむ しろ過激派を助長する傾向を生んだ. イスラーム復興の実態は,草の根レベルでは,モスク建設,礼拝の励行,喜捨 に基づく相互扶助と福祉活動,聖地への巡礼者の増大,無利子金融を唱えるイス ラーム銀行の設立などを生んでいる.これによって伸張するのは中道派,穏健派 である.しかし,オリエンタリズム的な二元的対立論が,イスラーム原理主義の 脅威論,「イスラーム=テロ」論,イスラモフォビア(イスラーム嫌い)などの形 で欧米で広がり,かえって急進派,過激派が増加するという矛盾が生じている. 急進派は,イスラーム対西洋という二元論を受け入れて,自己正当化をはかる傾 向にある. ●再聖化・脱世俗化とポスト・オリエンタリズム オリエンタリズムには,サイ ードが喝破したような西洋による「支配の思考様式」という側面とともに,アジ ア,アフリカの宗教に対して,キリスト教の伝統と近代的な世俗社会を背景とす る宗教観を投影するという問題が内包されている.ところが,1970年以降のイス ラーム復興のみならず,ヒンドゥー教などの諸宗教の復興においても,宗教と政 治,社会,経済などが分離されない傾向が示されている. 21世紀に入っても世界的な宗教復興は続いており,グローバル化によってそれ が相互に強化される面も見られる.イスラーム人口については2010年の時点でも 約15億人を数え,総人口ではキリスト教が第1位であるものの,教派単位で見た 場合,スンナ派イスラーム(イスラームの9割)がキリスト教最大のカトリック 教会をしのいで最大となっている.宗教復興は世俗化の逆転現象として再聖化・ 脱世俗化ともいわれるが,イスラームをはじめとして,そこでは近代的な政教分 離と相容れないような宗教観が広まっている.オリエンタリズムを克服していく 中で,これらの宗教をどのように理解すべきかは,大きな課題であり続けている. [小杉泰] 喝参考文献 [1]E.W.サイード,今沢紀子訳,板垣雄三・杉田英明監修『オリエンタリズム』平凡社,1986 [2]E.W.サイード,浅井信雄訳『イスラム報道増補版』みすず書房,2003 [3]B.ルイス,臼杵陽監訳,今松泰・福田義昭訳『イスラム世界はなぜ没落したか一西洋近代 と中東』日本評論社,2003 584 宗教教育 585 曙⊃「宗教情操」p・76,「宗教法」p.512, 「教育」p.518 近代の教育制度のもとでの,宗教に関わる教育についての総称.国や地域によ ってその内容は大きく異なる.また同一国家・地域においても,政治体制の変化 によって内容にかなりの変化が生じうる.特に宗教についての教育が自由である か厳しく制限されるかは,その国の政教関係のあり方によって大きく影響を受け る.政教分離が原則の国では,国立の学校において特定の宗教への教化を目的と するような教育を行うことは,基本的に認められないのが一般的である.他方, 国教制度がある国や,事実上特定の宗教が支配的になっているような国では,そ の宗教の基本的教義,儀礼について,公立学校においても教えていく場合が多い. イスラーム圏では小学校でイスラームの礼拝の仕方を教えることは普通である. 反対に,ごく一部ではあるが,宗教活動が厳しく制限される社会主義体制の国で は,宗教についての教育がなされなかったり,宗教が否定的に扱われたりする. 政教分離を原則とする国は,西欧やアジア諸国などに数多くあるが,公立学校 で宗教教育をどう扱うかを具体的にみていくと,国ごとにかなり異なる.ドイツ では宗教教育を公立学校にも導入しているが,フランスではライシテの原則が適 用されて,公立学校では宗教と教育が厳しく分離される.東アジアでは,韓国が 日本と似たような状況にあるが,宗教系の学校の割合は日本の約2倍であり,ま た宗教教育に対する社会の寛容度は日本よりも高い.1974年から実施された高等 学校の「平準化政策」により,公立・私立はむろん,宗教系かそうでないかの区 別なく,学校が割りあてられることとなった.このようなシステムのもとで宗教 立の学校は,事実上はぽすべての生徒に宗教教育を行っている.また国によって は,公立学校での宗教教育について,宗教側が否定的になる例がある.宗教一般 についての教育が広まることは,むしろ自分たちの宗派的立場からは必ずしも好 ましくないとみなされるからである.社会主義国では,宗教教育に厳しい統制が 加わることがある.ただ中国のように,一定の宗教知識教育がなされている例も ある.中国ではカトリック,プロテスタント,仏教,イスラーム,道教が公認宗 教であり,これらについて学校教育で適切な知識を得られるように意図されてい る. 宗教教育が人格形成に与える影響が議論される際には,主として初等・中等教 育における宗教教育が対象とされる.高等教育においては,一般的に宗教につい ての学問的研究や,特定の宗教家を養成するための専門的教育といったものが主 流を占めるようになる.ただ,グローバル化の進行にともない,従来はあまり顧 慮されてこなかった面が,重要な課題となりつつある.それはグローバル化によ り,多くの国において以前よりも多文化状況が進行し,宗教も多様化する傾向が はっきりしてきたからである.国内の伝統的宗教に対する関係でのみ宗教教育を 考えるのは不十分になってきた.ヨーロッパでは各国でムスリムが増加している. オランダやフランスではムスリムが全体の人口に占める割合は5%以上になっ ており,ドイツ,ベルギー,イギリスも3%程度から5%近くになっている.し たがって,宗教教育を行う場合に,その現実にどう対処するかという新しい問題 が生じている.東アジアでは従来は外国からの宗教といえば,ほとんどキリスト 教であったが,イスラーム,上座仏教,ヒンドゥー教などを信じる人々も少しず つではあるが増えている.それぞれの国において,宗教的な多元化が進行するこ とで,宗教教育の議論は複雑さを増した. ●日本における戦前戦後の宗教教育 近代日本における宗教教育は戦前と戦後 で,大きく異なる面がある.それは戦前は神社神道が宗教ではなく,国家的祭祀 であるとされ,神社の崇敬は国民の義務とされていたからである.維新当初は宗 教的教化と教育は未分化な時期もあったが,1872年に学制が発布され,さらに79 年に教育令が制定されて,両者は明確に分けられた.宗教的な理念に基づく教育 は,各種学校でなされ,一般の学校においては,宗教教育に関わらないという基 本方針ができた.これはキリスト教の進出を意識してのこととされる. 明治中期以後は天皇制を中心とする神道的教育を特別扱いするという方針がし だいに顕著となる.1899年8月に出された文部省訓令第12号では,一般の教育を 宗教外に特立させることを命じている.つまり官立公立学校および学校令に準拠 する高等学校以下のすべての学校学科課程に関しては,課程外であっても,宗教 上の教育を施したり,宗教上の儀式を行うことを許さないというものであった. これは宗教と教育の分離(分離主義)を徹底させたが,他方で教育勅語を中心と する神道的な教育は,宗教教育とは区別され特別な位置を与えられた. 1920年代後半になると,学校教育が知識面に偏っており,情操面が欠けている として,宗教的情操教育の必要性が主張されるようになった.32年には,文部省 が通牒を出し,宗教教育の禁止は,宗教的情操教育を妨げるものでないという見 解を示した.35年には,「宗教的情操の歯養に関する留意事項」なる文部省次官通 牒が出され,教育勅語を徹底することや滅私奉公の精神を推し進めることなどが 主張された. 戦後はこの状況が大きく変わった.公教育における狭義の宗教教育が排除され, 私立学校における宗教教育は大幅に自由となった.1945年10月の文部省訓令に よって,宗教系の学校では課程外なら,宗教上の教育や宗教上の儀式を行うこと ができるようになった.ただし,それには次の三つの条件が付されていた.①生 徒の信教の自由を妨害しないような方法によること,②特定の宗派教派等の教育 を施したり儀式を行う旨を学則に明示すること,③実施にあたって,生徒の心身 に著しい負担をかけないよう留意すること. 一万,1947年に公布された教育基本法は宗教教育の基本的方向を示し,公教育 から狭義の宗教教育を排除するという方針が出された.これは前年公布された日 本国憲法の第20条3項に「国及びその機関は,宗教教育その他いかなる宗教的活 動もしてはならない.」とあることと関係している.教育基本法第9条(宗教教育) には,宗教に関する寛容の態度および宗教の社会生活における地位は,教育上こ れを尊重しなければならないことと,国および地方公共団体が設置する学校は, 特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならないことが明記され た.他方,宗教に関する寛容の態度および宗教の社会生活における地位は尊重さ れ,また,私立学校においては,軍国主義的教説以外であれば,すべての宗教教 育を自由に行えることとなった. 1949年には,文部事務次官より,初等および中等教育における宗教の取り扱い についての通達が出された.国公立の学校にあっては,礼拝や宗教的儀式,祭典 に参加する目的で宗教施設の訪問を主催してはならないこと.もし,研究や文化 上の目的で訪問する場合には,これを児童・生徒に強要してはならないこと.ま た,宗教に関する教材については,研究・教育上,必要があるならば,宗教的教 材を利用してもよいが,特定の宗教を評価したり,逆に否認したりする結果にな らないようにという原則が示された.ただし,児童・生徒が授業時間以外に,自 発的に宗教団体を組織することは自由であるとされている.これら戦後の宗教教 育に関する基本方針はその後,今日に至るまで大筋において踏襲されている.そ して,宗教系の学校も新たに数多く設立された. ●日本における宗教教育の類型 戦後はこうして,宗教系学校における自由な宗 教教育と,公立学校における一定の制約という状況が続いたが,こうした状況を 前提として,日本における戦後の宗教教育に関する議論がなされている.まず, 宗教教育については用語法が必ずしも統一されていないので,あらかじめ広義の 宗教教育と狭義の宗教教育に分けて議論を整理する.広義の宗教教育は,おおよ そ三つのタイプに分けられる.すなわち宗教の知識教育,宗教情操教育,宗派教 育である.この宗派教育はヨーロッパでconfessionaleducationと呼ばれるもの におおよそ相当する.宗派教育においては,特定の宗教,宗派などの教義や儀礼, 実践方法を適切に教え,その宗教,宗派などの理解や共感を深めていくことをめ ざしている.先に述べた戦後の法的環境のもとでは,このタイプの教育は宗教立 の学校であれば行うことができる.ただし強制的なものになってはならないので ある. 宗教の知識教育は宗教についての適切な知識を養うことをめざすもので,これ は公立の学校においても行うことができるとされる.宗教知識教育は,中学校で あれば社会,また高等学校であれば,倫理をはじめ,世界史,日本史,地理とい った科目においてなされうる.ただ現代宗教に関する知識はあまり扱われていな いのが実情である.最も議論をよんできたのが宗教情操教育である.宗教情操と いうものが何をさすのかがあまり明確でなく,また個別の宗教と別に一般的宗教 情操というものが考えられるのかどうかについても,議論は定まっていない.す なわち公立学校でも宗教の情操教育が可能とする立場では,「生命や自然への畏敬 の念」を養うことは,個別の宗教を超えた一般的な宗教的情操であるとする.こ れに対し,宗教情操はあくまで個別の宗教ごとに異なるので,公立学校で宗教情 操教育を行うのは困難とする立場では,生命観も宗教ごとに異なることを指摘す る.さらに戦前の国家神道のような性格を帯びる可能性も指摘される.したがっ て,現状では宗教立の学校では宗派教育を行うが,公立の学校では知識教育の範 囲を出ないようにするというのが,一般的な傾向となっている. 狭義の宗教教育は宗派教育と宗教情操教育を合わせたようなものが想定されて いる.宗教的感性を養ったり,宗教的な倫理について学んだりすることを含み, 広い意味の人格陶冶に資するような教育として理解されていることが多い.狭義 の宗教教育の必要性が唱えられる際には,適切な宗教教育がなされていないので, 若い世代に道徳心が乏しかったり,倫理性が欠如していたりするという論理構成 をともなうことがしばしばである. 公立学校における宗教教育が,宗教の情操教育をめぐって対立が解消せず,ま た宗教に関する問題を教育の現場で扱うことを避ける傾向が続いたので,宗教に 関する基本的な知識さえも,十分学ぶ機会が与えられないという傾向が強まった. そこで,2000年代になって新たに捏起されたのが宗教文化教育である.これは本 来的な意味での「知識教育」を基盤にしたものであり,自国の宗教文化をより深 く理解し,外国の宗教文化についても理解を深めることをめざす「生きた宗教文 化」についての教育である.歴史的な宗教文化についての学びとともに,現代に おける宗教文化の様相についても,なるべく深い学びを追求することが特徴の一 つである.多民族国家であるアメリカで発想された宗教学習(studyofreligion) という考えに近い.公立学校でも可能な,広い意味での宗教教育の一つとされる. 2006年12月には教育基本法が改正され,宗教教育に関する条項では「宗教に関す る一般的教養」を尊重するという語句が付け加えられた.これも宗教文化教育で 想定されている教育内容に近いものである. [井上順孝] 亀参考文献 [1]国学院大学日本文化研究所編『宗教と教育』弘文堂,1997 [2]国際宗教研究所編『教育のなかの宗教』新書館,1998 [3]江原武一編著『世界の公教育と宗教』東信堂,2003