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2014
授業料等不徴収協定に基づく派遣交換終了報告書
所 属 ( 本 学 ) 生命理工学部生命工学科
現 在 の 学 年 学部 4 年
留 学 先 国 フィリピン
留学先大学
デラサール大学マニラ校
留 学 期 間 2015 年 1 月 3 日~ 2015 年 4 月 30 日
① 留学先大学の概略
デラサール大学は 1911 年にカトリックのブラザーたちが設立したブラザーの私立大学で、
フィリピンの首都、マニラに位置しています。近くには LRT という鉄道があり、Taft 通りという大
きな道路に面しています。デラサール大学は 3 学期制(5 月~8 月、9 月~12 月、1 月~4 月)
を取っています。2015 年には 9 月始まりのスケジュールへの移行が行われており、これまで
の 5 月始まりの制度は廃止されてしまいます。全部で 8 学部、36 学科あり、国をリードし、世
界で活躍できる総合的な人材を輩出しています。その証拠として、経済界からの寄贈がデラ
サール大学には多く見られ、たとえば、図書館がある建物には SM モールの創設者である
Henry Sy の名前が付けられています。大学の文化祭などでもさまざまな有名企業のスポンサ
ーがついていたり、就職の時期になれば、大学構内で有名企業の説明会が行われていたり
しました。学部生はおよそ 16000 人、院生はおよそ 4200 人在籍しています。そのうち 580 人
ほどが留学生で、主に韓国からの留学生が目立ちます。授業はすべて英語で行われ、使わ
れる教科書や参考文献などもほとんど英語です。(タガリッシュといったタガログ語と英語が
混ざった表現を授業中に使う先生も中にはいます)交換留学生は International Center で組織
されているグループに属するレギュラー生とバディを組むので、生活面から大学の授業のこと
などでさまざまなサポートをしてくれます。交換留学生とレギュラー生の交流を深めるイベント
も毎月実施されます。希望をすれば、英語やタガログ語を勉強できるプログラムもバディが先
生となって実施されます。また、カトリック系の大学なので、学内に礼拝堂がありますし、キリ
スト教に関連した行事もしばしば学内で行われます。私が経験したケースでは、Easter の前
(Holy week の前)には学内でキリストが処刑されるまでの物語の劇が行われていました。
2 月に学内で行われた Job EXPO の
様子です
体育館では時間が空いていれば自
由に使えます
食堂の様子
Saint Joseph の建物の前に広がる
通路では学生がサークルの勧誘や
イベントへの参加の勧誘をよく行っ
ています
図書館はとてもきれいです
② 留学前の準備
私が交換留学プログラムでフィリピンの大学を希望したのは、2 年生の後期の 1 月ごろでした。追
加 2 次募集の締め切りまでに書類をそろえて提出し、学内での面接が実施されたのは期末試験が
終わってすぐのことでした。このころはフィリピン大学ディリマン校への翌年度 11 月~3 月の留学を
志望していたのですが、新年度が始まってしばらくしてから、フィリピン大学が 8 月始まりになること
を聞き、準備の期間が足りなかったこともあったので、志望をデラサール大学に変え、留学期間を
2015 年の 1 月から 4 月にすることにしました。
もともとはフィリピン大学への半年の留学で、3 年後期の必修科目を交換留学先で取得する予定
でいたのですが、デラサール大学へ 2015 年 1 月から 4 月の留学に変わったこともあり、その必修科
目の単位を 2014 年の 12 月までに取ることができないかということを所属している生命工学科の先
生方に何度も相談することになりました。度重なる協議の結果、実験は 12 月中に 1 月分のものを行
ってもらい、ゼミは課題を追加で提出することで必修科目の単位が取得できる手筈が整いました。
学士論文研究の申請要件に達する単位は取得できていたので、3 年後期の必修科目の単位さえ取
得することができればよかったため、3 年後期は必修科目の実験とゼミ以外は単位を取らず、他の
科目については授業にだけ 12 月まで参加していました。
私の学科では研究室配属の話が 11 月ごろから本格的に始まったのですが、研究室配属の件でも
困難なことがありました。最終的に研究室の配属を決める時期が 2015 年 1 月中旬であったので、
その時期にいない私の処遇をどのようにするかということで、先生方と研究室配属のとりまとめをし
ていた同期と何度か話し合うことがありました。結局のところ、最終の研究室決めの際には、私の希
望は、私があらかじめ取りまとめ役に伝えておいた第 12 志望までの希望に沿ってその場での意思
を表明することにし、あとは、他の人と同様に成績やくじを用いた決め方に則って研究室決めを行っ
てもらいました。研究室に所属する時期が他の同期よりも 1 か月遅れてしまうのですが、学年をずら
すことなく、帰国後には研究室に所属し、4 年生になる手筈を整えました。就職活動はするつもりが
なく、院試も早くて 6 月から本格的に取り組めばよいということだったので、4 月末に帰国することに
ついては研究室所属が遅れること以外はあまり問題ありませんでした。
デラサール大学に交換留学することが決まってからは、東工大からデラサール大学に交換留学
した人がこれまでいなかった関係で、希望している授業の内容や実施年度・時期についての正確な
情報が分からなかったのが大変でした。運よく、私にはデラサール大学の友達が何人かいたのでそ
のうちの一人に留学に行く前にいろいろ情報を教えてもらいました。
英語に関して言うと、留学開始 4 か月前には 1 日 25 分程度、TOEFL とスピーキングの訓練とし
てオンライン英会話を行っていました。効果はあまり実感できませんでしたが、何もせずに留学に行
っていたらと思うとそれはそれでダメだった気がします。知っている単語、センテンスをどんどん話す
訓練、自分の語学力の壁はここにあるという意識は留学前に必ず持っていた方が、その先の対策
も立つと思うからです。専門分野の英語に関して言うと、正直なところほとんど何もしていませんでし
た。留学前にある程度の理系英語に触れるべきだと思っていましたが、どこをどうするという計画が
立たず、日々の課題やグループワークに追われて何もできませんでした。その分、留学中に苦戦し
ましたが、理系英語も反復することによって、自分が学んで行った部分については自然に身に付き
ました。実際、英会話力も理系英語も、まだまだ未熟だと感じているので、帰国後も英語学習は継
続しています。語学は日々の研鑽であると強く痛感しています。
ビザについては、フィリピンでの交換留学ではなぜか「学生ビザ」ではなく、「観光ビザ」を取り、大
学に在籍することになります。しかし、Special Study Permit という許可のために大学にお金を払った
ので、それが学生ビザの代わりなのかもしれません。したがって留学前に事前に日本でビザを取得
する必要は必ずしもなく、私の場合では、フィリピン現地でビザの延長の手続きを計 2 回行いました。
現地の移民局での手続きは初めはさっぱりわからないのですが、いろんな人にあれこれ聞いている
とわかってきます。(移民局に行ったことがある人と一緒にいくことをおすすめしますが)ただ、ビザ
の延長の費用が現地価格からするとかなり高額(日本円にして 1 万円~1 万 5 千円)なので、人によ
っては、フィリピン国外へ旅行に行き、再びフィリピンに帰ってきた時点から再び 1 か月滞在できるた
め、その方法で無駄なビザ延長費用を払うことなく過ごしている人もいました。(私は、素直にビザを
延長し続けました)
③ 留学中の勉学・研究
あらかじめ履修したい授業は留学前に書類で提出し、留学先に伝えていたのですが、実際には
その授業に縛られることなく、新学期が始まる前に履修登録する際に変更できました(おかげで理
系科目だけでなく、英語のスピーキングの科目も取れました)。授業の登録は、向こうの留学センタ
ーのグループに所属しているレギュラー生に手助けしてもらいながら行いました。実施される曜日や
時間、授業を担当している先生の評判によってさまざまな選択肢があるので、なかなか決めづらい
ところもありました。手伝ってくれていたレギュラー生にこういうことをしたい等のリクエストをするとそ
れに合った授業を進めてくれたのでそれはとても助かりました。結局、私は専門である「微生物学」
の講義の授業と実験の授業、そして英語の「SPEECOM」というものを取りました。授業の登録 1~2
週間後、他の交換留学生の中には履修登録したあとに、残念ながら受講できません、という通知が
来て、別の授業に変更しないといけないというケースもありました(私は履修した科目はすべて通り
ましたが)。交換留学生の扱いであったからそうなったのかは不明です。
授業が始まると、最初に驚いたのが、生徒が能動的に先生の質問に対して返答していたことです。
これは教育の形としては当たり前なのでしょうが、受け身の授業に慣れていた自分にとっては、ほ
ぼ全員の生徒が何らかのリアクションを取り、生徒と先生が双方向に意見を交換しながら授業を進
めていく光景には驚愕を受けました。また、私が取得していた理系科目(微生物学の実験と講義)に
ついては、アウトプットとインプットのバランスがうまく取れていて、授業の合間に抜き打ちのクイズ
があったり、成績に関係があるのかないのかわからないテストがいくつかあったりしました。そのた
め、予習する際も復習する際も、かなり細かいところまで暗記して授業に臨む姿勢が求められ、反
復学習によって知識の定着が効果的に行えたのがとても印象的でした。理系科目では英語の点で
理系特有の表現が多く、とても苦労しましたが、課題をこなしたり、教科書やテキストに何度も目を
通すことによって次第に自然に理解できるようになりました。中間テスト、期末テストはどちらもマー
ク形式であったのですが、理解度を求める問題もたくさん見られたので、その分難しかった印象を受
けました。記述形式の試験がなかったことがライティング能力が乏しい自分にとっては幸運でした。
おかげで無事に単位を取ることができました。
また、理系科目以外にも英語関連の授業(SPEECOM)を取ったのですが、パブリックスピーキン
グの能力を全般に引き上げる内容の授業で、英語の能力以上の部分をどのように考え、自分が話
すことを聴衆に効果的に理解しもらうスキルを学びました。ジェスチャーや話す時の姿勢、スライド
の構成、話を論理的に展開する言い回し、文章の中での抑揚点、強調点を付けることなどさまざま
な点を、自分の乏しい英語力に上乗せすることでいっぱいいっぱいでしたが、「ASEAN integration
はフィリピンにとってメリットがあるのか?」というテーマで行ったグループでのパネルディスカッショ
ンでは先生から 100 点の評価をいただいて、うれしさのあまりその場で泣きそうになりました。他の
学生は英語を話せることが当たり前の環境にずっといるため、私にとっては他の生徒の発言が早す
ぎて聞き取れなく困難だったことがたびたびありました。その度に自分の語学力との差を意識し、勉
強のモチベーションを持てた点でとてもいい環境でした。また、授業とは別で発音を強制するプログ
ラム(Speech Laboratory)も受けることができ、フィリピン人でも英語の発音をマスターすることが難
しいという事情を知ったり、自身の発音のどういったポイントが悪いのかということを逐次教えてくれ
るマンツーマンの体制にとても驚きました。きれいな発音ができることによって話していることを理解
してもらいやすくなったり、誤解を生まなくなったことを実感できたり、他の国の交換留学生(フランス、
スペイン、メキシコからが多かったです)からも最初の頃よりはずいぶんよくなったよと褒められたり
したので、よりきれいな発音を心がけようと思うようになりました。L と R、S と sh とth、F と V の発音
の仕方は英語特有のものがあるので、特に気をつけて、今後の学習に生かしたいと思いました。
④ 留学中に行った勉学・研究以外の活動
毎月、祝日が多く、授業の日程の関係で連休がいくつも重なったので、交換留学生同士で旅行に
行ったり、個人の興味でフィリピンの生活環境(特にトイレ環境)を調査するためにスラム街や農村
へ行きインタビュー中心のフィールドワークを行ったりしました。また、友人が行っていたボランティア
活動にもついていき、貧しい子供たちを支援している団体の学校のようなところで日本の遊びを教
えたり、ドラムを教えたり、一緒にバスケットボールをしたりしました。
まず、旅行のほうでは、海がきれいなパラワン島、プエルトガレラ、コロン島、ボホール島、セブ島
へ行き、主にスキューバダイビングをしました。また、世界遺産になっている棚田がある、山岳地帯
のバナウエにも足を運びました。マニラ近郊では、太平洋戦争時に激戦地になったコレヒドール島
に行き、日本ではあまり語られないフィリピンでの戦闘について学びました。
ボランティア活動はケソン市にある KNK(国境なき子供たち)という団体にお世話になり、小学生か
ら中学生ぐらいの子供たちと 2 日間、日本の遊びや歌を教えたり、一緒にバレンタインデーのカード
を作ったりしました。特に炎天下で子供たちとフルコートでバスケットボールをしたのはいい思い出
になりました。
個人の興味で行っていた活動では、デラサール大学裏のスラム街へ知り合いを通じて案内しても
らい、生活環境のインタビューを行いました。ある家では家の中をくまなく見せていただき、それまで
目にしていたボロボロの外観や、人が一人やっと通れるほどの細い通路といったスラム街の「貧し
い」というイメージは真逆で、その家の内部はとてもきれいで、陽がうまく差し込まないことを除けば
日本の普通の家とあまり変わらないという印象を受けました。テレビはもちろんのこと、家具はしっ
かりそろっていましたし、家によっては見た目がとても高価そうなロードバイクを持っていました。話
を聞くと、昔よりも衛生環境が良くなったそうで、その見た目とは裏腹に各家庭で徐々に所得が増え、
暮らしがより豊かになっていることを感じました。他にも、デラサール大学を通じて、パートナーシッ
プを組んでいるバタンガス州の Lian という農村漁村地区でのインタビューを実施しました。農業、漁
業、両方行っている地区であったので、どちらも行っている住民が多く、農業特有の問題(天候に左
右され収入が安定しない、支出が莫大にかかる時期があり、お金を誰かから借りる必要があるなど)
を抱えていましたが、その他のトイレなどの衛生環境は整っている印象を受けました。
他には、知り合いのつながりで訪れることになった、修道院が組織して 20 年の Margarita Hill という
コミュニティを訪れ、そこでの取り組みやそこから離れた農園を視察しました。ボホールでは世界的
に展開している、国内外のものづくりをつなぐ、ものづくりの工房である FabLabのボホール支部を訪
れました。世代や職種を超えたさまざまな人が Arduino を扱うワークショップに参加している様子を
見て、市民主導型のものづくりの現場を感じました。セブシティでは 2014 年 9 月にセブに行った際に
つながった方に再び会うことができ、JICA と横浜市とセブ市が協働して行っている事業の視察を行
いました。一つは劣価プラスチックをフラフ燃料にする事業、もう一つは屎尿を処理し、固体と液体
に分離し、固形物を非農作物への肥料として用いる事業で、どちらも日本の企業が関わり、日本の
機器を導入していたので、途上国における問題分析とそれを改善するための技術の必要性、そして
日本企業が途上国の開発で担えることがインフラだけでなく、リサイクル事業といったところまで多
岐に渡っていることが実感できました。これらの事業はまだ小スケールであるので、今後どのように
展開していくのかとても気になります。
⑤ 留学を終えて、自分自身の成長を実感したエピソード
留学の始めのころは、学校のことや授業がどのように進んでいって課題がどのぐらいでるのかと
いう不安とともに、生活環境(飲料水、洗濯、通信、課題の印刷など)のさまざまな面でよくわからな
いことがたくさんあったので、1 か月はそうした環境になれることに精いっぱいでした。大学での手続
きのことは徐々に解消され、生活環境のほうもサポートしてくれるデラサールの学生のおかげで 1
週間もすれば、家の中で You tube を見ながら、自炊したご飯(白ごはん、味噌汁、野菜炒め)をほお
ばれるまでになりました。2 か月目に突入したころから大学での授業にもついていけるようになった
り、いつまでも鳴りやまないクラクションや夜中でも爆音で音楽がなっている生活環境にも慣れたの
で徐々に不安が消え、たくましく感じ、逆に楽しくなってきたことを覚えています。2 か月目を過ぎたこ
ろから公共交通機関(バスや乗り合いタクシー、ジプニー)の乗り方が分かるようになり、いろんなと
ころに気軽に行けるようになりました。こうして環境に慣れて、できなかったことができるようになり、
楽しさを感じるようになってくると、自分はフィリピンでもやっていけるなあという実感が持てました。
英語力とも関係がありますが、英語が下手でも主張をしっかり通すということを身に染みて覚えた
という出来事があります。それは移民局でのビザの延長の手続きをしていた時の出来事です。1 月
に初めてのビザの延長に行った際には、移民局での手続きが良くわからず、言われるがままに従
いお金を支払ったのですが、慣れない手続きに困惑している人を常に相手にしているためかすでに
イライラしている、受付の職員のおじさんにわからないことをいろいろ質問した際に、「お前の英語、
意味わからん」と相手にされなかったことがありました。普通に指摘するにはまだしも、自分を馬鹿
にした顔でそれを言われたことにとても腹が立ったのですが、確かに自分の英語はうまくなかったの
で、何も言い返すことが出来なかったという悔しい思いをしました。その後、2 月に再び移民局に行
き、2 か月分のビザの延長の手続きを友達と一緒に行いました。その際にも、本来なら支払わなくて
も良い部分の費用(外国人カードの作成費用 1 万円)が手違いで追加されていたことに疑念を抱き、
私は素直に受付の職員の指示に応じませんでした。外国人カードはすでに大学で申請して、作成し
ている途中であったことを知っていたのですが、「それを証明できないんだったら、今日延長するの
はあきらめろ。今日延長したいなら、この金額を払え!」ととても強い口調(向こうはほとんど怒って
いました)で言われたので、その時 1 か月前のことを思い出し、こちらもほとんど半キレで言い返して
いました。同伴していた友達が状況を治め、最終的に自分たちが支払うべき正規の値段でビザを延
長することができました。この時、怒りながらも英語で自分の要求を通せたこと、もし英語ができなか
ったら 1 万円もの不利益を被っていたことを振り返り、自分の英語力(と気迫)の成長を実感したとと
もに、英語ができるのとできないのとによる利益と不利益がこういう形で現れるという実感を得たの
で、この出来事はとても印象に残っています。英語がきれいにできることに越したことはないのです
が、あくまでツールなので、最終的にはこうした性格や気概といった部分を磨かないと他の国では通
用しないのかなとも思いました。
移民局の中の様子
授業が始まってすぐに、自分の留学での目標をいろいろ立てていました。帰国後に達成したいと
思っていることを含めさまざまあったのですが、その一つに留学期間中に履修した科目のうち一つ
でも 3.0 以上を取るということでした。それは努力の結果、達成することができました。思い返すとと
ても低い目標なのですが、授業が始まってから、中間テストや期末テスト、プレゼンテーションをこな
していくうちに、本当に単位が取れるのか不安でしたし、単位が取れなかったことを考えて、帰国し
てからいただいている奨学金をどのように返すかということも考えていました。ただ、やるべきことを
素直にやり、英語に苦戦していても理解できるまで何度も反復することによって一つ一つクリアして
いくと、届かないと思っていた目標を超えることにつながったので、とてもうれしかったです。その目
標に達成に加えて、英語の授業では、評価の対象になっていたパネルディスカッションでのパフォー
マンスが評価され、先生から 100 点をいただいたことがとてもうれしかったです。陰で行っていた努
力が報われたと感じ、思わずその場で泣き出しそうになりました。自分の英語の表現力はまだまだ
磨かないといけませんが、100 点をもらったときが自身の英語力が向上したと確信した瞬間でした。
⑥ 留学費用
○収入
奨学金:JASSO から月 7 万円、自身がもらっている東工大手島精一記念奨学金から 15 万円(3 か
月分一括)
親から仕送り:月 6 万円
自身の貯金:約 3 万円
○支出
渡航費:約 6 万円(日本-フィリピン(往路は成田→マニラ、復路はマニラ→関空))
保険代:33400 円(4 か月分)
予防接種代:約 1 万円(日本脳炎)
ビザ延長費用:約 5 万円(Special Study Permit、1 か月分+2 か月分)
生活費:月 5 万~6 万円(居住費、水道光熱費、移動費、生活用品(主に水代と洗濯など)、通信費、
教育費、食費)
余暇費・交遊費:約 30 万円(4 か月合計)
(月々の生活費の詳細な内訳)
居住費:約 2 万円
水道光熱費:約 1600 円(使用した電気によります。僕はほとんどクーラーは使わず、扇風機のみで
過ごしていました。電気コンロがあったのでガスは使っておりませんでした。)
移動費:約 3000 円(タクシー、バス、ジプニー、LRT など)
生活用品:約 2000 円(飲料水、洗濯、シャンプー、トイレットペーパーなど)
通信費:約 3300 円(通信制限なしのプランではこれぐらいが標準です)
教育費:約 400 円(ノートや証明写真、コピーなど)
食費:約 17000 円(自炊を平均的にした月)~約 30000 万(外食が多かった月)
⑥ 留学先での住居
デラサール大学の寮ではなく、デラサール大学周辺のあるコンドミニアムの中のいくつかの部屋
をデラサール大学が所有している形になっており、その部屋に入れるのはデラサール大学の事務
に振り分けられた人だけでした。私は運よくその部屋を割り当てられ、月 7000 ペソ(約 2 万円)で住
むことができました。どの部屋でも 2 人 1 部屋のタイプのものだったのですが、私の部屋に入る予定
であったルームメイトが辞退したため、4 か月間一人で生活することになりました。それでも月に
7000 ペソのみしか払わなくて済んだのはよかったです。
周りのコンドミニアムの相場は一部屋 15000 ペソ(約 45000 円)からで、高いものだと 30000 ペソ
(約 90000 円)、安いものだと 12000 ペソ(約 36000 円)でした。一部屋なので、何人で住むタイプか
によりますが、もし部屋が 15000 ペソでそれが 2 人部屋だと一人がだいたい 7500 ペソを払うのが一
般的です。僕の場合は 2 人部屋にも関わらず 7000 ペソであったこと、毎週金曜日にデラサールに
雇われた清掃員の方が掃除をしに来るので値段が安くとても快適でした。
大学以外で、自身で部屋を借りる場合は、最低でも半年契約という場合があったり、初めにいくら
かのデポジットを払う必要があるので気を付けなくてはなりませんが、どのコンドミニアムにも受付
があり、建物のなかに事務所がある場合が多いので、そこに問い合わせて話を聞くと知りたい情報
が得られると思います。稀に、ルームメイトを探している学生もいるので、留学開始後に家が決まっ
ていないという状態でも、1 週間ぐらいで自分が気に入った家を見つけることは可能だと思います。
中にはプールやジム、グループ学習室がついているコンドミニアムもあるので、それも念頭に決める
のが良いと思います。
⑦ 留学先での語学状況
デラサール大学では授業は英語で行われ、課題ももちろん英語で提出します。しかし、フィリピン
人同士だとタガログ語や英語とタガログ語が混じったタガリッシュを話すことが多くなります。先生で
もたまにタガログ語を交えて説明することがあるので、その時ばかりは言っていることが理解できず
混乱します。
生活では、タガログ語を少し習得していると良いケースがあります。ほとんどのフィリピン人は英
語を話せるのですが、ジプニーなどローカルの公共交通機関などを使う場合は、「ここで降ります」
「料金です」といった表現ぐらいはマスターしなくては乗りこなせません。
私の場合は、挨拶と公共交通機関を用いる際に使うぐらいのタガログ語しか覚えませんでしたが、
それでもなんとかなりました。しかし、農村でフィールドワークを行った際は英語が全く通じなかった
ので、英語とタガログ語ができる人に通訳をしてもらって実施しました。都市や観光地ほど英語が通
じやすい印象です。
⑨ 単位認定、在学期間
留学中に取得した単位は、奨学金の関係で認定を受けないといけないため、単位認定を行う予定
です。在学期間については延長することなく、卒業する予定です。
⑩ 就職活動
修士課程に進むことを考えていたので、影響はありませんでした。しかし、ここでの経験を土台に
これからも何か活動していくことで、就職に有利になると考えています。
⑪ 留学先で困ったこと(もしあれば)
トイレの様式が違っていることにしばしば驚きました。フィリピンでは基本的にトイレに紙は置いて
いません。(置いているとしたらしっかりしたホテルやレストランぐらいです。大学のトイレでさえ紙は
置いていません)基本的に紙は持参します。たまに忘れたりすると大変です(笑)。使用した紙はトイ
レに流さず、便器の横にあるゴミ箱に入れます。また、紙は使わず、水でおしりを洗うことも一般的
です。他のアジアの国でもありますが、トイレの横に水がたまっている桶があり、その水を汲みとっ
ておしりを手で拭きます。こうしたトイレの場合は、ほとんどの場合、便座がなく、水を流そうとボタン
を押しても水が流れないケースが多いです。その場合は、水桶から水をくみ取り、糞便が流れるま
で何度も水を流します。これはフィリピン以外の途上国に行ったことがなければ衝撃を受けると思い
ますので、トイレ事情にはよく目を通しておきましょう。
⑫ 留学を希望する後輩へアドバイス
留学をしようかどうしようか考えている時期は、まだやったことのないこと、知らない世界に不安ば
かりで、大きな壁を感じ、なかなか思うように足が進まないと思います。僕もそうでした。これまで交
換留学制度を利用してきた人たちもおそらくそうであったと思います。「卒業が 1 年ずれてしまうから
留学はやめておこう」という消極的な考えはあまり意味を成しませんし、面白くありません。私は結
局卒業時期をずらさずに留学することができそうだったので、どうせならずらさないという決断しまし
たが、友人や先輩は 1 年行って卒業がずれることは気にしていません。「みんなと一緒がいい」みた
いなレベルのことは考えておらず、留学に行った 1 年で何を得て、どのように次のステップにつなげ
るか、それだけを考えている気がします。私自身も、交換留学に行こうかどうしようかをしばらく悩ん
でいた時期がありましたが、留学した人たちに知り合う度に、留学したいという思いが強くなっていき
ました。出願時は学内の留学基準となっている TOEFL の基準を満たしていない状態でしたが、そこ
は気にせず(本当は気にしたほうがいいです)、留学開始までにそこそこに英語を勉強し、留学終了
後は単位をしっかり取得し、新たな経験・考え方をお土産に、自身の成長を実感しながら帰国しまし
た。同じ 4 か月を日本で過ごしていたらできなかった経験ばかりでした。同じように、1 年ずれたとし
ても、その 1 年でしかできない経験が留学中にたくさんあるはずです。人生の限られた時間の中で
どんな時間の過ごし方をしていくかが肝心だと思います。
半年でも一年でも日本を離れて住むことによって、帰国後、留学前とは全く違う感覚になるはずで
す。英語でコミュニケーションをとるのは当たり前になり、前までこれまで留学生や外国人に英語で
話すことに気が引けていたところが、そんなことは全く気にせず、留学生の輪の中に入っていくこと
も簡単に思えるようになるはずです。(これは自身の経験でもありました)同時に留学期間中は日本
を客観的に見ることもでき、日本の常識を疑ったり、日本の文化ももっと知ろうと思えたり、日本以外
の国際情勢にも少しは目を配るようになってくるはずです。留学前と留学後では、見た目は変わっ
ていないように見えて、内面や考え方は確実に変わり、これまでと異なった感覚や感性が現れてき
ます。このような変化は日本を長期間離れ、違う文化にそまっていくことでしか得られないと私は考
えています。
違う文化に触れるという意味では交換留学先に限らず、他の国の交換留学生と交流する機会が
あれば、さまざまな人種、文化と触れ合う機会になることにもつながります。事実、私はフィリピン人
と同じぐらい、フランス人、メキシコ人、スペイン人、タイ人、インドネシア人、フィンランド人との交流
があり、それぞれの国の面白いところや性格について感じることがたくさんありました。
もし 1 年もいると、そんな出会いがもっとたくさんあったり、もしかしたら現地でインターンとしてどこ
かの企業で働くこと(実際にフィリピンで知り合った日本人が現地の一流銀行でインターンすること
が決まりました)、ボランティア活動で何かの結果を残すことが可能になったかもしれないと感じるこ
とがあります。私は結局 4 か月のみの滞在でしたが、この 4 か月で得たことは今後の人生を大きく
変える大きな一つの布石になったと感じています。今後もこの留学中にやり残したこと、これからの
課題、将来やっていきたいことに精力的に挑み、自分だけの道を歩くということにもがきながら、迷
いながらも必死になろうと思います。
覚悟を決めたら、あとは完璧でなくてもいいので、やるべきことを徐々にやっていくのみです。いき
なりの交換留学だと腰が引けるという場合は、10 日間の短期の留学プログラムもありますし、自身
で一人旅に行ってみるのもいいと思います。私の場合も、振り返ると、一人旅や短期の留学プログ
ラムに参加することによって、徐々に長期の留学における不安を取り除いていった感じもします。
「留学をしてみたい」「海外がどんなものか知ってみたい」、そんな思いだけがあれば、きっと向こうで
も楽しくやっていけるはずです。さあ、出願書類をそろえて、自分の道を歩み出してみましょう。やっ
ていけばきっと、もっと楽しい世界に辿り着けます。
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