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Title Author(s) Citation Issue Date Type 政治システムと社会運動への比較政治学的アプローチ : 女性運動の国際比較を題材に (下) 堀江, 孝司 一橋研究, 23(1): 135-159 1998-04-30 Departmental Bulletin Paper Text Version publisher URL http://doi.org/10.15057/5731 Right Hitotsubashi University Repository 1 3 5 政治システムと社会運動への比較政治学的アプローチ ー女性運動の国際比較を題材 に- ( 下) 堀 江 孝 司 三.既存のアプローチの検討 ( 承前) (2) 政治的機会構造からの比較 政治過程アプローチ 本稿の ( 上)( l )に続いて,女性運動を題材に,社会運動を比較政治学的 に分 析 した研究を検討す る。( 上)で も触れたが, 日本の社会学 で は近年, 社会運 動研究の衰退が懸念されているが, アメ リカではそれが活況を呈 し,社会科学 における 「 成長産業」を自称す るほどになっている (2) 。その中心を担 うのは, 「 政治過程 アプローチ」 と呼ばれる潮流である( 3 ) 0 政治過程 アプローチの論者たちによれば,近年社会運動の発生 と発展を分析 する際に,国や学派を越えて以下の三つの要素 に注 目が集 まっているとい う。 すなわち,①政治的機会構造,②動員構造,③ フレー ミング過程,である (4) 。 ② は資源動員論の従来の主張であるため省略す るOまた,本稿 は社会運動 と 政治 システムの関係に焦点を当てているので,( 卦について も詳述す る紙幅はな い( 5)。本稿では主 に①の政治的機会構造 [ pol i t i c a lop por t uni t ys t r u c t ur e: POS] に焦点を当てることになる。それは 「 P OS概念 は, 日本 の社会運動研 究ではあまり見 られない」 (6) といわれるように,その検討 自体に意味があるこ と,本稿が社会運動 と政治 システムの関係 に着 目していることなどの理由によ るが,加えて ( 上)で示 した,社会運動の リソース-政治的影響力- 目標の達 成, という図式にとって,それが重要な例外を生み出すという点 も閑却で きな い。すなわち,POS次第では, リソースの小 さな社会運動 が,大 きな成果 を 達成することもあるのである。 政治過程 アプローチには, さまざまな国の論者が参入 し,それ以前の理論的 1 3 6 一橋研究 第2 3 巻第 1号 諸 アプローチと異なり国際比較志向が強いといわれる ( 7 )が, これ ら三つの装 置の中で も,社会運動の国際比較研究において最 も有用なのは①であろう。現 に,社会運動の国による相違を説 明す るのに最 も有用 な ものが POSであ る, と主張する研究 もある (8)。 また, これか ら検討す るように,POSか ら女性運 動を国際比較する研究 もある。 しか し,事例の検討に入 る前に,装置自体を概観 しておかなければならない。 政治的機会構造 (POS) アイジンガーだとされているが (g),一 POSの概念を最初 に用いたのは,P. タロウであり, 比較政治への適用 とい う観点か 般的にそれを普及 したのは S. キ ッチェル トである ( 1 0 ) 0 ら,汎用性を もつ ものとしたのは H. 政治 システム内の個人や集団の行動の仕方 は, 単 に彼 ら アイジンガ-は,「 が支配す る リソースの関数ではな く,政治 システムそれ自体 の開放度, 弱点, 障壁, リソースなどの関数で もある」 というアイディアか ら,以下のような定 義を導いた。すなわち POSとは 「 諸集団が権力へのアクセスを獲得 し, 政治 l l ) 0 システムを操作できそうな程度」である ( POSを定式化 したとされる S.タロウは,それを幾つかの要素に分解 して見 せた。当初それを彼 は,①公式の政治過程の開放度 ・閉鎖度,②政治的連合の 安定度 ・不安定度,③潜在的な同盟パー トナーの利用可能性 と戦略的な位置 と 1 2 )。 この うち① し,その後④ ェ リー ト内部 における政治的紛争をっ け加 えた ( は政治 システムの制度的構造 に関する要素であるが,他のものはそうしたシス テム内部 における権力の相対的配置に関するものである。 それに対 し,キ ッチェル トの POS概念 は,国家構造の二つの次元か らなる。 すなわち,挑戦者か ら政治的意思決定 システムへのアクセスし易 さを決定す る 開放的/閉鎖的入力局面 と,国家の執行能力を決定す る強い/弱い出力局面で ある。前者 は,政治体の四要素の関数である :( 1 ) 異なる要求を選挙政治に効果 的に表現す ることができる政党やその他集団数の多寡 ;( 2 ) 立法府の行政府か ら の独立の程度の大小 ;( 3) 利益媒介パ ターンが多元主義的かコーポラティズム的 か ;( 4 ) 表明された新 しい要求を効果的な政治連合へ集約す る実質的手続 きの育 無。 いずれの組み合わせにおいて も,前のものであればあるほど,入力局面 は 1 3 ) 0 開放的で, アクセスし易い ( 政治システムと社会運動への比較政治学的アプローチ 1 3 7 第二次元である出力局面 とは, ( 上)で取 り上 げたステ ッ トソンらの研究 ( 1 4 ) が依拠 したスコチポルの国家能力に他 な らないが, ここに彼 の刷新 が見 られ る( 1 5 ) 。例えば,上で見たタロウの定義 には出力の側面がな く, したが って PO Sとして考え られるのは,社会運動の政治 システムへのアクセスと, それへの 1 6 ) 。 しか し,社会運動 の 目標 の達成 が, 政策的 影響力の行使の段階に留 まる ( 帰結 に置かれるな ら,国家能力に着 目する必要があろう。 つの要素の関数である :( 1 ) 国家機構 が分 キ ッチェル トの出力局面 は以下の3 権的か集権的か ;( 2) 市場経済に対する政府の統制が弱いか強いか ;( 3) 司法の行 政か らの独立の度合いの大小。いずれの組み合わせにおいて も,前の ものであ ればあるほど,出力局面が脆弱で,効果的でない。 彼のタイポロジーでは,開放的で強い国家がスウェーデ ン,開放的で弱いE E l 家がアメ リカ,閉鎖的で強い国家が フランス,閉鎖的で弱い国家が西 ドイツで ある。 これ らの構造的特質を説明変数 として用いなが ら,キ ッチェル トは運動 の外的なインパ ク トと運動の政治 システムに対する戦略的選択の効果を仮定 し ている。戦略には衝突的なものと同化的なものがあ り,効果 はさらに手続 き的 インパ ク ト( 政治 システムへのアクセスを得 ることの成功),実質的インパ ク ト ( 政策変更の成功),構造的イ ンパ ク ト( 政治的構造それ自体の変革の成功)にわ けられる。 スウェーデ ンのような開放的で強い国家においては, ほとんどの運 動 は同化的な戦略を取 ることが期待 され,運動の活動 はかなりの手続 きおよび 政策の改良を もた らすので,政治構造それ自体を変革す る方向へ活動を向ける 必要がない。 フランスのように閉鎖的で強い国家 においては,対照的に手続 き 的獲得 も ・実質的獲得 も期待できない。結果 として,対決型の戦略が支配的 と なり,社会運動 は国家それ自体の正統性を問 うことになる, といった具合であ る( 1 7 )0 キ ッチェル トは,POS概念を導入す る問題意識 と して,新 しい社会運動論 では,同 じように構成 された資本主義諸国において,社会運動の帰結が異なる ことを説明できないことを挙げている ( 1 8 ) 。同 じよ うな関心か ら見取 り図を措 いたものとしてク リージの研究がある。彼 もキ ッチェル トにな らい,入力サイ ドと出力サイ ドに言及す るが,彼 においては両者 は独立ではない。両局面 は連 関 しており,開放的な国家 は弱 く,閉鎖的な国家 は強い傾向があるとされ る。 彼の刷新 は,法制度的に構造化 された国家の性質だけでな く,各々の国家が挑 1 3 8 一橋研究 第2 3 巻第 1号 戦者 に対 して取 って きた支配的な戦略の次元を取 り上げたことである。それを 国家の強弱 と組み合わせた結果,以下のタイポロジーを得 ることがで きる。 すなわち,排除的な戦略を取 る弱い国家 は ドイツ,統合的な戦略を取 る弱い 国家がスイス,排除的な戟略の強い国家がフランス,統合的な戦略の強い国家 がオランダである。 もう一つの彼の刷新 は,挑戟者一般ではな く新 しい社会運動 にとって特別 に 重要な P OSとして左翼政党 に着 目した点である。すなわち,1.左翼政党 が 社会民主党 と共産党 に分裂 しているかどうか, 2.左翼政党が政権 に就 いてい るかどうか,の二点 により,新 しい社会運動の戦略やその成功がかな り説明で きるという( 1 9 ) 0 キ ッチェル トの 「出力局面」 については議論がわかれるが,代わ りにク リジが導入 したE E l 家の支配的な戟略にも関連する,国家 による抑圧の程度 には関 心が集 まりつつある。その結果, より最新のマ ッカダム らの P OS概念 は, 以 下の四次元か ら構成 される。すなわち( 1 ) 制度化 された政治 システムの相対的な 開放度 ;( 2) 政体を下支えす るエ リー トの幅広い提携の安定性 ;( 3) エ リー ト連合 の存在 ;( 4) 国家の抑圧の能力 と傾向,である ( 2 0 ) 。み られ るとお り, ここに も 4) の国家の抑圧能力を,政策の履行能力に読み 政策の出力局面がない。ただ,( 替えることはで きるか もしれない。 女性運動への適用 さて以下では,P OSおよびそれを中心 とす る政治過程 アプローチか ら女性 運動を国際比較 した研究を検討す る。 まず, アメ リカ,イギ リス, フランス,西 ドイツ,イタ リア,スウェーデン, オランダの女性運動を比較 した研究 (21 )を概観する。同書 は,政治過程アプロー チによる女性運動の国際比較 としては,おそ らく最 も古 い部類に属するもので, ( 1 ) 意識の変容,( 2 ) POS,( 3 ) 国家の性質の三つか ら女性運動 の国際比較 を行 う OSと と主張 しているが, タロウやキ ッチェル トの定義 にみ られ るよ うに,P は国家の性質をも含む概念である。同書ではタロウを引きなが ら,社会運動が 国家か ら何を引き出せるかは,運動それ自身の性質や構成か らは知 ることがで きないとの前提 に立ち,国家へのアクセス,政治連合の安定性,同盟者や支持 者 との関係, という観点か ら定義 された P OSにより多 く負 うことにな る, と 政治システムと社会運動への比較政治学的アプローチ 1 3 9 述べ られる。そのことにより, スウェーデ ンのように,国家が非常に先進的な 平等政策を提示 している国が,弱い女性運動 しか もたないことが説明できると いうのである。 ,同盟者 については,政党や労働組合 との関係が論 じられるが,例えば政党 に ついてみると,社会主義,共産主義政党 は,保守党 よりもフェ ミニズムを支持 する傾向があるが, ジェンダーよりも階級を重視するOそのため,左翼政党 と の同盟 は,女性運動にとって複雑な問題を もた らす。 フランスやイタリアでは, 左翼政党が労働組合 とともに,男女の平等に大 きく貢献 している。女性連動の 期待する水準にはほど遠いとはいえ,女性運動への応答性でいえば,保守党 よ りもはるかに優れている。 しか し,同時に左翼政党が女性運動 にある種の制限 をはめていることも,い くつかの章で主張 される。例えば,女性の地位を引き 上げるような法案 は, ほとんどが左翼政党 によって提出されているが, しか し 彼 らが提出する法案のほとんどは,女性運動か らみると,中身が薄 くなってい るというのである。政党 との関係 は, ヨーロッパの女性運動 にとって,中心的 なディレンマの一つでさえあるという。それに対 して, アメ リカには強い左翼 がないか ら, フェ ミニス トは左翼政党 に頼 ることもな く,それ との関係で苦労 も少ない ( 2 2 ) 。 また,国家の性質が,政党連合の機会同様,改良主義的政策の採用 に重要で あるとされるが,その点 における彼 らの結論で目を引 くのは, フェ ミニス トが 追求す る政策 は,集権化 され,強い労働運動を もつ国 (スウェーデン)か,分 権化 され弱い労働運動を もつ国 (アメ リカ) において達成 されやすい, という ものである。そ して,両者の中間に くるような,労働運動が集権化 されてはい るが,国家の政策形成の弱いパー トナーである国 (イギ リス)では達成 されに くい。 この一見逆説的な結論 は,因果関係の説明が必ず しも十分ではない, と 批判 されているが ( 2 3 ) ,かなりオ リジナルな ものであろう。 一般的に, ドイツの P OSは女性運動 にとって制限的であ り, ドイ ツの 「独 立派」女性運動 は,取 り込まれを恐れるあまり孤立 し影響力を減少 させがちな のに対 し, アメ リカでは取 り込まれの リスクを冒 してで も,民主党,労働組合, その他の諸組織 との提携を目指すOただ し, この違 いの由来 は主に, リベラリ ズムの伝統の相違 に求め られるので,P OSの役割 は副次 的である。 また, ア メ リカの女性運動 は,政治 システム内のアクターに連合の相手を求めることに 1 4 0 一橋研究 第2 3 巻第 1号 ついて, ヨーロッパの運動 よりもはるかに警戒心が薄いことが指摘 される。 全般的に, ヨーロッパの運動 に対す る,アメ リカの特殊性 はかなり際立 って いる。NOWのような,有給のプロの職員によって運営 されるナショナルな組 織をもつ国 は, アメ リカ以外 にはない。 システム内での提携 に関 しては, ヨー ロッパの運動 に比べると, はるかに警戒心がな く,政治的影響力を得 るために はあ らゆることをす る。 これはやはり取 り込 まれの危険を伴 うが,アメ リカの 運動の多正面作戦は,一つか二つの左翼政党 に頼 るよりは独立性がある, とは 彼 らの評価である。 しか し,彼 らは新保守主義の台頭に伴 い,P OSの相違 よ りも, 共通点 の方 が今 は大 きいか もしれないとも述べる。その他,論点 は多岐に渡 っていて,や や散漫である。文献① は, もちろんキ ッチェル トやク リージのような見取 り図 を作 ることを意図 してお らず, また複数の人間の手 によるとい うこともあ り, 編者の意図に反 して,必ず しも上記三ポイ ントか ら個々の論考が進め られてい るわけではない 伽) . したが って,P OS概念-の参照 もア ドホックである. そ こで,より一貫 した方法意識か ら,一人の人間が書 いた別の研究を次 に検 討する。それが文献( 参である( 2 5 ) o②はアメ リカ, イギ リス, スウェ-デ ンの 女性運動が生み出す相違を,P OSの観点か ら分析 した ものであ る。( 卦で は, 各国における女性運動の発展, 目標,価値などがシステムや文化の相違 により パ ター ン化 され,また逆に運動の構造 とシステムの相違が,各々の国における 運動のイ ンパ ク トに影響を与え, またそれを制限 しもする,という仮説に立ち, フェ ミニズム運動の リーダ-たちへのイ ンタヴューを中心 に調査を進めたもの である。つまり,②では単 に P OSが社会運動の帰趨を決す るだ けでな く,逆 に社会運動が P OSに影響を与え もす る, という相互作用が意識 されている( 2 6 ) 0 また,② はステッ トソンらと全 く逆のアプローチを取 っている。後者で は WPMのパ フォーマンスを比較 しているのに対 し,②は運動のあり方の違いを 比較す る。かかる対象の相違か ら,視角の相違が生 じる。ステットソンらはフェ ミニズム運動の形態を,独立変数 と考えたが,②ではそれは国家のあり方を含 むP OSの従属変数 とみなすのである。 ゲルプの分析においては,運動の発展,有効性,イ ンパ ク トは政治的環境や 利用可能な リソースといった外的要因に大いに依存す る。環境の中で重要 と見 なされるのは,現政府の政治的態度,中央政府の行政過程,経済状態である。 政治システムと社会運動への比較政治学的アプローチ 1 4 1 彼女 による三国のフェ ミニズムの特徴づけは,以下のとお りになる。すなわ ち,( 1 ) アメ リカの利益集団 フェ ミニズム,( 2 ) イギ リスの左翼/イデオロギー ・ 3) スウェーデ ンの国家による平等 ( 参加なき平等)であ フェ ミニズム,そ して( る。 各国の叙述 に少 し立ち入れば, イギ リスでは政党 ・行政が集権的で,左右の イデオロギー対立が激 しいため,利益集団活動の余地が小 さい。 また,官僚制 は出身階層が狭 く,新 しい社会運動 に対 し保守的である。ネオ ・コーポラティ ズムは,労働以外の圧力団体を退 ける傾向があ り,階級政治 が支配的なため, 労働組合のフェ ミニズムへの関心 は限定的なものとなる。労働組合 は,男性中 心だか らである。政党,組合 における女性 は,女性部などに編入 され,決定の 場には過少代表 される。裁判所の独立性 も小 さく,行政の執行過程の監視 は困 難であり,政策過程の透明性 も小 さい。 以上か ら,中央での政治参加の可能性 は限定的なものとなり,運動 は地方 レ ベルに目を向ける。女性運動 は,強いイデオロギー対立に影響 され分裂状態 に あり,改良主義派は労働党やTUCに組み込まれている ( 2 1 )のに対 し, ラデ ィカ ル派 は男性社会主義による取 り込みを嫌い孤立 している。 フェ ミニス ト両翼の 提携は限 られたイシューのみに しか見 られない。 立法,行政,司法 における女性の少なさとフェ ミニズムの分裂か ら,立法化 において女性の果た した役割 も小 さく,均等賃金法 は,女性の低賃金が男性労 働者 にも影響することを恐れてTUCが支持 したものである。 これに対 し, アメ リカでは政治構造が多元的で,圧力団体に対 して開かれて いる( 2 8 ) O猟官制の官僚 システムは外部か らの介入 に敏感で, 裁判所 の独立性 も高 く( 2 9 ) , フェ ミニス トが立法や施行の不備を争 い易いO フェ ミニス ト組織 は,権利 と法の変革を重視す る。 ロビー活動 の必要 か ら, メンバーの量的拡大や専従 スタッフによる体制を取 る。 こうした改良主義的組 織 とラディカル派 との交流 も活発である。 また, フェ ミニズム運動 は独 自の リ ソースをもち,基金,他のグループとの連携,連邦議員 ・行政職員などを含む イシュー ・ネットワークを形成す る。 6 4 年公民権法が雇用の性差別を禁 じEEOC ( 雇用機会均等委員会) を設立 し たが,EEOCの影響力は政権や委員長の姿勢 に左右 されてきた。7 2 年執行権限 6 年カーター政権により黒人女性 のE . H. /ル トンが委員長 に任 が強化 され,7 1 4 2 一橋研究 第2 3 巻第 1号 じられると,EEOCは公民権運動や女性団体 と協調 したが, レーガン政権以降, 予算 ・権限が削減 された。政党が推進力を欠いている反面,官僚が フェ ミニズ ムの影響 に敏感である。 スウェーデンでは,社会全体が高度 に組織化 されている。 政党 は集権化 し, 内閣が政治の中心 にあって,裁判所 は弱い。政党間のイデオロギー距離は近 く, 行政 はイギ リスよりも政治か らの独立性が小 さい。女性政治家 は多いが,行政 での女性 の地位 は低 く, 福祉 ・ 保健 ・ 文化 のセ クシ ョンに限定 されがち とい 班 ) 0 う ( コーポラティズムにより,労働以外の圧力団体 は代表 されにくい。議会 は官 僚制的な保守性を示 し,投票以外の政治活動 は低調で,労組 は, スウェーデ ン 流の 「 男女平等」イデオロギーを もっているので, フェ ミニズム的要求 と一致 しない。 女性運動 は組織内の改良主義的な ものが主流で, ラディカルな集団はほとん どない。雇用 されている女性 は多いが,パー トタイマーが多 く(そのため女性 の実質所得 は男性の半分 ( 3 1 ) ) ,管理職 も少ないO 女性 は,サー ビスや公的福祉部門など特有の職場 に限定 される。女性参政権 の歴史は古いが,第二波 フェ ミニズムは弱い.政治的にアクティヴなウーマン リブは非 スウェーデ ン的 とみなされ,妥協が善 とされる。女性政治家 も, ジェ ンダーより階級に関心が強い。ただ,社民党 は,女性の代表4 0 %という原則を 採用 している。 均等雇用政策 は,労働問題への政府の介入 として労組 ・社民党が嫌 い,7 6 年 の非社民政権で導入 された。 アファーマテイヴ ・アクションは,労資の自治へ の介入 になるということで,問題にもされない。JÅMO ( 平等オンブズマン) も無力だという ( 3 2 ) o ヴォランタリーな動 きは,政府の仕事 に吸収 されるべきとい う通念が強 く, 3カ国の中では運動 は最小である。女性 に関わる問題を,女性 自身がアジェン ダにのせたわけではないので,「 家族」や 「 平等」が選択的に採用 され,「性」 や 「 身体」 についてのイシューは無視 される。性役割に関する世論 も 3カ国の 中では最 も保守的で,労働市場における女性の分離 ・ゲ ットー化が続 いている という ( 3 3 ) 0 政治システムと社会運動への比較政治学的アプローチ 1 4 3 ところで,以上二つの研究に見 られた POSはかなり静 的な ものであ る。 も ちろん,部分的にその変容の指摘 はあるが,基本的 には POSとはその国の政 治構造に固有の ものと考え られる。 この点で,キ ッチェル トに批判が寄せ られ ていることは述べた。 こうした8 0 年代の研究に対 して,近年の政治過程アプロー チによる研究 は,より自覚的に POS概念を利用 し, しか もその 「開放」 こそ が,社会運動の目標の達成 にとって決定的, とする。 そうした研究を次に検討する。それは, アメ リカとスイスの女性参政権獲得 運動を分析 した もの ( 3 4 )で,同書では( 1 ) アメ リカとスイスで は, 女性参政権が 導入 された時期が大 きく異なること,( 2) 両国内部において も, 州 (スイスで は カントン)ごとに,やはり参政権導入の時期が異なること, ( 3) 同 じ運動であ っ て も,ある時期に失敗 した戟術が別の時期 に成功す ること,の三つを説明する ことを目的としている。一般的に女性参政権段階の運動 は,第一次 フェ ミニズ ムの一貫 として理解 されてお り, したが って新 しい社会運動の範時には入 らな い。女性の参政権 は, ほとんどの国で近代化 ・産業化の過程 において達成され てお り,脱産業化 と密接 に関係する新 しい社会運動の検討 という問題設定か ら すると,必ず しも適切なテーマではない。ただ, スイスの場合 1 9 6 8 年のイ ンパ ク トにより, ようや く女性参政権が獲得 されたという点が,他の国 と比べて特 徴的な点である( 3 5 ) 。 比較対象国 としてアメ リカとスイスを選んだのは,両国が ともに連邦制を取 り,また男性参政権 については西洋諸国の中で も比較的早 く導入 したにもかか わらず,女性参政権 については顕著な差が出ているためとされ る。 すなわち, アメ リカの女性参政権導入は1 9 2 0 年であるのに対 し, スイスでは世界で も最 も 遅い部類に属する1 9 71 年になって, ようや く女性参政権が認め られている ( 3 6 )0 上述の三つの目的のために,筆者 はまず社会的 ・経済的近代化,女性の教育 水準,文化の差など,従来の説明が立脚 してきた諸原因を詳細 に検討 し,それ らでは女性参政権の獲得の早 さ ・遅 さを説明できない, とする。つまり,彼女 のいう 「マクロ社会的な」視角では,両国の違いが説明で きないので,説明に 「 政治」を導入す る必要がある, というわけである。そこで まず, 資源動員論 か らの説明を試み,資源動鼻論の不備を指摘する。 次に,社会運動 自体の リソースというよりも,それを取 り巻 く POSが検討 される。 まず,国家の公式の規則や制度に眼を向ける。特に,公式の制度は挑 1 4 4 一橋研究 第2 3 巻第 1号 戦者 に多 くのアクセス ・ポイ ン トを提供す る。 しか し, この観点 か らすれば, スイスもアメ リカも他 の多 くの国より大 きな成功を得 るはずである。実際ナショ ナル ・レグェルで挑戦者 に開放 された,直接民主制 システムにおいては, スイ スはアメ リカを上 まわ る。 スイスの レファレンダムやイニシアティヴといった 直接民主主義的制度 は,世界的に有名な ものであ り, しか も社会運動 は しば し ばそ こに訴えてきた く 3 7 ) 0 そ こで,第二 の次元 として同盟者 の存在を検討す ると, アメ リカの女性参政 権運動 は,奴隷解放運動を味方 にす ることができたが,スイスにはそうしたパー トナーはなか った ことがわか る。以下,彼女 はスイスの女性運動の孤立 につい て多角的に論 じ,それによってスイスの女性参政権の遅れを説明 しようとす る。 第三 は,意思決定 の手続 きで, アメ リカは,競争が盛んで多元的な政体 とし て叙述 されることが多 いのに対 し, スイスの意思決定 は合意 に基礎 を置いてい るo ク リ-ジによれば, スイスの合意形成 は, システムへの接近を容易にする. なぜな ら, それは伝統的に挑戦者 を抱 き込 んで きたか らで あ る ( 3 8 )o しか し, この説明では女性参政権 は説明で きない。つまり,女性 はシステムによる 「 抱 き込み」 の外部 に長 く残 されたか らであるO-つの説明は,女性がスイスの多 極共存 デモクラシーのいずれの 「 極」 にも属 していないせいである, とい うも のだが, これでは他の多極共存 デモクラシーの諸国で,女性参政権が早か った ことが説明できない ( 3 9 ) O こうして,資源動員 アプローチか らも,POSか らも,説明で きない問題が 残 る。 それ らについては,社会運動 による 「フ レーム」活動 に原因が求め られ る( 4 0 ) . 最後 に参考 として,国際比較ではないが,政治過程 アプローチか ら, アメ リ カの女性運動を分析 した研究 ( 4 1 )を検討す る。同書で は, まず資源動員論へ の 違和感が表明 され,③同様 自覚的に政治過程アプローチを選択する。筆者にとっ ての主要 な問題 とは,女性運動の リソースは大 きいとはいえないのに, ある時 期に女性 にとって有利な法案が急増す るとい うことで,説明の中心 に座 るのは POSである0万法的には,やはりイ ンタヴュー も用 い るが, 近年政治過程 ア プローチがよく用いる,新聞記事 をコー ド化 した量的なデータの解析が中心 と なる。 政治システムと社会運動への比較政治学的アプローチ 1 4 5 マ ッカダムらの手法によりなが ら,新聞記事 に現れた女性運動 の諸活動が, 指導者,行為のタイプ,標的,問題 となっていたイシューなどごとに計算され, その盛衰,変遷を時系列的に概観できるので,媒体 自体がある種のバイアスを もた らすことは否定で きないに して も,一応の客観的データが揃 うことになる。 ( 上)で述べたように,労働運動以外の社会運動には,数量化 され るデータが 乏 しく,結局その強弱や盛衰 は,事情に詳 しい当事者による 「 運動史」のよう 吃,ディスク リブテイヴな情報の形で しか手に入 りにくい ( 4 2 )ことを考えると, こうした努力 はもっとなされてよい。 次に彼女 は,そうしてコー ド化 された データを基 に,資源動員論 と政治過程アプローチの有効性を検証 しようとする。 そ して例えば,外部か らの リソースを取 り入れたときに,運動が高揚するわけ ではないことや,同盟者 との離反が運動の衰退の原因で もないことなどを証明 し,資源動員論 よりも,運動の発展 についての説明力 は,政治過程アプローチ の方が大 きいとの結論 に至 る。 この証明は,新聞か ら取 ったデータを基 にした 「 高揚」や 「 衰退」に照 らして行われる。 また,彼女 は,特 に女性運動の達成を法案で測ろうとする。その結果,女性 運動の リソースが増えているわけで もないのに,女性 に関係す る法案が多数成 立するようになる時期があることに着 目し,それを P OSの観点か ら説明 しよ うとするのである。 以上のような手続 きの結果出て くる結論 は, リソースの増大や同盟者の存在 ではな く,政府の役割によって,女性運動の目標が達成 された面が大 きい, と いうものである( 4 3 ) 0 さらに,政治家,特 に大統領の演説を分析 し,女性の支持を当て込んだ大統 領が P OSを開 き,女性を政府機関の高官 に抜擢 したり,法制化への道筋 を示 した りしたことが重要視 される。中で も, ケネディは女性の問題 に対する世論 の喚起を図 ったと評価 される。 また,6 0 年代には議会の方 も変わっていき,漢 案は通 り易 くなっていった ( 4 4 ) 。 1 9 6 0 年代前半 には,組織の力 も,集合的意識 も,P OSもすべて女性 にとっ て有利 に増大 したが,最 も決定的だったのは,政府の行動への意志 であ った, というのがその中心的な主張である ( 4 5 )。 ただ し,彼女 も認 めているよ うに, 外圧に対する政府の応答 と,内発的な行動 を見分 けるのは, 困難であ るのだ が。 1 4 6 一橋研究 第2 3 巻第 1号 さて, この セ ク シ ョ ンで取 り上 げた諸 研 究 へ の コメ ン トは, 文 献 の紹 介 の 中 で適 宜 行 って きた が, よ り全 面 的 に は ( 上 ) の内容 と も関係 す るので, 節 を改 め 「結 語 」 の中 で行 う ことにす る。 ( 注) (1) 『 一橋研究』2 2-2,1 9 9 7 年。 (2) D. Mc Adam/J.D.Mc Car t hy/M.N.Zal d,I nt r oduc t i on : Oppor t uni t i e s,Mobi l i z i ng St r uc t ur e s, and Fr ami ng Pr oc e s s e sI Towar daSynt he t i c ,Compar at i v ePe r s pe c t i v eon Soc i alMov e nme nt s. ,i nI ) .Mc Adam/J.D.Mc Car t hy/M.N.Zal d,e ds"CoT par at i u ePe r s pe c t i u e sonSo c i alMo v e T ne nl s/ Pol i t i c al0ppor t u ni S ,a ndCz L l t ur alFr amL n gS. ,Cambr i dge t i e s ,Mobi l i z mgSt T ・ uC t ur e Uni v e r s i t yPr e s s,1 9 9 6"p. 2. (3) 政治過程 アプローチは,元 々資源動員論 に拠 った人びとか ら発 した もの だが,後者 との間に一線を引こうと してい る ( i bi d. ). 資源動員論 で は, 運動の発生の説明に際 し, リソースおよび組織 の重要性 に焦点を当てるが, 政治過程モデルは集合行為を刺激するものと して,政治的機会 の拡大 を決 i bi d. , p. 7) 。すなわち,後者を前者か らわける最大 の鍵 定的に重視する ( は,現実の政治過程においては リソースの大 きさが必ず しも運動 の帰趨 を 決す るわけではない, とい う主張である。つまり,資源動員論 と政治過程 アプロ-チの関係 は,ち ょうど政治学 におけるパ ワー ・リソース ・アプロー ,「所与 の時 チと新制度論 との関係 とパ ラレルである。新制度論 によれ ば 点でのアウ トカムは,同時点でのアクターの選好 と能力か らは理解 で きな -「(主権国家) い」( S.クラズナ 」『レグ ァイア 制度論的分析の試み サ ン』 3,1 9 8 8 年,1 1 8 頁)か らである。 もっとも,資源動員論の刷新 の一つ として 「 外部支援」へ の着 目が挙 げ られることか ら考えて も,両者の間に線 を引 くことにそれほど意味が ある とは思われない。政治的機会を 「 制度的資源」 と考えることもで きる。 (4) Mc Adam e tal .op.°i t . ,pp. 2 6.② につ いて は,A.Obe r s c hal l , Soc i alMou e T ne nt S I I de ol o g乙 e S ,I nt e r e s t s ,& I de nt i t i e s. ,Tr ans ac t i onPubl i s he r s,1 9 9 3.など看,③ についてはD.Snow/R.Be nf o r d, I de ol ogy,Fl ame Re s onanc e, and Par t i c i pant Mobi l i z at i on. , I nt e r nat i o nalSoc i alMoL l e me ntRe s e aT ・ C hリ1,1 9 8 8;Mas t e rFr ame s t . ,i n A.D.Mor r i s/C.M.Mul l e re ds リ and Cyc l e sofPr ot e s Fr oT ui e r si nSoc i alMov e me ntThe or ) ′ リ Yal eUni v e r s i t y Pr e s s , 1 9 9 2.などを参照せよ。 (5) ( 参について一言すれば, その有用性 は認めるが,取 り立てて新 しい もの 政治 システムと社会運動への比較政治学的アプローチ 1 4 7 だとは見な し難い。例えば,政治学では 「アジェンダ ・セ ッテ ィング」 に 関連 して周知の問題である。実際,社会運動のみな らず国家 も, そ してマ ス ・メディアも,意識的 ・無意識的にフレー ミングを行 ってきた。例えば, 都築勉 「 政治過程における ( 現実)の定義一新聞論調に見 る安保 (改定) 年報 近代 日本研究』 3,1 9 8 1 年, を見 よ。 さ らにいえ 問題の展開 -」『 ば, フレーム概念が,かつて資源動員論が乗 り越えようとした N. スメル 集合行動の理論』 誠信書房 ,1 9 7 3年, 第 サーの 「 一般化 された信念」(『 五章)に接近 していることは皮肉である。 (6) H.Honda,Pol i t i c alPr oc e s sAppr oac h:A Br i e fRe v i e w ofA Ne w Pe r s pe c t i v eon Soc i alMov e me ntRe s e ar c h.『北大法学論集』 4 8 3 ,1 9 9 7 年,p.4 5 0. (7) Mc Adam e tal .op.° i t .,p.1 7. (8) H.P.Ki t s c he l t ,Pol i t i c alOppor t uni t ySt r uc t ur e sand Pol i t i c al Pr ot e s t : Ant i Nuc l e arMov e me nt si n FourDe moc r ac i e s. ,Br i t i s h ・ nalo fPol i t i c alSc i e nc e .1 6. ,1 9 8 6,pp.5 7 8.また,POSが社 JouT 会運動の生成 と発展にとって中心的な位置を占める, との立場 に立っ論文 集 もある ( J.C.Je nki ns/B.Kl n de a r ma n se ds. ,ThePol i t i c so f Soc i alPr ot e s t/Col nPar at i u ePe r s pe c t i u eo nSt at e sandSoc i al S . ,Uni v e r s i t yofMi nne s ot aPr e s sリ1 9 9 5. ) . Mou e T ne nt (9) H.Kr i e s i ,ThePol i t i c alOppor t uni t ySt r uc t ur eorNe w Soc i al Mov e me nt s: I t sI mpac tonThe i rMobi l i z at i on. ,i ni bi d. ,p.1 6 7.; D.Mc Adam,Conc e pt ualOr i gi ns,Cur r e nt Pr obl e ms,Fut ur e Di r e c t i ons. ,i nMc Adam e tal . ,e dsリO P.C i t リp.2 3. ( 1 0 ) 以上の大まかな流れはHonda,op,°i t .に詳 しい。 また,POSか ら戦 後 日本の労働政治を分析 したものとして,久米郁男 「 労働の参加なき勝利 ?- 」 l ,1 9 9 2年, がある。 ただ 雇用政策の政治経済学 - 『レグァイアサ ン』l し,戦後 日本の労働運動 は リソースが少なかったが,POSが有利であった ために影響力を行使 し大 きな成果を獲得 した, というその主張 には批判 も ある( 新川敏光 『日本型福祉の政治経済学』三一書房,1 9 9 3 年,2 3 1 貢) 0 ( l l ) P,K,Ei s i nge r,TheCondi t i onsorPr ot e s tBe hav i ori nAme r i c an Ci t i e sリTheAme T ・ i c anPol i t i c alSc i e T WeRe v i e w. ,Vol .6 7 ,No.1, 1 9 7 3"pp.1 2; 2 5. ( 1 2 ) pOSに関するタロウの文献 として通常最初に挙げられるのは,St r uggl 1 ngt O Re f or m :Soc i alMov e me nt sand Pol i c y Cha , ngedur i ng Cyc l e sofPr ot e s t . ,We s t e r nSoc i e t i e sPr ogr am Oc c as i onalPape r No.1 5" Ne w Yor k Ce nt e rf or I nt e r nat i onalSt udi e s,Cor ne l l Uni v e r s i t y,1 9 8 3.であるが,筆者 は未入手であるため, タロウにおける i e s i ,op.° i t .によった。 概念の変遷については,Kr 1 4 8 一橋研究 第2 3 巻第 1号 ( 1 3 ) Ki t s c he l t ,op.° i t . ,pp.6 3 r f . ( 1 4 ) D.M,St e t s on/A.G.Maz ure ds. , CompaT ・ al i u eSt at eFe mi ni s m. , Sage,1 9 9 5. ( 1 5 ) POS概念 にこうした 「出力局面」 を含んで い るもの と して, 他 に D. Ruc ht ,TheI mpac torNat i onalCont e xt son Soc i alMov e me nt St r uc t ur e s:A Cr os s Mov e me ntandCr os s Nat i onalCompar i s on. , i nMc Adam e talリe ds. ,o p.c i t .がある.政策 レヴェルの達成度 と, 国家の強 さとの間には重要な関係がある。実際, マクロ ・コーポ ラテ ィズ ムの度合いと環境運動のパ フォーマ ンスとの間に有意な関係があることも, D. Jahn,Env i r onme nt alPe r f or ma nc eand 統計的に証明されている ( Pol i c yRe gi me s:Expl ai ni ngVar i at i onsi n1 8OECDCount r i e sリ Pape rpr e s e nt e datXVI I t hWor l dCongr e s soft hel nt e r nat i o】 l al Pol i t i c alSc i e nc eAs s oc i at i on,Se oul ,1 9 9 7 ). ( 1 6 ) P.シューメイカーは,政策達成 にいたる過程 で, 社会運動 の働 きかけ に対す る政治 システムの応答 レヴェルにはアクセス的応答, ア ジェ ンダ的 応答,政策的応答,帰結的応答, インパ ク ト的応答 の5 段 階が あ ると して P.Sc humake r,Pol i c y Re s pons i v e ne s st o Pr ot e s tGr oups , い る( TheJour nalo fPol i t i c sリ37 2,1 9 7 5,pp.4 9 4 1 5. ) 0 ( 1 7 ) op.° i t . ,pp.6 3 r f . 上)で筆者が冒頭 に掲 げた問題意識 と重なる。 ( 1 8 )i bi dリpp.5 8 9.これは, ( 静態的で決定論的過 ぎる」 との批 なお, キ ッチェル トの POS概念には,「 Honda,op.c i t リp.4 4 7 . ) , この間題 は 「結語」 判が寄せ られているが( で再び触れる。 ( 1 9 ) Kr i e s i ,op.c i t . ( 2 0 ) Mc Adam e ta1. ,op.c i t リp.1 0; Mc Adam,op.c i t リp.2 7.また, Tabl e1.1 ) 0 後者の同頁には主要な論者の POS概念の一覧表がある( ( 2 1 ) M.F.Kat z e ns t e i n/C.M.Mul l e re ds. ,TheWo 7 ne n' sMo u e T ne nt SO ft heUni t e dSt at e sand We s t e T ・ nEuT ・ O Pe I Co ns c i ous ne s s , Pol i t i c a10ppoT ・ t unL t y,and Publ i cPol i c y. ,Te mpl e Uni v e r s i t y Pr e s s,1 9 8 7.以下,文献① と表記。煩雑 さを避 けるため, 同書 か らの引 用 は特別 な場合を除いて貢数を省略する。文献②∼④ について も同様。 ( 2 2 ) 政党 との関係でいえば,新 しい社会運動の発展を統制す る中心的要因は, i e s i ,op.° i t . 支配的な左翼政党のスタンスである, との主張 もあ る。Kr の他 にも, イタ リアと西 ドイツの新 しい社会運動 を比較 した研究 は,「主 要な新 しい社会運動」 として学生,女性,環境,平和の四つ の運動 におけ るイデオロギーと行為の変化の中心的説明要因は,主な左翼政党 のス タン スである, と論 じる。左翼政党が,新 しい運動 に対 して,対決的 あ るいは 疎遠であればあるほど,運動 はよりラディカルにな る, とい う( D.de l l a 政治 システムと社会運動への比較政治学的アプローチ 1 4 9 Por t a/D. Ruc ht ,Le f t Li be r t ar i an Mov e me nt si n Cont e xt:A Compar i s onofI t al ya n dWe s tGe r many,1 9 6 5 1 9 9 0. ,i nJe nki nse t a1 . ,o p.c i l . ) O ( 2 3 ) A. N. Cos t ai n,I nv i t i n gWoT ne n' sRe b e l l i onI A Pol i t i c alPr oc e s s ,TheJohnsHopki ns I nt e r pr e t at i o no ft heWoT ne n' sMot ) e T ne nt . Uni v e r s i t yPr e s s,1 9 9 2. ,p.1 3. ( 2 4 ) こうした特質については,St e t s one ta1 .e ds. ,o p.c i t .について も 触れた。①ではさらに,3本の論文が地方政治 を扱 っていることもあ り, 拡散の度合いはいっそう強い。いずれの著書 も,各国を担当する執筆者は, それ らの国独 自の展開について叙述をするわけだが,その独 自さが, 編者 によって設定 された比較のための枠組みに,おさまり切 らない場合が まま ある。多 くの国を比較すると, どうして も発生す る問題である。 または, 強引に単純なモデルに当てはめようとすると,そこにおいて各国の独 自性 を捨象することになる。 この両者 は避け難い トレー ド・オフであ り, おそ らくはその研究の目的に応 じて一方に目をつぶる, という形 で しか解決 し 得ないものか もしれない。 ( 2 5 ) a.Ge l b,Fe mi ni s m andPol i t i c s / A CoT nPar at i t ) ePe r s pe c t i v e . , Uni v e r s i t yofCal i f or ni aPr e s s,1 9 8 9.以下, 文献② と表記O 同書 の 論 旨は,既に岩本美砂子 「フェ ミニズムと政治権力ー一つではないフェ ミ 9 9 4年 ,2 2 1 ニズムー」田口 ・加藤編 『 現代政治学の再構成』青木書店 ,1 3 1 貢に紹介 されている。 ( 2 6 ) 従来は,POSを独立変数 とし,社会運動の強さを従属変数 とすることが A.Mi dt t un/D.Ruc ht ,Compar i ng Pol i c yOut 一般的であったが( C ome sofConf l i c t sov e rNuc l e arPowe r:De s c r i pt i onandExpl anat i on. ,i n H.Fl an e d. ,St at e sandAnt i Nuc l e arMov e me nt s. , Edi nbur gbUni v e r s i t yPr e s s,1 9 9 4,p.4 0 3 ) ,最近はこの点 に変化が見 られる。 この問題については,あとで再び触れる。 ( 2 7 ) イギ リスでは, アメ リカよりもフェ ミニズム運動に対するオール ド・レ フ トの影響が強 い ( S.Rowbot ham,I nt r oduc t i on :Mappi ng t he Wome n' sMov e me nt "i nM.Thr e l f al le d, ,Ma ppi n gt heWoT ne n' s Mou e me T uIFe mi ni s tPol i t i c sandSoc i alTT ・ anS f or T nat i o ni nt he 九 ,Ve r s o. ,1 9 9 6,p.7. ) O というより, アメ リカにおいては, そ も NoT ・ t そもオール ド・レフ ト自体が弱い, ということもできるのであるが。 ( 2 8 ) アメ リカの分権性が,社会運動による公的諸制度の利用を容易 に してい る,という点については,よく指摘 されるところである ( ∫.D. Mc Car t hy /M.Wol f s on,Cons e ns usMov e me nt s,Conf l i c tMov e me nt s,and t heCoopt at i onofCi v i cand St at eI nf r as t r uc t ur e s. ,i nMor r i se t al .e ds. ,o p.c i t . ,p.2 8 7. ) O 1 5 0 一橋研究 第2 3 巻第 1号 ( 2 9 ) 裁判の利用 は, アメ リカの利益集団活動の最近の トレン ドだ とい う ( C. S.Thomas,The Ame r i c an I nt e r e s tGr oup Sys t e m :Typi c al Mode lor Abe r r at i on?,i n Thomas e d.Fi r s tWoT ・ l dI nt e r e s t ・ at i u ePe r s pe c t i v e . ,Gr e e nwoodPr e s s,1 9 9 3. ) O GT ・ Ou PS I A CompaT ( 3 0 ) しか し,経済,政治及び法律問題 に関す る行政機関の意志決定者 にお け る女性の割合 は, アメ リカ ( l l .5 %)よりは低 いがイギ リス ( 4.1 %) よ りも高い ( 8.8%) 。全省庁合計で も, アメ リカ ( l l .7%) に は及 ばない が, イギ リス ( 7.9 %)を上回 っている ( 8.7 %)( 国際連合 『 世界の女性 1 9 7 0 1 9 9 0-その実態 と統計 -』 日本統計協会,1 9 9 2年 ,8 4 5貢, 統計表 3。 ただ し8 7 年 のデータ) 0 ( 3 1 ) だが,男性賃金を1 0 0と した場合の女性賃金 は, イギ リス6 8, アメ リカ 6 8 , スウェーデ ン8 9( 1 9 9 0 年) という数字 もある ( 国際連合 『世界 の女性 1 9 9 5-その実態 と統計-』 日本統計協会,1 9 9 5年 ,2 5 8頁, 図表 5.2 0 ) 0 おそ らく, こち らの数字 はパー トタイムを除外 しているものと思われ る。 ( 3 2 ) この点の評価 は, ステ ットソンらの ものとは異 なる。 ( 3 3 ) こうした② の評価に対 し,岩本 は保育,産休,医療,看護 な どの問題 を 「 個人的」 な ものとして片づけるゲルプのアメ リカ的バ イアスによ り, ス ウェーデ ンの評価が低 くなっていると指摘する ( 前掲,2 3 0 頁) 0 ( 3 4 ) LA. Banas z ak,Wh yMou e T ne nl sSuc c e e d orFai l I C ppor t uni l y, Cul t ur e ,andt heSt T ・ u ggl ef o rWoT nanSu NT . a ge リPr i nc e t on Uni v e r s i t yPr e s s,1 9 9 6.以下,文献③ と表記。 ( 3 5 ) スイスにおける社会運動研究の概観 によれば, スイスでは社会運動研究 は非常 に少 ないが,比較的よ く研究 されているものの一つ として,6 0年代 後半の 「 文化革命」があるQ しか し,女性運動の研究 は欠如 して いる ( H. Kr i e s i ,Swi t z e r l and:AMar gl nalFi e l dofRe s e ar c hi nanUnde r dh te d. ,Re s e ar c h e v e l ope dSoc i alSc i e nc eCommuni t y. ,i nD.Rug o nSoc i alMou e T ne nt S:TheSt at eo ft heAr ti n We s t e r nEur o pe andt heUSA. ,We s t v i e w Pr e s s ,1 9 9 1 .pp. 2 0 6 1 0 ) a ( 3 6 ) ところが実際には1 9 71 年以降 も,二院の うちの一院 と地方選挙 について, 二つのカ ン トンで女性を閉め出 していた。 それ らが女性参政権 を認 め るの は,実に1 9 8 9 年および1 9 9 0 年である。 ( 3 7 ) 例えば,Kr i e s i ,op.c i t . ,1 9 9 1 をみよ。 ( 3 8 ) Kr i e s i ,op.c i t . ,1 9 9 5. ( 3 9 ) 例えば, オランダは1 9 1 9 年, ベルギーは1 9 4 8 年, オース トリアは1 9 1 8 年 である。 ( 4 0 ) その詳細を記す紙幅 はないが,全体 として従来の研究が,運動がすべて のPOSを認識で きると仮定 していた ことを批判 し, スイスの運動 が効果的 であり得 た戦術 に訴えなか った原因を,その 「 認知」 に求 め るとい う立論 政治 システムと社会運動への比較政治学的アプローチ 1 51 になっている。政治 ・社会構造上の理由としては,スイスの活動家 は,言 語 ・宗教 ・地域などによって分断されていて,それが戦術 ・戦略について の情報の流れを妨げたことが挙げられている。 ( 4 1 ) Cos t ai n,o p.c i t .以下,文献④ と表記する。 ( 42 ) ディスクリブテイヴな素材 とアグリゲー ト・データのインターフェイス は厄介な問題である。例えば,運動過程の記述を基にその強弱を数量化 し Mi dt t une ta1 . ,op.° i t . ) ,窓意性か ら逃れるためには, た試みもあるが ( 然るべき手続きで操作化する必要があることはいうまでもない。ちなみに, 同論文ではそうした過程についての記述がない。また,その問題 に関連 し て, 日本における社会学の 「 運動論」 と歴史学の 「 運動史」の間の相互作 用の乏 しさは,一驚に値する. ( 4 3 ) 特に,時期の問題を入れることにより,④は 「 静態的な」POS概念を回 避 している, ということができるかもしれない。ただ し,そのことは概念 上のデメリットも同時に生んでいるように思われるOその点 については後 述する。 ( 4 4 ) ただ し,彼女 もたびたび指摘するように,男女の投票行動が顛著に違う, 9 8 0年選挙か らで, それ以前の ということが一般に認知 され始 めたのは1 POSの拡大-政治エ リー トの女性への配慮は,必ず しも女性票獲得を,直 接的ね らいとしたものかどうかは,認定 しかねる。 ( 45) 国家か らの公式 ・非公式な支援が運動の動員を助けたとされる事例 につ いては,Mc Car t hye ta1 . ,op.° i t . ,p.2 8 7に文献一覧がある。 四.結語 さて,「は じめ に」 で も述 べ た よ うに, 本 稿 は今 後 の実 証 的研 究 の た め の 「 予備 的考察」 とい う性 格 を もつ もの で あ るので, 本 稿 自体 は一 つ の大 きな 「 結論」 は もたな いが,最後 にまとめ と して本稿 の内容 を確 認 し, さ らに今 後 の展望 を述 べて結 び と したい。 本稿 で は, まず筆者 の問題 関心 を示 し, その解 明のため に社会運動 の強弱 を 測定 す る上 で の諸 困難, お よび社会運動 の リソース-政治 的影響 力- 目標 の達 成 とい う図式 の中で, どの段 階 に着 目す るか によ り,結論 が異 な ることを示唆 した。 また,上 の シェーマ 自体 ,POS次第 で は成 立 しな い こ と も, 事 例 研 究 の検討 の中で再三触 れ た.後半 で は,女性運動 を題材 に,社会運動 が政治 的な 場 にお いて, いか にその 目標 を達成 す るか, とい った問題 を主 に扱 った諸研究 を検討 して きた。三 の (1)で紹介 したの は,政治学者 の手 によ る国家 中心 アブ 1 5 2 一橋研究 第2 3 巻第 1号 ローチの系譜 に属す る研究であり,(2)で紹介 した諸文献は他方,社会学者に よる政治過程 アプローチである。 いずれ も,それぞれの学問領域 において相対 的に新 しいものである。 社会運動の政治的な場 における目標の達成 という問題を, (1)では国家能力 と国家 一社会関係か ら説明 した。そのため,女性運動の位置づけは副次的なも WPM)とい のとな り,運動の目標を達成す る主体 は,女性のための政策機関 ( う国家機関 となった.(2)で扱 った諸文献 は,すべてが第一義的に重視 してい るわけではないが, いずれ もP OSの重要性を強調 している。 P OSの概念の有効性 は,以下の点 にあると思われる。 まず, 女性運動 の政 治的な場 における達成の,国による相違を説明する際,社会運動の リソース政治的影響力- 目標の達成, という図式だけでは,女性の社会進出が進み,女 性の地位が高い国の代表 とされるスウェーデ ンが,実 は女性運動が西欧社会で も最 も弱い部類 に属す るとされている( 4 6 )ことは,上手 く説明できないo「 女性」 が資本や労働のように高度 に組織化 された有力なロビーとなる可能性 は低 いか OS概念 は重要 な貢献 を して らである。 この点のギ ャップを埋める意味で,P いる。 P OSのもう一つのメ リッ トは,その汎用性にある。すなわち,新 しい社会 運動 は,その 「 対象」 においてさまざまであるので,政治過程や政策への影響 力をみる際にも, イシューの性質に規定 される面がかな りある。女性運動 と環 境運動,あるいは平和運動では,運動の政治的帰結を規定する要因が異なるの OS概念 はその点に柔軟性がある。つまり,女性運動 につ いていえ である。P ることは,環境運動について もいえる。 というのは,分析の焦点が運動そのも のでな く,運動を取 り巻 く政治 システムだか らである。 OSはフ レー ミングな もっとも,幾っかの研究を通 じて見てきたように,P ど他の装置 と結合 して使 うことが要求 される( 4 7 ) 。 したが って, キ ッチ ェル ト OS概念を一義的に社会運動の国際的偏差の説 明 に使 って しま うこ のように P とには疑問がある。 しか し,その点 は既 に多 くの論者が指摘 してきたことであ る。筆者が ここで問題に したいのは,P OS概念 自体 が問題 を学んでい るので はないか, ということである。筆者か らみて,P OS概念 の問題点 は以下 の点 に整理で きる。 1.短期的な ものと中長期的な もの,安定度の低 いものと高い ものが混在 し,説明できる範囲に唆昧 さを生んでいる。 2.「 権力」や 「 価値」 政治システムと社会運動への比較政治学的アプローチ 1 5 3 の問題が抜 け落ちて しまい,その結果 「 新 しい社会運動」論の意義が消失 して しまう.3.そのコロラリーであるが,政治過程 アプローチは,ある種の運動, OS つまり 「 反 システム的な運動」の分析 には適 さない。そ して, 1.のみが P に固有の問題であって, 2. や 3.は政治過程アプローチ全般,そ して資源動員 論にも当てはまるように思われる。 1.例えば,③や( 特 に) ( 参といった比較的新 しく,かつ明確 に 「 政治過程 ア プローチ」を名乗 る研究は,女性を取 り込 もうとす る政党や政治家の対応, エ リー ト間連合の亀裂など,可変的な要因に説明のウェイ トがある。 したがって, P OSの 「開放」 こそが,成功の鍵 ということになる。他方,( 勤では多元主義- コーポラティズムといった,より構造化の度合いの高い要素 に着 目す るO もち ろん,後者 に可変性が全 くないわけではないが,ゲルブやキ ッチェル トの叙述 は,P OSをかな り安定的に描 いている。 これに対す る 「静態的で決定論 的」 との批判 は既 に紹介 したが,両者 は別 の次元 を扱 っているのであ る。 む しろ P OSには短期的なものと中長期的なものの二次元がある, とい う風 に定式化 し直すべ きではなかろうか。そうす ることにより,概念が抱えてきた唆昧 さの 多 くは解消するように患われる。 OSを独立変数 にし運動を従属変数 にすることが多か ったが, また,従来 は P 近年は両者の相互作用に着 目する研究が増えている( 4 8 )。 しか し, そ うす ると 逆に P OSの利点を減殺 して しまうoつまり,POSとは個々の政治的 アクター の リソースや政治的影響力では説明できない次元 に光を当てる点 に意義があっ たわけだが,比較的短期的に変化す る状況 まで P OSと して括 って しま うと, その点が活かされな くなって しまう。なぜな ら,状況の短期的な変化 は,政治 OSの 的諸 アクターの権力関係の反映か もしれないか らである( 4 9 ) . っ まり,P OS 変化 自体が,諸アクターの リソースや影響力 を反映 して いるとすれば,P が本来 もつ説明上の有効性が失われることになって しまう。 2.上のような問題点 は,「権力」をめぐる思考の希薄 さに由来す るよ うに 思われる。一般 に,政治過程アプローチの論者たちは,主に 「 効果」の側面を 重視 し,社会運動のもた らす 「 価値」や 「 権力」の側面 に関心が薄い。そのこ とが顕著 に現れているのは,例えば 「コンセ ンサス運動」 というカテゴリーで 1 5 4 一橋研究 第2 3 巻第 1号 ある( 5 0 ) o ここに,「 社会の支配的なコー ドへの挑戦」( 5 1 )を読み取 るのは, ほと んど不可能であろう。 また,新 しい社会連動 という概念化を したとされる トゥ レーヌが,彼が 「プログラム化 された社会」と呼ぶ現代社会においては,資本一 賃労働関係よりも, テクノクラー トによる管理 の方 が問題 だ と したよ うな視 角( ㍊ )は,そ もそ も捨象 されている。 キ ッチェル トらの問題意識 は,本来マクロな社会理論であるために,あまり に理念型的にな り過 ぎて,国 ごとの相違など実証的な レグェルへの応用に馴染 まない新 しい社会運動論を,現実 に存在す る政治現象 として捉え,実証研究 に も適用できるような形 に改良 しようというものであった。 しか し,そのために 当の社会運動の扱 いが,利益集団 と何 ら変わ らぬ ものになったのである。元々, M.オルソンは社会運動の研究者ではな く,利益集団を念頭に置いていたこと, また資源動員論 自体,例えば企業の行動へ も容易 に適用可能 であ ること ( 5 3 )な どを考え合わせて も,資源動員論ない し政治過程 アプローチへの接近 は,新 し い社会運動論の問題関心を減殺 しかねない。 例えば,利益集団についてのある国際比較研究 は,利益集団システムの形成, 用いるテクニック,公共政策 に与える効果などに影響す る主要 因を以下 の4つ に整理 している。すなわち,A.社会経済的 ・政治的環境,B. 政治制度上の要 実際の政策形成過程,D. 政策形成者/政府 と生産者集団の関係であり, 因,C. 具体的に挙げられている内容 も,P OSと重なるところが多い ( 5 4 ) 。つまり,PO Sには女性運動以外の社会運動 どころか,利益集団の活動 さえ説明で きて しま 政治的 目標」 の達成 を説 明す る うほどの汎用性があることになる。 しか し,「 装置だけでは,社会運動の分析には不十分であるように思われるのである。 3,政治過程 アプローチでは,政府か ら政策的帰結を引 き出す ところに関心 0 年代後半 における学生叛乱への対応 として, オラン の焦点がある。例えば,6 ダ政府が ヨーロッパで最 も先進的な大学改革案を通すまでに, ごく短 い占拠 し か必要 としなか ったとされるが, この点 はオランダの 「 統合的な」戦略か ら説 明されている( 5 5 ) 。 ここで問題 となるのは,そ うした政府 の 「統合的」 な姿勢 に響 き合 う類の運動が 「 成功」を得やすい,という立論 になりがちな点である。 例えば,平和運動の 「 成功」が政治過程 アプローチか ら分析 されているが ( 5 6 ) , 同 じ平和運動で も軍隊の完全廃止や NATOか らの脱退 とい った 目標 を掲 げる 政治システムと社会運動への比較政治学的アプローチ 1 5 5 ラディカルな運動 に対 して,国家 は大学改革のように容易には譲歩を与えるわ けにはいかない。 NATO体制や 日米安保体制 といった, システムの存立 自体 に関わる部分への挑戦 は, この枠組みか ら排 除 され る傾 向があ る。 もちろん 「 政治的機会」 という考え方 自体がそ こに馴染 まないとい うわけで はないが, 国家の性質や同盟者の有無などの諸要素か ら構成 され る POSは,一般的 にそ うしたシステム自体の存続 に関わるような運動 に対 してはレリバ ンシーがない。 というのも,同盟者 自身が多 くの場合, システムの構成要素で もあるか らであ る。 本稿の冒頭で,社会運動特 に女性運動 においては, メイ ン ・ス トリームの政 治へ接近す ることに対す る抵抗が減 ってきているという点を指摘 したが,取 り 込まれないことと,大 きな成果を獲得することは,①で も述べ られ るよ うに, 通常 トレー ド・オフとして観念 されがちである。「 取 り込まれ る」 ことを警戒 して, システムへの接近 に対 し抵抗感をもつ運動 も多い。そ うした運動 はこの 枠組みでは 「 成功」を勝 ち取れない, といった形で切 り捨て られて しまう傾向 がある( 5 7 ) 0 至極当然のことではあるが,(1)で紹介 した文献に しろ, (2)で取 り上げた 政治過程 アプローチに立っ諸文献に しろ,何を もって運動の 「 成功」 とみなす か, という点 に筆者の価値判断が介在 している。 したが って, ここに分析上の バイアスが生 じる。 もちろん,そうしたバイアスか ら自由な人 はいないといっ て済 ます こともで きようが,その点を自覚す ることはできるはずである。 しか ち,そ うした 「 成功」の定義が,分析できる対象を選んでいるとすればなおさ らであろう。 (1)で検討 した文献 において も,反 システム的な運動の評価が低 くなって しまうことについては,指摘 したとお りである。 既 に,POSない し政治過程 アプローチを超 えた問題 に入 りつつ あるので, 最後に全体 として,本稿が残 した問題をア トランダムに取 り上 げる。 (1)(2)で取 り上げた文献 には, いずれ も狭義の 「 政治」的側面以外を捨象 して しまうという問題がある。 ジェンダー,家父長制,セクシュア リティなど を扱 う研究に比べると,狭義の 「 政治」 として フェ ミニズム運動を扱 う研究 は 必ず しも多いとはいえず, また日本では極端に少ないので, こうした研究 には 十分 に意義があるとは考えているが,それが重大な省略であることも認めざる 1 5 6 一橋研究 第23巻第 1号 を得ない。「個人的な ことは政治 的な ことである [ p e r s o n a li sp o l i t i c a l ]」 を標語に,従来の政治思想が 「 公」 と 「 私」の領域を分断 し, ジェンダーの問 題は 「 私」的領域 に属するがゆえに政治的でない, としてきたことを告発 した のは, まさにフェ ミニズム運動である( 5 8 ) 。文献④ は, ことば,子育て,教育, 芸術,個人の心理,その他生活 と文化 に関わる多 くの領域で,運動 は重要な変 化を生み出 したことは間違 いないとしなが らも,女性運動 はその始 まりか らし て,差別を永続化 させ るような法を変えようとしてきた し,女性運動の活動の 大部分 は政治的なものであった,などの理由で対象の限定を正当化 しようとし ている。巳むを得ない面があるのは事実だが,第二次 フェ ミニズムの文化的側 面への傾斜を考えれば,必ず しも十分に説得的な議論 とはいえない。文献①で は,「 意識」 に着 目するのは,女性運動が環境運動や平和運動以上 に, 公的領 域のみな らず私的領域をもターゲ ットにす るため,意識が社会変革の道具 にな るか らだ, と主張 されている。 したが って,私的な 「 政治」 は公的な( 狭義の) 「 政治」 とつながっている。 しか し,その重要性を認めつつ も, 本稿 自体 が実 際には政策 レヴェルの問題を扱 う研究だけに,対象を限定 した。 「私 的」 領域 における ミクロ権力の問題を, こうした研究 とどう接合す るかは, まさに今後 の課題であるが,木に竹を継 ぐような話 になりがちなことも否めない。 現在のところ,十全に展開す る余裕 はないが,今後の見通 しを示せば,フレー ミングと親近性の大 きいアジェンダ ・セ ッティングの問題 として,つまり私的 領域 における ミクロ権力が,ある種のイシューを 「 公共アジェンダ」に乗せな いように 「 三次元権力」 として機能するメカニズムを解明す る方向で,統一が 可能であるように思われる( 5 9 ) 0 もう一つ,本稿を通 じて明 らかになったのは,社会運動 に限 ったことではな いが,国際比較をする場合に発生する諸困難である。例えば, ( 上)で挙げた女 性の社会進出度 に関す る指標 も, もちろん絶対的な ものとはいえない。事実の どの面を切 り取 って くるかによって,評価が大 きく変わる可能性がある。数量 化 に馴染 まない諸々の要素を 「 程度」 によって表す こともよ く行われるが, こ れにも問題 はある。例 えば, 文献① で は, イギ リスの国家 と労働 の関係 は, 「 希薄」 と表現 される。 これはスウェーデンと比較 しているせ いである。 別 の r i pa r t i t i s mの一角を占めている, といっているわけだか ら, 他 の国 頁では,t ( 例えば日本)と比べれば密接 といえるのではないか。 またキ ッチェル トは,異 政治システムと社会運動への比較政治学的アプローチ 1 5 7 論があるか もしれないと断 りなが ら, スウェーデ ンを 「 開放的な」国家 として いるが ( 6 0 ) , これは( 参と逆の評価であるO さらに,② で はイギ リスは 「強 い国 家」 にされているが, ビル ンボーム らによれば,「 弱 い国家」 になる (61 ) 。 比較 の対象 として,前者がアメ リカを,後者が フランスを念頭 に置 いているためで あるO以上 の例が明 らかに しているように,開放的-閉鎖的,強 い一弱いなど は, いずれ も相対的な概念であ り, したが って 「 何 と比べて」を抜 きには, ほ とん ど意味をなさない。 もっと極端 な例 としては, ネオ ・コーポラテ ィズムの 国際比較の場合, コーポラテ ィズムの 「 条件」 に着 目す るの と,「結果」 ない し 「パ フォーマ ンス」 に着 目す るの とで は, 日本 の位 置づ けが完全 に逆転 す る( 6 2 ) 0「 比較 をす るにはこの国 はこうときめっ ける蛮勇が必要である」( 6 3 )といっ て も, よ り客観的な基準を模索す る努力 は,続 け られ るべ きであろう。 以上 のような問題点 は, デ ィスク リブテ ィヴな手法 により, ある種の政策形 成過程を叙述す るとい うオーソ ドックスな比較研究 によって補われ るべ きもの であろ う。ただ,事例研究 は, どのような政策領域 を選択す るかが決定的に重 要 となる ( 6 4 ) 。 女性政策 の場合, ( 上)で述べたように,やはり雇用機会均等政策が最適だと 思われる。 ここで は,経済官庁 をは じめとす る国家内アクターな らびに,資本 に代表 され る社会内アクターとの利害の対立が生 じるためである。 この点, ス テ ッ トソンらは正当であると考 える ( 6 5 ) O また, そ うした方 向で,P OSの有効 性を活かす こともで きるであろう。 本稿で触れた多 くの論点 については, 日本を含む事例研究 の検討 を通 じて, 何 らかの解答を出 したいと考 えている。 ( 荏) ( 4 6 ) 文献①,p.5. ( 47 ) 例えば,POSとフレー ミングの結合に全面的に取 り組んでいるのが, W.A.Gams on/D.S.Me ye r,Fr ami ng Pol i t i c alOppor t uni t y. , i nMc Adam e tal .e ds. ,o p.c i t .である。 ( 4 8) 例えば,S,Tar r ow,PoL u e ri n Mov e me nt / Soc i alMou e T ne nt S , Col l e c t i u eAc t i o n and Pol i t i c sリ Cambr i dge Uni v e r s i t y Pr e s s, 1 9 9 4,p.8 2.;Mi dt t une ta1 . ,op.° i t . ,p.4 0 3;Gams one ta1 . ,op. c i t .を見よ。なお,社会変革の担い手として社会運動を研究しているはず 1 5 8 一橋研究 第2 3 巻第 1号 ・ の研究者の多 くが, この点を十分考慮 して こなか ったことへ の驚 きも表 明 Mc Adam,op.° i t . ,p.3 6 ) 0 されている ( ( 4 9 ) 論理的には,比較的安定的で,構造化の度合 いが高いP OSも,諸アクター の権力関係 の凝集 で あ る可 能 性 が あ る。 しか し, それ を い い 出 す と きりがない。元々権力関係を反映 して制度化 され た (この場合 の 「制度」 は法制面のそれだけに限定 されない)P OSが,その元 となった諸 ア クター 間の力関係が変容 したあとにも拘束力を もつ, という点 にこそ概念上 の意 義があったか らである。 ( 5 0 ) M. c car t hye ta1. ,op.° i t .彼 らが主 に対象 と して い るの は飲酒運転 反対運動であるが, それはシステムにとって,なん ら不都合 な もので はな い。 ( 5 1 ) A.Me l uc c i ,NoT nadso ft hePr e s e nt s / Soc i alMou e T ne nt S and I ndi u i dualNe e dsi nCont e T nPOT ・ ar ) ′Soc i e t yリHut c hi ns onRadi us, 1 9 8 9. ( 5 2 ) A. トゥレーヌ 『声 とまなざ し』新泉社,1 9 8 3 年,1 4 5 頁。 ( 5 3 ) 樋 口直人 「ェスニ ック ・カルチャー形成 と資源動員」『一橋研究』2 1 3, 1 9 9 6 年。 ( 5 4 ) C. S.Thomas,Unde r s t andi ngandCompar i ngI nt e r e s tGr oups ,o p.c i l .筆者 自身 (上) i nWe s t e r nDe moc r ac i e sリi nThomase d. において, リソースや影響力の説明に利益集団 とのアナロジ-を用いたが, 社会運動が達成すべ き目標が利益集団 と同 じだ とは思わない。「『ポス ト・ ブルジョア的市民社会』の創設へ と志向す るもの」 ( 高橋徹 「後期資本主 義社会 における新 しい社会運動」『 思想』7 3 7 ,1 9 8 5年 , 7貢)とされ る新 しい社会運動を,私益の追求 にのみ関心がある利益集団と同一視 して しまっ ていいのか, という問題 は当然提起 されるであろう。 ( 5 5 ) Kr i e s i ,op.c i t . ,1 9 9 5,pp.1 7 6 7; H.ダールデル/E.シルズ編 『大 9 9 0 年,1 9 7 8 頁。 ただ, オランダ政府 は, ア 学紛争の社会学』現代書館,1 ムステルダム大学 に立て こもっている学生をす ぐさま排除す るよ うな面 も もっていたので,「 統合的」 と言 い切 って しまうことには疑問 もある。 ( 5 6) 例 えば,S.ヮar r ow,Me nt al i t i e s,Pol i t i c alCul t ur e sandCol l e c t i v eAc t i onFr ame s:Cons t r uc t i ngMe anl ngSt hr oug h Ac t i on" i nMor r i se tal. ,e ds. ,o p.c i t . ( 5 7 ) もっとも,西 ドイツ, アメ リカ,イタリア, フランスでは 「取 り込 まれ」 p .l l 2 . ) 。 このよ うな レグェルま の感覚が各々異なるという ( 文献①,p で 目配 りした上で,装置をよ り現実適応性の高いものへ と改変 して い くこ とは,あるいは可能か もしれない。 ( 5 8 ) 例 えば,C.Pat e man,TheDi s oT ・ de T ・O f WoT ne n IDe T nOC r aC y, Fe T ni ni s T nandPol i t i c alThe or y. ,Pol i t yPr e s s,1 9 8 9,c hap.6. 政治 システムと社会運動への比較政治学的アプローチ 1 5 9 ( 5 9) S. ルークス 『 現代権力論批判』未来社,1 9 9 5 年。そ うした問題意識は, 例えば岩本美砂子 「 人工妊娠中絶政策 における決定 ・非決定 ・メ タ決定 一 一九八〇年代 日本の二通 りのケースを中心 に-」 日本行政学会 『年報行政 学2 8新保守主義の行政』 ぎょうせい,1 9 9 3年 にみ られ る。 公共 ア ジェ ン ダについては,大石裕 「 社会運動 と世論」社会運動論研究全編 『社会運動 9 9 0 年 ;同 「マス .コ ミュニケーション論 論の統合をめざ して』成文堂,1 の変容 一大衆社会論の 『 遺産』 とパ ワフル ・メディア論 -」関西大学 『社 3 1 ,1 9 91 年 ;同 「 社会運動 とコ ミュニケーションー リゾー 会学部紀要』2 ト開発をめ ぐるメデ ィア言説 -」社会運動論研究会編 『 社会運動論 の現代 9 9 4 年, などを参照。 的位相。 【成文堂,1 ( 6 0 ) op.° i t . ,p.6 5. ( 6 1 ) B.バデ ィ/P.ビル ンポー ム 『国家 の歴史社会学』 日本経済評論社, 1 9 9 0 年,1 9 6 2 02 貢。 ( 6 2 ) 辻中豊 「 現代 日本のコーポラティズム化 - 労働 と保守政権 の二つ の 「 戦略」の交錯」講座政治学 Ⅲ『 政治過程』 三嶺書房 , 1 9 8 6年, 2 3 2 4貢。 もっとも,良好なパ フォーマ ンスは, ネオ ・コーポラティズムだ けによる ものではない。 したが って, コーポラティズム度を測定す る場合 に は, や はりその 「 条件」 に焦点を当てるべ きであろう。 ( 6 3 ) 河合秀和 『 比較政治 ・入門』有斐閣,1 9 9 6 年,Ⅴ頁。 ( 6 4 ) 大赦秀夫 『 政策過程』東京大学出版会,1 9 9 0 年,第 1章o ( 6 5 ) ちなみに,①所収のイタリアを扱 った論文では,女性政策 におけ る政策 的 「 応答」の測定を,離婚,堕胎,性的暴力 という三つのイシューから行 っ ているが, それはこれ らの領域が1 9 7 0 年代および8 0 年代のイ タ リアにお け る主要 なイシューであり, また女性, フェ ミニス ト,女性議員, お よび政 党が異なる程度の動員を行 ったので,応答の検証 には都合がいいか ら, と p. 1 5 4 ) O されている (