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痛みはどこで感じるか

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痛みはどこで感じるか
 基礎から学ぶ麻酔科学ノート
痛 み は どこで 感じ るか
荻 野 祐 一 群馬大学大学院医学系研究科脳神経病態制御学講座麻酔神経科学
Y u i c h i O g i n o 群馬大学医学部附属病院麻酔科蘇生科 助教
出身地:埼玉県
平成10年 3 月31日:群馬大学医学部卒業
平成10年 6 月 1 日:群馬大学医学部附属病院 研修医
平成18年 6 月 1 日:
(社)
日本麻酔科学会 若手奨励賞
平成19年 3 月31日:群馬大学大学院博士課程修了
平成19年 4 月:群馬大学大学院医学系研究科脳神経病態制御学講座麻酔神経科学
群馬大学医学部附属病院麻酔科蘇生科 助教
(現職)
趣味:映画鑑賞(主に洋画)、音楽鑑賞(主に80’
s洋楽とJazz)、楽器演奏(アラフォー手習い)、
時々運動、あと自炊
(老後に備えて)
。
1.「痛み」に関する疑問 3 つ
現在、脳科学の知見から
「痛み」
に関する疑問を 3 つ、
以下に列挙します。
①「痛み」の実体は、何なのか?感覚なのか、感情
なのか?
機能的磁気共鳴画像(functional Magnetic resonance
imaging:fMRI)など〕とコンピュータ演算を駆使した
解析により、生きた人間の脳活動が詳細に分かるよう
になってきました。そして「痛み」の概念に変革が起き
ています。つまり、これまでの単なる「感覚情報の伝
達」という扱いから、ヒトの「認知・感情」まで、画像
②「痛み」に特異的な脳領域はあるのか?
や動画として、その活動を視覚化できるようになって
③「痛み関連脳領域」という概念はもう古いのでは
きたわけです。そして痛みの定義は、国際疼痛学会に
ないか?
これに対する私の回答は、①ヒトの痛みは「感覚」
(だけ)ではなく「思考」や「感情」である、②痛みに特
より、もはや組織損傷の有無に限定せず、痛みの情動
面を強調するものに変更されました2)。言うなれば「痛
み」は“極めて個人的な内的体験”なのです。
異的な脳領域はないだろう、③いわゆる「痛み関連脳
1)
領域」は古くなってきており“Neuromatrix”
と呼ぶべ
き、です。その理由を以下に述べたいと思います。
3.「痛み関連? 脳領域」
Fig.1 3)に示した脳領域が「痛み関連脳領域」
「pain
2. 脳科学の進展で「痛み」解明が急速に進展
matrix」と名付けられた脳部位で、痛みに深く関わっ
ています。この「痛み関連脳領域」は1999年に提唱
痛みは、生存に不可欠な原始的な感覚であるがゆ
された概念で、痛みの伝達・認知・感情・制御の役割
えに、単なる脊椎反射だとか、あるいは触覚の亜型と
まで担い、複雑なネットワークを形成しています。こ
して扱われていた期間がとても長く、近代に入ってや
の概念は生まれて10年しか経っていませんが、すでに
っと脳に伝わることは予測がついても、そこから先が、
古くさくなってきました。なぜなら、この脳領域の働
どうなっているのかは全くのブラックボックスでした。
しかし、1990年代から急速に発達した画像診断〔ポ
ジトロン放出断層撮影(Positron emission tomography:PET)、脳磁図
(Magnetoencephalography:MEG)、
きはなにも「痛み」だけに限定されていないことが分
かってきたからです。
われわれは2005年にMEGを用いて第一次体性感覚
野が痛みの場所の情報を処理していること4)、2007年
25
A net
Vol.16 No.2 2012
1)
とでも呼んだ方が正確というわけ
で“Neuromatrix”
前頭前皮質
です。
前帯状皮質
一次運動野
4.「痛み」のパラダイムシフト(概念の転換)
一次体性
感覚野
後頭頂葉
パラダイムシフトのきっかけとなった金字塔的研究
島
被殻
は、2003年にScience誌に掲載された研究 7)、「社会的
疎外を受けているときは、身体的痛みと類似の脳部位
視床
が活動する」というものです。この研究では、MRI室
扁桃体
海馬
中脳水道
灰白質
吻側延髄
腹側部
内において、被験者に疎外された孤独感を感じさせる
状況下に置いた時の脳活動を撮ったところ(「心の痛
み」とでも言えばいいのか)
「痛み関連脳領域」の活動
が見られたのです。このインパクトは大きく、それまで
感覚面に注力していた痛覚研究が、これ以降、ヒトに
Aδ線維 or C線維
おける「痛み」の感情面へと重心が移っていきました。
以後も、このような「社会的な痛み(social pain)」に
侵害性刺激
関する研究は相次ぎ、近親者との死別 8)、社会的に不
Fig.1. 痛み関連脳領域
当に扱われた場合 9)にも、「痛み関連脳領域」が活動す
(文献 3より引用)
ることが報告されています。2009年には高橋ら 10)が
「ねたみ」感情も「痛み関連脳領域」の活動であることを
にはfMRIを用い、痛そうな画像を見て「痛みを想像」
報告していますが、この研究の特筆すべき点は「ねた
すると「痛み関連脳領域」が活性化することを簡潔に
み」
(痛み関連脳領域の活動)と、他人の不幸を願う気
示しました5)。同時期には、「痛み関連脳領域」を活性
持ち
(報酬系領域の活動)が正の相関を示している点で
化するのは画像だけではなく、様々な痛みに関係する
す。元来、報酬系領域の活動は、食物や飲料摂取、性
音・言葉などの感覚刺激、痛そうな表情、痛みが来そ
活動などの快楽において観察されてきた活動ですが、
うだという予感、痛みの想い出までもが、「痛み関連
それと「痛み関連脳領域」の関係をまとめるとFig.3 11)
脳領域」を活性化することが分かってきて(Fig.2)、
になります。この図を見ていると、痛みと報酬の関係
これらを総括して確かめた最近の研究報告もありま
は、いわば天秤のようなバランス関係にあり、われわ
す6)。つまり、
「痛み関連脳領域」は、決して痛覚受容に
れ人間は常に、この平衡を保とうとしているのではな
特異的な脳領域ではなく、「生体にとって重要な感覚
いでしょうか。
情報を検出すること(detection of the salient sensory
input)に関わっている多様なネットワーク」であるの
痛み関連脳領域
報酬系領域
二次体性感覚野
前帯状皮質
視床
島
腹側被蓋野
腹側線条体
扁桃体
中脳水道
灰白質
腹内側前頭皮質
Fig.2. 痛みに関連する様々な感覚刺激が
痛み関連脳領域を活性化 26
Fig.3. 痛み関連脳領域と報酬系領域
(文献11より引用改変)
基礎から学ぶ麻酔科学ノート
編のfMRIデータを、画質は粗いものの、動画として再
5. 鎮痛と痛みはアメとムチの関係か?
構成することに成功しています16)。YouTube(http://
実際にわれわれは、ヒトを対象に痛み
(ムチ)
を与え
newscenter.berkeley.edu/2011/09/22/brain-movies/)
るときに飴
(アメ)
を与えて脳活動を撮ってみました12)。
で公開されているので興味ある方はご覧になってくだ
すると予想通り、甘い飴は報酬系を活性化させ、「痛
さい。この技術が発展すると、他人の夢を映像化でき
み関連脳領域」の活動を低下させました (Fig.4)。そ
たり、逆に脳に磁気を当てて映像を脳に刷り込んだり
のメカニズムは、報酬系領域のドーパミン性・オピオ
できるようになります。またトヨタ(米国)による脳
13)
イド性の活動から脳幹下行性抑制系の活動につながり
波制御ギアチェンジ開発や、脳活動を利用したリハビ
「痛み」の修飾を生じていると推察されます。味覚のう
リロボット開発など(こういうのを Brain Machine
ち、鎮痛作用があるのは甘味のみであるようですが13)、
Interfaceといいます)脳科学研究は加速度的に進歩し
心地よい香りにも気持ちの変化と共に、鎮痛作用が明
ています。映画「The Matrix」や「Inception」の世界
示されています 。最新のわれわれの脳研究ではヒト
は実はそう遠くないのです。われわれ麻酔科医も日々、
において、脱水状態が過覚醒状態
(hypervigilance)
をも
最終的にヒトの「脳」に麻酔をしているわけで、脳科
14)
たらし痛みにも敏感になり、これを経口補水液OS−1®
学研究は今後ますます身近なものになってくるのでは
で補水してやると報酬系を介して心身が安定するこ
ないでしょうか。
とを見出しました(発表準備中)。このように報酬系
領域は下行性抑制系と共に今後最も注目される対象
領域となるでしょう。
引用文献
1 )Iannetti GD, Mouraux A:From the neuromatrix
活性化
x=18
y=12
y=28
z=−14
Fig.4. 甘み摂取時における報酬系領域の活性化
(群馬大学大学院医学系研究科脳神経病態制御学講座麻酔神経科学
荻野祐一)
6. 鎮痛と病態への応用が鍵
to the pain matrix(and back). Exp Brain Res
205:1−12, 2010.
2 )Merskey H, Bogduk N:Classification of Chronic
Pain. IASP Press, Seattle, 1994.
3 )Tracey I, Mantyh PW:The cerebral signature
for pain perception and its modulation. Neuron
55:377−391, 2007.
4 )Ogino Y, Nemoto H, Goto F:Somatotopy in
human primary somatosensory cortex in pain system. Anesthesiology 103:821−827, 2005.
上記のような、われわれの脳の痛み系(痛み関連脳
5 )Ogino Y, Nemoto H, Inui K, et al.:Inner experi-
領域)と癒し系(報酬系領域)のバランスが、長年壊れ
ence of pain:imagination of pain while viewing
続けた状態が「慢性痛」状態、と仮説として考えられ
images showing painful events forms subjective
ます。それらは、慢性痛患者特有のhypervigilanceや
pain representation in human brain. Cereb Cor-
痛みの破滅的思考(pain catastrophizing)、不安・うつ
tex 17:1139−1146, 2007.
症状として表出します。これまで慢性痛研究はラット
6 )Mouraux A, Diukova A, Lee MC, et al.:A multi-
の脊髄を対象にした研究が中心でしたが、ヒトの慢性
sensory investigation of the functional signifi-
痛を解く最終的な鍵は、間違いなくヒトの脳にありま
cance of the "pain matrix". Neuroimage 54:
す。慢性痛病態の個体差は非常に大きく、その一般化
2237−2249, 2011.
ですが、本邦は人口あたり MRI台
7 )Eisenberger NI, Lieberman MD, Williams KD:
数が世界一ですので、広範な脳科学応用と病態機序解
Does rejection hurt ? An FMRI study of social
は概して難しい
15)
明という新たなステージに入るべきです。
exclusion. Science 302:290−292, 2003.
8 )O'Connor MF, Wellisch DK, Stanton AL, et al.:
7. これからも脳科学では
最後に、脳科学自体の発展性に触れます。最近、
米研究員(阪大出身日本人)が、ヒトが見た映画予告
Craving love ? Enduring grief activates brain's
reward center. Neuroimage 42:969−972, 2008.
9 )Sanfey AG, Rilling JK, Aronson JA, et al.:The
neural basis of economic decision-making in the
27
A net
Vol.16 No.2 2012
Ultimatum Game. Science 300:1755−1758, 2003.
14)Villemure C, Bushnell MC:Mood influences
10)Takahashi H, Kato M, Matsuura M, et al.:When
supraspinal pain processing separately from
your gain is my pain and your pain is my gain:
neural correlates of envy and schadenfreude.
Science 323:937−939, 2009.
attention. J Neurosci 29:705−715, 2009.
15)Moisset X, Bouhassira D:Brain imaging of neuropathic pain. Neuroimage 37:S80−88, 2007.
11)Lieberman MD, Eisenberger NI:Pains and plea-
16)Nishimoto S, Vu AT, Naselaris T, et al.:Recon-
sures of social life. Science 323:890−891, 2009.
structing visual experiences from brain activity
12)Kakeda T, Ogino Y, Moriya F, et al.:Sweet
taste-induced analgesia:an fMRI study. Neuroreport 21:427−431, 2010.
13)Kakeda T, Ito M, Matsui T, et al.:The evidence
for sweet substance-induced analgesia in adult
human. Pain Res 23:159−166, 2008.
28
evoked by natural movies. Curr Biol 21:1641−
1646, 2011.
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