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日伯協会創立85周年記念特集
BOLETIM No. 953 (会報) 発行 財団法人 OUTONO (秋) 理事長 日伯協会 西 村 正 TEL/FAX O BRAS IL 2011 URL http://www.nippaku-k.or.jp 平成23年10月31日 (季 刊) 神戸(078)230−2891 E-mail 〒650−0003 神戸市中央区山本通3丁目1 9−8 海外移住と文化の交流センター2階 (昭和3年完成直後の姿) [email protected] (昭和初期の出発風景) (昭和30年別館を含む全景) 日伯協会創立85周年記念特集 今号の主な記事 創立85周年に寄せて P. 2 セニブラ社の植林パルプ事業 日伯協会の歴代会長・理事長 P. 3 祝辞(会員) 祝辞(外務省他) P. 4-8 エコノミー ブラジル経済使節団 ブラジル経済(金融引き締めから緩和に転換) 日伯協会85年の歴史から P. トピックス 惜別、無秩序の秩序 P. 9 10-11 P. 12 P. 13 P. 14 移住ミュージアム訪問記 P. 15 イベント情報 P. 16 P. 18 P. 20 リスボン便り 「日伯協会創立85周年記念の集い」ご案内 コーヒーブレイク、編集後記 印刷/菱三印刷株式会社 〒652-0803 神戸市兵庫区大開通2丁目2-11 TEL (078) 576-3961 創立85周年に寄せて 財団法人日伯協会 理事長 西 村 正 当協会は大正15年(1926年)に国策に則り移住する これは2008年の日本人ブラジル移住100周年を祝して 人々を支援する目的で神戸の官・財界人が設立して以 両国で日本・ブラジル交流年として様々な祝賀行事を 来、今年で85周年を迎えました。 行った際、日本政府は勿論としても何故にブラジルで 戦争を挟み様々な困難に遭遇しながらも今日まで協 国や州を挙げて祝賀行事を行い、日系人に敬意を表し 会設立の主旨を踏まえて活動を継続出来ましたのは会 たのか?という問いに答える何かを判っていただけれ 員並びに関係者各位のご支援・ご協力の賜物と厚く御 ば幸いです。 礼申し上げます。 ただ、我が協会にとって記念すべき年が歴史に残る 種多様であっても「海外出稼ぎ」という概念ではな 災害の年となったことは痛恨の極みであります。3月11 く、家族移住者が94%を占め、先駆者たちの築いた移 日に発生しました東日本大震災では地震、津波に加え 住地などで移住組合や支援団体の支援を受けながらも て原発事故の発生という歴史上特筆すべき大災害を引 移住地に定着し、経済的・社会的基盤を築いてきたこ き起こしました。被災されました方々に衷心よりお悔 とにあると伺えます。取りわけ定着化と同時に農業の やみとお見舞いを申しあげます。 近代化を果たし、国家の基盤を固めた業績は特筆され 今回の災害を考えて見ますと、過去の教訓を活かさ No.953 るべきことであります。 ず、効果だけに眼をむけ、安全を軽視するという調和 参考までに、国立民俗学博物館の中牧弘允氏の著述 を欠いた技術展開が災害規模を拡大させた−天災に人 によれば[ブラジルにおけるドイツ移民150年記念の基 災が追い討ちをかけた−結果ではないかと思います。 本理念として掲げられたテーマ「われらはこの地を信 加えて残念なのは災害の対応処理に当たって、自らが じてきた」に対し、ブラジル移住70周年に際して当時 過去に犯した罪を時の首相の立ち居振る舞いを誹謗す の国立民俗学博物館館長梅棹忠夫氏は日本移民の文明 ることで衆目から逸らそうとする国政に携わる面々の 史的意味を問い、「われら新世界に参加す」という発 多いことには全く恥じ入るばかりです。 想を得られたと云う。日本人移住者は新世界のお客で さて当協会では創立85周年を記念するイベントとし もなければ侵入者でもない。むしろ、新しい文明の形 て移住ミュージアムに於いて「知られざるブラジル移 成に重要な役割を果たした参加者であると。日本移民 住の歴史」と銘打ち を開拓者の集団であるとする通念や、人減らし政策の 第一期(1803∼1927)「笠戸丸と四人の先駆者たち」 犠牲となった「棄民」であるという認識とは別の視角 第二期(1928∼1945)「移住の成熟期を支えた人々」 から、すなわち大きな人類史の中で日本人移住者とは 第三期(1946∼2009)「戦後の移住と日系人の活躍」 何であったかを総体として問題にし、文明形成への参 の3期に分けて移住の歴史を振り返り、現在150万人と 加者であると位置付けたのである。]と述べられてい いう世界最大の日系人社会が如何に形造られたか?ま る。(注:海外移住資料館編「われら新世界に参加す」 た人のみならず企業も進出し、ブラジル経済の世界的 より) 発展に如何に寄与したのか?を俯瞰する催しを行って 2 日系移民のブラジルでの成功の基は移住の動機は多 おります。 将に正鵠を射た至言であると思い、皆さんに紹介す る次第です。 日伯協会の歴代会長・理事長 日伯協会の歴代会長 1926年初代から第10代会長は、兵庫県知事がその任に当たってこられました。 初代 山縣 治郎(1926年1月∼1927年5月) 6代 白根 竹介(1931年12月∼1935年1月) 2代 長 延連(1927年5月∼1929年7月) 7代 湯沢三千男(1935年1月∼1936年3月) 3代 高橋 守雄(1929年7月∼1931年1月) 8代 岡田 周造(1936年3月∼1938年6月) 4代 岡 正雄(1931年1月∼1931年8月) 9代 関屋延之助(1938年6月∼1939年4月) 5代 小柳 牧衛(1931年8月∼1931年12月) 10代 坂 千秋(1939年4月∼1941年12月) 日伯協会の歴代理事長 1941年12月の第二次世界大戦開始で余儀なく活動休止となった戦時中を経て、1948年4月の再開時か らは、理事の互選により、理事長が代表の任に当たりました。 初代理事長 第2代理事長 第3代理事長 1947年9月∼1951年7月 榎並 充造 伊藤 武雄 1951年8月∼1960年4月 岡崎 真一 1960年5月∼1971年12月 第4代理事長 第5代理事長 第6代理事長 上田 将雄 1972年1月∼1997年8月 平田 幸廣 1997年9月∼2005年6月 西村 正 2005年7月∼現在に至る (バンドー化学 創業者) (川崎重工業 副社長) (大阪商船 社長) (川崎重工業 副社長) (同和火災海上 社長) (川崎重工業 副社長) 3 No.953 日伯協会創立 85周年を祝して 祝 辞 在名古屋ブラジル連邦共和国総領事 ヒカルド・ドウルモンド・ デ・メロ 外務省中南米局長 水上 正史 本年、財団法人日伯協会が創立85周年を迎えられた ことに対し、心よりお祝い申し上げます。 今年創立8 5周年を迎える日伯協会の歴史は、移民に よって日本とブラジルとの関係が緊密になっていった過程 まず初めに、ブラジルへの最初の移民船・笠戸丸が と重なります。ブラジルへ向かう移民の潮流は150万人とい 出航した神戸において、戦前から85年もの長きにわた う世界で最も大きい日系人コミュニティーを築き上げまし り、移住者の方々への支援ならびに日伯交流に貢献さ た。今日この歴史は逆流の現象をたどり、現在23万人の日 れてきました貴協会関係者のご尽力に対し改めて敬意 系ブラジル人が日本国土に在住しております。 を表します。 この意味で、日伯協会の本部が神戸の旧移住センターに 地理的には、地球の反対側に位置しますが、日本人 設置されていることは非常に意義深いことであります。多 ブラジル移住の歴史を通じて人的な絆を有するブラジ くの日本人がこの建物からブラジルへと向かい、建国に貢 ルは、我々日本人にとって「遠くて近い国」であり、 献し、ブラジル民衆となり、現地社会へ溶け込み、今日で 深い親しみを感じます。全国から集まった移住者の は事業から政治にいたるまであらゆる分野で影響力を発 方々が日本での最後の日々を過ごされた「旧神戸移住 揮しています。 センター」は、現在「海外移住と文化の交流セン 今日本に在住するブラジル人も社会に溶け込み、国の発 ター」として、移住の歴史やブラジル文化の紹介、ポ 展に貢献し、文化をより豊かにすることで同じように成功 ルトガル語講座、在日外国人支援などの活動を行う、 を収めることを望んでいます。 日伯交流の重要な拠点となっております。近年、日本 日伯協会が両国の友好関係を深めるために尽力され、 においても多数の外国人が生活され多文化社会が進展 二つの国の人々の絆をより強く結びつけ、共生するために しつつありますが、100年以上もの歴史を有する移住の 働きかけて続けていることを心よりお祝い申しあげます。 歴史について普段我々が学ぶ機会は多くありません。 同センターを通じて、今日の日伯友好関係の礎となっ た日本人ブラジル移住の歴史をより多くの方に知って 頂けることと期待しております。 私は、本年6月に松本外務大臣(当時)に同行してブ ラジルを訪問しましたが、その際に、日本人ブラジル 移住を通じて1世紀以上にわたる人的な絆と歴史的友好 関係を有する日伯関係は、今後ますます重要なものに なると改めて確信しました。豊富な資源と高い産業力 を擁するブラジルは、国際社会を牽引するリーダー的 存在であり、今後は地球規模の課題にも両国が協力し て、対処していく必要があると考えております。 最後に、日伯協会の今後ますますの御発展と関係者 の皆様の御健勝と御活躍を祈念申し上げます。 4 No.953 Comemoração dos 85 anos da fundação da Associação Nipo-Brasileira Consulate-General of the Federative Republic of Brazil in Nagoya Mr.Ricardo DRUMMOND DE MELLO A história da Associação Nipo-Brasileira, que agora completa 85 anos, coincide com o estreitamento das relações entre Japão e Brasil, marcada profundamente pela imigração. Iniciada pelo movimento de japoneses em direção ao Brasil, formou a maior comunidade nikkei do mundo, com aproximadamente 1,5 milhão de pessoas. Hoje, esta história também é marcada pelo movimento inverso, com cerca de 230 mil nipo-brasileiros vivendo em solo japonês. Neste sentido, o fato de a Associação Nipo-Brasileira estar sediada no antigo Centro de Emigração de Kobe é de grande significado. Milhares de japoneses deixaram aquele edifício justamente em direção ao Brasil e acabaram por participar da construção do país, do povo brasileiro, integrando-se à sociedade local, e hoje têm presença significativa em todas as áreas, da empresarial à política. 日伯協会創立 85周年に寄せて 財団法人日伯協会 創立85周年に寄せて 兵庫県知事 神戸市長 井戸 敏三 矢田 立郎 財団法人日伯協会が創立85周年を迎えられました。 心からお祝いします。 財団法人日伯協会が創立85周年を迎えられたこと を、心からお慶び申し上げます。貴協会は、創立早々 大正15年の創立以来、ブラジル等への移住者の支援 の1928年に、国立移民収容所、後の神戸移住センター や多彩な草の根交流の活動を通して、日本とブラジル の開設を実現されたことを始め、神戸港から出発した の信頼の絆を育まれてきました。 戦前・戦後の移住者支援にご尽力されました。また、 ブラジル移住100周年では、西村理事長に日伯交流年 1971年に神戸からの移住事業が終了した後も、引き続 兵庫県実行委員長としてご活躍いただくなど、皇太子 き、移住者の顕彰活動のほか、日本・ブラジル両国の 殿下がご臨席された記念式典をはじめ様々な行事の開 交流促進のための幅広い事業や活動を展開されていま 催にご尽力いただきました。また、旧神戸移住セン す。関係者の皆様のご努力と情熱にあらためて敬意を ターの保存・再整備に力を注がれ、リニューアルオー 表します。 プンした「海外移住と文化の交流センター」の運営に さて、ブラジル移住100周年事業として、移住関連施 もご協力いただいています。平成22年のブラジル兵庫 設としては国内に唯一残る「旧神戸移住センター」を 県人会創立50周年記念式典、パラナ州との姉妹提携 再整備し、2009年6月3日に誕生した「海外移住と文化 40周年記念行事が成功裏に終わったのも、皆様のお力 の交流センター」も、開館3年目を迎えました。貴協会 添えのお陰です。長年にわたるご尽力に心から感謝し には、センターの指定管理者の一員として、移住の歴 ます。 史を展示・紹介する「移住ミュージアム」を様々な工 先般、上野アントニオ義雄さんの訃報に接しまし た。日伯友好関係の発展に大きく貢献してこられた方 夫を凝らしながら順調に運営いただいており、感謝申 し上げます。 だけに、本当に残念です。残された私たちは、上野さ 同センターへは、開館初年度に26,773人、2年目の平 んが築かれた礎の上に、交流の輪を一層大きく広げて 成22年度には48,184人と、予想をはるかに上回る多く いかなければなりません。 の皆様にご来館いただいており、移住の歴史を後世に ブラジルと兵庫県の架け橋として豊富な経験とネッ 伝える役割を十分に果たしているものと、喜ばしく トワークを有する皆様の活躍には、これからも大いに 思っております。市としても、貴協会と力を合わせ、 期待しています。 同センターの存在意義と活用のPRに、今後も一層努め 日伯協会のますますのご発展と、皆様のご健勝での ご活躍を心からお祈りします。 ていきたいと考えております。 末尾ながら、貴協会のますますのご発展と、関係者 の皆様の変わらぬご健勝を心より祈念いたします。 O desejo em relação aos brasileiros que vivem no Japão dos dias atuais é de que tenham esse mesmo sucesso aqui, integrando-se à sociedade japonesa, contribuindo para seu desenvolvimento e enriquecendo-a culturalmente. Congratulo, assim, a Associação Nipo-Brasileira pela sua dedicação em todos esses anos em estreitar as relações entre nossos dois países, re- forçar os vínculos entre os dois povos e trabalhar por essa integração. 5 No.953 祝 辞 より良い日本と 世界の未来へ ブラジル日本文化福祉協会 ブラジル日本商工会議所 会長 木多喜八郎 会頭 近藤 正樹 財団法人日伯協会が今年創立八十五周年を迎えられま この度は85周年という大きな節目を迎えられたこと、心より したこと、誠におめでとうございます。心よりお慶び申上げ お祝い申し上げます。1926年に誕生以来、 神戸移住センター ます。 建設、 長きにわたる日本人移民送出しへの尽力、 正に海外移 ブラジル日本移民の出発地神戸に産声を上げて以来八 住の歴史そのものと言えましょう。 「移住センター」はブラジル 十五年にわたり、移民を見送り、日本とブラジル両国の関 移住100周年事業の一環として、 「海外移住と文化の交流セ 係改善にご尽力してこられました関係者の皆様に衷心より ンター」へ再興されたと伺っております。 21世紀に入り国際化の流れはますます加速、民間レベル 敬意を表します。 ブラジル国と日本国の政治、経済、文化などの交流も新 の文化交流も自ずとその重要度を増すことでしょう。様々な しい局面を迎えつつある現在、貴協会の存在は今後ます 困難に立ち向かう日本にも今後より一層の国際化が求めら ます重要、かつ不可欠なものとなってくると思います。 れることは間違いありません。貴協会の国際文化交流への 移民、日系人、デカセギなどのキーワードを通じての協 取り組みには、大いに期待するところで御座います。 日本の 力関係強化も両国にとりまして今以上に重要な課題となっ 明るい未来に向けて、 目指される多文化共生・国際芸術交流 てくるものと考えます。 をモットーに、 また歴史の語り部として、 日本とブラジルまた世 既に貴協会と弊協会がもつブラジル日本移民史料館と 界との架け橋になって頂きたいと思います。 きしくも我々ブラジ は「アンドウ・ゼンパチ展」「移民船展」などを通じて具体 ル商工会議所も昨年85周年(黎明期から数えて) を迎えまし 的に行動を起こし、連携を構築しておることは誠に喜ばし た。商業と文化、 それぞれ団体の性格は異なりますが、 「より 良い日本と世界の未来へ」をいう目標は変わりません。今後 いことでございます。 創立八十五周年を節目としまして、財団法人日伯協会の のますますのご活躍と発展をお祈り申し上げます。 更なるご発展と関係者の皆様のご健勝を祈念致しまして お祝いの挨拶と致します。 日伯交流の新時代 日伯に期待すること サンパウロ日伯援護協会 会長 菊地 義治 ブラジル日本都道府県人会連合会 会長 園田 昭憲 今年はブラジル日本移民103周年目を迎えます。 第1回移民船「笠戸丸」が神戸港を出港してから、一世紀以 帰ってきたよと思わせる温かさ 数万人の夢見る移住者 上の年月を経た現在、幾多の困難を乗り越えて、移住国に定着 を送り出した『神戸移住斡旋所』が今の『海外移住と文化 した先駆移民のご苦労を思うとき、現在の我々の幸せを心から の交流センター』である。 感謝申し上げます。 この地は、移民にとって忘れられない最後の日本である。 多くの移住経験者、子弟がセンターを訪問するが、思い 祉と重要な絆を深めております。移民された日本人の子弟は農 出とルーツに感動し、養国ブラジルに帰り、噂する。 業、工業、商業とあらゆる分野に進出され、 日本人は「正直・努 それは、この地に『帰ってきたよ』と思わせる温かさがあ るからだと思う。 訪問者は、数ある催し物、職員の方々、駅から降りてセ ンターに向かう途中で会う、神戸市民の方々の親しみ、温 かさに触れる。 6 No.953 ブラジル日本両国は現在、世界の中でも経済、文化、医療福 力・勤勉」を実践し、 ブラジル社会で信用を積み重ねて参りました。 そして2008年のブラジル日本移民100周年記念式典は世界に 注目され、高い評価を得ました。 2014年のサッカーワールドカップ、2016年のオリンピックを控え、 こ れからのブラジル日本両国は豊富な資源大国と技術大国の相乗効 ブラジルを含む中南米は、目覚しい発展をこれから遂げ 果で、一致協力し、世界の経済復興に貢献する時代になりました。 ることになるが、市民の目線で未来永劫とはいかないまで 財団法人日伯協会様も今後、益々重要な役目を果たされ、両 も、日伯協会の更なるバックアップの元、日本と南米の温 国が共に発展し、信頼関係が深まりますことを祈念いたしまして、 かな繋がりを神戸の地に望みたい。 創立85周年のお祝いの言葉といたします。 今後の日伯協会に 期待する 祝 辞 公益財団法人加古川市国際交流協会 西宮市長 理事長 樽本 庄一 河野 昌弘 財団法人日伯協会が創立85周年を迎えられましたこ とを心からお祝い申しあげます。 日伯協会におかれましては、大正15年の創立以来、 国立移民収容所の開設に尽力され、戦前・戦後の移住 財団法人日伯協会創立85周年にあたり、西宮市民を代表し 心よりお祝い申し上げます。 85年という長期間にわたり日本とブラジルとの交流の要として 活動を続けてこられた貴協会に心より敬意を表します。 者支援に貢献されました。また、現在は日本とブラジ さて、西宮市とブラジル・パラナ州ロンドリーナ市とは昭和52年 ルの交流推進のために幅広い事業や活動を展開されて (1977年)5月に友好都市提携を結んで以来、様々な友好交流 います。これも歴代の理事長をはじめ西村理事長のご を図ってまいりました。今年3月には、 「ロンドリーナ市における地 努力の賜物であり、深く敬意を表します。 域水質改善モデル支援プロジェクト」により来日された研修員の 本市におきましても、昭和48年にパラナ州にあるマ リンガ市と姉妹都市提携を締結以来、青年の派遣や受 方々に、本市の環境への取り組みについて研修を受けていただ いたところです。 け入れなど相互交流を実施し、互いの文化の理解を深 本市は、 これからも市民の方々で組織された「西宮・ロンドリー めております。貴協会には、今後も交流事業の推進に ナ友好の会」 と連携しながら、 日本とブラジルとの交流がさらに一 ご支援、ご協力を賜りますようお願い申しあげます。 層発展するよう努力してまいりたいと考えています。 結びになりますが、日伯協会が創立85周年を契機に 最後になりましたが、財団法人日伯協会のますますのご発展と会 さらなるご発展をされますことを祈念いたしまして、 員の皆様のご健勝を祈念いたしましてお祝いの言葉といたします。 お祝いの言葉といたします。 歴史ある日伯協会 に感謝して VIVA日伯協会 淡路市長 門 康 彦 財団法人姫路市文化国際交流財団 理事長 米田 徳夫 創立85周年を迎えられ、 心からお祝いを申し上げます。 この度、財団法人日伯協会創立85年を迎えられまし さて、淡路市は旧津名郡5町が合併して7年目を迎えていま たことを心からお慶び申し上げます。皆様の長年のた すが、その中に旧津名町がありました。旧津名町とパラナグア ゆまぬご努力に、深く敬意を表する次第であります。 市が1986年(昭和61年) に友好協力協定を調印、1988年には 姫路市は、1984年にクリチーバ市と姉妹都市提携を 結んで以来26年が過ぎ、その間、様々な友好交流事業 が行われてきました。 故柏木津名町長がパラナグア市を表敬訪問しています。2005 年(平成17年) には、 パラナグア市の、 バッカ市長夫妻ご一行に、 新生淡路市を訪問していただきました。2010年(平成22年11 私ども財団では、1996年から毎年行っている青少年 月) には、淡路市から私以下5名が友好親善使節団としてパラ 交流事業で、約100名の高校生をクリチーバ市へ派遣し、 ナグア市を訪問し、友好協力協定の再調印をしました。 あの時 またそれ以上の高校生を姫路市に受け入れ、ホームス の、 パラナグア市を挙げての大歓迎には大感激をしました。体 テイを通して異なる文化を理解し、お互いの違いを認 育館での歓迎レセプションに始まり、淡路公園での記念植樹、 めながら共生できる次世代を担う青少年を育成してま 淡路庭園環境学校の建設現場の視察、 パラナグア湾の見学、 いりました。若い世代の交流が友情の架け橋となり、 そして郷土料理バヘアード等の食事と素晴らしいものでした。 両国との友好関係を一層親密化するものと確信してお 5年後には友好協力協定締結30周年を迎えます。 これか ります。 今回の創立85周年を契機に、より一層の友好交流が 深まりますことを心から願うとともに、財団法人日伯 協会が更に大きく飛躍・発展されますことをご祈念い たしましてお祝いのことばといたします。 らも積み上げる歴史の中で友好関係を継続、育んでいきた いと思っています。 そのためにも今後とも日伯協会のご協力ご支援をお願い し、 お礼とお祝いのご挨拶とさせていただきます。 最後に、 日伯協会のますますのご進展と、 関係者皆様方の ご健勝にてのご活躍を心からお祈り申し上げます。 7 No.953 日系人社会の変化に 対応した協力を 協会設立85周年に 寄せて 独立行政法人 国際協力機構 兵庫国際センター所長 (公財) 兵庫県国際交流協会 理事長 齊藤 富雄 設立85周年おめでとうございます。 伊禮 英全 貴会の創立85周年記念を迎えるにあたり、心よりお 貴協会は設立以来、日伯交流の中心的な役割を果た 慶び申し上げます。今日まで、目まぐるしく変化する されてきたことに深い敬意を表し、また感謝申し上げ 国際環境と日系ブラジル人のみなさまを取り巻く社会 ます。なかでも兵庫県の姉妹提携先のパラナ州の交流 的・経済的な環境の変化の中で、意義ある活動を貴会 においては、私ども兵庫県国際交流協会も県民交流団 が展開することができたのは、理事長をはじめとする 派遣事業等を実施してきましたが、その際にもご理解 関係者のみなさまの大変なご苦労の賜物と拝察いたし とご協力をいただき、成功裡に終えることが出来まし ます。こうした思いで85年を振り返りますと、歴代の た。この場をお借りして改めて感謝を申し上げます。 理事長をはじめとする貴会の幹部のみなさまの日系人 パラナ州には、兵庫県ブラジル事務所があり、当協 支援に向けられた「情熱」と「忍耐」に対し、深い敬 会がその運営をしていますが、パラナ州との交流強化 意を抱かずにはいられません。一方、今後の未来へ向 はもとより、発展目覚しいブラジルとの経済交流を推 けた方向を見やりますと、日本との文化的にも強いき 進しています。県内企業の現地進出支援や、現地から ずなを求める日系社会にも「老齢化」の波が否応なし の研修員の派遣、住民の相互訪問の実施など活発で幅 に押し寄せ、活動の在り方にも、大きな変化が生まれ 広い交流が行われています。 つつあるのではないかと想像しております。どうかこ 日本とブラジルとの交流は、ますます盛んになり、 貴協会の果たされる役割がさらに大きくなると期待し れからも、あらたな変化に柔軟に対応され、日伯の友 好強化に貢献されるよう祈念いたしております。 ており、今後も両国間の交流の懸け橋としてご活躍・ ご発展されることをご祈念申し上げます。 日伯協会への期待 次代の日伯協会への 期待―さらなる交流を 楠本, Sonia Takaco (日伯協会 評議員) ハリマ化成㈱ 社長 長谷川吉弘 (日伯協会 常任理事) 日伯協会創立85周年おめでとうございます。 私はブラジルで生まれ育った日系三世ですが、神戸 1926(大正15)年に設立以来、85年の永きにわたり 大学への留学をきっかけに日伯協会の存在を知り、入 日本―ブラジルの交流を諮り、活動を続けてこられた 会させていただきました。以来はや30年、神戸での就 日伯協会、及び関係者の皆様に、敬意を表し心より感 職を含めて、日伯協会の諸先輩方には大変お世話にな 謝申し上げます。とりわけ、ブラジル移住100周年にあ り、ご縁を心から感謝しております。何よりも有難い たる2008年には、移住ミュージアムの設立や、ブラジ と感じましたのは、来日して自分のルーツを辿ってい ル訪問団の派遣など数多くの記念事業を展開され、私 く中で、必然的に移民史に触れることになり、それを も協会の一員として参加することができたのは大きな 諸先輩方に丁寧に教えていただいたことです。私はこ 喜びでした。 の勉強によって、海外に移住した方々の気骨やご苦労 ブラジルへの日本人移民とその子孫は、今や、6世ま で150万人におよび、ジャポネース・ガランチード(保 これからグローバル化や高度情報化社会はさらに進 価と信用を得られていることは日本の誇りでもありま 展しますが、協会は日伯関係のルーツを守り伝える す。 「移住ミュージアム」の運営を中心に据え、市民レベ には、日系の皆さんを通して、さらに深くブラジル社 No.953 ることができました。 証書つきの日本人(日系人))とブラジル社会で高い評 これらブラジル日系社会との交流から、次代の皆様 8 を再認識し、日系ブラジル人であることを誇りに感じ 会との交流を拡げて頂くことが一層の日伯交流に繋が ることになると思います。 ルでの相互理解と交流のための活動をさらに深めてい ただけるものと期待しております。 Economia エコノミー ブラジルから“経済友好使節団” 兵庫県と友好姉妹州であるブラジル・パラナ州から連邦下院 議員のルイス・西森氏 (前パラナ州議会議員) を団長とする 「経 済友好使節団」23名が神戸を訪問されました。 一行は、10月21日早 朝に、 「海外移住と文化 の交 流センター」を訪 問、おりしも10月19日か ら開催中の「知られざる ルイス・西森氏は今年連邦下院議員に就任後、初めての来日 ブラジル 移 住 の 歴 史 であるこの機に、兵庫県主催、神戸商工会議所などの共催で 展」第3期『戦後の移住 「ブラジル経済セミナーin神戸」 が10月21日神戸国際会館で開 と日系人の活躍』 を見学されました。2階の「旧神戸移住センター 催されました。講演のテーマは、 「 最近のブラジル情勢と日伯関 再整備事業協力金寄付者」のボードの前で、西森夫人がご主人 係の現状と見通し」。 の名前を見つけられ、思わず喜びの声を上げておられました。 かつてのブラジルのイメージは、 カーニバルとサッカーと治安 経済友好使節団一行を歓迎して、 ANAクラウンプラザホテル の悪さ、 イグアス―の滝‥なのではないでしょうか。 しかし近年 神戸において兵庫県、 ( 公財)兵庫県国際交流協会、㈶日伯協 は、新興国としての発展が著しい現状が熱っぽく報告された。 会の共催で兵庫県知事ご出席もと、懇談会が開催されました。 砂糖、オレンジ、 コーヒー豆の生産量は世界一です。また、潜 在的に豊富な資源国として、食糧生産力、鉄鉱石をはじめ深海 油田の埋蔵量も世界有数です。今がチャンスです、 どうぞブラジ ルパラナ州に企業進出されませんか、今なら様々な優遇措置を 用意して歓迎すると同行の市長など誘致に前向きな発言があり ました。 ブラジル経済 金融政策を引き締めから緩和に転換 SMBC日興証券 武田泰典 ブラジル中央銀行(以下、中銀) は8月31日、09年7月以来とな の一因ともなっていた。今回の利下げには、 ブラジル経済が抱え る利下げを決定した。7月に利上げを実施して間もないだけに利 るこうした問題への対処を狙った当局の思惑もあろう。 しかし、政 下げへの転換は大きなサプライズとなった。会合後の声明文や 府は議会に提出した2012年の予算案で、2012年の公的部門の 議事録では、利下げの背景として世界経済の減速懸念や政府の 基礎的財政収支の黒字目標を1,140億レアルと、2011年から一 財政支出抑制によるインフレリスクの低下を挙げている。後者に 転して引き下げており、利下げを正当化する理由の1つとなって ついては、政府が8月29日に2011年の公的部門の基礎的財政収 いた歳出抑制方針の継続性に疑問が生じている。足元の利下げ 支黒字目標を従来の1,178億レアルから1,278億レアルに引き上 は景気減速を背景とした循環的な要因によるところもあり、構造 げることを発表していた。9月に入ってからは、世界経済の減速懸 的な高金利の是正を進めるためには、更なる歳出削減等の取り 念を背景に穀物や粗糖の先物価格が急落しており、 ブラジルの 組みが求められよう。 インフレ指標で大きなウェイトを占める食品や燃料の価格 (サトウ キビを原料とし、自動車燃料として利用されるエタノール価格の 影響が大きい) にも今後、下押し圧力がかかるものとみられる。こ のため、9月まで13ヵ月連続で加速が続いていた拡大消費者物価 指数 (IPCA) の前年比も間もなく鈍化に転じると予想される。 ブラジルの政策金利は主要国の中では突出して高く、いわゆる 「ブラジルコスト」の1つとなっており、企業が設備投資を抑制する 一因とされている。設備投資の不足は供給不足につながり、 それ がインフレ・高金利を招くという悪循環となっている面も指摘され ている。また、高金利は製造業の競争力低下につながる通貨高 15 ブラジルの政策金利 (%) 13.75 14 13 12.50 12 11 10 9 8 07/1 8.75 ※データは11年10月19日まで 07/7 08/1 08/7 09/1 09/7 10/1 10/7 11/1 11/7(年/月) (出所:BloombergよりSMBC日興証券作成) 9 No.953 日伯協会85年の歴史から 1926年5月16日 日伯協会の誕生 日伯協会は、 1926年12月 日伯協会機関誌 「ブラジル」創刊 この時代は、B5サイズでは 「 国 家の 盛 衰 ありますが、毎号10 0ページ は国 民 が 海 外 を越える格調高い月刊誌でし に目を向け、貿 た。9年間続きました。 易や移 住への 取り組み方と関 係 あり」と、日 本初の日本・ブ 日伯協会誕生を伝える5月17日の各紙 ラジル2国間交流団体として結成されました。 日伯協会誕生の記念式典は、現在の兵庫県庁の場所に あった神戸第一高等女学校で開催されました。 式典終了後、この日北但震災移民5家族35人が神戸港か らブラジルへ出発するのを見送りました。 平生釟三郎理事を団長として、1934年ブラジル憲法審 議会で可決された「移民導入2分制限法」による移民削減 「日伯協会創立当時の思い出と私」ベレン在住 辻 小太郎” 団の費用などすべて自弁で出かけられたことは知る人ぞ知 会』を創立し世界平和達成の一助にせんとする研究の中 【真の世界平和は、世界的に人間と物資との移動が自由 化され、人と物との平衡が実現された時、初めて達せられ るのであり、如何に平和主義者が平和を唱えても、国境が あって、人物と物資との移動が統制され、国家間、人民間 に貧富の差が厳存し、国土とその上に住む人間との平衡が 実現せない以上は地上から戦争は終熄しない。】という結 論に達し、移民事業により人の多い処より人の少ない処に 人を移動し、未だ開かれざる資源を開発して、人類の為に その富を提供することは、道遠しと雖も、確実に世界平和 への為に貢献し得る道であることを知り、あらゆる犠牲と 苦難とを覚悟の上で、私の一生を移民事業に捧ぐる決心を しました。…ポルトガル語習得のため日伯協会の夜学に通 いました。…。 食を通して “豊かさと健康” を提供 ■福岡支店 〒812 0043 福岡市博多区堅粕3 13 13 TEL(092)411 2110㈹ No.953 経済使節団派遣 ジュートの辻小太郎さんから 日伯協会40周年に寄せられた随想文 ……、神戸高商(現神戸大学)時代に『国際問題研究 10 1935年4月 ■本 社 〒657 0856 神戸市灘区岩屋南町4 40 TEL(078)861 7791㈹ ■名古屋支店 〒462 0011 名古屋市北区五反田町91 TEL(052)901 2161㈹ ■東京支店 〒140 0013 東京都品川区南大井6丁目26番2号 大森ベルポートB館7階 TEL(03)6367 9024㈹ ■札幌支店 〒062 0001 札幌市豊平区美園一条6 1 31 TEL(011)812 5446㈹ の緩和を目的に出向き、成果をあげました。この時の使節 る事実である。 ブラジル移住者が第二の故郷とした移住基地の神戸に 住んでいるからこそ、ブラジル移住の先細りに心を痛めて の行為であったのです。 平生釟三郎氏は、実業家として東京海上を世界有数の 保険会社に育成したことや、川崎造船所の再建を成し遂 げたことなど。また、教育者としては、学校法人甲南学園の 創立、一貫教育による人材 育成を、医療面では甲南病 院を設 立し、最 新の医療 設備と看護システムを導入 するなど神戸に住み神戸の 為に活動した実業家であ り、社会奉仕家でありまし た。 1941年12月8日 現 在日伯 協 会 の 第2次世界大戦勃発 副理事長である塩田 氏に伺ってみました。 日伯協会は、 昭和16年12月10日∼23年9月7日までの6年9カ 「懐かしいねぇ∼、敗 月の事務局閉鎖の時代がありました。 戦後の委縮した教育 この間には、関係者の「軍には使わせないぞ」 という強い 意向から、 空襲や地震にもあいましたが、 建物自体は、 何とか 残すことができました。 1948年4月 大阪商船神戸支店ビル内で業務再開 日伯協会再開を前に、 サンパウロ市にブラジル支部を開設 を受けた我々には大 なる新鮮味があったよ。あの時の伯国滞在3ヵ月の経験が、 そ の後の人生の糧となったのは確かだね。」 と応えて下さいました。 1979年4月8日 神戸移住センター前に記念碑建立 し、 日伯間の郵便受信が再開されたのを機に当会が仲介者 移住70周年を記念して、 ブ となり尋ね人斡旋をした。 ラジル移民発祥の地の記念碑 1950年10月6日 を神 戸 移 住センター前に建 財団法人化 立。 この石は、 ブラジル兵庫県 人会 会長の和井氏より寄贈を 戦後の業務再開にあたり、外務省の財団法人としての資 受け、商船三井の全面的協力 格を取得した。 この時の基本財産は、 5万円。 でブラジルから運ばれました。 1958年5月 交換学生ブラジルに 1958年、笠戸丸が出航してか ら50周年を記念して、学生交 換計画が実を結び、 日本から は甲南大学ブラジル研究会か ら塩田都造、 岡崎藤雄の両氏 (いずれも後に日伯協会の理 ㊧岡崎藤雄 ㊨塩田都造 事に)が選ばれ、5月31日、往 復3ヵ月、滞在3ヵ月の予定で 「あるぜんちな丸」で神戸港を出港した。帰国後の1959年1月 日伯協会発行の “オ ブラジル新春特集号” に、 『ブラジル諸 見』 が寄せられていました。 「・ ・ ・、即ち欧米諸国の諸企業のブラジル進出には目ざましい 1994年8月5日 建物危し 移住センター閉鎖後、 神戸看護学院と神戸医師会の准看 護婦学校として使われていた。 その役割も終え、建物の老朽 化もあり取り壊しかと見受けられたので、当協会と兵庫県海 外移住家族会が 『歴史的建造物』 として残存を希望。 団地建設、市民病院移築の費用の一部にしてはとの話が 出ていた。 2008年6月3日 移住の歴史残る 移住の歴史を残すという崇高な気持から「海外移住と文 化の交流センター」 としてよみがえる。 ものがあり、 それに比して日本のそれが微々たるものでしかない ということは否めぬ事実で、実際に見て来た者にとっては少々 さびしい事でありました。今のブラジルは発展の途上にあるた め、 すべての事物は絶え間なく変化し進展しているのがひしひ しと身に感じられると共に、やがて世界におけるブラジルの立 場も非常に重要なものになるだろうと思われました。従って我々 日本人もこの若々しい成長しつつある国の成長に貢献し、 また 同時に彼地に進出する好機を逃すべきではありません。 ・ ・ ・」 リニューアルオープンのテープカット 桃井製網株式会社 代表取締役社長 桃 井 一 光 兵庫県赤穂市中広1576番地の5 TEL(0791)43-2081 FAX(0791)43-8669 URL: http://www.momoi.co.jp 11 No.953 Tópicos (Brasil) トピックス 『惜別』 元連邦下院議員上野アントニオ義雄氏 上野アントニオ義雄さん 連邦議員退 が去る9月30日午前8時30 任 後もパラナ日 分(現地時間)、サンパウロ 伯商工会議所 病 院で8 9 才 の 天 寿を全う 会 頭として 、毎 されました。 年パラナ経済使 上野さんは、福岡県出身 節団を率いて来 の移民を父に、パラナ州生 日され名所見物、 まれの日系2世でした。上野 工 場 見 学 等 、友 さんの政治家人生は、パラ 好親善に尽力さ ナ 州 のアサイ市 議を2 期 、 れました。2 0 0 9 パラナ州議を4期、連邦下院議員を8期、32年間の長きにわ 年の訪日時、神戸でお会いしたのが最後になりましたが、長 たりつとめられました。この間、国政の他に、日伯議員連盟の 年にわたってアミーゴとして親しくおつきあいをいただいた私 議長をされて、両国の親善にも注力され、88年にはその功績 とって惜別の情誠に深いものがあります。終わりに、ブラジル に対し、勲二等旭日重光章を受章されました。また上野さんは、 と日本両国を祖国としてその友好に一生をささげられた偉大 政治家であると同時に有能な経営者でもありました。アサイ な日系2世、上野アントニオ義雄さんの安らかなご冥福を祈り 綿花株式会社を設立され、社長に就任、またサンパウロに日 つつ、筆をおきます。 系人が気安く泊まれるニッケイ・パレス・ホテルを経営され、 ま たゴヨ・エレ市に砂糖黍からエタノールを作るバイオ・エネル ギーの工場を設立されました。 前日伯協会理事長 平田幸廣 合掌 (写真)2007.10に経済使節団団長として来日された時の写真 左から西村理事長・アントニオ上野氏・平田(前)理事長 「無秩序の秩序」⇔「秩序の無秩序」 西郷 勝弘 ブラジル人が、訪伯したボリビア海軍大臣に、 「ボリビアには 海がないのにどうして海軍があるのかね?」 と聞いたところ、海 軍大臣は「ブラジルに法務大臣がいるのと同じですよ」 と応え たとさ。という小話がある位、最近まで、 ブラジルは法があって も無いに等しいような状態でした。 1980年代には交通違反で捕まっても、警官にお金を掴ませ 12 No.953 て殆ど解決できました。警官も罰金を払わせても自分の懐には 又、その手続きが複雑で手間がかかるため、切ってしまうと高 入らないので相互に良い解決策であって、法律違反ではある 額の罰金を科せられる。アマゾン地方の密林の傍の住民が、 が、法に準ずる方法でした。また、ブラジルには色々な税金が 先祖代々昔から傷薬として使っている樹皮を剥いだ為に森林 あって且つ高率ですが、税務調査などは無く、税務署員が1年 警察に捕まり牢に入れられた、 というような事件もあって、税金 に1回くらい、帳簿を調べると言って会社に顔を出すが、重箱の の場合もしかりで、先進国の法律をそのまま導入し、実情に合 隅をつつかれる前に、 コーヒーでも飲みながら、 「儲かりません わない適用をする為の問題点を最近は感じています。 ねー」、 「脱税などしていませんよ」 と雑談しながら 「お車代?」 を しかし、そこはブラジル、今でも賄賂が幅を利かせている部 渡してお引取り願うのが双方にとって “Ótimo!” な対処術です。 分も多くあり、適用に大きな差があります。私は、 これを「秩序 この種の話は沢山ありますが、当時は法律を守らない代償 の無秩序」だと感じて、いろいろな面で戸惑っている人たちが というものが大よそ決まっており、予測が出来ました。これを私 居るのではないかと思っています。 は 『無秩序の秩序』 と感じたのです。 本当の「秩序のある国」になるのは未だ時間がかかりそうで しかしながら最近のブラジルは正しいことなのですが法律を すが早くなって欲しいと思います。 厳密に、杓子定規に適用する公務員が増えてきて、例えば自 ブラジルで流行った歌謡曲に「あんたはくだらない奴だけ 分の畑の隅に植えた木が背丈ほどの大きさになって邪魔に ど、私はあんたが好きよ」 という歌詞があります。私も、いい加 なって切ろうとしても、州の環境局の許可がないと切れない。 減な国だと思いながらそんなブラジルが大好きです。 セニブラ社の植林パルプ事業 日伯紙パルプ資源開発株式会社(Japan Brazil Paper & Pulp Resources Development Co., Ltd.) 総務部担当部長 小野 重伸 1 プロジェ クトの沿革 1960年代後半、 日本の製紙業界は原料について海外から長 生産管理体制を構築するとともに、環境保全に配慮した経済 的に持続可能な森林経営を実現しています。その実績を認め られ、FSCならびにCERFLORの森林認証を取得しています。 期にわたる安定供給の道を確立するため開発輸入の道を模 索していました。 当時ブラジルでは、国の助成策によって盛んにユーカリ植林 が行われていました。そうした中で、 ブラジルの鉄鉱石輸入で日 3 パ ルプ 事 業 本との関係が深まっていた国策会社リオ・ ドーセ社(現ヴァーレ 社)から、ユーカリ材のチップ・パルプの製品化事業のパート ナーを求めてきたことが当事業の始まりでした。 1971年、 日本の王子製紙をはじめ大手紙パルプメーカー11 社と伊藤忠商事は日伯パルプ資源調査㈱を設立し、事業化の フィージビリティ ・スタディを開始しました。1973年、事業化の方針 が決定され、同時に日伯パルプ資源調査㈱は現在の日伯紙パ ルプ資源開発㈱(以下、JBP) に改組されました。 1973年9月13日、JBPとリオ・ ドーセ社は合弁会社としてミナス・ ジェライス州にユ ーカリ材 のパルプ 製 造 会 社セニブラ社 (Celulose Nipo-Brasileira S.A.) を設立しました。 セニブラ社 はJBPが48.52%、 リオ・ ドーセ社が51.48%の出資比率で設立さ れ、同年日本政府は、 この事業が日本の紙パルプ資源の長期 的確保という観点から閣議決定で、 この事業をナショナル・プロ ジェクトと位置付けました。 2001年、民営化されたリオ・ ドーセ社はセニブラ社を含む紙パ ルプ事業資産の売却を決定し、JBPは優先買取権を行使して 2001年9月に買取り、 セニブラ社を日本側100%出資の会社とい たしました。 ミナスジェライス州ベロ・オリエンテ市にあるパルプ生産 ミナスジェライス州ベロ・オリエンテ市にあるパルプ生産工場 は、操業開始当初(1977年) に25万トン/年であった生産能力は、 1996年に第2ラインが稼動し70万トンに、 その後逐次能力増強 を行い、2006年12月の20万トン/年能力増強工事の完了により、 年産118万トンに達しました。 プロジェクト創設時の基本構想は、 日本株主が製品の50%を 長期契約で購入するというものでありましたが、 日本市場のみな らず世界の市場構造の変化とともにその役割が変わってきまし た。現在、製品は世界中に販売されています。地域別では、 日本 (22%)、 アジア (23%)、欧州(37%)、北米(10%)、 ブラジル (8%) で、92%が輸出です。印刷筆記用紙からティッシュ、特殊紙等の 幅広い用途に供給し、100%植林木をベースとした安定品質で、 ユーザーから高い評価を得ています。 4 環境と地域社会との調和 セニブラ社の事業地域は、広範囲にわたります。 自社植林地 に加えて契約植林と呼ばれる契約農家との植林地域を合計す ると、 ミナスジェライス州の約100の市町村で事業を行っていま 2 植 林事業 す。事業を継続していくうえで地方自治体、地域住民との関係 は非常に重要で、 セニブラ社はさまざまな地域貢献活動を行っ ています。例えば、へき地に医師を派遣して健康診断を実施し 現在、 ミナスジェライス州に広がる255千ヘクタールの土地を たり、地域の学校への文具、教育用品の寄贈、教師・学童の環 所有し、133千ヘクタールに植林を行っています。規模としては、 境意識を高めるための教育活動にも参加しています。 また、環 関東平野大の土地に神奈川県の面積に相当する土地が点在 境保護対策として法令に沿った保護林の確保はもとより、更に しているというイメージです。植林地の多くは傾斜地で、牧草地 絶滅の危機に瀕した希少な野鳥の保護活動も行っています。 跡や農業には適さない荒地を利用したものです。 これらの地形、 このように、事業地域で雇用を促進するだけでなく、環境に配 気候に合った品種を開発し、単位面積当たりの収穫量をいか 慮し、地域と一体となって事業活動を行っております。 にして向上させるかが課題であり、 日々絶え間ない育種改良が 以上、 セニブラ社は日本とブラジルの合弁事業で最も成功を 行われて、世界屈指の成長量を達成しています。 また、 セニブラ 収めている事業の一つとして、 ブラジルでも高い評価を得ており 社では、ユーカリの苗木の自社生産からその植付け、育林、伐 ますが、発展を続ける新興国ブラジルにあって38年にわたる歴 採、工場への原木輸送、 そしてパルプ製品の出荷まで一貫した 史に培われた経験を活かして、更なる発展を目指して行きます。 13 No.953 教育現場でのブラジル人児童・ 生徒支援活動に期待します。 リオ・デ・ジャネイロ日本人学校 青木 義道 (日伯協会 会員) 私は、関西でブラジル人が多く生活する滋賀県で教師をす る中で、 日本の習慣や文化に戸惑い悩む、数多くのブラジル人 児童・生徒に出会うことになりました。彼らの中には、 自国のこと や母語すらも忘れ、 ブラジル人であることに自信を失っている者 もいます。そこで、 ブラジル人であることに誇りを持てるようにと 私は、 ワールドクラスでブラジルの楽器を演奏したり、 ポルトガル 語と日本語の支援活動にいささかなりとも努めています。 この 介あって、彼らは少しずつ元気を取り戻しつつあります。 しかし ながら、教育現場での彼らに対する支援は、 まだまだ不充分で あることは否めません。85年の歴史を閲する貴ブラジル日伯協 会に対して、 この方面でのご支援も願いたく存じます。末尾な がら、貴協会のますますの拡充とご発展を切に願っています。 協会の活動意義を一般社会 に広く紹介する機会を 田中 美果 (日伯協会 会員) 創立85周年お喜び申し上げます。BRICs、 オリンピック等、 近年は輝かしい面ばかりがクローズアップされている 「ブラジ ル」。又、多くの関連イベントは華やかさを強調したものが目立 ちますが(私もそういった企画者の一人ですが)、 日本初のブ ラジルとの交流団体であるこちらの協会は世間の流行とは関 わりなく、独自のポリシーを貫いて来たことは、各イベント、企画 展示会を通じて感じられます。 ブラジルの存在が日本社会から忘れられていた時代も、常 にブラジル及び日系人との交流を続けてきた協会の活動は素 晴しいことだと思います。 日本社会がブラジルに注目し始め、 少々浮かれた傾向にある今だからこそ、 日伯交流に貢献した 日系人の存在及び協会の堅実な活動をより広く多くの人たち にPRされることを期待しております。 カ ルタ・リジュボエッタ ∼リスボンからの手紙∼ 岐部 雅之(在ポルトガル日本国大使館・専門調査員) ポルトガルの中の日本 ご存じの通り, 日本とポルトガルの歴史は古く16世紀中葉にまで 遡ります。 「エンリケ航海王子」に代表される大航海時代の歴史的人 物は日本でも馴染み深く, 叙事詩『ウズ・ルジアダス』の著者「ルイス・ 高山議員とともにメリケンパークにて (日伯協会 会員) 創立85周年お祝い申し上げます。 1926年笠戸丸が神戸港を出港、18年後日伯協会が誕 生、 2年後に日本初の移民収容所が神戸に建設、 まさに国 際交流の草分け的組織ですね。 日伯協会の歴史は日系移 民支援と日伯経済交流推進の歴史そのものです。 兵庫県は、 この移民収容所が終了する1年前の71年に 当時経済的なつながりが強かったパラナ州と友好提携を 結んでブラジルとの交流を深め、研修員、留学生の受入れ、 83年には、初の自治体主体の国際協力事業として日伯工 業技術センターをクリチバに建設しました。 ポートピア81の年、私は県職員になった初仕事が日伯協 会の皆さんにお世話になりながらのブラジル経済ミッション の県内案内でした。2002年から環境保全事業で2度ブラジ ルに行きましたが、葡語がまったくできません。多くの日系人 の皆さんのお世話になって無事仕事ができましたが、言葉 はやっぱり大切であることを痛感、現在、協会の葡語講座 で勉強させていただいています。 これからも、 日伯協会が、 このような各種の事業を展開し ていただき、今、経済発展が著しいブラジルとの交流を一層 推進していかれることを期待しております。 JTB西日本 神戸支店法人営業部 http://www.jtb.co.jp/shop/kobe/ 営業時間 9:30~17:30 休業日 土・日・祝及び 12/30~1/3 〒650-0044 神戸市中央区東川崎町1-3-3 神戸ハーバーランドセンタービル9F TEL:078-366-6151(代表) 数多くの人が集まりました。昨年(2010年)迎え た両国修交150周年関連行事に続き、ポルトガ ルにおける日本への関心の強さを再認識させ てくれる盛況ぶりで, 日本酒, たこやき, おでん等 の料理を始め, 書道, 着物の着付け, 合気道デモ ンストレーション, 電気自動車展示等, 各種コー ナーには常に人だかりができていました。 他方, 私たち日本人のポルトガルに対するイメージはどのよ うなものでしょうか。日本政府観光局(JNTO) によると, 当国を 訪れる日本人訪問者数は年間6万人程度で, 隣国スペインの同 は「ヴァスコ・ダ・ガマ」という名称の大型ショッピングモールの他, 地名 23万人と比較すると約1/4に過ぎません。相互の文化を一層 や駅名にも聞き覚えのある名前に出会うことが少なくありません。 深く知るためにも, 「百聞は一見にしかず」の精神で一度当国ま ト」近くにある「リスボン日本公園」で日本文化を紹介するイベント No.953 彌城 正嗣(写真左) デ・カモンイス」の名も広く知られています。さらに, 当国リスボン市に また先日(10月1日)は, 観光名所として有名な「発見のモニュメン 14 創立85周年お祝い 申し上げます 「ジャパンフェスタ」が開催され, リスボン市内のみならず全国各地から で足を運んでみてください。お待ちしています! ※なお, 内容は全て筆者自身の観点に基づく私見であり, 大使館の意見を 代表するものではありません。 移住ミュージアム訪問記 ブラジルとアメリカから見学に 加計学園 国際交流局 国際室 主任 山田真樹子 学校法人加計学園の岡山理科大学に、加計学園の海外姉 妹校である米国フィンドリー大学およびブラジル、パラナ・カ トリカ大学、パラナ・連邦大学からの短期研修留学生(ブラジ ル人・15名、アメリカ人・4名)を引率して、ブラジルへ移住 された日本人およびその歴史を学ぶため、海外移住と文化 の交流センターを訪問しました。 留学生は、日本人移民者が多数行っている国の20歳前 後の若い日系人です。ブラジルの学生が多く、アメリカの大 学生が少ないのは3月11日東北地方の地震津波と福島原 発の放射線もれで危険だから日本行きにブレーキがかかり、 日本に行ったとしても関東以北へは絶対行くな、 「日本は危 険」としり込みした人が多かったためのようです。 移住の講義は、人類が移動を繰り返した歴史のはじめ、大 昔にモンゴロイドが中国大陸→シベリア→アメリカ→ブラ ジルへと大移動した、約1万年から2万5千年前の話から始 められました。人類が明日の幸せを求めて新天地に移りゆく、 移民の経緯がよく理解できたと思います。アメリカに留まっ た人達がアメリカ・インディアン、中央アメリカから南米に 渡ったのがインジオと呼ばれたと。 徳川時代の終わり頃のハワイへの移住、ハワイからアメリ カへ、そこで問題になった “黄禍論” 、新たな移住地ブラジル へとハンドルが切られたこと。最初のブラジル移民“笠戸丸 210X148 TACTICAL(J) 231011.pdf 1 10/23/11 移民”の生活ぶりと日本人の素晴らしさなどを分かりやすく 話して頂きました。最後に、 「日本に残った人も、ブラジルへ 渡った人も自分たちの生活を豊かにし、世界人類の為に働 けるのは素晴らしいことである」と結んでいただきました。 研修参加者は所期の目的である日本の文化、生活、制度、習 慣などへの理解を大きく深めることが出来ました。これらの経 験は必ずや彼らの将来 に大きく役立つものと 確信致しております。研 修団員は去る7月19日、 離岡しました。講義して 下さった黒田さんあり がとうございました。 3:24 PM 15 No.953 EVENTOS イベント情報 日伯協会からのおしらせ 知られざる ブラジル移住の歴史展 第3期「戦後の移住と日系人の活躍」 ▶10月19日㈬∼12月18日㈰ 「旧神戸移住センター」 ビデオ上映会 ▶2011年11月27日㈰ 13:30開場/14:00開演 関西の歴史建築ド キュメンタリー 上 映 第 1 期 の「 笠 委員会の主催、神戸 戸丸と4人の先 市後援による 関西 駆者たち」、第2 の歴史建築vol.4と 期「移住の成熟 題して、現「海外移住 期 を 支 え た と文 化 の 交 流セン 人々」に続く第3 ター 」の 果 たした 役 期 は 、第 2 次 世 割を歴史建築の立場 界大戦が終わっ から語り継がれるも た1945年(昭 のです。 和20)から現在 までを対象とし て います 。この 期間の移住者は KOBE観光の日 7万1372人で す 。戦 争 の 残し ▶2011年10月3日㈪ 神戸市主催『KOBE観光ウィーク』が2011年10 たもの、戦争で途絶えていた移住が再開されるとともに、日 系人の活躍も、1世から、2世、3世へと引き継がれていき、 さ らに大きく広がっていく様をご覧いただけたらと思います。 月3日∼10月10日開催されました。 ■開催場所:神戸市内各所 ■主催:神戸市 ■特典=無料開放、割引料金、プレゼント、イベント 移住ミュージアムでも、『期間中先着20名様に記念 品プレゼント』で協力しました。 “昨日も来たんです∼!”って3日が休館日でした 第8回中南米音楽会 ▶2011年11月19日㈯ 14:00∼ 昨年夏から始まりました、神戸ブラジル音楽協会と日 伯協会のコラボによる中南米音楽会も8回を数えることに なりました。毎回出演グループの組み合わせを変えて楽 しんでいただいています。 今回も楽しくにぎやかに、皆さんご一緒に歌って踊っ ていただけると思います。 出演:アコースティックガレージ(略「アコガレ」) バンダブラジル; ので、4日に一番乗りされたかたです。 ㊧大阪 岡田みゆきさん ㊨神戸 瀬鴻充代さん オカダインダストリ株式会社 代表取締役社長 岡田 隆平 〒657-0852 神戸市灘区大石南町2丁目7番3号 電話: 078-882-2345 fax: 078-882-2082 株式会社塩田商会 代表取締役社長 塩田 都造 〒 650-0037神戸市中央区明石町30番地 電話: 078-326-7575 fax: 078-321-1666 中西商事株式会社 代表取締役社長 中西 憲治 〒652-0891 神戸市兵庫区西宮内町2番36号 電話: 078-681-2101 fax: 078-681-6696 菱三印刷株式会社 代表取締役社長 松﨑 隆 写真は、「アコガレ」の演奏です 16 No.953 〒652-0803 神戸市兵庫区大開通2丁目2番11号 電話: 078-576-3961 fax: 078-576-2030 17 No.953 ご案内 」 い 集 の 念 記 周年 「日伯協会創立85 ブラジルへの最初の移住者が神戸港から笠戸 丸で出発した1908年から、18年後の1926年に、 ブラジルへの移住者を支援するために神戸の財 界人の働きで日伯協会が設立されました。それ から85年が経ちました。1971年に移住の終焉を 迎えた後の今は、その歴史の顕彰と日伯両国の 懸け橋となるべく努力を重ねています。85周年 の記念式典を開催し、小宴を持って皆様ととも に祝いたいと思います。 詳細につきましては、同封のチラシ「日伯協 会創立85周年記念の集い」開催ご案内をご覧く ださい。 Programa プログラム 日 時:2011年12月4日㈰ 13:00∼17:00 場 所:海外移住と文化の交流センター 内 容: 第1部 記念式典 第2部 カポエイラ演技&ショーロ演奏 第3部 世界のコーヒー試飲&トーク 第4部 カクテルパーティー&福引 参加費:¥2,000 18 No.953 Coffee break コーヒーブレイク 木が命のマリンバ ●マリンバの命とも言える音板 マリンバの音板は、中南米グアテマラ、ホンジュ ラスで選木されたローズウッドから作られます。 その木は数十年経った大木でないといけない 為、年々材料が減って来ています。切り出され た板は、自然乾燥・人工乾燥を経て、音作りの為に板の裏が削られます。 そして調律です。最後にキズ、ノイズ、音程の不備がないか確認が行われ 完成です。音板が出来るまでに、何と5年以上もかかります。 ●より美しい音を届けるために マリンバはマレットというバチで叩いて音を出し ます。 このマレットは、柄の部分がヤシ科のトラ (ラタ ン) か木 (バーチ) で、頭がゴムで出来ています。 又、ゴムに毛糸や綿糸を巻いたものもあり、 そ の数、数千種類に至ります。マレットがカラフル なので「洋服に合わせて選ばれるのですか?」 と 聞かれますが、 そうではありません。音板は生き た木の為、天気や保管状態で音が変化します。演奏する会場の大きさに よっても聞こえ方が違います。それに加えて、曲の雰囲気を考えながらマ レットを選んで演奏しています。 ●進化する特殊な演奏 今もなお発展を遂げるマリンバは、楽器だけで はなく曲も奏法も進化しています。柄で音板を 叩く、音版にマレットを押しつける、マリンバの 側板を叩く等、様々な奏法を用いた曲が作曲さ れています。私達は、新しいことにどんどん挑戦 する一方、 シンプルな奏法も大切にしながらマ リンバの普及を目指しています。 Nota do Editor 編 集 後 記 兵庫県の初代知事は、誰だかご存知ですか?“伊藤博文”なんですよ。 「そんなこと常識や!」って聞こえてきます。そうなんですね、周りの皆さんは ご存知でした。第4代は、陸奥宗光ってことも? 昭和22年の公選後は、現在の井戸知事で6人目です。日伯協会85年の歴史を紐解いていると、歴史 上の人物が多くて、何度も驚愕→感激→感嘆→至福の経過を辿りました。初代理事長の榎並さんは、私の母校・現「神戸薬大」の理事長でした。私の 中でバンドー化学の榎並さんと薬大の榎並さんは平行線上にあったのですが、あぁっ∼!とここで縮合した次第です。 【編集】編集委員長:品川秀麿/委員:植田義昭、鹿子嶋栄三、加茂周治、辻信一、三井敏明、村上美穂/事務局:金井佐稚子