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未来につなげる - サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

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未来につなげる - サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco
Joyful Communication !
SALESIAN
BULLETIN
J A PA N
January 2013
10
No.
チャーベス総長
来日リポート
特 集 ドン・ボスコの「教え子」たち インタビュー
未来につなげる
ドン・ボスコ流
「共に育つ」
次世代育成
Ciao!
サレジオ家族探訪
大阪星光学院中学校・高等学校
サレジアン小伝
ヘンドリックス神父
時を超えて紡ぐショートストーリー
二本の道
ドン・ボスコゆかりの地を巡る
トリノ
聖フランシスコ・サレジオ聖堂
世界のサレジオ家族ニュース
被災地支援の報告
サレジアン・シスターズ管区サポートセンター
Message
Joyful Communication !
INDEX もくじ
サレジオ家族の皆様へ
君たちの永遠の幸せを願う
J A P A N 4
サレジオ会総長
パスクアール・チャーベス神父
若
者の皆さん、ドン・ボスコは若
よく学び、よく準備することが必要です。
すてられた人びとを心にかけるならば、
者たちに言っていました。
「神は、
君たちのもっている可能性を十分に発
私たちは幸せになれるのです。
君たちを愛しています。君たちが永遠に
揮し、世の中に貢献するためには、しっ
このように生きるとき、たとえさまざ
幸せであることを望んでいます」と。幸
かり勉強して力をつけなければなりませ
まな試練があっても、きっと君たちは
せであるための秘 訣を、君たちに教え
ん。これは、夢を実現するためにも必
困難を乗り越え、深い喜びを体験する
たいと思います。
要です。
でしょう。
1 つ目に、自分自身の中にある良い
最後の秘訣は、人のために尽くすこ
私も君たちを愛し、君たちの幸せを
ものを発見することです。そして、君た
と、これが幸せへの道です。人のため
ちの家族の良いところ、君たちが住む
に生きること、人に仕えることで
町や、日本の良いところ、そして世界
す。自分の成功だけを目指す
2012 年 9 月 来日時
にある良いものを見いだすようにするの
のではなく、世界中のすべて
若者へのメッセージより
です。幸せになりたいのなら、周りの
の人の幸せを求めてください。
世界に対して、明るく前向きな見方を
特に最も貧しい人びと、最も見
ひ けつ
するようにしましょう。
2 つ目は、いのちは神からの贈りもの
だということです。君たちのいのち、人
間のいのちは、動物や植物とはずいぶ
ん違います。
「いのち」
「生きること」は、
「夢を見る」ということです。神は、君
たちの人生に、夢を思い描いておられ
るのです。ドン・ボスコの夢は、世界
中のすべての若者を幸せにすることでし
た。人生の夢を発見してください。夢は、
人生を情熱と不屈の精神で満たしてく
れます。
幸せのための 3 つ目の秘訣は、教
SALESIAN No.
BULLETIN
3 Message ● 君たちの永遠の幸せを願う
8
10
10
January 2013
サレジオ会第10代総長
パスクアール・チャーベス神父来日リポート
Essay
ドン・ボスコに見る次世代を担う若者たちの育成
●
特集 ●ドン・ボスコの「教え子」たちインタビュー ●
未来につなげる
ドン・ボスコ流「共に育つ」次世代育成
ラナシンハ・シャナカさん from サレジオ高専(旧育英工業高等専門学校)
勝股真弓さん from 星美学園小学校・中学校・高等学校
吉田博史さん from 大阪星光学院中学校・高等学校
心から願っています。
表紙の写真
大阪星光学院の生徒たち。
チャーベス総長を囲んで
16 ドン・ボスコゆかりの地を巡る ●トリノ 聖フランシスコ・サレジオ聖堂
18 サレジアンの旬な一言 ● 言っときますけど…
19 Book Review ● 本のひととき
ドン ・ ボスコとは?
「青少年の友」と呼ばれ、見す
20 世界のサレジオ家族ニュース
二本の道
24
時を超えて紡ぐ ●
ショートストーリー
26
Ciao! サレジオ家族探訪
28
サレジアン小伝
●
てられた若者たちのために生涯
を献げた神父。1815 年イタリア
文:ノゾエ 征爾 絵:おむらまりこ
大阪星光学院中学校・高等学校
ありがとう!ヘンドリックス神父
惜しみなく自分を与えた司祭
●
29 News ● 被災地支援の報告 サレジアン・シスターズ管区サポートセンター
育・学ぶことです。教育は、豊かな価
30 Info ● お知らせ
値観を育て、高貴な志、高い理想をも
31 読者プレゼント
つ人間になる歩みです。社会の中で生
生まれ、名前はヨハネ(イタリア
語でジョヴァンニ。ドン ・ ボスコは
「ボスコ神父」 の意味)。青少
年教育に献身するサレジオ会を
創立。1888 年帰天。
サレジオ家族とは?
ドン ・ ボスコの精神を受け継ぐ修
道者・信徒・協力者たち。世
界 130 以上の国で、29 団体、
40 万人以上のメンバーが、学
校、教会、社会生活のさまざま
な場面で青少年や貧しい人びと
のために奉仕している。サレジア
ンファミリーとも呼ばれる。
きて、人生にチャレンジしていくために、
「ドン・ボスコの風」 について ─ 「ドン ・ ボスコの風」は、喜びを共にし、サレジオ家族の原点を見つめ、絆を深め、社会・世界に
羽ばたいて、その実りを分かち合うためのコミュニケーション誌を目指しています。ドン・ボスコの精神を多くの方々と共有し、新しいつながりに
広げていくきっかけとしてご活用いただければ幸いです。皆様からの情報提供とご支援をよろしくお願いいたします。
03
SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2013 No.10
パスクアール・チャーベス神父来日リポート
神奈川・東京 サレジオ会 第10代総長
9月22日[土]
朝
パスクアール・チャーベス神父
来日リポート
は、横浜のサレジオ学院講堂で中高生が歓迎。
総長は生徒たちに勇気づけるメッセージを送
り、 生徒と一緒に文化祭を楽しんだ。
午後は目黒の碑文谷教会へ。 教皇大使チェノットゥ
大司教との会談、 そしてサレジオ家族評議会への講
東京・神奈川
9/
21∼23
話が行われた。 夕刻からのサレジオ家族とのミサで
は、サレジアニ・コオペラトーリに新たに 7 人が入会。
その後、目黒星美学園小学校講堂にて歓迎会が催さ
目黒の碑文谷教会にて サレジオ家族とのミサ
2012年
9月21日[金]~25日[火]
歓迎会で、だるまに目を入れる
れ、 各グループのコーラスや和太鼓によるパフォーマ
ンス、日本文化の体験など、 一緒に楽しんだ。
9/
長崎
24∼25
大阪
23∼24
9/
今回が2 回目の来日となった
東京 サレジオ会第10代総長パスクアール・チャーベス神父は、
9月21日[金]
日本各地でサレジオ家族や若者との交流を満喫した。
サレジオ家族のミサでコオペラトーリに 7 人が入会
横浜のサレジオ学院を訪問
サレジオ家族の 3 修道会管区長たちと
ドン・ボスコの後継者として世界中を駆け巡る総長の
来
5日間の軌跡を追った。
か、サレジオ家族の各グループの代表が歓迎した。調
取材・文・写真
●
編集部
日初日の早朝、チャーベス総長は秘書のバルト
ロメ神父と共に成田に到着。サレジオ会員のほ
布へ移動し、 午後はサレジオ会員への講話の中で感
謝をこめて過去をふり返り、 若者と共に生きることを
呼びかけた。夕刻より、日本管区創立 75 周年の感謝
ミサが会員と恩人の方々と共に献げられた。ミサの終
わりには、日本管区の歴史の生き証人モスカ神父に、
生徒にサイン中
生徒と記念撮影!
サレジアン・シスターズ
総長が感謝状を贈呈。続いて祝賀会・アカデミアがな
イエスのカリタス修道女会
“信仰は人に光を与えるものです。
私は皆さんの働きに信頼しています”
─若者と共に献げる
ミサでの言葉─
ごやかな雰囲気のうちに催され、 総長より恩人や会員
の両親へ感謝状が贈呈された。
駐日教皇大使チェノットゥ大司教、チプリアニ日本管区長と
97 歳のモスカ神父と
東京 東
歓迎に駆けつけたサレジオ家族たちと共に 成田空港にて
9月23日[日]
京での日程最終日は、 朝から若者と共に献げ
るミサ。四日市のサレジオ会志願生たちも加わ
成田空港にて
り、 サレジオ会が司牧する関東の教会から多くの青年
たちが集った。総長は若者たちに激励のメッセージを
若者と共に献げるミサ
碑文谷教会にて 若者と共に献げるミサ
伝えた。その後、 新幹線で大阪へ出発した。
若者と一緒にパチリ
!
日本管区創立 75 周年感謝ミサ
サレジオ会員への講話
着物姿の若者が奉納
調布神学院にて 東日本のサレジオ会員たちと
祝賀会・アカデミア
恩人たちに感謝状を贈呈
調布サレジオ神学院聖堂にて
05
SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2013 No.10
日本管区創立 75 周年感謝ミサ
04
パスクアール・チャーベス神父来日リポート
長崎 大阪 24
23
9月24日[月]~25日[火]
日夕刻、 飛行機で長崎へ移動。 空港では、
50 名ほどのサレジオ家族のメンバーの熱烈
長崎空港にて 熱烈な歓迎!
日夕刻より大阪星光学院で、 関西のサレジ
オ家族、学校教職員、同窓生、保護者代表
な歓迎を受けた。
との歓迎会が行われた。 保護者や職員がコーラスで
翌 25 日は、 総長が待ち望んでいた長崎巡礼。 溝
盛り上げ、総長からは恩人へ感謝状が贈られた。
部脩司教の案内で、 大浦天主堂、 日本 26 聖人記
翌 24 日は城星学園のサレジアン・シスターズ大阪
念館、 浦上教会、 平和公園、 原爆資料館を訪れた。
修道院で、 早朝より扶助者聖マリアを記念するミサを
浦上教会の被爆のマリア像の小聖堂では、 平和のた
イタリア語で司式。 サレジアン・シスターズのほか、
めに祈りを献げた。 午後、 中町教会で行われたサレ
長崎・西坂の丘、日本 26 聖人殉教記念碑の前で
9月23日[日]~24日[月]
イエスのカリタス修道女会の関西のメンバーと
歓談のひととき
イエスのカリタス会、コオペラトーリのメンバーも参列
ジオ家族とのミサには約 200 人が参加。ミサ後、 茶
した。
話会で親愛園の子どもたちが和太鼓を披露。 総長か
その後、 城星学園を訪問し、 中高生や幼稚園児の
らは恩人に感謝状が贈られた。 別れを惜しみながら、
歓迎を受けた。 池長潤大阪大司教と会談した後、 大
長崎から羽田、 そして成田へ移動。26 日の朝、 日
阪星光学院の中高生との集いへ。 生徒から歓迎のあ
本での全日程を終えて成田を旅立った。
いさつ、 総長の講話に続き、 学年ごとの記念撮影が
行われ、 握手ぜめにあう場面も。ドン・ボスコ像の祝
別式も行われた。
日本 26 聖人記念館で
大阪星光学院の保護者と教職員のコーラス
平和公園の平和祈念像の前で
溝部司教と日本 26 聖人記念館にて
中町教会でのミサのあとに
親愛園の園児の踊りに大喜び
大阪大司教館にて
池長大司教と会談
大浦天主堂の前で
恩人の皆さんへ感謝状の贈呈
サレジアン・シスターズ大阪修道院で扶助者聖母記念ミサ
城星学園の講堂にて 生徒たちへの講話
城星学園生徒からの催物
大阪星光学院玄関前でドン・ボスコ像の祝別式
城星学園幼稚園の園児たちと
ドン・ボスコ像の前で
大阪星光学院の生徒たちと
“たいへん有意義な、
大きな喜びに満ちた 5 日間でした。
”
─日本を旅立つ前に─
「とても満ち足りた気持ちで帰ります。多くのサレジオ会員、若者、サレジオ家族、ドン・ボ
スコの友人の皆さんと出会うことができ、たいへん有意義な、大きな喜びに満ちた 5 日間で
した。
」チャーベス総長は、日本のサレジオ家族に更なる期待を抱きつつ出発しました。
07
SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2013 No.10
九州のコオペラトーリ会員たちと
大阪星光学院の元気な生徒たちからハイタッチ!→
06
次 世 代 育 成の必 要 性 と 難 し さ
ドン・ボスコは1841年 歳で司
祭になった 後、 貧 しい若 者 たちのた
めに精 力 的に活 動を始めました。そ
の活 動は大 変インパクトのあるもので
あり、 彼の周りには数 年のうちに数
百人の若 者たちが集まるようになって
いったのです。そんな彼の心 配の種の
一つは 「 人 材の不 足 」 でした。 当 然
ながら一 人でこの若 者 たちの面 倒を
見ることはできません。
当 初は、すでに司 祭になっている人
や 大 人 などの協 力 をオラトリオの外
部から受けて活 動をこなしていたわけ
ですが、それだけでは人 材 不 足の解
消がなされないことがはっきりしていま
した。オラトリオの活 動は大 変 な 時
間 とエネルギーが要 求されることであ
り、またドン・ボスコが考 えるやり方
や精 神を理 解して同じようにやってい
くことは簡 単なことではありませんで
した。 結 果として、 彼らの多くは途
れれば、 一 緒にたくさんの奇 跡を 行
えるだろう。 何 千 もの貧しい子 ども
たちが私たちを待っている。 広々とし
たオラトリオ、教 会 、施 設 、作 業 所 、
それに協 力してくれるたくさんの司 祭
を聖 母が送ってくださるだろう。イタ
リア各 地 、ヨーロッパ、そしてアメリカ
でも。 君たちの中にすでにミトラ( 司
教の帽 子 )が見 えているよ 」。 若 者
育てていく、その心がよく表れた言 葉
を信 頼し、夢を与え、期 待をかけて
めるのです。 実にオラトリオの活 動が
です。
日に、ドン・
トリノのヴァルドッコに落 ち 着いてから
8年 後 、1854年1月
若者 た ち と 新 しい修 道 会 を 創 立
それからさらに約6年 後 、1859
年 月9日、ドン・ボスコは自 分の部
屋に 人の若 者を集め、正 式に 「サ
どんな場合でも自分の我を
行ってしまうという体験
にか彼のもとから去って
若 者 たち も、いつの 間
目をかけて育てていった
した。これは、と思って
ぶものではありませんで
は、そう 簡 単に実を結
きます。しかし 実 際に
と するよ うに努 めてい
はじめ、将 来の協 働 者
中から神 学 生を養 成し
彼は自 分の若 者たちの
づいていきます。そこで
のだ、 ということに 気
たちの中から出せばいい
自 分が育てている 若 者
を 手 伝ってくれる 人 は
その状 況の中で、自 分
ことになりま す。 彼 は
中で去って行ってしまう
上に立っている人は、
─ ドン・ボスコのすすめ ─
次 世 代 育 成の秘 訣
の修 道 会でした。
たちと作り上げた、まったく新しい形
─ ドン・ボスコのすすめ ─
年かけたのです。ですが、 私 た
同じ方 法と同じシステムが身についてい
ちは全 員 彼から教 育されたので、 皆
約
業で、その作 業のためにドン・ボスコは
なのです。これは大 変に労 力のいる作
りません。 全 員がドン・ボスコの生 徒
ました。 私たちについてはそうではあ
な 人や 熟 練 した 人から 助けられてい
道 会はそのはじまりにおいて学 識 豊か
レジオ修 道 会 」 を発 足 することを宣
後 年 、ドン・ボスコの弟 子の一 人は
ゆう よ
言 し、 彼 らに1 週 間の猶 予 を 与 え、 こう 語っています。「 他のすべての修
入 会 するかど うかを 考 えさせま す。
突 然の宣 言に彼らの中には強い葛 藤
を覚えた者もいたようで、ジョヴァンニ・
カリエロはその一 人でしたが、いろいろ
迷ったうえで有 名なこの言 葉を言うの
です。「 修 道 者になろうがなるまいが、
人がドン・ボスコ
私はドン・ボスコと共にいる」。1週 間
後、2人を除いた
の部 屋に集まり、新しい修 道 会の一員
るのです。」
が続きます。 彼らの中にはドン・ボス
コの期 待にもかかわらず、彼に一 言も
言 わずにいなくなってしまうというよ
うな者たちさえいました。
4人の若 者への呼びかけ
ドン・ボスコはしかし、 決 してあき
らめずに自 分の若 者たちを信じ続け、
愛 情をかけ、育てていきます。そして
少しずつその取り組みは実を 結 び始
ドン・ボスコが常にオラトリオで 「 共に」
生きることによって、知らず知らずの
うちに身につけていったのです。 後は
現 場で立 場を変えながら、それを実
践していくことでした。オラトリオのシ
ステムの中では若 者たちが自 然に、段
階 的に、自 分より下の者に対してリー
ダーシップをとっていく方 法が確立され
ていたのです。彼らは少しずつ「 新し
いドン・ボスコになる」 ことができまし
た。そしてそれはドン・ボスコが若 者
たちを 信 頼し、 大 切 なことをまかせ
ていく心があったからこそできたことで
しょう。 もちろんその際にも、ドン・
ボスコはただまかせるのではなく、 彼
らをしっかりフォローしていくことを忘
れませんでした。
ドン・ボスコの 「 共にいる教 育 」 の
方法 (アシステンツァ)そのものが、次
世 代を担う若 者たちの育 成につながっ
ていたということが言えます。 共に汗
を流し、忍 耐し、苦 労しながら育 成
していったのです。そしてその苦 労は
並大抵のものではありませんでした。
門はドン・ボスコ研究。
捨てなければなりません。
問題点や失敗を記録するのです。
08
SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2013 No.10
09
となることを決 意しました。サレジオ
程修了(神学博士号取得)。専
ボスコは自 分の部 屋に4人の若 者 (ル
─ ドン・ボスコのすすめ ─
そこに自分が体験してきた
浦田慎二郎
●
会の誕 生の瞬 間でした。それはドン・
サレジオ会司祭。教皇庁立サレジ
ア、カリエロ、ロッキエッティ、アルティ
この聖書の言葉に基づく。
トリノの扶助者聖母大聖堂を望む
彼らはドン・ボスコのやり方を頭で
理 解するのではなく、小さいころから
オ大学大学院霊性神学博士課
リア) を 呼 び集めます。そしてこう
予防教育法の実践は、
12
ボスコが手 塩にかけて育ててきた若 者
浦田慎二郎 うらた しんじろう
ドン・ボスコの教え子で第 2 代総長となった
ミケーレ・ルア神父の初ミサの場面
語りかけるのです。「ドン・ボスコはで
すべてを耐え忍ぶ。」
19
26
きることはやるが、 一 人きりでやって
すべてを信じ、
すべてを希望し、
「経験」
と題するノートを作りなさい。
ドン・ボスコに見る
次世代を担う
若者たちの育成
25
文
17
30
Essay
いる。 もしも 君 たちが手 を 貸 してく
「愛は寛容で慈悲に富む。
初期のサレジオ会員たちとドン・ボスコ(前列左から 4 番目)。1870 年撮影
ドン・ボスコの
「教え子」たち インタビュー
ラナシンハ・シャナカ ● 勝股真弓 ● 吉田博史
未来につなげる
未来によいものを伝えていくために
知識・経験・技術、そして情熱を伝え、
未来を担う若者たちを育てていくことは、
希望に満ちた大きな仕事だ。
若者たちと共に未来を拓いていく
ドン・ボスコの学び舎の卒業生たちが
編集部
自身の体験を語り、
エールを送ってくれた。
●
www.salesio-sp.ac.jp
取材・文・写真
東京都町田市小山ヶ丘 4-6-8
さん
サレジオ工業高等専門学校
話すことがほとんどわかりませんでし
緒に勉 強し始めたのですが、 先 生の
─ 日 本 での学 生 生 活はど う で し
で、卒 業 研 究も印 刷 関 係にしました。
びました。私は印 刷に興 味があったの
入 学して、デザインや 印 刷 などを 学
アル情 報 工 学 科 (2005年 閉 科 )に
等 専 門 学 校 ( 現サレジオ高 専 )のビジュ
歳の時 、育 英工業 高
行 くことができるよ」 と紹 介しても
父さまと知り合いで、「日本の学 校に
スリランカで 通っていたミッションス
クールの神 父さまが、サレジオ会の神
日 し た きっか け は?
─ サレジ オ 高 専に留 学のた め 来
ごく勉 強になったし、結 構 楽しかった
がとてもよく 教 えてくれて、 私 もす
国 人は私だけでした。 会 社の人たち
人ほどの従 業 員のうち、外
タログなどの制 作を 得 意 とする会 社
印 刷 会 社のミズノプリテックで 年
ほど働きました。会 社 案 内や商 品カ
─ 日 本 での仕 事 は 大 変 で し た か ?
面 接も一 緒に行ってくれたんです。
してくれたことは、 本 当に助かりま
てくれました。 学 校が就 職をお世 話
一 生 懸 命 勉 強だけしなさい」 と言っ
は 「お金のことは考 えなくていいよ、
申し出た時 、ヘンドリックス神 父さま
は物 価が高 く、アルバイトをしたいと
くれました。スリランカと比べて日本
は留 学 生 たちを 遊 びに連れて行って
す。まだまだこれからで不 安もいっぱ
た 小 型 の 印 刷 機 を 持って 帰 国 し ま
す。 今 回は、知り合いの方がくださっ
どいろいろと 協 力 してくれるそ うで
立ち上げる時には、印 刷 機の提 供な
て、 もしもスリランカで 印 刷 会 社 を
いように休 職 という 形にしてくれてい
社は、 私がいつ戻ってきて働いてもい
れる可 能 性 などを 探ってきます。 会
調 査 、そこで自 分たちが付け加えら
いのですが、 先 生がすごく協 力して、 な工 場 、紙やインクなど資 材のコスト
した。 外 国 人の就 職はなおさら難し
いですが、小さなことから始めてみた
を立ち 上げるために、 提 携できそう
した。これからスリランカで印 刷 会 社
を活かして仕 事をしたいと思っていま
日 本に留 学 する 時から、いずれは
スリランカに戻って日 本で学んだこと
う です ね。
─ スリ ラン カ で 事 業 を 始 め るそ
れました。
したし、 会 社の同 僚にはとても 恵 ま
は、スリランカと日 本の橋 渡 し 的 な
ができたらと 思っています。これから
スリランカの人が外 国に行くお手 伝い
国の人にスリランカに来てもらったり、
もっているので、日本 人 観 光 客や他の
行 会 社で働いてきて旅 行 業の資 格を
観 光 地もたくさんあります。 妻は旅
自 然 も 豊 かですし、 世 界 遺 産 な ど
スリランカは島 国で野 生の象もいたり
を始めるための登 録も進めています。
もう一つ、昨 年 結 婚した日本 人の
妻 と 一 緒に、スリランカで旅 行 会 社
す。
を活かして役 立てていきたいと思いま
企 業で 学 んだ 技 術や、 規 律 性 な ど
て育てていけたらいいですね。日本の
スリランカにもサレジオの工 業 学 校
があるので、その卒 業 生を 受け入れ
紙を使うことが拡がっているので、 印
題からビニールや発 泡スチロールよりも
た か?
楽 しかったです ね。 ま ず2か月 ぐ
らい日本 語を学んで、すぐ 高 専で一
し、アイデア次 第です。
刷・加 工 業の可 能 性はまだまだある
も商 品の梱 包 材に関しては、環 境 問
た。でも 先 生 たちが放 課 後 も 残って
ですね。 苦 労はなかったかもしれない
いと思います。
役 割 を 担っていくことができたらいい
らいました。
熱 心に教えてくれましたし、 私 もく
です。おかげで在 職 中に国 家 資 格の
日本では今 、出 版 物の印 刷 業はか
なり低 迷してきました。スリランカも
です。
(サイテック)があって、 印 刷 技 能 士 検 定1級を取ることもで
学 校の隣に寮
校 長のヘンドリックス神 父さまやデビッ きて、 自 分で 印 刷 会 社 をやっていこ
らいついていきました。
うという 自 信 もつきました。 新 しく
【プロフィール】
1975 年スリランカ生まれ。24 歳の時、
育英工業高等専門学校(現サレジオ高
専)ビジュアル情報工学科に留学生と
して来日、デザインや印刷技術を学ぶ。
卒業後ミズノプリテック株式会社で印
刷業に携わり、印刷技能士1級取得。
現在スリランカで印刷業と旅行業を始
めるため準備中。
テ 神 父 さまほかサレジオ 会の 神 父 さ
サレジオ工業高等専門学校
なと思います。それが夢ですね。 ★
(旧育英工業高等専門学校)
いずれはそうなるかもしれません。で
★サレジオ歴★
入 社した若い人を教える経 験もしま
シャナカ
またちにお世 話になりました。 土日
ミズノプリテック株式会社
1
10
「先生たちが熱心に教えてくれて、
私もくらいついていきました。」
50
24
恩師の山野内倫昭神父(本誌編集長)
と
10
SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2013 No.10
11
3
ラナシンハ・
Ranasinghe Shanaka
特集
ド ン ・ ボ ス コ 流「 共 に 育 つ 」次 世 代 育 成
未来につなげる
www.jsh.seibi.ac.jp
なたはどこの学 校に行 きたい?」 と
小 学 校に入る前 、母は私を連れて
公 立も 含め3つの学 校を見せて 「あ
は?
─ 星 美 学 園 に 入 学 し た きっか け
時は大 変でしたね( 笑 )。 小 学 校か
─ 星 美 で の 思い出 は ?
小 学 校に入 学して、初めて神さま
当 時 は 練 馬から 赤 羽 まで 通って、 に触れました。 宗 教の授 業 、日々の
師 団 坂を毎日登って。 遅 刻しそうな 祈りや聖 母 祭 、聖 母 行 列などの思い
思います。
姉さまだなという 憧れがあったのだと
出があります。 小 学 生のころは登 校
ていた思い出があります。
存 在で、校 長 室には自 由に出 入りし
的に反 発して離れようという 時 もあ
思います。 少 し 大 人になって、 一 時
ずのうちに自 然に身に付けたのだと
ことを 学 びました。そういう 積み重
知って、人のために自 分を犠 牲にする
すが、それを乗り越えようとする時 、
か思いどおりにならないこともありま
人 と関 わります。その中で、なかな
客さまや 働 く 仲 間 など、いろいろな
ければなりません。 私の仕 事 も、お
わけですし、 何かしら人 と 関 わらな
て、その制 服 姿を 見て、すてきなお
二人で星 美に通っていらっしゃる方がい
後のとこがいい」 と。 近 所に姉 妹お
仕 事について厳しさを求められるの
は確かです。 所 作 、立ち振る舞いな
あります が。
─ 社 員 教 育 が 厳 しいイメー ジ が
事をしております。
日々勉 強 しながら 緊 張 感 をもって仕
たです。 私が入 学したころの校 長の
ターや先 生 方はとても親しみやすかっ
やっています。でも 若い人 たちの中に
さらに伸 ばしてあげるという 考 えで
ですから、その人のもっている長 所を
変えるというのはなかなか難しいこと
指 導 するとき、 褒めて育てること
を 大 切にしています。 短 所を 長 所に
名 前がわからないとできませんので、 と言 葉で伝えなければなりません。
平 手 はなシスターは、 すごく 身 近 な
は 「 私 、 褒められて 育つタイプなん
星 美で 「 徳の花 」
お祈りをしていましたね。
前に聖 堂に寄って、 友 だちと 一 緒に
利用して仕事をしていく時代です。
いていきますので、そのネットワークを
も社会の中でも、重要なポジションにつ
人と関わってみる。 代は企業の中で
すね。社 内でも社 外でも、いろいろな
ワークを広げたほうがいいと思 うんで
あるでしょうし。その
対 する感 謝の気 持 ちがわいてきまし
か、後になって、その時 受けたものに
年 間はネット
り、家 庭をもったり、出 産というのも
います。 学 校に行ったり、 結 婚 した
た ね。 人 は 一 人では 生 きていけない
星 美の 「 心の教 育 」 が私の人 生の
ども 最 初のころに徹 底 的に教 育され
です」っていう人がいるんですけれど、
をもっておられて、 知りたい、 学びた
す。むしろ出る杭になってほしい。
もっとパワフルでいてほしいなと 思いま
たりするのではなく、 選ばないでいろ
限 られた 人 とだけ遊んだり付 き 合っ
という 言 葉 を
基 盤になっていると感じます。
ます。でも星 美の校 則のほうが厳し
した当 時は、金 融とか商 社が人 気の
いというお声 も 多 くいただいておりま
くい
時 代でしたが、私は事 務 職よりも体
※
─ 現 在 の 仕 事 を 教 え て く だ さい。
自 分で言 わないでほしいなとは思いま
若いう ちにいろいろ 吸 収 して、 蓄
すね
( 笑 )。褒められるまで待たずに、 えていくとよいのではないでしょうか。
10
30
ほ
かったような( 笑 )。サービスについて
これ まで ずっとANA( 全 日 空 )
に勤 務 してまいりました。 私の就 職 は、さまざまな 業 種の方が高い関 心
ねによって、 心の教 育 を 知 らず 知 ら
聞いたそうです。3つ目の学 校が星
りましたが、 結 局は戻ると 言います
かつまた まゆみ
勝股 真弓
東京都北区赤羽台4-2-14
すると 聖 堂に行って、 放 課 後 も 帰る
さん
星美学園中学校・高等学校
【プロフィール】
1953 年生まれ。星美学園小学校・中学
校・高等学校で学ぶ。全日本空輸株式
会社の空港スタッフとして各地で勤務、
現在は東京空港支店顧客サポート部第 1
グループ長。趣味は映画鑑賞、温泉めぐ
り、加圧トレーニング(週 1 回)
。
年 間お世 話になりました。シス
星美学園中学校・高等学校
ら
星美学園小学校
美 学 園 ( 以 下 、 星 美 )で、 私は 「 最
★サレジオ歴★
界のお客さまが弊 社 をご利 用になる
たしております。 皇 室をはじめ政 財
し、VIPのお客さまのお手 伝いをい
は羽 田空 港の顧 客サポート部に所 属
応 な どの 仕 事 です。 昨 年 4 月 から
た。お客さまのご搭 乗 、ご到 着の対
羽 田、 成 田、 関 西 空 港 など、 基
本 的に空 港での仕 事 を 行ってきまし
仕 事を選びました。
と 向 き 合 う 仕 事に興 味があってこの
を 動 かす 仕 事 、 人 間 が 好 きで、 人
ついてきなさい」 ではなくて、きちん
とがあるんですよ。ですから 「 黙って
と振り向 くと誰 もついてきていないこ
を 見て 育って 」 とか言いま すが、ふ
く 先 輩 が 後 輩に対 して 「 私の 背 中
がら関 わっていくという 感じです。よ
た。 教 育 というよりも、 仕 事をしな
ような部 門もあります。
すので、 弊 社から派 遣して指 導 する
─ 若 者 た ち にメッセ ー ジ を 。
と仕 事をするのが、私は好きです。
らうこともありますし、 若い方 たち
ます。 若い方たちからエネルギーをも
ふうに。 教 育とは 「 共 育 」 だと思い
新 入 社 員や 若い方 たちと 緒に、 れたり納 得したりする場 合 もありま
現 場で仕 事をする環 境に長 くいまし す。じゃあそれでやってみようという
─ 若い女 性 が 多い職 場 で す ね 。
代は人 生の中で 番いろいろな
出 来 事が起こる大 切な 年 間だと思
彼らと意 見を戦 わすことで、私が折
います。 ★
する力を身につけることができると思
今の若い人 たちは優 秀ですし、こ いろな 人 たちと 触れ 合 うこと。 そこ
ち らが 教 わることは 多々ありま す。 できっと 人の善し悪しを 知り、 選 択
ときのお手 伝いです。お顔 なり、お
一
10
12
SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2013 No.10
全日本空輸株式会社
2
20
一
に喜んでいただける行いを「徳の花」として祈りと共に献げること。
13
12
「若い方たちと仕事をするのが、
私は好きです。
」
未来につなげる
※聖母祭や無原罪の聖マリアの祭日を迎える心備えとして、神さま
─ 大 阪 星 光 学 院 に 入 学 し た きっ
一 人ひとりの生 徒と真 剣に接してく
も 分かり合えるという以 心 伝 心が目
は医 学 部の学 生になっているように、
標ですが、なかなか難しいので、やは
というような 実 際の人 間 社 会 、いわ
今 、星 光は関 西だけでなく、日本で
れた 先 生 方 と 共に過ごせたというの
─ 現 在 の 仕 事 を 教 え て く だ さい。
ば近 所 付 き 合いというような、 人 と
も有 数の進 学 校になっています。それ
か け は?
元は母が経 営する繊 維 関 係の会 社
にいましたが、 結 婚し長 男が誕 生 す
人との繋がりを知る機 会が次 第に薄
は確かに素 晴らしいことですが、他 方 、
で1万2千 人にもなります。そのう
小学校と通っておりました。その城星
る頃には、いつかはリーダーとして会
れつつあるように感じています。それ
試 験の点 数さえ取れば良いとなりつつ
は、いつまでも本 当に有 難いことです。 り会 話 することが最 も 大 事だと思い
から、同じカトリック系の星 光 学 院へ
社を立ち上げなくてはという強い思い
とあまりにも 情 報が多 すぎて、 何を
ある、社 会や家 庭の風 潮が少し気 懸
ち、1600人 近 くが医 師 、あるい
進学したのは、母が宗教による教育に
がありました。1993年に独 立し
信じ、どう 選べばいいのかが更に難し
ます。最 近では、
「 地 元 」 や 「 祭り」
も相 応に期 待したことと、当 時の大
た後 、幾つかのジャンルの仕 事をしてお
くなっていると 思います。その不 信 、 かりです。
大 阪 星 光 学 院 ( 以 下、 星 光 )に入
学する前は、扶 助 者 聖 母 会 (サレジア
阪の公立では、校 区を跨ぐ越 境 入 学
りますが、今の会 社は、主に電 子 部
不 安 な 時 代を 象 徴 するように、 今 、
けでも、
人は元 気になれます。そして、
うことや、信 頼する人と会 話するだ
期の仲 間たちと年に数 回 会いますが、
活 発に笑 顔で集っています。 私 も 同
会やゴルフ、 忘 年 会や懇 親 会 等々に、
また
ン・シスターズ)の城星学園に、幼稚園・
が社 会 問 題となりつつあったこと、そ
品の受 託 生 産を行っております。これ
デジタルカメラやゲーム機 、それから
その一 人の元 気が、また次の人を元
さすがに年 を 重 ねるごとに、 相 応に
つな
れと、その校 舎のいずれもが自 宅から
人から笑 顔がなくなってきています。
当 時の校 長は都 成 神 父さまでした
が、 多 くの時 間を生 徒 と共に過ごさ
自 動 車や医 療 機 器に使 用される部 品
気にできると思っています。
外 見は変 わってきたな、と互いに思っ
星 光の同 窓 会には、 医 師の会や、
都 市 環 境 部 会 、 若 手 経 営 者の会 等
比較的近くにあったことだと思います。 をEMSといいますが、 皆さんがお持
れていた 印 象があります。 放 課 後の
で、金 属や樹 脂やゴムの材 料をベース
─ 星 光の同 窓 会 会 長 を 務 め てい
てはいます。しかし人としての本 質は
海 外の委 託 先で製 造しています。
でに東 京や海 外にも支 部があります。
ます。 大 阪ではもちろんですが、す
収 入があろうとも全く関 係なく、同
は立 派 な 職 業にいようとも、 多 くの
も変 わっていません。いくら社 会 的に
全く星 光 生 当 時のままで、誰も何に
の部 会があります。それそれが、 総
段の上に立ち、後ろ手を組みながら、 に、プレス、 成 形 、そしてメッキや 塗
部 活の時 間には、グラウンド脇の階
装 等 、さまざまな工程で完 成する部
ます ね。
ほ
優しい眼 差しでクラブ活 動をしている
品を、企 画・設 計の初 期の段 階から
ちになっているスマートフォンやパソコン、 でも、たった 一 言の褒め言 葉 をもら
生 徒 たちを 見ておられる姿が今でも
メーカーさんと打ち合 わせながら、そ
と なり
目に焼きついています。それと学 年を
星 光 学 院の同 窓 会では、ここ数 年
「 集 う 」 ことを大 きなテーマにしてい
特に中 学 生になったばかりの多 感な時
─ 仕 事 や 日 常 で 大 切 に し ている
担 当された 先 生 方 との思い出です。 の試 作 品や 量 産 品の製 作 を 国 内や
期に、どんな先生と出会うかというの
期は、いつまでも同 期です。その屈 託
1期から昨 年 卒 業したばかりの
期
こ と は?
のない集いも至 福の時 間です。
↓
www.osakaseiko.ac.jp
までが在 籍 していますが、あと 数 年
大阪府大阪市天王寺区伶人町 1-6
何 よりも 会 話です。 黙ったままで
は本 当に大 事だと思います。 今も当
時の先 生 方とはよくお会いしますが、
よしだ ひろし
吉田 博史
わか
大阪星光学院中学校・高等学校
【プロフィール】
1956 年生まれ。大阪の城星学園幼稚園・小学校、
大阪星光学院中学校・高等学校で学ぶ。1997 年、
電子部品の受託生産を行う株式会社アルファクトを
設立、代表取締役。大阪星光学院の同窓会長も務め
る。学生時代はグラウンドホッケーの主将を務め、
近年の趣味はゴルフ。
そして行 動できる 人のことです。 も
し社 会のリーダーになった人が「 自 分
いと思います。 星 光 生らしく 「 世の
と思います。
ダーになります。そのリーダーに、最
光 」として先ずは自 身が輝きながら、
ま
も必 要なことは、いつも正しい判 断を
世のため、 人のために社 会に光を 与
年 先の目 標を決めること
聞 くこと、 他にもいろいろあります。 は、ある程 度は必 要だとは思います
すること、そして、速やかに行 動する
え続けてほしいですね。★
年
が、やはり 自 分の目の前に在ること
ことが重 要 」 と 伝えています。リー
分の
生まれもった才 能もあれば、時に人に
を大 事にすることです。いずれ大 人に
あ
憧れて気づくこともあります。それ
ダーとは、 自 分 で 正 しい判 断 をし、
スポーツ、 音 楽や 料 理 、 話 すことや
に大 切で、有 難いことかが判ってくる
りたいことが見えてくるはずです。
大阪星光学院中学校・高等学校
─ 後 輩 た ち 、 若 者 た ち へ の メッ
城星学園幼稚園・小学校
後 輩の星 光 生たちによく言うのは、 は大 衆 、民 衆から抜け出した」 と思
「 君 たちは、あと 数 年で社 会のリー うのであれば、リーダーたる資 格はな
★サレジオ歴★
なっていく過 程で、平 凡な日常がいか
20
セージを。
そして、 本 当に自 分の好きなこと
人 それぞれに必 ず 好 き なことと、 を、 好 きなところで、 好 きな 人 とや
良いところがあると思います。 勉 強や り続けるのが理 想です。 早 くから自
株式会社アルファクト
57
さん
3
を一 生 懸 命にやれば、もっと自 分がや
10
14
SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2013 No.10
15
「リーダーとは、
正しい判断をし、
速やかに行動できる人のこと」
未来につなげる
た。 夕 方、 途 中 まで少 年 たちを見
間には一 人ひとりと接するようにし
かせ、ゆるしの秘 跡を授け、遊び時
カトリックの教えを説き、よい話を聞
めに生きるよう励ましていた。日曜日
労働条件を改善するようにし、まじ
いた。 少 年たちが働く現 場を回って
毎日オラトリオの少年たちのために働
ピナルディの家の物 置 小 屋を借り
たドン・ボスコは、日曜日だけでなく、
君たちのために命を献げる
ナノッテ(お休みなさい)」 で結んでい
寝かせる前に皆に短い話を聞かせ、
「ボ
修 繕をし、庭に野 菜も作り、毎 晩、 わらない立場をとった。「私の政治は、 ドメニコにまさる子はいない」 と。 同
となった。彼 女は食 事、洗 濯、服の
ン・ボスコは遊びを準備し、ミサを行い、 と同じ境遇の子が増え、大きな家族
ごとに通ってくる人数も増え続け、ド
た。これはサレジオ会の伝統となった。
同じ家に住まわせるようにした。次々
中には、
親も住む場所もない子がいて、
マンマ・マルゲリータはドン・ボスコの
第1の協 力 者となった。 少 年たちの
貧しい少年たちの母
に分かれた。ドン・ボスコは青 少 年の
ナリズムに燃え、対 立する政 治 団 体
ドン・ボスコはそういう子を連れてきた。
1848年、トリノを中心にイタリ
マルゲリータはその母 代わりとなって、 ア独立戦争が始まった。市民はナショ
「お母さん」が必要だった。数か月後、
救済に従事するため政治運動には関
組合も始めた。
始め、勤労少年を助けるための共助
に、1849年に第3のオラトリオも
聖母マリアに献げた。そして仲間と共
に素晴らしい子はたくさんいるけれど、
タはドン・ボスコに言っていた。「ここ
されていなかった)。マンマ・マルゲリー
司 祭になるための授 業がまだ 開 講
模範的教え子ドメニコ ・ サヴィオ
送り、疲れ切って家に帰っていた。「私
1851年、ドン・ボスコは事 業を
さらに発 展させるため、 借 用してい
に「 無 原 罪の聖 母の信 心 会 」 を作
*
オラトリオ・サンルイジを設 立。さら
主の祈りの政治である」と言っていた。
月8日、教皇ピオ9世が無原罪
1852年に落 成された聖フランシス
オラトリオの事 業に協 力する、司 祭
会から聖人とされ、若者たちの模範
その伝 記を書いた。1954年、教
1854年1月 日、この聖 堂で
4人の若 者が 「 隣 人のために働くこ
となっている。
の道をめざす若 者たちのための建 物
ドメニコ・サヴィオは1857年、
母はすべてを理 解し、死ぬまで少 年
コ・サレジオ聖 堂である。 同じ年に、 歳の若さで天に召され、ドン・ボスコは
レジオ聖 堂の祭 壇の前で自 分 自 身を
ドメニコ・サヴィオは聖フランシスコ・サ
の聖母の教えを宣言したことを受け、
年
に通っていた( 当 時 オラトリオには
いと 思い、オラトリオから 外の学 校
オラトリオに入った。 神 父になりた
10
たちと共に過ごした。
聖フランシスコ ・ サレジオ聖堂
12
月、
は君たちのために命を献げる」 と言っ
ある日、 遊びに夢 中になった子た
ちがマルゲリータの野 菜 畑を踏み荒ら
たピナルディの家を購 入し、より広い
り、キリスト者として模範的に生き、
12
人が多すぎるので、1847年
ていたが、7月に倒れ、 命までも危
してしまった。がっかりして田舎に帰
聖 堂の建 設に着工した。これが、サ
1854年 月、ドメニコ・サヴィ
オという 歳の少 年がドン・ボスコの
うくなった。少年たちの熱心な祈りの
ろうとするマルゲリータに、息子ヨハネ
友だちをよい道に導く目標を与えた。
母のもとで休むことにした。1846
月、ドン・ボスコは母を連れてオ
オラトリオの事業の発展
だった。ドン・ボスコはピナルディの家を
と」 を約束した。その一人ミケーレ・
も新築した。
全 部 借り上げ、すでに始めていた夜
ルアは、1855年3月
チマッティ資料館館長
年
1854 年 1 月 26 日の出 来 事
15
サレジオ会司祭
オラトリオの少 年たちの大 半は働
いていて学 校に通えず、勉 強が必 要
間学校を本格化した。1年で生徒は
聖堂で個人的にドン・ボスコの前で「清
日、同じ
200人になり、ボランティアたちが
貧、貞潔、従順の誓願」 を立てた。
Gaetano Compri
ラトリオに戻ってきた。その際、ピナ
を記録した手帳
ルディの家の部屋を3室借りて住み始
めた。
ルア神学生(当時)が残した、
12
協 力してくれた。オラトリオに通う
ガエタノ・コンプリ
●
文
25
11
ささ
おかげで命は救 われたが、司 教は絶
は壁にかかった十 字 架を指し示すと、 レジオ修 道 会の発 祥 地 ともいえる、
★ イタリア北部ピエモンテ州 トリノ ★
ドメニコ・サヴィオが聖母マリアに献身した祭壇
ドメニコ・サヴィオが仲間と共に無原罪の聖母の
信心会を作った場面
母マルゲリータとドン・ボスコ。
背景は聖フランシスコ・サレジ
オ聖 堂。犬はドン・ボスコを危
険から守ったグリージョ
対安静を命じた。そのため 月まで
Roma
16
SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2013 No.10
17
サレジオ会発祥の地
トリノ
聖フランシスコ・サレジオ聖堂
26
11
左側が当時、司祭の道をめざす若者のための宿舎だった。
聖フランシスコ・サレジオ聖堂に隣接
* 60 年後、このオラトリオの責任者をチマッティ神父が務めた。
Torino
ドン・ボスコゆかりの地を巡る
聖フランシスコ・サレジオ聖堂の内部
サレジアンの旬 な 一 言
言っときますけど
今 回の
︿ 言っとき ま すけど ﹀人 村
松
…
泰隆
︵サレジオ会 司祭︶
る ん だろ う?」 という 疑 問 が浮 かんで
ます。 そして 「 どう す れば幸せになれ
人に奉 仕 し、 人 を 喜 ばせて 幸 せにす る
ことは、「自分の楽しみや幸せを忘れて
ながら 共 同 生 活 を す る 体 験 から 学 ん だ
「 自 分の命 を生 かそう と努 める者は、
そ れ を 失い、 そ れ を 失 う 者 は、 かえっ
と求めていた幸せを味わえるでしょう。
人を幸せにする時、
自分も幸せになっているんだ。
生 きている以 上、 誰 もが幸 せで あ り
たいと思うもの。 思いっきりスポーツを
き ます。 しかも 不 思 議 なこ とに、 そ ん
て 保つので ある」(ルカによる福 音 書
んな、ひと時の至 福 を 味 わ うこ と も あ
て ゆった り と お 風 呂 に浸 かる 時 …… そ
ドン・ボスコ海外青年ボランティアグ
ループ (DBVG) の活動にたずさわっ
しょう?
は、 一 体 ど う す れ ば幸 せにな れ るので
のいていく思いを味わったりします。 で
れ ば なるほ ど、 求 める 幸 せがさ らに遠
りしぼってみてください。「自分の思い
がちです。 そんな時、ちょっと勇気を振
「 モノ」 を 手 に 入 れ よ う と し て し まい
とになります。ついつい自分が幸せにな
満 たされ ない渇 き ( 不 満 ) を味 わ うこ
の楽しみや喜びを優先し求めていると、
ている」 というこ とで す。 逆に、 自 分
も、なんとなくわかってきませんか?
節)と言われるイエスさまの言葉の意味
お
し た 後 に冷 たいドリンク を 飲 む 時、 美
時、 自 ず と 自 分 も 楽 しみ、 幸 せに なっ
章
な幸 せを求 めて 努 力 し たり、 必 死にな
るでしょう。
て、 青 年 たち と一 緒に、 住み慣 れ た環
を手放そう」
「自分自身を与えよう」と。
い
味 しい食 事 を 味 わ う 時、 仕 事 が 終 わっ
く、 社 会 に お け る 自 分 の 存 在 意 義 を 見
境 を飛び出 し た時のこ とで す。 あ えて
つ
いだ す 喜 びや、 自 分の思いや 考 え が実
海 外へ、 し か も 暑い国 の都 会 か ら 遠 く
心が強く優しくなる
サレジオ会日本管区 編
こ と を 大 切 にし たドン・ボスコ。
ど も た ちの 「 魂 」 を 愛 し 育 て る
勤務。特技はマジック。
間育成」 のありかたにあったのである。
というビジョンの共有と、具体的な 「人
うための解説やヒントが、日本のサレジ
た。 一 つ 一つのこ とば を よ り 深 く 味 わ
時に支えとなる、100のことばを集め
す いこ と ば で 語 り か け る 聖 人 な の だ ろ
オ会司祭たちによって書かれている。 読
組織力をもって目標を成し遂げていく
ための術を、これらの本は余すところな
う!」 ということ。 プレゼントにもおす
2011/2012年 ドン・ボスコ社
歳の時、9人の宣教団
を 率いて サレ ジ オ 会 と し て 初 来
926年
れる師だが、世界大恐慌、戦争、貧困、
けた熱意を学びたい。 (編集部評)
神に信頼し、人びとの求めに応え愛し続
たことがわ かる。 手 元に何 もなくても、
奉仕によって、現在の事業が形づくられ
の会 員 た ちの大 き な 犠 牲 と 惜 し み ない
サレジ オ 会の歴 史 も 詳 し く 紹 介。 当 時
かび 上 がる。 本 書 は、 草 創 期 の日 本 の
働き続け、神にすべてをゆだねた姿が浮
周 囲 の無 理 解 に 耐 え て、 不 屈 の精 神 で
ほ え み、 慈 愛 と 祈 りの人 」 として 知 ら
Book Review
森繁和氏の『 勝ち続ける力 』(ビジネ
ス社)もお勧めしたい。 (佐藤直樹評)
見えてくる。
を育てた手 法 (アニメーション) が、 実
のぼる書 簡などから生 涯をたどる。「ほ
日したチマッティ神 父。 師の約1万 通に
1
本人が書かなかった自叙伝
(上・下)
─激動の昭和史を生きた宣教師─
(編集部評)
スコは な ん と 親 し み や す く、 わ か り や
く プロ野 球 という 具 体 例 をもって 語って
すめの一冊。 オ レが 取 る か ら。 迷 わ ず に 思い切 り 自
とくに落合前監督について感服したの
は、 投 手 起 用 の 権 限 について 「 責 任 は
分の思った通 り にや れ 」 と森ヘッドコー
チにすべて 一 任 していたこと。“ 信 頼 を
置くこと・信頼を置かれること”の意味
成 長 さ せ る ” こ と にこ そ 真 の 強 さ が 生
上479頁/下518頁 各1890円
や、 組 織 にあって “ 自 分で 考 え、 動 き、
まれ 育っていくことに、 改めて思いを馳
ガエタノ・コンプリ編訳
くれている。
チマッティ神父
本 物 のリ ー ダ ー と は? リ ー ダ ー を
勇気づけてほしい時、道しるべが必要な
し、 導いてく れる力 がある。 苦しい時、
そのことばには、寄り添い、人を笑顔に
子
ドン・ボスコのことば100
りたいがゆえに、あれこれ自分の欲しい
現する自己実現の喜びというレベルでの
ど 長 き に 渡 り、 し ぶ と く 強 かっ
サレジオ会司祭。 大分県中津市
んで あ ら ためて 気 づくのは、「 ドン・ボ
2012年 ドン・ボスコ社
205頁 525円
浦田慎二郎 監修
の児童養護施設・聖ヨゼフ寮に
支える参謀の心得とは? 人を 「見て」
「 育て」「 成 長 させる」 視 点はどこに?
「 どのよ う なチー ムをつく り あ げる か 」
それはこの2人の信頼関係を土台にした
なかったというのが本音だ。強さの理由、
たのか? 熱 狂 的 阪 神ファンの私として
は、 こ れ らの本 を 読 ん で 頷 か ざ る を 得
な
で も、 そ ん なひと 時の欲 求 が満 たさ
れたことで味わえる幸せのレベルではな
幸せについて考えると、なかなかその幸
さいはい
ぜ中日ドラゴンズが、憎らしいほ
欲しい「モノ」は手に入らなくても、
きっ
33
離れた所へ行って、現地のニーズに応え
17
せを 実 感で き ない現 実 が立 ち ふさがり
采配
落合博満 2011年 ダイヤモンド社
さんぼう
304頁 1575円 参謀
落合監督を支えた右腕の
「見守る力」
森 繁和 2012年 講談社
222頁 1470円
村松 泰隆 むらまつ やすたか
はこの2人のやってき た部 分 と重 なって
せることができた。 ドン・ボスコが若 者
46
18
SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2013 No.10
19
ほん
ひととき
本の
パレスチナ
ベツレヘムの工芸センター
国際ワークショップ開催
2012年7月、ベツレヘムのサ
レジオ工芸センターは、イタリア・
サルデーニャから3人の工芸職人を
ら、 伝 統 的 なパレスチ ナの手 工 芸
ベツ レヘムの サ レ ジ オ 工 芸 セ ン
タ ー は、2005年 の 創 立 当 初 か
今回 「宣教の十字架」 が渡された
サレ ジ オ 宣 教 派 遣 式 が 行 わ れ た。
ベス総長の司式により、第143回
聖母大聖堂で、パスクアール・チャー
トリノにあるヴァルドッコの扶 助 者
芸センターで 学 ぶ若 者 た ち は、 伝
人、 サレジ
人。 宣 教 師 た ちの出 身 地
ロッパを立ち上げている。
り、サレジオ会はプロジェクト・ヨー
パは 宣 教 地 と 考 え ら れ るよう にな
遣先になっている。 近年、ヨーロッ
も派遣先も多様で、ヨーロッパも派
ティア
アン・シスターズ 人、信徒ボラン
のは、 サレジ オ 会 員
を保 護 するため奮 闘して き た。 工
統 を 生 かし 続 ける た めにも、 創 意
工 夫 と新 たな手 法 を絶 え ず 探 求 し
ている。 工 芸センターは 生 徒 た ち
の中 で も、 難 民の子 弟、 耳の不 自
由 な生 徒、 政 治 的 理 由による元 囚
女 たちに特 別に配 慮 している。 国
共 存 して き たシリアで、 原 理 主 義
こ れ ま で 諸 宗 教 の人 び と が 平 和 に
人、 家 庭 内 暴 力の被 害 者で ある少
際ワークショップは、
生徒たちにとっ
ポのサレジ オ 会 は、 子 ど も た ち の
体 が 避 難 民 を 助 け ている。 アレッ
会 の 伝 統 と なっている。 サレ ジア
れて 以 来、 宣 教 派 遣 式 はサレジオ
である 「宣教の十字架」 が授与さ
ら福 音 宣 教 と教 育の使 命のしるし
的な風潮も広がり始めている。
レクリエーションや勉強の支援を行
の 宣 教 師 た ち に、 ド ン・ボ スコか
い、 避 難 民 を 受 け 入 れ ている。 青
ン・シ ス タ ー ズ も、 そ の2 年 後 に
て、いつもと違う世界へ出かけ、体
1875年 月 日、アルゼンチ
ンのパタゴニアに向けて旅立つ最初
年ボランティアやサレジアニ・コオ
サレジオのNGOのボランティアな
最 初の宣 教 師が派 遣され た。 近 年
れ まで137年 間の宣 教 で、 何 千
は、サレジアニ・コオペラトーリや
り、食糧の寄付を行っている。
人もの修道者と何百人もの信徒が、
ど 信 徒 も 加 わ る よ う になった。 こ
シリアのサレジオ会は、1948
年 に ア レッ ポ に 技 術 訓 練 校 を 開
人を派遣
日、イタリア・
寮─ピエト・デ・ヴィッサー・ハウス」
が行われた。「バンテアイ・スレイ
開設した4つ目のセンターの開校式
の歴史において重要なバンテアイ・
るしであると語った。「カンボジア
開 くこ とは、 大 き な 愛 と 希 望のし
暮らしながら、秘書、ホテル業務、
が国のす ばらしい将 来 を 約 束 す る
き な見 返 りのある投 資で あ り、 わ
うに。 女 性 を教 育 するこ とは、 大
い 女 性 た ち の真 の “ 砦 ” で あ る よ
スレイの名を取ったこの学校が、若
人 の生 徒 が 寮 で
洋裁、英語、コンピューターを学ぶ。
ものです。」 学校は2013年3月
事 業 を 支 援 している 「 カンボ ジア
な く 生 涯 を 献 げ よ う と す る ラエル
目途にプロジェクトに着手。 各家の
屋 を 再 建 す る た め、 最 長8か月 を
け ら れ た 同 校 は、 カンボ ジア 南 部
エト・デ・ヴィッサー氏の名 前 も 付
基 金 」 の創 設 者、 オ ランダ人のピ
シオ 神 父 をはじ め、 今 回 派 遣 さ れ
ケ プ 県 の 国 立 公 園 の 中 に 建ってい
ペルー
愛の奉仕、健康キャンペーン
政 官のほ か、 サレジ オ 会 か らは 恩
ペルー・ピスコにあるエス・サリュ
ド 病 院 で、 サレジ オ 会の推 進 す る
家 具、 製 粉の設 備、 家 庭 にひかれ
レの 職 業 訓 練 校 が 提 供 し、 ド ン・
人のピエト・デ・ヴィッサー 氏、 基
る。 式 典には、 県 知 事、 管 轄の行
人と教
金のカンボジア 代 表 ジョン・ヴィッ
ダス神父らが列席。
レ ジ オ 会 が 長 年 に わ たって 貧 しい
けた。 キャンペーンは、ペルーのサ
ボスコ・センターの卒業生
師 た ち も、 最 も 暑い夏の間、 期 限
人が
健康キャンペーン期間中の2012
は大きな感謝が寄せられた。
県 知 事 のケンサタ 氏 は あいさつ
の中で、 年余り前までクメール・
提 供 する もの。 当 初は単 独の取 り
日にか けて、
年
ラホーレの院長ミゲル・ルイス神
父は、「貧しいイスラム教徒の人び
ルージュの恐怖政治に支配されたこ
組みだったが、2005年以来、外
~
サー神父、新しいドン・ボスコ技術
腹部腫瘍やヘルニアなどの手術を受
が、8か月に及ぶ不休の作業によっ
とと共に働き、ドン・ボスコの名に
の美しい地にドン・ボスコが学校を
カンボジアのバンテアイ・スレイ寮
サリュド 病 院 が 参 加。 治 療 を 受 け
ルー)、リマ・ドン・ボスコ基金、エス・
( フランス)、 国 境 な き 医 師 団 (ペ
コのキャンペーンには、ユリス協 会
震の被 害に今 も 苦 し む地 方。 ピス
ているピスコは、2007年の大地
きた。現在、
健康キャンペーンを行っ
方、クスコの山間部などでも行って
行っている。 これまで、アマゾン地
部の医 療 専 門 家 や団 体 と協 力 して
人 びとのた めに手 術 な どの医 療 を
て、 再 び 村 人 の 住 める 場 所 と なっ
よってパキスタンの地に希望と平和
大いに満足している」 と語った。
被 害 に苦 し む 人 びと を 支 援 す る た
め、スイスのサレジオ宣教事務局は
“女性の砦”
共 に働 くパート ナー た ちの連 携 を
図り、パキスタンで働くチームを立
バンテアイ・スレイ寮を開設
イエズス会、民間グループ、サレジ
オ会の 「ドン・ボスコ・ラホーレ」。
2012年 月7日、カンボジア
で サレジ オ 会 が女 子 教 育のた めに
ち上げた。参加したのは、
教皇大使、
カンボジア
2012年3月初旬、なおも洪水の
を も たらし たこのプロジェクトに、
月
に間に合 う よう 懸 命に働いた。 地
訓 練センターの所 長アルベイロ・ロ
る電気系統は、ドン・ボスコ・ラホー
に正式に開校する。
年以上前からドン・ボスコの教育
地 域 から 来 た 約
う 意 味の歴 史 的 寺 院の名 )は、 貧 しい
(バンテアイ・スレイは “ 女 性の砦 ” とい
2012年9月
宣教派遣式で
イタリア
センターが再開された。
1980年からオラトリオやユース
設、 学 校 は 一 時 国 有 化 さ れ た が、
ど も たち を励 まし、 本 を配 布 し た
そのよ う な 中、 シ リアのキ リ ス
ト者 や 修 道 会、 さ まざ まな活 動 団
シリア各 地で 政 府 と反 政 府 勢 力
の武 力 衝 突 が続いている。 混 乱 に
45
ペラトーリたちが避難所を回って子
験する機会となった。
シリア
子どもたちの日常を
迎 え た。 3人 は、 工 芸 センタ ーの
パレスチ ナ 人 工 芸 職 人 た ち と 共 に
取り戻すために
と し て、8月 には、 工 芸 センタ ー
ワークショップを行った。 この一 環
タ リアへ派 遣 さ れ た。 研 修 生 た ち
乗 じて、 車の盗 難 や 身 代 金 目 当て
から3人のパレスチナ人研修生がイ
はイスラエルの検 問 を初 めて 越え、
の誘 拐 など犯 罪 も 起 きて おり、 対
立 を あ お る 外 国 の 影 響 も み ら れ、
イタリア・サルデーニャ島の手工芸
産業の現場を訪問した。
130以上の国々に、ドン・ボスコ
の精神をもってイエス・キリストの
福音を運んでいる。
今 回 十 字 架 を 受 け た サレジ オ
会 員 の 中 に、 ブ ラ ジ ル 出 身 で、
2013年2月に日本へ派遣される
予定のラエルシオ・バルボサ神父が
いる。 2012年9月、チャーベス
周 年 を 祝った が、 こ
総 長 来 日の際 にモスカ 神 父の宣 教
師 としての
15
11
元の人びと、 軍、 行 政 関 係 者 から
る 宣 教 師 た ちのた め、 主の恵 み と
聖母の執りなしを祈りたい。
ラエルシオ・バルボサ神父(左)
とサレジ
オ会宣教顧問のクレメンテ神父
90
パキスタン
3つの村の再建、希望がもどる
11
27
れ から 福 音 を 伝 える た めに惜 しみ
シリア・アレッポの青年たち
ジェクトに、サレジオ会も関わった。
2010年の大 洪 水 で 壊 滅 的 被
害を受けた南パキスタンの3つの村
11
15
30
た。 地 元 が 中 心 と なった こ の プロ
10
World Salesian Family NEWS
チームは、3つの村の150の家
11
20
20
SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2013 No.10
21
30
ベツレヘム・サレジオ工芸センターの生徒の作品
村の再建を喜ぶパキスタンの人びととプロジェクトメンバー
71
70
世界の
サレジオ家族
ニュース
75
20
SFN
World Salesian Family NEWS
World Salesian Family NEWS
た人は、「皆さんのおかげで生まれ
変 わった よ う な 気 がし ま す。 こ れ
からは生 活 も楽しめそうで す 」 と
喜んだ。
スペイン・フランス
ドン・ボスコ聖遺物巡礼
2015年の生誕200周年に向
けて世界各地を巡っているドン・ボ
スコの聖遺物は、アフリカ・マダガ
月 ~ 日
スカルを訪 れ た後、 再びヨーロッパ
に入った。 2012年
で、 典 礼 行 事、 民 族 的 伝 統 の 歌 や
踊 り、 芸 術 的 祝 祭に、 予 想 をはる
かに 超 え る 数 の人 び と が 集い、 自
治 体の協 力 を 得 ながら、 サレジ オ
家 族 だ け で な く 教 会 を あ げ て の大
歓迎となった。
続いて 月 日~ 月 日はバ
ルセロナ管区を訪れ、ミサ、行列、
様 に イ ンタ ー ネット を 通 し て 祈 り
を広める取り組みを進めている。
エクアドル
シスター・マリア・トロンカッティ
列福式
ボスコが100年 以 上 前にバルセロ
コーナー、シンプルなサレジオのス
掲 載 さ れ ている が、 祈 りへと 導 く
ムペー ジ に は、 役 立つ情 報 が 多 数
ルセロナでは、1000人を超える
ナを訪 れ た際、 有 名 な記 念 撮 影 を
を作ってほしいとの利用者の要望に
タ イルの祈 り を 紹 介 す るコー ナー
とを思い起こした。 最終日、ドン・
若 者がドン・ボスコのもとに集 まっ
オ家族と若者たちはドン・ボスコに
し たマルティ・コドラルで、 サレジ
れ、喜びと熱意の祝祭となった。 バ
%を 超 え る
れ 疎 外 さ れ た若 者に目 を向 けたこ
若 者 を 信 じ、 特 に弱い立 場 に置 か
メンディ管 区 長は、ドン・ボスコが
コの時代を対比させながら、アスル
さ れ、サレジ オの精 神 を 目 に見 え
ダ ンス、 礼 拝 と あ か し の 夕べ、 ド
教会でスポーツや文化活動、合唱、
ルセイユ、リヨンなどでは、学校や
行 程の一部をたどった。ニース、マ
南から北へと旅をしたが、今回その
1883年にフランスを訪 れ た際、
翌 日、 ド ン・ボ スコは フ ラ ン
ス 巡 礼 を 開 始。 ド ン・ ボ ス コ は
別れを告げた。
立 場 を越 えて、 幅 広 く 祈 りの 「ス
ら もアクセスで き る 予 定。 世 代 や
近日中にアプリケーションとして
も ダ ウンロード し て、 携 帯 端 末 か
会を生み出すことをめざす。
も、 イエス・キ リ スト と 出 会 う 機
るインターネットの世界) において
ジタル大陸」(世界中の人が利用す
宣教が呼びかけられている今、「デ
2013年) にあたって新しい福音
応 え た も の。 信 仰 年 (2012~
現在のスペインの状況とドン・ボス
た。 若 者の失 業 率 が
40
ン・ボスコの生涯の紹介などが企画
スペインで
コとの意 味 深い絆 を 深 めた。 各 地
る形で表現し、人びとはドン・ボス
動 画 や 美 しい写 真 が、 祈 りに入 り
戸 をし め、 隠 れ た ところで 父に祈
ペース」を提供する。「部屋に入り、
やすい雰 囲 気 を作 り 出 す。 利 用 者
ろう 」 という 招 きがあ り、 文 章 と
む数多くの若者や大人があずかり、
保 存で きる機 能 もあ り、 次 回 も表
が 自 分 の祈 り や 意 向 を 書 き 込 ん で
ボスコとの特 別 な 出 会いを 待 ち 望
を過ごした。
示 さ れ た り、 他 のユー ザー と 分 か
ち合うオプションもある。
世 界 各 地のサレジオ 会で も、 同
人を訪ねたことを語った。 そして、
与 え、 病の人 をいや し、 困 窮 す る
に身 を 献 げ、 飢 え た 人 に食べ物 を
架 け 橋 と なったこ と、 慈 愛 の活 動
の家 庭 が 生 ま れ た。 1969年8
療 活 動 を 行い、 多 くのキリスト 者
シュアルの人びとに福音を伝え、医
年にエクアドルに派遣され、密林で
くために大いに役立った。 1922
も立ち会い、人材の研修も行った。
ター・イテム氏はプラントの設営に
を 行ったスイス人エンジニア、ワル
センターに贈 ら れ た。 設 計 と 建 設
ルド・バックマン基 金 からの寄 付で
イオ燃料の生産・販売は、ヴィラ・
現 在、 ヴィラ・ドン・ボスコでは
600 人 の 若 者 が 学 ん でいる。 バ
この列 福によってサレジアン・シス
日、 飛 行 機 事 故 によりスクア
で亡くなった。
ドン・ボスコとカリのドン・ボスコ
コロンビア・サンタンデルにある
ヴィラ・ドン・ボスコで、 生 産 プラ
バイオ燃料を製造、スイスに出荷
ン氏 は 「 こ れ まで た だ 捨 て ら れ て
ド ン・ボ スコ・セ ン タ ー の 卒 業
生、ディエゴ・フェルナンド・モゴロ
のほ か、 地 域の農 民の雇 用 に貢 献
養成センターの約3000人の教育
カッティは信仰と希望によって支え
ントの開所から半年たった2012
コロンビア
た。 希 望 を もって 未 来 に目 を 向 け
そ して 環 境 を 守 る た めに私 た ち が
することになる。
ルのマカスで行われた。
るように、 私 た ちの持 ち 場 や 使 命
年
貢 献で きるこ とは、 大 き な誇 りで
ら れ、 キリストの愛 を 証 し し まし
て 執 り 行 わ れ た列 福 式には何 千 人
イ オ 固 体 燃 料 がスイスに出 荷 さ れ
す」 と語る。 バイオ燃料の利点は、
れるバイ オ 固 体 燃 料 は小 さ な容 器
通 常の木 材 を燃 やす 方 法 より も 灰
加 物 を 加 え ない た め 毒 性 が な く、
100%天 然の製 品 で 保 存 料 や 添
いた松の樹皮を再利用できること、
を 棄 て る 誘 惑 に負 け ないよう に勇
た。 松やユーカリの樹皮、コーヒー
に詰められ、暖炉や台所のレンジ、
は少 な く、 効 率 よく 高い熱 を 生み
日、 最 初 の数 百 トンのバ
も の 人 び と が 集 ま り、 喜 び あ ふ れ
気づけてくれます。」
の葉 な ど 森 林 の余 剰 資 源 か ら 作 ら
生まれ。 サレジアン・シスターズに
暖 房 の ほ か、 さ ま ざ ま な 産 業 で、
月
る祝祭となった。 サレジアン・シス
シ ス タ ー・ ト ロ ン カ ッ テ ィ は
1883 年2 月 日、 北 イ タ リア
オ 会、 サレジオ 青 少 年 運 動の若 者
入 会 後、 第1次 大 戦 中に軍 病 院で
燃料として用いられる。
をはじめ、ラテンアメリカのサレジ
ターズのイヴォンヌ・ランゴア総長
たち、信徒、サレジオ家族各グルー
赤 十 字の看 護 師 として 働いた経 験
る。 機械類はサレジオのNGO青年
り 寄 せた 機 械の稼 動 を 任 さ れ てい
木 材の裁 断 と 乾 燥、スイスから 取
から原材料を集めている。 彼らは、
り、森林農園や近隣のコーヒー農家
ターの5人の若い卒業生が中心とな
トルの土 地 で、ドン・ボスコ・セン
ニョ神 父は言 う。1400平 方メー
センターの所 長へルマン・ロンドー
出すことができる。
が、 後 にアマゾンの熱 帯 雨 林 で 働
のインターネットでも中継された。
シスター・トロンカッティが福 者
に宣 言 さ れ る と、 姪 にあ たるラン
「このプロジェクトは夢 が現 実に
なったもの」 と、ドン・ボスコ養 成
プ の 代 表 の 姿 も あった。 式 典 は、
20
世界援助との協力のうちに、レオポ
ヴィラ・
ドン・ボスコのバイオ燃料生産プラント
ゴア総長が新福者の肖像画を除幕、
シスター・トロンカッティの取 り 次
ぎによって 病 を 癒 さ れ たホセファ・
ソロルザーノ・ピカさんが聖遺物を
祭 壇に奉 納。 典 礼 上の記 念 日は8
月 日と定められた。
列聖省長官は、シスター・トロン
カッティが自らを与え尽くし、相対
立する開拓者とシュアルの人びとの
シスター・マリア・
トロンカッティの列福式
ラジオ、テレビ、管区ホームページ
16
12
教皇庁列聖省長官アンジェロ・ア
マート枢機鄕 (サレジオ会) によっ
ランゴア総長は感謝を述べ、次の
ように話した。「シスター・トロン
とを願った。
き 続 き 献 身 するよう 強 められるこ
も 小 さ く 貧 しい人 びとのた め、 引
月
がで き る。 サレジ オ 会 本 部のホー
) のコー ナ ー が 開 設
e-devotion
さ れ た。 現 在5か国 語で 読 むこ と
(
( http://www.sdb.org
) に、 祈
りへといざ な う 「eデボーション」
サ レ ジ オ 会 本 部 ホ ー ムペー ジ
「eデボーション」 開設
祈りへ導くサイト
ローマ
ドン・ボスコの傍らで深い祈りの時
で行われたミサや祈りには、ドン・
12
タ ー ズが、 若 者 の教 育 のた め、 最
フランスで
ペルーの健康キャンペーンに協力した医療スタッフたち
31
はスペイン・バレンシア管区の各地
13
11
ロンカッティの列 福 式 が、エクアド
「eデボーション」のホームページより
10
11
終 夜 礼 拝、 若 者の集いな どが行 わ
10
2012年 月 日、サレジアン・
シスターズのシスター・マリア・ト
24
25
31
11
22
SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2013 No.10
23
25
時を超えて紡ぐ
ショートストーリー
絵・おむらまりこ
自分ごときを、だ、抱きしめてくれまし
私が動けずにいると、ヨウコさんはや
がて、静かに、右の道へと進んで行きま
文・ノゾエ征爾
「皆さん、いけません。」
た! それは短い時間でした! しかし
永遠でした! こんな自分を強いから好
次郎くんなら、どっち行く?』
次郎 歳はおもむろに言いました。
「ヨウコさんを責めてはいけません。い
した。私はついていきました…。ヨウコ
かなる人も、ヨウコさんを傷つけてはい
きだと言ってくれました! ヨウコさん
紹介した母です…。寿司職人しか生きる
のツテを探して、この寿司屋・吉べえを
あれは、自分の母がたった一人で郷里
で息を引き取った日の事です。知り合い
応であると考えていました。
対しても、遠巻きに眺めているのが分相
は何もない人間ですから、ヨウコさんに
「…自分という人間は、体の大きさ以外
質問の意味が分からず、私は尋ねまし
た。
次郎くんならどっち行く?』
『右は何かがある道。左は何もない道。
とある別れ道で立ち止まりました。
さんは、そんな自分を散歩に連れ出し、
り。辞めようと考えていました。ヨウコ
追い越され、ご迷惑をおかけするばか
…。不器用でしかない自分は、後輩にも
お 店 の 皆 は 、 呆然 と 次 郎 を 見 て い ま す 。
「ある日、自分は、挫折しておりました
『辛い時は、その辛さを抱きしめなさい
が電話をくださいました。
て、申し訳なくて、悔しくて…。翌日、
分は、期待を裏切り、大失敗。情けなく
には感謝の言葉もありません。しかし自
熟な自分に、挑戦の場をくださった大将
てくださった時のことです。まだまだ未
「大将が、私に重要な会席の主任を任せ
大将が話しかけようとすると、次郎く
んは遮って、さらに続けました。
にはいません。」
さんがいなければ、私は今こうしてここ
けません。」
は! 神様がつかわした天使だと思いま
す!」
道はないと、芸人を目指していた息子の
『み、右には何があるのでしょう?』
な。それが「辛抱」と言うものよ。そし
無断でお店を休んだ自分に、ヨウコさん
「あの、次郎くん、私ら別にヨウコを」
夢を遮断した強引なる母親です…! 今
日からあんたの親は大将さんであり、女
『そんなの分からないわ。何かがある、
て、一歩だけ、一歩だけ頑張ればいいの。
ぼうぜん
将さんだと突き放した母親です!」
としか分からない。いい事かもしれない
辛いに一本足せば「幸」。一歩だけ頑張っ
次郎は涙を流して訴えます。
し、よくない事かもしれない。』
て、またお店に来てちょうだいね。』
『はあ…。左には?』
「耳が切れるような寒い日でした! 自
↓
女をもらってくださるんだ
もの」
よ。こんな
「結婚するの。親に決められた結婚で
「はい…おめでとうございます。ヨウコ
「ど、どうしたんですか?」
次郎はしばらく言葉が出ません。
「…その道は、ヨウコさんにとって、右
次郎はまた泣きました。その涙は、祝
福の涙だったのか、はたまた、ちょっと
目黒星美学園小学校 図工科教諭。武蔵野美術大
学大学院修了。絵本に『はいいろのこひつじ』『たい
せつなおくりもの』『ヨハネ・ボスコのたいせつなゆめ』。
イラストに『森本千絵うたう作品集』。
の道ですか、左の道ですか?」
おむらまりこ
サレジオ学院中学校・高等学校卒業。脚本家、
演出家、
俳優。大学在学中より劇団「はえぎわ」を主宰。2012
年『◯◯トアル風景』で岸田國士戯曲賞受賞。舞台、
映画、テレビ、ラジオ等で活躍中。www.haegiwa.net
「私ね、別に、皆に責められていたわけ
ノゾエ征爾
別の涙だったか。
さん、おめでとうございます…!」
ね、遠くに行かなきゃならないの。」
「な、なんでですか…?」
へいたん
『なーんにもない。いい事も悪い事も何
分は東京で母の訃報を聞きました! 隅
田川の河原にて、自分は不覚にも涙をこ
ぼしました! するとヨウコさんは、
次郎は、その場で泣き続けました。
帰り路、寒風に吹かれて、二人は歩き
ます。ヨウコがふと笑いました。
!!
「もちろん、右の道よ。結婚と言って
※理髪店で働いていた少年に初めてのひげ剃りを頼んだ時のことば
じゃないのよ?」
ドン・ボスコの言葉 〜完訳ドン・ボスコ伝 P.218~
も、それこそ何があるか分からないも
さあ、がんばれ!
「え?」
それなら私から始めるのがいい。
そうして二人は、別れ道で、それぞれ
の道へと歩いていったのでありました。
いつまでたってもできないままだろう?
の。でも相手の方は、とってもいい人
始めないことには、
「私、お店を辞めなきゃならないの…」
「ふふふ」
40
もない、平坦な道よ。安全な道よ。
ヨ、ヨ、ヨウコさんは! 神様がつか
わした天使であります 」
ヨウコという女性が、大勢に囲まれ
て、涙を流して謝っています。
35
せい じ
24
SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2013 No.10
25
二本の道
Vol.4
大阪府大阪市
がよく遊びに来る学 校 」 としての星 光の
大阪星光学院中学校・高等学校
合宿、中1で飯縄山 (1,917m)
、中2
015m)への登 山に全 員でチャレンジするこ
後 輩の面 倒をよくみてくれます。そんな
スキー、勉 強 合 宿にヘルパーとして参 加し、
する神 父の朝 晩の話、ミサと祈りの時 間
での成 長を目 指すことができます。 参 加
校内には 「トマス小崎研修館」 があり、
中学1年 生は入学と同 時に、7組に別れ
頭と体を動かし、心を育む
本校は「進学校」と言われていますが、
でも生 徒たちは 「 頭を動かすより、体を
合宿が多く、学 年の6~7割の生 徒が参
んだりできます。高校は自由参加の勉強
強合宿があり、友だちの勉強の仕方を学
す。ほかにも、指名参加・自由参加の勉
も知れません。
グラウンドで 「思いやり」 を学んでいるのか
のだと感心します。ひょっとしたらそんな
から高3まで遊んで、よく怪我をしないも
人を超える生 徒たちで埋まります。中1
終 戦 後まもない1950年、マルジャリ
ア神 父が 「日本の復 興は“ 教 育 ” から」
と、まだ焼け野原が残っているこの天王寺
の地に、大阪星光学院中学校を開校しま
した。以来、今春卒業の 期生を含めて、
1万1千人を超える卒業生を社会に送り
出してきました。彼らは在 学6年 間、校
訓の 「世の光であれ 」 を胸に刻み込み、
教 職 員、保 護 者、仲 間たちと共 通の目
標としてチャレンジし、社 会に出た今、全
国で“ 光 ” となって輝いています。 燈 台、
電灯、ローソク、星の光と、それぞれの場
で“希望の光” となっています。
「朝の放送」 で始まる一日
大阪星光学院は 「ドン・ボスコのミッショ
ンスクール」であることを大切にしています。
朝 礼は、試 験 期 間を除いて毎日、神 父に
ま
よる 「朝の放送」 で始まります。朝の新
鮮な心に「 良き種 」 を蒔いているのです。
全学年を通しての 「倫理の授業」 で、聖
書の教え、良心に基づく人の道などを一
緒に考えています。
苦楽を共にする合宿の豊かな経験
教育目標として、私学ならどの学校も
「 知・徳・体 」 育を挙げますが、本 校も
それを文字どおり実践しています。それは、
例えば1968年に建 設した 「 長 野 黒 姫
山荘」 を使い、特に一番成長する中学生
を対象として、中1・中2は2度のスキー
www.osakaseiko.ac.jp
で火打山 (2,462m)
、中3で立山 (3, 特徴を作っています。OBは休み中の登山、
とです。
合 宿での指 導は先 生 たちがするので、 姿を見て、後輩たちも 「自分もOBとし
身体的な訓練だけでなく、生活を通して て来るぞ!」 と決めているようです。
もあり、身体だけでなく、心の成長にも大
て1週 間の合 宿を体 験し、そこから通 学
2年 連 続してサメ騒 動があり、中 止しま
動かす」のが好きなようです。昼休みには
加しています。
ドン・ボスコの学校として 「笑顔と挨拶」
に満ちた大阪星光学院です。
長野黒姫山荘
昼休みのグラウンドは生徒の歓声が響きわたる
人間関係や挨拶、助け合いなど、多方面
いに役立っています。
の体験が終了すると、心でも 「星光学院
します。合 宿の精 神を学んだ彼らは、そ
1973年に建設した海辺の 「和歌山
南部学舎」でも、ドン・ボスコの 「アシステ
ンツァ( 共にいる)」 教 育を行っています。 の生徒」 となります。
した。中学生は学年毎に学期に1週間「南
グラウンドが 個のサッカーボールと100
昔は 「 水 泳 教 室 」 も 行っていましたが、
部ならではの海を活かした授業」を行いま
この苦 楽を共にする合 宿を経 験するこ
とで、先生とも、クラスの人たちとも、す
大阪府大阪市天王寺区伶人町 1-6
授業の様子
(文・写真/大阪星光学院中学校・高等学校提供)
57
大阪星光学院中学校・高等学校
!!
ぐに友だちになります。これが 「OBたち
10
授業の様子
和歌山南部学舎
耐寒登山
和歌山南部学舎の海での授業
弓道場
!!
世の光であれ
Salesian Family Visit
26
SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2013 No.10
27
!
o
a
Ci
Salesian Family Visit
!
オ
チャ
サレジオ家族探訪
日本各地のドン・ボスコの仲間を紹介します
ドン・ボスコのように生きた人たち
とを去った。2012 年 6 月、末期がんと告げられると、力を振り絞り、
「や
り残したことがある、
闘う」と宣言。手術を経て 1 か月あまりの闘病の後、
穏やかに息をひきとった。
7月5日に80 歳の誕生日を迎えたばかりだった。
下井草教会で行われた通夜と葬儀には、多くの人びとと教え子たちが参
列し、ヘンドリックス神父との別れを惜しんだ。
交通手段に限りがある中での支援活
● 惜しみなく自分を与える
司祭になりたい
フランス・ヘンドリックス神父は1932年7月
5日、ベルギーで5人 兄 弟の長 男として生まれ、
信仰深い家庭で育った。 歳でゲント市のサレジ
オ学校に入学、高校を卒業してサレジオ会志願
者とな り、1952年に初 誓 願を立てた。芸 術
月、宣教師
的才能に恵まれ、グラフィック専門学校を卒業、
終生誓願を立てた後、1958年
1961年 月 日、チマッティ神父が神学院
長の時、下井草教会で司祭に叙階された。叙階
たことを、両親は心から喜んだという。
として日本に派遣された。家庭から宣教師が出
12
前の評価に、チマッティ神父は記している。
「ヘン
ドリックス神学生は、繊細、寛大、勤勉、何事
にも 一所 懸 命に取 り 組 む。知 的 才 能があ り ま
す。実践的能力に恵まれ、使徒職に役立つでしょ
う。修道生活に励み、司祭職の準備に全力で取
り組んでいます。
」
ヘンドリックス助 祭は、司 祭 職 願 書に書いてい
る。
「チマッティ院長様、主の与えようとする司
祭職の恵みに、自分がふさわしくないことを重々
承知していま す。しかし同時に、私は今、司祭
職の恵みを 喜んで受けよ うと決 意していま す。
……だれが主の恵みと愛を完全に理解すること
す。主に惜しみなく明け渡す人にな りたいので
ができ るでしょうか。私は すべてを 主に任せま
す。惜しみなく自分を与える司祭になりたいの
です。
」
● 人間力のあるエンジニア、
デザイナーを育てる
年 間、校 長 を 務めた。人 間 味 あふれる 人
( 現サレジオ高 専 )で働きはじめ、1975年よ
り
柄で教職員や学生と接し、専門分野では持てる
能 力と感 性 を 伝 え、多くのエンジニア、デザイ
ナーを 育てた。ヘンドリックス神父の存在は、人
間として、専 門 家として、す ばらしい手 本だっ
月、瑞 宝 中 綬 章を 受けている。高
た。その文化・芸術・教育における功績により、
2006年
専 退 職 後はSITECでの生 涯 教 育 活 動に取 り
組んだ。
宣教師として、形にとらわれない、熱意あふ
れる信仰を 物語るエピソードがある。あるとき
学生に尋ねられた。
「先生は神父なんですか?」
この教室が私の教 会、君たちと神 様と一緒にい
「そうです。
」
「教会はどこですか?」
「ここです。
るところです。
」
大震災の年のクリスマス、ヘンドリックス神父が
カードにしたためた 祈 りに、彼の心がよく表れ
ている。
「一番の願いは、あなたの肩に置いた私
の手 を 感じてほしい。途 方に暮れた 時、私がい
愛で包むため、お互いの友愛を分かち合うため
ることを 覚えていてほしい。あ なたを 励まし友
に。
」
(文/サレジオ会)
ヘンドリックス神父様、ありがとう! あなた
の大き な 愛は、私たちの人 生の歩みの光となっ
てくれるでしょう! く深い悲しみに沈む人、また少し希
サレジアン・シスターズ
●
ベーススタッフと協 力しながら、地 域
寄りそって生きる
被 災 地では、時が経 過していく中
で、一人ひとりが抱えている苦しみに
変化が生まれています。癒えることな
かなければいけないと思います。
に生きていくか、そのことを考えてい
のように被 災 地で生きる人びとと共
じます。それぞれに置かれた場で、ど
たち一 人ひとりの課 題でもあると感
い、寄り添って生きていくことは、私
この被 災 地の人びとと真 剣に向き合
災から2年が経とうとしていますが、
しの立たない人もいます。まもなく震
て直しができ始めた人もいれば、見通
人……さまざまです。生活状況も立
かけている人、自らの命を絶っていく
ている人、希望を見いだせず光を失い
震 災から半 年が経った頃から、カ 望の光が差しこんできた人、人の温
リタスジャパンのベース建設が開始され、 もりを感じながら新たな力をいただい
喜んでくださいました。
文・写真
管区サポートセンターの取り組みについて紹介します。
サレジアン・シスターズが、岩手県大船渡市で活動を続けている
ヘンドリックス神父は1962年よ り 育 英 高 専
しかし、現地のあまりの被害の大きさ
に、私たちも悲しみと苦しさを覚え
ながらも、長 期にわたる支 援の必 要
性を痛感し、2011年8月、会独
分でも一緒に活動しています。
出すこと、また物 心 両 面のケアの部
に支 援が行き届いていない人々を探し
スのボランティア活動に協力しつつ、特
などを行ってきました。現在は、ベー
自のサポートセンターを開設しました。 の被 災 関 連 情 報の収 集、物 資 支 援
サポートセンターの活動内容
震災直後は、緊急事態であること
から、必要な物資を現地と連絡を取
り合って、東 京から車で運び直 接 届
けていました。 次 第に宅 急 便が使え
11
12
るようになると、
物を現地に送り込み、 被災地の人びとに
レンタカーで直接届けるなどして、確
援してくださる方々の気 持ちを伝え
始しました。 津 波で線 路も流され、 実に必要な方に物資を届け、また支
できればと、手 探りの中で活 動を開
された方々に必要な物を届けることが
た会員もおり、少しでも早く、被災
をお預かりしました。 故 郷が被 災し
国からいち早く支 援のための寄 付 金
の人びとの姿に心を打たれたと、外
映 像にショックを受けながらも、日本
言葉を失うほどの巨大地震や津波の
多くの支援が次々と寄せられました。
管 区をはじめ国 内の姉 妹 校などから
サレジアン・シスターズ日本 管 区に
は、 震 災 発 生 直 後から世 界 各 国の
寄せられた支援を届けるために
サレジアン・シスターズ管区サポートセンター
被災地支援の報告
ありがとう!ヘンドリックス神父
惜しみなく
自分を与えた司祭
動は、さまざまな困難も伴いました。 ました。たくさんの方が涙を流して
サレジオ会司祭。1932 年ベルギー
生まれ。1958 年来日。1961 年司祭
叙階。育英高専(現サレジオ高専)
で長 年 教え、1975 年から27 年 間
校長を務めた。2006 年瑞宝中綬章
を受章。2012 年 8 月 80 歳で帰天。
被災された方々が製作したキーホルダーを販売 (2012 年 10 月)
28
ご協力いただける方は、ご連絡ください。
〒 115-0053 東京都北区赤羽台 4-2-14 サレジアン・シスターズ管区サポートセンター TEL 03-3906-0050
SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2013 No.10
29
フランス・ヘンドリックス
20
27
カリタスジャパン大船渡ベースと協働
2012 年 8 月 10 日、宣教師フランス・ヘンドリックス神父が私たちのも
被災された方々に物資を配布 (2011 年 5 月)
(Frans Hendrickx sdb)
12
サレジアン・シスターズ総長が被災地を視察 (2012 年 5 月)
Salesian Life Storyサレジアン小伝
活動報告
News
として、ドン・ボスコにより創立。 現在、
ソロモン諸島に青年ボランティアを派遣
支 部、143人の会 員 が活 動 している。
サレジアニ・コオペラトーリの入会式。チャーベス総長と
からはアキレ・ロロピアナ神父、コーディ
250人を超える参加者が集まり、日本
世 界 会 議 が 開 催 さ れ た。 世 界 各 地 か ら
マで サレジアニ・コオペラ トー リ 第4回
祭の共同司式により行われ、2人のシス
の終生誓願式が幸田和生司教と 人の司
2012年 月8日、 無 原 罪の聖マリ
アの祭日に、 イエスのカリタス修 道 女 会
2人が終生誓願
イエスのカリタス修道女会
ター が神 に生 涯 を 捧 げるこ と を 誓った。
ネーターの丸山和美氏と佐藤栄利子氏が
終生誓願を立てたのは、福岡県新田原出
出 席。 規 約の改 正、チャーベス総 長によ
る新 しい世 界コーディネーターの任 命の
身の谷口暢子シスターと、長崎県紐差出
のぶ こ
とミサのうちに、神と互いとの一致を深
ほか、さまざまな講話と意見交換、祈り
喜びもひとしおだった。 修道会の姉妹た
身の岩崎由美子シスター。 カリタス会で
ちはもちろんのこと、自分たちを大切に
は2年 ぶり に行 わ れ る 誓 願 式 と あって、
サレジオ家族アイデンティティー憲章を
れ た親 族、 恩 人、 友 人 たちに祝 福され、
キリストの永遠の花嫁たちは心からの喜
びと感謝のうちに、これからの奉献生活
願準備期間中、東北の被災地で長期ボラ
の上に神の助けを祈った。 2人は終生誓
めた。
発刊
育み、修道会に入会することをゆるして
父の司式によりカトリック碑文谷教会で
行われ、7人が入会の誓約を行った。 サ
くれた家族、そして召命の道を支えてく
などの協働者として生きる一般信徒の会
レジアニ・コオペラトーリは、サレジオ会
世界に3万人の会員がおり、日本では
13
DBVG
社 会 生 活 を 営みながら、弱い立 場の人、
終生誓願を立てた岩崎由美子シスター(左)と谷口暢子シスター
2012年8月 日~9月8日、ドン・
ボスコ海外青年ボランティアグループ(D
www.donboscosha.com
BVG) は、6人の青 年 をソロモン諸 島
ネットショップ
にはボランティア活 動で 出 会った仲 間 た
ドン・ボスコ社
18
本書はホームページから
ダウンロードできる
ンティア体験をしたこともあり、誓願式
1部 210円 年間 3,300円(送料込)
いつも よいものを─
とくに青少年に関心をもち、教会の一員
ちも駆けつけ、喜びをともにした。 ●
カトリック世界の多彩な情報満載!
サレジ オ 会のチャーベス総 長 によって
発 布され た『 ドン・ボスコのサレジオ 家
●営業時間/10:00∼18:00(日・祭日は15:30まで)
●定休日/年末年始7日間、1月31日、復活祭、復活の月曜日、8月15日、降誕祭
テレ小教区とルーラル・トレーニングセン
日、ロー
〒160-0004 東京都新宿区四谷1-9-7
TEL. 03-3351-7041 FAX. 03-3351-5430
に派遣。 現地のサレジオ会が担当するテ
月8~
販売
ソロモン諸島テテレ RTC の生徒・先生たちと DBVG メンバー
として奉仕しつつ自己養成に励んでいる。
キリスト教 関連書籍 出版・販売
聖像・聖品
また、2012年
族 アイデンティティー憲 章 』の日本 語
版が、2012年9月、総長来日にあわ
せて発刊された。 サレジオ会ホームペー
30
ジの 「ライブラリー」( http://salesians.
Facebook ページ「ドン・ボスコの風」
では、ほぼ毎日、サレジオ家族の情報、
聖書のみことば、 神父のつぶやきなど
を紹介しています。 ぜひ「いいね!」を
クリックしてみてください。
)からダウンロードできる。 現
jp/library
在、サレジオ家族は世界に グループあ
送り先:
[email protected]
〒160-0004
東京都新宿区四谷1-9-7
ドン・ボスコ社内「ドン・ボスコの風」
編集事務局
www.facebook.com/dbnokaze
サレジアニ・コオペラトーリ世界会議の参加者
り、各グループの特徴や活動の場を生か
サレジオ家族のグループ・学校・教会
での活動やイベント、 活躍している卒
業生の情報をお寄せください。 本誌ま
たは Facebook ページ「ドン・ボスコ
の風」で紹介させていただきます。
Facebookページ
「ドン・ボスコの風」で
ドン・ボスコの仲間たちと
つながろう!
11
して、 ドン・ボスコのように若 者のため
情報をお寄せください!
ター (RTC) の要請に応える労働を通
を深めた。 同行の三島心神父と6人は共
して、現地の人々との交わりや文化交流
同生活しながら、農作業や修道院の塗装
など、RTCの生徒や地元の人びとと共
11
に 情 熱 を 注 ぐ とい う 共 通 点 が あ る。 共
本誌掲載の記事、写真、
イラストの無断転載を禁じます。
© カトリック・サレジオ修道会 2013
5名様
次号No.11は2013年7月発行予定です。
「ドン・ボスコの風」バックナンバーは、
サレジオ会ホームページ http://salesians.jpでご覧いただけます。
トップページの「ライブラリー」→「ドン・ボスコの風」
月刊
編集・デザイン制作 ドン・ボスコ社
印刷所 日之出印刷株式会社
5名様
(いずれもドン・ボスコ社提供 www.donboscosha.com)
にドン・ボスコの心 を 学び、 各 グルー プ
「ドン・ボスコの風」編集事務局
〒160-0004
東京都新宿区四谷1-9-7
ドン・ボスコ社内
電話:03-3351-7041 F a x:03-3351-7042
Eメール:[email protected]
ケネス・スティーブン文
メラニー・ミッチェル絵
171×151㎜上製 27頁
の取り組みを分かち合い、共通の目標に
編集人 山野内 倫昭
発行人 アルド・チプリアニ
発行所 カトリック・サレジオ修道会
然を満喫することができた。 帰国後は派
5名様
に作業し汗を流し、ソロモン諸島の大自
ガエタノ・コンプリ編訳
A5判上製 518頁
遣活動報告会を行い、参加者や支援者と
サレジオ会日本管区編
浦田慎二郎監修
文庫判並製 205 頁
豊かな体験を分かち合った。
日本最初のサレジオ会宣教師チ
こぐまは、おかあさんと世界でい
マッティ神父の手紙と写真から、 ちばん大きなものを探しに。いち
その生涯と日本でのサレジオ会
ばん大きなものは…? 子どもに
事業の草創期をたどる。待望の 「世界でいちばん大好き」を伝
完結編。
える、愛にあふれた絵本。
23
向かって団結して取り組んでいくために、
SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2013
2013 年 1月31日発行(年2回発行)
せかいで いちばん おおきなもの
この憲章について学ぶよう、総長から呼
10
No.
自叙伝(下)
C
びかけられている。
ドン・ボスコが1859年、特に「青少年の救いの
ため」に創立した修道会は、時代の必要にこた
えるために新しいグループを生み続けてきまし
た。
「 サレジオ家族」と呼ばれるドン・ボスコの
ファミリーには、現在30の公式グループがあり
ます。
「 青 少 年の救い」は、キリストの愛 、福 音
に 基 づ い た 教 育にあることを、司 祭 であるド
ン・ボスコは確信していました。今も受け継が
れるドン・ボスコの教育の特徴を知っていただ
けたら幸いです。 (M)
本人が書かなかった
子どもたちの「魂」を愛し育て
ることを大切にしたドン・ボスコ。
寄り添い、人を笑顔にし、導い
てくれる 100 のことば集。サレ
ジオ会司祭らによる解説付。
当選者の発表は、賞品の発送をもってかえさせていただきます。
ご応募いただいたお客様の個人情報は賞品の発送のみに使用し、
その他には一切使用致しません。
編集後記
チマッティ神父
サレジアニ・コオペラトーリ
応募締切:2013年3月31日消印有効
B
お知らせ
7人が入会
【Eメールの場合】
[email protected]
【ハガキの場合】
〒160-0004
東京都新宿区四谷1-9-7 ドン・ボスコ社内
「ドン・ボスコの風」 編集事務局
心が強く優しくなる
ドン・ボスコの
ことば100
2012年9月 日、サレジアニ・コオ
ペラトーリ(協力者会)の入会式が、サ
応募方法:
お名前
(フルネーム)
・住所・年齢・ご職業とご希望のプレ
ゼント(A・B・C)いずれか一つを明記し、本誌のご感
想・ご要望をお書き添えの上、Eメールまたはハガキで下
記宛先までお送りください。
A
Info
レジオ会総長パスクアール・チャーベス神
PRESENT
ドン・ボスコの風
読者プレゼント
22
12
30
10
No.
2013年1月
SALESIAN BULLETIN JAPAN
January 2013 年2回発行
発行:カトリック・サレジオ修道会 「ドン・ボスコの風」編集事務局 〒160-0004 東京都新宿区四谷1-9-7
TEL: 03-3351-7041 FAX: 03-3351-7042 E メール:[email protected]
STRENNA 2013
サレジオ家族 年間目標
教育者ドン・ボスコのように
慈愛に満ちた教育をとおして
喜びの福音を若者に伝えよう
2013 年のストレンナは、教育者ドン・ボスコに近
づくことを目指します。予防教育法を理解し、現代
に生かすため新たにすることです。ドン・ボスコの教
育を研究し、その教育・司牧の内容とアプローチを
現代に生きる私たち自身のものとしていきましょう。
現代社会で、ドン・ボスコがそうであったように聖
なる教育者となり、ドン・ボスコのように、若者と共
に、若者のために働きながら自分の人生を捧げるよ
「主において常に喜びなさい。
重ねて言います。喜びなさい」
(フィリピの信徒への手紙 4 章 4 節)
う私たちは呼ばれています。
サレジオ会総長
パスクアール・チャーベス神父
2013 ストレンナ解説より
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