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神代の昔より豊かな自然のめぐみに、人の営み盛んだった神崎。

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神代の昔より豊かな自然のめぐみに、人の営み盛んだった神崎。
江戸時代には利根川水運の河港として発達した
神崎河岸の様子
(赤松宗旦著
「利根川図志」
より)
神代の昔より豊かな自然のめぐみに、
人の営み盛んだった神崎。
神崎神社の祭神
「天鳥船命」
とその末裔は、
直刀
大和朝廷の時代までこの地を治めました。
石枕
古代では平安時代に、
郡衙が置かれた要所であり、
中世には千葉常胤の後裔である神崎師時とその子孫たちがこの地を支配しましたが、
やがて戦国の世に徳川家康の手勢に神崎氏が滅ぼされると、
その後この地は寺社領や旗本知行地、
大名の分領地などになって幕末を迎えます。
北の内古墳
南北約17m、
東西約15m、
5世紀後半に築造された古墳。
盗掘された痕跡はなく、
石枕、
直刀、
その他副葬品が出土した。
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利根川水運の河港から
純農村へ
明治の藩籍奉還、廃藩置県。激動の時代に
誕生した神崎町の前身
「神崎村」
と
「米沢村」
。
水運の隆盛は過ぎ去ったが清き水は涸れる
ことなく、米づくりと醸造業の伝統は
現代までも続く。
戦後の神崎本宿地区の情景。
戦災の被害もなく市街地としての人口密集の様子がうかがえる。
明治時代の神崎中心部。
(愛宕山より撮影)
当時、
既にたくさんの家屋が
建ち並んでいることがわかる。現在では撮影地には樹木が生い茂り、
近づくことができない。
明治2年に藩籍奉還が、同4年に廃藩置県が行われま
した。その当初、今の千葉県は26県に分かれ、この地
方は、明治4年新治県に、明治8年以降は干葉県に属し
ていました。町村の規模は今の大字がそのまま一町村を
成し、庄屋・名主・年寄などの旧村役人が戸長と改称さ
れて、町村の行政に当たっていました。
18 ………………VIEW 3
明治・大正・昭和
明治∼大正∼昭和
利根川本流での漁の様子。昭和32
年の埋立まで利根川は神崎森のす
ぐ近くを流れていた。写真右上の
蔵は現存するが、今では住宅が立
ち並び見通すことができない。左は、
現在の利根川沿いの風景。
現在の役場付近から見た神崎森方向の風景。
(昭和20年代後半)
左上にはかつての神崎小学校校舎と校庭を見ることができる。
役場庁舎屋上より利根川方面を望む。
(平成16年7月)
明治21年、わが国に初めて市町村制が制定され、翌
法が制定され、地方自治発展の基礎が築かれました。次
22年4月1日、これが施行されました。現・神崎町の前
いで昭和28年10月には、町村合併促進法が施行されて、
身である神崎村および米沢村はこの時創設されたもので、
全国一斉に町村合併を促し、地方自治の画期的発展を図
両村が創設されるに当たって併合した旧村は、それぞれ
ることになりました。これを受け、神崎町および米沢村
以下の通りです。
は、明治22年以来66年の歴史を閉じて、新生・神崎町
神崎村…神崎本宿・神崎神宿・松崎・小松・並木・今・高谷
を発足する運びとなったのです。時に昭和30年4月19日。
の7村
折りから、千葉県下では10市274町村が17市70町17村に、
米沢村…郡・大貫・立野・武田・新・毛成・古原・植房の8村
香取郡下では1市37町村が1市9町に合併されています。
ちなみに、この当時千葉県下に存在した旧町村2,457
神崎町沿革の概要は以上の通りですが、この後昭和
が358町村に合併されました。そして神崎村は、明治23
41年1月1日、茨城県十余島村向野地区が干葉県に割譲
年3月12日、町制を施行して神崎町となりました。
され、神崎町に編入されました。
第二次世界大戦が終わって、昭和22年4月、地方自治
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高度経済成長を背景に
都市開発の時代へ
戦後復興の「国民所得倍増計画」に、日本全国が沸
いていた。
電気洗濯機・テレビ・電気冷蔵庫の
「三種
の神器」
がもてはやされたが、
電化製品を買える人
はまだ限られていた。町民の生活水準を向上させ
るため、
まちも近代産業の発展に乗り出した。
神崎大橋建設風景と
開通式。
(昭和42年)
交通体制の建て直し
を図るため、町村合
併後、真っ先に着手
された利根川への架
橋促進。昭和34年
に神崎船橋が設置さ
れ、現在の永久橋
「神
崎大橋」の開通まで、
さらに8年の月日を
要した。
昭和30年に実施された町営渡舟。
船橋が架かる
まではこれで利根川を渡った。
昭和30年代の町浄水場
20 ………………VIEW 3
神崎・多古間に国鉄バスが開通。
(昭和30年)
昭和30年∼49年
昭和30年∼49年
(1955∼1974)
年
昭和30年の町村合併以降、神崎多古間国鉄バスの設置、
有線放送事業の開始、さらに昭和34年には神崎船橋が
開通しました。神崎町中央公民館の建設、神崎大橋の着
工なども順次始まり、より住みやすい環境整備が進めら
れていきました。
環境整備が進められているその背景では、人口が昭和
30年代後半から始まった高度経済成長による開発と都
市化の影響を受けて都市へと流出し、合併当時の6,000
人から昭和45年には5,381人にまで落ち込むにいたりま
した。
これを受け、町では
「第1次総合計画」
を策定し、工業
団地の誘致、町営住宅の建設など、人口増への基盤づく
まちのできごと 時代のトピックス
米沢村の合併により新生神崎町ス
昭和30年 神崎町、
(1955) タート。
町営渡舟実施。
初のトランジスタラジオ発売。
31年
(1956) 神崎町立神崎中学校創立(神崎中、米沢中
統合)。
神崎・多古間国鉄バス開通。
32年
(1957) 有線放送電話開通。道路舗装工事開始。町
営火葬場新設。神崎小学校給食室新設。古
利根川、江口川埋立。
「郡駅」から「下総神崎
駅」
に駅名変更。
33年
(1958) 神崎中学校体育館完成。町営住宅建設(20戸)。
東京タワー完成。
34年
(1959) 神崎町中央公民館完成。神崎船橋開通。簡
易水道新設工事着工。
皇太子昭仁親王殿下、正田美智子さん御成婚。
りを開始しました。また、土地改良事業の実施、農作業
町営住宅建設(20戸)。
35年
(1960) 米沢小学校改築。
カラーテレビ放送開始。
の機械化促進など、農村人口の定着化にも努力しました。
水田畑地灌漑施設竣工。
36年
(1961) 青年研修所完成。
有線放送電
37年
(1962) 神崎小学校特殊学級認可開設。
話改修工事。
児童遊園地完成。
38年
(1963) 神崎保育所開設。神崎小学校増改築。給食センター
開設(完全給食)。佐原市外4町清掃組合設置。
ケネディ米大統領、テキサス州ダラスで暗殺。
神崎中学校プー
39年
(1964) 神崎中学校特殊学級設置。
ル完成・校庭拡張。
東海道新幹線、東京∼新大阪間開業。東京
オリンピック開催。
……………………………………………………………………………………
40年
(1965) 神崎中学校増築。神崎、米沢農業協同組合合併。
41年
(1966) 茨城県東村・河内村より向野地区が千葉県
に割譲され、
神崎町に編入。
神崎音頭制定。
日本の人口1億人を突破。ザ・ビートルズ
来日。
42年
(1967) 神崎大橋開通。
43年
(1968) 神崎小学校新校舎完成。工業団地用地買収始
まる。
小笠原諸島返還。川端康成氏、ノーベル文
学賞受賞。
3億円事件。
44年
(1969) 佐原市外五町消防組合設置。
米沢小学校プー
ル建設。
米アポロ11号人類初の月面着陸成功。
45年
(1970) 古原農村協同館建設。佐原市外5町消防組
合西分遣所竣工。
46年
(1971) 町庁舎増築。
香取広域市町村圏事務組合発
足。
県立青年の家誘致決定。
大阪万国博覧会開催。
47年
(1972) 第一回町民文化祭開催。
工業団地一部創業
開始。
連合赤軍あさま山荘事件。沖縄の返還、沖
縄県の復活。
昭和36年頃の佐原信金
神崎支店付近の様子
現在の佐原信金神崎支店付近
(平成16年7月)
48年
(1973) 神崎小学校創立百周年。神崎小学校プール
建設。米沢保育所建設。香取郡西部地区湛水
防除事業工事着工。農業振興整備計画樹立。
円、
変動相場制へ移行。
第一次石油ショック。
江崎玲央奈氏、
ノーベル物理学賞受賞。
49年
(1974) 電話自動化。
町営住宅払下げ40戸、
建設10戸。
県道佐原我孫子線が国道356号線に昇格決
定。
国鉄成田線電化。
地籍調査事業開始。
ウォーターゲート事件。佐藤栄作氏、ノー
ベル平和賞受賞。
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合併20周年で町も成人
近代的田園都市へ
生活が潤うと、
「生きがい」
や
「ゆとり」
を求めて人々
は心の内面に目を向けはじめた。コンビニ、ウォー
クマン、
ファミコンが瞬く間に日本中を席巻し、一
億総中流意識から
「個性」
が重視されるようになる。
まちへの期待や要望も多様化していった。
役場庁舎
(昭和50年)
神崎中学校新校舎と
竣工記念テープカット
(昭和58年)
国鉄下総神崎駅
(昭和50年)
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昭和50年∼63年
昭和50年∼63年
(1975∼1988)
年
昭和50年、町は合併20周年を迎え、人口も5,730人にま
で回復、以降安定的な人口増加傾向を迎えるようになりま
した。昭和55年には役場新庁舎が、昭和56年には簡易水道
浄水場が完成、給水が行われています。
神崎町は、昭和30年代より上水道の整備や町営住宅など
の事業を、他に先駆けて推進してきました。住民の環境衛
生の向上と、生活の改善に最大の関心を持ってあたり、近
隣町村に比べて積極的に取り組んできたといえます。
「第2
昭和60年、町制合併30周年を迎えるにあたり、町は
次総合計画」
を策定しました。その中で町は、伝統を守り豊
かで住みよいまちづくりを推し進めていく宣言をしました。
まちのできごと 時代のトピックス
昭和50年 神崎町合併20周年。
(1975) 沖縄国際海洋博開催。
51年
(1976) 米沢小学校創立百周年。米沢小学校体育
館完成。
ロッキード事件。
52年
(1977) 県立神崎青年の家完成。植房農村館完成。
大貫池土地造成工事着工。町民相談所開設。
北海道、有珠山噴火。
53年
(1978) 神崎中学校体育館完成。神崎町青年団結成。
第1回神崎タートリンピック開催。水田利
用再編対策始まる。
成田空港開港。日中平和友好条約締結。
54年
(1979) 第1回町民のつどい開催。県立香取養護学
校開校。
第二次石油ショック。米スリーマイル島
原発事故。
55年
(1980) 役場新庁舎完成。中央公民館増改築。大
貫コミュニティセンター、郡・武田やす
らぎの家、並木青年館完成。神崎ライオ
ンズクラブ結成10周年。
モスクワオリンピック日本不参加。イラン・
イラク戦争。大平首相急死、鈴木内閣発足。
56年
(1981) 町簡易水道浄水場完成、給水開始。町民
憲章制定。新集落センター完成。
中国残留日本人孤児47人が初来日。福井
謙一氏ノーベル化学賞受賞。
57年
(1982) 町民グランド完成。向野集落センター完成。
神崎中学校校庭拡張・新校舎建設着工。神
宿コミュニティセンター完成。
500円硬貨発行。テレホンカード登場。
58年
(1983) 神崎中学校新校舎竣工。
「おしん」大ヒット。東京ディズニーラン
ド開業。
59年
(1984) 結婚相談所開設。
グリコ森永事件。千円・5千円・1万円の
新札発行。
……………………………………………………………………………………
60年
(1985) 立野コミュニティセンター完成。神崎町
新総合計画策定。
科学万博つくば85開催。男女雇用機会均
等法公布。
61年
(1986) 本宿コミュニティセンター、
毛成コミュニティ
センター完成。本宿ほ場基盤整備事業完成。
米スペースシャトル
「チャレンジャー」
爆発、
全乗員死亡。チェルノブイリ原発事故。
62年
(1987) 米沢小学校新校舎完成。出羽第4コミュニ
ティセンター完成。
大韓航空機爆破テロ事件。NY株式が市
場最大の暴落。
63年
(1988) (1月27日)交通死亡事故ゼロ2500日達成。
原宿コミュニティセンター完成。
東京ドーム完成。青函トンネル・瀬戸大
橋開通。
昭和49年に公害のない近代産業誘致を目的
に工業団地が整備され、製造品出荷額も飛
躍的に伸びた。農業も土地基盤整備や農機
具の機械化、施設園芸導入が進み、バブル
景気に向けてまちの産業は活気づいてゆく。
交通死亡事故ゼロ2500日達成パレード
(昭和63年)
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少子・高齢社会の21世紀
まちづくり模索の道へ
バブル景気が弾けると、日本全国で財政問題が顕在
化した。一方で地球環境問題や高度情報(IT)化、国際
化の波は想像以上の勢いで伸展し、国政は小規模自
治体同士の合併による対応を打ち出した。まちでも
「平
成の大合併」
を視野に入れた検討が進められている。
神崎ステーションホール完成
(平成10年)
こうざき天の川公園完成
(平成9年)
神崎東部地区ほ場整備事業完成
(平成12年)
神崎西部地区ほ場整備事業完成
(平成10年)
神崎南部地区ほ場整備事業完成
(平成12年)
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神崎ふれあいプラザ完成
(平成13年)
平成元年∼16年
平成元年∼16年
(1989∼2004)
21世紀を迎え、神崎町は少子高齢社会の到来や環境保
全の取り組みへの機運の高まりなどに対応した
「神崎町第
3次総合計画・こうざき新世紀プラン」を策定しました。こ
の計画に沿って町は、町民が安心して安全に暮らせるまち
づくり、自然と人とふれあいのまちづくりを推進していき
ます。
平成5年のこうざき自然遊歩道、平成7年の古原浄水場、
平成9年のこうざき天の川公園など、自然環境との調和を
目指す整備事業が進められました。また、各地区のコミュ
ニティセンターの建設や、神崎ふれあいプラザの建設、神
崎町老人保健福祉計画の策定など、少子高齢化社会におけ
る健康で安全な暮らしのための施策が充実しました。
念願の国道356号バイパスの開通や神崎大橋側道橋の開
通、現在設置がほぼ確定した首都圏中央連絡自動車道イン
ターチェンジの開通などによる広域交通体系づくりの推進
は、広域交流拠点として、町の産業振興など今後の発展に
大きく貢献していくでしょう。
年
まちのできごと 時代のトピックス
(野球場・
平成元年 スポーツコミュニティー広場完成。
(1989) テニスコート・ゲートボール場・弓道場)
昭和天皇崩御、皇太子明仁親王殿下即位、
平成と改元。
ベルリンの壁崩壊。
平成コミュニ
2年
(1990) 平成の風モニュメント完成。
ティセンター完成。
文仁親王殿下、川嶋紀子さん御成婚、秋篠
宮家創設。
東西ドイツ統一。
3年
(1991) 神崎保育所移転改築完成。
湾岸戦争で多国籍軍がイラク攻撃。
4年
(1992) きたふれあいセンター完成。
日本人初の宇宙飛行士(毛利衛さん、
スペー
スシャトルエンデバー搭乗)。
5年
(1993) 小松コミュニティセンター完成。
こうざき自
然遊歩道完成。
第1回ふれあい福祉大会開催。
サッカーJリーグ公式戦開幕。皇太子徳仁
親王殿下、
小和田雅子さん御成婚。
6年
(1994) 横町コミュニティセンター完成。
神崎町老
人保健福祉計画を策定。
松崎コミュニティ
センター、
四季の丘コミュニティセンター
完成。
水道課を新設。
関西国際空港開港。
松本サリン事件。
7年
(1995) 神崎町商工会館、古原浄水場完成。町道武田
古原線開通。高谷コミュニティセンター完成。
阪神淡路大震災。
地下鉄サリン事件。
8年
(1996) 神崎小学校新校舎完成。
成城台コミュニティ
センター完成。
英で狂牛病問題。
9年
(1997) こうざき天の川公園完成。
神崎小学校体育
館完成。神崎西部ライスセンター完成。古
原コミュニティセンター完成。
消費税5%に。
香港、
中国へ返還。
……………………………………………………………………………………
10年
(1998) 神崎西部地区ほ場整備事業完成。ふれあい親水
公園完成。学校給食センター完成。神崎ステーショ
ンホール完成。国道356号下総神崎間バイパス開通。
サッカーW杯フランス大会に日本初出場。
11年
(1999) 米沢小学校体育館完成。
米沢保育所移転改
築完成。
下総神崎駅北側広場完成。
堺コミュ
ニティセンター完成。
コンピュータ2000年問題。
新2千円札発行。
国道356号バイパス開通、JR成田線快速電車の増発、首都圏中央連絡自動
車道インターチェンジの設置の具体化など、近年まちを取り巻く広域交
通条件の変化は著しい。まちではこれを起爆剤に産業振興・ふれあい交
流活動などに努め、夢と活力あるまちづくりにつなげようとしている。
12年
(2000) 町道並木植房立向線開通。神崎東部地区・
南部地区ほ場整備事業完成。
郡江口コミュ
ニティセンター完成。
民生課を町民課に改
称、
保健福祉課を新設。
有珠山噴火。
介護保険制度スタート。
13年
(2001) 植房地先でナウマン象の歯・下顎の化石発
見。神崎大橋側道橋開通。神崎ふれあいプ
ラザ完成。
神崎町第3次総合計画策定。
9.11米国同時多発テロ事件。皇太子ご夫妻
に敬宮(としのみや)愛子様誕生。
14年
(2002) 国道356号佐原神崎間バイパス開通。千葉
なの花県民会議開催。
欧州通貨統一(ユーロ)。住民基本台帳ネッ
トワーク稼働。公立学校完全週5日制実施。
15年
(2003) 佐原市外五町消防組合西分遺所完成。下総神
崎駅自由通路開通。今コミュニティセンター完成。
米英軍がイラクを軍事攻撃、
フセイン政権崩壊。
JR下総神崎駅南側広場完成
(平成16年)
16年
(2004) 下総神崎駅南側広場完成。町民課に税務課を統合。
日朝首脳会談、
拉致被害者家族5人帰国。
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