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熊野古道の景観を科学する

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熊野古道の景観を科学する
共創・共育・共感
尾鷲市教育長だより
2014.4.25.(金)
第71号
熊野古道の景観を科学する
~世界遺産登録10周年記念に向けて
地質遺産から探る~
◆熊野古火山の活動が残したもの
尾鷲・熊野地方に分布している岩
石は、酸性火成岩類や酸性火砕岩と
いう岩石に分類されます。
これらの岩石によって、1500万
~1400万年前に激しい火山活動の
あったことがわかります。
この火山活動は、はじめ、火口や
火道、つまり割れ目全体から、火山
ガスや水蒸気を含んで溶岩の破片な
どをいっぱいに巻き込んで「火砕流」
が発生したと考えられています。
こうした活動によってできているのが、古座川弧状岩脈、虫喰い岩、花の窟、
鬼ヶ城、獅子岩などです。この火砕流は、尾鷲の白浜海岸でもみられます。
こうして火砕流が噴出した後には、その地下のマグマだまりの圧力や地下の
密度が小さくなり地盤が弱くなってしまい、そこへ、上の地盤の重みや圧力が
はたらいて、地面が大きな範囲で、火山の火道の中に落ち込んでいきます。そ
の結果、大規模なカルデラ火山が形成されます。
そして次には、地下にまだ残っている溶岩がドロドロと
上昇してくるのですが、それらは、地表に顔を出すところ
まではいかずに、地下で止まることになります。こうして
地下にたまった溶岩が、ゆっくりと冷えて固まってできた
のが、左図のような「花崗斑岩」という岩石です。
天狗倉山や八鬼山など、尾鷲のまわりの山はこの「花崗斑岩」からできてい
ます。矢の川、魚跳渓、那智の滝の岩肌、川の参詣道の熊野川などは、花崗斑
岩の岩体を削り込んでできた川です。
新宮のゴトビキ岩、尾鷲市天狗倉山の大岩、古道のまわりにみられる自然石
などは、こうした火山活動でできた岩石と密接につながっています。
とくに、尾鷲市から熊野市にかけての熊野古道は、
この花崗斑岩の岩体でできている山中を通っている
古道なのです。
尾鷲にある古道の石畳の多くは、花崗斑岩の自然
石を利用してつくられたものです。ときには、この
石をじっくりと観察してみてはどうでしょう。
今、こうして、われわれが目の前にしているこの地域の自然景観・地質景観
は、火山が噴火していたころの地下の部分が地表に現れてきたものです。それ
というのも、紀伊半島が隆起しているために、当時できた火山の上の部分が、
長い年月の間に1000mも2000mも削られてしまい、地下にあった岩体がこう
して今、熊野や尾鷲の山地となって現れているのです。
大地には、アイソスタシーの原理がはたらき、地盤は隆起すると浸食され、
浸食されると隆起が起こります。紀伊半島は隆起しつつ浸食されているのです。
熊野古火山の活動は、1500万~1400万年前であり、できた頃の火山の形は
もうすでになくなってしまっていますが、当時1000m~3000mもの地下に
あった地盤が今、隆起しながら風化浸食され、熊野・尾鷲の山々としてその姿
をわれわれの目の前に現しているというのも驚きです。
天狗倉山や八鬼山などの熊野古道
が通っている、左図の赤く塗られて
い る 部 分 は 、 1500万 ~ 1400万 年
前の火山の上の方の岩石ではなく、
それらはすでに削られていて、その
当時の火砕流が噴出するときに、地
下1000m~3000mにあった火道部
分や割れ目などに残ったものが、そ
の後、隆起してきた岩石なのです。
地質調査総合センター:日本シームレス地質図より
このように、熊野古道の景観は、
紀伊半島が形成されてくる過程での大地の変動や、1500万~1400万年前の
熊野古火山の活動などの結果造られてきた地質遺産なのです。こうした大地の
エネルギーが、神が宿るといった思いや聖地熊野の深層に流れており、熊野の
霊場を形つくる上で、たいへん重要な役割を果たしているように思えます。
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