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コラム24年
平成24年 余禄 余 録 :「 は え ば 立 て 、 立 て ば 歩 め の 親 心 」 と い う が 毎日新聞 2012 年 12 月 30 日 00 時 10 分 「はえば立て、立てば歩めの親心」というが、赤ちゃんは言われるまでもなくたい へんな苦労をしていることがわかった。米ニューヨーク大学の研究者が、はいはいの 段階からよちよち歩きに移行し始めた赤ちゃんの歩行距離を計測したのである▲対象 は、1歳から1歳7カ月までの赤ちゃん140人。研究室に特設した遊び部屋と自宅 に撮影装置を置いて行動を追跡し歩数を記録した。驚くべき結果が出た。赤ちゃんの 歩数は1日平均1万4208歩、距離はのべ4.2キロ、転んだ回数が102回▲思 わず自分のポケットに放り込んだ歩数計を手にとったら電池切れだった。以前、歩数 計を気にしていた頃、1万歩を超える日はあまりなかった。なのに、1歳児が立って は転んで1万歩だ。赤ちゃん、あなどるべからず▲1時間に69回も転倒した赤ちゃ んがいたという。七転び八起きのダルマも顔負けだ。赤ちゃんがこんなに歩くのは遊 びたいからなのか。研究者はおもちゃをたくさん置いた遊び部屋での歩数と、自宅で の歩数を比べてみたが、どちらも変わらなかった。歩けること自体が大きな喜びなの だろう▲赤ちゃんは立ち上がるたび、倒れずに歩ける距離を伸ばしていた。歩行速度 も上がっていた。一歩ずつ自分が変わっていくことを楽しんでいるのだろうか。大き な目標を立てて放り出すより、小さな成果を積み重ねるほうがいいのだ▲安倍晋三政 権が歩き出した。毎日新聞の世論調査では、内閣支持率は52%と低かった。低い支 持率は幸先がいい。人気取り政策に走らず、小さな成果を着実に積み上げていけばい いのだ、赤ちゃんのように。 余 録 :戦 場 で 部 下 に 「 こ の あ と ど う な る … 毎日新聞 2012 年 12 月 05 日 00 時 08 分 戦場で部下に「このあとどうなるでしょう」と聞かれて答えたのはビザンツ帝国皇 帝マウリキウスだ。「予期せぬことと予期したくないことが起こると予期せよ」。現 代のリスク管理の要諦(ようてい)でもある▲災いの魔は戦場の敵将と同じく必ず人 の隙(すき)を突いて攻撃を仕掛けてくる。考えうるすべての危険に対して防護策を 整 え た と 思 っ て も 、思 い も つ か な い 小 さ な ほ こ ろ び か ら 破 滅 的 損 害 を 被 る こ と が あ る 。 破られるべくして破られた防護だったことが分かるのは後からだ▲ならば9人もの人 命を奪った中央自動車道笹子(ささご)トンネルの天井崩落を引き起こしたアンカー ボルトの脱落は、予期できなかったのか、予期したくなかったのか。事故の惨状を見 れば、老朽化した小さなボルトで支える天井がいかにも危なく思えるのは素人の後知 恵(あとぢえ)か▲道路を管理する中日本(なかにほん)高速道路は9月につり天井 部分の点検をしたが、ボルト接合部をたたいて音で異常を調べる打音(だおん)検査 はしていなかった。聞けば、同じ旧日本道路公団を母体とする他の高速道各社は接合 部の打音検査をしている。防護のほころびはやはりあった▲ボルト脱落の原因究明は 調査にまつしかない。ただつり天井の老朽トンネルが数あるなか、検査の甘かった箇 所を狙ったような突然の崩落である。他での検査で先に異常が見つかっていれば防護 の穴は埋められただけに、人の弱点を突く災いの魔の非情がうらめしい▲60年代か ら80年代に造られた多くの道路や橋の老朽化を改めて思い起こさせた崩落事故だっ た。潜伏する危険に柔軟に対応する安全文化と知恵をますます鍛えねばならない災い の魔の封じ込めだ。 余 録 :ス ー ツ と 煎 餅 は い つ も 職 場 に 置 い て あ る 。 煎 餅 は … 毎日新聞 2012 年 11 月 26 日 00 時 02 分 スーツと煎餅(せんべい)はいつも職場に置いてある。煎餅はできるだけ日持ちの するものでなくてはならぬ。障害者施設で30年以上働いてきたKさんはそう言って 笑う▲コンビニで商品を並べ替えたがる障害者がいる。順序や形状に独特のこだわり があり、自分の中のルールに従っているだけなのだが、店にとっては迷惑だ。幼児の 頭をなでようとして痴漢(ちかん)と間違われる。光るモノが好きで見知らぬ人の眼 鏡を触ろうとする。銭湯で入れ墨のある人の背を触りに行った人もいる▲けっして悪 意からではないが、わかってもらえない。冷たい目で見られ、寂しくて、自分を傷つ ける。思いをどう伝えればいいのかわからず混乱している。そんな障害者を責めては ならないとKさんは言う。親のしつけのせいにもするな。でも、相手は迷惑している ▲「だから僕たちがあやまるんです。もう、ずっとずっとあやまっている」。Tシャ ツにジーパン姿ではおわびの気持ちが伝わらない。安っぽくて地味な色のスーツがい い。菓子折りなんてすぐには受け取ってくれない。だから、賞味期限の長い煎餅でな くてはならない▲国連障害者権利条約が採択され、障害者虐待防止法が成立した。障 害者差別をなくす条例も各地で施行される時代になった。しかし、日常風景のパズル は「権利」や「差別禁止」の印(しるし)のないピースで満たされている▲頭を下げ ることを恥じてはならない。障害者や家族を守り、相手の怒りを鎮めて理解を促す。 プロの福祉職員の「あやまる力」だ。利用者(障害者)を幸せにするんですとKさん は言う。「彼らを守るためなら、なんべんだって土下座します」 余 録 :「 イ ン フ レ は 歯 磨 き ペ ー ス ト の よ う な … 毎日新聞 2012 年 11 月 22 日 01 時 09 分 「インフレは歯磨きペーストのようなものだ。チューブを絞ればすぐ出てくるが元 に 戻 す の は と て も 難 し い 」。ペ ー ル 元 ド イ ツ 連 邦 銀 行 総 裁 の 言 葉 と い う 。世 に 名 高 い 同 連銀の独立性を象徴する人だ▲西独シュミット政権で大蔵次官を経て連銀総裁に任命 されたペール氏だが、82年に選挙前の利上げに踏み切り同政権の大敗を招く。長期 政権も下野に追い込んだ金融政策の「独立」ぶりだ。氏は政権交代後もコール政権下 でインフレファイターとして辣腕(らつわん)を振るう▲東西両独の通貨統合を機に 総 裁 を 辞 任 し た ペ ー ル 氏 だ が 、相 手 の コ ー ル 氏 に は こ ん な 言 葉 が あ る 。 「政治家として 連銀の金融政策を好ましく思ったことはあまりない。だが、一市民としての自分は連 銀 の 存 在 を 喜 ば し く 思 う 」。政 治 家 と 中 央 銀 行 の 関 係 を 示 す 至 言 だ ▲ 以 前 こ の 言 葉 を あ いさつに引いた白川方明(しらかわまさあき)日本銀行総裁が「中央銀行の独立は金 融の長い歴史から得られた国際的原則だ」と強調した。安倍晋三(あべしんぞう)自 民党総裁が建設国債の日銀引き受けや3%の物価上昇を目標とする無制限の金融緩和 に言及したことへの懸念の表明だ▲デフレ脱却にむけた政府・日銀の連携への期待は どの政党にもあろう。ただ国債の日銀引き受けによる財政規律弛緩(しかん)や政府 の日銀への恣意(しい)的介入が招く財政・金融政策の信認喪失は一旦チューブから 出たら戻しようがない。日銀総裁が異例の反論に出たゆえんだろう▲中央銀行の威信 が政権交代をもたらしたのは遠い国の昔話、日銀法改正と金融緩和が争われる総選挙 だ。今や脱デフレのふれ込みと共に売り出されたチューブは誰が手にし、どう扱われ るのか。 余 録 :ス ー パ ー で 6 種 類 の ジ ャ ム と 2 4 種 類 の ジ ャ ム の … 毎日新聞 2012 年 11 月 17 日 00 時 59 分 スーパーで6種類のジャムと24種類のジャムの売り場を作り、売れ行きを調べた。 訪れた客の割合は4対6で種類の多い売り場の方が人気があった。だが客のうち実際 に買った人の割合は6種類の方が30%、24種類の方はわずか3%だった▲人間は 選択肢が多すぎると決定できないことを示した実験である。ではチョコレートを並べ た同様の実験で客にチョコを一つ選んで試食してもらい、味に点数をつけさせるとど うなるか。種類の少ない売り場の平均点数の方が、多い売り場を大きく上回ったので ある▲選択肢が多すぎると自分の選択に自信がもてず、その満足度も低くなるという のだ。 「 選 択 の パ ラ ド ッ ク ス 」と 呼 ば れ る 現 象 で あ る( 友 野 典 男 < と も の・の り お > 著 「 行 動 経 済 学 」光 文 社 新 書 )。選 択 肢 は 多 い 方 が い い と い う の は 幻 想 ら し い ▲ さ て 野 田 佳彦(のだ・よしひこ)首相の異例の「予告」通りに衆議院が解散、実に14もの政 党が乱立するなかでの事実上の選挙戦入りとなった。2大政党制をめざして小選挙区 制を導入した当時には予想すらできなかった多党化だが、いうまでもなく有権者の方 から求めた選択肢ではない▲いくら何でもこれでは選択の手も出にくいし、味の満足 度 も 低 く な る 。当 然 な が ら「 第 三 極( だ い さ ん き ょ く )」結 集 を め ざ す 離 合 集 散( り ご うしゅうさん)もさまざまに繰り広げられよう。ただ政党の組み合わせ次第ではジャ ムを買おうとしたらチョコを売りつけられることになりかねないのが困りものだ▲元 をただせば2大政党の求心力喪失が引き起こした政党乱立の混とんだった。日本政治 は国民の前に筋の通った明快な選択肢を品ぞろえできるのか。民主主義のイロハから 心配になる総選挙である。 余 録 :ハ ワ イ に は 「 不 思 議 な バ ナ ナ 」 の 伝 承 が … 毎日新聞 2012 年 10 月 22 日 00 時 11 分 ハワイには「不思議なバナナ」の伝承があるそうだ。食べたあとで黄色い皮をかぶ せると、実が元通りになる。昔、そのバナナを持つ男性が怪鳥にさらわれた。巣の中 では怪鳥のエサになるのを待つ人々が弱っていた。そこで彼はバナナを皆に分け与え て戦い、ついに怪鳥を退治したという。しろうと考えで恐縮だが、減らないバナナに は勇気や希望の意味もありそうだ▲「ニュースの職人」鳥越俊太郎さんが12月9日 のホノルルマラソンに出場する。72歳。05年から4度に及ぶがん手術でステージ 4(最終段階)ながら体調は申し分ない。「よれよれになっても、途中歩いてでも完 走したいね。ぼくと同じがん患者やお年寄りのためにも」▲そんな鳥越さんの挑戦は 人々に「バナナ」を配る行脚でもあろう。初のフルマラソンに向け、ジムで筋肉をつ けて体重を絞った。最初は少し走っても「心臓がバクバク」になったが、走れる時間 がだんだん長くなった▲例年2万人以上が走るホノルルマラソンは今年で40回目。 車椅子の人も参加するし、90代のおばあちゃんの完走例もある。特に時間制限はな い。42キロ余り先のゴールにたどり着くことが大切だ▲鳥越さんは70歳でジムに 通い、71歳で本(「がん患者」)を書いた。今年はマラソン。「漫然と年を取らず 1年に一つずつ目標を立てて実行する。生きがいがないとね」。がんと闘って「命を もらった」という思いからだ▲来年の目標は映画製作。若いなあと感心しつつ、小紙 出身の大先輩の古傷(足指骨折)が気になる。親しみをこめて申し上げたい。鳥越さ ん、決してバナナの皮など踏まれませんよう。 余 録 :日 本 人 の 作 っ た お し ゃ べ り 妨 害 装 置 が 話 題 の 今 年 の … 毎日新聞 2012 年 10 月 02 日 00 時 19 分 日本人の作ったおしゃべり妨害装置が話題の今年のイグ・ノーベル賞だが、9年前 は故エドワード・A・マーフィー・ジュニアという人物ら3人が工学賞を受けた。そ う、マーフィーの法則の発見者だ▲今から60年以上前、米空軍の技術者、マーフィ ー大尉はエドワーズ空軍基地で機器の設定ミスを見つけ、 「 失 敗 す る 方 法 が あ れ ば 、誰 か は そ の 方 法 で や る 」と ぼ や い た 。こ れ が 軍 や 航 空 機 メ ー カ ー の 技 術 者 の 間 で 広 ま り 、 「マーフィーの法則」という警句が定着する▲「仕事の手順の中に破局を招くものが あれば、誰かがそれを実行する」もその一つだ。この法則を世に広めた3人の受賞者 のうちの一人、故ジョン・P・スタップは自動車のシートベルト設置義務づけに尽力 した人だった▲さて墜落は操縦ミスが原因という日本政府の「安全宣言」を受け、普 天間(ふてんま)飛行場への配備が始まった米軍垂直離着陸輸送機オスプレイだ。そ れ に 反 発 す る 仲 井 真 弘 多( な か い ま・ひ ろ か ず )沖 縄 県 知 事 は い う 。 「人為的ミスが安 全 宣 言 に な ぜ 結 び つ く の か 。沖 縄 で は 全 く 意 味 が 分 か ら な い 」▲ 人 は ミ ス を 犯 す も の 、 事故は起こるもの、というのがマーフィーの大原則である。一方、政府は「事故原因 は機体ではない。安全は確認された」という。それでは機のシステムが人のミスを招 きやすいか否かという安全工学上の重大問題はどこへ消えてしまったのか▲配備に伴 い人口密集地の飛行を避けるなどの安全策をとるというが、住民が不安を募らせるの も無理はない。 「 人 が 機 械 に 対 し て 感 じ る イ ラ イ ラ は 、人 が 人 に 対 し て 抱 く イ ラ イ ラ に くらべればささいなものだ」は先のスタップの言葉だ。 余 録 :イ ソ ッ プ 物 語 で あ る 。 ゼ ウ ス が 宴 会 に 全 動 物 を 招 待 … 毎日新聞 2012 年 06 月 26 日 00 時 45 分 イ ソ ッ プ 物 語 で あ る 。ゼ ウ ス が 宴 会 に 全 動 物 を 招 待 し た が 、カ メ だ け は 来 な か っ た 。 次の日、ゼウスがなぜ来なかったかと聞くと、カメは「家が楽しい、家こそ都」と答 えた。怒ったゼウスはカメが家ごと動き回らねばならぬようにした▲イソップはこの 話に「他人のところでぜいたくするより、質素な暮らしを良しとする人が大勢いる」 と付言している。だが「家」でつつましく暮らしていたのに、勝手にやって来た人間 によってひどい目にあったカメもいる▲もともとガラパゴスはスペイン語のカメに由 来する名という。だがガラパゴス諸島にいたゾウガメは、この島々に移住した人々や 船乗りらの食料源として乱獲にあった。1日に200匹も捕らえたという狩りや、1 隻で700匹も運び去った船の話が伝えられている▲そのガラパゴスゾウガメの亜種 ピンタゾウガメの最後の生き残りといわれ、世界で最も有名なカメだった「ロンサム (孤独な) ・ジ ョ ー ジ 」が 死 ん だ 。推 定 1 0 0 歳 以 上 の オ ス と い う 。近 縁 の 亜 種 の メ ス と交配も試みられたが失敗し、この亜種は絶滅したとみられる▲そもそもジョージが 41年前に同諸島北部のピンタ島で発見された時、すでにピンタゾウガメは絶滅した と思われていた。以来、絶滅危惧種の世界的象徴となってきた「彼」だ。テレビが伝 えるその姿に、何か憂いを帯びた哲人のようなたたずまいを感じた方もいよう▲かつ てガラパゴスを訪れたダーウィンは島の環境ごとに違う鳥やカメの特徴から進化論を 着想したと聞く。生き物とその「家」の多様性をこれ以上奪ってはいけない。ジョー ジの遺言に耳をすましたい。 余 録 :フ ェ ニ キ ア 王 の 娘 エ ウ ロ ペ が 侍 女 と 海 辺 で 遊 ん で い … 毎日新聞 2012 年 06 月 19 日 00 時 10 分 フェニキア王の娘エウロペが侍女と海辺で遊んでいると白い牡牛(おうし)が現れ た。横たわった牛の手触りがあまりに良いのでエウロペがついその背に乗ると、牡牛 はすぐ走り出し、海を渡って連れ去った。牡牛の正体はギリシャの主神ゼウスだった ▲ギリシャで発行される2ユーロ硬貨にはこのエウロペの誘拐が描かれている。エウ ロペとゼウスが駆け回った土地が彼女の名からヨーロッパと呼ばれ、またそれにちな む通貨名ユーロだ。そして今、またまたゼウスならぬギリシャ国民に委ねられたエウ ロペの運命である▲緊縮財政への反対派が勝利すればユーロ離脱、それにともなう金 融市場のパニックが懸念されたギリシャ議会の再選挙だ。ふたを開ければ緊縮容認派 が辛うじて過半数を制した。「ギリシャ国民はユーロ圏にとどまることを選んだ」は その前与党党首の勝利宣言だ▲ヨーロッパ各国はもちろん、米国や日本、新興諸国も 息をのんで見守ったギリシャ国民の選択だった。前の選挙では緊縮策への怒りをぶつ けた人々にも、今度は崖っぷちに立って下をのぞきこむような選挙である。底知れな い 谷 の 深 さ に 慄 然( り つ ぜ ん )と し た 向 き も 多 い だ ろ う ▲「 最 悪 の 事 態 は 避 け ら れ た 」 とは市場の反応だが、「問題は先送りされただけ」という声も聞こえる。続く緊縮策 にギリシャ国民の不満はいずれまた再燃が避けられまい。ギリシャ経済の再生策や財 政支援の条件緩和といった対応策も迫られるヨーロッパ各国である▲名高いクレタ島 の迷宮を作ったミノス王はエウロペとゼウスの子という。さてユーロとギリシャの織 りなす債務危機の迷宮に通り抜けの策はあるのか。 余 録 :そ の 昔 、 役 人 を 「 刀 筆 の 吏 」 と 呼 ん だ 。 「 刀 筆 」 と … 毎日新聞 2012 年 06 月 14 日 とうひつ 00 時 46 分 り その昔、役人を「刀筆の吏」と呼んだ。「刀筆」とは文書による記録を表す。役所 の記録に木簡や竹簡を用いた昔、筆は文字を書き入れるのに、刀はそれを削るのに使 か ん り ったのだ。木簡がすたれた後も、下級の官吏を指す言葉として残った▲それが細事に こだわる小役人根性をなじるのに使われることが多かったのは、司馬遷の「史記」の 用例に由来するらしい。しかし1300年以上の歳月を超えて現れた日本最古の戸籍 となれば、それを記した「刀筆の吏」のきちょうめんさに大いに感謝すべきだろう▲ むろん福岡県太宰府市の国分松本遺跡から出土した7世紀末の木簡群の話である。そ のうちの一つ、長さ31センチ、幅8センチの木簡の表裏には現在の糸島地方にあた しまのひょう る「 嶋 評 」の地名と、16人の名や続き柄、「進大弐(しんだいに)」という冠位 じ とう などが記されていた。住民の戸籍データだ▲「日本書紀」には持統天皇即位に先立つ し ょ か ん じ 689年、諸官司に「令(のりのふみ)一部二十二巻」が下されたとある。3カ月後 みことのり に は 戸 籍 を 作 る よ う 諸 国 の 国 司 に 詔 が あ っ た 。天 皇 、日 本 と い う 称 号 や 国 号 を も 定 め た と さ れ る 飛 鳥( あ す か )浄 御 原 令( き よ み は ら り ょ う )と そ れ に も と づ く 戸 籍「 庚 寅年籍(こういんねんじゃく)」の記述だ▲記された地名や冠位名から、出土した戸 籍は飛鳥浄御原令の時代のものと推定される。これまで最古の戸籍史料とされていた 大宝律令(701年)施行後の正倉院文書に先立つ戸籍史料になる。歴史家にとって は読み取るべき新たな知見の詰まったタイムカプセルだ▲いや素人の歴史好きとて、 飛鳥時代に生きた男女の名を一つ一つたどるだけで想像の翼がはばたき出す。決して ばかにしてはいけない「刀筆」の力である。 余 録 :1 9 世 紀 欧 州 最 大 と い わ れ た 遺 産 分 与 は 破 天 荒 な … 毎日新聞 2012 年 06 月 13 日 00 時 05 分 19世紀欧州最大といわれた遺産分与は破天荒な成り行きをたどった。何しろ故人 の遺言状には、巨額遺産のうち血のつながった親族に贈るのは3%、知人や使用人を ふくめても関係者への遺贈はわずか5%という遺言が記されていたのだ▲誰の遺言か ぴんときた方もいよう。故人とはダイナマイトで巨富を築いたアルフレッド・ノーベ ル、遺産は当時の3300万スウェーデン・クローナだった。遺言は残額を安全な投 資に回し、毎年の配当を人類に大きな貢献をした者に賞として与えるよう求めていた ▲だからノーベル賞の賞金は主に国債に投じられた資産の運用成績で増減し、実質初 回の3割に激減した時もある。それが着実に増え出したのは運用対象に株や不動産を 加えた第二次大戦後だった(北尾利夫著「知っていそうで知らないノーベル賞の話」 平凡社新書)▲初回の15万クローナから始まった賞金がとうとう1000万クロー ナ(約1億1100万円)に達したのは2001年であった。以来、固定されていた 賞金が今年は20%減の800万クローナになるというニュースが伝わってきた。賞 金減額は63年ぶりのことである▲実はここ10年、資産の運用益が賞の運営経費を 下回る状態が続いていたという。リーマン・ショックから欧州債務危機の今日にいた る金融市場の混乱などで運用資産が2割ほど目減りしたという話も聞く。ちなみに近 年は株式やヘッジファンドでの運用が増えていた▲もとより賞金の多寡に左右されな い ノ ー ベ ル 賞 の 栄 誉 だ 。た だ 泉 下 の ノ ー ベ ル は「 あ れ ほ ど 安 全 な 投 資 を 遺 言 し た の に 」 と眉をひそめているかもしれない。 余 録 :日 露 戦 争 で 日 本 軍 が 苦 戦 し 、 満 州 軍 総 司 令 部 に と げ … 毎日新聞 2012 年 05 月 29 日 01 時 34 分 日露戦争で日本軍が苦戦し、満州軍総司令部にとげとげしい空気が立ちこめたとき だ。昼寝から起きてきた総司令官の大山巌が、指揮で頭に血がのぼった総参謀長の児 玉源太郎に声をかけた。 「 児 玉 さ ん 、今 日 も ど こ か で 戦 が ご わ す か 」▲ 一 気 に 司 令 部 の 空気はなごみ、児玉も我に返った。責任だけは自分が引き受けるという茫洋(ぼうよ う)型リーダーの代表格の大山だが、凱旋(がいせん)後に何が一番苦しかったかと 聞 か れ 、答 え た 。 「 若 い 者 を 心 配 さ せ ま い と 、知 っ て い る こ と も 知 ら ん ふ り を せ ね ば な らなかったことだ」▲それと対照的な自らの現場視察や細々とした指示が批判された 福島第1原発事故での菅直人前首相だ。むろん児玉源太郎どころか、水素爆発はない と請け合うような専門家しか周囲にいなかった前首相にも言い分はあろう▲国会の原 発事故調査委員会の聴取を受けた前首相はまず国の責任者として事故について陳謝し た。そのうえで情報や予測、対処策をまるでトップに上げられなかった政府機関の実 態を明かした。想定すべきなのにしなかった過酷事故に不意打ちされた日本政府だっ た▲前首相の“陣頭指揮”への批判に対しては、現場視察は有益だったと述べ、海水 注入の中止指示は自分の意向でないと釈明している。評価はいろいろあろうが、こと 東京電力からの現場撤退要請を退けた一幕はトップリーダーの指揮がモノをいったと 見るべきだろう▲大山司令官方式も、菅流陣頭指揮も、結果がすべてのリーダーの危 機対処だ。事故調査は安易な決めつけに走らず、諸データをつき合わせた精密な事実 解明と教訓読み取りで世界中を納得させてほしい。 余 録 :言 葉 の 持 つ 力 。 そ れ は 「 傷 つ け る た め で は な く … 毎日新聞 2012 年 05 月 05 日 00 時 07 分 ( 最 終 更 新 05 月 05 日 00 時 07 分 ) 言葉の持つ力。それは「傷つけるためではなく、だれかを守り、だれかに伝え、だ れ か と つ な が り あ う た め の 力 」だ −−。今 年 の 本 屋 大 賞 を 受 賞 し た 小 説「 舟 を 編 む 」 (三 浦しをん作、光文社刊)の一節である。辞書は言葉の海にこぎだす舟、その舟を編む の が 辞 書 づ く り だ と い う 比 喩 が 美 し い ▲ 悲 し い か な 、私 た ち が 現 実 に 耳 に す る 言 葉 は 、 辞書づくりに一生をかける作中人物たちのように温かくはない。相手を責め立てる言 葉、だれかとつながりあうための言葉ではなく、だれかを傷つけるための言葉がはん らんしている▲大型連休前の問責決議で、田中直紀防衛相の資質を問う国会論戦があ った。子どもの世界のいじめにも似た集団での嘲笑に、眉をひそめる国民も多かった のではないか。その職にいかに不適格かを丁寧に説く方が、よほど言葉に重みがあっ ただろうに▲この国の政治は議論がいつもかみあわない。与党も野党も自分たちの陣 地を築き、壁を高くして、互いに言葉を投げつけ合っている。壁の内側は仲間の世界 だ。そこでしか通じない言葉を使っていれば、それはいつしか仲間だけを守り、敵を 傷つけるための言葉になってしまう▲コミュニケーションとは本来、考えを異にする 者 同 士 が 相 手 の 意 見 に 耳 を 傾 け 、そ れ を 尊 重 し 、そ し て 自 ら を 高 め て い く こ と で あ る 。 人と人がつながりあうために、言葉は生まれたのだ▲連休明けには問責決議の後始末 と消費税の国会審議、そして小沢一郎元代表の処分解除をめぐる民主党内の論議が始 まる。言葉のつぶてがむなしく飛び交う政治の光景を、また見せつけられるのはごめ んこうむりたい。 余録:ギリシャ神話の牧神パンは怒ると… ギリシャ神話の牧神パンは怒ると大きな音で人や家畜を恐怖に陥れる半獣神だ「 。パ ニック」の語源となり、粗野で好色なことでも知られる。後の時代の悪魔の原形にな ったともいうこの神をアテナイ人は神殿に祭り、犠牲を供して崇拝した▲というのも マラソン競技の起源であるマラトンの戦いでは、ペルシャの大軍を敗走させたパニッ クがパンの仕業と思われたからだ。アテナイ人にとり、叫び声やホラ貝の音で人に恐 怖を呼び起こすパンは守護神だったのだ▲今、人をおののかせる声や音の効用が注目 されているのは、大津波からの避難遅れが多くの犠牲者を生んだ東日本大震災の痛恨 の体験からだ。NHKは今後大津波が予想される場合、人を落ち着かせる従来の口調 を改め、命令調・断定調の避難呼びかけを行うという▲今までなら「高いところに逃 げてください」が「直ちに高いところに逃げること」、同じく「津波は急に高くなる ことがあります」が「急に高くなります」という調子だ。「東日本大震災を思い出し てください」「命を守るために……」といった言い方も用いられる▲人は非常時にも 日常の惰性がはたらき、なかなか避難しようとしない。それが近年の災害心理学の示 すところだ。逆によく懸念されるパニックによる混乱は実際にはまれだという。人に 避難行動をとらせるには、危機感にスイッチが入るような思い切った警告が要る▲荒 ぶる神を祭って守り神に変えるのは、アテナイ人よりむしろ日本人のお家芸だ。ここ はパンの神にも得意技のパニックは封じてもらいつつ、うまく人を災厄から逃す声と 音の用い方を教わりたい。 毎日新聞 2012 年 3 月 13 日 0 時 19 分 余録:漢民族の始祖という伝説上の帝王・黄帝が… し そ 漢民族の始祖という伝説上の帝王・黄帝が、反乱を起こした獣身の神・蚩尤(しゆ う)を討伐した時だ。蚩尤は霧をあやつって黄帝の軍を苦しめた。だが黄帝は車上の 人 形 が 常 に 南 の 方 角 を 指 し 示 す「 指 南 車 」に よ っ て 軍 を 導 き 、つ い に 蚩 尤 を 降 す ▲「 指 南」という言葉の起源という。この指南車、3世紀の晋の時代に実際に作られ、皇帝 の行列に加えられた。磁石の仕掛けと思われようが、実は精巧な歯車仕掛けの二輪車 で、車が方向を変えても最初に南に向けた人形の向きが変わらぬよう工夫されていた そうだ▲ならば摘発されたオリンパスの粉飾決算の霧の中では、どんな方向に指が向 けられていたのだろうか。東京地検特捜部と警視庁は同社の不正経理事件で前会長は じめ旧経営陣3人と共に、指南役として大手証券会社OBら4人も金融商品取引法違 反の疑いで逮捕した▲同社の第三者委員会の調査では、80年代の財テク失敗による 巨額損失を海外ファンドなどへの「飛ばし」により隠し続けてきた歴代経営陣だ。今 回は企業買収にともなう架空の「のれん代」計上など、時効の成立していない07年 3月期以降の粉飾が逮捕容疑となった▲企業会計の粉飾は英語で「ウインドードレッ シング」、つまりショーウインドーの飾り付けにたとえられる。オリンパスのみなら ず日本の企業風土への海外の投資家の不信を募らせたこの事件だ。内幕隠しの飾り付 け指南に励んでいたのが元証券マンなのが情けない▲捜査による事件の徹底究明は、 日本の企業と市場への信頼を保つ上でも欠かせまい。企業会計の指南車の人形は常に 公正を指し示していなければならない。 毎日新聞 2012 年 2 月 17 日 0 時 04 分 余録:小泉八雲(L・ハーン)が「生き神」という・・・ 小泉八雲(L・ハーン)が「生き神」という英語のエッセーを書いたのは2万20 00の犠牲者を出した明治三陸大津波に衝撃を受けたからだ。今や国際語の「TSU NAMI」もそれで世界に広まる▲八雲はそこで安政年間に大津波が紀州の村を襲っ た 際 、庄 屋 の 浜 口 五 兵 衛 が 自 家 の 稲 む ら に 火 を つ け て 村 民 を 高 台 に 導 い た 話 を 記 し た 。 その部分は日本語で「稲むらの火」という物語に翻案され、戦前の国語教科書などを 通して津波の教訓を後世に伝えることになる▲岩手県釜石市立鵜住居小2年の佐々木 里桜ちゃんは昨夏、図書室で「津波!! 命を救った稲むらの火」(汐文社)という 本を手にした。昔の人が津波の時にどうしたかを知りたかったからだった。あの3月 11日の恐ろしい出来事がまだ頭から離れなかったころである▲釜石を襲った津波は 里桜ちゃんのいた学校も3階までのみ込んだ。最初の避難場所も危ないと、みんなで もっと高台に逃げたのが良かった。家族の無事が分かったのはそれから何日も後だ。 消防団のお父さんからはお年寄りを助けようとして波に流された話を聞いた▲「いつ かみんなのいのちをまもれる人になりたい」。「五へえさん」にそう約束した里桜ち ゃんの読書感想文は第57回全国コンクールで毎日新聞社賞を受けた。それぞれの時 代の津波とのかかわりを通し、五兵衛、八雲、里桜ちゃんを時を超えて結びつける本 の 力 だ ▲ 最 近 は バ レ ー ボ ー ル や サ ッ カ ー に 夢 中 の 里 桜 ち ゃ ん だ が 、「 将 来 何 に な る ? 」 と聞くと「先生」と返ってきた。そういえば津波のことを忘れず、みんなに教えるの も「五へえさん」との約束だ。 毎日新聞 2012 年 2 月 4 日 0 時 36 分 余録:白井左近といえば人情噺「ちきり伊勢屋」に… 白井左近といえば人情噺(ばなし)「ちきり伊勢屋」に出てくる易者だ。縁談の相 談に来た若旦那・伝次郎の死相を見とがめ、死ぬ日を予言する。人生を見切った伝次 郎は翌日から江戸の町に出て困窮する者に手当たり次第に金を与えて回った▲全財産 を消尽した伝次郎だったが、期日が来ても死なない。左近に文句を言うと、善行によ り吉相に変わって長生きをするという。左近の予言に従って品川へ行くと、助けた母 娘と再会してその店に婿入りした。店は大繁盛して「積善の家に余慶あり」という次 第だ▲この噺、死の予言が善行をもたらして予言が外れるという前段はいわば「予言 の 自 己 破 壊 」、開 運 の 予 言 に 従 っ て 店 の 再 興 を 果 た す と い う 後 段 は「 予 言 の 自 己 成 就 」 といえよう。予言や予測はその後の人間の行動に影響を与え、起こる結果を変えるの が世の常である▲首都直下地震が懸念される南関東でマグニチュード(M)7級の地 震が今後4年間に発生する確率は70%との東大地震研の試算が公表された。もちろ ん人の力では発生を左右できない地震である。だが、その被害は予測にもとづく人の 行動次第で大きく違ってこよう▲この試算、今後30年以内の発生確率を70%とす る政府の予測に比べ、ずいぶんさし迫った話だ。研究者によると南関東でも地震が急 増した東日本大震災以降の傾向が続けば、そうした計算になるという。素人にはぴん とこない確率予測だが、切迫感は伝わってくる▲もともと「大地震はいつどこで起き てもおかしくない」がこの列島住人の宿命だ。どんな「予言」も、減災にむけた「積 善」につなげる心組みが肝要である。 毎日新聞 H2 4 2012 年 1 月 24 日 0 時 55 分 天声人語 月を指(ゆび)さしているのに、肝心の月を見ないで指ばかり見ている。つまり、 目の先のものにかまけて、ことの本質に目が向かない。分かりやすいからか、似た例 え は 世 界 に あ る よ う だ 。親 鸞 に も「 汝( な ん じ )な ん ぞ 指 を み て し か も 月 を み ざ る と 」 のくだりがある▼高名な宗祖と暴走大臣を並べるのも何だが、田中真紀子文科相をめ ぐる騒動にも同じことがいえないか。非難の声は高く、野党からは問責決議の声も上 がる。だが政争の具にするばかりでは、指の先の月を見ないことになる▼たとえば、 大学を新設するプロセスも一般にはわかりにくい。認可が下りる前から建物が造られ て、募集のPR活動が行われる。これを奇異に感じる人も多いのではないか▼大学の 設 置 認 可 制 度 の 手 引 を 文 科 省 が 作 っ て い る 。見 る と 、 「新規参入のハードルは格段に低 くなっている」 「 不 認 可 と さ れ る 事 例 は 極 め て ま れ 」と い っ た 文 言 が あ る 。こ れ で は 乱 立 も や む を 得 な く 思 わ れ る ▼ そ し て 今 、総 定 員 が 進 学 希 望 者 よ り 多 い 全 入 時 代 で あ る 。 独自の試験をせずにセンター試験ですませ、中には学力審査がない大学もある。仮に 学生の頭数がそろえばいいという了見なら、学ぶ者のための大学か、経営者のための 大学か、わからなくなる▼迷惑きわまる真紀子台風だが、暴君キャラをあげつらって 終 わ り 、に は し た く な い 。政 治 も メ デ ィ ア も 、 「 文 教 ム ラ 」の 空 に か か る 月 を 、一 度 よ く吟味する必要があろう。教育は国の基(もとい)だから、くすんだ月であってはい けない。 2012 年 11 月 9 日 ( 金 ) 付 今 年 が 生 誕 3 0 0 年 に な る フ ラ ン ス の 思 想 家 ル ソ ー が 言 っ て い る 。「 理 性 、 判 断 力 は ゆ っ く り と 歩 い て く る が 、 偏 見 は 群 れ を な し て 走 っ て く る 」(『 エ ミ ー ル 』 今 野 一 雄 訳 )。偏 見 に 染 ま る の は 早 く 、こ び り つ い た ら 容 易 に は 消 え な い ▼ ア メ リ カ 社 会 の イ ス ラム教への偏見は以前から根強い。2年前の今ごろ、フロリダの教会が世界に向けて 「コーランを燃やせ」と呼びかけた。激しい反発がイスラム世界に広がったのは記憶 に新しい▼今年に入って、米軍幹部の教育機関で、イスラム教徒の市民には空襲のよ うな無差別攻撃が許される、といった内容の授業が行われていたことがわかった。あ からさまな蔑視に驚くが、そうした空気を吸って軍人各層は育つらしい▼そして、ま た騒ぎである。イスラム教の預言者ムハンマドを侮辱する映像が流れ、怒った民衆の 抗議で中東各地は荒れる。引き金になった映像は、炎上を狙って油にマッチを投げた ようなものだ。偏見を通り越して、暗い憎悪が透けて見える▼「挑発に乗るな」とい う指導層の理性の声が細れば、事態はさらに危うくなる。時を同じくしてリビアの米 領事館が襲撃された。これはテロらしいが、大使ら4人の落命が痛ましい▼アメリカ という国の欠点の一つは「他国を手前勝手に理解すること」だと言われる。それが反 発 を 生 ん で き た 。リ ビ ア の 惨 劇 を 怒 り つ つ 、偏 見 と 独 善 を 消 し て い く 努 力 も 望 み た い 。 欲しいものは相互理解。こぶしを開かなくては、握手はできない。 2012 年 9 月 14 日 ( 金 ) 付 地球が球形なのは誰でも知っている。それを踏まえて、自分の目で見て一番遠いと ころにあるものは何か? 答えは自分の背中だという。地球一周4万キロのかなた。 むろん冗談だが一端の真理はある。自分の「背中」ほど見えにくいものはない▼背中 とは、その人の無意識がただよっているような、不思議な場所だ。きょうが没して5 0 年 の 作 家 吉 川 英 治 に「 背 中 哲 学 」と い う 随 筆 が あ っ て 、 「 ど ん な に 豪 快 に 笑 い 、磊 落 (らいらく)を装っていても、その背中を見ると、安心があるかないかわかる気がす る」と書いている▼顔と背中が、二つの仮面を合わせたように違う人もいるという。 正 面 は 取 り 繕( つ く ろ )え る が 裏 は 隠 せ な い も の ら し い 。 「 宮 本 武 蔵 」や「 新・平 家 物 語」などを世に送り、大衆小説を国民文学にまで高めた大作家は、さすがに人間通だ ▼ 「 4 0 歳 を 過 ぎ た ら 自 分 の 顔 に 責 任 を 持 た ね ば な ら な い 」 は リ ン カ ー ン だ が 、「 顔 」 は「背中」にも置き換えられよう。目標にしたい後ろ姿が職場にあれば若手は育つ。 子は親の顔色をうかがうが、背中は黙って見ているものだ▼東京・下町の銭湯で半世 紀 、お 客 の 背 中 を 流 し て き た 人 が 、3 年 前 に 本 紙 に こ う 話 し て い た 。 「黙って苦労を語 っ て い る よ う な 背 中 っ て あ る ん だ 。ご く ろ う さ ん 、て 声 を か け た く な る よ ね 」▼ さ て 、 世間を眺めれば、 「 選 挙 の 顔 」選 び に 政 界 が 騒 が し い 。見 て く れ に 惑 わ さ れ ず 、ど の 人 、 どの政党の背中が偽りないかを見極めたいものだ。昭和の文豪の慧眼(けいがん)に あやかりながら。 2012 年 9 月 7 日 ( 金 ) 付 「ひとだすけ」の言葉を知っていたろうか。思わぬ事故で横たわる小さな体から、温 かい臓器が摘出された。他の命を救う大仕事を終えたその顔に、父母は涙をためて、 穏やかな笑みを投げかけたそうだ▼富山大学付属病院で6歳に満たぬ男児が脳死とな り、移植のために臓器が供された。この年齢の子どもからは国内初の提供だ。心臓と 肝臓はそれぞれ10歳未満の女児2人に移植された▼若い脳は回復力が強く、脳死の 判定は慎重を要する。虐待の跡がないのを確かめ、最初の判定から丸一日あけて再判 定する。幼児間の臓器移植が日本でも定着すれば、費用や体力面で負担が大きい「渡 航移植」に頼らずにすむ。悲嘆の底で重い決断をしたご両親は「息子を誇りに思う」 と記した▼男の子は、同世代の女児の体内で「生き」続ける。臓器を取り換えた彼女 たちは、やがて恋をし、母にもなろう。人生の山谷(やまたに)が続く限り、坊やは そ の 営 み を 、裏 方 で 支 え る こ と に な る ▼「 昨 日 と 今 日 は 、偶 然 並 ん で い た だ け で し た 。 今 日 と 明 日 は 、突 然 並 ん で い る の で し た 。だ か ら 明 日 の 無 い 時 も あ る の で す 」。飛 行 機 事 故 で 亡 く な っ た 坂 本 九 さ ん に 、永 六 輔 さ ん が 手 向 け た 言 葉 だ ▼ 偶 然 並 ん だ 毎 日 に は 、 不慮の悲しみも突然の幸(さち)もある。気まぐれに置かれた飛び石を曲芸のように 渡り、命は明日へとつながる。わんぱく盛りの心臓と、汚れなき肝臓をもらい、少女 たちは未来に歩み出した。会ったことも会うこともない恩人と、二人三脚の日々が待 つ。 2012 年 6 月 20 日 ( 水 ) 付 し ば し ば 使 わ れ る の に 、意 味 を 聞 か れ る と 説 明 し づ ら い 語 が あ る 。 「 個 性 」は そ の 筆 頭 格だろう。個性を伸ばす、個性を育む、などと言うが、さて個性とは。昨今の就職活 動では「個性を封印する」という表現も聞こえてくる▼「封印」の象徴が黒のリクル ー ト ス ー ツ な の だ と い う 。あ ま り の 画 一 化 に 風 を 入 れ よ う と 、 「 服 装 自 由 化 」を 学 生 に 勧める企業をアエラ誌が報じていた。ソニーなどの有力企業も試みているが、笛吹け ど踊らず。説明会はやはり黒の上下で埋まるそうだ▼気持ちは分かる。超氷河期のい ま、就活は「人生をかけた椅子取り」にも例えられる。得点より減点が怖いとき、周 りから「浮く」のはそれなりの勇気がいる。黒はいわば、無難という名の保護色なの だ ろ う ▼ 夏 目 漱 石 が 「 草 枕 」 に 書 い て い た 。「 文 明 は あ ら ゆ る 限 り の 手 段 を つ く し て 、 個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によってこの個性を踏み付けようとす る 」。こ の 一 節 が 、ど こ か 今 の 就 活 に 重 な る ▼ 幼 時 か ら の 教 育 は さ か ん に「 個 性 」を 言 う。しかし社会に出る学生は、指南本やセミナーの説く寸法に合わせてノウハウの尾 ひれをつけ、就活戦線を泳ぐ。個性も、総体としての多様さも、色あせないかと心配 になる▼むろん個性は外見よりむしろ中身だろう。とはいえ服装一つでも、同調圧力 に抵抗力のある人は頼もしい。小器用に空気を読む人ばかりでは組織の活力も生まれ まい。人との違いを楽しめる。そんな個性を応援したくなる。 2012 年 2 月 14 日 ( 火 ) 付 H24 照明灯 11月29日付け照明灯 孔 子 が 問 う た 。「 子 貢 よ 、 お ま え は わ た し が 多 く を 学 び 、 知 識 に 富 ん だ 人 間 だ と 思 う か 」。「 違 う の で す か 」 と 、 い ぶ か る 弟 子 に 答 え て い わ く 「 わ た し は た だ 一 つ を 貫 い て い る だ け だ 」。知 恵 者 で あ る と い う だ け で は 足 り な い と い う 。な ら ば 、こ の 論 語 で 語 られた一つの道とは何か。世の中を導く信条や行動力との説もある▼難しい選択を幾 つも成さなくてはならない日本。混沌の時代に政治家も己を貫き通すことは至難とみ える。民主党政権の次を狙う結党の動きが随所にあるが、主張に必ずしも一貫性はな い。勢力拡大のためには、先に掲げた公約さえねじ曲げてみせる。政治家の言葉があ まりにも軽く感じられる▼資質を持ちながら、まだ眠れる臥竜に身を起こしてほしい -。多くの人がそんなリーダーを待ち望んでいる。しかし、それを夢見るだけの傍観 者から脱皮することを私たちも迫られているのではないか▼誰もが多くの情報を得ら れる社会となりながら、人々の孤立感が深まるのはなぜなのか。批判するだけではな く、互いに当事者となり、責任をもって語り合うことが必要なのかもしれない▼政治 劇 場 の 観 客 を 決 め 込 む こ と の 報 い を 、こ の 数 年 で 存 分 に 味 わ っ た 。今 こ そ わ れ わ れ も 、 孔子の言う「一つ」を考えたい。 11月10日付け照明灯 中国の儒学者・孟子の言葉に「大人は赤(せき)子(し)の心を失わず」とある。 大人は「たいじん」と読み、徳の高い立派な人を指す。度量の大きい人物は赤ん坊の ような純真な心を失わない。また、君主は赤ん坊を慈しむように民心を大切にすると いう意味もある▼先ごろラオスで開かれたアジア欧州会議(ASEM)首脳会議。野 田佳彦首相とすれ違った中国の温家宝首相は、あいさつするそぶりも見せなかった。 日中対立が背景にあり国民の目を意識したとはいえ、大人の風格どころか子どもじみ た姿だった▼中国共産党大会が始まっている。胡錦涛国家主席は、次世代に引き継ぐ 目標として「海洋強国」建設を表明した。日中両国は尖閣諸島をめぐり、ASEM席 上で激論を交わしたばかり。習近平氏をトップとする新指導部も対日強硬路線を継承 しそうだ▼大人には文字通り大きい人という意味も。中国は紛れもない巨人だが、体 は病にむしばまれている。官僚の腐敗や格差の拡大が顕著になり、国民の不満が政府 に向かう懸念が膨らむ▼「大人は虎変す」という俚(り)諺(げん)もある。有徳の 王者が改革を行うと、トラの毛が秋に生え替わって美しくなるように成果が出るの意 味。だが、政治改革は先送りされ、新指導部に多くの宿題を残した。 10月27日付け照明灯 「 ど ん な も の で も 何 か の 役 に 立 つ ん だ 。 た と え ば こ の 小 石 だ っ て 役 に 立 っ て い る 」。 映 画 の 名 せ り ふ を 集 め た 、イ ラ ス ト レ ー タ ー で 監 督 と し て も 知 ら れ る 和 田 誠 さ ん の「 お 楽しみはこれからだ」 ( 文 藝 春 秋 )に あ っ た 。 「 空 の 星 だ っ て そ う だ 。君 も そ う な ん だ 」 ▼「 私 は 何 の 役 に も 立 た な い 女 よ 」。フ ェ リ ー ニ の 作 品「 道 」で そ う 卑 下 す る 、粗 暴 な 大道芸人の男と旅暮らしを続ける娘に、サーカスで綱渡りをしている青年が語り掛け る ▼ 娘 は 自 分 の 気 持 ち を 年 相 応 に 周 り に 伝 え る の が 少 し 下 手 だ が 、こ の 上 な く 無 垢( む く)な心の持ち主だった。日ごろから大道芸人に人として扱われたことがない娘と青 年のやりとりは、全編物悲しい筋立てにあってひときわ胸に染み入る。娘は名をジェ ルソミーナといった▼養護施設「ねむの木学園」園長で、歌手、女優でもある宮城ま り子さんが来月、都内で開かれる音楽会に久方ぶりに出演するそうだ。トランペット の音色が切ない「道」の主題曲「ジェルソミーナ」を歌うと知り、宮城さんならでは の選曲ではと感じた▼身勝手でおぞましく、人を人と思わないむごたらしい事件が連 日のように報じられている。 「 ど ん な も の で も - 」と 教 え る 青 年 の せ り ふ を あ ら た め て 心のうちで反すうしてみる。 10月25日付け照明灯 「 よ ろ づ の 事 は 頼 む べ か ら ず 」。 徒 然 草 は 説 い て い る ( 2 1 1 段 )。 権 勢 、 財 産 、 学 才、他人の厚情…いずれも当てにしてはならない。強者こそ先に滅ぶのが常であり、 財などというものは瞬時にして失われる。学問才能も時勢次第だ。人間の感情はそも そ も 移 ろ い や す く 、約 束 を た が え ら れ る の も 珍 し く は な い 。 「 深 く 物 を 頼 む 故 に 、恨 み 怒る事あり」と▼多くの犠牲者が出たイタリア中部地震をめぐり、地震予知の失敗が 深刻な被害をもたらしたと過失致死傷罪に問われた防災庁付属委員会所属の学者らに、 求刑を上回る禁錮6年の刑が言い渡された▼群発地震は必ずしも大地震の兆しではな いとする報告が安全宣言と受け止められ、避難を取りやめた人が厄災に巻き込まれた として起訴されていた▼裁判を傍聴していない身で軽々な物言いは慎むべきだが、厳 しい量刑と思えなくもない。地震学者の神沼克伊さんは予知技術の完成を目標に挙げ つつ、道のりの険しさを明かしている。成就するまで、国民には「地震に成熟した社 会を目指す努力が必要である」 (「 首 都 圏 の 地 震 と 神 奈 川 」、有 隣 新 書 )▼ 徒 然 草 が 教 え るよろづの事に専門家の知見も加え、予知をはじめとした地震に関わる知識を怠りな く培わなければなるまい。 9月13日付け照明灯 「わたしたちはいわば、二回この世に生まれる。一回目は存在するために、二回目 は 生 き る た め に 」。 哲 学 者 ル ソ ー は 「 エ ミ ー ル 」( 今 野 一 雄 訳 、 岩 波 文 庫 ) に 書 い た 。 家庭教師サリバンと盲・聾・唖の障害がある少女ヘレン・ケラーの魂のぶつかり合い を描いた映画「奇跡の人」は、そんな再生の物語だったように思う▼ヘレンはサリバ ンの心血を注いだ教えにより、生きていく意味を見いだす。深刻な逆境を克服し、後 に多くの身体障害者の教育や福祉の向上に力を注ぐことになるヘレンの人生も、サリ バン同様、 「 奇 跡 の 人 」の 呼 び 名 に ふ さ わ し い ▼ 岩 手 県 陸 前 高 田 市 の 景 勝 地 と し て 知 ら れた高田松原に立つ、同じ「奇跡」の2文字を冠せられた松の保存に向けた作業が始 まった▼東日本大震災がもたらした津波になぎ倒された約7万本の松の中で、唯一生 き 残 っ た「 奇 跡 の 一 本 松 」。震 災 に 打 ち の め さ れ た 被 災 者 の 心 の 支 え に な り 、復 興 に 励 む被災地の象徴ともされてきた。松は幹に防腐処理が施されるなどし、来年2月には また、 「 保 全 さ れ た 奇 跡 の 一 本 松 」と し て 戻 っ て く る と い う ▼ 厄 災 後 、被 災 地 で は 数 多 くの再生の物語が紡ぎ続けられてきたことだろう。逆境に負けない被災者もまた「奇 跡の人」の呼び名にふさわしい。 9月5日付け照明灯 中 国 ・ 前 漢 時 代 の 思 想 書 、 淮 南 子 ( え な ん じ ) の 説 山 訓 に あ る 。「 一 葉 落 つ る を 見 て 、歳 の 将( ま さ )に 暮 れ ん と す る を 知 り 、瓶 中 の 氷 を 睹( み )て 、天 下 の 寒 を 知 る 」。 落 葉 の 早 い 梧 桐( あ お ぎ り )の 葉 が 枝 を 離 れ る の を 見 て 秋 の 到 来 が 察 せ ら れ る よ う に 、 さ さ い な 前 兆 に よ っ て 後 に 来 る 大 き な 動 き を 予 知 で き る 。「 一 葉 落 ち て 天 下 の 秋 を 知 る」はそんな例えに用いられる▼共同通信社の世論調査によれば、橋下徹大阪市長の 率いる大阪維新の会が間近とされる総選挙での比例代表の投票先で民主党を上回り、 自民党に次いだ。国会議員のいない地域政党がこれほど幅広い支持を得た例を知らな い▼当節まさに、カラスの鳴かぬ日はあれど、維新の会の動静が耳目を集めぬ日はな い。自民党の総裁選に深く関わり、勢力の伸長を牽制(けんせい)する政権与党の幹 部に舌戦を仕掛けられる存在になった▼国政進出に向けた動きも最終盤に差し掛かっ た 今 、梧 桐 の「 一 葉 」に な ぞ ら え る 非 礼 を 承 知 で 言 わ せ て も ら え ば 、 「 天 下 の 秋 」の 後 に目指す国の姿がいまひとつよくつかめない▼相場の世界では、山高ければ谷深しと いう。世論が移ろいやすい事情は、目端の利く橋下市長ならよくお分かりだろう。老 婆 心 な が ら 、「 一 葉 落 ち て ― 」 に は 没 落 し て い く も の の 悲 哀 を み る 捉 え 方 も あ る 。 9月1日付け照明灯 天が落ち、大地が崩れたらどうしよう。案ずるあまりに眠れなくなってしまう、列 子に書かれた中国は杞(き)の国の男の寓話(ぐうわ)ならよく知られる。男は説諭 を受けて平常心を取り戻す。杞憂は取り越し苦労、無用の心配の意だ。科学者の寺田 寅彦は随筆に、杞憂をして「事によると、自分のような人間の悪口を言うために作ら れたのかもしれない」と記した▼寺田によれば、国全体が吊(つ)り橋の上に架かっ ているのと同じで、しかも鋼索が明日にも断たれるかもしれないのが日本らしい。し かるに国は地震の備えより防空演習に懸命だと皮肉る。忍び寄る虎を忘れ、すりこ木 を振り回して油虫を追う空騒ぎを演じている、と▼寺田は地震という現象ともたらさ れ る 災 害 は 区 別 す べ き だ と も 説 い て い る 。人 間 の 力 で は ど う に も な ら な い 現 象 と 違 い 、 「災害は注意次第でどんなにでも軽減されうる可能性がある」▼東海沖から四国沖に 横たわる海底の溝が揺らいだ場合の被害想定が示された。神奈川は首都圏で最大の被 害に見舞われる。吊り橋の鋼索を強化するなど、国は災害を減らすさまざまな手だて を急ぎ整えなければならない▼皮肉る対象は寺田の時代と変じても、国会はすりこ木 を振り回して空騒ぎする図に似通って見え、懸念が募る。 7月30日付け照明灯 「 痴 漢 」 と い う 言 葉 を 広 辞 苑 に 当 た れ ば 、 (1)愚 か な 男 、 痴 ( し ) れ 者 (2)女 に み だ ら な い た ず ら を す る 男 ― と あ る 。昨 今 痴 漢 と い え ば 、大 概 は 後 者 の 意 味 で 用 い ら れ る 。 しかし、作家で中国文学者の駒田信二さんによれば漢語の痴漢には前者の意味しかな いそうだ▼その説明に、中国・明代の画家で詩人、唐寅(とういん)の作品を引いて い る 。「 駿 馬 毎 駄 痴 漢 走 巧妻常伴拙夫眠 世間多少不平事 不 会 作 天 莫 作 天 」。 い い 馬にはよく愚かな男が乗っているものだし、いい女の亭主はくだらない男ばかり。世 の中は不公平だらけだが、天のなさることだから恨んでも仕方がない―といった意ら しい▼女子高校生に裸の写真を送らせた巡査部長に続いて、県警の警察官をめぐるゆ ゆしき不祥事である。相次ぐ痴漢の出来(しゅったい)に、真面目に職務に励む同僚 の歯ぎしりが聞こえてくる▼大和署に務めていた男性警察官4人が女性警察官をカラ オケ店に呼び出し、服を脱がせ、キスを強いたという。拒めば仕事に支障が出るとほ のめかす言動もあったとかで、何をか言わんや。あまっさえ、県警の対応に身内に甘 い負の一家主義が垣間見える▼先の唐寅の詩には、世の不公平な扱いに対する民の憤 りが込められているとの評もある。古今、民の義憤を侮るべからず。 6月26日付け照明灯 諸侯による領地争いが絶えなかった中国の春秋時代に、宋が川を挟んで楚と対峙 (たいじ)した。宋の襄公は「楚軍が川を渡り陣地を築かないうちに攻めるべき」と い う 配 下 の 進 言 を 遮 り 、言 う 。 「 君 子 は 、人 の 困 っ て い る 時 に 苦 し め て は い け な い 」▼ 楚軍が渡河を終え陣形を整えた後に、ようやく攻撃を始めた宋軍は戦に敗れる。春秋 時代の史料、春秋左氏伝に記された故事だ。要らぬ情をかけたばかりに、酷(ひど) い 目 に 遭 っ て し ま う 。以 来 、 「 宋 襄( そ う じ ょ う )の 仁 」と は 、無 益 の 情 け 、時 宜 を 得 ぬ憐(あわ)れみ、の意に用いられてきた▼堂々と戦いたいと願う潔い襄公は、肝心 の戦に勝利しなければ、ただのお人好(よ)しにすぎない。局面を見据えた適切な判 断ができない凡愚の将ともいえよう▼衆院ではきょう、本会議で消費増税を眼目とす る社会保障と税の一体改革関連法案の採決が行われる。反対票を投じる議員の数次第 では、政権は弱体化が避けられない。民主党執行部は党の分裂だけは何とか阻止した い、と懐柔に懸命だ▼その手だてが、造反議員らに対する扱い。幹事長は党内融和が 第一と、党の方針に背いた議員でも「苦しめてはいけない」と考えているらしい。平 成版「宋襄の仁」とも見なされかねない幹事長の振る舞いは、党に何をもたらそう。 6月13日付け照明灯 「われわれはこの言葉を『やけのやんぱち』とか『破れかぶれ』とかいう意味に使っ て い る け れ ど も 、ほ ん と う の 意 味 は 少 し ば か り ち が う 」。中 国 文 学 者 で 作 家 の 駒 田 信 二 さ ん が 孟 子 の 文 章 を 引 き 、 自 暴 自 棄 に つ い て 説 い て い る (「 は な し の 話 」、 文 春 文 庫 ) ▼「言、礼儀を非(そし)る、之を自暴と謂(い)うなり。吾が身、仁に居り義に由 る こ と 能( あ た )わ ず 、之 を 自 棄 と 謂 う な り 」。安 宅 で あ る 仁 に 住 も う と せ ず 、正 路 で ある義を歩もうとしないとは情けない限り。駒田さんによれば、自暴自棄とは仁義を 踏み外した振る舞いにほかならない▼大阪有数の繁華街で、無職の男がたまたま行き 合った男女2人を包丁で刺殺した。男は「仕事がなく自殺を思い立ったが、死にきれ な か っ た 」た め 、凶 行 に 及 ん だ ら し い 。巷 間( こ う か ん )、自 暴 自 棄 の 4 文 字 が 飛 び 交 った。 「 人 を 殺 せ ば 死 刑 に な る と 思 っ た 」と も 話 し て い る よ う だ ▼ 遺 族 の う つ ろ な 思 い はいかばかりか。やけのやんぱちや破れかぶれといった言い訳にもならぬ言い訳など とても受け入れられまい。深い無念を思えば、仁義に背く蛮行と書くのさえむなしく な る ▼「 誰 で も よ か っ た 」。そ ん な 不 埒( ふ ら ち )極 ま る 身 勝 手 な 供 述 を 、こ れ ま で 幾 度 聞 か さ れ て き た ろ う 。「 倦 ( う ) ん だ 社 会 の 産 物 」 で 済 ま せ て い い は ず は な い 。 H24 編集手帳 せきがく うえはらせんろく へんがく 昭和期の歴史学者で西洋中世史の碩学、上原専禄博士の自宅客間には「蒙扁額が掲げ てあったという。西洋古典学者の柳沼重剛さんが随筆集『語学者の散歩道』以養正」 も う もっ の(岩波現代文庫)に書いている◆蒙を以て、正を養う。「蒙」が無知であること、 「 正 を 養 う 」が 真 っ 当 な 見 識 を 養 う こ と だ と す れ ば 、ソ ク ラ テ ス の 唱 え た「 無 知 の 知 」 に も 通 じ る だ ろ う ◆「 無 知 の 知 と い う 言 葉 も あ る 」――職 務 に つ い て 知 識 の 乏 し い 田 中 直紀防衛相を、そう言ってかばったのは野田首相である。残念ながら、北朝鮮のミサ イル発射に際しても情報の伝達は混乱した。「正を養う」にはまだ時間がかかりそう である◆自民党はきょう、公職選挙法がらみの不祥事が明るみに出た前田武志国土交 通相とともに、田中防衛相に対する問責決議案を参院に提出する。国防の危うさをさ らけ出したあとだけに、政府としても正面からは擁護しにくいのが苦しいところだろ う◆余談ながら、扁額の「蒙以養正」にはオチがある。博士は訪問客に、そのまま音 読してもらいたかったらしい。〈モウイイ、ヨセ〉。他意はないので、念のため。 ( 2012 年 4 月 18 日 01 時 31 分 読 売 新 聞 ) 台 湾 に は「 一 口 の ご 飯 を い た だ い た ら 、米 一 斗 を お 返 し す る 」と い う こ と わ ざ が あ る 。 受けた恩は何倍にもして返す、の意味。東日本大震災に、台湾は世界最大規模の20 0億円の義援金を寄せた◆台湾の人にとって、直近の「一口のご飯」は1999年9 月、2400人が死亡した台湾中部地震で日本が差し伸べた支援の手である。政府は 大型の緊急援助隊を派遣し、阪神大震災で使用した仮設住宅も無償提供した◆感謝と 恩返しの精神は日本の文化でもある。東日本大震災のひと月後、川崎市の女性が台湾 紙に支援感謝の広告を出そうとネットで呼びかけた。広告費は240万円だったが、 短期に2000万円が集まり、余った分は被災地に寄付された◆「大震災1年」の1 1日には、対台湾交流窓口機関の交流協会が台湾紙やテレビに感謝の広告とCMを出 した。CMには、仙台で被災した母子が「元気です。ありがとう台湾」のメッセージ とともに笑顔で登場している◆政府主催追悼式での台湾代表の扱いについて、野田首 相は国会で陳謝した。外交関係は途絶えていても、紡いできた交流の糸は大切にした い。 ( 2012 年 3 月 16 日 01 時 19 分 読 売 新 聞 ) ぼうよう 日露戦争で満州軍総司令官を務めた大山巌は、茫洋たる人格で知られた。「今日は大 いくさ 砲 の 音 が し も う す が 、ど こ ぞ で 戦 が ご わ す か 」。参 謀 部 に ふ ら り と 現 れ て 、尋 ね た 逸 ぼ し ん 話が残っている◆ぼんやりした人ではない。幕末には自身で大砲を設計し、戊辰戦争 で各地を転戦した戦略・戦術のプロである。『戦場の名言』(草思社刊)によれば、 のちに孫から総大将の心構えを聞かれ、「知っちょっても知らんふりすることよ」と 答えている◆言うべくして難しい。福島の原発事故で独立検証委員会(民間事故調) が報告書をまとめた◆「必要なバッテリーの大きさは? 縦横何メートル?」。菅直 人首相(当時)は緊迫した修羅場で、みずから携帯電話で担当者に確認したという。 官僚をもっとうまく使えなかったか。「首相がそんな細かいことを聞くのは、国とし てどうなのかとゾッとした」。同席者は証言している◆日露戦争で日本海海戦を勝利 に導いた作戦参謀、秋山真之は戦闘のさなかも双眼鏡をのぞかなかった。「視野が狭 くなる。自分は肉眼で大局を知ればよろしい」と。総大将が顕微鏡をのぞいてしまっ た不幸よ。 ( 2012 年 2 月 29 日 00 時 52 分 読 売 新 聞 ) 関西弁には「どぎつい」イメージがついて回る。だが、ほっとさせてくれる言葉も少 なくない。その一つに〈やってみなはれ〉がある◆突き放すわけではない。押しつけ がましくもない。何より相手への信頼感が伝わってくる。〈やってみなさい〉〈やり なはれ〉では、このニュアンスを出せない◆口癖にしていた人は多い。例えば第1次 南 極 越 冬 隊 長 だ っ た 西 堀 栄 三 郎 氏 だ 。T B S 系 列 で 昨 年 放 送 さ れ た ド ラ マ『 南 極 大 陸 』 では、越冬隊長を演じる香川照之さんが「とにかく、やってみなはれ」と幾度も隊員 を励ましていた◆〈百万回、口にした〉との伝説が残るのは、サントリー創業者の鳥 井信治郎氏だ。向こう見ずとは違う。サントリー社員だった作家の開高健氏が思いを 代弁している。〈起り得るいっさいの事態を想像しておけ。しかし、さいごには踏み きれ。賭けろ(中略)賭けたらひるむな。徹底的に食いさがってはなすな〉(新潮文 庫『やってみなはれ みとくんなはれ』)◆鳥井氏が亡くなってから、きょうで50 年になる。傷ついた日本に勇気を与えてくれるような気がして、その言葉をかみしめ た。 ( 2012 年 2 月 20 日 01 時 12 分 読 売 新 聞 ) 何年か前に本紙『こどもの詩』で読み、切り抜いた一編がある。作者は小学3年生、 題名を「交かん」という。〈人間ってね/イヤなことが/いっぱいたまると/幸運と 交かんできるんだよ〉◆遠い昔、同じような発想をした人がどこかにいたのかも知れ うそ ない。きょうとあす、東京の亀戸天神社で催される初春恒例の「鷽替え」は、1年の イヤなことを幸運と交換する神事である◆鷽はアトリ科の鳥である。昨年授かった木 うそ 彫りの鷽を新しい鷽と交換することで、1年の悪い出来事がすべて嘘になり、吉に転 じるよう祈願する◆「うそ」という名の由来には諸説ある。足を交互に上げながら鳴 く姿を琴の演奏に見立て、空で琴を弾くから「そらごと」(=嘘)説はよくできてい る が 、誰 か 頭 の い い 人 の 創 作 だ ろ う 。口 笛 に 似 た 鳴 き 声 か ら 、口 笛 の 異 称「 う そ 」( 嘯 ) にちなんでの命名とする説が有力らしい◆“嘯”という字から連想する言葉がある。 つなみは漢字で「津波」だが、「海嘯」とも書く。〈鷽替ふるならば徹頭徹尾替ふ〉 (後藤比奈夫)。招福を祈願して、「徹頭徹尾」の一語がこれほど切実な年もない。 ( 2012 年 1 月 24 日 00 時 59 分 読 売 新 聞 )