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Page 1 京都大学 京都大学学術情報リポジトリ 紅
Title Author(s) Citation Issue Date URL ケインズとポンド残高(1) 岩本, 武和 經濟論叢 (1997), 160(4): 1-20 1997-10 https://doi.org/10.14989/45171 Right Type Textversion Departmental Bulletin Paper publisher Kyoto University 平 成九 年 十 月 一日発 行 ︹ 毎 月 一目 一回 発行 } 論 策160巻 ケ イ ン ズ と ポ ン ド残 高(1)・ 第4号 … … … ・… ・ …… … … 岩 本 武 和1 軍 鋒21 中 国 中央 集 権 的 計 画経 済体 制 の形 成 と 第 一 次 五 カ 年 計 画(1)・ … … … ・… … ・ …… … …李 日本 の短 期 金 利 決 定 メ カニ ズ ム… … … …… ・ … … 中 川 技 術 パ ラ ダ イ ム と技 術 軌 道 ・ … … … … … … ・ … ・・ …大 騨 ホ ワ イ トカ ラ ー 型 労 働 組 合 主 義 の 性 格 づ け … … ・ 松 尾 平成9年10月 東 郡 文學 経 斜 鼻 會 竜 一一41 潤62 孝 -86 経 済 論 叢(京 都 大 学)第160巻 第4号,1997年10月 ケ イ ン ズ と ポ ン ド残 高(1) 岩 は じ 本 武 和 め.に 第 二 次 大 戦 後 の 国 際 通 貨 シ ス テ ム の 構 築 を め ぐ る 英 米 通 貨 外 交 に お い て,ポ ン ド残 高 の 処 理 は 最 重 要 課 題 で あ っ た 。 に もか か わ ら ず,lMF協 定はポ ン ド 残 高 の 処 理 に つ い て 何 ら 規 定 す る こ と は な か っ た 。 こ れ に 対 し て,英 米 金融 協 定(FinancialAgreementbetweentheGovernmentsoftheUnitedStatesand UnitedKingdom)に は,対 て い た 。 そ の 意 味 で,両 英援 助 の見 返 り と して この 問 題 が 詳 細 に規 定 され 協 定 は 一 見 補 完 的 な 関 係 に あ る が,以 ドの よ う に 代 替 的か つ 矛 盾 す る関 係 に もあ った。 第 一 に,両 協 定 の 批 准 は,抱 交 に お い て,一 過 し た の は,1年 に 調 印 さ れ たIMF協 後 の45年7月31日 な っ て い た 。IMF協 年9月 メ リ カ上 院 を 通 か ら開 始 され た 英 米 金 融 交 渉 お け る イ ギ リ.ス側 の カ ー ドの に は,同 ギ リ ス 上 院 を 通 過 し た の は,わ 一つ と 協 定 署 名 の 最 終 期 限 を1945年12 と 規 定 し て い た か ら で あ る 。 他 方,1945年12月6日 融 協 定 が,イ 1}ブ 定 第20条 第2項 定 が,ア で あ っ た の に 対 し て1〕,イ ギ リ ス で の 批 准 協 定 を 批 准 す る こ と が,同 (Anglo-Americanloannegotiations)に 月31日 米通 貨 外 方 の批 准 が他 方 の批 准 の取 引 材 料 と な った の で あ る。年 表 に見 ら れ る よ う に,1944年7月22日 は 遅 れ,同 き合 わ せ の 関 係 に あ っ た 。 つ ま り,英 に調 印 さ れ た英 米 金 ず か12日 後 の18日 で,議 会 に は1 レ トン ・ウ7ズ 協 定 の批 准 に至 る ア メ.リカで の 論 争 に つ い て は,.本 間 〔1991〕第3章 を参 照 。 年 月 年表 日 1939年9∫11日 3日 1明2帽 11月14H 「ケ イ ン ズ と第二 次 大 戦期 のス タ.一リ ン グ=ド ル外 交」 N 一 [MF協 定 潤 係 雛 雇 「.;. 「英米金融協働 関係 」. 5月1帽 にキ ン ダス リ..・ ウ・ ソド ケ でンズ,カ ト一擲 と ともに大蔵 省 入 り ろゴ 6月曜 日 M四 日 ルーズベル ト大統領.炉 辺談話にてアメリカが「民 主主義の兵器廠1となることを表明 ケインズ 「ドイツの新秩序を論駁するための提案」 1941年39/日 5月a日 アメリカ 「 武器貸与法」成立. ケインズ】回目の渡米 武器貸与および考慮事項の ら 9月8日 11月18日 翫)日 1942年1月1日 3月 4月 7月s日 ご.....流:.r、 日本,真 珠湾攻撃 米,対 日宣戦布告,太 平洋戦争勃.発 独 ・伊,対 米宣戦布告,米 も対線 ・伊 宣戦布告 . 「ケ インズ案」 第3次 草 稿 「ホワイ ト案」第 欽 草稿 「ケインズ寒 26力国による連合国宣 言(ワシントン宣言) 第4次 輔 「 「杣 丑鋤 協定」調印 「ホワイト案」第2次 草稿 「ホワイ ト案1第3次 草稿 .沸越 「ホ ワイ ト案.1が ケ イ ンズへ送 付 ホワイト案」の検討 四 日 テ ♂ル トンでの10日間の休暇中に 「 「ケインズ案 第5次草稿案 ,及 び 「 ホワイ 案」へのコメント. 「ケ イ ンズ案」 がア メ リカ財務 省 に送 付 28目 10月 お 日 ロン ドンにてケインズとホワイトの非公式会談 「ケインズ案」第6次 草摘 11.月9目 8月3日 「ケ イ ンズ案.「ホワ イ ト案 」劔 隠妻 ケイ ンズ,両 案 につ いて両院 にお いて処 如 寅説 7月10日.「 ホ ワイ ト案」 の改訂 .曙 費. 、野 誤 認淑膨 5加 細 賄 1943年4月7日 ・ & 麟 ▼.僧, 磯・▽戸胃騨. 耽 24日 2月 お 日 綴 懇職 鱗 一. 轟中 12月70 8目 11日 15日 伽 印 「 太平洋憲章」発表 一〇〇 検討 の ため。(一7月 9川4日 際.「 青勢 な ど ケインズ 戦 費調遷論 出版 チ⊥ンバレン内閣崩壊 チャーチル内閣発嬉 蔵相 1940年3月 12月1日 米 関 係,国 独 ポーランドに侵攻 第=次 大戦勃発 英 ・仏,貢髄 細 晧 ケインズ ー 戦力と単塒 金融」講演 ケインズ 『 タイムズ』誌に 「 強制貯 蓄論」を発表...一 騨 「. ケ イ ンズ,英 ( 8巴 .... .蟻.L三1 息.邑季」 一 点1.ト ㌔戸.闇 、」 8月1'旧 第1次 ケベ ッ ク会議(一8月 謎 日) 9月 ア目 ll目 ケ インズ2回 目の7ロ ー使節 団 の一 員 と してブ レ トン ・ウ ッズ 予備 会議 に 出席 のた め(一io月27日) イ タ1」ア降伏 キ ン グズ リー ・ウッ ド蔵相急 逝 1944年1月ll日 4月22日 6月5日 「専門家の共降剛 」発表 ケインズ 「 対日戦後の過渡期における対外金融に関する覚書」 ノ ンマ ンデ ィー ト陸 作戦開 始(Dデ 12H 一 曹6月30H〕 1.7日 「ア トランチ.fッ ク ・シテ.で会議 」開 催 〔 お日 ー) ケインズ 「 過渡期 におけるわが国の対外金融の問題」 ケイ ン.ズ3回 目の渡米,ブ レ トン ・ウ ッズ会議 に出 席 のた め 〔 一8月 園 目:1 「ブ レ トン ・ウ.ソズ 会議 」開催 「ブ レ トン ・ウッ ズ協 定.1調 印 7月1日 22日 9月1旧 第2次 ケベ ック会談 〔 ∼9月16日 〕 脳5年2月10 ヤ ル タ会議 〔 一2月11日 〉 4月 正2日 ル ー ズベル ト急逝 5月 5月7日 7月5日 ケインズ 「 第=段 階における海外金融政策」 トルーマ ン政権 の 成立.ヴ ィン ソン財務長官就任 ドイ ツ無条 件降 伏(v-Eデ ー,「第 二段 階」 開始}. チャーチル.失 脚 ア トリー労働党政権の成立 ポツダム会議(一8月Z日} 7月 工7日 出.旧 ケインズ 「 イギ リスの現在の対外金融ポジション」 ア メ リカ 「IMF協定 」批准 へ. yX 伴 翰 V て灘 掛 ( ご ケインズ4AF.1の 渡米 「 第二段階」の武器貸与に ついて協議するため(一12月15剛 21目 31日 8月 上 調 後 任 にア ンダー ソ ン蔵相 2旧 ケインズ 「 わ力躯1の対外金融見通 し」 15自 17日 日本 無条件 降伏(V-1デ ー,「第 三段 階」 開始) ア.メ リカ 「 武器貸星 ∫法」.魁 を発表 9月7日 1朗6日 ケインズ5回]の 渡米,英 米金融交渉のため.:…12月17日 〕 「 英米錦 協定.調 印 ケインズ 「 英米金融協定1に ついて上院で演説 イギリス 「IM協定1「 英米金融協定」議会で批准 18日 27日 1鰯 年2月 触目 ケ イ ンズ6回 目の 渡米∼ 「サ ヴ ァナ 会議 」 出席 の た 「 め ← ・3月22日) 第1回IMF総 会 〔 サヴァナ会議)開 催 ケインズ死 去 4月21目 6月25日 7月 朋 隈7年7月1日 「図無復興開発銀行」業務開始 「国際通貨基金 」業務開始 アメリカ 「 英米金融協定」議会で批准 ︹躇豊 3月B日 国 15目 イ ギIjス,ポ ン ドの交換 性 の回復 8月20目 イギリス,ポ ン ドの交換性.の 停止 4〔296}..第160巻 MF協 第4号' 定 が 合 わ せ て 提 出 さ れ,二 ア メ リ カ 側 の 批 准 は 遅 れ,議 つ の 協 定 が 同 時 に 批 准 さ れ た 。 こ れ に対 し て, 会 を 通 過 し た の は 翌46年7月13日,15日 に トル ー マ ン大 統 領 が 署 名 して 発 効 し た2レ 。 第 二 に,両 協 定 は 異 な る 思 考 の 産 物 で あ っ た 』IMF協 定 が,ド 基 軸 通 貨 とす る ユ ニ バ ー サ リ ズ ム に 立 っ て い る の に 対 して,英 ルを単 一 の 米 金 融 協 定 は, ドル と ポ ン ドの 複 数 基 軸 通 貨 を 念 頭 に 置 い た キ ー ・カ レ ン シ ー ・ア プ ロ ー チ に 近 い 立 場 を と っ て い た%周 あ っ たJ.H.ウ ,一f-4)は ,国 知 の ご と く,当 イ リ ア ム ズ が1937年 時 ニ ュー ヨー ク 連 銀 の 副 総 裁 で に 発 表 した キ ー ・カ レ ン シ ー ・ア プ ロ ー 際 貿 易 の 取 引 通 貨 と し て ポ ン ドが ドル を は る か に 上 回 る 規 模 で 使 用 さ れ て い た 当 時 の 現 状5,に 鑑 み,ド ル を単 一 の基 軸 通 貨 とす るユ ニバ ーサ リズ ム を 時 期 尚 早 とす る ウ.オー ル 街 の 考 え を 集 約 し た も の で あ っ た 。 第 三 に,両 IMF協 協 定 は 「交 換 性 の 義 務 」 に つ い て,矛 定 で は 第14条 で5年 を 開 始 す る1947年3月 間 の 「過 渡 期 」 を 認 め て い る の で,IMFが ユ 日 か ら 「5年後 の1952年2月 さ れ て い た の に 対 して,英 米 金 融 協 定 で は,協 ドの 交 換 性 の 回 復 を 義 務 づ け て い た た め に,イ 業務 末 まで が 過 渡 期 と して予 定 定 発 効 日か ら1年 以 内 に,ポ ギ リ ス は1947年7月15日 ドの 交 換 性 の 回 復 に 踏 み 切 っ た 。 こ の こ と は,IMF協 過 渡 期 を,英 盾 す る内容 を含 ん でい た。 にポ ン 定 が 規 定 す る5年 米 金 融 協 定 の 規 定 に従 っ た イ ギ リ ス の み が,実 質4ヶ ン 間の 月 に短 縮 せ ざ る を得 なか っ た こ と を意 味 す る。 と こ ろ で,こ イ ン ズ は,ポ れ ら 両 協 定 の 成 立 過 程 に イ ギ リ ス 側 代 表 と して 深 く関 わ っ た ケ. ン ド残 高 の 処 理 と ポ ン ドの 交 換 性 の 回 復 に つ い て,早 くか ら考 察 を 始 め て い た 。 す で に 別 項 で 明 ら か に し た よ う に。},「ケ イ ン ズ 案 」 は,ス リ ン グ 地 域 に 累 積 した ポ ン ド残 高 に は 手 を 付 け ず,民 間 レベ ル の 交 換 性 を 回 復 21英 米金融協定の批准に至るアメ 「1カ での議論 につ いては,本 間 〔1991〕 第4章,油 第1章 を参照。 3)島 崎 〔1977〕50頁 。 4)Willi置ms〔1936〕. .1 一 ・. 瓢:1糊 『.馬.・ 瞬 ・. ター 井 〔1985〕 ケイ ンズ とボ ン.ド残 高(D(297)5 し な い で,公 的 レベ ル で の 多 角 的 決 済 を 目論 ん だ も の で あ る 。 こ れ に 対 し て, も と も と の 「ホ ワ イ ト原 案 」 に は ポ ン ド残 高 を 処 理 す る た め の 詳 細 な 規 定 が 設. け ら れ て い た 。 注 目 す べ き は,ホ に つ い て,ケ ワ イ ト原 案 に 含 ま れ て い た ポ ン ド残 高 の 処 理 イ ン ズ が 非 常 に 高 く評 価 し て い た こ とで あ る 。 に もか か わ ら ず, イ ギ リ ス 通 貨 当 局 の 強 い 反 対 に 遭 遇 し,公 表 され た 「ホ ワ イ ト案 」 か ら は 全 く 抜 け 落 ち て し ま っ た 。.IMF協 定 か ら ポ ン ド残 高 の 処 理 問 題 を 切 り離 す こ と を 余 儀 な く さ れ た ケ イ ン ズ は,こ の 問 題 に つ い て 別 個 に 多 くの 覚 書 を 残 し て い る 。 し か し こ こで も,ケ い 反 発 に よ り,妥 イ ン ズ は イ ギ リ ス 大 蔵 省 お よ び イ ン グ ラ ン ド銀 行 か ら の 強 協 を余 儀 な くされ た ま ま英 米 金 融 交 渉 に臨 む こ とに な った の で あ る6 ポ ン ド残 高 の 処 理 や ス タ ー リ.ング地 域 の 対 ドル 差 別 措 置 に つ い て,よ さ れ る次 の 二 つ の ケ イ ン ズ の 発 言 は,一 1941年 夏 の 渡 米 中 に,ア く引 用 見 矛 盾 す る よ う に 思 わ れ る 。 す な わ ち, メ リ カ 国 務 省 か ら武 器 貸 与 に 関 す る 考 慮 事 項 を 示 さ れ た と き,「 ハ ル 氏 の 狂 気 じみ た 提 案 」7」 と し て ア メ リ カ 側 を 一 蹴 し た と さ れ る ケ. イ ン ズ は,1945年 冬 の 渡 米 中 に,イ ギ,)ス 大 蔵 省 か ら英 米 金 融 協 定 に 関 して ス タ ー リ ン グ 地 域 の ポ ン ド残 高 に つ い て 一 切 の 妥 協 を 拒 否 した 指 令 を 受 け た と き, 「ロ ン ド ン の 老 婦 人 の お 眼 鏡 に 適 う よ う な イ チ ジ ク の 葉 は,厳 は 萎 れ て し ま う」(cw,24,p.584).と しい気 候 の 中 で イ ギ リ ス 側 を 喝 破 した 。 ケ イ ンズ は,ア メ リ カ側 に と っ て は 強 硬 な 交 渉 相 手 で あ っ た と 同 時 に,イ ギ リス 側 に と っ て は 軟 弱 な 交 渉 担 当 者 と うつ っ た の で あ る 。 本 稿 は,英 米 金 融 協 定 に 至 る ま で の 過 程8}で,ケ に 処 理 し よ う と し て い た か に つ い て 考 察 し,以 イ ン.ズが ボ ン.ド残 高 を い か 下 の よ う に 展 開 す る 。.まず,第 二 次 大 戦 中 に イ ギ リ ス の 対 外 債 務 を 増 加 さ せ た 要 因 の う ち..1で 7)Harrod.〔1951ユp.512,邦 8)英 はス ター リン 訳569頁.. 米 金 融 協 定 の 調 印 に 至 る ま で の 英 米 通 貨 外 交 の 交 渉 経 過 に つ い て は,Gardner〔1956 [1980]〕,Syaers〔1956〕,Prcssnell〔1986}を 参 照 。 また 同 協 定 の 形 成 過 程 に 中 心 的 に 関 与 した ケ イ ン ズ の 貢 献 に つ い て は.『 ケ イ ン ズ 全 集 」 第24巻(CW,24),Moggridge〔1992〕 と 第30章 を 参 照o の 第29章 6(298)..第]60巻 第4号 グ 地 域 の ポ ン ド残 高 に つ い て,旺 で は ア メ リ カか らの武 器 貸 与 につ いて概 観 す る 。 次 に.,ケ イ ン ズ の ポ ン ド残 高 に つ い て の 考 察 の う ち,皿 で は 当初 「ホ ワ イ .ト原 案 」 に 含 ま れ て い た ポ ン ド残 高 の 処 理 案 に対 す る ケ イ ン ズ の 評 価 に つ い て, IVで は ケ イ ン ズ 自 身 の ポ ン ド残 高 の 処 理 案 に つ い て 五 つ の 重 要 な 覚 書 に つ い て 検 討 す る 。 最 後 にVで は,1945年9月 を 追 っ た 後,同 に 調 印 さ れ た 英 米 金 融.協定 が,発 し,結 年12月 か ち3ヶ 月 間続 い た英 米 金 融 交 渉 の 推 移 効 後 ユ年 足 ら ず で 破 綻 局 は惨 憺 た る失 敗 に終 わ った 経 緯 につ い て考 察 す る。 1.ス タ ー リ ン グ 地 域 の ポ ン ド残 高 一 般 に ポ ン ド残 高(sterlingbalances)とM ,外 国の政府 および民間人が ポ ン ド建 て で ロ ン ドン に 保 有 し て い る 短 期 流 動 資 産 で あ る 。 しか し,1914年 に 交 換 性 を 有 して い た 軍 ン ド残 高 と,そ の 後 に 交 換 性 を 失 っ た ポ ン ド残 高 で は, そ の 意 味 は 全 く 異 な る 。 ま た 後 者 の 意 味 に お い て も,ス (sterlingarea)の ド残 高 と は,明 以前 保 有 す る ポ ン ド残 高 と,非 ター リ ン グ 地 域 ス タ ー リ ン グ地 域 の 保 有 す る ポ ン 確 に区 別 さ れ な けれ ば な ら ない 。 1914年 以 前 に は,ポ ン ドを 保 有 す る こ と は即 ち 金 を 保 有 す る こ と に 等 し.く,. 各 国 は ボ ン ド残 高 を 自 国 通 貨 の 発 行 準 備 お よ び 運 転 資 金 と し て 保 有 した 。 こ の 時 期 各 国 が ロ ン ド ン に お い て 保 有 す る ポ ン ド残 高 は,全 済 を 可 能 に す る 国 際 通 貨 で あ っ た 。 しか し,第 月 の 金 輸 出 禁 止 か ら1925年5月 金 本 位 制 離 脱 以 後,ポ 世 界 レベ ル で 多 角 的 決 一 次 世 界 大 戦 終 結 後 の1919年4 の 金 本 位 制 復 帰 ま で の 間,お よ び1931年9月 の ン ドは 金 と の 交 換 性 を 持 た な い も の と な っ た 。 さ ら に, 第 二 次 世 界 大 戦 開 戦 後 の1939年8月25日 (Defence-FinanceRegulations)を に公布 され た 「国 防 ・金 融 規 則 」 嚆 矢 と す る一 連 の 為 替 管 理 法 印;によ っ.て,ポ ン ドは 資 本 取 引 の み な ら ず 経 常 取 引 に使 用 す る こ と さ え 制 限 さ れ る よ う に な っ た の で あ る。 9)イ ギ リスの 為 替 管 理 に つ い て は,東 京 銀 行 調 査 部 〔1950〕〔1955b〕,金 原 〔1956〕を 参 照 。 (299)7 ケ イ ン ズ とポ ン ド残 高(ll ス タ ーIJン グ地 域 とい う概 念 が 登 場 した の も,1931年 と で あ る10)。こ れ 以 降,自 の金 本 位 制 離 脱 後 の こ 国 通 貨 の 対 外 価 値 を ポ ン ド に リ ン ク さ せ,対 為 替 相 場 の 安 定 を 維 持 し よ う と した 地 域 が 出 現 し た こ と に よ っ て,事 ポ ン ド 実上のス ター リン グ地域 が形 成 され た 。 この 時 期 い わ ば 自然発 生 的 に形 成 され た ス ター リ ン グ 地 域 に は,カ wealth),及 日本,ア ナ ダ を 除 く 自 治 領 か ら な る 英 連 邦(BritishCommon- び 保 護 領 や 植 民 地 か ら な る 英 帝 国(BritishEmpire)の ル ゼ ンチ ン,ポ しか し,第 ル トガ ル,ス カ ン ジ ナ ヴ ィ ア 諸 国 等 も含 ま れ て い だ% 二 次 世 界 大 戦 勃 発 と同 時 に,こ 離 脱 した 結 果,ス ター リ ン グ 地 域 は,範 そ して,1940年7月17日 み な ら ず, う した 周 辺 諸 国 の 多 くが ポ ン ドか ら 囲 こ そ 狭 く な った が,強 の為 替 管 理 令 の 「第4次 化 さ れ た12}。 改 正 」 に よ っ て,ス タ ー リン グ 地 域 と い う概 念 に 初 め て 法 的 根 拠 が 与 え ら れ た の で あ る 。 こ こ で ス タ ー リ ン グ 地 域 に指 定 さ れ た の は,イ く 自 治 領,香 ダ ン,イ ギ リ ス 本 国,カ 港 を 除 く英 領 植 民 地,委 任 統 治 領,保 タ ー リ ン グ 地 域 か ら 購 入 した 軍 需 品 な ら び に イ ギ リ ス が 金 本 位 制 離 脱 を 離 脱 し た 後,イ 価 値 を ポ ン ドに リ ン ク さ せ た こ と に よ っ て,事 1932年7月1日 ギ1Jス の 為 替 平 衡 勘 定 の 設 立 を 経 て,1933年6月12日 と し た 世 界 経 済 会 議 が 失 敗 し た 直 後,1933年7月24日 よ っ て,イ け る と と も に,自 庄 お,戦 Territories)と 崎 国 で 帝 国 特 恵 制 度(lmGedalPreference). 〔1952〕 邦 訳,17-8頁 ヒの 優 遇 措 置 を 受 お い て 無 税 な い し.名目 的 な 低 課 税 と な っ た 。 。 。 前 の ス タ ー リ ン グ 地 域 と い う 法 的 名 称 は,戦 た 直 後 の1947年10月 式 に ス ター リ ング 地 の オ タ ワ 協 定(OttawaAgreement)に 治 領 か ら の 輸 人 品 は イ ギ リ ス16Aに 手国 訳,21頁 ら に 際金 本 位 制 を再 建 させ よ う ギ リ スか らの 輸 出 品 は 自治 領 市 場 に お い て 関税 〔1956〕533頁,Harr磁 12)【larrod〔1952〕 国通 貨 の 対 外 にイ ギ リス お よ び カ ナ ダ を 除 くイ ギ リス 連 ギ リ ス お よ び イ ギ リ ス 帝 国 を 構 成 す る9力 れ に よ っ て,イ に,国 公 表 し た こ と に よ っ て,正 域 が 形 成 さ れ た 。 通 商 面 に お い て は,1932年8A20日 が 確 立 さ れ,こ 以 外 の 多 く の 国 が,自 実 上 の ス タ ー リ ン グ 地 域 が 形 成 さ れ た.さ 邦 が,「 帝 国 宣 言 」(theEmpir。Dcclaratlo11)を 14)島 ー タ ー リ ン グ 地 域 が 実 際 い つ 結 成 さ れ た か に つ い て は 諸 説 が あ る 、 通 貨 面 に お い て は,1931年 .9月21日 13)な び エ ジ プ ト,ス ギ リ ス が ス ター リ ン グ 地 域 に 対 し て ボ ン ド残 高 を 累 積 さ せ た 要 因 は 三 つ あ る1㌔ 第 一 は,ス 11)新 護 領,及 ラ ク で あ り,香 港 は1.941年 に な っ て ス タ ー リ ン グ 地 域 へ 編 入 さ れ た[3,。・ 第 二 次 大 戦 中 に,イ 10)ス ナ ダ と ニ ュ ー フ ァ ン ドラ ン ドを 除 に 公 布 さ れ た 「1947年 後,ポ ン ドの 交 換 性 回 復 が 失 敗 に 終 わ っ 為 替 管 理 法 」 に よ っ て,「 指 定 地 域.」(Scheduled い う法 的 名称 に 衣更 え した 。 〔1977〕43-4頁 。 ま た,ス タ ー リ ン グ 地 域 内 に お い て も,カ れ る 英 連 邦 諸 国 や 独 立 国(lndcp㎝d㎝tsty■Lin琴A■ealISA>の ナ ダを 除 く自 治 領か ら構 成 さ 保 有 す る ポ ン ド残 高 と,西 ア/ 8(300).第160巻 第4号 ・ に 必 需 品 の 輸 入 代 金 で あ る 。 これ は イ ン グ ラ ン ド銀 行 に お け る 当 該 国 ポ ン ド勘 定 に 貸 記 さ れ る だ け で,実 際 に は 代 金 の 授 受 は 行 わ れ ず,イ 「封 鎖 勘 定 」 と し て 集 中 さ れ たIS)第 二 に,同 施 設 の 建 設 な ど 戦 費 の 立 て 替 え 払 い 分 も,ポ ン グ ラ ン ド銀 行 に 地 域 に お け る 派 遣 軍 の 維 持,軍 ン ド残 高 を 対 価 に し て 得 た 現 地 通 貨 で 支 払 っ た 。 こ う し た 要 因 で 発 生 した ポ ン ド残 高 に も 交 換 性 は 存 在 し な か っ た1%第 三 の 最 も 重 要 な 要 因 は,ス タ ー リ ン グ 地 域 と の 通 貨 取 決 め た る 「ド. ル ・プ ー ル 制 」 で あ る 。 ドル ・プ ー ル 制 と は,ス タ ー リ ン グ 地 域 の 加 盟 国 が ド' ル 地 域 等 か ら稼 得 した 金 ・ ドル と い っ た ハ ー ド ・カ レ γ シ ー が,イ ングラン ド 銀 行 が 管 理 す る為 替 平 衡 勘 定 に 売 却 さ れ プ ー ル さ れ る メ カ ニ ズ ム で あ る'71。原 則 的 に は,加 盟 国 が 金 ・ ドル を プ ー ル に 売 却 す れ ば 各 国 の ポ ン ド残.高 は 増 加 し, 加 盟 国 が プ ー ル か ら 金 ・ ドル を 引 き 出 せ ば 各 国 の ポ ン ド残 高 は 減 少 す る こ と に な る が,上 述 の1940年 の 為 替 管 理令 「第4次 の 節 約 を 目 的 と した 輸 入 許 可 制 を 実 施 し,プ 制 限 した た め,事 プ ー ル 制 は,終 実上 改 正 」 に よ っ て,各 国 が 金 ・ ドル ー ル か ら の 金 ・ ドル の 引 き 出 し を 「 封 鎖 ポ ン ド残 高 」 と な ら た 。 な お,こ の よ う な ドル ・ 戦 前 ま で の 為 替 管 理 体 系 で は 紳 士 協 定 に す ぎ な か っ た が,. 「1947年 為 替 管 理 法 」 に よ っ て 正 式 協 定 と な っ た 。 ケ イ ン ズ が 述 べ て い る よ う に,「 ス タ ー リ ン グ 地 域 の 制 度 は,銀 り決 め と よ く似 て い る 」(CW,24,p.6)。 な ぜ な ら ば,ス 得 し た ドル は ロ ン ド シ に プ ー ル さ れ た 上 で,そ 態 で 預 金 が 受 け 入 れ ら れ,ス 行 業務の取 ター リ ング 地 域 が 稼 の 見 返 り と し て ポ ン ド残 高 の 形 タ ー リ ン グ地域 内 の取 引 に お い て この預 金 が 取 り 崩 さ れ る か ら で あ る 。 こ う し た ポ ン ド残 高 は 本 来 の 国 際 通 貨 と し て の 性 格 は 失 っ て は い る が,ス \ フ リ カ.マ タ ー リ ン グ 地 域 と い う 限 られ た 範 囲 で 多 角 的 決 済 を 可 能 に レ ー,西 イ ン ド等 の 保 護 領 や 植 民 地(DependentSterhngArea=DSA〕 ポ ン ド残 高 も 質 的 に 異 な る が,こ 15>内 田 〔1976〕67-71頁 16)内 田 〔1976〕39頁 17)東 京銀 行 調査 部 こ で は 立 ち.入 ら な い 。 詳 し く は ,内 り 。 〔1955a)42頁 。 の保 有 す る 田 〔1976〕 第5章 を参 照 。 ケイ ンズとポ ン ド残高 〔D....〔3σ1〕9 す る 国 際 管 理 通 貨 で あ っ た1% 以 上 の 内 容 を 実 際 の 数 字 で 確 認 し て お こ う'9♪ 。1939年9月 の イ ギ リ ス の 累 積 経 常 赤 字 額 は,お の 赤 字 と1億 か ら1945年 よ そ100億 ポ ン ドに 達 し,こ のloo億 ポ ン ド ポ ン ド程 度 の 金 及 び 外 貨 準 備 の 増 加 を フ ァ イ ナ ン ス し た の は,ア メ リ カ か ら の 武 器 貸 与 及 び カ ナ ダか ら の 相 互 援 助 で54億 ポ ン ド,戦 資 の 売 却 で11億 ポ ン ド,民 間 の 金 及 び ドル 残 高 の 徴 用 で1億 億 ポ ン ドが ポ ン ド残 高 の 増 加 で あ っ た2ひ}。 実 際,第 残 高 は 大 した 規 模 で は な く,表1に 5億1700万 ポ ン ド に過 ぎ な か っ た,第 ポ ン ド(33.5鮒 る ポ ン ド残 高 は24億5400万 域 の ポ ン ド残 高 の4分 二 次 大 戦 後 の1945年 ポ ン ド(66.5財)と り1に ポ ン ド,残 り の35 末 の ポ ン ド残 高 は 末 に は36億8800万 ポ ス ター リ ン グ 地 域 の 保 有 す る ボ ン ド残 高 で あ る の に 対 し て.,ス リ ス の 金 ・ ド ル 準 備 は わ ず か6億18⑪O万 前 の対 外 投 二 次 大 戦 直 前 まで の ポ ン ド 見 ら れ る よ う に,1939年 ン ドま で 膨 れ 上 が っ た 。 そ の う ち,非 が12億3400万 末 まで ター リ ング地 域 の保 有 す 二 倍 に 達 して い る 。 当 時 の イ ギ ポ ン ドほ ど しか な く,ス しか す ぎ な か っ た(表2の ター リ ング地 ドル ・プ ー ル 残 高 も参 照)。 ま た,国 別 の ポ ン ド残 高 を 表3で.見 残 高 は 総 額 で32億5300万 (11億800万 ポ ン ドあ っ た が,そ ポ ン ド)を 保 有 し,エ さ ら に ア イ ル ラ ン ド 〔1億7800万 18)と 同 時 に,こ る と 、終 戦 直 前 の1945年7月 の う ち イ ン ドだ け て3分 ジ プ ト(3億9600万 ポ ン ド),オ 末の ポン ド ポ ン ド)が の1以 上 こ れ に 続 き, ー ス ト ラ リ ア(1憶1700万 ボン の制 度 は 「ク ロー ズ ド ・シス テ ムに お け る銀 行 業 務 の基 本 原 理 を一 般 化 した 」 ケ イ ンズ 案 と似 て い る。 同 案 ば,ク ロー ズ ド ・シス テ ム に お け る銀 行 業務 を,地 域 的 に拡 大 した ス ター リ ン グ地 域 の取 り決 め を,全 世 界 的 に拡 大 しよ う と した試 みで あ る,と す る の も,あ な が ち 的外 れ な位 置 づ けで は なか ろ う。 バ ン コー ル とい う国 際 通 貨 で あれ,ポ ン ドとい う ロー カ ル ・カ レ ン シーで あ れ,国 際 的 な管 理 通 貨 制 度 で あ る こ とに か わ りは な い 。 19}ポ ン ド残 高 が初 め て公 表 され た の は,1931年 の 『マ ク ミラ ン委 員 会報 告 書jに お い て で あ り., そ こで は 「英 国 は長 期 対 外 投 資 の...部 を外 国 の セ ン ター に 対す る短 期 債務 の 増,し か も恐 ら くは 危 険 な まで の そ の増 に よ っ て まか な え て い た に 違 い な い と推 測 され て い る」 〔邦訳90頁 〕 と して, い わ ゆ る 「短期 借 り ・長 期 貸 し」 の ポ ジ シ ョ ンに 陥 って い る こと に 警告 を発 した 。 また 同 委 員 会 は ボ ン ド残 高 の継 続 的 な 調 査 を勧 告 した が,そ れ を受 け て イ ング ラ ン ド銀 行 は1951年 の 白書 に お い て,1931年 に遡 っ て半 年 毎 の 対 外 債 務 残 高 を 公 表 した(島 崎,1977,67頁 参 照}。 20)Mogghdge〔1972〕p.1032. ... 10(302) 第160巻 表1ポ 末 対 ス ター リ ング地域 ン ド残 高 の推 移 (A) ボ ン ド残 高 年 第4号 対 その 他 地域 準 備 金(B) 合 計 金お よ び ドル 193ユ 195 2工6 411 三21 ユ937 386 422 808 825 ユ939 359 159 517 545 ユ940 544* 136柳 680 NA 1941 665 507 987 1942 31 NA NA NA NA NA NA NA NA NA NA NA 1945 2,454 1,234 3,688 610 13 8 154 一1 NA NA 618 ,118 NA 一 3.070 ヨ ・一口 ッ パ そ の 他 の 合 計.. (出 所)BankforInternationalSettlements(1953〕 訳,116頁, 一1944年 は,B.Cohen,」 り作 成 」TheFutureofSしefinqasanInLerllatiollai 「 表2ド ル ・プ ー ル 残 高 (単{立:1W万 (出 所)島 ド),パ 17 548 1,642 3,015 、P.89よ 825 2,350 1,101 Currency1「 NA 一290 121 917 1,914 及 び1942年 3 差 引金額 (s-A) 655. 1944 194〔}年 一 合 計 141 .1,433 英 帝 国,**は そ の他 ポ ン ド) 1,272 1943 (注)*は (単 位=1DO万 レ ス チ ナ(1億1500万 崎 〔1977〕45頁 ドノ レ) よ り作 成 。 ポ ン ド)と 続 い て い る 。 こ れ ら の 諸 国 は い ず れ も 当 時 ス タ ー リ ン グ 地 域 に 属 し て い た 自 治 領 な い し は 植 民 地 で あ る が,非 タ ー リ.ング 地 域 で 多 額 の ポ ン ド残 高 を 蓄 積 し た の は,戦 て 食 糧 を 供 給 した,.ア ス 時 中 イ ギ リ ス に主 と し ル ゼ ン チ ン や ブ ラ ジ ル と い っ た ラ テ ン ・ア メ リ カ 諸 国 で ケ イ ンズ と ポ ン ド残 高(1}...(303>U 表31945年7月 オ ー ス ト リ 末 の 各 国 別 ポ ン ド残 高(単 自 治 領 ア 1ユ7 ニ ュ ー ジ ー ラ ン ド 63 南 カ 33 ド 178 ア.フ ア イ リ ル ラ ス 小 パ ン 計 レ ! リ ン グ 地 植民 地委任統治 領など タ セ ス イ チ 香 レ ナ 】15 ン 61 港 33 ー 84 南 ア フ リ カ 植 民 地 8ユ 西 ア フ リ カ 植 民 地 91 そ の他 英 領 ア フ リ カ植民 地 37 ト リ ニ ダ ト その他英領西イン ドバ ミューダ そ の 小 域 ア イ ス そ の イ ン ジ ン ド 他 ラ 小 合 総 ド ヤ プ イ 解 ト 396 ク 70 計 1,602 計 2,64Q 計 (出所)大 蔵省 『 調査 月報』 〔 第39巻第4号)79頁 37 ギ リ シ ア 55 オ ラ ン ダ 68 ー ・ 90 域 ル ウ ェ 12 小 ポ 計 ル ト そ ア 南 ブ ウ ル ゼ ラ ル ル 78 他 29 107 ン チ ン 85 ジ ル 36 イ. ユ4 グ ア の 小 域 302 計 そ 地 ガ の 小 米 86 1,108 40 ー ス iグ 11 ス ギ そ.の..他 ン 17 ン ル 地 .リ 40 ラ 非 「 19 フ ノ 欧 州 中 立 国 ポ ン ド) ベ 放 タ 647 ラ ル エ 他 計 ビ 州 391 ロ マ 欧 位=100万 イ 他 計 5 140 ラ ン 22 そ 中 国 23 の タ イ 13 他 そ の 小 合 他 計 計 6 64 613 3,253 一80頁,島 崎 〔1977〕44頁より転 載。 あ っ だ% こ の よ う に,量 的 に 巨 額 で あ る ば か りで な.く,交 換 性 も持 た ず そ の 使 用 さ え. 制 限 を 受 け て い た 点 で 質 的 に も大 き く異 な っ て い た 第 二 次 大 戦 中 に イ ギ リ ス が 累 積 さ せ た ポ ン ド残 高 は,「 戦 時 異 常 残 高 」(abnormalwarbalances)と 21)東 京銀行 調査部 〔195139頁 。 呼ば 12(304)第160巻 れ,ハ 第4号 ロ ッ ドが 言 う よ う に,こ う した 膨 大 な ポ ン ド残 高 の 処 理 こ そ 「イ ギ リ ス が 今 世 紀 に 直 面 し た 最 も重 大 な 政 策 問 題 で あ っ た 」22}。 IIア メ リカ か らの 武器 貸与 第 二 次 世 界 大 戦 下 の イ ギ リ ス の 政 策 当 局 は,戦 策 の 課 題 を,「V-Eデ I.),「V-Jデ ー 」 と 呼 ば れ た ドイ ツ 敗 北 の 日 ま で の 第 一 段 階(Stage ー 」 と 呼 ば れ た 日 本 敗 北 の 日 ま で の 第 二 段 階(StageII>,「 後 過 渡 期 」 を 意 味 す る 第 三 段 階(Stage皿)の 要 な こ と は,A.」.P,テ わ り,第 中 ・戦 後 の 国 内 ・対 外 経 済 政 戦 三 つ の 時期 に 区分 して い た 。重 イ ラ ー が 言 う よ う に,「 第 一 段 階 が で き る だ け 早 く 終 二 段 階 が で き る だ け 引 き延 ば さ れ る こ とが イ ギ リ ス の 利 益 で あ っ た 。 ドイ ツ は1945年 の は じめ に 敗 北 す る だ ろ う。 そ の あ と極 東 の 戦 争 が 少 な く と も さ ら に18カ 月 間 続 く だ ろ う。 数 々 の イ ギ リ ス の 不 幸 は,そ れ[第 二 段 階]が 3ヶ 月 し か 続 か な か っ た と う い う.事実 か ら生 じ た 」鋤。 な ぜ な ら ば,第 三段 階 で は ア メ リ カか らの 援 助 は打 ち 切 ら れ る こ と に な っ て い たか らで あ る。 事 実 「V-Jデ ー 」 直 後 の1945年8月17日 に,ト ル ー マ ン大 統 領 は イ ギ リス に 対 す る 武 器 貸 与 を打 ち切 った 。 .さ て,1940年 ユ2月,ル ー ズ ベ ル ト大 統 領 は,ラ ジ オ 放 送 の 炉 辺 談 話 で,米 が 連 合 国 の 兵 器 廠 と な る こ と を声 明 し,翌41年3月11E3に 法(Lend-LeaseAct)が 可 決 さ れ た 。 ま た,同 輸 出 白 書(ExportWhitePaper)24}の 22>Ha■rod〔1952〕 邦 訳,22頁 23)Taylりr〔1965〕 邦 訳,234頁 24}武 器 貸 与 法 の 実 施 以 降,ア 年10月 国 米国議会で武器貸与 に は,武 器 貸与 および 履 行 を 管 理 す る 機 関 と し て,国 務次 官補 。 。 〔 〕 内 は 引 用 者。 メ リ カで は,貸 与 物資 が イ ギ リス の輸 出 に使 用 され て お り,と りわ け ラ テ ン ・ア メ リ カ市 場 で ア メ リ カの 輸 出 品 と競 合 して い る との批 判 が 噴 出 した 。 「イ ギ リス の 主 要 な 輸 出 品 を事 実 上 禁[Lす る」(Sayers,1956,p.402)こ と を意 図 した ア メ リ カ側 の 要 求 に 対 して,イ ギ リス は1941年9月1〔}Hに 「.輸 出 白 書 」 を公 表 し,第一 一に,イ ギ リ ス に対 す る貸 与 物 資 は輸 出 に使 用 され て は な ら ない の み な らず,貸 与 物 資 に類 似 す る物 資 の輸 出 は 行 わ ない こ と, 第:二 二に,イ ギ リス の輸 出 は海 外 諸 国 と りわ け ス ター リ ング 地域 に お げ る必 要最 小 限 の 物 資,な い しは西 半 球 にお け る外 国 為 替 の 獲 得 の た め に 必 要不 可 欠 な もの に 限定 され る こ と を 自 ら に課 した の で あ っ た(Moggridg。,1992,p.764>。 こ の よ うに,一 方 で 武 器 貸 与 の 供 与 は,こ れ まで ドル 獲 得 に 必 要 で あ っ た 輸 出 産 業 を 軍 需産 業 に転 換 さ せ,イ ギ リ ス を 「十 分 に 戦 争 準 備 の整 っ た/ ケイ ンズとポン ド残高 〔1}.(305)13 の ス テ ッ テ ィ ニ ュ ー ス(EdwardStettinius)が (OfficeofLend-LeaseAdministration)25,が 23日 に は,相 局 長 を努 める武器貸 与管 理局 設 立 さ れ た 。 さ ら に,翌42年2月 互 援 助 協 定(MutualAidAgreement)ゐ ミ 調 印 さ れ,イ ギ リ スか ら ア メ リ カへ の逆 貸 与 も開始 され た 。 こ の よ う に,ヨ ー.ロ ッパ の 戦 争 に ア メ リ カ が 多 く コ ミ ッ ト し て い く こ と に 対 し,伝 統 的 な 孤 立 主 義 を 支 持 して い た ア メ リ カ の 世 論 は,あ 場 を 維 持 す る こ と を 望 ん だ 。 そ して,イ くまで 中立 国 の立 ギ リ ス に 対 す る 貸 与 物 資 は,後 日 何 ら. か の形 で 返 済 され る こ とを当 然 と考 え て い た の で あ る。 武 器 貸 与 の決 済 条 件 に つ い て,も と もと ア メ リ カは,鞘 済 す る とい う武 器 貸 与 法 弟3項(c>の て い た 。 しか し,同 人銀行の金利 胴 じ暗%の 条 件(3(perms)で 決 済 す る こ と を要 求 し 盟 国 間 で の 戦 時 貸 借 関 係 を 戦 後 に 残 す こ と は,第 後 の 苦 い 経 験 を 第 二 次 大 戦 後 に 再 発 さ せ る こ と に な るgそ で は,武 金49で3・ 年返 器 貸 与 の 決 済 条 件 と し て,米 の 結 果,武 一 次 大 戦. 器貸 与 法 国 に とっ て有 利 に な る と大 統 領 が認 め た 物 件 で の 支 払 な い しは 返 済 を 織 り込 む こ と が 規 定 さ れ た 。 大 統 領 は 武 器 貸 与 の 見 返 り と して,英 国 か ら 何 ら か の 利 益 を 確 保 せ ね ば な ら な か っ た の で あ る2% 第 一 段 階 の 武 器 貸 与 に つ い て そ の 詳 細 を 詰 め る た め に,1941年5月 にケイ ン ズ は 渡 米 し た 。 こ れ は ユ941-46年 の 問 の 六 回 に 及 ぶ 訪 米 折 衝 の 第 一 回 目 で あ っ た 。 渡 米 中 の7月28日 に,国 ズ に 手 渡 した 草 稿 に は,武 て,次 務 次 官 補 の ア チ ソ ン(DeanAcheson)が 器 貸 与 に 関 す る 「考 慮 事 項 」(consideration)と ケイ ン し の よ う な 文 言 が 書 か れ て あ っ た 。 「連 合 王 国 が ア メ リ カ合 衆 国 か ら 防 衛 援 助 を 受 け 取 る 場 合 の 条 件 お よ び 考 慮 事 項,並 合 衆 国 が 受 け 取 る 利 益 は,最 、島」 〔 山本,1980,146頁)に び に そ の 見.返 り と し て ア メ リ カ 終 的 に 決 定 さ れ る も の は,両 国 の貿 易 を妨 げ る も 変 える契機 を作 ったが,他 方で輸出白書 の約.束は,イ ギリスの 「 輸 出の 減少 を促 進 し,終 戦時 にお け る輸出 が戦 前水 準 の3分 の1に 縮 小 した一 因 となった」. 〔Gardner,1956,邦 訳332頁)の であ る。.すなわ ち,武 器貸 与の見返 りは,帝 国特恵 制度に見 ら れる差 別措置 の撤廃 によるアメリカの輸出市場の拡大のみならず,イ ギ リスの輸出市場の縮小 も 含まれていたのであ る。 25)1943年9月 にレオ ・クロー りゑ(LeoC.ly)を 局長 とす る対 外経済局 〔FoveiguEconomic Administration,FEA}に 改組 され,国 務省の影響力が排除されていた(山 本,1980,154頁}。 26)Gardner〔1956〕PP.54-6,羽;訳173-1ア6頁o 14(306>.第160巻 第4号 の で あ っ て は な ら ず,両 国 間相 互 に有 利 な経 済 関 係 お よび 全世 界 の経 済 関係 の 改 善 を 促 進 す る も の で な く て は な ら な い 。 す な わ ち,英 米 両 国 は そ れ ぞ れ を原 産 地 と す る 物 資 の 輸 入 に 対 す る差 別 に つ い て ア メ リ カ 合 衆 国 に お い て も連 合 王 国 に お い て も こ れ を 撤 廃 し,そ して これ らの 目 的 を達 成 す るた め の措 置 を規 定 す る も の とす る」艀〕 。 こ の 考 慮 事 項 は,1942年2月23日 協定 「第 七 条 」(Article'S)の に調 印 さ れ た 相 互 援 助 原 型 とな った もの で あ る。 武 器 貸 与 の見 返 りと し て ア メ リ カ 側 が 確 保 し よ う と し た 利 益 は,イ ギ リスの対 米 通 商差 別 の撤 廃 で あ っ た の で あ る 。 国 務 省 が 示 し た 考 慮 条 項 に 対 して,ケ イ ン ズが 「ハ ル氏 の 狂 気 じみ た 提 案 」 と 一 蹴 し た こ と は す で に 述 べ た 。.彼 は 国 務 省 の 首 席 顧 問 で あ る ホ ー キ ン ズ(HarryHawkins)に 対 し て,「 貿 易 の 均 衡 を 回 復 さ せ,そ れ に よ っ て シ ャ ハ ト流 の 策 略 を 不 必 要 に す る よ う な 英 米 共 同 の 大 努 力 が な さ れ な い 場 合 に は,英 ろ う,と 国 は シ ャ ハ ト博 士 の あ ら ゆ る 武 器 を 使 わ な け れ ば な ら な くな る だ 警 告 し た 」2㌦ 第 二 段 階 に つ い て の 英 米 交 渉 が 本 格 的 に 開 始 さ れ た の は,1944年9月13日 ら.16日 に か け て,チ ャ ー チ ル 首 相 と ル ー ズ ベ ル ト大 統 領 の 問 で 行 わ れ た 次 ケ ベ ッ ク 会 談 」 で あ っ た 。 同 年6月6日 のDデ イ ツ の敗 色 が にわ か に濃 厚 と な っ て き た か ら で あ る 。 こ の 第 二 次 ケ ベ ッ.ク会 談 で の 合 意,特 お け る 武 器 貸 与 の 詳 細 を 具 体 的 に 履 行 す る た め の 交 渉 が,10月 に第 二段 階 に か ら11月 に か け イ ン ズ を 団 長 とす る イ ギ リ ス 側 代 表 団 が 渡 米 し て 行 わ れ た ワ シ ン ト ン交. 渉 で あ っ た2%ケ イ ン ズ は,こ 27)Gardner〔1956〕p.56,邦 イ ン ズ は,ブ 月28日 の ワ シ ン ト ン 交 渉 の 結 果 に つ い て,イ ギ リ.ス帰 訳176貞D 28)Ha【md〔1951〕p、513,邦 29)ケ 「第 二 ー に 連 合 国 軍 に よ る北 フ ラ ン ス ・ノ ル マ ン デ ィ ー 上 陸 作 戦 が 決 行 さ れ て か ら,ド て,ケ か 訳569頁 。 詳 し く は,岩 本[1992〕 参 照, レ ト ン ・ウ ・ ノズ 会 議 へ の 出 席 か ら 帰 国 し て 間 も な い9月21日 ま で ワ シ ン ト ン に 滞 在 し 対 米 交 渉 に 当 た り,そ の 後 オ タ ワ に 向 か い,帰 日 で あ っ た 。 こ の 訪 米 は 他 の 渡 米 ほ ど 重 要 視 さ れ て い な い が,極 め て 重 要 な 訪 問 で,ケ 身 の 回 想 に よ れ ば,「 私 が 使 節 団 と し て 加 わ っ た.全 て の も の の 中 で,最 で あ っ た 。 交 渉 中 の1944年11月 一 つ で あ っ た 。 に 大 統 領 選 挙 が 重 な っ た こ と も,交 に 再 び 渡 米 し,11 国 した の は12月15 イ ン ズ 自 も重 要 で 最 も困 難 な もの」 渉 を 困難 な もの に した 要 因 の ケ イ ン ズ と ポ ン ド残 高 ω 表4ア (3〔 〃)15 メ リ カ に よ る 武 器 貸 与 額(1945年8月31bま で) (単位 船 イ ギ オ ー ス リ 舶 2,107 ス ア イ フ リ ン ド 英.帝 国 サ ー ビス 8,ユ13 2,980 100万 ド ル) 合 計 27,023 899 483 188 ユ44 95 32 271 一 194 67 35 296 474 ID9 109 913 カ そ の他 商 品 13,823 一 トラ リ ア ニュージーラン ド 南 軍需品 15,534 2,1〔 〃 9,088 3,344 1,570 30,073 10,670 そ.の 他 諸 合 (出 国 2,872 計 43,6ユ5 所 〕Allen.R.G.D.."MutualAidhetweentheU,S.andtheBritishEmpire,1941-45", inSayers〔 ⊥956〕p,529,p.53⊥,Tab],4,Tableo.,山 国 途 上 の ユ944年12月12日 に,ア 本 ン ダ ー ソ ン蔵 相 に 対 して に 関 す る ワ シ ン.トン 交 渉 」(CW,24,PP、192-223)と い る 。 こ の 覚 書 で ケ イ ン ズ は,ワ 料 が あ っ た と 言 う 。 第 一 は,対 〔1980〕147頁,第1表 ∩ 「第 二 段 階 の 武 器 貸 与 い う詳 細 な 覚 書 を 残 し て シ ン ト ン交 渉 に 臨 む に 当 た っ て 三 つ の 懸.念材 独 戦 勝 利 以 降 ア メ リ カか らイ ギ リスへ の武 器 貸 与 が 大 幅 に 削 減 さ れ る と予 想 さ れ る こ と(醗4,p.192),第 二 は,武 器貸与が 開 始 さ れ て か ら イ ギ リ ス の 対 外 準 備 が 一 見 増 加 し た こ と を 根 拠 に,第 二段階で は逆 に イ ギ リ スか ら ア メ リ カへ の相 互 援 助 の 大 幅 な 増 額 が 要 求 さ れ る こ と (ibid,p.2⑪3),第 三 は,武 器 貸 与 と引 き替 え に 「輸 出 白 書 」 に お い て 約 束 さ せ ら れ た イ ギ リ ス の 輸 出 制 限 が 第 二 段 階 に お い て も継 続 す れ ば,イ 出 回 復 は 望 め な い こ と(ibid,p.215>で あ る鋤。 しか し,ワ イ ギ リ ス が 対 日戦 に 参 戦 す る こ と を 条 件 に,第 3① ギ リス の輸 シ ン ト ン 交 渉 で は, 二 段 階 に お い て も.武器 貸 ワ が 継 第 二 段 階 が 日程 に上 って きた 頃 か ら,輸 出 回復 が イ ギ リ ス に と って 不 可 欠 とな るに 従 っ て,武 器貸 与 の継 続 と同 時 に,輸 出 白 書 の緩 和 な い しは撤 廃 が 急 務 と な って きた.ワ シ ン トン交 渉 の結 果,対 外 経 済 局(FEA)は,輸 出 白書 は 効力 を維 持 す る もの の,対 独 戦 勝 利 以 降 イギ リス は完 全 な輸II.1の自 由を 与え る とい う暫定 協 定 を約 束 した.そ して,輸 出 白書 は1945年1月1日 か ら撤 廃 ない しは 緩 和 す る こ とが 合 意 さ れ た。 詳 し くは,山 本 〔1980〕 〔1982〕参 照 。 16(308)...第160巻 袈5相 第4号 互 援 助 協 定 に も と つ く英 帝 国 か ら ア メ リ カ へ の 逆 貸 与(1945年9月1日 〔単位llODポ イ ギ リ ア フ イ 288 90 299 59 串 60 54 216 7 10 ‡ 30 7 54 * * 霞 零 寧 34 24 30 27 19 381 327 207 ド 301 は50万 ポ 計 33 合.計 (注)串 合 22ア カ ン その他 商品 軍需品 ス リ 油 建 設 オ ー ス トラ リア ・ニ ュ ー ジ ー ラ ン ド 南 石 まで 〉 ン ド) 297 サービス 1,201 * 134 1,605 389 ン ド 以..ドn (出 所)R.G.D.Allen,'MutualAidbetweentheU,S.andtheBritishEmpire.1941-45", inSnyerヨ 〔1956〕p.538,Tame10, 続 さ れ る こ と した 第 二 次 ケ ベ ッ ク 会 談 で の 合 意 が 確 認 さ れ た 。 具 体 的 に は,軍 需 品 が28億3800万 ドル,非 合 意 さ れ た 額(軍 れ た も の の,イ 需 品 と して35億 ドル と,第 二 次 ケベ ック会議 で ドル,.非 軍 需 品 と し て30億 ドル)よ り減 額 さ ギ リ ス 側 に と っ て 憎 応 満 足 の で.きる 成 果 で あ っ た 。 こ う し て,第 表3,表4に 軍 需 品 が25億9600万 二 次 大 戦 中 に お け る ア メ リ カ の イ ギ リ ス に 対 す る 武 器 貸 与 額 は, 見 ら れ る ご と く,相 億 ポ ン ド(48億 ドル)を 互 援 助 協 定 に 基 づ く イ ギ リ ス か ら の 逆 貸 与12 除 く と,お よ そ270億 ド ル に 達 し た 。 重 要 な こ と は, 武 器 貸 与 の 返 済 条 件 で あ る 「第3項(c〕 」,武 器 貸 与 に 関 す る 「 考 慮 事 項 」,お よ び 相 互 援 助 協 定 の 「第 七 条 」 と い う 見 返 り条 件 が,そ の後 の英 米 金 融 交 渉 に重 い 課 題 と な っ た こ とで あ る 。 IIIホ ワイ ト原 案 にお け るポ ン ド残 高 の処 理 案. ケ イ ン ズ が 国 際 清 算 同 盟 案 の 最 初 の 草 稿 を 執 筆 し た の は,1941年9月 で あ る が,ホ ワ イ ト(HarryDexterWhite)が StabilizationFund,以 お よ そ3ヵ 31}真 下 月 後 の1941年.12月 珠 湾 攻 撃 か ら1週 「ISF」 の こ と 国 際 安 定 基 金(lnternational と 略)案 の 最 初 の 草 稿 を 執 筆 の こ と で あ っ た31}。 こ の 覚 書 は,そ 間 後 の1941年12月14日,ホ し た の は, の 後 数 ヵ 月に ワ イ トは モ ー ゲ ン ソ ー か ら 「連 合 国 間安 定/ (309)17 ケ イ ン ズ と ポ ン ド残 高 〔1) わ た り,財 務 省 金 融 調 査 局 の 副 局 長 で あ っ た ベ ル ン シ ュ タ イ.ン(EdwardM・r一 risBernstein)の 協 力 を 得 て 改 訂 さ れ,そ の 結 果,1942年3月 に 「連 合 国 ・.準 連 合 国 安 定 基 金 お よ び 復 興 開 発 銀 行 試 案 」(SuggestedPlanforaUnitedNa一 tionsandAssociatedNationsStabilizationFundandaBankforReconstruc. tionandDevelopmentoftheUnitedandAssociatedNations)と 題 す 財 務 省 内 で オ ー ソ ラ イ ズ さ れ た 。 こ れ が,ホ る匁 ㌔ こ の 「ホ ワ イ ト原 案 」 は 同 年7月 る 草 案 が ワ イ ト案 の 最 初 の 完 全 な 草 稿 で あ に秘 密 裏 に ケ イ ンズ の下 に 送 付 さ れ だ% こ の ホ ワ イ ト原 案 に お い て 重 要 な こ と は,ポ し よ う と し て い る こ と で,封 ン ド残 高 をISFの 枠 内で 処 理 鎖 在 外 残 高(blockedforeignbalances)を 解 除 す る た め の 細 か な 規 定 が 設 け ら れ て い る こ とで あ る 鋤。 ケ イ ン ズ は,1942年8 \ 基 金 」 〔lhter・Alh㎝Sセ1bilizatiQnFund)を モ ー ゲ ン.ソー は,戦 設 立 す る た め の 計 画 を 起 草 す る よ う指 令 を受 け た 。 争 巾 の 対 連 合 国 金 融 支 援 の た め ば か り で は な く,戦 基 礎 を も 提 供 す る こ と を 意 図 し て い た(vanDQ皿ael,1978,p.40)。 ワ イ トは う12頁 後 の 国 際 通 貨 取 り決 め の こ れ を 受 け'一 ⊂12月30日,ホ 「 連 合 国 間 通 貨 ・銀 行 行 動 計 画 案 」(lrteo-AlliedMonetaryandBankingAじti..)と の 覚 書 を 用 意 し た.こ れ が 後 に い 「ホ ワ イ ト案 」 と な る も の の 原 型 で あ る(HDrsefield, 1969野PP.12-14,vanDonnael,1978,pp.42-44,Mike5ヒll,1994,p.6)q 32)Ohvel〔19ア5〕p,111,Gardロel〔1956〕p,74,In,3,邦 頁 。 な お,今 「基 金 」 を 扱 っ た 第1部 第3部 訳229頁 日 わ れ わ れ が 見 る こ と の で き る 「ホ ワ イ ト原 案.1は,こ と 第2部 は,Horsefidd〔1.969〕vDl,3に を 含 め た 完 全 な テ キ ス トは,Oliver〔1975〕 33)さ 本 来 は,こ ら に10月 の 且942年 且2月 の 覚 書 こ そ に ホ ワ イ トが 訪 英 し た 際,ケ Pe=use,1953,vv.47-9,P爬 〔1991〕52-57 の 草 稿 で あ り, 収 録 さ れ,「 銀 行 」 を 扱 っ た 「ホ ワ イ ト原 案1と 〔01iver,1975,p.361,Reference 呼 ぶ べ き もので あ る。 イ ン ズ と の 非 公 式 会 談 が 実 現 さ れ(CW,25,p、196, 酪nell,1986,p.92,Mog8ridge、 中 的 に 検 討 さ れ た 結 果,ユ943年4月7日 間 の 付 録 に 所 収 さ れ て い る 。 し か し,1941年12 月 の 覚 書 に つ い て は オ リバ ー 自 身 も確 認 で き な か っ た と い う 26)。 注 ヨ,本 の1942年4月 工992,p.688),ホ に ケ イ ンズ案 と同時 に ワ イ ト案 は そ の 後 集 「連 合 国 国 際 安 定 基 金 予 備 草 案 」 〔PreliminaryDraftOutlineofInternationalStabilizationFundoftheUnitedandAssociated Nations}と い う 名 称 で 公 表 さ れ る に 至 っ た 。 ホ ワ イ ト案 は そ の 後 も 改 訂 が 重 ね ら れ,最 は1943年7月10日 リ ーーク さ れ た 付 けの もの が 最 終 稿 とな った 。 こ の 問 題 に つ い て の 議 会 の 勢 力 は,共 も,多 く の ニ ュー 和 党 と 南 部 の 民 主 党 を 合 わ せ た 保 守 派 の 方 に 傾 き,政 案 に あ っ た 国 際 主 義 的 か つ 拡 大 主 義 的 な 国 際安 定 基金 案 」 だ けが 公 表 され る こ とに な っ た の で あ る ⊃ .34>HDrsefidd〔1969:Vo】.皿,PP.54一 「原 案 」 と大 主 党 が 多 く の 議 席 を 失 い,経 ・デ ィ ー ラ ー た ち が 退 席 し た か ら で あ る と い う(Gardneq1956,p.76,邦 う し た 結 果 を 反 映 し て,原 は 削 除 さ れ,「 に 行 わ れ た 総 選 挙 の 結 果,民 日0. 終 的 に 年 に ケ イ ンズ に 「ホ ワ イ ト原 案 」 と は 大 き く か け 離 れ た も の で あ っ た 。 「修 正 案 」 が き く異 な っ た 最 大 の 理 由 は,1942年 頁).こ 「ホ ワ イ ト修 正 案 」 は,前 済 府 部 内 で 訳203 「復 興 開 発 銀 行 案 」 18(310)...第160巻 第4号. 月 に こ の 草 稿 を 初 め て 目 に し た 当 初 か ら,こ の 提 案 を 「わ が 国 に と っ て 最.も有 益 で 極 め て 寛 大 な 提 案 」(CW,25,p.163)と して 高 く評 価 し,ホ ワ イ トの 草 稿 に 含 ま れ る 当 該 箇 所 を 全 て 引 用 した 上 で,「 こ の よ う な 方 針 に 沿 っ て 取 り決 め を 考 え よ う とす る ア メ リ カ 側 の 意 欲 こ そ が,ま (ビう舷,p.164)と さ に 第一 に重 要 な こ とで あ る」 コ メ ン ト した 。 ホ ワ イ ト原 案 に お い て 計 画 さ れ て い た ポ ン ド残 高 の 処 理 案 は,一 ス タ ー リ ン グ 諸 国 が 保 有 す る ポ ン ド残 高 をISFが 及 び ス タ ー リ.ング諸 国 がISFか ば,ポ 買 い.Lげ,そ 言 で 言 え ば, れ を イ ギ リス ら 買 い 戻 す と い う仕 組 み で あ る 。 言 い 換 え れ ン ド残 高 が ドル 残 高 に 振 り替 え ら れ,短 期 債 務 が 長 期 債 務 に 借 り換 え ら れ る 仕 組 み で あ る。 第 一 に,ポ イ ン ドは,そ ン ド残 高 をISFが 買 い 上 げ る と き,ス の 対 価 を 自 国 通.貨(ル ピ ー)で タ.一リ ン グ 諸 国,例 受 け取 っ て も よ い し,外 例 え ば ド ル で 受 け取 っ て も よ い 。 具 体 的 に は ド ル だ ろ う。 つ ま り,イ 有 す る ポ ン ド残 高 が ドル 残 高 に 振 り替 え ら れ,イ SF債 しか し,ポ ン ド残 高 をISF 英 支 払 に しか 利 用 す る こ とが で き な い 封 鎖 ポ ン ド残 高 を 解 除 す る こ と に よ っ て,.ス 別 を 撤 廃 さ せ,同 ン ドの 保 ギ リ ス の 対 イ ン ド債 務 が 対I 務 に 振 り替 え ら れ る の で あ る 。.ア メ リ カ に と っ て,ポ が 買 い 上 げ る と い う 戦 略 の 意 図 す る と こ ろ は,対 タ ー リ ン グ諸 国 の 対 米 差 地 域 を ア メ リ カ の 輸 出 市 場 と して 確 保 す る こ と に あ る 。 ン ド残 高 が ドル 残 高 に 振 り替 え ら れ る こ と に よ っ て,ケ イ ンズ 自 身 は 次 の よ う な 懸 念 を 述 べ て い る 。 「戦 時 異 常 残 高 を 売 却 す る 国.が,何 と し て そ れ ら を 売 却 す る か,と い う 問 題 に 対 す る 答 え は,こ な い 。 当 該 国 が そ れ ら を 売 却 す る に あ た っ て,い 択 す る こ と が で き る な ら ば,当 を対 価 こ で は 明 らか で は か な る 通 貨 を も対 価 と し て 選 該 国 は 最 も稀 少 と な る 可 能 性 の あ る 通 貨 を 選 択 す る の が 自 然 で あ ろ う。 し た が っ て,〔ISFに ば,稀 えば 国 通 貨, 〕 セ ー フ ガ ー ドを 設 け な け れ 少 通 貨 と な る 可 能 性 の あ る 通 貨 の 基 金 に お け る ス ト ッ ク は,発 足 当初 か ら 恐 る べ き枯 渇 に 見 舞 わ れ る こ と に な ろ う 」(ibid,p.247-8,cf.p.222,〔 〕 内 は 引 用 者,以 下 同 様)。 す な わ ち,こ の 処 理 策 が 成 功 す る た め に は,稀 少通 ケイ ンズとポン ド残高(1).(311)19 貨 条 項 と い っ た セ ー フ ガ ー ドを 設 け る 必 要 が あ る の で あ る 。 第 二 に,ISFが 買 い 上 げ た ポ ン ド残 高 を 買 い 戻 す 手 続 き は,イ ス タ ー リ ン グ諸 国(例 合 で,(最 初3年 え ば イ ン ド)が そ れ ぞ れ,全 間 の 経 過 措 置 の 後)20年 体 の40%ず 間 に 渡 っ て,金 ギ リス及 び つ を 年2%の 割 な い しは 交 換 性 の あ る 外 国 通 貨 で 支 払 う と い う も の で あ る35】 。.ただ し,.実 質 的 に は イ ギ リ ス が 全 体 の80%を 買 い 戻 さ ね ば な ら な い 。 「な ぜ な ら ば,イ そ の 手 中 に あ る 自 由 ポ ン ド と な り,即 き る か ら で あ る 」(∫6泓,p,307)。 ば,残 りの20%は ン ドが 買 い 戻 し た ポ ン ドは, 座 に 他 の ど の 貨 幣 に も交 換 す る こ と が で な お,23年 後 に 全 体 の80%が 処 理 し終 わ れ 基 金 が 自 由 資 金 と して 処 理 す る 。 確 か に ケ イ ン ズ の 言 う 通 り,「 安 定 基 金 の 資 金 は 経 常 貿 易 勘 定 の 赤 字 を 補 填 す る た め だ け に 利 用 可 能 だ とす る 規 定 の 下 で は,… … 海 外 ポ ン ド残 高 は い か な る 用 途 で あ れ 資 本 統 制 の 原.則 に 従 う べ き 資 本 取 引 と な る 」(必 鳳,p,3⑪5)。 ま り,こ の 仕 組 み は,ポ ン ド残 高 と い う 短 期 債 務 を 長 期 債 務 に 借 り換 え る こ と で あ り,短 期 資 金 を 供 与 す るISFの 案 に お け る]打 つ 開 策 は,全 目 的 と矛 盾 す る 。 しか し,「[ホ く選 択 的 な も の で,わ ワ イ ト原 が 国 と イ ン ドが と も に 望 む な ら ば 利 用 で き る と い う もの に 過 ぎ な い 。 強 制 的 な も の で は 全 く な い 。 両 当 事 国 .が 利 用 し た け れ ば 利 用 で き る 追 加 的 な 便 宜 な の で あ る 」(必 磁,p.306)。 そ し て ケ イ ン ズ は 次 の よ う に 結 論 づ け た 。 「こ れ は 大 変 に 合 理 的 で あ る よ う に 思 わ れ る 。 イ ン ドは 容 易 な 条 件 で 流 動 性 を 確 保 で き,わ 債 務 を 長 期 債 務 に]借 が 国 も容 易 な 条 件 で[短 り換 え ら れ る 。 私 に と っ て こ の 種 の 捨 置 は,安 期 定 基金 に 不 可 欠 の 特 徴 で あ る と 思 わ れ る 。 わ が 国 が こ の 選 択 的 な 便 宜 を拒 否 す る理 由 は 見 あ た ら な い 」。 そ し て,ホ ワ イ ト原 案 に お け る 「封 鎖 残 高 の 処 理 の 提 案 を 暖 か く歓 迎 す る 」 価 認,p.307)こ し か し,ケ Waley)を 307)と.言 とを勧 告 した。 イ ン ズ の コ メ ン ト を 読 ん だ 大 蔵 次 官 の ウ ェ イ リ ー(SirDavid し て,こ の 提 案 は 「私 の 背 中 を 少 な か ら ず ゾ ッ と さ せ る 」 価 認,p. わ し め た よ う に,イ 35)Horse負eld〔1969〕Vol,田,p.55. ギ リ ス 政 府 高 官 は 全 く違 っ た 考 え を 持 っ て い た 。 20(312}第160巻 第4号 大 蔵 次 官 補 の イ ー デ ィ(SirWilfridEady)も,「 戦 時 異 常 残 高 の 問 題 は 切 り離 して別 の文 脈 で 考 え る」 こ とを望 ん だ。 1943年4月 の 両 案 公 表 後 の9月 か ら10月 に か け て,ケ イ ≧ ズ と ホ ワ イ トが 直 接 対 決 した ワ シ ン ト ン会 談36〕 に お い て も,「 戦 後 の 金 融 状 況 が い か な る も の に な る か も つ と 正 確 に 知 り得 る よ う に な る ま で 引 き延 ば し」,戦 時 異 常 残 高 を 処 理 す る 試 み は 計 画 に 含 ま れ る べ き で は な い こ とが,イ ギ リスの 戦 時 内 閣 が代 表 団 に 対 し て 与 え た 指 令 の 一 つ と な つ だ η。 そ の 結 果,ケ イ ン ズ.も イ ー デ ィ と と も に,「 イ ギ リ.スに と っ て 重 要 な.こと は,.こ の 問 題 が 国 際 機 関 の 権 限 の 範 囲 内 で 取 り扱 うべ き.では な い こ と,し か し イ ギ リ ス と債 権 国 と の 間 で 議 論 と処 理 が 続 け られ る べ き で.あ る こ と 」 を 表 明 し た 。. こ う し て 戦 後 の 国 際 通 貨 計 画 の 中 か ら ボ ン ド残 高 の 処 理 は 外 さ れ た 。 す な わ ち,ポ ン ド残 高 を 多 国 間 で 処 理 す る 枠 組 み は 断 念 さ れ,そ の 後.イ ギ リ ス と ス タ ー リ ン グ 地 域 の 債 権 国 と の 二 国 間 で 処 理 す る 枠 組 み が 維 持 さ れ る 一 方 で,そ の た め の ア メ リ カ か ら の 二 国 間 援 助 が 期 待 さ れ た の で あ る 。 ブ レ ト ン ・ウ ッ ズ 会 議 に お け る イ ン ド政 府 代 表 の ラ イ ス マ ン(SirJeremyRaisman)は,も と ホ ワ イ.ト案 に 含 ま れ て い た 戦 時 異 常 残 高 の 処 理 が,そ とも の 後 抜 け 落 ち て しま っ た こ と に 痛 く失 望 した と い う謝。 36)プ レ ズ ネ ル は,こ の ワ シ ン ト ン 会 談 を,戦 前 ・戦 中 ・戦 後 を 通 じ て,経 渉 の う ち 最 も 重 要 な も の と 位 置 づ け て い る(Pressnell,1986,p.116)。 省 事 務 次 官 の ロ ー(RichardLaw)を 公 式 の 団 長 と し て い た た め,「 済 問 題 に 関 す る英 米 交 イ ギ リ ス 側 代 表 は,外 事 実 上 の ト ッ プ は ケ イ ン ズ で あ っ た 、 こ の ワ シ ン ト ン 会 談 に お け る 両 国 の 合 意 事 項 と,そ 交 渉 結 果 が,翌1944年4月 に 『 共 同 声 明 』 を べ ・..スに,6月 トン ・ウ ッ ズ 会 議 に お け るIMF協 37)イ し な い こ と,こ 目 の 指 令 は,① 当 額 の12.5%に 338>。 〔1986)P.165. 基 金 の 割 当 額 を 増 額 し,100億 限 定 す る こ と,③ ドル 各 国 に 自国 の 為 替 基 金 は 為 替 市 場 に 対 し て 受 動 的 に 行 動 し,各 の こ と を達 成 す るた め に 「ユ ニ タ ス の 貨 幣 化 」 を 図 る べ き こ と,⑤ を 処 理 す る 試 み は 計 画 に.含 ま れ る べ き で は な い こ と で あ る 38)Pre開nd【 の プ レ 定 の 調 印 に至 る ので あ る。 基 金 へ の 金 の 拠 出 は,割 相 場 の 変 更 の 自 由 を う え る こ と,④ し て 公 表 さ れ,こ の ア ト ラ ン テ ィ ッ ク ・ シ テ ィで の 予 備 会 議 を 経 て,7月 ギ リ ス の 戦 時 内 閣 が 代 表 団 に 与 え た5項 規 模 と す る こ と,② の 後 の 「国 際 通 貨 基 金 の 設 立 に 関 す る 専 門 家 の 共 同 声 明 」(JoLnτState・ mentbyExpertsontheEstablishmentofanlntemationalMonettvFund)と の 務 ロ ー 使 節 団 」 と 呼 ば れ た が, 国 通 貨 の 売 買 を 戦 時 異 常 残 高 〔Moggr正dge,1992,p,724,CW,25,p.