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今月の月刊レポートDIO

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今月の月刊レポートDIO
主張
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視点
市場万能がデフレを復活
−経済戦略会議提言は有効か−
デフレの恐ろしさ
生鮮野菜の値上がりから一時上昇していた消費者物価が再び下落している(3月の東京都区部前年同月比
▲0.5%)。不況からの脱却に苦しむ日本だけではなく世界的にデフレ懸念が台頭しており、ロンドン・
エコノミスト誌(2月20日号)は「新たな危険」のタイトルでデフレを特集している。同誌の推計による
と世界の需給ギャップは1930年代以降で最も大きくなりつつあり、たとえアジア経済が底を打ったとし
ても、潜在成長率を下回る低成長が続けば需給ギャップは拡大し物価押し下げ要因となる。物価が下が
るとの期待が高まると、買い控えを促し需要が一層減少して物価のさらなる低下を招く悪循環となる可
能性がある。また、物価下落は債務の実質負担を高め企業倒産を引き起こしやすくするし、同じく資産
価格の下落はその担保価値を低めて負債の重圧を増す(負債デフレ)。物価下落と経済収縮の下方スパ
イラルが生じた時の恐ろしさは、1930年代の大恐慌が教えるところである。
このようなデフレの危険を前にして、最大の危険はインフレ退治に長らく馴染んできた政策当局等が対
応を誤ることであると同誌は言う。大恐慌の際の教訓の一つに、マネーサプライの低下を招いた金融政
策の失敗がある。日本では長期金利上昇に際して国債の買切りオペ増額をめぐる議論があり、ドイツで
は金利引き下げを主張するラフォンテーヌ蔵相が辞任した。日本や欧州の中央銀行が政府からの独立性
にこだわるあまり、金融緩和が不十分となりデフレに道を開けてしまうと、「物価安定=インフレでも
デフレでもない状態」を主眼とする中央銀行の信頼が逆に失われることになると同誌は警鐘を鳴らして
いる。
デフレ復活の背景
ところで、半世紀以上の間封印されていたデフレの懸念が、20世紀の終わりに復活してきたのはなぜだ
http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no126/siten.htm[2008/10/07 9:40:20]
主張
ろうか。アメリカの著名な経済学者クルーグマンの最近の論文(「恐慌型経済への回帰」論座3月号)に
よると、経済政策が正統派経済学の教える正しい方向に改革されたからである。景気循環が成長率の循
環となったのは第二次世界大戦後のことで、もともと大恐慌以前の資本主義ではブームとバストに伴い
インフレとデフレが繰り返され、金融危機も度々発生していた。「恐慌以後に形成された政策レジーム
の本質的な問題点に対して、恐慌前の市場資本主義の利点を復活させることで対応してきた。しかし、
古風な資本主義の利点を今に呼び起こす際に、われわれはその欠陥の一部、とくに不安定化や長引く経
済不況への脆さも取り込んでしまったのだ」とクルーグマンは言う。
例えば、正しい方向への改革の一つとされる国際取引の自由化は、巨額の短期資本が瞬時に世界中を駆
け巡ることを許し、アジア経済危機にみられるように投機の攻撃による不安定化に対して脆くなってし
まった。第二に国内金融市場の自由化は、それまで規制に守られてきた金融市場をより競争的で効率的
とすることを目指す一方で、バブル発生の一因となり、その崩壊による不況や金融混乱を招いている。
アメリカも例外でないことは、80年代∼90年代初の貯蓄貸付組合(S&L)の問題に示されており、今
も株価バブルに酔うアメリカ経済の先行きには不安がつきまとっている。第三にインフレ抑圧の成功と
それに伴う金利の低下は、過大な債務を自動的に軽減することを難しくし、また、実質金利を引き下げ
る余地を小さくしている。第四に財政均衡を重視する規律の回復であり、硬直的な財政構造改革路線に
より日本経済は現在の不況に陥ってしまった。
戦後のいわゆる福祉国家は、大恐慌までの古風な資本主義の欠点を是正しようと編み出されてきたもの
である。その弊害が目立つようになったからといって、市場にまかせれば万事うまくいくという「市場
原理主義」に単純に回帰するだけでは、クルーグマンの言うように昔の弊害を呼び起こすだけである。
自由化や規制緩和などの改革はあくまでもより良い経済社会システムを構築するための手段であって、
それ自体が目的となり市場の教えるところは全て正しいという極論になってしまっては本末転倒であ
る。バブルやアジア経済危機の経験から金融自由化には健全経営を促す銀行監督が不可欠なことがわ
かったように、現在の改革に求められているのは、市場メカニズムの長所を生かしつつ不安定性などの
短所を拡大させない規制や消費者や利用者サイドに立った規制の再構築を同時に行うことである。行政
改革も「小さな政府」自体が目的ではなく、新たな経済社会システムにふさわしい「有効な政府」を作
ることが目的である。その中には、景気対策として必要となる公的支出を、バラマキではなく将来の発
展につながるものと出来る公共意思決定メカニズムの改革も入ってこよう。
http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no126/siten.htm[2008/10/07 9:40:20]
主張
経済戦略会議提言:供給面の改革は突破口か?
さて、不況の悪循環からの脱却をめざす日本経済への処方箋として、経済戦略会議の最終報告「日本経
済再生への戦略」が2月末にまとまった。デフレ経済の危険を前にした現状から、この提言をどう評価で
きるだろうか。
今回の提言では、2000年度までの第一段階を「バブル経済の集中的清算期間」、2001∼2002年度の第二
段階を「成長軌道への復帰と経済健全化期間」、2003年度以降の第三段階を「財政再建、構造改革によ
る本格再生のための期間」と位置付け、過去の清算(不稼動資産を収益を生む稼動資産に変えること)
と中長期的な潜在成長力の回復に力点を置いた構造改革の方策を提言している。その中でキーワードと
なっているのが「健全で創造的な競争社会」の構築で、市場メカニズムを最大限発揮できる供給面の改
革を進めることが何よりも重要との基本認識がある。
しかし、供給面に焦点をあてた改革が、現下のデフレの危険、供給過剰=需要不足の問題の解決に適切
であろうか。もちろん、中長期の経済成長の鍵を握る生産性上昇のために、自由で創意が発揮される効
率的な経済社会を目指すことは重要である。こうした改革はいつの時代でも必要なことである。これが
期待成長率を高め新規投資につながる面もあるが、それだけでデフレの危険は避けられないだろう。提
言でも、バブル清算の過程で短期的に一層のデフレ圧力が高まるリスクを認識しており、マクロ経済政
策の重要性を指摘している。財政再建への移行は第三段階からであり、足元の財政赤字急増に驚いて
2000年度にかけての財政政策が逆行することがあってはならない。
また、生産性上昇に影響する一層重要な要素は教育・情報・研究開発・社会資本などの人的資源開発や
社会インフラ整備であり、提言でも情報通信、環境、医療・福祉などの21世紀を先導する産業創出に向
けた国家戦略の策定、都市再生、環境、情報インフラ、教育・人材育成、福祉、住宅などの21世紀に向
けた戦略的インフラ投資をうたっている。今回の提言に最も期待されたことは、このような戦略的投資
を景気対策として不可欠な公的支出の中にどう具体化するかではなかろうか。現在版ニューディール政
策であり、森嶋通夫教授の提唱するアジア共同体創設(「なぜ日本は没落するか」岩波書店)のような
スケールの大きい構想力が求められている。
「小さな政府」型セイフティ・ネットは安心を保障するか?
次に、最終報告では昨年末の中間報告に比べてセイフティ・ネットの構築がより重視されるようになっ
た。「社会は人々が互いに切磋琢磨し、競争する場であると同時に、困った人がいた場合には助け合う
相互扶助の場でもある」というように、経済だけではなく社会の視点が入り、競争原理が機能する前提
http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no126/siten.htm[2008/10/07 9:40:20]
主張
としてセイフティ・ネットが必要との認識が入ってきたことは前進である。
しかし、そのための方策として提言している「小さな政府」型セイフティ・ネットが、国民に本当に安
心を保障し、消費主導の景気回復に資するものなのかは疑問である。例えば、年金改革として公的年金
はシビル・ミニマムといえる基礎年金部分に限定し、報酬比例部分(二階部分)を30年かけて民営化す
ることを提言している。しばしば手本とされるアメリカであるが、401Kの実態は退職一時金のための積
み立てであり、確定給付の公的年金があくまでも中心である。金融ビッグバン先進国のイギリスでは、
年金ミスセリング(個人年金の方が企業年金より有利との誤ったセールスにより多くの人が個人年金に
加入したが、企業年金には事業主負担がある場合が多く、個人年金の方が給付が少ないことが判明)が
社会問題となった。果たして民営化が、年金不信を解消すると言えるのだろうか。また、基礎年金の水
準は高齢者の基礎的生活コストを十分カバーできる水準に見直すとしているが、これが高いと「大きな
政府」となろうし、具体的にどういう水準なのかわからないと不安は解消しないだろう。
報告書のいう日本独自の「第三の道」は、社会保障など政府の再配分機能をどのように位置付けている
のかがはっきりしない。むしろ、アングロ・アメリカン・モデルに追随しているようにも読める。
雇用面の改革についても、転職希望者に対する能力開発バウチャーの支給など、ミスマッチ解消のため
の施策はいつでも重要なことであり、雇用流動化の促進が不況脱出の方策とはいえない。その点、最終
報告で新たに当面2年間の時限的措置として失業に対する不安心理を除去する施策(世帯主の非自発的失
業に対する扶養家族の数に応じた失業給付の拡充、職業訓練期間中の給付期間延長等)が加わったこと
は注目される。
そもそも、提言のいう「これまでの日本社会は護送船団という言葉が示すように、切磋琢磨し競争する
場としての機能が弱い反面、既得権を持つ人に対して、たいした努力が見られなくても所得を保障する
という生活保障機能が存在していた」というのは事実だろうか。護送船団の典型の金融機関のような例
はあるが、製造業をはじめダイナミックな競争の中で発展してきた産業が多く、その中で現在の雇用シ
ステムが形成されてきたのではなかろうか。「日本型システムの良い部分は残しつつ」と提言はいう
が、その良い部分が何で、今後の生産性上昇につながる基盤であるのかわからないのが残念、是非とも
現在経済計画を策定中の経済審議会などの中で議論を深めてほしい。
政治的リーダーシップの源泉
最後に、提言の内容が妥当かどうかは別にして、大胆な改革を進めるために不可欠なものは、提言も指
http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no126/siten.htm[2008/10/07 9:40:20]
主張
摘しているように政治のリーダーシップである。景気回復後に「持続可能な財政」への道筋を描けるか
どうかも、政治の能力にかかっている。そして、その源泉は言うまでもなく国民の支持である。
これに関して、提言の実行を監視する体制を整備するべきとの議論があった。しかし、そもそも経済戦
略会議は、昨夏の参議院選挙で国民にNOを付きつけられた後の自民党政権が10人の学者・経営者を集め
て始めたもので、国民的コンセンサスを形成するには正統性に乏しいといえる。今後の政治のルールと
して、現政権がこれこそ経済再生のバイブルであると考えるなら、国民の信を問ってから始めるように
すべきであろう。野党も、その時に備えて日本経済再生へのシナリオを早急に作成することが必要であ
る。提案した政策に対して国民の信任を得た政権が、信認を得た改革にまい進することが期待される。
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http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no126/siten.htm[2008/10/07 9:40:20]
寄稿
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寄稿
住宅供給とはなにか?
日本勤労者住宅協会 理事長 片山 正夫
住宅経営と公共事業
衣・食・住というように、住宅は私たちの生活にとって無くてはならないものであるように、道路、公
園なども生活には無くてはならないものである。人間が生活を営んでいく上で、同じように必要なもの
でありながら、両者には明確な相違がある。前者は私有財産として扱われ、後者は公共財に分類され
る。
道路、公園などの整備は、国または地方公共団体が公共事業として行い、その費用は財政が負担する。
一方、住宅は原則として住宅市場を通じて手に入れることとなり、その費用は各個人が負うこととな
る。
公共的な性格をもつ団体、たとえば地方住宅供給公社、住宅都市整備公団、日本勤労者住宅協会など
が、住宅の供給事業に取り組むにあたって、この両者の違いを明確に、認識していないと、往々にして
大きな間違をすることになる。
道路、公園などの公共財はその整備が必要であるならば、財政の負担限度という問題点は一方にあるも
のの、ある程度の時間をかければ整備されることとなる。必要であるから実施されるのである。この、
必要であるから実施するという感覚で住宅供給にあたったときの一番の問題点は経営というポイントが
抜け落ちることである。公共財の整備いわゆる公共事業においても、当然、費用・効果の分析がなさ
れ、また効率的な執行という観点から工法単価などが決められる。しかし総費用は必要度に応じて積み
上げられたもので、この額で事業が実施されることとなる。
事業の必要性があり、それに要する費用が適正に積み上げられたからといって、これがそのまま実施さ
http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no126/kikou.htm[2008/10/07 9:40:34]
寄稿
れることは、住宅供給事業が経営であると理解されているかぎり許されないことである。経営である以
上、その費用は、経費ともども回収されなければならない。この素朴な「理」が忘れられて、必要であ
るからということだけで宅地開発、あるいは再開発によって住宅供給がなされれば、その供給主体は経
営的に破綻をきたすこととなる。
住宅の需要と供給
快適なすまい方をするために必要な住宅に関する物理的な条件は、人それぞれに違いはあるが、大方い
えることは立地条件が良いこと、住宅の周辺の環境が優れていること、住宅の広さもありまた設備も良
いことなどがあげられる。これらの条件をすべて完全なかたちで満たすことは一般的には困難なことで
あり、人それぞれ、経済的な能力に応じてこれらの条件を選択し手に入れていくことになる。
一方、住宅を供給する側も、このような買い手の事情を考慮して住宅供給を企画することになる。土地
を取得し、その土地を造成し、住宅を建設し販売に出し、これを買い手は自分の住宅に関する改善ある
いは欲望の中身、経済的な能力などと比較考量して買うか買わないかを決めることとなる。これが住宅
市場を通じて行われる。あくまでも相手のあることであり供給側のみの一方的な判断でことが処理され
るものではない。
とは云っても、住宅の供給がすべて住宅市場を通じてのみ行われるものではない。絶対的な住宅不足が
ある、あるいは住宅の市場家賃が高くこれを負担することが困難な人々が多数あるときに、国、地方公
共団体が住宅を直接に供給すること、例えば公営住宅の制度も意義あることである。しかし、今の状況
において、住宅の大半が市場を通じて供給されていることを考えれば、市場の動きを無視することはで
きない。
いま、日本の住宅の総数は世帯数をおおきく上回っている。そして、人々は何らかの形で住宅に「すま
い」している。だからと云って人々がその「すまい」する住宅にみな満足しているというわけではな
い。つまり、今の住宅需要は相対的なもので、現状の居住水準をより良くしたいという気持ちが顕在化
したときに初めて需要となって現れる。言い換えてみれば、住宅市場には「すまい」をより良いものに
したいという「気」が満ちていて、これに対していろいろな提示をすることによってこの「気」を具体
的な住宅需要に顕在化させる。提示の仕方が悪ければ当然その供給は需要に結びつかない。
また、このような需要は個々の人たちの判断の集積であるため、その内容は極めて多様となり住宅のタ
イプは多種類にわたることとなる。したがって需要量としては、全体としてはある程度まとまっても、
http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no126/kikou.htm[2008/10/07 9:40:34]
寄稿
タイプ別には散在することとなる。
このような住宅の需要と供給の関係を、また住宅需要の内容をよく把握しておくことが住宅供給に極め
て大切なことである。良質な住宅を、適正な価格で、かつ的確な量で供給していくという三原則を、事
業を進めるにあたり守っていきたいと思う。
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http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no126/kikou.htm[2008/10/07 9:40:34]
特集
海外出張報告
創立50周年を迎える労働組合諮問委員会(OECD-TUAC)(上)
ピータ・ガスケル(前OECDプレスオフィサー)
OECD−TUACが注目を集めている。TUACは労働組合諮問委員会といい、ICFTU(国
際自由労連)と強く連携している。とくに最近、欧州だけでなく全世界の経済、社会、労働の各分
野に大きな発言権を持ってきている。労働者の発言の大きな場としてのTUACの動向には注目し
ておく必要がある。本号から次号にわたって、TUACの成立からグローバル時代にいたる歴史と
最近の情勢への対応を紹介する。
はじめに
経済協力開発機構(OECD)の労働組合諮問委員会(TUAC)は、第2次世界大戦の爪痕残るなかで
創設されてから、今年で50周年を迎え、55の各国労組ナショナルセンターの積極的な代表者として、O
ECDのパリ本部で行われている経済政策論議をはじめとする広範な領域に参加している。
当初、「欧州復興プログラム」、いわゆるマーシャル・プランに対する労組諮問グループとして1948年
に創設されたTUACは、欧州の統合に向けた初期の取り組みに大きな貢献をしてきた。今日、OEC
Dに対して諮問するという地位を持つ国際的な非政府組織として、TUACは、世界の先進国のほとん
どを含むOECD29カ国7千万の労働者の代表として発言している。
OECDの主要な委員会、特別作業部会への参加を通じ、TUACは、独自の分析と協調的な枠組みに
立って、労働組合の見解をまとめ、これを先進国政府に表明している。経済成長優先の経済政策のなか
に、完全雇用と社会福利向上の目標をも含めさせることを追求し、各国の政策担当者が働く人々の利益
を念頭においた経済戦略を組み立てるよう努力している。近年では、労働者の権利と国際的に認められ
た労働基準の順守、グローバル化に伴う諸問題、環境に適合した持続可能な開発に関する問題もまた、
http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no126/tokusyu1.htm[2008/10/07 9:40:39]
特集
大きな重要性を帯びてきている。
TUACの中心的な任務は、経済に関する主要な国際的討議の場に、労働組合にかかわる重要課題を提
示し、これに影響力を発揮することにおかれてきた。そのためには、傘下労組の抱える問題を真剣に検
討すると同時に、深い分析と事実に基づいた問題提起が求められた。TUACがこの20年間、OECD
年次閣僚会議への定例の提言に加え、G7および今日のG8サミット、あるいは雇用に関する高官会議
(1996年4月のリール会議、同年10月、11月の神戸会議)に貢献してきたのは、こうした目的のためで
ある。
この取り組みを通じて、TUACは国際的労働組合組織のなかで特異な役割を果たしてきた。歴史的に
見ると、TUACはICFTU(国際自由労連)の欧州地域組織が発達したもので、WCL(世界労働
連合)の前身の組織でもある。したがってその構成範囲は幅広く、様々な労組の伝統を反映しており、
特にICFTUとの協調関係が強いが、WCL、ETUC(欧州労連)およびその地域組織とも共に活
動している。だからTUACが作成したG7/G8サミットへの提言も、労働組合運動全体の見解を取り
いれたものになっているのである。
TUACの活動プログラムでは、現在三つの重要分野が設定されている。すなわち、(i)広い意味での
雇用問題、(ii)グローバル化の諸課題に対する政策対応、(iii)OECD非加盟国との関係に関する取
り組みである。
1998年4月と5月に発表された最新のTUAC政策声明は、バーミンガム・サミットの政府首脳会合に集
まったG7/G8各国首脳と、前段のOECD閣僚会議に向けて、次のことを呼びかけた。
―世界の経済成長を維持し、均衡ある国内需要を支えるような協調戦略を実行すること。
―優先課題として、国際的な資本市場を制御するための新しい金融機構創設に向けた「国際委員
会」を設置すること。
―グローバル化の社会的、民主主義的側面について探求し、世界的な貿易・投資システムのなかで
中核的労働基準を守らせるための明確な対策をとること。
―ロンドンでのG8雇用会議で打ち立てられた原則を拡充し、差別撤廃、良質な労働市場政策、生
涯学習、職場の変革のためのパートナーシップ、低賃金の克服、失業および社会保障システムの貧
困の「罠」の縮小を通した、雇用と社会参加の機会拡大のための戦略に取り組むこと。
http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no126/tokusyu1.htm[2008/10/07 9:40:39]
特集
―持続可能な開発戦略に取り組むこと。
TUACの歴史の全体像をつかむために、この40年間を以下のようにまとめることが出来る。
1960年代/70年代 ケインズ主義的な総需要管理政策の時代で、70年代中頃から後半にかけてオイルと金
融の外的ショックがあり、またインフレとの闘いがあった。
1980年代 規制緩和と構造調整政策、そして失業率上昇の時代。
1990年代 特に90年代後半、グローバル化の進展と、政府の役割に関する議論が復活した時代。
TUACの歴史的概観
1.マーシャル・プランとTUACの誕生
戦争で破壊された欧州の産業を復興し、被災した諸国民を支援するための米国による財政支援は、米国
務長官のジョージ・マーシャルによって1947年に策定された。これにより復興ははるかに早く達成され
ることになった。欧州の労働者の中にマーシャル・プランの支持を広げる上で、労働組合運動は決定的
な役割を演じた。労働者の一貫した全面的な支持がなければ、間違いなくマーシャル・プランは失敗し
ていただろうし、戦後の歴史はまったく変わったものになっていただろう。
労働組合はマーシャル・プラン当局に協力すべきか否かをめぐって激しい論争が起き、世界労連の分裂
という事態に発展した。その結果、1949年1月に非共産党系労組が世界労連を脱退し、同年末に国際自由
労連(ICFTU)を結成した。
その前年の3月、ロンドン近郊に欧州、アメリカの15カ国から50人の労組代表が集まって、マーシャル・
プランに対する方針を決定した。同プランに全会一致の支持を寄せつつ、労働組合諮問委員会(TUA
C)という名称の機関を通して、マーシャル・プラン当局との継続的な連絡体制を作ることを決定した
のである。
委員会の初代事務局長 には、当時のイギリス労働組合会議(TUC)書記長、ビンセント・ツーソンが
選ばれた。会議の最終声明は、欧州復興プログラムへの支持を表明しつつ、会議に参加した労組代表の
意思を次のように明らかにした。「自由市民と民主主義的機構の原理を守るための前提であり、また何
よりも人々の生活と労働の継続的改善を保証するような社会的、経済的、政治的条件の確立に貢献す
る。」
http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no126/tokusyu1.htm[2008/10/07 9:40:39]
特集
会議は、米国による支援に受容できないような条件がまったくついていないこと、また参加各国の国内
問題への干渉のないことに満足を表明した。また、多国間貿易の拡大と、欧州−米国間の貿易不均衡の
是正を呼びかけた。そして労働組合に対し、「各国の経済回復と近代化に向けた産業計画実行のための
政策に、誠実に協力するよう呼びかける。これらの政策は、国境を越えた経済協力のための活動推進に
寄与するだろう」とした。だが、すでにこの段階においても、労働組合の支持の前提は、各国政府が
1930年代の教訓に学び、完全雇用を推進することであると、明確にしていた。
1948年6月、TUACは欧州経済協力機構(OEEC)との接触、協議を持つための緊急委員会を設立し
た。それから間もなく、
OEECのロバート・マージョリン事務総長との会談を経て、OEECとの協力体制が動き出した。そ
して同年7月にロンドンで開かれたマーシャル・プランに関する労組会議で、米移動大使のアベレール・
ハリマン氏はこう発言した。「企業、農業、科学、教育などの、あらゆる非政府グループや団体がこの
事業に参加できることはもちろんですが、国際的労働運動の果たす役割はもっとも大きいのです。」
1948年12月、OEEC委員会は、TUACを欧州における組織労働者の代表として公式に認知した。常
設連絡委員会が設立され、ウォルター・シュベネルズが初代事務局長となり、同氏は1950年にICFT
U欧州地域組織の事務局長に選出されるまでその任についた。カール・カッセリーニ(スイス)がその
後を継いで事務局長になり、1957年に国際金属労連のジュネーブのオフィスに転身するまで、同氏がそ
の職務を全うした。
TUACの基本的活動のあり方は、この頃に出来上がった。OEEC関連資料を各労組ナショナルセン
ターに提供し、当面の問題に対する分析報告書を準備し、さらに1949年からは情報リポートと「レイ
バー・ニュース・ブルテン」の発行を開始し、これは広範な政治・学術団体に配布されている。
2.初期の大きな出来事
OEECは、1949年から西ヨーロッパにおける産業投資の調整という問題に取り組み始め、TUACは
鉄および鋼鉄、繊維、化学、炭坑の各産業における賃金、社会的諸負担、労働条件に関する調査を受け
持った。OEECは、この調整策に全加盟国政府を説得して参加させることが出来なかった。いくつか
の国の政府は、投資調整策が私企業に対する公的管理を強めるのを怖れていた。
1950年にローマで開かれたTUAC総会では、貿易自由化、投資調整、欧州統合の問題に対して、初め
て労働組合としての国際政策を打ち立てる取り組みが行われた。最終声明とりわけ「産業・投資の調整
への全欧州規模での参加は難しいかも知れないが、こうした調整は多くの主要産業でより早期に達成さ
http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no126/tokusyu1.htm[2008/10/07 9:40:39]
特集
れると思われる」と述べて、後の欧州石炭鉄鋼共同体の誕生を予見させている。声明はさらに、政治
的・経済的一体化を実現するための欧州統一を呼びかけている。
初期の出来事で重要なのは、TUACが
OEECの欧州生産性機関:EPA(1953年設立)との間で緊密な協力関係を樹立したことである。O
EECの中心的「事業機関」であるEPAの第1の任務は、次のとおりである。
1.各国の生産性向上活動の調整
2.社会調査の促進
3.訓練機関の普及
4.労使のリーダー間の会合のための施設の提供
5.国内的、国際的成果に関する情報交換
6.開発途上地域のための政策立案
パリで行われた労働組合生産性会議での全会一致決定に基づき、1954年5月、TUACはOEEC閣僚理
事会に対して正式な申入れを行い、労働組合代表をOEECの労働問題担当の上級事務局員として採用
するよう要請した。閣僚たちはこれに合意し、適正な人員配置がなされた。こうして、生産性の問題に
関する労組活動家の訓練で労組役員が重要な役割をになうことになった。欧州労働調査団による欧州と
米国の労働組合訪問活動も行われるようになり、1959年には「労働者に適正な職を見つける」ための会
議が開かれた。
以上を要約すれば、労働組合はEPAの活動にしっかりと参画し、その地位を確保するとともに、「労
働と社会要因部会」におけるその活動は、労働運動にとって大きな意味を持つことになった。1960年代
初期には、OEECの後を継ぐ新組織−これには米国とカナダが完全加盟することになっていた−の設
立をめぐる議論が活発になった。EPAは独立機関としての役割を終えることが決まった。労組は使用
者と共に、EPAの役割を引き続き残すべく努力したが、各国政府はそれを認めなかった。労組は、西
側ヨーロッパの統合のために役立つあらゆる機関を支持するという立場を強く持っており、EPA存続
に向けた努力はその一環だった。
3.OEECに代わってOECDが設立される
経済協力開発機構(OECD)の設立に向けた事前討議のなかで、TUACの意見が求められた。労組
はこの機会を利用して、機構変革の準備の責任を負う「四賢人」(米国、フランス、ドイツ、イギリス
の4カ国から派遣)に対し、社会正義のための枠組みを確立すること、さらにあらゆる工業、商業、農業
http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no126/tokusyu1.htm[2008/10/07 9:40:39]
特集
活動において人間的・社会的要因を考慮することの重要性を訴えかけた。TUACは、「経済政策の調
整を推進する上で欠かすことの出来ない前提条件」としての強力なOECDの創設を、一貫して訴え
た。
準備委員会の作業は、20カ国の創設メンバー国閣僚会議によって承認され、1960年12月14日、OECD
創設のための条約がパリで正式に調印された。今日でもこの条約は、以下のごとくOECDの政策を律
している。
―金融の安定を維持し、もって世界経済の拡大に寄与しつつ、加盟国における持続的経済成長と雇用、
生活水準の向上を最大限実現すること
―経済開発の過程にある加盟国および非加盟国の、堅実な経済拡大に寄与すること。さらに
―国際的義務に従いつつ、多国的、非差別的基盤の上での世界貿易の拡大に寄与すること
OECD発足時の加盟国は、オーストリア、ベルギー、カナダ、デンマーク、フランス、ドイツ、ギリ
シャ、アイスランド、アイルランド、イタリア、ルクセンブルグ、オランダ、ノルウェー、ポルトガ
ル、スペイン、スウェーデン、スイス、トルコ、イギリス、アメリカの20カ国である。その後、以下の
国が加盟した(括弧内は加盟日)。日本(1964年4月28日)、フィンランド(1969年1月28日)、オース
トラリア(1971年6月7日)、ニュージーランド(1973年5月29日)、メキシコ(1994年5月18日)、
チェコ(1995年12月21日)、ハンガリー(1996年5月7日)、ポーランド(1996年11月22日)、韓国
(1996年12月12日)。さらに、欧州共同体委員会がOECDの取り組みに参加するようになった。
OECD条約の規定で、最高議決機関であり、加盟国に対する勧告を全会一致で出すことの出来る閣僚
理事会が設置されている。新機構は、加盟国の経済状況と政策について協議するというOEECの任務
を引き継ぎ、強化したものであり、その中心は経済開発検討委員会(EDRC)の場での加盟国経済と
政策に関する毎年の相互検証である。また開発援助委員会(DAC)が設置され、加盟国の援助政策の
モニターと相互検証を行い、開発途上国に対する援助の拡大、改善を追求することになった。
4.TUACのOECDに対する協力
OECD発足と同じ月、加盟諸国の自由労働組合代表がブリュッセルで会議を開き、
OECDの労働組合諮問委員会を正式に設立した。OECDにはこの時カナダと米国も加盟していたの
で、AFL−CIOとカナダ労働組合会議がTUACに加わった。ブリュッセル会議はOECD条約に
盛られた目標を承認し、経済成長と完全雇用の目標を特に強調するとともに、生産性上昇の果実の公平
な分配を求めた。加盟国協議の中では雇用とマンパワーの問題に特に注目すべきことを強調した。さら
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特集
に、OECDは科学と技術に関する取り組みを推進し、調整すべきだとし、その際、その社会的側面と
労働問題を特に重視すべきであることを主張した。
1962年3月、OECD閣僚理事会はTUACの協議機関としての地位を確認した。さらに、使用者側組織
の経済産業諮問委員会(BIAC)をその相手方とするとともに、協議内容は
OECD事務総長が議長を務める連絡委員会に伝達されることになった。労組と使用者を代表する二つ
の委員会は、OECDによって「一般経済問題に広範な責任を持ち、懸案問題に対する非政府組織の立
場を代表するもの」と位置づけられた。
1960年代、TUACはICFTUとWCL、それにいくつかの独立組織から構成されていた。両中心組
織の欧州地域機関のスタッフからなる、二つの書記局が併存していた。
TUACは、その最大課題であるマンパワー政策に関し、EPAの社会要因部局とOEECのマンパ
ワー部局とを統合して、OECD内に新たに「マンパワーと社会問題」部を設立するよう働きかけた。
部代表の任は、スウェーデンの労組ナショナルセンター(LO)のゴスタ・レーンが長年にわたって務
めた。
1964年5月、OECDはTUACとの協議を経て、経済成長促進の手段としてマンパワー政策を推進する
勧告を行い、技術的・経済的変化がもたらした雇用問題対策という視点から、各国のマンパワー政策を
検討するよう求めた。同時に、「マンパワー・社会問題(MSA)委員会」の場でも、定期的に加盟国
のマンパワー政策に対する検証が行われた。これはOECD全体、特にEDRC(上記参照)で行われ
ている「相互検証」の精神に沿ったものである。
1960年代は、マンパワー・社会問題委員会と同部の活動が特に深められた時期である。またOECDの
労使関係プログラムの枠組みの中で「社会的パートナー」との調整も進展した。たとえば、1963年から
1968年の間に、24回あまりの会議やセミナーが開催されている。
1969年以降、TUACの担当者はマンパワー政策の具体的分野を扱うMSAの作業委員会に参加し、各
国政府の政策決定に影響を与えた。すでにその当時から、TUACの提言は労働者の教育・訓練に関す
る問題に大きな重点を置いていたのである。
経済政策に関しては、TUACは、OEECの全活動期間を通じて完全雇用の達成と維持、経済成長率
の押し上げ、生産設備の完全稼働を常に優先するよう求めてきた。1961年11月には、(1990年代の経済
的苦境を見ると皮肉というしかないが)OECD閣僚理事会は加盟国に対して1960年から1970年の間に
GNPを実質50%拡大するという目標を設定した。その実現のために、年間平均で4.2%の拡大が求めら
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特集
れた。
TUACがOECDにあてた1962年末の覚書では、50%成長目標を承認しつつ、「最大成長率達成の大
きな条件は完全雇用である」と記すとともに、景気後退の予防策をとること、景気後退した場合でもそ
の影響を最小限に抑えるよう訴えた。この時期は総需要管理政策の最盛期であり、1964年にジュネーブ
で開催されたTUAC総会は、全会一致で
OECDの成長目標を支持し、目標達成のためにそれぞれの国が必要な政策をとるよう促した。
1961年5月には、OEEC任命の6人の専門家の手による所得と物価政策に関する500ページの報告書が
発表された。その中では、過度の賃上げ要求はインフレ圧力の原因となるとの考えが示され、これを賃
金抑制策の口実にする政府も現れた。TUACが異議を唱えた報告書の結論は、以下の三点である。
(a)インフレの責任を労働組合に負わせるための分析
(b)労働組合の法的権利、地位、責任を大幅に変更する提案
(c)生産性の枠内に賃上げを抑える政策の支持
TUACは、長い間、成長目標が物価安定の目標に従属させられていた点を強調した。そして、労組は
所得政策に常に反対するわけではないが、その政策が承認できるのは適正な社会的、経済的条件のもと
においてだけである、と明確にした。TUACは、報告書の論点(b)について、これは筆者たちの権限
外のことであると反対するとともに、事実の裏づけもなく、いずれにせよ経済学者が口出しすべき問題
ではないとした。OEEC報告書のこの部分は、跡形もなく消え去り、以降OECDで再び取り上げら
れることはなかった。
報告書の結論をめぐる見解の相違点を突き詰めると、以下の点になる。執筆した専門家たちは、政府が
賃金政策を持つべきだとしたが、その賃金政策とは、経済状況に適合し、かつ物価水準を安定させるよ
うな、厳密な平均賃金上昇率を示せということである。だが賃金以外の所得に関しては何の政策も提言
されていない。これに対するTUACの考え方は、所得を計画したり規制したりすべきか、あるいは放
置しておくべきかは議論されるべきだが、所得の内半分についてだけ計画や規制をし、他の半分は放っ
ておくというのではまったく意味がない、ということだった。
賃金と物価の規制論争は、当時のOECDとTUACとの間のもっともホットな論争だった。結局、T
UACの主張が勝った。OECDは非賃金所得に関する調査報告書を発表し、その中で、所得政策を策
定する場合はあらゆる種類の所得を含めるべきだとの労組の主張の正しさを認めた。付け加えるなら、
OEEC報告書は単に6人の著者のみが内容の責任を負ったものだが、その後出されたOECDの報告書
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特集
は、OECD全体を代表する見解だということも評価すべきだろう。
OECDの活動の内、TUACがもっとも熱心に支持したのは開発援助委員会(DAC)を通じた開発
途上国に対する支援の調整・拡大の取り組みである。TUACは1962年6月に、援助に関する特別会合を
開き、その後もDSCとOECD開発センターとの連携を保っていった。1966年初頭には、途上国の金
融状況に対する警鐘を鳴らし、OECDあての覚書で急増している債務負担の問題に懸念を表明した。
創設20年にあたる1968年には、TUCAはICFTUの傘下の21のナショナルセンターと、クリスチャ
ン・インターナショナル傘下の8つのナショナルセンターを代表するようになった。当時の役員は、議
長:W.F.ヴァン・ティルバーグ(オランダNVV書記)、事務局長代理:チャールズ・フォードで
ある。また重点的に取り組んだ課題は以下の諸点である。
―完全雇用の回復と、十分な成長率達成のためのキャンペーン
―途上国輸出品に対する先進国の市場拡大のあり方に関する討議
―OECD産業委員会およびその特別作業委員会との緊密な連携
―教育および職業訓練にかかわる問題
―技術断層問題
1990年代の失業率を考えると、30年前にTUACがOECD閣僚会合とOECD連絡委員会の討議用に
出した文書は示唆的である。その中では次のように記されている。「TUACスポークスマンは、欧州
の失業率は依然高いこと(執筆時点でイギリスでは50万人以上、フランスでも同程度の失業者)を指摘
した。事態は、閣僚声明に盛られた以上に緊急を要している。OECDは状況悪化を食い止めるための
緊急策を検討すべきである。OECDは、成長促進と失業率低下、世界貿易回復のための協調政策をと
るべきである。」
この文章は、当時の出来事と、多くの政治家の懸念を感じさせてくれる。この時期にはまた、「1980年
の金属労働者のための教育・訓練に関するセミナー」が、TUACと国際金属労連との共催で1968年10
月にパリで行われている。参加した加盟7カ国の40人の組合活動家と政府などの専門家は、次のような結
論に達した。自らの生活を自らの手に取り戻そうとしている多くの人々がいるなかで、職場における民
主主義拡大のためには、成人教育の分野での取り組みを強める必要がある、と。TUACが主要な産業
分野の発展に関与していくなかで、1966年には欧州宇宙産業の雇用に関するセミナーが開催されるに
至った。当時、欧州の宇宙産業は、不可避的な人員削減と米国からの激しい競争、さらにはコンコルド
開発を進めるべきかをめぐって苦闘していた。
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特集
1960年代、TUACの参加が加盟労組の分析作業に非常に役立った例としては、1968年3月に開かれた
技術断層問題に関する
OECD科学閣僚会議が際立っている。準備作業のなかでは、特に米国、フランス、ドイツ、イギリス
に焦点をあてて、教育、技術革新、加盟国の研究開発資源の問題が取り上げられた。会議の結論では、
技術移転の必要性と、ライセンス契約および外国投資の流れを滞りなく維持していくことの重要性が強
調された。
この期間、TUACの事務局員チャールズ・フォードが、カール・カッセリーニの後を受けて事務局長
に就任した。彼は1971年に退任し、国際繊維・医療・皮革労働者連合(ITGLWF)の事務局長に転
身した。この後の1971年1月に、TUACに併存していたWCLとICFTUの二つの書記局が統合さ
れた。統合後初のTUAC事務局長になったのは、元ICFTUスタッフのヘンリー・バーナードであ
る。1971年10月、TUACは、OECDとの連携10周年を記念する催しをブリュッセルで行った。ここ
にはTUAC議長のG.H.ローシアン、前事務局長のフォード、そしてOECD事務総長のエミー
ル・ヴァン・レネップなどが出席した。
1970年代になると、スペインのフランコ政権下での基本的労働組合権をめぐる問題が浮上してきた。同
政権は、政府がコントロールする労働者会議をOECDの労使プログラムに参加させるよう主張した。
TUACは、それが強行された場合は、他のすべての労働者代表は参加しないと警告した。OECD加
盟国内の基本的労働権の問題が、OECDとTUACとの間での重要事項となることが明らかになった
のはこの問題が最初で、その後の先駆けとなった。1980年代のトルコの軍事政権下で、ディスク労組指
導者が拘束された時にもこのことが問われ、さらに韓国でも重要問題となっている。
5.オイルショックとマネタリズムへの転換
もし1970年代初頭段階においてもなお世界経済がバラ色に見えたとすれば、それは幻影にすぎなかっ
た。すでにインフレが政府の経済顧問や政治家たちの最大の懸念になっており、悪いニュースが労働市
場と労働者、およびその家族に迫っていた。第1次オイルショック(1973年∼74年)が事態悪化の引き
金になった。4倍になった石油価格の上昇分は、省エネ型エンジンの開発とエネルギー節約、石油消費の
減少によってその後の数年間で吸収されたが、石油価格の高騰は、その直接の目に見える影響だけでな
く、人々の心理面により深刻な傷を与えた。
先進諸国は、オイルショックに対して石油依存型の生産を減らすための協調政策で対応しようとした。
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特集
その結果、OECDのもとに
IEA(国際エネルギー機関)が創設されることになった。だが、OECDにとってエネルギー政策が
重要性を増していたなかで、ケインズ主義に染められたその経済政策では第2次オイルショックに対応で
きなかった。ステファン・マリスなど、OECDの有力エコノミストたちが一人、また一人と組織を
去った。各国政府はマネタリズムと供給派経済学による改革の道を採用し始めた。1980年代初頭にはイ
ンフレ対策が強化され、中頃にはその成果が見え始めた。少数の高インフレ国を除き、OECD全体の
平均的物価指数上昇率は1980年の12.3%から、1986年の2.5%へと抑えられてきた。G7諸国の失業率の
方は、OECDの統計で1980年の5.3%から、1986年の7.1%へと上昇した。失職した労働者の数は、O
ECD全体で、1981年の2300万人から1986年の3,000万人弱へと急増している。(今日では約3,500万
人)
同時に、構造改革政策、民営化、緊縮財政に向けた強力な流れに押されて、教育、医療、社会福祉など
の公的サービスに対する圧力が強まってきた。これら数多くの問題が迫るなかで、OECDはタイミン
グよく「1980年代の社会政策に関する会議」を開催し、それを基に「危機のなかの福祉国家」(OEC
D、1981年)が出版された。この報告書の前文は「成長率が低下するなかで、近代の先進的民主主義国
家が市民に提供すべき最低限の保護策を保証しながら、社会政策を見直すことは避けて通れない。求め
られているのは斧を振りまわすことではなく、上手に社会的手術を施すことである」と記している。
この頃はレーガン大統領の時代で、特に米国以外では同大統領は規制緩和の旗手、介入のない自由市場
の信奉者だと見られていた。イギリスではサッチャー女史の全盛期だった(伝統的産業の消滅、競争力
のない重工部門の大規模な閉鎖、民営化、そして労組との対決の時代)。この二つの政権にならって、
多くのOECD加盟国の経済政策の重心が、労働組合のそれとは反対方向に傾いていった。供給学派的
な改革が広く取りいれられるようになり、その結果、雇用は大きな打撃を受け、労働者はますます不安
定な状況におかれた。短期労働契約が広がるとともに、特に未熟練労働者の労働条件は一般的に低下
し、多くの国で社会保障システムと公的部門全体に対する圧力が強まった。
この時期はまた、TUACとOECDの対話も難しくなった。それは単に経済環境が悪化したからだけ
ではなく、別の理由もあった。当時、米国はILOを脱退しており、そのためAFL−CIOは国際的
交流の機会を奪われていた(ICFTUにもまだ加盟していなかった)。だがOECD理事会には、T
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特集
UACに対するある種のはっきりとした不信感があった。つまり、AFL−CIOが、TUACを西欧
の主要労組センターとの交流に役立つ機関だとみなしたことから、当時のOECD事務総長(ヴァン・
レネップ氏)は、TUACが密かにOECD−TUAC−BIACの関係を政府、労組、経営者の三者
協議機関に変えようとしていると思い込んだのである。
TUAC事務局長のカリ・タピオラが後に打ち明けたところによると、そのような意図のないことをO
ECD役員に納得させるのに苦労したとのことである。
1970年代後半および1980年代が、国際経済の圧迫と国内事情悪化のおかげで労働運動にとって苦難の時
代だったとすれば、この時期はまた、TUACにとって大きな機会を提供してくれた時代でもあ
る。1975年、フランスのジスカールデスタン大統領は、ランブイエ城のくつろいだ環境の中で初のG7サ
ミットを開催した。
サミットは徐々にその重要性を増すとともに、参加者の顔ぶれも拡大していった。1976年のプエルトリ
コでの第2回サミットに続く、翌年のロンドンサミットでは、初めて労組が主たる経済議題に関する文書
提起を求められた。こうした提言をまとめる役割は、自然にTUACに任された。さらに、ドイツと日
本の労組によるハイレベルの折衝のおかげで、ボン(1978年)と東京(1979年)でのサミットでも引き
続きTUACの提言が求められた。この時点で、毎年のG7サミットへのTUACの提言は慣行となっ
ていた。OECDのなかでは、AFL−CIOの財務担当レーン・カークランド氏と、米大統領経済担
当顧問チャーリー・シュルツ氏との個人的関係のおかげで、TUACは1978年、当時シュルツ氏が議長
を務めていたOECD経済政策委員会(EPC)との協議の場に招かれることになった。これもまた、
TUACとOECDの関係を強化する上で大きな意義があった。
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特集-1
特集2
EUから日本社会モデルを考える(下)
濱口 桂一郎
1981年 東京大学教養学科第3卒業
1983年 東京大学法学部卒業、労働省入省
労働時間課長補佐、福井労働基準局監査課長、高齢・障害者対策部企画課長補佐を経て
1995年4月∼1998年4月 欧州連合日本政府代表部一等書記官
現在 埼玉県労働商工部職業安定課長
2.日本社会モデルの未来像をいかに構築していくか?
今日ヨーロッパで繰り広げられつつある新たな労働組織という方向は、我々日本の労働関係者にとっ
て、日本社会モデルへの接近?といいたくなるような内容を持っている。ところが、その日本で現在展
開されているのは、今までの日本型の雇用制度、労使関係は「グローバル・スタンダード」に適合せ
ず、これに固執するならば日本社会は早晩欧米諸国から立ち後れてしまうと恫喝し、早急にアングロサ
クソン流の流動的な労働市場を持ち込まなければならないと脅迫する「識者」たちの声なのである。
筆者は1995年から1998年まで3年間日本を離れ、ヨーロッパにいたが、その間の日本国内の論調の変化
は呆気にとられるばかりのものである。いまや、終身雇用などにこだわる化石企業に未来はなく、大失
業時代を恐れずに労働ビッグバンを断行することが急務であり、ジョブレスリカバリー以外に道はな
い、かのようである。
ここでは、その手の議論への反論をずらずらと述べる必要はないであろう。連合総研の俊秀諸氏はじ
め、適切な反論が既にきちんと行われている。しかしながら、人類の歴史を振り返れば、そのような冷
静な議論のみによって政策決定がなされてきたとは必ずしも言えないのもまた事実である。マスコミを
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特集-1
巻き込んだある種のイデオロギー宣伝によって、なんとなく、今までの日本のやり方ではダメで、何事
もアングロサクソンでなければという雰囲気が瀰漫し始めているように見える。
本稿に何らかの意味があるとするならば、そのアングロサクソン的市場原理主義から時代遅れの極みと
罵られてきたヨーロッパ社会モデルが、アングロサクソン型とは異なるフレクシビリティの概念をてこ
に、新たな方向に進もうとしているという事実、そしてその方向が実は戦後日本人が必死で創り上げて
きた方向とかなりの程度共通するものであるという事実を日本人とりわけ労働関係者に示すことにある
であろう。
フレクシビリティ概念の学問的彫琢、外的と内的、マクロとミクロ、数値的と機能的、死んだと生き
た、守りと攻め等々は経済学者によって行われているが、最も重要なことは、労働のフレクシビリティ
は雇用の安定と相反するものではなく、逆に雇用が安定なればこそ労働はフレクシブルとなり、労働が
フレクシブルなればこそ雇用も安定するという、一見アングロサクソン的には逆説に見えることが、日
本社会においては現実として機能してきたという点であろう。そして、それは上で見たように、ヨー
ロッパにおいても程度の差はあれ現実となりつつあるのである。
もとより、いままでの日本社会モデルがそのまま21世紀の欧州社会モデルになるわけでもなければ、日
本自身の未来像として十分であるわけでもない。拙著の最後で述べたように、日本社会モデルは労働組
織の柔軟さを主たる特徴とし、雇用の安定性と賃金・労働時間等のフレクシビリティを両立させ、教育
訓練志向型であるという面で、欧州の将来像にとってのモデルである一方で、内と外を峻別し、外部者
に対する公平さといった配慮に著しく欠ける面で、欧州社会にとって受け入れがたい面がある。
ここでは、日本社会モデルをマクロな歴史的視点から位置づけることを試み、その問題点と未来の方向
を考えてみたい。
(1)アングロサクソンモデル、欧州モデル、日本モデル
忘れてならないのは、これは市場経済のあり方のモデリングであるということである。言うまでもなく
市場経済のあり方は国によって異なる以上に、時代と共に大きく変わってきた。19世紀の自由主義的市
場経済に対して20世紀は大きな修正を加えた。20世紀資本主義が19世紀資本主義とは異なるという点に
おいて、アングロサクソン諸国も欧州各国と異なるわけではない。その意味では、アングロサクソンモ
デルという表現には若干ミスリーディングなところがある。
しかしながら、アングロサクソンモデルという言葉が広く使われるのにはそれなりの理由があると思わ
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特集-1
れる。一つは、レーガン革命、サッチャー革命という形で今日世界中に影響を与えている自由主義化へ
の先駆けを行い、自らをモデルとして提示したことである。だが、その背景として、そもそもアングロ
サクソン諸国には個人主義的な文化が強固で、20世紀資本主義といえども極めて市場志向的なもので
あったことが挙げられよう。労使関係はあくまで集団的という形容詞をつけた市場取引関係であった
し、労働条件の規制は労働者の意志に反してまで国家が押しつけるものではなかった。
これに対して、欧州各国の場合、19世紀資本主義といえども純粋の市場経済ではなく、国家の介入は多
く見られた。そして、その20世紀資本主義は国家レベルでの福祉や労働者保護の充実という形をとる傾
向が強かった。これは市場経済の後発性と言うことで説明されることが多く、その面は否定できない
が、やはりそもそも欧州大陸諸国には非個人主義的な文化が強かったことが一定程度働いていたであろ
う。市場経済の発展段階論と比較文化論はからみあっているが、総じて言えば、アングロサクソンモデ
ルは19世紀の自由主義市場経済に親和的なモデルであり、欧州社会モデルは20世紀の修正市場経済に親
和的なモデルであったといえるのではなかろうか。
問題は、20世紀末というこの時期になって、アングロサクソンモデルが「未来は我にあり」と勝ち誇っ
ているかに見えることの意味である。
一つの解釈は、再び19世紀資本主義の時代がやってきたというものである。近年マスコミや知的サーク
ルを支配している論調が市場メカニズムにゆだねれば万事がうまくいくといわんばかりの大恐慌以前へ
の逆戻りかと見まがうようなものになっていることを見ると、20世紀資本主義の次にくるのは19世紀資
本主義への逆戻りであるという気もしてくる。もっとも、主唱者にとってはこれは道を踏み外していた
20世紀から正道に復帰するだけということになるのであろう。
歴史的視座にたって、20世紀資本主義の次にくる21世紀資本主義は、19世紀資本主義とは異なるものだ
が、アングロサクソンモデルと親和的であるという共通点を有しているのだという解釈もできるだろ
う。これに産業構造論を絡ませて、軽工業中心の19世紀、重化学工業中心の20世紀に続く情報産業中心
の21世紀には再び市場メカニズムの意義が重要になるという議論をすることもできよう。
これに対して、これは単なる世紀の狭間の狂い咲きに過ぎないと考えることもできる。21世紀の資本主
義は20世紀の実績を踏まえて更に発展するものであって、19世紀に逆戻りするようなことはない。ある
いは、21世紀の情報資本主義は20世紀の重化学工業型の資本主義とは異なった方向に向かうが、それは
19世紀と共通する方向ではない。こう考えれば、現在は、新たなモデルが形成されるまでの端境期で
あって、それをいいことに時代遅れの19世紀モデルが羽振りを利かせているだけに過ぎないということ
になる。
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特集-1
いずれにしても、欧州社会モデルとアングロサクソンモデルという言葉には比較文化論的要素が濃厚に
あるものの、かなりの程度まで20世紀資本主義と19世紀資本主義の対比と共通するものがあると言って
良いように思われる。
これに対して日本の雇用システムひいてはその背景にある文化的要素も含めた日本の社会システムが議
論される場合は、もっぱら比較文化論的関心のみがクローズアップされ、市場経済の発展段階論的関心
はあまりなかったように思われる。
しかしながら、日本の雇用システムに関する研究の蓄積は、これが欧州社会モデルと同時代性を有して
いることを示してくれる。このモデルが日本社会に定着してきたのは戦後になってからであり、戦前の
日本社会は決してこの意味の日本社会モデルではなかった。欧州社会モデルが、19世紀資本主義に対す
るヨーロッパ型の20世紀資本主義であったのと同様、日本社会モデルは日本型の20世紀資本主義であっ
たというのが妥当な理解であろう。
この分野は現在なお研究が進展しつつあり、筆者の乏しい知識ではとてもそれをカバーできないが、大
きく言えば、工職身分差別撤廃闘争や生産管理闘争に示された労働者の参加民主主義志向を、企業側も
労働者の忠誠心の調達の回路に取り込む形で、ある種の労使妥協が成り立ったものと見てよいであろ
う。大ざっぱに言えば、欧州社会モデルが、19世紀的な剥き出しの資本主義に対する社会の反動とし
て、産業レベルの集団的労使関係システム、国家レベルでの労働者保護や福祉システムを構築したのに
対して、日本社会モデルは、企業レベルでこれらに相当するものを創り上げたといえるのではなかろう
か。
経済人類学の大きな枠組みで言えば、市場経済が労働という本源的生産要素をも商品化して「悪魔のひ
き臼」に投げ込んだことに対する社会の反動のあり方の相違と言えよう。欧州社会モデルが、企業は交
換原理に基づく機構として残したまま、これとは別の場所に互酬・再配分の機能を果たす機構を設ける
という方向に進んだのに対し、日本社会モデルは企業そのものに互酬・再配分機能を持つ共同体として
の性格を付与するという方向に進んだといえようか。
いうまでもなく、日本社会はその歴史と伝統からなにがしかの発想を得て、企業自体の共同体化という
進化の道を進んだのであろうし、その意味では比較文化論的関心からの日本社会システム論にも一定の
意味はあろう。しかし、ある部分はそのおかれた歴史的状況の中で労働者側と使用者側の戦略的決断に
よってその後の経路が決定したという面もあるはずで、多系的発展段階論的関心からの視点がより重要
なのではないだろうか。
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特集-1
欧州社会モデルが「大転換」の結果であるならば、日本社会モデルは「もう一つの大転換」の結果なの
である。その意味では、現在欧州社会モデルと同様にアングロサクソンモデルからの攻撃を受けている
のもまことに同時代的と評することもできよう。
先にアングロサクソンモデルについて考えた際の産業構造論的視点から見て、日本社会モデルに未来は
あるといえるだろうか。近年、日本モデルは20世紀の重工業社会に適合したものだったが個人の創造的
能力が重要となる21世紀の情報産業社会には適合していないという議論が盛んに行われている。そうい
う際には必ずビル・ゲーツが引用される。
しかし、改めて考えるまでもなく、情報産業社会ではみんながビル・ゲーツになるわけではなく、テレ
ワークなど多様な形態であっても労働者として生活していくのである。最近日本でもネットワーク社会
についての議論が盛んであるが、日本型組織との共通性に着目する見解も見られるようである。
EUも情報社会については大変強い関心を持っており、社会政策関係でも1996年からハイレベル専門家
グループの報告(中間・最終)「我々みんなのための欧州情報社会を建設する」、欧州委員会のグリー
ンペーパー「情報社会の暮らしと仕事:人々が第一」等の文書が出され、議論を呼んでいるが、これら
は揃って、これからの情報社会に今までのヒエラルキー的労働組織は適合せず、ネットワーキング構造
に基づき分権化された柔軟な労働組織をめざすべきだとし、情報通信機器が導入されれば個人対個人の
コミュニケーションがむしろ重要になってくるとしている。
21世紀はアングロサクソンモデルの時代というのは疑わしいようである。むしろ日本社会モデル、
ニュー欧州社会モデルにこそ未来はあるのではないだろうか。
(2)日本社会モデルの問題点
と、論じてくると、まるで日本社会モデルに問題は何もないかのように聞こえるが、もちろんそんなこ
とはない。従来からいくつも問題点を指摘されている。
日本社会モデルは雇用の安定性と労働の柔軟性を両立させたいいモデルだと言うけれども、実は労働者
の人権を抑圧し、差別を組み込んだ望ましくないモデルなのではないかという議論である。雇用の安定
性と労働の柔軟性を実現しているのは大企業の男性正社員本工層のみであって、女性や非典型労働者は
排除されている。また、男性正社員本工層の労働の柔軟性というのはその実サービス残業と過労死に象
徴される非人間的なものであり、決してヨーロッパの将来像にふさわしいものではないし、日本も早急
に脱却しなければならないものである、と。
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特集-1
差別論から考えよう。日本社会モデルがある面で労働者間の平等を実現したシステムである一方で、他
面で労働者間の差別を前提としたシステムであることは否定できないと思われる。日本社会モデル成立
の原動力の一つに工職身分差別撤廃闘争があり、ブルーカラーとホワイトカラーが基本的に同様の雇用
管理を受ける点に日本の特色があることは言うまでもない。ヨーロッパでは現在でもホワイトカラーと
ブルーカラーでは適用労働法規が異なる国があるし、日系進出企業が持ち込んでトラブルの原因となる
一つの要因にシングルステイタス条項があることもよく知られている。労働組織グリーンペーパーはま
さにこの点を指摘し、差別解消を訴えているのである。
他方、この日本的平等はその適用対象を決して博愛的に広げているわけではない。戦後長い間、女性労
働者はこの日本的平等の対象外であった。これがもはや許されないことは言うまでもない。1970年代以
来男女均等関係法制を積み上げてきた欧州諸国が受け入れられないだけでなく、日本としても女性差別
の撤廃は緊急の課題である。ヨーロッパは日本の女性差別問題にかなりの関心を有している。彼らが
「労働は日本に学べ」とは絶対に言えない一つの理由はここにあるとさえ思われる。
しかしながら、正社員本工層と非典型労働者層との差別は、ある意味で日本的平等と裏腹の関係にある
とも言え、そう単純に論じられない。図式的に言えば、等しく会社にカネを提供する者であっても、株
主に対しては会社の主権者として配当を最大化しようとし、債権者に対してはコストとして利子を最小
化しようとするのが株主主権論的コーポレートガバナンスであるのと類比的に、等しく会社に労務を提
供する者であっても、正社員本工に対しては会社の主権者として給与を最大化しようとし、非典型労働
者に対してはコストとして賃金を最小化しようとするのが労働者主権論的コーポレートガバナンスであ
ると言えるかも知れない。同じカネでも自己資本と他人資本が違うように、同じ労働でも自己労働と他
人労働は違うのである。
とはいえ、労働はヒトであり、正社員本工層と非典型労働者層の差別がかつての工職身分差別同様撤廃
闘争の対象とならない保証はない。また、一部ではあるが、パートタイム労働者が長期勤続化するにつ
れ、正社員本工層類似の昇進システムが形成されてくる傾向もある。このことが今度はより他人労働性
の強い派遣労働者を利用する原因ともなるなど、決して静止的な均衡にはとどまらないであろう。
次にサービス残業と過労死である。これは、実は異なる2つの視点から議論されているように見える。一
つは搾取論的視点であるが、日本社会モデルに関する基本認識が古典的な資本主義理解に立脚している
とすれば、見当はずれの議論にならざるを得ないであろう。もう一つはいわば自己搾取論的視点とでも
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特集-1
名付けられようが、雇用の安定性と職務の柔軟性の上で、日本の労働者が自発的に過剰労働に追い込ま
れているというものである。サービス残業や過労死は特殊な例であるが、日本の特に男性正社員層の労
働時間がヨーロッパ諸国のそれに比べてかなり長いことは明らかであり、このことの背景に職務ではな
く「任務」を果たすことや業務の繁閑に労働時間で対応するといった柔軟な労働組織の特徴があること
も否定できない。アングロサクソンモデルでは搾取論的に長時間労働となるのに対し、日本モデルでは
自己搾取論的に長時間労働になってしまうと言えるかも知れない。
これをどう考えるかというのは、ある意味で哲学的な問いである。労働者が自発的に長時間労働すると
いうことは、それが「疎外された労働」ではなく、自己実現的労働になっているからだという面は否定
できない。自己実現とは自己搾取なのである。家庭に帰りたがらず職場を家庭のように執着する「会社
人間」は現在もっぱら嘲笑の対象になっているが、労働者が職場を家庭のように感じることのできない
資本主義社会を人間の本質である労働からの疎外だとして糾弾したのは若きマルクスの「経済学哲学草
稿」であった。
他方、この「自発的」というのが個人としての労働者としての自発ではなく、労働者集団としての自発
であって、個人にとっては強制に過ぎないという観点から批判を加えることもできる。これもまた個人
と集団の関係という社会哲学の根本問題に関わるが、個人の自発なくして上から集団の自発が降ってく
るわけはないのであって、個人の自発が集団の自発を支え、それが今度は個人を自発に向けて強制する
という相互的な円環をなしていると理解すべきであろう。集団的自己実現の中での個人的自己実現とい
う枠組みの中では、自己搾取は集団的自己搾取という形態をとることになる。芸術家の自己搾取が非難
されないように、スポーツ選手の集団的自己搾取は賞賛の対象となるが、会社人間はそうではない。し
かし、それにはそれなりの理由がある。
労働者が職場を家庭のように感じられることは、労働者自身にとっては幸福なことかもしれないが、労
働者の家族にとっては必ずしも幸福とは限らないということである。日本社会モデルのアキレス腱は女
性差別とともに職業生活と家庭生活の調和の取り方の部分にあるのであろう。それが21世紀の社会モデ
ルとなるためには、この点について抜本的な修正が必要となる可能性が高いように思われる。
(3)柔軟な企業から柔軟な社会へ
−ニュー日本社会モデルに向けて−
職務ではなく任務を果たすという日本的な労働組織は、雇用の安定性と引き替えに労働組織の柔軟性を
極限まで高めた。これは企業の競争力という観点からは他のいかなる仕組みよりも優れたシステムとい
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特集-1
えよう。しかしながら、労働者は単に企業の中で労働者であるだけではなく、家族の中では父親や母親
であり、地域社会の中では住民であり、国家にあっては国民である。労働者としての柔軟性を極限まで
追求することは、他の役割を極限まで縮小することになりかねないという深刻な問題を提起する。企業
の必要に応じて柔軟に残業をこなし、配転、転勤をこなしていく労働者とは、彼ないし彼女が属してい
る家族、地域社会等から見れば、魂を企業に奪われた存在ということになってしまう。欧州委員会があ
れほど推奨する「柔軟な企業」の裏面に存在するこの問題点こそ、我々日本人が真剣に取り組まなけれ
ばならない最大の課題なのではないだろうか。
この問題が集約的に現れているのが現時点では女性労働の問題である。柔軟な企業が求める柔軟な働き
方をしようにも、家庭責任を負わされた女性労働者は柔軟に残業したり転勤したりするわけにはいかな
い。雇用における男女の均等を追求するというのは論理的には可能であっても、現実には困難にならざ
るを得ない。どうしても男性労働者並みに柔軟性ある働き方をしようとすれば、家庭責任を負わなくて
もいいように結婚しないとか結婚しても子供を作らないという選択をすることが多くなり、これがつも
りつもって子供を産まない少子化社会という事態に立ち至ってくる。
ミクロには正しいことを全部足し上げるとマクロにはとんでもない間違ったことになってしまうという
ことを合成の誤謬というが、柔軟な企業というミクロにはこんなすばらしいものはないシステムが、マ
クロには日本国滅亡に至る原因をなしてしまうというのだから、事態は深刻である。
現在流行中の市場原理主義は、日本的雇用システムをやめて市場メカニズムに任せればいいと言う。し
かし、先行き雇用の安定も期待できない中で、男性にせよ女性にせよ安定した家庭を築いていけるはず
はない。実際、アメリカは家族の崩壊という面でも世界の最先端を突き進んでいる国である。確かに、
労働ビッグバン、家庭ビッグバンで全ての人が原子のように市場に放り出されれば、新古典派経済学の
思い描くユートピアが実現するかもしれない。
ある種のフェミニズムは、家族なんてものは女性を抑圧する手段に過ぎないという考え方のようだか
ら、家族ビッグバン大いに結構、市場原理主義と一緒になってどんどん押し進めようと考えているよう
である。こういうネオリベラルフェミニズムとでもいうべき一派にとっても、個人が原子化する社会は
ユートピアなのであろう。
残念ながら、現実の人間はこういうすばらしきユートピアには住めない。家族の連帯、職場の連帯、こ
れらを基盤にした社会の連帯というものがなくては生きていけない生き物である。
日本型雇用システムはこのうち職場の連帯という面ではうまくいった。うまくいきすぎて、家族の連帯
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特集-1
や社会全体の連帯を薄れさせてしまい、その隙間に市場原理主義が浸透してきた。企業はなお共同性を
維持しようとしているのに、労働者の生活基盤である家族の方が単なる個人の寄せ集めになってしまう
という傾向がとみに進んでいるようである。
家族の中でその一員としてではなく単なる個人でしかなかった若者たちが、今職場の連帯をも拒否する
フリーターをその最も極端な形として、安易に離転職を繰り返しながら労働市場に登場し始めているこ
とを考えると、日本型雇用システムは結果的にじわじわと自らの存立基盤を掘り崩してきたように見え
る。こういう社会的基盤が次第にできてきているからこそ労働ビッグバンなどという議論が通用するよ
うになってきているのかも知れない。これまた大変皮肉なことというべきであろう。
我々が今取り組むべき課題は、こういう流れに対して家族の連帯の回復に最優先で取り組むことだと考
える。そして、そのために最も重要なのは、企業が労働者を父親、母親として家族の元に返してやるこ
とであろう。「職業生活と家庭生活の調和」が男女全ての労働者に保証されることが、実は日本型雇用
システムを維持するための遠回りに見えて一番大事な方策だということを、経営者の方々は是非理解し
てほしいと思う。
短期的にはこれは日本型システムの強さを弱めることになる。家庭生活に配慮すれば今までのように残
業も転勤も思い通りというわけにはいかないし、労務管理面にいろいろと硬直性がでてくるだろう。し
かし、職務ではなく任務を果たすというのは企業内でだけ必要なことではない。何よりも家族の中で、
そして社会の中でこそ必要なことのはずである。柔軟な企業から柔軟な社会へ、21世紀に向けた日本社
会モデルの課題はここにあるのではなかろうか。
本稿は、平成11年2月19日に連合総研で行われた所内勉強会「EU労働法の形成」において、講
師・濱口圭一郎氏が題材として使用したものである。
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報告
研究委員会報告
金融のグローバル化と国内における金融システムのあり方
「金融のグローバル化と今後のあり方」プロジェクト
見 誠良(法政大学比較経済研究所所長)
金融のグローバル化が進展する中、国際的な金融混乱が多発しているが、その実体経済への影響は
大きく、勤労者にとっても大きな関心事である。本プロジェクトでは、金融界の有識者諸氏の意見
を聞きながら、金融問題について勤労者の視点に立った検討を進めている。本稿は、その第2回ヒ
アリング内容(平成11年1月28日 於 連合総研)の要旨を事務局の文責により抜粋・編集したもので
ある。
金融危機とは何か−−−−−−−−−−−−
アジアの金融危機についてですが、まず、確認しておきたいのは、最初は金融危機という言葉を使わず
に、通貨危機という言葉を使っておりました。しかし、実は通貨危機と言うと金融危機の中のある特徴
だけを強調することになって、誤解を招きかねない部分があります。金融危機の中身をもう少し整理
し、分類して考える必要があります。危機の中身を分類しますと、次の4つぐらいに分けられると思いま
す。
1つは、いわゆる通貨危機と呼ばれるものです。これは、海外資本あるいは国内資本が突然流出を始め
て、そして外国為替レートが暴落して、そして外貨準備が枯渇するといった性格のものであります。そ
れを引き起こす引き金は、海外資本のいわゆるホットマネーの動きか、あるいは海外だけではなく、国
内の資本、あるいは国内の主体が外へ資本逃避という形で出ていく場合があります。
2つ目は、資産危機です。これは、言い換えれば、資産デフレあるいは資産価格の暴落ということです。
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報告
この場合の資産の代表的なものは株式や不動産でしょう。
3番目は銀行危機といわれているものです。これは要するに銀行の取りつけが起こり、それに巻き込まれ
て、銀行が連鎖的に倒産をしていくというものであります。
4番目は、経済危機ということになります。これは実体経済が通貨危機、資産危機、銀行危機の影響を受
けて経済成長率が大きく下がるということです。現在の我々の経済は、大きく下がらないようにできて
おりますが、その予想をはるかに下回るような形でマイナス成長を余儀なくされている状態、これを経
済危機と呼んでもいいと思います。
金融危機というのは、以上4つの性格に大きく分けられそうです。そして、我々が今直面している危機と
いうのは、この4つの危機が絡み合い、複合的な形で起きていると思われます。ですから、最初の段階
で、ASEANのタイから始まって、マレーシア、インドネシア、フィリピンを含めた形で金融危機が
起きたときには通貨危機と言われておりましたが、それは、各国の為替レートが暴落していくという1点
に注目して定義づけがなされたわけです。しかし、実はその裏で、通貨危機と同時に資産価格の暴落が
起きて、株価が同じぐらいのスピードで下落しております。
ですから、我々の今のアジアの金融危機の特徴の1つは、通貨危機と資産危機というのが背中合わせで起
きているということであります。どの危機が発火点になっているかは国によって異なりますが、最終的
には、現段階ではタイ、韓国、あるいはマレーシア、インドネシア、あるいは日本や香港まで含めて、
同じような局面にどんどん落ち込んでおります。それは単に通貨危機、それから、資産危機だけが起き
ているわけではなくて、銀行危機も起きて、それから経済危機も起きているという、その4つの側面が同
時に今起きているということに1つの大きな特徴があると思います。それは言い換えれば、各危機は波及
連動し、孤立した形で終わらないということであります。
もう一つの特徴は、そういう波及連動性は、4つの性格の危機が相互に作用するというだけではなくて、
地域的に波及し、連動するということです。最初にタイで通貨危機が始まったと言われておりますが、
そのタイで起きた通貨危機が、しばらくしてマレーシア、インドネシア、フィリピン、そしてASEA
N全体を落ち込ませ、それが次に韓国に飛び火しました。今、それが東アジア全体を危機に巻き込むよ
うな形になって、さらにそれがロシア、東欧圏に及び、米大手ヘッジファンドのロング・ターム・キャ
ピタル・マネジメントの危機につながって、そして南米へ行って、今度は世界に波及するかという話に
なっています。
この地域的な波及というのは、単に国の玉突きで起きているのではなくて、タイという1点から、今度は
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報告
ASEANという、もう一つ高次の地域地帯へ行って、さらにそれがもう1つ高次の東アジアというとこ
ろへ行って、東アジアから、今度世界へという動きをしています。そういう連動がより大きな、高次の
地域的な次元に上がって危機が拡大していくという性格を持っています。
そういう意味で、この波及連動性というのは、現在のアジアの金融危機を考えるときの1つのポイントで
あろうと思います。私の発想では、こういう危機の対策としては、いかに波及連動を早期に防ぐかとい
うことがセーフティネットのあり方につながってくると思います。
アジア金融危機の原因−−−−−−−−−
では、実際にアジアの金融危機がなぜ起きたかということであります。1つは、海外短期資本移動に起因
するという考え方であります。これは危機が起きたときから言われていたことでして、特にマレーシア
のマハティールが声を大にしてヘッジファンドを批判したことから注目を浴びております。要するに海
外の短期資本移動、ホットマネーが入ってきて、そしてそれがまた急に出ていくという、そのことがア
ジアの金融危機を引き起こしたんだという議論であります。マハティールに言わせれば、「マレーシア
経済には問題はなくて、悪いのはホットマネー、投機資本なんだ。だから、投機資本を規制せよ」とい
う論調になるわけであります。これは確かに大きな一因だと思います。
では、この短期資本移動がなぜ起きたのでしょうか。まず1つは、金融のグローバリゼーションというの
があって、それと同時に世界の金融資産が非常に膨張し、累積して、その金融資産がグローバル化で世
界中に配分されるようになったということだと思います。1980年代に資本取引の自由化がアジア途上国
においても行われました。それによって、先進国の短期資本のグローバルな移動が可能になる土俵がで
きていたということです。そして、1990年代の中頃にかけて、短期資本がアジアの国々に相当入ったわ
けです。
資本取引の自由化があって、そしてその土俵に海外の短期資本がとうとうと入ってきて、そしてあると
きそれが逃げていきました。逃げていったために、その国の為替レートが暴落しました。それと同時
に、資産、特に株価が同じスピードで下落をしたということが起きています。なぜ株価の下落が同時に
起きているかというと、もともと投資資金が株式や土地に向かっていたために、逃げていくときも株や
土地を売って、その通貨をドルに替えて出ていきますので、株価が下がって、そして通貨も下がるとい
うことになります。
さらに、マレーシアやタイは外貨準備が薄かったことが事態を悪くしました。日本や台湾が1,000億ドル
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報告
以上の準備があったのに対し、マレーシアやタイでは500億ドルを下回っていました。危機を吸収する
クッションに違いがあったということです。
それからもう一つ、通常よく言われるのは、今でもそうですが、タイ、マレーシアのような国々が、事
実上のドルペッグをとっていたため、実質上割高になってしまい、投機のアタックを受けたんだという
原因論です。確かにドルペッグをもう少しフレキシブルに動かしていれば違ったのかもしれません。た
だ、変動レート制では円ドルレートが半分あるいは倍になるような乱高下をしているようなときに、安
定的な輸出を確保できるような為替レートをうまく設定できないということがあります。
それから、海外資本が流出していった非常に大きな理由の1つは、アジアの国々がバブル経済化していた
ということです。これは、タイや韓国が一番代表的ですが、海外資金が相当入り込んできて、入り込ん
だ資金をマクロ経済上大きな影響が出ないように、当局はその効果を遮断しようとします。政策当局と
しては、その流動性を吸収する必要があるというので、大規模に流動性対策をとります。しかし、いか
んせん、入ってくる金額が非常に膨大ですので、遮断し切れないところが出ます。その部分が生産部門
に向かえばいいのですが、生産部門に向かわないで、不動産、株といったところへ向かってしまったわ
けです。
なぜ日本の金融危機は起きたのか−−−−−
翻って、アジアの金融危機等をながめながら、日本の金融危機はなぜ起きたのかということでありま
す。1つはバブル経済化でありまして、バブル経済化はなぜ起きたかというと、やはり低金利です。いけ
なかったのは、国際協調下の低金利政策で、金利引き上げの機会を逸したということです。ブラックマ
ンデーの後の金利引き上げがアメリカの非常に強いプレッシャーにあって十分できなかったわけです。
それが資産価格高騰をもたらしたということであります。そういう意味で、国際金融協調のもとでの各
国の金利の自立性というのはどうあるべきかというのは非常に大きい問題であります。
もう1点強調したいのは、日本のバブル経済というのが、金利引き上げができなかったというのと同時
に、海外で資金を調達して、そしてそれを日本に持ってくるという、金融のグローバリゼーションの中
の一環で起きたということです。性格は少し違いますが、アジアの国々のバブルも外から資金を引っ
張ってきていて、そういう意味で似たところがあります。
それから、金融の自由化というのもおそらく影響しているでしょう。この金融自由化というのがこうい
う危機を引き起こすのだというストレートな議論はあまりなされていません。しかし、翻ってみて、80
年代から今まで、世界中で見てみると、半数以上の国々がこういう金融危機に見舞われていて、そうい
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報告
う国のほとんどが金融の自由化をしているということからすれば、直接の原因にはなっていないけれど
も、少なくとも土俵をつくっていることは否定できないように思います。
アジア危機に対する日本の責任−−−−−−
それから、次は、日本はアジア危機に責任があるかということですが、要するに日本とアジアとの間
に、この金融危機をめぐって、どういう連関があるかということであります。ここで見逃せないのは、
アジアへの投資の中で日本からの直接投資がかなり大きなウエートを占めていたということです。直接
投資はなぜ起きたかというと、1つの大きな要因として円高がありました。円高を嫌って、直接投資がア
ジアに向かったわけです。その直接投資が入ってきたものだから、投資が膨らんで輸出が伸びて、景気
がよくなって、バブルが引き起こされて、そして今の資産危機になったという流れになります。
また、それだけではなくて、日本のバブルを引き起こしたときの海外短期資金の中に、日本からアジア
に向かって流れていったものがかなりありました。そういうわけで、直接投資と短期の投資と二重に資
金源になっているわけでして、多かれ少なかれアジア危機の遠因になっているということになります。
もう一つは、東アジアに整合的な為替システムがないために、円ドルレート変動とアジアの景気循環が
ある程度関係してしまうということです。ASEANの国々の小国がどういう為替レートを設定したら
いいかということについて、名案が今のところありません。ですから、結局、ドルにリンクするか、円
にリンクするかで、ドルの方が投資が入りやすいということでドルにリンクしておくわけですが、それ
でも円ドルレートが動くと、それを維持できないということであります。ドルペッグ制が問題だと言う
のは簡単ですが、実は、アジア全体で整合的な為替システムがないというところに大きな問題があるわ
けです。
なぜ危機は深まるのか−−−−−−−−−−
次は、なぜ危機はらせん的に深まるのかという話であります。日本は今ここまで危機が深化しまして、
どこでとめるかというので四苦八苦して、これだけの資金を投入して、ようやくとまるかとまらないか
というところまで来ていますが、これも予断を許さないところがあります。
まず1つは、資産危機が解消されてません。資産危機が解消されないというのは、日本の場合には特に不
動産価格ですが、それが一向に改善をみないというのが、不動産担保、それから銀行の貸し出しのとこ
ろでネックになっていると思います。この資産危機に対する今までの金融当局の姿勢は「いずれ回復す
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るであろう。市況が回復すれば、不良資産というのもおのずとなくなってしまうだろう」という待望論
に縛られていたわけです。待ちの姿勢ではなくて、早めに早めに手を打っておけば、ここまで悪くなら
なかったんだという議論が90年代の最初にアメリカではなされていましたが、日本では残念ながら、そ
の議論というのは90年代前半にありませんでした。それで、結局、5年以上にわたって、ずっと待ちの姿
勢で来たために、ここまで深刻化してしまったということです。ですから、アメリカと日本の経験から
言っても、できるだけ早期に対処することが必要だったということです。
2つ目は、信用の崩壊が起きてしまったことが大きいです。これは、国内では預金者の取りつけ、そして
銀行間あるいは取引業者間での資金の引き上げという形で信用崩壊が表面化します。通常、こういう取
りつけというのは、国内の銀行ではありますが、国際的な海外市場のレベルではそんなに大規模な形で
はあまり起きたことがありません。ただ、アジアの金融危機のときには、資金がどっと逃げていきまし
たが、その逃げ方というのは、我々預金者が浮足立ったのと同じように、世界中の投資家が浮足立っ
て、アジアの国々から投資を引き揚げています。それは、マレーシアの国、タイの国というのを1つの銀
行だととらえれば、そこから資金がどっと逃げていった状態でした。つまり、通貨危機として表に出て
きていますが、国から見れば、外貨準備が枯渇していくわけですから、要するに国の流動性が枯渇して
いったわけで、それは銀行の取りつけ騒ぎと変わりません。さらにいうと、インドネシアのような国
は、通貨危機がもう1ランク上へ行ってしまっています。それはどういう意味かというと、海外資金が資
金を回収するだけではなくて、インドネシアの国民が資金を外に逃がしているわけです。それも大投資
家だけではなくて、中産階級の人たちまでもがドルに逃げています。海外の投資家だけではなく国民の
信用もなくなっているという、もう1ランク厳しいところまで来てしまっています。
もう1つの原因は、緊縮マクロ政策です。アジアの国々もそうですが、日本では一生懸命橋本首相が財政
均衡に取り組み、大蔵省がそれをバックアップして、非常にタイトに均衡財政を執行しました。しか
し、それが裏目に出てしまいました。それを1年後になって、同じ金額を減税しても意味がありません。
そういう意味で、いかに早くその芽をつむかということが重要でありますが、アジアの国でIMFが
やっていることも、緊縮財政です。その緊縮政策というのが意味のある局面もありますが、意味をなさ
ない局面もあるということです。これは、1920年代にケインズが、恐慌下での短期拡大政策の必要性を
訴えたケースと同じです。それなのに、70年たってみて、同じような事態になったときに、大蔵省、I
MF等々は、新古典派の色彩が非常に強くて、緊縮政策をとり、それがうまくいかなかったということ
であります。
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報告
金融セーフティネットの現代化−−−−−−
最後に金融セーフティネットの話をしたいと思います。このセーフティネットでありますが、我々は、
もう裸ではなくて、相当のよろいを持っております。銀行のパニックが勃発しないように、よろいを既
に身につけております。ですから、我々は50年間、ほぼ金融パニックというものに遭遇していません。
このよろいというのが一体どうやってできたのかというと、これは1929年の大恐慌対策として、我々が
自分たちでつくって身につけたのであります。アメリカの銀行パニックの防止装置というのは預金保険
機構、それから、中央銀行というシステムでありまして、これは新規参入する入り口は自由にして、出
口をガードするというシステムです。もし銀行がつぶれたら、預金保険機構あるいは中央銀行がそれを
守り、パニックが起きないようにするわけです。
日本はどうかというと、預金保険機構というのはつくりませんでした。その代わりに秩序ある市場とい
うのをつくりました。1,800ぐらいあった銀行を無理やりに合併させて、1県1行、あるいは大都市の都市
銀行という、現在の少数精鋭の銀行市場をつくり上げました。むだな競争をしないように、秩序だった
市場をつくったわけです。ですから、入り口を規制しておりますので、乱暴な新参者が入ってこないわ
けです。そして競争を制限するという形でパニックが起きないようにしています。
それで金融の自由化をしていけば、当然こういうパニック防止装置に緩みができますので、そのままで
はパニックが起きてしまいます。起きないためにはどうしたらいいかということで、セーフティネット
の現代化が必要になってきます。
このセーフティネットの現代化というときに、まず、考えなければならないのは、現在の金融革新の流
れは、銀行業・保険業等の垣根がなくなる単一金融サービス市場への統合化、そしてグローバル化にあ
るということです。そして、それに即した形でセーフティネットを考えるべきであります。
そのためには、まず、国際的波及連鎖・流動性危機を早いところで遮断するセーフティネットが必要で
す。パニックにならないようにグローバルな資金移動をどう制御していくかを国際監督機構も含めて考
えなければいけないだろうと思います。
それから、預金者保護・投資家保護についていわれるのは、こういうセーフティネットを張り過ぎると
モラルハザードが起きるので、預金者保護や投資家保護も最小限のところで抑えなければならないとい
うことです。では、その最小限というのは一体何かというのが今問われているところであります。
全体的には、先ほどの入口と出口の話にもありましたように、事前的なセーフティネットと事後的な
セーフティネットにわかれます。事前的というのは、要するに競争制限で、事前に競争を制限すれば、
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報告
おのずと秩序ができるということであります。事後的というのは、つぶれるけれど、それがパニックに
ならないように波及を防ぐということです。そのためには中央銀行や預金保険機構や投資基金というよ
うなものがあります。今の流れは、やはり事前的なところから事後的なところへ移っていますが、それ
だけで十分というのは難しい部分があると思います。パニックが起きないように事後を固めることは必
要ですが、それ以前にバブルが発生しない仕組みを作ることもまた重要です。最低限のパニックを防止
するための装置というのは一体何かというのを少し厳密に考えてみる必要があります。
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ちょっといい話
ちょっといい話
キャビア丼を食べる
キャビア丼って食べたことありますか?あの黒いダイヤとも称されるチョウザメの卵、キャビアを、イ
クラ丼のイクラの代わりに乗せたドンブリ。きっと、どこのお店のメニューにもないでしょうから、自
分で作るんです。ご飯をよそって、買ってきたキャビアと刻み海苔をトッピングすればできあがり。
このアイディアは、バブル経済の盛りの頃、イクラ丼にヒントを得て思いついて「食べたいなぁ」と冗
談半分言っているうちに本当にやってみたくなったものですが、なかなか実現しないままでした。よほ
どの食通でもない限りキャビアを自分で買おうなどと思わないもの、そもそもキャビアの値段の見当が
つく人もそう多くないでしょう。
筆者が初めてキャビアという高級食材の存在を知ったのは、おそらくランプフィッシュの卵をキャビア
と称していたものを食べた、記憶もあやふやな20年ほども前の話です。そのときから、とにかくキャビ
アというのはすんごく高いんだぞと聞かされて、庶民は買わぬもの、買えぬものと決めてかかっていま
した。以後、本物であろうキャビアも披露宴などの立派なパーティーでは何回か、オードブルとしてご
く少量なら食べる機会はありましたが、食べなくても日常困らないものではあります。
何年か越しにキャビア丼計画が実現したのは、昨年仕事でパリへ行く機会があったためです。航空運賃
は昔に比べて相当安くなったとはいえ、なおヨーロッパは飛行機で半日以上も飛ぶ遠くの地、せっかく
来たんだからおみやげも少し奮発しようかと金銭感覚が麻痺します。キャビアはフランス料理にも使う
食材、早速専門店に出掛けて初めて値段など訊きました。
キャビアの産みの親となるチョウザメには3種類あって、他に産地と色、粒の大きさでいくつもの等級に
分かれています。ロシア産「ベルーガ」のキャビアびん詰め50gが540フラン。1フランが22円くらいで
したから約12,000円です。店に入るまではおみやげにもざくざく買って帰ろうかとも考えていました
が、「要冷蔵」で保存が心配だったということを言い訳に、自分の分だけ買ってきました。
さて肝心の味ですが、1食12,000円が不味かろうはずがありません。イクラ丼よりもおいしいと思いまし
たが、イクラにあるあのプチプチの食感がないことだけは残念です。少しだけ家人にも分けてやりまし
たが、一口食べて「生臭い」とばちあたりなことを言いました。
http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no126/iihanasi.htm[2008/10/07 9:40:52]
ちょっといい話
そうですねぇ、対抗できそうなものとしてはカニミソ丼といったところでしょうか。もちろん、国内で
は他のもっと新鮮な食材が手に入るという点でも、コストパフォーマンスを考えてもキャビア丼は決し
て究極のメニューではありません。味より気分を味わう、ちょっと無駄遣いして夢をみてみるといった
効用が大きいのではないでしょうか。筆者はキャビア丼など2度と食べられないと思ったので、食べる前
に写真まで撮っておきました。
でも、インターネットで「キャビア丼」を検索してみたら9件も当たったんで、意外と皆さん日常的に食
べてるのかも知れませんね。そんなはずないか。
(神無月)
http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no126/iihanasi.htm[2008/10/07 9:40:52]
おしらせ
賛助会員制度について
財団法人 連合総合生活開発研究所
日頃より、連合総研に対しまして、格段のご厚誼をいただき、深く感謝申し上げます。
連合総研は、連合のシンクタンクとして設立以来、創立10周年を迎え、生活者の立場に立って、一層の
成果をあげるべく研究を進めてまいりました。この間、連合総研レポート(DIO)は120号を数え、研究
報告書は100冊に上っています。これらの成果は、皆様の支えによって生み出されたものですが、日本で
最初の労働組合関係の研究所として、また多方面にネットワークを持った研究所としても国内はもとよ
り海外からも高い評価を受けております。
さて、このたび連合総研では「賛助会員」制度を導入いたしました。
この制度は、来るべき21世紀に勤労者の生活向上のため、いち早く有用な情報や最先端の調査研究を随
時みなさまに提供し、連合傘下の労働組合をはじめ、各団体、研究所及び研究者の皆様方の諸活動にい
ささかでもお役に立てるようにとの思いで設けられました。
これを機に、ぜひ賛助会員に加入いただくようご案内申し上げます。
1999年2月
財団法人 連合総合生活開発研究所
理事長 芦田甚之助
賛助会員の特典
1 毎月発行の連合総研レポート(DIO)の無料購読ができます。 (ご希望があれば英文DIOも)
2 連合総研発行の研究報告書が無償で配布されます。(今年度ご入会の場合は、新刊書のほか今年度発行
の研究報告書をお送りする予定です)
3 連合総研の開催するフォーラムやセミナー、研究報告会に参加できます。
http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no126/osirase.htm[2008/10/07 9:40:56]
おしらせ
会 費(毎年10月1日∼9月30日)
会員には団体会員と個人会員とがあります。
個人会員 年間8千円
団体会員 年間3万円(但し、連合加盟組織・友誼団体は年間1万5千円)
途中入会の場合でも、年度資料はもれなく配布いたします
連合総研の主な研究成果
新刊
「危機の克服から経済再生へ」
(連合総研編)1998-99年度版経済社会情勢報告
「労働の未来を創る」
(桑原靖夫・連合総研編)グローバル時代の労働組合の挑戦
「創造的キャリア時代のサラリーマン」
(連合総研編)(連合総研創立10周年記念出版)
「ゆとりの構造 生活時間の6ヵ国比較」
(矢野眞和共編)
「社会的公正のアジアをめざして」
(初岡昌一郎・連合総研編)ほか
今年度はこれらの出版物が賛助会員に送られます
好評 既刊(有料)
「労働組合の経済学」期待と現実 (橘木俊詔共編)
「福祉経済社会への選択」
21世紀日本・市場と連帯の社会システム(宮沢健一共編)
「新しい社会セクターの可能性」
NPOと労働組合(林雄二郎共編)
「生涯かがやき続けるために」
21世紀の「しごと」と学習のビジョン(市川昭午共編)
「創造的キャリア時代のサラリーマン」
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おしらせ
「戦後50年 産業・雇用・労働史」(神代和欣共編)
「子どもの生活時間調査研究報告書」
その他研究報告書、委託研究報告書多数
現在進行中の研究
●「福祉経済社会」研究委員会(主査 正村公宏)
→財政制約のもと、高齢化の進展する中21世紀の福祉をどう再構築するか。
●「企業と社会」研究委員会(主査 稲上 毅)
→21世紀のよりよい企業像と労使関係を探る。
●「環境と社会」研究委員会(主査 佐和隆光)
→リサイクル型社会の形成をめざし、産業と労働、地域の取り組むべき課題、個人の
生き方を追求。
●「日本型雇用システムの再評価と課題」研究委員会(主査 猪木武徳)
→日本型雇用システムを雇用、賃金、所得分配、生涯ライフサイクルなどにまたがり
広く考察。
●「労働組合の未来研究」研究委員会(主査 中村圭介)
→組合の活性化、ナショナルセンターの機能、海外労働組合の動向などの実証研究を
ふまえて、労働組 合の未来を考える。
●「アジアの社会的側面」研究委員会(主査 初岡昌一郎)
→アジアの経済危機に直面し、あらためて経済発展 と社会的公正のバランスが問わ
れている。
シンポジウムなど
●連合総研フォーラム 経済情勢を中心に
●トップセミナー 連合のトップリーダー対象に年10回程度
●ワークショップ 研究委員会報告をかねて
●シンポジウム 随時
委託研究
http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no126/osirase.htm[2008/10/07 9:40:56]
おしらせ
連合総合生活開発研究所は委託研究を行っています。
(ご希望の方には、委託研究報告書を差し上げております。)
委託研究:連合、厚生省、通産省、労働省、経済企画庁、日本労働研究機構、雇用促
進事業団など多数。
賛助会員のお申し込みはFAX、郵送、Emailで
振込先:東京労働金庫一ツ橋支店(財)連合総研賛助会員(普)5836777
TEL 03-5210-0851 FAX 03-5210-0852
Email [email protected] ホームページ http://www.mars.dti.ne.jp/~soken
http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no126/osirase.htm[2008/10/07 9:40:56]
国際経済の動き
主要国の経済動向をみると、アメリカでは、先行きにやや不透明感がみられるものの、景気は拡大を続
けている。実質GDPは、98年7月∼9月期前期比年率3.7%増の後、10∼12月期は同6.1%増(速報値)
となった。個人消費、住宅投資、設備投資は増加している。鉱工業生産(総合)の伸びは鈍化してい
る。雇用は拡大しているものの、製造業等では輸出減の影響もあり減少している。雇用者数(非農業事
業所)は1月前月差21.7万人増の後、2月は同27.5万人増となった。失業率は2月4.4%となった。物価は
安定している。1月の消費者物価は前年同月比1.7%の上昇、生産者物価(完成財総合)は同0.9%の上昇
となった。財の貿易収支赤字(国際収支ベース)は、依然として高水準にある。2月の長期金利(30年物
国債)は、総じてほぼ上昇基調で推移した。株価(ダウ平均)は、総じてほぼ横ばいで推移した。
西ヨーロッパをみると、ドイツでは、景気拡大のテンポは鈍化しており、フランスでは、景気拡大のテ
ンポは緩やかになってきている。イギリスでは、景気は減速しつつある。98年10月∼12月期の実質GD
Pは、ドイツ前期比年率1.5%減、フランス同2.9%増(速報値)、イギリス同0.7%増(改定値)となっ
た。鉱工業生産は、ドイツ、フランスでは拡大テンポが緩やかになっており、イギリスでは製造業を中
心に減少している(鉱工業生産は、ドイツ12月前月比0.6%増、フランス同1.6%減、イギリス1月同0.5%
減)。失業率は、ドイツ、フランスでは高水準ながらもやや低下しており、イギリスでは横ばいで推移
している(失業率は、ドイツ2月10.5%、フランス1月11.4%、イギリス1月4.6%)。物価は、安定して
いる(1月の消費者物価上昇率は、ドイツ前年同月比0.2%、フランス同0.2%、イギリス同2.4%)。
東アジアをみると、中国では、景気の拡大テンポはこのところやや高まっているが、輸出は減少傾向に
ある。物価は下落している。韓国では、景気に底入れの兆しがみられるものの、失業率は高水準で推移
している。物価は落ち着きを取り戻している。貿易収支黒字はこのところやや減少している。
国際金融市場の2月の動きをみると、米ドル(実効相場)は、上旬はやや減価する場面があったが、その
後は月半ば以降に増価するなど、全体として増価基調で推移した(モルガン銀行発表の米ドル名目実効
相場指数(1990年=100)2月26日現在108.7、1月末比1.8%の増価)。内訳をみると、2月26日現在、対
円では1月末比2.3%増価、対ユーロでは同2.9%増価した。
http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no126/keizai.htm#11[2008/10/07 9:40:59]
国際商品市況の2月の動きをみると、月初はやや強含んだが、その後は下落基調で推移し、月末には23年
半ぶりの安値まで下落した。原油スポット価格(北海ブレント)は、上旬は弱含んだが、その後下旬に
かけて持ち直した。
(経済企画庁「月例経済報告」平成11年3月16日より)
国内経済の動き
需要面をみると、個人消費は、下げ止まりつつあるものの、水準はまだ低い。これは収入が低迷してい
るからである。住宅建設は、低水準で推移している。ただし、販売や受注が一部で回復してきたことを
背景に、持ち直しの兆しがみられる。設備投資は、大幅な減少が続いている。中小企業の減少が著し
く、大企業も製造業を中心に減少傾向にある。公共投資は、補正予算などの効果により、堅調な動きと
なっている。
10年10∼12月期(速報)の実質国内総生産は、前期比0.8%減(年率3.2%減)となり、うち内需寄与度
はマイナス0.5%となった。
産業面をみると、鉱工業生産は、最終需要が低調なため低い水準にあるものの、このところ下げ止まり
つつある。一方、在庫の調整が進み、在庫率は前年を下回る水準にまで低下してきた。企業収益は、全
体として減少している。また、企業の業況判断は、下げ止まりの兆しがみられるものの厳しい状態が続
いている。企業倒産件数は、信用保証制度の拡充の効果などから大幅に減少してきた。
雇用情勢は、依然として厳しい。雇用者数は下げ止まりの兆しがあるものの、完全失業率はこれまでの
最高水準で推移している。
労働力需給をみると、有効求人倍率(季節調整値)は、12月0.47倍の後、1月0.49倍となった。新規求人
倍率(季節調整値)は、12月0.87倍の後、1月0.91倍となった。雇用者数は、下げ止まりの兆しがある。
総務庁「労働力調査」による雇用者数は、1月は前年同月比0.7%減(前年同月差40万人減)となった。
常用雇用(事業所規模5人以上)は、12月前年同月比0.4%減(季節調整済前月比0.0%)の後、1月(速
報)は同0.4%減(同0.0%)となり(事業所規模30人以上では前年同月比0.9%減)、産業別には製造業
では同2.4%減となった。1月の完全失業者数(季節調整値)は、前月差3万人増の301万人、完全失業率
http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no126/keizai.htm#11[2008/10/07 9:40:59]
(同)は、12月4.4%の後、1月4.4%となった。所定外労働時間(製造業)は、事業所規模5人以上では
12月前年同月比14.0%減(季節調整済前月比0.5%増)の後、1月(速報)は同11.0%減(同3.2%増)と
なっている(事業所規模30人以上では前年同月比12.6%減)。
また、労働省「労働経済動向調査」(2月調査)によると、「残業規制」等の雇用調整を実施する事業所
割合は、10∼12月期は引き続き上昇した。
輸出は、このところやや減少している。輸入は、おおむね横ばい状態となっている。国際収支をみる
と、貿易・サービス収支の黒字は、おおむね横ばいとなっている。対米ドル円相場(インターバンク直
物中心相場)は、2月月初の115円台から一時112円台まで上昇したが、その後下落し、下旬から3月上旬
にかけて、119円台から123円台で推移した。
物価の動向をみると、国内卸売物価は、内外の需給の緩み等から、弱含みで推移している。また、消費
者物価は、安定している。
最近の金融情勢をみると、短期金利は、2月は2月12日に日本銀行が金融市場調節方針を緩和したことを
受け大幅に低下し、3月上旬にかけてさらに低下した。長期金利は、2月は月初に上昇した後、3月上旬に
かけて大幅に低下した。株式相場は、2月は一進一退で推移した後、3月上旬は大幅に上昇した。マネー
サプライ(M2+CD)は、1月(速報)は前年同月比3.6%増となった。また、民間金融機関の貸出が低調
なことから、企業は貸出態度に対する懸念を持っている。
(経済企画庁「月例経済報告」平成11年3月16日より)
http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no126/keizai.htm#11[2008/10/07 9:40:59]
事務局だより
事務局だより
【3月の行事】
3月1日 少子社会に対する企業および労働組合の意識と対応に関する調査研究委員会
(連合総研)
8日 アジアの社会的発展研究委員会 (JILAF会議室)
10日 ドイツDGB、フリードリヒ・エーベルト財団来所 (連合総研)
11日 労働組合の未来研究委員会 (連合総研)
12日 就業形態の多様化の中での休憩時間に関する調査研究委員会 (連合総研)
16日 新福祉経済社会研究委員会 (連合総研)
17日 所内研究会「OECDのコーポレートガバナンスについて」
連合副事務局長 野口敞也氏 (連合総研)
18日 職場労使関係の国際比較研究委員会
「金融のグローバル化と今後のあり方」プロジェクト (連合総研)
19日 所内会議 (連合総研)
所内研究会「コーポレートガバナンスと労働組合」
ロンドン大学教授 ロナルド・ドーア氏 (連合総研)
23日 日本型雇用システム研究委員会 (連合総研)
29日 労働組合の賃金決定政策及び賃金体系政策の
新たな展開に関する調査研究委員会 (連合総研)
企業と社会研究委員会 (連合総研)
【編集後記】―昨年秋からJILAFの国際活動家養成コースの英語研修に参加させてもらっている。
大学を出てからろくに英語に触れてなくて、「駅前留学」気分で申し込んだところが(藤原さんすみま
せん)、蓋を開けてみると、受講者はアメリカ留学帰りの強者ぞろい。講師は国際会議の同時通訳の先
生といった具合で、私は「超・場違いなところに来てしまった」という思いを抗しきれず、so blueな気
分で始めたのを覚えている。しかし、始めてみると、そのシャドウイングと呼ばれる一見簡単そうで実
はかなり骨の折れる独特の手法が水に合ったのか、メイン講師の国井先生の優しそうでばっさり切るス
http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no126/jimu.htm[2008/10/07 9:41:02]
事務局だより
パルタ教育に洗脳されてしまったのか、あるいはnative speaker講師Carolさんのハイテンションなトー
クに魅せられたのか、語学力にはいかんともしがたい差はあるものの、受講生各位のかなりユニークな
キャラクターのおかげもあって、今日まで非常に前向きに取り組めている。(笑)別に、この企画を宣
伝するつもりではないが、おかげ様で、私のような英語初心者でも英語の勉強の仕方を覚えられたと思
う。今後も、今回学んだ方法を生かして、自分なりにトレーニングを続けていきたい。
(ホンマやな? by N)
http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no126/jimu.htm[2008/10/07 9:41:02]
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