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Title 構成主義と東アジア地域の秩序『ASEAN流フォーラム』の意義と欠

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Title 構成主義と東アジア地域の秩序『ASEAN流フォーラム』の意義と欠
Title
構成主義と東アジア地域の秩序『ASEAN流フォーラム』の意義と欠
陥
Author(s)
勝間田, 弘
Citation
国際問題 = International Affairs, 623: 18-29
Issue Date
2013-07
Type
Journal Article
Text version
publisher
URL
http://hdl.handle.net/2297/36590
Right
Copyright © 日本国際問題研究所|許可を得て登録
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,各著作権等管理事業者に確認してください。
http://dspace.lib.kanazawa-u.ac.jp/dspace/
Katsumata Hiro
はじめに
あらためて言うまでもなく、東アジアという地域には安全保障の問題が多くある。国家
間の対立に代表される(軍事)安全保障から、人権などに関する「人間の安全保障」まで、
さまざまな問題が存在する。北東アジアに位置する日本や中国、韓国の間には多くの争い
があり、東南アジアに目を向けると、東南アジア諸国連合(ASEAN)と中国との間では、南
シナ海における領土紛争が問題になっている。また、東南アジア各地では、人間の安全保
障をめぐる問題が深刻化している。このような東アジア地域では、いかにして秩序をつく
っていけるのだろうか。
東アジア地域の秩序をつくる手段としてまず考えられるのが、二国間での軍事同盟であ
ろう。
「ハブ・アンド・スポークス型」と呼ばれる、米国を中心に日本や韓国、フィリピン、
タイなどに広がる軍事同盟のネットワークである。同盟とは、軍事パワーを増強すること
により敵の攻撃を抑止するための手段であり、それに参加する国が自国の安全保障を最優
先に考えた枠組みにほかならない。だが、同時に、地域全体における安全保障の秩序にも
寄与する。同盟サイドと相手サイドとの間で軍事パワーのバランスがとれれば、双方向で
の抑止が働き、地域全体の秩序につながるのである。しかし、軍事同盟がつくるのは、危
険で不安定な秩序だと言える。より安定した秩序をつくる手段は、ないのだろうか。
ここで注目に値するのが「ASEAN 流フォーラム」と総称できる一連の多国間フォーラム
である。すなわち、1990 年代の前半から ASEAN を中心に発展してきた、一連の地域協力の
枠組みである。代表的なものとして、まず、1994 年から開催されている「ASEAN 地域フォ
(ARF)が挙げられる。これは(東アジアを含む)アジア太平洋という広い地域を包
ーラム」
(北東アジアと東南アジアで構成される)東アジア
括する安全保障フォーラムである。また、
地域の枠組みとして、1997 年に始まった「ASEAN + 3」と、2005 年に始まった「東アジア
(EAS)がある。前者には ASEAN と日中韓が参加し、後者には ASEAN と日中韓
首脳会議」
に加えて、東アジア域外のオーストラリア、ニュージーランド、インド、米国、ロシアも
(ASEAN Way)の外交スタイルに則
参加している。これら一連のフォーラムは「ASEAN 流」
った地域協力の枠組みである。すなわち、インフォーマルな対話により、東アジア地域(さ
らにはアジア太平洋地域)の秩序をつくろうという試みなのである(1)。
では、ASEAN 流フォーラムは、東アジア地域の秩序をどのように左右するのだろうか。
国際問題 No. 623(2013 年 7 ・ 8 月)● 18
構成主義と東アジア地域の秩序― 「ASEAN 流フォーラム」の意義と欠陥
第 1 表 ASEAN流フォーラムの理解
通説(現実主義)
意義
特になし
欠陥
伝統的な(軍事)安全保障
ジレンマを緩和できない
本稿の議論(構成主義)
規範により地域の秩序に寄与
「人間の安全保障」に関する
新たなジレンマを形成する
(出所)
筆者作成。
本稿は、東アジア地域の秩序という観点から、ASEAN 流フォーラムの意義と欠陥を探る。
すなわちプラス面とマイナス面を明らかにする。本特集において本稿に与えられた役割は、
構成主義(constructivism)の視点から東アジア地域の秩序について考察することである。
ASEAN 流フォーラムについての通常の理解は、現実主義(realism)の立場に基づいている。
このフォーラムを構成主義の視点から分析すると、通常の理解とは異なる意義や欠陥がみ
えてくる。本稿は、構成主義の視点を採用することにより、東アジア地域の秩序に関する
通説に異議を唱えるのである。
本稿の主旨は 2 点にまとめられる(第 1 表参照)。第 1 に、ASEAN 流フォーラムの意義につ
いてだが、現実主義の立場に基づいた通常の理解では、インフォーマルな対話により秩序
(talking shop)に
をつくろうとするフォーラムは、何の意味もない単なる「おしゃべりの場」
終わっている。しかし、本稿は構成主義の視点から、このフォーラムは、協調的安全保障
の規範により東アジア地域の秩序に寄与すると論じる。第 2 に、欠陥についてだが、現実主
義の立場に基づいた通常の理解では、ASEAN 流フォーラムは伝統的な(軍事)安全保障ジ
レンマを緩和できないところに問題がある。他方、本稿は構成主義の視点から、
「人間の安
全保障」に関する新たなジレンマを形成するという欠陥を指摘する。
以下、第 1 節では、ASEAN 流フォーラムの意義と欠陥を理解することの重要性を明らか
にする。第 2 節ではこのフォーラムの意義を探り、第 3 節では欠陥を指摘する。結語では、
それまでの議論を踏まえて、日本外交の課題を考察する。
1 地域協力のモデル
はじめに、ASEAN 流フォーラムの意義と欠陥を理解することの重要性を明らかにしてお
きたい。このフォーラムは、東アジア地域で考えられる唯一の地域協力のモデルを具現化
している。ヨーロッパ式のモデルとは一線を画した、東アジア独自のモデルを具現化して
いるのである。東アジアにおいて地域協力の枠組みとして維持することができるのは、
ASEAN 流フォーラムしかない。したがって、このフォーラムの意義と欠陥を理解すること
は重要なのである。
(1) ヨーロッパ式モデル
地域の秩序に向けた多国間協力のモデルは、複数ある(第 2 表参照)。多くはヨーロッパの
事例を土台に構成された、ヨーロッパ式のモデルである。具体的には 3 つ挙げられるが、ど
(
[multilateral]
れも東アジアでは実行に移せない。第 1に挙げられるのは「(多国間)集団防衛」
collective defense)モデルである。これは、軍事パワーにより地域の秩序をつくる試みである。
国際問題 No. 623(2013 年 7 ・ 8 月)● 19
構成主義と東アジア地域の秩序― 「ASEAN 流フォーラム」の意義と欠陥
第 2 表 地域協力モデル
モデル
秩序をつくる要素
・(多国間)集団防衛
・安全保障マネージメント制度
・「ドイッチュ流」安全保障共同体
軍事パワー
効率よく問題を解決する能力
リベラル・アイデンティティー
・「ASEAN流」協調的安全保障
インフォーマルな対話
(出所)
筆者作成。
集団防衛の狙いは、複数の国の軍事パワーを結集して、特定の敵からの軍事的な脅威に対
抗することである。このモデルの土台には、冷戦時代の北大西洋条約機構(NATO)がある。
当時の NATO は、ソビエト連邦を中心とした共産圏からの脅威に対抗する手段だった。この
モデルは明らかに、東アジア地域では現実的でない。北東アジアの日中韓と東南アジアの
ASEAN が団結して対抗するべき共通の敵など、世界のどこにも存在しない。
(security management institution)モデ
第 2 に挙げられるのは「安全保障マネージメント制度」
ルである。これは、効率よく安全保障の問題を解決する能力を重視する。安全保障マネー
ジメント制度の狙いは、特定の敵からの「脅威」よりも、不特定の「リスク」を管理する
ことである。このモデルの土台には、ポスト冷戦時代の NATO がある。NATO は冷戦時代に
は共産圏からの脅威に対抗する手段だったが、ポスト冷戦時代には、ヨーロッパに点在す
る不特定のリスクを管理する制度に発展している(2)。
このモデルも東アジア地域では実行に移せない。安全保障マネージメント制度には、軍
事的な能力と、それに裏付けされたリーダーシップが求められると言える。ヨーロッパで
は先進国の軍事的な能力に支えられてNATO が成立しているが、東アジア地域では状況が異
なる。この地域では多くの国が軍事的な能力に乏しい。特に、地域協力の中心に位置する
ASEAN は、軍事的なリーダーシップを担う意志も能力もない。
(Deutschian security community)
第 3 に挙げられるのは「
『ドイッチュ流』安全保障共同体」
モデルである。これは、リベラル・アイデンティティーに基づいた秩序を念頭に置いてい
(we-feeling)を
る。
「ドイッチュ流」安全保障共同体の狙いは、人々の間に「われわれ意識」
育み、すべての紛争を平和的に解決できる環境を醸成することである(3)。「われわれ意識」
の根拠として最も有力なのは、民主主義国の人々が抱くリベラル・アイデンティティーだ
と言える(4)。このモデルの土台には、ヨーロッパにおける地域協力の歴史がある。K ・ドイ
ッチュは 1957 年に「安全保障共同体」という概念を提唱し、これが北大西洋を中心に発展
する可能性を検討した(5)。E ・アドラーによると、欧州安全保障協力機構(OSCE)は今日、
(security comリベラル・アイデンティティーを基盤とした「安全保障共同体をつくる制度」
munity-building institution)として発展している(6)。このモデルを東アジア地域で実行に移すの
は、きわめて困難だと言える。東アジア諸国の政治体制は多様であり、この地域の人々は、
リベラリズムの価値観を共有していない。
(2) アジア式モデルの分析
東アジア地域で実行に移せるのは、東アジア地域の事例を土台に構成された、東アジア
国際問題 No. 623(2013 年 7 ・ 8 月)● 20
構成主義と東アジア地域の秩序― 「ASEAN 流フォーラム」の意義と欠陥
独自のモデルに限られる。具体的には「
『ASEAN 流』協調的安全保障」
(ASEAN’s cooperative
security)モデルである。これはインフォーマルな対話により地域の秩序をつくる試みであり、
2 つの要素で構成される。第 1 は「ASEAN 流」という、法的なルールにはこだわらないで国
家間にある問題について対話を続けるという、インフォーマルな外交スタイルである。第 2
は「協調的安全保障」と呼ばれる、複数の国家が敵と味方の関係を想定せずに協力し、非
軍事的な手段を通じて、平和で安定した安全保障の環境を構築する試みである。これら 2 つ
の組み合わせである「ASEAN 流」協調的安全保障の狙いは、敵と味方の関係を想定せずに
国家間にある問題について対話を続け、安全保障の環境を改善していくことだと言えよう(7)。
このモデルを具現化したのが「ASEAN 流フォーラム」と総称できる ARF や ASEAN + 3、
EAS などの枠組みにほかならない。
では「
『ASEAN 流』協調的安全保障」モデルの具現化である ASEAN 流フォーラムは、東
アジア地域の秩序をどのように左右するのだろうか。本稿は次節から、東アジア地域の秩
序という観点から、このフォーラムの意義と欠陥を探っていく。特に、構成主義の視点か
ら分析を進める。
分析に入る前に、構成主義というものについて述べておきたい。国際関係論の分野にお
ける構成主義とは、国家(および非国家アクター)の行動を分析する視点であり、その特徴
は、合理主義の分析視点(さらに、これに依拠した現実主義の立場)と比較するとわかりやす
い(8)。
(こ
合理主義の分析視点では、国家は、所与の目標を効率よく達成するように行動する。
の分析視点に依拠した)現実主義の立場では、国家の所与の目標とは(主に安全保障に関する)
自国の利益である。国家は常に、自国の利益を最大化するために、軍事パワーの増強や地
域における勢力圏の拡大を図るのである(9)。
他方、構成主義の分析視点では、国家は、規範やアイデンティティーといった観点から適
切だとみなされる行動をする(10)。この分析視点に依拠して安全保障について考えてみると、
国家は、地域的な枠組みのなかで協調的な政策を重視する規範を学び、それに則り地域全
体の安定のために行動できるであろう。すなわち、自国の利益のために勢力圏を一方的に
広げるよりも、地域全体での共通利益のために平和的な政策を遂行できると言えよう。な
お、規範とは「どのように行動するべきか」についての共通認識である。換言するなら、
「協調的安全
国家や非国家アクターが共有する、特定の行動基準についての理解である(11)。
保障」という行動基準を学んだ国家は、それに鑑みて、敵と味方の関係を想定せずに安全
保障の環境を改善するために協力していけるであろう。
次節では、このような構成主義の視点から、ASEAN 流フォーラムの意義を探る。すなわ
ち、このフォーラムは実際に、東アジア諸国に、規範を学び地域全体の安定のために行動
するように促せるのか否かを検討する。
2 ASEAN 流フォーラムの意義
通常の理解では、ASEAN 流フォーラムは無意味である。インフォーマルな対話により秩
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構成主義と東アジア地域の秩序― 「ASEAN 流フォーラム」の意義と欠陥
序をつくろうとするフォーラムは、東アジア地域の秩序に寄与することなく、単なる「お
しゃべりの場」に終わっている。M ・リーファーにとって ARF はパワーの問題に対処でき
ない「不完全な外交手段」であり(12)、D ・ M ・ジョーンズと M ・スミスによると、ASEAN
が推進しようとしている協調的安全保障は、実際にはパワーという要因なしには成立しな
いのである(13)。
以上のような理解は、現実主義の立場に基づいていると言える。国家とは常に自国の利
益の最大化に向けて、軍事パワーの増強や地域における勢力圏の拡大を図るものである。
このような立場を前提にするなら、インフォーマルな対話により国家と国家の間に秩序を
つくろうなどという試みは、無意味だと言えよう。
しかし、構成主義の視点からは、ASEAN 流フォーラムの意義がみえてくる。ASEAN 流フ
ォーラムは、協調的安全保障の規範により東アジア地域の秩序に寄与する。インフォーマ
ルな対話により秩序をつくろうとするフォーラムは、各国に協調的安全保障の規範を学ば
せ、それに則り、地域全体の安定のために行動するように促せるのである。
(1) 補完と代替
ASEAN 流フォーラムの意義は、ハブ・アンド・スポークス型の軍事同盟との関係から理
解できる。前者が実践する「協調的安全保障」は、後者が実践する「軍事パワー・バラン
シング」と、補完と代替という 2 つの関係を築いていける。第 1 に、協調的安全保障は軍事
パワー・バランシングを補完できる。軍事パワー・バランシングは国家間の関係を緊張さ
せる(この点は、後述する「安全保障のジレンマ」と関連する)。そこで協調的安全保障が緊張
を和らげるのである。協調的安全保障のフォーラムが参加国に規範を学ばせるとは、地域
全体の安定を求める意識を共有させて緊張を和らげる、ということにほかならない。この
ような補完関係があるなら、軍事パワー・バランシングの重要性が高まるような事態にな
ると、それだけ協調的安全保障の需要も高まる(第 1 図(1)では、x 軸の値が上がると y 軸の値
。
も上昇する)
第 2 に、協調的安全保障は軍事パワー・バランシングの代替となりうる。地域協力の枠組
みが秩序をつくれるのであれば、軍事パワー・バランシングは不要だという話になるであ
第 1 図 協調的安全保障と軍事パワー・バランシングの関係
y
(1)補 完
y
協調的
安全保障
(2)代 替
軍事パワー
バランシング
x
軍事パワー
バランシング
(出所)
筆者作成。
国際問題 No. 623(2013 年 7 ・ 8 月)● 22
x
協調的
安全保障
構成主義と東アジア地域の秩序― 「ASEAN 流フォーラム」の意義と欠陥
ろう。このような代替関係があるなら、協調的安全保障が重要な働きをすればするほど、
軍事パワー・バランシングの需要は低下する(第 1 図(2)では、x 軸の値が上がると y 軸の値は
。
下落する)
これら 2 つの関係ともに、現実主義の立場からは考えられない。現実主義の立場からは
ASEAN 流フォーラムは無意味であり、軍事同盟を補完したり、その代替になったりするこ
とはない。他方、構成主義の視点からは、ASEAN 流フォーラムの意義がみえてくる。この
フォーラムは少なくとも、国家間の緊張した関係を和らげることにより、軍事同盟を補完
できる。さらに、安全保障の秩序をつくることにより、軍事同盟の代替となる可能性も秘
めているのである。
(2) 評価の根拠
ASEAN 流フォーラムには以上のような意義があると考える根拠は、構成主義の視点から
捉えられるフォーラムの成果である。ここで注目に値するのは、地域協力に対する中国の
コミットメントである。同じ北東アジアに位置する日本や韓国と比べると、中国は 1990 年
代のはじめ、地域協力に対してきわめて消極的だった。ASEAN 流フォーラムは、この中国
にさえも地域協力の理念を学ばせ、それに則った積極的な行動を促すという成果を上げて
きたのである。
中国は 1990 年代の後半から徐々に、地域協力にコミットするようになってきたと言える。
1990 年代の前半には、この国は、フォーラムのなかで何かを積極的にやろうという姿勢を
みせなかった。しかし、1990 年代の後半から徐々に態度を変化させた。ARF 参加国との会
合を重ねるにつれて、地域協力に対して積極的な態度をみせるようになった。1997 年に信
頼醸成の手段を検討する会合をフィリピンと共催して以来、ARF の枠組みのなかで、数多
くの会合を自主的に主催するようになったのである。公式な記録によると、ASEAN 加盟国
を除くと、これまでに中国は、ARF 参加国のなかで最も多くの会合を主催している(14)。
もちろん中国のコミットメントを過大評価してはならない。南シナ海の領土紛争に関し
ては、中国は領有権の主張を曲げていない。ただし、ASEAN 側の当事国も同様に、領有権で
は妥協していない。中国に関しては、この問題に対する態度の軟化が特筆に値する。1994 年
の ARF 初会合では、中国は南シナ海の問題を議題とするのを断固として拒否していたが(15)、
1996 年には共同開発の可能性を論じるようになった(16)。さらに 2002 年には、ASEAN との間
で、この問題に関する行動基準を定めた声明文に調印した。国際連合海洋法をはじめとす
る国際法の尊重を求める政治文書に、合意したのである(17)。
中国と ASEAN の間で、南シナ海の領土紛争に関する法的な拘束力のある合意は実現して
いない。だが、ここで非難の矛先を中国に向けるのは、必ずしも適切ではない。その根拠
は 2 点ある。第 1 に、中国は、法的な拘束力のある合意を頭から否定しているのではない。
この国は、かなり早い時期から、法的な合意に向けた交渉を視野に入れていた(18)。ただ、す
べての紛争を自国と ASEAN という多国間の場で扱うことに対してのみ、慎重になっている。
中国にとっては、自国とひとつの ASEAN 加盟国のみが争う二国間の紛争にまで他の加盟国
が関与してくると、問題が複雑になるだけなのである(19)。
国際問題 No. 623(2013 年 7 ・ 8 月)● 23
構成主義と東アジア地域の秩序― 「ASEAN 流フォーラム」の意義と欠陥
第 2 に、ASEAN 側の当事国にも問題がある。南シナ海の領土紛争を、中国と ASEAN とい
う二者間の争いだと錯覚してはならない。ASEAN 側の当事国(マレーシア、フィリピン、ベ
トナム、ブルネイ)の間でも問題は片付いていない。1999 年には、マレーシアがフィリピン
も領有権を主張している島に建造物を構築し、フィリピン政府から抗議されている(20)。この
事件は、大きな問題にはエスカレートしなかったが、ASEAN 内部に残っている紛争の深刻
さを浮き彫りにした。現状をみる限り、仮に中国という要因がなかったとしても、ASEAN
加盟国の間で法的な拘束力のある合意が実現するとは考えにくい。実際に今日、これらの
国の間で合意に至っているのは、法的な拘束力のない政治文書に限られている(21)。
中国が地域協力にコミットするようになってきたのは、地域協力の理念を学びはじめた
からだと言える。この国は ARF という枠組みのなかで会合を重ねるにつれて、他の参加国
と、地域全体の安定を求める意識を共有できるようになってきたのである。もし中国が地
域協力の理念をまったく学んでいなかったなら、その行動は異なっていたと考えられる。
具体的には、2 つの可能性が考えられる。第 1 に、中国は 1990 年代のはじめから今日まで一
貫して、地域協力に対して消極的だったかもしれない。第 2 に、別のタイミングで積極的に
なっていた可能性もある。先述のとおり、中国は 1990 年代の後半から徐々に態度を変化さ
せた。もしも地域協力にコミットする動機が理念ではなかったら、これとは別の時期に積
極的になっていたと思われる。中国の動機は、多国間のフォーラムにおいて米国の一方的
な動きを牽制することだ、という指摘がある(22)。これが真の動機であったならば、1994 年
に ARF がスタートした時か、2000 年代になって米国のブッシュ政権が一国主義に傾いたと
きに、中国は態度を変えていたであろう。1990 年代後半からの漸進的な変化は、中国の政
策決定者たちが国際交流を通じて、地域協力への新しい考え方を学びはじめたことを示唆
する。換言するなら、ASEAN 流フォーラムが一定の成果を上げてきたことを示している(23)。
3 ASEAN 流フォーラムの欠陥
ASEAN 流フォーラムに欠陥はないのだろうか。前節の議論を根拠に、このフォーラムに
は欠陥がないと結論づけることはできない。すなわち、通常は無意味だと理解されている
枠組みが実は地域の秩序に寄与するからといって、それには何も問題点がないと決めつけ
ることはできない。したがって、この節では、ASEAN 流フォーラムの欠陥を探る。まずは、
このフォーラムの問題点に関する通常の理解に注目してみたい。
(1) 通 説
通常の理解では、ASEAN 流フォーラムの欠陥は、伝統的な(軍事)安全保障ジレンマを
緩和できないことである。換言するなら、軍事同盟に伴う国家間の緊張した関係を和らげ
られず、東アジア地域の秩序に寄与しないことだと言える。安全保障ジレンマとは、自国
の防衛のために軍事パワーを増強しても、それに対して相手国が脅威を抱き軍事パワーで
対抗してくるため、逆に自国の安全が脅かされてしまうという困難である。安全保障の領
域では、このような困難があるから、国家間の関係は緊張してしまう。たとえば東アジア
でも、自国の防衛のために軍事同盟を組んでも、それが相手国の軍事パワー増大を招き、
国際問題 No. 623(2013 年 7 ・ 8 月)● 24
構成主義と東アジア地域の秩序― 「ASEAN 流フォーラム」の意義と欠陥
両国の関係は緊張してしまう。この問題に対して、ASEAN 流フォーラムは無力だと考えら
れている。東アジアでは国家間の対立が根深く、軍事同盟に伴う安全保障ジレンマと緊張
は深刻である。インフォーマルな対話などでは、ジレンマを緩和し緊張を和らげることな
ど期待できない、と考えられているのである。
このような理解は、現実主義の立場に基づいていると言える。先述のとおり、現実主義
の立場からは、インフォーマルな対話により秩序をつくろうとする ASEAN 流フォーラムは
無意味である。このフォーラムは軍事同盟の代替にならないのはもちろんのこと、その欠
点を補完することさえもできない。欠点を補完できないとは、軍事同盟に伴う安全保障ジ
レンマを緩和し国家間の緊張した関係を和らげることもできない、ということを意味する
と言えよう。
(2) 新たなジレンマ
以上のような理解は妥当でない。ASEAN 流フォーラムには、現実主義の立場からはみえ
てこない深刻な欠陥がある。構成主義の視点から捉えられる意義を念頭に置くなら、
ASEAN 流フォーラムの欠陥は、伝統的な(軍事)安全保障ジレンマを緩和できないことで
はなく「人間の安全保障」に関する新たなジレンマを形成することだと言える(24)。
これまでの議論では、東アジア地域の「秩序」と言ったときには、暗黙のうちに(軍事)
安全保障の秩序を想定していた。しかし、真の意味での秩序を考えるにあたっては「人間
の安全保障」にまで視野を広げるべきであろう。ASEAN 流フォーラムの欠陥は(軍事)安
全保障の秩序に寄与しないことではなく、人間の安全保障に関する新たな問題を発生させ
ること、特に、人権問題を悪化させることである。換言するなら、このフォーラムの欠陥
は、東アジア地域の秩序に寄与しないことではなく、非リベラルな秩序に寄与してしまう
ことなのである。
人間の安全保障の問題とは、ASEAN 流フォーラムが(軍事)安全保障の秩序に寄与する
からこそ、発生させてしまうものである。逆に言うなら、もしもフォーラムが本当に無意
味ならば、深刻化させない問題である。構成主義の視点からは、ASEAN 流フォーラムは協
調的な規範により、東アジア地域における安全保障の秩序に寄与する。特に、少なくとも
(軍事)安全保障ジレンマを緩和して国家間の緊張した関係を和らげるという意味で、軍事
同盟の欠点を補完できる。しかし、秩序に寄与するからこそ、皮肉にも、人権問題を悪化
させてしまうのである。
問題を発生させるメカニズムは、グローバル社会からの影響の遮断である。ASEAN 流フ
ォーラムは、グローバル社会からの影響を遮断することによって、東アジア地域における
人権問題を悪化させてしまう。協調的安全保障の規範により、東アジア諸国に「人間の安
全保障」に取り組ませる外部からの影響を遮ってしまうのである。より具体的には、
ASEAN 流フォーラムは、2つの障壁をつくることにより、2種類の影響を遮断してしまう。
第 1 は物質的な障壁であり、これは中国と ASEAN の密接な関係により構成される。
ASEAN 流フォーラムにおいて中国が協調的な規範を学ぶと、ASEAN と中国の関係は密接に
なる。安全保障における友好な関係は、貿易や投資など多くの領域に波及するであろう。
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構成主義と東アジア地域の秩序― 「ASEAN 流フォーラム」の意義と欠陥
この障壁は、欧米から東アジア諸国への物質的な圧力を遮断してしまう。本来であれば
欧米諸国は、貿易や投資、経済援助、さらには軍事的な協力関係を利用して、東アジア諸
国に対して人権問題に取り組むよう圧力をかけられるであろう。特に ASEAN に対しては、
強い圧力をかけられるはずだと言えよう。ASEAN 加盟国の多くは、経済的にも軍事的にも
欧米に大きく依存する小国である。ところが、中国と ASEAN の関係が密接になると、欧米
から ASEAN への圧力が効かなくなる。ASEAN は、欧米から圧力を受けても、中国という新
たなパートナーに頼れるようになるためである。中国は欧米とは異なり、東南アジアの人
権問題に対してまったく口を出さない。
第 2 は規範的な障壁であり、これは、東アジア特有の地域アイデンティティーにより構成
される。特に、中国と ASEAN が共有する非リベラルな性格の地域アイデンティティーによ
り構成される。ASEAN 流フォーラムにおいて各国が協調的な規範を学び緊密に交流すると
「東アジア地域アイデンティティー」と呼びうる意識が育まれるであろう。特に、中国が規
範を学び ASEAN と緊密に交流するようになると、この意識が両者を中心に育まれると言え
よう(25)。問題は、この意識の性格にある。東アジア地域アイデンティティーは、人権や民主
主義といったリベラルな要素を含まない、非リベラルな性格になると考えられる。この点
は、中国と ASEAN の関係をみれば明らかである。両者は今日「パートナーシップ」という
概念を掲げ、政治、経済、安全保障などさまざまな領域における協力関係を強化している。
だが、人権や民主主義といったテーマは、パートナーシップの目標に入れていない(26)。
この障壁は、グローバル社会における規範の発展から、東アジア地域を遮断してしまう。
「人権」というテーマは今日、グローバル社会の重要な規範として発展している。このよう
な動きは本来、東アジア地域にも大きな影響を与えるはずである。特に ASEAN への影響は
大きいと思われる。ASEAN は昨今、人権や民主主義といった課題を扱いつつあるが、その
背景には、グローバル社会における自らの位置づけへの関心がある(27)。ところが、東アジア
地域アイデンティティーが育まれると、この地域において、グローバル社会の規範の影響
が大幅に低減する。非リベラルな性格の地域アイデンティティーが、障壁として立ちはだ
かるからである。
以上 2 つの障壁により生じる困難は、道徳という問題が絡むジレンマである。ASEAN 流
フォーラムでの協調的安全保障は、道徳という意味で重要だと言えよう。軍事同盟のよう
に国家間の関係を緊張させることなく、東アジア地域の秩序に寄与するからである。しか
し、これは新たな道徳の問題を発生させてしまう。規範を広めれば広めるほど、人間の安
全保障の問題を深刻化させてしまう。ASEAN 流フォーラムは「協調的安全保障」と「人間
の安全保障」のどちらを優先しても道徳が損なわれるという、難しいジレンマを形成する
のである。
おわりに
日本は何をするべきだろうか。ASEAN 流フォーラムの意義と欠陥がわかったところで、
最後に、日本外交の課題を考えてみたい。この国は、ARF、ASEAN + 3、EAS という地域協
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構成主義と東アジア地域の秩序― 「ASEAN 流フォーラム」の意義と欠陥
力の枠組みすべてに参加している。したがって、東アジア地域の秩序を大きく変えられる
立場にある。日本は、ASEAN 流フォーラムの意義を最大にしながら、欠陥を最小限に抑え
るために尽力するべきである。
まず、このフォーラムの意義を高めるために、日本は ASEAN を後方から支援するべきで
ある。このフォーラムが東アジア地域の秩序に寄与するのであれば、中心にいる ASEAN を
支援するべきだと言えよう。ASEAN への支援は、あくまでも後方から行なうのがよい。換
言するなら、日本は表に出ないほうがよい。日本が表に出てリーダーシップを担おうとす
ると、中国が反発する。また、ASEAN からも歓迎されない。ASEAN は、自らが東アジア地
域協力の中心にいるという事実をきわめて重視している。これを否定するような行為は、
反感を招くだけであろう。
他方、ASEAN 流フォーラムの欠陥を最小限に抑えるためには、日本は、人権や民主主義
といったリベラルな課題を唱えていくべきである。このフォーラムが「人間の安全保障」
の問題を発生させてしまうのであれば、それを緩和するように内部から働きかけるのであ
る。特に、東アジア地域アイデンティティーにリベラルな要素を注入していくべきであろ
う。日本は東アジア地域では数少ない民主主義国である。また、少なくとも経済的な意味
では、多くの国に対して強い影響力をもっている。東アジア地域でリベラルな課題を唱え
ていくのは、日本の責務だと言えよう。
( 1 ) ARF は安全保障の問題に特化したフォーラムであるのに対し、ASEAN + 3 と EAS は、経済や安
全保障など多様な問題を扱う包括的な枠組みである。次を参照のこと。ASEAN Plus Three, “Joint
Statement on East Asian Cooperation,” Manila, 28 November 1999; East Asia Summit, “Kuala Lumpur
Declaration on the East Asia Summit,” Kuala Lumpur, 14 December 2005.
( 2 ) Celeste A. Wallander and Robert O. Keohane, “Risk, Threat, and Security Institutions,” in Helga Haftendorn,
Robert O. Keohane, and Celeste A. Wallander(eds.)
, Imperfect Unions: Security Institutions over Time and
Space, Oxford: Oxford University Press, 1999, pp. 21–47.
( 3 ) 次を参照のこと。Karl W. Deutsch et al., Political Community and the North Atlantic Area: International
Organization in the Light of Historical Experience, Princeton: Princeton University Press, 1957, p. 36.
( 4 ) Michael Barnett and Emanuel Adler, “Studying Security Communities in Theory, Comparison, and History,”
in Emanuel Adler and Michael Barnett(eds.)
, Security Communities, Cambridge: Cambridge University Press,
1998, p. 425.
( 5 ) Karl W. Deutsch et al., op. cit.
( 6 ) Emanuel Adler, “Seeds of Peaceful Change: The OSCE’s Security Community-Building Model,” in Emanuel
Adler and Michael Barnett(eds.)
, op. cit., p. 149.
『国際問題』第 425 号
( 7 ) 次を参照のこと。山本吉宣「協調的安全保障の可能性―基礎的な考察」
、武田康裕・丸川知雄・厳善平
(1995 年 8 月)
、2―20 ページ、勝間田弘「アジアの協調的安全保障」
、慶應義塾大学出版会、2008 年, 101―126
編/アジア政経学会監修『
〈現代アジア研究― 3〉政策』
ページ。
( 8 ) J ・フィアロンと A ・ウェントは、構成主義や合理主義を「分析レンズ」
(analytical lenses)と呼
ぶ。James Fearon and Alexander Wendt, “Rationalism V. Constructivism: A Sceptical View,” in Walter
Carlsnaes, Thomas Risse, and Beth A. Simmons(eds.)
, Handbook of International Relations, London: Sage
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構成主義と東アジア地域の秩序― 「ASEAN 流フォーラム」の意義と欠陥
Publications, 2002, p. 53.
( 9 ) 現実主義については次を参照のこと。Hans J. Morgenthau, Politics among Nations: The Struggle for
Power and Peace, Third ed., New York: Alfred A. Knopf, 1960; Kenneth N. Waltz, Theory of International
Politics, New York: McGraw-Hill, 1979; John J. Mearsheimer, The Tragedy of Great Power Politics, New York:
W. W. Norton & Company, 2001.
(10) 構成主義については次を参照のこと。Peter Katzenstein(ed.)
, The Culture of National Security: Norms
and Identity in World Politics, New York: Columbia University Press, 1996.
(11) Audie Klotz, Norms in International Relations: The Struggle against Apartheid, Ithaca: Cornell University
Press, 1995, p. 14; Martha Finnemore, National Interests in International Society, Ithaca: Cornell University
Press, 1996, p. 22.
(12) Michael Leifer, The ASEAN Regional Forum: Extending ASEAN’s Model of Regional Security, Adelphi Paper,
No. 302, Oxford/London: Oxford University Press/International Institute for Strategic Studies, 1996, p. 53.
(13) David Martin Jones and Michael L. R. Smith, “Constructing Communities: The Curious Case of East Asian
Regionalism,” Review of International Studies, Vol. 33, No. 1(2007)
, p. 186. ASEAN流フォーラムの意義を
疑う議論については、次も参照のこと。Shaun Narine, Explaining ASEAN: Regionalism in Southeast Asia,
Boulder, Colorado: Lynne Rienner, 2002; Robyn Lim, “The ASEAN Regional Forum: Building on Sand.,”
Contemporary Southeast Asia, Vol. 20, No. 2(1998)
, pp. 115–136.
(14) ARF, “List of Track I Activities(by Inter-Sessional Year from 1994 to 2012)
,” 2013(http://www.asean
regionalforum.org/〔2013年3月 1日アクセス〕
)
.
(15) David Lague, “China Flexes Its Muscles,” Sydney Morning Herald, 28 July 1994.
(16) AFP, “Chinese Call for Joint Development of Disputed Territories,” 1996, reproduced in Straits Times, 24 July
1996.
(17) ASEAN and China, “Declaration on the Conduct of Parties in the South China Sea,” Phnom Penh, 4
November 2002.
(18) 次を参照のこと。Institute of Southeast Asian Studies, “Developing ASEAN-China Relations: Realities and
Prospects,” A Brief Report on the first ASEAN-China Forum, 23–24 June 2004, Singapore, 2004, pp. 36–37.
(19) Jia Qingguo, “China and the Region,” in Council for Security Cooperation in the Asia Pacific(ed.)
, CSCAP
Regional Security Outlook 2013, 2012, p. 17.
(20) 次を参照のこと。Associated Press, “Philippines to Protest New Malaysian Structure in Spratlys,” Manila,
19 August 1999; Associated Press, “Philippines Hands Protest Note to Malaysia,” Manila, 20 August 1999.
(21) ASEAN, “ASEAN Declaration on the South China Sea,” Manila, 22 July 1992.
(22) 例として、次を参照のこと。Ralf Emmers, Cooperative Security and the Balance of Power in ASEAN and
the ARF, London: RoutledgeCurzon, 2003, pp. 124–125, 163; Denny Roy, “China’s Reaction to American
Predominance,” Survival, Vol. 45, No. 3(2003)
, pp. 70–71.
(23) より詳しい議論は次を参照のこと。Hiro Katsumata, ASEAN’s Cooperative Security Enterprise: Norms
and Interests in the ASEAN Regional Forum, Basingstoke: Palgrave MacMillan, 2009, Chap. 6.
(24) Hiro Katsumata, “East Asian Regional Security Governance: Bilateral Hard Balancing and ASEAN’s Informal
Cooperative Security,” in Shaun Breslin and Stuart Croft(eds.)
, Comparative Regional Security Governance,
London: Routledge, 2012, p. 87.
(25) 国家が共有するアイデンティティーとは交流を通じて育まれるものであり、交流の機会が増えれ
ば、アイデンティティー形成も加速すると考えられる。Adler and Barnett, “A Framework for the Study
of Security Communities,” Adler and Barnett(eds.)
, op. cit., esp. p. 41; Barnett and Adler, “Studying Security
Communities in Theory, Comparison, and History,” Adler and Barnett(eds.)
, op. cit., pp. 416–418; Alexander
Wendt, “Collective Identity Formation and the International State,” American Political Science Review, Vol. 88,
国際問題 No. 623(2013 年 7 ・ 8 月)● 28
構成主義と東アジア地域の秩序― 「ASEAN 流フォーラム」の意義と欠陥
No. 2(1994)
, pp. 388–391; Alexander Wendt, Social Theory of International Politics, Cambridge: Cambridge
University Press, 1999, pp. 343–363.
(26) ASEAN and China, “Joint Declaration on Strategic Partnership for Peace and Prosperity,” Bali, Indonesia, 8
October 2003; ASEAN and China, “Joint Statement of ASEAN-China Commemorative Summit: Towards an
Enhanced ASEAN-China Strategic Partnership,” Nanning, China, 30 October 2006.
(27) Hiro Katsumata, “ASEAN and Human Rights: Resisting Western Pressure or Emulating the West?” Pacific
Review, Vol. 22, No. 5(2009)
, pp. 619–637.
かつまた・ひろし 金沢大学准教授
国際問題 No. 623(2013 年 7 ・ 8 月)● 29
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