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インダス文明 文字は未解読 ヴェーダ時代前半期
鈴木の世界史B講義録 22 インダス文明/ヴェーダ時代 インダス文明 文字は未解読 12_No22.jtd 2012.11.25 微改訂 BC2300年ころから500年間に最盛期を迎えた都市文明。 1)主な遺跡はインダス川の中流、下流の順に a【1: 】(パンジャーブ地方) b【2: 】(シンド地方) (あるいはモエンジョ=ダーロ) 言葉の意味は「死者の丘」(多数の人骨が発見) 焼成煉瓦を用いた立派な公共建築物と都市計画が特 徴だが、頻出は *「沐浴場」跡の写真 *動物の絵と象形文字を刻んだ【3: 】 (多数出土)の写真(インダス文字は未解読) c【4: 】(カッチ湿原) シンド地方とカッチ湿原は隣接する。 1990 年に新発見の遺跡 ほぼbに匹敵する大規模な遺跡と思われる。 d ロータル(カチャワル半島の基部、グジャラート、カ ンベイ湾岸) カンベイ湾には未解明の水中遺跡? 地元では「ドック」と呼ばれる港湾(船たまり)な いしは貯水槽と思われる遺構(219×37m)が出土。 穀物倉庫からはペルシャ湾南岸と共通の印章も出 土。シュメールとの【5: 】が推定され る。なお、インドの名はインダス川に由来する。 2)これらの遺跡の発掘やその他の研究の結果、インダス文明について分かったことを述べる。 ①アーリア人より先にインドに進出し、BC3500 年ごろインダス文明を建設したのは、「ドラヴィダ系」の 人々であったと推定される。彼らの子孫は、今も南インドに多く住んでいる。代表的なドラヴィダ系言 語はタミル語で、タミル語を話す人々(タミル人)は、南インドのチョーラ朝(BC 3世紀~ AD13 世紀)、イ ンド最南端のパーンディア朝(BC 3世紀~ AD14 世紀)の建国者である。1~3世紀、タミル文学が栄えた。 これに対して、遅れてインドに進出した「アーリア系」と呼ばれる人々は、サンスクリット語を話した。 その子孫は、今もインド中・北部に多く住む。 今日でもタミル語は 7000 万人以上が話す。 日本でも大ヒットしたインド映画『ムトゥ踊るマハラジャ』(1995)はタミル語映画である。 ②青銅器、彩文土器、印章が使用された。印章に彫られた【6: 】は未解読のままである。 ③壮大な計画に基づく整然とした都市計画が行われ、完成された都市国家文明の域に到達。 ④焼煉瓦の住宅、街路、作業場、倉庫、浴場、排水溝などが確認された。 ⑤出土した「はかり」と煉瓦の規格の寸法から、二進法と十進法による度量衡の統一が見られる。 空位を示す工夫は既に存在した推定されるが、ゼロの発見はあくまでグプタ朝期(320?-550?)である。No23 参照。 ⑥メソポタミア文明の影響もある。 ⑦城塞の遺構はあるが、宮殿、陵墓など強大な権力の存在を証明するものは発見されていない。 ⑧シヴァ神に似た像、およびリンガとされる男子生殖器の形をした神体が出土した。 ⑨牡牛※や菩提樹の崇拝などが行われていた。 ※ 牡♂、牝♀は動物専用。雄、雌は植物にも使用。 すなわち、南アジア文明の源流のひとつが明らかにここにある! 3)インダス文明は BC1800 年ごろ、自然条件(河川流路の変動や気象の変化)と都市環境の変動のために 衰退したと考えられる。この他、外民族侵略説、塩害説、(古代核戦争説も)などもあり確定できない。その 後は、インダス川からガンジス川に及ぶ地域に、部族を中心とする諸王国が分立抗争した。 BC1500 年から約1千年間は【7: 】と呼ばれる。前半期と後半期とに分けて述べよう。 ヴェーダ時代前半期 BC1500 年ごろ~ BC1000 年ごろ。 政治的には諸王国分立時代。 ヴェーダ時代は、BC1500 年ごろのアーリア人の侵入(アーリア人の第1次移動)によって始まる。イ ンド=ヨーロッパ語 ※1 系のアーリア人 ※2 は、中央アジアから【8: 峠】をこえて南下、馬 が引く二輪の戦車で、【9: 系】などの先住民を征服した。まだ鉄器を持っていない! ※1 18 世紀末のイギリスの言語学者ウィリアム=ジョーンズはサンスクリット語と{ギリシア語・ラテン語} の類似性に着目、研究の結果、「これら3つの言語は、今は存在しないある共通の源泉から派生したと信じざるを 得ない」とし、インド=ヨーロッパ語族の研究に到達した。 ※2 「アーリア」は自称で「高貴な」という意味。遅れて移動したアーリア人はイラン高原に展開してイラン人 となった。そのイラン系としては、メソポタミアを一時支配した民族カッシート、ミタンニがある。ヒッタイト もアーリア系の可能性あり。共通点は自然現象に由来する多神教を持つこと。 12_No22.jtd http://sekaishi.info http://geocities.jp/sekaishi_suzuki/ 【10: 】地方に定住したアーリア人は、半農半牧の社会を部族や氏族を単位に形成し た。アーリア人は、火や雷など自然力崇拝の信仰を持ち、様々な自然神の崇拝と祭式に基づく政治を行 った。この時期に、神々への讃歌や儀式についてまとめた最も古いヴェーダである『【11: 】』が成立した。ヴェーダ時代後半期に成立する3種と合わせ、計4種類のヴェーダはバラモン教 の重要文献である。 【参考】 『リグ・ヴェーダ』より 「インダス讃歌」抜粋 インダス川の轟きは、地のも遙かに天を衝き、果てなく荒き雄力を、空高らかにひらめかす。牡牛なす声すさまじく、吼え つつ彼の奔る時、雲もる雨と迸る、しぶきの音は雷か、嗚呼インダスよ、母が子に、乳滴らす牝牛が、仔牛の傍に寄る如く、 川はよばいてなれに添う、そのもろ川の真先を、めがけてなれが進む時、左右の支流統べ率ゆ、戦に猛き王のごと。 ヴェーダ時代後半期 BC1000 年ごろ~ BC600 年ごろ。 政治的には諸王国分立時代が続く。 BC1000 年ごろ、アーリア人は鉄器でガンジス川流域を開発しつつに東北インドに進出(第2次移動)を開 始した。これ以降をヴェーダ時代後半期という。アーリア人はこの時期までに鉄器を得たと考えられる。 1)彼らは鉄製の武器で武装し、二輪戦車を用い、先住民を征服した。 ガンジス川流域の森林を焼き払い、【12: 】の使用と稲作による農耕を開始した。 2)定着農耕社会に移行する過程で、軍事指導者が世襲的な王侯・武人階級(クシャトリヤ)を形成した。 先住民の信仰や儀礼はアーリア人の宗教に取り入れられ、祭式は複雑化した。この時期に、【13: 教】が成立し、サンスクリット語の宗教文献ヴェーダが完成し、祭式を行う司祭階級(バラモン brahman a は上に横棒付き)の権威が高まった。 ヴェーダは全部で4種ある。ヴェーダ時代前半期に成立していたリグ=ヴェーダ(神々に対する讃歌集)に加えて、ヴェーダ時代後半 期には「サーマ=ヴェーダ」(詠法集)、「ヤジュル=ヴェーダ」(祭式集)、「アタルヴァ=ヴェーダ」(呪法集)が編纂された。ヴェーダ が編纂された時代なので「ヴェーダ時代(BC1500 ころ~ BC600 ころ)」と言う。山川の『世界史 B 用語集』では、2005 年度版まで 「ヤジュル=ヴェーダ」「アタルヴァ=ヴェーダ」の( )内の訳語が逆になっていたので 2005 年以前版を使っている人は要注意。(高 校生の指摘により訂正された。山川出版はメールを受け付けてくれないので、お手紙を出すしかない。丁重な返信を頂いている。) バラモン教の神は、太陽神ヴィシュヌ、火神アグニ、雷神インドラが最重要 仏教に押され一時衰退したが AD700 年ごろから復活。 バラモン教に民間信仰を取り入れたものが、後に成立するヒンドゥー教であると考えてよい。 3)この時期(BC10 ~ BC7 世紀)に、いわゆる古代カースト制度が成立した。4種の基本的身分=【14: 】があり、その下に計約3千に分化した血統による職能身分=【15: 】がある。 その形成はヴェーダ時代前半期に遡る。アーリア人は征服した先住民と自分たちを肌の色で区別した。 「ヴァルナ」とはサンスクリット語で「色」を意味する。 Ⅰ 【16: 】 バラモン教の司祭・・・・宗教儀式 Ⅱ 【17: 】 王族・戦士・・・・政治・軍事 Ⅲ 【18: 】 (初めは農・商・職・牧を意味したが) 後に商人を意味する Ⅳ 【19: 】 被征服民 農民・牧民・・・・後に農業・牧畜は彼らの仕事とされる。 (Ⅴ) ヴァルナにも入れてもらえない身分 いわゆる「不可触民」 まことに酷い言い方である ☆ヴェーダ時代に形成された【16】~【19】の4種のヴァルナ(種姓)は、バラモン教による集団の区 分であり、身分とか階級のことである。ジャーティーは「生まれ・職能」を意味する。 ヴァルナとジャーティーによる差別的身分制度の総体を、日本では【20: 制】※と呼んできた。 学術的には、「ヴァルナ=ジャーティー制」と呼ぶべきである。 ※日本の歴史教育では、上の【16】~【19】を「4種のカースト」と教えてきたが、これは明白な誤り。正しくは「ヴ ァルナ」である。「カースト」とは大航海時代にインドに来航したポルトガル人が約3千に細分化した身分の区別(おそ らくジャーティーのことであろう)を「カスタ」(ポルトガル語で家柄・血統)と記録したことから来る。だいいち、イ ンドの人々も「カースト」とは言わず「ジャーティー」と呼ぶ。かつて何のジャーティーか聞けばすぐ職業が分かった。 村ごとに 10 ~ 30 のジャーティーがあり、それらは4種のヴァルナのいずれかかヴァルナ外かの計5種のどれかに属す る。それぞれのジャーティーは、地縁、血縁、職能が密接にからみあった排他的な集団で、その成員の結婚や職業、食 事にいたるまでをきびしく規制し、また自治の機能ももっている。ジャーティーのメンバーは、自分と同種のジャーテ ィーに属する異性を結婚相手に選ばねばならない。かつ自分の属するジャーティーのメンバーとは結婚できない。また、 男性が自分より下のジャーティーの女性と結婚することはある程度許容されるが、その逆はタブーとされている。1947 年の憲法で、ジャーティーによる差別は禁止されたが、今なお残存しインドの発展を妨げている。慣用されて久しいの で、小論文では「ヴァルナ」と「ジャーティ」による身分差別の総体を指して「カースト制」と書いてもよいと思われ る。文字数に余裕があれば ヴァルナ=ジャーティー制(カースト制)と書こう。 4)紀元前後には、ヴァルナごとの権利・義務や慣習法をまとめた、【21: 】が編纂され、あ らゆるものに浄・不浄の階級付けが行われた。 5)バラモンは司祭階級として、祭祀をことさら複雑化させ、それを独占し、特権階級として君臨した。 政治的には諸王国分立期であり、王侯・武人階級(クシャトリヤ)の発言権はまだ大きくなかった。 バラモン教は祭祀万能主義(形式主義)に陥り、ヴァルナによる差別を肯定し、人の魂を救う宗教的力 を失っていた。 No24 B面最下部に続く