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「フィリピのムスリムの人々と」 コリントの信徒への手紙
2016 年 10 月 13 日(関) フィリピンのムスリムと共に アジア保健研修所 中島隆宏 アジア保健研修所はフィリピン南部のイスラム教徒自治区(以下 ARMM)の 保健行政官の人づくりに10年間関わってきました。ARMM というのは南部の ミンダナオ島の西部とスールー諸島を合わせた地域のうち、5つの州と2つの 市を指し人口は380万人くらいです。フィリピン全国では600万人くらい がイスラム教徒です。 1970年にフィリピンの当時のマルコス政権からの不当な扱いを受けたス ールーの青年たちがモロ民族解放戦線を結成し分離独立運動を始めました。紛 争のために数十万人が避難し多くの犠牲が出ましたが、マルコス大統領が追放 されたのち、1996年にラモス政権の時に政府とモロ解放戦線との和平合意 が成立しました。 内戦後の復興のためミンダナオの 14 州 10 市が平和と開発重点地域指定され フィリピン政府の要請を受けて JICA がこの地域の保健行政官の研修を実施す るにあたり、長くミンダナオにおいて人づくりを続けてきた AHI がこれを受託 しました。1999年から2007年の9年間に10回の研修を実施し、町レベ ルの保健センターの医師、保健師を中心に117名が研修を受けました。 午後のクラスで講師を務めるエミーさんは ARMM の一つの州であるスール ー州のパングタランという島の病院長と保健所長を兼務しています。彼女も2 002年に AHI の研修に参加しました。 この研修に先立つ2001年にエミーさんはパングタラン島に赴任しました。 彼女はスールーの県庁所在地であるホロ島の出身でした。2000年にパング タラン島での紛争に巻き込まれた病院はとても使える状態ではありませんでし た。さらに彼女がパングタラン島に赴任して 3 日後に紛争が始まり、病院は破 壊されました。 また、イスラム過激派の本拠地のある州でしたので、支援してくれる NGO も ありませんでした。例えば国境なき医師団はスタッフを送り込んできましたが、 誘拐されて、さらにその2年後にも再度、新たに派遣したのですが、その人も誘 拐されそしてNGOが入らなくなりました。 その病院や保健所の活動を自分たち、残された行政と住民で、取り戻すために も、日本での研修に期待をかけてやってきました。 7週間の研修では ARMM の他の州の保健課職員とともに、参加型研修を通し て、自分たちの今までの働きを検証し、NGO も入れない地域で、保健課以外の 行政機関と連携して、さらに住民自らが参加して健康を守る活動をし、みんなが 健康な島にしようと、アクションプランを作成して持ち帰りました。また、期間 中に長崎の訪問研修があり、平和の課題を学ぶとともに、琴海町という病院長と 町長が連携して町民の健康を守っているモデル地域からも学びました。 帰国後に彼女は住民の中から保健ボランティアを募り、研修をして組織化し ました。この保健ボランティアは村人の保健教育や予防活動を推進しました。ま た、町長、教育課、社会福祉課、軍隊、商工会などとの連携によって、住民のニ ーズにこたえた医療、保健サービスが行えるようになりました。 エミーさんによるとイスラム自治区といいながらも、それまで州ごとに異な る文化や言語をもつ保健局職員同士の交流がなく、自治区全州の保健局職員が 集まった会合などでも、部族ごとに固まっていたといいます。AHI の研修によ って、その壁が取り払われたこと、一体感がもてたことを評価していました。 エミーさんは2010年にもタイの AHI の現場研修にも参加し、その時の学 びを応用して村人による保険組合を強化しました。 また、今回9月4日から10月10日まで AHI の NGO ワーカーの研修に参 加しました、そこでは、保険組合の会長で住民リーダー、村長のガイさんをつれ て参加しました。アジア7か国14名の異なる文化の研修生たちと学びあい、さ らに住民が主体となって権利としての健康を手にするアプローチを学び、帰国 後応用しようとしています。 AHI はキリスト教基盤の NGO ですが、なぜ、ARMM に関わっているのでし ょうか。 それはフィリピンで最も周縁化されている地域で生きるムスリムがゆえに差 別され迫害されてきた歴史があるからです。 沖縄の人々や北海道のアイヌの 人々に似た立場にあります。その人々が大切にされる社会にしてほしいと思い ます。 また、保健医療行政のグッドガバナンスにより平和づくりにつなげたい。他の NGO どころか、他の現地の行政機関が入らない地域で離島の離島で敵、味方関 係なく人々の健康を進めることが平和を推進することになると思います。 キリスト者としてムスリムとの相互理解と和解の働き、キリスト者だからで きる,やらねばならないことだと思います。なぜなら、Allahというとイス ラム教の神様の名前と思われがちですが、そうではなく、アラビア語で神様をさ すことばです。アラビア語を話すクリスチャンの間では神様のことをAlla hというのです。私たちは同じ神様を拝んでいるからです。 聖書は語ります。 「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、 すべての部分が共に喜ぶのです。 あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。」 掲載元:中部学院大学・中部学院大学短期大学部_チャペルアワー