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私たちは裁判員制度の廃止を求めます。
私たちは裁判員制度の廃止を求めます。 2012 年 5 月 8 日 北海道裁判員制度を考える会 代表 蝦名由紀子 私たち北海道裁判員制度を考える会は、2007年6月、裁判員制度が実施されること になったことに対し、「市民参加」による司法の民主化というような聞こえのよい言葉もあ りました。 そこで、私たち、北海道裁判員制度を考える会は、この制度は、本当に良い制度なのか どうかを考えることを目的に結成されました。 私たちは、この間、裁判員制度には多くの問題点があることを学び、そのため、2009 年 5 月の裁判員制度の実施にあたって、私たちは裁判員制度の実施の凍結を訴えました。 そして、裁判員制度が実施されて3年がたちましたが、実際に運用されている裁判員裁 判は、私たちが危惧したとおりの内容、いや、当初私たちも予想しなかったような不備ま で明らかになる結果を示しています。 そこで、私たちは、今回、裁判員制度の廃止を訴えます。 1 市民参加とは これまでに2万5425人が裁判員(補充裁判員を含む、最高裁「裁判員裁判の実 施状況について(「裁判員裁判の実施状況について(制度施行~平成24年1月末・速 報)」、最高裁ホームページ掲載、但し、当時、裁判員裁判進行中のものを含む)にな り、判決を下したと言われています。 裁判員制度では、有権者の中から無作為抽出で選ばれた 6 名の裁判員が職業裁判官 とともに刑事裁判を行う制度ですが、刑事裁判に「市民感覚」を反映させるというも のでした。 特に、裁判員制度を推進する弁護士や学者からは、これまでの職業裁判官ではダメ だ、冤罪防止のためには、例え裁判員制度が不十分であったとしても、これを進めて いくべきだという意見がありました。 「市民参加」という言葉の中に、ある種の期待が込められていたのだと思います。 -1- 私たちも、現行制度に問題がないとは全く思っていませんが、その改善に裁判員制 度は資するとは思えません。むしろ、後述するように問題点ばかりが出てきます。 裁判員の参加について、司法の民主化という言葉が用いられることもありました。 ところが、この参加というものが実は問題です。 参加と言いながら、これは法律上は義務であり、正当な理由なく出頭を拒否すれば 科料の制裁が科せられることになっています。決して、参加が国民の権利ではありま せんし、しかも、選出方法は、無作為抽出によるもので、選ばれた裁判員は、とても 国民の代表とはいえません。 実際には、後述するように、多くの辞退者を出す中で、どちらかといえば、裁判員 をやりたいという人だけで実施されています。 2 国民の思想・良心の自由を侵害していること 人を裁きたくない、死刑判決に関わりたくない、という思いは、憲法19条の思想 良心の自由によって保障されています。 実際には多くの国民は、8割がやりたくない、できればやりたくないという回答を していますが、裁判員制度が始まっても、このやりたくないという国民は減っていま せん。 次の表は、最高裁が行った意識調査の結果です(各年度ごとの「裁判員制度の運用 に関する意識調査」最高裁ホームページに掲載)。 実施日 参 加 したい・ あまり参 加 したくない・ 参 加 してもよい 義 務 でも参 加 したくない 2012.1 14.5% 83.4% 2011.1 15.0% 84.0% 2010.1 18.5% 80.2% そのため、自らの思想良心の自由に基づいて出頭を拒否している方はよいとしても、 義務だから仕方なく出頭させられている方は決して少なくないと思われ、その結果、 精神的にも重大な重荷を背負わされていることになり、非常に問題です。 他方で、実際に参加した裁判員の感想の中では、「とても良い経験をした。」という -2- ものが非常に多くあります。 そのため裁判員制度が国民に受け入れられているのではないかという意見、さらに は、裁判員の経験を広報すべきだという意見があります。 しかし、この「とても良い経験をした。」という感想は、実は非常に問題があります。 裁判員裁判といえども刑事裁判です。刑事裁判は、被告人の有罪・無罪を決める、 有罪であれば量刑を決める手続きですが、その手続きに関与し、被告人を裁いたこと が何故に「良い経験」になるのでしょうか。これでは被告人や裁判そのものが社会的 経験を得るための単なる素材におとしめられます。 刑事手続きは、適正であることが一番、重要ですが、そこに関わっている裁判員が 「良い経験」などという感想を述べている実態を聞けば、到底、納得しうるものでは ありません。 3 裁判員に偏りが出ていること (1) 裁判員候補者の出頭義務は、科料の制裁が科せられていないため、事実上、やり たくない人は行かず、出頭しない国民が多数となります。 マスコミ報道では出頭率は9割であるかのように言われていますが、実際には1 00人に呼出状を送付するための抽出をしていも、事前の辞退や個別の辞退などで、 実際に裁判所に出頭しているのは、30~40人程度と言われています。多くの国 民は何らかの理由をつけて出頭していないのです。従って、マスコミの報道の仕方 は非常に問題があります。3割から4割の出頭率と報道しなければならないのです。 (2) さて、このように多くの国民が辞退する中で、残った人が裁判員になることにな ります。辞退が多くなるにつれて、選任される裁判員は、裁判員をやりたいという 人の割合が大きくなってきます。 裁判員をやりたい人がやる、本当にこれで良いのでしょうか。 死刑を科すことが可能な場合、死刑判決に関わりたくない国民が裁判員になるこ とを辞退(拒否)した場合、より積極的な死刑論者が多くなってしまいます。その ような裁判が公正といえるでしょうか。 私たちは、いつ被告人の立場になるかわかりません。犯罪を犯したから被告人と して裁かれるのではありません。容疑を掛けられれば誰でも被告人になる可能性が あります。 -3- 刑事裁判は、公正な手続きこそが重要です。裁判員制度には問題があります。 4 複雑な事件の増加 最高裁は、裁判員制度が実施される前は、3日や5日で終わる(5日を超えるのは 1割程度)と言っていました。 しかし、最近では長期の裁判が増えています。2012年4月に判決のあった「1 00日裁判」もありました。 そこでは、審理日数も長くなり、しかも、裁判員は、1日中、審理を見たり、聞い たりしています。 本当に見たり聞いたりするだけで理解できるのでしょうか。 私たちは、そのような自信はありません。与えられる情報は、膨大なものになりま す。それをすべて短期間で理解することは不可能です。 従って、裁判官の誘導になるのか、単なる感覚だけで判断することになるのか、い ずれにしても、十分な審理とはいえません。 刑事裁判を最初から、この日程で行うと決めてしまうこともおかしな話です。被告 人の公正な裁判を受ける権利は無視され、すべては裁判員の都合を優先しているとい わざるを得ません。 5 控訴審の問題 控訴審のあり方について、最高裁判決が出ました。 覚醒剤密輸事件で、一審が無罪、二審が有罪、最高裁が破棄し、無罪としました。 しかし、その無罪とした理由は、裁判員裁判だから判決の理由が不合理とまではいえ ない限り、破棄は許されないとするものです。 この事件では結論が無罪だから被告人の人権は侵害されずに済みます。 しかし、逆だったらどうでしょうか。裁判員裁判が有罪としても、理由が不合理と まではいえないという理由で有罪とされてしまっては問題です。 量刑も同じです。 裁判員の下した判断だからという理由で量刑が重すぎるという被告人の訴えを退け ています。こうなると、当たる裁判員によって量刑が違っても良いということになり ます。 -4- もちろん、高等裁判所においてそれを是正すれば、裁判員裁判の意義がなくなりま す。 しかしだからといって量刑がバラバラでよいというのは問題です。 死刑か無期懲役か、当たる裁判員によって量刑が異なって良いのでしょうか。 死刑か無期懲役かは特別な選択であったとしても、それ以外の有期刑の量刑がバラ バラでよいというのは、やはり問題です。 職業裁判官の場合には、可能な限り、バラバラをなくすということが当然の前提で した。 裁判員裁判では、それを正面から良い、と言ってしまっているのです。 被告人の立場からみれば、非常に問題です。 しかも、それを「市民」の判断ということで正当化して欲しくはありません。私た ちの意見ではなく、単純に選ばれた裁判員たちの意見に過ぎないからです。 6 守秘義務の問題点 裁判員裁判では、評議で見たり聞いたりしたことを、他にしゃべってはいけないと いうことになっていて、これに違反すると最高で6月以下の懲役となります。 非常に重い罰則です。 戦前の軍隊ならいざ知らず、戦後、民主主義と言われた時代において、義務として 出頭を命じているにも関わらず、そこで見たり聞いたりしたことを人に話してはいけ ないということは、いまだかつてないことです。 (検察審査会はありましたが、事実上、義務的な出頭を強制していません。) 裁判員制度が司法の民主化ということが言われることがありますが、民主化といえ るための原則として、公開の原則があります。守秘義務はこれに真っ向から反します。 これでは「市民参加」を通じた市民的議論による制度自体の改善なども全く望めな いことです。 この意味でも裁判員裁判は、民主的な手続きとはいえないのです。 7 裁判員の個人情報 裁判員は、どこの誰だか特定されることがありません。守秘義務とともに秘匿され ています。判決書にすら名前を列挙することはありません。 -5- この問題は、やはり裁判員制度が司法の民主化とは、全く無縁であることを示して います。 本来、民主化というのであれば、責任の所在を明確にするために、氏名は明らかに されます。どこの誰が判決に関与したのか、わからないような手続きに正当性がある とは思われません。 8 膨大なコスト、追いつかない事務処理 裁判員制度を維持するために、膨大なコストがかかっています。 実施にあたっての広告宣伝費、裁判所の法廷の改装費、それから準備のための目に 見えない人件費などです。 広告宣伝費では、実施直前のテレビCMだけで4億3000万円も使われ、法廷の 改装費にも200億円が使われたと言われています。 裁判員制度が始まると、今度は、裁判員候補者、裁判員への旅費・日当が必要とな りますが、年間40億円以上の税金が注ぎ込まれています。 負担は、これだけでなく、目に見えない、見えにくいものが多数、あります。 中小零細企業は、ギリギリの人材でやりくりをしているのが通常です。裁判員裁判 のための休暇を与えるだけの余裕はありません。この底なしの不況下では、それに拍 車がかかっています。 従業員が、自主的に裁判員となることを辞退してくれればよいですが、辞退しない 場合には、中小零細企業がすべての負担を強いられます。 それ以外にも、検察庁は、裁判員裁判の準備のため、通常の2~3倍の時間がかか ります。同じ給料で、1人の検察官が、これまで2件から3件処理できていたものが、 1件しか処理できないといことです。 弁護人も同じであり、その分、弁護人に払われる国選弁護報酬は、上積みになりま す。 これだけ、膨大なコストを掛けるだけの価値は、裁判員制度にはありません。 9 わかりやすい裁判とは? 「わかりやすい裁判」というものを今一度、考えてみる必要があります。 刑事裁判では、検察官、弁護人がそれぞれの主張を行い、「疑わしきは罰せず」とい -6- う大原則に基づいて、どちらに理があるのかを判断します。 決して、分かりやすさではありません。分かりやすいか否かではなく、理解できな いなら理解できるまで審理を行うべきなのです。 裁判の公開が憲法で定められたのは、国民に対して、刑事裁判のワイドショーを見 せるためではありません。 司法権の行使、裁判官の訴訟指揮に問題がないのかどうかを監視することが目的で す。 松川事件は、歴史的な教訓です。国鉄労働組合を弾圧することを目的に、でっち上 げた謀略事件ですが、裁判所は、それに加担し、一審、二審と死刑判決を下しました。 世論の広範な批判活動のもと、最高裁は、死刑判決を破棄し、審理のやり直しを命じ ました。 裁判の公開は、権力への監視のためです。 その意味では、公判前整理手続きを非公開にしているのは非常に問題です。 ワイドショー部分を公開すればよいというものではありません。誰を証人とするの かの採否を密室で決めるというのは非常に問題です。 私たち国民がわかりやすい裁判を求めているというのは、根拠のないことであり、 大手マスコミが、騒いでいるだけです。 10 司法権の行使の正当化のために、私たち国民を動員するのは、やめるべきです。 -7-