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PDF/1.64MB - 学校法人 東京聖徳学園
なんご 初めに喃語ありき 読み終わった時に世界が違って見えること・・・これ は読書の楽しみのひとつであり、名作と言われる多くの 物語が共有している力である。 20世紀イギリス児童文学の傑作『メアリー・ポピン ズ』の中に、読むたびにこの力を再確認させられる小編 「ジョンとバーバラの物語」がある。 ジョンとバーバラは、生後1年未満で最初の歯が生え かける頃の双子の乳児である。この時期の幼子が、おは なしの主人公として登場することは普通は考えられな い。何故なら、彼らはまだ言葉を持たず、彼らの発する 「喃語」と呼ばれる音声は意味を成さないものとされて いるからである。 しかし、ファンタジー作家トラバースは、この小さな 2人を誰よりも饒舌な主人公として登場させる。ジョン とバーバラのおしゃべりが示していることは、(1)2人 は周囲の人々の言葉を全て理解しているが、2人の「こ とば」は誰からも理解されていない(2)2人が何の支 障もなく自由に会話を楽しめる相手は、人間以外の被創 造物である、という 2 点である。 子供部屋に射し込む太陽光線や、窓の外で鳴いている 椋鳥とのやりとりを楽しんでいた2人は、やがて不思議 な乳母メアリー・ポピンズによって、一つの厳しい現実 を知らされることになる。それは、2人が持っているこ の能力は、1歳の誕生日ごろには失われてしまい、その 記憶も残らないという宣告であった。そしてそれは、全 ての人間に起こることであり、例外は誰一人いないのだ という。事実、「自分たちは絶対に忘れない」と言い張 っていたジョンとバーバラは、初めての誕生日が過ぎた ころ、久しぶりに訪ねてきた旧友の椋鳥の呼びかけに全 く反応しない、普通の人間の子供になっている。楽しい おしゃべりの時間が二度と戻らないことを知った椋鳥 が、思わず涙をこぼし、それをごまかすために強がりの 言葉と共に飛び立っていく場面で、この物語は終わりを むく どり 母を求める子どもの視線 −『ディヴィッド・カパ−フィ−ルド』− チャ−ルズ・ディケンズ(1812−70) は、「子ども」 に「市民権」を与えた最初の作家で、その典型が、自身 の「生い立ち」を語る『ディヴィッド・カパ−フィ−ル ド』(1849−50)である。波乱に満ちた人生を予感する のか、ディヴィッドがこの世に生まれ、その最初の記憶 をこう記す。「夕刻の風が、庭の片隅に聳えるニレの老 木の間を縫って、ざわざわと騒ぎ立てると、母さんは思 わずそちらに目を向けた。ニレの木同士が、ひそひそ話 をしている巨人のようで、弓なりになって静止したと思 ったら、その噂話が余りに酷いもので、このままのんび りできない、と言わんばかりにあわて、気でも狂ったよ うに枝を揺さぶり、梢の古いミヤマガラスの巣が、シケ に揉まれる難破船のようにいたぶられていた」。 1 英米文化学科 准教授 中村 七重 つげる。 この小さな物語の中で、メアリー・ポピンズは何ひと つ「魔法」――舗道に描かれたチョークの絵の中に飛び 込んだり、空っぽのトランクの中から次々に品物を取り 出したり――は、行わない。代わりにしてみせたことは、 喃語の秘密をこっそり読者に知らせることであった。そ してそれは、喃語について既に知られている事実と奇妙 に一致しているために、「もしかしたら、本当のことな のかもしれない」と思わせる解釈であった。すなわち、 喃語の中には世界中の言語に対応できる音が含まれてい て、乳児は周囲の音をまねているのではなく、自発的に おしゃべりをしているという事実である。 大人の使用しない豊かな種類の音声を駆使して、意味 不明のおしゃべりをする時期の乳児のことを、『ピータ ー・パン』の作者バリは、「人間は全て初めは鳥だった ので、鳥の言葉を話しているのだ」と述べた。しかし、 トラバースは彼らの言葉が通じる対象を、自然界の全て に拡大してみせたのである。ジョンとバーバラの最初の 話し相手は、日の光であった。光が天地創造の時の最初 の被創造物であったことを思い出す。人間も自然界も等 しく同じ神の創造物なのだから、本来は自由に意志の疎 通ができていたはずで、その能力が、誕生後のわずかな 期間に限定して、全ての人間に残っていると考えたので ある。これは、生後一年未満の乳児はまだ人間界に完全 には属していないとする、文化人類学上の考え方とも一 致していて、大人が時に感じる幼児の神秘に対しての説 明にもなる考え方である。 幼児の神秘と喃語の不思議を、詩的な直感で解明して みせたこの物語を読んだ人は、一人で機嫌良く喃語のお しゃべりをしている赤ちゃんが、今までとは違って見え てくるはずである。鋭い観察眼と良質なユーモアを楽し むうちに、読者はメアリー・ポピンズのしかけた魔法に かけられてしまうのであろう。 英米文化学科 客員教授 藤井 繁 すでに父親はなく、残された母親は、忠実な召使ペゴ ティに支えられて生きる母子家庭である。茫漠とした幼 児期を振り返ると、まず目に浮かぶのは、「きれいな髪 の若々しい母親の容姿と、目が黒く、頬も腕も真っ赤で、 小鳥だってリンゴと間違えてつ突くんじゃないか、と思 えるペゴティであった。ぼくはと言えば、この2人の間 を、床を這い回り、よちよちと行き来していたのだ」と、 幼児のころをぼんやりと思い描く。 上等の客間が、どことなく陰気なのは、「はっきりは 分からないが、ずっと昔だったことは確かだ−−ぼくの 父さんの葬式のこととか、喪服を着て集まったお客さん のこととかを話してくれたからだ。ある日曜日の夜のこ と、ぼくとペゴティに、ラザロがどのようにして死者の 児童研だより No.32 間から蘇ったかを、母さんが聖書を読んで聞かせてくれ た。その晩、ぼくは手がつけられないほど怯え、仕方な く2人はぼくをベッドから起こし、寝室の窓越しに、月 の光に照らされて死者たちが静かに眠る、森閑とした教 会墓地を見せ、なだめなくてはならなかった。ぼくは、 教会墓地の草ほど、青々とした草を見たことはない。そ この木々ほど、深々とした木陰を見たことはない。また、 そこの墓石ほど、静まり返った所を見たことはない」と 付け加える。墓地の追憶もまた、幼児には神聖な安らぎ の故郷である。 庭の呼び鈴が鳴った。「玄関に飛んで行くと、そこに は、いつになくきれいな母さんが立っていた。先週の日 曜日に、教会から一緒に帰って来た、見事な黒髪に頬ひ げを生やした男の人が側に立っている。戸口で母さんが 屈み込んでぼくを抱き締め、キスをしたら、その男の人 は、君主さまより、遥かに恵まれた坊やだね、と言った。 男の人は、ぼくの頭を撫でてはくれたが、ぼくはこの人 「おかたづけ」考(1) 幼稚園では、「おかたづけ」活動はとても重要な教育 活動だとされている。しかし、必ずしもその意義が深め られてはいない。筆者はこれまで、現場で「おかたづけ」 について次のように指導してきた。 幼稚園の教育活動の一日の展開は園によって様々であ る。ただ小学校の時間のように活動時間が設定されてい ない。筆者は、このことはとても大切なことであると思 っている。どんなに、活動時間が決まっていても、その 活動に集中したり、おもしろがったりしなければ、決め られた時間でも途中であきてしまうことも多い。そのた め外側からの強制力で集中させるというやり方もあるだ ろう。しかし、幼児というものは一度、興味が見つかり 集中すると、あっという間に時間が過ぎてしまう。だか ら遊びを大切にする園では厳格に始まり、終りの時間を 決めない。そのかわり、幼児たちが集中する活動を見つ けられるように環境設定と援助を保育者の責任において 配慮しなければならない。いいかえれば、幼児の内的時 間を保育者は豊かにする力量が問われているのである。 「おかたづけ」は、保育者が仕掛ける働きかけであっ たとしても、それによって幼児の遊びの活動の自然な区 切りを示す活動になる可能性が大きい。幼児たちの遊び の姿から幼児たちの遊び活動の区切りを保育者が読みと って(診断して) 、 「みなさん、おかたづけにしましょう」 と「おかたづけ」を指示し、次の活動へと促すのである。 その場合、筆者は、原則的に、生活の流れは、室内遊び から外遊びへという流れを想定することが望ましいと思 っている。この理由は、幼児の立場からいえば、1つに 幼小関連からいって、午前は教室で午後校庭でという小 学校の教育活動の流れに沿っていること、もう1つは、 室内遊びの方が個々人中心の活動(作る活動)中心に展 開され、そこから集団の遊びへと展開していること、外 遊びは集団による運動中心になりがちであるのに対し、 室内の場合、落ち着いた形でモノと人と空間の結びつき というよりは、低音の太い声が好きにはなれなかった。 それに、ぼくの手にそっと触れようとした母さんの手を、 この男が触ろうとしているのに−−いや、実際に触った んだ−−ぼくは嫉妬していたのだ。だから、必死になっ て、その手を払い退けた」。この幼児の嫌悪は、生涯、 この男と和解することはなかった。 母親は、この男マ−ドストンと結婚。彼女の家も屋敷 も、彼女の全てを支配する。結局、ディヴィッドは、義 父の冷酷な仕打ちに、追われるようにわが家と母を後に する。ペゴティも後を追う。「今思い出してもうれしい のは、荷馬車が動き出したとき、母さんが駆け出して来 て、馬車を引き止め、最後のキスをしてくれたこと。そ して今、しみじみと思いを巡らして、うれしさを噛み締 めるのは、母さんが自分の顔を上げると、ぼくの顔を引 き寄せてキスをしてくれた、あのときの一途な愛情なの だ」、と涙ながらに幼年時代を回想する。 児童学科 教授 小川 博久 の中で、考えたり、役割を演じたりして活動が展開され る可能性が高いことなどの理由から、保育者が活動の持 続性やそのもり上りや停滞などの姿を俯瞰し、診断しや すいことがあげられる。それゆえ、保育者にとっては、 教室空間内で遊びの方が、子ども全員の活動へのパース ペクテイブ(俯瞰すること)がとりやすいこと、活動の 場が限定されているので個々の動きが把握しやすいこと などがあげられる。 そこで、幼児たちが室内で遊ぶという形をとっている 園での実践を念頭におきながら「おかたづけ」の意義を 考えてみよう。筆者がよく指導している園では、幼児た ちは、コーナーを作って遊んでいる。製作コーナーは、 保育者が座って制作している周囲に幼児たちが教具や素 材棚から材料や道具を取り出し、様々なものを作ってい る。ままごとコーナーでも、比較的人間関係の深い子ど もたちが集まり、ままごと道具を出して、料理作りをし たり、ままごとに必要な材料を求めて、製作コーナーで 自分のコーナーにもどる姿もある。積木のコーナーは壁 の積木をくずし、自分たちの基地づくりをはじめ、製作 コーナーで剣をつくったり、小道具を整えたりして戦い ごっこをはじめている。その他、ジュータンの上でブロ ックづくりを始めている子どもたちもいる。こうした 様々の遊びの群がコーナーを中心に遊びを展開しはじ め、よく遊ぶ場合は、1時間位は続く、幼児が「ノッ」 ている場合は、1時間半まで持続する。この間幼児たち は、姿勢を内向きで、座って活動する幼児が多い。しか し、1時間位遊ぶ幼児の場合1時間前後から、コーナー 内の幼児たちを包んでいた共通の世界を感じさせる雰囲 気が少し変化してくるのが感じられる。この時こそ「お かたづけ」のタイミングである。 2 「あしたの国」がめざすもの 介護福祉学科 講師 檜垣 昌也 ∼シュタイナー教育から福祉・農業そして生活空間へ∼ 今年の3月、千葉県の長南町にある、NPO法人あした の国まちづくりの会を訪ねてきました。 ご存知の方も多いと思いますが、「あしたの国」とは、 千葉県長南町の21万坪の土地に、学校づくりを出発点 として福祉、農業、作業所、建築、医学、薬学などさま ざまな分野が集まるあたらしいまちづくりの計画です。 このまちづくりの根底にはルドルフ・シュタイナーの 理念・人智学に基づいた人間観「人間的であること、自 由であること」があります。 現在、NPO法人運営によるこども園、小学部が開設 されていますが、学校法人化を目指した運営をされてい ます。 ルドルフ・シュタイナーの人智学やシュタイナー教育 については、多数書籍が刊行されており、教員養成の教 科書にも紹介されておりますので、いまさらここで紹介 する必要もないと思われますが、『ミュンヘンの小学生』 で子安美知子さんが日本で紹介された“シュタイナー学 校”は世界で1000校に達しており、日本でも神奈川県 に構造改革特区での認可を受けたシュタイナー学園があ ります。 今回訪問した「あしたの国」のこども園は、日本の保 育士の資格、シュタイナー学校教員の資格を併せもつ教 員があたっており、3年前にひとりの先生、ひとりのこ どもからはじまりました。現在のこども園は20名に近 いこどもたちが学ぶ場へと、広がってきているようです。 ここで学ぶこども達は長南町周辺のこどもたちというわ けではなく、全国各地から集まってきています。半数以 上のこども達が家族ぐるみで、近隣の茂原市などに転入 してきているとのことです。これには、シュタイナー教 育にたいする親御たちの“フロンティア精神”が見えま すし、子安さんによれば「親御さんたちの“腹の座り方” というか、この土地でゼロからはじめていくという魅力 を感じている」とのことでした。 シュタイナー教育の特徴のひとつに、12年間の一貫 教育(8年生までは、ひとりの担任による持ち上がりな ども特徴)があります。私が、関心をもったのは、この 教育が不登校児童・生徒の選択肢になりえるかというこ とです。この問いに対し、子安さんは、シュタイナー教 育の本国ドイツでの話(東ドイツや旧ソ連から亡命した 家族のこども受け入れの例)やご自身の娘さんの話 (『ミュンヘンの小学生』に詳しい)をされ、教育の方法 論が重視されるのではなく“人間として根源のところで 受け入れて育ててあげるのだ”という理念が優先される 娘の自主性を育てる その16−幼稚園期のフランス語環境 日仏語バイリンガーに たまたまのフランス語圏滞在なのだからまともなフラ ンス語を学んで欲しいと娘に願った。外国語習得に熱心 3 ということを強調されました。 「あしたの国」のまちづくりは、教育からはじまり、 福祉、農業、さまざまな職業活動などを含めた文字通り のまちづくりです。<ひきこもり>状態にある青年や、 様々なきっかけから現代社会で生きづらさを感じる人た ちの生活環境づくりにも寄与できるのではないかと感じ ています。福祉担当の神山さんは、次の展開はまさに福 祉分野であり、障害者の作業所をはじめとしたケアの場 の必要性を語られました。 「あしたの国」のまちづくりが、シュタイナー教育や シュタイナーの人間学に深い理解をした人だけの閉鎖的 な空間ではなく、さまざまな立場の人々と交流しつつ、 発展していくことがこのプロジェクトの成功につながる のではと思います。 今回の訪問に当たって、「あしたの国」まちづくりの 会の代表の子安美知子さん、長南事務所事務局の渡邊恵 さん、福祉担当の神山祥子さん、建設プロジェクトリー ダーの植竹英雄さんにはご多忙中にも関わらず、時間を 作っていただきありがたく思っています。また、聖徳大 学の卒業生であり、こども園で保育士をされている吉野 尚美さんには、今後のご活躍を期待しています。 ※21万坪の広大な土地にまちづくりの計画が進んでい ます。 「あしたの国」まちづくりの会の活動については以下の ページに詳しくでています。 http://www.ashitanokuni.jp/ 外国語学科 教授 津田 満璃 ではあっても外国に行くことも外人と接触することもほ ぼなかった両親に事態がよく分かっていなかったのは当 然のことだった。外国語習得は何といっても大変なのだ 児童研だより No.32 から、せっかくの機会を生かすべしという単純な発想だ った。フランス語は階級差の激しい言葉だということも 知らなかった。フランス語を話す人たちはどんな人たち なのか文化的な理解も日本の常識範囲を超えていなかっ た。言葉は文化だと頭で分かっていても、フランス文化 が娘の人格形成にどのような影響を及ぼすのかよく理解 できていなかった。フランス語の分からない外人である 両親は相手のフランス語がどういうフランス語なのかさ え長い間よく分からなかった。それで、ともかくまとも な大人や子供たちのいるらしい環境の園や学校に通わせ た。 保育所から幼稚園へ ブルュッセルでは保育所から幼稚園に上がるには、2 歳半になりおむつが取れていることが条件だ。親の都合 から言えば、どちらに通わせても預けられる時間帯に違 いはない。保育所は保護者の収入により保育料が掛かる が、幼稚園は普通小学校と同じ校舎内にあり通園料は無 料だ。最長で朝の7時半から夕方の7時まで預かっても らえたと思う。ただし幼稚園教諭の担当は朝の9時から 12時と午後の2時から4時まで、それ以外は給食担当者 や安全管理者の担当だ。それは小学校でもほぼ同じだ。 幼稚園と小学校は校長先生も同じだ。保育所は年中平日 は休み無しで一日中同じクラスであるが、幼稚園は小さ な学校とも言われ、小学校につながる基礎教育機関だ。 授業時間以外にはクラスの先生は幼稚園にはいない。後 はどのクラスの幼児も一緒に安全を確保された中で遊び ながら保護者の迎えを待つ。 保育所から幼稚園に上がる具体的な時期は幼児の発達 状態や保護者や幼稚園等の判断で決まる。子供の発達速 度は各児違うので、年齢だけでなく各幼児の発達状態も 考慮される。それは幼稚園から小学校に上がるときも同 じだ。教育者も保護者も標準年齢で就学することを目標 にするよりも、子供の発達にあった保育施設や教育施設 に通わせることが大切と考えている。 娘は2才8ヶ月で新年度の9月から近くの公立幼稚園 に通い始めた。公立保育所で一緒だった子供たちも多く 同じ園に上がった。小学校に上がるまで保育所に通う日 本とは違い、無料の幼稚園が学童保育も兼ねるので、基 本的には2歳半からは保育所ではなく幼稚園に通うこと 閉塞感 子供の行動は、大人から見ると随分と不可解なことが 多い。理解しようと思ったら、表に現れた行動から、内 面の心理を感知することだ。感知することは難しいが、 子供が大人に理解してほしいと真に望んでいることだか ら軽視してはいけない。そこで、無意識の発見者である フロイトやユングの「心の理論」を学んで役立てること を薦めたい。勿論身体や環境の影響も忘れてはいけない。 今年の3月、あまりにも悲しい、あまりにも恐ろしい少 年事件が連続して発生した。小6男子の飛び降り自殺 (2008.3.25、東京都板橋区)、18歳少年の無差別 になる。幼稚園は義務教育ではないが、ほとんどの幼児 が通っている。ただし、親の都合などにより園に手紙を 出してときどき休ませることもある。 又、子供たちの両親のほとんどが働いているので、普 段の課外時間保育だけでなく、夏休みなどの長い休みに も区の子供たちを公園のような課外施設に集めて児童バ カンス村が開かれる。 幼稚園の友達 保育所に続いて幼稚園でも滞在時間が長く、幼稚園に なるとずっと言葉も増え、友人関係が活発になってくる。 園で課外時間も一緒に遊び、週末の誕生会やおやつの会 への招待も増えてくる。なにしろ15人ほどのクラスの ほとんどから家に呼ばれるので、呼び返すことになる。 そのうちの特に仲の良い友人の家には泊まりに行ったり 来たりする。なにしろ8才までは一人で外出させない国 では自分たちでは移動できないので、いちいち親が送り 迎えをし、親までついでに上がり込んで話し込むことも ある。このように外の時間的に長い生活がすべてフラン ス語で行われると頭の中が自動的にフランス語で発達す るようだった。なかでも双子のフィリップとクレールと 仲良しでよく家族ぐるみで付き合った。幼稚園になると 言葉の発達がいちじるしく、言葉の正しい発達は親の責 任だと思ったが、日本語はともかく本人が正しいフラン ス語を話しているのかどうか判断できないのが気掛かり だった。それで、近所の小学生の子供が二人いて小学校 の先生をしている小母さん家族に訳を話して放課後や休 日に付き合ってもらったりもした。 フランス語は笑顔の社交スキルとともに このように子供たちは小さいうちから親と離れて子供 たち同士で過ごしたり、両親以外の大人たちと接触した りする時間が多い。したがって社会性を身につける機会 も多い。いつも大事なことはその場の責任者の立場を尊 重し言うことを聞き、仲間と機嫌よく仲良く遊ぶことだ。 家庭からも集団社会からも笑顔と礼儀を忘れず、正しい 言葉遣いをすることが求められ、また躾けられる。娘も そうやってその社会の文化のなかでフランス語を身につ けていったのだった。 社会福祉学科 教授 市川 隆一郎 殺人(2008.3.25、岡山市岡山駅)事件である。 前者は卒業式を終えた直後、後者は卒業後進学を断念し 就職先を探していた矢先に事件を起こしている。直前に は茨城県で、24歳青年が無差別に8人を殺傷するとい う事件があったばかりである。凶悪事件の連鎖が心配さ れる状況の中で事件は起きた。これらの事件は、少年が 精神に異常をきたしていたために起きたのだろうか。そ れとも、大人の対応が間違っていたからだろうか。子供 の心を知るためには、子供の心を注視する以上に環境の 影響を忘れてはならない。私が思うに、日本の社会、大 4 人たちの心が子供の精神と身体、その子供を取り巻く人 間関係を中心とした環境に向けられていないために引き 起こされた不幸ではなかろうかと考えている。子供らは きっと、不満や不安をたくさん抱えて苦悩していたに違 いない。深刻な外傷体験を持っていたかもしれない。そ して、何らかの苦悩のサインを発していただろう。苦悩 のサインを見抜けないのは、この国の騒然とした病理的 世情が教師や親の心を曇らせていたためであろうと思え てならない。 最近の日本の社会風潮は、子供や妊産婦、高齢者、障 害者、経済的に逼迫した人々に冷淡である。とりわけ、 おとなしい目立たない子供や病弱高齢者に対して思いや りを欠き、冷酷なぐらい対応に不熱心である。いじめ、 児童虐待は憎悪の一途をたどり、介護疲れからくる高齢 者虐待・無理心中報道の絶える日とてない。 概しておとなしく目立たない性格の子供は、不満を起 こした対象に適度な攻撃―暴力をふるう、八つ当たりす るーを加えるか、嫌な出来事を忘れてしまうのが下手で ある。かえって、己に非を認め己を攻めたてる。だから、 感情の発散ができないばかりか、自己嫌悪感を強め、こ れがストレスとなって心の深層に不満や敵意を沈殿させ てしまう。しかも、彼らを取り巻く大人の社会には、不 公平、不公正、不正義がまかり通り、国民の怨嗟の声が 溢れている。大人たちは物や金に夢中となり、精神性に 価値をもたないうえに、子供たちに接する余裕がなく、 子供たちの個性に無理解、不満や敵意に無関心、その上 不満解消の仕方も教えない。おとなしい子供たちはます ます孤立感を深め、居場所を失い、己の性格、能力を疑 い自己否定へと向かっていく。そして、鬱的傾向へと突 き進んでいく。こうした心を憎悪させたのは子供たちの 性格や外傷体験ばかりでなく、閉塞感に苦悩する大人た ちにも責めがあることを厳しく問わなくてはなるまい。 モノ、カネに狂奔する社会から脱却し、社会的弱者や子 供を温かな眼差しで見つめる優しい社会の構築に熱中す ることが最良の解決策であろう。 参考文献。河合隼雄著「無意識の構造」(中公新書) オーストラリア・ホワイトホース市の 学童保育(1) オーストラリアの南東部ヴィクトリア州にホワイトホ ース市はあります。メルボルンから東へ15Kmの地点 にある、松戸市の姉妹都市です。学術フロンティア推進 事業「連鎖的参画による子育てのまちづくりに関する開 発的研究」第1グループ第3班(「小学校低学年児童およ び保護者への子ども・子育て支援に関する研究」)に属 して、本学を囲む地域の小学生保護者への子育て支援研 究を行ってきましたが、その一環として姉妹都市ホワイ トホース市(W市)の放課後児童ケアについて調べるた め次の機関と学校を訪問しました。この地区の教育を統 括する東メトロポリタン地区教育事務所、市役所、およ びアントニオパーク小学校(以下A校)、ミッチャム小 学校(M校)、ウィーデンハイツ小学校(W校)、です。 実施時期は平成19年2月12日∼14日。訪問先決定に 際しては松戸市の国際交流担当室のお世話になりまし た。 ホワイトホース市の面積は松戸市と大きくは違わず 64K裃ですが、人口密度は約2,300人/K裃(2006年) 、 一方松戸市は7,744人/K裃と、だいぶ異なり、まちの 景観の違いをもたらしています。しかし産業別就労者比 率をみますと農林水産業は0.6%と松戸市の0.93%よ りやや少なく、第3次産業中心の都市型社会である点は 似ています。年齢別人口を、W市の年齢区分にあわせて 比べると、W市2006年の17歳以下人口は21.1%、松 戸市2008年17歳以下人口は16.1%となっています。 W市は2001年の国勢調査でも21.1%と変わらず、少 子化の進行は止まっているようです。 さて教育改革の波に洗われているのは世界的傾向です が、学校教育の規制緩和、分権制度の影響が大きい国と してG.ウィッティらはオーストラリア、イングランド・ウェ ールズ、ニュージーランド、スウェーデンを挙げ比較研 究を行っています(1)。オーストラリアの中でもヴィクト 5 児童学科 教授 木村 敬子 リア州は各学校に権限を持たせる分権化の先進的な地域 で、1992年末までに全ての学校が学校評議会 (school council)により運営されるようになった、と 記されています(同書p.40)。ヴィクトリア州にあるこ のW市を調べてみる意義があると考えたのはこのことに もよります。日本も教育改革の方向は同じですので、そ のなかで放課後児童のケアがどうなっているのかを確か めたいと考えました。 訪問した3つの小学校ともそれぞれの学校評議会が大 きい力を持っていました。例えばM校では会長以下10 人の評議員とM校校長から成る評議会に、10ほどの小 委員会があり建物、財政、基金募集、制服等々の問題を 扱っていますが、その一つにOut of School Hours Care(放課後等のケア、学童保育)の小委員会があります。 学童保育の内容・方法や人事についても評議会で審議し 決めるわけです。小委員会が手分けして扱っているテー マは、公立学校選択制が徹底しているこの地域において は入学者を確保できる魅力的な学校にするために不可欠 の課題なのでしょう。その一つが学童保育なのです。校 門の近くにある看板にも、ホームページにも我が校では 学童保育をどのように行っているかが書かれ、保護者は それを見て学校を決める一助としているようです。 M校の若い秀才タイプの校長は、学校内を案内して下 さりながら、いかに優れた教育方法をM校では行ってい るか、いかに資金を確保して最新の機器を調達し建物を 改築しているかを私たちに滔々と語り続けました。学童 保育もその流れのなかにあり、校長と指導員が緊密に連 携して魅力ある学童保育作りに心を砕いている様子がわ かりました。この点は他の2校も同じでした。 3校とも放課後ケア施設はThe National Childcare Accreditation Councilの認可を受けて実施していま す。安全マニュアルをはじめ、ケアの方針がきめ細かく 児童研だより No.32 定められており、学童保育の共通カリキュラムとなって います。それに各指導員が独自の工夫をこらして日々の プログラムを作成していました。3校の学童保育は、い ずれも学校内にありますが、建物の様子も部屋の飾りや 雰囲気も異なっています。それは指導員+校長チームの 裁量幅の大きさと個性のなせる業であることを示すもの かも知れません。 (1)G.ウィッティ他著・熊田訳2000年『教育における分 権と選択―学校・国家・市場』学文社 オーストラリア・ホワイトホース市の 学童保育(2) 「オーストラリア・ホワイトホース市の学童保育(1)」 (木村敬子)に続き、ここでは学童保育の実態を中心に 紹介します。ホワイトホース市(W市)では、通常は小 学校の授業開始前(Before School Care:BSC)と 放課後(After School Care:ASC)に、また夏休み 等の長期休暇や授業が行われないCurriculum Daysの 場合も含めて学童保育(Out of School Hours Care:OSHC)が実施されています。 私達は3校の公立小学校(A校、M校、W校)で、学 童保育の指導員と学校長や教員に聞き取り調査をし、学 童保育を視察しました。以下はその主な内容です。 (1)実施内容:3校のBSCおよびASCの実施時間と費 用は、殆ど同じでした。①BSC:実施時間7.00 (7.30)−8.45a.m. 費用$7.00∼$7.50 ②ASC: 時間3.30(3.15)−6.30(6.15)p.m. 費用 $10.00∼$11.00 その他、特別の休みや長期休暇 には8時から6時までプログラムが実施されます。費用 には朝食とおやつ代が含まれており、利用回数や時間、 遠足の場合等に応じて、細かに設定されていました。費 用の最低20%は政府からの援助があり、更に必要に応 じて保育料の免除が受けられるとのことでした。 (2)登録:例えばA校の場合、登録書類に記入して、予 めコーディネイターに子どもが出席する日を知らせてお くか、登録書を提出してあれば、学童保育のオフィスか 留守番電話に出席の日を伝えればよいことになっていま す。子どもの出席状況もまちまちで、登録している子ど もは100人以上いても、フレックスタイムでの勤務が 一般的なので、BSCとASCの両方を利用する子どもは 少なく、常時大体25∼40人の子どもが利用していると のことでした。登録・出席に関しては日本の「放課後子 どもプラン」と似ていますが、キャンセルの場合、決め られた時間から連絡が1分遅れる毎に1ドル支払うとい う厳格な取り決めがありました。 (3)プログラム:朝は読書等の静かなプログラム。放 課後は共通の安全マニュアルやケアの方針に基づいて、 各指導員が独自の工夫をこらしたプログラムを作成して います。例えば、M校では週1回の料理や工作の他にピ アノ、スポーツなど、A校ではビデオゲームや映画、絵 画や制作、スポーツ、料理など、W校も殆ど同じで、私 達が放課後訪問した時は、男の子達がバンド演奏を聴か せてくれました。その他さまざまな行事を指導員が工夫 して行っており、保護者にもその内容を常時知らせてい ます。 (4)朝食とおやつ:朝食はシリアルのような簡単なも の、おやつは果物、野菜、サンドイッチ等 児童学科 教授 小杉 洋子 (5)指導員:校長が任命しますが、資格は特に厳密で はないようでした。A校の場合は小学校教員の資格を取 るために勉強中の大学生、M校も大学で体育を専攻して いる学生、W校は教室のアシスタントを本人の希望で指 導員にしたとのことでした。BSC&ASCの資格は1年、 OSHCは2年でとれます。指導員は通常子ども15人に 1名の割合で、常時2人以上が配置され、この人件費は 学校全体の予算に含まれます。 (6)方針:例えば、A校の保護者に向けたOSHCプロ グラムの方針から概要を紹介します:安全でリラックス した環境で、子ども達が新しい友達を作り、社会的なス キルを身につけられるよう、また自立性を促し、スキル を獲得できるようにさまざまな活動を用意する。活動は 子ども自身が主体的に選択する。リラックスできるよう に、ビデオゲームや映画、絵画や制作、スポーツ、料理 などのプログラムを用意している。 以上紹介してきたW市の学童保育は、私達がこれまで スエーデンを始めとする北欧諸国やオーストリアでみて きた学童保育に比べて、大雑把にいえば、むしろ日本の 学童保育と全児童対象の「放課後子どもプラン」の中間 のような特徴をもっているといえそうです。日本との大 きな違いは、放課後施設の設置は、小学校長とそれぞれ の学校におかれている学校審議会が決めること、親が小 学校を選択する制度であること、従って、どんな教育方 針やカリキュラム、スタッフ、設備等を有しているかと いう、親に訴える条件の一つに放課後施設も重要な役割 を持っているということがあるでしょう。今回訪問した 3校とも、校長や他の教員と放課後施設指導員との連携 は円滑で大変良い関係にあるという印象を受けました。 OSHCの運営や制度はきちんとしていますが、両親がフ レックスタイムでの勤務であるためか、学校側の姿勢や 運営の仕方、指導員や子ども達の様子は穏やかでのんび りとした、余裕のある様子が印象的でした。2008年2 月に、札幌市の放課後子どもプラン推進事業に関連して 視察した、S小のミニ児童館は、統廃合による小学校新 設の際に、予め計画に組み込んで作られたとのことで、 保育園と子育て支援センターも併設された、大変よく考 えられた設計で、活発な活動が行われていました。日本 では、学童保育も放課後子どもプランも共に、施設や設 備、保育の内容、指導員の処遇等々に大きな差がありま す。これからも放課後の子ども達の生活がどのような形 で保障されていくのか、調査を続けていくつもりです。 6 イギリスのチャイルド・マインダー(4) 日本の家庭的保育(保育ママによる保育)は、平成 20年3月に国会に提出された「児童福祉法改正案」に 初めて明記されました。今までも国や自治体の補助事業 として実施されてきたのですが、ここ数年の家庭福祉員 の数は、双方合わせて1,000人程度、利用する乳幼児 の数も、国が想定する年間2,500名には遠く及ばず、 1,700人前後と推定されます。平成19年の保育所数が 2万3千に迫り、保育所利用の3歳未満児数が65万をゆ うに超えていることからすれば、家庭的保育は本当に小 さな存在です。 それに対しイギリスでは2006年12月現在の統計で、 7万を越えるチャイルド・マインダーが32万を超える 子どもをケア(世話)しています。この数字は、日本の ようにほぼ3歳未満児に限定された数ではありません が、利用規模がこれほど大きいのはなぜでしょう。ベテ ラン・ママへの信頼でしょうか。 じつは、マインダーの多くは、あまり長期にわたって この仕事を続けません。自分の手で子育てをしながら収 入を得ることのできるほとんど唯一の職業ということか ら、マインダーになろうという人は少なくないのですが、 家庭外で働くことに比べれば、収入や社会上昇機会など の点で恵まれているとはいえません。子どもが小学校に 入学したら、別の仕事に就くという人がとても多いので す。また、マインダーの登録要件はさして厳しくなくと も、3年ごとの「教育水準局」(国家機関)による査察 や、子ども関連の法改正や基準改訂などに伴って生じる 「新たな要求」に対して負担感を覚える人も多いのです。 おりしも、今年は、「乳幼児期基礎段階基準」(全ての 0−5歳に適用される単一の保育基準)施行の年です。 それに向けて、自治体はマインダー研修を着々と進めて きていますが、このように、大きな改革の予定されてい るときには、新規のマインダー登録数は減少し、離職を 決意する人も眼に見えて増えるといいます。 しかし、自治体の保育行政官は、「数年うちに回復す るだろうから」と少しも悲観していません。また、日本 の待機児童対策のように、保育所定員の増大を図るとい ったふうでもないのです。 その理由は、保育制度の成り立ちと組み立ての違いに あります。 第二次世界大戦後しばらくの間、「ゆりかごから墓場 まで」の手厚い社会保障で知られたイギリスですが、こ と就学前児童(義務教育は満5歳からだが、実質は4歳 小児医療と福祉を考える 小児医療、救急、小児科医不足の問題が連日のように 新聞やテレビで報道されている。その問題の背景を小児 医療の経験者として考えてみたい。 現在、私の住む相模原市を含め多くの都市では小児救 7 保育科 教授 椨 瑞希子 児就学)のケア施策となると、その貧弱さが際立ってい ました。そうした状態は、ほとんど20世紀終わりまで 続きました。そもそも子どものケアは、「衣食住」同様 に私事であり、公の関与することではないというのがイ ギリス人の生活信条であったからです。したがって、日 本の保育所保育のように公的責任において行われるケア は、保護者が働いていて「保育に欠ける」という事態に は適用されませんでした。それは、経済的な困窮や、保 護者の疾病などによって危機的な状況にさらされた少数 の「要保護児童」に対してのみ行われるものでした。自 治体裁量の大きな領域ですから、「要保護児童」の定義 と扱いには大きな地域差がありましたし、今もあります が、この原則は今日まで変わっていません。 イギリスでは、1970年代後半から女性の社会進出が 勢いづくのですが、急増するケア・ニーズに対する保育 拡充政策は取られませんでした。当時は私立の保育施設 はそれほど数がなく、また、補助金が出ないために利用 料が高く、高所得層しか利用できませんでした。不足を 埋めたのが保護者との個別契約に基づいてケアを提供す るチャイルド・マインダーだったのです。 1997年に発足した労働党政権は、ケアと教育を一元 化し、税制その他を通じて保護者の保育料負担軽減の仕 組みを手厚く整備しました。それによって保育料がある 程度高くても子どもを預けて働こうとする保護者が増 え、それが民間の保育事業の展開を活発にしました。多 様な形態のサービスが、保護者の周囲に十分に存在する 状況が作り出されたのです。 同時に、段階的に無償の就学前教育を拡大し、今では 全ての満3、4歳児に一回2.5時間、週5回の無償教育プ ログラムが提供されるようになりました。無償の育児時 間は2010年までに一回3時間計15時間へと延長され る予定です。それでも、その前後の時間帯や、学校の休 暇期間は、お金を払って誰かに委託しなくてはなりませ ん。チャイルド・マインダーなら、そうした変則的なニ ーズにも柔軟に対応できます。 施設が普及してもマインダーの利用が廃れないのは、 おそらく以上のような事情ゆえに、でしょう。でも、そ れだけとは思われません。自分の家にいるような安定感、 子育て家庭のごく日常的な生活体験、家族のように親密 で継続性のある人間関係、少人数の個別対応などが保護 者に高く評価されているからに違いないのです。 児童学科 教授 松浦 信夫 急体制を作り、24時間対応している。しかし、受診す る子どもは重い急患である割合が少ない。数日前から症 状があっても日中は受診せず、深夜になって一寸した症 状でも不安になり、コンビニの様な感覚で受診する。東 児童研だより No.32 京都では石原知事のかけ声でテレビ番組「ER」になら って小児救急医療を始めたが、体制が整っておらず、待 ち時間が長いと小児科医が殴られたとの話しもある。な ぜこんな事が起こるのだろうか。 現在小児医療費は無料になっている。地域によって1 歳、3歳または6歳未満が無料であるところが多い。深 夜受診しても、救急車を呼んでも無料(ただ)である。 昔、小児糖尿病医療の創始者であるLestradet教授をパ リの小児病院に訪ねたことがある。丁度入院してきた糖 尿病昏睡の子どもの医療費の話になった。フランスでは 決して軼ただ”にせず、還付制度を取っているとの話で あった。そして、軼ただ”はヒトを駄目にする(スポイ ルする)と云われたことを思い出す。 総てを軼ただ”にすると、有り難さを感ぜず、当たり 前になり、権利になってしまう。少なくとも夜間救急医 療だけでも還付制度にし、どれだけ多くの医療費と労力 がかかっているか解ってもらいたい。コンビニ受診は小 児科医師達を疲労困憊に追い込み、小児科医を志す医師 は減少し、やがて小児医療の崩壊に繋がっていく。最近、 ある地方で小児科医が疲労困憊し退職する事態が起こっ た。これを知った母親達が「小児科を守る会」を立ち上 げた。子どもの病気を勉強し、不必要な時間外受診を避 けて、小児科医の負担を減らす試みである。このお陰で 医師は退職をとどまった。地域によって電話相談やイン ターネットの子どもの急病サイト等が試みられている が、これらも小児医療を支える一つの試みではある。今 改めて医療費を含めた福祉の意義をもう一度皆で考える 時期に来ているのではないだろうか。 救急車による搬送人員の推移 (前項、総務省消防庁調べ) (万人) 500 400 300 100 成人 600㎎/日 胎児へ150㎎/日 妊婦 授乳婦 900㎎/日 1,100㎎/日 母乳へ230㎎/日 老人 600㎎/日 表―1 カルシウムの一日所要量 (厚生省保健医療局健康増進栄養科、日本人の栄養所要 量より) 中等症 重症・死亡 0 94年 95 96 97 98 99 00 01 02 03 04 05 06 『ミネラル(電解質)について その2 最多の陽イオン・カルシウム』 『ミネラル(電解質)について その2 最多の陽イオ ン・カルシウム』 ご存知のように、カルシウムイオンは、ヒトの体の中 で最多の陽イオンです。大人のカルシウム量は、体重の 2%(例えば、体重50㎏の大人は、1㎏のカルシウムを 有しています)で、その多く(99%)は、骨に含まれ ています。子どもの最も著明な特徴は、成長です。身長 が伸びるのは、骨が伸びるということです。従いまして、 子どものカルシウム一日当たり必要量は、大人に比べて 多くなります。例えば、成長期である乳幼児から学童の カルシウム一日当たり必要量は、体重当たり17∼18m gです。大人のカルシウム一日当たり必要量は、体重当 たり10mgですから、大人の1.7∼1.8倍ということに なります。ただし、大人でも赤ちゃんをお腹に宿してい る妊婦さんの一日当たりのカルシウム必要量が多いこと は、当然のことです。 (表―1) 軽症 200 児童学科 教授 宮川 三平 さて子どもが成長のために、大人より多くのカルシウ ムが必要なことはわかりました。しかしカルシウムが必 要であるからといって、カルシウムだけを子どもに与え るだけではあまり意味がありません。つまりカルシウム イオンの小腸からの吸収と腎臓での再吸収にはビタミン D(肝臓と腎臓で代謝されて活性型となります)という ホルモンが必要です。きのこや卵などに多く含まれてい るビタミンDを摂ることは、子どもの骨発育にとって大 変大切です。従いまして、子どものビタミンDの一日必 要量は、カルシウムと同様に大人に比べて多いわけです。 ちなみに、発育期の子どものビタミンDの一日当たり必 要量は、400国際単位(10μg)です。この量は、大 人の一日当たりのビタミンD必要量:100国際単位 (2.5μg)に比べて約4倍です。 ある小学校での食生活習慣のアンケート調査によりま すと、前日に小魚を食べなかった子どもが全体の約 80%であり、カルシウム摂取不足が推測されました。 また前日にきのこを食べなかった子どもは全体の約 60%でありカルシウム同様ビタミンDの摂取不足も心 配される結果でした。 さてカルシウムイオンは、リンイオンとちょうどシー ソーのような関係にあります。例えばリンの含有量の多 いインスタント食品や加工食品を多く摂取しますと、体 からカルシウムイオンが失われることになります。理想 的なカルシウムとリンの比率は、ほぼ1対1であると言 われています。表―1に示されますように、理想的なカ ルシウムとリンの比率である1対1である食材は、干し のり、さつまいも、ほうれん草などです。カルシウムと リンの比率から見て、牛乳は必ずしも理想的なカルシウ ム補給食品でないことがわかります。 8 食品名 1回の摂取量 カルシウム(㎎) 3 9.1 リン/カルシウム 精白米飯 130 リン(㎎) 39 ソバ 283 31 ジャガイモ 130 71 6 11.8 焼きチクワ 120 132 18 7.3 牛肉 120 4 30.0 豚肉 (g) 152 4 38.0 ビール 89 13 6.8 食パン 35 18 1.9 200 88 64 豆腐 85 120 0.7 牛乳 180 200 0.9 サツマイモ 13.0 1.4 マーガリン 10 1 1 1.0 ホウレンソウ 50 30 28 1.1 2 12 8 1.5 干しのり 表―2 日常食品のリン量及びカルシウムとの比 (小原哲二郎「リン酸のはたらきその重要性」第一出版、1983より) 丈夫で元気な子どもに育つには、十分で(一日の摂取量約1000mg)良質なカルシウム(カルシウム・リン比1: 1)とビタミンDの摂取と戸外(紫外線でビタミンDを活性型にします)遊び(運動負荷は骨代謝を活発にさせます) が大切です。 感染症の予防 保育科 教授 ―どうしたらかからないようにできるのでしょう― 初めに、感染症とは何でしょうか。広辞苑には、微生 物の感染によって起きる病気と書いてありました。ここ では、病気の原因となるので病原微生物となりますが、 代表的なものには、ウイルスと細菌(マイコプラズマ、 リケッチア、スピロヘータ、クラミジアを含む)があり、 その他に真菌と原虫などがあります。これらが、人の体 内に侵入して増殖しその結果として起こる病気が感染症 です。この中で特に人から人へ伝染していくものを特に 伝染病と呼ぶこともあります(伝染病予防法は感染症予 防法になりましたが、学校保健法では学校伝染病の語を 用いています)。次に、感染の成立についてです。ただ 微生物が付着しているだけでは感染とは言いません。ま ず病原体がそれぞれの感染経路を経て人(宿主)にとり つきます。ここで微生物の力と宿主の抵抗力とのバラン スで発病するかしないかが決まるわけです。 やっと感染予防の話になります。今までの話から、病 気にならないためには、①病原体がいない、②感染経路 が遮断されている、③宿主の抵抗力が強い、の三つが考 えられます。①は上下水道を整備することなどが考えら れます。③についてですが、宿主の抵抗力とはすなわち 免疫力です。免疫について簡単に説明しますと、疫(病) を免れることすなわち人が他者(微生物など)を排除す ることです。具体的な方法は予防接種です。すべての病 気に対して完全なワクチンがあれば、一番良いわけです。 しかし現実にはありません。そこで、抵抗力を低下させ ない生活が重要になります。十分に栄養と休養(睡眠)を とる規則正しい生活が大切になってきます。最後に②に ついてです。接触感染や経口感染の予防に重要な戦略は 手指衛生です。これから医療機関(病院など)で行われて いる方法を紹介します。これはCDC(アメリカ疾病管理 9 宮本 茂樹 予防センター)がエビデンス(証拠)に基づいて勧告したも のです。ホームページ(http://www.cdc.gov/mmwr) 上で公開されています。その趣旨は、従来の流水と石鹸 による手洗いからアルコールをベースとした手指消毒を 感染予防の基本とすることへの変更です。すなわち石鹸 による手洗いは、手指に見た目に汚れがあるとき∼蛋白 (血液、体液など)の汚染があるときに行い、日常的な 手指消毒には擦式アルコール製剤を用いるとしていま す。少し詳しく説明します。ここでの手洗い(石鹸と流 水による手指衛生)とは、まず水で手を濡らし、石鹸を 手に塗り、少なくとも15秒間は手や指の全表面いきわ たるように両手を強く擦り合わせます。そして水で手を すすぎ、ペーパータオルを用いて完全に乾かします。そ の後、使用したペーパータオルで蛇口を閉めます。吊る した布製タオルやロール式タオルは医療現場では推奨さ れません。温水は皮膚炎の危険性が高くなるので使用は 避けます。擦式アルコール製剤による手指衛生とは、製 剤を3ml片手に受けます。製剤を乾燥するまで十分に擦 り込みます。それぞれ、手技が正しく行えた場合微生物 の減少効果は、石鹸+流水15秒で1/4∼1/12、30秒 で1/63∼1/630、アルコール製剤では30秒で 1/3000です。注意点は、ノロウイルスが、アルコー ルに抵抗性があることです。なお通常3歳児の約75% は手洗いができます。次に飛沫感染に対しては、マスク の使用とうがい(洗顔も良い)が推奨されます。ただし 空気感染に対しては、N95マスクを用いなければなり ません。うがいは、ぶくぶくは2歳で、がらがらうがい は3∼5歳でできるようになります。年齢に応じて指導 していきましょう。以上感染予防について、手指衛生を 中心にお話ししました。 児童研だより No.32 外国語学科 教授 Englishの発音は? 島岡 丘 学者または研究者の社会的役割の一つはこれまでの一 lの発音は舌の先が上歯の付け根に舌先だけがくっつ 般常識を打破することにあると思っているが、打破する いて舌の両側から声を出すという説明は、中学・高校の ことによって新しい常識が生まれることは望ましいこと 英語学習中に教わるであろうが、さらに分かりやすい説 である。私が関係している英語音声学の目標の一つは、 明は、lの前にnまたはヌをつけて言うとlが出しやす 英語の音声特徴を正確に表記することである。 くなるということである。 もちろん、音声学の対象は発音記号を用いて記述する ただし気をつけることは、gとlの間に母音を入れず だけでなく、日本語からどのような段階を経て、英語の に発音することである。そのコツは、英語を読むとき、 音声に習熟するかも研究テーマの一つである。 いつも文字順に左から右へ順序通り発音されないことを 一般常識では、母語にない音声は発音できないと決め 悟る必要がある。この場合はまず、lの構えができてか こんでしまう人も少なくない。私の希望的観測かもしれ ら後にgの発音をすることである。これを分かりやすく ないが、母語の発音に部分的な修正を加えることで英語 書き表したのが、島岡式カナ表記である。それによれば、 らしい音を生み出すことができるはずである。 Englishは「イエングヌリエシュ」となる。 「チ、ヂ、シ、ジ」の日本語を唇を丸めて言ってみよ カナは英語の発音習得には障害になるというのが一般 う。すると、英語らしい音が生み出せることをご存じだ 常識かもしれない。しかし、その常識にとらわれている ろうか。この円唇運動をカナを使って表記するには、 限り、日本語と英語との関係はあいまいのままになり、 「ュ」を付け加えることで可能である。すなわち、 「チュ、 英語の発音習得で苦労するのではないだろうか。よく知 ヂュ、シュ、ジュ」と表記し、そのように発音すると、 っているもの(既知情報)から出発し、未知なるもの 円唇を伴う英語が気楽に生じるのである。試みに (新情報)へ向かうというのも主要な一般常識である。 Englishの発音はどうだろうか。多くの日本人は「イン 私はカナ表記を扱って10年以上が経つ。その間、英 グリッシ」と発音しているのかもしれないが、最後の 語発音表記学会が設立されたり、英語発音資格講座が恒 shの発音は円唇を伴うので、「シュ」を用いて言うこと 常化したり、さらに音読にも応用されるようになって、 にし、また、出だしのEとshの前のiをどちらも「イ」 英語音読学会(English Ondoctics Association, ではなく、「イ」と「エ」の中間の音として、「イエ」と EOA)が生まれつつある。ここら辺で、日本語を基と して発音し、さらにgとlの所をglとくっつけて発音すれ する英語学習法が生まれても良いのではないかと思う。 ば、英語音そのものになるはずである。 特に小学校の英語教育の発音指導ではではカナ表記が有 しかしながら、難しいのはlの発音である。しかも、 効であると思う。 ここではgの音とくっついて発音しなければならないこ とである。 女子大学生が選んだベスト1(その3) 児童学科 准教授 ∼楽しくできた課題とは∼ 鈴木 由美 大学の授業の中で、実施した課題(エクササイズ・ゲ 建てる。制限時間30分で一番高いタワーができたチー ーム)内容について、学生たちに評価をしていただいた。 ムの優勝である。建てる時間より、話しあいに時間をた 今回は三回目(楽しさ)の評価の集計をお知らせしたい。 っぷり取り、意見を出してまとめるのが課題である。 授業での実施内容(前号で書きましたが、今回から初 ⑤二者選択・・児童研だより26号に記載された「どっ めて読まれる方もいると考え、また書きました。) ちをえらぶ」の大学生用である。 ①自己(他者)紹介・・2人ずつで自己紹介をしてもら ⑥ZOOM・・これは、ZOOM バンニャイ著 翔泳 い、次に6人グループになり、今自己紹介をした相手の 社の本を使う課題で、本を切り取り、それを一枚ずつ学 紹介をグループで行った。 生に配り、絵の順番に並んでもらうものである(大きい ②私のお薦めのお店・・児童研だより23号に記載され 絵から小さい部分にズームされている)。 ている。 ⑦魔女のプレゼント・・6人グループで魔女のプレゼン ③なぞなぞ・・一枚に20問書いてある「なぞなぞ」を トを探す課題である。一人に5枚ずつカードが配られ、 グループで考える課題である。まず個人で考え、自信の そのカードをもとにプレゼントをさがし当てる。ルール あるなぞなぞの答えをグループ内で発表、答え合わせを は自分の持っているカードは声を出して読み、相手に伝 して、グループの正解得点を争う課題である。 えるのはいいが、他の人に見せてはいけない。正解の場 ④ストロータワー・・6本のストローを使ってタワーを 合は、魔女からプレゼントがもらえる。 10 ⑧ダッシュ・間違い探し ダッシュゲームは、黒板を使ってする課題で、班で交 代のバトン(チョーク)を持ち、順番に課題を黒板に書い ていく。間違い探しは、絵の間違いを探すもので、班対 抗で行い、まず班に絵を配り、その絵とほとんど同じに 楽しみ度 5.00 4.00 書かれているが、10ヶ所違っている絵を教室の端に置 いておく、鉛筆をバトンにして、必ず全員が見に行き、 間違いを探していくものである。 ⑨私の木物語・・丸い木や四角の木を配布して、その木 をにぎっていただき、物語を書いてもらう課題である。 3.00 2.00 1.00 ⑩森のなんでも屋さん・・深い森に性格を売っているお 店がある。自分のいらない性格とほしい性格を取り換え .00 自己紹介 二者選択 私の木物語 も屋さんの店主と性格を売り・買いに来た人になり。ロ 私のお勤めの店 ZOOM 森の何でも屋さん ールプレイ(役割演技)をする。 なぞなぞ 魔女のプレゼント 明日の羽 ⑪明日の羽・・いままで同じグループになった人に、一 ストロータワー ダッシュ・間違い探し るチャンスである。このテーマで二人組になり、なんで 緒に課題をおこなって、よかった点を羽を書いた紙に書 いていく、その羽をお友だちと交換する。自分の良い点 を羽にして、明日に飛び立とうという課題である。 以上の課題で、楽しさの程度を5件法(1点が楽しく できなかった・5点が楽しくできた)で記入していただ いた。授業の受講生は217名である。 同じく第2位は、「明日の羽」であった。前回の自己 理解でも、1位であり、楽しくかつ自分を理解できる課 題であることがわかった。 楽しくないのは、自己紹介であることがわかり、今後 特に楽しく感じていたのは、「魔女のプレゼント」だ 楽しい自己紹介にするには、どうしたらいいのかが、課 った。この課題は業者が、小学生をイメージして作った 題である。最初の授業で自己紹介を行うのは難しいと感 もので、6人グループで協力することによって、課題が じた。まだ一度も話したことのない学生と話すのだから、 解けるものである。課題に正解すると、魔女からプレゼ 緊張するのは理解できる。何回か授業で課題を行ってか ントがもらえる。プレゼントは折り紙で作った首かざり ら、自分の班のメンバーを知る事で、不安を軽減できる で、大学生が照れながらもプレゼントを喜んでいた。次 のかもしれない。大学生でも緊張するのだから、小学生 が「なぞなぞ」であった。これは意外であった。大学生 や中学生であれば、自己紹介が緊張するのは当然である は頭が固くなっているせいか、あまり解けなかった。そ かもしれない。今後は班のメンバーの名前を楽しく覚え の結果がっくりしているように伺えた。これが2番目に られる課題を作りたいと考えている。 楽しかったのはなぜだろうか。なぞなぞが解けなくても、 ※「魔女のプレゼント」のやり方については、資料があ グループで話したり、おもろしろい解答に笑いがおこっ りますので、関心のある方は、ご連絡いただければ、や ていた。学生たちは正解することで、楽しさを得ると考 り方とグッズをコピーして、お送りいたします。 えていたが、たとえ正解しなくても、楽しさは味わえる ことがわかった。 編 集 後 記 研究所長 松浦信夫 児童学研究所の広報誌として「児童研だより」を発行して10年が過ぎました。沢山の方に読んでい ただき、有り難うございます。10年目を節目に体裁を改め、新しい「児童研だより」をお届けいた します。また、研究所主催講演会は年4回を予定し、その一つが「子どもの発達シンポジウム」です。 昨年の第2回シンポジウムの様子を表紙に載せました。今年は第3回であると共に、学園創立75周年 の記念シンポジウムを兼ねます。多数の方のご出席をお待ちしております。 11