...

2013年12月号 - 岡山ナザレン教会

by user

on
Category: Documents
23

views

Report

Comments

Transcript

2013年12月号 - 岡山ナザレン教会
2013年12月
発行者 岡山ナザレン教会
月報編集委員会
第270号
今月のみことば
今すぐ来るといわれるイエス
「 あなたは忍耐についてわたしの言葉を守った。それゆえ、
地上に住む人々を試すため全世界に来ようとしている試練の時に、
わたしもあなたを守ろう。わたしはすぐに来る。あなたの栄冠を
誰にも奪われないように、持っているものを固く守りなさい。 」
(新約聖書・ヨハネ黙示録3:10-11)
クリスマスシーズンを迎え、主イエス・キリストの誕生を皆さんと一緒に
迎えることが出来まして感謝します。誰が何と言ってもクリスマスはめでたい
出来事であります。しかし、どれほどクリスマスに隠されている意味(意義)を
見つける事が可能でしょうか?
さて、聖書の最後に位置するヨハネの黙示録の 3 章 7 節以下を読むと驚く
べき言葉が記される。「私はあなたの行いを知っている。見よ、わたしはあ
なたの前に門を開いておいた。だれもこれをしめる事が出来ない」と。
わたしたちは世の真っ只中に生きている。かつてのフィラデルフィア教会
の人々と同様に、また、やがての時代におけるキリスト者たちが遭遇するで
あろう迫害や危機的状況を迎えることになっても主は常にあなた方を知り尽
くし、守るとおっしゃってくださるのである。その時、唯一の命令がある。
「あなた方が保持しているよいものを固く守りなさい」と。
クリスマスは、主の語られる言葉を想起して、心安らかに過ごす時である。
牧師 永松清
永永 眠眠者 記
者念記
礼 拝念2 0 礼
1 3 拝
11月伝道礼拝証し
M. E. 姉
11月3日(日)は聖徒の日として永眠者記念礼拝が行なわれました。
Ⅰコリント 15:50~58 の聖書から『主イエス・キリストが人間の罪を贖う十字架の死、そしてよみから蘇ら
せられたことにより、キリスト者の墓は〝新しい人生〟へ移される希望のシンボルである。』と、永松牧師から
メッセージを頂きました。昼食後、10名で教会墓地にて墓前礼拝をもち、故人の思い出を語らいました。
~永眠者記念礼拝に寄せて~
11 月 3 日の朝「永眠者記念礼拝」に参加させて頂きました。
この日は先に天に召された諸先輩方の御写真が前に飾られ、そのお一人ずつを永松師が御説教の前に紹介され、
懐かしい思い出が甦りました。私事ですがこの朝は母の遺影を隅に飾らせていただいた
ので「母は天国で先輩方とうまくいってるのかな?」などと思いながら師のメッセージ
を拝聴しました。第一日曜日はいつも E 姉をお迎えに行き、共に礼拝に向かうのですが
この朝は母と共に E 姉宅に向かっていた頃を思い出しておりました。その E 姉は献金感
謝祈祷で感動的なお祈りを捧げられ、胸に熱いものがこみ上げてしまいました。
私たちは昨日が今日と、そして明日が今日と同じように訪れる前提で生活しています。
しかしそのあたりまえの生活もいつかは主のもとに召される日が訪れます。その際に先
に旅立たれた先輩方と同じように感謝を持ってその時を迎えられるかが問われている
と師も語って下さいました。
私たちは神さまの愛によって約束された場所があります。そこに神さまをはじめ先に
旅立たれた方々が待っています。そのことだけで私たちは大きな平安を得ることができ
ます。この生命をお返しするその時まで、主の道を歩みたい。信仰を新たにされた永眠
者記念礼拝でした。
先月の第三聖日女性会で藤井圭子さんのご本「ここに私がおります」
の一行、『神様がなさることは本当に楽しいですね。クリスチャンでない
人は、作り話だと思われるけど、私達にとっては、ただ感謝と賛美あるのみです。』という
箇所に出会いました。楽しいという文字は私のどこにも見当たらず新鮮さを感じられたの
です。時に人との会話の中でカチンと来たり、シュンと自分を惨めに考えたり。「迫害する
者のために祈れ」と云われても、心の中のモヤモヤが消えることはむずかしいです、正
直!!
つい二、三日前、近くの畠でしばらく疎遠になっている人の横を通り、その主人がこの
頃弱っておられることを耳にしていたので、「その後、お父さんいかが?」と、云いたくな
いけど言葉をかけました。「ウン、だんだん弱っているからな」「お父さんが畠できなくなる
と一人じゃ大変な」「仕方ないよ。ナッパ上げようか。きのう夕食のおかずにしたら美味し
かったよ」「そう、じゃ私も今夜おかずによばれる、ありがとう」たったこれだけの会話。で
もなんといい気持!野菜をもらったからでなく、しばらく口をきかなかったその人との二言
三言のやりとり。心の安らぐたのしさ。ハナ歌の一つも出そうでした。これがまじりっけ無
しの楽しさと云えるのかも?やっぱり、自分からその楽しさを造り出さねば一歩もよろこ
びに近づくことにはならない。だけど、この一歩が中々、傲慢故か、云いだせぬ素直さに
欠けるミナモトなんだ・・・。足はモタモタ重いけど心の軽さにうきうきと帰ってまいりまし
た。楽しさ、感謝、ありがとう、この三つの言葉が二倍も三倍にもふくらむ・・・。そんな気
持ちで残るあとの人生を生きて行けたら最高!いいな!と、深く深く思わされたひととき
でした。わずかな一行の言葉から、こんな素晴らしい楽しさを味合わせてくださった神さ
まの大きな深いお恵みに感謝!!ありがとうございました。
今回は 18 世紀から 19 世紀にかけて活動されたイギリス
の伝道師「ジョン・ニュートン師」という方の生涯を通して
という娘に恋したジョンは出航に間に合わなくなります。
それを激怒した父により地中海航路での仕事に就きます
が、仕事もそこそこに何度と無くメアリー宅へ通い続けます。
あるとき、強制的に軍隊に連行され海軍に配属されてし
まいます。ジョンはそこで脱走を企て逮捕、処刑は免れた
ものの三等水兵に格下げされ酷使されます。そんな状況
で父の知人の船長に助けられ船員として人権を回復。
る。生まれ変わったかのようなジョンと再会したメアリーは
結婚し、ジョンも船を降り本格的に伝道者としての学びを
始める(30 歳)。そこでジョン・ウエスレーらとの交流の後
国教会副牧師としてオルレー教会に赴任し庶民・農民
へ聖書をわかりやすく伝える活動を行う。その一環として
造られた讃美詞集の中にある一節に曲が付けられ広まっ
たのが「アメイジング・グレイス」である。
主の素晴らしいご計画と恵みを学びたいと思います。
師は 1725 年ロンドンで生まれ、貿易船の船長の父と
熱心なクリスチャンの母の間に生れました。幼い頃からジ
ョン少年に聖書や賛美歌を教えていた母ですがジョンが 7
22 歳になったジョンは商船グレイハウンド号で大西洋を
渡ってイギリスに戻る航路に就きます。その航海の途中
嵐に遭遇した船は遭難・沈没寸前の状態となる。ジョン
は母の死以来始めて主に祈ったという。すると奇跡的に
晩年はロンドンに移り奴隷貿易廃止運動に尽力し、ジョ
ンの薫陶を受けた議員らによって 1807 年(81 歳)3 月
奴隷貿易禁止法が成立、それを見届けるようにして同
年 11 月召天。
歳の時に亡くなります。その後ジョンは父に従い船に乗る
ことになり、船乗りとしての教育を受けることになります。
船は沈没を免れ、これも奇跡的に漂流の後アイルランド
の港へ静かにたどり着いた。この体験後、ジョンは信仰に
晩年、ニュートン師はこう語っています
17 歳の時、ジャマイカへの出航直前に出会ったメアリー
目覚め、回心し聖書に関する学びを熱心に行うことにな
9月奨励要旨
「薄れかける私の記憶の中で、二つだけ確かに覚えて
いるものがある。一つは、私がおろかな罪人であること。も
う一つは、キリストが偉大なる救い主であること。」
名曲「アメイジング・グレイス」の歌詞には主への感謝
と忠誠が歌われています。それこそニュートン師の人生を
通し主が示された信仰の恵みそのものであるに違いありま
せん。それは私たちにも注がれている「神の愛」なのです。
Fly UP