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精華会だより vol.50

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精華会だより vol.50
創立百周年記念総会
と き 平成十九年五月二十七日㈰
受付開始
午前九時三〇分
開
会
午前十時三〇分
ところ
ホテルニューオータニ博多
一 二
福岡市中央区渡辺通一
︵〇九二︶七一四 一一一一
プログラム
−
・精華会会員による音楽法要
・議題
平成十八年度行事・会計報告
平成十九年度行事予定・予算案
功労者表彰
役員改選
・母校百周年によせて
会員スピーチ
・祝宴
会費八、〇〇〇円︵新卒者
三、〇〇〇円︶
㈮
申込締切
五月十八日
回生と新 回生です。
総会当番は、新
℡
ご法話の会
と き 平成十九年九月予定
ところ
水月ホール︵紫苑館
三階︶
精華セミナー
と き 平成十九年十月予定
ところ
水月ホール︵紫苑館
三階︶
光雲荘一日研修旅行
と
き
平成十九年十一月予定
※
総会および各行事の問い合わせ申し込みは、
クラス委員または精華会事務局へお願い致します。
〒810-0023 福岡市中央区警固2−8−1
−
−
58
事務局(紫苑館3階)
℡(092)751−6484
月∼金 10 : 00∼15 : 00
(092)731−8112
http://www3.coara.or.jp/ seikakai/
筑 紫 女 学 園 精 華 会
27
紫苑館前に設置されました。
平成18年12月19日 精華会より寄贈の「筑紫女学園創立百周年記念碑」 除幕式
平成19年3月
筑 紫
(1) 第50号
第50号
2007.3
筑紫女学園創立100周年記念号
平 成 19年 度 精 華会行事のご案内
の教育環境の整備が間もなく
金をその費用に充当されるこ
精華会もさらに未来へ
完 了 い た し ま す。 こ の 件 で は
と に な り ま し た。 こ こ に ご 報
精華会会長 占部 美子
精華会も少しでもお役に立ち
告
させていただきます。
た い と、 会 員 の 皆 様 に ご 支 援
紫苑館建設に始まり、この十
を お 願 い い た し ま し た。 多 く
余年に亘る中・高校舎、講堂棟、
のご協力を賜りお陰さまで目
運 動 場、 さ ら に 体 育 館 の 立 て
標 に 達 し、 学 園 に 贈 呈 い た し
替えなど一連の壮大な建設事
ま し た。 こ こ に、 改 め ま し て
業の完了を迎えますことは実
お礼申し上げる次第です。
に感慨深いものがございます。
皆 様、 表 紙 を ご 覧 く だ さ い
理 事 長、 校 長 先 生 は じ め、 学
﹁崇信 筑紫女学園創立百周年
園
関 係、 建 設 業 者 の 方 々 に 心
記 念 ﹂ の 石 碑 が 完 成 し、 十 二
よりお礼を申し上げたいと存
月にその除幕式が行なわれま
じ ま す。 大 き な 支 障 も な く 無
し た。 文 字 は 井 浦 理 事 長 の 筆
事一応の完了となりますこと
に よ る も の で す。 裏 に 校 訓、 に、 仏 祖 の 大 き な ご 加 護 を 痛
自 律・ 和 平・ 感 恩 が 刻 ま れ て
切に感じるものでございます。
お り ま す。 設 置 場 所 は 紫 苑 館
学園では創立百周年記念事
前 の、 旧 本 館 と 旧 中 学 校 舎 を
業が種々計画され実施進行中
つなぐ階段のあった場所の埋
で す。 精 華 会 も 記 念 の 総 会 を
め 立 て 地 で す。 記 念 碑 の 周 り
は じ め 名 簿、 同 窓 会 誌 そ し て
に 桜、 紅 葉、 椿 な ど が 植 栽 さ
精 華 会 だ よ り﹁ 筑 紫 ﹂ 記 念 号
れ て お り ま す。 さ ら に、 新 中
の 発 行 な ど、 ご 寄 稿 い た だ い
高 校 舎︵ 図 書 館 棟 三 階 ︶ か ら
た 同 窓 生、 担 当 委 員 の 方 々 の
紫 苑 館、 体 育 館 ま で の 通 路 に
ご活躍で着々と進められてお
雨 避 け シ ェ ル タ ー 付 の﹁ 渡 り
ります。
廊 下 ﹂ が 設 置 さ れ ま す。 こ の
精華会の種々の行事を企画
設置費用に精華会からの寄付
実行する際、よく念頭に浮かぶ
金 が 充 て ら れ ま す。 そ れ は、 思いは〝ホメオスタシス〟です。
皆様に母校創立百周年募金を
同一の状態という意味ですが、
お 願 い い た し ま し た 際、 趣 意
生理学者の造語で生体恒常性
書 に 表 し ま し た〝 記 念 碑 お よ
と い わ れ て い ま す。 生 物 が 外
び運動場の植栽〟に関しまし
部 環 境︵ 気 温、 湿 度 な ど ︶ や
て は 工 事 の 進 行 上、 学 園 で 植
内部の変化に応じて体内環境
樹 が 先 に な さ れ ま し た、 従 っ ︵体温、血液、圧力︶をある一
て、 上 記 の 記 念 碑、 そ の 周 辺
定範囲に保っている状態や機
の記念植樹の事業執行後の残
能 を い い ま す。 病 気 で 無 い 限
精 華 会 々 員 の 皆 様、 い か が
お過ごしでございましょうか。
母校筑紫女学園は本年、創立
百 周 年 を 迎 え ま す。 明 治 四 十
年︵一九〇七年︶
、創始者水月
哲英先生の仏教教育を中心と
した女子教育に対する篤い志
と情熱により設立されました。
発 足 ま で の 詳 し い 話 は、 近 々
学 校 法 人 か ら 発 行 さ れ る﹁ 創
立百年史︵仮︶
﹂で紹介される
予定です。
二 代 水 月 文 英 校 長 先 生︵ 二
代理事長︶はじめ歴代の理事
長、学校長そして教職員の方々
のご研鑽、さらに保護者の方々
のご支援により、いまや中学・
高等学校に加え大学・短期大学
部そして幼稚園を有する総合
学園に発展いたしております。
卒業生といたしましては誠に
喜 ば し く、 心 よ り 感 謝 申 し 上
げたい気持ちでございます。
学園がここ十年に亘って進
め て こ ら れ た 主 に 中 学・ 高 校
……………………………………………………………………
第50号となります。
などお楽しみください。(P. 4∼ P. 8)
……………………………………………………………………
最後の〔 〕内の氏名は担当の
編集委員名です。
わ れ て お り ま し た。 た だ、 卒
業生それぞれの生活環境があ
り、 意 識 を 統 一 す る こ と は 不
可能に近いことです。しかし、
会 の 行 事 へ の ご 参 加、 そ し て
活動の基となる会費の納入に、
いま一歩意識を高めていただ
き た く 存 じ ま す。 そ れ は 会 を
恒常的に進行させるには人的
にも運営面においても新陳代
謝が必要です。そのためには、
各種講演会や勉強会の開催が
待 た れ ま す。 時 代 は 大 き く 変
貌 し て 参 り ま し た。 精 華 会 も
学 園 と 共 に、 さ ら に 未 来 へ 向
かうには移り行く時代の感覚
を 受 け と め な が ら、 し か も 恒
常的に進めていく時が来てい
る と 考 え ま す。 母 校 創 立 百 周
年 の お 祝 い を 期 に、 さ ら に 前
向きの姿勢を持つことを次の
世代へ引き継いでいきたいと
思っております。
昭和29年に新聞として発刊され、全会
員に配布されました。
ここに、記念号として、第1号から第
49号までの記事の中から抜粋して掲載い
たしました。
編集委員が手分けして、各号で心に
残った記事、貴重な話、写真などを選択
し纏めました。
半世紀の母校の変遷、懐かしい思い出
り、外気温の高低に拘らず体温
は常に一定に保たれています。
こ れ は 哺 乳 類 の 場 合、 自 律 神
経や内分泌腺︵主にホルモン︶
が主体となって働いているか
らです。最近では、精神内部の
バランスについても言及され
て い ま す。 こ の こ と は 同 窓 会
活動にも当てはまると考えま
す。 会 則 に あ る 精 華 会 の 目 的
を達成するためには各種の事
業を円滑に進行することが肝
要 で す。 即 ち、 定 常 的 に 進 め
て い く た め に は、 そ れ を 働 か
せる自律神経やホルモンに相
当するものが必要となります。
私はこれを精華会会員の意識
と 受 け と め て お り ま す。 目 的
の一つである母校の発展に寄
与 す る 件 に 関 し ま し て は、 こ
の 度 の﹁ 募 金 ﹂ の 要 請 に つ き
まして全卒業回数に亘ってご
支援いただきましたことに現
母校創立100周年に
「筑紫」は
第50号 (2)
筑 紫
平成19年3月
平成19年3月
ます。本学園は、ちょうど今、 に 学 校 に も﹁ 校 徳 ﹂ が あ る よ
私が百周年を迎えるに当っ
例えば、十九年度から大学
﹃値遇百歳 不易流行﹄ 百年目を進んでいるところで
て 度 々 口 に し て い る こ と は、 に﹁仏教専修課程﹂が開講さ
う な 気 が し ま す。 伝 統 と 一 言
理事長 井浦 順爾 百年はあくまで通過点である
本年六月からは百一年目に入
で 言 わ れ ま す が、 そ れ は 学 園
れ
ま
す
。
親
鸞
聖
人
の
み
教
え
を
ることになります。
ということです。次の一歩か
のために必死になって尽くし
元に、今日的課題である﹁福
ら始まる新たな歴史は、それ
てきた多くの先達や卒業生の
祉・家族・いのち﹂について 何 と 言 っ て も 一 世 紀 に 亘 る
歳 月 を 生 き 抜 い て き た だ け で ﹁人徳﹂の積み重ねの結果が形
以後の学園の命運を決める大
学ぶことを目的としたもの
も素晴らしいことです。
切なスタートとして何らかの で、一般にも広く門戸が開か
成した﹁校徳﹂だと思います。
構想を持つべきだと考えるか れます。どうぞこれからもよ この間には、筆舌に尽くしが
生 徒 は、 勉 強 で も 部 活 動 で も
たい苦難や難局があったであ
らです。永い伝統を誇りに思
苦しい中から必ず結果を出し
ろしくお願い申し上げます。
ろうことは、容易に想像できま
い深い感謝を持って大切に受
て 帰 っ て 来 ま す。 こ れ こ そ が
最後に、私はこの五月に理
す。昭和の大恐慌や二度に及ぶ ﹁校徳﹂のなせるわざだと信じ
け 継 ぐ こ と は 当 然 で あ り ま 事の任期が満了となりますの
世界大戦、戦後の進駐軍統治、 ております。
す。
で四十二年間の勤務を終了し
民主教育への転換、男女共学、
百 周 年 は、 関 係 者 み ん な に
明 治 四 十 年︵ 一 九 〇 七 年 ︶ 今年念願の大学院が開学さ ます。この間大過小過の繰り
開学以来月日を経ていよいよ れました。ようやく中等教育
六・三・三制の導入、ベビーブー
とってめでたいのであります
返しでしたが、多くの方々の
百周年の年を迎えました。五 から高等教育までの体制が完 支えによりここまで歩むこと
ム か ら バ ブ ル の 崩 壊、 そ し て
が、
﹁一番は﹂と言えば、それ
月十二日には本願寺のご門主 成しました。残された課題は
急 激 な 高 齢・ 少 子 化 杜 会 へ の
は卒業生であります。それは、
が出来ました。感謝の心を込
様をお迎えして記念式典を開 初等教育の体制完備です。限
転換など目まぐるしいほどの
ここが自分を生み育ててくれ
めて改めてお礼申し上げご挨
催する予定です。
激変の連続であります。
られた収入と校地の制約はあ
た 母 な る 学 び 舎﹁ 母 校 ﹂ だ か
拶に代えさせていただきま
戦 中 に は、 本 学 園 も 陸 軍 の
ら で す。 自 分 の 親 を 代 え ら れ
合
す。
またこの度は、皆様からの りますが、ある時期は慎重に
掌 ご寄付で校庭に大きな百周年 ことを練り、時機を見て一気
駐 屯 地 に な つ て お り、 生 徒 も
な い よ う に﹁ 母 校 ﹂ も ま た 永
記 念 碑 が 完 成 い た し ま し た。 に学園の決断を実行する応変
動員の日々で勉強どころでは
遠に代えることのできない﹁心
この紙面を借りてこころから の対応が大切です。
なかった時代もあったのです。 のふるさと﹂なのです。卒業生
卒 業 生 の 百 年 祭
お礼申し上げます。有難うご
あの福岡大空襲からよくぞ立
総数三万八千有余名の長い長
教育におけるバウチャー制
名誉会長 ⻆
敏秀
ざいました。
ち上がったものだと思います。 い﹁紫の線﹂を想像してみてく
度導入の議論も出てまいりま
中学
﹁勤
ださい。百周年が卒業生にとっ
校長︺ 時代のせいもあって﹁品性﹂
︹筑紫女学園
碑に思いを託すことは世の した。また一般の企業が学校
高校
習いですが、その意味は忘却 経営に進出するという時代で
労﹂
﹁質素﹂を校訓に掲げ、
崖っ
て如何に素晴らしいものかが
に 立 ち 向 か う 手 段 で あ り ま す。同窓会が単なる親睦団体
ぷちで教育の独自性を堅持し
お分かりになると思います。
す。私が奉職してまだ三年目 としてではなく、卒業生に学
てきた苦難の時代もあったの
先輩への感謝、お互いの来し
ごろ、文英先生が一度覚えた 校の持つ教育財産を提供し混
です。
方 へ の 努 力 を 讃 え、 心 い く ま
ことは次々に忘れないと次の 迷の世を生きる方々の支えに
学園の経営者をはじめ多数
での﹁お祭り﹂をしてください。
ものが覚えられないよと言わ なれるような方策と、一方で
の先達のご苦労に頭が下がる
そして、いつまでも母校に﹁理
れ た こ と を 記 憶 し て い ま す。 は精華会がしっかりと出身校
思 い が し ま す。 生 徒 だ け で な
想の光﹂を注ぎ込んでくださ
今後学園が星霜を重ねる中で を支え、相互の力になれる積
く、 先 生 方 も こ の 校 訓 ど お り
い。
この碑が先人の想いをしっか 極的な関係を築く方法がある
の生活をされていたのだと想
百周年 ! 本当におめでとう
卒 業 生・ 精 華 会 の み な さ ん
ございます。
りと伝えてくれるものと確信 のではないかと期待していま
像します。
創立百周年おめでとうござい
します。
人 間 に﹁ 人 徳 ﹂ が あ る よ う
す。
筑 紫
(3) 第50号
筑 紫
平成19年3月
昭和31(1956)年∼ 第50号 (4)
昭和29(1954)年∼ 第7号、第8号「水月文英先生の創立50周年を迎え
てⅠ、Ⅱ」より
昭和32年、創立50周年を記念して中学校舎が新築さ
れましたが、工費の関係で一度に完成させることがで
きず、まずは普通教室と特別教室を、第2期工事とし
て教員室・特別教室が建設されました。その後、60周
年を期して高等学校の特別教室を含む教室と体育館講
堂を建てて、筑紫女学園の外形を整えたい。又、教育
内容に於ても先ずは中高一貫の教育態勢を整え、6年
間を一貫とした計画の下に、教育課程を編成すること
で公立と異った特色ある教育が出来る。これは単に学
業成績だけでなく、人間形成の上に於ても宗教的信念
に生きる人物を育成して、社会に、家庭に、立派に活
動してもらいたいと卆業生各位に深く期待します。
第1号[昭和29年(1954)1月20日発行]
冒頭に「かくして貴女方の母校は健全であり、発展
しています」と題された水月文英校長先生の文章があ
り、終戦後、混乱の中から見事に復興し、一大飛躍を
遂げた筑紫女学園の発展ぶりが詳細に描かれている。
精華会会長を兼任された文英先生の筑紫再建の熱意が
ひしひしと伝わってくる名文である。
完成を急ぐ中学校舎
﹁かくして貴女方の母校は
健全であり、発展しています ﹂
第1号∼第5号 昭和31(1956)年
精華会会長
水月
文英
昭和廿二年三月学制が改革さ
れて中学と高等学校とを併置す
ることになりました。この学制
改革により本校教育の特色とし
ていた仏教主義による女子教育を自由に実施
されるようになりました。父兄母姉の理解あ
る協力と同情とにより着々として復興発展の
歩みが進められ廿二年五月十三日には創立
四十周年記念式をささやかながら来賓父兄列
席の下に行うことが出来ました。
母校と卒業生、卒業生相互の連絡機関とし
て精華会だよりを発行します。皆様の御協力
を得まして立派なものに育て上げたいと念願
︵要旨︶
します。
第6号∼第10号 昭和34(1959)年
(この校舎は平成18年、照明付のグランドとなりました)
第8号 「家庭寮の思い出」昭和32年9月
大正2年入学の伊藤つねさん(旧9回)の懐かしい
寮舎生活の思い出より。
大正時代は女子教育機関としての高等女学校の数が
少なく当時の筑紫は広く県内外より集い、120∼130名
の寮生がプール横の旧中学1年の教室が寮舎で、本校
とは廊下つづきで入口の格子戸に「家庭寮」と大書き
の表札がありました。ここで起床、就寝と規則正しく
わが家のように4年間を過しました。楽しい思い出は
何といっても休暇になり、行李をまとめて帰省するこ
とが最大のよろこびでした。赤坂門から電車1区(当
時1銭5厘)を奮発して新道(寿通)へ土産物を求め
て外出を楽しんだことを思い起こします。毎夜7時∼
9時までの黙学時間に足音をしのばせて静かに御巡視
される先生を驚かさんとおもちゃのへびを廊下にしの
ばせておいたりと罪のないいたずらも嬉々として愉快
がったものです。週一度の老校長先生よりお仏間で
伺った精神講話も忘れ難く、今もどこか身にしみて御
仏のお心を知らせて頂き、合掌の習慣も、この頃から
賜ったものと感謝いたします。あれから40年余り、今
は多くの思い出をこめた寮舎は中学校舎となり、朝夕
親しんだ炊事場あたりはプールとなり、満々と水をた
たえています。
〔青木(孝)・加留部〕
「現下の時勢に処する会員の覚悟」
副会長(旧2回)眞隅 よね
第2号[昭和29年(1954)9月5日発行]
水月文英会長の「発願」には創立50周年を3年後に
控え、精華会の記念事業として2つの提案がなされて
いる。
⑴ スタインウェーグランドピアノの学校への寄付
⑵ 在校生への贈物として修練道場の建設
「何卒此の私の発願に対して満腔の母校愛を以て賛
同致され、其の実現に協力されたことを念願してや
まぬ次第であります」 募金金額1口、1,000円也
「全会員一層睦み合いましょう」
副会長(旧9回)伊藤 ツネ
第3号∼第5号
[昭和30年(1955)1月20日付∼昭和31年(1956)1月20日付]
会員の投稿が増えて、紙面は寄稿文であふれてい
る。内容もかなり充実してきた。
第4号では学園だよりに水月哲雄先生が副校長に就
任されたとの記事がある。「本年度総会御案内」は、
当時の和気あいあいとした総会の様子が伺えて楽し
い。母校講堂で開催され、講演・余興各種があって弁
当代百円となっている。
第5号から広告の掲載が始まった。 〔廣佐古・宮川〕
筑 紫
(5) 第50号
昭和39(1964)年∼ 平成19年3月
昭和35(1960)年∼ 第16号∼第20号 昭和43(1968)年
第11号∼第15号 昭和39(1964)年
第16号[昭和39年11月発行]
◦「短期大学設置について」教育制度の変遷と短大設
置の経緯をお書きになられている水月文英先生の品格
あふれる約2,600字の文章が一段と目を引く。
第11号[昭和35年10月発行]
ローマオリンピック大会で競泳百米第3位入賞を
祝ってと、水月哲雄先生の短歌が七首掲載されている。
「厳かに日の丸あがる感激のひとときを思い我も涙す」
どれを読んでもすばらしい句です。
ちなみに田中聡子(竹宇治)さんの競泳戦績を記す
と、1960年ローマオリンピック銅メダル、1964年東京
オリンピック4位、世界新記録15個達成、日本記録に
いたっては、12年間維持し続けた。その後1991年に、
フロリダ州・フォートローダンデルにある国際水泳殿
堂に入堂されている。
ここには「世界中の人々に水泳をひろめ、水泳競技
において卓越した能力を持った者の業績と貢献に不朽
の名誉を与える」と記してある。
短期大学の制度は昭和22年3月発令の教育基本法及び教育
法並に同実施細則によって定められたものである ― 略 ―
短期大学は一層発達普及して、恰も昔の専攻科同様、女子
教養としては大学はともかく普遍的な性質を帯びてきたの
である ― 略 ― 時機が到来したのである。この好機を逸し
ては父兄各位や社会一般の要望にも反くことになるので、
万難を排して老軀をも顧みず、最後の奉仕事業として短大
設置に踏み切ったのである。 ― 略 ― 其の所定科目も綜合
的なものとすることが必要であると共に、将来大学となる
準備も含んでいなければならぬと思うのである。 ― 略 ―
卒業生諸子も本学園の発展のために大に後援して貰って、
名実共に西日本随一の学園となる様に協力されんことを切
望するのである。
中高の発展と短大の位置付け、さらには将来本格的大
学となることを見据え、卓越した見識を持って英断さ
れたことが読み取れる。
◦「楽山荘由来記」も文英先生の寄稿で、興味深い。
戦後各地に疎開していた生徒が次第に復帰して来た
が、授業もなかなか手につかない。生徒の心は落着き
を失い、満堂騒然となって訓話もままならない中、静
寂な寺院を借りて数十人を一群とした修練を実施し、
落ち着きを取りもどさせることを考えられたという。
学制改革により、宗教の自由が認められたのをきっか
けに、本願寺福岡教区水野慈玄布教師の協力を得て昭
和22年7月夏期修練会を学内で実施した。以後毎年地
方の寺院のお世話になっていたが、これを全校生徒に
実施するために、山小屋式道場を建てたいという希望
を抱くに至り、昭和32年創立50周年を機会にこの構想
を発表し、卒業生に資金の援助を仰がれた。昭和39
年8月、論語の「仁者楽山」に由来
した「楽山荘」が油山を背景に背振、
鬼が鼻、金山を一望し、一幅の画越
を展開する地に竣工したのである。
◦「オリンピック東京大会に母校の名輝やく」
第17号[昭和40年10月発行]
◦「勲四等旭日小綬章 文英校長先生の胸に輝く」
◦「筑紫女学園短期大学 高宮に開校」
第18号[昭和41年10月発行]
◦「学園10年の歩み」比較
入学者数
高校 中学
昭和32年 528 287
昭和41年 789 187
在
高校
1378
2420
校生数
中学 短大
775
768 790
職員数
100
230
第19号[昭和42年9月発行]
◦「創立60周年を迎えて」
第20号[昭和43年10月発行]
◦「60周年記念式典をしのぶ」
田中聡子選手
ローマ・オリンピック大
会で 百米第3位入賞
記録 1分 11 秒4
第12号[昭和36年10月発行]
第二世スタインウェー・ピアノ
精華会会長 水月 文英
創立50周年記念として寄贈される第二世スタイン
ウェー・ピアノが6月24日にドイツから到着しまし
た。初代は、大正11年秋、卒業生一千人祝賀会が催さ
れ、その頃他の女学校において、スタインウェー・ピ
アノが購入されたことを知り本校でも是非卒業生の手
によって寄贈の声が高まりました。第11回卒業生、庄
司(桜井)清子さんが思いたたれ、仲間を募り、1ヶ
月間白粉代を倹約してでもと卒業生に働きかけられ忽
ち3,000円余りが集り、大正12年末には新築されたば
かりの新講堂に見事な姿を現わし、世界的ヴァイオリ
ンニストとして有名なジンバリストの福岡での演奏会
の伴奏用として門出を飾りました。納入翌年の大正13
年2月2日に新講堂落成式
と共に精華会総会を開いて、
ピアノ贈呈式を行いピアノ
開きの音楽会が盛大に催さ
れました。
第13号[昭和37年5月発行]
卒業生一万余人 精華会会長 水月文英
第14号[昭和38年5月発行]
創立50周年記念として500万円集まる
(スタインウェー・ピアノ 第2世購入 修練道場の建設)
第15号[昭和39年1月発行]
家庭教育 精華会会長 水月文英
〔熊谷・清川〕
〔舟木・池永〕
平成19年3月
筑 紫
昭和49(1974)年∼ 第50号 (6)
昭和44(1969)年∼ 第26号∼第30号 昭和56(1981)年
第21号∼第25号 昭和49(1974)年
第26号[昭和49年10月発行]
本館完成
大講堂職員室物理化学教室が落成しました。
創立70周年記念として、水月記念館を設立するとい
う喜ばしい記事が掲載されました。
またこの号には、「全日本高等学校選手権水泳競技大
会」の水泳部の大活躍が掲載されています。
第23号[昭和46年11月発行]
◦移動芸術祭に県代表の筑前琵琶を弾く
中村千恵さん(旧25回)
地方都市の人たちに一流芸術
鑑賞の機会を と、初の移動芸術
祭が9月19日から福岡市で開かれ、
中央のオペラや新劇が講演される
が、一方福岡県を代表する郷土芸
術として筑前琵琶が選ばれ、中村
さんはめずらしい弾き語りを披露された。出しものは
「北条時宗」と「どんたく風景」。
第27号[昭和50年10月発行]
若菜恒章高等学校主事の『これからの学校は「慈悲
心」「思いやり」「感謝の心」等の基本的、人間的な情
感を重視し、失われた本当の「自己目的としての教育
や学習」を取り戻していくということでなければなら
ない』とのお言葉は現代の学校教育にも通じるものが
あると思われます。
第28号[昭和52年9月発行]
創立70周年記念号
70周年記念行事は、10月1日から5日まで、記念行
事が華々しく盛大に行われるというお知らせが掲載さ
れています。
また悲しいお知らせとして、原金午先生をはじめと
する5名の先生のご逝去の記事があります。
第29号[昭和54年11月発行]
水月記念館完成
初代校長水月
哲英先生33回忌
の記事
第24号[昭和47年11月発行]
◦噫 水月文英先生
昭和46年の暮れも迫った12
月21日、わたくしども卒業生
だれしもがお慕いし尊敬いた
しておりました水月文英先生
は、 つ い に み 仏 の も と へ 旅
立って行かれました。
教育界はもとより社会的に
も大いなる足跡を残され、ご功績は輝いています。
ここに其の偉大なるご遺徳を偲びつつ先生のご冥福
を謹んでお祈りいたします。
◦筑紫女学園に 幼稚園 誕生
今年の4月から中学校の上
の大休ヶ丘に筑紫女学園短期
大学附属幼稚園が、文部大臣
並びに福岡県知事の認可を受
けて誕生しました。
第25号[昭和49年1月発行]
◦鬼塚ツタさん(旧6回)、月形ハルエさん(旧17回)
のおよろこび
鬼塚ツタさんに勲五等瑞宝章
月形ハルエさんに厚生大臣賞
初代校長
水月哲英先生
また水月哲雄校長先生退任のお知らせが掲載されて
います。
第30号[昭和56年11月発行]
山内勇哲校長先生就任のご挨拶
西嶋寛前校長先生のご逝去の後を引き継がれまし
た。
〔前田・相田〕
月形ハルエさん
鬼塚ツタさん
◦ああ!なつかしの校門よ、講堂よ
沢山思い出を残して、校
門・講堂・職員室が改築の
ため姿を消しました。
〔原田・重松〕
筑 紫
(7) 第50号
平成5
(1993)年∼ 平成19年3月
昭和58(1983)年∼ 第36号∼第40号 平成9(1997)年
第31号∼第35号 平成4(1992)年
第36号[平成5年3月発行]
前年度の創立85周年を機に会報 筑紫 が本号より
毎年発行となりました。また平成4年度より、精華会
会費が値上げされ、平成5年3月の高校卒業生から入
会金1万円、10年分会費1万円、計2万円の一括納入
に改正されることにより、財源の確保が出来るように
なりました。
第32号[昭和60年11月発行]
占部美子現会長の原稿がありました。題は「自然科
学の歴史のロマン」。現代の日常生活の中の合成高分
子製品と環境問題とを併せその土台となる基礎研究に
参加したいとのこと。常に前進の方と思いました。
第37号[平成6年3月発行]
精華会会長に、新2回大村敦子さんが
就任されました。卒業生から会長を選出
するようになり、2代目の会長です。
2代精華会会長
大村 敦子さん
第38号[平成7年3月発行]
精華会名誉会長井浦順爾先生が、平成7年1月1日
付で学校法人筑紫女学園理事長に就任されました。な
お、同日付で筑紫女学園中学校・高等学校校長を併任
されました。
第39号[平成8年3月発行]
阪神・淡路大震災で被災された卒業生の方々へ、精
華会より関西支部を通じてお見舞金・支援物(お米
券)をお送りして、励ましの気持ちを伝えました。そ
れに対し、被災卒業生から多くの御礼の言葉が寄せら
れました。
筑紫女学園理事会の理事に初の卒業生代表として市
原葉子さん(初代精華会会長)が選任されました。
第40号[平成9年3月発行]
筑紫女学園創立90周年記念号として、発行されまし
た。 目で見る90年の思い出 学び舎 をなつかしい
写真でふりかえりました。
創立当時の校舎全景
修学旅行(奈良の大仏殿)
スーツとセーラーの制服
(昭和28年春)
紫の制服時代
(大正14年頃)
〔内田・平岡〕
第33号[昭和63年4月発行]
筑紫女学園創立80周年
明治40年に創立されて以来、満80年を迎えた本学園
は4年制大学の開設を期して、名実共に女子総合学園
として発展しております。
旧15回生の竹原コトさんに寄稿していただいた「思
い出は限りなく」によると、初代水月哲英校長が本願
寺からサンフランシスコに布教に行かれ、帰朝報告を
され、その後、米国の優れた女子教育の体験から先生
の女学校創設の熱意が本願寺当局を動かし、福博僧俗
の方の賛同を得て、母校創立が実現したとのことです。
また、制服も日本人によく似合うという文英先生の
推奨により、紫の制服となりました。
そして、80年の間に母校筑紫女学園は、幼稚園、中
学、高校、短大、4年制大学と拡大発展をし、卒業生
も旧制高女5,891名、新制高校20,116名を越える数とな
り、全国のみならず外国にも在住して活躍され、筑紫
女学園の名声を高めておられます。
最後に、井浦順爾精華会名誉会長より、今後とも、
母校筑紫女学園の発展に対して、心を寄せて下さいと
いうことばで締め括られています。
卒業生よりの初代精華会会長誕生
代々、校長先生が精華会の会長を
勤められていましたが、昭和62年6
月の規約改正により、新3回卒業の
市 原 葉 子 さ ん が、 会 長 に 就 任 さ れ、
新体制で精華会が歩み始めました。
卒業生のまとめ役と同時に、会員
への情報提供や、また会独自の催し
初代精華会会長
ものの企画を通して、青春時代に蒔
市原 葉子さん
かれた心の種を更に成長させる手助
けの役割が大きいと期待されたのです。
現在は恒例となっております、ご法話の会や光雲荘
行きの行事は平成3年から始められ、精華会だよりも
隔年発行が平成4年の第35号をもって最後となり、毎
年発行となっていきます。それにともない精華会活動
の原動力である運営費が困窮を極めている状況の中、
年会費の改定をして頂くことになります。
精華会が、後輩達の成長を見守りながら、母校の発
展に寄与することと、会員相互の連携と親睦を更に深
めていくことを念願されておられました。
〔河津・川口〕
平成19年3月
筑 紫
平成15(2003)年∼ 第50号 (8)
平成10(1998)年∼ 第46号∼第49号 平成18(2006)年
第41号∼第45号 平成14(2002)年
1 中学・高等学校校舎改築工事(第1期・第2期)
完了
創立百周年を迎えるにあたり、校舎の全面新築工
事が遂行されました。第3期工事が現在進行中で
す。そして、我が校を長年見守ってきた鶯宿梅も移
植され、母校の繁栄を祝い、美しい花を咲かせてい
ます。
◦筑紫女学園創立90周年記念行事(平成9年5月)41号
◦紫苑館完成祝賀会(平成10年9月)42号
◦第1回精華セミナー(平成12年1月)43号
◦「世界騒然」(平成13年9月)45号
4 精華会総会新講堂にて開催
平成17年5月14日、新講堂にて精華会総会が行わ
れました。落成を記念して「風を見る人」も上演さ
れ、総会と共に大成功を収めました。
5 精華会役員
占部美子会長が4期目の精華会会長を引き続きさ
れることとなりました。平成3年から事務局に勤め
られた廣佐古文子さん、平成5年から勤められた内
田映子さん、平成13年から精華会副会長を勤められ
た佐藤満喜子さんが勇退され、副会長の一人として
清川久美子さん、事務局に小川すみ子さんに加えて
藤原節子さんが就任されました。
〔安藤・青木(早)・三浦・塚本〕
解
説
水月哲英初代校長が耶馬渓を読んだ漢詩
3 2代目校長水月文英先生三十三回忌法要
平成15年12月9日、筑紫女学園大学にて法要が行
われました。精華会から生花をお供えし、占部会
長、会員も出席しました。
﹃奇石欲飛樹欲閑幾重阪路往如還
楓雲十里潺渓水髣髴嵐山霜後間﹄
耶馬渓
水月道人哲
㊞
2 精華会が新講堂へ緞張を贈呈
雄大な須弥山と、思い出あふれる旧校舎が描かれ
た緞張を精華会から贈呈しました。落ちついた色合
いで、今までの筑紫女学園での歩みを静かに思い出
させてくれる様な緞張です。
第41号には、記念行事の様子や、浄土真宗本願寺派
門主大谷光真氏はじめ、多くの方の文章が載っていま
す。また、表紙を飾る水月哲英初代校長自筆の漢詩は
素晴らしいものです。
第42号には、紫苑館が完成したことや、その祝賀会
の様子が、多くの写真と共に掲載されています。「紫
苑館は集い憩うふれ合いの場です」という題字の通
り、今後も長く精華会の発展の拠り所となることで
しょう。
平成11年度の総会にて、新5回占部美子さんが3代
会長に就任されました。
精華セミナーが各界で活躍中または活躍された会員
のお話を聞く機会を、ということで新しく企画され、
第1回目は、「高分子をみる」をテーマに占部会長が
講演されました。その様子が43号に載っていて、在校
生や先生方も参加されたということでした。また、今
号には、役員・各学年クラス委員のお名前が掲載され
ています。これは組織の確認と自覚を目的としていま
す。
平成13年は、米国で同時多発テロが起きた年。折し
も、本学園中学3年生の海外研修中で、井浦理事長が
第45号に「世界騒然」と題して、文を書いておられま
す。仏陀の言葉「恨みは、恨みなきによってのみ終わ
る」と、「『報復』より『寛容』をと願わずにはおられ
ません。」という理事長の一文が心にしみました。ま
た、今号掲載の、本高校在校生へのアンケート集計結
果によると、精華会の行事・活動もかなり知られてい
るようで、ほっと一安心でした。
〔梶原・藻形〕
父上の言葉を胸に園長先生と
争に加担した過ちを悔いた浄
ご法話の会
土真宗の考えです。また親鸞
総会を終えて
して、歩み続けるすばらしい 聖人の﹃教行信証﹄によると
姿に私達も同期生として、誇
新 回 相田 明美
新 回
﹁神祇不拝﹂祈祷・祈願の拒
吉村
弥生
りを感じました。
否お守りやお札など人の心を
暑い日も終わり朝より足元
汗 ば む ほ ど の 快 晴 の も と、 会食は、各テーブルに同学 惑わす物は否定し、つまり神
悪
く
少
し
肌
寒
い
日
で
し
た
。
平 成 十 八 年 六 月 四 日︵ 日 ︶、 年 の 皆 様 に お 座 り い た だ き、
靖国神社への
社
への参拝 ―
秋を告げるかのように雷が
三百余名の出席を得て、ホテ
ミニ同期会のようで、あちら 参拝は浄土真宗としては好ま
鳴 り 響 く 九 月 九 日、 第 十 六 回
ルニューオータニ博多﹁鶴の
こちらでお話が弾んでいまし
しくないのです。戦争は人間
ご法話の会が水月ホールにて
の 欲・ 煩 悩 に よ る 暴 力 行 為
間﹂にて精華会総会が開催さ
た。 来 賓 の 方 々、 お 世 話 に
催 さ れ ま し た。 講 師 に 光 照 寺
で、戦争をおこしてはならな
れました。
なった先生方のテーブルにも
前住職群島恒昭氏をお迎えし
かったのだと話されました。
て﹃ 親 鸞 門 徒 か ら 見 た 靖 国 問
総会は、まず前年度の行事 思い思い挨拶に行かれる会員
題﹄をテーマに戦争の体験談 私達は戦争のない平和な世
報告、会計報告がなされたの
のお姿が見られました。飛び
に 生 き て い ま す。 そ れ は 人
を交えながらお話して頂きま
ち、本年度の行事予定、予算
入りで、旧 回九十才の後藤
日本国憲法
類英知の憲法 ―
した。
美幸先輩が見事な舞踊を披露し
案が提出されました。議題は
︵九条︶によって守られてい
氏は旧制中学校修了後十五
てくださり和やかなうちに総会 出席された会員の承認をいた
る の だ と 教 え て 頂 き ま し た。
歳︵昭和十九年︶で陸軍に入
を終えることができました。
だき、滞りなく終了致しまし
法話の中で軍歌の一節を歌わ
隊し翌年台湾に行かれました
れ た 時、 自 然 に 口 ず さ む 声 が
た。講演は、私共新 回の同 諸 先 輩 方 の ご 指 導 の も と、 が、他の隊員は沖縄に派遣さ
聞 こ え て き ま し た。 戦 後 六 十
期生、吉塚幼稚園園長高杉美
何度も打ち合わせを重ね私共
れ敵軍の攻撃に遭い戦死され
一年を経た今でも記憶として
稚 子 さ ん に お 願 い し ま し た。 も 当 番 学 年 と し て、 友 情 と 固 たそうです。その事が契機と
心に残っているのだと思いま
なり現在は元新聞記者の経験
奏者和田名保子さんの哀愁
い絆を改めて感じることがで
し た。 最 後 に﹃ 戦 争 を し な い
ただよう﹁家路﹂の演奏に始
き、感謝の気持ちで一杯です。 を生かし浄土真宗の僧侶とし
事が子ども達に残す最大のプ
て﹃靖国問題﹄を中心に反戦
母校の益々の発展と皆様の
まった﹁しあわせの処方箋∼
レゼントである﹄と言われた
運動をされています。
ご活躍をお祈り致します。
オカリナの調べにのせて﹂の
言葉に講師の平和を願う強い
新 聞 や ニ ュ ー ス で﹁ 靖 国 問
講演は淡々と語られる中に深
気持ちを感じました。
題﹂について報道されていま
いものがありました。高校一
すが理解し難い問題であると
年生の頃の無邪気で明るい高
思 っ て い ま し た。 し か し 氏 は
何故靖国神社に参拝する事が
杉さんが、脳の病気で開頭手
他国との摩擦や波紋を呼ぶの
術を受けていたこと、さらに
か、 浄 土 真 宗 と の 関 わ り に つ
二十七歳という若さで、幼稚
いて仏教の言葉を用いて解り
園園長を継ぐという人生の大
易く説明してくださいました。
きな転機を受け止めていたこ
釈尊在世当時の戒律に﹁不
となどをしらされ、ただただ
殺すことなかれ、殺
殺生﹂ ―
驚 か さ れ ま し た。﹁ 全 て は 夢
さ れ る こ と な か れ。 ま た、
か ら は じ ま る ﹂﹁ 行 動 し な い
﹃仏説大無量寿経﹄の一説に
﹁兵弋無用﹂ ―
兵隊も必要な
で反省する人より行動して反
いという教えがあります。戦
省する人でありたい﹂とのお
新27 回 王 寺 直 子(原田)
主宰:徳田恭子(熊本大学大学院英文卒)
〒 844-0024 佐賀県西松浦郡有田町
〒 810-0022 福岡市中央区薬院4丁目2−9
TEL 092−523−5528
(有)夢 彩 (株)光 樹 グループホーム
定期テスト対策・医歯薬受験
学校法人ルンビニー幼稚園・社会福祉法人平安保育園
構造改革特別区認定・あかさかルンビニー園
(幼保一元)
青山英語教室
大学受験
平成19年3月
筑 紫
(9) 第50号
26
26
25
27
4
4
4
しい風景は今でも瞼に浮かび
光雲荘一日研修旅行
ます。写真を撮ったり、茶店
でソフトクリームを食べたり
新 回
宇都宮
し て 十 分 に 満 喫 し、 ミ ル ク
ロードのすすきに見送られな
平成十八年十一月九日、穏
がら帰途につきました。
やかな好天に恵まれ、参加者
五十三名による光雲荘研修旅 当 番 生 と し て 企 画 か ら 参 加
い た し ま し た が、 迷 っ た り、
行が実施されました。
行 き 詰 ま る こ と も 多 々 あ り、
光雲荘では、占部会長ご導
そのたび担当の加留部副会長
師 で 開 経 偈、 続 い て 初 め て
を 始 め、 多 く の 先 輩 か ら 温 か
の試みの音楽法要を行いまし
く手を差しのべて頂きました。
た。昼食は、菜飯や熊本名産
力不足を補って下さり無事に
の馬刺、辛子蓮根など心尽し
の 秋 の 料 理 を 堪 能 し ま し た。 遂 行 で き、 厚 く 感 謝 い た し ま
す。 ま た、 こ の 研 修 旅 行 を 通
食後当番生の入れたコーヒー
を 手 に し た 自 己 紹 介 の 中 で、 じ て、 協 力 し あ っ た 十 二 名 の
担当当番生の間には深い信頼
先輩方が高校駅伝の応援に京
と新たな絆が生まれた事を実
都まで行かれる事や募金活動
感 い た し ま し た。 そ し て、 何
のことなどを伺いました。こ
より先輩方や同期生と素晴し
のようにして母校の伝統を支
え て 下 さ っ て い る 事 を 知 り、 い 時 を 分 か ち 合 え た 事 は、 生
涯忘れ得ぬ経験として私の心
感服いたしました。くつろい
に 残 る こ と で し ょ う。 あ り が
だ館内には華やかな笑い声が
とうございました。
響き、春のようでした。
光雲荘をあとにして、今回
向かったのは大観峰。バスを
降りたら、秋の澄みきった空
気が視界を広げ、根子岳、高
岳、中岳、鳥帽子岳、杵島岳
からなる阿蘇五岳が迎えてく
れました。晩秋の阿蘇の山々
は神々しく輝き、雄大なその
中腹の牧場では牛たちがゆっ
たりと草を食み、観ている者
にこの上ない安らぎを与えて
くれました。この大観峰の美
092-621-6655
TEL
092-621-4387
FAX
SHOP 092-622-4911
新 27 回 平岡 庸子(旧姓:結城)
新27回 上野美穂子
新27回 井原 純子
(旧姓 岡)
福岡市東区二又瀬 17 − 12
〒 812-0066
福津市中央3−8−5
℡ 0940-42-2313
〒 810-0066 福岡市中央区福浜1丁目11番13号
TEL(092)741-7790 FAX(092)731-4855
http://www.e-hiraoka.jp
〒 811-3217
株式会社
建設業許可 福岡県知事(般−16)第93176号
HIRAOKA
井原書店
27
4
ワーをもらい癒され、動物を
第十回精華セミナー
愛することは人間にしか出来
な い。 こ の 意 識 は 太 古 か ら
新 回
谷井
千鶴
面
々と続いているというお話
朝 夕 め っ き り 冷 え 込 み、 街
には驚きました。
路樹も色づき始めた平成十八
他 に は、 ペ ッ ト の 効 果・
年 十 一 月 二 十 五 日 ㈯ に﹁ ヒ ト
ペット飼育の問題点など興味
と 動 物 と 動 物 園 ﹂ と 題 し て、 深いお話がありました。講演
水月ホールにて第十回精華セ
会後の質疑にも丁寧に答えて
ミ ナ ー が 開 催 さ れ ま し た。 講
くださいました。
師 に は、 海 の 中 道 海 浜 公 園・
高田さんの今後の更なるご
﹁動物の森﹂で獣医師をなさっ
活躍を願っております。あり
て い る 高 田 真 理 子 さ ん︵ 新
がとうございました。
回︶をお迎えしました。
高 田 さ ん は、〝 動 物・ 生 き
物が好いとうけん!〟という
理由で獣医師を目指し、大学
卒業後、家畜保健衛生所勤務
を経て、ご本人の話では﹁動
物の森﹂へ押しかけ獣医師に
なられ、小学校時代からの夢
を実現されました。
講演の﹁私と動物の森﹂で
は、スライド画像を使って動
物たちの生態や動物の森の獣
医さんの苦労話・皇太子殿下
ご来園の際の話などのエピ
ソードや裏話を交えて動物た
ち と 触 れ 合 う 楽 し さ、﹁ 動 物
の森﹂の素晴らしさをお話
し 頂 き ま し た。﹁ 人 と 動 物 と
のかかわりあいについて﹂で
は、ヒトが食料や敵としての
対象ではない﹁動物﹂の存在
を発見し、ヒトの意識が﹁人
間 ﹂ に な り、 動 物 を 見 て パ
快適なカーライフを応援します
有限会社
上野自動車
株式会社
第50号 (10)
筑 紫
平成19年3月
27
27
38
16
支部だより
15
関東支部
新 回
大塩
晃子
平成十八年度精華会関東支
部総会は十月二十九日、緑の
芝生に囲まれた明治記念会館
で旧 回生から新 回生まで
総勢百五十七名の参加を得て
開催されました。
土生支部長、田中関東支部
顧問の挨拶に続き、福岡より
ご出席を頂きました占部会長
から、現在の筑紫女学園の状
況、百周年記念行事に向けて
のお話しがありました。この
後、新支部長新 回笠井美菜
子さんの承認、活動報告、会
計報告等が、行われました。
回足立恵美子
会食は、旧
さんの乾杯で始まり、楽しい
歓談の中、今回のメインイベ
ントである、筑紫女学園の今
の学園風景から昔の学園風
景、学園行事等のスライド上
しました。
に新神戸オリエンタルホテル ることができました。
映を行いました。
一年間の近況報告や、百周
新しい校舎に会場から驚き
にて開催いたしました。今年
平成十九年度の支部総会 年を迎える、母校の話題に移っ
の声が上り、学園内部の美し
も福岡より占部会長・加留部
は、六月十日大坂のラマダホ
てまいります時は、昭和十一
さ、設備の充実さに溜息も聞
副会長にご出席いただきまし
テル︵旧東洋ホテル︶最上階
年卒業の方から昭和五十一年
こ え て 来 ま し た。 そ し て、 明
た。又今年は当番幹事の新
のイタリアンレストラン﹁ラ
の方まで、いらっしゃいます
回生の応援に、同期生の熊谷 ンパーダ﹂にて開催の予定で
治時代の学園風景から改築前
の で、 そ れ は そ れ は、 お 話 は
副会長と尾嶋さんに福岡より
の学園風景のモノクロの世界
す。皆様のご出席をお待ちし
つきないものでした。
に 場 面 が 移 る と﹁ 懐 か し い ﹂ お越しいただき、賑やかに四
ています。
十一名の出席となり幹事共々 関西支部のもう一つ大事な またご実家に帰省されたお
の声と共に涙ぐむ姿や﹁覚え
り、現在の母校に立ち寄られ
行事として、年末の高校駅伝
喜び合いました。
ていますか。この校舎を﹂と
た時の学校の変わりようのす
回新谷
の応援があります。母校が毎
の問いかけに、一斉に答えが
当日は最年長の旧
ばらしさを、ご披露くださる
英子さんの乾杯の音頭で始ま
年京都での全国大会に出場し
返って来て、大いに盛り上が
方もいらっしゃいました。毎
り、和食の松花堂弁当を楽し
ている事は、皆様よくご存知
りました。福岡を離れて何十
回出席してくださる佐藤先生
みました。食後は精華会より
と思います。京都西京極競技
年も経つ会員の方から﹁あり
のお話などをお聞きいたしま
お借りした筑紫女学園の現在
場で、選手を間近で見ての応
がとう﹂の感謝の言葉に胸が
した。
の姿を写すビデオを鑑賞しま
援は、感激と感動を味合わせ
熱くなり、母校の百周年を前
した。新しい近代的な校舎に
てもらえます。関西地区にお 十九年度は、六月に例会を
に共に同じ想い出にふれられ
予 定 し て お り ま す。 鹿 児 島、
は感嘆の声が上がり、変らぬ
住まいの皆様には、是非多数
る企画が実行出来た事を、本
セーラー服の制服姿に安堵
応援に来ていただきますよう、 宮崎にお住まいの方がいらっ
当にうれしく思いました。最
し、母校の発展ぶりには皆様
よろしくお願い申し上げます。 しゃいましたら、どうぞご一
後に校歌斉唱。あっという間
緒いたしましょう。お待ちし
大いに喜んでいただけたよう
に三時間は過ぎ、なごりを惜
ております。
です。今年も皆様のご協力に 鹿児島支部
しみつつ、平成十九年度総会
支部長
より和やかに支部総会を終え
十月七日﹁椿山荘﹂での再会
新 回
を約してお開きとなりました。
永田まり子
今年度関東支部は、名簿の
今年度の、精華会鹿児島支
追加修正を行い、約二千二百
部例会は、六月四日、鹿児島
六十名で運営致しました。こ
市の中心部に位置しておりま
れからも、会員皆んなの協力
すレクストンかごしまの、﹁竹
で、充実した活動を続けてゆ
千代﹂にて、開きました。市
きたいと思います。
内はもとより、県内各地から
出席していただき、また初め
関西支部
て ご 参 加 さ れ た 方 も、 含 め
十三名での会でした。
鹿 児 島 支 部 の 立 ち 上 げ に、
ご尽力いただいた、鮫島セツ
先輩のご冥福を、お祈りいた
支部長
新 回
井上
澄代
平成十八年度の精華会関西
支部総会は、六月二十四日㈯
22
21
44
19
31
平成19年3月
筑 紫
(11) 第50号
31
筑 紫
平成19年3月
支部連絡先
中島多紀子
福岡市城南区飯倉1丁目4−38
℡(846)2666 (846)1606
﨑
株式会社
子(旧姓 髙田)
〒 816-0931
福岡県大野城市筒井3−6−22
℡(092)571-2044 (092)501-6262
福岡県知事許可(特−14)第10107号
新27回 松尾美恵子(旧姓 古賀)
17年度決算
2,079,956
126,242
127,512
21,840
3,528,000
420,000
171,212
2,084,080
1,685,616
4,080,589
65,000
88,130
100,000
200,000
162,178
178,250
48,097
65,715
0
3,000,000
18,232,417
8,710,412
26,942,829
観音寺
新27回 塚田 由美
(旧姓 磯辺)
キッチン
SAKURA
I・K・C
委託会計業務処理
代 表
新27回 佐藤みさお
(旧姓 恒松)
〒 816-0077
福岡市博多区元町1−7−16
℡ 092-592-5446
宿泊料飲部 ゲストリレーションズ 接遇担当
課 長
﨑 武夫
〒 814-0134
新27回
古賀建設
Y U U R I T U
代表取締役 浄土宗
福岡市博多区奈良屋町10−22
福岡市南区長丘2丁目1− 19
教室 ℡ 511-1567
自宅 ℡ 511-5376
科
目
総
会
費
会
議
費
卒 業 式 費
追 悼 会 費
クラブ活動援助金
慶 弔 謝 恩 費
研
修
費
人
件
費
印
刷
費
通
信
費
交
通
費
電
話
料
光 熱 水 費
維 持 管 理 費
消 耗 品 費
振 込 手 数 料
備
品
雑
費
予
備
費
基
金
支 出 合 計
次 期 繰 越 金
合
計
19
〒 812-0023
連絡先
〒 815-0075
友 立
15
会 社
22
不動産・建築・損害保険
株 式
福岡市西区小戸3−58−1
092(882)2618
http://www.marinetech.jp/shool.html
科
目 17年度決算
会
費
4,692,000
精華会入会金
5,880,000
会 費( 新 卒 者 ) 5,880,000
名 簿 代 金
15,000
広 告 料 収 入
210,000
水月ホール使用料収入
2,000
受取利息配当金
1,997
雑
収
入
729,795
立
替
金
501,680
募 金 繰 入 金
2,521,239
収 入 合 計 20,433,711
前 期 繰 越 金
6,509,118
総
合
計 26,942,829
公文式長丘東教室
指導者
支出の部
〒 819-0001
新27回 浜田淳子
(旧姓 宮原)
収入の部
随時開催
㈱マリーンテック
精華会決算報告
北海道支部
支部長
中薮美知子︵新9︶
︵℡ 〇一一 -六六一 -〇六二六︶
関東支部
︶
支部長
笠井美菜子︵新
︵℡ 〇四三八 -六三 -三七三四︶
関西支部
︶
支部長
井上
澄代︵新
︵℡ 〇七七 -五六四 -九九四︶
九
鹿児島支部
︶
支部長
永田まり子︵新
︵℡ 〇九九 -二五七 -八九七︶
六
クルーザーヨットスクール
事務局からのお願い
◎住所・姓名等の変更はできるだけ早く事務局まで届出て下さい。
◎﹁精華会会費﹂納入をよろしくお願いいたします。年会費一、〇〇〇円で、何年分でも受
け付けております。同封の振替用紙をご利用下さい。
新 回生︵平成十年三月卒業︶の方々は、一括納入期間︵十年分︶が過ぎましたので本年
度より年会費納入をお願いいたします。
◎水月ホール︵紫苑館三階︶は、同窓会・クラス会・部活OG会などにご利用いただけます。
メモリアルホールなど見学にもおこし下さい。
◎ 最近、同窓会を名乗り広告掲載を依頼したりする例が有ります。会員への連絡や依頼は精
華会だより﹁筑紫﹂及び事務局からのハガキ、会長名の文書で行います。やむをえず電話
を使用する場合は、精華会事務局が身元や趣旨を明らかにしておりますのでご留意下さい。
49
第50号 (12)
〒 814-0142
福岡市城南区片江5丁目10−2
℡ 092-871-6233
福江由美子(新27回)
樋口 裕子(新27回)
株式会社ニューオータニ九州
〒 810-0004
福岡市中央区渡辺通1−1−2
℡(092)714-1111( 代 )
(092)715-5658
http://www.newotani-hakata.com
筑 紫
(13) 第50号
平成19年3月
謹んで哀悼の意を表します。
物 故 者(平成17年12月∼平成18年12月末受付分)
[ 職 員 ]
・古 賀 富做人(旧職員) ・長 瀬 福 清(旧職員) ・中 山 昌 代(旧職員) ・檜垣(高木)光子(旧職員)
・馬男木 敬 介(旧職員) ・森 田 登 美(旧職員)
[ 卒業生 ]
・原田(永田)トメ(旧7)
・亀山(青柳) 薫(旧15)
・西嶋(山本)ミツノ(旧16)
・津田(吉田)操子(旧18)
・常岡(堀内)ゆきえ(旧19)
・田 中 俊 子(旧20)
・浦野(野村)保子(旧20)
・橋本(岡部) 操(旧20)
・大 塚 照 代(旧22)
・大神(相戸)セツ(旧23)
・堤 (柴田)芳子(旧24)
・岩崎(印)トシ子(旧26)
・三宅(重枝)ユキエ(旧26)
・党 康 江(旧28)
・本 田 秋 子(旧28)
・東 (武末)章子(旧30)
・大森(多田)アサエ(旧31)
・冨田(塩田)昌子(旧31)
・野上(脇山)晶子(旧33)
・調(辛川浪子)南任子(旧34)
・江口(渡辺)靖子(旧34)
・今泉(今泉)俶子(旧35)
・山田(大坪)良野(旧36)
・原田(原田)保子(旧37)
・梅木(高野)シマ(旧14)
・藤田(土屋)シカヨ(旧15)
・伊藤(田中)文子(旧17)
・鰺坂(中村)セツ(旧19)
・渡辺(楢崎)フクエ(旧20)
・宇野(玉井)シズエ(旧20)
・白水(三浦)イセ(旧20)
・松尾(古賀) 昌(旧21)
・桐 山 トモキ(旧22)
・下澤(久門) 静(旧24)
・手島(田中)フミ子(旧25)
・佐藤(浜田)ツル子(旧26)
・白石(柳瀬) 静(旧27)
・森田(森田)ヤス(旧28)
・結城(塩川)直子(旧29)
・秀島(板井)トシ子(旧30)
・井手(井手)道子(旧31)
・帆 足 伊都子(旧31)
・渡辺(中山)静子(旧34)
・田部(草野)妙子(旧34)
・小野(押山) 好(旧35)
・園 田 嘉 子(旧35)
・奥 村 和 子(旧37)
・吉村(吉田)時子(旧37)
・安河内(井上)フミ(旧14)
・長田(八尋)静江(旧16)
・徳丸(進藤)テル(旧17)
・高 田 よしの(旧19)
・松浦(江頭)君子(旧20)
・樋口(武谷)ミチエ(旧20)
・山下(松尾)ハル(旧20)
・赤星(藤原)登美子(旧21)
・平山(宮原)フミ(旧23)
・白倉(立石)雅子(旧24)
・籐 (大塚)内美(旧25)
・田中(多久)都由子(旧26)
・須藤(小川)泰子(旧27)
・池田(真鍋)壽美(旧28)
・黄 慧 性(旧29)
・椎葉(田代)菊野(旧30)
・佐々(香山)貞子(旧31)
・田川(田川)恵美子(旧32)
・楢 崎 清 美(旧34)
・船津(玉井)由比子(旧34)
・大神(大神)和子(旧35)
・下 川 昭 子(旧35)
・鹿子嶋(岡部)布子(旧37)
・大塚(大塚)智津子(旧37)
・黒田(松井)トモ(旧14)
・富重(柳瀬)美代(旧16)
・隈井(松尾)菊江(旧18)
・津田(中島)えい(旧19)
・城戸(谷口)梅子(旧20)
・藤 田 梅 子(旧20)
・広岡(箕原)ナツ(旧20)
・荻 野 チトセ(旧21)
・松村(上村)道子(旧23)
・古澤(渕本)典子(旧24)
・市田(大塚)澄子(旧26)
・長谷川(長谷川)節子(旧26)
・南利(南利)綾子(旧27)
・山田(古屋)ミチヨ(旧28)
・多田(多田)富士子(旧30)
・藤 野 チエ子(旧30)
・速 開 千々枝(旧31)
・村 田 寿 子(旧33)
・内 田 博 子(旧34)
・中垣(渡辺)邦子(旧34)
・佐藤(月原)アキミ(旧35)
・橋本(古川)栄子(旧35)
・梶原(正木)キミヨ(旧37)
・大内(木立)幸子(旧37)
・坂本(榎田)順子(旧37)
・戸 塚 敏 子(旧40)
・波多江(花田)房子(新4)
・本 田 和歌子(新5)
・広瀬(竹田)良江(新8)
・青木(高田)笙子(新10)
・近藤(伊福)絹代(新11)
・青木(立野)美智子(新13)
・松田(高次)由比子(新15)
・浜崎(幸谷)恵三子(新17)
・小牧(原田)美穂(新22)
・宮本(宮本)幸江(新26)
・宮内(宮川)陽子(新35)
・髙瀬(藤島)擁子(旧38)
・作 野 英 子(旧40)
・船 越 由紀子(新4)
・檜垣(高木)光子(新5)
・古野(小森)常代(新8)
・阿 倍 純 子(新10)
・杉町(梅月)喜代子(新11)
・山近(安部)道子(新13)
・花村(渡辺)和美(新16)
・髙木(高瀬)喜代子(新18)
・永松(高川)佳子(新22)
・西原(鴨川)都希子(新27)
・岩下(山下) 薫(新40)
・速 開 葉 子(旧38)
・佃 (白水)浩子(旧40)
・広渡(豊沢)和子(新4)
・清水(近藤)順子(新5)
・足立(秋山)良子(新9)
・長田(高松)三枝子(新10)
・井 上 逸 子(新12)
・桜井(梅津)和余(新14)
・岡 澤 敬 子(新17)
・丸山(平川)悦子(新19)
・岩 本 千佐子(新24)
・杉内(前川)眞美(新30)
・松 永 碧(新55)
・中村(広田)邦子(旧40)
・池浦(古賀)英子(旧40)
・肥後(堀家)和子(新5)
・四辻(藤)美智子(新6)
・曽川(和久田)律子(新9)
・杉山(鏡) 敞子(新10)
・朝倉(後藤)智恵(新12)
・西村(金丸)しず子(新15)
・長 崎 文 子(新17)
・関川(田畑)晴子(新20)
・冨永(安部)寿美子(新24)
・白谷(松野)直子(新34)
※ 精華会では会員のご逝去に対し香炉をお届けいたしております。
事務局までご一報下さいませ。 合掌
2・
高校
後期入学試験
学校行事︵平成 年度︶
涅槃会・追悼会
◦寄
付
4・8 入学式
3・3 高校
卒業式
平成十七年度
高一
高校
光雲荘研修
修学旅行
7
船
越
素子様︵新6回︶
中一
中三
新入生研修
海外語学研修
平
成
十八年度
創 立 記 念 日、 花 ま つ
高一
5・
クラスマッチ 嶋田 道子様︵旧 回︶
高二
り、宗祖降誕会
クラスマッチ
江頭
江様︵旧 回︶
高二 能・狂言鑑賞
中学修了式
小島
6・9 高校
芳子様︵旧 回︶
体育祭
役
員
・
委
員
交
代
新
任
者
中学
辻
クラスマッチ
博子様︵旧 回︶
◦関東支部
7・7┘
小山チカヨ様︵旧 回︶
─紫苑祭
笠
三浦シヅ子様︵旧 回︶
(
) 井美菜子
支部長 新
8└
副支部長 新
彼岸会
9・
(
)大塩 晃子
国本嘉代子様︵旧 回︶
◦常任幹事
・
高校
倉富美智子様︵旧 回︶
遠足
新
中学 体育祭
(2 岡
)本
敦子
岡本
敦子様︵新2回︶
◦学年幹事
芸術鑑賞
多良左杜子様︵新4回︶
新
﹁肝っ玉お母と子どもたち﹂
(2 椿
) 登久子
新6回5組有志一同様 新
前
(
) 田 渓子
・2 中学 遠足
松原
新
田
(
) 代 倫子
・
成道会
武子様︵新8回︶
◦校内幹事
林
中学 弁論・コーラス
美恵子様︵新 回︶
新
青
盛本由美子様︵新 回︶
(
) 木早穂子
コンクール
◦クラス委員
越谷
1・
中学
啓子様︵新 回︶
入学試験
入
) 江 明子
旧
加茂川里美様︵新 回︶
報恩講
貞
)方
新2
照子
高校
阿世賀砂織様︵新 回︶
専願入学試験
石
橋
け
い
子
)
新4
2・2 高校
渡辺
前期入学試験
小
山
洋子様︵新 回︶
)
新
博子
以上 計 三二二、〇〇〇円
柴
)垣
新
亨子 大
) 橋 洋子
江
注
)田
新
秀子
今回は百周年記念募金
中
締切後の追加としての寄付
)島
新
絹子
山
が多い為、金額は掲載して
) 崎 文子
新
前
) 田 絵美
おりません。尚、百周年記
佐
) 藤みさお
新
念募金は平成十七年十二月
草
) 野 絹子
を以て終了させて頂きまし
清
)家
由美
た。
岡
) 部真由美
西
) 川真由美
新
21 19
26 13
ろ
(組
ろ
(組
3
(組
6
(組
8
(組
9
(組
3
(組
8
(組
2
(組
(組
1
(組
2
(組
4
(組
4
(組
(組
42
10
10
38 38 37 37 35 35 35 25
56 44 32 21 12 10
◦寄
贈
中村
チエ様︵旧 回︶
書籍﹁余韻に美あり﹂
中下
八重様︵新 回︶
画文集﹁ 花と草と風たち﹂
高田真理子様︵新 回︶
書籍﹁九州の女﹂
精華会名簿
編
創立100周年記念
集
筑紫女学園
後
記
平成19年発行
﹁ 母 校 卒 業 生、 卒 業 生 相
) 互 連絡機関 致 度
﹂︵ 当 時 会
) 思
) 長文英先生︶ 、昭和二十九
) 年一月 第1号 新聞﹁筑紫﹂
)
発刊
五 十 三 年、
) 精華会
﹁筑紫﹂ 第
) 号
。﹁ 先 輩 方
)
初
心
﹂
大
切
思
)
︵熊谷︶
。
)
)
)
)
)
)
)
)
)
)
)
)
)
)
)
)
平成19年5月発行
ご希望の方は事務局まで
印刷
︵株︶津村愛文堂
50
﹁筑紫﹂ 第 号編集委員
20 16 13
*編集委員長
創立100周年記念
1部
5,000円
精華会名簿
25
15
27
新
(5
占 部 美 子
〃(
加留部久美子
*熊 谷 敏 子
〃(
清川 久美子
〃(
廣佐古 文子
〃(3
宮 川 衣 枝
〃(4
青 木 孝 子
〃(5
舟木 佳代子
〃(
池 永
碧
〃(
原田 裕美子
〃(
重 松 真 弓
〃(
相 田 明 美
〃(
前 田 絵 美
〃(
河 津 博 子
〃(
内 田 美 穂
〃(
平 岡 庸 子
〃(
藻形 恵美子
〃(
川 口 恵 子
〃(
梶 原 照 子
〃(
安藤
由紀子 ︵校内︶〃(
青木
早穂子 ︵校内︶〃(
三 浦 尚 子 ︵校内︶〃(
塚 本 亮 子 ︵校内︶〃(
小川 すみ子 ︵事務局︶〃(
藤 原 節 子 ︵事務局︶〃(
50
19 19 46 43 42 40 27 27 27 27 27 27 26 26 24 22 12 12
21 10
19 16 15
39
12 11
26 19 13
27
30
13 28 17
30
19 11
23
21 13
23 16 13
10
12 11
第50号 (14)
筑 紫
平成19年3月
創立100周年記念 ロゴマーク
18
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