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韓国経済論Ⅰ No.5 1 3.休戦・アメリカの援助経済と混乱期(1953
No.5 韓国経済論Ⅰ 3.休戦・アメリカの援助経済と混乱期(1953-1960) 1)アメリカによる援助経済 *1953 年 8 月「米韓相互安全保障協定」締結 大量の対韓援助供与(主に物資)が開始(以降 1960 年までの援助累計額:21 億ドル) 援助物資:小麦、原糖、原毛、原綿などの原資財 *政府による、援助物資の特恵配分(払下)+有利な金融特恵 いわゆる、「三白産業」(製粉・精糖・紡績)を中心とする工業化 →権力癒着型財閥(政経癒着)→韓国経済の構造的問題に発展 「三星」、「三頀」、「金星」、「現代」(軍事施設の建設)の形成 2)政治・社会的混乱期(1960 年-1961.5) *政経癒着による不正腐敗、農村の貧困問題、失業問題 →政治的無能、失政、権力基盤の弱化 → 独裁体制の強化+便法的憲法改正 ・1960 年 3 月 15 日大統領選の不正選挙 *学生による民主革命(1960 年 4 月 19 日) 4 月 26 日、李承晩辞任→ハワイに亡命(ハワイで死亡、1965) 1960 年 6 月 15 日「議員内閣制」の第 2 共和国誕生 *4.19 革命の評価 1.市民(学生)による民主・反独裁の革命である(アジア最初の) 2.韓国歴史初めての成功した革命(民衆による) 3.保守的政権である第 2 共和国の成立→「未完の革命」 *第 2 共和国の限界 1.経済再建第一主義を標榜しながらも具体的な経済政策なし 2.韓国経済の破綻状態 3.反共イデオロギーの衰退、自由(放任)イデオロギーの台頭 4.失業者の急増 *4.19 革命として湧き出た革命的エネルギーは建設的方向ではなく… - デモの数 1,840 回、参加数述べ 98 万人(1960.4~1961.3)― 自由放任的、親北朝鮮的南北統一問題に向けられる。 1 No.5 韓国経済論Ⅰ 4. 官主導資本主義の誕生 1)5.16 軍事クーデター(1961.5.16): *朴正煕(当時少将、44歳)による軍事クーデター(政変) ・主導勢力:250 名の若手将校、3,500 の兵士) *革命公約 ①反共体制の再整備 ②国連憲章と国際協定の遵守および自由主義諸国との紐帯強化 ③腐敗と不正の一掃による清新な社会の創造 ④絶望と飢餓に苦しむ民衆の救済 ⑤国土統一のため共産主義と対決し得る国家の建設 ⑥革命事業の完遂後、清新な政治家への政権移譲 (軍への復帰) *5.18 臨時閣議にて内閣総辞職、「軍事革命委員会」への政権移譲→第 2 共和国の崩壊 ・「軍事革命委員会」から「国家再建最高会」に改称 ・3 年間(61~63)の軍事統治(議長、朴正煕 1961.7.3 から) 5.16 はクーデターか革命か 5·16 クーデターは、4·19 革命以降の混乱と危機を解消する目的であるものの、権力志向的軍部勢 力の武力による政府転覆、権力を掌握した政変である。 ・4·19 革命以後の急進的変革勢力の弾圧、国民統制など民衆運動、民主化を遅延した結果 ・軍部による不法的政権掌握、政治介入という先例となる。 腐敗していた韓国の政治と経済を変えた。 工業化・近代化の基盤を作った。 1993 年金泳三政権、5·16 を「クーデター」であると規定、しかし評価は歴史に委ねる。 2)第3共和国の誕生(1963~1972、強力な大統領中心制) ・朴政権の登場は、韓国経済発展において決定的に重要な意味を持つ →1962 年以降、首尾一貫した経済計画を用意 明確な目標を設定、実現のための資源配分の明示、組織的経済運用 ①「第 1 次経済開発 5 カ年計画発足(1962 年)」:経済企画院の創設 開発行政の官僚として有能な若手が広範に登用される。 ・基本戦略:「輸出志向工業化政策」 ②「ベトナムに派兵」(1964 年) →外貨獲得、ベトナム特需による経済発展の基盤構築・軍の現代化 2 No.5 韓国経済 済論Ⅰ ③「日韓 韓協定」(19965 年):日 日韓国交正常 常化 日本 本から、無償 償 3 億ドル、有償 2 億ド ドル、民間借 借款 3 億ドルの資金供与 →第 第 2 次経済開 開発 5 カ年計 計画の資金に に 生(1963~1 1972) 2)第3共和国の誕生 糧増産 7 カ年 年計画」(19 964 年) ・「食糧 ・「農業 業機械化 8 カ年計画」( カ (1969 年) 開通) ・京釜高 高速道路開通 通(1966 年着 着工 1970 年開 ・1970 年 年輸出 10 億ドル 億 ・第 1 次 次経済開発 5 カ年計画( (1962-66 年 年): 消費 費財(軽工業 業)の輸出化 化、社会イン ンフラ拡充・整備 ・第 2 次 次経済開発 5 カ年計画( (1967-71 年 年) 自立 立工業構造確 確立、労働集 集約的産業の の輸出化 5.開発独裁期(1972-1979) 権の独裁、長 長期執権化:改憲(維新 新憲法) *朴政権 *第 4 共 共和国の誕生 生(維新政権 権):超憲法 法的大統領の権力、大統領 領の間選制へ へ、永久執権 権、 国民の の自由権の制 制限など ・第 1、2 次の経済開発 5 カ年計 計画の成功的 的推進 次経済開発 5 カ年計画( (1972-76 年 年):輸出主 主導的重化学 学工業化の準 準備段階 *第 3 次 工業 業化、輸出の の拡大、資本 本の海外依存 存度上昇、都・農村間、産 産業間の不均 均衡発展 ・成長 長、安定、均 均衡成長 ・農村 村の近代化(所得増、環 環境改善) ・産業 業構造の高度 度化、経済の の自立化(労 労働→資本集 集約) ・重化 化学工業の建 建設 ・科学 学技術の発展 展 3 No.5 韓国経済論Ⅰ 1)農村の開発:セマウル運動(新しい村、1971 年~):農民の生活の革新、環境改善、 所得の増大→政府主導による農村の近代化 2)重工業政策: ・鉄鋼産業:浦項製鐵(現 POSCO)竣工(1973.7) ・自動車産業:現代(67):75 年韓国最初の固有モデル生産、ポニー) 76 年輸出開始→1985 年アメリカ輸出 ・造船:現代重工業(72)、三星重工業(74)、大宇朝鮮海洋(78)→80 年から輸出 3)石油化学(肥料)工業政策:大規模の工業団地設立 4)朴政権の危機と終焉(1979 年) 背景: ① 中央執権的管理経済の定着・成功→効率的な修正ができなかった。 ② 社会的・政治的不安、階層間・地域間の葛藤深化 ③ 2 回のオイル・ショック(73、78 年) 要因: ① 第 1 次オイル・ショック(73 年)は、いわゆる「中東建設ブーム」が突破口になる。 →建設業の財閥の形成、輸出 100 億ドル達成の要因 ② 生産性向上のための投資より、量的生産に偏った政策(経営)→労使問題 ③ 政権維持のための過度な弾圧(反特栽市民運動発生) ④ 第 2 次オイル・ショックの衝撃(世界経済の悪化) ⑤ 権力末期の葛藤と権力漏水が生じる 4