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第2章 呪力について

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第2章 呪力について
第2章 呪力について
第1節 怨霊
呪力とは、デジタル大辞泉によると、まじない、またはのろいの力。呪術の基礎をなす超
自然的・非人格的な力とある。大辞林によれば、①まじない,またはのろいの力。②特定
の人・物・現象などにやどると信じられている超自然的な力。 →「マナ」 とある。こ
の「マナ」については学問的にもいろいろと研究されているが、私はそれらも含めて呪い
の力すなわち呪力というものは実際に存在すると考えている。電子書籍「祈りの科学シ
リーズ(1)」の「<100匹目の猿>が100匹」では若干そのことに触れた。まずそ
れを振り返るところから呪力の話をはじめたいと思う。
第13章「内なる神」と第14章「おわりに」で次のように述べた。すなわち、
『 話をごろっと変えよう。悪魔の話である。実は悪魔も存在するのである。「呪い」と
いうのがある。「丑の刻参り」というのをご存知でしょうか? わら人形を木にくくり付
け,相手を強く呪いながら金槌で五寸釘を打ち付けるのである。かって私は貴船という題
で「丑の刻参り」の話を書いた。能にも出てくる「鉄輪」の話である。紙枚の関係もあ
り,あえてここでは書かないが,興味のある方は私のホームページを見てもらいたい。
要するに,「内なる神」や「外なる神」が存在するし,一方で,「内なる悪魔」や
「外なる悪魔」が存在するのである。ゲーテの「ファースト」はある老科学者が悪魔と取
引をして悪魔と共生する話だが,中村雄二郎はリズム論の立場から,今ゲーテが面白いと
言った。私もゲーテは神もおれば悪魔もいるという真実を見ていたと思う。ゲーテは面白
い!』
『ところで,日本の歴史の中で平安時代がいちばん平和な時代であったと言われている。
平安時代のどこに平和の原理が隠されているのか?当時、ちょうど平安遷都1200年と
いうこともあって、私は, 平安時代のどこに平和の原理が隠されているのか・・・ そん
な疑問を持ちながら,「怨霊,妖怪,天狗」の勉強をはじめた。平安時代というのは,怨
霊のうごめく時代であった。多くの権力者が「呪い」におびえる時代であった。そういう
時代がなぜ歴史上いちばん平和な時代になったのか? その秘密は,どうも御霊神社がそ
うであるように,「祈り」にあるようだと気がつきながら,私は、これから私の哲学の勉
強をどう進めていけば良いのか,はたと困ってしまった。「平安遷都を訪ねて」という
「怨霊,妖怪,天狗」を訪ねる私の旅は,そのとき、山寺(立石寺)の慈覚大師まで辿り
着いていたのだが,それから先どういう旅すれば良いのか?』・・・と。
貴船の「牛の刻参り」のホームページは、http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/
kibunejin.html であるが、「鉄輪(かなわ)」については、次のホームページを見ても
らいたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/kanawa.html
また、「杜若(かきつばた)」というページで「泰山府君」や「土蜘蛛」や「鞍馬天狗」
ともリンクが張ってありますので、それらを呪力と関連するものとしてご覧戴きたい。こ
の世には誠に不思議な世界があるものだなあと感じていただければそれで結構です。
さて、「平安遷都を訪ねて」という「怨霊,妖怪,天狗」を訪ねる私の旅については、次
に紹介する一連のページをご覧戴きたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/tabi/heian.html
私は、「怨霊,妖怪,天狗」を訪ねる旅を「北嶺の人」「赤山禅院」「鞍馬.貴船」「怨
霊・鬼・妖怪」「立石寺」と続けて、これから先「平和の原理」を探るために何を勉強す
れば良いのか、はたと困ってしまったのである。ちょうどそのとき、千歳栄さんから徳一
の話を聞き、また中沢新一さんの「フィロソフィアヤポニカ」を読んでいろいろと勉強を
重ねて今日に至っている。私の「祈りの科学シリーズ(3)」では「祈り」と関連して
「怨霊」についても書いた。第1章「天皇にまつわる怨霊」、第2章「御霊信仰と陰陽
道」、第3章「平将門の怨霊」、第4章「鎌倉大仏建立の謎」、第5章「怨霊普遍」、第
6章「御霊信仰から村の祭りへ」といったものだが、表紙には次のように書いた。すなわ
ち、
『 天神、神田明神、鎌倉大仏は、怨霊信仰がもととなって建立された。日本の三大怨霊
は菅原道真と平将門と源頼朝である。今や守護神に変身しているが、それら三大怨霊の力
が抜群に大きかっただけに、天神さんや神田明神や鎌倉大仏のお利益は絶大である。せい
ぜいお参りをして欲しい。怨霊信仰は時代とともに進化して村の祭りとも繋がっていく。
祭りの最大の意義は、「外なる神」との交信にある。人々と「外なる神」との響きあう重
要なインターフェース、それが村の祭りである。「祈り」こそ大事。今後、世界共通の
「祈り」を創っていかなければならないと思う。』・・・と。
それら各章の内容については、是非、次の電子書籍をご覧戴きたい。結構面白いと思いま
す。
http://honto.jp/ebook/pd_25231956.html
さて、私の電子書籍では、上述のように怨霊についてはある程度書いたけれど、妖怪や呪
力についてはまったく書かなかったので、結局、「怨霊,妖怪,天狗」を訪ねる私の旅は
終わったとは言い難い。そこで、「怨霊,妖怪,天狗」を訪ねる私の旅を終わらせて、
「平和の原理」というものに対する私の結論を出さねばならないという思いから、もう一
度怨霊や妖怪の勉強をし直し始めているところである。
第2節 岡本太郎の「美の呪力」について
「平和の原理」というものに対する私の結論を出さねばならないという思いから、もう一
度怨霊や妖怪の勉強をし直し始めて、怨霊や妖怪のことについてはそれを書く準備もおお
よそできたのであるが、呪力のことについて、岡本太郎の「美の呪力」(平成16年3
月、新潮社)を読み直して、今さらながら、未熟さを痛感しているところである。そこ
で、以下において、その要点を書き記し、私の思索を深めていきたいと思う。この本につ
いては、鶴岡真弓が解説を書いていて、・・・『「芸術」と「文明」を、行為して、思索
して、世界中を駆け巡った「岡本太郎」。その眼と脳と皮膚で世界美術史を踏破した、熱
い言葉の叢(くさむら)。「美の呪力」に収められた「著述/著術」を前にして、太郎が
示した思考の鮮度にたじろがない者はいないだろう。』・・・と言っているが、確かにこ
の本は凄い本である。今私はこの本を勉強できる幸せを噛み締めている。
では、勉強をはじめよう! ここでの勉強は、この本の中で岡本太郎が「のろい」とか呪
術とか呪力とか呪文とか「呪」のつく言葉を使っている箇所をいくつか拾い読みしなが
ら、私なりの考察を加えるというやり方で行うこととしよう。
1、 呪術の定義
『 本当の世界観は、現時点、この瞬間と根源的な出発点からと、対立的である運命の両
極限から挟み撃ちにして、問題を突き詰めていかなければならないはずだ。歴史は瞬間に
彩りを変えるだろうし、美術は、美学であることをやめて、巨大な、人間生命の全体をお
おい、すくいあげる呪術となって立ち顕われるだろう。』
美の術とは何か? 美というものも、歴史的な流れに応じて変わっていく。したがって、
現在美だと思われているものも将来は美とは認識されないかもしれない。
ハイデガーの「根源学」では、人間社会に実存している現象、木にたとえれば生い茂って
いる枝や葉のことであるが、枝葉を見てその根っこの部分を認識しようとするものであ
る。根っこの部分とは、物事の本質を意味するが、それは目に見えない。目に見えないも
のをどう認識するのか。その方法が根源学である。根源学では、「世界的内在」というと
いう概念が大事であるので、まずそのことを説明したい。私たちは歴史を生きている。歴
史的人間である。鶴見和子の「つららモデル」というのがあるが、過去は現在に繋がって
いる。ハイデガーは、過去という言葉は使わないで、「過在」と言っているが、その意
は、現在に繋がって今なお存在しているという意味である。私たちが身の回りのさまざま
な物とのかかわり合う際にも、そこには歴史的に形成されてきた種々の意味や解釈が作用
していること、そして、私たち自身の態度や意識も歴史的に形成されている。これがハイ
デガーの基本的認識であって、私たちの生とは、歴史を紡ぎつづける生、過去の人びとに
よる遺産を受け継ぎながら伝統を形成する生なのであって、ハイデガーは「歴史的な生」
と呼び、そういう生を生きる「私」のことを「歴史的な私」と呼んでいる。これは「宇宙
的な私」とは対極的なものである。私たち人間が歴史的な作用の中にあることは、宇宙的
な生命の一部として自己の生を感知するのとは違って、あくまで、分析的な作業、あるい
は自分の中に沈殿したさまざまな意味の層を掘り起こし、その根っこの部分(源泉)へと
突き進んでいく作業が大事で、そういう作業を通してはじめて解明されることがらであ
る。つまり、歴史的な層の解体作業によって「隠蔽されている」その殻(から)を突き破
らなければならない。そうしないと根っこの部分に存在する真理に到達できない。こうい
う作業をするのがハイデガーの「根源学」であるが、みなさんに注意してもらいたいの
は、禅でいうところの「両頭截断」との違いである。「根源学」の方は理性的な論理展開
によって真理に到達する。一方「両頭截断」の方は直観によって一気に真理に到達するの
である。西洋哲学において「直観」という言葉を使っている場合もあるが、それはあくま
で理性的なものであって、私のいう「霊性的な直観」とは違う。だから、西洋哲学で「直
観」という言葉が出てきたら、「直知」とか「直感」と言い換えるべきである。「直知」
や「直感」と「直観」とは違う。ハイデガーも、最終的には、「直感」という言葉を使わ
ずに、「理解」という言葉を使っている。さて、「世界的内在」という概念であるが、
「歴史的な生」とか「歴史的な私」ということをご理解いただいたところで、説明する。
この世界は「歴史的」なのである。つまり、人間はいわば荒涼として凍てついた宇宙の中
で、一人孤独な主体として生きているのではなく、歴史的に形成されたさまざまな意味関
連の中で生きている。私たち人間は、そういうことを意識しようがしまいが、意識以前の
事柄として、そういうふうに生かされているのである。これが「世界的存在」という概念
である。そういう概念のうち、ハイデガーは、特に人間に焦点を当てて「現存在」と呼ん
でいる。「現存在」とは歴史的に生かされている人間のことである。すべてのものは「世
界的存在」である。そして、すべてのものは、根っこの部分にある見えない本質(ハイデ
ガーが「ツハンデネス」と呼ぶもの)と、眼前に生い茂った枝葉(ハイデガーが「フォル
ハンデネス」と呼ぶもの)に分かれて存在しているが、私たちが意識して「ツハンデネ
ス」に注目するとき、「フォルハンデネス」が眼前に立ち現れてくる。その眼前に立ち現
れてくる「フォルハンデネス」を認識するのが、ハイデガーが「原体験」と呼ぶものであ
る。すなわち、「原体験」とは、意識的な対象認識であって、理論的な対象認識とは対極
をなす。ハイデガーは、こういう「原体験」をすることを「世界する」という。「現存
在」とは、先ほどと別の言い方でいえば、「原体験」をすることができるよう生かされて
いる人間のことである。私たちは、「原体験」をする、つまり「世界する」ように生かさ
れているからこそ、すべてのものは「世界的存在」なのである。
美も「歴史的内在」であって歴史的に変わるものであるが、その根源的なもの、すなわち
本質的なものは変わらない。したがって、美というものを真に奥深く認識するには、岡本
太郎が言うように、原存在と根源という対立的である運命の両極限から挟み撃ちにして、
問題を突き詰めていかなければならないのである。そうすることによって、美術は、美学
であることをやめて、巨大な、人間生命の全体をおおい、すくいあげる呪術となって立ち
顕われてくる。呪術の一般的な説明としてウィキペディアではいろいろな説明がなされて
いるが、私は、祈祷師の行う儀式・呪文や自然に存在する岩石や樹木、或いは岡本太郎や
今西錦司など直観の働く超人的な人、それらに秘められた「霊的な力の利用」と定義づけ
たい。
すなわち、美の呪術とは、現時点で美と認識されているものや歴史的に美と考えられてき
たものを踏まえながらも、それを超越してより根源的な美を認識できるようにする、すな
わち真の美を認識するための「霊的な力の利用」である。
端的に言えば、「美の術」とは、真の美を認識するための「霊的な力の利用」である。
2、 岡本太郎のいう「石の呪力」
「美の呪力」(平成16年3月、新潮社) の中で岡本太郎が「のろい」とか呪術とか呪
力とか呪文とか「呪」のつく言葉を使っている箇所は次のとおりである。
『 イヌクシュクには人間像になっていないものもあるというが、これがたとえ明らさま
な人形(ひとがた)ではなくても、生活の中の神聖な像であり、呪術的役割を果たしてい
ることは確かである。(中略)厳しい自然の抵抗の中を常に彼らは移動していた。獣皮で
作った橇を走らせ、小舟を操り、アザラシやセイウチ、鯨を仕留め、トナカイを狩る。猟
場を求めて、凍てつく荒漠たる天地を移動する。だからこそ、たとえささやかでも彼らの
生命の証として、運命的な場所に、動かない、孤独に佇立(ちょりつ)した、この人形
(ひとがた)を積み上げたのだ。自分たちの流動的な運命の中に、この最低限な、神聖な
標識、イヌクシュクは、彼らの生きてゆく切実な願いのしるしであり、それを受け止める
守護神でもあったのだろう。』
『 石を積み上げるという神聖な、呪術的行為。たしかに、命を積んでいるのだ。石ころ
一つ一つが命なのだ。それは取るに足らない、ささやかな、吹けば飛ぶ、蹴飛ばされれば
転がって無明に転落してしまう命。宗教儀礼の聖なるカレンダーの周期ではない。瞬間瞬
間、人間の命の周期は断絶なしにめぐっている。だから積むと崩れるとは同時なのであ
る。とすれば、積むこと自体が崩れる、崩すことではないか。(中略)ただ単に石を積む
という行為、それはいったい何なのだろう。蒙古、新疆(しんきょう)、チベットなどに
「オボ」という聖所がある。石を積み上げて一種の壇をつくり、その中心に木を立てる。
ここでシャーマンを中心とした祭りが行われるが、庶民日常の礼拝の対象でもある。この
種の石塚の伝統は朝鮮のタン、中国・東北のアオなど北方ユーラシアの広々とした地表を
おおい、ヒマラヤ山中からペルシャにまで及ぶという。私の眼に浮かんでくる。冷たく青
く透き通った北方の空の下に、積み上げられている石積み。・・・身近なわが国の伝説、
賽の河原を連想する。幼くして死んだ子供が三途の川の河原で小石を積み上げる。すると
苛酷な鬼が出てきて、積むそばからそれを崩してしまうのである。あれは中世の地蔵信仰
に基づいた伝説だ。仏教の因果ばなし、ご詠歌調の臭さが出ていて、それなりの面白さは
あるが、そのイメージのもとにははるかな古代からの、石を積む習俗があったに違いな
い。』
『 石は大地のよりどころ、木は天空に向かっての標識である。天と地は無限の両極から
人間の運命をかかえ、そして引き離す。木、石はそれに対応する呪術をはらんでいるの
だ。』
『 一つここに驚くべき事実がある。エール大学のマイケル・コー教授の最近の発表によ
ると、このオメルカの石の頭は最初から土に埋めてあったものらしい。粘土できちんと土
台を作って据え、土をかぶせてあった。メキシコ南部サン・ロレンスで、雨のために偶然
山が崩れ、そこに石造がわずかに露呈してきたのだ。これをヒントを得て、周辺の何でも
ない山肌を電波探知器で調べたら、このような石彫がまだ百あまりも埋もれていることが
判った。今まで、土地の者によって掘り出されていたものだけで、謎に包まれていたこの
巨石の顔は、いよいよ不可思議な神秘の相をあらわしてきた訳だ。顔を刻み、神格にした
のち、それをことごとく地面に埋めてしまう。これは一体どういうことなのだろう。大地
に対する呪術なのか。それにしても、現象的には無になってしまうのだ。ただ無存在で
「ある」、「なる」、ということよりもさらに激しい、積極的な還元である。何たる
謎。』
『 鮮血・・・このなまなましい彩(いろど)りが、石について書いているとき、ふと
私の心の中に湧き起こってきた。血を浴びた石。(中略)人間は石とぶつかりあいなが
ら、血を流しながら、生き貫いてきた。その残酷な思い出が心にうずくのだろう。血は清
らかであり聖であると同時にケガレである。この誇りと絶望の凝縮・・・。今強烈なイ
メージとして、グリューネヴァルトの「磔(はりつけ)のキリスト像」、あのイーゼンハ
イムの祭壇画が眼に浮かんでくる。(中略)
グリュウーネヴァルトに感動しながら、人間の業、傷口のいやらしさを、このように露
(あらわ)にした絵に共感する、せずにはいられないこの状況に、腹が煮える思いがす
る。血だらけのキリスト像は、人間とそれを超えた宇宙的存在との悲劇的な噛み合い、い
いかえれば人間そのものの運命を浮き彫りにしている。ヨーロッパ中世を数百年のあいだ
強力に抑えていたキリスト教の運命が、時代の末期に、むきだしに傷口となり、血を噴き
出している。この「呪い」にも似たイメージはキリスト教者でないわれわれにも、不思議
になまな迫力で迫ってくるのだ。信者でない私はまったく外側から、自由に受け止めるの
だが。神秘な感動は向こうからこちらに働きかけるばかりでなく、こちらから同時に対象
に押し及ぼす。その交流は強烈なものだ。
このような「血の呪文」がもしキリスト教世界の中でしか解けない、通じないとしたら
意味がない。われわれが今日の人間的感動で根源的な血として意味を解読すべきではない
か。その方がはるかに率直で、ダイナミックであり得る。それにしても、この絵はあまり
にもなまなましい。(中略)この血は霊であり、生命のしるしである。(中略)あの残酷
なリアリズム。凝固した血。単なる絵画表現をこえて、何か人間の絶望的な運命を予告す
る不吉な影を浮かび上がらせる。その呪術は今日まで、ながながと尾を引いているよう
だ。』
3、 イヌクシュクの石
大阪万博に飾られたイヌクシュク
イヌクシュクとは、カナダ極北に住んでいる先住民族イヌイット(昔はエスキモーと呼ば
れたが生肉を喰う人という差別用語であったので現在は使われない)のことですが、現地
におけるさまざまなイヌクシュクを集めてみましたので、是非、次のご覧戴きたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/inukusyuku.pdf
1970年の大阪万博のテーマ館をまかされた岡本太郎は、世界中の仮面や神像を集める
計画を立てて、第一線の人類学者たちに収集を依頼した。そのなかにカナダの北極圏に住
むイヌイットたちのあいだに伝わる「イヌクシュク」という石像があった。ある日カナダ
から現物が届き、岡本たちは倉庫で荷解きをして、そこに思いもしなかったものを発見す
る。中から出てきたのは、何の変哲もない、ただの石ころだった。どの石も角張って、ま
るで加工などされていない、自然の状態のまま のように見えたが、包みに同封されていた
指示書のとおり、順番に組み上げてみると、こつぜんと人間の像が現われたのだった。岡
本太郎は「美の呪力」で「イヌクシュクは石がただ積んであるだけ。全然接着していない
というところにわたしは暗示を受ける。いわゆる『作品』としての恒久性、そのものとし
て永続 するなどということは期待していないのだ。一突き、ぐんと押せば、ガラガラと
崩れる。すると像は忽然と消えてしまう。そこらに転がっているのとまったく見 分けが
つかない、ただの石くず、二度ともとの形になることのない瓦礫に還元されてしまうので
ある。」と言っているが、岡本太郎はこのような感性を出発点として、彼の鋭い直観と確
かな理性を働かせながら、根源的なものに迫っていく。
岡本太郎はイヌクシュクの石に対してこれはただ事ではないと感じながら、三つのことを
思った。一つは、石そのものの神聖感。二つ目は、石を積み上げるという神聖な、呪術的
行為。三つ目は、石は人間自体の象徴。彼のそのような鋭い直観と確かな理性を働かせな
がら、根源的なものに迫っていく。ここで私が確かな理性というのは、もちろん幅広い知
識に基づくものだが、根源的なものに迫る哲学的な思考という意味である。シジフォスの
神話に対する哲学的な思考については後ほど述べるとして、まずは一番目の石そのものの
神聖感すなわち「石の信仰」について、説明したい。
4、 石の信仰
石の信仰については、かって「月見野ジオパーク」という私のホームページで、少々勉強
したことがある。それを紹介しておこう。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/tukimi7.html
モンゴルの詩人・ボルジギン・オルトナストは「<モンゴル秘史>における石のシンボリ
ズム」という論文の中で「モンゴル人の岩石観」について、次のように述べている。すな
わち、
『 モンゴルでは、山頂、丘陵、湖畔、川辺で石を積み上げ、それをオボーと称し、毎年
定期的に盛大な祭祀を行なう宗教的行事が維持されている。オボーは天地の神々をはじ
め、自然の諸々の神霊が宿る聖所と看做され、人々に敬仰される宗教的施設である。石は
オボーを造営する際の基本的な材料であり、実 に多くのオボーは自然石を積み重ねる形
で造営されている。また岩石や絶壁の上にも数個の石を積み重ねオボーと看做し、祭祀を
行なう場合もある。そのためオボーと石、石とモンゴル人の間には特別な宗教的観念が脈
動していることが推察される。そこにモンゴル人の石信仰や岩石崇拝の宗教的表象を 求
めることも可能であろう。
諸民族の民間宗教には岩石崇拝の習慣が様々な形で堅持されており、その民族の自然観や
世界観を理解する点において貴重な情報源とされている。人間 の初期時代からの生産活
動、生活体験には共通する特徴が多い。モンゴル人の歴史的発展段階から見ると、環境に
適応し、生存を維持するための生業行動におい て、洞窟に移住する、絶壁に囲まれた自
然環境に生きることから石との向き合いが始まる。鉱石を溶かす、かまどにする、住居を
囲む、戦争の武器とする、祭儀 に使う、道具の加工に使用する、標識にする、絵を描き
壁画とする、文字を刻み碑文とする、彫刻し鑑賞にするなど、生業行動において石は広く
利用されてき た。そのためモンゴル人は石に対する独自の認識、考えが芽生え、石を神
聖視する、石を信仰するなどの石の文化的特徴が明白となり、モンゴル文化の中に特殊
性を持つ石の文化が形成された。「石は古代のモンゴル人の認識において特別な存在で感
じられ、自然信仰において拝天、拝火、霊魂観、神像信仰等と内包的意 味で結び付き、
多様な意味の文化的要素として重要な位置を占めている」。
石は神や精霊などの霊的存在が宿る所、それらが石化したもの、あるいはその代理とさ
れることも多い。神が石になった伝承は北アメリカ・インディアンをはじめとして各地に
ある。日本でも各地に要石が祀られているが、最も有名なものは鹿児島神宮の要石で あ
る。ただし日本の場合、大地のへそである要石は地上と地下を結ぶものと考えられている
ようである5。他方で、境界に石を置く慣習もよく見られる。チベッ ト、ブータンやネ
パールなどでは峠や村の境界に石を積み、旅の安全を祈る習慣も報告されている。日本で
は村境、峠、辻、橋のたもとなどに何らかの石造物 が置かれているのは、それらの材質
が石であることに関係しているとも考えられる。石は世界の中心や境界に置かれ、空間的
に異なる二つの世界、またこの世と あの世、俗世界と霊的世界、人間と神的存在を結ぶ
接点、両者の媒介物となると解釈しうるであろう。
モンゴルでは現在も高山の険しい絶壁や切り立つ岩石の上に石を積み重ねオボーを造営
し、毎年祭祀が行われる。こうした絶壁や岩石の上にオボーを造 営し、祭祀を行なうこ
とは、モンゴル人の昔からの山岳信仰や岩石崇拝の習慣を反映するものである。同様な岩
石や特徴ある岩を崇拝する習慣は日本でも堅持さ れている。三重県の夫婦岩はその好例
であり、毎年「夏至祭」が行われる。参拝者は、夫婦岩前の海の中へ腰まで入り、無病息
災などを祈りながら昇る朝日に手を合わせて身を清める。
ウジムチン地域では、エージ・オボー「母なるオボー」という名称のオボーが存在す
る。そのオボーは、大きな湖の直ぐ側に、自然の石を円形に積み上げる形で造営されてい
る。毎年 陰暦6月3日に盛大な祭祀が行われている。日本の夫婦岩もモンゴルの母なる
オボーも、人々の岩石や石に対する観念や伝統を反映し、そこに人々の宗教生活の 営み
が育まれ、形成されていることが覗かれる。石や岩は、霊的な力を物質化したものである
から、礼拝の対象となる。若い夫婦は、子供が生まれるよう祈願する。女たちは、先祖の
力によって妊娠するようにと、石に身をすり寄せる。商人たちは、石に油を塗って、商売
繁盛を願う。ときには、死の番人として、それらを畏れることもあるが、家内安全、一族
の保護のために祈願することもある。中 央アジアのヤクート人の間では、〈産婦は、雷
石のかけらを入れた水を飲むと、後産がた易くなる〉という習慣が伝えられている。ブリ
ヤート族の大部分の村に は、「天の石」があって、村の中心部に建てられた柱(天の
柱)に結ばれた小箱に、保存されている。春、この聖なる石は、儀式としてまかれる。降
雨と豊饒を 祈って、人々は供物を石に捧げる。モンゴルでは、山中やシカの頭の中、水
生の鳥やヘビ、ときには雄ウシの腹の中に石があり、これが風・雨・雪・氷をもたら す
と考えている。 』・・・・・と。
さらに、『 石は古代 のモンゴル人の認識において特別な存在で感じられ、自然信仰
において拝天、拝火、霊魂観、神像信仰などと内包的意味でつながり、多様な意味の文化
的要素と して重要な位置を占めている。モンゴル文化における石は多様な象徴的意味を
含み、モンゴル人の牧畜生業、自然環境、生活方式と有機的に調和し、歴史的な歩 みを
渡ってきた。そのためモンゴル人は石に対する独特な認識、考え方が芽生えた。そして、
石を神聖視する、石を信仰するなどの石に対する宗教的観念も次第 に形成された。モン
ゴルの遊牧生活を始め、神話や英雄叙事詩らの口承文芸の世界に、石は天の意志を伝達す
る、火を発生する、霊魂が宿る、英雄が生まれるな どの多様なモチーフが具わり、物質
と精神の世界を彩る。
そうした特徴が、上述した「秘史」における石のイメージに反映されると考えられる。
五来は「石はあくまでも自然宗教、庶民信仰を表現し、表出する 素材である。したがっ
て石の謎は庶民信仰の面から解かねばならい。それは石には、アニミズムの対象として神
霊が籠もるという観念がからでる。宗教的には石 は無生物、無機物ではない。神や神籬
(ひもろぎ)とともに磐境(いわさか)に宿ると考えられ、祭祀は磐境で行われることが
多い」と指摘した上、石の宗教形 態を「自然石崇拝、石の配列による崇拝、石の造型に
よる崇拝、石の彫刻・絵画による崇拝」という四つの形態に分類している (「石の宗
教」、1988年、五来重、角川書店)。 五来の指摘は、石と人間の宗教的、文化的
つながりを総括した見解として注目に値する。今日のモンゴルにおける石を積み、それを
オボーと称し、祭祀を営む行 為は、積石信仰に起因するものと考えられ、それが「秘
史」にも見られる石に対して、政治的、宗教的意味を求めた思想の集成を示すものと推測
される。 』・・・・と。
以上のように、「石の信仰」については、 ハイデガーのいう「原存在」ということであ
るがいろいろな形態がある。それら石の文化については文化人類学の課題で今後ともいろ
いろと研究されるであろうが、岡本太郎がイヌシュクの石で直観した二番目の問題「石を
積み上げるという神聖な、呪術的行為」の哲学を語ってみたい。岡本太郎の思想は、哲学
的体系の中から出てきたものではないかもしれないが、私はニーチェの「重力の魔」とい
う思想と二重写しに見えてくる。さあ、そこでいよいよニーチェの登場である。
5、 「重力の魔」
ツァラトゥストラ第3部(幻影と謎) でツァラトゥストラは、次のように言う。もちろん、
ツァラトゥストラの口を借りて、ニーチェが言っているのである。
『 ひたすら黙々と、ひややかにきしむ小石を踏みしめ、また足元を危うくする石塊(い
しくれ)を踏みしだくようにして、わたしの足は、上へ、上へと努力してのぼって行った。
上へ。・・・私の足を、下へ、深みへと引きおろすもの、私の悪魔であり、宿敵であるあ
の「重力の魔」にさからって・・・。』
ニーチェの「ツゥラトゥストラはこう言った」(第2部)の「重力の魔」の中で、ツゥラ
トゥストラは次のようにいう。すなわち、
『 人間にとって大地も人生も重いものなのだ。それは「重力の魔」のしわざである。し
かし軽くなり、鳥になりたいと思うものは、おのれ自身を愛さなければならない、・・・
これはわたしの教えだ。そしてまことに、自分を愛することを学ぶということ、これは今
日明日といった課題ではない。むしろこれこそ、あらゆる修行のなかで最も精妙な、ひと
すじなわではいかない、究極の、最も辛抱のいる修行なのだ。なぜなら、ほんとうの自分
のものは、自分の手がたやすくとどかぬように、たくみに隠されているからだ。(中
略)・・・これも「重力の魔」のしわざである。』
『 人間は容易に発見されない。ことに自分自身を発見するのは、最も困難だ。「精神」
が「心」について嘘をつくことがしばしばある。こうしたことになるのも、「重力の魔」
のしわざである。だが、次のように言うものは、自分自身を発見した者といえる。・・・
「これはわたしの善だ。これはあたしの悪だ。」と。彼はこう言うことによって、「万人
に共通する善、万人に共通する悪」などと言うもぐらと小びとを沈黙させた。まことに、
わたしは何もかも善いと言い、この世界をこともあろうに最善の世界と呼んだりする連中
を好まない。(中略)何が出てきてもおいしくいただく安易な満足、これは最高の趣味で
はない! わたしが尊重するのは、「このわたしは」と言い、「然り」と「いな」を言う
ことのできる、依怙地(いこじ)で。選り好みのつよい舌と胃である。』
『 いつか空を飛ぼうとするものは、まず、立ち、歩き、走り、よじ登り、踊ることを学
ばなければならない。・・・いきなり飛んでも飛べるものではない!』・・・と。
要するに、ニーチェは、「何人も自分自身で善悪を考え、自分の階段を一歩一歩高みに
向かって登っていくこと」が、「力への意志」を生きることだと、教えているのである。
私もまったくそうだと思う。 私たち人間は、自己超克をモットーとして、自分自身の階
段を高みに向かって、一歩一歩登っていくことだ。「重力の魔」に何度も何度も負けるか
もしれないが、それにもめげず「石を積みつづける」ことだ。
6、 「石を積む」ことの哲学的意味
私たち人間は、いろいろな欲望や願いのもと、いろいろな努力をする。しかし、その努力
は、目標が高ければ高いほど、無駄に終わりがちである。先の比喩では、ツァラトゥスト
ラは「石を積む」のではなく、山路を小石を踏みしめて「高み」に向かって登っていくの
だが、「石を積む」という行為も「重力の魔」に逆らって努力をするという意味では、比
喩的に同じことだ。「重力の魔」の仕業によって無駄になろうとも「石を積む」ように運
命づけられた男の話、ギリシャ神話「シジフォスの神話」というのがある。「シジフォス
の神話」については、カミュがその論考を行っているが、岡本太郎も「美の呪力」でその
ことに触れ、次のように書いている。すなわち、
『 カミュは岩に向かって降りてゆく英雄に共感して言う。「私がシジフォスに心を惹か
れるのは、この戻り道、この休止のときである。そのとき<すべてはよいのだ>という大
肯定によって<不条理の勝利>を勝ち取る。その言葉は、満足できない、無意味な苦痛の
味わいをもってこの世界に入ってきた神を追い出す。それは運命を人間のものにする。人
間同士の間で解決されるべき問題として。シジフォスの無言の喜び、すべてがそこにあ
る。運命は彼のものであり、彼の岩は彼自身のものだ 」・・・と。近代人の心情の泣き
所を抑えた殺し文句だ。だがなにも降りて行くときまで待つことはない。つまり押し上げ
ていながら落としているのだという虚無感は、誰でもの心の奥底にある。今日のニヒリズ
ムはそういう(カミュの言うような)カッコイイ、ヒロイズム(英雄的行為)ではすくい
とれないほど深く、一般的なのである。すべての人間が、暗い谷底に転がっている石であ
る己の姿を触知している。このように考えてくると、あの空しい賽の河原の石積みが、現
代と一見断ち切られていながら、何か言いようのない繋がりを暗示しているよう
だ。』・・・と。
ところで私は、電子書籍「書評・日本の文脈」「第1章キリスト教」のところで、中沢新
一と内田樹の「霊性論」に触れ、『 ここでいう穴とは、神とか霊とかの通う穴のことを
言っている。能舞台の切戸口はそういうもので、穴を開けておくとは、合理的な考えにこ
だわらないで、非合理な側面を認めておくことをいう。ラカンの言葉に「真実は言葉では
語れない」というのがあるが、私たちは言葉で考えるので、私たちが考える考えというも
のには限界があって、なかなか真実に近づくことはできない。だから、いろんな人が真実
に近づきながらいろんなことを言うのである。そのいろんなことが感じたまま自由に語ら
れるということが大事である。』と書いた。彼らの「霊性論」については、 電子書籍
「書評・日本の文脈」を読んでいただきたい。
http://honto.jp/ebook/pd_25249964.html
そして、ラカンについては、かって「ラカンの鏡面段階論」というのを私のホームページ
に書いたので、是非、それをご覧戴きたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/kyorakan.html
それらの詳しいことはここでは省くとしても、「真実は言葉では語れない」ということだ
けはしっかり頭に入れておいてほしい。 私たちは言葉で考えるので、私たちが考える考え
というものには限界があって、なかなか真実に近づくことはできないのである。もちろ
ん、ハイデガーの「根源学」は理性的な論理展開によって真理に到達するためのものであ
り、けっして理性的な論理展開で真理の到達できない訳ではない。内田樹は、「日本の文
脈」の中で・・・『 ユダヤには「脳の機能を活性化する」構造がある。例えば、ユダヤ
教においては、常に「中心が二つ」あって互いに真剣な議論がされている。タルムードに
はエルサレム版とバビロニア版の二つのバージョンがあるし、タルムードを研究する学院
も二カ所あり、同時代に必ず二人の偉大なラビが出てきて、おたがいに激烈な論争をす
る。だから、一つの結論に落ち着くということがない。ユダヤ教の聖典であるタルムード
は「増殖する書物」なんです。』・・・と言っているが、こういう方法も確かに理性的な
論理展開で真理に到達する方法であろう。とはいっても、根源学的方法もユダヤ的方法も
余程の学問的レベルに達していないと実効性は期待できない。したがって、一般庶民の私
たちの取りうる道は、理性的な論理展開ではなく、呪力つまり「霊的な力」に頼るしかな
い。
特定の人・物・現象などにやどる「霊的な力」に頼るのである。私は、岡本太郎はそう
言っているのだと思う。
7、 天地から引き離されないために!
『 石は大地のよりどころ、木は天空に向かっての標識である。天と地は無限の両極から
人間の運命をかかえ、そして引き離す。木、石はそれに対応する呪術をはらんでいるの
だ。』
第2節に述べたように、岡本太郎は「美の呪力」の中で石のもつ呪力についてこのように
書いている。木は天におわします父なる神が地上に降りてくる道である。父なる神の通う
通路である。一方大地は、母なる神のおわしますところ。私たちは父なる神と母なる神に
いだかれて、この命を生きている。父なる神と母なる神は無限のかなたから私たち人間の
運命をかかえているのである。もし、私たちが父なる神と母なる神の意に反し、傍若無人
に振る舞うならば、私たちは両方の神から見放され、不幸な人生を送らなければならな
い。そうなるかならないかは私たち人間次第ではあるが、木と石はそれに対応する呪術を
はらんでいるのだ。岡本太郎はこう言っているのだが、父なる神と母なる神の学問的な
きっちりした話は後回しにして、まずは、私たちはどのような傍若無人な振る舞いをすれ
ば、天地から引き離されることになるのか、その点について私の考えを申し述べてみた
い。
森岡正博の「ディープエコロジーの環境哲学−その意義と限界」という素晴らしい論文が
ある。その中に、岡本太郎の「美の呪力」(新潮社)と関係のある部分が少なくないの
で、その関係部分をピックアップして、「呪力」についての参考資料とすることとした
い。岡本太郎は、「美の呪力」の中で、・・・『 石は大地のよりどころ、木は天空に向
かっての標識である。天と地は無限の両極から人間の運命をかかえ、そして引き離す。
木、石はそれに対応する呪術をはらんでいるのだ。』・・・と言っているが、私たちは、
地球上のすべての存在もそうだが、天空と大地にいだかれて存在している。しかし、私た
ち人間が「天地」の意思に逆らって、傍若無人の生き方をするとき、「天地」は私たちを
見放し、私たちは「天地」から引き離されてしまう。岡本太郎はそう言っているのだ。以
下に記す「ディープエコロジーの環境哲学−その意義と限界」という論文の要約は、かか
る観点から岡本太郎のいう「呪力」に焦点を当てているので、その他の大事な部分が多少
抜けているかもしれない。したがって、「ディープエコロジーの環境哲学−その意義と限
界」という論文の全体を知るには、以下の要約だけでなく、次のページを是非読んでいた
だきたい。
http://www.lifestudies.org/jp/deep02.htm
それでは、岡本太郎の「美の呪力」(新潮社)と関係のある部分をピックアップすること
にしよう。
項目は、 1、ライフスタイルの根本的な見直しが必要。 2、地球環境問題を生み出
した現代文明に対する思想的な反省が必要。 3、 近代哲学批判、近代文明批判が必
要。 4、 意識改革が必要。 5、 戦うという姿勢が必要。 6、直観と経験を重視す
る姿勢が必要。 7、 あらゆる「支配」と戦うことが必要。 8、 近代科学の弱点に
気がつくことが必要。 9、 ディープエコロジーのために直接行動に立ち上がろう! 10、 ニューエイジ運動に立ち上がろう! 11、 宗教に大いなる関心を持つことが
必要。 12、「生と文化」の問題に大いなる関心を持つことが必要。 13、地域コ
ミュニティでの実践活動が必要。 14、 少数民族の生活文化に学ぶことが必要。 1
5、女性の活躍を応援することが必要。 16、霊的なものの正しい認識が必要。 1
7、新たな創作神話を読むことが必要。 18、 名著といわれる本を少しでも読むこと
が必要だ。 19、「女性礼賛」が必要。 20、 男は女房に対する自己反省が必要
だ。 21、 貧困問題について考えることが必要。・・・であり、それぞれの項目に対
する説明は、次をクリックしてください。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/youyakude.pdf
以上、1∼21まで、私たち各人が振る舞うべき事柄を書いた。どんな人でも、傍若無人
にこれらの事柄と逆のことをやっていると、遂には天地から見放されて、最後は不幸な人
生を送らなければならない。岡本太郎はそういっているのだと思う。ゆめゆめたゆまざる
努力を忘れたもうな!
8、 プラトンのコーラ
ハイデガーの基本的な考えは、真理は「歴史性」の中に隠されている。それが「原体験」
によってその都度「立ち現れてくる」というというものであるので、ハイデガーの哲学と
いうものは動的な認識論と言ってよい。そして、彼は、プラトンのイデア論は固定的であ
るとして、プラトンに対して良い評価を与えていない。それどころか、西洋哲学が理性に
凝り固まってのはプラトン哲学の勢であるとハイデガーは理解したようである。しかし、
ギリシャ哲学以降の哲学者もそうであるが、ハイデガーもプラトン哲学を誤解している。
プラトンの名誉挽回のために、この節を終わるにあたって、そのことだけを説明しておき
たい。ハイデガーもそうだが、西洋の哲学者の誰もが気がついていないものにプラトンの
「コーラ」がある。「コーラ」とは自然のおもむきや歴史のおもむきをいうのだが、プラ
トンのイデア論は、「コーラ」と深く結びついている。決して固定的なものではなく、動
的なのである。では「コーラ」の説明に入ろう。
藤沢令夫という大先生は、1956(昭和31)年京都大大学院修了後、九州大助教授
などを経て69年に京大教授に就任、退官後の91年から 97年3月まで京都国立博物
館長を務めた人である。先生は、古代ギリシャ哲学が専門で、特にプラトン研究で知られ
る。プラトン哲学の大家である。その先生の著に、「自然、文明、学問・・・科学の知と
哲学の知」(1983年9月、紀伊国屋書店)という本があって、それに、『 プラトン
の宇宙論が要請する根本原理としては、原範型イデアと、生成の「場」(コーラ)ないし
「受容者」(ヒュポドケー)と、デーミウルゴス(創造者)・・・これは、万有の動と変
化の根源であるプシュケー+ヌウスの神話的象徴と解せます・・・・と、この三つを考え
ることができます。』・・・・という説明がある。
藤沢令夫は、「コーラ」は生成の場だと言っているのだが、このことを、中沢新一が
「精霊の王」(2003年11月、講談社)の中で非常に判りやすく説明しているので、
それをまず紹介しておきたい。
『 そ れにしても、宿神=シャグジの空間はプラトンの言う「コーラ chola」というも
のに、そっくりである。(中略)コーラは「母」である、とプラトン(ティマイオス)は
いきなり宣言する。そして、それは「父」とも「子」とも関わりのないやり方で、自分の
内部に形態波動を生成する能力を持ち、その中からさまざまな物質の純粋形態は生まれて
くるのであると…語るのである。(中略)コーラは子宮「マトリックス」であると言われ
ている。同じようにして、宿神もミシャグチも子宮であり、胞衣だと考えられていた。そ
の中には「胎児」が入っ ていて、外界の影響から守られている。つまり、コーラは差異
と生成の運動を同一性の影響から守り、宿神は非国家的な身体と思考の示す柔らかな生命
を、外界を支配する国家的な権力の思考から守護する働きをおこなってきたのだ。
こうして私たちは、プラトン哲学の後戸の位置にコーラの概念を発見するのである。
この概念は、極東の宿神=シャグジの概念との深い共通性を示してみせるのだが、それは
おそらく、かつてこのタイプの存在をめぐる思考が、新石器的文化のきわめて広範囲な地
域でおこなわれていたためだろう、と考えるのが自然ではないか。コー ラという哲学概
念のうちに、私たちは神以前のスピリットの活動を感じ取ることができる。西欧ではいず
れこのコーラの概念を復活させる運動の中から、現代的なマテリアリズム(唯物論)の思
考が生まれ出ることになる。その意味では、マテリアリズム そのものが哲学すべてに
とっての「後戸の思考」だと言えるかも知れない。(第十章「多神教的テクノロジー」,
268頁,272頁)』・・・・・と。
ま た、オギュスタン・ベルクというすばらしい地理学者がいる。このひとは、1942年
生まれのフランス人であって、パリ大学で地理学第三課程博士号および文学博士号(国家
博士号)を取得後、1984∼88年に、日仏会館フランス学長を勤めた人である。現在フラ
ンス国立社会科学高等研究院教授。十数年日本に移り住んで、風土学の領野を開拓し、画
期的な独自の理論を構築した人である。この人の最近の著書に「風土学序説」(2002
年1月、筑摩書房)というのがあって、その中に、「神話にもとづいてプラトンは、場所
(コーラ)を母に、存在を父に、生成を両親の子に譬えているのである。」という説明が
ある。これは中沢新一の説明とほぼ同じ であろう。何故ベルクが存在学にこれほど深い
知見を有しているかというと、地理学というものは、「地理的に何故それがそこにあるの
か」を問うという側面をもっているからである。例えば、京都には祇園祭がある。この祇
園祭は何故京都で行われているのか? それに答えるには、「祈りのシリーズ(3)」
(平成24年5月、新公論社、電子出版)に書いたように、「御霊信仰」から説き始めな
ければならない。そのためにはどうしても歴史をひもとかなければならないのである。つ
まり、祇園祭には現在すでに見えなくなっている「歴史性」が沈殿しているのである。地
理学は「歴史性」を鋭く問う学問でもある。ベルクは、存在学を十分身に付けた真の地理
学者である。
さて、藤沢令夫の説明に戻ろう。原範型イデアとは何か? これはホワイトヘッドのい
う「永遠的対象」と同じものと考えてよいようだ。ホワイトヘッドの哲学は有機体哲学と
言われるが、すべてのものが変化する世界観から成り立っている。その変化の中で名詞的
に固定されているものが、ホワイトヘッドの考える「普遍」で、それを「永遠的対象」と
いうのだが、それがプラトンのいう原範型イデアのことではないか。それは、私の理解で
は、存在者というか出来事というか、そういうものの裏にある真理(絶対的な存在)であ
る。その原範型イデアが場所(コーラ)に作用し、変化のエネルギーによって生成という
両親の子が生まれる。ここで父というのは、真理(絶対的な存在)というか「永遠的対
象」というか「原範的イデア」のことである。「コーラ」はそういう生成の場所なのであ
る。生成の母であるとか、母の子宮であるというのはとてもわかり良いではないか。
なお、オギュスタン・ベルクによれば、「コーラ」は自然のおもむきであり歴史のおも
むきであるから、原範的イデアがハイデガーの言うように固定的なものであるとしても、
全体的な思考としては、「歴史性」が抜け落ちている訳ではない。その点、ハイデガーは
プラトンを誤解しているのではないか。それほどプラトンの哲学は奥深い。
9、 石の囲い「炉」と柱の聖性
(1)炉の聖性
新田次郎の「アラスカ物語」という素晴らしい本がある。主人公のフランク安田という
人の存在もそうだが、こういう本が存在すること自体が私たち日本人の誇りであると思
う。この「アラスカ物語」にはいろいろ光のことが出てくるが、その一部を紹介しておき
たい。すなわち、
『 薄紅色の南の空のオーロラが消える と、たちまち頭上に輝きが起こった。色彩のはげ
しい点滅と動揺が空いっぱいに広(ひろ)がっていた。天の心のいらだちをそのまま表現
したようなせわしげな 点滅が繰りかえされていた。その夜のオーロラは緑を主体とした
ものであった。緑の絨毯(じゅうたん)全体的に激しい明滅を繰り返しながら全天に拡
がって 行ったが、やがて、部分的な点滅現象は終わり、それにかわってかなりの面積を
持った平面的な明滅が始められた。点滅が明滅になり、時間的に余裕を持った、 輝きと
色彩の周期運動に変ってくると、緑の絨毯が翼に見えて来た。怪鳥の頭部に当たるあたり
に鮮明な赤い爆発が起こった。赤は緑を二つに分断した。緑の両 翼は空いっぱいに羽撃
(はばた)いた。オーロラが出ているのに、星は依然として輝きを失っていなかった。星
はオーロラよりも夜空における権威者であった。 遥(はる)かに高いところから、オー
ロラの芸当を眺めているようであった。』
『 フランクとネビロは暖炉の火を見つめながら夜遅くまで語った。長い放浪に近い生活
を互いに振り返りながら、外の吹雪の音を聞いた。「火がこんなに美しいものだとは知ら
なかったわ」ネビロは 膝(ひざ)に抱いているサダの小さな手を暖炉にかざしながら
言った。「そうだ暖炉の火ほど美しくて、心の暖まるものはない」心が暖まると言ったと
き、彼は 突然故郷を思い出した。石巻の生家の炉に赤々と火が燃えていた。天井から吊
り下げた鈎(かぎ)に掛けられた南部鉄瓶(てつびん)から湯気が吹き出していた。囲炉
裏をぐるっと家族がかこんでいた。祖父の顔が奥にあった。両親も兄弟姉妹たちも炉の火
に頬を赤く染めていた。どの顔もにこやかにほほえんでいた。』・・・・と。
炉というものは、実用な面だけでな く、何か不思議な力を持っているようだ。「炉の
聖性」と言っても良い。縄文人も「炉の聖性」を感じていたようで、縄文住居の炉は、灯
かりとりでも、暖房用 でも、調理用でもなかったらしい。 小林達雄は、その著書「縄文
の思考」(2008年4月、筑摩書房)の中で、「火を焚くこと、火を燃やし続け るこ
と、火を 消さずに守り抜くこと、とにかく炉の火それ自体にこそ目的があったのではな
いか」と述べ、火の象徴的聖性を指摘している。
詳しくは小林達雄の「縄文の思考」を 読んでもらうとして、ここでは、炉の形態はさま
ざまだとしても、一般的に縄文住居には聖なる炉が あって、 聖なる火が消えずにあった
のだということを確認しておきたい。そして、これも当然小林達雄も指摘しているところ
だが、炉と繋がって石棒などが祭られているのが一般的である・・・・、そのことを併せ
て確認 しておきたい。聖なる炉と聖なる石棒、これは正し<祭りのための祭壇>であ
る。
(2)繋(つなぎ)のカミ・石棒と柱・・・はたまた猿田彦
矢瀬遺跡は縄文時代の祭りを考える上 で欠かすことのできない遺跡であると思う。博
物館としてはほとんど手が入ってないので、一般の人には面白くないかもしれないが、祭
りの哲学的な意味について興味をお持ちの方は、 是非、 一度は矢瀬遺跡に出かけて欲
い。矢瀬遺跡は上越新幹線の上毛高原駅と上越線の後閑駅の間にある。上越新幹線と上越
線を結ぶために連絡バスがひっきりなし に出ているし、上越線の後閑駅に特急が止まる
ので、交通の便は非常に良い。
矢瀬遺跡については素晴らしいホームページがあるので、まずはそれを見ていただきた
い。
http://www2.odn.ne.jp/mcr/yaze/
私は先に、 「聖なる炉と聖なる石棒、これは正しく祭りのための祭壇である」・・・
と申し上げたし、これもまた先に、「祭りは神の世界と人間の世界をつなぐインター
フェースである」ことも申し上げた。
また、古代信仰に関する吉野裕子の見解・・・「 神霊は男性の種として蒲葵に憑依
し、巫女の力をかりてイビと交歓する」も紹介済みであるが、キリスト教でいえば聖霊、
中沢哲学でいえば流動的知性に関わる 精霊(スピリット)ということになるが、そうい
う種が、男性の象徴・石棒など(男根、石棒、立石)から女性の象徴・炉の火に発出され
て、何か価値あるもの が誕生するのである。これは自然の贈与と言って良い。この縄文
住居の祭壇において祭りが行われ、自然の贈与が発生するのである。これすべて流動的知
性の力 による。こういったことを念頭に置いて、矢瀬遺跡を見て回るとしよう!
出典:http://www2.odn.ne.jp/mcr/yaze/
この写真は、「四隅袖付炉」というが、四隅にある丸い小さな石が男性の象徴である。こ
れが柱の原型である。「はし」とか「はしら」とは、古代の言葉で、異界のものを繋ぐと
いういみである。石棒やその変形としての柱は、私たち人間と世界と天なる神の世界を繋
ぐ・・・ まあ言うなれば、 繋(つなぎ)の神と言えるのではないか。猿田彦はそういう
繋(つなぎ)の神であろう。炉は、女性のあれがその象徴であるが、地の神(地母神)の
象徴でもある。炉と柱、つまり地母神と繋(つなぎ)の神の関係はまことに大事であっ
て、七夕の再魔術化に当たっては、多分、そのことを哲学的にというかより深く考えねば
ならない筈だ。他にもいろいろの炉が出土しているようだが、現地に展示がないのでそれ
を見ることができない。残念である。
次の写真は六本の柱であるが、「はしら」は神の世界と人間の世界を繋ぐ架け橋であ
る。住居のなかでは「はしら」は設置できない。この六本の柱は、野外の祭 り用であ
り、 野外に設置された神の依代(よりしろ)である。 多分、部族の人たちを集めて、野
外で盛大な祭りが行われたのであろう。
6本の柱は神の依りしろ
三つの立石も神の依りしろ
これは、三本の立石。これも野外における神の依代だが、上の6っぽんの柱のほかにこ
ういう神の依代が併設されていたという訳ではない。時代が違うのである。この矢瀬遺跡
は複合遺跡であり、何百年も離れた時代の遺構が発掘されているので、それぞれの遺構が
いつの時代のものかを考えねばならない。炉の祭壇に祀られた石棒は一本の場合もある
し、4 本の場合もある。野外の柱も一本の場合もあるし、6本の場合もある。時代に
よっていろいろなのである。屋内と野外で祭りの仕方が違うし、石棒や柱の本 数によって
祭りの仕方が違う。そういうことを思いながら矢瀬遺跡を見ているとなかなか興味は尽き
ない。この地は夜とか月にご縁のあるところである。縄文の むかし、はたして星の祭り
は行われたのであろうか。
(3)縄文住居の祭壇
精霊(スピリット)の力とは、流動的知性のことであり、必ずしも信仰だけに関係す
るものではない。スポーツとか芸術とかボランティア活 動であるとか、何かに無我夢中
になって、今までに培った観念を忘れてしまうことがある。座禅を組むのもそのためだ
が、そういう純粋無垢な心に触れるような 経験を純粋経験というが、そういう純粋経験
も流動的知性を働かせる方法である。麻薬などの薬物によって純粋経験を経験することも
できるが、これは病的でありさらに犯罪に直結する可能性が高く、こういう方法は論外で
ある。しかし、スポーツとか芸術とかボランティア活動によって純粋経験が経験できるよ
う、これ からさまざまな工夫がなされなければならないが、信仰の世界でも・・・、今
後、さまざまな努力が必要であろう。
上において、私は、『 石棒やその変形としての柱は、私たち人間と世界と天なる神の世界
を繋ぐ・・・ まあ言うなれば、 繋(つなぎ)の神と言えるのではないか。猿田彦はそう
いう繋(つなぎ)の神であろう』・・・と述べ、さらに『男性の象徴・石棒など(男根、
石棒、立石)から女性の象徴・炉の火に発出される』・・・とも述べた。 道祖神は、ご
く一般に言われているように猿田彦の流れを汲むものであるが、さらにその源流を遡ると
「男性の象徴・石棒など(男根、石棒、立石)と女性の象徴・炉の火が一体になっ
た・・・縄文住居の祭壇』に辿り着く。
10、 謎のオルメカ文明
オルメカの巨石人頭像
仮面さながらに無表情で得体の知れない雰囲気
紀元前1200年∼約1000年前、日本では縄文時代後期から弥生時代にあたるころ、
メキシコ湾岸地方に存在したオルメカ文明。その建築や美術様式がマヤ文明など古代文明
の基礎となっていることから「母なる文明」とも呼ばれるが、紀元前200年ごろにこつ
ぜんと姿を消した。
オルメカとは、ナワトル語で「ゴムの国の人」を意味し、スペイン植民地時代にメキシコ
湾岸の住民を指した言葉である。巨石や宝石を加工する技術を持ち、ジャガー信仰などの
宗教性も有していた。その美術様式や宗教体系は、マヤ文明などの古典期メソアメリカ文
明と共通するものがある
オルメカの影響は中央アメリカの中部から南部に広がっていたが、支配下にあったのは中
心地であるメキシコ湾岸地域に限られた。その領域はベラクルス州南部からタバスコ州北
部にかけての低地で、雨の多い熱帯気候のため、たびたび洪水が起こった。しかし、河川
によって肥沃な土地が形成され、神殿を中心とした都市が築かれた。
オルメカ文明圏
オルメカの文化は、出土するさまざまな石像に現れている。人間とジャガーを融合させた
神像は、彼らにジャガーを信仰する風習があったことを物語っている。祭祀場では儀式と
しての球技が行われ、その際には人間が生贄として捧げられた。また、絵文字や数字を用
い、ゼロの概念を持つなど、数学や暦が発達していた。特徴的な美術としては、巨石人頭
像やベビーフェイスと呼ばれる石像が挙げられる。大きな石彫だけでなく、ヒスイのよう
な宝石を使った小さなものもあった。
巨石人頭像は、大きいもので3メートルもの高さがある巨大な石像である。胴体は存在せ
ず、頭部だけが作られたものと考えられている。左右に広がった低い鼻や厚い唇といった
顔立ちは、ネグロイド的ともモンゴロイド的ともいわれる。小鼻が横に広がった「あぐら
鼻」、分厚い唇、くっきりとした目、突き出た頬骨。日本人の顔付きには似てないように
見えるが、オルメカ人は氷河期にアジアか らベーリング海峡を渡って新大陸に散らばった
モンゴロイドをルーツにもつ。しかし、オルメカ人に写実の技能がなかったわけではな
い。それは下の写真で明らかだろう。「オルメカの巨石人頭像」は人間のようで人間では
ない。神のようであって神ではない。不思議な存在だ。
レスラー 仮面
鳥の器 壷 魚の器
11、 「オルメカの巨石人頭像」の呪力について
『 一つここに驚くべき事実がある。エール大学のマイケル・コー教授の最近の発表によ
ると、このオメルカの石の頭は最初から土に埋めてあったものらしい。粘土できちんと土
台を作って据え、土をかぶせてあった。メキシコ南部サン・ロレンスで、雨のために偶然
山が崩れ、そこに石造がわずかに露呈してきたのだ。これをヒントを得て、周辺の何でも
ない山肌を電波探知器で調べたら、このような石彫がまだ百あまりも埋もれていることが
判った。今まで、土地の者によって掘り出されていたものだけで、謎に包まれていたこの
巨石の顔は、いよいよ不可思議な神秘の相をあらわしてきた訳だ。 顔を刻み、神格にし
たのち、それをことごとく地面に埋めてしまう。これは一体どういうことなのだろう。大
地に対する呪術なのか。それにしても、現象的には無になってしまうのだ。ただ無存在で
「ある」、「なる」、ということよりもさらに激しい、積極的な還元である。何たる
謎。』
第2節に述べたように、岡本太郎は「美の呪力」の中で石のもつ呪力についてこのように
書いている。彼が何を言いたいのか、最後のフレーズを私なりに推測すると、
「 顔を刻み、神格にしたのち、それをことごとく地面に埋めてしまう。これは一体どう
いうことなのだろう。大地に対する呪術なのか。それにしても、現象的には無になってし
まうのだ。ただ形而上学的に存在する「ある」「なる」ということよりも、さらに激しい
積極的な「美の根源」への「気づき(接近)」である。何たる謎。」・・・となる。
地中に埋蔵された「オルメカの巨石人頭像」について、岡本太郎はこのように、私たちが
通常「神の力」よりもさらに強力な「霊の力」を発揮していたのではないかと直観してい
る。このような岡本太郎の直観を私たちはどのように受け止めれば良いのか、私にはよく
判らない。しかし、日本の縄文土器の埋葬の謎と重ねあわせて考えるとき、「オルメカの
巨石人頭像埋蔵の謎」を解く鍵があるように思われる。
小林達雄はその著書「縄文時代の世界」(1996年7月、朝日新聞社)の中で次のよう
に言っている。すなわち、
『縄文時代の土偶は、縄文人の精神世界の中で生み出されたものだ。』
『土偶は縄文人の神さまではもちろんなく、単なる縄文人の写しでも、ましてやお遊びや
話し相手の玩具でもなかった。』
『実は縄文人自身も、土偶の正体、つまりその人相・体格を正確にしっていたわけではな
かったのである。土偶とは縄文人を取り囲む自然物や、縄文人自らが作り出したさまざま
な物の中にも、かたちとして見いだすことのできない存在なのであった。それは、現実の
かたちを超え、いわば神にも似た力そのものであり、不可視の精霊のイメージであった。
縄文人の頭の中のまだ見ぬイメージが、ややもすれば自己の姿に近づきがちになるのをあ
えて振り払いながら表現したのが、なんとも曖昧模糊とした最初の土偶ではないか。つま
り、精霊の顔をまともに表現するなど、あまりにも畏れ多いことでもあったのであろう。
当初の土偶の伸張が、5∼6cmから10cmどまりであるのは、掌(てのひら)の中に収
められて祈られたり、願いをかけられたりするものであったせいとも考えられる。つま
り、土偶はその姿を白日の下にさらしたり、祭壇などに安置したりするものではなく、閉
じられた掌の中の闇の中でこそ力を発揮したと考えられる。
また土偶の容姿はもともと縄文人の目には見えなかったのであるから、その詳細なかたち
に本質的な意味があるのではなかった。それは、あくまでも縄文人の意識の中で確信され
た精霊であり、それが仮の姿に身をやつして縄文世界に現れたものであった、と理解され
る。』・・・と。
私には、「オルメカの巨石人頭像」も、 その姿を白日の下にさらしたり、祭壇などに安
置したりするものではなく、閉じられた闇の中でこそ力を発揮したと思えてならない。如
何なものであろうか。上述したように、「オルメカの巨石人頭像」は人間のようで人間で
はない。神のようであって神ではない。不思議な存在である。これを白日の下にさらすの
ではなく地中の闇の中に埋蔵した。そして、その場所で「生け贄」を捧げる供犠(くぎ)
が行われたと言われている。そのときどのような呪術が行われたか定かでないが、私が思
うに、時には豊穣の「祈り」であったであろうし、時には敵に対する「のろい」であった
かもしれない。
日本人は「無」が好きだ。否、日本人だけではない。東洋の特質だ。西洋の思惟では無が
有より軽んぜられたことは、「無」がBeingに対して常にNon-beingとしかいわれない、
という言語的な事実にその証拠を見出す事が出来る。一方、東洋では無を強調し、有中心
の非-有(Non-being)、を超えた意味合いを含ませた。岡本太郎の思想の底流にはこのよう
な「無」の思想が息づいているように思われる。「オルメカの巨石人頭像」とは何ぞ
や?・・・「無」! 岡本太郎はそう言っているようだ。
13、 グリュウーネヴァルトの「磔(はりつけ)のキリスト像」
『 鮮血・・・このなまなましい彩(いろど)りが、石について書いているとき、ふと
私の心の中に湧き起こってきた。血を浴びた石。(中略)人間は石とぶつかりあいなが
ら、血を流しながら、生き貫いてきた。その残酷な思い出が心にうずくのだろう。血は清
らかであり聖であると同時にケガレである。この誇りと絶望の凝縮・・・。今強烈なイ
メージとして、グリューネヴァルトの「磔(はりつけ)のキリスト像」、あのイーゼンハ
イムの祭壇画が眼に浮かんでくる。(中略)
グリュウーネヴァルトに感動しながら、人間の業、傷口のいやらしさを、このように露
(あらわ)にした絵に共感する、せずにはいられないこの状況に、腹が煮える思いがす
る。血だらけのキリスト像は、人間とそれを超えた宇宙的存在との悲劇的な噛み合い、い
いかえれば人間そのものの運命を浮き彫りにしている。ヨーロッパ中世を数百年のあいだ
強力に抑えていたキリスト教の運命が、時代の末期に、むきだしに傷口となり、血を噴き
出している。この「呪い」にも似たイメージはキリスト教者でないわれわれにも、不思議
になまな迫力で迫ってくるのだ。信者でない私はまったく外側から、自由に受け止めるの
だが。神秘な感動は向こうからこちらに働きかけるばかりでなく、こちらから同時に対象
に押し及ぼす。その交流は強烈なものだ。
このような「血の呪文」がもしキリスト教世界の中でしか解けない、通じないとしたら
意味がない。われわれが今日の人間的感動で根源的な血として意味を解読すべきではない
か。その方がはるかに率直で、ダイナミックであり得る。それにしても、この絵はあまり
にもなまなましい。(中略)この血は霊であり、生命のしるしである。(中略)あの残酷
なリアリズム。凝固した血。単なる絵画表現をこえて、何か人間の絶望的な運命を予告す
る不吉な影を浮かび上がらせる。その呪術は今日まで、ながながと尾を引いているよう
だ。』
第2節に述べたように、岡本太郎は「美の呪力」の中で石のもつ呪力についてこのように
書いている。彼は何を言いたいのか? 鶴岡真弓(美術文明史家。当時は立命館大学教
授。現在は多摩美術大学の教授で芸術人類学研究所長)が、「美の呪力」の解説の中で、
この点につき的確な解説をしているので、ここに紹介しておきたい。
『 多くの宗教がにあるように神聖さを神聖らしく表現するのではなく、人間存在の絶
望的な「醜さ」「けがらわしさ」が極限で示されるとき、むしろ「神聖さ」が発光すると
いうのである。「あえてお堕(おと)し込むことによって、逆に「人間」を超えた神聖が
浮かびあがってくる」ことが強調される。この「顛倒(てんとう)の真理」を確認するた
めに、太郎は本能的に「イーゼンハイムの祭壇画」を選んだのだろう。(中略)対立して
いるいっぽうが、飽和となり、豊穣(ほうじょう)に崩れていくとき、同時にその反対物
が顕われてくるという真理。それをくりかえし、さまざまな作例で証明し、その証明が
「美の呪力」には満ち溢れているのだ。(中略)そう、「美の呪力」に満ちていくこの
「顛倒のヴィジョン」は、若き太郎が10年間を暮らしたフランスでの出会い、彼がおそ
らく一生をかけて契(ちぎ)りとした思想源のひとつ、「異端の思想家」バタイユの唱え
た「反対物の一致」への共感を想起させる。』
彼女はこう言っているのだが、正しく彼女は岡本太郎の本質を言い当てていると思う。人
間誰しも、美しいものや聖なるものを経験したときにある種の感動を覚えるが、得てして
それで終わってしまうことが多い。しかし、「醜いもの」「汚らわしいもの」「戦慄をお
ぼえるもの」など美しいものや聖なるものと反対のものを見たり経験したりするときは、
「怒り」や「恐ろしさ」などの感情を抱かざるを得ない。岡本太郎はそのような「怒り」
や「恐怖」は「挑戦」のエネルギーになってゆくと言う。彼のいう「爆発」である。岡本
太郎は「美は爆発だ!」と言いたいのだと思う。
第3節 美とは何か?
1、 摩多羅神について
常行堂(じようぎようどう)というお堂のある天台系の寺院に祀られている「摩多羅神
(まだらしん)」は、仏教の守護神としては異様な姿をしている。 だいたい仏法を守る
守護神としては、インド伝来の神々の姿をしているものがおおむね主流である。これらの
神々は、もとはといえば仏教とは関わりのない「野生の思考」から生み出されたインド土
着の神々で、象徴的に含蓄の多い姿をしているものである。ところが、常行堂の後戸の場
所に祀られているこの神は、少しもインド的でない。さりとて中国的ですらなく、かと
いって日本的かと言えば、そうとも言いきれない。かつては天台寺院において重要な働き
をした神であるのに、摩多羅神は謎だらけの神なのである
摩多羅神の神像図(「摩多羅神の曼陀羅」)は、古くから伝えられているものである。ま
ずそれをよく見てみよう。
摩多羅神の神像図(「摩多羅神の曼陀羅」)
中央には摩多羅神がいる。頭に中国風のかぶり物をかぶり、日本風の狩衣(かりぎぬ)
をまとっている。手には鼓をもって、不気味な笑みをたたえながら、これを打っている。
両脇には笹の葉と茗荷(みようが)の葉とをそれぞれ肩に担ぎながら踊る、二人の童子が
描かれている。この三人の神を,笹と茗荷(みょうが)の繁(しげ)る林が囲み、頭上に
は北斗七星が配置されている。この北斗七星に是非ご注目願いたい。
この奇妙な姿をした神たちが、常行堂に祀られている阿弥陀仏のちょうど背後にあたる
暗い後戸の空間に置かれている。この背後の空間から、阿弥陀仏の仕事,つまり阿弥陀如
来の救済の働きを守護しているわけである。
後戸の神・摩多羅神
どうです! 後戸の神・摩多羅神って,面白いでしょう。
阿弥陀仏と摩多羅神の組み合わせは、非常なアンバランスなものをはらんでいるが、天
台宗の中で発達した「本覚論」という哲学の運動では、とくにこの摩多羅神が選び出され
て、重要な働きをおこなうことになった。その元祖がかの慈覚大師(円仁)である。
空海や最澄がそうであったように、円仁(えんにん)もほぼ完成された人格をもって唐
に留学に行っている。今我々が言う留学生ではない。円仁が我が国に持ち込んだシナ文化
についても、円仁という人物の感性を通して我が国に入ったということだ。ちなみに、円
仁は、15歳で比叡山に登り、最澄に師事。44歳で入唐している。第3代目の天台座主
である。
世界の三大旅行記というのがある。玄奘(げんじょう)の大唐西域記とマルコ・ポーロ
の東方見聞録、そして円仁の入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)であ
る。入唐求法巡礼行記は、元駐日大使ライシャワーが英語に翻訳し、研究を重ねて博士号
を取ったことでも知られている。ライシャワーの思いは、今、ハーバード大学のライシャ
ワー研究所に引き継がれ、精力的に日本文化の研究が行われている。
さて、慈覚大師が始めたこの哲学運動では、教えを弟子に伝達するのに、天台密教風の
「灌頂(かんじよう)」の様式を採用した。そのとき、本覚論の中の一元論哲学の奥義を
伝える灌頂の場を守ろうとしたのが、この三人の神なのだった。摩多羅神はこのとき、暗
い後戸の空間を出て、奥義が伝えられる場の前面に躍り出てくるのである。
この神の由来について、はっきりしたことはもうわからなくなっている。鎌倉から室町
にかけて、比叡山を中心にする天台系の寺院で流行していた本覚論は、江戸時代に入ると
「邪教」の烙印を押されて、書物を焼かれたり、仏具を壊されたりしてしまい、表だって
の伝承はそれで絶えてしまったから、摩多羅神の正体についてもすっかり不明となってし
まった部分が大きい。きれぎれに語られてきたことをつなぎあわせてみても、なかなかこ
の神の実体には届かない。
とりわけこの神の本質に関わる問題、たとえば、どうしてこのような名前と異例な姿を
持つ神が、天台宗のなかで一元論思考を徹底的に推し進めたラジカルな哲学である本覚論
と深いかかわりを持つことになったのかとか、猿楽(さるがく)をはじめとする芸能の徒
たちが、自分たちの芸能の守護神である「宿神」とこの摩多羅神とは同体の神であるとい
う考えをいだくようになったのかとか、この神の本質をめぐる問いに充分に答えた研究
は、まだ現れていない。
摩多羅神は,芸能の神でもある。リズムの神だと私は思っている。本音の神。本音は本
当の音と書く。本音とは,「本当のところ何やんね?」というわけだ。その神が摩多羅神
である。
こうしたなかで、『異神』という画期的な中世思想研究の書物の中で、山本ひろ子の出
している考え方が、いまのところこの問題にいちばん肉薄できている、と私には思える。 彼女はまず『渓嵐拾葉集(けいらんしゆうようしゆう)』(光宗(こうじゆう)著、1
317∼1319に成立)に記録されたつぎのような記事に注目する。
摩多羅神とは摩訶迦羅(マカカラ)天であり、またはダキニ天である。この天の本誓
(ほんぜいと読む。仏に誓う言葉。)は「経に云う。もし私は、臨終の際その者の死骸の
肝臓を喰らわなければ、その者は往生を遂げることは出来ないだろう」。この事は非常な
る秘事であって、常行堂に奉仕する堂僧たちもこの本誓(ほんぜい)を知らない。
ここにあげられているマカカラ天(マハーカーラ、大黒天)といい、ダキニ天といい、
どちらも仏教風に言えば「障礙神(しようそしん)」の特徴をそなえている。この神を心
をこめてお祀りしていれば、正しい意図をもった願望を成就するために、大きな力となっ
てくれる。しかし、少しでも不敬のことがあると、事を進める上に大きな障害をもたらし
て、あらゆる願望の成就を不可能にしてしまうというタイプの守護神が、障礙神(しょう
そしん)なのである。まあいえば「災いの神」だ。民俗学風にこれを言いかえれば、この
タイプの守護神はまぎれもない「荒神(あらぶるかみ)」である。
しかもこの神はカンニバル(人食い)としての特徴ももっている。人が亡くなるとき、
摩多羅神=大黒天=ダキニ天であるこの神が、死骸の肝臓を食べないでおくと、その人は
往生できないのだという。
往生とは、人が生前に体験した第一の誕生(母親の胎内からの誕生)、第二の誕生(大
人となるために子供の人格を否定するイニシエーションを体験して、真人間として生まれ
直すこと)に続いて、人が誰でも体験することになる「第三の誕生」を意味している。そ
のさいには、人生のあいだに蓄積されたもろもろの悪や汚れを消滅させておく必要があ
る。そうでないと、往生の最高である浄土往生は難しい。
ここでちょっとアドリブを入れておこう。私たちはよく「私なんかしょっちゅう,往生
してますわ!」と言いますが,本来的にはこういう言葉の使い方がおかしいかも。しか
し、往生していないけれど,往生したいと願う心がこもっているのかもしれない。私が思
うに,「ひっくり返し」の思想であるのかもしれないということだ。
元に戻ろう。往生のむつかしいとき、この恐るべき神が登場するのだ。人の肝臓には、
人生の塵芥が蓄積されている。そういう重要な臓器を、摩多羅神は臨終のさいに、食いち
ぎっておいてくれるという慈悲を示すのだ。カンニバル(人食い)とは人生からの解放を
もたらす聖なる行為だ。そしてそれを導いてくれるのが、恐ろしい姿をもって出現するこ
れら障礙神(しょうそしん)たちなのである。
つまり、常行堂の後戸に立って、前面に立つ光の仏である阿弥陀を守護しているこの謎
の神は、創造的カンニバルとしての特質を隠し持った、人類の思考の「古層」からやって
きた表現として、理知的な仏教にはとうてい理解不能の存在だと思う。摩多羅神が謎なの
は、この神が自分の内部に複雑な重層性をかかえているからである。表面には、狩衣をま
とって鼓を手に、いままさに音楽を奏でようとしている男の姿で描かれた摩多羅神がい
る。この姿でいるときは、摩多羅神は本覚論の「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」の
思想を直接に現した、日本思想の「中世」をあらわしている。ところがこの摩多羅神の奥
には、もう一人の摩多羅神がいる。この摩多羅神は大黒天やダキニ天の親しい仲間とし
て、仏教の中にひそんでいる「野生の思考」に深くつながっていく存在なのだ。この新石
器的摩多羅神は、狩衣をまとった中世の摩多羅神の内部に隠れて、不穏な波動をあたりに
放出している。この神の中には、折口信夫の言う「古代」が隠されているのだ。
そのような神が、いわば本覚論というその時代の先端的な哲学思考の、まさに「後戸」
に立つ。とてつもなく古代的な思考が、もっとも新しい思考と、文字どおり背中合わせに
立っている。古代思想と近代思想の融合。一元論的認識の重要性を改めて強調しておきた
い。一元論の哲学は重要である。「ほんとのところは何やんね?」というわけだ。
では、どうして本覚論のようなラジカルな一元論の哲学が、摩多羅神に凝縮されている
古代的ないし新石器的思考を呼び寄せることになったのか。
先述のように、「この新石器的摩多羅神は、狩衣をまとった中世の摩多羅神の内部に隠
れて、不穏な波動をあたりに放出している。この神の中には、折口信夫の言う「古代」が
隠されているのだ。ここではこの点について少し話をしておきたい。摩多羅神に凝縮され
ている古代的ないし新石器的思考とはなにか?
この点については、川村湊がその著書「闇の摩多羅神・・・変幻する異神の謎を追う」
(2008年11月、河出書房)に詳しく書いているので、それをもとにできるだけ判り
やすく説明する。正確さに欠ける点があるのはご容赦願いたい。天台宗には、玄旨灌頂
(げんしかんじょう)という独特の儀式を秘密裏に行う一派があった。灌頂(かんじょ
う)とは儀式のことをいうが、頭に水をそそぎ、正統な継承者とするための儀式である
が、その儀式は独特のもので、私は、世界的というか宇宙的というか、その名の通り深遠
な内容のものであると思う。玄旨(げんし)というのは深遠な道理という意味だ。
残念ながらこの一派は江戸時代に真言密教立川流の影響を受けて邪教扱いをされ、この
世に存在しなくなってしまう。何故邪教扱いをされたかは以下において徐々に説明する。
摩多羅神が邪教扱いにされた訳ではない。摩多羅神は今も天台宗の裏戸の神として祀られ
ているし、真言密教では「理趣教」が今もなお大事なお経として唱えられている。それら
を考えると、 玄旨灌頂(げんしかんじょう)も正しい理解のもとに今に伝承されるべきで
はなかったと思う。しかし、こういうきわどいものは「命の脳」と「知恵の脳」がうまく
バランスしないと変な方向に行ってしまうのも事実で、真言密教立川流の影響を受けたと
はいえ 玄旨灌頂(げんしかんじょう)が邪教扱いを受けたのもやむを得なかったとも思
う。
さて、 玄旨灌頂(げんしかんじょう)がどういうものか、逐次説明しよう。玄旨灌頂(げ
んしかんじょう)では、まず師と弟子は数日前から沐浴(もくよく)し、浄衣を着て、
なぜ今玄旨灌頂(げんしかんじょう)を行うのかを述べるなど、おごそかに始まりの儀式
を行う。
次いで、灌頂道場の前で香を焚き、香油を塗り、口をそそいで、幣帛(へいはく。神へ
の捧げもの。本来神道の作法。)を捧げる。その後に道場に入るのである。道場内には、
正面に先に示した摩多羅神画像、左右の壁には山王七社、天台八祖の画像、十二因縁図、
十界図が掲げられる。
灌頂を受ける弟子とその師は、道場に入る時は笏(しゃく)を持ち、さらに左手に茗荷
(みょうが)を持ち、右手に竹葉を持つ。これは先の摩多羅神画像における二人の童子が
茗荷と笹の葉を持っている構図と同じである。茗荷は一心一念を象徴し、竹の葉は三千三
観を象徴しているらしい。何事も一心不乱に取り組み、その経験から直観を養い、言葉で
は言い尽くせない多くのことを悟らなければならないということであろう。
道場の真ん中には、香炉や供え物が供えられている。師は左の壇に座り、弟子は右側の
草座に控えている。師は摩多羅神の前で三礼し、法華経や般若心経を唱え、山王神や宗祖
たちに拝礼し、それぞれの弟子への口伝(こうでん)に入っていく。口伝(こうでん)は
天台密教の奥義を語る言葉であり、ここまでは誠に厳かなものだ。問題はこれからだ。
口伝の後、摩多羅神画像の三人、つまり摩多羅神本尊とその脇を固める二人の童子をた
たえる歌を歌い舞うのである。「シシリシニシ」という茗荷童子の「リシト歌」と「ソソ
ロソニソ」いう竹葉童子ノ「ロソト歌」というらしい。これが問題であって、なかなか奥
が深いのである。 玄旨灌頂(げんしかんじょう)は、先にも言ったように、 世界的という
か宇宙的というか、その名の通り深遠な内容のものである。それがこの言葉である。言葉
で言い尽くせないことを言葉で説明するにはどうすれば良いか。「リシト歌」と「ロソト
歌」を一心不乱に歌うしかないのである。「シリ」はお尻であり、「ソソ」は女性器おそ
そである。つまり、こんな卑猥な歌や舞が 玄旨灌頂(げんしかんじょう)のハイライトで
あり、師が弟子にこれが意味する宇宙の真理を伝えることがこの一派の秘伝となっている
のである。
熱海の伊豆山神社には摩多羅神の祭りがあり、こんな歌が歌われているという(あやか
しの古層の神・摩多羅神」谷川健一)。「マタラ神の祭りニヤ、マラニマイヲ舞ワシテ、
ツビニツツミヲ叩カシテ、囃(はや)セヤキンタマ、チンチャラ、チンチャラ、チンチャ
ラ、チャン」。ここに「マラ」「ツビ」は男女の性器である。
玄旨灌頂(げんしかんじょう)は、前述のように、本来、世界的というか宇宙的という
か、その名の通り深遠な内容のものである。しかし、その深遠な内容が正しく理解されて
いないとこのように卑俗な取り扱いになるのである。こうしたところから、 玄旨灌頂(げ
んしかんじょう)は、真言密教立川流の影響もあり、性欲の積極的肯定というか性愛の秘
技というイメージが一人歩きしてしまうのである。
玄旨灌頂(げんしかんじょう)は口伝による秘技であり、本来外に漏れてはいけないも
のである。しかし、儀式の心覚えのためか、文章として残っているものがあるらしい。そ
れが大問題であって、秘技は秘技として自分の本当の弟子にしか伝えてはならない。
理趣経というお経があるが、空海が中国から持ち帰った『理趣釈経』(『理趣経』の解
説本)に関連して有名な最澄の借経(経典を借りる)事件というのがある。参考のために
それを紹介しておこう。
天台宗の開祖である最澄は、当時はまだ無名で若輩の空海に弟子入りし灌頂を受けたの
であるが、その後、天台教学の確立を目指し繁忙だという理由で自分の弟子を使って、空
海から借経を幾度となく繰り返していた。しかし、『理趣釈経』を借りようとして空海か
ら遂に断られた。これは、修法の会得をしようとせず、経典を写して文字の表面上だけで
密教を理解しようとする最澄に対して諌(いましめ)たもので、空海は密教では経典だけ
ではなく修行法や面授口伝を尊ぶことを理由に借経を断ったという。空海が断った理由
は、この『理趣経』の十七清浄句が、男女の性交そのものが成仏への道であるなどと間
違った解釈がなされるのを懼(おそれ)たためといわれている。
空海は、その後東寺を完全に密教寺院として再編成し、真言密教以外の僧侶の出入りを
禁じて、自分の選定した弟子にのみ、自ら選んだ経典や原典のみで修行させるという厳し
い統制をかけたが、その中にさえ『理趣経』はないといわれる。「理趣経」はそれほど誤
解を受けやすい経典であるが、それと同じように、 玄旨灌頂(げんしかんじょう)は万が
一外に漏れたらとんでもない誤解を受けかねないといいう、まさに秘技なのである。
なお、摩多羅神画像の上には北斗七星が描かれているが、摩多羅神は「天なる神への信
仰」(妙見信仰)とつながっているのである。 私が、「玄旨灌頂(げんしかんじょう)
は、世界的というか宇宙的というか、その名の通り深遠な内容のものである)という所以
(ゆえん)である。
摩多羅神は卑猥なものと聖なるものの間に存在している。卑猥といえば卑猥、聖だとい
えば聖なのである。また、卑猥でもないし、聖でもない、誠に深遠な存在であるが、神と
はまあそんなものではないか。「エロスの神」も全く同じであり、摩多羅神と同一の神だ
といえなくもない。摩多羅神は天台宗という特定の宗教に限っての神として存在していた
が、エロス神は一般庶民に崇められるべき神である。
2、 両頭截断ということについて 私の電子書籍「祈りの科学」シリーズ(4)でもいったが、ものごとには何ごとも両面が
ある。光があれば陰もあるし、物があれば「モノ」がある。「モノ」とは心のこもった物
のことである。物とは単なる物質のことだ。
私は「両頭截断(りょうとうせつだん)」とよく言っているが,これはそういうものご
とのには必ず両面があるので,それにこだわっていてはいけないということを言ってい
る。「あなたは善人ですか?・・・そうですねえ。善人と言えば善人だし,悪人と言えば
悪人ですね。善人でもないし悪人でもない。ああ,やっぱり私は善人です。」・・・とい
う訳だ。哲学的には二元論というが,そういう二元論を超えた世界,つまり一元論的認識
の世界,それが陰陽の世界である。両頭を截断した,つまり相対的な認識を超えた絶対的
な認識(一元論的認識)の世界である。私たちは陰陽の世界を生きているし,またそのこ
とを日頃から十分認識しておく必要がある。
私は「両頭倶截断一剣器倚天寒(両頭ともに截断して一剣天によってすさまじ)」とい
う禅語を略して「両頭截断」といっているのだが、その意味するところはきわめて奥が深
い。摩多羅神を考える場合にも、エロス神を考える場合にも、少なくともこういう一元論
的認識の重要性だけでも理解していないとダメだと思うので、ここで厳密を期しておきた
い。
この禅語は『槐安国語』(かいあんこくご)に出てくる。『槐安国語』は燈国師が書い
た『大燈録』に、後年白隠が評唱を加えたものである。禅書も数多いが、その中でもっと
も目につくものは、道元禅師の『正法眼蔵』と『槐安国語』といってよいと思う。両書は
いずれも難解な本である。前者についてはすでに多数の学者がその研究の成績を発表して
いる。しかし、『槐安国語』についてはほとんど研究らしい研究はない。そうだけれど、
大燈国師が胸中の薀蓄(うんちく)を披瀝したところへ、白隠禅師の悟りを加えたもので
あるから、この本は日本の禅の極限に達したものといってよいだろう。
この禅語については、 松原泰道がその著「禅語百選」(昭和四十七年十二月、詳伝社)
で詳しく説明しているので、それをここに紹介しておく。すなわち、
『 両頭倶截断一剣器倚天寒(両頭ともに截断して一剣天によってすさまじ)
両頭というのは、相対的な認識方法をいいます。相対的認識が成り立つのには、少なくと
も二つのものの対立と比較が必要です。つまり両頭です。たとえば、善を考えるときは、
悪を対抗馬に立てないとはっきりしません。その差なり段落の感覚が認識となります。
さらに、その差別を的確にするには、それに相対するものを立てなければなりません。
之が三段論法推理の基本となります。その関係は、相対的というよりも、三対的で、きわ
めて複雑です。知識が進むにつれてますます複雑になります。その結果、とかく概念的と
なります。また、比較による知識ですから、二者択一の場合に迷いを生じます。インテリ
が判断に決断が下せないのもその例でしょう。なお、恐ろしいことは、比較というところ
に闘争心が芽ばえることです。この行きづまりを打開する認識方法と態度が、禅的思索で
す。まず相対的知識の欠点が相対的なところにある以上、この認識方法と態度とを捨てな
ければなりません。それを「空(くう)ずる」といいます。ときには「殺しつくせ」「死
にきれ」と手きびしく申します。肉体を消すことではありません。相対的認識や観念を殺
しつくし、なくして心を整地することです。
相対的知識を殺しつくすのは絶対的知識です。しかし、相対に対する絶対なら、やはり
相対関係にすぎません。たとえば、「私が花を見る」のは、私と花と相対して花の認識が
生まれ、その花の色や色香(いろか)や美醜は、またそれに対するものが必要になりま
す。どこまでも相対知です。
次に、私は外の花を見ない、唯一絶対として私が花を見ると、一応は絶対値に立ったよ
うですが、相対に対する絶対値で、やはり相対的関係が残っています。「私」が「花」を
見るという我と花とが対しあっています。純粋絶対知とは、私が花を見るのではなく、花
そのままを見ることです。私が花そのものになって見るより見方のないことを知るので
す。
これを一段論法といいます。その名付け親は、明治後期の理学博士で、禅の真髄をつか
んだ近重真澄(ちかしげますみ)です。禅的さとりを得た人たちは、必ず従来とは、違っ
た見え方がしてきたと喜びを語ります。それは「ある立場から、規定づけられた見方を脱
した」ということでしょう。道歌(どうか。仏教などの趣旨をよんだ歌)の「月も月、花
は昔の花ながら、見るものになりにけるかな」が、一段論法の認識方法と、その結果を
歌っています。また、熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)が、無情を感じて法然上
人の下で出家して蓮生坊(れんしょうぼう)と呼びました。彼の歌と伝えられるものに
「山は山、道も昔に変わらねど、変わりはてたるわが心かな」にも、それが感じられま
す。両頭的な相対的認識を、明剣にたとえた一段論法の刀で、バッサリと断ち切る必要を
説くのがこの語です。相対的認識を解体した空の境地です。』・・・と。
直観を働かせるには、それなりの厳しい体験が必要だ。修行僧は日常厳しい修行に明け暮
れ、それが実ると悟りが開け、直観が働くようになる。そうするとこの禅語にあるよう
に、両頭が截断されて、絶対認識ができるようになる。私たちは、一般的には、死ぬか生
きるかというような厳しい体験をする訳ではないので、なかなか直観がはたらくレベルに
到達することが困難である。しかしながら、ものごとにはすべからく両面があることを理
解し、まずは反対物に注目しなければならない。自分と反対の意見をもっている人の言う
ことにも常日頃から耳を傾けなければならない。ともかく、ものごとの両面を見ることの
癖をつけなければならない。それには、岡本太郎の「美の呪力」を読んで、その中で取り
上げられている石造や絵画のどれかを真剣に勉強することだ。実際に現地に出かけること
は一般には難しいので、いろいろとネットで調べるなり、図書館で関係の図書を読むこと
はできるだろう。その際、岡本太郎の「美の呪力」はまたとない手引書になるはずだ。
3、 真の美を理解するには
プラトンの「饗宴(きょうえん)」という歴史的とでもいうべき名著がある。岩波文庫か
ら文庫本が出ているので読んだ方も少なくないだろう。その中の「エロス神」に関する真
髄部分を紹介する。その真髄部分は摩多羅神についても同じことがいえる。つまり、相対
的認識が解体されているのである。
『 エロスは偉大な神でかつ美しき者に対する愛などと考えてはならない。そんな考えに
立っていると、エロスは美しくもなければ善くもないことになる。したがって、美しくも
ないものは必然的に醜いとか、善くないものもまた同様に悪いとかいう風に考えてはいけ
ない。』
プラトンはこのように言っているのだが、プラトンはまさに禅僧の言いそうなことを言っ
ていますね。まさに両頭が截断されている。上述したように、 ものごとにはすべからく
両面があることを理解し、まずは反対物に注目しなければならないのである。その際、岡
本太郎の「美の呪力」はまたとない手引書になるはずである。この点について、 鶴岡真
弓が、「美の呪力」の解説の中で、この点につき的確な解説をしているので、ここに紹介
しておきたい。
『 ユーラシアの極西の「ケルト」から、極東の「縄文」までの世界を、太郎は踏破し、
透視していた。「美の呪力」を読むことは、「岡本太郎」による「世界美術館」を歩くこ
とである。その美術館は、おそらく世界一たくさんの展示室とテーマをもち、世界一陰影
に満ち、世界一わたくしたちに不思議な希望を与え続けてくれる場所である。そう、マル
ロの「空想の美術館」をも凌ぐだろう、またとない「呪力の美術館」なのである。』
マルロの「空想の美術館」は、次のホームページに詳しく解説してあるので、是非、それ
をご覧戴きたい。
http://www5b.biglobe.ne.jp/ kabusk/kohjoh4.htm
さて、岡本太郎は、「美の呪力」の中で、上述してきたように、イヌクシュクの石像のも
つ呪力について論じ、「磔(はりつけ)のキリスト像」と繋げながら「血」のもつ呪力に
ついて論じている。そして、それらを出発点として、ゴダールの名作「ウィーク・エン
ド」という映画のもつ呪力、アステカの人身供犠を描いた絵画のもつ呪力を論じていく。
そして、羅刹(らせつ)の女ジェマティーの図像、曼荼羅(まんだら)、ゴヤの「カプリ
チョス」、ピカソの「ゲルニカ」、各種戦争画、各種仮面、炎の像と絵画、夜の画家ゴッ
ホの作品、ビザンチンの夜に関わる美術品などももつ呪力について、鋭い眼を向けなが
ら、最後にケルトの文様を論じている。この最後のケルトの文様については、鶴岡真弓が
次のように解説しているので、それを紹介して筆を置くことにする。
『 「美の呪力」の最後を飾る第11章「宇宙を彩る・・・綾とり・組紐文(くみひもも
ん)の呪術に、ヨーロッパ極西の国アイルランドの「ケルト」の文様が語られる。中世ア
イルランドのケルト系修道院に立つ「石の十字架」や、福音書写本「ケルズの書」に修道
士が描いた呪文のようなケルトの「組紐文」。中心というものがない。無限に伸び、くぐ
り抜けて広がる。世界を流動の相で捉える人びとの造形だ。・・・自分たちを超えた運命
がいつでもすれ違いながら流れている。(中略)岡本太郎曰く。「私にいちばん問題を投
げかけてくる美は、他の大陸を別にすれば、ヨーロッパでいちばん古い、ケルトの文化な
んです。」』
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